武功夜話は偽書?

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931人間七七四年:2013/11/15(金) 12:22:46.43 ID:Gg/woPzI
とりあえず図書館で『愛知県史のしおり』を読んできたが、
2011年3月の「資料編13 豊織3」の附録には武功夜話については何も書いてない。

『愛知県史 資料編13 豊織3』の本編には、武功夜話の内、
秀次事件関係の一点だけが収録されている。解説記事が二つあり

「解説 採用した史料について」からの抜粋
<県内に所蔵されている史料のうち、江南市の吉田家に伝来する『武功夜話』については、
その評価をめぐって多くの議論を呼び、県民の皆様からも関心が寄せられていた。
我々は、一切の予断を排して原史料を調査し、それに基づいて判断したいと願っていた。
二〇〇八年八月にそれが実現し、三日間にわたって調査のうえ、写真にも収めることができた。>

「特集 秀次事件」からの抜粋
<また、「武功夜話」は、尾張出身の武士前野長康家の記録として伝わる家記である。
同史料については、真偽論争がなされているが、
愛知県下に残る秀次事件で処刑された家の記録として掲載することとした。
「武功夜話」は、二一巻本・三巻本など諸本が数種類存在するが、
その中で比較的古いと思われ、秀次事件を記すものを掲載した。
表紙に「慶長丁未(十二年)十月廿一日 達禅控」と記載されるが、
内容的に後年に編纂されたものと思われる。
しかし、他の記録などに見えない詳細な内容から元になった史料の存在の可能性もあり、
今後さらなる検討が必要である。>
932人間七七四年:2013/11/15(金) 12:25:36.21 ID:Gg/woPzI
ついでに『愛知県史のしおり』の中で、武功夜話について書いてあったのは、
2009年3月の「資料編10 中世3」附録のもので、
黒田日出男氏寄稿の「戦国史研究は編著史料にとりくむべきだ」
該当箇所を引用すると

<幸いにも、愛知県史が避けて通るわけにはいかない周知の対象がある。
それは『武功夜話』・前野家文書である。一部には、近代になってからの
偽書だとする論者もあるが、そうではあるまい。私は原本を見ていないが、
吉田蒼生雄訳注『武功夜話』四巻+補巻(新人物往来社、一九八七〜八八年)
の第一巻・第二巻には、幸いにも口絵として『武功夜話』本文の写真が数葉
載せられている。それらを拡大コピーすれば読めるし、書体・書風も判る。
江戸時代後期ないし末期のものであると判断出来たのである。
また、『武功夜話』の訳と写真を比較すると随分違っており、
新人物往来社刊の『武功夜話』四巻+補巻は、そのままでは史料としては
利用できないとの判断も得られた。原本を実見された三鬼清一郎氏や
小和田哲男氏の初見に賛成する所以である。
 要するに、『武功夜話』・前野家文書は、その全てが撮影されて公開されることが、
その史料的性格や活用可能性を論ずるための大前提・第一歩なのである。
それまでは、無駄な議論をする必要はない。
 ところで、愛知県史の織豊部会は、『武功夜話』・前野家文書を調査される意向で、
所蔵者との交渉をはじめられたと仄聞する。また、中世史部会と織豊部会との合同で、
『資料編14』を一冊編むことになっている(『資料編11』の解説)。
とすれば、恐らくその調査の成果は、その一冊に示されることだろう。
どのような解明と活用がなされるのか、戦国・織豊期編著史料の研究者の一人として、
鶴首して待ちたいと思う。>
933人間七七四年:2013/11/15(金) 12:28:23.18 ID:Gg/woPzI
つまり現時点で愛知県史編さん室の判断は不明だが、
前野家に直接関係のある秀次事件の関連だけは、
ある程度伝承が信頼できるかも知れないとして資料編に採用している。

何れにせよ愛知県史編さん室が原本のコピー(全部か一部かは不明だけど)を作成したのは2008年だし、
比較的古い部分についても江戸時代後期以降に書かれたものであることは前提になっている。
愛知県史編さん室はその研究成果を公表していないし、原本もコピーも
現状では一般公開されていない。


