1 :
肥前の熊:
都から遠く、発達が遅れていたため、我が九州の大名は天下統一が
不可能であったと人はいう。だが本当にそうだったのか?おいどん
や隣国の大友どん、さらには島津どんと九州には剛勇無双の英傑数多
あり、しかも古来より大陸の進んだ文化は必ず我が九州に最初に上陸
する。軍、政、文化いずれにおいても九州は中央に劣っておらんと思
うのだが…とにかく我が九州の大名の天下統一の可能性を吟味せよ。
うが
2 :
人間七七四年:2007/03/21(水) 23:56:11 ID:A9Es7xdy
九州
3 :
人間七七四年:2007/03/21(水) 23:57:09 ID:rML3u9je
ない
4 :
人間七七四年:2007/03/21(水) 23:57:15 ID:aIEdUXjK
相良だろ、やっぱ
5 :
人間七七四年:2007/03/22(木) 00:00:38 ID:EUo4CZFU
むしろ、京を目指さず
朝鮮征服の為に海を渡る・・という手もある
6 :
人間七七四年:2007/03/22(木) 00:06:26 ID:Mjwx6ejv
やっぱなんとかして毛利を滅ぼす方法なかったのかな?謀略使って毛利
家中に内紛おこすとか。輝元は雑魚だし、毛利の両川っていったって決して
一枚岩であったわけでもないし。
7 :
人間七七四年:2007/03/22(木) 00:12:33 ID:wKRcvORS
8 :
人間七七四年:2007/03/22(木) 00:32:52 ID:iA2YIq9T
相良伊東有馬ぐらいかな
9 :
ザビエル(゜ゝ゜)⊃†:2007/03/22(木) 01:01:29 ID:8ObnkYFZ
鉄砲をもっと生産して宗教をキリスト教に統一すれば勝てた。
10 :
人間七七四年:2007/03/22(木) 01:02:44 ID:1vK2QxX+
やっっぱ関東だよな
11 :
人間七七四年:2007/03/22(木) 01:52:34 ID:odL1WquK
なんで満州?
12 :
人間七七四年:2007/03/22(木) 02:10:51 ID:GEfJPI/c
島津が10年早く九州制覇してれば、毛利も併呑して、豊臣にも勝てると思う。背後の心配もないし。
13 :
人間七七四年:2007/03/22(木) 02:20:18 ID:2/Me6Hyu
伝説とはいえ神武天皇や、都落ちしたものの九州を地盤に巻き返した
足利尊氏の例もあることだし、九州を早くに統一できれば天下統一も
不可能ではないな。
でも、現実では島津も長宗我も信長の畿内統一からかなり遅れての
九州制覇、四国統一だったわけだし、地方は畿内に比べて統一が遅れる
なんらかの要因があるってことなんでしょう。
14 :
人間七七四年:2007/03/22(木) 02:25:53 ID:tADIrpzN
薩摩が江戸幕府倒して明治政府作った件について
15 :
人間七七四年:2007/03/22(木) 04:21:42 ID:PYyElzHT
薩摩一国の手柄じゃないだろ
16 :
人間七七四年:2007/03/22(木) 07:01:36 ID:tADIrpzN
そんなこと言ったら秀吉の統一だって秀吉だけの手柄じゃないだろ。
薩摩がやらなきゃ江戸幕府は倒れなかった。
だから薩摩が倒したと言っても言い過ぎではない。
17 :
人間七七四年:2007/03/22(木) 15:55:02 ID:eE/BR67y
ダサツマ人の妄想は激しいなww
18 :
人間七七四年:2007/03/22(木) 16:14:39 ID:RIB6YD1X
なんか、サツマスレになりそうだな。となると、アヅマも湧いて出てくるか?
19 :
人間七七四年:2007/03/22(木) 18:23:18 ID:6bQhWlYI
実際に九州の三強の中で、島津が大友・龍造寺の二強を破っているから、島津が戦国九州の覇者になるよね。
ただ、奥州もそうだけど、畿内周辺に比べて興亡の展開が遅いんだよね。
20 :
人間七七四年:2007/03/22(木) 18:31:05 ID:wLojwa3N
九州を中心にして海洋国家を築けば日の本以上の存在になれるお。
でも、西欧列強に併呑される可能性もあるお
21 :
人間七七四年:2007/03/22(木) 18:46:50 ID:Cym9TIv2
>>20 具体的には、鉄砲国産化前にスペイン軍を引き込めば全国制覇可能。ただしその後みんな奴隷にされる。
大友宗隣などは、実際その気有ったので地元の人気がイマイチ。
22 :
人間七七四年:2007/03/22(木) 23:06:40 ID:H+7RIeYx
九州を統一できたら、その兵力で四国を攻め支配する。
九州、四国の兵力で中国の毛利を攻め支配する。
中国、四国、九州を支配する大大大名になれれば天下統一は決まったも同然。
後はちょちょっと京を攻めて将軍追放して実質天下人になる。
後は史実みたいに武田や北条を攻め滅ぼして全国統一。
つまりとっとと九州を統一できる大名がいれば九州からでも天下統一はできたと思う。
23 :
人間七七四年:2007/03/22(木) 23:32:15 ID:zG/ZiKvK
>>21 無理。
イスパニアが植民地化出来た国の文明と当時の日本を比べてみろ。
新大陸とか青銅器までしか使えないところばかり。
大体、西欧から日本までどれだけの兵を派遣出来ると思うんだ?
24 :
人間七七四年:2007/03/22(木) 23:49:44 ID:Mjwx6ejv
やっぱ関ヶ原が長期戦になったと仮定して、黒田如水がすばやく九州を平定して
中央進出。
25 :
人間七七四年:2007/03/23(金) 00:06:18 ID:j57P4PrA
中央から離れすぎている
九州から統一なんてムリ
26 :
人間七七四年:2007/03/23(金) 02:17:18 ID:WxOrg0fP
九州統一して朝鮮攻めようぜ
27 :
人間七七四年:2007/03/23(金) 02:33:07 ID:UBnlSPOc
まだルソン、台湾の方が現実的だわな
28 :
人間七七四年:2007/03/23(金) 05:16:40 ID:q2rc69LB
>>24前から疑問に思ってたんだが如水が関ヶ原の隙を突いて九州統一する準備してたんだよな。
関ヶ原長期化する仮想で実行したとしてもそう簡単に九州統一できるプランは如水にあったのかな?
29 :
人間七七四年:2007/03/23(金) 06:03:16 ID:pndMpoA3
>>28 史実でも如水が豊後で大友に戦勝した後に鍋島、加藤が動いて北九州を席巻、
あとは島津を叩くだけという状態になった。戦力を考えれば、ある程度消耗は
するだろうけど島津を屈服させることも可能。
もし関ヶ原が長引いていたのなら、島津を屈服させたら毛利攻略に走り、
後は西軍諸将を各個撃破。
ただ、問題はvs西軍という名目を失った場合。九州の東軍諸将は如水のことは
盟主ともなんとも思っていないわけで。
30 :
人間七七四年:2007/03/23(金) 12:46:46 ID:nsPty57L
>>29 関ヶ原が長引くと、各大名は領地に帰り自立する。そこで新しい同盟関係をつくる。豊前の小大名が天下を取るのはそのくらいしか可能性がない。
31 :
人間七七四年:2007/03/24(土) 03:09:48 ID:vSextOoV
神武東征、明治維新と2回も日本を統一したんだから
もういいじゃん
32 :
人間七七四年:2007/03/25(日) 20:08:26 ID:lWJEGRDq
やっぱ、ぶっちゃけ島津じゃいくら兵が強くても無理。全盛期の大友宗麟が宗教
なんぞにかぶれず毛利と関門海峡あたりで一代決戦をやり、滅ばせないまでも壊滅
的打撃を与え、その後は島津が北上してくる前に船でもって上洛するしかない。
33 :
人間七七四年:2007/03/25(日) 21:08:44 ID:kVslh72Q
>>32 逆だろ。九州に野心のない毛利と和睦、立花道雪を総大将にして佐賀城を落とし島津を攻める。これしかない。
34 :
人間七七四年:2007/03/25(日) 23:12:27 ID:JhoFMH5p
関ヶ原が長引かないから
黒田が九州席巻できたんだろ
東軍の威をかりて、開城させたんだろ
長引くと兵が疲弊するだけ
徳川がこけても黒田が天下取り有力ではない
35 :
人間七七四年:2007/03/26(月) 01:54:07 ID:u72uPqvR
長引いたら如水率いる(鍋島・加藤は率いられているとは思ってもいないけど)
九州東軍が分裂するだけだからなぁ。
36 :
人間七七四年:2007/03/27(火) 22:52:05 ID:OYyw64v4
むしろかぎは四国だな。いくら長宗我部が強くても、大友、島津あたりだと滅ぼす
のは意外と簡単かも。
37 :
人間七七四年:2007/04/01(日) 21:30:59 ID:rufhdMd2
>>36 かぎは四国って、島津が北部九州に来たとき既に秀吉の天下だし、水軍の弱い大友じゃ補給が続かないから無理。
38 :
人間七七四年:2007/04/03(火) 01:58:52 ID:DS1QD94t
大友の水軍は、数はそれなりにいたけど統一的に
運用できなかったのが、弱点だったみたいだね。
国東水軍(岐部・富来)は田原氏の影響大。
海部水軍(若林・臼杵)大友氏の統制が利く。
佐伯水軍(佐伯・薬師寺)佐伯氏の影響大。
ちなみに国東の水軍は、室町中期に朝鮮に貿易のために
船を出している。佐伯水軍(佐伯・薬師寺)は、藤原純友
の乱に加担していたし、一条氏を助けるために伊予に出兵
している。
39 :
人間七七四年:2007/04/16(月) 01:51:27 ID:UXPdJo9C
菊池と相良しかないな
40 :
人間七七四年:2007/04/16(月) 01:57:03 ID:mBAwtDE7
九州統一に動き出すまでが遅い
島津は強かったけど、秀吉が中央を制した後じゃな
41 :
人間七七四年:2007/04/16(月) 02:08:17 ID:3yLygs8a
戦国時代だと九州より四国の方が天下に近そうだね
42 :
人間七七四年:2007/04/16(月) 03:19:56 ID:gss0qnxk
大友氏が耳川の合戦で島津氏に大敗したのが痛かったな。
43 :
人間七七四年:2007/04/16(月) 06:49:40 ID:giXRGx4a
地方はやっぱり動きが波及するのが鈍いのかな?
今も経済や文化の波及は若干遅れて入ってくるし。
よく地方は保守的って言われるけど、単純にちょっと遅れて流行してるからってのも多いだろうな。
それが石橋を叩いて渡る行為に見えるんだろうけど。
44 :
人間七七四年:2007/04/17(火) 05:02:10 ID:BMhUR4E2
豊後の大友宗麟って大名は家柄は高いし、率いる兵は強兵、部下は有能な人材
が揃い、南蛮の先進的な文化はどんどん入ってくる。それに家督を継承したとき
はすでにそこそこの領土の主だった。おそらく全国的にみてもこれほど恵まれ
た条件にあった人物はいないとおもうんだが、それでいて結局息子の代で家が
滅びてしまったのは、決して凡庸とはいえないが、時々暗弱な君主に化ける資質
故かな?
