1 :
人間七七四年:
阿蘇神社の宮司から戦国大名に上り詰め、所領を失いながらも幕末まで生き残った阿蘇氏について語りましょう。
また、阿蘇氏といえば名将・甲斐宗運の主家としても有名ですね。
存分に阿蘇を語りましょう。
2 :
人間七七四年:2007/05/25(金) 21:38:31 ID:g+djBuxm
2ゲト
3 :
人間七七四年:2007/05/25(金) 21:39:26 ID:g+djBuxm
3
阿蘇スレって他にもあるだろ。
とりあえず甲斐宗運子供殺しすぎ
4 :
人間七七四年:2007/05/25(金) 21:41:26 ID:g+djBuxm
4
戦国期には島津の進行に良く耐えた印象がある。
甲斐宗運の子親英しかり、
あと降伏したふりをして兵を城に入れてから襲ったのって誰だっけ?
5 :
人間七七四年:2007/05/25(金) 21:42:19 ID:vaWB4VjA
秀吉の九州攻めのとき当主が幼い惟光じゃなければ
もう少し大きな勢力でいられたかも?<阿蘇氏
……同じ幼君を抱いていた相良氏がうまく生き残ったのを見ると
家臣の立ち回りが劣っていたというのが事実?
6 :
人間七七四年:2007/05/26(土) 02:03:31 ID:JcqzbuWj
甲斐宗運は阿蘇氏に忠実すぎるあまり、息子を三人も殺した。
これが島津に阿蘇氏討伐を決意させる原因になったとも言われる。
7 :
人間七七四年:2007/05/26(土) 17:22:28 ID:oDGFpanT
>>3 それが無かった。正直驚いた。
しかし最後に毒殺されるとはね…宗運。
8 :
人間七七四年:2007/05/27(日) 20:27:26 ID:seTIc0qw
ないか?
日本史板にあったような気がしたが
9 :
人間七七四年:2007/05/27(日) 21:17:16 ID:z0LOv2S4
探してみたがない…
もしかして「阿蘇」はタイトルに入ってないのか?
10 :
人間七七四年:2007/05/27(日) 21:46:30 ID:N7926Zja
豊臣秀吉の九州出兵時に、阿蘇氏と相良氏で行動に差が出た理由
1.相良氏は島津氏に降伏していたため、一族がそのまま島津の軍団の一つとして機能していた。
そのため豊臣への寝返りも、一致した行動として行うことができた。
2.阿蘇氏は断続的に、結局全ての当主が島津に対して兵を挙げた。
そのため島津の肥後平定時には、阿蘇氏は配下の国人が各々自立した状態にあり、
統一した行動が取れなかった。
3.国衆反乱のとき、阿蘇氏当主は佐々の隈本城に匿われていた。
安全を選んだのかもしれないが、それは神職らしい行動ではあっても領主の行動ではない。
11 :
9:2007/05/27(日) 22:27:48 ID:seTIc0qw
ないんなら俺はいいが…
甲斐宗運に助けられた家。親英も良くやったとは思うが…
神職なのに武家化したら駄目だな。
12 :
人間七七四年:2007/05/28(月) 18:21:10 ID:uIBcxBjV
確かに。諏訪も紀も駄目だし。
何故だろう?
13 :
人間七七四年:2007/05/28(月) 18:34:36 ID:mSH5UnZI
いざとなると神様だのみだから
14 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 00:49:39 ID:6sG65ZX4
阿蘇家の家臣団はどういった、メンツだったんだろうか?
15 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 09:28:55 ID:eE+NTm0L
16 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 13:00:27 ID:52iXof2w
17 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 14:57:58 ID:AfwNJzNT
>>4 自己解決した、阿南惟秀だった
>>16 駄原城の朝倉一玄は大友家臣じゃなかったか
18 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 15:05:02 ID:52iXof2w
阿南も大友家臣だが
19 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 15:08:46 ID:AfwNJzNT
>>18 すまぬ、どうも九州の武将って地理関係が分かりにくいんだよなあ
智将長野惟久
20 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 18:23:35 ID:6sG65ZX4
甲斐親宣・甲斐宗運・甲斐親秀・甲斐重信・甲斐重当・隈庄親昌(甲斐)
木山惟久・高森惟直・中村惟冬・光永惟宗・光永惟純・村山惟貞・村山惟広・村山家久・村山惟忠・村山丹後守
北里永義・北里政義・辺春盛道・市下大和守・田代乗珍・田上丹後守・渡辺吉久・柏大輔・仁田水左衛門大夫・伊豆野山城守
21 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 18:46:58 ID:AfwNJzNT
>>20 これ見て思い出したが、降伏するふりをして島津勢を城に誘き入れ
だまし討ちにしたのは高森惟直であった、
22 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 00:31:41 ID:4tNUWd0b
23 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 03:15:28 ID:SCS2aa+g
毒殺天使
24 :
宇喜多直家信者:2007/06/10(日) 03:18:55 ID:nmPnQpqi
阿蘇氏は結構抵抗してる印象があるがな
25 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 04:08:57 ID:Ur29f3GV
甲斐まり恵の美しさのおかげ
26 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 07:48:39 ID:DOzeDaqr
27 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 09:48:04 ID:4tNUWd0b
>>26 戦上手の島津の兄弟が、なかなか、阿蘇領内に踏み込む事が出来なかったくらいだもんな。
28 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 10:23:58 ID:DOzeDaqr
だって、和平→条件無視で時間稼ぎなんか思いつかないだろ、普通。
はっきり言って九州随一の知将じゃないか?
29 :
宇喜多直家信者:2007/06/10(日) 14:53:27 ID:nmPnQpqi
甲斐宗運は島津に侵攻された時にはすでに死んでるぞ、
この時は宗運の子親英が抵抗した
30 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 15:28:09 ID:4tNUWd0b
死んだから、侵攻が開始された。
31 :
人間七七四年:2007/06/13(水) 00:59:32 ID:PdT93TUn
オレは、親秀もいたが親英もいたんじゃないかと睨んでいる。。
32 :
宇喜多直家信者:2007/06/13(水) 01:03:35 ID:rzzMP7mv
阿蘇惟豊は入田親実を裏切った。
33 :
人間七七四年:2007/06/13(水) 02:45:25 ID:HQI1olSg
【従二位】阿蘇大宮司氏【男色】
34 :
人間七七四年:2007/06/13(水) 16:43:37 ID:MhQkY4qw
スレ立てした者だが、タイトルの意味分かる?阿蘇大宮司だけだと締まりが無い様な気がして文字を追加したんだが…
35 :
宇喜多直家信者:2007/06/13(水) 17:54:04 ID:yliJtMH5
>>34 スレ立て者なら質問に答えてくれ、
なぜ阿蘇惟豊は入田親実を斬ったのか?
36 :
人間七七四年:2007/06/13(水) 18:10:11 ID:MhQkY4qw
>>35 大友義鎮の二階崩れの変の収拾が思ったより早かったから。
37 :
人間七七四年:2007/06/13(水) 18:15:39 ID:MhQkY4qw
追加すると、
阿蘇の勢力拡大の野望…「入田と結んで影響力を増そう」→入田の敗北→「ここは大友に恩を売ったほうが得かな」→入田の殺害
38 :
宇喜多直家信者:2007/06/13(水) 18:18:27 ID:yliJtMH5
>>36 >>37 なるほど良く分かりました。あと阿蘇氏歴代当主で1番優秀なのは
誰だと思いますか?
39 :
人間七七四年:2007/06/14(木) 16:17:44 ID:1TBMNczb
>>38 IDは変わってしまったがお答えしましょう。まあ私は戦国時代以外の阿蘇氏についてはあまり詳しくないので、戦国時代の当主に限らせていただきますが。
家督争いを収拾し、きっぱりと入田親実を斬って朝廷とも関係を持った阿蘇惟豊。また、彼は有能な甲斐父子をきちんと使いこなせたことでもポイント高いですね。個人的には。
40 :
人間七七四年:2007/06/17(日) 23:49:17 ID:oUEdOL7q
惟豊が大宮司に復帰出来たのは、甲斐親宣・親直の親子の力だけではなく
甲斐敦昌・親昌の力も同等に大きかったものと思われます。
41 :
天正9年頃:2007/06/18(月) 20:16:00 ID:zJBagnP0
阿蘇氏5000町・相良氏5000町・赤星氏3500町・城氏3000町・隈部氏1900町
甲斐氏1000町・小代氏1000町・名和氏1000町・内空閑氏1000町・大津山氏307町・和仁氏120町
42 :
人間七七四年:2007/06/19(火) 00:19:44 ID:YG1oPOT5
>>40 よくそんなマイナーなの知ってるな
でも一応分家筋だし…
43 :
人間七七四年:2007/06/20(水) 14:00:20 ID:JFfdSrKp
親宣は重綱の三男らしいので、分家筋と言うか・・・
どっちもどっち。。
44 :
人間七七四年:2007/06/20(水) 14:57:24 ID:0/t2cZiE
ファミコン「不如帰」で、「あそこれまさ」を知ったよ。
45 :
人間七七四年:2007/06/23(土) 00:03:04 ID:/w8Ur07Y
ここに阿蘇家ゆかりの子孫の方々はいますか?
46 :
人間七七四年:2007/06/25(月) 22:42:06 ID:gmICQ0QQ
では重臣の方々の子孫は・・・
47 :
人間七七四年:2007/06/26(火) 22:23:13 ID:kGMBkxzc
阿蘇は今も残ってるし、下手なことは言えないか…
48 :
人間七七四年:2007/06/26(火) 22:57:38 ID:6GbU3ofh
>>47 ワクテカニラ(0・∀・)
・・・まあ、宗氏みたいに家宝を切り売りしてご先祖を嘆かせるようなことをして豪遊、
じゃないことを祈っておこう。
49 :
人間七七四年:2007/06/27(水) 00:52:03 ID:g2gElhbN
>>47 今も阿蘇の宮司やってるみたいだけど。たしか九十何代目だかの方が
ご当主なはず
>>48 宗って、まさか武志さん?
50 :
人間七七四年:2007/06/27(水) 10:32:51 ID:BtD9Cg9N
51 :
人間七七四年:2007/06/27(水) 18:52:49 ID:fYWg89zk
52 :
人間七七四年:2007/06/29(金) 22:12:03 ID:+tE/QvIP
>>45 46
南郷七家・・・高森 村山 市下 竹崎 二子石 長野 白石
53 :
人間七七四年:2007/06/29(金) 22:25:11 ID:+tE/QvIP
南郷七家はいずれも阿蘇家の一族らしいが、詳しい出自は不明。
54 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 00:00:47 ID:Gqk2LOFd
俺小学生の時、阿蘇宮司の娘さんと同級生だった。昔、阿蘇神社の境内の中にクリスマスツリーが飾ってあったような記憶が・
55 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 00:04:26 ID:Gqk2LOFd
高森朝雄(梶原一騎)って阿蘇南郷谷出身だよね。阿蘇家の血筋かな?
56 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 00:12:45 ID:iU++y6qu
だから甲斐まり恵
57 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 03:10:35 ID:CKmswyJb
>>52 南郷七家は薩軍の北上後、どうなったんですか?
高森家は島津の新納忠元と三田井の甲斐宗摂に攻められ滅びたようですが・・・
58 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 03:20:55 ID:CKmswyJb
>>54 やっぱし宮司の娘さんは阿蘇さんなんですか?
【阿蘇大宮司略系】(戦国〜昭和)
惟豊┬惟将┌惟光┌友貞┬友隆┬善麿
└惟種┴惟善┴惟真├友歳┗友名━真楫━惟典┬惟馨─惟賞┐
└友名 └惟功 │
┌────────────────────────────┘
└惟治┬惟敦┬惟孝┬惟紀─惟友┬惟之
└惟興└惟教└真佐夫 └治孝
60 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 13:14:22 ID:r7ZqXFyb
>>58 今も阿蘇の系図は続いているしね。
>>59 どうも、だけどソースは何…?ちょっと怖いんですけど
>>59のソース:阿蘇家譜(爵位局本・阿蘇惟教呈本→熊本県神社誌)
62 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 22:02:48 ID:z81AbTJM
>>58 苗字は阿蘇だった。自宅が大きなお屋敷でした。
63 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 00:57:12 ID:+B3qugs8
>>62 へぇ〜 そうなんですかぁ。
お屋敷という響きが何だか凄そうですね。庭も広そうだ。。
64 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 01:10:19 ID:AJGS2DJb
>>62 神社内ではなく?
それにしても意外と好調で助かった、立てたときはすぐdat落ちするかとヒヤヒヤしてたが…
65 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 07:10:35 ID:ThdL/sQk
敷地内には社務所ぐらいしかなかった希ガス♪
66 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 10:08:32 ID:+B3qugs8
67 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 02:48:57 ID:gGiGjyYQ
甲斐親直あっての阿蘇家だな。
68 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 22:26:10 ID:NRPEQFNe
>>55 >>57 高森落城後、惟直の二男が阿蘇郡の坂梨に落ち延びたって本で読んだことあるよ。
今もその末裔の家が坂梨にあるみたいだけど。
69 :
長門 ◆q8GdomS4XA :2007/07/09(月) 03:16:21 ID:9WIGhSmp
そもそも熊本は
清正>細川>菊池>越えられない壁>その他
の順に有名で阿蘇氏・相良氏なんて聞いても誰もしらん。
相良は人吉にいけばチラホラと知ってる人が出てくるが阿蘇氏はやばい。誰も知らない。
甲斐に至っては地元民なんかよりこのスレの住人のほうが遥かに知っている。
っというか甲斐はKOEIに滅茶苦茶評価されてるよなぁ、鍋島並だもん
ファンが増える理由も分かるわ。
郷土本も阿蘇氏は無視して友情の為に死んだ相良カワイソスってのが多くて次のコマで甲斐が泣いてるコマが1コマ出て終了ってのが多い。
本当熊本じゃ阿蘇氏は空気。
>>69 人吉市は免田事件の印象が強い。
しかし、地元民が知らないなんてことはあるのか?
備前では近所の爺さん婆さんに聞けば、浦上宇喜多松田の名が出てくるぞ。
熊本も似たような感じじゃないのか?地元民じゃないので分からんのだが…
71 :
人間七七四年:2007/07/09(月) 05:50:35 ID:aWSYsJd2
大概の熊本県人は清正と細川しか知らん。歴史に興味無ければ阿蘇や相良なんて地名として知っていても家名とは知らない。
>>70 残念な事に
>>71のいう通り。
浦上宇喜多ほどインパクトが彼らにはない。
小西行長は天草の乱関係(キリシタン)でそこそこ名前があがるから結構こっちの方が名は知られてるかも
73 :
人間七七四年:2007/07/09(月) 19:07:37 ID:rHUKzOmE
>>68 へぇ、高森の末裔達の集落が坂梨にあるんですねぇ。
坂梨家も阿蘇家の古くからの重臣の家柄ですから婚姻関係とかが、きっとあったんでしょうね。
>>72 長門さんは、長門守宗摂の末裔とかですか?
74 :
人間七七四年:2007/07/09(月) 19:09:27 ID:mzCAkELZ
知名度知名度うるせえ馬鹿がやってきたようだ
そういやお前、前自演やってIDが同じでバレてたよなw
のぶやぼの全国版が出たとき、肥後の大名は阿蘇だったよな。
>>74 阿蘇氏の知名度が現地阿蘇市でさえ低いってのを主張するのはおかしいか?
低いってレベルじゃないけど。
自演?それどのスレ?
77 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 17:43:30 ID:nXpshcy2
78 :
人間七七四年:2007/07/11(水) 15:42:50 ID:YFwHXhzE
名族スレage
79 :
人間七七四年:2007/07/20(金) 12:30:33 ID:UwB7jez0
阿蘇、諏訪、紀の序列ってどうなの?
大名としては紀が有力みたいだけど
80 :
人間七七四年:2007/07/20(金) 14:11:54 ID:JqhV/MKi
>>79 所領面では…諏訪?
紀は戦国時代どんどん傾いてったし、阿蘇は山がちな地域だからね。
81 :
人間七七四年:2007/07/20(金) 20:04:10 ID:ULXGZda9
菊池一族は戦国期はどこに従属?大友?有能な武将はいなかったの?
82 :
人間七七四年:2007/07/20(金) 20:26:51 ID:JqhV/MKi
>>81 阿蘇がもの凄い勢いで絡むんだが…
だれか説明プリーズ。
83 :
人間七七四年:2007/07/20(金) 23:45:11 ID:6DnPpdIm
阿蘇氏から菊池へ養子をだしてる。
そのあと大友義鑑の弟が当主となる、最終的には大友宗麟に
滅ぼされる
84 :
人間七七四年:2007/07/21(土) 18:59:15 ID:4f/VlecH
>>80 戦国期の阿蘇家の所領は35万石だけど、諏訪はそれ以上だった?
>>83 阿蘇惟長(菊池武経)
85 :
人間七七四年:2007/07/21(土) 19:41:30 ID:DWM53THG
じゃあ、菊池氏は阿蘇家以上に弱小だったんですね
86 :
人間七七四年:2007/07/21(土) 21:58:29 ID:VQFL87S+
>>84 せいぜい十数万石だって話を聞いたけど?
ちなみに
>>41で考えると5万石〜6万石。
>>81 阿蘇惟長という阿蘇大宮司家の当主が、菊池の家臣団を煽動して菊池の当主を追い出し、武経と名乗って菊池家を継いだ。
だが、その時大友の支援を受けてた関係で所詮傀儡だったということで、阿蘇の当主になってた弟・惟豊のところに戻った。
一方菊池では詫磨氏とかいうマイナーな氏族から養子を迎えてやり過ごし、大友から養子(義鑑の弟)を貰った。
こいつは義武と名乗るんだが、突然相良や大内と組んで謀反を起こす。が負けた。
義鑑の死後、再び兵を挙げるが甥っ子の義鎮に騙されて死んだ。
で菊池は断絶。
87 :
人間七七四年:2007/07/21(土) 22:05:06 ID:4f/VlecH
>>73 坂梨にある高森の末裔たちの集落といっても、現存するのは
1、2軒しかないけど。跡継ぎおるのかね〜
88 :
人間七七四年:2007/07/22(日) 00:41:08 ID:8WH5WEbx
阿蘇って戦国期に35万石もあったんだ。
弱小ではないな。
89 :
人間七七四年:2007/07/22(日) 00:58:34 ID:utsoVCKL
>>88 いくらなんでもそれは無いだろ。
肥後一国で50数万石くらいだし
90 :
人間七七四年:2007/07/22(日) 01:07:24 ID:ycYJgod3
>>89 惟豊は肥後一円と周辺国にも所領をもっていたみたいだけど。
従二位だしね。
91 :
人間七七四年:2007/07/22(日) 20:03:01 ID:FKIp15qw
旧高旧領取調帳データベースで調べたら
阿蘇郡の石高は72800石
92 :
人間七七四年:2007/07/22(日) 20:59:34 ID:ycYJgod3
高森伊予守てかなり島津に対して抵抗したんだね。阿蘇家の一族で高森殿ほど
抵抗した人ってあまりいないような。
93 :
人間七七四年:2007/07/22(日) 21:08:31 ID:gRmz7wKG
甲斐宗運の在世中は所領を保ったものの・・・
94 :
人間七七四年:2007/07/22(日) 22:27:44 ID:Bo/Ge7Qi
最大で、
西は美里町
東は高千穂町・五ヶ瀬町(鞍岡)
結構広い。
95 :
人間七七四年:2007/07/22(日) 23:26:24 ID:ZMlpmvw4
そんな甲斐まり恵
96 :
人間七七四年:2007/07/23(月) 00:25:01 ID:GlHcy0+O
人吉の青井阿蘇神社はどういう関係?
97 :
人間七七四年:2007/07/23(月) 00:31:27 ID:3CglA02D
>>96 ウィキにさえ載ってますぜ…
阿蘇神社の祭神のうち建磐龍命・阿蘇津媛命・国造速甕玉神が分祀されてる。
こっちは相良氏の崇敬を受けてたらしい。
開いたのは阿蘇神社の神主。
98 :
人間七七四年:2007/07/23(月) 00:48:46 ID:Q3QO0wYt
>>87 では、その1、2軒のどちらかが、高森の本家という事でしょうか・・・?
>>90 阿蘇家の社領は、飛び地で日向・薩摩に何ヶ所かあったようですね。
>>93 宗運は自領を薩軍に侵されながらも、それに抗せず、人を食ったような和平交渉で時間稼ぎをしていた。
その交渉時間に耐えられず、先に島津は日向口から新納忠元と三田井氏の甲斐宗摂に高森城を攻略させ、本隊は竜造寺討伐へと矛先は代えられてしまった。
>>95 そんな人知らない・・
99 :
人間七七四年:2007/07/23(月) 16:45:45 ID:3CglA02D
>>98 いや、社領の問題ではない。
社領なんてのは大概武士にぶんどられるもので、その中で戦国大名化できたのが阿蘇とか諏訪だぞ。
100 :
人間七七四年:2007/07/24(火) 15:24:06 ID:vumscATA
101 :
人間七七四年:2007/07/24(火) 15:52:38 ID:dA0/D2Bk
>>88 阿蘇を見たら、それはないなぁ。
天領でもいいくらいの土地
102 :
人間七七四年:2007/07/24(火) 17:28:25 ID:euHaiWgu
103 :
人間七七四年:2007/07/25(水) 00:01:32 ID:B2EvWhlq
>>102 いったんは、菊池家督を継いだ阿蘇惟長(菊池武経)惟前の親子は阿蘇大宮司職を惟豊から奪還しょうとした時
一度目は失敗し薩摩地方にあった阿蘇家の社領に退き、兵力の増強を図った。
二度目には弟の惟豊を矢部の浜の館から追い出す事に成功する。
追われた惟豊は最終的に、日向高千穂の社領に逃げ込んだ。
そして鞍岡の領主甲斐親宣を主として小国の北里義重・室原鑑知・阿蘇南郷の村山惟民・堅志田の西惟宗らの力を借りて大宮司に復帰。
高千穂には古くから阿蘇郡知穂郷という所があり、高千穂と阿蘇の結びつきは強いものがあったらしい。
ちなみに鞍岡にも社領があり、その関係で甲斐親宣は出兵した。
もちろん高千穂領主の三田井氏の了承は得ての事ではあろうが・・・
104 :
スレ立てたひと:2007/07/26(木) 22:36:38 ID:KzyNfKWy
このスレとか三村氏のスレとか見てると自分の知識の無さを思い知るなー。
俺は『天下統一V』で「阿蘇大宮司家」という名前にインパクトを受けて阿蘇好きになってこのスレを立てた(依頼した)んだが、ほんと詳しい人っているもんだ。
俺が立てた中では一番成功したスレだけに、今後も活発にやってほしい。
いや、俺普通に質問してるから名無しと変わらないんだがな
105 :
103:2007/07/27(金) 01:08:35 ID:TACkq0Od
>>104 過去にあった出来事が良かったのか悪かったのかは別にして・・・
先人達の行いがあった事により、今日の自分達が今ここにあり、生かされている。
その先人達に対して敬いと感謝の気持ちは忘れてはならない。
子孫としては先祖がどのように生きたのか? ・・と、いう事は知っておかなければならないと・・・
自分は思う。
106 :
103:2007/07/29(日) 00:33:24 ID:N9Tbjkv8
しかし戦国阿蘇家に関しては歴史資料物的なものは、それほど多くはなく・・・
伝承として語られるものの方が多い。
107 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 11:54:26 ID:rsiESkH6
伝承ってのは聞いたことないな。
何か知ってるのあったら教えてくれ
108 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 13:09:09 ID:N9Tbjkv8
例えば惟豊が大宮司職奪還の為、浜の館に討ち入ったという事と、その功績により甲斐親宣は阿蘇家で高い地位を得たというのは伝承に過ぎず・・・
資料物としては、それよりも前に甲斐親宣は大友義鑑により御船に知行地を与えられたとあり、甲斐敦昌も隈ノ庄に同じく450町ほどの土地を有していたと
肥後国誌だったか、豊後大友の文献にある。
109 :
人間七七四年:2007/07/30(月) 20:08:37 ID:tzirz9pV
毛利と大友の門司城攻防戦では、阿蘇家など肥後の国人衆も参加した様子。
110 :
人間七七四年:2007/07/31(火) 10:38:30 ID:0kMTDlbI
阿蘇の同盟先って基本は大友と相良?
111 :
人間七七四年:2007/08/01(水) 00:01:47 ID:7VToH1Fs
>>109 基本大友で、状況に応じてって感じだよな
112 :
人間七七四年:2007/08/01(水) 00:18:47 ID:r3kpiCm8
大友に対しては従属、相良に対しては対等。
113 :
110:2007/08/01(水) 01:11:01 ID:HNw6UQF9
114 :
人間七七四年:2007/08/03(金) 20:17:06 ID:op1pZ3d3
>>92 高森城合戦はかなり激しかったらしく、その様子を詠った踊りが宮崎の五ヶ瀬などに
のこっているみたいだよ。実際に高森城に行ったことあるけど、高森城跡という石碑
があるだけで、これといって何も残ってなかった。
>>87 坂梨のほかに矢部地方にも高森姓はいるみたいだけど・・・関係あるのかな?
ある本には、何れの高森家が本流か知らないけど、盂蘭盆の法会は坂梨高森家が
行っているそうです。その高森家の墓には「丸に違い鷹」の紋が入っているようだから
阿蘇家と関わりが深かったんだろうね。
115 :
人間七七四年:2007/08/03(金) 20:58:35 ID:S5VpssiA
>>114 五ヶ瀬に高森の話が残ってるという事は…
高森方の誰かが五ヶ瀬に落ち延びた、という事でしょうか?
当時の五ヶ瀬は、三田井氏の領地で島津方・・・
家代や七ツ山の甲斐党も島津方だし・・・ いったい誰を頼ったのか、興味深いですね。
116 :
人間七七四年:2007/08/03(金) 21:09:44 ID:op1pZ3d3
>>114 いや、その辺りが島津勢の高森城への通り道だったからじゃないかな。
高森の子孫が落ち延びたのは坂梨だし。
117 :
人間七七四年:2007/08/04(土) 00:55:22 ID:a9jrkzl1
68の高森惟直の二男が坂梨に落ち延びたとあるけど・・・
その後はどうなったんだろう?その後の坂梨家も気になる・・・
118 :
人間七七四年:2007/08/04(土) 22:45:02 ID:nVp+lCT3
なんかもうついていけん
高度すぎるぞー
119 :
人間七七四年:2007/08/04(土) 22:49:00 ID:nggFyefk
スレ主さんも言われてるが、このスレは三村氏スレと似ているな。
スレの伸びも話題も。
120 :
人間七七四年:2007/08/05(日) 01:54:44 ID:6lKdKGIu
121 :
人間七七四年:2007/08/08(水) 21:43:10 ID:w4c/RERU
あげ
122 :
人間七七四年:2007/08/11(土) 19:51:41 ID:S8jBIyyQ
甲斐宗運は伊東に内通した息子三人を殺したらしいが、
そんなに伊東と阿蘇は勢力に違いがあったのか?それとも別の理由が?
123 :
一応評価職人?:2007/08/11(土) 22:33:44 ID:6nDnm3aR
阿蘇氏の最大領土は石高でいうとどれくらいになるのですか?
124 :
人間七七四年:2007/08/11(土) 22:36:12 ID:Ecod3tfw
125 :
人間七七四年:2007/08/12(日) 20:26:29 ID:9nxWjXg4
>>124 石高と言っても、表の石高と裏の石高との開きは… かなりあるんじゃないだろうか?