ちなみに『資料編14 中世・織豊』は第16回配本に含まれることが1週間前の2013年11月7日付でアナウンスされている。
そこでも武功夜話についてどれだけ議論されるか不明だけど、
今よりも多少は状況はマシになるかも知れない。
http://www.pref.aichi.jp/0000064997.html
934人間七七四年:2013/11/15(金) 17:51:48.71 ID:PZf8rkpc
>>932
訂正すまん。

>>原本もコピーも現状では一般公開されていない
について言えば少なくとも一般に全く公開されていない訳では無く、
5年ほど前から都内の吉田氏の関係するビルで誰に対しても
広くコピーの公開(展示)をしていた
(現在もしているかは知らないが、場所は荒らすバカがいるかもしれない
から記載はしないが、出版社なりに問い合わせればわかると思う)
935人間七七四年:2013/11/16(土) 04:31:14.49 ID:bwWaVaxx
>広くコピーの公開(展示)をしていた

あくまでも「コピー」であって原本ではない、というわけね。
936人間七七四年:2013/11/16(土) 15:29:44.04 ID:G+0ytFSx
>>934
出版社って新人物往来社を吸収した中経出版?

とりあえず、ググっても、具体的にどの日時にどの場所で公開されたかの情報が出て来ないけど?
937人間七七四年:2013/11/16(土) 17:15:21.10 ID:ahXTMDnP
>>936
「公開」とは言えそうもないね。
938人間七七四年:2013/11/19(火) 22:17:18.67 ID:7uI5th7v
一次資料に当たるところまでは到底できないけど歴史には一定の感心がある人間からすれば

>>新人物往来社刊の『武功夜話』四巻+補巻は、そのままでは史料としては利用できないとの判断も得られた。

という部分で既に超迷惑だよね。
利用できないのに利用して学術本書いたりする奴も責任とれや。
939人間七七四年:2013/11/20(水) 17:37:00.10 ID:WnyHmsPx
原文だと前野家が悪党だとバレちゃうような内容が書かれているのかもな。
940人間七七四年:2013/11/20(水) 18:27:33.19 ID:FYQzJHj1
>>936

>>36に書いてある。
941人間七七四年:2013/11/20(水) 21:14:50.45 ID:2S4EHa/t
ネットの無かった時代ならともかく
今さら不審人物往来社の本買うやつとかただの馬鹿だろ
942人間七七四年:2013/11/21(木) 00:26:03.48 ID:1OxOqcAm
つまりここに問い合わせればいいのか?

http://www.mic1978.com/concept/index.html
943人間七七四年:2013/11/21(木) 00:53:04.06 ID:FwAxvSX0
>>941
正式名称をはじめて知った。
944人間七七四年:2013/11/21(木) 12:56:22.56 ID:SOI4h1Rl
過去に出た武功夜話の翻訳っぽいものって、何か5つぐらいあるんだけど:
(1) 『武功夜話:前野家文書』第1巻、第2巻、第3巻、第4巻
吉田孫四郎雄?編纂, 吉田蒼生雄訳注, 新人物往来社, 1987年
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BN00999139
(2) 『千代女書留:前野家文書』補巻
吉田孫四郎雄?編纂, 吉田蒼生雄訳注, 新人物往来社, 1988年
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BN02254843
(3) 『武功夜話:【現代語訳】前野家文書』信長編, 秀吉編
加来耕三訳, 新人物往来社, 1991年
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BN07244246
(4) 『『武功夜話』研究と三巻本 翻刻』
松浦武, 松浦由起著, 桜楓社, 1995年
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BN12022560
(5) 『武功夜話 : 研究と二十一巻本翻刻』
松浦武, 武功夜話研究会編, 武功夜話研究会, ブックショップマイタウン(発売)
2008年-2009年
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BB09016394

で、最新に出た『武功夜話 : 研究と二十一巻本翻刻』でググると

http://www.mytown-nagoya.com/booklist/shosai/kyodoshi2/bukouyawa.html
>同氏の研究によると、活字化された21巻本は1巻から6巻までと、
>7巻以降とでは書かれた時代が異なっているとのことである。
>松浦さんは1巻から6巻までを昭和7年以降に成立したものと断定、
>“全訳”を差し引いたとしても研究対象とするにはあまりにも危ない、とされている。

結局のところ吉田氏と親交のある松浦氏自身も、
ある程度捏造が混じっていることを認めてるってこと?