45 :
人間七七四年:2007/04/17(火) 10:16:13 ID:pZc6zgq9
本能寺の変あたりが、タイムリミットじゃないかな?
それまでに島津が九州統一していたら、秀吉は、信長の後継者争いで、身動きが取れない。
毛利は、秀吉との戦いで、滅亡寸前まで疲弊している。
九州、四国、中国を抑えたら、十分、秀吉に対抗出来るはず。
46 :
人間七七四年:2007/04/17(火) 11:26:08 ID:gT/8n/t8
>>44 九州の今川家みたいな感じだな。
親の代から大きな領地を受け継いだ大名は滅亡しているような気がする。
案外、恵まれた環境と言えないのかも知れない。
47 :
人間七七四年:2007/04/17(火) 18:24:03 ID:Da7FRYk3
大友は本来毛利に近い、有力豪族の連邦政権形に近かったからじゃないか。
宗麟が比較的中央集権を進めた反面、島津や龍造寺に負けると一気に不満が爆発して、瓦解の方向に進んだんじゃないか?
48 :
人間七七四年:2007/04/17(火) 19:51:55 ID:tJ0B14tM
九州の大名は軒並みそんな感じだな。
島津なんて中央集権化されるのは大坂の役の後になってからのはず。
49 :
人間七七四年:2007/04/18(水) 02:13:19 ID:d/0ezrBZ
実際、大内の武断派と文治派の対立も、文治派の相良武任が
大内本家の大名権力を強める政策が、反発を食らったというのが
真相みたいだしな。
大友家の加判衆制度も、決して遅れた制度じゃあないが、その
選任をめぐって大きな軋轢が生じたんだよ。
加判衆を同紋衆と他姓衆から同数づつ選べという、義鑑の遺言は、
実は義鎮の偽造だと言う説がある。父親の遺言を大義名分にして、
自由に加判衆を選任しようとしたのではないかと考えられる。
信長のように中央集権的なトップダウン型の組織には、変えたくても
変えられなかったと言うことだな。
50 :
人間七七四年:2007/04/28(土) 09:02:21 ID:YhUZI/hF
種子島に鉄砲が伝来して最初に九州で大量生産してれば、状況がかわったかも。
51 :
人間七七四年:2007/04/30(月) 17:23:17 ID:Pe1s+eo4
うん? よくわからんのだがこの当時の九州は時代の最先端だろ。
外交、通商、産業、軍事、文化、どれをとっても日本の最高レベルだったろ。
たとえば今もって小田原の後北条氏の城から瓦が一枚も出土されていないらしいが、
これって上方の人間が見てビックリ呆れ果てている。
その上方もこの当時は九州からはいってくる文物に席捲されている。
別に上方や関東を征しなくてもすでに持ってる今のレベルで最高峰を極めている。
52 :
人間七七四年:2007/04/30(月) 22:02:29 ID:tT0r4hMm
そもそも、この時代の戦国大名は中央集権とはかぎらんだろ。
甲斐の武田や東北地方の南部や伊達だって家臣団は自由だったし。九州だけじゃないよ。
53 :
人間七七四年:2007/04/30(月) 22:05:47 ID:tT0r4hMm
九州の諸大名はなんだか南北朝のときからの旧勢力が多かったのが、だらだらした時代の始まりなんだよな。
あと一〜二年早く島津が九州取ってたら織田も危なかったよな
54 :
人間七七四年:2007/05/01(火) 01:59:03 ID:LNu7pj6P
>>52 だから、どれも天下獲れてないじゃん。
大国までは行っても、集権出来なかった国はイマイチ天下を望める気がしないんだよな。
55 :
人間七七四年:2007/05/01(火) 03:26:56 ID:UrqxPsa+
九州を統一してしまえば国力は大したもんなので、秀吉の平定が史実より3年も遅れて、
島津が兵力を再編完了してたら簡単には負けなかっただろうな。
だた、島津では博多を略奪とかしてしまいそうだがw
56 :
人間七七四年:2007/05/01(火) 09:01:39 ID:rrzV/n6g
大友が大内のように少弐ではなく被官の龍造寺と結べば西は安泰だったろうに
57 :
人間七七四年:2007/05/03(木) 06:36:51 ID:y8CUWDxs
>>1 可能性を吟味せよ、って九州の大名が天下の争いに関わった例は
皆無じゃん・・・
室町末期に、中国地方と九州の一部を所有する大内氏が京に登って
幕府の政治に影響を及ぼしたことはあるけど、あくまで本拠は山口。
その後も、四国からは三好氏が出たし、武田・上杉・今川などの
東海・東日本の大名が京を目指した(と言われた)ことはあったけど、
九州にそんな大名は出なかった。
もし、明智光秀が謀反を起こさなければ、織田信長によって九州は
滅ぼされ、秀吉と違って外様を優遇しない信長は、大友・島津などを
根絶やしにしただろう。
もし、本能寺の変後、畿内以東が織田家遺臣の争いが続き、島津が
九州統一に成功したとしても、中国地方や四国への渡海作戦は
兵站の難しさから成功せず、反って大友や竜造寺の遺臣による
叛乱や相良などの離反に苦しんだであろう。
結局、九州は戦国時代以前からそうであったように、中央政府によって
討伐されるだけの存在であり、九州の大名が天下をとる「IF」は
ありえない。
九州から都に攻め上って成功した唯一の事例は足利尊氏だけであり、
その尊氏も九州の権力者ではなく、都落ちして九州に来ただけ。
そして、中国・四国地方に尊氏を手助けする勢力が沢山あった。
九州の勢力が単独で本州・四国に攻め込んで占領に成功した例は
ない。
そういう意味では、管領細川氏を支え、三好氏の下克上の基盤と
なった四国 >>>>>>>>>>> 九州
58 :
人間七七四年:2007/05/03(木) 06:43:46 ID:ltHNDc93
四国なんて全部まとめて紀伊とか播磨ぐらいの経済力しかないのにw
てか
>中国・四国地方に尊氏を手助けする勢力が沢山あった。
と尊氏を例外扱いしといて、畿内上陸を苦にしない三好を出してくるのは矛盾だろ
59 :
人間七七四年:2007/05/03(木) 07:07:34 ID:kedSaeor
し、四国って・・・
60 :
人間七七四年:2007/05/03(木) 07:08:33 ID:y8CUWDxs
>>58 おいおい、まさか、三好氏が四国から上陸作戦を行って
畿内に攻め込んだとか、とんでもない勘違いしてないか?
三好氏は単独進出ではなく、管領細川氏の家臣として
畿内に上陸し、その根拠となる城や領地をもらっている。
その後、都落ち/再上陸を何度か繰り返して入るが、
根拠地や味方を畿内に確保済みの状態だ。
「攻め上った」のは足利尊氏だけで、尊氏もまた上陸先に
味方や同盟者、家臣たちが点在し、尊氏の帰還を助けた。
だが、九州の大名がそういう手がかりがないので本土や
四国に渡海作戦することは不可能。
61 :
人間七七四年:2007/05/03(木) 23:50:20 ID:vzXLZvs4
島津68%、大友11%、竜造寺8%、伊東4%、有馬3%
少弐2%、菊池1%、宗1%、宗像1%、松浦1%、
大友には高橋、立花、よくわからん・・・
可能性なら0.1くらい掛けてくれよ。
63 :
人間七七四年:2007/05/04(金) 00:11:20 ID:esjUZ3PK
秀吉の死後、清正が秀頼を取り込んで(ry
ってのは駄目?
64 :
人間七七四年:2007/05/04(金) 00:44:42 ID:H0DgXoL8
種子島時堯が鉄砲の製造法を惜しげもなく他国に伝授していなくて、正室を受け入れた島津だけに教えていたら、…きっと島津が統一してたように思う。
その島津は誰よ。
66 :
人間七七四年:2007/05/04(金) 02:46:57 ID:1op0pLMr
渡海作戦云々は近現代的な話になっちゃうからアレじゃない?
戦国時代は国人層をうまく取り込めれば、その辺はどうにかなるわけで。
とはいえ、中国地方で毛利が蓋になっているのが非常に辛い。
本能寺の変のかなり前に九州を統一し、信長と一緒になって毛利を攻めるような
状態にならないとダメ。となると、時期的には大友以外考えられないかな。
67 :
人間七七四年:2007/05/05(土) 09:18:50 ID:PqAAxvnC
>>66 ノルマンディーみたいに島津兵が次々に軍船から小船で漕ぎ出して
鉄砲射撃しながら赤間関あたりに上陸するのを想像したんだが、
それはそれで萌える
68 :
人間七七四年:2007/05/06(日) 02:42:20 ID:NcvJflGV
>>64>>65 島津義久の後妻では?
でもその頃には、製造法はあちこちに伝播していたんだよなあ。
69 :
人間七七四年:2007/05/07(月) 10:21:53 ID:cftRNofZ
>>57 可能性を吟味しろ言われて、前例と後付妄想並べ立てる
>>57は国宝級のアフォ!
70 :
人間七七四年:2007/05/07(月) 11:54:56 ID:OD+wTfWz
他人をアフォ呼ばわりする以上、
>>69氏には我々を唸らせる高い知識があるのだろう。
ご開陳願おうジャマイカ。
71 :
人間七七四年:2007/05/12(土) 10:40:55 ID:tt6V7cQt
九州人は自分達の事バカにされるとすぐ烈火のごとく怒るからな
72 :
人間七七四年:2007/05/15(火) 08:17:23 ID:zrjfPR2g
チョンみたいだよなw
73 :
人間七七四年:2007/05/15(火) 21:20:01 ID:piOowDF3
島津がもっと早くに九州を統一した上で臣従したら
所領を多く確保出来たんじゃない?
で秀吉死ぬまでじっと我慢の子
或いは名護屋城を強襲して軒並みアボーンとか
74 :
人間七七四年:2007/06/26(火) 22:06:50 ID:yFMrQBud
75 :
人間七七四年:2007/06/26(火) 22:51:07 ID:yPHrxo38
誰か肥前の熊の天下統一のシナリオを考えてくれ。
76 :
人間七七四年:2007/06/26(火) 22:59:23 ID:arcJ8oQx
|┃三 ∩___∩
|┃ | ノ ヽ
|┃ ≡ / ● ● | <誰か俺のプリン食った?
