【盟友?】織田徳川同盟を語っちゃおう【主従?】

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1名無し議論スレにて投票方法審議中
信長が早く死んだとはいえ、戦国稀に見る堅く長い同盟と言われるこれ

好きなように語っちゃおう?
2名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/01(木) 21:09:40 ID:mzn/nXTO
あのまま織田家に従っていたとしたら、
家康は将来の自分をどのようになると考えていたんだろう?
3名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/01(木) 21:12:21 ID:mOVvbjFL
やっぱり最後にはどちらかが裏切り片方死亡じゃね?
4名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/01(木) 21:15:18 ID:/9t/kKOF
( ´゚ω゚` )
5名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/01(木) 21:15:55 ID:TPvR/w4V
家康はチャンスが来るまでじーっとしていたかもしれん
6名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/01(木) 21:22:42 ID:mzn/nXTO
>>3
家康のことだから家臣団に組み込まれちゃったんじゃないかと

>>5
本能寺が無かったら信忠も生きてたしね
7名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/01(木) 21:24:22 ID:mzn/nXTO
>>6
書き方間違えたwww
なんで真逆のこと書いてんだろ俺・・・

本能寺が無かったら信忠も生きてたから待ってても史実よりチャンスは生じたかどうか

それともチャンスを待ってたから今の歴史のようになった、という解釈でいいのかな
8名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/01(木) 21:25:29 ID:mzn/nXTO
現代の人間が思ってるほど家康もあの立場を嫌と思ってなかったりして?
何か資料は残ってますかね、信長に対する家康の愚痴
9奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/02/01(木) 21:31:33 ID:wHWB3bgH
ヤクザでいうなら舎弟だったということで。
10名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/01(木) 21:47:31 ID:mzn/nXTO
共に子供の頃に一度顔を合わせてるらしいという部分が実は興味深い
11OPS:2007/02/01(木) 21:51:22 ID:MSrnYeP3
後年家康は信長のことをよく思っていない。
12名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/01(木) 21:53:07 ID:HoMG4mGC

平野明夫『徳川権力の形成と発展』(岩田書院、2006年)
13名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/01(木) 22:00:24 ID:mzn/nXTO
しかし信長側から見ても、徳川を冷遇して、
滅亡とか武田に寝返りとか考えなかったんだろうか?
14奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/02/01(木) 22:01:38 ID:wHWB3bgH
冷遇されてるかなあ。
15名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/01(木) 22:02:44 ID:mOVvbjFL
確かに徳川と武田が組んだら面白そう
16名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/01(木) 22:05:25 ID:mzn/nXTO
自分の方も危ないとは言え、三方ヶ原のときに援軍ケチってるじゃん
あのときにたまたま武田方が戦略上城攻めしなかったからいいけど、
そのうえ信玄が死んだからいいとして、
もしも遠江攻略が目的だったらあのままやられちゃってるでしょ
危なくない?
17奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/02/01(木) 23:20:02 ID:wHWB3bgH
両面が無理なら捨て石にもするだろうさ。
臣従うんぬんは不明確でも、少なくとも佐久間・柴田よりは上位だろうからさ。
18名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/02(金) 00:54:16 ID:8Gx5Fw/f
信長と浅井長政は義兄弟だったが
家康とはそこまで行ってないよなあ
19名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/02(金) 00:55:39 ID:8Gx5Fw/f
でもあれか、家臣は当然信長の指示通りに動くけど
家康は援軍要請以外は自由に動けるからやっぱり違うんだな
20名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/02(金) 10:05:49 ID:DtmUs/EE
柴田は途中から半独立のような権限をもらってるぞ
21名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/04(日) 18:59:19 ID:+6UsHOF7
その昔、信長の野望をやってた時、
徳川家康と浅井長政を家臣団に編入させたときは気持ちよかったなあ
なんだか弟分が二人できたような気がして
どっちも能力高いし
22奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/02/04(日) 19:50:52 ID:udrlDKfe
んで市と犬をそれぞれに娶わせる、と。
23名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/08(木) 00:15:28 ID:o2ELvUyO
家康人質時代、どれぐらい信長と接近したのかな
24名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/08(木) 13:09:37 ID:s77Y5HnP
信玄侵攻時の援軍3千って少ないのか?
徳川の全野戦軍の二割強ぐらいに達する数だぞ
25名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/08(木) 15:55:45 ID:LoLnYb+G
篭城戦用の兵力という方がいいかもしれんね
26人間七七四年:2007/02/13(火) 00:00:40 ID:HZbmHTwG
>>24
織田からするとでしょう

>>25
てことは、浜松に着いてみて、野戦でびっくりしたってこと?
27人間七七四年:2007/02/13(火) 00:11:25 ID:Bw0mJ+GQ
信長は「お前は出るな 兵力差があるから負ける」
といっている それなのに5千も1万も兵を送ったら兵糧のことやらなんやらで迷惑がかかるだろう
三千送ったのは妥当 だが信長が仮にこれで遠江での国人の信頼を失ったとしても、領土を取られたとしても後でいくらでも取り返せると考えたのに対し家康は難しいと思った
後で補給路叩けば武田なんていくらでも潰せる その後は領土を切り取り放題なんだけど家康は・・ まぁ信長の言い分も無茶な話だけどな
とはいったものの三千の兵が壊滅状態でしかも武将1人討ち死にして帰ってきたんだから信長悲惨
28人間七七四年:2007/02/13(火) 08:27:27 ID:bFkHU+sW
援軍のうち、平手汎秀は信長が可愛がっていた武将だったらしい
陰徳大平記によると、信玄本陣に向って突撃して討死した平手を信長は惜しんで、ことあるごとに「汎秀を返せ」と家康や佐久間信盛に絡んで困らせたそうだ
29人間七七四年:2007/02/14(水) 18:57:32 ID:I4uQSyJa
その平手汎秀が祀られてた神社、
最近見たら建物が無くなってた希ガス・・・
30人間七七四年:2007/02/18(日) 13:24:26 ID:Me1yIy29
>>29
暇を見て調べてみる
31人間七七四年:2007/02/18(日) 19:26:59 ID:AXktzvJz
同盟は徳川が天下を取った後に偽造したのであって、実は信長に服従してたのではないかと推測してみる。
同盟とは言うものの、
@信長の居城である清洲で結ばれた事
A姉川の戦で信長の命令で三河から出兵する
B武田征伐のおり信長の命令を仰いでから動いた
C駿河国御拝領
D安土城下に屋敷を与えられる
これらを推察しても家康は信長とは同盟者ではなく、主従関係にあったのではないかと思われる
32人間七七四年:2007/02/18(日) 20:52:53 ID:Cg8OydVg
>>31
締結時には両者にそれほどの勢力差ががなかった。
そのころには対等に近いものだったと考える。

一時的に徳川の官位が織田を上回った時期さえある。

むしろ天正あたりに勢力の開きが生じた事で、
両者の関係が従属化していったと見る。
33人間七七四年:2007/02/18(日) 21:48:59 ID:XExawYnW
とはいえ、そこで両者が同じ比率で伸びたと仮定して、
最終的に徳川は織田の軍門に下ることになっただろうか?
なんだかんだで織田の力の下で徳川も東へ伸びて行ったら、
それこそいつかは関が原みたいな大激突が起きたか、
徳川は特別扱いで領国が保持されたか、
冷静に勢力差を考えて織田に組み込まれることを選んだか
うーむ・・・
34人間七七四年:2007/02/18(日) 22:01:31 ID:9WtLlpU2
家康は信長が天下人になって自分が従属化することにそれほど抵抗を感じないのでは?
信長が生きている時には天下への欲はないだろうし
信康の件も自分で処置を決めて信長に許可を取っただけだし
信長こそ唯一の天下人と認めていたと思う
それが謀反で倒され秀吉に乗っ取られたことでそれなら自分が天下人にとの思いが生まれたんだろう
35人間七七四年:2007/02/18(日) 23:27:26 ID:UtR/Kwcz
信長なら徳川の態度次第で政権樹立後徳川にかなりのポジションを与えた可能性が高いしな
36人間七七四年:2007/02/19(月) 18:31:36 ID:hGAtOJ5W
とすると、仮に織田・徳川が日本を抑えたとしたら、
徳川の領土はどの辺になってただろうか?
秀吉は家康を関東に動かしちゃったけど
あるいは、徳川軍団には不利はないように、上手いこと分断させて領土を与えたり・・・
榊原には東北の地、本多は九州のどこか、井伊は四国、とか
それまで以上に石高が高かったら文句も言えないだろうしねえ
で、家康には旧来の三河と遠江近辺のままで、なんとかごまかし、みたいな
37仙台藩百姓:2007/02/19(月) 19:03:54 ID:LqqlFlpa
信長は直臣ですら完全には信用していなかった男だ
他家の徳川などは当然それ以下
中国、四国、九州と平定し一息ついたら家康をぶっ殺して徳川領は直轄地に組入れだな
38人間七七四年:2007/02/19(月) 19:07:25 ID:I+3jafBX
信長にも、意外と律儀な一面があったんだな。
結局のところ家康に逆らうことはなかったと言える。
39人間七七四年:2007/02/19(月) 19:08:33 ID:NO8hR+zn
>>31
そういう状況証拠が有る反面、初期の信長は家康に随分へりくだった文面の手紙を書いてたり、
後年も上洛してきた家康を手厚く労ったりしてるわけで、そのあたりの判断は難しいな
40人間七七四年:2007/02/19(月) 19:13:22 ID:qTN8KbaQ
>>38
以外ととは失礼な・・
せっかくの忠告を無視して篭城に邪魔にならない程度の兵を送ったら野戦仕掛けて部隊は壊滅、武将が1人死亡というとんでもない状況で帰ってきて
しかもその上家康に援軍が少ないって文句言われるわ・・ しかもその後38000の軍勢で援軍に向かったってんだから・・
41人間七七四年:2007/02/19(月) 21:17:02 ID:hGAtOJ5W
信長にしろ、姉川とか長篠で徳川方に助けられてるからさすがにでかくは出れないと思う
家臣でもないし、認めなきゃいけない部分は分かるんじゃないかとね
ただし上手に使うとは思う

が、信忠の代になったら、どうなることやら
42人間七七四年:2007/02/19(月) 21:19:26 ID:Hm5rmZaT
>>40
あの時期に家康が武田に寝返ったりしたら困るからじゃ。
43人間七七四年:2007/02/19(月) 21:24:30 ID:qTN8KbaQ
>>42
いや、一番きついのが終わったあの時期に裏切られても別に構わんだろう
44人間七七四年:2007/02/19(月) 21:33:56 ID:UnvTpE8N
信玄が上洛したかはともかく
経済的には圧倒的に織田が優位だぞ。
45人間七七四年:2007/02/19(月) 23:16:06 ID:Fwj1xuG/
>>37
>信長は直臣ですら完全には信用していなかった男だ

いや光秀だけは完全に信用していた
その唯一完全に信頼していた男に裏切られてしまったから人生が終わった
46人間七七四年:2007/02/20(火) 08:35:28 ID:Ha8kScsD
完全に信用しない男が、軽装で佐久間や丹羽の屋敷に逗留するか?
……ってその気軽さが本能寺で命取りかぁ
47人間七七四年:2007/02/20(火) 21:03:36 ID:Cm4ODSGM
信長は良くも悪くも不器用で単純な男だから割と家臣は信頼してる。
戦国時代の基準で言うならあまりに迂闊なほどね
その中でも柴田、佐久間、明智、羽柴、丹羽、池田この連中は特に信頼されていると思う
また、家康もかなり信頼しているように見える。
48人間七七四年:2007/02/21(水) 00:21:28 ID:cx99VZcl
>>31-32
当初から、明らかに上下関係はあったね。例えば@についていえば、家康が清洲に
出向いたのに対して、その返礼は林などの重臣を岡崎に送っているだけ。
当時の記録でも「岡崎殿、清洲にご出仕」なんて書かれている。
そもそも父の代から足利幕府に独立した大名と認められておりさらに尾張一国を
支配していた織田信長と、父の代には完全に今川の従臣で、その支配から脱しても
領地は精々岡崎周辺、西三河半国すら支配していなかった松平とでは対等の同盟
など結べようがない。
49人間七七四年:2007/02/21(水) 23:03:33 ID:zrO1OZBS
>>48
>そもそも父の代から足利幕府に独立した大名と認められておりさらに
おいおい、官位をもらったのは事実だし実力も大名並みだが
最後まで信秀は尾張守護代の清洲織田家の家来のままだぞ。
50人間七七四年:2007/02/22(木) 12:57:22 ID:/kLo0qXx
>>49
織田信秀は、斯波家も清洲守護代家も存在していた時期に、足利幕府の大名リストに
名を連ねているよ。まあ金で買ったものかもしれんが。
51人間七七四年:2007/02/22(木) 13:33:04 ID:Uu18C0PT
子会社というか、新興の系列会社の方が大きく成長して、
売り上げも圧倒的に多大になっている例もあるし。
んでも、グループ内での発言権の優先順位とかは親会社の方が握っている
という奇妙な状況になっててな・・・
社会的認知度も系列会社の方が高い。
52人間七七四年:2007/02/22(木) 21:09:22 ID:6S/hcC3x
>>47
家康はかえって外の人間だからお互い割り切っていられたかも
仮に何かしくじってもいちまでもウジウジチクチクやられなかっただろうし
53人間七七四年:2007/02/22(木) 21:09:53 ID:6S/hcC3x
>>51
イトーヨーカドーと711?
54人間七七四年:2007/02/22(木) 23:49:21 ID:PWRcvvsL
かつての産経新聞とフジテレビとか
55人間七七四年:2007/02/23(金) 08:44:56 ID:PYQsqAV0
従属先が今川から織田に代わっただけという感覚では?
しかし織田は援軍は要求するけど領内に代官入れて徳川の内政に干渉したりはしなかった
ならマシだろと
56人間七七四年:2007/02/23(金) 17:53:56 ID:h1u8d7l0
そもそも徳川が織田の援軍に行ったのって対朝倉のアレだけだろ
姉川は徳川の捏造だしどちらかというと織田が損をしてる関係だろ
57人間七七四年:2007/02/23(金) 21:49:09 ID:Jnm5BJ3z
>>55
そこが家臣と徳川家に対する配慮の違いだと思うね
家臣は当然有無を言わさず自分の駒として動かすけど、一応徳川家は援軍の体だし

>>56
長篠は?
つーか基本的にある時期から織田はもう徳川は援軍として必要とまではしなくなってない?
仮に本能寺が無かったら、それなりに順調に西国も攻略しちゃいそうだったぽいが
ただ単に東方面の壁としては必要でも
58人間七七四年:2007/02/23(金) 21:50:58 ID:h1u8d7l0
長篠は徳川への援軍
三方が原でえらい目に遭ってるのに信長優しいな
59人間七七四年:2007/02/23(金) 21:57:32 ID:yVvRVzNA
>>58
上洛の際に一部隊を派遣した
60人間七七四年:2007/02/23(金) 23:14:04 ID:iCv1DPfk
援軍として期待していた浅井が裏切って背後から襲撃してきたからな
信長としては無闇に援軍を要請することに警戒したんだろう
そんなことに警戒したところで自分の部下から裏切り者が湧いて出てくるわけだが
61人間七七四年:2007/02/24(土) 01:36:40 ID:nOzp15+z
長篠は三河か
あの辺あんまり地理を掴んでなかったww
62人間七七四年:2007/02/24(土) 20:25:25 ID:DVjNh3KH
しばらく三河一向一揆とかで徳川家中が真っ二つだったのに考慮したんじゃ?
63人間七七四年:2007/03/01(木) 18:31:25 ID:5Yp2h6aI
仮にあのまま行ったとしたら、家康というか、徳川の領地はどの辺かな
なにげに東海道を抑えちゃってたから、秀吉よりもひどい処置をしたかも・・・
東北とか九州に移ってくれと
64仙台藩百姓:2007/03/01(木) 19:07:19 ID:Xp+4aeMt
徳川は他家だから
信長が勢力広げたからと言って領地を分けてやる義理はない
65人間七七四年:2007/03/03(土) 17:19:38 ID:YnFYUIZF
力に物を言わせて交換だよ
あっちの広いところをやるからおまえの領土くれねえ?
って
66人間七七四年:2007/03/04(日) 05:06:37 ID:DvosUP7v
つーか、安土城では信長は家康に、天主にもっとも近い場所に、緒家の中で最大の大きさの屋敷を与えているくらいだから
信長の家康への信頼は晩年でも相当のものだっただろ。
もしあのまま織田政権が成立したら、織田一族以外では最大の大名として存続したでしょ、徳川家は。
秀吉期の徳川家、徳川期の前田家みたいな立場で。
67人間七七四年:2007/03/04(日) 18:44:02 ID:D7MrSMDk
徳川史観のせいで、信長の娘五徳ってえらい割食ってるよな……
実際には家臣団から誓紙を集めてることから見ても信康幽閉事件は徳川の内部抗争
それが五徳の告げ口のせいに
本当は助命嘆願までしてるのに
68人間七七四年:2007/03/04(日) 19:55:00 ID:uPCQV3xq
信長上洛以後は主従関係だったかもね。
信長は家康の増長を嫌ったため武田へのとどめを遅らせた
と聞いたことある
69人間七七四年:2007/03/04(日) 19:57:58 ID:BEGmXaxH
>>67
まぁ天翔記では化け物みたいな強さを誇る最強キャラなんだから・・
70人間七七四年:2007/03/05(月) 00:07:55 ID:cg/1pJTE
>>53-54富士電機 < 富士通 とか、
   ダイセル < 富士フィルム とか。
71人間七七四年:2007/03/05(月) 20:41:19 ID:yfrvjcWg
かつての子会社が、親会社を乗っ取ったとか打倒したとかいう例はある?
72人間七七四年:2007/03/05(月) 21:47:36 ID:dYmMYO1n
>>69
五徳が?

