日本の城って真剣に攻めたらすぐに落ちるだろ

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1人間七七四年
しょせん、木だし、火をつけて燃やせば終わり
2人間七七四年:2007/10/27(土) 14:48:37 ID:0I+MVtMx
まぁたしかに米軍の爆撃とか支援あれば楽勝だね。
3人間七七四年:2007/10/27(土) 14:55:33 ID:4dmHV498
まあ大陸の城に比べたらはるかにしょっぼいのは同意
4人間七七四年:2007/10/27(土) 15:05:02 ID:NF8GXpt1
トマホークミサイルで一発だろ。
5人間七七四年:2007/10/27(土) 19:05:21 ID:yQ3q2DAJ
ポンプで油飛ばして着火したらすぐに炎上しそうだよな
6人間七七四年:2007/10/27(土) 19:40:06 ID:ZoFivuiV
火攻めは当時タブーだったんだよ。
誰でも簡単に思いつく攻略法だけど昔それやった武将が一揆で無残に殺されちゃってね。
なんでも農民の恨みをはんぱなく買うらしいってんで、それ以来誰もやらなくなった。
7人間七七四年:2007/10/27(土) 19:47:47 ID:Y2grUcCL
>>6
つ火矢
8人間七七四年:2007/10/27(土) 20:23:26 ID:osG7IML3
グライダーで飛行しつつ爆弾を落とすのはどうだ?
9人間七七四年:2007/10/27(土) 21:29:53 ID:n/anyXov
熊本城は近代戦にまだ実績あるんでないかしら?西南戦争
あと五稜郭

姫路城の知られてる仕掛けは、全部役立たないでしょうね
10人間七七四年:2007/10/28(日) 00:57:22 ID:1+T5hptl
火矢が届くって、何メートルくらい?
11人間七七四年:2007/10/28(日) 18:01:02 ID:CcBxcMRM
朝鮮出兵時に日本軍が築いた倭城は一つも陥落しなかったという事実・・。


大陸の城は城壁の攻防。
日本の城は土塁と堀の攻防。

土塁最強
12人間七七四年:2007/10/29(月) 03:54:12 ID:gXGhavLS
あの時代の軍勢が「真剣に」城攻めをする気になるかどうかって問題もあるしな。
異民族との戦いならともかく、話し合いでどうにかできるだし。
13人間七七四年:2007/10/29(月) 04:00:49 ID:yRaAI50d
大坂城とか小田原城とか
大軍で囲んでも落とせなかった城はたくさんあるわけだが
14人間七七四年:2007/10/29(月) 07:47:42 ID:ied1FGvz
>>13
どっちも落ちてるじゃん
15人間七七四年:2007/10/29(月) 16:53:15 ID:ADtmeFZz
>>14
力攻めで落としたのと調略を駆使して落としたのとでは要件が異なる
それを理解した上で出直して来い
16人間七七四年:2007/10/29(月) 17:35:55 ID:uJNOJf5/
大坂城・・堀をうめられてひぃ〜
小田原城・・包囲されてひぃ〜

あほみたいな最後です
17人間七七四年:2007/10/30(火) 22:20:26 ID:ZZCsNMZq
人は城、人は石垣、人は堀。所詮城郭などは道具に過ぎぬ。
どんな名城でも守る者が無能ならすぐに陥落する。
当時、城攻めの基本は調略だった。信長は戦闘施設ではない安土城を築いた。
ベトナムで苦戦したアメリカの例を見れば拠点主義が必ずしも最良ではない事がわかるだろう。
18人間七七四年:2007/10/30(火) 22:34:37 ID:dd5wzK+Z
時代劇を見ていると勘違いするかもしれないが、城攻めの場合はよほどのことがない限りは
寄せ手が圧倒的に不利。防衛側が圧倒的に有利。
秀吉の圧倒的な兵力を背景にした城攻めはむしろ例外。
19人間七七四年:2007/10/30(火) 22:49:18 ID:qD6ZC+YZ
よほどのこと=後詰のない篭城かな?
20人間七七四年:2007/10/30(火) 23:00:57 ID:HJR3oLMB
と言うか、安土〜桃山時代以降の政庁の拠点を主にした城と、
純粋に戦闘(防御)を主に置いた城は別物。
特に山城(やまじろ)や砦の跡に登ってみると、ありえねー
ほどキツイ。まして武装して登ろうものなら…
たった数百bの斜面でも、逆茂木や郭が有ればかなりキツイぜ。
21人間七七四年:2007/10/31(水) 00:35:48 ID:y4zD/HOe
>>19
日本の城郭は、搦め手から籠城側が打って出て、
逆襲して蹴散らすことも視野に入れられて縄張りされている。

織豊系大名や地方の覇者クラスの大大名ばかり見ていると感覚がおかしくなるが、
普通の大名では長期間城を包囲し続けるのは至難。
後詰めが無くとも勝利は見込める。
信長や秀吉はここらへんの制約を取っ払った城攻めが特色だと思うぜ。
22人間七七四年:2007/10/31(水) 04:44:56 ID:Ni8Mq+jk
>>21
勉強になるなぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああ
23人間七七四年:2007/10/31(水) 11:45:04 ID:68z655uK
>>1
戦国時代板にくるような人間がたていいスレじゃないぞこれ・・・
防衛戦になると攻める側は相手の3倍の兵力がいるといわれている

大阪城にしろ小田原城にしろ
冬の陣のときは家康は大苦戦をしいられて結局和睦してるし
10万クラスでせめて数ヶ月かけてやっと落ちた

また後者の城は上杉謙信の猛攻から凌いでる形跡があるね

この程度も知らずスレまでたてるくらいなら戦国板にくるな といいたいな
糞スレ乱立させられるだけだし
24人間七七四年:2007/10/31(水) 20:37:49 ID:nnAO7ctw
>>23
まあまあ、発起人のアタマは別として、俺たちの手で良スレにするのも悪くない。
まず、城という建造物に対するイメージからして問題がるのではないかな?
第一に戦国時代に実際に機能していた城塞は徳川時代に殆どが整理され、
現在残っているのは江戸幕府に存続を許可された、有名無実の城だけだと言う事。
実戦で役に立ったのは天守閣のある大名の居城ではなく、砦レベルの山城だったのだ。
規模としてはトーチカに毛が生えたくらいの代物で、戦線のポイントとして意図された出城だった。
それに城に引きこもって震えているのではなく基本的に兵士の待機所、ないし支援施設として作られた設備である。
25人間七七四年:2007/10/31(水) 21:18:32 ID:qZ3jEC7v
戦国時代に存在した城のうち実戦で使われたのは約2%。
大半は地元農民の集会場を兼ねていたため櫓、門はもちろんのこと
柵、掘り切りもなかった。

これ、まめ知識な。
26人間七七四年:2007/10/31(水) 21:23:58 ID:+N2Z7JTK
城という名の農家って事はままある話だよなw
27人間七七四年:2007/10/31(水) 21:31:41 ID:nnAO7ctw
>>3
地震が多いこの日本で、紫禁城やコンスタンティンノーブルみたいな豪華版がおっ建つ訳無エだろが。
創ったってあっという間に潰れてらあ。
それに巨大な城壁は広大な大陸で異民族、
殊に中国では歴代王朝は常に騎馬民族に悩まされてきたから必要だったのだ。
つまり、自然条件+必要性の問題だよ。
28人間七七四年:2007/10/31(水) 21:33:02 ID:sFebMiCB
まぁ西南戦争前の熊本城の写真みてもらうとわかるけど田んぼにある要塞だぜ?
29人間七七四年:2007/10/31(水) 21:47:20 ID:cfEX7JuN
>>1
司馬遼太郎著「城を取る話」でも信じてしまったのか?
30人間七七四年:2007/10/31(水) 21:50:46 ID:Blc3bqSe
>>25-26
いや、ほんと 冗談ではなく、○○城と呼ばれていたものは、今でいう
「○○公民館」くらいのものだったかもしれん 規模といい使われ方といい
31人間七七四年:2007/10/31(水) 22:01:58 ID:68z655uK
>>30
その通りだよ
誰も否定してないじゃんw

あの知名度高い一夜城もそういう物だったし
ただ・・・>>1はその手のなんちゃって城にたいしていってるのか
「石垣」で作られた姫路城クラスの城に対していってるのかで話はかわってくるんだが

