1 :
代行 ◆O.K.H.I.T. :
南信の雄であり神代から続く名家である諏訪氏を語りましょう
2 :
人間七七四年:2007/04/28(土) 01:05:44 ID:hjlRNTwF
諏訪神軍www
3 :
人間七七四年:2007/04/28(土) 13:36:39 ID:NEN+4kDN
下社の元社人の末裔の漏れは武田に責め滅ぼされたのも
頼重があのような死を迎えたのも仏教用語でいう因果応酬だと
思うから諏訪氏だからといって変に同情的に思われているのが
不思議でならない。下社大祝を滅ぼした報いを受けたまで。
4 :
人間七七四年:2007/04/28(土) 13:48:25 ID:DVoYIMnM
諏訪神軍最強伝説
5 :
人間七七四年:2007/04/28(土) 13:59:14 ID:qiZ1bjjv
(;´д`)
6 :
人間七七四年:2007/04/28(土) 23:31:28 ID:3vX9ffy0
7 :
人間七七四年:2007/04/29(日) 00:00:22 ID:wRDqoYyt
いちいちトリップ付けるあたりが恩着せがましい
8 :
人間七七四年:2007/04/29(日) 01:14:42 ID:ucfhzpX2
武田信玄が後見すると言っていた、諏訪頼重の嫡男である寅王って一体どうなったの?
寧々のその後の詳細も希望
9 :
人間七七四年:2007/04/29(日) 01:42:17 ID:+5AkSxf9
10 :
人間七七四年:2007/04/29(日) 02:04:47 ID:YBlxAmQA
俺も諏訪出身だけどジジババ世代では今でも諏訪贔屓はあるよ。
所詮甲斐武田は他所の方だし。前の大河の時は町の集まりとかで
市で企画したタイアップ町おこし用のノボリとかで揉めてたな。
11 :
人間七七四年:2007/04/29(日) 23:05:29 ID:ucfhzpX2
諏訪大社の現在の神主(大祝?)は誰
12 :
人間七七四年:2007/04/30(月) 01:00:06 ID:4j4ccBZx
タケミナカタかタケミカズチを祭ってたんだっけ?
それはそうと諏訪家は戦国武将としてはあまり強いイメージが無いな。
高遠頼継とかもアホっぽいし・・・
13 :
人間七七四年:2007/04/30(月) 01:04:24 ID:s4A414d3
>>12 ある程度無能でも尊敬されてたから国は一応まとまってたんだよ。
14 :
人間七七四年:2007/04/30(月) 01:17:52 ID:UKoJb2k8
>>11 江戸初期に大名(高島藩主)としての諏訪氏と、神職(大祝)としての諏方氏に分けられた。
>9で断絶したというのは後者。前者は知らんけどどっかで続いているんだろう。
現在の諏訪大社の宮司は神社本庁が任命した諏方氏とは何の関係もない人。
名前は検索すりゃすぐ出てくると思われ。
15 :
人間七七四年:2007/04/30(月) 16:15:27 ID:IaXxcHje
大名として存続した諏訪氏の現当主は諏訪頼水の男系子孫?
16 :
人間七七四年:2007/04/30(月) 17:32:41 ID:8DVkxcNj
天と地と
17 :
人間七七四年:2007/04/30(月) 18:45:55 ID:EyZQFDq/
無抵抗でやられていくシュールな軍隊のことか
18 :
人間七七四年:2007/04/30(月) 21:53:43 ID:4j4ccBZx
タケミナカタとタケミカズチは日本書紀か古事記に出てくる国津神だね。
19 :
人間七七四年:2007/04/30(月) 22:03:13 ID:IaXxcHje
タケミカズチは天津神だったと思うよ
カグヅチを斬った剣から生まれたはず
20 :
人間七七四年:2007/04/30(月) 22:08:21 ID:kYJ0O3BF
タケミカヅチは鹿島神宮
天津神だね
諏訪はタケミナカタだが、元々はミシャグジという祟り神を祀っていた
御神渡りもこの神が渡ったために起こるものとされていた
ミシャグジの語源については諸説あるが、ミシャ=御射とするのが一番好みだ
21 :
人間七七四年:2007/04/30(月) 22:59:16 ID:8Sg8mB4F
一つ疑問なんだが、どうして勝頼は諏訪家の系図にのらなかったんだ?
やはり諏訪家を継ぐ前に武田の後継者候補になったから?