____.|ミ\___| ( _●_) ミ
|┃=___ |∪| \
|┃ ≡ ) ヽノ 人 \ ガラッ
77 :
人間七七四年:2007/06/26(火) 23:01:46 ID:dBbv6c31
家康の養子になる。
78 :
人間七七四年:2007/06/27(水) 02:09:02 ID:KpaE62k4
1546 家兼と共に熊挙兵、肥前に舞い戻る
1547 少弐を肥前から追放
1548 龍造寺の家督を継ぐ、大内と誼を結び毛利とも通じておく
1549〜1550 肥前の旧少弐家臣を完全鎮圧、千葉氏を圧迫する
1551 陶謀反、直ちに兵を挙げて陶軍の筑前侵攻を阻止し筑前諸勢力と親交を深める
1552 大友と挟撃して旧大内(陶)勢力を九州から駆逐、大友は余勢を駆って長門まで侵攻
1553〜1554毛利に攻め込まれ陶が滅びる。熊上洛し旧少弐領を切り取る大義名分を得る。
1554末 大宰府に鍋島をおき筑前の大宰府以西を実効支配
1555〜1556 大友が千葉氏を支援し攻勢に出るが千葉氏降伏
1557 大友が有馬、大村を支援し肥前に侵攻しようとするが毛利が長門に攻め入り大友撤退。有馬大村連合軍を大いに破る
1558〜1559 長崎方面に侵攻、有馬、大村を滅ぼし松浦党を傘下に。肥前統一
1560 大友が長門を放棄、蒲池が大友を離反し龍造寺につく。毛利が北九州に上陸
1561 秋月が龍造寺につき大友が大軍で筑後に迫る、熊も大宰府から出陣し筑後川流域で決戦。龍造寺の勝利
1562〜1564 筑前筑後の大友方豪族を服属させる。豊前では毛利が大友方を圧迫
79 :
宇喜多直家信者:2007/06/27(水) 02:17:23 ID:ahAIHwAo
沖田畷の戦いで勝っておれば、九州統一も可能だったと考える。
80 :
人間七七四年:2007/06/29(金) 19:27:14 ID:AVHwZI+a
宗麟がキリスト教にハマらなきゃ良いとこまで行ったかもしれないけど、
好色・自己中が治らない限り家臣団は少しずつ崩れていって、結局九州統一すら無理だったかも。
有力な家臣が何人もいて海外から輸入した当時最新の武器も持ってたのに、あの性格は本当に惜しい。
81 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 09:22:14 ID:AALgU6Gw
つぅか宗麟の場合、どうしても「イサベル」の存在がネックだったな。あれは
イサベルというよりは狂女王ファナだな。
82 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 08:01:41 ID:ThdL/sQk
奈多の奥さんの所為で鬱になったんじゃね
83 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 10:12:17 ID:CMyqF69I
そもそも九州の大名は天下統一狙ってたの?
84 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 13:19:07 ID:ThdL/sQk
九州内のgdgd収めるのに手一杯
85 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 13:45:00 ID:WP2fPcXp
九州は国境がしっかりしてるから
統一後は境界めぐってイザコザはないだろ
86 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 18:54:41 ID:mBx8F/XI
九州に限らず大名の大半は天下統一なんて目指してないだろ。
自分の領地守るので手一杯。
与力の有る大名はついでに領土広げて、中には天下統一目指してる大名と戦うハメになる奴も。
87 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 20:50:45 ID:CL/wd3gU
じゃあ
九州の大名が最初から天下統一を目指してた場合
早い段階で勢いづいて領土広げていった場合
を仮定すれば良いかしら。
88 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 21:01:00 ID:vAD8YWZE
松浦党を押さえきれれば夢の海外進出も
89 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 21:03:09 ID:wqlcWrGE
九州の兵の装備は中央と比べるとどうだったのだろう?
鉄砲普及率は高いから、中央と比べても遜色ないのかな?
90 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 21:17:03 ID:hkz/97tl
九州って南北朝の時も三国志してるよな
91 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 21:28:11 ID:wqlcWrGE
>>90 地形が三角形に近いから三国志になりやすいのかな?
92 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 21:31:07 ID:+axa/aus
毛利がねえ
室町と南北朝前から混乱してる♪
元寇過ぎた頃からちょっとオカシクなった〜♪
94 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 21:50:27 ID:hkz/97tl
あとこういうのも聞いたことがある
九州の地形は割合平地が多いので軍隊が駆けめぐりやすい
故に日本アルプスがある中部や奥羽山脈がある東北に比べて軍事行動がしやすいので
戦争がしやすく、また派手な戦争になりやすい
95 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 21:57:13 ID:WReQjvzn
ぶっちゃけていえば、天皇か将軍を博多にお迎えすれば情勢は全然違っていた。
九州が田舎とか言ってる奴は関東や奥州の現実を見たほうがよろしい
97 :
人間七七四年:2007/07/07(土) 23:56:47 ID:yWMLpe5f
関東にいるのはせいぜい公方までだが九州には国王がいるからな。
98 :
人間七七四年:2007/07/09(月) 04:52:37 ID:gpPkw5rN
東北にはせいぜい後に後村上天皇になられた義良親王がいぐらいだしな
99 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 18:11:50 ID:V4VxA/Hg
豊後国王は地元でもあまり評判は良くないが、イエスズ会では名君とされてたらしいな。
よそ者から見れば名君だったのか、布教に積極的だったからなのか、
イエスズ会にとって都合の良い大名だったからか…。
100 :
人間七七四年:2007/07/16(月) 18:43:21 ID:J8YeXhRe
黒田如水なら場合によっては可能だった
101 :
人間七七四年:2007/07/17(火) 09:36:22 ID:sLZBSMg4
兵農分離出来ない大名家はまず無理だな。
三好ですらろくに兵農分離出来なかったし。
102 :
人間七七四年:2007/07/17(火) 13:23:04 ID:U30EKTjM
聖書に書いてあることマトモに信じてアーメンアーメン言ってる馬鹿どもじゃ無理だろ
103 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 03:18:31 ID:U/AzcsPx
104 :
人間七七四年:2007/09/22(土) 19:16:33 ID:WXuPiAtT
>>61 立花・高橋は完全に大友の従属大名。
>>89 かなり高かった。
毛利と戦っている時点で、12000の増援に1200挺装備していた。
大友氏が将軍家に鉄砲を献上したのは有名だが、それ以外にも
そのノウハウを流失させている。
伊予の河野、土佐の一条も大友つながりで割と早くから、鉄砲
使用の形跡がある。
>>99 必ずしも信仰に熱心とは言いがたかった。
府内から臼杵に移った10年間は、宣教師は府内に残され
たままだったので宣教師の布教活動も停滞たしていた。
地元の評判という面では、江戸時代のキリスト教禁令の
影響から必要以上に悪く言われていたという事情もある。
105 :
人間七七四年:2007/10/10(水) 16:24:04 ID:oGz26LwK
あげ
106 :
人間七七四年:2007/10/10(水) 23:22:03 ID:sOHuBsq0
討幕も長州藩(=山口)のおかげだもんな。
四境戦争で長州藩の討幕派が幕府軍を撃破したおかげだし。
しかもこの戦争で一番ひどい負け方したのが九州勢な訳で・・・
長州藩(の極一部)の戦力に渡海上陸され、前線をあっさり突破され戦線崩壊という大失態。
九州マジしょぼい。
107 :
人間七七四年:2007/10/10(水) 23:59:49 ID:kRpNMU2f
幕末の話をここでされても
108 :
人間七七四年:2007/10/12(金) 18:46:41 ID:MwmmGoo0
でも家康が全力で島津を潰していたら、その後の日本史はどうなったんだろう?
109 :
人間七七四年:2007/10/12(金) 19:48:19 ID:dl3xbo6b
薩摩でまともな治世が行われるようになるのは確か。
110 :
人間七七四年:2007/11/01(木) 22:05:17 ID:9KHEv48a
>>108 誰に治めさせるのかという大問題がありますが?
111 :
人間七七四年:2007/11/01(木) 22:09:41 ID:ZCUjzXuk
筑前を徳川血縁が治めて黒田が薩摩大隅に行けば解決じゃね?
112 :
人間七七四年:2007/11/11(日) 18:21:39 ID:n4N73ZF/
細川の領土が拡大するだけ。
113 :
人間七七四年:2007/12/25(火) 21:40:16 ID:YsY4A+AR
戦国期の九州勢が天下を狙うとしても、毛利という存在がある以上他の地域の大名よりも一歩遅れると思っていいのだろうか?
毛利が台頭する以前に大友が日向・肥後以北を取ることが出来たのなら、中国方面と対島津の二正面作戦を
展開させることが出来たのかも
ただその場合、中国で全盛期の尼子と対峙することになるんだけど・・・結束が強い毛利相手にするよりはマシかな
114 :
西郷吉之助元法相:2007/12/25(火) 23:37:51 ID:4Y82067W
薩摩を全力で攻めつぶしてもあまり魅力のある土地ではなか。五十八万石とかいうが、実高はたかだか三十万石
115 :
人間七七四年:2007/12/26(水) 11:12:51 ID:NW/+g9jW
116 :
人間七七四年:2007/12/26(水) 11:56:14 ID:buwG7zF1
関が原の直後、黒田如水が正に島津に攻め入る矢先だった訳だが
117 :
人間七七四年:2007/12/29(土) 01:59:19 ID:3XdDDYGe
黒田があのまま突っ走っていたら面白いことになっていただろうに
関ヶ原の決着早すぎ
118 :
人間七七四年:2008/01/02(水) 00:22:51 ID:fvPUHI5t
関が原が1ヶ月にらみ合いだったらどうなっていたかな。
東北は上杉が蹂躙、九州は黒田が蹂躙だろうけど。
119 :
人間七七四年:2008/01/02(水) 19:48:21 ID:AGODDJJn
上杉はない
120 :
人間七七四年:2008/01/03(木) 15:36:18 ID:B1C6DQlF
東北は雪が降ってしまえばそれまでで、
最上はやはり時間切れを狙える。
史実で上杉が撤退を始めたのが十月半ばで、
本隊を追撃して、次いで庄内勢を壊滅させた所で最上も年内の軍事行動を切り上げた事から、
一ヶ月弱で直江は決断を迫られることになる。
というかそもそもあそこまで苦戦するとは思っていない=長期戦を見込んでない様に見受けられるが。
121 :
人間七七四年:2008/01/04(金) 16:42:57 ID:VTJlFA2N
122 :
人間七七四年:2008/01/04(金) 18:53:22 ID:I2Mojq4C
黒田も関ヶ原での東軍勝利の報を聞いてから降伏開城した城が多いので関ヶ原での対陣が長引いた場合は籠城する西軍側の城が多いので進撃が鈍るだろう。
如水のあれは関ヶ原勝報があったればこそ。
123 :
人間七七四年:2008/01/04(金) 23:35:05 ID:tfWcgsE7
124 :
人間七七四年:2008/01/06(日) 18:49:06 ID:JRGadKpd
九州って言葉違うから本州に進出しても支配できんべ。
125 :
サイコメトリー:2008/01/07(月) 11:59:14 ID:MW42B6oV
以前に誰かがスレってましたが、本能寺以前に九州統一ないし、九州連合を
確立しなければ、九州大名が覇権を握る事は厳しいと思われます。
黒田如水は優秀な武将だけど、関ヶ原の混乱に乗じて、数国奪取したとして
もその後の状態を徳川家康が放置しておくわけがない。
126 :
人間七七四年:2008/01/07(月) 12:26:28 ID:KFSiaJ3J
127 :
人間七七四年:2008/01/07(月) 12:42:03 ID:wZQg4tHK
当時の標準語は都言葉。
その他はほぼ通じない。
128 :
人間七七四年:2008/01/07(月) 19:10:48 ID:/j/jjYi2
島津が関が原で単独行動とったのも言葉が通じず意思疎通が不可能だったからだしな・・・
129 :
なななな梨:2008/01/07(月) 19:22:51 ID:x75a65be
だからといって本陣に入るやつ敵味方関係なく殺すのはナンセンすでわ
いろいろ決めなかった三成がアホだろ
てか関ヶ原にいた九州の大名って島津しか頭に浮かばないのは梨だけ?
