毛利と大友の北九州攻防戦を語ろう

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758人間七七四年

>>741
大友は寺社勢力を屈服させて中央集権化を目指した。
しかし寺社勢力の政治的影響も受ける国人も多く在地支配が甘い毛利はどうか?

毛利の場合は>>721のように、いまだ蒙昧にも怪力乱神を語り
孔子曰く「鬼神を敬してこれを遠ざく」すらできなかった。
そのため、褒賞を与える領地なく軍事動員を行い不履行を繰り返し
タダ働きを強要しそのくせ安堵を濫発。
挙句の果てに、開き直って
吉川や小早川を通して訴えた国人本人に明所を探させると言う逆要求を出す始末。
そして隆元死後にはどんどん財政が悪化し、ついには破産状態の毛利本家を無視して
次第に吉川などは毛利を経ずに安堵を行い自立を志向していくようになり
その結果、関が原における毛利の大崩壊に至るのである。