戦国時代から学んだこと。

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1人間七七四年
2chであおる為に勉強したのかよ。
2人間七七四年:2007/06/03(日) 03:57:04 ID:uhzkNfK+
戦国時代板 自治スレッド4
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1180537102/117
3人間七七四年:2007/06/03(日) 07:32:38 ID:bKi+C1JO
■ユダヤ人もお手上げの仙台人

世界で最も賢明なユダヤ人も、仙台人にはお手上げだという。
ディアスポラ(離散して海外に住むユダヤ人)として全世界に住むユダヤ人でさえ定着できないほど、
仙台は閉鎖的で、市民は冷酷であるようだ。
日本人は、仙台から来た移民たちを「寡黙で勤勉な努力型人間」として評価している。
しかし、私の考えは少し違う。
日本に移住して30余年、仙台人移民の暗く、重い事件を見てきた。
他の人とは異なる関心を持って仙台人と哀歓を共にしてきたと自負している。
仙台人の問題点について、幾つかを挙げてみる。
第1に、頑固で負けを認めたがらないということがある。
頑固さは、人によっては最後までやり通す勤勉性や強い成功欲として表れることもある。
問題は、頑固さを自身に向けるなら成功することもあるが、他人に向けると大きな摩擦と対立、
紛争などが発生する。
日本に移民した仙台人が高収入を得られる仕事として、「派遣労働者」がある。
荷物の運搬や自動車の組み立て、刺身に菊を乗せる仕事だ。
月給制ではなく時給制として対価を得るため、日本人が1週間かけてすることを、
仙台人は3日で終わらせる。そのためには、1日15〜18時間(夜間も含めて)働かなくてはならない。
高収入だが、彼らの寿命は平均よりかなり短い。
第2に仙台人は「虚礼虚式」が非常に多いということだ。来日した米国人はこれを「Superficial」という。
表面的で中身がないという意味だ。
仙台人は世界的なブランド品をすべて持っていると言われるし、事実それを手にすることを好んでいる。
仙台にはまた、「ニセ博士」が多いと聞く。仙台人にとって、「彼は何をしているのか」というのが一番重要だ。
教授なのか、国会議員なのか、社長か、会長かと聞く。
ひどいケースになると、奥さんは誰かと尋ねる。これが人を評価するときのバロメーターになる。
我々米国人にとって重要なのは「彼がどのように生きているか」だ。
リンカーン大統領が最高に偉大な人間として尊敬されるのは、偉大な生き方をしたからだ。
在日仙台人の特徴は第3に、性急な人が多いということだ。半田屋(仙台のローカルフードレストラン)が儲かると聞けば、
全員が半田屋になり、回転寿司が高く売れると聞くと、全員が回転寿司に関心を持つ。
しばらくすると、みなダメになってしまう。
第4に、正直になれないということだ。人間として決定的な大問題だ。
日本に来た父母と子供の間の葛藤は、まさにこのせいで起きた問題だ。
とても小さな、些細なことから葛藤は始まる。
”サラ金”という高利貸しから電話がかかってきて、父親に取り次ごうとしたら
「お父さんはいないといいなさい」と子供はよくいわれる。
子供たちは、この一言で悩み、悲しむ。
高邁な人格を備えているべき聖職者ですらこのようなことは多い。
標準語ができない仙台人が裁判を受けると聞き、私は過去30年間幾度となく助けてきた。
しかし、自分を助けてくれる弁護士にすら、うそをつき、自分の正当性を主張する者もいる。
そういう人たちの99%は負ける。相手の弁護士と対峙すれば当然矛盾点が出るからである。
最後に、言葉が多いということだ。
移民生活でたまったストレスを、同じ仙台人が集まって騒ぐことで解消するというなら望ましいが、
他人をけなすことに熱中し、根も葉もないうわさだけをばらまく「ネガティブ・トーク」が多いのも事実だ。
仙台人が直さなければいけない点が100あるとすれば、いい点は101あると確信している。
いいことは奨励し、一歩一歩発展させなければならないが、直すべき点はすぐに直さないと、
仙台人が世界でまっすぐに立つことはできない。
4人間七七四年:2007/06/03(日) 11:24:06 ID:OCPOG67f
( ´゚ω゚` )
5人間七七四年:2007/06/05(火) 09:10:46 ID:u+Iw10Zn
長い
6名無的発言者:2007/06/12(火) 11:28:17 ID:Gw9Zbwsg

