952 :
人間七七四年:2008/07/01(火) 01:27:49 ID:YKPTmT34
今川軍なんて花倉の乱でもそうだが
義元家督相続自からずっと雪斎が指揮してんじゃん
その雪斎が死んだ後に起こった桶狭間で義元討ち死にしてんだから
高評価に繋がるわけもなし
953 :
人間七七四年:2008/07/01(火) 01:59:15 ID:1sNu8HTv
有名な戦国大名はすべて優れた家臣がいたから後世に名が残す事が出来た訳で
それを言い出したら義元に限らずどの戦国大名にも言える事なんだよ。
秀吉なんか秀長が病疫した途端、利休や秀次切腹や朝鮮出兵と迷走しだすし。
義元は信長に討ち取られたという不運な最期が愚将というイメージを作り上げているだけ。
954 :
人間七七四年:2008/07/01(火) 02:11:38 ID:YKPTmT34
違う違う
依存率って言っちゃおかしいが
戦場での実際の陣頭指揮の任せ具合が半端じゃないんだって
似たような例で言えば、大友宗麟と立花道雪 石田三成と島左近
こんな感じに完全に戦場の指揮権自体が雪斎にあったんだって
だから秀吉の晩年とか例として引き合いに出すのも状況としては全く違うわけね。
ただし指摘のとおり、最期の死に様が、より戦下手のイメージを助長してるのは本当
でも、これは仕方ないって。それまでも何もしてこなかったんだもん
955 :
人間七七四年:2008/07/01(火) 02:28:03 ID:1sNu8HTv
オレは重臣の働きもすべて含めた軍団全体の強さを戦国大名の戦闘能力と思っている
例えば手取川戦でも柴田勝家が負けたというより織田軍団の敗北という認識だろ
所詮戦国大名本人がどこまで陣頭指揮をとってたかっていうのは後世でいくらでも
肉付け出来るから正確な所は誰にも判らないしね
956 :
人間七七四年:2008/07/01(火) 02:57:33 ID:LcRHcluW
957 :
人間七七四年:2008/07/01(火) 03:13:25 ID:1sNu8HTv
まあ何となく義元擁護になってしまった訳だが、偶然でも何でも信長に討ち取られた
のは事実なんだから 信長>>義元 は間違い無い事なんだけどね
958 :
人間七七四年:2008/07/01(火) 10:12:18 ID:luV+y9ND
>>957 戦略は織田信長の方が旨いが、
領国支配は今川義元の方が旨い。
959 :
北条早雲:2008/07/01(火) 12:09:21 ID:rfYYfkY6
北条早雲を語ってみないか?
960 :
人間七七四年:2008/07/01(火) 14:28:53 ID:1sNu8HTv
>>958 確かに義元は尾張の短期攻略を目論んで、本隊、攻撃隊、守備隊と10隊程に
分散させ過ぎた戦略上のミスが命取りになったのは事実だからなあ。
>>959 今川領内乱の折に新九朗と太田道灌が出会い、お互いの才覚を認め合ったという
逸話は事実なんだろうか。やはり後世の創作か?
961 :
人間七七四年:2008/07/01(火) 15:16:10 ID:inj7EjY/
962 :
人間七七四年:2008/07/01(火) 15:41:54 ID:inj7EjY/
戦略戦術についての認識が論外
数を揃える、それを支える地場を整える等の環境を作るのが戦略
その戦力をどう使うかは戦術
君の本文を使うなら
>義元は尾張の短期攻略を目論んで、
=目的(尾張短期制圧)とその準備(動員が可能になる国力、後方の憂いを無くす外交関係を整える)
これが戦略
>本隊、攻撃隊、守備隊と10隊程に分散させ過ぎた
=編成、布陣(目的遂行の為の手段)
これは戦術
桶狭間は軍事的には戦略的に不利な状況を戦術によって覆した戦い
桶狭間時の戦略において信長の方が優れていたと主張する材料は皆無
963 :
人間七七四年:2008/07/01(火) 22:11:20 ID:P9+6KUHY
>>962 アンタ細かすぎるよ 世間一般の人間に戦術と戦略の違いを明確に述べよと聞いても
アンタみたいな軍事オタク以外正確に答えられる訳だろ
それにオレは桶狭間戦においては信長の方が上だったとは一言も書いていないよ
信長は義元より戦術が優れていたから桶狭間は勝てたとアンタが思っているみたいだが
オレは信長が勝てたのは、ただ単に天が信長に微笑んだだけだったと認識している
玉砕覚悟の単なる正面攻撃が信長側に有利な条件ばかりが重なり偶然に勝てただけという事
964 :
人間七七四年:2008/07/01(火) 22:26:34 ID:YKPTmT34
1つ言えるのは
偶然が重なって結果的に信長の勝ちに繋がろうが
必然的に信長が今川軍の位置を把握してようが
それ以前に、大軍を擁してるはずの今川軍がてんでバラバラになり
本陣に明らかな隙が出来ていたということだろ
ならば義元の完全な落ち度であり
信長+−0>義元−1 これが正しい評価だわな
965 :
人間七七四年:2008/07/01(火) 23:08:43 ID:P9+6KUHY
966 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 00:23:29 ID:ZVUVWcvf
>>921 そういう約束反故にしたからとか勝ちじゃないって話する奴よくいるけど、それって残虐性・人間性の問題に話すり替えてるだけだろ。
この時代は戦国時代だよ。裏切り、欺き、計略調略を駆使してみんな生き残ってるんだけど。
よく知られてる浅井長政の裏切りによる信長の撤退戦は敗戦といえるけど、これはなに?長政が背後からいきなり裏切るっていう非道なやり方したから事実上長政の負け、とでも言うの?
