【武田】2万5千で上洛【信玄】その50

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1人間七七四年
前スレ【武田】2万5千で上洛【信玄】その49
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1175141455/

ここでは「武田は上洛できたのか?」から始まって。現在では
「どうすれば武田は上洛できたのか」
「どうして武田は上洛できなかったのか」
など、武田と織田を中心にした戦国時代の話が扱われています。
ネタによっては場所は東北から九州まで、時間は室町から江戸まで
幅広くカバーしております。

テンプレ
>>2-30ぐらい?
2人間七七四年:2007/05/05(土) 19:18:35 ID:C9VZ9wp3
上洛の可能性 ↓以下で上洛可能
・信玄が健康で長命
・足利浅井朝倉松永本願寺三好残党六角残党らも包囲網一致協力
・三方ヶ原の戦い後、徳川家を早期に攻略乃至は降伏
・武田軍が甲斐に帰らず1年以上遠征可能
・上杉が空になった信濃、上野を 襲うことは決してない
・北条も軍艦の記載のように援軍を出す
・三河尾張国境の 水野家が離反する
・織田との決戦で勝利する
3人間七七四年:2007/05/05(土) 19:19:15 ID:C9VZ9wp3
各国の石高及び動員兵力(石高は太閤検地のもの)
ちなみに、万石あたり250人は比較的低い動員率、
無理すればもっと動員できるだろうがそういう兵力は基本的な守りに残すと解釈。

関東
上野:49万6千石/12400

甲信・中部
甲斐:22万8千石/5700
信濃:40万8千石/10200
飛騨:3万8千石/950
美濃:54万石/13500
近江:77万5千石/19375

東海
駿河:15万石/3750
遠江:25万5千石/6375
三河:29万石/7275
尾張:57万2千石/14300
伊勢:56万7千石/14175
志摩:1万8千石/450

北陸
越後:39万1千石/9775
越中:38万3千石/9500
越前:49万9千石/12500(慶長検地では68万石)
若狭:8万5千石/2125

畿内
山城:22万5千石/5625
大和:44万9千石/11225
摂津:35万6千石/8900
河内:24万2千石/6050
和泉:14万1千石/3550
伊賀:10万石/2500

四国
讃岐:12万6千石/3150
阿波:18万4千石/4570
淡路:6万2千石/1550

各国の石高及び動員兵力(石高は太閤検地のもの)は以下参照
ttp://homepage3.nifty.com/ksatake/
4人間七七四年:2007/05/05(土) 19:19:54 ID:C9VZ9wp3
各国の石高及び動員兵力(石高は太閤検地のもの)
ちなみに、万石あたり250人は比較的低い動員率、
無理すればもっと動員できるだろうがそういう兵力は基本的な守りに残すと解釈。

関東
上野:49万6千石/12400

甲信・中部
甲斐:22万8千石/5700
信濃:40万8千石/10200
飛騨:3万8千石/950
美濃:54万石/13500
近江:77万5千石/19375

東海
駿河:15万石/3750
遠江:25万5千石/6375
三河:29万石/7275
尾張:57万2千石/14300
伊勢:56万7千石/14175
志摩:1万8千石/450

北陸
越後:39万1千石/9775
越中:38万3千石/9500
越前:49万9千石/12500(慶長検地では68万石)
若狭:8万5千石/2125

畿内
山城:22万5千石/5625
大和:44万9千石/11225
摂津:35万6千石/8900
河内:24万2千石/6050
和泉:14万1千石/3550
伊賀:10万石/2500

四国
讃岐:12万6千石/3150
阿波:18万4千石/4570
淡路:6万2千石/1550

各国の石高及び動員兵力(石高は太閤検地のもの)は以下参照
ttp://homepage3.nifty.com/ksatake/
5人間七七四年:2007/05/05(土) 19:20:40 ID:C9VZ9wp3
1572年(元亀三年)十月三日(信玄、古府中を出立)の各勢力の状況

●武田
・甲斐…100%(5700)
・信濃…95%(9690)
*飯山周辺は残す。
・上野…36〜43%(4450〜5375)
*倉賀野、松井田、箕輪など領地は広げているが、ほとんど北西山間部なのがネック。
 面積で言えば4割だが、石高では三分の一程度とする意見あり(上野の平野部は南東)。
 14郡中武田は吾妻郡 碓氷郡 甘楽郡 群馬郡の半分 故に石高的に3分の一 の説。
 利根川以西を領土とすると、これに録野、片岡、多胡郡が加わる。(約四割)
・駿河…100%(3750)
・飛騨…10%(95)
*72年7〜8月に飛騨諏訪城を落としている。これ以前の直接の軍事行動はなし。
 もともと飛騨の豪族は越中の対一向一揆で上杉と仲がいい。諏訪城主江間氏も逃亡
 して上杉氏を頼る。
・越中…?
*68年に松倉(富山)城主椎名氏が武田に降っているが、71年には謙信に落とされている。謙信は73年
 には加賀まで攻め寄せているから、その頃までに越中の武田勢はなくなっていたとみるべきか?
 松倉(富山)城主椎名氏を降すのは『北陸の中世城郭第15号』より1573年1月の可能性が高い
・遠江…7.8%(500)
*遠征前に陥したのは71年に国境の榛原郡小山城(この時高天神や掛川も攻めるが落せず)と犬居の天野氏のみ 天方等はこの時点では未攻略 。
 武田が本格的に東に出てくるのは、氏康が死んで同盟復活する71年後半(正式な復活は71年12月)。
 遠征後は20%ほどに増大
・三河…12%(850)
*足助城を落とし、賀茂郡一部・設楽郡ほぼすべて・八名郡一部を支配。ただし全て山地なのがネック。
・美濃…ほぼ0〜5%(0〜675)
*秋山信友が岩村城を落すのが72年11月。 それ以前に落していた恵那郡の小城を、どの程度に見積もるか?
 18(21?)郡中これだけでは最大5%もないとする意見。

総計25035〜26635
後北条と同盟。義昭や顕如ら畿内の反織田勢力と連絡を取り合う。背後に上杉と上野方面を巡って火種。
ただし、もともと高税率のうえ、69年以降は戦もそれまでの二倍以上。領国の疲弊はすでに始まっていた
とする説あり、ただしソースは少ない。継戦能力にも疑問。
6人間七七四年:2007/05/05(土) 19:21:23 ID:C9VZ9wp3
●織田
・尾張…100%(14300)
・美濃…90%(12150)
*21(18郡?)郡中武田は恵那郡岩村周辺のみ 郡上郡遠藤氏は武田織田を秤にかけて日和見。
・志摩…100%(450)
*ただし、戦力としては水軍衆がほとんどと思われる。
・近江…70%(13563)
*浅井・六角は追い詰め中。他には甲賀郡の土豪と野洲郡のいつ蜂起するか判らない一揆衆。
・伊勢70%(9923)
*桑名・三重郡の一揆衆。配下からも寝返られ、本城も明け渡され乗っ取り進行中の北畠氏を除く。
・三河…10%(728)
*水野氏など、桶狭間以前から織田についていた豪族。

総計51114
この他、畿内各地に協力勢力と敵対勢力あり。義昭とは抜き差しなら無いところまで。堺などの都市も抑える。
若狭の豪族たち(逸見・粟屋・内藤)、大和の筒井他、摂津河内和泉の細川畠山荒木などが味方勢力として存在。
池田和田淡路の安宅などはテンプレ時は旗幟をはっきりさせていない。

●徳川
・三河…78%(5675)
・遠江…92.2%(5875)
*両国とも、武田にどの程度侵略されているか。また調略如何によっては動員はさらに下がるかも。

総計11550
三方ヶ原の戦力を考えれば妥当か。ただし武田軍撤退後、特に遠江では支配率は グンと下がっているだろう。上杉と同盟。
7人間七七四年:2007/05/05(土) 19:22:10 ID:C9VZ9wp3
■三方ヶ原の戦い後の情勢。

1572年
十二月 二十二日 三方ヶ原の戦い

1573年
一月  三日 武田軍野田城を囲む
北山城や摂津河内の国衆から義昭に付く者が続出する。信長は村井、島田、朝山日乗を講和の使者に出すが義昭は一蹴。
近江志賀郡の石山、今堅田に兵を入れる。
二月 十五日 武田軍野田城を落とす。
二十四日 柴田、丹羽、明智、蜂屋の軍が近江を攻撃。石山、今堅田も数日で開城。

三月 二十五日 信長、岐阜を出陣。
   二十九日 細川藤孝、荒木村重が逢坂に信長を出迎えて忠誠を誓う。

四月 三日〜四日 上京焼き討ち。二条御所を包囲。
   七日 調停の仲介により信長と義昭との和睦なる。
   八日 信長、京より岐阜へたつ。
十二日 武田信玄死去
柴田、佐久間らは六角氏が立て篭もっていた近江愛知郡の鯰江城を攻略。さらに百済寺も焼き討ち。

七月 足利義昭京より逃れる。

八月 朝倉・浅井両家滅亡。
8人間七七四年:2007/05/05(土) 19:23:06 ID:C9VZ9wp3
■この情勢をもとにした推測。

織田は
近江に浅井・朝倉への抑えとして木下、磯野で合計七千ほど、
江南の抑えと京へのにらみに八千ほど、
北伊勢への抑えと尾張の守備に五千ほど、
美濃では岩村への抑えに三千ほど抑えに置くとすれば、
(基本的な任務は守備、現状維持)
計算上は2万8千ほどを対武田に向けられるのでは?

武田は
北信および上野へ対上杉に五千ほど、
美濃岩村の秋山隊が三千ほど、
北条の援軍が二千〜三千で、
合計ニ万〜二万五千ほど?

武田は
北信および上野へ対上杉に五千ほど、石高的には10万石3000ほど
美濃岩村の秋山隊が三千ほど、石高的には6万石1500ほど
北条の援軍が二千〜三千で、
遠征軍合計実数二万五千ほど
信玄率いる遠征軍は石高的には84万石〜90万石で21000〜22500ほど+北条の援軍2000〜3000
+美濃へ入ってくる秋山隊が3000ほど
9人間七七四年:2007/05/05(土) 19:23:57 ID:C9VZ9wp3
その他の勢力 東国

●長尾上杉
・越後…100%(9775)
*ただし、揚北衆特に本庄氏の扱いは微妙。
・上野…10%(1240)
*沼田・厩橋近辺と考えるとこれぐらいか? 武田・北条におされ気味。
・越中…20〜25%(1900〜2375)
*神通川以東(新川郡)松倉・富山は1573年正月まで攻撃中。72年〜73年にかけての遠征によって、越中の大部分を支配下に収める。
この時は越中から加賀にまで攻め込み、顕如から信玄へ援軍要請が行われた。
松倉(富山)城主椎名氏を降すのは『北陸の中世城郭第15号』より1573年1月の可能性が高い
・飛騨…三木氏や江間氏とは友好的。1572年の富山攻めでは江間氏が援軍派遣してる
・信濃…5%?(510)
*飯山城とその周辺は保っていた模様。最大見積もってもこの程度。

総計13425〜13900
・遠征能力○
遠征能力は高いが、北陸へ出陣中。仮に北信・上野に出陣するとしてもメリットは薄い? ただし史実
ではこれ以前も以後も関東への出兵を繰り返している。武田・北条・加賀を敵に回して織田・徳川と同盟。
関東の諸将(佐竹ら)とは疎遠になった。

●後北条
・遠征能力○
武田・上杉と並ぶ大国だが、武田とは同盟中。今回の武田西上でも援軍(二千~三千?)も出している。
数年前まで戦っていたとはいえ、手切れをしてまで武田を攻める事は無いだろう。北関東には他に敵
もいる。

●朝倉
・越前…100%(12500)
*寺社領については、明確な根拠を示さない限り否定されます。
・若狭…?
*守護武田氏は抑えているが意味なし。有力国人である逸見氏・粟屋氏などはこぞって織田について抗争中。
 朝倉軍の一部は粟屋氏の居城を攻撃していた模様。(武藤氏が反織田に回ったが、この時期の動向は不明)

総計12500+?
・遠征能力○
遠征は10000程度は可能か? 現在、越前にフラフラ様子み。70年の講和以降、浅井への援軍以外に
出兵なし。経済疲弊。一部軍役拒否の状態。若狭の支配圏は低下中、むしろ抑えるための兵力派遣
が必要。

●浅井
・近江…9.5〜14.5%(1850〜2825)
*伊香郡、高島郡の半分、浅井郡の小谷、山本山城しか残っていない。
高島郡はもう少し高いとみる説あり。これも考慮に入れた。

総計1850〜2825
・遠征能力△(朝倉が来れば助力可)
単独での侵攻は辛い。木下隊に苦戦。小谷城の眼前に虎御前山砦を築かれて押し込められる。

●六角
・近江…?
*愛智郡鯰江城で逼塞状態。甲賀の土豪がどれほと力になるか?

●松永・筒井(反松永)
・大和(11225、ただし双方合わせて)
*寺社勢力は心情的にも筒井派。土豪も多くが筒井につく。
・遠征能力×(両派とも)
大和で両派が泥沼の抗争中。お互い支援を求めて織田や三好と手を組むことに。
元亀三年の時点では織田の支援を受けた筒井側に有利。松永は押されっぱなし。
10人間七七四年:2007/05/05(土) 19:24:42 ID:C9VZ9wp3
●長島一向宗+国人
計20000?
遠征しないが尾張は目と鼻の先。ただし動きは鈍い。守備力は高い。

●石山本願寺+雑賀衆?
計23000?
遠征準備は謎だが、近江まで歩いて1日。 ただし動きは鈍い。守備力は鬼。本願寺自身は織田と直接
軍事衝突は行っていない(するのは後年)。信長との外交ルートあり。
※もともと本願寺と一揆は別ものであり、絶対的な命令権があるわけではない。各地の一揆はそれぞれ
の権益を守るために支配者に抵抗した。また、兵力には老幼婦女が多数含まれていると考えられる。

●北畠
・伊勢…30%(4253)
*大湊など、伊勢湾の海上交易に大きな影響力をもつ。かつては南伊勢五郡を有したが、織田へ離脱
 するものが出る。
計?
・遠征能力×
織田による内部からの乗っ取り進行中。そのため勢力としては身動きとれない。隠居させられた北畠
具教は面従腹背。武田と接触をとっているが(根拠は不明)、実質どれほど動かせるかは不明(後年、
具教が討たれたときに北畠残党が挙兵するが、一族などの一部に留まる)。
ほとんど織田の一部とみなしてもいいとする意見あり(ただし、信雄が正式に跡目を継いで北畠軍が
織田の一環として行動するのは74年以降)。

●伊賀
六角に協力したり北畠についたり。基本的には中立。
11人間七七四年:2007/05/05(土) 19:25:33 ID:C9VZ9wp3
その他の勢力 三好

三好一族の主だった頭(各国の支配率は不明、動員数は100%の場合)

 畿内
・本家:三好義継 三人衆との関係から信長に従っていたが、義昭と共に敵対する
・三人衆:三好長逸、三好政康、石成友通 これも一枚岩ではない。義継や久秀と
抗争の為に行動をともにしていただけ。特に石成は一人信長についた時期もある。
・三好笑岩 基本的に、四国三好家にちかい。信長以前は本家と戦い続ける。
・三好政勝 管領細川家の家臣。長慶を親の仇と長年争い続ける。

・摂津(8900)
・河内(6050)
・和泉(3550)
*ただし、この全てを三好一族が抑えていたわけではなく、細川、畠山、池田、和田、荒木、伊丹、など
 その他在地勢力が根を張り、反三好から織田につくものも多数いた。他に足利家につくものも多数いた。

総計18500-敵対勢力
・遠征能力×
反織田という形で立場は同じになったが、指揮が統一されたわけでもなく分裂状態のまま。
統一行動は難しいか。


四国
・阿波三好家:三好長治-篠原長房 基本的に、主筋になる細川家と争ったり講和したり。 畿内には
あまり関わらず。播磨方面で抗争があった模様?
・讃岐十河家:十河在保 阿波三好家と行動を共にす。
・淡路安宅家:安宅信康 四国三好家についていたが、1572年には義昭信長につく。

・阿波(4570)
・讃岐(3150)
・淡路(1550)
*安宅信康が織田についてしまったので、これは三好には加えられない。
  離反は確実であるが織田に付いたとも言い切れない。

総計9270-安宅氏の勢力
・遠征能力×
お互いに争ったり結んだり。このころには篠原長房との確執が表面化しだす。73年4〜5月に長房が
討たれた後は抑えられていた豪族たちが反旗を翻すことになる。
四国の三好家関連は、後にほとんど信長に属することになる

 おまけ
●足利将軍家
・山城…?
*北山城の国人が義昭に呼応し、明智の配下から離脱者が出たとの記録あり。また細川藤孝や石成友通
などの勢力もあり。細川・明智は織田勢力とみなしてもいい。和田池田伊丹などは義昭勢力。

総計不明
・遠征能力×(史実でも城に篭った)
12人間七七四年:2007/05/05(土) 19:29:13 ID:C9VZ9wp3
秋山虎繁(信友)の最期1575年11月21日
「兼見卿記」1575年11月27日
「信長公記」1575年11月21日


※参考資料

武田信玄と上杉謙信は、織田信長に「ヒ素」で毒殺された?
ttp://kirinmen.blog58.fc2.com/blog-entry-1110.html

杉山光男氏の見解によれば、信玄と謙信が「毒殺」されなかったら
信長は二度の包囲網で滅ぼされていたという。いわく「実際の信長は戦に弱かった」
番組スタッフが調べたという「毒を盛った」信玄と謙信の側近(のちに裏切った?)
が誰なのかは不明。
13人間七七四年:2007/05/05(土) 20:17:30 ID:vmnJPugR
まあ29も負け戦が記録されてるのがへタレ信長ですからねえ。
14人間七七四年:2007/05/05(土) 21:04:15 ID:7GPku/tL
またお前かww
15人間七七四年:2007/05/05(土) 21:54:43 ID:FnpaezHZ
>>13
勝ち戦が全然無い武田に比べたらマシ
相手の重臣や大名を殺して初めて勝ち だろ?
16人間七七四年:2007/05/05(土) 23:09:05 ID:ZWPbza5j
50スレ目は昔のような濃い議論が出来るスレになるとよいですね。
でももうデータがあらかた出てるからなあ。
17人間七七四年:2007/05/05(土) 23:13:06 ID:8mqFSc1w
メガ豚君はね、自分が無知なことを良く知ってるんだよ
でも、恥ずかしがり屋さんだから素直に質問できないの
だからわざと無知をさらけ出すことでみんなの反論を誘って
自分の知識を増やしてるんだよ

馬鹿にしたい人は馬鹿にしたらいいんだよ
でも今に見ててごらんよ
今は地べたを這う醜い芋虫かもしれないけど
いつか大きな羽根で宙に羽ばたく、醜い蛾へと成長するからさ
18人間七七四年:2007/05/05(土) 23:43:10 ID:E0vQQcxj
そのまま飛び去ってくれれば言うことなしだけどな
19人間七七四年:2007/05/05(土) 23:58:07 ID:vmnJPugR
>>15  まさしくアホ、キャハハハ

勝率(引き分け含む)9割6分だよ信玄は 49勝2敗21分け

へタレ信長^▽^ちゃんは? 110勝29敗14分け
20人間七七四年:2007/05/06(日) 00:07:49 ID:6odkYyM5
新スレそうそうまた不毛な貶しあいのスタートかよw
誰かまっとうに議論できる話題提供してくれ
21人間七七四年:2007/05/06(日) 00:22:31 ID:ydTbMijx
引き分けを含む勝率の出し方って初めて見た。
22人間七七四年:2007/05/06(日) 00:23:41 ID:ydTbMijx
引き分けを除くの間違いかな?
先生は日本語の勉強をした方がいいな。
23人間七七四年:2007/05/06(日) 00:28:56 ID:/FNGLckw
2敗とか痛いな〜。
武田厨が言うには城攻めの失敗は負けには入らないとかバカかとアホかと
24人間七七四年:2007/05/06(日) 01:22:48 ID:GJKCW14d
>>21ね?だから信長厨は無知だっていうんだよ、プロ野球の順位でも
引き分けを考慮してるでしょうが。

>>23城攻めの失敗といっても、将兵の損失に敵(城方)との開きがなければ
それは引き分け扱い、戦術的撤退に長けていた信玄の采配上手のなせるところ
それに信玄の戦は全て敵への侵攻での戦であり、籠城戦という一番戦い安い戦
無しでこの戦績!!
25人間七七四年:2007/05/06(日) 01:54:08 ID:/FNGLckw
>>24
信玄だから引き分けみたいな言い分にワロタww
コレは酷いwwそれって信玄厨の総意な訳?w
26人間七七四年:2007/05/06(日) 02:35:45 ID:nOWyH2fr
>>25
その発言は信玄厨の人に対しても、とっても失礼だと思います。
27人間七七四年:2007/05/06(日) 08:02:11 ID:LqXoiq3C
頼むから武田厨最悪版はいい加減スルーしてくれ
28人間七七四年:2007/05/06(日) 08:44:59 ID:ydTbMijx
>>24
プロ野球は引き分けを除いて勝ち数と負け数から勝率だすんだろ。
引き分けを含むってなんだよ?
29人間七七四年:2007/05/06(日) 12:36:11 ID:6odkYyM5
醜い煽り合戦の流れを変える為に質問するね

テンプレにもある水野家って三河・尾張周辺でそこまで影響力あったの?
水野家も独立した大名だと聞いたこともあるんだが
30人間七七四年:2007/05/06(日) 12:41:19 ID:lVSOK/lw
武田贔屓の軍鑑でも三方ヶ原のくだりで信玄が水野家の援軍を警戒した発言をしていることになっている
少なくとも武田方からは、それなりに有力な勢力だと認識されていたのでは?
あと徳川と織田の間を仲介したりしているから、織田・武田同盟が健在だった時の遠山氏のような立場だった可能性もある
31人間七七四年:2007/05/06(日) 12:58:57 ID:KpB0Y5WP
軍艦は武田信者の同人誌だからな
32人間七七四年:2007/05/06(日) 13:34:43 ID:6odkYyM5
>>31
また荒れるような書き込み止めてくれよ…
33人間七七四年:2007/05/06(日) 13:45:57 ID:hCsy6+OL
まぁ的を射ていると思うがね
34人間七七四年:2007/05/06(日) 21:36:03 ID:Q5GR/+fb
水野は知多郡の一部に碧海郡の一部ってところか
江戸時代の書物にある10万石は誇張にしても
5〜6万石ぐらいはあると思う。
諏訪や木曽小笠原並だからそれなりに有力な勢力なんだろうな
35人間七七四年:2007/05/07(月) 15:56:53 ID:lulR5oVV
その水野家も結局は織田と徳川から粛清を喰らう破目に
直接の原因は家臣が秋山勢に食糧やった(売った)せいらしいけど
こういうのって荒木の謀反にもついて廻る話だから後付けかな?
36人間七七四年:2007/05/07(月) 20:04:59 ID:1FdVH6Zf
前スレのまとめは?
37人間七七四年:2007/05/07(月) 20:06:25 ID:fY4GA3nE
まあ、信長も信玄も謙信も強かったでいいじゃないか。
一番うまく立ち回ったのは家康だが。
38人間七七四年:2007/05/07(月) 20:26:53 ID:vrJei3i4
武田信玄という人について、考えてみましょう。

非常に保守的な人で、父親を尊敬していたようです。
父親が今川方に追放された時も、ほとんど、家臣団の合議制によって、決められたもので、
当主になったばかりの武田信玄は、ちょうど、斎藤道三に担ぎ上げられた土岐頼芸の状況に非常に似ていて、ただの象徴にすぎないお神輿守護大名であったようです。
父親が追放された夜は、一人、布団をかぶって泣いたようです。

武田信虎は、信玄を大変可愛がっており、仁義にも厚く、勇敢で寛大な名君であったようです。
しかし、経済観念に疎く、治水工事を疎かにしたため、稚拙な河川堤防の決壊により、田畑が荒れ、飢饉が起こり、
その家内での不満を外敵にそらすために、合戦を起そうとして、家臣の怒りをかって追放されたようです。
信玄自体は父親を尊敬していたようです。

信玄にとって、幸か不幸か、村上義清との戦いにおいて、主要な重臣が死亡したことにより、信玄が実権をもてたようですね。
そして、本願寺との親戚関係が彼に経済的主導権を与えていたという幸運もあって、次第に、武田家内での地位を固めていったようです。
それでも、常に譜代の家来には不信感を持ち、積極的に新しい家臣を登用することにより、自分の身辺を固めようとしたようです。
父の失敗を見て、経済運営と河川改修には力を入れましたが、価値観自体は、昔からの戦国大名の意識から抜け出せなかったようです。

もっと極端に古典的思考をもっていたのが、上杉謙信であり、関東に関東管領の上杉家の権威をもって攻め寄せた時も、
家来が遠征した先々で略奪をしたので、信を失い、越後に退却せざるおえなくなったようです。
武田の軍も上杉の軍も平気で敵地から略奪していたようですね。

特に、上杉軍は飢饉で冬が越せそうにもないときは、家来が餓死しないように、信濃に侵攻し、略奪してたみたいです。
信濃への侵攻は、略奪目的なので、武田と戦う気はサラサラ無かったようです。
一度、川中島で対峙していたとき、霧にまぎれて撤退しようとしたとき、偶然、武田軍と遭遇して大乱戦になったときがあったそうです。
武田信玄としては、重臣たちの脅威が怖かったので、上杉が食い詰めて信濃に攻め込んでくると、
新規に登用した家臣を前面に押し出し、手柄と称して位と兵を与え、自分の子飼いの武将を育成するための格好の利用場だったようなので、
全然上杉と戦争する気はなく、お互い、ある程度、馴れ合いの部分があったそうです。

それだけに、川中島の霧の中で敵軍に遭遇したとき、
「やる気が無いように見せかけて、実はそれは罠で、本当は本気で、こちらを殲滅する気だったんだ!」
とお互いの将兵が思い込み、死に物狂いの乱戦になり、互いに多数の死者を出したようです。
39人間七七四年:2007/05/07(月) 21:26:34 ID:PrD3Fa8R
なんというか、かなり小説史観はいってない?
40人間七七四年:2007/05/07(月) 21:33:49 ID:XXglarB8
ようです
そうです
41人間七七四年:2007/05/07(月) 22:35:58 ID:k21wjETt
一応貼っておこう
937 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2007/05/02(水) 21:30:12 ID:UsJJj/Lt
49スレまとめ

>1-16 テンプレ

>17-66コピペや山本勘介についてなど
>67-73信玄の情勢判断
>74-97信玄の城攻め野田城攻めの目的
>98-125信玄が織田と戦ったのは何故か・信長の生涯での危機的状況はいつか

>143-167川中島の勝敗とその目的
>182-212長篠の戦いの戦死者・川中島の戦い・武田の戦った大名
 >230戦死者一欄
>212-296長篠の戦いの戦死者・鉄砲の運用
 >232多聞院日記記述 >235長篠日記
>236-249世間の戦国大名認識

>301-347信玄の信長への外交 信長の信玄への外交
 >317-332織田本願寺1571年の和睦
 >333-347何故信玄は信長との同盟を破ったか
>350-351三方ヶ原合戦はおびき出しでは無い
>352-367上洛したら信玄はどんな政治を行ったか・信玄の政治

>373-428三国同盟破棄の理由・甲尾同盟の影響
 >377駿河攻め年表
>373-439仁科盛信の能力・武田攻め・高遠城
 >406信玄信長への低姿勢の書状ソース・1571年織田本願寺和睦ソース
 >407駿河攻め年表ソース・1571年織田本願寺和睦ソース
 >408駿河攻め年表ソース
 >410甲越和与年表ソース・1571年織田本願寺和睦ソース・小幡信尚謀反ソース
 >414訳
 >422>425「信長公記 巻十五 天正十年壬午」「信州高遠の城、中将信忠卿攻めらるゝの事(1)」訳
 >426高遠城で取られた武田方の首一覧
 >427遠山氏は武田に属しているソース
 >428駿河攻め年表ソース・武田斉藤間書状ソース

>429-434春日山城
>438-452西上戦目的
>450-468中山道経由
>472-531 >544-554三方ヶ原の戦果 
>554-625徳川を滅ぼすのにどれだけかかるか・吉田城を落とせるか

>626-720織田と同盟を続けた場合の長所短所
 >627-662織田長宗我部の関係
 >657-716織田に従属するとどうなるか
 >671-707家中権限
 >677-688金ヶ崎退陣
 >708-720織田の姻戚関係

>716-736武田は何故織田を裏切ったか
>741-748徳川取りこみの可能性
>749-789勝率・戦争の意義と効果・遠江侵攻
>790-803大名の家柄
 >802仮名目録追加二十条

>816-846甲陽軍鑑
>831-904信玄の能力と敗戦・山地と平地の有利不利
42人間七七四年:2007/05/08(火) 04:52:20 ID:NVbWvwOD
武田最強騎馬軍団
43人間七七四年:2007/05/08(火) 10:07:19 ID:UTtLmq1G
まあ信玄が最強だということに変わりは無いね、何せ若い時から村上義清や長野業正といった
はるか上の世代の戦上手と互角に渡り合っていたんだからね。

>>38 武田信玄が悔しい気持ちは分かるけど、いい加減そのアホ丸出しな物語やめたら?
44人間七七四年:2007/05/08(火) 10:14:42 ID:gzoNeTxO
わかっててやっている馬鹿な武田厨のフリしている人なんだろうから、加減を少し考えて欲しいな
45人間七七四年:2007/05/08(火) 10:22:46 ID:UTtLmq1G
武田信玄公の合戦と勝敗 、歴史ファンなら文句言う奴いないんだがこのスレの
アンチ武田はこんなことも知らないんだね 
   
通算72戦49勝3敗20分け
勝率:6割8分
負率:0割4分1厘

勝or分け率:9割5分8厘 (←脅威の数字であるが事実!)

武田信玄は、野戦を得意としているが領国拡大には城を落とす事が必須であり調略などでかなりの数の城を陥れている。
また、一度引き分けた場合でも、その後に必ず陥れているのが特徴だ。
若い頃に村上勢に3敗はしているが(名高い戸石崩れ)、その後は負け無しの快進撃(引き分けを挟んで31連勝)、すべてが自国へ攻められた戦ではなく、他国への領土拡大時の攻めの戦である。
まさに「凡そ軍勝五分を以て上と為し、七分を以て中と為し、十分を以て下と為す」である。


46人間七七四年:2007/05/08(火) 10:33:17 ID:pgR7nabZ
勝or分け率:9割5分8厘でも(この勝率も激しく疑問だが)
生涯かけて100万石じゃ
最強とはとても言えん
むしろビビリだろ
47人間七七四年:2007/05/08(火) 10:36:19 ID:WXf/1waM
>>45
おいおい、自分で最後の一行と矛盾したこと主張しているって気づいていないの?
48人間七七四年:2007/05/08(火) 10:53:27 ID:MJ1cfh+G
コピペウザス。最近の信玄厨は苦労さえ厭うから本物の屑揃いだなw
49人間七七四年:2007/05/08(火) 11:17:17 ID:h+V7kHc9
念のために書いておくと、上杉謙信は海運貿易で財を成したので
農地経営など興味関心がなかったというのが現実だし、武田も
特産品公益と金山経営で財を成した。

誰かが言っていた「いま東京より北海道の方が米が取れるから
北海道の方が豊かで力があるのか?」というのは極論としても、
戦国時代が米の取れる農地だけを争っていた時期っていうのは、
司馬遼太郎以前の一般大衆の、古いイメージでしかないっていう
事実は前提にして話を進めてもらいたい。
50人間七七四年:2007/05/08(火) 15:56:50 ID:OrkM01PV
もし>>2のケースで信長が流れ弾でも落馬事故でもなんでもかまわんが落命していたら
家康はどう立ち回ったと思う?
律儀に織田と最後まで同盟する
武田に降って信玄が死ぬまで待とうホトトギス
その他の可能性はあるかな?
信玄のことだから対等の立場での同盟話くらい持ちかけそうだけど。
51人間七七四年:2007/05/08(火) 16:09:25 ID:Tu40vkNm
>>50
16歳の信忠が織田家をまとめる事が出来たら同盟を維持するかもしれんが、
当時の状況で信長が急死したら今川義元が死んだとき以上の大混乱が起きるだろうな。

16歳の信忠が当時の状況に対応するのはちと酷だから、
織田家の畿内での影響力維持は絶望的で分裂もありうるんじゃね?
状況次第では徳川同盟破棄も当然ありうるだろうな

信玄は後ろ盾失った徳川に同盟なんて持ちかけずに三河・遠江を攻略するんじゃないか?
本国に対して短刀を突きつけられた形になってる徳川領をそのままにして、
西進するには不安すぎる。
東海道を完全に支配化に抑えてこそ初めて本国の防衛が磐石になるしね
52人間七七四年:2007/05/08(火) 17:55:33 ID:iCKd/gPC
すっげぇどうでもいい話だな
53人間七七四年:2007/05/08(火) 18:45:45 ID:UTtLmq1G
まあ当たり前のように、信長を打ったその後を考えるスレだからね

>>46爆笑!!マヌケな信長厨^▽^はまーだ同じことを繰り返す始末ww
最強=石高に例えて何が楽しいの?
で?へタレ信長ちゃん^▽^は、京 堺 濃尾といった経済都市を押さえて
おきながらどうして天下取れなかったの?
54人間七七四年:2007/05/08(火) 18:51:04 ID:W6Lyd7pk
>>53
だからその経済都市を抑えるのがどれだけ大変か
武田厨はゲームの能力に頼るしかないもんなwwwwwwwwwww
55人間七七四年:2007/05/08(火) 18:56:39 ID:enCDjQmF
>>52
同意だけどあげんなよ。先生か
前スレとテンプレ見ると武田軍の編成は
別働隊の秋山や先発隊は山県もいるけど勝頼、馬場ら南信濃衆が主力かね。
北条の援軍ってどのルートから来てるの?
参戦した武将から武田軍の規模もわかりそうだけど
56人間七七四年:2007/05/08(火) 19:09:05 ID:UTtLmq1G
一向宗とアホのように無駄に時間を費やした戦い、浅井に裏切られ自らを窮地
にまで追い込み、将軍家を旨く利用出来ずにこれまた包囲網などで自らを窮地
に追い込む信長ちゃん、天下が取れなかったのはまさしく外交戦略が下手すぎる
ことですね。


信玄は婚姻同盟を本願寺と結んでいた為一向一揆は領内に起こらず、信長包囲網
によって畿内の諸将を活気付かせ、正室が公家だったことからも考えて朝廷との
関係も旨くいくことが考えられる、何より将軍家を旨く利用するだろう信玄なら
57人間七七四年:2007/05/08(火) 19:21:01 ID:5XHnbLqI
信玄の目的が 『上洛』 では無く 『織田体制の打破』 なら充分可能だわな。

その証拠に三方が原の一戦だけで機内の織田体制は大きく動揺している。
もし、もう一回決戦があって、そこで武田軍が織田軍を破ったら、信長は畿内地域を放棄せざるを
えない状況に追い込まれただろう。

一旦機内を追い出されれば、朝廷や将軍の権威を利用出来なくなるし、そうなれば織田家って物は
案外脆かったと、本能寺後の織田家の状況を見ればそれは予想できる。
58人間七七四年:2007/05/08(火) 19:32:38 ID:Tu40vkNm
>>56
信長は別に外交戦略のミスで天下が取れなかったわけではないと思うのだが?

正室が公家だからといって朝廷との関係がうまくいくとは限らない

仮に信長を打倒しても、その時に本願寺は更に強大な勢力になると思うのだが
武田はそれでも本願寺と利害関係の衝突を回避できるのか?


59人間七七四年:2007/05/08(火) 19:33:41 ID:W6Lyd7pk
無理だろ
その時点で朝倉が崩壊しかけ
大体畿内の支配権を失ったところで尾張美濃伊勢近江の200万石がある
朝倉と本願寺のコンビで何度か織田を追い詰めたが朝倉を調略されてからはちっともダメだったし
武田がやってきたのを3万程度の兵で迎え撃つとしてもまだ単純計算で2万の兵が自由に動かせる
本願寺の内部事情もあんまりよろしくない、朝倉はガタガタ この状態じゃどうしようもない
60人間七七四年:2007/05/08(火) 19:41:52 ID:Tu40vkNm
>>57
確かに武田本隊と信長率いる織田本隊が決戦して織田が惨敗したら、
離反者も出て打破される可能性が高くなるだろうよ

しかし織田家が他家と比べて特段脆い組織とは言えないと思う
本能寺後の織田家の状況は特殊な状況じゃねーか
信長と信忠(織田家当主)が二人揃って死んだんだからどんな組織だってボロボロになるだろ

61人間七七四年:2007/05/08(火) 19:45:53 ID:OrkM01PV
>>51
なるほどね。サンクス。
信玄だったら攻略に時間をかけるよりおいしい条件で家康をつって
背後を突かれないように2〜3千程、兵を出させて先頭に家康自身は
人質同然で信玄の近くにおくとか考えてみたんだけど。
家康もだけど織田家の方が事態を収拾するのに大変か。実際に各自、敵と対陣
しているわけだから。
信長の死が各方面に知られれば和睦はないし撤収戦だとかなりの被害が出そうだね。
>>57
補給線が伸びきらない内に決戦になれば可能性はありそうですね。
>>52
まあ、そういうな。
こういう話題を抜きにしてはスレは成り立たん。
62人間七七四年:2007/05/08(火) 20:43:48 ID:jj0689Lo
まぁ信玄撤兵の4〜5ヵ月後には畿内安定して浅井朝倉滅亡だからな。
武田としては信長が反転してくるまでに徳川を屈服させて、すかさず織田と和睦をはかるのが目的だっと思う。
それが朝倉撤兵で当てが外れたために、浜松を攻める従来の方針から、
織田を少しつついて畿内の蜂起を煽ることで時間稼ぎする方向に方針転換せざるを得なくなったと。
63人間七七四年:2007/05/08(火) 21:01:46 ID:5XHnbLqI
>>62
> まぁ信玄撤兵の4〜5ヵ月後には畿内安定して浅井朝倉滅亡
それはそれこそ「信玄が撤兵」したからだろ。
まさか撤兵が無くても「4〜5ヵ月後には畿内安定して浅井朝倉滅亡」になるとは
考えていないよね?
64人間七七四年:2007/05/08(火) 21:07:47 ID:HWEiY+ch
信玄撤兵後数ヶ月で畿内安定ってことをみても圧倒的な信玄の存在感がよくわかるな!
さすが信玄。
それだけに信玄脂肪は落胆を呼び畿内抵抗勢力は士気も激低下したんだろうな。
寸前のところでラッキーだったな信長。
濃尾平野の生産力と経済力があれば里見氏でも信長くらいにはなれた。
65人間七七四年:2007/05/08(火) 21:09:35 ID:2GqtR5Jl
里見氏でも、ねぇ・・・
浅井朝倉なんて青色吐息じゃないか。特に浅井は。
66人間七七四年:2007/05/08(火) 21:11:53 ID:Z/v4WcA0
病押して出陣したんだから起きるべくして起きた結果。
ラッキーでもなんでもないな。
67人間七七四年:2007/05/08(火) 21:31:07 ID:OrkM01PV
>>65
余計なお節介だが青色吐息じゃなくて青息吐息だろ?
でもその頃の織田家に単独で決戦できるだけの戦力をもった大名は無いわけだから
浅井朝倉も戦略的にみれば十分な戦力じゃないか。
68人間七七四年:2007/05/08(火) 21:37:29 ID:jj0689Lo
ていうか信玄は同盟者の徳川をつついてるだけで信長を脅かしてるわけじゃなかったからな・・・。
信玄が撤兵する前に朝倉が撤兵しているし、信玄は半年かけて遠江さえ奪えていないじゃないか。
だからこそ、信玄は浜松をスルーしてでもちょっとは尾張を脅かさなければならなかった。
69人間七七四年:2007/05/08(火) 21:41:44 ID:OrkM01PV
>>68
美濃岩村城に秋山侵攻
70人間七七四年:2007/05/08(火) 21:55:43 ID:jj0689Lo
>>69
そこで止まってるじゃないか。そもそも信玄撤兵になって放棄したわけでもないし、
岩村に兵が籠ってることだけが重要なら「4〜5ヵ月後には畿内安定して浅井朝倉滅亡」になってないわ。
71人間七七四年:2007/05/08(火) 22:15:15 ID:l3IxOH5t
徳川をつついているだけといった事に対して指摘しただけ。
それに秋山だけで決戦するなんて誰も思っておらんわい。
72人間七七四年:2007/05/08(火) 22:18:08 ID:W6Lyd7pk
つかまず当時武力で天下統一しようなんてことを考えたのは信長だけだったからな
信長がやろうとしたから他が追随しただけ
この時点で信長と他の大名は圧倒的に違う 格が違うというより次元が違う

一時は700程度の兵しか動かせなかった奴が・・ やっぱなんだかんだいって織田信長は代わりがきかない
73人間七七四年:2007/05/08(火) 22:34:13 ID:jj0689Lo
>>71
そうか。すまんかった。

補足。
慎重な信玄が、家康を補給線の背後に抱えたまま信長と対陣するなんてリスキーなことするとは思えないんだよね。
そのつもりなら、尚更浜松から攻めていたんじゃないかなと。

そして推測だけど、信玄が嫌ったのは「畿内安定して浅井朝倉滅亡」した状態の信長が転進してくることで、
その前なら信長も深く追ってこれないという打算があったのじゃないかと思う。
信玄の狙いは、信長を一度引きつけることで畿内の情勢を不安定にすること、ひいては信長が畿内の平定に手間取っている間に
体勢を立て直して徳川に再侵攻することにあるんじゃないかなと。
74人間七七四年:2007/05/08(火) 22:39:55 ID:l3IxOH5t
それから部下の裏切りにあって武力だけでは無理だと証明したのも信長か。
代わりは秀吉、家康がいるからなあ。
75人間七七四年:2007/05/08(火) 22:46:41 ID:4+vJBa0/
>69
戦略的に意味の無い山城を奪取して貴重な戦力を分散してるからな・・・
76人間七七四年:2007/05/08(火) 22:50:32 ID:2GqtR5Jl
美濃岩村って美濃への橋頭堡だろ。
77人間七七四年:2007/05/08(火) 23:48:11 ID:UTtLmq1G
>>75おいおい、岩村城は岐阜城のすぐ近くだろ地理的に見て

信長が南下してくれば背後を付けたりもしたんじゃないか?
78人間七七四年:2007/05/09(水) 00:08:07 ID:Kw+iF0vC
>>76
三河からの退路の確保ってのもありそう
また恵那郡はもともと木曽との繋がりが深かったというのもありそう
他にもともと恵那郡は武田に属していたという話も

>>77
岩村が岐阜の近くってどんな日本地図だ?
79人間七七四年:2007/05/09(水) 00:15:40 ID:+w02Zwfa
岩村攻略の頃まだ木曽路は大軍が通過できる環境じゃなかったんだっけ?
80人間七七四年:2007/05/09(水) 00:20:04 ID:n06w+5j4
>>78  


信長の寝首をかく作戦の一つにはなるかも
81人間七七四年:2007/05/09(水) 00:21:04 ID:Kw+iF0vC
>>79
そんなことは無いと思うが・・・
16世紀に入ってから木曽路がいきなり荒れたとか言う話しがあるならともかく。
ただ勝頼も信長信忠も伊那を使っているが
82人間七七四年:2007/05/09(水) 00:41:49 ID:oL2GC/8L
実際に木曽路を大軍が通った例ってなにがあるかな?ちょっと思いつかない。
源平の木曾義仲も越後をせめてそこから北陸沿いに上洛。頼朝による何度かの
上洛はほぼ全て東海道。承久の乱の時に三道分進したおちうが、主力はやはり
東海道。後醍醐による倒幕とその後の南北朝でも、京から関東またはその逆も
ほぼ東海道。
歴史上、ルートとしてよく使われたのは東海道から木曾三川を避けて美濃から
近江へ。もしくは北陸から信濃にはいって南下→甲斐→相模、武蔵。
たしかに、信濃から木曾を抜けて美濃へのルートはほとんど聞かない。ただ信忠の
侵攻以前に木曾路の整備が特に行われたなんてことも聞かないからなんとも。
83人間七七四年:2007/05/09(水) 01:05:36 ID:Kw+iF0vC
>>82
近い時代だと小笠原家長と木曽家豊が美濃に侵攻した例かな?
承久の乱の時でもそれなりの兵力が使ったんだからそれ十分だと思うが・・・

ただどの例も兵力がよく分からないのがなー
軍記物そのまま信じるわけにはいかないし
84人間七七四年:2007/05/09(水) 01:10:35 ID:7P72MjH3
>>45
コピペは良くない!
そこの管理人は真面目な方だぞ。そのサイトからの
コピペは辞めるべし!意見があるなら自分の言葉で
書かれよ
85人間七七四年:2007/05/09(水) 02:07:23 ID:n06w+5j4
>>84

要するに信玄の戦略を止められるものは存在しなかったということです
即ち最強の証
86人間七七四年:2007/05/09(水) 08:14:29 ID:WEtPViH2
信玄の後世の書状を見ると、西進か北進かで最後まで迷ってた節があるね
本願寺が「越中一揆を救うために信濃に兵を出して」と書状で要求したのはこのスレ的に本願寺の戦略知らず、という扱いとかされてたけど
元々は信玄の側から書状で示したもの
行き当たりばったりといえばそれまでだが、結局南北に敵を抱える状態から抜け出せなかった限界からすれば当然とも言える
(実際、西進中に上杉方に上野での領土を侵蝕されている)
87人間七七四年:2007/05/09(水) 08:26:42 ID:DoNrSich
>>85
意味不明です。
痛すぎます。
88人間七七四年:2007/05/09(水) 09:14:14 ID:emDZQQ60
さすが武田信玄だな。四方に強豪を抱えながら四方から恐れられる。
89人間七七四年:2007/05/09(水) 10:07:50 ID:ouNhbIz0
信長どころか当時は国力経験ではるかに劣っていた家康すら潰せないわけだな>あっちこっちに敵
背信を連発してもこの程度じゃあ天下どころか地方制覇の器ですらない
90人間七七四年:2007/05/09(水) 13:03:25 ID:BAQ00pvn
>>77
アスファルトで舗装され、なおかつ山を削ったりトンネルを掘ったりして
なるべく短い距離でいけるように整備された現代の道路で
車で1時間以上かかる場所を近いというのならお前の目は間違いなく節穴だ
91人間七七四年:2007/05/09(水) 14:46:29 ID:ktP/S9Xj

なあ・・・いつまでやってるの?

