足利義昭は暗君だったのか稀代の謀将だったのか

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1人間七七四年
司馬遼太郎「国盗り物語」をはじめ、
戦国時代の「策士策に溺れる典型の貴族趣味の暗君」として、
評価される事が圧倒的に多い足利義昭

対信長戦争の結果は最悪なものとして終わったが、
しかし、室町幕府の将軍としての権威を背景に、
諸大名に号令を発し信長包囲網を作り上げ、
信長に対抗しようとしたことは狡猾で愚かなことだったのか

結果が伴なわなかった為、
最悪の評価を受けやすい足利義昭について、
結果論、先入観を抜きにして考察するスレ
2人間七七四年:2007/04/13(金) 18:16:20 ID:N6b73O+L
負ければ何言われても仕方ない
詰めが甘かった。
ただ暗君ではなかろうな
利用されるだけ殺される可能性もあったし
いや書状も含め総て偽装工作と
3人間七七四年:2007/04/13(金) 18:20:32 ID:g66HTZgZ
足利義昭は二回も将軍宣下を受けたって本当なんでしょうか?
4人間七七四年:2007/04/13(金) 18:26:45 ID:nVOazDCN
槙島城の挙兵のエピソードなどから判断して、基本的には気の強いただの馬鹿だったと思うが、
結果しだいによっては名君に仕立て上げられてた可能性もあったとも思う
5人間七七四年:2007/04/13(金) 18:29:53 ID:fUCZ4ArY
じゃあ冷静に検討をしていくとしようか

まず一番有名な信長包囲網
信長ファンたちからは、
「信長を敵に回して勝てるわけないだろ、馬鹿」
という意見が多いようだが、
この信長包囲網を作ったことはそこまでおろかな事だったのか?
ここに勝機はなかったのか?
6人間七七四年:2007/04/13(金) 19:48:14 ID:qij34oP1
将軍としての自分の利用価値に気付いていた点は、
先代の将軍たちより優れている
義輝の死によって地に堕ちた将軍家の権威を、
信長包囲網成立に寄与するまでに復活させた力量も凡人では敵うまい
しかし『御輿』に甘んじることができない将来の気位が
結果的に身を滅ぼしてしまった
将軍家ではなく一大名として生まれていたなら、
乱世をどのように処していったのかな
7人間七七四年:2007/04/13(金) 20:21:06 ID:BCG29Jm+
包囲網など築かずに信長と仲良くやってたら、評価されてたかもね
8人間七七四年:2007/04/13(金) 20:23:27 ID:yJyQiHtO
>>1
なんでそんな両極端なんだ・・
そりゃ足利将軍15人の中では5位以内には入れるだろうけども、稀代の謀将とまでは
9人間七七四年:2007/04/13(金) 20:53:55 ID:E4VwujN0
>>8
上位5人を順位と一緒に発表せよ
10>>8じゃないが:2007/04/13(金) 21:09:07 ID:sgBvxFXQ
足利将軍の順位はこんな感じでは?
1位: 義満(南北朝合一、日明貿易開始、北山文化)
2位: 尊氏(執権北条氏打倒に勲功、征夷大将軍就任)
3位: 義教(日明貿易再開、比叡山討伐、鎌倉公方討伐)
4位: 義昭(実力者を次々と味方につけて倒幕勢力に対抗)
5位: 義輝(戦国大名同士の死闘をしばしば仲裁、剣豪)
11人間七七四年:2007/04/13(金) 21:20:20 ID:9cUXtUer
>>10
そこの4位には義詮が入って義輝が抜けるのが俺的評価。
尊氏と共に苦労してる幕府開府の功労者だし
12人間七七四年:2007/04/13(金) 21:25:54 ID:E4VwujN0
>>10
義教が幕府の中央集権化を進めようとして失敗したんだっけか?
将軍の中では超強硬派だよね

>>11
義詮は江戸幕府で言うと、秀忠的功績があるの?
13人間七七四年:2007/04/13(金) 21:36:15 ID:9cUXtUer
>>12
そこまで大きな功績ではないけど、弱体な幕府を滅ぼさずに義満に繋げられたのは上出来だと思う。
14人間七七四年:2007/04/13(金) 21:38:00 ID:g66HTZgZ
4〜7代目が早世しすぎ
15人間七七四年:2007/04/13(金) 21:39:49 ID:E4VwujN0
>>13
けど幕府復興を目論んだ義昭よりは評価上になる?
16人間七七四年:2007/04/13(金) 21:49:44 ID:2VG0109e
幕府を潰した義昭よりは誰だって上になるんじゃないのw
17人間七七四年:2007/04/13(金) 21:52:50 ID:ZmstWCb5
松永弾正を兄の仇と信長に処分を求めながら
信長と対立するとその松永と手を結ぶ。
無節操な・・・
18関連スレ:2007/04/13(金) 21:54:35 ID:NkCu7a5T
剣豪将軍足利義輝
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150552879/
【14代】 足利義栄 【阿波公方】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1156769019/
19人間七七四年:2007/04/13(金) 22:02:59 ID:g66HTZgZ
20人間七七四年:2007/04/13(金) 22:22:12 ID:E4VwujN0
>>16
それは結果論だw

>>17
なりふり構わずって感じだわな
21人間七七四年:2007/04/13(金) 23:34:22 ID:S7Gf3dWh
包囲網が成功して信長を打倒したとして、義昭が
権力を保持し続けるシナリオって有るのかね。
22人間七七四年:2007/04/13(金) 23:40:11 ID:E4VwujN0
>>21
問題はそこだ
義昭の直轄軍が存在せず、権力基盤がない状況
誰か大名を「管領」とかいう形で直臣とし、
この勢力を直轄化することで勢力を拡大するしかないね
23人間七七四年:2007/04/13(金) 23:41:38 ID:Mr+8dzyX
本能寺黒幕説を採用すれば最終的には信長に勝ったことになるぞ
24人間七七四年:2007/04/13(金) 23:42:58 ID:ZP1YQeBi
まあ謀将なんて評価は過大ですね。

義昭を謀将とする理由の第一として包囲網があげられますが、正直、そんなもん
存在してませんでしたから。
義昭がやったことは、信長と敵対する理由のある連中に名分を与えただけで、信長
の見方をその手練手管で敵に回したなんて業績はありません。そして、朝倉にせよ
三好にせよ彼らは勝手めいめいに信長と戦っていただけで、当人たちに同胞・見方
なんて意識はなかったし、そして重要なことは義昭には彼らに対する命令権もない。
ただ、一本化された指揮権がなくバラバラに戦いを挑まれるというのが、結果的に
信長にとっては対処困難にさせた。そしてそんな状況を少しでも自分の利益に還元
しようと工作したのが信玄だったり本願寺だったり。しかしこの二人にしても、他
勢力に対する命令権なんてないのだから当然思うようには状況を動かせなかった。

義昭がやったことは、構想も戦略もなにもなく、ただ手紙をばらまいただけ。
25人間七七四年:2007/04/13(金) 23:50:45 ID:NkCu7a5T
>>23
そんなものはありえない。

>>24
日独伊三国同盟みたいにバラバラに戦ってたら、勝てないわなw
26人間七七四年:2007/04/14(土) 14:31:58 ID:JWZBKbOO
>>17
名を捨てて実を取ったと見るか、ただの無節操と見るか・・・
多分後者だな。
27人間七七四年:2007/04/14(土) 15:35:50 ID:fgFW4PEp
利に敏い細川藤孝や明智光秀が早々と義昭に見切りをつけ、
織田に走ったことで結論は出ている。

信長にしても義昭との初対面で、その人間的軽さや軽挙妄動ぶりに興ざめしている。
28人間七七四年:2007/04/14(土) 17:14:24 ID:K4U1ThMl
まあ、義昭が暗君と称される所以としては、
本人の資質もそうだが、
あの時期に幕府を背負わねばならなかった時勢的な要因も大きいだろうな。
29人間七七四年:2007/04/14(土) 21:16:24 ID:zMTm8o/9
義輝死なずに逃亡→信長が担いで上洛

だったとしても、たいして変わらなかったような
30人間七七四年:2007/05/06(日) 15:33:17 ID:56TbfRlE
あげ。
31人間七七四年:2007/05/06(日) 16:02:43 ID:81ETURI4
お手紙作戦は古来より武力を持たない者がよく行い
尚且つ成功したためしがない
結局自分が武力を有していなければ
追い払っても次々取って代わられるだけで
全くもって意味がない
武家の棟梁たる将軍である義昭が
そこのところを理解できない時点で終わっている
32人間七七四年:2007/05/17(木) 18:37:08 ID:g4vYd43h
>>31
武力を持たない者が、それしか無いからその方法を取るんだろうが。
結果どうなるかを予想するとか、理解するという問題では無いだろう。
まずは、当時の足利義昭置かれた状況と、
その状況下で取れる最善の策について考えねば、
一般論を語った所で意味が無いと思うんだがな。
33人間七七四年:2007/06/03(日) 01:50:57 ID:LCEXDKBH
信長包囲網は机上の空論に過ぎなかった
こいつ自信は何もしてないしホント口だけ番長だろ
34人間七七四年:2007/06/03(日) 18:36:10 ID:BW/bZt42
その机上の空論で一時は確実に信長を追い詰めてたんだぜ
朝倉撤退や信玄急死がなければ、と考えると単なる口だけ番長とは違うと思う
35人間七七四年:2007/06/04(月) 14:04:06 ID:iq4+XRr6
兄上同様に、剣術を習ってた様だが上手かったのかな?
36人間七七四年:2007/06/05(火) 13:09:19 ID:dB3cWHu9
俺が義景だったら信長なんか1570年中に死んでたよ
37人間七七四年:2007/06/22(金) 21:45:41 ID:zVufaajG
鞆まで付いていった幕臣って、上野とか柳沢ぐらい?
38人間七七四年:2007/06/22(金) 22:53:52 ID:mFDJfaxm
チェックメイトのような幕府を引き継がされたて、

一体何ができるというのか。
39人間七七四年:2007/06/23(土) 19:06:24 ID:Bc/Q7IOa
義昭と義輝が公方としてどちらが有能かは微妙なところ。
義輝は「自分で何かをしようとする公方」、
義昭はそれに対して「他人に何かをさせようとする公方」。
京や日本の政情が違うから比較できないがどちらも御輿にはなりにくい
癖のある公方。
いずれも文弱に溺れた印象が強い足利公方にしては
最後を飾るにふさわしい人物だったのは間違いないだろう。
いや、御輿になり得なかったからこそ滅びたのか。
40人間七七四年:2007/06/24(日) 05:40:32 ID:BHHLPYHi
義輝は有終の美を飾れたので得してるな
仮にあそこで生き残っても結局食い潰されて終わっただろうし

いや、剣豪将軍大好きですけどね
41人間七七四年:2007/06/30(土) 14:19:07 ID:B3Amt6e3
自分も剣豪将軍好きだが何かをしたいのなら
義昭のように自分を押し売りするくらいの方が身の丈にあっているだろ。

まあ義昭は最後は帰洛できて准三后。目的の京都復帰はできたわけで
あそこまですれば執念だな。信長が死んだのが一番大きいが。
42人間七七四年:2007/08/07(火) 01:58:03 ID:3N8eEt5H
この人のやった事って自分の権威を盾に手紙を送りまくっただけでしょ
43人間七七四年:2007/08/07(火) 19:58:46 ID:ETXdJLE3
自分の利用価値が分かってたからだろ
周り中を混乱に巻き込むあたりはさすがに足利らしい
44人間七七四年:2007/08/07(火) 23:06:04 ID:v5xvxiSa
足利義昭て信長への憎しみだけが生き甲斐だったんだろうな。
信長が死ぬと権力への執着まったく無くなっている。
本当に野心家なら、秀吉が養子縁組を申し込んできたときに、もっと
巧く立ち回って征夷大将軍と交換に関白職を貰うとか足利幕府を
復興させたりしそうなのに、京にすら戻らなかったんだから。
案外将軍職には執着がなく、仮に信玄とか謙信が上洛してきたら
あっさり将軍職を譲てたかも。
45人間七七四年:2007/08/08(水) 05:15:06 ID:R7IQJT8V
信じてただけに蔑ろにされたのがショックだったんだよきっと
46人間七七四年:2007/08/08(水) 09:46:53 ID:UQy+MIpL
女みたいなやつだな
47人間七七四年:2007/08/08(水) 10:24:28 ID:FS/tlzg3
スパムメール将軍
48人間七七四年:2007/08/08(水) 17:56:42 ID:rSLEqi8o
特に暗君でもなく謀将でもなく・・・
ちょっと背伸びしてはっただけ
49人間七七四年:2007/08/08(水) 23:09:26 ID:gXcyaJdq
まあ兄貴よりは器量に乏しいな。
50人間七七四年:2007/08/09(木) 18:56:49 ID:ljLfscb4
今川義元と同じくイメージが悪い。
51人間七七四年:2007/08/09(木) 23:34:33 ID:RWyrfTJJ
義元は最近再評価が著しいからこいつもそのうち再評価されるかも試練
52人間七七四年:2007/08/10(金) 03:11:07 ID:OgXOVGFQ
いまどのような評価がスタンダードなのかは知らんが
義輝、義昭はあの時代の将軍としては及第点だろう。
その目標に対する結果が全てだからそれ以上の評価はできないが
将軍職として自己の権威を最大限に利用しているのは単なる傀儡将軍とは違うわな。

まあ義輝は少し「剣豪」のイメージのせいで調停工作なんかが薄れているが
どちらかといえば復古主義的な(幕府復興)人物だったのだろう。
義昭は「お手紙」のイメージが強いが行動力は兄貴よりも優れているよなあ。
ただどうも義輝旧臣との関係が微妙なあたり時代の急激な変化もあるだろうけど
人徳という点ではイマイチだったのかもねえ。
53人間七七四年:2007/08/21(火) 08:19:13 ID:6YofpmJl
 
54人間七七四年:2007/08/27(月) 22:42:49 ID:V8w3/s+W
再評価厨も大変だな・・・
55人間七七四年:2007/09/27(木) 03:40:45 ID:ppzTSM4W
鞆まで付いていった家臣ってどの位いるんだろ?
上野や柳沢ぐらい?
56人間七七四年:2007/10/18(木) 20:16:40 ID:mcAoSxuj
謀略家
57人間七七四年:2007/11/10(土) 10:19:20 ID:EhcRoZHU
意外と策士
58人間七七四年:2007/11/10(土) 22:14:24 ID:BqZSOeRj
59人間七七四年:2007/11/11(日) 02:36:57 ID:UGj1Anxc
  
60人間七七四年:2007/11/11(日) 10:59:18 ID:sMLSiaDV
剣豪将軍って、死んだ日のぞいて一体何人斬ったんだ?
61人間七七四年:2007/11/12(月) 09:24:29 ID:Cy8SH2vN
>>60
光源院はスレ違いですぞ。

剣豪将軍足利義輝
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150552879/
62人間七七四年:2007/11/12(月) 15:55:19 ID:KOb/8DM4
才能と行動力はあったけど性格面で活かせなかった感じがする。
秀吉が天下人には勇気と大気と智恵が必要だが惜しいのがいると言ったような。
追い詰められて結果的に真価を発揮したけど優勢になると元に戻る。

まあ自分でも買い被ってると思うけど。
63人間七七四年:2007/11/19(月) 00:56:06 ID:wm+MFa1I
ゲームや漫画じゃ義輝並みに剣豪だったりするがな。
64人間七七四年:2007/11/21(水) 02:47:27 ID:37KozurZ
信長にとっては道具でも足利義昭にとっては身分が上であり、幕府も存続していて
軍がないのだから御輿に乗るのは当然であり、義昭にとっては信長は裏切り者でもあり、現政権を軽んじた人間と見るのは筋が通っている。
力の世界じゃなけりゃな。

ただ彼がとった包囲網なんてもんは軍がなく権威と発言権が高い物なら容易に考え付くものだろう。
しかもばら撒いて、信長を潰す大義名分を与えたにすぎず、彼が積極的にまとめたわけではないと思う。
正直足並みが揃っていたとは思えないし、包囲網。
謀将とはとてもいえない。歴代続いてきたわけだから、自分が呼べば周りは呼応すると安易に考えてたような気もする。
65人間七七四年:2007/11/21(水) 05:11:04 ID:FLII65LE
>>64
僧侶上がりで、よく実情が把握できてなかったのかな?
側近も耳の良いことしか入れず、裸の王様状態で。
66人間七七四年:2007/12/02(日) 10:22:53 ID:I4HmzO76
でも信長を追い詰めたのはスゴイと思うがな。
67人間七七四年:2007/12/11(火) 20:18:17 ID:te7Q3PBs
信長を追い詰めたランク

S 今川義元 石山本願寺 足利義昭
A 斉藤義龍 浅井・朝倉連合
B 毛利輝元 武田信玄 上杉謙信
C 織田信友 武田勝頼 松永久秀
D 六角義賢 北畠具教
68人間七七四年:2007/12/11(火) 21:32:14 ID:3j5I/Z9k
>>66
義昭の手腕で追い詰めたってわけではないのでねえ
69人間七七四年:2007/12/24(月) 17:43:39 ID:zzdKheir
稀代の謀将だと思う
豊臣時代でも将軍に任命され続け
秀吉の朝鮮攻めの九州動座にも武将として兵を引き連れ従軍している
兄の義輝とは違い
公家的しぶとさを持った武将だと思う
さすが足利家
政略上領地などを与えることは出来なかったが
秀吉も義昭を嫌いではなかったのだと思う
近衛家のような摂家に産まれておれば
もう少しは幸せな人生を送れたと思う
70人間七七四年:2007/12/24(月) 17:51:06 ID:04yOinvc
関東の古河公方足利義氏やその跡を継いだ少女公方足利義姫タンよりはがんばったと思うよ…
71人間七七四年:2007/12/25(火) 22:04:30 ID:DIeHwDsU
公家に産まれておれば近衛前久よりも評価は上であったと思います。
72人間七七四年:2007/12/26(水) 21:28:40 ID:qvppBHM2
>>70
間違いなく豚一よりはがんばった
73人間七七四年:2007/12/29(土) 10:04:04 ID:MpBFSbKB
まあ、長生きしたよな。
74人間七七四年:2008/01/08(火) 23:49:51 ID:epNFU8ob
足利義昭に軍がなかったというのは俗説。
奉公衆を持っていたし、佐々木(六角)の旧臣も指揮出来た。
戦力だったからこそ秀吉も朝鮮出兵に従軍(渡海はしてないけど)させたんだよ?。
75人間七七四年:2008/01/09(水) 01:20:15 ID:d/wsRI8J
明智が本当に直臣だったのかは分からんが、少なくとも間違いなく直臣で
幕府有数の名門、細川のオヤジにあっさりと見限られたあたりに、彼の
人間的限界を感じるなあ。

尼子の旧臣、山中鹿之助が節義を通した例とかあるし、浅井朝倉にしても
主家の滅亡に殉じて死んだ家臣はたくさんいる。

義昭は、将軍であるのに、有能な家臣たちには愛想つかされて、忠臣の一人も
得ることも出来ず、自滅同然に滅んでいった・・・・
この辺からも、大した人物ではなかったようにしか思えんな。
76人間七七四年:2008/01/09(水) 03:57:53 ID:WM9sOzHs
豊臣政権下でも官位は持ってたんですか?
77人間七七四年:2008/01/09(水) 12:12:43 ID:4vVY1fq+
>>75
一応、一色藤長や槙島昭光などは幕府滅亡後も従っているけどな。

>>76
准后になってたはず
78人間七七四年:2008/01/09(水) 13:43:34 ID:Q6Mz8SAX
>>77
准后と関白、どちらが上?
秀吉も准后だったの?
79人間七七四年:2008/01/09(水) 15:56:16 ID:FcqRNNkH
ま、義昭役は玉置浩二の右に出るヤツはおらんな。
80関連スレ:2008/01/09(水) 17:15:09 ID:hvIXDLaT
戦国武将を演じるなら、この俳優さん
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1198268197/
81人間七七四年:2008/01/19(土) 23:18:36 ID:oeCC4hSQ
>>75
君の知識は根本から間違っている。
長岡藤孝は、ただの裏切りものだが、
その他の、まともな旧室町幕臣は義昭に従い鞆の浦まで下向し、
かの地、および全国を飛び回り、幕府再興のため尽力している。
細川京兆の一族、斯波の一族、一色の一族、上野の一族、六角の一族、京極の一族、大館の一族などなど
キラ星のごとく名門の子弟一門が従軍している。
義昭に軍隊があったからこそ、秀吉も朝鮮出兵に名護屋まで従軍させたんだよ。
内容の薄い、簡単な歴史ものばかり読んでいては、真実など教えてもらえないよ。
たいがいの歴史ものは信長ファン、信長オタクが書いたものだからね。
82人間七七四年:2008/01/20(日) 01:01:59 ID:1yxm6WN0
腐っても鯛ってところですか。
経済力も軍事力も人間的大きさも信長に及ばなかったけど
噛み付いたってのがいかにも小物らしくていいじゃない
83人間七七四年:2008/01/20(日) 14:09:52 ID:BbR4iAkc
>>81
ほほーう、貴殿は御詳しい。
信長の姑息な手段により、担ぎ上げられ、また都を追われた将軍ですよね。
最近の研究では、
だいたい信長は上洛するのに、六角氏の宗家と戦ってもいないらしい。
だから観音寺城も、無傷で残ったらしい。
信長が戦ったのは六角氏の一門の、箕作六角家だったらしいよ。
六角の宗家は、京極氏や足利将軍と同じように公家化してたみたいで、京極の浅井氏みたいに
執事で庶家の箕作六角が施政してたらしいけど。
義昭上洛、将軍職就任以後も六角宗家と織田は同盟してるらしい。
だから南近江で六角殲滅の大戦はなくて当たり前らしい。
上洛軍に成敗されたのは執政の箕作六角だけだったらしい。
信長は細川京兆とも畠山とも義兄弟だし、実は室町幕府の権威をフルに取り入れているんだよね。
当時の政府である室町幕府からすれば、信長は大裏切り者、反乱軍でしかない。
基本的には斯波氏の軍事力(織田氏)でしかないんだから、三好と同じくらい
でしゃばり過ぎなんだよ。
ただの家臣として、身を粉にして働いて、斯波氏や将軍家を支えるのが正しい道。
前時代には、実力があっても慢心せずに、分をわきまえた武士も
たくさんいたわけだから。
憐れだね義昭は、信長みたいな家臣が出て。

