関が原で、もし小早川秀秋が東軍に攻めかかったら

このエントリーをはてなブックマークに追加
952人間七七四年:2009/06/04(木) 02:10:04 ID:IpoJQCLH
あれて東軍に突っ込んでたら
あっぱれ金吾、見事タヌキを化かしたと
豊臣を救った英雄だったろうに
953人間七七四年:2009/06/04(木) 04:44:40 ID:LvnVnhu1
家康本陣が関ヶ原にこの段階まで参加していないので
たとえ小早川が西軍のままで家康側を攻撃したとしても圧倒的に有利になるとは思えない
南宮山が動く状況になれば勝機はあるだろうがそこまでいくとは到底思えない

毛利輝元が動く気配がない以上いずれは家康が勝つだろうな
954人間七七四年:2009/06/04(木) 08:32:29 ID:4uATmoEC
>>937
吉川を冷遇とは?
小早川隆景を厚遇したのは確かだが、吉川が同等の待遇を求めてもいないし、
それ以前の隆景を厚遇したのも、元春死後
中国大返しでの恨み、秀吉とそりが合わなかったというのは、何の資料?
元春の書状などの一級史料では、そういう類の話は一切見られないのだけれど?

吉川家の家風が嫌豊臣なんてのも、証明するものは一切ないぞ?
吉川広家は黒田父子の尽力もあり、秀吉に直接家督を認められたり、
娘を側室にあげ、屋敷への行幸も願い出て認められてた
これだけでも嫌豊臣というのを示すもにはないが?

これらを覆したのが三成なんだけど?
955人間七七四年:2009/06/04(木) 08:42:28 ID:4uATmoEC
それと、関ヶ原の小早川秀秋に関して
あれは西軍として行動していないから

伏見以後、伊勢への派兵要請を無視して、大和に滞在し、その間家康への謝罪に奔走
松尾山城への占拠も黒田家の軍監を陣内に引き入れての行動で、
その行動により、秀秋謀反として、三成らの西軍は大垣退去して笹尾山まで移ったんだよ

それに西軍が東軍を待ち伏せてたなんて、とんでもない話
あくまで関ヶ原への移動は秀秋の松尾山占拠にともない、大坂との寸断を恐れた結果
証拠にそれまで何か異動あれば伝えるとしていた毛利にさえ伝えずに、
大垣退去して毛利勢を激怒させてる
そして待ち伏せしてたという関ヶ原の笹尾山や天満には陣跡すら残ってない
あれは待ち伏せではなく、緊急的な撤退

>>932の秀元が戦意満々も嘘、そんな裏付けも取れない講談で史実語ったらダメだよ
956人間七七四年:2009/06/04(木) 10:35:57 ID:KufcxW6q
いくら関ヶ原で勝とうが上に淀殿がいる限り豊臣も駄目駄目です
957人間七七四年:2009/06/04(木) 20:05:29 ID:EwNBs3Zx
>>932
小早川相手に威嚇射撃しているんだから備えはあっただろう
大谷も備えをしているのに家康がしなかった理由もないし
なんで家康が何もしないという前提で物事を考えているんだ
家康本体は戦闘に加わっておらずどの状態でも対応できるようにしてあるのに
何もしないとは思えないしそんな武将だったら天下なんて取れないと思う
958人間七七四年:2009/06/04(木) 20:14:07 ID:IpoJQCLH
家康はもっと楽に勝てると思ってたんだが、中々西軍が崩れず
逃げる準備もしながら、金吾に問鉄砲くらわしたんだろうに
まー家康も賭けにでたってわけだな
959人間七七四年:2009/06/05(金) 00:52:39 ID:sE69CiYJ
>>958
鉄砲云々は捏造だと思うな
実際に松尾山小早川陣から家康の前衛が展開したと思われるところは
はるかに下で距離も遠い
発砲炎は見えるかもしれないが合戦真っ只中では判らなかっただろう
とにかく200mくらいしか射程のない鉄砲で山上へ脅かしとか考えられない
960人間七七四年:2009/06/05(金) 02:13:51 ID:4LcFJcC3
あくまで心理的効果を狙ったということだな
一種の最後通牒みたいなもんだ
961人間七七四年:2009/06/05(金) 09:20:08 ID:JfGzPrCZ
430 人間七七四年 2008/12/29(月) 11:48:56 ID:kdWJLUoZ
「五本関原日記曰諸方合戦最中ニ黒装束ノ武者御前ニ参リ筑前中納言ノ旗
色何レトモ知レ申サスト申シ上ル問鉄砲打セヨトノ御意ナリ仍テ鉄砲打カケ
候」
「朝野旧聞褒藁」より


