1 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:
2 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 18:44:09 ID:sAGdyM16
長野業正と業盛には随分と年齢差がありますね
息子が中々出来なかったんでしょうね
その代わり娘はたくさんいるみたいですが
剣豪・上泉信綱を客将として遇した凄い人。
箕輪城関係の武将って、すごい人が多いよね。
長野業正・業盛父子
藤井友忠(長野家家老。箕輪城攻防戦の時に、初陣の武田勝頼を組み伏せたというのは本当?)
上泉伊勢守秀綱(いわずと知れた新陰流の祖)
疋田文五郎景兼(疋田陰流の祖。柳生宗厳やっつけちゃった)
神後伊豆守宗治(神後流の祖。一時、豊臣秀次の兵法師範を務めた)
おまけ
真田幸隆(一時期、箕輪城の長野業正を頼っていた)
6 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 18:58:04 ID:sAGdyM16
真田幸隆が武田に移るときの業正の対応はさすがだよね
>>3 業盛の弟として、正宣、業朝とか名前だけは伝わってるね。
業通、業勝、業固とかは従兄弟かな。
業盛の墓見て来たが田んぼの真ん中にポツンと建ってて寂しいなあれ
箕輪城はなかなか規模も大きく掘も深い
9 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 20:03:34 ID:k7B4FF+j
人物・逸話
* 武田信玄は、「業正ひとりが上野にいる限り、上野を攻め取ることはできぬ」と嘆いたと言われている。
* 業正の死を知ると信玄は大いに喜び、「これで上野を手に入れたも同然」と述べて、すぐに軍を上野に向けた。
* 「上州の黄班」といわれるほどの猛将だった。
* 真田幸隆は武田信玄の家臣となる前に業正に仕えていた。
業正が年をとって長野氏が衰えてくると幸隆は信玄の家臣になろうと考えた。
そこで、密かに脱走を試みた。脱走は成功したが、ある峠で業正から手紙をもらい驚いた。そこには、幸隆の身を心配した内容が書かれていた。幸隆の妻や家臣達も殺されること無かった。幸隆は業正の器の大きさを感じたという。
* 武勇ばかりが目立つが、娘を上野の諸豪族に嫁がせることで団結力を強めるなど、政略にも優れていた智勇兼備の名将
( ´゚ω゚` )
三国街道だか中山道だかそこらの街道を握ってたから
武田北条と渡り合えるだけの経済力があったとか言うよね。
詳しい人そこらへんはどうなの?
長野吉業とか長野業氏とかも忘れないでください
昨日、吉川弘文館の戦国人名事典を図書館で読んだけど
業盛は別の名前で載ってたな
上杉憲政は、業正長野家に関東管領譲ったほうが自然だったんじゃねぇか。
景虎も保守主義だし、長野家に協力したんじゃないかな。上越同盟で、武田
北条に対抗すれば面白かった。雪で越後と分断されるから、無理かw
倉賀野直行みたいに業盛も越後に亡命出来てれば良かったのに。
長野賢忠の件もあるから越後を当てにするってわけにもいかなかったんだろうな
>>13 いくらなんでも自然じゃないだろ。
長野氏にやれるんなら北条でもかまわんてことだ。
実力も格式も北条が上だから、氏康に「俺によこせ」って言い分を与える事になるな。
>>15 調べたけどよく分からなかったので、長野賢忠について解説をして下され。
18 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/12(金) 20:02:29 ID:VhOqt0et
◆長野vs武田の結果
弘治三年四月(1557年)義信を大将とし、飯富虎昌、飯富昌景、内藤昌豊、馬場信房、諸角昌清ら一万三千を碓氷の瓶尻に
派兵峠を越え上州に攻め込む。これを迎え撃つ業正軍三千は先陣を叩き箕輪城に籠城。武田軍の猛攻を防ぐ。
別の資料では西毛軍二万を率いた長野業正は統制が利かず、敗北との記録もあるが、連合とは言え当時の勢力で二万もの大軍は
集まらない。江戸時代の創作と思われる。
その後、城攻めを行うも鉄砲による甚大な被害を出し撤退。
田畑から略奪を行った後、田畑を潰す。奴隷狩りを行い町を焼き払い、敵の地盤を着実に弱める。
【引き分け】
翌年永禄元年(1558年)信玄自ら武田軍二万を率い上州に侵攻。
業正が吾妻に出陣している留守を狙うも、業正は間道を使って直ちに帰還。その足で夜討ちを掛け散々に荒らし、
翌日には強風を利用して、武田勢の風上にまわると火を放ち武田軍の食糧を焼き、弾薬を爆発させ、補給を断つ。
武田は軍を維持できなくなり即座に撤退。
【敗北】
翌年永禄二年(1559年)飯富虎昌に安中城を攻撃させ、信玄は和田城の攻略に当たる。
業正は急遽援軍として駆けつけ、兵を山陰に入れ奇襲を行い、信玄の陣を混乱に陥れる。
信玄は反撃とばかりに雉郷城を取り囲むも空城。長野業正はその間に、鷹留城の部下に策を与えて箕輪城に帰還。
信玄は業正を追撃しようと鷹留城を攻めるも反撃を受け撤退。撤退中に伏兵を受け惨敗。
箕輪城に被害を与える事もできず、兵五百を失う甚大な被害を出し撤退
【敗退】
翌年永禄三年(1560年)再度箕輪城を取り囲んだが、飢えと寒さに苦しむ中、さらに安中忠政に糧道を断たれ、
長野業正の総攻撃を受け、たまらず撤退。
兵糧を奪われた、もしくは焼かれたとの説も有り。その後は撤退中に追撃を受け敗北。
【敗北】
翌年永禄四年(1561年)11月末、長野業正病没。
>>16 ヤダ、って言えばいいじゃん。どうせ敵対勢力なんだからw
で、鷹留城趾の近傍に住んでる俺が来ましたよ
21 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/14(日) 02:04:10 ID:HuQkKwME
存原業平の子孫らしく武門の士であった業正。
素晴らしい戦いだった、そなたの事忘れないぞ。
どうしても長野は武芸では剣聖上泉武蔵守の主家というイメージだがウチの居合流派は
長野無楽斎の道統だ。
現代の居合流派は長野系が相当多い。
上泉武蔵守の孫も長野無楽斎の弟子で尾張徳川あたりに仕官してたはず。
23 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/18(木) 14:47:07 ID:SCld6yX0
長野業正の子孫は存在してるの?
24 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/18(木) 17:45:39 ID:Tf1Ab5hV
業盛の兄弟も何人かは憲政に従って越後に亡命したんじゃない?
業正が憲政の家臣なら主君に自分の子供を遣わしてもおかしくはない。
業盛は嫡子だから残したのだろうけど。
25 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/22(月) 20:46:12 ID:lydPV3H5
現在の当主はどちらに?
26 :
sage:2007/01/23(火) 21:34:38 ID:21cbJUZ7
>>23 存在しているよ
>>24 業盛の男の兄弟はいない
そのかわり姉が何人もいたらしい
兄貴が河越夜戦で戦死したって話を見たことがあるが
>>27 調べてみたら確かに居たらしいな
今まで業盛一人だけだと思ってたよ
ご先祖様に申し訳が無いから
今度墓参りして詫びてくるよ
29 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/06(火) 20:23:16 ID:IO/lWUIt
上杉を何度も撃退した佐野昌綱に似てるよね
30 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/06(火) 22:01:02 ID:MAEP1se2
>>29 あんな二股膏薬と一緒にされるなんて業正(´・ω・) テラカワイソス
33 :
人間七七四年:2007/02/16(金) 20:36:32 ID:1eMzilU3
今日の新聞記事の受け売りだが、箕輪城の発掘作業が終了(打ち切り?)になったらしい。
2/18(日)に現地説明会(城で?)、公民館でも講習会があるとか。突撃レポしたいが当日は予定入れちまって無理だ。役立たずでスマン
34 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 12:57:08 ID:TBAMsVgL
長野業正と村上義清と真田幸隆が同盟を結んでいたら
35 :
U-名無しさん:2007/02/23(金) 17:47:19 ID:LYV8vdS9
「箕輪に業正がいる限りは、碓氷川を越えて馬に草飼わせることは叶わぬ」
は名言
36 :
人間七七四年:2007/03/03(土) 02:25:34 ID:34amHYTb
>>34 それだと仮想敵国は武田でしょ。村上真田が難しいな。かなり早い段階
じゃないとw
37 :
人間七七四年:2007/03/04(日) 21:20:08 ID:CljtJUw6
長野家って謙信が継いだ後の上杉とはどんな感じだったの?
それにしても長野で信濃守っていい名前だな。
38 :
人間七七四年:2007/03/15(木) 03:58:57 ID:9ytV7rJi
長野十六槍って、上泉秀綱以外に誰がいるの?
39 :
人間七七四年:2007/03/17(土) 18:23:23 ID:VzHbEN2K
藤井友忠とか大道寺信方とか
40 :
人間七七四年:2007/03/21(水) 07:10:33 ID:jIe8zoj4
大河風林火山に長野業正登場すっかな。真田幸隆がらみで。
登場するとなると配役が気になる。と妄想
41 :
人間七七四年:2007/03/21(水) 11:57:33 ID:J39epiWA
386 :今後の見所 :2007/03/20(火) 21:56:26.38 ID:Tw662F0a
アレコレ気になったので、NHKに
@内藤昌豊・小幡虎盛・多田満頼・秋山信友といった
その他の有名な武田家臣は登場するのでしょうか?
A今後武田家と争う事になる、信濃の葛尾城主・村上義清と
上野の箕輪城主・長野業正は登場するのでしょうか?
B今作に、織田信長・徳川家康は登場するのでしょうか?
って3つ質問してみた。 そしたら、こんな返事が来たぞ。
1)全てではありませんが、後半に何人か出てくる予定です。
2)村上義清と長野業正は重要な役どころでこれから登場します。
3)まだ決めていませんが、難しい問題です。
もちろん「桶狭間」はやりますが、今川義元の最期の芝居場として
描きますので、信長は影として描くことになると思います。家康は
幼年時代(竹千代)に人質として雪斎のもとに預けられています。
思いがけない形で登場する予定です。
387 :日曜8時の名無しさん :2007/03/20(火) 22:00:03.87 ID:F6evRL8r
>2)村上義清と長野業正は重要な役どころでこれから登場します。
〃 / , \ ヽ i Y
/ / / / / / / | ヽ ヽ ヽ | l
/ / / / / i /! ! ! i Y i | |
!│ / ! ! j| i│ ト. ! | l i l | |
|│ l i| | /|! ! | | | j l l ! j │
|│ | || | i !│| | l. | | l│ .| |
|│ | || | | |,」 ! l. | L. 」 ! | | ! ! !
|│ |! !>七i´ !」」 l」 ! |`i¬─ァ‐-リ | | !
ト、! 」ヽ__|‐'´ ,二..、  ̄ ,.二ニ、`7 ‐ |=、、 l
r'⌒i | ヘ ∧ひリi 化ドij ヽ,| j リ !
/ ! !i i ゝゞ:ツ ゞ ツ ソ| l /l l
j | | ! l , | K l !
, -─ム ヘ. l ト. ゝ ヽ | l i l |
/ \ l ! l i \ ___, l / | l l
ノ __ ヽ ヾ ! | |> 、 , -1 l`\ | !
i `ヽ/ !│!ト l ∧`‐ .__, ‐' | l !「 \│
j ____ ノ /_」/ム l ヽ. j | /.| iヽ
l `Y / \\! l ヘ l ! / ! j! ヽ
ゝ -── イ、 /\ \ヾ ! ヽ | / / / / / i
i _,ノ 〈 \ \! l ヽ | / // / / !