違うだろ、長政に負けと言える部分があったとすれば、この時に信長を討ち取れなかったことだろ。
お前の言う強さって何よ、戦術も何もなく、単に兵士がぶつかって決めることなのかよ?
967 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 00:40:55 ID:TwLq2GE0
流れぶったぎって悪いが、
軍略を比べるとしたらどちらが優れてる?
“島津家久”(忠恒じゃない)
“高橋紹運”
始めは島津の方が高いと思ってたけど、調べてみたら高橋って凄いね。
968 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 01:23:14 ID:LrKtdi4D
>>966 なに?お前、信長厨w?
裏切り、欺き、計略調略を駆使してみんな生き残っても別にいいけどさ
楽勝で勝てる相手にわざわざ怨みかってまで、騙まし討ちする奴はいないわけね
つまり、そうでもしなきゃ勝てないから騙まし討ちするわけだ。
では、一揆相手に騙まし討ちした信長がどういった状況だったか、そこから推し量れるよね?
同じく戦は弱いが騙まし討ちで伸し上がった元就も、そのことを言ってるよね
うち(毛利家)は、敵はおろか味方からも評判は悪い。だからお前ら兄弟力合せろ。って
こんな風にね、何でもありの当時の感覚から見ても、騙まし討ちなんて誉められた策じゃないんだ。
分った?
969 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 01:35:14 ID:LrKtdi4D
>>966 後ね、金ヶ崎での信長遁走劇を浅井長政の裏切りとか、君は言ってるけど
よく勉強して事実を調べた方がいいよ。
織田浅井の同盟締結に当り、その条約の1つにね
織田家が朝倉家を攻撃しないことって約束があるの。
つまりは、君でも分るよね?
先に約束を反故にしたのは信長自身の方ね
信長自身はあんな性格だから多分、長政を下に見て
朝倉を滅ぼした後に事後報告で済ませばいいやwなんて軽い判断だったと思うのね
でも実際は思い切り浅井の怒りをかって挟み撃ちにされて
味方全員見捨てて半泣きになりながら逃げ帰ってきたわけね
これは分るでしょ? 完全なまでの信長のミスでり、自業自得ね。加えて惨敗
だから君の引き合いに出した金ヶ崎の例で言うと
最初から最後まで信長の自業自得で自爆で惨敗なの。長政は何も悪くないわけ
分った?
970 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 01:41:22 ID:uaCoSnYC
読んでみると結構妄想入ってるのな。
まともに読まないほうがヨカッタ
971 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 02:01:26 ID:LrKtdi4D
僕は何一つ事実を知らないので具体的な反論は一切できませんが、でも粘着して悪口だけは言いたいと思います。
この場合、僕が何も知らない信長厨とバレるのも癪なので、相手の書いてることの否定だけして逃げようかと思います。
余り長文書くとカムフラージュがバレるので短文にまとめたいと考えています。
・・まで読んだ
972 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 02:53:53 ID:5I2OKJN2
>>963 それっぽい単語を知ったかぶって使ってみましたってか?死ねよ
認識出来てない単語を使いたいなら辞書くらいひけよ糞ゆとり
自分の無教養を棚に上げてなにその言い草
まともな高等教育を受けていれば戦略と戦術の違いくらい認識出来るはずだが
軍ヲタ?国際政治学とか履修したことすらないの?
