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人間七七四年:
11月中旬以降に伊達は白河と那須の境目の関和久に砦を築きはじめるし
淺川城は伊達の圧迫に耐え切れず降伏。
12月には石川が赤坂城を攻め、滑津城には田村が攻め寄せてる。
正月には軍を率いた義宣が南郷にいるのがわかるし
その後も戦いが続いているようで
小瀬越中や大窪久光に義宣が感状を出して防戦督促してる。
滑津で白河斡旋の講和交渉中の4月に
佐竹から伊達を攻めたりしてるし
完全に双方戦闘状況が続いている。
そうこうしてるうちに大関晴増が義宣に
「はやく小田原に行かないとまずいぞ」と言われて
始めて伊達に関わってるわけにいかねぇと
急いで宇都宮へ行ったじゃん。