42 :
人間七七四年:2007/03/21(水) 12:59:41 ID:4lpFzUNV
43 :
人間七七四年:2007/03/21(水) 14:54:21 ID:AGmh61Nn
さすがの長野業正も信玄との直接対決には勝てませんでしたね
44 :
人間七七四年:2007/03/21(水) 15:54:08 ID:J39epiWA
60 :日曜8時の名無しさん :2007/03/21(水) 14:23:17.17 ID:mMm210T9
長野業正には、山崎 努か長門弘之が来そうな感じ…
67 :日曜8時の名無しさん :2007/03/21(水) 14:55:26.03 ID:uGSIXlDs
山崎努なら、走召ネ申
69 :日曜8時の名無しさん :2007/03/21(水) 15:07:08.60 ID:k832Ywo9
長野業正は藤岡弘、でお願いします。
70 :日曜8時の名無しさん :2007/03/21(水) 15:11:01.02 ID:wWqLlnlu
出川哲朗でお願いします
72 :日曜8時の名無しさん :2007/03/21(水) 15:19:55.04 ID:BipfDTFN
上泉信綱は、誰がよいかのう・・・
74 :日曜8時の名無しさん :2007/03/21(水) 15:23:46.45 ID:yoSVMsbA
長野はかつて勘助も演じた夏八木勲を…
75 :日曜8時の名無しさん :2007/03/21(水) 15:25:58.30 ID:s8DrYXVK
上泉が滝田栄、長野が夏八木勲なら神大河
76 :日曜8時の名無しさん :2007/03/21(水) 15:37:31.02 ID:BipfDTFN
いいね!
滝田信綱が、将軍義輝に新陰流を・・・(あったらイイナ)
45 :
_:2007/03/21(水) 16:04:35 ID:jZV2JTns
重要な役どころといっても、ものすごいヒール扱いで出るかもしれんので
実際はどうなのか気になる。いつ頃登場かなあ。
46 :
人間七七四年:2007/03/22(木) 07:10:08 ID:EsZ+Q1xZ
今回の大河に限っては大丈夫だろう。氏康とか諏訪頼重なんか見てもそーゆう
分かりやすいあざとい描き方はしてない。あえて言うと信虎くらいかw
義元・雪斉あたりも暗い感じだが、あれはキレ者っぽくて悪役とは違うしな。
47 :
40:2007/03/22(木) 09:18:10 ID:GjMX8hdC
>41 GJ!
>45
なんとも言えないけど、
@関東管領上杉憲政(市川左)と一緒に登場する(重臣として)
A箕輪に居候してる真田幸隆が、武田方に仕官する時の業正の人間性(漢気?)を
カッコよくアピールして登場
B西上野攻略における単なるヒールとして登場
Aであってホスイが。。。
48 :
人間七七四年:2007/03/25(日) 23:10:10 ID:bcJYO/Vg
「風林火山」ネタバレノベライズ見ちゃったよー。
上で言うとズバリ@。妻鹿田新介、倉賀野直行、真田幸隆、本間江州らと
共に出てくる。セリフもバリバリ、ステレオタイプだけど<いい人>役。
ひっょとするとしばらく間を空けて出続けるかも。
いまのところ上泉の登場は確認できず…
49 :
人間七七四年:2007/03/26(月) 00:44:44 ID:NmKqcgHK
夏八木業正いいね!!
50 :
人間七七四年:2007/03/26(月) 01:16:34 ID:pVO1Ywd9
業正大河史上初登場、でいいのかな? 俳優ハゲしく気になる。
単に好きなだけだけど、大滝秀冶とかでもいい。男臭さより思慮深い
長者風味・・・だが戦最強w
51 :
人間七七四年:2007/03/26(月) 18:49:46 ID:A9zV9L3I
小市慢太郎に決まりですね。誰も予想できなかったでしょうw
少し貫禄不足でどうせなら、憲政役と逆のほうがよかった気がしますがね。
52 :
人間七七四年:2007/03/26(月) 22:26:10 ID:U0jy/kHM
「阿修羅城の瞳」の大ファンだった俺でも衝撃の配役だ。
いきなり真田幸隆に「こぉのバカモンがぁー」とフライング・ボディ
アタックをかけてくる妄想が頭をよぎって眩暈がした。
53 :
人間七七四年:2007/03/26(月) 22:38:52 ID:TLbflYOe
>>51 ぐぁァァあああああああああああああああ!!!!!!!!
誰なんだよ―――――――――!!! 誰なんだよ―――――!!
54 :
人間七七四年:2007/03/26(月) 23:38:28 ID:3E6Gn3HM
業平は関羽みたいなキレイな長いヒゲを手でしごきながら青龍円月刀とラオウの乗った巨大な馬に乗って登場します。
バッタバッタと武田の軍勢をなぎ倒して暴れ狂います。
55 :
人間七七四年:2007/03/27(火) 05:12:23 ID:9qtvUlfH
長野家臣で、武将上泉信綱も出るのかな?
56 :
人間七七四年:2007/03/27(火) 10:54:39 ID:GfO7SGCq
当たり前だけど若い頃の業正なんだよね
業正といえば爺ちゃんのイメージだわ
57 :
人間七七四年:2007/03/27(火) 12:00:22 ID:6tAzEWtC
それにしても信玄より若いはずの上杉憲政に還暦の左団二翁を配していて、
その重鎮たるべき(ドラマでも明確に「家老」と言ってる)長野業正が
なんで 小 市 慢 太 郎 なんだよ、オイ。
舞台「阿修羅城の瞳」の鶴屋南北の役は確かに良かったし、馬の骨
なんかの役者つながりもあるんだろうけど、しかしなあ…
58 :
人間七七四年:2007/03/27(火) 12:54:17 ID:z9P7EwLK
今年は骨太大河でなかなかだと思うのだが、年齢設定は確かに不満だ。
そこを合せたってキャラ付け・演出次第にいくらでも面白くできるのに。
特に業正は重厚で貫禄充分の老将じゃないとヤダw
59 :
人間七七四年:2007/03/27(火) 13:11:58 ID:vcO4yNMc
>51 小市慢太郎ってマジか?
ドラマでよくみるが、大概イヤミな役とか嫌われキャラだよなw
配役の年齢が不可思議な設定は前回「功名」もそうだった。
それもあってみてなかったけど
60 :
人間七七四年:2007/03/27(火) 13:38:41 ID:6tAzEWtC
今からでも遅くないから小市慢太郎は倉賀野直行に回して、
夏八木勲の長野を頼む!
シナリオを元にした小説を見たら、史実では実現しなかった
「真田幸隆・涙の別れ」までドラマになるらしいじゃないかぁ!
なのに頭を垂れる真田の前にいるのは小市慢太郎…
61 :
人間七七四年:2007/03/27(火) 22:38:13 ID:lEQxzvNT
てか左團次と役とっかえたほうがいいんじゃ
62 :
人間七七四年:2007/03/28(水) 02:30:27 ID:VHdpfN4R
なあなあ、小市慢太郎って誰よ!?だれか画像うpしてくれよ!
63 :
人間七七四年:2007/03/28(水) 11:29:29 ID:RI/kUrFB
64 :
_:2007/03/28(水) 23:05:33 ID:kOOZK0LK
まあ実際見てみないとね。大河の場合、部分的な原作無視も時々あるし。
65 :
人間七七四年:2007/03/31(土) 05:00:46 ID:44L1uyD2
「長野十六槍」ってどう読むんですか。
じゅうろくやり・・・?
66 :
人間七七四年:2007/04/01(日) 22:22:21 ID:rMs0qFE0
遂にドラマに出てきた。
というか予想外に早かった。
大河スレでは「ショボ過ぎる」「若すぎないか」
「周囲の配役とのバランスから考えたら仕方ない」
「実力のある舞台俳優でいい人選」「声はやたらいい」
などという反応。
67 :
人間七七四年:2007/04/01(日) 23:28:27 ID:2VZKNzQi
白髪で厳しい目つきを期待してたんだが・・・なんか人がいい中年みたいだお・・・・
68 :
人間七七四年:2007/04/02(月) 00:02:29 ID:+GEYGsWa
どう見ても凡将だったな
69 :
人間七七四年:2007/04/02(月) 00:22:54 ID:rVAnypUj
やはり、あの人は上杉憲政役だろう・・・
70 :
人間七七四年:2007/04/02(月) 00:24:51 ID:dE8e4KgH
実況で若すぎると真っ先に文句付けてたぷらっと氏に乾杯
71 :
人間七七四年:2007/04/02(月) 01:46:52 ID:UnoVUSl+
威光の衰えた関東管領上杉憲政の支配する地域は、上野を中心とした
割と狭い地域だったんですか。それとも今の埼玉とか東京の多摩地区まで
に及ぶ広範囲の地域を勢力下においていたのでしょうか。
72 :
人間七七四年:2007/04/02(月) 02:16:23 ID:6cu2zSIZ
>>66 ショボすぎる、若すぎる、に一票。周囲とのバランスを考えるなら、
どうせセリフや出番はそうないのだから、無名で面構えのいい年配
の大部屋俳優でもよかったと思う。キャライメージを損なう理由には
ならんw
73 :
人間七七四年:2007/04/02(月) 02:27:49 ID:uHKD1NBk
出かけてて録画してたのを今観た。
まっ「声」はイイよ。とりあえずの感想...
結局、甲信地方中心のドラマだから、まああんなもんだろう
>72と逆に、全くの無名俳優がやるよりはいいと思った
74 :
人間七七四年:2007/04/02(月) 02:32:03 ID:aC/5qHHy
信玄、謙信あたりと比べると決してメジャーな武将ではないので、
イメージがある人とない人で、感想は全然ちがってくると思う。
ない人は、芝居がうまければ許せるだろうな。ちなみに俺はダメだけど。
75 :
人間七七四年:2007/04/02(月) 10:59:58 ID:2nLrhYKu
>>71 北条に負けて没落した後は上野と下野の西辺りだけだと思う
謙信のように力を持ってすれば、武蔵や下総の豪族も靡くけど
没落した憲政にそんな力はないし。
76 :
人間七七四年:2007/04/02(月) 11:03:50 ID:6I23x4cX
風雲録のニッコリ業正路線か
婚姻と調略を駆使して上野を守護代の長尾氏から強引にもぎとった武将、
ってイメージあるから、名門ののんびりした家老って感じでなじめんかった
77 :
人間七七四年:2007/04/02(月) 14:26:41 ID:uHKD1NBk
箕輪城の遠景よかったね。CGだと思うけど。。
手前に映っていた沼?は榛名沼(Wikiに...)??そんなのあったんだ
日本百名城の1つなんだし、高崎市になったことだし
時間をかけて一部でいいから復元してほしいな
78 :
人間七七四年:2007/04/02(月) 22:03:51 ID:c2QC/0fO
あの番組は荒砥城の現物を使った海ノ口城、松尾城をのぞくと、
小田原城、上原城、この箕輪城と、リアルで雄大な山城は全部CG。
まあミニチュアや実景を組み合わせて表面を加工したという感じ
らしいけど、現実の状況から考えられるギリギリまでリアルな
風景になっていて嬉しい。最初に小田原城総構えの夜景が出た時は
呆然とした。この番組の楽しみの一つだ。
79 :
人間七七四年:2007/04/03(火) 03:15:27 ID:53sRSJ+O
某グリーン先生の如く
後年NHKの海外ドラマで吹き替えしそうな予感>小市
西上野経略に重要な位置をしめる内藤の出演すら怪しいのだが
長野の見せ場は期待していいのか・・・
80 :
人間七七四年:2007/04/03(火) 08:20:34 ID:E48ipnes
上杉憲正役の市川左團次と交換して欲しかった。。
動作や台詞まわしも威厳が段違いだろ。
81 :
人間七七四年:2007/04/03(火) 19:59:59 ID:92KFIXHQ
業正なんてドラマに出て来たの見た事ないから誰が適役とか良く分からん罠
業盛は昔保坂尚希がやってたけど
82 :
人間七七四年:2007/04/03(火) 20:30:21 ID:uijYrhtj
書籍やらで知っとる人には、それにしてもそれなりにあるわな。間違いな
く漫画太郎じゃないなw 決まったからには仕方ないから楽しむ方向で
行くけど。重厚な演技を頼むよ。これからに期待しとる。
83 :
人間七七四年:2007/04/03(火) 21:38:14 ID:taS7LF/o
丹波哲郎がイメージの人だったんだけど、死んじゃったからなぁ。
84 :
人間七七四年:2007/04/04(水) 00:08:17 ID:uuTq6Cyz
丹波イイ!