>>122 甲斐民部大輔入道宗運親直が、日向伊東に通じた3人の子供を俵山まで追い
親正、宣成を殺し、直武は日向の国まで逃れた。という歴史的資料はなく、あくまで伝承でしかない。
古くから阿蘇家に仕えていたと云われる、同族で日向の黒仁田氏も伊東に通じたとい事で宗運により滅ぼされたという。
しかし、伊東に通じたと云うのは、表面上の名分で、実際は阿蘇家内部での権力争いではなかったのであろうかと思われる。
3人の子供が殺されたというのが、仮に伝承通りだとすると・・・
個人的な意見として、疑われた原因は米良地方に菊池一族の米良氏がいて伊東と何らかの関係があったのでは?という事が考えられる。
甲斐家系図の1つに宗運の弟にあたる、甲斐左近将親成という人が、また別本には米良氏の一族であるという事項があるので姻戚的な何らかの関係があったのではないかと思います。
戦国時代の甲斐党は、肥後・日向に広く分布し
宗運自身は阿蘇家配下として御船1000町を領し、後には隈庄1000町も領しながらも、弟や子息達は、日向・三田井氏の配下として高千穂地方に領地を有して
別の流れの、家代や七ツ山や隈庄の甲斐氏も同じく肥後・日向に、かなりな領地を有していた。
この当時の肥後・日向の国は、いかに甲斐党を手なずけるかという事が重要な課題であったというのは間違いないであろう。
126 :
人間七七四年:2007/08/16(木) 01:05:16 ID:g/CbQQ8F
慶長九年肥後国郷村高によると
阿蘇郡 54628
益城郡 124471
詫間郡と宇土郡と飽田郡の一部も領していてから20万石前後だろう。
高森氏への関心が高いようなのでちょっと仮説を。
戦国以前の阿蘇家は矢部(益城郡)と南郷(阿蘇郡)が長年争ってきた。
矢部を大宮司として和解した後も、阿蘇郡の代官として残ったのが
高森氏となったのではないか。
矢部の大宮司が島津に降伏後も、阿蘇郡は高森落城まで抵抗をつづけている。
大宮司家からの使者として説得にきた武将を切っている。
島津は高森城を完全に孤立させる戦略をとるまでは2度も復帰され手を焼いた。
このような展開はいち家臣の行動として見ると不可解に思える。
また大宮司家から高森[殿」という尊称、惟直は阿蘇惟直と同名。
127 :
人間七七四年:2007/08/17(金) 03:05:40 ID:8d/+CpqA
>>119 名族なのにマイナーでスレが延びないのも三村氏スレと同じだな。
なんか地元民以外は知らないような話題だ・・・
128 :
人間七七四年:2007/08/17(金) 03:17:48 ID:K87v4xHs
>>127 地元民でも知らないほうが多いだろう
ただソースは東京だと入手しづらそうだ、だからここの人たちは九州中心かな?
129 :
マンキョ:2007/08/18(土) 03:45:56 ID:QwCEDrm9
甲斐宗運の外交は神
130 :
人間七七四年:2007/08/18(土) 03:54:49 ID:BIo42qqa
>>129 もうちょい具体的に頼む
どこらへんの外交を神と思うのか
131 :
甲斐党員:2007/08/19(日) 22:03:13 ID:MmoKX+LW
島津が益城侵攻開始の直前に甲斐宗運は死去したのだが・・・
後を継いだのは息子の『親秀』だけではなく、『兵庫頭・某』という人物の2人だったらしい。
どうやら甲斐党内で内紛が生じたようだ。 この兵庫頭・某は、どういう繋がりかは不明。
のちに甲斐兵庫頭秋政という人が、文禄2年頃、加藤清正と高橋元種に追われ東臼杵郡諸塚村九左衛門峠で討死した。という文献があるが
『兵庫頭・某』と『甲斐兵庫頭秋政』が同一人物である。という事も定かではない。ちなみに秋政は、宗運の甥という伝承。
天正9年頃の竜造寺氏への起誓文によると、甲斐家の主だった者は
甲斐民部大輔、甲斐兵部大輔、甲斐形部入道招作、甲斐左京入道、甲斐中務丞重信、隈庄太郎親教。
不思議な事に、『宗運』に近かったであろうと思われる『甲斐親秀』『甲斐兵庫頭・某』『甲斐大和守親英』の名前は、この中にない・・・
132 :
甲斐党員:2007/08/19(日) 22:32:17 ID:MmoKX+LW
>>126 高森氏の領地は、町・石高でいうと、どれほどだったのか分かるでしょうか?
133 :
人間七七四年:2007/08/21(火) 18:27:46 ID:zd48BNVA
>>132 高森というのを俺は知らんが、郡まで特定すれば分かるだろう
134 :
マンキョ:2007/08/22(水) 00:35:19 ID:Ma1GSHuO
>>130 その人の生存中、一人も領内に侵入させなかった。
135 :
甲斐党員:2007/08/22(水) 00:39:54 ID:r+iclffa
>>133 高森氏が、1つの郡をすべて領地としていたのか? ほんの一部の僅かに過ぎなかったのか?
それとも、他の郡にもまたがって所領を有していたのかさえ、自分は、知らないもので・・・
136 :
人間七七四年:2007/08/22(水) 18:01:15 ID:md5cw4JA
誰か、現在の郡と延喜式の郡を見比べられるサイトなり本なりを教えてくれ!!
137 :
人間七七四年:2007/08/22(水) 18:11:51 ID:fZOtHVJs
阿蘇郡とひとくちにいっても、地域が分かれているので阿蘇郡=高森氏の領地ではないと思うが。
阿蘇山カルデラ内の北半分(阿蘇谷):元々阿蘇氏の本拠。今も阿蘇神社などがある。
カルデラ内の南半分(南郷谷):高森町があるのはここ。
阿蘇カルデラ外で北方に広がる地域:小国 北里氏が栄えた地域
大まかに3つに分かれている。
138 :
人間七七四年:2007/08/22(水) 20:21:43 ID:md5cw4JA
大体どこら辺かも分からないか?
農地から逆算するつもりだったのに
139 :
人間七七四年:2007/08/22(水) 20:37:37 ID:4NpxPNL7
>>132 高森城は三万五千石と本で読んだ事ある。
>>126 大宮司惟将は一応島津氏と和睦したけど大友氏にも歩み寄ったり
島津を警戒してたみたいだが・・高森氏は幼君阿蘇惟光を匿ったりするなど
一応阿蘇家に最も忠節を尽した武将とされているみたいだよ。
>>117 郷土本には現在もそのまま住んでいると書いてあるのでいるのでは?
140 :
人間七七四年:2007/08/22(水) 20:53:18 ID:ZdoDtoga
>>69 阿蘇氏の本拠地矢部では阿蘇家についての
イベント的なものがあったみたい。阿蘇家講座とかあったぞw
141 :
人間七七四年:2007/08/22(水) 22:03:46 ID:md5cw4JA
南阿蘇町の役場かどっかにに資料請求した人いる?
142 :
甲斐党員:2007/08/22(水) 22:16:04 ID:r+iclffa
>>139サンクス
あの南郷の土地で3万5千石とは… 高森氏の知行地は結構広いようですね。
しかし高森惟直の二男を坂梨氏が匿ったのなら…
坂梨氏には、それなりの仕打ちがあり、追われたり滅ぼされたりしたと思ったんだけどなぁ。
143 :
人間七七四年:2007/08/22(水) 22:47:59 ID:4NpxPNL7
>>142 いや、坂梨家が匿ったのではなく、阿蘇郡の坂梨という土地に落ち延びて、
秀吉の九州平定後、地侍、一領一疋などの身分になったらしいよ。
144 :
甲斐党員:2007/08/22(水) 23:48:25 ID:r+iclffa
>>143 あ・そうなの? 納得しました。
でも坂梨は坂梨氏の知行地ではなかったんだろうか?という疑問。。
145 :
人間七七四年:2007/08/23(木) 09:14:13 ID:dTeGKq18
>>144 高森落城後、阿蘇家は没落し、秀吉に全所領を没収されて、加藤清正によって
僅かな所領を与えられてからはこれまでの知行のありかたが一変したのではないかな。
坂梨も一応、阿蘇家の領地だし。惟直の二男は阿蘇家を頼っていったとみたいなことが
本に書かれてる。また、高森氏と坂梨氏は共に阿蘇家に忠節を尽くした者同士でもあるからね。
146 :
甲斐党員:2007/08/23(木) 10:36:47 ID:T5o6WEpM
高森城攻略は天正15年3月で、秀吉が九州征伐に来たのは天正16年の1月。
その間は島津氏が阿蘇谷も南郷谷も支配していた。
惟直の二男が坂梨という土地に落ち延びたのなら、坂梨氏は島津氏に協力し、惟直の二男の捕縛に全力を注ぐのではないだろうか?
もし協力が無かったのなら… それを口実に攻められるか、何らかの仕打ちはあったはずだと思う…
147 :
甲斐党員:2007/08/23(木) 10:48:01 ID:T5o6WEpM
訂正。スンマソン。
高森攻略、天正14年。九州征伐天正15年。
148 :
人間七七四年:2007/08/23(木) 22:43:55 ID:rh6aTyfW
>>139 三万五千石のソースしってたら教えて
それだと阿蘇郡の半分以上だね
阿蘇一族ではない北里らの小国郷と大宮司家の奉行衆の領地を
除いたらそのくらいになりそうだけど
高森村の本貫地のみだけだと多くても1500石程度と思う
149 :
人間七七四年:2007/08/23(木) 22:56:49 ID:rh6aTyfW
>>146 その頃の島津には残党狩りをする余裕はなかったかも
大宮司家の嫡子も捕らえられていないしね
そもそも坂梨を頼ったのは秀吉の征服後かもしれないし
のちの国衆一揆のときも高森の名がでてくるからそのあとかもしれない
150 :
人間七七四年:2007/08/23(木) 23:28:35 ID:dTeGKq18
>>148 高森町史Uに書いてあった。そんなに領地をもってたのかと自分も思った。
高森村以外にもあちこち持ってたのかな??? ・・・わからない。
それと、島津は大友との決戦が主要命題だったので、高森にそれほどこだわらなかった
のかもしれない。
151 :
人間七七四年:2007/08/24(金) 11:03:42 ID:EvNVvFef
高森家は戦国以前から阿蘇文書に「高森殿」とか度々登場するけど、高森城主惟直との
血縁関係は明らかでない。ただ、元々高森家は阿蘇の中では1番の給主分だった
らしい。三万五千石というのは多すぎるような気もするが・・・
152 :
人間七七四年:2007/08/24(金) 17:57:14 ID:UXJJqrYl
阿蘇氏全体で十万石いくかってところだからな…
153 :
人間七七四年:2007/08/25(土) 10:31:29 ID:Mmd4BFwE
甲斐氏って言うとすぐ宗運が思い浮かぶけど、
誰か初心者の俺に他の一族は何をしてたか教えてくれ
154 :
人間七七四年:2007/08/25(土) 10:50:42 ID:VMjtBrwQ
阿蘇家の少年当主が、家臣から一揆に加担したものがいたという罪で
豊臣に斬首されたものがいたな。
厳しすぎ
155 :
人間七七四年:2007/08/25(土) 11:50:06 ID:xMna2Z9Y
>>154 阿蘇惟光
この頃、百姓から成り上がった秀吉によって、由諸ある大宮司家がほとんど
無一文にされたなんて・・皮肉な話
156 :
人間七七四年:2007/08/25(土) 12:03:44 ID:+fsLwZnz
宗教に対しては結構エグいしな、秀吉は
157 :
人間七七四年:2007/08/25(土) 20:42:29 ID:SLyTGrvh
>阿蘇の中では1番の給主分
以外だな。ソースはやぱり高森町史U?
思い付きだが、豊後街道が近世になって清正が整備するまえは
南郷往還が豊後肥後のメインルートだったんじゃないかな。
で、その利権に預かっていたと。
日向往還を押さえる大宮司家と仲良く住みわけていたと。
158 :
人間七七四年:2007/08/25(土) 20:46:27 ID:dGVdTboM
町史とかあんま信用しない方がいいぞ
159 :
人間七七四年:2007/08/25(土) 21:20:37 ID:Mmd4BFwE
町史とか読んだことないや。
うちの町は北条征伐の時に但馬守某という小田原浪人が来たことしか…
その点、阿蘇とか諏訪とか憧れるな
160 :
人間七七四年:2007/08/25(土) 21:36:38 ID:2kpfwhDE
どこだそれw
161 :
甲斐党員:2007/08/25(土) 21:41:09 ID:Zhc0y6Az
>>153 戦国期の主だった甲斐家は、御船、隈庄、七ツ山、家代ですな。
162 :
人間七七四年:2007/08/25(土) 22:33:16 ID:Mmd4BFwE
>>160 福島の一寒村だ。
近くには都々古別神社とかあるんだがな、別に戦国大名化してないし
163 :
人間七七四年:2007/08/25(土) 22:49:27 ID:Mmd4BFwE
>>161 153です。どうもありがとうございます。
164 :
甲斐党員:2007/08/25(土) 22:57:45 ID:Zhc0y6Az
>>163 いえいえ、各家々が何をしたのかというのは…
長くなってしまいますので、簡易で申し訳ありません。。
165 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 00:30:25 ID:gAUKoNCR
166 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 07:23:31 ID:NIX6p40G
神武天皇の兄貴を奉ってるんだっけ?
167 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 09:35:02 ID:wEi1N87B
168 :
人間七七四年:2007/08/27(月) 13:15:36 ID:pEbNp6A4
>>126 >>151 14世紀なかばころ、大宮司家からの呼称が高森殿ということ、身分の高いことと
どうつながるんですか?
169 :
人間七七四年:2007/08/27(月) 15:01:56 ID:VWeB/t1w
神職も務める大名は敬われる
その阿蘇家から丁寧な扱いを受けているんだから、だろ
170 :
人間七七四年:2007/08/27(月) 15:54:26 ID:pEbNp6A4
特に14世紀頃は惣領制が厳しく、大宮司と比較して、例え兄弟であろうと
肉親であろうと待遇に天と地ほどの差があったらしいし。その時代、他の家臣は
〜殿とは呼ばれていなかったのだろうか。尊称は高森家に限ったことだったのだろうか?
171 :
人間七七四年:2007/08/27(月) 15:57:01 ID:pEbNp6A4
170続き・・・もしそうだとしたら戦国期の高森氏の3万5千石というのも
納得できないことはない。
172 :
人間七七四年:2007/08/27(月) 21:16:11 ID:VWeB/t1w
>>171 何に繋げての「だとしたら」?
すまん、よく分からん。
173 :
人間七七四年:2007/08/27(月) 21:28:03 ID:pEbNp6A4
>>172 14世紀頃の〜殿の呼称が高森氏に限っていて、他の家臣にはそうではないとしたら
それだけ高森家が大宮司家と対等な立場にいて、所領も多かったかもしれないという
ことです。
174 :
人間七七四年:2007/08/27(月) 22:03:50 ID:bFtIEm+U
大名から家臣への軍忠状などは殿をつける慣習がある
ただ、名字のあとじゃなくて官職名のあとにつけるんだよね普通は
内府殿、上総介殿みたいに
阿蘇殿、となったばあい当然惣領家のことをさすわけで
あるていど家臣をかかえていた大身であるかなと推測できます
ちなみに宗運は甲斐殿とはならなかったんじゃないかな?
175 :
人間七七四年:2007/08/27(月) 22:10:06 ID:bIklEdK3
>あるていど家臣をかかえていた大身であるかなと推測できます
高森家が
176 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 19:48:52 ID:BCKIWN+O
>>151 大宮司家に近い立場にあったかもしれない高森家ってどんな出自
なのだろう?阿蘇家の一族らしいけど少し興味があるな。家系図とかに
載ってないのかな・・・
177 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 20:05:06 ID:ly/0oeNJ
178 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 20:13:34 ID:ly/0oeNJ
>>176 高森氏については結局分からないな。
試しに高森惟直を検索してみたら出てくるのここばっかだし、もう阿蘇絡みの本を片っ端から読み倒すしか…
>>176 高森惟直―惟居…ぐらいしか血縁関係は知らんな…
180 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 20:38:29 ID:ly/0oeNJ
>>180 本家の系図によると、惟直の横に惟居と書いてあるらしいな。
182 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 20:52:40 ID:7v/+5/fo
高森惟直討ち死にのソースってなに?
軍記とかに記されてるのかな。
183 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 21:14:43 ID:ly/0oeNJ
>>181 自分が聞いたのは、惟直の墓の墓碑銘が…って話。
184 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 21:18:02 ID:7v/+5/fo
惟直討ち死にと惟居実在を記した書物或いは文書はないのか
推定できるところがあるかもしれん
185 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 21:37:44 ID:BCKIWN+O
>>181 本家てどこに住んでるのかな? 114によると本流はどこかわからないと・・
高森惟直と惟居は同一人物のようです。
186 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 21:42:54 ID:7v/+5/fo
本家は小浜藩の方でしょ
187 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 22:45:20 ID:lnAep+o1
阿蘇家の庶子の場合、どこで分かれたか意図的に隠されてないか?
そういうのを聞いたことがない。
188 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 23:10:39 ID:6KTyer/e
ソース出せよボケ
189 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 23:33:56 ID:7v/+5/fo
ソース出してくれないと判断しづらいよな
高森惟直討ち死にと書いてあるソースはあるのかどうなのか
190 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 00:00:25 ID:xSxjf6QB
ソースはいろいろあると思うが・・・上井覚軒日記、高森家先祖附など
191 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 11:51:08 ID:xSxjf6QB
>>186 江戸初期、小浜藩の高森家に高森正因という人がいたらしいが、この人には
嗣子がいなかったようだよ。養子を迎えたんだろうけどね。
>>187 坂梨家は出自がわかってるんだけどなぁ。大宮司家からすれば分かれた家まで
知らんということか・・・同じ一族で尊称するほどなら出自もわかろうに・・・
192 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 11:54:31 ID:HZFjPvVE
193 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 11:56:32 ID:HZFjPvVE
すみません。高森じゃなくて阿蘇氏でした
194 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 23:51:11 ID:xSxjf6QB
高森惟直は位はなかったのかな。従五位下とか
195 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 01:04:20 ID:EBxG+Ydl
>>191 坂梨家の出自は阿蘇一族じゃないんですか?
大宮司家からすると、庶子家との格式の違いをはっきりさせるためにも
系図に阿蘇某の子孫とされるのを嫌がったのか、
はたまた庶子のほうで遠慮があったのか
196 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 08:57:22 ID:q1FsyTFJ
>>194 伊予守を自称だったはず
日本史板の方にあったような…
197 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 13:06:50 ID:MuFyMCeq
>>195 出自がはっきりしてる阿蘇一族もいるけどね。ちなみに坂梨家は阿蘇一族。
大宮司家は大宮司家で、何も庶子家の出自を隠す必要もなかろうに。
>>196 その時代、いろんな役職名を名乗ってる人がおおいからね。だからといって
地方の一城主が朝廷や幕府から位を与えられたとは考えずらい。
198 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 13:14:04 ID:WPtSDV05
高森氏の資料上の初見は誰?
199 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 13:23:10 ID:MuFyMCeq
高森殿、高森六郎入道、高森駿河守惟益・・、など。
詳しい年代は忘れたが、1350年頃、高森殿かな。・・正確じゃないかも
200 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 13:28:04 ID:oEsfeSt1
>>196 伊予守・または伊豆守を自称
ということで200げと
201 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 13:44:05 ID:MuFyMCeq
天皇家よりもはるかに古い阿蘇家がもし断絶する危機になれば、分家からの養子候補第一号
に推薦する。 島津の時大宮司家のために最も忠節を尽くした一族だから。
202 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 13:47:15 ID:MuFyMCeq
でも高森家の出自自体が明らかでなく、高森本家もはっきりしないなら無理か・・
ただ言ってみただけです。
203 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 13:55:11 ID:WPtSDV05
一族でどうにかなるだろう
204 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 14:27:13 ID:q1FsyTFJ
>>203 織田や徳川のようにいくらでも「どうにかなる」のに明らかになってないんだから無理だろ
205 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 16:05:04 ID:g7huM/97
>>197 坂梨家の祖は誰から?
阿蘇家と血縁の家は家紋とか惟がついてる場合でおよそ間違いないかと。
>>201 島津に徹底抗戦したのは忠誠心からなのか野心からなのか
大友を頼りにしたかったのか結局はわからないよ。
高森攻略の軍が途中で矢部を蹂躪して浜の館は焼失した。
降伏するよう使者を送っていた大宮司家としては迷惑を被った格好。
しかも使者は切り捨てられてる。これで忠節というのはどうかと。
206 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 16:07:41 ID:WPtSDV05
家紋とか通字なんかいくらでも合わせられる
九州で挙げれば筑紫とかもだ
207 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 19:06:04 ID:MuFyMCeq
>>205 使者は大宮司家からでなく、島津からじゃなかった?斬られたのは
島津に寝返った阿蘇家臣。
高森家は丸に違い鷹みたいだからやはり一族らいしいけど・・・
他の阿蘇家臣の家紋も違い鷹が入った紋なのかな?
208 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 21:12:04 ID:c9huAEFD
大宮司家が降伏しているので寝返りではないよ
御船の島津に矢部から出向いたりしてるから引き抜かれたわけでもない
主家からの使者を切ったとなれば、逆臣ともいえる
当主が幼少だったうえに家宰である宗運とその息子も不祥とあっては
帰順派も抗戦派も、それぞれの思惑で動いたということかと
高森がどう考えていたか興味はありますが・・・
209 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 21:18:45 ID:c9huAEFD
>>206 筑紫は惟門だけだし
近世以降はともかく、それ以前はいくらでも合わせられる?
とは思えない
210 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 21:29:36 ID:WPtSDV05
勘違いしているようだが、筑紫は少弐氏族を称してるぞ
211 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 22:06:10 ID:MuFyMCeq
>>208 惟将は前に争った叔父、従兄弟の惟長、惟前親子が島津を頼ったので島津に対しては
かなり不信感があったと思うよ。存続させるために一応降伏という形をとったかもし
れないが。人質を島津に渡していたかはしらないけど。
212 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 22:39:42 ID:JBfbgszM
惟豊のときに大友に攻めらて鞍岡へ逃げてるからなあ
そのときは兄弟仲良くやられてほんとに滅亡するとこだったのを
大友に嫁いでいた母のとりなしで助かった
それに島津がくるまえに大友が小国へ侵略してきてる
これは北里が持ちこたえた(すごい)けど不信感といえば大友もいっしょ
213 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 20:01:49 ID:BU+gsd09
>>187 有名どころで光永、中村は系図ではっきりしている。
いずれも大宮司の子
214 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 20:43:45 ID:VzcT3otg
>>213 それは大宮司家の系図にのってるのかな?
215 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 23:04:52 ID:wa5kuES4
大蔵氏族の通字が「惟」だというのがまたややこしいな。
217 :
人間七七四年:2007/09/01(土) 18:18:09 ID:VphvDO+7
>>186 惟直の二男は坂梨にいるんでしょう?
小浜の人は長男?
218 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 21:35:46 ID:wYjJplGw
どちらも高森の子孫でしょう?どちらも落城して落ち延びた身なら
本家も何もないような・・ただ191によると小浜の人は途中で子が
いなくて養子を迎えたのであればどうか知らないけど。血はつながって
いるのかもしれないが
219 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 15:29:27 ID:0zi6NcFV
代々肥後にいて、落城後他の国に落ちてからずっとそこで暮らしてるのなら
本家も何もないだろう。後でひょっこり現れて実は本家でしたというのはどうかね〜
220 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 15:31:17 ID:0zi6NcFV
219続き・・・阿蘇地方には高森の子孫がそのまま残ってるんだったよね。
221 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 21:16:28 ID:/XIdu1vZ
>>219 そういうのは本家とか嫡流ではないでしょうね、例えば”長男の子孫”ってだけ。。
分家のほうが自分のうちは、○○さんとこの分家と意識してなけりゃ、先祖が同じ家同士でどっちも本家だな。
田舎だと近所に何件も同じ名字の家があったりするけど、皆同じ集団(一つの本家といくつかの分家)ってわけじゃなくて、いくつかの集団が集まっている場合があるのと同じですね。
足利さんと新田さんはどっちが本家なのかって話は無意味だし。
嫡流うんぬんの話題を出すと変に荒れたりしますね、この手の板は。
家督の観念。
223 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 00:03:51 ID:dFdois5p
確かに昔みたいに親の仕事の跡を継ぐという世の中じゃないから、嫡流本家
という概念もあまり意味ないかもしれん。ただ直系であることと、昔から
姓がかわってないことは大切にしたいものだけどね。ということはなるべく
男子が生まれることが望まれる・・・こういうのは男女差別になるのかな??
224 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 11:21:32 ID:GY7/vBk3
阿蘇神社って日本で最古の神社だってね。驚いた。
225 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 11:31:04 ID:ht+fr4Nx
226 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 12:41:32 ID:GY7/vBk3
日本最古と称してる神社で、「1000年近くの歴史を誇る」ってホームページ
に載ってたよ
227 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 13:42:42 ID:1QcRsUxn
どこ?
228 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 15:19:28 ID:5O78BkzK
229 :
人間七七四年:2007/09/07(金) 02:46:12 ID:jQ/Xvj5e
高森って名字は美人ばっかいるよまじカワイイもん
230 :
人間七七四年:2007/09/07(金) 10:46:47 ID:RVTcgDue
森高千里の母方が熊本出身で名字が高森らしいけど、坂梨高森家と関係あると?
231 :
人間七七四年:2007/09/07(金) 12:21:09 ID:BWO1OKcR
”母方が熊本出身で、母親の名字が高森”ってこと?
森高千里自体が熊本生まれで高校途中まで熊本市育ちだし、芸名じゃなくて本名だから”母方が熊本出身で、森高千里の本名の名字が高森”ってことなら間違いですね。
ガキの頃一緒に幼稚園や学校に通った知り合いだけど、母親の旧姓までは知らない。
実家が阿蘇で喫茶店はじめたという話は聞いたことはあるけど、観光地だから地縁・血縁関係ないのに店開いた可能性もあるから、
それだけでは阿蘇と縁がある家とは断定できないかと。
阿蘇出身の高森姓だとしても明治以降に勝手に名乗った可能性もあるし。
232 :
人間七七四年:2007/09/07(金) 15:06:19 ID:RVTcgDue
>>231 へぇ〜その喫茶店って阿蘇のどこにあると? 高森?
233 :
人間七七四年:2007/09/08(土) 23:15:44 ID:hWCPTVgM
高森城てどこ?石碑があるだけ?
234 :
人間七七四年:2007/09/09(日) 20:54:09 ID:3JoJnKuk
阿蘇大宮司家て由諸のわりには日本史上で目立たんね。せめて熊本県内ではもっと取り上げてほしい。
高森、甲斐あたりのことも面白いと思うし。大河ドラマはムリと思うけど
235 :
人間七七四年:2007/09/10(月) 01:01:42 ID:kZ+9FiBO
肥後国で先祖附は西暦何年頃から書くようになったか、誰か知らない?
236 :
人間七七四年:2007/09/10(月) 01:05:19 ID:EJ1xw/jv
神職で武将というのが一般にはピンとこない。
本拠が阿蘇から離れているのもわかりずらい。
何をめざしていたのか、よくわからない。
237 :
人間七七四年:2007/09/10(月) 01:28:32 ID:kZ+9FiBO
菊池家が断絶した後、とりあえず肥後支配を狙ってたのでは。
238 :
人間七七四年:2007/09/10(月) 13:56:37 ID:kZ+9FiBO
諏訪家などと同じでは・・・ただ諏訪家より古い家柄なだけ
239 :
人間七七四年:2007/09/10(月) 16:19:37 ID:hCXYJz4D
240 :
人間七七四年:2007/09/10(月) 16:56:28 ID:DrzrWcI9
阿蘇国際...あそこくさい...アソコくさい
241 :
人間七七四年:2007/09/10(月) 18:41:06 ID:kZ+9FiBO
242 :
人間七七四年:2007/09/10(月) 19:31:13 ID:kZ+9FiBO
そもそも今現在諏訪家は存在してるのかな?
243 :
人間七七四年:2007/09/10(月) 20:23:06 ID:hCXYJz4D
あ、どういう観点から比較してるのかと思って
大名として存続できなかった、とか。
あと諏訪については戦国板にスレある。
244 :
人間七七四年:2007/09/10(月) 23:18:53 ID:mkaC1Fmn
>>237 そういう動きないよ。争う菊池三家老のいずれかに組して
影響力拡大をねらってもよさそうなもんだが。
そもそも長男の惟長が養子にいくのが不可解。
しかもすぐに追い出されるという計画性、主体性のなさ。
そのなかで甲斐宗運だけが着々と勢力を拡大している。
245 :
人間七七四年:2007/09/11(火) 00:12:12 ID:7pGaSHxU
>>244 長男が養子になるのは変ではないと思うが
阿蘇と菊池ほど近い間柄なら余計に
246 :
人間七七四年:2007/09/11(火) 00:17:34 ID:51cPg8Dv
惟長は伝統的な大宮司職よりも肥後守護職の方が良かった。ただそれだけのことだと思う。
大宮司家嫡男としては失格だよね。追放されて当然。しかも、惟長の嫡男はいち早く島津に
寝返ったから、勘当ものだと思う。
247 :
人間七七四年:2007/09/11(火) 01:12:46 ID:awk62t4x
長男が養子というか、家督が養子になるのは異例だろう。
謙信の場合が想起されるが家督を捨てたわけじゃない。
これでは菊池と阿蘇の関係は対等かそれ以下にしかならない。
惟長の野心はともかく、阿蘇家にとってメリットがすくない。
ちなみに義鎮は弟を大内へ養子へやっているが、結果はあぼん。
家臣が主君を滅ぼすところへ好んで乗り込んでいく者はがいるとは・・・
248 :
人間七七四年:2007/09/11(火) 01:42:21 ID:lyCfY9tP
良スレだったのに…
249 :
人間七七四年:2007/09/11(火) 01:51:00 ID:51cPg8Dv
自分のことしか考えていなかったってことだよ。勢力を拡大するために肥後守護
を望んだのだろうが、菊池家当主になるなら阿蘇家にはメリットないね。
大宮司は弟惟豊に譲って、自分は肥後守護になって大宮司家にその恩恵を与えられるなら
いいけど、それなら阿蘇惟長として肥後守護になるべきだった。でも菊池家臣が
そんなことはさせなかったのであろうが。
こんな時、もし甲斐宗運だったらどういう作戦を立てたかな?