    
92人間七七四年:2007/05/09(水) 22:23:23 ID:/ImntZ3q
>>89
三方が原の合戦の後、時間が掛かっても潰そうと思えば潰せたろ。実際、信長は援軍に来られなかった時期だから。
朝倉さんが引き上げたおかげか、浜松城を囲まないでいたんだから。
実際に付け入りとまいわないがすぐ囲めば負けた兵たちは城に入れなかっただろうから守備するにも大変だったんじゃない?
だいたい地方制覇の器ではないといっても現実に地方は制覇していたからな。
93人間七七四年:2007/05/09(水) 22:58:50 ID:0ac8D4JD
まぁ実際チンタラ浜松城攻めてられなかったのは確か
寿命もそうだし、空っぽになった信濃が危ないのも事実
94人間七七四年:2007/05/09(水) 23:38:00 ID:DoNrSich
>>92
朝倉さんが引き上げたおかげも何も、
朝倉さんが引き上げざる得ない冬に軍を動かす信玄が悪い。
95人間七七四年:2007/05/09(水) 23:57:08 ID:L8tyf53V
>>94
朝倉さんが引き上げたことにびっくりしてお手紙書いてるけど、
信玄は朝倉のグロッキーな国内事情・軍事事情、
冬には引き上げないといけないといった自分に都合の悪いことは知らなかったのか?
それとも知ってて、限界ギリギリの朝倉さんに自分の為に無理させようとしてたのかな?
96人間七七四年:2007/05/10(木) 00:12:21 ID:NNbtCWro
>>95
もし朝倉さんの台所事情や冬には撤退するしかない事すら知らなかったとしたら、
情報収集不足過ぎ。
孫子の兵法が聞いてあきれますな。
97人間七七四年:2007/05/10(木) 08:05:17 ID:wDmWBC8j
限界無限いざ飛び越えCLIMAX JUMP!な期待は朝倉さんには無理か、ちょっと無理ぽいな
98人間七七四年:2007/05/10(木) 09:25:36 ID:fGydQpYz
>82
戦国時代では比較的強い部類に入る川並衆の支配地域だから他の軍勢が
勝手に通るのはかなり難しいんではなかろうか?
敵の支配地域の狭い山道を行軍中に脇道から奇襲されたらアウトだし・・・

それに比べれば秋葉街道は遠州に出るまでは両側が急峻な山岳で
横からの奇襲を受けにくい比較的安全な行軍ルートだ・・・
99人間七七四年:2007/05/10(木) 10:24:35 ID:wDmWBC8j
江戸時代になると東海道は大井川などの規制が敷かれた上通行人も多く使いづらいのか
参勤交代中の大名行列とかは木曽路中山道をよく使ったな
100人間七七四年:2007/05/10(木) 17:10:12 ID:ixHV0v1S
>>99
大名行列で木曽路中山道使ってたのか、意外だな知らんかった
でも、通行人多くても行列通行時は通行人道端で土下座だから関係なくね?
101人間七七四年:2007/05/10(木) 20:54:03 ID:+GJFGZu5
大井川渡るときに殿や殿の荷を濡らす事にでもなれば、計画立てた者も、
切腹する羽目になりそうだから東海道は避けたんじゃない?
102人間七七四年:2007/05/10(木) 21:17:21 ID:JE5hCvLk
東海道は日程が読みにくいから嫌煙された、と聞いたことがある
だから大名行列に限らず、公儀の場合は中山道を通っていく
103人間七七四年:2007/05/10(木) 21:36:31 ID:9UKwMk91
嫌煙=けんえん
敬遠=けいえん
104人間七七四年:2007/05/11(金) 03:11:02 ID:w5ubFfVU
>>100
大名行列は御三家以外は土下座なし。
どくだけでよかった。
105100:2007/05/11(金) 14:15:57 ID:TepAzrHT
>>104
調べてみたらそのとおりだった
時代劇で大名行列=通行人土下座の図式が頭にインプットされてたw

完全にスレ違いな質問ですんませんでした
106人間七七四年:2007/05/13(日) 11:29:50 ID:7nCfx1gO
東海道側は観光化されているから通行儀礼や宿泊費、食費が高価なはず
100人以上動員するからコスト的に無視できないんだろう・・・
107人間七七四年:2007/05/13(日) 13:31:36 ID:JKP9Bv32
よく信玄の代の末期から武田家の財政は金山の枯渇により悪化していたと耳にするが、
金山の収入は全体の収入の何パーセントくらいだったか分かる人いる?

勝頼の代になっても万単位を動員して外征していたし、
金山収入が武田家にどのくらいの影響力を与えていたのだろう?
108人間七七四年:2007/05/15(火) 22:00:07 ID:asvzKVtG
最近書き込みなくなったな…
もしかして俺がスレ違いな大名行列についての質問したからか?
それとも他に理由があるのか?
109人間七七四年:2007/05/15(火) 22:26:59 ID:uXEk5h7K
純粋にネタ切れ
110人間七七四年:2007/05/16(水) 07:19:50 ID:ckWRPjVM
結局甲斐で産まれちゃったのが信玄の限界であり不幸だったって事だ
仮に尾張家で産まれていたら天下も狙えただろうが・・・
111人間七七四年:2007/05/16(水) 08:27:54 ID:0z+N5qDk
分かりやすい釣り乙
112人間七七四年:2007/05/16(水) 08:38:19 ID:BMkkZoWo
つーか信長も、早死にしてくれたからよかったようなものの斎藤義龍が長生きしていたら
信玄と謙信のようにお互い牽制し合う膠着状態が続いてとても天下なんて目指せなかっただろ。
113人間七七四年:2007/05/16(水) 08:43:02 ID:5ZevClkL
逆に義龍が龍興のように和睦破りせず、信長の上洛作戦が早まった可能性もあるな
まぁ死ななかったら……とかはイフの世界の最たるもの
単に長生きしたら、というだけじゃなくてさらに有利な(あるいは不利な)未来図までついてくるわけだから
114人間七七四年:2007/05/16(水) 09:15:23 ID:AHaQYd3J
>>逆に義龍が龍興のように和睦破りせず、信長の上洛作戦が早まった可能性もあるな

??
これどういうこと?義龍の美濃を素通りして上洛するってこと?ちょっと考えにくいと思うが。
義昭が頼ったのも美濃と尾張の百万石以上を領する信長であって尾張だけだったなら
むしろ信長より義龍を頼る可能性のほうが高いんじゃないか?近いし。
仮に尾張だけで上洛作戦やったって勝てるとは思えないし、勝てても斉藤という
大勢力をはさんでの飛び地になるわけでその覇権が長続きしたとは思えないな。
この状態で信長包囲網なんて起きたら滅亡は必至だな。
115人間七七四年:2007/05/16(水) 09:22:49 ID:5ZevClkL
>>114
まだ信長が美濃を取らないうちに、兄を暗殺された義昭から上洛要請が入った史実があるんだよ
(同時期に信玄・謙信への上洛要請も出たがこちらは体よく無視された)
これは斎藤氏との和睦とワンセットで、信長はそれを受けたんだが斎藤勢の違背により大敗し「天下に面目を失う」ことになった
116人間七七四年:2007/05/16(水) 09:33:05 ID:AHaQYd3J
信長公記にはそんな記述あったかな?
その大敗って何の戦い?ちょっと興味がわいた。
仮に信長がそれを受けて上洛しようとしても果たして勝てたか、もしくは
覇権を保てたかは非常に微妙な気がする。>>114の理由もあるが
当時は浅井との同盟もなかったと
思うし、六角や三好も尾張一国の国力なら手こずるのでは?
117人間七七四年:2007/05/16(水) 11:24:26 ID:X4zcP6zU
大敗はしたかどうかはわからないが一度斉藤氏との抗争中に上洛しようとしたけどご破算になった話なら知ってる
118人間七七四年:2007/05/16(水) 18:07:51 ID:0HSUhDJo
>>113
義龍ならなおさら長年確執のある織田家との和睦なんてしないだろうな
将軍の権威なんてない時代に将軍の弟の御内書なんぞ無視して終わりだろうな
119人間七七四年:2007/05/16(水) 20:58:32 ID:Bb1MoORn
>118
信長の資質に気付き和睦を選んだ道三に比べて
義龍は無能かつ人を見る目が無かったんだろうな
120人間七七四年:2007/05/16(水) 21:05:18 ID:AHaQYd3J
なんつーポジティブシンキング
121人間七七四年:2007/05/16(水) 21:44:38 ID:QHK8D2P1
>>112
義龍には能力評価しようにも
道三に勝ち、その後の混乱を治めたぐらいの実績しかないから
本格的に信長と戦ったらどうなるかは分からないんじゃないか?

>>114>
1566年8月のこと
上洛といっても、義輝時代に六角が何度かしたような将軍支援のための
軍事作戦となるんじゃないかと思う。
美濃を素通りして上洛というのも大内上杉の例を考えれば不可能ではないし。

1566年8月の状況は織田は東美濃と墨俣など西美濃の一部を手に入れ武田徳川と同盟
朝倉や北伊勢の一部とも誼を通じている
義秋は近江で六角の保護を受けて歴代将軍が任官前に受けていた左馬頭などの官位に
順調に就いている。
朝倉は一向宗と揉めていて全力で動くことは困難、
上杉は北条武田との和睦が出来ればと動けず、
北条は和睦には反対していなかったかもしれないが武田は和睦に反対している。
三好松永は本格的に内部での争いが始まる。

もし織田斉藤間、六角浅井間、朝倉一向一揆間などが本当に和睦出来れば
この時期なら六角浅井朝倉(一部)織田に加えて
朝廷対策では義秋の方が有利であることも踏まえ、畿内の国人衆の一部を考慮すると
上洛して義秋を将軍職に就けることは可能、
でも京の統治や三好の討伐は不可能といった所では無いかと思う。

でまあ結局はその8月に六角が義昭派から三好派となり、斉藤は和睦を破棄
実行不可能となる。

>>116
信長が来月(1566年8月)22日上洛の手伝いをするというのは
『多聞院日記』がソース
武功夜話にもあるらしいけどそちらは知らないしソースとしては・・・

信長の大敗と言うのは河野島合戦のこと
ただ大敗したと言うソースは『岐阜県史』信憑性は自分は知らない。
122人間七七四年:2007/05/16(水) 23:49:02 ID:AHaQYd3J
>>121
まず>>115での
>>信長はそれを受けたんだが斎藤勢の違背により大敗し
「天下に面目を失う」ことになった

俺は最初にコレに引っかかっていた。この時期の大敗として思い浮かぶのは河野島くらいで
それは前に見たときはそんな騙しうちのような形で触れられていなかったと思った。
一応いろいろネットで調べてみたのだが、どうやら信長が上洛したかったけど違約されて
「天下に面目を失ってしまい」これに怒った信長が軍勢を率いて挑んで大敗を喫したという
感じらしい。

朝倉はなんだかんだいってわざわざ京都まで攻め入る事はその後の行動を見ても考えにくい。
援軍をだしたかどうか。尾張一国の戦力では朝倉の兵力がないとなるとかなり厳しいのでは。
そしてあなたのいうように仮に将軍職に義昭をつけたとしてもその後維持できたかは疑問。
飛び地で長期政権をつくり維持し続けるのは難しい。大内のように長くいても結局泥沼になり
そのうち本国の状況が変わって(斉藤がいつまでも親織田でいるかは疑問。)
あわてて本国に引き返さざるを得なくなってまた戦国史は泥沼に・・・という展開ではと思う。
なんだかんだいって史実において美濃と尾張を制していた国力と京都までの地続きのラインを
確保していたのは大きい。このケースで信長が上洛しても史実のような強力な政権が生まれたとは
考えにくく、これによって信長の天下が早く進んだとは考えにくいのでは?
123人間七七四年:2007/05/17(木) 00:23:59 ID:ZMjv4ZKU
>>122
>一応いろいろネットで調べてみたのだが、どうやら信長が上洛したかったけど違約されて
>「天下に面目を失ってしまい」これに怒った信長が軍勢を率いて挑んで大敗を喫したという
>感じらしい。
そっちのことを知りたかったの?
てっきりソースを求められているのかと・・・

河野島について付け加えるなら
この戦いの時の台風による洪水で河の流れが変わったと言うほどだから
運が悪かったと言うのはあるかもしれない。

>尾張一国の戦力では朝倉の兵力がないとなるとかなり厳しいのでは。
主力は六角の予定だったはず、それに加えて織田なども協力という形になるんじゃないかと、
そしてそれまでの六角を考えるなら三好を倒すことは無理でも京都に戻すぐらいなら可能だと思う。
124人間七七四年:2007/05/17(木) 01:02:40 ID:NO/vTfKp
>>そっちのことを知りたかったの?
てっきりソースを求められているのかと・・・

誤解させてしまって申し訳ない。

>>河野島について付け加えるなら
この戦いの時の台風による洪水で河の流れが変わったと言うほどだから
運が悪かったと言うのはあるかもしれない。

見たサイトでは信長と斉藤が戦っていると大雨が来て増水し休戦状態になったらしい。
そして減水してから激しく戦ったら信長が破られ多数の損害を出し、
退却する時にも溺死者を出して大敗になったらしい。

>>主力は六角の予定だったはず、それに加えて織田なども協力という形になるんじゃないかと
しかしそうなると結局勝っても信長による覇権の樹立はますます困難という事か。
勝っても成立するのは六角の(かなり弱い)覇権であり、織田の天下に結びつくとは
考えにくいと思う。
125人間七七四年:2007/05/17(木) 01:19:02 ID:ZMjv4ZKU
>>124
>勝っても成立するのは六角の(かなり弱い)覇権であり、織田の天下に結びつくとは
>考えにくいと思う。
織田の天下に結びつかないのは同感、織田家にとって利益があるのかどうか・・・
また六角の覇権にもならないんじゃないかと思う、
信長が上洛するから後世の視点で
特別扱いしたくなるのであって、実質は義輝時代に何度も幕府が六角に頼ったことの
延長で終わりそう。
126人間七七四年:2007/05/17(木) 07:21:25 ID:RksLRhV9
>>121
> 義龍には能力評価しようにも
> 道三に勝ち、その後の混乱を治めたぐらいの実績しかないから
> 本格的に信長と戦ったらどうなるかは分からないんじゃないか?

義龍時代、信長は何度も「本格的に」美濃に侵攻し、そのたびに痛い目にあって返り討ちにあっているっつーの。
それこそ義龍が道三滅ぼした直後のまだ権力が固まっていない時すらな。お特異の蝶略でもまるで崩せなかった。
信長は義龍に勝ったことが無い。

義龍が早死にして、権力委譲の混乱から東美濃衆が美濃中央と距離を置き、斉藤氏権力が弱体化した
おかげで、やっと信長は美濃を手に入れられたわけだ。
127人間七七四年:2007/05/17(木) 12:56:07 ID:kinvP/sj
>>126
大嘘こかないように。
義龍時代の信長は美濃にかかわってません。
128人間七七四年:2007/05/17(木) 15:05:12 ID:RksLRhV9
>>127
道三死んだとき大喜びで「義父の敵討ちじゃーーー!」って美濃に侵攻してあっさり包囲されて、
ほうほうの態で逃げ帰った殿様はどこの誰だったかな?w
129人間七七四年:2007/05/17(木) 17:50:06 ID:NRN/DqvH
>>128
兵力の差ってもんがあるだろ・・
130人間七七四年:2007/05/17(木) 20:29:05 ID:+vkvFb3X
>128
とりあえず義理と義務は果たしただけって事だろ・・・

本格的な攻略にはまだ準備不足だが後の美濃攻略の布石だけは
しておかないと後で美濃攻略を正当化できないからね
131人間七七四年:2007/05/17(木) 21:50:29 ID:kinvP/sj
>>128
正確には義龍時代の前というべきで。で、その後は?
>何度も「本格的に」美濃に侵攻し、そのたびに痛い目にあって返り討ちに
というのだから、例示はいくらでも出せるよね?
>お特異の蝶略でもまるで崩せなかった。
これも、こうはっきり言うのだから、信長が調略をしかけてそれが失敗した
という明確な史料なりなんなりがあってのことですよね?

義龍と信長がカチあったのは、この道三最後の合戦時の後詰出陣くらい。その後
信長は尾張国内の統一戦で、義龍も美濃統一(道三派掃討)で他国に手を出す余裕
はなくなる。その後義龍の方は尾張にちょっかいだすくらいには安定したが、その
調略も信長に見破られて不発。直接戦端にはいたっていない。信長の方は、ようやく
尾張をあらかた押えたら今川の東進に対処しなければならなくなったので、なおさら
美濃に手を出す余裕なし。桶狭間の後はしばらくは三河で抗争が続く。

信長が「本格的な」美濃侵攻に全力を傾けられるようになるのは、この清洲同盟以後の
ことですが。
132人間七七四年:2007/05/18(金) 01:46:09 ID:vxMof2aI
桶狭間合戦の後、直ちに義竜が尾張に攻め込めば、
ほとんど簡単に、信長に勝利することができただろうに。
なぜ、義竜は、尾張に攻め込まなかったんだろう?
133人間七七四年:2007/05/18(金) 13:24:15 ID:VrPUOw6u
浅井か六角に後ろ突かれそうな可能性とか無かったっけ?<斉藤
それと今川が東進したら北条にぶちあたるんで、西進の間違いじゃないかと細かい事言ってみる。
134人間七七四年:2007/05/18(金) 15:12:32 ID:P2fXEUDf
>>132
信長の勝利は想定外で攻め込む為の準備を全くしてなかったんじゃない?
準備が出来たころには尾張の東側今川領は松平独立で混乱し、
攻め込まれる心配は当分ないから斉藤・織田間は桶狭間以前の状態のまま
(鳴海城等奪回で信長の戦力増加)
こうなってはそうそう攻め入れないんだと思う。
間違ってたら誰か訂正お願いね
135人間七七四年:2007/05/18(金) 19:44:38 ID:1JxtF/+W
>>132
その理論でいえば斉藤が尾張を攻め込んだときに美濃に浅井が攻め込んだら
美濃は取られるし浅井が美濃に攻め込んだときに六角が北近江に攻め込んだら
浅井は六角に負けるけど。
発想が短絡的過ぎだな
136人間七七四年:2007/05/19(土) 05:34:08 ID:9Psx8t2u
というかそこまで戦連鎖しない
137人間七七四年:2007/05/19(土) 12:29:31 ID:K0kPQRwt
>>136
>>135の人は極論を言ってるんだろ
138人間七七四年:2007/05/19(土) 14:26:27 ID:aP83lk+a
武田が織田信長様に、勝てるわけも無く死にそうになった馬鹿の武田信玄があばばばばばとかほざいて突撃していったのが
この上洛とかほざいて徳川すら潰せず、その徳川にほぼ単独で滅ぼされて信長様が手を出す必要すらなかった雑魚家がぶたけ。
手を出したら大量に長篠で大量死。

盟約破りを繰り返して、息子を殺し、親を追放して、同盟破りで戦うことが精一杯の武田家の信者は切腹して信玄と同じ場所に行けよ。
139人間七七四年:2007/05/19(土) 14:52:28 ID:aP83lk+a
なんで武田って上洛しようとしたわけ?

行きたかったのは京なの?天国なの?
140人間七七四年:2007/05/19(土) 16:33:50 ID:RHKSGVyI
>>139
亡き嫁の実家に挨拶しにいきたかったんだよ
ありがとう、って
141人間七七四年:2007/05/19(土) 16:39:27 ID:dEVXx5PQ
( ;∀;) イイハナシダナー
142人間七七四年:2007/05/19(土) 17:34:08 ID:twWqmy5m
どなたか>>138の文を訳して下さい。
143人間七七四年:2007/05/19(土) 17:48:25 ID:VJFkMUvo
>>142
信長様ステキ!抱いてー!

武田はザコ馬鹿アホ死ね。
144人間七七四年:2007/05/20(日) 11:10:38 ID:YcwAF/WI
ご都合的な解釈から朝倉を攻め、浅井に裏切られ、包囲網を招き
天下統一が出来なかった原因である信長って一体何なの?

信玄の盟約破りって?はっきり言うが戦略上信玄の行動の方が正しいこと
ばかりだよ、家康や氏真などが駿河や遠州を治めるより信玄が治めた方が
領民も有難いというものだ、国主弱ければ国は潰れるってね。
そもそも信玄の方から同盟を結んでおきその後同盟破りしたケースって
いくらあるの?それをキチンと説明しなきゃねアンチ武田は
145人間七七四年:2007/05/20(日) 12:03:28 ID:/Tm5odLQ
未だにそんなこと信じてるのか・・・ww
146人間七七四年:2007/05/20(日) 13:42:40 ID:p9c9iCqs
向こうから同盟を申し込んできた同盟の場合、
こちら側の都合でいつでも一方的に破れるものなのか?
双方合意した上で盟約を結ぶわけだから、片方の都合で一方的に破るのは
いかがなことかと思うのだが…
これは現代の価値観での考えだから間違いで、
当時の価値観だと一方的な同盟破りは非難されない事なのか?

その辺のこと詳しい人解説頼みます
147人間七七四年:2007/05/20(日) 13:54:32 ID:p9c9iCqs
>>144
諏訪頼重との同盟は信虎の代だが武田家の方から申し込んで、
信玄が破ってなかったか?(間違ってたらスマン)

同盟を結んだのは信虎の代で信玄には関係のない事かもしれないが、
それは個人レベルのことで武田家という組織レベルで考えたらどうなるんだろう?
これも現代の価値観での見方だから、当時はどうとらえられてたのか詳しい人ヨロシク
148人間七七四年:2007/05/20(日) 13:58:46 ID:WAc9C6WD
>>144
信玄が治めたら酷いことになってるだろ。
長野人の信玄の人気の無さは異常ってところから察してくれ。
信玄の同盟破りは一方的かつ大義名分が無いため酷すぎる。
信長はまだ大義名分あるだけマシだし、朝倉攻めないと織田が面目保てないような状況でもあった。

>>146
当然問題がある。
そんなことを繰り返せば外交上の信用を失って誰も同盟組んでくれなくなる。
更に家臣にも疑心暗鬼を生じさせ安くなるため、普通はやらない。
家臣に関しては大義名分があったとしても同じだがね。
信長も信玄も常識外のことをしてるが、双方自滅してるのは笑える話。(信玄は運良く死後だがね)
149人間七七四年:2007/05/20(日) 14:07:40 ID:EDxGLQMe
>>148
信州在住ですが長野県での信玄人気はかなり高いですよ。
今現在はほとんど県を挙げて風林火山盛り上げムードだし、
最近の世代ばかりではなく、
父方の祖父も母方の祖父も嬉々として信玄について語っていた。
150人間七七四年:2007/05/20(日) 14:21:04 ID:p9c9iCqs
>>149
長野とは縁もゆかりもないからわからんが、
地方によって信玄に対する感情が違うのではないですか?
ちなみに>>149さんの住んでる地方は何処ですか?
151人間七七四年:2007/05/20(日) 14:26:00 ID:2/6bLpzT
その前に現代の人気がどう中世の統治と関連するのか教えてくれるか?
152人間七七四年:2007/05/20(日) 14:26:17 ID:ly9c853i
長野って言っても広いからなあ、ただ佐久は風林火山で観光客増やそうとして揉めたらしい。
153人間七七四年:2007/05/20(日) 14:31:29 ID:EDxGLQMe
>>150
中信ですね。松本平。
まあ確かに他の地域の住民の生の感情までは分からないが、
風林火山に乗っかろうってムードは全県的なものですよ。

直接的なゆかりがほとんどない大町市ですら、
信玄の息子が後を継いだ仁科氏発祥の地なんていってPRしている。
(実際には乗っ取られただけだと思うが)
異常なほど人気がなかったら幾らなんでもそんな事出来ないと思うのだが。
154人間七七四年:2007/05/20(日) 14:32:32 ID:EDxGLQMe
>>151
中世の統治が悪かったから今でも人気がないって言いたいのではないかね?
>>148さんは。
155人間七七四年:2007/05/20(日) 14:39:08 ID:p9c9iCqs
>>153
そうっすか松本平ですか

まあ今のご時世はるか昔の事なんか置いといて、利用できそうだから利用する
いい意味でめざとく大河ドラマに便乗して町興しをしようとしてるんでしょうね
156人間七七四年:2007/05/20(日) 14:45:08 ID:EDxGLQMe
>>155
というか、400年も前に侵略されたことなんて普通に生活していれば気にならないんだよ。
もちろん確実にとは言わないが、多分多くの普通の人間にとってはね。

例えばあなたの住んでいる場所だって、
戦国時代にさかのぼればどこかに攻められた事くらいあるのではないかと思うが、
その相手を嫌っている人が身近にいます?
157人間七七四年:2007/05/20(日) 14:48:48 ID:p9c9iCqs
>>156
いや俺は>>156さんと同じ考えですよ

俺は大阪の北摂のほうに住んでるがそんな人いないですね
158人間七七四年:2007/05/20(日) 14:52:00 ID:/Tm5odLQ
いるじゃん。対馬の先の海を隔てた国に。
159人間七七四年:2007/05/20(日) 14:54:22 ID:2/6bLpzT
>>157
最初に現在の人気が云々と始めたのは自分だぞ。
160人間七七四年:2007/05/20(日) 14:55:48 ID:EDxGLQMe
>>157
すみません、別に反対の意見だと思って聞いたわけではないんですよ、
試しに考えていただければってことで。
気を使わせてしまったようですみませんでした。

まあ、要するに現代の感情と当時の行いはほとんど関係ないだろうってことで。
161人間七七四年:2007/05/20(日) 14:56:42 ID:2/6bLpzT
あれ違うな。
162157:2007/05/20(日) 15:01:00 ID:p9c9iCqs
>>160
いや僕も失礼なことに田舎の方(この言い方も失礼でスマン)は
結構昔の時代のことを引きずってる人が多いとう勝手な偏見抱いてしまってるのも事実ですから
こちらこそすみません

>>159
誰か別の人と勘違いしてね?
163人間七七四年:2007/05/20(日) 15:06:34 ID:EDxGLQMe
>>160
まあ、もちろん人によるだろうし、地域による違いもあるかもしれませんけどね。


信玄の同盟破りの話に戻りますか。

私は諏訪相手のもよりも、今川相手のもののほうが、
道義的にも実利の上でもより大きな問題だと思います。
諏訪の場合は上杉との単独講和っていう一応の名目もあったのは事実だし。
まあ、だからっていきなり攻め込むようなほどの背信行為ではないのは確かだが・・・。
164人間七七四年:2007/05/20(日) 17:14:31 ID:Egm9ISYh
武田って、長篠で大量虐殺されたかわいそうな人たちだよね。
一説によると信玄公の傍に参るとかほざいて大量自殺したらしいね。
自殺しろよここの武田信者。
165人間七七四年:2007/05/21(月) 01:49:11 ID:sncru68L
佐久とか安曇は武田による虐殺があった地域だから評判悪いんじゃないの?

>>163
まあ諏訪との同盟は短期間で
諏訪が追い出した金指氏などを強引に旧領に戻させるような関係だから
普通の同盟関係じゃなかったのかもしれないけど
166人間七七四年:2007/05/21(月) 02:13:41 ID:YHbgRsXF
つーかなんで武田って長篠で自殺した?
信長に勝てる分けないのは当然として、粘って講和してやろうとかそういう合理的思考も無く
信長ごときにいいようにされたわけ?

信玄は信長と戦う気だったの?もちろん最初から再同盟を狙ってたよね?
167人間七七四年:2007/05/21(月) 10:52:37 ID:ToG4+jD7
つまり武田の強さを見せ付けて、より有利な条件で再同盟を狙っていた、と>>166は考えるわけだな?
168人間七七四年:2007/05/21(月) 13:44:41 ID:YHbgRsXF
>>167
どうやったら出来るんだ?
同盟破っておいたら再び同盟は無理だろ。
北条の例もあるが信長は怒っていた。

信長と滅びるまで争う道を選んだ信玄は馬鹿じゃないか。
織田と徳川領をわけとる方法をなんで選ばなかった。
169人間七七四年:2007/05/21(月) 14:03:15 ID:0H7edPME
>>168
>>織田と徳川領をわけとる方法をなんで選ばなかった。
さすがに織田家に全力で協力してきた徳川を切り捨て武田と領地をわけとる選択は
ないんじゃないか?
いくら信長でも織田家に対して一番の協力者の徳川切り捨てたら、
以後どの大名も怖くて織田家に従えなくなるだろう

そもそも信長が臣従する大名を理由なく切り捨てたことなんてあったっけ?
天下統一したら徳川・羽柴・柴田・明智は遠方に左遷あるいは改易すると
妄想してる奴いるけど根拠とかあるんか?
170人間七七四年:2007/05/21(月) 14:33:26 ID:YHbgRsXF
じゃあ武田は織田に従っておけば100万石を維持できた。
武田の対応がさも将来難癖をつけて滅ぼされるような対応だったので徳川にもいつかはそうなるだろう。
徳川は織田と武田が同盟した時点で用済みなんだから、切り捨てられたはずだ。
171人間七七四年:2007/05/21(月) 14:39:33 ID:nNXYJ7XA
>>170
日本語でおk
172人間七七四年:2007/05/21(月) 14:41:36 ID:YHbgRsXF
織田にとっての徳川の存在意義なんて、武田が同盟をした時点で終わってるんだよ。
だから武田と織田が密約をして領土を削り取れたはずだ。
173人間七七四年:2007/05/21(月) 14:57:14 ID:0H7edPME
用済みだから切り捨てるって言う奴多いが、
実際に信長が誰かを用済みで切り捨てた事ってあるのか?
存在意義が終わってるからといって長年の同盟者を簡単に切ればマイナスのほうがでかくないか?

>>武田の対応がさも将来難癖をつけて滅ぼされるような対応だったので徳川にもいつかはそうなるだろう
俺も文章書くの苦手だが、もう少し分かりやすく書いてくれ

みんなイメージだけで信長が家康を滅ぼすと言ってないか?
174人間七七四年:2007/05/21(月) 14:57:58 ID:YHbgRsXF
長宗我部
175人間七七四年:2007/05/21(月) 15:04:43 ID:nNXYJ7XA
>>174
それは切り捨てたんじゃないでしょ
信長(以下、信)「三好残党が降伏してきたから、攻撃するのやめてね。代わりにこれこれこれだけの領土安堵するよ」
長宗我部(以下、長)「あんた、以前切り取り放題といったじゃんか!」
信「いやだから降伏してきた相手を攻撃させたらそれこそ問題でしょ」
長「しるかー!」
信・長「……じゃあ、殺し合いしかないね♪」
176人間七七四年:2007/05/21(月) 15:05:40 ID:YHbgRsXF
切捨てじぁないか。
177人間七七四年:2007/05/21(月) 15:08:40 ID:nNXYJ7XA
>>176
何で?
切り捨てっていうのは例えば信玄が一向宗を謙信にけしかけながら捨て殺しにしたようなケースとか、謙信が後北条と同盟して関東諸侯を放置したケースとかでしょ
178人間七七四年:2007/05/21(月) 15:11:55 ID:YHbgRsXF
盟約破りだ。
それも最悪の。
切り取り放題で利用しながらいきなり攻撃駄目で、安堵だけって長宗我部怒って当然だろ。
179人間七七四年:2007/05/21(月) 15:14:29 ID:0H7edPME
>>178
>>武田の対応がさも将来難癖をつけて滅ぼされるような対応だったので徳川にもいつかはそうなるだろう
この文章をもうちょい分かりやすく解説たのむ
180人間七七四年:2007/05/21(月) 15:16:10 ID:YHbgRsXF
信長はすぐに同盟をきる約束破りをする人間だ。
だから武田は信長にいつか同盟を切られて攻撃されるのを恐れて織田を攻撃した。
徳川もいつかはそうなる運命だった。
武田から織田に徳川領分け取りを提案すれば、信長の性格ならすぐに同盟を切るだろう。
181人間七七四年:2007/05/21(月) 15:18:56 ID:nNXYJ7XA
>>178
でも切り捨てとは言えないじゃないか
極端な話、もう用済みだから妥協案の交渉もなく即時攻撃という手もあったわけだし
逆に言えば利用価値がなくなっても一方的切り捨てはしないという証明になるぞ
182人間七七四年:2007/05/21(月) 15:19:01 ID:0H7edPME
信長ってすぐに同盟切ったことあるか?
183人間七七四年:2007/05/21(月) 15:20:56 ID:nNXYJ7XA
>>180
それって本末転倒といわないか?w
なんで「信玄死後の話を材料に、信玄が織田の盟約破りを恐れて自分から一方的裏切りをかます」必要が発生するんだ?
184人間七七四年:2007/05/21(月) 15:24:17 ID:lVBhsiLZ
長宗我部の件は三好との折衷案の結果だから同盟切り捨てもないと思うが・・・
三好領は半分自分の領土に近い感じになったわけだから攻撃しかけたら反撃するのは当然。
そもそも切り取り次第と言っておいたが道義上仕方なく反故になるからってことで代案出したのを蹴ったのは長宗我部。
逆に盟約破りは長宗我部だなこの場合。

しかし信玄さんは違うよね。流石甲斐の虎。
理性が獣並だ。
185人間七七四年:2007/05/21(月) 15:27:46 ID:QIxtfmXf
>>178
織田とは無関係な部分は認められていると思うが
問題なのは長宗我部が準織田領をも切り取ろうとしていることだろ
停戦求められるのも当然だと思うが
186人間七七四年:2007/05/21(月) 15:42:49 ID:3/ndQQ94
信玄の裏切りをなんとか正当化したいだけじゃないの?w
当然の如く信玄が信長以外も裏切っているのは無視してるし。
187人間七七四年:2007/05/21(月) 15:50:58 ID:0H7edPME
>>186
信玄は戦略上必要な裏切りだと力説してるねw
信長の裏切りは長宗我部(裏切りかどうか意見は割れている)以外にある?
188187:2007/05/21(月) 15:53:08 ID:0H7edPME
×信玄は戦略上必要な裏切りだと力説してるねw
→信玄の裏切りは戦略上必要な行為だったと力説するんだろうねw

文章がおかしかったから突っ込まれる前に訂正w
189人間七七四年:2007/05/21(月) 16:26:45 ID:ToG4+jD7
もしかして俺のレスで変な奴に火が付いてしまったのか・・・
190人間七七四年:2007/05/21(月) 16:28:40 ID:htXy2joT
つ枯れ木も山の賑わい
191人間七七四年:2007/05/21(月) 17:35:50 ID:YHbgRsXF
>当然の如く信玄が信長以外も裏切っているのは無視してるし。

根拠出せよ。
謙信公や信玄は信長のような裏切りは無いぞ。
192人間七七四年:2007/05/21(月) 18:10:05 ID:0H7edPME
>>191
>>謙信公や信玄は信長のような裏切りは無いぞ
なんでここで謙信が出てくるんだよww
関係ない謙信を巻き込むなよww
193人間七七四年:2007/05/21(月) 21:40:17 ID:nvgn9U0D
いくらなんでも「織田領も切り取り自由」なんて約束はない。
194人間七七四年:2007/05/21(月) 22:19:28 ID:ZOw7FFc9
そもそも四国の切り取りを許したと言う話しの出所も怪しい
195人間七七四年:2007/05/21(月) 22:36:04 ID:ZOw7FFc9
織田の場合は
斉藤との同盟 義龍謀反により破棄
斯波吉良との和睦? 斯波吉良が今川と組んだため破棄
徳川との同盟 維持
1566年斉藤との和睦 龍興の裏切りにより破棄
浅井との同盟 越前攻めにより浅井により破棄?
1570年浅井朝倉との和睦 織田から破棄?それとも互いに撤退することが和睦の内容?
武田との同盟 先に恵那を攻めたのは織田?もっともそれより先に武田も徳川攻めているが
1571年成立本願寺との和睦 本願寺から破棄
1573年4月足利義昭との和睦 義昭から破棄
1574年成立本願寺との和睦 本願寺から破棄
上杉との同盟 謙信から破棄
毛利との同盟 一応毛利から破棄だけど浦上三村支援疑惑があるので織田から破棄?
長宗我部との同盟 元親から破棄

こんなところかな?
196人間七七四年:2007/05/21(月) 22:46:05 ID:Q2rh36/b
戦国なんだから裏切られたほうが悪いに決まってるだろ、隙を見せるな。
197人間七七四年:2007/05/21(月) 22:46:30 ID:ZOw7FFc9
武田の場合は
諏訪との同盟 諏訪が小県を攻めるなどにより破棄?
高遠との和睦 頼継により破棄 でも先に騙したのは武田か?
高遠藤沢との和睦 高遠藤沢により破棄
小笠原との和睦? 長時により破棄
1555年長尾との和睦 武田により破棄
1558年だっけ?義輝仲介による和睦 武田は信濃守護として当然のことと主張しているが
将軍家により非難されるぐらいだから武田により破棄?
今川との同盟 武田により破棄 途中経過はいろいろあるが
北条との同盟 北条により破棄 氏康としては三国同盟を破ったのは武田だと主張するだろうが
今川攻めに対する徳川との協定 武田により破棄
甲越和与 上杉により破棄
1569年成立織田仲介武田徳川の和睦 武田により破棄
織田との同盟 恵那を先に攻めたのは織田? でも信玄が言う所の織田の先手である徳川を攻撃しているから
武田から破棄?

こんなところかな?
198人間七七四年:2007/05/21(月) 22:47:56 ID:ZOw7FFc9
支援を約束したけどそれを破ったとかは取りあえず入れていない
199人間七七四年:2007/05/21(月) 23:41:25 ID:dRsMZtrn
>>198
乙にて候
>>高遠との和睦 頼継により破棄 でも先に騙したのは武田か?
とりあえずここだけなんだが、信玄は諏訪領を2分割して半分を高遠に与えている。
これは十分な割譲なんじゃないか?
200人間七七四年:2007/05/21(月) 23:51:13 ID:ZOw7FFc9
>>199
講談混じるけど
諏訪との和睦は高遠を出しぬいて和睦したとも
上諏訪を宮川で分割したが上原城など諏訪家の主要な城がある部分は武田側
事前の協定では高遠を諏訪の総領とする予定だったがそれを破棄したとか
201人間七七四年:2007/05/22(火) 00:27:42 ID:hgGFP+C/
>>200
むむ、講談か。それはさておき、まあ、地図で見る限り高遠にしてみても
地続きでいい分割だと思うけどなあ。宮川の東西で分けるのは。半分あげたし。
高遠を諏訪の総領にしたら武田の侵攻の意味がないきもするが、まあ調略なら
そういうことをいうかも?ただ、最初から滅ぼす気にしては半分あげたのは気前がいいな、と
思ってしまう。とりあえず教えてくれてありがとう。
202人間七七四年:2007/05/22(火) 02:10:47 ID:rWGwV4Mw
諏訪のうち下諏訪は武田に属して
上諏訪のうち宮川東岸となると
諏訪家の主要部分である上原桑原城などは武田
諏訪盆地の大部分は武田のもの
宮川西岸のうち上社などは独立状態
そう考えると武田と高遠が対等であるなら割に合わないかもしれない
203人間七七四年:2007/05/22(火) 07:52:35 ID:5E2dpkZZ
>>165
佐久はどうだか知らないが、安曇はそんな事ないね。
204人間七七四年:2007/05/22(火) 09:23:57 ID:P1senoid
オレが武田厨の本音を過不足なく言ってやるよ
「信玄の裏切りだけは綺麗な裏切り」
205人間七七四年:2007/05/22(火) 19:10:33 ID:uBxhwAk2
武田の乱捕りは良い乱捕り
206人間七七四年:2007/05/23(水) 11:41:48 ID:b92j4yDI
織田厨は品が無いなw
207人間七七四年:2007/05/23(水) 19:56:46 ID:je0B0wJl
×織田厨
○武田厨
208人間七七四年:2007/05/23(水) 20:20:21 ID:yTBKQzBI
なんでそんなに必死になってるの?
209人間七七四年:2007/05/23(水) 20:57:53 ID:ssxtw0O7
必死だよ
210人間七七四年:2007/05/24(木) 08:14:42 ID:hpmc18Rb
>>197
他に上田原合戦後暫くしてから
武田村上で和睦したと言う話しもある(高白斎記)
結果武田は小笠原に専念し、村上は高梨に専念したとも
小笠原が松本を追われた直後に武田が戸石を攻めたことによって破棄

この和睦破棄に対し村上は慌てて高梨と和睦して戸石を後詰

>諏訪との同盟 諏訪が小県を攻めるなどにより破棄?
諏訪から破棄?小県を攻めた?
それって上杉に攻められた時に佐久小県に出兵したこと?
それは破棄にならないんじゃ
諏訪も滅亡時に武田が出兵してきた時、佐久に出陣するのだと思って
完全に油断していたから、裏切ったようなことはしていないんじゃないか?
他に諏訪が勝手に上杉と和睦したのが悪いという話しもあるが、
そもそもそれは上杉が攻めてきたのに援軍を出さない武田が悪いのであって
諏訪や村上に上杉に負けた責任を負わせるというのも変な話しだし
211人間七七四年:2007/05/24(木) 10:16:07 ID:x8NNE9hQ
諏訪は上杉が攻めてきたときに芦名郷を諏訪領とする領土分割協定を結んでいる。
もともと武田・村上と共同して攻めた小県で勝手に領土分割までやったのは
やりすぎた。諏訪方の資料の「神使御頭之日記」でさえ「甲州の人数も村上殿も
身をぬかるる分にて候」と記している。
212人間七七四年:2007/05/24(木) 12:33:21 ID:L6f7uS7/
それが不満なら抗議をすればいい。
少なくとも、それでいっきに和睦同盟の破棄までもっていくのは無理がある。
領土を直接侵略されたわけでもないのに。
213人間七七四年:2007/05/24(木) 21:39:44 ID:/AgpvzbM
というか、大前提として、
信玄の諏訪攻めは倫理的に問題ないと思っている人は今このスレにいるの?
そのことを確認しておかないと、ピントがずれたままになってしまうよ。

私は諏訪家の上杉との領土分割はただの口実に過ぎない、少なくともそれは、
いきなり攻め込み全土を制圧し、当主を切腹させねばならないほどの違約ではないと思うので、
信玄の諏訪攻めは倫理的には問題だったと思う。
しかし、その行為は武田家の勢力を伸ばすことになったし、
今川攻めの時のように家中が割れることも、四面楚歌になることもなかったので、
戦略的には全く問題なかったと思う。
そして当時においては倫理より戦略の方が重要だろうとも。
214人間七七四年:2007/05/24(木) 22:35:45 ID:uqkxHmZc
>>202
武田と高遠の力関係考えれば
武田に有利なのも仕方が無いと思う。
昔から諏訪を狙っていた高遠にすれば納得いかないにしても。

>>211
それも解釈が分かれている部分
武田史観というか武田よりの考え方をしている人はこれを
武田と村上が油断していたところを諏訪が勝手に上杉と和睦したと考え
諏訪より?の考えの人はこれを
武田と村上が油断していた所に上杉が攻めてきたので諏訪勢単独で防いだと解釈している。

ただ前者だと「甲州の人数も村上殿も身をぬかるる分にて候」の続きである
上杉は長窪までは攻撃できず芦名郷を荒らして引き上げていったという
文章との繋がりがおかしくなるから、
『諏訪神使御頭之日記』が諏訪の立場で書かれていることも考慮すれば
普通に上杉が海野を支援して長窪に出兵し、これを諏訪勢が防いだが
武田村上が支援しなかったので、諏訪は仕方なく上杉と和睦したという
説のほうが自然な感じがする。

上杉と諏訪が和睦して小県を分割したとするには長窪は小県の外れ過ぎるから、
武田村上諏訪共同の小県攻めで得た領土を何とか守った程度なんじゃないかと思う。

また例え前者の立場で勝手に上杉と和睦したとしても、その後を考えると
領土分割したとしても諏訪は小県に領土をほとんど得ているようには見えないし、
武田村上がこの時期動けなかったのは事実だから、
諏訪勢単独で村上と戦えるはずも無いから、上杉と和睦するのは仕方が無いことだし。

この件に関しては>>210の言うように、同盟を結んでいたのに援軍を出さない
武田が悪いのであって、諏訪に落ち度はほとんど無いと思う。
武田は信虎追放のごたごたで動けなかったから仕方が無いけど。
215人間七七四年:2007/05/25(金) 00:05:32 ID:cwl1DBDh
>>212
完全に最初から不意を突く積りだったんじゃないか?
諏訪側は当初武田の出兵を佐久への出兵だと思っていて
何日かしてから慌てて兵を集めたとも言うし。

それに佐久小県は上杉の影響力が強くなったため、攻めるのは困難になっていたし
1543年に佐久小県を攻めた時も上杉とは関係の薄い長窪を攻めていて、
本格的に佐久を攻めるのは上杉が関東で大敗した後のこと。
攻めるのに手ごろな相手は諏訪ぐらいしか無かったのだと思う、
頼満が死に、更に信虎が金指を旧領に戻させて諏訪宗家は弱体化していたし。

あとは国主となって早急に手柄を立てる必要があったのか、
家臣に与える土地を奪う必要があったのか、
もっともこの戦争で信玄は信虎の蓄えた軍資金を放出することで功績に報いたとも言うが。

>>213
戦国時代に倫理なんて気にしてもあまり意味が無いんじゃないかと思うが
>しかし、その行為は武田家の勢力を伸ばすことになったし
この時期の諏訪家は穴山小山田とさして変わらない勢力だから、
信虎だったらそのまま姻戚として取り込んだかもね。
216人間七七四年:2007/05/25(金) 00:12:25 ID:beVDKTtY
>>164らへん
ここで討死した名のある武将(馬場、山県、内藤、真田兄弟など)が
いたから一連の長篠合戦は「宿老の大量虐殺」に見えるんだろうけど
実際問題、勝頼のその後数年の行動見るとそこまで武田家の組織って
弱まってなくないか?
長篠敗戦後も遠江、三河に出兵しているし越甲同盟後は北条と戦っている。
織田には守勢に回った面は強いがあっけなく最期に崩壊したことから
長篠以降の武田家はファンの中でも「春日(高坂)さえいれば」くらい
戦国大名家としての武田の組織を過小評価して名のある武将を過大評価していないか?
上杉と結んで信長との和睦交渉したり(このへんの思想は戦国大名の限界だな)
織田の武田殲滅戦も信長はもう少し慎重に行うつもりだったようだし(信忠は暴走)。

個人ではなくひとつの戦国大名として武田家を捉えるならば
信玄の資質や特に謀略戦、後詰の配慮など確かに一級の戦国大名だろうけど
信虎、勝頼時代も組織としては充分に機能していたんではないかねえ。
217人間七七四年:2007/05/25(金) 00:39:49 ID:cqvcyNiP
信濃大崩壊は高坂どころか信玄が同じ立場でも防げないだろ
攻めての信長ですら驚いているくらいだし
218人間七七四年:2007/05/25(金) 02:03:10 ID:Aal/E03j
あの状況じゃあ信長でも無理だと思う。
219人間七七四年:2007/05/25(金) 12:56:30 ID:Y/LZmmGF
将などの指揮官は無論末端のベテラン兵ものきなみ抜け落ちた組織は弱体化しないほうがおかしいのでありまして
220人間七七四年:2007/05/26(土) 01:48:24 ID:NjC04ccx
まあ長いものには巻かれろというし。
221人間七七四年:2007/05/26(土) 13:30:13 ID:0heCNm25
>>215
諏訪家を取り込んで、小穴や小山田のような存在がもう一つ出来るよりも、
ひとおもいに滅ぼしてしまった方が武田家にとっては有利でしょう。
まあ、確かに信虎は取り込む方を選択したかもしれないが。
222人間七七四年:2007/05/26(土) 14:53:51 ID:WNNM916G
そのまま取りこんでしまった方が無駄な争いもせずに済み時間も短縮
できる可能性もある諏訪を滅ぼした結果、高遠が領土的にも総領家が
滅んだことで政治的にも強大化してそれと争うことになったことを考えれ
ば、諏訪家をそのまま先方として使えるなら使える方が良かった可能性
もある。
もっともこの考え方は後に川中島で争うことを知っているから言えること
かもしれんが。

ただこの時期の信玄に諏訪を取りこむということは不可能かもしれない
信虎なら年齢、義父という立場、それまでの実績などから頼重は素直に
従うかもしれないが、家督を継いだばかりで何の実績も無い年下の晴信
には従わないかもしれないから、信玄の立場からでは軍事力で屈服させ
るしか手段は無かったように思う。
223人間七七四年:2007/05/26(土) 18:38:10 ID:0heCNm25
>>222
諏訪氏を小山や小山田のような存在として取り込み、
その上高遠とまで敵対せず、それを滅ぼさないなんてことになったら、
史実をはるかに超えて、豪族の寄り合い所帯なってしまって、
武田家が主導することが出来なくなってしまう。
領土を拡大しても武田家にとってよいことなんで全くなくなってしまうよ。
224人間七七四年:2007/05/26(土) 22:06:05 ID:lR81kxfk
そのIFの場合高遠までそのまま取りこむのか?

