武田信玄があと10年長生きしていたら?

このエントリーをはてなブックマークに追加
301人間七七四年
>>293
あれはそもそも武田が8月に出兵するはずだったのに
武田が約束守れなかったため朝倉が帰る羽目になったんだと思う

>>294
武田が10月から5月まで遠征続けるとしたら
その時点で半年以上
第2次川中島の時はまだ本国や策源地の深志などから近距離で兵も少なかったが
この遠征ではどれだけ軍事行動が続けられるんだ?

>>296
豪族の連合体と言ってもそれらを束ねあげるような強力な勢力がいないと
やっぱし個々の勢力が城に立て篭もるだけになるんじゃないか?
伊賀みたいに
302人間七七四年:2008/01/11(金) 02:22:23 ID:hX0A9P4y
朝倉が一番天下取りレースの上では有利だったのは確かだな
時勢を読めなかったの敗因
303人間七七四年:2008/01/11(金) 02:27:26 ID:FdSHSEHO
8月のはずが10月1日に。さらに4日?に。
普通はできるだけ早く遠征しようって思うけど民の多忙な時期と遠征開始を重ねるのは…ってことで10月になり信玄が1日に調子悪くなって4日に。
信玄は各村?に1年以上遠征することも考慮し働き手の数は大丈夫か確かめさせてる。補給うんぬん除けば1年以上遠征するつもりだったらしい
春には南アルプスで「俺がいない間に越後が来ないように」ってお願いしてる。
長島の連中は攻撃勢力にならんと言っておられますが圧力になるのは確かで、信友さんなどの圧力もありますから信長が美濃から動けないというのは確実ですな。美濃で信長はボコボコにしましょうぞ
304人間七七四年:2008/01/11(金) 09:16:08 ID:oPUtjfIM
フルボッコにするつもりで意気揚々と出てきた信玄がフルボッコされるまで読んだ
305人間七七四年:2008/01/11(金) 10:10:40 ID:cGmXoslp
>>301>>303
「10年長生き=健康」とすると、予定通り8月出陣もありえたと思う。
「三方が原後に悪化しない」が条件だと史実通りだが。
306人間七七四年:2008/01/11(金) 16:42:22 ID:FdSHSEHO
健康なら年内に信長と対決してたかもね
朝倉もいるし
307人間七七四年:2008/01/11(金) 20:44:25 ID:ymxIqtvI
>>303
>信友さんなどの圧力もありますから
逆。秋山は岩村城を落とせたが見方を変えるとそれだけ。周辺はまったく手付かずで
他の織田についた遠山氏などによって逆包囲されて身動きがとれなくなっていた。
後年、勝頼の出陣で周辺十八城を落としさらに明智城を落とすことにより、東美濃
一帯を勢力圏と確立でき、岐阜に対するプレッシャーを与えられることになる。
もっともその状態ですら信長は周辺に押さえの武将と城で封じ込めているんだがね。
史実において、長篠のときにどうして秋山は岐阜を狙うなどの囮陽動でいいから何か
動きを見せなかったのでしょう?
308人間七七四年:2008/01/11(金) 21:33:16 ID:tqR/UV6d
>>297
5月までにそんな簡単に信玄軍3万を壊滅させられると?
簡単に見すぎだろう。あの時の信長が3万を越える大軍を用意できたか?
そしてよしんばできたとしてもそんな簡単に武田3万を撃破できるとでも?
信玄にすれば守りを固めて信長主力をひきつけて他の味方が動くのを待てばいいだけ。
無理して勝つ必要もない。どう考えても勝ち目ないなんて決め付けじゃなきゃありえんよ。
切羽つまった他の連中がこの時点ではいそうですかと和議を聞くとでも?
309人間七七四年:2008/01/11(金) 21:37:28 ID:tqR/UV6d
>>298
答えは簡単。小木江を落としたときにはもう信長と反信長方の和平交渉が始まっていたから。
むしろ絶対にできないなんていうほうがどうかしてる。

>>299
他の地域の一揆はちゃんと攻め込んでいるのだが。
所詮は一揆なんて言い方が出来る相手でもあるまいよ。

だから包囲網連中は主体を中心にして自分が好きに動いていけばそれだけで
好影響を与えられるんだっての。
武田に織田が向かってきたら手薄になった所を朝倉浅井や本願寺がつめていけばいい。
310人間七七四年:2008/01/11(金) 21:43:18 ID:tqR/UV6d
>>301
信濃で争っていたときとは国力は段違いだが。この時の武田は。
中国からはるばる京都まで長期遠征していた大内や尼子戦の毛利の例もある。
これだけ重要な戦いなら少々の無理をしてもおかしくない。

伊勢長島はその勢力の要として不足はあるまい。
でなきゃ周辺地域がなびいてた理由がつかん。
三河一向一揆とかみたいに一揆勢が束ねをやることもある。
311人間七七四年:2008/01/11(金) 21:48:37 ID:tqR/UV6d
>>307
意味がないから。
主力は長篠にいて秋山の手元には数千の兵力しかないのに岐阜周辺に侵攻なんて
できるわけがない。
だが信玄が美濃にいくというなら主力は武田本軍が信長と対峙できる。
これなら信友は絡め手から圧力をかけていく事が可能。
312人間七七四年:2008/01/11(金) 21:56:36 ID:ur2YUNTB
まず、朝倉だが筆頭家老の景鏡が義景の出陣命令を疲労が酷いといって拒否するほど厭戦気運が家中にあった。
当然、この状態で士気があがる筈も無く兵数では互角であったはずの織田勢にあっさり負けそのまま本国越前まで蹂躙され滅亡に追い込まれている。
信玄が健在でもこの状況が大して好転するとは思えず、当てにならない。

長島一向一揆も他の人達が指摘しているように、攻勢に出る好機がありながら出撃しなかった事から
打って出られるだけの戦力が不足していたと考えるべきだろう。

最後に武田本隊だが、東美濃から岐阜を衝くのは困難だと思われる。
何故なら当時は物資の輸送手段が人力か馬しかない貧弱なものだから3万の大軍を長期間支えられる能力は無い。
加えて武田の補給線は雪国・信濃だから冬場はさらに補給が細くなる。
必然的に現地での徴発や至近の味方の城での備蓄で賄う必要がある訳だが
山深い東美濃では3万人の物資を調達できる国力は無い。
信長の本拠である岐阜を攻撃する以上、長期戦は覚悟せねばならず従って東美濃からの大兵力の侵攻は難しい。
実際、信玄は1572年の時点で家康の本拠・岡崎と至近距離にある足助城、作手亀山城を確保していたが
この方面から岡崎を衝く作戦は行っていない。
だからこそ、信玄は美濃でも三河でもなく肥沃な遠江に攻め込んだ。


以上の考察から信長を美濃にて包囲攻撃する作戦は無理だと思われる。
313人間七七四年:2008/01/11(金) 21:59:25 ID:tqR/UV6d
>>300
西別所に一揆がいたというのはそもそも北伊勢の伊勢長島勢力は伊勢長島に呼応した
武士団なのでは?という問いに答えたもの。
実際畿内の一揆は志賀の陣やそのほかでも元気に動いてるだろう。
北伊勢と美濃は本当に近距離なんですけど。これで美濃にいけないというほうがおかしい。
援護というのは兵力や補給に関しての事。美濃で伊勢長島が活動できればそれは十分な脅威。

それでも朝倉は結局崩壊まで大軍を動員して織田と戦った。
さらには信玄が織田をひきつけている状態は朝倉にとっても領域拡大、というか失地拡大のチャンス。
チャンスがあっても動かないなんておかしすぎるだろう。

それでも足利が動いた。松永も動いた。信玄の動きで畿内は動揺している。
これから東方戦線次第でいくらでも変わる。

数万の軍が対決する状態において普通に勝つとかあっさり勝つとかまずないだろ。
信玄は信長がこれまで戦ったどの相手よりも経験豊富な人物である事をお忘れなく。
無理に押し切らなくても対峙してひきつけるだけでも好影響を与えられる。
兵農分離は虚像なんだし、無理すれば大内や毛利の例をみてもわかるように
まだまだ戦えるだろう。
314人間七七四年:2008/01/11(金) 22:05:16 ID:oPUtjfIM
>>308
信玄は多く見積もって25000
30000も居ない
更に言うと各個撃破の準備が整ってしまっていたら30000ぐらいは余裕でかき集められるだけの経済的余裕は織田側にはある
更には上杉の動き次第ともなるためほぼ詰んでいると言っても過言じゃない
美濃方面、長島方面には既に理由が挙げられてるのであえて述べない
ってか信玄上洛スレの過去ログみてこい、大体その辺の疑問についての反論あるぞ
315人間七七四年:2008/01/11(金) 22:08:22 ID:ur2YUNTB
>>309
>武田に織田が向かってきたら手薄になった所を朝倉浅井や本願寺がつめていけばいい

そういう連携が不可能だと>>299は指摘しているのですが。
各勢力が勝手気ままに活動していても各個撃破されて大して効果を上げられないのは
戦史の知識が少しでもあれば分かる事だと思いますが。
316人間七七四年:2008/01/11(金) 22:26:28 ID:ur2YUNTB
>>313
>北伊勢と美濃は本当に近距離なんですけど。これで美濃にいけないというほうがおかしい。

それは素人の考え。
機械化された現代の軍隊ですら1日の行軍距離は40キロ程度とされている。
織田方の砦が無数に点在している敵領内を突っ切って美濃に進軍するには相当の時間と損害を覚悟せねばならない。
317人間七七四年:2008/01/11(金) 22:33:54 ID:vZeNZeDU
>>313
>数万の軍が対決する状態において普通に勝つとかあっさり勝つとかまずないだろ。

つ【川越夜戦】
つ【関が原】

この時代の大軍同士の激突は意外とあっさり決着がつく場合が多い。
大軍同士の戦いは一度流れが一方に傾くと負けている方は収集がつかなくなり総崩れに陥りやすい。
318人間七七四年:2008/01/11(金) 22:53:00 ID:tqR/UV6d
>>314
信玄が西上の時点で率いてる軍が2万5千、秋山遠藤を含めて3万だといってるんだよ。
信長が3万集めてくるなら兵力ではちょうどいいくらいだ。
詰んでる?越中一向一揆に絡みつかれててそいつらとの戦いがひと段落して
信長と勢力圏が接したら敵対した謙信がどうしたって?
謙信は信長に対する無二の盟友なんかじゃ断じてないぞ。北条という敵もいて
そっちも大変なんだし。
319人間七七四年:2008/01/11(金) 22:57:59 ID:tqR/UV6d
>>315
で、その好き勝手な連携に信長は志賀の陣とかで随分危うい目に合わされてるわけですが?
各個撃破できる状態になければ、主体を切り崩して状況に流れを作らなければ
逆に包囲網勢に推し包まれて多方向から切り崩されるのは戦史の知識があればわかるはずですが。

