家康は本当に野戦の達人?2

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939人間七七四年:2008/08/15(金) 16:38:11 ID:NAeMIZVR
■家康は史上最低の将軍になった! Part9■
940人間七七四年:2008/08/15(金) 17:17:00 ID:o2BBcBH5
>>938
一体全体なんの話をしてるんだ?
家康を使う?
941人間七七四年:2008/08/15(金) 17:26:44 ID:NAeMIZVR
【トクガワ】いい度胸だぜ家康 part4 [
942人間七七四年:2008/08/15(金) 17:36:21 ID:OqoPBPEW
1だろ

ネタが無いなら3は立てるなよ
943人間七七四年:2008/08/15(金) 18:21:02 ID:NAeMIZVR
羽柴本家 徳川家 米沢上杉家 陸羽最上家 由利家 5
944人間七七四年:2008/08/15(金) 22:10:28 ID:qUM45mW7
家康の強さは、大将の采配というより個々の武将と兵士の士気と能力の合計だよね
人を育てるのが上手かったという話も残っているし

けど武田と戦ってる間は重臣たちが勝手なことして暴走するから苦労したんだよな……
945人間七七四年:2008/08/15(金) 22:28:34 ID:Hxqt6YMq
センゴクじゃないけど血の気の多い連中が多かったのかな
946人間七七四年:2008/08/16(土) 09:30:29 ID:PPV7eh9U
>>945
同じ愛知でも尾張と三河では気質が違うんだよな
現代でも三河のほうはガラが悪いというか、気が荒いというか…
方言やintonationもちょっとケンカ言葉っぽいんだよ
部活の試合とかで三河のほうに行く時、ちょっとコワイ
947人間七七四年:2008/08/16(土) 12:47:11 ID:nl+wL/Oj
>>944
なるほど!
徳川家康は野戦上手のはずなのに武田信玄に三方ヶ原で負けたのは“家臣達のせい”だからか…なるほど、なるほど〜
(ニヤニヤ)
948人間七七四年:2008/08/16(土) 13:34:34 ID:PPV7eh9U
単純に数の差だろ
949人間七七四年:2008/08/17(日) 01:44:05 ID:xn4D7yPl
徳川家康は戦国後期の戦基準じゃ戦上手かもしれんが、

戦国前期、中期の
織田信長、武田信玄、上杉謙信、北条氏康、毛利元就らと比べたら戦下手になる。
950人間七七四年:2008/08/17(日) 04:54:58 ID:kD8pG8aR
数の差あっても戦い方1つ、負けるにも負け方というのもある
あのあっという間の惨めな惨敗は、野戦の達人なんて恥ずかしくて言う気にもならない悲惨なものだよなw
まあそれを言えてしまうのが豚厨の知能の低さ、当然と言えば当然か
951人間七七四年:2008/08/17(日) 05:32:42 ID:87t89yip
遠州あっという間に繰り崩されたしなぁ。
織田がいなければ滅亡必至な状況に陥ってる時点で達人なんて片腹痛い。
952人間七七四年:2008/08/17(日) 07:29:41 ID:9t35UVof
>>950
煽るような書き方するな
953人間七七四年:2008/08/17(日) 09:28:32 ID:TFN109E6
若い頃から完全無欠、負け無しが達人か
(日本神話の)神様でもありえんな
954人間七七四年:2008/08/17(日) 10:31:34 ID:ReLHX7g8
大久保彦左曰く、三方ヶ原では城から出て武田の大軍と対峙した時点で目的は果たせた
渡辺守綱が、「このまま兵力を温存して浜松城に帰れば、武田の背後を脅かして味方を鼓舞できる」と進言、家康もその気になりかけた
ところが酒井忠次、大久保忠世(彦左の兄貴!)たち重臣が家康の後退命令を無視して武田軍に向かって突進、まんまと信玄の罠に嵌ってしまったという……
(三河物語)