84人間七七四年:2008/01/20(日) 15:58:47 ID:NMbo9Ebs
>>83
そもそも足利氏自体が、実力があって分をわきまえずに幕府に刃向かったり
天皇に逆らったりしたらとんでもない家臣ということになってしまうが?
85人間七七四年:2008/01/20(日) 18:05:03 ID:N9froR02
足利氏は持明院流の室町時代以降の天皇家にとって超忠臣。
鎌倉武士が関東に移してしまった政権を再び京都に戻した
京都中興の家柄。当時の天皇家が認めた武家の中の武家。
86人間七七四年:2008/01/20(日) 19:57:33 ID:du3LAazh
戦国時代にしてしまったのに忠臣も糞もないだろ。
足利家は為政者として完全に失敗。
87人間七七四年:2008/01/20(日) 23:39:17 ID:Kbyz6OtE
戦国時代ではなく
大謀反時代。
悪いのは家臣達のほうだ。
将軍や管領がやさしくなりすぎたのが悪いといえば、悪いが。
足利義満や義教みたいに、早い目に織田を潰すべきだったと思う。
上杉謙信とともに上洛すれば、あんな目に遭わくてすんだかも。
信長が薄情すぎるんだ。足利将軍は六角氏などを頼り、よく地方に下っていたが、
あんな酷い目に遭わせたのは三好一味くらいじゃないか?。
88人間七七四年:2008/01/21(月) 01:14:08 ID:Ky0TnfXg
悪いのは日野家出身の馬鹿なマンコが将軍の嫁になる事を繰り返して
血が濃くなった馬鹿な将軍が産まれたからさ。
日野富子が最悪。義尚可愛さに山名宗全とつるんで騒然!
応仁の乱を引き起こし戦国時代へ突入する大きな要因を作った
のは他ならない馬鹿女日野富子だよ
89人間七七四年:2008/01/21(月) 01:25:44 ID:HJZ6a2SQ
なんつうか足利とかゆう武家がヤンチャをしたからこそおれらの好きな戦国時代があったと感謝しようぜ
90人間七七四年:2008/01/21(月) 01:36:14 ID:txTKI1OW
>>87
室町幕府自体草創期から有力者連合政権だったから、
野心のある者が出てくれば持たなくなって終わりなの当たり前。
そもそも戦国以前に何度も内乱、内戦だったし、没落の決め手になったのも足利一族の争い。
これほどダメな政権も珍しい。
91人間七七四年:2008/01/21(月) 01:43:49 ID:zyf+CrEm
でも明応の政変が無ければ中央政権として復活した可能性があるのも凄い話ではあるw
92人間七七四年:2008/01/21(月) 07:12:22 ID:oKVCsb6Q
市川團蔵が演じていた足利義昭が一番しっくり来る。
93人間七七四年:2008/01/21(月) 07:52:17 ID:aKgjHDa/
つーか、実権を握ってた箕作六角と戦って、実権を持たない六角宗家と戦わなかったのは当たり前だろ
94人間七七四年:2008/01/23(水) 23:57:56 ID:OT8KRvEh
武田信玄が首尾よく上洛を果たしたとしても今度は信玄の傀儡と成り果てていたであろう
95人間七七四年:2008/01/24(木) 00:27:48 ID:ewceVP6e
>>89
そういう意味でも足利ってやっぱ武家の名門だよなw
武士が一番輝いた戦国時代を招いたんだからな
96大井夫人:2008/01/24(木) 20:44:30 ID:l8V1b3vN
将軍・足利義昭さまは、織田信長どののお力にて将軍になられましたが、信長どのの思うがままにされるには、少しょう若かったのかもしれませぬ
97人間七七四年:2008/02/13(水) 14:12:23 ID:7/VnFOK3
>>96
坊主だった期間が長かったから、世間知らずだったんだろう。
将軍家の威光など、随分昔に落ちていたことにも気づかなかったわけだし。
98人間七七四年:2008/02/16(土) 11:53:38 ID:xYnVj2Fe
包囲網のころ、奉公衆ってどれくらいの数動員できたの?
99人間七七四年:2008/02/16(土) 12:56:40 ID:KQXsJcgJ
>>97
お前のは20年前くらいの史観だなw
義昭の時期も足利将軍が一定以上の権威を保っていたのはあきらか。
でないと信長だって利用しない。

だいたい将軍家の威光が地に落ちているのなら、何故に2次にわたり信長包囲網を
構築できたんだよw

義昭の失敗は自前の強力な軍事力構築に失敗した(信長がそれをさせなかった)事に尽きる。
100人間七七四年:2008/02/16(土) 14:29:37 ID:ASkxBpex
一定の権威っても、かなり不自由な権威だけどなw
義満の頃のような絶対君主になれると義昭は思ってそうだが。

>だいたい将軍家の威光が地に落ちているのなら、何故に2次にわたり信長包囲網を
>構築できたんだよw

信長が勢力を伸ばすのが嫌な勢力が個々に戦ってただけでは?
朝倉とか空気読んでないしw
共同戦線とか全然張れてないから、脅威は本願寺、遠国の毛利と武田ぐらいっしょ。
101人間七七四年:2008/02/16(土) 16:20:12 ID:RcM1PeQ3
>>99
もとから信長と敵対している、利害がぶつかる大名に手紙おくっただけ。
義昭が反信長包囲網をつくったなんて妄想もいいとこ。
102人間七七四年:2008/02/16(土) 16:36:17 ID:KQXsJcgJ
アホか。「将軍」と言う地位にある程度の権威と求心力があったからこそ「包囲網」と呼べるような
政治的状況を作り出せたのだろうが。

「信長に敵対している者同士なら誰でも簡単に連係させられる」って思うのは、例えば今の日本で
「反自民の野党なら、オレが手紙出しただけで連係させられるよ」って言っているのと同じだということを
何故に理解出来ない?
呼びかけ人には呼びかけるなりの物が無いと、人を動かす事は出来ないんだぜ。
103人間七七四年:2008/02/16(土) 17:28:53 ID:RcM1PeQ3
>>102
>信長に敵対している者同士なら誰でも簡単に連係させられる
この認識がそもそも間違い。連中は手前勝手に信長と戦っただけで、連携なんてない。
せいぜい朝倉と浅井くらいか。あとは、状況に応じて戦っただけで、例えば信長が浅井を
攻めている間に六角が蜂起したとしても、それは信長の留守中に自分の失った権益を取り
戻そうとしているだけで、「信長の背後をついて浅井を救援しよう」なんて意識はカケラも
ない。
そういった連中を自分の利益のためにとりあえず纏めようとしたのが信玄であり顕如。
義昭の手腕なんかどこにもない。
104人間七七四年:2008/02/16(土) 19:26:37 ID:KQXsJcgJ
>>103
パーなのか君は?

じゃあ何で信長はその、何の影響力も無い義昭を頂いて、そして信長包囲網には何一つ関係の無い
義昭を追放するはめになったんだ?

信長は無駄な事をするのが好きな武将ですなあw
105人間七七四年:2008/02/16(土) 20:56:55 ID:RcM1PeQ3
>>104
パーなのか君は?

実際に信長追討の手紙を出して、反信長の起兵をおこなっている義昭を放置なんて
できるわけないだろう。
それから影響力の有無と強弱は別だ。信長は上洛して京を支配する大義名分として
足利将軍の影響力を利用したが、それが通じるのは当時はもう精々京と畿内周辺で、
とても全国に通じるもんではない。

義昭は信長を倒すために手紙を出して見方を誘ったが、手紙に応じたのは義昭とは
関係なしに信長と敵対していたか、する動悸がある連中だけ。上杉は徳川は義昭の
手紙を無視して信長と同盟。畿内の諸豪族にも筒井や荒木など義昭を見捨てるものが
でているありさま。
そして義昭には命令権もなければ指示を出した痕跡もない。彼がやったことはただ
信長を倒せと目標だけが書かれた手紙をだしただけ。
これで、義昭が包囲網を作ったなんて妄想もいいところ。
106人間七七四年:2008/02/17(日) 21:24:37 ID:eXzcTIxq
>>105
> それから影響力の有無と強弱は別だ。信長は上洛して京を支配する大義名分として
> 足利将軍の影響力を利用したが、それが通じるのは当時はもう精々京と畿内周辺で、
> とても全国に通じるもんではない。

おやおや?主張が後退してるぞ?w
107人間七七四年:2008/02/18(月) 01:31:23 ID:j3t3z4sk
たしかに。
六角に浅井を助けようなんて気はまったくないだろうな。チャンスさえあればゴタゴタにまぎれて漁夫の利で小谷落とそうとスラ思ってそうだなw
108人間七七四年:2008/04/17(木) 20:43:01 ID:DNXP+q0j
晩年について詳しい人いる?
109人間七七四年:2008/04/18(金) 22:47:42 ID:wCm8IHlq
信長を自滅させた男
110人間七七四年:2008/04/19(土) 00:47:37 ID:vIYskejl
>>109
自滅なら、義昭は何もしてないことにw
111人間七七四年:2008/04/19(土) 08:10:27 ID:V2KjsxA1
>>108
亡くなった時は息子達も既に家を離れており家系は断絶。
葬儀をしてくれる者もいなかったので哀れに思った
細川藤孝が名乗り出て執り行ったと以前何かで読んだ。
112人間七七四年:2008/04/19(土) 22:59:00 ID:qA+jROSw
信長の死に様を「自滅」と言ったんだっけ
113人間七七四年:2008/04/20(日) 03:58:39 ID:aa6kK4ij
オレ的妄想を書く
義輝、義昭兄弟の仲が良かったか悪かったかは知らないが、
兄は凋落していく幕政を何とかしようと思慮していたが、地方勢力はすでに無法状態。
幕内どころか近郊でも裏切りなどで腐りきっていた。
信じられるものは自身だけと剣の道を極めたけど、力量足りず殺害に追い込まれる。
その兄の結末を見た義昭は、自身や幕府の力だけでは敵わないと痛感した。
使えるものは親でも使う精神で、節操なく見えようがお構いなく再興を目指した。

114人間七七四年:2008/04/20(日) 09:40:52 ID:cbdRRBEK
>断絶
そこで足利藤孝に戻ってやれば良かったものを

藤孝は足利将軍家での結城秀康だな
115人間七七四年:2008/04/20(日) 11:38:52 ID:QwNfPuHW
義栄が宇喜多秀家並みにしぶとく生きてたら
116人間七七四年:2008/04/20(日) 11:41:10 ID:knMb9QhP
>>115
あのタイミングで死ぬなんて。
三好家には不運であり、織田家には幸運だった。


117人間七七四年:2008/04/20(日) 11:48:53 ID:wmziDW3v
>>116
道三から始まり、信長にとって目障りな人物はなぜかタイミング良く死んでいく
まさに魔王・・・
118人間七七四年:2008/04/20(日) 13:08:37 ID:JPE4z6YZ
古河公方は河越合戦を機にまったく活躍しなくなり完全に北条の傀儡に落ちたが義昭はかなり頑張っていて義満や義教のように外交戦略で有力大名と有力大名を戦わせて牽制する室町将軍と伝統技を駆使して信長を牽制した意味では辣腕だろう。
しかし残念ながら義政あたりからすでに将軍が守護任命権を持つと言う最強の武器による強みすら失われていたので有効に機能しなかったのと濃尾平野を支配した大名は周囲から群を抜いて国力を得る存在だった。
119人間七七四年:2008/04/20(日) 22:17:27 ID:I0VQeZiz
>>111
前の征夷大将軍がそんな晩年とは・・・。
120人間七七四年:2008/04/20(日) 22:24:16 ID:NKwSdDJw
>>111
うむー
戦国の世の無常観だな
121人間七七四年:2008/04/20(日) 22:57:12 ID:IDsfdh5C
>>117
それらの人間が死んだとき、その機会を巧みに活用しただけだ。
タイミングを良くする為には、そのチャンスを物にするだけの努力が無いと何にもならない。
122人間七七四年:2008/04/20(日) 23:23:52 ID:/9UQwFsc
義昭も義栄も傀儡に過ぎないっしょ。日本の歴史に何か残した?
123人間七七四年:2008/04/21(月) 09:46:25 ID:wcKdADc1
>>122
将軍になるために信長を頼った時点で日本史にとって大変な影響だわな。
124人間七七四年:2008/04/21(月) 16:47:01 ID:jsxHh7oU
それは記録として残ってるだけ。確かに頼み事して、諸将が動いたかも知れんが、それにより歴史は変わっていないと思うが。
<大きく変わっないの意>
125人間七七四年:2008/04/21(月) 19:29:19 ID:ivbGymak
何を言ってるかよく意味が分らないが、相手にするべきじゃない事はよく分った
126人間七七四年:2008/04/21(月) 19:37:10 ID:zJKoJLlr
うん、そうだね。
義昭の動きをを戦国史の中で大きな影響と位置付ける君など相手にするべきじゃなかった。
127人間七七四年:2008/04/21(月) 19:43:03 ID:5+pjf5Ce
というか、じゃあその取るに足らない人物のスレにやって来てお前は
その場に来る他人とどんなネタをやりとりしたかったんだ、という話。

別に大人物だと思っている必要はないが、批評や反対ならまだしも
「それは話しても意味がないから」じゃ話膨らまないだろう。
128人間七七四年:2008/04/21(月) 20:23:28 ID:zJKoJLlr
??>>125>>127は同一人物なのか? >>125に言われるなら、まだ話は分かるが。
自分は義昭など戦国史の中でとるに足らない人物と位置付けている為、”大きな影響”
という部分に意を唱えた。

それに対して>>125の様な返答が来た為に、その返答に見合う答えを出したのみ。
文面を見るに>>125への文面に見えるがアンカーがなかったので、私>>126が答えました。

ちなみに足利最後の将軍という意味では、歴史的に重要な位置付けになるとは思うが、
スレタイを見るに義昭個人に対しての力量を問うスレと判断している為、暗君という結論
に達しています。理由としては、周囲に作れられたお飾り将軍が悔し紛れに、各地の大名
に決起文を乱発したに過ぎない。百歩譲って近隣大名数万が義昭の元に集結出来たとして、
義昭にその軍を率いる力量が有るとは思えない為。
129人間七七四年:2008/04/21(月) 23:06:46 ID:jsxHh7oU
128は正論だな。
127は反対尋問をどうぞ。
130122:2008/04/22(火) 09:00:52 ID:4ZBneBYM
荒れてるのか?変な事言ってスマン。

>>122では、義昭がたまたま信長の所に転がり込んで、それによって
織田氏風情が上洛の名分を得られたという意味で歴史的に重要だと言ったんだけど。
だから俺は別に義昭当人の資質を云々してる訳じゃないよ。

>>124の言う事には同意。
いわゆる"包囲網"については実効が無かったから、歴史的な意味は薄いと思う。
131人間七七四年:2008/04/22(火) 09:01:35 ID:4ZBneBYM
間違えた、俺は123ね。
132人間七七四年:2008/04/22(火) 10:19:46 ID:QvFFy08q
>>130
自分の方もゴメン。>>127に対して強く反論してしまった。大人げなくてスマン。
自分は128です。
133人間七七四年:2008/04/23(水) 09:55:53 ID:rWP+kwh3
足利幕府の場合、直轄地が少なくて、直属軍も少なかっただろうから、
有力な大名の援助に頼らなければやっていけないよね。
挙げ句、お飾り、傀儡将軍化は、仕方ない事だったのだと思う。
将軍の実力は、それを担いだ勢力の実力に比例するという感じか、
堺幕府の義冬(将軍位にはついてない)は、将軍らしい仕事しているが、
これも管領家の力不足で尻切れトンボに終わっている。
134人間七七四年:2008/04/23(水) 15:15:03 ID:Qt41RUrs
今のねじれ国会って室町末期に似てないか?
135人間七七四年:2008/04/23(水) 17:53:24 ID:V0s0cCjM
似てない
136人間七七四年:2008/04/23(水) 18:19:25 ID:droHnif/
ねじれ国会なんて戦後ですら何度かあった、さほど珍しくもない事象に過ぎない。
これを室町末期の大混乱と一緒にしてもなあ。
137人間七七四年:2008/04/23(水) 19:29:55 ID:Qt41RUrs
そーか。いや何となく言ってみたんだ
138サイコメトリー:2008/05/01(木) 18:26:47 ID:dXchsh34

戦国時代に海千山千の戦国大名相手に頑張った方かも・・。
139人間七七四年:2008/05/25(日) 17:36:02 ID:XoDRfohF
足利義昭と織田信長、どちらが正義か?
当然、足利義昭でしょう
織田なんか尾張守護の斯波武衛家の家来でしかないんだから、まず斯波武衛家を盛り立て、
斯波家の有力な家臣として足利将軍家を下から支えるのが正しい行いというものだろうに
戦国だか下克上だか何だか知らないけど、反逆者じゃないの?
家来の家来の・・・暴挙だね
軍才があるからといっても、やってはいけないことだ
才能は正しく使うべき
残念だよっ
140人間七七四年:2008/05/25(日) 17:52:29 ID:h1+BgOjC
義昭のやったことというのは「征夷大将軍」という権威を担保にして
信長と対立する大名の武力を借りたことなんだよな
だから、仮に信長が倒れたとしても、誰かが征夷大将軍の権威など
担保にも何にもならんと気づいてしまったらおしまいなわけであって
そういう意味ではかなり危ない橋を渡る行為なんだけどな
141人間七七四年:2008/05/25(日) 18:37:03 ID:n8nwiyAU
>>139
義昭君、乙
142人間七七四年:2008/05/25(日) 19:45:50 ID:B5JPPjio
139
義昭が正義?足利が正義?何をもって正義としてるかわからんが、あなた戦国時代や乱世の語りは、ズレてるよ。
143人間七七四年:2008/05/26(月) 01:01:21 ID:8uhndh8m
ネタにマジレス?
144人間七七四年:2008/05/26(月) 06:51:15 ID:EhOyaALO
槙島に篭城はまずかったな。
同じ負けるにしても、御所から堂々と退去したほうが様になった。
145人間七七四年:2008/05/28(水) 22:34:53 ID:st0rIwZo
信長最大の敵 それは信長包囲網
146人間七七四年:2008/05/29(木) 01:00:23 ID:b1OzQJ32
明智だろ
147人間七七四年:2008/05/29(木) 19:20:08 ID:rWlkeOES
>>139
君の視点は正しい
ただし幕府側からのみの意見として
でもほんと、そう思っていたかもね
本気で
148人間七七四年:2008/05/30(金) 08:04:10 ID:1txycJ/1
>>139
斯波武衛家の家来筋織田
ごときに倒される足利さん
は信長が本能寺で明智に打たれたことを笑えるのかな
家臣の家臣に倒される足利幕府はあの時代においてもはや機能不全だったんだよ
149人間七七四年:2008/05/30(金) 08:31:33 ID:1txycJ/1
>>139
斯波武衛家は足利氏の分家
織田氏とどのような関係があるか分からんが
尾張斯波武衛家は織田氏とある程度婚姻関係を
結んでいたと思われる
つまり多分足利の血は多少信長も授かっていると考えるのが普通だ
源義国の末裔である新田や足利が義国の縁組で主人筋である
頼朝幕府を滅ぼしたことは信長や家康が行なった事と
大差はないと思う
家康だって本当かどうかわからんが新田氏の末裔らしいし
新田の末裔=足利の縁戚ってことだよ
150人間七七四年:2008/05/30(金) 13:29:12 ID:gB8/clzn
足利の血ってw

信長は平氏を称しているわけだがw
151人間七七四年:2008/05/30(金) 19:57:54 ID:kGzk4vk1
>>150
氏と婚姻を一緒にしてる?
152人間七七四年:2008/05/30(金) 22:15:48 ID:1txycJ/1
>>146
明智は可哀想な奴か?
俺には明智が理解できないんだよな
濃姫は長澤まさみに声や顔が似てるから
案外男性には人気でると思うよ
153人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 12:24:27 ID:Zie7N9qA
信長に山城国を追われた将軍は備後国の靹に下向したんじゃなかったっけ?。

秀吉の天下のもとでも小勢力ながら軍隊を率いる武将であったし

少なくても信長存命の間は将軍なんじゃないの?。

>>148すでに細川京兆家の家来の三好家に殺された将軍もいるんだから

あの時代が初めてじゃないとおもうよ、義昭公が遭遇したような出来事は。

三好も織田も、ただの暴徒だと思う。

天下を平定して戦の無い平和な時代を築きたい・・・とかは後付けの理由だと思う。

ただ自分が武士の頂点に立ちたかっただけ

だと思う!。

徳川家康については、外国からの軍隊の撤退や一国一城令などの政策から、

本気で戦の無い世の中を築きたいと思っていたのだと思う!。
154人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 22:12:28 ID:IsnJeViM
>>153
鞆幕府ってことだな。
155人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 02:19:57 ID:mjeN0jjd
>>153
豊臣政権下で安定していたのに戦を起こす家康がw
豊臣政権では不十分と言うなら足利幕府で不十分だから、と信長が言えば?

で、明智だが、土岐源氏の家柄で朝廷から内々の指示があったとか無かったとか…
もし本能寺の後、親明智方が多数となっていたら鞆の浦の義昭が室町幕府復活!
或いは明智幕府が京都で開府、鞆の義昭は歯噛みして…

あっ( ̄0 ̄;明智光秀て一時期幕臣だったっけか。
156人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 10:37:05 ID:ONITAO9S
義昭が包囲網を作れたのは能力があったからなのかな?
織田の天下じゃ困るという人間に将軍である自分を利用せよって語りかけただけでしょ。

織田を倒した後を見ないと義昭の包囲網が単なる反織田なのか、親義昭なのかわかりゃしない。
なので評価するのは難しいね。

っていうかまともな本を読んでないから義昭の事はわからなんだな。
157人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 11:28:50 ID:CAauaSF4
>>155
> 豊臣政権下で安定していたのに戦を起こす家康がw

豊臣政権のどこが安定していたんだよw
158人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 11:53:34 ID:b+u1nCmQ
一応安定はしていた方じゃないか?
少なくとも室町幕府と違って日本全国に支配圏は及んでいたと思うよ
室町幕府なんて全盛期でもあっちこっちで戦続きだしさ
まぁ秀吉のカリスマ性に頼ってばかり組織が未完成なのはあるけど
159人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 12:14:05 ID:63sMnryR
どう考えても安定してない
160人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 12:36:35 ID:bCsCnVSu
なんで?
161人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 13:15:24 ID:ONITAO9S
「豊臣政権の安定」
これの意味を履き違えてるんだろ。
秀頼次第ではなく家臣の家康次第って時点でその政権は安定してるとは言えない。
そうだな。例えば国民支持率が10%を切った内閣が安定してるといえるかって話だ。
162人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 15:05:52 ID:l3UODRpp
とりあえず信長はダメでしょう。
義昭公が管領または副将軍とまで言ってくれているんだから有難く拝命すべき。
織田なんぞ朝倉と同レベルなんだから
朝倉が斯波の家来の分際から越前守護になったみたく尾張守護任命でも褒美をあげすぎくらいだよ。
斯波の家来の家来の分際なんだから命がけで主筋のために働いて当たり前!。
163人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 15:30:59 ID:ONITAO9S
>>162
信長>>>>>>>義昭
だから義昭は信長を「頼った」

信長>>>>>>>義昭
だから義昭は信長に殺された

信長>>>>>>>義昭
それを受け入れられなかった義昭は暗愚
164人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 20:51:28 ID:2oBz+EC4
信長って、義昭の家来の斯波の家来の織田の家来の織田じゃん。
義昭>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>信長
の間違いじゃない?。
信長は義昭を助けて、あたりまえ!
上の上の上の義昭に弓を引くなんて反逆者裏切者もイイとこ!。
斯波を利用し義昭まで利用した信長は、卑怯者で姑息。
斯波や義昭を利用せず、あの地位まで到達できたとは、とても思えませんけどねぇ(笑)。
165人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 21:22:18 ID:63sMnryR
義昭様、誠にその通りでございます
気が済みましたら、早く手紙を書く作業に戻ってください
166人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 21:48:50 ID:UOI7D2Fw
人呼んで御手紙将軍
167人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 22:33:31 ID:ONITAO9S
>>164
家柄の話をしたいの?
それとも能力の話をしたいの?