431 人間七七四年 2008/12/29(月) 22:43:10 ID:kj3kFZOp
「井伊家慶長記曰福島井伊向云々合戦始時節如何直政答云筑前中納言内通之義有
彼躰見軍始可只今予軍士熊谷内匠三浦十左衛門両秀秋陣遣暫相待可ト
又藤堂佐渡高虎来テ正則如問前如答フ高虎テタテアリト云テ吾陣帰鉄砲之者二十人
計召具秀秋陣向放タシム但玉ヲ入不然雖秀秋陣少モ騒不一向敵陣ヲ見ヲロス外無他
高虎来云秀秋心底疑処無云々」
「朝野旧聞褒藁」より


432 人間七七四年 2008/12/30(火) 07:29:45 ID:xoCLqKp5
「聿修録曰諸部既接戦筑前候観望山下未公(高虎)大銃発之脅乃始兵発」
「朝野旧聞褒藁」より


433 人間七七四年 2008/12/30(火) 21:59:17 ID:mwiWe42g
他、
>>430とほぼ同じなのが「濃州関原合戦答書」「一本関原軍記」「慶長記畧捗」

>>430>>431>>432を組み合わせ、藤堂隊が家康の命による問鉄砲を撃ったとしているのが
「東西記」「別本慶長軍記」「本朝武林(稲葉)傅」

「黒田家譜」では福島の鉄砲隊二十人『のみ』を松尾山に撃たせよと使番に命じている
ほぼ同じ内容が「関原物語」「関原記考」

「落穂集」は使番として久保島孫兵衛、鉄砲隊は家康組下の布施孫兵衛とし
後は上記の内容をごった煮したもの

以上「朝野旧聞褒藁」より


434 人間七七四年 2008/12/31(水) 10:20:47 ID:DqylWB+D
以上より

小早川陣への銃撃は二度あったと推定される

一回目は藤堂高虎による牽制の為の銃撃

二回目は徳川家康の命によって福島正則から分派された
鉄砲隊(家康使番久保島が同行した可能性あり)による内応
催促の銃撃

家康本隊からの鉄砲隊分派は無かった可能性が高い
962人間七七四年:2009/06/05(金) 10:03:12 ID:nwMQycOS
問い鉄砲ってどんなの? 合戦時に鉄砲の発砲音を使って命令とか伝達するとか
そんな感じ? だったらある程度のリズムとかとりながら一斉発砲してたのかな
戦場でそれを聞き取れたのかはよくわからないけど方向合わせてメガホン耳にあてれば聞き取れたのかな
つまり家康からの突撃命令の信号を敵陣深くにいるいまかいまかと待っていた秀秋に通じるまで時間を要したと
963人間七七四年:2009/06/05(金) 10:09:13 ID:JfGzPrCZ
>>962
単に鉄砲撃って相手の反応見たり、恫喝したり
撃つという行為には特に変わりないけど、それを相手がどう受け取るかは
状況によって異なる
964人間七七四年:2009/06/05(金) 10:14:59 ID:nwMQycOS
殿 攻撃のお下置を…

( ゚д゚ )「どっち?」 

敵は大谷善継!

( ゚д゚ )「掛かれー皆殺しじゃー!」
965人間七七四年:2009/06/05(金) 12:38:30 ID:4LcFJcC3
大谷刑部
金吾め、やはり裏切りおったか!犬畜生に劣るわ!
大谷隊は小早川の裏切りに備えて用意していた六百の手勢を向かわせた。

家康
はははっ。小伜め、やりおったわ。
966人間七七四年:2009/06/05(金) 13:38:27 ID:E9+5KAGK
>>954
吉川元春(きっかわ もとはる) 1530〜1586
毛利元就の次男で山陰方面の統治を任され、山陽方面を任された弟の隆景と「毛利両川体制」の一翼を担って当主輝元を補佐した毛利家武闘派筆頭の猛将。
徹底した秀吉嫌いで知られ、その九州島津攻めの際に嫌々参加したが小倉の陣中で病死した。

ざっとネット検索してみたが、どこを見ても吉川は嫌秀吉というのが一致した史観。
元春が病没するまでの一連の行動から、嫌秀吉なのは誰が見ても明らかだよ。
五大老には毛利一族からは、輝元と隆景が選ばれているが、吉川は除外。

967人間七七四年:2009/06/05(金) 15:14:47 ID:E9+5KAGK
>>955
>秀元が戦意満々も嘘、そんな裏付けも取れない講談で史実語ったらダメだよ

「宰相殿の空弁当」というあまりにも有名すぎる逸話により、秀元に戦意があったは世間共通の常識。
ネットで調べてくれ。
ところで君が秀元の戦意を否定できる裏付けって何よ。聞かせてもらおうか。



968人間七七四年:2009/06/05(金) 16:21:05 ID:YETkvDLS
空弁当の話はあくまで逸話
ネタ元は、関ヶ原後、瀬田まで引き換えして来た秀元が黒田の使者に対して、
食事中なので会わないと答えたのに由来


関ヶ原において、秀元が戦意満々だったとするのが何一つないので、
講談話で史実語るなと書いたはずだがね

秀元は関ヶ原において、積極的な意見、立場を示していない
そもそも決めれる権限もなかったからね
969人間七七四年:2009/06/05(金) 16:33:31 ID:YETkvDLS
>>966
ネット見渡しても?
そりゃ史実知らない君みたいなライトユーザーのが多いから、
当たり前でしょw

君はそのネットにから書かれてるのが、何を参考にしたのか知ろうと思わないの?


やけに一般の認知度とか書くけど、認知の是非すら疑問に思わないのであれば、
君とは語る事は何もない
一般に流布している小説や講談のイメージそのままを、史実と言うのだから

以前いた、ネットの世界が全て正しいと言って、
学術書など直に読まずに否定してた子そっくりだ
970人間七七四年:2009/06/05(金) 17:09:53 ID:GO9okKIp
>>968-969
講談話を語ってるのは君だよ。
何しろ君には客観的裏付けがまったくないんだからな。
君が創作した単なる与太話にすぎない。

ネットに取り込まれた情報は現実社会に実在する史料に基づいてるんだがな。
君がこしらえた与太話など世間の誰も知らないから、ネットに取り込まれてないのは当たり前だろ。
君の説がそんなに有力なら、ネット内に君と同意見の記述が満ち満ちてるよ。
だが現実は反対の記述ばっかり。というか皆無。
いったい君はどんな「学術書」とやらを読んだんだろうな。
そのタイトルと著作者を明示してくれ。
971人間七七四年:2009/06/05(金) 17:23:47 ID:GO9okKIp
>>968-969
それと、吉川元春が秀吉を嫌ってなかったとする根拠は、どこから出てきたのか、
誰のどの著述を見ての意見なのか明示よろしく頼むよ
972人間七七四年:2009/06/05(金) 18:55:41 ID:XNXGf+Pn
少なくとも空弁当の逸話じゃ秀元の戦意を図れ無いのは分かった

