【岩殿城】小山田一族について語れ!【谷村館】

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390人間七七四年:2008/05/16(金) 19:59:11 ID:mYVdaYWn
よーく考えたら生き残った小山田氏は
裏切っていない側ばかりなのに、なにかと信茂の名前を出されるのもかわいそうだな
信有三代と石田小山田氏についても もっと研究がすすむと面白いのにね
391人間七七四年:2008/05/17(土) 15:09:38 ID:teYO4BbW
日本中の小山田あつめて稚児落としで処刑!
392人間七七四年:2008/05/17(土) 16:07:21 ID:2OjTrmqw
郡内を差し出せば北条氏に匿ってもらうことも出来たんじゃないか?
もしくは穴山に口利きして貰って一緒に徳川に付いたり
ホント土壇場でケツ捲くっちまった感が否めない。
393人間七七四年:2008/05/17(土) 19:36:39 ID:tnpK0SJh
あの時点の小山田に、所領を織田か北条か、どちらに差し出すかなんていう選択権はない。
394人間七七四年:2008/05/18(日) 15:42:36 ID:Vp6Je1tM
武田の外戚NO.1で旨い汁啜り捲くってたのに
都合良く降ろうなんて甘いよな
395人間七七四年:2008/05/18(日) 16:10:23 ID:WbutC3Qk
穴山はできたからタイミングの問題ではないかと。
396人間七七四年:2008/05/18(日) 19:16:37 ID:Vp6Je1tM
信茂は信玄の葬儀の際の序列で三番手だった
一番は喪主の勝頼、二番は信玄の弟の信廉じゃない奴だっけ?
この時点で同祖を持つ穴山より勝頼に重用されているからね
397人間七七四年:2008/05/20(火) 01:36:56 ID:i03rtLgy
朝倉は景鏡が下ることができたからねえ。
398人間七七四年:2008/05/27(火) 23:17:41 ID:G/QFLXY9
あの、
たぶん・・・
ウチの家がその方の生き残りのようですが・・・。

本家に書類と盃があって、なにげなく調べてみたら・・・
なんかものすごく裏切り者とか言われてる人なんですね。
だいぶショック・・・。

うちは代々女系で、たまに男性が当主になりますが、
家紋はその方と同じものを代々女子が継いでいます。

非常に血が濃く男性に不能が多いため、あたしかはとこのあたりで絶えそうですが、
こんな裏切り者の家系だったなら途絶えたほうがよさそうですね。

399人間七七四年:2008/05/28(水) 21:40:08 ID:022u12PA
結婚できないのを先祖のせいにするとかw
400人間七七四年:2008/06/14(土) 15:38:18 ID:G5cc7Gkd
 おしなべて歴史ゲームでも義理が低かったり「不義理」側だったりと酷評されてますな。

 ただ信茂の弁護すると、当時の武士道では「頼りにならない主君は裏切ってもOK!」だったんですな。

 何の咎も無く裏切るならば極悪人呼ばわりされても仕方ないが、武田勝頼に無私の忠誠を要求する資格があったかと言うと否と言わざるを得ない。

 外征での判断ミスで軍の中枢を失う大敗北を喫し、
 外交政策での失敗で織田 徳川 北条の三カ国から袋叩きにされ、
 出兵と新府城築城で経済を破綻させ(ただし弁護の余地もあるが)、
 敵に包囲された城に後詰を出さず見殺しにし(降伏の許可を出していたんですがその事はスルーされる)、
しかも別の場所に出兵してた薄情な殿様。

 信茂自身は裏切る気が無くとも、郡内に勝頼迎えた為に地元を戦火に晒される小山田家中は誰しも嫌になるでしょう。
「何でこんなバカのせいで地元が火の海にならなきゃならないんだ?」

 当時の武士道において、小山田信茂が最優先すべきはあくまで郡内の領主としての立場であって、
武田家中の立場ではなく、当時の通念では勝頼を追い払う事はなんら武士道に背く話ではない

「なにがお館様だ。お館様と言うならお館様らしくしろ」と言うのが小山田家中の正直な所かと。
401人間七七四年:2008/06/14(土) 20:15:08 ID:9D7lYgyC
>>400
裏切ってもOKにもルールがあってだな。
小山田みたいに土壇場になってってのは、ルール違反だったってことだろ。
402人間七七四年:2008/06/17(火) 21:45:32 ID:y9GZonRM
>武田勝頼に無私の忠誠を要求する資格があったかと言うと

散々武田の外戚でウマウマしておいてそりゃあないだろう?