よく分からんけどレスしてみたwww
73人間七七四年:2007/03/05(月) 21:48:38 ID:dYmMYO1n
>>66
そういう点では、案外面白い構成で織田幕府みたいのを作ったかもね
74人間七七四年:2007/03/05(月) 21:59:58 ID:mScekXPO
>>72
信長の兵科特性(BCACで全武将最強)を引き継ぎ
能力にバラつきはあるがオール200(最高値)の時もありえる
信長の野望天翔記最強武将
75人間七七四年:2007/03/21(水) 01:10:06 ID:WAhIeTI5
え?誰?
76人間七七四年:2007/03/21(水) 10:31:59 ID:rH6r3UN3
姫部将化した五徳のことじゃないの?
77人間七七四年:2007/03/21(水) 17:49:31 ID:iNH/5sXM
それを武将にしたらいかんだろ・・・
78人間七七四年:2007/03/21(水) 18:21:12 ID:LhfvAADm
市様と同じく武将の扱いです
79人間七七四年:2007/03/25(日) 16:33:48 ID:14ZD5yWI
桶狭間以後の信長が美濃攻めにモタついてた頃に家康の方では
独立・一向一揆始末・三河統一・今川領侵食・徳川改姓など
徐々に頭角を現してるが信長が内心恐れてた事はないのかな?
80人間七七四年:2007/03/25(日) 16:39:01 ID:nVPz6IXq
>>79
逆にそうだったからこそ最後まで同盟という立場を保てたんじゃないのかなと推測してみる。
81人間七七四年:2007/03/25(日) 17:43:18 ID:xCSQ7feN
恐れてたのなら濃尾二ヶ国取った時点で予防攻撃かけてないかい?
82人間七七四年:2007/04/15(日) 14:39:06 ID:oix3O/nu
>>81
自分の領地もまだ危なくない?
83人間七七四年:2007/04/15(日) 18:28:07 ID:nxk7msqQ
便利だったんでしょ。
当時の危険な勢力と言えば、武田、今川(氏真になって弱体化したとは言え)、後北条、上杉、毛利、大友、三好、次点で本願寺、朝倉辺りだと考えるとね。
武田、今川、後北条は攻めてくるとなると、徳川領内や近隣を通るから、警戒情報得やすい。
そしたら西国に情報網の比重を置けるし、兵の比重も置けるから。

だから、便利だったんじゃねえかなぁ?
へたに予防攻撃したら、西国に比重を置くなんて夢のまた夢になって、東国勢と泥沼の抗争戦に突入したかも。
徳川も武田と手を結びなおしたかもしれないし。
84人間七七四年:2007/04/16(月) 22:33:35 ID:jTnuYbul
信長ってバカみたいに純粋だから自分の子分だった家康が裏切るわけないと思ってたんだろ
実際裏切ってないから当たってることは当たってるんだが・・ 家康が裏切るとかいう発想自体無かったんじゃ無かろうか
85人間七七四年:2007/04/18(水) 20:42:05 ID:R6E+DsqG
家康自身もあの頃は従うことをいやいやながら仕方ないと感じてた節もあるし
信長は飴と鞭を上手く使い分けてたんじゃない?
86人間七七四年:2007/04/19(木) 03:28:26 ID:m835htlE
なんか上のほうでもあるがまだ確定した説でもないのに完全に確定した説だと
決め付けてる馬鹿がいるがなんでこの板にはそういう馬鹿が多いの?
87人間七七四年:2007/04/19(木) 04:10:38 ID:iosrGd2Q
>>86
どのレスを指すのか指摘しないと、単に難癖つきたいだけって思われるよ
88人間七七四年:2007/04/20(金) 00:58:20 ID:RI8K6Yha
>>71
沢山あるが
例えばセブンイレブンジャパンは実質グループのトップに立ったし
米セブンイレブンまで抑えとる
89人間七七四年:2007/04/20(金) 22:02:42 ID:eRBwCXd5
>>87
誤爆かもしれない
90人間七七四年:2007/04/20(金) 22:06:40 ID:qK40ucQu
家康は当時から律儀が売りだったんだよ。
91人間七七四年:2007/04/21(土) 08:18:20 ID:QYwC6whL
信長にしてみれば一度は敵になった子分とまたダチになっただけなのだろうが・・
家康はどう思っていたのやら、まぁ大体わかりそうなもんだが
92人間七七四年:2007/04/28(土) 10:49:04 ID:waJGfw+U
家系的には敵同士だったじゃん。
信長の親父さんと家康の祖父さんとは宿敵みたいなもん。
93人間七七四年:2007/04/28(土) 16:58:27 ID:fXfsjbTQ
でも信長はそういうことはこだわりそうもないし
家康にしても直接自分が織田と戦ったわけでもないし
素直に東進した方がいいと理解してたと思う

なかったよね、信長の織田vs家康の徳川(松平)って
家康がやっと今川から抜け出した直後から織田と接近したわけだし
今川配下の頃の家康は別ね
94人間七七四年:2007/04/29(日) 00:47:48 ID:9py4nqIR
>>93
桶狭間後、1年くらいは戦争(小競り合い)をやってるよ。
家康が信長との同盟を受け入れるのは、
氏真に「義元公の仇討ちをしましょう」と、誘って、
氏真にその気がないのを確認してから後。
95人間七七四年:2007/04/30(月) 01:54:51 ID:s5xb+5Im
>94
そりゃ子分を守ってくれない盟主にいつまでも従っては居られないでしょ
96人間七七四年:2007/05/05(土) 07:17:32 ID:+lp2dXV9
義理とは言えども義元の娘だし、盟主っていうか今川家の人間なんだけどな。家康。
岡崎には居たけど、今川一門として織田との立場を全うしてただけだよな。

で、当主がまったくやる気の無い人間ってわかったら、生き残れるのはどちらかを
天秤に掛けた結果だよね。

これも結構大きい賭けじゃね?
義元死んでも国力としては大きな今川家と、尾張を統一したところくらいの織田家。
言う程今川が落ち目でもない気がするんだが。
ここのスレの連中が全員同じ立場で同じように織田家を選択できたかっていうと自信
なくないか?w

織田家からしてもやっぱり渡りに船じゃないかな。
今川家を完全に防げるかわからないけど取りあえずの防壁になる松平家があれば、
斉藤家とのゴタゴタに集中できるし。
そう考えると、当初は結構対等な同盟だったんじゃないかと思うんだけど。
97人間七七四年:2007/05/05(土) 17:45:54 ID:uEMrykRI
今川は家の実力はあったよ

当主を除けばね・・・

だからそこを見抜いた家康GJってところ?
若い頃から知ってたのかな
98人間七七四年:2007/05/05(土) 22:38:37 ID:nngzn2JI
信康事件が信長の命でないことを研究者としては
最初に指摘した谷口克広の新刊の本能寺本を読んだ。
なぜか家康黒幕説の否定がなかった。
家康が信長を殺す動機として信康事件が挙げられることが
多いだけに言及が欲しかったところ。
鈴木、藤本の本ですでに詳しく書かれてるので不要と思ったか?
99人間七七四年:2007/05/06(日) 11:28:24 ID:1vOe8xS5
当主の実力も高いぞ。
桶狭間で重臣が多量に死んだのが痛すぎる。
100人間七七四年:2007/05/06(日) 11:57:50 ID:gWkQSsop
>>99
>>97は氏真のこと
ちゃんとしてれば今川にも余力はあったはずだからね
それを見限って織田と接触した徳川だし
東の防御が出来るから織田も渡りに船だよね
101人間七七四年:2007/05/06(日) 14:10:03 ID:PizqZdCs
>>100
この同盟は、信長の側から持ちかけたと思うが?

経済援助で家康の三河統一を助けたのも信長
102人間七七四年:2007/05/06(日) 15:46:25 ID:wWNiY53d
信長という人間が一種の天才であったのに対し、家康はわりとふつうの人であった。家康からみて
おれば、その発想力や行動力をまのあたりにして、信長の天才性を一番感じていたに違いない。
「こいつにゃ、到底かなわない」と思っていたかもしれない。また同時に、三河の東側は強力な勢力が
ひしめいているため、そのはざまで同盟を維持し続けることが必然だったといえるだろう。
家康自身の律儀さもあるだろうが、それが同盟が長続きした最大の理由ではないだろうか?
103人間七七四年:2007/05/06(日) 16:11:38 ID:NRhGv6FN
大井川を境とした武田と徳川の国分割の仲介は
信長がしたって何かで読んだんですがこれ史実ですか?
104人間七七四年:2007/05/06(日) 16:42:18 ID:nDDhVPPQ
>>96
両者の立場が違いすぎる(かたや独立勢力、かたや従属)ので対等にはならない。
信長にもメリットはあるが、家康にだってメリットはある。
今川の支配からは独立して、織田の属国になるというあたりかな。
105人間七七四年:2007/05/06(日) 18:53:47 ID:x1naqOyq
属国なんてことでは今川が織田に変わっただけで
家康本人も家臣団も面白くないだろう。
ドラマの話で悪いが大河の「信長」では
尾張と三河の「和睦」と表現してた。
最初はこれに近かったのではないか。
その後両者の関係に開きが生じ最後には
従属関係に近くなった。
106人間七七四年:2007/05/07(月) 00:51:49 ID:B2Lx5pVv
>>104
そっちからこっちに従属しろ、って言って聞くような話には思えないがなぁ。
だって、同じ従属ならそのまま今川バックに後は自分がその勢力を使えば
織田と張り合えるだろう。
結局、松平という勢力が欲しかった織田の工作とも取れる同盟じゃん。

旧知(ってほどか知らんけど)の仲というのを使って後々語られるように
なったから104のような見解を持てるかもだが、織田側にはどうしても松平
の勢力が欲しかったように思えるがなぁ。
いきなり従属先をこっちに変えろって上からの目線ではありえない同盟じゃないか。
107人間七七四年:2007/05/07(月) 09:40:57 ID:1WnpMPSA
>>103
史料(浜松御在ノ記等)には確かにそうある
当時は武田も織田との関係は良好だったから、仲介は別に不自然でもないし
108人間七七四年:2007/05/08(火) 23:44:23 ID:WXf/1waM
>>106
信長にとって東の盾が必要だったように、家康にとっても今川から独立及びそれ以後の
後援者は欲しい。どちらにもメリットがあるのなら、その時点でも両者の立場の差は重要。

松平にとって今川から織田への乗り換えは、例えて言うならまったく内政権も外交権も
ない統治すら支配国まかせの植民地から、内政権・軍事権・外交権はある程度確保されて
いるが宗主国の援助・後援がまだ必要な衛星国にランクアップというところか。
家康にもその家臣団にも、その点で今川よりはマシになるだろうとメリットがある。
東の盾が欲しかった織田と、弱体化した、これまで搾取されてきた今川からは離れたいが
単独で今川と対抗するほどの力のない徳川が、今川ほど支配は強力ではない後ろ盾を
求めた結果というあたりか。

>いきなり従属先をこっちに変えろって上からの目線ではありえない同盟じゃないか
だから、対等の同盟じゃあなくて上下関係のある同盟といったところが最大限かな。
何度もいうが、親の代から独立した勢力で一国を支配する家と、親の代から従属で
支配地も半国すらない家が対等な関係を結べるわけがないでしょう。
109人間七七四年:2007/05/08(火) 23:45:56 ID:WXf/1waM
追記、その後の勢力の格差の拡大から、上下関係から主従関係にシフトしていったというところか。
110人間七七四年:2007/05/10(木) 15:45:50 ID:oRuCuUxY
>100
>>99が言ってる当主も氏真のことでしょう
111人間七七四年:2007/05/12(土) 23:47:22 ID:UMqeBeu7
>>108
信長厨必死だな?
112人間七七四年:2007/05/15(火) 18:11:01 ID:pp/dHAdp
>>110
そんな資料とかあったっけ・・・
義元については擁護する話は見るけど氏真については目にして無いなあ
今川の話だとお馴染みの小和田教授の本にでも載ってるのかねえ

当主の差を見て家康は織田についたっていうのもあるわけだから
113仙台藩百姓:2007/05/15(火) 18:21:02 ID:fsaiJJ+5
武田征伐で駿河一国やるぞって言われたわけだおね
限りなく信長が主臭い話しだお
しかも家康は必死こいて勝頼と死闘を演じてきたのに
駿河一国か…('A`)
て感じだおね

でもよく考えたら殆ど織田が潰したようなもんだし
駿河一国でも過分な気がするお
信長は気前がいいお( ^ω^)
114人間七七四年:2007/05/15(火) 19:27:22 ID:Ve/I3DQR
>>112
その手の歴史書も読んでないのに自信満々によくレスできるね
115人間七七四年:2007/05/18(金) 23:12:50 ID:8Etgt53z
今川の歴史なんてほとんどの人が興味無いよ
116人間七七四年:2007/05/18(金) 23:47:31 ID:yD6vAIQL
でも今川義元が家臣に当てた書状が鑑定団で700万になってたぞ
117長門 ◆q8GdomS4XA :2007/05/19(土) 03:04:39 ID:ZAu72HT6
>>113
あまりにも普通すぎるレスに一瞬ポカーンとしたわ(´・ω・`)
118人間七七四年:2007/05/19(土) 18:51:35 ID:MbeY6PBr
>>116
それ本物だったら安すぎると感じるんだが・・・
変な壺とかは高い癖に史書関係安すぎだろうといつも思うよあの鑑定団
119人間七七四年:2007/06/19(火) 19:36:55 ID:2PGmcqBu
結論出た?
120人間七七四年:2007/08/05(日) 21:53:59 ID:aTVRh6O9
清洲同盟=米日同盟
121人間七七四年:2007/08/05(日) 21:55:48 ID:o8YzSEiZ
日本の立場でありながら最終的にアメリカを支配した家康は凄いな
122人間七七四年:2007/08/07(火) 18:08:34 ID:hR9StfvM
盟友でも主従でもない。
ウホッ!アッー!!ぬふっ、な関係
123人間七七四年:2007/08/07(火) 18:11:44 ID:LRhlkgR7
信康自刃の真相が分からないと何ともならない
124人間七七四年:2007/08/07(火) 18:39:29 ID:6XmYkPZx
所詮は従属
北条滅ぼした後は用済みで潰される運命
だから駿河一国しかやらなかったのだろう
125人間七七四年:2007/08/07(火) 21:47:31 ID:BTA1e32k
>>123
信長に介入される前に、処理ってのが真相じゃないかな?
信長が処理を命令して、徳川が謀反となるとかなりヤバイし。
126人間七七四年:2007/08/08(水) 03:44:26 ID:b+Nm3R4K
そもそもあの次点で武田に付くって事がありえない気も。
既に長篠の敗戦で致命傷に近い傷を抱えてるしね。逆に織田の威勢はうなぎ登り。