真田太平記の昌幸、二百三高地の児玉源太郎かっこよすぎ
85 :
人間七七四年:2007/04/04(水) 09:35:53 ID:r4uJLlpI
「戦は気合じゃぞ!!」将校叱りとばすとこカッコよかったね。
86 :
HG名無しさん:2007/04/04(水) 11:12:31 ID:ARp0fK6f
「ぬしゃあ、ワシに意見するっちゅうんか!?」
87 :
人間七七四年:2007/04/04(水) 20:37:00 ID:wX1CCyQ7
>83
某も丹波哲郎に演じて欲しかった。
「義経」の源頼政の笑顔が、迫力あって良かったな。
88 :
人間七七四年:2007/04/05(木) 03:29:23 ID:HuY5sLS1
丹波業正ねぇ。。
それが転生して源太郎の弟になるわけか
89 :
人間七七四年:2007/04/23(月) 10:53:49 ID:Y+xEAwK5
生年でみると大河の業正と憲政は逆の配役が良かった。
憲政が晴信より若いのは意外。
上杉憲政 1523年
長野業正 1491年
武田晴信 1521年
90 :
人間七七四年:2007/04/23(月) 15:53:53 ID:axnX7abp
「武田信玄」の滝田裕介しか知らないが、やっぱり「謙信の義父に当たる」
というのが高齢の貫禄ある役者をもってきたい理由でしょうな。
史実といわれても謙信が海運貿易に血道を上げているビジネス大名だと
信じたくないとか、信玄の素顔が水野晴郎とは認めたくないというのと
同じレベルの個人的感情なのでしょうけれど。
まあマンタロウが気合いを入れて憲政を脱出させるシーンを演じてくれる
事を期待する。
91 :
人間七七四年:2007/04/23(月) 16:31:32 ID:9Kq81txX
個人的感情というか対視聴者でしょう。最初の二行が大きいね。
それだけ憲政がまぁ、一般人に印象のない武将ってことか。年老いた
家康が、若き信長と対峙する場面は絶対ないからなw
個人的には、顔・キャラはともかく、生年が判明してるなら年齢くらい
合わせてくれよ、って思うけど。
92 :
人間七七四年:2007/04/23(月) 20:44:10 ID:cdQuUZns
俺は、むしろ「旧勢力の象徴」としての「関東管領」上杉家の当主には
絶妙のキャスティングだと思うんだが
青年の配役で、旧弊上杉家を背負って立つ人物を演じるのは難しすぎるでしょ
まあ、やっぱり関東戦国史がマイナーだから許される配役なんだろうね
93 :
人間七七四年:2007/05/02(水) 08:58:08 ID:r+UcJkSq
実際は背負って立ち続ける事が出来なかった人なので
史実通り若い人にした方が戦国オタ的には受けるだろうが、
作り手からすれば、そうすると一般の視聴者的には上杉氏相続の価値が
今ひとつ弱く感じるかも・・・?ってところなのか。
94 :
人間七七四年:2007/05/06(日) 12:19:04 ID:Sm+00QY3 BE:408161164-2BP(1)
長野十六槍をゲームで再現しようと思って、詳しく調べようとしたんだけど、
まず長野氏自体触れてる本が少ないのな。
謙信の家臣ではなく、山内上杉氏に属するという微妙な立場がそうさせるのか。
なんか詳しい本とかはないの?
95 :
人間七七四年:2007/05/06(日) 12:31:47 ID:81ETURI4
上野國誌
96 :
人間七七四年:2007/05/07(月) 18:24:26 ID:GUwxD2Aq
地方出版物だけど、上毛新聞社から「箕輪城と長野氏」という本が出ています。
20年以上前の本なので、群馬県の図書館か古本屋で探すしかないかも。
97 :
人間七七四年:2007/05/09(水) 07:04:10 ID:EYbzqt+P
しかし、長野家の領地だった一帯は、現在の航空地図見ても、山地ばっかりだからなぁ。
攻めるのは難しく、守るには容易い上、無理して攻めるに見合う価値があったかってところもポイントだと思う。
98 :
人間七七四年:2007/05/11(金) 17:18:16 ID:YtL46FV+
箕輪城一帯なんか日当たりもよく、物なり良さそうだぜ。榛名から続く
緩やかな傾斜地帯で山とはちと違う。昔は、平坦なとこよか山に近い
傾斜地のほうが水田とかも作りやすかったんでないの? 太閤検地見ても
上野は石高も高いよ。
99 :
人間七七四年:2007/05/12(土) 13:35:53 ID:7zpop8B+
村上と長野と真田が同盟結べば最強
100 :
人間七七四年:2007/05/13(日) 01:55:27 ID:Pg/F0Oe+
信玄キラー長野業正はそれなりに名が通ってるのに
謙信キラー佐野昌綱はいまいちだね。家も近所なのに。
101 :
人間七七四年:2007/05/13(日) 15:30:24 ID:iq/lrwrF
どっちみち、北条は平野方面から入れるけど、武田は西部山岳地帯から
入るのが一番マシなんだよな。北条とも抵触しないで済むしw
そこを超えれば広々とした関東平野が広がってるわけで、やっぱ魅力
だったんじゃなかろうか。
102 :
人間七七四年:2007/05/13(日) 21:54:03 ID:U20D9YuW
>>97 >>101が言ってるけど…
長野領そのものを欲したのではなく、関東平野進出の経由地として
必要だったのではないかと。
103 :
人間七七四年:2007/05/14(月) 02:14:29 ID:8zzk2At+
佐久まで取っちゃったら、やっぱ信濃だけじゃなく、上州にも出てみたく
なるね。地形知ってるとよく分かるw 佐久に進出するまでは、甲斐と
上野って遠いんだけどね。
104 :
人間七七四年:2007/05/14(月) 07:40:07 ID:h3UDneUI
仮にあちらに出たとしても、本拠を甲斐から移せない武田が保持するのは遠すぎて無理な感じだよな。
上杉、北条に挟まれた地帯になるわけだし、あっちのが断然近い。
105 :
人間七七四年:2007/05/14(月) 13:35:41 ID:avoPdk/e
ただ全盛期の武田を見ると比較的うまくやってた気がする。家臣の真田が
北信濃から吾妻に至る北西上州を統治して、武田が南信濃から西上州を
抑えてるからね。地形の割にようやっている。西に織田・徳川がいて
ここに全力集中できないし、北条・上杉の動きもあるからなかなか難し
いんだけども。
106 :
人間七七四年:2007/06/01(金) 17:20:40 ID:KbYFBOxn
業正先生は、
現代の世界秩序のパワーバランスにおける日本そのものの反映であり、鏡である。
大国を相手に怯むことなく生涯をかけて敵を跳ね返した
業正先生の生き様、乱世を生き抜く力は
今の日本が取るべき方向性と重なるのである
107 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 18:07:07 ID:B6krwU53
昨夜の河越夜戦!(戦シーンがもっと見たかったorz 諏訪の姫に時間かけすぎ)
管領様上杉憲政はバカ殿な役だけど、市川さんいい味出してたな。
でも史実は22歳ぐらいなのにw
当の長野業正は、管領様に逆らえない言いなりになってた慢太郎。
思慮深い役どころだったけど、もう出番は終了なのかな...
あと倉賀野直行まで登場してきたのは、いいけど愚将な扱いだったなw
史実はどうなんだろ。 ググッてみるか...
108 :
人間七七四年:2007/06/12(火) 19:35:09 ID:Bz2vwabC
109 :
人間七七四年:2007/06/12(火) 20:57:43 ID:VF5z9E/v
>>108 長野業政が病死したのは、勘助が討死する第四次川中島合戦の少し前だからね。
武田との戦いで、上州武士の意地を見せて欲しいと思う。
110 :
人間七七四年:2007/06/18(月) 10:16:02 ID:Gu53cJ1B
昨日も出てましたね業正。
出来れば出奔後の手紙のシーンで真田落涙を再現して欲しかったですが。
あれはあれでベタですがちょっとジーンと来ました。
慢太郎・・・初めは皆さん同様私も良くないと思ってましたが。
慢太郎・・・何だか好きになってしまいそうです。
111 :
人間七七四年:2007/06/18(月) 23:14:20 ID:wUY3ufNk
>>17 激しく遅レスだども。
長野賢忠は業正の叔父さん。
業正の親父さんと一緒に総社長尾氏を攻めた(1527年頃)。
このときの総社長尾氏は当主が北条氏に内通したんで上杉憲寛に追放され、
分家の人間が総社長尾氏の当主に据えられため、この隙に長野氏が勢力拡大を狙ったものらしい。
長野氏の攻撃を受けた総社長尾氏は白井長尾氏を仲介役として越後の長尾為景に支援を依頼した。
白井長尾氏は景春以降越後長尾氏の盟友だから、当然受諾したでしょな。
っつーことで、長野氏と越後長尾氏は友好関係ではなかったっぽい。
そして賢忠自身は1560年頃謙信に降伏したものの、疑惑を持った謙信の攻撃を受けた。
賢忠は篭城中に病気で死んだらしく、息子は北条氏を頼ったみたいだぬ。
調べた感じ、賢忠と越後長尾氏との関係はそんな感じだったぽ。
112 :
人間七七四年:2007/06/27(水) 19:33:55 ID:9s3HTIS7
長野業実(向坂伝蔵)という人がいたらしい。
業盛の子、あるいは弟で、関東に入る以前に徳川家康に召し出されて、
後に井伊直政の家老として箕輪城に戻ったという。
113 :
人間七七四年:2007/06/28(木) 07:38:04 ID:X63Lodf8
井伊家の武田旧臣は上野国武田旧臣が主流。
長野はその筆頭だよ。
114 :
人間七七四年:2007/06/28(木) 20:33:15 ID:Tl8ZJkEz
>>97 むしろ城の位置を頭に入れて航空地図を見れば信玄が西上野を押さえた意図がわかるよ。
史実としてそうであるように、横っ腹をさらしたまま大規模な西進、南進はできないからね。
当時の日本では敵を迎撃するのに国境から少し引いたところに拠点を築いて戦うのが普通だったので、
拠点の築けない上野と信濃の間の山地は防御に不適で、もし碓氷峠を抜かれたら一気に志賀城まで迫られ、佐久が危なくなる。
甲斐から北信濃にでるには佐久を通るか、そうでなければ諏訪まで迂回しなければならない。信玄もたいてい佐久を通っている。
だからもし草刈場状態の上野が上杉、北条に抑えられたら、武田領国の臍が危機にさらされることになる。
海野平の戦いにしろ、志賀城攻めにしろ、佐久の国人は元々上野と縁が深いし。
115 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 04:04:15 ID:s2eqvdl2
>>94 長野十六槍が全員出ている信頼できる史料は残念ながら存在しないみたいだよ。
ただ長野氏の家臣を延々と書き連ねている史料は存在するけど、そこから推定するのは難しいね。
>>111 出陣中に賢忠軍の馬が暴れたので謙信が賢忠軍が謀反したと思って賢忠の一族を斬り、厩橋城を攻めたそうな。
行動が衝動的すぎる。上杉側の二次史料には謙信が関東攻めの際に業正を成田らよりも厚遇したので、
関東の名族は不満をもったという話もあるけど、
武田信玄と業正との書状は存在するのに、謙信と業正の交渉を示すような一次資料は存在しないそうだ。
>>113 それは違うと思うよ。たぶん上州の小幡が赤備えで井伊も赤備えだというのでおこった誤伝だと思うけど、
井伊の武田旧臣の中心は土屋衆で、他に山縣衆、一條衆など、みんな甲斐だよ。
徳川が武田旧臣を吸収する天正壬午の乱では上野は北條にまかせられて、
小幡信眞や金井秀景ら上野国武田旧臣は北條についている。
上野国武田旧臣で井伊につかえるのは小幡の家老の子、岡本半介宣就で、これは井伊の箕輪入りのあと。
岡本半介の家系はその後も彦根藩で家老職をつとめて、幕末に長野主膳を殺している。
井伊の長野はたぶん姉川で真柄直隆を討ち取った匂坂三兄弟の二男か三男、
あるいは両方が長野業正の一族だと名乗ったので本物じゃないだろう。
長野の家臣にも『向坂』というのがいたようだけどたぶん関係ない。
あとは長野無楽も井伊に仕えたそうだね。
他に長野の後裔をなのったものには神道家の長野采女がいる。
116 :
人間七七四年:2007/08/04(土) 01:16:43 ID:9/SJqVl2
>>115 ん?