>「なにがお館様だ。お館様と言うならお館様らしくしろ」と言うのが小山田家中の正直な所かと。

こういう根性だったから殺されたと気付けない所が
郡内領民の集まり小山田家中にして
その領主である小山田が不義理たる所以なんだろう
小山田は高橋紹運の爪の垢を煎じて飲むべき
403人間七七四年:2008/06/18(水) 05:11:50 ID:CculFmzC
でも領民の間ではその後も慕われ続け、(その後の領主はことごとく反発されて酷い目にあっている。)地元ではいまだに信茂のおかげで助かったとされてるんだよね。
その辺の温度差が面白いよなあ。
普通 裏切り者は地元ほど滅茶苦茶いわれるのに不思議。
404人間七七四年:2008/06/18(水) 05:18:49 ID:CculFmzC
>>398
どういうつながりですか?
信茂の直系で生き残ったのは内藤氏に嫁いだ娘だけではないの?
あ、女系な時点ですでに本家直系ではないね。
405人間七七四年:2008/06/18(水) 12:16:45 ID:PvzH2Uq1
小山田は武田の同盟者的存在で、あくまで配下ではなかったって主張する人がいるけど、
その根拠の1つが北条から他国衆として認められてたっていうんだが、
北条はその他国衆が織田にああいう仕打ちを食らったとき、何かコメントの1つでも残してるわけ?
406人間七七四年:2008/06/18(水) 22:17:11 ID:tqERUXi0
>>403

逆だろ、裏切り者ほど地元では名君扱いされているもの
要するに時代が下がるにつれて
あの頃は良かったはずと言う現実逃避から美化されていくんだよ。
特に末期とは言え武田家を裏切ったDQNの郡内領民は
元々蛮土の気風が強いため
武田家臣団が多く抱えられた徳川家にとってはしかるべき罰を与えて
生かさず殺さずをもって郡内を躾なければならなかった
>「なにがお館様だ。お館様と言うならお館様らしくしろ」と言うのが小山田家中の正直な所かと。
こういう事を考えている奴らにはそれ相応の態度で挑んだだけなのに
畜生にも劣る郡内領民は恨み辛みを募らせて小山田を悲運の名将に仕立て上げ、
武田家に侵略される前は地上の楽園だった<丶`∀´>ウェーハッハッハと
どこかでの国で聞いたような事を言うのだ

国中=大日本帝国 郡内=朝鮮半島
と言う図式は非常に判り易い例えである
407人間七七四年:2008/06/19(木) 03:34:47 ID:ZKBkCbv6
いい話のような嫌な話のような
408人間七七四年:2008/06/19(木) 21:17:43 ID:XovzytqH
>>406
ゆとり嫌韓厨乙

