津軽為信知ってるかい?しらんだろ?

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376人間七七四年
>>370>>371
永禄12年には浪岡北畠の権威で愛季は南部弥左衛門を上洛させ山科言継とわたりをつけてる。
天正2年には南部弥左衛門を使者にして信長へ馬や鷹を贈り
天正4年には信長から名刀をもらい、その返書とともにラッコの皮を贈っている。
その返書には「ナオ羽柴筑前守上聞ニ達スベク候」とある。

天正5年朝廷では安東の先祖が反逆したとした意見を信長が抑えてくれての従五位下に任官。
そのお礼に南部宮内少輔=南部弥左衛門か?が安土城へ鷹をもって来着。
天正7年には信長公記に、奥羽の諸将から続々と贈られる献上品の使者への接待役が南部宮内少輔に任されていると記される。

秀吉の尽力もあり安東はかなり織田政権から気にいられている。

湊合戦で負けた側の通季らは南部信直の元へ逃亡したらしく、
南部側は自分の息がかった通季側の敵の実季の讒言をしまくって秀吉を惑わしてるからね。
そこで大坂への使者に選ばれたのが南部弥左衛門(湊宮内少輔介)と湊右近(北畠慶好)のふたり。
南部弥左衛門は秀吉とは親しかったはずだからうまくやったんだろうね。
実季はまだ16歳でなんにもできんだろうし。
もちろん上杉などの尽力もあるだろうが
特に威力を発揮したのは愛季が遺してくれた南部弥左衛門であるだろうし
愛季の中央工作が安東を救ったってことだろう。