250 :
人間七七四年:2007/09/11(火) 16:55:08 ID:7pGaSHxU
>>249 惟長は野心があるから菊池を乗っ取ったわけで、弟が継いだ阿蘇の事考えてないのは当然というか…
そこで宗運の話を持ち出すのは変だよ、惟豊と惟長は戦略自体違うんだから
251 :
人間七七四年:2007/09/11(火) 18:48:44 ID:51cPg8Dv
まぁそう言わずに・・兄弟親戚仲良くやろうよ、と言いたいわけです。
宗運は仮の話だから、気にしなくて良いです。
252 :
人間七七四年:2007/09/11(火) 19:27:44 ID:4tmS6Pqj
阿蘇が菊池で勢力を扶植するなど
大友がゆるすばすがなかった
阿蘇家が天草に浸透して島津に対して相良と協調できる態勢なら
もうすこし頑張れたかもしれない。
253 :
人間七七四年:2007/09/11(火) 19:50:54 ID:51cPg8Dv
結局阿蘇及び家臣団は大友、島津、どちらに属すべきだったのか。
ほとんど島津に属したけど、結局大宮司家は島津に滅ぼされたけどね。
254 :
人間七七四年:2007/09/11(火) 19:57:11 ID:7pGaSHxU
やっぱり現状維持でしょ
阿蘇家の動き次第で肥後の情勢が一変するならともかく…
255 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 01:14:29 ID:QDQllxdg
阿蘇家は肥後においては石高で群をぬく存在
相良の二倍はある
それでも相良のほうがはるかに積極的な活動を見せた
阿蘇は守護大名的な性格がつよかったせいか、受動的でありつづけた
256 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 17:49:11 ID:PIHRIE0n
信長の野望に阿蘇惟豊、甲斐宗運、高森惟直が出てた。
257 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 22:55:29 ID:cpPcMdQT
最近のコーエーさんはどのくらい血縁の表現ができてるん?
おっとスレ違いだ。ごめんよ。
260 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 23:32:15 ID:PIHRIE0n
阿蘇惟豊は公家のような風貌で、甲斐宗運は知恵のある老人風、高森惟直は山の
奥地に居る武将っぽかった。
261 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 23:45:03 ID:cpPcMdQT
惟将とか惟種はいないの?
262 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 23:59:14 ID:PIHRIE0n
惟豊の嫡男惟将は美男子だったと聞く。逆臣御船氏を討伐に向けて出陣する
様子を描いた絵を見たことがある。
263 :
人間七七四年:2007/09/17(月) 18:37:42 ID:t9a26be4
惟将の死後、何で惟将の子ではなく、弟が跡を継いだ?惟将にも子はいたろうに
264 :
人間七七四年:2007/09/17(月) 19:47:10 ID:VvkuUBu6
阿蘇ってそんなに米取れたの?菊池とかのほうが平野は広いような気がするが?
熊本平野なんてもっと広いし
265 :
人間七七四年:2007/09/17(月) 23:49:52 ID:t9a26be4
阿蘇だけではないからね
266 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 00:03:33 ID:ivPAGN1t
最盛期は平野部まで領してたはず
まあ阿蘇家の本拠はそれほどでもないけど、社領あるからね〜。
267 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 00:13:19 ID:ObkK/m8G
惟将には嗣子がいなかったとか書いてあるけど、60年以上生きてて、大宮司
ともあろうお方が子供つくらなかったのかな。
268 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 00:43:44 ID:zgzD+Hjr
平野が米とれるって近世以降の話だろ?
丘陵地帯は森で開墾やら灌漑が大変すぎて国人領主の手に余る
低湿地は河川が頻繁に氾濫、治水はやっぱり国人領主の手に余る
小領主連合体の戦国大名も状況はいっしょ
269 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 20:09:55 ID:ivPAGN1t
火山地帯よりはとれるでしょ、さすがに
270 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 21:07:31 ID:8IY5Ausi
火山地帯・・・ゲームではそうなってるのか?
271 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 23:01:34 ID:ivPAGN1t
ゲーム?
宮司強し
273 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 23:13:33 ID:ObkK/m8G
どっちかといえば阿蘇よりも球磨地方のほうが肥沃で米も取れたであろう
274 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 01:45:00 ID:v9WQOLLx
それが君のイメージでも事実は逆 石高は二倍
275 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 07:19:48 ID:TS/RRX8o
数値挙げてもらわんとよく分からんな
あまり詳しくないもんで
276 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 21:15:44 ID:ZqMQ6EK2
>>230 森高千里って阿蘇の高森町出身?だとしたら坂梨高森家とは関係ないかもしれないね。
惟直の子孫は高森落城以後、高森町には住んでいないようだから。
277 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 19:42:42 ID:zkhNOagl
>>231 勝手に名乗って、自分はその子孫であると言ってる人はいると思う。
278 :
人間七七四年:2007/09/22(土) 12:49:07 ID:kRxdC1nE
阿蘇が世界文化遺産に立候補したらしい
279 :
人間七七四年:2007/09/23(日) 23:08:14 ID:jsHPu0x6
肥後は本当は54万石よりもはるかに多かったので、ココに出てるような大宮司家の35万石というのも
、その有力一族の3万5千石というのも驚くほどではない。
280 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 00:16:44 ID:8qVkRdlN
>>279 本当はどれぐらいあったの?
阿蘇家の35万石の信憑性との関連は?
281 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 08:13:29 ID:WKWom44C
平時で耕作に多くの人が従事できる上に、干拓などが進んだ江戸時代の石高基準にしてもしょうがないだろ。
清正・行長の石高みても、阿蘇氏が35万石ってのは誇張があると思うけど。
282 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 12:15:17 ID:DLBSTqld
惟豊の時代、35万石を領していて、さらに従二位だったら少なくとも九州ではかなり高い身分
だったと思われるが、兵力が大したことなかったんだろうね。
283 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 13:54:18 ID:tBVJB38U
阿蘇、菊地、玉名、熊本、八代平野足したら35万石くらい?
284 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 14:46:21 ID:DLBSTqld
阿蘇 益城 宇土etc + 周辺国の一部で35万石
285 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 17:40:49 ID:v/JoK3WQ
だいたい阿蘇5万、益城10万、その他5万てとこ
35万石水戸家なみとかありえん
286 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 17:52:21 ID:DLBSTqld
筑後 豊後 日向 薩摩にも領地があったんだからありえるんじゃない
287 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 18:18:54 ID:ignxzbF2
他国に領地があったとしても社領を幾らか貰ってる程度じゃねーの?
288 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 18:29:29 ID:BwiEEqPg
小説風神の門で阿蘇大宮司家の家来斉藤縫殿という人物が出てくるが、
実在の人物?
289 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 18:33:07 ID:DLBSTqld
聞いたことないX その小説も知らんけど・・・
高森やら甲斐はよく聞くが、斉藤はないね。でも家来はたくさんいただろうからいたかもしれんね。
290 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 23:53:13 ID:DACI0CcG
>>283 菊池や今の熊本市あたりは菊池系の国人が支配しているし、宇土も名和氏、八代は相良氏がいるから一部を支配していたとしても
対したことないと思う。
主な領地は阿蘇・益城だけなんじゃないの。いろいろ合わせて10万石くらいじゃないのかな。
石高ってのは人口にほぼ等しいんじゃなかったっけね。
それはそうと神祇伯の白川家は正四位が基本だったよね。
292 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 03:44:37 ID:ea8UC30J
>>290 阿蘇・益城だけで15万以上
宇土郡も半島部分は知行、詫麻郡の健軍社
末期は白川以南の飽田郡まで進出
293 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 23:15:57 ID:YKnEyuM9
なぜ35万石を否定する?
294 :
人間七七四年:2007/09/26(水) 00:02:36 ID:W4CAJUON
実効支配の及ばない土地の権利は横領される時代
その権利だけの土地全部と、近世の開発がすすんだ石高をあてた
どこかの阿蘇マンセーの数字だから
IDが呪怨・・・
296 :
人間七七四年:2007/09/26(水) 21:17:46 ID:jWMiWHay
297 :
人間七七四年:2007/09/26(水) 21:54:30 ID:V0pE0AI0
君たち、やる気あるのか 彡 ミ;;;i
〃ニ;;::`lヽ,,_ ≡ 彡 ,,,,,、 ,,,,、、 ミ;;;!
〈 (lll!! テ-;;;;゙fn __,,--、_ .. ,ゞi" ̄ フ‐! ̄~~|-ゞ, ≡
/ヽ-〃;;;;;;;llllll7,,__/" \三=ー"."ヾi `ー‐'、 ,ゝ--、' 〉;r' ≡ オランウータンとか呼ぶな
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,イ ヽ二)l(_,>" l| ::\;:: | | | ヽ,,-‐、i' / V
i、ヽ--イll"/ ,, ,//,, :;; l // l く> /::l"'i::lll1-=:::: ̄\ 所詮サルですから・・フフ
ヾ==:"::^::;;:::/;;;;;;;;;:::::::::::::: :::::ゞ ノ/ L/〈:::t_イ::/ll|─-== ヾ
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ヽ_=--"⌒ ゙゙̄ヾ:/ /:::::::/:::::::::`<==-- ノ / /
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298 :
人間七七四年:2007/09/26(水) 22:27:18 ID:NEg36+eM
>>292 >阿蘇・益城だけで15万以上
おいおい、過大じゃないか? と思ったので調べてきた。見たのは熊本県の歴史 だったかな、本の名前控えてなかった。orz
左は天正16年加藤清正領知目録 (だから小西の領地の分が抜けている)
右は寛永11年肥後国な并豊後の国内郷帳より
単位は万石、もっと細かい数値載っていたけど100石単位で4捨5入してます 分類は郡別。
飽田 3.2 5.1
詫麻 1.3 1.9
山鹿 1.2 3.3
菊池 1.6 2.6
合志 2.2 3.5
阿蘇 4.1 5.5
芦北 0.7 1.8
玉名 4.4 7.4
山本 0.9 1.7
宇土 2.6
益城 12.4
八代 4.3
合計19.5 32.8
左のデータは豊臣家直轄領が抜けていて、葦北0.4 他に石高は判らないが高瀬周辺(玉名)、隈本周辺(託麻)や小西領の八代などにもあったらしく肥後全体で8万石くらい、
また 山鹿の伸びが大きいのは、国衆一揆で隈部氏の勢力が徹底的に弾圧されて 隠し田なんかも皆暴かれたからじゃないかと、この項書いた人は推測していました。
寛永11年の阿蘇 益城合計だと17.9万石、 益城の生産力すごいな。
でも個人的には画図湖・緑川・加勢川の清正による治水工事が大きく影響している気がしなくもないです。
まあざっくり15万石ってのは当たってると思いました。
299 :
298:2007/09/26(水) 22:45:19 ID:NEg36+eM
連投で。同じ本に載ってました。
太閤検地のデータ(えらくアバウトなんで差出しとかの不確かなデータも入ってるんじゃないかと筆者の人は推測)
飽田 550町
詫麻 1100
山鹿 550
菊池 1000
合志 1800
阿蘇 3000
芦北 深水分のほか と記載
玉名 3800
山本 550
宇土 1000
益城 1500
八代 3800
その他、天草350 川尻(なんで郡じゃないのに分けてあるんだろ)300
天正5年に竜造寺勢力が肥後に進出したときのデータ(赤星以下は名前略しました)
隆信公御家中着到
阿蘇大宮司 4300町
甲斐宗運 1200
赤星 3000
城 3000
隈部 1900
相良 3000
内空閑 1500
小代 1300
名和 1000
島津が水俣獲る前なので相良は球磨+八代+葦北なのかな。
甲斐氏の勢力と合わせて、他の有力国衆の2〜3倍くらいの勢力って評価ですかね。
300 :
298:2007/09/26(水) 22:48:08 ID:NEg36+eM
>>298 の宇土・益城・八代は 寛永11年のほうの値です。 ミスってしまいました。
301 :
人間七七四年:2007/09/26(水) 23:39:04 ID:V0pE0AI0
つまり35万石というのは信じがたいと・・・
35万石って言った人の根拠はなんだろうね
302 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 06:45:29 ID:wq32ToTP
玉名周辺って意外とあったんだな。ちと嬉しいな。
303 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 18:10:05 ID:aHXYdOEC
村山惟民の生まれた年を教えてください。
304 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 19:39:11 ID:rYrCSq6M
13・5万石を誤読してるとか♪
305 :
甲斐党員:2007/09/27(木) 21:19:43 ID:2i68kO1/
306 :
人間七七四年:2007/09/28(金) 09:36:16 ID:UAJe9t0Y
阿蘇家に関しては、日本で最も系譜の明らかな家系だとか言われる一方で、
もとより伝承の域を出ないとも言われるが、どちらが正しいのかな?
〜源氏、〜平家の末裔といわれる多くの家系よりは信憑性があると思うのだが。
307 :
人間七七四年:2007/09/29(土) 17:45:43 ID:eGBxpsY3
ググった程度の知識しかないけど、木山惟久関連がよくわからん・・・
仏木坂で討ち取られたって書いてあったり黒田さんとこの熊之助といっしょに溺死したって言ったり、
あと奥さんが甲斐宗運の孫って、兜梅のお京と毒殺孫が同一人物って事?
308 :
人間七七四年:2007/09/30(日) 01:18:50 ID:yj/naxaS
木山は阿蘇一族じゃないのに『惟』がついてるね。
309 :
甲斐党員:2007/09/30(日) 02:01:57 ID:rcKaOIBR
>>308 阿蘇氏より惟を名乗る事を許されたからでしょう。甲斐宗運入道親直も別名『惟親』ともいいます。
大友宗麟からは義鎮の鎮の字を賜り『鎮親』の名を贈られている。ちなみに息子の親秀は『鎮隆』ともいう。
普通、主従の関係ならば、義鎮→鎮親というように下にある字を下賜されるはずであるが…
同等に『惟』の字を先に名乗る事を許されたという事は、かなり一目置かれた存在の者であったのではないだろうか。
310 :
人間七七四年:2007/09/30(日) 11:19:16 ID:yj/naxaS
へぇ〜、甲斐宗運に『惟親』の別名があることは知らなかった。
北里氏も阿蘇家一族じゃないのに『惟』がついてるしね。
そういえば阿蘇24城の中で阿蘇一族じゃない人も甲斐、木山、北里くらいかな
311 :
甲斐党員:2007/09/30(日) 12:34:43 ID:rcKaOIBR
甲斐氏、高森氏、木山氏、竹崎氏、光永氏、村山氏、西氏、仁田水氏など
結構『惟』という字を使っている国人衆は多い。。 阿蘇家特有の決まり事でもあったのかも知れない。。
312 :
人間七七四年:2007/09/30(日) 13:41:30 ID:yj/naxaS
南郷七家をはじめ、24城の城主のほとんどは阿蘇家の一族で固められてる。
島津方の仁田水と村山は高森に説得に来て、仁田水は斬られてるね。でも、高森、村山、仁田水らは
協力して大宮司惟光を匿ったりしてる。高森城で対面した高森、村山、仁田水と、後で協力してる各氏は
どういう関係だろうな。あるいは関係ないとか。
313 :
人間七七四年:2007/09/30(日) 20:42:14 ID:ZK3NuyIW
館勤めの奉行衆と城持ちをがそれぞれの家で分かれていた。
314 :
人間七七四年:2007/10/01(月) 00:53:29 ID:kwo2Sgul
阿蘇24城の中で、具体的に城跡が残ってる城ってあるの(石垣とか)?
たいていは石碑があったりするだけだけど
315 :
人間七七四年:2007/10/01(月) 08:36:39 ID:KUlGhVlG
阿蘇氏じゃないけど、元々同じ一族じゃなくても擬制的な一族関係から後になって系図上もつなげちゃうという例もあるようだから
一族外でもそんなに分けて考えてなかったとかもありそうですが。
竹崎って竹崎季長の子孫?季長も出自がはっきりしないんだよね。
見たことあるのは阿蘇氏・菊池氏・益城郡司(火の君)の末裔説とか。
316 :
人間七七四年:2007/10/01(月) 11:38:06 ID:kwo2Sgul
竹崎季長自身は藤原と称していたから菊池と思ってたのでは。その頃は阿蘇より菊池の方が
肥後武士団の代表的存在だったからだろうね。本当はどっちか分からんけど(どっちでもないかも)。
317 :
人間七七四年:2007/10/01(月) 23:11:10 ID:qblxM6BM
堅志田城は国指定史跡だぞ
石垣にこだわるなら戦国の城は理解できない
318 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 20:04:27 ID:CdWmrXnD
阿蘇家と肩を並べる一族を挙げるとしたら?あるいはそれに次ぐ一族は?
319 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 21:24:11 ID:A0HFYDcF
>>318 肥後で?
だとしたら、相良とかかな…。
320 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 21:27:07 ID:CdWmrXnD
いや、一族で
321 :
人間七七四年:2007/10/04(木) 22:52:46 ID:nKKHjOQR
阿蘇の一族なら、上の高森氏とか?
322 :
人間七七四年:2007/10/05(金) 11:03:42 ID:rOqyV0ah
村山氏とかもかな?惟豊時代に外交やら民政で名前残した重臣がいるらしいし
323 :
人間七七四年:2007/10/05(金) 23:26:53 ID:+5J8a0/y
高森殿かな。でも、そんなに格式高くても出自が明らかでないのはちと解せぬが。
324 :
人間七七四年:2007/10/06(土) 10:16:13 ID:JdEriU/u
その当時の家臣はみな〜殿という呼称だったのかも。高森殿に限らず
325 :
人間七七四年:2007/10/10(水) 14:56:38 ID:sgLfgE6O
従二位惟豊は朝廷から何か役職は与えられなかったのかな。
326 :
人間七七四年:2007/10/13(土) 22:46:41 ID:d2rXm3oj
阿蘇家は本姓宇治みたいだけど、何で現在阿蘇家なのか
327 :
人間七七四年:2007/10/13(土) 23:32:45 ID:aPPeF2yr
>>325 朝廷の官職についてなにもしらないんだろ?
だったら聞いても意味ないと思わないか?
>>326 本姓と名の意味がわかってないのにに聞いてもしかたないだろう
最低限の知識もないのにこんなマイナーなスレに参加するなって
328 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 00:10:29 ID:RpxmuVh9
たかが2chの書き込みごときに最低限の知識なんているの?
329 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 00:41:57 ID:Hd4VL/Ne
思いついたことはチラシの裏に書けばいいと思うよ
330 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 03:40:26 ID:2XJB74JK
>>328 お前の人生はいつもそんな調子なんだろうな
331 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 12:47:47 ID:cIcB+pdh
>>325 従二位・阿蘇大宮司ということになってる。
>>326 それは足利氏とかがなんで源氏といわないか、というのと同じ問題。
332 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 12:58:45 ID:hboIk5vf
>>331 >それは足利氏とかがなんで源氏といわないか、というのと同じ問題。
ん?阿蘇って名字なの?
姓を阿蘇にかえたんじゃないの?
延喜年間に名字があったとは思えないけど。
333 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 14:28:36 ID:2XJB74JK
延喜年間に戦国時代の本姓・名字の関係を当てはめようとしてる
>>332にワロタ
そりゃ、延喜年間に戦国時代の意味での本姓・名字はない。
あくまで氏姓であって姓(本姓)と氏(名字)が明確に分割される前の話なんだからな。
宇治君部の氏姓は応神朝で宇治部舎人を勤めた為に与えられたもの。
あくまで職能を表す氏姓ということに注目。
八色の姓以降(朱鳥二年)に宿禰姓を賜るが氏は宇治のまま。宇治宿禰角足。
このときの宇治は宇治君部の子孫であることを表しているだけ。
阿蘇国造という姓は欠史八代の時代のもので、職能を言うのならば
阿蘇の国の支配権を与えられたもの。もしくは祭祀権をもつもの。
八色の姓には入らない為、本姓ではない。
宇治と阿蘇どちらのほうが権威を持たせられるかは
阿蘇宮司としての権威を高めたいならば自明だよね。
334 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 20:25:16 ID:wEkkeiFu
>>333 >宇治と阿蘇どちらのほうが権威を持たせられるかは
>阿蘇宮司としての権威を高めたいならば自明だよね。
だから、それは
>>331 >それは足利氏とかがなんで源氏といわないか、というのと同じ問題。
とは違うんじゃないの?って言っているのだが。
権威を高めるために源義康の子孫が足利氏を称したのか?
逆だろ、頼朝が源○○って称することを自分の家系だけに限定することで権威を高めるために、他の源氏の武士たちを
幕府内で名字で呼ぶようにしたんだから。
この足利氏の例がどう阿蘇氏の話と同じなの?
335 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 23:28:58 ID:RpxmuVh9
三位中将
336 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 23:53:44 ID:2XJB74JK
>>334 姓を阿蘇に変えたとか馬鹿なこと言ってるからつっこんだんだろうが。
足利云々とかって話を関係ない俺に火病って喚くな!
戦国時代みたいな明確な本姓と名字って考え方はなくとも
大本の氏族があってその分家の氏族って考え方は普通にあった。
宇治君部の本姓を与えられた氏族がその後、阿蘇評督の職権を与えられた。
この職権を指して氏族名として阿蘇を標榜し、阿蘇国造の末裔とも称した。
ただし、朝廷から与えられた氏姓はあくまで宇治君部であり、
自領内では阿蘇を名乗ることはあっても朝廷に対しては宇治姓を使い続けた。
名字が一般化してきた頃に対外的に阿蘇が名字ですと正式に名のり始めた。
>逆だろ、頼朝が源○○って称することを自分の家系だけに限定することで権威を高めるために、他の源氏の武士たちを
>幕府内で名字で呼ぶようにしたんだから。
大嘘つくな。鎌倉幕府以前から名字あった 。
新たな氏姓が賜られることが減り、同一氏姓の族人が増えてくると
荘園名・領地名を指して名字とするのが一般化した。それは鎌倉幕府成立以前の話。
337 :
人間七七四年:2007/10/15(月) 09:11:19 ID:Kb8fpJtQ
>>336 >大嘘つくな。鎌倉幕府以前から名字あった 。
バカですか? おれがそのとき初めて名字が出来たって書いていますか?
名字は平安時代からあるよ、公式なものじゃなくて、他者と区別する符号みたいなものだからどっちでも呼ばれることがある。
足利氏の初代とされる足利義康は保元の乱のときは、源義康として出てくる。
だけど、頼朝が政権握ったあとには、源○○ってかたちで名乗ることを名誉なこととして、清和源氏の中でも限定された人間に限ったんだよ。
選ばれなかった者は、公式の場でも名字しか名乗れない。
門葉でググレ。
>それは足利氏とかがなんで源氏といわないか、というのと同じ問題。
って回答だと、阿蘇と称した時点でそれを名字としたと、質問した人が誤解するだろうから突っ込んだんだが。
横から出てきて詳しい解説ありがとう。w
338 :
人間七七四年:2007/10/15(月) 12:06:51 ID:EmhGpsGz
千家家と阿蘇家はどちらが古い家柄ですか
339 :
人間七七四年:2007/10/15(月) 21:16:59 ID:HobPgnvW
>>338 現在の千家氏・北島氏は「出雲国風土記」を編纂した出雲国造家の子孫。
現在の阿蘇氏は平安時代に阿蘇大宮司家が世襲制になってからの子孫。
世襲制になる以前ももちろん阿蘇国造家の一員であったろうから、古いことは間違いない。
ただ、一つの「家」としての古さとなると、出雲国造家から続く千家氏・北島氏のほうが古いと言える。
340 :
人間七七四年:2007/10/15(月) 23:03:05 ID:EmhGpsGz
>>339 神八井耳命からの阿蘇系図があるけど、信用できるのが平安初期くらいからってことかな?
阿蘇国造のときから世襲制だったと聞くがこれはあやしいの?
341 :
人間七七四年:2007/10/16(火) 22:15:36 ID:p/usTbmS
今日放送の『何でも鑑定団』熊本県山都町出張鑑定で
甲斐さんって人が出てた
持ってきた「宝物」は思いっきり土産物だったようだがw
342 :
人間七七四年:2007/10/16(火) 23:23:31 ID:KaXEE3x7
まあ御船に甲斐宗運という大宮司家の軍師がいたね。関係はないだろうけど
343 :
人間七七四年:2007/10/17(水) 02:53:39 ID:YxJHLffC
344 :
人間七七四年:2007/10/17(水) 09:29:53 ID:ZJpMf0aM
345 :
人間七七四年:2007/10/18(木) 10:56:54 ID:IOEAt2A9
阿蘇大系図にでる宇治部武擬人から分家したということかな?その後の
小国 石金 ・・・も跡をついで国造なのかな。
分家ということは美穂主命と宇治部武擬人は親子ではない?
346 :
人間七七四年:2007/10/19(金) 01:09:26 ID:fRI8yVz9
>>345 >>343のサイトでは、美穂主命が阿蘇国造の初代と推測し、
武凝人は宇治部を称して皇室領を把握したためその兄弟が国造を継承したのではないかとしている。
国造家阿蘇氏…本家。宇治部武凝人の兄弟の子孫。
宇治姓阿蘇氏…分家。宇治部武凝人の子孫。
小国・石金ら武凝人の子孫はあくまで宇治部であり国造家ではなかったのではなかろうか。
当時は必ず長男が家督を継ぐという原則は無いから、本家・分家という概念は無かったろうけど。
古代日本は末子相続だったとも言われるからね。
つか、この応答って絶対戦国時代スレじゃないよな。
347 :
人間七七四年:2007/10/19(金) 15:17:51 ID:hA173/6H
国造家に嗣子がなかったから滅んだのか、それだったら分家の宇治姓の阿蘇氏が
国造を継いでもよかったのにな。ま、真相は分からないけどね。
348 :
人間七七四年:2007/10/20(土) 11:08:19 ID:EeptVEKA
由緒正しい千家家でさえ従三位以上はいないらしいな。
阿蘇家には昔から結構いるのに。
349 :
人間七七四年:2007/10/20(土) 18:35:13 ID:JJtiULpE
従二位になった時の「二万疋」ってどのくらいなんだろ?
350 :
人間七七四年:2007/10/21(日) 04:01:07 ID:CRJKbbVf
>>349 一疋≒十文
百疋≒一貫
二万疋≒二百貫
ちなみに1543年に織田信秀が朝廷に献納したときの金額は四千貫。
疋に直すと約四十万疋となる。
351 :
人間七七四年:2007/10/21(日) 10:46:40 ID:0Ichd1Rk
>>349 >従二位になった時の「二万疋」ってどのくらいなんだろ?