>今回は二十一巻本の中の巻一と巻二を翻刻。以降巻六までの出版を目指してます。

ってことは、昭和7年以降に成立した分しか出版しないんで意味ないように見えるんだけど?
945人間七七四年:2013/11/21(木) 15:54:27.55 ID:SOI4h1Rl
>>944
図書館で中身を確認して来たが、別に(1),(2),(4),(5)は現代語訳では無かった
(1), (2)は一部読み下し文に変えたものだが、後半は漢文をそのまま活字化してたりするし、
専門家が活字化したものではない
(3)の中身は確認してないが、多分(1),(2)から秀吉・信長関連を現代語訳したもの
(4), (5)は松浦武氏が極力原文を活字化したもの

それぞれの中身をまとめると:

(1)『武功夜話:前野家文書』(2)『千代女書留:前野家文書』
第一巻:二十一巻本「武功夜話」(A本、B本)の内1〜7巻を収録
第二巻:二十一巻本「武功夜話」(B本)の内8〜14巻を収録
第三巻:二十一巻本「武功夜話」(B本)の内15〜21巻を収録
第四巻:前野家文書の内「永禄州俣記」「尾州丹羽郡前野村御検地帳」「家伝記」等々を収録
補巻:前野家文書の内八巻本「先祖武功夜話拾遺」(C本)を収録
(4) 『『武功夜話』研究と三巻本 翻刻』 :三巻本「武功夜話」(I本)を収録
(5) 『武功夜話 : 研究と二十一巻本翻刻』
一:二十一巻本「武功夜話」(B本)の内、1〜2巻を収録
二:二十一巻本「武功夜話」(B本)の内、3〜4巻を収録
三:二十一巻本「武功夜話」(B本)の内、4〜5巻を収録

松浦武によると、(1)で出版された『武功夜話』は二十一巻本そのままではなく、
最初の六巻を昭和7年以降に成立した別の六巻(A本)に差し替えて出版していた

そこで本来の二十一巻本の中身である1巻〜6巻(B本)を改めて出版したというのが(5)の中身

なお(5)三の編集後記によると、論文中で「昭和7年以降に成立した」と書いてしまったことが、
第三者によって告げ口的に吉田氏に伝わったため、今は吉田氏との関係が良好ではないらしい
946人間七七四年:2013/11/21(木) 16:01:50.88 ID:SOI4h1Rl
松浦武によると、最も古いのが(4)で翻刻した三巻本(I本)で、18世紀頃成立、
20代目前野(吉田)半平次雄行(1782年死)の筆と推定

次に古いのが二十一巻本(B本)と八巻本(C本、(2)の『先祖武功夜話拾遺』)で、
19世紀中頃の成立で、23代目前野(吉田)文左衛門正勝(1851年死)の筆と推定

三巻五冊本(C本)はもっと新しく、
(1)の冒頭に使われた六巻本(A本)と下書武功夜話ともいうべき写本(H本)は昭和の成立

なお松浦武氏は(4)を出版した頃は『武功夜話』のことを「文学的に優れている」と絶賛していた過去がある
(5)では「わたしはこの写本(A本)に、今深い関心を持たない」としか書いてないし、
偽書ではないと一生懸命繰り返しているけど、何か責任逃れというか、
文献を貸してもらった吉田家に角が立たないのような言い回しが目立つ

松浦武氏のスタンスとしては、二十一巻B本、八巻本C本、三巻本I本がある信用のできる内容となるけど、
時系列を見ると先祖の業績をまとめたという三巻本I本の中身を、
幕末にさらに肉付けして二十一巻本B本、八巻本C本を造り上げ、
さらに昭和に入って子孫が面白い逸話をいくつも盛り込んだ、
文学的に優れている冒頭六巻本A本を作ったという感じにみえる

とりあえず、成立期の最も古い、(4)に収録されている三巻本(I本)以外は信用しない方がいい
というか、別に江戸時代以前の古文書といっても写本が大部分で、幕末に成立したからといって偽書と呼ぶのは
間違っているという建て前は正しいんだけど、基本この前田・吉田家自体が先祖代々胡散臭いんで、
I本だって中身を信用しない方がいいかも知れない

