【四職家】一色一族を語る【丹後・若狭】

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1代行
足利氏の支流で山名・京極・赤松と並ぶ四職の家柄だが、
戦国時代には丹後・若狭の領国も失い、
江戸時代には旗本として細々と生き残った一色一族について語りましょう。


■関連スレ
【六分一殿から】戦国山名氏【交代寄合】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1151734735/
播磨赤松氏について語るスレ
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1153399640/
★管領家★  細川氏総合スレ  ★応仁勝者★
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152951252/
畠山義綱
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150263630/
2宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c :2007/07/08(日) 02:37:01 ID:imHi/gZL
赤松・山名・京極・一色  四職家にも数えられた。
3人間七七四年:2007/07/08(日) 02:42:11 ID:gGiGjyYQ
最初は信長に協力してたけど、途中で切られて細川に始末された。
4宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c :2007/07/08(日) 02:43:29 ID:imHi/gZL
四職家はスレタイに書いてあったか。
戦国はないが、一色義貫ははたして謀殺されたのだろうか。

権力を付けすぎ足利義教に警戒されたと言われてるが事実なのか?
スレ立てたばかりなのにすまんが、詳しい人教えてくれ。
5人間七七四年:2007/07/08(日) 02:51:07 ID:gGiGjyYQ
>>4
詳しい人がいずれ現れるまで待てば良かろうて。

ついでだから、京極家のスレがあれば四職全部が揃うねw
6人間七七四年:2007/07/09(月) 03:07:38 ID:onUjCMjM
方術家・稲富祐直は一色氏の家臣だったね。
7人間七七四年:2007/07/12(木) 11:42:05 ID:3hG8wNpe
旗本になったのは丹後一色家じゃなくて関東の一色だろ?
まぁ元は同じ一族だけど…ら
山名と違って丹後一色家の場合完全滅亡したはず
8人間七七四年:2007/07/12(木) 12:06:44 ID:3RjivLhT
関東一色氏は、鎌倉公方や上杉家の外戚になっていたから
争いに巻き込まれがちだったけど結局生き残ったね
あと、丹後一色の庶流が三河に下って、後に徳川旗本になった
9人間七七四年:2007/07/12(木) 12:29:50 ID:x42s6zBB
>三河に下って
一色氏の本貫は三河です。
10関連スレ:2007/07/13(金) 01:00:42 ID:B5TL+QB5
蛍大名・京極高次を語ろう
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1184252983/
11人間七七四年:2007/07/18(水) 14:06:48 ID:nxiKYl/E
細川はいろいろ、山名は宗全が有名、赤松は円心とか満祐とか、京極は道誉か
ややマイナーになるかも知れないが、畠山は政長や義就、斯波は義将かな

一色は誰だろ?
12人間七七四年:2007/07/18(水) 21:34:43 ID:flqOJ5fn
>>11
金地院崇伝は?
13人間七七四年:2007/07/18(水) 23:01:14 ID:pljbRdGH
一色紗英
14人間七七四年:2007/07/19(木) 01:28:39 ID:6m/lQ/fY
イかに高位をゲットしても、

本拠地が丹後・若狭である時点で負け組み お先真っ暗


いずれジリ貧になることは明白


そんなのはじめから分かってたでしょう




15人間七七四年:2007/07/20(金) 15:21:40 ID:kJLZkGvS
>>12
正直崇伝が一色庶流の出とは知らなかった(一色秀勝?藤長なら聞いたことはあるけど)
丹後の宗家の出ではないんですね
16人間七七四年:2007/07/23(月) 00:36:48 ID:2EPSfU9l
義道はゲーム戦だと毎回戦にはそこそこ強いがなにか実績でもあるの?
1716:2007/07/23(月) 00:38:04 ID:2EPSfU9l
ゲームの後の「戦」が余計だった。
18人間七七四年:2007/07/23(月) 00:45:32 ID:9I/ULraE
>>16
ゲームのことは分からんが越前攻めの軍功とか、
藤孝相手に頑張ったのが評価されてるんでは?
19人間七七四年:2007/07/23(月) 06:44:31 ID:Vq76fqPX
ついでに一色家臣団や丹後国人衆も軽く紹介してくだされ
ゲームじゃ稲富しか出てこない。他にもいたはずだろうに丹後衆冷遇されすぎ
20人間七七四年:2007/07/24(火) 22:52:53 ID:qZSFnWCo
>>19
戦国史プレイして名前で検索
21人間七七四年:2007/07/27(金) 21:34:52 ID:dFPSaPLO
熊川城は瓜生の松宮氏に攻められて落ちた。その後、熊川城は松宮氏の支城となった。
22人間七七四年:2007/08/07(火) 21:44:08 ID:BTA1e32k
通字が「義」の字なのが、足利氏との縁を感じる。
23人間七七四年:2007/08/11(土) 16:25:15 ID:Fu646P8L
もともと足利一族だから
24人間七七四年:2007/08/11(土) 17:05:48 ID:eLVGbkNG
>>23
ということは、四職の中では一番の家格ってことかな?
25人間七七四年:2007/08/11(土) 18:12:13 ID:Oq57kmmc
三河一色村出身
関東公方のもとにも一色一族いたよな
26人間七七四年:2007/08/11(土) 20:57:23 ID:OEHLHhjD
>>11
一色うまのすけ
27宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c :2007/08/11(土) 20:59:57 ID:yH70LRze
野一色助義
28人間七七四年:2007/08/13(月) 09:22:00 ID:djQr8jCP
>>24
それはどうなんだろうね

三管領はともかく、四職は開幕〜功績の要素が強いような気がするけどね

比較するとすれば、官位?
侍所頭人になった回数ぐらいは調べられるが、手元にないので、また後日
29人間七七四年:2007/08/27(月) 22:18:36 ID:5U6SbxxU
>>28
その後どうでしょう?
30人間七七四年:2007/09/07(金) 14:02:16 ID:pdAkyRZz
通字は「義」の字でおk?
31人間七七四年:2007/09/07(金) 23:06:02 ID:wiB1TFZ3
丹後、若狭って何か水軍が発達しそうな国なんだけど私が浅学な
ためか一色に水軍のイメージは無い。実際のところはどうなのだろう?
32人間七七四年:2007/09/08(土) 02:09:44 ID:O2Vqot9h
>>31
越前攻めの時は海上経由で攻めたんじゃない?
33人間七七四年:2007/09/09(日) 04:30:06 ID:C/uZsn+P
>>31
若狭武田は逸見水軍、一色は丹後水軍を擁してるぞ。
陸上では武田勢に苦しめられた一色勢だが、
逆に丹後水軍は若狭の浦々を襲撃して恐れられている。