北伊勢において織田の砦が無数といえるほどあるとはおもえないんだけど。
第一その砦たちがあるならむしろ好都合でもある。信長はそいつらを見捨てるわけにはいくまい。
信長はさらなる兵力の分散を強いられる。見捨てるなら砦をつぶして美濃にいける。
320人間七七四年:2008/01/11(金) 23:02:31 ID:tqR/UV6d
>>317
そんな極端な例を挙げられても…。川越夜戦なんてあったかどうかもわからんのに。
関ヶ原なんか多くの勢力が長く戦いが続くことを予想してたのに
西軍が内部崩壊してたから一日でケリがついただけだろうに。
関東甲信越における武田・北条・上杉の長期対陣の例を見てもわかるように
大抵はにらみ合いで時間が流れる事が多い。志賀の陣もそうだった。
信玄にしても状況が整うまでは無理して短期決戦なんか狙わずに守りを固めて対峙するだろうし。
321人間七七四年:2008/01/11(金) 23:09:54 ID:cGmXoslp
>>316
別に長島勢単独で岐阜に行く必要無いのだが。
尾張まで来た武田勢と合流すればいいだけ。
322人間七七四年:2008/01/11(金) 23:14:43 ID:tqR/UV6d
>>312
刀根坂は追撃戦。普通の戦いとは違う。あっさり負けたという言い方は御幣がある。
信玄健在なら朝倉は信長が信玄の動向に注意してる間に本軍じゃない相手に対しながら
失地回復及び勢力拡大を目指せる。反信長勢も信玄西上で勢いづいてきたのだから流れもある。
これで動かないと考えるのは早計。

だから志賀の陣の時は11月21日に伊勢長島が小木江を攻略してからすぐにもう信長と反信長勢の
和平交渉が始まるんだってば。信長が浅井にへりくだりまくった起請文だすのは11月28日だよ。
こんな状況で動かないのは当たり前。これで動けない根拠といわれてもな。

雪国信濃といったって信玄の予定では動き出すのは春から。特に問題はないのだが。
よってそれ以後の推論は前提から間違えている。
信玄はまず徳川封じ込めの為に遠江三河を侵略し家康本軍に打撃も与えた。
この上で春からは奥三河から岩村に向けて進軍し美濃に入ればいい。
春からの行動なら雪に惑わされる心配はない。

以上から美濃で信長と戦うのは十分可能と思われる。
323人間七七四年:2008/01/11(金) 23:21:04 ID:vI+fVe8U
たらればの塊だな
謙信が動かなかったら
朝倉が動けば
長島が信玄に呼応すれば
信長が十分な軍を集められなければ
家康が背後を脅かさなければ
324人間七七四年:2008/01/11(金) 23:28:22 ID:tqR/UV6d
>>323
そっちなんか都合のいい断定の塊だろう。
晩年でさえ信長攻めるより関東優先しようとした謙信が越中も抱えながら信長の為に動く。
朝倉はこれだけのチャンスでも絶対動かない。
信玄と書状を頻繁に交換している一向宗で信玄の書状でも有効な味方とされている
伊勢長島は信玄に絶対呼応しない。
美濃から不思議なくらい動かなかった信長が当時の状況で十分な兵力を集められる。
三方ヶ原で大敗し、領土を散々蹂躙された家康がどうやってか知らないが信玄の背後を脅かせる。

むしろ俺からすればそっちがたらればの塊に見える。
俺はちゃんと上の要素に対する説明をした上で可能と言ってる。
325人間七七四年:2008/01/11(金) 23:44:30 ID:JsLcmsYA
>>303
>普通はできるだけ早く遠征しようって思うけど民の多忙な時期と遠征開始を重ねるのは…ってことで10月になり信玄が1日に調子悪くなって4日に。
信玄の戦歴見ると8月9月の収穫期に入るような遠征は多いと思うが
北条と戦った時の関東遠征も9月からだし
川中島の戦いの多くが8月だったと思うが

>信玄は各村?に1年以上遠征することも考慮し働き手の数は大丈夫か確かめさせてる。補給うんぬん除けば1年以上遠征するつもりだったらしい
>春には南アルプスで「俺がいない間に越後が来ないように」ってお願いしてる。
ソースは?特にその一年以上遠征することって部分知りたい

あと秋山は岩村落としたけど、それだけなんじゃ
美濃の数%程度で圧力なんてあるのか?

>>309
志賀の陣で手薄になった織田に対して本願寺は織田を追い払うだけで
動かなかったから、期待は薄いと思うが

>>310
大内は一応名目上は山城や畿内支配していて現地調達もある程度可能だし
毛利も出雲の大部分を支配した上での包囲
その上両家とも経済力は非常にあるんじゃ?
武田にはそのような経済力あるの?

伊勢長島は戦力の要といっても北伊勢の豪族と被官関係にあるわけでもないし
単に織田の支配から逃れるため靡いただけであって、自分らの権益守れれば
それ以上のことは望まないんじゃ
326人間七七四年:2008/01/11(金) 23:48:28 ID:vI+fVe8U
>>324
どっちもどっちだよww
謙信は、信玄が死んだ時「信長さん一緒に武田攻めましょうぜ」って言うくらい、チャンスだったら攻め込むかも
朝倉は信長との戦で疲弊してる。 家康とそんな状況が違うとは思えない
それに、奥三河から美濃に攻め込むならその経路を家康が抑えれば補給線を脅かせる
一方朝倉が攻め込んでも勢力境界が動く位の意味しかないと思う
327人間七七四年:2008/01/11(金) 23:55:30 ID:tqR/UV6d
>>309
江州の門徒勢は濃尾のルートを積極的に断ち切ろうとしてるが。
木下・丹羽勢も突破したとはいえ
328人間七七四年:2008/01/12(土) 00:01:38 ID:tqR/UV6d
途中で送信してしまった……。>>327の続き。
>>325
江州の門徒勢は濃尾のルートを積極的に断ち切ろうとしてるが。
木下・丹羽勢も突破したとはいえ 建部で妨害されてる。
後の話になるが朝倉浅井と連携して羽柴勢に襲い掛かったりしてる。
伊勢長島より規模の劣る江州の一揆でさえこれ。
伊勢長島や本願寺勢には期待をしてもいいと思うが?

なら武田も現地調達すればいい。武田とて百万石を超える当時有数の大大名にして
経済の進んだ駿河や金山を保有している。長期遠征不可能とは思えん。

なら何も行動しないと?織田が盛り返せば織田支配に逆戻りだ。
それなら伊勢長島を応援して自分達の自主性を保全する方向で動くのはおかしくない
判断では?
329人間七七四年:2008/01/12(土) 00:02:39 ID:JsLcmsYA
>>313
畿内の一揆は各地元で元気に動いていたのであって、
各地域に遠征したわけじゃないと思うが、
伊勢長島が美濃に行けるって、そりゃ単純に美濃の一部地域や尾張の一部地域は
対岸だから行けるだろうけど、それ以上はどうなの?
岐阜まで行けとは言わないけど織田を牽制する以上はある程度の遠征能力が無いと
意味が無いんじゃ
援護って言ってもそれは北伊勢では補給などの援護受けれるかもしれないけど
美濃や尾張に出兵する時は援護受けれるの?

足利は動いてあっさり潰された、松永も動いて筒井に押し込められた
状況判断間違っていたとしか思えないが

>>318
史実じゃ織田と上杉が敵対するまでは、冬場以外に武田が大兵力で遠征というか
北信濃を手薄にした例が無いから、遠征続けて春になっても北信濃が手薄なら
上杉が北信濃に攻めこむ可能性はあると思うが。
もっとも関東に攻め入る可能性の方が高いだろうけど、それならそれで武田も北条に
協力する必要が出てくるだろうし、少なくとも北条の援軍は返す必要が出るかな?

>>319
その各砦城を潰すだけの能力と時間がどれだけあるのか
ついでに長島から出撃して砦攻めている時に織田に襲われたら?

>>321
尾張(か美濃)を横断して武田と合流するって言うの?
そんなの不可能か合流前に織田の主力に攻撃されて壊滅するんじゃ?
330人間七七四年:2008/01/12(土) 00:10:13 ID:eC1kQ1Me
>>329
武田が尾張を制圧すれば合流できるだろ。
要は武田が合流可能な所まで侵攻してくれればいいだけ。
そもそも織田の主力は岐阜でしょ。
長島の留守を襲う部隊がいるかも疑問。
この状況なら織田に余裕はないし、伊勢の豪族は様子見するだろ。
331人間七七四年:2008/01/12(土) 00:15:16 ID:f5nrCPQT
>>326
まあ謙信のスケジュールを見ているとこれからますます北上してくる北条、
越中の一向一揆との戦いにかかりきりになっていくのだけど。
朝倉はこの時まだ2万の兵を動かせる。家康と違って本領は犯されてないし
大敗して兵力が大打撃受けたわけでもない。
家康は三方ヶ原の傷がいえてない状態で信玄がそれまで攻略してきた武田方の城達を
抜いて背後を脅かせるかな?特に二俣城は大変だよ。信玄死んだあとも6月に攻めたけど攻略できず
長篠の後に攻めたけど結局年末に城兵の退去を条件に開城させたほどの城。
さらに山家三方衆とかもいる。家康は信玄死後も天野氏に犬居城で敗れたりしてる。
この状態で脅かせるのかな?
朝倉が動いて羽柴が撃破されてしまえば近北も回復さらには美濃へも進出が可能になる。
この影響を軽視するわけにはいかんでしょう。
332人間七七四年:2008/01/12(土) 00:26:07 ID:C6HHOI9j
>>322
>失地回復及び勢力拡大を目指せる。
動かないというより、動けないんじゃ?それに秀吉に勝てるかという問題もある
そもそも織田の主力が余所に行ってる時期はそれまでに何度かあったが
今までも碌に動いていなかったような

長島は9月に蜂起して2ヶ月かけてそれだけでしょ
しかも先に動いたのは一揆側で先手、織田のふいをつける状況だったのに

東美濃の輸送はそれ以前に雪解け水が無くなれば木曽川使えるんじゃって思うんだけど
滝とか多かったっけ?