わざわざ登山してるとこを見るに戦意は無いように見えるけど南宮山なんて好位置を取ってるとこ見ると有るようにも見えるね
973人間七七四年:2009/06/05(金) 19:27:02 ID:NMYvo1Zj
ID:GO9okKIpの発狂っぷりを楽しむスレはここですね。
974人間七七四年:2009/06/05(金) 21:17:04 ID:T/gPf9rD
>>970は信頼性の高い一次史料と逸話や講談の区別がつかないんだろう
975人間七七四年:2009/06/05(金) 23:57:55 ID:vekDu6mb
>>972
秀元に戦意がなかったなら、広家同様家康に密通していたことになるな
だが史実は広家の独断による家康への内応であり、秀元はそんな裏交渉など知らない
「宰相殿の空弁当」をネット検索して確かめてみろよ
君の主張の論拠など、どこにも存在しないぞ
君の寝言にすぎんのだからな
976人間七七四年:2009/06/06(土) 00:00:02 ID:WS42v7M5
>>967
おいおいから弁当の逸話があるからそれで秀元が戦意があっただと?
正しいのは日和見して山をくだらなかったと言う事実のみだろ
戦意があればとうに参加してるわ
977人間七七四年:2009/06/06(土) 00:26:35 ID:rvVok+Jy
>>976
行く手を広家に妨害されていたんだがな。
だから「宰相殿の空弁当」をネット検索してみろって。
978人間七七四年:2009/06/06(土) 00:44:27 ID:oA0pWzd1
本当に戦いたいなら押し通れば良いだけ数は秀元のが多い訳だし下り口は一つだけな訳もあるまいに

979人間七七四年:2009/06/06(土) 00:46:59 ID:rvVok+Jy
>>973-974
予想通り具体的論拠を何も挙げられず。
当然ネット内にも該当する史観は皆無。
つまり君の創作した与太話だと結論づけられたわけだ。

ところで、君が掲げる「信頼性の高い一次史料」って何かな。
抽象論はもう結構だから、具体名を挙げてくれよ。
どうせ無理だろうけどさ。全く期待してないから。

因みにネット内に存在する史観は講談や逸話の類ではないのであしからず。
君はまず基本的な語彙の学習から始めたほうがいいぞ。
980人間七七四年:2009/06/06(土) 00:53:51 ID:rvVok+Jy
>>978
秀元は前進を妨げる広家を攻撃するわけにはいかんだろうに。
同じ毛利一門の味方なんだからな。
戦の最中に味方同士で内戦やる馬鹿なんて、戦国の世のどこを探したっていないぞ。
981人間七七四年:2009/06/06(土) 01:06:21 ID:oA0pWzd1
刃を交えろとは言って無い数に任せて押し退けろと言ってる
982人間七七四年:2009/06/06(土) 01:14:47 ID:rvVok+Jy
>>981
それが同門内での内輪喧嘩に発展することは必定だろうに。
それに秀元は広家の意向を足蹴にできる立場ではないぞ。
983人間七七四年:2009/06/06(土) 01:28:01 ID:rvVok+Jy
>>973
痛いとこ突かれて、答えられない腹いせに個人中傷ですか。
論拠がないんだから仕方がないですよね。君の気持ちはよく分かりますよ。
984人間七七四年:2009/06/06(土) 01:45:12 ID:rvVok+Jy
>>968
「宰相殿の空弁当」は厳然たる史実だぞ。
誰がどこでそれを否定しているのか説明してくれないかな。どうせ無理だろうけど。

秀元は広家のように家康に内通などしていないのに、何故戦意が乏しかったと言えるのかね。
是非教えてもらいたいな。どうせ無理だろうけど。

れっきとした史実を講談話と混同しちゃマズイだろ。

秀元の関ヶ原でのスタンスは一貫して東軍攻撃。
戦場でこれ以外の「積極的な意見、立場」って他に何があるんだろうな。
それに秀元は戦場にて何を「決めれる権限もなかった」のかね。
教えてもらおうか。どうせ無理だろうけど。