彦根藩の上級家臣は上野出身者が大半だぞ。
上野小幡旧臣の岡本半介家は、彦根藩の軍学師範の家。家老じゃないと思うが。
117 :
takeda:2007/08/20(月) 22:13:20 ID:6o/MwJfu
何回信玄に勝ったのでありましょうか
118 :
人間七七四年:2007/08/21(火) 00:43:00 ID:IQ8G0BIk
大小合わせて48勝2敗3分
119 :
人間七七四年:2007/08/21(火) 00:48:04 ID:jGPW5MH8
いまさら気づいたんだが、
>『上州の黄班』
「上州の 黄 斑 」だろ……w
120 :
takeda:2007/08/21(火) 13:24:22 ID:lqOy3214
フエー、そんなに、戦国最強だね。
121 :
takeda:2007/08/23(木) 11:35:05 ID:dosTwh0b
ながの16本槍
122 :
_:2007/08/27(月) 20:54:08 ID:KdYLzQ8q
長野業正が倒せない
気がついたら信濃を平定して
西上野に出兵する
箕輪城を取り囲んで攻めてみるけど
案外 敵は強いよ〜
横田高松(よこたたかとし)いれば楽に城を
落とせるけれども
何回攻めても 何回攻めても
箕輪城が落とせないよ
あの長野はじいさんの癖に強すぎ
こっちも精鋭部隊が向かうが
地形の不利は否めない
色々対策練ってはいるけど
長野の槍隊強すぎ
だから絶対城落とすために
わしは次の時まで対策練っておく
…誰かこれより遙かにうまいの頼むorz (エアーマンが倒せないより)
123 :
人間七七四年:2007/08/27(月) 21:27:50 ID:odfxHjX+
( ^ω^)ビキビキ
124 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 06:57:06 ID:7k1Dv5IR
真田幸隆 上泉信綱 を配下に従えていた頃の長野業政軍団は
戦国最強軍団だった。
125 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 00:50:06 ID:A0kNCZ3d
う〜む、何か違ってたようだ>116
井伊家中の上級武士(筆頭家老・木俣)を、上野出身者と甲斐出身者とで比べると
上野出身が若干多いのではあるが、甲斐武田旧臣の中には没落した家(河手)もあるらしい。
【上野国】長野(家老) 宇津木(家老) 岡本(家老・中老) 他
【甲斐国】脇(家老) 広瀬(中老) 内藤(用人) 他
【武蔵国】横地(家老・中老)
岡本家(初代宣就は三千石)の家禄は千石だが、井伊家における軍学の家として、家老も務めたようだ。
甲斐武田旧臣は中級家臣に多いような。
長野業正ー業親ー業実(井伊家臣3000石、1649年没)ー業輝(5000石)・・・(4000石)
長野業尚(声阿弥陀仏)┬憲業―┬―業氏
└方業 └―業正―┬吉業
└氏業
・・・悩む長野の系譜
126 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 18:06:30 ID:gnHUmoM5
江戸期の彦根藩の上層部のことは知らないけど、上層部に上野出身が多かったとしても武田旧臣の主流が上野とはいえないだろう。
甲斐武田旧臣は没落した家があったどころか有名どころは大坂の陣後に没落したのが殆ど。
そもそも直政のころ、上野衆は小田原衆と合わせても甲斐武田旧臣の半分もいなかった。
それに上野衆は武田旧臣というよりは北条旧臣で、武田旧臣の占める割合もたいしたものじゃなかっただろう。
数でも、武田家中の格でも、有名どころがいるって点でも甲斐武田旧臣の方が主流といえる。
長野業実は上野衆枠ではないし、業実が武田に仕えていたって話もきかない。仕えていたとしても、上野武田旧臣の筆頭は無理では。
127 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 22:54:06 ID:nHMPQFDD
>>126 少し調べてみた。
そうだな。井伊家における武田旧臣の主流は甲斐だな。
甲斐武田の場合、有力家臣は旗本に召抱えられた家が多いから、没落(帰農)した旧臣が多いのは北条。
寛政諸家譜を読めば解る。
上野衆は、井伊直政が箕輪城主(12万石)になった後に召抱えられたから、仕官時期も遅いね。
信長の時代、赤武者として著名だったのが西上野・小幡信貞。
その小幡旧臣が岡本だが、岡本宣就は井伊家における兵学の大家で、上泉秀胤から上泉流を伝授された。
だけど、井伊家におけるその地位は、大阪陣の前に病死した上泉権右衛門を引き継いだ面もあるような・・・?
岡本宣就自身は100石から3000石江戸家老にまで出世するなど、井伊家中屈指の人物だが。
軍事面で岡本家以外だと、砲術家の宇津木氏が名の知れた存在。
これも上野出身の武田旧臣で、北条に仕えてた家。
長野はその通りで、武田には仕えてない。
業実の母が直政の「存知の者」であった由縁で、小姓として仕えたという。
他に小森・佐藤家が箕輪出身だそう。
長野業実の家にも上泉の陰流が伝わっていたらしい。
128 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 23:47:18 ID:5S+ufIHE
黄班って古代中国の武将かなんかだと思ってたけど
正しくは黄斑つまり虎の事なんだね
129 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 20:38:48 ID:QsUHhDrJ
彦根藩家老長野家が由緒書で残しているところによれば、業実は『長野出羽守』の子という。
長野一族では業正の叔父長野方業(厩橋賢忠)と長野勝業が出羽守を名乗っているのでこのどちらかか。
長野勝業は諸説あるが鷹留長野で業正の甥か。
130 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 21:00:12 ID:O7c+GX8a
箕輪落城の時期って説幾つかあるっぽいけどいつ落城っていうのが有力なの?
131 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 21:08:27 ID:QsUHhDrJ
永禄9年(1566年)
永禄6年(1563年)説もあるが、これは甲陽軍鑑に載っていた誤りが広まったもの。
実際には信玄が箕輪城攻略を祈願した記録をはじめ
多くの史料が永禄6年の時点ではまだ落ちていなかったことを証明している。
最も、甲陽軍鑑とは違い信頼できる長野と縁がある寺の史料にも
永禄6年に長野が滅んだと書いてあるものがあるそうだが、それも誤りだろう。
132 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 21:17:49 ID:O7c+GX8a
>>131 そっか、ありがとう
じゃあ上泉の倅は父と袂をわかって北条について討死した、ってことかな
133 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 01:03:33 ID:4jbAeyM9
上泉信綱の居城が北条に落とされたので信綱は隠棲、変わって息子が北条に仕官したよう。
厩橋長野も同じだったらしい。沼田氏も似ている。
もしかしたら北条はできる限りこの方法で上野の統治しようとしたのかもね。
謙信の越山でおじゃんになったけど。
134 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 03:16:13 ID:Mhh0swv9
>>132 信綱が1560年以降の箕輪城攻防戦に参加したことを記す一級史料ってあったっけ?
1560年の厩橋長野氏の没落により、長野道安とともに信綱・秀胤父子も北条氏を頼ったんじゃないか?
大胡城が北条氏に攻められて落城したっていう記録も怪しいし。
厩橋長野氏と対立関係にあった金山城主由良氏が大胡城を入手しているわけで、
信綱は由良氏ら謙信派によって上州から追われたってのが正解っぽい気がする。
主君が北条氏を頼ったのなら家臣がそれについていってもおかしくないし、
なにより北条氏のもとには大胡重行・勝行ら上州大胡氏の一門も仕えていたしな。
一般に流布している説では箕輪城陥落後に北条氏康の厚遇を受け、
自分の代わりに息子を仕官させて自らは上洛したと言われるが、
箕輪城陥落は息子の戦死(1564年)の後だから、話が前後する。
1558年に上洛したともされるが、
それだと1557〜1566まで続く箕輪城攻防戦にほとんど参加してないことになる。
135 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 18:27:27 ID:4jbAeyM9
>>134 そもそも一級史料だけで上野の戦国時代を書こうっていうのが無理だからね…。
長野道安は息子が弔ったことから謙信の越山以前に死んでいた。
厩橋長野と由良と大胡は1550年ころには北条方についた那波氏を攻めようとしているので、
このころには三氏とも関東管領方だったことがわかる。
通説では信綱は上洛した後ずっとそのままだったのではなくてなんどか帰っている。
丸目だって相良の武将でありながら何度か上洛しているので別にこれだけでは特に矛盾はない。
上泉信綱に関する一級史料は『言継卿記』だが、これなら北条に仕えたのではないかという説とは矛盾する。
永禄12年の信綱登場後、元亀元年1570年には信綱は山科言継に頼んで結城氏への紹介状を書いてもらい関東に退去している。
北条にツテがあったなら、わざわざ関東とたいしてコネのない公家に紹介状を書いてもらって結城氏のところへ行く必要はないだろう。
そして故郷に帰るのに紹介状がいるってことは昔仕えていた勢力は当時既に滅んでいたってわけだ。
ただ信綱に関する多くの説が甲陽軍鑑の記述を元に構成されたのは間違いなくて、
そのうちのどれくらいが真実なのかは確かめがたいね。
136 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 18:38:37 ID:4jbAeyM9
>>135の話で一級史料に基づいているのは『言継卿記』のやつだけなんで悪しからず。
厩橋長野が謙信に滅ぼされた話も同時代の史料にはないようだし。
ただ信綱上洛の話は柳生、丸目ら関係のもので確かめようだあるかもしれないが、俺は知らない。
137 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 14:43:07 ID:3rkwO+Og
マルチで悪いんだが
藤井友忠、白川満勝、大道寺信方、岸信保あたりについて、
簡単な戦歴と生没年ぐらいの情報を教えてくれ。
群馬県史で一所懸命調べたんだが、長野の家臣はぜんぜん分からん。
138 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 16:18:42 ID:7Qr/4HYD
藤井友忠は永禄九年に勝頼と一騎打ちを演じてるな
139 :
人間七七四年:2007/09/17(月) 01:09:54 ID:2PbG+8Fh
長野業政の男系子孫は現在まで続いているんだよな
140 :
人間七七四年:2007/10/08(月) 20:12:43 ID:1JyP2kSH
業政の下の字「政」が主と同じ字だな。何気に凄い。
まあ憲政じゃなくて、憲当と言われたらそれまでだけど。。。
141 :
人間七七四年:2007/10/08(月) 22:35:44 ID:dIk78O8O
一字拝領じゃないの?
142 :
人間七七四年:2007/10/09(火) 02:20:32 ID:f+0pfoBJ
>>140 普通「業政」じゃなく「業正」だけどな。
143 :
人間七七四年:2007/10/09(火) 18:31:03 ID:dKpJUBYy
謙信はなぜ和田城を是が非でも落城させて箕輪城を救援しなかったんですか?利根川の渡河ポイントや補給などで問題があったとか、和田城がかなりの堅城だったから?
ほっといたら倉賀野城まで落城してしまい、上野諸将の動揺を招き謙信頼むに足らずで太田金山城まで謀反した為に箕輪の士気が急降下してしまい落城したと感じますが…なぜ謙信は西上野を放棄したのか?
もし長野氏を強力バックアップし海野氏復興に協力すれば佐久地方に進出も可能だったのでは?