家康の野戦の強さは優秀な指揮官と兵隊を抱えていたってこともあるんだろうけど、
重臣たちと合意ができないと物事が上手く進まないのは他の大名と変わらなかったのかな
信康切腹の原因が、信長型の独裁体制を目指した信康と、合議重視で家臣団の結束こそ必要と考えた酒井が対立したという説もある
955人間七七四年:2008/08/17(日) 13:04:16 ID:xn4D7yPl
家臣達をろくに指揮できない奴が「野戦の達人」とは片腹痛い。
戦は一人の頭の中でするもんじゃなくて団結してやるもんだろ。
956人間七七四年:2008/08/17(日) 14:27:12 ID:tIwBi0aY
太原雪斎の教育で独走的なことをするより、他人の真似をしろと家康に教育したらいい。
前半は普通の武将だったけど、本多を参謀に迎えてからは駆け引きがうまくなってる。
関が原は黒田長政の工作が大きい。大器晩成型かな。
957人間七七四年:2008/08/17(日) 19:29:31 ID:czK+GRUu
>>956
家康の家臣団掌握が完成したのは五ヶ国領有した辺りかな
他の大名は家康が政権獲るまでそれ以前の段階を終始したけど
958人間七七四年:2008/08/17(日) 19:30:31 ID:oWNl2yZv
戦上手というより根回し上手なイメージ
959人間七七四年:2008/08/17(日) 21:34:38 ID:SjqAgW5g
信長・秀吉・信玄・浅井朝倉なんかと戦い、謙信とも外交があった。
関が原の時点では伝説の武将だよな、やっぱり
960人間七七四年:2008/08/18(月) 13:01:13 ID:ZD+5vhsl
>>959
信長の家来は、所詮サラリーマン、中間管理職みたいな立場だけど、
家康は一代で成り上がった貫禄があるだろね。
961人間七七四年:2008/08/18(月) 13:46:31 ID:YUJ+gTts
成り上がりといえば秀吉だろ
962人間七七四年:2008/08/18(月) 13:56:26 ID:uO4hyxj8
>>959
同意です。関が原合戦の時点だと経験値は豊富だったから
戦術とか天才性とかとは「別の凄み」があったんじゃないかと。
ベトナム戦争以降とかの有名戦争で
負けor引き分けたことが多かったとしても
大体の有名戦争に参加して
それなりの戦果を出している現役老人将校を見れば
現代の30歳前後の軍人が嫌でも一目置く感覚なんじゃないかなぁ?
大坂の陣の時なんてそうだと思う。
963タッキ:2008/08/19(火) 16:07:45 ID:6r2jlXd9
信長と戦った、と言うとちょっと違和感あるけど、言わんとしてることはわかるな。
織徳同盟の頃からなんらかのそういう、すごみ、一目置く、ってのがあったとまで
感じるわ。
964人間七七四年:2008/08/19(火) 17:57:39 ID:Kk23gfav
いや、普通に戦ってるじゃん
965人間七七四年:2008/08/19(火) 18:42:49 ID:6XW+0XXh
桶狭間のこと?
兵糧入れたりはしたけど、戦ったというのはね。
ちなみに十代の頃だし、たいしたもんだったとは思う。
966人間七七四年:2008/08/19(火) 19:38:19 ID:KLuSl2Ir
>なんらかのそういう、すごみ、一目置く、ってのがあったとまで感じるわ。
具体的に持ち上げる要素が無いから雰囲気で持ち上げるわけですね。



正直キモい
本人に会ったことあるんかと
967人間七七四年:2008/08/19(火) 20:32:46 ID:VrReevNi
>>966
織徳同盟は最後まで破棄されることが無かった。
これは戦国としては珍しいほう。
しかも結んだ時、どちらも20代の若者同士。

あの秀吉も、懐柔するまで親を人質に出すなど、四苦八苦。
最後は手を握って「頼候」。

具体的にありすぎて書ききれないぐらいなんだよ。
968人間七七四年:2008/08/19(火) 20:33:55 ID:KLuSl2Ir
利害関係が一致しただけじゃん
969人間七七四年:2008/08/19(火) 21:10:21 ID:VrReevNi
戦国の世は利害が一致しただけで渡っていけるほど簡単ではなかったでしょう。
大体、相手がどう思ってるかなんて確実なことはわからないし、下手に信じて
攻撃されたらおしまい。
970人間七七四年:2008/08/19(火) 21:21:00 ID:KLuSl2Ir
たしかに織田が一番やヴぁい時に徳川が寝返ってたら織田家は詰んでたけどな。

お互いに攻撃したら防壁がなくなっちゃうって状況で利害関係が一致して対等な同盟関係だったけど
武田にフルボッコにされてるうちに織田が地道に勢力伸ばして対等な関係から従属的な関係になってんじゃん
971人間七七四年:2008/08/19(火) 21:23:12 ID:KLuSl2Ir
というかなんで清洲同盟の話になってんの?

>>963のコテが凄みを感じるとかヌケた事言い出したから突っ込んだだけなのに
972人間七七四年:2008/08/20(水) 10:28:17 ID:j3VvnwfR
ところで、信長と家康が戦った、というのが今の通説なのか。
973人間七七四年:2008/08/20(水) 13:48:40 ID:/P/+Pspg
家康厨は
池田勝入を討ち取る=秀吉より上か同等

佐久間大学を討ち取る=信長より上か同等

とか言っちゃう痛い子達です
974人間七七四年:2008/08/20(水) 16:09:36 ID:lN/5ytWV
>>972
軍事衝突までは起こってないけど、
家康は水野領で苅田程度の嫌がらせはやってるみたいだな。
それを戦ったとか言うのはちゃんちゃらおかしいけどね。