>>931の『愛知県史 資料編13』も、収録されている逸話の内、
「慶長」等の年号は後から入れられていると指摘されているし、
(1)に収録されている検地帳も、江戸時代中頃か幕末の頃のものに、
後から先祖代々を強調するために慶長の年号を入れただけのように見える
I本の場合、やたらと寛永10年に拘った執筆が目立つと松浦武氏に指摘されていて、
これは前野家が先祖の転機として寛永10年を重視したからだろうと推定している
947人間七七四年:2013/11/21(木) 16:14:25.08 ID:SOI4h1Rl
>>932
とりあえず黒田日出男氏は、

<吉田蒼生雄訳注『武功夜話』四巻+補巻(新人物往来社、一九八七〜八八年)
の第一巻・第二巻には、幸いにも口絵として『武功夜話』本文の写真が数葉
載せられている。それらを拡大コピーすれば読めるし、書体・書風も判る。
江戸時代後期ないし末期のものであると判断出来たのである。 >

と書いているけど、実際には一巻に載っている写真はA本で昭和期成立、
二巻に載っている写真はB本で、江戸時代後期・幕末成立、と推定される

また三巻本I本は文芸的に劣り、かなり誤りも多く杜撰だけど、生々しい描写があるんで
信用できるみたいな評価を松浦武氏は書いているんだけど((4)を出版した1995年の段階)、
(5)の出版の段階(2008年)では「単に歴史書としてだけ読んではならない」と一歩引き、
やたらB本・C本の作者の秀逸ばかりを強調するようになっている
948人間七七四年:2013/11/21(木) 17:43:30.62 ID:fwuJZOBa
>>944
>>今回は二十一巻本の中の巻一と巻二を翻刻。以降巻六までの出版を目指してます。
>ってことは、昭和7年以降に成立した分しか出版しないんで意味ないように見えるんだけど?

往来社から出版された武功夜話(二十一巻本)のうちの一〜六が別の武功夜話(昭和7年以降の写本?)
から持ってきたもので
『武功夜話 : 研究と二十一巻本翻刻』の方は往来社版で省かれた二十一巻本のうちの一〜六を
あらためて翻刻したってことだろうから江戸期?のってことでは?
949人間七七四年:2013/11/21(木) 20:36:40.53 ID:yTDd6fpj
こうやって少しずつ解明されつつあるのは喜ばしい

しかし結局吉田家側に不名誉なことが公になるから、
物分りの良い当主に代替わりするまで全容解明は無理か
950人間七七四年:2013/11/21(木) 20:54:18.98 ID:SOI4h1Rl
>>948
>>944を書いた後に、図書館で出版物を見てきてまとめた結果が>>945-947で、
2008年に出版された(5)『武功夜話 : 研究と二十一巻本翻刻』は、
「本来の」二十一巻本の最初の6巻だった。

というか、1995年の松浦武氏の(4)『『武功夜話』研究と三巻本 翻刻』には、
二十一巻本本来の最初の6巻の存在について何も書かれておらず、
おそらく吉田蒼生雄氏は研究者の松浦武氏にも嘘をついていたと思われる。
2008年出版の松浦武氏の(5)『武功夜話 : 研究と二十一巻本翻刻』によると

<二十一巻本『武功夜話』として活字化されている武功夜話の、
巻一・二・三・四・五・六が、二十一巻のそれでなく、
別の写本であることを知ったとき、日本文学の研究者として、わたしは衝撃をうけた。>
2002年の『偽書『武功夜話』の研究』の出版により、
初めて本来の1〜6巻の存在が判ったわけで、むしろ偽書との指摘が
非常に重要であったといえる。

<吉田さんは嘗て二十一巻本『武功夜話』を出版するために解読の原稿を作られた。
巻一〜巻六も、二十一巻本のそれである。ところが、いざ出版に当り、
別筆の写本のほうがおもしろいというので、その写本(A本)を解読して
二十一巻本の文章と交換された。
「主人は二十一巻本の巻一〜巻六を償却しようとしたので、
わたしが止めて保存している」と、奥さんがおっしゃった。
上野の吉田邸での話である。その原稿をわたしはコピーして所持していた。>

ということは、吉田氏が告白したというより、妻がばらしたから判ったことで、
しかもどうもこの2008年の本の出版は、吉田氏の許可を取ってないのかも知れない。
951人間七七四年:2013/11/21(木) 20:59:51.16 ID:yTDd6fpj
最も古い三巻本でさえ18世紀成立なら、
史料価値としてはありふれた家記や軍記程度だな
書状の写しなんかがあると意味あるのかもしれんが
952人間七七四年:2013/11/21(木) 21:11:49.81 ID:SOI4h1Rl
読み返したら>>946の中ほどの文章が意味不明になっていた