もっとマシな講談話を頼むよ。
985人間七七四年:2009/06/06(土) 02:41:58 ID:WS42v7M5
ID:rvVok+Jyは講談あたりを1級資料と思っているんだな
986人間七七四年:2009/06/06(土) 03:20:17 ID:rvVok+Jy
>>969
ライトユーザーが多かったら何故君の見解に沿う記述が皆無になってしまうのか、その因果関係を説明してもらおうか。
ネットにアップされている記述は、単に世に容認されている史観の反映にすぎない。
よってネット内に君の裏付けが無い事実は、君の見解が捏造だと実証している事になる。
そもそも君にとって偽りの史実だけが、ネットに蔓延るなんて事は有りえないだろうに。
勿論ネットの外にも君の主張の裏付けとなる文献など存在してない。
違うというなら、元春が秀吉嫌いではなかったとの論拠はどこから出て来たのか、具体的に明示してもらいたい。
それに大概の小説は史実に基づいて執筆されている事くらい認知しておいたほうがいい。
講談にフィクションが盛り込まれても、客はそれを識別できるし、
フィクションを真実と混同する低能は誰かさんくらいなもんだよ。
987人間七七四年:2009/06/06(土) 03:31:07 ID:rvVok+Jy
>>985
面白いな
では誰の講談を論拠にしたのか明示してもらおうか
988人間七七四年:2009/06/06(土) 03:50:27 ID:rvVok+Jy
>>957
家康が秀秋に威嚇射撃したからといって、その備えをしていた事にはならないし、
大谷が備えをしていたからといって、家康も同様だとはいえない。

その証拠に、家康は東軍諸将を督戦するため本陣を前進させ、東軍諸将の真後ろに位置づけしている。
東軍の左翼はがら空きだ。
もし家康が秀秋を警戒していたなら、本陣をずっと左に移動させて、
無防備の左翼を手当てしている。
小早川軍の自軍への攻撃など想定していなかった証しだ。



989人間七七四年:2009/06/06(土) 04:22:52 ID:rvVok+Jy
>>955
秀秋は西軍の一員として伏見城攻撃に参加してるんだが。
東軍がそんな事しないだろ。常識以前の問題だ。
それに秀秋が関ヶ原に移動する前に病気と称して滞在していたのは近江だ。
そんな秀秋がいったいどうやって何のために家康への謝罪に奔走せなならんのだ。
答えてもらおうか。

西軍は東軍の佐和山・大坂進攻に対応しようと、緊急的に軍を移動させ関ヶ原で待ち伏せしたんだが。
秀秋の松尾山布陣も三成の要請を受けての事。でなければ秀秋がそこに布陣した理由がないだろうに。
同様に南宮山周辺には毛利勢や長束、安国寺、長宗我部らも三成の要請で布陣。

三成が大垣城を出て毛利勢を激怒させたなんて作り話もいいところだ。
毛利勢はその頃伊勢攻略戦で別行動。激怒する理由がない。
990人間七七四年:2009/06/06(土) 04:46:38 ID:rvVok+Jy
>>954
元春が秀吉に己の処遇をどうこう要請できる立場か。そんな大それた事、他の大名でも出来ない。
元春は天正十年に不自然な隠居、四国征伐の不参加、九州征伐は再三の圧力でしぶしぶ参戦。
どう見ても秀吉から距離を置こうとしているのは明らか。
敏い秀吉がそんな元春の思惑を見抜けない筈もあるまいに。

