細川幽斎(藤孝)・忠興父子を語るスレ

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1人間七七四年
戦国時代を代表する文化人幽斎と
幽斎の息子で激情家で知られる忠興を語りましょう。
2人間七七四年:2007/02/17(土) 21:25:31 ID:xQdrf/hh
語りません
3人間七七四年:2007/02/17(土) 21:29:00 ID:tz9k1+kv
文化人だからか、風流で清潔なイメージがある藤孝だが
丹後平定の時腹黒い一面を見せている。
4人間七七四年:2007/02/17(土) 21:29:51 ID:F4afgI41
( ´゚ω゚` )
5関連スレ:2007/02/17(土) 21:29:52 ID:apm1EAbd
6人間七七四年:2007/02/17(土) 21:31:24 ID:tz9k1+kv
忠興の死後はその三男が継いだ。
何故かというと、長男、次男は忠興に殺されているから。

なんとも本当にDQNやね・・・
7人間七七四年:2007/02/17(土) 21:45:05 ID:EkrYgyhT
>6
長男は殺されていないがな。二男も生存説があるし。
8奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/02/17(土) 22:57:04 ID:rWNpe7d7
細川隆元と細川隆一郎
9前田 ◆MAEDAxMYTY :2007/02/17(土) 23:05:53 ID:rWDZmLuQ
細川幽斎

【特技】戦国時代
10人間七七四年:2007/02/18(日) 00:31:01 ID:Ns+JJk0c
戦国武将にして当代随一の文化人。
文人のイメージが強いが実は弓にも剣にも通じ、
気の立った牛の角を持って押し返すほどの大力の持ち主。
11人間七七四年:2007/02/18(日) 01:07:16 ID:LW/hjtWf
忠興と息子たち

長男は前田家とのつながりを家康に指摘され、家康を恐れた忠興に勘当される、長男ブチ切れ、30年近くまったく会わず
その後、久しぶりの対面を果たすが、長男は忠興と一緒にいることを拒んで京に帰っていった
(前田家とはその後100年以上まったく交流せず、利長とは大親友だったが挨拶も交わさなくなった)

次男は長男の勘当で自分が藩主になれると思っていたが忠興は家康の意向を受け三男を藩主に指名
これにブチ切れて家出、大阪の陣で豊臣方に組し戦う、最後は自害
(家康は細川家の大阪の陣の戦功に免じて、次男を無罪放免にしてやると言ったが忠興が許さず自害に追い込む)

三男は家康に人質に出していたことが幸いし?家康に気に入られ忠興の跡を継ぐ
12人間七七四年:2007/02/18(日) 23:34:35 ID:AXktzvJz
いにしへも 今もかはらぬ 世の中に こころの種を 残す 言の葉

田辺城攻防戦ん時に詠んだ歌。こんとき後陽成天皇の勅命で停戦になった。
13奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/02/18(日) 23:38:57 ID:L7w+D6iy
芸は身を扶く。
14人間七七四年:2007/02/18(日) 23:53:26 ID:pfhoVPWe
忠興は三男忠利に後継がせたはいいけど
忠利とも戦になりはぐったぐらい不仲だったんでしょ?
お互い気に入らない相手の家臣殺したりしてるし
この一家には狂気が渦巻いてるな
15奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/02/18(日) 23:59:22 ID:L7w+D6iy
忠興一人がカルシウム足りない人だったんじゃないの?
16人間七七四年:2007/02/19(月) 09:43:40 ID:VlGU7pni
忠興が心の底から愛し、執着したのは
血を分けた自分の子供や、弟・妹たちではなく
玉(ガラシャ)だけだったってことかな・・・
無断でキリスト教に入信した時だって
狂う程に激怒はしたけれど、
玉を殺しもしないし、離縁もしない
結局、惚れた方が負けって事だねw
17人間七七四年:2007/02/19(月) 20:59:37 ID:Hm5rmZaT
忠興と仲が良かったのは、蒲生氏郷・高山右近。
18人間七七四年:2007/02/19(月) 21:01:53 ID:WaE+hLi+
藤孝はどんな躾を忠興にしたんだろ……?
19人間七七四年:2007/02/21(水) 21:42:40 ID:gHopIhJT
忠興のほうが、忠利の家臣を殺したことはあったけれど逆もあったけ?
忠興はDQNと思うけど、藤孝・忠利は人格者と思うけど。

晩年の忠興が可愛がっていたのは、4男の立孝。忠興は自分が隠居領としていた八代城と領地を譲ろうとしたが
立孝のほうが先に亡くなってしまい、実現しなかった。
立孝・忠興死後に立孝の息子が宇土に移り、宇土支藩を立てた。
20人間七七四年:2007/02/23(金) 00:28:20 ID:VfjGe/cB
忠興は教養人ではあるが幽斎からは「お前が歌を幾ら習おうと儂に遠く及ばん」と
キツイ言葉を言われている。才能はあまり無かったようだ。
21人間七七四年:2007/02/23(金) 01:18:49 ID:EfftzdFM
藤孝はかっこいい!
「花と火の帝」でそう思った。
22人間七七四年:2007/02/23(金) 02:24:24 ID:2siPfyHA
忠興と信長はいい勝負だな

興秋は大坂の陣では真田隊に属して戦ったようだね
23人間七七四年:2007/02/23(金) 08:56:15 ID:mzo+PzCe
光秀が将軍家の家臣になれたのは、藤孝の口添えがあってのことかな?
24人間七七四年:2007/02/25(日) 21:02:28 ID:E9HXbvWT
忠興って生まれた時、藤孝が義昭救出とかで奔走している大変な時期だったんで家臣の中村夫婦に預けられ粗末な小屋で彼らの子どもとして育てられ隠れるようにして暮らしてたらしい。
5歳になって初めて勝龍寺城に戻って幽斎に会えたと「綿考輯録」にある。
こんな生い立ちがあの性格をつくりあげたのかも・・・。
更に7歳ぐらいの時に、家臣同士の争いが起こってこの騒動を大いに喜び、一方に肩入れして一方を追い出した。
これを聞いた藤孝が激怒して忠興を譴責しその結果親子の間が険悪になった。
その後、大徳寺の玉甫(幽斎の弟)の所に預けられたとか。
そういえば玉との縁談を信長が持ちかけた時、「剛強に過ぐる」と辞退してるくらいだから
藤孝がもてあますぐらい相当なものだったんでしょう。
25人間七七四年:2007/02/25(日) 21:38:21 ID:1bShFhjZ
>>24
親元で厳しく躾けられたとはほど遠い感じだね……。
半ば捨て子扱いで、親に対する恨みめいたものもあったろうし。
26人間七七四年:2007/02/27(火) 13:43:16 ID:pTME1yMw
>>24
結城秀康を連想した
27人間七七四年:2007/02/27(火) 20:37:07 ID:mrbFIG3T
幽斎は忠興に廃嫡された忠隆の京都での生活扶助もしてるし遺言で忠隆に遺産残してる。
忠興と不和になって出奔した興元の面倒もみて家康にいろいろ根回ししたらしく最終的に彼は矢田部藩主になれた。
なんだか忠興がおこした騒動の後始末してるような・・・。「やれやれ」とため息をつく幽斎が目に浮かぶ。
28人間七七四年:2007/02/27(火) 22:22:41 ID:MZthBM/6
>>27
谷田部立藩のときも当初10万石の予定だったのを、不仲の忠興の横槍で2万石になったらしい。
息子達に対する態度といい、才能はあるが人格面は異常だね。
29人間七七四年:2007/02/27(火) 22:26:56 ID:0AJQGYF4
嫁の顔を見ただけの庭師を殺しちゃうくらいだからなあ。
30仙台藩百姓:2007/02/27(火) 22:44:07 ID:2xW0dYsu
キチガイ
31人間七七四年:2007/02/27(火) 23:23:21 ID:IlZ+5lNy
>>29
美人と名高い玉だったけど忠興のDVで顔が変形していた
その顔を見た庭師が他所で漏らすのを危惧して殺害したのが真相
32人間七七四年:2007/02/27(火) 23:28:07 ID:Ul1jvWjH
幽斎に対する態度もけっこうひどい。
関が原の役の後、最初怒って幽斎に会わなかったとか(最後には開城したのが気に食わなかったらしい)
幕府から、幽斎以前の細川家について問い合わせあったとき、”俺が初代なんで、前のことは知らん”って言ったりとか。

でも小野木公郷が降伏したあと、家康に助命を願ったって話もあるんだよね。
一応情けはあるのか?

33人間七七四年:2007/02/27(火) 23:58:24 ID:yL312Tq3
>>29
なんじゃそら
ソースは?
34人間七七四年:2007/02/28(水) 20:36:11 ID:vunI9QpT
高山右近絡みだと別人のような話が残ってる。彼の改易後も親交続けて、1614年マニラへ追放が決まった時彼の態度を賞賛しているし、
九州まで下ってきた右近に対して「もし棄教するのならばなんとしても大御所様を説得してみせる」と申し出たとか。
それを裏付けるような右近の「決別の書状」が永青文庫に残ってるし・・・
そういえば利休に対してはあの有名な「淀の渡し」の逸話もあるし・・・。なんというかサドで冷酷な面とあまりにも落差が大きい
35人間七七四年:2007/02/28(水) 21:12:06 ID:vunI9QpT
>>32 確か小野木公郷の助命を家康にしたのは井伊直政で、忠興がどうしても納得せず結局切腹させられさらし首になってしまった。
この結果に面目をつぶされた直政が激怒して、家康に「越中の如き酷い者を畿内に置くことは無用」と讒言され、
忠興は但馬一国加増が沙汰止みになってしまったという顛末だった。
36人間七七四年:2007/02/28(水) 21:19:36 ID:+oHwt/uf
>>35
井伊の見識は確かだな。
3733:2007/02/28(水) 21:24:25 ID:EPP3HZdO
いま気付いたんだけど
びっくりしたのは>>31のレスですた
忠興は玉の事を偏った愛ではあるが
大事にはしてたと思うが?
>>29のは有名な話だもんなあ
嫉妬深く、子供の頃から気性も荒くて
狂い者ではないかと家臣に言われきた忠興なら有得るよ
38人間七七四年:2007/02/28(水) 22:30:34 ID:iGEWbGNQ
>>35
あれ?私のほうの史料(旧陸軍参謀本部の関が原の役)では、忠興が福知山城接収後、大坂で助命嘆願したことになっています。
井伊直政は出てきませんね。 山岡景友が公郷への開城説得役で出てくる。

細川氏を九州に飛ばすのは規定事項じゃないのかな?
関が原の戦前に家康が細川氏に加増した豊後領の隣が新しい領地だから、豊前が新領地ってのは当然のような気がします。
飛び地(畿内周辺と九州)がそのまま継続できるってのも虫が良すぎる話のような。

でも長男の忠隆が、「遠国に飛ばされた」って愚痴っている書状も残ってますね。うーん。
39人間七七四年:2007/03/01(木) 11:52:11 ID:DsMtLk+E
細川忠輿と幽斎はあまり仲が良くなかったのではないか?
石田三成襲撃なんかした忠興は、あまり好きになれない
あの時三成襲撃に加わった七将はそれだけで武将としての価値が下がった気がする
加藤清正や福島正則なんかのような成り上がり大名ならさまありなんって感じだが
細川のような名門があんな軽挙な行動は似合わない
きっと親爺とは性格が合わない武将だったと思う
40バロン曽志崎:2007/03/01(木) 19:25:20 ID:fNHtSVQj
当代一の文化人と謳われた幽斎も晩年はボケ老人。
忠興は何故か市井では人気がなかったのかヘタレ扱い。
41人間七七四年:2007/03/01(木) 20:05:22 ID:HUXALvAJ
>>29 その有名なエピソードですが、「綿考輯録」では4パターン紹介しとります。まずはその一つ。
@ある時奥の台所で何かあったのか騒がしい折に下人が一人紛れ込んでいるのを忠興君が見つけ、言い付けを背くからこのようなことになるのだといって
その下人を手打ちにした。その血刀を伽羅奢さまのお召しになっている小袖で拭いたが(伽羅奢様は)少しも騒ぐことなく、その小袖を3日も4日も召したまま
お着替えにならなかった。忠興君は結局困り果てて侘びられようやくお召し替えとなった。この時「汝は蛇也」(一説に「我は鬼也」)と仰せになると
「鬼の女房には蛇かなる」とお答えになられた。(伽羅奢様は)侍女たちが驚き騒いだのを女といえども武家に仕える者はみだりに騒ぐべきではないと
お示しになられたのだ。
42人間七七四年:2007/03/01(木) 20:14:05 ID:HUXALvAJ
A一説に、忠興君がお手打ちにした者の首を、上様(ガラシャ)はいつもいらっしゃる部屋の
棚に置きいつまでもそのままにしておかれた。後に忠興君も困り果てられ、幽斎君が侘びられてようやく
取り除くこととなった。<幽斎巻き添え −その1−>
43人間七七四年:2007/03/01(木) 20:24:35 ID:HUXALvAJ
B又一説に、御前様(ガラシャ)と一緒に居られた時に居間の屋根を繕っていた者がどうしたものか滑って
庭に落ちたのを、忠興君は早速その者の首を刎ね、御前様(ガラシャ)の膝上に投げつけたのを、
(ガラシャは)少しも驚くことがなかった。このお手打ちはご夫婦でいらっしゃるところを
屋根師が落ちてみたのを、他言を避けるためになさったことだという。
44人間七七四年:2007/03/01(木) 20:43:36 ID:HUXALvAJ
C又一説に、(二人で)ご膳を召しあがっていたときに、上様(ガラシャ)のご飯に髪の毛が一筋あったのをそっと椀にいれた。
(これは台所人に咎がおよばないようにしたためだった)忠興君が見つけ、「膳の脇に隠したものは何か」とその椀をとりご覧に
なり髪の毛があったため、「さては台所人をお庇いか!」と妬み、走り出て台所人の首を切り
御前様の膝上に置かれたのを、(ガラシャは)何も言わず終日座っておられた。忠興君は粗忽な振る舞いを
悔やんだが、(ガラシャは)首をお取りのける様子もなく、幽斎さまの仰せでお取り除きとなったという。
<幽斎巻き添え −その2−>

以上どれも忠興ならありえそうな話です。ガラシャの対応もすさまじい。
45人間七七四年:2007/03/01(木) 20:52:47 ID:BFHH4KL6
どんないい女なのか、見てみたい。
46人間七七四年:2007/03/01(木) 22:49:37 ID:FQhm2BnZ
>>40
そんな話聞いたこともない(藤孝限定)
47正親町天皇:2007/03/02(金) 22:55:00 ID:WdSluAHq
幽斎を喪うは朝廷の嘆きである…至急田辺の囲みを解くよう、勅命を下す…
48人間七七四年:2007/03/03(土) 00:53:14 ID:BYbzsYgN
でも忠興の子供は忠興の激情的な性格を受け継いでないような気がするけど
みんなどちらかというと幽斎っぽいと思うけど
49人間七七四年:2007/03/03(土) 18:42:52 ID:DT3qzz0I
忠興の子供や孫がみんなあんな性格だったら
幕府に目を付けられて、とっくの昔に細川家は改易消滅していただろう

最も当代細川家当主は母方の近衛家(というより文麿)の性格そっくりでどうかなと思うがw
50人間七七四年:2007/03/03(土) 18:44:08 ID:EWWkB/Up
世の中には便利な言葉がある。

つ反面教師
51人間七七四年:2007/03/04(日) 09:42:04 ID:O7P84XWH
>>24の生い立ちから考えると彼だけ特異なんでないの?
息子たちともことごとく不和になってるし、更に孫の光尚とも×だし。
勘気を蒙って出奔した家臣も結構いるし、あと生涯手打ちにしたのは36人だとか。
まだ戦国の世だったからいいけど。江戸時代中期以降だったらまじでやばい。
そういう意味でも平和な世には危ない奴だ。
52人間七七四年:2007/03/04(日) 13:36:37 ID:JtpapW/K
次弟(興元)も結構激しい性格している。
残りの弟達は年が離れているせいか、控えめな印象がある。

>息子たちともことごとく不和になってるし、更に孫の光尚とも×だし。
不和なのは忠利まででしょ?その下の息子たちはかなり可愛がっていたみたいだし。

53人間七七四年:2007/03/04(日) 20:38:01 ID:Vytbz0xG
関わり合いたくないタイプ。
54人間七七四年:2007/03/05(月) 00:46:18 ID:MosLSIE3
>>52 幼少から人質に出された興孝とは不和になり修復不可能に・・・
見かねた光尚が間に入ったけど聞き入れずと「綿考輯録」にあります。

かわいがっていた立孝にも江戸で先立たれてしまい八代立藩も没に。
長生きはしたけど晩年は孤独だったんでは?







55人間七七四年:2007/03/05(月) 00:51:19 ID:v7wtAaD/
親父に比べて息子はピリッとしないな。
有能なんだろうけど嫉妬深かったということで、評価が下がる
56人間七七四年:2007/03/05(月) 01:15:36 ID:O+Sx3auq
本当に気持ち悪い。
底暗い性根を隠せば隠すほどオブラートが気色悪い。
大嫌いだって言ってた○○でも殺したら逆にスッキリすると思う。
開眼するんじゃないの?
57人間七七四年:2007/03/05(月) 02:27:11 ID:WEG1T2FN
>>55
井伊直政と細川忠興だけには仕えたくないな。
こいつらはとにかくやばそう。
58人間七七四年:2007/03/05(月) 12:38:12 ID:jbBQbgkN
「忠興」という文字はどこから拾ってきたの?
59人間七七四年:2007/03/05(月) 13:54:13 ID:obM8j+AX
>>58
「忠」の字は、織田信忠からの偏諱。
60人間七七四年:2007/03/05(月) 19:39:09 ID:CBIwIXU9
細川家って今や千家・近衛家、果ては宮家とも縁続きになっちゃって。
幽斎も利休も九州平定前に島津へ連名で書状出した当時は、400年後に
お互い親戚になるなんて思いもしなかっただろうね。
61人間七七四年:2007/03/06(火) 01:24:11 ID:EGf1lYH/
関ヶ原のときの黒田親子のそのとき左手は〜ってやつ
細川親子だったら親父の首が飛んでそう
62人間七七四年:2007/03/06(火) 13:01:27 ID:fTgCgAjW
忠興は、精神に疾患があるぽいけど
現代でいうとなんて病名になるの?

63人間七七四年:2007/03/06(火) 19:16:00 ID:49eifsjQ
@怒りの制御の困難・感情不安定・衝動性からいくと「境界性人格障害」
A幼児期のトラウマ・嫉妬・傲慢・対人関係における相手の不当利用からいくと「自己愛性人格障害」
B異常なまでの執着・独占欲・支配欲でエスカレートする特徴があり、最悪の場合殺人や障害事件に
発展する・・・「ストーカー行為」の定義。ガラシャに対する忠興の態度がまさにそれ。
64人間七七四年:2007/03/06(火) 19:24:59 ID:EFaIT0kO
細川藤孝が将軍義輝に仕えていた時代、京兆家の晴元と戦った事がある
とかないとか。実際はどうなんだろう。義輝と晴元は基本的には協調していた
から、時期的には限定されるけど。
65人間七七四年:2007/03/06(火) 19:56:48 ID:v8BHvZWm
>>57
直政の方は必死なかんじがまだ理解できんこともないが
ヤバ興さまはダメですどう見ても真性です病院行って下さい
しかし友達は多いみたいだな…黒田とは不仲で有名だがこいつは忠興以外にも嫌われまくりだし
66人間七七四年:2007/03/06(火) 20:00:39 ID:JYJqdL9D
忠興は外面がいいんだよね
内弁慶全開w
67人間七七四年:2007/03/06(火) 20:19:26 ID:49eifsjQ
>>64 細川晴元関連で拾っていくと、
1547年 晴元と決別した義晴・義輝親子とともに北白川城に入る。
      晴元勢の攻撃を受け、北白川城が落城。近江国に逃れる。(13歳)
1551年 晴元の軍勢が三好長慶の軍勢と交戦する(17歳)
1556年 坂本で晴元が興行した連歌会に参加する(22歳)
「週刊 日本の100人 細川幽斎」より

68人間七七四年:2007/03/06(火) 21:00:10 ID:7kH23j4j
細川護貞の「細川幽斉」には、天文16年の戦いは晴元が長慶と組んで暴威を振るったため、って書いてあるね。
しかしこの本どこまで信じていいのかな?身内が書いた本だしなぁ。
69人間七七四年:2007/03/06(火) 23:43:02 ID:49eifsjQ
元ネタは「綿考輯録」。これ自体細川家で編纂したものだから・・・。
(細川家に不利なようには書かないわな)
70人間七七四年:2007/03/07(水) 00:36:08 ID:++QEaOsL
領地図や田辺城籠城の比較的大きな図が付いてるにはなかなか便利だが。
71人間七七四年:2007/03/07(水) 00:55:10 ID:UkowXbjM
>>65
黒田長政とは後藤又兵衛の件で揉めたね
まあどっちもどっちだな・・・<長政と忠興
72人間七七四年:2007/03/07(水) 01:04:46 ID:TwirRw0E
鉄砲の名人で知られる稲富祐直も忠興に殺される寸前だったよね。
でもその鉄砲の腕を家康に惜しまれて助命されて、松平家に仕えることができた。
芸は身を助ける、か。
73人間七七四年:2007/03/07(水) 12:20:17 ID:A1MfJpbN
>>71
もともと領地引継ぎの際の年貢の取り扱いでもめて、
黒田は興元の逃亡を助ける、細川は後藤又兵衛の逃亡を助ける&息子の一人を保護
後々まで両家は仲よくなかったみたいですね。
74人間七七四年:2007/03/07(水) 22:33:35 ID:RvnqUoAE
>>72のいきさつを含めて稲富を主人公に描いてる小説が「火の縄」(松本清張 著)で、
ガラシャに対する異常さは勿論、侍女を折檻したり稲富を執拗に奉公構えする忠興の変態っぷりがよく描かれている。
そんな忠興に対して一歩引いてる感じの幽斎、夫より幽斎を慕うガラシャという設定で結構笑える。
75人間七七四年:2007/03/07(水) 22:58:26 ID:RvnqUoAE
>>73 幽斎と如水は一緒に連歌会開いたりして結構仲良くやってたのにね
76人間七七四年:2007/03/07(水) 23:08:33 ID:A1MfJpbN
>>75
関が原までは仲悪くないんですよね。
忠興も、豊後の留守部隊には、豊前の黒田官兵衛と肥後の加藤清正を頼れって指示しているし、
実際に大友義統と戦ったときは、黒田勢が主力として戦っている。
(清正は応援に出兵したけど間に合わなかった)

黒田長政も、短気な性格だったようなエピソードが結構残っているし、
支城の配置は全部細川との国境沿い、喧嘩する気まんまんですね。w
77人間七七四年:2007/03/08(木) 18:01:49 ID:DAJPK/pd
武断派の連中はこれだから困る
78人間七七四年:2007/03/08(木) 23:23:20 ID:dyGSBXXg
藤堂高虎や金地院崇伝とも交友(政治的なつながりで)あったし
長政より更に腹黒で、限りなく黒い関係・・・
79人間七七四年:2007/03/08(木) 23:35:14 ID:dyGSBXXg
忠興は「日本史B用語集」(山川出版社)ではキリシタン大名の項に
黒田如水・黒田長政に続いて(笑)なぜか載っている!
説明文は「信長・秀吉に仕え、関が原の戦い後、豊前小倉39万石を領した。
夫人は明智光秀の娘ガラシャ。」となっている。
妻が有名なキリシタンだから載せたのか?
80人間七七四年:2007/03/08(木) 23:48:04 ID:cc68Lr0z
>>79
豊前時代に、ガラシャ追悼のため、キリスト教関連の行事を行って、宣教師の説教も聴いているからでは?
信仰はしなかったけど、教えの内容は理解しているとか宣教師が評価していたような。

まあ、キリシタン大名には入らないと思うけど。
81人間七七四年:2007/03/09(金) 01:20:39 ID:M3ViE/UH
忠興載せるくらいなら高山右近載せろよ。
82人間七七四年:2007/03/09(金) 01:55:33 ID:4Rj7IgY4
又兵衛の件では幕府の仲裁が入ってようやくおさまったそうだから
かなり凄かったんだろうな<黒田vs細川

あとは加賀前田家とも長男の件で百年ほど絶縁状態だったとか
83人間七七四年:2007/03/09(金) 17:51:48 ID:fQMpO7Fj
>>82
忠隆の件については、幕府(家康)から干渉があったという話も。
細川家に、”前田家との親戚付き合いはやめろ”
前田家に、”忠隆の生活を支援するな”

おかげで忠隆は、金沢に入れず、前田家からは厄介者扱い。
妻とも離縁して後に京都に隠棲、生活費も細川氏が出していたそうです。
84人間七七四年:2007/03/09(金) 19:22:38 ID:BW+KahQd
>>81 高山右近は忠興の次に載ってますのでご安心を。
しかも彼は日本史B教科書の頻度数7なので名前が多色刷りになっている。
ちなみに長政の頻度数4に対して忠興と如水は頻度数3(長政の勝ち!)
85人間七七四年:2007/03/09(金) 20:49:59 ID:HqHAwU00
知れば知るほど




良いキャラしてるなw
86人間七七四年:2007/03/10(土) 23:17:25 ID:d3Cvyzda
淡交(月刊茶道誌)の記事「茶人の筆跡」今月号では忠興が取り上げられてるけど
「茶の湯を利休に学び、「利休七哲」の一人に挙げられています。
和歌や連歌、有職にすぐれ、能楽、絵画に通じた文化人でもありました。」
と紹介しているが、「和歌や〜」以降は幽斎と混同してるよな・・・
87人間七七四年:2007/03/11(日) 22:21:22 ID:1ZUSDoWF
>>86
一応、当時の水準だと一流に入るんじゃ・・・。
藤孝には、「お前は対したこと無い」とかそんな意味のこと言われてた気がするけど。

その藤孝も、芸術家としての評価は低いと聞いたことがある。(作った歌は凡庸とか)
伝統の継承者として評価されるという感じですかね。
88人間七七四年:2007/03/12(月) 20:17:25 ID:aAZuYXHJ
>>87
いつの時代でも父親は息子に「お前は大したこと無い」って言うものだわな。
逆に褒めてたらそれはそれで気持ちが悪い。
89人間七七四年:2007/03/12(月) 20:38:45 ID:/vzO7BPT
歌詠みの才に限って言えば「木下長嘯子の方が上。」と何かの本で読んだことある。
まあ彼の場合、優れているのが和歌だけでなく連歌・鞠・包丁(料理)・太鼓(鼓)だとか。
更に剣術は塚原卜伝に「一の太刀」を許され、あと弓術の印可も持ってたとか。
彼の多芸多才を表している話として九州の小領主が「私などとても多くの者は召抱えられないから
1人で和歌・連歌・乱舞・弓馬の道すべてに通じた人はいないだろうか?」と知り合いに相談したところ
相手は「そういう人を1人だけ知っている。細川幽斎どのだ。抱えたらどうだ?」とからかった
という話が松永貞徳の「戴恩記」にあるらしい。
90人間七七四年:2007/03/12(月) 22:10:02 ID:RWyTiqru
>>89
藤孝は別に新しい歌風も技法を作ったわけじゃなからね。
木下長嘯子は江戸時代前期まで影響を与えた。

純粋な歌人としてみるならば、木下長嘯子の方が上じゃないか?
91人間七七四年:2007/03/14(水) 22:12:50 ID:4jGsecQk
歌道を次世代に伝えた役割の点では、
八条宮智仁親王→後水尾天皇と朝廷に受け継がれた(御所伝授)流れを
つくった功績は高いと思う。
92人間七七四年:2007/03/22(木) 01:07:51 ID:wEYRdW5d
複雑すぎてよくわからん → 幽斎は三淵家から細川家に養子に入ったわけだけど
三淵家の始祖は足利義満の子供で養父の細川元常自身が元々父・晴員の弟だから
(叔父さんのとこに養子に行ったから)つまり細川家そのものの血は引いてなくても
足利家そのものの血は引いているということになる?
93人間七七四年:2007/03/22(木) 11:37:48 ID:Vk9+dICR
いや普通に上守護家の血ひいてるでしょ
落胤説は別にして
94人間七七四年:2007/03/22(木) 13:16:55 ID:65nq4dBO
>>92
和泉半国守護を務める細川家の息子が三淵家へ養子へ
実家の細川家に跡継ぎがいないから、次男を細川家(晴員の兄)の養子にする

細川元常は藤孝の叔父ではなくて、伯父です。
この細川家はそれまで養子を取ってないと思う。まあずっと前の先祖は足利家だけど。

三淵家は系図・出自はあいまいなんじゃないの?
足利尊氏の子孫(義満の子孫でも合ってるけど)って話も聞いたことがあるような。

95人間七七四年:2007/03/26(月) 00:17:25 ID:C9q7llvc
忠興と仲よかったのは、蒲生氏郷・高山右近・前田利長・・
あと森可成も?
96人間七七四年:2007/03/26(月) 11:51:30 ID:xSbgs4TP
>>95
>あと森可成も?
年齢的に合わないような。息子の長可か忠政?
長可も、領地美濃で信忠付きですよね?

接点あったかな?なにかエピソードありましたっけ?
97人間七七四年:2007/03/26(月) 19:25:43 ID:j4GwxNjP
失礼、息子の森忠政でした。接点としては・・・
@秀吉死後、文治派が家康を討とうとした時忠興と共に家康の屋敷に駆けつけて
「両家の真心は徳川家が続く限り忘れない」と家康に感謝された。
A忠政が津山城を普請する時、家臣に命じて密かに小倉城の城郭図を写し取らせようとしたが
見つかってしまい捕らえられたが事情を話すと、以外にも忠興は城郭図を貸し与えた。
更に津山城落成の折にお祝いとして南蛮の釣鐘を贈っている。
−なんかの本で忠興の度量の大きさを伺わせる話(!)として紹介されてた。
98人間七七四年:2007/03/26(月) 19:50:15 ID:fKsN0AKB
同じ信忠から偏諱を受けた同士、仲が良かったんだろうね。
99人間七七四年:2007/03/26(月) 20:01:32 ID:mX/xB+Ak
まぁ、松井佐渡守ですよ・・・実際はですね。
100人間七七四年:2007/03/26(月) 20:03:29 ID:ZqRkc3+7
>>97それの二番ってどうみても忠政の器の大きさを表すやつだよな。
101人間七七四年:2007/03/26(月) 20:05:00 ID:QamoBqpT
100
102人間七七四年:2007/03/27(火) 01:19:02 ID:4fYwgZvy
忠政は13歳の時信長の小姓として出仕したはいいけど、先輩小姓にからかわれたのに
腹を立ててその小姓の頭を叩いたのを信長に見られてしまい「忠政は幼いから小姓は無理だ」
と言われ家に帰されてしまったが結果としてはその後本能寺の変が起きたから命拾いしたことになるけど。
・・・こんなエピソードあるくらいだから暴慢な忠興とは気があったんだろうか?

103人間七七四年:2007/03/27(火) 23:41:01 ID:o/VcNPnz
>>102
いやなコンビ(忠興&忠政)だなあ。共通の友人は心が落ち着かないでしょうね。w

Wikipedia見てきたけど、森忠政って石高はあまり大きくないけど、官位は高いんですね。
104人間七七四年:2007/03/28(水) 13:51:38 ID:S38JVPhV
きっと二人でつるんで「地元じゃ負け知らず」とか恥ずかしいセリフを吐きまくってるんだろう。
105人間七七四年:2007/03/29(木) 00:22:54 ID:p56CRnhj
親父同士が仲良かったからか、息子世代になると森長継は大名の行動指針を細川忠利に学ぼうとして
彼宛てにさかんに書状を出して助言を求めてますね。
ま、(忠興と違って)忠利はまともだし、実際丁寧アドバイスしてあげてたらしい。
106人間七七四年:2007/03/29(木) 13:40:44 ID:722Ebcoy
大阪城の石垣に九州産、小倉藩主・細川忠興が運ぶ
http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20070323p301.htm
107人間七七四年:2007/04/01(日) 22:50:20 ID:4Tn8Ld+B
幽斎の息子や娘たち(8人)って、全員麝香の方との子供?
108人間七七四年:2007/04/02(月) 00:05:20 ID:GZLAIt5k
>107
幽斎の弟に嫁いだ娘だけは養女説があるが、基本的には全員麝香の子と言われている。
側室の存在も知る限り確認できないし。
ただ、そうなると麝香は四十過ぎでも子供を生んでいることになるんだよなぁ。幽斎夫婦がんばった?
109人間七七四年:2007/04/03(火) 22:19:54 ID:JYcGg7+U
じゃあ如水と一緒で側室いなかった珍しいタイプか。
(如水は子ども少ないけど)
110人間七七四年:2007/04/03(火) 22:28:04 ID:lb8PJhwn
>>63

遅レスだが、
俺も忠興はボダじゃないかと思ったことあるw
111人間七七四年:2007/04/04(水) 00:18:24 ID:ZjRXSaDp
>>108
ガラシャが興秋だか娘を入信させたときに、忠興の母親がめちゃくちゃ怒ったという話と、
豊前時代に、忠興の母親がキリスト教に入信して深く理解を示したという話があって
前者の話との整合性から、後者の女性は(記録したイエズス会側の誤解とか宣伝で)麝香じゃないのではって推測されたことがあったと思います。

後、興元が出奔した表向きの理由が、自分や松井康之と同じような石高で、実績もない弟達が処遇されるのが納得できないって理由なんで
実は弟二人は別腹ってことはないですかね?
3男幸隆だけ関が原でも留守番部隊だし。
興元も兄と似て結構尊大な性格っぽいので、本当に功績を認めていないだけかもしれないけど。
112人間七七四年:2007/04/06(金) 14:53:55 ID:MBvrtoPc
廃嫡にされた後、次男も徳川から好かれてた三男を嫡子にする為に廃嫡されて出奔、
最終的には大坂の陣で大坂方について忠興に切腹させられたし、
忠興の家族観は非常に現実的というか、政治>>家族の匂いのキツさがある
113人間七七四年:2007/04/07(土) 03:12:32 ID:P0b/rAAi
>>111 慶長6年興元が出奔した時、忠興が「成敗も有り」と考えていたところを
麝香の方が忠興に内緒で、家康に執り成しを依頼していたそうだ。(松井家文書より)
114人間七七四年:2007/04/07(土) 22:45:28 ID:nUIYKzDh
幸隆が幽斎のトコにいたのは(細川家の血脈保つため)万が一の保険として
だったんでないの? 
幽斎らしい深謀遠慮ってやつで、古今伝授をタテに篭城を切り抜ける勝算は
あったんでしょうから・・・。
115人間七七四年:2007/04/10(火) 23:22:09 ID:UswUh5II
幽斎と父母って4歳のときに別れてるんでしょ?
だったら愛情少ないのかな?
116人間七七四年:2007/04/12(木) 09:50:51 ID:9rD1AuH5
「へうげもの」の藤孝と忠興のやりとりが面白かった。
本能寺でパニくってる忠興と対照的な藤孝。
しかもこのオヤジの息子の扱い方がとても心得ているようで良かった。
オヤジに向かって殴りかかる忠興を軽く足払いで…

こりゃ、家臣は大変だったろうな(笑)
117人間七七四年:2007/04/15(日) 11:41:34 ID:nHIOjhkB
大徳寺・高桐院については「忠興が1601年に父・幽斎の菩提を弔うため創建」って
よく紹介されてるけど幽斎が亡くなったのは1610年だし、幽斎は遺言により
南禅寺・天授庵に葬られてるし、これってあきらかに誤りですよね?