信長による越前攻めでは矢野氏・桜井氏らが一色勢として水軍で参加している。
34人間七七四年:2007/09/10(月) 16:27:49 ID:jCugJ7eV
>>29
なかなか調べられなくて申し訳ない
やっと実家に行って、日本史総覧から手書き抜粋してきました=室町侍所頭人(四職)

山名時氏1 山名時義1 山名氏清1 山名義幸1 山名満幸2 山名某1 山名持豊1 計7人 8回
京極高詮1 京極高光2 京極高数1 京極持光1 京極持清2 京極経秀1       計6人 8回
土岐頼泰1 土岐直氏1 土岐義行1 土岐詮直1 土岐満貞2 土岐頼益2       計6人 7回
細川和氏1 細川顕氏2 細川頼春1 細川頼元1                       計4人 5回
一色詮範2 一色義範1 一色義貫1 一色教親1                       計4人 5回
赤松義則4 赤松満祐2 赤松政則1                               計3人 7回
仁木義長2 仁木頼章 1 仁木頼夏1                              計3人 4回
今川貞世1 今川国泰2 今川泰範 1                              計3人 4回
佐々木伸親1 佐々木秀綱1 佐々木高秀1                          計3人 3回
高師泰2 高(南)宗継1                                       計2人 3回
三浦貞連1 三浦高継1                                       計2人 2回
畠山基国2 佐竹義篤1 斯波義種1
(誤記、計算違いあれば申し訳ない)

ちなみに一色詮範が初めて任じられたのは永徳元年(1381)
35人間七七四年:2007/09/12(水) 13:35:55 ID:RdQ+I2Nk
>>34
赤松家の面々は期間が長そうだな。
首相と同じで期間が長いほうがイメージとして残りやすいね。
満祐は嘉吉の乱の時も頭人だったかな、たしか。
36人間七七四年:2007/09/16(日) 21:52:08 ID:Y03i9UOq
 
37人間七七四年:2007/09/17(月) 06:53:28 ID:XUMF0G7P
佐々木秀綱と佐々木高秀は京極氏でしょ
38人間七七四年:2007/09/19(水) 14:05:10 ID:IZHj+ZCX
>>37 そうだね、申し訳ない、二人とも道誉の息子だね
39人間七七四年:2007/09/23(日) 02:04:01 ID:295beZ5h
いやいや、よく調べたと思うよ。
このスレで終わらせるのはもったいないくらい。
初期の頃は一門の譜代家臣が多くて、義満の時代から功臣が多いって感じだな。
それに伴って一人が受け持つ任期も長くなってる気もする。
40人間七七四年:2007/09/25(火) 22:02:18 ID:4qZ7ZXiu
丹後一色家の最有力家臣は三方氏
一色家が山城守護を兼ねたとき山城守護代をつとめた
この三方氏は、もともと鎌倉時代の若狭守護の惟宗氏の末裔で薩摩の島津氏と同族
守護の後裔ということで格が違う
他の家臣が主に丹後国内でのみ活躍したのに比べ
三方氏の勇名は洛中に轟いた
一色氏が若狭守護を兼ねた時代に臣下となり後任の若狭守護武田氏と壮絶な争いをする
41人間七七四年:2007/10/13(土) 15:13:09 ID:uj1Kw+4h
三方氏か。

ところで古河公方に仕えた一色もいるんだね。
42人間七七四年:2007/10/15(月) 17:54:22 ID:BKIBBGfR
最近、三方町も若狭町になった
三方氏って鎌倉時代の若狭守護の若狭氏のことだね
惟宗氏って、島津氏と若狭氏の、どちらが嫡流なんだろう
43人間七七四年:2007/10/16(火) 10:13:02 ID:QC8RDA7S
島津は本当は惟宗氏でも、頼朝の後裔名乗ってるからなあ
44人間七七四年:2007/10/21(日) 23:20:26 ID:I85Vc/tZ
細川幽斎にだまし討ちにされたんだっけ?
45人間七七四年:2007/11/01(木) 15:01:57 ID:C16B4HEZ
藤長の関ヶ原の話は、どこから出たのだろうか
慶長元(1596)年四月七日に没しているはずなのに
46人間七七四年:2007/11/03(土) 17:49:01 ID:YI+D0r8C
>>45
確か「野史」に載ってた気がする
47人間七七四年:2007/11/17(土) 20:29:57 ID:9Xp1zl7q
>>45-46
誰か同族と誤伝されたのかな?
48人間七七四年:2007/12/04(火) 15:50:06 ID:2SLNVvLw
旗本にも一色家あるがこれは関東流なのかな?
49人間七七四年:2007/12/18(火) 17:26:49 ID:1wuXdxxH
>>48 一色直朝の子孫だね、5160石かな。
50人間七七四年:2007/12/20(木) 04:03:45 ID:hRDRfShV
>>49
古河公方の家臣だった一色氏か。
51人間七七四年:2007/12/20(木) 04:28:11 ID:d0bvlQkr
おまいらまず初歩的なことをテンプレートしてくりょう
52人間七七四年:2007/12/20(木) 15:42:21 ID:W4zOkJGr
智代アフターをやっているんだが・・・声優が違うな・・・