「松浦武氏としては、二十一巻B本、八巻本C本、三巻本I本が
ある程度信用のできる内容と考えているみたいだけど、
時系列を見る限りは、先祖の業績をまとめたという三巻本I本の中身を、
幕末にさらに肉付けして二十一巻本B本、八巻本C本を造り上げ、
さらに昭和に入って子孫が面白い逸話をいくつも盛り込んだ、
文学的に優れている冒頭六巻本A本を作ったという感じにみえる」

に訂正

そういえば2008年から2009年にかけて松浦武氏が出版した三冊の
『武功夜話 : 研究と二十一巻本翻刻』は、
このスレが立った後に出版されたものだったけど、
誰もこの出版物の中身について触れてなかったな

松浦武氏はいわゆる真書派だと思ってたけど、
2008年〜2009年の出版物を読み直したら、
奥歯に物が挟まったような言いようになっていた
953人間七七四年:2013/11/21(木) 21:32:57.75 ID:fwuJZOBa
乙乙

何というか写本?が色々あって混乱する
瀧氏の昔の本だと三巻本五巻本二十一巻本があると書いてあったけど
他にも存在してるっぽいし

愛知県史編さん室の調査って前野家文書の全体像まで踏み込んで
行われてるんだろうか
954人間七七四年:2013/11/21(木) 22:27:17.88 ID:G8mrhTG8
松浦氏は郷土史か何かの集まりで6巻部分はもとの原本の劣化が激しく
昭和に入って転写されたものだろうと話してたよ
955人間七七四年:2013/11/21(木) 22:37:26.14 ID:G8mrhTG8
>>949
それは少し違うな(笑
頑固だったのは出版当時の所有者だった蒼生雄のお兄さん
出版反対派だったお兄さんが亡くなられたから、近年史料が公開がされたり
翻刻本が出版されるようになったんだよ
956人間七七四年:2013/11/21(木) 22:40:45.63 ID:vkPHxv55
>>954
ところがその6巻部分は、他の15巻部分と同時に
書かれた写本(B本)があり、それが2008年に出版された分なんだよ

吉田氏はそのことを松浦氏に伝えてなかった
>>950
957人間七七四年:2013/11/21(木) 22:48:46.92 ID:G8mrhTG8
954は6巻部分が複数ある経緯の話ですよ
958人間七七四年:2013/11/26(火) 16:42:58.16 ID:dj7DnvhE
>>954
>>957
そりゃ松浦氏は史料提供者を怒らせないようにそう言っているのかも知れないがな

昭和29年成立の富加とは別に、昭和7年成立の地名である浄心町が書かれていることから、
A写本が成立したのは昭和7年以降だとする論文を出したら、
それが原因で吉田氏と険悪になっているらしいし

ところで改めて新人物往来社の『武功夜話』1巻と2巻に含まれている
写真をよく読んでみたら、>>947に間違ったことを書いてたことに気付いた。

新人物往来社の『武功夜話』の1巻に載せていた1巻冒頭部分の写真は、
本書に収録された昭和期成立の六巻本(A本)ではなくて、
2008年に松浦武が出版した、江戸後期成立の二十一巻本(B本)の冒頭部分だった

つまり新人物往来社の『武功夜話』は、江戸後期に書かれた
B本の方の写真を複数入れておきながら、冒頭部分の6巻までは、
昭和期に書かれたA本に差し替えて出版したことになり、
当然1巻冒頭の写真と本の中の1巻冒頭の中身が全く異なることになる

例の合成地名の話もこの昭和期に書かれたA本に含まれるわけで、
しかも最初の6巻については出版の時の印刷に使ったB本が別に存在することを
松浦氏にも伝えてなかったんだからタチが悪い
959人間七七四年:2013/11/26(火) 16:52:00.68 ID:dj7DnvhE
なお1995年の松浦氏のI本の出版の段階では、まだ吉田氏に全容を見せてもらったわけではないらしく、
二十一巻本がA本、B本の二重状態になっていることについては何も書いてない


