1 :
人間七七四年:
卑怯な裏切り者なのか領民や自領を守るためには
仕方なかったのか?
主に躑躅ヶ崎の武田三代との関係を中心にして
この一族をみんなはどう評価する?
2 :
人間七七四年:2007/03/13(火) 21:40:02 ID:H6IFKeay
信茂がまずいのは同じ小山田一族の・昌行・昌辰が仁科五郎盛信
に忠義を尽くして死んでいる点。
もの凄く印象悪いよ・・・。
3 :
人間七七四年:2007/03/13(火) 22:14:21 ID:fAHcyxLB
信玄にはよく仕えたんだろ?
三方が原でも石投げて石川一正隊を嵌めた訳でしょ?
長篠では小山田隊はかなりの犠牲を出した様だし。
穴山のほうが印象悪くね?
4 :
人間七七四年:2007/03/13(火) 22:22:41 ID:OxTl6NZc
信茂は2ch発起で名誉回復されるべき。
5 :
人間七七四年:2007/03/13(火) 22:30:50 ID:c354sauQ
武田と小山田は同盟関係だからね。もともと。
武田が国体として崩壊していた以上、その関係は解消でしょ。
領主としては領民を守るのが最大の責務であり、昌行らとは責任の重さが違うんじゃないか。
たとえ義理の兄弟であっても浅井が織田をはめようとしたように、
戦国時代は儒教的価値観では語れまい。
ドラマ、小説のように誘い出してだまし討ちなんてしたかどうかも不明。
江戸時代の儒教教育のための創作説が主流だよね。
正直、いまさら来ないでくれよ。てのが信茂の言い分じゃないか。
6 :
人間七七四年:2007/03/13(火) 22:52:42 ID:3cjDYhCF
( ´゚ω゚` )
7 :
人間七七四年:2007/03/14(水) 00:51:54 ID:PcaJwQQz
>>5 >ドラマ、小説のように誘い出してだまし討ちなんてしたかどうかも不明
信長公記を読んだことあるのか?
織田方の視点で書かれているこの史料ですら小山田の裏切りがあったと
はっきり書いているんだが…。
8 :
人間七七四年:2007/03/14(水) 01:52:46 ID:WOn2sVC+
おやまー!
9 :
仙台藩百姓:2007/03/14(水) 02:30:43 ID:KQt5pn6C
民衆の為なんて人道主義的倫理感がこの時代にあるわけないお( ^ω^)
10 :
人間七七四年:2007/03/14(水) 03:14:07 ID:y6FAzPSI
( ´ω`)…
11 :
人間七七四年:2007/03/14(水) 03:48:00 ID:/jD0P0cR
小山田備中守昌辰 昌行の父
息子も備中守なので古備中といわれた
なお小山田は郡内にもあるのでこれと分けるために
備中守の一統は石田の小山田と呼ばれた、石田は甲州の北山筋(場所不定)に
あって代々の所領と居館があった。
信虎時代からの侍大将で海尻城や内山城などの城代も務めた
昌辰は小山田を名乗る前、上原伊賀守昌辰と名乗っていたので郡内小山田とは同族では
無いと思われる、あと昌辰の活動時期がおもに天文年間なので、高遠で討ち死
はしていない。
昌行と共に高遠に籠城したのは弟の大学助昌貞
12 :
人間七七四年:2007/03/14(水) 08:30:53 ID:j5Wb0l2Q
町田に残った一族はいないの?
13 :
人間七七四年:2007/03/14(水) 09:16:11 ID:9kwB/+Ni
>織田方の視点で書かれているこの史料ですら小山田の裏切りがあったと
>はっきり書いているんだが…。
あ〜あ。
あちこちで言われているけど、後ろ暗い手段で権力を主君から簒奪した
秀吉が筒井順慶を、家康が小早川秀明らを「裏切り者」としてクローズ
アップする宣伝活動をしてきたように、「所領安堵するから私と手を組もう」と
武田方に裏切りを推奨して回った織田陣営にこそ、小山田を裏切り者として
宣伝しなきゃいけない動機があるだろう。
だいたい「裏切れ」ってあの手この手を尽くして、いざその言葉に従うと
「裏切り者」って言って約束を破ってだまし討ちにする奴がどの面下げて
忠義を口にするんだか、本当に理解できない。徳川幕府下で武家としての
生き残りもいた穴山梅雪・木曽義昌らにはあまり悪口が言えないのを見ても、
単なる弱いものイジメ、責任転嫁宣伝に見えるのは仕方あるまい。
ところで嘘を平気でつける信長をうっかり信じて騙し討ちに遭った武田の
陣営って、小山田の他にどれくらいいたんだ?
秋山信友も小山田も、どうせ殺されることを承知で和睦に応じたろうけど、
小山田と前後して武田信廉、武田竜宝、武田信豊、武田信綱、武田信堯、
一条信就、山県昌満、朝比奈信直、諏方頼豊らも殺されてるが、彼らは
どういう「名目」で殺されてるか。なにしろ裏切り者として「小山田
だけが」信長に成敗されたとか信じている人もいるありさまなので、
ハッキリさせてほしい気も。
14 :
人間七七四年:2007/03/14(水) 09:24:30 ID:9kwB/+Ni
15 :
人間七七四年:2007/03/14(水) 14:07:51 ID:ZOPHhXKq
>14
そんじゃ小山田の行為は裏切りではないと
書かれている一次史料の提示をまずはプリーズ
16 :
人間七七四年:2007/03/14(水) 18:59:40 ID:r+xKH94e
>>13 それでは実際どういう経緯があったのか、ちゃんと示してくれないと、
単なる小山田贔屓の感情論にしか見えないよ。
17 :
人間七七四年:2007/03/14(水) 20:42:27 ID:CO6LDgBl
>>13 何で一番最後の小山田を裏切り者として宣伝する必要があるんだ?
普通は「こいつが裏切ったせいで〜」って事にするんだったら
一番最初に裏切った奴を裏切り者と喧伝するだろう。
それとどこの何から引っ張ってきたかソースを教えて欲しいのだが
>武田竜宝
海野信親の事だよね?竜宝は勝頼が自刃したと聞いたあと
入明寺と言う寺で自決したと思ったんだが・・・?
>山県昌満
天正十年三月七日に兵を率いて勝頼に付き従おうとしたが
疑心を持たれ入れられずやむなく上杉に降ったと思ったが・・・?
>武田信廉
確かろくに戦わず逃げた挙句に捕まって斬首だろう?
>武田信豊
部下の下曽根覚信恒に叛かれ殺されたはず
>武田信綱
これ逍遥軒の事ジャマイカ?
なにぶん不勉強で疑問がキリないんでご教示願いたい
>秋山信友も小山田も、どうせ殺されることを承知で和睦に応じたろうけど
城を大群に囲まれ粘りに粘っての末降伏した秋山はそうだったとしても
戦火を被らず郡内領を丸々牛耳っていた小山田は
ただの日和見に失敗した挙句、息子を人質にして
織田家に擦り寄ろうとして逆鱗に触れ処刑されたDQNではなかろうか?
18 :
人間七七四年:2007/03/14(水) 21:03:55 ID:O13Q7MTM
信長としては
まず、武田の残党殺しておこうって意思ありきで
小山田の場合は口実が転がってたってだけだろね
「おっ自分からのこのこ出頭してきやがった」って
19 :
人間七七四年:2007/03/14(水) 21:09:58 ID:1PIYJbkS
信茂は最後にやらかしたせいで輝かしい戦歴が目立たなくなっちゃったのかな
20 :
人間七七四年:2007/03/14(水) 22:04:46 ID:S+RK/+ui
>1
おくればせながら、スレたて乙
ど素人の素朴な疑問なのだが、そもそもなんで『裏切り』が罵倒の対象になってるのかがわからない。
この戦国時代では裏切りも騙し討ちも珍しくもなんともないよね?
まして小山田は、武田信虎の代で同盟者になったものの、元は武田氏以上に勢力があったわけで、(事実がどうあれ)内心「いつかきっと」という思いでいたとしても自然なことだろう。
信長という強大な勢いの前で
勝頼がとくに愚将だったというわけでも、小山田がとくに卑怯だったともみえない。
あえて小山田だけを裏切り者の代表とした理由はなんなのか。
勝頼の子孫やファンが恨みの対象とすることは理解できる。
勝者にとってスケープゴートが必要だったこともわかる。
しかし、なぜ信茂でなければならなかったのだろう。
信茂だって、のこのこ出向けば危ないことぐらいわかっていただろうに、(いくら織田側に甘いことをいわれていたとしても警戒しないとは考えにくい)なぜ会いにいったのか。何かもっと他の理由はなかったのかなあ、とか考えてしまう。
どうなんですかね?
21 :
人間七七四年:2007/03/14(水) 22:56:06 ID:rEv96scD
信長の野望じゃ評価されてるよねこの人
22 :
人間七七四年:2007/03/14(水) 23:17:31 ID:O13Q7MTM
江戸時代に残った武田の残党も小山田に責任を押し付けたんだろね。
逆に主家に殉じたのって誰?
勝頼に「おおい匿ってくれよ」っていわれた時、信茂迷惑だったろうね
「少なっ!だから長篠で最後まで突撃止めたろ、今更来るな馬鹿が」ぐらい言ったかな
23 :
人間七七四年:2007/03/15(木) 00:00:04 ID:/fjD9ae1
何はともあれ裏切り良くない。今も昔も。
24 :
人間七七四年:2007/03/15(木) 00:45:55 ID:YmyNjwpA
今も昔も未来も裏切られるのは坊やだからさ
勝頼は自分の生まれの不幸を呪うがいいよ
25 :
バロン曽志崎:2007/03/15(木) 01:05:39 ID:X5qSRNtc
海野信親の孫・信正が恩赦で大島から帰ってきた際、最初に彼を保護したのは
内藤忠興だったが、これは忠興の側室が小山田信茂の娘だったからで、彼女の
嘆願だったそうだ。父の贖罪の気持ちもあっただろうと思う。
26 :
人間七七四年:2007/03/15(木) 02:00:16 ID:WU65YAl5
>>20 >『裏切り』が罵倒の対象
罵倒の対象なんて格好良いものじゃないよw
みんなは裏切りに失敗して処刑された最後をプギャーしてるだけw
>小山田がとくに卑怯だったともみえない。
>あえて小山田だけを裏切り者の代表とした理由はなんなのか。
>勝頼の子孫やファンが恨みの対象とすることは理解できる。
>勝者にとってスケープゴートが必要だったこともわかる。
小山田を裏切り者の「代表とした」んじゃなくて
裏切り者は小山田「だけ」っぽい感じがするんだがw
真田が匿おうとしたのを勝頼を欺いて郡内に誘き寄せたやり口はねぇ〜^^;
そりゃ恨まれるよw
でも小山田をスケープゴートにする必要はどう贔屓してもないと思うね
見事なまでに世渡りに失敗した田舎ッぺの末路だから
>>22 >主家に殉じたのって誰?
小山田信茂のいとこと言われる小山田平左衛門と
信茂の甥と言われる小山田弥助が
勝頼と共に天目山で討ち死にしているらしい
親族すら捨て駒にしたことがまずかったんじゃないか?
27 :
人間七七四年:2007/03/15(木) 09:45:15 ID:1mM3tqnw
どんな背景があろうと、
一度は勝頼主従を岩殿に迎えると言っておきながら、笹子峠を封鎖して
その上 迎撃までしたんでは裏切りといわれても仕方ないでそ
勝頼を岩殿に迎えると言わなければよかったんだけど、、、
28 :
人間七七四年:2007/03/15(木) 09:49:30 ID:UpWvi3+D
こいつ土壇場でカツヨリを騙したようなもんじゃん
悪党だよ。
29 :
人間七七四年:2007/03/15(木) 11:49:29 ID:imTut0a+
>>22 ⊃土屋とか跡部
秋山紀伊守?は土壇場で勝頼を裏切ったんだっけ?
記憶があやふやでごめん
30 :
人間七七四年:2007/03/15(木) 14:17:23 ID:fzVEhvwp
ひたすら裏切りネタのところに水を差すけど、武田軍の中ではどれくらいの
ウェイトを占めてたんだろう
どこかで家中最強とか最大の動員力とか聞いたような気がするけど
31 :
人間七七四年:2007/03/15(木) 17:56:39 ID:UpWvi3+D
選択肢が2つあって真田の本拠地吾妻に行ってれば再興だってあり得たのだ。
それを譜代じゃないから真田は信用できないって話で小山田なら頼むに足るって話経緯じゃん。そしたら裏切りだろ。
最悪な悪党だろ
32 :
人間七七四年:2007/03/15(木) 18:02:55 ID:Fleu1waE
どうでもいいが外様謀臣真田か準一門大身小山田かと言われれば迷わず小山田に行くよな。
選択肢は実は一つなんだよね。
33 :
人間七七四年:2007/03/15(木) 19:14:55 ID:Dm+7jIzJ
真田昌幸は北条氏直に「勝頼が来たら引き渡します」
という書状を送っていて、その書状は現存している。
要するにどっちに行っても助からなかったんだな。
34 :
仙台藩百姓:2007/03/15(木) 19:15:57 ID:RvcohfXj
無理矢理裏切り者を正当化する必要はないお
本人だって非難されるのを承知で裏切ったんだから仕方ないお( ^ω^)
それより小山か山田のどっちかにするお
名前からしてどっちつかずだお(#^ω^)
35 :
人間七七四年:2007/03/15(木) 19:59:42 ID:ZwygUTnk
というか、ここで「小山田は裏切り者」っていう講談を信じてる奴って
「織田信長鉄砲隊の三段撃ち」なんて話を信じているクチの人たち?
とても現代の戦国板の会話とは思えない、山岡宗八全盛時代みたいな
古臭い考えの書き込みもあってびっくりしてるんだけど。
36 :
人間七七四年:2007/03/15(木) 20:20:45 ID:TdpcuOPC
だから講談だ捏造だと言い切るなら
裏切りではないというそれなりの
ソースをまずは出せ
37 :
人間七七四年:2007/03/15(木) 20:39:34 ID:GUx+/3qv
ここまで読んできて裏切りってセクハラみたいなもんだと思ったよ。された方は恨み骨髄だが
した方は端から確信犯なんだから。
38 :
人間七七四年:2007/03/15(木) 20:54:36 ID:jhQcVgej
スレ違いだが辻盛昌って裏切って無いのに親戚の小幡景憲に謀反人扱いされてかわいそうだよね
39 :
人間七七四年:2007/03/15(木) 22:24:41 ID:YmyNjwpA
小説とかだと誘っといてだまし討ちだが、ほんとにそうかね。
そのつもりなら岩殿城に迎え入れてから生け捕りとかするよ。おれなら。
「こっから先入ってくんなよ」ってやったら初鹿野天目山で切腹しちゃった
じゃあ、その首は有効利用しようくらいのノリじゃない?
誘ってみたら、10数人で来たよどうすんの?とかじゃない?
誘ったという記述の根拠は何だろ。甲陽軍艦?知ってる人教えて。
「信茂様のとこにいきましょう。とか配下が誘ってそれを見る人が見たら
小山田の口車とかってなっちゃったり。
40 :
人間七七四年:2007/03/15(木) 22:40:42 ID:di1eoWkx
有名なところだととりあえずこれじゃね?
勝頼一行は名残を惜しみながら住み慣れた古府中を脇に見、
そこから小山田信茂を頼って勝沼という山中から駒飼という山里へ逃れた。
ところが、ようやく小山田の館が近付いてきたというところで変事が起きた。
自身が内々に承諾して呼び寄せておきながら、当の小山田信茂がここに至って
無下にも勝頼を突き放し、一行の受け入れを拒否してきたのである。
一行は前途を失い、途方に暮れた。新府を出る時には五、六百もいた侍分の者は
逃避行の中で離散し、残ったのは遁れられぬ運命の近臣わずか四十一人に
なってしまっていた。(信長公記)
41 :
人間七七四年:2007/03/15(木) 23:04:35 ID:UpWvi3+D
カツヨリの夫人は北条氏政の妹なんだから真田が北条に渡すのは生存策。
小山田のトコからいざとなったら北条を頼るつもりだったカツヨリを呼び寄せておいて夜の闇に乗じて人質の母を奪いカツヨリ一向を射撃し関東への道を封鎖した小山田は極悪人。
木曾は母を犠牲にしての裏切りだから決意あっての事だろう。
カツヨリが遠江の最後の拠点である高天神城を見殺しにしたから駿河代官の穴山もカツヨリを見切り徳川に寝返るのも理解できる。
仁科の美談の後だから余計に小山田の行為は見苦しい。
42 :
人間七七四年:2007/03/15(木) 23:05:30 ID:YmyNjwpA
ソースありがとう
参考になったよ
「自身が内々に承諾して呼び寄せて」
「受け入れを拒否」
この辺が気になる。信長公記かいた太田牛一にソースきぼんといいたいが
まあ、何らかの根拠はあったんだろ。信長公記は信用できるからね
43 :
人間七七四年:2007/03/15(木) 23:11:30 ID:YmyNjwpA
そうだな。北条に逃がす手があったか。
44 :
人間七七四年:2007/03/15(木) 23:27:59 ID:iAwS0IzF
笹子餅
笹一酒造
45 :
人間七七四年:2007/03/15(木) 23:51:29 ID:YmyNjwpA
でかい太鼓
46 :
人間七七四年:2007/03/16(金) 15:33:37 ID:WUIs6x58
稚児落とし最強
47 :
人間七七四年:2007/03/17(土) 00:23:53 ID:5fvlRzNj
今カラスがすごいけどな
48 :
人間七七四年:2007/03/17(土) 11:49:43 ID:mEIgMnSb
え?ソースって信長公記なんだ。
それは信憑性にかけるな。
あれは信長の動向をざっと知るにはいい文献だが、現在の研究では疑問点も指摘されている。
生駒辺りは書き残していないのかなあ
49 :
人間七七四年:2007/03/17(土) 13:07:34 ID:HO32d/3T
>>48 当然、信長公記の記述が必ずしも正しいわけではない。
しかし、小山田裏切りを否定する史料、信長公記の記述を異とする史料を提示できなければ、
その反論には、説得力は全くない。
信長公記の全体の性格に言及するだけで、
小山田の記述の部分が信憑性に欠けるという根拠も何も示されてないし。
今のとこ、このスレで提示された史料は信長公記のみだし。
一方小山田擁護側からは、感情論の類ばかりで、いまだ明確なソースはだされてない。
相手にだけソースを求め、それの信憑性に文句をつけ、否定しようというやり方はどうだろうかと見てて思った。
50 :
人間七七四年:2007/03/17(土) 14:03:50 ID:HLBGFppm
小山田は、裏切りじゃないよ。
彼の支配範囲には、郡中諸役所・都留郡法・独自の升とか、
他の家臣が所有していない、独立要素をいっぱい保有してるよ。
それに、武田傘下的結果は、もともと武田との緊張関係から生まれたものだし。
同盟関係という方が妥当かもしれない道理的に・・
少なくとも、小山田氏!という、広い範囲で考えるなら、武田に対して絶対的好意はなかったと思う。
むしろ、叛意があった方が正常だと思うよ。
でも、信茂一人に限っては信玄に厚遇を受けてるし、武田氏の規定をやっぱり強く受けてるから家臣という意識が強かったんじゃないのかな?