桑島じゃないのかよ・・・orz

駆け出しの無名声優使うなよ。何が実力派だよ・・・一色ヒカルなんて聞いたことないぞ

CLANNAD -クラナド- 総合 Part168
http://pie.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1197298573/
53人間七七四年:2007/12/20(木) 16:54:52 ID:pBjAQ5rC
>>50
そうだよ
54人間七七四年:2008/01/11(金) 11:52:21 ID:x3OWrGeT
宗家は影も形もないのかな?
55人間七七四年:2008/01/26(土) 10:07:43 ID:nT7PAxpB
本宗は義有以降不明のようだ
56人間七七四年:2008/01/29(火) 15:19:46 ID:MqUzN7cM
三管領、四職の中で最後に国持ちとして残ったのが一色氏だな。
細川が入国してたから半国程度だったかもしれんが。
57人間七七四年:2008/02/12(火) 14:52:08 ID:fNOc5fw2
だが見事に消えてしまう。
58人間七七四年:2008/02/26(火) 14:49:00 ID:YsHSJ8Kd
幕末の勘定奉行一色直温って 古河公方家臣の末裔だね。
59人間七七四年:2008/03/10(月) 14:48:36 ID:gTrIsWol
幕府崩壊までつとめてるんだね
60人間七七四年:2008/03/10(月) 20:51:10 ID:a6EAT+U9
上泉氏の系譜が、矛盾を孕んでいてわからん
一色から養子が入ったみたいだが?
61人間七七四年:2008/03/11(火) 11:28:02 ID:FQAqnZMT
一色から名前だけ強引に丸パクリ
62人間七七四年:2008/03/11(火) 15:14:21 ID:iOUfsjAw
>>60
いつの時代の話?
63人間七七四年:2008/03/11(火) 21:45:30 ID:MptIupOP
おそらく15世紀後半かと・・・・
64人間七七四年:2008/03/27(木) 15:08:50 ID:I1ZOmnP6
一色の祖公深は泰氏の子、頼氏の兄弟だから斯波と同じ代での分かれなんだね
畠山、細川より宗家に近い
65人間七七四年:2008/04/10(木) 15:09:45 ID:cDUcZIDb
その割に目立たないよね。範氏は九州で活躍してるけど。
66人間七七四年:2008/04/25(金) 15:22:00 ID:G+HRh0XB
あと山名氏清を討った詮範か 有名ではないが。
67人間七七四年:2008/04/26(土) 02:02:53 ID:qZGVJ/5P
一色義道
68人間七七四年:2008/05/01(木) 03:56:22 ID:/eYfDBkF
れっきとした足利一門なのに系図さえはっきりしないなんて悲しすぎる>一色桃井渋川仁木
69人間七七四年:2008/05/13(火) 14:44:06 ID:58KKdeIy
泰氏の子、公深のれっきとした子孫でしょ=一色
70人間七七四年:2008/05/14(水) 04:02:42 ID:77HHyfvP
公深は実は養子で正体不明だとかナントカ
71人間七七四年:2008/05/23(金) 16:29:52 ID:lZBC4LXb
ちょっと質問なのですが
一色家の最後の攻防の舞台となった弓木城って
一色家の滅亡後はどうなったのでしょうか?
もとの弓木城主である稲富氏は、一色家の後に丹後を統治した
細川家にそのまま仕えていますよね?

1・一色家の滅亡と共に荒廃し、破却された。
2・しばらくは稲富氏の居城として、その後も機能していた。

どっちなんでしょう?廃城になったのはいつ頃?
72人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 15:26:41 ID:l3UODRpp
実は弓木城は、戦時だけ使用する山城で
通常は麓の館(守護館)を使用していました。
使用されない山城は木が生い茂り山に戻ります。
館の近くには八幡社もあり、丹後の中心として機能していました。
近年まで岩滝町という町村でしたが
与謝野町に名前が変わりました。
73追伸:2008/06/02(月) 15:37:26 ID:l3UODRpp
若狭の後瀬山城と山麓の守護館の関係が良い参考になります。
弓木城のあった岩滝は、丹後の中心が野田川対岸の宮津に移るにともない
都市として衰退し忘れられていきました。
74人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/03(火) 00:04:28 ID:1xjWHbHc
>>72-73
ありがとうございました。
75人間七七四年:2008/06/16(月) 15:22:04 ID:uQWzF3dG
宮津は同じ四職の京極というのは何かの縁だね。
76人間七七四年:2008/06/30(月) 15:24:02 ID:rZno1rpE
一色にとって若狭武田は不倶戴天の敵なんだね。
77人間七七四年:2008/07/08(火) 23:08:13 ID:o9CyaYJQ
>>76そうだろうね
一色にとって若狭は
丹後よりも古くから領していた国
本国を追われて
新しいほうの丹後一国だけになったわけだから
78人間七七四年:2008/07/19(土) 14:33:27 ID:gnasbNPR
武田があとから来て取ってしまったわけか。
79人間七七四年:2008/07/20(日) 00:06:49 ID:c7L06UbN
厳密には一色義貫が幕府から討伐された結果、若狭を取り上げられて、
それが一色義貫討伐に功のあった武田信栄に与えられたが正しいけどね

これは一色義貫は若狭・丹波・三河・山城の4カ国と尾張の分郡守護という大身故に
幕府の中央集権化を図っていた足利義教に狙われた節があるので、
このころはよくあった大大名の勢力削減策の一環とみるのが自然

で、若狭に武田が入ったのは当時の安芸武田氏が幕府よりの立ち位置であったことに由来しそう
(幕府権力強化をはかっていた義教からすれば、京に近い位置に幕府よりの勢力を置きたかったのだろう)