118人間七七四年:2007/04/26(木) 20:52:03 ID:E6u+UBy4
菩提を弔うためのお寺=実際にお骨等が埋葬されているとは限らない
と解釈していた。
単に供養をするためだけのお寺かと。

幽斎が亡くなる前に菩提寺を建てるってのもなんか変だなあとは思うけど。
忠興が張りきって建てたものの、幽斎は嫌がったとかw
119人間七七四年:2007/04/30(月) 21:06:17 ID:5CQr/adp
ガラシャのために建てたのであれば年代的に合うけどそれだったら秀林院と
名づけるはずだし、むしろ叔父の玉甫を住持として迎えるための塔頭として
建てたのに、いつの間にやら「幽斎の菩提を弔うため」と混同されたのでは?
120人間七七四年:2007/04/30(月) 22:23:39 ID:FKBPXboy
長岡姓 長岡京 
121人間七七四年:2007/05/02(水) 15:12:56 ID:J4QfSY6/
遅ばせながら『細川幽斎』細川護貞著 図書館で借りて読んだ
系図の出方とかが唐突で、すっげー読みづらかったよ・・・

あの本読んでも幽斎の人柄とかは今ひとつぴんとこなかったな・・・
122人間七七四年:2007/05/02(水) 21:57:56 ID:H3Mlk1PK
あれはただ綿考輯録を現代訳にしてずらずら書いたものでしょ。
(文庫本で読んだけどやたらと字が細かくて読みにくかったので
所々しか見てないな)
123人間七七四年:2007/05/07(月) 19:59:00 ID:STqSwvhS
高山右近や千利休を最後まで見捨てなかった忠興
124人間七七四年:2007/05/17(木) 11:22:09 ID:b4M6ET46
資料を読んでもいまいち判然としないのですが、
忠興に従って関ヶ原本戦へ参加した家臣ってどんな面子だったのでしょうか。
沼田延元と米田是季(親父は岐阜城で討ち死にしたけど)は確定ですよね?

松井・有吉はもちろん、主だった家臣はみんな田辺城詰めでしたし。
沢村大学あたりは本戦に参加したんじゃないかと想像しているのですが…
125人間七七四年:2007/05/18(金) 21:47:34 ID:GZWT4SQd
>124
松井・有吉は豊後木付城だよ。沢村大学は関ヶ原で合ってる。
126人間七七四年:2007/05/18(金) 22:26:25 ID:W4w0W2gt
>>124
新人物往来社の戦国細川一族(戸田敏夫著)に結構細かく載ってましたよ。

関が原時の細川家の戦い(岐阜・関が原、田辺、九州)での具体的な内容。
例えば、田辺だと、参加した侍の名前や元の身分(元はどこの城にいたとか、浪人とか)誰がどの守備位置を担当したか、
実際の戦闘では、誰と誰がどの辺で戦ったとかそういう感じで載ってます。
図が載っているわけじゃないけど、参加した人名ならかなりわかると思います。

古い本なんで書店には無いと思いますが、図書館などで探してみては?


127人間七七四年:2007/05/19(土) 08:07:24 ID:cCR/LBB0
田辺篭城の面々については「肥後細川藩拾遺」http://www.shinshindoh.com/の
記事<田辺城篭城衆>に詳しく載ってます。それから岐阜・関が原等で活躍した
家臣については<新・肥後細川藩侍帳>の備考欄に特記されてます。
128124:2007/05/20(日) 08:07:56 ID:ILIjETll
丁寧にご教授いただきましてありがとうございます。
実は細川家を題材にした作品を企画していまして。
思いきって質問してみて良かったです。教えていただいた資料など参考にさせていただきます。
129人間七七四年:2007/05/20(日) 20:48:02 ID:7nqzpc0M
しかし、豊後木付は丹後田辺からあまりに遠い。
飛び地を貰った経緯について、詳しい人いますか?
130人間七七四年:2007/05/21(月) 22:49:16 ID:jpwRcquz
当時、木付は元々大友氏の領土であったが、朝鮮出兵時の不始末によって
大友義統が配流されて空き地になっていたため。
文禄4年に検地功労の褒美として幽斎に大隅国・肝属郡内で3000石
加増されてるのも関係してるかも・・・
131人間七七四年:2007/05/22(火) 14:25:55 ID:HlBg2oxh
何度も改易になってもおかしくない事をしでかしたのに、熊本まで登り
つめたのはガラシァの夫だったからと思う
春日局、天海の線からの口添えがあったのか、それには天海が明智という
妄想が必要だが
132人間七七四年:2007/05/22(火) 21:28:51 ID:QDlC7bn7
忠興は、異常といえるほど幕府の動向に注意して忠利に細々と手紙で指示しているし、
忠利も幕府中枢部に親しい人物を作って、公式ルート以外からも情報収集をしたりしている。
関が原以降、江戸にしばらくいたのも、人脈作りにプラスじゃないか?

そういう細かい努力の積み重ねが、家を存続できた理由だと思うけど?

別に天海=光秀説なんて出さなくても。


133人間七七四年:2007/05/22(火) 23:06:22 ID:ouF013XV
そもそも忠興は光秀のことを見捨てた経歴があるしなぁ・・・
134人間七七四年:2007/05/22(火) 23:10:07 ID:4t/I+NRq
細川護貞氏によると、春日局の兄2人はガラシャに匿まれ後に忠興が秀吉に活して助命されたといういきさつがあったことと
血縁的にも春日局の父・齊藤利三は光秀の妹が母にあたることから(光秀の孫である)忠利に対して好意的だった。
実際細川家には、忠利宛の春日局からの書簡が5通ほど残っており、それによればいろいろと便宜図ってくれてたらしい。
そういった天運も確実に利用しながらそれに甘えず(132さんのご指摘のとおり)常に細心の注意を払いつつ努力も怠らなかったことが
大きかったのでは?
135人間七七四年:2007/05/30(水) 21:43:06 ID:eGbOrPpr
「細川護煕 数寄の世界」展の紹介文に「2代目忠興は華々しい武勲を挙げた豪壮な武将
であった一方で、千利休の最も重要な門人「利休七哲」のひとりでもあり、逆臣の娘とい
う汚名をきせられた夫人の明智玉を終生かばい通した繊細な人柄でも知られています。」
とあった。(笑)
うーん、美化して書くとこうなるんですな。(主催者側としてはご先祖を悪くは書けないしね)
136人間七七四年:2007/06/01(金) 18:29:47 ID:md5tO0b0
>>135
嘘も方便とはよく言ったものだ。
137人間七七四年:2007/06/07(木) 23:51:11 ID:Tzre4KzJ
本能寺後に、丹波の明智方の小城を二つばかり攻めてるね。
138人間七七四年:2007/06/10(日) 18:21:58 ID:HuyVyLPe
>>137「松井家譜」によると信長の仇を討つべく積極的に働いていたらしい。
別の資料だと山崎の合戦に秀吉方として出陣し天王山において軍功をあげたとある。

139人間七七四年:2007/06/11(月) 02:36:54 ID:7wW5glt+
むかつくぐらいに世渡り上手

明智の頼みも坊主にして断りやがるし
140人間七七四年:2007/06/11(月) 11:35:36 ID:F4F1uFD6
むかつくぐらい世渡り上手なくせに
ガラシャへは、ずっと不器用だったと思う
141人間七七四年:2007/06/11(月) 20:30:38 ID:H+cFeY4v
「2代目忠興は数々の殺人を行った残忍な武将であった一方で、
千利休の最も重要な門人「利休七哲」のひとりでもあり、
逆臣の娘という汚名をきせられた夫人の明智玉を終生軟禁した病的な人柄でも知られています。」
142人間七七四年:2007/06/11(月) 20:44:23 ID:5C71WZi+
>>140 でも結局は見殺しにしてるよね。(他家はなんとしても妻子を落ち延び
させるよう留守居に言い置いてるのにね。)
しかも妻自刃の事実を上手く利用してのし上がったって感じだし長生きしたのもムカつく。
ところでガラシャの血筋が短命なのは信長or忠興の呪いか?
(娘2人は20代で死亡、興秋は33で切腹させられ、忠利は島原の乱で
命縮めて忠興より先に逝くし、息子の光尚も31で死んじゃうし、後に
忠利(ガラシャ)の血統は絶えて現在まで続いてる本家は側室の系統だしね。
(かろうじて長男の血筋は残ってますが・・・)

143人間七七四年:2007/06/12(火) 01:57:20 ID:2KrO610e
>>138
>別の資料だと山崎の合戦に秀吉方として出陣し天王山において軍功をあげたとある。

後世の創作っぽいな。
秀吉から働きを褒められ丹後を正式に安堵されたのは、かなり後になってからの筈だし。
144人間七七四年:2007/06/12(火) 23:31:39 ID:+4bMfCJP
永青文庫にある「羽柴秀吉起請文」&「羽柴秀吉安堵状」は天正10年7月11日付けとなってます。
あと「大名細川家−文と武の軌跡」展では「細川藤孝・忠興は、光秀とは長年の
入魂、義父子の関係にありながらも誘道に応じずむしろ主君織田信長の弔い
合戦として丹波に攻め入る一方で、備中高松在陣中の秀吉に、信長生害の経緯
を知らせた。秀吉は細川父子の「比類なき覚悟」を謝し、細川家の安泰と、
更なる入魂を約したのである」と解説されてました。
145人間七七四年:2007/06/13(水) 01:08:52 ID:1dv3WSEx
>>142
忠興はガラシャを他人に見せない、触らせないというほど愛していた?わけで。だから屋敷から逃げる無様な姿を他人に見せるくらいなら殺したほうがマシというわけ。決して忠興はガラシャを見捨てたわけではない。長文失礼しました
146人間七七四年:2007/06/13(水) 01:12:39 ID:1dv3WSEx
×見捨てた→○見殺し
147人間七七四年:2007/06/13(水) 01:29:14 ID:tVi8zO5Q
>>145
うむ
漏れも、忠興の玉への愛し方がわかるような気がするんだよなあ
148人間七七四年:2007/06/13(水) 09:59:16 ID:6HSed2Nw
玉の精神状態がアレで、他人に見せられなかったという説もあるね。
玉自身が、謀反人の娘ということで人前に出るのをいやがったという説もある。

関が原の話でいえば、一応家臣は丹後に落ちるよう薦めて、玉自身が断っているから
忠興が強制的に閉じ込めていたというのはおかしい。

本当に逃げていたら、命令違反ってことで小笠原少斎とかぬッ殺されていたろうなー、忠興の性格からいって。

149人間七七四年:2007/06/13(水) 11:32:38 ID:tVi8zO5Q
謀反者の娘は親元に帰すか、殺すのが常識なのを
(世間的には離縁しようにみせて)山里に隔離した。
秀吉の許しがあったにせよ、正室として再度迎えた訳だし
その後、忠興は玉に何人も子供を産ませてる。
家督を継がせようとしたのも当初は成人した長男だったし
後には、幽閉後に二人の間に生まれた三男の忠利が継いだ。

玉の死後には多くの側室に子供を産ませはしたが、正室は最期まで迎えなかったし
忠興自身、自分の生涯の中での「妻」という存在は、玉ただひとりだったような気がする。
玉ひとりだったのだと思う。
150人間七七四年:2007/06/17(日) 23:53:32 ID:un7rMeJv
松井興長に嫁いだ忠興の娘って、実は京極竜子の娘(殺された夫との)だと
いうのを何かの本で読んだことあるんですけど。この説の信憑性は?
151人間七七四年:2007/06/18(月) 00:23:19 ID:bUsMos+D
木下長繍子だって、実は京極竜子と若狭武田氏の夫との間に生まれた遺児という説がある
(曖昧な記憶だが、木下氏の系図に書いてあるという
 中公新書の『北政所』みたら出典の詳しい説明があったはず)

一方、
京極氏−嫁→若狭武田氏−人質に取られる→朝倉氏−世話→足利氏−部下→細川氏
という関係があるので、全く縁がないわけではないが、
京極竜子の娘が細川まで流れ着く可能性は限りなく低いように思われるが。
なんかその当時の史料の裏付けでもあるんだろうか。
152人間七七四年:2007/06/18(月) 01:02:15 ID:Gj3GumPX
幽斎の姉(宮川尼)が若狭武田氏に嫁いでいたということと、その人は後に
忠興に引き取られ、お玉自刃当時大阪・玉造の屋敷にいたつうことで
一応接点があるにはあるけど。
ちなみにお玉に和歌を教えたのはこの人だそうです。
153人間七七四年:2007/06/18(月) 12:33:09 ID:bUsMos+D
>>152
それは知らなかった t
154人間七七四年:2007/06/21(木) 01:58:19 ID:zkKbJnag
宮川尼と武田信高の息子が建仁寺の英甫永雄で(狂歌で有名)、ガラシャは
最初この人に34〜35回参禅してたそうで忠興は「大徳寺のよりは気楽なものだ」
と言ってたらしい。忠興は、いとこにあたるこの英甫とは気が合ってたらしく
狂歌の遣り取りを頻繁にしてる。(幽斎に対抗して狂歌で頑張った?)
155人間七七四年:2007/06/24(日) 21:50:16 ID:hZFSie3R
>150 海音寺潮五郎の話によると忠興の嫉妬深い性格を一番受け継いだのは
松井興長に嫁いだこの娘だそうで、なんでも宿下がりしてた侍女が戻って来た時
興長と密会してたことを暴き出しその侍女を焼けた火鉢で刺し殺してしまった
とか・・・。
156人間七七四年:2007/06/24(日) 22:36:27 ID:DxaaEBS8
火鉢で刺し殺して?
157人間七七四年:2007/06/24(日) 23:15:37 ID:hZFSie3R
失礼。「火箸」の間違いですね。
火鉢に刺さってた焼けた「火箸」で何度も刺して(残酷)
ついには殺してしまったそうです。
158人間七七四年:2007/06/27(水) 19:55:41 ID:LOhX07eH
玉とちょっと口を聞いた庭師をその場で、しかも玉の目の前で首をはねたからな。火箸で刺し殺したぐらいじゃさほど驚かないぜ!
159人間七七四年:2007/06/27(水) 22:10:59 ID:UeZeLmAQ
>>158 なにしろ生涯手討ち36人ですから。(妹の夫も切り殺してますし・・・)
160人間七七四年:2007/06/28(木) 07:56:30 ID:Rhm5w9XB
下剋上の世の中の世渡り上手。お家第一主義こそ武家ですもの。おとり潰しになれば…はいそれまで
161人間七七四年:2007/06/28(木) 11:41:35 ID:rBjhed5Z
>>159
>なにしろ生涯手討ち36人ですから。(妹の夫も切り殺してますし・・・)
そして、実家に帰った妹に切り掛かられると。どんだけDQNな血筋やねん。w

一色氏粛清は、本能寺後(明智に付こうとしたという名目)なんですよね。
細川氏が実は、明智と羽柴を両天秤掛けていたってことなのかなあ。
162人間七七四年:2007/07/01(日) 16:44:14 ID:PTMaOUbk
あの、すみません、穴生理衛門について詳しい方いらっしゃいませんか?
築城の名手という事で興味を引かれたんですが、戦いにも参加していたんでしょうか?
163人間七七四年:2007/07/01(日) 19:13:38 ID:FIErDOJT
穴生衆だと職人なので戦いには関わってないのでは?
164人間七七四年:2007/07/02(月) 00:56:36 ID:JXRKp4tR
幽斎の娘は、いつ頃木下延俊に嫁いだか知ってる方いますか?
関が原前?だとしたら高台院の側に立つため?
165人間七七四年:2007/07/06(金) 18:07:42 ID:iIz2HyAP
忠興は立物(兜についてるあれ)を作るので才を発揮したとかしないとか
166人間七七四年:2007/07/06(金) 22:20:08 ID:HjID2ML+
>>164
Wikipediaの木下延俊の項には、関が原で、義兄の忠興との関係から東軍に付いたってありますから、
関が原前なのでは?
167人間七七四年:2007/07/07(土) 21:56:57 ID:SuOMXmHT
>>159 忠興は、手にかけた人数にちなんでこの愛刀を「歌仙・兼定」
(36歌仙にひっかけて)と号したそうだ。(やっぱDQNじゃ)
168人間七七四年:2007/07/08(日) 00:08:15 ID:YglDv5Bw
>>167
もいっぺん親父に壁にぶつけてもらうべきだな
169人間七七四年:2007/07/08(日) 20:24:46 ID:alYCUcL9
忠興のDQNぶりはまだまだあるよ。
「希首坐拵え」は大徳寺の希首坐の僧の無礼を咎めて殺害したのが由来。
 (この僧は謀殺した一色義有の遺児だったとも言われてる)
「晴思剣」は忠興が茶坊主への積年の恨みを果して気分がすっきりしたことに由来。
170人間七七四年:2007/07/10(火) 15:50:15 ID:X8HrJjOa
ある意味福島正則より質悪い。
171人間七七四年:2007/07/11(水) 00:30:26 ID:lPC+tmtB
オルガンチーノの書簡によると、忠興は5人の妾を抱えガラシャを虐待してた
という話だが、ホントかね?(だとしたらその側女どもが産んだ子がわんさか
いそうだが・・・)
172宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c :2007/07/11(水) 13:19:29 ID:YFwHXhzE
細川幽斎は、将軍足利義晴の御落胤説があるよな。
173人間七七四年:2007/07/14(土) 01:01:14 ID:D+urTMfX
>>169 「ドンナ・ガラシャは日本人の中で最も凶暴なある大名に嫁してました」
ルイス・フロイスの手紙より
174宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c :2007/07/14(土) 05:02:17 ID:H+9RmEMp
>>173
当時から評判だったんだろうな。
175人間七七四年:2007/07/14(土) 09:33:59 ID:6Me4xqel
>>173
ルイスなのに紛れもない事実を書いてる…
176人間七七四年:2007/07/15(日) 01:51:30 ID:mI+/IfJh
事実って見たんかい!
177人間七七四年:2007/07/15(日) 03:17:11 ID:BkF0WjlX
細川忠興はホモとキリスト教が大嫌いだったらしいからな。
しかし、残されてる逸話といい、キチガイじみた人物だったのは
確か。なんせ「天下一気の短い人」と評されたくらいだからな。

で、そのくせ晩年「波にもまれて石が丸くなる、人間も同じ」
というような歌を詠んでいるがwww

>>171
オルガンチノが主催したガラシャの教会葬に参列してひとしきり泣き、
その後は多少キリスト教に対して寛容になったらしい。
178人間七七四年:2007/07/15(日) 20:19:46 ID:SB2baB7A
歌だっけ?秀忠にどういう人間が良いのかって聞かれたとき
返答じゃ無いっけ?

にしてもよくこんな短気なオッサンから逃げようと思わなかったな
ガラシャも。幽閉されたときこっそり逃げちゃえば良かったのに。
179人間七七四年:2007/07/15(日) 21:34:13 ID:nQYeEaG0
逃げたところで実家に帰ることもできないが。
180人間七七四年:2007/07/15(日) 22:22:53 ID:g2JefKnK
幽閉されたときに武家の女らしく自害!・・・という手もあったわけだが。
それをしなかったということは、あのころのガラシャはあんな変態な香具師が良かったんだろうか。
うーーーーーーーーーーむ。謎だ。
181人間七七四年:2007/07/15(日) 23:09:23 ID:fa9axV8U
>>180 忠興のためというより、子どものためなのでは?本能寺の変の時点で身籠ってたまま
幽閉され三戸野で興秋を出産したし、乳飲み子見捨てて自害は忍びなかったんじゃないの?
更に、幽閉後生んだ光(忠利)がえらい病弱で付っきりで看病してたらしいからなおさら
見捨てられずそのままずるずるいっちゃったのでは?
(珠が入信したのは光の病弱も原因の一つだったらしい)

182人間七七四年:2007/07/16(月) 04:50:53 ID:m5Gy9ckG
>>178
どっちにせよ、この男にそんな事言われても全く説得力はないがw

ただ、このサイトを見ると、案外忠興も寛容だったところもあるらしい。
ttp://www.tamahime.jp/text/faq/
183人間七七四年:2007/07/16(月) 12:58:19 ID:RU1FwzXg
寛容かなー?

江戸城で、登城する大名のおつきの武士が控えている部屋があって、やることもないので、つい居眠りしている者が結構いた。
ところが、細川家の家臣のみ背筋を伸ばして、ちゃんと正座している。
感心したある大名が、「どうやって指導してるんですか?」と聞いたら、「2度までは失敗しても許すけど、3度やったら成敗します」だと。

逆に好きなエピソードは、
中津に隠居した忠興が忠利に「家臣がちっとも挨拶にこない、お前が挨拶に行くのを禁止してるんだろ」と文句をつけたら
忠利が、「いや、ちゃんと挨拶に行ってかまわないと言ってます。来訪者のリスト貰えれば、行ってない人間を指導します」と返事した。
家臣たちは「こりゃ、大変」と大挙して中津に挨拶に行ったので、逆にあまりにも来訪者が多くなって
忠興が「やっぱ、挨拶はほどほどでいいよ」って前言撤回したやつ。
184人間七七四年:2007/07/16(月) 13:54:25 ID:m5Gy9ckG
>>183
加藤清正のとこも3度目でアウトだった気が。
それでも生涯手打ち36人の名は伊達じゃないな
185人間七七四年:2007/07/16(月) 18:11:12 ID:INuXbkVa
小倉では細川忠興って人気あるな
小笠原の浸透はイマイチだな。礼儀作法位か。
186人間七七四年:2007/07/16(月) 20:47:44 ID:AS0kMlxf
小倉の八坂神社建てたのも忠興だしね。巌流島も細川家絡みなわけで。
そういえば小倉城の展示解説に>>97のAにある話が紹介されてて
この話から忠興は度量の広い人物であったとコメントを載せてあった!!
(これじゃあ何も知らん人たちに誤った印象を与えてしまうじゃないか)
187人間七七四年:2007/07/16(月) 21:01:58 ID:m5Gy9ckG
>>186
それはないwwこれほど狭量な男も珍しいぞ

188人間七七四年:2007/07/16(月) 23:28:14 ID:AS0kMlxf
>>182にある寛容って、イエズス会年報に載ってた「そちがキリスト教を奉じたければかまわない」
と言ってガラシャが思いのままにいつまでもお祈りができるように、そのための礼拝所や祭壇を、
忠興自らそれらの建築に指図したって話のこと?
このエピも、それ以前の鼻削ぎ等々のエピからすればものすごい豹変ぶりだね。
189人間七七四年:2007/07/17(火) 00:32:53 ID:9cpJl9/o
当初は件の鼻削ぎや、改宗するよう脅迫したなど言われているが、
後には礼拝所やら祭壇やらに配慮を示すようになってる。
ガラシャの死後のコメントといい・・・・越中守に何が起きたんだろうか?
190人間七七四年:2007/07/17(火) 01:08:25 ID:k+KahlRM
本気で惚れてたとしたら、単純に途中までは脅して何とかなると
思ってたが、玉が本気だとわかって止めたんじゃないか?

これ以上やったらマジで捨てて出て行かれる、と。
191人間七七四年:2007/07/17(火) 02:55:53 ID:sLZBSMg4
>>180-181
キリシタンで自害は御法度。
192人間七七四年:2007/07/17(火) 03:02:56 ID:9cpJl9/o
>>190
鼻削ぎやってたころくらいに、玉が「別れたい」と宣教師に
相談したことがあったらしいから、それを聞いて慌てたのかも
しれんなw

あと、なぜか三斎が衆道が大嫌いだったらしいが、何故だろうな?
193人間七七四年:2007/07/17(火) 04:09:26 ID:X7iMX1hc
>>191
当時のガラシャはまだキリスト教徒ではないよん
194人間七七四年:2007/07/17(火) 11:48:34 ID:ZirGNA2W
>>190
精神的に不安定だったガラシャが、とりあえずキリスト教に入信したことで落ち着いたとか
周囲の人物も入信して、強硬策取りづらくなったということもあるかも知れない。

豊前時代の初め、領内で比較的キリスト教に寛容だったのは、
九州の領民への普及率が丹後時代と比べて高かったからじゃないかなと思ってるんですが。

195人間七七四年:2007/07/17(火) 22:34:07 ID:BFvN/wHL
>>192 信長に近侍してる頃、なんかあったんでないの?
196人間七七四年:2007/07/19(木) 00:14:39 ID:b2TJORpm
忠興は隠居してから「三斎」と号したが、これをもじって別名「三災」とも
言われてたらしい。(本能寺の変で光秀に付くか否かの二者択一を迫られたこと、
秀次事件で連座させられそうになったこと、関が原の折ガラシャが自刃させられたこと
以上3つの災難で三災というわけ)
197宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c :2007/07/19(木) 00:30:25 ID:Lg7Zmxbe
備中兵乱の際、毛利宇喜多に攻められた三村元親は、
細川幽斎と仲が良かったらしい。
元親が松山城に籠城してる時、幽斎は元親に歌書「八雲集」を届けている。
また、元親が自害する際にも幽斎へ一句残している。
この2人の繋がりが個人的に気になってる。
流れぶったぎってすまん。
198人間七七四年:2007/07/21(土) 16:27:21 ID:Y3047f2e
三淵光行さんって藤孝に養育されたようなのですが、結局細川家臣にはならなかったんでしょうか?
この人の資料ってあんまり無くて・・
199人間七七四年:2007/07/23(月) 00:16:37 ID:E747rRLj
田辺篭城の際によく幽斎を助けたことを、あとで知った家康に高く評価され旗本
として召しだされた(1609年近江に千石与えられた)
200198:2007/07/24(火) 16:18:18 ID:AHbjiVdQ
解説ありがとうございます。
一応は家臣入りしたんですね。しかもその後、ヘッドハンティングとは驚きました。

細川家臣団は皆さん逸話が多くて凄いと思います。
特に飯河親子の最期は・・(;_;)
201人間七七四年:2007/07/24(火) 21:51:30 ID:MOzl+qhi
長岡監物(米田是季)が出奔したのは飯河親子誅伐の一件も原因なのかな?
202人間七七四年:2007/07/25(水) 06:17:02 ID:cnWg+LJr
>>199
私の読んだ資料には三淵光行は関ヶ原合戦に参加したと書いてありました。
実際はどうだったんでしょ。

>>201
飯河親子粛清で細川家に不審を抱いて出奔したみたいですね。
この頃は加賀山隼人の切腹とか内部的な事件も多かったので
嫌気がさすのも仕方ないのかなぁ。
203人間七七四年:2007/07/25(水) 23:50:16 ID:27+3l7IS
戦国時代板のwikiです。
ご自由に利用してください。
http://www37.atwiki.jp/sengokuita/
204人間七七四年:2007/07/27(金) 18:37:37 ID:6VlOX55t
今日の読売の夕刊に連載の「美女いくさ」(秀忠の正室となる小督が主人公)に
忠興が母親(麝香の方)と一緒に登場。まだどんな人物設定かは謎。
205人間七七四年:2007/07/27(金) 19:42:58 ID:7S38pBFb
細川忠興が越中褌を考案したという説はどのていど信憑性があるのでしょうか?
206人間七七四年:2007/07/27(金) 21:58:24 ID:b1D74hn7
忠興とガラシャの長女が、後年
秀忠の家老の息子と結婚するんじゃなかったっけ・・・?
うろ覚えでスマソ
207人間七七四年:2007/07/27(金) 23:55:22 ID:jJY9MlcA
208人間七七四年:2007/07/28(土) 21:56:41 ID:X/ibWLDN
・長女が嫁いでたのは前野景定。秀次事件の際秀吉に人質に差し出すよう言われたが
剃髪させて細川家で引き取ったので秀吉の餌食にはならなかった。
・秀忠関連で縁づいてるのは2人の三男・忠利。正室は家康のひ孫にあたり秀忠・小督夫妻の
養女として忠利に嫁ぐ。
209人間七七四年:2007/07/28(土) 22:02:21 ID:mZsHwbQT
モーニングで幽斎が息子に一撃食らわせてたぞ。
210名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 03:47:38 ID:axSHbCEA
>>204 今日の夕刊では秀次に皮肉っぽく「ガラシャに会わせてもらえない」と
言われとる。
211人間七七四年:2007/07/31(火) 17:48:40 ID:srSCuB2v
>>205 忠興って結構器用で、関が原の時生煮えになった米を上手く炊き直したり、
石切り場で石工に石の切り方まで指導したり、甲冑(越中流)や刀(肥後拵え)とか
工夫したりとそういうの得意だったみたいだから、可能性はかなり高いかもね。
212人間七七四年:2007/07/31(火) 19:08:07 ID:OUxvu0FM
忠興=士郎 幽斎=雄山 玉=栗田
213人間七七四年:2007/08/01(水) 01:22:24 ID:rUw1k+Pv
米田是政の奥さんは確か明智光秀の姪?(とにかく明智の血筋だったはず)
本能寺の変の時はどうしたんだろ?
214人間七七四年:2007/08/07(火) 20:58:49 ID:3EZ3hvlr
>>192 衆道嫌いのエピみつけました。
家臣2人が厳禁していた男色をひそかに行っていた。忠興が2人を呼びつけて厳しく咎めたが、全く反省する色がなかった。それどころか
「われら両人、一命をかけて兄弟の契りを結びましたうえは、いかなる仕置きをも甘んじてお受けいたします」と決死の覚悟を見せた。すると忠興は
意外にも「よろしい、お前たちは特別に許してやろう。そのかわり、今後より一層忠節を尽くせ」と言った。てっきり成敗されるものと思っていた
2人は意外な結果に茫然自失した。まもなく両人の男色はやみ、それを最後に家中の弊風はすっかり改まったという。
215人間七七四年:2007/08/07(火) 21:22:57 ID:xvU57W5E
所詮その程度の愛かよ
216人間七七四年:2007/08/07(火) 21:35:11 ID:Pv56z3kR
単なる嗜みだからな。
本気になってる奴は少数。
217人間七七四年:2007/08/10(金) 12:37:06 ID:RI21yP8A
あのご相談なんですが、今度細川家をテーマにした小説(同人誌ですけど)を
書くつもりでして、主に登場する家臣団は以下の面々を選出しました。
彼等の他にこの家臣は外すなというご意見がありましたら、よろしくお願いします!