もっとも史実の信玄は諏訪は板垣に任せて豪族の寄り合い所帯になっているが
225人間七七四年:2007/05/26(土) 22:25:03 ID:0heCNm25
城代にしたのであって、別に板垣に諏訪をくれてやった訳ではないし。
226人間七七四年:2007/05/27(日) 00:59:00 ID:3b8KB9MM
そのIFつきすすめていくと、信虎と信玄で武田家版天文の大乱とかなりそうだな
227人間七七四年:2007/05/27(日) 02:32:07 ID:gS8jMX7v
でも板垣はかなり怪しい行動取っているよな
君主権の否定とまではいくかは分からないが
勝手に恩賞とか武田家当主にのみ許された行動を取ったりとか
軍艦でさえ板垣に対しては含む所があるような記述がチラホラ
最も砥石や上田原の敗戦を板垣が勝手な振る舞いをしたせいとか
後に信玄が板垣家を潰したことを正当化するためとかの意図があるのかもしれないが
228人間七七四年:2007/05/27(日) 09:08:32 ID:5uAap84f
城代といえば聞こえは良いが、要するに本領から引き離されて常駐させられているということ
軍役に換算したら慢性的負担は馬鹿にならないよ
織田家の国替のように、周辺を領国として与えられたわけでもないし
逆に不満が溜まるだろう、その方式だと
229人間七七四年:2007/05/27(日) 11:28:53 ID:r5CzPwmO
>>228
正気か?
230人間七七四年:2007/05/27(日) 11:46:11 ID:pSthCgQj
逆に板垣贔屓の小説だと、弱い敵を騙まし討ちにした程度で良い気になっている信玄を諌めるためにわざと負けを覚悟した、とかあるよな
231人間七七四年:2007/05/27(日) 13:43:40 ID:Jhv5BGCw
232人間七七四年:2007/05/27(日) 17:49:52 ID:plE6qRHO
「みんなでメガ豚を釣ろう」 
http://live25.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1179929778/l50
233人間七七四年:2007/05/28(月) 23:26:01 ID:Bn/sW13r
そもそも上田原は敗戦じゃないわけなんだが。
ジャマな板垣を始末できて信濃の豪族達の半数を討ち取ったわけなんだしな。
無論武田も被害を受けたわけなんだが軍全体で見れば微々たるもの。
むしろ信濃諸侯こそが甚大な被害を受けたわけだ。

織田厨は必死に噛み付いて敗戦、敗戦騒ぎますがなぁw
234人間七七四年:2007/05/29(火) 00:06:16 ID:qqVwwe6F
ちょっとその言い訳は厳しい
235人間七七四年:2007/05/29(火) 02:31:19 ID:+O7kAmsb
どう見ても惨敗だろ、なんだこいつは
236人間七七四年:2007/05/29(火) 08:54:48 ID:UOw0/jEf
信濃豪族達の大半を討ち取られてか?敗走なんてしてないのにな。
237人間七七四年:2007/05/29(火) 09:10:01 ID:ejrhoC+n
sageてるところを見ると、メガトンを真似た釣りだろう
最近あんまりこのスレ盛んじゃないからw
238人間七七四年:2007/05/29(火) 11:17:59 ID:p2Ncq+YQ
そもそも川中島は敗戦じゃないわけなんだが。
ジャマな勘助を始末できて武田の家臣達の半数を討ち取ったわけなんだしな。
無論上杉も被害を受けたわけなんだが軍全体で見れば微々たるもの。
むしろ武田軍こそが甚大な被害を受けたわけだ。
239人間七七四年:2007/05/29(火) 15:18:17 ID:VdKMIJPH
勘助wwwwwwwwwwwwwwwww
240人間七七四年:2007/05/29(火) 21:28:00 ID:P/hEttab
風林火山の勘助の話を聞くと後の武田を弱めた原因の一つはこいつじゃね?とふと思ってしまった
241人間七七四年:2007/05/29(火) 23:31:31 ID:PvJ6t+Z7
>>240
講談じゃない実在してた山本管助は武田家の命運を左右するほどの立場じゃないよ
伝令だった管助はその後どこまで出世したんか気になる
武田家でも伝令は若手の幹部候補生の将校がやってたのかな?
242人間七七四年:2007/05/30(水) 00:44:00 ID:6Z9NmM4Y
結構、地位も知行もないのに
取り入った奸臣かも

と思うと面白い
243人間七七四年:2007/06/01(金) 10:28:45 ID:RPsl4VU2
コピペ燃料投下

甲州法度
これに関しては今川仮名目録に強い影響を受けている、それまでの慣習、
信虎の出した法をまとめたものとされている

狼煙台
ソースが存在せず、当時としては一般的な事柄だったと推定されている

税制
1522年に信虎が甲斐一円に棟別銭を課した『塩山向嶽禅庵小年代記』のを初めとして
基礎的な税制は信虎時代に整えられた
信玄に肯定的な学者は信玄時代に様々な新税が課されていることから信玄が税制を
発展させたと
否定的な意見だと北条などの税の簡素化と比較すると逆行しているとか

鉱山発掘
考古学側の調査によって多くが信虎時代(山によってはそれ以前から)に
開発がはじまったことが判明
松木氏?に伝わるといわれている伝承だと信虎の代により伊勢から来たとか
めむしろ被官化していない証拠

検地
検地に関しては関連史料合わせて70ほどあるらしいが
すべて差出 寺社家臣の権利を認めるためのものが多いとか

隠し湯
『川浦湯屋造営下知状』がソース
以前からあった寺社の造営を許可しただけであって、
それを通説の隠し湯と結びつけるのはおかしい

761 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2007/05/29(火) 23:41:51 ID:PmzBFDzk
ちょっと一部修正

鉱山発掘
考古学側の調査によって多くが信虎時代(山によってはそれ以前から)に
開発がはじまったことが判明
松木氏?に伝わるといわれている伝承だと信虎の代により伊勢から来たとか

金山衆の被官化
肯定 1570年ぐらいに出された感状をソースとしている
否定 その感状の形式が家臣に対するものではなく外部の者に対する形式と一緒であるため
むしろ被官化していない証拠
244人間七七四年:2007/06/01(金) 10:30:24 ID:RPsl4VU2
762 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2007/05/29(火) 23:44:24 ID:PmzBFDzk
棒道
上にもあったが『高見沢文書』が唯一のソース
肯定 原文だと思うから、内容形式が現在から見ておかしくてもそれは些細な問題で
正しいに決まっているこの史料が棒道に当て嵌まらないなら何を指している?
現在棒道とされている道のほとんどが荒野と化している以上昔からあったなどではなく
純軍事目的に造られた道、つまり棒道に違いない

否定 文章の内容がおかしい、駿河攻め上野攻めの時に出された道に関する文書は
ちゃんと夫役を申し付けているのに、これは命令書になっていないため信玄がやらした
わけではない
軍事目的だとしても何故複数のルートが必要なのか?
何故目的地が諏訪までなのか、出発地は甲府なのに目的地が上原とかの具体的
目的地ではなく諏訪という曖昧な地域を指しているのか

信玄堤
1 竜王に新村を作るよう指示した文書
2 川の氾濫に対しいくつかの村に復旧するよう指示
3 破損した用水路の修復の指示
4 堤防の維持に勤める代わりに棟別銭免除
などがソース

否定
1はそもそも諏訪への街道整備の一環として出された宿場町建設のための文書
それを通説の信玄堤の証拠に転用するのはおかしい
2は国主として当たり前の事で信玄堤のソースになっていない
3も当たり前のことまたそれ以前や他地域にも普通にあることなので特別扱いすることではない
4も当たり前のことでその時代にそこに堤防があったことは分かるが信玄が堤防
を造ったという証拠にはならない

そもそも棒道も信玄堤もそれほどの事業なら『妙法寺記』や『王代記』に
何も記述が無いのはおかしくはないか?

と言った感じに揉めているのが最近?
ただ棒道や信玄堤などを肯定している学者の本でも最近は
殊更強調するのでなければ信玄の功績として構わないとか、
通説のような功績は無いからといって信玄の功績のすべてを全否定すべきではない
などとトーンダウンしていて、実質否定派の意見に近づいている
あと何年かすれば信長の楽市楽座や兵農分離などと同じような扱いされるかもしれない
245人間七七四年:2007/06/02(土) 02:38:54 ID:2xs0BedB
アンチ武田が涙目で必死ですw
246人間七七四年:2007/06/02(土) 03:17:30 ID:qcjQ6Lt1
( #^ω^)ピキピキ
247人間七七四年:2007/06/02(土) 10:46:45 ID:k1rHU62N
信玄の治水事業


領民を水害から救う為に信玄堤を築いたといわれ。単に水害防止の為なら
概存の河川の両側に頑固な堤防を築けばよいのであろうが、信玄が進めた
のは川筋を変えることだった。
信玄堤築造は治水面ばかりが強調されてきたが、土地利用や水利体系の
再構築が大きな目的であったと推測されている。
築堤開始の時期ははっきりしないが、堤防の裏側に棟別役免除の条件で
集住者を募る(1560年)八月の古文書が残る為、この頃には一応の
完成をみたと考えられる。


248人間七七四年:2007/06/02(土) 10:48:16 ID:k1rHU62N
信玄の治水事業は防災上のメリットだけではなく、用水の整備や新田開発、村
の新設などにも繋がる多目的事業だった。
事実信玄は工事が完成した永禄三年、堤防の近くに竜王河原宿を新たに設け、
農民に恩典を与えて移住させている、その時の古文書がある。
新居住者に棟別役(税金)の免除を約束し、堤防の保護管理にあたらせると共に
新田の開発にも従事させたのである。
しかもその新村設置の規模は壮大に広がり、釜無川と御勅使川の流域に、開田事業
に伴って上条新居村、清水新居村など多数の村が誕生している。
信玄堤は竜王町のものが有名だが、山神郷万力郷など数箇所に残っており、農業政策
にかけた信玄の遠大な理想が垣間見える。


249人間七七四年:2007/06/02(土) 10:49:46 ID:k1rHU62N
「狼煙台ネットワーク」

当時の史料に狼煙が出てくることはまれだが、山国の甲斐においては、正確
で迅速な情報の収集が合戦の勝利への重要な決め手であった。
まあ山国である甲斐の不利な状況を理解出来ないアホなアンチには、いかに
狼煙が特に武田にとって重要だったかが理解出来ないんだろうねえ単細胞だから。

「甲斐国志」が各地(甲斐国内)に残る狼煙台伝承を網羅しているよ、信濃
との境を接する地域からの情報伝達にはいくつかのルートがあったと伺える。
250人間七七四年:2007/06/02(土) 10:54:46 ID:k1rHU62N
鉱山産業を専業にしていた技能集団の金堀は金山衆として武田に掌握されている。
武田から鉱山開発の許可を受けていたんだよ、信玄が領国を拡大していくにつれて金山衆は他国へと
手を伸ばし、他国の金山にも手を伸ばしていくことぐらい知ってるよ。
信虎時代には貧弱だった技術も信玄の代になれば次第に発達していった。
ちなみに信玄は甲斐国内に大小22ヶ所もの金山をみつけ発掘させていた。
251人間七七四年:2007/06/02(土) 10:57:04 ID:k1rHU62N
信玄の治水新田開発事業と同様に、検地も見逃せない。
1563年から恵林寺領と佐久地方などで実施しているが、領国全体に
及ぶものではなくとも、戦国大名の検地実施例としてはかなり早期の物
でありその先進性は改めて注目に値する。
江戸時代の農政学者佐藤信淵は「農政本論」の中で、信玄の農業政策を
絶賛している、その農政は一等地を抜きん出ていたのである。
信玄の政治家としての偉大さは、他の戦国大名が農業を民政の中心に
すえていたのに対し、山国という甲斐の国情を知悉して総合開発的な
殖産興業策を展開した点にも求められる。

甲斐の林野面積は、八割近くを占なめ信玄はその山岳資源に着目し、治山
を促進するとともに地場産業の振興をはかって富国の実をあげたのである。
他国の追随を許さない鉱山開発はその一例だし、一般木材の他和紙の原材料
に漆などを広範囲に植栽させたのも、特殊品奨励策の一環だった。
和紙や漆が信玄時代の甲斐の代表的特産品であったことは周知の通りで、
信玄の施策が見事に結実していることが分かる。
ちなみに今なお山梨の特産品として有名な甲州印田や雨畑硯、水晶加工品など
は、信玄時代からの伝統を受け継いだものなのである。



252人間七七四年:2007/06/02(土) 11:00:43 ID:k1rHU62N
「甲州法度之次第」


数ある戦国法典の中でも傑出した内容を備えてるんだよねえ、その評価の高さは、信玄
自らが遵法の姿勢を明らかにし法を犯した場合は責任を負うことも辞さないとま
で公言しているという事を見ても容易に理解出来る。
現代の弁護士制度に通じるような制度を設けているのもその一つだし、十三歳以下
の犯罪者の刑事責任は免除するといったユニークな箇条もある。

253人間七七四年:2007/06/02(土) 11:06:03 ID:DaBK1bkM
じゃあ信玄自体が犯罪者として裁かれなきゃな。
254人間七七四年:2007/06/02(土) 11:30:52 ID:jMDgM7jN
他人のサイトから連続無断コピペする時点で終わってるな、メガトン
何度も注意受けただろうに……
255人間七七四年:2007/06/02(土) 11:39:54 ID:DaBK1bkM
メガ豚はいろんな板で役に立ったから許してやれ。
256人間七七四年:2007/06/02(土) 12:05:35 ID:rfPrCwqU
>>250
それは、大陸から灰吹き法の技術が伝わってきたから、
いままで、開発放棄されていた鉱山が開発可能になった
だけだよ。
257人間七七四年:2007/06/02(土) 12:55:56 ID:qj2f8feR
信玄って戦争だけでなく内政も虚構だったんだ
258人間七七四年:2007/06/02(土) 13:32:00 ID:tg99X233
察してやれよ
武田遺臣は再就職で大変だったんだよ
虚像を打ち立てて、それを祖にした軍学を作ったのもその一環
要は後世の人間が虚像に振り回されなければ良い
259人間七七四年:2007/06/02(土) 14:28:03 ID:qj2f8feR
確かにその通りだな
260人間七七四年:2007/06/02(土) 15:58:46 ID:zky8RmzJ
虚像の横行なら信長も負けてはいない。
信玄がやった内政がそれまでのものを発展させ効果を挙げたのは事実。
そこらを評価せずにすべてを無かった事にするのはいただけない。
261人間七七四年:2007/06/02(土) 16:01:35 ID:k1rHU62N
他人のサイトから無断でコピペ??
そうでなかったらどうするの?(笑)自分の言ってる事が間違ってるという
器量をもう少し持ち合わせなければいけませんね毛利厨はww

>>258
哀れだねえ、>>247>>252に対しての悔し紛れのレスですか?(笑)
ま、たまにはまともに信玄の虚像とやらの根拠を示さなければ話に
なりませんね、根が否定的であればどんな史料や学者の見解も全て
「信憑性がない!!!」と思い込みたがるのがアンチというものですからね。
そういう人種は今も昔も馬鹿にされて生き続けるしかないのです。
現に信玄の内政に対して論議が交わされている状況を、さも虚像だと
決めかかってる姿がまさしくアンチならではの姿ww
そしてトドメの一撃は!マンセーしている元就に関する知識がやたらと無知
であることですww
要するに信玄が悔しいあまり、どうでも良いマイナーの元就を強引に比較材料
にして信玄叩きしか出来ないというわけですね。
262人間七七四年:2007/06/02(土) 16:58:59 ID:u1yyzoJY
せっかく平和になったこの板にまた豚が舞い戻ってきたか。
妙法寺記10回は読んで出直してこい。
263人間七七四年:2007/06/02(土) 17:46:03 ID:OB3AboMk
つか何でメガ豚は>>261で毛利厨とか言っちゃってんの?
あちこちで嫌われまくった挙句に連投を続けるもんだから
スレの区別もつかなくなったのか?
低脳なのは充分承知の上だと分っていたはずだが、ここまで酷いと驚く。
264人間七七四年:2007/06/02(土) 18:23:27 ID:U0UOxu90
>>261
>>243>>244のコピペをうやむやにしようと連続コピペ投入してる時点でおめえの負けだよw

>>263
ナイスつっこみ乙w
豚のまんねり化したアホな煽りはスルーしてたから気づかんかったw
この様なアホな間違いはさすがに信玄でもしないだろうなw
265人間七七四年:2007/06/02(土) 19:22:25 ID:wIw9ZLEQ
>>244
ウィキの「信玄堤」とNHK「その時〜」の史料参考の項を見てきたけど
どちらも治水・金山開発は信玄の功績として紹介されてるよ。

ちなみに信玄堤は「その時〜」で考古学の年代調査と甲陽日記(高白斎日記)がソースとして紹介されてて
ウィキでは「信玄堤の再評価」といシンポジウムをソースに大名権力による計画性の指摘から
信玄の功績との主張がされてる。

あと鉱山開発も確かに文書の史料が少ないけれども信玄の時代に甲州金の鋳造が活発であった
ことと金山遺跡発掘品の年代特定、さらに笹本正治氏・湯之奥金山博物館館長の谷口一夫氏に
話しを伺った上で信玄の功績としたとあるけど。
266人間七七四年:2007/06/02(土) 20:15:19 ID:57AX8i/V
しかし現地の看板では「信虎」とワンセットに変遷しているのも事実
普通に何代もかけて少しずつやってたんじゃないの?
信玄の治水関連書状発給は南進開始前後からぷっつり途絶えている
一代かけたわけでもないのに、大規模な治水工事を複数箇所でできたと思うほうが非現実的
267人間七七四年:2007/06/02(土) 23:23:23 ID:IgIoMggT
>>243
どうせなら修正部分直して欲しかった

>>259
また論文書籍からの引用になるが

信玄関係で偽書が多いのは
徳川家宣が甲府藩から将軍となり
柳沢吉保が小身から甲府藩主となり甲府浪人を大量登用
そのため浪人たちは先祖の功績を偽って仕えようと
その後甲府は天領となるが
旗本で18世紀初めは10名ほどの甲府浪士が18世紀末には80名ほどに
更に『甲斐国誌』編纂時にも大量の偽書が作られたという

ただ『甲斐国誌』には甲州金の始まりは不明
甲州枡に関しても信玄が始まりかは書いておらず
甲州枡の製造者の先祖が武田に仕えた、信玄に特権を貰ったという記述があるのみ
棒道に関しても秀忠が棒道を使用した記録があるだけで武田の名さえ出て来ない

また江戸時代の土木治水技術には紀州流上方流などの名はあるが
『甲州流』は存在せず、『甲州流』の名が出てくるのは明治以後

信玄由来のものとして他にほうとう煮貝などもあるが
それが言われ出したのは戦後か?と
まあこれに関しては肯定している学者は存在しないだろうけど
268人間七七四年:2007/06/02(土) 23:33:36 ID:IgIoMggT
>>256
考古学調査からだと鉛成分はほとんど抽出されないことから
武田の採掘精錬法はもっと古いものであった可能性がある
ただ鉱石の金の純度が高いためそれで十分だったと
そのため他の鉱山よりも最盛期の時期が早く衰退も早い時期だったとも

>>260
自分が今まで見てきたところ
すべてを無に評価するようなことを主張する学者はいないと思うぞ

信長の虚像はもう2chじゃありふれていて今更感があると思う
269人間七七四年:2007/06/02(土) 23:51:11 ID:IgIoMggT
>>265
wikiとかNHKなんてソースにされてもね
それなら歴史群像の方がまだいいと思うが・・・

まず最初に言っておくが自分もそして自分が参考にしたいろんな学者も
信玄の功績を全否定している人間はいない

>考古学の年代調査
論文研究者の本ではいまだ見たこと無い
逆に考古学の年代調査から否定されている話しなら見たことあるが

>甲陽日記
それは単に堤防を修復した言うだけでその程度のことならいろんな大名がやっていること

>「信玄堤の再評価」といシンポジウム
それはソースになっているのか?
あのシンポジウムだって説はいくつかあるし

>笹本正治氏・湯之奥金山博物館館長の谷口一夫氏
本人は金山開発は信虎時代かそれ以前からと
自分の本で主張しているが?NHKが都合よく改変しただけだと思う
270人間七七四年:2007/06/03(日) 00:32:32 ID:T9uldv4E
>>256
灰吹き法なんてのは15世紀に伝わってた代物なのにねwww
そうか織田厨は猿人の住むド田舎に住んでいる自分の感覚で物事を語っているんだね!あ、ごめんね〜〜〜。
271人間七七四年:2007/06/03(日) 05:29:17 ID:x1BpfIsO
>>270
15世紀に伝わっているから別に信玄が金山を発達させたわけじゃないって言う事では?
272人間七七四年:2007/06/03(日) 09:02:04 ID:KPHQ5F2/
>>270
灰吹き法は16世紀に伝わったものだ。
「灰吹き法」. 1533年(天文2年)、博多商人・神谷寿貞[かみやじゅてい]が朝鮮からもた

晴信が当主になったのは 1541年(天文10年)、
甲斐の田舎に技術が伝わるには妥当な年月だ。
273人間七七四年:2007/06/03(日) 09:19:56 ID:T9uldv4E
>>270
それは西。東は越後寺泊の外山茂右衛門が中国から伝えている。
274人間七七四年:2007/06/03(日) 10:17:18 ID:KPHQ5F2/
>>273
ウソクセェ。
具体的なソースを示せ。

「鶴子銀山は1542(天文11)年に、外山茂右衛門によって開発」
ぐらいしかネットでヒットしない
275人間七七四年:2007/06/03(日) 10:52:13 ID:k01Oa65l
金山の開発方法まで、直轄地化もできなかった信玄が指示できるのか?
むしろ「たまたま優れた技術を取り入れた領民が信玄の領地の中にいた」程度だろう
江戸期初期のように、大名が直々に技術者を抜擢してやらせた、というのならともかく
276人間七七四年:2007/06/03(日) 23:53:24 ID:nZmvgUZN
>>265
考古学調査では黒川金山湯之奥金山共に1500年前後には始まっていたってことで
信虎を越えて武田信縄時代まで遡れるらしい
また調査結果から小規模経営の集団が携わっていたらしく
江戸時代のような公儀による大規模開発とは異なる結果が出たとの事

信玄堤に関しては平山氏などによると
川の流れを二つに分けた等は後世の捏造であり
年代調査からもともとそのような流れであって、武田家はその流れを固定化し、
灌漑施設新田開発を行ったのではないか
また石積出し将棋頭は武田家の築城技術に石が無いことから
作ったのは武田家ではなく後世の別の存在だろうと言うこと
277人間七七四年:2007/06/04(月) 00:34:38 ID:YW/bRbH7
武田領内において甲斐・信濃・駿河等に存在した金山については
磨り臼に共通性が見られることから武田氏の庇護下で金山開発に従事した
金山衆の存在が推定されるらしいな。
278人間七七四年:2007/06/04(月) 00:49:15 ID:2wLQhWOA
>>277
他の商人職人などと同じで特定大名からの特権を受けた御用商人なんかと
似たような位置にいたってことだろうと思う。

具体的に何処の金山と何処の金山の臼が共通とかも載っていたが
そこまで記録してくるのは面倒だった
279人間七七四年:2007/06/04(月) 08:51:02 ID:Pos8rlN2
積雪で冬季は活動不能な場所に生まれたのが信玄の不幸しかも山国。
古来よりそういった勢力は行動を制限される為に大勢力に成りがたい。
それでも信玄はあれだけの版図を築けたのすごい。
信長なら瞬殺されてる。
濃尾平野に生まれた信長は運がいいだけ。
柴田勝家だって版図の中心が越前でなければ秀吉ともっと互角な戦いができたろう。
280人間七七四年:2007/06/04(月) 10:16:30 ID:kYaXa/xj
>>274
池沼乙。ネットでしか探せられないんだな。
小葉田淳著作「上杉氏の財政と鉱山」に書いてある。
281人間七七四年:2007/06/04(月) 12:20:29 ID:PGR9kczN
"探せられない"はネットで1,840件しか探せられないんだな。
282人間七七四年:2007/06/04(月) 12:54:43 ID:rzMtkXYQ
ひょっとして15世紀を1500年代と勘違いしているとか?
283人間七七四年:2007/06/04(月) 13:28:35 ID:hbwzQ1VT
信玄神格化の系譜って見てると面白いね
存命当時は「信虎と変わらない暴君だよ」と嘆かれてるぐらいなのに、今じゃ知名度は日本屈指に
284人間七七四年:2007/06/04(月) 14:21:50 ID:YW/bRbH7
まあ、治世初期にはそう書いていた妙法寺記も
1553年以降は記述が穏やかになっていくんだけどな。
そして1554年には「一日に村上の要害を16攻略した。
たくさん略奪が出来た。これほどの略奪はこれ以後にもないだろう。」とか
書いているしな。
285人間七七四年:2007/06/04(月) 20:05:26 ID:i2CHIm7d
信玄は忍人(ニンジン)といわれていた。ピーマンよりはましという意味だ。
286人間七七四年:2007/06/04(月) 21:11:19 ID:kryo2HfE
>>283
>>284にもあるとおり、信濃侵略が順調に行き始めると、
怨嗟の声は少なくなり賞賛するようなものに変わっている。
略奪等では動員された半農の一般兵士にも恩恵が来るから、
比較的下層の者にとっても、戦に勝てる領主は良い領主ということになる。
287人間七七四年:2007/06/04(月) 21:27:47 ID:k/8UbE9a
略奪だろうとなんだろうとモノを回してくれれば暮らしがよくなるしな
反対に負けが込んでくるとその分負担が増えるし怨嗟の声がなんたら
その辺は信玄も信長も大して変わらないかも
288人間七七四年:2007/06/05(火) 00:39:01 ID:XUOlOPM9
>>283
そうのようなことに関して調べている書籍もある

甲斐国誌の段階では棒道甲州金などは信玄由来となっていなかったとか
江戸時代の記録で甲斐の民衆は信玄を崇めて、何でも信玄の功績にするとか

長らく天領であり他の地域のように藩主を称えることが無かった
各時代において歴史に大きく関わるような人間がいなかったため
信玄を顕彰するようになったとか
明治以降になってから信玄の功績とされたものも多々あるらしい

>>284
妙法寺記のその記録も
村上とぶつかって侵略が停滞していた時期であり、丁度大規模な飢饉の時でもあり
逃散が相次いで、棟別銭などの税制も崩壊し郷村が荒れまくっていた時期と重なる
というのもあると思う。
289人間七七四年:2007/06/05(火) 09:00:27 ID:OBXuf3TE
信濃侵攻時期だって「領民が重税で離散している」としっかり酷い政治は記録されているからなー
その時期に略奪誉めたからって凄い皮肉としか取れないw
290人間七七四年:2007/06/05(火) 18:39:42 ID:CltNz/Ox
「甲州法度之次第」確かに厳しいが、その代わり農業生産を高めたり、商工業
をおこし、商品を活発にするなどしてるからね。
信玄程甲斐の国主として領土をあれだけ広げていった人物はいなかったわけで、甲斐の
領民が信玄を崇拝し続けるのに異論を唱える必要は無いよ、時代が戦国である以上は
山国を豊かにする為にも、領土を広げ強い国にする必要があるわけで。
291人間七七四年:2007/06/05(火) 19:18:29 ID:/gUi/mYX
>>288
>>284の記事は1554年だよ。
もはやこの時期には砥石も既に攻略され、村上方の城は次々と攻略され、
義清自身も1553年には逃亡し、後は最後のあがきと残党狩りに推移してる。
54年には佐久も伊那も木曾も攻略されているし、信濃攻略はこのころには
順調に推移していると見ていいと思うが。

>>289
そりゃ信濃侵攻が停滞している時期に重なる。順調に行き始めた54年以降は
そういった記述も穏やかになっていく。
292人間七七四年:2007/06/05(火) 21:16:09 ID:TipW/7hE
>>291
いやその記録というのは
>まあ、治世初期にはそう書いていた妙法寺記も
ここにかかっているんだが
293人間七七四年:2007/06/05(火) 21:23:55 ID:9qpeQLT9
>>289
信濃侵攻時期と一言で言っても10年以上の期間があり、厳しかった時も順調な時もあった。
で、厳しかった時期には不満の声が高くても、順調に行き始めると不満は少なくなり、
むしろ賞賛するものが多くなる。
つまり、勝てば不満も解消されるし賞賛もされるようになると、それだけのこと。
294人間七七四年:2007/06/05(火) 22:03:10 ID:/gUi/mYX
>>292
そうだったのか、失礼した。
295人間七七四年:2007/06/05(火) 22:51:17 ID:TipW/7hE
>>293
そう考えると略奪先の無くなった勝頼から人心が離れるのも当然だな
296人間七七四年:2007/06/05(火) 23:05:23 ID:/gUi/mYX
勝頼も初期は徳川領土とかを荒らしているんだけどね。
でも長篠以降は・・・。
297人間七七四年:2007/06/06(水) 00:03:32 ID:/wC7j7YB
信玄が始めた自転車操業が破綻したってことだな。
298人間七七四年:2007/06/06(水) 01:13:56 ID:MhJA8FeI
というかどこの大名も大抵自転車操業
武田だけを非難するのはおかしい。
むしろあの手この手で国土の発展を図りある程度の成果を
あげていたことで優秀といえるだろうよ。
299人間七七四年:2007/06/06(水) 01:53:09 ID:PA06Ik5I
>>298
確かに自分の代で勢力を拡大し家を守りきった事は優秀だが、
自分の代で次代が使うべき力まで使い切った感があるからなあ
家名存続を第一とするなら自分の代だけでなく
次代へのバトンタッチもかなり重要だろ?

信玄は末期に次代の事を考えてたのかな?
300人間七七四年:2007/06/06(水) 04:30:05 ID:UhRc8e+Q
単純に信玄が自転車操業だったという事実が語られているだけなのに
何で武田だけ非難とかなるんだろう?
それとも武田について評価する時はいちいち他大名も非難しないといけないのだろうか?
いや他の大名も似たようなものと言うのは構わないが
武田だけ非難とか明らかに被害妄想だと思う、武田に関係無いスレで何の脈絡も無く
言われたとかならまだしも。

>>299
結果だけ見ればかなり悪い形で継がせているからねー
考えていないということは無いだろうけど努力が足りない行動が間違っていたと言った所か?
60年代後半から信玄勝頼の連署となり、跡部など武田の有力譜代をつけたりしているが
時間が足りなかったとしか

外交問題に関しては北条とは再同盟したものの織田徳川に喧嘩売る、上杉とも敵対
金山は枯渇寸前
信玄晩年の危機的状況に対処するため信玄死亡直前から棟別銭は増額、
ついでに軍役衆も増大と領国は疲弊状態、
負のスパイラルのはじまりってところか?
301人間七七四年:2007/06/06(水) 07:04:18 ID:PPcGsoMm
>>300
いや、>>297を読んだだけでは、
どの大名も自転車操業だとは思えないから>>298の突っ込みはもとっともだと思うが。
302人間七七四年:2007/06/06(水) 10:33:19 ID:FD1j75wT
>>299
本人はまだまだ生きるつもりで末期だとは思ってなかっただろうけどな。
303人間七七四年:2007/06/06(水) 10:58:29 ID:OVms3/VM
重税に対抗する手段が逃亡しかなかった武田領内の領民達
これは甲斐の庶民がヘタレなのか?
それとも信玄の圧政が上手だったのか?
304人間七七四年:2007/06/06(水) 16:46:12 ID:Lmz3SNAw
重税略奪放火虐殺の上杉よりはマシだろう。
305人間七七四年:2007/06/06(水) 17:10:39 ID:IWbK394Z
そしてどこ吹く風の北条
306人間七七四年:2007/06/06(水) 17:36:33 ID:xsqtZA/w
民衆の退転なんて何処でもみられる現象だけどな
北条ですら、民衆の退転への対策に四苦八苦している
307人間七七四年:2007/06/06(水) 18:09:01 ID:MhJA8FeI
1560年に北条がだした徳政令は生活苦から退転した領民への対策だと
いうしな。北条は1562年にも年貢や諸役の免除を行うことで
退転した民衆を必死になって呼び戻そうとしている。
北条はそれまで原則として質がよくて価値の高い精銭で税を納める事を
強制し、それによって百姓の困窮を招いたといわれている。
こうしてみるとよく言われる北条は税が安い=善政というのどうなんだろう?
表向き安いように見えてもそれが質の高い精銭で納税させられていたなら
相対的に見て重い負担ともいえたんじゃないか?
308人間七七四年:2007/06/06(水) 20:35:12 ID:xsqtZA/w
まあそれに懲りて、
一定の割合での鐚銭の混入を認めたり、一部物納を認めたりして居るんだから、
そこまであくどい訳でも無いかと。

それに選銭はどこでもやってるんだから
309人間七七四年:2007/06/06(水) 22:25:16 ID:LT91eXmY
>>303
この時代東国では農民の武力蜂起と言うのはあまり無いと思う
ヘタレというかそのような社会だったのでは?

>>307
選銭は何処でもやっている

百姓の困窮は多くの学者が言うように単純に弘治の大飢饉が直接的な原因かと

北条の税制を簡単に見ていくなら
1540年代後半の飢饉の影響を受けて
雑役を廃止して懸銭に統合
1552年には棟別銭35文に減額反銭を8%と
そして安定してきた1555年には増税
その後大飢饉となって氏康の隠居、徳政、物納、悪銭の混合率を25%〜30%
目安箱の設置
となっていたと思う。
またこの時期今川も1/4役免除、上杉も課役免除令を出している。
相対的に見たとしてもこの時期は何処の大名も大変
武田は逆に悪銭・新銭の通用を禁止しているけど。

>北条はそれまで原則として質がよくて価値の高い精銭で税を納める事を
>強制し、それによって百姓の困窮を招いたといわれている。
これだけど、日本全体の流れとして精銭の流通量が減ってまたは経済の発達により
貨幣が不足してか石高制へと移行し出す過渡期であるため、
精銭での納税は基本的に時代が進むに連れて徐々に負担になっていったとは思う、
そして北条氏もその時代の流れに合わせてか追われてかは分からないが徐々に物納へと
変化している。

北条氏も農民の訴えを聞き入れるとしているし、相対的に見ても北条は税が安い=善政
310人間七七四年:2007/06/06(水) 22:28:35 ID:LT91eXmY
途中なのに間違えて書きこみ押してしまったorz

北条氏も農民の訴えを聞き入れるとしているし、相対的に見ても北条は税が安い=善政
と一概に言えるとは思えないが、史料から判断するならとりあえず相対的に税は安かっ
たのではと思う。

311人間七七四年:2007/06/07(木) 04:35:55 ID:ZlwmYoAO
武田は基本姿勢が農民の話し合いには応じないだから、
他大名と比較するまでも無いような
312人間七七四年:2007/06/07(木) 09:16:46 ID:GB1pDS6+
>>309
上杉は5年の諸税免除令を出しているが
上杉は税が安い=善政
になるのか?芳情厨ウザス
313人間七七四年:2007/06/07(木) 09:18:33 ID:b/Fodg0R
上杉の善政は以上。
314人間七七四年:2007/06/07(木) 13:13:54 ID:DwdEPKHG
>>312
上杉の場合は、寺社のためとして諸役を逆に臨時に課したりしているから
トントンじゃないの?
北条の政治が評価されるのは、恣意的な税の上下を抑えにかかった点が理由の一つであるし
315人間七七四年:2007/06/07(木) 19:54:35 ID:GB1pDS6+
>>314
具体的に
316人間七七四年:2007/06/07(木) 21:15:58 ID:dZNGd5XA
>>311
そんなことは無いだろ、
甲州法度にも
村の人間の大半が死ぬか逃亡した場合に限り話し合いに応じる
となっていたはず。
317人間七七四年:2007/06/07(木) 21:56:58 ID:ox6L+wcr
>>316
それは既に村が壊滅してるんじゃないか?
それから「話し合いに応じる」なんていわれてもさ
318人間七七四年:2007/06/07(木) 23:29:51 ID:gEeLqoP4
要するに「村の大半が死ぬか、逃亡しちゃったら仕方ないから話し合いに応じてやるよ」だもんなぁ。
盗難の被害に合ってからじゃないと防犯対策をしてくれない警察みたいだ。
ま、武田治世の「民は生かさず殺さず絞れるだけ絞りきる」方策には家康も感心したみたいだし
為政者の側から見たら、結構理想的な統治法なのかも知んない。
319人間七七四年:2007/06/07(木) 23:46:29 ID:dZNGd5XA
まあ甲州法度で逃亡者が出たら、回りのものに肩代わりさせるとか
逃げ出せないように工夫したりしているのも
絞れるだけ搾り取るための条文で
民政家としてはあまり良いとは言えない気がしてきたな
320人間七七四年:2007/06/08(金) 00:13:04 ID:znGfLpoH
逃亡すると残った者に肩代わりさせられるんで、ますます逃亡者が増えるんでないだろうか?
それから話し合いにっていっても話す相手がいなくなったり。
321人間七七四年:2007/06/08(金) 00:15:09 ID:toeSQQdb
>>314
北条のは、目安箱と虎朱印。
虎朱印の無い命令には従う必要は一切無し、
それ以外で税を取ったり夫役をとった役人は直接小田原へ訴えろ、罰するから。

端折って書いたが、そんな感じ。
322人間七七四年:2007/06/08(金) 00:25:18 ID:j3o6Z2ux
>>320
逃亡者が出ると同じ村の人間に負担が来るから
逃亡者が出ないように村人が相互に監視しあい
法度で逃亡者は何処までも追いかけると規定し
よその土地から来た農民がいたら訴えるように通告して
逃げても掴まるようなシステム
逃げ出して掴まって村に戻された村人は村八分にされると
それが怖いから誰も逃げ出さない
若しくはみんなで相談して逃げるしかない
でもそのような相談していたら密告しろ黙っていたら同罪にすると

よくできたシステムだなと思う。
323人間七七四年:2007/06/08(金) 02:32:36 ID:hx6oirdX
いいバランスでうまくいってたんだろうな
あまりに過酷すぎても破綻するだろうし
324人間七七四年:2007/06/08(金) 09:51:30 ID:6RmDokjZ
>>314
>上杉の場合は、寺社のためとして諸役
このソースは?北条厨はどうしても北条家を民に優しい仁政家にしたいようだが・・・・・
325人間七七四年:2007/06/08(金) 11:30:15 ID:BMggeIXV
>>324
それのソースは書状として残っていたと思うけど、
>>314
武田だって寺社のためと称して税をかけていたと思うが
それとは違うの?