信長いちゃもん説が一番しっくりくる
127人間七七四年:2007/08/08(水) 19:35:09 ID:acOVxLCi
だよねー
家は潰さない代わりの生贄だ
128人間七七四年:2007/08/08(水) 21:06:43 ID:1w/0pO+j
>>126
それじゃ旧説と同じだろ。
いちゃもんて、また「嫡男の信忠より優秀な信康を怖れて
殺させた」ってか?
高柳光寿の亡霊に取りつかれてるとしか思えんが。
旧説の疑問点と一応の結論は新しく出た「信長と消えた家臣たち」
(谷口克広著、中公新書)に書かれてるから読んでから
旧説を推すなりしてくれ。
129人間七七四年:2007/08/08(水) 21:42:36 ID:b+Nm3R4K
>>ID:1w/0pO+j 滝川一益のスレにもいたな。
そんなに谷口克広著を買って欲しいのか?
130人間七七四年:2007/08/08(水) 22:56:21 ID:SsbrNJ33
今の日米同盟と同じで、同盟=対等とは限らないお( ^ω^)
131人間七七四年:2007/08/08(水) 22:58:57 ID:XkWufePp
支配と服従の関係だろ。
事実上、織田家の1方面軍団長にすぎんだろうな。
132人間七七四年:2007/08/08(水) 23:07:05 ID:gXcyaJdq
>>130-131
最初から従属同盟だったわけじゃないよ。
133人間七七四年:2007/08/08(水) 23:13:32 ID:XkWufePp
織田家が尾張美濃あわせて100万石くらいになったときから徳川家を
支配していたのではないかな。
134人間七七四年:2007/08/09(木) 00:30:01 ID:6Eg0sLju
徳川を支配してたら駿河方面を丸ごとまかせたりしなくなくない?
徳川が武田と組んでの今川攻めも織田の指示でもないと思うが
他でもない信長だから徳川という家は自由にさせてたんじゃないかと
他の大名だったらどうにかして従属させようとすると思うが
135人間七七四年:2007/08/09(木) 00:35:56 ID:Js4AKdAX
援軍を断ったり出し渋ったりで、ただの防波堤と見ていたに一票。
136人間七七四年:2007/08/09(木) 05:47:14 ID:RB1PB1I/
>>131
天正10年、家康は安土に招待され歓待されている。
信長の軍団長でそんなことをされた者がいるかい?
137人間七七四年:2007/08/09(木) 11:53:04 ID:Oo5A9srq
だから信長にしてみたら「昔一緒に遊んだ家康が俺を裏切るはずねーだろww」ってことなんだろ
援軍も出したり出されたりの関係だったようだし 長篠とか3万の大軍引き連れて自ら出陣してるんだぞ
138人間七七四年:2007/08/09(木) 19:54:27 ID:v78Ygz1O
あれは家康のためなんかじゃなく、織田家として必要な戦だっただけだと思うが。
139人間七七四年:2007/08/10(金) 21:42:56 ID:IYv9clTs
>>135
友達からの要請だって出来ることと出来ないことはあるさww

>>136
だから部下とは違う、子会社社長として見てたんじゃないかと
・・・トヨタとダイハツの関係?
140人間七七四年:2007/08/10(金) 23:29:37 ID:u1H4CwcM
秀吉でも柴田勝家でもいいが、当時の家康と比べてやっぱ所領がかなり
劣っていたのかい?
大差なければ事実上の軍団長じゃないか?
141人間七七四年:2007/08/10(金) 23:40:47 ID:Z+RQvGvW
ガキの頃から信長の子分だから
142人間七七四年:2007/08/11(土) 06:06:08 ID:6Qk/XfPc
>>140
信長政権下の柴田・羽柴らと、後の秀吉や家康政権下の
大名を同じに見てはいけない。
前者は国を与えられたのではなくあくまでも信長から
「預け置かれた」という認識。独立した大名ではない。
一方家康は本能寺直前では三河・遠江・駿河三国の
れっきとした大名。当時織田と敵対していた上杉・
毛利・長宗我部らと変わらぬ存在。
とはいえ軍事的には、信長の指示があればその通りに
動くが。
143人間七七四年:2007/08/12(日) 11:48:45 ID:2iP7LfBz
だからそこを他と同じと見てはいかんのだよ
当主と家来でもなく、天下人と大名でもない、全然違う関係
だから戦国でも珍しい関係と言われたぐらいだし

ただし信長があそこで死ななければどうなってたかもちろん誰も分からないが
144人間七七四年:2007/08/12(日) 12:00:30 ID:kmyI9wmx
だれが言ってるのか知らんが、形体を差して珍しいといってるのではなくて、対等同盟としてみた場合に長期間続いたことを差して珍しいといってるんじゃないのか
ああいう関係は北条にも、ちょっと従属側が弱いが武田にも、今川にも、ある
毛利の小早川吉川もそうかもしれんな
パッっと思いつくだけでこれだけあるんだからその関係が珍しいなんてことは無い
145人間七七四年:2007/08/12(日) 13:40:15 ID:kHF94dDp
全く対等じゃないな
完全に従属と言っていい
家康の意見で信長を動かした事なんてないし
146人間七七四年:2007/08/12(日) 15:39:08 ID:kmyI9wmx
他に何を指して「珍しい」と評価してるのか思いつくのか?
従属でのものなら例を挙げてるようにそこそこある
だから>>143の言ってる「誰か」は織田徳川を対等な同盟とみなして、それが長期間続いたことを評価してるんだろうと指摘してるわけだが
147人間七七四年:2007/08/23(木) 22:39:03 ID:5e1g8y1e
だからさ
新しい関係なんだよ!
148人間七七四年:2007/08/24(金) 01:02:44 ID:zalfX8fz
149人間七七四年:2007/08/24(金) 03:03:02 ID:QBCXmdUL
恋人以上友達未満の微妙な関係だったのさ。
150人間七七四年:2007/08/25(土) 19:41:47 ID:21JIKHEv
ふたりはオホモダチ?
151仙台藩百姓:2007/08/25(土) 21:46:13 ID:Gqq0DZ6V
信長は面食いみたいだからそれはないんじゃないお?( ^ω^)
152人間七七四年:2007/08/25(土) 23:10:19 ID:cGrIfn2Y
「織徳同盟」など徳川史観の最たるもの
武田小山田同盟って聞いたことあるか?
153人間七七四年:2007/08/26(日) 00:29:28 ID:9GH/4QzB
>>152
むしろ、武田小山田同盟について書かれてる資料が残ってるなら是非見せてくれw
所詮は武田家は滅亡喰らった家なので資料がほとんど無く
徳川家などは勝利者だから都合のいい資料が残りやすい
その中で洗い直しをしてくしかないでしょ
プラス的な見方にせよマイナス的な見方にせよ徳川史観絶対主義はやめたほうがよい
フィルターの一つ程度にしとけや
154人間七七四年:2007/08/26(日) 17:20:34 ID:rDIo3Ejm
信長の方面軍長と家康ってどっちがエライの?
155人間七七四年:2007/08/26(日) 17:27:50 ID:qkL2aUTX
家康が安土に来た際の接待役が光秀だったことを考えると、
少なくとも家康>光秀だろうね。
156人間七七四年:2007/08/27(月) 02:55:23 ID:5U6SbxxU
>>128
結局、徳川家内部の主導権争いが原因ぽいな。
157人間七七四年:2007/08/27(月) 10:06:42 ID:GRjP699R
>>154
家康は独立した大名。
一方例えば柴田勝家は越前を私有してるのではなく
信長から「預けられてる」だけ。
家康>方面軍長なのは明白。
158人間七七四年:2007/08/27(月) 13:26:46 ID:2BxOITG5
武田討伐の後の話だけど、信長って帰路が東海道の徳川領で、行楽っぽい
かたちで家康が大いに歓待してたよね?
このあたり、家康もそうとうに気をつかってたって事になるんかな
159人間七七四年:2007/08/27(月) 17:43:18 ID:3Vbg7ynQ
その辺は持ちつ持たれつだろ
互いに色々やったから、互いに気を遣ってる(朝倉討伐の時にほぼ全軍を動かしてくれただとか、三方が原で援軍を出し渋った/援軍を壊滅させてしまった、長篠の戦いの時3万以上の大軍を引き連れて来てくれただとか)
理想的な関係といえば理想的な関係
160人間七七四年:2007/08/27(月) 21:50:26 ID:yr7U3azw
そりゃ、信長も気を遣う。
上洛前の同盟相手で残っているのは彼しかいないのであるから。

後、信康に関してだが弾劾状の胡散臭さは良く調査されているのだが、
後年の、信康に関する家康の愚痴、酒井家次の所領や能の話、更には
関ヶ原の慨嘆も操作された事項としなくてはならず、そこまで組織的な
改変が行われたかチト疑問。
161人間七七四年:2007/08/27(月) 22:29:58 ID:J2MA5lk+
自分で捨てておいて、後で捨てなきゃよかったとか
そう思った経験が君の人生には無いのか?
162人間七七四年:2007/08/27(月) 22:45:39 ID:yr7U3azw
>>161
前者二例が他者を責めているのがどうも
家康は人に自分の責任を擦り付ける人物とは思えんし
163人間七七四年:2007/08/28(火) 07:22:27 ID:rGo1izao
なすり付ける創作をしたのは御用学者だろう。
史料はすべて家康死後のものなんだし。
164人間七七四年:2007/08/28(火) 08:00:01 ID:bhlgkxPE
>>163
そうなると、複数の逸話があるのだから組織的な改変が行われたと考えるべきであろう。
しかし、そうなると幕府が主導的立場に立ったと考えざる得ないが、そういう話は聞かない。
幕府が都合の悪い話を封殺することはあるけど、積極的な改変を主導したことは無い。

仮に学者連が勝手に行ったにしても、これだけの話を創作すると言うのは少し問題があるのでは
何しろ、現役の譜代大名である酒井家を貶めることになるのだから、生半可な覚悟ではできんぞ
165人間七七四年:2007/08/28(火) 09:47:34 ID:1sDQJ2zs
三河物語に書かれて改竄されたと考えるからドツボに陥ってないか?
それ以前の段階で通説が流布していて、作者は検証もせずにそれを事実だと思って書き残した
そういう可能性も考えてしかるべきだと思う
166人間七七四年:2007/08/28(火) 10:00:15 ID:Jm3p+Cov
当時の織田徳川の勢力図とか信長の実力を見ると、
家康は信長の軍団長レベルにも頭が上がらなかっただろうな。
形ばかりの同盟関係でも、「政権内部」と「外様」は違うでしょ。
権限的にも信長の政権内部の人のほうがすごそうだし。
でも権限が高かったのは、信長の官僚(村井とか松井とか)のほうで、
軍団長とかの軍人じゃないと思うけど。

もちろん格では「同盟」と「家臣」で家康のほうが格上だけど、
江戸時代の外様大名と、譜代大名では幕府内の権限は
譜代大名のほうがすごいでしょ。
外様大名は大藩でも小藩の譜代大名に頭を下げまくり。
賄賂渡しまくり。
167人間七七四年:2007/08/28(火) 11:10:16 ID:p6skjYKp
秀康を失った事への愚痴って小説じゃなかったっけ?
168人間七七四年:2007/08/28(火) 12:34:42 ID:1/WtxOfH
>>164
>そういう話は聞かない
そりゃそうだろう、そんなことを公にやるはずがない。
だから今でも騙されてる人がいるわけで。
酒井忠次については、本人はもう死亡してるわけだから
その子でも真相は知らないだろう。天正7年の7月に
安土城を訪れてるのは事実だから、後の細かいことは
いくらでも捏造可能だろう。そこで何があったかは
本人と信長しか知らないことだからな。
169人間七七四年:2007/08/29(水) 14:11:03 ID:GmlGwTUs
4百年以上前の話について
まるで観てきたかのようになぜか自分は正しい真実を知ってて
それに合致しない人は騙されてる人と決め付けて
そんな自分のおかしさを疑いもしない人
170人間七七四年:2007/08/29(水) 22:14:43 ID:2uZavQQ9
見てきたかのようにと言うなら
信長の命令だとする徳川家史料こそ
「見てきたか」のようなと言うべきであろう。
これらはすべて徳川の世になってからのもので
信長の生存中のものは一つもない。
信頼性に疑義がある史料を基にした定説を信奉してきたことこそ
「見てきたような」ではなかろうか。
171人間七七四年:2007/08/30(木) 05:35:44 ID:sRpN6rzA
まず自分が信じたいこと
こうあって欲しいとおもうことを脳内でつくりだし
それを否定する記録・自分が信じたくない記録があれば全て出鱈目扱いする
自分が信じたい歴史こそが真実の歴史、信じたくない歴史は存在しなかった歴史
織田とも徳川ともまるで関係のない自分が想像したことが一番正しく、歴史の方が自分の脳内の決定に従うべきだと主張する
そしてその救いようもない愚かさを指摘されても
矮小な自分の意地を守るために更なる屁理屈をこねくり回す
172人間七七四年:2007/08/30(木) 06:24:57 ID:rkuy24F/
>>169=>>171
まるで自分で考えたような説であるかのように
言っているが、研究者の説を信じてるだけ。
ここまで言われる筋合はないし、
反論したいなら具体的にどう?
例えば時の為政者に都合よく作られた徳川家の
史料がどうしてそこまで信じられるのかとか。
173人間七七四年:2007/08/30(木) 08:05:29 ID:sRpN6rzA
時の為政者だから
権力者だから
圧力をかけてでも自分たちに都合の良いことを書かせるに違いない
ああなんて便利な言葉
為政者を良く書いてる史料は嘘
為政者を悪く書いてる史料はあえて権力者に逆らってるんだから本物だ
つまりその時代時代の勝者をとにかく徹底的に悪し様に解釈すれば、それは埋もれた正しい歴史を掘り起こす行為なんだ
ああなんて便利な思考回路
174人間七七四年:2007/08/30(木) 21:52:54 ID:8qnZWT4d
>>172
無視でいい。
175人間七七四年:2007/09/05(水) 22:14:14 ID:ve/oeTUj
家康が独立していて決して子分扱いでない
というのは、信長は家康の家臣団には手を付けてないということを考えれば明白では?
もしも子分扱いしてたら家康の家臣を単独で引っこ抜いて
自分の家臣にレンタルでの所属させるぐらいするでしょう
下手すれば交換もあり・・・
それをしなくて家康に直接あれこれ頼んだということはやはり子分扱いはしてなかったと

でもそんなこと以前に東方は家康に任せてた(というのも変だが)のも
指示を出しては軍団を動かしてた家臣たちとは明らかに違うよね
軍団長とはいえ織田家臣は勝手に戦場をあちこち動いてなかったはずだし

この、他になかなか見ない微妙な関係がいいんじゃないか、織田・徳川は・・・
176人間七七四年:2007/09/08(土) 16:03:49 ID:O2Vqot9h
重複スレが立ってるので、age
177人間七七四年:2007/09/08(土) 18:14:50 ID:kWn4lD85
馬鹿が沸いてるな
178人間七七四年:2007/09/08(土) 23:07:41 ID:MgHSfZDW
明智光秀の本能寺討ち入りに従軍した家臣が書いた「本城惣右衛門覚書」というのが
あるのは知っている人も多いと思うが、これによると進撃するのが京だと知った家臣は
殺す相手が信長だとは夢にも知らず、家康だと思っていたという。

「のぶながさまニはらさせ申事ハ、ゆめともしり不申候、其折ふし、たいこ(大閤)さま
びつちうニ、てるもと殿御とり相ニて御入候、それへ、すけ(助)ニ、あけちこし申候由
申候、山さきのかたへとこゝろざし候へバ、おもひのほか、京へと申候、我等ハ、其折
ふし、いへやす(家康)さま御じやうらくにて候まゝ、いゑやすさまとばかり存候、ほんのふ寺
といふところもしり不申候」(『新修亀岡市史 資料編 第二巻』)

光秀家臣が京に進軍すると聞いてすぐ家康が目標だと思ったということは、信長が
家康をいずれ殺すだろうと思っていた人が結構多かったことを意味するだろう。
狡兔死して走狗烹らる?
179人間七七四年:2007/09/09(日) 00:33:48 ID:YBBB2SsK
安土の宴席の件で光秀がハジかかされたから、ってことじゃねえの?
180人間七七四年:2007/09/09(日) 00:51:15 ID:wCZW3u6p
>>179
そんなことを下級武士が知ってるはずもない。
181人間七七四年:2007/09/09(日) 01:43:37 ID:lhQ4ElHv
京に誰かをうちに行く、と聞いて京にいそうな人が家康だったから、とかじゃない?
(実際には京にいないけど)
182人間七七四年:2007/09/09(日) 03:05:26 ID:RkOV4vfb
織田家の関係者でなくて今京にいる、討つのに軍勢が必要になりそうな大物=家康
って認識だったのでは?
183人間七七四年:2007/09/10(月) 05:45:30 ID:tfYWzUYd
信長の勢力圏内(京)にいる可能性のある他勢力って家康しかいないからな
184人間七七四年:2007/09/10(月) 21:54:31 ID:DjBGZFOh
織田徳川の話もいいけど、織田浅井の話が聞きたいな。
185人間七七四年:2007/09/11(火) 19:38:33 ID:T/+GE/Wc
信長がいずれ家康を殺すだろうと高坂弾正が語ったという話が甲陽軍鑑に出ている
(品第四十下)。