松井康之
有吉立行
米田是政
沼田延元
三淵光行
飯河宗祐
沢村才八
加賀山隼人
河喜多石見
小笠原秀清
穴生理右衛門
稲富祐直
218217:2007/08/10(金) 19:00:06 ID:RI21yP8A
追記です。
あと青龍寺以来の家臣で魚住万之允を出そうと考えています。
万之允は魚住市正の事でよろしかったですよね?
間違いがありましたら、遠慮なく指摘してください。
219人間七七四年:2007/08/12(日) 19:02:08 ID:lwNuflh5
幽斎は誰かに古今伝授したの?
220人間七七四年:2007/08/12(日) 23:00:31 ID:NvOLFIZM
八条宮とか島津義久とか
221Y ◆nzdGjBH722 :2007/08/12(日) 23:01:54 ID:Xpwnn3ph
木下勝俊・・・関ヶ原改易後幽斎から古今伝授を受け、木下長嘯子と名乗り山家記を記した。

222人間七七四年:2007/08/14(火) 21:11:13 ID:Nv+DkaMS
あと烏丸光廣。
ちなみに、龍伯については彼が質問した部分が秘伝に触れるため誓詞を出させた
といういきさつなのでホントの意味での古今伝授ではない。
223人間七七四年:2007/08/14(火) 21:15:00 ID:Nv+DkaMS
>>217 家臣ではないですが、忠興・弟の幸隆が出るとよいかなと・・・。
できたら能がらみのエピで
224217:2007/08/14(火) 23:13:05 ID:LsK/njxD
>>223
ご意見、ありがとうございます。
幸隆や興元のエピソードも入れるつもりでした。こないだ話題に挙がった妹のすごいエピソードも。
ちなみに幸隆について能にまつわる有名なエピソードとはなんでしょう?
幸隆に関する資料をあまり用意できない状況で、それは存じませんでした;
225人間七七四年:2007/08/15(水) 00:10:58 ID:YDz7VXMP
>>222
kwsk
226225:2007/08/15(水) 00:19:20 ID:YDz7VXMP
特に
>龍伯については彼が質問した部分が秘伝に触れるため誓詞を出させたといういきさつ
の下りについて

コピペする前にUPしてしまった・・・(´・ω・`)
227人間七七四年:2007/08/15(水) 10:16:53 ID:i1kAQV5+
>>222 伝授した人物(補足)
三条西公国・・・後に息子に相伝することを条件に、三条西実枝は幽斎に古今伝授した。
         実枝の死後、天正8年約束通り公国に「返し伝授」したが、後に彼は32歳で亡くなってしまった。
中院 通勝・・・実枝の甥。公国の死後、伝授を開始したが一旦中断。最終的に終了したのは慶長9年。
烏丸 光広・・・慶長8年に伝授終了。ちなみにこの人の息子に忠興の娘(万)が嫁ぐ。
228人間七七四年:2007/08/16(木) 18:18:40 ID:UdN/2sju
>>225 すみません。夭折した別の弟・蓮丸のエピと混同してました。蓮丸は忠興とは結構年が離れてて一緒に舞台に立って
能を舞ったと記録にあるそうで幽斎夫妻が描かせた画像が南禅寺に残されてる。
細川家は能が好きで松井等家臣と天正11年から慶長5年の間に50回以上演能してますね。
幸隆も若くして亡くなって、能楽史の上で結構重要な本を残してるらしいです。
229人間七七四年:2007/08/17(金) 23:25:46 ID:auFjydC1
「立花宗茂」の小説読んでたら、忠興と仲良しのように描かれてたけど(ホントかいね?)
(しかも宗茂に側女を紹介してたし!)
230217:2007/08/18(土) 15:57:30 ID:3XFq6HdE
>>228
情報をいただきましてありがとうございます。
先日手に入れた資料に能興行の事も記されていましたが、まさか五十回とは!
改めて文武両道を地で行く家柄なんだと感じ入りました。

それから関ヶ原後に加わる主要な家臣も以下の通りに絞りこんでみました。



氏家宗入(行継)
清田乗栄
村上景広
志水元五
藪正照
益田蔵人
後藤又一郎



調べれば調べるほど、細川家臣団ってキャラの立っている事がわかってきて面白いです。
よろしければまたご意見などいただければ幸いです!
231人間七七四年:2007/08/19(日) 14:35:37 ID:YUBoWjL/
>>229
宗茂と忠興が仲良しという明確な証拠になる史料は知らないが
細川家が宗茂に側室・矢島氏を融通したのは本当のようだね
河村哲夫『立花宗茂』に書いてある話。
232人間七七四年:2007/08/21(火) 19:47:03 ID:i5K/S8ut
友達に似たような親子がいるな。

その親子は地元の名家ってやつで(俺んちの周辺は超田舎で、明治かよって
ぐらいに封建主義が残ってる。未だにこの家の使用人とかいっぱいいる)
しかも親戚が代議士だの網元だの神主だのがいて、まあこの狭い町じゃ
絶対的な権力者なんだが、

親父は超人格者で町中の人たちから尊敬されていて、しかも骨董とかで
個展を開くぐらい芸術好き(あまり上手くないらしいが)。

息子は、親父の権力をいいことに暴れまくり。忠興と違い文化的素養は
ゼロだけど。
233人間七七四年:2007/08/21(火) 22:52:22 ID:39HQQl3k
>232
似ているのは親子という点だけだな。
234人間七七四年:2007/08/22(水) 00:59:45 ID:4ip6oDyj
>>231 忠興弟・興元の2度目の妻が宗茂の娘だから、それが関係してるかも?
235人間七七四年:2007/08/22(水) 01:38:27 ID:PXap4h+k
>>232
言っちゃあ何だが、馬鹿息子ひとり矯正できんような親父も
たかが知れたものよ

細川忠興の場合はDQNというより偏執狂だし、なによりも
かなりの将であり文人であるからな
236人間七七四年:2007/08/22(水) 06:34:32 ID:gsbfuuQL
>>231
立花宗茂は夏の陣の時に忠興の部隊と一緒に毛利勝永と戦ってるしね。
客観的に見ると仲良しとして描かれるだけの接点はあるように思われる。
237人間七七四年:2007/08/22(水) 06:56:53 ID:05DsuYBW
矢島氏が来たせいで正室と別居になったんじゃないっけ?宗茂
238人間七七四年:2007/08/22(水) 08:35:06 ID:Ds/98Ywj
>>235
全面的に同意だが、藤孝も教育に関しては?だよな
あれだけの男だったらいくらでも教育で矯正できそうなものだが
教育される方も賢いんだし
まあ自ら手塩をかけて育てる時代でもないが
239人間七七四年:2007/08/22(水) 10:44:59 ID:r4WbmAf2
>>237 小説では、ぎん千代が出て行った。
240人間七七四年:2007/08/22(水) 12:37:47 ID:57h2NKHl
細川親子の肖像画てないの?
241人間七七四年:2007/08/22(水) 13:38:30 ID:6A0he+1L
藤孝は菩提寺の南禅寺天受庵に左うちわwの肖像画があるよ。
これは掛け軸になった物で、妻の麝香夫人のも対である。

忠興のもあったと思うが所蔵までは覚えていない。
242人間七七四年:2007/08/22(水) 20:44:12 ID:PXap4h+k
永青文庫?じゃないの
243人間七七四年:2007/08/22(水) 21:14:56 ID:1zC0eixj
>>238
忠興の性格は戦国時代の基準から言えば「ちょっとキレやすい」くらいだろ。
そんなどうこう言われるほど歪んじゃいない。
244人間七七四年:2007/08/22(水) 22:45:09 ID:gkyhkoY4
永青文庫にも肖像画あるね
もう公開終わっちゃったかな
245人間七七四年:2007/08/23(木) 01:11:00 ID:/PYL2tyV
忠興の肖像画っぽいのみたことあるけど、結構イイ男だった
ガラシャとは美男美女夫婦と言われてたらしいし
246人間七七四年:2007/08/23(木) 22:50:59 ID:bZYN+J/k
永青文庫の「細川家歴代の肖像画400年」展(19日で終了)で、幽斎・忠興の
隠居・剃髪後の肖像画見たけど、幽斎は丸顔で、忠興は面長だったよ。
忠利はどっちかつうと、束帯姿の幽斎に似てたな。(性格的にも忠興の子とは思えん。)
247人間七七四年:2007/08/23(木) 23:52:58 ID:+T6lBh+Z
なんか忠興‥
カコ(・∀・)イイ!
でも昔の基準でいうとどうなん?
248人間七七四年:2007/08/24(金) 00:32:12 ID:pmGkZAT9
ネット上には
つ http://www.sengoku-expo.net/portrait/images/L/009-q02.jpg
こんなのしかないな>忠興像
神経質な爺という印象w

幽斎の左うちわ
つ http://www.sengoku-expo.net/portrait/images/L/080-q01.jpg
忠興には似ているようで似てないような
忠利
つ http://www.kumamotonet.jp/siro/museum/hosokawa.jpg
・・・うーむ。意外といかつかった。
249人間七七四年:2007/08/24(金) 05:05:46 ID:Xe1r8Fo1
幽斎は目の辺りとか細川元首相にくりそつだよな。
250人間七七四年:2007/08/24(金) 11:59:12 ID:OBGdtrFr
永青文庫で展示してあった忠興の画は>>248の画でした。
>>249 幽斎のDNAって延々と十八代目まで面ざしが受け継がれる程強いんだな。
251人間七七四年:2007/08/25(土) 01:22:47 ID:K3Nry8jx
永青文庫って雰囲気が何ともw
252人間七七四年:2007/08/25(土) 01:31:09 ID:DADMvcN1
政治的に能無しってとこまでそっくり。
253人間七七四年:2007/08/26(日) 11:04:53 ID:/vxGzzJ7
学研M文庫から「細川幽斎」でたね。(まだ読んどらんが)
254人間七七四年:2007/08/26(日) 11:22:35 ID:/vxGzzJ7
細川護熙の熙って光秀の妻・熙子から取ったという噂があるが・・・。
255人間七七四年:2007/08/28(火) 06:10:55 ID:OyWw+vxW
忠興の鎧が見たいけどググっても出てこない
256人間七七四年:2007/08/28(火) 10:38:53 ID:1JiPSSVk
>>255
http://www.kmnh.jp/hosokawa/
の黒糸威横矧二枚胴具足
257人間七七四年:2007/08/30(木) 15:06:37 ID:6Uy48X28
>>256
ありがとう!
頭の羽すげーwww目立ちまくりじゃないか
258人間七七四年:2007/08/30(木) 18:17:37 ID:GnFMMyD/

忠興の顔、渋くて良いじゃん

ttp://www.geocities.jp/senryusai/senryusai.hosokawa.html
259人間七七四年:2007/08/30(木) 21:05:06 ID:lrtx4y4H
>>257
関ヶ原で舞鶴に例えられたくらいだしな。
現代人には奇抜に見えるけど当時はかなり綺麗に見えたみたい
260人間七七四年:2007/09/02(日) 10:23:11 ID:+dK8bjk+
熊本県立美術館でやってる親子で見る美術展「熊本偉人列伝」に
忠興が入ってる!(一般人が誤解する)
261人間七七四年:2007/09/02(日) 10:32:45 ID:FgunW2qv
幽斎のほうが功績大きい。
262人間七七四年:2007/09/02(日) 10:35:11 ID:8+e59Z32
幽斎は京都の人だからじゃない?まあ忠興もだが
263人間七七四年:2007/09/05(水) 00:08:11 ID:XX3DT7bm
>>256 情報戦略家としての幽斎の話。その他に鬼蛇のエピで新説(奥座敷で男の声
に混ざって玉の嬌声が聞こえたのを不審に思った忠興がやがて奥から下男が出てき
たのを見咎めて手討ちにした)忠興・玉の夫婦喧嘩を必死で仲裁する幽斎夫妻の話
もあり。あと極めつけが春日局は忠興の斡旋で家光の乳母になったというトンデモ説だった。
264人間七七四年:2007/09/05(水) 00:28:34 ID:LeEKSpo7
細川幽斎って、京都で猛牛が暴れて突進したのを素手で止めたってどっかの本で読んだけど、本当?
だと、すると、相当の体格のいい人だったんだね。
265人間七七四年:2007/09/12(水) 23:02:14 ID:+2GNlpDH
>>264 弟子の松永貞徳が幽斎から直接聞いた話だそうで「戴恩記」に載ってる話。
他の怪力エピとしては、幽斎が織田信勝の屋敷へ入ろうとした時に門番が不審人物と誤解し竹の棒を突き出され、
すかさず竹棒とともに門番の手をねじり上げ手の骨を砕いてしまったという話もある。
266人間七七四年:2007/09/17(月) 22:15:56 ID:CDKLH4zR
日本史小典の中に織豊時代の人々<キリスト教の伝来>で黒田如水と一緒に
なぜか忠興が載っている。如水の備考欄は「受洗大名」だが、忠興のは「妻・
ガラシア」となっていた!だったらガラシャを項目にすべきと思うが・・・。
267人間七七四年:2007/09/17(月) 23:24:18 ID:CDKLH4zR
ガラシャが忠興宛に書いた手紙を読むと「この書に対してはお返事は結構です」
とわざわざ断り書きしてるとこ見ると、ガラシャが次の手紙書く前に忠興から
手紙届いちゃってたのかな?
(他の書状読むとガラシャは筆不精だったみたいで、だとしたら苦痛だろうな)
268人間七七四年:2007/09/17(月) 23:35:32 ID:F55KV+Li
つれない女だな
だがそれがいいのか
269人間七七四年:2007/09/18(火) 01:40:44 ID:KzpgK+bw
忠利との書簡もかなり残っていたり、娘に「頭を剃ったら
親父そっくりだw」なんて手紙を送ったりしてるあたり、
かなり細川忠興という人は筆まめだったんじゃないか
270人間七七四年:2007/09/18(火) 13:59:37 ID:zMxinAnR
「夫の留守中くらい、こっちはノンビリしたいのに、
あの人ったら手紙まで寄越して来て、しつこいのよ!」って感じかも
忠興の(愛の)束縛が鬱陶しかったのね〜
271人間七七四年:2007/09/18(火) 18:12:57 ID:62oZhhrc
律儀な忠利は、忠興からあんまりおびただしく書状がくるので閉口しながら
返事してたらしい。
実際、忠興が手紙の中で「なにより手紙を書くのが好きなので」と書いてる(笑)
忠利死後、今度は孫の光尚が忠興の相手しなければならなかったから
手紙の量にびっくりしたんじゃないか?
272人間七七四年:2007/09/18(火) 21:05:32 ID:Z/Chww4x
今の時代だったら忠興はメール魔だな
273人間七七四年:2007/09/18(火) 21:31:21 ID:h8mGDazl
忠興「何よりメールを送るのが好きなので」
274人間七七四年:2007/09/18(火) 23:42:20 ID:ISKvZY53
世が世なら防犯カメラでなく、嫁に監視カメラと盗聴マイクをつける家庭内ストーカーだな。
275人間七七四年:2007/09/19(水) 00:02:54 ID:OpBvm9Mp
嫁にカメラ付けてどうする?
276人間七七四年:2007/09/19(水) 00:56:08 ID:izyk0OFm
>>274

絶対やっていたはず!
277人間七七四年:2007/09/19(水) 00:57:15 ID:QhLtqebp
即レスしないと「まだ読んでないの?」「なんで返事くれないの?」と
しつこくメールしてきそうだ。
278人間七七四年:2007/09/19(水) 03:01:14 ID:djKlKoyG
携帯開けたら新着メール20件とか恋敵の首切断とかの女と同レベルか
ヤンデレは忠興を元に作られた
279人間七七四年:2007/09/19(水) 21:46:03 ID:EnGCmEJ0
>>276 そのとおり!
「この若い越中殿の妻に対する過度の嫉妬と彼女に対して行った極端な監禁は
普通一般の日本人の習慣とは大いに異なって信じられぬほど厳しいものであった。
2人の身分の高い家臣に昼夜を問わず妻の監視を義務付けた。ごく親しい親戚か身内の
者以外には彼女へのいかなる伝言も許さぬようにした。」
−ルイス・フロイス「日本史」より要約−
280人間七七四年:2007/09/19(水) 23:09:06 ID:d2Yg4h9w
極端な監禁って、当時の身分が高い奥方なら普通だった外出の規制を
文化の誤解で(または忠興を反キリスト教な人物として)書いたとも考えられる。
昼夜を問わずの監視も、身辺警護なら昼夜を問わないで行うのは普通だし。
自殺しそうなガラシャを見張るためだったとも言える。
「普通一般の習慣と違い」って一般庶民の妻と大名の妻とでは、厳しさが異なって当然だから
フロイスの言葉を全て鵜呑みにするのは危険だと思うが。
281人間七七四年:2007/09/19(水) 23:20:41 ID:aGk56WC7
フロイスの日本史は確かに貴重な資料ではあるけど、
キリスト教に好意的でない奴らのことはボロクソ書くし、
秀吉の側室200人というのも、実際は側室とそのお付きや侍女も
含めての人数で、どうもフロイスはそこらへん理解出来てなかった
みたいだし。鵜呑みはできまいて
282人間七七四年:2007/09/20(木) 00:14:09 ID:XDEh11m9
たいていの歴史はそんなもんだ。
そのまま受け取れるようなもんじゃ無い。
まぁ、信じて騒いでるアホも多いけど。
283人間七七四年:2007/09/21(金) 23:19:37 ID:Pmo0BrdU
細川細川つってるけど、元は三淵氏。
だが三淵氏についてハッキリしない。
尊氏の落胤とか義満の落胤とか。
284人間七七四年:2007/09/21(金) 23:20:40 ID:Pmo0BrdU
細川細川つってるけど、元は三淵氏。
だが三淵氏についてハッキリしない。
尊氏の落胤とか義満の落胤とか。
285人間七七四年:2007/09/22(土) 00:36:18 ID:zcmkoxF0
>>283
その三淵晴員が和泉守護細川家の出身で、彼の母系が三淵氏だったはず。
つまり、父系では細川、母系では三淵氏(将軍家の落胤?)の血筋
286人間七七四年:2007/09/22(土) 06:21:29 ID:ESJ1jIXF
幽斎の母親が将軍・義晴の側女だったという話。どっちにしろ一応足利家の
血は引いてる。
287人間七七四年:2007/09/25(火) 21:29:28 ID:4qZ7ZXiu
幽斉の血筋なんて、どうでもいいよっ
細川忠興は、細川奥州家の細川輝経の家系を継いだんだから
肥後熊本藩にとっては、細川輝経の経歴のほうが重要
288人間七七四年:2007/09/25(火) 22:20:32 ID:mQpTxZSf
>287
まぁ、幕臣→義弟に厄介→自害、な訳だが…。
289人間七七四年:2007/09/25(火) 22:50:31 ID:Fpt/V0cQ
忠興公(俺達熊本県民はこう呼んでいる)はガラシャ夫人亡き後イエズズ会宣教師と親しくなり
ローマ字の印鑑をプレゼントされたらしいが(『tadawoqui』と彫られている)
290289:2007/09/25(火) 22:59:42 ID:Fpt/V0cQ
さらにいえば3男の忠利公もローマ字印をプレゼントされたとのこと(『tadatoxi』と彫られている)
291人間七七四年:2007/09/25(火) 23:07:36 ID:6HynxyT6
>肥後熊本藩にとっては、細川輝経の経歴のほうが重要
忠興自身は自分の才覚で大名になったという自負のほうが大きかったようだけど。
忠興が幕府から藤孝以前のことを聞かれて”俺が初代なんで、その前のことなんて知らね”といったとか。

でも何で嫡妻の子供でしかも長男を養子に出したんだろう。
すぐ下に同母弟もいるのに。
292奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/09/25(火) 23:50:56 ID:AxPD2ogH
伊達晴宗も長嫡子を他家に出してるけどね。
293人間七七四年:2007/09/26(水) 00:07:23 ID:buPTAHVQ
>291
>でも何で嫡妻の子供でしかも長男を養子に出したんだろう。
>すぐ下に同母弟もいるのに。

義輝の命令で養子に出したという話が本当であれば話は簡単。
興元がまだ生まれていなかったから。
294人間七七四年:2007/09/26(水) 08:37:22 ID:nLvRrMqr
>>290
輝経は名前からしみて藤孝より年少と思われる。(元服したのが、足利義藤が義輝に改名したあとだから)
そんな若い人間に、まだ他に男子がいない藤孝の息子を養子にする理由は?
実際に、輝経には子供がいたみたいだし。
(田辺篭城時に同一行動とった息子がいたと思う。忠興とどっちが上かはわからないけど)

嫁の実家や本家筋が男子がいなくてというのは、結構きく話なんだけど。
それ後出した側に後継ぎがいなくなり、更に養子を貰う。
(吉良義央の息子が上杉家をついで、その息子が祖父にあたる義央の養子になるとか、伊達晴宗の場合も息子を義父の養子にしているかたち)

295人間七七四年:2007/09/26(水) 19:06:29 ID:xSk9g2aE
養子にはなったものの、ずっと行動は幽斎と一緒だったんだよね?
その辺もなんか事情がありそうだ。
296人間七七四年:2007/09/27(木) 00:42:32 ID:RqRIxVVL
乗っ取りかな。
297人間七七四年:2007/09/27(木) 02:36:01 ID:Nm55Mw4J
今月の芸術新潮・細川家特集だが、忠興の扱いが幽斎より多い!(珍しい)
298人間七七四年:2007/09/27(木) 02:47:43 ID:d8YfPG6B
 芸術新潮 10月号 熊本城築城400年記念特集 
「細川家 美と戦いの700年」
・よみがえる熊本城
・歌に遊び、茶に憩う 〜乱世の達人・幽斎と三斎
・茶の湯vs.世界基準 〜細川家の茶道具・やきもの18選
・財政破綻もなんのその肥後国主200年の夢
・往復書簡3000通 細川家、情報戦を制す
・「殿様」の思い出 〜護立コレクションをめぐって

熊本県立美術館
細川コレクション 永青文庫展示室 開館記念
「細川歴代の文と武と美展」
2008年4月25日〜6月末(予定)
299人間七七四年:2007/09/27(木) 08:24:30 ID:77qnL4d7
>>298
>・よみがえる熊本城
熊本城を設計施工したのは加藤清正っつー話はなしですかそうですか

でもその展覧会はいってみてーなー
もう一つのゆかりの地・京都辺りに巡回しないかなー 九州トオイヨ
300人間七七四年:2007/09/27(木) 13:28:02 ID:LjwudtWE
スレ違いになるかも知れんが
18代目当主・細川護煕さんの展覧会とガラシャ夫人展も火曜日まで熊本県熊本市・鶴屋デパートで開かれていた
ガラシャ夫人のところで幽斎(藤孝)公・忠興公親子のことも結構触れられていた
301人間七七四年:2007/09/27(木) 18:15:36 ID:neO4kJXO
もひとつ展覧会情報(でも両方とも熊本なんだよね)
島田美術館「近世肥後の文武−清正、忠興・ガラシャ・武蔵まで−」10月1日〜
熊本県立美術館「激動の三代展−加藤清正・忠広、細川忠利の時代−」10月12日〜
(ちなみに八代市立博物館では清正の宿敵・行長展やるらしい)
302人間七七四年:2007/09/28(金) 19:53:00 ID:iUQCkcdy
義輝が殺されたとき、藤孝は勝竜寺にいたため、難を免れたとする小説があるんだが、
当時、三好党が支配する勝竜寺に、藤孝がいれるはずがないよね。
303人間七七四年:2007/09/28(金) 22:41:48 ID:5T9qZzE/
>>302
いや、義輝家臣をみな殺しにするって目的だったわけでもないし。(後に義昭の家臣になった足利氏の譜代家臣が一杯登場するでしょ)
非番かなにかで、藤孝が居城にいたらとりあえず危険はない。
屋敷を囲んで奇襲かけたから、屋敷内の男達は全滅かもしれないけど。
304人間七七四年:2007/10/11(木) 02:54:13 ID:C6LWWsWS
>>302
足利義輝暗殺の翌年の段階では、岩成友通が城主になっているが、
それより以前は細川元常(細川幽斎の養父)が城主なんだよな。
だから藤孝が城主で、義輝暗殺後に三好が接収した可能性もあると
思うが、誰か詳しい人いる?

ただ、藤孝にポジションからみても、洛中の自邸にいた可能性も
否定はできんかな。


細川家中の岩間六兵衛が武田義信の遺児という情報をみたことあるが、
本当かなあ。尾池玄蕃といい、おちぶれた名族のたまり場になっている気がw
305人間七七四年:2007/10/11(木) 23:23:48 ID:HQj+EhU+
>>304
>岩間六兵衛

ググると、信玄・六男:武田信清の子となってるな。
ただ本当に武田氏の縁者なら、若狭武田氏の方が可能性があると思うな。
306人間七七四年:2007/10/12(金) 17:40:32 ID:rp8V+8si
>>305
義信の遺児で、小笠原経由で細川に仕官らしいが。
信清の子っていうのもぐぐると出てくるな。
307人間七七四年:2007/10/27(土) 17:21:57 ID:ZWdcSEUy
熊本藩って水戸藩並みにうさんくさい家柄の人物取り立ててるよな
308人間七七四年:2007/10/27(土) 17:35:58 ID:RQ+880Mp
>>307
この両藩は没落した名門の溜まり場と化してる雰囲気。
309人間七七四年:2007/10/29(月) 00:05:27 ID:fGrIXv6K
>>307
藩主の権力が強いと、良くも悪くも胡散臭い人物が抜擢されやすい。
310人間七七四年:2007/10/31(水) 17:11:50 ID:uJ5Xt29f
ttp://www.shinshindoh.com/00-x-busyou.htm


斯波武衛家の末裔までいるのか・・・
311人間七七四年:2007/11/02(金) 08:59:12 ID:8Qddn4QZ
>>310
リンク先みるかぎり、水戸藩みたいに手当たりしだいに集めたというわけじゃなくて、
室町幕府に仕えた仲とか血縁などを頼って自然と集まったって感じですかね。

しかし、吉良親実と久武親直の子孫が両方仕えているってのもすごいな。
312人間七七四年:2007/11/02(金) 09:30:57 ID:O0Ox5kXL
しかも久武の子孫が吉良の子孫を頼っている件w

>>311
重臣も旧室町幕臣系が多いしね。
313人間七七四年:2007/11/03(土) 01:09:59 ID:qPG4mCDW
まぁ、厚顔な家系なんだろうねぇ。
逆だったら泣けるが・・・
314人間七七四年:2007/11/10(土) 09:29:31 ID:xfveAhdQ
素朴な疑問だけど松井水軍って康之に従って豊前や肥後にもついて行ったんかな?
どの領地も海に面していたし…それとも現地で徴兵なりして再組織してたんだろうか
315人間七七四年:2007/11/14(水) 23:26:53 ID:nt0Rszrw
長岡ってのはどこから取ったの?
316人間七七四年:2007/11/15(木) 05:25:10 ID:Gkf5keFg
>>315
京都の地名では?
317人間七七四年:2007/11/15(木) 15:25:30 ID:t9uTpgQf
勝竜寺のあるあたりの地名だったんだっけ?
たしかあのあたりにかの長岡京があったはずだから・・・
318人間七七四年:2007/11/16(金) 20:25:33 ID:FyPB7bnU
あぁ、長岡京あったね。
平安京のひとつ前の。
319人間七七四年:2007/11/19(月) 00:03:53 ID:lz1rj1fw
>>312 幽斎が義晴のご落胤っていう説をそれとなく流しておけば
臣従してもある程度我慢ができるからじゃないの?
320人間七七四年:2007/11/19(月) 21:24:09 ID:IGoRsXKH
まあ久武に関して言えば家督の問題で元親の意を汲んで動いていたっぽいからなぁ
公では対立しても私では恨みとかなかったんではないのかなぁ
しかし面白いぐらいに没落した人が集っているね
321人間七七四年:2007/11/19(月) 21:28:56 ID:BN+3KB/I
足利幕府の後始末をまとめて引き受けた、って感じか。
322人間七七四年:2007/12/15(土) 09:54:25 ID:xJ5csQ+v
03年頃のスレみてたが
忠興が男色家だったと書かれてて全く否定する人いなくて笑ったw
あと牛肉大好きだったのは意外だな
323人間七七四年:2007/12/17(月) 17:47:46 ID:d+6lPTtn
忠興は家中の衆道を禁じたらしいから男色ってセンは薄そうだけどなぁ
324人間七七四年:2007/12/17(月) 22:07:33 ID:C3JgtkH+
うん、それを知ってるから余計もどかしくてさ〜w
戦国武将=男色で忠興もひとまとめにされてた頃があったんだなぁと
325人間七七四年:2007/12/17(月) 22:32:36 ID:hD60TzGI
>>318
今もあの辺りは長岡京市があるんですが…
326人間七七四年:2007/12/18(火) 21:20:14 ID:wOlXkKQi
細川家に残ってる右近の決別の書状だと意味深だよな
327人間七七四年:2007/12/18(火) 23:01:43 ID:0BWl94I8
>>326
ちらっと紹介してクレクレ>右近の決別の書状
328人間七七四年:2007/12/19(水) 00:51:20 ID:AZ3SGgQW
>>310
なにこれ!笑
細川やばっ・・・
最後の方とか胡散臭さハンパないな・・・

これの水戸藩版ってある?キボンヌ
329人間七七四年:2007/12/20(木) 21:18:58 ID:LgQBnDaG
>>327 「近々、出船いたすことになりました。ところで、このたび一軸の掛物を差し上げます。どなたに差上げようかと
思案しましたが、やはり貴方様にこそ相応しいもの、私のほんの志ばかりでございます。
(中略)六十年来の苦もなんのその、今こそ、ここに別れがやって参りました。先般来の御心尽くしの
お礼は、筆舌につくす事はできません。・・・」
八代市でやってた小西行長展に陳列されてたらしい。
330人間七七四年:2007/12/23(日) 14:25:10 ID:kKoNL6UI
細川護熙って所詮分家の宇土藩の血筋だよね
331-:2007/12/23(日) 17:24:33 ID:AH19I6Ld
小倉城行ったけど、この二人関連のものはかなり少なかったな…
332人間七七四年:2007/12/23(日) 22:30:18 ID:b1tnuh8d
老いてますます盛ん?77歳で娘誕生。
333人間七七四年:2007/12/30(日) 18:41:35 ID:aBStunxS
>>294に対する回答
忠興が優秀であるので、より格式の高い細川家を継がせたいと将軍が思ったから
>>287に対する回答
あなたは、すばらしい
>>32に対する回答
そう答えたんじゃなく「自分は輝経の跡を続いだので幽斉とは関係ないです。
同じ細川でも自分の継いだ細川は大外様の細川とも呼ばれた奥州家です。
幽斉の細川とは関係ありません」
と答えたんだそうですよ。
334人間七七四年:2007/12/30(日) 20:59:58 ID:pFXCw/aX
>>333
>忠興が優秀であるので、より格式の高い細川家を継がせたいと将軍が思ったから
将軍がねえ。
忠興はおしめをつけていたくらいから、優秀だと評価されていたと?
335人間七七四年:2007/12/31(月) 02:42:11 ID:8oHn6bEj
>>334
義輝(もしくは義昭?)が将軍にいた頃、細川忠興はまだガキなので、
むしろ幽斎と公方の関係から・・・というセンの方が妥当とは思う
336人間七七四年:2007/12/31(月) 12:25:56 ID:U/n+27iU
聖徳太子は生まれたときから優秀なんだから
おんなじ感じでいいじゃない
337-:2007/12/31(月) 18:43:46 ID:JQ2yso62
ノリじゃね?>ベイビー忠興の評価
だっこされて泣かなかったら「むぅ、肝が座っとる…ゆくゆくは大物に」
逆に大泣きしたら、「こいつは勇ましい…ゆくゆくは大物に」
338人間七七四年:2008/01/02(水) 01:15:49 ID:6UPAPqvV
京兆家>奥州家>和泉半国守護家だと思うので
細川昭元>細川輝経>細川藤孝だね
席次は
339人間七七四年:2008/01/04(金) 14:07:46 ID:FwXTsQGn
忠興って細川輝経の養子になったのに藤孝のそばにずっといたのはなぜ?
更に、小さい頃から藤孝のこと嫌ってたよね。
手に負えなくて玉甫和尚のトコに預けられてたし。
340人間七七四年:2008/01/05(土) 10:46:24 ID:VdxvkJ7k
忠興が玉甫に預けられた期間って藤孝らが義昭を連れてに各地を巡っていた頃なんですかね?
じゃあ玉甫が忠興の傅役ってことになるのかなぁー
341人間七七四年:2008/01/05(土) 13:47:18 ID:Mr+6IW76
生まれてから5歳ぐらいまでは乳母夫婦に育てられ
5歳の時勝竜寺城に戻って藤孝に会えたんだけど
7歳の時に騒動起こして藤孝と険悪になって
玉甫叔父さんトコに預けられたそうだ。
342人間七七四年:2008/01/05(土) 13:50:13 ID:Q3IneSqI
>>339
長岡姓にも同じように改名しているし、藤孝が隠居したときにも忠興が所領を相続しているんだから
輝経との関係はあくまで名目上のことにすぎないのでは。

>>340
藤孝が義昭と亡命生活を送っていたときは、忠興は守り役の夫婦と一緒に、京都で潜伏生活をしていた。
この夫婦の子孫は江戸時代にも引き続いて細川家に仕えている。(全然高待遇じゃないけど)
343人間七七四年:2008/01/05(土) 18:12:43 ID:4ADTRc9A
>>342
家康に忠興自身が、藤孝と自分の家系は関係ない
自分は輝経の家系を継いでいる
と言い切っているんだから
後世の他人がケチつけるべきではない
344人間七七四年:2008/01/05(土) 18:39:19 ID:VdxvkJ7k
>>342
答えていただきありがとうございます。
その傅役は中村と言う夫婦でしょうか?
手持ちの資料には記載がなかったので、もう少し詳しく教えていただけませんか?
345人間七七四年:2008/01/06(日) 12:42:54 ID:decrHlGu
>>343
そうですよね、忠興自身が主張してるんだから
輝経および奥州家が小倉〜熊本藩の先祖ですよね。
346人間七七四年:2008/01/06(日) 13:08:49 ID:T7WgS4EO
>>344 乳母は細川家家臣中村新助の妻。
のちに細川家奥向きの大局をつとめる。知行百石。
忠興−忠利の書状に、大局の娘から借米した話が
いくつかでてくるので、結構お金持ち?
347サイコメトリー:2008/01/07(月) 10:30:23 ID:MW42B6oV

本能寺に至る以前に光秀が細川父子に事前説得、協力を申し込んだとしたら
細川父子は光秀と手を組んだであろうか?
348人間七七四年:2008/01/07(月) 14:00:46 ID:vI4ZvpRf
>>347
織田政権を潰してまだ手に入るメリットが少ないので、組まない。
349人間七七四年:2008/01/08(火) 08:35:56 ID:DaZjC7WB
>>347
したたかな細川藤孝なら、表面では協力体制を取り、実際は筒井順慶と同じ
動きを取る公算が高い。戦国武将らしいといえば、らしいが、自分は光秀に
同調しなかった筒井家を潔しとせず、出奔した島左近こそが、本物の戦国武
将だと思う。
350人間七七四年:2008/01/08(火) 09:20:00 ID:hvLoQ/1K
アホか。首尾両端をちゃんと推し量って事態の推移にいつでも対応できるようにするのが
本物の戦国武将だ。家を潰してどうする?