>>322
そのように効率的な収奪システムを構築したことは
善政では無いかもしれないけど統治者としては優秀であった証拠になると思う

>>323
そうだろうね、実際に厳しすぎて逃散が相次いだら限界が来て結局収入は減るだろうから、
徳川時代の貧農史観じゃないけど「民は生かさず殺さず絞れるだけ絞りきる」
みたいなバランスを保てていたけど、
永禄の終りみたいに飢饉などでバランスが崩れると逃散が相次いだり、
子どもを売りに出したりしていたんじゃないかと思う。
326人間七七四年:2007/06/08(金) 12:12:48 ID:QxA42um0
後北条は、他所から入ってきた支配者。初代早雲が減税に加えて薬の無料配布をしたことからわかるとおり、民政は重要な基盤整備手段だった
対して武田氏は伝統的支配階層。民心にさほど遠慮する必要性を覚えなかったんだろう
下克上組に、いわゆる「善政」が多いのは、そうしないといけないという背景があったからだろうね
327人間七七四年:2007/06/08(金) 12:25:15 ID:6RmDokjZ
>>324
その書状の名は?他人のフリして逃亡中の北条厨じゃないよな?
328人間七七四年:2007/06/08(金) 13:15:38 ID:tF+tPgK5
謙信の永禄12年5月の棟別銭徴収なら、本当に伊勢大神宮遷宮費に送ってるから、搾取とは又別なんじゃ?
まぁ、領民に迷惑なのは確かだが
329人間七七四年:2007/06/08(金) 13:24:06 ID:DIfeKy7F
謙信時代に破碇寸前の上杉の財政を回復させてるというのは確かに領民に負担を強いていたのかもしれないな
どう領民に負担を強いていたかなどは土豪領主連合体の上杉武田、官僚一元支配型の北条と収奪システムの違いがありそ
330人間七七四年:2007/06/08(金) 13:29:14 ID:tF+tPgK5
信玄の税制を見ると、特別税が異様に多いね
銭による徴収が盛んだった、ということは領国は貨幣経済の発展が著しかったのかな?
331人間七七四年:2007/06/08(金) 13:38:03 ID:tF+tPgK5
謙信の財源といえば、料所とした港湾からの収入だろうね
でも、税金かけすぎで府内や柏崎から領民が離散する事態になっている
この対策として老臣連署で諸役諸税免除が出されたけど、その条目は都合11ヶ条
つまりはそれだけ税金をかけていたということ
地子貢納、入港税、取引税、酒税に麹税、座役、売上税に茶税
北国らしく、雪対策のために夫役で壁を作らせてたっていうのもある
332人間七七四年:2007/06/08(金) 17:13:24 ID:kb7B8Z43
信玄は特別税が多いとか諸役諸税免除やらお前ら一体何者なんだ?
こんなとこでくすぶってないで表舞台いけよ。
333人間七七四年:2007/06/08(金) 23:31:38 ID:yht4UT2U
【風林火山】クマ川義元スレ【(´(ェ)`)】
http://live25.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1168659186/
334人間七七四年:2007/06/09(土) 17:18:24 ID:RD/OSdn5
信玄は過大評価されてるというか人気があるからそう見えるだけだと思う
毛利とか長宗我部とか島津とかその人生を映画や小説や漫画化してもいまいちつまらんから
人気がでないんだろうし、あんまりしないんだろうな〜
335人間七七四年:2007/06/09(土) 20:42:56 ID:iIvuxDq1
信玄は織田や徳川といった後の天下人が若い時代と関わっているし、
そこにドラマ性もあるしな。
関わった相手も上杉や北条と比較的一般人にも有名な相手だし。
毛利も長宗我部も島津も実績は大したものだけど相手が
あんまり一般には有名じゃないからなあ。話題性に乏しい。
336人間七七四年:2007/06/09(土) 22:44:15 ID:HCg4vJnk
そういえば、過去スレで
50城だか80城だかを落としたとかなんとか、て話があったのはこのスレだった?
結局あれ、どうなったの?
337人間七七四年:2007/06/09(土) 22:52:55 ID:/M/U7DBZ
武田厨の毒妄想と判明。武田厨と北条厨は戦国板での2大妄想勢力だからな。
次いで上杉、伊達、織田って所か。
338人間七七四年:2007/06/09(土) 23:02:16 ID:WBisXfic
>>336
厠のある建物=城という換算だった
339人間七七四年:2007/06/09(土) 23:34:18 ID:HSoTYryI
信虎が一日で佐久の城36を落としたのと同様
小規模中世の館などそういったものを含めれば50城落としているだろうけど
だから何?程度の扱いだった
340人間七七四年:2007/06/09(土) 23:37:26 ID:/M/U7DBZ
本人乙
341人間七七四年:2007/06/09(土) 23:39:46 ID:HCg4vJnk
>>338
>>339
ありがとう

そういうことだったのか
342人間七七四年:2007/06/10(日) 13:18:59 ID:fg7P8lXk
その50という数字も実際には陥とせてないものも数えてる水増しであるという話じゃなかった?
343人間七七四年:2007/06/12(火) 22:21:20 ID:mxLYf7tD
他の歴史板での愚痴を漏らすスレ
http://etc6.2ch.net/test/read.cgi/nanminhis/1172045056/
344人間七七四年:2007/06/17(日) 03:30:03 ID:NZsqhFju
このスレ読むと信玄って特別優れていたわけじゃないのか、
戦争に弱いということは知っていたけど、国内政治も創造の産物だったとは。
345人間七七四年:2007/06/17(日) 10:35:05 ID:uYpDewHJ
別に戦争に弱いというほどではないんだけどな。
なんだかんだいって勝ち星のほうが圧倒的に多いし領土も広げた。
国内政治も別に全てが創造ではないし業績はなんだかんだいって多い。
戦国大名としては一流の部類に十分入るだろうよ。
346人間七七四年:2007/06/17(日) 13:42:13 ID:Avvc7xxO
戦争も内政もトップクラスには遠いだろうけど
多くの大名が没落していく中、運に恵まれたとはいえ所領を5倍にしているのだから当然優秀

だいたい信長だって内政に関してはやってることは一般的だし
兵農分離なんてしていないし、ある程度の常備兵の整備は他の大名もしている
本拠地移転だって武田信虎織田信秀三好長慶といるし、家臣の集住だって同様
楽市楽座も斉藤六角今川と前例あるし、座のほとんどは安堵している
寺社の焼き討ちだって細川六角三好浅井朝倉もやっている、
そもそも寺社同士での焼き討ちの方が激しい気もする

内政において信長が優秀だった事は確かだろうけど、独創的革命家とまでいうのは創造の産物
347人間七七四年:2007/06/17(日) 13:42:38 ID:xUQmg/a6
信玄が弱い部類に入るなら大体の奴が弱い部類に入りそう
348人間七七四年:2007/06/17(日) 20:32:34 ID:7whKD6V7
所詮、比較の問題だからなー
349人間七七四年:2007/06/17(日) 22:09:10 ID:Qlo8wQr0
このスレ的には、強いが上洛は無理ってことでいいんだよな?
350人間七七四年:2007/06/18(月) 00:29:08 ID:vzSfRmAI
>>346
農民の固定は近江でやっとるだろう
351人間七七四年:2007/06/18(月) 06:09:25 ID:d3lpvJEu
>>349
強いっても講談や小説やゲームみたいに無敵じゃないがな。
十分強いのにつくりあげられた伝説があるから実物が弱くみえてしまうってのはあるなあ。
352人間七七四年:2007/06/18(月) 12:56:29 ID:rgOBr3bD
ま、氏康に比べたらカスみたいなもんだがな
353人間七七四年:2007/06/18(月) 13:22:55 ID:c8TWkadA
氏康は信玄に普通に小田原焼かれて駿河取られてるけどな。
354人間七七四年:2007/06/18(月) 14:03:19 ID:fc/MQujL
焼かれてっていうけど落ちてないじゃん
それどころか、信玄は支城すら落とせなかった
さらに駿河取られたのは没後だし
結局、氏康の健康不安と病没に助けられただけ
今川を裏切った時の信玄の情勢判断は甘いの一言
北条に根回しもしないわ、そんな状態でさらに徳川に騙まし討ちかますわ
この時期こそ信玄ボケてたんじゃない?
355人間七七四年:2007/06/18(月) 14:21:56 ID:c8TWkadA
あのー、氏康が生きている時点で武田に駿河はあらかた制圧されてるんだけど。
蒲原では一門の北条綱重とその弟が討ち取られ、深沢では北条きっての名将である
綱成が敗れている。他の城もあらかた攻略され氏康死去の時点で駿河にのこってる
のは興国寺城くらいだろ。これが氏康死んだ後の同盟で武田に引き渡される。
鉢形は一日ですぐに切り上げているし、
滝山では追い詰めて「犠牲を大きくしてはいけない」といって切り上げて
小田原に向かっているし普通にこの作戦自体が北条に対する牽制だろう。
小田原もろくに攻めないで三日ほど焼き払って引き上げているしな。
356人間七七四年:2007/06/18(月) 15:54:52 ID:tJecivXp
武田厨的発想ってすげーな
城攻めを撃退されたら負けと認めず牽制だーとか
笑えるを通り越して呆れるよ
そんなに慎重なら、信玄最初から裏切り連発なんて博打かまさないってばw
357人間七七四年:2007/06/18(月) 16:11:36 ID:CQKUMITD
マジレスするなら1569年の時点で北条側が駿河で持っていたのは蒲原城と
興国寺城などの駿河伊豆の国境の城ぐらいでしかないんだが
花沢城は1570年に北条が武田から奪ったのを取り返しただけ

>他の城もあらかた攻略され氏康死去の時点で駿河にのこってる
>のは興国寺城くらいだろ。
何でそんな誤解を招く書き方するのか分からないが今川残党を除けば
北条が直接支配していた城は蒲原城ぐらいでしかないのに、
上の書き方じゃまるで駿河の大半を最初から北条が支配していて、
それを武田が奪ったみたいに聞こえる。
358人間七七四年:2007/06/18(月) 16:44:56 ID:c8TWkadA
>>356
いやだって真面目に攻略する気にしては鉢形は一日しか攻めないで
滝山は三日。どちらもそれ以上攻めないでさっさと小田原に向かってる。
小田原だってろくに城を攻めないで焼き払ったらさっさと撤退している。
この流れで本気で攻略する気だったというほうが無理があると思うが。

>>357
>>花沢城は1570年に北条が武田から奪ったのを取り返しただけ
いや、それでいいじゃないか。普通に攻めて制圧してるのに何か問題でも?
深沢城だってちゃんと北条綱成が守っていただろう。
薩垂砦にも北条軍はいたはずでは?
さらに今川氏真は北条に対して今川領国を譲渡していたはずだけど。
これで北条が支配してないというのは無理だろう。
359人間七七四年:2007/06/18(月) 17:46:54 ID:CQKUMITD
間違えた
357の取り返したうんぬんは深沢城

>>358
それでいいって言うか
取ったり取られたりで北条と武田に限定するのであれば駿河方面は
氏康存命中はほとんど初期状態と変化していない

また今川領国を譲渡したといってもこの段階でも旧今川家臣の大半は武田についているし
360人間七七四年:2007/06/18(月) 18:05:06 ID:p6MfbtZ1
どっちの領民に生まれたい? で結論出ると思うよ
361人間七七四年:2007/06/18(月) 19:46:56 ID:c8TWkadA
>>359
初期状態ってどういう状態?武田が駿河に侵攻したときの状態?
信玄が一旦撤退した後駿河今川館をはじめとして取り返された城もあり
武田に服していない今川家臣残党も結構いたはずだけど。
花沢・大宮・徳一色の城に今川家臣がこもって補給をかく乱した事で
北条と対峙していた武田は苦労したらしい。
駿府一帯でも今川旧臣がゲリラ戦を展開して武田を苦しめている。
駿府今川館を守っていたのも今川家臣岡部だしな。
こういった敵勢力の存在する駿河をあらかた制圧しているのは評価できるだろう。
362人間七七四年:2007/06/18(月) 23:31:36 ID:rgOBr3bD
武田厨は監視しておかないと、すぐに捏造をするから困る。
今度は北条に対してか・・・・・やれやれ。
ま、北条ファンはレベル高いから捏造するだけ無駄だよwwwwwプ(ゲラwwwwwwwwwwwww
363人間七七四年:2007/06/18(月) 23:51:22 ID:c8TWkadA
いや、捏造じゃないっての。
364人間七七四年:2007/06/19(火) 00:02:42 ID:gyVwGBUW
1569年初夏ぐらいの武田が一旦引き上げた段階じゃ駿河で反武田は
安倍一揆、花沢徳一色など駿河西部のの今川旧臣、
駿府に入った岡部、興津に入った蒲原、大宮城の富士
あとは蒲原城の北条綱重ぐらいなんじゃ?
365人間七七四年:2007/06/19(火) 00:08:52 ID:gyVwGBUW
あと興国寺戸倉とか伊豆国境の元々北条領だったとこもか

東海道沿いにいくつか反武田勢力が残っているけど
北条の影響力の強い駿東の葛山でさえ武田に付いちゃっているのが・・・

大宮城以外は東海道沿いというより海岸線沿いと言う方が正しいか?
366人間七七四年:2007/06/19(火) 00:27:22 ID:gyVwGBUW
>>357
大宮城に関して言えば
冨士氏には氏政から感状が出されていたから北条氏に支配が移っていたんじゃないか?
残りはまあ氏真の指示とか勝手に行動みたいだが
367人間七七四年:2007/06/19(火) 08:14:52 ID:/QxATkBF
信玄の最大の自慢は、その幸運だろうな
生涯に重臣を纏めてうしない、自分も殺されかける大敗を何度も喫しながら生き残れる幸運
自分がかました裏切りで危地に陥りながら、相手方の不和や当主病没でそこから脱出できる幸運
極めつけは、内政・外交での失態は後世全て父や息子のせいにされ、自身は明らかに実績以上に神格化される幸運
運も実力のうち、というが実力を上回る幸運をこれほど得た武将も珍しいよ
普通なら戦下手、外交下手、所謂天下人三人のうち二人にまで卑劣な騙まし討ちをしかけた非道人とされてもおかしくないのに
368人間七七四年:2007/06/19(火) 11:22:52 ID:R3HvVt25
穴山小山田領に干渉している、板垣を粛清、重臣を纏めていないわけではない
大敗も何度もと言うほどではない
>極めつけは、内政・外交での失態は後世全て父や息子のせいにされ、自身は明らかに実績以上に神格化される幸運
ここは否定しがたいが
369人間七七四年:2007/06/19(火) 11:53:59 ID:2lZZ/qf9
>>368
生涯に重臣を纏めてうしない
生涯に重臣をまとめてうしない
生涯に重臣をまとめて失い

それはそれとして小山田領穴山領に干渉って具体的に何のこと?
370人間七七四年:2007/06/19(火) 11:55:48 ID:bxlxNYn9
生涯に二度も(上田原と川中島)敵の槍先にかけられかけたのに生き延びた稀有な武将
いずれも(少なくとも兵力では)優勢だったのに本陣まで敵に脅かされる醜態
勝ち戦とされる三増峠ですら一方の大将で一門である浅利以下九百を失っているし
(信玄贔屓のバイブル・軍鑑にさえ「ありゃ怪我の功名」と酷評される)
371人間七七四年:2007/06/20(水) 14:40:42 ID:I9g/JiIV
信玄は戦術指揮が苦手だったのかもね
個人武勇に優れていたって話しは無いし
大軍を擁して攻め潰すのは戦術の王道であって間違いではないが、その目論見が外れたら妙に脆い
372人間七七四年:2007/06/20(水) 18:41:08 ID:TNVhoihE
まぁどちらかと言うと城攻めが得意だったんだろ。
出てこない敵をネチネチ攻めて、降伏に至らしめるというのが好きなタイプ。
時には鉱山衆まで使って城内に攻め込むぞってだけで
本丸以外捨ててしまった城まであるようだから。
で、そういう人物が野戦するとなると、あちこちで想定外が起こる。
基本軍団で軍団を制圧すれば勝ちと思っているから、武将個人の強さは甘く見る。
結局動かない相手には強いけど、動く相手にはもうダメポってなりやすい。
後年の家康も大阪冬の陣では相手が出てこなかったのでスムーズだったが、
夏の陣では本陣がら空きこのまま切腹しようかってところまで追い詰められる。
起死回生の大将狙いってヤツには結構皆弱いって事。(成功例は少ないけどな)
373人間七七四年:2007/06/20(水) 21:13:21 ID:6zoPiPYT
まあ1575年あたりで
信玄対信長なら小牧長久手みたいな長期戦になるな 途中で信玄あぽん
374人間七七四年:2007/06/20(水) 21:31:46 ID:R14UOCkI

信玄の起死回生上洛7泊8日の旅 - 抽選で25000名様に大プレゼント
375人間七七四年:2007/06/20(水) 21:44:01 ID:e7Of6Ks0
費用は自弁になるからプレゼントじゃないw
376人間七七四年:2007/06/20(水) 22:21:16 ID:ZBzZfI11
ツアーに参加したら、添乗員が途中で理由も無いのに引き返すとか言い出した。
激しく問いただしても教えてくれない 最悪 騙された。
377人間七七四年:2007/06/21(木) 03:03:32 ID:kZcay7EN
>>372
城攻めはもっと苦手。
378人間七七四年:2007/06/22(金) 00:50:55 ID:z286eTTp
キチガイがいない日は盛り上がらないな
379人間七七四年:2007/06/22(金) 00:54:05 ID:h8VR9V7g
キチガイってどんな人?このスレには特にみあたらなそうだけど。
380人間七七四年:2007/06/22(金) 10:09:29 ID:s1BTyiTw
>>379
このスレ初めから全部読んだか?
メガトンていう救われがたいキチガイがいるじゃないか
381人間七七四年:2007/06/23(土) 09:21:41 ID:bO23YJBN
=======幸隆=======

=======勘助=======

春日=馬場=山県=内藤

飯富===板垣===甘利

=======諸積=======

控え
小山田(OH)
原(SH)
駒井(GK)
382人間七七四年:2007/06/23(土) 09:51:56 ID:bO23YJBN
1 飯富 中
2 小山田 遊
3 甘利 二
4 板垣 一
5 諸積 三
6 原 右
7 駒井 左
8 幸隆 捕
9 勘助 投
383人間七七四年:2007/06/23(土) 22:35:51 ID:PiFW4Rqx
監督・晴信
ヘッドコーチ・信繁

代打要員 馬場
セットアッパー 高坂
ストッパー 昌景
敗戦処理 穴山
384人間七七四年:2007/06/29(金) 01:27:52 ID:B3tIEq2X
何か話題は無いかのお
385人間七七四年:2007/06/29(金) 21:48:09 ID:tWmXHQ16
信玄が健康で、
尾張に攻め込んだとしたら、どんな戦いになったんだろうなぁ?
386人間七七四年:2007/06/29(金) 21:51:54 ID:g8t8Isto
信玄じゃボコられるだけじゃん?
387人間七七四年:2007/06/30(土) 14:52:18 ID:HIm7yauz
よっしゃーこれから上洛しますって言って
上洛できた人と出来なかった人の数ってどのくらいなの?
388人間七七四年:2007/06/30(土) 21:56:34 ID:q1CeW9qR
>>385
信長はあっさり尾張を放棄するかもしれんな
389人間七七四年:2007/07/01(日) 00:14:40 ID:3uqKqiin
無理やり上洛すればよかったんだ信長も来られたらピンチなんだし
家康に挟撃されそうだがさらに背後とってればおkと素人考え
390人間七七四年:2007/07/01(日) 00:49:24 ID:oXalIFw4
まぁ義元が勝てなかった相手に信玄が勝てるわけ無いという道理で。
信玄も自分の実力わかってたから慎重だったんだろ。
391人間七七四年:2007/07/01(日) 01:52:37 ID:DHe6vzoj
>>385
信玄が病死じゃなくて戦死になっただけだと思われる
392人間七七四年:2007/07/01(日) 02:43:12 ID:DvEDxmAs
無理矢理尾張に行ったら織田と徳川に挟撃されてあぼん。
しかも敵領のど真ん中だし無事に生きて帰れたかも疑わしい。
393人間七七四年:2007/07/01(日) 04:35:01 ID:DHe6vzoj
>>385
複数の小城で少しずつ兵力を削られたあげく包囲殲滅される
落とせそうで落とせないように城を防衛させておいて織田徳川連合軍に包囲殲滅されて終了
ゲリラ戦法取られて全滅
奥地まで引きずり込まれて鉄砲による一斉射撃により壊滅
以上が可能性の高い状況かね
可能性低い状況としては天皇を通じて休戦
まずありえない状況として信長敗死や尾張陥落
394人間七七四年:2007/07/01(日) 06:34:09 ID:+HZhNye+
>>385
いきなり尾張に攻め込んでも徳川に背後突かれたら信玄だろうが謙信だろうがあぼん
その前に徳川をしらみ潰しにしていたかどうかによると思われる
395人間七七四年:2007/07/01(日) 08:11:28 ID:vDovC3a3
普通に考えれば、無理に西進するより遠江を確実に抑えにかかるよな
396人間七七四年:2007/07/01(日) 08:49:30 ID:aQ/A0zzQ
挟撃てそんな無敵なんか
397人間七七四年:2007/07/01(日) 09:29:04 ID:7uOUsi/v
>>393
>>落とせそうで落とせないように城を防衛させておいて
これ難しくね?大軍相手じゃ全力でいかないと守れないだろ。
>>ゲリラ戦法取られて全滅
どうやんの?戦国時代に大名同士の戦いでゲリラ戦法で全滅した例ってあるかな。
>>奥地まで引きずり込まれて鉄砲による一斉射撃により壊滅
鉄砲による一斉射撃っていわれてもなあ。当時は火縄銃だし。
それで敵を壊滅させられるかというと疑問。長篠は野戦陣地と兵力差の存在が大きいし。
398人間七七四年:2007/07/01(日) 10:04:09 ID:DHe6vzoj
>>397
>>落とせそうで落とせないように(ry
城攻めの苦手な信玄相手だからこそ可能
知恵袋の真田幸隆も既に他界してた時期のはずだし

>>ゲリラ戦法
住民の煽動。信長自体は領民から友好的に見られてたっぽい事が公記にそれとなく書かれてた記憶があるし
妙法寺記見れば解るけど新支配地域の信玄の領民に対する統治は苛烈極まりない
うまく情報操作してしまえば自領の民衆は兵士として信玄に対する盾や矛と十分なりうる
難点としては領民が力を持ちすぎる事かも知れない

>>鉄砲による(ry
これに関しては適当に書いただけで根拠はない、正直スマンカッタ
一斉射撃に関わらず普通に引き入れて包囲殲滅はあり得る選択肢ではないかと思うけどね
一時的に浅井朝倉長島に押さえのみの兵を置き他全軍信玄に傾けてしまえばその戦法も取れなくもない
また、この時点での信長の行動を見る限りでは信長がこんな勝機を逃すはずもない

それに長々と遠征していて越後の坊主が黙っているかどうかも問題
399人間七七四年:2007/07/01(日) 10:55:47 ID:7uOUsi/v
>>399
変につっこみたいとかそういうわけじゃなくて
本当にただ意見交換したいだけなので気を悪くしないでほしい。
今あなたが気を悪くしてるという意味ではなく。

幸隆さんはまだ生きているよ。亡くなるのは1574年。
信玄ってそんなに城攻め苦手なほうかな?西上作戦でも結構城を攻略してるし。
敵が固く守る城ってやっぱり手ごわいよ。
信長を始めとする他の武将達も城攻めにはてこずっているし、信玄に隙を見せて守るのは
結構しんどいと思う。

しかし征服地の支配がある程度厳しくなるのは必然では?信玄に相対した敵の
ほぼ全員が住民扇動という手を使っていなかったと思うし、信長も生涯に苦境は
結構あったけど住民扇動を使っていないからそんなに使える手ではないのでは?
領民にしてみれば宗教的な理由や打算でもなければそこまでする義理はないのでは。

なるほど。確かに包囲殲滅の強力さは世界の戦史が示すとおりですな。
ただその場合決戦場がどこになるかが重要になると思う。地形によっては
包囲殲滅作戦はとれないし。その場合は睨みあいかな?

越後の坊主さんは信玄と結んだ一向一揆に絡みつかれてますな。越中攻防戦は
その後も続くし、織田が武田に力を集中してれば北陸の一揆勢ももっと頑張れるかな?
400人間七七四年:2007/07/01(日) 11:09:55 ID:ITaRXETR
武田と織田双方の機動力がどれほどのものかもここでいう尾張侵攻戦に絡むな
挟撃を喰らったら勝ち目は無いと書いたがその前に機動力で各個撃破を図るなら話は別となる
401人間七七四年:2007/07/01(日) 12:03:02 ID:w/1HVC4u
織田家の方が機動力が上のイメージあるなあ
実際岐阜から京へかかる日数を1日短縮とかやってるけど、
あれってただ交通整備をしたからなのかな?
402人間七七四年:2007/07/01(日) 12:33:37 ID:vDovC3a3
機動性以前の問題として、信玄の傾向からするとむしろ決戦は避けるんじゃない?
織田が出てきたらすんなり退却したかもよ
第四次川中島以来、信玄は決戦アレルギー的にガチンコを避けている
追いかけてくれば三増峠や三方原みたく戦うだろうけど
403人間七七四年:2007/07/01(日) 12:41:27 ID:ITaRXETR
でなくば隣の中国伝統の偽退却からの反転攻勢で壊滅を図るか
404人間七七四年:2007/07/01(日) 13:29:21 ID:f9liDYPm
織田の自由を制約するのが東美濃への侵攻じゃないのか?
まあ信玄がしたかったのはせいぜい遠江、三河での拠点確保、
更には尾張・美濃に橋頭堡を築く程度だったろうけど。

信玄の侵攻速度から考えれば織田との主力決戦は回避できるだろう。
雪解けとともに朝倉が南下する可能性があり東部戦線にばかり兵を集中できない。
まあそれを考慮して徳川に今は動くな、と信長は命じたんだろうけど。
どのみち主力決戦は双方に不利益しか生じせしめないだろうから回避したいだろうな。
405人間七七四年:2007/07/01(日) 14:26:08 ID:oXalIFw4
結論、無理
406人間七七四年:2007/07/01(日) 20:13:01 ID:DvEDxmAs
そんな結論はとっくにでてる。
407人間七七四年:2007/07/01(日) 21:34:39 ID:DHe6vzoj
信長は不利になったら天皇に泣きついて停戦を頼むだろうからどっちにせよ無理だろう
どっちにせよこの時代に天皇勅令を無視できる大名は居ないんだろうし
408人間七七四年:2007/07/02(月) 08:10:47 ID:NjXV0YwU
>>385
>信玄が健康で、
>尾張に攻め込んだとしたら、どんな戦いになったんだろうなぁ?
戦う前に補給で死ぬに一票。
409人間七七四年:2007/07/02(月) 12:45:35 ID:7Mn2ib7Q
信玄が生きていたら三方ヶ原の戦いのあと
あのまま浜松城を囲んで
家康をだしに信長をおびきだすだろうね

浜松城の中に押し入って
潰さなかったのはそのために見える

徳川を見捨てれば
織田家の名声は地に落ちる
そうすれば信玄が大好きな調略が万事上手くいく
既に織田家内部に内応者はいたらしいけど

家康が武田につくかどうかは不明だが
家康が武田になびくかもしれないのも含めて

あと三河遠江駿河の支配体制が盤石になれば
まず武田の鉄砲の量が飛躍的に増えるため
違う武田軍が見れたかもね

410人間七七四年:2007/07/02(月) 12:58:16 ID:7Mn2ib7Q
武田が徳川を攻略してしまったら
次は東美濃と三河から
岐阜と尾張に同時侵攻される

織田は援軍にくるしかない
しかし浅井や本願寺が健在でいる以上
武田相手に1万以上動員できない

これで信玄は常に相手より多い人数で戦える

死ななかったらあっという間だったかもね
411人間七七四年:2007/07/02(月) 13:42:44 ID:XJbHSdw3
>>409
信玄、まだ生きてたけど浜松囲まなかったじゃんか。
イフならイフとはっきりいってくれ。
412人間七七四年:2007/07/02(月) 13:59:36 ID:d/UDuQ5m
>>409
>>既に織田家内部に内応者はいたらしいけど
初耳だけど内応者って誰だ?

>>410
>>しかし浅井や本願寺が健在でいる以上
武田相手に1万以上動員できない

妄想書くのもいいが、テンプレくらいしっかり読もうな↓
>>8織田は
近江に浅井・朝倉への抑えとして木下、磯野で合計七千ほど、
江南の抑えと京へのにらみに八千ほど、
北伊勢への抑えと尾張の守備に五千ほど、
美濃では岩村への抑えに三千ほど抑えに置くとすれば、
(基本的な任務は守備、現状維持)
計算上は2万8千ほどを対武田に向けられるのでは?

お前が健在だという浅井さんの当時の状況↓(テンプレ>>9より)
●浅井
・近江…9.5〜14.5%(1850〜2825)
*伊香郡、高島郡の半分、浅井郡の小谷、山本山城しか残っていない。
高島郡はもう少し高いとみる説あり。これも考慮に入れた。
413人間七七四年:2007/07/02(月) 15:31:33 ID:i6EH6EgQ
浅井、朝倉は木下の二千で十分では
414人間七七四年:2007/07/02(月) 16:41:29 ID:ZH2IQGw3
今川攻めで約束反故にされた感じの徳川が武田になびくとかまずありえんと思う
信玄は浜松落とせるほどの城攻め上手ではないし、三方原の大敗で家康も慎重になって籠城するだろ
堅固な浜松城と家康ほどの武将が守ってる状況では流石に城攻めの名人でも手を焼くだろう
まして信玄では厳しいように思える
415人間七七四年:2007/07/02(月) 18:00:03 ID:8e2TEQVj
つーか信長の指示だと浜松城棄てて岡崎城に籠もれだったのにね
416人間七七四年:2007/07/02(月) 18:13:48 ID:L+pCY7vb
>>412
郡上郡の遠藤氏が武田と交渉を持っていた形跡があるそうです。ただこの手の
日和見勢力は、状況が決定的にならない限りはそうそう自主的には動かないと
思いますけどね。

朝倉は、浅井が攻められたときに援軍後詰としてしか出陣しないので、信長が
江北に出陣しなければ現状維持でいけるような。

本願寺はあるだけで、攻勢にはほとんど出てこないしねえ。史実では、十年に
およぶ石山戦争で本願寺が攻勢をかけたのは最初の野田・福嶋合戦の時と、後半の
天王寺合戦の二度しかない。直接包囲されて以降はともかく、それ以前は何を
していたのかと。
417人間七七四年:2007/07/03(火) 01:00:54 ID:vXZuNnrs
野田・福島の時に伊勢長島の門徒衆に尾張小木江城が囲まれて
信長の弟信興が自刃したのと、
朝倉滅亡後に加賀の一向一揆が越前へ侵攻したのもあるんじゃね?
四回でもまだ少ないとは思うけど。
418人間七七四年:2007/07/03(火) 02:05:11 ID:t/jU0CPS
やはり俺がおもった通りだった。信長の方が信玄より多く戦って、勝率は悪くても
引き分けが少なく、きっちり決着付ける。完全に相手を潰すことが勝利だと信長は
考えていたんだろうね。
419人間七七四年:2007/07/03(火) 02:20:39 ID:YMjhdzOD
>>417
それ、本願寺じゃあないですから。
420人間七七四年:2007/07/03(火) 06:13:52 ID:jvZupse9
>>414
徳川の母体はなびく事はまずないが勢力下の国人領主連中となると話は別だろうな
徳川のことよりまず自分とこの命を守らにゃならんし
421人間七七四年:2007/07/03(火) 09:41:52 ID:5j9G/4Fl
山家三方衆も一旦は武田に降ってるしな。このあたりには未だに菅沼姓が多いよ。
422人間七七四年:2007/07/03(火) 13:42:07 ID:9A6aZswG
初戦の徳川死者3000人 武田死者36人
を見ると信長もいけるんじゃないの?
423人間七七四年:2007/07/03(火) 14:28:45 ID:Pk5gzT8I
>>422
徳川が戦死者3000も出した戦いなんて武田との間にあったっけ?
424人間七七四年:2007/07/03(火) 17:55:23 ID:+bC4orTa
死傷者でないのか?
425人間七七四年:2007/07/03(火) 20:10:48 ID:3nrL44lb
まあ普通に考えて戦車とヘリ、マシンガンでも保有してない限り死者が3000対36なんてあり得ない
426人間七七四年:2007/07/03(火) 20:49:02 ID:qNISCvpb
戦国自衛隊の新シリーズですかw
427人間七七四年:2007/07/04(水) 08:02:02 ID:7LQxP8sa
第四次川中島での信玄主張の戦果が四千騎だが
対徳川では、そんな戦果宣伝ですら言った事ないぞ
428人間七七四年:2007/07/04(水) 09:05:26 ID:DIlKzl/V
500人で動揺が広がり、1000人死ねば、そこから潰走が始まってしまうのが当時だろ。
逆にそれだけの戦死者が出るまで良く支えられたと徳川の将を
褒めてやりたいぐらいだ。
429人間七七四年:2007/07/04(水) 23:30:30 ID:1tbDtaVb
1000人死ぬなんてとんでもない状況だろ。
大敗どころじゃねーや。
430人間七七四年:2007/07/05(木) 10:23:24 ID:eNz1iUdP
千で大被害てことは
数千死んだ長篠や川中島がどんな凄惨な戦いだったかよくわかるな
431人間七七四年:2007/07/05(木) 15:40:32 ID:qI9v1nr7
両方とも死傷者については諸説あるがな。
432名無し野電車区:2007/07/05(木) 20:33:29 ID:r+8TtPN9
山県・馬場・原も長篠で戦死しといて評価が高まったよね
一人だけ生き残っていても天正10年に城を戦わずして明け渡すか
織田徳川に寝返ったことは確実だろうからねえ。
長篠後も駿河探題で徳川の甲斐侵攻の先鋒を務め、
宇治田原で土民に襲われる山県だったとしたら
現代の評価はガタ落ちだっただろうね。
433人間七七四年:2007/07/05(木) 20:33:38 ID:XOCPEpPf
まぁ信玄の負けなんだけどな
434人間七七四年:2007/07/05(木) 21:07:56 ID:ediqeukB
435人間七七四年:2007/07/06(金) 18:34:17 ID:azOIJ0h4
お山の国の大将
436人間七七四年:2007/07/07(土) 15:00:53 ID:jeYQsEq9
じゃあ中井武田信玄はウソッパチだったのかな
武田上洛の時徳川は死者3000武田は36って言ってたが
まあ1000対36でもいいや
当時武田軍は徳川ともこんだけ差があるほど強かったんだろうし、
この時点では信長も長篠ほど鉄砲かき集めてなかろ?見込みもないのに上洛するかね?
437人間七七四年:2007/07/07(土) 15:17:38 ID:WmgxEke9
信玄にはあの時点では上洛するつもりなんてないだろ
徳川が野戦に付き合ってくれて勝利することが出来ただけでも御の字
438人間七七四年:2007/07/07(土) 20:49:51 ID:czgTZ9jo
常識的に考えて戦国時代の戦闘スタイルで死者が3千もしくは1千対36人なんてありえない
城攻めなら一方的にどちらかが勝つ事はあっても野戦では不可能
439人間七七四年:2007/07/08(日) 00:14:32 ID:hS+9ytpx
>>436
お前は長篠の戦いの勝因が鉄砲だとまだ信じてるのか?
25000対11000なんだから勝って当たり前で
=甲州兵1人は三河兵3人分に値する強さとかには決してならない
440人間七七四年:2007/07/08(日) 01:11:04 ID:271gqqQQ
>>436
小説を元にしたドラマに嘘っぱちも無いだろう。
441長門 ◆q8GdomS4XA :2007/07/08(日) 02:51:58 ID:guj7cIC0
信玄が笛の音色に誘われてきて銃で狙撃されて死んだ
って話しをたまに見るけどソースなんなの?
442宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c :2007/07/08(日) 03:01:06 ID:imHi/gZL
>>441
「松平記」じゃないか?
443人間七七四年:2007/07/08(日) 09:39:06 ID:OzjrNFt8
元ネタは知らないが黒澤の影武者に出てきて以降有名な話になったわな
444人間七七四年:2007/07/08(日) 10:07:16 ID:0sOaIXrD
孫引きだけど「松平記」と「貞享書上」らしい。
後者は野田城主菅沼の子孫が書いたもの。
この逸話自体には確証はないらしい。
445人間七七四年:2007/07/08(日) 11:20:49 ID:rPaaqI72
野田城に、信玄暗殺に使われた特大の火縄銃が残っているよ。
いつかTVでやってた。
446人間七七四年:2007/07/08(日) 12:01:33 ID:0sOaIXrD
いや、そういうのって大抵後で作られてたりするからなあ。
第一、逸話どおりなら銃を固定して暗闇に向けて撃ったわけだし
そもそも当たったのか、当たったとしてそれが信玄だったのか、とか
いろいろ問題があるわけで。
447人間七七四年:2007/07/08(日) 14:24:31 ID:JXmzdE7Z
>>441
僕の家にある街道物語、伊那街道という本にその話が書いてあるよ。
448人間七七四年:2007/07/08(日) 19:44:46 ID:qw6Cf2TP
信玄が天下統一してたら山梨も東京みたいに都会になってただろうなー

32歳山梨県民でした。
449人間七七四年:2007/07/08(日) 20:46:47 ID:3xXpcLUO
以上、今でも部落の山梨県民の皆さんでした
450人間七七四年:2007/07/08(日) 23:15:45 ID:gc3SFTQC
>>448
山梨には海もないし山ばっかりで交通の便も悪いから
天下とったらどうせ江戸とか小田原とか駿河に移動するから結局田舎じゃまいか。
岡崎や浜松は今でも田舎だしな。
451人間七七四年:2007/07/09(月) 10:48:37 ID:eh05qJCk
信玄は伊豆に本拠を構えたかったらしいな
452人間七七四年:2007/07/09(月) 10:54:51 ID:Ey29PjIB
海が見たいって奴か
453人間七七四年:2007/07/09(月) 12:56:17 ID:gTeOi3Q9
源氏の一派として堀越公方でも名乗る気だったのだろうか
454人間七七四年:2007/07/09(月) 22:11:44 ID:qMAFfM2B
>>445
もし、本気でやるなら、ありったけの火縄銃使って
命中率あげるのがスジじゃないの?

当時の火縄銃なんて命中率なんぞ大して期待できないし
455人間七七四年:2007/07/10(火) 08:39:40 ID:wdTTL7lw
でも信長だって杉谷某に狙撃されたことあるぞ
ギリギリ外れたけど
456人間七七四年:2007/07/10(火) 10:18:32 ID:ymDEZXD1
なんでギリギリって解るの?
弾丸が見えた?
457人間七七四年:2007/07/10(火) 10:56:49 ID:9Y1yyzaE
袖をかすった(or 貫いた)んじゃなかったか
458人間七七四年:2007/07/10(火) 12:08:06 ID:0Istod90
信長はしょっちゅう撃たれてるイメージがある
なんてしぶとい奴だ
459人間七七四年:2007/07/10(火) 12:24:50 ID:uVd78HhA
>>456
信長公記に載ってるからチェックしてみ
460人間七七四年:2007/07/10(火) 15:28:34 ID:/y8/p8Bp
>>454
笛の音で、信玄が近くに来るように仕向けたそうだ

それと、野田城に残る銃は、遠距離用の特大製
461人間七七四年:2007/07/10(火) 16:09:27 ID:OP8eO0nP
たぶん信玄狙撃が可能な火縄は威力も命中率も高い大鉄砲あたりか
狙撃銃…大鉄砲の普及率は73年時点ではどれほどのものだったのだろう?
462人間七七四年:2007/07/10(火) 16:41:14 ID:UAQCZcz3
ていうか、撃ったのは夜だろ?狙撃できるのか?
固定して撃ったとしても命中するとは考えにくいと思うが。
463人間七七四年:2007/07/10(火) 18:36:43 ID:GlpFUoaV
信玄暗殺は狙撃ではなく可愛らしい間者小姓だったんだと言ってみる
464人間七七四年:2007/07/10(火) 19:00:46 ID:OP8eO0nP
美少年の忍者たん
465人間七七四年:2007/07/11(水) 13:50:42 ID:okrIrXIl
しかも女


ってこんな話はいいw
466人間七七四年:2007/07/13(金) 02:54:17 ID:Sldcuk8S
>>456
馬にあたったんじゃまいか
467人間七七四年:2007/07/13(金) 09:22:57 ID:miM7uGaC
>>458
総大将が徒歩ってワケにもいかんだろ。
武田の家臣にも「馬上は標的になりますから下馬してください」と
言われたが、聞き入れず狙撃されて死んだというヤツもいるくらいだし。
468人間七七四年:2007/07/13(金) 10:18:22 ID:DtFcBvZq
浅利信種ですな。惜しい人物だった。
469人間七七四年:2007/07/13(金) 11:41:03 ID:/8yIDM1Z
江戸時代の砲術家は、だいたい27メートル離れた黒点を狙って訓練してたそうだから
戦国期でもスナイパー的な技術者はいたんじゃないの?
470人間七七四年:2007/07/13(金) 15:16:51 ID:yaXwyxYE
いただろうが、鉄砲の性能の問題で同じ所に命中はしなかったと思うよ
471人間七七四年:2007/07/13(金) 20:52:08 ID:7mLMfHnP
狙って特定の人物に当てることは出来るが
致命傷になる部位に当たるかどうかは運次第
くらいの感じなんだろうね
472人間七七四年:2007/07/14(土) 15:14:06 ID:6tzJguXM
そこで弾丸に唐辛子ですよ
473人間七七四年:2007/07/15(日) 08:46:54 ID:HsHFzbqO
信長は殺せても鉄砲如きで信玄を殺せるわけねーだろ。
流石信長厨だなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
474人間七七四年:2007/07/15(日) 10:27:24 ID:b6l/OT96
ですよねーw
475人間七七四年:2007/07/15(日) 11:05:48 ID:5DEOmcmz
信長は鉄砲で死んでないから信長は殺せないな
さすが信玄厨、論理展開が超級過ぎて凡人の漏れにはついていけない
476人間七七四年:2007/07/15(日) 11:51:14 ID:KaEvT/7i
>>473
信玄は鉄砲の弾食らっても死なない特殊訓練でも受けていたのかw?
477人間七七四年:2007/07/15(日) 15:10:11 ID:yBXl2RES
信玄が剃髪したのは頭にあたっても弾を滑らせるためだし
信玄に鉄砲など通用しないのは明白wwwwwwwwwwww


ってことだろう?
478人間七七四年:2007/07/15(日) 23:08:50 ID:Ib/6a6Oy
信玄はチタンでできてるんだお。
479人間七七四年:2007/07/15(日) 23:12:25 ID:bo1sx/ET
信玄にはザクマシンガンが通用しない
この目で見たんだ、間違いない
480人間七七四年:2007/07/16(月) 16:19:41 ID:C2pXRs2s
はっ!ガンダリウム合金だったのか!
481人間七七四年:2007/07/16(月) 19:28:01 ID:kzn6JIf9
衆道合金だったに違いない
刀剣や矢、銃弾では傷も付かないがガチムチの六尺兄貴の激しい攻めには実に脆い合金
482人間七七四年:2007/07/18(水) 08:51:26 ID:O6QOfvAg
信玄贔屓の甲陽軍鑑ですら
「武田家は略奪のお陰で豊かになり強くなった。国もそのために富んだ」
と書いてある
武田=山賊集団を組織化したもの
というのは当時からかなり流布していた認識
神格化は江戸期の政治事情から出た後発の創作
483人間七七四年:2007/07/18(水) 09:43:40 ID:aZUr4KXM
当時は略奪はありふれたもの。
484人間七七四年:2007/07/18(水) 11:54:30 ID:10YaseFc
でも略奪で国が豊かになるレベルってちょっと他に聞かないぞ
やっぱり武田の略奪は凄い略奪
妙法寺記にも「これほどの略奪はありえないだろう」とか書かれてるし
狙われた側は良い迷惑だ
あと、武田の軍制が自弁から進歩しなかったのも略奪に頼る原因だろうね
せいぜい武田家が高い利子で貸し出す程度だから、略奪に失敗すると貧しいスパイラルに陥る
485人間七七四年:2007/07/18(水) 15:46:00 ID:l8zxVv2x
他国が蓄えた財や土地の人間を山から出てきて奪い去っていく
山賊の大親分みたいなものだな
486人間七七四年:2007/07/18(水) 16:57:43 ID:aZUr4KXM
他の軍隊も略奪はよくやってる。上杉とか島津とかはその中でも凄いよ。
織豊系大名の仙石も略奪を九州で普通にやってる。
信玄の略奪で豊かになったとかいうのはもともと甲斐が飢饉や自然災害に
悩まされていた事から略奪をするとその補填ができるというのもあるから。
自弁も戦国時代じゃ普通のこと。
487人間七七四年:2007/07/18(水) 21:33:39 ID:Ld/AqInk
刈り入れ時の田畑を潰す青田刈りとか当たり前だったしこの時代戦国大名はどこでも
略奪人買いなどで生計立てる焼き畑農業的なやりくりは多かったと思う
そりゃそんなことが日常的な時代では生産力も落ちるだろうな
488人間七七四年:2007/07/18(水) 22:58:37 ID:4YBuBJIj
上杉家に行った武田氏の子孫は現在まで、信玄の男系を維持してるの?
龍芳の子孫は残念ながら養子入りまくりだけど
489人間七七四年:2007/07/19(木) 10:52:36 ID:t4AuPewE
>>486
それは史料によって証明されたことなのか?
それとも信玄以下が戦国期でも特出の問題児集団だと認めたくないからひねり出した妄想か?w
490人間七七四年:2007/07/19(木) 17:02:32 ID:14nLW8DV
>>489
島津の略奪についてはフロイスの日本史にあるね。
大友領土では酷い人身売買や略奪が行われたらしい。
仙石も大友領土で派手にやったようだ。
上杉に関しては有名な話だと思ったけど。
北条が長尾・関東連合軍に国中乱入されて人民退転の危機に陥ったと述べているな。
武田に関しては妙法寺記では連年のように甲斐で自然災害が発生してるのが
見てとれる。武田の軍役などの負担に民衆があえぎながらも戦争に参加し続けたのは
戦争による利得を目当てとし、それによって武田の覇権が支持されたと平山氏は
説を唱えている。信長も犬山や岩倉とかで城下を焼き討ちして裸城にしてる。
家康も武田との戦いで苅田をやってるな。
491人間七七四年:2007/07/19(木) 23:57:29 ID:0XBoS2Du
大友はキリシタンで島津は非キリシタンだからフロイスの記述は
割り引いて見る必要があると思う
492人間七七四年:2007/07/20(金) 00:19:51 ID:dCBOd0rM
キリシタンの拠点でもあった大友の本拠兼貿易都市府内が島津の侵攻で壊滅したことは事実らしいがな
イエズス会の外国人宣教師という視点で見る以上完全に公平な視点で見ているというわけでもないのは同意だが
493人間七七四年:2007/07/20(金) 01:01:06 ID:LDhY65tq
>>490
島津については有名だが上杉のは尾ひれの付いた2ch情報でしかないがなw
アレだ、武田が山賊王だと寝言ホザいてんのと同レベルなんだよ。お前もな
494人間七七四年:2007/07/20(金) 01:05:26 ID:XeWfE0iK
>>493
武田を山賊王と言い出したのはあんたじゃないのか?
>>489とは違う人なのか?
それと上杉については普通に北条の書状にでてくるんだけどな。
2ch情報じゃないよ。
495人間七七四年:2007/07/20(金) 02:54:40 ID:lYKTjWwY
どこで見たんだったか、
織田徳川連合軍が、京入りしたときに
かなりハデな略奪をやったっていう話があったな。
2度はやらなかったらしいが。
496人間七七四年:2007/07/20(金) 02:56:37 ID:lYKTjWwY
少なくとも、古代から現代でさえ
軍隊というものは、そういう事を普通にやってきてる歴史があるわけだから
略奪は、普通の事だと思うがね。
497人間七七四年:2007/07/20(金) 02:58:20 ID:ZJxUfXjd
上杉が関東から農民をさらって行って、越後の荒地を開墾させたのは、
俺の友人がその農民の子孫の一人だから、間違いないんじゃないかな。
又、南蛮人に奴隷を売ったという話はいつか京都新聞に出てた。
498人間七七四年:2007/07/20(金) 07:57:33 ID:+N0jXvBN
問題は、武田に限ってはっきりと「略奪で国が豊かになり、軍隊まで装備が良くなった」と書いてあることだろう
略奪を武田だけがやってたなんて、それこそ山賊王呼ばわりする奴すら言ってない
酷さが悪質な軍鑑でさえ(マンセー風味とはいえw)載せている
妙法寺記もしかり
それが何より雄弁に表わしてしまっているからな
499人間七七四年:2007/07/20(金) 09:27:40 ID:XeWfE0iK
>>498
いや、その理由は>>490にあるように飢饉や自然災害からの
補填が出来るということで甲斐の領民達にはありがたかったために
歓迎された、というのが平山氏の説だよ。
比較的豊かな所が略奪品を得るのと自然災害とかで苦しんでる
貧しい所が略奪品を得るのでは量が仮に同じでもその影響もうれしさも違うだろ。
500人間七七四年:2007/07/20(金) 12:16:43 ID:F0Ms9tLy
飢餓に同じように悩まされたはずの北条氏は大名家が動員兵に兵糧を支給しているがな
武田信者にはキツイ史実だろうけども、認めなきゃ!
501人間七七四年:2007/07/20(金) 12:38:10 ID:XeWfE0iK
関東の土地は基本的に豊かだしね。武田だって貸し出しはやってるし
北条の例でもって特に武田を後進的とかするのは無理だろう。
502人間七七四年:2007/07/20(金) 14:11:05 ID:GTswu10H
貸し出しっつっても臨時、かつ年三割程度の利息だぞ(長野攻め後の例)
これで北条と同一視は乱暴すぎる
武田が略奪依存体質だったことは事実でしょ
武田贔屓の史料すら認めてるわけだから
503人間七七四年:2007/07/20(金) 15:12:36 ID:XeWfE0iK
武田は戦争において自弁、だよ。大抵の大名においても見られる普通のね。
そしてその結果として得られる略奪品が土地の事情とかもあって他の大名より
ありがたがられた、という話だよ。それだけに依存してたわけじゃないよ。
504人間七七四年:2007/07/20(金) 16:42:42 ID:zbz3UrGT
でた!自弁厨w
505人間七七四年:2007/07/20(金) 16:44:32 ID:XeWfE0iK
いや、厨というか実際そうなんだってw
506人間七七四年:2007/07/20(金) 16:45:59 ID:LJq0uP5E
それだけ甲斐が貧しい国だったんだな
陸路だけしか交通手段が無いから入ってくる品物にも限度があるだろうし
持ち込んでも買い手が付かなきゃ持込み自体も少なくなる
507人間七七四年:2007/07/20(金) 20:30:54 ID:fvNrjYy+
また「貧しい甲斐の国で不利な状況にも関わらず信玄最強でスゲー」厨か。
この前は信玄公の鉱山開発の自慢してたじゃないか
508人間七七四年:2007/07/20(金) 20:39:02 ID:LJq0uP5E
別に「スゲー」なんて一言も書いてないでしょうよ
何を必死になってるんだが・・・。
509人間七七四年:2007/07/20(金) 20:39:24 ID:XeWfE0iK
いや、別に最強なんていってないよ。
むしろこっちは貧しいから略奪依存とかいうのは否定。
いろいろ信玄はやったけど、それでも自然災害や飢饉に悩まされる
土地としての貧しさから略奪品はありがたがられたというだけの話。
鉱山のことをいうなら略奪依存といってる人にもなんとかいってやってくれ。
510人間七七四年:2007/07/20(金) 21:00:23 ID:fvNrjYy+
別に略奪いいんじゃないの、ほとんどの大名がやってたんだし。
自称正義の味方の謙信も略奪強姦虐殺が趣味だしな
511人間七七四年:2007/07/20(金) 21:10:23 ID:XeWfE0iK
>>510
いや、そりゃ略奪は別に否定しないよ。
貴方の言うとおりほとんどの大名がやってるというのも同意見。
上から続いていた争点は信玄の略奪をもって山賊王のように扱ってよいのか、
という事であって、信玄はちゃんと略奪以外にもいろいろやっていたし
略奪において戦国時代屈指の問題児集団じゃあないだろ、という事。
512人間七七四年:2007/07/20(金) 22:41:00 ID:wpjEmYcj
略奪が普通の事なら後ろめたく思う必要が無いでしょ?
むしろ、略奪をがんばった事を武田軍の誇りとするべきじゃないの?
513人間七七四年:2007/07/20(金) 22:56:16 ID:XeWfE0iK
>>512
いや、そういう風に誉めてくれるのはうれしいけどさ。
上での争点では略奪依存であったかどうかも問題になっていて
それは違う、といわざるをえない。
さらに他の大名も略奪を普通にやっている事から「どうだ戦国屈指の略奪だぜ!」
といえたものかどうか。
まあ、軍鑑や妙法寺記からも略奪を得られるというのはいいことであったと
とらえられていたみたいだけどね。略奪のすさまじさとかではやっぱり島津とかの
ほうが凄く感じられてしまうんだよなあ。
514人間七七四年:2007/07/20(金) 23:07:51 ID:XeWfE0iK
言わせてもらえるなら、信玄の略奪が喜ばれた、それで豊かになったというのは
そりゃ武田軍もやる事やっただろうが、甲斐という貧しい土地からの
相対性に起因するんじゃないかな、と。
信玄も金山開発を始めとしていろいろやっているけど、基本的に山国で飢饉や自然災害に
悩まされていた貧しい国では略奪品のありがたさが他所とは違う。
別に戦国最高の略奪じゃなくても、貧しい山国では略奪品を得ることによって
大きく喜んでもらえたし、生活を良くすることもできただろうよ。
515人間七七四年:2007/07/21(土) 01:44:56 ID:00QLFdo9
しかし、甲斐が豊かになるほどの略奪をやったら、やられたほうは一気に貧しくなって、長く恨みが残るんじゃないかな
516人間七七四年:2007/07/21(土) 02:46:37 ID:zj483crd
実際、今年の大河ドラマに関しても
恨みを忘れるな、的な運動をしてる地域があったはずだな。