2008年のB本の出版の段階で、写本をA本〜I本(>>946 E本、G本は不完全)に分類していて、
丸まって読めない状態の写本だとか、他の写本の存在をもう記述してない

まあこれで更に「新たな写本」なんて言い出すかも知れないが・・・


あと、黒田日出男氏>>932
>また、『武功夜話』の訳と写真を比較すると随分違っており、
という意見はともかくとして、
新人物往来社の本は現代語訳だから、現代の言いまわしがあるからといって変だと議論するのは的外れだという意見があるみたいだけど、
新人物往来社本に収録されているのは、あくまでも書き下し文であって、現代語訳ではない

書き下し文で現代語を入れて意訳したなら、それは捏造といっていいし、
昭和に写本を作る段階で現代語や現代地名を入れたんだとしたら、それは写本じゃなくて創作と言っていい
960人間七七四年:2013/11/26(火) 21:46:09.72 ID:SdlBBbGA
写本作成の際、地名を作成当時のものに書き換えたってあんた…w
全ての地名が書き換えられているんならまだしもねえ。
961人間七七四年:2013/11/26(火) 22:21:45.75 ID:6Fstcf1a
書き換えたっていうより話作って挿入した可能性を危惧してるんじゃないの?

というか
『武功夜話 : 研究と二十一巻本翻刻』
↑これの3巻部分に富加の箇所含まれてるんじゃないの?
これが往来社のとは別の一応江戸末期のって言われてる奴なんでしょ?
962人間七七四年:2013/11/26(火) 22:47:01.96 ID:Geh375a+
>>961
基本内容も大体別物だしw
963人間七七四年:2013/11/26(火) 23:19:58.74 ID:LzbQj+m1
そもそも2005年の原本調査って、
全部についてやったのかね?

都合の悪い写本を見せなかったんじゃない?
964人間七七四年:2013/11/26(火) 23:48:52.96 ID:rGsWkNvA
偽書じゃなくて、種本はあったのかもしれないが、後世の人が写すときにどんどんもっていったので、
何が本当で、何がいつ頃作られた話かわからない、ってことかね?
965人間七七四年:2013/11/26(火) 23:58:04.84 ID:6Fstcf1a
>>962
それって往来社の一〜六と翻刻の一〜六で内容が全然違うってこと?
966人間七七四年:2013/11/27(水) 00:55:01.79 ID:FGX/oV+e
>>965
冒頭部分の言い回しなどはほぼ同じ
ただ+αの内容が加わっていて、文学的により優れた感じに仕上がっているみたい

>>961
富加という地名が登場するのは、新人物往来社本版武功夜話の三巻の
「織田上総介信長様、猿啄、堂洞、鏡野陣の事、永禄甲子年、御帝より勅使賜る事」
の部分でいいのかな?

時間があれば図書館で見比べてみる
967人間七七四年:2013/11/27(水) 13:30:33.61 ID:Ew3m2Caj
翻刻版の3巻を読んだが、こちらでも「富加」という地名が載っている(II巻14頁上段)。

爰ニ織田上総介信長様、猿啄を取抱へ、加治田佐藤右近二
郎道案仕り、蜂屋村岸勘解由之取出、洞之内堂洞と云ふ処
丹羽五郎左衛門殿御先手責懸候、勘解由左衛門、犬山十郎左衛門
殿縁者之者に候、名高武篇者に候也、手強く楯籠手向
候、此洞内津保之川を挟ミ谷合ニ候、富加と云ふ処ヨリ道一筋ニ
候、節所に候も尾張勢竹束を担ひ押し上げ惣構打破候
取詰候、勘解由左衛門、無念遣方なく腹切相果て候、

なお文章の順番や内容、言いまわしは、新人物往来社版とは大分異なる
全般的に、新人物往来社版の方は、翻刻版の文章の倍のサイズがある

一応松浦氏の解説も載っていて

「なお右『武功夜話』の文中に≪富加≫という地名が出て来るが、
これは今日の富加町ではない。<富岡>のことであろう。
≪加治田・蜂屋≫と並列する並べ方からすると、富岡のことであると思う。
<TOMIOKAがなぜTOMIKAになるか>というと、日本語では母音が連続する
場合、しばしば一方の母音を省略して発音する通性があるからである。
母音「O」をとばして発音していたのであろう。」