累代は後の世代により書き換えることができる。
23 :
人間七七四年:2007/05/01(火) 02:34:08 ID:GTU1vxSF
>>8 後に「羽柴秀吉」と改名して天下を取っています
24 :
人間七七四年:2007/05/03(木) 22:13:52 ID:+L798xkj
金刺氏って現在でも存続してるの?
26 :
人間七七四年:2007/05/03(木) 23:33:53 ID:1BvAj/yK
>>13 戦国期に入ったあたりはとてもまとまっていたとは思えんが…。
同族間の争い激化で内部崩壊が著しかったし。
27 :
人間七七四年:2007/05/04(金) 00:06:08 ID:1op0pLMr
>>26 結局、そこを武田晴信につかれて戦国大名としては滅亡だからなぁ
28 :
人間七七四年:2007/05/04(金) 01:51:41 ID:TJ9GMz7V
29 :
人間七七四年:2007/05/06(日) 10:13:18 ID:X6x9RaIh
で結局、寅王丸はどうなったの?
30 :
人間七七四年:2007/05/06(日) 10:24:36 ID:wz7eMWhp
31 :
人間七七四年:2007/05/08(火) 20:11:11 ID:3QAFcxKb
↑ツマンネ
氏ねよ
32 :
人間七七四年:2007/05/10(木) 20:12:42 ID:+eZdhioL
信濃四大将の木曽氏より高遠氏の方が石高が高かったんじゃない?
33 :
人間七七四年:2007/05/22(火) 16:13:17 ID:+j50+DUq
諏訪満隣
34 :
人間七七四年:2007/05/22(火) 23:48:46 ID:xxatp1YN
>>29 上野晴郎著「定本武田勝頼」に詳細。
または、大河スレの過去レスにさんざん山のように概出
35 :
人間七七四年:2007/05/24(木) 03:47:40 ID:GXOElr3n
高遠っていつの時代に諏訪から分かれたの?
36 :
人間七七四年:2007/06/12(火) 20:07:16 ID:F3Jr2MkB
信濃の現人神だよね
諏訪家は現在も男系で続いてるの?
大祝の方
明治時代に男系は途切れてなかったっけ。
38 :
人間七七四年:2007/06/18(月) 23:00:37 ID:LKA46UG0
39 :
人間七七四年:2007/06/20(水) 23:21:59 ID:IoyEuaAD
分家なんかは続いてないのかな?
一番最近に分家した所
40 :
人間七七四年:2007/06/25(月) 14:00:08 ID:yNKNZC1L
いままであんまり考えなかったけど
勝頼って父母ともすごく良い血統なんだな。
41 :
人間七七四年:2007/06/29(金) 08:41:31 ID:dDRwzGPv
なんで断絶しちゃったんだ?
出雲大社の方はがんばってるのに。
42 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 13:59:30 ID:vBpl408u
江戸時代や明治、大正、昭和で分家した所は無いの?
43 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 15:23:38 ID:KYiXzCnC
寅王丸は病没
信玄が手にかけたという説もある。
44 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 18:28:06 ID:AC5dhOrF
正しく言うと、寅王丸の去就、その後については
何の史料にも残っていない。病没と記したものなど無い。
殺された説は巷説で、地域の伝説程度のこと。
45 :
人間七七四年:2007/07/13(金) 01:02:24 ID:5HFnE3bC
高遠氏は江戸時代残ったの?
46 :
人間七七四年:2007/07/13(金) 16:15:56 ID:m6E2nU/K
大祝←これの読み方をいっつも忘れてしまう…
47 :
人間七七四年:2007/07/14(土) 01:18:06 ID:mgQDnGt1
だいしゅく
ぉぉはふり
49 :
人間七七四年:2007/07/14(土) 18:18:31 ID:IP/W605s
ゴーストハントというアニメではふりという言葉が出てきて驚いたことがある。
50 :
人間七七四年:2007/07/23(月) 00:25:19 ID:EXQQyKbe
幕府奉行人諏訪/諏方氏との関係はどうなんだろ。
51 :
人間七七四年:2007/07/23(月) 22:16:45 ID:V/E6Fl8c
>>44 長笈は?
>>50 旗本から大名家に養子が来てるよ確か。
って、そういうことじゃない?
52 :
人間七七四年:2007/07/30(月) 13:44:19 ID:SjNVWuIX
>>51 その逸話の元がどういう類の書に書かれたのか、少しは調べた?