てめーの都合で自分のレベルまで一般ってラインを下げるなよ
便利な言葉だな
敵失を活かすのは戦術
俺の主張に何の誤りもない
戦術面で今川より優れていたからこその結果
同じレベルの戦術采配なら戦略的に不利な信長隊が壊滅であぼん
>>964 >大軍を擁してるはずの今川軍が
戦略的優位
>てんでバラバラになり本陣に明らかな隙が出来ていたということだろ
稚拙な戦術
運云々は結果論
単なる敵失
トータルな評価であるなら絶対評価でない以上、その比較自体が無意味な為、結論には同意しかねる
桶狭間に限定するなら相対評価が出来るから同意
973 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 05:52:52 ID:kfWqHVDu
>>964 何でバラバラだったか考えてみやーせ
今川は別に信長と決戦するつもりで尾張に攻め込んだんじゃなくて
国境の砦を一気に攻略するのが目的だったんだから、大軍を分割するのは戦術的に真っ当。
その弱点を織田が突いたわけで、
信長+1>義元+−0 じゃないかと
974 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 10:34:18 ID:muf3fEoZ
勝敗は時の運、運も実力の内〜つうのは事実すね。
いくら完璧なまでの下準備をしても、
最終的な結果はかなりの程度運に左右される
名将って言われるヤツはほぼ強運。
975 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 12:36:57 ID:M7YPqzyj
>>972 国際政治学とか履修したことすらないの? って履修してねよ
いちいち自分の学歴引けらかして遠回しに自慢したり、死ねという言葉を
レスとはいえ安易に使ったりするなよ馬鹿が!
おまえの方が常識知らずで実社会で役立たずの無能者だよ阿呆!
それに戦術という単語を剥きになって乱用し過ぎだよ
976 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 13:10:24 ID:SR5W85//
ベスト10とか決めるのは、言っちゃ悪いけど幼稚だと思う。
977 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 13:11:44 ID:8YvUJzoJ
975はただのキチガイage荒らしか。つまらん。
978 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 15:25:55 ID:TwLq2GE0
島津軍の統率力は高いな。
兵が優秀だったのか、
大将が優秀だったのか、
どちらも優秀だったのか。
979 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 18:40:36 ID:9xMeYvov
むしろ敵が馬鹿だったんじゃない?
義弘も家久もすごいけど
980 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 19:15:50 ID:ZVUVWcvf
>>968 >なに?お前、信長厨w?
厨って言葉すぐ使うとか・・お前と同レベルにすんなよ
>楽勝で勝てる相手にわざわざ怨みかってまで
信長が寺を攻撃した他の戦の理由すべてをまさか、『「恨み」というデメリット覚悟でやった』
とでも考えてるのか?あえてやったに決まってんだろ。
>織田浅井の同盟締結に当り、その条約の1つにね、織田家が朝倉家を攻撃しないことって約束があるの。
ああ、それを本当に信じてる人なのか。織田方にはそんな約束をしたという記録は残ってないよ。
「裏切った方の」浅井方にのみ存在し、しかも微妙に約束が違ったりする。もちろん判官贔屓、あるいは浅井が裏切った動機としてその説を信じるのは勝手だし、
織田方に都合悪い戦ゆえに織田方に残ってないんじゃ無いかと言う考えも成り立つけど、真田信繁の13段破りの原形みたいな酷いほら話残してる浅井の資料はどうも信用できない。
それに浅井の約束破りという大儀名分をうそだとすれば、信長の長政裏切りに対しての驚きも説明がつく。
かすかにでも裏切られる理由をもっているんなら(つまり朝倉を攻める際に一声かける、なんて約束を本当にしていたのなら)心底驚く、なんてするわけがないんだよ。
せいぜい裏目にでたか、程度の驚きぐらいのもの。裏切られる理由に心当たりがないゆえの驚き、ってこと。
もちろんこれは織田方の資料を信じればの話で、お前があくまで信長はしらをきってただけで、浅井が正しいというのならそう信じるのは勝手だけど。
>長政は何も悪くないわけ 分った?
あらら、とうとう善悪論だと自分で認めちゃったのねおまえ。戦の強さにそんな話持ち出すなんてあほかと
981 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 20:31:38 ID:kVaQL27b
>>978 統率力一なら徳川家
なにしろ、長久手のように複数が機動しながら連携して攻撃するなんつう真似
他にはできん
982 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 21:20:02 ID:embA24eg
>>981 徳川史論、便利だな。
長久手以外、何かある?