スレタイの煽り文からみて十中八九 姫路城クラスをさしていってるよね>>1

そういう城に関しては大抵持久戦にもっていってる
水攻めにしたり兵糧攻めにしたり・・・無理にせめたらどうなるかは・・・
冬の陣での真田の攻撃が良い例だね

比較的新しい例では西南戦争でもしろにこもった相手に苦労してるね
政府軍しかり西郷軍しかり
32人間七七四年:2007/10/31(水) 22:31:56 ID:RRYDo0Ep
石垣は用いているものの、即席で築いた倭城が明の大軍相手に一つも陥落しなかった事実だけを見ても、
日本の城の防御力は尋常ではない。

33たられば君 ◆oKWwwWwwww :2007/10/31(水) 22:44:44 ID:q1N7IvWE
釣りスレ?
34人間七七四年:2007/10/31(水) 23:39:48 ID:MEb53tsU
中国の攻城戦って、塀の上と外でワーワーやってるイメージがある。
門破られたら大抵終わりなんだよな。
日本の城は、侵入されてからが戦い。
曲輪一つ一つ落とされながら投降や切腹等の交渉やる。
だから、城の作りも戦い方も全然違ってくる。
35人間七七四年:2007/11/01(木) 00:08:54 ID:HwqN0Hp1
日本の山城は拠点防御。一つ落とされたら次の拠点へ移動し、そこが落とされたらまた次で移動。

大陸から見れば、ゲリラ戦を常にやっているようなもの。
36人間七七四年:2007/11/01(木) 00:56:54 ID:c2ZhBayy
例外はあるにせよ、中世城郭は軍事に特化しているからね。
普段住まう館は別にあるし。

そこが大陸の城と城の概念が違う、と。
37人間七七四年:2007/11/01(木) 01:19:55 ID:275wrvXI
大陸の「城」というのは街全体を城壁で囲った「城塞都市」の事を言うのよね
砦は城とは違うので、中国では「砦」というわざわざ違う文字が与えられてる
平安京が建設される際に中国の都である長安が縮小コピーされたわけだけど
縮小コピーの際に城壁だけ削除されてる
これは首都が異民族から攻撃を受けない日本では必要ないと考えられたから
という事で、中国や西欧では軍事拠点=城ではないのよね
38人間七七四年:2007/11/01(木) 01:47:50 ID:nSqu2QEx
>31
姫路城クラスっつうか
大小ひっくるめて今その辺にある「なんとか城」が
まんま戦国にあったと思ってるんじゃね?
39人間七七四年:2007/11/01(木) 03:29:54 ID:aQHP3z2P
>37
出た学研www
40人間七七四年:2007/11/01(木) 03:38:48 ID:RuAjURIJ
何が「学研」なのか
41人間七七四年:2007/11/01(木) 10:23:23 ID:zFkgRkEh
42人間七七四年:2007/11/01(木) 19:10:59 ID:mkYa6lY6
>>39
「学研」がどうしたの?
43人間七七四年:2007/11/01(木) 19:52:38 ID:xZuh4j6s
蒸し返すようで済まぬが、やはり建造物の構造は地区の自然条件を考慮に入れねばなるまい。
日本で石造建築が発達しなかったのは、一つには温暖湿潤の気候のため、換気を重視した事。
もう一つは矢張り地震が多いこと。
「非姉歯」なる流行語?を作った例の耐震偽装事件、
なんで問題なのかと言うとヨーロッパの工法を地震国の日本でやったからだ。
だから日本ではモン・サン・ミシェルの代わりに安芸の宮島、
ピラミッドの代わりに五重塔が作られた。
細長くがらんどうの建物が何故地震の多い日本で倒壊せず残っているのか、
その構造を海外の建築技術者も研究し始めた。
だから、日本の城は木で作られたのだ。

>>38
同感ですな。
と言うより、最近のグラフィック向上したゲームの画面かなんかで思いついたんかも知れんよw
44人間七七四年:2007/11/01(木) 21:03:37 ID:7W6FC2p7
>細長くがらんどうの建物が何故地震の多い日本で倒壊せず残っている
それは結構なのだが火事は起こしまくっている。戦以外でも。
スレチですまないが、火事に対する意識はもの凄く低かったとしか思えない。
天平からの文化財がいとも簡単に灰になることに、昔の人は平気だったのかね。
45人間七七四年:2007/11/01(木) 21:48:19 ID:8U2HoPxD
俺一人で落とせそうだけどな。
こっそり忍び込んで、(味方のふりして)、どっかに火をつければ一発で
終了だと思うが。そんでこっそり逃げちゃえばいいんだよ。

最近、城めぐりが好きであちこち行ってるが、例えば城下の木を数本燃やしただけで
またたくまに燃え広がる。運よく風強ければすぐ燃え移り終了ってパターン
と思いつく。
46人間七七四年:2007/11/01(木) 22:44:12 ID:HwqN0Hp1
>>45
すげえよ。おまえ天才だよ。

47人間七七四年:2007/11/01(木) 23:10:13 ID:zdQ++zpy
>>45
鬼 才 現 る
48:2007/11/01(木) 23:24:39 ID:japfgELS
>>1はフランキ式とか当時あった大砲攻撃なども含めての“落ちる”でないの?
確か宣教師が日本の城は壮麗だが大砲で一発だろみたいな事言ってたし。

真田丸は西洋城で言えば、本城の城壁を距離をおかせて砲攻撃から守る為の出城的役割の初期的なモノでしょ。
天守閣はただの標的にしかならんし。その的に居る淀と側近も馬鹿だと思うけど。

孫子やマキャベリ的に見れば、
頑強な城壁ってのは、味方の逃亡防止や無意味な安心感を与える役割だけでしょ。
第二次大戦当初でもフランス軍は要塞に引きこもって、まんまとやられてるし。
敵からすれば目に見えるわかり易い標的。
幕末辺りじゃ実践的なのは塹壕や土塁

>>43漏れはあまりそうではないと思うが、反り返った石積みは耐震にも結構耐えれるのでは?
地震で倒壊した伏見城(…だったと思うが)の構造は箱を積み重ねたような構造だったので、もともと耐震強度に欠陥があったから。
人間の背骨のように大黒柱を入れた姫路城は今でも現存してるし。
発達しなかった理由は大砲攻撃の想定がなかった、または想定する前に大阪の陣で終戦したからに尽きるぞな。
鉄砲攻撃だけなら漆喰壁で十分だし

49人間七七四年:2007/11/02(金) 00:22:09 ID:XQpgN0Yo
>>43
熊本城をはじめ、関ヶ原以降の近世城郭は対砲も視野に入れていると思うけどね。
壁は何重構造にもして厚くしていて、件の熊本城は砲撃に晒されながらも西南戦争を耐え抜いた。
50人間七七四年:2007/11/02(金) 00:53:41 ID:PFXbx5Wc
ここの住人は、鉄砲の普及が城の石垣化を進めた、って説はどう思われます?

と、少しでもクスソレを救済してみる。
51人間七七四年:2007/11/02(金) 01:05:50 ID:vp14XgNz
むしろ日本の近世城郭に大砲を打ち込んでも、その防御性にはほとんど影響がないかと。
日本の城郭の防御性は堀と土塁が主役。後に石垣もそれに加わる。
欧州や中国大陸で大砲が打ち込まれたのは、その石造りやレンガつくりの城壁をガラガラと崩すため。
日本の城の城壁材質が違うので大砲を打ち込んでもガラガラとは崩れないし、また土塁や石垣に打ち込んでも意味が無い。
中世の山城ならば、ほとんど土塁なのか山なのか分からない程度。
土に大砲の弾を撃ち込むことになる。

硫黄島の米軍ならば、地形が変わるほどの火力を放つこともできるだろうが・・。
52人間七七四年:2007/11/02(金) 02:44:46 ID:fJDxJ1hn
>>51
おいおい・・・ww2の軍隊までもってきたら
どんなに歴史的に強固を誇った城でも要塞だったとしても

たんなる大きい目標物にすぎなくなっちゃうよ

はっきりいって今の兵器をもってきて
緒戦これ一発でおわりだろ?