そうしたら川中島で有利になるどころか一路甲府すらも突く事も可能で早期に武田の息の根を止める事もできたのでは?
佐久は武田の生殺与奪の権を握る地だったと思うのですが関東進出ばかりに気を取られすぎでは。
144 :
人間七七四年:2007/10/09(火) 19:46:11 ID:4NTgeRPw
謙信は和田城を四回も攻めているが落とせていない。
和田城は最近の発掘でそれまで知られていなかった堀や火縄銃の弾が見つかったので、
これは信玄が謙信への押さえとして和田城を固め、火縄銃を持ち込んだという話を裏付ける。
2chでもちょっと前に謙信が負けを認めた書状とかいうのがコピペされていたがあれは永禄七年の和田城攻めの話で、
佐竹、宇都宮、足利長尾、白井長尾、箕輪衆、越後北条、横瀬らを率いて攻めたが、
>晴信年(念)を入れ、いかにも堅固ニしらわれ
ていたので落とせなかったという。この時はこんなに動員しているんだから是が非でも落とすくらいの覚悟だったのでは。
なお、この和田城攻めのあとに謙信は越後から信濃へ出兵を行ったが、これに呼応させる形で上野の勢力を動員する準備もしていた。
しかし結局実行されなかった。もう少し早い段階にこの作戦を行っていればうまくいったかもしれない。
なお、和田氏は和田義盛の後裔と伝わるが、「業」を通字にし、檜扇を家紋にするなど、長野氏が一門に組み込んでいたとも考えられる。
渡河に関して、厩橋城の対岸の石倉城は、石倉城についてははっきりとした話がないので確実であるとはいえないが、
永禄九年(1566)七月に信玄に落とされたというので、沼田→厩橋というルートを使っていた謙信にとって
箕輪城に行くのは難しくなっていたみたい。
その頃に謙信の祈願文が残っているが、そこで関東のどうしても守りたい拠点として倉内(沼田)、厩橋、佐野を挙げている。
一方では信玄の同時期の祈願文もいくつか残っていて、いずれのものでも箕輪を落としたい拠点の筆頭に上げ、総社や白井を落とせるように祈願している。
このように信玄は西上野を執拗に狙っていたが、謙信は利根川東岸を守ることを優先していたようだ。
関越のメインルートは近世に三国街道となる三国峠→白井→和田(高崎)の利根川西岸ルートだったはずだが
謙信は自分の拠点もあることだし沼田→厩橋のルートを確保することを第一に考えていたんだろうか。
でも結局西上野失陥で謙信の関東経略はほぼ失敗するので、手を広げすぎて足元を固めるのに失敗したとも言えるかも。
145 :
人間七七四年:2007/10/09(火) 21:18:19 ID:ysr+T2sE
>>144 >謙信の祈願文が残っているが、そこで関東のどうしても守りたい拠点として倉内(沼田)、厩橋、佐野を挙げている。
その3つは没時(1578年)時点に守られているな。
信玄も総社や白井を落とすことに成功している。(白井はすぐに奪還されたが)
146 :
人間七七四年:2007/10/09(火) 21:28:13 ID:+3uNmyI3
147 :
人間七七四年:2007/10/10(水) 00:03:40 ID:q7QgSzyL
厩橋城対岸の石倉城はぐるぐる歩いてみたことあるが、1960年代
の住宅が無い頃は畑だったので堀切が結構残ってたらしい。
山崎一大先生が撮った写真見たことがある。
今は城址碑のある公園と物見台にしていた古墳、大堀切跡に作ら
れた大胡線に往時を見るのみ。
148 :
人間七七四年:2007/10/10(水) 00:20:27 ID:RsAz88+/
厩橋〜石倉がこのあたりにおける利根川で一番河幅が狭い浅瀬の渡河点だったの?
149 :
人間七七四年:2007/10/10(水) 10:24:07 ID:RsAz88+/
良かったら箕輪籠城中の諸将に精神的ダメージを与えたと思われる金山城謀反の城主由良成繁って人物について教えてください。妻はなぜか赤井幸家(館林城主だった?謙信に落城させられ足利長尾氏に任せられたはず)
息子にはなぜか足利長尾景長の養子になってる?長尾顕長や
北条に仕えてたのになぜか出奔して?羽柴秀吉に使えはじめた渡瀬繁詮(もしや横瀬氏から秀吉への人質?)。
小牧長久手の戦いで徳川とそれを支援する北条と対陣してた秀吉の関東政策に影響与えた?沼尻の戦いと利根川流域での小競り合いは連動する?
謙信に恨みがある赤井氏の妻が成繁に影響を及ぼした?
長尾顕繁も赤井氏の娘?なら長尾家乗っ取りの復讐になるの?
また渡瀬氏ってどこの養子?渡良瀬川の流域に住む名家なのかな。
150 :
人間七七四年:2007/10/12(金) 01:51:03 ID:nyZHFu19
>>149 スレ違い。
小山とか宇都宮とかを扱った上州スレがあったと思うから、そこで聞け。
金山城謀反とかイミフ
151 :
人間七七四年:2007/10/12(金) 21:54:19 ID:8Q2wKrb2
>>148 それはわからないけど長野氏や謙信が重要な拠点としたからには
ちゃんと街道が通っていて渡河の為の整備がなされていたんじゃないかな。
とりあえず和田城攻めの時は対岸は総社長尾領だったし、
謙信の書状にそんなこと無く、『相手は小城で兵力も十分だったのに駄目だった』とあることからしても
特に渡河の問題はないんじゃないかな。
由良成繁の妻妙印尼は中々の人で、
赤井氏は北条に味方して謙信に滅ぼされたが
息子たちが北条に監禁され、北条が金山城に攻めてきたときは女城主として北条と戦っている。
秀吉の北条攻めの時も息子たちがまた監禁されたのに対し、妙印尼は反北条として活動して家名を保たせている。
ちゃんと実家の件の恨みよりも由良氏のことを第一に考えて行動していたのでは。
>>150 下野スレはあるが上野スレはないようだ。仕方ないんじゃないの。
152 :
人間七七四年:2007/10/13(土) 15:40:37 ID:fL98FCgP
まあ無敵ってわけでもないんだよな、みか尻の敗戦と国峰城落城があるし
兵力差があっただろうから仕方ないけど・・・でも小幡信貞の扱いはまずかったな
殺さないまでも人質とるか牢につなぐかしていれば
153 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 19:59:21 ID:e8h9F+PX
長野業正が死ぬと早くも和田城の和田氏が武田に降る事になった。箕輪衆の結束が明らかに後退した事を意味したって話もある。
業盛は和田氏に何かヘタ打ったんだろうか…つか和田氏との婚姻関係はあったのだろうか?
それとも単に北条によって松山城が落城し、それに伴って深谷上杉が北条側に転がりこみ動揺しただけ?
すでに佐久地方が武田領になっており碓氷峠の重要性が後退したため平井城は謙信が廃城にしたそうだがこれが上野国の利根川以西の守備を謙信が放棄したと感じ取ったのだろうか。
154 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 21:38:05 ID:iaNOL81i
>>153 若輩だから頼むに足らず、と思われたのでは?
155 :
人間七七四年:2007/10/17(水) 20:01:30 ID:yY51NdjY
笛吹の戦いでは武将たちが業正の指示を聞かず大敗ってあるんだよな、まあ上司であって主君じゃないからな
156 :
人間七七四年:2007/10/17(水) 22:30:28 ID:YxJHLffC
>>155 碓氷峠の戦いには業正は参加してなかった気がするが?
157 :
人間七七四年:2007/10/20(土) 13:07:29 ID:jQ+DXT/j
>>156 古河足利家の記録だと参戦している。他の史料だと長野の進言ってあるから責任はあるでしょ。
ミカ尻合戦は長野の兵は多く討たれ武田の兵はたいして損害ないとある
158 :
人間七七四年:2007/10/20(土) 18:19:40 ID:nEWsjUyk
いつの間にか業正が憲政を諫止したが憲政は聞かずに倉賀野衆を送った説すら出てるんだよな
信玄を防いだからって持ち上げられ過ぎな感がなくもない
過大評価は過大評価を呼ぶものなんだな
159 :
156:2007/10/21(日) 03:49:29 ID:CRJKbbVf
>>157 サンキュ。
古河足利家の記録ってことは、「喜連川家譜」に載ってる?
160 :
人間七七四年:2007/10/21(日) 12:18:44 ID:KDkNCEvc
>>157 瓶尻の戦いって出典が甲陽軍鑑のはずだけど他に記録があるの?
手持ちの武田家本だとどれも小田井原の戦い(笛吹峠の戦いも甲陽軍鑑だ)
の大将は倉賀野の家臣金井秀景とある。
『進言』というがそもそも憲政が家臣の進言で信濃で苦戦中の武田を討とうと出兵したというのも講談話で
実際には信濃出兵は海野平と同じように自分の勢力が
攻撃されたから援兵を出したというだけだから進言も何もないのでは。
161 :
人間七七四年:2007/10/21(日) 18:29:24 ID:3HS+EyyK
鎌倉官僚九代記か九代後記だったと思う
あとは群馬の郷土史かなにか
162 :
人間七七四年:2007/10/21(日) 18:47:37 ID:6L8Usx8k
「かんれい」な
163 :
人間七七四年:2007/10/21(日) 20:34:46 ID:Jrf7xi8v
>>162 本としては「かまくらかんりょうくだいき」とも読むらしい。
「鎌倉管領九代記」にしても「鎌倉九代後記」にしても軍記物なので信憑性はイマイチかも。
特に「鎌倉管領九代記」は「鎌倉大草子」や「甲陽軍鑑」から記事を抜いている可能性が大。
作者が「甲陽軍鑑」に詳しいのが明らか。
とはいえ未見なんで資料名を挙げてくれたのは助かる。
164 :
人間七七四年:2007/10/21(日) 22:26:32 ID:KDkNCEvc
関八州古戦録とどっちを信じるべきかは微妙なところかな。
俺の持ってる数冊の武田本の小田井原の戦いは一応信頼できる史料を使っているから大将が金井秀景なのは間違いなくて
それだとやはり長野が参戦したかは微妙なところだろう。
ちなみに「鎌倉管領九代記」の作者と伝わる浅井了意は長野業正をこんな怪談に登場させている。
伽婢子・幽霊諸将を評す
武田信玄に仕えている鶴瀬安左衛門というものが恵林寺へ行くと既に亡くなったはずの多田淡路守満頼がいた。
しばらくすると直江山城守兼続、北条綱成、山本勘介らもやってきて、それぞれの主君について評価しあった(中略)
そこへ長野信濃守業政もやってきた。彼は上杉憲政の臣で智謀無双のものであったが
信玄に挑み戦うこと七年で病死し、程なく子の右京進は信玄に城をとられてしまった。
長野が見回すと一同の中で山本勘介が上座にいて態度も無礼であったので長野はさらに上座に座り刀に手をかけて勘介を叱りつけた。
「山本の傍若無人な態度は納得いかない。そもそもどのような功績があってそのようにしているのか。
汝には三つの大罪があるがこれが知られていないために千年に渡り兵法に長けているという名を欲しいがままにしている。
一つ目は諏訪の祝部頼重が降伏してきたときにこれを殺すという無道な進言をした上に、その娘を側室にさせたことである。
しかもその側室が自らの子の勝頼に後をつがせようと長男の義信を讒言し、義信や譜代の臣まで殺させてしまった。
その原因は汝が諌めるべきことを諌めずに非道なことをいったからだ。
二つ目は信玄が父信虎を追放したことを悔やんで、再び甲斐に呼んで親孝行をしようとした時にこれを止めたことだ。
信玄が不孝といわれるようになったのも汝の不義のせいである。
三つ目は川中島の戦いで軍配を任せられたのに敗北して多くの将を失ったことだ。
汝も戦死したが、それは汝が備えを誤ったからだ。なのになぜ兵法に長けているなどと言われるのか。
汝は諸国を修行してまわり信玄に仕えたが、軍師の名を盗んだだけで信玄は大業を果たせなかった。
また、汝は我が敵であり、これを見過ごすことは地府の大帝が許さない。」
これをきいた勘介は反論できず、長野に上座を譲った。
長野が「諸家の名臣がそろっているが私は一城を預けられた身だ。無礼な振る舞いは許して欲しい。」というと
多田淡路守は「もはや遺恨などない。万事が休して去ってしまえば夢のようなものだ。ただ酒を飲もう」
と言って、それぞれ歌を吟じあった。
鶴瀬安左衛門はこれを見て非常に不思議に思った。ここは恵林寺の庭で、集まっている人々は皆死んだはずである。
そうであれば自分も死んでしまったのだろうかと思って、諸将に尋ねようとすると、貝・太鼓の音がして諸将は消えてしまった。
鶴瀬は甲府へ帰って信玄にこのことを報告したが、信玄は笑って狐にでもばかされたのだろうと言った。
165 :
人間七七四年:2007/10/22(月) 00:07:16 ID:9uXCtmHx
その話、なんか一人生霊がいるような気がするが。
166 :
人間七七四年:2007/10/22(月) 00:11:13 ID:3A34mprj
信玄が生きてるのに直江兼継の幽霊ってwwww
167 :
人間七七四年:2007/10/22(月) 00:39:48 ID:HBCZ75Gg
先代の直江兼続だろ。
直江家の系図によると兼続は4人いる。
168 :
人間七七四年 :2007/10/22(月) 01:24:18 ID:r9hM2rgq
>>165 生霊ならもう1人
北条綱成の没年は1587年www
169 :
人間七七四年:2007/10/22(月) 12:20:35 ID:VHT69ELN
アホか?