信茂よりも石田小山田氏に興味があるだが、こちらも史料は少ないのかな?
真田との関係などドラマにしたら面白そう。
409人間七七四年:2008/09/20(土) 04:37:36 ID:pEvWf9hr
裏切り者だけど最後が惨めだからとくに責める気もしない人だな
410人間七七四年:2008/09/29(月) 01:40:26 ID:dUUHWu4G
あげ
411人間七七四年:2008/09/30(火) 21:51:45 ID:iHRlWd+2
惨めと言うよりは無様なんだよな・・・
三方ヶ原や長篠で勇名を馳せながら
最後のトホホすぎる処遇、責める気もしなくなるわな。
412人間七七四年:2008/10/02(木) 03:51:17 ID:MGd3l2aZ
信長が許してくれないってわかってても、勝頼を迎え入れることはしなかっただろうな。
自分らだけ、北条に落ちていきそう。
413人間七七四年:2008/10/03(金) 17:34:33 ID:Se+FbOn4
信長に北武蔵取られても平身低頭していた北条なら、すすんで小山田の首を
差し出すだろうけどね。
414人間七七四年:2008/10/03(金) 17:36:33 ID:6oga8QR3
流石に所領を捨てて逃げたら捨て置かれるだろうというのを期待するしかないなw
415人間七七四年:2008/10/03(金) 21:47:52 ID:KI5pvLDu
小山田信茂が先に一人だけ郡内領に逃げたのは
もしかしたら木曾みたいに勝頼が人質の母親を頃してくれることを
期待していたんじゃなかろうか?
自分だけが先に郡内に逝ってしまったので猜疑心の固まりになった勝頼は
人質の母を殺す→おのれ勝頼!(待ってました)国中領へ攻め込むぞ!
これで俺も織田家の一員♪なんて青写真を描いていたのではなかろうか?
ところが極限まで零落れ果てていた勝頼は何を血迷ったか
マジで小山田を頼りに郡内入りしようとしていたので、
さすがに信茂もビックリ、自分の従兄弟&甥を迎えの使いに出すと偽って
母親奪還!当初の予定は狂ったが今度は母親に妻子もセットにして
人質として織田家に出そうとするが↑の件で信用ガタ落ち
あはれ甲斐善光寺の露と消えたのでした・・・。なんてな
416人間七七四年:2008/10/03(金) 22:38:53 ID:6oga8QR3
上手くすれば、武田に代わって甲斐の主に・・・くらいの野望はあっただろうな。
北条と織田の間で上手くやって、高く買う方に売りつけてやろうくらいな。
417人間七七四年:2008/10/31(金) 01:15:45 ID:rTqAC4JD
小山田氏は室町中期の上杉禅秀の乱でも武田氏の配下として活動している。
源氏の子孫で甲斐の国主の武田氏よりは一段落ちる国人クラスの武士。
ただ、武田は分家を作り過ぎて勢力が分散し、有力な分家や家臣が常に下
克上を狙うという状態の中、まがりなりにも郡内に強固な地盤を作った小
山田の勢力が強くなり、一時的に武田をしのぐようなことになっただけ。
だから、他国の連中から見れば武田の累代の家臣と見られ、不忠者扱いさ
れても仕方ない部分がある。もちろん、小山田氏の立場からしたら納得し
かねる部分はあるだろうけど。現代でも領民に慕われているのはせめても
の救いだな。
418人間七七四年:2008/10/31(金) 01:35:58 ID:rTqAC4JD
だけど、平姓秩父氏(秩父党)の子孫で戦国大名クラスに成長したのは小山田
くらいなんだよな。もっとも秩父氏が本当に平氏かには疑問もある(同じ地域
の丹党との関係、児玉党=有道氏から養子取ってるなど)。また、郡内の小山
田が本当に秩父氏の子孫かも分からんけど(藤原姓名乗ってたことがあるらし
い)。だとしても、信茂の代で絶えてしまったのは哀れ。あの状況じゃ助かり
ようがなかっただろうけど。
419人間七七四年:2008/10/31(金) 01:51:15 ID:i1q3xXwh
小山田は、戦国大名クラスなんかじゃないだろ。
甲斐の戦国大名になる争いをして、武田に負けたただの国人クラスだ。
420人間七七四年:2008/11/01(土) 02:04:23 ID:wcEgasga
越後本庄とどっこいどっこいかな
421人間七七四年:2008/11/04(火) 21:30:02 ID:d38uMzPf
本庄のが、かなり勢力ありそうな感じだなぁ。
422人間七七四年:2008/12/10(水) 21:59:21 ID:2p4sJSrN
>>419
武田に負けたんじゃない
信虎に負けたんだ
423人間七七四年:2009/01/01(木) 11:52:10 ID:XM1UgLvF
(´・ω・`)
424人間七七四年:2009/02/10(火) 23:50:40 ID:OwIi3UNk
wikiに「北条氏から領土を認められいた」ってあるけど、これって根拠は「小田原衆所領役帳」のことかな?
確かに、他国衆に「小山田弥三郎」の名前はあるようだけど、小山田信茂と同一人物かは不明では?
それとも、何か他に根拠があるんだろうか。
425人間七七四年:2009/02/12(木) 00:10:18 ID:/3iv52WZ
東京都町田市に小山田という所があるけれど、ここが小山田氏の発祥の地と聞いたことがある。
426人間七七四年:2009/02/12(木) 14:50:13 ID:G6FemrDC
去年の話に遠投レスだが、かりにも「都留郡守護」を公文書で称し、
武田の行事では家臣団と別格の扱いを受け、信玄の甲州法度を
「ウチの治政には関係ない」と停止できるという家格を「国人
レベル」というのはいくらなんでも無理がある。

どっかでも書いてあったが、越中信有が亡くなる少し前に、かつて
小山田と共闘して信虎と戦い族滅されかけていた油川家の息女を
晴信が側室に迎えたのは、信虎時代の因縁の清算セレモニーであり、
それは信虎が組み敷いた小山田と武田が正式に手打ちを済ませたと
いうことでもあるという考えは本当のことなんだろうか?

油川信恵は本来なら信縄廃嫡後の国主となり、小山田はその外戚として
君臨するはずだったともいえるわけで。
427人間七七四年:2009/02/12(木) 21:11:51 ID:mpQVvqqM
小山田氏を大名という方がよほど無理があるだろ・・・
428人間七七四年:2009/02/12(木) 21:19:07 ID:T3CAmZ03
戦国大名の基準ってなんだろうね?

