戦国ちょっといい話

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952人間七七四年:2008/09/09(火) 14:38:42 ID:bcCtVvW5
「」悪いスレに書こうかと思ったんだけど、「鮭」 の話でまだ出てきてないのがあったので・・・

吉川元春、1586年、天下人への道を突き進む豊臣秀吉の強い要請を受け、
弟の隆景らの説得により、隠居の身でありながら渋々九州征伐に参加した。
この時元春は膿性炎症(癌とも言われている)に身体を蝕まれていた。
そのため、出征先の豊前小倉城で死去した。
黒田如水が差し出した鮭料理を食べてしまったため、病状が悪化して死去したと言われている。

ただしこの当時、九州にて鮭を入手するのは、海運も発達していない上に、
産地である東北の大名がまだ秀吉に臣従していない以上、かなりの困難があったと思われる。
もし実話だとすれば、そのような貴重なご馳走に恐縮して断わるに断れなかった、
あるいは身体によくないと知りながら、食欲に勝てずに箸をのばしたというのが、真相ではなかろうか。

秀吉が元春を嫌っていたことを知っている如水が、「義理堅い元春なら断るまい」と食わせたか?


953人間七七四年:2008/09/09(火) 15:08:25 ID:ovKcbLCo
>>945
死語だがKY




福岡にも一応鮭と九州で呼ばれるものは上ってくるよ。
鮭神社ってのは、炭鉱の塵炭で汚れてた川にまた鮭上って来たよ〜、これからはもっと上ってきてね〜っていう喜びと期待のあまりに建てられた神社だし。
毎年千匹放流して、帰ってくるのは一〜二匹みたいだけど、鮭は福岡にも来るよ。
川がきれいだった戦国時代には結構普通に上ってきてたと思うよ。
954人間七七四年:2008/09/09(火) 15:11:04 ID:8Tdn44Hu
>>952
筑前嘉麻郡(現福岡県嘉麻市)には鮭神社ってのがあるぞ。
筑前國続風土記拾遺に上ってきた鮭を神の使いとしてた、って記述もあるし。

だから馳走した鮭は地元でとれたものかもしれんよ。
それで暖かいところの鮭だからアニサキスに当たったんじゃねぇかなぁ。
955人間七七四年:2008/09/09(火) 15:15:00 ID:oIgI/cTc
そういえば、戦国時代でも海運はきちんと機能してて(戦場になりやすい陸路よりもむしろ盛んだったらしい)
商品の流通も相当機能していたようだね。北海道の昆布を琉球まで運んでるし。
956人間七七四年:2008/09/09(火) 16:34:34 ID:NPfF0RJy
>>952
当時は福岡でも取れてた。
957人間七七四年:2008/09/09(火) 16:34:47 ID:a8hYHekl
>>946
やっぱりどういう突込みかわかってねえwww
958人間七七四年:2008/09/09(火) 16:36:51 ID:5cT2/+Hq
>>952
それWikipediaの文章そのまんまだね。悪いとは言わないけど、その記述の「食欲に〜」の部分は駄文だよね。
959人間七七四年:2008/09/09(火) 17:00:45 ID:3rZIxmGc
義弘とサップを脳内で戦わせてる奴まだいたのかw
960人間七七四年:2008/09/09(火) 17:03:44 ID:oIgI/cTc
もうそろそろ次スレ必要じゃね?
961人間七七四年:2008/09/09(火) 17:09:00 ID:S7JMGMmE
ちょっといい話をして下さい
鮭とかサップとかいい加減にして
962人間七七四年:2008/09/09(火) 17:41:29 ID:r+QBrM1Z
でも食べ物にまつわる話ってちょっといい話に結びつきそうなネタ多そうじゃない?
その象徴が鮭と。
963人間七七四年:2008/09/09(火) 20:48:50 ID:avdKaLQq
じゃあ鮭抜きである日の鮭様

関ヶ原後。
庄内を新たに得た最上家は、さっそく年貢減免を行い感謝されていた…
最上義光(通称鮭様)は鮭大量入手ができる庄内・鶴岡に隠居しようと思っていた。

鮭様は「よーしはりきって庄内に城下町作っちゃうぞ!」と庄内出身の作業員に
賃金を大出血サービスした。すると配下の志村光安が血相を変えてこう言ってきた。

「殿! 作業員が賃金で不満を訴えておりますぞ」
「なぜじゃ」
「山形から来た作業員が、庄内の奴らばっかりずるいと不満を」
「あっ!」
ちょっと考えが足りない鮭様である。

鮭様は考えた。「せっかく喜んでもらえると思ったのだが…」
「じゃあ、山形のみんなにも同じだけ払いなさい」
鮭様、太っ腹である。
作業員は大喜び、はりきって仕事した。

しかし鮭様は息子を不可解な暗殺で亡くし隠居できず、
鮭まみれの晩年は送れなかった…ちなみにこの城下町、現在の鶴岡だが
城だけはなぜか粗末なつくりで、
あとでやって来た酒井家があきれるほどだったとか。
964人間七七四年:2008/09/09(火) 22:21:22 ID:s2BQ8KEg
鮭様かわいそす・・・
965人間七七四年:2008/09/09(火) 22:51:19 ID:wxjz7Dnl
毛利輝元には一人の娘がいた。

大名の娘である。自家の政治的立場のため、他家に嫁がせるのが当然の存在であった。
娘も毛利家のためにと、その事はよく理解していた。が、一人、それをたまらなく嫌がっている者がいた。

お父さんは、心配性だったのだ。

「あの娘はわがままに育ててしまって、他の家に嫁いだら、そこのしきたりに我慢できるわけがない!
いややっぱり無理だ!結婚なんてさせるわけには!」

姫の結婚話を切り出した毛利秀元に輝元は、そんな親バカ丸出しの手紙を出したりしている。
しかし毛利家の姫を、いつまでも独身のままにしておくわけにはいけない。
秀元が口説きに口説き、「では、一門のものでしたら殿も安心でしょう。」
それでも渋る輝元ほっておいて、秀元、一門吉川家の吉川広正との結婚話をさっさとすすめ、どうにか、結婚の
運びとなった。

結婚の日輝元は娘に
「この結婚に不満があるかもしれないけど、行儀を良くし、吉川の家中を広正と一緒にまとめていくんだよ。
お前は気が短いから、腹の立つこともあるだろうけど、そのときは我慢するんだよ」と、娘を切々と心配する
手紙を渡した。

「この結婚に不満があるのは誰のことかしら?」と、手紙を読んだ姫が、そう言ったとか言わないとか。
966人間七七四年:2008/09/09(火) 22:54:25 ID:b+pLbbNO
結婚式の二次会で泣きながらカラオケ歌ってそうだな、輝元
967人間七七四年:2008/09/09(火) 22:58:15 ID:SBIxvPGh
優柔不断で影が薄くて子煩悩・・・
なんかすごい妻の尻に敷かれてそうだなw
968人間七七四年:2008/09/09(火) 23:30:42 ID:fOSjQu8b
輝元きゃわわ
969人間七七四年:2008/09/09(火) 23:44:59 ID:tw3UapAN
そういえば広正の妻って、結局岩国に行かずに終生萩住まいだったとか
wiki情報なので当たって無くても知らないw
970人間七七四年:2008/09/10(水) 01:11:47 ID:q4JQeDWc
意外にもこれがまだだったな


毛利元就は尼子と断交し、大内の傘下に入った。

英雄、尼子経久から家督を継いで間もない孫の晴久をはじめ、尼子家中はこれに怒り、「毛利討つべし!」との
声が大きくなった。その中、一人反対した者がいた。晴久の叔父、経久の弟、尼子久幸である。

「元就は、お前たちが考えているような、簡単な相手ではない。」

ここは戦よりも、外交的解決を図るのだ、と言う久幸に、主戦派は怒った。たかだか安芸の一国人に過ぎぬ
元就ごときに、数ヶ国を領する大尼子がなめられたままでよいと言うのか。
この久幸、かねてより、物事を戦にならないように謀り、経久の頃でさえそれが無謀と考えれば、その戦に
反対していた。

「下野守(久幸)殿は戦が恐ろしいのじゃ!だからいつも戦に反対しなさる。臆病野州と呼ぶが良かろう。」

臆病野州。あるいは野州比丘尼。主戦派は彼のことをこう呼び嘲った。彼はこの屈辱にじっと耐え、あくまで
この戦に反対したが、天文9年(1540年)、晴久はついに毛利征伐の命を下した。

尼子三万の兵が毛利家の本拠、吉田郡山城を攻めたこの戦い、当初の目論見に反し尼子は攻めあぐね、
天文10年正月十三日、尼子軍は毛利軍の猛攻と大内からの援軍の背面攻撃を受け大混乱に陥る。
このままでは、撤退も出来ず全滅もある。絶望的な状況の中、尼子側の一部隊が突出した。尼子久幸であった。

「臆病野州の最期を見よ!」

久幸は敵に突進し、先ず大内の軍を蹴散らした。大内軍は名のある家臣、深野平左衛門、宮川善左衛門が
あっという間に討ち取られた。後世に語り継がれたほどの、恐るべき武勇であった。
久幸のこの奮戦により、尼子は混乱状態から体勢を立て直す余裕が出来、退却をはじめた。

彼は、尼子の撤退を支援すべく暴れまわったが、毛利家臣、中原善右衛門尉に射抜かれ、討死した。
臆病野州と呼ばれた男の奮戦は、尼子軍の誰よりも、あれこそもののふであると、敵である毛利、大内両軍から
すら、高く称えられた。
971人間七七四年:2008/09/10(水) 02:48:05 ID:q4JQeDWc
とりあえず次スレ立てておきました。
ここが埋まったら移動してやってください。

戦国ちょっといい話2
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1220982424/
972人間七七四年:2008/09/10(水) 08:02:34 ID:MFaBil48
久幸かっこいいね。
そのエピソード、確か大河ドラマ「毛利元就」にも
とりいれられてたの、
読んで思い出した。
973人間七七四年:2008/09/10(水) 12:44:25 ID:c13BOxHE
それに比べて経久は良くわからんな。
ケチケチおじさんかと思えば何でも持ってけ〜とかなw
974人間七七四年:2008/09/10(水) 15:24:45 ID:q4JQeDWc
徳川家康の有力な家臣である牧野康成の元に、商人が茶壷を売り込みに来た。
商人曰く、これは大変に貴重な茶壷だという。茶のことを良くわからぬ牧野、これに大金を払って買い取った。
が、後にこれは真っ赤な贋物と判明。牧野はやすやすと大金を巻き上げられたのだ。

それを聞いた太閤秀吉。牧野をその茶壷とともに呼び寄せた。

「こんな贋物をつかまされたのか!わしが見ても贋物だとわかるわ!おぬしも馬鹿じゃのう。」

「はあ、まったく。馬鹿でございますなあ…。」

あまりにがっかりしている牧野を気の毒に思ったのか秀吉、

「よいよい。お主ほどの侍がこんなことで損をするのは、この太閤が許さない。」と、茶壷の代金に加え、
黄金一枚を添えて、牧野に下したのだ。
これを主君家康に報告すると、家康も面白がって、「なんと、贋の茶壷が金を産んだわ」

そしてこの茶壷は、「科銭の壷」と呼ばれ、天下に喧伝され、牧野家の家宝とされた。

贋物が、本当の銘物になってしまったお話。
975人間七七四年:2008/09/10(水) 15:51:44 ID:QSoso8nO
島津厨まだいたのかw
976人間七七四年:2008/09/10(水) 21:21:58 ID:QWpZHWNv
>>974
その人、長岡藩主の家系の牧野康成と別人なんだよな
なんだって同世代(6歳違い)で牧野姓で康成が2人いるんだ(読みや仮名は違うが)
977人間七七四年:2008/09/10(水) 22:02:10 ID:CE8wvKZJ
まあその頃は諱で呼ぶことはほとんどなかったしな
978人間七七四年:2008/09/11(木) 01:00:51 ID:amhDpDud
毛利元就が1570年、出雲に攻め込んだ時のお話

家臣、岩木道忠が尼子軍に左膝を矢で射られた。
医師に見せたが矢じりが体の中に残ってしまい、なかなか取れない。医師は
「切断しないと、無理です」
元就は、そうかと頷くと、いきなり岩木の傷口に口をつけ勢いよく吸い込んだ。

あら不思議!
矢じりが取れたではありませんか!
元就は医学に通じていたので医師の誤診を見抜いていたのだった

傷が治った岩木は感激して
「いよいよ、死を覚悟してあなたに尽くします」と誓った。
ところが元就は、
「こんな事ぐらいで、すぐ死のうと思うのは本当の忠義者ではない。
もっと別の事で俺のために働け」
といったという。