ファビョルって>>164の状態のことをいうんだろうか
168人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 23:28:23 ID:2oBz+EC4
家柄でも能力でもなく
室町将軍の陪臣(家来)としての正しい行いの話がしたいの。
三好も織田もダメでしょ。
家来失格!。
主筋を陰ながら支えるのが家来の役目。
細川京兆家や斯波武衛家を盛り立て、管領の名で天下を平定するのが筋。
陪臣自体が目立っちゃうようじゃ陪臣失格!。
ましてや信長の家は将軍家の家来の斯波家の家来の織田家の家来の織田家なんだから。
169人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/03(火) 01:07:59 ID:dSNvfxSS
>>157-161
一応の安定はあった筈、支配体制の確立って意味で。秀頼や家康とは無関係に。

>>155では
家康にしても大老として豊臣政権という枠組みの中で活動しとけば良いものを
豊臣政権を打倒して徳川幕府を開いた点を説いて
家康は本気で平和な時代を云々と主張する>>153
崩壊してる足利幕府を打倒して天下人たろうとした信長と崩壊していない豊臣政権を打倒した
家康の正当性がどこにあるかを問いかける目的があった。

>>168
美しい流れ…とかナントカ前の大河でGackt謙信が言ってましたが
まぁあの時代にそれを押し付けるのは難しい、非常な難しい。

大なり小なり下克上が各地で横行していた時代だけに…
赤松氏を追い落とした浦上・別所、また浦上を潰した宇喜多、主家を見捨てた細川幽斎
数えるのも面倒な位いますから。

下克上って本来の美しさ、無いですよね
でも現代風に見れば実力次第でどのような職業・地位にも就ける訳で
木下藤吉郎が豊臣秀吉になれたのもそういった風潮の結果だし。
また足利幕府の元を辿れば鎌倉幕府を倒した上に朝廷を裏切った。
170人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/03(火) 02:33:52 ID:WyBVDAhT
>>168
それじゃあ聞くがお前は天皇の下僕か?
171人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/03(火) 04:30:54 ID:29ZjD8Dq
彼の行動力は認める。
172尊氏は持明院統にとって忠臣:2008/06/03(火) 18:09:13 ID:vlWLFHDY
>>170天皇の下僕の下僕の下僕の下僕の下僕くらいです。

>>169足利尊氏公は大覚寺統支持から持明院統支持に転じただけで天皇家全部を裏切ったわけではない。

自論は持明院統のほうが大覚寺統よりも嫡流であるといえると考えている。

後醍醐天皇の子孫だけが皇統を継承するのが正しいありかたであったとはどうも思えない。
173人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 01:40:20 ID:/b1Cg7qk
>>172
まぁ確かに大覚寺統を裏切った、とも言える訳だが
嫡流云々は別として、現職天皇から朝敵にされた人な訳で……

個人的には嫡流は持明院統がより近いとは思うけど、国家という枠組みの中で見ればね
一時的であるにしても 朝 敵 になってる。

まして下克上の風潮バリバリの戦国時代ではないあの時期に。

まっ、それを言ったら鎌倉幕府の頼朝も徳川家康も何らかの形で不忠の輩なんですけどね。
174人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 02:17:09 ID:RNmd0XYi
下剋上って二条河原でも言われてたやん…と細かい突っ込み
175尊氏は持明院統にとって忠臣:2008/06/04(水) 11:54:44 ID:VIVKUiRk
>>173
そうですね
天皇だった方から朝敵とされたともいえますね
わたくしは尊氏公は持明院統(光厳)から大覚寺統(後醍醐)支持に変わり、
さらに持明院統(光明)の支持に変わっただけで朝敵には該当しないと思います。
尊氏自身、天皇に成り代わり日本の頂点に立とうとはしていないから。
戦国期の天下を目指した(家康、秀吉以外の)武将のほうが朝敵なんじゃないでしょうか?。
頼朝や義仲も天皇家の皇子である以仁王を支持し、高倉天皇や安徳天皇などの現職天皇に敵対してると思います
が朝敵とは呼ばれてません。
尊氏公は光明天皇の臣下として行動しているので単なる逆賊ではないとおもいます。
天皇家内部の抗争に、武士が従うのは源平の昔から普通にあったことでしょ?。
176人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 12:22:00 ID:/b1Cg7qk
天皇家の抗争に武士が従う、或いは武士が天皇家の抗争を利用する。
まあ捉え方はどっちもアリで実際にも両面があったとは思いますが
戦国期の武将は大抵は朝廷の臣下として行動してますよ、形の上では。
天皇制に実質的に対抗しようとしたのは信長くらいじゃ無いかな?
信長にしても朝廷に敵対しようとした形跡はあっても、その前に殺されてしまってるから確証は無いし。

木曽義仲の場合は短い期間しか在京できなかったし実質としては朝廷の臣下として
行動してたと考えられますね、ただ源頼朝は将軍(幕府)を軍事政権として国内の行政権を
天皇家から剥奪したとも考えられる訳で、国司から守護・地頭に地方行政を移管した点で
後の戦国大名を生み出す素地をつくりましたね。

個人的には源頼朝は朝廷からの影響をダイレクトにしない為に鎌倉に幕府を開いたと言われてますし
かなり慧眼ではあったと思います、そういった面から見て室町幕府は京都に置かれたので
室町期の文化としては芳醇ながら幕府としての押しの強さは欠けていたようにも。

実際、倒幕されたのは鎌倉と江戸ですよね、室町幕府は自然崩壊。
177尊氏は持明院統にとって忠臣:2008/06/04(水) 18:06:03 ID:pCiiY9ZE
わたしも自然崩壊賛成なのですが・・・違う意味かも

室町幕府は信長が京都から足利義昭を追った時点で終わったとは思っていません。
豊臣政権下で自然崩壊したのかなあ・・・と
秀吉も自身関白太政大臣なので、あえて格下の将軍を消すまでもなく
足利将軍家は嗣子にめぐまれず自然崩壊したのだと思っています。
嗣子がいれば高家のような存在か羽林として朝廷に残っていたのではないかと思います。
178人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 21:42:41 ID:o34L4yBB
>>177
豊臣政権下で自然崩壊というのは、より正確な表現だと思います。
義昭は天正16年に将軍を辞めてますね。その後、准三宮の称号を朝廷から
受けてます、これは臣下でありながら皇族のあつかいを受けるという事です。
もちろん、形式的なものだったようですが・・・

それから山城填島において1万石の領地を秀吉から与えられてます、息子もいたようで
薩摩で島津家に仕えたようです。また別の息子(?)は出家して大乗院門跡を継いだとも。


個人的には徳川幕府の喜連川氏のように残ってほしかったんですけどね。ただ、元将軍って位置の人は
扱い難かったとも思いますね。
それと朝廷に貴族としての復帰はまづ無かったと思いますよ。

源氏といえば清和源氏、ですよね?中でも河内源氏が。でも貴族の源氏としては
村上源氏が上位だったようです。またその村上源氏のながれを汲む北畠氏は
公家社会に復帰しようとした時は二度(江戸時代・明治維新後)も阻まれています。

もちろん前将軍、という時期なら不可能ではないでしょうね、でもある程度の
力を残した状態で無いと・・・と思いますね。

179尊氏は持明院統にとって忠臣:2008/06/05(木) 15:00:48 ID:SJHvhUSz
>>178
お褒めいただき有難うございます

たしかに息子は多くいたようですが足利家を継承できるほどの格式の生母を持った継嗣が
いなかったのが断絶の理由だと思います。
秀吉は信長と違い義昭に好意的だったので、もし相応しい後嗣がいれば関白太政大臣の
力により、堂上に残れたのではないかと思います。
天皇を崇拝する秀吉が天皇家の大恩人である足利家を粗末に扱うはずはないと思うので。
北畠氏は江戸初期に中院家からの養子により既に復活しているので、いつでも家名の復活は
出来たと思います。ただ堂上の久我家や中院家から相続者が出ないと難しいと思います。
地方武士と婚姻を重ね、叙爵も絶えて久しい北畠家の家系の流れを汲む者程度では、元々殆んど
不可能に近い可能性だったんじゃないでしょうか?。
血筋と家は別だと思います。堂上が断絶しそうになると同じ家格で同流の家から養子をとる
のが理想的で一般的だと思うので、血の繫がりがあるだけの地下がいきなり堂上になることは
考えられません。
180人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 18:20:49 ID:nqpw0EhA
話長いとこ申し訳ないが、足利尊氏は天皇を利用するだの、まして臣下だののレベルの人物じゃねーぞ。
そんな小さいところは新田・楠木程度に任せとけばいい。

後醍醐天皇の息子は二人も殺すわ、本人騙しておびき出した上に監禁し、神器強請るわ。
持明院統にも「俺が立ててやったのに、生意気な」と怒りを発する。
少し苦境になると「皇統なんてどうでもいいから」と梯子外すような和平も辞さない。

尊氏は尊氏の論理と力で終始行動し、天皇はその途上にあっただけ、と印象が強いな。
181尊氏は持明院統にとって忠臣:2008/06/05(木) 18:40:54 ID:6fqC6H7a
いや・・・公平に見て尊氏公は忠臣です。
尊氏公がいなかったら持明院統は正史にも記されず歴史の片隅で消えて行ったと思います、
光厳天皇も光明天皇も崇光天皇も正統な天皇なのに。現実に持明院統は栄えていますから。
182人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 19:25:58 ID:hAPy0TK5
ん…なんと言えば良いのか。持明院派さんと暫く会話してた者なんですがね。

人それぞれモノの見方に偏りがあるのは否めないと思うんです。

だから私も極力自身の嗜好とかを排除して話してるつもりで

だから上の方で出てた話に近いんですけどね、血統と家は違うんですよね。
皇統は護持されるべきだけど持明院にせよ大覚寺にせよ天皇となる地位にあった訳で。

ただ何と言うか南朝大好きな私には…難しいですね。
183人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 21:49:16 ID:4cxEvzrF
折角の所だが、スレ&板違いだ
184尊氏は持明院統にとって忠臣:2008/06/05(木) 22:20:48 ID:9tFTgqja
>>182
(^−^)
南朝好き(大)、おおいに結構じゃないですか。
人それぞれモノの見方に偏りがあって良いと思います。
嗜好とかを排除しては面白くないでしょ?。
南朝および後南朝の正当性を承りたいものです。
期待致しております。

>>183
ごめんなさーい、義昭にも関係することなんで暫し御猶予ねがいます。
南北朝の合一まで、南朝だけを天皇家だとすると・・・
足利尊氏も足利義詮も将軍じゃなくなるので
足利義昭は13代将軍になってしまうから。
185人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/07(土) 10:42:18 ID:bop18v6r
>>172
天皇の下僕www
リアルでもパシられ人生か?

お前どこに住んでるの?
俺に土下座に来いよ。
天皇の下僕としては当然だよな?
それともお前は口だけで土下座すらしないってか?
186人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/07(土) 10:45:22 ID:bop18v6r
>>176
天皇とかくだらないよな本当に。
今の天皇は模範のような出来た人間だから天皇という立場を別にして尊敬に値はする。
でも昔のはひどいよな。
よく秀吉とかは廃さなかったな天皇。
俺だったら独断ではやらないけど権力者の多数決とかが取れるんであれば天皇を廃してるな。
187人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/07(土) 12:12:56 ID:DwPWJxQ9
なんというか、ID:bop18v6rの日本語が著しく不自由なのはよくわかった。
188人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/07(土) 12:19:49 ID:qSBez0Mq
廃された天皇は結構いるよ。
天皇制を廃すとなるとまた別だが。
189人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/07(土) 12:58:45 ID:uPFcXl8E
>>185は陛下らしいですよ、持明院さんは千代田のお城に行かなければwww

>>186
維新後は臣民の模範たるよう養育されていますが、一方で戦前の立憲君主制にしても
戦後の象徴天皇制にしても、陛下自身の情報が結果的であるにせよ統制されてしまって…

また天皇制を排するには合議よりも独裁の方がより可能性があったでしょうね。
秀吉は信長が身分制を崩した結果、実力によって立身したにもかかわらず
関白になってからは刀狩りなどで身分制を復活させています。
また関白太政大臣という天皇制の下での身分で政権を持った人で、天皇制を廃するのは不可能でしょう。

実力者の合議といっても互いに天下を狙う者同士の合議はあり得ないでしょう。
190人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/07(土) 14:39:19 ID:4c60AULr
>>185>>189たぶん持明院さんは直属の上司にしか従わないんじゃない?
てゆーかー>>185が陛下のわけないじゃん
>>189「千代田のお城」より「吹上の御所」の言い方のほうが優雅じゃない?
191人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/07(土) 15:33:21 ID:bop18v6r
>>189
俺は一般人だぞ?
だから天皇の下僕じゃないんだよ。
天皇と五分の立場にある俺に天皇の下僕が土下座するのは当然だろう?
早くしろ。

>また関白太政大臣という天皇制の下での身分で政権を持った人で、天皇制を廃するのは不可能でしょう。
なんだそれ?
力があれば何だってできるぞ?
アメリカのイラク攻撃なんて良い例だ。
まして秀吉時代なんて権力者による幼児レイプが当然のようにされていた時代だぞ?
イラクの混沌ほどの事も起きないだろうな。
何しろ今日は織田家、明日は豊臣家、その後徳川家だなんてコロコロと権力者に従うだけだった民衆なんだから。

>実力者の合議といっても互いに天下を狙う者同士の合議はあり得ないでしょう。
天下は秀吉のものですが?
それに天皇を残しておいてプラスになるやつらばかりじゃない。

結局力があればなんでもできてしまう。
天皇制は日本の毒だろ。
アメリカのような政治体制に変えればもっと世界での立場は上げていけるのは確実。
192人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/07(土) 18:36:41 ID:QAYXFG+m
>>191
天皇を敬う人が191さんを天皇と五分の立場と思う訳ないじゃんW
だいたい下僕がぜったいに対等な別人に土下座しなきゃいけない理屈が分からない
天皇自身が命令すれば天皇に対してだけすればいいんじゃないの?
天皇を敬う人たちは、あなたのことを天皇と対当だと思わないどころか
下僕以下の存在「朝敵」もしくは「賊」と思うんじゃないだろうか?
あなたの発言を聞くと
193人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/07(土) 21:45:42 ID:bop18v6r
>>192
何言ってんだ
天皇の下僕は俺の下僕でもあるだろう。
お前の下僕でもあるかもしれない。

だからそんな便所虫は俺に土下座するべきだって話だ。
194人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 01:21:44 ID:GTmvqxb0
>>190
陛下じゃ無いのはわかってたwww
で、確かに吹上御所だね。
>>190はね、バカじゃ無いと思うよ、、決して。
でも何と言うかな、知識が無い訳じゃ無いのに欠落してるのね、きっと。
アホって言うのかな、一般人とは違う筋とかも持った人みたいだし
あと現代の知識は無い事は無いんだろうけど周囲が見えて無い
まして、この板で語られる時代の知識は表面的なモノしか無い。

結構かまってちゃんみたいなので私は以後スルーしちゃおうと思います。
195人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 15:49:17 ID:AUu2m2Ry
ここはお手紙公方のスレでおじゃる。

形式的にであれ秩序を重んじる戦国大名にとって
公方の大義名分は有り難いものだったんだろうな。
ところで義昭(義秋でもいいけど)の偏諱を受けた
武将ってどの程度いるんだろう。
義晴、義輝のそれは全国に有り余る程いるのだが。
196人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 18:27:52 ID:9W2nUQRE
>>195
・二条昭実(公卿)
・細川昭元
・畠山昭高
・三淵秋豪(藤英の嫡子)
197人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/09(月) 01:09:41 ID:NPPJD78i
>>195
島津義弘・一色昭国・葛西義重・石川昭光・宗昭景
198人間七七四年:2008/06/09(月) 14:40:57 ID:+2hWzj5d
かなりいるんだな、ありがとう。
だいたいが追放以前だろうかな。
199人間七七四年:2008/06/09(月) 15:26:45 ID:lqLR9Vcg
へぇー三淵秋豪は初耳です。みなさん良く知ってらっしゃいますね。
島津義弘も義昭の義とは知りませんでした。
三管領家や四職家も名をつらねてますね、立派な「大」将軍ですね。(ここだけ見ると)
200人間七七四年:2008/06/09(月) 16:16:25 ID:NPPJD78i
>>199
正確には島津義珍ですが、後に義弘に改名
201人間七七四年:2008/06/09(月) 23:42:37 ID:VDh1im9V
同じ九州の大名である宗氏や大友氏は秀吉公から「吉」字を許され義から改めてますね。
島津義弘は嫌われていたの?
202人間七七四年:2008/06/10(火) 09:35:38 ID:9vGUnWzy
還俗してんじゃねえよ
203人間七七四年:2008/06/11(水) 00:35:15 ID:CkYf1Tdw
>>114
長岡藤孝と結城秀康は、ぜんぜん違うでしょW
秀康は幕府が正式に認める将軍家の庶兄。
長岡の場合は、足利義晴の子との噂がある程度でしょう?。
足利家の系図にも藤孝の名が書き込まれることはないし、足利義輝も足利義昭も
長岡が兄弟なんていう認識は全くなかっでしょう。
島津や大友の始祖が頼朝将軍の庶子と同類の作り話じゃない?。
藤孝が義晴将軍の庶子って言ってみたかっただけだと思うよ。
はるか格下の三淵家から細川家を継いだんで出自を装飾したかったんだと思うよ。
代々の細川家の家臣に軽くみられないように。
204人間七七四年:2008/06/11(水) 19:17:41 ID:NiOGI+Ok
>>203藤孝さんが故意に将軍御落胤の噂を流したんだね・・・
205人間七七四年:2008/06/12(木) 00:03:00 ID:9nVWBtQ2
>>203
藤孝の父・三淵晴員は細川家からの養子で、藤孝は本家へ戻った形になります
206人間七七四年:2008/06/12(木) 10:57:07 ID:Hysj4nYO
>>205ふーん、ありがとう。
207人間七七四年:2008/06/12(木) 15:12:37 ID:6E+87kt3
填島城は、要害にもならんカス城です
208人間七七四年:2008/06/12(木) 15:40:40 ID:cVFIODwH
偉い人(将軍様)にはそれがわからんのです!
209人間七七四年:2008/06/12(木) 17:58:55 ID:AizwhZrF
ID:bop18v6rって高等教育受けられない子?
210人間七七四年:2008/06/12(木) 19:34:35 ID:cVFIODwH
中等教育すらも怪しいな…
211人間七七四年:2008/06/13(金) 00:41:51 ID:RX47lNuq
殺された義教の弟と字が一緒だったのは縁起が悪いと思わなかった
のだろうか
212人間七七四年:2008/06/13(金) 19:22:33 ID:CBhjCfBa
>>209>>210同意。
213人間七七四年:2008/06/14(土) 11:15:13 ID:uB84975x
足利義昭は将軍家の人間として当然の行動をし、
将軍になってからも最後まで諦めず頑張ったと思う。
信長は将軍家の家臣の斯波氏の守護代の、さらに家臣の身でありながら
分をわきまえず、あまりにも自分勝手に行動した謀反人。
それなりに治まっていた地方の大名に、むやみに戦をしかけ世を乱した犯罪者。
同じ斯波氏家臣の朝倉程度の尾張守護職拝命でも過分の恩賞であった
のに、それ以上を望むとは増長するにもほどがある。
214人間七七四年:2008/06/15(日) 10:22:38 ID:duuVRLtj
>>213同意。
215人間七七四年:2008/06/15(日) 19:35:21 ID:Dot22HVy
足利義昭はペンパルがたくさんいたんだよね。
216人間七七四年:2008/06/15(日) 22:35:02 ID:Pg57t0XR
信長は実際のところ、義昭を追放した後人質に取ってた子の義尋を「大樹若君」と呼んで
16代将軍にすえようとしていた節がある。
217人間七七四年:2008/06/16(月) 22:21:35 ID:ymLn/Tsb
それで自分に臣従させられれば万々歳だからな。
おそらく、それが信長にとっての理想だったんだろう。
信長にとっては、義昭が自主的に自分に服従してくれれば、将軍が家来になったという威、
将軍と幕府に残っている権威や権限もそのまま吸収して天下統一はもっとスムーズに進んだ
だろうから。
もちろん義昭の側にも言い分はあるから、それをもって義昭をどうこう評価する気はない。

しかし、義昭がもう少し愚かで元亀大乱を引き起こしたりしないか、もう少し賢明で諦めが
よい性格なら、信長も義昭をもっと厚遇したんじゃないかね。ちょうど豊臣政権における
義昭が、権力はまったくないがお飾りとしてもそれなりに重く遇されたように。
218人間七七四年:2008/06/16(月) 22:33:32 ID:6egX5DNI
>>217
個人云々以前に、信長の上洛により室町幕府の機構は(信長の権威によってとはいえ)復活し機能
し始めたんだから、どうしたって信長権力と幕府権力はどっかで対立せざるを得ない。
219人間七七四年:2008/06/17(火) 11:18:33 ID:yStTkGCQ
>>219
それもそうですが信長は斯波氏の家来=将軍の家来だから
信長のほうが、ひかえなくてはならない。
秀吉は、足利幕府と関係ない出自なのに足利義昭に丁重で、優しい。
織田は、足利の代々の陪臣なのに、信長の行動は謀反いがい何ものでもない。
尾張では斯波氏を追放し、京都では足利将軍家を追放するとは最低の家臣だ。
織田の先祖は泣いていると思う。
織田の謀反と、明智の謀反では、信長の方が悪質だと思います。
三好は傀儡とはいえ、別の将軍を立て、将軍家内部の戦いにしているから
罪は遙かに軽い。

220人間七七四年:2008/06/17(火) 14:39:59 ID:ZsPLQcPY
三好も同じと思うが
主家の細川氏を下克上。さらに将軍義輝追放。次の将軍置かずに政治を裁断。
221人間七七四年:2008/06/17(火) 14:47:30 ID:+bKfr3k0
足利尊氏は鎌倉幕府を裏切ったのみならず天皇にまで弓引いてるけどねw
222人間七七四年:2008/06/17(火) 19:53:08 ID:j5TXKb84
>>220
足利義維と足利義栄のことじゃない?。
>>221
天皇の命で倒幕し、別の天皇に将軍に任命されたからいいんじゃない?。
別の天皇からすれば、楠木新田の方が朝敵ともいえる。
223人間七七四年:2008/06/17(火) 20:22:47 ID:uyrbcNC/
>>222
じゃ、信長だって同じだな。
信長は天皇から、「天下静謐の儀」を任されている。これは本来将軍に求められることで、
つまり信長は天皇から将軍義昭に代わってお前が天下をどうにかしろと委ねられたわけだ。

すでに天皇によって「天下静謐の儀」を剥奪された将軍は、新たな天下人の邪魔者と看做されて
追放されたと。

足利将軍の大義名分を天皇によって確保するのなら、同じく天皇から大儀を確保した信長の
行為は全く問題がないね。天皇からしたら、新たに任命した天下人信長に敵対する将軍義昭の
方が朝敵だ。
224人間七七四年:2008/06/18(水) 03:50:03 ID:v5eoR8fu
>>219
秀吉も所詮は百姓、将軍の陪臣の陪臣どころか
その陪臣に服属しなきゃならない領民な訳で
厚く遇しても、天下人となる事自体がダメなんじゃ無いですか?