長笈が=寅王丸と裏づけられる史料文献など無い。
地域の伝説程度の逸話が江戸時代になって書き留められた
そんな程度の話だ。
53 :
人間七七四年:2007/08/01(水) 23:08:40 ID:Pgc4QkQx
>>52 いや、頼重公から女子(夕姫)、長笈となってそのまま途切れてたからさ…系図が。
寅王丸君としては載ってないというだけ。逆に寅王丸の記載なし。
伝説上の長笈さんが何者かは知りませぬ。
54 :
人間七七四年:2007/08/03(金) 23:58:15 ID:TXaau/Ho
>>53 小説「風林火山」のなかでの信玄側室諏訪氏は、
「夕姫」でなく「由布姫」ね。
55 :
人間七七四年:2007/08/04(土) 00:11:37 ID:Y2BOhNkF
北の村上、南の諏訪
信玄に信濃を犯されたのも、小笠原みたいな小物が守護やってたのが原因
武田と小笠原なら根っこは同じなんだから小物ってのはどうなんだろうな。
57 :
人間七七四年:2007/08/04(土) 02:00:13 ID:Xn7JgIGY
>>56 守護という身分は一緒でも、血統は甲斐源氏嫡流の武田のほうが
傍流の小笠原よりも多少上じゃない?
というか、越後上杉家同様に、小笠原家もまともに領国支配できなかった
のに対し、武田家は甲斐を統一できたという点で、小笠原家は小物なんでしょ。
どちらも逸見氏の庶流でしかないような気が・・・
59 :
人間七七四年:2007/08/04(土) 19:25:02 ID:Y2BOhNkF
小笠原は歴代当主みな弱小
特に長時の愚将ぶりが信玄に信濃を侵略された最大の原因
大文字一揆の後、村上の優位は揺るぎないものとなった。村上が守護に任命されてれば・・・
北信の一郡主なんてのが守護にはなり得ないわけで。
61 :
人間七七四年:2007/08/05(日) 00:11:36 ID:Zo9PSpJn
貞宗・政康・長棟あたりはそこそこだと思うんだけどね
62 :
人間七七四年:2007/08/05(日) 02:00:22 ID:6lKdKGIu
>>58 武田は普通甲斐源氏と言わない?
いや、源清光がどうだらこうだらと言われると反論しようがないけど。
>>61 長棟は名将だとされてる。
63 :
人間七七四年:2007/08/11(土) 11:48:05 ID:Oo+T2p8G
諏訪氏、金刺氏、そして阿智氏こそ信濃を代表する古代からの名族
64 :
人間七七四年:2007/08/12(日) 13:50:46 ID:UXglA46H
阿智氏は信濃に降臨した思兼命の子孫
教育県長野の歴史はこの時からはじまっている
65 :
人間七七四年:2007/08/12(日) 14:59:43 ID:4TaO7uqc
大はふり!
66 :
人間七七四年:2007/08/13(月) 04:09:28 ID:NgvyHvgc
国造の頃から居ますね!古過ぎですねw
宗像氏とか阿蘇氏とかもかなり古いぞ。
68 :
人間七七四年:2007/08/13(月) 05:44:21 ID:fF+ZUrYs
阿蘇氏と信濃国造は同族らしい
69 :
人間七七四年:2007/08/19(日) 15:00:52 ID:O3aFs678
最盛期の諏訪氏の国高はどのくらいあったの?
諏訪氏の大祝の地位にある者は、郡外へ出てはならない。
71 :
人間七七四年:2007/09/07(金) 04:42:07 ID:CKBo/J1o
烈風の如き我が歩みもここで終わるか・・・ ああ、懐かしき諏訪よ 諏訪の湖よ・・・
鹿児島出身の知り合いで、諏訪神社の支社?たる鹿児島県旧・串木野市の羽島神社の神主と遠〜〜〜〜〜くはなれた一族という人がいた。
一応、知り合いと同姓の武士が、島津配下の人間として文献上に残っているらしい。
73 :
人間七七四年:2007/09/17(月) 01:16:18 ID:2PbG+8Fh
戦国大名としての諏訪氏には限界を感じたので
これからは諏訪信仰について語っていきましょう
74 :
人間七七四年:2007/09/17(月) 03:42:53 ID:SIn4R2No
諏訪明神信仰はもの凄く難解なんですけど・・・・
75 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 11:01:32 ID:gJyf/UCI
難解ってどの辺が?