たぶん決定的な事態は避けつつ、
双方に働きかけてみることでで双方を秤にかけていたんじゃね?
でリトマス試験紙は織田色に染まったと。
975人間七七四年:2008/08/21(木) 10:51:34 ID:DgJL4Ust
桶狭間以降、家康は織田領内で軽く軍事行動してる。
義元の仇打ちという建前や、織田と同盟するにしても自分の存在感を引き立てさせてる。

家康は苦労人だから、本音と建前や演出など若い頃からしたたか。
976人間七七四年:2008/08/21(木) 16:25:47 ID:vazDu/l9
なるほど。
軍事行動というか、単に乱戦の中で自分の身を守った、という
ぐらいに思ってたですけどね。

1560〜1562のあたりって、信長も家康も結構重要な時期で
決断もすごいその後に影響を与えたような。
本人たちはそういうのをどのくらい自覚してたでしょうね。
そういう意味で、一目置く、とかいう話は、その頃から
ある程度はお互いを認め合ってたのかな、とそんな
感じもする。
977人間七七四年:2008/08/21(木) 22:18:28 ID:DgJL4Ust
>>976
信長は、家康は思慮、分別があり自分についてこれるだろうと期待して同盟した
978人間七七四年:2008/08/21(木) 22:35:23 ID:Z+XjAer6
とすると、その時の信長の人を見る目は、明治維新までの歴史を象る根本と
なったわけだ。
どっちもすごいのぉ。
979人間七七四年:2008/08/21(木) 22:59:00 ID:bhbXIBB1
>>978
…意味不…
980人間七七四年:2008/08/21(木) 23:38:26 ID:Z+XjAer6
>>979
そう?
信長が、家康みたいな子供やっつけたたら、日本はどうなってたか。
977が言うような判断が結局1860まで影響を及ぼしてるのだよ。

変の当日に信長と家康は飲み会予定だったぐらい信頼しあってたわけだしね。
・・光秀めぃ・・
981人間七七四年:2008/08/21(木) 23:57:17 ID:T/gU9I9E
いや、やっつけるとかどうとか余裕なかっただけなんだが、まだ夏かな
982人間七七四年:2008/08/22(金) 01:22:57 ID:ty0WMJiJ
>>981
うん、この夏は太平洋戦争以来の暑さの夏。
君たちのお父さんの生まれる前から、桶狭間や関が原歩いて
よくわかってるよ。
もちろん、小牧や長久手もあんまり変わらない。
岐阜城なんて、この暑さの中、歩いて登ってごらん。

歴史とは暗記科目じゃなくて、人の営み、ということがよくわかるから。
まだ遅くはないよ。
武将の名前暗記したり、兵数覚えたり、そんなのは関係ないからね。

信長や家康語るなら、まずは夏に名古屋おいで。
夏だぞ、夏。
983人間七七四年:2008/08/22(金) 16:54:43 ID:XVfgkmUJ
信長も美濃相手にきつい戦争やってるところだからなあ。
桶狭間についてはいろんな考え方が出来るが、
義龍がポックリいったのは間違いなくラッキー。
984人間七七四年:2008/08/22(金) 17:32:54 ID:ty0WMJiJ
信長は信玄の急死もだけど、そういう強運はあるよね。
美濃攻略の翌年に上洛できたのも、京は京での政変が偶然おきてたわけだし。
秀吉もだが、そういう強運を最大限に活用するというのがすごいんだろうけど。

家康だと、晩年関が原の後に、自分より年下の豊臣方の武将が次々に死んでるでしょう。
これは、暗殺、なんてのもあるけど、どうなんだろうね。
そういや利家も絶好のタイミングで死んでるなぁ。
985人間七七四年:2008/08/22(金) 20:00:51 ID:FSsyh2+r
浅野幸長は加藤清正と同じく徳川家康の天下を認めながらも、終生にわたって豊臣氏に忠誠を誓い続けた。
そのため、清正同様に家康一派によって暗殺されたのではないかという説もある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E9%87%8E%E5%B9%B8%E9%95%B7
986人間七七四年:2008/08/22(金) 20:08:28 ID:ty0WMJiJ
いや〜、最近のウィキはXファイル化してるなー。
ちょっと前に、暗殺、なんて言ったら「都合の良い時に死んだら全部暗殺ですか、妄想は
やめろ」とかすごかったんだが。

そういや、桶狭間もそういうのあったな。
あれも、新手の兵を疲弊した兵と間違えたのだったか、ラッキ以外の何者でもないな。
987人間七七四年:2008/08/22(金) 20:24:00 ID:ua/LGEUv
加藤とか浅野、秀康は名護屋・朝鮮ときに梅毒もらったんだろうな
忍者より遊女の方が万倍怖い
988人間七七四年
大奥システムの理由のひとつに、性病予防がある、という説があって
感心したことがあったな。