みたいにいうやつは真のバカだと思うw
なにしにこの板にきたんだ?頭大丈夫か?って問い詰めてやりたくなる

そりゃ大阪城だろうが姫路城だろうが万里の長城だろうが
バンカーバスターで一発だろうよw
53人間七七四年:2007/11/02(金) 02:48:27 ID:87eFGxII
>>39
「学研」がどうしたの?
54人間七七四年:2007/11/02(金) 03:19:30 ID:Pnl8ZxJj
>>48
もちろん、天守などの建物は平時のための飾りだぞ。
熊本城は建物すべて消失してからその防御力を発揮したようなものなんだし。
55人間七七四年:2007/11/02(金) 13:30:25 ID:4uvX376n
熊本城の主要な構造物は、やっぱり標的にされるから篭城側が焼いたの?
56人間七七四年:2007/11/02(金) 13:34:47 ID:/mE4e1Gc
城壁の裏で勇敢になることは簡単だ。byウェールズのことわざ。
57人間七七四年:2007/11/02(金) 19:26:50 ID:8bFAEY74
>>48
石垣の中にどないやって住めっちゅーんじゃw
ネタはええとして、お言葉の通り、大砲の発達期には日本での戦国時代は終了してしまい、
江戸時代には幕府の監視の下、道具一般、殊に兵器類の発達は極度の制限を課された。
一応研究くらいはしたかもしれんが、派手にやったらすぐに謀反の疑いあり、
というかどで御縄、大名だったら改易の憂き目にあっただろう。
或いは、砲兵器が発達した中で戦乱が続けば城という建築物自体が衰退した可能性もある。
その前に戦国乱世が終わったんで旧態依然の城郭が一種の象徴として残った、という事だろ。
58人間七七四年:2007/11/02(金) 19:50:35 ID:t8pRLHXS
>>52
なんでバンカバスターを使うのかと
地中に何か目標でもあるのか?
59人間七七四年:2007/11/02(金) 19:57:21 ID:YCtISshi
瓦に漆喰の壁って燃えにくいよね。
炎上するのは中身が木造なだけで。
60人間七七四年:2007/11/02(金) 21:34:52 ID:vp14XgNz
山城相手に大砲は無駄。
平城相手でも、堀、土塁に加えて石垣まで加えた堅牢な城相手に大砲は無駄。

土塀に漆喰塗り固めた壁は石造りと違って、玉がめり込むだけで崩れない。
61人間七七四年:2007/11/02(金) 22:48:58 ID:sQHlWuU4
大陸の城には堀は無いの?
水不足?
62人間七七四年:2007/11/02(金) 23:55:35 ID:dyg3gL4O
>>39
「学研」がどうしたの?
63人間七七四年:2007/11/03(土) 11:24:08 ID:Lk7PJrWi
>>61
それもあるけど、堀が必要ないくらい城壁が高いからじゃない?
64人間七七四年:2007/11/03(土) 16:30:58 ID:HJxoLiK3
日本の城郭において、建造物は飾り。郭を形成する城壁も柵としての機能以上の意味はあまりない。
日本の城郭の防御力の根源は、堀切、土塁、石垣。
この三つが存在していれば、建造物がなくなろうと城壁が崩れようと(あったほうがいいに決まっているが)
充分に戦える。

城壁にその防御力を求める大陸の城(都市の城壁であれ、砦の城壁であれ)とはそこが違う。
違うから大砲が野戦の道具とはなりえなかった。
65人間七七四年:2007/11/03(土) 21:42:15 ID:nvhxNAHe
そもそも攻められている時点でアウトなわけだし
66人間七七四年:2007/11/04(日) 04:25:52 ID:RhVo/1S4
戦線を維持するための境の城は攻められてなんぼだけどな。
67人間七七四年:2007/11/04(日) 07:55:57 ID:kr3NOskI
>>54
天守建築も結構砲撃に強いよ。
開城後の会津城を見ればわかるが。
68人間七七四年:2007/11/04(日) 12:46:50 ID:gAYsrJDY
>>66
守るが圧倒的有利な攻城をしてくれて、攻め手を消耗させられれば御の字だからな。
69人間七七四年:2007/11/08(木) 21:22:01 ID:q/A5NC/d
>>58
まぁ、小天守の土台の一層目の石造りを破壊する事 で理解してあげましょうや。
>>67
その写真見た事あるが、結構やばくて歪んで建ってるように見えたが…
もしかしたら、その判りやすい目標が見えなければ城の位置もよく確認できずに
白虎隊は自決しなかったかもね。
天守閣は守る側には無傷だとシンボル的な安心感。壊れると動揺。
機能的にはあまり意味ないから戦時にはマイナスの面が大きい。

機能的には大丈夫でも、守備軍の動揺を抑える機能が日本の城には足りないと思う。
大阪城は唯一機動的な真田丸があったくらいで、徳川方の砲攻撃を黙らせられずに
ノイローゼになって落ちたもんだし。
対砲攻撃も持った日本的な建築デザインも見たかったな。



70人間七七四年:2007/11/08(木) 22:06:03 ID:Pla+bfBz
日本の城郭は大手門や搦手口など攻城ポイントを用意してあるのが特殊。
あとは断崖絶壁や海、河川、堀などで守られ特定ポイントに防衛兵力を配置するだけ。
大城郭でも大兵力を必要としないでこもれる。
戦国末期ともなると攻城側は大兵力や長期間の足留め、補給コストでかなりの負担を要求する防御力を持つ城が増え始め戦争抑止効果が跳ね上がる。
そのため軍事的冒険ができなくなり戦国時代は終焉を迎えたと言える。
71人間七七四年:2007/11/08(木) 22:12:07 ID:6xpO19qI
徳川版大阪城や江戸城の防御力って、19世紀後半だと強いのか弱いのか
どうなんだろう。今の皇居のお堀、向こうに見える石垣の絶壁だけでも凄
いと思えるけど。
72人間七七四年:2007/11/08(木) 22:15:36 ID:HY5ck/SI
>>1
大月に行って岩殿城責めてみ
泣くゾ
73人間七七四年:2007/11/08(木) 22:19:38 ID:Soef6p/r
あそこは水の手がな
74人間七七四年:2007/11/08(木) 22:30:47 ID:Pla+bfBz
皇居の堀まで攻められたら終了だよ。それ以前の外郭部で守る。
兵力5000程度の中規模大名の動員力では落城させられない城が増加し天下の兵を指揮できるくらいの1万以上が動員できて、なおかつ後詰め軍や隣接城に牽制の為に3000以上はないと厳しいな。大砲が届かないほどに距離をおいた空堀や備も完成してきたからかなり堅牢かと思う。
つか大砲自体が威圧効果や不眠効果はあるけど直接落城に直結するかどうかは城内の士気によるし、かなりの数を揃えないと効果すらない。
75人間七七四年:2007/11/09(金) 00:56:09 ID:XNToRBjk
中央線に乗りながら神田川を眺めたり市ヶ谷駅あたりを眺めたりすると
あまりの川幅と深さに驚愕するし見たら渡河不能だと思うよマジで。