岩木はあらためて元就に忠誠を誓ったのであった
979人間七七四年:2008/09/11(木) 01:10:16 ID:KIzhuNfv
あら不思議わろたw
なんで童話口調なんだww
980人間七七四年:2008/09/11(木) 01:15:13 ID:dd4UaSLm
惚れるぜ元就
1570年っていったらもう結構歳なのにカッコいい
981人間七七四年:2008/09/11(木) 07:32:54 ID:QFTCJ2hK
天正10年甲州崩れの際、次々と離反する武田家臣達
武田家墳墓の地、天目山へと落ち延びる勝頼一向。
そこに一騎の武者が追いかける。
名は小宮山友晴 かって勝頼の近習や一門を非難した事によって
謹慎処分を受けていたものである。
しかし武田家滅亡を聞き、最期のご奉公と勝頼一行に駆けつける。
友晴着到を受けた勝頼は涙を浮かべ、労を労ったという。
人間の興亡には、勇もあり、怯もあり、美もあり、醜もある。
982人間七七四年:2008/09/11(木) 12:52:16 ID:iXs1syze
黒田如水が、関が原の折、軍勢を募集した時の話。

如水は、応募した浪人達に一騎当たり前金として銀300匁、
徒士には一貫文を当座の支度金として渡した。
この時、2重に支度金をもらったものがいた。
係りの役人からこの話を聞いた如水は、
「二重に金を取らせても味方になって働けばよい、
同じものが二度来ても景気付けにはなる。
俺が常に倹約して金を蓄えたのはこの時のためなのだ」
と、見て見ぬふりをするように指示した。
こうして数日で3600人が集まった。
この中に、荒牧軍兵衛、小城源兵衛、大塚角太夫などの一騎当千の兵がいる。
983人間七七四年:2008/09/11(木) 12:56:45 ID:qwcl/Om8
関ヶ原が華やかなのは、いろんなところでこの手の牢人募集の話があることも一因なのだろうな。
984人間七七四年:2008/09/12(金) 00:03:44 ID:srstFr0X
またまた元就のお話

尼子が和睦の使者として大杉という豪傑を使いによこした。
この男、周囲ニ尺もある杉の木を引き抜いたというので
大杉抜右衛門などというふざけた名前をなのっていた。
大杉を迎えた元就は大杉にいった。
「お前が剛力だということはよく知っている。そこにある大杉を引き抜いてくれまいか?」
といって庭にある大きな杉を指さした。
しかし、その杉は木の幹があまりにも大きい為、さすがの大杉も
「とても抜けそうにありません。」
と遠慮した。すると元就は、
「そうか、毛利家には、その木を抜ける者がゴロゴロしているぞ」
そういって側にいた小柄で痩せた男に
「お前、あの杉を抜いてみよ」

小柄な男は杉の木の前にいくと、あら不思議!
いとも簡単に杉の木を抜いてしまったではありませんか!
尼子の使者達はみんな呆気にとられた。

実は前日に元就は杉の木の根を全部切ってしまって、どんなに力の無い者でもすぐ倒せるように細工をしていたのだった。
大杉が元就の申し出を受ければアウト!
厳島の合戦以来の元就、一世一代の賭けであった!(嘘爆)

国に帰った大杉は
「毛利には私以上の力持ちがたくさんいて、とてもかないません」



かなりオチャラケて書いてしまった…
私の悪い癖だ…
985人間七七四年:2008/09/12(金) 00:33:23 ID:gxe663mu
木を抜くついでで鮭様と木のお話

敵方から延沢満延引き抜きに成功した最上義光は、その剛力の噂を聞いて
なんとしても力比べしたくなった。そこで早速、勇士七名ほど家中より集め、
帷子一枚を皆来て延沢屋敷に押しかけた。

「いくらなんでもおれたちならば勝てるだろう!」と、勇士は延沢にとびかかったが、
延沢は軽々と投げ飛ばしてしまう。鮭様は凄い! と喜んでいたが、
そのまま延沢がこちらに突っ走ってくるのを見て顔色を失った!

「たすけてくれえ〜〜〜!」と近くにあった桜の木にしがみつく鮭様。
「そうはさせるか!」と鮭様にしがみつく延沢。両者はもみあったままだったが、
やがて鮭様は負けた…桜の木ごと延沢が義光を引き倒したのである!
こちらは正真正銘トリックなし、ガチである。
根っこごと木を引き抜いたのだ、延沢おそるべし!

義光は延沢の怪力にすっかり喜び、そのまま城に招いて宴会をして楽しく過ごしたとさ。
あまりの怪力をおそれた鮭様が延沢を毒殺した説がありますが、
これはガセですので念のため。
986人間七七四年:2008/09/12(金) 00:35:55 ID:5x8VrNeq
鮭様カワイイw
987人間七七四年:2008/09/12(金) 01:22:53 ID:IeF+FpYt
桜が倒れるまでしがみついてた鮭様もなかなかのもの
988人間七七四年:2008/09/12(金) 01:30:15 ID:gXeMNN/I
昔々、正確に言うと享禄元年(1528年)、上州に大袋城主、赤井照光という
お侍がおった。

お正月、甥の舞木城主、俵秀賢に年始のあいさつに向かう途中、近藤林で子供に
いじめられる子狐を見た。子狐をあわれに思った照光は、子供たちに

「可哀想な事をしてはいけない。ほら、これを上げるからその子狐を私に譲りなさい。」

と、小銭を与え、子狐を、「もう、捕まるんじゃないぞ?」と、野に放してあげた。

さて、その日の夜。甥のところで御馳走になった照光、いい気分で帰っていると
目の前に、身なりのいい一人の老人が現れた。

「わたくしはは大袋の守護稲荷、稲荷新左衛門であります。我が眷属の子狐を
助けてくれた御恩をお返ししたく参りました。実は殿様、沼の北岸に要害の地があり、
ここに城を築けば、必ずや名城になるでしょう。」

こう言うと、その老人はたちまち消えてしまった。
その時は照光、「少し酔いすぎた」かと思っていたが、なんとなく気になり、
老人の言った沼の北岸を調べさせてみた。なるほど、天然の要害である。
たしかにここに城を築けば難攻不落は間違いない。しかし、いかにも縄張りが難しい
土地でもあった。

どうしたものかと悶々とした日々をすごしていると、七夕の夜、今度は屋敷に、
かの稲荷新左衛門が現れた

「縄張りはこのようにするのが良いでしょう」

と言うと、尻尾で地面に図面を書き始め、たちまちのうちに、文句の付けようのない
立派な縄張りが完成した。
「城が完成いたしましたら、私の主人である稲荷神が、その城を守護すると
申しております。どうか一角に、稲荷社を建立しますよう。」
そう言うとまた、たちまち消えてしまった。

照光はすぐさま、狐の縄張りどおりに築城を始めた。狐の図面に間違いは一つも無く。
立派な城が完成した。この城の名を館林城。あるいは狐が尾で図面を引いたことから、
尾曳城と呼ばれた。

戦国の世は、狐すら高度な軍事技術で恩返しをした、と言うお話。
989人間七七四年:2008/09/12(金) 01:39:22 ID:czP081DE
近くにはぶんぶく茶釜の伝説があるし文字通り狐狸のすみかだったわけね
990人間七七四年:2008/09/12(金) 09:28:21 ID:A4l0+ylM
千利休
991人間七七四年:2008/09/12(金) 14:35:18 ID:/tRw9B3A
992人間七七四年:2008/09/12(金) 14:36:51 ID:/tRw9B3A
993人間七七四年:2008/09/12(金) 14:38:21 ID:/tRw9B3A
994人間七七四年:2008/09/12(金) 14:40:42 ID:/tRw9B3A
995人間七七四年:2008/09/12(金) 14:41:49 ID:/tRw9B3A
996人間七七四年:2008/09/12(金) 14:43:08 ID:/tRw9B3A
997人間七七四年:2008/09/12(金) 14:44:25 ID:/tRw9B3A
998人間七七四年:2008/09/12(金) 14:45:12 ID:/tRw9B3A
999人間七七四年:2008/09/12(金) 14:45:55 ID:uxnQHbbW
1000なら鮭様に鮭1000匹
1000人間七七四年:2008/09/12(金) 14:46:13 ID:/tRw9B3A
10011001
      /    `ヽ、
      ー┬――─‐ァ
      / ̄ ̄ ̄ ̄,l,
    _/     ,、r'" _」
.    | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
   /`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
   /  秀家    ゙ヽ:::::::::',   ごくろう。このスレはみごと統一された。
  ゙|゙゙゙'''   ‐‐''""'  ';:::;r==,、  さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
.  |エi> ,'  イiエ>  レ'゙,r .,l }  
  i.  /         Y./ノ   さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
  l  {  .、          /      
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