安芸武田氏は安芸の分郡守護で、大内氏への抑えとして幕府が重視していた感があり、
幕府にとって重要な手駒ではあったのは確かだと思われる
80人間七七四年:2008/07/31(木) 23:32:19 ID:bb6adfe4
>>79
幕府っていうよりも細川京兆の家来みたいなもんだよね若狭の武田氏って。
細川家から元の字の偏諱を賜って代々の名乗りに使っているし、細川の京都への軍事催促には
領国の治安ほったらかしでホイホイ出兵するし。
細川の守護国若狭の若狭若狭守護代みたいな感じだな。
81人間七七四年:2008/08/02(土) 23:05:15 ID:TWfOUk4l
初歩的な質問ですみません
義道が最期に逃げ込もうとした城の城主(裏切って細川方に内応した人)は
wikipediaでは中山幸兵衛になっていますが、
昔読んだノブヤボの説明書では沼田勘解由と書かれていました
どちらが正しいのでしょうか?
82人間七七四年:2008/08/03(日) 09:36:05 ID:ABJwsjYh
>>80 基本的には武田の通字は信なんだけどね。武田は甲斐家が本家と思われているけど、
最近の本には若狭が(甲斐→安芸→若狭)嫡流という見方がありますね。甲斐に残ったのは
傍流で安芸は若狭の嫡流からの分家(元綱とか元繁あたり)らしい。
83人間七七四年:2008/08/03(日) 11:21:28 ID:yiX0c+w2
>>81
一色のその辺りの歴史は自治体の資料がウェブで読めるから探してみな
84人間七七四年:2008/08/05(火) 23:00:01 ID:Tepa1yCU
>>82
御旗 盾無の継承者が嫡流だと
武田信玄のドラマで聞きましたけど?
85人間七七四年:2008/08/06(水) 14:07:39 ID:UtyJmO3F
>>84 若狭本家にも楯無の鎧や御旗が伝わってます。実は安芸家にも。不思議です。
86人間七七四年:2008/08/20(水) 15:37:17 ID:XbaILuW2
真偽不明と言う事ですね。おっとスレ違いですか。
87人間七七四年:2008/08/28(木) 23:35:24 ID:cwSS5/5M
>>85
その若狭本家っていう家、今でも続いているの?
江戸時代に帰農したものなんかは別にして
明治の支族階級の末裔はいたの?
平成の世に現存してる
の?
88奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/08/28(木) 23:45:51 ID:qwNqZeHW
甲斐の海野系嫡流は残念ながら男系で繋がってないな。
89波多野全慶:2008/08/29(金) 06:11:49 ID:4wWGFuRJ
私は一色家の忠実なる家臣です。だから信じて下さい。
90人間七七四年:2008/08/29(金) 14:38:39 ID:Ros6r5/k
>>89
ローカルな名前を使いやがって・・・
91戸田宗光:2008/09/03(水) 14:59:43 ID:Yu8eN9JM
後は俺に任せておけ!
92人間七七四年:2008/09/11(木) 07:35:57 ID:ipjkVRS1
名門なのに家系図もハッキリしない悲哀
93人間七七四年:2008/09/15(月) 03:28:59 ID:M1nJot/K
今度報道ステーションの新しいコメンテーターになる元AERA編集長の一色清って、
どこの一色氏の末裔なんだろ?
94人間七七四年:2008/09/27(土) 15:03:52 ID:SRg6aMm4
旗本?
95人間七七四年:2008/09/28(日) 02:45:31 ID:Jtthu8Oq
名字が一色だからって、そうとは限らないだろ?
96人間七七四年:2008/10/09(木) 15:36:29 ID:Bw/zrYbk
ただ庶民も名乗りそうにもないけどな。
97人間七七四年:2008/10/17(金) 15:13:37 ID:Ijno7cao
愛媛に一色さんいるね。
98人間七七四年:2008/10/17(金) 15:48:01 ID:nTNjyVAR
愛知には一色村ってあるな
99人間七七四年:2008/10/18(土) 14:33:05 ID:s5z/JAhu
愛知の一色の出だと思うが
100人間七七四年:2008/10/18(土) 20:28:10 ID:tF/+PkhJ
>>98
村じゃねえよ、町!
田舎だけどな...
101人間七七四年:2008/10/18(土) 20:33:17 ID:fgpTngI3
>>100
すまん。今読んでる信長公記に一色村と出ていたのでついw
102人間七七四年:2008/10/18(土) 22:05:06 ID:svqbtMf5
富士山がみれる神区一色村
103人間七七四年:2008/10/19(日) 05:43:13 ID:Iu8ormxQ
丹後一色家の出だと上泉秀綱とかそうだよね。
104人間七七四年:2008/10/21(火) 03:04:02 ID:Ec9LxOGq
え?と思ってググった自分が恥ずかしい
105媛一色:2008/10/31(金) 12:26:28 ID:FuVIKpR5
愛媛県には一色姓が多く(全国に約9,000人その内愛媛に3,250人およそ36%がの人が在住しています。たとえば西条市では一色の苗字の多さ14番目、愛媛県全体では100番目位)県都、松山市にも沢山一色姓がいます。
当地の一色氏は丹後系の血筋を引く者と考えられています。
106人間七七四年:2008/11/10(月) 17:22:58 ID:7zbMPGpP
一色義定のめちゃ強いエピソードを教えてください
107媛一色:2008/11/11(火) 19:44:49 ID:GCNVmsKQ
一色義定の末裔です?。
丹後系一色一族は天正時代の丹後一色滅亡後伊予の守護大名河野氏を
頼って伊予(愛媛)に落ちてきました。(西條誌に記録あり)

予州(愛媛)一色祖 一色右馬三郎HP 
http://dayzi.com/um.html
108人間七七四年:2008/11/12(水) 13:39:58 ID:4sKM5FQu
>>87 元明が明智に加担(真実は不明ですが)したとして詰め腹を切らされて
若狭本家は滅亡したということになっています。
安芸家ならば周防に落ち伸びた末裔が呉に学校を設立して今日にいたっております。
109人間七七四年:2008/11/25(火) 15:17:18 ID:xhkOKvmU
なるほど愛媛に多いんだ。
110人間七七四年:2008/12/06(土) 14:01:27 ID:bxQ5xhVn
河野と縁があったんでしょうね、一色
111人間七七四年:2008/12/16(火) 14:42:28 ID:bY+RxMGd
伊予の一色は石川氏の食客であったとか
112媛一色:2008/12/18(木) 11:37:10 ID:qKeB/ITr
石川氏の食客であった一色氏は主に丹後系統の方々で東予地方に多く住んでいます。
又、松山、今治に多く住む一色氏の祖先は知多半島から天正の時代に河野氏の下に
やって来たようです。(一色家系図から推測しました)
113人間七七四年:2008/12/25(木) 02:24:46 ID:WrQ0WgTU
【疑問】スレ立てるまでもない質問 2【戦国時代】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1195567708/647


647 名前:人間七七四年 投稿日:2008/12/24(水) 02:59:19 ID:OO8K6xMe
「一色軍記」と「丹州三家物語」という書物はそれぞれ
誰がいつどこの勢力下で書いたものですか?
114人間七七四年:2009/01/07(水) 14:36:37 ID:WY4JvlVC
一色軍記って引っ張りだこな書物ですな。
115人間七七四年:2009/01/17(土) 15:17:17 ID:wF2SbY8r
どんな書物なんだろうね。
116人間七七四年:2009/01/27(火) 15:45:10 ID:MA6mhALq
図書館にあるんだろう。
117人間七七四年:2009/01/28(水) 15:28:03 ID:u/1d80Wa
丹後の市町村では町史なんかに載せてるな。野田川町とか岩滝町とか見たことがあるよ。
ただ、出自が明らかでないし、嘘と思われる内容も多い
118人間七七四年:2009/02/07(土) 14:57:48 ID:gFmWeNKS
よくわからない本だね
119人間七七四年:2009/02/14(土) 15:31:12 ID:z1gqqxaF
>>117
嘘って例えば?
120人間七七四年:2009/02/17(火) 02:05:10 ID:2o6fqHxa
>>119
一色義俊の妻、菊は義俊の死を知ると細川興元の元で
義俊の弔いをして自分も死のうと思って、山を越えて峰山の方へ行った。
しかし興元は城へ入れず、菊は路頭に迷いついに山中で自害した。
この場所が姫御前という地名になっている。
というのがまあおおよそ一色軍記の記述。
しかし別の資料を当たると、伊也(菊のこと)は細川方に救出され、
すぐに吉田兼見という人のとこに嫁入りしなおしてる。