76 :
人間七七四年:2007/10/01(月) 19:38:27 ID:wpn2i14V
高遠頼継の子孫っていないの?
77 :
人間七七四年:2007/10/18(木) 03:01:08 ID:KhUdDm7Q
78 :
人間七七四年:2007/10/18(木) 23:23:46 ID:HmdV/ElZ
>>29 史実的には「消息不明」だろ。
何の文書にも死亡の記録がない、生き延びたとの記録もない。
79 :
人間七七四年:2007/10/20(土) 13:39:57 ID:4E+FPA2h
諏訪氏の出自って実際どこなんだろうな
源氏と称していた事もあるし
80 :
人間七七四年:2007/10/20(土) 16:25:44 ID:j2YcvlNN
諏訪の祖先はさる○家の祖先のおかげで出雲をおわれて
諏訪に流れ着いたそうだから元は出雲なんじゃね?
81 :
人間七七四年:2007/10/20(土) 16:53:36 ID:4E+FPA2h
お千?
82 :
人間七七四年:2007/10/21(日) 10:28:29 ID:8QvqDnfo
天皇家:諏訪
摂関家:小笠原
将軍家:村上
83 :
人間七七四年:2007/10/21(日) 10:59:25 ID:8JvpEtu2
というのが信濃人の世界観です。
84 :
人間七七四年:2007/10/21(日) 12:18:12 ID:27y8xvOt
高遠ラーメンの連峰軒は美味いよな
85 :
人間七七四年:2007/10/22(月) 03:24:27 ID:ITuTOLlc
諏訪氏はしらんが、諏訪大社の神様は、出雲の大国主命の息子。
大和に抵抗して諏訪の地で捕まった(多分、討ち取られたのだろう)
86 :
人間七七四年:2007/10/22(月) 13:52:43 ID:ABxX7DWQ
>>85 おいおい…
諏訪大社の主神は建御名方神
出雲の大国主の子であると言われ、葦原中国(出雲)の国譲りの際に諏訪に逃れ、
追い詰められた際に諏訪の地から出ないことを誓い、大和に服従したという
その子孫は神(みわ)氏を名乗り諏訪氏などの諏訪神党の諸氏が出たという
ただし、諏訪では建御名方神は逃れてきたのではなく、諏訪の土着神である洩矢神を降して諏訪を得たという伝承がある
この洩矢神の子孫が諏訪の神長を務めた守矢氏の祖になったと言われている
また、この守矢氏の家には諏訪大社以前の諏訪の信仰である
ミシャクヂ神信仰の神事が一子相伝で伝わっていたとか
87 :
人間七七四年:2007/10/23(火) 17:04:25 ID:GC8Wezr+
守矢家って今でもあるんですか?
88 :
人間七七四年:2007/10/23(火) 22:52:17 ID:l9gRMtgl
守矢家の資料館ってあるじゃん。
89 :
人間七七四年:2007/11/07(水) 15:04:31 ID:UyIXHDi1
武田勝頼は武田本家の後継者になる前は母方の諏訪姓を名乗っていたそうだが
90 :
人間七七四年:2007/11/08(木) 20:20:40 ID:Soef6p/r
何を今さら
91 :
人間七七四年:2007/11/11(日) 23:38:40 ID:m7AJi1+3
史実として寅王丸が長及になったというのは本当なの?
92 :
人間七七四年:2007/11/11(日) 23:55:00 ID:XFTxGOep
93 :
人間七七四年:2007/11/12(月) 10:58:07 ID:8fMpHUi3
94 :
人間七七四年:2007/11/25(日) 20:53:29 ID:w56PSb7D
守矢家は現在で76代目らしいね
95 :
人間七七四年:2007/12/25(火) 04:34:32 ID:C6Z1MNGK
諏訪氏、金刺氏、守矢氏
この三氏の祖はみんな同じ?
96 :
人間七七四年:2007/12/27(木) 04:42:19 ID:qm8YG6S6
>>95 系図がごちゃごちゃになって正確なところはわからない感がある
一応、諏訪氏については建御名方命の子孫説、科野国造金刺舎人子孫説、清和源氏説がごっちゃらしい
金刺氏はおそらく科野国造金刺舎人の子孫とみていいかと思う(となると金刺家と阿蘇家の祖は同じところに行き着く)
守谷氏だけは明確に異なる家系を主張していて、
いずれの説をとるにせよ諏訪氏・金刺氏は外部からやってきた豪族であるのに対し、
守谷氏は諏訪における旧来からの土着豪族の子孫を称している
「諏訪大明神絵詞」に出てくる洩矢神の子孫が守谷氏を名乗ったという
97 :
人間七七四年:2007/12/28(金) 14:57:19 ID:U12i9W/d
江戸時代以降の大祝家の家系図を載せていただけませんか?