もちろん、武田氏滅亡期には、周りもそういう認識だったと思う。
でも、土壇場になって周りの家臣にも、都合良く、昔の常識が浮んできたんだと思うよー
だから、家臣あたりが信茂に強く勝頼みかぎりを勧めたんだと思う。(これは推測だけどね)
結果、小山田信茂の行為は裏切りじゃないよー。
彼一人が家臣・領民を見捨て、武田を去るなら、裏切りだけどね。
とどめに、当時の領民が武田領国下で「武田なんて知らねーだ、小山田氏じゃろ領主様はー」
みたいな史料があるよー
裏切り者は「穴山梅雪」これ一点だよ!
51 :
仙台藩百姓:2007/03/17(土) 14:16:11 ID:275ig+1c
そんな都合の良い理屈はないお
長年共に行動してきて
土壇場で「あいつらとは他人だ!」とか言い訳するような奴は漏れでも首撥ねるお(#^ω^)
勝馬に乗ってる時は仲間気取りで不利になれば他人のふりするような奴は要らないお
52 :
人間七七四年:2007/03/17(土) 14:20:32 ID:jDYB6rKz
じゃあなぜ信長に誅殺されたんだ?
穴山も木曾も殺されなかったんだが。
信長も小山田の土壇場での裏切りに不快感があったんじゃないのか?
旧武田領国を支配する為に小山田を利用して統治するよりも、恨みの対象は小山田に向けられていて殺した方が信州や甲州統治がうまくいくくらいの裏切りへの憎しみがあったんじゃないのか。
53 :
人間七七四年:2007/03/17(土) 14:36:05 ID:p59gUQLB
13 :人間七七四年 :2007/03/14(水) 09:16:11 ID:9kwB/+Ni
ところで嘘を平気でつける信長をうっかり信じて騙し討ちに遭った武田の
陣営って、小山田の他にどれくらいいたんだ?
秋山信友も小山田も、どうせ殺されることを承知で和睦に応じたろうけど、
小山田と前後して武田信廉、武田竜宝、武田信豊、武田信綱、武田信堯、
一条信就、山県昌満、朝比奈信直、諏方頼豊らも殺されてるが、彼らは
どういう「名目」で殺されてるか。なにしろ裏切り者として「小山田
だけが」信長に成敗されたとか信じている人もいるありさまなので、
ハッキリさせてほしい気も。
54 :
人間七七四年:2007/03/17(土) 14:40:39 ID:jDYB6rKz
秋山は叔母を妻にし信長の末の子を甲府に送ってるので殺害確定フラグが立ってる。
武田一族が誅殺されるのも仕方がない。
小山田が殺される理由は薄汚い裏切りだから不快だったんだろ?それ以外に理由ないじゃん。
55 :
人間七七四年:2007/03/17(土) 14:44:28 ID:p59gUQLB
>それ以外に理由ないじゃん。
大量虐殺の本家信長の行動にこう言うのってギャグ?
56 :
人間七七四年:2007/03/17(土) 14:54:58 ID:p59gUQLB
57 :
仙台藩百姓:2007/03/17(土) 15:16:07 ID:275ig+1c
安っぽい道義論で善悪を決めても仕方ないけどさ
要するにアホだったんだお( ^ω^)
木曾や穴山の寝返りはそれなりに価値のあるものだったお
だが勝敗が決した今、小山田の寝返りなんて何の価値もないお
恩賞問題を考えれば死んでくれた方が都合いいお
勝頼を騙したのが本当なら鴨葱もいいところ
小山田を殺す口実を得ると共に勝頼共々殺害
更に不忠者のレッテルを貼付けて武田旧民の織田に対する憤りの矛先を分散させる事ができるお
小山田は首になって活躍したともいえるお( ^ω^)
58 :
人間七七四年:2007/03/17(土) 15:23:11 ID:1SehFa7h
朝倉景鏡も土壇場で裏切って主君を死においやったが、本領安堵された。
小山田は一族ともども斬首。何が気に入らなかったんだか信長は
59 :
48:2007/03/17(土) 15:36:19 ID:mEIgMnSb
>>49 反論したんじゃないよ。ほかに裏づけ史料はないのか質問したつもりだった。
ところで、これをみただけだと勝頼は既に40人そこそこの手勢で、小山田・北條・真田が助けたとしても織田軍には勝てなかっただろうね。
本当にこんな兵力しか残っていなかったのだろうか。
60 :
人間七七四年:2007/03/17(土) 16:43:16 ID:p59gUQLB
穴山や木曾は武田軍を解体するのに必要な釣り餌だっただけで
釣った魚(それを見て後から続々裏切った武田の親族衆・直臣衆)
に餌をやる必要はない以上、いなくなってくれた方が良いっていう
ことだと単純に考えるのが一番いいんじゃないかと。
結局武田の一族はほとんど全員が根切りにされている。
殺されずに済んだのは盲目の次男龍宝の子・道快と信清という
僧籍になっていた二人の子供だけで、信玄の影武者も、信虎が
駿河で作った子も裏切り者であろうがなかろうがみんな殺された。
穴山一人いれば名目上の名跡は残したから後はもう要らないっていう
ことで、甲斐・信濃は川尻秀隆・滝川一益・森長可に分配する
ことが決まっていた以上、旧領主はなんのかのと因縁をつけて
みんな殺すのが当然の処置でしょう。信長としては。
まあそういう雑駁な戦後処理をするから川尻がその恨みを全部
受けて逆さにつっこまれることになっちゃうわけだけど。
何代も続いてきた領主である小山田が殺される理由なんて、
悩む必要もないくらいはっきりしていると思うがなあ。
少なくとも「裏切り者だから」なんていうヨタ話だけは
絶対にないよな。
61 :
人間七七四年:2007/03/17(土) 17:02:13 ID:p59gUQLB
>>59 勝頼は最後の戦いに出たのじゃなく「密かに甲斐を落ち延びる」ための
逃避行ですからねえ。
当時の言葉で「貴賎上下ともに倦み疲れて、内心は信長の国に仕りたしと
諸人も願ひ存する」という状態になって、利でつなかっていた甲斐領主
連合軍は木っ端微塵に解体して、百姓名主もみな脱出してしまった形。
勝頼は新府城に火をかけて、甲斐脱出のために地元に「馬300頭、
人夫500人」の徴用を名主達に呼びかけたものの、ついに一人の
人夫も一頭の馬もやって来なかったとか。付き従う武士まで寝首を
掻くのではないかと疑心暗鬼になって追い返したという記録まで
あり、事実上、女・子供だけを伴っての夜逃げに近い状態。
むしろこの期に及んでなぜ小山田を頼れると思ったのかが不思議です。
そこまで小山田は信用できる相手と思ったのか、ただ逃走ルートとして
郡内方面が有利と思ったのか。あと二ヶ月たてば本能寺、というのは
Ifの話ではありますが、実質的に「追放された前国主」には合戦などは
したくても無理だったでしょう。天目山だって「戦い」というほどの
ものでなし、「さてこそ天目山のいくさは無かりけれ」というやつですね。
62 :
人間七七四年:2007/03/17(土) 18:45:02 ID:4ZrNLj0t
>>53 17 :人間七七四年:2007/03/14(水) 20:42:27 ID:CO6LDgBl
>>13 何で一番最後の小山田を裏切り者として宣伝する必要があるんだ?
普通は「こいつが裏切ったせいで〜」って事にするんだったら
一番最初に裏切った奴を裏切り者と喧伝するだろう。
それとどこの何から引っ張ってきたかソースを教えて欲しいのだが
>武田竜宝
海野信親の事だよね?竜宝は勝頼が自刃したと聞いたあと
入明寺と言う寺で自決したと思ったんだが・・・?
>山県昌満
天正十年三月七日に兵を率いて勝頼に付き従おうとしたが
疑心を持たれ入れられずやむなく上杉に降ったと思ったが・・・?
>武田信廉
確かろくに戦わず逃げた挙句に捕まって斬首だろう?
>武田信豊
部下の下曽根覚信恒に叛かれ殺されたはず
>武田信綱
これ逍遥軒の事ジャマイカ?
なにぶん不勉強で疑問がキリないんでご教示願いたい
>秋山信友も小山田も、どうせ殺されることを承知で和睦に応じたろうけど
城を大群に囲まれ粘りに粘っての末降伏した秋山はそうだったとしても
戦火を被らず郡内領を丸々牛耳っていた小山田は
ただの日和見に失敗した挙句、息子を人質にして
織田家に擦り寄ろうとして逆鱗に触れ処刑されたDQNではなかろうか?
63 :
人間七七四年:2007/03/17(土) 20:14:48 ID:jDYB6rKz
大勢が決した後に裏切ったら「よくもまぁ今更ヌケヌケと!どのツラさげて…見下げ果てたヤツだわい。」と思われても仕方がない。
木曾や穴山の場合は「でかした!これで武田攻略の道が開けるわい(*^^)v」だろう。
64 :
人間七七四年:2007/03/17(土) 20:29:25 ID:5fvlRzNj
小山田は北条との連絡役担ってたから、「おおい北条に逃げるの手引きしてくれ」
とか勝頼が頼ってきたのかもね。
「はあ?ケツまくる気ですか?俺らはどうなんの?」
「知るか。みんな裏切りやがって。勝手にしろ。おまえもよく考えて生き残れよ」
「わかりました。そうさせてもらいますよ。じゃあ、早速」
なんてやり取りがあったりしてね
65 :
人間七七四年:2007/03/17(土) 21:08:56 ID:Q4bhks8I
後先考えないのは武田の家風だから
66 :
人間七七四年:2007/03/17(土) 21:50:54 ID:mEIgMnSb
>>61 レスd
そんなに凄惨だったのか。想像しただけであわれだなあ。
みんなのレスからすると、凄まじい戦いだったのに
小山田領内はそれまでそんなに戦渦に巻き込まれてない、なのにわざわざ助けるといった、という認識であってる?
67 :
人間七七四年:2007/03/17(土) 23:40:33 ID:p59gUQLB
>>66 実際、小山田を頼ったわけじゃなく夫人を北条の領地に放つか
同じ捕えられるなら北条の庇護下に入ろうとして笹子峠に出て
きたという説もあるそうで。
結局夫人は北条に戻ることをキッパリ拒否し、はじめっから
死ぬつもりで行き止まりの天目山に栖雲寺を目指して上り、
途中の山道で地侍というか地元百姓の乱捕りに遭いそうになって
急遽山道をその場しのぎの柵で遮断してそこを死に場所と定めて
お松殿とお付きの二人、のちに「勝沼古事記」でこの逃避行を
詳述した坂本直昌らが分かれて落ち延び、残ったものは別れの
杯を交わして夜明けを待ったとか。
女たち約40人は自決し、44人の男たちは織田軍と地元衆の
挟撃に対して狭い間道で迎え撃つ。
「武田三代軍記」では「百余人討ち取り」という大合戦、
「甲陽軍鑑」では勝つよりが六人を討ち取り槍で刺されたと
書かれている「合戦」も、「惣見記」では夫人が自害した刀で
勝頼も自刃、「信長公記」でも「相伴討死」と書かれる
プライベートな自決であったようで、午前十時には全員
死亡が確認されているとか。
わずか二日後には勝頼親子の首は伊那の信長に届けられ、
翌日には「裏切り者」の木曾・穴山が信長を訪れて祝賀の
言葉を述べています。
68 :
人間七七四年:2007/03/18(日) 08:37:30 ID:3vKKWOGb
すでに主従の仲以上の一族扱いの厚遇を受けながら小山田がウソ言ってカツヨリを呼び寄せたんだよ。
姦計で欺いてる糞人間なんざカス。信長に殺されても同情できないな。
こんなやつの領地を安堵するわけねーじゃん。
69 :
人間七七四年:2007/03/18(日) 09:51:48 ID:/8ibjH7F
信茂の祖父・初代信有は信玄の祖父・信縄の娘を妻にしている
信茂は信玄の娘を妻にしている
一方で信玄の曽祖父・信昌は小山田から妻(側室?)を迎えている
更に遠くは武田家13代(信玄は19代)信満は小山田氏から
妻を迎えていてその子が14代信重になっている
正直言ってここまで厚遇されているにも拘らず勝頼を裏切った
とあれば世間の謗りは免れまい。
70 :
人間七七四年:2007/03/18(日) 09:55:52 ID:rawK9mH2
>>68 何をいまさら言ってるん
その"常識"をもとにいろいろ議論されてるんだろ
「裏切りは本当なのか」「裏切りはこの時代的にありなのか」
「なぜ裏切ったのか」「信長の真意は」等々
71 :
人間七七四年:2007/03/18(日) 10:17:08 ID:3vKKWOGb
屁理屈はイラネ
72 :
人間七七四年:2007/03/18(日) 10:55:14 ID:365BMVTf
ただの荒らしだ気にスンナ
信長が裏切りを推奨して回り、信用して付いてきた人間を
平気で裏切る卑劣漢だったという事を誤魔化したくて仕方ない
奴らが必死になってるんだろう
ところで今日のドラマの小山田がちと楽しみ。
武田のいち「家臣」ではない「同盟領主」ならではの立場から
信虎追放劇を俯瞰しているっていう小山田信有像が見られそう。
73 :
人間七七四年:2007/03/18(日) 11:15:19 ID:365BMVTf
>>60 >穴山や木曾は武田軍を解体するのに必要な釣り餌だっただけで
>釣った魚(それを見て後から続々裏切った武田の親族衆・直臣衆)
>に餌をやる必要はない以上、いなくなってくれた方が良い
穴山や木曾も「裏切ると得だぞ〜」ということを武田以外の
敵対大名の部下にアピールするためにいい扱いを受けていた。
「信長は裏切り者を許せない」なんて言ってる奴は都合の
悪いことには平気で目をつぶれる二枚舌なんだろ。
でも功臣・佐久間とか林らの末路を見れば、利用価値のなくなった
相手に対して、信長がどんな冷血な態度を取れるのかは一目瞭然。
いずれ木曾なんかも明智や秀吉たちと同様、利用価値がなくなった
頃あいを見計らって、何かしらの名目をでっち上げて粛清したろうね。
で、後世それを美談にでっち上げる、お追従媚びへつらいの名人が
2ちゃん辺りにも現れて矛盾だらけの発言を書きまくるわけだ。
74 :
人間七七四年:2007/03/18(日) 11:25:12 ID:/8ibjH7F
ところで甲斐国郡内領の人は尻まで真っ赤にしながら
従属家臣では無く対等同盟だったとしているが
そのソースは何なのだろうか?
小山田擁護派からは未だにソースの提示がなされていない
まるで証言者ばかり出てくる某追軍売春婦問題のようだ。
信長が裏切りを推奨して回り、信用して付いてきた人間を
平気で裏切る卑劣漢だったという事を散々見てきたくせに
息子を人質にしてまで信長に擦り寄ろうとして
善光寺で処刑された信茂は後世の物笑いの種になってしまっても
致し方ないのではなかろうか?
75 :
人間七七四年:2007/03/18(日) 11:35:51 ID:3vKKWOGb
小山田一族の末裔か郡内封権領民が必死なんだろ
76 :
人間七七四年:2007/03/18(日) 11:48:36 ID:365BMVTf
おお、バカな信長厨も
「信長が裏切りを推奨して回り、信用して付いてきた人間を
平気で裏切る卑劣漢だったという事」
を認めたらしいぞww
もっとも「尻まで真っ赤」「ソースは何なの」
「まるで証言者ばかり出てくる某追軍売春婦問題」
と話題そらしに文字通り真っ赤になってますねw
小山田問題もそうたけど、少しは本読めよ。ちょっと
調べればすぐ分かることを「ソースは?」って発言
するだけで底が知れる。
分かっててかいてる荒らしと思ったけど、荒らしにしては
レベルが低すぎる。出直して来い。
ついでに言うとバカ信長厨は愛知出身者以外の奴が多い。
おれなら「擁護してるから郡内の人間」なんて白○発言は
したくてもできないなw
77 :
人間七七四年:2007/03/18(日) 12:38:57 ID:Ai7tntcQ
大河の小山田信有の役者は完全に 小山田=裏切り者 のイメージだよね。
あの人は、そんな役多いし
78 :
人間七七四年:2007/03/18(日) 13:11:33 ID:3sxCoLyt
なんで小山田信者ってここまで必死なの?
大河板の小山田スレでも、小山田に否定的な意見が出ただけで、
荒し・煽りとか認定しだす人いたし。
小山田の再評価とか実像とかには興味あったけど、
正直言って、信者は感情論ばっかで話しにならなくてがっかりした。
79 :
人間七七四年:2007/03/18(日) 13:20:40 ID:dlQnyZjV
ホリエモン→勝頼
宮内ら→小山田ら
80 :
人間七七四年:2007/03/18(日) 13:31:27 ID:Ai7tntcQ
自分が小山田だったとしても普通は勝頼を迎えて戦おうとは思わんよ
「こっち来るなよ」って思う
もし小山田家が残る方法があるならば・・・。 って考えるのも当時の常識
言いたくないが徳川家のキャンペーン活動の影響もあるよ
81 :
人間七七四年:2007/03/18(日) 13:36:47 ID:FQNxnsLV
>>74 小山田領内では甲州法度が適用されなかった(後、徴税関係では一部適用されるようになるが)
そして最後まで独自の領内支配を示す文書が発給されていた
後北条氏の軍役帳ではっきり他国衆として明記されるように、他の勢力との両属関係を持っていた
元々敵対していた武田家と婚姻同盟を結んだ経緯といい、以上の半独立性の強さからそう言われている
82 :
人間七七四年:2007/03/18(日) 19:23:39 ID:rawK9mH2
ここまで読んでみて小山田擁護派は2つあるようだ
一つは「裏切ってない」
もう一つは「たしかに裏切ったけど別にそこまで悪いことか?」
前者は35と50の書き込みだけだね
「ほんとにそうかな真相はどうなんだろ」的な書き込みはいくつかあるが
後者の意見が多い
50あたりは裏切ってないと書いているが、読んでみると後者なんだな。
擁護派のほうが余程冷静なきがする。
83 :
人間七七四年:2007/03/18(日) 19:58:02 ID:365BMVTf
うははははBS-hi組が武者震い身震いしまくっておる。
8時/10時が楽しみじゃ。
84 :
人間七七四年:2007/03/18(日) 20:01:53 ID:LXSFYcg2
>>82 裏切ったのは悪い事ではないと思うが処世術がまったくなってないところは
馬鹿にされるの仕方が無いに一票。
信長が悪いとか言ってんのは馬鹿なんじゃないかと。
85 :
人間七七四年:2007/03/18(日) 20:28:44 ID:rawK9mH2
いま大河見てるが
氏綱いいこと言うな
後世で散々言われてる信茂に聞かせたい
86 :
仙台藩百姓:2007/03/18(日) 20:34:53 ID:BFzltaey
裏切り者は殺されて当然だお( ^ω^)
87 :
人間七七四年:2007/03/18(日) 21:20:40 ID:rawK9mH2
あのシチュエーションでどのように振舞うのが
処世術として正しかったんだろね
@武田裏切って一縷の望み託して織田に投降
A武田抱え込み織田に滅ぼされる
B領地捨てて北条あたりに亡命
他にあるかな。Aなら後世に美名残せたね
でも、俺の先祖(郡内出身)は信長軍に蹂躙されて殺されたろうから
そしたら今頃俺いないな。
88 :
人間七七四年:2007/03/18(日) 22:00:27 ID:uStQOpsC
小山田家は元々、町田出身。
当時も町田に領地があって、信有(信茂の庶兄?)が統治していた。
郡内小山田家取り潰しの際には、一族を匿ったらしい。
北条家にも他国衆として扱われているので簡単に武田家の武将と言い切れない面もある。
とは言え落ち目になった武田家を土壇場で見捨てたのはマイナス。
せめて勝頼一行が北条領へ脱出するのを見て見ぬ振りしておけば・・・・。
見逃そうが見逃さなかろうが織田家が大身である小山田家を残す理由は無いので、
生き残るには勝頼と一緒に北条家へ亡命するしかなかったと思われるが、
所詮は田舎大名の信玄の元に長くいたのでその辺の考えは多分無かったかと・・・。
同じく他国衆の木曽家の帰参が許されたのを見て自分も大丈夫という程度だったかと。
なお、武田一族なのに裏切った穴山家は問題外。
本能寺の際のドサクサに殺されたが、あれが無くても結果は大して変わらなかったかと。
ただし、最後の失敗だけで信茂を評価すべきでなく、武田家と北条家に挟まれながら上手く立ち回った手腕や、
戦場での活躍を考えれば当時一流の武将であったと言っても過言ではない。
89 :
人間七七四年:2007/03/18(日) 22:01:43 ID:iUtS93h3
小山田信茂の率いた投石部隊はどんなものだったのだろう?
90 :
人間七七四年:2007/03/19(月) 01:03:56 ID:fVYQPpq0
寧ろそこまで対等の力を持つ勢力であったなら
武田家が危険な状態(木曽&穴山離反)になったら
北条の他国衆なんだから北条に完全に鞍替えして
後ろ盾を得て甲斐一国を統一してみようとか、
最悪でも郡内領だけを北条に組み込むとかしなかったのだろうか?
北条も他国衆としていたのであれば小山田に少なからず
この武田崩壊の好機にアプローチ(上記のような)がなかったのか?
91 :
人間七七四年:2007/03/19(月) 01:41:06 ID:g1iWuZ++
小山田氏を、ある程度の自立性・独自性をもった有力国人としてとらえるのならわかるが、
それがなぜ、武田と対等な同盟関係とか飛躍してるのだろう?
と一部の小山田信者を見て思った。
もう一つ。小山田はひたすら擁護しながら、
穴山梅雪を罵るのには容赦ないのには見苦しいものを感じた。
92 :
人間七七四年:2007/03/19(月) 06:02:39 ID:vJyVBUmO
小山田は良くて木曽、穴山はダメというのはどう考えてもおかしいな。
93 :
人間七七四年:2007/03/19(月) 08:27:44 ID:ur+1iEui
小山田が武田から北条に乗り換えるってのはちょっとした仮想戦記ネタになるな
94 :
人間七七四年:2007/03/19(月) 08:53:17 ID:yXfrTqyV
当時、国人が主君に従うのは自分達の利益を守ってくれるから
主家が落ち目になれば鞍替えしない家のほうが少数派
歴史の動静を見れば別に珍しくも無い
縁戚だからって一連托生とする義理はない、というのが戦国の常識でしょ
まして半独立性があるのならむしろ積極的に織田に与しなかっただけマシ(もっともこの中途半端な態度が木曽らとの明暗を分けてしまったんだが)
95 :
人間七七四年:2007/03/19(月) 12:09:42 ID:9xyv5HvH
>>94 同じ裏切りならタイミングが見抜けない小山田の方が普通に馬鹿だった
ってお話だろ?見苦しいフォローにしか見えない。
96 :
人間七七四年:2007/03/19(月) 12:30:02 ID:Dz5YQ9jA
どこがフォローやねん。中途半端だっていってるじゃんか
アンチ小山田は何にでも噛み付かないと気がすまない狂犬なのか?
97 :
人間七七四年:2007/03/19(月) 19:51:40 ID:GC6Cv4kj
>>91 対等な同盟関係なんて言ってる人いたっけ
もちろん同盟関係ったって強弱はあるんでしょうね
また同盟といっても両者の間柄を便宜的に言い表したりしただけじゃないか。
誰かの本(ごめん忘れた)に手紙の分析かなんかして
「君臣ではなく、兄弟みたいな関係」ってあって
なるほどと思った記憶がある。勉強しなおすかな、この機に。
ところで昨日の大河でその辺を匂わすようなやり取りがあって「へー」って思った
なんか信有かっこいいね。今回の大河では。
98 :
人間七七四年:2007/03/19(月) 19:55:18 ID:JXOQ/vRT
二人の信有って、結局死ぬまで武田との同盟を守ってるんだよな。
どれくらいの期間なんだろう。少なくとも織田徳川連合より絶対
長いだろ。
99 :
人間七七四年:2007/03/19(月) 20:02:25 ID:JXOQ/vRT
氏綱公御書置
「義にたがえては、たとい一国二国切り取りたりと言うとも、
後代の恥辱いかがは」
「無道の働きにて利を得たるもの、天罰、ついに逃れがたし」
どう見ても信長のことです。
本当に(ry
「天運尽き果て滅亡を致すとも、義理たがえまじきと心得なば、
末世に後ろ指を指さるる恥辱はあるまじく候」
「古き物語を聞きても、義を守りての滅亡と、義を捨てての
栄華とは、天地格別にて候」
問題は、義理を守っても滅亡したものには「負け犬」と「後ろ指」をさし、
「義を捨てての栄華」を得た奴を「天才」「英傑」「ものが違う」などと
もてはやせる精神構造のやつらだという事ですね。
ほんと露骨に現金というか、恥も外聞もなく目先の利益につられるというか。
100 :
仙台藩百姓:2007/03/19(月) 20:47:02 ID:QKv1hhdi
戦国の世に不義を働かない者などいないお
出来もしない綺麗事を偉そうにぬかす奴が一番間抜けな糞だお(#^ω^)
101 :
人間七七四年:2007/03/20(火) 00:41:49 ID:Uz5jRjtQ
てか、穴山と木曽は事前に寝返り工作で内応を約束されていたけど
小山田は土壇場の崩れ際に寝返ったよね
ここが信長の心象を悪くしたんじゃないの
関ヶ原でも事前に東軍寝返りを約束していた小早川や脇坂は戦後加増されたけど
無約束で勝ち馬にのって東軍に寝返っただけの赤座や小川は、不忠者としてしっかり改易されているよ
それとおんなじなんじゃないの
102 :
人間七七四年:2007/03/20(火) 02:50:10 ID:pqg1DeZY
俺がもやまだならカツノリを城に迎え入れる
ように見せかけて稚児落としで後ろから背中押して
着き落とす
103 :
人間七七四年:2007/03/20(火) 08:10:20 ID:mx11qL/c
>「天運尽き果て滅亡を致すとも、義理たがえまじきと心得なば、
> 末世に後ろ指を指さるる恥辱はあるまじく候」
>「古き物語を聞きても、義を守りての滅亡と、義を捨てての
> 栄華とは、天地格別にて候」
これまんま小山田氏だなorz
ふと疑問なんだが北条家の他国衆ってどんな扱いなの?
この他国衆って奴の扱われ方が気になるんだが・・・。
それと拮抗した最盛期の武田と北条の間でなら
上手く仲裁屋として立ち回って存在感をアピールできただろうけど
武田を滅ぼした圧倒的な織田と北条では天秤にはかけられない
確実かに早めに織田に寝返ったほうが上手いのだが
多少なりとも北条に肩入れしている部分もあり
おまけに土壇場でっていうか勝頼死後の残党狩り中に降ったら
助かるとは到底思えない。
小山田氏の中途半端な行動が凄く気になるんだぜ
104 :
人間七七四年:2007/03/20(火) 11:12:31 ID:J5mVYiJr
北条氏の他国衆というものがどういうものかはよくわからんが、
たしか当時の書状などから、小山田氏の上位権力として信玄が
いたということが判明しているみたいだから、従属関係はハッキリ
していると思う。北条氏でいうところの上田氏のような関係が近いんじゃないか?
105 :
人間七七四年:2007/03/20(火) 13:16:16 ID:ZwryHsTs
中途半端なのは結果論じゃないの?
こういう局外中立的な立場をとって最後まで帰属をはっきりさせないことで生き残ろうとした国人はよくいたよ
真田氏だっておおまかにいえばその立場じゃん
106 :
人間七七四年:2007/03/20(火) 13:29:03 ID:VVBeU9pn
とりあえず北条を通じて人質出すってのはできなかったのかな?
107 :
人間七七四年:2007/03/20(火) 16:49:34 ID:o+F6xu1B
なら小山田一族の分家が織田家と早くからつながりを持つべきだろ。
独立性が高いなら独自の婚姻外交だってできるだろ。
実際は武田と婚姻隷属してたんだから外交権なんてなかったんだろうし独自性が強いから裏切るのもOK論法なんて屁理屈。
小山田の裏切りは醜いものでしかなかったろう。
108 :
人間七七四年:2007/03/20(火) 17:01:05 ID:IGKB9la0
未だに裏切りとか言ってるのか。
自分は見限りと言うけどね。
109 :
人間七七四年:2007/03/20(火) 17:38:58 ID:Qw0SJF/1
事前の内通なしだから、土壇場での裏切りととられても仕方ない
110 :
人間七七四年:2007/03/20(火) 17:39:48 ID:XlVlcWzv
見限りしたヤツが殺されるかよw
最末期に薄汚い裏切りをしたから殺されたんだろ。助命嘆願もなかったどころか憎しみを一身に集めたんだろうなw
信長にとっちゃ武田制圧確定済みなんで小山田なんて今更価値ないんだよな。
いや小山田に天罰を与えたら恨まれてる小山田だけに織田の統治も円滑に進むかもって思ったろうな。
111 :
人間七七四年:2007/03/20(火) 17:40:48 ID:Qw0SJF/1
そもそも、明確な見限りなら、木曽氏のように
織田・徳川の侵攻に合わせて叛くはずだし、
最後の最後で主君をだまし討ちにしたら、それは裏切りだよ
112 :
人間七七四年:2007/03/20(火) 19:03:10 ID:fpg+gww5
横からすみません。
勝頼を裏切ったのは郡内小山田氏全員?それとも信茂だけなんですか?
前のほうに違うものもいたようなレスがあったような気がするんですが、信茂との関係がよくわからなくて。
113 :
人間七七四年:2007/03/20(火) 21:29:07 ID:YyUmlgYL
小山田昌行・昌盛(息子)・昌貞(弟)
ってのが武田家臣にいて仁科信盛の高遠城篭城戦に参加して討ち死にしてますが
系図的に郡内小山田とは別系統です
小山田氏は源平の頃からつながる由緒のある家柄ですので、元をたどればどこかでつながる
って考えてもよさそうですが、そうともいえない。「勝手に小山田名乗った」
というのもありな時代なんで。
まあ、「クラスにいるあなたと同じ苗字の人」くらいの感覚でしょうか
ちなみに郡内の信茂の数代前に小山田信長ってのもいます
114 :
人間七七四年:2007/03/20(火) 23:34:51 ID:mx11qL/c
>>105 真田は時代時代で生き延びる為に方々に行動を起こしているよ
それに比べて小山田氏はどのように考え行動を起こしたのか、かなり不明
それを指して中途半端と評したんだ
武田家でも中枢にいて情勢も把握している小山田氏が中立を決め込むなんて
有り得ないって言うか周りが許さないだろう?
>>113 小山田昌行の家系は数代前に郡内小山田氏から分かれ
分家したため本家に憚って別の苗字になっていたが
信虎の時代に大元の小山田に戻った、と言う説もある。
115 :
人間七七四年:2007/03/20(火) 23:50:40 ID:BX3mA8Dk
石高はどれくらいあったんだろ。この小山田氏って。大月〜町田くらいまで領地あったの?
なら、10万石くらいあったんかな?
116 :
人間七七四年:2007/03/21(水) 00:39:38 ID:tG+hwI93
>>114 補足乙
>>115 大月〜町田まで領地があったら完全に大名でしょうがそれはもちろん無い
家が別れていってそれぞれ子孫がそれぞれの地を領有していきました
石高は不明ですが、はっきりいってたいしたこと無いよ(地元民がいうんだ間違いないw)
ただし、小山田は経済活動の独立性を武田から認められてる面があり、
浅間神社(富士山信仰の神社)を押さえて、富士山詣での信者から関所で通行料など取っていて
かなり稼いでいたそうです
長篠の戦に3200名を動員したという兵力で経済力を計算してみてください。
117 :
人間七七四年:2007/03/21(水) 01:10:34 ID:Wh2WwyTs
一万石、300人の動員だから、10万石弱あったんだね。恐るべし小山田。
118 :
人間七七四年:2007/03/21(水) 02:05:02 ID:rlsv193P
神社、御使を押さえていた→経済面でも重要だったが、諜報のためという役目があったことが近年わかっている。動員数には入らないが、これも戦力として補足しておいたほうがいいだろう。
おもしろい一族だということはたしかだな。
119 :
人間七七四年:2007/03/21(水) 02:12:36 ID:DCdbUNws
>>116 江戸時代に富士講が過熱したおかげもあって今は下手すると
北口の方が有名だが(有名なだけで中心ではないとあえて付け加えておく)
当時の浅間(富士山)信仰の中心はもっぱら静岡側の大宮(現富士宮・三島)口。
山梨側で通行料取って食っていけるほどに一般登山者が増えたのも江戸時代。
小山田の稼ぎ口は通行料というより、富士山が閉山している期間に
御使達が各地をまわって浅間信仰者からもらった初穂料や神饌、奉納品等だよ。
120 :
人間七七四年:2007/03/21(水) 08:21:51 ID:xvqkuWt5
木曽はそもそも武田に屈して従ってるだけだしなあ。
小山田以上に裏切りとはいえないだろう。
しかも人質に出した母と妹も武田に逆さ磔にされて殺されてるし。
信長も信頼しきっただろうね。
交通困難な木曽路を抑えてもいたしね。
このあたりは難所で少数の伏兵で大軍の侵攻をさまたげることができるしな。
穴山の裏切りについては信長はなかなか承認しなかったが、
家康を通じて難度も頼み込んだから仕方なく承知しただけ。
121 :
人間七七四年:2007/03/21(水) 08:26:37 ID:1F6V2nHW
なんで積極的に武田を裏切ったほうを評価してるのかわかんない
裏切りという観点からすれば、攻撃かけたりしたほうが酷いだろ
基準が無茶苦茶
122 :
仙台藩百姓:2007/03/21(水) 09:07:34 ID:/75uQhGK
木曾義昌みたいのは見限りと言うんだお( ^ω^)
小山田みたいのは裏切りだお
敵味方に立場を明確にして反旗を翻すは
政略・武略の範疇であって全く卑怯ではないんだお( ^ω^)
123 :
人間七七四年:2007/03/21(水) 09:14:47 ID:Spb0haZ6
小山田の子孫が屁理屈をこねて名誉回復を必死になって計り嘲笑を買う面白いスレですねwww
124 :
人間七七四年:2007/03/21(水) 11:38:19 ID:rlsv193P
信茂の直系子孫は史料通りならいない。
織田の間者として生き延びたという伝承が本当なら別だがまずありえないだろう。
だだし死亡日時と事由については諸説あり、再検証が必要と思われる。
傍系女系、出羽守信有以前の小山田氏については信茂と同一視すべきではない。
名誉回復はともかく、より研究をすすめる必要はあるだろう。
125 :
人間七七四年:2007/03/21(水) 11:41:05 ID:XTDsCBpZ
郡内といえば妙法寺記(あるいは勝山記)が書かれたところだよね
武田軍が行った略奪や虐殺・あるいは苛烈な施政を余すところなく記録した一級史料
勿論それだけじゃなく合戦のこととか天災のこととかもあるけどね
小山田氏が未だに地元で慕われているのは、独自の領国支配をしたことで武田家の重税路線からほぼ無縁でいられたお陰とか
126 :
人間七七四年:2007/03/21(水) 12:53:10 ID:J39epiWA
いい加減にまとめてみた。修正よろしく。
天正10年
1月6日 ●木曾義昌、謀反
2月6日 ●下条九兵衛 謀反
2月14日 ●小笠原信嶺 謀反
2月14日 ●坂西織部・保科正直 逃亡
2月16日 ●武田逍遥軒信廉 謀反
2月16日 ○今福昌和、鳥居峠で織田軍と戦い戦死
3月1日 ●穴山信君、謀反
3月2日 ○仁科盛信、高遠城で戦死
3月2日 ○海野龍宝、入明寺で自害
3月3日 ●勝頼、新府城を破棄。人馬徴用の命令に集まった者皆無
3月9日 ●小山田信茂 謀反
3月10日 勝頼、地侍の襲撃を受ける。お松ら落ちる
3月11日 ○勝頼、信勝、家臣44名戦死
3月12日 ●武田信豊、城代に謀殺さる
3月12日 ●一条上野介、家康に殺される
3月12日 ●武田信貞、家臣に謀殺さる
3月19日 ●武田左衛門佐、信長に殺される
3月19日 ●武田信廉、信長に殺される
3月19日 ●小山田信茂、信長に殺される
3月20日 ●木曾良昌、信長に祝賀言上
3月20日 ●穴山信君、信長に祝賀言上
3月29日 信長、甲斐を川尻秀隆・森長可に配分
4月3日 ○恵輪寺・快川国師、焼かれる
4月5日 ●森長可、地元の一揆に会う
6月2日 ●本能寺の変。穴山信君謀殺さる
6月15日 ●川尻秀隆、一揆により戦死
6月末 ●森長可、一揆により逃亡
127 :
人間七七四年:2007/03/21(水) 20:04:50 ID:atcMIeZc
>2月6日 ●下条九兵衛 謀反
下条氏については下条信氏が当時の当主である(信玄の妹を貰っていた
この信氏の家臣の九兵衛が信氏を追放して乗っ取り織田方に寝返った
と言う事でここに記載する場合は
2月6日下条信氏 家老下条九兵衛に叛かれ三河へ落ち延びる
とした方が良いだろう。
128 :
人間七七四年:2007/03/21(水) 21:52:17 ID:tG+hwI93
小山田の子孫どうこうって俺のこと指してるのかもな
おれは(もちろん俺だけじゃなくこのスレの流れを見てもらえばわかると思うが)
信茂の裏切りは裏切りとして認識してるし、裏切りは良くないくらいのこと
わかってるよ。
ただ「裏切りよくない。信茂は最低のDQN、終了」ってやらずに
そこに至った経緯や他の家臣の動向を調べていって実情を把握していこうとしてるだけだよ
もちろんその結果「信茂は救いようの無いDQN」て結果に落ち着いてもなんとも思わないし、
信茂を崇めてみたってしょうもない。
おれはいろんな人の多角的な情報を得たり、自分の拙い資料を提供したり、それを訂正されたりしてかなり、このスレのおかげで
べんきょうになってるよ。
129 :
人間七七四年:2007/03/22(木) 01:56:18 ID:TQkq2CY4
128殿に同意。
それに信茂の動向を検証することにより、あらたにみえてくる史実もあるかもしれない。
当時の国人のありかたを知るうえでも参考になる。
130 :
人間七七四年:2007/03/22(木) 10:30:12 ID:mnn4VkYN
小山田の家督相続がいつ行われたのかがよく分からないのだけれど、
一応生前は家長を続けていた(在世中に隠居して子に家督を譲らな
かった)ものとすると、小山田弥太郎信隆が武田信虎との戦いで戦死
した永正5年(1508年)から越中守信有の治世が始まるとして、
越中守信有… 永正 5年〜天文10年2月(1508年〜1541年)約33年
出羽守信有… 天文10年〜天文21年2月(1541年〜1552年)約11年
弥三郎信有… 天文21年〜永禄 8年8月(1552年〜1565年)約13年
がそれぞれの郡内の統治期間ということになる。
永正6年(1509年)に武田と同盟を結んでからは、越中守の時代に
信虎が大井信達・今川氏親との抗争に入っていた時期、断絶状態に
なっていたことがあった以外は同盟を維持していたわけだから、
信茂が家督を継ぐまでだけでも、だいたい55年間にわたる同盟
関係が維持されていたわけだ。
131 :
人間七七四年:2007/03/22(木) 11:36:19 ID:J+dzpcs/
郡内衆は武田軍最強と目されていた
各合戦で活躍し、川中島合戦でも当主が不在だったにも関わらず武功を挙げている
……でも郡内って甲斐でも貧しい地方だったんじゃないっけ?
なぜ強かった?
132 :
人間七七四年:2007/03/22(木) 13:39:41 ID:aoR3QkbH
>>131 金持ち喧嘩せず、貧乏生き抜くために毎日が修羅場
133 :
人間七七四年:2007/03/22(木) 16:30:04 ID:DWyKgRem
2月16日 ●武田逍遥軒信廉 謀反?
134 :
人間七七四年:2007/03/22(木) 21:40:04 ID:mSf/+jVX
小山田は何かって言うと別働隊やらされてるんだよね
有名な第四回川中島。(そのありようは今いろんな研究で取りざたされてるけど)
キツツキで上杉を煽る別働隊だったし、北条攻めのときも単独で別働隊やった(小仏ルート)。
三方ヶ原で先鋒として石投げて矢面に立たされてるし、
長篠では甲軍でもっとも被害を出して突撃(馬防柵やぶる活躍したけどね)。
(先に自分から言っとくけど)贔屓目に見てるとどうも何だかんだいって誉めそやしつつ
武田は小山田を信用してなかったんじゃないか、その中で必死にアピールし続ける必要があったんじゃないかと。
必死に結果を出すことでしか認めてもらえなかったんじゃないかと。
ところで北条攻めの時、信茂はキツツキ戦法成功させたっていわれてるよね。
廿里(とどり)決戦て言うそうだけど、小仏から八王子に侵入したとき、滝山城に取り掛かろうとすると
それを察知した城主の北条氏照が騎馬300総勢2000の精鋭だけ引き連れて
廿里で迎え撃とうとするとそこにはすでに小山田が騎馬200総勢1100の軍で待ち構えていて
鳥雲の陣を敷いて氏照を完膚なきまでに叩きのめして潰走させたそうです。
書いててすっきりした
あと、裏切りカッコワルイ。
135 :
人間七七四年:2007/03/22(木) 21:49:32 ID:7tqXcCQ1
>>125からちょうど勝山記の話が出たので引用序に
>>131に説明しよう。
「強さの秘密」
当時は敵地での略奪こそ外収入の花形でありました
貧しい者には唯一無二の立身出世の好機でもあります
城内の者(土地の支配者層)を殺戮して支配者層が居なくなれば
そこを容易く統治する事も出来、家来に新領として与える事も出来ます
当然
>>125の言う「武田軍が行った略奪や虐殺」は
「家中随一の勇将」との誉れも高い小山田氏は
この手の行為を家中随一励んだとも言い換えられるのであって
勝山記に記されているのは寧ろ戦果を誇っているようなものとお考えあれ。
領内の人心や土地は痩せ荒んで生産性が低くてもそれに見合う
力仕事、所謂「出稼ぎ」があったとお考えください。
また小山田領の最たる収入源「富士講」について
戦国時代でも富士講は依然盛んでありましたが
武田家の支配地域とすると他国の警戒が強くなりますので
信虎の甲斐統一後も小山田領とする事で(当然婚戚強化は必須)
御師と呼ばれる人々が諸国を巡り易くすると共に
諸国からの参拝者を受け入れ易くしたものとも考えられます。
更に、富士講の関所通過の税収に武田家が関与していた事も
明らかになっているので独自の領国支配では無く
都合が良いので自治を認めたと言う感じでしょう。
136 :
人間七七四年:2007/03/22(木) 23:24:59 ID:ay1aAlwf
御師と御使は似て非なるものだ罠。
ついでに戦国時代に盛んだったのは富士講ではなく
修験色の強い浅間信仰だろうが。
北口は地元でそんな電波まで飛ばしてんのかw
137 :
人間七七四年:2007/03/23(金) 12:01:41 ID:F9u+dEyF
郡内は米にはむかねーしこれといった売りもないが雑穀はとれるよ。
飢饉と戦渦をまぬがれれば豊かではなくても暮らしてはいけたんだろう。なんか、いまとあんまりかわらねえな(W
138 :
人間七七四年:2007/03/23(金) 13:48:14 ID:97kqQvpk
>136
俗に言う富士講自体修験道(山岳信仰)と神道(浅間信仰)の混じりだから
広義で見れば富士講でも別にかまわんとも思う
だが、古来からの富士山信仰をさしおいて富士講こそ
富士山信仰の中心だみたいな考えはいただけん
北口はそのあたりを履き違えているのだろう。
だからこっちこそ本宮だと浅間大社にケンカをふっかけ
県内の一宮だけでなく周辺の浅間神社からも
総スカンをくらっている。
これらの事情他の諸々で北口を見ると
北口=小山田みたいな感じでなんかオモシロくもあり
139 :
人間七七四年:2007/03/24(土) 02:34:29 ID:eQiDC0f0
んー?履き違えてるのは多分北のひとじゃないよね?素で勘違いしてそう。
それはさておき、こうしてみると信茂もかなりな武勲があるんだな。知らなかった。
もっと闘ったこともないような奴なのかとおもってたよ。
140 :
人間七七四年:2007/03/24(土) 06:26:45 ID:nAyh09g/
>>138 >北口=小山田みたいな感じでなんかオモシロくもあり
だれがうまいことを言えと…。
>>139 >ー?履き違えてるのは多分北のひとじゃないよね?素で勘違いしてそう。
だったら本宮だなんて名乗るなってことだろ。
戦後になって急に総本宮を自称し未だ名乗り続け
大社と和解せず一宮浅間にすらお仲間認定されていない
勘違い神社だってことはガチ。
世界遺産でズに乗らないことを祈るのみ。
141 :
人間七七四年:2007/03/24(土) 14:20:32 ID:eQiDC0f0
ああ、レスじゃなくていまの北口のことをいってるのね。納得。
しかし、その話をひろげられてもややこしくなるだけな気がす。
それよりも信茂の兵力についてききたいんだけど、
長篠→勝頼が岩殿いきを決めたときでそれぞれどれぐらいだったんだろう。
おしえてくんでスマソ
142 :
人間七七四年:2007/03/24(土) 15:21:28 ID:QTmE3slR
長篠合戦では小山田衆は三千で出陣・うち一千が討死という大打撃を受けている
武田を見限ったのは、野戦兵力の三分の一を失って織田との戦いに全く展望が無くなったのも理由の一つだろう
数は織田侵攻までに回復したとしても、その程度じゃない?
143 :
人間七七四年:2007/03/24(土) 21:17:32 ID:UdwWlS5Q
家臣たちが見限った最大の理由は勝頼が甲府出て韮崎の新府城に引っ越したことだろね
「おいおい俺たちはどうなんのさ」って家臣民衆みんなが思っただろうね
妙法寺記「永禄四年十月十日」
「弥三郎殿ハ御立無ク(不在)候。人衆計立候(家臣だけ出陣)ヘ共。
ヨコイレヲ被成候(奇襲作戦成功)。入尽クシ近國ヘ名ヲ上ケ被申候(他国にも名をあげた)」
第四回川中島のとき小山田信茂はどこ行ってたんだ?
145 :
人間七七四年:2007/03/25(日) 21:36:30 ID:JcLEwsqO
141です。
142さんレスありがd
それだけ投入して打撃受けたらイタイっすね。しかし裏切るつもりなら、まだ兵力が残っていたわけだから、どうせなら長篠直後に動けば良かったのに。なんでそうしなかったのか理解に苦しむ。
>>144 ただ不在としか書かれてないのか。
謎が多いなあ
146 :
人間七七四年:2007/03/25(日) 21:49:16 ID:LFFbdzK6
1)本陣にいた
2)病気だった
3)信玄の名代として今川か北条あたりに使者として出向いていた
あたりじゃないかと
いや、不在と言ったのは川中島の現場に小山田が不在と言ったのたが。
郡内で不在ならば「御不在」か「他行成」と書くはずだし
この時点で小山田は郡内に居たと見るべきだろう。理由は他に命を帯びていたか病気かどちらか
しかし大事の時に当主が出られないとは余程の事だ。
病伏なら代わりを当主代行として立てるが著者はそれを把握してなかったのか
代わりの者の名についての記述はない
148 :
人間七七四年:2007/03/26(月) 23:04:36 ID:JLy7MTw3
第4回勝利?のあと
信茂は勝ち鬨あげる時、南天の弓を持つ栄誉を与えられてるから(他に御旗持つ人や風林火山の旗持つ人
など数名の武将が栄誉に預かる)少なくとも出張は無いだろ。
立たないなんてことは、ほら、男ですからいろいろあるわけでしょ。ね。
149 :
人間七七四年:2007/03/26(月) 23:13:11 ID:JLy7MTw3
全然関係ないけど俺も彼女にふられたとき、1週間たたなかったよ
ごめんスレ汚した
150 :
人間七七四年:2007/03/27(火) 12:02:30 ID:FeIZEucp
でも病気怪我なら、そう記すよな。
ぶるって逃げていたなら、その後の扱いはありえないしなあ。
>>149 泣ける話や…イ`
151 :
人間七七四年:2007/03/27(火) 12:36:20 ID:Y5kSxSDz
信茂の投石部隊って攻城兵器を使ったもの?
152 :
人間七七四年:2007/03/27(火) 14:46:54 ID:fLp/gOF0
>>151 単なる生身の投石
小山田衆は上田原の大敗の時も奮戦して信玄のあわや、というところを助けた
徳川家でいえば酒井ら東三河衆みたいなものか?
153 :
人間七七四年:2007/03/27(火) 14:56:25 ID:6TlIoyBR
酒井は、列記とした徳川の一門衆で小山田とは立場が違う。小山田も一門衆ではあるが、従属同盟の為の婚姻であって
酒井氏は、松平氏の分家として代々、松平家に仕える、股肱の臣。徳川で例えるなら、奥平信昌だな。
154 :
人間七七四年:2007/03/27(火) 17:53:36 ID:y1gSqOIJ
最後の裏切りさえなければ名臣として名前のこせてのにね
武田五名臣の1人とかって
残念な奴だ
155 :
人間七七四年:2007/03/28(水) 09:45:53 ID:UGWoMYEN
子孫ってどの辺が多いの?
茨城県と秋田県にいるのは知ってるが
156 :
人間七七四年:2007/03/28(水) 14:43:32 ID:iauJS7Ck
多摩地区には小山田氏発祥からそのまま豪族化していついた一族がみられる。
ここから山梨・長野に流れて信茂まで繋がるようだが、現在このあたりに残っている家は、史料通りなら信茂直系はたたれているはずなので傍系女系。そして石田小山田氏の流れだろう。
同じように茨城、静岡方面にもみられる。
九州には秩父の頃にわかれた小山田氏がいる。
福島には小山田の落人村があるがここで嫡流とされる一族はすでに住んでいない模様で小生には詳細不明。
ここの本家子孫は神奈川・東京方面に移ったらしい。
小生が確認できたのはこれぐらい。
補足願う。
157 :
人間七七四年:2007/03/28(水) 18:18:45 ID:UGWoMYEN
大和柳生藩の家老は福島との事だが情報あるかたいますか?
秋田県の小山田は佐竹の転封について行ったと聞きましたが
158 :
人間七七四年:2007/03/28(水) 23:41:10 ID:F/fRmTw6
どんどんマニアックになってくなw
159 :
人間七七四年:2007/03/29(木) 20:41:58 ID:tahwDb4z
面白くて仕方がない。
裏切り者呼ばわり云々の低レベルな話題がウソのようだ。
流石戦国板の住人。天晴れ。
160 :
人間七七四年:2007/03/29(木) 21:38:06 ID:b8/ePW4v
信茂の斬首はまあ、いいとして8歳の息子、3歳の娘も斬首はかわいそう。
戦国の世なら当然か。信長だし。あとその後の統治のためにも小山田一族は邪魔だったんだろね。
一応生き残りもいて町田の一族に匿われて江戸時代には三方が原で徳川破った一族として一目置かれ、
水戸藩で重用されたそうだけど。
161 :
人間七七四年:2007/03/29(木) 21:58:48 ID:Ye/9E769
八王子千人同心にもいそうな予感。郡内と八王子とは目と鼻の先だし。
162 :
人間七七四年:2007/03/29(木) 23:46:43 ID:5yb35J+n
>>160 息子と娘の斬首については初耳だがソーズは?
163 :
人間七七四年:2007/03/30(金) 00:48:36 ID:kQchi+Fj
>>160 息子と娘の斬首は自分も初耳。
(娘が何人いたかも知らないが)
松姫と八王子に落ちた娘の他に斬首された娘がいたのか?
164 :
人間七七四年:2007/03/30(金) 01:37:51 ID:nGtPavwf
>>159 どうしようもない裏切り者なのは事実なわけだが
165 :
人間七七四年:2007/03/30(金) 02:21:29 ID:I7ogRY3R
俺はあそこで裏切ったからこそかっこういいとおもう
日本人は忠義一途で討ち死にとか好きだが、わずかな望みにすがってでも生き延びようとして何が悪いんだ
166 :
人間七七四年:2007/03/30(金) 02:27:46 ID:SgyhwmNq
名こそオシメ
167 :
人間七七四年:2007/03/30(金) 02:49:22 ID:nGtPavwf
名を惜しむとか以前に裏切った挙句ヌッ殺されたのが‥。
裏切るのが悪いのではない裏切った挙句、無様に殺されたのが悪い。
168 :
人間七七四年:2007/03/30(金) 11:44:29 ID:fiaLeYIN
廿里(十々里)の合戦
1569年10月1日
信玄が碓氷峠を越えて関東を南下している時、小山田信茂は小仏峠を越え
(小仏峠にはこの時始めて道が造られたという)武蔵に侵入。
自分の部隊(『甲陽軍鑑』によれば騎馬200、雑兵900)だけで
北条氏照と合戦し、これを撃破した。
この頃より小山田信茂と郡内勢は武田家中最強と謳われるようになる。
169 :
人間七七四年:2007/03/30(金) 16:24:02 ID:bgJA+MnG
そういえば、このときの武蔵・相模侵攻って氏康にしては後手後手に回り、
北条方の敗戦も多かったけど、氏康にしては精彩を欠いているなぁ。
上杉が小田原を包囲したときも小田原に篭って引き上げさせたのは
変わらないけど、上杉の小田原包囲の場合は無駄な戦をせずに
引き上げさせたのに。
あと、武田方も廿里では勝ったものの滝山城を攻め切れなかったので、
廿里の勝ち戦の意味がないんだよなぁ。三増峠も武田の勝利というより
痛み分けではないかという説も最近出てきているし。
って、小山田スレの話題ではないか。
170 :
人間七七四年:2007/03/31(土) 02:17:48 ID:zAkK95VT
>>162 自分の手元にある「小山田氏と岩殿城」(鈴木美良)って本には書いてある。
この著者は妙法寺記、勝山記、甲陽軍鑑、甲斐国史あたりを元に研究してまとめてあるようなので
どこかに書いてあるんじゃないかな。ごめんね不勉強で。
ところでこの本は良くまとまってて勉強になった。
著者は郷土史家のようだが、プロフィールに陸軍第四研究所特殊重車両研究に従事ってあって何者か良くわからないw
武田と小山田が同盟に至った経緯とか知らなかったんで
ためになった。そのうちまとめるわ。
171 :
人間七七四年:2007/03/31(土) 02:27:20 ID:zAkK95VT
>>169 北条攻めの戦略目的が「本気で北条の領土切り取ろうとした」のであれば、
失敗といえるが、「駿河窺うなよ的な牽制」とかだったら、滝山城落とすことに大して価値はないのではないでしょうか。
北条的には、滝山、八王子城の戦略的重要性が再確認できたという一面はあるでしょうから、負けて失ったというより、得た部分も多きかったかもね。
172 :
人間七七四年:2007/03/31(土) 03:02:01 ID:1ZQOiQor
ほぼスルーした御獄城、鉢形城、包囲2日とまともに囲む気もなかった小田原城とは
大きく違い、北条一門筆頭格の氏照が篭城していた滝山城の場合は、拝島に2万人で
布陣した上で小山田隊1000人を遊軍にして小仏峠を越えさせ、廿里での迎撃を一蹴して
力攻めをして三の丸を攻め落とすなどかなり本気になって攻めているんで
落とせなかったことに対する評価が難しいところ。
といっても、攻城戦はたったの2日なので、やはりまともに攻める気がなかった
というのも濃厚か…
173 :
人間七七四年:2007/03/31(土) 03:10:03 ID:1LP5M2aS
>>161 八王子市民だが、小山田の末裔は聞かんなぁ
おらの周りでは馬場、甘利、内藤、三枝、土屋が多いずら
174 :
人間七七四年:2007/03/31(土) 03:12:32 ID:7dtUC5Vc
>>126 遅レスだが、信茂の謀反と死亡日については諸説あるので、其々を比較してみる必要があるとおもう。
と、いっても詳細日時が明記されている史料は少ないようなのだが・・とりあえず、自分が確認した他の説をあげておく。
他説詳細ご存知のかたがたがあれば、随時あげていただけると有難い。
・3月13日付の織田信長が柴田ら重臣にあてた書状では、すでにこの時点で信茂も討ち果たしたとされている。
・長生寺の信茂の位牌には、「武山長文大居士 忌日 3月24日」とある
>>158 小山田氏については、信茂死後から履歴や伝承が消されていたり、研究が充分とはいえなかったりして不明点が多いからね。
マニアックにもなるってもんだ。
再検証することで武田や戦国を語る上でも役にたつはず。
>>169 まあ、それぐらいはいいんじゃない?武田の戦略のありかたと小山田氏の役割は関連があるわけだから。
こうしてあらためてみると、おそらく武田の暗部にもかかわり武功をあげ尽くしていたことがよくわかる。
それだけに、従来的な信茂像にも疑念がわいてきた。
少なくとも単純に『死を恐れ』逃げるような人物ではなさそうだ。
175 :
人間七七四年:2007/04/11(水) 17:03:46 ID:QEnHf8Ww
へー、位牌に武の字がはいってるあたり面白いね
信長公記での日付はいつなの?
176 :
人間七七四年:2007/04/12(木) 22:37:05 ID:XYJ2VNWh
>>174 履歴や伝承が消されているとはこれまた大げさだな。
吉田あたりなら案外残ってんじゃねーの?
外に出ないってだけで。
177 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 01:17:21 ID:VvFrA2zC
都留市、大月市には発給文書やら伝承をしっているお年寄りやら残っているみたいですよ。
しかし明確な史料がない事柄、または検証の余地と不明点が多いのも事実ですね。
より研究がすすむことをのぞみます。
178 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 05:32:14 ID:JgRyPh3a
都留市あたりは小山田以降、戦国末から近世初頭まで支配者の入れ替わりが激しかったからねー
あげくに江戸中期以降は天領になっちゃったし
消されたっつーか埋没しちゃってる感はある
179 :
人間七七四年:2007/04/14(土) 07:15:42 ID:/p+BeM8+
服部半蔵が治めてた時期あったよね
180 :
人間七七四年:2007/04/14(土) 12:15:18 ID:TIF8WY76
小山田亡きあとの領主ってけっこう悲惨な目にあってるなー
181 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 14:01:31 ID:o8vMP28F
町田市の小山田に『小沢』さんはいるよ。小山田有重の孫の小沢重政の子孫かな?
182 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 19:01:02 ID:CYNwd9BP
信長に滅ぼされた後、一族の一部が越後経由で九州博多に渡り
熊本南部に落ち延びたという記録もあるよ。
今の九州自動車道が通っている近辺に尾山田という地名と少人数の集落がある。
現地まで行って確認はしてないがおそらく落人に関係あるのではないかと思われる。
183 :
人間七七四年:2007/04/23(月) 01:05:12 ID:cU1/Z6no
裏切り者末裔部落か
184 :
人間七七四年:2007/04/23(月) 05:37:54 ID:c/ERgaia
>>182 なんでそんな縁もゆかりもないところまで流れなきゃならんかったんだ?
信玄の子孫連中でさえ、北条や上杉、徳川にやっかいになれているというのに。
185 :
人間七七四年:2007/04/23(月) 14:09:53 ID:13iWx2EQ
町田の小山田が本領なわけだしねぇ。
にしても、八王子や町田の武田の遺臣の数って下手すりゃ甲府以上に多いのかも。
186 :
人間七七四年:2007/04/24(火) 18:33:50 ID:viEiDtxN
九州の小山田は秩父の頃にわかれた一族。信茂の血筋ではないよ。
町田近辺は有茂のながれで半士半農の豪族的に残ったものと、鎌倉以後の後世の闘い(対 北條、武田)の中で生き残ったものがいる。
小山田氏は歴史上あらわれたのが古いから、どの時代に誰の系統がどこへ流れたのか注意して細かくみる必要があるよ。
信茂の男子嫡流は史実通りなら絶えて、娘は内藤氏に嫁いでいる。
先代の信有、信茂の兄弟姉妹、石田小山田の血筋なら
長野、山梨、福島に流れて子孫はそれぞれ残っているはず。
187 :
人間七七四年:2007/04/24(火) 19:18:05 ID:RRvB7c2V
茨城県と秋田県の小山田は?
188 :
人間七七四年:2007/04/30(月) 07:22:43 ID:7bPkoeoE
地名は たくさんあるよ
189 :
人間七七四年:2007/05/01(火) 01:32:54 ID:mMi2bqop
>>187 ほとんどの場合、地名のほうが先なんで、秋田や茨城の小山田は郡内の小山田氏と
関係があるのかあやしい。町田の小山田は明らかに郡内の小山田氏の本領だけどね。
190 :
人間七七四年:2007/05/01(火) 01:45:44 ID:glzp1DL7
秋田の小山田は佐竹の転封について行った一族
豊臣政権時に帰農したとの伝承(佐竹が土着の平氏を大量に処分)がある
191 :
人間七七四年:2007/05/01(火) 09:39:54 ID:E5tJHO5U
信有、信茂のころの小山田家の家臣はどんな人がいますか?
192 :
町田史研究家:2007/05/08(火) 17:08:05 ID:ISzt7cmS
193 :
町田史研究家:2007/05/08(火) 17:19:52 ID:ISzt7cmS
194 :
町田史研究家:2007/05/08(火) 17:38:04 ID:ISzt7cmS
195 :
人間七七四年:2007/05/12(土) 00:58:24 ID:Yr9Ih28M
山梨にいる子孫の小山田さんなら知ってるが
196 :
人間七七四年:2007/05/14(月) 07:09:42 ID:1QrqQqsJ
197 :
人間七七四年:2007/05/14(月) 07:37:44 ID:h3UDneUI
聞いたことないな。
小山田信綱で検索しても一件もひっかからんし。
198 :
人間七七四年:2007/05/14(月) 07:47:27 ID:1QrqQqsJ
199 :
人間七七四年:2007/05/14(月) 12:05:58 ID:cACwTvE2
白虎隊のころにも小山田っていなかった?
白河藩から柳生にいった小山田もいるな
200 :
人間七七四年:2007/05/14(月) 16:03:08 ID:1QrqQqsJ
201 :
人間七七四年:2007/05/15(火) 03:56:13 ID:A3/wWt5q
武田家臣に小宮山氏という一族もいるのですが
エピソードとか知ってる人いたら教えてください。
202 :
人間七七四年:2007/05/15(火) 04:26:14 ID:/zNKVC27
203 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 19:11:39 ID:bH0NvcIt
千葉にも いるよ
204 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 12:23:18 ID:5lXn1ftU
大河で笠原夫人ゲットage
205 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 12:40:52 ID:Tyahhr6L
しかし岩殿城は見事な処に在ったんだな・・前には深い深い谷のような川、
城は岩のてっぺん、勝頼公が行こうとする気持ちもわかる、なかなか落ちないだろな。
後付けになるが小山田氏は新府城での軍議の前に裏切るべきだったかも、信長にすれば
やはり態勢が決まった時点での降伏と見たようだし、勝頼公にしても真田の砥石城に
行けばあるいは命を永らえたかもしれんな、昌幸は1.2年必ず答えると言っていたみたい
だし、数ヵ月後に信長は死んでいるわけだし。
206 :
人間七七四年:2007/07/03(火) 01:10:33 ID:YMjhdzOD
すでに指摘もあるが、小山田が責められるのは裏切ったからというよりも、裏切りに
失敗したからでしょうね。
裏切りにも作法(ルール)がある。
戦いが始まる前に反旗を翻して旗幟を鮮明にする(木曾や穴山)。たいていは事前交渉で
身分・生命・領地の保証が行われる。信長だってその約束は守った。
戦った末に、力尽きて降服する(真田など信濃諸豪族)。こちらも、たいていは交渉して
投降後の身分や領地の扱いを取り決めた上で臣従する。
上のほうで出てたが、朝倉景鏡も身分領地を保証されて降服、義景を討った。そして
信長は約束を守っている。ところが小山田はこの事前交渉がみうけられない。
207 :
人間七七四年:2007/07/07(土) 00:11:58 ID:eACKXux7
戦では何度も先鋒を務めるほど勇猛果敢だったのに
土壇場で迷いが出たのかもしれないな。かえすがえすも惜しい。
208 :
人間七七四年:2007/07/07(土) 08:24:36 ID:V5okxZqb
裏切ってでも家を存続させたなら、まだなんとかって感じだが、
裏切った上に母、妻、息子、娘と全員処刑って、稀に見る大失敗というか悲惨な末路だよな。
しかも裏切る前に落ち延びさせた娘が、武田の松姫に養育して貰ったとか、もう見てらんない・・・・
209 :
人間七七四年:2007/07/09(月) 23:14:54 ID:L80gDbKD
来週
信有死亡だな
210 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 01:37:24 ID:0BhKL3ko
>>206 (梅雪の横死や、未来としての木曽家の改易とかはおいといて)
あの時期の甲信で、信忠・信長に誅された一門衆や重臣たちと
穴山や木曽の処遇を比較すると、
甲斐侵攻の前から誼を通じていた両者の段取りが伺えるね。
自分は勝頼好きではあるけれど
領主、武家の当主としての梅雪、義昌の選択を否定はしない。
211 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 05:02:27 ID:fa2GG+qj
死後四百年余りを経て今なお侮蔑と嘲笑の対象になってる…
もう武家として最悪の顛末だよな
212 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 15:44:42 ID:uH2SQI8p
小山田最悪…
城は見事だけど
後1000年くらいは軽蔑されそうw
213 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 17:55:02 ID:YVfrDGGs
軽蔑してるのより惜しいってやつのほうが多くないか?
本当になんであんな土壇場で行動したのだろう。あそこまでの戦いかたなどからみるともっと周到に計画をたてて動くタイプだとおもうが…怖かった、日和ったという理由だといまひとつ説得力ないよな。
214 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 20:06:10 ID:9Y1yyzaE
>>213 ええ、ですから、時々フィクションで小山田信茂擁護のときに使われる「押し込め」が
本当にあったんじゃないかとも思ってます。
信茂が裏切るつもりなら、それ以前(新府退去)でも以後(篭城中)でも、もっと絶好の機会
があったと思うんですよね。なんであんな中途半端な対応になったのかと。
215 :
人間七七四年:2007/07/11(水) 02:45:01 ID:6HI1I9Nb
土壇場で将としての底が割れた
って印象だなぁ
216 :
人間七七四年:2007/07/11(水) 11:05:44 ID:b929gopM
>>214 武田瓦解のときに松姫が伴った小山田信茂の娘
(後に宮原氏に嫁す)ってのは、当初は人質的な意味があって
新府に留め置かれてんだろう・・・と思っているのですが。
勝頼娘と盛信娘を、生き延びるために松姫に託すのは良くわかるが
小山田の娘を生かそうとしたのは、単に童女への哀れみなのか
または、自分達の退路にあたる小山田家への懐柔策?
またまた、何か違う思惑あってのことなのか?
確か信長侵攻後に誅された信茂家族のなかに
幼少の童女も混ざっていたように思うけれど、
同じ娘でありながら、不幸な夭折なんだなぁ・・と。
この辺りのことにお詳しかったら、何か教えて下さい。
217 :
216:2007/07/11(水) 11:09:39 ID:b929gopM
>>216 すいません、間違えました。
高家・宮原家に嫁いだのは勝頼女で、
信茂女は内藤家の側室でしたね。訂正
218 :
人間七七四年:2007/07/14(土) 23:27:07 ID:MWHcoI7c
松姫らと一緒に娘が連れていってもらえたのは、小山田家がそれだけの扱いを受ける親族待遇だった証拠かと。
信玄の葬儀でも、3番目だったかな?そのレベルの立場を務めていたとかいうし。
勝頼の娘、盛信の娘と同じように落ち延びさせるほどの武田の中枢的存在であり、信頼もあったといえるんじゃないかなぁ。
姫に人質的要素があったならば、勝頼の側にいるのが妥当で、松姫と落ち延びさせた理由は、善意に他ならない。
219 :
人間七七四年:2007/07/15(日) 02:29:52 ID:BkF0WjlX
その小山田の娘が内藤家の跡継ぎを生んでいたよな。
220 :
人間七七四年:2007/07/15(日) 20:05:16 ID:w8LWPESW
今日信有死んじゃうな
221 :
人間七七四年:2007/07/16(月) 06:34:32 ID:ftu8LhSB
信有の最後の戦は、上田原じゃなくて、砥石崩れだ。
大体、戦で死んでなんていない。
砥石崩れの傷がもとで死んだだけで、しばらくは生きてる。
222 :
人間七七四年:2007/07/16(月) 14:12:06 ID:qQJSYUXb
223 :
人間七七四年:2007/07/17(火) 20:56:18 ID:FhZa4IHN
まえにも 聞いたけど 郡内地方には おやまださんは いないんですか? 名を伏せたのかな?
224 :
人間七七四年:2007/07/22(日) 17:05:00 ID:xgcbYFL3
電話帳をみる限り郡内にも小山田さんはいる。
ただつながっているかどうかまではわからんけど
225 :
人間七七四年:2007/07/25(水) 21:31:21 ID:jw/EaZOO
三重県に2カ所ある小山田って地名は無関係?
226 :
人間七七四年:2007/07/28(土) 19:39:34 ID:lrhCNizG
東北とかに地名があるけど、前九年後三年の役以降、小山田氏も出征しているから その名残かもしれない。
で弥三郎のバカチンは第四回川中島の時どこで何やっていやがったんだ
228 :
人間七七四年:2007/08/03(金) 05:54:16 ID:d4TxuxCm
なんだかんだと謎の多い一族だなあ
229 :
人間七七四年:2007/08/03(金) 06:31:18 ID:QdX526WU
豊臣政権確立前に滅亡したところは、大名クラスでも資料も残ってなかったりで、謎が多いからねぇ。
一国人クラスでは、仕方がないところかな。
230 :
人間七七四年:2007/08/03(金) 20:52:56 ID:KbnQdNfC
かなり古い苗字らしいからね。
231 :
人間七七四年:2007/08/04(土) 00:54:07 ID:D+eoKEz3
武家の苗字は地名から取るものだから
苗字の謂れに古い新しいは余り関係ないよ
地理的特徴が地名になる訳だから全国的に似ている地名なんて腐る程あるし
名乗った時代が古いか新しいかはあるだろうけど
232 :
人間七七四年:2007/08/04(土) 04:19:12 ID:ygwht7FD
>>230 山と田圃なんて、この時代は当たり前というかの存在だからなw
入り交じっちゃって、何がなんだかだろうなぁ。
233 :
人間七七四年:2007/08/04(土) 10:11:02 ID:D+eoKEz3
大字に類似があるのは勿論、小字まで含めるとさらに途方もない
234 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 22:18:07 ID:3/Kgfiow
次回の大河ドラマで遂に小山田信有が「 暗 殺 」されるよ〜。
見てね〜♪
byみる姫
235 :
人間七七四年:2007/09/07(金) 00:47:35 ID:3jhzFyQ0
誰に?もしかして平蔵だったりしたら、最悪だな
236 :
人間七七四年:2007/09/08(土) 05:29:34 ID:VCxsWm3v
大丈夫
それはない。
大河がきっかけで注目しだしたひともいるようでなんか嬉しいな。
これでもう少し研究がすすむといいなとおもう。
237 :
人間七七四年:2007/09/08(土) 10:16:38 ID:spC/xaFF
砥石崩れで負傷して、後にそれが原因で死んだんじゃないの?
238 :
人間七七四年:2007/09/08(土) 13:00:13 ID:VCxsWm3v
ドラマはまるっとフィクション
史実は砥石城で負傷してそれが元で…という説が一番しられているが、諸説ある。
どうだったんだろうな。
239 :
人間七七四年:2007/09/12(水) 23:23:43 ID:F3DJcadf
内藤家の側室になった娘の系譜とは別に
信茂の子孫がいるとか、大河板で見かけたけど本当?
生き延びたような子がいたの?
240 :
人間七七四年:2007/09/14(金) 03:23:07 ID:ncx+Iqlh
大河板みたが、小山田の子孫はいる、子孫はべつに隠してないというかんじの話をしているだけで、誰も「信茂の」直系子孫がいるとはいっていない。
ま、庶子は生き残ってるだろうし、信茂の死にかたじたいも諸説ある。小山田氏の落人村らしきところもある。
実は直系子孫がいたといわれても、不思議ではないわな。
まだまだ小山田氏については研究がすすんでいないからな。
241 :
人間七七四年:2007/09/14(金) 03:24:29 ID:QcVyRV9o
というか、完全に断絶したと断定できる家を探す方が難しいんじゃね?
何だかんだで、系譜だ子孫だって、残ってる気がする・・・・・
242 :
人間七七四年:2007/09/14(金) 22:42:16 ID:k1IJobRO
小山田といっても、郡内の小山田に石田の小山田もいるな。
でも、あの大河板のレスの書き方だと、
ことさら信有の子孫のことを指してるように感じたけどね。
そのあとに否定レスもついてたが。
243 :
人間七七四年:2007/09/15(土) 02:06:51 ID:0nNcmGf2
そりゃ、ふつーに考えたって信有の子孫はいるでしょーよ。
信有の息子は弥三郎信有、信茂だけじゃないだろうから。
それに、よく信茂と長男は殺されたとされているけれど、
ほかの信茂の子供達については完全にはわかっていない。
正確に何人の子供がいたのか、皆殺しにあったのかなんてこともいろんな説があってどれも確証はまだない。
生き残っていてもぜんぜん不思議ではない。
244 :
人間七七四年:2007/09/15(土) 08:57:48 ID:vmGzhvGh
全国に約1万人いるそうで まぁ やる気になれば 調査できるでしょう。
245 :
人間七七四年:2007/09/15(土) 10:26:54 ID:2KGLVclf
裏切り者の末裔そんなにいるのか
246 :
人間七七四年:2007/09/15(土) 12:16:41 ID:xVRv0GTI
明治になってから「子孫」になりすましてる
自称子孫もたくさん居るよw
名乗ったもんがちだよな、ある意味。
247 :
人間七七四年:2007/09/15(土) 14:22:49 ID:vmGzhvGh
裏切りものですかネ?