130 :
人間七七四年:2008/01/07(月) 19:40:46 ID:KFSiaJ3J
小西
131 :
なななな梨:2008/01/07(月) 19:48:21 ID:x75a65be
ユキナガに謝ります
132 :
サイコメトリー:2008/01/08(火) 14:53:55 ID:DaZjC7WB
立花道雪・宗茂・高橋譲雲・島津義弘・鍋島直茂、有り得ないけど、
このあたりが、協力して九州統一を押しし進めたら、面白かったのになぁ。
G信長の野望、九州からの攻め上がりコース。
133 :
人間七七四年:2008/01/08(火) 15:39:17 ID:G+v/kgdG
>>132 それらの大名・武将の上に立っているのが秀吉というオチがつくわけだな
134 :
人間七七四年:2008/01/08(火) 19:46:28 ID:seLDM4BV
>>132 島津と大友は正に両雄並び立たずだな
鍋島というか竜造寺は存外ヘタレだからいずれかに従属される立場
135 :
サイコメトリー:2008/01/09(水) 08:12:15 ID:0H3No/Ac
>>134 龍造寺は同感ですが、鍋島直茂は狡猾な武将ですよ。
136 :
人間七七四年:2008/01/09(水) 12:20:10 ID:F14GuXff
幕末まで見ていっても島津は遺伝子的に代々優秀な人材を輩出しているので、
果たして後100年位戦国が続いていれば、どこまで領土を拡大できたか楽しみ。
137 :
人間七七四年:2008/01/09(水) 22:03:33 ID:JcGwAxkJ
>>135 鍋島直茂は優秀だと思うし好きな武将の1人だけど狡猾とは思わないねぇ♪
秀吉という外的要因が無ければ主家と台頭することはなかったでしょ
138 :
人間七七四年:2008/01/10(木) 04:23:47 ID:cgSUqIab
毛利がいるかぎり無理
上洛は諦めて九州を南下して大航海しようぜ
139 :
人間七七四年:2008/01/10(木) 11:53:50 ID:gdr5wnEW
まず毛利元就、死後前後には誰かが九州を統一する
その後、数年国力を整備し信長と対立しだす毛利を尻目に統一される前の四国に全力で進攻、統一する
この時1575〜1578年を目安に
そして武田勝頼、一向衆、謙信などと戦闘中の織田と同盟し
毛利との一大決戦を征し滅亡させ九州、四国、中国地方を制圧 一大勢力を築く
1580年前後、完全に後方の憂いをけし織田家との同盟を破棄、雌雄を決する戦いに乗じることになる
この時、関東甲信越地方の上杉、武田、北条らと同盟を結び信長包囲網を東西から結べればよし
織田家を滅ぼせば天下は九州勢のものに
まぁかなり都合いいシュミレーションだがw
140 :
サイコメトリー:2008/01/10(木) 12:07:32 ID:5u+aQGT0
>>136 島津家子孫の方ですか・・。
>>137 その可能性は大ですね。”狡猾”褒め言葉で言ったつもりだったんだけどな。
ちゃんと意味調べたら違ったゴメン。子供を立てて藩主とする武将だもんね。
>>138 毛利元就は近隣の大名のお家騒動に乗じて勢力を増した優秀な大名だと思うけど、
九州一国取れてないじゃん。それは九州大名もそれなりに優秀だから。特に大友家。
141 :
人間七七四年:2008/01/10(木) 14:42:09 ID:lBDE9w7a
大友家は御屋形様連中より家臣達が図抜けて有能だとおもう
142 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 00:18:24 ID:QE8jcf9Y
宗麟もキリスト教に傾倒する前はよかったんだけど^^;
143 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 13:41:42 ID:mdWyLqLn
立花道雪は占い神託をスゲー信じて戦略を決めてるからな…耳川敗戦の後にも諸将に勧めてるし。
そういう神社仏閣への信心深さを軽視した宗麟が仏罰を受けるって当時の部下や兵は思ってたと思う。
そうしたものが見えてない政治的センスの無さが大友崩壊に結びついた。
144 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 14:21:30 ID:XHhZjKk3
>>143 >立花道雪は占い神託をスゲー信じて戦略を決めてるからな
ソースください
145 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 14:50:02 ID:mdWyLqLn
大友家文書録三
耳川で敗戦した後に志賀・朽網・戸次ら13人に訓誡状を出した時にも似たような事を書いてる。
その時は田原親貫が謀反した時にどうするか思案した際に博多の実相院の景林という易者に占わせたらすぐ攻めよと出たのでそれに従って攻めたら大勝利だった。今後もその習慣を守るようにしなさい的な話を書いてる。
大友家中にはクジとかそういうの多い。
146 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 14:54:49 ID:tG8Qe1AG
>>143 宗麟は神仏を軽視したというがむしろそれは合理性であって、あの時代天下人に
なるためには貴重な資質に思えるが。ただ宗麟は信長なんかに比べるとやはり徹底
さを欠いたか…
147 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 15:20:56 ID:XHhZjKk3
>>145 んー、攻めるタイミングとか事を成す日等の吉凶を占うのって
当時では普通だと思うし、そもそも道雪には角隈師匠が・・・w
「スゲー信じて戦略を決めている」とみてモット斜め上かと期待したんだw
>>146 その頃って、義鎮がキリスト教に完全に傾倒した時期じゃね?
八幡や天台宗の勢力が侮れなかった事実もあっただろうけど
若い頃は政治面で抑えていた訳だし
あと、神仏を嫌い寺社破壊を徹底したからこそ人心が離れたかとw
148 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 16:01:33 ID:mdWyLqLn
仏教弾圧=合理主義=政教分離ではない。
信長をマンセーする為に作りだしたトンデモ理論。
そしたら南都北嶺を弾圧しまくり比叡山のメンツを潰し僧を切腹に追い込んだ足利義教の方が評価されてもいいはず。
占や易で戦略戦術を決めてるのは島津・大友。
それよりはいくらかマシだがやはり依存してるのは大内・毛利・尼子。
西国諸将はその比重が大きい。
畿内や関東は単なる習慣で奉納したり祈願する程度。
朝倉なんて易とか占いとか神仏の意向を尊重してタイミングを失う事は口惜しいことだと言っている。
149 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 22:41:26 ID:00/S43TJ
九州で強くても雑魚の中の勝者に過ぎないからムリ
150 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 22:45:41 ID:UdCC6Q03
可能性を考えるスレなんだから♪
結論いっちゃらめぇぇぇww
151 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 22:54:17 ID:mdWyLqLn
ちなみにその2/16の道雪のお手紙には戸次鎮連に対して宗麟にちゃんと仕えて忠義をみせなかった場合ワシが切腹し怨霊となってお前の子孫をみんな殺すと書いてる。
152 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 23:37:32 ID:S4U5+pck
>>149 実際はそんなことないのだろうけど、坂東武者に比べると西国の武士は弱いという
印象があるのは、平家物語などの軍記物のせいなのかな?
元寇では戦ったのは西国武者だし、戦国時代も鉄砲装備率の高さや南蛮貿易などによる
経済的繁栄などから、西国のほうが有利だったとは思うんだけど。
築城でも、関東が北条が滅びるまでは石垣が皆無だったのに対し、西国は石垣を
比較的早いうちから使っていたわけだし。
153 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 00:07:06 ID:giNnk+YL
西国は国人が強く根差してる
154 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 00:14:28 ID:WnRETenY
>>148 阿呆か?
島津は都合の良い答えが出るまで占いを続けたりしたいるが。
領民の意志統一に多少なりとも効果があるから利用しているだけだろ。
>朝倉なんて易とか占いとか神仏の意向を尊重してタイミングを失う事は口惜しいことだと言っている。
易者だの儒学者だのを一乗谷に逗留させていたところが何を言うか。
155 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 01:05:46 ID:oaGIUp1j
>朝倉なんて易とか占いとか神仏の意向を尊重してタイミングを失う事は口惜しいことだと言っている。
それ言ってるのは、なんか朝倉宗滴な気がする。
宗滴は犬畜生と呼ばれても勝たなきゃダメって断言してるしw
156 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 03:42:10 ID:4n5cNqiL
>>155 朝倉7代目の応仁の大乱で活躍した天下一の極悪人と呼ばれた朝倉孝景です。
吉日を選んだら方角を調えている間に敵を討つ好機を逸するのは口惜しい事だと家訓に書いてる。
一乗谷に来てた著名な占術師は名医だったりする。
九州の戦略戦術における呪術依存は度を越している。
この手の話の大半が島津や大友ばかり。せいぜい分裂対立した意見をクジでひとつに意志統一させるくらいの利点しか見つからない。領民支配に利用できるほどのもんじゃない。
これでは天下統一なんて夢のまた夢。
なんせ吉日まで攻めてこないのが相手にバレるのだから。陶晴賢が厳島攻略をする時にも気とか凶日とかが攻撃延期理由。
157 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 04:02:55 ID:NNSzJAlM
当時の人間って今では考えられないぐらい迷信深かったって事だよね
158 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 04:51:55 ID:4n5cNqiL
さすがに占い呪術に依存し過ぎてる家中でそれを無視しての急ぎ過ぎ革命。
船には異教徒の十字架マークで神社仏閣を壊しまくって南下すりゃあ士気は低下するよな耳川で敗北した数ある理由のひとつでしょう。
明らかにやり過ぎ感が…
ただこの合理主義的軍制改革が成功し人民がキリシタン化するまで島津との対決を避けていたら大友は強国になってたかも知れない。
人々の意識改革は時間がかかるもの。
159 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 05:23:36 ID:NNSzJAlM
ただ宗麟の場合って♪
合理主義やキリシタンだからといった事情の他に
奥さんへの当て付け的なものがあったと思えてならないです♪
逃避の一環としてキリシタンになったようなw
160 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 07:18:12 ID:NR8/C0UT
九州というか西国は輸入で文物は進んでいたけど、統治システムが駄目。
中央集権化や大軍が遠征できる兵站とかどれも東国と比べて劣っている。
最後に外交で失敗したけど後北条のほうが、よっぽど天下を狙える体制なのは
悲しいところ
織田も組織で劣った三好の衰退に乗じたから畿内で伸びたわけだし。
もし九州で成功する可能性があるのなら、竜造寺や島津が成長する前に後北条
あたりから人を招いていて、成長する過程で東国風の統治システムに
再編成して大きく成りうれば、分権の毛利なんかは恐るるに足りない、時間勝負
161 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 07:21:15 ID:NR8/C0UT
っていうか北条早雲が九州に縁があって勢力を伸ばしていったら
もしかすると天下統一できたかもw
なんのかんのいっても後北条は室町幕府でない政治体制の嚆矢だから
162 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 14:05:06 ID:4n5cNqiL
あと石垣の有無はあまり強さとは関係ない。
関東では良質な石が取れなかっただけの話。
江戸城を造る時もワザワザ伊豆から切り出して運んでるくらい。
それでも北関東なんかでは石垣化した時期は不明だが太田金山城などで石垣は見られる。
ただ関東ローム層の土を使った縄張は雨天ではやたら滑り易くて登る事ができず(晴天でも水を撒いたりすればよい)
さらに大平野とはいうものの大湿原地帯に築城するケースが多く北条型築城術もかなりの進化を遂げていた。
また籠城時でも水が豊富な土地柄である為に水源を断つ戦略はあまり取られない。
城の籠城能力はかなり高く独立領主が長く割拠していられた。
163 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 16:37:26 ID:idt2e6C6
ここは後北条氏が戦国最強を語るスレに代わりますた
164 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 16:51:44 ID:Lgu+EyOq
なにこの投獄厨の密会はw
全部妄想じゃん。東国も変わらないよ。
165 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 17:00:59 ID:hNv8a5Ou
九州の魔術シャーマニズム神託>>中国の魔よけ呪い合戦>>畿内関東の合理主義
166 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 17:19:15 ID:nquzpx8i
>>164 今川・北条の統治システムの高さは言うまでもないと思うのだが。
少なくとも一揆体制ガチガチの毛利・島津なんかよりはよほど進んでる。
167 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 17:49:26 ID:Lgu+EyOq
>>166 少なくとも島津は一揆ほとんどないし。。。
で、その自慢の統治システムで何したの?引きこもってただけでしょw
統治すごいなら動員して進出しろよw
現在人口多いだけに投獄厨うざい。巣に帰れ。
168 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 22:06:59 ID:nquzpx8i
>>167 一揆=ストライキとか思ってないか?
一揆体制ってのは、豪族連合的な政治体制の事を指してるんだけどね。
ちなみに江戸期に入っても島津家の一揆体質は抜けてません。
あと、引きこもってるだけで関東制覇一歩手前まで行けたんならそれはミラクルだぜw
華がないだけで、実際はネチネチと戦い続けてる。
169 :
人間七七四年:2008/01/13(日) 00:08:37 ID:BGWeMfuZ
えーと、個人的に坂東武士の話も勉強になるので気にしないけど
荒れるだけで無為な議論になるから卑下的だったり挑発的な発言控えましょ♪
170 :
人間七七四年:2008/01/13(日) 01:21:05 ID:DAaBeP5W
九州は信長の野望とかでも戦闘力が高い人間が多いから夢持っちゃうけど
要は寡兵で戦った、勝ったというエピソードが多いってことだから、
それだけ戦う前の下準備が悪いってこと。
中国英雄板からの引用
>山東は大臣を出し、山西は大将を出す(略
>つまり涼州、并州は半異民族みたいなものなので、強兵が育ちやすいということ。
>動物的な競争力に長けてる反面、人間的な社会性というのは非常に低い。
これって日本でも当てはまる面あるね、第2次世界大戦でも九州の兵は攻撃に強い
って言われていたし。
西から文化輸入できるからか、どうも自分達で政治を変えようという意識が弱い
んじゃないのかという面があると思う。
171 :
人間七七四年:2008/01/13(日) 04:51:15 ID:DnE0OxON
九州人のちっぽけなプライドですよ。
過大評価の武将ばかりゴロゴロいて掃いて捨てるくらいになっちゃう。
朝鮮ザコ部隊をいくら追い払っても高評価になりません。
172 :
人間七七四年:2008/01/13(日) 05:19:25 ID:0MTR56y/
伊東が最強
173 :
人間七七四年:2008/01/13(日) 08:06:24 ID:VevjZu6E
>>168 言っとくが南九州は豪族連合体制とは無縁だぞ
島津や伊東の外城制度は本拠から地頭を派遣して統治する、
むしろ中央集権的な体制なんだ
まあ人口の多い北肥や豊後に出てからはこんな支配は不可能だったし、
島津はなんと江戸時代を通して薩隅日でこの外城体制を崩さなかった
仮に九州征伐が無かったとしても義久公の代で九州統一するのは
100パー無理だけどね〜
174 :
人間七七四年:2008/01/13(日) 08:28:50 ID:VevjZu6E
書き忘れてた
宮崎にロクに文化が育たなかったのも
外城統治で鹿児島に直接収奪され、財が蓄積しなかったせいなんだ
他県の人にはピンと来ないだろうが
今宮崎にある寺はほとんど伊東時代に建った物だし
近世城郭つったら飫肥城ぐらいなんだぜ
しかも維新が起こると日向を丸ごと鹿児島県に編入しやがるし…
もう、島津嫌い
175 :
人間七七四年:2008/01/13(日) 13:37:39 ID:seoGYiFG
戦国期の島津の外城地頭制度は
地頭と衆中の結びつきが強くて封建制度の範疇に留まっていたかと
薩隅を統一した時に制度の見直しが図れればよかったけど
九州征伐まで連戦続きでそれどころじゃなかったよね
176 :
人間七七四年:2008/01/13(日) 14:12:36 ID:E5WPV5TE
>>174 旧日向国(現宮崎県のほとんど)は
江戸時代には島津領じゃないところが多いわけだが
つか、お国自慢板に逝った方がいいよ。
>>175 いけいけゴーゴー系の家臣が多かったからね。九州北上時の最後の方になったら義久の言うこと聞いてないしw
義弘と家久もそうだが。
最もそういう家臣が多かったからこそ、後世ゲームネタに残るwまでのはちゃめちゃな進撃が出来たわけで
何とも言い難いところ。
177 :
人間七七四年:2008/01/13(日) 14:25:38 ID:DnE0OxON
戦争経済を支える領民が悲惨だ…
178 :
人間七七四年:2008/01/13(日) 15:02:35 ID:oGipXOC2
さっきネット上のどこぞの記事にでてたけど、戦国期の九州の大名の
記録は嘘や誇張が滅多やたらと多くて、そのまま鵜呑みにしてたら日本
最強の大名が九州にだけごろごろいることになる。信長の野望の政策
スタッフも頭かかえてしまったらしいな。
179 :
人間七七四年:2008/01/13(日) 18:18:06 ID:GG8zVXgr
そんなに派手なエピソードあったっけ。
別に鵜呑みにしても大したことにはならないと思うけど…
180 :
人間七七四年:2008/01/13(日) 18:25:32 ID:gQhMYgPf
道雪は雷様の化身とか、そんなの?
181 :
人間七七四年:2008/01/13(日) 23:13:12 ID:E5WPV5TE
182 :
人間七七四年:2008/01/13(日) 23:43:45 ID:RD7EK6Yd
>>177 そうでもない、島津の兵は略奪しまくってるから。
略奪にあった大友領は悲惨としか言いよう無いけど。
183 :
人間七七四年:2008/01/14(月) 00:12:10 ID:15MQFvZy
大友だって火付け略奪してるじゃん
→いや島津最凶
→略奪なら上杉の方が
以下ループ
184 :
人間七七四年:2008/01/14(月) 00:22:55 ID:Pife/4I2
乱取もだけど
女子供を南蛮に売りまくったよね♪
185 :
人間七七四年:2008/01/15(火) 15:10:57 ID:G6yVdLhq
>>184 その子供じみた書き込みなんとかならんの?
186 :
人間七七四年:2008/01/17(木) 14:58:12 ID:9XBa5xiw
んじゃ、そろそろ本題に戻ろうか。
187 :
人間七七四年:2008/01/17(木) 15:01:04 ID:a3vRjL68
>>184 教義に惚れてキリシタン大名になったとは限らないからな
188 :
人間七七四年:2008/01/17(木) 20:21:06 ID:qcUUDJhQ
天下統一云々をいう前に、まずとりあえず島津でも大友でいいが九州統一した
後、毛利は手強いがせめて四国まで領土を拡大できる可能性があるか議論する
必要がありそうだ。
189 :
人間七七四年:2008/01/17(木) 21:15:08 ID:9idR1+ej
大友主導か島津主導かで四国の扱いって代わる希ガス
190 :
人間七七四年:2008/01/17(木) 21:51:53 ID:jGVTxaYw
立花ぎん千代だな
191 :
人間七七四年:2008/01/18(金) 15:45:17 ID:NtkBON5B
島津が勃興するのが遅いのが致命的じゃねえの?w
1570年代って、もう流れが決まってるし。
もう20年早けりゃ毛利と肩並べるくらいになってた希ガスが・・。
192 :
サイコメトリー:2008/01/18(金) 17:54:15 ID:C2ltqHkA
九州大名が上洛って事になると、必ず毛利がって話になるよね。元就は名君
だと思うが、彼が没した後に隆元も急逝してしまうわけだけど、それでも、
九州大名より毛利家が勢力拡大出来るのかな?
もちろん信長不在と仮定してだけど。
193 :
人間七七四年:2008/01/18(金) 18:10:03 ID:QEd0POjA
史実どおりに信長を出すともう話にならないからなぁ。
信長が本気を出せば毛利も踏みにじられるような状況だったのが
本能寺の変直前の1582年。つまり、1580年代になんらかの勢力が
九州統一していたとしても、まず対抗不可能だものな…。
1580年代に九州どころか毛利まで併呑していれば話は別だけど。
194 :
人間七七四年:2008/01/18(金) 18:28:28 ID:3NLpXfXq
>>192 隆元は元就より先に亡くなってるよ
大内・毛利に対しては大友義鎮は善戦してたと思う
謀略面で元就と渡り合っていたしね♪
195 :
人間七七四年:2008/01/19(土) 11:12:44 ID:TTqWUCdm
むき出しの武力だけで考えるな。外交努力(+時期)は重要だ。
島津、長曽我部、伊達は地域ブロック統一の直前で秀吉につぶされたクチ。
しかし毛利は信長の台頭期は既に中国ブロックをほぼ統一し、秀吉と上手く付き合ったお陰で豊臣政権で中国10カ国を保った。しかし関ヶ原でそれが雲散霧消したが。
家康に至っては信長・秀吉と上手く付き合うことで(幸運もあったが)、ある意味で武田・北条の後継的な位置を確保した中で関ヶ原を迎えた。
196 :
人間七七四年:2008/01/19(土) 12:43:03 ID:/277SmwB
>>195 それぐらいここの住人なら知ってると思うが・・・
それで、何が言いたい!?
197 :
人間七七四年:2008/01/19(土) 13:53:54 ID:yXeLWkSM
>>175 >島津、長曽我部、伊達は地域ブロック統一の直前で秀吉につぶされたクチ。
そこに北条もくわえてはいただけないでしょうか?
いえ、無理にとはもうしませんが。
198 :
人間七七四年:2008/01/19(土) 22:18:11 ID:TTqWUCdm
宗麟は信長と友好関係だったらしいから、島津に勝ってりゃ信長臣従後も九州の北半を領地にできてたんじゃないかな。
199 :
人間七七四年:2008/01/19(土) 22:40:02 ID:qVfNduec
>>198 信長の北条への扱いを見ると、かなり領土削減されるのは間違いないと思うぞ。
北条は対武田である程度の働きをしたのにも関わらず、なぜか自国の領土だった
北武蔵の割譲を余儀なくされ、それどころが武蔵一国まるまる取られる寸前。
あの調子だと相模・伊豆の二カ国ぐらいにまでされていたんじゃないか。
200 :
人間七七四年:2008/01/19(土) 22:57:19 ID:yXeLWkSM
>>199 北武蔵?