その信玄も幽霊ってことだよ。オチは。
ようするに、自分も含めてみんな幽霊だった、と言う話。
170 :
人間七七四年:2007/10/22(月) 12:23:47 ID:VHT69ELN
わかってないかもしれんから、一応書くが
長野の言葉の中に、「信玄は大業を果たせなかった。 」
とあるだろ。過去形だ。
つまり、この言葉で信玄も死んでいることがわかる。
171 :
人間七七四年:2007/10/22(月) 17:49:29 ID:dcB7WOY2
[千年に渡り兵法に長けているという名を欲しいがままにしている。]
という部分で、すでに異次元の話だぞな。
172 :
人間七七四年:2007/10/23(火) 01:06:56 ID:9wFSg88o
「伽婢子」は中国や朝鮮の小説や伝奇を日本風に翻案されている話もあるそうな。
これも元ネタがあるんじゃなかろうか?
173 :
人間七七四年:2007/10/23(火) 20:52:35 ID:1HUMENbO
そもそも直江兼継に、大層な自慢ができるほどの功績がない件
174 :
人間七七四年:2007/10/23(火) 21:23:18 ID:lHT7w5nx
道路の整備
豊臣姓をもらって上杉家への優遇を
本多家と昵懇に
これくいらい?
175 :
人間七七四年:2007/10/23(火) 21:29:56 ID:dC4MHq3s
業政言いすぎだろw
176 :
人間七七四年:2007/10/23(火) 21:40:37 ID:1HUMENbO
というか、勘助だけ場違いだろw
実際は軍師じゃなかったんだからさw
177 :
人間七七四年:2007/10/23(火) 21:44:44 ID:1HUMENbO
>>174 新発田討伐で敗北、最上討伐で敗北、家康激怒させたetc、マイナス影響の方が多い稀ガスw
178 :
人間七七四年:2007/11/21(水) 05:14:44 ID:FLII65LE
大河ドラマで、「業正殿」と諱を呼ばれまくりw
「長野殿」とか「信濃殿」とか言えばいいのに……。
179 :
人間七七四年:2007/11/21(水) 09:03:06 ID:IGPHpCEe
大河ではもっと豪傑みたいなジジイを期待してたんだが…でもアホ憲政がやっと忠義を理解してくれて感涙。
180 :
人間七七四年:2007/11/21(水) 16:03:58 ID:bHJcYCYr
本当は業正と憲政ってかなり歳開いてるんだよな
憲政って河越夜戦の時にまだ二十そこそこじゃなかったっけ
181 :
人間七七四年:2007/11/21(水) 20:56:16 ID:PCQ27g5G
約30歳離れてるな
182 :
人間七七四年:2007/11/23(金) 15:05:08 ID:HVCUt0LE
183 :
人間七七四年:2007/11/25(日) 00:55:49 ID:uLy8Hx0G
大河ではよい描き方であった。
次に映像化されるのはいつの事やら。大活躍が見たいぞな。
184 :
人間七七四年:2007/11/26(月) 20:53:04 ID:aIb3RNTW
海野家
185 :
人間七七四年:2007/12/02(日) 01:33:25 ID:jhM2fgm2
>>149 由良成繁と足利長尾景長の妻はともに赤井氏出身という説もあるそうだ。
>沼尻の戦いと利根川流域での小競り合いは連動する?
沼尻の戦いは元々北条に当主が北条に監禁された由良、足利長尾氏救援のために行われた。
天正十一年十月、北条は厩橋の越後北条を降伏させた後、由良国繁、長尾顕長兄弟を厩橋に呼び寄せて
小田原に抑留し、金山城、館林城を譲るように迫った。
ここで赤井氏出身の成繁の妻、妙印尼が由長兄弟に代わって抗戦を決意し、十一月に北条方との戦いが始まる。
翌年、皆川氏を通じて徳川家康に由長兄弟を返還するように頼み、家康も応じて北条に使者を送るが北条は聞かなかった。
五月に真田から佐竹義重、上杉景勝の援軍が行く予定があるとして由良氏を激励する手紙が届けられている。
上杉の越山はなかったが、佐竹はこうして下野南部へと援軍を出すが、膠着状態に陥ってしまう。
これが沼尻の戦い。その後、十一月北条氏照が和議を申し入れて講和するが、北条はこの条件を無視して
再び金山城攻めを行ったので、皆川も「南方表裏(裏切り)…前代未聞」と家康に報告している。
由良氏はまた佐竹に援軍を請うて、出兵したが、翌月には館林城が占領されたらしく、
翌年、由長兄弟が帰城した上で両城を北条に譲渡することで和議がまとまった。
由良氏は家康だけでなく、秀吉に対しても交渉を行っていたことが確認できる。
天正十三年三月の秀吉の書状で氏直が「計策を以って新田、館林を請取った」ことを書いている。
この時に渡瀬繁詮が秀吉に仕えたことが考えられるが詳しいことはわからない。
186 :
人間七七四年:2008/01/10(木) 23:51:07 ID:YmwjRPjE
箕輪城上げ
187 :
人間七七四年:2008/01/22(火) 23:19:22 ID:dNjHk7We
>>20 ちょw
うちの母方の家の菩提寺が長年寺だw
188 :
人間七七四年:2008/01/24(木) 19:51:24 ID:VAsuGjjQ
長野業正の一族の出羽守業親の嫡男 長野無楽斎(長野十郎左衛門業真)は、剣人達の間で名の知られた「居合の大御所」だったらしいね。
無楽斎の居合一流 無楽流は彼に師事した者から会津藩や仙台藩などに広まり、今日まで隆盛をみる夢想神伝流・無双直伝英信流が生まれたそうだ。
井伊家で功名いちじるしかった彼は木俣・庵原という代々主家に仕える名門に次ぐ家柄まで進められたが、寛永十三年頃に隠居、その後は牛にまたがって出歩き、出会う人みれば上下隔たりなく交わる事を楽しみ、生涯妻帯せず九十歳程で没したらしい
189 :
人間七七四年:2008/01/25(金) 00:51:17 ID:KEZVf3Ze
うちのご先祖が業真だとばっちゃに聞きました。
立派なご先祖だったんだな。俺も居合い練習しよっと。
190 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 00:06:34 ID:/bjvXXsG
>>112-129にも出てくる匂坂伝蔵(浜川伝蔵、長野十郎左衛門業実、長野民部)と
長野無楽斎って同一人物だったのか。
家康の小姓→和気善兵衛の娘の母の縁で井伊へ仕えたそうだが、いつ剣を習ったんだろう。
妻帯せずということは長野業輝は養子?
191 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 02:07:42 ID:QL4ETRJX
長野業正と村上義清の戦いの詳細お願いします
192 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 08:21:26 ID:nxm5XfM9
やヴぇえ・・・群馬の西部出身なのに長野氏も上泉氏も知らなかった・・・さらには安中氏さえ
上毛カルタに入れといてくれよ、そんなに凄い人物だったんならさ・・・
これからの戦国ゲームではヒイキにしますんで、今度帰省したときは各史物にもドライブしたいな
193 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 21:45:50 ID:/aWSfGjW
長野家関係の史跡って
箕輪城・長年寺・長野業盛の墓
他に何かあるかな?
194 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 00:15:40 ID:JvmbNS5v
鷹留城
195 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 18:58:16 ID:yFDaiOJ+
>>191 海野平の戦いかな?
村上義清・武田信虎vs海野一族・山内上杉だが、
上杉の援軍は間に合わず、敗北した海野棟綱・真田幸隆は上野へ亡命する。
長野が援軍に参加したかはわからないけどね。
196 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 18:10:27 ID:ZFbT2R9N
箕輪衆age
197 :
人間七七四年:2008/02/11(月) 22:19:13 ID:OfmLqPRJ
198 :
人間七七四年:2008/02/26(火) 21:06:39 ID:a6y/Y/2E
199 :
人間七七四年:2008/03/03(月) 00:38:33 ID:QmY8Ym2E
無敗の長野業正こそ事実上の戦国最強
200 :
人間七七四年:2008/03/03(月) 01:43:54 ID:cF/t2X0F
河越には参戦してないんだっけ
201 :
人間七七四年:2008/03/04(火) 05:17:28 ID:28BKSCR3
>>200 参戦して長男が死んでるんじゃまかった?