秀吉は毛利の手前吉川家を取り潰す気はないのだから、広家の家督相続は当たり前。
別段広家が秀吉に感謝する事でもない。
広家の娘が秀吉の側室だって?おいおい。
三成が秀吉の意向に反する決定を下せる筈がないだろ。おいおい。
991人間七七四年:2009/06/06(土) 07:19:53 ID:F04rdFqt
ID:rvVok+Jyの凄まじい発狂っぷりは楽しいな。そのまま狂い死んでくれると
なお嬉しいんだけど。
992奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/06/06(土) 07:44:27 ID:+U0w1Pyd
そこを責めるには、発狂だの暴走だのという語句を使ってはいけない。
993人間七七四年:2009/06/06(土) 12:36:30 ID:PfB94wTE
>>988
だから秀秋が東軍の先鋒の側面をつくなら後ろの家康がその側面と背後を
突けばいいという話なんだが
あと威嚇射撃をしたのに攻められる備えをしないなんてあるのか
あの威嚇射撃は秀秋の催促であるのと同時にもしこちらに攻めてくるのなら
返り討ちしてやるとの意思表示だと思う
994人間七七四年:2009/06/06(土) 13:16:30 ID:cdRXgL+x
>>989
秀秋は伏見攻めの後に、病気と称して近江に滞在していたのはご指摘の通り。
秀秋については、8月28日付黒田長政・浅野幸長書状で家康に味方するように
言われてた他、『慶長記』によると9月3日、8日に家康に使者を送っているなど
「謝罪に奔走」かどうかはともかくとしても、積極的に接触を図っている。
松尾山布陣については、松尾山はこの時かなり整備されており、伊藤盛正(大垣城
主・西軍)が詰めていたんだけど、それを追い払って占拠する形で行われている。
これについては『稲葉家譜』などで言及されているな。
そして、小早川隊には>>955の指摘の通り、黒田長政の家臣と奥平藤兵衛がお目付役として
送り込まれている。で、三成ら西軍首脳もこの頃には秀秋のことを疑っており、『慶長記』
では「筑前中納言むほんと風聞候。仕置いたすへきとて出候由」と大垣を出て関ヶ原へ展開
した理由を指摘している。勿論これが関ヶ原へ展開した要因の全てとは言わんけど、少なく
とも秀秋が三成ら西軍の意を受けて行動していたとは言い難いと思う。秀秋については東軍
からも信用されていなかったようだし、まさに「旗幟不鮮明」という感じじゃないかな。
感じじゃないかな。
995人間七七四年:2009/06/06(土) 14:10:04 ID:RQqaZLNW
大事なことなので2度、言いました。
996人間七七四年:2009/06/06(土) 18:53:16 ID:eTL95EIf
家康はもし秀秋が攻めてきたら、逃げる準備をしてたんだ。
997人間七七四年:2009/06/06(土) 21:47:41 ID:nfXjBY1m
どうでもいいけど 997
もいちょい
998人間七七四年:2009/06/06(土) 21:58:29 ID:+3kP9kU/
998
999人間七七四年:2009/06/07(日) 00:39:04 ID:ebFVQ2kr
>>1000以外なら秀秋発狂
1000人間七七四年:2009/06/07(日) 00:57:34 ID:OsgrmLWl
やん
10011001
      /    `ヽ、
      ー┬――─‐ァ
      / ̄ ̄ ̄ ̄,l,
    _/     ,、r'" _」
.    | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
   /`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
   /  秀家    ゙ヽ:::::::::',   ごくろう。このスレはみごと統一された。
  ゙|゙゙゙'''   ‐‐''""'  ';:::;r==,、  さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
.  |エi> ,'  イiエ>  レ'゙,r .,l }  
  i.  /         Y./ノ   さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
  l  {  .、          /      
  ',  ` ''  '       rTヲ
   '、 `'ー‐''"    / lzュ、__
---‐ヽ  -'     /  〃ィ ヾ'‐,--        
 / | |iゝr;ァ--‐''"   〃/./  l  |         戦国時代(仮)@2ch掲示板
./  | | ',ヾ゙      / / /  /  l        http://hobby9.2ch.net/sengoku/