ただ、略奪って、取る方が悪いというより
略奪から領民を守れない糞領主の方が咎められるらしい。
つまり、その土地の領主は頼りがいの無い糞ですよ。こちらに早く付きなさい
というメッセージにもなるようだ。

まぁ、略奪を行う事は常識だったわけだから、守れるかどうかに目が行くのは当然の考え方だけど。
517人間七七四年:2007/07/21(土) 08:58:43 ID:uPyFtnbe
謙信が来る度に極少領土になっていた北条と直轄地が少ないながらも甲斐一国の
経営をしていた武田を同等に扱って欲しくはないな。
里見や関東中の豪族から略奪すれば領民少ねーし、そりゃ安い年貢でも経営できるよな。

北条厨はアレだな、なんとしてでも蛆安を『領民思いの仁君』に武田を『略奪大好き蛮族王』にしたいわけなんだよな。
518人間七七四年:2007/07/21(土) 09:08:44 ID:FNG5gJF/
武田って後世のマンセーがなければ、約束破り連発・略奪魔(略奪婚姻含む)の悪魔軍団として語られてもおかしくないよなー
519人間七七四年:2007/07/21(土) 09:11:32 ID:LHLaRV2g
同じく略奪するにも徴兵された農民の憂さ晴らし程度にするのと国が豊になるほどするのとじゃ全然違うけどね。
520人間七七四年:2007/07/21(土) 10:32:56 ID:XdOuL66T
>>518
それいったら戦国時代は悪魔の軍団だらけ。
>>519
>>513>>514を見てね。他の大名も憂さ晴らし程度なんてもんじゃないんだけど。
521人間七七四年:2007/07/21(土) 11:25:28 ID:Fn1rNC1q
さすがに当主と幹部が揃って略奪婚に及んだ大名家は他にないぜ?
(信虎期、勝頼期では見られないから、信玄特有か?)
だいたい史料ならともかく、武田厨の主観レス読まされても納得できるわけがない
武田びいきの史料からでさえ、武田軍の略奪等の凄まじさは証明されているわけだから
522人間七七四年:2007/07/21(土) 11:38:37 ID:XdOuL66T
いや、だからさ、島津や上杉もすごいっていってるやん。
略奪婚っていうなら大友宗麟とかすごいよ。
「甲斐は飢饉や自然災害に毎年のように悩まされ(妙法寺記)、
信玄が戦闘で勝ち略奪品を得ることで苦しい時代を生き残る財を得ることが出来
それによって武田の覇権は容認された」というのは平山氏の説だよ。
523人間七七四年:2007/07/21(土) 11:39:36 ID:lkGl7akk
飢饉は関東一帯をも襲ったんだろう?
だったらいくら略奪したって他の地方も苦しいんだから
「軍が強くなるほど」とか「国が豊かに」なるほどっていうのは無理があるんじゃ?
それとも武田が略奪したのは緊急避難や兵士の憂さ晴らしとかじゃなく、常態だったってこと?
524人間七七四年:2007/07/21(土) 11:40:37 ID:lkGl7akk
>>522
具体的な史料出さないと、多分
「武田厨必死(プゲラ」で終わると思う
宗麟一人=信玄と幹部(恐らく小山田とか秋山のことだろうけど)じゃあ苦し紛れにしか見えない
525人間七七四年:2007/07/21(土) 12:19:07 ID:XdOuL66T
>>523と>>524
まず前提として戦国時代の状況について、だけどさ。
近年注目されているのは海水準曲線からの時代の気候調査。
山本武夫氏はフェアブリッジ教授の海水準曲線の研究を引用しているのだが、
気候の温暖化によって海水面がもっとも上昇したのは1110年ごろ。
日本ではここから中世への移行がはじまっていく。そしてそれ以後海水面は
低下を続け、15、16世紀、つまり戦国時代に寒冷期の極点を迎える。
これにより飢饉や災害が発生し、それの克服の意味もあって戦国大名は各地に進出する。
そして16世紀末から海水面は急速に上昇し気候が安定していき、それに伴って
日本から戦乱が消えていく、という時代理解が最近では定着しつつある。
平山氏はこれに加えて戦国大名たちが出兵していくサイクルを中世人の死者が集中する
端境期によく行われていることを単なる戦略的問題にとどまらない、としている。
藤木氏などによれば謙信は端境期を乗り切る為に出兵を行うことが多かったとされる。
武田氏においては出兵が7月から11月にかけての稲が成熟し収穫されるシーズンに合致する
事が多い事から妙法寺記などに示される連年の自然災害を克服し、信虎時代からの疲弊や
貧しい土壌を克服する為に対外戦争に打って出たと平山氏は説を唱えている。
何がいいたいかというと戦国時代においては豊かな地域はともかく多かれ少なかれ、
戦国大名には略奪戦争をする理由があったということであり、
特に武田のだけをもって酷くいうにはあたらない、という事なんだけど。
526人間七七四年:2007/07/21(土) 23:00:22 ID:46sWSTy3
国を豊かにするというほどの略奪と
その程度の略奪はみなやっていて武田だけが特に酷いわけではないというのは
両立しないと思うのだが

多くの大名が一国の経済水準を変えるほどの経済基盤を他所からの略奪に求めるのであれば
略奪による生活基盤の破壊によって日本全体としては経済力が低下していくと思う。
527人間七七四年:2007/07/21(土) 23:15:35 ID:SVTmebck
大友や島津も酷い略奪を行っているとしてもだからと言って
「これくらいの略奪は特別じゃない」とは言えない。
精々「武田だけと言うわけじゃない」と言うだけだ。

「クラスのみんながシャーペン持っているから買って」と母親にねだり
母親に「誰が持っているのって誰?」と聞かれて
「A子ちゃんとB子ちゃん」と答え
「二人だけじゃないの」と怒られる小1レベルの言い分。
528人間七七四年:2007/07/21(土) 23:16:25 ID:SVTmebck
X:母親に「誰が持っているのって誰?」と聞かれて
○:母親に「誰が持っているの?」と聞かれて
529人間七七四年:2007/07/21(土) 23:16:40 ID:uPyFtnbe
>>525
上杉混ぜてる辺り必死な武田厨を演じている北条厨ってとこか。
526で指摘されているが言ってる事が滅茶苦茶。意図的に武田ファンを陥れ様としているにしか思えん。
530人間七七四年:2007/07/21(土) 23:28:20 ID:XdOuL66T
なんだか随分ないわれようだね。別に俺が特殊な事をいってるわけじゃなくて
学説を紹介しただけ。
>>526
その国を豊かに、というのが貧しい地域であるが故の相対性じゃないとはいえまいよ。
それに一地方から略奪をしても大抵はそこを領国に編入する。そうすればもはや
そこは略奪にさらされることはなく、むしろ今度は略奪をする側に回るわけだ。
さらには上杉の略奪攻勢に何度もさらされた北条が結局経済力低下を招かなかったのは
どう思う?そんなに簡単に国土全体の経済力低下は現れるわけではないだろうし
大抵は領国に編入される事から上記にあげたように今度は逆に狩る側に回るわけだ。
そしてまた次の土地、次の土地、と戦いがつづいていくわけだ。
531人間七七四年:2007/07/21(土) 23:32:18 ID:XdOuL66T
>>527
国が略奪で豊かになったというが、それは別に他の土地でも行われていて
略奪をする事によって略奪をする以前よりは豊かになっただろう。
武田はもともと甲斐が貧しかったのだし略奪の重みも違うだろう。
第一もともとは武田を戦国の山賊王みたいな言い方をしてたのではないのか?
だったら他にそれ以上の事をやってる存在がいる事で少なくとも武田を
山賊王とは呼べまいよ。
532人間七七四年:2007/07/21(土) 23:33:37 ID:XdOuL66T
>>529
そうかい。俺は別に武田を貶めてるつもりはないよ。
この問題について
武田ファンとして君の納得のいく見解を教えてくれるとありがたいのだけど。
533人間七七四年:2007/07/22(日) 01:48:15 ID:7JSNn8lO
>>530
その学説と武田の略奪が酷いわけじゃないと言うつながりの意味が分からないな。
他でも多かれ少なかれ行われているから?
なにそれ。
534人間七七四年:2007/07/22(日) 08:46:02 ID:nRIfKbQu
>>532
長文で煙に巻こうとしているだけで、君が学説を用いた根拠は単純。

他の大名も略奪をしていタ!だから武田の略奪は綺麗な略奪!

君の意図はこれなんだよ。君自身分かってないのかな?
それじゃ武田がフルボッコされるだけ。君はマゾなのかな?なら何も言わないよ。
ただね、他の武田ファンまで基地外に思われるのは迷惑なんだよ。その辺、メガ豚と君は同類なんだな。
535人間七七四年:2007/07/22(日) 09:48:19 ID:yHKeRIbW
>>533
だから、時代状況として略奪は各地で行われていた。
武田の略奪もその中にある。そして妙法寺記にあるように貧しい土壌から
くる相対性で武田は略奪の重みが他よりあり、国が豊かになったというのも
その範疇で捉えられるものでは、といいたかったのだけど。
>>534
ふむ。それでは君は武田は略奪をしてなかったといいたいのかな?
当時は時代状況として略奪がよく行われる下地があったのは事実なのだけど。
まあ、俺のレスが他の武田ファンを貶めるというならこの問題について
これ以上レスはしない。君がこの問題について武田ファンの名誉を傷つける事なく
相手を論破してくれるのを楽しみに見させてもらおう。
536人間七七四年:2007/07/22(日) 11:06:50 ID:UXZ2aPiw
しかし同地方の勢力で、「略奪のお陰で国が豊かに〜」という話はないでしょ
時代の前後まで含めても
相対的とかいう話ではないんじゃないの?
武田だけが突出しているのは事実だから
もっとも、軍鑑の記述については甲州流軍学の宣伝のための捏造が多いから
「智将は敵に喰む」孫子以来の方式を大袈裟に喧伝したかっただけかもしれんがw
537人間七七四年:2007/07/22(日) 11:27:43 ID:PJSRf4k6
>>515
家康が信玄スキーなせいで徳川が武田よりになってる気がするが
信玄の三河攻めではそこらじゅうの寺社仏閣が焼き払われたらしい。
三河の一般人にとってはdでもない侵略者だったろうな。
538人間七七四年:2007/07/22(日) 11:45:38 ID:UXZ2aPiw
軍鑑いわく、「徳川に敵対せず縁者にして先鋒にしていたら、九州中国まで征服できた」
実際に徳川を縁者にして、先鋒を任せたこともある織田でさえ中国がせいぜいだったのに……
いかにも徳川天下様時代を背景にしているよ
539人間七七四年:2007/07/22(日) 12:17:28 ID:7JSNn8lO
>>535
甲斐が貧しかったのは事実だが、
「甲斐は貧しかったので略奪で豊かにあったと言っても実際はたいしたことは無い」
と言うのは君の勝手な思い込みだろ。
どうして自分の勝手な思い込みで他の人間を納得させられる思うのかが不思議。
540人間七七四年:2007/07/22(日) 12:47:27 ID:yHKeRIbW
>>539
とりあえず最後にここは答えておくけど
俺は別に大したことがなかったとはいってないさ。
ただ他にも略奪を激しく行った大名はいるし、略奪で豊かになったというのも
貧しい甲斐から来る相対性は無論あったろう、というだけの話。
甲陽軍鑑については当てにならないとか武田信者の同人誌とかいう扱いをよくこの板では
聞くのに、どうしてここでは割り引きが行われないのか疑問。
もともと武田を山賊王扱いする人に対する反論から始まった事だし、武田が略奪をしていた
事自体は別に否定してないよ。
まあ、これ以上俺がレスをすると武田ファンの名誉を傷つけるらしいので後は>>534の人とでも
議論をしてください。
541人間七七四年:2007/07/22(日) 13:04:31 ID:pb9eiT6p
どうみても山賊王じゃん
山賊がたくさんいる中でも凄いから王なんだよw
542人間七七四年:2007/07/22(日) 13:27:45 ID:R09cvCZC
マンセー記事のマンセー部分は
無視もしくは相当の割り引きが必要だが
マンセー記事のネガティブ部分は
事実・真実であると考えるのが自然。
それでも割り引いてる部分が多いから実際はもっと非道いと考える必要がある。
543人間七七四年:2007/07/22(日) 13:37:59 ID:yHKeRIbW
当時において略奪は別にネガティブじゃないよ。
略奪は妙法寺記でも普通に手柄、と扱われているし。
これから外出もしますので本当にこれでおしまいにします。
後は皆さん頑張って。
544人間七七四年:2007/07/22(日) 14:42:36 ID:Zoa31PF1
>>540

>甲陽軍鑑については当てにならないとか武田信者の同人誌とかいう扱いをよくこの板では
聞くのに、どうしてここでは割り引きが行われないのか疑問。

てあったから
>>542
を書いたんだけどね、割り引き云々、て書いてあったから
545人間七七四年:2007/07/22(日) 16:01:37 ID:talP7GrB
妙法寺記という一級史料と符号するからじゃないの?
軍鑑単体なら、さすがに信じる人間はもっと少ないはず
無論、武田厨が必死なので面白がってやってる奴は除く話だがw
546人間七七四年:2007/07/22(日) 16:58:52 ID:BfggD4gp
甲斐が相対的に貧しいからと言ってる人もいるみたいだが
信玄の侵略先もかなりの期間、あまり豊かとは言えない信濃であったから
その信濃からの略奪によって国を豊かにするとなると
やっぱし略奪された側が生きていくことが困難になるような滅茶苦茶酷い略奪と言うことになるんじゃないか
自然災害飢饉は甲斐に限らず全国一緒だし。
こう考えると信玄の略奪は規模が狭い代わりに徹底した激しい略奪をしたということになるんじゃ
それこそ略奪される側にとっては最悪というタイプの略奪の仕方に。
まあ平山氏の説が正しいとした場合のことだが。

これが上杉みたいに関東一円に渡って略奪して回ったなら、
一つの村村への被害は薄くても越後を豊かにするだけの量の略奪が可能になるだろうけど。
547人間七七四年:2007/07/22(日) 23:53:05 ID:nRIfKbQu
>>535
馬鹿丸出しで話しにならん。武田は略奪をしてなかっただの誰がそんな事を言ったかな?
ま、メガ豚と同類の君が黙るだけでこのスレは普通に機能するから心配すんな。
548人間七七四年:2007/07/23(月) 00:00:12 ID:8HaZ5/kS
>>547
結局君は武田ファンに納得のいくこの問題に関する見解とやらを聞かせては
ついにくれなかったね。文句だけをいって逃げる人であるなら残念だね。
人の略奪に関する見解は否定しておいてそれならただの野次とおなじだろうよ。
出来ればちゃんと見解は書いてもらえるかな?
549人間七七四年:2007/07/23(月) 01:09:24 ID:/O9gv8IU
武田ファンを納得させられる見解ってなに?
何言ってんの?
そういう事は、自分が武田ファンにしか通用しない奇天烈な主観でしかない武田擁護を止めてから言ったら?
550人間七七四年:2007/07/23(月) 01:48:35 ID:8HaZ5/kS
>>549
いや、そうじゃなくてさ。>>534では>>547の人は俺のレスが
武田ファンを貶めるようで迷惑みたいな言い方をしていたのだから
多分武田のファンなのだろう、と思ってね。
それなら俺のような言い方ではない、他の武田ファンが納得でき名誉も
傷つかない見解を
教えてもらおうと思ってね。あおりではなく。
551人間七七四年:2007/07/23(月) 08:02:39 ID:K/bJ0wRT
俺は534だけど武田ファンじゃないよ。
どうして534の内容で武田ファンと思い込まれたのかが不思議だ。
君ってもしかしてメガトンか?
相手のレスの内容を思い込みで脳内変換する気持ち悪いところがそっくりだが。
552人間七七四年:2007/07/23(月) 08:26:39 ID:SuLZOZus
>>548
頭悪過ぎだな。武田ファンに納得のいくこの問題に関する見解は君の持論の正当化への助力要請の詭弁に過ぎない。
今度は責任転換の開き直りか、最悪だな。
武田ファンは各々自分の考えを持ち、各々の感じる魅力もまた違って武田が好きなのであり、それを納得させられる論説を言え!は、
自論に固執する醜い厨まさにそのもの。
君と違って略奪に関して俺は何も否定をしない。島津、上杉が〜〜だから何?武田を神聖化なんぞしてたら武田厨は基地外の集まりだ思われるわけだと分かってないのか。
綺麗な略奪言ってる君は白い目で見られている事を分かっていないのかな?
553人間七七四年:2007/07/23(月) 19:44:25 ID:8HaZ5/kS
>>551
>>他の武田ファンまで基地外に思われるのは迷惑なんだよ
>>534で書いてあったからてっきりそうなのだと思ったけど違ったのなら謝っておく。
>>552
いや、俺は別に君に助力は要請してないよ。見解が知りたかったのでね。
スタンスはわかったし十分だ。それでなにか誤解してないか?
俺も綺麗な略奪なんて一言もいってないんだが?略奪をしてる事は認めてるし
やる事はやっただろうが、と上でもかいているだろ?
何度も上で書いているけどもともと武田を山賊王という風にいう人に対する反論から
始まったといってるだろ?当時は略奪は普通のことであり、さらにはもっと凄く略奪を
やった連中もいるのになんで武田が山賊王とされにゃならん。
略奪を綺麗なんて言うつもりはさらさらないし、武田がやった事も否定しないさ。
でもいつもは当てにならないとされてる甲陽軍鑑をここでは割り引かなかったりするのは変だと
言っておかしいことではないと思うが?神聖化なんてするつもりもしたつもりもないんだが。
554人間七七四年:2007/07/23(月) 20:58:49 ID:dcRclHT3
他の大名がどうこうとか関係なく
甲斐の山奥から周辺国へと略奪しに赴くのであれば
山賊王と呼ばれても仕方のないことではないか
555人間七七四年:2007/07/23(月) 21:06:14 ID:8HaZ5/kS
その場合戦国各地に山賊王ばかりではないか。
556人間七七四年:2007/07/23(月) 21:15:41 ID:qMd2oDZE
山賊と山賊王の違いもわからんのか?
557人間七七四年:2007/07/24(火) 08:15:49 ID:/3R6VP1H
武田が小田原を攻撃した時の兵力は、3万余と言われている
少なくとも北条が積極的な決戦を避ける程度には兵数が優越していたはず
ところが、北条よりでかい織田と戦うかもしれない西進戦では、援軍入れても2万5千(別働隊や現地寝返り組を評価しても自前の兵だけでは3万にはいかないだろう)
なんで領土は増えてるのに野戦兵力は目減りしてるんだ?
558人間七七四年:2007/07/24(火) 09:21:56 ID:mTEkTDGp
3万だっけ?大抵2万って言われてると思ったけど。
当時の武田の領土は80万石余りだから2万くらいが限界かと。
559人間七七四年:2007/07/24(火) 09:45:50 ID:uMzv1k6b
「賊」ってのは、当時の統治機構に逆らって存在する勢力のこと。

この関係で、村上や蜂須賀などは、「賊」と呼ばれてしまう。
彼らは、制海権や制河権を勝手に主張し、通行料や利用料を取り立て、
従わなければ強制執行もした。

幕府に対する「賊」だけを見れば、
関東管領を否定した北条、他の守護の領域を侵奪する武田、
下克上を起こした織田などは、
いずれも「賊」となる。
560人間七七四年:2007/07/24(火) 09:47:15 ID:uMzv1k6b
しかし、元々の統治機構が崩れたからこそ、戦国時代なのであり、
その時代に誰が「賊」か、等ということ自体ナンセンスでしかない。
誰もが「賊」であり、誰もが敵対勢力を「賊」と呼ぶ時代なのだから。
561人間七七四年:2007/07/24(火) 10:08:03 ID:CIF4evf2
まてまて。最初ッから主眼は「贔屓の史料にさえ見られる武田の壮絶な略奪」とはっきりわかるじゃないか
ここでオレ定義の話をされても、話逸らしその五ぐらいにしか見えんw
562人間七七四年:2007/07/24(火) 10:17:08 ID:mTEkTDGp
>>482の人か?
>>482でしっかりと>>武田=山賊集団を組織化したもの
と書いてるだろうが。
しかも甲陽軍鑑は割引が必要な資料でもあるし、といってるだろ。
>>489でも>>戦国期でも特出の問題児集団とか書いてるだろ。
話そらしてんのはそっち。
いい加減釣ってることくらいはわかるからいい加減やめてもらえるか?
563人間七七四年:2007/07/24(火) 13:35:45 ID:uMzv1k6b
甲陽軍鑑では、おそらく自慢の1つとして語られていると思われる。

「贔屓の史料にさえ見られる武田の壮絶な略奪」
を行う集団というのは、
世界的に見て、「賊」である必要はないんだよ。
歴史上、普通に正当な軍が行ってるんだ。戦略の1つとして。
もちろん、略奪された方は「あいつらは賊だ」というだろう。


でも、それはお互い様。
略奪をすると「賊」なのなら、
この世のほとんどの国家(特にキリストイスラム圏)が、盗賊国家になってしまう。
564人間七七四年:2007/07/24(火) 13:59:59 ID:JNiCZCP2
賊という呼称で気に食わないのなら、「外道」とか「人面獣」とか呼べば納得すんのか?
話逸らしにしても下手すぎる、本旨から逃げてるのバレバレ
565人間七七四年:2007/07/24(火) 14:01:40 ID:q7LDwRBw
戦国時代で略奪が当たり前のように書いてるけど
本来であれば戦国時代自体が異常な時代であって
その中でも略奪自体があまり褒められたものではないから
褒め殺し的に書かれてるんじゃないのかな

まあ武田が山賊王と言われるのは有名税だろ
この場合の王は一番というわけでなく象徴としての王だし
あの武田家ですら過酷な略奪をするということ
上杉はともかく島津なんかよりはメジャーだし
しかも、おそらく戦略的というより内政問題として略奪をしなければならないという
戦国時代の厳しさを説いたものだ

だがそうなると織田系のすごさが際立つな
あっちは裕福であるとはいえ戦略的なもの以外は略奪を
完全に禁止することができた(内実は色々あるだろうが)

そこらへん考えると武田に上洛なんて無理無理ですな、とスレタイに絡めて見る
566人間七七四年:2007/07/24(火) 17:20:45 ID:AEHoiFhu
戦国時代板のwiki作りました。
ご自由に編集してください。
http://www37.atwiki.jp/sengokuita/

テンプレなどをこちらに置いて頂いても結構です。
567人間七七四年:2007/07/24(火) 19:45:26 ID:mdXDtTfl
テンプレまとめてみた
http://www37.atwiki.jp/sengokuita/pages/14.html
568人間七七四年:2007/07/24(火) 21:02:31 ID:AxMlPeny
>>564
いや、どうでも良いが略奪なんで戦国時代では当たり前なことなのは間違いないから、
いちいちそんなものを別の呼び方で呼んでは面倒なだけだが。
普通に戦国大名で問題ない。
569人間七七四年:2007/07/24(火) 23:26:22 ID:CfyvdUxF
>>568
しかし北条厨は

北条家だけは略奪を禁止していた!!税も安く仁政家だった!!

と、熱弁するけどな。武田、上杉を略奪王言いながら
570人間七七四年:2007/07/24(火) 23:41:21 ID:yIZi22u2
よく引き合いに出される上杉の行なった人身売買は一人あたま20銭から30銭、
武田の人身売買は身の代金一人あたま20貫ほどだった。
どう見ても武田の方が略奪して儲けを出そう根性丸見えでひどいよなー。
571人間七七四年:2007/07/25(水) 00:20:47 ID:wYPiOq2i
       、--‐冖'⌒ ̄ ̄`ー-、
     /⌒`         三ミヽー-ヘ,_
   __,{ ;;,,             ミミ   i ´Z,
   ゝ   ''〃//,,,      ,,..`ミミ、_ノリ}j; f彡
  _)        〃///, ,;彡'rffッ、ィ彡'ノ从iノ彡
  >';;,,       ノ丿川j !川|;  :.`7ラ公 '>了
 _く彡川f゙ノ'ノノ ノ_ノノノイシノ| }.: '〈八ミ、、;.)
  ヽ.:.:.:.:.:.;=、彡/‐-ニ''_ー<、{_,ノ -一ヾ`~;.;.;)
  く .:.:.:.:.:!ハ.Yイ  ぇ'无テ,`ヽ}}}ィt于 `|ィ"~
   ):.:.:.:.:|.Y }: :!    `二´/' ; |丶ニ  ノノ
    ) :.: ト、リ: :!ヾ:、   丶 ; | ゙  イ:}    逆に考えるんだ
   { .:.: l {: : }  `    ,.__(__,}   /ノ
    ヽ !  `'゙!       ,.,,.`三'゙、,_  /´   それだけ命の価値を大事にしていたと
    ,/´{  ミ l    /゙,:-…-〜、 ) |
  ,r{   \ ミ  \   `' '≡≡' " ノ        
__ノ  ヽ   \  ヽ\    彡  ,イ_
      \   \ ヽ 丶.     ノ!|ヽ`ヽ、
         \   \ヽ `¨¨¨¨´/ |l ト、 `'ー-、__
            \  `'ー-、  // /:.:.}       `'ー、_
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          `、 \ /ヽLf___ハ/  {
              ′ / ! ヽ
572人間七七四年:2007/07/25(水) 00:35:21 ID:MuiyFX02
       、--‐冖'⌒ ̄ ̄`ー-、
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  >';;,,       ノ丿川j !川|;  :.`7ラ公 '>了
 _く彡川f゙ノ'ノノ ノ_ノノノイシノ| }.: '〈八ミ、、;.)
  ヽ.:.:.:.:.:.;=、彡/‐-ニ''_ー<、{_,ノ -一ヾ`~;.;.;)
  く .:.:.:.:.:!ハ.Yイ  ぇ'无テ,`ヽ}}}ィt于 `|ィ"~
   ):.:.:.:.:|.Y }: :!    `二´/' ; |丶ニ  ノノ
    ) :.: ト、リ: :!ヾ:、   丶 ; | ゙  イ:}    逆に考えるんだ
   { .:.: l {: : }  `    ,.__(__,}   /ノ
    ヽ !  `'゙!       ,.,,.`三'゙、,_  /´   それだけ金稼ぎの方法が解らなかったんだと
    ,/´{  ミ l    /゙,:-…-〜、 ) |
  ,r{   \ ミ  \   `' '≡≡' " ノ        
__ノ  ヽ   \  ヽ\    彡  ,イ_
      \   \ ヽ 丶.     ノ!|ヽ`ヽ、
         \   \ヽ `¨¨¨¨´/ |l ト、 `'ー-、__
            \  `'ー-、  // /:.:.}       `'ー、_
          `、\   /⌒ヽ  /!:.:.|
          `、 \ /ヽLf___ハ/  {
              ′ / ! ヽ

573人間七七四年:2007/07/25(水) 00:39:07 ID:OZrj9CDV
     ____
   /__.))ノヽ  
   .|ミ.l _  ._ i.)  
  (^'ミ/.´・ .〈・ リ   逆に考えるんだ
  .しi   r、_) |   わしが大きく育てた
    |  `ニニ' /  
   ノ `ー―i
574人間七七四年:2007/07/25(水) 02:53:00 ID:ZHWgGI/r
人道的見地からかもしれないが、信長が人身売買や略奪を禁じたのは
最終的にはそのほうが益になるからだろうな。これから自分の領地にする場所の
民衆に嫌われないように心がけていたわけだ。

でもそれは最初から天下目指しているから生まれる視点であって他の普通の大名からしてみれば
その年をどう生き抜くかが問題。謙信も関東管領とかいう名分で毎年略奪しに関東に行っていた。
武田軍はレイプが趣味みたいなものだし上洛なんてしたら大変だろう
575人間七七四年:2007/07/25(水) 08:07:56 ID:nBnT2KcR
じゃあ武田が上洛したら木曽義仲の二の舞になるか?
さすがに本願寺あたりが全部面倒見てくれるっていうのはありえんだろうし
576人間七七四年:2007/07/25(水) 17:42:00 ID:VpIbsZlM
スレの進行を妨げる武田アンチ集団に言いたいんだが、武田アンチスレでも立ててそこで持論展開したらどう?史書の批判や武田信者批判でレス埋めてるのはやり過ぎ。


信者は信者でいいだろ、史書だって捏造されたかどうかわからないし、事実とは異なる記述があるかもしれないけど、史書を根拠に話を進めていくのが何故悪い?


1つ1つの史書の信憑性について議論したいなら、武田アンチ集団が武田関連の史書スレでも立てて、そこで議論すればいいでしょ。


主観がどうのとか言ってるやつがいるが、事実は主観によって創られていくものなんだけどね・・・武田信者を批判してるアンチもアンチの主観によって信者の主観を否定していることに気付いているんだろうか?


客観的に物事を捉えるにも、認識するのは主観でしかなく、結局主観でしか物事を判断出来ないのもわからないのだろうか?武田アンチ集団は信者叩きに認識論を持ち込みたいなら少しは勉強して欲しい。


客観とは自分という主体以外の主観なんだよ(´・ω・`)
577人間七七四年:2007/07/25(水) 18:28:24 ID:aQeiNvcP
スレの進行といっても結論は出てるしネタ切れで過疎気味な現状で
さらに人減らしにかかるのか
578人間七七四年:2007/07/25(水) 19:26:52 ID:IB6Jsc08
っていうか元々このスレは武田厨をバカにするスレなんじゃねえの?
579人間七七四年:2007/07/25(水) 21:44:01 ID:/EBYjytQ
夏休みになると湧いて出るね〜。
夏の風物詩だね〜。
580人間七七四年:2007/07/26(木) 00:33:05 ID:cDGEj9Px
>>576
                             |
                             |
      ∩___∩             |
      | ノ  _,  ,_ ヽ        ((  | プラプラ
     /  ●   ● |         (=)
     |    ( _●_)  ミ _ (⌒)   J  ))
    彡、   |∪|  ノ
⊂⌒ヽ /    ヽノ  ヽ /⌒つ
  \ ヽ  /         ヽ /
   \_,,ノ      |、_ノ
581人間七七四年:2007/07/26(木) 00:55:55 ID:as9z9JUq
むしろ武田信者オナニースレでも立てて好きなだけ妄想したらどうだろう
582人間七七四年:2007/07/26(木) 02:37:31 ID:SaBSrr5B
客観的事実だけで判断するとなおさら武田厨好みの方向から遠ざかる件

客観って起こった事実をありのまま受け入れる事なんだよ・・・
583人間七七四年:2007/07/26(木) 18:24:10 ID:GuFss0Pj
            ,.,.,.,.,.,.,.,.,__
           i::::::::/'" ̄ ̄ヾi
           |:::::::| ,,,,,_  ,,,,,,| 
           |r-==( 。);( 。)   
           ( ヽ  :::__)..:: }
        ,____/ヽ  ー== ; ほほう それでそれで?
     r'"ヽ   t、   \___ !
    / 、、i    ヽ__,,/
    / ヽノ  j ,   j |ヽ 
    |⌒`'、__ / /   /r  |
    {     ̄''ー-、,,_,ヘ^ |
    ゝ-,,,_____)--、j
    /  \__       /
    |      "'ー‐‐---''

584人間七七四年:2007/07/26(木) 22:39:28 ID:/W5BGCYu
はじめて来た

俺が思うには、俺は武田厨ではなく、西国大名びいきなのだが、
それでもずっと思っていたことには、武田はいかにももったいないことをしたと。

「桶狭間で今川義元が死んでから、武田が反織田の軍を起こす準備をするまで」
この期間、いったいなにやってたんだということ。

当時の武田領を見ると、
@地理的に、北も東も西も山脈で隔てられていて、次は南に出るしかない。
A大名を見ても、北の上杉、東の北条は強敵、南だけ弱い。(西は物理的に無理)
B経済力でも、武田の生命線である金山が枯渇したが、駿河には安倍金山があった。
Cさらに加えれば、海への出口としてもっとも出やすいのが、駿河である。

これだけの条件下で、生き残るにはいずれは南(駿河)に出るしかない、
という状況が明らかであったにもかかわらず、やたらと上杉との戦いに凝ってしまった。

同じ期間に、織田信長は今川に消されそうだった勢力だったにもかかわらず、
濃尾から近畿を席巻して、事実上天下を手中に収めたといってよいほどの勢力になった。

同じだけの期間において、かくも成長の差が出たというのは、
もちろん、近畿濃尾のほうが一円支配のための、経済的政治的条件が揃っていたためであるが、
ここまで実現したことの差が出てしまったという時点で、武田はこの時点で敗北したといってよいだろう。

上記に挙げた条件下では、「今川義元が死んで、氏真が後を継いだ」という歴史的転機にきちんと反応し、
しばらくは氏真の実力を見極めてからでも良いが、すぐに駿遠併合に向けて準備をすすめるべき。

上杉謙信とは外交革命により同盟を結ぶ(謙信は信頼できるし、上越国境に近い郡まで獲る必要はないのだ)。
北条氏康とは敵対関係になるが、割り切るしかない。西上州や東駿河を割譲してなだめることもできる。
もちろん、徳川家康が、遠州に手を伸ばす時間を与えない(この時期の徳川はまだ三河支配が未完了)。

これだけのことをやって、初めて生き残りのめどが立つというのに、
桶狭間の時に動かずに、人生の終盤に近づいてから織田攻めの軍を起こすなど、中途半端すぎるように思う。

長期遠征が不可能な農民兵で、(戦場での強さ以外の)すべてにおいて武田を凌駕する織田勢力を消すのは、
信玄晩年になってからでは手遅れであって、この時点なら、むしろ織田と同盟を結んで生き残るべきだったのだ。

なぜなら、この時期になると、もはや織田との総合力は時間を経るにしたがって大きくなるばかりであって、
織田と敵対関係にある以上、こちらが決戦を挑まなければならない側になるからだ(この焦りが長篠の伏線になる)。

もちろん、この期間を信玄も無駄に過ごしていたわけではなく、いろいろ実力を涵養していたのであろう。
しかし、この期間に織田はもっと早い勢いで伸びていった。その情勢も信玄には収集できたはずであった。

信玄は、優れた武将であったがゆえに、すべてのことを玄人的領域でこなそうとして、必要以上に極めてしまった。 
反面、乱世を制するのにもっとも重要な「天の時」を見方につける機会を失ってしまったのだ。

(おわり)
585人間七七四年:2007/07/27(金) 01:01:38 ID:J9NrZiqn
>>584
桶狭間の時の武田が上杉と和睦できるわけもなく。
今川攻めたら史実と同じように北条が敵に回るだろうね。
氏康が病気で死ななければ武田は信玄の代で滅亡したとも言われてるのに。
586人間七七四年:2007/07/27(金) 08:22:58 ID:ihBIxxTP
>>584
残念だったな
一匹しかつれなかったぞ
587人間七七四年:2007/07/27(金) 09:32:49 ID:SgannZRj
いや、普通に素人の初歩的な疑問って奴でしょう。物凄くありがちだし。

>>584
既出の通り上杉と直ぐ和睦なんて出来ないのでその案は無理。
上杉だって実際には野心があったと思われるので簡単に和睦なんて受け入れないし、
もしあなたの言うように義理堅い人物だったなら、
なおさら今まで仏敵だの卑劣漢だのと言っていた信玄と、
手のひらを返したように和睦をするなんてことはありえなくなってしまう。

また仮に信濃北部を大幅に割譲して上杉と和睦しても、
その程度の国力では義元死後の今川相手にする勝利はおぼつかないし、
北条が敵に回ってしまえば敗北は必至。どの道武田に有利な展開にはならない。
588人間七七四年:2007/07/27(金) 11:44:06 ID:Fj5bn6fK
>>584
そもそも嫡子の正妻の実家である今川相手の同盟破棄なんて義信が唯々諾々と承知するかという問題がある。
それに今川にはまだ松平が残ってるし、国力が落ちきってる訳でもないので武田単独では厳しい。
武田の裏切りを北条が見逃す訳もないし、下手したら四面楚歌が早まって滅亡の危機だろうな。
ちなみに今川は弱いって書いてあるが、実際はそこまで弱くない。
強さから言えば今川と斎藤は同じぐらい(当主交代時のゴタゴタの時期という意味で)
方や遠江駿河まできっちり抑えて、後方は血縁の北条と属国の松平である今川(松平はこの時期織田と争い親今川な方針を貫いている)
方や信濃上野方面が火薬庫な武田
どう考えても勝ち目はないのは火を見るより明らか

っと盛大に釣られてみますね
589人間七七四年:2007/07/27(金) 11:49:00 ID:ihBIxxTP
釣られてみますねなんて保険かけとくぐらいなら最初からレスすんなよ
590人間七七四年:2007/07/27(金) 12:43:44 ID:7euB5Oyb
なんで?
591名無し野電車区:2007/07/27(金) 13:24:01 ID:Q9JATwlv
ただ、徳川が完全に今川と敵対したときに三国同盟を維持しつつ
信長と結ばずに三河へ乱入しとけばよかったのに、とは思う
592人間七七四年:2007/07/27(金) 14:16:30 ID:J9NrZiqn
武田じゃ三河取っても一向衆にプレゼントになっちゃうだろ
593人間七七四年:2007/07/27(金) 18:54:52 ID:GDjS/EMa
つーか史実の信玄は武田の国力、周りの状況を考えて最もベターな道を進んでると思うぞ。
駿河攻めだけは強引だったがな。
594人間七七四年:2007/07/27(金) 20:52:59 ID:SgannZRj
>>591
今川にはともに徳川を討とう打診したことはあったらしいよ。
しかしその当時信玄は既に信長と同盟を結んでしまっていたので、
今川から親の仇と同盟するような奴は信頼できないと突っぱねられてしまった。

>>593
同意。だた慎重にベターな道を進んでいると爆発的な拡大はしにくいんだよね。
しかも信玄の場合は国力的には有利だったはずの村上戦で負けたり、
戦術的な失策もすることがあるからなおさら。
595584:2007/07/28(土) 00:02:31 ID:ID/AXti8
別に釣ってはいないが、昔から引っかかっていた疑問だったので。素朴な疑問ととらえてくれ。

俺が言いたかったのは、生き残るために考えられるオプションは、
@早期の三・遠・駿の確保か、あるいはA織田との同盟非破棄か、2つだけだったのではないかということ。
どっちかにするならわかるけど、信玄坊主は、2つとも中途半端に手をつける結果になった。

早期の駿河進出がそこまで不可能かつ非現実的な案なのであれば、そのオプションは捨てても良い。
仮に晩年に駿河を得たにせよ、さらに織田勢力と戦争状態に入ってしまったのは、この点で中途半端。

信玄坊主がまだ若ければ冒険してもよいのかもしれない。
しかし、すでに平均寿命に近いにもかかわらず、死後の火種を残すようなことをしなけれよかった。

だって、ここが一番引っかかるところなのだが、武田兵が一度の遠征で織田中枢を破壊できるはずがない。
豪族の農兵に依存しているし、補給線も伸びきるので、複数年にわたって、繰り返し遠征が必要になるのでは?

繰り返してしまうが、信玄死後、武田は時間の経過と共に織田に差をつけられる運命を背負い込んでしまった。
そのため、織田と修復不可能な敵対関係にある限りは、常に戦いを仕掛けることを強いられることになるのだ。
国力的にも限界なので、国内の豪族・農民をかなり酷使することになるだろう。よって国力はさらに開く。

これでは、時間がたつだけ悪循環になる。
戦略上のフリーハンドは完全に失われ、滅亡を待つばかりだ。
長篠については、いろいろ言われるが、敗戦の遠因にあるのは、この焦燥感だと思える。

なぜ、名君信玄坊主が、このように戦略上修復できない制約を課すことを選んだのか、まったく理解に苦しむ。
そこまでリスクを冒して天下取りがしたければ、もっと早期から徹底的に動けばよかったと思うのは、俺だけでないはず。
信玄がベストの道を歩んだかというと、俺は賛成はできない。

こう考えると、武田、あと上杉もそうだが、地理上の制約が戦略の幅を宿命的なまでに狭めているな。

でも、三国同盟を維持しつつ、三河に攻め込めばよかったという考えは、なるほど斬新な選択肢と思う。
山を超えていかなければならないから、維持するは楽ではないが、それは上州も同じことだった。
三河に実効支配を築いてさえしまえば、そこから濃尾平野に浸透するのは、史実よりは現実的な道。

では、よろしくお願いします。
















596人間七七四年:2007/07/28(土) 00:30:35 ID:ID/AXti8
議論(Argument):
「武田信玄は、勢力拡大の対象となる地域が他にはもうなかったのだから、
あえて中央進出を目指すのであれば、史実より早期に駿河に進出すべきだった。」

前提(Premise):
「武田の攻め込めるエリアは、桶狭間時には、駿河以外にはほぼなかった。」

結論(Conclusion):
「あえて中央進出を狙う以上は、史実より早期に駿河に進出すべきだった。」

----------------------------------------------------------------
以上の議論を弱める反論をしてくれ。






597人間七七四年:2007/07/28(土) 00:55:57 ID:2iH/iJd1
>「武田信玄は、勢力拡大の対象となる地域が他にはもうなかったのだから、
>あえて中央進出を目指すのであれば、史実より早期に駿河に進出すべきだった。」


そもそも勢力拡大を目指すことにメリットがあったのか?
何度も言われていることだが大名はその時を生きていくのが精一杯、隙があれば
隣国の領地取れれば儲け物程度の考え。ゲームじゃないんだからみんなで天下取りの
競争やってたわけじゃない。
やられる前にやるという理論もあるが義元存命中の、50年代ならば今川との関係は悪くない。
どこかの豪族ならともかくわざわざ大国を敵に回す必要は無いだろう。
598人間七七四年:2007/07/28(土) 01:27:19 ID:GkppWlY6
そもそも信玄が天下を意識したのが信長の上洛以降でしょ。
599人間七七四年:2007/07/28(土) 01:50:47 ID:QSunOsKI
>>596
上のほうにあるレスは反論にならんのか?
600人間七七四年:2007/07/28(土) 02:10:54 ID:Rw4waiWm
>>596
桶狭間の時点って北信濃も制していないし、西上野もまだ。
駿河しか攻めれないどころか北にていっぱいで南になんか手を出せません。
601人間七七四年:2007/07/28(土) 02:13:27 ID:Rw4waiWm
>>595
私は単純に自分の寿命を読み誤っただけだと思うよ。
602人間七七四年:2007/07/28(土) 06:26:52 ID:KkFLcQ3v
基本的に武田はどこでも一番弱いとこを狙って勢力を伸ばす戦略をとり堅実といえばそうだし場当たり的ともいえる
西上野が一段落した辞典で一番周囲が弱そうだったのが未だ桶狭間の痛手から立ち直れない今川だったということかと
もっともその結果上杉北条など周囲を敵に回しまくった時点で時間を大量に潰した武田は馬鹿なわけだが
603人間七七四年:2007/07/28(土) 06:50:09 ID:JjZEU8vh
お前みたいなカスに馬鹿扱いされたくはないわなw
604人間七七四年:2007/07/28(土) 08:23:35 ID:ID/AXti8
>>599
反論にはなっていないとおもわれ

「晩年になって中央進出するくらいならば、早期南方進出すべきだった」が主張だから、
南方進出の不利を並べるだけでは、すでに認識されている事実を繰り返すだけ

上で言われているのは、
@中央進出を冒険するか、A自己勢力保存に専念するか、いずれかの戦略を選択すべきだったということ
@が難しい状況ならば、Aをとればよいだけになる(=あえて織田との対立関係をつくる必要はなかった)

もちろん臨機応変に戦略を変えるのはよしとすべきであるが、
平均余命わずかな年齢で、中途半端に@に手をつけたのは、戦略思考に欠けたとのそしりをまぬがれぬかも

第四次川中島が終わった頃であれば、中央進出は一つの長期目標としてありえたが、
信玄が上洛軍を起こす時点においては、信玄の年齢からしても、すでに時すで遅しとおもわれる

信玄は、一つ一つの課題(戦闘や治水など)については、達人的な手腕をみせたが、
戦略思考や長期ビジョンという面では、織田信長との比較上、どうも一貫性に欠ける

そもそも、上洛などは最終目標ではなく、尾張や美濃にも勢力を拡大したかっただけなのではとも疑ってしまう
名門甲斐源氏の系列であるだけあって、室町的な伝統的思考枠組みから抜け出せなかったのか
605人間七七四年:2007/07/28(土) 08:57:26 ID:Nk/t4P26
>「晩年になって中央進出するくらいならば、早期南方進出すべきだった」が主張だから、
>南方進出の不利を並べるだけでは、すでに認識されている事実を繰り返すだけ
いやいや、すでに認識されている事実でできないと分かっているってだけだろう。

新たな解釈以外の反論は認めないとでも言うのか?
どれだけ自己中なんだ?
606人間七七四年:2007/07/28(土) 09:00:09 ID:ID/AXti8
たびたび失礼。「信長上洛時点からはじめて天下を意識した」は説得力があるな。
どうも、信玄には、「おまえ一体最終的に何がやりたかったんや?」というところがある。

時系列的に見ると、
1.桶狭間・第四次川中島の時点
2.信長上洛の時点
3.駿河進出時点
4.上洛遠征隊を進発させた時点

といろいろ転機があるけれど、選択の幅(戦略のフリーハンド)は、
時間の経過と共に、加速度的に縮まっていったのがこの戦国後期という時期

1560−1580までの20年間の歴史は
1500−1560までの60年間の歴史に匹敵するぐらいに展開が速い
少なくとも、4の時点では、中央進出は、すでに現実的選択肢ではなくなっていた

結局、武田信玄はこの突如訪れた加速度的な歴史の流れに、
織田信長ほどには適応性を発揮することがなかったというのが真相ではないかと思う。

そしてそれは、明確な長期ビジョンを有していなかったという信玄自信の問題以上に、
甲斐という地理的なハンデによるところが大きいのではないかと思っている。

別に織田信長厨でもなんでもないが、ずっと疑問だったので。
607人間七七四年:2007/07/28(土) 09:07:41 ID:ID/AXti8
>>605
いや、そうではない。

「駿河進出が不可能であった」という事実は、上記の結論を弱める事実ではないということ

駿河は中央進出に当たっては地理的に避けては通れない通路であるわけだから、
それは「中央進出が現実的な選択肢ではない」ということにほかならず、
であるならば、中央進出をしなければよかっただけ

上記では、
「信玄は中央進出すべきであったし、そのために早期駿河進出をすべきだった」
というようなことはまったく言っていない

北条のように地方で足元を固めて、時代に適応するしか選択肢がないのであれば、
素直にそうしておけばよかったということ

そうすれば、徳川のように生き延びることができたのではないかということ
608人間七七四年:2007/07/28(土) 09:10:56 ID:Nk/t4P26
じゃあ、
>結論(Conclusion):
>「あえて中央進出を狙う以上は、史実より早期に駿河に進出すべきだった。」
はなんなんだ?
これが結論なんだろ?
609人間七七四年:2007/07/28(土) 09:21:11 ID:Lkk9+Di4
武田晴信が本当に源新羅三郎の子孫だと信じ込んでいる武田厨発見!

