202 :
人間七七四年:2010/11/18(木) 17:17:58 ID:/OypQzbU
>>200 なんか不自然な読み方だな。
検索すると実在はしてるようだが。
203 :
人間七七四年:2010/12/01(水) 14:21:23 ID:n/ajVO2u
義道は「式部大補、左京大夫」だったみたいだけど、義幸や義定とか分からないや。
204 :
人間七七四年:2011/02/06(日) 08:50:32 ID:lpYZGzpe
一色
205 :
人間七七四年:2011/02/22(火) 14:49:40.82 ID:vi4QiCM9
sengoku38
206 :
人間七七四年:2011/02/22(火) 15:35:32.04 ID:8B+bwzHU
一色直為も一色氏当主に含まれるのか
207 :
人間七七四年:2011/03/02(水) 14:55:13.97 ID:a3gS/5Fr
有吉将監や沼田勘解由は長岡細川氏の家来で、
丹後に住んでいた国人とかじゃなかったのん?
208 :
人間七七四年:2011/05/03(火) 20:35:26.76 ID:C4ZLHkRy
保守
209 :
人間七七四年:2011/10/02(日) 00:34:51.54 ID:eNzcm9WG
保全
開明派あげ
211 :
人間七七四年:2011/11/03(木) 18:25:22.51 ID:6iZO42i+
一色(杉浦)直為とは一体何者だ?
212 :
人間七七四年:2011/11/08(火) 22:19:45.31 ID:5HpzOV61
三重県の津市にも一色って地名がある。
守護だったときの名残かね
213 :
人間七七四年:2011/11/12(土) 21:24:52.37 ID:MqtbNFZl
>>206 含めない
あくまで後見人
当主はその息子
214 :
人間七七四年:2011/11/14(月) 20:00:42.06 ID:yTgKSqdf
大目付一色由良之助あげ
215 :
人間七七四年:2011/11/18(金) 09:32:27.99 ID:UROhknoZ
>>211 これじゃね?
杉浦家
鎌倉幕府創建の功労者和田義盛が、北条氏と戦って敗死したあと、
その子杉浦義国が近江に閑居した。
その後裔と称する杉浦氏で、政重を祖とし、のちに三河に移って、
松平信忠に仕える。
その子政次以降、多くの旗本家を出している。
216 :
人間七七四年:2011/11/25(金) 17:23:25.88 ID:gc4RCA+N
なるほど
217 :
人間七七四年:2011/12/07(水) 23:46:50.28 ID:FTEQznEQ
一色義春の逸話って無いのか?
218 :
人間七七四年:2011/12/10(土) 17:08:41.28 ID:MHVuvWRD
ワイは日本人やが聞いた情報によると、もうじき中国はバブルがはじけて昔の貧乏な中国に戻るらしいで
みんなも知っての通りもう経済は破綻してて、取り戻すのは無理なんだそうや
その世界ではごっつい有名な政府関係者筋から聞いた確かな情報やで
まあお前らほどの頭の良い連中には、今さらなくらいのネタやな、
お前らからすればもう常識的なくらいの知識やろ!!
219 :
人間七七四年:2011/12/11(日) 16:32:55.12 ID:Rs/aSpnO
220 :
人間七七四年:2011/12/13(火) 19:10:15.82 ID:NUWOSBUy
>>219 19歳で死んでるからなあ
地味っちゃ地味な人だったと思う
221 :
人間七七四年:2012/06/03(日) 01:24:57.04 ID:NfwUvPiq
長生きするのも仕事みたいなもんだよな
222 :
人間七七四年:2012/06/25(月) 13:32:16.67 ID:p57ORGE5
武士は家を残してなんぼの世界
家を断絶に追い込みかねない早世なんてもってのほか
223 :
人間七七四年:2013/01/21(月) 14:54:03.69 ID:W2G1eHJT
>>107 この予州一色氏というのはどうなんだろ?
いくら本流が滅んだとはいえ
ほとんどが使う「義」から「重」に通字がいきなり変化
仮冒の王道パターンなんだけど
224 :
人間七七四年:2013/01/22(火) 02:32:01.04 ID:2Ukwm3yC
尊氏側近の一色右馬之助って実在したの?
225 :
人間七七四年:2013/01/23(水) 20:36:33.84 ID:cMQw8763
伊予からの移住って
稲葉や村上なんかもそうだっけ。
仮冒ありそうだな。
226 :
人間七七四年:2013/02/09(土) 10:56:00.08 ID:PaK6J7+0
227 :
人間七七四年:2013/02/09(土) 11:04:59.89 ID:PaK6J7+0
228 :
人間七七四年:2013/03/13(水) 10:20:42.40 ID:ZrUeD+/r
>>166 一色氏の丹後守護所は丹後最大の大河由良川そばの加佐郡(舞鶴)の八田じゃないの?
戦国末の没落してからは奥丹後の方に移動していったらしいけど
229 :
人間七七四年:2013/04/01(月) 23:45:51.81 ID:X4RLg8WG
永正年間に加佐郡のある一定地域までを若狭武田に抑えられてしまったので移さざるをえなかったんだろうね
朝倉氏の後援が武田方にあったとはいえ竹野郡辺りの奥深い地域まで攻め込まれたりとかなり劣勢だなあ
230 :
人間七七四年:2013/04/03(水) 18:04:32.10 ID:6EE4Rscg
若狭武田は軍事的にはしょぼいイメージがあるが、そうでもなかったのだろうか?