76人間七七四年:2007/11/09(金) 02:15:18 ID:rjeQ4Gt3
>>71
十九世紀後半なら、防御力は近代要塞に劣るが、まだ使用に耐えられると思うぞ。
航空機が出てくるともうだめ。
77人間七七四年:2007/11/09(金) 03:26:50 ID:5kXvuTOj
19世紀後半って戊辰戦争や西南戦争の頃を指すのか、日清戦争の頃を指すのかで大違いでそ。
日清戦争の主力だった75mmの野砲は青銅砲とはいえ射程5000mで榴弾が振ってくるわけだし。
艦砲になると30cm超。射程は8000mだから、大阪湾や東京湾からでもなんとか届くんじゃないかな。
78人間七七四年:2007/11/09(金) 20:54:49 ID:rlDDak8j
話は変わるが、先日NHKでやったベルダン要塞特集。
本丸と言える中央部、周りの堡塁は曲輪という感じで、日本の城攻めも
こんなだったのかーと面白かった。
79人間七七四年:2007/11/09(金) 22:12:23 ID:XGRzPHBp
結論:岡城最強
80人間七七四年:2007/11/09(金) 23:08:11 ID:Y9fz8z+7
河内千早城や信州上田城も落とせるんすか?(当時あった武器しか使えない条件で)
81人間七七四年:2007/11/09(金) 23:30:22 ID:G4kR+fPa
高遠の城跡地を見に行ったことがあるんだが、こりゃ絶対落とせねえだろって感じの天然の要害だったぞ。
いくら武田が弱ってようと、あれを攻め落としたなんて昔の人はすげーよ。
82人間七七四年:2007/11/09(金) 23:43:05 ID:NdC3M5Gq
そうか?んなことねーだろ。他の城郭をいろいろ見学して目を肥やした方がいいよ。それとも織田厨?
あれは高遠城下まで来られたら終りだよ。
だいたい南進の補給拠点として信玄は利用してただけで防備は軽視してたんじゃないか?
83人間七七四年:2007/11/09(金) 23:45:44 ID:G4kR+fPa
そこまで罵られるとは思わなかったが、あの深い堀(というか崖)をどうやって乗り越えるんだ?
今は橋が架かってるけど。
84人間七七四年:2007/11/10(土) 01:26:16 ID:XWNpOb8w
つか高遠なんて武田に落とされ、織田に落とされ、毛利が守ってたら木曽に落とされ、木曽が守ってたら家康に落とされるヘタレ城だぞwww
85人間七七四年:2007/11/10(土) 10:15:36 ID:z4AV8bVL
>>81
まぁ、昔の人は体力あったな。
あんな山城だと本丸行くまでに息切れるわ。
86人間七七四年:2007/11/10(土) 10:20:33 ID:AaEXgCtL
手柄をたてるチャンスだからな。ヤル気まんまんだろ。
87人間七七四年:2007/11/10(土) 18:33:20 ID:f4+DBEWS
信玄は高遠城は力攻めで落とせなく長略で落としたような気が
88人間七七四年:2007/11/10(土) 21:22:10 ID:aXQk5WzC
えらい盛り上がっとるなあ。
アホがぶっ立てた糞スレが、ホンマに良スレになってきつつあるな。
89人間七七四年:2007/11/10(土) 21:47:10 ID:Bf4nnXit
実りのある釣りだな
90人間七七四年:2007/11/10(土) 22:20:18 ID:0ezsjlU4
戦国有数の著名な城なのに、石山本願寺の構造や設備がちっとも見えてこない
のは何故なんだ?山科本願寺はあんなに研究されてるのに。
「天下の富の半分所有」の本願寺が総力を挙げて造った城な訳で、「壁一重堀
一重」で済むようなモノじゃないと思うのだが。
91人間七七四年:2007/11/10(土) 23:30:59 ID:5NN8k2g8
>>87


信玄は高遠城を力攻めにしたことはないが。
(高遠頼継が逃亡して自落)

もしかして、福与城(藤沢頼親)の誤り?
92人間七七四年:2007/11/11(日) 00:13:30 ID:cHhp0ec8
>>90
石山本願寺の跡地に大坂城が建っちゃったから
93人間七七四年:2007/11/11(日) 01:38:20 ID:4hDJD4Ev
しかも豊臣大坂城を滅ぼした後、さらに作っちゃったから余計にわからん
94人間七七四年:2007/11/11(日) 02:17:47 ID:8aJic9Ze
都市部だけに開発で遺構なんてろくに残ってないだろうしな
95人間七七四年:2007/11/11(日) 03:00:48 ID:Gf0I735/
>>90
城壁と、濠があれば、それで十分なんじゃない??
想像だが、石山本願寺は、日本的な砦というより、
大陸的城塞都市のような。

あと、木津川を経由して、兵員・兵糧を運び込めるから、完全封鎖無理。
各地の門徒が続々支援に駆けつける城なんて、他にないでしょ。


96人間七七四年:2007/11/11(日) 06:06:59 ID:4Q0/Y46s
木津川を航行する船を全て臨検したらそれで封鎖できるような気もするが・・・
97人間七七四年:2007/11/11(日) 08:31:46 ID:Y6Gdfxqa
地元の城に登ってみたよ。
300mに満たない山城だけど(結構有名)急な斜面にジグザグに作った石段は不揃いで、
人がすれ違うのがやっと。足を踏み外せば数メートルのがけ下に。

結構疲れたと思ったら「一合目」の看板_| ̄|○
普段車に頼りきりの体が悲鳴を上げた。休みながら登って40分、やっと頂上。
本丸、二の丸、三の丸、出丸とそろった結構立派な城だった。

石垣の上はベンチくらいしかなくて、そこいらじゅうイノシシが掘り返した跡。
広さは本丸でテニスコート数枚分くらい。天守閣跡は思いのほか狭くて小振りな民家が建つくらい。
眺めは最高、市内一望、周りの木が切り払ってあればもっと良かった。

この城を攻め登る兵隊の気持ちになってみたが、藪の中に伏兵がいたらとか、上から何か落ちて
きたらとか、休もうにも下からどんどん登って来たらとか考えると、私には無理という結論に達しました。

とはいえ休まなければ30分くらいで登れるルート。少し休んで景色を眺めると急速に回復。
ただ子連れの家族とかが上がってきて、汗だくの自分にちょっと落ち込みました。
帰りは多少なだらかなルートを選択。なかなか楽しい城攻めでした。
98人間七七四年:2007/11/11(日) 11:49:15 ID:XkyxuwVR
>>9
何このバカ ほんとに戦国板住人?
99人間七七四年:2007/11/12(月) 07:33:20 ID:2TVSIUBN
>>98
ま、そう言わんと。以後はあんまりアホな発言ないじゃん。
100人間七七四年:2007/11/12(月) 14:21:42 ID:e4qxHEea
そもそも城の構造や篭城戦を正しく理解してる人は皆無に等しい
101人間七七四年:2007/11/12(月) 20:37:28 ID:IZ7KN6mb
石垣の天守閣は坑道を掘っても意味がない…これ豆知識な。
102人間七七四年:2007/11/12(月) 20:48:58 ID:tkXuBBgD
>>100
そんなの当たり前だろ?
その城の築城者のみが理解してるのだから
1039:2007/11/15(木) 23:33:51 ID:aNqiYyYu
>>98
大阪の陣で使用された大筒クラスの破壊力の攻撃に対して
実績ある日本の城を挙げたつもりだったが…
その戦国版住人を語る貴殿のオツムは弓矢鉄砲で思考停止かw
104人間七七四年:2007/11/16(金) 00:03:50 ID:lGJhFuwp
熊本城は守将の谷が自ら天守閣に火をつけて燃やしてる。
つまり大砲などで燃えてしまい士気が下がるような事を避けたわけだ。
近代では構造物は役にはたたんよ。
1059:2007/11/16(金) 00:17:37 ID:8UyezcI1
>>104
まぁ構造物というより建造物の方が正確かも。
熊本城の石垣には、その時の熱で皿状に剥離して弾けて、へこんでいる石が結構あるし
石の種類にもよるが、石垣は建造物の炎上にたいする耐熱性は実証できてる事になるかな
バスガイドが、それを西南の砲撃によるものだとウソ説明してたから後で教えてあげたけど。
砲攻撃の直撃ならパッカリ割れるもんだし。
106人間七七四年:2007/11/16(金) 01:28:13 ID:Ti2ZD514
「近代」と「現代」を間違えて書いてる人がいるね
107人間七七四年:2007/11/16(金) 01:59:02 ID:j1kzeRDd
>>104
今、毎日新聞日曜版に載ってる小説では誰が燃やしたのかよくわからんが児玉が
なんとなく怪しいと書いてあったが
108人間七七四年:2007/11/16(金) 05:50:35 ID:iaVEemaj
>>95
コンスタンチノープルっぽいな。
城塞都市で、船を利用して補給、
キリスト教都市国家の傭兵が続々と支援に駆け付ける(自主的に、じゃないけど)。
コンスタンチノープルを落としたメフメット2世は小田原を落とした秀吉みたいなもんだな。
そりゃあそこまでされたら落ちるわ。
109人間七七四年:2007/11/16(金) 11:45:21 ID:gvWgg+Ky
>>108
船を山越えさせるトンデモとしか思えないことをやってのけたからねぇ
110人間七七四年:2007/11/20(火) 13:13:56 ID:dR+69IJ2
>>98
姫路市民、顔真っ赤www
111人間七七四年:2007/11/20(火) 19:42:15 ID:odQJhMLR
>>98
姫路は外装は壮麗で現在までよく保存してると思うが、
一般に喧伝されてる城の防御施設は落城寸前段階時のこけおどし程度が多い。