武田晴信がもともと甲斐の国人の出身で甲斐源氏を名乗っただけというのはガチ
本当の甲斐源氏武田の子孫は常陸や若狭に残っただけ

お前は、徳川家康が源新田義国の子孫だと信じているのか?
610人間七七四年:2007/07/28(土) 09:22:58 ID:GkppWlY6
>>606
信玄の生涯の根本目的は「武田家の繁栄」。豊かになりたくて戦争を繰り返した。
ただし一つ注意なのは、別にこれは特別に信玄が遅れているという事ではなくて、
当時の武家の通常の認識に過ぎない。当時の天下人なんて、せいぜい大内や細川、
三好などのように室町幕府を牛耳って天下に号令する者という程度。「天下人」の
意味は、時代によって変化していることに留意。織田信長なんてアタマのおかしな
若造が天下布武なんてキチガイじみたことを宣言したあげく、そんなタワゴトを
本当に実行してある程度のカタチに実現させたことによって、信玄の認識も変え
られた。
611584:2007/07/28(土) 12:01:07 ID:Lkk9+Di4
>>610
ベストアンサーに指定

目標が「武田家の繁栄」であれば、やはり、わざわざ晩年になってから好き好んで、
自らが劣勢に回るような敵対関係を構築する必要はなかったようだ 歴史の後から見れば

武田は大勢力だから、後継者の情勢判断しだいでは北条のような運命になる恐れもあり、
一方で、織田の勢力拡大の本質(天下統一戦争)がこれまでと決定的に違うことを見抜いたからこそ、
旧世代の代表勢力として、織田を自信の存命中につぶしておく必要を認めたのかもしれない

「武田家の繁栄」を目指してそれに沿って合理的に行動したがために、
かえって選択の幅を狭め、結果として「武田家の繁栄」に暗雲をもたらしてしまった

こういったパラドックスは、歴史上でも、現代社会でも、頻繁に起こりうることだな
612人間七七四年:2007/07/28(土) 12:10:09 ID:wOPykB55
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1183202323/l50

305 名前: 人間七七四年 [sage] 投稿日: 2007/07/26(木) 22:45:30 ID:/W5BGCYu
俺が思うには、俺は武田厨ではなく、西国大名びいきなのだが、
それでもずっと思っていたことには、武田はいかにももったいないことをしたと。

「桶狭間で今川義元が死んでから、武田が反織田の軍を起こす準備をするまで」
この期間、いったいなにやってたんだということ。

当時の武田領を見ると、
@地理的に、北も東も西も山脈で隔てられていて、次は南に出るしかない。
A大名を見ても、北の上杉、東の北条は強敵、南だけ弱い。(西は物理的に無理)
B経済力でも、武田の生命線である金山が枯渇したが、駿河には安倍金山があった。
Cさらに加えれば、海への出口としてもっとも出やすいのが、駿河である。

これだけの条件下で、生き残るにはいずれは南(駿河)に出るしかない、
という状況が明らかであったにもかかわらず、やたらと上杉との戦いに凝ってしまった。

同じ期間に、織田信長は今川に消されそうだった勢力だったにもかかわらず、
濃尾から近畿を席巻して、事実上天下を手中に収めたといってよいほどの勢力になった。

同じだけの期間において、かくも成長の差が出たというのは、
もちろん、近畿濃尾のほうが一円支配のための、経済的政治的条件が揃っていたためであるが、
ここまで実現したことの差が出てしまったという時点で、武田はこの時点で敗北したといってよいだろう。

上記に挙げた条件下では、「今川義元が死んで、氏真が後を継いだ」という歴史的転機にきちんと反応し、
しばらくは氏真の実力を見極めてからでも良いが、すぐに駿遠併合に向けて準備をすすめるべき。

上杉謙信とは外交革命により同盟を結ぶ(謙信は信頼できるし、上越国境に近い郡まで獲る必要はないのだ)。
北条氏康とは敵対関係になるが、割り切るしかない。西上州や東駿河を割譲してなだめることもできる。
もちろん、徳川家康が、遠州に手を伸ばす時間を与えない(この時期の徳川はまだ三河支配が未完了)。

これだけのことをやって、初めて生き残りのめどが立つというのに、
桶狭間の時に動かずに、人生の終盤に近づいてから織田攻めの軍を起こすなど、中途半端すぎるように思う。

長期遠征が不可能な農民兵で、(戦場での強さ以外の)すべてにおいて武田を凌駕する織田勢力を消すのは、
信玄晩年になってからでは手遅れであって、この時点なら、むしろ織田と同盟を結んで生き残るべきだったのだ。

なぜなら、この時期になると、もはや織田との総合力は時間を経るにしたがって大きくなるばかりであって、
織田と敵対関係にある以上、こちらが決戦を挑まなければならない側になるからだ(この焦りが長篠の伏線になる)。

もちろん、この期間を信玄も無駄に過ごしていたわけではなく、いろいろ実力を涵養していたのであろう。
しかし、この期間に織田はもっと早い勢いで伸びていった。その情勢も信玄には収集できたはずであった。

信玄は、優れた武将であったがゆえに、すべてのことを玄人的領域でこなそうとして、必要以上に極めてしまった。 
反面、乱世を制するのにもっとも重要な「天の時」を見方につける機会を失ってしまったのだ。

(おわり)
613人間七七四年:2007/07/28(土) 13:35:08 ID:C7LfA/hN
単なる田舎侍
武田厨ってきもい
614人間七七四年:2007/07/28(土) 14:33:42 ID:aUuhCsks
ちょっと待て。
信長の天下布武って
義昭を奉じた天下布武じゃなかったか?
615人間七七四年:2007/07/28(土) 14:36:48 ID:oEk8CPa9
徳川が三河をほぼ統一したのが1563年。
ここで三国同盟を維持しつつ三河に乱入していれば
徳川は一たまりもなかった。
そして三河と尾張の国境に武田勢を集結させ、斉藤と
同盟を結んで織田を挟撃していれば織田は一たまりもなかった。
616人間七七四年:2007/07/28(土) 14:43:31 ID:QSunOsKI
天下布武って武をもって天下を統一する、という意味で使われたわけではないよな
617人間七七四年:2007/07/28(土) 14:49:12 ID:aUuhCsks
以降、まともな反論をしてみる
>経済力でも、武田の生命線である金山が枯渇したが、駿河には安倍金山があった。
・当時、甲斐の金山が枯渇するということを本当にわかっていたか?
・先代の時点で、既に信濃に楔を打ち込んでしまっている。
 既に火種を抱えてしまっている中で、
 新たな経済力を得るには
 川中島周辺にある、善光寺を取るしかない。
618人間七七四年:2007/07/28(土) 15:03:16 ID:aUuhCsks
>大名を見ても、北の上杉、東の北条は強敵、南だけ弱い。(西は物理的に無理)
東の北条は、元々は強敵ではなかった。
しかし、先代が既に、
信濃守護を蔑ろにして信濃を切り取ってしまっている以上、
関東管領とは敵対せざるを得ず、
そうなると、その管領と敵対する勢力と組むしかない。

北の上杉は、強敵だと思っていなかったとしか考えようが無い。
どの道、上記の通り信濃での戦乱が避けられない以上、
同盟国である北条と共通の敵である上杉を敵に回すこと自体、間違いではない。

南の今川は、これに敵対すれば三国同盟が崩れ、北条も敵に回す事になる。
北条は今川を助けるか駿河に手を出してくるかのいずれかの行動を取る為、
駿河で北条軍と争う事を避けられない。
信濃勢との手打ちができない以上、甲斐と、治まらない南信濃というわずかな国力で
北と南の両面を同時に敵に回す事は到底できない。
619人間七七四年:2007/07/28(土) 16:43:46 ID:yy8cqi7T
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    |      "'ー‐‐---''
620人間七七四年:2007/07/28(土) 18:19:53 ID:GkppWlY6
>>618
北条は十分に強国だよ。少なくとも信玄が跡を継いだときの、甲斐一国の武田に比べれば。
621人間七七四年:2007/07/28(土) 18:23:48 ID:inS+134m
>>609
あの・・・本気でそんな事をいってるのか?
甲斐武田氏は晴信の何代も前から甲斐に根付き活動しているんだが。
622人間七七四年:2007/07/28(土) 18:37:33 ID:i7VbHGU0
信長はマラソンでよく見かけるスタートから全力で飛ばすキチガイランナーだよ
で、武田は第一集団で冷静に周りを見ながら走ってて「あんなのほっとけ」って思ってたら
意外と粘るんで泡食って追いかけたらバテて脱落していった。
623人間七七四年:2007/07/28(土) 21:00:37 ID:q/kG2snh
>>621
んなこたない

真の甲斐源氏の血脈は、油川氏や跡部氏にわずかに形跡をとどめるのみ
晴信時代の所謂武田氏の祖先は、富士川の戦いを戦った武田氏ではなく、
他国の生臭坊主が甲斐に流れ着いてきて土着したものとみられる

ちゃんと本よめ
624人間七七四年:2007/07/28(土) 21:26:28 ID:Rw4waiWm
>>618
親父は信濃に手を出した後も普通に北条と敵対、
上杉とは友好を保っていたけどね。
625人間七七四年:2007/07/28(土) 22:00:57 ID:inS+134m
>>623
なんの本を読んだの?書名を教えてくれる?著者も。
どこの代からが漂白坊主の土着だというの?
武田氏は長い歴史において甲斐を追われ京都にて過ごし
幕府の援助によって帰還したりと複雑な経緯をたどるのだが。
初めてきくので詳しくお願い。
626人間七七四年:2007/07/28(土) 22:22:09 ID:Nk/t4P26
本に載っているからって正しいわけじゃない。
徳川家康が実は少年時代にどこの馬の骨か分からない奴と入れ替わっていたと言う事を書いている本も有るらしいし、
本に載ってただけじゃ、どんなトンデモ本か分からないからね。
627名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 02:45:33 ID:QQh+CuOh
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        ,____/ヽ  ー== ; ほほう それでそれで?
     r'"ヽ   t、   \___ !
    / 、、i    ヽ__,,/
    / ヽノ  j ,   j |ヽ 
    |⌒`'、__ / /   /r  |
    {     ̄''ー-、,,_,ヘ^ |
    ゝ-,,,_____)--、j
    /  \__       /
    |      "'ー‐‐---''
628名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 06:44:25 ID:Gk3A+Qrm
武田の出自についての少数説をひけらかしたり、
武田信玄が生きていたらとかぶつぶつ言うことがお前らの仕事か?
もっと自分自身の生活の質を改善することに注意を注げよ

信玄が上洛しようがしまいが、お前らの日々の仕事にはなんら関係ないのだぞ
629名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 08:52:26 ID:59cXmhL2
いや、最初からただの趣味だし、仕事と関係ないなんて承知の上だが?

仕事にも関係ないし、趣味としての興味も無いような人が、
こんなところ見てレスつけるほうがよっぽど人生の無駄遣いだと思うがなあ。
630名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 10:34:26 ID:MNGFponZ
良スレの予感
631名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 10:38:15 ID:heH5n0tl
俺の趣味は晴れた日の散歩だが
632名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 11:27:38 ID:S/T0X+OD
良スレってw ここにはチンカスしかいないようですがw
633名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 11:42:47 ID:S/T0X+OD
選挙行けよチンカス共
634名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 11:44:16 ID:S/T0X+OD
以下、チンカスの自己主張です 聞いてやってください

 ↓ ↓ ↓
635名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 12:12:42 ID:UZ0WEpQk
                  ,!  \
           ,!\          !    \   瀬田に武田の旗、立ててみてぇな・・・
         i  \         l      \,,..__
          ,i′  ,\___,,--―l       \::゙'冖ーi、、
        i     :;\::::::::::..l              `'‐、、
       /__,..;:r---―-、,..__.     ,;'il:;}          .;:::`L__
   ,.:f''""゙゙゙´          、 ̄ヽ,//           ...::::::l;;;:;;::::
  _/       ......  、   \//、            ::::::::リ;;:::::::::....
//       ......:;::::::::::::. ヽ、\ ゙ヽ  ヘ    ●      ....:::::::::i';;;;::::::::::::
;;/    ::::::::::::;;;;;ノ ̄\:: 〉 〉゙'、 `ヽ_ノ       ......:::::::.;;;:ノ:;;;:::::::::::::
/    ..::::、__;;ノ;;;`ヽ_/: / /⌒)メ、_ノ/         .....:::::;;;/;;;:::::;;:::::::::
     ..:::イ;;.ヽ::;;;;;;;;;(__ノ /'"..:::::::::::::/  ...............:::::::::::;;;,;ノ;;::::::::::::::::
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    ::::::::,!::;;;;;;;;;;:.`゙'-、、  ::: \_/::::::::::;;;___,.;-―''"::::::::::::::::::::::::
   ..::::::::::,!;;;;;:;;;;;:::;;;;;:::;;;;;;`゙ ̄'''冖''―--―'";;;;;;;;;:::::::::::::::::::::::::
636名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 12:28:49 ID:Z740FGnj
チンカスの精一杯の自己主張です

 ↓ ↓ ↓
637名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 13:24:53 ID:gDaKaO6z
三国同盟を維持しつつ氏真と徳川攻撃は無理?
638名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 13:40:06 ID:mLeDbDAl
上杉とはもう埒あかんし、北条今川を攻撃対象から除けば、
あとは越中か飛騨か三河か美濃しかありえんから、
そして越中と飛騨は山があってどうあがいても攻め込めないから、
必然的に、三河美濃方面をねらうことになるでしょうよ

今川をまったく介入させずに三河をそっくりいただければ、
吉田城、岡崎城に信頼できる親類衆を入れて、
そこから尾張美濃になだれこむことができる

でも、三河って、甲斐信濃からは相当にアクセス困難じゃないか?
伊那谷経由で、いくつも峠を越えてやっと足助から岡崎に至るのだろ?
ちょっと、きちんと維持できるのか疑問だが?

それだったら素直に木曾谷から美濃に攻め込んだほうが早くないか?


639名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 15:04:00 ID:59cXmhL2
>>637
氏真に断られた。親父の仇の織田と同盟結ぶような奴を信じられるか、って理由で。

>>638
飛騨には攻め込んでいます。
それから駿河も取っていない国力で織田とガチでやるのは無謀。
640名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 15:04:23 ID:hxbC/bYg
武田信玄 評価されすぎ なぜ? 徳川の師匠みたいなもんだから?

正直言って、史上有名人物における人物紹介欄になんて功績書く?

甲斐・信濃を見事な手腕で収め、甲州法度を定め、金山や治水開発を行った。
戦国最強といわれた騎馬軍団を保有し、巧みに四囲の敵と争った。
やがて駿河や西上野にも勢力を拡大し、織田・徳川とも敵対した。

うわー、ありふれているし平凡じゃない?
「ふむふむ、へーなるほど。そかそか。・・・・・・で?」とか言われそう。
4カ国を保有する大名はざらだし、内政上手、戦上手な大名もまたざら。
すごいってのは認めるけど、明らかに過大評価されすぎだべ。

だいたい長宗我部や尼子とおなじくらいだべ?
大友や島津や毛利のほうが明らかに上じゃない?

なんで、日本の歴史において、武田信玄がこんだけ幅を利かせているか、
正直ベースでよくわからん。いや徳川の宣伝以外に考えられん。
641名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 15:11:28 ID:r1JDjhiK
>>639
じゃあやはり武田はあれ以上発展可能性はなかったわけだ。
これ以上上野や飛騨の数郡をかすめるだけじゃ腹の足しにならんし。

めっちゃどんづまりですね。。。

このどんづまりを解消するなら、あらゆる危険を承知で駿河か関東に手を出すか、
あるいはもう源頼朝のときのように、長いものに巻かれて、新たな政権化で、
ある程度の勢力を認めてもらいつつ、甲斐源氏の存続を計るか、どっちかしかないね。

ふつーなら後者だろうが、信長ごときに天下を席巻されて、野心を刺激されたのだろうね。
642名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 15:21:50 ID:59cXmhL2
>>640
上杉とかも似たようなものだし、最盛期の今川よりも石高的には結構上、
斉藤・朝倉・浅井・六角あたりは明らかに凌駕しているから、
ありふれてはいなし、平凡ってこともざらって事もないだろうけど。
過大評価なのは間違いないでしょうね。
その理由もおっしゃるとおりだと思いますよ。

>>641
そういう状況で幸か不幸か今川が弱体化したから、
駿河に攻め込んだってとこでしょうね。
643名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 15:41:02 ID:1Xe2Xwwt
武田信玄斎は、戦国時代の中では、一人の巨人ではあるが、
日本通史の中では、あまたある領国経営者の一人、ということでおkではないかい?

戦国歴史10傑を選べといえば、信玄がノミネートされて誰も異議はないとおもうけれど、
日本歴史100傑ならば、選考基準にひっかかるかどうかすらけっこう微妙。
もちろん、人気投票からすれば、日本通史でもかなり上位にはくるだろうけど。
644名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 16:11:05 ID:tG5lpwy1
信玄は、名のある大名の中で恐らく唯一自らの手で万引きしたことのある猛者
645名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 16:19:37 ID:Xv/eOMSh
徳川が今川を裏切って、織田と同盟を結んだ時点で、武田は、今川・北条に
無断で、斉藤と同盟を結び、今川が動けないうちに三河を攻め取って、
事後承諾させる。尾張一カ国の織田なら勝てる。
646名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 16:26:52 ID:rg9tcj2U
>>645
そこまで時代を先読みできれば神なのだが
647名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 16:31:43 ID:rg9tcj2U
でもあれだけ領土をまめに収集する貪欲な信玄が、
お隣の美濃で織田と斉藤がどんぱちやっているのに、
まったく無関心なんだな。

介入して東美濃あたりに足場を築けば、
平野不足も少しは解消されるのに
おまけに街道筋で商業も繁栄している

その後は美濃をめぐって織田と小競り合いが続くだろうが、
美濃にある程度足場を築いていれば、難なく滅ぼせるだろ
648名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 16:38:51 ID:Xv/eOMSh
桶狭間の後、今川(武田も)が斉藤と連携する動きを見せる方が
普通だと思うんだが。なぜだろう。
649名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 16:44:58 ID:xMZahJbp
>>648
単純に地理的な位置関係と国境線がどれだけ接しているか。

武田からしたら山のはるか向こうで今川権益の三河より、
戦争中でお隣の美濃のほうが、手を伸ばしやすくないか?

美濃も山のむこうだが、西上州や飛騨の例もある。
650名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 17:34:46 ID:6+8yvfZZ
>>647
いつ介入するんだ?

>>649
桶狭間後、しばらくは織田は尾張統一に専念してる
そして桶狭間の翌年に上杉謙信が上野を席巻する
単独で美濃という大国を攻めるのか、大国の北条と共同で上野を攻めるのか
後者の選択のほうが自然
651名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 17:39:28 ID:8VrXPTG5
織田と戦闘している美濃に東から手を出しても織田への手助けになるだけで肥沃な西美濃を織田に取られるだろう。
東信濃の火種を残したまま甲斐・西信濃・東美濃なんていう横長い領地なんて維持し難いし。
652名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 20:04:16 ID:KWWY108R
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653人間七七四年:2007/07/29(日) 21:19:14 ID:oHWg4OtM
1564年信玄書状によるなら
武田と斎藤は同盟とはいかなくても誼を通じる関係
書状で東美濃に進出しようとしている織田について斎藤と話し合っている

その後武田は織田と同盟結ぶのだが
どっちにしても1560年か1564年までは北信濃で忙しいしその後は西上野が忙しいので
武田が美濃に絡むのは難しいだろうね
654人間七七四年:2007/07/29(日) 22:37:13 ID:zkCQurJ7
そんな武田に都合のいい同盟上手くいくわけないだろ。
だいたいその時期に美濃に介入する余裕無いし、あったとしても信玄じゃ勝てない
655人間七七四年:2007/07/30(月) 03:51:42 ID:bRaRDXo+
武田厨はゲーム脳が多いから仕方が無い。
656人間七七四年:2007/07/30(月) 07:30:50 ID:WAeA7gr9
>>648
今川は重臣が大量に死んで内部壊滅状態なんで動きたくても動けない状態だった記憶があるな
武田と組んで徳川攻めしなかったのはその点もあるんじゃないかと思われる
657人間七七四年:2007/07/30(月) 10:12:44 ID:Geq2RH5g
駿河攻略後に織田との同盟を維持して北条を攻めるのは無理だったのかな?
北条の国力を吸収すれば織田も迂闊に手をだせない。
それに相手は氏政なんだからさ。
658人間七七四年:2007/07/30(月) 11:38:30 ID:nk1Kxb89
無理
659人間七七四年:2007/07/30(月) 12:04:31 ID:50brrbW/
氏政でも関東八ヶ国だしね。
660人間七七四年:2007/07/30(月) 12:08:01 ID:8YrIAn1W
>>635
てす
661名無し野電車区:2007/07/30(月) 14:38:53 ID:CLYto2XF
>>648
というか、桶狭間のときに斉藤義龍と義元が結んで南北が挟撃して
いれば織田は一たまりもなかったんだが
662人間七七四年:2007/07/30(月) 15:00:34 ID:nk1Kxb89
普通に考えれば今川だけで十分なんだから
わざわざ分け前が少なくなるような事をする必要が無い。
663人間七七四年:2007/07/30(月) 15:06:45 ID:D/inepzG
>>661
まったく別の大名がそんな風に連携する例って実際にあるんかな?
664人間七七四年:2007/07/30(月) 16:19:54 ID:RWhUGgYu
>>661
それならば村上も長尾と武田が結んで南北で挟撃すれば一たまりもなかっただろうし
斎藤も織田と朝倉と浅井が挟撃すれば一たまりもないし
今川も武田と北条と織田が挟撃すれば一たまりもないし
武田も今川と北条と長尾が挟撃すれば一たまりもないですね

665人間七七四年:2007/07/30(月) 17:04:47 ID:YVj5LluQ
実際朝倉と浅井に挟撃された信長は九死に一生を得てるよな

>662
実際には織田の国力は今川の半分ぐらいはあって、しかも織田にとっては防衛戦
なのだから桶狭間の戦いは今川にとってももともと楽勝という戦いではなかった
という流れに桶狭間スレではなってる。
666人間七七四年:2007/07/30(月) 17:51:39 ID:9YOY8WCg
国力差が無くても動員できる戦力に差がありそうだが
そこんとこどうなの?
667人間七七四年:2007/07/30(月) 18:10:10 ID:/oHlKb+Y
信長の支配権が尾張全域に浸透してた訳ではない
尾張には当然ながら反信長勢力(やむを得ず従う)もいる訳だから全面的には信頼できない
今川優勢になれば各地で反旗をひるがえすのは間違いない
初期の戦国大名はみんなそう そこから脱却出来てたのが今川家 その差は領国差以上にでかい
668人間七七四年:2007/07/30(月) 18:30:23 ID:nk1Kxb89
と言うよりそもそも織田は斎藤と敵対してたから斎藤への備えが必要。
そう言う意味では今川があらためて斎藤と連携する必要は無い。
669人間七七四年:2007/07/30(月) 22:41:50 ID:pVzAhadr
>>667
へぇー。

お前KOEI得意そうだね。
670人間七七四年:2007/07/31(火) 11:34:02 ID:MFZ0AvK3
つうか今川はその時点でより地理的に近い伊勢の一向宗・服部氏を味方につけてますよ
で、こいつらは実際に舟を出して桶狭間にあわせて織田領を攻撃している
今川方が負けた後、逃げるのに失敗して現地の人にボコられてたがw
その後もしつこく織田と敵対したことが、後の伊勢一揆殲滅の伏線ともいえるな
671人間七七四年:2007/07/31(火) 11:56:37 ID:AVaGVjHU
今川も、「上洛軍」は2万5千で、確定?
672人間七七四年:2007/07/31(火) 12:39:38 ID:QApGLTvR
てか
信玄の場合、あと越後美濃尾張を制圧で
実質、近畿関東に対抗できる勢力がなくなって
天下統一したと同じになるんじゃねーの
673人間七七四年:2007/07/31(火) 12:44:53 ID:IY9DcKM5
てか
信玄の場合、あと越後美濃尾張を制圧で
実質、近畿関東に対抗できる勢力がなくなって
天下統一したと同じになるんじゃねーの

てか
日本の場合、あとアメリカと中国とロシアを制圧で
実質、ヨーロッパに対抗できる勢力無くなって
世界征服したと同じになるんじゃねーのwwwww
674人間七七四年:2007/07/31(火) 17:07:12 ID:CfHDVBXc
てか
信玄の場合、あと越後美濃尾張からボコられて
実質、近畿関東からも侵略されて
天下すべてからボコられたのと同じになるんじゃねーの

こうですか解りません><
675人間七七四年:2007/08/03(金) 07:40:14 ID:7jm1VZ8b
てか
美濃の制圧は可能だったが、そのあと信長と決戦が起こってしまうので
身動きできない信長に対して、浅井朝倉と連携を組んで近江で雌雄を決する旨の書状が残されている

上洛というより、織田家に損害を与えることが武田の最優先事項だったように見えます
676人間七七四年:2007/08/03(金) 18:29:39 ID:M0372WPC
その書状は浅井朝倉を動かすためのはったりだと思う
そもそも書状で信玄は遠江三河の大半を制圧して徳川を今にも滅ぼせるようなことを
言ってるが現実はそれにはほど遠いし
東美濃も手中に治めているように宣伝しているが現実は東美濃の外れの恵那郡の
そのまたはずれの岩村程度だし
677人間七七四年:2007/08/05(日) 11:54:48 ID:SVuMxbom
戦国大名の言葉や外交交渉を素直に受け取る奴多すぎ。
特に武田厨。
678人間七七四年:2007/08/05(日) 12:18:16 ID:LBgXYqIp
織田勢は動けない、というのは
兵力が集まるのを待ってたから動けなかったということでは?
織田軍は近江に大規模な出兵をした後で、動員の端境にあったから軍の再結集が必要だった
佐久間とか比較的大身の将がいるのに、徳川への援軍が少なかったのもそのため
武田が退いた後、将軍家やその与党を瞬殺した兵力こそが信長の対武田決戦部隊の転用では?
679人間七七四年:2007/08/05(日) 13:21:06 ID:26C9c2lj
美濃を制圧できるがその後に決戦って意味がわからん。
織田が美濃を制圧されるのをたいして妨害せずにいると?
680人間七七四年:2007/08/05(日) 14:51:23 ID:yyZtD+vF
そもそも美濃を制圧できるのならわざわざ東海ルート行かないから。
70年代の織田の軍事力舐め過ぎだろ、信長包囲網の大名の全兵力足して互角だぞ
681人間七七四年:2007/08/06(月) 11:32:17 ID:tIWwUx7f
織田の石高200万石だろ
単純に5万は動かせる 本願寺は攻勢だと弱いし、浅井朝倉は動けない
はいはい負け負け
682人間七七四年:2007/08/06(月) 12:08:18 ID:XGM0880h
浅井朝倉はこの時期でも2万近く動かせるからな。
そう単純にはいえまいよ。
683人間七七四年:2007/08/06(月) 12:24:40 ID:RUU61WcC
でも朝倉はこの時期は冬だから撤退してるし。
684人間七七四年:2007/08/06(月) 12:33:35 ID:gOd85Arb
武田の2万5千なら5千人くらいで勝てそう
685人間七七四年:2007/08/06(月) 13:05:32 ID:kBzWXX9B
どっちが先に個別撃破できるかによるなこれは
686人間七七四年:2007/08/06(月) 13:32:28 ID:tIWwUx7f
>>682
この時期の浅井朝倉は調略されてボロボロ
15000も動かせるかどうか…
687人間七七四年:2007/08/06(月) 13:46:56 ID:XGM0880h
>>684
そりゃ無理だろw徳川が泣くぞw

>>686
刀根坂では2万近く動かしてなかったっけ?うろ覚えだが。
688人間七七四年:2007/08/06(月) 13:56:23 ID:90Cze8PL
テンプレみろよ
この時期の朝倉は織田以外にも内外に敵をかかえており、出兵する余裕なんかない
689人間七七四年:2007/08/06(月) 14:06:50 ID:vYQNoN60
>>687
2万と言っても張子の虎みたいなもんだったしなあ。
690人間七七四年:2007/08/06(月) 14:08:35 ID:XGM0880h
>>688
テンプレには遠征能力○って書いてあるんだが。
691人間七七四年:2007/08/06(月) 18:54:48 ID:M96XMQ1e
>>690
この場合遠征というのは浅井家救援のために
北近江に1万程度で出兵するとうこと(守勢)であって
それ以上の攻勢のための遠征は無理なんじゃね?

浅井・朝倉には北近江の確保以上の行動は出来ないわけだから
テンプレにあるとおり秀吉を北近江に駐在させて現状維持をしていれば、
さほど脅威にはなりえんと思う

織田の兵力はテンプレに5万てあるけど、
最低5万であって経済力にものをいわせれば更なる動員とか可能なのかな?
テンプレでは1万石あたり250人動員とし単純に石高のみで計算してるけど、
実際は経済力とか人口とかの要素も絡んできそうだから国によっては動員力が違いそうだな

人口も織田家の直轄地は全国的にも比較的多そうだし、
仮に武田が尾張辺りに来たら本土防衛のために更に動員率を上げてくるだろうな

武田2万5千と織田5万(テンプレでは対武田に2万8千は投入できるとある)とあるが、
この数字は武田の場合は最大限動員した兵力であり、
一方織田は最低でもこれだけ兵力があるという比較だから
実際織田が最大限兵力を動員してきたら勝負にならんのじゃね?
692人間七七四年:2007/08/06(月) 20:28:51 ID:BRzVF7YH
同じ兵といっても戦慣れしたベテランと戦も知らぬ新兵じゃ差がありすぎるしな
大勢討ち死にするってのは大名家本体にとっても相当ヤバイのだろう
693人間七七四年:2007/08/06(月) 20:37:50 ID:tIWwUx7f
>>687
防衛方だと多少は多く兵を出せるのと、2万という数字がきりが良すぎる(要するに2万もいないだろうと)
694人間七七四年:2007/08/06(月) 22:28:49 ID:Q+ahdxpx
信長公記だと刀根坂では2万の援軍となってはいる
695人間七七四年:2007/08/07(火) 12:03:41 ID:aQFKP98R
>>694
自軍ではなく敵軍の兵力は正確には分からんだろうから
敵方の自称2万をそのまま書いた可能性もあるんじゃね?
696人間七七四年:2007/08/07(火) 12:48:45 ID:iWiZgJJ0
つーか、太閤検地を基にしたり、江戸後期?の史料を基に出したテンプレこそ
それこそ参考程度にしかならんと思うが。
まあ、もともと参考程度に作ったものがいつの間にかスレ住人によって絶対視的なものに
かえちゃったのだろうねw
697人間七七四年:2007/08/07(火) 13:58:42 ID:Zk4VPPXq
慶長検地は、石盛を高く設定したって説もあるしね
698人間七七四年:2007/08/07(火) 14:10:29 ID:aQFKP98R
>>696
確かに参考程度にしかならんよな
例えば尾張の1万石と甲斐の1万石では動員力が違ってくるだろうし
動員には石高以外に経済力・人口等の要素も絡んでくるだろうしな
699人間七七四年:2007/08/07(火) 14:50:37 ID:OrL6aDNe
後は合戦で実際に戦える人がどれくらいいたのか
後方で荷駄補給に携わる人もいるわけだし参加するのは大名直属の兵だけでもない
臨時で雇う今の派遣みたいな扱いの傭兵もいるだろし
700人間七七四年:2007/08/07(火) 16:47:31 ID:4I5MI4FW
テンプレがおおよその石高だけを前提にしているのは、
商業・金山など他の要素を加えてもただでさえ不利な武田がさらに不利になるだけだから。
ついでに過去スレで人によって国別の石高に違いがあったり、動員兵力の計算が違ったりしたので
基準が欲しかったのと一部武田厨がdでも説をぶちかましてくれたのである程度の目安として設けられたはず。
701人間七七四年:2007/08/07(火) 17:44:05 ID:LRhlkgR7
ガチンコで武田と織田がぶつかれば武田が不利になるのは事実。
でも織田は各方面へ兵を割かなければならないので、決してガチンコ勝負にはならない。
702人間七七四年:2007/08/07(火) 18:31:25 ID:9SxaNnWH
武田だって各方面に兵を割かなければいけないだろ アホか
703人間七七四年:2007/08/07(火) 18:35:09 ID:LRhlkgR7
武田は海津城だけだべ。他に何処に兵を集める必要があるんだ?
704人間七七四年:2007/08/07(火) 18:41:21 ID:aQFKP98R
>>701
信長のこの時期の各方面の敵は攻勢に出る力はなく
ただ自国内で抵抗するだけで精一杯なのだから、
兵を割くと言っていも、敵を攻め滅ぼす為でもなく
敵からの侵攻に対しての防衛の為でもなく、
現状を維持する為に兵力を割くのだからそれほど兵力は分散されないはずだよ。

武田も上杉に対してはもちろん、
現時点で味方である北条に対しても注意を向ける必要がある。
兵力を割くのはお互い様
705人間七七四年:2007/08/07(火) 18:46:41 ID:aQFKP98R
>>703
ゲームじゃあるまいし海津城だけでは不十分すぎるだろ・・・
上野方面はもちろん
甲斐本領、駿河方面に対してもある程度の兵は必要不可欠
背中をがら空きするのは無警戒すぎるだろ・・・
北条が100%裏切らない保証なんてどこにもない。

仮に遠征先で大敗北→包囲網陣営動揺→北条が武田との同盟破棄
→空の領国を蹂躙されて、家に帰れないとかになったら最悪だろ?
706人間七七四年:2007/08/07(火) 18:53:25 ID:LRhlkgR7
>>704
北条家とは1571年に和睦を結んで人質をとってるだけじゃなく、2千の援兵まで
送られて武田の軍務についてる。当面の問題は上杉だけ。

それも信玄は本願寺と結んで、加賀・越中の門徒衆に蜂起させてる。さらに信玄が
上洛?に動いたのは、上杉が動きにくい降雪の時期。
信濃・上野に若干の兵を割いただけで軍を動かしてるわけさ。

このころの織田は近江以西、畿内各地の経略で武田と戦所ではない。
707人間七七四年:2007/08/07(火) 19:07:58 ID:aQFKP98R
>>706
遠征が長引いて雪解けのシーズンになったらどうすんのさ?

>>戦所ではない
↑というのは戦うどころではないのタイプミスか?
もしそうなら武田とは戦う余裕がないのではなく、
武田よりも国土豊かな近江・畿内方面を優先してただけだろ
テンプレにもあるとおり3万近くは武田に投入できる

テンプレでは織田家の総兵力は5万弱とあるが、
実際はそれ以上の動員も可能なはずだしな
708人間七七四年:2007/08/07(火) 19:10:44 ID:9SxaNnWH
多分 何を言っても聞かないタイプだよ
同盟=戦争できません の発想だから
709人間七七四年:2007/08/07(火) 19:16:59 ID:Icsf0xLP
>>695
織田の勝利を誇張してか今川軍が2倍の兵力を自称したかは分からないが
『信長公記』では桶狭間の今川軍は45000と武田北条方の記録にある25000の約2倍
その例がそのまま当て嵌まるかは分からないが刀根坂の朝倉軍も実数の約2倍かもしれない
本当の朝倉軍のが兵力が約1万とするなら、一部の軍役拒否、若狭への抑えを考慮すると
丁度テンプレ程度の兵力になると思う

>>706
石高的には各方面に抑えの兵力を置いても織田の方が武田を互角か上回るかの兵力を
そろえられる可能性が高い
石高以外の要素を考えるなら、何処で戦うかは分からないが地元に近い分
織田の方が250人役を超える動員が可能となる可能性が高い

ついでに信長と信玄の戦績から考えるなら信玄のほうがガチンコを避ける可能性が高い
710人間七七四年:2007/08/07(火) 19:28:35 ID:LRhlkgR7
>>707
>>遠征が長引いて雪解け

当然信玄はそのことも考えてる。だから三方ヶ原で大勝後に勢いに乗って浜松城への
攻撃を止めたんじゃないか。
浜松を抜くのに少なくとも30日。それまでに織田の本軍数万が来るのは必須で、
対陣が長引けば雪解けになり上杉が攻めてくる。そうなれば北条も離反する可能性がある。

本来の目的である尾張・美濃へ急ぐ為(別働隊の秋山と合流)、三河の野田城を攻めたが
何故か1ヶ月もかかってるんだよな。理由は信玄の死だが。


信長の敵をざっと挙げると、足利義昭(近畿の諸将や朝倉に蜂起を促し、石山と今堅田に砦を築いてる)
朝倉義景、摂津大阪衆、尾張長島の本願寺僧徒衆。
本当に兵を割かなくても安全な相手だと思うカイ?
711人間七七四年:2007/08/07(火) 19:53:19 ID:aQFKP98R
>>710

誰も兵を割かないとは言ってないだろ
現状維持のための兵力分散で十分と言ってるんだが

朝倉・浅井 →越前に撤退し、攻勢に転じる余裕はなく北近江の防衛支援に手一杯
         織田方が本格的に攻め込まない限り、兵を動かしてくる可能性は低い

摂津大阪衆→三好一族が中心だが最盛期程の力も団結力もなく統制もとりずらい
         摂津周辺が全て半信長ではなく織田方の武将も多数いる
         
長島一向宗→篭っている砦・城を攻め落とすのは困難だが、
         攻め込まず牽制する程度の兵力を配置しておけば大丈夫 

これらの敵の共通点は自勢力の維持が精一杯で攻勢に転じるのは困難ということ

そしてスレ違いだが本能寺の変に関する貴重な発見があったそうだね
従来の説にどのような影響を及ぼすのか楽しみだw         
712人間七七四年:2007/08/07(火) 19:56:50 ID:LRhlkgR7
長島に関しては武田軍が尾張に来たら100%攻勢に変わるよ。挟み撃ちだね。
朝倉に関しても我々は歴史を知ってるから安全と言えるが、当時の織田に取ったらそんな軽い相手じゃない。
713人間七七四年:2007/08/07(火) 19:59:51 ID:IoCIGfJ7
つーかもう信長包囲網とかいうより武田包囲網だからなww(70年代)
714人間七七四年:2007/08/07(火) 20:09:56 ID:aQFKP98R
>>712
長島の一向宗は女も多数含まれているし
城・砦に篭城したら手強いが、
正規軍と比べて装備はおそまつで統制もとれておらず
野戦での戦闘力は疑問があるんだけどね
テンプレ程度の兵力配置で十分じゃね?

朝倉・浅井は志賀の陣辺りならやっかいだったが、
72年の時点ではあと少しで詰みの状態じゃないか
歴史を知っている現代人以上に、
実際に対峙していた織田方の武将は朝倉・浅井もギブアップ寸前だと実感してたんじゃね?
大事な時期に朝倉が越前に撤退という目に見えてあいつらもうヤバイという出来事もあったしね
715人間七七四年:2007/08/07(火) 20:17:38 ID:LRhlkgR7
>>実際に対峙していた織田方の武将は朝倉・浅井もギブアップ寸前

信玄は三方ヶ原の戦勝後、朝倉へ織田を攻めずに兵を引いた事を詰問した答書を出してる。
それだけの軍事力を期待していたからに間違いないでしょ。
716人間七七四年:2007/08/07(火) 20:27:18 ID:aQFKP98R
>>715
信玄の立場に立てば、
自身の勢力が敵よりも劣っているのだから
敵の敵は味方の理論でそれなりの勢力を持ち織田の敵である朝倉には期待して当然

朝倉としては
数年間大勢力の織田と抗争を続けた為に国力が疲弊してやむを得ず撤退したら、
勝手に期待を押し付けられていた信玄から非難の手紙まで貰っちゃやり切れないわな・・・

義景は信玄に対して
「お前も数年間数段格上の織田と戦ってみ、俺の辛さが分かるから」という様な感じだったんじゃないかな?
717人間七七四年:2007/08/07(火) 20:36:44 ID:LRhlkgR7
ちょうど信玄が三方ヶ原で快勝した頃、信長は小谷城(浅井方)を攻めていた。
そこへ朝倉が2万の兵を連れて近江へ陣取った。しかし決戦を挑まず敵塁宮部を攻めただけ。

信長は遠江の事を知り、美濃へ引き上げる。それをみて何故か朝倉も引き上げる。
挟み撃ちを考えていた信玄激怒。こんな流れだよ。
718人間七七四年:2007/08/07(火) 20:44:45 ID:9SxaNnWH
ヒント:2万 JARO
719人間七七四年:2007/08/07(火) 20:50:11 ID:aQFKP98R
>>717
あの時期の朝倉家の現状では仕方がないことだろ・・・
攻める余力は皆無で北近江の防衛もギリギリの状態
信長が北近江から引き上げたといっても簡単に攻めに転じられるわけがない

志賀の陣辺りの時期ならまだしも、
あの時点での朝倉の戦略は
北近江の防衛で頑張ってる間に信玄に織田の主力を叩いて貰うことが
自分たちの生き残る道だとしていたのに、更に攻めろは無理だろ

実際、信長撤退後に虎山御前に残った敵兵を撃破出来なかった程余力がないのに
どうやって美濃に進出して信玄と挟撃するんだよ?
720人間七七四年:2007/08/07(火) 20:54:03 ID:LRhlkgR7
朝倉の所領は越前68万石、加賀の南部19万石で87万石で、凡そ2万余人といわれている。
この中には気比祠(敦賀)の祠官、豊原寺(坂井郡)や平泉寺(大野郡)などの僧侶も含まれる。

1万石=250人で換算すると21,750人だからおかしい数字じゃないと思う。
721人間七七四年:2007/08/07(火) 21:04:01 ID:aQFKP98R
>>720
なんで慶長検地の石高を使うんだよ?
仮に2万を動員できても越前━近江の補給が厳しい
722人間七七四年:2007/08/07(火) 21:05:22 ID:mdDw833X
>>720
>越前68万石、加賀の南部19万石で87万石
テンプレを読んだうえでいっているんだよね?
さ、ソースをどうぞ。
723人間七七四年:2007/08/07(火) 21:05:38 ID:Icsf0xLP
>>712
志賀の陣で濃尾がほとんどがら空き状態だったのに川の対岸の城を落とすだけだったのに
だいたいテンプレにあるように5千もあれば十分じゃ
そもそも桶狭間の時に熱田の町民に撃退されていないか?

あと武田が尾張にまで進出するとしたら後方を徳川に扼されて絶望的な状況になってしまう

朝倉に関して言えば秀吉+αだけで撃退している
朝倉の軍記物じゃ浅井朝倉は磯野と秀吉の5千のを破れないとか書かれちゃっているし

>>715
溺れるものはってほどでもないと思うけど
利用できそうなものは何でも利用しようとしたでしょ
724人間七七四年:2007/08/07(火) 21:09:53 ID:LRhlkgR7
なんでと言われてもこれしか知らないとしか答えられない。
もっと具体的に言うと、越前の全州68万石、加賀の南部(手取川以南)の2郡、すなわち能美、江沼の19万石が朝倉領になる。

ちなみにこの領域は南が浅井領に続き、東南の美濃と西の若狭は織田領へと続いている。
加賀の北部(手取川以北)は本願寺、飛騨は姉小路の所領。しかし、注意すべきは織田領のみで
本願寺、姉小路はまったく平穏で防備に気を使う必要はなかったと言う話。
725人間七七四年:2007/08/07(火) 21:11:26 ID:Icsf0xLP
>>717
時系列がかなり間違っている
1572年9月16日には信長は横山城へ帰っている
11月3日浅井朝倉が虎御前山を攻めたが秀吉に防がれる
11月には信長は岐阜へ帰還
12月3日には朝倉が越前へ帰還
12月22日に三方ヶ原の戦い
726人間七七四年:2007/08/07(火) 21:20:26 ID:LRhlkgR7
>>725
ちょっとというか、かなりおかしかったな。すまん。
その時系列が正しい。
727人間七七四年:2007/08/07(火) 21:48:07 ID:Icsf0xLP
>>720
慶長検地使うなら他の国にも適用しないとおかしくなる
まあ太閤検地でも越前の検地は初期に行われた方で基準もやや甘い頃であったことと
1574年の一揆と1575年の織田の侵攻のせいで国力は落ちたと思うから
太閤検地を利用するなら実際にはもう少し加算修正すべきだとは思うが
慶長検地の方は200年以上たっても石高が増えないという異常さ
江戸時代になっても慶長検地は厳しすぎ、越前は諸国の中でも厳しいとか
書かれる風説などから考えて下方修正すべきだと思うが

あと加賀の南部が19万石って根拠は何?