上野利権は丸々手放させられたけど。
201 :
人間七七四年:2008/01/19(土) 23:37:50 ID:MY/XZXU3
九州の戦国大名なんて兵農分離できていなくて動員激遅で
とても上方風の近代戦なんてできない
202 :
人間七七四年:2008/01/20(日) 02:04:09 ID:x3GMoDFK
兵農分離幻想なんか未だに信じてるのかよ。
それと、動員システムが稚拙なのは九州に限らない。
毛利氏なんて豊臣時代でさえ動員出来る兵力を正確に把握していなかった。
国人領主から成り上がった大名はしょうがない。
203 :
人間七七四年:2008/01/20(日) 13:44:17 ID:qpjmYZdV
大友は守護だったのに、領国支配のシステムは昔のままだったから崩壊したんだっけ?落ち目になると国人がすぐ離反するし。
島津は「地頭・衆中制」でかなりシステマティックに支配してたから、強かったと理解してるが。
204 :
人間七七四年:2008/01/20(日) 16:21:57 ID:c/kVfMjc
どっちも封建制の枠内なんだけど
205 :
人間七七四年:2008/01/20(日) 18:15:30 ID:dR+N0JwU
名称が違うだけで大差ないよな。
206 :
人間七七四年:2008/01/20(日) 18:35:23 ID:uFgBR2oG
>>200 北武蔵も。そして、そんな状態になっても北条はひたすら低姿勢だった。
もちろん、本能寺の変で一変したけどね。
今は荒らしだらけだけど、後北条スレにその辺詳しく書いてあったよ。
207 :
サイコメトリー:2008/01/21(月) 17:31:53 ID:u9l1QVsG
>>194 そうですね、隆元の方が先に逝ってました。隆元存命でも畿内制覇
は厳しいと思われます。
大名武将は西低東高なんて誰かスレってたけど、そんな事はないよ。
信長の様な時代の寵児が九州から出ても決しておかしくないよ。大きな
同盟を結び、局地的な戦闘を控え、九州人として、結束すれば、それは
それは強固たる軍団を作れたはず・・。ちょっとG信長の野望っぽくなっ
てスマン。でも何か九州人ではない自分ですが、九州大名には同郷の英雄
真田一族をリンクさせるものが有るんだよね〜。感覚的な物言いでゴメン!
208 :
人間七七四年:2008/01/22(火) 18:12:29 ID:gSpJbjKW
・信長の上洛より先に九州を統一しうる人物
・「天下布武」のように斬新な戦略があり、かつ宣伝できる人物
・軍事的実力
大友宗麟が一番近そうだけどなぁ…後継者の器量は別問題としても。
西国に天下人候補が出なかったのは
一番有望な大友と毛利が睨み合いで
時間を浪費したからでFAじゃまいか
209 :
人間七七四年:2008/01/23(水) 21:25:02 ID:aJ9vabgR
西国の天下人は大内だよね?(・ο・*)
210 :
人間七七四年:2008/01/23(水) 23:02:49 ID:A1fCyjIW
大内義興だな
211 :
人間七七四年:2008/01/24(木) 00:21:17 ID:R4BClds0
義興だと早すぎやしないか
212 :
人間七七四年:2008/01/24(木) 05:42:55 ID:bsY413/X
義隆の頃が領土的には最大だっけ
213 :
サイコメトリー:2008/01/24(木) 09:11:19 ID:mi3TDjNr
確かに大内家は一時期、西国一とまで言われて様ですが、名家を鼻に掛けると
乱世じゃ必ず没落するよね。家的には朝倉家と似てる様に思う。
それに大内家は九州大名じゃないから!中国支配も厳しいから!
214 :
人間七七四年:2008/01/24(木) 10:06:47 ID:/GXKLeYl
大内は義弘と政弘の活躍が顕著かな♪
一時期どころか室町時代通して西国一の名家だったと思うよ
山口拠点だし九州の大名とは言えないだろうけど
九州戦国史を語るには大内は絶対外せません♪
215 :
人間七七四年:2008/01/24(木) 13:41:11 ID:anZgoom5
何だこの流れ
216 :
人間七七四年:2008/01/24(木) 17:10:11 ID:WG6BXbYj
大内家、名家ではあったが乱世では生き残れない室町時代の名家。
淘汰は必然なり。
217 :
人間七七四年:2008/01/24(木) 18:35:11 ID:lecWVbLu
大内は義元よりも天下に近かった。上洛する意識もあった。
しかしこの時期の尼子もなかなか精強で上洛できなかった。
大友や大内のような名家は旧体制を打破できないからなかなか厳しい
>>216 伊達、佐竹などの名家は残ってる。半端に中央に近かったのが不味い。
218 :
人間七七四年:2008/01/24(木) 18:39:01 ID:/GXKLeYl
「淘汰は必然」なんて言葉をソコで使うと
名家は全て滅んでないといけないんだぜ?w
あと「乱世」は戦国期だけのお話じゃないよ
219 :
サイコメトリー:2008/01/25(金) 09:00:30 ID:3ZICTnfb
>>218 他
ここは戦国スレで、しかも九州大名が天下をって考えるスレ。
大内家を語りたい方々はスレ立てし、そちらにどうぞ。
221 :
人間七七四年:2008/01/25(金) 11:24:27 ID:NMS5eTWX
陶晴賢が大内に反逆した直後、毛利ではなく大友が陶を滅ぼした可能性を考える。
逆に陶晴賢が大内を滅ぼした後、毛利と和睦しそのまま北九州まで勢力を拡張する可能性を考える。
222 :
人間七七四年:2008/01/25(金) 11:27:21 ID:NMS5eTWX
つーか宗麟の弟がただの傀儡に終わらず、なんらかの策略をもって陶を
謀殺していれば、戦わずして周防、長門まで大友の支配下になっていたはず。
大寧寺の変が1551年で、
毛利と吉見の陶への反攻が1554年。
厳島の戦いが1555年。
安芸の毛利元就,石見の吉見正頼が陶晴賢に対し反旗を翻す以前、
つまり大内に従っている内の三年の間に義長が陶を殺すか
宗麟が義長を従わせるかでもして
義隆没後の大内家を素早く大友が取り込んでいれば
大内の安芸,石見,備後,周防,長門,豊前,筑前,肥前を影響下に置き
西国探題大内家とその広大な所領の大部分を引き継げたかもしれない。
という訳で九州勢力が天下を取る為の続きを宜しく↓
1554年迄に大内(傘下に毛利や吉見)を従えた大友宗麟が弟・大内義長に養子を送り、
自身も大内姓に改姓する等して義長の後見に回ればどうなるだろう
大内は幕府からの上洛要請もされていた上、大内姓を使えば西国の統治や今後の侵略の口実も出来そうで便利だと思うんだけど
225 :
人間七七四年:2008/01/25(金) 13:27:55 ID:FJTgEAyw
>>219 反論受けてムカついたのか知らないが
スレ違いというならキミが他所逝きなさいサヨウナラ♪
226 :
人間七七四年:2008/01/25(金) 13:42:34 ID:FJTgEAyw
>>224 政治目的とはいえ大友姓を捨て大内を名乗るのはどうなんだろうね
鎌倉来の名家である大友の家臣団が許さないような…
特に戸次鑑連が煩そうだw
>>226 本国では譜代家臣からの反対の声も有るものでしょうね。
但し戸次鑑連にしていえば、鑑連自身も後には改姓をして立花家を継承したり養子を迎えたりする人物であり
鑑連は、大友家が過去に乗っ取ろうとして失敗した菊池家の討伐にあたった人物でもあるので
改姓してまで大内家を継ぐことの利便性に人一倍理解をしているものかと考えました。
それに大内に付くか大友に付くかで揺れていた筑後地方の国人を従えるには
大内大友両家を統合してしまったほうが治める側としては都合が良いのではないでしょうか
改姓はせずに弟を結局傀儡としてのみで使うだけの方法もあるが
折角手に入れた大内の傘下にいる安芸の毛利や石見の吉見が傀儡体制に反対して離反する恐れが・・・
‥すると毛利と睨み合う時間が勿体無い
229 :
人間七七四年:2008/01/25(金) 17:06:36 ID:FJTgEAyw
>>227 立花は大友の縁戚で家中では名門の家柄です
養子を取るのは血筋を絶やさぬ為、家を守る為に当然のように行われてた行為
大内への改姓云々とは別物と捉えるのが宜しいかと
当時の大内の影響力は凄かった事は認識していますが
筑後はじめ九州北部の国人衆も大内の力に頼ったまでで
大内という家名に頼ったかとなると疑問符がつきます
>>228 吉見と毛利のタッグは確かに嫌だw
>>229 それを挙げるならば大友は大内義興の孫が当主の大内義長であり、自身はその義長の兄なのであって大内とは血縁関係が成立しています
義興は上洛を果たし国政を執り行っており、また六角討伐へも参戦した経歴のある人物です
関東に土着した名族の伊勢氏が
やがて(遠戚ですらない筈の)北条姓を名乗ったことを判例にしています。
伊勢氏は北条という家名で関東制圧及び統治の大義名文を獲得し
東国の国人衆を味方に引き込もうとしていたのではないかと考えています。
実際に北条姓を名乗る伊勢氏はその後、関東管領や古河公坊を押し退け
曾孫の代までには関東をほぼ手中に治めるに至り善政を引いた実績が有ります
これは西国でも宗麟流に応用を利かせることが出来るのではないでしょうか
毛利を一大名として自立,成長させてしまうと九州勢力の立場としては時間が無駄。
今川義元が史実通りに信長の奇襲で討たれる頃には
毛利を使って月山富田城を攻めるぐらいはしないと
後の織田家拡大の速度に対抗が出来ず先に信長に上洛されてしまう。
そして毛利や多数の国人を傘下に治める大内を手早く引き込めたのは恐らく大友だけ。
1551年の松浦,少弐,阿蘇神社,相良,伊東,島津等では難しい。
232 :
人間七七四年:2008/01/25(金) 20:58:47 ID:FJTgEAyw
>>230 血縁はあるけど、だからといって暗に大友の家名を捨てれるのかって事
それと鑑連がそれを認めてくれるのかと
角隈先生に一芝居売ってもらうとか?w
形はどうあれ大内の勢力を取り込むとしたら当時ではやはり義鎮しかいなかったろうし
あとそうなったら北部九州の国人は後ろ盾なくして従順になったかと
大内従属下の肥前平戸城には松浦興信とかいう大名がいたけれど
この松浦が天下を取る可能性なんて始めから有ったのだろうか。
義隆の没した翌年には当主・興信が死んでしまうわ
1551年当時は肥前一国の中で松浦以外に大村,有馬,長崎,少弐,龍造寺…
ちなみに勢福寺城の少弐氏は何気に1559年までは生き残る
234 :
人間七七四年:2008/01/25(金) 21:28:50 ID:TKM/nY6v
まあねえ、タイムスケジュールで考えれば大友だけだな。
或いは秀吉が中央でのゴタゴタに手間取れば島津にも一縷の望みはある、
まあ毛利を抜けるとは思わないけど。
235 :
人間七七四年:2008/01/25(金) 23:19:29 ID:FJTgEAyw
松浦よりまだ竜造寺の方が・・・
竜造寺も大友に従属するんだけどw
松浦家による天下統一を妄想出来るスレなんてここ以外ないなww
松浦は馬場氏ら少弐家臣と通じてまずは龍造寺の勢力を削ぐことに専念しないとw
少弐滅亡前に肥前の全勢力が結集しても蒲池の支援を受ける龍造寺には勝てないだろうか…
237 :
人間七七四年:2008/01/26(土) 00:23:58 ID:bB30RiBw
というかさ、
天下統一以前に、九州制覇も無理。
そんなことは百も承知
というか肥前統一どころか、史実では松浦半島統一がやっとの小大名。
出来たとしてもおそらく1580年付近にようやく肥前一国とかでその頃には島津が北上w
しかし無理だと分かっていても松浦隆信が取るべき最良の行動は何だろ
239 :
人間七七四年:2008/01/26(土) 03:19:41 ID:bB30RiBw
しるかよ
240 :
人間七七四年:2008/01/26(土) 05:19:19 ID:DpeorxCJ
>>238 なるべく早いうちに信長や秀吉や家康の臣下になる。当然、領土は捨てて。
241 :
人間七七四年:2008/01/26(土) 05:38:53 ID:AhWgw9X0
同じ隆信でも松浦に目を向けるとはw
平戸松浦は半島に散らばる松浦党をまとめるのが精一杯だったね♪
せめて南蛮に嫌われてなければ或いは…
いやナイナイw
有馬・大村もそうだけど肥前は国人が作り上げた小国家連合みたいなトコ
長くその体系を続けたおかげで周りは全て親戚筋だし
そんな中で潰されず地方をまとめただけでも優秀な方じゃね?