少なくとも石高じゃないだろう。
429人間七七四年:2009/02/12(木) 22:20:51 ID:dqNH0N9b
>>428
戦国大名というなら、関東周辺で言うなら今川、武田、北条、上杉の様な
数カ国に及ぶ広範な領域を支配し、旧来の権力機構を廃し、もしくは利用
して独自の統治システムを構築したものを言う・・・のが旧来の定義だろうね。

とは言っても、最近は成田や結城、小田、独立後の真田なんかも戦国大名
と呼ぶ人もいるし、なかなか定義付けは難しいだろうねえ。
430人間七七四年:2009/02/13(金) 09:21:26 ID:f6Kit4s1
結局は幕府とか公方とかの旧来の権威に頼らずに支配地の徴税権と
司法立法行政の権利をきちんと押さえて統治ができている人のことに
なっているんだろうな、今の学説じゃ。

だとしたら今川氏親みたいに、数カ国とか言う規模じゃなくっても
自前の国法で小領主・国人を野放しにせずに統制できていれば
戦国大名といってもいいんじゃないのかね。
要は「上」を作らず「下」の勝手を許さず、ってことで。
431人間七七四年:2009/02/13(金) 18:04:56 ID:V0o+0raM
>>426
>信玄の甲州法度を
「ウチの治政には関係ない」と停止できる

そのかわり一番の収入源の富士山参拝者からの税収の上がりを上納するなど
いろいろ課せられていたけどね
信玄以前の数代でも結構武田家との婚姻関係があるので
小山田信茂が信玄の娘婿になる結構前から半ば一門化していたしね
穴山や木曾が地元を支配していたように
有力土豪達の権益を認めてあげ地域を取り纏めさせてるという
旧来の地縁血縁システムの上に成り立っているので
小山田は外戚だからそれ相応の扱いを受けているとも言える
そのおかげで大名以下国人以上の微妙な立場にいる訳
432人間七七四年:2009/02/21(土) 14:30:17 ID:rlmaJolf
>>431
・・・えと、小山田氏の立場って、一定の独立性を持った地方領主という
典型的な国人領主じゃないのか?

大名の直臣は国人じゃないし。
433人間七七四年:2009/02/28(土) 15:08:00 ID:CMfUcsSq
甲斐最強の国人領主だな
434人間七七四年:2009/03/09(月) 00:06:01 ID:PvONx78h
山県・馬場隊に次ぐ勇名を馳せた将なのにな〜
最後で名折れになっちゃった
武田家と言う井の中では大きな蛙として威張れていたから
思い違いをして大海に出ようとしたのがいけなかった
435人間七七四年:2009/03/09(月) 13:22:14 ID:qGPkHqHB
対して名折れとも思えんがなあ。
ごく狭い年代に限っても、信昌VS跡部時代からの紆余曲折を考えれば
武田の一門一族衆と一緒に斬られた最期なんて、この時代としては
そんな波乱とも思えないし。地元で五百年後まで敬愛されてる存在に
なっていることを考えれば、戦国期の苦労は無駄ではなかったというか。

しかし確かに信玄時代最強の甲軍の位置を占めているんだよなあ。
領主はどっちかというと文官イメージがあるんで不思議なんだが、
やっぱり北条・今川のどちらかと常に緊張状態にあったお国柄で
一般兵が鍛えられていたのが大きいんだろうか?
436人間七七四年:2009/03/10(火) 00:01:37 ID:zgYmNH/b
武田勝頼を欺いた裏切り者の末路、といっても戦国期では良くある事
郡内領の領民は国中以上に身も心も貧しいから
信玄時代の外征は貴重な出稼ぎ手段w
勝頼の代になっても長篠に小山田信茂は積極的だったそうだ
約2000の兵を引き連れていったとか乱取りする気満々
長篠といい最後の岩殿行きと言い勝頼を上手く手の平で躍らせて
武田を内部から崩壊に導きあわよくば独立
若しくは新しい主君に寄生する腹積もりであったろう
とすると穴山・木曾と勝頼・信茂の中が悪くなるのも頷ける
武田滅亡後、国中領と郡内領の境目の御坂峠を挟んでの徳川VS北条でも
郡内側はアッサリ北条派になってることから
強い者に与する利益のみの付き合いをする領民の性質は顕著に現れている
437人間七七四年:2009/03/10(火) 00:09:17 ID:LEy+6uDn
>>436
郡内の場合、地勢的に相模・武蔵との関係が深いのは仕方ないん
じゃないのか?
438人間七七四年:2009/03/10(火) 09:26:49 ID:H26Rzrgs
長篠期の時代の合戦についても「戦国時代のいくさ=乱捕り」としか
考えられないってw

何か一つの初歩的な知識を教わるともうそれで全てを裁断できると
思い込む、典型的な中二病ですな
信玄の時代以前の御坂峠周辺の歴史なんて、なーんにも知らんのでしょう
439人間七七四年
>何か一つの初歩的な知識を教わるともうそれで全てを裁断できると
>思い込む、典型的な中二病

自己紹介ですかw
脳内で自分に都合よく裁断できると思い込む、典型的な中二病ですな
春休みなんだから読解力を付けような
別に武田家が乱取り目的で長篠に行ったとは書いてないようだが?
武田の他の家臣や一門と比べてギブ&テイク色が強かっただけだろう