細川幽斎(藤孝)・忠興父子を語るスレ

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940人間七七四年:2011/03/28(月) 02:08:59.79 ID:sogaNqhA
>>20とか>>24の話や、形式上とは言え嫡男なのに他家に養子に出されたりで、
父に冷遇された思いが積もりに積もったんじゃないのかな?
941人間七七四年:2011/03/28(月) 12:29:48.81 ID:kDEVpq5N
そもそもどうして養子にだされたんだっけ?
942人間七七四年:2011/03/31(木) 08:58:43.53 ID:1QHRXU3Q
>941
足利義輝の命による
この養子縁組は系譜上だけのもので、その後も親父と一緒で領国も継いでいる
943人間七七四年:2011/05/01(日) 20:32:46.11 ID:MacFLEOm
確かに忠興はかなり複雑な人だよな……
944人間七七四年:2011/05/03(火) 22:09:38.07 ID:GiUWgUGo
勝龍寺城を信長からもらって買収された挙げ句にスパイ活動して義昭を売った人が藤孝
事実上、足利幕府を滅亡させた元凶。
945人間七七四年:2011/05/03(火) 23:54:36.20 ID:UwhUna53
>>944
勝竜寺城って、義輝時代は藤孝の居城だったんだっけ?
946人間七七四年:2011/05/04(水) 13:23:55.45 ID:KfWkM4NC
三好の属城だと思うよ
947人間七七四年:2011/05/04(水) 13:43:58.23 ID:os+Zr2U7
この親子みてると、教育って割とどうでもいいのかもと思わされるな。
教養人の幽斎が特に英才教育したわけでもないのに武将として頭角を表しているし。
948人間七七四年:2011/05/04(水) 14:57:52.43 ID:RRZmZpnA
義弟に預けたんだっけ
949人間七七四年:2011/05/15(日) 19:21:25.10 ID:00XT2cVl
>>944
祖父の代に和泉追放されてから代々の居城では
950人間七七四年:2011/05/16(月) 15:37:51.44 ID:RJH8U350
>>949
いや信長が三好を追い払ってしばらくしてから藤孝に与えてるはず
義昭が挙兵した時におそらく三好に再奪回されてる。
義昭追放後に再度奪回したが。
951人間七七四年:2011/05/16(月) 16:22:10.41 ID:h4OPlAOb
勝龍寺城の和泉細川との因縁は作り話のハズ
藤孝が初じゃね
952人間七七四年:2011/05/17(火) 03:01:22.61 ID:ljKTZZWF
兄の方が立派
953人間七七四年:2011/05/17(火) 12:42:01.35 ID:Y1en8qK1
三淵藤英
細川藤孝
長岡好重
玉甫
好重の妻が藤孝娘なんだゆな
954人間七七四年:2011/06/01(水) 21:32:48.42 ID:05bKv18h
細川家譜は面白い?
政宗とかいろいろと登場しそうだし。
955人間七七四年:2011/06/01(水) 21:42:29.43 ID:uVIifZ+b
永青文庫叢書 細川家文書 中世編 は面白い?
956人間七七四年:2011/06/01(水) 23:54:39.58 ID:BGXzuNAQ
読み手にきちんと知識があれば面白い
957人間七七四年:2011/06/08(水) 15:52:02.60 ID:fUbMTpy4
ここではあんまり話題になってないけど、
学研の『細川忠興戦記 本能寺将星録』読んだ。
シュミレーション戦記だけど、面白かったよ。
登場人物は蒲生氏郷、津田信澄、千宗易あたり。
敵方は秀吉、如水の他に高山右近。
忠興とガラシャがやたらと仲睦まじい(w

忠興ミニ信長っぽく描かれてる。
山崎の合戦で光秀に味方して明智が勝つ。
直後に光秀死ぬけどね。
958人間七七四年:2011/07/16(土) 00:13:21.94 ID:1mhhLTId
有名家臣って言えば誰
959人間七七四年:2011/07/16(土) 20:07:10.98 ID:Dpvaor8y
米田監物
木造長政
氏家朴全
松野義孝
960人間七七四年:2011/07/24(日) 00:28:01.44 ID:/vZu0QPh
>>959
松井さんは?
961人間七七四年:2011/07/24(日) 11:00:44.24 ID:0xf+HFup
この親子で大河を作っても充分面白そうだよな
962人間七七四年:2011/07/24(日) 12:09:55.63 ID:gdbYtRXt
先ずはドラマ化の手始めに土曜ワイド劇場で、「植木屋は見た!」をシリーズ化希望
963人間七七四年:2011/07/24(日) 13:15:44.06 ID:WvtOzQmJ
細川幽斉 家柄良し 才能良し 実績良し 逸話多し 育児悪し の戦国のスーパーマンだからな