112人間七七四年:2007/11/22(木) 00:46:11 ID:da0D+TTe
近代戦でも持ちこたえた熊本城と姫路城の差ってどんなところでしょうか?
113人間七七四年:2007/11/22(木) 18:24:17 ID:H20IvFyi
>>112
実はそんなにたいした差はない。
114人間七七四年:2007/11/22(木) 19:40:43 ID:8bYQ/pRH
姫路の中心部あたりに敵がくるようなら勝敗は決しているだろうに。
そんな場所は軍事的に後まわしで象徴的であればいいだろ。
115人間七七四年:2007/11/22(木) 21:40:45 ID:RJnHwkfe
>>112
実戦経験の有無
116人間七七四年:2007/11/22(木) 22:51:12 ID:fSnmlixQ
姫路は水上、熊本は徒歩の抜け道がある
117人間七七四年:2007/11/25(日) 02:44:33 ID:COWjrX+c
姫路なら大阪城が規模もまだマシ。
118人間七七四年:2007/11/25(日) 06:46:38 ID:sRoNt2CQ
沿岸部の後ろが断崖絶壁になってる山が城の立地として最強だろうな
前に壁と堀さえあれば防げまくり
119人間七七四年:2007/11/25(日) 08:23:59 ID:1MGG9ndW
背水の陣か。
敵に突破されると大惨事だな。
後に地獄谷とか地名がつくんだよな。
120人間七七四年:2007/11/25(日) 09:23:03 ID:8VZ84InR
大概落城って守備兵が逃げ散るか裏切りによって内から崩壊するかだよ
城は何百ヶ所も見て来たけど
中世の城でも大規模なものになると一体どうやって攻めてよいか分からん
甲冑なんか着て転落したら大怪我しそうな掘りを、敵の矢弾を受けながら越えるなど不可能に思える
近世の城郭に至っては主要部分掘や石垣の高さが20mはある
覗き込むと足がすくむ高さだ
進もうとしたところで自殺にしかならない
121人間七七四年:2007/11/25(日) 10:04:06 ID:j2BsTmLD
正攻法以外の落城って、
・水の手を切られる
・食料がなくなる
・内応者が出る
・逃亡者が出る
くらいか?

水に浮かべられたり、天守に直接砲弾を撃ち込まれる→講和は特殊か。
122人間七七四年:2007/11/25(日) 10:39:55 ID:sRoNt2CQ
穴掘って城内に侵入とか
城門爆破とか

こんな例は一つもないのだろうか?
123人間七七四年:2007/11/25(日) 10:47:02 ID:uLy8Hx0G
武蔵松山城は武田金山衆が穴堀りして櫓を崩したりしてたね。
124人間七七四年:2007/11/25(日) 11:38:42 ID:8GE49TQk
>>122
鉢形城は城門を砲撃で破壊されてなかったっけ?
125人間七七四年:2007/11/26(月) 17:25:04 ID:gE3FaWsZ
篭城の場合死体の処理が大変そうだね
夏場などはどうしていたのだろう
腐れば虫わくし悪臭が酷いし疫病の元になる
城内に埋めたとか?
それとも城外にポイなのか…?
126人間七七四年:2007/11/26(月) 21:45:39 ID:vrgLaMWR
死体は食ってたんじゃないのか
敵の攻撃を受けずに、篭城で死ぬってことはたいていが飢餓でしょ
127人間七七四年:2007/11/26(月) 22:30:10 ID:pVxv+IhT
飢餓が発生する籠城戦ってレアケース。
だからこそ記録に残るわけでして。
128人間七七四年:2007/11/26(月) 22:40:32 ID:gE3FaWsZ
食う場合も敵の死体じゃないの?
さすがに味方食うのもどうかと…
それに飢餓で死んだ奴じゃ食うとこなさそうorz
129人間七七四年:2007/11/26(月) 23:06:08 ID:WdVdE2kr
頭がウメーんだよ頭がー

っつて鳥取城じゃ頭を奪い合ったって
聞くけど頭の食うところって脳ミソなのかな?
130人間七七四年:2007/11/26(月) 23:06:26 ID:3Ada3UCb
子供の頃、鈴虫を籠に入れたまま餌を与えずにいたら
共食いしちゃったのを思い出したよ。
131人間七七四年:2007/11/26(月) 23:12:31 ID:wQGmqDbj
三木の干し殺し・鳥取の飢え殺し・伊勢長島一向一揆

ここら辺は悲惨だよ。・゚・(ノД`)・゚・。
132人間七七四年:2007/11/26(月) 23:36:43 ID:6GZJvger
>>129
マグロなら目玉が美味しいらしいからひょっとして
考えたくないけど
133人間七七四年:2007/11/27(火) 02:16:57 ID:88agWLXZ
江戸時代に人間の肝臓を干した漢方薬を売って、大儲けした人がいたよな?
そう考えると普通に食べてたんじゃないか?
人肉は一番旨いって聞くし・・・
134人間七七四年:2007/11/27(火) 03:42:46 ID:yNoxG2P7
イスラム教で豚肉を食べるのを禁止してる理由の1つのは
豚肉が人肉の味に似てるからだと聞いた事があるけど
135人間七七四年:2007/11/27(火) 05:39:53 ID:AKhs3omU
絵に描いたような落城って本当に戦国時代の最後の最後のほうだけで、
ほとんどの場合、もうダメと思ったらすぐに開城してたんだろ
136人間七七四年:2007/11/27(火) 15:26:12 ID:ZLMjnD2B
まあすぐに開城は無くても
ある程度頑張って
もうダメポ・・・ってなったら
大将が開城しなくても内応者がでて落城だろうな・・・

最後の一兵まで戦う攻城戦は滅多になかっただろうね
137人間七七四年:2007/11/27(火) 21:18:17 ID:vsqscTj1
籠城戦のパターン
・ある程度強さを見せてから降伏
・籠もっても無駄っぽいから即開城
・援軍に期待する
・最後の一兵まで徹底交戦
138人間七七四年:2007/11/27(火) 21:38:29 ID:yxmASapb
>>137
・ヤバそうだから自ら火を付けて逃亡
ってのもあるぞ。
139人間七七四年:2007/11/28(水) 00:40:29 ID:FRj5vs66
・圧倒的な強さを見せて敵を退散させる
というパターンもあったぞ
140人間七七四年:2007/11/28(水) 04:27:29 ID:vSBIQ5x+
まぁ普通は一ヵ月も籠城して抵抗してたら敵は撤退するがな。
それに稲刈りや田植えや雪の時期には撤退する。
141人間七七四年:2007/11/28(水) 23:20:18 ID:hMxMiGPj
戦国時代って想像以上に貧乏で、本当にモノがなくて、攻撃する側もモタないんだろうなあ

戦国時代の日本人、江戸時代の日本人、明治時代の日本人、昭和初期の日本人、平成
時代の日本人が消費できるエネルギーってどれくらいの差があったのだろうか
142人間七七四年:2007/12/01(土) 15:16:27 ID:fIeiD+ML
城下町を目的とした平城って、
せっかく篭っても周辺住民を保護できなかったら意味ない気が…
遊牧民族などに蹂躙されない島国だったからできる防御様式かいな
143人間七七四年:2007/12/01(土) 17:53:33 ID:pgaRWGt3
真田さんちの昌幸さんの平城はとてもよく機能しましたよ
144人間七七四年:2007/12/01(土) 17:55:51 ID:GwvpDBbP
>>142
山城でも周辺住民を保護しなきゃいけないわけですよ。
145人間七七四年:2007/12/01(土) 23:05:32 ID:h+eYGUHf
最近「村の城」っていうのが流行ってるよ。
146人間七七四年:2007/12/02(日) 16:25:29 ID:rmDALxEX
実際百姓なんかは城に入れなかっただろうな
近辺の住人避難させるって言っても武家の家人だけだろう
147人間七七四年:2007/12/02(日) 16:55:36 ID:69dnRBLb
豊臣秀吉が刀狩りするまでは、
だいたいの武士は平時は田畑耕していたんじゃ無いの?
そういう状態の場合、どこで線引きしたの?
148人間七七四年:2007/12/03(月) 00:14:50 ID:T/GBoK8P
>>146
北条を例に挙げれば、
城の維持・管理は近郷の村に負担させる代わりに、
有事に城に籠もる権利を与えられる、と言うことを制度化している。

他の大名がどうかは知らないが、こういう例もある。
149人間七七四年:2007/12/03(月) 01:28:59 ID:5lrsX0nR
戦国期の農民は貴重な戦力でもあったから戦時にはほとんどの城で
当然のように守兵や人夫として入城していた。
特に城付近の住民は築城や改修の際に縄張り、仕掛け等機密を知りつくしているので
敵に渡すわけにはいかなかった。
指揮官から守兵に至るまで農民が曲輪の守備を丸ごと任されていた例も多数見られる。
150人間七七四年:2007/12/03(月) 01:35:09 ID:LcmUBhni
>>例も多数見られる。