家康は武田撤退後、小規模とは言えすぐ駿河に攻めこんでいるし
奥三河への侵攻も行った
徳川は封じ込められたと言うのはちょっと
徳川牽制のための兵力はそれなり必要になるんじゃないか?

>>328
でもそれって地元であって遠征したわけじゃないし
そもそもそれらの近江の一揆勢は71年にほとんど鎮圧されたんじゃ

武田が本当に長期遠征出来るのであれば、
何で71年に徳川攻めた時、一ヶ月の遠征を2回したのか
北条と駿河を取り合った時も何で数ヶ月遠征しては帰国してまた再出陣を繰り返したのか
一度に遠征したほうが効率いいんじゃないか?
また70年か71年の棟別銭を倍額にしたのは?勝頼時代に財政が苦しくなったという逸話や
棟別銭の増額は?
あまり余裕があったようには思えないが

現地調達といっても、大内は畿内を支配して毛利は出雲と経済的に発展している豊かな地域
それに対し武田は東美濃で数万を現地調達するというのは厳しいんじゃ

>なら何も行動しないと?織田が盛り返せば織田支配に逆戻りだ
それが分っていて、実際に行動できれば話は凄いがな
現実にはそんな行動とる人はほとんどいないでしょ、
そんな理論で行動するなら伊賀とか北畠とかも積極的に織田と戦ってくれるだろうし
こんな話し合いする必要もないと思うぞ
333人間七七四年:2008/01/12(土) 00:28:14 ID:C6HHOI9j
>>330
武田が尾張を制圧するという仮定が成り立つんじゃ
長島なんていようがいまいが織田の滅亡は決定的じゃないか?
334人間七七四年:2008/01/12(土) 00:28:50 ID:f5nrCPQT
>>329
一応戦国大名の軍隊構成と一揆勢にそこまでの差が無い以上
一揆勢に無理とは思えない。加賀一揆はそれをやっているのだし。

足利も松永も目当ては信玄が信長をひきつけてくれる事。
信玄が死んでしまったからあっさりやられてしまったが
信玄が10年長生きし信長をひきつけ続けるなら彼らの活動が意味を持ってくる。

可能性は無くはないだろうが、史実の謙信は1573年四月に越中から帰国し後も
8月にまたまた越中に行ってる。この戦いは後数年にわたって続く。
関東においても1574年から北条との戦いは激化していく。ちなみに1573年は
越中でつかれた兵を休ませるために越山を取りやめてる。
とても武田攻める余裕があるとは…。
北条の援軍を返すとして2000か。この時の武田してみれば一兵でも欲しいけど
まあ3万が2万8千になると思えば大丈夫な範囲か。

援護できる兵力も無い状態でその砦たちはどれだけ頑張るのか。
第一その砦はどれくらいあるの?長島の行動を制約しえるものなのか?
長島から出ている時点で一揆勢は数万の兵力。これを背後から襲えるだけの兵力を
当時の織田は避けるの?美濃で武田に備えるためにも兵力が惜しい時なのに。
335人間七七四年:2008/01/12(土) 00:31:25 ID:eC1kQ1Me
>>332
なんか後の実績で秀吉・家康を過大評価してないか。
朝倉が本気で攻めてきたら秀吉単独ではどうにもなるまい。
押さえの兵置いとけばたいしたことはできまい。
336人間七七四年:2008/01/12(土) 00:43:42 ID:C6HHOI9j
>>334
軍隊の末端部の構成は似たようなものだろうけど
遠征や長期的な戦略行動、戦闘にあたっての短期的な損害の強制などは
可能なのか?

また同じ一揆勢といっても加賀の一揆勢は何度も大軍での戦いや国外への出兵を
経験しているのに対しそのような経験のない他国の一揆勢にいきなり同じことやれと
言っても出来るようなものじゃないと思うが

足利はともかく松永は織田が動けない隙に大和の支配権を広げるのが目的だったんじゃないか?
結果は織田とは関係無く筒井に大敗という結果だったが

そもそも長島の一揆勢は動くのか?動くとしたらどこまで動くのか?
武田との合流を考えるならかなり動かないとならないと思うが
それと石高から考えれば織田には十分な兵力があると思うが

>>335
といっても史実じゃ秀吉は浅井朝倉を破っているし
家康は駿河に出兵して、奥三河に攻めこんでいるし
あなたこそ史実を踏まえて考えてるのか?
337人間七七四年:2008/01/12(土) 00:48:15 ID:eC1kQ1Me
>>336
なら当時の秀吉の兵力は?
破ったというけど、どういう状況で?
338人間七七四年:2008/01/12(土) 00:55:15 ID:Wk5Zmm25
武田信玄って圧勝した戦ってどんくらいあるの?
もちろん村上とか格下相手は抜きで
339人間七七四年:2008/01/12(土) 00:55:17 ID:f5nrCPQT
>>332
一回秀吉の防御を朝倉浅井の一部隊が突破できなかったからといって
それで勝てないものと考えるのはいかがなものか。
2万を超える大軍の攻撃を秀吉はいつまでも防ぎつづけられるのかな?難しい気が。
朝倉浅井は元亀争乱では大抵織田と対してたような。
そうでなかったとしても信玄や本願寺と打ち合わせし連携して作ったこのチャンスに
動かないとも思えないが。

志賀の陣では長島は蜂起した後にいつ小木江に襲い掛かったのか確定はしてなかったはずでは。
元々一揆だしこれからの長期戦に備えるためにも準備があったと思えば2ヶ月とは
言い切れないのでは?

徳川は単独では結局大した影響を与えられてないはずでは。
信玄死後に二俣や犬居を攻めて失敗してるはずだが。本格的な攻勢がうまくいき始めるのは
長篠以後では。それでも随分時間かかってゆっくりとだけど。
三方ヶ原の直後の家康にそれほど大きな影響力があったかね?
一応信玄は三河の一向宗の寺を蜂起させて家康を絡めとるプランもあったらしく
三河の勝曼寺が進発すると顕如に伝えているらしいが。

それら近江一揆の連中でもこれだけ動いてますよ、という事。
これより規模の大きな伊勢長島に期待してもおかしくないし、加賀一揆は他国攻めもやってる。

長期遠征なんてそう何度もやるもんじゃない。家康の時だってまだ北条との再同盟は
なってなかったし様子を見る必要はあった。北条との戦いも関東や徳川、上杉の動きも
注意して行わなければならないし。そもそも長期遠征なんて何度もやるものではないのだし。

余裕がふんだんにあるとはいわない。でもそれでも武田は勝頼末期ほどに逼迫してない。
勝頼時代でさえ2万近い兵力を何度も動かしているのだし。
さらにはこの遠征で信長を倒すもしくは力を削げるならそれは長期遠征するに足る事柄。

三河や遠江といった占領した地帯から調達したものを運んでもいい。この2国も中々豊か。

武家と一向宗が連携して行動をとった例はこの時期には多い。
伊賀や北畠と違い、戦力の大きな要として伊勢長島があり信玄を始めとする
反信長勢が動き出そうとしているのにそれでも動こうとしないと断定するのも危険では。
第一仮にそれが無くても伊勢長島は数万の大軍。
340人間七七四年:2008/01/12(土) 01:04:08 ID:eC1kQ1Me
なんか「真田は上田で徳川破ったからいつでも勝てる」と同類なような。
守りきると勝てるは別儀だと思うし、小勢なら無視されたらそこまで。
341人間七七四年:2008/01/12(土) 01:07:48 ID:f5nrCPQT
>>336
一揆勢は戦闘においての短期的な損害はかまわず進みそうだけど。
人海戦術だし。

どんな勢力でも初めてのときは初めて。
そしてその初めても経験ないからやりません、じゃすまされないのが戦国時代。
戦略的に必要であり、出来る力があるなら経験無くてもやるだろ。

まあ松永は誤算だったわな。それでも本命の足利が残っていれば京都周辺における
影響力は期待できる。松永とてこのままでは終わるまい。少なくとももうちょい粘るだろ。
それらが頑張ってくれれば東方戦線の影響次第で織田に敵対する流れを広げられる。

個人的には武田と合流せんでもいい気もするが。
数万の兵力を持つ両者が同時に織田の領域を脅かせるならそれは十分な攻撃。
石高であっても各地にいる敵に備えなければならずそれを考えれば織田もそんなに
余裕があるとはいえまい。急激に成長した織田は日和見勢も内部に抱え込んでいる。
遠藤みたいな手合いはこれからも出てくる可能性はあるし。
342人間七七四年:2008/01/12(土) 01:14:31 ID:C6HHOI9j
>>337
1572年の10月ぐらいだったはず
浅井朝倉が虎御前山の砦だか、堤だかを破ろうと出兵したがそれを秀吉+一部の馬廻が破ったと
当時の秀吉の兵力だが
始末記などでは磯野と合わせて5000
堀樋口などの坂田郡の勢力に宮部など浅井郡の勢力の一部が与力
それに竹中などが与力でしょ
某スレの石高によるなら坂田郡だけで8.4万石だから、近江で付けられた兵力だけで数千
1568年の上洛時の時点で秀吉は一軍率いているぐらいだから少なくとも1000を超える兵力だったろうし

この時期の秀吉の兵力は5000前後ぐらいあってもおかしくないと思う
343人間七七四年:2008/01/12(土) 01:44:17 ID:C6HHOI9j
>>339
秀吉が横山入ってから数年間、ついに破れなかったしなー
犠牲を省みないで必死に攻め続ければ絶対落とせるとは思うが
朝倉は何度も攻め続けられるのか?そんな犠牲を出すことを家臣は承諾するのか?
更に言うなら秀吉倒した所で援軍である朝倉軍には直接的な利益にならないだろうし

長期戦と言っても対岸攻めるだけだしなー、相手だった用意は出来ていないのは同条件だろうし

徳川はそれでも奥三河はかなり取り戻しているが、
(もっとも信玄が生きていれば同様に取り戻せたかは怪しいが)
それを考えれば徳川を放置することは出来ないだろ
どれだけ抑えの兵力が必要となるかは分らないが

別に徳川北条との争いに限らずそれ以前の上野攻めでもいいけど
それに様子見るって何か根拠あるの?