「弾正則チいふ。家康いま信長と二世までの入魂につき、両方加勢をすけあひ、それ故
ふたりけんごなれ共、信長敵は上方十四五ヶ国の間にて、信長に国とられぬをもとに
して、信長国へとりかけんと存ずる武士一人もなき故、かくのごとく次第に大身になる。
家康はいつまでも三河一国、遠州三ヶ一ならば、終には家康、信長被官のやうになりて後、
祝言は申つ。信玄公の明日にも目をふさぎ給はゞ、信長安堵して今こそ嫡子の城ノ介殿と
同意に思ふとて、三ツの桃を一ツ送ルとも、強敵・大敵の六ヶ敷信玄公御座なくば、家康を
信長ころし候はん。それに大事なくは、家康果報の儀少々の藪神はかんがへなりかね
申さん、と高坂がいへば、馬場美濃大誓文をたて、我等もそれなりといふ。内藤修理も
同誓文にて右ノ通なり」

意味がよくわからないところもあるが、文中の桃の話はこの前に出てくるもので、巨大な
桃3つをもらった信長が1つを信忠に、1つを家康に贈ったという。今はそうして丁重に
扱っているが信玄が死んだら信長は家康を殺すだろうと高坂が言い、馬場と内藤が
自分も同じ考えだと言ったという。
186人間七七四年:2007/09/11(火) 23:03:32 ID:kPwPjr59
>>185
残りのモモはどうしたんだ
187人間七七四年:2007/09/11(火) 23:10:03 ID:kzamFkmb
自分で喰ったんだろ。
188人間七七四年:2007/09/14(金) 01:25:34 ID:dxq12NHB
もしかすると信康殺害の代わりに領土保全を確約したんでは・・・
189人間七七四年:2007/09/14(金) 01:45:45 ID:QnPYvY3Q
>>188
だから、織田の命令じゃないって。
190人間七七四年:2007/09/14(金) 08:19:41 ID:jXtZzNHb
なんで信康殺害を信長の命令でやったなんて御用学者の捏造に
何百年も踊らされてる馬鹿が定期的に沸くんだろうか?
源氏じゃないと征夷大将軍になれないとかいい加減踊らされすぎだろ。
191人間七七四年:2007/09/14(金) 15:25:09 ID:ro+q7pDQ
信長と家康の関係は、清洲同盟の仕方や家忠日記の表記で答えは出てると思うけど
192人間七七四年:2007/09/14(金) 18:02:22 ID:oZubgbsw
信長が本能寺で亡くならずに織田政権が徳川のように長く続いていたら
3本の矢ではなく、3つの桃がイイハナシダナーになっていたかもw
193人間七七四年:2007/09/14(金) 19:33:55 ID:xs7a2Gcb
さほど詳しいわけでもない一般人には古い定説が馴染みだし、TVをはじめとした
メディアなんかでもそういった説で進行する事も多いだろ

煽る様な言い方になるが、性格の歪んだ歴オタと受け取られかねんよ
194人間七七四年:2007/09/14(金) 19:34:48 ID:xs7a2Gcb
アンカー無しで失礼したが>>190に対してね
195人間七七四年:2007/09/15(土) 02:06:17 ID:TES7kOss
>>194
いやいや、一般人ならともかく、
戦国時代スレで議論しよう、意見を書き込もうって香具師が
そんな知識量ってのは問題だろ。
あきらかに知っている史料ってのは、ゲームとか小説とか大河ドラマ位しかないだろ。

だから、たまにTVやマンガ以外で京子ちゃんのような奇抜な説を唱える
異端者の意見が輝いて見えて信者になっちゃうんじゃねぇかな。
196人間七七四年:2007/09/16(日) 20:46:20 ID:6ov6kw9b
この板に来る人間全員が、
全部の書物を読み漁ってると考えてるほうがずっとおかしいと思うが
視野が狭すぎ、平家みたいなこと言うなと
この板は一般人立ち入り禁止なのかね
浅い知識で来て、知って帰ることだってあるさ
煽るだけ煽って何も説明もしないやつの方が人間的にどうだろう?
自分だって最初は通説から信じたくせにね〜

京子って誰やねん
197人間七七四年:2007/09/16(日) 21:33:37 ID:5XnMdta/
京子も知らんのか。
本能寺で珍説出してた立花京子婆ちゃんだろう。
2chで正論振りかざしても叩かれるだけ。
そういうとこ、何せ便所の落書きなんだから。
198人間七七四年:2007/09/16(日) 22:44:18 ID:yqcWMDnH
>>197
正論を言っても叩かれないよ?
便所の落書きというのは、嘘を嘘と(ry ってこと
199人間七七四年:2007/09/17(月) 04:25:33 ID:Kh0NEr51
200人間七七四年:2007/09/20(木) 18:41:20 ID:oSl/t+NV
結論が出るまでまだまだだな
2011111111111:2007/09/20(木) 19:42:15 ID:Sl6wU9p0
 何となくちょっと主従関係がある友人みたいな気がしないでも
 無いな 素人的に
202人間七七四年:2007/09/20(木) 20:45:35 ID:ecTSSSly
我こそは第六天魔王なり
203人間七七四年:2007/09/21(金) 14:35:42 ID:1753Ss0e
従属勢力且つ外様ながら準織田一門待遇という結論がもう出てると思うけど
204人間七七四年:2007/09/22(土) 11:24:57 ID:QA4zqPre
そこをもっとおもしろおかしく!
205人間七七四年:2007/09/22(土) 13:50:51 ID:Idp5uPn6
織田と徳川みたいに上下関係のある両勢力が拡大しあってるのって珍しくね
206人間七七四年:2007/09/23(日) 10:49:30 ID:MOQY0sT6
基本的に信長のような人は他人は支配することしか考えない。
ただそれだと人間として淋しいので、
安土での歓待ぶりでわかるように家康に友としての役割も演じてもらった。
家康はそうしたことがよくわかっていたので、信長にあまり良い印象はもたなかった。
207人間七七四年:2007/09/23(日) 11:13:37 ID:ugJnYBNG
>>206みたいに自分の想像を断定口調で言える人間見てると、
光市の殺人事件の弁護団やら精神科医を思い出す。
208人間七七四年:2007/09/23(日) 22:00:06 ID:N/sAMDjU
>>206
正解
209人間七七四年:2007/09/23(日) 23:15:03 ID:uEOqGkZe
あえてこんなありがちな話
兄弟も手をかけてきた信長
さすがに寂しくなって、弟分が欲しくなった
そしたらちょうどいいところにいいのがいた
それが家康
なんせもっと身近だった浅井長政がまさかの裏切り
それでなおさら家康を操りつつも頼りにしていたという                ことにしよう

もしも長政がぎりきりのところで朝倉につかなかったら、
どうなってたかねえ、スレと違ってしまうが
信長は西国へ向けて突進、家康は東海から関東目掛けて、長政は北陸侵攻?
ちょっと鳥肌
210人間七七四年:2007/09/24(月) 00:00:28 ID:iTzfbrGW
当初は平等に近い同盟だったかもしれないが
特に信長上洛以降になると
両者の間には大きな軍事力や影響力の差が
生じた為従属化していったと考えられる
安土接待の様子から形式上は同盟だが
事実上はほぼ従属
211人間七七四年:2007/09/24(月) 00:10:03 ID:XncoRbc8
当初 今川と北条のような関係 力の優劣はそれほど見られず
上洛 今川と武田の関係 つまり今川義元と義元に頭が上がらない信玄の関係みたいな――
信長包囲網 基本的に援軍は出すが、状況によっては出さないことも 戦略的に大事かどうかで見られるようになってきた
本能寺の変 事実上織田家の一部 織田信忠軍や柴田勝家軍の半分 特に○○討伐という命令が下っていない明智光秀軍と同じぐらい
212人間七七四年:2007/09/24(月) 12:17:16 ID:I5fEGYw6
>>209
そう。俺もそれが気になる。
信長は長政と一緒に政治を見ようつったほど。
家康と長政被る。
213人間七七四年:2007/10/03(水) 22:47:05 ID:sRJ4ruI2
なんだかんだで信長が死ぬ直前には
徳川領だってバカにならないぐらいの大きさはあったんじゃない?
で、たとえ後に徳川を潰そうとしてたとしても、
徳川は徳川で独自に領土拡張はして、更に潰しにくくなったはず
徳川からすれば西に敵はいないんだから

それに織田にしても徳川がやばくなったら自分もやばくなるから
そういうときには三方ヶ原以上に援軍を出した可能性も考えられる
・・・つーかすでに長篠の時点で徳川への援軍だったよねあれ
信長本人も出陣してたし

そこで仮に織田が基本的に日本を制圧して、
その中に徳川領があったとしたら、信長のことだから、
もしかすると秀吉みたいに海外に手を伸ばしていたかも
更に仮に大陸進出なんてのが成功してたら、
徳川に日本を代役として任せたかも・・・なんてことを書いてみる
214人間七七四年:2007/10/04(木) 07:22:14 ID:NHO/jdnb

武田家が滅亡するまで、時間はたっぷりあったが家康領はさして広がっていない。
その勢力範囲は、せいぜい三河一国と西遠江(遠江の一部分)に過ぎず、

勢力的に見ると、越前の柴田勝家、丹波の明智光秀、近江の羽柴秀吉、
摂津の荒木村重、伊勢の滝川一益などと、ほとんど差がない存在なのである。

   ────────

しかしながら、五徳と信康がともに5歳の時に婚約した事情などを鑑みると、
やはり当初は織田家と松平家は限りなく対等に近い同盟関係であったのだろうと推察する。

その対等な関係が崩れたのは、やはり信長が美濃を制圧した辺りで、あろうか。
(だだし信長の美濃攻略に、三河衆の加勢があったのなら、話は別)
215人間七七四年:2007/10/04(木) 10:43:35 ID:eHIXPVOQ
>しかしながら、五徳と信康がともに5歳の時に婚約した事情などを鑑みると、

アホ言え!
秀吉も信長の息子を養子にもらっとるわ!
216人間七七四年:2007/10/04(木) 11:13:26 ID:2xFdtEeZ
従属同盟者と政略結婚で結びつきを強めるなんてどこでも普通にやってることだよなあ。

蒲生氏郷は幼少の頃に信長の娘と婚約しているが、これで織田と蒲生が限りなく同盟に
近いなんていえるのか?
217人間七七四年:2007/10/04(木) 15:59:20 ID:frzdyDgy
信長家康間での書状が1574年から
恐々謹言や御などや、名前欄の位置が上位と下位を示す辺りに変わったため、
その頃には完全に対等じゃなくなったって言われているな

この時期織田は越前は失ったとは言え、浅井朝倉滅ぼして将軍六角などを追い払い
三好残党を討って松永を降伏、康長が頑張っているとはいえ
若狭近江山城大和に摂津河内和泉の一部を支配して、例え徳川に裏切られても
問題無いぐらいだからか、
将軍が京から出ていって、幕府の代行を織田家が勤めているからか
218人間七七四年:2007/10/04(木) 18:31:21 ID:vuEc2DRj
元から対等ではないような気がするけどなあ
信長にしてみれば事実上属してくれるんだったらわざわざ強引に配下にはしない
っていうぐらいの考えだったんじゃない?
もちろん領国経営にも口は出さず
他のところも当主丸ごと傘下に入るならこういうことしない?

219人間七七四年:2007/10/04(木) 18:34:29 ID:vuEc2DRj
>>216
当主と家臣だから全然違うと思う
家康と、上にも出た浅井長政はあくまでも国を持ってる当主
それ以外は結局家臣だからね、たとえ能力があろうと
220人間七七四年:2007/10/08(月) 14:34:08 ID:U7f0Sfyr
板移転忘れて書き込んでレスが消えた_| ̄|○
この板もそうだったのか

えーっと・・・
本能寺のときに家臣が必死に戦ってるときに家康をのんきに堺遊覧に呼んだり
その後の跡継ぎ争いで当然のように無関係だったから
家康は全く家臣扱いではなかったと分かるね
信長と家康のこの微妙な関係が面白い

つーか家康の尾張人質時代は信長と接点はあったの?
221人間七七四年:2007/10/08(月) 18:02:46 ID:Hf75EmT/
>>220
浅井長政とか別所長治みたいに
信長は弟分を作るのが好きだったみたいね。
上記二人は結局裏切ることになるけど
家康の場合、本心はどうであれ、空気を読んで
信長の期待する通りに振舞った印象がある。
微妙な関係ってのは言いえて妙だと思う。
222人間七七四年:2007/10/08(月) 23:30:24 ID:9KySO5G6
正式な主従関係ではないとは言えるが、だからって対等(あるいはそれに限りなく近い)ともいえない。
両者には最初から明確に上下関係がある。

その上下の差というか距離が、時間とともにどんどんと開いていったわけだが。
223人間七七四年:2007/10/10(水) 13:47:21 ID:5/ydBLNL
>>221
別所長治の「長」は、信長からの偏諱なのかな?
224人間七七四年:2007/10/10(水) 18:33:21 ID:i5arbKAR
>>222
仮に信長が最終段階に行ったとき、徳川領はどうなっていただろう
さすがに武力衝突はちょっと考えられない
言葉の力攻めで召し上げられて、しかし立場としては
政権内での家臣外の特別な立場でいられたか

又は領地はそのまま独立大名として安堵されてるけど、
当然ながら行われたであろう大陸侵攻について、
姉川みたいに引っ張り出されたか
225人間七七四年:2007/10/10(水) 18:37:00 ID:i5arbKAR
>>221
別所長治と何か関係あったの?
初見だ
226人間七七四年:2007/10/10(水) 21:00:14 ID:ALRH0Ooc
>>224
そんなもん決まってるだろうが
信長は朝廷から武田征伐した功績で、自分の官位はいいから、信忠を征夷大将軍にしてくれといったから
信忠を初代織田将軍とする織田幕府開府となるから
徳川など1臣下に格下げだろうが
227人間七七四年:2007/10/10(水) 21:48:06 ID:cij/xb3I
wiki鵜呑みの厨ハケーンw
228人間七七四年:2007/10/13(土) 14:30:14 ID:uqEG4CmL
今更だけど
>>1
>好きなように語っちゃおう?
なんではてなマークなんだwww
229人間七七四年:2007/10/13(土) 14:31:43 ID:uqEG4CmL
やっぱり本能寺のときの招待を考えたら特別な存在であったことは間違いないね
それにしても家康の織田人質時代の二人はどんなんだったんだ?
何か残されてる資料はないのかな
230人間七七四年:2007/10/29(月) 19:17:31 ID:fH1PTlHz
浅井長政、バカなことしたよね・・・
231人間七七四年:2007/10/30(火) 15:53:19 ID:L92k3bsu
長政に比べると家康はさすがだな。武田に負けても寝返らず織田につき、
天下取ったしね。あれが馬鹿な武将ならあの時点で武田につき、信玄アボーンの
後、織田に滅ぼされていたであろう。長政のように。
232人間七七四年:2007/10/30(火) 19:24:26 ID:AIoEoNqW
長政も織田を裏切らなかったら、北近江・越前あたりを領有して北陸方面軍を率いてたのかな?
233人間七七四年:2007/10/30(火) 23:56:09 ID:g/w2K0rp
信長直下の強力な遊軍だったんじゃないかな?
下手に方面軍の軍団長とかやらすと信長配下じゃないという建前で切り取り自由ということになりかねない。
家康は武田が居たせいで領土を拡張するのに難儀したけど、長政が北陸方面軍団長なんかやったりしたら
北陸一帯が浅井の領土になりかねない。やっぱ、それは流石に避けたいだろうから遊軍としてアチコチの戦に
駆り出して適当に褒美を与えてるほうがベターでしょ。
234人間七七四年:2007/10/31(水) 00:11:42 ID:0WOLyXtr
>>233
浅井がそんなに戦争強いか疑問だ。
朝倉領の向こうは一揆勢が支配してるし、その向こうは上杉だ。
あの柴田でさえ苦戦したものを(w
235人間七七四年:2007/10/31(水) 00:21:06 ID:Z+lmey2T
>>234
長い目で見た場合よ。
浅井が協力すれば朝倉討伐も時間掛からないだろうし、浅井無しでも82年頃迄に越中まで進出してる訳だし。
まぁ織田の協力がどれだけ有るかも判らんけどね。
236人間七七四年:2007/10/31(水) 00:23:15 ID:Y8jDDEAG
少なくとも、近江から配置換え喰らってただろ。秀吉が家康を関東に追い払ったように。
京都からほど近い要所に、長政を置き続けるとは思えん。
237人間七七四年:2007/10/31(水) 00:37:54 ID:2wByl8Lx
家康のけん制に使われたりするんじゃないの<長政
信長はその辺の使い方はうまそうだし。
238人間七七四年:2007/10/31(水) 01:44:53 ID:o3DEn6Ta
牽制に配置できるほど、信用ないだろ
近くに置いて、両者が結託したらどーする
239人間七七四年:2007/10/31(水) 18:16:03 ID:kjuCpUSX
>>233
俺個人の考えとしては、最近知った「信長は意外と甘い」ってスレ見ても確信したけど
長政が従ってたら織田軍団を同行させての北陸侵攻を任せたと思うよ
浅井家のことはよく知らないけどあまりいい軍師がいなかったら直下に付属させただろうし
あの時点ですら実際は長政は織田との同盟を守ろうとしてた側らしいしね
なにより義兄弟は下手に血が繋がってるよりもよかったかも
だからつくづくあの翻意はねえ・・・
240人間七七四年:2007/10/31(水) 18:17:51 ID:kjuCpUSX
>>238
信長という蓋が人生を全うしてたらたぶん家康はその下で大人しいままだったと思う
ただし後継の信忠の資質がどうかまではさすがに若くに死にすぎて推測しにくいが
241人間七七四年:2007/10/31(水) 19:26:16 ID:A2VrHniM
>>233
浅井が北陸方面の軍団長になってもならなくても北陸に50〜70万石程(数字は適当)の新領地をあてがって、
北近江の領土は召し上げる可能性が高いと思う。

