254 :
人間七七四年:
日本歴史八月号。
まとめると、「鈴木たちは原本をみていない、自分は原本を見て江戸末期と確信。
これは家伝史料としてみるべき」となっている。
当然、ヒソヒソ話とか内容には触れてない。
これって、非常に危険な手法で、紙、墨、書式、書体がいくら
当時のものでもそんなのはいくらでも偽造できる。
「なんのために?」という質問も危険で、そういうことから真贋を
判断すべきではない。
矢印とか昭和の地名とかそういう内容について小和田がどういう
解答をしているのかは知らないが、偽書ではない、と断言されるのには
少し早いとは思う。