>二万疋≒二百貫
今谷明の「戦国大名と天皇」の記載だと100貫ってなってますが。
天皇に対して100貫、取次などの関係者への贈答・使者の交通費などの諸経費も合わせて200貫ってことなのかな。
天皇に対する官位のお礼は、20貫+太刀一振〜100貫ってのが相場って書いてありました。
>>350 >ちなみに1543年に織田信秀が朝廷に献納したときの金額は四千貫。
同じ内裏の修理費としては、阿蘇惟豊が100貫献上していますね。
352 :
349:2007/10/21(日) 10:53:51 ID:4JdW/5BP
>>350、
>>351 ありがとう。
やはり商業も盛んな尾張と肥後の山間部では国力の差があるってことかな。
353 :
人間七七四年:2007/10/21(日) 20:04:30 ID:1wbPfpN0
従二位か・・・左大臣右大臣
354 :
人間七七四年:2007/10/23(火) 16:29:41 ID:209Ln8bJ
朝廷から官職を授かっていたならもっと周囲に影響力をもてただろうに
355 :
人間七七四年:2007/10/25(木) 18:46:52 ID:NfpFlq38
age
356 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 21:34:13 ID:ZGoQAXDX
潮時かな
357 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 21:48:16 ID:MM5fMNVn
三村氏のとは兄弟スレみたいな感じか
358 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 22:01:07 ID:ZGoQAXDX
大宮司家むなし。従二位なのに
359 :
人間七七四年:2007/10/27(土) 13:13:16 ID:o16wf0j7
終了します
360 :
人間七七四年:2007/10/29(月) 17:28:10 ID:7Njuzv/n
上げ。
361 :
人間七七四年:2007/10/29(月) 20:09:47 ID:pLrjSNsJ
このスレのキーワード
阿蘇大宮司、高森殿、甲斐宗運、35万石
362 :
人間七七四年:2007/10/29(月) 20:16:17 ID:RRS1LTBQ
良スレだったのにな…
田舎大名のつらさか
363 :
人間七七四年:2007/10/29(月) 21:08:37 ID:pLrjSNsJ
大宮司家には従二位惟豊以外にも正三位、従三位など位が高い奴が結構いて
九州の中では格段に『偉い人』のはずなのにな。やはりどの時代も武力がものを言うのか・・・
364 :
人間七七四年:2007/10/31(水) 17:13:08 ID:6erKFzbj
阿蘇氏はどうかわからないが
少なくとも相良氏はマイナーではないと思う。
アントニオ猪木の母方として知名度は全国区のはずだ。
アントニオ猪木の実兄の相良寿一が参議院選挙に出るなど露出度は高い。
365 :
人間七七四年:2007/10/31(水) 17:36:03 ID:Q2m6QmY3
それは戦国大名としての知名度ではないしね
阿蘇氏なら、長野とか千葉みたいに「地名系の名字?」という認識しかされないだろう…全部有名氏族だが
366 :
人間七七四年:2007/10/31(水) 18:55:40 ID:4JXfjotv
人吉の大名家直系の相良男爵家のお嬢様だよ。
学習院大学にも馬車で通われていたれっきとした華族令嬢。
なので兄のほうは母方の相良姓を名乗った。
もちろん弟は父方の横浜の商家の苗字をそのまま使ったけど。
367 :
人間七七四年:2007/10/31(水) 20:45:35 ID:Q2m6QmY3
それは、猪木ファンとかプロレスファンには有名なの?
格闘技詳しくないから分からない…
368 :
人間七七四年:2007/10/31(水) 23:38:04 ID:ITmbdz1X
猪木が相良一族の弟?まあ阿蘇家とは関係ない
369 :
人間七七四年:2007/11/01(木) 08:23:59 ID:yJCb/Sbj
相良って男系子孫が断絶してるんだよな
現女当主の方も高齢で子息がいないみたいだし
相良は平成で完全に断絶するね
370 :
人間七七四年:2007/11/01(木) 12:10:55 ID:IiSAqTlq
男系子孫というのは代を重ねれば途絶えるものだよ、どの家も。
女当主とかありうるの?たいていその場合は養子を迎えると思うけど。
371 :
人間七七四年:2007/11/01(木) 14:44:03 ID:MveuIo1V
>男系子孫というのは代を重ねれば途絶えるものだよ、どの家も。
それはどうかな
>女当主とかありうるの?たいていその場合は養子を迎えると思うけど。
それもどうかな
372 :
人間七七四年:2007/11/01(木) 19:31:30 ID:ON1lv7mR
>>125 米良氏は徳川大名でも何でも無かった。
日向米良地方の名家旧跡ということに過ぎなかった。
もちろんお目見えでも徳川に対する臣従の礼も取っていなかった。
ところが不思議な事に米良家は江戸への参勤交代は行っていた。
財政面が逼迫していたので江戸市中に屋敷を構える余裕は無く
江戸滞在中は赤坂の人吉藩藩邸に寄寓していた。
明治維新後華族の列に加わり本来の菊池姓に復帰した。
菊池男爵が貴族院において天皇機関説の美濃部博士を糾弾した事は良く知られている。
373 :
人間七七四年:2007/11/01(木) 21:05:16 ID:7a7fWEHS
374 :
人間七七四年:2007/11/02(金) 09:36:47 ID:+65OHGFu
大宮司家の一族の子孫はきっとたくさんいるんだろうけど、あまり詳しいことは
分からないね。子孫の家には資料が残ってて色んな興味深いことなんか書かれ
ているのだろうな。
375 :
人間七七四年:2007/11/02(金) 14:53:46 ID:BzaLH2LI
徳川将軍家も男系絶えてるだろ。
376 :
人間七七四年:2007/11/03(土) 13:17:27 ID:4bkVxKkg
だから養子が必要。女さえ生まれず、血のつながりのない婿養子、嫁を迎えるのは
虚しいけどね。あまり意味ない。
377 :
人間七七四年:2007/11/04(日) 18:06:21 ID:ZaBUM1aa
現在、阿蘇家は一族の家と親しくしてないのかな?近くにたくさんいるはずだが
378 :
人間七七四年:2007/11/04(日) 19:14:36 ID:ksFguPjR
阿蘇に多い阿蘇品って姓の人も阿蘇家の一族?
379 :
人間七七四年:2007/11/04(日) 21:46:32 ID:ZaBUM1aa
阿蘇古文書に阿蘇品〜という名前が出てくるから一族だと思う。もちろん今いる阿蘇品さん
のほとんどは関係ないと思うけど。阿蘇品という地名もあるからね。
380 :
人間七七四年:2007/11/06(火) 14:11:56 ID:EHZgK3Dy
皇太子、阿蘇神社に行かなかったな。正直、全国的にみればその程度の神社なんだろうなと思う。
381 :
人間七七四年:2007/11/06(火) 20:02:45 ID:FRo+0t1d
規模がそこまでデカいわけではないしね
古いけど
というか、阿蘇氏についてはネタ切れですか
382 :
人間七七四年:2007/11/06(火) 21:10:38 ID:EHZgK3Dy
ネタはあるが、そもそもココに来る人が少なすぎるだろうから続かんだろうな。
今日も自分とあなた(381)くらいだろう。一族とか石高の話のときは結構活発だったな。
そういえば細川家も1回しか阿蘇神社に参拝してないし、江戸以降から阿蘇家は無視されてんだよ。
注目してるのは我々くらいじゃないか。
383 :
人間七七四年:2007/11/08(木) 16:18:52 ID:SD8XpcDC
ほら。
384 :
381:2007/11/08(木) 16:44:59 ID:Gj+PuqB8
うわ本当だ
自分もそこまで詳しくないしなあ。
385 :
人間七七四年:2007/11/08(木) 20:36:25 ID:SD8XpcDC
やれやれ、何を書き込もうかな。
大宮司家の一族の中で誰に関心がある?
386 :
人間七七四年:2007/11/11(日) 23:53:50 ID:BcrSzLvK
ここのスレによると、一族で別格扱いの高森殿だな。
387 :
人間七七四年:2007/11/13(火) 22:03:16 ID:yGnynaKF
高森に説得に行って斬られた仁田水は大宮司家の一族ですか?
388 :
人間七七四年:2007/11/17(土) 20:26:43 ID:GEIO7jlt
南郷七家 の子孫ですが阿蘇家について殆んど興味なかった。
ここ読んでちょっと興味もった。
あと、個人で美術館やってるとこがあるけど、あそこ阿蘇家の末裔じゃなかったっけ?
(てゆーかまだ美術館やってんだろうか?)
389 :
人間七七四年:2007/11/17(土) 20:34:11 ID:GEIO7jlt
>57
追加 388デス。
落ち延びて細々と続いてる。(下っ端が落ち延びて上の人は死んだりとか
そんな感じじゃなかったっけ。オヤジが語ってたけど興味ないから聞き流してたw
よって間違ってるかも。)
390 :
人間七七四年:2007/11/18(日) 00:41:13 ID:7hIBsR7t
差し支えなければ、七家のうちどこかな?七家なら城主だよね。
答えたくなければどうか気にしないで下さい。
391 :
人間七七四年:2007/11/19(月) 01:19:44 ID:dwd0JUyb
阿蘇家って戦国大名といえるだろうか
wikiによると
領国の集権化、特に被官・家臣の統制を強化
が重要な目安になるようだけど
392 :
人間七七四年:2007/11/19(月) 09:28:55 ID:Ulb/jMBp
惟豊のとき35万石を領したそうだから大名といえる。でも南北朝時代ほど武士的活動
をしてないし(内紛はあったが)、武力によって外に領土を広げた印象はない。肥後全般について
言えることだけど、周辺国の大名に翻弄された感はある。薩摩島津にかなり抵抗した殿様もいたようだね。
393 :
人間七七四年:2007/11/20(火) 15:43:55 ID:xoquW12Y
阿蘇大宮司家は皇室の先祖が降りたったと言われる日向高天原とは何か関係あるの?
394 :
人間七七四年:2007/11/20(火) 23:58:55 ID:ejj5x/jJ
地元民からもスルーされてる現在の阿蘇家。現在の宮司があまり良くないな。
もっと一族大事にしろや
395 :
人間七七四年:2007/11/21(水) 08:49:08 ID:qtXgbS8t
396 :
人間七七四年:2007/11/21(水) 23:55:13 ID:2tREF28w
阿蘇家の一族で位階を持ってる人いますか?従五位下とか
397 :
人間七七四年:2007/11/22(木) 00:28:43 ID:/Wmv+YUT
戦国期の系図とか誰か書けない?
398 :
人間七七四年:2007/11/22(木) 02:18:53 ID:G1R1KX+R
一族の家紋はどういうものがありますか?
399 :
人間七七四年:2007/11/22(木) 20:09:12 ID:jGuS3mhR
>>397 系図サイトから戦国期の人物だけを抜き出せばいいだろ。
阿蘇氏の系図を掲載しているサイトはググればいくつかすぐに出る。
400 :
人間七七四年:2007/11/28(水) 10:19:38 ID:ZQ8ArQEC
北条氏系の阿蘇氏はどうなったの?
401 :
人間七七四年:2007/11/28(水) 20:45:53 ID:BHGFsT6Y
402 :
人間七七四年:2007/11/28(水) 21:41:41 ID:E77uPqSu
>>400 最後の当主治時が、鎌倉幕府滅亡後、出家して降伏したけど許されず処刑。
殺されたとき16歳なのでおそらく子孫はいないと思われ。
403 :
人間七七四年:2007/11/29(木) 18:00:42 ID:1vhTCkzb
阿蘇家は神官だけど、死後戒名はあったのかな
404 :
人間七七四年:2007/11/30(金) 17:06:39 ID:vT0eQXb+
北条氏の阿蘇氏は滅んだのか。
肥後ってほんとうに
名和氏だとか佐々氏とか細川氏とか日本史の材料の宝庫だね。
405 :
人間七七四年:2007/11/30(金) 17:13:36 ID:vT0eQXb+
今本屋で全国一ノ宮徹底ガイドという本が出ているけど
織田氏や松平氏のように神主出身という家の名乗りは結構多い。
阿蘇氏は国司家や守護家と並んで「上国使」という特別の政治的ステータスを
肥後国内で保有していた。九州北部では国一宮の座を巡って争いがあったが
南九州では一宮の地位は古代から江戸時代まで一貫していた。
やはり阿蘇氏の絶対的地位は国司家や守護家といえども侵せないものだろう。
406 :
人間七七四年:2007/11/30(金) 17:42:08 ID:mAI47rAY
朝廷や幕府も一応、阿蘇大宮司家は古代より続く旧家として尊重してたみたいだね。
特に顕著なのが鎌倉末期、南北朝の阿蘇惟時の時代で、九州では大友氏、島津氏、阿蘇家にしか綸旨を
渡さなかったと本に載ってた。天皇も親王もかなり阿蘇惟時を頼ってたみたいだし、幕府から薩摩国守護、
朝廷から肥後国上使に任じられてる。
大宮司家は武士集団としては大して強くなかったらしいけど、由諸ある名家として尊重されてたんだろう。
407 :
人間七七四年:2007/11/30(金) 21:17:58 ID:mAI47rAY
406訂正
惟時を薩摩守に任じたのは朝廷側だった。
408 :
人間七七四年:2007/12/01(土) 12:01:37 ID:B6oigu5d
大宮司家としては惟光の切腹を最後に終わってるけど、その後は弟がただの神主として
再スタートしてる。
409 :
人間七七四年:2007/12/06(木) 02:28:51 ID:8QpC9Q9V
実家が北熊本土着?の家だけど肥後は系図が辿りにくくて困る
おかげで先祖の事がぜんぜん分からん
関東なら国人レベルの出自でも平安末期まで辿れるのに
410 :
人間七七四年:2007/12/06(木) 09:18:48 ID:JvIrdv5E
>>409 しょうがないだろ、ほとんど秀吉に殺されちゃったんだから。
411 :
人間七七四年:2007/12/06(木) 09:54:05 ID:o2G9n9dV
国人レベルで平安末期まで辿れるということは、名門につながってるということか
412 :
人間七七四年:2007/12/06(木) 20:26:33 ID:wMgedfLi
>>411 逆じゃないのかな。
江戸時代の成りあがりの武士なら、初代の出身は不明と正直に述べた例もあるだろうけど
室町時代あたりの国人だと、無理にでも平安初期あたりに先祖を結びつけるのでは。
413 :
人間七七四年:2007/12/07(金) 22:39:00 ID:t9cl3LnJ
みいろむさしのつかいとて ごちんむらやまにたれや・・・・
414 :
人間七七四年:2007/12/14(金) 18:24:29 ID:FH3tSx9f
阿蘇大宮司って何気に守護とか国司に任ぜられてるんだね。
415 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 13:15:06 ID:WlfMXQkl
名族
416 :
人間七七四年:2008/03/07(金) 00:05:39 ID:daglDMeh
阿蘇惟時の官位を教えてください。
417 :
人間七七四年:2008/03/08(土) 23:59:28 ID:Sbrv5AHO
阿蘇殿
418 :
人間七七四年:2008/03/15(土) 19:32:01 ID:U2yZha2X
螟ァ螳ョ蜿ク螳カ
419 :
人間七七四年:2008/04/15(火) 01:07:31 ID:txM++BiS
阿蘇大宮司三家
阿蘇家、高森家、村山家
420 :
人間七七四年:2008/04/15(火) 17:00:27 ID:txM++BiS
今年に入ってほとんど来なくなったなこのスレ
421 :
人間七七四年:2008/04/17(木) 09:35:09 ID:42X44kAC
現在阿蘇氏の後嗣たる国丸さんは皇學館大学神道学科2年生に在学中です。
422 :
人間七七四年:2008/04/17(木) 18:06:36 ID:buBSk/i/
へぇ〜、『惟』がついてないんだ
423 :
人間七七四年:2008/04/19(土) 21:34:08 ID:5CU5XDM4
阿蘇家は途絶えるかも知れんな
424 :
人間七七四年:2008/04/19(土) 23:26:36 ID:NWFWqcvw
九州征伐当時の阿蘇ってどの程度の動員力?
425 :
人間七七四年:2008/04/22(火) 18:00:54 ID:PwnbkKls
島津により高森城が落城して阿蘇(というか肥後)は完全に平定。九州征伐時には文字通り無力。
秀吉により所領は全て没収。
426 :
人間七七四年:2008/04/24(木) 19:51:08 ID:IHLr3Osr
>>422 阿蘇国丸惟?みたいな、名前が長いタイプだったりしてw
427 :
人間七七四年:2008/04/26(土) 16:26:30 ID:qP8elLxU
阿蘇家が終わったとすれば次は何家だ。
428 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 00:27:53 ID:NKxGLDvw
家の嫁さん高森氏の末裔のはずです。高森氏について調べたらここに着きました。
本家の長女のはず。本家は豊後大野だと思うんですけど、詳しい人その辺教えてくれませんか?
昔は刀鍛冶、今は果樹園やっているけど、出荷はもうやってなくて、自給自足に近い。
連休に子供連れて遊びにいく予定です。ルーツ辿る旅なんか面白そうで。
429 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 17:34:27 ID:2UYoWZIX
>>428 ごめん、ちょっと意味がわからん。
高森本家が豊後大野にあるってこと?高森本家から豊後大野に嫁に行ったということ?
高森の末裔が刀鍛冶をやってたの? 前のレスには高森本家は阿蘇の坂梨とか本州だとかあってよくわからないみたいだけど
430 :
人間七七四年:2008/04/30(水) 00:59:31 ID:DSUMtWRK
428です。
連休に大分帰るので、義父に聞いてみます。
431 :
人間七七四年:2008/04/30(水) 17:42:48 ID:XqsB4+gc
侍というより、位の高い神主だね
432 :
人間七七四年:2008/05/04(日) 22:11:31 ID:JxnK4/SA
阿蘇神主の家臣たちの子孫っているんだろうね
433 :
人間七七四年:2008/05/05(月) 22:32:53 ID:GYmuFsO9
本家より先に青井阿蘇神社の楼門のほうが国宝に認定されたね。
日本三大楼門って阿蘇神社の他はどこ?
434 :
人間七七四年:2008/05/05(月) 22:52:20 ID:lP8WbcLw
鹿島神宮 筥崎宮 です。
阿蘇神社は建造物自体は新しいからね。
435 :
人間七七四年:2008/05/07(水) 18:48:10 ID:28PBJH76
阿蘇家ってそこまですごくないだろ
436 :
人間七七四年:2008/05/08(木) 19:49:24 ID:9dxxoOA8
阿蘇家臣
24城の城主
437 :
人間七七四年:2008/05/10(土) 01:15:32 ID:tXBpxC9D
一族じゃなくても惟が付いてる場合があるだろう
438 :
人間七七四年:2008/05/10(土) 08:26:44 ID:+6kzH1gs
>>432 矢部(今は山都町)の通潤橋を作った布田保之助が阿蘇家臣の末裔と称していて
系図みたら代々惟○って名前だった。
439 :
人間七七四年:2008/05/10(土) 20:16:43 ID:NfA7oTAX
あっそ
440 :
人間七七四年:2008/05/10(土) 20:25:20 ID:tXBpxC9D
阿蘇家臣の中でも家格が高いのは南郷七家だろ。あと甲斐も重臣だけど一族ではない。
戦争で二子石某中将がいるけど七家の子孫かな?
441 :
人間七七四年:2008/05/12(月) 19:53:57 ID:y26bePfe
阿蘇大宮司家
442 :
人間七七四年:2008/05/14(水) 21:11:35 ID:WvuON5zl
北里も惟がついてたっけな。でも北里は阿蘇家の一族ではないよな
443 :
人間七七四年:2008/05/15(木) 01:20:48 ID:nWxsX1Lw
阿蘇神社の末社として健軍社と甲佐社があるが、なんで矢部とか南郷にないんだろうな
444 :
人間七七四年:2008/05/15(木) 18:43:26 ID:Q0kgflxp
阿蘇神社の末社は数知れないが、代表的な末社が健軍、甲佐、郡浦じゃないかな。
領土内にバランスよく置いたのでは?近くにまとめて置くわけにはいかないし
445 :
人間七七四年:2008/05/15(木) 21:42:11 ID:Q0kgflxp
中世の阿蘇家はおもしろいよな
446 :
人間七七四年:2008/05/17(土) 11:57:33 ID:UXCSqybE
阿蘇家の一族って多くね?
447 :
人間七七四年:2008/05/19(月) 15:36:56 ID:Ee6L02eY
阿蘇の末裔が来ましたよ
448 :
人間七七四年:2008/05/19(月) 18:41:07 ID:iVN/IQtv
449 :
人間七七四年:2008/05/19(月) 21:22:58 ID:Hb0xn7tD
450 :
人間七七四年:2008/05/25(日) 14:23:35 ID:btwdVlMT
阿蘇谷の一族より南郷七家の方が力が大きかったのか
451 :
人間七七四年:2008/05/26(月) 00:04:48 ID:1rY2h3La
阿蘇谷の一族では何家があるの?
452 :
人間七七四年:2008/05/26(月) 19:39:15 ID:CZULqXdP
>>451 坂梨家など あまり知らないや。
南郷にはたくさんいるけどね。高森、村山、長野、竹崎、市下、二子石、
南郷七家というくらいだから阿蘇家臣団の中では力が大きかった部類じゃないかな
453 :
451:2008/05/26(月) 21:28:04 ID:1rY2h3La
阿蘇の分家の家々は・・・
それほど力は無かったんじゃないんだろうか。
各家々の領地・石高、官位なんかが分からればいいんだが。。
やはり肥後は健軍、御船から高千穂の三ケ所・鞍岡、日之影は松の平、立岩に至るまでを支配していた宗運の甲斐家が最強。
454 :
人間七七四年:2008/05/26(月) 23:11:52 ID:CZULqXdP
確かに戦国末期の阿蘇家臣の中で最強は甲斐宗運。だから一族でもないのに御船城主に任命している。
この人なしに阿蘇家の繁栄はありえなかった。まぁ、甲斐も野心があって阿蘇家を利用してた面も
あったのだろうがね。
455 :
451:2008/05/27(火) 21:26:36 ID:4yAEr7Je
宗運は阿蘇家の筆頭家老でもあり、高千穂領主、三田井氏の重臣でもあった。
当時、阿蘇と高千穂との結びつきは強かったようで、他の地域とは異質な主従関係だった事が伺われる。。
甲斐党の主だった家は、宗運の御船家。親昌の隈庄家。日之影の誠昌の家代家。重方の七つ山家。があり
九州中央部は、いかに甲斐党を取り込むかが重要であったようだ。
上井覚兼日記によると、島津方は甲斐党の為に相当苦労した事も伺われる。。
456 :
人間七七四年:2008/05/27(火) 22:16:25 ID:5huQxoXd
甲斐宗運は忠臣だったんじゃないの?主家の為なら自分の子供すら殺すくらい
457 :
451:2008/05/27(火) 23:01:08 ID:4yAEr7Je
それは、あくまで伝承に過ぎない話。。
458 :
人間七七四年:2008/05/28(水) 00:03:02 ID:kE7yMUYp
甲斐氏がなぜあそこまで大宮司惟豊惟将親子に忠誠を尽くしたのか
そもそも惟豊が惟長に追われて逃げた先が日向の甲斐の領地だったことがきっかけだったはず。
459 :
人間七七四年:2008/05/29(木) 19:03:03 ID:iUQmwbl3
高森や坂梨、北里など、他の家に関して詳しい人いないの?
460 :
人間七七四年:2008/05/29(木) 21:57:38 ID:w0YNDb3r
高森については上の方のレスで結構情報が出てたと思うが・・
高森については多少詳しい。
461 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/03(火) 21:15:56 ID:2qrFeDng
戦国期、惟豊・惟将の時代の高森家の主だった者は誰がいたの??
462 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/03(火) 21:41:40 ID:AL0fsekQ
たしか惟豊の時が高森安芸守、惟将の時は高森伊予守惟直
惟将と惟直は年は離れていたと思うけどね
それと、大宮司惟忠の下野の狩のときの十二騎の侍の中に高森伊豆守がいた。
昔からの重臣だね
463 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/03(火) 21:51:18 ID:2qrFeDng
安芸守というのは、伊予守惟直の親父さんになるのかな?
惟忠の時代とは、またシブイですな。。
464 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/03(火) 22:37:56 ID:AL0fsekQ
465 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/03(火) 23:45:20 ID:2qrFeDng
惟直は養子なんですかぁ。
まぁそれでも、一族の血を引く誰かなんでしょうね。
滅ぼされた戦国の国人衆の家々の本家筋や系図を辿るのは難しそうですね。。
466 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/03(火) 23:52:55 ID:AL0fsekQ
重臣高森家、しかも要衝高森城主を継ぐくらいだから阿蘇家と全く無縁の人間なんてありえないだろうからね。
しかも薩摩島津勢に最後まで抵抗し続けたのはこの人だったよね
467 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 00:41:25 ID:5Y7pm/X9
最後まで抵抗というと、御船の甲斐宗運・宗立の親子の方が抵抗してますね。
巧みな外交戦術で島津の益城への侵攻は遅らされてしまい、矛先は竜造寺討伐へと変えられ(沖田畷の戦い)
その後、高千穂を傘下に納めた別働隊の新納忠元が、三田井氏の家老、家代の甲斐家の甲斐宗摂を案内役に高森城を落城させました。
それから、ほんの数年後甲斐宗運が没し、子の宗立が島津の築いた出城に攻め入ってしまい。。 これをきっかけに御船城が陥落・・・ 阿蘇家は完全降伏。。
468 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 21:34:53 ID:DDpSI1MU
正三位惟忠公
469 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/07(土) 06:53:47 ID:9aByDZEG
宇治
470 :
人間七七四年:2008/06/11(水) 22:20:30 ID:XiSM+hJZ
惟
471 :
人間七七四年:2008/06/16(月) 18:50:17 ID:KTknPSVr
現在の阿蘇家は惟善の直系? 途中で大里氏に変わってるんじゃなかった?
472 :
人間七七四年:2008/06/21(土) 02:07:25 ID:8VPL8Iw/
こないだ阿蘇神社行って来ました。烏帽子を被った方がいましたが・・・
あの方が現在の当主の方なんですかねぇ。。
473 :
人間七七四年:2008/06/21(土) 11:08:43 ID:l1ySlPOP
先代の宮司阿蘇惟友さんはいい人だったんだけどね〜
474 :
人間七七四年:2008/06/22(日) 02:01:02 ID:teiPUQK3
今の人はダメなんだ・・・
475 :
人間七七四年:2008/06/22(日) 17:13:51 ID:/zYGllxx
威厳がない
476 :
人間七七四年:2008/06/22(日) 22:42:26 ID:fklaDqAF
.. .. . ... .::::.. . . .:: : :.. . ... ::: :::.. ... ..
.. . ... ... ..::. .. . .. . .. .::::: :: :. ... .:::::
:... . .:::: .. . . 阿 男
蘇 爵
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男爵なのにすごい山男みたいな感じが出てしまう…
477 :
人間七七四年:2008/06/29(日) 22:59:26 ID:pdOBX0Pq
先祖に惟助という人物がいる
478 :
人間七七四年:2008/07/06(日) 02:49:16 ID:zRbC8KZ4
大宮司惟豊に官職はなかったの??二位だけ?
479 :
人間七七四年:2008/07/19(土) 15:43:53 ID:amh+VaWo
阿蘇氏は平安の阿蘇惟泰が初代じゃないの?
480 :
人間七七四年:2008/07/21(月) 14:56:09 ID:JYLg+hnA
阿蘇氏はそんなに古い家系なのか
481 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 02:50:10 ID:74QoXQlX
え? これこそ古代豪族の末裔じゃないのか?
482 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 10:42:28 ID:/Vx4MosW
今の宮司家は分家のどこかが養子になって阿蘇家を継いでるんじゃなかったか?
そうだけど、それこそ分家の役割なんだから大目に見よう。
484 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 23:53:20 ID:/Vx4MosW
現在の阿蘇宮司は阿蘇惟豊の直系なの?
なんの釣りだそれは。
486 :
人間七七四年:2008/07/27(日) 01:06:40 ID:hLG3fFhJ
夏
487 :
人間七七四年:2008/07/28(月) 21:27:42 ID:J3KwdVcF
現在の阿蘇宮司は阿蘇惟豊の直系なの?
488 :
人間七七四年:2008/07/29(火) 10:33:00 ID:84sxvql2
何ももって直系とするかだな
489 :
人間七七四年:2008/07/29(火) 22:38:55 ID:uCqPxuBA
ずっと嫡子相続なんて家はないからねえ。
天皇家だって何回も直系は断絶して傍系に変っているし。
前に日本史板で、江戸時代の大名家で直系相続だけで明治まで続いた家はあるかって話になったときに
ほとんどそういう例はなかったと記憶しています。
戦争がなくて当時としては最高の環境で育てられる大名でも250年くらいの間を直系で繋ぐのがいかに難しいかってこと。
490 :
人間七七四年:2008/07/29(火) 23:34:38 ID:dcsJFJgR
491 :
人間七七四年:2008/07/31(木) 03:19:44 ID:1Pa0b0pu
繋がってないのか
492 :
人間七七四年:2008/08/02(土) 21:47:31 ID:n0LWBfna
いよいよ庶家の時代か
493 :
人間七七四年:2008/08/03(日) 10:06:25 ID:ZOpt01ST
なんで阿蘇惟豊にこだわってんだ?
惟豊よりはるか昔に嫡流は途絶えてるのに。
494 :
人間七七四年:2008/08/03(日) 11:38:15 ID:E1xc/blt
どこで嫡流が途絶えたの?惟直?