242 :
人間七七四年:2008/01/26(土) 06:28:11 ID:kRL6MJDu
なんつうか、その昔初代「天下統一」で弱小大名プレイやってた頃を思い出すスレだなw
243 :
人間七七四年:2008/01/26(土) 09:15:19 ID:vIm17d68
台湾の鄭成功を味方につけて兵数十万を借りて日本征服
244 :
人間七七四年:2008/01/26(土) 11:45:21 ID:ppw2vibW
九州は兵農分離が出来てないから無理。
245 :
人間七七四年:2008/01/26(土) 11:59:31 ID:tnrZMFI6
九州に限った話じゃないだろw
246 :
サイコメトリー:2008/01/26(土) 12:48:03 ID:oRmvcZbA
松浦氏!?
IFを語るこのスレでも厳しいですな〜。でも着眼点は好きです。
歴史上の様々なIFを利用し、松浦勢力拡大を語る。それでも九州半分支配も
難しい様な(ゴメンね)
このスレ、結構人がいるんですね
>>240 早期に領地を棄て織田家に服従し
取り込まれるや織田家中では蝕むこと病原体の如く勢力を拡大し
本能寺の変の頃には明智光秀,織田信雄,柴田勝家,羽柴秀吉,徳川家康らを凌ぎ
松浦隆信は天下に覇を唱える。
‥無謀だけど
>>241 夢が有っていいでしょう?w
よくもまあ滅亡せず小大名の儘生き残りましたよね
台湾で思い出したけれど
キリシタン大名で有名な有馬晴信は肥前から台湾征服の軍勢を派遣して失敗してるよね
一度で全土とはいわずオランダやスペインのように台湾の一部でも地道に占拠して、
ある程度の規模の拠点を確保していたら台湾大名になれたものを…
しかし台湾からどうやって天下を望もうか…w
249 :
人間七七四年:2008/01/26(土) 18:43:48 ID:ahD4Btnv
台湾からの天下って、全世界統一?
せめて、天竺までにしましょ。日の本戻ったら、浦島状態かもしれんから。
250 :
人間七七四年:2008/01/27(日) 10:50:06 ID:BsCEq3o3
西洋軍艦を大量に導入して大阪湾にいきなり表れるとか。
16世紀の軍艦じゃそこまで強力じゃないか…
251 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 16:16:58 ID:Oly7QlXl
現実的には、元就時代じゃ無理だよ。
だって本人が上洛を希望していないんだから。良くても自分の本拠点を中心
とした勢力拡大しか望んでないね。
252 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 12:51:23 ID:1BXPwsr2
そりゃ、元就は上洛したら尼子が勢力拡大した大内のことをよく見ているんだもの。
253 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 20:27:57 ID:ke6tZNKF
元就はいつから九州の大名になったんだ。
254 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 23:44:21 ID:qll0r24H
北九州を一時期支配してたがな。
255 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 00:15:47 ID:YUIWbzNu
大友との和解後も門司は領有してたかと♪
じゃあ当然大内は九州ですよね(^o^)
257 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 09:48:07 ID:oYJSN+mK
今、遠藤周作『王の挽歌』を読んでるが、大友VS毛利にwktk(゜▽゜))。
「大友は毛利を討ち払うたぞ!」
島津との決戦前まで読み進んでかなり楽しみ♪
でも、切支丹関係がウザ杉・・。
258 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 10:30:45 ID:hrhKGP/z
王の挽歌は戦国オタ向け小説とはちょっと違うからね
でもあれ読んだ後は大友義統の置かれた境遇がかわいそうになる・・・
259 :
人間七七四年:2008/02/05(火) 06:22:41 ID:eDGoh7Fz
保守
260 :
サイコメトリー:2008/02/05(火) 11:40:13 ID:nydEM7RO
大友、島津、龍造寺以外で室町期位から有力だった家は有るのですか?
九州も割拠状態だったのかなぁ?
261 :
人間七七四年:2008/02/05(火) 13:27:22 ID:/IZyyDnI
小弐
今川
263 :
人間七七四年:2008/02/05(火) 16:27:40 ID:Va5BDXPU
肥後守護の菊池氏。ただ、15世紀入るとかなり衰退。
264 :
人間七七四年:2008/02/05(火) 18:17:46 ID:/IZyyDnI
大内も北九州を支配してた。
265 :
サイコメトリー:2008/02/06(水) 19:37:05 ID:m7/3VELC
やはり、大友・島津位で目指すしかないのかなぁ・・。
少弐・・・
267 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 20:43:39 ID:23SlDdC3
今川ってどうなったの?
268 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 20:50:10 ID:vP94QmL0
いや九州には大名クラスでなくとも、そこそこの人材はいるぞ例えば鍋島直茂とか。
269 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 21:02:53 ID:FEIKhQLC
>>267 九州探題職は渋川とバトンタッチ♪
後は駿河の守護に
>>268 竜造寺の補佐としてはこの上ない存在だよね
270 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 22:37:40 ID:+HhqN2PH
>>268 鍋島を挙げるんなら、立花宗茂を挙げないとな。
271 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 23:16:36 ID:Wddi/GnA
九州は人材豊富だからな。
三強よりも筑紫や秋月のほうが天下に近い人材だと思う。
273 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 23:39:11 ID:tDiJHWPa
>272
また微妙な言い方をw
274 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 23:53:49 ID:Yul6a2JB
>>271 妙に個性的で飽きないよな、九州勢は・・・
275 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 23:59:06 ID:WEKNGgu4 BE:173408832-2BP(700)
>>266 霜月騒動あたりからやり直さないと駄目な気がする
276 :
人間七七四年:2008/02/07(木) 05:43:31 ID:osqq6dGj
>>272 秋月は大蔵氏族をまとめあげれば結構な勢力ですよね♪
反して筑紫はちょっと無理があるかと
広門の生き残りへの術は凄いものがアルけど天下には程遠い
西大友こと立花鑑戴も忘れないでください♪
277 :
人間七七四年:2008/02/07(木) 07:25:16 ID:yvkQejyW
お前ら尼子を抜きに天下を云々するとは失礼だろう
278 :
人間七七四年:2008/02/07(木) 08:42:05 ID:Wbx9JN/Y
大内ならともかく、尼子が九州に領地を持ったことはないでそ。
279 :
サイコメトリー:2008/02/12(火) 15:43:25 ID:nDx7aBru
前にも言ったけど、畿内の覇者が決定する前に最低でも九州連立軍団を確立
させる事が、九州大名の急務。
280 :
人間七七四年:2008/02/12(火) 17:35:59 ID:c8KaoGXP
大友が天下統一するには、まず義鑑の代から始めなきゃあ。
1 鉄砲の技術を厳重に管理して、他家へ流さない。
2 筑前・豊前・肥前・肥後の大友本家の直轄領を積極的にふやす。
3 肥前で龍造寺隆信の龍造寺家の再興を許さない。
4 肥後の阿蘇を完全に被官化し・相良は早めにつぶす。
281 :
人間七七四年:2008/02/12(火) 17:56:09 ID:7SCUvjOC
>>279 逆に考えよう。
もう少し三好政権だったら、島津も間に合う。
282 :
サイコメトリー:2008/02/12(火) 20:06:38 ID:nDx7aBru
>>281 信長不在ってスレならそれも可能かと思うけど、史実にそって考えると・・。
でも九州大名が天下って時点で架空の状況を考える分けだから、
>>281の仰る
通りで考えても良いですね。
283 :
人間七七四年:2008/02/12(火) 20:31:57 ID:MTHbg2fN
>>281 三好政権ということは、毛利は織田政権と激突していない状態で保存されるわけだ。
その毛利との全面対決は大幅な時間と国力のロスになるよ。
284 :
人間七七四年:2008/02/12(火) 20:32:10 ID:ldrStON7
外的要因によらず、九州のいずれかの大名が、
何らかの史実から外れた動きをすることによって天下統一する可能性を探るのが本筋では?
285 :
人間七七四年:2008/02/12(火) 21:15:47 ID:WeJqz0f9
まぁまぁ、IFスレなんだから、堅い事言わずにやろうよ。
286 :
人間七七四年:2008/02/12(火) 22:37:42 ID:dXSDsGD4
>>280 竜造寺の再興云々って時代はまだ少弐の勢力が残ってるから
むしろ積極的に介入するのが宜しいかと
>>283 毛利も元就が健在との仮定なら
やはり大友が九州勢の盟主になってないと辛いかなーと思う♪
287 :
人間七七四年:2008/02/13(水) 00:48:46 ID:wyUwNk0W
>>286 龍造寺隆信の叔父には、大友義鑑から片諱を受けている人物がいる。
その人物と鍋島に龍造寺を任せてコントロールすればいいんじゃないか。
豊前は、室町時代に入ってから大友家が守護を務めてきたが、大内義隆と
武力衝突し、豊前守護を奪われてから豊前より肥後への進出に方針転換した。
肥後への進出も菊池氏へ養子を入れたり、阿蘇氏を甲斐氏を通して干渉したりと
大友義鑑は、肥後において強攻策を執らなかった。
方針が変わったのは、大友義鎮に代変わりしてからで肥後へ大軍を送り込み
菊池氏を一気に解体した。
義鑑の代から肥後への強攻策に出ていたら、大勢力のいない肥後を容易に
分国化出来たと思う。
奪われて
鑑兼なら家督奪取に失敗しとるやん。
289 :
人間七七四年:2008/02/13(水) 20:21:30 ID:R2pJ/HMr
鍋島直茂さえなんとかすればなんとかなる筈っ♪
290 :
人間七七四年:2008/02/14(木) 00:07:47 ID:8eHJuonm
奴の腹黒さ(イメージ)は九州屈指だぜ。
異論は認めるw
291 :
人間七七四年:2008/02/14(木) 09:17:23 ID:12MODcNJ
いやいやいや
直茂ほどの忠義の士も珍しいでしょ♪
腹黒かったら凋落した主家に分知なんて微塵もしない♪
292 :
サイコメトリー:2008/02/14(木) 12:02:55 ID:5bdD9KBn
九州の武将達は名が馳せた者が多いのは確かだね。
でも大名クラスがいまいち・・。やっぱ大友宗麟が洗礼を受けず、立花一派主導で
徐々に自領を拡大させ、近隣国と手を組みながら、中国・四国も見据えて、九州統一
する形ってどうだろう?