248 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 03:07:43 ID:i8Z6cugW
一万人の中で多いのは、たぶん多摩地区に残ったほうの小山田の子孫でしょう。
あとは石田小山田、信有の兄弟系とか…。
現存する史料通りなら信茂の嫡男も共に死んでいるので、
いま信茂の血をひく小山田氏がいるとしたら、
裏切りに荷担せずに落ちのびた
嫡男ではなくその兄弟姉妹、庶子の子孫てことだろう。
何人ぐらいいるのかなあ。
あ、あと内藤姓も子孫だね。
249 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 04:04:25 ID:CcJJCeNh
信有の子や、信茂の庶子の系統が残ってても別にいいんだけど、
その子孫らは江戸時代に小山田姓のまま武士として存続したのか?
家康に起請文出して徳川家臣になったのか、
(天正十年の起請文の人名をこれから見直してみるか。
でも、備中系の生き残りもいるかもしれないしな)
または違う家に仕官して小山田姓を名乗っていたのか?
はたまた、帰農したのか?
帰農したなら、名字帯刀の農民なのか、違うのか。
その辺はどうなんでしょうかね。
大河板を見たら、子孫を名乗る大学教授とか居るそうだけど、
そういう来し方は調べていないのかな。
250 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 05:30:47 ID:+ApDB8Br
比較するには 土屋姓とすれば よいかな。案外 小山田姓は 調べやすい!?徳川支配の時に 主従関係になったのもいる。 あと 多摩地域は先祖代々からではないかな?
251 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 06:02:26 ID:/QFuOOmU
裏切りものですかネ?
252 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 10:44:41 ID:XR7iKwbC
はい
253 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 20:42:01 ID:jLYXkJjT
今日の山梨日日新聞に小山田信有の特集があった
子孫の家には鎧とか小刀などが伝わっていると書いてあった
その他信玄が小山田氏に出した書状などなど多数
郡内の都留市だかで
「小山田氏と風林火山展」みたいなものが開かれているらしい
254 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 21:59:36 ID:Dq39UeLf
255 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 22:07:42 ID:UOvfoj6O
次回企画展は「小山田信茂と天目山」です
ご期待ください
256 :
人間七七四年:2007/09/22(土) 15:53:41 ID:DjbvEcYP
今 大月から 甲府へ 岩殿城は さすがに あつぱれ 登る気になれんわ。
257 :
仙台藩百姓:2007/09/22(土) 20:29:25 ID:MWlBeHx6
土屋などは数人斬って死んだだけだが忠臣として後世まで英雄扱い
子孫も大名になり栄達したお
小山田は勝頼見捨てて生き残ろうとしたのに結果は不名誉な斬首
後世まで裏切り者の代名詞として謗りを受ける事になったお
人間死に時が大事ですおね( ^ω^)
258 :
人間七七四年:2007/09/22(土) 22:27:45 ID:9VwRSjqf
つまらん突っ込みでスマンが「死に時」というより武田から離脱する時期を見誤ったってコトで「引き際」じゃね?
259 :
人間七七四年:2007/09/23(日) 01:15:41 ID:S8adibG6
土屋は「引き際」?
260 :
人間七七四年:2007/09/23(日) 04:28:04 ID:JtYgrrP1
起誓文には 名はでてないよね。黒駒の合戦以降を調べないと・・・
261 :
人間七七四年:2007/09/23(日) 11:50:09 ID:JtYgrrP1
今日 谷村にきました。かなり 遺品が少なかった。しかたがないか。
262 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 17:08:57 ID:B3OPCsIJ
>>257 大名になったのは真田くらいと思ってたが土屋氏も栄達してたのね。
老中にまでなってたとは。
263 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 15:13:49 ID:xTIn7Z2K
裏切った面子だと、小山田同様一門だったくせに、しょっぱなに裏切ったおかげで
二郡を加増と小山田と好対照だった木曽は、江戸時代に入る前に改易されているんだよなぁ。
264 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 21:43:53 ID:q63IP59J
>>262 土屋氏は、有名な忠臣蔵で、吉良屋敷の隣に屋敷があって、
灯りで浪士の手助けをしたみたいな話がある。
知らない人は土屋って誰ぞや?なんだろうけど、武田スキーには感慨深い。
265 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 22:22:46 ID:5xqhSjps
忠臣蔵に 小山田某がでてくるけど これまた 逃亡してる。事実かどうかわからないが 女がらみで・・・ 確かに郡内地方を浅野氏が治めていた時期がある。
266 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 23:59:05 ID:YbKwQa10
小山田の投石事業は何時始まったの?
267 :
人間七七四年:2007/09/26(水) 01:08:34 ID:voNFlcqJ
■全裸緊縛強制食糞ミュージシャン
コーネリアスこと小山田圭吾
cornelius 59 from Nakameguro to Everywhere
http://music8.2ch.net/test/read.cgi/musicjm/1189271582/ http://www.myhomepage.vgocities.net/aoiryuyu/cornelius.htm @無理矢理服を脱がせて、
A縄で縛り、
B排泄物を無理矢理食べさせ、
Cレスリング技のバックドロップをくわえる、
ここまでの犯罪行為を連続して行う人間も珍しいと思います。しかもそのことを全く反省していない。
いくら口先で「お詫びします」などと言っても、笑いながら語っているようでは本心では反省していないこと、明らかです。
「ロッキンオン・ジャパン」平成8年1月号(1996年)、小山田圭吾2万字インタビューより引用
「あとやっぱりうちはいじめがほんとすごかったなあ」
●でも、いじめた方だって言ったじゃん。
「うん。いじめてた。けっこう今考えるとほんとすっごいヒドイことしてたわ。この場を借りてお詫びします(笑)だって、けっこうほんとキツイことしてたよ」
●やっちゃいけないことを。
「うん。もう人の道に反してること。だってもうほんとに全裸にしてグルグルに紐を巻いてオナニーさしてさ。ウンコを食わしたりさ。ウンコ食わした上にバックドロップしたりさ」
●(大笑)いや、こないだカエルの死体云々っつってたけど「こんなもんじゃねえだろうなあ」と俺は思ってたよ。
「だけど僕が直接やるわけじゃないんだよ、僕はアイディアを提供するだけで(笑)」
●アイディア提供して横で見てて、冷や汗かいて興奮だけ味わってるという?(笑)
「そうそうそう!『こうやったら面白いじゃないの?』って(笑)」
●ドキドキして見てる、みたいな?
「そうそうそう!(笑)」
●いちばんタチ悪いじゃん。
「うん。いま考えるとほんとにヒドイわ」
268 :
人間七七四年:2007/09/29(土) 14:46:03 ID:sn9nKcuC
大月 谷村 と訪れました。この大河によって 知られたわけですが なにか 哀愁を感じますね。
269 :
人間七七四年:2007/09/29(土) 21:36:51 ID:Mc2pehWz
>265
それ仇討ちよりも愛をとって出奔、父が嘆き慟哭のあまり腹を切るって話だよね。
泣ける話だ。
それの後日談もあるよ。
あるとき中島という医者が弟子に殺される事件がある。
しらべてゆくと実はその医者こそ、くいつめて悪事に手をだした某が名を変えたなれのはての姿であった、とわかる。
とかっていう話だったと記憶。
武士サイドからみれば忠義を通さぬ裏切り者、だけど裏をかえせば表面的な忠義やきれいごとよりも、己の選択に忠実なとても人間的な人物として描かれているというところが面白いよね。
>267
コーネリアスは多摩で土着になったほうの子孫だろう。それも嫡流ではなくたぶん沢山ある分家のひとつ。
ここで語られている郡内小山田氏系の人達の中では一族扱いはされないとおもう。
270 :
人間七七四年:2007/10/27(土) 15:08:38 ID:gd6ssHJB
みなさんは 小山田さんかな?
271 :
人間七七四年:2007/10/27(土) 22:16:11 ID:llZaVhmT
裏切り者の血族といっしょにすんな
272 :
人間七七四年:2007/10/30(火) 16:38:49 ID:RaSZ7PBj
>>241 石田三成や真田幸村の子孫まで生き残っているぐらいだしね。
273 :
人間七七四年:2007/10/30(火) 20:26:35 ID:SAoq8Y8+
直系ならともかく、血族なら断絶探す方が難しいだろう
274 :
人間七七四年:2007/10/31(水) 19:27:13 ID:mb+f6ug+
都留の子孫といわれる方は直系なのかな?
275 :
人間七七四年:2007/10/31(水) 20:05:44 ID:qZ3jEC7v
モロ直系です。
276 :
人間七七四年:2007/10/31(水) 22:41:12 ID:ALkVmT+J
訪ねていって、ご先祖はなんで非道なことを
行ったのですか?と聞いてみるか!
277 :
人間七七四年:2007/11/01(木) 19:10:55 ID:5e4cbr7K
いいね。お願いします
278 :
人間七七四年:2007/11/15(木) 19:16:33 ID:mx+6aVrk
石田小山田氏や信有の兄弟系は、裏切らずに討ち死にしたりしてるんだね。
こっちのほうの子孫の方にもお話を聞いてみたいものだ。
279 :
人間七七四年:2007/11/15(木) 19:48:51 ID:d6458WwW
武田の最後の意地と言われた高遠の仁科盛信の副将として、石田小山田が籠もってたからな。
誰かさんとは大違いだぜ。
280 :
人間七七四年:2007/11/18(日) 01:04:15 ID:k0TdFRIy
281 :
人間七七四年:2007/11/19(月) 22:51:00 ID:bFKXpqrV
不思議な一族ですな!
皆さん、どうもありがとう。
283 :
人間七七四年:2007/11/21(水) 03:07:38 ID:ovqZUrZx
小山田の被官の小菅一族について何か知りませんか?
284 :
人間七七四年:2007/11/21(水) 13:48:13 ID:jtVq/900
尻ません
285 :
人間七七四年:2007/11/21(水) 17:42:55 ID:RE/AVL4l
勝頼の護衛を務めた旗本の子孫としてはこいつだけは許せん
286 :
人間七七四年:2007/11/21(水) 20:29:25 ID:Ze4moXez
だれ?あなたは
287 :
人間七七四年:2007/11/21(水) 21:07:43 ID:46gQAfuN
126 :人間七七四年 :2007/03/21(水) 12:53:10 ID:J39epiWA
いい加減にまとめてみた。修正よろしく。
天正10年
1月6日 ●木曾義昌、謀反
2月6日 ●下条九兵衛 謀反
2月14日 ●小笠原信嶺 謀反
2月14日 ●坂西織部・保科正直 逃亡
2月16日 ●武田逍遥軒信廉 謀反
2月16日 ○今福昌和、鳥居峠で織田軍と戦い戦死
3月1日 ●穴山信君、謀反
3月2日 ○仁科盛信、高遠城で戦死
3月2日 ○海野龍宝、入明寺で自害
3月3日 ●勝頼、新府城を破棄。人馬徴用の命令に集まった者皆無
3月9日 ●小山田信茂 謀反
3月10日 勝頼、地侍の襲撃を受ける。お松ら落ちる
3月11日 ○勝頼、信勝、家臣44名戦死
3月12日 ●武田信豊、城代に謀殺さる
3月12日 ●一条上野介、家康に殺される
3月12日 ●武田信貞、家臣に謀殺さる
3月19日 ●武田左衛門佐、信長に殺される
3月19日 ●武田信廉、信長に殺される
3月19日 ●小山田信茂、信長に殺される
3月20日 ●木曾良昌、信長に祝賀言上
3月20日 ●穴山信君、信長に祝賀言上
3月29日 信長、甲斐を川尻秀隆・森長可に配分
4月3日 ○恵輪寺・快川国師、焼かれる
4月5日 ●森長可、地元の一揆に会う
6月2日 ●本能寺の変。穴山信君謀殺さる
6月15日 ●川尻秀隆、一揆により戦死
6月末 ●森長可、一揆により逃亡
288 :
人間七七四年:2007/11/22(木) 00:08:00 ID:nAxkeFzx
武田信廉って謀反したの?
289 :
人間七七四年:2007/11/22(木) 00:59:30 ID:da0D+TTe
謀反はしてないね。逃げ出しただけで。
290 :
人間七七四年:2007/11/22(木) 02:10:28 ID:hms1RrKf
敵前逃亡であって、謀反ではないわな。
291 :
人間七七四年:2007/11/22(木) 15:37:43 ID:aQ7DIvB5
絵書いてたんだろ
武田家崩壊の
292 :
人間七七四年:2007/11/22(木) 22:28:32 ID:KdNXy29H
三国同盟の末路とは ナムサン。
293 :
人間七七四年:2007/11/23(金) 01:38:40 ID:cdyYbXwc
信廉の残した絵は、いまや重要文化財だからな。
たいしたもんだ。
294 :
人間七七四年:2007/11/23(金) 02:18:13 ID:/adUV7V5
別に絵のレベルが評価されてるわけじゃないからなぁ
295 :
人間七七四年:2007/11/24(土) 18:45:15 ID:oME5tPEE
上州のどこかの城を信廉が大将となって攻めていたときに
なかなか落とせなくて兄からどうせ絵ばっかり描いて真面目に
やってないんだろうと叱責食らったらしいね。生まれる時代と
家を間違えたね。
296 :
人間七七四年:2007/11/25(日) 18:56:50 ID:Ggp8RZrd
例の吉良と言われていた本物の信玄像と言われているやつ、
美術的にも歴史風俗の記録としても評価されているよ。
朝倉とかもそうだけど、平時には「戦争に勝つよりよほど長く
人類のたからとなる功績」と言われるような文化事業を残しても
ヤクザが乱入して殺戮する対象にされてしまうと「貴族かぶれの
無能な主君」と評価されてしまうんだから戦国時代は辛い。
せめて平時くらいは信長だのの利権のために手段を選ばない人間を
過大評価するのをやめたほうがいいと思うんだが。
297 :
人間七七四年:2007/11/25(日) 20:56:44 ID:uizMIaOx
信長は常備軍の設置 楽市楽座 くらいかなぁ。あと 殺戮三昧。
298 :
人間七七四年:2007/11/25(日) 21:48:15 ID:42xoSdKm
299 :
人間七七四年:2007/11/25(日) 21:57:34 ID:/F2vmmbP
>>298 何度かあるよ。一回も成功して無いし、いつも援軍待ちの始末。
こいつは武将じゃなく、画家と見た方が良い。同母兄の信繁と
は大違いだな。こいつが川中島で死んでれば良かったのに。
300 :
人間七七四年:2007/11/25(日) 23:19:27 ID:RoaFWAfh
>>296 少なくとも自分の意思で武将として生きているのだから、まず武将として評価されるのは当然でしょう。
例えるならどこかの会社の社長が趣味でやってる絵画がプロ級で名作。でも会社を傾けたら当然まずは
会社社長として無能だった、問題があったと評されるでしょうよ。
「平時くらいは〜」のくだりもすさまじい。現代が平和だからって、現代の価値観で戦国時代に生きた人の
評価しろと?
301 :
人間七七四年:2007/11/26(月) 00:17:55 ID:LZ/spfXK
302 :
人間七七四年:2007/11/26(月) 01:52:44 ID:nu8+hrEz
山梨県民だけどさ
小山田さんは出会ったことないな・・・
穴山さんは二人知り合いにいるけど
303 :
人間七七四年:2007/11/26(月) 02:05:24 ID:T9u8hej6
静岡県民だけど俺は逆で穴山さんには会ったことないけど
小山田さんという知人は2人いる。
304 :
人間七七四年:2007/11/26(月) 02:34:39 ID:nu8+hrEz
山梨に小宮山さんと今福さんは多いよ
穴山と山県と高坂は同級にいた
跡部(甲府)とオブ(身延?)って名の病院を見かけたことがある
秋山さんと内藤さんと土屋さんはそこそこいるけど珍しい苗字でもないか
小山田さん武田さん甘利さん板垣さんは出会ったことない
305 :
人間七七四年:2007/11/26(月) 03:02:44 ID:SXjsbLS0
八王子にも小宮山・馬場・秋山など掃いて捨てるほどいるな。
八王子には小山田はあんまりいないけど、本拠地の町田にはたくさんいる模様。
306 :
人間七七四年:2007/11/26(月) 04:14:30 ID:DCiyOqqE
武田の残党なら かなりいるよ。 千葉県
307 :
人間七七四年:2007/11/26(月) 08:05:19 ID:MU9zPGWD
うちのクラスに武田二十四将全部いるよ
308 :
人間七七四年:2007/11/26(月) 10:47:43 ID:S+BTKiDC
309 :
人間七七四年:2007/11/26(月) 11:08:19 ID:IrQUxOB7
先週松代行ったけど、海津城のそばに小山田外科って病院があった。
310 :
人間七七四年:2007/11/26(月) 11:43:26 ID:S+BTKiDC
>>309 それは自分も見た。小山田備中守系の子孫が真田の家中に入っていて
松代駅の近くに屋敷も残っているから、身内の人が経営してるのかもしれないね
311 :
人間七七四年:2007/11/26(月) 14:56:14 ID:FmVprbcJ
中学のころ
小宮山君と穴山君は不仲だったなあ
312 :
人間七七四年:2007/11/26(月) 23:40:55 ID:63BRkVFC
313 :
人間七七四年:2007/11/28(水) 20:35:46 ID:ZBdnQOzE
いいな ふっふっ。
314 :
人間七七四年:2007/11/29(木) 02:41:35 ID:z+yy9Li1
穴山 信 君
315 :
人間七七四年:2007/11/29(木) 04:43:06 ID:KVgO+/qd
現在、一番有名な小山田さんは、広島東洋カープの小山田保裕さんでしょうが、彼は末裔ですか?
茨城出身らしいですけど。
316 :
人間七七四年:2007/11/29(木) 06:40:38 ID:Xc7zIo5A
>>315 一番有名となると、小山田でぐぐるとトップで出てくるコーネリアス小山田圭吾じゃない?
世田谷出身とのことだけど、出自はどうなんだろ?
317 :
人間七七四年:2007/11/29(木) 07:19:13 ID:ffvS6XrU
それはネットで検索だからでは?
自分も小山田姓だが、「小山田宗徳」という俳優と親戚ってよく聞かれた
コーネリアス&フリッパーズ・ギターは年寄りはしらんでしょ
318 :
人間七七四年:2007/11/29(木) 19:29:21 ID:F/Y8FnZs
上のかた 家紋は何かな?