他にも、松井康之が一色家臣で日置城主だったが、細川に寝返ったという。
松井康之といえば細川譜代の重臣というのが定説なんだな。
有吉立言や沼田清延にも同じようなことがいえる。

俺が知ってるだけでもこれだけ。
細部にはもっと定説と異なることがあるんだろうね。

ただ、俺は一色ファンだから
一色軍記が実際には正しくて、細川が統治のためにわざと
歴史を歪曲して伝えているという可能性も否定しない。
121人間七七四年:2009/02/17(火) 08:55:00 ID:VQp4RmDt
>>108 確か呉港高校の創立者が周防武田氏の後裔みたいだね。
武田は若狭が嫡流で間違いない。晴信(信玄)の流れは甲斐に残った庶流に過ぎない。
122人間七七四年:2009/02/26(木) 15:19:07 ID:zdJhEDfU
周防武田家は江戸期は毛利に仕えたのですか?
123人間七七四年:2009/03/03(火) 15:36:04 ID:mdOTmskW
宗慶以来毛利に仕えた
124人間七七四年:2009/03/12(木) 15:05:27 ID:ZYDFCigV
尼子も武田も毛利に仕えたんだ
125人間七七四年:2009/03/23(月) 16:36:55 ID:8is91ucc
毛利も関ヶ原の後は大変だったろうに
126人間七七四年:2009/03/31(火) 14:25:02 ID:DiElg/iF
実高では豊かだったじゃなかった。
127人間七七四年:2009/04/01(水) 09:51:48 ID:8ea+LVmw
【若狭】武田氏総合スレ上総】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1182782929/

一色スレを荒らすなよ。
128人間七七四年:2009/04/01(水) 12:29:06 ID:OXIUNMrn
ウィキペディアに喜連川の一色家の子孫がいたよ。
無期限ブロックされたけど。
129人間七七四年:2009/04/01(水) 14:35:54 ID:kzH8sGBB
( ;∀;)イイハナシダナー
130人間七七四年:2009/04/01(水) 19:41:57 ID:7ipL3WRa
いい話てw
131人間七七四年:2009/04/10(金) 15:14:57 ID:SAQiMyHx
古河公方の家臣のか
132人間七七四年:2009/04/21(火) 15:08:20 ID:Do/NlItY
そうなのか。
133人間七七四年:2009/04/21(火) 22:46:57 ID:KkiwvnYp
134人間七七四年:2009/05/02(土) 11:56:31 ID:GbHIzcLr
何じゃい?
135人間七七四年:2009/05/14(木) 16:05:44 ID:2xtTCKom
四職の中では一番目立たない。京極も高次だが目立つくらいだが。
136人間七七四年:2009/05/21(木) 16:53:41 ID:XD1e1iio
京極には道誉がいる。
137人間七七四年:2009/05/22(金) 10:42:17 ID:1M/qbpsf
京極は道誉のインパクトが強すぎた。
誰もアレを越えられない。
138人間七七四年:2009/05/30(土) 11:52:30 ID:hTyjFiRW
あんなタイプでよく消されなかったもんだ 道誉。
139人間七七四年:2009/06/09(火) 15:50:41 ID:DptuwKc6
尊氏は人を消したりはしない。
140人間七七四年:2009/06/18(木) 15:23:12 ID:BjCUwj6T
尊氏は優柔不断なイメージが出来上がってしまっている
141人間七七四年:2009/06/25(木) 15:57:44 ID:tZyHKSFC
一色に戻そうか。
142人間七七四年:2009/06/29(月) 03:47:18 ID:pZAbnaCb
細川政元暗殺のときに、一色攻めをしていた赤沢宗益はすぐ和平をして京に向かったのに、
守護代の石川直経が追撃して国境で追いつかれて、赤沢は自害した。

この時追撃がなければ赤沢が100年早く秀吉の役回りになってたかもしれないのに。おしい。
143人間七七四年:2009/06/29(月) 18:04:05 ID:IBVk41kH
どうかな
生き延びたとしても、一年後の長経の立場になるだけでは
144人間七七四年:2009/06/30(火) 03:52:00 ID:J/85GHLO
そもそも一色はなんで畠山に付いて細川と戦ってたんだ?
若狭武田が細川と近かったからか?
145人間七七四年:2009/06/30(火) 18:13:47 ID:gpTX5LE6
三河守護職を巡るどろどろした争いのためです
146人間七七四年:2009/06/30(火) 19:10:37 ID:tKRKsozT
今川義元の前の三河守護って誰?一色?細川?吉良?
147人間七七四年:2009/06/30(火) 21:39:29 ID:J/85GHLO
>>146
Wikiより