202 :
人間七七四年:2008/03/04(火) 20:15:14 ID:x5gG6Qwe
仕方ないよ。だって総大将がゴミだからね。
流石の業正でもどうにもならない。
203 :
人間七七四年:2008/03/04(火) 20:52:25 ID:4W3wIbIT
憲政は悪くない
204 :
人間七七四年:2008/03/05(水) 12:42:51 ID:U3sFYXJQ
憲政は有能だろ
あの若さで家督を継いで、上野まとめて、扇谷との抗争にケリをつけたんだ
あれをゴミというのなら、謙信もゴミの一歩手前になってしまう
205 :
人間七七四年:2008/03/05(水) 14:39:47 ID:G+OzL4Qo
御大層に何かを評価するにも、物事の上っ面しか見えないくせに神、糞、カス、ゴミ
しか言えないアホが多いからな
相手にするだけ無意味ってもん
206 :
人間七七四年:2008/03/05(水) 17:07:47 ID:BBJVj2wV
憲政は運が悪いというのもあるな
まぁ、優秀ではないが、特別アタマが悪いというわけでもないだろう。
207 :
人間七七四年:2008/03/05(水) 18:46:12 ID:U3sFYXJQ
>>202 あ、すまん。総大将か、憲政と勘違いした
でも別に古河公方の責任でもないだろう河越の敗戦は
208 :
人間七七四年:2008/03/05(水) 19:58:41 ID:kZTG2uhm
皆がゴミ=憲政を連想してしまった。
・・・そういうことさ。
209 :
人間七七四年:2008/03/05(水) 20:11:08 ID:Tu3JQgXA
210 :
人間七七四年:2008/03/05(水) 21:11:34 ID:W9hwyTKA
晴氏がゴミというのも納得いたしかねる
211 :
人間七七四年:2008/03/05(水) 21:37:50 ID:+Rg+DK4L
http://www.dora-met.edisc.jp/page006.html 上杉憲政の事調べてたら面白いサイトみつけました(その一部)
上杉家中には長野と違う派閥の者も多くいたため、大軍を指揮できる状況や立場にはなく、ここがゲームの世界と違うシビアな現実といったところでしょうか。
小規模の部隊を複数編成して、方面別に攻撃目標や任務を与えれば、上杉軍はこれほどの弱さではなかったと思われます。
この欠点は碓氷峠合戦でも、箕輪落城の前哨戦である甕尻(人見)原の合戦でも露呈します
212 :
人間七七四年:2008/03/05(水) 22:04:14 ID:U3sFYXJQ
だから業正はあんなに娘を憲政家臣のあっちこっちにばら撒いてたんだろうな
213 :
人間七七四年:2008/03/06(木) 19:08:19 ID:TcIsf6GG
上杉家が北条・風魔のハニートラップでどんどん侵食されていくので
守ろうと必死だったんだろうなあ・・・
214 :
人間七七四年:2008/03/06(木) 22:35:33 ID:FqhVFEpE
関東の軍記物って最低の捏造だらけやから始末におえんね(笑
信玄と戦ってもいないくせに、長野業正を過大評価したり、三増峠
では信玄軍を打ち破ったなどと捏造したりなどほんと最悪や(笑
215 :
人間七七四年:2008/03/06(木) 22:57:18 ID:4DxPEqGZ
軍記は物語なんだから捏造とは言わんだろ
史料じゃないんだし別に咎めるようなことじゃないよw
216 :
人間七七四年:2008/03/07(金) 21:03:47 ID:xgM+CRv+
天明の浅間大噴火で古農の家にあるような史料は殆ど焼けてしまったというが・・・
217 :
人間七七四年:2008/03/08(土) 18:36:02 ID:vl7fQmNB
捏造だよ、北条家の三増峠の戦いの史料と武田の史料や甲陽軍艦
を比較してみればよく分かる。
218 :
人間七七四年:2008/03/08(土) 20:11:53 ID:nl1IT7aQ
>>217 215がいいたいのは創作と捏造はベクトルが違うってことじゃね
219 :
人間七七四年:2008/03/08(土) 21:56:37 ID:i4ZXIU7M
業正の娘たちはいずれも美女揃いだったので先を争って縁談の申し入れがあったそうだ。
あまりの人気ぶりに業正も生産が追いつかず娘を貰えなかった豪族が反抗したりして上州戦略に支障を来たした。
あと10人娘がいれば信玄に箕輪城とられずに済んだのに惜しい。
220 :
人間七七四年:2008/03/09(日) 00:01:18 ID:gVUG/T/R
小幡憲重……
221 :
人間七七四年:2008/03/09(日) 00:55:50 ID:Dl+jJq4K
>>219 業正のイメージが渋い爺さんからイケメン若武者に変わってしまったじゃないかw
222 :
人間七七四年:2008/03/09(日) 10:04:15 ID:SUGwnMxv
222get!
223 :
人間七七四年:2008/03/24(月) 21:17:32 ID:FOzMHcOj
最強だんべ
224 :
中山鹿之助 ◆.Ooo.qq.q. :2008/03/25(火) 01:19:17 ID:/753W8UA
玉砕age
225 :
人間七七四年:2008/03/27(木) 16:35:31 ID:tQZOiMld
226 :
人間七七四年:2008/04/16(水) 19:11:24 ID:qqIKAdLJ
ふむふむ
227 :
人間七七四年:2008/04/19(土) 13:02:45 ID:lJL9wxYO
業正の生きてる頃から支城はだんだん落とされてるから業正がいても箕輪城もいずれは落とされたんじゃないか
名将だけど最強ってのは褒めすぎかな
結果論だけど小幡は追放ではなく殺しとくべきだったと思う、人質つかえばどうにでもなっただろうに
228 :
人間七七四年:2008/04/20(日) 13:23:07 ID:JPE4z6YZ
義将みたいに言われてるが婚姻関係を利用して一時は沼田や前橋などに影響を与えて白井や総社長尾家を圧迫し関東管領憲政の退路を断ち大胡方面では由良氏と勢力圏を争う野心家だったような気がする。
謙信が小田原征伐のスタートとして、まずその長野氏の野望を潰したように見えるんだが。
229 :
人間七七四年:2008/04/20(日) 14:28:27 ID:xbfoc0Tx
沼田との婚姻はまず講談で間違いない。
沼田顕泰は業正より年代が上で、顕泰の子に業正の叔父の娘が嫁いだと考えられるのだから
顕泰に業正の娘が嫁いだわけがない。
実際には沼田氏の内紛というのは謙信越山の前におこって、厩橋、大胡から進軍した顕泰の子の舅の家は厩橋長野氏だ。
白井長尾と総社長尾と対立したのは業正の父憲業の代で、業正も元服していたので活躍しただろうが、
これは白井、総社が長尾為景と結んで関東管領に叛いたからで、長野氏は関東管領側として行動している。
結局長野氏の仲介によって両家は帰参するが、一方では長野と長尾の対立が続いた。
しかし景誠が家臣に殺害されたので業正が白井城に乗り込んで総社長尾出身の景房(後憲景)に
継がせたように長野は長尾を滅ぼそうとしてわけではなかった。
後述するがこの箕輪長野が総社長尾出身者に白井長尾を継がせたという関係で
この三氏はほどずっと協調行動をとっている。
退路を断ったどころかこのおかげで退路が確保できた。
厩橋は業正の叔父厩橋宮内大輔だが諸系図では別族扱いであり、長尾との戦い以降別行動をとっていた。
たとえば由良成繁が周囲の諸国衆との関係を記した事書にも、厩橋との戦いはあるが箕輪長野は登場しない。
北条氏綱が鶴岡八幡宮の修築のために諸国衆から寄進を募ったときも厩橋長野宮内大輔は応じているが
長野業正は白井長尾憲景、憲政とともに応じていない。
憲政が平井城から逃げた後、厩橋は終始北条方に属して厩橋城には北条の家臣早川がはいって
吾妻から援軍として進出した真田と共に沼田を北条に渡したと考えられる。
大胡は大胡氏が北条氏綱に通じたため、
上述の長野と長尾と対立の際と同時期に上野から追放され、厩橋長野の一族が大胡氏を継いだ。
こうしてみるとこの年間に両長尾、大胡らが一斉に北条と長尾為景に通じて関東管領に叛き一時上野は総崩れ状態になり
それを克服したのが長野氏だったといえる。
憲政が平井城から落ち延びると白井総社箕輪は彼を上越国境にかくまい、同意の上で長尾景虎にあずけた。
謙信が越山するとこの三氏は真っ先に参加した。これは上杉年譜にあり関東幕注文からもわかる。
また、この越山は白井、総社、蓑勾(箕輪)がコン望(非常に強く望んでいた)したとちゃんと史料に残っている。
230 :
人間七七四年:2008/04/20(日) 16:05:04 ID:F2fwZvMC
>>229 >>顕泰の子に業正の叔父の娘
簡単なはなし業正の養女とかと似たようなもんで親戚みたいなもんなんで広義な意味で婚姻関係とは違うの?
>>白井、総社が長尾為景と結んで関東管領に叛いたからで、長野氏は関東管領側として行動している
その後に以下の流れが続くわけだがごっそり抜け落ちている。この時の長野氏の動きは?
守護代を父の弟の総社に取られて激怒した白井長尾景春の乱に組みした成田正等自耕斎が景春の敗北とともに道灌に降服した際に
上野守護代総社長尾忠景の子を養子に迎える条件になって送りこまれた成田顕泰が道灌から岩槻城を返還してもらったんじゃないの?
のちに景英らが上杉憲房の擁立に成功し総社長尾から守護代を取り上げて足利長尾が守護代を継いだ一連の流れで
成田氏も総社から白井に降服しその際に景英の娘が成田親泰の嫡男の長泰に押し付けられたと考えてますが。。
実際、成田氏長と成田長忠の母なのかな?それで氏長は長尾氏に愛着があって
謙信を支持してたのかな?それとも氏長が謙信の人質時代のよくしてもらったからかな。
しかし白井長尾の外交の一環で白井局が将軍義輝の近くにいく事になったのかな?
それとも上洛した謙信に付いていって近衛どのと親しくなった時にその証としてかな。。
231 :
人間七七四年:2008/04/20(日) 16:23:25 ID:xbfoc0Tx
>>>顕泰の子に業正の叔父の娘
>簡単なはなし業正の養女とかと似たようなもんで親戚みたいなもんなんで広義な意味で婚姻関係とは違うの?
沼田氏の内紛を伝えるものにはいろいろあるんだが、どれも登場するのは厩橋、大胡。
少なくとも縁組で沼田に影響力を持っていたとはいえない。
養女というのは可能性は否定できないけどね。
>その後に以下の流れが続く
いや、その後ではない。この長尾vs長野の戦いは景春死後の大永年間の話。
長尾景春の乱の時は「当国一揆旗本長野左衛門尉為兼(為業か)」が景春方に参加している。
訂正
>白井、総社が長尾為景、[北条氏綱と]結んで関東管領に叛いたからで、長野氏は関東管領側として行動している
232 :
人間七七四年:2008/04/20(日) 16:28:29 ID:xbfoc0Tx
>顕泰の子に業正の叔父の娘
この叔父というのは、
>実際には沼田氏の内紛というのは謙信越山の前におこって、厩橋、大胡から進軍した顕泰の子の舅の家は厩橋長野氏だ。
と書いたように或いは業正の大叔父とも考えられる厩橋長野宮内大輔のことね。
233 :
人間七七四年:2008/04/20(日) 16:35:09 ID:F2fwZvMC
>>231 いやそうでなくて
景英らが上杉憲房の擁立に成功し総社長尾から守護代を取り上げて足利長尾が守護代を継いだ時の長野氏の動向は?
234 :
人間七七四年:2008/04/20(日) 16:59:54 ID:xbfoc0Tx
大永年間のことは上杉家文書に残っているので分かるがそれ以外の時期の長野氏の史料は極めて少ないので今ひとつわからない。
しかし永正十年に長野憲業が吾妻大戸要塞攻略の祈願をし、系図に拠れば翌年吾妻で戦死した。
>>229で「業正の父憲業の代で」と書いてしまったが、この憲業は祖父。
信業も憲業と呼ばれたとか同一人物という説もあるなど議論の余地はあるようだが、ここでは業正の祖父は憲業、父は信業に訂正。
憲業の吾妻進出については、憲の字からして憲房の一字で、憲房方として吾妻で戦っていたと考えられるが特に確証はない。
これ以外のことは不詳。
235 :
人間七七四年:2008/04/21(月) 08:06:19 ID:p3lHqsSJ
沼田万喜斎も最近じゃ永禄年間には死んでたけど
沼田家で数度あった内紛が軍記物でごっちゃにされたせいで
10年ほど没年がずれて伝わった
236 :
人間七七四年:2008/05/28(水) 02:46:40 ID:AiTRVyD8
はげ
237 :
八郎:2008/07/17(木) 00:14:41 ID:u+KVTr/p
おのおのがた
>>188-190の長野無楽斎についてお尋ねします。
「長野無楽斎は永禄6年、箕輪落城後、玉出にて林崎甚助の居合を学び
門人上泉権衛門これを継ぐ」と夢想流居合の解説に有るのですが
先日武道板で玉出とは武州玉出郷、あるいは紀州、山梨などの可能性が高いと
古地理に詳しい人があたりをつけてくれました。
自分的には武州一ノ宮に林崎甚助が居たという伝承を考えると武州かと思うのですが
修行当時の長野無楽斎業実、上泉権衛門についてご存知の方、もしくは資料は
無いでしょうか?