231 :
人間七七四年:2013/04/04(木) 07:28:00.28 ID:brgXcpnq
232 :
人間七七四年:2013/04/05(金) 23:12:23.49 ID:8zCFSY82
若狭武田家は河内まで派兵した事も数度あるし
装備の豪華絢爛さを褒め称えられた記述なんかも残るので
軍事的には弱小ではないと思う(弱兵ではありそうだけどw)
郷土史なんかをみると若狭勢に丹後勢は圧倒されてた感が強い
233 :
人間七七四年:2013/05/11(土) 10:28:49.56 ID:RldaYHpC
234 :
人間七七四年:2013/07/20(土) NY:AN:NY.AN ID:fJUK1EAy
そろそろ保守
235 :
人間七七四年:2013/07/25(木) NY:AN:NY.AN ID:ODaGSqHZ
一色氏なんて鎌倉時代は足利一門では末流あつかいで
吉良貞義が一色交深をひろって一門にいれてやったおかげで
室町時代の四職家へと発展できたわけだろ
大目付一色由良之助
237 :
人間七七四年:2013/10/12(土) 12:30:50.72 ID:TWRlSrMo
幕臣の一色は丹後の一色を見て何を思ったのか?
238 :
人間七七四年:2014/06/18(水) 19:40:11.68 ID:IB6y9uDT
あけましておめでとう
239 :
人間七七四年:2014/09/13(土) 21:49:44.24 ID:Ui0MQUqI
俺は幸手一色氏を推す
240 :
人間七七四年:2014/10/24(金) 20:47:33.24 ID:K+0G/+nF
丹後一色氏傍流
式部家初代の政煕(政照)って上杉氏からの養子なんだってね
一色持範の子孫の嫡流は一色右馬頭家というのが最近の大学の研究の成果らしい
241 :
人間七七四年:2014/10/26(日) 11:28:22.39 ID:D4SjAAvk
美濃の斎藤義龍が足利将軍の許可を得て一色氏を名乗る
242 :
人間七七四年:2014/10/26(日) 22:06:46.59 ID:OidLBlb+
一色は尊氏の兄貴分の一色右馬之助がいるじゃないか
243 :
人間七七四年:2014/11/03(月) 23:39:21.93 ID:5EGf5uSM
>>240 金地院崇伝の先祖の一色政煕が上杉からの養子なんてのは常識。
知らなかったほうが不思議。
持範の子孫というよりも、一色氏の嫡流が右馬頭家だと考えられている。
嫡流が最大勢力というわけではないのは、その他の氏族にもいえるだろ。
この家は外様衆(奉公衆)としては、まあまあ高い地位の家柄。
244 :
人間七七四年:2014/11/04(火) 17:50:33.64 ID:hNI2jmgT
>>242 美濃守護代の斎藤では室町幕府の中で出世できないから三管領四職の一つ一色
を継承したんだろうね
一色は尾張知多郡守護、伊勢守護になる資格があるから侵攻上正当性も出てく
るから非常に有利だったんだろうね
この時代、丹後は一色の庶流が勢力を持っていたから母方とはいえ一色嫡流の
血筋である義龍は正統な一色氏継承者だったともいえる
245 :
人間七七四年:2014/11/04(火) 20:54:11.61 ID:Oe8JDfUC
義龍の母親って土岐頼芸の妾だった深芳野だっけ?
一色家の出自なのか?
246 :
人間七七四年:2014/12/18(木) 09:56:46.85 ID:NWzbbMSZ
>>245 そうだよ。
>>244の言うように正当性をえるためだろうね。
室町幕府内の席次も美濃守護代斎藤氏と四職侍所長官の一色氏では全く違うし。
247 :
人間七七四年:2014/12/18(木) 21:26:51.73 ID:e/4OTqSW
美濃の国主土岐氏は一色の血になってたしその辺も意識してんじゃ
248 :
人間七七四年:2014/12/22(月) 20:37:09.25 ID:VZ6fcTHT
>>247 それもそうだろうね。
足利幕府内での席次は織田信長より義龍のほうが遙かに上位。
足利義昭を擁立しての上洛までは信長は尾張守護代の域を脱していない。
朝倉クラスの守護モドキだった。隣国を支配下においていても。
家格的には。
249 :
人間七七四年:2014/12/23(火) 19:11:53.74 ID:FMwRrZ37
>>248 そうね
義龍の方が御相伴衆なんだから上位ね
朝倉と織田は共に越前尾張守護管領斯波氏の家臣だったから
織田信長は朝倉的な領主をめざしていたのかも
当初は
250 :
人間七七四年:2014/12/27(土) 13:50:33.99 ID:BpM1rt/3
>>248 そりゃ信長は本来守護代ですらなく、守護代の家来筋の家柄だからな・・・
251 :
人間七七四年:
>>248 越前尾張遠江守護だった斯波家内の家格の順は
甲斐氏(将軍直臣守護代)→朝倉氏(最有力家臣)→織田氏(土豪&神官)だったらしいね
織田の木瓜の家紋は、朝倉からの下賜らしい
斯波の下での同僚というよりは織田は朝倉の家臣ぽいあつかい