それと>>233の言うような切り取り自由にはならないと思う。
浅井家の軍勢だけでは北陸勢を打ち破ることは不可能で主力は織田家にならざるを得ない状況は必至。
仮に長政を軍団長、織田の武将を与力にして北陸を攻略しても、
単独で遠江を切り取った徳川とは事情が違うのだし大幅な加増は有り得ない。
軍団長にして織田の与力をつけてる時点で家康以上に織田家の配下であることが鮮明となるんじゃないか?
配下である以上北陸全てを切り取ろうが領土仕置きは信長の思いのままに決まるよ。
242人間七七四年:2007/10/31(水) 22:47:35 ID:Wz5U3tKh
徳川家はなんだかんだで家臣団はきちんとしてたよね
それに比べて浅井家はどうだったんだろう
それによって独立させたままか、吸収しちゃうかが違ったかも
243人間七七四年:2007/11/01(木) 14:11:32 ID:Wgbx7Rba
徳川家も家臣統制には苦労しとるよ。
奥三河の山家三方衆とか遠江の天野とか
武田と徳川の間をそのときの情勢で行ったりきたりしてるし、
一枚岩だったわけじゃない。
244人間七七四年:2007/11/01(木) 15:52:28 ID:LK11Qwo/
長篠の時に活躍した奥平信昌だって、元は貞昌って名前だったのに、信長から信の字をもらっているものな。
徳川の統制を乱しかねないことを信長もやってはいるよな。
245人間七七四年:2007/11/02(金) 00:01:32 ID:KUplsIgi
おらゴム長
246人間七七四年:2007/11/02(金) 00:04:03 ID:JbEPUI35
>>244
上の字を貰ってるのは凄いな。
247人間七七四年:2007/11/02(金) 02:17:33 ID:/NxB/+sG
>>244
でもその気になれば現実的なことやってたはずだから
そこは気まぐれだったんじゃないのかね
俺がそれを知ったときはそこまで深刻に考えなかったな
逆に家康なら喜んだかもしれんよ
248人間七七四年:2007/11/02(金) 07:37:22 ID:nN41fDC9
長篠城攻防戦での信昌の活躍は、家康も評価してたことだから、
名前のことぐらいでは影響なかったかも。
事実、奥平は一門扱いになって、江戸期には10万石まで加増されたからな。
249人間七七四年:2007/11/02(金) 19:34:20 ID:/orhdHgQ
若い頃、身内の内紛ばっかりだった信長から見て
三河譜代家臣に守られてた家康を羨ましく思っただろうなあ
250人間七七四年:2007/11/02(金) 20:22:37 ID:Zzga6n8m
家康君も十分苦労してますがな
251人間七七四年:2007/11/02(金) 20:26:04 ID:/orhdHgQ
まあ確かに身内ネタは無いぶん人質にはなってたけどねww
252人間七七四年:2007/11/02(金) 21:01:37 ID:/orhdHgQ
wikipよりまとめ
織田信長
生誕 天文3年5月12日(1534年6月23日)
天文20年(1551年)父・信秀が没したため、家督を継ぐ
死没 天正10年6月2日(1582年6月21日(享年49(47歳没)))

徳川家康
生誕 天文11年12月26日(1543年1月31日)
6歳の時、竹千代は今川義元の人質として駿河国府中へ送られるが、
その途中謀略により尾張の織田信秀の元へ送られる。
尾張では2年を過ごし信長とはここで知り合った。

ということは、家康6〜8歳のときに、15〜17歳の信長と顔を合わせてたのか
もしかして信長がバリバリのうつけだった頃?
家康、おもちゃみたいにあっちこっち引っ張り回されなかったのかね
その方がエピソードとして面白いけど、知らない・・・なんかなかったのかな

>両者は永禄5年(1562年)、清洲同盟(=織徳同盟)
そして信長28、家康19で運命の再会?
それから1582年までの20年も主従でなく同盟が継続って、やっぱり長いよね

ついでにその出会った頃、信長小姓の前田利家は10〜12歳
生誕 天文7年12月25日(1539年1月15日)
利家とも違う意味で長いねえ
253人間七七四年:2007/11/02(金) 21:27:43 ID:H1a2Ies5
>249
家康も家臣が宗教絡みで騒ぎ起こさなかった?
254人間七七四年:2007/11/02(金) 21:37:10 ID:/orhdHgQ
本多正信が一向一揆に加担した
他には有名どころいたかな
255人間七七四年:2007/11/02(金) 22:11:58 ID:PvoyTOR9
加藤嘉明の親父
256人間七七四年:2007/11/07(水) 00:37:18 ID:QGjwben3
>>249
なんじゃそりゃ。
若殿さまと人質の身分の差もわからないのかよぉ。

>>252
ひでぇな、ウィキも。
信長と家康が知り合ったなんてそういう史実はどこの映画か小説なんだよ〜。
古渡と熱田、大須は近いからね、うつけで好奇心いっぱいの信長が見に行ったぐらいのことはあって
それだけでもすごいことなんだが、後に家康が幕府作った結果論だけで勝手に歴史作ってはな〜。

今にウィキ史観みたいなのが絶対に出来るぞ、書いてあった、ソースはウィキ、とか。
信長と家康が手をつないでスキップした、とか。

ちなみに秀吉が信長の下に来るのがもう少しギリギリ後ぐらい。
もしかしたら大須観音あたりで3人が接近遭遇してたかもしれなくて、これこそ不思議な歴史の偶然
だけどね。
近くに政秀寺もあるし、このあたりはもっともっと舞台として取り上げられていいと思うのだけどな〜。
257人間七七四年:2007/11/07(水) 16:24:17 ID:2oz5CAWs
なんでいちいち気持ち悪く語尾を伸ばしたがるんだろう
258人間七七四年:2007/11/07(水) 16:48:21 ID:xyfzilXd
心の底からあきれてるけど、スレ荒れても悪いから婉曲に表現した。
259人間七七四年:2007/11/09(金) 20:24:07 ID:ND1NkRfi
信長のことだから松平の小倅が捕まってきたとなれば
面白がって見に行くのはごく普通の出来事だと思うね
ただしその頃にはお互い将来を意識するようなことは無かったはずだから
会ったとしてもこれといった記述なんて特にされなかったんじゃないだろうかね
260人間七七四年:2007/11/09(金) 20:24:57 ID:ND1NkRfi
と、書いてみたが
会ってなにか話してたとかいう方が、史実になくたって面白いじゃんww
261人間七七四年:2007/11/09(金) 22:19:44 ID:XpRdmL5B
>>260
映画では、手に手を取って共に天下を狙おうぞ、と誓い合ったのというのもあるけどね。
高校生が幼稚園児と天下を狙うのだから、文部省推薦でジブリがリメ〜クしないかな、アニメで。
262人間七七四年:2007/11/09(金) 23:02:30 ID:ND1NkRfi
例えば成人して再会したときに家康が寝小便したのを思い出して大笑いの信長
家康も逆に若かりし信長の失態を言い返してやりこめる
その場にいる部下たちは笑っていいのか分からず薄笑い
なんかこういうのっていい感じ
ネタでいいんだよネタで
263人間七七四年:2007/11/10(土) 02:17:35 ID:RupaeTVW
本能寺直前の家康を招待したとき
のんきな時間にどんな会話をしたんだろうかねえ
264人間七七四年:2007/11/11(日) 02:01:01 ID:YOh1Mnjj
織田信秀の妹が松平氏に嫁いでたみたいです
265人間七七四年:2007/11/11(日) 05:09:09 ID:4eOYGqOC
織徳同盟が最後まで続いたというのはすごいことだとは思う。
結果的に家康が徳川300年の太平の基礎を作ったわけだし、信長は家康の中に何をみていたのだろうな。
ゾウリ取りから面倒見た秀吉もちゃんと統一を果たしてるし、単に恵まれてたというよりかはその炯眼を
褒め称えるべきかな、やっぱり。
266人間七七四年:2007/11/12(月) 01:36:49 ID:Cy8SH2vN
信長の死後も、家康は織田家を特別扱いしてくれたみたいなことをよく聞くが、
本当なら清洲同盟の遺徳は凄いな。
267人間七七四年:2007/11/12(月) 09:18:17 ID:n9i1BgyR
してないだろ。
してるなら、織田宗家を取り潰しにしてない。
268人間七七四年:2007/11/12(月) 13:01:43 ID:6NKl/NcT
宗家って秀信のこと?
あれは関が原のときに西軍についちゃったから仕方なかんべ。
信雄とか有楽の家系は大名家として残ってるから
織田の家系を潰す気はなかったんじゃないの。
269人間七七四年:2007/11/12(月) 19:09:48 ID:Af1Cqyl+
どっちかというと家康よりも秀吉に近かった点が方向を決めちゃったみたいだね
近くても三成嫌いで家康に着いたのとは違うってことで運が決まっちゃった
270人間七七四年:2007/11/12(月) 19:23:48 ID:M8kAjUGL
>>268
家康としては将来徳川家に対して反旗を翻すさいの旗頭となり得る織田宗家は取り潰して起きたかったんじゃないかな。
西軍について存続した大名家は多々あるんだし、表向きの理由としては西軍についたという事だろうけど、
本当の理由は上記の様に将来の火種になり得る存在を握りつぶすこと。
だから秀信が西軍についていたのをこれ幸いとして織田宗家を取り潰したんじゃないかな。
断定できる根拠は無いけど元々織田宗家は取り潰す気満々だったと思う。
271人間七七四年:2007/11/12(月) 21:14:45 ID:mZ6lonDO
存続した織田家といっても10万石も行かないような小大名としてだものな。
272人間七七四年:2007/11/12(月) 21:44:03 ID:Cy8SH2vN
そういえば織田秀信の助命を嘆願したのは、福島正則や池田輝政だったかな?
273人間七七四年:2007/11/13(火) 10:08:37 ID:wbdBm269
そう。秀信は戦った相手に嘆願してもらって命拾い。
274人間七七四年:2007/11/13(火) 15:35:34 ID:AVNSloYo
つーか腹を切ろうとしたところを
福島とか池田に「ワシらが内府に嘆願するから」と止められた、が真相。
一応信長直系としてのプライドだけはあったようで
自分からは助命嘆願はしてない。
275人間七七四年:2007/11/14(水) 11:25:42 ID:h5ZVoVT+
頼朝の故事じゃないけど、自分の敵になるであろう存在は抹殺しておくのが鉄則で家康も豊臣の血は
滅ぼしてる。
ということは家康から見て織田の血は敵にはならないという基本的な発想があっただろうし、お市の
流れで信長自身の血も徳川本家に少しは入ってる。
織徳同盟の意味も大きいだろうし、信長を戦国武将としてとても認めていたのではないか、そう思う。
276人間七七四年:2007/11/15(木) 01:37:37 ID:QE9dSxLk
>>275
あえて秀信を殺す必要がなかっただけだろう。
関が原時点で本能寺から約二十年、織田家有力家臣の家も
ほとんど代替わりして今更織田家を立てるなんてことはないだろうし。
277人間七七四年:2007/11/15(木) 06:37:02 ID:5KtakeGp
>>276
それはどうだろう?
同じ関が原では、秀次に連座して取り潰しにあった六角嫡流家の当主を石田光成が担ぎ出そうとしていたぐらい。
十分織田宗家の名前は大きく作用したと思われ。
278人間七七四年:2007/11/15(木) 08:30:52 ID:OFfDXk43
>>274
プライドがあれば生き恥を晒さない。
引き止められても死を選ぶよ。

>>277
徳川家にお市は信秀の養女を思わせる記録もあるから信長から遠のく
仮の実妹でも信秀の血で信長自身じゃない。

徳川は織田に敵対して衰弱した家も救い上げてる。
279人間七七四年:2007/11/15(木) 11:56:12 ID:dXhYCxJG
>>278
中二病患者、としかいいようがねえな
280人間七七四年:2007/11/15(木) 12:52:21 ID:0NdczWsB
どこが?
281人間七七四年:2007/11/15(木) 12:58:34 ID:FQgN6k+A
2行目3行目あたりじゃね
282人間七七四年:2007/11/15(木) 15:36:57 ID:kEiZST+K
血筋なら織田家の公式系図で従兄妹だったような
283人間七七四年:2007/11/15(木) 15:47:23 ID:srnfCnwn
信長とお市は同腹の兄妹と思うのだよね。
権六や秀吉が欲しがってたし、そういう意味での血に価値があったのかなってね。

>>276
20年はたってても可能性というのは極力排除するのが教訓だったろうからね。
284人間七七四年:2007/11/15(木) 17:00:53 ID:/fD3xccv
嘘かほんとか知らんが
信長の兄弟姉妹は美形揃いだったらしい
285人間七七四年:2007/11/15(木) 20:08:39 ID:WIIV0+Ve
>>284
有楽町の人の肖像はそれなりに美形かな。
286人間七七四年:2007/11/15(木) 22:38:42 ID:YA40WQ00
>>277
六角嫡流と言うと、秀頼に弓を教えた人の関係だろうか?
しかし淀殿が絶対嫌がるだろう…浅井と六角の因縁を考えればねえ。
鈴木輝一郎『片桐且元』に、淀殿が織田常真を総大将に担ごうとする場面がある。
織田の血筋がそんなに重視されるなら、あっても不思議じゃなかった訳だ。
287人間七七四年:2007/11/16(金) 08:26:09 ID:egMC9QtQ
>>284
信勝、喜六郎あたりはもう褒めすぎ。
に対してうつけ信長、という対比にもちょっと作為を感じるけどね。
288人間七七四年:2007/11/16(金) 11:20:01 ID:4EJ4cBiR
権六や秀吉も主筋の美女が欲したじゃないかな
徳川家が崇源院の欄にお市を信秀の養女を仄めかすくらいだから
お市と信長は同腹じゃないと思う。
289人間七七四年:2007/11/16(金) 11:21:59 ID:r8AbMcfm
>>286
六角義郷のことなら、豊臣ともともと仲がかなりよかった。
系図によっては、秀吉が六角嫡流家出身とするものすらあるぐらい。
秀吉の秀は、義郷の父、六角義秀により偏諱を受けたなんて話もある。
そうなると、秀頼の秀の元にもなるから、担ぎ出されてもそこまで不自然ではない。
290人間七七四年:2007/11/16(金) 12:59:00 ID:5QLXOBGN
>>288
お市と勝家の婚姻は、秀吉が認めたことになってる。

>>289
そんな実在するか怪しい人を挙げられても……。
291人間七七四年:2007/11/16(金) 17:47:35 ID:2nYXbR6E
>>290
実在怪しいのか?
さすがはwiki、信用できなさは超一流
292人間七七四年:2007/11/16(金) 18:30:46 ID:ELMKf/Kc
なんの話だ
293人間七七四年:2007/11/16(金) 19:52:31 ID:h/fkDfbm
>>288
徳川家というのがよくわからない。
あくまで推測の話だが、お市の娘の出世ぶりとか、政略結婚とはいえ良家に嫁がせたこととか、
腹心がお市自身を欲したことからも、信長唯一の同腹はお市である可能性が高いと思う。
ま、言ってもしょんないことだが。
294人間七七四年:2007/11/17(土) 16:10:25 ID:D20kM+Si
別に徳川家がお市の娘を欲したんじゃない。
秀吉が徳川懐柔にためにお江を離婚させて秀忠に押し付けた。
あの頃の正室は殆どが政略。
それでも不安な秀吉は妹を離婚させて家康に送った。
驚くことに大政所まで家康へ送ったことがある。
全て家康を恐れてのこと
295人間七七四年:2007/11/17(土) 16:59:54 ID:p0aPuXzg
妹(旭姫)が逝ってから、秀吉はお江(与)を徳川に嫁がせた に訂正