島左近なんぞはただの「猪武者」と呼ぶ。
351人間七七四年:2008/01/08(火) 10:10:44 ID:DaZjC7WB
>>350
島左近や大谷吉継は負け戦と理解しながら、それに殉じた武将ですが、彼らは
戦国武将その物だよ。状況判断を的確にし、家を守る事を事の大事とし、強き
に着くのは江戸時代の外様と一緒。男気と心意気なくて、戦国武将と呼べるか!
352人間七七四年:2008/01/08(火) 10:21:09 ID:CgC79cTd
>351
>状況判断を的確にし、家を守る事を事の大事とし、
>強きに着くのは江戸時代の外様と一緒。

ほとんどの武将はそうやって生き残った訳だが。
353人間七七四年:2008/01/08(火) 10:28:37 ID:hvLoQ/1K
>>351
どうやったらそんな歪んだ戦国武将観を持てるんだろう…。

戦国武将ってのは何よりも自分と自分の配下の生存権の確保と利益を誘導するのが
最大の任務だ。それがあるからこそ配下より「指導力」が付加される。

君の大好きな島や大谷の後ろに、自分には何の関係もない主人の「義」とやらに無理矢理殉じされ
本人の意思に反し意味も無く散って行った多くの人々の事、そしてそんな判断をした(分かった上で
やったならなおさら!)島や大谷の傲慢さを、少しでいいから考えて下さい。
354たられば君:2008/01/08(火) 10:30:45 ID:tBJ7gblC
生き残りの一典型みたいな細川父子のスレで何を言い争う必要があるだろうか
355人間七七四年:2008/01/08(火) 11:36:43 ID:DaZjC7WB
>>353
俺は歪んでるのかな?そうかもね。>>354の言う様に生き残り一辺倒の細川
父子が嫌いなだけかも。
ついでに言わせてもらえば、あなたの考えは限りなく現代思考だと思うよ。

自分は『義』なんて謳ってないけど、”無理矢理殉じさせられ散っていった”
戦国時代は合戦に於いて、敵前逃亡なんて当たり前。雑兵なんて当然至極。
殺されるの嫌な人は逃げるよ。天皇万歳の近代戦争じゃないんですから・・。

光秀の山崎の合戦でも代表される様に『お見方不利!』って理解してても殉じ
てる武将はなんぼでもいる。自分はそうゆう武将が好きなの。細川藤孝はそう
ゆう人じゃないって言いたいだけ。
大体ね、殉ずるとは主君に対する最後の奉公だよ。(最後まで尽くしてんの)
無理矢理殉ずるなんて言葉は存在しません。

あと、配下より指導力が付加されるって意味が良く分からんので、具体的に
お願いします。
356人間七七四年:2008/01/08(火) 11:48:56 ID:hvLoQ/1K
>>355
君の意識は江戸期的だな。戦国時代のものじゃ無い。
配下に利益を提供出来ない、世の中の先を読めない、そんなものは指導者として劣悪だとされ
家臣から「見限られる」のが戦国時代だ。

> あと、配下より指導力が付加されるって意味が良く分からんので、具体的に
> お願いします。
集団に対する「指導力」ってものは上部の人間が権利のようにもっているものじゃ無い。
配下の人間が「彼は指導者としてわれらに利益を与えてくれる」と認識されてはじめて
付託される権力だ。
武士の「奉公」とは、あくまで主君の側からの「御恩」があった上での相互契約である。
357人間七七四年:2008/01/08(火) 12:11:35 ID:oXrAz7tS
みんな、仲良くな
双方とも間違っちゃいない。

”武士の「奉公」とは、あくまで主君の側からの「御恩」があった上での相互契約である。 ”
というのは正しい。主君を渡り歩くものや、戦場で主君を見限る武将なんてのはごまんといる。
良い主君というのは”自分の所領を保障してくれる人物である”というのが第一なのだ。
これは東国武士団の発生からの伝統でもある。
自分たちが開墾し切り開いた農地を守り保障してくれる力ある者に付くことで武士団の形成が進んだわけで。

もう一方で、そういった物質的利益よりも精神的なものを重視する人たちもいた。
江戸時代の儒教的武士道ではなく、なんというか任侠道に近い感覚の士道が古くから存在する。
これは武士団が武装集団であった事とも関係する。武士たちは重武装のヤクザ集団とも言えるわけで。
つまり”こいつのためなら死んでやってもいい”という、やつ。
こういったものを重視する奴らは、負け戦でも付いて行こうとする。
江戸期に入ると、こういった士道は幕府から嫌われて儒教的武士道が流布されるようになる。

358人間七七四年:2008/01/08(火) 12:36:56 ID:DaZjC7WB
>>356
君の方が江戸期的だと思うがな。
戦国期に於いて先見の明は確かに最重要だと思うよ。ただあなたの論を聞いて
ると自分は精神論ばっかりぶってる様に聞こえる。戦国期の信賞必罰は大前提。

主君に殉じた武将が家臣や一族の事を考えないで、猪突して周りが可哀相なん
て言ってるけど、極論も良い所。自らを省みず主君に殉じる武将が一族郎党の
事を考えない分けないでしょ。懊悩の連続での結論だよ。だからこそ、一族が

最後まで追従する。没落する大名の家臣達は先を読んで、仕える家を変えるの?
みんな?そうではないじゃん。何度も言う様で悪いけど、生き様として島・大谷
の生き方が自分は戦国武将らしいと思うだけだよ。

あと『指導力』と『支配力』はきちがえてない?
359人間七七四年:2008/01/08(火) 12:47:49 ID:hvLoQ/1K
>>358
そう感情的になられても困る。
戦国武将とは一般に義なんぞは薬にもする気のない、自己勢力の保全を第一義とする
人間達である。

君の上げているのは極端な例でしかない。そう言うタイプの人間は戦国時代に限らず
どの時代でも出ては来るだろうが、どの時代であったとしても一般的なタイプではない。
それを「戦国武将らしい」などとあたかも一般概念であったかのように語るのは間違いだ。

君の中のロマン主義英雄主義を否定する気はないが、それはあくまで君の意識の中にしか
存在しないモノだ、という事も同時に知っておくべきだろう。
360人間七七四年:2008/01/08(火) 13:27:27 ID:DaZjC7WB
>>357
冷静なご判断ありがとうございます。自分が言いたい事をほとんど言って
くれてます感謝!
>>359
君に一言言いたい。一番初めに『アホか』って始めといて、人をロマン派
で落ち着かせて、自分は冷静人ぶるとは、なんて奴だ。しかも自分は私的
思考だと強調してるのに一般概念だとも言う。

教えて欲しいのだが、あなたは戦国期ではやっぱ細川父子が好きなのか?
自分は明智派だから、細川を否定したい(正直!)スレ違いスマン!
後は>>357に仰って頂いた通り。

自分は確かに精神的な物を支柱に考える傾向が有る事は認めます。
361人間七七四年:2008/01/08(火) 14:03:19 ID:DASh3BDN
明智派、勝利。
362人間七七四年:2008/01/09(水) 00:05:36 ID:f7ycvohu
天皇万歳の近代戦争w
363人間七七四年:2008/01/09(水) 09:27:20 ID:0H3No/Ac

明智派には飾らない本音が見えます。
364人間七七四年:2008/01/09(水) 12:14:08 ID:cmUibBri
頭は悪そうだけどな
365人間七七四年:2008/01/10(木) 11:32:01 ID:5u+aQGT0
>>364
うっせ〜。悪いよ。
366人間七七四年:2008/01/14(月) 22:55:30 ID:6Qza703d
名物・阿弥陀堂釜を、忠興が休無(忠隆)に譲った時に「おまえのような
数寄者にこの釜をつかわすのはあたかも阿弥陀を地獄に落としたような
ものだ」と言ったそうだ・・・。なんてひどい言いようだ。
その後忠隆は(忠興死後)甥の光尚にこれを譲ったそうで、こんなひどい
言われたかたしたんじゃ持っていたくなかったのでは?
367人間七七四年:2008/01/14(月) 23:38:44 ID:xOZQtvms
現代人である自分のシュミ嗜好で、誰それが好き誰それは嫌いとやるのは自由ですがね。
「自分の現代的感覚こそがイコール戦国武将」とか主張されては、「それは違う」と反論せざるを
えないわけで。
368サイコメトリー:2008/01/15(火) 12:50:56 ID:bc6s6To4
>>367
でも、それを自由にぶつける事が出来る場が2chじゃないの?
しかも”自身の現代的感覚”で主張する以外の方法ってなに?
369人間七七四年:2008/01/15(火) 12:54:52 ID:mBGyrq/W
当時代人感覚を推測して主張する、当たり前だな
370人間七七四年:2008/01/15(火) 14:13:31 ID:dR/Efmoc
島が出奔したのって筒井順慶が光秀に加担しなかったからだっけ?
筒井定次との折り合いがよくなかったって話だと思ってたけど。
371サイコメトリー:2008/01/15(火) 17:49:26 ID:bc6s6To4
>>369
それこそ当たり前。
372人間七七四年:2008/01/15(火) 18:54:38 ID:/bNd5N3I
373人間七七四年:2008/01/15(火) 19:04:07 ID:NQSByyxt
>>366 なんせ茶杓を譲るのに「涙を流して・・・」などと未練たっぷりな
添え状出すような奴だからね。
374人間七七四年:2008/01/15(火) 20:03:04 ID:1UQJwfTF
このスレでさんざん分かっていたつもりだったんだが





・・・超弩級に嫌みな奴じゃん、忠興w
よく幕府に取りつぶされなかったもんだ。
375人間七七四年:2008/01/15(火) 22:04:49 ID:UMn+MXsx
>374
幕府に対してはとても良い人だったから。
376人間七七四年:2008/01/15(火) 22:35:19 ID:1UQJwfTF
>>375
つまりそれって

つ 内弁慶
つ 強きを助け弱気はくじく

・・・うわっ、超最低男だw
377人間七七四年:2008/01/15(火) 22:54:20 ID:l6tSV1Ew
>>373 光尚も被害者その3です。[肥後拵え]だか「歌仙拵え」の
どちらかを婚礼の時引き出物で忠興から譲られたんだけど、涙を
流して惜しんで「特別にくれてやる」とか言って与えたそうだか
ら、光尚もいやな思いしてるよ。
でも総合して考えると、一番接点が多かった忠利が一番の被害者かも。

378人間七七四年:2008/01/16(水) 09:16:04 ID:Nmp5+zVa
狡猾也。細川家。まぁそれでもお家守るって考え方では
良いのかな? それだけだけど・・。
379人間七七四年:2008/01/17(木) 18:12:51 ID:gjlIG4Ys
人間的な問題点もまた興味深いし面白いと思うんだがなぁ、忠興
380人間七七四年:2008/01/17(木) 18:25:52 ID:ZvLYsjHt
ゲームみたいに人間の性格ってものを単純化したがる奴が多いな。
実際は、特に忠興なんてものすごく複雑な人間だっただろうに。
381人間七七四年:2008/01/17(木) 18:38:56 ID:HrnTQKz/
まあ、来年の大河の主人公みたいに
婿養子で結婚した奥さんを大事にし
主君大事
文武両道(武はアヤシイ説もあるが)
戦国武将には珍しく義を第一に置く
・・・というあまりにも出来過ぎた人物よりはおもしろいことは確かでしょう









ネタにするには。
382人間七七四年:2008/01/18(金) 23:00:01 ID:UffQBCTM
以前中村新助について質問させていただいた者なのですが、
あれから中村新助について調べてみたのですが、手に入った資料には来歴までは書かれていませんでした(汗)。

彼はそこそこ高い身分にあったのでしょうか? 奥さんの事は書いてありましたが、
彼がどのように生きて亡くなったか、どなたか教えて頂けませんか?

なにとぞよろしくお願いします。
383人間七七四年:2008/01/19(土) 21:40:50 ID:/cVr/oYs
>>382 永禄11年に百五十石遣わされたと記録にあり。
(乳母である妻には別に百石与えられた)
豊前で病死したらしい。
384人間七七四年:2008/01/20(日) 14:24:35 ID:BbR4iAkc
家康が畿内近郊の丹後から

遠い九州に細川を、大幅加増で栄転(?)させたのは

裏切り常習犯を近くに置いておきたくなかったから。

幕臣で同僚の一色をだまし討ちにし、重代の主人である足利氏を裏切り、

親戚の明智を支援せず、豊臣を裏切り・・・

こんなやつら、誰が信用するかね。

関ヶ原一回で褒章させられた徳川は可哀想。
385人間七七四年:2008/01/21(月) 00:10:23 ID:QWxMp2WI
それはあるな……
386人間七七四年:2008/01/21(月) 00:44:13 ID:9ItHWT+f
>384

>幕臣で同僚の一色をだまし討ちにし

本能寺のとき光秀側に付いたから

>重代の主人である足利氏を裏切り

主君「押込」の構造だよ

>親戚の明智を支援せず

謀叛人になんて味方しない

>豊臣を裏切り

家に仕えたんじゃなくて個人に仕えたんだよ、みんな

…と、全てを正当化してみる。
387人間七七四年:2008/01/21(月) 12:57:08 ID:u9l1QVsG
戦国期の謀反人の定義は難しいよ。
どこの誰が台頭してきても、結局誰かの謀反人じゃん。
ってか、それが戦国時代でしょ。
388人間七七四年:2008/01/21(月) 23:54:01 ID:Kufd7WqE
義父を見捨て、義弟を謀殺。
妻を幽閉し最後は自刃に追い込み、
長男を妻と離別させたあげく廃嫡。
次男は切腹させる。77で下女を孕ませる。
・・・列挙するとホントとんでもない奴。
389人間七七四年:2008/01/22(火) 00:09:08 ID:9JKbnJpZ
息子より嫁さんが大事とは、忠興も変わった親だな
390人間七七四年:2008/01/22(火) 00:32:56 ID:lWHZgtaa
>>388
列挙した史実に間違いはないんだが、書き方に忠興を貶めようとする意図が感じられるな(玉の生害に関しては言い掛かりに近いし)。
忠興に恨みでもあるのか?
391人間七七四年:2008/01/22(火) 00:36:57 ID:nAij/vj8
>>390
同じ史実を忠興サイドに立って記述してみよう! 頑張ってね
392人間七七四年:2008/01/22(火) 01:06:00 ID:VRagEKvX
まじで興味深い人物だよな
ガラシャ関係以外でもっとメジャーなって良いと思う
好き嫌いは別にして
393仙台藩百姓:2008/01/22(火) 10:56:03 ID:eqpZmG2z
秋の田をからで其儘ただおきの
心なかおか何をいふさい

統治者としても良くなかったようだお┐ (´ω`) ┌
394人間七七四年:2008/01/23(水) 17:57:15 ID:54cFz2CZ
忠興の方が人間的だよ(直情型だけど)
藤孝は底知れぬ、したたかさを持つ、冷淡な武将だと思う。
395人間七七四年:2008/01/23(水) 18:24:23 ID:9XSfjHiv
この細川忠興ってミニ信長って言われた人? かなりの短気者だったみたいだけど。
もう一人ミニ信長って言われたのって蒲生氏郷だっけ?
396人間七七四年:2008/01/23(水) 20:31:54 ID:PH3/nHDL
>>395
確か氏郷のほうが、「天下一気の長い人」で忠興が天下一気の短い人だったはず
397人間七七四年:2008/01/23(水) 23:33:04 ID:zFA1Ey95
キレ易いとは言われてるが、忠興ってそんなに領民の評判悪かったのか..

例の三十六人手討ちを除けば、家臣にはそこそこ優しかったんじゃなかったっけ?

個人的には振幅の激しさも大好きだが、やっぱり今も昔も世間的にはアレな人とみなされてるのかなぁ
398人間七七四年:2008/01/26(土) 08:41:55 ID:qZZJEzGq
>>388

義父を見捨てる…主君への筋を通して謀反人を討った
義弟を誘殺…政権移行に伴う激変期を生き残るための判断
ガラシャ幽閉〜自刃・時期にもよるが、味土野への幽閉であれば嫌ったのではなく、
ガラシャの命を狙う家臣から守り、かつ離縁したくないから
一旦細川家から遠ざけた。
最期の生害についても事前に言いつけはしていたが、
決断はガラシャによるものだから、「追い込んだ」という表現は不適切
なお忠興のキリシタン迫害は一時的なもので理解を示したあとはむしろ擁護した。
玉造り屋敷には小さな礼拝堂まで作っているし。

忠隆廃嫡…福知山攻め同様に私怨丸出しだからフォローはしない

興秋切腹…関ヶ原における輝経同様、細川家の生き残りをかけて幕府と大坂に分かれたものと
考えられはするが、敵方についた人間は処断以外にやりようがないのでは。
ただし興秋については逃がされて九州で病没した説もある

忠興の立場で考えるとこうなるんじゃないかなぁ。
77歳で子供作ったってのはフォローしようもないがw
399人間七七四年:2008/01/26(土) 18:43:08 ID:OFME3Y7G
一色氏誘殺は、明智に付いたのでという理由付けがなされていたはず。
明智が勝った場合の保険とするつもりだったけど、負けたので口封じってことはあるかも。

忠隆廃嫡はいきなり(ガラシャが死んだけど嫁は脱出したってのはとっくに知っているはず)ですねえ
これも忠隆室の脱出の件は名目だけのような気がする。
でも前田との縁を切って、秀忠に気に入られている忠利を跡継ぎにするためにしてもタイミングが唐突。

あと領民に嫌われていたってのは初耳。
肥後への国替えのときも中津の町人が付いていったりしている。
400人間七七四年:2008/01/26(土) 20:25:49 ID:nCQZXNrh
一色は潰しとかないと
本能寺のどさくさでひっくり返される危険はあったわけだし
401人間七七四年:2008/01/26(土) 21:17:05 ID:tnvVDB82
あの当時は現地の土豪謀殺なんて細川に限ったことでない。
結構その手を使って領地平定してた時代。
黒田親子が宇都宮鎮房に対しておこなったのと同様。
402人間七七四年:2008/01/26(土) 22:24:46 ID:bDDGUiJg
>>398 あと70の時にも娘誕生させてるよ。
403人間七七四年:2008/01/26(土) 23:34:54 ID:ZI56/e7i
子孫繁栄、いい事じゃん
つか子供多く作るのは大名の義務だぞ
404人間七七四年:2008/01/27(日) 18:37:03 ID:Ax2or/p+
70越えてできた娘云々についてもう爺さまになってからで老耄としてる年代だから
しょうがないんじゃない?忠利も光尚に「三斎様ますます短気でこらえ性なく」と
心配してる手紙書いてたし・・・。

四男以降については、あの当時忠利が結婚後何年経っても子ができず
更に忠利も病弱で早世する可能性あったから、お家存続のため跡継ぎ候補作っ
とく必要があったからだしね。

405人間七七四年:2008/01/27(日) 18:45:55 ID:C/G1xzdr
泉谷しげるみたいに何に対してもキレまくり爺な忠興を想像して和んだ。
手のかかる爺さんだったんだろうなぁ。
406人間七七四年:2008/01/27(日) 18:50:36 ID:DEhU2shg
>>405
泉谷のは芸だが、こっちはリアルだけどなw
407人間七七四年:2008/01/27(日) 23:31:09 ID:+oXMIPWT
師の利休は切腹させられるし、仲良かった友人とも切り離され
(氏郷は病死・右近は国外追放・利長とは付き合い禁じられる)
玉とも死に別れだし。かわいがってた孫娘も産褥で死んじゃうし
興元、忠利・光尚親子や興孝とかとは不和になったあげく、
溺愛してた立孝には先立たれと、考えてみるとかなり寂しかったんでないの。
妾をとっかえひっかえしてたのもそのせいでは?
408人間七七四年:2008/02/03(日) 00:45:14 ID:XiUudwQh
忠利の幼名・光(光千代)はもしかして光秀からとった?
409人間七七四年:2008/02/21(木) 00:01:54 ID:3yk1b873
高桐院の例の墓って、忠興の遺言により「自分と玉の墓塔とするように」
ということで灯篭が墓石になったらしい。(住職談)
忠興の遺骨のうち、歯が埋葬されてると説明にあった。
410yoko*:2008/02/21(木) 00:26:58 ID:g3SVLWCl
細川幽斎は確か中学・高校と国語便覧で名前を見ました。
411人間七七四年:2008/02/21(木) 00:57:59 ID:JBStUatb
結局、勝ちそうな方に付く家柄じゃん。
明智光秀 対 秀吉の時もそうだし
石田三成 対 徳川家康の時もそうだし
熊本の殿様といったら、加藤清正の方が
豊臣家一筋に忠義を尽くしたから好感度が高い。
412人間七七四年:2008/02/21(木) 09:55:57 ID:3qTHh90U
だね。後世の人からすれば藤孝は良く見られない。
413人間七七四年:2008/02/21(木) 15:33:43 ID:zQEZzTIS
>>411
でも常に勝つ前に身代賭けてるんだよ?
で、負ける前にすばやく乗り換える。
それで室町末期から江戸初期までを常に権力中枢で泳ぎきったんだから尋常じゃない。
414人間七七四年:2008/02/21(木) 17:22:24 ID:31WecVxH
>>411・412 もし当時の人から卑劣漢みたいに思われていたのなら、田辺篭城の際
攻城の将の何人かが(西軍にくみしたものの)矢を射掛けるのをあえて
しなかったり、わざと空砲でうったりと手加減してくれるだろうか?
415人間七七四年:2008/02/21(木) 20:46:08 ID:BxSU4mUZ
>411
>石田三成 対 徳川家康の時もそうだし

を「勝ちそうな方に付く家柄」と称すのならば

>熊本の殿様といったら、加藤清正の方が
>豊臣家一筋に忠義を尽くしたから好感度が高い。

の清正も「勝ちそうな方に付く家柄」だよな。
清正も東西両方から誘われたのだから。
416人間七七四年:2008/02/21(木) 21:39:10 ID:zdiw+/dc
つーか、普通は「勝ちそうなほう」に付くよな、中世の武家は。
その目算が外れて滅亡しちゃうことが多いけど。
去就を正当化する理屈は後から付いてくる。

負けそうと思いつつ付いた例というと、鎌倉時代の毛利 季光とか関が原の大谷吉継あたりかね?
417人間七七四年:2008/02/22(金) 02:25:01 ID:9bVZxUnr
>>416
江戸時代と同じような感覚でとらえられないですしね。
南北朝期など、有利なほうへコロコロ寝返ったりするので、非常にカオスなことになってる。
418人間七七四年:2008/03/05(水) 00:11:59 ID:uDGjmYHa
小倉城の普請がはかどらないのに苛立った忠興は現場監督となっていた者を
手討ちにしたと小倉城の説明書きにあった。
これじゃあ、例の庭師(屋根師?)手討ちもホントだろうな。
419人間七七四年:2008/03/05(水) 01:07:35 ID:Vo6heZ1w
なんかでかい岩を動かせなくて監督手打ち、その後動かせたってやつ?
420人間七七四年:2008/03/05(水) 07:50:23 ID:VbauPos0
忠興とはその様な男。
たいした武将ではないよ。特に人として。
421人間七七四年:2008/03/05(水) 10:17:42 ID:RNUWo2n4
こいつ、短気すぎwwwww けど、武人としてはキレやすいから結構強いよなw
422人間七七四年:2008/03/06(木) 20:09:51 ID:wVeQp6iY
親父の幽斎は塚原朴伝から「一の太刀」を、息子の忠利は「柳生新陰流」の
白紙の相伝とそれぞれ受けてたが、忠興はなんもない。
423人間七七四年:2008/03/06(木) 23:41:16 ID:kUOy3/jt
というか、忠興の世代だとそんなの修めている時間が無いと思う。
同世代の武将でその手のを受けたのっていたっけ?
424人間七七四年:2008/03/07(金) 08:08:54 ID:gj+0+Zi6
立花の宗ちゃんとか?
425人間七七四年:2008/03/07(金) 10:00:05 ID:yuGvT8v1
剣術習うのが盛んになったのが、むしろ平和になった関ヶ原以降くらいですからね。
その時期に成長した世代だと大名個人でも熱心に習う人が出てくる。

426人間七七四年:2008/03/07(金) 16:21:23 ID:Mh/mIKio
>>422
幽斎は上様と一緒に剣術の修練をしてそうだ。
427人間七七四年:2008/03/08(土) 11:25:50 ID:iEYiyDKx
つか幽斎は塚原卜伝の弟子じゃなかったっけ、一応?
多分、誇大広告だろうけど一の太刀まで会得したって何かの本で読んだよ
428人間七七四年:2008/03/21(金) 17:57:20 ID:nlf9N7Gn
関ヶ原の時代じゃ既に人間国宝扱いだったのもうなずけるな
そんなオヤジを降伏したと罵る息子・・・
429人間七七四年:2008/03/23(日) 06:21:05 ID:xf7Qqu/L
卜伝は将軍家の指南役だったけど
具体的に何年まで幽斎と関わりがあったのだろうか
430人間七七四年:2008/04/19(土) 00:22:46 ID:63GDwe2g
妻お玉の手紙にも
「旦那様が下人を切りました。まあ使えない人だったからしょうがないかな」
とかかかれてたんで、かなり殺伐としてたり、
家中の者に刃を振るってたのは事実だと思う。
431人間七七四年:2008/04/19(土) 00:44:51 ID:uhrHdSps
お玉がそう書いていたなら、
当時は普通だったんじゃね?
432人間七七四年:2008/04/21(月) 12:52:55 ID:LYRu/ptS
酔った勢いで切腹命じる大名もいたしな
433人間七七四年:2008/04/26(土) 18:55:40 ID:sCCCNKAa
井伊直政もささいな家臣のミスを許さずすぐに斬り付けてたそうだから
そういう人多かったんじゃない?
434人間七七四年:2008/04/27(日) 21:06:42 ID:P4uDPCdZ
細川忠興と井伊直政の二人だけで
戦国の常識を決められた日にゃあ‥
435人間七七四年:2008/04/27(日) 21:16:57 ID:zcOfFtWR
その2人は日本の戦国時代を代表する人間の極北・歩くシベリア流刑ですものね
436人間七七四年:2008/04/27(日) 21:42:12 ID:TVVecSCS
>>492 卜伝は1556〜72年にかけての武者修行の途上京に滞在した折に
義輝と幽斎に「一の太刀」を授けたそうだ。
437人間七七四年:2008/05/03(土) 17:28:18 ID:drT++qj/
将棋で勝ったら斬り殺された奴もいたな
438人間七七四年:2008/05/09(金) 00:23:14 ID:K26Pc7XF
忠興の素敵なエピソード
・嫁の顔を見ただけの庭師をブッ殺しちゃう
・嫁のご飯に髪が入っているのに立腹台所人をぶった切る
・息子達とことごとく不和に
・関が原で開城した親父が気に食わず俺が初代なんで、前のことは知らんとか言っちゃう
・その他手討ちの雨あられ

これ気違いの顔ですわ
439人間七七四年:2008/05/09(金) 00:23:52 ID:K26Pc7XF
すまん、誤爆ですわ
440人間七七四年:2008/05/09(金) 00:27:09 ID:H+0WdqFy
>>438のどこがスレ違いか理解できない
441人間七七四年:2008/05/10(土) 17:07:51 ID:qgDgTJwR
Wiki見てたら妻絡みの性格は置いとくとして
藤孝より忠興の方が結果的に有能な気がしてきたんだけど違うのかな?
具体的な戦歴・諜報活動も多いし、最終的に得た石高も多いし。
442人間七七四年:2008/05/10(土) 17:19:16 ID:qgDgTJwR
あと、関係ないんだが
忠興・興元の生まれも母親も同じってなってるんだが
同年内に2人生んだってこと?双子じゃねえよな?
443人間七七四年:2008/05/10(土) 17:29:24 ID:RkLZIRmk
>>442
忠興の生年月日がだいたい固定されている一方で、興元の方は諸説あり。
wikiは、一番あてにならない説を引用したのかも知れません。
444人間七七四年:2008/05/10(土) 17:31:19 ID:qgDgTJwR
>>443
なるほど。では他の説では何年生まれ説があるんですか?
445人間七七四年:2008/05/10(土) 17:48:11 ID:RkLZIRmk
1564〜1566年まで。
ちなみに1562年説もありますが、これだと忠興の同母兄となってしまいますので、
こちらの信憑性にも疑問符が付きます。
446人間七七四年:2008/05/10(土) 21:14:56 ID:qgDgTJwR
>>445
ありがとう。参考になった
447人間七七四年:2008/05/16(金) 13:00:51 ID:hA9mjLqq
幽斎は普通に有能でしょう
448人間七七四年:2008/05/18(日) 18:32:48 ID:E8BQj1Rd
南禅寺・天授庵に幽斎・興元の墓があり、大徳寺・高桐院に忠興ってことは
やっぱ別家という意識からかな?
449奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/05/18(日) 21:04:34 ID:76mLoTKx
そうだろね。
450人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 18:23:30 ID:cccVKFL4
>>448
そうだろうね。
興元は藤孝の跡を継いだと思われる証拠を多分に残しているし
忠興は強く細川輝経家の継承者を意識した伝承が残っているから。
藤孝と忠興は血がつながってるのに無茶苦茶仲悪かったらしいね。
451人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 15:17:18 ID:l3UODRpp
藤孝と忠興は実の親子でも系譜上違う家の人間てことか・・・。
勉強になりました。
藤孝の細川より輝経の細川の方が格が上なの?。
細川昭元さんちが一番いい細川なんだよね?
京兆家ってゆーんでしょ?。
452三十吉@86石(わらじ取り):2008/06/02(月) 21:04:18 ID:Mr61WVQp
京兆家は細川家嫡流だし、「格」としては上。
ただ一番いい細川家・・・かはわからん。
徳川の松平だって嫡流は信康で終わりだし。
453人間七七四年@全板トナメ開催中 :2008/06/02(月) 21:04:57 ID:Mr61WVQp
しまった、誤爆った。
454人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 21:52:04 ID:8y8CGmFI
全然誤爆じゃないように見えるのだが
455人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 22:14:28 ID:CAauaSF4
京兆家も細川家本来の流れからすれば、傍流なんだけどね。
456人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 16:07:57 ID:GVXMRJtN
和氏の子孫か
清氏と正氏の後も続いたらしいけど・・・
457人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 15:14:48 ID:SJHvhUSz
>>455
たしかにそれはそうかもですが、ここではそれは置いといて・・・。
和泉半国守護家と奥州家、家格はどう違うの?。
奥州家とは、どんな家格なの?。
守護になったことはないんだろうか・・・。
458人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 20:14:26 ID:EhU5AiLr
>>452
信康は嫡子だったか否かの立証が難しい。
徳川氏(安祥松平)が松平傍流なのは将軍家が認めている。
459人間七七四年:2008/06/11(水) 13:25:35 ID:r0iZiV1n
>>457
細川氏の各守護家の序列としては、
京兆家(讃岐守護家・上屋形)>阿波守護家(下屋形)>その他 みたいだけど
守護家ではない典厩家や野州家のほうが(一般の)守護家よりも権威が高そうだったりするし、
幕府の力が衰えて大名や国人の官位の秩序がくちゃくちゃになってしまった藤孝の時代に
前の時代の家格がそのまま適用するかどうかも判らないと思いますよ。


460人間七七四年:2008/06/12(木) 11:01:16 ID:Hysj4nYO
>>459和泉半国守護家よりも守護ではない奥州家のほうが
前の時代には格が上だったってこと?
461人間七七四年:2008/06/12(木) 15:41:20 ID:6E+87kt3
462人間七七四年:2008/06/12(木) 21:33:10 ID:+bWNojXZ
>>460
>和泉半国守護家よりも守護ではない奥州家のほうが前の時代には格が上だったってこと?

全然そんなことは言ってませんが?

守護家よりも、典厩家や野州家のほうが細川一族内では発言力が強いと見られる例がある。
 ・京兆家に養子を出している
 ・京兆家の当主が幼少のときに、代理のような立場になっている
 ・京兆家の屋敷に宴会などで一族が招待されるときに、守護家は招かれず典厩家のみ招かれている例がある
とか。

これが、たまたまなのか(年齢や能力が他の家の当主より上と評価されたとか)、家格として確立していたかは判らないので
守護というポストの有無で、どちらの家が格上なんてことは判断できないのではないかと言いたかった。
463人間七七四年:2008/06/14(土) 20:46:45 ID:S+P1gVjc
熊本の県立美術館でやっている永青文庫展に行ってきたんだけど、
細川元常関係の展示のところで、

 藤孝を養子に迎えたのは義晴からの命令があったためだが、元常には実子もいたので不満だったのではないか
 元常は細川家伝来の品を全部菩提寺永源庵に寄進して藤孝には渡さなかった というような解説が付いていました。
 (今は永青文庫所蔵の細川家伝来の品々は、江戸時代に入ってから細川家に戻ったとのこと)

この元常の実子は、その後どうなったんだろう?