495 :
人間七七四年:2008/08/03(日) 17:22:19 ID:E1xc/blt
阿蘇家の嫡流て誰よ
496 :
人間七七四年:2008/08/04(月) 00:13:10 ID:DIKLfJo9
497 :
人間七七四年:2008/08/04(月) 19:45:13 ID:XwdB4jl/
誰の流れが嫡流か
阿蘇OO
498 :
たられば君:2008/08/04(月) 20:28:18 ID:F7w0xd9n
戦国時代の前後で嫡流の意味が違うように思う
499 :
人間七七四年:2008/08/05(火) 01:33:48 ID:AGem7Vb3
阿蘇大宮司家の一族で一番はどこ
500 :
人間七七四年:2008/08/05(火) 06:20:01 ID:Xpc+nGlS
また答えがないことを連呼しまくる荒らしか
進歩ねえな
501 :
人間七七四年:2008/08/05(火) 23:47:18 ID:JZWpjZ20
菊地の養子へ入ったと思ったら、出戻りしてハチャメチャやってた人もいたな
502 :
人間七七四年:2008/08/05(火) 23:53:34 ID:AGem7Vb3
阿蘇惟長
503 :
人間七七四年:2008/08/14(木) 23:32:53 ID:w32ohkTM
阿蘇友成
504 :
人間七七四年:2008/08/24(日) 11:17:41 ID:QxSqmDz7
阿蘇氏と宇治氏はどう違うの?
505 :
人間七七四年:2008/09/07(日) 10:21:22 ID:KAY9ur3S
阿蘇家は一族でもない甲斐氏を重要ポストに登用しすぎた
506 :
人間七七四年:2008/09/13(土) 23:16:05 ID:uUEqtUgb
登用せざるおえない。この当時いかに甲斐党を抑えるかが九州中央部の課題だったのだから。
甲斐宗運により島津氏でさえ手を焼き、巧みな外交政策で矛先は竜造寺氏に代わり、益城侵攻はかなり遅らされた。
結びつきの強かった高千穂三田井氏とも関係が深く、二神神社の宮司職など甲斐家は神職としての地位も高い。
宗運の家系とは別に、家代の甲斐家、七ツ山の甲斐家、隈庄の甲斐家などの勢力もあり重要ポストに付けざるおえない。
それに阿蘇惟豊、惟将の親子は、甲斐親宣、宗運の親子に大恩がある。
507 :
人間七七四年:2008/09/14(日) 14:32:53 ID:eS3SoYfC
惟豊が惟長惟前親子に追われた時、惟豊の家臣たちは何をしてた?よく易々と惟長惟前親子を
迎え入れたものだ。惟豊の逃れた先が日向の甲斐領だったのはなぜ?
惟豊は嫡男惟将に裏切り者の御船を討たせてもらったことがよほど嬉しかったようだ。いきなり御船城主に大抜擢だからね。
ところで惟将の後は何で惟将の子でなく弟の惟種が継いだの?子がいなかったというわけじゃなかろうに
508 :
人間七七四年:2008/09/15(月) 01:26:47 ID:9T7s5Ysu
ところで甲斐が阿蘇大宮司家の重臣になるメリットは何だったの?
甲斐宗運もただ単に阿蘇家に献身的だったわけではないだろう
509 :
人間七七四年:2008/09/15(月) 21:21:20 ID:5WxfGLaI
>>507 惟豊が高千穂に逃れたのは、古くより阿蘇と高千穂の結びつきが強く
高千穂領内にも五ヶ所など阿蘇家の社領があったから。
阿蘇惟将の弟、惟種が大宮司職を継いだのは伝承によると、やはり子がいなかった為らしい。
510 :
人間七七四年:2008/09/17(水) 00:32:03 ID:fKyGyKeN
さすが35万石。あちこちに領地があったんだ。
511 :
人間七七四年:2008/09/17(水) 19:52:41 ID:kJvxPuzO
薩摩に近い、相良氏の支配域にも社領があったらしい。
512 :
人間七七四年:2008/09/17(水) 22:24:47 ID:fKyGyKeN
その社領には阿蘇家の代官を派遣していたのかな
513 :
人間七七四年:2008/09/17(水) 22:34:54 ID:tuV4YkoA
まんま阿蘇神社がアル訳で
514 :
人間七七四年:2008/09/17(水) 22:56:04 ID:fKyGyKeN
各地の阿蘇神社の神主は阿蘇家からかな?
515 :
人間七七四年:2008/09/20(土) 01:41:56 ID:OAd42qX7
今の時代は違うんじゃないの。
516 :
人間七七四年:2008/09/20(土) 02:21:08 ID:ZikfwGca
一の宮という割には阿蘇神社の境内って狭いよな
517 :
人間七七四年:2008/09/20(土) 02:56:27 ID:OAd42qX7
九州仕置で秀吉に300町の知行地しか与えられなかったからかなぁ。。
518 :
人間七七四年:2008/09/20(土) 09:26:30 ID:ZikfwGca
神主が百姓に領地を召し上げられたか
519 :
人間七七四年:2008/09/20(土) 13:08:41 ID:OAd42qX7
1561年 (永禄4年)の門司城攻防戦に大友方として
阿蘇家を初め、肥後国衆も参加してたって知ってた?大友に従属的だった阿蘇家は大変様子が伺える。
520 :
人間七七四年:2008/09/20(土) 13:13:08 ID:fmUc4088
阿蘇神社も宝物殿を作ればいいのに
521 :
人間七七四年:2008/09/23(火) 11:01:52 ID:HmsvTEM8
現在の宮司は大里氏の子孫だろ
522 :
人間七七四年:2008/09/23(火) 18:58:09 ID:gr6BSKvn
秀吉の朝鮮出兵の時の、サヤカ、について解る奴はおらんか?
罪もない朝鮮人を殺す事に抵抗を感じ、義勇兵として朝鮮人と一緒に戦ったとされる。
秀吉の全国統一の時、東北地方で最後まで抵抗した雑賀衆(有名所で雑賀孫一)、の生き残りが
遠縁に当たる阿蘇家に逃れて来ていた。
朝鮮出兵の際、恩のある阿蘇家の為に阿蘇家の兵として出兵していた。
義勇兵と成った理由としては、罪もない朝鮮人を殺す事に抵抗を感じたとされているが、梅北の
乱の首謀者として阿蘇惟光?が打ち首にされた事に対する反発では無いかと考える。(朝鮮まで
その事が伝わっていたかは不明)
朝鮮でのサヤカと言う呼び名は雑賀がなまったのでは無いかとされる。
とっ。この様な事を10年以上前に本で読んだのだが、その本が何だったのか記憶に無い。
もし、サヤカについて解る香具師が居たら書き込みしてくれ。
その本によると、今もサヤカと呼ばれ韓国の山間部に集落が在るそうだ。
523 :
人間七七四年:2008/09/23(火) 19:34:58 ID:lSOMjrDy
学研の歴史読本
赤色の『文禄慶長の役』だな
524 :
人間七七四年:2008/09/23(火) 19:39:20 ID:lSOMjrDy
連スマン
阿蘇家について触れてたかは覚えてない
サヤカ(沙弥可?)=雑賀じゃねーかって記事は覚えてる
525 :
人間七七四年:2008/09/23(火) 22:04:03 ID:0+thywc0
朝鮮出兵時に雑賀衆の誰かが鉄砲打ちの技術を伝え
共に抵抗したというような話の内容をテレビでみた気がするが、それだったのか。。
526 :
人間七七四年:2008/09/24(水) 00:59:10 ID:Z0JrJGUA
だとしたらそのサヤカは国賊だな
527 :
人間七七四年:2008/09/24(水) 15:22:27 ID:IgJ4/Ogt
そう国賊だな。
ツアー旅行で海外行って、みんなとはぐれると怖いだろ?ましてや戦国時代だ、はぐれたら死んだも
同然。それなのに朝鮮側に付くのは何故?主従関係を重んじる戦国武士達が何故?気になるだろ。
そこでググッて見た。沙弥可は(沙也可)が正しい様だ。そこで沙也可でググったらウィキペディア
がヒットした。阿蘇家に付いてもちょこっとだけ記述がある。
でっ、結論だが。あくまで推察の域を脱しない内容で良く解らない。朝鮮人によるねつ造か?とさえ
思えてくるw だがこれだけ諸説在るのは、やはり気になる。今後新情報が在れば調べて見たい。
528 :
人間七七四年:2008/09/24(水) 22:38:27 ID:SicxEBj6
529 :
人間七七四年:2008/09/26(金) 00:51:31 ID:DprGT5x4
たまには阿“蘓”のことも思い出してあげてください。
530 :
人間七七四年:2008/09/26(金) 10:40:35 ID:gZr+CqnD
なんて魚?
531 :
人間七七四年:2008/09/27(土) 18:53:48 ID:RyxrGu87
宇治氏は日本一古い家柄
532 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 16:41:32 ID:BfpHcf1U
阿蘇二十四城 ww
533 :
人間七七四年:2008/10/01(水) 19:01:44 ID:eDctc7Dy
岩尾城 堅志田城 愛藤寺城 御船城 高森城 長野城 高城
534 :
人間七七四年:2008/10/01(水) 22:32:04 ID:50cc7hZU
阿蘇四天王、阿蘇十本槍、阿蘇に過ぎたるもの、阿蘇に100万の兵を預けたい、阿蘇は俺の嫁、
535 :
人間七七四年:2008/10/02(木) 09:22:25 ID:yKNaDH+0
出会えー!曲者でござる。
536 :
人間七七四年:2008/10/02(木) 16:30:28 ID:Apvq2dYZ
九州三国志
537 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 01:33:14 ID:x4F/xb1o
御船の首を片手に握り飯かな
538 :
人間七七四年:2008/10/04(土) 12:40:36 ID:Xt6VK4yt
阿蘇一族は朝鮮出兵の際に加藤清正軍に従軍して
その礼にして藤崎八幡宮の秋季大祭に加藤藩の武士が参加するようになったという話があるが
539 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 13:33:13 ID:61brlLPH
阿蘇家を復興させるためのポーズです。
540 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 00:20:30 ID:YiS4I5bV
七家
541 :
人間七七四年:2008/10/12(日) 11:36:43 ID:YmdFPUry
南郷七家
542 :
人間七七四年:2008/10/13(月) 23:09:55 ID:xskpk9xF
南郷七家が阿蘇家の一門という証拠でもあるのか
543 :
人間七七四年:2008/10/14(火) 22:19:28 ID:n/LDvP2l
頼りにならない一族より、頼りになる他人の方が良かったに決まってる=甲斐氏
544 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 04:10:02 ID:SzDdwk26
545 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 23:31:51 ID:zNNUSQMv
相良といえば、阿蘇惟光を讒言によって処刑に追いやった一家ですな
546 :
人間七七四年:2008/10/26(日) 17:31:39 ID:7cQtHhSR
惟直
547 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 08:35:13 ID:GRskc8Z3
阿蘇家と諏訪家
548 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 16:35:41 ID:EqnT8x2c
大宮司家が格上
549 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 02:27:34 ID:ogcVRKZk
甲斐宗運の妹婿?
田代宗伝はいつ頃まで存命だったか
推定する資料はありますか?
550 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 11:00:36 ID:Pv7ERzlu
阿蘇家や諏訪家のほかにも神主→戦国大名ってのも意外といるんだな。
551 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 00:02:04 ID:p2nno+c3
阿蘇大宮司家も諏訪大祝家も神扱いだったからな
552 :
黄猿:2008/12/18(木) 19:35:24 ID:Bvk+6k2w
>>549 天正13年8月15日に御船城、16日には隈庄城が落城。その時に田代宗伝は島津に人質を出して降った様子。
御船と隈庄の落城後、宗運配下の鞍岡讃岐という人と興呂木新介という人が飯田山に立て籠もった際、島津方からの説得の使者だったの田代宗伝だったらしいから
この時までは、まだ存命だったと思いますよ。
553 :
549:2008/12/20(土) 23:02:49 ID:M2UZqvHS
554 :
黄猿:2008/12/21(日) 10:33:05 ID:h8PP1bHZ
>>553 いえいえ。しかし田代宗伝をよくご存知で。
555 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 14:18:52 ID:Tx2RnJyh
田代乗珍なら知ってるけど
556 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 23:47:54 ID:vgb5+bLc
>>554 響野原の戦いに名前が出てくるくらいしか知らなかったし
わからなかったんで。
本当、どうもでした。
557 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 14:40:14 ID:xY6xBwVE
甲斐宗運の人生について知りたいんだけど
何か読みやすい本とかないかな?
558 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 14:44:13 ID:MqtAXHWT
甲斐党戦記とか
559 :
黄猿:2008/12/22(月) 18:36:00 ID:bx+3G2TY
>>555 田代乗珍って名前は聞くけど何者なんですか?
>>557 甲斐党戦記は、少々誤記ぽい事項があるのでご注意。
560 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 12:30:56 ID:qU+6I/Vq
561 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 13:59:54 ID:qU+6I/Vq
ちなみに北田代城は阿蘇24城の一つでした。
562 :
黄猿:2008/12/24(水) 00:15:05 ID:zlrN7ct7
どなたか田代乗珍についての戦記や伝説
阿蘇家での役職などをご存知ならお願いします。
563 :
櫛:2008/12/24(水) 18:30:18 ID:bxRByYPR
秀吉の朝鮮出兵の時の、サヤカ、について解る奴はおらんか?
猿飛佐助の父親
564 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 20:22:43 ID:8JSqo3Ak
北坂梨
565 :
人間七七四年:2008/12/29(月) 02:13:06 ID:G0ZZF4FR
>>563 清正の家臣じゃなかったか?
岡本越後守なる人がその前身という話もあるそうな
566 :
人間七七四年:2008/12/31(水) 17:34:13 ID:hNJKuZxe
坂梨高城の坂梨一党は島津に従って、大友勢と戦った。大友を頼った高森氏たちと拮抗していたのかな
567 :
人間七七四年:2009/01/10(土) 17:53:14 ID:3c1Gc6JW
阿蘇寒すぎ
568 :
人間七七四年:2009/03/06(金) 18:13:02 ID:OvbZvnmJ
野焼きの季節だな。カメラ持って出掛けようか!
569 :
人間七七四年:2009/03/21(土) 16:08:20 ID:x56hVeqh
阿蘇家の一門って家臣の中でどこの家??
互いに血縁が近いのかな?
570 :
人間七七四年:2009/04/01(水) 20:42:58 ID:SEL2CNTt
高森です。
関係出身ですけど
阿蘇と全く関係ないのかな…
571 :
人間七七四年:2009/04/01(水) 21:32:02 ID:1AfzCbZc
高森はこのスレで一番多く登場してる名前だね。阿蘇家の重臣だったっけ?
572 :
人間七七四年:2009/04/01(水) 21:43:34 ID:SEL2CNTt
573 :
人間七七四年:2009/04/01(水) 23:44:39 ID:1AfzCbZc
高森の発祥は熊本の阿蘇だと思うけど
574 :
人間七七四年:2009/04/02(木) 00:09:44 ID:UtV+srfS
先祖が武士なので
阿蘇と血縁があるのかな〜と思ったんですが
系図が無いので分かりません↓
家紋が違うので関係ないですかね、、
失礼しましたm(__)m
575 :
人間七七四年:2009/04/02(木) 10:39:54 ID:80Skv0K5
家紋はあてにならないね。違い鷹じゃないから一族ではないこともないし、今の世の中
どこに子孫がいるかわからないからね〜。
576 :
人間七七四年:2009/04/02(木) 14:43:46 ID:UtV+srfS
ですよね↓
祖父母ともに高森で血族婚みたいで
親からは下級武士だったとしか聞かされてません。
自分で調べてみたらその土地の土豪とか何とかで…
もしや阿蘇からそこに移り住んで来たのかな〜
と勝手に思ったんですがm(__)m
機会があれば調べようと思います。
長々と失礼しました。。。m(__)m
577 :
人間七七四年:2009/04/02(木) 22:19:40 ID:akuxmCJs
>>565 清正に雇われた雑賀集団、ってのが一番しっくりくる。
578 :
人間七七四年:2009/04/12(日) 00:48:47 ID:kuNwBuG/
阿蘇家で三位以上は誰がいる?
579 :
人間七七四年:2009/04/13(月) 23:11:42 ID:1u4NT/YV
阿蘇高校出身(阿蘇市一の宮)の俺にとっては
阿蘇神社があまりにもみじかにあったため得に関心なかったっけなぁ
こんなスレがあるなんて…なんか懐かしいなぁ
たしか国語の先生が阿蘇神社(一の宮町のじゃない)の神主だったよ
先生の名前は伏せておくけどたしか宗家だったような…
くそ、もっと興味もっておけばよかった!
580 :
人間七七四年:2009/04/14(火) 00:15:11 ID:/jGccZ0Z
阿蘇惟O
すぐに学校に行って名前を聞くんだ。
582 :
人間七七四年:2009/04/14(火) 19:34:44 ID:dkxmC7o3
579です
早速、高校の卒業アルバムを探して見ました(かなり昔)
プライバシーの為、先生の苗字は伏せますが…
「阿蘇」ではありませんでした…
皆さん、期待させてスイマセンでした
阿蘇氏と関係ないのかも…
ただ阿蘇のどっかの由緒正しい神社の神主なのは間違いないのです
それだけはしっかり記憶しております
ではすぐに苗字を調べ直すんだ。
584 :
人間七七四年:2009/04/15(水) 18:38:31 ID:GNqJYJhR
宮川
585 :
人間七七四年:2009/04/16(木) 10:44:43 ID:nNaqgRtl
違うよ
586 :
人間七七四年:2009/04/16(木) 17:09:12 ID:7W5Suy+z
高森 坂梨 光永 峯 長野 村山 芹川 市下 仁田水 二子石
伊津野 黒仁田 竹崎 関 布田 蔵原 竹原
阿蘇家の関係者なら少なくともこの中にはいるだろう
587 :
人間七七四年:2009/04/16(木) 17:24:19 ID:t8NZrCNr
朝鮮出兵で朝鮮側に寝返った阿蘇宮越後守って阿蘇一族?
588 :
人間七七四年:2009/04/16(木) 21:00:24 ID:7W5Suy+z
たぶん違うだろ
589 :
sage:2009/04/19(日) 10:41:46 ID:i8bcxB0r
>576
先祖が武士といっても、裕福な農民が江戸あたりに武士の株をかって
刀を差すのを許可されたとかそこらへんのケースもあるので・・・
ちなみに5000円札の樋口一葉の両親がこのケースで下級武士。
(すぐに明治維新きちゃったけど)
阿蘇家の家臣団は武士?といっても、豪農くらいの位置では?
武士・農民の区別が厳格だったとも思えないので。。。
下級武士=阿蘇家家臣とはいえないかも。(逆に農民かもしれない)
あと、本家が帯刀ゆるされてても(武士)分家は駄目(武士ではない)
とかあるので、先祖が武士とかいいだすときりがありません。
資料を探すしかないでしょう。。。
590 :
人間七七四年:2009/04/19(日) 13:32:48 ID:uIOspa6e
>>576 菩提寺の過去帳を調べろ。
そうすりゃ一発で解る。
菩提寺とかがはっきりしない?
その時点で正当な武士ではないと思われ。
途中まで百姓で株買ってなんちゃって武士か、そもそも
明治までずーっと百姓の可能性が高い。
591 :
人間七七四年:2009/04/19(日) 22:25:04 ID:ii76XCK6
阿蘇家臣団で豪農はないだろ。小さくても阿蘇24城の城主だったんだから。
592 :
人間七七四年:2009/04/20(月) 19:02:03 ID:2iU+Yevm
>>589 >>590 百姓の可能性が高いですよね↓
詳しい資料がないので分からないですがm(__)m
その土地の居館跡一覧に記載があっただけで…
阿蘇とは関係なさげな気がします。
資料探してみます〜。
お答え頂き有難う御座いました。^^
593 :
人間七七四年:2009/04/20(月) 19:35:30 ID:DpSq6bwy
南郷七家は百姓じゃないだろ
594 :
人間七七四年:2009/04/20(月) 22:13:39 ID:2iU+Yevm
595 :
人間七七四年:2009/04/20(月) 22:15:33 ID:DpSq6bwy
阿蘇家の家柄を考えたら、その一族家臣が百姓なんて考えられんと思うんだが
596 :
人間七七四年:2009/04/25(土) 18:00:17 ID:JPfbBq6a
>>595 調べたとこ、百姓ではないですが全く別の線が出てきました。
とりあえず阿蘇とは無関係でしたf^_^;
お陰でスッキリしました☆
お騒がせしてすみませんでしたm(__)m
お答え頂いた皆様、有難う御座いました。
城持ちの人物でも農耕をしていただろうに。
城持ちと大名が混同されすぎてるんだろうな。
598 :
人間七七四年:2009/05/03(日) 19:14:44 ID:Pd4XDjVy
かの権現様が御手作りの西瓜畑を本多作佐に踏みつぶされたり
大阪城の城中で大政所と北の政所が畑していたと伝わるしな。
599 :
sage:2009/05/06(水) 23:27:29 ID:nAUZbqIL
>593
南郷七家のものですが、ご先祖農耕してましたよ。
江戸時代刀は挿してもよかったみたいですが、分家はだめでした。
両親は、城主っていっても砦レベルだし、限りなく農民に近い
(というかほぼ同じ)っていってました。
士族でも直参でもないし、そんなに華やかなものではないと思います。
597さんのおっしゃるとおりだと思います。
600 :
人間七七四年:2009/05/06(水) 23:48:47 ID:FpVTXSTT
私も南郷七家の者です。城主なら砦の近くに館を構えていたと思われますが、いかがでしょう?
愚問かもしれませんが、農耕と言っても鍬を持って土を耕していたわけではないですよね??
農民に近い(ほぼ同じ)城主・・・想像しにくいな 今の地主みたいな感じかな?
601 :
人間七七四年:2009/05/12(火) 21:07:29 ID:rMxaTpWS
城主か分かりませんが居館の近くに砦はあったような感じです〜(曖昧)
聞いところ阿蘇と
繋がる説は無いみたいで
過去帳も解読不能との事で無関係と
自己判断してしまいましたが(^_^;)
いずれにしても農民に近いような感じみたいです〜
謎が深まりました〜
602 :
人間七七四年:2009/05/13(水) 09:38:56 ID:ds3GA3pG
みんな南郷七家の子孫なのか…
じゃあ、俺も ノシ
603 :
人間七七四年:2009/05/13(水) 10:49:27 ID:xpEM4VjL
南郷七家
604 :
人間七七四年:2009/05/14(木) 02:36:04 ID:eA5tZwXP
高森 村山 長野 市下 竹崎 二子石 白石(渋川 関)
605 :
人間七七四年:2009/05/19(火) 17:34:17 ID:GJ6pNkMJ
農耕といっても家来だろ
606 :
人間七七四年:2009/05/27(水) 23:53:50 ID:mO0zmt3i
阿蘇中岳の火口は誰が領していたのかな
607 :
人間七七四年:2009/05/28(木) 21:25:50 ID:sHKlFUhx
梅北の責任をとらされて阿蘇惟光が花岡山で死んだのは1593年の何月くらいの事でしょうか?
608 :
人間七七四年:2009/05/28(木) 23:00:35 ID:IbrflctA
しかし当主とはいえ、謀議に加わったわけでもない12歳の幼君に切腹されるとは
って現代の感覚でいっちゃいかんか
609 :
人間七七四年:2009/05/29(金) 14:18:39 ID:zv/AKeK7
>>607 阿蘇大宮司惟光の切腹は、文禄2年(1593年)8月18日です。 阿蘇殿の松
響きヶ原で相良義陽が阿蘇家に返り討ちにあったからだろうか、相良氏関係者による讒言。
逆恨みもいいところだ。秀吉も肥後国衆への見せしめもあっただろうから、吟味せずに殺した
のだろう。九州統一の際にも阿蘇家だけ挨拶に来なかったこともあり、百姓成り上がりの秀吉
にとっては名門など面白くなかったのもあるかもしれない。
610 :
人間七七四年:2009/05/30(土) 06:48:35 ID:C36u7Rla
あれ、佐々が肥後国主になったあと、仕置きのしかたが
まずくて(秀吉が密偵つかって煽った説もあるが)肥後国内が国一揆状態になったのは
1588年の話だっけ。
それから5年もたっててもまだ肥後国衆に「見せしめ」必要ってことは
相当なんだなあ
(まあ、佐々が肥後国主になったとき、53家の大小豪族にも所領安堵したくらいだったからな)
611 :
人間七七四年:2009/05/30(土) 07:23:19 ID:ZVfo52gD
>>609 詳しい情報有難うございます。
この子の事を思うと胸が痛い・・徳川14代家茂に対するものと同じ感覚だお
理不尽な大人の世界に子供が犠牲になる話には弱いお
今頃、極楽で家族共々幸せでありますように・・
612 :
人間七七四年:2009/06/07(日) 23:13:28 ID:A13Yuv/E
どなたかもし知っている方がいらっしゃったら教えてください。
私は高森町に住んでいますが、以前私の家から見える景色の殆どはうちの土地だった。
と聞きました。元地主だそうです。
今から約300年ほど前に、蘇陽馬見原or五ヶ瀬の方から来たみたいですが、
当時の苗字が飯法師?飯干?だったそうです。280年位前に今の私の苗字の苗字になっています。
なんでもかまいません教えていただけたらと思います。
613 :
人間七七四年:2009/06/07(日) 23:27:12 ID:A13Yuv/E
訂正しなくてもいいかと思いましたが、一応
280年位前に今の私の苗字の苗字になっています。
↓
280年位前に今の私の苗字になっています
614 :
人間七七四年:2009/06/09(火) 01:20:22 ID:46BY/qYq
>>612 当時の行政区分は手永制(今の市町村)でしたので、蘇陽馬見原ですと当時は菅尾手永か矢部手永ですね。
そこから高森手永に移り住んだのでしょう。御先祖の身分はおそらく武士(地侍、一領一疋など)だと思われます。
名字のことはよくわかりませんが、もしかしたら御実家に「先祖附」という古文書があるかもしれません。それに大方のことは記されてあるかと思います。
もし見つからないのであれば県立図書館等に行けば閲覧できると思います。
615 :
人間七七四年:2009/06/09(火) 01:21:41 ID:46BY/qYq
614追加
あるいは庄屋かもしれません。
616 :
人間七七四年:2009/06/13(土) 18:27:16 ID:V5ESpmQ9
>>614 ありがとうございます!!
昔一度火事にあったみたいだから古文書はないかもしれません。
そう言えば、たしか昔庄屋だったと聞いたような
因みに今は土地は当時の5分の1位になり、農家をしています。
617 :
人間七七四年:2009/06/14(日) 00:46:54 ID:uQeThnED
5分の1残ってただけでも運が良いですね うらやましいです
618 :
人間七七四年:2009/07/04(土) 19:21:04 ID:Nxq5qGOc
実は、阿蘇氏の子孫です。
聞きたいことがあれば、明治以降の話は祖母から聞いたことがあるので
お教えします。
昔のことはよく分からないのですが、どうやったら分かるのでしょうか?
620 :
人間七七四年:2009/07/05(日) 11:28:38 ID:2Me5gjpU
>>618 阿蘇さん、はじめまして。
阿蘇氏の系図には分家した一族のことは詳しく書かれていないのかな?
一族・・南郷七家、阿蘇谷に城を持っていた一族など
分かる範囲で協力しましょか。
622 :
人間七七四年:2009/07/07(火) 20:31:41 ID:qvHU3VX8
直接、阿蘇氏の系図は見たことがありません。
曾祖父あたりの時代に、本来宮司になる人が
継子いじめに耐えかねて出ていってしまったので、その人あたり
までさかのぼれば、書いてあるはずです。
623 :
人間七七四年:2009/07/09(木) 23:14:47 ID:PX7TBqz2
南郷七家は阿蘇家の一門と言われながら、出自がかなりあいまいなんだよね。知る限りでは
624 :
人間七七四年:2009/07/20(月) 22:41:39 ID:I1yeehnO
七家の出自は各家に伝わってるだろう
625 :
吉田一氣:2009/07/26(日) 08:57:17 ID:5VgPJ/xs
はじめまして。ご質問です。
阿蘇の手野にある本家の古い墓を見ましたら
「市原山城守墓−阿蘇家市原城主 市原宇治姓 盛幸」
とあるのですが、市原城というものが阿蘇に存在したのか
ご存じないでしょうか?