>勝頼時代でさえ2万近い兵力を何度も動かしているのだし
減ってるんじゃ?
それに信長を倒せるならリターンは十分あるだろうけど
力削ぐ程度とか何ヶ月か対峙して短期的に武田に利益が出ないんじゃ
財政的にきついんじゃ
三河遠江は豊かかもしれないけど、武田が占領したのは山間部ばかりじゃ

伊勢長島にそれなりの兵力の抑え残しても、織田は武田とある程度戦える兵力あるんじゃないか?
344人間七七四年:2008/01/12(土) 01:49:02 ID:G3WmPTbG
>>341
その「できる力」の有無について話してるんじゃないのか?
それが経験であり、長島にはそれがほとんど無いと
テキスト読んだだけで、車の運転をパーフェクトにこなすのは無理だ、それこそ教官なみに
勿論、そこいらにぶつけながら、人をプレスしながらならいけるだろうが、それで「運転できる」と表現できるかは微妙だな

それからさ、急激に拡大したのは武田も同じじゃないか?
織田は尾張半分ぐらいから、美濃、伊勢、近江などなどに支配を広げた
武田は甲斐一国から、信濃、上野、駿河に支配を広げた
織田において、その急成長による内部不安を特記するのは、ちょっと偏ってないか
345人間七七四年:2008/01/12(土) 02:03:29 ID:C6HHOI9j
>>341
長期的な兵糧や軍需品の用意は?

>戦略的に必要であり、出来る力があるなら経験無くてもやるだろ。
それは無茶じゃないかな?

まあ足利はそれなりの兵力だろうな、7月の挙兵時にも数千の兵力だったし
ただそれも細川明智らに牽制させれば取りあえず牽制は出来るんじゃ?
松永は粘ってもあんま影響無いような
ついでにいくら松永が頑張っても筒井ら大和国人勢力と寺社とは敵対しつづけて動けないんじゃ
織田に敵対の流れといっても筒井らは松永に敵対しているのであり
細川畠山荒木らも三好と敵対しているのであって、力の差が隔絶しない限り
織田上洛前からの敵対関係は変わらないで、それらの反織田勢力を牽制し続けると思うが

長島は自分も合流する必要はないと思う、無理に合流するのは危険だし
地元で織田を牽制して、できれば美濃尾張に荒して
ある程度織田の起動兵力を引きつけれればそれでいいと思うし、それぐらいしか出来ないと思う

日和見勢力はいるだろうけど、当面は織田家に従うだろうからなー
史実の遠藤が実際には動かなかったように
どこかで信長が大きなミスをするか、
どこかの勢力が全力で攻勢に出てどこかのバランスを崩せばそこから連鎖的に崩壊していく可能性は
十分あると思うが、その最初に攻勢に出るやつが実際にはいないと思う
346人間七七四年:2008/01/12(土) 02:06:58 ID:C6HHOI9j
>信玄は各村?に1年以上遠征することも考慮し働き手の数は大丈夫か確かめさせてる。補給うんぬん除けば1年以上遠征するつもりだったらしい
>春には南アルプスで「俺がいない間に越後が来ないように」ってお願いしてる。
個人的にはこのソースが知りたい
だれか知ってる人いない?
347人間七七四年:2008/01/12(土) 02:13:56 ID:f5nrCPQT
>>343
秀吉が横山入ってから朝倉浅井の本格攻勢はついになかったからなー。
大抵1部隊が攻める方式で。信長の後詰もあったし。
2万を超える軍勢による大規模攻勢なら攻略できそうな気が。
秀吉倒せば近江北部や美濃に領域拡大できるようになる。
しかも信長本軍は信玄を向いてるときたもんだ。ここで信玄と連携して信長の領土を削るもよし、
信長を倒しに行って大きな領土獲得を目指すもよし。美味しいもんだと思うが。

長期戦というのはそれから始まる織田勢との戦いに備えた準備という事。
もともと一揆なんだから小木江攻略だけで終わると普通は考えないとすれば
そこらへんの準備は時間がかかるもんだと思うが。
相手の小木江城は軍事拠点なんだからもともと城に物資兵員その他の準備はしてあると思うが。

様子見だけじゃないって。そもそも長期遠征自体が普通はまずやらない事だといってる。
加えて北条・徳川の時は戦略的状況の問題から様子見をする必要性があったという話。
確か最初の駿河攻めを終えた後、甲越和与を使った後で北条攻めをするかしないかで武田家中が紛糾した
事があったように思うが。家臣達は謙信に備えるべきだと言ったけど信玄は謙信は動かないと判断して
小田原攻めに向かったと。そんで小田原攻めも謙信や徳川が気になるし、本来の目的は駿河だから
北条に対する牽制と陽動、越相同盟の不和を浮き彫りにするという観点に絞り数ヶ月の遠征で済ませたり。
このように武田は駿河をめぐる戦いでは随分周辺環境に注意しながら戦略立ててる。
そういうのが無くても普通は長期遠征はしないもんだけど。でも信長を追い詰めるチャンスである西上では
長期遠征する価値があるという話。

長篠は本来は7千というなら偉く少ない気がするが、謙信に備えて1万残してたともいうし
織田や徳川や北条との戦いでも勝頼は2万近い兵力を動かしていたはずでは。
最後の戦いでも木曽攻めには1万5千くらい動員してるし。
これだけあるならまだまだ財政的には大丈夫だろう。勝頼時代は9年持ったわけだし。

ここで織田の力を削いでその打倒に向けた流れを作れるならそれでも十分。
徳川攻めで得た領土だけでも結構なもんになってるし。
遠江にいたっては結構平野も占拠してるはずでは。三河でとった領域も悪くは無い。

伊勢長島に押さえの兵力を残し、信長は武田とある程度戦える兵力でもって対峙する。
そうなると意味を持ってくるのが朝倉だ。信玄が朝倉の動向に注意していたのはこういう理由なんだろう。
信玄としてみれば織田をひきつけてる間に畿内の足利たちが味方を増やすのも良しだし
朝倉が動くのも良し。織田本軍をひきつけ反信長勢力が活性化する事で信長を追い詰めていけるという判断だったのだろう。
もちろん朝倉と連携して一挙に信長を倒せれば一番なのだろうけど。
個人的にはもう少ししたら毛利が参戦してくるのではないかという気もするが。
348人間七七四年:2008/01/12(土) 02:24:34 ID:f5nrCPQT
>>344
戦国時代には一国も持たなかった状態から勢力をつくり他国に攻め込んだ連中はいる。
そいつらが他国を攻められるだけの規模を持っても「経験無いから他国攻めません><」
って言って他国攻めずに引きこもってた事ってまず無いと思うんだけど。
最初だから戸惑う事もあるかもしれないが出来ないとは思えない。

時間や規模が織田と武田ではかなり違う。
織田は1568年までに得た尾張美濃伊勢はともかく、それから畿内の多くの領域を数年で
取り込んだ。それは統治は十分に貫徹された状態ではまだなかったはず。実際武田西上までの戦いで
随分いろんな勢力が入り乱れてる。武田西上時に心の座らないでいた連中は結構いたろうさ。
349人間七七四年:2008/01/12(土) 02:47:53 ID:f5nrCPQT
>>345
伊勢長島が北伊勢に大きな力を持っていることからそれらの調達も可能ではと
思うけど。

無茶かな?>>348にも書いたけど、戦国時代には一国も持たなかった状態から
勢力を作って他国に攻め込んだ連中は結構いる。そいつらも経験無かった状態から
攻め込んで成果を挙げている。出来ないと断ずるのはいかがなもんかと。

足利の持ち味は軍事力だけではなく、そのマスコット性にあるからな。
足利将軍が直々に兵力を率いて信長討伐を叫んでそれがある程度の勢力を維持していると
なれば周囲への影響も大きいだろう。明智や細川は軍事的な意味での牽制は出来ても
その足利将軍としての影響力まで封殺できるとは思えない。
もちろん足利将軍と言ったって実力や裏づけがなしに叫んでも駄目だろう。
だけどこの時点では数千の兵力を持ち義昭を担ぐ信玄を始めとする勢力たちが
大きく動いている状態でなら周辺の日和見勢とかに影響を与えられる可能性はある。

三好に敵対している勢力も筒井に敵対している勢力もそのままではそれぞれ争うだろうけど
ここで将軍家を上においた休戦状態なら作れなくも無い気が。
将軍の命令などこれまた裏づけが無ければ無視されるだろうが、義昭を名目上でも盟主と仰ぐ
信長包囲網が活性化する状況なら松永や三好の敵達も様子見の為に将軍家の仲裁を名目として
休戦する可能性はある。

まあ信長の兵力をひきつける事が出来ればそれだけでも武田にとっては大きな利益。
数万の兵力を持つ長島が本当に信長領土に侵攻できないのかというと個人的にはおおいに疑問だが。

遠藤は信玄に美濃に春に来るからその時に寝返ってね、と言われてそのまま信玄が死んでしまったからなー。
その後で朝倉とかもやられちゃって遠藤にしてみれば寝返りを思いとどまったんだろう。

どんなもんだか。日和見勢力が動かなければ武田にとっては利益。織田にとってはマイナス。
この状態で武田・朝倉・伊勢長島が美濃周辺でそれぞれ信長領土を蚕食していけば
寝返りは現れてくるような気が。この3勢力全てに対処するには信長は少し手が足りない。
そして東方戦線で信長がジリ貧であればそれは畿内の日和見勢にも飛び火すると思うが。
そうでなくてもあなたの言ってるように緊張状態が続いている間に毛利が参戦してきたら
それでチェックメイトだと思うが。
350人間七七四年:2008/01/12(土) 03:04:49 ID:C6HHOI9j
>>347
>秀吉が横山入ってから(ry
戦なんて大抵は先陣の部隊が戦ってみたいなものじゃ
それ言うなら信玄だって砥石攻めた時や小田原攻めた時も
信玄直卒の部隊は戦っていないから、大規模攻勢かければなんて言えてしまう
領土拡大に関しては実際にそれが出来ればな

>長期戦というのは(ry
ごく近距離の城攻めるのにそんな準備なんて時間かかるものか?
長島だって対岸に城が造られたり、服部が殺されたりしているのだから
ある程度の準備は小木江城同様にしていたと思うが

>様子見だけじゃないって(ry
それらの理屈が通るなら織田との戦いでも様子見する必要があったんじゃ?
上杉だって動くかもしれない、北条だって再同盟したばかりと不安要素は残る

>長篠は本来は7千というなら(ry
だから減ってる、それに国許に1万残すのと、その兵力を遠征に向けるのとでは
費用が異なると思うが
それに織田や北条や徳川の戦いで2万近い兵力というが、
それだって長期間の遠征じゃないし、これだけあるといっても
年に短期間兵を動かすのと、長期間兵を動かすのは費用は異なるだろ
9年持ったと言うが、その間信玄時代並の兵力と期間を動かしことは無いんじゃ?