> 細川成之
>
> 宝徳元年(1449年)から文明10年(1478)まで、三河守護。以後、三河守護は不明となる。
148人間七七四年:2009/07/10(金) 14:48:39 ID:XIs3PSWR
成之は阿波細川だね。
149人間七七四年:2009/07/15(水) 21:11:52 ID:9q4qBK2c
野一色氏ってのがいるけど、縁者なのかい?
150人間七七四年:2009/07/15(水) 21:42:52 ID:/2DcVK9c
>>149
関係ない。
151人間七七四年:2009/07/25(土) 15:07:53 ID:RN1Wy7Hw
一色丹羽てのもいるんだ。
152人間七七四年:2009/08/05(水) 15:42:58 ID:oCCMar9Q
氏次ですか。
153人間七七四年:2009/08/13(木) 13:30:57 ID:vKa2b+d+
三河の一色といえばうなぎ。
154人間七七四年:2009/08/18(火) 14:01:17 ID:VoHTtNNN
関係切れるのに現代までよく地名として残ったね。
155人間七七四年:2009/08/24(月) 15:35:30 ID:sDwTSuNx
一色氏発祥之地とかあるんだ。
156人間七七四年:2009/08/28(金) 16:47:54 ID:EElRLZjb
有名なんだ
157人間七七四年:2009/09/03(木) 15:23:46 ID:GQYvXcl2
丹後に史跡あるの?
158人間七七四年:2009/09/09(水) 16:13:53 ID:WBeMf/eM
宮津って結構あるみたい。
159人間七七四年:2009/09/14(月) 15:38:53 ID:XC2Anjtq
史跡が?
160人間七七四年:2009/09/17(木) 15:38:40 ID:gXAhL25r
宮津って丹後府中なのね
161人間七七四年:2009/09/23(水) 13:44:39 ID:BLfWaOEf
そうだよ 勿論。
162人間七七四年:2009/09/23(水) 16:55:01 ID:nhSAcFsl
でも一色氏の丹後守護所は宮津じゃないね
163人間七七四年:2009/09/29(火) 15:29:08 ID:/Wfc/yzX
府中じゃないの?
164人間七七四年:2009/10/05(月) 16:19:43 ID:+EjU7bkv
宮津じゃ
165人間七七四年:2009/10/14(水) 14:37:13 ID:XjAJec5D
宮津だよ。
166人間七七四年:2009/10/17(土) 15:50:32 ID:CzuecPbf
最後に拠ったのは弓木だけどね。
167人間七七四年:2009/10/22(木) 14:58:16 ID:0gytWsYc
地元じゃ影薄いんでしょ?
168人間七七四年:2009/10/23(金) 02:02:54 ID:uXI/5g0i
長岡細川氏と婚姻関係まで結んでたのに、何で結局滅ぼされる羽目になったんだろ?
169人間七七四年:2009/10/24(土) 01:06:15 ID:bzblgcfg
幽斎ががんばってつなぎ止めていても、忠興になったとたん粛清されそうな気がする。
170人間七七四年:2009/10/24(土) 02:35:56 ID:c5LbUXY0
粛正されたのは本能寺より前だっけ? 信長の意向もあったのかも。
171人間七七四年:2009/10/24(土) 04:02:29 ID:wWo+XgVX
本能寺より後。山崎の合戦で光秀に加担したのが祟ったとかいうけれども
どれぐらい本当なのかね?
172人間七七四年:2009/10/25(日) 19:15:27 ID:oICP9TT8
一式に限らず室町期の畿内勢力って言うのは、殆どが応仁の乱後の戦争で弱体化した挙句、
最後の畿内政権というべき豊臣政権に吸収されて、さらにその豊臣政権が
関ヶ原〜大阪の陣で壊滅したから、伝承の主体が本当に無くなって、
実態がさっぱりわからないんだよなあ。
173人間七七四年:2009/10/25(日) 21:17:07 ID:x9nfmvW+
>>172
メジャー所の京兆細川家ですら江戸時代はどうなったか分からない有様だからね。
一色には軍記物レベルの家譜とか残ってないんですかね?
174人間七七四年:2009/11/04(水) 15:55:14 ID:UcwDFKo6
三春のご家老じゃなかった?
175人間七七四年:2009/11/10(火) 15:08:19 ID:OEbZT7FW
確かそう。
176人間七七四年:2009/11/18(水) 15:30:44 ID:XourJ+yz
旗本としては残ったんだ一色
177人間七七四年:2009/11/25(水) 16:06:32 ID:cHMk97PG
武衛家くらいか完全に姿消したの
178人間七七四年:2009/11/26(木) 21:43:39 ID:KecAiNnJ
>>177
一応旗本牧氏・尾張藩士牧氏が斯波氏の裔と伝わる。
斯波義統の弟の系統。
信長政権に斯波氏は斯波義銀・津川義冬・蜂屋賢入と3人も存命だったのに、
そいつらの子孫が??状態なのもなんだかなー。
179人間七七四年:2009/11/27(金) 01:00:07 ID:O8QAhxpG
>>178
あとは加賀藩の重臣・津田家が武衛家の末裔を称している。
斯波義近(津川義近=義銀か)の子孫で、維新後に斯波氏を名乗り、男爵におさまっている
180人間七七四年:2009/11/27(金) 07:29:26 ID:o+lsCwDn
家康は保護しなかったのかい?
181人間七七四年:2009/12/31(木) 13:53:45 ID:DfSUZFK1
武衛は尾張にいたのも関係するかな。
182人間七七四年:2010/01/24(日) 19:43:39 ID:G9VcJMj+
斯波家の正統は義銀で断絶して織田が継いだってことになってる
越後守護の上杉断絶と一緒で、将軍公認の下剋上
183人間七七四年:2010/03/14(日) 07:48:52 ID:/QvYbBnV
一色のが残っただけましか
184人間七七四年:2010/04/24(土) 15:46:39 ID:GUqyDX1W
>>182
継いだってことは斯波信長?
信長は織田のままじゃない?
185人間七七四年:2010/04/26(月) 07:27:39 ID:nwf/5Ogf
管領ないし副将軍を勧められてもおかしくない家格にのし上がったのも故なきことではないな
186人間七七四年:2010/04/27(火) 00:43:33 ID:HEndsF/I
>>185
同感。斯波信長なら管領になれる。
管領代じゃなく。
斯波信長なら誰も文句は付けられないねえ。
そうなると斯波氏が足利義昭を追放し、足利将軍家嫡子を出家させてしまったことになるね?。
副将軍て、位低いんでしょ?。
近衛大将になった時点で義昭中将を抜いてるねえ史実は。
近衛大将って征夷大将軍より偉いんでしょ?。
兵衛督にならなかった斯波の当主か。そんなことあるのかねえ。継いでないんじゃないの斯波。
187人間七七四年:2010/04/28(水) 17:08:04 ID:cANplfnC
>>186