626 :
吉田一氣:2009/07/26(日) 09:25:48 ID:5VgPJ/xs
質問のその二となりますが、
源流本阿蘇氏系図というものが存在するという話の中で
参考とした系図が列挙されているそうで
「肥後国阿蘇氏之系有数本曰
坂梨本、蔵原本、笹原本、宮西本、甲佐本、猿渡本、市原本、霜宮祝本等也」
とあるそうですが、阿蘇に多い名前の蔵原 笹原 市原なども阿蘇家の子孫ということなのでしょうか?
いうことなのでしょうか?
通潤橋には笹原川という川がありますが阿蘇の笹原と関係するのでしょうか?
どなたかご存知でしたらご教授願えませんでしょうか。
よろしくお願いします。
627 :
人間七七四年:2009/07/26(日) 19:12:40 ID:YWCNPd1E
>>625 市原城という城が阿蘇にあったという話は聞いたことがありませんが、矢部地方にはあったようです。
御本家のお墓にある「市原山城守盛幸」は「盛」の通し名からしておそらく坂梨にあった高城の城主の御子孫でしょう。市原家の系譜によれば、坂梨惟右ー惟光ー・・盛豊ー・・
と途中で「盛」に変わっています。盛豊から9代後に市原助兵衛惟一と名乗り、元の「惟」に戻っているようです。
天正期の高城主坂梨右衛門惟右の子孫が後に三家に分かれ、三家というのは坂梨の市原家、内牧の甲斐家、狩尾の坂梨家です。
市原家は姓が宇治とあるならば、阿蘇家の子孫であることに間違いありません。
笹原については詳しく知りません。
628 :
吉田一氣:2009/07/26(日) 21:30:23 ID:5VgPJ/xs
詳しい情報ありがとうございます。
天正期と云われますと1573年から1593年までの間のようですね。
市原山城守盛幸の墓には表面に
慶長元年(西暦1596年)
春雲院殿義山盛幸 文禅定門と記載されていましたので
手野の市原家初代は坂梨から分かれたことが理解できました。
また盛幸は分かれてから近い時代の人物だと想定できますね。
貴重な情報ありがとうございました。
629 :
人間七七四年:2009/07/26(日) 22:06:25 ID:uzojKV66
>>627 内牧に分かれた甲斐家とは「御船」「隈庄」「家代」「七山」の甲斐家と何か関係があるのでしょうか?
坂梨家は阿蘇家の家老格…
姻戚等の策略で宗運の傀儡的な雰囲気を感じるのですが。。
630 :
人間七七四年:2009/07/26(日) 22:49:42 ID:YWCNPd1E
>>629 私の知る限りでは甲斐宗運の甲斐氏との関係は見られません。内牧甲斐家が甲斐を名乗ったのは少なくとも甲斐宗運が没したしばらく後と思いますので、
その頃には戦国の世も終わり、傀儡的な関係はなかったかと。 なぜ甲斐氏を名乗ったか、後に婚姻関係があったかなどはわかりません。他の阿蘇家臣どうしでの
婚姻関係は昔からあっているみたいですから、あり得なくはないですが。
631 :
人間七七四年:2009/07/27(月) 20:12:51 ID:hlofOvzl
三家に分かれたのは戦国の世の後でありましたか。。
甲斐宗運が絡んだ合戦には度々北坂梨の「坂梨紹元」が軍監として派遣されていたようだったので何かあるのかと思ってしまいました。
どうもありがとうございました。
632 :
人間七七四年:2009/07/27(月) 22:48:29 ID:B5HjySQG
坂梨にはこのスレでたくさん出てる高森氏の末裔がいるようですが、市原家と婚姻関係が
あったりしたのですかね?
633 :
人間七七四年:2009/07/28(火) 21:57:54 ID:co453IAM
>>632 坂梨家と高森家の間には婚姻関係があったとは思われますが
市原家の家格をよく知らないのでなんとも。。
634 :
人間七七四年:2009/07/28(火) 22:47:49 ID:5PEjhi8s
>>633 坂梨の市原家は坂梨惟右の裔で、確か江戸以降は御茶屋だったはず。
635 :
人間七七四年:2009/08/02(日) 20:55:02 ID:qZMSGvlh
まだ続いていたんですね・・・
以前、阿蘇氏の末裔ということで書き込みをしたものです。
ところで、なぜ阿蘇氏にみなさんは興味を持ったのですか?
熊本の方でしょうか?
一応末裔なので、色々と調べたこともありますが、古文じゃなくて
漢文の資料のコピーは家にありますが、何のことか分かりません。
みなさんはどうやって調べているのでしょうか?
本等は売ってあるのでしょうか?
636 :
人間七七四年:2009/08/03(月) 00:40:57 ID:zPZN7rec
>>635 実家が阿蘇です。日本で一番古い家系を誇る家が阿蘇神社にあることを知って興味がわきました。
聞いてみると阿蘇家の分家であることを知りさらに興味がわきました。
637 :
635:2009/08/03(月) 12:24:01 ID:VHtrnD52
>>636 っていうことは、お墓は駅の近くにありますか?
阿蘇一族の墓って書いてあったような気がします。
そうだとしたらかなり遠いかもしれないけど、親戚なのかもしれませんね。
638 :
人間七七四年:2009/08/03(月) 21:04:14 ID:zPZN7rec
>>637 いいえ。駅の近くって大阿蘇病院へ行く道のことですか?線路超えてやがて阿蘇家の墓地がありますが、阿蘇一族の墓のことは知りません。
分家と言っても何百年も昔のことで、南郷七家の一つです。
639 :
人間七七四年:2009/08/04(火) 21:53:04 ID:txiQ22eR
640 :
人間七七四年:2009/08/05(水) 00:07:40 ID:Us7f56W1
阿蘇にはたまにしかいかないけど、阿蘇神社の近くの一宮駅とかいう
ところの近く。お盆くらいしかいかないからよく分からないけど・・・
阿蘇神社から車で10分もかからなかった。
641 :
人間七七四年:2009/08/05(水) 00:08:56 ID:Us7f56W1
阿蘇家か阿蘇一族かは怪しいけど、とにかく一宮当たりです。
超マイナーでほとんどの人が分かりそうにない・・・
642 :
人間七七四年:2009/08/05(水) 12:58:57 ID:GuiJ8z0A
一の宮駅? 宮地駅では・・・
643 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 23:41:57 ID:kEJQV4G8
国造っていつからでき始めたのですか? 西暦何年か
644 :
人間七七四年:2009/08/08(土) 00:45:04 ID:S64ivuT4
阿蘇神社って阿蘇山の北側だっけ?
阿蘇山の南側から相良領までの間は誰の領地だったの?
645 :
人間七七四年:2009/08/08(土) 12:09:40 ID:B79+9RfU
益城郡は阿蘇領。八代以北は阿蘇領
646 :
人間七七四年:2009/08/09(日) 12:11:34 ID:gVL0kIAU
>>642 そうかもしれない。年に一回いくかいかないかだからよく覚えていない。
宮地駅って阿蘇神社の近くだよね?
647 :
人間七七四年:2009/08/09(日) 12:16:03 ID:gVL0kIAU
googleearthで見てみたら宮地駅の近くでした。
648 :
人間七七四年:2009/08/19(水) 17:36:14 ID:Ih7MfJ1o
阿蘇国造はもともと山城国の人ですか?
649 :
吉田一氣:2009/08/22(土) 20:51:53 ID:gjzfvrTQ
>>648 >>阿蘇国造はもともと山城国の人ですか?
これは伝承です。
平安時代に阿蘇氏は宇治宿禰を使っているようですが、
山城国宇治の健磐龍命が阿蘇地方に下向したと言う伝承によるものでしょう。
650 :
人間七七四年:2009/08/22(土) 23:07:48 ID:QJ4rliDf
伝承じゃなく、信憑性がある阿蘇氏の系譜は誰からですか?
阿蘇家の家系は天皇家よりも古いと言われますが、それは伝承を含めて言われてることですか?
教えてください。
651 :
人間七七四年:2009/08/22(土) 23:34:31 ID:QJ4rliDf
天皇家や出雲大社千家家なども伝承が多いんじゃないですか?
伝承はよく知らんけど多そうだわね。
653 :
人間七七四年:2009/08/27(木) 00:50:30 ID:cjmoXXaZ
どこからどう数えたら91代もあるのかわからん。
654 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 18:32:58 ID:ya49jh22
阿蘇氏の祖先は近畿人ですか? 渡来人なんですか
655 :
人間七七四年:2009/08/31(月) 09:33:19 ID:lm3NYTVJ
タケイワタツは近畿から来たそうじゃないか
656 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 20:22:56 ID:8/rCuPkM
>>654 天皇とつながってるから近畿になるね。
一応阿蘇氏の子孫だけど詳しくは知らない
657 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 20:44:24 ID:qvUYf9Xo
>>1 同じ宮司上がりの大名やったら九鬼氏のほうが凄い
明治時代まで大名として存続してた
カスと比べんなや
658 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 20:57:40 ID:ytRAI8ea
存続してた方が凄いと思ってるとこが人間的にスカ。。
659 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 21:20:22 ID:UpBGwy4h
660 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 21:22:20 ID:UpBGwy4h
>>656 天皇家とつながってると言っても神武天皇じゃなかったっけ? 実在自体が・・・・
もともと阿蘇地方の豪族じゃないのかな
661 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 23:23:07 ID:qvUYf9Xo
662 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 23:27:21 ID:qvUYf9Xo
九鬼氏の末裔は代々三田・綾部両藩の藩主やで
維新後、子爵になり華族に列してる
やっぱり阿蘇とかいう無名の奴とはレベルちゃうで
663 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 23:28:33 ID:qvUYf9Xo
三重県行ったら九鬼水軍鍋もあんで
上手いで
664 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 23:33:08 ID:qvUYf9Xo
ちなみに熊野神宮の今の宮司は九鬼氏の末裔の九鬼家隆
665 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 23:33:12 ID:gT/c3bu2
阿蘇家って山奥じゃ影響力がまだあるからなw
熊本でもど田舎のほうだから詳しくはないけどもやね。
666 :
人間七七四年:2009/09/04(金) 13:27:01 ID:b9xj3kN1
>>661 出自がわかってない時点で阿蘇家とは性質が違うだろ。
667 :
人間七七四年:2009/09/04(金) 15:03:36 ID:b9xj3kN1
阿蘇家一族の会なんかないのかね? 時々一族同士で集まるとか
668 :
人間七七四年:2009/09/04(金) 15:26:31 ID:fQUPEiBA
田舎っぺ大名だから周りは一族ばっかだろ。
集まる必要がない
669 :
人間七七四年:2009/09/04(金) 18:19:43 ID:b9xj3kN1
日本全国例外なくほとんどが百姓だよ。
670 :
人間七七四年:2009/09/05(土) 01:01:08 ID:GxMELMD8
意味がわからん
671 :
人間七七四年:2009/09/05(土) 01:15:23 ID:rYQlTC8T
阿蘇大宮司家と阿蘇国造家の違いがよくわかりません。教えてください。
672 :
人間七七四年:2009/09/07(月) 14:42:30 ID:L4sPpU9I
阿蘇国造家の末裔が阿蘇大宮司家
673 :
人間七七四年:2009/09/07(月) 18:20:13 ID:L4sPpU9I
阿蘇家の系譜は天皇家より古いらしいから
674 :
人間七七四年:2009/09/09(水) 10:40:06 ID:xnkznKw/
阿蘇よりも出雲千家の方が古いのか
675 :
人間七七四年:2009/09/11(金) 09:36:29 ID:W/ldolMT
「 韓国で行方不明になった日本人女性6500人 」 被害者家族が訴え
http://bl★og.liv★edoor.jp/new★s2chplus/archives/5★066★322★4.html
☆☆☆☆☆☆
李鵬が言ってた、20年後に日本なんてなくなるって、こういう事か。
1000 :名無しさん@十周年:2009/09/10(木) 21:55:04 ID:IsvYN1LJ0
1000なら
鳩山:「譲歩を引き出しました。ソースコード開示しなくてもいいそうです。やったー!」
でもEAL3並みの要求を飲まされる。日本の適合性評価機関は承認されない。
結局技術はばっちり漏洩する。終わり
↑ ↑ ↑
中国 「IT製品、ソースコード開示せよ。情報漏洩はないから」…日本側が撤回求めるも、予定通り実施へ
http://s03.megalodon.jp/2009-0911-0412-34/pc11.2ch.net/test/read.cgi/prog/1204019152/34-35 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
鳩山首相の夫人、鳩山幸さんの旧姓や出自が不明だそうですよ。
鳩山幸さんはサイエントロジーというカルトと関係があるという噂があります。
http://an★tikimchi.see★saa.net/art★icle/127578850.html (日本アンチキムチ団)
764 名前:可愛い奥様[] 投稿日:2009/09/06(日) 01:04:07 ID:/WrcABwtO
幸夫人のごお父様は中国人ではなく、キム・ジョンウォン(漢字不明)という朝鮮北部出身の貿易商だったようです。
戦後は日本に渡り、幸さんが渡米するまでは神戸の商社に勤めていたようです。 キムさんは幸さんが渡米した直後、
北海道室蘭に引っ越し、貿易商を営みながら総連支部の設立に尽力されたと話しておりました。
【ファーストレディー】鳩山幸をウォッチするスレ 2
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1252279762/
676 :
人間七七四年:2009/09/14(月) 16:04:04 ID:lzLeJ5xO
677 :
人間七七四年:2009/09/14(月) 20:42:54 ID:VLyS1Xi6
阿蘇宮司も先代の惟友さんまでは畏敬の念を抱けたのだが・・・
678 :
人間七七四年:2009/09/17(木) 22:17:16 ID:qDm42iK5
世に知られてること以外で、阿蘇家あるいはその一族だけが知っている秘密とかあるのかな。門外不出のこととか。
679 :
人間七七四年:2009/09/17(木) 23:30:57 ID:Ib/vRHY9
阿蘇氏と蘇我氏って何か関係あるのかな
680 :
人間七七四年:2009/09/18(金) 11:01:24 ID:N8wdASA8
681 :
人間七七四年:2009/09/21(月) 14:46:26 ID:F7BKD1XL
阿蘇氏は関西人ですか
682 :
人間七七四年:2009/09/21(月) 19:17:34 ID:F7BKD1XL
阿蘇氏は渡来系氏族なんですか?
683 :
人間七七四年:2009/09/23(水) 00:32:05 ID:bn3cdqem
阿蘇氏はチョンなのか
684 :
人間七七四年:2009/09/23(水) 20:00:51 ID:OfxEIh7c
685 :
人間七七四年:2009/09/23(水) 23:02:48 ID:bn3cdqem
>>684 健磐龍命は山城国の人間(神)なんでしょう? つまり関西人
686 :
人間七七四年:2009/09/23(水) 23:20:06 ID:OMfqx0OI
天孫降臨関係なら天津神なんだろうw
687 :
人間七七四年:2009/09/23(水) 23:50:53 ID:bn3cdqem
何で阿蘇氏は宇治と呼ばれるようになったか
688 :
人間七七四年:2009/09/24(木) 00:20:55 ID:l8GHh8AV
健磐龍命で山城・・・そして宇治と。
おおよそ推測できますねw
689 :
人間七七四年:2009/09/24(木) 19:24:39 ID:79OW0uEY
阿蘇家は誰から数えて91代になるの? どう数えても91代もないけど
690 :
人間七七四年:2009/09/25(金) 14:46:49 ID:eKHgaCxw
阿蘇氏の末裔さん教えてください。
宇治友成ー友仲 この後系譜が分かれるけど惟親 惟通 惟遠・・・この人たちも大宮司なの?
同じ時代に大宮司が2人いることになるけど
691 :
人間七七四年:2009/09/26(土) 18:16:22 ID:64R4gtrS
>>677 現在の当主はまだ良いよ。
先々代は結構まずい事やっちゃったからな。
692 :
人間七七四年:2009/09/26(土) 20:46:04 ID:wB3El8VI
693 :
人間七七四年:2009/09/27(日) 22:09:48 ID:GCf1TDKk
何気に宇治部という姓も名乗ってる阿蘇氏
694 :
人間七七四年:2009/09/29(火) 17:28:30 ID:N/JSTQyG
阿蘇氏の末裔さんの名字は阿蘇ですか
695 :
人間七七四年:2009/09/30(水) 22:14:28 ID:bn5dmJay
91代とは誰から数えてるのか教えてください。
696 :
人間七七四年:2009/10/05(月) 01:17:25 ID:BUQc+I+x
阿蘇家の系図は2種類あって、初期が全く違うのだが、どちらが正しいのかな?
697 :
人間七七四年:2009/10/08(木) 00:01:10 ID:h737RzpR
久しぶりにきました。
>>684です。
実は私は未成年でして、みなさんのほうが詳しいと思います。
>>694 いえ、阿蘇ではありませんが、阿蘇家の墓というのが阿蘇神社の
近くにあり、そこに曾祖父の墓があります。
明治か江戸末期までにさかのぼれば、名字は阿蘇になります。
以前、家でも調べようということになり、あちらこちらの図書館を
調べ、関連資料のコピーを取りましたが、昔の文章は全て漢字で
正直分かりません。
698 :
人間七七四年:2009/10/08(木) 12:09:17 ID:CR/HS5KI
私、三加和に本家がある『○梨』っていう性ですが、
阿蘇氏とは関係深かったって婆ちゃんに聞いた事あります。
699 :
人間七七四年:2009/10/08(木) 22:36:02 ID:IyiO9g6T
>>697 比較的新しい分家なんですね。 もろ阿蘇家と親戚ですね。私の家は600年以上前に分家した家です。
ですから阿蘇家とは親戚という感じはしません。
>>698 三加和とは? どこですか? ずばり坂梨氏ですね
700 :
人間七七四年:2009/10/09(金) 09:43:22 ID:sL6oTaaH
坂梨氏は南北朝時代に北朝方の大宮司にしたてられた坂梨孫熊丸の子孫ですか?
701 :
人間七七四年:2009/10/09(金) 12:08:22 ID:HNdL6Esw
『坂梨家は,肥後国(三加和町や菊水町など)の阿蘇神社の創建と
深く関わっています。
熊本県菊水の阿蘇神社の石段を登る途中に,
坂梨家の祖社が建っています。
(菊池川沿い)(平家伝承あり)
三加和町阿蘇神社(和仁川)の阿蘇神社も坂梨家が関係しています。
三加和町は,豊前街道が通っています。
腹切り坂の下で参勤交代の殿様が休憩しましたが,
そのあたりにも坂梨姓の人々が住んでいます。』
調べたらありました。
ここに出てくる三加和と関係してます。
702 :
人間七七四年:2009/10/09(金) 18:37:42 ID:sL6oTaaH
>>701 坂梨家の祖はだれですか?阿蘇にも坂梨氏の系統の家が何軒かありますが、関係あるのでしょうか?
703 :
人間七七四年:2009/10/09(金) 23:09:14 ID:sL6oTaaH
孫熊丸は惟時の子なのになぜ坂梨と名乗ったのですか?
704 :
人間七七四年:2009/10/10(土) 22:58:58 ID:oIS+ipdr
坂梨という苗字は阿蘇氏系図の中で見かけますが、坂梨さんはその末裔なんですか?
徳川に対する松平みたいなもんじゃないかというよく読みも調べもしていない暴論。
706 :
人間七七四年:2009/10/11(日) 23:12:34 ID:5fKZljNM
徳川の系図も怪しいからな。
707 :
人間七七四年:2009/10/12(月) 01:23:43 ID:Fd2YeeEo
普通大宮司職を継ぐなら阿蘇を名乗るだろ。代々そうなんだから
708 :
人間七七四年:2009/10/12(月) 19:54:32 ID:/FJG3CBK
709 :
人間七七四年:2009/10/13(火) 20:05:08 ID:HtdexXhS
>>708 阿蘇に居を構えておられる坂梨氏一党とは別の家系なんですね。坂梨高城主の坂梨氏とは関係ないと。
坂梨氏の先祖の阿蘇家の人はだれですか?
710 :
人間七七四年:2009/10/14(水) 22:39:39 ID:+sxr/J3u
坂梨氏の祖は誰ですか?
711 :
人間七七四年:2009/10/17(土) 09:25:17 ID:kUcb8Nkl
>>706 徳川は家康以降はともかく、源氏ではないことが明らかな家系だろ。たしか先祖は遊僧だったかと。
712 :
人間七七四年:2009/10/20(火) 21:42:34 ID:dhEGWzYR
戦国時代の武力は、阿蘇大宮司家>菊池家 ですか?
713 :
人間七七四年:2009/10/21(水) 17:54:36 ID:j0LBs12N
阿蘇惟長に家督を譲った時点で菊池氏は断絶したんだろ
714 :
人間七七四年:2009/10/22(木) 23:53:15 ID:6Vi6QONo
たまに出現する阿蘇氏の末裔のものです。
>>713さんのおっしゃるとおり、家督を阿蘇氏に菊池氏が譲ったため
最終的にはそうなりますが、戦国時代を通してそうだというわけでは
なさそうです。
715 :
人間七七四年:2009/10/23(金) 00:58:06 ID:M0IjcOug
阿蘇氏の官位が他氏と比べて高いのは、やはり朝廷が家柄を重視したためなのか。
江戸より前に、三位なんてざらにいて、タイトルにもあるように従二位にまで叙せられた人もいるくらいだから。
千家氏にもそんな高位はいなかった。 家柄でいえば阿蘇家と千家家は同等なんでしょう?
716 :
人間七七四年:2009/10/23(金) 01:04:07 ID:M0IjcOug
家柄の良し悪しはそれぞれの価値観によると思うけど、古さという点でいえば
天皇家よりも古い阿蘇、千家、紀が日本最古のはず。天皇家はそれを知ってて高い位を与えていたのか
717 :
人間七七四年:2009/10/26(月) 20:22:19 ID:Yd63iuT1
戦国末期 大友氏と同盟を組んでいた阿蘇家臣
島津氏と同盟を組んでいた阿蘇家臣
を教えてください。
718 :
人間七七四年:2009/10/26(月) 21:45:50 ID:wTyfz/A4
あっそう
719 :
人間七七四年:2009/10/27(火) 22:14:49 ID:NnVI3vad
阿蘇家は南北朝時代のときが華だったな。
720 :
人間七七四年:2009/11/08(日) 17:30:57 ID:STWnuVoi
阿蘇家は国造家の庶流ですか?
721 :
人間七七四年:2009/11/09(月) 20:17:10 ID:18xk2eSc
阿蘇家はかなり複雑でかなり古い時代では諸説ある。
wikipedia以上の情報がほしければ図書館にいくしかない
722 :
人間七七四年:2009/11/12(木) 10:20:39 ID:Y5bz2B5F
村山氏の子孫は阿蘇にいますか?
723 :
人間七七四年:2009/11/13(金) 09:30:16 ID:QrmPwAdB
村山氏の子孫は熊本にいますか?
724 :
人間七七四年:2009/11/17(火) 20:50:41 ID:WcMZRTPp
明治17年に阿蘇氏が男爵になったそうだ。
725 :
人間七七四年:2009/11/18(水) 11:48:30 ID:AQLh7YWA
村山氏の子孫は九州にいますか?
726 :
人間七七四年:2009/11/18(水) 21:57:43 ID:AQLh7YWA
村山氏の子孫は日本にいますか?
727 :
人間七七四年:2009/11/19(木) 01:21:31 ID:iXD0001X
宗像大宮司は秀吉に改易にされて滅亡?
728 :
人間七七四年:2009/11/20(金) 00:44:35 ID:HP6VF9sk
千家氏もそうだけど、非常に長い歴史のある家が現在も伝統を
受け継いでいると考えると非常に興味深いよな
729 :
人間七七四年:2009/11/22(日) 11:04:22 ID:nH45rFmv
特に千家氏なんかガチで天皇家より長いらしいからな
730 :
人間七七四年:2009/11/29(日) 14:14:25 ID:A+c4I9UK
村山氏の子孫は断絶したんですか?
731 :
人間七七四年:2009/12/01(火) 12:59:35 ID:0vaUI4zu
ここの住人は消えたんですか?
732 :
人間七七四年:2009/12/01(火) 13:08:27 ID:rvKwpIBO
村山元総理なら大分にいるだろ
733 :
人間七七四年:2009/12/01(火) 13:54:54 ID:0vaUI4zu
その村山は漁師の子
734 :
人間七七四年:2009/12/05(土) 03:03:29 ID:Bmec1OwA
森高千里の母方の姓は高森だそうですが、ココで出ている高森家と関わりがあるんですか?
母親が阿蘇出身ですよね
735 :
人間七七四年:2009/12/18(金) 20:43:26 ID:OFiUc1qq
>>730 阿蘇領に侵入した島津氏に滅ぼされた国人領主達は竜造寺方や大友方の国衆を頼った者が多いと思われる。
宗運の子、甲斐親秀の場合、御船城が陥落すると御船から見て阿蘇山の真反対の志賀氏の領地、現在の大分県竹田市市用まで逃れている。
村山氏の場合も豊後か筑後方面へ逃れたと思いますよ。そんな所は苗字が村山だらけの村山集落のはずです。
でも宗家は滅んでるはず。。
736 :
人間七七四年:2009/12/21(月) 23:53:12 ID:DBmQCvET
阿蘇の宮地に村山氏が集中している部落があるが、関係あるかな?
737 :
人間七七四年:2009/12/22(火) 12:05:32 ID:XoXh1yrF
>>734 森高の母親の旧姓は
高森?森高?なの?
それなら高森には一軒もないよ。高森はおろか南阿蘇に一軒もない
村山姓なら何軒かある。
因みに村山と言う地区もある
738 :
人間七七四年:2009/12/22(火) 14:01:31 ID:r+a3uHKr
>>737 森高千里の母方の姓は高森だそうです。阿蘇のどこかは分からないけど、南郷じゃないとすれば
阿蘇谷かな?詳しくはわかりません。上の方のレスによると阿蘇谷に高森氏がいるようで、その家と関係あるのかな?
昔は高森地方に高森城にがあり高森氏が居城していたようですが、現在南郷に一軒もないということは、やはり島津氏との戦いで
散り散りになったのですね。
宮地には確かに村山氏が近所同士で密集している部落がある。同じく島津に追われて阿蘇谷に逃れたのか。
739 :
735:2009/12/22(火) 20:13:43 ID:UrhUKejW
>>736 もしそこが村山氏と関係があるのなら、その集落の墓所に村山氏の誰かの慰霊碑なんかがあったりするんじゃないかな。
甲斐宗運を先祖に持つ集落の墓所にはあったよ。詳しくはその集落の人に聞いてみるしかないね。
740 :
人間七七四年:2009/12/23(水) 21:40:09 ID:HhlVhbAn
甲斐宗運の子孫の集落はどこにあるんですか? 御船ですか?
741 :
人間七七四年:2009/12/23(水) 23:04:08 ID:8GQpHT+3
御船にもあるみたいですが
大分県竹田市大字会々にある西休寺周辺と大字穴井迫には甲斐親秀の子の甲斐親盛の系譜の集落があるようです。
あとは宮崎県佐土原にも親秀の子の親信が逃れたという伝承があるので多分そちらにもあると思います。
742 :
人間七七四年:2009/12/30(水) 18:39:11 ID:ahMFtPeN
南郷七家の先祖は皆同じ阿蘇大宮司に辿りつくんですか?
743 :
人間七七四年:2009/12/31(木) 21:53:07 ID:FS0ueuQE
南郷七家の領地等改めて紹介してみよう。
744 :
あまり知られてない事:2009/12/31(木) 22:20:10 ID:FS0ueuQE
宗運の嫡男の甲斐親秀は親英とも表記されてる事もありますが
甲斐相模守親秀と甲斐大和守親英は別人。
嫡男は親秀。甲斐親英は同族の甲斐正運の子で娘婿。
745 :
人間七七四年:2009/12/31(木) 23:14:55 ID:16ZZiSIq
なるほど
746 :
人間七七四年:2010/01/03(日) 01:30:30 ID:lFL0R5I+
南郷七家は阿蘇家一門の中で最も格式高い家柄なのですか? 阿蘇谷にも名家はあるでしょ?
747 :
人間七七四年:2010/01/03(日) 03:01:22 ID:lFL0R5I+
阿蘇谷には坂梨家とかあるでしょ
748 :
人間七七四年:2010/01/03(日) 12:21:17 ID:lFL0R5I+
誰か教えてください
749 :
人間七七四年:2010/01/07(木) 10:49:24 ID:0jY7Bpz0
たぶん宮地だと思うんだが戦前まであった蘇門館って宿知ってるヤツいない?
阿蘇神社の流鏑馬神事で馬上で弓を射る坂梨家の人が主だったらしいんだけど。
750 :
人間七七四年:2010/01/09(土) 17:17:37 ID:Q0MEaSRM
市下大和守、蔵原志摩守の本名は何ですか?