>徳川攻めで得た領土
結構な量か?ほとんど山間部で、話が広がり過ぎるのを避けるため上洛スレに頼るなが
遠江は20%で三河は15%じゃ

>伊勢長島
まあ織田が各地に守備兵力残して、徳川に抑えの兵を残した武田と対峙して、
取りあえず長期戦になったとして
兵站やそれまでの遠征の疲労考えれば先に兵を引くのは武田なんじゃ?
朝倉や足利ら各勢力が頑張ってある程度戦果を得ていたとしても、
武田が兵を引いたことで自由になった織田が戻ってこればそれらの戦果もすぐに
取り返されるんじゃないか、一度に一地域に投入出来る兵力は織田家の方が多いんだから

>個人的にはもう少ししたら毛利が参戦してくるのではないかという気もするが。
この時期の毛利家は織田家と同盟
この時期毛利は浦上宇喜多を支援して東瀬戸内に影響力を持つ三好と抗争中
毛利が対織田に参戦するということは、ある意味三好の没落も兼ねている
毛利が東に勢力伸ばすことはある程度までは織田家にとって有利になる
351人間七七四年:2008/01/12(土) 03:18:18 ID:C6HHOI9j
>>348
そいつらは一から徐々に勢力範囲広げて経験積んでいるだろ
最初は一日でいける範囲それから郡単位、国レベルって感じで
伊勢長島はそうでなくてそれらを飛び越えて一気に国外遠征レベルをする
これじゃ無茶だろうってことに

実際の所織田は1568年に一気に領土増やしてから4年たっている
それを言うなら駿河支配が完了したのが1571年の武田の駿河支配の方が
より不安ってことになってしまう

>ここで将軍家を上においた休戦状態なら作れなくも無い気が。
そんなことが可能なら室町の混乱は無かったわけで・・・
休戦というが松永や三好の敵どころか松永や三好自体がそもそも従うかどうか
松永や三好にしても自分の敵のほうが重要だろうし
地元の敵を放置して織田家と戦うために近江方面まで進出した隙に
休戦破られる可能性だってあるしな

>この3勢力全てに対処するには信長は少し手が足りない。
根拠は?

あと緊張状態が続いたら上杉が自分の問題片付けて、武田も東を気にする必要が出てくるがな
毛利に関しては上に書いた
352人間七七四年:2008/01/12(土) 03:40:37 ID:f5nrCPQT
>>350
いや、VS秀吉の場合本当に動いているのが一部隊だから。
つまりその1部隊でも本陣があって先鋒がいてryとなるわけだね。
それが2万を超える朝倉浅井の本格攻勢とは別物な事は明白。
複数の部隊が一気に襲ってくるのだから。

いや、だから。近距離の城「だけ」攻めるだけで戦いが終わるわけないでしょ。
蜂起した以上伊勢長島は織田勢力との長期戦も覚悟した。
となるとそれに耐えうる準備を時間かけて整えた上で進撃しまずは手近な小木江を襲ったって事でしょ。
数万の兵力で動かせるだけの準備はとてもしてなかったと思うけど。

北条は関東に夢中。再同盟したあとで武田は北条にちゃんと協力して信頼関係作ってる。
北条は上杉や関東諸勢力と戦う必要上武田と事を構える可能性は低い。
上杉はその北条と激突する。さらに念入りに越中一揆を扇動して絡みつかせてる。
周囲の多くが敵で注意しながら戦わざるを得なかった駿河攻めの時とは違うだろう。

とりあえず勝頼は3ヶ月くらいの信玄時代のコンスタントな遠征なら信玄死後の徳川攻めとかで普通にやってるよ。

遠江はそんなもんだったか?犬居・只来・飯田・各輪・匂坂・二俣・伊平小屋と西上だけでも
ざっとこれだけ攻略してるのだけど。

さすがにすぐには無理だろう。元亀争乱を見る限りは。
まあこれは朝倉や足利がどれだけ成果を得ているかにもよるが。
武田が長期戦をやるなら本軍の居ない所で朝倉その他はかなりのびのびやれると思うんだけど。
それで日和見勢に動揺が走ったならかなり大変な事になりそうな気が。
信長はそれを果たして座視していられるのか。そして織田の方も長期対陣の疲労は
存在しないのだろうか。

毛利は何気に足利家と縁が深いからなあ。
後一年くらいすると東に接した毛利の勢力圏が織田に近づいてくるんだが。
果たして三好はどう出ることか。
義昭はこの状態でも毛利をひっぱりこもうとするのだろうか。何気にやりそうだな。
将軍の名の下に休戦せよー、ってな感じで。この状態で毛利と三好の両者が聞くかはわかんないけど。
353人間七七四年:2008/01/12(土) 03:55:42 ID:f5nrCPQT
>>351
んな事いったら加賀の一揆とかどうなる。
国外遠征っていってもとてつもない遠距離攻めるわけじゃないんだから。

そんでその領域はいろんな勢力が入り乱れてるでしょ、って事。
その4年間に信長の敵があちこち動き回ってるんだから。
駿河は何気に信玄の最初の駿河攻めの時に多くの今川家臣が武田に寝返った関係で
結構な領域が武田についてたんだけど。

だから普通にやれば無視される程度のものだよ。
三好の敵も松永の敵もそれを受けるとしたら自分のためだ。
普段は拒否するだろうが、反信長勢力が活発化した状態なら自分達で動向を見るために
将軍の仲裁を名目にして休戦し様子見する事は十分ありえると思うが。
実際戦国大名も自分に都合がよければ足利将軍の仲裁を名目にして休戦する事はあッたことだし。

根拠は信玄西上の時に朝倉浅井に対しては寡兵の秀吉に丸投げしてる事。
美濃にいる時の信長が偉く静かな事。これで朝倉浅井の本格攻勢が来たら?
伊勢長島が動いてたと仮定するなら?信長はそれに余裕で対抗できたかな。

謙信が問題片付けるのはいつだと?北陸で一揆との戦い終わるのは1576年だったか。
史実では足利将軍の仲裁で本願寺と和睦し信長包囲網の一角に入るんだが。
信玄生存時なら和睦すんのかねえ。するとしたら信長包囲網の一角に仲間入り。
入らないなら本願寺との泥沼が続くのでは。関東の問題は死ぬまで終わらなかった品。
354人間七七四年:2008/01/12(土) 04:01:38 ID:f5nrCPQT
とりあえずもう寝ます。
355人間七七四年:2008/01/12(土) 08:07:47 ID:MjV3LG3L
とりあえずID:f5nrCPQTがゲーム脳だってのは良く解った
〜だと思うって言葉が多いわけだが、自分の妄想を確定条件にしたら当然何だってうまく行くわ
まず浅井朝倉は瀕死の状態であったことから既に動けないってのはもう確定事項だぞ?(まずこの時点で無理な事を言っている点は考慮に入れるべし)
これは既に戦力外通告としておk
畿内も基本的に自分たちの利益によって争い合ってる状況なので信長打倒なんて二の次
自分たちの世話で精一杯の連中だからこいつらも動かないと見てほぼ間違いはない(当然信長側もここはあてにできない)
反信長も親信長もたんなる名目にしてるに過ぎんって点も考慮に入れるべきだな
後、朝廷という外交カードは常に信長が保持してたということは頭の片隅に置いておくといい
それこそ畿内、浅井朝倉方面とのみ朝廷仲介で和睦しておいて全力で信玄に戦力を向けることも可能なんだが?
この和睦を蹴ることは当時の中央方面の大名にはできない、朝敵の汚名を被る結果になるから(周りからフルボッコされるため)
この状況を仮定して信玄と戦闘すると織田は圧倒的多数になるぞ?
この状況で信玄は勝ち目無しと判断して間違いないのでは?
356人間七七四年:2008/01/12(土) 10:18:17 ID:eC1kQ1Me
>>355
瀕死と言うが、浅井はともかく朝倉もそうなのか?
朝倉は最後の出陣で「疲労で行きたくない」という連中(結局こいつらは裏切った)除いて2万以上動員している。
この時期ならそれより余裕も希望もある。
勝手に確定事項にして勝手に戦力外通告できるなら、どうとでもほざけるわな。
357人間七七四年:2008/01/12(土) 10:23:13 ID:m3bttDLG
>>352
>2万を超える朝倉浅井の本格攻勢とは別物な事は明白
なんで史実でやらなかったの?史実において、信長本隊が他戦線に出向いていて
江北は留守部隊の木下しかいないって状況はいくらもあった。ぶっちゃけると、
元亀三年十一月以降は信長はおらずに朝倉の援軍はあるという絶好の機会。にも
かかわらず、義景は秀吉と対峙するだけ。

>数万の兵力で動かせるだけの準備はとてもしてなかったと思うけど
していたのなら、なんでそのまま進撃しなかったの?

また、上杉はこの時期越中から加賀にまで攻め込んでいる。顕如が信玄に、兵を
越後に進めてくれと援軍要請するほどに。もし長期間対峙ということになれば、
北陸を片付けた謙信が関東なり北信濃なりにでてくる可能性は非常に高い。何せ、
信玄死後に信長に「この好機に一緒に武田攻めようぜ」って提案しているくらい。
信玄が留守に北信濃に攻められれば?信濃でなくも上野にも武田領はある。また、
謙信に攻められた北条が武田に援軍要請をしたら?信玄の上洛軍に北条は援軍を
出してくれたけど、北条の援軍要請にこちらは出せません、ですむのか?