という解釈となっている。
968人間七七四年:2013/11/27(水) 13:35:31.21 ID:Ew3m2Caj
いずれにせよ、松浦氏も冒頭六巻のA本に関しては、
「浄心町」という地名が載っていることから昭和7年以降の写本と考えるに至り、
筆跡が同じA本とH本は昭和の写本と推定している

なお武功夜話はどれも寛永10年(1633年)〜11年(1634年)に書かれたことに
なっているが、一番言葉使いが古く18世紀の写本と推定しているI本(三巻本)は、
文章中に寛永18年の話が出来たりしており、松浦氏によると筆者が先祖の起点として
寛永10年前後に拘ったからだろうとしている

江戸時代後期に写本が作成されたと推定される二十一巻本B本は、
三巻本I本に比べて大幅に内容が増えているんだけど一部I本にしかない内容もある
武功夜話全体では、大体コピー用紙1万枚ぐらいの内容があるが、
二十一巻本B本・八巻本C本という膨大な量を一人で書き写した人が、
なんでもっと分量の少ないI本については写本を作り直さなかったのかとか、
なんで新しく作成された写本ほど、内容が増えてるんだとか、
なんで昭和に作られた写本もあるんだとか(B本とA本の比較でも内容が増えてる)、
とにかく胡散臭い

松浦氏も日本史の専門家だけど、別に筆跡鑑定の専門家じゃない

松浦氏や他の古文書の研究者も、一応二十一巻本B本と八巻本C本は同じ筆跡で、
江戸時代後期の写本と推定しているようだけど、A本・H本に関しても、
これまで誰もが江戸時代後期の写本と推定していたようだし、
本当の筆跡鑑定の専門家に鑑定してもらうか、紙の材質の分析でもしてくれない限り、
これだけチョンボをやらかしている一族の古文書は信用できない
969人間七七四年:2013/11/27(水) 19:36:02.01 ID:ATluDPhQ
先祖代々の労作なのかw
970人間七七四年:2013/11/28(木) 16:15:42.35 ID:CdMTYGB0
まあそういう事になる
ご苦労なこった
971人間七七四年:2013/11/28(木) 17:26:39.22 ID:p/BPG2m8
そのため、後の時代のものも苦労する。
968さんはじめ、ややこしい分析、本当に乙です。
972人間七七四年:2013/12/05(木) 19:43:04.93 ID:ScK/oIaE
それで武功肯定派の人どこに行きました。
973人間七七四年:2013/12/14(土) 14:32:50.46 ID:a0omy3jH
>>972
本能寺の変朝廷黒幕説に拘ってる
974人間七七四年:2013/12/16(月) 19:30:19.61 ID:dYruvIvH
このスレもやっと終わろうとしています。肯定派の人たち頑張って出てきなさい。
975人間七七四年:2013/12/16(月) 23:13:49.32 ID:L84f708r
タイムマシンで戦国時代か江戸時代に行って、富加がどこかに見つからないかと調査中のようです。
976人間七七四年:2013/12/21(土) 20:57:44.65 ID:YMxNUIyf
肯定派の人たち、年内には一度でてきて年末のあいさつを交わすのが礼儀というものです。
977人間七七四年:2014/01/04(土) 23:04:04.22 ID:s5dOZQjo
このスレ7年かかっているんだ。早いとこ終わらせよう。
978人間七七四年:2014/01/05(日) 03:11:02.55 ID:JIzN2rP6
>>977
どなたか、総括的なまとめをお願い。

肯定派の人たちは、年末年始もお見えにならなかった。
残念ながらw肯定派の人たちを無視するほかない。
979人間七七四年:2014/01/08(水) 23:18:22.85 ID:vCa+phqS
「信長、秀吉の時代が変わる」と宣伝され、朝日新聞?に大々的に記事が出たときは衝撃を受けた。
自分の様な素人には、本当に「信長、秀吉の時代が変わった」のか、そこをが何より気になる。
生駒家での信長、吉乃? 秀吉などの話は史実なのかどうか、など。
このスレを見ていても、(理解できない難しい論議もあるが)肯定派の人たちに説得力があるとは感じないのだが
肯定派の人は、信長、秀吉の時代が変わったと今でも思っているのだろうか?
980人間七七四年
公開しないから偽書確定になったんだ。