319 :
317:2007/11/29(木) 20:05:02 ID:ffvS6XrU
>>318 江戸時代中期の墓だけ立ちオモガタ
それ以外、つまり今も使ってるのは逆巴
当てにならない伝承だと甲斐とは無縁で鹿島神宮の社人だそうな
その本家は佐竹と一緒に秋田に行ったらしい
320 :
人間七七四年:2007/11/29(木) 20:15:52 ID:F/Y8FnZs
ぼくの家は 上がり藤です。 秋田県は 小山田さん多いらしいですね。
321 :
人間七七四年:2007/11/30(金) 10:43:51 ID:s839gZ3c
苗字が同じだけで、いちいち末裔か?ってのもなぁ・・・
322 :
人間七七四年:2007/11/30(金) 17:03:55 ID:NTI+j9uV
うちも代々愛媛在住だけど小山田です。
先祖は信玄の家来で郡内から落ち延びてきたと言い伝えられています。
323 :
人間七七四年:2007/12/01(土) 12:08:52 ID:YC9jdk1V
誰が先祖なんかなぁとか考えて、名字から有名な人を捜してるだけみたいなケース多すぎw
324 :
人間七七四年:2007/12/02(日) 08:25:24 ID:bW6VyIgE
じぶんが子どもだった頃(昭和30年〜50年代)は小山田といえば宗徳氏のことで、
誠実・いい声・知性派スターってイメージだったが、いまの若い人は知らないんだね。時代を感じるなあ。
スレチすまん
325 :
人間七七四年:2007/12/06(木) 23:12:13 ID:bOVpCWUw
小山田と書いて こやまだ おやまだ と読むところがあるよね。
326 :
人間七七四年:2007/12/12(水) 19:56:54 ID:hPOFXLfs
山梨では武田姓の人は
小山田姓の奴をなぐっても罪にならん
327 :
人間七七四年:2007/12/14(金) 21:34:23 ID:Ry78f4ns
328 :
人間七七四年:2007/12/15(土) 14:32:42 ID:YldqdOMb
>>327 いやいや伊予に落ち延びた者もいたからあながち嘘ともいえまい。
329 :
人間七七四年:2007/12/16(日) 07:46:08 ID:25jrzLeK
郡内小山田子孫の家には家系図とか由来の品があるってきいたけど。どうなんだろう?
信茂の本家嫡流は史料どおりなら死んでる。
あきらかに生きのこった女系はすでに姓がちがうはず。
いま郡内からの流れで生き残って小山田姓を名乗っているのは、ほとんど石田小山田か信有代でわかれた系統、庶子じゃないの?
殴ったら信玄に怒られるとおもわれ。
330 :
人間七七四年:2007/12/16(日) 11:12:06 ID:8DKNe7kq
>>328 その落ち延びたってのも、どこまで信憑性あんだ?
331 :
人間七七四年:2007/12/16(日) 11:51:23 ID:ehk7cSQW
タケダ製薬には小山田性と穴山姓は
入社できないそうだ
332 :
人間七七四年:2007/12/16(日) 14:37:56 ID:Paj4LE1r
俺は 木曽さんとなかよしだ
333 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 19:16:59 ID:xjdfgM6a
どこで分かれたかは わからない。千葉氏は その点 わかりやすい。
334 :
人間七七四年:2007/12/23(日) 13:49:46 ID:G3pB0Gt2
335 :
人間七七四年:2007/12/24(月) 04:22:39 ID:N4fxvfOJ
配属先は社長付き秘書
336 :
人間七七四年:2007/12/29(土) 16:44:32 ID:Mah9BLRe
のちの話 黒駒合戦のち 鳥居氏の配下になった模様 ここらへん 詳しく わからない。戦に関しては強いと思う。
337 :
人間七七四年:2007/12/29(土) 18:37:47 ID:22neeqBY
>>329 郡内小山田姓は大きく分けると元武人と元社人に分かれるんだが…。
武人は何とも言えないが社人に関しては当時を生き延びた家が
明治あたりまではいたらしい。ただ、あいにくと明治政府の
社人世襲禁止令などで社人を継げないなどから
職を変えてしまったり他で探すのは困難状態。
静岡の富士市あたりにも社人系統がいるらしいけど
こっちは姓を変えてしまっていると聞いた。
338 :
人間七七四年:2007/12/29(土) 20:59:26 ID:tAkKiYbf
>>328 四国にも小山田一族がいるのか。
全国津々浦々小山田で満ち溢れてるな。
世界進出しているOYAMADAさんもたくさんいそうだ。
339 :
人間七七四年:2007/12/30(日) 22:46:10 ID:FG6us+hs
畠山氏没落から 詳しくでてないから 残念! 話しついでに 東北に 小山田駅が あるけど 無人駅にて あしからず。
340 :
人間七七四年:2008/01/06(日) 21:13:02 ID:D828pcg9
大月は 雪かな?
341 :
人間七七四年:2008/01/08(火) 20:11:49 ID:iN8QvkhG
勝頼を裏切った小山田信茂は、信長に不忠を咎められて処刑されたそうだが、
信長って美濃三人衆とか、他家を裏切って自分についたものも普通に召抱えているよね。
松永久秀なんて信長本人に対して裏切りを行ったのに、一度は許されているし。
単純に裏切り者ってだけでいきなり処刑はないと思うが、何か事情があったのだろうか?
342 :
人間七七四年:2008/01/08(火) 20:14:41 ID:Fsa6b1yk
顔が生理的に受け付けなかったって書いてあった。
343 :
人間七七四年:2008/01/08(火) 20:40:46 ID:/H1yhEEL
で、生首けとばしたと
344 :
人間七七四年:2008/01/08(火) 22:09:43 ID:5kU5QOAP
もっと早い段階ならまだしもあの段階での寝返りは非常に価値が低い。
忠誠心もなけりゃあ戦況をみる目もない役立たずと判断されたんじゃない?
345 :
人間七七四年:2008/01/08(火) 22:30:04 ID:lRROfx2P
346 :
人間七七四年:2008/01/08(火) 23:50:14 ID:iN8QvkhG
失礼。過去レスにありましたか。ご丁寧にどうも。
事前交渉なしだったのが原因だったとすると、やはり要領が悪かったのか、
それとも、最後まで裏切りに躊躇ってしまっていたと見るべきなのか。
347 :
人間七七四年:2008/01/09(水) 21:33:07 ID:/iZGzLiN
わからないが 某氏にそそのかされたのかもしれない。明智氏と織田氏のようにまさか 北条氏ではないと思うが・・・
348 :
人間七七四年:2008/01/09(水) 22:03:12 ID:GIfYypj4
どちらにせよ、間抜けというか。賢い対応ではないよな。
349 :
人間七七四年:2008/01/09(水) 22:05:03 ID:4vVY1fq+
善光寺近くの小山田信茂首塚を見てきた。
いまでは果樹畑の中の、大木の根元に碑のようなものがあり、
酒などが備えられていたな。民家のすぐ近くにあるの
350 :
人間七七四年:2008/01/09(水) 23:34:15 ID:IJRDHH4+
>>346 推測、あるいは想像交じりで考えると、信茂個人には投降する気はなかったのではと思う。
降服する気がなかったから、その為の事前交渉もなかったし、交渉のための伝もなかった。
なぜそう考えるかというと、対応があまりにもちぐはぐすぎるから。
信茂が降服する気なら、新府で勝頼を見捨てて別行動をとればいい。ところが信茂はわざわざ
勝頼に我が居城へと誘っている。
勝頼の首を獲って功績にするつもりだったのなら、道中にチャンスはいくらでもあった。共が
邪魔だというのなら、勝頼一向を居城に入れてしまえばもう袋の鼠。
しかし信茂の行動は、岩殿のすぐ近くまで同行して、城に入れるのは拒否。追い払うだけで
勝頼一向は見逃す。というか、追いかけもしなかった。
新田次郎の小説では信茂は裏切る気はなかったが、お家存続を図った一族や家臣が信茂を
軟禁して独断で勝頼を追い払ったと描写しているが、案外これが正解なのかと思う。
351 :
人間七七四年:2008/01/10(木) 00:11:45 ID:zjvWXgbE
>>350 俺もそれが一番近いような気がする。
新府を焼き払って、軍勢もほぼ瓦解したような状態の勝頼を
裏切ろうとするならいくらもタイミングはあったはずだしね。
寝返る気なら、わざわざ郡内へ連れてこうとする必要も無い。
352 :
人間七七四年:2008/01/10(木) 00:21:56 ID:GXhpT3XP
>>350 具体的な証拠等なければ第三者を納得させることまでは無理だろうけど。
個人的には説得力があると思った。
まあ、単純に優柔不断だっただけって可能性ももちろんあると思うが。
353 :
人間七七四年:2008/01/10(木) 01:47:35 ID:1O/nToDc
一族や家臣がやったにしたって、それが小山田としての行動になってしまう(しまった)以上、当主が責任負うのは仕方がないだろ。
逆に自分の意思でなく、なしくずしでそうなっちゃったなんてのは、余計に情けないような
354 :
人間七七四年:2008/01/10(木) 02:25:11 ID:zjvWXgbE
情けないといっても、体質が古い大名の場合は家臣の意向というものも
軽視できんのよ。主君と言えどもそんなに強権を振るえるわけでもないし
355 :
人間七七四年:2008/01/10(木) 11:28:52 ID:H44uA62R
どっち道、絶えるなら勝頼と籠城でよかったのにな
先の事は誰にも読めんから、結果あの態度を取ったんだがorz
まぁそれが人生なんだがw
ひとつの選択で神になるのか、卑怯者のレッテル貼られるのか、難しいのう
356 :
人間七七四年:2008/01/10(木) 13:26:26 ID:dGr+FOuu
命惜しむな名こそ惜しめ
357 :
人間七七四年:2008/01/10(木) 17:24:55 ID:5kOTA+LN
信茂公も災難だな。
武田随一の忠臣が裏切者扱いか。
358 :
人間七七四年:2008/01/10(木) 18:04:45 ID:IAH996JO
死なんと臨めば必ずや勝ち、生きんと欲すれば死すものなり
359 :
人間七七四年:2008/01/10(木) 18:34:35 ID:enCYflOf
家臣団が分裂していたことになるのか? 勝頼にも同行者がいるし
360 :
人間七七四年:2008/01/10(木) 18:41:12 ID:OAVQEojb BE:88081128-PLT(12346)
国人領主としては大きいから、一枚岩にはなりにくいだろうね
361 :
sage:2008/01/10(木) 21:03:18 ID:M11ncviJ
まさか400年以上経っても,屁たれ扱いされると夢にも思わなかっただろなw
362 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 00:42:33 ID:oNRyL+Xy
>>359 >勝頼にも同行者がいるし
小山田平左衛門、小山田掃門、小山田弥助、小山田お児(実名不詳)
などのことか?
でも、郡内小山田の縁者であっても、信茂の家臣団ではなく
もとより勝頼付きであったかもしれないしな。
363 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 15:19:33 ID:nJCltrGU
まあ、へたれよばわりされても、郡内領民は最悪のじたいだけはまぬがれたわけで。
地元民からするとそれだけで感謝するわ。
364 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 22:37:36 ID:nNuDiGRn
天目山の戦いから あとをドラマ化してほしいね。人間模様をみてみたいな
365 :
人間七七四年:2008/01/15(火) 01:26:33 ID:pW2axdLV
しかし人質に差し出していた母親はいつの間にやら消え去っていたというが。
やはり何らかの下心はあったんじゃないの。
366 :
人間七七四年:2008/01/16(水) 21:35:35 ID:JBYAcvyX
だれか 教えてほしいんだけど 小山田家臣団名の教えてください。この一族は 文献 遺蹟からは 無理みたいだ
367 :
人間七七四年:2008/01/20(日) 02:07:35 ID:cUBo5JWD
>>365 勝頼が落ち延びる際に人質として同行していたが
郡内領にはいる目前に明日迎えを遣すと偽って勝頼を足止めさせて
その間にこれまた同行していた小山田平左衛門、小山田弥助らが
夜陰に紛れて人質だった母親を連れて逃げた
これで勝頼は郡内は敵に回ったと覚り天目山へ・・・
とかいう話もある。
368 :
人間七七四年:2008/01/20(日) 18:26:17 ID:FwVe4biP
そのあと 土一揆ですか?なんでもかんでも 武道派ですね。
369 :
人間七七四年:2008/01/20(日) 19:24:07 ID:B44/WJ01
>>367 どんな流れにせよ、母親だけ渡ってる時点で、勝頼はもう悟ったんだろうな・・・・
370 :
人間七七四年:2008/01/21(月) 18:23:55 ID:BpKXYFPe
冷静に考えると人質をとっていた時点で勝頼もやなやつだな
しかし人質を奪いかえせたのなら、ついでに勝頼の寝首をかくことぐらい出来ただろうに、なんでそうしなかったのかな
371 :
人間七七四年:2008/01/21(月) 19:36:21 ID:XpV5BA07
家臣から人質取るくらいい当たり前だし、
人質奪い返せるなら寝首もかけるなんて全く無茶苦茶な話だと思うが。
372 :
人間七七四年:2008/01/21(月) 19:38:07 ID:2WGtnfIs
戦国時代に人質は常識だろ
実の母親すら人質にしてまでも
郡内での自治統帥権を維持していたと考えられる
仮に寝首を掻いて他家への土産にしたら当時でさえも非難されると思うよ
寝首を掻かないでも信茂の扱いはあの様だったんだから
373 :
人間七七四年:2008/01/21(月) 19:42:17 ID:aP91QurM
>>370 人質についての誤解があるなあ。
この時代の人質とは文字通り「質」つまり担保。御恩と奉公という契約の担保として、
人の形をした質が預けられた。当然、契約が破られたら、担保は好きに処分できた。
374 :
人間七七四年:2008/01/21(月) 20:03:32 ID:ye2qzYgo
とはいえ、勝頼が木曽の人質に対して行った磔なんていうのは稀だけどね。
稀だからこそ、勝頼の悪行として語り継がれているわけで。
375 :
人間七七四年:2008/01/23(水) 12:35:03 ID:+Ng7ug0k
木曽義昌と言えば、いつも思うんだが
武将としては強いの?
武田家で何か軍功あった?
376 :
人間七七四年:2008/01/26(土) 20:33:01 ID:ZZLU3lKV
単純に考えて木曾地方の主だからね
個人の武辺云々軍功云々よりその地域を取り纏めてくれる存在
いかに所領となったからといって信玄もいきなりデカイ顔は出来ない
武田家としては敵の矢面に立ってくれているわけだし
娘を与えて重用したほどの人物、
いうなれば利用価値がある事がその人の強さ、
武田家に多大な利益をもたらしている事が軍功と言える
377 :
人間七七四年:2008/01/27(日) 22:09:59 ID:DOEDmJMA
もうすこし 血縁関係がはっきりしてれば 謎がないんだがね。おやまだ氏 総本家は どこになるの?
378 :
人間七七四年:2008/02/04(月) 19:57:23 ID:LuV/HmQK
千まで がんばるぞ
379 :
人間七七四年:2008/02/15(金) 14:02:02 ID:3PJMpczo
380 :
人間七七四年:2008/02/19(火) 23:01:30 ID:2D45Y+S6
岩殿城に行って来た時は確か、
領民を戦火から救うためみたいな言い方をしてたな。
で、自分は殺されるのを分かってて信長の元へ出頭したと。
まあ信茂に対して地元の人間が好意的に見るのは当然ではあるんだが、
>>206の言う通りだとすると、裏切った理由は少なくとも
自己の保身から来るものではないというのは納得出来る。
あの時点で裏切ったとしてもタイミングを逸している以上
許してもらえないのは確定してるわけだし。
それが「常識」だとすれば信茂が理解していたのも間違いない。
どうせ死ぬんだったら裏切り者としてより忠義を尽くして死ぬ方がいいはず。
この状況で裏切った理由は「保身」ではないだろう。
それ以外のちゃんとした理由があるはず。
それが「領民を戦火から救うため」であってもおかしくない。
こう考えると信茂はなかなかの人物だな。
ルールに則らなかったこともあるだろうが、
「コイツは生かしておいたらヤバい」って思惑も信長にはあったんじゃないか?
381 :
人間七七四年:2008/02/20(水) 00:06:37 ID:yBeRrTkz
>>380 「小山田が会津人だったら、信長を悪役にする観光史学だ」って日本史板でフルボッコだなw
382 :
人間七七四年:2008/02/20(水) 20:03:17 ID:BZFX/XDM
>>380 確かに、信玄の娘婿でありながら土壇場で勝頼を裏切る様な行為は
信長みたいな男には嫌われるな
383 :
人間七七四年:2008/02/21(木) 03:31:35 ID:v1vfYIFr
というか、残しておく意味がないからな。
旧大名の人間残すより、配下の領土にした方が先々安心なわけだし。
あの時点で、信長が「生かしておいたらヤバい」なんて思う人材なわけねーよw
384 :
人間七七四年:2008/03/20(木) 06:30:09 ID:M+Js1/n8
そうだね。
小山田がいつまでも領民から慕われていてはマズイ、と考えた人物はいるだろうけれど。
戦後処理が大変なのはあたりまえだが、村民史などの史料をひもとくと
小山田氏のあとの反発のされかたは相当きつかったのではと推測できる。
でもそれは信長が消さなければいけない人物というのとは違うよね。
385 :
人間七七四年:2008/03/21(金) 14:38:14 ID:xIYjXaA0
今後、北条や上杉を攻める上で、関越の諸将に「後から降伏してきても無駄、先にしろよ」っていう圧力もあったかもね。
穴山や木曽らと明確に差をつけることで、先々の平定を楽に進めようという意図もあったかもしれない。
どちらにせよ、家康と違って、信長の戦後処理を見る限り、武田の将を高く取り上げるなんて、ちょっと考えられないな。
結局、裏切りのタイミングが最悪だった、武田の旧臣はできる限り排除、今後を見越しての見せしめ辺りの混在が理由かなぁ。
386 :
人間七七四年:2008/04/20(日) 15:34:47 ID:G5+XAUkN
小山田氏というと、どうしても信茂がとりあげられる率が高いけれど、もっと信有や石田小山田氏についての研究がすすむと面白いのになあと思う。
387 :
人間七七四年:2008/04/23(水) 22:49:50 ID:t2+rN+zh
岩殿城に誘い出して母親を奪い返し、笹子峠から鉄砲射かけ・・・
小山田信茂は300年経っても極悪人扱いさね。
中央線鉄道唱歌 15番
♪川を隔てて聳ゆるは 岩殿山の古城蹟 主君に叛きし奸党の 骨また朽ちて風寒し♪
388 :
人間七七四年:2008/04/24(木) 16:03:43 ID:6wkZGNvc
>>387 父親を誘拐させて鉄砲射掛けて犯人ごと殺しちゃった人は極悪人扱いされてないのに小山田はかわいそう。
389 :
人間七七四年:2008/04/28(月) 20:05:58 ID:IP7bjk4L
390 :
人間七七四年:2008/05/16(金) 19:59:11 ID:mYVdaYWn
よーく考えたら生き残った小山田氏は
裏切っていない側ばかりなのに、なにかと信茂の名前を出されるのもかわいそうだな
信有三代と石田小山田氏についても もっと研究がすすむと面白いのにね
391 :
人間七七四年:2008/05/17(土) 15:09:38 ID:teYO4BbW
日本中の小山田あつめて稚児落としで処刑!