238 :
人間七七四年:2008/07/20(日) 21:16:23 ID:e3zEYTfX
やっぱり長野民部業実と長野無楽斎は別人だと思う。
彦根藩の史料では1649年十月に八十三歳で死去したんだから
箕輪落城後(甲陽軍鑑の永禄六年説が広まったが実際には九年)に修行に出るのは無理。
父は後の彦根長純寺の開山で長野氏滅亡とともに出家。
業実も父とともに出家したが誕生とほぼ同時に出家したわけだ。
しかし僧にはならずに武士として身を立てようと家康に小姓として仕え
1582年甲斐若御子の陣が初陣。
剣術の修行をする機会はなかったと思われる。
239 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 00:10:16 ID:KJrQPyKc
沼田氏家臣団について書かれてる書物ありませんかねぇ。
沼田市史でも探しに沼田市へ行くかな。。
240 :
八郎:2008/07/26(土) 09:33:14 ID:tIstRQyO
>>238 どうもです。
上野国史には「長野は武道家にて若衆いろいろはやりをいたされしとかや。
長野長柄刀とて柄をことごとく長くして差しけり。」と有るそうです。
長柄刀を差す武芸と言えば林崎流(田宮流)居合術ではないでしょうか?
家芸として居合を知っていたなら修行はごく短期間(1〜3年)で済んだと思います。
また無楽斎は北条滅亡まで小田原の上泉屋敷に居たという説(上泉文書?)も有るらしいのですが、
これだと北条の田宮流を学べる機会も有った事になります。
241 :
人間七七四年:2008/08/05(火) 19:11:12 ID:I+YU9VAc
在原業平→????→乙業→尚業→憲業&信業&方業→業正→業盛
業行→業高→業景&方業(厩橋長野賢忠)→憲業(信業)→業正→業盛
憲業が上杉顕定に従い、扇谷上杉朝良を屈服させた際に、
息子の業正に朝良の娘を正室に迎えたってことかな?のちに上杉憲房より憲の字を貰ってると。
業正の姉は白井長尾景英の正室になってるよね。景英の母は足利長尾だよね。
景英の娘は成田長泰の正室だから息子の成田氏長と成田長忠には白井・足利長尾・長野の血があるかもね。
総社長尾は上杉顕実を管領とした挙句に上杉憲房と白井長尾に敗北し、
管領家宰職を足利長尾に奪われた為に北条氏綱に内通したとの口実で
憲業と弟の厩橋方業(方斎)の挟撃で総社長尾また敗北。
強大になった長野氏の影響力が反映し関東管領上杉憲寛により総社は高津長尾氏から長尾顕景から入り継ぐ。
しかし強大化した長野氏の圧迫を恐れた白井長尾景誠と総社が協調し長尾為景の斡旋で上杉に帰参を願い出る。
為景と上杉の斡旋和解の場は長野氏の草津であり、長野に敵対する事は上杉に敵対するに等しい状況だった。
長野憲業・方業に総社が挟撃され降伏→総社を嫡男景房が継がせる。
長尾景誠の母は業政の姉になるから景誠が家臣に殺されたら業正が白井の為に総社から顕景の子憲景を連れてきた。
これで長野氏は総社に続き、白井も支配下に組み込むことに成功。
その後、川越で北条に上杉が敗れた際も長野氏を盟主にした軍が主力だった。
景誠は長野氏に暗殺されたんでないの?それで総社も白井も好き放題やって弱体化させた為に上野から追い出された。
しかも業正の伯父厩橋賢忠は北条に内通して謀反しようとして謙信に誅されてるし。
武田に追われ、白井・総社の顕景の子らは越後へ逃走し景房は出家→総社断絶?
越後で景房の弟の景孝がお舟と婚姻し直江家を継いて直江信綱に改める→御館の乱後の恩賞トラブルで殺害される。
お舟が樋口兼続と再婚し直江兼続登場で来年は大河ってことは、
テレビで白井長尾や総社長尾の大活躍が見れるわけですね?
242 :
人間七七四年:2008/08/06(水) 03:39:23 ID:51xNrMWO
長野信濃守業政の略歴
tp://cache.yahoofs.jp/search/cache?p=%E9%95%B7%E5%B0%BE%E6%99%AF%E8%AA%A0&fr=bb_top_v2&tid=bb_top_v2&ei=UTF-8&search_x=1&x=28&y=7&u=www.geocities.jp/suiun_an/newpage507.html&w=%22%E9%95%B7%E5%B0%BE+%E6%99%AF+%E8%AA%A0%22&d=L0Jl1S72RLsY&icp=1&.intl=jp
243 :
人間七七四年:2008/08/26(火) 17:13:39 ID:SYgchZrS
現在の当主はどなた?
244 :
人間七七四年:2008/08/26(火) 20:55:21 ID:L5LVCqdg
>>241 長野氏は独善的だな
家宰兼守護代家に従わず
長尾氏らを圧迫。
長野は守護代に任じられたとしてる書もあるくらいだからな…あくまで専横による自称だが。
長野が上杉を助けたなんて捏造だ。
245 :
人間七七四年:2008/08/27(水) 02:39:32 ID:D1HBUGcN
東のほうの偽源氏よりは1000000倍くらいましではないかね
246 :
人間七七四年:2008/08/27(水) 03:12:29 ID:S5eilfAv
ん? 佐竹?
247 :
人間七七四年:2008/08/27(水) 19:45:18 ID:D1HBUGcN
東毛
248 :
人間七七四年:2008/08/31(日) 22:31:05 ID:xA9tMn0F
よっ
こら
せっと
249 :
人間七七四年:2008/09/27(土) 04:22:03 ID:D68452Mw
伊勢の長野氏とは関係有るの?
250 :
人間七七四年:2008/09/27(土) 10:43:22 ID:uFjkpPlS
信玄の家臣の和田信業の名前の、「業」の字は養父が和田信業から頂いた「業」の字を受け継いだもので、
信は信玄から頂いたもの、ってのはちょっと面白いw
251 :
人間七七四年:2008/10/29(水) 04:04:32 ID:/cH2HejK
252 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 00:59:47 ID:HJsImQf7
長野業正と村上義清の戦いの詳細ってどうなの?
253 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 02:21:52 ID:eVbAQ5Jg
どうなの?って、何をどう聞きたいんだよ。
254 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 01:21:41 ID:JkNIv9bj
保守
255 :
人間七七四年:2009/01/28(水) 05:39:24 ID:XV/Qp+TJ
人物文庫の新刊読んだ方いますか?
256 :
人間七七四年:2009/01/30(金) 20:13:48 ID:HO8vQJHh
保守
257 :
人間七七四年:2009/01/30(金) 22:39:57 ID:sDyrEG6V
258 :
人間七七四年:2009/01/31(土) 01:25:35 ID:0bMh1ONR
こーゆーイベントがあります。
箕輪城シンポジウム
高崎市文化会館ホール 2009年2月8日 開場9:30
参加費無料 申し込み不要 定員701名
内容は
記念講演 「地域を活かした史跡整備」
基調報告 「箕輪城跡発掘調査成果と今後の箕輪城跡」
基調講演 「長野氏の箕輪城」
基調講演 「井伊直正時代の箕輪城」
シンポジウム 「箕輪城跡の調査成果と今後の箕輪城跡」
関連イベント
箕輪城跡現地見学会 2月7日 10:00〜14:00 雨天決行
「東国千年の都ー前橋・高崎の中世を歩く」
高崎シティギャラリー二階 第六展示室
1月31日〜2月9日 9:00〜18:00
かみつけの里博物館
2月22日〜5月31日 9:30〜17:00
近郊の方は是非とも参加してみてください
259 :
人間七七四年:2009/01/31(土) 20:08:53 ID:QJt0j4k9
260 :
人間七七四年:2009/02/01(日) 02:05:12 ID:DdNqJwPq
261 :
人間七七四年:2009/02/01(日) 13:14:03 ID:rlhMSV2f
箕輪城シンポ良かった。またやって欲しい。
262 :
人間七七四年:2009/02/14(土) 01:16:58 ID:smxOmeUs
>>255 読んだ感想だがあまり評価できないなあ。
時代や場面、内面の描写も中途半端だし滅び行く大名なら
武田の方が面白い。
業正に関しては『北条氏康』の方が描写が良いと感じたなあ。
263 :
人間七七四年:2009/03/27(金) 23:37:46 ID:2OqAHADg
上杉朝良の娘を娶るとは、業正も上杉にかなり重要視されていたんだなあ
264 :
人間七七四年:2009/04/23(木) 01:56:23 ID:WbEbfu8g
265 :
人間七七四年:2009/04/23(木) 20:41:49 ID:ufGOrICg
早っ!
266 :
人間七七四年:2009/06/05(金) 23:52:13 ID:BOmyUVMV
267 :
人間七七四年:2009/06/06(土) 00:40:42 ID:WVBrUfTL
よかったな、大河になれるかも知れないぞ。
前髪垂らしたイケメン俳優が主演して、
ホモくさい腐女子ホイホイの脚本家になるな。
jcpてあーた。
269 :
人間七七四年:2009/06/07(日) 01:40:50 ID:UzMKEDbx
270 :
人間七七四年:2009/06/09(火) 16:33:51 ID:HMsR+BCM
こいつほど捏造満載な武将もいないだろうな。
信玄を6回撃破ってwww川中島で互角に戦った謙信に対抗してる
姿がみえみえ、ほんと関東の人間の醜悪さが垣間見えるね。
江戸時代の講談以外に、当時の資料が何一つ無い時点で笑える。
271 :
人間七七四年:2009/06/09(火) 17:01:50 ID:8x/M6g5E
272 :
人間七七四年:2009/06/11(木) 17:04:41 ID:v0EVvN+Z
だったらさっさと箕輪支配すれば良かったのに。放置した信玄ってアホだねw
273 :
人間七七四年:2009/06/14(日) 03:42:30 ID:NML3felv
放置も何もちゃんと平定してますが何か?(笑)
用は「6回撃破」とかいう支離滅裂な捏造を残した上州の田舎侍のことを
言ってるんだろうよ。
そこに書かれている信玄の行動の仕方も本来の信玄の軍略とはほど遠い内容w
274 :
人間七七四年:2009/06/16(火) 20:06:11 ID:eRkUHYrH
川越の戦いで北条に負けたのは長野のせい。
275 :
人間七七四年:2009/06/16(火) 23:24:22 ID:/+vIfLyO
ここのスレ荒らすな!
276 :
人間七七四年:2009/06/16(火) 23:44:30 ID:QsUC4Scd
武田厨はほのぼのスレも空気読まず踏み荒らす意地きたねぇグズ
277 :
人間七七四年:2009/06/17(水) 18:33:33 ID:UJkywC9/
>>276 信濃と上野を荒らした信玄だからね。
ファンもそうなんだろ。
278 :
人間七七四年:2009/07/31(金) 12:12:38 ID:L1m3uXcY
279 :
人間七七四年:2009/07/31(金) 16:49:36 ID:t8ZgaU2v
幸隆って謀略もいけるけど城攻めの鬼だよね
上野やら信濃の要害な山城ばっかり落としてるし守るに易く攻めるに難しな
城攻めで功を上げる攻め弾正といわれる所以だな
まあ息子は篭城の鬼だったがw で長野のおっさんが攻め落とした城はあるの?
280 :
人間七七四年:2009/08/18(火) 00:13:00 ID:DLK3Qrvs
あったら教えて欲しいぐらい
落とされた城なら落とし返したんじゃないの?
281 :
人間七七四年:2009/08/18(火) 09:37:18 ID:+v2IQ+e0
そんなに興味があるなら自分で調べなさいな。ネットでは正しい知識は身に付かないよ。
無知が後世に捏造された逸話を鵜呑みにして、業正もとい各武将を勝手に崇拝してるのと同レベル
282 :
人間七七四年:2009/10/08(木) 19:27:23 ID:KtHypPOu
【第7回箕輪城まつり】
日本100城にも選ばれた国指定史跡・箕輪城跡が舞台。
見どころは、手作り甲冑の武者行列、本丸での鎮魂際、
長野軍と武田軍の攻防戦など。
・開催日時/10月25日(日)9:30〜15:00
・会場/箕輪城跡ほか
・会場住所/高崎市箕郷町地内
・問合せ/高崎市三郷支所地域振興課
群馬よみうり raifu 10月号より抜粋
283 :
人間七七四年:2009/10/28(水) 01:40:56 ID:3U5cdgCO
284 :
人間七七四年:
長野氏って昔から山内上杉家と主従関係にあったのかい?