>この中には気比祠(敦賀)の祠官、豊原寺(坂井郡)や平泉寺(大野郡)などの僧侶も含まれる。
それはむしろマイナス
そもそも検地高は武士政権に取り込まれた寺社領と
朝倉時代から検地するまでの間に武士政権に没収された寺社領含んでいる
(非一向宗寺院は1574年の一揆によって勢力を弱め
一向宗寺院は織田の侵攻と柴田丹羽らの越前統治によって勢力を弱めている)
テンプレは最初から寺社領込みで越前の石高は約50万石
検地逃れたり免租地となった寺社領の石高がどれだけあるか?

朝倉時代にはそれなりにあったという寺社領は越前49万石の中に大半が含まれていて
その寺社勢力は朝倉には協力はしていても朝倉とは別勢力と言うことで
マイナス要素にしかならないと思う

寺社領石高は今専門書が無いので間違っているかも
間違っていたら誰か修正よろしくw

>>724
そりゃ一時期は加賀の一部も支配していたが1572年にはとっくに失っていたはず
728人間七七四年:2007/08/07(火) 22:04:06 ID:LRhlkgR7
加賀2郡を手に入れたのは永禄5年(1562年頃)の加賀僧徒の乱だと思われる。
朝倉は本願寺光佐を助けてこれを平定している。

この乱の時に加賀・能登・越中の士卒や土民、若狭の守護武田義統が義景に協力、
又は服従したらしい。
729人間七七四年:2007/08/07(火) 22:16:15 ID:LRhlkgR7
>>あと加賀の南部が19万石って根拠は何?

能美郡が12万石、江沼郡が7万石。加賀藩の石高の内訳を知ってる人なら
そんな疑問は出ないと思う。
730人間七七四年:2007/08/07(火) 22:41:48 ID:Icsf0xLP
>>728
1564年〜1566年だと思う「産福禅寺年代記」
でも1566年には国境まで押し戻し
1567年には堀江が離反して逆に越前の金津上野にまで攻めこんでいる
1567年11月には上洛したい義昭によって停戦、国境まで戻る
その後また小競り合いが続いて最終的に1569年4月に和睦

前の時代にも加賀2郡を手に入れたことあったが
1555年〜1556年とか
まあ朝倉と一向一揆は1506年から加賀に攻めこんだり越前に攻め込まれたりしている

>>729
どっから突っ込めばいいものか・・・
731人間七七四年:2007/08/07(火) 23:17:31 ID:LRhlkgR7
>>どっから突っ込めばいいものか・・・

参考までに他にどういった確認方法があるのかご教授ください
732人間七七四年:2007/08/07(火) 23:59:05 ID:Icsf0xLP
一番いいのは普通に郡別の石高を調べてくることに決まってる
加賀国のは郡高や村高の載っている史料が残っているかまでは知らないが

突っ込みどころは戦国期の石高求めるのに江戸時代の藩の石高を利用していることと
豊臣政権や徳川政権から認められる石高は軍役の基準とするための石高であり
慶長検地による石高とはまた別
その上、大名・藩の石高は所領が入り乱れていて国や郡の石高を計るには
ちょっと不適切、いろいろ飛び地があったりするし

ついでに書くと江戸時代はそれらの石高も正確には米換算の取れ高を表しているわけでもなく
実質的な検地高は別だったりもする
と言われている
733人間七七四年:2007/08/08(水) 00:01:23 ID:ZNDtRMj2
>>一番いいのは普通に郡別の石高を調べてくることに決まってる
>>加賀国のは郡高や村高の載っている史料が残っているかまでは知らないが

では結局加賀国の石高は分からないって事でしょ。なら自分の用いた石高を目安にして何が悪い。
734人間七七四年:2007/08/08(水) 00:07:52 ID:cRlz0kFt
それじゃ自分の心のなかで信じておけば?
他人を説得させられる根拠は無いんだろ?
735人間七七四年:2007/08/08(水) 00:08:59 ID:MnlODbMO
ちなみにテンプレの支配率が100%でない部分の割合は
江戸時代の郡別石高の割合を、太閤検地に当てはめて戦国期の郡別石高を類推し、
それを使って支配率を求めていた

>>733
まあ主張するのは自由でしょ
それが回りに受け入れられるかは分からないけど
736人間七七四年:2007/08/08(水) 00:12:47 ID:ZNDtRMj2
その通り。自分の話はあくまで目安として聞いてくれれば良いよ。
商売にするわけでも論文を発表するわけでも無いからさ。
737人間七七四年:2007/08/08(水) 00:15:32 ID:v2JIwou5
>>733
越前・加賀だけ他とは違う尺度で評価したら議論もへったくれもないだろ・・・
738人間七七四年:2007/08/08(水) 00:17:24 ID:ZNDtRMj2
じゃあ今度から敵国の石高も書いてあげるよ。そんな機会があればね。
それで問題ないかい?
739人間七七四年:2007/08/08(水) 00:19:11 ID:v2JIwou5
>>736
お前の話なんて誰も聞きたくないから
議論するつもりがないのなら他所のスレで持論を書けよ・・・
ここはチラシの裏を書き込むスレじゃないんだぞ・・・
740人間七七四年:2007/08/08(水) 00:23:48 ID:v2JIwou5
>>738
だから>>732にもある通り、
慶長検地では不適切で問題あるんだよ
741人間七七四年:2007/08/08(水) 00:30:32 ID:ZNDtRMj2
んじゃもう2度と書きません
742人間七七四年:2007/08/08(水) 00:54:00 ID:MnlODbMO
>>733
検地に関する史料と論文書籍は豊富だから本気で調べれば見つかるとは思うけどね
ただ、朝倉は1572年には加賀を支配しているわけではないので、敢えて調べる気は無いが

>>740
慶長検地そのものはそれほどじゃないと思う、
太閤検地より時代が更にずれているため問題はあるけど。
>>732で問題としているのは大名の石高や藩の石高から国や郡の石高を推定するのが
問題ってことで
ちょっと調べれば分かると思うけど一国のような大名の石高がその国の石高超えていたり
天領などがあるせいか一国の藩すべて合わせても一国の石高にほど遠かったりして

ただ太閤検地の土佐の石高がおかしいように慶長検地は越前の石高がおかしいから
慶長検地を使ったとしても越前には適用しない方が良いと思う
個人的には太閤検地の信濃の石高はやや過小な気がするから、そこは慶長検地を参考にして
幾分プラスしても良いんじゃないかと思う。


まあ何度も言われているが幾分みたいな恣意性が介入するとお互いの主張の押し付け合いに
なりそうだから、どの検地結果で評価するにしても取りあえず恣意性は排除して
基準は一つとするべきだろうけど
743人間七七四年:2007/08/08(水) 04:17:05 ID:b+Nm3R4K
744人間七七四年:2007/08/09(木) 19:39:18 ID:+z/F4au/
って江戸時代の石高かよw
745人間七七四年:2007/08/10(金) 00:44:15 ID:AjkKdQzC
信玄がどんなに頑張っても信長には勝てない
信長に勝てるのはミラクルヤンくらいだよ
746人間七七四年:2007/08/10(金) 01:12:17 ID:9JckF6DB
信長はラインハルトか
747人間七七四年:2007/08/10(金) 10:13:56 ID:yfpUa4ql
>>746
そ、
で、キルヒアイスこと平手汎秀を三方ヶ原で失ってるから
信長不利だな
748人間七七四年:2007/08/13(月) 22:30:34 ID:Ht9aL+nP
つーかラインハルトさんはヤン以外には無敗だろ。
伊勢長島や河野島とかで何回も負けてる信長とは違うだろ。
749人間七七四年:2007/08/15(水) 11:46:32 ID:dgkjzdiE
信玄は格下豪族にも何回も大敗喰らっているからな
最低でも二倍以上の兵力差を用意しないと信長相手には厳しい
750人間七七四年:2007/08/15(水) 18:25:40 ID:1IrcUJQb
何度もってほどじゃないと思うけど
751人間七七四年:2007/08/15(水) 19:52:44 ID:5QDqLirc
>>749
伊勢のお百姓さんや暗君といわれる竜興の斉藤に大敗してるからな。信長は。
最低でも2倍の兵力を用意しないと信玄相手には厳しい。

鸚鵡返しに出来てしまう理屈だな。どちらも歴戦の将で兵力が同数なら
そんな簡単に決着はつかないだろうよ。
752人間七七四年:2007/08/15(水) 20:18:53 ID:t0CsobdD
>>751
>伊勢のお百姓さんや暗君といわれる竜興の斉藤
日本中の大名が苦戦した一向宗や、美濃一国持ちでしかも講和破りの奇襲をかけた狡猾な龍興をそうやって矮小化しているあたりに武田厨臭がプンプンw
753人間七七四年:2007/08/15(水) 20:21:06 ID:GjVYdbKo
仕方ねーだろww 武田厨は正史を知らないんだからwwww
海ノ口が本当にあったと思ってる連中だぞ
754人間七七四年:2007/08/15(水) 22:03:27 ID:5QDqLirc
>>752
一向宗はそりゃ苦戦したろうさ。
だがそれいったら苦戦しない相手なんかいるのか?
地の利を生かして抵抗してくる熟練の将はいずれも手ごわいだろうさ。
武田の相手だけ矮小化してくるのは織田厨丸出しだなw
竜興は暗君といわれてる、と書いたろ?
河野島ではガチでやって負けたはずだが?強い相手なら負けるのもおかしくない
というなら武田の敗北もムゲには出来んよな?
755人間七七四年:2007/08/15(水) 22:04:19 ID:5QDqLirc
>>753
そんな人いるの?君の妄想の中ではいるのかも知れんけどw
756人間七七四年:2007/08/15(水) 22:07:21 ID:7qQviNmI
無知はまだいいよ知識をつければいいんだから

問題は主張が矛盾しまくったり、勝手な定義や
武田だけ前提条件が特別だったり、ダブルスタンダード連発
他大名との比較でも基準が一定しないため客観性無し
意味不明な論理で主張を続けるような武田厨
教えても理解しようとしないからな〜
757人間七七四年:2007/08/15(水) 22:14:40 ID:5QDqLirc
>>756
ほう、俺のことをいってるわけ?
俺の主張は単純で一向宗が手ごわいから負けたのは仕方ない、
とかいうなら熟練の名将である村上に敗れたのも仕方ない、
といっていいだろう、という事なんだが?
まさか同等以下の相手では一向宗のほかは敗れても仕方ない
相手なんかじゃないとか言い出すわけじゃないよな?
758人間七七四年:2007/08/15(水) 22:25:33 ID:MiRwqtth
宗教勢力を大名権力と同等に扱ってるのが無知といわれてるんだろう
村上が大名権力として成立しているのか否かは置いといてな
挙げるべき例は斎藤のそれで十分だろ
わざわざ余計なもの持ち出して墓穴掘ってるから馬鹿にされてるだけのはなし
759人間七七四年:2007/08/15(水) 22:30:07 ID:5QDqLirc
>>758
さてね、宗教勢力といったところでただそれだけ唱えていれば
勝てるもんでもないだろ。信長公記の記述どおりなら一揆勢は
純粋に地の利を生かした戦術で織田軍を撃破してるんだけど。
地の利を生かした戦術で武田を撃破した村上とそのプロセスにおいては
同じだろ?
斉藤を挙げたらどうせ村上を武田と同等以下の
勢力といってくるだけの話だろ?
760人間七七四年:2007/08/15(水) 22:35:21 ID:7qQviNmI
>>757
具体的には170前後の外交関係で挙げてる人とか
500前後の武田の略奪は普通レベルでも貧しい信濃からの略奪で甲斐を豊かにしたと言う人とか
720前後で越前と加賀だけ江戸時代のしかも中期か後期の石高で評価しようとしている人とか

まあ安価つけなかった上に1時間以上レスが無かったので書きこみ前にリロードしなかったのも
悪いと思うが
そんな喧嘩腰だとまた武田厨はとか言われかねないと思うぞ
761人間七七四年:2007/08/15(水) 22:38:17 ID:5QDqLirc
>>760
武田の略奪に関してはそれで甲斐が豊かになったとしてるのは甲陽軍鑑だろ?
いつもは割り引かれる資料なのになんでこういうときだけ割引がないんだ?
762人間七七四年:2007/08/15(水) 22:47:01 ID:MiRwqtth
>>759

被害妄想はなはだしい奴だな
おまえ自身が言ってるように戦は数が重要だが、宗教勢力の動員する兵員は凄いぞ?
それに伴って大名側の兵員も大きく削られる
しかも大概が狂信者で士気も高い
それと結局農村からの人間を兵力基盤に置いて「迷惑」とまで言われるような大名の闘争とでは同じ土俵で語るのは無理がある
だから斎藤の例で十分だと言ってるわけだが
村上が武田以下の支配権益しか確保してなかったのかどうかなんぞしらんが、それ以降はもう妄想以外の何者でもない
763人間七七四年:2007/08/15(水) 22:47:16 ID:7qQviNmI
自分はどんな名将だって負けることはあるだろうと思うから
自分に突っかかれても困るけど
信長には同程度の兵力だけでなく相手より劣勢の兵で勝ったためしもあるけど
信玄には劣勢の兵で勝った例は無いどころか同数の兵力で勝った例もないから
751の理屈はおかしい

>>757
758も言ってるけど宗教勢力は別扱いしたほうがいいんじゃね

>>759
村上は信濃の半国程度
村上スレで書かれていたが国力は武田の半分程度
兵数も恐らく武田の方が上で村上は武田と同等以下だろ

ただ河野島合戦時は西美濃の一部と東美濃は織田領となっていて
斉藤はその時点では織田と同等とはならないだろうけど
ただ信長の性格考えると兵数はどうかは分からん
764人間七七四年:2007/08/15(水) 22:54:00 ID:5QDqLirc
>>762
確かに数はいるだろうさ。でも女子供まで含め、さらには十分な武装を
施せていない者もいる事から、遠征軍としては期待できないとかいうのが
このスレの扱いだろ?プラスとマイナスがあるわけだ。
それを手ごわいとして「仕方ない」で済ますなら他の手ごわい大名だって
「仕方ない」になるだろ、といってるんだが。
地の利を生かして戦う熟練の名将が率いる大名の軍に負けた事も
十分「仕方ない」になりうるだろ。「手ごわい相手」というのは同じだし。
765人間七七四年:2007/08/15(水) 22:56:13 ID:7qQviNmI
>>761
妙法寺記にもあったと思うが
割り引くなら今度は信玄が甲斐を豊かにしたが成り立たないことになる

略奪で甲斐を豊かにしたと、武田の略奪は標準レベルを両立させようとするから
矛盾しているのだと思うが
平山氏の説を採るということは武田の略奪は異常なレベルということを表すんじゃないか
まあそんなことすれば主な略奪先であった信濃は武田領となるころには生産力が
落ちまくっていたかもしれないが

そういえば信濃の石高は太閤検地と寛永検地で大きな差があるが
武田の統治によって荒が増えたのが天下が安定して回復したためだったりして
766人間七七四年:2007/08/15(水) 22:59:05 ID:5QDqLirc
>>763
あれはそもそも上の奴の理屈を鸚鵡返しに返しただけのこと。

宗教勢力にはプラスもあればマイナスもある。それだけ特別扱いして
「仕方ない」として他の手ごわい相手に負けた事を「仕方ない」と
しないのは変な話と思うのだがどうか?

村上が武田以下というのは元々俺もそう書いてる

767人間七七四年:2007/08/15(水) 23:00:04 ID:h47KoimS
河野島の敗北って書状によれば
信長軍川を渡って河野島に着陣>美濃勢の出陣>信長軍、川べりに陣取る>
両軍が戦おうとしたところ、大雨で取りやめ>水がひいてから美濃勢が攻撃
しようとしたが、信長は撤退する。しかし増水のため軍に溺死者がでて、
また逃げ遅れた何人かの兵が討ち取られた。
こんな流れか。

>>759は、そのときの彼我の勢力差を考慮してからいったほうがいい。
上田原のときの武田は甲斐一国に信濃のほぼ半国は押えていたのに対して、
村上は精々信濃の四半国。
それと伊勢の農民に負けたって、当時の本願寺がどれほどの富強を誇って
いたかも知らないのか?
768人間七七四年:2007/08/15(水) 23:01:46 ID:7qQviNmI
>>764
遠征軍としては期待できない
代わりに地域の惣村守るためには死に物狂いで反抗する

一揆が攻めてきたのに対して負けたならともかく
一揆が守ってる所に攻めた場合にはその理屈はおかしくないか?
769人間七七四年:2007/08/15(水) 23:02:01 ID:5QDqLirc
>>765
だから元々貧しい甲斐だから普通の略奪でもある程度豊かになれた、
っていうだけの話じゃないの?
平山氏の説なら戦国時代は全体的に略奪と飢饉の時代だったという事だから
武田だけをもって異常とはならんだろ。

太閤検地で間違いは他にもあるでしょ。土佐とか。つーか太閤検地って
よくあてにならないとされてないっけ。
770人間七七四年:2007/08/15(水) 23:03:37 ID:MiRwqtth
>>764
何で遠征軍が出てくるんだ?
長島の攻防戦と武田の村上戦を比較してるんじゃないのか?
村上で武田敗戦というと戸石崩れか
遠征軍関係ないだろ?
あとお前日本語読めてないだろ?
例として出すなら斎藤でじゅうぶんだとしてるだろ?
宗教勢力との戦と、大名とのそれは違う、比較する対象として間違い
だからお前が主張するならば戸石崩れとその斎藤と織田の戦いで織田が負けたといってる奴を比較すればいいだけの話
なんでこんな簡単なことが分からんかね
771人間七七四年:2007/08/15(水) 23:05:47 ID:5QDqLirc
>>767
いや、だからね。村上が武田以下というのは元々俺は前提にしてる。
本願寺が富強といってもこの場合比較の対象なるのは伊勢長島だろ?
どうみたって当時の信長と同等の勢力だなんていえないはずだが?
それに対し大軍でせめて負けたのだから「仕方ない」とするなら
村上の軍に負けたことも「仕方ない」とすべきだろ。
772人間七七四年:2007/08/15(水) 23:08:33 ID:5QDqLirc
>>768>>770

平たくいうならさ、女子供がいて武装も完全にいきわたってるわけでない
軍団が守りになったからといっていきなり精強な男で構成された
完全武装の兵団になるわけじゃないだろ、ってことだよ。
そのマイナス面は十分防衛戦でも発揮されるはずだが?
773人間七七四年:2007/08/15(水) 23:14:19 ID:7qQviNmI
>>766
ああ、なるほど
反論しているのは信玄が2倍程度の兵力じゃないと勝てないという部分じゃなくて

信玄が格下に負けたことがあるから2倍程度の兵を用意する必要がある
という論理に関してと言うことか、それなら納得だ
島津義弘だって立花道雪だって格下に負けたことはあるから
それをもって2倍じゃなきゃ勝てないなんて言ったらおかしいしな

最初から信玄は相手より多数の兵力でしか勝ったことがなくて
相手より多数でも負けたことがあるから
2倍程度の兵力を用意する必要があったと言えば良かったってことね

>>767
河野島は本来はそんな流れだと思う
どこから話しが膨らんだのかはわからないけど
774人間七七四年:2007/08/15(水) 23:16:32 ID:MiRwqtth
>>772
簡単に言うぞ?
宗教勢力との戦いを持ち出すのはおかしい

理解できないか?
それとも伊勢長島を持ち出さないと織田の敗戦を語れないのか?
775人間七七四年:2007/08/15(水) 23:20:01 ID:5QDqLirc
>>773
皮肉られてるのかな?もっと正確にいうなら織田とて格下に負けてる。
だからこそそれをもって武田が2倍兵力ないと負けるというのはおかしい。
どちらも熟練の名将。同数なら簡単に決着はつかんだろってことだよ。

>>774
もはや平行線にしかならないからもういい。

776人間七七四年:2007/08/15(水) 23:20:41 ID:7qQviNmI
>>769
>だから元々貧しい甲斐だから

>平山氏の説なら戦国時代は全体的に略奪と飢饉の時代だったという事だから
文章だけ見ればこの時点で矛盾してないか?

まあ甲斐に比べて東海関東は貧しいけど幾分ましと考えるにしても
信玄の略奪先は甲斐同様貧しい信濃
普通の略奪であっても信濃の民衆にとっては生死に関わるような異常な略奪となるんじゃ

武田の略奪は量は少ないにしても酷さは他の大名を上回るという事になると思うが
777人間七七四年:2007/08/15(水) 23:27:02 ID:5QDqLirc
>>776
連年の自然災害の酷さを見る限り、さらには山ばっかりで土地の貧しさから言っても
甲斐は悪い条件だと思うけどな。

量は少ないにしても酷さは上回るって…恣意的じゃね?
信濃以外にも貧しい地域で行われた略奪は皆その理屈が適用されるのか?
778人間七七四年:2007/08/15(水) 23:48:35 ID:h47KoimS
>>775
その通り、どちらも格下相手に負けている。
問題は、信長は格下相手にも、勢力同等の相手にも上な相手にもそれぞれの
事情で負けたことがある。これに対して信玄の戦歴では、負けたのは格下
相手のみ。
これだけなら、信玄をけなすよりはむしろ格上を破った相手方を誉めるべき
だろうとは思う。
ところが勝利の方も比べると話が変わる。
信長は生涯に「少数で多数を撃破」したことが一切ではないのに対して、信玄は
一切なく、その勝利は相手より多数であった場合のみ。
この点を考慮すると、戦術面では信玄より信長の方に凄みを感じることになる。
戦術勝負になったとき、信長だったら兵数が少数でも勝つかもを思わせる部分が
あるが、信玄だと兵数で上回っていないとそのそも戦わないだろうと思わせて
しまう。
779人間七七四年:2007/08/15(水) 23:56:06 ID:7qQviNmI
>>775
大名が相手なら相手の政治体制を壊せばいい
戦場で勝てば相手の兵士を全滅させなくても国人や民衆は自分のものとなるけど
宗教勢力や一揆衆に関しては相手を全滅とはいわないにしても
国人や民衆を倒さないといけない、戦場ではなく農村にまで入っていって相手を倒さないといけない

普通の国家間の正規軍同士による戦争とベトナム戦争みたいなゲリラ戦を一緒にするなと
言うことでしょ

あと信長は名将にも劣勢で勝っているからその点信長の方がまだ
可能性が多少あるってことでしょ、同じ兵力なら引き分けの可能性が高いけど
より勝算があるのは信長でさ

>>777
連年の自然災害って言ってもそれは全国一緒だし

>量は少ないにしても酷さは上回るって…恣意的じゃね?
何故?甲斐とか信濃が他地域と比べて本当に貧しいなら
例えば他の国が貯蓄が100あるとこ50奪ったなら量は多いけど略奪された側は50は残る
甲斐信濃だと貯蓄が50あるとこを25奪ったら量は少ないけど略奪された側は25しか残らなくなって
悲惨という理屈だが

甲斐信濃が他地域と同程度の貧しさであり
武田が他大名と同程度の略奪をしていれば他国にも略奪によって豊かにという記述はあるだろうし
他国にそれがないなら一国を豊かにするほどの略奪は他の大名と同程度の略奪であるはずが
無いと思うが

>信濃以外にも貧しい地域で行われた略奪は皆その理屈が適用されるのか?
そりゃ当然適用されるでしょ

ただ平山氏の主張するような一国を豊かにして、それによって民心を得ていたと言うと
一時的な略奪ではなく定期的な略奪を必要とするから無理だと思うんだけど
780人間七七四年:2007/08/15(水) 23:59:31 ID:5QDqLirc
>>778
信長が勝つ「かも」だね。あくまでも。
信玄は信長がこれまでに少数で破ってきた相手の誰よりも
経験豊富で戦歴豊かな人物だ。単純にこれまでのように撃破できるとは
言いがたいと思うが。まあ、これ以上いうとお互い主観のぶつけ合いになるだろうね。
781人間七七四年:2007/08/16(木) 00:04:36 ID:cjYzhDaE
>>779
信長が敗れた状況においてはそれらの条件はあてはまりづらいと
思うが?純粋に戦術で撃破されてるように思うのは気のせいか?

一国が豊かになったとまでいってるのは軍鑑。割り引く必要あるだろ。
平山氏の説では他の大名も定期的に略奪をしてる事になるから
貴方の理屈が適用されるなら武田だけを異常例とするのは困難。
782人間七七四年:2007/08/16(木) 00:25:55 ID:uTrKcdP2
>>780
そうだね、そしてつけたすと、信玄が勝てる「かも」とはいえない。
783人間七七四年:2007/08/16(木) 00:29:21 ID:uyXDsnAC
>>780
まああっさり信長が勝つとは思わないけど
同条件でもし戦うなら信玄が戦いを避ける可能性は非常に高いだろうね
信玄は経験豊富といってもその経験のほぼすべてが相手より優位にたった状態で
信長ほど経験豊富で戦歴豊かなわけではない

>>781
>一国が豊かになったとまでいってるのは軍鑑。割り引く必要あるだろ。
別に自分は武田の略奪が酷かろうがそうでなかろうがどっちでもいいけど
だとしたら信玄が甲斐を豊かにしたの方が否定されるだけだし

>平山氏の説では他の大名も定期的に略奪をしてる事になるから
それが具体的に誰を指すのか分からないけど

甲斐信濃などが貧しく他の大名の地域は豊かだったという前提だから
他の豊かな国なら定期的に略奪されても何とかなるんじゃないか
だとしたらやっぱり武田だけが略奪される側からすれば異常となってしまう

取りあえず甲斐並に貧しい地域で定期的に略奪されてる地域を挙げれば
武田だけが異常ではなくなると思うが
784人間七七四年:2007/08/16(木) 00:36:13 ID:uyXDsnAC
>>782
信玄の戦歴を考えると勝つ以前に戦わないだろうな
寿命が迫っているからトチ狂って決戦挑むかもしれないけど
そんなことしたら信長はともかく信玄はそんな戦に慣れてないから
取りあえず信玄の方が不利だろうな

>>783自己レス
>取りあえず甲斐並に貧しい地域で定期的に略奪されてる地域を挙げれば
>武田だけが異常ではなくなると思うが
そしたら今度は何で武田家みたいに国を豊かにするとかの記録が無いんだという事に
なりかねないのか?
785人間七七四年:2007/08/16(木) 00:50:36 ID:cjYzhDaE
>>783
とりあえず信濃を甲斐並みに貧しいとした理由を教えてもらえるとありがたい。
その条件がわかれば探しやすくもなると思うが。
786人間七七四年:2007/08/16(木) 00:58:29 ID:uyXDsnAC
>>785
甲斐並ってわけじゃないけど信玄時代信濃の方が貧しかったというから

逆に甲斐が他国より貧しいという理由を聞きたい
自然災害飢饉は全国似たようなものだし
787人間七七四年:2007/08/16(木) 01:21:25 ID:cjYzhDaE
>>786
とりあえず平山氏説からだが。
@釜無川は世界屈指の急流で甲斐はそこから恒常的な被害を受けていた。
A甲府盆地は豊かな穀物生産をつくれる潜在性はあったがそれはまだ
開花していなかった。開花するのは平和になって開発の進んだ江戸時代以降。
B信虎時代の内乱・今川・北条氏などの乱入そのほかで甲斐国内は荒廃し
その解決が信玄に持ち越されていた。
788人間七七四年:2007/08/16(木) 01:32:28 ID:uyXDsnAC
>>787
それらの話しって大抵の地域に適用できると思うが
戦乱もいろんな地域だし
河川の氾濫にしても関東濃尾越後の河川も恒常的に氾濫している
また2番にしても全国と比較しても江戸時代の甲斐の石高の上昇率はそれほど激しい訳でもない
789人間七七四年:2007/08/16(木) 01:50:40 ID:hOT7xNsd
確かに甲斐は水害にあってたけど、台風で悩まされる地域もあれば豪雪で悩まれる地域もあるし
火山活動が盛んな地域もあれば疫病が続いた地域もあった。
災害が無い地域を探すほうが難しいだろ。

>B信虎時代の内乱・今川・北条氏などの乱入そのほかで甲斐国内は荒廃し
>その解決が信玄に持ち越されていた

これもどこでもだろ、むしろ信玄が受け継いだ頃の状況なら
他の地域より随分マシだと思うが、不利というより親父からそのまま受け継げて
有利な状況でスタートしてる
790人間七七四年:2007/08/16(木) 01:53:18 ID:cjYzhDaE
統一された状況は引き継げても国内の荒廃も引き継いだ事は確かだろ。
791人間七七四年:2007/08/16(木) 02:26:34 ID:uyXDsnAC
>>790
確かなのか?具体的には?

国外勢力の侵入は1536年に一応おさまっているし
信玄が戦乱復興のため甲斐国内で何かしたかというとそれも良く分からないし
そもそも国内の荒廃の原因が戦乱によるものなら略奪が国を豊かにしたと言うより
今川との同盟、三国同盟が国を豊かにしたと考えるべきなんじゃ

だいたい787で挙げていることが理由なら荒廃しているのは何処も似たようなものじゃ
むしろ荒廃していない地域を挙げたほうが早いんじゃ
792人間七七四年:2007/08/16(木) 04:13:32 ID:hOT7xNsd
>>790
信虎追放後の数年のうちに諏訪信濃に進軍してるけど。

荒廃してる国の割りに随分と余裕ですね
793人間七七四年:2007/08/16(木) 06:56:33 ID:HnWfDXlw
>>775
伊勢長島を持ち出さないと織田の敗戦を語れないんだな
他にもあるのになんでそれに拘泥するのやら
794人間七七四年:2007/08/16(木) 08:19:46 ID:cjYzhDaE
>>791>>792
とりあえず平山氏説ではそういった荒廃をなんとかするためにも
他国への侵略が必要だったとしているな。
795人間七七四年:2007/08/16(木) 08:21:28 ID:cjYzhDaE
>>793
伊勢長島を持ち出すことに不足があるとは俺は思わないけどな。
どうみても戦術で敗れてるし。
もはや価値観の問題で平行線になるからどうでもいい、と書いたんだが?
796人間七七四年:2007/08/16(木) 08:29:42 ID:HnWfDXlw
>>795
そりゃお前が主張してるんだから不足と思わんだろうな
どうでもいいならあげる必要ないだろ?
それになんで無知といわれてるか丁寧に教えたのに
まさに>>756の最後の一文だな
797人間七七四年:2007/08/16(木) 10:42:46 ID:TVx1evxY
伊勢長嶋の敗北って前にやらなかった?
信長が幕府重臣宛に出した書状が残ってて、侘びを入れてきたから撤収するとしていた
そこを奇襲されたわけだ
足利義昭の和睦仲介を受け入れて、さて上洛すっかって時に斎藤に奇襲された件といい
信長って通説のイメージと違って本当にお人好し
かなり危なっかしいよ
信玄からの裏切りでも息子人質に取られるようなヒドい目にあってるし
798人間七七四年:2007/08/16(木) 11:03:49 ID:cUaIF0Ua
信長は勅命クラスの和睦を反故にされて騙し討ちで負けてるが、信玄は格下の劣勢に戦術レベルで大敗
この点に関してどう説明するんだろ
前者のそれは戦術での敗北ではないと思えるんだが
これを無視して最初から根切りしたら外交的信用が地に落ちるんですが
あ、外交なんて考えず好きな所攻めてった信玄を信奉する方々にはその点理解できませんか
サーセンwwww
799人間七七四年:2007/08/16(木) 11:18:59 ID:TVx1evxY
上田原は、正面からの合戦だからな
兵数については史料や軍談によってまちまちだけど武田の数が多かったことでは一致している
しかもただ負けただけでなく、重臣層を纏めて討ち取られている
信玄自身も危うく殺されかけ、手傷を負ったほど
若い信玄が老練な義清に手玉に取られたとしか言いようが無い
800人間七七四年:2007/08/16(木) 16:12:00 ID:PAZFw/a8
>>794
まあ仮に甲斐が荒廃していたとしても
他国も似たようのものであって
当初の問題である
『平山氏説』と『武田の略奪は普通の略奪』とを両立させるものではないと思うが
もう少し論理的に考えてくれ

取りあえず甲斐がとりわけ貧しい国だったとか
信濃は当初は豊かだったとか証明しない限り
他国に信玄みたいに略奪によって国を豊かにとか政権を維持とかの記述が無いと
平山氏の説を採るなら信玄だけは特別厳しい略奪をしていたということにせざるをえない
ってことになるんじゃないかと思うが
801人間七七四年:2007/08/16(木) 16:25:44 ID:PAZFw/a8
>>795
伊勢長島も
第1次は信長の采配ミスとするには柴田勢は遠距離(直線距離じゃ近いけど)にいてほとんど別働隊で
これまで信長に責任を負わせるのはって気が
まあ個人的にはこの手の城攻め時における撤退戦時の被害は
野戦とは別評価すべきだと思うが(戸石崩れも信玄の戦術能力を評価するには向かないと思う)

第2次伊勢長島攻めは普通に考えて北伊勢3郡を制圧して一揆方の多くの砦を落とした
織田方の勝利だろうし、
撤退時にちょっと被害を受けたといっても伊勢の状況に影響を与えるものでもないし
一週間後にはすぐ畿内に出陣しているから織田家にすれば些細な被害だし
だいたい最後の一揆の追撃戦だけを持って織田の負けとするんじゃ
犀ヶ崖の夜襲(史実かは微妙だが)をもって三方ヶ原の戦いは徳川の勝ちとするようなもの
802人間七七四年:2007/08/16(木) 16:31:38 ID:PAZFw/a8
>>797-799
信玄は実力が足りなくて負けるといった感じだが
信長の方は初期は兵力が足りなくて負けるもあるが
油断して負けるも多いと思う
斉藤相手だけじゃなく浅井に裏切られたりとか、本願寺に裏切られたりとか
伊勢長島も優勢に進めていたのに最後に油断して無駄な被害を出しているし

その油断の最たるものが本能寺か
803人間七七四年:2007/08/16(木) 18:02:33 ID:cUaIF0Ua
>>802
油断を取るか外交的信用を取るかだな
信長は大義名分が無い限り基本は攻めないし、外交的約定も基本は破らない
その結果としての龍興による撃退やら長島の撤退時被害だな
本能寺に関しては油断云々よりもどうにもならんのじゃないか?とも思えるし
浅井の裏切りは謎。浅井朝倉同盟は当時は無かったって話も聞いてるし、裏切ったのは長政主導という説が優勢だし。
近年では長政の野心によるものと言う説が優勢じゃないのか?
804人間七七四年:2007/08/16(木) 18:32:52 ID:hClKO3yf
あー言えば こー言うで くだらない
久々に伸びてたから面白い話でもあるのかと思ったら「上だ」「下だ」でよくも長時間やりあえるな
ガキのののしり合いは別でやってくれよ
805人間七七四年:2007/08/16(木) 22:31:47 ID:cjYzhDaE
>>796
とりあえず日本語わかるか? お前。
あんたと主観の押し付け合いになって平行線たどるのが嫌だから
もうどうでもいい、と書いたわけだが?
明らかに敗れてるのに宗教勢力だから特別視してチャラにする気か?
それであげくには相手を無知扱いか?ねぼけるな、としかいえんよ。
806人間七七四年:2007/08/16(木) 22:39:14 ID:HnWfDXlw
>>805
分かってないのはお前だ
価値観云々ではなく、明確に大名と宗教のそれとは違う
それはお前も認めてたんじゃないのか?
だからはずして考えろと
他にも織田が負けたのあるだろ?
なんでそんなに伊勢長島に拘る?
まだ他にも引っ張ってくるようなのがあるだろう?
無いのか?
それともお前の手元の織田信長の戦を分析した本が伊勢のそれしか敗戦としてあげてないのか?
伊勢長島を負け戦と表現したことはあるかもしれんが、勝ち戦と言った事は一度も無いぞ?
またぞろ被害妄想がでてきたか?
伊勢長島を負け戦として分析する分には別に問題ないが、それを他大名の大名同士の戦と比較してろんじるのがおかしいと言い続けてるだろ?
本当に>>756の言うとおりだな
807人間七七四年:2007/08/16(木) 23:23:29 ID:cjYzhDaE
>>806
だから、上で他の人もいってたな。宗教勢力との戦いは
ベトナムゲリラと正規軍の戦いを比べるようなもんだと。
でもな、伊勢長島における敗戦はそういったゲリラ的な要素に
よる敗北だったか?そうでもないのになんで他の大名同士との
戦と比較できないと思うわけだ?同じく戦術で敗れたのは同じだろうが。
比較できない理由をなんだかんだいって述べてもらってないように
思えるんだが?
808人間七七四年:2007/08/16(木) 23:40:30 ID:hOT7xNsd
長島の敗戦はやはり戦術的というより戦力的要因のほうが強いだろ。
絶対数で一揆側が上回るのは当然として火器の充実、地の利が一揆側にあったこと。
周辺海賊が一揆側に味方したことに対し織田に水軍が不在だったこと、後顧の憂いがありまくり
だったこと。
あと一向宗をお百姓さん扱いしてるレスがあったが奴らは死んでも極楽に行けるとか信じてる
武装集団だぞ
809人間七七四年:2007/08/16(木) 23:50:28 ID:cjYzhDaE
>>808
強いことは認めるがそれでも女子供も混じり十分な武装がすべてに行き渡っている
わけでもない集団である事は事実。プラス面もあればマイナス面もある。
810人間七七四年:2007/08/16(木) 23:54:37 ID:7zoYQqKy
伊勢長島で織田が被害を被った戦いはゲリラ戦じゃないか?
記録読むと山林から弓矢を打ちかけてきたように書いてあったと思うが
揖斐川との狭い地域で、しかも織田側に制海権が無かったから
一揆側は自由に不正規戦をしかけることが出来たと思う。
811人間七七四年:2007/08/16(木) 23:58:07 ID:7zoYQqKy
>>809
だから正面から戦わず砦に篭るか、ゲリラ戦をしかけたのだと思う。
812人間七七四年:2007/08/17(金) 00:18:25 ID:z5gHKd07
織田軍が引き上げるのを追撃し、先々に回りこんで弓乱れ打ち及び
突撃って不正規戦か?
鉄砲と弓を立てるのは別に不自然じゃないし。
山から次々と押しよせて柴田を負傷させ、氏家とその郎党も討ち死にさせてるしな。
こういうのを不正規戦っていうと山がちな日本の合戦って不正規戦が多くなるのでは?
戦ってなんだかんだいって敵の不意に乗じようとするものだしな。
813人間七七四年:2007/08/17(金) 00:39:27 ID:x0hKkoi3
伊勢長島は伊賀攻めと一緒でゲリラ戦の類でいいんじゃないか?
狭い一本道を退却する織田軍にたいし一揆軍は周辺の山々に散らばって
攻撃をしかけたと言うやつでしょ、
普通は不正規戦って言うんじゃないか?
相手が備を維持して追撃したならば正規戦だと思うけど

中世の定義じゃ合戦はお互い陣形を整えて矢合わせするのを戦と呼ぶらしいから
その場合の定義じゃどっちも不正規戦かもしれないが
814人間七七四年:2007/08/17(金) 00:44:49 ID:x0hKkoi3
というかそれ以前に
伊勢長島攻めみたいな城攻めの失敗で追撃食らったを負け戦に数えてもあまり意味無いと思うが。
この手の戦いを負け戦にするならほとんどの名将が負け戦だらけになりかねない。

もともとは信長と信玄が戦ったらなのだから野戦の能力の方が問題だと思うけど。
815人間七七四年:2007/08/17(金) 02:19:02 ID:q8cMJkPs
ずっと前の過去レス、しかも別件での話だったんだが
信濃は、実は田舎ではない。
善光寺参りの経済収入が相当にあり、開けた都会だったそうだ。

最後には、川中島の合戦の果てに、善光寺そのものを甲斐に略奪してきてしまうぐらいだから、
よほど羨ましくなるような経済力があったと見ても不自然ではない。
816人間七七四年:2007/08/17(金) 07:03:45 ID:0oAcN4Uw
>>807
大名の場合は双方が農民徴兵によるものである程度の損害で撤退する
宗教の場合は退けば地獄で後先考えずに突っ込んでくる
大名側としてはその後の統治考えるから、ある程度の損害は仕方ないにしても適当なところで終わらせたいと考える
比叡山でも、長島でもまずは降伏を促してるよな?
一方は早期でやめたいと思うのに、一方は極楽浄土のために戦いを続ける
これは物凄い大きな差だぞ?
装備の不備を挙げてるが、現代戦みたいに銃がないと、戦車が、航空機がないと蹴散らされるわけじゃないだろ?
織田の銃配備率なんか長篠でさえ三千か
竹やりやら鍬やら鎌やらの切っ先そろえて農民が突っ込んでくれば十分戦になるし、本願寺の支援もあっただろ
お前こそナントカの一つ覚えみたいに長島しか出せないのな
宗教との戦い以外ならどんどん比較しろといってるのに
やっぱお前の手元の本に長島しか分析した物が無くて、その受け売りでしか物事を判断できないってのはあながち間違いじゃなさそうだな
817人間七七四年:2007/08/17(金) 09:47:00 ID:8lKtR91g
ざっと読んでレス
>>800
平山氏に限らないけど武田氏の基本姿勢を甲斐一国繁栄主義
征服地を植民地のように扱ったと考える学者はいるな、
異常な略奪よりも却って質が悪い話しだが。

>>803
浅井に関しては家臣の暴走という説もある。

>>809
>女子供も混じり十分な武装がすべてに行き渡っているわけでもない集団
ぶっちゃけ野戦で全軍がぶつかり合うとかならともかく、
伊勢長島みたいな戦闘ではそれらはマイナス面にならないだろ。

というか自分も他の人と同意権で宗教勢力民衆相手の戦いは大名同士の戦いとは
別物だと思う。

>>815
善光寺は有名な門前町だったらしいからね、村上氏が小笠原氏など幕府勢力に対抗できたのも
この都市の富強があったからとか言われている。でも他の地域は・・・
善光寺は武田上杉の略奪と戦争に巻き込まれてすっかり荒れ果て
本尊が戻って復興するのは1598年から。

ただ、武田が善光寺を略奪出来るようになったのは1554年から、
平山氏の他国からの略奪が家臣と民の支持の源となり政権を支えたとするなら、
論理的に考えるなら、
家督を継いで10数年は家臣の指示を得ていなかったのか?
それとも最初の10数年は>>800の言うように貧しい信濃から酷い略奪をしていたのか?
ということになる、と思う。

自分は平山氏の主張とは異なり、略奪が政権を支えたとか国を豊かにしたとか考えていないので、
武田の略奪は他の大名と同じで、ありふれたものと考えられるが。
818人間七七四年:2007/08/17(金) 10:04:41 ID:8lKtR91g
あと信玄と信長の戦術論だけど、
>> ID:cjYzhDaE
要は伊勢長島みたいな評価が難しい事例ではなく、
信玄の上田原みたいに多数の兵で野戦で正面からぶつかって
戦術的にも戦略的にも負けた例を挙げればいいのでは?