具体例を挙げてくれ。想像できん。
151人間七七四年:2007/12/03(月) 01:35:55 ID:hg/XzDbq
そういや、篭城中に攻囲軍が田んぼに入ると
城の中から農民兵がたまらず飛び出してくる描写があるね
152人間七七四年:2007/12/03(月) 07:46:31 ID:tP6HH7LM
当時の主力→農民
農民の関心 畑の作物>>戦の勝敗
153人間七七四年:2007/12/03(月) 20:30:32 ID:T/GBoK8P
>>150
149の例ではないけど、
総動員して守備兵残せないから、村のみんな城の守備よろ!
って命令はあったみたいだな。

もちろん、通常の賦役外の事だから日雇い扱い(給料・食料支給)だったみたいだけど。
154人間七七四年:2007/12/04(火) 00:08:11 ID:ZMsuWUK0
時代劇のイメージと違って、城攻めは基本的に防御側が守りきるケースのほうが圧倒的に多い。
そのための城だし
155人間七七四年:2007/12/04(火) 02:49:52 ID:8RcaW03W
そうじゃなかったら作る意味無いしな
156人間七七四年:2007/12/04(火) 03:45:48 ID:8XN572Ae
時代劇に城攻めなんてあったっけ?
時代劇っていうのは水戸黄門や大岡越前や遠山の金さんみたいなドラマのことを指すんであって
大河ドラマとかは時代劇じゃないぞ
157人間七七四年:2007/12/04(火) 04:00:54 ID:frIC1DfB
時代劇(じだいげき)とは、日本史における各時代的背景などを取り入れた演劇や映画、テレビドラマなどである。
(wikiより)
158人間七七四年:2007/12/05(水) 22:08:06 ID:WQ5nmyzB
極端な話、聖徳太子や源氏物語をドラマでやっても「時代劇」じゃないのと同じで
「時代劇」というのは江戸時代を舞台にした1話完結型の勧善懲悪様式美のドラマの事なんだよ
159人間七七四年:2007/12/06(木) 00:09:56 ID:NlissyMa
時代劇
 演劇・映画などで、主として江戸時代またはそれ以前に題材をとったもの。
 大辞泉より

158は微妙にズレてる。辞書を見て慎重に。
160人間七七四年:2008/02/19(火) 05:35:02 ID:Rso73I7S
勉強になるな
161人間七七四年:2008/02/20(水) 20:35:11 ID:AibbgI3H
しかし、大辞泉書いてるヤツも所詮おなじ人間やん
でもやっぱ根拠あって書いてるんかな
162人間七七四年:2008/02/21(木) 00:16:09 ID:lTn+72W6
おぉ良スレ
見逃していた
163人間七七四年:2008/04/22(火) 13:51:38 ID:9a4te1tI
素朴な疑問だが、日本で一番堅固な城って何城??
164人間七七四年:2008/04/22(火) 14:53:49 ID:WOkmAido
なんで簡単に落とせないんだろう。例えば、家を100人くらいに囲まれ、一斉に突入されたら、ひとたまりもないと思うんだけど。人質でもいるなら突入できないが。なぜなんだろう
165人間七七四年:2008/04/22(火) 15:37:18 ID:7v+MSy/w
>>164
家一階を全部頑丈に塞がれて、二階から石を投げてくる事を想像してみては?
166人間七七四年:2008/04/22(火) 17:26:59 ID:e8JBVQwe
突入する側だって犠牲は最小限にしたいだろうしな
167人間七七四年:2008/04/22(火) 18:53:29 ID:NZCZWwxc
>>164
宝満城の支城にすぎない、岩屋城程度の小規模の城でも、死力を尽くせば
城兵の5倍以上の損害を与えることが出来てるからなあ。
168人間七七四年:2008/04/22(火) 18:56:33 ID:NZCZWwxc
>>163
九州だと、山城なら豊後岡城、水城なら筑後柳川城かな。
169人間七七四年:2008/04/22(火) 19:51:03 ID:GubNMuyL
>>164
同程度の身体能力と武装が前提条件な

角材持った奴が階段登ったとこに5〜6人いたらどうする?
1人1人袋にされながら8人位の犠牲でやっと相手を1人リタイアさせた!
と思ったら、奥の部屋から穴埋めの補充が来ちゃいました

そんなとこに突入させられたら泣くだろ?
170人間七七四年:2008/04/22(火) 20:42:10 ID:705B93ag
>>163 国内最後の近代戦を経験して落ちなかった熊本城じゃないかな。
171人間七七四年:2008/04/22(火) 23:36:25 ID:VAdnGyAX
幕府軍相手に三年間持ちこたえた畠山義就率いる嶽山城
172人間七七四年:2008/04/23(水) 00:22:40 ID:3MS/o1vK
いやいや、いざとなったら
本丸以外は城下町も含めてすべて水没する造りになってる佐賀城だな。
173人間七七四年:2008/04/23(水) 01:57:58 ID:refe6jj2
守備機会と実績からしたら、小田原城に勝るものなし
174人間七七四年:2008/04/23(水) 09:16:29 ID:3MS/o1vK
小田原城の場合は人的被害を極力抑えようとして強攻策を取らたがらない謙信や信玄が相手だからなぁ。
175人間七七四年:2008/04/23(水) 15:35:21 ID:Kfp07uOh
壁なんて壊しちゃえばいいじゃん
176人間七七四年:2008/04/23(水) 17:02:30 ID:rZlJCG7p
壁を壊すにはまず石垣をよじ登らなくてはならない
上から矢や鉄砲や岩や熱湯攻撃
それに壁を壊すくらいなら壁をよじ登るほうが早い
ただし、身を乗り出した途端に槍でグサリだけどね
177人間七七四年:2008/04/23(水) 17:06:40 ID:rZlJCG7p
多大な犠牲を覚悟で力攻めするなら圧倒的な数が必要
それよりも敵の援軍を警戒しつつ包囲して外交で開城させたほうがお得
178人間七七四年:2008/04/23(水) 17:19:59 ID:QzuK6TEk
皇紀2668年4月26日(土) エクストリーム聖火リレー 勢力構成


◇赤軍
シナ人 約2000〜3000名
シナ工作員 推定1000名くらい
青装束軍団(特殊工作員) 2〜6名
売国マスゴミ 推定200名くらい
売国左翼・売国日本人 推定数百名
朝鮮人 推定数百名
邪火ランナー(星野、有森、萩本等)
機動隊・警察・公安 2000〜3000名

◇我が軍
ネット連合(2ch、mixi、ブログ等)
穏健派・撮影部隊・通信部隊等 推定200〜300名
ネット連合 過激派(消火班、武装派、ウンコ・ギョーザ投てき) 推定100名
チベット・ウイグル・モンゴル・台湾人 数百名
国境無き記者団 約50名+ボス
新風 約50名
街宣右翼 約50名
仏教徒・仏教関係者・善光寺 推定数百名
反中日本人 推定数100名
欧米人・欧米マスコミ  推定数百名
一般マスコミ(産経・関西のテレビ等) 数十名
岡山人 250名 

◇中立勢力
一般日本人 数千〜数万名 (←ここを味方につける必要あり!)

http://nullpo.vip2ch.com/ga18628.jpg
http://jp.youtube.com/watch?v=FdVLoI9jhAo
179人間七七四年:2008/04/23(水) 18:52:37 ID:3MS/o1vK
城攻めでの秀吉を見ると戦国期を通じた大土木技術の昇華の一つの解答が得られ素晴らしい。
いたづらに犠牲を出す力攻めを続けるのは愚将だわな。
180人間七七四年:2008/04/25(金) 18:19:39 ID:lRZKrqOG
>>163
利便性を別にして考えると、
山城系が最も堅固な気ガス
個人的には七尾城かな
181人間七七四年:2008/04/26(土) 20:02:10 ID:5CveBKp3
帰雲城に決まってんだろ
182人間七七四年:2008/04/26(土) 20:08:26 ID:0sYdAE6W
秀吉は信長を見ていて「俺ならこうするのに、俺ならこういう政策をとるのに・・・」
といつも思っていたのだろうな。だからこそ天下統一できた。
183人間七七四年:2008/04/26(土) 20:12:17 ID:J+SAGx8F
地震で完全に消えてなくなり、どこにあったのかすらわからない城か…
184人間七七四年:2008/04/26(土) 20:19:53 ID:kca/Q788
地震で滅亡したってかなりかわいそうだよな
185人間七七四年:2008/04/26(土) 20:37:58 ID:4jXxZGxu
城が崩れただけじゃなくて一族滅亡だからな
186人間七七四年:2008/04/26(土) 21:51:41 ID:pC6eZ+B8
確か埋蔵金とか黄金像の呪いとかの伝説ある城だよな