あなたの考えに則れば…
225人間七七四年:2008/06/18(水) 04:08:19 ID:kkoRRsJt
『包囲網』って評価しすぎだよな

 どう見てもこいつはお手紙書いてただけの引きこもりで単に
 信長の周りにいた諸大名が利用していただけに過ぎないような
 気がするw
226人間七七四年:2008/06/18(水) 04:09:56 ID:kkoRRsJt
 お兄さんもお手紙書いてだだけの剣オタ(政治力が無い
 体育会系のお兄さんみたいなもんw)だし親父からして
 あちこち逃げまくりの将軍だしww
227人間七七四年:2008/06/18(水) 10:10:45 ID:tqWVG+WZ
>>223
飛躍しすぎだね。
それは言いすぎ、朝廷が引続き足利義昭を将軍に任命しているから朝敵はない。
228人間七七四年:2008/06/18(水) 14:11:53 ID:ej52Vrsd
直臣がほとんどいないんだからどうしようもない。
229人間七七四年:2008/06/19(木) 00:14:58 ID:K0Sb7lqs
>>227
同じことを相手方にも言ってください。同じ理屈を適用させただけですから。
230人間七七四年:2008/06/21(土) 19:41:52 ID:aS6t+TVJ
>>219
同じ意見です。信長は織田家の分際で僭越至極!。
斯波の家臣として、尾張の田舎で斯波を盛りたててろ!。
231人間七七四年:2008/06/21(土) 20:25:27 ID:1F0EuaHK
遂に自作自演まで始めたか
232人間七七四年:2008/06/21(土) 23:26:07 ID:iZjqsI37
自演は前からじゃん
233人間七七四年:2008/06/21(土) 23:59:20 ID:f1MEs47G
自演するなら三戦に帰れば良いのに
234人間七七四年:2008/06/22(日) 21:26:55 ID:Q5eJt2Wh
いちいち自演を指摘しなくても・・
大人気ない
235人間七七四年:2008/07/04(金) 23:56:24 ID:FV29p8jj
>>207
填島は忠臣の領地。填島氏は最後の忠臣と言える。
填島氏しか信じられないくらいの心境になったんじゃない?
填島氏に比べたら長岡(三淵の次男)の体たらくはどうよ?
将軍は裏切るは、将軍の忠臣である丹後の一色は騙まし討ちするは・・
長岡は絶対、足利義輝や足利義昭の兄弟ではないね!!!。
236人間七七四年:2008/07/05(土) 01:21:58 ID:yguKZ653
小説の『流れ公方記』じゃないが
義昭擁立のために頑張った義輝側近たちは
義昭が将軍になったときになんというか満足というか
目的を見失うかしてしまったような。
真木島氏は義昭流浪には付き合ってたっけかな?

その後の身の処し方は兄弟説云々とは別の問題かと。
237人間七七四年:2008/07/06(日) 15:23:45 ID:rNjrMVQu
>>236小説はよく知りませんが
そうだったとして
将軍になっただけで目的を見失うとは情けない
幕府の再興が真の目的のはず
長岡は途中から自分の利益に走っただけだと思う
明智の行動は
本来長岡の仕事のはず
238人間七七四年:2008/07/07(月) 01:00:33 ID:axgWfZ0U
>幕府の再興
これは義輝の思想と違うけれども
義昭の将軍補任で達成されたともできる。
三好一党は京周辺から退けられているし。
義昭・信長政権は幕府再興と当世では考えられなくもない。

むしろ信長に敵対した義昭の時代認識(このスレのテーマである
暴挙か、あるいは勝算ある博打か)に義輝旧臣はついてこれなかったんだろ。
今日の我々から見れば分かるが信長上洛から時代は変わっている。
義輝時代のそれではない、天文・永禄年間の凶作を通じて地域のブロック化も進んでいるし。
239人間七七四年:2008/07/08(火) 22:27:00 ID:o9CyaYJQ
>>義輝旧臣て誰?
なんていう名前の人達?
240人間七七四年:2008/07/09(水) 02:49:36 ID:353uchAj
義昭に付いて鞆に下向したのは、槙島・柳沢・上野ぐらいか?
241人間七七四年:2008/07/09(水) 03:24:46 ID:VUAyqzJB
日本史上に名を残す名門の最後の連れが槙島・柳沢・上野ってところに哀愁を感じる
242人間七七四年:2008/07/09(水) 11:34:02 ID:Da7T3WmI
>>235
忠臣忠臣って江戸時代かよw
忠義を貫けば家臣の養う兵達、その家族はどうなってもいいのか

長岡の裏切りというか離反はお家残す結果になってんじゃん
旧臣幕臣、手紙の誘いに乗った家のどれだけが残ったよ?
結局織田に逆らった報いがきてお家断絶
それもこれも時勢を見誤った、先見の明の無さ、愚鈍さ
勝ち組負け組の差はここだろ
243人間七七四年:2008/07/10(木) 00:04:55 ID:L46dhrP+
>>242
勝ち組が正しいとするなら
のちに天下人としては滅びた織田も負け組み。愚鈍で先見の明は無いね。

家族や家臣の生活のために忠義を貫けないなんて・・・そんなんなら最初から家族も
家臣も持たず単身で仕えろと言いたい。

だれかが言ってたが、主人である斯波義銀や守護代、足利義昭を裏切った織田信長は家臣に
裏切られても文句は言えない。
244人間七七四年:2008/07/10(木) 00:12:25 ID:uJeeBdgY
>>243
ご恩と奉公、という言葉をまず学んできてください。

中世の君臣関係は相互契約。互助関係。「君、君たらずんば 臣、臣たらず」がその本質。
君主の責務を果たせないものは、臣に忠誠を要求する資格がない=君主の資格が無い。
245人間七七四年:2008/07/10(木) 00:17:00 ID:wjeNqj1O
>家族や家臣の生活のために忠義を貫けないなんて・・・そんなんなら最初から家族も
>家臣も持たず単身で仕えろと言いたい。

自分の願望を乗せすぎだろ
なんで忠義貫く事が大前提なの?
食い扶持第一な時代なのに
理想で固められた時代と勘違いしてないか?
大勢が利を求めるリアリストだぞ
246人間七七四年:2008/07/10(木) 00:20:34 ID:S0q2P3qB
武将の渡り奉公が当然の時代に「忠義」とか「勝ち組負け組」言われてもなあ。
忠義は江戸時代に入って安定した身分と秩序が保たれてからの考え。
(思想としてはもっと古いんだが戦国時代には少なくとも通用しないわな)
勝ち組負け組は結果論だが、忠義を第一に家を滅ぼしたなら時流を読めていない。

>織田信長は家臣に裏切られても文句は言えない
それはその通り。安定期でないのに油断した信長の失策。

>家族や家臣の生活のために忠義を貫けないなんて・・・そんなんなら最初から家族も
>家臣も持たず単身で仕えろと言いたい。
中世と近世で武士のあり方が変わったのは理解しているよね?
忠義が実践できたのは武士から百姓に至るまで秩序が安定した近世から。
中世はそもそも恩賞という対価のための奉公(決して逆ではない)の時代だから
概念として忠義を貫いた人間は、なるほど一の武将としては「後世」評価されるだろうが
それで家や所領を損じたなら意味ないだろ。生活を保障してくれるわけじゃないし。
247人間七七四年:2008/07/31(木) 23:20:06 ID:bb6adfe4
>>240
3人なわけないでしょ
上野氏にしたって足利一門で超名門だし
248人間七七四年:2008/07/31(木) 23:22:45 ID:c0KDNb4B
>>247
他に誰がいたか詳しく。
249人間七七四年:2008/08/02(土) 06:16:00 ID:8RzJRNMd
義昭は暗愚じゃないよ。
だって信長の覇権主義っていうか危険さを
一番感じていた男だから。
義昭のその認識を他大名が共有できなかった。
結果全ての大名が没落。
250人間七七四年:2008/08/04(月) 23:30:50 ID:XoQVJNCn
織田家って越前時代は朝倉家の格下だったんだね
織田家の家紋の木瓜も朝倉家の木瓜の下賜だったらしいし
家紋を下賜されるくらいだから朝倉家の家臣並ってことだね
251人間七七四年:2008/08/05(火) 09:06:05 ID:xRkYApxv
稀大の謀将ってことはだけはないな
252人間七七四年:2008/08/07(木) 03:08:37 ID:OTWPeH7g
義昭のネバーギブアップ精神は素晴らしいが、稀代の謀将とは違うと思う。力あるものが、無いものを吸収し
より大きな力を持つ。そもそもこの発想が戦国時代の始まりじゃないか。

一体どれほどの人間が、落ちぶれた将軍家を立て直そうと本気で考えたのか。そんな考えから一番遠い信長を
頼る辺り、最初から躓いてる。上手くいかない謀略は、単なる悪あがきでしかない。
253人間七七四年:2008/08/19(火) 10:25:09 ID:xk+M23AM
というか、応仁の乱以前から将軍の権威なんか落ちに落ちていたというのが分かってなかったのか義昭は
信長にないがしろにされたのが想定外というのが、すでに甘い
兄貴の例で学習できないとはな
254人間七七四年:2008/08/19(火) 10:52:13 ID:Vprr5iLP
これ以上ない逆境の中、亡き兄の志を継ぎ、名門の意地とプライドをかけて足掻き抜いた人生


と、書けばかっこいいかもね
255人間七七四年:2008/08/22(金) 01:56:29 ID:k8Bc6ZgJ
生まれたのが豪華絢爛な泥船だった
256人間七七四年:2008/08/23(土) 00:45:13 ID:oZrvpBka
武田信玄が死ななくても幕府の再興なんてどだい無理
257人間七七四年:2008/09/05(金) 16:01:12 ID:pkMeJIpz
実は信玄上洛騒動の時点まで、信長との関係は至極良好だった事実。
258人間七七四年:2008/09/15(月) 01:00:38 ID:vIS71618
義昭は殺されず生き抜いて秀吉から1万石を与えられた。
そこを評価すれば暗君ではない。最終的にこの戦国時代にトップが生き抜いたというのは凄いと思う
259人間七七四年:2008/09/15(月) 01:36:51 ID:M1nJot/K
昨今の研究では、豊臣政権の時代ですら、義昭は将軍権威を保っていたらしいな。
260人間七七四年:2008/09/15(月) 22:28:13 ID:WVC8bN5o
形だけのね。
261人間七七四年:2008/09/22(月) 19:06:24 ID:EusBPI1+
                       ___ ____
                     /彡三彡三ヾヾヾヾ\
                     (ヾヾヾヾヾヾヾヾヾヾヾヾヽ
                     /        》ヾヾヾヾヾヽ
                    /         《ヾヾヾヾヾ|
                    ∠;ヾ  ∠;ミ;ミミ、  ヾヾヾヾヾ;|
                   ( ノ )--( \ )---- ヾヾヾ;|
                    | ./           リ⌒ヽ
                       | /            ''б) |
               \    | ( __、j ゝ        ゝ__,ノ
  朕惟フニ我ガ曾孫       | ;;iiiiiミミ; \      / ./
  皇祖皇宗国ノ妃ナリキ     ヽヽ二二ソ      / |
               /    ヽ ー     / /\
  御名御璽 1000げとー!     |`ー---一''"_/  /\
                      /| >< ̄ ̄ /  /   \
262人間七七四年:2008/09/23(火) 04:57:31 ID:TGj6CqAQ
将軍、足利義昭様は、信長殿のお力によって、将軍となられた方にござりまするが、信長殿の思うがままに操られるには、少しょう若かったのかもしれませぬ
263人間七七四年:2008/09/24(水) 14:51:13 ID:C+dvMa2i
兄の義輝の武勇と統率力を弟の義昭が補佐する形だったら幕府はあと20年は持ちこたえたね
264人間七七四年:2008/09/30(火) 20:05:35 ID:3GOrMcWM
面白い 管領足利輝昭
265人間七七四年:2008/10/02(木) 18:36:19 ID:NiNkU956
義昭は賢いけど器の浅い人物だったってあたりか・・・
でも信長が死んだのは間接的に義昭の執念が実ったものだと思う
信長は過小評価しすぎたね
266人間七七四年:2008/10/02(木) 18:47:30 ID:BqGhZeWg
そりゃさすがに過大のしすぎだ
267人間七七四年:2008/10/19(日) 10:26:15 ID:hrKOY8rC
賢いけど器の浅い人物ってのはその通りだと思う
信長が傀儡将軍として求めたものは
能力がずば抜けて高く客観的に自分の立場を理解できる人物か
無能なうつけ者かのどちらかだろ
義昭はうつけで過ごすには能力がありすぎたし
事をおこすにしては自分の立場を理解して慎重に行動するって事ができない
浅はかさもあったってあたりじゃないの?
268人間七七四年:2008/10/29(水) 06:49:38 ID:70KcDmPM
足利義昭を姓名判断サイトで調べた結果・・・

カミソリのような勘の鋭さがある。頭は良いが策士策に溺れる面もある。先見性はあるが短気で常に自分が指導的立場にいなければ気に入らない。その結果、まわりが離れてゆき社会的地位を失いやすい。親切で友人も多いが内面は孤独な人。

フイタwww
269人間七七四年:2008/10/29(水) 06:57:32 ID:70KcDmPM
義秋でも字画は同じなので結果は変わりませんでした…
270人間七七四年:2008/11/13(木) 18:01:45 ID:l1YGCbnw
義昭さまをお慕いしております…。
大河とかでも、義昭さま役が誰か気になって仕方がないのです。
個人的にはあまり男前じゃなくていいと思っております。この方からは喜劇の匂いがしますので…
271人間七七四年:2008/11/23(日) 10:40:24 ID:q1CYuqrd
鞆まで御伴した家臣
上野秀政、畠山昭賢、槇木嶋昭光、武田信景、小林家孝、曾我晴助、六角義堯、柳沢元政、等。
272人間七七四年:2008/12/01(月) 18:44:30 ID:SfUz80Qk
>>271
柳沢元政の「元」は、毛利輝元からの偏諱かな?
273人間七七四年:2008/12/02(火) 16:04:46 ID:bU6TeJoe
三成も彼に似てるとこがあるな。
早期に危険人物を察知して策略するが結局失敗するって話。
実際、豊臣武将の多くは廃絶の憂き目にあったし、義昭の周辺大名の
ことごとくが滅ぼされた。

相当な切れ者だから仕掛けが早いが故に失敗するような。
先見の明がありすぎて周囲がついていけないっていうか。
274人間七七四年:2008/12/02(火) 18:48:17 ID:m5+pdHd2
失敗するような策略することが先見の明が
あるとは言えないんじゃない
周囲がついていけないというか策略する本人が
周りの状況が見えていないだけだと思う
275人間七七四年:2008/12/03(水) 23:58:31 ID:j2qjDeMf
そもそも元亀年間の決起行動は幕府近衆が主立って策動して義昭を説得したものなんだから。
周囲の理解が得られなかったなんて・・・。何年前の史観デスカ
276人間七七四年:2008/12/06(土) 23:19:54 ID:bDeUjR8F
>>272
この人、もと公卿柳原家だったんだよね…。いつから武士になったのか謎だな。たぶん、幼い頃は牛車とか乗ってたんだぜ
277人間七七四年:2008/12/07(日) 16:15:41 ID:nzfOPFsZ
質問です。
義昭は永録11年に元服してからの名乗りであるようですが、
それまで義秋と名乗っていた頃は花押を使っていたのでしょうか?
花押って元服してから作るんですよね。
278人間七七四年:2008/12/16(火) 21:04:51 ID:VmB9PuiX
三好や織田は足利氏その他氏族(日野、畠山、山名)によって差別されていた
いまだに足利家その他諸侯は三好や織田を悪人扱いしている
が天下を織田や三好に獲られたのは自業自得だと思う
三好や織田がどれほど足利の暴政に
苦しんだか分かるか?
279人間七七四年:2008/12/16(火) 21:34:49 ID:VmB9PuiX
87、88
を読んでいただければどれほど織田や三好が足利の暴政に苦しんだか
理解できるでしょう
世間で天下人が悪人扱いされているのは間違いです
悪いのは足利や日野なんだよ
むしろ織田や三好は同情されるべきなんだ
足利義政の延暦寺焼き討ちや日野富子の応仁の乱が
すべて悪い 上記の連中は諸悪の根源なんです
戦国時代の責任は戦国武将よりも足利家の馬鹿共
が背負うべきです
280人間七七四年:2008/12/20(土) 18:24:44 ID:F5KBTbRQ
世間では信長は英雄として扱われていると思うぞ
義昭とか十分、愚かに描かれている
281人間七七四年:2008/12/25(木) 17:29:27 ID:dbJo99gb
どの国でも権勢者が正当性を欲しいために前政権を悪く描くのが常套だからな。
282人間七七四年:2009/01/02(金) 08:11:52 ID:Har6UeMN
240年も足利政権に寄生して独裁政権酷使してきた日野家の馬鹿まんこ
なんかいまだに信長公を悪人扱いしているからな
信長公は可哀想
283人間七七四年:2009/01/05(月) 21:30:20 ID:rQvhUI6o
また義昭からメール来た。
毎回毎回、他人の悪口と自慢話ばっかり。いい加減にウンザリして来た。
コイツ、そんなにヒマなの?
284人間七七四年:2009/01/05(月) 21:51:31 ID:2yk0bT16
>>283
この時代の戦国武将の手紙って、そんなのばっかりじゃん。
285人間七七四年:2009/01/05(月) 22:35:54 ID:EEyKiB40
この人は意外に時節や人物が見えていたのかもしれないなあ・・・
朝倉は上昇志向は足りないが、御しやすいと考え、
織田は上昇志向はあるけど、御しづらいと端から考えていたんじゃないかなあ。
だから最初は織田に仕事をさせて、足をすくってから自分のやりやすいようにと
考えたならやってることの辻褄が合うんだよな。
武田や上杉にしても織田とはタイプが違うし。
で、自分が地盤から追放され、時代が信長から秀吉にと移ったら自分の出番は
もはやないと考えたとするなら、このスレで語られてることの辻褄はあうと思う。
意外と時節が自分には向かなかったのも悟ってたのかもしれないな。
最善の手段を尽くしてもダメなものはダメなときもあるからなあ。
286人間七七四年:2009/01/11(日) 19:56:32 ID:SffI/mNC
>>267
自分もそう思う
信長は義昭をうつけと決め付けすぎたんじゃないかな?
彼が思ってるよりはもう少し上の人物
信長が考えてた義昭は
知力23政治力24統率15武力18魅力55
くらいだろうけど実際は
知力70政治力58統率20武力26魅力60
位はあるってあたりなのだろう
287人間七七四年:2009/01/15(木) 12:19:00 ID:xTAEpp6s
ゲームも結構だが、活字の歴史書も読みなされ。
288人間七七四年:2009/01/29(木) 21:29:59 ID:quavbNhh
メジャーでは語られない部分、歴史の舞台裏というか…
一度でいいので義昭視点の大河を見てみたいなぁ
289人間七七四年:2009/03/12(木) 20:06:47 ID:7jsqTREE
義昭の遺品とか結構残ってる?
290人間七七四年:2009/04/04(土) 09:53:05 ID:oIMHqp06
かなりの名君ですよ
291人間七七四年:2009/04/11(土) 06:40:50 ID:nYgr4okx
sage
292人間七七四年:2009/04/12(日) 21:32:13 ID:e1VqxidE
まあ頭はいいが軽薄で自己厨って感じなのだろう
だから藤孝にも見切られた
しかし信長が思ってるほどバカじゃなかったので
信長は苦労するはめになったのだろうよ
293人間七七四年:2009/04/13(月) 15:17:22 ID:Kvj76qeJ
大内義昭
294人間七七四年:2009/04/13(月) 21:27:59 ID:Ozy0/SvG
義満在世中はロボットに甘んじて、義持の代になったら一転強気に出る
後小松上皇のしたたかさがあればねえ
295人間七七四年:2009/05/03(日) 10:25:20 ID:S3ZUJ5Ve
信長自体足利家より日野富子のがうざいと思う
こいつ勝手な野心ぶっこいて
戦争を作り上げた極悪人じゃん
災いの元だよ
296人間七七四年:2009/05/03(日) 10:53:55 ID:S3ZUJ5Ve
88
日野富子は本当にどうしようもない女だよな
義政さんの政権強奪しようとしたり応仁の乱
引き起こしたり自分が無能で天下取れなかったりから三傑の天下にケチつけるわ
徳川家にも前政権の大物だぞみたいなノリで乗り込んでくるわ大奥で破廉恥に大騒ぎするわ
本当迷惑だわ 
富子の悪質な嫉妬心 執着心 厚顔さにはうんざりさせられるよ
はっきり言って邪魔なだけです 
297人間七七四年:2009/05/05(火) 13:38:41 ID:GjOO7UGx
ある辞典に大学教授が「足利義昭は織田信長に尾張の斯波家の家督を許した」
ってあったけど本当なの?。
足利将軍家が好みの家臣に足利一門の家を継がした前例はあるけど・・・
もし本当なら斯波信長だよねえ。
信長が辞退したとして息子が尾張美濃守護斯波信忠・・・
ありえないではないけど
それなら教科書書き直さなきゃ。
斯波信忠なら足利家別流として征夷大将軍を継ぐ大義名分もあるよね
今川より家格上だし
298人間七七四年:2009/05/09(土) 21:28:48 ID:3pT16Tv1
細川京兆家とも親戚関係を望んで実現させたし河内畠山とも親密w
信長って管領斯波氏の後継者(のつもりで)きどり
で天下布武をしようと思ったんじゃないのw
まあ長尾が上杉を継承出来た時代だし
織田が斯波を継承出来たとしても
なーんも不思議じゃないけどw
299仙台藩百姓:2009/05/09(土) 22:15:17 ID:/JiAuc7R
名跡を継承したのではなく尾張の守護職を継承したと言う意味でしょお( ^ω^)
300人間七七四年:2009/05/10(日) 21:00:03 ID:RWYdDX09
日野富子=放火魔
信長=消防士 
301297:2009/05/11(月) 18:42:57 ID:4tloEnVO
>>299
いや、はっきりと織田信長に斯波家の家督を許したと書いてあった。
だから鮮烈に覚えてるの。
302人間七七四年:2009/05/20(水) 12:31:02 ID:2EgzkGy8
>>299
長尾から養子の上杉家と伊達家って、どちらが上杉の本家筋か争ってた時代があるらしいね?
伊達家の家紋て上杉家の「竹に雀」の分家系の紋だもんねえ
303人間七七四年:2009/05/20(水) 14:56:07 ID:xpzr5t9o
>>301
朝倉家みたいなもんでしょ
304人間七七四年:2009/05/21(木) 12:25:05 ID:ls+60zbD
許したけど
断られた