でもそれを挙げた所で信玄には同兵力の相手優勢な相手に勝った経験が無いので
もし両者が戦ったら信長の方が勝つ可能性は高いことに変わりは無いと思うけど。
819人間七七四年:2007/08/17(金) 10:57:18 ID:fuHNljyM
信長の戦歴で、劣勢を戦術で打破した例

稲生合戦(700対1700)→味方を打ち破り本陣まで突っ込んできた敵兵を大喝で竦ませ、自ら突撃して蹴散らし敵将を討ち取る
桶狭間合戦(2000対25000)→敵前衛の間をすり抜けるようにして今川後方を奇襲、本陣を打ち破り義元を討ち取る戦国史有数の逆転勝利
森部合戦(1600対6000)→数倍の兵力で攻め寄せる斎藤勢を三手に分かれて包囲し殲滅。敵将二人他多数討ち取り
天王寺合戦(3000対15000)→包囲された明智らを救うため、信長自らが先陣を指揮し一向宗に突撃、打破。2700余の首級を取る大勝。本願寺の野戦能力をほぼ殲滅
820人間七七四年:2007/08/17(金) 13:01:13 ID:z5gHKd07
>>816
相変わらず外れた事をいってるな。お前。
他の戦はそりゃあるだろうさ。でもな、なんで俺が伊勢長島で話してると
おもってるんだ?お前がいつまでも宗教勢力を特別扱いするからだろ?
だからそれをおかしい、ちゃんと伊勢長島も入れろといってるだけなんだが?
伊勢長島で織田が敗れたとき、伊勢長島はそんなに降伏したがる状況だったか?
少なくともあのくらいの状況なら他の大名家でも戦おうとするだろうよ。
それでもって特別扱いはおかしいんだよ。
織田の鉄砲配備率が3千?どこの世界の本を読んだんだ?決戦場で5人の奉行に
渡されたのは1千だろ?酒井に渡されたのが5百か。そっちがどっかの本の
受け売りで話をしてるようにしか思えんがな。
821人間七七四年:2007/08/17(金) 13:58:17 ID:0oAcN4Uw
>>820
当たり前だろう、宗教勢力との戦いは領土の疲弊もすさまじいからな
朝倉も長尾も松平も、「百姓」でくくるなら山城国一揆、百姓の持ちたる国もそうだが、いずれも苦労してる
武田が坊主ども相手に楽勝したとかいうなら話は別だが、戦ってすらいないだろ
基盤も数も士気も装備も何から何まで違うのに単純に比較できると思ってるのか?
それに上のほうでも既に言ってるが、負け戦として長島を分析する分には問題ないと言ってるだろ?
長島を武田の負け戦と比較してどうこう言うことに対して馬鹿だキチガイだといってるだけだ
伊勢長島はそんなに降伏したがってた?意味不明
誰もそんなこと言ってないだろ
鉄砲三千は信長公記の「多くても」その程度の配備率が限界だということだ
三千程度の鉄砲で何万もの農民相手にしてそれだけで制圧できない、だから彼我の装備という面では取り立てて言うほどでもないっつうこと
文脈ぐらい読めるようになれよ
三千ですらそういう状況なら、お前が言うように千程度ならそれこそ装備の差なんか皆無に近いぞ
822人間七七四年:2007/08/17(金) 19:03:10 ID:5zmQgJ2O
>>821
信玄厨は坊主どもと戦わない状況にした信玄が凄いぜマンセーとか言ってきそうだなw
823人間七七四年:2007/08/17(金) 19:21:16 ID:TElpRFsa
伊勢長島は相手が宗教勢力一揆だったという特殊性もあるけど
城攻めの撤退時に被害を被ったからだから
武田の戦いと比較するなら戸石崩れや西上野の長野攻めの逸話あたりが適当だと思う
824人間七七四年:2007/08/17(金) 21:43:55 ID:XMDxE+D8
>>817
横槍ですまんが気になったので。善光寺への略奪は武田中心であり上杉はしてないよ?
むしろ黄金3000枚を再建に寄贈していたりする。まあ金貸ししただけかもしれんが。
825人間七七四年:2007/08/17(金) 23:42:01 ID:z5gHKd07
>>821
そりゃ苦労するだろうさ。手ごわいことに関しては否定してないんだが?
でも大名家でも手ごわい相手なら苦戦するだろうさ。
「手ごわい相手」というカテゴリーなら同じだろうが。
信玄はそもそも戦わないどころかうまく利用してるだろ。
戦わなかったからといってマイナスにしてもらう必要はないだろう。
>>伊勢長島はそんなに降伏したがってた?意味不明
これはお前さんが
>>比叡山でも、長島でもまずは降伏を促してるよな?
>>一方は早期でやめたいと思うのに、一方は極楽浄土のために戦いを続ける
といったからだろうが。伊勢長島に織田が敗れたときは普通に考えて伊勢長島は
大名家ならやめたくなるような状況じゃなかったといってるんだよ。
あの状況なら普通の大名家でも戦うさ。そして織田は敗れた、ただそれだけのことだ。
装備に関しては特に甲冑や具足においては伊勢長島の一揆連中は普通の大名よりも
劣っていたと思われるが?女子供も混じってる状態だしな。突撃戦なら
これは大きく不利だろうよ。鉄砲だけが勝負を決める要素だと思ってるのか?
それだけで装備の差が皆無に近いって何を言ってるんだ?
826人間七七四年:2007/08/17(金) 23:57:35 ID:l3SGlzZy
>>825
>戦わなかったからといってマイナスにしてもらう必要はないだろう。
誰がそんなことを理由にマイナスにしてるんだ?
武田はそのような戦いを経験していないから
上田原の敗戦みたいな大名同士での戦いで検証しようと言っているんだろ
上のほうであったが知識がないより頭が悪いのは議論する上でより問題だぞ

後半
何度も言われてるが女子供混じっていようが一部装備が劣っていようが
砦の篭城や、追撃戦においてはほとんど影響しないだろ
第1次は信長が指揮していたわけじゃないので太田の記述はそれほど詳しくないが
第2次では攻撃してきたのは弓の達者な伊賀や甲賀の傭兵?達で
女子供や装備の劣った連中が戦ったわけじゃないぞ
827人間七七四年:2007/08/18(土) 00:14:50 ID:+3Reo6Dd
女子供は篭城時も野戦時も
後方支援が任務でさすがに前線に出て戦いはしなかっただろうな
後方支援にいる女子供が戦いの邪魔になる可能性もあるだろうけど
828人間七七四年:2007/08/18(土) 00:17:51 ID:xhEEQGbt
だからなんで信長と信玄の比較に使う戦いが長島一向一揆なんだよ?
比較対象として限りなくわかりにくい戦いだと思うんだが
829人間七七四年:2007/08/18(土) 00:21:52 ID:+3Reo6Dd
>>828
確かに対一向宗の戦いは現代の対テロ・ゲリラ戦みたいな
特殊で不毛、無限ループな戦いだから比較対象としては不適切だな
830人間七七四年:2007/08/18(土) 00:59:56 ID:Kv+kQJIu
信長の対一向宗戦は対テロゲリラというより
海の向こうの欧州でやってた城塞都市国家群対大国のほうが的確だと思う
オスマンがヴェネチアのキプロス島を征服したときのような
831人間七七四年:2007/08/18(土) 01:08:39 ID:vQppX3RT
どうでもいいけど
内戦を起こそうとしたり選挙妨害で同胞を殺害しているテロリストと一向宗では本質が全く異なるよ。

832人間七七四年:2007/08/18(土) 01:10:53 ID:+nsgeTnJ
越前や近江の対一向宗戦はゲリラ戦の要素が強いけど
長島や石山は対ゲリラ戦でもあり
それに加えて城塞都市国家群対大国の戦いって感じか

833人間七七四年:2007/08/18(土) 08:38:08 ID:xQKbMot3
>>825
なんだ、手ごわいってだけで全て比較するつもりか
戦後政策に大きく影響する宗教・一揆と、双方が戦後への影響を考えてる大名とが同じと?
大名の人返し法なんかでわかるが、農村の人口というのは大名達にとって物凄い関心事だ
双方がそういう弱点を抱える大名同士なら、手加減とは言わないが、ある程度の損害で戦が終わる
対する宗教は信仰の為に全滅するまで戦う意思があるし、戦後の統治まで考えて兵を引くなんて事はしない
と、戦に望む時点で双方の認識に差があるんだから、単純に比較できない
これを何度も言ってるんだがな、いつ理解できるんだ?
だからそういう宗教と戦わなかった武田と比較できないと
誰もマイナスにしろとかいってないぞ?

本当にお前は文脈読めないアレなやつだな
「比叡山でも、長島でもまずは降伏を促してるよな? 」の前の文章に大名側の戦への臨む姿勢を書いてるんだから当然主語は「大名側」、つまり織田
お前の解釈だと「一方は〜、一方は〜」をどう解釈するんだ?
「一方」は何を指してるんだ?

装備はおそらく大名でないと所持できないような鉄砲を織田が多数そろえてるなら優勢に進められるだろうが、そうでないなら竹やりの切っ先そろえて突っ込めば十分勝負になるといってるだろ?
あのあたりで竹がとれるかどうかはまた別の問題としてあるが
一揆側から見れば、相手が鉄砲持ってるわけでない、せいぜい弓ぐらいだろう、それすらも人海戦術で押し捲れば接近戦に持ち込める
乱戦になれば普段から野良仕事、実戦で鍛えてさらに士気は文句なしに高い連中、不利どころかそれを十二分に覆せる

そうだ、いまいち日本語が理解できてないお前にいいものを教えてやろう
tp://yslibrary.cool.ne.jp/harojapa000top.htm
しっかり復習してからまたレスしてくれ
834人間七七四年:2007/08/18(土) 10:06:44 ID:YpP6Xr7p
で、信玄が劣勢を打破した勝ち戦って一個も出ないのか?
三増峠……は、兵数では勝っているから駄目?
海ノ口は軍鑑の嘘部分だから論外だし……
えーっと、後は……
835人間七七四年:2007/08/18(土) 11:25:43 ID:FJwfDskI
劣勢で敵にぶつかることが滅多に無いからなあ。
836人間七七四年:2007/08/18(土) 11:36:02 ID:pETZgnqg
信長も数的劣勢は、桶狭間くらいだし
837人間七七四年:2007/08/18(土) 11:36:36 ID:2FFRIA1g
信玄は甲斐一国の国主という恵まれた境遇だったからな。
まともに兵を動員する限り、分裂した信濃豪族を圧倒したのは当然。むしろそんな環境でボロ負けを何回も喫したあたり、何度も言われているように指揮能力はさほどでもなかったんだろうね。
一方で信長は700ほどの兵しか動かせない状態からスタート。大敵を打ち破る才覚がなければ、戦国史に殆ど名を残さず消滅した可能性すらある。
しかし最終的には信長のほうが信玄よりはるかに巨大な版図を築き、信玄は同盟破りをかまさないと対抗できないところまで差をつけられた。
結局のところボンボンと逆境で鍛えられた精鋭の差。
838人間七七四年:2007/08/18(土) 11:47:11 ID:Wr13YLBp
>>836
桶狭間だけでも十分凄い、しかも相手は義元だし
信玄はせめて寡兵で戦ってた謙信に戦術的に完勝してるぐらいじゃないとダメだろ
839人間七七四年:2007/08/18(土) 11:58:57 ID:zUQ09t+B
劣勢で敵と戦う必要がないのに、あえて劣勢で戦う奴はドMです
信玄は自軍の兵が常に相手を上回るように持っていける戦略が優れている
戦略で言えば信長の方が更に上だと思う。
あのまま信玄が死なずに信長と対峙してたらどうなるのか妄想が膨らむ所だが、両者とも
同兵数なら戦わず和議を結んで再同盟ぐらいしそうだな。そうなると徳川は生け贄になるか。
両家の方向性が根本的に違うので、いずれ衝突しそうだが、もし織田と武田が和睦したら
次に信玄が目指すのは上杉かな?
840人間七七四年:2007/08/18(土) 12:11:04 ID:4AQQkxTt
まぁ天王寺合戦なんかは、兵数が揃うのを待っていたら包囲されていた明智らがぶち殺されるからって判断だけどね
ここで明智を見捨てていたら歴史は変わっただろうな
841人間七七四年:2007/08/18(土) 12:55:13 ID:+3Reo6Dd
>>839
徳川を見捨てての再同盟は今後の事を考えるとデメリットが遥かに上回るから可能性低いんじゃない?
徳川も存続できる再同盟を仮に結べても、
その後織田は畿内方面を全力で攻略できる

一方の武田は西進を諦めるのなら、侵略できるのは上杉だけになってしまうが
以前みたいにお互い消耗戦を繰り返して停滞するだろうな
信玄が同盟破りなんて反則技使ってきたんだから、
当然畿内を制圧した信長も武田に対して今度は侵略していって武田家滅亡だろうな

織田家との同盟破棄して侵攻した時点で再同盟は武田家滅亡のフラグでしかないな
842人間七七四年:2007/08/18(土) 13:27:55 ID:CwPql2Ht
戦は政治外交とやって
最後にトドメか物別れこじれた時にやるもの
外交戦略の一つでしかないわけよ
戦が強い=すぐれた政治家戦略外交家
な面もある
843人間七七四年:2007/08/18(土) 14:46:13 ID:uJpp6i4w
>>833
あのな、お前が最初に
>>一方(大名側)は早期でやめたいと思うのに、一方(宗教勢力)は極楽浄土のために戦いを続ける
>>これは物凄い大きな差だぞ?
といったんだよな?だからこそ宗教勢力は大名と違うと。
でも何度もいっているけどな、伊勢長島に織田が敗れたときは伊勢長島は
そこまで追い詰められた状況じゃなかったんだよ。普通の大名でもあの状況なら
戦うくらいのな。だからそれでもって特別扱いはおかしいといってるんだが?
文脈ぶった切ってるのはそっちだろうが。
だからな、その接近戦において戦うとき武具がいきわたっているかどうかは大きな差だといって
いるんだが? 特に具足の有無は大きいはずだが?人海戦術は脅威ではあるだろうがな。
貼ったリンクはまずお前が読め。
844人間七七四年:2007/08/18(土) 15:47:09 ID:xQKbMot3
>>843
戦に望む時点で意気込みが違うだろとこれも何度もいってると思う
泥沼化すれば貴重な農村人口喪失だけでなく、民の慰撫も困難になる
そこまでは大名戦でも同じだが、宗教の場合は後先考えずに抵抗する
例えばだ
今川義元が死んで弱体化した今川を武田が攻めたが、これに北条が反発して三方敵にまわす結果となった
後先考えずに今川を攻めた結果、三方敵だらけという最悪の状況を自ら演出したわけだ
織田が一部の宗教勢力と後先考えずに泥沼の戦闘になったら、他の戦線はどうなると思う?
大名相手なら痛打を与えればしばらくは逼塞せざるを得なくなるだろう
ところが宗教の場合は雲霞の如く農村から人口を吸収して抵抗する
そんなのと真面目に(といったら語弊があるが)戦えるか?
そういう戦略的な観点からして大名とは扱いが違うのに、状況だけをもって同じだとするのは短絡的にすぎる
武器はだから竹をななめに切って突っ込ませれば良かろうといってるだろ?
具足つけてればまるで無敵みたいに行ってるが、人海戦術の前には無力だぞ?
そりゃ被害は一揆勢に比べれば軽減できるだろうが、数が違うからな?
それにそんなに簡単に一揆勢に勝てるならなんで一揆相手に譲歩したりしたんだ?
「貼ったリンクはまずお前が読め。」は「一方は〜、一方は〜」をどう解釈したら「一揆勢が降伏したがってた」になるのか説明できてからいえ
日本語はよく主語を省略するが、文脈から分かる場合、あるいは前文と同じ主語なら省略されることが多い
多分お前だろう、>>825の四行目、五行目なんか典型だな
845人間七七四年:2007/08/18(土) 16:35:24 ID:w+OlRXU/
信玄は49勝2敗21分けすごいが質問です。
この戦いの勝ち負けの基準は何ですか?

二敗は村上氏だが長野氏とかにも撃退されている。
撃退は負けにはいらないんですか?
846人間七七四年:2007/08/18(土) 17:00:58 ID:W89NQqi+
>>841

>当然畿内を制圧した信長も武田に対して今度は侵略していって・・・

信長は「信玄」との決戦を避けたがっていたのでは?
847人間七七四年:2007/08/18(土) 17:12:30 ID:D3VrC3Wi
>>824
そうだったのか、それは失礼した

>>836
稲生森部天王寺と数的劣勢で勝った例はいくつかあるし
引き分けや負けも加えると信長は劣勢で敵にぶつかることが比較的多い武将

>>839
天王寺や道三救援などから信長はある程度不利でも形だけでも援軍出したり後詰を行ったりするのに対し
上田原後戸石崩れ後などから信玄は優勢を確保できるまでは引き篭もって前線を放置するって感じじゃ


上田原みたいな野戦で正面から戦って兵力で勝っているのにも負けるって例は意外と少ないか?
桶狭間は天候と信長の誤認?が絡む偶然の勝利だし
河越は通説だと和語を申し込んでおいてのだまし討ち
厳島は総兵力はともかく水軍衆は毛利は劣っていたわけではないし
848人間七七四年:2007/08/18(土) 17:18:50 ID:D3VrC3Wi
>>845
武田(上杉)基準では負けに入りません
他の大名の場合は撃退は負けになります
>>756にある武田厨の典型的な例

>>846
信長が避けたがっていたのは
武田と戦っても勝てるだろうけどそれなりに消耗するし
滅ぼすには時間かかるし滅ぼしても得るものは少ない
それよりある程度簡単に倒せて利益も大きい畿内制圧の方が魅力的
そして畿内瀬圧が完了すれば武田なんて簡単に倒せる
それまでは武田とは無駄に争いたくない
と言う意味での武田との決戦回避だからだと思う
849人間七七四年:2007/08/18(土) 18:10:17 ID:rAA7cbAS
>>846,>>848
信長が避けたかったのはそれ以上に多方面作戦とか挟撃とかでしょ
多方面になったのは信長の戦略ミスってよりも義昭を褒めるべきだし
850人間七七四年:2007/08/18(土) 18:14:05 ID:W89NQqi+
当時の信玄の同盟「軍」に長島の一向一揆があります。

当時の長島の一向一揆を過小評価してもらっては困るね。
この一向一揆を実際に現場で率いていたのは地侍級の
正真正銘の武士、もしくは浪人。頂点はお飾りの坊さん。
しかもこの一向一揆の末端信者=農民は、「進めば極楽」ってな
訳で、団結力抜群!
機動力も尾張一国内なら十分可能。
長島の一向一揆が尾張・伊勢のデルタ地帯の多数の川
(当時、この近辺は多数の河川があって、小舟で通行していた)
を使って一斉に蜂起(今川義元の尾張進行時もあった)する。
実際どこぞの織田の城一つ落としてますなw
その城主の織田何やらは戦死w

信玄は一向一揆と連合して約4万〜5万5千
851人間七七四年:2007/08/18(土) 18:23:48 ID:+3Reo6Dd
>>846
信長は「信玄」という存在・能力に恐れて決戦を避けたのではなく
あの包囲網を受けている時点で武田家2万5千の兵と無駄にぶつかりたくなかっただけのこと

仮に>>839の言うように信玄が延命し、織田家と再同盟すれば
織田家→史実通りに畿内制圧
武田家→侵略できるのは上杉領だけだが、同等の勢力だけに攻略は絶望的

織田家が畿内制圧終わった時点で武田2万5千?ワロスな程度の戦力に成り下がってしまう

信玄が存命していて史実みたいに木曾・穴山あたりが裏切らなくても
ひとたび織田家が武田家討伐に乗り出したら食い止める術は皆無
多分北条も裏切る事はしなくても日和見くらい平気でやってくる可能性大   

謙信も存命中なら
「窮地の信玄殿を助けることこそ義であるぞ」
なんて事は言わずに北信濃割譲くらいの条件で織田に協力して信濃に侵攻してくるだろうな 
852人間七七四年:2007/08/18(土) 18:34:42 ID:W89NQqi+
>織田家が畿内制圧終わった時点

えらい時間かかってますね。
やたら反旗を翻す大名、抵抗勢力も多数ありますねw
853人間七七四年:2007/08/18(土) 18:57:04 ID:+3Reo6Dd
>>852
どっかの武田さんは時間かかっても上杉制圧できるんですかw
信長が畿内制圧に多少時間がかかろうとその間に武田に何ができるんだよw

本願寺とはあの時点では直接矛を交えていない
三好・松永等を討伐すれば畿内の主要部分は掌握できる(実際信玄没1年程で討伐)
というか浅井・朝倉を滅亡させた時点で織田・武田間の国力・戦力差は糸色望すぎる

ここまでくれば多少の謀反・抵抗勢力があろうと史実通りに多方面に対応できる
854人間七七四年:2007/08/18(土) 19:21:32 ID:kzqQ+PHX
武田厨は信玄と顕如が連携して織田と戦ったと思ってる奴が多い
伊勢長島一向宗が本願寺だと思ってるバカまでいてる
855人間七七四年:2007/08/18(土) 19:22:35 ID:W89NQqi+
>>853
>信長が畿内制圧に多少時間がかかろうとその間に武田に
 何ができるんだよw

ご存知の通り、上杉は越中の一向一揆と対峙中だし
信玄としては積極的に事を構えない。
つまり、ほっておく。
ご存知の通り、本願寺 = 一向一揆ではないし
信玄が生きていれば織田軍との主力決戦を避けつつ
織田領を荒らしまわる。
つまり武田軍の主力は農民兵だから
彼らの目的(楽しみ)は物資の現地調達、つまり略奪。
信玄が生きていれば山家三方衆の裏切りが99パーセントないから
岡崎城、吉田城、浜松城は丸裸同然。
徳川を終わらせることができるよ。

ぐらいかな…



856人間七七四年:2007/08/18(土) 19:24:28 ID:dzVX0h/X
封建勢力のいわゆる 国 力 を額面どおりに受けているとは…
当時の武士どもなんてオセロのごとくひっくり返るのに
857人間七七四年:2007/08/18(土) 19:28:30 ID:W89NQqi+
>>856さんの意見が正しくて、
戦国時代は江戸時代と違って、「忠義」より「生き残る」and「自領の安堵」が
常識な訳で、武田軍が織田領に突入すれば寝返る武将多数あると思われる。

>>854
私は武田厨じゃないよ。
念の為。
858人間七七四年:2007/08/18(土) 19:31:44 ID:+3Reo6Dd
>>855
スレくらいちゃんと読もうな・・・
信玄が信長と再同盟した場合の話なのに
なんで織田を攻撃してるんだよw
ただでさえ同盟破りの常習犯武田が再同盟を破ればその時点で終わりだろw

だいいち主力との決戦を避けつつ織田領を荒らしまわるってどうやるんだよw
岩村城みたいな辺境地を荒らすのか?
859人間七七四年:2007/08/18(土) 19:39:25 ID:W89NQqi+
>>858
>信玄が信長と再同盟した場合の話
戦国時代の同盟なんてほとんど長続きしないとの前提で…
それと、織田・徳川の同盟は非常に珍しいねw

>織田領を荒らしまわるってどうやるんだよ
野田城を落としているから、その先は濃尾平野へ

さらにその先に、願証寺があるよw

860人間七七四年:2007/08/18(土) 19:41:28 ID:CwPql2Ht
織田は烏合の衆の集いの近畿内制圧
武田は上杉北条
信長は優遇されすぎでしょw
立場が対等じゃなさすぎるから
同じネタを延々くり返すのよw
861人間七七四年:2007/08/18(土) 19:43:03 ID:CPsX74sI
その北条は味方だったわけだが…
武田厨はやっぱ頭おかしいな
862人間七七四年:2007/08/18(土) 19:46:04 ID:W89NQqi+
>>860
この時
甲相同盟復活しているよw
北条から援軍2〜3千出してもらってるね。
863人間七七四年:2007/08/18(土) 19:52:11 ID:W89NQqi+
念の為に付け加えると

一向一揆内一揆ってのがあるよw
顕如が必ずしも一向一揆を掌握していなかったのは
皆さんご存知の通り
ましてや繰り返しになるが
長島の一向一揆は反信長で結束しているよw
864人間七七四年:2007/08/18(土) 19:52:18 ID:kzqQ+PHX
武田自体は嫌いじゃないが、このスレの武田厨はアフォすぎる。
865人間七七四年:2007/08/18(土) 19:53:46 ID:+3Reo6Dd
>>859
同盟を破るのは簡単なことではなく、
それ相応のリスクを負うことなんだぞ・・・

>>野田城を落としているから、その先は濃尾平野へ
正面に3万の織田軍、背後に1万弱の徳川軍
この挟撃を2万5千で打ち破るとか神じゃないと無理だろw


>>860
立場が対等じゃないとかワロス
周りに対等勢力がなくなるまで自勢力を強大化させたんだよ

兵力700でスタート
当初は自分より兵力上の勢力と連戦
今川からの侵攻を撃退して
同等勢力である美濃斉藤家を破ったからこそ
自身が巨大勢力になれて畿内に挑戦できたのが優遇されすぎか?

866人間七七四年:2007/08/18(土) 20:02:44 ID:W89NQqi+
>>859
たいがい
人質(嫁、その子供、豪族の場合嫡男クラス)殺されるよねw
でもお家存続がそれより重要なんだよねw

>正面に3万の織田軍、背後に1万弱の徳川軍
背後の徳川は史実で追撃に3千しか出していないよw

しかも正面の織田軍は自領内での戦いで、裏切り
が出るよw
理由は>>857で記載しといたよw

867866:2007/08/18(土) 20:05:05 ID:W89NQqi+
すまん
アンカー間違えた。

>>865が正解
868人間七七四年:2007/08/18(土) 20:05:11 ID:CwPql2Ht
>>865
信玄が近隣強国と同等勢力になるための
何回、段階を踏んでるか
大体、今川だって武田の敵対勢力なわけだよ
なぜ、今川が武田を攻めずに織田を攻めたか考えろw
ついでに過去、信玄が家督を継いだ時の状況も踏まえてなw
869人間七七四年:2007/08/18(土) 20:11:28 ID:W89NQqi+
>>865
さらに、
徳川は自国領内に表向き徳川、内心は武田に内通している
豪族を多数抱えているよw
武田有利な時点では、いつでも寝返るよw
870人間七七四年:2007/08/18(土) 20:15:52 ID:w+OlRXU/
質問。
武田が上洛した時に織田の主力はなんですか?
鉄砲はまだ数がそっろてないですよね?


また、もし織田が長篠の戦いみたいに鉄砲中心の作戦をとったら信玄は
どうしたとおもいますか?
871人間七七四年:2007/08/18(土) 20:20:04 ID:+3Reo6Dd
>>866
一方的な同盟破棄で失うのは人質だけじゃないだろ・・・

戦いに1万の兵を繰り出さなくても
背後に総勢1万の徳川がいる
本国から遠く離れた尾張で補給腺がかなり伸びている


>>しかも正面の織田軍は自領内での戦いで、裏切り
 が出るよw
なんでそんなに自信満々に言い切れるんだよw

兵力で勝る当時の織田を裏切って武田につくなんて相当躊躇することだぞ
お前も>>857で言うように「生き残り」に必死な武将にとって
織田を裏切って武田に味方するなんて、
柴田クラスの有力武将が真っ先に寝返らない限り怖くてできんだろw

>>868
お前何が言いたいんだ?


>>869
具体的に名前挙げてみ
話はそれからだ
872人間七七四年:2007/08/18(土) 20:28:43 ID:GvHlW+6I
武田厨 = <丶`∀´> 
かと思うくらい幸せ回路発動しまくりw
873人間七七四年:2007/08/18(土) 20:31:14 ID:dzVX0h/X
>>871
>兵力で勝る当時の織田を裏切って武田につくなんて相当躊躇する

境目の領主達は常に厳しい立場に立たされるものだよ
また、そこからドミノ倒しになるかならないかは情勢次第でしょ
874人間七七四年:2007/08/18(土) 20:36:29 ID:W89NQqi+
>>871
川中島を見てくれよw
謙信出陣で上杉に寝返り
合戦後、武田に又寝返る
それの繰り返しだろw
875人間七七四年:2007/08/18(土) 20:40:00 ID:+3Reo6Dd
>>873
劣勢の徳川が織田との同盟を守り続けている
武田の背後に総勢1万弱の徳川
武田主力は本国からかなり離れた位置にある
織田家主力は武田に敗れていない
武田はいつ撤退するのか不明瞭
仮に織田家を裏切っても武田撤退後に自分に対する支援があるのか?

この状況で武田方になるのは相当の博打じゃね?


876人間七七四年:2007/08/18(土) 20:40:45 ID:W89NQqi+
>>871

>具体的に名前挙げてみ
寝返りは秘密裏に行うから
旧今川家臣クラスとしか言えないだろw

すでに寝返ったのは言えるけどw
877人間七七四年:2007/08/18(土) 20:43:06 ID:+3Reo6Dd
>>876
ソースは?
878人間七七四年:2007/08/18(土) 20:45:18 ID:W89NQqi+
>>877
すでに寝返っているのは、
山家三方衆(長篠城の菅沼正貞、田峯城の菅沼定忠、
作手城の奥平道文・貞昌親子)ですよw
879人間七七四年:2007/08/18(土) 20:50:15 ID:kzqQ+PHX
↑ wを毎回付けて予防線張ってる所が情けない
880人間七七四年:2007/08/18(土) 20:51:42 ID:+3Reo6Dd
山家三方衆は>>869の表向き徳川、内心武田じゃないだろうがw
表向き武田の奴らの名前挙げて何がしたいんだよ・・・
881880:2007/08/18(土) 20:58:18 ID:+3Reo6Dd
スマン文章が抜け落ちてた

俺が聞きたいのは実際に寝返った奴なんかじゃなくて
内心武田に内通してたって奴がいたソースだよ

かなり前にもソースも無く同じ事言ってる奴がいたなw
882人間七七四年:2007/08/18(土) 22:51:07 ID:T+74d5VE
確かに境目の領主は、したたかさ
だがな、尾張は既に境目とは言えないだろ
武田軍が帰れば孤立するだけ
そんな危険を冒す奴は、したたかではなく浅はかなだけ
883真田軍伝令:2007/08/18(土) 23:06:55 ID:w+OlRXU/
武田が上洛した時に織田の主力はなんですか?
鉄砲はまだ数がそっろてないですよね?


また、もし織田が長篠の戦いみたいに鉄砲中心の作戦をとったら信玄は
どうしたとおもいますか?


884人間七七四年:2007/08/18(土) 23:42:49 ID:rAA7cbAS
長篠は鉄砲も使ったんだがそれ主力じゃないのでは・・・
某放送協会のあてになるかどうか解らん番組では平地に城郭まがいのものを作って撃退したという説を見た覚えがある
885人間七七四年:2007/08/18(土) 23:52:18 ID:/UTXronO
土塁や砦の跡があるって奴だろ。多分その説が濃厚じゃね。
武田家としては兵力が拮抗しているうちに織田を叩いておかないと、時間が経てば経つほど国力差がでてしまう。
逆に織田は徳川に援兵を出したって時点でどうでも良い戦に変わってる、とか色々事情があるんだよな。
886人間七七四年:2007/08/18(土) 23:56:40 ID:+3Reo6Dd
>>883は明らかに釣りなんだからスルーしとけって
887人間七七四年:2007/08/19(日) 00:00:28 ID:HZ5puWqq
>>883
討ち死に
888歴史博士:2007/08/19(日) 00:28:19 ID:ULTxaYis
>>886、887
あんたら、やる気ないね。本当に歴史が好きなら出し惜しみするな。
889人間七七四年:2007/08/19(日) 00:40:35 ID:pp+oQBr8
>>850
小木江城は長島の対岸の城
史実ではその程度の侵攻能力しかない

>>855
1573年には越中の一向宗は片付いてしまうが
武田は野田城までしか進出していないのにどうやって岡崎を攻めるんだ?
岡崎吉田浜松というが史実で信玄が落としたのはほとんど山間部の辺境の城だけなんだが
それで尾張に進出ワープでもするのか?
890人間七七四年:2007/08/19(日) 01:16:22 ID:y2bouTVO
>>889
>ほとんど山間部の辺境の城だけなんだが

ものは言い様だな。
都市部の重要拠点を落とせば、まだ点の支配だけで不安定だと言う。山間部の城を落とせば、重要拠点が落ちてないという。

891人間七七四年:2007/08/19(日) 01:22:40 ID:pp+oQBr8
ものは言い様もなにも
実際支配している範囲こそ広いけど
石高にすればだいたい全体の20%程度と推定されるぐらいでしかないし
実際に都市部の重要拠点を突出して落とせば点の支配で不安定なのも事実なんじゃ
1570年初頭の織田の近江支配なんて点と線の支配の典型だろ
892人間七七四年:2007/08/19(日) 01:29:24 ID:y2bouTVO
>>891
もし信玄が上洛を企図していたなら、後醍醐天皇の勅命で上洛しようとした北畠顕家みたくなるのだろうか。
北畠は奥州から上洛しようとしたが、沿道諸国を全て平定するなんてとても無理だ。

(そういえば同じ風林火山つながりでもある)
893人間七七四年:2007/08/19(日) 02:18:58 ID:pp+oQBr8
そんな上洛の仕方じゃ武田家にはあまりメリットが無いんじゃ
また兵站はどうするか、本国との連絡は
そもそも織田領を突破できるのかと問題が多いと思う

取りあえずは徳川をどうにかするんじゃないか?

領土を分断された浅井が数年持ったことを考えると
吉田や浜松落とせても徳川を屈服させるにはまだまだ時間かかりそうだけど
894人間七七四年:2007/08/19(日) 03:07:42 ID:iC3zlGDH
野田城の落城が遅れたのは信玄の寿命の問題であって、本来ならもっとあっさり落ちてるんじゃないかな。
じゃないと時間がかかってはまずいとの理由で浜松を落とさなかった意味がなくなる。

史実の信玄は野田城を落とした後、長篠城の城郭を修理して山県を配置、自身は設楽寺で養生してる。
体が治ったら勝頼に1万の兵をつけて徳川に備えさせ、西へ侵攻を開始するつもりだった、というのが通説。

上杉の心配は延暦寺の僧が富山城を奪って立て篭もって、謙信は延々包囲して足止めされてるから当面は大丈夫。
朝倉義景、摂津大阪+尾張長島の本願寺僧徒と協力すれば、かなり有利にいけると思うね。
895人間七七四年:2007/08/19(日) 06:57:39 ID:Z0S0B/2E
二万五千から一万引いて西進を再開、なんてまさに飛んで火に入るなんとやら、ってやつじゃん。
896人間七七四年:2007/08/19(日) 07:48:36 ID:yLkMqLU3
>>894
水の手切って落城だから
力攻めでもしない限り、落城までにかかる時間に変化はあまり無いと思う
二俣にしても同じ
浜松攻めなかったのは攻めた所で落とせないから
それよりも北遠江を制圧する方が先だったからだと思う

>体が治ったら勝頼に1万の兵をつけて徳川に備えさせ、西へ侵攻を開始するつもりだった、というのが通説。
それじゃ兵が足りないよ

上杉の足止めは当面というか1573年のうちは何とか平気だろう、史実でも越中制圧するのは
1573年だったし

>朝倉義景、摂津大阪+尾張長島の本願寺僧徒
こいつらと三好が本気で動いてくれればかなり有利になるんだけどね
897人間七七四年:2007/08/19(日) 10:31:28 ID:YIGrFtvc
朝倉が一時退却しただけで崩れかけるのが信玄の構想
そこまで綱渡りしないとお話にならないほど力の差がついていたってことだな
しかし、兵站や長期出征による士気低下があることぐらい、第三次川中島の長期対陣を経験した信玄にはわかってるだろうに
なんで朝倉に負担をかけようとしたんだろうね?
むしろ朝倉と交互に中規模程度でいいから出兵を交代でやって織田徳川を疲れさせたほうが良いだろうに
898人間七七四年:2007/08/19(日) 10:53:22 ID:lozvqrDK
他に方法が無いからに決まってる。時間が経てば経つほど織田の勢力は膨れるからね。
899人間七七四年:2007/08/19(日) 12:29:09 ID:NaPeH8bv
>>897
単に義昭の案に乗っかっただけだからな
朝倉に徳川みたいな動きは無理でしょ
近畿内の大名は利権だけ動き危機感がなくヘタレだった証拠
信玄もそこまでヘタレだとは思わなかったんじゃね

900人間七七四年:2007/08/19(日) 14:47:56 ID:D7mAF2or
>>894
ただでさえ織田主力よりも少ない兵力から1万も差し引くなんて馬鹿げた通説誰が唱えてるんだ?
知ってる人いたら是非ともその馬鹿げた通説唱えてる学者教えておくれ

本来ならあっさり落ちるはずの二俣城にも2ヶ月かかってるよ
901人間七七四年:2007/08/19(日) 16:50:11 ID:D/0ldfLI
信玄なら2ヶ月でも優秀だろう、いつもなら二俣城で撃退されてるところだ
902人間七七四年:2007/08/19(日) 16:56:32 ID:/wktxgrn
でも、馬場だあったと思うが二千で織田の一万二千を川で睨み合い
馬場が川を渡って織田を撃退したことあるから
信玄ならもっと少数で調略主体で数を増やして京まで行けると思う
903人間七七四年:2007/08/19(日) 17:01:09 ID:zoPHs+FM
( ゚д゚ )
904人間七七四年:2007/08/19(日) 18:45:17 ID:Z0S0B/2E
>>902
…バカ?
905人間七七四年:2007/08/19(日) 18:46:26 ID:siZ5g0sK
まあ三好は分裂しすぎて動くに動けないし、
畿内の大名はどこも似たようなもん。

自分達の利権がどうとかいうもんじゃなく
家を維持するだけで手一杯。
906人間七七四年:2007/08/19(日) 18:48:23 ID:siZ5g0sK
>>902
そんな餌でつられてやらないんだからっ!!
907人間七七四年:2007/08/19(日) 18:52:10 ID:lozvqrDK
>>馬鹿げた通説唱えてる学者教えておくれ

なんか馬鹿っぽいレスだな
908人間七七四年:2007/08/19(日) 19:47:57 ID:OI9HGAJH
松永は筒井に大敗して織田と戦うより大和を安定させることさえ困難
阿波讃岐の三好は内部分裂に備前で毛利とも揉めていて、淡路の安宅が離反
畿内の三好三人衆や三好義継はまず畠山や荒木などの相手をするか抑えの兵が必要
山城じゃ公方方の最大勢力である細川明智が織田に走ると
909人間七七四年:2007/08/19(日) 19:52:03 ID:NaPeH8bv
>>908
このネタは
織田信長は日本最高の過大評価スレに持っていった方がいいな
910人間七七四年:2007/08/19(日) 20:58:01 ID:/DdY0AxU
信玄が病身で侵攻が困難だから自重してくれ、と義昭や朝倉らに通告していれば
武田軍が停滞している間に彼らが一気にボコられることもなかっただろうに
信玄没は数ヶ月後には上杉にすらキャッチされているんだから、これは大失策だろうね
勝頼の時代になると織田の足絡みとなる戦力は軒並み壊滅だから、かえって武田家の寿命を縮めてしまった
911少し早いけど:2007/08/19(日) 21:39:21 ID:jbR819jf
50スレまとめ

>1-11 >41テンプレ
>566-567戦国時代板wikiテンプレまとめ

>29-35水野
>50-51信長が突然死んだら
>52-74上洛できるか織田を倒せるか?諸勢力の状況 
>69-106岩村城・中仙道・東海道について
>86-97信玄の外交・朝倉の状況

>112-125龍興の和睦破棄1566年8月の上洛計画
 >121上洛計画年表当時の状況 織田上洛計画ソース『多聞院日記』
>126-137斉藤義龍について

>144-242信玄と信長の外交
 >144-169信玄の外交と当時の同盟破りに対する価値観・現在の信玄の評判
 >170-198信長の外交・信長は用済みとなったら切り捨てるか否か・織田長宗我部同盟について
  >195織田家同盟一覧
  >197武田家同盟一覧
 >199-202諏訪攻め高遠の密約
 >210-242諏訪との同盟破棄について・諏訪統治・板垣
  >214学説紹介

>243-283信玄の民政の虚実
 >243-244最近の武田氏研究の成果
 >247-252信玄の民政の通説
 >256-282灰吹き法と金山開発
 >257-267信玄の虚構が成立した理由

>284-298信玄の略奪
>299-302家督相続について

>303-331上杉北条の民政と戦国時代の貨幣制度・武田の農民への基本姿勢
 >309北条の税制

>344-352信玄信長の能力・実績評価
>353-366駿河攻め北条との戦い・北条を取り巻く環境・駿河の状況
>367-372信玄の家臣の粛清・戦術能力
>385-421もし尾張に攻めこんだら・武田軍織田軍の機動力・戦術能力

>422-440戦争による死傷者
>441-481信玄狙撃により死亡の逸話について・鉄砲による狙撃
 >442 >444ソース「松平記」
>482-575各大名の略奪・甲斐は略奪によって豊かになったか否か・武田の略奪は凄まじかった否か


>584-642三河攻めは可能か・桶狭間直後今川と同盟破棄できるか
>645-671武田斉藤で同盟したら・桶狭間の戦いの国力比

>675-700朝倉の状況・動員可能兵力・テンプレの石高について
>701-725包囲網の状況・武田の状況と守備兵力
 >725 1572年秋冬江北年表
>720-744越前加賀の石高と状況
 >730朝倉加賀一揆年表 ソース「産福禅寺年代記」

>748-847信長信玄戦術能力・宗教勢力の特徴・武田家の略奪
>846-910信玄が上洛を強行すれば
912人間七七四年:2007/08/20(月) 22:11:03 ID:TtQQjobR
結局ID:W89NQqi+は>>869で書いてることのソース出さずに逃げたのかw
まる2日音沙汰無しという事はソースは>>869の脳内ってことでFA?
913人間七七四年:2007/08/20(月) 22:32:12 ID:vrQ1djpD
そんなガキでも分かりきっていたことを何故蒸し返す…
914人間七七四年:2007/08/20(月) 23:34:26 ID:pVYZYEoT
>>911
このスレは結構内容が深かったな
915人間七七四年:2007/08/21(火) 01:58:48 ID:jRERK+m9
たまに来る馬鹿信玄儲を除けばな
916人間七七四年:2007/08/21(火) 02:07:28 ID:HqSL/dvj
他者の意見を批判するだけで持論のかけらも無い奴よりかは好感もてるぜ?
917人間七七四年:2007/08/21(火) 10:54:23 ID:pBJ8/OeV
>>912
アレだ、50城厨と同じ基地外なんだよ。
918人間七七四年:2007/08/21(火) 12:28:14 ID:79wgxBFI
菅沼定盈なんかは、城が孤立しようが捕虜にされようが信玄に屈しなかったしな
919人間七七四年:2007/08/21(火) 20:40:48 ID:SOKo8lNV
>>916
妄想のみで話をするやつよりはよっぽどましだと思うがね。
920人間七七四年:2007/08/21(火) 20:50:59 ID:NTmlsitd
>>916
ある文章を誰かが批判→文章書いた人が反論→批判した奴がソースなりをだして反論に対して反論ry
で議論になるパターンが多いから批判もあながち馬鹿にできない

妄想がソースの話に対しては矛盾点を突いて叩くだけだな
921人間七七四年:2007/08/22(水) 08:53:48 ID:jeE850Nk
>>920
チョンの場合は妄想ソースで開き直って逆ギレしちゃうけどね。
日本史板でやりあって駄目だこりゃと思った。
922人間七七四年:2007/08/22(水) 09:07:47 ID:Ke7BCfDG
持論を持たない奴の方が客観的にものを見れるかもね
儲の場合持論を通すために理論構築してきて客観性がまるで無いから
923人間七七四年:2007/08/22(水) 12:36:27 ID:6uyCJE8E
持論というか語るべき知識(文献)も足らないんじゃないかな。
だから馬鹿の一つ覚えでソースソース言うのだろ。
924人間七七四年:2007/08/22(水) 12:50:19 ID:eo5n3+cc
ソースを出してもらわんと、事実を語っているのか妄想をいってるのか判別できん
後者ほど、素直にオレ妄想ですと言わずソース提示を求められると逃げ回るから尚更
925人間七七四年:2007/08/22(水) 19:38:02 ID:qPrvDZaR
一次がベストだけど、
二次三次でもソースを出して貰えればまだ話が膨らむ余地があるから良いんだけどね。
脳内ってのは最悪。
926人間七七四年:2007/08/22(水) 19:50:57 ID:797RTAAB
信玄の能力じゃ上洛なんてどうやっても無理なんじゃないかな、俺の妄想ですけどね。
927人間七七四年:2007/08/23(木) 08:32:56 ID:GgkTzwoj
メガ豚といい
ID:7qQviNmI
ID:cjYzhDaEといい
何で武田信者は人の話しを聞かないでただ自己主張だけを繰り返すのだろう?
理解力が無かったり論理的思考が出来ないと言うのは議論をする上で
知識がないより始末が悪いぞ
928人間七七四年:2007/08/23(木) 08:46:09 ID:GgkTzwoj
ID:W89NQqi+もか
何でこう武田厨と言うのはアレなんだ
929人間七七四年:2007/08/23(木) 09:23:15 ID:s7/8VRah
>>927
検索したけど:7qQviNmIは違うんじゃない?
5QDqLircでしょ。
930人間七七四年:2007/08/23(木) 09:32:07 ID:s7/8VRah
>>911のまとめ見るとわかるけれど面白いスレだったね
相手をしていた人はちょっとイラついたりして大変だったろうなと思うけれど
頭のかたい人(?)相手に理解してもらえるよう様々な角度で話しをしたから
結果としてすごく面白い話が読めたなと思った。
931人間七七四年:2007/08/23(木) 13:11:28 ID:fOOPDf2K
>>927>>928
このスレでは武田信者が
信長過大評価スレでは織田信者が
それぞれ「願望ばっかりで論理的に書けない」といわれてる。
武田がどうとかじゃなくて信者ってのはそういうもんなんじゃないかね。
932人間七七四年:2007/08/23(木) 15:20:16 ID:LAvZ8omF
>>931
んー、武田の場合は武田マンセーなだけで本読まないからタチ悪いよ。
思考の根本に肥ゲーがあるし。
933人間七七四年:2007/08/23(木) 15:21:21 ID:/neELOAT
そういえば軍鑑すら読んでない武田厨、というのもいたなw
それなのに軍鑑の内容のレス応酬時に手を出して自爆
934人間七七四年:2007/08/23(木) 17:37:03 ID:j7VMCi7F
>>929
IDを間違えたのかもね
7qQviNmIは知識もあって冷静で、それでいてどっちの贔屓もしていない気がする

>>931
信長過大評価スレでは
アレな織田信者もいるけど、それに対し反論する論理的な人間も織田派って感じの人で
このスレみたいに
織田派論理的、武田派非論理的みたいに分かれていないのが最大の違いじゃないかと

ただ信玄が無能とは思えないしトップではないにしても一流の大名だとは思うが
それでも冷静に考えると戦術能力とかこのスレの主題である上洛とかは否定的にならざるを得ない
論理的が織田派じゃなくて、論理的な思考をするとどうしても非武田派になっちゃう
のではないかと思う
935人間七七四年:2007/08/23(木) 18:14:22 ID:fOOPDf2K
>>934
そうか?明らかに織田派はあのスレ少ないよ。
論理的イコール織田派みたいにとらえるのはどうかと。
反論してるのは大抵織田系に否定的とまではいかなくてもそう贔屓してないし
あまり好意的でもない。
936人間七七四年:2007/08/23(木) 20:40:54 ID:vPyR9NAu
メガトンを最近見かけないんだけど
他のスレにいるのかな?
937人間七七四年:2007/08/23(木) 22:26:35 ID:LAvZ8omF
意気揚々とコテ名乗って参加したのにフルボッコにされて嫌になったんじゃないの?
938人間七七四年:2007/08/23(木) 22:39:56 ID:vPyR9NAu
コテやめてからもメガトンと分かるレスがあったんだけどな
939人間七七四年:2007/08/23(木) 23:21:19 ID:60oW6rsC
あったあった
書式に特徴があるからコテが無くてもわかったな

でも確かに最近はみてないな
スキルアップして見破れなくなったか、涙目で逃走したか、か
940人間七七四年:2007/08/24(金) 00:57:36 ID:W5rfP7Ex
>>934
>>935
というかあのスレで論理的な人間とこっちで論理的な人間は同系統の人間のようにしか見えない
結局まともな人間は相手が織田だろうと武田だろうと否定することもあれば肯定することもあるという
だけのことだろ
941人間七七四年:2007/08/24(金) 08:43:42 ID:Iq+KlUit
>>940
捏造してまで陥れたりする人もいるけどね。
織田、上杉とか特に。武田は捏造ヨイショしようものならフルボッコにされてるけど
942人間七七四年:2007/08/24(金) 09:03:26 ID:8g7ckXn/
>>924-941

そろそろおまえ自身の意見を聞かせてくれ
943人間七七四年:2007/08/24(金) 10:07:31 ID:W5rfP7Ex
>>941
武田厨の捏造の激しさは歴史的なものだからw
このスレは捏造とかは武田側が多かったが
武田の疲弊のソースとして出された史料が江戸時代の捏造史料だったということもあった
実際の研究でも武田氏関係は捏造史料が多すぎて大変だとよく聞く

>>942
何に対する意見?
上洛だったらほぼ無理だと思うが
944人間七七四年:2007/08/24(金) 10:54:29 ID:WwWl5hyh
甲陽軍艦が捏造の武田を信じろというほうが無理
945人間七七四年:2007/08/24(金) 14:10:26 ID:QSwyvESZ
>>943
当たり障りの無い意見にワロタw
946人間七七四年:2007/08/24(金) 17:50:09 ID:+aBpnZoV
>>945の斬新な意見に期待w
947人間七七四年
243みたいのが偉そうに講釈たれてた奴だとしたらがっかりだな