>駿河は何気に信玄の最初の駿河攻めの時に多くの今川家臣が武田に寝返った関係で
結構な領域が武田についてたんだけど
それいったら、美濃は長期間信長の調略によって多数の斉藤家臣が織田に寝返った。
また江南の六角もほとんどの家臣が信長に降服している。
358人間七七四年:2008/01/12(土) 10:25:01 ID:G3WmPTbG
>>353
確認したいんだが
まず、前例が無いから、経験が無いからできないということは無い
つまり、そこに能力と、必要性があれば、前例がなくともできるということだな?
そして、織田は支配構造が不安定で、武田は強固だと(少なくとも織田との比較で)ということだな?
359人間七七四年:2008/01/12(土) 12:43:56 ID:f5nrCPQT
>>355
そんな事いったら織田側が主張する謙信はこれだけ困難な状況でも
織田の為に動くだの朝倉は絶対に動かないだのはどうなる。
自分に都合のいいように諸要素は動かないと断定するならどんなのだってうまくいくだろうさ。
なんで朝倉浅井が動けないと?実際刀根坂でさえ2万の兵力を動員してるだろうが。
むしろ絶対出来ないだの確定事項だのいうのがわからん。実際動いてるのに。

畿内の連中がなんで動かないと?足利はちゃんと動いてる。
他の畿内連中も織田と単独で戦えなくても織田がいないならその影響力は十分。
第一自分の利益で織田と戦うならそれで十分なんだが。
動かないというならそもそも織田と敵対はしない。

それから朝廷というカードが全てにおいて絶対の価値を持つわけではない。
比叡山は志賀の陣の時でも最後まで朝廷の和議を渋ったが度重なる説得で妥協した。
朝廷だけで全部うまくいくなんて考えるのは異常だ。

その朝敵になった場合にフルボッコするのは誰だ?
織田と反織田の2極化してる時点でわざわざ鞍替えなんかするか。

そっちは随分無理な断定が多いようだが。
360人間七七四年:2008/01/12(土) 13:00:57 ID:f5nrCPQT
>>357
機が熟してなかったからだろう。
確たる展望なしで単独で動く為に全力を出すのはあんまりやらないだろう。
今信玄を初めとする反信長勢が大きく攻勢にでようとしてその打ち合わせも
進んでいるのだから全力攻勢はありうるだろう。

言葉が簡略化しすぎていてよくわからんが小木江の後になんで伊勢長島が動かなかったか、
っていう事?何度も言っているけど11月21日に伊勢長島が小木江を攻略したすぐ後には
滋賀の陣における信長と反信長勢の和平交渉がはじまっているんだってば。

謙信は四月末には一回越中から戻ってきてるんだけど。
そんで8月にもまた越中攻め。そんで疲れたのでその年は越山も取りやめてるくらい。
これで武田攻めに動くとは思えないが。
それから関東に侵攻してくる北条との戦いはこれからますます激化してくるぞ。
1574年の謙信のタイムスケジュールは北条との戦いで一杯だ。
晩年でさえ信長攻めるより関東を優先しようとした関東管領謙信が
火がつきまくってる関東を放っておけるとは思えないが?

だから、1568年までの信長が制覇した尾張・美濃・伊勢は時間をかけて制覇してる
以上その支配はかなり固まってるとみていいと言ってるよ。
近江南部に関してはそれでも六角が一揆扇動とかしちゃえば随分動揺してしまう所が
あるわけだが。
361人間七七四年:2008/01/12(土) 13:43:08 ID:Vlz6k+ZR
>>352
朝倉に関してはそれまでチャンスがあったのに何で動かなかった?
また堤に水まで引き込んだ虎御前山は守りが固いんじゃないか
朝倉からは寝返りが出たり軍役拒否と士気は落ちる一方で
状況はそれまでの数年より悪くなってると思うが
長島は動きながらだって準備したっていいんだし

>北条は関東に(ry
これまた都合がいいような、駿河で争っていた時も他の勢力にたいして
似たような理由で武田とことを構える可能性は低い、長期出兵も可能と言えるんじゃ?

>勝頼は3ヶ月くらいの(ry
だから何?
年に短期の出兵を何度かと長期出兵とじゃ費用がまるで異なると思うんだが
それに兵力も減っているし

遠江はそんなもんじゃないか?周智郡を中心にほか引佐豊田郡の一部に
71年に落とした榛原郡の一部ってとこじゃ

>さすがにすぐには無理だろう。
浅井朝倉大坂本願寺伊勢長島はともかく、他の勢力は史実から考えると
ごく短期間で潰されると思うが、信玄死後の話だけでなくそれ以前からも
71年から一つ一つ潰されていると思うが

朝倉などがそれなりに戦果を出せればあるいはな
ただ日和見勢といってもそれは反織田にも言えることだし

織田の方の長期対陣の疲労というが、武田は織田と対陣するまでで既に半年経過
本拠地との距離も織田の方が圧倒的に有利だし、経済力も恐らく織田の方が上だろう
どっちが先に疲労が蓄積するかなんて、議論の必要無いと思うが

毛利は1575年に三村を滅ぼしてようやく1569年以来の騒動に蹴りがつくんだが
そして織田と毛利の間にあった三好も1573年の篠原の死や、畿内の三好勢力の衰退
1575年には織田に通じるとなって、織田と毛利の勢力圏が接するようになったのだから
もし三好が史実より頑張るとすればそれだけ織田と毛利の開戦の時期は1576年より更に
後になると思うが?
362人間七七四年:2008/01/12(土) 13:56:37 ID:Vlz6k+ZR
>>353
加賀には100年の歴史があるだろ
国内の内乱から始まって、国外勢力の侵入を退けて
後に国外へ侵攻
長島にはそれまでどれだけ戦闘の経験があった?
まだ対岸にしか攻めたこと無いような連中がいきなり遠征が出きるのか

>だから普通にやれば無視される程度のものだよ(ry
だったら様子見るために反織田勢力も碌に動かないんじゃ

>根拠は
単純に冬だからじゃないか?信長は冬は基本的に軍事行動避けているし
武田の方も徳川との勢力圏の境をちょこっと動くだけだったし
春になったら武田のことは気にせず上洛しているし
織田が上洛した時点じゃ武田の今後の行動が撤退かどうか判別つかないのに

謙信は越中の問題は1573年にひとまず終えて
1574年には上野に出兵して、勝頼とも対陣している
史実では後に織田と敵対したが、それは武田が長篠で惨敗して脅威では無くなったのと
織田が1575年に加賀の半国まで支配するようになって勢力圏が近づいたことと
本願寺や加賀一向一揆が織田との戦いに手いっぱいで上杉とも対立する余裕が無くなったからじゃ

あとはまあ他の人と一緒
363人間七七四年:2008/01/12(土) 14:16:08 ID:Vlz6k+ZR
>>359
謙信については謙信が自分の為に行動することがこの時期の織田に都合の良い行動となるってだけじゃ
1573年の春じゃ一向宗と戦っているだろうがそれだって本願寺の牽制に繋がるわけだし

>第一自分の利益で織田と戦うならそれで十分なんだが。
畿内連中には織田以前に自分達の敵がいるんだが
まずそいつらをどうにかしないと、織田と戦うなんて出来ないだろ

>織田と反織田の2極化してる時点でわざわざ鞍替えなんかするか。
1573年の初めあたりに、細川藤孝や荒木が織田に鞍替えしたな
岩成は逆に反織田を鮮明に、あと山本も反織田を鮮明にしたのはこの時期か?
どっちがどっちに鞍替えするかはわからないが両勢力とも日和見勢力がいる以上
鞍替えとかは起きそう
筒井だって最初は反織田だったと思うし

>>360
近江南部に関していえば動揺していた時期もあったがそれも73年には落ちついているだろ
六角は山奥に追い込まれて、一揆は鎮圧され、甲賀の豪族までも織田に従いだしてと
それ言うなら駿河だって今川が煽動すれば一揆とか起きて動揺してしまう所があったわけだが
知らないのかもしれんが
364人間七七四年:2008/01/12(土) 14:31:08 ID:f5nrCPQT
>>362
美濃も尾張も北伊勢の本当に近くではないか。
これで攻め込めないというのがむしろ不可解。
伊勢長島は本願寺系の中でも有数の由緒と実力と歴史をもった存在である事をお忘れなく。

反織田の足利も松永も実際動いてる。動かないならそもそも織田に敵対しないって。
彼らは信玄が動いて織田をひきつける事で勝算ありとみてここで蜂起した。自分の為に。
でもそこまで腹もくくってない松永や三好の敵達は反信長勢が勢いづいたのを見れば
休戦して様子見するのはありえると思うが。織田に義理立てする必要はないのだし。

信長が動きだすのは3月25日か。信玄が2月10日に野田を攻略してから動きを止めてしまった
事は信玄の病気によるものだが、信玄死後にこれがあっさりばれている事から見て
信長方にもこの情報はある程度流れていたのでは?
3月25日からの信長の動きは義昭と和睦を結ぼうとしていることを目的としており、
その目処がたったら4月11日には岐阜に帰還してる。
信長としてもそう長く岐阜をあけて置く事は出来ないと判断していたのでは。

1574年の謙信のタイムスケジュールは関東での戦いで一杯だよ。
1月26日に陣触れ、2月5日に上野沼田に着陣。その後一年に渡って各地で北条と戦い
その年の閏11月には重要拠点関宿が陥落してしまっている。
史実でさえ謙信にとって望ましからざる結果に終わった関東の戦況を手を抜けるとは思えないけど。
まして武田攻めなんて。

確か1575年10月には謙信は武田勝頼と和議を結んでいるはず。
そんで越中での戦いは1575年にも反乱鎮圧という形でおきている。
1576年にも9月に越中に侵攻している。
そしてこの年の12月には能登の遊佐達から能登への出兵を要請されている。
これは足利義昭からの干渉以前の事。謙信が北陸に深入りしていく背景は構築されている。
謙信としても武田や北条と争うより北陸のほうが勢力拡大しやすいだろうし。
実際1577年からは能登に侵攻。北陸経営に専念していく。
このように謙信は北陸を目指しており、それを狙うなら信玄生存でも武田との和議も1575年の段階でありうる。
もともと駿河をめぐる騒動では甲越和与を結んだ仲でもあるし。
勝頼と和議をした時点で勝頼は反織田である事からも織田との同盟も関係なさそうだし。

だから加賀一向一揆の力が衰えない状態なら上杉は北陸の本願寺勢との戦いを続けて
泥沼になるので信玄に介入する余裕は無いのでは?関東もあるし。
365人間七七四年:2008/01/12(土) 14:44:34 ID:f5nrCPQT
>>363
北陸一向宗はこの時期の反織田勢の牽制となりうるか?
北陸は北陸で勝手に展開している状況だし。反織田の本部は大阪の石山で
こっちもこっちで独自に展開してるし。

まあもともと北陸にも関東にも忙しい謙信が何故か信長の為に武田を攻めてくれる
という主張に反論しただけ。

その自分達の敵と戦ってくれる事でまずは十分。その自分達の敵は畿内における信長方であり
それとの戦う事はは畿内における信長の力の削減でもある。

いや、今川旧家臣の一揆扇動は知ってるよ。第一次駿河攻めにおける武田の撤退要因の一つでも
あるわけだし。でもそれはもともと武田になびかなかった連中が北条という後ろ盾を得て蜂起し
抵抗していたもので駿河攻めを通してそれは鎮圧されてる。
まあ六角に関しては確かに1573年4月の段階で放逐されているか。
東方戦線次第ではまた再起はありえるか?微妙な所か。
366人間七七四年:2008/01/12(土) 14:53:35 ID:Vlz6k+ZR
>>364
海西や石津に攻めこめることは誰も否定しないだろ
史実でもしてるわけだし
問題にしてるのはそういった対岸だけじゃなく、それ以上の遠征能力があるかということ