じゃね?
305人間七七四年:2009/05/22(金) 18:59:01 ID:JwRT8QVM
そうなのかなあ?
信長には織田家のプライドがあった?
306人間七七四年:2009/05/22(金) 19:19:06 ID:LsBj3pI5
言うことを聞けばその下風に立つからな
307人間七七四年:2009/05/23(土) 17:49:20 ID:lZ6QNQsM
斯波家でも織田家でも下風なんじゃない?
308人間七七四年:2009/05/24(日) 20:45:11 ID:M9DXWJOc
足利義昭を占う

でっぷりと太り落着いて悩みない人に見えます。
ロマンチストで考えに飛躍があり挫折すると自殺してしまうこともあります。
美男美女が多く音楽や芸術に才能を発揮するでしょう。
料理、ファッションの工夫は一流ですが子供にはスパルタ教育を行います。
自己主張せず一芸に秀で凝り性ですが孤立、病弱、金銭の苦労があります。
年長者の沢山いる職場や仕事につくと能力発揮します。
資産家、商売人として成功して金持ちが多い家系です。
金銭のやりくりが上手く忠誠心強調性や環境への順応性に恵まれていますが扶養の義務で金銭面の苦労があります。
直感力に富み頭良く頭脳明晰で小さなことによく気がつきリーダーの地位を好みますが策におぼれやすく短慮で信用や社会的地位失うことがあります。
やや神経質な面があり人によっては短気な人も多く、一度失敗すると、いらいらして、次から次へと損失に向かう凶運となります。
309人間七七四年:2009/05/24(日) 20:46:31 ID:cv8S2gap
>>308
> でっぷりと太り落着いて悩みない人に見えます。
> ロマンチストで考えに飛躍があり挫折すると自殺してしまうこともあります。

1行目と2行目でいきなり矛盾しているわけで
310人間七七四年:2009/05/24(日) 22:25:00 ID:ut7qiAsW
斯波家って散々足利からみりゃ一族筆頭なのに散々幕府を引っかき回した家だし
斯波からみりゃ一族筆頭なのに管領まで身を落としてしまった怨みがあるしで
あんまり互いにいい風に思ってない感じがw
311人間七七四年:2009/05/24(日) 23:56:12 ID:cv8S2gap
「他はどうでもいいが斯波義廉だけは許さない」by足利義政
312見下し合いw:2009/05/26(火) 22:09:37 ID:R9D1ODUO
斯波家の家臣として
朝倉氏と織田氏には因縁の確執があったとか・・・・・・・・・・
織田としては・・但馬国から流れてきた他国(よそ)者ふぜいが!
朝倉としては・・この神主ふぜいが!
らしいねっ。
313人間七七四年:2009/05/27(水) 14:36:14 ID:98H9NL2X
>>309
一行目は「一見」そう見えるって話で、二行目からは、実際はそうではない内面について説明してるんだと思われ。
まあ、酷い悪文だと思う。
314人間七七四年:2009/05/29(金) 07:28:50 ID:quMguu2u
足利は複雑だな。連代にわたって。
315人間七七四年:2009/05/31(日) 15:51:57 ID:r11FySmM
暗君としてなら戦国時代トップレベルじゃないか?
勝頼や里見といい勝負できるぞ
316人間七七四年:2009/05/31(日) 15:59:49 ID:FZ1o9+kl
>>315
暗君の定義がめちゃめちゃだな
317人間七七四年:2009/06/03(水) 19:53:21 ID:HKKE+6Ju
復権できなかった足利義稙
318人間七七四年:2009/06/03(水) 20:41:24 ID:gGe2QCpO
ほんの数年だが信長と対等以上に戦ってるわけだから、かなりたいしたもんだと思うけどな。
しかも武器は、権威、だけで。

ちょっと言いすぎだが、信玄があんなタイミングで死ななかったら、もしかしてた、ぐらいだったとも思うし。
せっかく挙兵して信玄待ってて、来ない、とわかった時はショックだったろな。
319人間七七四年:2009/06/04(木) 22:29:51 ID:c63tpFa6
て言うか・・・
信長死んだ時点でも義昭は将軍だけどな。
天下も統一していない信長って、関東の長尾や関西の三好と大差無いじゃん。
320人間七七四年:2009/06/04(木) 22:34:14 ID:fttyAfHS
100と0しかないのか、お前の頭の中は
321人間七七四年:2009/06/05(金) 14:27:11 ID:MERraFUu
なかなか秀逸なツッコミだな。
322人間七七四年:2009/06/06(土) 00:00:38 ID:Ptlz2H8I
「足利事件」捜査の元県警幹部ブログが炎上 「謝罪しろ」コメント殺到
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=859384&media_id=32

このニュースに関する日記一覧(4777件)
http://news.mixi.jp/list_quote_diary.pl?id=859384
323人間七七四年:2009/06/06(土) 01:53:59 ID:NHeo/H54
まあ結果はアレだけど、本人なりにしぶとく頑張ったって印象は有りますよね。
324人間七七四年:2009/06/06(土) 02:38:25 ID:rvVok+Jy
ジオ
325人間七七四年:2009/06/06(土) 07:16:51 ID:l9N8SIib
>320
おお、秀悦な例えだ。
全く持って、デジタル思考だな。
326人間七七四年:2009/06/06(土) 10:37:31 ID:uu4gRCKo
兄弟揃って空気の読めない馬鹿
もっと弁えてればよかったのに
327人間七七四年:2009/06/06(土) 14:02:52 ID:u/nYzrht
将軍が実権を持ち続けるのは難しいのかな・・・
328人間七七四年:2009/06/08(月) 23:05:37 ID:Jh9dANvo



もし堀北真希が足利将軍だったら
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1164945963/

もし堀北真希が足利将軍だったら
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1164945963/

もし堀北真希が足利将軍だったら
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1164945963/

もし堀北真希が足利将軍だったら
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1164945963/





329栃木は強姦大杉だろ:2009/06/09(火) 06:06:15 ID:5sCgGjoJ

栃木リンチ殺人事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%83%E6%9C%A8%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%81%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

【強姦】 警部補強姦逮捕 栃木県警「心から深くおわび」 [06/18]
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/owabiplus/1213958526/

【栃木】連続強盗強姦の2人 懲役30年と28年を求刑
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/20090519/CK2009051902000109.html

【父親が実娘を強姦し続けた】栃木実父殺し事件
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/baby/1096037070/

栃木県立今市高校教師、卒業生も強姦されたと被害届を提出
http://sagool.tv/detail/3880201651115013861/

取り調べ女性への性的行為否定 元栃木県警警部補が無罪主張
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/auto/5043/1190871900/66

【社会】「強姦が好きで、彼女や風俗店では満足できない」 33歳無職の男を再逮捕…栃木
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1240961004/

【栃木】強姦被害者望まなかったのに 宇都宮地検勇み足? 起訴”強行”[01/25]
http://gimpo.2ch.net/test/read.html/wildplus/1232861243/

【栃木/教師】女子生徒への連続淫行高校教諭、3度目の起訴
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1234921971/

【栃木】先生とラブホ女子中学生「ベロチューしまくった」「乳首触りすぎい…まあいっか」お口の中たかゆき★11
http://s03.megalodon.jp/2009-0417-1923-18/tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1239940813/
330人間七七四年:2009/06/11(木) 01:16:07 ID:4/jA2IyW
義昭の妻って誰の娘?
331人間七七四年:2009/06/12(金) 13:02:15 ID:huF/EsL8
傀儡として楽に生きるか
将軍のプライドを持って戦い続けるか

お前らならどっちなんだよ
332人間七七四年:2009/06/12(金) 13:13:25 ID:9CYr/CDR
義昭は信長の無法の量(笑)を見誤ってたのかね^^;

最初は、義稙を擁立して幕政を牛耳った大内義興位の存在と思ってたのかもな。
333莫邪 ◆Bakuya.ugA :2009/06/12(金) 22:14:39 ID:UWTS7tBQ
そういう意味でも>>317がしっくりきた
334人間七七四年:2009/06/14(日) 05:05:45 ID:OFHlyy1F
あれ〜、義昭って、ある意味、信長を超えた数少ないヤツなんだけどな。

みんな、なんかどういう史書ちゅうか、理解してんの?
335人間七七四年:2009/06/17(水) 00:21:52 ID:Zn7CQX8a
義昭は義輝の政治路線を継承している
信長に下克上されるまでは。
幕府を完全に復活させた将軍であるのに義昭の幕政は省略されることが多すぎると思う。
336人間七七四年:2009/06/21(日) 05:37:34 ID:NNY5mlET
義昭は、普通に足利の職制のままを継承したんでしょう、それで希代の傑物の信長なんてのをとりあえず五分には押さえかかっていたんだから
たいしたもんだと思うけどね。

信長の、五箇条とか十七のうんたら、とか、いかにもらしくなくて、義昭の土俵にのっかっただけ、あのあたりでは完全に義昭ペ〜ス。
あれを、信長が将軍を相手に恫喝、さすが信長、とか、いかにも結果論で面白い論評とは思う。

義昭、ハナで笑ってたろうな、イナカモンでおじゃる、って。
337人間七七四年:2009/06/24(水) 02:53:25 ID:8Leon1kS
>>320
自分>>319じゃないが、
もし信長の後ついで秀吉・家康が天下統一しなかったら
三好とかと同じ程度(せいぜい、領土が多少広かった程度)にしか評価されなかったと思うよ。
100とか0とかいう問題じゃない。三好が30だとしたら信長もせいぜい40くらいでしょ、って話。
信長の名声は実はその後継者によっているわけで、
信長に限らず、同じ人が同じ人生送ったとしても死後の偶然によって評価が雲泥の相違になる。
後世の人物評価なんてその程度の不正確なものだよね、って話。
338人間七七四年:2009/06/24(水) 20:56:38 ID:m6y5TPkF
なんだ、
極端な意見で人とは違う切り口を演出する俺って格好いい、
って流れかいな。
339ラオウ:2009/06/26(金) 23:09:45 ID:pe22XKL5
義昭が凄いかどうかは置いといて
足利幕府と織田政権を比べた場合
圧倒的に足利の方が上。
所詮織田政権は信長のカリスマ性に頼った恐怖政権であり、本人の没後、あっけなく霧散してしまった。
日本的な建前論を踏まえ「まがりなり」にも天皇から幕府を開く事を許された足利は強い生命力を持った。
為政者として正当かどうかという比較では、織田は足利の足の先の爪にも及ばない。
340人間七七四年:2009/06/26(金) 23:19:29 ID:ayh9A/zJ
センゴクに義昭って出てないよね?
なんでだろ?
341人間七七四年:2009/06/26(金) 23:26:25 ID:70HvRFHg
細川政元のクーデター以降の幕府では、将軍個人の資質が優れていようとそうでなかろうと、
正直あんまり関係ないよね。
342人間七七四年:2009/06/27(土) 09:19:15 ID:J1tq8pW2
そうそう、だからこそ久々に現れた足利の系譜で個人の力量で当時の世を動かしていける人物が出た、とも言える
と思うんだが、相手が悪かった・・

お寺に入ってて普通ならそういう天下の歴史には名が出てこないんだが、いきなり現れてそれなりの実力を見せたという点では
義教によく似てる。
尊氏、義満、の血はひいてるんだろな、さすがというか。
343人間七七四年:2009/06/27(土) 18:04:46 ID:LiReoi7i
将軍家が戦力も財力も封じられた状況じゃ、
いくら義昭が非凡だったとしても、できることはたかが知れてる。

例の織田が包囲網が成功していれば、もしかしたら義昭の在職中には幕府が滅びないという可能性もあったかもしれないけれど、
だとしても、結局、他に専横を極める人間が出てきただろ。

傀儡となることに抵抗し続けたら、
最終的には、お兄さんのように殺されたか、義稙の様に追放されたんじゃないの。



義昭が100年以上前に生まれて、義政の代わりに義8代将軍だったら面白かったのかもしれないなw
344人間七七四年:2009/06/27(土) 23:52:28 ID:w+vUgdlt
今谷明先生が時代考証をされた「花の乱」をツタヤで借りて再度見ているんだが
今の大河と違って面白い
最近の大河はウソっぽすぎて見る気がおこらない
345人間七七四年:2009/06/28(日) 00:59:36 ID:rg0lmr7x
そうなんだ。
日野富子が主役ってことで、「花の乱」は完全スルーしてたわ。

「悪女と言われているが、実はそんなことないんだよ」的に、
ムリヤリ富子を美化したドラマじゃないかと思って。
346人間七七四年:2009/06/28(日) 02:16:05 ID:+01SrhGo
>>345
美化も何も、今は「言われてるような悪女ではなかった」って捉え方が主流だな。
347人間七七四年:2009/06/28(日) 21:19:29 ID:l4f06QhF
昔の美化
→こんなことホントはしたくないのにぃぃぃぃぃ

今の美化
→家臣が勝手にひどいことしたよぉ!

こんな印象
348人間七七四年:2009/06/28(日) 21:42:50 ID:9wBqEoDh

ともかく今谷明先生の考証だから、最近のアホらしい大河と違って味わい深いよ
斯波家・畠山家の内紛や将軍家の年中行事なんかもふんだんに盛り込まれ
マニアックともいえる作品に仕上がっている
反面
一般人の視聴率は悪かったらしいよw
349人間七七四年:2009/06/28(日) 22:19:24 ID:35YFZ1GC
足利義昭とか中途半端な改名をせずに
『足利夜死亜鬼』とかにすれば運気も流れも変わったかもしれんがな
350人間七七四年:2009/06/28(日) 22:36:32 ID:5ZghXCRl
>>348
へぇ。なんか興味湧いてきた。
暇があったらレンタルショップで探してみるわ。

しかし何というか、室町時代は最初から最後まで、興味深い面白い時代なのに
残念ながら一般的には人気ないよね。
351人間七七四年:2009/06/28(日) 22:52:45 ID:5ZghXCRl
もし義昭が信長の操り人形の地位に満足していたら、
足利幕府は織田政権の隠れ蓑として続いてたのかな。

そうなった場合、信長の対抗勢力が義栄の子供を担ぎ出したり、
信長は信長で、北畠や神戸にやったように、自分の息子をムリヤリ義昭に養子に押し付けたりして。
352人間七七四年:2009/06/29(月) 01:24:36 ID:7ZjrE09l
>>351
幕府の機構や利権を穏便に織田政権に譲りつつ、義昭本人は高位高禄で
厚遇を受けつつ隠居状態、あたりが妥当じゃないか。

息子を信長の猶子にするとか、逆に娘を嫁にやるとかで足利家も吸収
していくんでしょう。
353人間七七四年:2009/06/29(月) 03:13:59 ID:wqJ5q4q7
花の乱は登場人物呼ぶときに諱使わずに官名で呼ぶなんてリアル志向すぎて誰もついて行けなかったとか
354人間七七四年:2009/06/30(火) 23:08:32 ID:Pet58mRT
>>353
そうなんだよ
今の大河なら細川勝元なんだろうけど「右京だいぶ」と呼ばれていた。
山名は「そうぜん入道」だった。
畠山家の面々も官名で呼ばれていたから一般人には「なんのこっちゃ」か
分かんないと思うわ
「景勝」「景虎」みたいなのがウケルんだろうね
「前ガミおろしたカワイイーサムライ」とかw
355人間七七四年:2009/07/01(水) 14:20:58 ID:dgbnecXR
>>352
ただ、義昭自身が信長をナメきってたようなところもあるから、隠れ蓑、ってのも現実的ではなかったろうね。
もう少し時代がずれて、義昭がすでに信長には対抗できないような状態になってたら、そういう作戦をとってたかもしれないけど
まさに不思議というぐらい、このあたりの人物は生年が微妙に重なり合ってる。

信長の昔の映画だと「上総守どの」とか「この上総〜」とかそういう言い方してた。
柴田は「権六」とか、人を呼ぶときは「たれぞ、ある」みたいな。
昭和の人はみんな学があったんだな。
356人間七七四年:2009/07/02(木) 08:39:03 ID:1t+2XVMv
南北朝時代の方が活躍できたと思う。
357人間七七四年:2009/07/02(木) 19:17:18 ID:xkUHL0Dz
>>354
昔の大河でも基本は諱で呼んでたよ
そうじゃないと視聴者は分からないんだ
花の乱は「諱なんて呼び合う訳ねーじゃん」ってやって大コケしただけ
ドラマに必要なのはリアルじゃなくてリアリティなんだから

今の大河に足りないのは単純に役者の質だろ
トレンディ大河なんて呼ばれた太平記ですら役者の濃さは半端なかったのに
358人間七七四年:2009/07/03(金) 06:59:40 ID:u6cH7To6
それもあるね
花の乱は、萬屋錦之介に藤岡弘でしたから。
濃いね
359奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/07/03(金) 08:18:11 ID:175cAmd2
太平記は思い切り当時の「とれんでぃ」を掻き集めた作品だったけどな。
360人間七七四年:2009/07/03(金) 20:46:12 ID:RjIRi/D9
室町幕府を終焉させた時点で暗愚
361人間七七四年:2009/07/04(土) 04:31:32 ID:35tsPtB2
涎だらだら流してセリフ喋るとか今のトレンディどもにできないだろうな
362奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/07/04(土) 07:30:14 ID:jUaeTbH4
平蔵は神だったのか。
363人間七七四年:2009/07/05(日) 23:29:18 ID:vl4uMLi8
>>354
ほかに「禁裏様」「御所様」「今出川様」だったよな。
364とある歴女:2009/07/13(月) 03:03:39 ID:YImxIKfw

>>354
富子美化ドラマで私はついていけなかった。
てゆーか16歳の富子が松たかこで20歳はもう三田佳子とか無理ありすぎw
あと応仁の乱で仇敵同士の顔合せで
「まさながーーーっ!」
「よしなりーーーっ!」(←最近では「よしひろ」らしい)
「よしとしーーーっ!」
「よしかどーーーっ!」
とか呼び合ってて、
をいをいあんたらイミナで呼び合うなんて実は仲良しなのかよ〜、とか。

唯一の見所は萬斉さんの細川勝元でしたね。
応仁の乱勃発時の
「弓取ってのもののふでござる!」
みたいな台詞にしびれました☆

北村そーいちろーさんの伊勢貞親もはまり役だったよね。
365奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/07/13(月) 07:25:19 ID:xdJSPXlg
諱で呼び合うことで相手より上位だという示威行為だったのでは?と好意的に解釈してみる説。
366人間七七四年:2009/07/14(火) 20:44:18 ID:2Giyw64u
367人間七七四年:2009/08/01(土) 17:30:36 ID:vsXyI7yI
ワタシは藤岡弘さんの大内政弘がよかったです。
368人間七七四年:2009/08/01(土) 18:26:55 ID:B53OgkjV
信長を何度も追い詰めたんだから、かなりの策略家だったろう
とは思う>義昭
369人間七七四年:2009/08/12(水) 16:59:39 ID:6d7hXCAs
性懲りもなく諸国に御教書送りつけたんだろw
370人間七七四年:2009/08/14(金) 01:25:33 ID:g4UtFap6
ノリピーの旦那とキャラが似ていないか?
371人間七七四年:2009/08/15(土) 22:01:39 ID:1gp/szyV
>>370
どこら辺がだ?
372人間七七四年:2009/08/23(日) 18:24:20 ID:uOoIsDkd
信長の傀儡として生きる他なかったかな…義昭。
武力ないしな。
373人間七七四年:2009/08/24(月) 23:53:58 ID:9kroXUFn
>>372
信長は、いつまでも傀儡にはしておかなかったのではないだろうか?
信長よりも長生きだし、信長の死後も将軍だったし、亡命して良かったのでは?
374人間七七四年:2009/08/25(火) 17:20:40 ID:y7OSZT/7
だとすると、朝廷が本能寺の変ののちに光秀に将軍就任を
打診したなんて与太話はないな。
375人間七七四年:2009/08/25(火) 18:05:12 ID:KjZNoDuP
>>373
信長は義昭に何度も「もういじめないからかえっておいでよ〜」って書状を出してるけどね。
376人間七七四年:2009/08/25(火) 21:40:31 ID:y7OSZT/7
>>375
帰らずに、織田包囲網を作りあげようと各地に手紙を送っていたか。
377人間七七四年:2009/08/25(火) 22:42:54 ID:7qD3ad05
>>375
いつ頃の話ですか?
378人間七七四年:2009/08/27(木) 19:01:03 ID:TQ1Ml6MI
よく生き残ったよね
379名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 11:39:02 ID:86pd2RDd
信長に城から追い出された後は、毛利を頼って行ったからな。

と曖昧な記憶で書いて見る。
380人間七七四年:2009/09/02(水) 21:32:39 ID:joY1w481
>>374
京兆家(管領)なら土岐氏の一門だからありえるだろうけど将軍はないな。
足利義昭が死没していたから新田の徳川家康が将軍になれたという説は有力だよ。
朝廷は前例を重んじるからね。
秀吉が関白になれたのも、近衛家の養子になったからだし。
信長や信忠が右大臣や中将になれたのは平家の末裔になったから。
越前国の神主の忌部氏のままじゃあ無理だったとおもうよ・・・。
家康も加茂姓のままじゃあ将軍は無理だったと思う。
381人間七七四年:2009/09/03(木) 09:45:09 ID:0Wm81g7V
>>380
お前のような阿呆よりは義昭のが余程有能
382人間七七四年:2009/09/06(日) 05:33:07 ID:nFfy4O+v
勘違いしてもらっては困るけど天下人は足利家を乗っ取ったわけじゃない
足利家に取って代わる新たな政権を築き上げようとしただけ
それの何が悪いの?
自民党が民主に負けたのと同じじゃないか?
民主だって自民を乗っ取ったわけじゃないだろ?
383人間七七四年:2009/09/06(日) 12:10:31 ID:/z/lvNdB
>>382が何を言っているのか、誰か翻訳できる人はいますか?
384人間七七四年:2009/10/04(日) 02:02:03 ID:es78qN2l
ドSの信長に、よく殺されなかったね。
なんか理由でもあったのかなぁー
385人間七七四年:2009/10/04(日) 02:43:55 ID:nYWnQD1I
>>384
将軍家殺しは不利益が多すぎるから。
386人間七七四年:2009/10/05(月) 11:56:26 ID:SIAGHuoS
>>380
尾張織田家は忌部氏出身といわれているが、室町時代には藤原を名乗っていた。
実際の父信秀も、信長自身も平氏を名乗る以前は藤原をなのっていた。