くだらないと思いつつ・・(お市は20歳で結婚)
お市と信長は13才違い (土田御前は何歳で信長を生んだ?)
30歳でも大年増の時代で、甲斐性があれば側室は何人でもOK
お市が信長の妹なら別腹の可能性が高い
296人間七七四年:2007/11/17(土) 18:15:24 ID:EieXS0Tf
信秀に鍋島みたいな愛妻家エピソードでもあれば信長お市兄妹説も信憑性出るんだけどね
297人間七七四年:2007/11/18(日) 01:29:30 ID:JIJRCTZ/
>>295
あれ、年の差は関係ないのじゃない。
で、土田御前ってのも根拠はないのでしょう。

出自に関する論拠はすべてあやふやで、結果的に判断した場合、ってことね。
ま、言ってもしゃんないことだがや。
298人間七七四年:2007/11/18(日) 10:21:21 ID:YGiKgumj
妻は置いといて、男は若いオナゴが好きなんじゃ
299人間七七四年:2007/11/18(日) 11:48:52 ID:5KaW10VC
もまえらとりあえずスレタイ見ようぜ・・・
300人間七七四年:2007/11/19(月) 12:42:51 ID:+Ab2kCUe
現在の愛知県のモトか?
301人間七七四年:2007/12/16(日) 21:04:15 ID:0y3+95tf
テレ朝でキター

大変だのう織田家の囲まれ方
302人間七七四年:2007/12/17(月) 10:25:17 ID:0XjfYC0s
>>98
恨んでいても殺した後の処置が面倒だから黒幕説は苦しいだろ
303人間七七四年:2007/12/21(金) 21:32:23 ID:7Ui6wA4f
さっき立ち読みした本では、やはり二人が子供時代に“出会った”ことは、
どこにも伝わって無いらしい
ただし人質家康が住んでいたところに信長が行った記録はあるっぽい書き方
つまり、逆説で、会ったことが無いという証拠も無いわけだから、
いくらでも想像・妄想はできるわけで・・・
304人間七七四年:2007/12/28(金) 03:37:43 ID:hY/8Gi8v
本能寺のときに明らかに家臣にはやらない遊覧の招待なんてしてるから
国の規模は違ってもほぼ同格に見てたのは間違いないね
政略結婚は家臣に対してもやってるけど

305人間七七四年:2007/12/28(金) 14:25:22 ID:j9nB/AnQ
お市やお市の娘たちがその後重んじられているところを見ると、
お市は信長の同母妹でもおかしくないけどね。
土田御前が複数の子を産んだのならば、13歳の年の差は当たり前。
ちなみに、お江与の長子豊臣完子と末子徳川和子の年齢差は15歳。
お江与の最初の夫佐治一成は、信長の妹お犬の子。
徳川忠長の室に織田信雄の娘を迎えるなど、
織田家の復興に尽力していたようだし。
306人間七七四年:2007/12/28(金) 15:47:54 ID:hY/8Gi8v
微妙に誤爆?
307人間七七四年:2008/01/10(木) 23:05:45 ID:dC/Yp1Gw
2人が会って清洲同盟を結んだというのも
虚構であろうという説もあるくらいだ。
「信長公記」にもこの記事はないようだしな。
ドラマ、小説などでも抜かりなく登場するので
史実と思われてるが。
308人間七七四年:2008/01/11(金) 21:03:43 ID:Go1CYgTZ
まあそこでは会わなくても
後々にはいろいろと会ってるんだし

尾張と三河の微妙な違いは分からんが
ふと二人だけとか近臣の者しかいないときに
尾張三河の言葉でくだけて話せる時間もあったんじゃないかと思うと
何を話していたか想像したくなる
309人間七七四年:2008/01/12(土) 02:54:40 ID:yxlDQvV2
対等な同盟と言うのは、江戸時代あたりに作り上げた嘘だろ
どうみてもいいとこ隷属勢力でしかない
310人間七七四年:2008/01/12(土) 06:53:35 ID:KBudKBGM
対等とは徳川幕府自ら認めていない点もあるけどね。
信長の要求で信康を殺したことになってるから。
311人間七七四年:2008/01/12(土) 10:41:49 ID:G3WmPTbG
そりゃ後期の同盟関係については、それでいいが、初期の同盟関係についてまで説明するものでもないだろう
312人間七七四年:2008/01/12(土) 11:06:09 ID:ikCMuSZZ
>>310
おいおいそれは


現実としては徳川はおおまかな連携は織田とあっても
細かいところは自分でやれてたんだから完全な支配下では無いよね
織田家武将みたいに何もかも信長の命で動いてたなんて話は無かったはず
ただところどころ、家の立場として弱いから、指示を受けてた部分はあっても当然かと

あとあのまま進んでたら、確か北条は織田と組んでたから、
徳川としては東へは手詰まりになってた可能性はあるよね
それとも南関東は迂回して北関東から東北へ織田との共同戦線が延びていったのかな
それか、北条の領地の西で小さくまとまっちゃったか
もしくは、ゆるゆると同盟が解消されて、実質的にも配下に組み組まれていくか・・・

信長は上手くやってたと思うよ
徳川家はあえて臣従させずにそれなりの自由を与えて、
利用するときは利用して、助けるときはちょっと助ける、みたいな
徳川にしても気付いたら反抗するにもできないぐらい差が付いちゃってたという
313人間七七四年:2008/01/21(月) 01:05:36 ID:sac3nF8a
本能寺の変に参加した兵士が
「軍膳近畿に向けるって言うからああいよいよ家康討つのかと思ってたら、
実は信長だって知ってびっくりした」ってな事を書いてた
314人間七七四年:2008/01/21(月) 02:40:14 ID:qFHChSkh
それ誰やねん
315人間七七四年:2008/01/21(月) 03:19:05 ID:sac3nF8a
本城某とかいう足軽
316人間七七四年:2008/01/26(土) 21:01:12 ID:hk8TH8d2
>>313
それは少々不正確だな。
その本城惣右衛門という兵は、本能寺に踏み込んだ
後になっても討つ相手が信長とは知らなかったと
言っている。
なお同じように家康を討つと思っていた兵士が他にも
いたことは宣教師の報告にある。
317人間七七四年:2008/01/27(日) 11:10:35 ID:ib10EwbV
>312

今で言う日本とアメリカみたいなもんだな。
自由自由といってるけどアメリカも日本に対して政治的、経済的にもけっこういいなり。
318人間七七四年:2008/01/27(日) 18:47:09 ID:xRO2A6+d
同盟関係からしてだいぶ違う。

同盟時における力関係は
信長は(正式ではないけど)尾張の事実上の支配者
家康はとりあえず岡崎城の親玉。(信長の野望における状態なら三河は空白地)
同盟をすることで事実上の三河の領主であることの証明みたいな。

結果論としては織田が武田と同盟を結んだ恩恵を経て、今川
滅亡の際に遠江を奪取。そして織田が武田を滅ぼしたことで
駿河を奪取して結果としてはかつての主君今川義元の領土を
そっくりそのままいただいたことになるし。(本能寺の変前)
家来としてみたらかなりの高給取りになるな。
319人間七七四年:2008/01/28(月) 01:14:23 ID:8l3mGt6t
>>318
それでも同盟時には美濃の斉藤は健在だったんでは
内情がどうであれ壁だったには違いない
それが反対側の三河で松平が仇敵・今川から独立してくれたのはかなり助かったと思う

この二家は簡単に同盟か臣従かは語れないのが面白いところだと思う
320人間七七四年:2008/01/28(月) 08:57:14 ID:Ms7kvapj
とりあえず家康は初期はともかく後期にもなると信長の事大嫌いだったんだろうな。
好きなら後世信長の話題になると渋い顔をしてダンマリになったり、信長を殺した光秀を武士の鑑とか言ってフォローに努めたりはありえない。
321人間七七四年:2008/01/28(月) 09:47:00 ID:LXV9rNrO
は?
徳川幕府は朱子学を採用して謀反など許されざることだと
武士たちに教え込んでるが?
光秀など謀反人として悪人扱いされていたが。
322人間七七四年:2008/01/28(月) 10:04:55 ID:05KK47nP
幕府の教育方針やらは知ったこっちゃないが、家康本人は光秀に対して好意的なコメントが多いんだよ。
組織内に明智関係者も多いでしょ。
信長に好感を抱いてたら、殺した奴を持ち上げることなんて無い、と。
嫌ってたから光秀を好意的に評価したんだろうね。
323人間七七四年:2008/01/28(月) 10:15:14 ID:05KK47nP
まあ光秀とはタイプ的にウマがあったのもあるんだろうけどな。どっちも生真面目な堅物君だし。信長に対する愚痴で意気投合でもしたのかもねえ。ま、これは冗談だけど。
324人間七七四年:2008/01/28(月) 11:12:31 ID:fDhHjjGb
>>323
>どっちも生真面目な堅物君
ルイス・フロイスの光秀評を知ってるかい?
325人間七七四年:2008/01/28(月) 17:56:30 ID:8l3mGt6t
いい部分は誰であろうと褒めて、誰であろうと見習おうとする
これができなきゃ天下は獲れないし幕府の基礎なんて作れないよ
326仙台藩百姓:2008/01/28(月) 18:21:44 ID:UMiwSII0
そもそも同盟と言うのが不審だお( ^ω^)
少なくとも末期の辺りは明らかに臣従だお
それと武田滅ぼした後の徳川なんて存在価値ないどころか邪魔なだけ
家康だってその重圧をひしひしと感じていたはずだお
天下人となった家康としては信長は政治的にも感情的にも良い存在ではないのは当然だお
327人間七七四年:2008/01/28(月) 19:47:56 ID:/xciglZ8
おまいら物知りだな
ググってレスの信憑性の確認を取り素直に勉強している。
328人間七七四年:2008/01/28(月) 20:45:16 ID:wzNn0ZOi
>家康本人は光秀に対して好意的なコメントが多いんだよ。
>組織内に明智関係者も多いでしょ。
?具体的に

同盟かどうかは清洲にまで家康が出向いたのと、家忠日記などを見て、家康の立場や信長と家康の関係を調べたがいい
329人間七七四年:2008/01/28(月) 21:15:19 ID:YMD4in2h
>>328
家忠日記は長篠の後ですから、それ以前はどうかというと、どうなのかな?
それ以後は主導権は完全、信長ですけど
330人間七七四年:2008/01/28(月) 22:28:16 ID:6OPbbaPc
ある意味、家臣みたいに逐次指示出さなくても勝手に伸びてったから楽だったんじゃない
331人間七七四年:2008/01/28(月) 22:45:30 ID:24C7NEdk
>>323
フロイスの光秀評は
「裏切りや密会を好み、刑を科するに残酷で、独裁的でもあったが、
己を偽装するのに抜け目がなく、戦争においては謀略を得意とし、
忍耐力に富み、計略と策謀の達人であった。また築城のことに造詣が
深く、優れた建築手腕の持ち主で、選り抜かれた戦いに熟練の士を
使いこなしていた」というものである。
一般的な光秀のイメージは、彼を信長や秀吉とは対照的な人間とする
思いこみから、それとは対照的なイメージを並べ立てたのに過ぎない。
光秀が「生真面目」なんてのもその一つだろう。
332人間七七四年:2008/01/29(火) 07:35:48 ID:ZW8Nv/6C
>>328
研究者の平野明夫は信長・家康の清洲会盟は虚構という
説を出している。だから確定された史実とは言えないようだ。
この頃の家康はむしろ、将軍の直臣的な立場であったと
している。
333人間七七四年:2008/01/29(火) 11:00:39 ID:g/xFGTi3
>>328
明智関係者って春日局のことかもな。
光秀の家老、斉藤利三の娘。
だがそれ以外には思いつかないが・・・
334人間七七四年:2008/01/29(火) 17:02:17 ID:VVI481gq
>>331
佐久間を讒言で追い落としたしね
335人間七七四年:2008/01/29(火) 18:09:34 ID:M0PVo05/
>>332
将軍の部分、くやしく!
336人間七七四年:2008/01/29(火) 18:26:00 ID:VVI481gq
横からだけど、信長包囲網の時家康に義昭から副将軍にするから信長を討てという手紙を出したってことじゃない?
337人間七七四年:2008/01/29(火) 19:07:59 ID:attnYL+P
>>335
将軍とは義輝・義昭だが、
従来信長との関係で兵を出したとされる
元亀元年の朝倉攻めや、姉川は実は将軍の命令での
出兵であったという。
なお平野氏は義昭追放後の天正3年から、徳川氏は
織田氏と主従関係となったとしている。
338人間七七四年:2008/01/29(火) 19:27:22 ID:attnYL+P
平野説の概要は「徳川権力の生成と発展」という本を
参照。
約1万もするので図書館などで探した方がいいかも。
家康の今川氏からの独立の経緯など、通説と異なった
見方が多く示されている。

339人間七七四年:2008/01/29(火) 23:21:44 ID:GZhMRYhk
将軍様は体裁のために利用されてるだけだろ
今の自衛隊がそうじゃん
アメリカとは実質同盟関係にあるけど
直接的に頼みにくいから、国連決議という体裁を作って
自衛隊をPKO派遣してるのと、同じような感じじゃないの
340人間七七四年:2008/01/30(水) 02:15:28 ID:Qonx4Jgq
>>336
それについても家康は信長を選択したってことになってるけど
その辺はどうだったのかねえ

あれだけ周囲が敵対してたら徳川も寝返っても決しておかしくなかったはずなのに
反織田連合になれば徳川だけじゃ無くなるから対処しやすいはず
ましてや徳川領は信玄健在時の武田領とビッチリ隣接してたんだし
でもそうはならなかった、その理由とは・・・
あの時、実質有力な大名で信長と同盟関係にあったのは徳川以外にどこだっけ?