>伊勢長島は本願寺系の中でも有数の由緒と実力と歴史をもった存在である事をお忘れなく。
だから何?としか言えない、問題の焦点は現実にどのような軍事能力と実績があるかだろ

松永や三好の敵達は松永や三好以上に腹くくって三好松永と敵対しているんだが
何度も負けたり国追放されたりしてもなおしつこく勢力取り戻しては抵抗してきたと思うが

信玄の病状を知っていたと?そんな憶測に憶測を重ねられては議論なんて成立しないと
思うが、長く岐阜を開けていられないと言う割には帰りはノンビリと百済寺に滞在して
六角を攻めようとして付け城築いたり、百済寺を焼き討ちしたりしているがな

謙信に突いては史実じゃ勝頼は上野に出兵したが、信玄はしなくていいのか?
自分は援軍出してもらった以上信玄も兵を出す必要があるだろ
武田との上杉との和議は本願寺や加賀、武田が元気なら成り立たないだろ
そして上杉に北信濃に出兵する余裕は無くても、武田は無警戒ではいられない
上杉が関東に出陣するなら武田は北条の支援と上野の防衛の必要があるし
上杉が一向宗と戦うなら本願寺は加賀を支援する分、織田に回せる力は減るし
あるいは史実で本願寺が武田に加賀の支援を頼んだように、加賀の支援をする必要も出て
どっちにしても結果的には織田に有利になるだけじゃ
367人間七七四年:2008/01/12(土) 15:03:54 ID:Vlz6k+ZR
>>365
顕如は信玄に対し一向宗支援のため上杉と戦うように書状出してるな
顕如にとってはまず自分達の利益の方が大事なんだろうけど
それと完全に独自と言う訳ではない、一応顕如も全国の一向宗に呼びかけて
加賀の一向宗を支援させたりとかしている、加賀の一向宗を支援すればする分
大坂の方は全国からの支援がその分減るだろうし

謙信の行動が結果的に信長の為になるってことでしょ
史実じゃ北信濃を固めていたから謙信が信濃に攻め入ることは無かったが
手薄なままなら攻め入る可能性だってゼロじゃないしな、可能性は低いだろうけど

>あるわけだし。でもそれはもともと武田になびかなかった連中が北条という後ろ盾を得て蜂起し
>抵抗していたもので駿河攻めを通してそれは鎮圧されてる。
つまり信長の江南支配の過程と似たようなものでしょ、織田だけ不安定ということにはならない
氏真はこの時期は掛川だったと思うが、主力が東美濃に拘束されているなら一騒動はあるかもしれない
可能性は六角の再起よりもっと微妙だと思うが
368人間七七四年:2008/01/12(土) 15:17:07 ID:f5nrCPQT
>>366
だから何?といわれてもな。
それだけの力の裏打ちがあるんだから軍事的侵攻を行うのに不足はあるまいという事。
その機会が無かったからしなかっただけで、蜂起してまだ数年しか立ってない
伊勢長島に実績実績いっても仕方ないだろうに。少なくとも出来るだけの力は持ってる。

そこまで頑張ったのは何故か?自分の勢力や権益を守りたいからだろう?
だったら反織田勢が勢いづいたのを見れば自分の今もっている勢力や権益を守る為に
とりあえず休戦して様子を見るのはおかしくあるまい。

まあ風聞くらいはあったのでは。まあ憶測を使うなというなら事実の話をさせてもらうが
現実問題として信玄の動きが野田攻めの後で止まってしまった事になんらかの意味を見出すのは
おかしくないだろう。まあ朝倉が動き出すのは春だろうし、武田もそれを待っているのだろうから
それまでならある程度の間隙をつけるという風に判断したのかもしれんが。

それでも実際岐阜に帰ったのは4月12日でしょ。出陣が3月25日である事から見て
さらに和睦を行動の主体として居る事からも長く岐阜をあける気があったようには思えんけど。

それがどれくらいの兵力になることかね。北条の援軍が2千なのならそれくらいで済むなら安いのだが。
信玄が東にかかりきりになってる状況で北条も全力救援までは求めるかね。
武田が元気なら何故成り立たない?武田だって出来るなら和睦して西に集中したいはずだ。
もともと西上直前には謙信は信長を介して信玄との和議を申し込んでいたはずだろう。
無警戒でなくても武田の西侵攻を妨げるほど兵力を割く必要は特に無い。当時の上杉の状況を見ても。
1574年の北条と上杉の戦いから見れば上杉には武田に構うゆとりはなさそうだけど。
北条が送った2千の援兵に見合うくらいの支援ならだせるだろうよ。

北陸の本願寺はもともと上杉との戦いを主体としていただろうに。朝倉潰れた後で
織田と戦うことになるがそれまでなら織田との戦いは朝倉浅井がやる。
畿内の本願寺も独自に動いてるし。
加賀の支援は実際の歴史で武田そんなにやってないし。だから謙信の北陸経営進んだともいえるが。
少なくとも優先順位で言えば織田との戦いのほうが優先でしょ。
369人間七七四年:2008/01/12(土) 15:29:20 ID:f5nrCPQT
>>367
でも史実においては大阪石山は1580年まで守り通した。最後も攻略された
わけではないし物資を織田に渡すのが嫌で破棄したんじゃなかったっけ。
つまり史実において謙信が北陸攻め続けても大阪にはそれだけの支援があり
力を生み出したと。

そう可能性としては低かった。実際も動かなかった謙信は。
そしてその行動が朝倉浅井が織田と対する状況においてどれだけ織田方に利するかというと
実に微妙な気がする。

ここで問題なのは1573年当時において不安定であるかどうか。
4月に放逐されたあとも六角は一応火の種くらいはもってる。
武田の場合は数年の侵攻・支配過程を経て駿河の一揆を鎮圧して安定してしまっているという事。
織田の江南支配は信玄の西上開始時点ではそこまでいってなかったし
4月以降も六角は一応火の種くらいはもってるだろうよ。
氏真が動く可能性は本気で低い気が。
370人間七七四年:2008/01/12(土) 15:40:22 ID:G3WmPTbG
>>368
具体的に遠征できるだけの力というのは何?
言い換えると、遠征に必要な要素というのは一体何?
そしてそれが長島の連中にあったとする根拠は?
371人間七七四年:2008/01/12(土) 15:53:05 ID:f5nrCPQT
>>370
伊勢長島はもともと本願寺系列でも蓮如の六男を祖とする伝統と由緒を持ち
一説には18万石ともいわれる寺領に流通による経済力、数万の兵員、
さらには地域国人層まで取り込んだ地域支配体制まである。
これは生半可な戦国領主よりもはるかに強力な存在といえる。
これで遠征が出来ないというのは不可解極まりない。
372人間七七四年:2008/01/12(土) 15:58:47 ID:G3WmPTbG
>>371
歴史が遠征に関係があるのか?
すると、遠征に必要なのは経済力と、数万の兵員と、支配体制と?
逆に言えばこれらがひとつでも無ければ遠征できないということだな?
373人間七七四年:2008/01/12(土) 16:07:18 ID:f5nrCPQT
>>372
何がいいたい?数万の兵員は無くても遠征はできるだろう。
数千で遠征してるのもごろごろいるのだから。
常陸の佐竹や謙信は支配体制ではなく盟主という立場で軍勢を動員したがそれでも
結構な距離を遠征してる。
このように数万の兵を持たず、支配体制なくとも遠征してるのがいるのだから
それらを持つ伊勢長島が出来ない理由がわからん。
374人間七七四年:2008/01/12(土) 16:18:34 ID:G3WmPTbG
>>373
いや、確認というか言質とりたいだけなんだけど
で、歴史は遠征に必要ないのね?
そして、兵員も支配体制も遠征に必須ではないと?
375高校生旅人 ◆WSEvViVEMg :2008/01/12(土) 16:46:06 ID:1ENXVhDl
>>346
聞いたことある。今は出先なんで
家の本に載ってたような気がする
またあとで。
376人間七七四年:2008/01/12(土) 16:49:18 ID:f5nrCPQT
>>374
なんか随分嫌な言い方だな。
歴史的に蓄積された地元の崇敬や支配体制は遠征においてプラスのファクターになる。
必須とはいわんが。
兵員も支配体制も必須ではないんじゃないのか。やれる状況であればやるというだけで。
ただそれだけの力を持っていればやる事は実力的には確実に可能であると。
377人間七七四年:2008/01/12(土) 16:54:45 ID:f5nrCPQT
>>374
こっちも言質をとらせてもらおうか。
これだけの背景を持ちながら伊勢長島が遠征できないとする根拠は?
伊勢長島より実力的に劣る連中でも遠征をやってるのに。
遠征をできなくさせる要素というのは何?そっちも答えてもらえる?
378人間七七四年:2008/01/12(土) 16:55:18 ID:f5nrCPQT
とりあえず外出する。
379人間七七四年:2008/01/12(土) 17:00:02 ID:Vlz6k+ZR
>>368
力というか経済力はあるだろうけどさ
でも長島以上に力がある大坂本願寺延暦寺高野山などは遠征したか
軍事的侵攻を行ったか?
まあ細川や六角などと協力して近距離の軍事的?侵攻ならあったが
経済力はあるだろうけどそれを長期の侵攻に活かす能力は持っているのか?

>だったら反織田勢が勢いづいたのを見れば自分の今もっている勢力や権益を守る為に
これよりもっと不利な状況で戦い続けた彼らが何でこの状況で休戦に応じる必要が?
また休戦に応じた所で、三好や松永は彼らを放置して背後に不安要素抱えて織田と戦うのか?
また三好松永が織田と対峙してる隙に蜂起されたら?
織田に対し全力で攻勢に出て織田は倒せても弱体化したところを本来の敵に襲われたら
本末転倒
だったら三好や松永も休戦したら織田とは戦わずに様子見してもおかしくない

普通に戦後処理や地元豪族への根回し書状の発給などやることはいくらでもあったんじゃ?
信長だって上洛後何度か京都に長期間滞在したりとかあったはずだし

>それでも実際岐阜に帰ったのは4月12日でしょ(ry
そりゃ普通に用が済んだからじゃ、信長は尾張統一美濃攻めなどはどれも数日で帰っているし
姉川などでも戦いが終わったあと事後処理済ませて義昭に挨拶してすぐ岐阜に帰っている
この2周間ほどでの帰国も別に普段と変わらない行動のうようにしか見えないが?