ただ息子の逸話は映像化するのは不味くないか
964人間七七四年:2011/07/26(火) 00:41:16.25 ID:ju+xhlI0
>>911
熊本細川が系譜上、細川奥州家の末裔で
矢田部細川が和泉半国守護細川家の末裔というのは王道だと思うよ。

肥後熊本細川藩の祖、忠興が実父藤孝とは同じ細川といえども家が違うといっているのだから
意見を差し挟む余地は無い。

ある意味で(足利尊氏に反抗した)細川奥州家は細川家の内で最強の家柄なんだし。忠興好み
の家系だとも言える。基本的には細川家は源氏の一流というだけで、足利の家来では無いんだ
し。奥州家を名乗るかぎりは将軍職任官もめざせる。
965人間七七四年:2011/08/01(月) 08:02:00.14 ID:1944Fe6R
南北朝時代に、足利宗家に反抗したとかなら他の足利一門ほとんど当てはまるんじゃないか?
奥州家が特別ってわけもなかろう。

966人間七七四年:2011/08/02(火) 14:33:57.99 ID:lr5r6NgA
>>964
> 基本的には細川家は源氏の一流というだけで、足利の家来では無いんだ
> し。

細川は足利一門だぞ?家来よりももっと服従義務があるわ。
967人間七七四年:2011/08/02(火) 19:15:28.73 ID:i67sdWv8
細川氏は足利「一門」ではなく「親類」に過ぎない
「一門」は斯波氏、吉良氏、渋川氏など
細川氏や仁木氏は足利惣領家に取って代われるような家柄ではないよ
968人間七七四年:2011/08/03(水) 01:46:56.76 ID:Z4lK3hT+
一門と親類を分けるなんて初めて見た
969人間七七四年:2011/08/06(土) 23:05:01.49 ID:tidTvBUU
足利は知らんけどよくあることじゃね
御一家、御一門、ご親類衆みたいな
970人間七七四年:2011/08/07(日) 07:48:04.76 ID:Cc5kxRJ4
足利幕府だと、斯波・吉良・石橋が御一家という特別扱い。
儀式などで呼び出されるとき○○殿と、敬称つけて呼ばれるとか。

971人間七七四年:2011/08/14(日) 03:32:01.44 ID:M5RDWn+B
遠祖足利義清は頼朝でなく義仲に仕えて討死した。
その為、矢田系は御家人でなく足利宗家の家臣扱いで席次は高階一族以下

また忠興の奥州家発言は親父への反抗な気がするんだが忠利以降の子孫はどっちを名乗っているんだ?
972人間七七四年:2011/08/14(日) 08:47:33.46 ID:g/KwkMFF
>>968
全然違うだろが。
たとえば加賀前田家は徳川と親類になるけど、徳川一門とは言わないだろが。
973人間七七四年:2011/08/15(月) 14:02:00.08 ID:sC2nee+u
>>972
婚姻でつながった親戚はともかく、同じ家祖から分岐した親戚ははどう考えても一門だろ
974人間七七四年:2011/08/15(月) 21:41:04.79 ID:vYOXz3w9
どっちかというとそれは御親類衆だな
武田みたいに分けないところもあるけど
975人間七七四年:2011/08/16(火) 12:22:11.72 ID:phspESli
>>973
先祖が同じ=一門じゃないよ。
血縁・婚姻関係などで当主と関係が深ければ一門扱いだけど、
ずっと昔に分かれた家なんかは時代が経つと家臣扱いになる。
逆にもとは別の家でも、功績を挙げて当主と同じ苗字をもらって、一門やそれに准じた扱いを受ける例もある。

徳川でいえば同じ松平の苗字でも、親藩(将軍・御三家の一門)と譜代は立場が違う。
譜代は大名でも、あくまで徳川家の私的な家来だから、徳川家の家政を司る老中などに就くが、
親藩の家は親類である将軍の使用人じゃないから就かない。(幕末などの異常事態のときは除く)
976人間七七四年:2011/08/16(火) 18:43:45.77 ID:SX122kkf
室町史研究の第一人者、山田邦明氏の『室町の平和』第一章貞治・応安の平和 より

『 将軍を支える執事職には、足利一門の仁木頼章が任じられていたが、尊氏が死去すると
間もなく出家して、執事職を退いてしまった。後継の執事に誰を任命するか、世間の注目が集まる中、
義詮が選んだのは、同じく足利一門の細川清氏だった。』

山田先生は細川氏を足利一門と言ってるぞ?
977人間七七四年:2011/08/16(火) 22:10:03.57 ID:phspESli
>>976
>山田先生は細川氏を足利一門と言ってるぞ?