464人間七七四年:2008/06/15(日) 11:13:05 ID:duuVRLtj
>>463
朝廷に地下の公家として仕えたんじゃなかったっけ?
明治維新が無かったら堂上になってた!と聞いたことがある。
なんでも・・・三代続けて、ある役職をすると堂上になれたそうだ。
もしそうなっていたら官職の上では熊本藩主より上になっていたかも。
堂上なら近衛中将くらいにはなれたんじゃない?。
465人間七七四年:2008/06/22(日) 12:43:51 ID:3+3J9Ulw
koeiの戦国無双2だと、ドメ夫さんがガラシャを自殺に追い込んで、
西軍の評価を下げようとしたとかいう悪人設定なんだよなあ。
なんで忠興ってこんなに人気ないんだろ?
466人間七七四年:2008/06/22(日) 20:00:32 ID:0BHGImKw
ドメ夫とかいって何を今さらw
467人間七七四年:2008/06/24(火) 21:27:16 ID:E93JgY+H
>>467 有名作家(司馬遼太郎、永井路子、松本清帳等)の小説では
どれもガラシャの不幸の大半は忠興にある的な描かれ方してて、みんな
それらを参考資料にしてるからでないの?
468人間七七四年:2008/06/25(水) 21:40:58 ID:Cxi8Fguw
忠興好きなんだけどなぁ。イイヨー、理解しがたい文化人

すんごい感性してそう
469人間七七四年:2008/06/25(水) 21:52:45 ID:A9rXzuB8
>>468
三斎流の具足は前衛芸術と言っていい。
470人間七七四年:2008/06/25(水) 22:03:32 ID:o5uWwlb3
>>465

関が原では他の大名の妻女は無事だったわけで。(ガラシャの行動が人質作戦を頓挫させてしまった側面はあるかもしれないけど)
国許や有力な知り合いの大名家を頼ったりして。
現に細川家内でも、国許に帰るとか長男の嫁の実家の前田家を頼ってはどうかって意見があったのに
結局ああいうことになったのは忠興のせいって思われているからじゃないの?

女性だと嫉妬深くても、あんまり非難されないのは確かにありますね。
前田利家の妻の松なんかも、お手が付いた侍女に対する扱いとか酷いんだが。

471人間七七四年:2008/06/25(水) 22:10:01 ID:A9rXzuB8
まあ
ttp://sports.geocities.jp/umazukike/Gv4p0651.jpg
こういうのを考え出せる人間は、やっぱどこか変だと思うんだw
472人間七七四年:2008/06/25(水) 22:24:40 ID:Cxi8Fguw
>>471
カコヨスw

ひねり具合にカオスを感じるwww
473人間七七四年:2008/06/26(木) 10:50:23 ID:P8B/5YFJ
そもそも忠興って本当にDV男だったのかな
歴史小説はみんなDV設定だけど、本当に愛してるんなら暴力なんぞ振るわんよなあ
侍女とか庭師とか周囲の人間に爆発することはあっても、
ガラシャ自身に直接暴力が振るわれたっていう史料はあったっけ?
474人間七七四年:2008/06/26(木) 11:16:42 ID:Vst12sy8
つ DVは肉体的な物ばかりとは限らない
475人間七七四年:2008/06/26(木) 21:48:35 ID:0hDOLQhN
周りの人間の首スパンスパンはねたり超束縛してたりは
戦国基準でもDVと言って差し支え無いと思う
476人間七七四年:2008/06/27(金) 13:12:51 ID:ja6sOlRd
身近な人間ってのが味噌かねやっぱ。
まぁガラシャがDVと思ってたかはわからんがw
477人間七七四年:2008/06/27(金) 14:29:31 ID:U1SZ2OlK
結局は被害者(この場合はガラシャ)がどう思っていたかなんだよね
wikipediaには“夫婦仲はよかった”とか書いてあるが
478人間七七四年:2008/06/27(金) 21:02:06 ID:mPgudvkw
愛が強すぎただけさ
479人間七七四年:2008/06/28(土) 13:01:04 ID:oNUc6Ycf
いくら玉が美女だったからって新婚の頃はともかく、夫婦を何年も続けていれば愛情の形ももっと穏やかなものに変わっていかないか?
玉がとんでもない色気の持ち主だったのか、それともやっぱり忠興が変人だっただけなのか
480人間七七四年:2008/06/28(土) 13:08:03 ID:7yHNqgyE
>>479
そう言うプレイだったんだよ。
481人間七七四年:2008/06/28(土) 14:11:43 ID:/5DJatBT
ヤパーリ忠興がhentaiという事でファイナルアン(ry
482人間七七四年:2008/06/28(土) 14:43:50 ID:Ulr3GhNu
ここでガラシャhentai説

(ああ、わたしのせいで侍女たちが耳鼻そがれて追放されてるわ…ぞくぞく)

(今度はみさかいなく庭師の首ちょっきんしちゃったわ。かわいいところあるのね。)

「鬼の嫁には蛇がお似合いでしょう。」
(ほら、後悔した顔してる。もっと見せて。)
483人間七七四年:2008/06/30(月) 21:53:05 ID:YSxdx837
狂人系大文化人と対等につきあえるガラシャタンもぶっ飛んでるよ。
あぁこの夫婦好きだ…
484人間七七四年:2008/06/30(月) 22:40:11 ID:Gh6cKXwx
>>479普通は年を経るについて倦怠気味になってくもんだが、こいつらの場合、
2年も引き離される→好色な天下人に狙われる→キリスト教信仰で騒動etc
と波乱万丈な展開がずっと続いているからね。更に言えば関が原以前は忠興は
結構戦で留守がちだったし、戻ってきても領地の宮津で過ごす日々の方が多く
玉と会えるのは上阪した時だけだった。その分新鮮味が薄れなかった(飽きが
こなかった)んでないの?

485人間七七四年:2008/07/02(水) 21:11:44 ID:SvW0IMBx
他スレでの忠興タン罵倒にショックうけたwwwwそんな嫌いなのか…
486人間七七四年:2008/07/03(木) 01:05:17 ID:prWwA9Bl
>>484
岳宏一郎の群雲、関が原への二人がそんな解釈だったな。
二人の間に障害があるからこそ愛が燃え上がった的な。
487人間七七四年:2008/07/03(木) 19:49:25 ID:SS1N//64
>>485
ひどい癇癪持ちの人殺しだったのは確かかもしれんけど戦国時代の感覚から
言うとそこまで常軌を逸してたわけでもなさそうだし(ちょっとやばいなくらいは
思われてそうだけどw)
ガラシャの軟禁だって実際異常な状態だったか真偽は不明(宣教師の勘違い説)
軟禁したからガラシャが死んだってわけでもないし
キリスト教自体はガラシャの死の前からむしろ保護してる状態だったみたいだし…

自分がひいきしすぎなのかな…そこまで嫌われる要素があると思えん
どっちかというと颯爽とした青年武将期から政治家として縦横無尽に活躍しつつ
文化人としても大成ってイメージが強いわ
488人間七七四年:2008/07/03(木) 21:28:20 ID:wYO0yP9Y
>>487
室町期の教養を近世の世に昇華した人、って感じがあるね、忠興には。
489人間七七四年:2008/07/03(木) 21:46:57 ID:PxFL+80h
基本的に側室は(主従関係になるんで)忠興に対して従順だが、
珠はいうことを利かないどころか口答えしたり逆らってばかりで
いわゆる「思い通りにならない女」ってとこがポイントかも・・・
490人間七七四年:2008/07/04(金) 11:01:25 ID:wfqMJQAI
思い通りにいかない女の方が燃え上がるってわけか
491人間七七四年:2008/07/04(金) 14:56:19 ID:y4EWLzc9
>>485 これとか?
20 :人間七七四年:2008/07/01(火) 23:28:34 ID:K+63uZYZ
忠興はどうなん?俺の印象的には悪人

19:2008/07/01(火) 23:57:40 ID:NkN6JFX4
学校で習った限りでは、忠興は文武両道の立派な人だと思ってたんだよ。
それが調べれば調べるほど、
父親や子供への対応とかろくでもない所業が出てくる出てくる。
…文武両道の人であることは間違いないと思うんだが。

25 :人間七七四年:2008/07/02(水) 03:02:17 ID:9xMeYvov
忠興なんて基地外じみたエピソードばかりだもんな


26 :人間七七四年:2008/07/02(水) 03:38:19 ID:IOstKuma
まぁ忠興は、一色氏との戦いで一色義定に姉妹を嫁がせて和睦したあと
義定を謀殺して報復として突撃してきた一色義清を討ったあと
敗残兵を皆殺しだもんな名門のやることじゃない

27 :人間七七四年:2008/07/02(水) 09:05:16 ID:6MfQKday
調べれば調べるほど「こいつの家よく生き残れたな…」と思ってしまう
それが忠興クオリティ


全員じゃないが、住人の中には撫で斬りとかそういう行為への
不快感をそのまま武将の全評価につなげちゃうっていう類の
人もいるようだから、気にしないのがいいと思われ。
492人間七七四年:2008/07/04(金) 15:55:58 ID:P8lD+DTW
山本博文の「江戸城の宮廷政治」なんて読むと、忠興と言う人間が、世間全体の流れを的確に読み、
細かい心遣いも勇断も出来、さらに腹芸での政治遊泳も出来る相当な人物だと言うのが良くわかる。
好む好まないは別として、家柄関係なく、現代社会でも間違いなく出世するタイプ。
493人間七七四年:2008/07/05(土) 00:00:44 ID:VsbDHP2s
>>491>>492世の中に怨念というものが存在するなら・・
この一族は丹後一色一族および家臣には子々孫々呪われるはず・・
怨念というものが実在するなら・・
494人間七七四年:2008/07/05(土) 13:23:33 ID:3LiVirsJ
>>492
そして忠興の性格の悪さもよくわかるという諸刃の剣。

あんなにネチネチと説教されてたら忠利が細々と気を使う(使いすぎて他人に嫌われたりする・・・)性格にもなるわなあ。

黒田如水・長政あたりもやっていることは変らない(地元旧勢力のだまし討ちとか、一族家臣とのぎすぎすした関係など)のに
忠興ほど嫌われることはあまりない気がする。
(長政も好かれるタイプではないだろうけど、生理的に嫌いとかいう評価は少ないイメージが。単に知名度の差?)


495人間七七四年:2008/07/05(土) 18:38:21 ID:K3MgVhfU
忠興と長政の世間一般の評価の差は、
美人の妻をDVってたか 妻といちゃついてたか というイメージの違いじゃなかろうか。
家庭での振る舞いひとつで人間性全部を評価されてしまった忠興の不幸とでも言おうか。
496人間七七四年:2008/07/05(土) 18:59:24 ID:NlXW5v3Z
そうかなあ黒田長政は病んでる人どころではない嫌われ方してる印象。
性格が地味に普通な上で地味にこつこつ騙し討ちとか裏切りの斡旋とか
嫁離縁とかしてるからある程度仕方ないけどな!
長政好きの俺にもフォローしにくい。
497人間七七四年:2008/07/05(土) 22:46:34 ID:nP7N0NL7
DV野郎細川忠興 vs パワハラ野郎黒田長政

・・・藤孝の話題余り出てませんなぁw
まあ忠興が強烈すぎるし
498人間七七四年:2008/07/06(日) 10:14:01 ID:k2Ocq0MP
あ、黒田長政か!
長政と聞いてすっげえナチュラルに浅井長政だと思ってた。
なんで浅井が嫌われるんだろう? とか思っちゃったぜ。
499人間七七四年:2008/07/06(日) 16:34:01 ID:KkgrOmG6
長政は又兵衛を追放して刺客を差し向けたり迫害した事が男を下げたが、
父親や又兵衛のせいで小物っぽく扱われる事が多い気の毒な人物でもある。
忠興はそこら辺、父とは別に超然としてると思う。
500人間七七四年:2008/07/06(日) 16:51:18 ID:K5CrtqJ/
黒田長政
浅野長政
浅井長政
501人間七七四年:2008/07/06(日) 16:56:22 ID:dpXF9Nji
山田長政
502人間七七四年:2008/07/06(日) 17:30:03 ID:K5CrtqJ/
織田長政
池田長政
上杉長政
小笠原長政
503人間七七四年:2008/07/06(日) 18:40:07 ID:Sf/oYdz3
>>492
>山本博文の「江戸城の宮廷政治」
といえば最後の方忠利が危篤に陥った時の忠興の手紙はちょっとぎょっとした
あそこだけ忠興の中の人が違うみたいだった
504人間七七四年:2008/07/06(日) 19:14:15 ID:K5CrtqJ/
>>503
「忠利の病気、ずっと私に隠して、良い良いとばかり言っていたので、そうかと思っていたところ、
今日十四日、急に危篤だと知らされ、驚いて八代を三時半後ごろに出、熊本に夜の十時に付き、
忠利の様子を見たところ、もう駄目で、私の事もわからず、目も明かない様子だった。

ああ…、とにかく酒井殿や柳生殿に相談してお暇をもらい、急いで帰国してきてくれ。
私は混乱して、なにがなんだかわからない」


やっぱり人の親ですよね。
忠興八十歳の時の賀歌

 思いやれ 八十のとしの くれなれば そこはかとなく 物ぞかなしき

臨終の言葉

『皆共が忠義、戦場が恋しきぞ!いづれも稀な者共ぞ!』
505人間七七四年:2008/07/07(月) 09:12:23 ID:otg/09dN
忠興と長政はそれぞれ能力の似た、より優秀な父親を持っているんだけど
忠興は実にストレートに嫌っているのに対し
長政はすごく複雑にコンプレックス持ったりリスペクトしたり、むつかしいんだよね。

で、親父同士はまったく違ったタイプなのに普通になかよし。
息子同士はいわずもがな。
506人間七七四年:2008/07/15(火) 21:53:25 ID:Jn59Nqni
>>504
その本読みたくなった。サンクス
507人間七七四年:2008/07/18(金) 15:04:48 ID:6rB/Ehx1
>>505
関ヶ原合戦後、細川と黒田は一触即発の事態になったはずだが・・・
508人間七七四年:2008/07/18(金) 15:10:26 ID:zdWOGiYv
>>507
「親父同士が」仲良し、って事だろ。
509人間七七四年:2008/07/18(金) 21:23:11 ID:f00myab0
>>42
>>43
長政と忠興は関が原までは普通に仲よかったと思うけど。
三成弾劾の七将にお互い入ってたりするし。(メンバーに異説はあるけど)

仲悪かったら、松井康之が黒田勢に応援頼んだことで、康之に対して根に持ちそうな性格だし。忠興は。

豊前の引継ぎで黒田が先取りした年貢を返さないことが発端で、お互いの重臣の出奔に手を貸したってことで、敵対関係になるけど。



510人間七七四年:2008/08/27(水) 06:15:27 ID:okod4AnX
興秋の守役は飯河宗祐らしいけど、他の息子たちは誰がついたんだろう?
511人間七七四年:2008/08/27(水) 21:17:00 ID:MDMSw1JK
忠利は小さい頃「自分には兄が二人もいるし、病弱だから養子にやられるか
寺に入るしかない」みたいに嘆いてたそうで、実際愛宕山の福寿院に入れら
れてたそうででちゃんとした守役いたのかな?
同年代にお付の者はいたみたいだけど。
512人間七七四年:2008/08/28(木) 15:14:25 ID:uP49F0F9
忠興と父との確執の表れは、お玉との婚姻の時、
羽織の家紋を、細川のものにするか、今の長岡のものにするかで刀を抜いての争いになったり。
本能寺の変の時は、明智に味方しない忠興を父藤孝が殺してまで出陣しようと、もみ合いになり、
忠興が藤孝から刀を奪い、結果剃髪し信長の喪に服すという忠興の考えを通した。
本との親子かいなと思えるようなエピソードがイッパイ
513人間七七四年:2008/08/28(木) 16:34:49 ID:tNJlFnDY
やっぱり忠興って鴨川でひらってきた(以下自粛
514人間七七四年:2008/08/30(土) 19:11:04 ID:3Wq0o/m3
忠興を鴨川で(鯵のように)開いてきた、に見えた…。
忠興なら侍女とか家臣とか何人か開いていそうだが、
藤孝はそんなことしねーよ、とか素でつっこんでから、
タイポということに気づいた。
515人間七七四年:2008/09/02(火) 02:58:19 ID:PlzwlLTB
>>515 tamatukuri
516人間七七四年:2008/10/10(金) 23:37:07 ID:ey24eKID
忠興はガラシャに執着しててもその息子たちはどうでもいいみたいだね。
立孝ばかり可愛がるし、宗家は途中で立孝の系統になるし。
517人間七七四年:2008/10/11(土) 16:44:01 ID:ta3y7Xth
>>516
忠利とは膨大な数の手紙のやり取りをしてるんだよね。
かなり小うるさく口出しして、忠利も「最近父上はますます
こらえ性がなくなってきた」と書き残していたりする。
518人間七七四年:2008/10/11(土) 23:17:13 ID:CMAr796c
奥方好きの遺伝子は幽斎→忠興→忠隆にしっかり受け継がれているようだ
519人間七七四年:2008/10/11(土) 23:32:24 ID:Cd646EPf
>>517
>>503にもあるように息子達に愛情が無かったわけではないのだろう。
ガラシャへの仕打ちを考えるとかなり歪んだ愛情みたいだが。
520人間七七四年:2008/10/15(水) 23:54:46 ID:PAWxvfJU
忠興の意外な面:
荒木村重の女房衆が処刑される時、同情してた・・・
521人間七七四年:2008/10/16(木) 03:24:52 ID:Gjs070Of
地味に松井康之(現代人みたいな名前だな)が好き
522人間七七四年:2008/10/16(木) 18:07:39 ID:QDu17a+W
沢村大学が好きな俺は間違なく異端
523人間七七四年:2008/10/20(月) 19:35:30 ID:nwbWpE4A
>>520
村重の息子も召し抱えてるんだよね
524人間七七四年:2008/10/20(月) 21:43:57 ID:iWeh10bL
藤孝は俺の中では真田昌幸を強化した感じって位置づけだな〜
肥とかの評価は真逆だが、世渡りの巧さといい、戦での実績といい完全に藤孝が上をいってると思うんだがな〜
特に田辺城は篭城戦として考えうる最悪のシチュエーションの中であの長期間耐え凌いだからな。
525人間七七四年:2008/10/20(月) 22:16:02 ID:V5e4ASyH
>>524
攻め手があんまりやる気がなかったからな。
526人間七七四年:2008/10/20(月) 22:27:37 ID:iWeh10bL
>>525
その手の事言い出したら上田城だって似たようなもんだろ。
527人間七七四年:2008/11/02(日) 01:53:38 ID:yOzsRQjp
ほそかわただおきんたま
528人間七七四年:2008/12/04(木) 17:29:56 ID:78PWIz5U
今週のへうげもの、利休見送りシーンだったけど、テンションおかしかったなw
529人間七七四年:2008/12/04(木) 19:55:49 ID:vrGi4FMx
ラストシーンまで我らが細川家は肉体言語だったしなw
530人間七七四年:2008/12/07(日) 00:21:57 ID:GY+61s55
ここの過去ログで細川家家臣についても語られてるが、「下津権内」をスルーしてるな。
岩成友通を討ち取った有名人なのに。
531人間七七四年:2008/12/07(日) 07:58:20 ID:02o07Fwq
下津って手柄を自慢していて忠興にお前うぜーよみたいなキレ方された人だっけ
532人間七七四年:2008/12/16(火) 23:34:34 ID:cRvh4zly
忠興・玉は本能寺前は、白洲次郎・正子夫妻みたいな雰囲気だったのかな?
533人間七七四年:2008/12/17(水) 22:56:31 ID:H7cXXKCS
>>530-531
この人か
http://www.j-sampo.com/sengoku/2007/10/post_623.html
http://www.shinshindoh.com/oie-3-1.html

下津権内(一通)は天正五年に戦死となってるから、
忠興と揉めたなら忠興は14-15歳くらいか?
534人間七七四年:2008/12/18(木) 22:35:52 ID:CIkMQL9p
>>533 本能寺後は高村光太郎・千恵子夫妻みたいになった?
535細川徳生:2008/12/21(日) 22:46:36 ID:ycucWCtd
細川徳生

被告、株式会社チャンスイットにドメインの返還を要求する、
公開質問状と内部告発と損害賠償請求事件で裁判中です。
集団ストカー・インサイダー取引・中野サンプラザ問題
巨大組織の細川徳生グループと戦っております。
まるで、巨象と蟻の戦いです。宜しくお願い致します。
536sage:2008/12/26(金) 18:13:32 ID:uvBBxBOX
>535 なんだちみは
537人間七七四年:2009/01/01(木) 19:39:20 ID:MQDx4vVW
柴田錬三郎の剣鬼シリーズにも忠興出てたけど、
美少年を閨に引き込もうとして(!)拒絶されたり、
最後には男根切り落とされたりと、散々な役だった…
538人間七七四年:2009/01/03(土) 11:10:29 ID:FBNQUYm1
忠興は禁止令出すくらい衆道嫌ってたのに..
539人間七七四年:2009/01/03(土) 23:47:21 ID:2YBVeM51
忠興は干し柿が好物だったそうで、三成はそれをダシに関係修復を
試みたけどダメだったつう話が残ってるが
三成もつまんない手を使うね
540人間七七四年:2009/01/03(土) 23:49:43 ID:pCwaVxZQ
>>539
そんな珍説があるのかw
541人間七七四年:2009/01/04(日) 00:28:29 ID:QI5j83zM
干し柿とはまたw
542人間七七四年:2009/01/04(日) 01:00:44 ID:z9ZA/feM
忠興の頑固さっつーか三成の付き合い下手が忍ばれるお話ですなw
つーかそんなんで吊れたら苦労しないだろ。相手忠興だぞw
543人間七七四年:2009/01/04(日) 01:32:30 ID:+xI16PLc
>>539
これか

石田三成と細川忠興が仲たがいをしていたのだが、石田三成からの申し入れで、前田玄以を仲介して
仲直りすることになった。
その席で、三成は、忠興に仲直りの挨拶もせずに、盆の上に載せた柿を忠興の前に置いて、
「越中守(忠興)は柿が好物だと聞いたので持参致し候。それがしのことは気にせず食して頂きたく候」
と云った。
544人間七七四年:2009/01/04(日) 01:42:28 ID:JJV5PSvR
>>543
こんな不自由な人が実在したことも政権の中枢にいたことも信じられないネタに違いない
反射的にそう思った
545人間七七四年:2009/01/04(日) 01:44:29 ID:+xI16PLc
子供をあやしてるわけじゃないんだからなあw
546人間七七四年:2009/01/04(日) 11:49:54 ID:z9ZA/feM
>>543
これはちょっとシャレにならんくらいひどいなw
同席していた(と思う)前田玄以の心境や如何に!
547人間七七四年:2009/01/04(日) 21:34:45 ID:jm6GqbrW
>>543
仲直りどころか、火に油を注いでるだけだな。
つーか忠興もアレだけど三成の対人交渉能力も結構破綻してるんだな。
548人間七七四年:2009/01/05(月) 15:56:34 ID:9mxzZfPm
忠興の性格について家族よりコメント
「性格が豪強」父・幽斎より
「引くことを許さない人」妻・玉子より
「人の言うことを少しの疑いもなく受け入れ、
感じたままを受け入れる人」息子・忠利より
549人間七七四年:2009/01/07(水) 20:57:41 ID:x9mu8Fcp
>>543
逸話のネタ元は何だよw
550人間七七四年:2009/01/07(水) 21:16:10 ID:7cxILCkm
>>549
細川家の文書「綿考輯録」
551人間七七四年:2009/01/07(水) 23:59:35 ID:IOwowkqR
>>548 『戦国悪い話4」で質問出てたんで、忠利コメントの解説。
   忠利が酒井忠勝に宛てた書状の一文。文面からすると
   「(一徹な、激しい性格は)幼児のような純粋で邪気のないもの」
   という意味らしい。
552人間七七四年:2009/01/08(木) 00:14:29 ID:zx7zh/8V
>>551
父親の事良くわかっているなw
553人間七七四年:2009/01/08(木) 01:42:13 ID:lFWkb6P1
>>551
質問した人間です。
良く分かりましたー。
ありがとう。
554人間七七四年:2009/01/11(日) 07:01:03 ID:aVSN3n2Q
関係ないけど、江戸時代の商家の記録で細川家は、
「絶対に金を貸しても返ってこない家」として有名だった。

「もともと武家は策謀のお家柄なので、返す返すといいつつ、
はぐらかしてまったく返さない。特に細川は・・・」

っていう記録がたくさんある。基本的に大名家ってあまり返さない
から、”大名貸し禁止”が家訓第一条に書いてある三井家なんてのも
あるんだけど、細川は特にひどいらしく多くの商家の記録に
悪口が書いてある。
555人間七七四年:2009/01/11(日) 07:22:19 ID:xMDkjK9G
そりゃー
農民から搾ると一揆を誘発して家を潰しかねないが
商人から金借りて返さなくても家は潰れない
って家だからなぁ
556人間七七四年:2009/01/11(日) 07:30:38 ID:aVSN3n2Q
基本、大阪商人だからね。金借りるの。熊本ではたいした商人がいないし。
だから、金返さないと、あっさり金貸してくれなくなるよ。
島津なんて、家老まで出てきて番頭に頭下げないと貸してくれなくなっていた。in大阪
557人間七七四年:2009/01/11(日) 09:24:20 ID:bxCXrw++
>>554
おかげさまで熊本城を初めとする数々の文化遺産を現在の我々も愛でられるのですから
商家の皆さんご苦労さんとしか言いようが無い。
558人間七七四年:2009/01/11(日) 10:48:46 ID:FwDAlKBr
肥後・細川家の財政を傾けさせたのは綱利の代から。
家老の松井から諫言受けるほど、相撲に熱中したり派手好きだった。
(忠利・光尚は倹約してたんだけど)
559人間七七四年:2009/01/11(日) 11:38:32 ID:BAKyhOme
>>556
そりゃ、島津の借財整理ひどすぎるもんw
560人間七七四年:2009/01/11(日) 21:49:23 ID:/gELtD7W
森鴎外「渋江抽斎」に、他の大名家の養子に出された熊本細川家の4男坊が、
東海道を家来数人とその領地に向かうも貧乏道中。
医者の渋江家から金を持ち出し出奔した渋江の放蕩息子と出会って意気投合。

その金で何日も宿場で遊興したとかあったような。


561人間七七四年:2009/01/12(月) 08:49:35 ID:snBiBP94
忠興・忠利の書状に「借銀」の話が結構あるし、幽斎もお金がほしいって
歌に詠んでるくらいだから代々借金してるの当たり前だったんだろうな。
562人間七七四年:2009/01/12(月) 09:02:47 ID:bOnr53mt
そんな早い時期から……
563人間七七四年:2009/01/12(月) 09:30:43 ID:rkujnnZT
>>561
江戸幕府の体制が固まるまでは、「また戦争状態になる」ことをどこの大名家でも想定しているから、
いくら金があっても足りないってことなのでは。

商人なんかに金を(無理やり)貸して、高金利で取り立てるなんてことは、多くの大名がやってたって
解説を読んだことがあります。


564人間七七四年:2009/01/12(月) 15:24:11 ID:snBiBP94
経済的に余裕ないから幽斎は側室置かなかったし、忠興も丹後時代はあんまり
側室いなかったのでは?
565人間七七四年:2009/01/12(月) 21:54:51 ID:ey5hNEc7
>>563
いつでも戦争状態で、そんな金を貸して無理やり取り立てるなんて
ことができた時代にはそんな回りくどいことをやらなくても、
普通に商人の家を襲って金を強奪すればよかったわけですが。
566人間七七四年:2009/01/12(月) 21:59:56 ID:SFPqod9w
>>565
戦国大名ってものを何もわかってないな。
567人間七七四年:2009/01/12(月) 22:03:39 ID:ey5hNEc7
>>566
低能っぽい無意味な煽りレスですね。
568人間七七四年:2009/01/12(月) 23:17:43 ID:PcoPoMdT
>>565
馬鹿だろ、お前
569人間七七四年:2009/01/13(火) 00:07:13 ID:DEV6OOfE
馬鹿はおまえですw
一生気付かないだろうけどねw
570人間七七四年:2009/01/13(火) 00:08:24 ID:DEV6OOfE
なんも知らないから、そういうレスしかできないw
571人間七七四年:2009/01/13(火) 00:24:58 ID:h1YHRuep
戦国大名が戦争用の物資の確保に関して広域の商取引を行う商人に大きく依存していたところから
説明しないと駄目なのか?

それとも無視したほうがいいのか?
572人間七七四年:2009/01/13(火) 01:04:16 ID:cBbRDUly
普通に商人の家を襲って金を強奪すればよかったわけですが。
普通に商人の家を襲って金を強奪すればよかったわけですが。
普通に商人の家を襲って金を強奪すればよかったわけですが。
普通に商人の家を襲って金を強奪すればよかったわけですが。
普通に商人の家を襲って金を強奪すればよかったわけですが。
573人間七七四年:2009/01/13(火) 01:07:01 ID:h1YHRuep
だいたい戦国時代既に、為替による商取引が広く行われているってことすら頭に入ってないんだろうな。
商人に家に現金があるとか思ってやがる。
574人間七七四年:2009/01/13(火) 01:38:48 ID:cBbRDUly
預金は全部銀行に預けられたままとか思ってそうだな
575人間七七四年:2009/01/14(水) 23:55:26 ID:jx5w1oT6
忠利くんは義輝さまの遺児を見つけ出して召抱えてるけど、
小さい頃幽斎からいろいろ義輝のこと聞かされてたのかな?
576人間七七四年:2009/01/15(木) 22:25:50 ID:nNQLKVFp
直木賞取った「利休にたずねよ」の忠興はかなりらしくって楽しめるよ。
幽斎・ガラシャもいい味出してるし。
577人間七七四年:2009/01/16(金) 00:25:19 ID:EkFG22/S
>>575
名門の吹き溜りと化してる細川家中でも、妙に待遇が良いからね。

東国では水戸徳川、伊達、西国では細川はしくじった感のある名門が
あつまっている印象が有る。
578人間七七四年:2009/01/16(金) 11:23:34 ID:pSTtypmc
>>575
尾池義辰(玄蕃)?