>それがどれくらいの兵力になることかね。
勝頼は上野に出陣したがな

>北陸の本願寺はもともと
実際書状で顕如が助けを求めているんだが
それでいて自分は織田とは積極的戦っていない、というか一応織田とは和睦状態
380人間七七四年:2008/01/12(土) 17:08:35 ID:Vlz6k+ZR
>>369
あっさり焼き討ちされているところから考えると、最後はいつでも攻略できたんじゃ
80年まで持ったといっても本格的に戦いだしたのは1576年からだし
しかも大坂の近くの付け城を攻めるぐらいの動きしか見せなかったような

六角が火の種があるという根拠は?
70年ならともかくこの時期は織田に対して攻めこむまでするような
六角の味方勢力なんて残っているのか

>>371
そんな伝承を真に受けなくてもいいんじゃ
またそれだけの力があったとしても戦国時代に入っても守りを固めるばかりだったのが
伊勢長島の限界なんじゃ
また地域国人層を取りこんだといっても被官関係を結んだり人質をとったりするような
強固な関係ではないし

>>376
>歴史的に蓄積された地元の崇敬や支配体制は遠征(ry
長島が遠征するのは尾張や美濃であって、そこじゃ崇拝や支配体制はないんじゃ
381人間七七四年:2008/01/12(土) 17:25:35 ID:Vlz6k+ZR
>>377
端的に言えば
今の日本は世界でもかなり上位の軍事国家で、その装備も練土も大抵の国よりは強いな
経済力も十分にある、大抵の国が攻め込んできても撃退する能力はある
しかし、日本の装備は自衛用に特化していて、遠征にはあまり向いていない

現在の国際情勢じゃまあ戦争は無理だが、
紛争解決に軍事力の行使程度なら国際的にはある程度黙認されるだろうが
現在の日本の政治情勢じゃそれは許さないし、それどころか自衛隊による海外支援さえ
難しい状況だ

他にも例えば豊臣家は何度も大遠征を行い奉行ら官僚が兵站らの組織などを整えて
それなりにうまくこなしてはいた、朝鮮は別として

で徳川が関ヶ原の時に中仙道の部隊が軍資金が無くて慌ててとりに戻ったり
大坂の陣で兵糧が高騰して、兵站に不安が生じたりと
徳川には大遠征の経験が少ないからか、いろいろと不備を生じさせた
関ヶ原の時の徳川家は十分な軍事力と経済力があったにも関わらず

単純な経済力と軍事力は伊勢長島にせよ他の寺社にせよあっただろうけど
侵攻を行うにあたっての、政治体制と経験が乏しいから、侵攻するのは難しいんじゃないか
攻勢に出たら弱体化するのではないかと言っている
382人間七七四年:2008/01/12(土) 17:27:34 ID:G3WmPTbG
>>376
言質って表現が?
単純にこっちが風呂でイロイロ考えるときの指針というか基というか土台を作り出してるだけよ

ということは、遠征に絶対に必要なのは経済力だけってことになるけど

>>377
それ言質って言わないと思うが
可能だと主張してるのはそっちなのよ
で、可能だという要素をこっちは聴いてるの
あんたが主張する、遠征に必須な要素が否定されれば、それは即ち遠征ができないって事
383人間七七四年:2008/01/12(土) 17:41:39 ID:uVMXSSf9
お前ら必死だなw
スレタイからして妄想スレでしょ。
できないと主張するほうが立証するべきだと思うが。
結局「〜だろう」「〜だと思う」のレベルは抜けれないよ。
下手に断言してる奴はマヌケ。
384人間七七四年:2008/01/12(土) 18:26:46 ID:MjV3LG3L
>>383
IDまで変えてご苦労さん、と言えばいいか?
妄想だろうが何だろうが、基本的にはできる方を立証するのが先な
まず、伊勢長島に関しては本願寺とは独立行動とってて好き勝手動いてた、とも明記しとく
伊勢長島は基本的にあてにならない戦力としても問題ないだろ
この辺信玄上洛スレでことごとく論じられてる訳だが(当然信玄存命という条件付で)
それで「無理」って言われてるんだがな
どうしても納得いかないなら信玄上洛スレの過去ログ全部眺めてこい
つか既にここ重複スレ化してきてる件
385人間七七四年:2008/01/12(土) 18:39:46 ID:uVMXSSf9
>>384
何勝手に勘ぐってんの?
今日初めて書き込んだのだがw
386人間七七四年:2008/01/12(土) 21:09:18 ID:G3WmPTbG
>>383
簡単、実際しなかったという事が、遠征しないorできないとする証になる
仮定してみようか

遠征できたけどしなかったとすると、何故しなかったのかということになる
つまりは長島の意思の問題
武田も反織田で起って、これ以上無いタイミングなのにも関わらず、動かなかった
織田信長の弟を討った時も、近場の城落としてそれで終わってしまっている
これは致命的な事で、遠征する意思がなかったならば、それはもうどう覆りもしない

では遠征したかったけど、できなかったとすると、何故できなかったのかということになる
つまりは長島の遠征を困難にした要因の問題
それを問うたのが俺の一連のレス

後者はその要因しだいでは長島の遠征を仮定することができる

さて、どっちの見方を採るかは論者次第
387高校生旅人 ◆WSEvViVEMg :2008/01/12(土) 23:01:59 ID:1ENXVhDl
春 法善寺 「これから1年間、越後が信濃上州に向かって来ないように。これが、かなったらまた礼をしに来ます」
ただこれは1年間の出陣表明か春から1年なのか不透明だな。ただ2月に信玄がまだ戦っていることから考えて1年間の出陣表明だろか。
388人間七七四年:2008/01/12(土) 23:58:32 ID:xnCXrpBA
ID:tqR/UV6dの者ですが
規制中につき、レス代行者さんに代行レスをお願いしております。
現在私は規制に巻き込まれている関係でレスを返すことが出来ません。
そういうわけで規制が解除された時にまた改めてレスをさせていただきます。
>>384
ID:MjV3LG3Lの人。私は>>383の人とは別人です。
貴方はどうも今朝のレスも読みましたが具体的に根拠を挙げずに断定されることが多いようですが。
それから過去スレを挙げるだけでは意味がありません。過去のスレのどこにどういう議論がされ
それが果たして現在の議論に対して重複しているのか、今の議論において納得できる解答なのかが問題です。

いづれ規制が解けた時にでもこちらから改めて反論レスを出させていただきます。
389人間七七四年:2008/01/13(日) 01:26:59 ID:+kwAWJiQ
>>360
>何度も言っているけど11月21日に伊勢長島が小木江を攻略したすぐ後には
滋賀の陣における信長と反信長勢の和平交渉がはじまっているんだってば
だから何?はっきり言いますがあなたの認識には致命的な間違いがあります。

それは、反信長勢力は一体化したものではないということ。
信長は自分と戦う勢力と和平交渉にはいりましたが、それはあくまで朝倉(浅井)、
本願寺、比叡山、六角、三好それぞれと個別に交渉して和議を結んでいる。
だから、朝倉は紆余曲折あっても最終的には和議に同意したが、利益が調整
できなかった比叡山は和議を最後まで結ばなかった。
長島も同じこと。信長と朝倉の和議交渉に長島は全く無関係で、信長と朝倉が
和議を結んだとしてもそれで長島とも和議がなったなんてならない。長島の
の動向なんて、織田と朝倉の交渉に直接の関係はない。長島からしたら、朝倉が
織田と結ぶのは朝倉の事情で、長島がなんで朝倉の停戦決断に同調しなければなら
ないんだ?
390人間七七四年:2008/01/13(日) 13:36:45 ID:2sXhR3So
結局のところ、長島一向衆は史実として岐阜も尾張にも侵攻していない訳で
それが単純に岐阜、尾張のような比較的近距離の敵領にも侵攻できる能力が欠如していたのか、
それとも政治的な判断で攻撃を控えたのかは現存する資料を見る限りでは判断できないわな。
ここでの議論はあくまで憶測という不安定な根拠の羅列に過ぎず水掛け論になるだけだ。
実際に遠征を行っていない以上、長島衆は遠征しないと定義して話を進めた方が建設的だと思うが。
信玄のような慎重に慎重を重ねるタイプの武将が、
長島本願寺が織田勢の包囲網を破って尾張なり美濃なりに進出してくる事を前提に作戦行動を取るとも思えないし。
391人間七七四年:2008/01/13(日) 14:54:42 ID:L1bDzqJp
いくら長島が強豪でも、武田より先に進撃するのは愚かだろ。
史実みたいに武田が撤退したら、梯子はずされた状態になる。
実際問題、武田が尾張に入ってみないとなんとも言えんのでは?
どちらにしても憶測なので、長島抜きで話を進めたほうがいいというのは同意。
長島抜きでは勝てないというなら、武田は詰んでるだろ。
392人間七七四年:2008/01/13(日) 15:57:24 ID:w6rCA6N5
>>1の意見も聞いたら?
393人間七七四年:2008/01/18(金) 14:36:12 ID:5XE6+1Vq
ID:f5nrCPQTは結局逃亡しちゃったのか
394人間七七四年:2008/01/18(金) 22:45:04 ID:VF26X+9b
きっとまだ外出してるんだよ
395人間七七四年:2008/01/18(金) 23:58:11 ID:jiYMgMZa
>>393>>394
ID:f5nrCPQT=ID:tqR/UV6d=>>388ですが今日もまた代行レスをお願いしております。
現在も規制は継続中です……。想像を絶する長期規制になりそうであり
解除は来週以降になりそうです。出来る事なら今すぐにでもレスを返したい所ですが
現状では叶いそうにありません。逃亡したわけではないので悪しからず。
まあ気長に復帰を待ってくださいとしかいえません。
もし他の話題があるなら気にせずやってください。今の所いつ規制が解除されるのか
まったく見通しが立たない状態なので。
396人間七七四年:2008/01/19(土) 01:13:58 ID:dU8NoCLR
ID:f5nrCPQT=ID:tqR/UV6dだったのか
しかし代行頼んでまで熱意に満ち溢れてるんだな
397人間七七四年:2008/01/19(土) 16:04:19 ID:IJYKTC+V
今信玄上洛スレで似たような流れになってるから参考に読むといいかも
398人間七七四年:2008/01/20(日) 12:29:58 ID:CQm+QiaI
織田滅亡 2ちゃんのばかがどういおうが 一般的な常識。
399人間七七四年:2008/01/24(木) 22:42:23 ID:4RC+A1RF

こいつ2ちゃんのばか
400人間七七四年:2008/01/25(金) 15:10:16 ID:LpI3s7vh

こいつ2ちゃんの馬