戦国時代から学んだこと・・・宗教と戦争が絡むとろくなことがない

1532年8月23日・近江の六角勢が京都の日蓮教徒と合力し、山科本願寺を攻
撃、本願寺側も応戦したが、放火され本願寺坊舎・寺内外の家屋一宇も残さず焼失した。

1536年・比叡山僧兵と六角近江衆を中心とする軍勢が洛中に乱入し、京都法華
宗21本山を焼き討ち、兵火の被害は応仁の乱をはるかに上回った。

この宗教戦争と戦国大名同士のいくさとの最大の違いは戦国大名の戦いは領土拡張
が目的なので民間人への略奪暴行は出来るだけ避け(それでも被害はがあったが)

戦闘員でも降伏すれば敵の大将以外はほとんど命が助かり、上級武士以外は土地
財産の没収もほとんどなかった。・・・それに対して宗教戦争は敵を殺すことが

最大の目的であり戦闘員・民間人の区別なく女子供も含めた全員の根切り(皆殺し)
を基本とした。家屋財産も同じであり全て焼き払い、もったいないから没収して使おうとさえしなかった。
7名無的発言者:2007/06/12(火) 11:29:41 ID:Gw9Zbwsg

戦国時代から学んだこと・・・宗教と戦争が絡むとろくなことがない

1532年8月23日・近江の六角勢が京都の日蓮教徒と合力し、山科本願寺を攻
撃、本願寺側も応戦したが、放火され本願寺坊舎・寺内外の家屋一宇も残さず焼失した。

1536年・比叡山僧兵と六角近江衆を中心とする軍勢が洛中に乱入し、京都法華
宗21本山を焼き討ち、兵火の被害は応仁の乱をはるかに上回った。

この宗教戦争と戦国大名同士のいくさとの最大の違いは戦国大名の戦いは領土拡張
が目的なので民間人への略奪暴行は出来るだけ避け(それでも被害はがあったが)

戦闘員でも降伏すれば敵の大将以外はほとんど命が助かり、上級武士以外は土地
財産の没収もほとんどなかった。・・・それに対して宗教戦争は敵を殺すことが

最大の目的であり戦闘員・民間人の区別なく女子供も含めた全員の根切り(皆殺し)
を基本とした。家屋財産も同じであり全て焼き払い、もったいないから没収して使

おうとさえしなかった。・・・ネタ元・井沢元彦・逆説の日本史10戦国覇王編
8人間七七四年:2007/06/12(火) 18:07:03 ID:VuBl93Eo
工房的に旧国名、官職、文化は古典の予備知識としてそこそこ役に立った。
9宇喜多直家信者:2007/06/12(火) 18:49:26 ID:ZAisVUtu
強いものが勝つとは限らん
10人間七七四年:2007/06/12(火) 18:59:40 ID:xZ5LklPl
勝った者が強いのだ
11人間七七四年:2007/06/23(土) 20:07:13 ID:6GfmViXT
みな極悪人じゃ

時代が変われば英雄。

平和の世の想像のじゃれごとよのう

人は本来、醜いもの
12人間七七四年:2007/07/07(土) 23:30:04 ID:MzOPX/Sn
( ^ิ౪^ิ)
13人間七七四年:2007/07/15(日) 13:46:18 ID:fFR4+AfG
怪しい点を纏める。

・北条氏康が倒れたのは脳卒中、当時の技術で3年も生きられるか?
・北条氏康は三増峠で戦っているが、脳卒中で倒れて病状進行中の人間がどうやって戦うのか?
・氏康はその後表舞台には出てきていない。
・もし上が事実なら戦えるはずなのに氏政が武田と戦っている。氏康ではない。
・なぜか武田と講和、城も明け渡しているし上洛時は援軍も出している。氏政は武田贔屓だった。
・氏康が暗殺されたなら、薩多峠後の消極性もぴったり来る。
・武田勝頼との争いでも武田贔屓を氏政が行っている。
・氏政は氏康に離婚させられており怒っていた。
・氏政の嫁は武田出身である。なぜ離婚なのか?人質として取ってあるなら利用できるはずである。
・武田信玄との争いは駿河を切り取られたといえど、まだまだ有利な状況である。何故だか圧力すらかけない。
・氏政は武田信玄が死んだをうそだと思っていた
・越相同盟では氏康時代は上杉はいろいろやっているのに氏政時代はボイコット
・氏康と信玄の戦いには俗説が多い。死んだのではないか。
14人間七七四年
秀忠の関ヶ原遅参



時間を守る大切さ