>>577
拾われた者が、更に人を呼ぶって流れもあったろうね。
579人間七七四年:2009/01/17(土) 19:31:44 ID:U1uz9Mqh
明日の出来事
【誕生日】
シャルル・ド・モンテスキュー(1689)、松平定敬(1847)、鈴木貫太郎(1868)
石原莞爾(1889)、おすぎとピーコ(1945)、ビートたけし(1947)、ケビン・コスナー(1955)
片桐はいり(1963)、伊吹公子(不明)
【命日】
細川忠興(1646)、土居まさる(1999)、ザ・シーク(2003)
【主な出来事】
藤原頼道が関白になる(1020)
木村さんが徳川さんの血判が薄いとかなんとか因縁をつける(1615)
ドイツ帝国成立(1871)
大逆事件(1911)
りしょうばんラインをお隣の国が勝手に宣言(1952)
長崎市長が鉄砲で撃たれる(1990)
ライブドア株が売りまくられえらことになって全銘柄取引停止(2006)
アクシズとア・バオア・クーが衝突してゼダンの門壊れる(0088)

振袖火事の日、都バス記念日
580人間七七四年:2009/01/18(日) 21:07:11 ID:kF9V3PbP
「へうげもの」で忠興が「立ち飲み喫茶」してたのを
いくらなんでもありえない設定とその時は思ったけど
『三斎流』に立ったままで行う点前<出陣前の点前>
の存在を知って驚いた。
581 ◆dnoKwkvYg6 :2009/01/18(日) 22:05:13 ID:kD4HFxzZ
test
582人間七七四年:2009/01/20(火) 09:47:32 ID:1enY7nzP
家老松井家当主の話聞いてきた。
昔からそうだけど本家と松井家は姻戚繰り返し、現当主も元首相の従兄弟さん。
今は水前寺公園横の出水神社の神主さんのバイトやってる。
明治廃藩置県、戦後農地解放、折々、
実成のある田畑山林は、耕作者農家が登記。
それはめでたいいいことだけど、河原湿地山岳原野などなど、
荒蕪の地は誰も登記しない→自動的に旧藩主所有。
ということで、熊本県(旧肥後藩)中に、
膨大な細川当主(元首相さん)名義の荒地が残っているそうです。
生産性がないのに毎年資産税は無条件にかかってくる。
たまに、道路や、高架電線で収容、国や公社に買い上げしてもらってるが
他の個人や農家みたいに、先祖伝来とか生活がかかってるという理由で
値上げ交渉ができない。
公示価格の最安値。不労不動産売買につき高額課税。
虫食いの荒れ地が、道路や電線でさらに寸断。
げっそりされてましたとさ。

583人間七七四年:2009/01/20(火) 18:46:25 ID:DdiTSrpZ
>>582
>昔からそうだけど本家と松井家は姻戚繰り返し、現当主も元首相の従兄弟さん。
松井氏の地元八代の博物館で系図を見たことがありますが、細川本家とそんな何回も関係してなかったような。
細川の分家筋(内膳家、刑部家、支藩主家あたり)の名前は系図に頻繁に出ていたと記憶しています。
まあ、多少は先祖自慢も入っているのかな。




584人間七七四年:2009/01/20(火) 21:36:16 ID:88D5HY5d
>583
>松井氏の地元八代の博物館で系図を見たことがありますが、
>細川本家とそんな何回も関係してなかったような。

本家との婚姻は松井興長と忠興の娘、
あとは元首相のお父さんの後妻が松井さんというぐらいだと思う。
585人間七七四年:2009/01/21(水) 22:22:57 ID:09GObg2K
それから、興長夫妻には子がなかったが忠興六男(寄之)が養子に入って
松井家継いでる
586人間七七四年:2009/01/28(水) 23:02:10 ID:dfOs0Pjz
来週の「日本史サスペンス劇場」はガラシャの話だから
忠興さまの数々の名場面(庭師切捨→鬼蛇夫婦・侍女の耳鼻削ぎ)が
見れるかな。野村宏伸が演るらしいが・・・
587人間七七四年:2009/01/29(木) 02:40:38 ID:3aGIzaGQ
忠興が一番仲良かったのって森忠政だろうか。

やけに細川家の記録なのに名前が出てくるんだがw
588人間七七四年:2009/01/30(金) 19:08:59 ID:zYXWPSvp
忠興は信長の近習だったらしいけど、堀秀政との接点は無かったんかな。
589人間七七四年:2009/01/31(土) 20:02:00 ID:2BkgI8gs
>>587
忠政の死因が割れたのが細川家の書状だったりするし交友は相当深いと思う。
590人間七七四年:2009/02/01(日) 00:52:54 ID:T+YnKX8t
>>587 一番かどうか知らんが、森忠政主人公の小説に忠興と親しくしてるエピが入ってる。
あと実際に残っている話として>>97より
@秀吉死後、文治派が家康を討とうとした時忠興と共に家康の屋敷に駆けつけて
「両家の真心は徳川家が続く限り忘れない」と家康に感謝された。
A忠政が津山城を普請する時、家臣に命じて密かに小倉城の城郭図を写し取らせようとしたが
見つかってしまい捕らえられたが事情を話すと、以外にも忠興は城郭図を貸し与えた。
更に津山城落成の折にお祝いとして南蛮の釣鐘を贈っている。
−なんかの本で忠興の度量の大きさを伺わせる話(!)として紹介されてた。
591人間七七四年:2009/02/01(日) 01:16:59 ID:T+YnKX8t
「千世と与一郎の関が原」という面白そうな新刊本が出てた
592人間七七四年:2009/02/02(月) 20:22:17 ID:Q79JqFlw
忠興の評判<『伴天連追放令』頃>
@日本で最も凶暴な大名(フロイス談)
A屋敷内に5人も側女をかかえガラシャを苦しめ虐待している(オルガンチノ談)
593人間七七四年:2009/02/02(月) 20:25:20 ID:jHcr0HH1
バテレンの評価は話100分の1くらいにして聞くのが正解。
594人間七七四年:2009/02/02(月) 20:35:01 ID:qVSfIzeZ
>>593
そうだな。宣教師の史料って、キリスト教に好意的か否かで
全然評価が違うんだよね。
そういえば、最終的に忠興ってガラシャの信仰を認めていなかったか?
595人間七七四年:2009/02/02(月) 20:44:08 ID:jHcr0HH1
>>594
いいや?認めてるよ。忠興本人はキリスト教に入信する事はなかったが。
596人間七七四年:2009/02/02(月) 21:25:51 ID:bBFsGyj8
>>592
最初のは間違ってないだろw
597人間七七四年:2009/02/02(月) 21:30:33 ID:db0dNjZo
森長可よりは穏やかだと思うんだが
598人間七七四年:2009/02/02(月) 22:31:35 ID:s31l0lhE
>>597
同意語:「死なないだけマシ」
599人間七七四年:2009/02/03(火) 04:23:38 ID:OcktrhOl
森さんは遭遇したら諦めがつくけど、忠興は普段は常識人ぽいから性質が悪い。
600人間七七四年:2009/02/03(火) 15:21:07 ID:3055Gv7X
新潮新書、島内景二著『源氏物語ものがたり』に当時の第一の学者としての細川幽斎が大きく取り上げられている。
601人間七七四年:2009/02/03(火) 21:00:53 ID:t1zCNAlP
>>600 そういや永青文庫の解説では当代一の源氏学者と解説してたな。
602人間七七四年:2009/02/03(火) 21:21:00 ID:NPReQuSR
>>594
つーか、普通に考えて、人柄だのを認知できるほど、身近にいれているわけがないんだから、
人物評なんて、全くアテにならないと思っている。
603人間七七四年:2009/02/04(水) 22:07:03 ID:DARYFSAV
>>592 今日のサスペンス劇場でも忠興の側室5人と紹介されてたね
604人間七七四年:2009/02/04(水) 23:36:47 ID:DARYFSAV
日テレさんガラシャ覗き見した庭師切捨て・鬼蛇問答・乳母の耳鼻削ぎと入れて
くれたはよいがなんかあんま迫力なかったような・・・
ただ一般視聴者には忠興の変態っぷりは十分伝わったかも
605人間七七四年:2009/02/05(木) 01:06:02 ID:4Tql5p2O
ひでぇ番組だったなぁ優しい忠興とか、本能寺直後で豊臣とかw
606人間七七四年:2009/02/05(木) 19:08:57 ID:YGJsxoAy
長男忠隆の系統に細川隆一郎さんがいることもスルーだったな
あと、忠興と忠利のローマ字の印鑑も(ガラシャ婦人亡き後宣教師と親しくなったため)
607人間七七四年:2009/02/05(木) 23:43:31 ID:OS6jKaYa
つくづく>>604のようなことをする人物が、蒲生氏郷・高山右近・立花宗茂
たちと友人とは信じがたいよなあ。
608人間七七四年:2009/02/06(金) 00:25:37 ID:wv51c67d
伊達政宗や島津家久や森忠政も友人です
609人間七七四年:2009/02/06(金) 20:43:04 ID:RFIaIPDy
一度心を許した人のためなら結構あぶない橋を渡ることも厭わないって点はあると思う。
利休切腹前の見送りや、谷衛友の家督争いに首突っ込んだりとか。

逆に一度関係がこじれると、どうしようもないというかw

610人間七七四年:2009/02/06(金) 22:00:26 ID:xAN3K8U3
>>607
高山右近は、利休の弟子仲間。右近も交友関係がきわめて広かった。

蒲生家、細川家とは足利家を通じた古い付き合いがあったのでは。

立花宗茂とは、秀忠の時に一緒に相談役だったという以外に、
九州が封土の大名で付き合い大事、とうことでは。
立花宗茂、伊達政宗、藤堂高虎、忠興が肥後に行く前までの黒田長政も友人。

この当時の大名というのは、社交も戦場と同じく必死に大事。
小大名の木下延俊の慶長日記でも、ありとあらゆる大名家と毎日訪問しあい、
茶会や夜話で、毎日分刻みのスケジュールだった。
611人間七七四年:2009/02/08(日) 19:30:47 ID:nCKrNpSs
テレビ(九州朝日放送)の歴史シリーズ「細川ガラシャ」の回では、暴君・細川忠興
の元に嫁ぐと紹介されてたぞ
612人間七七四年:2009/02/08(日) 21:08:10 ID:f1iSKCqm
>>610
宗茂の第2夫人である八千は細川幽斎からの紹介らしいから
宗茂とは慶長の役の前から付き合いがあったみたいだね。
613人間七七四年:2009/02/11(水) 22:28:27 ID:gOPqC+GC
忠興って83まで長生きしたせいか健康で丈夫なイメージあるけど
記録には結構病気してる表記があるとこみると実は病弱?
614人間七七四年:2009/02/11(水) 22:29:36 ID:gOPqC+GC
忠興って83まで長生きしたせいか健康で丈夫なイメージあるけど
病気してる記述が結構あるとこみると実は病弱だった?
615sage:2009/02/11(水) 22:33:56 ID:er/ERH9q
2回書かなくちゃいけない位 大事な事だったの?
616人間七七四年:2009/02/12(木) 01:47:31 ID:EJKm/B6l
病気してもなかなか死なないほど頑強だった
617人間七七四年:2009/02/12(木) 08:37:13 ID:wr17EK05
身体が弱いと普段から養生するように心がける。
618人間七七四年:2009/02/17(火) 21:11:30 ID:RoSpz4C1
忠興や歴代藩主とガラシャがご祭神になっている熊本<出水神社>の
『縁結びお守り』には次のような説明が・・・
−ご祭神・忠興公と玉姫は信長公の仲取持で縁組し、世の荒波にもめげず
仲睦まじく子宝にも恵まれ、深い愛の絆で結ばれて幸福に暮されました−
619人間七七四年:2009/02/19(木) 22:07:18 ID:bwjfqjqV
その忠興の「深い愛」というのが何やら背筋が寒いです
620人間七七四年:2009/02/21(土) 23:52:02 ID:wmk0zHb2
今だったらモンスター・ペアレントで、夫婦で
学校に怒鳴り込んでくるだろうね。

で、警察来たら別人のように知的に振る舞う・・・
621人間七七四年:2009/02/22(日) 02:07:23 ID:6dJ+VIDr
>618
モノは言い様だな
622人間七七四年:2009/02/22(日) 02:25:25 ID:Ro4dmiwk
この父子のうち、いづれがより男色好きだったのですか?
また、この二人の主な衆道相手を知られて居る限り教えて下され。
よしなに頼み入り申す。
623人間七七四年:2009/02/22(日) 06:04:30 ID:8vPdGfN3
断る。
624人間七七四年:2009/02/23(月) 03:42:26 ID:ilW4Ke45
たぶん、糞リアリストの細川親子に男色をたしなむほどの気概はありません
625人間七七四年:2009/03/05(木) 22:29:40 ID:4cQqy/wJ
幽斎正室の麝香ってゴージャスな名前だよね。幽斎が名乗らせたんだろうか。
626人間七七四年:2009/04/19(日) 20:10:49 ID:o1DLDTJa
忠興は横山裕のイメージだなあ
627人間七七四年:2009/04/19(日) 20:52:06 ID:QWyceQ9x
酒と女に飽きたときに文芸に向かうか新境地に向かうか。
いつまでも飽きないサルもたまにいるけどな。
628人間七七四年:2009/04/19(日) 20:59:58 ID:wH//T63r
忠興って夏の陣終了まで羽柴の名字を名乗ってたそうなんだが・・・
どういうわけで?細川の名がいやだったのかな?
629人間七七四年:2009/04/19(日) 21:05:05 ID:YKLMi7VR
>>628
姓と名字の違って知ってる?
630人間七七四年:2009/04/19(日) 21:07:03 ID:3jLZXkR3
そういえば前田もずっと羽柴筑前守を使ってるよな

幕府的に問題はないのか
631人間七七四年:2009/04/19(日) 21:10:20 ID:m7Cd02I7
苗字って字使うと混乱しないですむよ。
632人間七七四年:2009/04/19(日) 21:14:48 ID:QWyceQ9x
細川家は50万石超なのに松平貰ってないのか。
633人間七七四年:2009/04/19(日) 21:21:39 ID:wH//T63r
>>572
そんなことしようものなら、日本の商人全員からハブられますが?
634人間七七四年:2009/04/19(日) 21:31:33 ID:QWyceQ9x
まあこれが幕末になると、御用金強盗の連中が天下取ったりするわけだが。
635人間七七四年:2009/04/20(月) 06:04:26 ID:VuQHkljk

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636人間七七四年:2009/04/26(日) 17:20:07 ID:PeByG20i
母・麝香は(珠という説もあり!)忠興のために、
茶室は寒いからと白い足袋をつくってあげたらしい。
それから白足袋が使われるようになったそうだ。
637人間七七四年:2009/05/02(土) 10:49:37 ID:vh23FbHJ
>>632 いや、大阪夏の陣後、松平を賜る話もちかけられてるよ。
−家康は忠興の戦功に報いるため土井利勝を通じて、秀吉から与えられた
羽柴の姓を止めて松平姓を下賜しようとした。しかし忠興は「徳川ならば
御願い成さるべきか。松平は源氏の名字にてもなく、羽柴と同意なり。」
と言い放って松平姓を拒否し、室町期以来の姓である細川氏に戻ることにし
た。利勝は家康の手前なんとか受けるよう説得したが「(元来の)家の
細川にて候わん」とはねつけたという−
638人間七七四年:2009/05/02(土) 10:59:37 ID:SCHixyT7
まあ細川は、羽柴や松平どころか、豊臣徳川よりよほど名門だしねw
639人間七七四年:2009/05/02(土) 14:50:19 ID:oQQwtK6G
あのころの忠興、徳川幕府の政策顧問というか、
えらい勢いで徳川の官僚達と手紙のやり取りしてなかったっけ。
新政府の法令面や政策面で、かなり寄与してたと聞いたんだが。
640人間七七四年:2009/05/02(土) 19:07:25 ID:/gRIJkRe
昨日の「必殺仕事人−武士の異常愛−」って忠興がモデル?
641人間七七四年:2009/05/04(月) 08:30:12 ID:74q1/Y3p
>>638
重臣に、長岡とは名乗らせるけど細川はダメ ってのは
やっぱりそのあたりの自負があるからなのかねえ。

藤堂・蒲生・黒田あたりは、主君と同じ苗字を名乗らせている。
642人間七七四年:2009/05/04(月) 11:51:46 ID:EEiOh9aI
>>618 コンビにに売ってた[戦国検定]でも「忠興に嫁いだのは信長が図った
政略婚姻であったが、二人が稀に見る強い愛で結ばれたことは知られるとこ
ろ」となってたけど、忠興の<片思い>じゃなくて最近の解釈って<両思い>
なのか?
643人間七七四年:2009/05/04(月) 14:00:44 ID:4QWdzgkb
>>637
えっと
なんかの文書に羽柴忠興って見たなあ、文書は忘れたけど
羽柴松平の賜姓は適当な勲章みたいな感じなないか
前田利家が羽柴筑前って呼ばれて喜んでたくらいだし
644奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/05/05(火) 09:27:09 ID:GiSJzL8s
豊臣羽柴の姓バラマキと松平のバラマキは総じて血の濃さに差があるけどね。
645人間七七四年:2009/05/05(火) 12:33:25 ID:hIiqKVnA
秀吉は陪臣にまで豊臣や羽柴姓を下げ渡してて、どうにも節操が無い。
646人間七七四年:2009/05/06(水) 15:11:00 ID:qOliZqPk
>>641 あと自分の名を一字与えたりとかはしてたみたいだが(加賀山隼人に対して「興良」とか)

>>643 蒲生氏郷とか大概の武将は「羽柴」賜ってたし。そういう風潮だったんでしょ。
   あの頃から関ヶ原にかけての書状の宛名も、忠興に限らず皆「羽柴○○」に
   なってるし。
647人間七七四年:2009/05/06(水) 23:52:44 ID:GWzdGZtY
>>637
この話って出典は何ですか?

>−家康は忠興の戦功に報いるため土井利勝を通じて、秀吉から与えられた
>羽柴の姓を止めて松平姓を下賜しようとした。しかし忠興は「徳川ならば
>御願い成さるべきか。松平は源氏の名字にてもなく、羽柴と同意なり。」

徳川ならばまだしも、源氏の由緒ある苗字でもない松平なんていらない、
羽柴と同じような価値しかない って解釈でいいんですよね?

由緒ある苗字を大事にして羽柴も貰わなかった、同じように松平も遠慮しますって理屈なら、まあスジは通っていると思うけど。
羽柴は貰ったのに松平は拒否するってのは、徳川家に対して、豊臣家に対するほどの忠誠心はないと
難癖つけられかねず、松平を貰った他大名にも反感を持たれるのではないか、そんな断りかたをするかなあと。

あと、土井利勝って秀忠の側近で、家康の側近ではないと思うので家康から利勝を通じてってのも、ちょっと疑問。
家康側近から内々の打診があって、形式としては将軍秀忠から利勝を通じて松平と名乗る許しを貰う
という流れなら自然だけど。
648人間七七四年:2009/05/09(土) 00:55:45 ID:dlIgCBlv
幽斎は息子のキチっぷりをどう思っていたのだろう
忠興の嫁のガラシャがむしろ親父の方と仲が良かったみたいだから
歪んだのはそのせいだろうか?
649人間七七四年:2009/05/09(土) 06:57:06 ID:8KGfg2kI
「忠興、諸事厳正に過ぐ」と、父の幽斎に告ぐる者あれば、
忠興の老臣を呼びて、古歌二首を書きて与へらる。


 『逢坂の関の嵐の寒けれど、行方知らねばわびつつぞぬる』

この歌の心を察せよ

 『まこも草つのぐみ渡る沢辺には、つながぬ駒も離れざりけり』

此の歌の心をよく思慮されよと忠興にいへ」

と教訓させられけり
(常山紀談)
650人間七七四年:2009/05/10(日) 18:29:45 ID:Wt/5PuSk
>>647 「武家と天皇」(岩波新書)の中で紹介されてたが。
651人間七七四年:2009/05/11(月) 21:41:22 ID:UF6f7Xeo
>>642 「夫と別れたい」と伴天連に手紙送ってんだから、
    やっぱ忠興の一方通行だろう。
652人間七七四年:2009/05/11(月) 22:01:21 ID:i+8UkPpU
>>651
それは愛情とは別の問題だろ
653人間七七四年:2009/05/12(火) 02:41:28 ID:+BaypHt8
>>652
貴殿は独身者でござるか?
これが愛憎問題でなくて(ry
654人間七七四年:2009/05/12(火) 09:54:52 ID:jPagyO9i
>>653
宗教問題
655人間七七四年:2009/05/12(火) 21:27:05 ID:ee0mnk9p
今週の週刊朝日の特集記事<戦国武将に学べ>みたいな記事で
蒲生氏郷たちと一緒に幽斎取り上げられてたな。
(さすがに忠興は載っとらんが・・・)
656人間七七四年:2009/05/12(火) 22:01:11 ID:6nBlsbYI
DV問題でもあるな。
一緒に入信した侍女の鼻削いだり、会話した下人を面前で斬り捨てるなど
本人に手を上げるより余程キツいわ。
657奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/05/13(水) 06:14:37 ID:yrKYYm/s
キレ芸なんだろうな。
658人間七七四年:2009/05/16(土) 21:39:19 ID:KPr8LDBA
新興宗教にはまった妻、夫のDV、女性側からの離婚とまあ現代的な夫婦だ
659人間七七四年:2009/05/19(火) 00:19:14 ID:apjGrvoK
幽斎の書道て何派っていうんだっけ
660人間七七四年:2009/05/19(火) 12:28:14 ID:8UYEbsep
某やる夫スレで藤孝がメインで取り上げられてたな
あらゆる作品でチョイ役としてしか取り上げられてないから少しうれしかった
調べれば調べるだけ凄さがわかる人なんだがいまいち有名になれんのは何故なのか?
661人間七七四年:2009/05/21(木) 23:07:56 ID:Np8sW7hJ
この時代について齧った事のある人なら絶対知ってる有名人だと思うけど
幽斎に限らず、この時代の様々な出来事へ、その当時から表向きに・大っぴらに関わったり、
自他から派手に宣伝する事やチャンスが無かったからじゃね?

下克上を成し遂げ、永禄4年頃に機内なり地方なりに一大領国を持つようなポジションにいたり、
家中に独自色の強い分国法を持っていたり、軍事・経済で革命的な制度を実施して大成功の結果を収めたりすれば
教科書に載る様な有名人になるようなチャンスがある可能性は普通に高いと思うなあ
ただ、それも結局、別に細川幽斎に限った話じゃあ無いんだけれどw
662人間七七四年:2009/05/28(木) 23:27:16 ID:2oJwMamR
東京国立博物館の新収蔵作品として珠の消息が展示されてて、
内容が忠興を気遣う(!)内容の手紙だとか、署名もガラシャになってる
という話だが・・・
663人間七七四年:2009/05/29(金) 23:34:21 ID:ZNP5GH7T
徳川家康は関ヶ原の行賞で細川家を京都の丹後地方から遠い九州に転封したのは昇進?
加増には違いないけど、秀吉が黒田を九州に封じたと同じ理由では?
畿内に置いておきたくなかったんじゃ・・・・・・・信用できないし・・・・・・・・
664人間七七四年:2009/05/29(金) 23:39:06 ID:lK84txWP
どう考えても昇進。
畿内には豊臣対策として徳川勢力を入れるのはわかりきった事。
天下を望まない以上あれは昇進。
665人間七七四年:2009/05/30(土) 00:02:34 ID:qqGu2znd
細川家に仕えてた木っ端役人の裔だが、
あれは「島津に変な動きあったら防波堤になれ」
ということで監視役。だとウチでは教わった。
666人間七七四年:2009/05/30(土) 15:53:47 ID:ERnWcsMZ
>>663
家康が、「他の大名が反乱起こしても、細川は絶対にそういうことはしない」とか言ってたような。
大坂への出陣も他の九州の他の大名が家康に従うのを確認してから、細川氏は出発したとかいう話もあるし、
忠興の隠居分の軍役免除しえもらったりと、徳川氏からは優遇されてもいますね。

島津の押さえは肥後(加藤氏)で、細川氏の任務は黒田・毛利の押さえだったのでは。

島津と細川って幽斎時代から付き合いがあって、島津の江戸留守居役なんかは
忠興にいろいろアドバイスを求めたりしている。
667人間七七四年:2009/06/05(金) 22:26:09 ID:aRHyqgV8
忠興みたいなオタク気質の男ってなんだかんだで男同士から好かれるね。
で、忠興は光秀に憧れてたんじゃないかな。
たまはファザコンでデウス様=父上と思って心の支えにしてたのでは。
668人間七七四年:2009/06/05(金) 22:49:12 ID:jhaUdT5l
>>662 出先にいる忠興に自分や家中が息災でいることを伝える内容で、
宛名が「忠興殿」で差出に「がらしゃ」となっていた。
入信した天正15年以降だろうと解説されてた。
669人間七七四年:2009/06/05(金) 23:02:11 ID:1KxNSi3N
消息って、もと永青文庫にあった、細川家のヤツ?
670人間七七四年:2009/06/08(月) 19:08:46 ID:y2KuV3Ft
>>669 永青文庫のじゃなくて、幽斎の短冊、忠興の茶事控書と一緒に
個人から国立博物館に寄贈されたもの。
671人間七七四年:2009/06/08(月) 22:55:12 ID:9CIXvWjw
舞鶴の田辺城のパンフだと「忠興は離縁・幽閉という形で領内の山奥深くに
匿いました。これは忠興が玉を守ろうとする苦肉の選択であったに違いあり
ません。」とあったが・・・。地元だしホントのことは書けないよな。
672人間七七四年:2009/06/11(木) 15:38:18 ID:cjobHIRZ
忠興は川崎麻世のイメージ。
673人間七七四年:2009/06/13(土) 08:12:21 ID:1syorh9y
幽斎の晩年 老耄(ぼけ)
忠興の晩年 アルツハイマー
674人間七七四年:2009/06/13(土) 08:38:29 ID:/82syVKA
細川家は愛妻主義でしょう?玉を溺愛することがいけないことでしょうか?いけないことでしょうか?いけないことでしょうか!?
675人間七七四年:2009/06/13(土) 12:05:18 ID:xAfX75KR
溺愛と言うより変愛だ罠
676人間七七四年:2009/06/13(土) 12:06:59 ID:N9lv0XnJ
なんであれ、深く愛するのはOKですが、
溺愛はそれだけでダメです。


実際問題、明智が謀反起こした後、
お玉を軟禁してはいるけど、離縁はしなかった
っていうのは、かなり特異なことだと思う。
それが他から見て健全な「愛情」だったかはともかく、
もの凄く深く執着してたことは確かなんじゃないかと。
677人間七七四年:2009/06/13(土) 17:33:52 ID:owteML5x
玉に利用価値があったからぢゃ・・
678人間七七四年:2009/06/13(土) 20:51:25 ID:VqZFgTkc
ねぇよ
679人間七七四年:2009/06/13(土) 21:21:55 ID:o784Fl9E
むしろ足手まとい
680人間七七四年:2009/06/13(土) 21:25:24 ID:N9lv0XnJ
というかアレ、
細川家も明智の郎党とみなされて滅びる危険性と、
お玉への個人的な愛情はかりにかけて、
お玉への愛情(別に執着でもいいけど)とった、
ってくらいの重い決断だったと思うよ。
681人間七七四年:2009/06/14(日) 09:05:28 ID:5mkyKHEA
忠興さんは究極の愛の戦士なんだよ…!
682人間七七四年:2009/06/14(日) 09:48:16 ID:0dYe9WXb
何がそこまで良かったのでしょう?
それで何で夫婦喧嘩ばっかしてたの?
玉がワガママだったの?
683人間七七四年:2009/06/14(日) 10:20:06 ID:kqwGmtop
そりゃ一方的かつ自分本位な愛情ってのは(ry
684人間七七四年:2009/06/14(日) 13:39:41 ID:CR7r7MPD
夫婦喧嘩ばっかりしてたってのも後世の小説の妄想でしか…
685人間七七四年:2009/06/14(日) 19:25:17 ID:BVTI+0Zg
>>682 細川家記に載ってる「鬼蛇の話」がインパクト強すぎて、小説や特集記事とかで
それがよく引用されて夫婦喧嘩ばっかしてるみたいなイメージになったんだろうね。
でもこの記録よく読むと、忠興は家中では恐れられていたけど、珠には頭が
上がらなくて珠の方が一枚も二枚も上手って感じだ。
686人間七七四年:2009/06/15(月) 02:59:20 ID:8S4gep0H
>>685
「日本一凶暴な大名」とか言われてたと思ったけど、そいつをして
最終的に信仰を認めさせてるあたり、惚れた側の弱みなんだろうか。
687人間七七四年:2009/06/15(月) 22:12:00 ID:nmj/QppU
>>686 「そちがキリスト教を奉じたければかまわない」
とあっさり許可しちゃったり礼拝堂作ってやったりしてるしね。
688人間七七四年:2009/06/15(月) 22:23:04 ID:nLpwUBTz
ちなみにそのお玉経由で、
細川家の家臣団のかなり上の方に、
キリシタンに改宗した人もそこそこ居たらしいよ。

禁教になったときとか結構具合悪かったらしい。
689人間七七四年:2009/06/16(火) 23:17:33 ID:u+pOSiMV
>>689 加賀山隼人とか小笠原玄也一家のことかな?
690人間七七四年:2009/06/19(金) 01:49:47 ID:K+mn8Cvl
忠興がお玉に惚れてたってのは真っ赤な嘘だよ。
一方的に警戒して権力争いしてただけ。
妻が家臣を懐柔したり家の実権握られないように見張ってただけ。
だからむしろ最弱の立場である逆臣の娘の方が都合がよかった。
自分に自信が無くて支配欲の強いモラハラ男にはありがちな選択。
「イジメ」だよ。

女と対等に向き合う気が無いどホモです。
691人間七七四年:2009/06/19(金) 01:57:09 ID:K+mn8Cvl
その上お玉の名前を出して春日の局から借金したりするし。
利用できるものなら何でも利用する男。
お玉は死んでも死にきれなかっただろう。
692人間七七四年:2009/06/19(金) 02:03:28 ID:bS8sH8N0
>>690
なんていう小説に影響されたんだい?
693人間七七四年:2009/06/19(金) 02:15:34 ID:K+mn8Cvl
小説なんか関係無いよ。
男が女を閉じ込めて自由を奪うのはそれしか理由が無い。
「俺の知らない所で勝手な事をするな」
ってやつ。恋愛感情はゼロ。
だって普通愛する人にそんな酷い事しないでしょ。
凡庸な家臣だったら不興を買って切られて終りだろうけど
お玉の場合忠興に盲目的に尽しすぎて空気読んでキリスト教徒にまでなって、
自殺までしたのが無惨だった。
結果的には後世まで細川家にトコトン利用されただけ。
694人間七七四年:2009/06/19(金) 12:03:53 ID:tX0if/yb
ゲイ風変えたのか ナッちゃん
695人間七七四年:2009/06/19(金) 12:40:51 ID:VsUmj34O
どこからつっこむべきかしらんが、
少なくとも忠興は「棄教しないと侍女の耳鼻削ぐぞ」
的立場だったわけだが。

三浦さんの著作をさらにフェミったおかしな漫画でも出たんか。
696人間七七四年:2009/06/19(金) 14:33:08 ID:K+mn8Cvl
お玉が本能寺の変で自害してたら明智の名で徳川家に繋がりを持つこともなかっただろう。
キリシタンになって自害しなければ外国勢力を払い除ける事も出来なかっただろう。
細川家が現在に至るまで根付く事も無かったろう。
そこまでした割には、天下泰平の世とまでは至らなかった。
男性原理でおかしな策謀ばかりしてるから話がややこしくなる。
守れたのは父に従うもの=「家」だけだった。
母のような無条件の愛では無い。
697人間七七四年:2009/06/19(金) 18:27:26 ID:fBksdAfm
電波受信しちゃったのか・・・お大事に・・・
698人間七七四年:2009/06/22(月) 23:43:37 ID:cf7pJlEz
熊本県立美術館の子ども向けワークショップで、(時空を越えて)特別ゲストで
忠興・ガラシャ夫婦に来てもらって細川コレクションの解説をしてもらうという
すさまじい企画があった。
699人間七七四年:2009/06/24(水) 15:34:13 ID:szrSZQQo
小倉城の縄張りは絶妙。
700人間七七四年:2009/06/25(木) 00:08:16 ID:KyT6boo1
日本を去る直前の高山右近が忠興宛に「形見に掛軸を贈るね」と書いた手紙は残っているけれども
肝心の掛軸は残っていないんだな
701人間七七四年:2009/06/25(木) 19:36:35 ID:kaE9car8
>>700
遊びに来た友人にゲヒられたに違いない
702人間七七四年:2009/06/25(木) 20:40:07 ID:kFsfkM9S
なあにそれがしの書いた掛軸もよいものでござるよボヒヒ

って、へうげものの感染力って凄いよね。
703人間七七四年:2009/06/25(木) 20:52:14 ID:fC8Z9g5u
古織殿、その頃にはもう相当偉いはずなのになんという昔取った杵柄
704人間七七四年:2009/06/26(金) 21:29:31 ID:n52eQB3P
大事な「茶入」も売ったくらいだから、
掛け軸も借金の返済の足しにしたんじゃないの?
705人間七七四年:2009/06/26(金) 22:03:46 ID:Fv5lyr75
高山殿は祟っていいよ
706人間七七四年:2009/06/27(土) 02:18:31 ID:kexM5wdj
高山「神の御心のままに全てを許します」
707人間七七四年:2009/06/27(土) 12:22:34 ID:e5JU3f4R
高山「もう二度と牛肉はご馳走しません」
708人間七七四年:2009/06/27(土) 19:20:59 ID:6djPYeBs
>>707
忠興&氏郷(付いて来た)「まじすんません。それだけは勘弁してください」
709人間七七四年:2009/06/29(月) 19:35:57 ID:2ukQMzcT
>>708 怒って一週間口利いてもらえなかったってのがね・・・
今っぽい人たちだこと。
710人間七七四年:2009/06/29(月) 19:59:04 ID:UbUSqNJY
>>702
忠興が主要登場人物という漫画からしてへうげものぐらいだし
711人間七七四年:2009/06/29(月) 21:44:42 ID:2ukQMzcT
>>710「利休」とかが主人公だとまっとうな登場人物な描き方されてんだよね。
712人間七七四年:2009/07/05(日) 13:40:33 ID:QJ85Wl8g
伴天連の報告による忠興のDQNな話:
ガラシャの侍女頭のルイザに目をつけ、
側女にならなければ殺すと脅したので、
ガラシャが他の侍女と相談して京へ逃れさせたという。
713人間七七四年:2009/07/05(日) 20:58:57 ID:QJ85Wl8g
DQNな話ならこちらにも忠興の回想として紹介されてる。
http://blog.livedoor.jp/sambockarie/archives/51381161.html
714人間七七四年:2009/07/05(日) 21:01:39 ID:5Pr0laan
>>713
小説じゃないか
715人間七七四年:2009/07/05(日) 22:47:52 ID:QJ85Wl8g
でもホントらしく思えてしまうのがDQN忠興らしい
716人間七七四年:2009/07/06(月) 02:54:04 ID:BHLCLiNl
とんとつく ころりと転ぶ幽斉が いかでこのまに 歌を詠むべき
717人間七七四年:2009/07/06(月) 23:11:30 ID:t2znasT4
パパは>>716みたいな状態でも歌読めたりとっさの機転で詠んだ歌で秀吉の
小姓の失敗を救ったりとかっこいい話が多いのに、息子はDQNな話ばかり
だな。
718人間七七四年:2009/07/07(火) 01:19:20 ID:TyZXxIAL
俺の中でパパはニヒルでダンディズム
戦国一、東京砂漠が似合う男 立ち広しの「泣かないで」でも可
異論は認める。
ちなみに息子に似合う歌はBUCK-TICKの「悪の華」。
異論は認めない。
719奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/07/07(火) 07:17:19 ID:GkOyyL49
同じBUCK-TICKなら「ICONOCLASM」のほうが合うかも。
720人間七七四年:2009/07/07(火) 08:39:51 ID:TyZXxIAL
異論は認めないと書いたけど

それは認める!
721人間七七四年:2009/07/07(火) 21:54:35 ID:ZJoANcZE
DQNな忠興と16の時から20年以上も連れ添ったんだから
ガラシャも普通じゃないってことか。
722人間七七四年:2009/07/13(月) 22:34:44 ID:RCNrSw7r
忠興が投げつけた生首を膝の上に終日のせてたり、居室に生首おいたままに
していたり、血で汚れた小袖3日も着ていたという話、読む限り尋常でないよ。
どの話も忠興の方が屈服してるのがスゴイ。
723人間七七四年:2009/07/14(火) 01:29:17 ID:aPFWVcjo
忠興の行動はあくまで一時的な激情に過ぎないからな
ガラシャさんの方が怖いw
724奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/07/14(火) 07:49:06 ID:KmxNEBwR
そんな玉さんに結局逆らえないわけだ。
725人間七七四年:2009/07/14(火) 21:53:15 ID:ngLG7sRV
最後は燃える江戸城で大立ち回りですよ
726人間七七四年:2009/07/15(水) 00:54:37 ID:UtWow+gP
稲富もそりゃ逃げる・・・関係ないか
727人間七七四年:2009/07/16(木) 23:48:57 ID:hD5QDfGz
二人の仲がどうだったのかは永遠に謎だな・・・
728人間七七四年:2009/07/18(土) 17:13:41 ID:wd121l4k

猫に「タマ」って名づけるようになったのは忠興の仕業?
729人間七七四年:2009/07/19(日) 18:04:05 ID:dT47RlR8
短パン
730人間七七四年:2009/07/20(月) 19:51:21 ID:1FjTnpaf
友人の蒲生氏郷や前田利長はそれぞれご当地キャラ(がもにゃん、利長くん)
になってるが、さすがに忠興は無理だろう。
731人間七七四年:2009/07/22(水) 20:18:52 ID:M88p48JE
歌仙・兼定を片手に微妙な笑顔を浮かべる忠興にゃん
732人間七七四年:2009/07/22(水) 23:54:01 ID:uUpgPrrc
『鬼の旦那とへび女房』をモチーフにファンシーな感じで
733人間七七四年:2009/07/23(木) 04:03:44 ID:ZlB4prFl
DVにゃんで良い
734人間七七四年:2009/07/23(木) 23:04:43 ID:tAL/B6IO
「頑固なご隠居三斎」
八代市のご当地キャラということで・・・
735人間七七四年:2009/07/26(日) 09:02:29 ID:SF5vE2uW
そういやなんで関ヶ原前にガラシャを大坂から退去させてなかったんだ?