983 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 21:44:41 ID:TwLq2GE0
>>981 三方ヶ原の戦いはどう説明するんです?
戦術での統率力なら島津軍の“つりのぐせ”だってかなりのものだぞ。
984 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 21:56:02 ID:/WyzI4Ao
>>983 なので、神君家康公マンセーな江戸時代に、家康に勝った信玄公こそ最強という
甲州軍学が大流行したわけで。
985 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 22:16:35 ID:kVaQL27b
986 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 22:19:56 ID:kVaQL27b
>>983 部隊としての統率力
武将が言うことをちゃんと聞き、しかも有能というのはそういない
987 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 23:01:43 ID:TwLq2GE0
>>986 ん?
島津軍の何処が言うこと聞かなくて有能じゃないんだ?
988 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 06:37:03 ID:dARbjVtl
989 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 13:23:08 ID:gcEQQv9l
990 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 15:58:09 ID:gcEQQv9l
何の根拠もなしに意見してくるのはうざったいな。
991 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 20:23:39 ID:dARbjVtl
>>989 義久と義弘の仲が悪く、増援を拒否した。
つまり、統治体制=命令系統が中世のまま
>>990 三河統一期の比較的早期に旗本先手役という兵農分離を行い
整備された軍制という武田流を導入し、恐らくはじめて組織としての
組編成である大番を創設している
おまけに武経七書を刊行という具合に軍事制度を始めとした組織
整備の点で家康は抜きん出ている
992 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 21:07:10 ID:o25XEpLu
>>991 武田流の軍制の導入は石川数正の出奔後で1580年代後半だぞ。ちったぁ調べろ。
993 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 21:12:13 ID:dARbjVtl
>>992 長久手に拘らずに全般で語ってます。
因みに大番創設は五カ国統治の駿府城移城期、武経七書は関ヶ原あたりの話
994 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 21:21:45 ID:gcEQQv9l
武田流戦法を取り入れた?
それは徳川軍の強さと言えるのか?
995 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 21:55:11 ID:lrEfjBi/
>>993 そんだけ時期に幅を持たせると、他との比較ができなくなるだろ…
>>994 なので、徳川マンセーしようとすると、どうしても武田最強論に
行きついちゃう。
996 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 22:13:14 ID:dARbjVtl
>>994 戦法ではなく軍制、編成・通信・輜重の手順なんか
こういうのが整備されているのとされてないのでは結構違う
>>995 戦闘能力というのは時代に対応する為の発展過程が重要ですので
この場合は中世から近世へ対応できているかどうかは強弱の一つの
基準になるかと
997 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 23:44:17 ID:34mGzcTV
>>988,989,991
島津は、関ヶ原直前に、領内でのでかい乱を抑えて余裕ないとこだろ。
関ヶ原行った中で最も遠いし。黒田がうろうろしてるし。野戦スレなんでここまで。
関ヶ原は、家康の戦術というか野戦能力じゃなくて、大老の最有力であり戦略上の勝利だろうが。
家康は、ベスト10には入らん。
998 :
人間七七四年:2008/07/04(金) 01:16:06 ID:Tui8oL8I
平野長泰のスレかと思った
999 :
人間七七四年:2008/07/04(金) 07:10:15 ID:2NqeXfxV
>>997 戦術能力が発揮された長久手は?
というより家康は立場上、戦術的立場に立つことが少ないから、
自然と戦略まで立ち入る必要がある
関ヶ原で言えば決戦に誘導したとか
野戦能力とはいえ、戦術のみで語らなくてはいけないと言うわけではない
1000 :
人間七七四年:2008/07/04(金) 07:33:01 ID:/q3ZEl3J
1001 :
1001:
/ `ヽ、
ー┬――─‐ァ
/ ̄ ̄ ̄ ̄,l,
_/ ,、r'" _」
. | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
/`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
/ 秀家 ゙ヽ:::::::::', ごくろう。このスレはみごと統一された。
゙|゙゙゙''' ‐‐''""' ';:::;r==,、 さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
. |エi> ,' イiエ> レ'゙,r .,l }
i. / Y./ノ さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
l { .、 /
', ` '' ' rTヲ
'、 `'ー‐''" / lzュ、__
---‐ヽ -' / 〃ィ ヾ'‐,--
/ | |iゝr;ァ--‐''" 〃/./ l | 戦国時代(仮)@2ch掲示板
./ | | ',ヾ゙ / / / / l
http://hobby9.2ch.net/sengoku/