392 :
人間七七四年:2008/05/17(土) 16:07:21 ID:2OjTrmqw
郡内を差し出せば北条氏に匿ってもらうことも出来たんじゃないか?
もしくは穴山に口利きして貰って一緒に徳川に付いたり
ホント土壇場でケツ捲くっちまった感が否めない。
393 :
人間七七四年:2008/05/17(土) 19:36:39 ID:tnpK0SJh
あの時点の小山田に、所領を織田か北条か、どちらに差し出すかなんていう選択権はない。
394 :
人間七七四年:2008/05/18(日) 15:42:36 ID:Vp6Je1tM
武田の外戚NO.1で旨い汁啜り捲くってたのに
都合良く降ろうなんて甘いよな
395 :
人間七七四年:2008/05/18(日) 16:10:23 ID:WbutC3Qk
穴山はできたからタイミングの問題ではないかと。
396 :
人間七七四年:2008/05/18(日) 19:16:37 ID:Vp6Je1tM
信茂は信玄の葬儀の際の序列で三番手だった
一番は喪主の勝頼、二番は信玄の弟の信廉じゃない奴だっけ?
この時点で同祖を持つ穴山より勝頼に重用されているからね
397 :
人間七七四年:2008/05/20(火) 01:36:56 ID:i03rtLgy
朝倉は景鏡が下ることができたからねえ。
398 :
人間七七四年:2008/05/27(火) 23:17:41 ID:G/QFLXY9
あの、
たぶん・・・
ウチの家がその方の生き残りのようですが・・・。
本家に書類と盃があって、なにげなく調べてみたら・・・
なんかものすごく裏切り者とか言われてる人なんですね。
だいぶショック・・・。
うちは代々女系で、たまに男性が当主になりますが、
家紋はその方と同じものを代々女子が継いでいます。
非常に血が濃く男性に不能が多いため、あたしかはとこのあたりで絶えそうですが、
こんな裏切り者の家系だったなら途絶えたほうがよさそうですね。
399 :
人間七七四年:2008/05/28(水) 21:40:08 ID:022u12PA
結婚できないのを先祖のせいにするとかw
400 :
人間七七四年:2008/06/14(土) 15:38:18 ID:G5cc7Gkd
おしなべて歴史ゲームでも義理が低かったり「不義理」側だったりと酷評されてますな。
ただ信茂の弁護すると、当時の武士道では「頼りにならない主君は裏切ってもOK!」だったんですな。
何の咎も無く裏切るならば極悪人呼ばわりされても仕方ないが、武田勝頼に無私の忠誠を要求する資格があったかと言うと否と言わざるを得ない。
外征での判断ミスで軍の中枢を失う大敗北を喫し、
外交政策での失敗で織田 徳川 北条の三カ国から袋叩きにされ、
出兵と新府城築城で経済を破綻させ(ただし弁護の余地もあるが)、
敵に包囲された城に後詰を出さず見殺しにし(降伏の許可を出していたんですがその事はスルーされる)、
しかも別の場所に出兵してた薄情な殿様。
信茂自身は裏切る気が無くとも、郡内に勝頼迎えた為に地元を戦火に晒される小山田家中は誰しも嫌になるでしょう。
「何でこんなバカのせいで地元が火の海にならなきゃならないんだ?」
当時の武士道において、小山田信茂が最優先すべきはあくまで郡内の領主としての立場であって、
武田家中の立場ではなく、当時の通念では勝頼を追い払う事はなんら武士道に背く話ではない
「なにがお館様だ。お館様と言うならお館様らしくしろ」と言うのが小山田家中の正直な所かと。
401 :
人間七七四年:2008/06/14(土) 20:15:08 ID:9D7lYgyC
>>400 裏切ってもOKにもルールがあってだな。
小山田みたいに土壇場になってってのは、ルール違反だったってことだろ。
402 :
人間七七四年:2008/06/17(火) 21:45:32 ID:y9GZonRM
>武田勝頼に無私の忠誠を要求する資格があったかと言うと
散々武田の外戚でウマウマしておいてそりゃあないだろう?
>「なにがお館様だ。お館様と言うならお館様らしくしろ」と言うのが小山田家中の正直な所かと。
こういう根性だったから殺されたと気付けない所が
郡内領民の集まり小山田家中にして
その領主である小山田が不義理たる所以なんだろう
小山田は高橋紹運の爪の垢を煎じて飲むべき
403 :
人間七七四年:2008/06/18(水) 05:11:50 ID:CculFmzC
でも領民の間ではその後も慕われ続け、(その後の領主はことごとく反発されて酷い目にあっている。)地元ではいまだに信茂のおかげで助かったとされてるんだよね。
その辺の温度差が面白いよなあ。
普通 裏切り者は地元ほど滅茶苦茶いわれるのに不思議。
404 :
人間七七四年:2008/06/18(水) 05:18:49 ID:CculFmzC
>>398 どういうつながりですか?
信茂の直系で生き残ったのは内藤氏に嫁いだ娘だけではないの?
あ、女系な時点ですでに本家直系ではないね。
405 :
人間七七四年:2008/06/18(水) 12:16:45 ID:PvzH2Uq1
小山田は武田の同盟者的存在で、あくまで配下ではなかったって主張する人がいるけど、
その根拠の1つが北条から他国衆として認められてたっていうんだが、
北条はその他国衆が織田にああいう仕打ちを食らったとき、何かコメントの1つでも残してるわけ?
406 :
人間七七四年:2008/06/18(水) 22:17:11 ID:tqERUXi0
>>403 逆だろ、裏切り者ほど地元では名君扱いされているもの
要するに時代が下がるにつれて
あの頃は良かったはずと言う現実逃避から美化されていくんだよ。
特に末期とは言え武田家を裏切ったDQNの郡内領民は
元々蛮土の気風が強いため
武田家臣団が多く抱えられた徳川家にとってはしかるべき罰を与えて
生かさず殺さずをもって郡内を躾なければならなかった
>「なにがお館様だ。お館様と言うならお館様らしくしろ」と言うのが小山田家中の正直な所かと。
こういう事を考えている奴らにはそれ相応の態度で挑んだだけなのに
畜生にも劣る郡内領民は恨み辛みを募らせて小山田を悲運の名将に仕立て上げ、
武田家に侵略される前は地上の楽園だった<丶`∀´>ウェーハッハッハと
どこかでの国で聞いたような事を言うのだ
国中=大日本帝国 郡内=朝鮮半島
と言う図式は非常に判り易い例えである
407 :
人間七七四年:2008/06/19(木) 03:34:47 ID:ZKBkCbv6
いい話のような嫌な話のような
408 :
人間七七四年:2008/06/19(木) 21:17:43 ID:XovzytqH
>>406 ゆとり嫌韓厨乙
信茂よりも石田小山田氏に興味があるだが、こちらも史料は少ないのかな?
真田との関係などドラマにしたら面白そう。
409 :
人間七七四年:2008/09/20(土) 04:37:36 ID:pEvWf9hr
裏切り者だけど最後が惨めだからとくに責める気もしない人だな
410 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 01:40:26 ID:dUUHWu4G
あげ
411 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 21:51:45 ID:iHRlWd+2
惨めと言うよりは無様なんだよな・・・
三方ヶ原や長篠で勇名を馳せながら
最後のトホホすぎる処遇、責める気もしなくなるわな。
412 :
人間七七四年:2008/10/02(木) 03:51:17 ID:MGd3l2aZ
信長が許してくれないってわかってても、勝頼を迎え入れることはしなかっただろうな。
自分らだけ、北条に落ちていきそう。
413 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 17:34:33 ID:Se+FbOn4
信長に北武蔵取られても平身低頭していた北条なら、すすんで小山田の首を
差し出すだろうけどね。
414 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 17:36:33 ID:6oga8QR3
流石に所領を捨てて逃げたら捨て置かれるだろうというのを期待するしかないなw
415 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 21:47:52 ID:KI5pvLDu
小山田信茂が先に一人だけ郡内領に逃げたのは
もしかしたら木曾みたいに勝頼が人質の母親を頃してくれることを
期待していたんじゃなかろうか?
自分だけが先に郡内に逝ってしまったので猜疑心の固まりになった勝頼は
人質の母を殺す→おのれ勝頼!(待ってました)国中領へ攻め込むぞ!
これで俺も織田家の一員♪なんて青写真を描いていたのではなかろうか?
ところが極限まで零落れ果てていた勝頼は何を血迷ったか
マジで小山田を頼りに郡内入りしようとしていたので、
さすがに信茂もビックリ、自分の従兄弟&甥を迎えの使いに出すと偽って
母親奪還!当初の予定は狂ったが今度は母親に妻子もセットにして
人質として織田家に出そうとするが↑の件で信用ガタ落ち
あはれ甲斐善光寺の露と消えたのでした・・・。なんてな
416 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 22:38:53 ID:6oga8QR3
上手くすれば、武田に代わって甲斐の主に・・・くらいの野望はあっただろうな。
北条と織田の間で上手くやって、高く買う方に売りつけてやろうくらいな。
417 :
人間七七四年:2008/10/31(金) 01:15:45 ID:rTqAC4JD
小山田氏は室町中期の上杉禅秀の乱でも武田氏の配下として活動している。
源氏の子孫で甲斐の国主の武田氏よりは一段落ちる国人クラスの武士。
ただ、武田は分家を作り過ぎて勢力が分散し、有力な分家や家臣が常に下
克上を狙うという状態の中、まがりなりにも郡内に強固な地盤を作った小
山田の勢力が強くなり、一時的に武田をしのぐようなことになっただけ。
だから、他国の連中から見れば武田の累代の家臣と見られ、不忠者扱いさ
れても仕方ない部分がある。もちろん、小山田氏の立場からしたら納得し
かねる部分はあるだろうけど。現代でも領民に慕われているのはせめても
の救いだな。
418 :
人間七七四年:2008/10/31(金) 01:35:58 ID:rTqAC4JD
だけど、平姓秩父氏(秩父党)の子孫で戦国大名クラスに成長したのは小山田
くらいなんだよな。もっとも秩父氏が本当に平氏かには疑問もある(同じ地域
の丹党との関係、児玉党=有道氏から養子取ってるなど)。また、郡内の小山
田が本当に秩父氏の子孫かも分からんけど(藤原姓名乗ってたことがあるらし
い)。だとしても、信茂の代で絶えてしまったのは哀れ。あの状況じゃ助かり
ようがなかっただろうけど。
419 :
人間七七四年:2008/10/31(金) 01:51:15 ID:i1q3xXwh
小山田は、戦国大名クラスなんかじゃないだろ。
甲斐の戦国大名になる争いをして、武田に負けたただの国人クラスだ。
420 :
人間七七四年:2008/11/01(土) 02:04:23 ID:wcEgasga
越後本庄とどっこいどっこいかな
421 :
人間七七四年:2008/11/04(火) 21:30:02 ID:d38uMzPf
本庄のが、かなり勢力ありそうな感じだなぁ。
422 :
人間七七四年:2008/12/10(水) 21:59:21 ID:2p4sJSrN
>>419 武田に負けたんじゃない
信虎に負けたんだ
423 :
人間七七四年:2009/01/01(木) 11:52:10 ID:XM1UgLvF
(´・ω・`)
424 :
人間七七四年:2009/02/10(火) 23:50:40 ID:OwIi3UNk
wikiに「北条氏から領土を認められいた」ってあるけど、これって根拠は「小田原衆所領役帳」のことかな?
確かに、他国衆に「小山田弥三郎」の名前はあるようだけど、小山田信茂と同一人物かは不明では?
それとも、何か他に根拠があるんだろうか。
425 :
人間七七四年:2009/02/12(木) 00:10:18 ID:/3iv52WZ
東京都町田市に小山田という所があるけれど、ここが小山田氏の発祥の地と聞いたことがある。
426 :
人間七七四年:2009/02/12(木) 14:50:13 ID:G6FemrDC
去年の話に遠投レスだが、かりにも「都留郡守護」を公文書で称し、
武田の行事では家臣団と別格の扱いを受け、信玄の甲州法度を
「ウチの治政には関係ない」と停止できるという家格を「国人
レベル」というのはいくらなんでも無理がある。
どっかでも書いてあったが、越中信有が亡くなる少し前に、かつて
小山田と共闘して信虎と戦い族滅されかけていた油川家の息女を
晴信が側室に迎えたのは、信虎時代の因縁の清算セレモニーであり、
それは信虎が組み敷いた小山田と武田が正式に手打ちを済ませたと
いうことでもあるという考えは本当のことなんだろうか?
油川信恵は本来なら信縄廃嫡後の国主となり、小山田はその外戚として
君臨するはずだったともいえるわけで。
427 :
人間七七四年:2009/02/12(木) 21:11:51 ID:mpQVvqqM
小山田氏を大名という方がよほど無理があるだろ・・・
428 :
人間七七四年:2009/02/12(木) 21:19:07 ID:T3CAmZ03
戦国大名の基準ってなんだろうね?
少なくとも石高じゃないだろう。
429 :
人間七七四年:2009/02/12(木) 22:20:51 ID:dqNH0N9b
>>428 戦国大名というなら、関東周辺で言うなら今川、武田、北条、上杉の様な
数カ国に及ぶ広範な領域を支配し、旧来の権力機構を廃し、もしくは利用
して独自の統治システムを構築したものを言う・・・のが旧来の定義だろうね。
とは言っても、最近は成田や結城、小田、独立後の真田なんかも戦国大名
と呼ぶ人もいるし、なかなか定義付けは難しいだろうねえ。
430 :
人間七七四年:2009/02/13(金) 09:21:26 ID:f6Kit4s1
結局は幕府とか公方とかの旧来の権威に頼らずに支配地の徴税権と
司法立法行政の権利をきちんと押さえて統治ができている人のことに
なっているんだろうな、今の学説じゃ。
だとしたら今川氏親みたいに、数カ国とか言う規模じゃなくっても
自前の国法で小領主・国人を野放しにせずに統制できていれば
戦国大名といってもいいんじゃないのかね。
要は「上」を作らず「下」の勝手を許さず、ってことで。
431 :
人間七七四年:2009/02/13(金) 18:04:56 ID:V0o+0raM
>>426 >信玄の甲州法度を
「ウチの治政には関係ない」と停止できる
そのかわり一番の収入源の富士山参拝者からの税収の上がりを上納するなど
いろいろ課せられていたけどね
信玄以前の数代でも結構武田家との婚姻関係があるので
小山田信茂が信玄の娘婿になる結構前から半ば一門化していたしね
穴山や木曾が地元を支配していたように
有力土豪達の権益を認めてあげ地域を取り纏めさせてるという
旧来の地縁血縁システムの上に成り立っているので
小山田は外戚だからそれ相応の扱いを受けているとも言える
そのおかげで大名以下国人以上の微妙な立場にいる訳
432 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 14:30:17 ID:rlmaJolf
>>431 ・・・えと、小山田氏の立場って、一定の独立性を持った地方領主という
典型的な国人領主じゃないのか?
大名の直臣は国人じゃないし。
433 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 15:08:00 ID:CMfUcsSq
甲斐最強の国人領主だな
434 :
人間七七四年:2009/03/09(月) 00:06:01 ID:PvONx78h
山県・馬場隊に次ぐ勇名を馳せた将なのにな〜
最後で名折れになっちゃった
武田家と言う井の中では大きな蛙として威張れていたから
思い違いをして大海に出ようとしたのがいけなかった
435 :
人間七七四年:2009/03/09(月) 13:22:14 ID:qGPkHqHB
対して名折れとも思えんがなあ。
ごく狭い年代に限っても、信昌VS跡部時代からの紆余曲折を考えれば
武田の一門一族衆と一緒に斬られた最期なんて、この時代としては
そんな波乱とも思えないし。地元で五百年後まで敬愛されてる存在に
なっていることを考えれば、戦国期の苦労は無駄ではなかったというか。
しかし確かに信玄時代最強の甲軍の位置を占めているんだよなあ。
領主はどっちかというと文官イメージがあるんで不思議なんだが、
やっぱり北条・今川のどちらかと常に緊張状態にあったお国柄で
一般兵が鍛えられていたのが大きいんだろうか?
436 :
人間七七四年:2009/03/10(火) 00:01:37 ID:zgYmNH/b
武田勝頼を欺いた裏切り者の末路、といっても戦国期では良くある事
郡内領の領民は国中以上に身も心も貧しいから
信玄時代の外征は貴重な出稼ぎ手段w
勝頼の代になっても長篠に小山田信茂は積極的だったそうだ
約2000の兵を引き連れていったとか乱取りする気満々
長篠といい最後の岩殿行きと言い勝頼を上手く手の平で躍らせて
武田を内部から崩壊に導きあわよくば独立
若しくは新しい主君に寄生する腹積もりであったろう
とすると穴山・木曾と勝頼・信茂の中が悪くなるのも頷ける
武田滅亡後、国中領と郡内領の境目の御坂峠を挟んでの徳川VS北条でも
郡内側はアッサリ北条派になってることから
強い者に与する利益のみの付き合いをする領民の性質は顕著に現れている
437 :
人間七七四年:2009/03/10(火) 00:09:17 ID:LEy+6uDn
>>436 郡内の場合、地勢的に相模・武蔵との関係が深いのは仕方ないん
じゃないのか?
438 :
人間七七四年:2009/03/10(火) 09:26:49 ID:H26Rzrgs
長篠期の時代の合戦についても「戦国時代のいくさ=乱捕り」としか
考えられないってw
何か一つの初歩的な知識を教わるともうそれで全てを裁断できると
思い込む、典型的な中二病ですな
信玄の時代以前の御坂峠周辺の歴史なんて、なーんにも知らんのでしょう
439 :
人間七七四年:
>何か一つの初歩的な知識を教わるともうそれで全てを裁断できると
>思い込む、典型的な中二病
自己紹介ですかw
脳内で自分に都合よく裁断できると思い込む、典型的な中二病ですな
春休みなんだから読解力を付けような
別に武田家が乱取り目的で長篠に行ったとは書いてないようだが?
武田の他の家臣や一門と比べてギブ&テイク色が強かっただけだろう