> 近衛大将って征夷大将軍より偉いんでしょ?。

形式というか書類上ではね。
188人間七七四年:2010/04/29(木) 00:06:53 ID:QKGJxJfV
>>186
斉藤義龍も一色氏(一色義龍)を称しています。
三管領四職は、やはり偉いんですね。
189人間七七四年:2010/04/29(木) 16:32:57 ID:Pyb+N5LN
土岐でなく一色を名乗った理由は?
190人間七七四年:2010/05/03(月) 15:15:35 ID:vNICSxH7
>>189
親父かそうじゃないかよくわからんマムシ爺がぞんざいに扱ってた家の後裔は名乗れんだろう
191人間七七四年:2010/05/26(水) 12:41:17 ID:RfsLSF2W
>>189
母方の血筋だっけ?
192人間七七四年:2010/05/26(水) 17:58:33 ID:pNW17ovk
>土岐家は同格の丹後一色家から正室をむかえてた・・んだっけ。
193人間七七四年:2010/07/26(月) 02:55:24 ID:yJ0NVs2d
野望には一色義幸、一色義道、一色義定の一族と、砲術の大家稲富祐秀(鉄砲スキルS)、稲富祐直しか出てこないということは、
家臣団の調査が進んでいないことの証左でござる。
194奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/07/26(月) 22:10:58 ID:t7HhmRrY
>>191
座所の地名。
195人間七七四年:2010/07/27(火) 00:02:12 ID:YaBZeoSo
>>189
ちょっと前の「戦国史研究」に一色氏のほうが土岐氏よりも格上だったため、
義龍が一色氏を称したという説が出てたな。
また、義龍は自身が一色氏を名乗るだけでなく、安藤、氏家、日根野、竹腰と
いった家臣たちにも一色氏の重臣の姓を名乗らせているんだよね
196人間七七四年:2010/09/28(火) 15:03:46 ID:PAEnbIBJ
ほしゅ
197人間七七四年:2010/09/29(水) 18:57:34 ID:m5nUo2U3
戦国メイド喫茶もののぷ

一色こと
http://mononopu.com/prof/koto/index.html


なぜ一色…
198人間七七四年:2010/09/30(木) 10:19:38 ID:JFPS0JoS
>>193
名前だけなら他にもいくらか知ってるけど
ほとんど弓木城で最後に討ち死にしたってくらいの事績しかわからないからなあ・・・
誰か詳しい人いるのかな、一色家臣団
199人間七七四年:2010/11/15(月) 13:43:32 ID:X7I1KRyP
200人間七七四年:2010/11/16(火) 16:58:28 ID:T+qm7vQ0
幕末の外国奉行
一色山城守直温
イッシキヤマシロノカミジキヌル
201人間七七四年:2010/11/16(火) 18:45:09 ID:qBsJbR9Y
>>197
黒田さん動画と画像が別人だな

つーか、どの動画も見てると寒気が・・・
202人間七七四年:2010/11/18(木) 17:17:58 ID:/OypQzbU
>>200
なんか不自然な読み方だな。
検索すると実在はしてるようだが。
203人間七七四年:2010/12/01(水) 14:21:23 ID:n/ajVO2u
義道は「式部大補、左京大夫」だったみたいだけど、義幸や義定とか分からないや。
204人間七七四年:2011/02/06(日) 08:50:32 ID:lpYZGzpe
一色
205人間七七四年:2011/02/22(火) 14:49:40.82 ID:vi4QiCM9
sengoku38
206人間七七四年:2011/02/22(火) 15:35:32.04 ID:8B+bwzHU
一色直為も一色氏当主に含まれるのか
207人間七七四年:2011/03/02(水) 14:55:13.97 ID:a3gS/5Fr
有吉将監や沼田勘解由は長岡細川氏の家来で、
丹後に住んでいた国人とかじゃなかったのん?
208人間七七四年:2011/05/03(火) 20:35:26.76 ID:C4ZLHkRy
保守
209人間七七四年:2011/10/02(日) 00:34:51.54 ID:eNzcm9WG
保全
210外国奉行・一色山城守直温:2011/11/02(水) 22:46:46.64 ID:zQVzwRyl
開明派あげ
211人間七七四年:2011/11/03(木) 18:25:22.51 ID:6iZO42i+
一色(杉浦)直為とは一体何者だ?
212人間七七四年:2011/11/08(火) 22:19:45.31 ID:5HpzOV61
三重県の津市にも一色って地名がある。
守護だったときの名残かね
213人間七七四年:2011/11/12(土) 21:24:52.37 ID:MqtbNFZl
>>206
含めない
あくまで後見人
当主はその息子
214人間七七四年:2011/11/14(月) 20:00:42.06 ID:yTgKSqdf
大目付一色由良之助あげ
215人間七七四年:2011/11/18(金) 09:32:27.99 ID:UROhknoZ
>>211
これじゃね?

杉浦家
鎌倉幕府創建の功労者和田義盛が、北条氏と戦って敗死したあと、
その子杉浦義国が近江に閑居した。
その後裔と称する杉浦氏で、政重を祖とし、のちに三河に移って、
松平信忠に仕える。
その子政次以降、多くの旗本家を出している。
216人間七七四年:2011/11/25(金) 17:23:25.88 ID:gc4RCA+N
なるほど
217人間七七四年:2011/12/07(水) 23:46:50.28 ID:FTEQznEQ
一色義春の逸話って無いのか?
218人間七七四年:2011/12/10(土) 17:08:41.28 ID:MHVuvWRD




ワイは日本人やが聞いた情報によると、もうじき中国はバブルがはじけて昔の貧乏な中国に戻るらしいで
みんなも知っての通りもう経済は破綻してて、取り戻すのは無理なんだそうや


その世界ではごっつい有名な政府関係者筋から聞いた確かな情報やで

まあお前らほどの頭の良い連中には、今さらなくらいのネタやな、
お前らからすればもう常識的なくらいの知識やろ!!





219人間七七四年:2011/12/11(日) 16:32:55.12 ID:Rs/aSpnO
>>217

地味な人だったのではないか?
220人間七七四年:2011/12/13(火) 19:10:15.82 ID:NUWOSBUy
>>219

19歳で死んでるからなあ
地味っちゃ地味な人だったと思う
221人間七七四年:2012/06/03(日) 01:24:57.04 ID:NfwUvPiq
長生きするのも仕事みたいなもんだよな
222人間七七四年:2012/06/25(月) 13:32:16.67 ID:p57ORGE5
武士は家を残してなんぼの世界
家を断絶に追い込みかねない早世なんてもってのほか
223人間七七四年:2013/01/21(月) 14:54:03.69 ID:W2G1eHJT
>>107
この予州一色氏というのはどうなんだろ?
いくら本流が滅んだとはいえ
ほとんどが使う「義」から「重」に通字がいきなり変化
仮冒の王道パターンなんだけど
224人間七七四年:2013/01/22(火) 02:32:01.04 ID:2Ukwm3yC
尊氏側近の一色右馬之助って実在したの?
225人間七七四年:2013/01/23(水) 20:36:33.84 ID:cMQw8763
伊予からの移住って
稲葉や村上なんかもそうだっけ。