少し前にドカタの人達が仕事の合間に埋蔵金探してたら怖い目にあったとか…
187人間七七四年:2008/04/26(土) 23:23:40 ID:spDblBVR
>>182
理由になってねえべ
188人間七七四年:2008/04/27(日) 00:11:26 ID:CostMomA
やっぱ忍城
189人間七七四年:2008/04/27(日) 00:36:16 ID:G6HHqJGM
190人間七七四年:2008/04/27(日) 01:13:45 ID:/QTlwCt9
岩殿城ってどうなんだろ。
勝頼がこもれてたら何年も粘ってたと思う。
191人間七七四年:2008/04/27(日) 04:34:36 ID:XdB3axhL
後詰のいない城なんて簡単に落ちるぞ
192人間七七四年:2008/04/27(日) 09:28:45 ID:thAOj0hy
山城と水城のどちらが堅固かな?
七尾城や竹田城のようなトコと今治城や高松城みたいなトコ。
水軍による補給にもよるか。しかし山城でも河川を要害として設計してる場合は補給路だから同じか。
一番死命を制するのは飲料水だから河川は重要だよな。
193人間七七四年:2008/04/27(日) 12:21:50 ID:fKI8pkZb
後詰も救援も望めないのに籠城する奴はかなりの馬鹿
194人間七七四年:2008/04/27(日) 12:45:47 ID:thAOj0hy
>>193
上杉に攻められた最上はバカではないが?
195人間七七四年:2008/04/27(日) 12:51:58 ID:RA512qRr
>>194
山形、長谷堂、上山の3点防衛だから

どっかの城を攻めれば別の城から奇襲攻撃
機能する前に関ヶ原の結果どころか上杉が自壊したが
196人間七七四年:2008/04/27(日) 14:39:41 ID:thAOj0hy
>>195
日本語大丈夫か?
197人間七七四年:2008/04/27(日) 15:27:41 ID:RV1hjiX7
西洋の城は一生涯、子また孫へ引き継ぎ城を守る為に石で造るが、日本の城は建てても10年くらいで中古物件で引き払ってしまう。また親族などに譲って新しい城を造り移り住む!
その為、城を永く使う習慣が無い日本では建築材料が素早く手に入る木造の城が多いのだ!
短期間で城を造り、売却してまた城を造る。
これは今、我々の賃貸からマンション、そして一戸建てとよく似てる。
198人間七七四年:2008/04/27(日) 17:46:28 ID:fKI8pkZb
地震火事台風と災害目白押しな土地だからな
全てのものは栄枯盛衰形あるものは必ず壊れる無常の心が本能的に刷り込まれているのだ
だから家屋敷に執着しない。これはもう最初から壊れて何ぼのものだと
さすが日本だ法隆寺が焼けても金閣が萌えても気にしないぜー
199人間七七四年:2008/04/27(日) 18:12:44 ID:GRJJ6drM
1
君がどこかの城落としみ?
200中山鹿之助 ◆.Ooo.qq.q. :2008/04/28(月) 11:57:27 ID:MndykVtF
200だオラエー!
201人間七七四年:2008/05/31(土) 13:03:26 ID:mlgVf7kt
201
202人間七七四年:2008/05/31(土) 13:11:12 ID:mNVUOMj1
>>199
ハングルでおk
203人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 02:11:26 ID:7ZrmsuoN
実際に城址一帯に行ってみたことがあるんだけど、七尾城は正攻法でやったら全く落とせる気がしない。
あそこは内通者が出たんだっけ?
204人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 04:41:13 ID:VtpwoFN/
落とせない城なんか存在しない
ラピュタですら落ちた
205人間七七四年:2008/06/01(日) 19:14:01 ID:ICGITpwY
弟子「先生、処女を貴重だと思う男は多いです」
孔子「その通りだ」
弟子「しかし逆に童貞は女に気持ち悪がられます」
孔子「確かに」
弟子「おかしいじゃないですか、何故このような意識の違いが生まれるのですか」
孔子「それは一度も侵入を許していない城は頼もしく、 一度も侵入に成功しない兵士は頼りないからだ」
弟子「では30年も侵入を許していない城は相当頼もしいのでしょうか?」
孔子 「その城は そもそも侵入する価値がなかったのじゃ」
206人間七七四年:2008/06/08(日) 21:00:10 ID:5JffdS1t
B29憎し
207人間七七四年:2008/06/11(水) 18:07:02 ID:nMSf9oQM
今の伏見城ならクルクルパーでも落とせる
208人間七七四年:2008/06/11(水) 19:21:45 ID:IWgK3JQo
八王子城はマジで無理
209人間七七四年:2008/06/11(水) 23:34:37 ID:Ssl0blis
日本の城は、実質的には砦が多いよな。

中国で「城」と言うと、それは城壁に囲まれた都市自体を指す。
「城市」と書けば、そのまま都市という意味だし。

中国で「関」「砦」「塞」「寨」に当たるものが、
日本の戦国時代の多くの城。
210人間七七四年:2008/06/12(木) 00:04:54 ID:AizwhZrF
君は日本語がおかしい
砦=本城から離れて築いた小城
211人間七七四年:2008/06/12(木) 00:34:19 ID:PilOPtn1
>>210
いや、中国では城≒壁
要塞的なもの≒砦
って言いたいだけじゃないの?
212人間七七四年:2008/06/12(木) 06:07:42 ID:AizwhZrF
砦のイメージ論に興味はない
砦が何たるかを理解出来てたら言えない表現に対してやっぱ面倒になったかr
213人間七七四年:2008/06/12(木) 12:10:18 ID:xJOHPfNt
八王子城にはいまでも武者の亡霊がいる
214人間七七四年:2008/06/12(木) 13:36:42 ID:Kga432+f
中国の砦って例えばどういうの?あまり中国の砦じたい見たことないが。
215人間七七四年:2008/06/12(木) 19:48:26 ID:cVFIODwH
弟子「先生、処女を貴重だと思う男は多いです」
孔子「その通りだ」
弟子「しかし逆に童貞は女に気持ち悪がられます」
孔子「確かに」
弟子「おかしいじゃないですか、何故このような意識の違いが生まれるのですか」
孔子「それは一度も侵入を許していない城は頼もしく、 一度も侵入に成功しない兵士は頼りないからだ」
弟子「では30年も侵入ができていない兵士は相当無能なのでしょうか?」
孔子 「その兵士は そもそも強いか否かでなくアッー!な趣味だったのじゃ」
216人間七七四年:2008/06/12(木) 22:02:10 ID:EYTXT2KM
家臣「お屋形様、処女を貴重だと思う男は多いです」
信玄「その通りだ」
家臣「しかし逆に童貞は気持ち悪がられます」
信玄「そんなことはない」
家臣「・・・」
信玄「そのほう、さては妬いておるな」

〜〜

家臣「すごく・・・有り難き仕合わせです・・・」
217人間七七四年:2008/06/13(金) 21:23:01 ID:dgcUpgmc
アッー


とかレスして欲しかったんだろう?この変態め
218人間七七四年:2008/06/14(土) 16:06:52 ID:IfPEZdes
七尾城、高天神城一回実物見てみたい
219人間七七四年:2008/06/14(土) 18:42:48 ID:+uZ6Z+0U
>>214
昔なんかの本で見た再現イラストでは、
お馴染みの城壁に狼煙台がついた、城の簡易・縮小版って感じだった。
建業を守る為の砦・石頭城は、
高台の周囲を日干し煉瓦で急斜面に仕立てただけのものらしい。

基本的には単純に高い城壁(+川や水堀)だけで防ぐ設計思想みたいだね。
その代わり防御兵器には力を注いだみたい。
220人間七七四年:2008/06/18(水) 01:02:14 ID:qq4LWOae
領主は自分達を守るだけでいいんだから、砦で充分なんだよ
民衆は雇われた奴だけ、砦に入って一緒に守るけど
他は、戦争地帯から逃げるだけ
戦争が終わったって聞いたら、戻って元の生活に戻る
家が焼き払われてたり、領主が変わってるかもしれないけど無問題