右大臣や中将に任じられるつもりなら、わざわざ平氏に鞍替えするよりも、
そのまま藤原氏のままの方が有利。
387人間七七四年:2009/10/07(水) 16:34:06 ID:cfV+u5IN
最近でこそ違うが以前は信長に京から追放されたときに
将軍を辞めさせられたと書いてるのが多かったな。
もし「前将軍」なら信長討伐の御教書など効果はないのに
(将軍でもなかったが)。
388人間七七四年:2009/10/22(木) 00:21:56 ID:p9zubiYg
氏=任官基準論者は
朝廷が、本能寺の変の前に信長に対し
三官(関白、太政大臣、征夷大将軍)のいずれかを推任する話は
無かったことにするんですか
389人間七七四年:2009/10/23(金) 21:39:35 ID:MIrUAYW3
信長が平氏を名乗ったのは任官のことより源平交替論なんじゃないのか
390人間七七四年:2009/10/27(火) 02:48:01 ID:GuJwkjqn
悪しき公方
391人間七七四年:2009/10/29(木) 18:23:01 ID:CSVV6u9f
>>386
藤原氏は初期に分家した傍流や、格式の低い家筋の藤原氏も多いからね。
信長の先祖が名乗った藤原氏の系譜も、そんな藤原氏の一つ。
藤原氏だから公卿になれる訳じゃないんだよね。
受領や、五位六位までなら、傍流の藤原氏の系譜の者でもなれただろうけど。
392人間七七四年:2009/10/30(金) 10:03:54 ID:lk2UWIjF
それ言ったら他の氏族だってそうじゃないか?
家康の得川氏だって間違っても右大臣なんかに任官される家柄じゃないぞ
というか戦国時代は異例人事が行われた時代だから氏族はほぼ無関係に等しい
393人間七七四年:2009/10/30(金) 10:47:07 ID:fftfMn0m
>>391
>藤原氏だから公卿になれる訳じゃないんだよね
その通りですね。同時に平氏だから右大臣や中将になれるわけでも、源氏だから征夷大将軍になれるわけでもない。
信長が平氏を名乗ったのも、家康が徳川を名乗ったのも、官位を受ける際の箔付け程度であって、必要条件ではない。
394人間七七四年:2009/10/31(土) 13:50:34 ID:6V4uSo0e
でも、箔つけとはいへ、平氏なり源氏なり名乗らなければならなかったのは何故なんだろうね
その氏の選択基準は何だっただろ
395人間七七四年:2009/11/06(金) 12:12:55 ID:APvjNxF8
>>10
義持が入っていないのはおかしい。
父親と比べれば陰が薄いとか信仰狂いとか後継者問題でやらかしてるとか色々あるが、
「長年にわたり安定した時代を築いた」と評価されてるのに。
少なくとも義輝やら義昭よりは上だろう。
396人間七七四年:2009/11/08(日) 09:54:18 ID:rXJkQVQA
戦国時代の足利って腹立つ
長慶に擁立されたのに、裏切って長慶を攻撃したり
負けそうになると仲直りして、また裏切る
義昭も信長に同じ事したよね
有力者に取り入ったかと思えば、陥れようとしたり
人の足引っ張ってばっかり
何がしたいの?
397人間七七四年:2009/11/08(日) 20:44:25 ID:w2zEx2to
足利将軍家は隙あれば、名実共に武家の棟梁の権力と権威を確立したいだろ
擁立する側でも足利将軍家の権威を否定するまでのパワーを信長まで持ち得なかったんだし
冷酷な信長でさえ義昭を追放こそしたが抹殺できなかったんだし
398人間七七四年:2009/11/09(月) 16:38:30 ID:GROSHPZc
主君が足引っ張られ続けるの見てぶち切れて殺っちゃった弾正の気持ちが、足利にイラっときてる俺には解る
399人間七七四年:2009/11/13(金) 19:07:46 ID:0bJvFoOh
滅亡寸前の中で殺されもせず上手に立ち回ったじゃないの
本当に馬鹿なら幕府滅亡の辺りで殺されて平和な晩年を送ることなんかできなかっただろう
400人間七七四年:2009/11/15(日) 12:44:19 ID:vpdxEp6D
貧乏公方
乞食公方
401人間七七四年:2009/11/18(水) 16:22:50 ID:RkAeDRhb
>>400
都落ちの時に追いはぎに遭ったらしいなw
402人間七七四年:2009/11/26(木) 22:39:53 ID:xM8x4R9U
追剥とはキツイなw
403人間七七四年:2009/11/27(金) 16:45:13 ID:7Y2+ILMW
センゴクの4巻だっけ?
足利義昭出てたね。
よく探せばいるよ。
404人間七七四年:2009/11/27(金) 17:38:25 ID:Vlk1ZbJL
朝倉家でも義昭が出て行って「せいせいした」って言ってんだよね。
よほど事情を考えず上洛上洛幕府再興うるさい迷惑な人間だったんだろうな。
405人間七七四年:2009/11/27(金) 20:33:12 ID:+5OoxZFr
朝倉は京に軍隊を置いて三好・松永・六角あたりと張り合う
意思も能力もなかったんだろ。
義昭個人の人格などはさほど関係なかったんじゃなかろうか。
406人間七七四年:2009/11/28(土) 13:08:50 ID:adPY37sh
朝倉は北に一向宗を控えてる
どうにもならんだろ
407人間七七四年:2009/11/28(土) 13:21:17 ID:SbQGfEQO
朝倉は義昭を奉じて上洛しない選択肢はある意味正解じゃないか
上洛しても複雑な畿内情勢にかかわるのは体力減らすだけだし
ただ、義昭が将軍になったときに信長の上洛要請に完全無視を決め込んだあたりは政治音痴だわな
自身が上洛しなくても代理に一門、重臣あたりを上洛させればよいものを
408人間七七四年:2009/11/28(土) 22:03:07 ID:a4NPVJuj
宗滴爺さんが生きてれば・・・
409人間七七四年:2009/11/28(土) 22:16:50 ID:NtZ7D49a
朝倉+浅井+六角で連合軍ができれば、上洛も可能だったかもね
410人間七七四年:2009/11/29(日) 23:26:54 ID:yTYPKCgQ
浅井と六角は共通の敵でもあらわれないと手は結ばないわな
411人間七七四年:2009/12/01(火) 23:43:35 ID:sGdnPTiW
>>409
比叡山焼き討ちの少し前に
それに近い連合軍で織田に一度は勝っているんだが・・・
412人間七七四年:2009/12/02(水) 00:49:34 ID:EWMZa8kQ
黙って信長に従ってれば
ずっと足利将軍家は続いていたのかね?
信長はどんな政権構想持ってたんだろ
一生足利を形だけの将軍にしておくつもりだったのかな
413人間七七四年:2009/12/02(水) 01:55:11 ID:JSxcdVsZ
わからんね
義昭を追放した時点では足利将軍家を否定するだけのパワーを持って無かったんだろうけど
本能寺の前の朝廷からの三官推任の頃には将軍権威を否定できただろうし
かといって、足利将軍家を推戴して統一事業をしてたら将軍家のレジームが高まることになりそうだし
414人間七七四年:2009/12/04(金) 12:36:34 ID:Y9fzRp72
足利義昭が槙島城から若江城に放逐されるときに義昭が
差し出した子供を手元に置いて傀儡にする選択肢はなかったのかな?
まあ、鎌倉将軍と執権北条氏との関係のように
いづれ対立することになるんだろうけど
415人間七七四年:2009/12/04(金) 12:42:10 ID:3Oe4Z1dH
義昭は暗君ではないが、根暗だっただろう
416人間七七四年:2009/12/05(土) 17:38:56 ID:Jk+ny2CG
>>117
そういう点なら信長より家康のほうがよっぽど・・・
今川義元
武田信玄
織田信長
豊臣秀吉
417人間七七四年:2009/12/19(土) 05:58:45 ID:q1nN+eV0
>>416
どこがタイミングいいんだよ?
418人間七七四年:2009/12/19(土) 12:00:55 ID:bJzIZk9V
家康「おせーよ」
419人間七七四年:2009/12/29(火) 21:02:28 ID:Frtsvaw4
>>413
ていうか・・・斯波の家臣の織田なんだから、足利将軍家を助けて当然だろ
足利・斯波を推戴して乱をおこす賊を成敗するのが織田家に生まれた者の役割だろ
420人間七七四年:2009/12/30(水) 18:23:26 ID:6KgjKYwY
織田家も守護代ながら、他の斯波氏守護代である甲斐や朝倉と同じように、
将軍直臣の格だったような。
421人間七七四年:2010/01/03(日) 22:52:16 ID:wV1AYisK
織田本家の三奉行の一人、という立場の織田信秀じゃろ
422人間七七四年:2010/01/04(月) 16:44:09 ID:UD/PaMLH
織田弾正忠家はホントに織田氏なんだろうか?
斎藤道三の斎藤氏のように、他家の者が名字もらっただけなんじゃなかろうか。
423人間七七四年:2010/01/07(木) 20:22:08 ID:LVKjf6SN
義昭ってデブだよね。
肖像画、木像で判断しました。
424人間七七四年:2010/01/07(木) 21:29:02 ID:LVKjf6SN
  ∩∩ ぼ く ら の 春 は こ れ か ら だ !  V∩
  (7ヌ)                              (/ /
 / /                 ∧_∧            ||
/ /  ∧_∧     ∧_∧  _(´∀` )   ∧_∧   ||
\ \( ´∀`)―--( ´∀` ) ̄      ⌒ヽ(´∀` ) //
  \       /⌒   ⌒ ̄ヽ、義昭 /~⌒    ⌒ /
   |      |ー、      / ̄|    //`i 暇人  /
    | 義輝 | |義栄  / (ミ   ミ)  |    |
   |    | |     | /      \ |    |
   |    |  )    /   /\   \|       ヽ
   /   ノ | /  ヽ ヽ、_/)  (\    ) ゝ  |
   |  |  | /   /|   / レ   \`ー ' |  |  /
425人間七七四年:2010/02/16(火) 18:55:53 ID:PCPVD2a6
剣豪将軍・足利義輝を主人公にドラマ化!主演は松山ケンイチ
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news7/1265073709/
426人間七七四年:2010/05/26(水) 12:27:20 ID:RfsLSF2W
>>423
あの木像っていつ頃作られたんだろ?
427人間七七四年:2010/05/29(土) 06:45:47 ID:lpMRa9Ml
>>1
歴代足利将軍と比較すると、並み以上の将器はあっただろ。
単に信長が凄すぎただけ。相手が悪かった。
428人間七七四年:2010/05/29(土) 06:47:43 ID:lpMRa9Ml
>>1
歴代足利将軍と比較すると、並み以上の将器はあっただろ。
単に信長が凄すぎただけ。相手が悪かった。
429人間七七四年:2010/05/29(土) 08:19:41 ID:ho8Zg5vR
いつも言ってる事だが信長包囲網とやらは
義昭が信長以外の勢力に手紙を無節操に送り続けた結果、
たまたま利害の一致する連中が集まって結成されただけ。
義昭は家康にすら決起するように手紙を送ってたというくらい無節操で考え無しのものだった。

あと「手紙を諸大名に送りまくる」というアイディア自体が別に義昭のオリジナルでもなんでもなく、
兄の義輝(いや義輝以前の将軍もやってたかも)の真似をしたただけ。
どう考えても義昭が優れていたという証拠があるとは思えないのだが。
430人間七七四年:2010/05/29(土) 14:07:00 ID:lpMRa9Ml
素朴な疑問だが、
兄義輝が義昭の手紙攻勢の先人なら、なんで義昭の反信長包囲網のように、
反三好・松永包囲網が形成されなかったんだ。
答えてくれよ。

義昭が家康に反信長包囲網に加わるよう促す書簡を送ってたなんて知らなかったな。
根拠はなんだ。
431人間七七四年:2010/05/29(土) 15:41:26 ID:ho8Zg5vR
>>430
そりゃ状況の差としかいいようがないな。
足利義輝の頃は三次、松永に対して諸大名が対して怨恨や因縁がなく、
「天下取り」とかいう概念も低かった。
それと戦国時代の初期で国許も固まっていなかった。
義昭の頃は信長に恨み骨髄の本願寺や因縁の浅井朝倉、
天下取りの動機のある信玄などがいた。

家康への書状についてはここに書いてある。
h
ttp://mizunoclan.exblog.jp/12460304/
432人間七七四年:2010/05/29(土) 16:04:24 ID:lpMRa9Ml
反信長包囲網に加わった連中の大半は信長に怨恨なんぞないんだがな。
信玄もないし謙信もないし浅井もないわな

そもそも諸大名間での怨恨云々が戦国の乱世の原因じゃないだろ
無知も甚だしいな

義輝の時代は義昭の時代と比べて、戦国大名の国許がどう固まっていなかったのか、もっと詳しい説明頼むよ。
戦国大名が割拠存立している事自体、国許が固まってることじゃないのか。落ち目の時を除いてな。

おいおい、義昭から家康に書状が発給されたのは天正二年になってるが、頭ダイジョウビか。
義昭が都にまだ留まり信玄在世時に発給された書状でなきゃ何の意味のないんだが。
やっぱり一皮捲れば法螺話か。
433人間七七四年:2010/05/29(土) 19:11:13 ID:QUsjoKk1
>>430
三好は義栄を擁立していたのと
当時、それに敵対できるだけの勢力がいなかった、ってだけの話じゃないの。
三好・松永と足利将軍家がうまくいってなかったのって一時期だけで
基本的には三好が融和路線とってるから
434人間七七四年:2010/05/29(土) 20:44:45 ID:u5RSMmii
>>431
>義輝の頃は三次、松永に対して諸大名が対して怨恨や因縁がなく、
永禄二年の景虎上洛くらいだな
あんとき景虎はほんとうに(義輝の承諾があれば)
三好松永を討伐するつもりだったんだろうか
435人間七七四年:2010/05/30(日) 00:29:19 ID:5MH53aEl
>>432
なんだとお前!
俺は傷ついたぞ!!
436人間七七四年:2010/08/16(月) 00:41:27 ID:QlyX4Oba
話ずれるけど、幕臣の真木島(槙島)昭光って対信長戦で開城が義昭が若江城←この後どうなったの?
確か息子や一問衆も一緒に篭城してた筈だが
437:2010/08/16(月) 02:02:05 ID:9/iGJm3Q
バックに将軍の権威があったからだろ
将軍の権威が無かったら
武将として見た場合それ程優秀とは思えん
438人間七七四年:2010/08/17(火) 00:31:34 ID:p3mhKzxL
戦国時代は権威を利用するのも才能の内じゃね。
大概の戦国大名は自分より上位の権威を利用して戦争や支配してるし。
439人間七七四年:2010/08/20(金) 03:44:32 ID:xs5Q2pYm
>>437
それはほとんどの武将にいえることだ。
ほとんどの武将が単なる百姓のオヤジなら這い上がれたか疑問。
440月孔雀:2010/08/20(金) 06:02:57 ID:BdJxTCjG
義昭は、寿命を全うしたみたいだから、そこそこ優れているのでは?
441人間七七四年:2010/08/20(金) 17:42:20 ID:6AAv1mPO
信長公の傀儡政権じゃだめだったのかな もうそのうち殺されると思ったのかな
442人間七七四年:2010/08/20(金) 21:25:17 ID:hGM2EugG
そもそも、将軍職得たのは義昭の実力
443人間七七四年:2010/08/20(金) 23:32:42 ID:zI9DoNBt
信長が義昭を殺さなかったのが謎だ。
既に延暦寺の焼き討ちとか平気でやってる男が将軍殺しを恐れる謂れなどないし。
つうか生かしたら生かしたでまた暗躍されても厄介だし殺すないし自分の手元で幽閉すべきじゃないのか?
444人間七七四年:2010/08/21(土) 05:59:32 ID:7dHy7qCC
どっちとも余計な恨み増えそうな気がする
命は取らず追放がベスト
445人間七七四年:2010/08/22(日) 01:11:19 ID:cjrWj3Ix
いっそ嫁にすればよかったのに。
446人間七七四年:2010/08/22(日) 07:47:32 ID:PEpM5fni
兄が三好一派の言う事聞かずにぶち殺された教訓を生かせなかったな
447人間七七四年:2010/08/22(日) 10:04:04 ID:j69z3NeI
>>443
三好三人衆や松永久秀が兄の義輝を殺して顰蹙を買った
教訓を生かしたのだろう。
信長といえば独裁的とか革命的、反対する者は皆殺しという
イメージがあるが、そういう見方は信長を特別視しすぎ、
ということがこの件でもわかる。
448:2010/08/22(日) 13:18:40 ID:oSpOq6v9
将軍じゃなくて
どこかの1大名として考えた場合評価はできまへんな

あくまでも将軍の権威があっての義昭だし
449人間七七四年:2010/08/22(日) 16:16:30 ID:ehpYne8F
義昭追放する頃には天下の趨勢も定まってたからだろ
余裕ないときだったら殺してたと思う
450人間七七四年:2010/08/22(日) 17:11:46 ID:f78wDzK/
ねーよ
451人間七七四年:2010/08/23(月) 12:46:56 ID:SLsoAvfc
武田に織田を討たせてもまた武田を討つために上杉を動かすことにならないか?
ちょっと意味わかんねーし
452人間七七四年:2010/08/23(月) 14:10:14 ID:V/JLyiNH
もう、途中から自分が将軍として復活するのはあきらめてる感じがする。
ただ「信長だけはマジないわ〜」って意地になってるだけで。
453人間七七四年:2010/08/27(金) 12:05:49 ID:/Mqnwng1
当時の義昭には手紙を送るくらいしか出来る事なんかなかったろ。
「包囲網は各勢力が自分の利害で信長を攻撃しただけ」と言っている人もいるが、
義昭はそれを理解した上で、彼等に信長討伐の名分を与えただけじゃないか。

何となくだが、義昭は信長を除いた後、包囲網形成した武将達を率いて幕府再興
などとは考えていなかった様に思う。
ただ天下人に一番近い人物を除き、混沌とした状況に戻したかったのだろう。
そういう状況でこそ、将軍の権威が「御輿」として役に立つし、一発逆転のチャ
ンスもある。
信長を殺せば「幕府再興が成る」のではなく「幕府再興のチャンスが出来る」
「スタートラインに立てる」と考えたのではないか。

結局包囲網は失敗に終わり、追放&信長が死んでも混沌には戻らなかった訳です
が。
454人間七七四年:2010/08/28(土) 15:44:22 ID:5CuNyssW
兄が家来に殺されて自分が将軍になったというのに、あの魔王信長に何度も楯突くとは
すさまじいまでの根性だ ってか自分は殺されないよーってなんの根拠もなく信じていたのか・・・
455人間七七四年:2010/08/28(土) 18:10:29 ID:NGVG63Ct
そりゃ今の今まで外の大名の力かりて渡り歩く足利将軍の方が珍しくないからな
義輝の方がイレギュラーだよ
456人間七七四年:2010/08/29(日) 09:33:36 ID:ihQYlMWA
>>452
義昭が追放されたときに将軍も解任されたとか思ってないか?
解任などされてなく、その後(信長が死んだときも)も義昭は
現任の将軍。
もし「前将軍」だったら、義昭が大名たちに送った信長討伐の
御内書など効果はない。
まだ将軍だったからこそ、大名たちに命令できた。
457人間七七四年:2010/09/19(日) 19:58:02 ID:hiy2zPho
命令できることと、その命令がきかれるかどうかは別だけどね
将軍の命令がきかれるのなら、そもそも戦国時代になんてなってない
458旭川の自称美女:2010/09/20(月) 10:10:27 ID:6qYZh1v6
他のページでも書いていることなのですが、一度、義昭とその周りの人たちの筆跡鑑定をすべきだと思います。
筆跡から読み取れる性格などを参考に、テレビドラマを作ると今までと違った作りになるかもしれません。
459人間七七四年:2010/09/20(月) 19:13:56 ID:uqcxFxZB
和泉元彌、『北条時宗』以来10年ぶり大河ドラマ『江』出演

和泉演じる義昭は、天下統一を目指す織田信長の妹・市と戦国武将・浅井長政の結婚、その後の信長と長政の対立、
そして、上野樹里演じるヒロイン・江の誕生のすべてを導いた影のキーパーソンとして描かれる。
和泉は、物語の序盤の重要人物にして、江に大きな影響を与える義昭役に挑むにあたり「1シーン1シーンに栄枯盛衰・愛憎・強さ弱さなど感情盛りたくさんに懸命に」と役と向き合っていく。
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100910-00000007-oric-ent
460人間七七四年:2010/09/20(月) 23:58:17 ID:iJ3ARFtu
利口な馬鹿ってとこかな
461人間七七四年:2010/09/21(火) 10:34:41 ID:/0vPdGTU
おお 和泉元彌よかったな 狂言の世界では干されて仕事できないんだろ?
がんばれよ ってか狂言できるといいな 野村萬斎に頭下げろや
462人間七七四年:2010/09/21(火) 12:29:28 ID:Um1OxWia
利家とまつのとき誰が義昭やってたかな
何か馬鹿っぽくて好きだった
463人間七七四年:2010/09/21(火) 16:14:15 ID:Mn/6xAAQ
>>461
元彌だけなら頭下げられるんだろうが、あの母親がいるうちは駄目だろうな。
母親のせいで学ぶ機会を奪っている。
464人間七七四年:2010/09/21(火) 16:48:53 ID:/0vPdGTU
>>462
元お笑い芸人じゃなかったか? 名前忘れたけど
465人間七七四年:2010/09/25(土) 02:33:03 ID:6vzGzeQ6
デーモン小暮?
466人間七七四年:2010/09/25(土) 11:52:17 ID:7WDtI7h4
モロ師岡って人だった
467人間七七四年:2010/10/31(日) 06:50:39 ID:PefAkVTo
本能寺後の義秋の空気っぽさは異常レベル
468人間七七四年:2010/11/02(火) 00:51:16 ID:Q92zHaPW
本能寺に「信長、お前を倒すのはこの俺だ」とか言って助けに来てたら
今でも足利幕府は続いていたと思う。
469人間七七四年:2010/11/10(水) 15:59:15 ID:FXTTZzvm
足利義昭
http://img.f.hatena.ne.jp/images/fotolife/b/beerrr/20101105/20101105002317.jpg

どういうイメージなんだろうこれは
470人間七七四年:2010/11/10(水) 18:02:16 ID:8e4BLT8H
もっと愚鈍な顔しててほしかった
471人間七七四年:2010/11/10(水) 23:02:26 ID:hXeMqHLW
室町幕府第13第将軍足利義昭は吉岡憲法を兵法指南に招くなど武を貴ぶ素晴らしい将軍だったんですね!
472人間七七四年:2010/11/11(木) 08:42:49 ID:M96DJr//
義輝「いや俺のが強いからwww」
仮に義輝と同じ状態なら義昭はどうしたかな
義輝は結構頑張ってたが義昭は同じようにできるか
473人間七七四年:2010/11/20(土) 18:27:47 ID:SUQ+wyCU
将軍・足利義昭さまは、信長どののお力によって、将軍となられた方にございまするが、信長どのの思うがままに操られるには、少しょう若かったかもしれませぬ
474人間七七四年:2010/12/02(木) 22:16:57 ID:Iz9xpJGT
暗君であり、謀将でもある。

たぶん、陰謀や手紙外交だけで行政や家中統制といった政治はダメだったろう。
475人間七七四年:2011/01/07(金) 11:11:04 ID:5JpRJEKh
剣豪将軍義輝って小説では義昭は
後に義輝と同時に殺される弟(架空?)と比べると
頼りない人物として描かれてた
476人間七七四年:2011/01/08(土) 10:49:30 ID:ipMAwvTS
>>475
しかも義輝に刺客を送ったりするんだよな
ちなみに後日譚の短編では興福寺から藤孝らによって救出されるときに脱糞しますw