よく考えたらすごい囲まれ方だな、反織田連合の連結の無さが本当に幸いしたね
341人間七七四年:2008/01/30(水) 12:16:36 ID:la/xrbMX
>>340
毛利も織田と対三好で同盟してたし、上杉も織田といい関係を保ってたはず。
反織田連合というが、実質動いた大名は三好、武田、朝倉、浅井だけだし、畿内の勢力もかなり織田になびいてたから信玄死後あっさり崩壊した。
織田と接する勢力がみんな反織田に立ち上がったら織田も終わってた。
342人間七七四年:2008/01/30(水) 22:09:35 ID:UY6QoGIC
>>340
信長を選択したというより、武田と敵対したことで結果的に
織田方になったということではないか。
武田とは今川領の遠江、駿河を分けた時から仲が悪いし。
ところで三方ヶ原の時、織田が3千の援軍を送ったことが
史実として語られてるが、ある研究者はそれを記した
同時代史料はなく、後世の創作ではないかとする。
「信長公記」には佐久間、平手、水野信元を送ったとは
書かれてなかったけな?
343人間七七四年:2008/01/30(水) 22:41:31 ID:L0kGdzvt
>>342
三方ケ原合戦自体が非常に資料が少ないとのこと
最近知って驚いた
織田方武将の平手の死に場所すら分かってないぐらい
ただし「行われた」ことだけは確からしいけど

>>341
毛利・上杉とは時系列がはっきりしてないからなんとも返答できず
単に俺が無知なだけだけど
分かりやすい年表でもないかな
344人間七七四年:2008/01/31(木) 01:58:59 ID:oH5Zwxko
>>342
滝川が援軍に送られたって説とかもあるな。
345人間七七四年:2008/02/01(金) 07:29:31 ID:TMQyGJqo
>>342
佐久間への折檻状には三方ヶ原の件が記載されてなかったっけ?
346人間七七四年:2008/02/01(金) 18:42:19 ID:NLFbduQi
あれは粘着だな

倒幕の連中ほどではないが
347人間七七四年:2008/02/01(金) 20:03:31 ID:DQ4UPEBX
昔に労働基準監督所があれば信長公は完全被告扱い。
348人間七七四年:2008/02/02(土) 09:30:07 ID:gVt03Yeh
信長・家康が会見して同盟を結んだというのは
後世の創作の可能性があるようだ。
「信長公記」にもこの記事はなく、あるのは江戸時代
成立の文献ばかり。
これは信長・家康を扱ったドラマでも抜かりなく登場するが
謙信・信玄の一騎打ちがなかったように
史実とはこんなものなのかもな。
この論者は当初の織田・徳川同盟は領土確定だけで
攻守同盟ではなかったともする。
だが三方ヶ原の時織田が援軍を送ったのが確かなら
その主張の一角が崩れるが。
349人間七七四年:2008/02/02(土) 10:00:18 ID:l3OGV6zL
>>348
信長公記に記載無いから存在しないというのは、ちと一次資料絶対視しすぎかと
こういう場合、編纂物を総ざらいして最初にその記事を書いた資料を特定し、その
信頼性を問うことをしないといけない
江戸時代成立といっても、それで切り捨ててはいけない。バイアスかかっていても
同時代以前より最も多数の知識層がいて、比較的自由に史料を閲覧できる時代
なんだし
350人間七七四年:2008/02/02(土) 11:44:41 ID:YLSs5rDC
信頼されてる家臣同士による代表としての交渉って結構あったから
会見はしてなくても成立はしてるんじゃないの
文書さえ当主のものが使われてればいいから

351人間七七四年:2008/02/08(金) 07:54:14 ID:a1fMFxxC
>>338の論者が言うように、織田・徳川同盟が通説通りのもの
だったとするのは疑問が多いようだ。
そもそも信長・家康の清洲会見が史実かどうか怪しい。
信長上洛までの両氏はそれぞれ勝手に動いてる感じも強い。
義昭追放後の徳川氏が織田氏とは同盟というより臣従に近かった
というのは分かるが、そうなると三方ヶ原で織田が援軍を送った
のをどう解釈するかが問題だ。
無理に解釈するなら武田は共通の敵なので送った、というところか。
この援軍がたったの三千というのが研究者の間でも不審とされている
し。信長が本気で武田軍の進撃を止めるつもりならもっと多くの兵を
送るはずだと。
この辺りからもこの頃の織田・徳川同盟が攻守同盟ではなかったことが
窺えるのではないか。
それを江戸時代になって家康は最後まで同盟を守った律義者、妻子を死に
追いやられても裏切らなかったとするために織田・徳川同盟が最初から
現在言われてるような攻守同盟であったとしたのではないだろうか。
352人間七七四年:2008/02/08(金) 12:21:49 ID:aeD/qRGn
当時の同盟に「攻守同盟」というカテゴリーがあるの?
織田徳川の同盟はごく一般的な同盟だと思うけど。
その後両者の関係が対武田戦によって深まって、織田の強大化に伴って力関係が変化しただけのものだと思う。
無理矢理「攻守同盟」という言葉に拘らない方がいいかと。
353人間七七四年:2008/02/08(金) 17:13:35 ID:TmT8fMjY
言葉の問題というより実態だよ。
織田・徳川同盟が当初から互いに求められたら援軍を出す
ものだったのかどうか。
もし違うのなら通説でいう織田・徳川同盟とはかなり
違ったものになる。
ただ平野説でも将軍義昭追放前は家康は将軍の直臣的
立場で、信長の上洛戦や姉川の戦いでの家康の出兵は
義昭の命令だったとしているが、やや腑に落ちない点も
ある。
354人間七七四年:2008/02/08(金) 17:57:05 ID:aeD/qRGn
だから一般的な同盟に過ぎないじゃない?
史実の同盟はゲームと違って攻守同盟と不戦同盟の違いはない。
誓約を交わして縁組も済めば同盟国。
どこまで相手を助けるかは家の都合と利害関係で決まるだけだから、
出す出さないと言われても状況次第でいくらでも変わる。
通説で言う程最初から親密な訳じゃないが、国境を決めただけという訳でもない。

あと、徳川が将軍直臣というのはタダのトンデモ説。
松平家と将軍家の間にそれだけのつながりがあるとは思えんし、
あったら家康は三河守だけでなく三河守護も任命されてたはず。
355人間七七四年:2008/02/08(金) 19:30:58 ID:1ezoK12I
>>353
そこが、信長横死時点で同盟らしい同盟が他に無かったことで、
話を難しくさせてるんだと思う
つまり比較対象が無いということ
一時期は周辺にいくつか同盟を結んだ織田家なのに、
結局本能寺の段階ではまた周りが敵になってる
そして同盟と考えていいレベルの大名も徳川家だけと
更に関係が浅い北条はこれから、というときだったわけだし
比較対象としてあえて1つ上げるとしたら、長宗我部、ここは同盟かと思ったら、
領地を分けろと指示しちゃったよね・・・で、敵対しちゃった経緯がある
これとの比較でなにか分からないかなあと考えてみる

しかしそれでも、織田家から徳川領に対して、
内政に関しても事細かに指示されてるものが無ければ、
それは臣従ではなかったと思えるが、どうだろう
戦闘に関してはそれこそ徳川がやられちゃったら次は織田領だから
ある意味折半みたいにできる徳川の前線で食い止める目的から、
兵を徳川領に動かしたのは特に変では無いと思う
356人間七七四年:2008/02/08(金) 19:37:26 ID:1ezoK12I
武田同時攻めのとき、徳川も武田領に攻め入って、甲斐まで行ったんだっけ
でも確か甲斐は織田のものとなったよね
これについては、取り上げる形になったのか、
それとも最初から取り決めがあって徳川は協力をしただけなのか
これについてはどういう話?
357人間七七四年:2008/02/08(金) 19:40:40 ID:LtdsIdHD
>>351
>両氏はそれぞれ勝手に動いてる感じも強い
家康の三河統一戦時代の豪族に出した文書に「(家康と)あなたとの約束を、信長が保証します」
という文言のものがある。
両家に関係がなかったというのなら、この文書はなんなんだ?一次資料を無視してなに妄言
垂れてんだそいつは。

>援軍がたったの三千というのが研究者の間でも不審とされている〜
別段不信はないよ。三千という援軍は、篭城を前提に送られた軍。野戦決戦のつもりだった
のならたしかに少ないが、篭城を考えた場合、数だけ多くても逆に邪魔になることもある。

そもそも家康を将軍直臣というのは、足利幕府の臣という意味なのか、将軍義昭の臣なのか
という意味で大きくかわってくる。
例えば足利幕府の臣という意味でなら、信長の上洛戦に参加するのは正式な将軍である足利
義栄に刃向かうということになる。義昭の臣という意味でなら、それは必ずしも将軍の臣
ということにはならない。
だいたい家康が足利義昭の臣だったというのなら、なんで義昭が「信長討伐」の手紙をだした
時に無視したんだ?名目上は義昭のために上洛した武田とドンパチしたんだ?
358人間七七四年:2008/02/08(金) 19:47:49 ID:aeD/qRGn
>>356
取り決めじゃない?
徳川自力で武田を滅ぼせるならまだしも織田の出兵があってこその武田征伐だから、
戦利品分配は織田が仕切るのも当たり前。
で、勝ち馬に乗ろうとした上に甲斐に攻め込んで火事場泥棒まで企んだ北条は何ももらえなかった。
359人間七七四年:2008/02/08(金) 20:17:20 ID:cgtY6K6g
駿河は信長から「戴く」という形
但し、内政についてどうこうという話はない
360人間七七四年:2008/02/08(金) 20:57:07 ID:4vyHN8sm
>>358-359
やはりどうも織田・徳川は特殊な関係だったとしか思えない・・・
両家に明確な文書なりが残ってないから本当に推測でしかないんだが
そういう形式もあったんじゃないかと思える
対等な同盟・傘下に組み込む、の次の3つ目の形式

長宗我部の例を見ると、下手すると北条もいずれ
「認めてやるから領地を出せ」「いやなら潰す」
という立場になってたかも・・・結果は豊臣時代とあまり変わらんな
すると東海道はいつものように徳川のルートだから、
相模が徳川領になってた可能性が
361人間七七四年:2008/02/08(金) 21:03:30 ID:K/gmwEwQ
>>357
信玄最後の出陣となった西上が上洛を目指したものかどうか
定説はないよ。
言うまでもないが「上洛した」と書いてるが実際は上洛してない。
それに徳川氏が将軍の直臣であったとしても、武田氏が自領を侵せば
戦うのは当然だろう。
それに言いたいが徳川氏が将軍の直臣とするのは
平野明夫著「徳川権力の形成と発展」という本。
まずはこの本を読んでから批判してくれ。
362人間七七四年:2008/02/08(金) 21:14:37 ID:K/gmwEwQ
連投だが、自分はこの本に全面的に賛成してるわけではないので
念のため。
363人間七七四年:2008/02/08(金) 21:56:19 ID:LtdsIdHD
>>360
同盟というのは対等以外にある。上下関係の同盟というやつで、織田と徳川もこれだったんだろう。
織田と徳川の関係は、臣従でなくとも最初から明らかに上下がある。

対等と臣従の両極端な関係しか頭にないから特殊に思えてくるだけ。

それから長宗我部の領地割譲については、親織田勢力(というか、織田に臣従している)である三好を
攻撃してきた詫びという意味が含まれている。北条を同列視することはできない。
364人間七七四年:2008/02/09(土) 00:13:50 ID:NqQ3b67v
>>363
元親の阿波侵攻は信長承認の元、三好康長らと敵対する旧三好一派を攻撃したので、
その件で詫びなんてのは存在しないのだが

365人間七七四年:2008/02/09(土) 19:41:50 ID:Wrf0rDNm
>>354
>トンデモ
そこまで言うからには将軍、義輝と義昭と徳川氏の間でどんな
交渉等があったか把握してるんだろうね?
せずに言ってるとしたら問題だ。
平野氏の著書も読んでないようだし、読まずに批判してるのだと
したら問題外。
自分は徳川氏が義昭の追放時までは将軍の直臣的立場という説に
必ずしも納得していないが、だからと言って通説通りでいいとも
思わない。
366人間七七四年:2008/02/15(金) 07:13:19 ID:Mw/MFy9v
まあしかし癇の強い信長の盟友ってのも気苦労は大変だったろうよね
367人間七七四年:2008/02/15(金) 18:30:57 ID:7MfPQwJ3
家臣じゃない分、楽ではあったと思うよ
長篠を見ても、ここぞというときは大軍を動かしてくれるしね
368人間七七四年:2008/02/15(金) 18:51:43 ID:qjSFexdz
織田への対し方ってのは、浅井の失敗を見てたからかね
369人間七七四年:2008/02/15(金) 21:48:23 ID:ewEg8uD2
あれはあれで浅井もとりあえず抗議と言うクッションを置けばよかったとは思われるね
それからの叛旗だったら後々の対処も違ったかなあ?みたいな

家康の場合だったら家臣の意見を抑えてでも我慢したかもしれんが・・・
370人間七七四年:2008/02/16(土) 07:26:41 ID:c1Qh/ez4
家康だって今川に反旗を翻してるが、家族を人質に取られた
ままの家臣(加えて自分)の反対を押しきってだろう。
家康の場合だったら・・・というのは信康を信長の命令で殺した
件から来る思いこみじゃないか?
自分はその話は信じてないのだが。
371人間七七四年:2008/02/16(土) 09:31:02 ID:3Yg3Hh7M
信康事件はよほどの歴史ネタ素人でなければ
もうほぼ親子の確執に傾いてるでしょ
これだって家臣のやめてくれというのを押し切って決断したとしたら
家康が長政の立場だったらということを考えると、
朝倉を裏切って織田との同盟を守ったんじゃないか
というのが>>369
長政は本人は時の流れを読んで義兄弟の同盟を重視しようとしてたのに、
結果としては父親とか重臣の意見を受け入れて
ああなっちゃったということだから
372人間七七四年:2008/02/16(土) 10:23:24 ID:iY1KUtf6
家康は信長派、信康は武田派と分かれて対立した結果信康一派は粛清処断された、という事か。
373人間七七四年:2008/02/16(土) 10:31:46 ID:3Yg3Hh7M
武田派というはっきりしたものじゃなくて
その前に浜松家康派と岡崎信康派という対立で

その一因に、親武田というより、反織田(今川の繋がりで)という部分があったんではないかと
だからその時点では武田と通じてまでいたかはなんとも言えないような
そういう分裂に気付いた徳姫が父信長に
なんとかしてくれるように頼んだという話も一方では残されてるわけで
信長も様子を問いただしたという話もまたあるわけで

結局この流れも決定的じゃないからねえ・・・
374人間七七四年:2008/02/17(日) 03:37:19 ID:A8MdP0rD
信康がどれだけの武将か分からない以上、この話は決着がつかないな。

「信康は優秀だ」……嫡男の信忠より優秀な信康を怖れて殺させた。
「信康は無能だ」……なら家臣が家康より信康を選ぶわけない。対立は起きない。

信康は優秀? それとも無能? 一体どっちなの?
375人間七七四年:2008/02/17(日) 10:21:12 ID:Iljk3yFg
それは「信長命令」説が否定されたら前者は消えるのだから
考える必要はなかろう。
だいたいその2者択一がおかしい。
信忠無能説は現在ほぼ否定されてるが、仮に信康の方が優秀で
あったとしてもだからと言って信長が殺そうとするとは
限らないではないか。
376人間七七四年:2008/02/17(日) 10:35:23 ID:KrYt7NgP
>>375
才能でなくて、徳川家が別格の外様大名にして信長の外孫(嫡子が生まれたら)という立場になるのを恐れたのでは
377人間七七四年:2008/02/17(日) 10:39:58 ID:Iljk3yFg
連投だが、人間って優秀、無能のどちらかに必ず分けられる
ものか?
どっちでもない人は現代だっているだろう。
信康がそのどちらか考えるよりも、両説の根拠を吟味して
どっちが正しいかを考えるべき。
378人間七七四年:2008/02/17(日) 10:42:11 ID:Iljk3yFg
>>376
子が生まれるのを恐れる・・・って、
だったら最初から娘を嫁にやるはずないだろ。
379人間七七四年:2008/02/17(日) 10:49:20 ID:KrYt7NgP
>>378
人間、誰にでもある後から後悔
それか単に状況が変わったから
天下統一が近くなり、上下関係整理の一環
380人間七七四年:2008/02/17(日) 10:59:42 ID:Iljk3yFg
>>379
じゃあ離縁という手もあるだろう。
言われるように信康が暴虐なら口実になる。
それが何故命まで取ろうというのかが分からない。
一つ聞くけど、あんたは通説論者か?
381人間七七四年:2008/02/17(日) 11:03:43 ID:2XCKQL81
一応表面上では信康は優秀だったとはされてる
だからそんな長男に岡崎衆が完全についてしまわない前に・・・と考えられる

で、そこでスレに返って考えると
それについて同盟者信長はというと
内政干渉になるから何も出来なかったんだろうねえ
家臣だったら信長が介入して決着を付けさせただろうけど
確か前田家の後継問題は信長が強引に決めちゃったとかいわれてなかったかな

当時、女は政治の道具だと言われてはいたが、
それでも信長としてはせっかく娘を相手の長男に輿入れしたんだから、
同盟強化のためにそこから跡継ぎを産んでほしいから
できれば口出ししたかったんだろうとは思うねえ
だって場合によってはそこからうまく行けば、あまり嫌な感じにならずに、
徳川家を事実上傘下に組み込むことができたかもしれないし・・・
382人間七七四年:2008/02/17(日) 11:07:45 ID:KrYt7NgP
>>380
ぶっちゃけどっちでもない
通説も新説も双方ともに根拠が薄い
通説で言われてることすべてが真実でも、嘘でもないと考えてる。
新説も同様