751 :
甲斐左近将監親成:2010/01/09(土) 20:50:24 ID:ZsFep3Ty
752 :
人間七七四年:2010/01/09(土) 23:27:06 ID:Q0MEaSRM
>>751 載ってなかった。惟が付いていたのは確かだと思うが。
753 :
人間七七四年:2010/01/10(日) 23:19:53 ID:wsnjKg41
阿蘇家はどこからどう数えたら91代になるんですか? ちなみに初代は誰?
754 :
人間七七四年:2010/01/11(月) 12:22:23 ID:mVXOmQJM
阿蘇家はどこからどう数えたら91代になるんですか? ちなみに初代は誰?
755 :
人間七七四年:2010/01/11(月) 17:56:09 ID:mVXOmQJM
本当の話、91代もないでしょ
756 :
甲斐左近将監親成:2010/01/12(火) 17:16:10 ID:2YcHNVtA
>>752 市下氏と蔵原氏の領地はどの辺りで何町くらいだったんすか?
神武天皇─神八井耳命─武宇都彦命─武速前命─敷桁彦命─
健磐龍命─速瓶玉命─建淳美命─美穂主命─宇治部武凝人─
倉主─小国─石金─赤目子─鳥見─小杖─真里子─角足─平田麿(※1)─武男─
定足─継村─建人─共直─友成(※2)─友仲─友孝─友実─友房─惟俊─
惟宣─資永─惟泰(※3)─惟次─惟義─惟景─惟国─宇治惟時=恵良惟澄(惟景曾孫)─惟村─
惟豊─惟種─惟善─友貞─友隆=友名(友隆弟)=真楫(大里惟仲子)=惟典(大里惟栄子)─惟馨─惟賞─
惟治─惟敦─惟孝─惟紀─惟友─惟之(当代)
※1・・・阿蘇宮司の初出
※2・・・阿蘇大宮司の初出
※3・・・阿蘇氏としての確実な当主
世数では神武天皇から56番目になるね。
758 :
人間七七四年:2010/01/12(火) 18:54:10 ID:+gP2mlxx
>>757 一世代に何人もなったりして(兄弟、分家等)91代にもなっているのですね。
結局初代は誰ですか?本姓は宇治だから、初代は宇治部武凝人ですか。
759 :
人間七七四年:2010/01/12(火) 18:56:11 ID:+gP2mlxx
それにしても古いですね。阿蘇家って実は天皇家よりも古いんじゃないですか?
さすがに全ての国造・祝・大祝・宮司・宮祝・大宮司を系図で繋げるのは時間が掛かりすぎるんで・・・
皇統と同じと言っては不敬ながら、神代を数えれば91代は妥当な数字だと思うよ。
少なくとも神武天皇からの皇別と設定しているあたり、習合があったのは間違いないんだけど。
761 :
人間七七四年:2010/01/12(火) 21:23:18 ID:+gP2mlxx
千家家もそうだけど、神代を入れなくて実在したと思われる人物から数えてもかなり古い時代まで遡れるような気がします。
全国有数の旧家であることは間違いないですね。この豪族が国造であったことも間違いないと思えます。
もうね、宮内庁長官は出雲・阿蘇・諏訪あたりの神官家が寡占して回り持ちすべき。
763 :
人間七七四年:2010/01/12(火) 21:43:38 ID:+gP2mlxx
そうですね。神々の裔である旧家こそ、皇室をお守りするのにふさわしい家柄だと思います。
764 :
甲斐左近将監親成:2010/01/12(火) 23:45:25 ID:2YcHNVtA
私も家格家柄だとかは大事だと思います。
765 :
人間七七四年:2010/01/13(水) 00:41:41 ID:6B59WrYH
>>756 ごめん。そこのところ詳しくない。ただ両者とも有力な一族であるのは確か。
阿蘇谷では坂梨、蔵原、小陣が家臣の領地の大半で、南郷谷では南郷七家で占めていたと思われる。
766 :
人間七七四年:2010/01/13(水) 14:55:08 ID:6B59WrYH
767 :
人間七七四年:2010/01/14(木) 10:13:05 ID:WEgUx5ib
768 :
人間七七四年:2010/01/14(木) 22:51:35 ID:+Z4etI3X
>>757 惟馨 これ何と読むのですか? それと伊予守という通称を持っていたみたいですが、
大宮司なのになぜ別の通称があるのですか?
>>762 そこに突っ込まないように。
>>768 諱の訓はどうでもいいような気がするけど・・・「これきよ」くらいでどうでしょ。
あと大宮司が伊予守だと何か問題あるかな。大宮司は官職や位階ではないだろうし。
771 :
人間七七四年:2010/01/19(火) 02:04:33 ID:tTMS2md2
772 :
人間七七四年:2010/01/21(木) 01:22:34 ID:QLUvqAVs
阿蘇真楫の読み教えて
ふつうに「まかじ」じゃないかね。
774 :
人間七七四年:2010/01/21(木) 22:24:23 ID:QLUvqAVs
惟が続く中でたまにいるよな。資永とか
大蔵氏族は種であってほしい。大神氏族であってほしくはない。
先週だったか娘に付き合わされて「もののけ姫」を見たけど、このあたりがいろいろ鏤められているのを感じた。
776 :
人間七七四年:2010/01/21(木) 23:00:01 ID:QLUvqAVs
777 :
甲斐兵庫守秋政:2010/01/23(土) 22:26:42 ID:6QbDviKx
惟豊の時代の主な家老衆ベスト5は、甲斐氏、坂梨氏、高森氏、西氏、村山氏でOK?
778 :
人間七七四年:2010/01/24(日) 00:16:14 ID:OdvlBEp3
>>777 事実上、大宮司家の外交を司っていた甲斐宗運の甲斐氏や、南北朝以来の家柄である坂梨高森の両氏は重要だろうね。
村山氏や西氏も古文書によくでてくる苗字で重臣。他にもいるだろうけど敢えてベスト5となるとそんなもんかな。
あと小陣氏もよく出てくるし、南郷七家も一門だと聞くし、人それぞれ価値観が違うかも。
779 :
甲斐兵庫守秋政:2010/01/24(日) 12:34:25 ID:42W9K2DT
各家々の石高や領地などが分かればいいんだけどねぇ。
分かるのは甲斐氏くらいだもんな。。
780 :
人間七七四年:2010/01/24(日) 23:36:18 ID:OdvlBEp3
781 :
甲斐兵庫守秋政:2010/01/25(月) 16:16:08 ID:7WFlyQt3
>>780 庶流の庶流で19代後胤であります。
曽祖父の代まで、とある藩の郷士で半ば庄屋のような事をしておりました。
782 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 13:41:31 ID:B6thZZ8R
783 :
甲斐長門守宗摂:2010/01/29(金) 21:56:11 ID:ubxzzHFs
>>782 宗運公の子孫は星の数ほどいると思いますよ。
ただ素性がはっきりとしてる人は少ないかも知れません。
熊本なら御船に数軒あると聞きました。
永寿寺だったか東禅寺だったか住職が末裔じゃなかったですかねぇ。
違ってたらすいません。。
784 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 23:16:08 ID:B6thZZ8R
甲斐宗摂は高千穂の豪族
785 :
甲斐長門守宗摂:2010/01/30(土) 08:34:07 ID:hKa7GI9X
甲斐宗摂とは高千穂の領主、三田井氏の家臣で官位などから推測して
宗運公とは遠縁にあたる家代の甲斐家の系譜の人で
現在の日之影の岩井川から塚諸村の家代にかけてを支配していた国人領主です。
786 :
辺春丹波守盛道:2010/01/31(日) 19:10:24 ID:5nFgQQvE
惟長と惟豊、系図的には二人兄弟だけど
系図には載っていない兄弟とかはいないんだろうかという疑問。。
787 :
人間七七四年:2010/02/01(月) 00:18:27 ID:LwsSMB2x
全部載せたら大変だからね。載ってない人は結構いると思う。
ところで
>>786さんは邉春氏の子孫ですか? 邉春氏の出自知っていたら教えてください。阿蘇内牧城主だったことしか知らない。
788 :
人間七七四年:2010/02/03(水) 02:22:22 ID:g7gqVqzT
阿蘇惟将 甲斐宗運 高森惟直
789 :
甲斐親宣:2010/02/04(木) 22:53:37 ID:3goGUSKd
甲斐氏は大宮司家の老臣
790 :
宗運の子供達:2010/02/05(金) 22:45:47 ID:5POHQzcZ
甲斐親秀、甲斐惟義、甲斐親正、甲斐親教、甲斐惟久、甲斐惟秀、甲斐宣成、甲斐直武、林越前守某、他数名。
甲斐惟義は惟房とも云い、幻術を使うという噂だった肥後日向境の亀頭山城の城主。
791 :
人間七七四年:2010/02/05(金) 23:21:30 ID:eoLtgm7A
甲斐宗運の領地は1千町歩だから1万石程度だな
792 :
人間七七四年:2010/02/05(金) 23:25:12 ID:eoLtgm7A
阿蘇氏は5千町歩だから5万石程度
793 :
甲斐親宣:2010/02/05(金) 23:31:48 ID:A7z2WufL
阿蘇氏の領地は35万石 というのは嘘なのか
阿蘇家臣で1万石以上なのは誰がいる?
794 :
人間七七四年:2010/02/06(土) 01:12:56 ID:SBia+pYN
甲斐氏なのに惟の偏諱を貰ってたの? 阿蘇家一族以外の人でも惟を許されてたんだね
795 :
人間七七四年:2010/02/06(土) 12:12:56 ID:5kHK5wYp
>>793 太閤検地によると肥後1国で34万石
多少日向の山間部まであったとしても35万石はありえない
796 :
甲斐左近将監親成:2010/02/06(土) 19:57:44 ID:DZBToKEv
797 :
阿蘇一族:2010/02/06(土) 23:43:23 ID:SBia+pYN
8万石とか、甲斐宗運は単独でも大名じゃないか。草ケ部・・・この前そこの神社に参拝した。下り宮
ところで宗運に次ぐ阿蘇一族の領主は誰? 阿蘇家臣は宗運以外みんな貧乏だったの?
798 :
甲斐左近将監親成:2010/02/07(日) 00:07:57 ID:0k5aBmq/
他の家々の領地が何町あったのか分からないけど
広域的なものと城や砦の数で個人的には北里氏かなと思います。
身分的には坂梨氏や西氏に南郷七家かと。そして村山氏や仁多水氏などの奉行衆。
799 :
人間七七四年:2010/02/07(日) 00:09:18 ID:Wl5nqBaq
1町を何石で計算してるんだ
少しは勉強しろよな
800 :
甲斐左近将監親成:2010/02/07(日) 00:21:29 ID:G+g4bZLL
801 :
阿蘇一族:2010/02/07(日) 00:29:09 ID:VfwhCgmu
草ケ部というところはちょうど高森と高千穂の中間点に位置するんだよね。だからどうだということはないけど、
何となく神々の里のように感じた。
802 :
阿蘇一族:2010/02/07(日) 00:39:42 ID:VfwhCgmu
大宮司惟豊惟将あたりの主な家臣
阿蘇郡・・・坂梨 蔵原 小陣 仁田水 北里 高森 長野 村山 市下 峰
益城郡以南・・・甲斐 光永 西 犬飼 田代 木山
803 :
甲斐左近将監親成:2010/02/07(日) 00:52:32 ID:G+g4bZLL
伊津野、早川、中村、渡辺、柏、田上等も入れてやって下さい。
804 :
阿蘇一族:2010/02/07(日) 01:04:06 ID:VfwhCgmu
伊津野は肥後一の碁の名人だったね。
追加
阿蘇郡・・・邉春 下城
益城郡・・・黒仁田 砥用 釣野
805 :
甲斐左近将監親成:2010/02/07(日) 18:39:46 ID:G+g4bZLL
>>804 男成氏も追加で。。
忘れておりました。
しかし阿蘇一族さんは詳しいですねぇ。おどろきました。
806 :
阿蘇一族:2010/02/07(日) 23:57:47 ID:VfwhCgmu
甲斐氏は、大宮司惟豊が惣領争いで兄惟長に追われて日向に逃れた時に甲斐宗運の父親宣が
匿い、援護したのがきっかけで大宮司家の家臣になったんだけど、
北里氏や邉春氏は何がきっかけで阿蘇家臣になったのかな。
807 :
中村伯耆守惟冬:2010/02/10(水) 17:12:00 ID:2ia5MWdX
北里氏も辺春氏も南北朝時代の阿蘇家分裂の際がきっかけじゃないかな。
おそらく。
808 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 00:45:23 ID:EgdJrhcw
生涯不敗 甲斐宗運公 阿蘇家の忠臣
809 :
甲斐左近将監親成:2010/02/11(木) 18:17:31 ID:Bg0Ptlqy
生涯不敗というか・・・
何度か戦って負けてはいるけど最終的に勝ちというパターンですね。
二上神社の内紛では甲斐鑑昌に初戦は敗退した模様。。
810 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 23:32:39 ID:EgdJrhcw
甲斐鑑昌 はじめて聞く名前です。
811 :
甲斐左近将監親成:2010/02/12(金) 18:53:05 ID:MEM3vuOG
甲斐鑑昌は隈庄の甲斐氏である甲斐親昌の弟で高千穂領主の三田井氏の家臣。
領地は押方周辺で祖父にあたる重久が二上神社(東宮)の宮司職も兼ねていました。
ちなみに三ヶ所神社(西宮)の宮司職は甲斐親成の子の重次で宗運公の甥にあたります。
宗運も親昌も阿蘇氏の家臣でありながら三田井氏の家臣でもあるという一風変わった阿蘇と高千穂の関係は神式色の強い独特の地域であった事が伺われます。
812 :
人間七七四年:2010/02/13(土) 00:55:59 ID:hZVerwG+
>>811 さすが、宗運公より19代子孫だけあって詳しいね。甲斐氏の歴史は、言わば身内のことだからね。
813 :
甲斐左近将監親成:2010/02/13(土) 21:32:25 ID:u+gE3DHT
>>812 恐れ入ります。
中世の阿蘇と高千穂は個人的に非常に興味があるだけですよ。
他所にはない独特の地域だと思います。
814 :
人間七七四年:2010/02/15(月) 01:00:26 ID:XpqhUIWZ
自分も興味あります。神々の住まう地だからね。
815 :
人間七七四年:2010/02/15(月) 16:16:51 ID:5IOXeet8
阿蘇氏24城・三田井氏48城と呼ばれる城跡を復元整備して
昨今の歴史ブームに乗っかって『中世の城跡めぐり』みたいな町の観光スポットコース出来ないかなぁ。
816 :
阿蘇家臣団:2010/02/15(月) 23:09:09 ID:XpqhUIWZ
中世の城址の遺構は形としてあまり残ってないから臨場感が中々持てないのが難点。
場所さえはっきり分かればまだマシだろうけど。
阿蘇の24城のうち、場所と遺構が比較的残っている城はどこかありますか?
817 :
阿蘇家臣団:2010/02/16(火) 10:10:29 ID:LEbqdXLO
益城郡は島津への備えとして重要な拠点で、しかも大宮司館が矢部にあったのに、周りを固めてるのはほとんどが阿蘇一族ではなく甲斐宗運一族だった。
もちろん光永や西などの一族もいたが、それだけ軍事面では阿蘇一族は頼りなかったということか。
818 :
人間七七四年:2010/02/16(火) 20:40:28 ID:5Y26xjCd
>>816 所在は分かってるけど遺構が残ってる城はほとんどないよ。
堅志田城で比較的マシな方。御船城なんか堅城とはほど遠いし、矢部の岩尾城も・・・
>>817 領地を見ても甲斐宗運に勝る他の家臣団はいないよ。もう小大名クラスだからね。
高千穂の甲斐氏も含めて甲斐党は戦に精強で戦争職人的な気質がある。
足利尊氏の征西に従って日向北部に移り住んでからの繁栄ぶりは異常。
九州にはない戦術や兵器等の技術的なものを持っていたのかも知れない。
819 :
阿蘇家臣団:2010/02/16(火) 21:10:10 ID:LEbqdXLO
確かに甲斐宗運は当時の阿蘇家の全てだった。なぜあそこまで阿蘇家に尽したのか。阿蘇家に対し不穏な動きをとれば、
実子も何人か成敗している。正直阿蘇家は家柄はともかく、御世辞にも武力が強かったとは言えないし、あそこまで忠義を尽くさせた
ものは何だったのかが知りたい。大友氏から偏諱を貰って入道宗運と号し、大友氏は甲斐氏を阿蘇家への抑えとして利用してたとも受け止められる。
大友も甲斐宗運が肥後一の智将であることを認めていた。
820 :
阿蘇家臣団:2010/02/16(火) 21:33:11 ID:LEbqdXLO
あれほどの知力があれば阿蘇家に対し簡単に下剋上できたものを。ただただ忠義としか言いようがない。
さすがは宗運公 武門の誉れである。
821 :
阿蘇家臣団:2010/02/16(火) 23:40:20 ID:LEbqdXLO
822 :
もう一人の継承者:2010/02/18(木) 13:45:36 ID:Kcw7RjPq
日向・肥後の二方面から島津軍が豊後へ進行を開始してきた頃
大友宗麟は、日向高千穂方面は『甲斐長門入道』。肥後は『甲斐刑部大輔』と『甲斐兵庫頭』が最も頼りだと述べている。
甲斐宗運亡き後、甲斐家を継いだのは大友氏からの呼び名『刑部大輔鎮隆』こと嫡男の『親秀』とこの人物『兵庫頭』。
戦国末期に家代峠で自刃したという『甲斐兵庫守秋政』という人物がいたようだが時代的に同じ人物とは思われず、親子関係だったとしても
宗運とはどのような関係であったのか、首領的な立場なのに系譜不明という謎の人物である。
823 :
人間七七四年:2010/02/18(木) 19:27:46 ID:O1MvvE6t
阿蘇の七家老というのを聞いたことがありますが、七家老とは誰たちのことですか?
824 :
人間七七四年:2010/02/18(木) 20:15:17 ID:Kcw7RjPq
>>823 いつの時代の事でしょうか?興味深いですね。
825 :
人間七七四年:2010/02/18(木) 20:36:14 ID:O1MvvE6t
阿蘇惟長ー惟豊ー惟前ー惟将の時代だと思います。 阿蘇家の歴史で語られるのはだいたい南北朝〜室町ですからね。
何かと「七」がつく代名詞が多いようです。
826 :
人間七七四年:2010/02/18(木) 21:56:02 ID:Kcw7RjPq
惟豊の時だったら大宮司復帰に尽力した
甲斐親宣、村山惟民、西惟宗、北里義重、室原鑑知、小陣惟住、男成家継かな。
827 :
人間七七四年:2010/02/18(木) 22:45:15 ID:O1MvvE6t
>>826 詳しいですね。 半分は知らない人物です。
828 :
人間七七四年:2010/02/19(金) 19:02:30 ID:4iB8IBB+
甲斐親宣を説得したのが小陣惟住と男成家継と云われております。
惟長と惟豊が争った時、惟長方には、祝部、竹崎、村山、西の名前があります。
村山氏と西氏は一族が惟長派と惟豊派に別れていたようです。
惟長の時の七家老だと、祝部某、竹崎某、村山某、西某、残り3人は分かりませんねぇ。
829 :
人間七七四年:2010/02/19(金) 21:58:32 ID:qcxXGvUO
小陣氏の領地はどこか知りませんが、登場人物を見ると、ほとんど阿蘇郡の領主ではなく、益城郡の領主のようですね。
甲斐親宣の領地に近かった者たちでしょうか。益城郡の光永氏がいないのは少し意外でした。
830 :
人間七七四年:2010/02/19(金) 23:18:26 ID:4iB8IBB+
>>829 北里氏と室原氏は小国。村山氏は南郷。西氏は堅志田。男成氏は男成。
小陣氏は私も知りません。。
光永氏はなぜに意外なのですか?
831 :
人間七七四年:2010/02/20(土) 00:04:47 ID:8YEZmOb+
光永氏はたしか鎌倉以来の阿蘇家の一門だったはず。室町にも津森城主で家老だったと記憶しています。
だから当然活躍していたのかと・・
832 :
人間七七四年:2010/02/22(月) 00:05:36 ID:SRHxi5Oj
阿蘇家の古文書に残ってないもんかね
833 :
人間七七四年:2010/02/22(月) 17:37:36 ID:TYJMHSM7
>>831 なるほど。光永家は鎌倉時代からの名家なんですね。
ところで1551年に大友宗麟に攻められ『光永惟宗』『光永惟純』の兄弟がいた津森城は落とされたとあります。
そして1563年にも甲斐宗運が光永氏の家督争いに介入して津森城は落とされます。
大友宗麟が益城辺りまで蹂躙した理由は何でしょうか?
また、城を落とされたのに光永氏が津森城の主でいられたというのも気になります。
834 :
人間七七四年:2010/02/23(火) 23:26:17 ID:WkZO5ui8
光永はたしか島津方についたはず
835 :
人間七七四年:2010/02/24(水) 19:29:05 ID:OKZRI80A
菊池義武の再挙兵で光永氏はこれに関わってたみたいでした。
昔の守護職と新任の守護職との争い。
こういう地方史の流れは好きだ。
837 :
人間七七四年:2010/02/25(木) 00:34:40 ID:16lKQigG
>>833 甲斐宗運はなぜ光永氏の家督争いに介入したのでしょうか? 御船阿波守房行に場合は阿蘇家に謀反を起こそうとしたから
討伐は仕方ないとして、他家の家督にまで介入して城を落とした理由は何でしょうか?
838 :
甲斐左近将監親成:2010/02/25(木) 18:20:37 ID:hiJ8nbfu
>>837 この当時『甲斐宗運』は隈庄の『甲斐親昌』と争っていました。
この隈庄を孤立させようと
甲斐宗運は、木山氏など付近の領主たちと縁戚関係を結び津森城も味方に引き入れようとしますが
この時の光永家督の三男『光永中務少輔』という人が上手くこれを利用したものと思われます。
839 :
人間七七四年:2010/02/25(木) 23:22:22 ID:16lKQigG
>>838 つまり嫡子でない三男の「中務少輔」が家督を継げるように宗運に取り計らってほしいと欲した ということですか。
異心者に傾注せにゃならんかね。
841 :
甲斐左近将監親成:2010/02/26(金) 00:41:04 ID:4tlOj5I1
>>839 だと思われます。『光永中務少輔』は家督を継げるように。『甲斐宗運』は光永家を取り込めるように。まあ、お互い様と言った所でしょうか。
二派に分かれていたせいもあってか嫡男方であったであろう津森城は12日ほどで落城して家督は『合志親為』を頼り逃亡した模様。
津森城には『光永中務少輔』が入り家督を継承し、光永氏の支城の健軍城には甲斐一族の『甲斐正運』が入城したようです。
ちなみに翌年の隈庄城の攻略には約10ヶ月を費やした様子。
842 :
人間七七四年:2010/02/26(金) 01:27:44 ID:i8Ee3+T5
>>841 光永氏のこと知りませんでした。当時の阿蘇家は、宇土、合志、隈之庄にコネがあったのですね。
甲斐一族が健軍城に入城した際、前の城主 光永摂津守(入道浄英)は追放されたのですか?
843 :
甲斐左近将監親成:2010/02/26(金) 08:22:29 ID:4tlOj5I1
>>842 宇土は名和氏の領地で合志氏も阿蘇氏とは誼を通じていません。
隈庄の甲斐氏は阿蘇氏とは友好的でありましたが
肥後職兼任の大友義鑑に所領を与えられた事もあり大友方であったようです。
しかし二階崩れの変で姻戚関係だった入田氏が惟豊に殺害され次第に島津方へ・・・
という事でコネというものはないと思われます。
光永摂津守という人は知らないのですが、中務少輔方でなかったのなら逃亡か追放か討ち死にかと。。
この光永中務少輔はおそらく光永宗甫という人だと思われます。
844 :
人間七七四年:2010/02/26(金) 20:51:26 ID:7ltT568s
845 :
人間七七四年:2010/02/26(金) 21:20:16 ID:UYvIAEI3
合志氏の興亡が気になります。
846 :
甲斐左近将監親成:2010/02/27(土) 21:53:27 ID:KLNI8bP7
847 :
人間七七四年:2010/02/27(土) 22:49:09 ID:J0PwXlbU
合志隆重・光永宗甫・高森惟居らは圧倒的な島津勢に対しなぜ徹底抗戦をしたのか
そのへんの知識ないんで何か書籍かリンク教えて。
849 :
人間七七四年:2010/02/27(土) 23:10:33 ID:J0PwXlbU
甲斐左近将監親成 さんが846でが示したリンクにありました。
850 :
甲斐左近将監親成:2010/02/27(土) 23:28:19 ID:KLNI8bP7
>>847 単純に大友方や竜造寺方との利害関係または姻戚関係によるものだと思います。
それにこの時代の九州では官位役職や本来の領地や石高的に大友氏→竜造寺→島津の順で
まさかの島津だったのではないでしょうか。
>>849ありがとう。
はりまやから見るに中原姓でまとめて良さそうだね。
852 :
人間七七四年:2010/02/28(日) 00:07:24 ID:XoiH3l0h
阿蘇家は大友島津に対して一枚岩でなかったのが命取りだった。大宮司が次々に死亡したりして幼主では統率がとれなかった。
大宮司惟将までは参謀宗運の助けで上手くいっていた気がする。
853 :
人間七七四年:2010/02/28(日) 04:59:01 ID:geagmv5E
>>846おおお!ありがとうございます。
やはり合志氏は竹迫城に入っていましたか。私は竹迫城跡の近くの者であり、
合志小学校には合志を名乗る末裔とおぼしき竹迫出身の生徒がいたのを覚え
てます。
合志くんはその名のとおり、合志役場に勤務しました。
一般の方は合志を「ごうし」と呼びますが、「こうし」です。
854 :
人間七七四年:2010/02/28(日) 05:09:35 ID:geagmv5E
ちなみに当時の同級生の合志くんが「よしひろ」でその兄貴が
「よしひさ」だったのは覚えています。今思えば、屈服した島津氏の
影響を受けているのかと・・・・
855 :
甲斐左近将監親成:2010/02/28(日) 19:19:02 ID:/l9zyfTr
天正13年8月10日(1585年)
花山城を甲斐親秀が攻略して島津氏との本格的な合戦が始まり
翌13日に堅志田・甲佐・萩尾が落城。翌15日に甲斐氏は御船を放棄して翌16日に隈庄を開城。
重要拠点の隈庄と御船を失い大宮司家は降伏したのですが
島津義弘は御船の若宮八幡宮で連歌の会を催したり、甲佐の各城主達を呼び寄せ酒宴を開いたりと
降伏した領主を上手く取り込む為にやっきになっていたようです。
856 :
人間七七四年:2010/02/28(日) 20:06:46 ID:XoiH3l0h
惟豊嫡子千寿丸 柳本大明神にて初陣必勝祈願
後見人 甲斐民部大輔親直 小陣治部大輔惟玄 高森式部少輔惟峯 村山形部大輔惟益 仁田水左衛門大夫惟玄 坂梨左近将監惟久
857 :
甲斐左近将監親成:2010/02/28(日) 21:48:55 ID:/l9zyfTr
小陣氏は系図的に、惟住ー惟玄ー惟富でしょうか?