仮冒ありそうだな。
226人間七七四年:2013/02/09(土) 10:56:00.08 ID:PaK6J7+0
227人間七七四年:2013/02/09(土) 11:04:59.89 ID:PaK6J7+0
228人間七七四年:2013/03/13(水) 10:20:42.40 ID:ZrUeD+/r
>>166
一色氏の丹後守護所は丹後最大の大河由良川そばの加佐郡(舞鶴)の八田じゃないの?
戦国末の没落してからは奥丹後の方に移動していったらしいけど
229人間七七四年:2013/04/01(月) 23:45:51.81 ID:X4RLg8WG
永正年間に加佐郡のある一定地域までを若狭武田に抑えられてしまったので移さざるをえなかったんだろうね
朝倉氏の後援が武田方にあったとはいえ竹野郡辺りの奥深い地域まで攻め込まれたりとかなり劣勢だなあ
230人間七七四年:2013/04/03(水) 18:04:32.10 ID:6EE4Rscg
若狭武田は軍事的にはしょぼいイメージがあるが、そうでもなかったのだろうか?
231人間七七四年:2013/04/04(木) 07:28:00.28 ID:brgXcpnq
>>230
時代による
232人間七七四年:2013/04/05(金) 23:12:23.49 ID:8zCFSY82
若狭武田家は河内まで派兵した事も数度あるし
装備の豪華絢爛さを褒め称えられた記述なんかも残るので
軍事的には弱小ではないと思う(弱兵ではありそうだけどw)

郷土史なんかをみると若狭勢に丹後勢は圧倒されてた感が強い
233人間七七四年:2013/05/11(土) 10:28:49.56 ID:RldaYHpC
>>223
仮冒だなw
234人間七七四年:2013/07/20(土) NY:AN:NY.AN ID:fJUK1EAy
そろそろ保守
235人間七七四年:2013/07/25(木) NY:AN:NY.AN ID:ODaGSqHZ
一色氏なんて鎌倉時代は足利一門では末流あつかいで
吉良貞義が一色交深をひろって一門にいれてやったおかげで
室町時代の四職家へと発展できたわけだろ
236大目付一色由良之助:2013/10/12(土) 10:49:10.34 ID:JuApqK5K
大目付一色由良之助
237人間七七四年:2013/10/12(土) 12:30:50.72 ID:TWRlSrMo
幕臣の一色は丹後の一色を見て何を思ったのか?
238人間七七四年:2014/06/18(水) 19:40:11.68 ID:IB6y9uDT
あけましておめでとう
239人間七七四年:2014/09/13(土) 21:49:44.24 ID:Ui0MQUqI
俺は幸手一色氏を推す
240人間七七四年:2014/10/24(金) 20:47:33.24 ID:K+0G/+nF
丹後一色氏傍流
式部家初代の政煕(政照)って上杉氏からの養子なんだってね
一色持範の子孫の嫡流は一色右馬頭家というのが最近の大学の研究の成果らしい
241人間七七四年:2014/10/26(日) 11:28:22.39 ID:D4SjAAvk
美濃の斎藤義龍が足利将軍の許可を得て一色氏を名乗る
242人間七七四年:2014/10/26(日) 22:06:46.59 ID:OidLBlb+
一色は尊氏の兄貴分の一色右馬之助がいるじゃないか
243人間七七四年:2014/11/03(月) 23:39:21.93 ID:5EGf5uSM
>>240
金地院崇伝の先祖の一色政煕が上杉からの養子なんてのは常識。
知らなかったほうが不思議。
持範の子孫というよりも、一色氏の嫡流が右馬頭家だと考えられている。
嫡流が最大勢力というわけではないのは、その他の氏族にもいえるだろ。
この家は外様衆(奉公衆)としては、まあまあ高い地位の家柄。
244人間七七四年:2014/11/04(火) 17:50:33.64 ID:hNI2jmgT
>>242
美濃守護代の斎藤では室町幕府の中で出世できないから三管領四職の一つ一色
を継承したんだろうね

一色は尾張知多郡守護、伊勢守護になる資格があるから侵攻上正当性も出てく
るから非常に有利だったんだろうね

この時代、丹後は一色の庶流が勢力を持っていたから母方とはいえ一色嫡流の
血筋である義龍は正統な一色氏継承者だったともいえる
245人間七七四年:2014/11/04(火) 20:54:11.61 ID:Oe8JDfUC
義龍の母親って土岐頼芸の妾だった深芳野だっけ?

一色家の出自なのか?
246人間七七四年:2014/12/18(木) 09:56:46.85 ID:NWzbbMSZ
>>245
そうだよ。
>>244の言うように正当性をえるためだろうね。
室町幕府内の席次も美濃守護代斎藤氏と四職侍所長官の一色氏では全く違うし。
247人間七七四年:2014/12/18(木) 21:26:51.73 ID:e/4OTqSW
美濃の国主土岐氏は一色の血になってたしその辺も意識してんじゃ
248人間七七四年:2014/12/22(月) 20:37:09.25 ID:VZ6fcTHT
>>247
それもそうだろうね。
足利幕府内での席次は織田信長より義龍のほうが遙かに上位。

足利義昭を擁立しての上洛までは信長は尾張守護代の域を脱していない。
朝倉クラスの守護モドキだった。隣国を支配下においていても。
家格的には。
249人間七七四年:2014/12/23(火) 19:11:53.74 ID:FMwRrZ37
>>248
そうね
義龍の方が御相伴衆なんだから上位ね

朝倉と織田は共に越前尾張守護管領斯波氏の家臣だったから
織田信長は朝倉的な領主をめざしていたのかも
当初は
250人間七七四年:2014/12/27(土) 13:50:33.99 ID:BpM1rt/3
>>248
そりゃ信長は本来守護代ですらなく、守護代の家来筋の家柄だからな・・・
251人間七七四年
>>248
越前尾張遠江守護だった斯波家内の家格の順は
甲斐氏(将軍直臣守護代)→朝倉氏(最有力家臣)→織田氏(土豪&神官)だったらしいね

織田の木瓜の家紋は、朝倉からの下賜らしい
斯波の下での同僚というよりは織田は朝倉の家臣ぽいあつかい