大化の改新の頃は、中国からの侵略を警戒して
城塞都市がいくつか作られたって、その時(ryで解説してたな
史実かどうかは知らないけど
221人間七七四年:2008/06/18(水) 23:51:43 ID:j+Z1Y3HV
>>214
あまり現存していないけど、
居庸関なんかは、参考になるんじゃないか
222人間七七四年:2008/07/22(火) 23:54:56 ID:qu7w29MX
箱根の関所に城作ったら最強なんじゃない
富士山城も強そう
223人間七七四年:2008/10/04(土) 20:32:40 ID:vT69PK5O
埼玉三名城

川越城
岩槻城
忍城
224人間七七四年:2008/10/05(日) 12:47:38 ID:AZK5aO3d
>>222
富士山なんかに籠城してたら冬に凍死するだろ
夏は飲料水が…つかあんな山奥に食料を運び込むつもりかw

箱根の入口にあたる山中城があるじゃないか。
そういや仙石原は体中にたくさん鈴を付けた仙石氏の活躍から名付けられたんだよな。
225人間七七四年:2008/10/09(木) 18:29:09 ID:ZrJKyjBL
富士山城は1707年に全滅する
226人間七七四年:2008/10/11(土) 23:02:30 ID:N/XaKgOd
このスレで一番大事なこと

日本の城郭の防御性は堀と土塁+石垣が主役。
227人間七七四年:2008/10/14(火) 12:52:07 ID:klDxNpV4
>>223
なんで鉢形城入ってないの?死ぬの?
岩槻城より日本100名城にも入ってる鉢形城だろ常考。
228人間七七四年:2008/10/14(火) 13:54:52 ID:JHVRtl8p
岩屋城って知ってる?
高橋紹運(立花宗茂の父)が立て篭もった山城なんだけど
七百余名で篭城したのを島津勢は死傷者四千五百名を数えてやっと落城。
この前ふもとから城跡まで獣道を歩いて登ったけど途中イヤになった。
229人間七七四年:2008/11/01(土) 03:31:54 ID:WyRzXnGA
天守だけで見たらひ弱いかもしれんが
平地の城は天守からはるか外縁の外堀での攻防が重要で
天守郭まで攻められたらもう落城だわな
そして外堀が完全に残っている城は数が少ないから本当の戦闘力は
今見て回っても判りつらいだろうね
230人間七七四年:2008/11/01(土) 13:25:21 ID:6qqOkTcC
天守=砲撃の的
231人間七七四年:2008/12/10(水) 00:04:49 ID:QMUNpuUT
>>227

http://homepage2.nifty.com/parks/parks/iwatsukijoshi.htm

>岩槻城は15世紀に太田道灌の父資清が築城したとされ、
>川越城、忍城とともに県内三名城のひとつに数えられていました。
232人間七七四年:2008/12/10(水) 00:42:42 ID:wxrGO5zy
力攻めっていう意味なら羽柴大坂城なんかはびくともしなかったじゃん。
233人間七七四年:2008/12/11(木) 00:16:24 ID:5CVtinks
広島城は原爆1つで落城
234人間七七四年:2008/12/12(金) 01:38:01 ID:xxNMSk7q
俺の城は嫁の侵入で落城
235人間七七四年:2008/12/13(土) 18:16:49 ID:CqgEn5RO
実際中国に行ってみれば分かると思うけど
大陸のは城ってより町全体を囲ったデカイ塀なんだよな
だから中に入ったら終わりで中に入られたら守れない

皇帝の住むとこは堀みたいなものもなくて立派なのは正面門
周りは簡単に登れるような低い塀
防御機能としてはかなりいい加減な作りなんだよ
236人間七七四年:2008/12/14(日) 03:27:21 ID:7on4FAc3
逆に言えば、日本の城は城というより要塞。
237人間七七四年:2009/01/24(土) 14:13:00 ID:OgNxnJ7E
いいれす
238人間七七四年:2009/04/13(月) 11:24:22 ID:r/b47R2/
>>236
中国やヨーロッパは「都市」は本丸で、都市までの川や山や関や砦が
堀とか門とか郭とかみたいに考えてる節がある気がする。
大陸はスケールがでかいっていうか。
239人間七七四年:2009/04/14(火) 21:29:40 ID:iSViDMBE
大陸はすぐに民族浄化に走るからそれを防ぐために城=街を塀で囲むとどこかの本で見た。
240人間七七四年:2009/04/17(金) 10:00:45 ID:RJqcwIf1
住民虐殺や都市の占領というような戦いをして来なかった日本では
ほぼ同一民族同士が戦っていたので街を壁で取り囲む必要性が無かった。
古代では環濠集落もあったが、その後廃れ、総構えという、一種の城塞都市化も
戦国時代後期になって、あくまでもその中心となる領主の城を守る防衛線としての観点であって、
住民を守る為という意味合いは薄い。
241人間七七四年:2009/04/17(金) 10:08:02 ID:RJqcwIf1
そもそも日本の場合、異民族からの防衛という観点では、わざわざ都市を壁で囲むより、
国土を取り囲む海を重視する考えが強いと思う。
元の侵攻を止める為に海岸に石垣で防衛線築いたし、幕末の頃にはやはり海岸線に砲台を造りまくった。
242人間七七四年:2009/04/17(金) 10:31:02 ID:h2s63eNj
んで、それまでの京などでの騒乱と違う、国内で初めての大規模な都市戦闘となった
大坂の陣では、著しい略奪・虐殺が発生したけどねい。

戦国時代での乱捕り、朝鮮の役での略奪を国内の大都市に持ち込んだ形なのかな?
243人間七七四年:2009/04/17(金) 15:52:15 ID:EHNThEr6
戦国時代は農村同様町衆も武装集団だったわけだが、
大坂の陣はそれらが解体された後、ってのが一番大きいかな

あとは軍規の緩み、最後の手柄を立てる機会でのあせり
大規模混成軍だったから末端まで統率できなかったとか
戦国時代と違って自領に組み込む予定も無いから恨み買おうとも、
荒廃しようとも関係ないとかもあるかも。
関が原の町民農民なんか近くの山に弁当もって登って合戦見物したくらい
手馴れたもんだったんだが。時代かね。
244人間七七四年:2009/04/17(金) 19:41:11 ID:MuoY0taf
近場に気軽に逃げ込める山林がなかったからちゃう
245人間七七四年:2009/04/19(日) 17:55:17 ID:CZiFC4jl
当時の日本人にとって、略奪の対象となるようなものがどれだけ町民の家にあったかも意外と重要だったりして。
幕末の頃に日本に来た外国人は、日本人の家には下層民のみならず上流階級まで財産と言えるような家具もなにも無く、
質素な生活にビックリしている。
まあ生活スタイルが欧米人と違い、当時の日本人はベットが無くても布団さえあれば寝れるし、
テーブルや椅子が無くても畳の上に直接座ればいいし、それほど家具は必要なかったんだろうしね。
家が焼けても、当時の日本人は財産が少ない分欧米人に比べて精神的ショックも少なくある意味身軽だったから、
敵が攻めてきても家を捨てて領主の城に逃げ込むか山にでも逃げればおkだったのだろう。
下手をすれば家自体も今に比べれば大した財産じゃなかったかも知れない。
なら、町にある大した財産でない家や家具を守るために町を囲むような城壁を築く必要もない。
もちろんこれは町民がある程度裕福になってきた信長以降の時代は別だろうけど。
ああ、だから町をある程度守るために総構えが必要になったのか・・・?
246人間七七四年:2009/04/19(日) 21:45:51 ID:DAh6loHm
>>245
総構えの内は家臣の武家屋敷が基本じゃない?例外も多いだろうけど
武家屋敷はそれ自体が防御施設だから総構えは防御を厚くする意味が殆どな気がす
247人間七七四年
>>246
一応はそうだろうけれど、名目上だけじゃない?
姫路城なんかでは古地図見ると総構えの外にはほとんど家が無かったみたいだが・・・?
江戸城では総構えの中に町民が住んでいる地区があったり総構えの外に大名屋敷があったり、
結構テキトーみたいだが・・・?
まあ江戸の場合は火災対策でだんだんとそうなってしまった面があるようだが。