その本を読んだわけではないけど、そこで言われている足利一門ってのは
土岐・京極・赤松などの諸氏に対する足利一門って意味で使っているんじゃないのかな?
他のレスで出ている幕府内での格式とか待遇としての一門ってことではないと思うが。

土岐・京極なんかは鎌倉時代は守護などの幕府の役職に就いて、官位を貰うような上級の御家人でいわば足利氏の同僚、
その連中を家来扱いして執事にできるほど足利氏の権力が他の家より突出していないってことを言っているのでは?

978人間七七四年:2011/08/17(水) 02:49:26.60 ID:IK31RLwp
>>977
せめて読んでから書きこめ
979人間七七四年:2011/08/17(水) 20:48:17.82 ID:Lrm5Sx6y
用語の使い方は研究者それぞれで違うからな。読んでみないとわからんな。
980977:2011/08/17(水) 21:54:37.91 ID:FxYkUl5J
>978
いや、細川氏は血統的に足利一門であるってことを否定している人はこのスレにいないでしょ?
一門であるってことを踏まえたうえで、他の足利一門などの違いなどを話しているのに、

>山田先生は細川氏を足利一門と言ってるぞ?

とか言いだすほうがおかしいだろ?


981人間七七四年:2011/08/18(木) 02:31:46.25 ID:auIjIY4D
>>980
その本を読みもせず作者の意図を想像で書くな、って意味だ。
982人間七七四年:2011/08/18(木) 02:38:22.11 ID:/5vjYgpH
そろそろ次スレの時期だが、スレタイとか>>1の紹介文とかどうするね?
983人間七七四年:2011/08/18(木) 03:03:27.43 ID:X07mezNx
細川のような母の身分も低い者は一族の血を引いていても家臣扱い
これは血縁近い一色や加古に対しても同様

話は変わるが日向畠山や斯波流石橋のような有力庶家の分家の方が本家の妾腹の分家より立場高そうなのは気のせいか
984人間七七四年:2011/08/18(木) 03:25:43.33 ID:padE+F+1
義家┬義親
  └義国┬義重(新田)
     └義康(足利)┬義清(仁木・細川祖)
            ├義長
            └義兼┬義純(畠山・岩松祖)
               ├義助(桃井)
               └義氏┬長氏(吉良)
                  ├義継(吉良)
                  └泰氏┬家氏(斯波)
                     ├兼氏(渋川)
                     ├頼氏─家時─貞氏┬高義
                     ├相義(石塔)  ├尊氏
                     ├公深(一色)  └直義
                     ├義弁(上野)
                     ├堅宝(小俣)
                     └基氏(加古)
985人間七七四年:2011/08/18(木) 03:28:00.13 ID:padE+F+1
石塔、桃井らは直義側で完全に没落、
渋川は南朝の攻勢にさらされて九州で没落
斯波は家臣の台頭によって没落し、石橋は斯波の奥州入部に追従して家臣化
仁木は南朝、

室町末期まで残ったうちの連中を再編すると、

一門  斯波=吉良
家臣  細川、畠山
格下  一色
中間  今川

今川の家格が微妙なのは、
了俊の活躍と駿遠の地盤に加えて、吉良一門である毛並みの良さがあるからと思う
消去法で行けば家格中勢力を保ち得たのは今川だけだし。
986人間七七四年:2011/08/19(金) 00:46:09.77 ID:5pB6PQ//
次スレはどうするね?
987人間七七四年:2011/08/19(金) 18:04:53.93 ID:jqemyVhN
実力主義の世の中になったからアホの殿様が出てしまうと一気に家が滅ぶんだね
988人間七七四年:2011/08/19(金) 18:58:22.69 ID:6PlvbARm
遠江今川カワイソス
989人間七七四年
989