【日韓】 対馬の言語はハングルで、ハングルが日本語になった〜日本で発見された新資料で判明[10/19]
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1319035020/l50 http://www.gnnews.co.kr/habyeditor/upload/editor/guest/4e9d75a9c0ba4.jpg ▲写真説明=本来、対馬原住民が書いた私たちのハングルは陰陽五行説の二音節になったこと
で世界に誇る文字だ。明治維新の先駆者、平田篤胤は1811年、漢字、ひらがな、カタカナをなくし、
対馬のハングルを使おうという運動を起こし、1867年に明治維新を起こして明治維新政府はすべ
ての文を対馬文で書こうという運動の中で日本最高の歴史書物「古事記」を官用に出版した。
日本の対馬が過去、私たちの国土だった事実を立証するとみなされる資料が公開される。
また、この資料を基に「対馬の言語はハングルで、ハングルが日本語になった」、「対馬は朝鮮の
島だから対馬藩主は印鑑を偽造して偽造文書を使った’、‘対馬を私たちの土地と表示した新しい
日本古地図’等多様な主張が提起された。
馬山(マサン)文化院は19日午前11時30分、同院展示室で関連資料を初めて展示し同日、午
後3時3・15アートセンター国際会議場では金文吉(キム・ムンギル)韓日文化研究所長の招請特
講とイム・ヨンジュ馬山文化院長特講を持つ。
一方、本誌は今回の写真関連資料を土台にしたキム所長の主張とイム院長の主張を3回にわけ
て掲載する。
◇対馬言語はハングルで、ハングルが日本語になった
キム・ムンギル韓日文化研究所長(釜山外大名誉教授)
私たちのハングルが日本の対馬に入って対馬原住民のアヒル族が使った。それがアヒル文字(訳
注:阿比留文字(あびるもじ)のこと)だ。アヒル文字を見て日本語になったという字原の本が発見
された。冊名は神字原であり、この本は1840年に発行されたパンフレットだ。神字原を書いた人物
は野之口隆正だ。
この著者はオオソク神社の神主だ。この人の主張は同僚の平田篤胤が主張した神代文字がどん
な原理で作られたかをよく描写している。韓国の文字の神代文字は外圭と中廊に中心の字が原
典になって神代から下りてきたと主張する。
さらに説明すれば、外圭+中廊+中心=韓国の文字(? ? ? ? ? ?) 神代文字(日本語原典)
このようにして日本語50音が表記されると言う。外圭は宇宙という意味で中廊は日本国を表現し、
中心字原は日本語の母体になった韓国の文字だ。日本語は本来私たちの文を見て操作し日本の
神が与えた文として神代文字といった。神代文字がまた今日の日本語ヒラカナ・カタカナがなった
という内容だ。
最初に神代文字を主張した人は明治維新を唱えた国学者平田篤胤だ。平田は王朝国家を設立
するために信徒思想(訳注:神道思想の誤り?)を主張した。信徒思想で明治維新の最も障害物
になったのが仏教と儒教から出た漢字とヒラガナ・カタカナ日本語であった。
漢字と日本語をなくしてしまい、対馬のアヒル文字を使おうと国民らを指導して結局門下生500人
余りが明治維新を起こし師匠が主張した信徒思想を復興させて信徒思想に陰陽五行説で作られ
たハングル(対馬文)を最もつりあった文字と言い、今日まで神社にたくさん残っている。韓国の文
字の偉大さは世界に誇れることだが、対馬原住民が書いた私たちのハングルが日本語の字源に
なったことが今日になって判明した。
この資料は京都大学文学部古書籍室で発見された。表紙でも表示されているが貸し出し禁止と
書かれ図書館門の外でも持って出て行くことはできない(門外不出)と書かれてある。このパンフレ
ットは昨年夏、京都大訪問時に発見した。
カン・ミンジュン記者
ソース:慶南日報(韓国語) 日対馬、ハングル書いたというのに…
http://www.gnnews.co.kr/?section=KNEP&flag=detail&code=284203