三好・松永に殺された弟周嵩は実在の人物で、義輝の異母弟。周嵩に仕えていた小姓が
周嵩を殺害した刺客を殺したというのもフロイスの『日本史』に出てくる
477475:2011/01/09(日) 02:18:56 ID:V4+GTsFM
>三好・松永に殺された弟周嵩は実在の人物で、義輝の異母弟。周嵩に仕えていた小姓が
>周嵩を殺害した刺客を殺したというのもフロイスの『日本史』に出てくる
勉強になった
thx
478人間七七四年:2011/01/10(月) 14:31:05 ID:twnqHu+A
道具
479人間七七四年:2011/01/10(月) 22:18:53 ID:ZrWYoqeb
和泉元彌の足利義昭、最高。
狂言やってるひとじゃないとできない声や雰囲気出して、今日の貴族将軍っぽさがよかった。
480人間七七四年:2011/01/10(月) 22:19:58 ID:ZrWYoqeb
× 今日の
○ 京の

京都って、まさにあんな感じなんだよな。
481人間七七四年:2011/01/11(火) 21:56:57 ID:XFouSe8m
わしはなんかイヤだな〜。
やっぱりあ〜いうバカ将軍のイメージなのかな〜。
東くんみたいに貴族顔だけど、なんか企んでそうな訳アリのふいんき
がよかったな。
482人間七七四年:2011/01/11(火) 22:52:10 ID:PI9yBLEB
>>481
でも、大河ドラマ板で絶賛されてたよ。

江 第一回のMVPは、和泉元彌の足利義昭のレスがダントツで多かったし、
大河ドラマ 「足利義昭」に名前とストーリー変えたほうがいいというレスもいくつもあったww

『江 〜姫たちの戦国〜』各回MVPスレッドPart1
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1294564026/
483人間七七四年:2011/01/11(火) 22:54:25 ID:ql+12eLz
義昭ってどういうわけか、見苦しく取り乱すか、そうでなくても小物扱いが多いよな。
たぶん、過去の大河で一番扱いよかったのは「国盗り物語」の義昭(伊丹十三)じゃないか?
484人間七七四年:2011/01/11(火) 23:58:32 ID:XFouSe8m
>>482
レスが多いのはわかるんだ。存在感あるし、ウキまくってたというのも
ネタにはなる。
ただ、バカ殿やらしたらドンピシャ、と最初から義昭をシムラみたいに
扱うのがね〜。
信長を強調したいなら、逆に義昭をマトモに描いたほうがいいと思うし。
そういう意味で国取りはまっと〜だったな〜。

485人間七七四年:2011/01/12(水) 11:29:06 ID:hCbKke3A
>>484
浮いてたというより、格が違ってた。鍛錬の長さやスジが違う。
ただ、実際の義昭は、将軍職就任後や追放後も、いろいろやってるし、バカ殿みたいな人ではないけどね。
元彌がうまかっただけ。
486人間七七四年:2011/01/12(水) 11:40:11 ID:xwxGbmJR
>>485
追放後もだけど、その前に信長と渡り合ってるあたりももっと評価
すべきとは思うのだよね。
信長が利用したとばかり言われるけど、義昭だって信長をうまく利用
したわけだし、ある意味最大のライバルは義昭だったとも思うのだよね。

だから、あの設定ではモトヤは素晴らしかったけど、もう少し
まともな義昭もみたいな、って。
487人間七七四年:2011/01/12(水) 11:58:54 ID:ozCuk7bw
>>436
その後、各地を流浪する義昭に付き従い
諸大名に義昭の御手紙を配送した。
義昭の死後は、葬儀を執り行い
秀吉に2000石で拾われ奏者番。
秀吉の死後は秀頼に仕えて大阪の陣でも豊臣方に属す。
戦後、細川忠興・加藤嘉明らの嘆願により赦免され
細川家に1000石で仕えた。後、中津留守居役。
没年は不詳。
488人間七七四年:2011/01/12(水) 20:05:33 ID:erqiFCDt
>>486
いや「渡り合ってる」は疑問だと思うぞ。
義昭の将軍という立場もあるしな。
そもそも信長が義昭を殺そうと思えばいつでも殺せたしな。
波風を立てないようにするなら、事故死に見せかけて殺せばいいし。
信長がたまたま、我侭で身勝手な義昭を殺さない思考だっただけのような気がする。
489人間七七四年:2011/01/12(水) 20:09:31 ID:erqiFCDt
>もっと評価すべきとは思うのだよね。

そもそも「評価すべき」って何をどう評価しろと?
評価と言われても、せいぜい歴史SLGの「謀略」の数値を高めにする以外、意味がないよ。

はっきり言って義昭はなに一つ成し遂げてない。
単に信長の天下取りを妨害しただけ。
むしろ歴史に害悪を与えたといってもいい。
490人間七七四年:2011/01/12(水) 20:37:44 ID:hCbKke3A
>>489
いや、元号を変えてるぞ
491人間七七四年:2011/01/12(水) 20:44:01 ID:xwxGbmJR
>>488
まぁ、あまり細かい話ではなくてあくまで解釈問題だが
信長は武力を持ってるからいつでも殺せるというかたえず上位
だったわけでしょう。
それを紙切れ1まい武器に信長をあやつって?信長が
自分が利用されてたことに気づくと、今度は信長のライバルを
紙切れ1枚で自分の味方につける。
1回目の包囲網の講和あたりでは義昭は対等な存在だし、2回目の時も
信玄がほんのもう少し長生きしてたら、立場は逆になってたかもしれない。
義昭だってバカじゃないから、信玄が上洛するという前提の作戦だし
実際に家康がやられて信長の盟友はあまりいない状態。
ま、これはイフの話だが、少なくとも将軍ではいられたろう。

義昭というのは自分が将軍でいられること、が最大の目標だから
そのためにすべきことを最短距離で効率よくやってて、最後に信玄が・・・
というところが運がなかったというかね。
これは義昭の失敗、とも違うと思うし。

ほんで、信長史観でみると489の言うとおりなんだが
あの異見状も、恫喝、脅迫、信長のすごさ、という視点もあれば
妙にチマチマしたこと言ってて、およそいつでも殺せた、立場の
いうことじゃない。
義昭は鼻で笑ってたろうし、実際無視して紙切れ配りまくり。
だから信長はもう一回出してる。
このあたりも「わたりあってる」って見かたもできるとは
思うのだよね。

別に信長より上とかそういう意味じゃなくて、それなりにあの5年は対等に
わたりあってたし、そこはそれなりに評価すべき、という解釈もある、ということね。

信長が一方的に「傀儡にした」というのが一般的だけど、「御父」の一言で
救助もさせるわ邸宅も作らせるわ、なんといっても将軍になれたわけだしね。
義昭からしたら「しめしめ」だったとは思うよ。
492人間七七四年:2011/01/12(水) 20:58:28 ID:AysUEqvW
ここのすれ住人は、将軍に強い権威が全くなかったか事を前提に話をしている。
将軍に権威はあったよ。
493人間七七四年:2011/01/12(水) 21:40:13 ID:erqiFCDt
>>491
「自分で殺せたというのを鼻で笑う」というので

俺はどうしてもそういうので秀頼母子を思いだしてしまう。
秀頼母子は最後の最後まで「家康が自分を殺すわきゃない」と確信してたフシがある。
しかし、殺されてしまうのだよな。
こういうのって相手次第であって「読み」とかの問題ではない。
義昭の場合、たまたま信長が最後まで殺さなかっただけ。
キレて殺してもぜんぜんおかしくはなかったんだが、
我々が不思議に思うくらい信長は義昭を殺すのは避けた。

あと、信長包囲網もこのスレで何度か出た意見だけど、
義昭の書状でたまたま利害の一致する連中が群がってきただけたしな。
信長と敵対してた連中や天下を狙ってた信玄が飛びついたのは確かだが。
義昭の才覚で紙切れ一枚で操ってとか、無から作りあげたかというと相当に疑問。
494人間七七四年:2011/01/12(水) 21:46:53 ID:erqiFCDt
>>491
まあ、あなたの意見でどうかと思うのは
うまくいった部分を義昭の計算や才覚ようするに実力の部分だとして、
うまくいかなかった部分を「不運」とか言ってる部分だな。

信長包囲網が形成されたのも信長が義昭に手をあげなかったのも「幸運」の部分が大きいし、
信玄がやってこなかったのや、朝倉が退いたのも「不運」とばかりは言い切れないよ。
495人間七七四年:2011/01/12(水) 22:17:49 ID:xwxGbmJR
>>493
そうだね、義昭に関しては1573までしか語ってないけどね。
あそこで追放された時点で負け、は史実通り。
だからそこまでの話ね。

で、おっしゃり通り包囲網を全部義昭の画策とは思わないし、
うまく利用してわたりあった、ぐらいね。
不運のほうにも同じことが言えて、別に片方を強調してるつもりはないよ。
あくまで史実を追っかけて、その中で幸運不運はいろいろあるだろうしさ。

ほんで、信長が異見状あたりで義昭に手をあげないのを幸運というのはどうかな。
そういう表現もあるだろうけど、信長もあそこで将軍を手にかけるのは厳しいだろう。

義昭は無節操にバラまいて食いついてきてくれたから幸運というのも
わかるけど、それは状況をうまく利用した、とも言える。
無から作り上げた、黒幕、とは言わないが、あくまで「状況を利用して
わたりあった」というぐらいの解釈は特に問題ないような。
496人間七七四年:2011/01/12(水) 22:36:18 ID:xwxGbmJR
ひまだから、もう少し。
信長が義昭を殺さなかったのは不思議なんだけど、当事者には
それなりに空気というかそういう状況が感じられたというのはある。
解釈問題としてなんでも「たまたま〜だけ」というのは少し違和感がある。

理系スレでノーベル賞取った人に「たまたま研究があたっただけ」とかね。
手のかかった高級スイーツを「甘いだけだろ」なんて食べ物スレで言う人も多くて、
間違ってない、というのは、正しい解釈、とはまた違う。

信長も義昭も、それなりに判断、分析、して行動してたのかもしれないし
両者そんなに、バカ、でもないというのなら当然そうだろう。
わしは、先の「御父」あたりから、そして異見状無視、というか、あんなの出される
ような行動というのは相当ナメてたとも思うんだが、義昭の意思、意図、判断、
というものの証左にはなるようには思う。

決して「絶対そうだった」というのではないから「文献だせ」と言われるとあれだが
あくまで史実の解釈として、そんなに無能なバカが手紙バラまいたらうまくいき
かけただけ、信長はピンチでもないし義昭はなにも考えて無い、なんてことは
ないようには感じる。

493さんへの反論じゃなくて、あくまで2チャン的な「〜〜だけ」という解釈を
問題にしてて、義昭に関してはそれなりに意思を持って信長とわたりあったかも、という
ことね。

ちなみに、信長だって部下に暗殺されてるから、この2人は戦国の
重要度としてはイーブンぐらいにもおもう。
497人間七七四年:2011/01/12(水) 23:14:14 ID:ozCuk7bw
信長と義昭が成し遂げたことがイーブンって事はないでしょ・・・

実際問題、義昭が「成し遂げた」事なんて1つもないんだから。
498人間七七四年:2011/01/12(水) 23:22:33 ID:xwxGbmJR
>>497
成し遂げた、という観点と定義からいけばそうでしょね。
ただ、信長がやったことも、あんまりない、というのは信長スレでの
常識?だし、戦国の重要度、ってのは、文化とかそういう意味じゃなくってね。
499人間七七四年:2011/01/13(木) 00:05:07 ID:bhDaIb8/
>>492
明応の政変以降の足利将軍に権威があったとして
その権威を支えるものってなんだろう?
血統も、直轄軍も持ってないわけだから……官位の推薦ぐらいか?
500人間七七四年:2011/01/13(木) 00:33:06 ID:nMIbu8Uq
>>499
明応の政変後でも政元、高国が譲歩せざるを得ない場面というのがしばしばあったし、
京を追われる直前の段階ですら義昭は京都の町衆を防衛のために動員する権限を
持っていたりする。
将軍を擁立し、そのもとで実権を握るという構図は一見すると擁立している側が一方的に
操っているようにみえるけど、実際のところは相互補完的な要素が強いわけだし。
501人間七七四年:2011/01/13(木) 00:54:20 ID:nf5hRH/o
まあ、その理屈だと秀頼母子・大野治長も
関が原から大阪の陣までの15年にわたって家康と渡り合ったとも
いえるんだが。

>>498
常識ではあるまい。
秀吉や家康は信長がいたからこそ天下が取れたわけだし、
502人間七七四年:2011/01/13(木) 01:12:11 ID:nf5hRH/o
そもそも信長が自分を殺さないと思ってるなら、
わざわざ危険を犯して信長と争う理由もない筈だが。
ひょっとすると都にやってきた信玄が自分を殺すかもしれないんだし。
当時は「室町幕府のために尽くす」とかいう時代ではもはやない。
それを理解してない時点で愚かしい気がする。
「信長は自分を傀儡にしている。なら諸大名に書状を送って信長を倒せば俺の時代がやってくる」
なんて勘違いもはなはだしい。仮に信長を倒せたとしても、次の上洛者の傀儡になるだけだ。
503人間七七四年:2011/01/14(金) 02:21:29 ID:UpKg330q
次の奴は言うこと聞いてくれるかもしれん。
いずれにしても信長は駄目、次行ってみよう次。
この際誰でも良いから京に来てわしを持ち上げてみよ!
待っておるぞよ〜
504人間七七四年:2011/01/14(金) 06:50:20 ID:ucH9PQ9Z
>>503
しかし今更、室町幕府と足利将軍家の権威を復活するために
それもわざわざ、なんの下心もなく上洛してくれるバカはいない。
むしろ、信長たからこそ義昭を将軍にしてある程度の生活を保障してくれた。
次の奴はむしろ自分をひどい目にあわせるのかもしれない。
なら、信長と仲良くやっていったほうがいいと思うのだが。

まあ、義昭のそういう妄想・勘違いがおそらくは
あちこちに書状を出しまくった情熱の主因なんだろうけど、
歴史というのは、えてして勘違いしている奴に対する評価は低い。
そういや、前に織田信雄が小牧長久手の前に書いた勘違い書状を見たことがある。
自分が家康を操っているかのような考えでしかも家康が自分に天下を握らせてくれるみたいな内容で
妄想もいい加減にしろという内容であった。
505人間七七四年:2011/01/14(金) 21:24:00 ID:pR+bU5Gn
>>504
でも秀吉スレではそういうのをそのまま受け取ってたよ。
信雄の織田家まとめ役の意思である、みたいに。
だから、秀吉が信雄をうまくあやつった、みたいに言ってる人が
秀吉なんて関係ない、あくまで信雄はそういった視点で織田家の
跡取りとしてがんばってた、とポコポコにされてた。

義昭が信長と争った理由だけど、仲良かったのに突然信長が
京に帰って朝廷が仲介に入ったんだったかな、そんなことがあったよね。

普通に義昭が自分が傀儡にされてることに気づいた、とされるけど
それなら信長は「バレたか、でも将軍になってるんだからがまんしろよ、
いくとこないんだし」と強気で出ればいいんだが、どっちかというと信長の方が
「不興」ってとこじゃないのかな、あれ。

だから、義昭が手紙作戦でみんなと仲良くしようとしてるのにきづいた
信長の方が、こんなに尽くしたのにオレはそんなもんかよ、と機嫌悪くして
「それならそれでいいよ、別れたら次の人」って義昭は信長をスルーしはじめたんじゃないかな。

つまり、仲良く?しようとしても信長の方が「恩をわすれやがって」とスネたような
ふいんきもある。異見状はまともにそういう内容だと思うし。

だもんで、最初から「信長が傀儡にしようとした」とだけ考える信長史観?だと
どうして義昭がお手紙作戦はじめて仲悪くなったかうまく説明できないような感じもあるけど
義昭から見ると503のように、信長を利用しようとした、とお互い様みたいに考えると
うまく説明できるように思うのだよね。

信雄の妄想、勘違いとはかなり違うというか、実際に5年間ではあるけど
将軍でいい暮らししたし、信玄が・・というのはタラレバ、だけど、そんなに信長に比べて
差があるようにも思わないのだよね。

506人間七七四年:2011/01/14(金) 22:04:13 ID:bsZU2rrE
>>500
政元、高国が譲歩したのは将軍家に権威があったからではなくて
単純に畠山氏の反撃や内衆との力関係によるものだと思うんだが
動員する権限を持つことと、実際に動員できるかどうかは別だし
507人間七七四年:2011/01/15(土) 07:10:37 ID:wWow5MWC
>>483
義昭を見直せとか言ってる奴は一体どうなれば気が済むんだか。
大河ドラマで堂々とした大人物として扱えとでも言うんだうか。

そもそも、実際の英雄とか大物って変わり者だったり、小物じみた外観をした人物が多い。
ヒトラー、スターリン、毛沢東、ナポレオン、みんなチビで神経質な奴ばかりだ。
正確に言えばヒトラーは175cmあったが
周りのナチ幹部やドイツ軍人が堂々としたデカブツばかりなのでチビよばわりされた。

日本でも、徳川家康、武田信玄、豊臣秀吉、伊達政宗など大人物はチビばかり。
ただ信長は168cmで当時としては相当に大柄だ。
近代では田中角栄が164cmで吉田茂が155cm。吉田首相の小ささはビッグファーサーなイメージのある彼のイメージとはかけ離れてる。
義昭が小物ぽい、京都ふうの上品なチビなのは十分リアルな気もするが。
508人間七七四年:2011/01/15(土) 12:43:26 ID:SORO9VaU
>>504
>今更、室町幕府と足利将軍家の権威を復活するために
それもわざわざ、なんの下心もなく上洛してくれるバカ

それに近い人に上杉謙信というのがいたね。
少なくとも義昭はそう思った。そしてそんな奴が他にもいるだろうと。
まあ信玄でもいいね。腹黒そうだけど頼りになるね。
だからさっさと京に来て信長蹴散らせってばよ。
あとお前ら俺様のために生きてんだから家来同士でケンカすんな。
509人間七七四年:2011/01/18(火) 09:55:20 ID:wJls3n4g
>>507
江戸時代の平均身長とか知ってる?

上洛時に有頂天になってたのは、義昭よりも信長っぽいから、
信長の方こそ田舎大名で小物っぽくおのぼりさん風に描写
すべきかもね。
510人間七七四年:2011/01/20(木) 06:42:59 ID:5SCmNF/F
まあ義輝、義昭兄弟は暗君では無いと思う。只両方とも別の意味で相手が
悪すぎた。義輝の場合は相手が松永久秀だったけどあの時の久秀の判断は
歴史を後ろから見るととても正しいとは言えない。実際松永その後ひたすら
人生下り坂。そんな事は義輝もわかってたから敵対行為をし捲ってたら
松永が採算無視して突っ込んできたんだと思う。
義昭の場合は言わずもがなの魔王信長。こうして見るとこの兄弟本当に
運悪いよなあ。
511人間七七四年:2011/01/20(木) 06:58:07 ID:UeT305PV
>>710
つーか松永が普通の思考であり、信長が才人すぎただけだよ。
普通だったら、義昭なんて、そのうち堪忍袋の緒が切れてぶっ殺してるよ。
512人間七七四年:2011/01/23(日) 10:27:17 ID:dcc4b4wn
>>511 んなこたーない。細川政元だって大内義興だって三好長慶だって
将軍と対立してもせいぜい追放に留めてるじゃん。
513人間七七四年:2011/01/24(月) 01:17:05 ID:nk4FSNhl
信長でさえ将軍を殺してはいないのだから、
殺された義輝はあまりに運悪すぎたか、
よっぽど性格悪くて殺したくなる奴だったか、
松永久秀マジ外道のどれかだな。
514人間七七四年:2011/01/24(月) 16:05:30 ID:ZSOq6iBd
その全部だろなぁ。
しかしあのあたりは数年ズレてたらどうなってたんだろね。
信長の美濃制覇と京の政変が重なるなんて、ある意味すごいもんね。
515人間七七四年:2011/01/25(火) 17:51:57 ID:7j94VFd3
しかしこういう事思う俺は武士じゃないのかもしれんけど将軍権力が
完全に消滅したのが例の空飛ぶ管領の起こした明応の政変からだろ。
こんなもん義輝や義昭の生まれる前の話なわけで昨日今日の話ではない。
だったら朝廷と同じように権威だけの存在でも満足するって発想はなかった
のかね?命を賭けてまで権力って欲しいものなんだろうか?
516人間七七四年:2011/01/25(火) 17:58:55 ID:nPtjU+S9
>>515
義昭は人一倍そっち方面の欲望が強かったんじゃね?
517人間七七四年:2011/01/26(水) 11:33:47 ID:HeyybK0m
>>515
良い質問だ。
単に価値観というのならそれはそう。
アサイチで万馬券取って今日の目標は達成したと帰ってこられる人は
少ないだろう。
結局最後までいて全部スッてヘタしたら持ち出し。
そこで「あんとき帰ってれば」と思うが人の常。

義昭は食ってくだけなら興福寺にいればいいわけで
最初から足利復興という目的があったんだろう。
義満ではなく義教を目指したはず。寺の出身とか。
例の信長の書状にも義教を意識した部分があるし
このあたりはもう少し検討されるべきかも。

なのでバカ殿どころかそれなりに最初から目的があった上での
行動でこのあたりももう少し検討されるべきか。
最後は信長が子供人質に出して講和お願いしてるくらいで
この時点までなら十分にあの信長と互角それなりに自分の
目的を達成してる。

信玄がもう少し長生きというのはタラレバだがそうなってたら
義昭が信長を利用したとなってたはずで運の問題にはしたくないが
根本が他人の武力をあてにした戦いなので
それなりにがんばった賞ぐらいはあげたいもんだ。
518人間七七四年:2011/01/27(木) 07:23:37 ID:rJmG6RDj
本来将軍になれるヤツじゃないヤツが将軍になった訳だから
将軍という位を奇貨として、一つ儲けてやろうって発想にはなっちゃうよね
足利家が潰した後醍醐帝も似たようなもんだった。因果だね
519人間七七四年:2011/01/29(土) 21:12:23 ID:4Whz4l+G
鞆幕府に仕えた幕臣のその後は?
520人間七七四年:2011/01/29(土) 21:53:05 ID:+KWodtDv
>>519
柳沢は毛利の家臣化してる。
「元政」の元は、輝元からもらった字だし。
http://swan.srv7.biz/tomo08.htm
521人間七七四年:2011/02/09(水) 00:06:45 ID:JVF/V0xY
本能寺で死に際の信長が見たのは高笑いする義昭の幻影だった…
「おのれ死にぞこない公方〜あの時首をねじ切っておくのだったわー!」
信長はギリギリと歯軋りするのだった
522人間七七四年:2011/02/09(水) 13:45:46 ID:T1k5cE7F
>>521
うん、その方がアレよりずっと説得力あると思うw
523人間七七四年:2011/02/12(土) 06:24:27 ID:EObdg+nh
>>517
亀レスで申し訳ないが
>例の信長の書状にも義教を意識した部分があるし
この部分詳しく教えてほしい
524人間七七四年:2011/04/27(水) 10:47:08.31 ID:abrOHbhE
>>7
仲良くって・・
信長からすればただの権威としての御輿にすぎないから、利用価値が無くなれば・・