何故、こういう相反する2つの説があるかを考えているが、御用学者
の捏造というのは「三河物語」の成立過程を見ても信じがたい

そんな訳で、当初から2つの説があったとした上で、その成立過程
を考えているのが私の現状
383人間七七四年:2008/02/17(日) 11:11:09 ID:Iljk3yFg
>>381でも言われてるように、五徳が信康の男子を産めば
徳川家も織田の分家のように出来るから悪い話ではないはず。
男子を産んだら困る・・・って、じゃ平安時代の藤原摂関家は
どうなんだ?
娘を天皇の后にし、産まれた男子を天皇にして自分は外祖父と
して権力を振るったが。
男子が産まれたら困るとはどこからの発想だ?
384人間七七四年:2008/02/17(日) 11:13:10 ID:KrYt7NgP
>>383
松平忠輝と伊達政宗
385人間七七四年:2008/02/17(日) 11:17:35 ID:Iljk3yFg
では信長が、信康に男子が産まれたら困る、その前に
殺してしまおうと考えたことを裏付ける史料を
挙げてくれ。
挙げられなければ単なる歴史知らずの妄想と言われても
仕方がないぞ。
386人間七七四年:2008/02/17(日) 11:23:08 ID:KrYt7NgP
>>385
それは家康指示派の唱える「岡崎・浜松の派閥争い」を裏付ける史料を
挙げてくれ、となるぞ。
悪いけど、今ん所は思いつきで言ってるに過ぎんもんでね
387人間七七四年:2008/02/17(日) 11:30:10 ID:Iljk3yFg
思いつきか。
道理で藤原家のことなど頭にないわけだ。
言っとくが、男子が産まれたら困ると言い出したのは
あんた。よって挙証責任がある。
自分は新説派だが、何が何でもそれが正しいとは言って
ないし、史料を挙げろと言われたら「存在しない」としか
言いようがない。
対してあんたはさも根拠があるかのように「男子が産まれたら
困る」と言った。
思いつきで発言するなってことだな。
388人間七七四年:2008/02/17(日) 11:33:04 ID:KrYt7NgP
>>387
そいつは失敬
この手の話をするときは酒を入れてることが多いんで
ついついそのノリを引っ張っちまった、御免
389人間七七四年:2008/02/17(日) 12:49:42 ID:2XCKQL81
>>384
時代と家の事情でいろいろと違うでしょう
390人間七七四年:2008/02/17(日) 13:05:01 ID:2XCKQL81
信長命令説だけについては、いくらなんでも無茶すぎるってことで、ほぼ却下でいいと思うな
話としては確かにドロドロ感があって面白いけどね
嫁姑戦争も盛り込まれてるからw

あとあえて楽観論を書くと、信康のところが上手く行ってれば、
織田家の分家的な立場として、将来的にも信忠の補佐役となりえていた可能性も有る
よく言われるように、信雄・信孝が資質としてイマイチだったら、なおさらかもしれない

信長があの通り健在だったから、家康もおとなしく従ってたと思う
将来的にも織田と徳川の同化があったとしても、意外と・・・とね
時代がああなって、相手が秀吉になったから家康も「なんだあの野郎」と
391人間七七四年:2008/02/17(日) 17:13:10 ID:HVvUSX9r
信雄と信孝は今イチでも丹羽と利長が使えるみたいだし、信房とレオンもいるわな
徳川という大封を掴ませたまま、補佐になるのは厳しいと思う
むしろ信康を独立させて、徳川を二つに割るんじゃないかな
392人間七七四年:2008/02/18(月) 00:19:04 ID:RR3Ef11e
信康に今川の血が流れてた事は何か関係あるだろうか
393人間七七四年:2008/02/18(月) 00:59:27 ID:vb0PbeMh
信憑性はないだろうが信康が実子じゃないって説が好きなんだけどな
394人間七七四年:2008/02/18(月) 05:51:23 ID:FU28gzDq
>>390
無茶と言えば、「家族の処断は家父長の権限」ということで
信長命令説を否定する研究者もいる。
そう言われれば、いくら信長とて他家の嫡男を殺させるなんて
ことはできないと思う。
>>392
信長命令説では信長がそれにこだわっていたとされるが、
氏真の蹴鞠を見物したりしてるしそれはなかっただろう。
信長には今川などもう過去のものだった。
こだわっていたのは家康の方ではなかろうか。
家康がこれまで言われてきたように人質時代さんざん
いじめられたというのは嘘に近いことが分かりつつある。
その恩人である今川を裏切った家康としては、今川の血を
引いた信康を跡継ぎにはしたくない気持ちがあったのでは。
395人間七七四年:2008/02/18(月) 09:35:09 ID:lss802b8
自分を裏切った人間を再登用しちゃうぐらいの信長だから
案外今川との気持ち的な部分は吹っ切れてたのかもしれないね
家康にも似たことがいえるけど
396人間七七四年:2008/02/18(月) 11:51:43 ID:7YjtIFuI
>>394
>今川の血を 引いた信康を跡継ぎにはしたくない気持ちがあったのでは。

今川の血を引く信康を担いで、家康に弓引く不心得者が出そうだから?
397人間七七四年:2008/02/18(月) 13:07:17 ID:CnlndfIs
信康は母親と共に暮らしてたわけで、心情的には今川を
裏切った父をよく思っていなかった可能性がある。
「当代記」にも、家康の命を常に違背し・・・とある。
このまま信康に跡を継がせれば、甲斐国の名門のように
自分は追放されるかも知れない、そんな思いがあったのかも。
信康の死んだ年には、家康が生涯で最も愛したと言われる
お愛の方が後の秀忠を産んでいる。
家康としては、自分に弓引くかも知れない信康よりも、
最愛の女性が産んだ子を跡継ぎにしたいと思っても
不思議はない。
398人間七七四年:2008/02/18(月) 13:21:47 ID:CnlndfIs
補足するが、もちろんそんな理由だけで家康は息子を
処分したわけではあるまい。
「安土日記」に信康に逆心の雑説があった、つまり謀反を
企んだとあるように、信康母子が謀反を起こそうとした
のであろう。
399人間七七四年:2008/02/18(月) 18:35:16 ID:1RRkJYVA
なんにせよ、お家騒動みたいな感じで、織田家はほぼ不干渉だったということで
信長としては東の守りになる同盟者の騒動は穏便に済ませてもらいたかったはずだし
400人間七七四年:2008/02/18(月) 19:49:24 ID:L14zyOSk
家忠日記の信康追放時の記事には信康を信長と書き、その後に修正しているそうである。
http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/publication/syoho/02/syoho0002-iwazawa.pdf
原因は家康と信康の間にあるのは間違いないだろうが、切腹にまで至った要因の一つに
信長を上げるのは、完全な的外れとは言えないのではなかろうか?
401人間七七四年:2008/02/18(月) 20:00:43 ID:7YjtIFuI
>>400
pdfの19Pの記事だね。

しかし戦国当時の人の文書で、「諱」で書かれてるのを見ると違和感があるなー。
信長は主君の同盟者で、信康は主君の世継ぎだったのに。
402人間七七四年:2008/02/18(月) 21:36:45 ID:1V3icPnH
家忠日記の他の箇所では、信長を「御家門様」と呼んでいる。
実名、それも呼び捨てはないと思うのだが。
403人間七七四年:2008/02/18(月) 21:59:27 ID:L14zyOSk
>>402
天正九年十二月十八日では「信長」となっている
信康が追放される前は「御家門様」
甲州攻めから「信長様」滅亡後には「上様」
404人間七七四年:2008/02/23(土) 20:54:26 ID:4icy2nLZ
清洲会見虚構説だが、言われてみれば後の2人の天下人が
こうして会って同盟するというのは出来すぎた話に思える。
この頃信長はまだ天下など意識していなかったし、松平氏など
他の大名と別に変わるところはない。もし天下を取ったのが
浅井長政なら、家康ではなく長政が相手ということになってたの
ではなかろうか。
織田徳川同盟は20年続いたことになってるが、信長の上洛戦までは
互いに軍事的に助け合うことがなかったのも気になる。
405人間七七四年:2008/02/23(土) 22:07:50 ID:Y/PbDxCJ
>>404
弱小同士だからこそやることが幅広くなくて家臣に任せるほどではなかったとか
弱小同士だからこそ戦いに関しては助けるほど余裕が無かったとか考えられるのでは
406人間七七四年:2008/02/23(土) 22:11:07 ID:PFw+3+fz
隣国が攻めてこないだけでも充分だからな
407人間七七四年:2008/02/23(土) 22:21:15 ID:RLsxaJS1
>>404
格下のものが格上の元に出向いて挨拶。別に不思議なことじゃない。
家康の三河統一戦には、織田配下の水野氏が参加してたりするしね。
408人間七七四年:2008/02/23(土) 23:19:05 ID:zcRSIRl9
いや、虚構説の根拠として「信長公記」「三河物語」「松平記」
などの比較的信憑性が高く、成立が早い史料に記されていない
ことが挙げられている。
>不思議なことじゃない
確かに。だが2人の会見というのが2人が後に天下人となった
から、そのことを敷延して作り出した話ではないかという見方も
できる。
409人間七七四年:2008/02/23(土) 23:51:44 ID:zcRSIRl9
>>407
谷口克広氏によれば水野氏は織田配下というより
同盟者に近かったとのこと。
「永禄六年諸役人附」という史料があるが、この中では
水野信元は信長・家康とともに将軍の直臣にリストアップ
されている。
それに信元は家康の伯父だから、織田氏とは関係なく
家康を援助してもおかしくない。
410人間七七四年:2008/02/24(日) 00:25:05 ID:+27B/zn9
>>409
例えば関東の由良氏は将軍直臣だが、上杉に従属したり、北条に従属したり
直臣というだけで、対等だったというのはちょっと根拠として弱いんじゃない?
411人間七七四年:2008/02/24(日) 16:09:25 ID:7bIwB8G8
ゲームのせいで認識が画一化してるだけで
実は戦国時代ってもっと関係が複雑化してたってことはない?
それも当時としては特に不思議じゃないからいちいちそれを説明する文書もないというふうに
百科事典とか広辞苑とかwikipediaとか

確か武田軍にしても、実際は武田家当主が絶対的な力があったんじゃなくて
地域の豪族に対して何がしかの責任を持つ代わりに協力してもらう形だった
みたいな説明をどこかで読んだことがある
普通に思われてるのは、完全な臣従体系だけど
でもこれも当時はそのままの習わし?みたいな感じで普通にあの地域で行われてた関係で
後になって研究者が「武田軍はこういう形だ」と他と差別化しただけで
412人間七七四年:2008/02/24(日) 22:22:13 ID:rLAqRvyB
>>410
それはどこの誰とも分からないあんたと
谷口氏のどちらを信じるかと言う話だな。
普通なら名の知られた谷口氏を信じるが。
413人間七七四年:2008/02/25(月) 00:22:57 ID:nNkHdK3T
同盟・臣従と簡単に分けずに考えてみると
織田家から見ると、柴田とか前田とかは完全な古くからの家臣
三河辺りの浮動票とか、後の松永とかあの辺りはまた違う属し方
それと同盟的に徳川・浅井という違う形の関係があったんでは
414人間七七四年:2008/02/25(月) 00:46:14 ID:evdte5Q9
>>412
信じる信じないの問題で論じてない
Aという論拠だけでは不十分だと、疑義を呈してるだけ
権威にすがりつくことしかできないほど無能じゃないでしょ、あんた
415人間七七四年:2008/02/25(月) 03:10:18 ID:KhOXJYFV
権威っつーか…谷口氏の功績は認めるけど、でも彼武功夜話を無批判に取り入れたり、
史料の一部を部分的に取り上げて強引な結論に導いたり、いろいろとアレなこともして
いる人だしねえ。
416人間七七四年:2008/02/25(月) 20:13:06 ID:Or8a7Y3M
>>415
最近は谷口氏も武功に距離置いてるし、まあ良いんじゃね。
417人間七七四年:2008/02/25(月) 21:20:24 ID:evdte5Q9
>>415
いっかいのネラーと研究者を権威で比較すれば、それは>>412の言うとおり
重要なのは、権威でも、過去にどんな見解を持っていたかでもなく、該当する議論にどんな説明をするか
418人間七七四年:2008/02/26(火) 21:59:52 ID:Taj6UFUE
谷口氏は権威などと呼べるものではなかろう。
元中学教師、今の肩書は「戦国史研究家」だ。
そういうことではなくどんな業績があるかで
判断すべき。
419人間七七四年:2008/02/26(火) 23:59:26 ID:e0EL9kG7
そうでなくても由良と同じなら十分配下でなかったといっていいだろう
420人間七七四年:2008/03/19(水) 09:53:01 ID:E/666etQ
まあ、吉良家(といっても、三河ではなく世田谷の方)も、北条家と同盟関係の家とされているが、
実質的には家臣は、北条の直臣化していたし、家督も今川傍系が養子に入って継ぐ有様だった。
だが、吉良家は名門として一定の尊敬を得ており、北条家もかなり大事に扱っていた。

同盟や家臣関係なんて、その時の都合や慣例で大きく変わるものだからな。
徳川だって、織田の形式上臣下になっていないのは間違いないが、織田政権の協力者には違いなかった。

今風に言えば、日本とアメリカは別の国だが、日本はアメリカの世界秩序維持の協力者には違いない。
そんなに隊等ともいえない関係だが、同盟国だと普通に言ってるよな?

こんな感じなんじゃなかったのか。
421人間七七四年:2008/03/20(木) 12:42:48 ID:Z9AUVzCo
織田・徳川のアメリカ・日本例は上にも出てたよ
実際それに近いと思う
422人間七七四年:2008/03/20(木) 14:25:32 ID:hzFoEZSt
平野明夫氏って、業績はすごいの?
423人間七七四年:2008/03/20(木) 18:01:51 ID:v20E2cn8
まあでも水野氏は中途半端な立場ではあったんだよ。
国人衆として典型的なかんじ。
本能寺の変までは織田傘下っぽいけど信元は兄弟がたくさん居たせいか
徳川に出仕している者も居た。
織田徳川両氏から適正化を強制執行されたのは必然だったんだと思う。
424人間七七四年:2008/03/23(日) 18:37:35 ID:mfC5feME
国人衆レベルとは言いがたい例だと、三好なんかもあるか?
一族内で内紛やりたい放題だったこともあって、一族によってライバル同士を君主にするなんてことが日常茶飯事。
一族が一致団結して行動していたのなんて、長慶死後から義輝暗殺にかけてぐらい。
同じ三好一族と言いながら、利害関係で集合離散を繰り返していた。
大阪の陣ですら、兄弟で東と西に別れていたし。
425人間七七四年:2008/05/15(木) 14:52:31 ID:ccZ5qjjP
 
426人間七七四年:2008/07/16(水) 19:16:50 ID:uoCEH6po
4ヶ月近く前のレスに突っ込みもアレだが、
大坂の陣に西も東もねーだろw
427人間七七四年:2008/08/02(土) 19:36:02 ID:KWbdR4fo
ある本を見てなるほどと思ったが、武田家滅亡のときに、
もしかしすると徳川家が織田家に臣従したってことはないかな
又は臣従では無いが自治権は任されたままでの従属化が強化されたと
ほぼ直後ぐらいに本能寺が起きちゃったからその辺は不確定のままで
他でもそうだけど臣従したからって文書でそれが決められるわけじゃないよね
下の当主が上の当主のところに出かけていって、とかだよね
現実的にも、徳川の東は北条だけど、その北条も織田に対しては
もう臣従の方向だったと思った
これだと徳川が広げられる場所が無いわけだし
信長がいればこそ家康も傘下に入ってもいいと考えたはず
とてもじゃないが対抗できる力関係ではなかったし
428人間七七四年:2008/08/19(火) 18:17:02 ID:rQH2hznU
必死こいて生きてたら天下が転がり込んできたというのが
俺の家康イメージ

秀吉もそうだけど、もともと天下取る気はなかったんじゃないかな?

徳川安泰なら俺は別にいーやみたいな
それが、なんかチャンス舞い込んできたからやってみるか・・・とか
429人間七七四年:2008/08/19(火) 18:57:07 ID:RIfGHjEx
それはすでに推測されているな
430人間七七四年:2008/08/21(木) 07:05:44 ID:f6hTsHWJ
>>428
松平竹千代 13歳 駿府

「嫌いな奴らが先に逝くまで精々長生きしてみるかな、松平家は爺さんに親父に短命だったが・・・」

義元ぱたり
信玄ぱたり
信長ぱたり
秀吉ぱたり
利家ぱたり

徳川家康 73歳 駿府

「・・・長生きはしてみるもんだな。ミエミエの謀略に引っかかって暴発するようなバカしかおらんとは楽じゃのう。
 貴殿らが一人でも生きて敵に回っていたらこうも楽にはならなんだろうが・・・」
431人間七七四年:2008/11/03(月) 16:41:38 ID:fWtEixcP
家康一人で、祖父、親父、嫡子の年齢を足したよりも、長生きだもんなw
432人間七七四年:2008/11/30(日) 21:08:15 ID:vUvU/7+J
アメリカと日本の関係ぽい
433人間七七四年:2008/12/01(月) 12:03:59 ID:+d7KpX7y
>>430
>>431
爺さんの爺さんも長生きだったらしい上に北条早雲とやりあった古強者
434人間七七四年:2008/12/01(月) 15:16:38 ID:apuouVvq
家康の長寿は母方の遺伝かと思ってた
435人間七七四年
>>434
ざっと清康以前の関係者列記してみた
松平信忠45歳(清康父)
松平長親72歳(清康の祖父:家康誕生時点でも生存)
松平親忠71歳(長親父)
存牛79歳(長親弟:坊主)
松平乗元91歳(長親兄:分家)
松平親長79歳(長親兄:分家)

松平は長生きの家系っぽいね
(清康・広忠は暗殺されたということなので享年計算してない)