大坂の人質を戦前に国元へ回収してる大名も居たみたいだが。
736人間七七四年:2009/07/26(日) 19:57:08 ID:tONs0K+I
>>735
忠興は側室がお気に入りでガラシャを嫌ってたって説もある。
だからキリスト教にハマっていったんジャマイカ。
737人間七七四年:2009/07/27(月) 02:34:49 ID:xDxYQIK5
>>732
つくってみた。
「ただおに君」なんてどうだ?
http://imagepot.net/view/124862962285.jpg
738人間七七四年:2009/07/27(月) 02:39:53 ID:lgcZQcd7
もはや妖怪
739人間七七四年:2009/07/27(月) 10:54:09 ID:m1LWXNEl
ホヒョンくん。
740人間七七四年:2009/07/28(火) 14:51:40 ID:NdaVrJcJ
>>736 本能寺の変の時はまだ19歳でキレイで若かったし執着があった。
関ヶ原の時はもう38歳で容色も衰えていたので未練もなかった。
若くてキレイな側室(珠子の姪)もいるしね。
741人間七七四年:2009/07/29(水) 22:29:00 ID:lKI+ZYz5
>>737
嫁までもw
742人間七七四年:2009/08/04(火) 22:47:11 ID:lwARIxmd
>>713 これはホントの「忠興(三斎)の回想」。
「自分が珠と結婚した時は輿一丁で質素に嫁入りしたというのに、
近頃の家臣ときたらカゴを何丁も連ねてやってきて派手にやっとる」
とばやいていたそうだ。
・・・座敷も6畳しかなかったし。
743人間七七四年:2009/08/06(木) 02:40:15 ID:7zSorO0Q
俺が小学生だったころに読んだ学級文庫の古田織部主役の漫画では忠興は超いい人だったのになぁ
ガラシャとも相思相愛で関ヶ原前の悲劇って感じで描かれてて子供心にすげーかわいそうだと思った記憶がある
だからずっと忠興は文化人で超善良な人だと思っていたのに…
最近いろいろ調べてくうちにまさかのDQNっぷりで非常にびっくりだぜ
わが郷里の英雄鬼武蔵のDQNっぷりにもびびったけど
744人間七七四年:2009/08/06(木) 21:25:37 ID:wkDmx2eN
忠興って晩年は失明寸前だったんだっけ?

右目は完全に見えなくなってたと聞いたような
745人間七七四年:2009/08/06(木) 23:59:05 ID:GlC+4cHW
「しろそこい」だっけ?
746人間七七四年:2009/08/09(日) 21:51:16 ID:dHXGzLy3
細川家に赤松系有馬氏の血筋って入ってる?
入ってたら澄元流京兆家の血筋引くことになるけど
747人間七七四年:2009/08/11(火) 23:05:30 ID:IdV/BpGP
>>743
学級文庫にへうげものを置くとはちょっとしたテロですね
748人間七七四年:2009/08/14(金) 10:30:07 ID:1CrOxWwW
>>721
ガラシャは早くから遠ざけられてるよ。
忠興は明智の娘と言うことで嫌ってたのが事実。
749人間七七四年:2009/08/14(金) 20:43:51 ID:AFBmHg9t
俺の玉子見たら殺すぞ、という忠興のスタンスは個人的に好き
750人間七七四年:2009/08/16(日) 08:21:49 ID:aq37sfqx
玉のことを「所有物」として異常に愛していたっていうのはわかる。
忠興ほどじゃなくても、現代でもいるしな。
751人間七七四年:2009/08/18(火) 10:20:21 ID:gcOw+flP
>>750 名物茶道具に執着するのと同様
752人間七七四年:2009/08/18(火) 11:10:49 ID:gcOw+flP
>>732 嫁は既に京丹後市野間地域のメインキャラクターになってる。
「ガラシャ米」の宣伝で・・・
753人間七七四年:2009/08/18(火) 11:42:35 ID:N4Dn1WpD
中に侍女の鼻とか混ざってそうで……
754人間七七四年:2009/08/20(木) 01:27:09 ID:kgZj84qH
パパが嘆いている
755人間七七四年:2009/08/20(木) 05:29:50 ID:Gwjr+Vye
ニヒルでダンディーな清々しいほど京都人
俺の中のパパのイメージ
756人間七七四年:2009/08/21(金) 03:02:53 ID:is79mq/c
>>754 あまりの暴虐ぶりに寺に入れようと何度思ったことか・・・
757人間七七四年:2009/08/21(金) 17:06:22 ID:3gaza3L1
パパが鯉を真二つにしたのはいつ頃だっけ?
758人間七七四年:2009/08/22(土) 05:41:27 ID:FNFbsBMK
忠興って最初山上宗二にお茶習ってたんだよな。
759人間七七四年:2009/08/25(火) 20:59:29 ID:rDcOrnoa
>>743 その漫画何てタイトルですか?作者は?
760人間七七四年:2009/08/26(水) 23:25:35 ID:fxjGPZkf
細川隆一郎も忠興の子孫だよな
761人間七七四年:2009/08/26(水) 23:38:06 ID:qyG2VdPv
珠と忠興の子孫だよね
762人間七七四年:2009/08/27(木) 02:20:10 ID:zkp0RWvT
>>761
忠隆の子孫だっけ?
763人間七七四年:2009/08/27(木) 12:20:12 ID:ZJwyOOIk
たしか長男の子孫だったと思う
764人間七七四年:2009/08/27(木) 23:36:11 ID:IwPl8GLA
>>762
>>763
忠隆の子孫だけど、忠隆の流れの中でも分家出身だけど。
765奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/08/28(金) 05:26:20 ID:W8x9cAAr
拝んどけ拝んどけ。
766人間七七四年:2009/08/30(日) 22:24:00 ID:88iesaiP
雑誌「pen」にDQN仲間の政宗と一緒に特集になってるが・・・
忠興のDQNな面は一切書かれてないので、一般人が勘違いしそうだ
767人間七七四年:2009/08/30(日) 22:26:17 ID:ra7KFnd1
へうげもの効果なのかね。あの面子は。
768人間七七四年:2009/08/30(日) 22:44:04 ID:13xdFaY1
>>767
シロモチくんの代わりに小堀遠州とか織田有楽斎とか高山右近が載っておれば・・・

政宗につられてページをめくった女子が「誰?この人たち」と回れ右しそうな面子
769人間七七四年:2009/09/02(水) 22:11:55 ID:VhiWnoj/
細川元首相のお祖父さんって近衛文麿やってんな

ということは源氏だけじゃなく藤原氏の血も流れてんのか

名門すぎやろ
770人間七七四年:2009/09/02(水) 23:24:14 ID:Lud+i24J
>>769
いや、藤原氏どころか皇室の血が。
771人間七七四年:2009/09/03(木) 00:12:51 ID:iUu0rZ0z
近衛文麿って自殺したんじゃなかったかな?

とはいえ気の毒な人ではある
772人間七七四年:2009/09/03(木) 02:40:34 ID:qvUYf9Xo
>>769 今調べててさらに分かっことやけど、細川首相の曾祖母が加賀藩主の三女

どんだけ名門やねん
773人間七七四年:2009/09/03(木) 02:44:53 ID:6Fl84H5m
細川は武士の血は薄まりおじゃると言っていいくらいでおじゃる
774人間七七四年:2009/09/03(木) 03:01:11 ID:qvUYf9Xo
>>771 日中戦争が始まった時も不拡大方針を出して和平工作をしよとしてたし

アメリカとの戦争には最後まで反対してて、首相を解任されたし

戦後はGHQに協力的でマッカーサから信頼され、憲法作成を頼まれたりしてた

時代に翻弄された可哀想な人生を送った人やと思う
775人間七七四年:2009/09/03(木) 03:19:10 ID:8i2B5J+/
細川元首相に誰の血が入ってるかって調べたら
有名所だけでも20人くらい入ってた、ってレスをどっかで見たな
776奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/09/03(木) 05:09:50 ID:hJLkOdlO
そりゃまあ思いつくだけでも
・清和天皇以前の皇統+藤原摂関家
・近衛文麿
・細川幽斎
・徳川家康
・加藤清正
・尾張の大足軽木下弥右ヱ門閣下
・織田信秀
・伊達稙宗
・浅井長政
・佐々木道誉

重複して隠れてしまう人物もいるわけで、大変な数になるのは当然ちゃ当然。
これは加山雄三にも当てはまるな。
777人間七七四年:2009/09/03(木) 09:39:01 ID:6BzoqseQ
>>774
そう断定してしまうのもどうかな

細川内閣が成立したときには祖父・近衛文麿とよく比較された(顔も似ているし)
夜中に突然辞職したときには「政権投げて逃げたところも祖父そっくり」と言われてしまったね
778人間七七四年:2009/09/03(木) 20:56:26 ID:UD1S8Zx2
あのおちょぼ口は、本当にそっくりだ。
779人間七七四年:2009/09/03(木) 23:24:25 ID:sEjNGvSG
>>776
加藤清正はないでしょ。
紀州家に嫁いだ娘には実子はいないし、息子(忠広)の子供の世代で断絶して子孫はいないはず。
浅井長政もないんじゃないのかな?京極家と細川家って婚姻していたっけ?

話は変わるんだけど、熊本の新聞のコラムで、熊本大学永青文庫研究センター特任教授 川口恭子って人が
書いたコラムで、以下のような話を知ったんですが、具体的な内容を知っている人はいますか?

 今年春、細川幽斎の出自について学会の話題となった。定説とは違うのではないかというものである。
 江戸幕府が諸大名の家系図編纂に着手した寛永18(1641)に細川家へも照会があり、当時存命であった
 三斎(忠興)とその妹浄勝院が、細川伊豆・細川刑部少輔の養子であったと答えている。

 〔あとは浄勝院(伊也)の紹介なんで略〕


780人間七七四年:2009/09/04(金) 23:37:49 ID:avg4UOfI
>>779 日本歴史学会の『日本歴史』730号(2009年3月号)に
載ってる「細川幽斎の養父について」by山田康弘の中で
「淡路守護家細川晴広の養子だった」としている件かな?
781人間七七四年:2009/09/20(日) 17:04:46 ID:pnQyC6qd
>>780
オレもその論文読んだわ。
その論文で合ってる。
782人間七七四年:2009/09/23(水) 23:04:20 ID:5AEqH83k
今日図書館で読んできました。

藤孝のことを江戸幕府から聞かれたときに、
「えーと、細川伊豆だか細川刑部少輔なんとかの養子とか言ってたとような・・・」という忠興の(適当な)回答が
綿考輯録筆者の「元常も刑部少輔って名乗った時期がある」という主張から
「和泉守護家の元常の養子」説が定着したという内容でした。

補強材料は
 ・藤孝署名の書状で父晴広ということが書いてある
 ・細川伊豆の孫熊千代が幕府に出仕したという記録があり、
  かたや藤孝・忠興・忠隆と三代続けて幼名熊千代とされている

しかし、「当時(戦国時代)は家系なんて気にしてなかったから、よく判んないよねー」ってのは
太平の江戸時代の人とは、全然違うなあ。



783人間七七四年:2009/10/09(金) 22:45:23 ID:QlKWh4hi
>>782
名門と言われるような細川氏でこれってのは意外だよね。
784人間七七四年:2009/10/11(日) 16:11:09 ID:Tf2guOt4
>>783
名門といっても政元暗殺の後は分裂して抗争を繰り広げていたからね。
それがようやく落ち着いたのは信長末期くらいなわけで。
その混乱期はきちんとした記録が無くてむしろ当然では?
785人間七七四年:2009/11/17(火) 02:09:48 ID:zPEq4zpi
細川家について書かれてる良書ってある?
786人間七七四年:2009/11/17(火) 02:59:29 ID:2CXzq1MA
細川両家記
787人間七七四年:2009/11/22(日) 10:23:57 ID:Jsg9XnGD
護煕氏は細川家としては側室の血筋だけど、
母方の系譜を辿ると玉子の血筋(忠隆の血筋)ってのはホント?
788人間七七四年:2009/12/02(水) 16:19:41 ID:Ubf6LnFl
明日発売の名将の決断が幽斎の田辺城ですよ
789人間七七四年:2009/12/12(土) 22:28:24 ID:CruPLWGA
調べても調べてもわからないんですが、藤孝、忠興の烏帽子親って誰なんでしょうか? ご存じの方がいましたらお知恵を貸してください・・
790人間七七四年:2009/12/19(土) 10:38:08 ID:pRYLe4kR
玉甫って何者ですか?
以前忠興関連の本読んだ時出てきた気がするのですが…
791人間七七四年:2009/12/19(土) 12:33:54 ID:zaQRWFnl
>>789
忠興は信長本人。お玉(光秀3女を養女にして忠興に嫁がせることもこの時決まったらしい)
藤孝はわかんね

>>790
この時代2人いるけどな。
一人は織田信安。
  信勝(信行)を担ぐが信長に敗れる。
  その後美濃斉藤家に仕えるが滅んで京に逃れる。
  信長に許されて安土総見寺住職。
もう一人は玉甫紹j
  京都大徳寺住持。後に高桐院をひらいた
792人間七七四年:2009/12/19(土) 13:01:02 ID:pRYLe4kR
忠興の親戚なんですよね?
忠興はその玉甫って人に育てられたんだっけ?
793人間七七四年:2009/12/19(土) 13:46:44 ID:zaQRWFnl
>>792
それなら玉甫紹jの方だ。
彼は藤孝の弟だよ
794人間七七四年:2009/12/20(日) 16:52:56 ID:AUJ5kXOe
小野木重勝だけど
文句あっか
795人間七七四年:2009/12/23(水) 18:49:13 ID:KIHTYrIp
>>>790
>
>藤孝の弟で忠興の伯父さんにあたる人物で大徳寺の所謂和尚さん
>
>藤孝と忠興が揉めた時仲裁に入ったり歴史的に
>
>あまり大きな事はしてないが細川家を影で見守ってた人
>
>
>
>玉甫和尚は清巌宗渭や名古屋山三郎の僧時代の散禅の師で山三郎は
>
>玉甫和尚の通して藤孝から蓮歌や茶を学んで

早蓮歌と槍の舞を歌舞伎にまで昇華させたって話がある

清巌宗渭も玉甫和尚の後を次いで大徳寺の住職になった
796人間七七四年:2009/12/25(金) 02:12:02 ID:iAEYVfAH
忠興が黒田(長政)と険悪になった理由はわかるんだけど、加藤(清正)と絶縁した理由がわからんのだがなんで?
関ヶ原後くらいまでは普通に友人同士だよね
797人間七七四年:2009/12/25(金) 13:30:22 ID:DELzB9b2
よく言われているように、加藤家との絶縁は
・秀吉時代に加藤・福島が血縁ゆえに大封を得、重要な仕事を与えられていた(と勝手に信じていた)
・加藤・福島は三成の手から婦人救出できたが自分はできなかった(あいつらだけウマイコトやって・・・)
 ※(救出は可能だったがお玉を人目にさらすことを極端に嫌い、殺して屍骸を残さないように、
   部下の小笠原に襖越に槍でお玉を刺し、爆薬で吹き飛ばすように命じた)
・熊本に転封となったが、地元での加藤家の圧倒的人気に嫉妬し、加藤という名を嫌うあまり、嘉明とも絶縁。
 部下の中から加藤姓を排除。

といろいろ勝手な思い込みが重なった結果。
ろくな理由じゃないが、嫉妬に気がふれるとなにをしでかすか分からないキティちゃん。
長政も「お前にだけは言われたくないぜ、じゃあな!せいぜい長生きして嫌われろ」と。
798人間七七四年:2009/12/25(金) 16:29:33 ID:7gSwNRxe
でも、清正はたまの葬儀に来ていらんこと言ったり、関ケ原の後に忠興が奉公構えの仲裁みたいなことやってるから、
そこにあげられてるような理由じゃ少し弱いし、 忠興が加藤家はシカトしろって支持出したのは、加藤家改易前だよね
決定的な理由がないなら、反徳川親豊臣色の強い加藤家と距離を置きたい政治的な理由な気もする
前田家(元々利長とは友人同士だったよな)と絶縁した時みたいな
799人間七七四年:2009/12/25(金) 16:34:00 ID:/b2dWkN4
>>798
忠広期の加藤家は、「改易も止むなし」な雰囲気だったようだし、光広は遊び半分で
変な怪文書をつくったような奴なので、やっぱりそのへんの事情が大きいと思うな
800人間七七四年:2009/12/25(金) 16:58:01 ID:7gSwNRxe
だったら、清正とは特に不仲になったわけではないのかな?
高桐院に何かあったし、忠利が熊本に入るときも清正は敬ってるし
801人間七七四年:2009/12/27(日) 10:34:27 ID:MmvD9ABN
>>797
>熊本に転封となったが、地元での加藤家の圧倒的人気に嫉妬し

熊本で加藤家(つーか清正個人だけど)が神格化されて、大人気になったのは細川時代じゃないかな。
加藤家の旧家臣で、そのまま細川家に仕えた人も結構います。

加藤家が改易になったのを肥後の庶民は喜んだという話もあり、
後世では評価される土木工事も、負担が大きいということで工事中は反発した人もいた。
熊本城の築城も並行してやっているし、重臣達も自分の支城の工事のため、勝手に人員徴発して
清正は度々止めさせようとしている。

清正が朝鮮に出陣して長期不在だったこともあって、元々家中の統制もいま一つうまくいってない。
死後に重臣達の勢力争いから幕府の介入も受けている。

忠興が「肥後の侍が親戚頼って肥後から逃げ出している。国内が何か不穏な状態みたいだ」
と伝聞記事を残している(改易騒動の前に)。
802人間七七四年:2009/12/27(日) 13:46:34 ID:SlaT5LUP
結局忠興と清正不仲説のソースはないのか?
加藤家→清正死んで息子も孫も馬鹿だし藩内ごたごたしてるから、関わっちゃだめよ
黒田家→長政pgr 息子も馬鹿でご愁傷さまwww
ってのが、「加藤と黒田は蔑にしとけよ」の意味なのかね
忠興が清正の不作法な性格を苦手としてた面もあるらしいけど
803人間七七四年:2010/01/03(日) 18:48:47 ID:VWY31kUQ
忠興自身が複雑な性格だから>>797の要因もあったのかもしれないけど
主因は幕府対策じゃないかな
細川家は豊臣恩顧じゃないけれど、もちろん徳川譜代ではなく
旧幕臣系または織田系なわけだし
なんといっても明智の関係者だしね
804人間七七四年:2010/01/04(月) 01:20:54 ID:s2MkfjBk
家柄からいっても忠興の性格からいっても少しでもミスれば取り潰し確定と、
自分でわかった上での行動かも試練。
嫁その他のことを抜きにすれば基本ハイスペックな人ですから。

グチや文句付きの手紙をまめに送ってることもあるし。
805人間七七四年:2010/01/06(水) 01:45:35 ID:PJDay/Ie
http://hosokawaten.com/

東京でやるんだね
楽しみだ
806人間七七四年:2010/01/06(水) 10:48:53 ID:xLqq2cJZ
解除きた
807人間七七四年:2010/01/06(水) 11:18:36 ID:xLqq2cJZ
>結局忠興と清正不仲説のソースはないのか?

「地震加藤」の話。
一番乗りは忠興で配下と共に警備に当たっていたところに清正が来た。
謹慎中ということだったが、快く秀吉に面会させた。
世間では一番乗りの自分は忘れられ清正の忠誠心だけが褒め称えられた。
「あの人は殿下の血縁だから」という妬み嫉妬から愚痴がもれた。
808人間七七四年:2010/01/07(木) 18:30:25 ID:Bm8rv/iV
忠興って割とグチっぽいよな
809人間七七四年:2010/01/07(木) 18:51:43 ID:H35LL1jY
割と?・・・普通にグチの塊のような
810人間七七四年:2010/01/07(木) 21:45:54 ID:Bm8rv/iV
そんなに?何かエピある?
811人間七七四年:2010/01/08(金) 13:43:04 ID:B6IM9ox4
頭に血が昇ると手が付けられないDQNエピソードはありすぎるね。
・刀の銘々「歌仙兼定」と「晴思剣」の話。
・長政との絶交の一因ともなった関が原の評定や同士討ちの話。
・松山主水暗殺・巌流島決闘の逸話。

一つ弁護するが
「清正の喧嘩下手」は確かに忠興の口から広まったが、これは清正をバカにしたのではなくて、
後年、武将を評価した際に、清正はタイマンではそれほど強くはないが、軍を率いたら右に出るものはいないという、
いわば誉め言葉の中の一つが勝手に一人歩きして後世に伝わったということ。

812人間七七四年:2010/01/24(日) 18:51:19 ID:91cIKkTe
忠興は石田三成襲撃に本当に参加したの?

森忠政と一緒に向島城に詰めてたはずじゃ
813人間七七四年:2010/02/13(土) 21:07:07 ID:jp2/kzeo
土佐郷士で無双直伝英信流の細川義昌という人は、
幽斎の二男である興元の子孫らしいけど、谷田部藩主の子孫が
土佐の郷士なんてことがあるんですか?
814人間七七四年:2010/02/13(土) 22:28:48 ID:dSLhKErD
>>812
そのとき三成が家康屋敷に逃げこんだことが誤りである
ことを立証した笠谷和比古という研究者によれば、
忠興も7将に含まれている。
815人間七七四年:2010/02/13(土) 23:35:38 ID:iG8s2w/o
忠興が森忠政と一緒に向島に詰めたのは1598年の家康暗殺騒動の時。

七将の三成襲撃は翌1599年。ようするに別件。
816人間七七四年:2010/02/14(日) 21:41:14 ID:i47HdfEJ
>>813
それ上野氏の後裔が細川氏に戻したとかじゃないの?
817人間七七四年:2010/02/14(日) 21:57:53 ID:aptcMkbj
>813
さすがに興元の子孫はありえないと思う。
土佐守護代細川家の子孫じゃないの?
818813:2010/02/14(日) 23:16:43 ID:dn2Qg78n
私も土佐守護代の子孫かなと思います。
土佐には、池氏など土佐守護代細川家の子孫が他にもおりますし。
しかし、何故わざわざ幽斎の子孫を名乗ったのかなとは思います。

どうも、ありがとうございました。

819人間七七四年:2010/02/14(日) 23:25:47 ID:srR6EBo+
>>813
本当に細川家と関係がある家なら、郷士のまま山内家に仕えるよりは、
他国に出奔したほうがまともな扱いうけそうだし。

坂本竜馬の先祖が明智氏ってのと同じようなレベルの話なのでは?
820月孔雀:2010/02/18(木) 07:22:52 ID:FS6rgjQd
室町時代、荒れすぎて、訳分からんよ、日本は。
821人間七七四年:2010/02/18(木) 19:32:32 ID:9PD47gK0
忠興ってどんな容貌だったんだろ
玉とは美男美女夫婦って言われてたらしいけど
822人間七七四年:2010/02/18(木) 20:44:42 ID:ri1RvtKH
幽斎の肖像画が護煕そっくりで、晩年の忠興が頭剃ったら親父そっくりになったといってるんだから、
細川の血筋がああいう感じなんじゃないの?特に目元とか
823人間七七四年:2010/02/23(火) 19:45:29 ID:wWzhEA7F
でも忠興は肖像画を見る限り幽斎とは似てない
824人間七七四年:2010/02/24(水) 13:26:50 ID:AsD+d0JY
護煕公と言われるとかの1年天下のお方
825人間七七四年:2010/02/24(水) 14:24:03 ID:4sSgY6my
今日、病院の待合室にあった新聞に記事があったんだけど
細川家の家宝展覧会みたいのやってるらしいよ
826人間七七四年:2010/02/24(水) 17:07:47 ID:/ParutP2
義兄の木下延俊とは仲がそこそこ良かったらしいね
827人間七七四年:2010/02/24(水) 17:32:04 ID:mrja4rg5
>>825
朝日朝刊に永青文庫の所蔵品展示を東京国立博物館でやるという記事があったけど、それかな。
ttp://www.eiseibunko.com/

忠興に関係あるものとしては、甲冑と、信長直筆とかいう感状の写真があった。
感状は、唯一残ってる信長の直筆ではないか、とか書かれてた。


護煕のインタビューもあったけど、子供の頃から名物に囲まれて育ったらしい。
そうやって培われた審美眼には、庶民では逆立ちしても太刀打ちできそうにないな、と思ってしまった。
828人間七七四年:2010/03/06(土) 18:39:42 ID:/fKWgBhO
性格さえ考えなければ頭も良ければ戦闘力もありセンスもある化け物じみた人間だというのに…
…良い点と悪い点が見事に釣り合ったと考えればいいのか
829人間七七四年:2010/03/14(日) 10:50:30 ID:BhCLiW8O
>>795 国立博物館の「長谷川等伯展」でこの人の肖像画が出品されてるよ。
830人間七七四年:2010/03/19(金) 13:03:13 ID:KNPzfohB
等伯展に玉甫紹jの肖像画が出展されてるの?
831人間七七四年:2010/03/21(日) 14:30:00 ID:pN75hUtk
大徳寺高桐院から出品されとる。
なんとなく幽斎に似てる・・・
832人間七七四年:2010/03/22(月) 09:24:40 ID:/7jfc7fJ

林千寿「関ケ原合戦における細川家−その動向と動機」(『熊本史学』76・77合併号、2000年12月20日発行)
833人間七七四年:2010/03/22(月) 14:45:09 ID:WaFpkH8W
福島正則
834人間七七四年:2010/04/11(日) 02:36:02 ID:8WFKVSxX
細川親子(特に忠興)の秀吉への感情ってどうだったん?
忠興は利休の件もあって良いとは思えないが…
835人間七七四年:2010/04/24(土) 08:13:23 ID:Vo6wOnAt
>>825 来月日曜美術館で永青文庫展特集やるけどサブタイトルが
  「細川家の4人の殿様」となってたから幽斎と忠興とりあげんのかな?
836人間七七四年:2010/04/24(土) 10:18:56 ID:6Nc0ztfR
4人なら藤孝、忠興、護立、元首相かなぁ。
837人間七七四年:2010/04/24(土) 10:29:03 ID:HzIVuTcp
東京国立博物館に幽斎三斎親子の書状などを収録した史料が売ってるのなら
絶対に上野駅まで行くんだけどな。
838人間七七四年:2010/04/25(日) 00:24:19 ID:ZHbg/3Dg
玉から忠興宛の手紙も展示されるらしい。
(永青文庫のじゃなくて、博物館が持ってるやつね)
839人間七七四年:2010/04/25(日) 23:53:34 ID:ZHbg/3Dg
会場に「へうげもの」やPHP文庫の「細川忠興」が売られててびっくりした…
<歌仙拵>展示されてたけど、解説で36人成敗のDQNな話に触れてなかった
のは細川家からストップかかったのかな?
840人間七七四年:2010/04/26(月) 00:12:47 ID:TxL+O1Qb
今ちょうど東京国立博物館で展示をやっている期間か…
行ってみたいと思っているが、どうなんだろう
841人間七七四年:2010/04/26(月) 08:25:43 ID:lHNfIc+h
国立博物館は展示場で販売の史料の通販とかやってるんかな?
842人間七七四年:2010/04/26(月) 09:10:59 ID:dwsYqIQI
>>841
自分はまだ上野には行ってないんだけど。
(年間パスポートを買っているので近日中には行く予定の都民)

展示をやっている2階の、展示室をつなぐ場所で
お土産や該当展示の図録を売る場所が毎回ある。(結構広いです)

展示記念のグッズ(展示物のポストカードとかクリアファイルとか
栞とかレターセットとか・・・そういうモノ)や、
通常売られている東博グッズのほかに
その展示の関連書籍や資料本を売るコーナーはどんな展示でもある。

>史料の通販 の、「史料」が何を指しているのか?
レス面だけではわからないけれど、「展示の図録」だったらば
電話やHPからの注文で購入できると思うけど。
(HPで確認してみて下さい)

843人間七七四年:2010/04/29(木) 15:14:58 ID:8HHdqGh0
>>835-836
4人というと、あとは江戸中期の重賢とかも考えられるな。



連休中に行くつもりだけど、混むだろうなあ・・・。一昨年くらいに
やった「大徳川展」もえらく混んでたし
それでも、見る価値のあるものがたくさんあるだろうしね。
844人間七七四年:2010/04/29(木) 21:54:46 ID:Q+ObK67n
平日だと空いてたけど、GWは分からんな。
後半日程で展示が一部変わるからまた行く。
845人間七七四年:2010/05/03(月) 09:39:23 ID:2OjyHAf2
天下とった護照公。お手作りの茶碗とかも展示?
846人間七七四年:2010/05/03(月) 14:15:12 ID:oeKGgXWE
>845
ないよ。
847人間七七四年:2010/05/03(月) 19:39:35 ID:mvmNJCQo
今日行ったけど徳川展ほどは混んでいなかったよ、すぐ入れたし
人民裁判対象の科学博物館の方は外まで並んでいたけどな。
848人間七七四年:2010/05/06(木) 14:03:20 ID:nfyQaI5g
今元総理がテレビ出てた
01:05から50分まで「スタジオパークからこんにちは」ってやつ
質問してるおねーさんがヒドイwなんじゃありゃw
元総理は意外に気さくで感じ良かったわ
849人間七七四年:2010/05/06(木) 22:33:22 ID:YVrqFOSp
>>848
どんな質問してたの?
850人間七七四年:2010/05/07(金) 05:15:15 ID:6AVChzju
「番組名 細川」で検索すると色々出てくるよ

うろ覚えだが
歴史ある名門細川家!
「さぞ厳しく育てられたんでしょうね。何かを強制されたり、人前ではこうしなさいと躾られたり」
「いいえ、無いですね。普通です。私はヤンチャでしたよ」
習い事の師匠をトイレに閉じ込めて破門されたことがあるらしい

細川家と言ったら文武両道!
「細川さんはご自身どうでした?」
「スポーツは好きでしたが(成績悪くて)中学落第しました。弟と一緒に卒業しました」
テストの答案に「ストリップ劇場」と書いて、親が呼び出しを食らったことがあるらしい
呼び出される回数が非常に多くて、教師からの呼び出し用紙が今でも残ってる
後は新聞記者時代の話、政治関連、エリツィンとの対談についてなどだった
親からは新聞記者・政治家のどちらも大反対され勘当された(?)らしい

「お百姓さんの真似事をしております」と言ってたが優雅な隠居生活だった
家は立派で風変わり。デザイナーズのアトリエ?
ご本人は穏やかな喋り方で人柄が良さそう
ジャージ姿で軽トラック運転してた

NHKの選んだ「細川家を代表する芸術家」に幽斎さんはいなかったが山菜さんはいらした
851人間七七四年:2010/05/07(金) 11:26:55 ID:wGctwaPD
>>850
> NHKの選んだ「細川家を代表する芸術家」に幽斎さんはいなかったが山菜さんはいらした
幽斎さんはあくまで長岡家の人だからな。
852人間七七四年:2010/05/07(金) 17:05:26 ID:6AVChzju
細川家1代目として数えられてたよ>幽斎さん
その中から3,4人名高い芸術家(あるいはパトロン)として、山菜さん、?さん、元総理祖父 が選出されてた

日曜美術館の番宣が目的なんだろうが
ゲストの話を聞きたいのか、先祖の話をしたいのかわからんかった
質問してるお姉さんは細川家にも元総理にも興味なさそう
gdgdな質問して、逆にフォローされてた