293 :
人間七七四年:2008/02/14(木) 12:18:03 ID:blyOQs5L
大友の勢力拡大には陶の謀反 -> 大内義長が当主に -> 毛利に滅ぼされ、
北九州の大内系の国人が大友系になるという手順は必ず踏まないといけないので、
毛利がフタになることは確実。
大内義尊が生まれないのなら話は変わってくるかな。
294 :
人間七七四年:2008/02/14(木) 19:22:13 ID:EnvdoEqQ
毛利という蓋が出来る前というと、厳島以前か…。
きついな。
295 :
人間七七四年:2008/02/15(金) 11:40:11 ID:+R1ycUtr
例えば宗麟が弟義長という駒を使って陶春賢を謀殺。大友家の勢力が北九州から
山陰、山陽にまで伸びてきたとすると、元就のように現実だけを見て歩んでいく
タイプの武将は戦って利非ずと見れば臣従の道を選ぶだろう。ただ問題はその後
だな。なにしろ宗麟という武将は優れた資質ももっているが、その分欠点が多す
ぎる。元就という武将を使いこなすことができればいいが、逆に元就に弱点を看過
されそうだ。最終的に大友領がすべて毛利領に変わっているということも…
296 :
人間七七四年:2008/02/15(金) 11:59:04 ID:bYgSUtKo
九州勢を従えた元就の天下統一の可能性を考えるスレに変更なんですねww♪
297 :
人間七七四年:2008/02/15(金) 14:56:36 ID:gwys7qy6
九州の場合はほぼ天下統一の可能性はないだろう。
大友の場合は大内がそもそも強くて頭をふさがれてる。
ふさがれてない方向に伸張すべきなんだがそちらに行かずに、
北九州に延びようと画策し続けている段階でNGかと。
竜造寺も島津も時間的余裕はすでになかったと思う。
大友が唯一天下取りの可能性があると思われるが、それには、
義鑑の時に大内と結んで南九州を統一するぐらいのことが必要。
そうしておいて、大内の混乱に乗じて北九州>周防長門を一気に落とす。
それぐらいのことがないと無理。
298 :
人間七七四年:2008/02/15(金) 17:19:07 ID:KRtNw0xG
やっぱ領地捨てた上で織田・豊臣の家臣になって勢力拡大、のコースじゃないとダメか・・。
299 :
人間七七四年:2008/02/15(金) 18:40:05 ID:f7QcR0/O
>>297 大内が博多を支配していたのと、大友の支配圏がそれに隣接していからねぇ。
目の前にでかい利権がぶら下がっているのも同じなので、どうしても博多を
めぐっての争いに首を突っ込まざるを得ない。
300 :
人間七七四年:2008/02/15(金) 18:45:23 ID:8+Ub1fgR
>>297 大友家は筑前に室町時代初期から領地を持っていたし、豊前の守護もたびたび
務めたから、九州北部に持っていた利権を感嘆にはあきらめ切れなかったんだ
ろう。だから北への侵攻は、当然という発想だったんだろう。
ついでに肥後だけど、大友親冶は肥後の寺に出家していたし、大友義長の正室は
阿蘇氏出身という関係もあって、日ごと縁が深かった。それで大友義鑑は、強攻
策に出ることをためらったのだろう。
301 :
人間七七四年:2008/02/15(金) 19:26:00 ID:KLnZCHtD
九州に限らず戦国時代に昔からあった家ってのは鎌倉以来とか室町幕府の〜とかの意識が強かったから
その意識から抜け出せなかった時点で無理だったんじゃない?伊達政宗があと10年早くとか
その既成の概念みたいなものを壊して信長が天下に手が届くとこまで駆け上がってったから
その勢いに周りが感化されたわけで。
信長前後で中央政権のあり方は全く変わったからね。
302 :
297ですが:2008/02/15(金) 23:35:16 ID:gwys7qy6
武田信玄は、それまでの駿河侵攻をやめて信濃に矛先を変えただけでもたいしたものだと思う。
おいしいところから、うまくはないけれど伸ばせるところに勢力を伸ばす。
その発想を持てただけでも素晴らしい。
人間、一旦執着を持つとそこから離れることは難しい。
大友義鑑が信玄だったら天下を狙えたかもしれない。
303 :
人間七七四年:2008/02/15(金) 23:45:21 ID:qocOzmOR
北信濃以降グダグダでんがな
塩を欲しがる心が弱かったんだよきっと。
305 :
297ですが:2008/02/15(金) 23:56:42 ID:gwys7qy6
それは越後に上杉がいて伸張方向がなくなったから。
それでも義元死後に駿河取ったりしている。
南下政策を取っていれば日向、肥後は信玄なら
謀略、戦争で奪い取ったと思われる。
相手が親類だろうがなんだろうが容赦ないだろう。
で大内混乱のドサクサで北九州を抑えたと思う。
残念ながら大友の当主宗麟、義鑑ともにそう言う
ビジョンは見られない。
306 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 00:02:35 ID:03koO0Cw
>>302 大友の北九州への固執というのは単に博多の利権だけではなく
九州諸大名にとっての外敵である鎮西探題とそれに加担した大内氏との
根深い因縁を忘れていけないかと♪
307 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 00:12:40 ID:03koO0Cw
>>305 義鎮の代に九州6カ国(だったっけ?)の守護職を経て九州探題に
謀略や時には武力を使って支配下に収めていた実績あればこその叙任♪
あと一時期ながらも大内混乱の際に北九州は制圧してましたよ♪
大内の地盤が毛利に移ってからまた奪われたけどww
鎮西制覇と大内(毛利)勢力の鎮西からの掃討は
明確なビジョンとして持っていたと思われます♪
308 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 07:44:48 ID:1Eb7dyRP
まあ東北諸大名の一万倍は天下取りの可能性はあっただろうな
309 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 13:53:46 ID:lfr56C8V
>>308 まあ明治維新を含むと二回も前例があるからな。
東北は独立王国(藤原氏)で精一杯。
政宗が10年早く生まれても北条に勝てなかったと思うし。
310 :
297ですが:2008/02/16(土) 20:18:11 ID:sS8yOgP6
>>306 その因縁を断ち切れなかったからこそ、
天下取りのチャンスはないといってるのだが・・・
>>307 北部九州6ヶ国を取れたのは大内の混乱によるところが大きい。
大内がまともなら宗麟の領土も義鑑同様、豊後と豊前の半国の
まま終わっただろう。
ごく当たり前のビジョンを持ってたに過ぎない。
目の前の利を切ってでも将来のために会えて不利を取りに行く
そんな大胆な方針を採ったのは信玄ぐらい。
信玄のその部分は評価されていいと思うし、義鑑がそんな大胆な
方針を採用していたらひょっとすると天下とまでは行かなくても
西国全てを手中に出来た可能性はあると思う。
311 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 20:55:50 ID:Htc/OQUt
>>310 なんか勘違いしているけど。
大友家の所領は、ずっと筑前・筑後・肥後にもあったんだが。
たとえば肥後の菊池義武の追放後、合志郡他の菊池家の所領を
戸次・斉藤・吉岡の分配しているし、小原氏を肥後・益城に、
筑前博多には臼杵氏を常駐させ経営している。
それに大内とは、ずっと敵対関係じゃなくて親治の代には大内が
弱ったので資金援助して友好関係を築いているし、義鑑も完全に
豊前から撤退をしたわけじゃあなくて、豊前・筑前の豪族は、大友と
大内の両方に使えるという変則的な主従関係w@影響力を残した。
確かに肥後北部やら筑前,筑後といい
大内と大友の勢力範囲が重なるようなカオスなエリアは合った
313 :
297ですが:2008/02/16(土) 21:15:51 ID:sS8yOgP6
それは義鑑の時代じゃないな。宗麟の時代。
臼杵氏の博多常駐も、菊池の追放も大内の
弱体化がなければ出来なかった。
北部九州にしか目が行ってないから、大内の混乱に乗じても
北部九州しか取れなかったと言ってるのに、大内の弱体化
や資金援助云々言い出すかな・・・
大内が強かったら泥沼だよ。
だから強大な大内をどうにかして取り込まないと大友では(ry
315 :
人間七七四年:2008/02/17(日) 01:15:26 ID:AUWNtLI5
・今山合戦に勝利→龍造寺滅亡
・耳川合戦に勝利→島津撃退→兄弟喧嘩や旧勢力の復活で内紛
この二つが重なれば九州内は行ける>大友
あとは大内か。うーむ。そこが考えどころだな。
316 :
人間七七四年:2008/02/18(月) 00:06:26 ID:Cizrg5xz
いや、どちらにしても耳川ということは、
大内はすでにないし、毛利という蓋も完成済。
317 :
人間七七四年:2008/02/20(水) 14:11:22 ID:pTRtFXuV
その時期に九州統一が成れば毛利は織田と九州に挟み撃ちか
ひよっとして勝ち目ある?
318 :
人間七七四年:2008/02/20(水) 15:54:37 ID:FUUlJUpO
織田が成長していたら、九州のみならず毛利を完全に併呑しない限り
対抗不能。
なんせ、織田は毛利・武田・北条・上杉・長宗我部を同時に
相手していたのだから。本能寺の変が起こって勢力が分解しない限り
対抗しようがない。
319 :
人間七七四年:2008/02/20(水) 19:56:19 ID:nBObk75Z
だね。本能寺時期まで来てしまえば事実上不可能だね。可能性を考えるなら、光秀と協定を結んだ毛利と九州統一連合が更に連合するしかない。
320 :
人間七七四年:2008/02/20(水) 22:26:00 ID:ZKB0YJaJ
ていうか、織田が毛利と戦っているときに、とっくに大友は臣下の礼をとっているよ。
321 :
人間七七四年:2008/02/21(木) 09:26:22 ID:rsVnB417
耳川の後の島津と大友の講和の仲介をしたのが信長だしな。
322 :
人間七七四年:2008/03/11(火) 20:03:16 ID:9zqGsyzz
ありません!終了。
323 :
人間七七四年:2008/03/18(火) 00:02:25 ID:hUkGqF7Z
大内or毛利の壁は厚かった
324 :
人間七七四年:2008/04/09(水) 16:08:59 ID:akn0jPsJ
大友あたりが船で上洛して、天皇を拉致して無理矢理豊後に遷都するしかないな。
325 :
人間七七四年:2008/04/09(水) 16:15:09 ID:JGLepYOs
結局大友も毛利に
戦には破れたようなもんだったしね
326 :
人間七七四年:2008/04/13(日) 23:23:57 ID:c1VPGdfY
島津って、相手よりも圧倒的に少ない兵力で戦って勝つイメージがある。
島津の方が兵力が多い戦いって、少ないよね?
327 :
人間七七四年:2008/04/14(月) 03:40:05 ID:+Kdi43Dq
>>326 島津っていうか九州の戦いだとなぜか、兵力が多いほうが負けることが多いw
328 :
人間七七四年:2008/05/23(金) 14:51:50 ID:E5+y2eWV
島津が天下とったら
人口が激減しそうだなw
みんな島原から南蛮に。。。
329 :
人間七七四年:2008/05/24(土) 04:00:35 ID:nEh/UsKS
人身売買するような奴に天下の政は勤まらん
330 :
人間七七四年:2008/05/24(土) 11:05:32 ID:O95MbxnI
謙信たんの悪口禁止
331 :
人間七七四年:
謙信の人身売買は正義!
って言う奴が出てくるのに100万ぺそ