惟豊・惟将の時代で私が知ってる名前は
村山氏で、惟民、惟貞、惟尚、惟広、惟忠、家久。
坂梨氏は、惟連、惟右、紹元。
仁多水氏は、惟栄、惟久。いったいどういう関係なんでしょね。
858 :
人間七七四年:2010/02/28(日) 22:48:06 ID:XoiH3l0h
史料により名前が違ってたりするのはよくあること。
私の知る限りでは、阿蘇家臣となった後の甲斐氏の系譜は 親宣ー親直ー親英
村山氏の系譜は 惟貞ー惟民ー惟広ー家久ー惟益ー惟稔 のようです。
小陣氏、坂梨氏、仁田水氏の系譜は知る機会がありませんでした。知りたいですが・・・
高森氏は系譜ははっきりしないけど、大宮司惟忠公あたりから惟将公までに史料に出てきている名前を順に挙げると
惟員ー惟在ー惟義ー惟峯(惟益)ー惟元ー惟居
甲斐氏は蒙古の首級を挙げた菊池の名を轟かせた菊池武房の流れを汲む菊池一族で、
村山氏、坂梨氏、仁田水氏、高森氏はいずれも大宮司家の流れを汲んでいるそうです。
859 :
人間七七四年:2010/03/01(月) 09:16:56 ID:4m893MwR
ここの人詳しいなw
高橋元種の高千穂進行の事とかも詳しい事情知ってそうだ
860 :
甲斐左近将監親成:2010/03/01(月) 11:10:09 ID:wlREVEoS
史料物により名前が違っていたりする事はよくありますよね。
私が調べた甲斐氏の場合、親宣ー親直ー親秀で、どうやら親英という人が別にいるようです。
しかし高森氏は惟直という名がみられないのが意外ですね。この場合惟直が惟元という事なんでしょうね。
861 :
人間七七四年:2010/03/01(月) 15:20:52 ID:qxGGVnb6
>>860 甲斐親英=親秀ではないでしょうか? 甲斐宗運の嫡子だったはず。
高森惟居=惟直と言われております。御子孫の史料によると高森伊予守惟居となっているようです。
しかし受領名の伊予守は親子で世襲する場合がありますので惟直と惟居は親子関係かもしれません。
862 :
甲斐左近将監親成:2010/03/03(水) 21:21:32 ID:Wf2rud3A
>>861 天正10年4月に甲斐左近允に与えた書状や天正13年5月に草部吉見神社の神職だった田上主水助に宛てた手紙に『大和守親英』の名前があるのですが
この時期、親秀は相模守であり豊後では刑部大輔と呼ばれていたと思われます。
5つある家系図のうち『親秀』と表記されているのが3つ『宗立』と表記さているのが2つ。うち1つは島津家伝に伝わるものです。
しかし島津国史には『阿蘇家相甲斐大和守親英』とあります。
『甲斐大和守』は降伏の5日後に島津家臣として位階を求めに御船の島津義弘に会いますが
小国に大友義統が侵入して来たので呼応される事を懸念し、そのまま八代に幽閉された様子で
甲斐親秀は御船陥落後、肥後守護代『志賀氏』の領地、直入郡志土知村市用に逃れ、子のひとり『親盛』を殺したという伝承などがあり・・・
上井覚兼日記、八代日記、矢部風土記、手紙類を見ると親英と親秀はまるで別人ではないか?と思わされます。
高森氏は甲斐氏に比べ登場する史料物が少ないのでお手上げですね。。
863 :
人間七七四年:2010/03/03(水) 23:49:49 ID:pHkAUxp6
>>862 草ケ部吉見宮の神職は田上氏だったのですか。神主は誰でしたっけ?
宗運に続き親秀も子を殺したのですか。。。戦国の武門は情け容赦ないですね。。
高森惟居と島津勢が戦った高森城合戦については宮崎の五ヶ瀬という地域に伝わる「荒踊り」という
伝統行事のなかに歌として登場しています。鬼武蔵こと新納忠元を総大将とした大軍が南郷高森に押し寄せている
様子や、高森方の奇襲の様子、また島津方に寝返るように説得に来た仁田水左衛門大夫を生害させたことなど、、
なかなか興味深い内容となっています。
864 :
甲斐左近将監親成:2010/03/04(木) 02:19:07 ID:MtrXWXSA
>>863 響野原の合戦の時、甲斐宗運は御船の若宮八幡宮と山出の大武大明神に戦勝祈願をしたようなのですが
この山出大明神の権大宮司が田上備後守惟清という人で宗運の軍の先陣をきって相良安芸という法師武者を討ち取ったそうです。
田上氏とはそういった神式色の強い身分だったのかも知れませんね。
親秀が子息のひとりを殺したのは阿蘇家を裏切ったからなのかも知れません。。
宗運亡き後は一族間で島津方・大友方・竜造寺方と別れていたようで
御船城を明け渡した時に島津方として城を受け取りに来たのは甲斐掃部入道紹員という人で
竜造寺氏に出した起請文にも載っていた重鎮中の重鎮でした。
宗運亡き後、甲斐家は相模守親秀と兵庫守某が継承したと思われますが・・・
御船・隈庄・健軍一帯と草部一帯から鞍岡では領地が分断されていたせいもあり統制が取れず
派閥争いや利害関係に島津氏の侵入も絡んでどうにもならない状況であったに違いないでしょう。
説得の使者では村山丹後守という人も高森氏に殺害されたみたいですね。
しかし「荒踊り」の歌の歌詞、それぞれの踊りの描写など興味深いですね。機会があればぜひ拝見したいものです。
降伏したふりをして敵を欺く所なんかあるんだろうか。。
865 :
人間七七四年:2010/03/06(土) 18:08:49 ID:PpNf01HZ
私は阿蘇・高千穂は古来より不可分の関係だと思っております。
神話として、歴史として、大自然として気に入っております。
866 :
人間七七四年:2010/03/07(日) 08:54:26 ID:tRYFDnRn
阿蘇家臣の子孫は今どれくらいいるのでしょうか?
当時のままの苗字の家、苗字を変えた家
867 :
人間七七四年:2010/03/09(火) 10:20:47 ID:wUh0RmF1
坂梨家でググッたら以外にも歴史あるんだとビックリしてます。
熊本の三加和の一族の者です。
868 :
人間七七四年:2010/03/09(火) 13:00:17 ID:vIDQmBmr
坂梨家の子孫は阿蘇の坂梨にいますよ。
869 :
人間七七四年:2010/03/09(火) 15:33:24 ID:hqCJxjFi
知り合いに坂無っているけど、関係あるのか?
870 :
人間七七四年:2010/03/09(火) 17:46:21 ID:vIDQmBmr
文字通り坂が無い だね。 聞いたことないです。
871 :
人間七七四年:2010/03/09(火) 21:49:32 ID:vIDQmBmr
坂梨家って坂梨孫熊丸の子孫なの?
872 :
人間七七四年:2010/03/10(水) 00:36:41 ID:gq+UUrVU
>>871 有名なトコロでは弘安の役で功をあげた惟景の庶子じゃないかな。
873 :
人間七七四年:2010/03/10(水) 12:27:36 ID:BywAOv6f
惟景ー惟資
ー惟国
ー惟春(坂梨氏)
このほか惟時の庶子孫熊丸も坂梨氏
874 :
人間七七四年:2010/03/11(木) 16:59:58 ID:7woKjZje
阿蘇惟時の跡を継いだ丞丸なる人物は誰の子ですか? 惟直?惟澄?
875 :
人間七七四年:2010/03/12(金) 22:47:39 ID:9uXBHHbC
>>873 ウチのお墓の隣の石碑には坂梨彦熊系譜は惟景の庶子の惟寿って書いてあるんだよね。
ネットで調べると惟春と同一っぽいんだけどどっちかが誤読したのかな?
ちなみに石碑は宮司の銘を打ってあるよ
876 :
人間七七四年:2010/03/14(日) 23:38:20 ID:Sxt5r1CQ
>>875 阿蘇惟景庶流の坂梨家の子孫ですか?どこに住んでるんですか?
坂梨彦熊とは誰ですか?
877 :
人間七七四年:2010/03/15(月) 11:59:30 ID:4F0jEQnk
坂梨はいろんな時代にいろんな人が名乗っている。
惟景の庶子坂梨惟春
惟時の庶子坂梨孫熊丸
坂梨高城主坂梨惟佑
それぞれが別系統のようだけど一体どういうこと?
878 :
人間七七四年:2010/03/15(月) 13:25:07 ID:4F0jEQnk
それに坂梨子という苗字もいますね
879 :
人間七七四年:2010/03/15(月) 14:26:47 ID:p3yurxYW
>>878 宗家や主だった家しかそのままの苗字を名乗る事を許されなかったからだよ。
庶流は読みは同じでも字を変えるかまったく別の苗字を名乗らないといけなかった。
ちなみに甲斐氏にはそれがなかったみたいなので宮崎熊本大分には甲斐という苗字が多いという事です。
880 :
人間七七四年:2010/03/15(月) 17:52:14 ID:4F0jEQnk
孫熊丸が坂梨を称する時、坂梨惟春は何も言わなかったのかね。紛らわしいとか・・
坂梨惟佑の時も然り。
881 :
人間七七四年:2010/03/15(月) 18:53:52 ID:p3yurxYW
ある程度の家格があったんだろうね。まあ御三家みたいなもんだよ。
882 :
人間七七四年:2010/03/15(月) 19:13:59 ID:4F0jEQnk
阿蘇御三家とはどこなのか
883 :
人間七七四年:2010/03/15(月) 20:19:22 ID:p3yurxYW
いや徳川御三家のようにと言いたかったのだが。。
884 :
人間七七四年:2010/03/15(月) 20:46:43 ID:4F0jEQnk
尾張 紀伊 水戸
阿蘇でいえば・・ ・・ ・・
甲斐氏が井伊氏かね。
886 :
人間七七四年:2010/03/15(月) 22:53:33 ID:4F0jEQnk
朝廷からして、阿蘇家と菊池家はどちらが格上なの?
887 :
人間七七四年:2010/03/16(火) 12:20:37 ID:XrPMax6j
>>876 石碑は宮地の阿蘇家墓地参道の道路脇すぐだよ。
系図は熊本県立図書館に所蔵されてるって書いてあった。
本家は宮地だけど俺は神奈川在住だからすぐに確認はできない
888 :
人間七七四年:2010/03/16(火) 17:04:15 ID:mYIiHoOr
坂梨惟春の子孫なんていたんだ〜
889 :
人間七七四年:2010/03/17(水) 10:35:43 ID:OaX5zxB9
阿蘇大宮司家臣(城主クラス)は何人くらいいたんだろう
890 :
人間七七四年:2010/03/17(水) 14:48:15 ID:UKH+Mtiz
何人というより何家だね。
891 :
人間七七四年:2010/03/17(水) 23:32:24 ID:OaX5zxB9
24家か
892 :
人間七七四年:2010/03/18(木) 09:41:34 ID:byFhoRhe
893 :
人間七七四年:2010/03/18(木) 12:11:35 ID:bl80lNvh
>>892 すごいな。惟友さんの銘が打ってある。慰霊碑を福岡に移したとあるけど、分家して福岡に移り住んだの?
894 :
人間七七四年:2010/03/19(金) 12:01:14 ID:sThbx6jC
895 :
人間七七四年:2010/03/20(土) 17:43:37 ID:JmYdnRxa
御所方の坂梨氏とはどういう意味ですか? 坂梨高城の坂梨氏とは別系統ですか?
896 :
人間七七四年:2010/03/20(土) 23:25:31 ID:JmYdnRxa
897 :
人間七七四年:2010/03/21(日) 22:31:18 ID:ELc1Rm1s
坂梨孫熊丸は坂梨惟春の子孫ですか?
898 :
人間七七四年:2010/03/22(月) 09:11:28 ID:VII86G+c
大里氏の先祖の大宮司は誰か知っている人いませんか?
899 :
人間七七四年:2010/03/23(火) 10:06:20 ID:fZ+X7si+
初歩中の初歩で申し訳ないんだが・・・
阿蘇氏の「惟」って「コレ」って読むの? 「タダ」って読むの?
900 :
人間七七四年:2010/03/23(火) 10:31:43 ID:2t7mTrCw
901 :
人間七七四年:2010/03/29(月) 19:07:25 ID:8Fjq24rx
>>893 「ウチのお墓の隣」のものだからよくわからん。
ウチの本家は遡れる限りはずっと宮地だが。
902 :
人間七七四年:2010/03/30(火) 00:31:17 ID:yxImqVpe
阿蘇谷の最有力家臣は坂梨家で、南郷谷の最有力家臣は高森家でしょ。
903 :
人間七七四年:2010/04/12(月) 21:25:42 ID:u+EHjPZx
大日本古文書 家わけ文書第13 阿蘇文書(T〜V)に坂梨やらの系図があるみたいだな。
904 :
人間七七四年:2010/04/14(水) 00:28:27 ID:MQU9kXUM
坂梨七郎右衛門って実在するの?
905 :
人間七七四年:2010/04/15(木) 15:56:45 ID:DctqGxDX
>>903 探したけど載ってなかったよ。できればn数を教えていただければ・・
906 :
人間七七四年:2010/04/23(金) 21:04:08 ID:VzrYwTcR
孫熊丸の姓は坂梨だったり坂梨子だったりするが、一体どっちなんだ?
それと孫熊丸は現在の坂梨家の先祖とは別なのでしょう?
907 :
人間七七四年:2010/04/27(火) 20:41:58 ID:O3FU6jDY
坂梨孫熊丸と現在の坂梨氏は無関係のようだね
908 :
人間七七四年:2010/04/28(水) 19:58:14 ID:Ecg5VReh
>>866 >阿蘇家臣の子孫は今どれくらいいるのでしょうか?
当方がそうだと伝わっています。
早川一族です。
909 :
人間七七四年:2010/04/30(金) 00:53:59 ID:WvlQS/oE
早川吉秀の先祖は誰ですか?
910 :
908:2010/04/30(金) 12:00:58 ID:kJMTi8Iq
>>909 一代前まえなら邦秀
早川初代なら秀村
元の苗字は渡辺
伝承では嵯峨源氏
吉秀の妻は甲斐宗運の娘
二人の間の子は
秀家(のちに家秀)
秀貞(別に丹波)
早川・渡辺以外に佐渡・猿渡の苗字あり
猿渡城が正秀(邦秀の父)
911 :
人間七七四年:2010/05/01(土) 15:47:25 ID:5OTq6GLp
912 :
人間七七四年:2010/05/01(土) 19:27:36 ID:muqmIy8G
渡辺氏の一字名って独特だな。
914 :
人間七七四年:2010/05/02(日) 22:39:35 ID:30YiOb+A
早川城は阿蘇24城の一つですね
915 :
人間七七四年:2010/05/14(金) 12:34:29 ID:HGCy+Z4W
私の姓が頻繁に出てるので、足跡残しました。
916 :
人間七七四年:2010/05/14(金) 13:06:03 ID:BDO+CiwU
917 :
甲斐左近将監親成:2010/05/15(土) 23:50:49 ID:v0y9oU8F
甲斐宗運の娘は分かっているだけで
甲斐守昌、甲斐親英、伊津野正俊、早川吉秀に嫁いでいる。
伊津野氏もだが、利害関係があったにせよ甲斐宗運が娘を嫁がせたという事は
早川吉秀という人物がよほどの将であった事が伺われます。
918 :
人間七七四年:2010/05/16(日) 16:20:39 ID:0p2cOfwA
>>917 甲斐宗運は阿蘇一族には嫁がせなかったのですか?
919 :
甲斐左近将監親成:2010/05/16(日) 19:27:17 ID:aQyYAD+A
>>918 甲斐宗運の娘が阿蘇家の一族の誰かに嫁いだという話は私の知る限りないですね。
隈庄の甲斐氏が島津氏と通じた事など、娘を阿蘇家の一族に嫁すよりも
阿蘇と島津・相良の間の甲佐地方の国人領主を確実に取り込む事の方が重要だったのではないでしょうか。
920 :
人間七七四年:2010/05/16(日) 21:24:42 ID:0p2cOfwA
>>919 なるほど。いわゆる政略結婚というやつですな。
921 :
人間七七四年:2010/05/17(月) 12:34:01 ID:9wJ6HejB
>>916 阿蘇氏と深いです。熊本出身です。
で、このスレの意図は何でしょうか?
922 :
人間七七四年:2010/05/21(金) 00:16:56 ID:I0usSoKX
923 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 01:44:47 ID:LCkKhJsc
坂梨子孫熊丸は阿蘇惟時の庶子なのか、坂梨惟春の子孫なのか
924 :
人間七七四年:2010/05/31(月) 14:02:38 ID:C7wrAFKt
925 :
人間七七四年:2010/06/02(水) 08:25:34 ID:7ZeK0fT8
ん?
直系来たのか?
926 :
人間七七四年:2010/06/04(金) 15:48:24 ID:S3HYpFvC
16世紀末の坂梨城主(高城城?)坂梨右衛門惟祐から自分までの家系は繋がった。
阿蘇惟景(13世紀末)の庶子惟春が始祖なのもわかったが約3世紀分の系譜がまったくわからん。
何を調べればいいか誰か知恵を貸してくれ
927 :
人間七七四年:2010/06/04(金) 17:34:32 ID:unVCrzVZ
>>926 坂梨家の本家に聞くというのは? 確か阿蘇に居られたはず。姓は坂梨か市原だったと思う。
928 :
人間七七四年:2010/06/05(土) 01:44:04 ID:sb2G1ZFi
>>926 あるいは菩提寺で過去帳の公開を求める。 よければ結果聞かせてくれ。俺も気になる。
929 :
人間七七四年:2010/06/05(土) 21:06:54 ID:Prj5urZi
良いスレだ
感動的だ
930 :
人間七七四年:2010/06/05(土) 21:28:58 ID:1G+SdXb7
926だが
17世紀の坂梨助兵衛盛継の子から3系統に分かれてるんだがどこが本家だ?
@坂梨助兵衛盛綱 この後3代まで御茶屋番・惣庄屋 阿蘇家家司役
A坂梨助次郎
B坂梨(市原)助三郎 坂梨助兵衛系統御茶屋番・惣庄屋辞退後引き継ぐ 一領一足
931 :
人間七七四年:2010/06/05(土) 23:17:48 ID:sb2G1ZFi
本家は御茶屋じゃないかな。
932 :
人間七七四年:2010/06/06(日) 01:28:49 ID:xCRdzotj
惟春 惟家 惟廻 惟綱 惟久 惟盛 惟佑
933 :
人間七七四年:2010/06/06(日) 14:45:42 ID:xCRdzotj
932間違えた
坂梨惟春 惟長 惟孝 惟運 惟光 惟久 惟佑 だと思う
934 :
人間七七四年:2010/06/07(月) 12:45:25 ID:83KuAxdr
遠い昔、うちは平家の落ち武者と婆ちゃんに聞きました。
935 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 01:01:24 ID:cI5KX9Nn
遠い昔は私も阿蘇家の人間でした。
936 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 12:50:18 ID:Dhisefdb
>933
どーやって調べたの???
自分で調べたいから調べ方を教えて!
937 :
人間七七四年:2010/06/23(水) 18:12:53 ID:vQeHoMeo
信長の野望では
なぜ阿蘇家が弱小なのだろうという疑問。
938 :
人間七七四年:2010/06/24(木) 10:49:09 ID:MMdW9fs8
宗運さんが強いじゃないか
939 :
人間七七四年:2010/06/26(土) 20:53:53 ID:5H0vx0bh
国力兵力はもちろん武将も少なすぎ・・・
940 :
人間七七四年:2010/06/29(火) 15:08:44 ID:wC5VV+KK
惟豊が大宮司に復帰した後は甲斐親宣が阿蘇家の筆頭家老となったようですが
惟長に追われる前は誰だったんでしょうか?
また惟長の時代の筆頭家老も気になる。やはり阿蘇一族の誰かなのだろうか。。
941 :
人間七七四年:2010/06/29(火) 16:02:42 ID:NsbFgRd9
>>940 これといって筆頭と断定できるような史料は見たことないけど、阿蘇家の一族なのは間違いないね。
惣領制が強かった室町中期くらいまでは家老という概念があまりなかったと思う。家格はあったんだろうけど。
戦国(室町後期)になると一族も家臣化して家老もでてくる。この頃の残っている史料に名前が高頻度で出ているのは、
村山、竹崎を筆頭に、小陣、仁田水、高森、坂梨、光永、西などが続く。
非一族では、室原、北里、木山などがあげられる。
942 :
人間七七四年:2010/06/30(水) 12:21:17 ID:DsCxfIx3
うちは名家なのか?
943 :
人間七七四年:2010/06/30(水) 15:16:27 ID:78QVDY83
>>942 上に挙がってる中に名があるの? それなら名家だと思うよ。
というか子孫が残ってるのか・・
944 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/06/30(水) 22:01:03 ID:xSdeol38
西日本は惣領制じゃないみたいなことを牛氏が言ってた。
945 :
人間七七四年:2010/07/01(木) 08:26:25 ID:0QHQJDMF
>>943 あるよ モロ
先祖は阿蘇にいたってのは聞いていたが・・
まぁ今更、どうでもいいけどね・・
946 :
人間七七四年:2010/07/03(土) 15:04:09 ID:nKLOAStK
高森や坂梨、光永以外の子孫はいなくないか?
俺、結構探したよw
或いは苗字が変わったのか・・
947 :
人間七七四年:2010/07/08(木) 02:29:44 ID:Qy1CXazR
そんな子孫に遭ったことない
本当にいるのか?
948 :
人間七七四年:2010/07/09(金) 16:45:07 ID:pr00IMMs
坂梨助兵衛惟祐のお墓ってどこにあるか誰か知らんの?
949 :
人間七七四年:2010/07/09(金) 18:44:42 ID:Lf9kD8U0
助兵衛惟佑って誰よ?? 惟佑は右衛門尉じゃなかったっけ?
950 :
人間七七四年:2010/07/12(月) 08:36:20 ID:thAlF/nb
弥吾助?
951 :
人間七七四年:2010/07/12(月) 11:09:33 ID:zwZaWa2w
>>949 スマン間違えた。
坂梨右衛門惟祐のお墓ってどこにあるか誰か知らない?
952 :
人間七七四年:2010/07/12(月) 12:58:05 ID:m81pjbix
953 :
人間七七四年:2010/07/12(月) 13:54:10 ID:zwZaWa2w
>>952 マジレス!?
どこのお寺か教えてください。
954 :
人間七七四年:2010/07/12(月) 14:36:20 ID:m81pjbix
高城址
955 :
人間七七四年:2010/07/17(土) 13:43:56 ID:9pUIA9zz
阿蘇一族で有力者トップ3はだれ?
956 :
人間七七四年:2010/07/21(水) 21:37:42 ID:OT/iEm1U
早川氏は「そうかわ」と呼ぶのですね。はじめて知りました。
957 :
人間七七四年:2010/07/22(木) 11:04:02 ID:BaZpOQ4Z
阿蘇から御船城まで出てくるの大変そうだよね
958 :
人間七七四年:2010/07/27(火) 22:46:02 ID:kzYcQPsv
山都町にある幣立神宮の由緒は天孫降臨よりも古いのですか?
959 :
人間七七四年:2010/07/29(木) 21:00:22 ID:eN/NfdT+
おれ坂梨や!
960 :
人間七七四年:2010/07/29(木) 22:11:39 ID:zjuqzUVJ
阿蘇谷に坂梨姓はたくさんいる。ほとんどは高城主坂梨右衛門尉惟佑とは無関係。
961 :
人間七七四年:2010/07/30(金) 08:39:43 ID:kcisXJEE
平家の流れ。
壇ノ浦で負けて、阿蘇の山奥へ。落ち武者狩りから逃れるために
名前聞かれ平と言えないので、坂が無いのが平なので坂梨と
名乗ったと親戚の爺様に聞きました。
本当かは知らぬ。
962 :
人間七七四年:2010/07/30(金) 10:14:48 ID:yFK1iP7P
>>961 マジかよ
阿蘇に逃れたなら阿蘇大宮司の庇護を受けただろうな。ちらっとそういう話は聞いたことがある。
幼い安徳天皇も肥後の山奥に匿われたとか伝説残ってるからね。
963 :
人間七七四年:2010/07/30(金) 10:34:15 ID:DdlnjGmJ
阿蘇文書の寛永期あたりの書状にある「福満坊秀算」ってどこのお寺の誰だか知らない?
964 :
人間七七四年:2010/08/01(日) 12:29:56 ID:g8bV+Z37
誰か阿蘇家の91代を列挙してくれ。いや、戦国の惟光まででいいから。
どう多めに数えても80くらいしかないんだ。因みに速瓶玉命を初代とした。
965 :
人間七七四年:2010/08/01(日) 12:55:19 ID:g8bV+Z37
権禰宜、権宮司なども入れるとかなりの代数になるが、そんな数え方は意味がないと思うんだ。
しかも、系図も阿蘇氏系図のほかに異本阿蘇氏系図など数種類あり、神代はいいとして、平安期の友成大宮司くらいまで
全然違う系図になってるんだが、これはどう解釈すればいいかな?阿蘇家の先祖が古代国造で、かなり古い時代から阿蘇地方の長として君臨
してきたであろうことは誰も否定しない。別に阿蘇家を貶めるつもりはない。だが友成以前は結構いい加減じゃないか??91代というのは
多すぎるような気がする。 このへん詳しい人教えてくれ。
966 :
人間七七四年:2010/08/05(木) 08:31:32 ID:5cjyqUf/
967 :
人間七七四年:2010/08/09(月) 12:50:18 ID:Rxf4Bmrw
甲斐党戦記という本に、甲斐宗運が黒仁田を斬ったのは、忠誠からでなく単に領土的野心からだと
いう意味合いの記述がありました。事実とすれば、忠臣でなくただの乗っ取りになるのですが、個人的には、宗運は
敵方に通じたとして実子3人を斬っていることからしても、単なる野心家だったとは思えないのですが。いかがでしょう?
968 :
人間七七四年:2010/08/09(月) 21:52:44 ID:7ESSy7wq
>>967 甲斐宗運が黒仁田氏を討ったのは阿蘇家臣団内での権力争いが主な原因であったと思われます。
もちろん重臣の一族を滅ぼすのですから阿蘇氏の裁可は得ていたでしょう。
実子3人を斬ったという伝承も阿蘇家に背いたからの理由ではなかったでしょうか?
なので伝承的にいうと甲斐宗運は阿蘇家を第一と考えているように思います。
969 :
人間七七四年:2010/08/10(火) 12:20:05 ID:CG4VRNVn
由緒正しい流れの方、居るんでしょうか?
970 :
人間七七四年:2010/08/14(土) 19:29:03 ID:z9RfVTYf
宇治惟宣からが信頼に足る系譜とのこと
971 :
人間七七四年:2010/08/27(金) 22:58:20 ID:1WDUCDfz
972 :
人間七七四年:2010/09/04(土) 12:57:24 ID:LNilU2JN
恵良惟澄はいつ誰の養子になったの。
973 :
人間七七四年:2010/09/08(水) 08:43:02 ID:at3CNmR/
お盆に本家へお墓参りに行って来ました。
落ち着きました。
974 :
人間七七四年:2010/09/11(土) 10:09:59 ID:QKx3QL4V
菊池一族は有名だが、阿蘇一族は無名だよな。もっと阿蘇一族のことを知りたいのだが、
どうすればいい?
975 :
人間七七四年:2010/09/17(金) 22:25:03 ID:wtC+98w/
南朝の忠臣・・明治天皇の御先祖の南臣子孫。
976 :
人間七七四年:2010/09/17(金) 22:30:39 ID:nDm1IiAd
977 :
人間七七四年:2010/09/24(金) 14:49:15 ID:6HcuLCae
はじめて来たが
>>684を書いたのはどこの息子か?不敬だ。
阿蘇家はちゃんと天皇家には畏まっておられる。
庶家・旧臣・社家・一族みんな迷惑する。
当代が一番迷惑されるんぞ。
主家に弓引くか、こん馬鹿たれが。
そもそもお前が本当に庶流かどうかも分からんがな。
ちゃんと育てられとるなら、こんな事は書かん。
親がいらんこと喋るからこうなる。
県外在住だからと言って口に責任がないわけではないぞ。
978 :
人間七七四年:2010/09/24(金) 20:20:56 ID:6kGT+AmS
>>977 私は684ではないが、皇室に畏まるのは日本人なら当然のこと。ただ、家系が古いかどうかは客観的にとらえるべきで、皇室よりも古い家系は2,3あるでしょう。
皇室を敬うのは家系が古いからだけではないでしょう。一系の天皇が常に日本の中心におられ、天皇自身、祭祀の長として常に国民の幸福を祈っておられるような御存在だからこそ畏れ多いのです。
979 :
人間七七四年:2010/10/12(火) 08:11:53 ID:POEkMwfS
生前に三位以上だった大宮司はどれくらいいるのかな?
980 :
人間七七四年:2010/10/14(木) 12:21:45 ID:ALMj+iKx
何をそんなに熱くなっておられる
981 :
人間七七四年:2010/10/14(木) 18:24:45 ID:l+SQa335
結局皇室と阿蘇家はどちらが古い家系なの?
982 :
人間七七四年:2010/10/15(金) 08:29:24 ID:bh4S1QsC
>>981 うちは阿蘇系ですが、今更どうでも良いかと・・
983 :
人間七七四年:2010/10/15(金) 12:02:29 ID:bLlLAeqB
単なる伝承でなく、信憑性を考えるとやはり皇室かな。
984 :
人間七七四年:2010/10/16(土) 10:42:58 ID:Fv6O4ii3
あっそ
985 :
人間七七四年:
天皇家は大化の改新あたりから確実
阿蘇家で確実なのは平安後期の宇治惟宣あたりから
全く違うか