歴史に名を残す事はほとんど無くなるだろうね。
信長に利用されて捨てられた最後の将軍・・ん?名前なんだっけ?
ってな感じに。
525人間七七四年:2011/04/27(水) 11:12:44.93 ID:abrOHbhE
>>11
徳川家でも家康が関ヶ原戦のちすぐに没していたら・・
本多、大久保抗争や兄・秀康の去就(父・家康の存在なければ・・)など
もし豊臣秀頼と淀君存命で大変だったろうね。

義詮もカリスマ父・尊氏が没した為に内部の抗争(京極道誉、斯波高経、細川清氏、仁木義長)激化
南朝や鎌倉府の存在などもあってよく崩壊しなかったね・・

秀忠の為に将軍の権威を地ならししてくれたカリスマ家康の長命っぷりもすごいがw
526人間七七四年:2011/04/27(水) 17:42:15.67 ID:p6u2cIRP
今までずっと足利義昭が檄文を発した後に浅井朝倉が信長と敵対してたと思ってたけど
義昭が信長とまだ協調してる頃に、
浅井朝倉は一番やばかった第一次石山合戦に乱入して信長と義昭を殺そうとしてるんだね
そりゃ信長に恨まれても仕方ないわ
この後で義昭が信長に敵対したのは、第一次石山合戦の敗勢を見て
勝つ方につこうと思った結果だったのかな?
527人間七七四年:2011/04/27(水) 18:40:54.73 ID:gpZXbZbD
ただ日本の戦国時代がイマイチ盛り上がりに欠けて中国の三国志の方が人気が
ある事の原因は絶対信玄があんなタイミングで死んじゃったってのが
大きい。もし信長対信玄が実現していたらもっと盛り上がっただろうし
そこで信長が信玄に敗れてたら義昭も包囲網の盟主って事で謀将扱いされてた
と思う。まあ俺は信玄が長い生きしても信長は史実の足利尊氏みたいに
一年程京から撤退してその間に体勢立て直してた(その場合信長の支配地域は
尾張・美濃大多数・近江50万石弱 三河の一部 伊勢半国で190万石
信玄は史実+αで150万石)と思うけど。
528人間七七四年:2011/04/28(木) 01:08:43.63 ID:BDHxBmH3
>>527
信長家康が都落ちして地盤固めに入ったら
京周辺(信玄)-濃尾三(信長・家康)-甲信(武田家領内)と分断される事になるが・・

足利義稙を奉じて上洛した大内義興みたいにしばらくは京で睨みを利かせても
いずれは本領近隣での不穏な動きを抑える為に自領に戻らざる終えないと・・
京周辺の大名(三好松永浅井浅倉本願寺など)との上洛までの利害関係がいつまで続くのか
体力消耗して撤退がオチ(信玄の早晩没して武田軍の帰郷など)

長期政権は続かないのでは・・

529人間七七四年:2011/04/28(木) 18:15:08.99 ID:rJYbvmJJ
>>528 信長が防衛に徹したら織田領を抜けないからそもそもそんな状況は
ありえないかと。しかも信玄の勢力は大内と変わらないけど信長は
尼子経久より遥かに強力だから上杉は北条と将軍権威で封じるにしても
仮にその状況になっても持ってせいぜい3年だと思う。
530人間七七四年:2011/04/29(金) 18:14:56.78 ID:Bb1vNE2O
>>529
>上杉は北条と将軍権威で封じるにしても
上杉謙信は将軍権威に重んじるかもしれないが・・
北条氏政はどうなのか・・
利害関係によったら織田徳川と連携して駿河、上野、甲州に侵食する事もあるかもしれない
武田も関東周辺の大名に北条を牽制する画策はするだろうが・・
531人間七七四年:2011/05/05(木) 10:07:11.16 ID:/6yZPRCa
義昭って追放されただけで将軍位も剥奪されてないあたり
実は本当はなにも力もっていないお飾りだったんじゃなかろうか。
ブレーンの誰かが義昭の名前使って反信長でアレコレしたとか。
532人間七七四年:2011/06/08(水) 00:07:00.17 ID:L9i8d6bn
日本語で
533人間七七四年:2011/06/21(火) 13:26:16.37 ID:IsVLFqR9
義輝 義昭 ふたりは足利

足利 足利 足利 足利
将軍で足利 ふたりは 足利
534人間七七四年:2011/08/18(木) 16:09:52.91 ID:NbwgiJ+h
義昭と隆景が主張したように
播磨で信忠と決戦してたら義昭の上洛成功の可能性はあった。
しかし元春がビビって決戦回避を選んでしまった。
535人間七七四年:2011/08/18(木) 17:25:43.33 ID:8oCjZjhy
>>527
>ただ日本の戦国時代がイマイチ盛り上がりに欠けて中国の三国志の方が人気が
どこソースよ
536人間七七四年:2011/08/18(木) 17:55:04.93 ID:HHXWawPu
義昭は歴代足利将軍随一の権勢を誇った義教と同等な能力はあった。
僧からの還俗上がりという経歴も同じだしな。


義教の時代は応仁の乱以前で、足利将軍の権勢は致命的に失墜しておらず、
信長のような抜きん出た天才の傑物もいなかったのが幸運。
537人間七七四年:2011/08/18(木) 18:33:32.66 ID:I8UlNFji
というか、義教自身がプレ信長といえるくらい、
覇権拡大の勢いの凄さや覇業達成直前で暗殺されてる所などが似てるんだよな
538人間七七四年:2011/08/18(木) 18:33:33.66 ID:NbwgiJ+h
狂って各地で暴挙を繰り返した挙句に自爆したバカ長のどこが天才なんだ?
ただのキチガイだろ。
539人間七七四年:2011/08/19(金) 05:34:13.59 ID:5aOHKwZr
公家かぶれの軟弱極まりない暗君でしょwww
540人間七七四年:2011/08/19(金) 07:13:51.02 ID:1XCYMF6e
日本の夏 檄文の夏
541人間七七四年:2011/08/19(金) 13:40:15.21 ID:ThZOPFGh
前から気になってたんだがもし義昭が武田や浅井朝倉本願寺とかと信長包囲網を形成してるときに
自分が幕府を続けていく自信がないとか言って大政奉還したらどうなるの?
そんなことやったらやっぱり大混乱になって信長包囲網形成している大名から恨みを買って
刺客放たれて暗殺されるの?
542人間七七四年:2011/08/19(金) 19:29:03.43 ID:5aOHKwZr
情勢はあんまり変わらなさそうだがな
建武の新政もすぐ終了したし
543人間七七四年:2011/08/19(金) 20:25:06.20 ID:jqemyVhN
実力がなければ将軍も関白も名前だけになっちゃうんだなあ〜 アワレ
544人間七七四年:2011/08/21(日) 03:34:21.31 ID:GiPcqzk5
>>1にもあるんだけど
そもそも、「足利義昭が信長包囲網を構築した」って言い出したのって誰?
遠い記憶で曖昧なんだが、歴史の教科書とかで、そういう記述ってあったっけ?
小説とかゲームなどのフィクション作品除いて
545人間七七四年:2012/02/23(木) 00:00:24.25 ID:WFsVtXec
ほしゅ
546人間七七四年:2012/04/16(月) 02:48:46.67 ID:fQTlQ0y9
どっちでもある、じゃだめなん?
547人間七七四年:2012/06/22(金) 23:36:37.86 ID:gfyfHpcp
>>541
当時は大政奉還という概念自体がなかった。
足利が幕府辞めたら他の武士の中から勝ち上がった者が国の政治を仕切るだけ。
秀吉みたいにな。
548人間七七四年:2012/06/23(土) 01:17:45.33 ID:jlmADEhh
>>544
正確には第一次信長包囲網が三好や朝倉で
足利義昭は途中からそれに乗っかっただけだな。

首謀者っていうなら三好義継や三人衆じゃね?
549人間七七四年:2012/06/24(日) 15:36:01.34 ID:tvaG/Nbe
>>544
各勢力に御内書を送ったあたりからだろうね。
それまでは信長自ら各勢力に喧嘩を吹っかけて、勝手に死にかけてただけ。
550人間七七四年:2012/07/01(日) 04:17:29.46 ID:SVlSyARz
ズバリ暗君
551人間七七四年:2012/07/04(水) 12:53:20.93 ID:UiGlwg++
後白河法皇と比べてどっちが上手?
552人間七七四年:2012/07/04(水) 22:05:21.93 ID:3CUNgUOD
>>550-551
そのこころは?
553人間七七四年:2012/07/04(水) 23:22:20.06 ID:Cib4qoXc
あの状況で傀儡に甘んじたくないと考える事がそんなに愚かな事なのか?
554人間七七四年:2012/07/05(木) 01:28:10.54 ID:M5RNhlLP
test
555人間七七四年:2012/07/05(木) 01:28:32.46 ID:7Drc6eBF
挙兵した元亀四年以前は一貫して信長の同盟者なのになんで信長包囲網の黒幕扱いなのか理解に苦しむわ
556人間七七四年:2012/07/05(木) 17:05:36.53 ID:vpSM+lVa
「同盟者=黒幕では無い」と決め付けているうちは、
のぶやぼ脳と言われても仕方が無いなw
実際のところ殿中御掟の時点で結構厳しい
関係だと思うがどうだろう?
557人間七七四年:2012/07/05(木) 18:24:37.46 ID:vnfVH4eh
殿中御掟はほとんど見せかけだけだからな。
実際信長の言ったこと全てを義昭が守っていたわけじゃない。

義昭自身も兄貴のことがあるから「勝ち目ないのに調子に乗ったらぶっ殺される」ということくらいはわかってる。
まあ個人的には黒幕度で言うならやはり三好だな。
558人間七七四年:2012/07/05(木) 19:58:44.97 ID:vpSM+lVa
>>557
ごめん。ほとんど意味わかんね。

>殿中御掟はほとんど見せかけだけだからな。
→誰が誰に対する見せかけだったのか?

>実際信長の言ったこと全てを義昭が守っていたわけじゃない。
→つまり義昭が黒幕といいたいのか?

>義昭自身も兄貴のことがあるから「勝ち目ないのに調子に乗ったらぶっ殺される」ということくらいはわかってる。
→つまり義昭が黒幕といいたいのか?

まあ個人的には黒幕度で言うならやはり三好だな。
→なぜ?そして三好の誰?
559人間七七四年:2012/07/05(木) 21:10:26.94 ID:7Drc6eBF
>>556
何がのぶやぼ脳なのか意味不明だな(藁
仮に義昭が信長包囲網の黒幕だとしたら、自分に応じた大名と何年も信長と共に
戦っているという全く奇妙な構図になるわけだがね。
560人間七七四年:2012/07/06(金) 13:28:35.06 ID:55l3+Ulf
宿敵かつ同母兄の敵の三好三人衆を取り込むあたり、
相当の器の持ち主だな
561人間七七四年:2012/07/07(土) 01:23:56.19 ID:oRGP+ET2
>>559
一つ一つ味方に取り込んでいったという事が全然理解できないらしいな。
お前はのぶやぼ脳と馬鹿にされて当然だぞ。
さっさと目を覚ませ。
562人間七七四年:2012/07/07(土) 12:40:15.90 ID:BnP/NN8V
>>561
元亀3年5月に松永久秀が義昭配下の軍と織田信長軍に攻められたことをしってるかなー?
信玄が「公方様信長に対され御遺恨重畳ゆえ御討伐の為〜」の書状を松永の重臣に出したその月にな
義昭が黒幕なら味方に引き入れた松永を信長と共に攻撃したことになる。そんな事して何になるんだろうねぇ
得をするのは信長だけなのに
563人間七七四年:2012/07/07(土) 18:58:31.62 ID:oRGP+ET2
>>562
3つの可能性がある。

・戦が先、書状が後に届いた場合、同盟未成立の為、参戦した。
・同盟が先に成立している場合、信長に疑われない様に参戦した。
・戦の時点で義昭と信長の関係は、決裂していなかった。

ついでに探すのが面倒なんで、書状と戦の史料名をよろしく。
564人間七七四年:2012/07/13(金) 13:48:35.07 ID:WdVYETLN
>>558
>>→誰が誰に対する見せかけだったのか?

信長から義昭に対する見せかけ。上洛できたのは俺のおかげだよというアピール

>>→つまり義昭が黒幕といいたいのか?

No、ただの操り人形ではなかったというだけ

>>つまり義昭が黒幕といいたいのか?

信長に勝ち目ないのに刃向うわけないよな、と言っている

>>→なぜ?そして三好の誰?

三好は前将軍の足利義栄を擁していた。
信長が台頭してきたことを一番ウザく思っているのは三好。
三好義継主導か三人衆主導かはまだ議論の余地はあるだろうがこのどちらかだろう。
565人間七七四年:2013/02/22(金) 11:01:56.03 ID:7tHeoKuS
謀将
566人間七七四年:2013/02/22(金) 18:03:18.56 ID:dPQHrqXC
人間としてどクズだったのは間違いないね
信長のおかげで将軍になれたくせに、実権が自分に無いと知ると(当たり前だ)、あの手この手で嫌がらせを繰り返し、いらん戦火を起こす…
こいつが居なければ信長の時代で天下統一は済み、太平の世はもっと早く訪れてたんじゃないか
567人間七七四年:2013/03/02(土) 13:41:54.03 ID:igC8cwRM
義昭は都落ちしてからも権威を保っていたとはいうけど、信長と関係ないところでの、例えば知行安堵できてたりとかいう実績はあるの?
568人間七七四年:2013/05/12(日) 13:33:48.42 ID:E2uagGBn
義昭が諸大名に送った手紙の内容ってどんなのか分かる方います?
内容ってのは例えば武田になら「信長倒してくれたら高い官位やるよ」みたいな
569人間七七四年:2013/05/13(月) 22:36:31.50 ID:gWtohzdi
義昭は信長を打倒して勝利宣言してるから信長よりは優秀だろ。
義昭は秀吉には敵わなかったから将軍職を辞任して配下になったけど。
570人間七七四年:2013/05/14(火) 08:03:20.52 ID:BwZQ9bdd
結局、自ら足利幕府の廃止を宣言して
関白秀吉へ大政奉還したんだからかなり粘ったよな義昭。
571人間七七四年:2013/05/15(水) 12:39:18.33 ID:iE87FkzI
義昭は歴代放浪将軍の中ではかなり優秀だったよなぁ。
島津や毛利や上杉など全国レベルで
あそこまで諸勢力を統合して包囲が築けた将軍はいなかった。
572人間七七四年:2013/05/15(水) 12:52:54.02 ID:VeF6cR1i
優秀ねえ…
包囲網つったって義昭主導で初期から参加してたとしてもほんの1,2年だし、それ以外で諸勢力を統合なんてできてないし。
天庵さんが優秀だというのと同じレベルでの優秀だな。
573人間七七四年:2013/05/15(水) 13:00:27.02 ID:iE87FkzI
>>572
在日織田厨涙眼乙w
574人間七七四年:2013/05/19(日) 12:21:50.94 ID:ApGBaV8o
実際、信玄・謙信が延命してたら信長なんて討ち死して義昭は帰京できたし
秀吉が異常な速度で光秀を討たなかったら義昭はやはり帰京できたからね。
幕府組織もまったく解体されてなかったし織田は単なる幕府の宿り木・寄生虫に過ぎなかったし。
575人間七七四年:2013/10/12(土) 04:05:10.96 ID:TGQnSNR+
>>547
徳川幕末だって直前に作り出された概念だよ
無かったら作り出せばいいんだよ
576人間七七四年:2013/10/22(火) 17:59:45.13 ID:XaNn1MJQ
ネラーは一体何なら誉めるんだ?
577人間七七四年:2013/10/27(日) 22:19:55.71 ID:j6CZW0RO
義昭自身はお飾りだったんじゃね?
つか義昭がそんな傑物だったら信長は追放で済まさずに殺してたでしょ。
今更、将軍殺しの一つや二つ気にする玉でもないし。
578      :2014/03/07(金) 04:10:32.83 ID:ql7rIRYv
>>577
あの時点では信長は義昭は殺せないよ。
将軍殺しは全国の織田家以外の大名を敵にまわすことになる。
すでに平定した地域の武士の謀反も招くだろうし。
信長って意外と「へこへこ」先輩戦国大名達にはしてるんだよね。
実際は今のイメージとは違う。

織田家が足利家と対等だと朝廷から認められた時点なら可能だったかもしらないけど
九州は基より本州の毛利や上杉や北条すら征してないないので無理。

逆に神経質で細かいことまで「コチョコチョ」気が回ったから、あそこまで成れたんだよ。
579人間七七四年:2014/03/09(日) 08:09:43.37 ID:4Gz474uR
義昭を甘くみて、息子の義尋を擁立したから大丈夫とタカを括ったアホな信長が死に、
義昭は信長に対して勝利宣言したが、
秀吉には勝てずに土下座した義昭。
580人間七七四年:2014/03/10(月) 19:21:44.29 ID:H1lAGR9o
>>577 >>578
三好三人衆や松永久秀は別に他の大名に袋だたきにはされてないと思うけどな
義輝と関係の深かった六角氏ですら三好方に付いているし

信長が殺したかったなら、幽閉→官位を上昇させた後隠居させて殺す、で十分だった
そうすれば下克上の批判(そんなものがあったのかは知らんけど)も浴びなくてすんだわけで
出来るのにしなかったのは信長が義昭をたいしたことないと思っていたが殺したくなかったかだと思う
581人間七七四年:2014/03/10(月) 19:28:18.91 ID:FY3KMnz3
信長ってイメージほど暴虐な感じはないなぁ
義昭、松永、荒木の扱いとか見るとね
むしろ家康の陰湿さのほうが嫌だわw
582人間七七四年:2014/03/10(月) 19:30:52.40 ID:aIOSqH+5
女子供関わらず数十万人虐殺した信長が暴虐じゃないとかwwww
583人間七七四年:2014/03/11(火) 01:09:13.54 ID:eXBNSm36
義昭と松永は1度目許されたって意味でわかるけど荒木はなぜ?
584人間七七四年:2014/03/11(火) 13:32:09.13 ID:rJvx4cfE
降伏の勧告に何度か使者出してるから?
585人間七七四年:2014/03/25(火) 20:16:10.45 ID:du5xLPay
>>582
数十万人は誇張もいいとこだな。
せいぜいその1/10.
当時の人口規模考えればね。
586人間七七四年:2014/03/25(火) 21:53:02.07 ID:4KVQz+My
信長が数万単位で殺してるのに
1/10なわけねーだろ。
587人間七七四年:2014/06/14(土) 05:07:58.44 ID:s/vCONsm
あげ
588人間七七四年:2014/06/16(月) 02:24:32.58 ID:ihIZy5HE
>>583
利用価値でしょうな
あと一息で本願寺をってところで水をさされたわけだし虐殺で臨んだ信長はいたって普通の反応
589人間七七四年:2014/06/20(金) 17:03:21.47 ID:2PJ7jvJN
最後らへんは檄文を出しても無視されてたのが笑える
590人間七七四年:2014/06/27(金) 19:04:56.63 ID:twgIeVwl
* しかし なにもおこらなかった
591人間七七四年:2014/07/19(土) 17:48:22.06 ID:QbaO2oMk
>>572
尊氏、義満以外はたいした人物がいない足利将軍家で
義昭が見せたしぶとさは十分評価できる
たとえば徳川将軍家でも家康、秀忠以降で馬上で軍を指揮できそうなのは
家光、吉宗ぐらいだろ
592人間七七四年:2014/07/19(土) 18:28:24.30 ID:6Dojl067
六代目の義教は優秀な部類に入ると思うけどなあ
593人間七七四年:2014/07/19(土) 19:45:08.07 ID:ckEhtjrj
>>579
アホの妄想。
敗軍の将の価値は無に帰するのに、その子に価値なんて在る筈もないという真理も常識も知らん馬鹿。

こんな馬鹿馬鹿しい理屈が通用すんのなら、
平治の乱の勝者・平清盛は、敗者・義朝の息子・頼朝を擁立してるわな。
足利尊氏も北条高時の息子・時行を擁立している筈。

歴史がこの馬鹿の妄想を、見事に否定している。
594人間七七四年:2014/07/20(日) 15:50:20.12 ID:w8DtMny2
>>583
最初は無難に収めようとしたからじゃね?
595人間七七四年:2014/08/13(水) 15:56:29.06 ID:+p1v8pZD
>>591
慶喜は禁門の変で指揮を取ってる。将軍就任まえだが 
596人間七七四年:2014/08/23(土) 09:59:06.92 ID:35Dou3dU
>>591
徳川忠長 松平忠輝
結城秀康 松平忠直父子
松平忠吉 徳川義直父子 徳川宗春

改易された傍系や御三家、会津には結構いるだろう
597人間七七四年:2014/10/03(金) 15:23:32.57 ID:GC9nOlAQ
足利義昭「幻の上洛作戦」側近書状を熊本で発見
2014年10月03日
熊本県立美術館(熊本市)は3日、室町幕府最後の将軍、足利義昭の側近が記した書状14通を
熊本市内の個人宅で発見した、と発表した。
義昭は織田信長とともに1568年(永禄11年)9月に京都に上っているが、その2年前にも
信長との上洛を図っており、武士らに協力を求める内容。同美術館は「失敗に終わった幻の上洛
作戦の経緯を具体的に示す貴重な史料」としている。

 見つかった書状は8月28日付で年は書かれていない。差出人に三淵藤英、一色藤長
の側近2人の署名があり、山城(京都府)、伊賀(三重県)の地侍や土豪とみられる者の名が宛名に記されていた。
一部の語句を除いてほぼ同じ内容だった。

 書状では、幕府再興を目指して近江(滋賀県)に亡命中の義昭が
「(義昭の)御入洛の御供として織田尾張守(信長)参陣し候」と、信長を供にして上洛する計画を説明。
「これらのとおりあいふれられ、参会の儀を あいととのえらるべく候」と、
義昭に味方することを伊賀、山城の国中に触れ回るよう求めている。日程が決まった際に
改めて連絡することも約束している。
しかし、書状にある日付の翌日の8月29日、近江の戦国大名・六角氏の離反が発覚し、義昭は近江を脱出。
上洛計画は頓挫した。以上

翌日頓挫ということは、手紙は出さなかったわけだな。この用紙の裏には医術書の文字が透けて見えるが、
医術書の書き付けに転用されてしまったのだろう。
598人間七七四年:2015/02/06(金) 15:18:49.22 ID:gjh5Cg9X
義昭は秀吉から1万石を与えられたけど死後はそのまま断絶してるよね
生母の身分が低いとはいえ子はいたのだから清華か羽林家として存続できなかったのだろうか
599人間七七四年:2015/02/24(火) 18:02:01.15 ID:qWUAUp3D
足利義尋が出家しちゃったからなぁ。後に還俗したけど、子息はみんな子なしだったということで断絶。

もし義尋系男子が残っていれば、高家で残っただろうけど。
600人間七七四年:2015/03/03(火) 09:07:35.00 ID:hN2Kfxux
なんで出家したんだろ?
1万石の条件として出家するよう言われていたのかな
601人間七七四年
>>600
出家させたのは信長で、義昭追放の時。
ただ、還俗した後、義昭の死後に1万石を継いだのかどうかは不明。