視聴者からのメッセージは「夫婦円満の秘訣はなんですか?」
山菜さんなら何ていうか想像して吹いた
853人間七七四年:2010/05/07(金) 23:49:47 ID:TzR3DHIk
目白の永青文庫では、高山右近から忠興宛お別れの手紙が展示されてたよ。
854人間七七四年:2010/05/08(土) 20:11:30 ID:XzxdVPX/
山菜って誰?
855人間七七四年:2010/05/09(日) 01:35:14 ID:DUutHx7j
いやいや普通に忠興だろ、三斎の変換が山菜になってるだけだってw
一瞬、山菜って誰とか考えたけけどさ
856人間七七四年:2010/05/10(月) 22:05:40 ID:2Q8JxNIR
>>835 番組の予告によると忠興・忠利・重賢・護立の4人を
取り上げるらしい・・・
http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2010/0516/index.html
857人間七七四年:2010/05/11(火) 00:40:50 ID:lbgY4m+O
物品を見せるのであればその四人かなぁ。
858人間七七四年:2010/05/11(火) 03:22:51 ID:vZIdGlA7
幽斎取り上げられないのか・・・
859人間七七四年:2010/05/11(火) 22:09:24 ID:9qja0At6
ぶらぶら美術・博物館で細川展やるみたい
哺乳類展とセットで
860人間七七四年:2010/05/12(水) 01:09:29 ID:NdEXU+Nn
ガラシャと利長はエッチしたことあるの?教えて臭い人
861人間七七四年:2010/05/16(日) 09:29:32 ID:3ShQbpYy
>>860
忠興さんが呼んでたよ
862人間七七四年:2010/05/22(土) 10:31:43 ID:x9EAvsXC
戦国武将・細川幽斎のイメージキャラ募集

 京都府の舞鶴商工会議所青年部は23日から、戦国武将・細川幽斎のイメージキャラクターのデザインを募集する。

 同青年部の発足30周年記念事業で、幽斎の没後400年に合わせ、まちおこしプロジェクトとして企画した。

 幽斎(藤孝)は、織田信長に従い、丹後国を治めた大名。舞鶴の田辺城を築城した。嫡男・忠興の妻、細川ガラシャは
悲運の貴婦人として知られる。

 締め切りは7月9日。最優秀作品を決めて手直しを行い、9月中旬に完成作を発表、着ぐるみを作ってイベントなどで活用する。
同作品に賞金5万円を贈る。

 同市民の作品が対象。23日の新聞折り込みチラシの裏面や、ホームページの応募用紙を、用紙に記載した送付先に送るか、
市内約20か所に置く応募専用ポストに入れる。問い合わせは、同青年部事務局(0773・62・4600)へ。

 同青年部のホームページはこちら(http://www.maizuru-yeg.or.tv/
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20100520-OYT1T00330.htm

幽斎のイメージってかなり難しいな。文化人の印象が強すぎるし。
863人間七七四年:2010/05/22(土) 11:21:47 ID:LgAuQUYi
坊主頭に団扇持ってるゆるキャラ風に仕立てるしかないんじゃね。
864人間七七四年:2010/05/22(土) 12:53:20 ID:gSOmRZ+5
藤孝の肖像画の顔は、子孫の元首相とそっくりだしな。
865人間七七四年:2010/05/25(火) 13:20:32 ID:TO8WBdbZ
息子の方はそういうの出てんのかね?
送ってみたいが絵なんざ描けないことに気がついた
866人間七七四年:2010/05/26(水) 23:03:59 ID:dg+tttQW
よくわからない着ぐるみに
へうげものの幽斎の顔をプリントアウトした紙を貼るだけでいい
867人間七七四年:2010/05/26(水) 23:59:13 ID:LySigl1W
キャラクターが決定したら「着ぐるみ」や「グッズ販売」が出るらしい…。
<幽斎らしく品格を持った、かつ親しみやすいキャラというのが条件>
868人間七七四年:2010/05/29(土) 02:41:28 ID:ixXnb1It
>>862
信長の忍びのキャラが個人的にはぴったり
869人間七七四年:2010/05/29(土) 03:35:26 ID:Azb3myd2
ここんくん
870人間七七四年:2010/06/06(日) 18:24:48 ID:6gU0GxJ6
>>839 ショップでは菱田春草の「黒き猫」グッズ(ぬいぐるみ・クッション
てぬぐいとか)がたくさんあった。製作は「不東」とあるので護煕さんの
会社だね。(黒き猫は売れ筋だと思って作ったのかな)
871人間七七四年:2010/06/13(日) 22:38:06 ID:6TsR7dqh
細川護煕展のHPで幽斎はもちろんだが忠興もいかにも文化人て感じで
紹介されてる。
http://www.mitsukoshi.co.jp/hosokawa/history.html
872人間七七四年:2010/06/20(日) 08:29:12 ID:OdcEmbGY
>>871
忠興は性格はともかく、三斎流○○と言われるような影響を後世に残しているから文化人でまあいいでしょ。


そのHPで突っ込むべきなのは、”武人”忠利のほうだと思うが・・・。
873人間七七四年:2010/06/20(日) 11:19:57 ID:mAUw7NfN
武人忠利のどこがおかしいのかわからない。
874人間七七四年:2010/06/20(日) 12:02:24 ID:PoEO6tU5
新陰流の高弟なのと、武蔵を迎えたことで武人なんだろうね。
敵城一番乗りとかやらかしたことのある忠興の方がよっぽど武人と言えるけど、
そうしたら忠利を表現する言葉が無くなってしまう…。
875人間七七四年:2010/06/22(火) 06:11:22 ID:asPXChji
>>873
>武人忠利のどこがおかしいのかわからない。

個人的に剣術好きってのが武人なら、徳川家光なども武人になっちゃう。
足利義輝のようなエピソードが忠利にあれば別だけど。
柳生に剣を習ったのは事実だけど、「強かった」とか実際に人を切ったエピソードってあったっけ?

武蔵だって、別に細川家剣術師範ということじゃないからなあ。
876人間七七四年:2010/07/12(月) 16:56:09 ID:CrRzPQ/8
そこら辺片手で牛をどかした祖父や奸臣36人叩っ斬った父とは違うね!
877人間七七四年:2010/07/23(金) 14:37:05 ID:TOi2ftcA
父上は義理の弟を謀殺したときもガチでチャンバラばりの大立ち回りをやってのけたしな。
藤孝といい忠興といい超武闘派だよな。
878人間七七四年:2010/07/24(土) 21:19:09 ID:a3y0YfyO
淀殿と忠興は密通していた。淀ちゃんならありえるよね。
879人間七七四年:2010/07/24(土) 21:44:41 ID:AY0aZu2V
何が悲しくて年増と密通しなきゃならんのだよw
880人間七七四年:2010/07/24(土) 21:51:47 ID:Ig5ZxJ81
>>878
 ないない、サルの愛人だった年増なんて勃起しません!
 ガラシャじゃないとわては勃起しませんがな。
 まあ、ガラシャに見せつけるために妾とはやりましたが・・・・・・
 そういうことをした後のほうが、二人とも燃えるもんでね。
                               by 忠興
881人間七七四年:2010/07/24(土) 23:27:31 ID:+W64+YnF

大名細川家のよろいの美

開催地
熊本市 熊本県立美術館 細川コレクション 永青文庫展示室

開催期間
2010年7月16日〜9月26日
http://local.yahoo.co.jp/detail/event/i87723/
882人間七七四年:2010/07/25(日) 20:33:51 ID:OpmA7XO9
細川ガラシャのガラシャって漢字では、どう書きましたっけ?
883人間七七四年:2010/07/25(日) 23:32:25 ID:MgBMn+D9
ぐぐれ俄羅奢!
884人間七七四年:2010/07/26(月) 16:32:59 ID:8Iq7y1am
伽羅奢では?
885人間七七四年:2010/07/28(水) 23:42:13 ID:PTdMzHzh
まぁ漢字は当て字みたいなもんだから色々あるかも
ちなみに自分は「伽羅奢」派かな
あとガラシャ(gratia)はラテン語で恩寵って意味があるらしい
886人間七七四年:2010/08/01(日) 13:55:42 ID:RYA3hixY
三斎の三ってのはどこからきたの?なにか由来とかあったら知りたい
887人間七七四年:2010/08/02(月) 11:50:45 ID:qtpTJ8A1
3回の災難じゃなかった?
三災が三斎になった?うろ覚えですいません
888人間七七四年:2010/08/02(月) 21:48:28 ID:jUbZL3yA
>>887
ありがとう
ぐぐってみたら仏教用語だったんだね
889人間七七四年:2010/08/18(水) 19:39:14 ID:BV8EMvo7
幽斎が管領に就任することは可能だった?
890人間七七四年:2010/08/18(水) 23:57:33 ID:mMS23L8r
細川幽斎
菅貫太郎
891人間七七四年:2010/09/08(水) 18:34:50 ID:UOlBBVA/
蔵人家は怪しいらしいが細川元常に子供がいたの自体は真実?
892人間七七四年:2010/09/26(日) 21:11:10 ID:nGtkutNW
忠興ってイケメンだったのかな?
893人間七七四年:2010/10/03(日) 09:50:26 ID:JCYnETLL
>>891
藤孝に譲りたくないから、伝来の家宝をお寺に寄進しちゃったってエピソードは聞いたことがある。
結局江戸時代に肥後細川氏が買い戻して現在に至っているけど。
だから養子の件が元常の意向ではなかったとか、養子になった後の藤孝と折り合いが悪かったということはあるかも。

養子取ること自体は、実子がいてもたくさん例があることだから、実子がいても不思議じゃないと思うけど、
藤孝の弟にあたる人物がいたのなら、血統はつながらなくても細川家臣として家自体は残していそうな気がする。
藤孝とはっきり対立したならかえって当時の記録に残りそうだし、いても夭折したとか出家したんじゃないのかな。
894人間七七四年:2010/10/15(金) 04:48:01 ID:V9obNzK+
三淵兄弟だけでもけっこういるからな
895人間七七四年:2010/10/30(土) 20:35:42 ID:TAWhib+k
藤英の子供も細川家臣なんだよな。
小倉時代に徳川幕府旗本に取り立てられたけど
896人間七七四年:2010/12/03(金) 06:27:58 ID:TVuo5z8Y
今回の「歴史ヒストリア」高山右近だったけど、忠興宛の決別の書状が紹介されてたね。
897人間七七四年:2010/12/04(土) 18:45:22 ID:eeIdlP/d
仮冒だろ
898人間七七四年:2010/12/23(木) 18:52:19 ID:LPX36yhx
「本能寺将星録 細川忠興戦記」という本が明日発売らしい。
忠興主人公で…。
899人間七七四年:2010/12/24(金) 18:03:52 ID:TT9ngMFr
細川じゃなくて三淵だろうが
900人間七七四年:2010/12/25(土) 11:40:47 ID:kRrKIlq4
>>899
失敬な、長岡です。
信長公に貰った由緒正しい苗字ですよ。
901人間七七四年:2010/12/26(日) 02:28:12 ID:VoMKPKuW
>>891
典厩家細川藤賢の子孫なわけないか
902人間七七四年:2010/12/26(日) 16:46:39 ID:xjrZ55iZ
週間『真説 歴史の道』今週号は「細川ガラシャ」だが、先週号は「足利義昭」で
コラム「歴史を動かしたふたりの秘話」は「義昭と細川藤孝」だった。
903人間七七四年:2011/01/01(土) 16:04:46 ID:PLKrOQWw
上にも書いてあったけど、肥後の細川氏は足利一門の細川氏とは、
血縁上は関係なかったという説が有力になっているらしい。
 
近江佐々木一族の大原氏から出た高久が、将軍義澄側近となり、
有力一族の細川苗字を与えられたもの。
 
藤孝は高久の子、晴広の養子だから、
辻褄あわせかも知れないけど、
忠興は奥州家輝経の養子になったことになっているのかな。
 
そもそも和泉半国守護家の養子というのは何の根拠もないらしいし。
 
そういえば、長岡から細川に名前を戻したのも、
輝経の養子になったことと関係あるのかな。
 
藤孝は細川に戻してないんだっけ?
904人間七七四年:2011/01/01(土) 16:39:15 ID:nSd6dCnF
何その電波。
三淵晴員が和泉細川出身なんだから血縁はあるだろ
905人間七七四年:2011/01/01(土) 16:54:57 ID:PLKrOQWw
ああそうか。
でも和泉守護家の養子ではないというのは電波でもないよ。
906人間七七四年:2011/01/02(日) 14:29:18 ID:LeMGfruQ
大原氏って朽木一族の?
907人間七七四年:2011/01/02(日) 17:44:05 ID:pIbqbGKa
そう。高島七頭の。
908人間七七四年:2011/01/04(火) 11:39:09 ID:xADjmup9
"近江佐々木氏の一門出身で将軍近臣だった細川高久や、淡路守護家細川晴広"

これがキーワードだな、ググったらあちこちのHPに同じフレーズが出てくる。
どっかの本にある元ネタの文章を、あちこちに書いてるんじゃないかな。
六角氏スレに書き込んで盛り上げてくれればいいのに。

つーか、佐々木支流の人間が足利支流の細川名字を貰うことが名誉なのだろうか?
また「細川名字を貰う(新しい家を興す)」と「淡路守護家を継ぐ(養子or再興)」は意味が異なると思うけどなあ。
細川高久と細川晴広という人物の親子関係の根拠はあるの?

あと三淵氏と藤孝の血縁関係がなければ、細川家中で問題になるでしょ。
三淵氏は江戸時代の細川氏の上級家臣として存続しているんだから、藩主の家との関係で待遇とか家格が違ってくるし。
909人間七七四年:2011/01/04(火) 13:56:10 ID:BWeemrym
細川晴広は淡路守護家じゃないでしょう。
910人間七七四年:2011/01/04(火) 20:39:43 ID:GqR3IPwC
亡き盟友の明智光秀を守れなかった事を悔やんで幽斎と名乗るなんていかしてるね。

911矢田:2011/01/04(火) 23:21:31 ID:ZieuDTM1
肥後藩に庇護された旧室町幕臣&名門の家柄ってどんな家柄がいます?
奥州細川家を忠興が継承したのは奥州家が下守護家の継承権をもっており、数年後隠居する藤孝行
から上守護家の名跡を継承することで和泉家を統一するつもりであったとの説を見たんだがどう思う。
個人的には元が違う上、和泉からは祖父の代に追い出されているし違うと思うが。
またWIKIなどに書かれている肥後細川は奥州家、谷田部細川が和泉家って展開どう思う。


三淵の子孫は旗本じゃないの?
912人間七七四年:2011/01/05(水) 00:14:04 ID:/4UfSOed
>>912
>肥後藩に庇護された旧室町幕臣&名門の家柄ってどんな家柄がいます?

ttp://www.shinshindoh.com/

ここの侍帳を見るとか。
カテゴリの「肥後細川藩 戦国武将の裔」 ってところに少しは旧幕府系の人の名前が出ています。(戦国武将中心なんでちょっとだけ)

>上守護家の名跡を継承することで和泉家を統一するつもりであったとの説
上守護家と下守護家は同じ細川氏内で家系上特別な関係でもない
(元々一つの家が持っていた守護職を分けてニ家になったわけではない)から、
別に統一するって発想は出てこないのでは?



913人間七七四年:2011/01/09(日) 08:26:40 ID:Od8kNuNH
上のスレにもあったけど、藤孝が和泉守護家を継いだって根拠あるの?
914人間七七四年:2011/01/13(木) 14:01:41 ID:JVmQudpJ
このとき藤英は、藤孝の器量では管領は難しいが、せめて山城守護に任じたら、
それがダメなら藤孝を誅すべきだ、と義昭に主張したといわれている
915人間七七四年:2011/01/18(火) 02:39:47 ID:MGqt4KRE
>>914


偶々ウィキで戦国自衛隊みたら藤孝が謀反起こす設定だった
916人間七七四年:2011/01/18(火) 14:06:52 ID:tmIuh8IV
最近細川親子が光秀に加担すれば光秀のクーデターは成功してたように思えてきた
そういう意味では小早川秀秋や前田利家同様歴史の舵を切ったひとりだな
917人間七七四年:2011/01/18(火) 14:13:35 ID:dkW6Osgz
>>916
細川が明智方になれば、筒井も味方確実だしな。
918人間七七四年:2011/01/18(火) 15:15:02 ID:prxIGdxb
高山や中川も明智に付いた可能性が高いわな。
そうなると秀吉・信孝・長秀・恒興だけじゃ苦しい。
柴田の合流を待つしか方法が無さそう。
919人間七七四年:2011/01/18(火) 17:54:07 ID:YHkDXdLr
伯父兼養父の元常は藤孝に相続させたくないから家宝を売ったって話があるが、貧乏だからってことは無いのか?
藤英藤孝兄弟の祖父に当たる元有の代に和泉からは追い出されて、藤孝は油泥棒と化しているのに
920人間七七四年:2011/01/18(火) 19:58:32 ID:np6Nr7QE
>>916
>>918
何で丹後一国の小大名が味方についたくらいで、筒井以下の連中が「明智が勝つ」って思って味方になるんだ?
921人間七七四年:2011/01/18(火) 21:05:10 ID:pz1uKazQ
筒井は少数ながらも明智に兵を出すほど迷ってからあるいは
922人間七七四年:2011/01/18(火) 21:49:15 ID:y4owNe9q
筒井が日和見なら細川も日和見です
923人間七七四年:2011/01/23(日) 01:09:42 ID:iHnSrqgJ
>>919
藤孝の養父って元常じゃないだろ。
924人間七七四年:2011/01/24(月) 15:04:04 ID:12NuCrQN
>>923
否定論はまだ山田康弘氏だけの主張じゃないのか
925人間七七四年:2011/01/25(火) 12:15:35 ID:8UmAgnHi
平成時代の私事で恐縮ですが、三斎様流DQN思考を少し理解できた気がした出来事。

私「金運うPのために伸ばしていたパイ毛が抜けていた!ショック」
夫「お前の乳を揉んでパイ毛を抜いた不届き者は、**か? XXか?」
私「ちょwwwそれ、会社の使えないから氏んで欲しい人。パイ毛関係ナイ」
夫「理由がないのに頃したら殺人鬼になるし。お前の乳触ったら頃していいし」
私(鬼武蔵と三斎様のDQN思考の違いはこれかー)

今のところ、私が伴天連寺に通っても侍女の鼻は無事です。
926人間七七四年:2011/01/29(土) 23:37:23 ID:LLSwQSTb
>>924
肯定する客観的な根拠がないんでしょ?
927人間七七四年:2011/01/30(日) 00:07:32 ID:M367PzmL
925がおもしろくもなんともない件
928人間七七四年:2011/01/30(日) 00:27:38 ID:UE6I4pkA
少年期の藤孝は誰といたんだ
929人間七七四年:2011/02/27(日) 01:33:36.22 ID:tGIYBo+G
>>928
築山兵庫貞俊が傳役だとする説もあるようですな
930人間七七四年:2011/03/12(土) 10:27:03.37 ID:0Dz0Jkuf
ゆうさいくんの着ぐるみができたらしい…
931人間七七四年:2011/03/16(水) 12:21:16.00 ID:bJ4nFZ5T
前田慶次とも友達
932人間七七四年:2011/03/20(日) 09:33:34.12 ID:2AA4rZLg
熊本の島田美術館で「三斎細川忠興の遺産展」というのをやってるらしい。
933人間七七四年:2011/03/20(日) 17:15:52.75 ID:53kQIJvR
そーや京兆・和泉以外の細川一門ってどうなった?
直臣として残れた肥後谷田部三淵は和泉系だし、京兆は三春藩士でしょ
934人間七七四年:2011/03/20(日) 20:46:35.98 ID:uEraXK9N
備中守護家が長府藩家臣だね
935人間七七四年:2011/03/27(日) 13:37:28.83 ID:krstTaR/
忠興は「情」と「冷徹」が地球の端と端くらいに両極端だよね
いちゃもんのような理由で嫡男廃嫡してその面倒も見ないわ、せっかく助命を許された次男を切腹させるわ
どちらも愛するお玉ちゃんとの間に生まれた実子なのに
そうかと思えば独裁者秀吉の不興をこうむるかもしれんのに千利休に会いに行ったり
信長が亡くなってから55年過ぎても老体で炎天下のなか墓参りに行っている
わからんお人だ。。。。
936人間七七四年:2011/03/27(日) 20:59:38.49 ID:POkwaxSV
戦も強くて、教養もあって文武両道なのに
愚痴っぽくて子供みたいに自分の感情むき出しにする人間くさいところがある

性格が複雑すぎてよくわからない
型にはめられないよ この人は
937人間七七四年:2011/03/27(日) 22:14:44.95 ID:krstTaR/
ミニ信長と言われるだけある複雑さ
信長も一向一揆で皆殺しにして「すげーすっきりした」と手紙に綴るかと思えば
秀吉の浮気を愚痴るねねさんに対してとても優しい励ましの手紙を送っている
でも個人的に蒲生氏郷より本質的には忠興の方が優しい人気がするんだけどね
938人間七七四年:2011/03/27(日) 23:42:04.51 ID:nrWfzJin
>>935
同じガラシャとの間に生まれた子でも、忠利に対してはものすごい量の手紙で大事小事問わず
くどくど説教(?)しまくる一方、忠利が危篤に陥ると普段からは想像もつかないほどに動揺する。

それにしても、事あるごとに(身内・幕府要人問わず)気を使いまくる忠利の性格の形成は
やっぱり両親が共に激しい性格だったというのが大きいんだろうか。
939人間七七四年:2011/03/27(日) 23:58:35.88 ID:BNFcnGTx
忠興がこういう性格になったのは偉大すぎる親父を見てきて
ある意味屈折してしまったものがあるんだろうな
若いころなんて才能に嫉妬しまくってただろうし
940人間七七四年:2011/03/28(月) 02:08:59.79 ID:sogaNqhA
>>20とか>>24の話や、形式上とは言え嫡男なのに他家に養子に出されたりで、
父に冷遇された思いが積もりに積もったんじゃないのかな?
941人間七七四年:2011/03/28(月) 12:29:48.81 ID:kDEVpq5N
そもそもどうして養子にだされたんだっけ?
942人間七七四年:2011/03/31(木) 08:58:43.53 ID:1QHRXU3Q
>941
足利義輝の命による
この養子縁組は系譜上だけのもので、その後も親父と一緒で領国も継いでいる
943人間七七四年:2011/05/01(日) 20:32:46.11 ID:MacFLEOm
確かに忠興はかなり複雑な人だよな……
944人間七七四年:2011/05/03(火) 22:09:38.07 ID:GiUWgUGo
勝龍寺城を信長からもらって買収された挙げ句にスパイ活動して義昭を売った人が藤孝
事実上、足利幕府を滅亡させた元凶。
945人間七七四年:2011/05/03(火) 23:54:36.20 ID:UwhUna53
>>944
勝竜寺城って、義輝時代は藤孝の居城だったんだっけ?
946人間七七四年:2011/05/04(水) 13:23:55.45 ID:KfWkM4NC
三好の属城だと思うよ
947人間七七四年:2011/05/04(水) 13:43:58.23 ID:os+Zr2U7
この親子みてると、教育って割とどうでもいいのかもと思わされるな。
教養人の幽斎が特に英才教育したわけでもないのに武将として頭角を表しているし。
948人間七七四年:2011/05/04(水) 14:57:52.43 ID:RRZmZpnA
義弟に預けたんだっけ
949人間七七四年:2011/05/15(日) 19:21:25.10 ID:00XT2cVl
>>944
祖父の代に和泉追放されてから代々の居城では
950人間七七四年:2011/05/16(月) 15:37:51.44 ID:RJH8U350
>>949
いや信長が三好を追い払ってしばらくしてから藤孝に与えてるはず
義昭が挙兵した時におそらく三好に再奪回されてる。
義昭追放後に再度奪回したが。
951人間七七四年:2011/05/16(月) 16:22:10.41 ID:h4OPlAOb
勝龍寺城の和泉細川との因縁は作り話のハズ
藤孝が初じゃね
952人間七七四年:2011/05/17(火) 03:01:22.61 ID:ljKTZZWF
兄の方が立派
953人間七七四年:2011/05/17(火) 12:42:01.35 ID:Y1en8qK1
三淵藤英
細川藤孝
長岡好重
玉甫
好重の妻が藤孝娘なんだゆな
954人間七七四年:2011/06/01(水) 21:32:48.42 ID:05bKv18h
細川家譜は面白い?
政宗とかいろいろと登場しそうだし。
955人間七七四年:2011/06/01(水) 21:42:29.43 ID:uVIifZ+b
永青文庫叢書 細川家文書 中世編 は面白い?
956人間七七四年:2011/06/01(水) 23:54:39.58 ID:BGXzuNAQ
読み手にきちんと知識があれば面白い
957人間七七四年:2011/06/08(水) 15:52:02.60 ID:fUbMTpy4
ここではあんまり話題になってないけど、
学研の『細川忠興戦記 本能寺将星録』読んだ。
シュミレーション戦記だけど、面白かったよ。
登場人物は蒲生氏郷、津田信澄、千宗易あたり。
敵方は秀吉、如水の他に高山右近。
忠興とガラシャがやたらと仲睦まじい(w

忠興ミニ信長っぽく描かれてる。
山崎の合戦で光秀に味方して明智が勝つ。
直後に光秀死ぬけどね。
958人間七七四年:2011/07/16(土) 00:13:21.94 ID:1mhhLTId
有名家臣って言えば誰
959人間七七四年:2011/07/16(土) 20:07:10.98 ID:Dpvaor8y
米田監物
木造長政
氏家朴全
松野義孝
960人間七七四年:2011/07/24(日) 00:28:01.44 ID:/vZu0QPh
>>959
松井さんは?
961人間七七四年:2011/07/24(日) 11:00:44.24 ID:0xf+HFup
この親子で大河を作っても充分面白そうだよな
962人間七七四年:2011/07/24(日) 12:09:55.63 ID:gdbYtRXt
先ずはドラマ化の手始めに土曜ワイド劇場で、「植木屋は見た!」をシリーズ化希望
963人間七七四年:2011/07/24(日) 13:15:44.06 ID:WvtOzQmJ
細川幽斉 家柄良し 才能良し 実績良し 逸話多し 育児悪し の戦国のスーパーマンだからな

ただ息子の逸話は映像化するのは不味くないか
964人間七七四年:2011/07/26(火) 00:41:16.25 ID:ju+xhlI0
>>911
熊本細川が系譜上、細川奥州家の末裔で
矢田部細川が和泉半国守護細川家の末裔というのは王道だと思うよ。

肥後熊本細川藩の祖、忠興が実父藤孝とは同じ細川といえども家が違うといっているのだから
意見を差し挟む余地は無い。

ある意味で(足利尊氏に反抗した)細川奥州家は細川家の内で最強の家柄なんだし。忠興好み
の家系だとも言える。基本的には細川家は源氏の一流というだけで、足利の家来では無いんだ
し。奥州家を名乗るかぎりは将軍職任官もめざせる。
965人間七七四年:2011/08/01(月) 08:02:00.14 ID:1944Fe6R
南北朝時代に、足利宗家に反抗したとかなら他の足利一門ほとんど当てはまるんじゃないか?
奥州家が特別ってわけもなかろう。

966人間七七四年:2011/08/02(火) 14:33:57.99 ID:lr5r6NgA
>>964
> 基本的には細川家は源氏の一流というだけで、足利の家来では無いんだ
> し。

細川は足利一門だぞ?家来よりももっと服従義務があるわ。
967人間七七四年:2011/08/02(火) 19:15:28.73 ID:i67sdWv8
細川氏は足利「一門」ではなく「親類」に過ぎない
「一門」は斯波氏、吉良氏、渋川氏など
細川氏や仁木氏は足利惣領家に取って代われるような家柄ではないよ
968人間七七四年:2011/08/03(水) 01:46:56.76 ID:Z4lK3hT+
一門と親類を分けるなんて初めて見た
969人間七七四年:2011/08/06(土) 23:05:01.49 ID:tidTvBUU
足利は知らんけどよくあることじゃね
御一家、御一門、ご親類衆みたいな
970人間七七四年:2011/08/07(日) 07:48:04.76 ID:Cc5kxRJ4
足利幕府だと、斯波・吉良・石橋が御一家という特別扱い。
儀式などで呼び出されるとき○○殿と、敬称つけて呼ばれるとか。

971人間七七四年:2011/08/14(日) 03:32:01.44 ID:M5RDWn+B
遠祖足利義清は頼朝でなく義仲に仕えて討死した。
その為、矢田系は御家人でなく足利宗家の家臣扱いで席次は高階一族以下

また忠興の奥州家発言は親父への反抗な気がするんだが忠利以降の子孫はどっちを名乗っているんだ?
972人間七七四年:2011/08/14(日) 08:47:33.46 ID:g/KwkMFF
>>968
全然違うだろが。
たとえば加賀前田家は徳川と親類になるけど、徳川一門とは言わないだろが。
973人間七七四年:2011/08/15(月) 14:02:00.08 ID:sC2nee+u
>>972
婚姻でつながった親戚はともかく、同じ家祖から分岐した親戚ははどう考えても一門だろ
974人間七七四年:2011/08/15(月) 21:41:04.79 ID:vYOXz3w9
どっちかというとそれは御親類衆だな
武田みたいに分けないところもあるけど
975人間七七四年:2011/08/16(火) 12:22:11.72 ID:phspESli
>>973
先祖が同じ=一門じゃないよ。
血縁・婚姻関係などで当主と関係が深ければ一門扱いだけど、
ずっと昔に分かれた家なんかは時代が経つと家臣扱いになる。
逆にもとは別の家でも、功績を挙げて当主と同じ苗字をもらって、一門やそれに准じた扱いを受ける例もある。

徳川でいえば同じ松平の苗字でも、親藩(将軍・御三家の一門)と譜代は立場が違う。
譜代は大名でも、あくまで徳川家の私的な家来だから、徳川家の家政を司る老中などに就くが、
親藩の家は親類である将軍の使用人じゃないから就かない。(幕末などの異常事態のときは除く)
976人間七七四年:2011/08/16(火) 18:43:45.77 ID:SX122kkf
室町史研究の第一人者、山田邦明氏の『室町の平和』第一章貞治・応安の平和 より

『 将軍を支える執事職には、足利一門の仁木頼章が任じられていたが、尊氏が死去すると
間もなく出家して、執事職を退いてしまった。後継の執事に誰を任命するか、世間の注目が集まる中、
義詮が選んだのは、同じく足利一門の細川清氏だった。』

山田先生は細川氏を足利一門と言ってるぞ?
977人間七七四年:2011/08/16(火) 22:10:03.57 ID:phspESli
>>976
>山田先生は細川氏を足利一門と言ってるぞ?

その本を読んだわけではないけど、そこで言われている足利一門ってのは
土岐・京極・赤松などの諸氏に対する足利一門って意味で使っているんじゃないのかな?
他のレスで出ている幕府内での格式とか待遇としての一門ってことではないと思うが。

土岐・京極なんかは鎌倉時代は守護などの幕府の役職に就いて、官位を貰うような上級の御家人でいわば足利氏の同僚、
その連中を家来扱いして執事にできるほど足利氏の権力が他の家より突出していないってことを言っているのでは?

978人間七七四年:2011/08/17(水) 02:49:26.60 ID:IK31RLwp
>>977
せめて読んでから書きこめ
979人間七七四年:2011/08/17(水) 20:48:17.82 ID:Lrm5Sx6y
用語の使い方は研究者それぞれで違うからな。読んでみないとわからんな。
980977:2011/08/17(水) 21:54:37.91 ID:FxYkUl5J
>978
いや、細川氏は血統的に足利一門であるってことを否定している人はこのスレにいないでしょ?
一門であるってことを踏まえたうえで、他の足利一門などの違いなどを話しているのに、

>山田先生は細川氏を足利一門と言ってるぞ?

とか言いだすほうがおかしいだろ?


981人間七七四年:2011/08/18(木) 02:31:46.25 ID:auIjIY4D
>>980
その本を読みもせず作者の意図を想像で書くな、って意味だ。
982人間七七四年:2011/08/18(木) 02:38:22.11 ID:/5vjYgpH
そろそろ次スレの時期だが、スレタイとか>>1の紹介文とかどうするね?
983人間七七四年:2011/08/18(木) 03:03:27.43 ID:X07mezNx
細川のような母の身分も低い者は一族の血を引いていても家臣扱い
これは血縁近い一色や加古に対しても同様

話は変わるが日向畠山や斯波流石橋のような有力庶家の分家の方が本家の妾腹の分家より立場高そうなのは気のせいか
984人間七七四年:2011/08/18(木) 03:25:43.33 ID:padE+F+1
義家┬義親
  └義国┬義重(新田)
     └義康(足利)┬義清(仁木・細川祖)
            ├義長
            └義兼┬義純(畠山・岩松祖)
               ├義助(桃井)
               └義氏┬長氏(吉良)
                  ├義継(吉良)
                  └泰氏┬家氏(斯波)
                     ├兼氏(渋川)
                     ├頼氏─家時─貞氏┬高義
                     ├相義(石塔)  ├尊氏
                     ├公深(一色)  └直義
                     ├義弁(上野)
                     ├堅宝(小俣)
                     └基氏(加古)
985人間七七四年:2011/08/18(木) 03:28:00.13 ID:padE+F+1
石塔、桃井らは直義側で完全に没落、
渋川は南朝の攻勢にさらされて九州で没落
斯波は家臣の台頭によって没落し、石橋は斯波の奥州入部に追従して家臣化
仁木は南朝、

室町末期まで残ったうちの連中を再編すると、

一門  斯波=吉良
家臣  細川、畠山
格下  一色
中間  今川

今川の家格が微妙なのは、
了俊の活躍と駿遠の地盤に加えて、吉良一門である毛並みの良さがあるからと思う
消去法で行けば家格中勢力を保ち得たのは今川だけだし。
986人間七七四年:2011/08/19(金) 00:46:09.77 ID:5pB6PQ//
次スレはどうするね?
987人間七七四年:2011/08/19(金) 18:04:53.93 ID:jqemyVhN
実力主義の世の中になったからアホの殿様が出てしまうと一気に家が滅ぶんだね
988人間七七四年:2011/08/19(金) 18:58:22.69 ID:6PlvbARm
遠江今川カワイソス
989人間七七四年
989