15代目の弘さんが無くなって断絶してしまったのは残念な事でしたが、兄弟や従兄弟の方などはおられなかったのでしょうかね。
98 :
人間七七四年:2007/12/28(金) 15:04:41 ID:U12i9W/d
諏訪地方には記紀神話とは異なる、独自の神話が伝えられます
この神話は、諏訪大社の祭祀を司った「守矢(もりや)家」に言い伝えられて来たものです
守矢家は、明治維新まで「神長官(じんちょうかん)」という
諏訪大社の筆頭神官の職を世襲していました
*守矢家は、洩矢(もれや)家ともいいます
諏訪明神は、もとから諏訪にいたのではなく、と〜い昔他の地から諏訪へやって来ました
その頃諏訪には、既に洩矢(もれや)神がいて、洩矢族の民が暮らしていました
このため、やって来た明神さまと洩矢神との間で争いがおこり、
洩矢神は「鉄の輪」で、諏訪明神は「藤の枝」を持ち、川を挟んで両者が戦う事になりましたが、
藤の枝で戦った諏訪明神が勝利したのです
以後、洩矢神は明神さまの家来となったと、言われているそうです
「鉄の輪」は、鉄が産出された・「藤枝」は、鉄を扱う技術という事でしょう
<融合をもって輪をなす>・・・・諏訪明神の心です
その心が、守矢(洩矢)を神長官として、古来からの土着神「ミシャグチ神」を
変わらず祀り、称えたのでしょう
ですから、「軍神」としてその名を轟かせた時代もありますが、
元々存在したものを大切にし、自然界を敬うという「自然信仰」であった諏訪明神は、
「平和」を「すべての命」を大切にする事が真髄だと感じます
諏訪家が「大祝(おおほうり)」といい、現人神(諏訪神の化身)で神が入り、
守矢家が「神長官」で、大祝に降りた事象を受け取り、神事を行う
という、両家が一体となって神託が執り行なわれたのです
諏訪大社の現人神として奉られた大祝の即位式は、天保12年(1841)まで行われていました
明治維新の際に廃止され、現在に至っています
明治政府は、天皇中心の国家神道を創作し、人々に強制する一方で、
日本の各地域地域に伝えられてきた信仰や、
天皇家の神話と異なる系譜の神話などを、抹殺しようとしました
各地の寺や神社に伝わる古文書を焼き、古くからの祭りを「淫祀邪教」として禁止するなど、
さまざまな宗教弾圧が行われ、諏訪も守矢も多くの大切な物を無くしたのです
守矢家も1872年、明治政府によって強制的に神長官の職を解かれ、
諏訪信仰も、国家神道に組み込まれる事になってしまいました
99 :
人間七七四年:2007/12/29(土) 02:29:59 ID:hOcsV+5i
100 :
人間七七四年:2007/12/29(土) 02:29:59 ID:Xv9Iq6KU
101 :
老中格諏訪因幡守忠誠:2007/12/30(日) 03:05:29 ID:DX80+1rQ
あげ
102 :
人間七七四年:2008/01/13(日) 09:55:13 ID:MMOVhvKt
諏訪家は男系で現在まで続いているのでしょうか?
現当主はどなたでしょうか
103 :
人間七七四年:2008/01/13(日) 15:53:06 ID:OzQZ48d4
戦国時代は特に話すこともねーな
他の時代なら中先代の乱とか木曽義仲の後見とか
104 :
人間七七四年:2008/01/14(月) 01:04:41 ID:C/Qtyjcp
諏訪氏は戦国「大名」だったの?
105 :
人間七七四年:2008/01/27(日) 12:06:15 ID:LnPPjywe
諏訪大社ではヒスイでできた「まが玉」のお守りって売ってますか?
106 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 17:25:27 ID:sFobbTtA
オリラジの藤森、諏訪神党系の苗字だな
107 :
人間七七四年:2008/02/05(火) 16:13:14 ID:aaz2w4B+
今年は御神渡りが現れて良かったね
108 :
人間七七四年: