1 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:
九度山から歩いて大阪城に入ったら
大坂の陣は大坂方が勝っていた
根性が足りん
これはひどい
3 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 19:01:01 ID:ZovWSKdx
( ´゚ω゚` )
4 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 19:10:27 ID:c7XUnYuq
九度山じゃなくて三途の川を六問銭使って歩けだろ。
,, ―- 、_
/ '' - ,,
/ '' - ,,
/ ヽ
i / /ヽ !
,i ./ / ''―、 !
i ,、 n て'' ノノ ヾ !
i ノノノ ノ ノ ''´ ! /
>>1スレ立てしていいレベルじゃねーぞ!
j ' ´ ノ ( ヽ |
>-,, / ,,=━━・!' ,ノ━== ! ノ
!・ ヽ | ’ニンniii、 :::::i/ィ7iii= i )
\(てi iヽ ^' ~ -' /}
`i_ 、 \ i_ l_j
`┐ i /(,,, ,n 〉 /\\
 ̄ ̄へ ! ' T'' l | \
| ! i ン=ェェi) i ソ )
| i´\! ,, -ェ`、_ン ノノ 〈
| | \\,, `―''´// |
| つ !、_''''''''''''' / 7
6 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 21:33:52 ID:c7XUnYuq
しかも字が違う。
2番煎じの上に誤字、これはひどい
8 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 22:22:59 ID:OV0AEEOM
九度山いってみ、すんごい田舎だから多分当時と景色はそんなに変わってないだろうね
姓はともかく本名なんでオレを特定する為のスレかと怯えた26の冬
さなださなゆき
死 ぬ な よ 真 田 親 子
だったら多少はおもしろかったかな
>>9の名前は真幸(まゆき)であって女だと勝手に断言してみる。
六文銭で船に乗ったりしないで
泳 げ よ 真 田 昌 幸
14 :
1:2006/12/16(土) 18:26:02 ID:h//FohqO
歩いて参った!!!!
須藤真幸のことか?
さなださなゆきて誰よ
しんだしんさち だろ
18 :
人間七七四年:2007/03/03(土) 18:37:01 ID:aGNvADQB
さなださねゆき
19 :
人間七七四年:2007/04/10(火) 04:26:25 ID:9mbfbADD
佐奈行き歩けぇ!!
20 :
人間七七四年:2007/04/10(火) 05:50:35 ID:7ylvFSOA
今川氏真から諱もらったのか?
カッコ良すぎるぞ真田真幸!!
21 :
人間七七四年:2007/04/10(火) 07:13:10 ID:EgrZ3on+
うそだろ〜
22 :
人間七七四年:2007/04/10(火) 23:34:22 ID:fagvxtIh
さなだむし
23 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 00:28:24 ID:xErcB9M9
真幸(笑)
24 :
人間七七四年:2007/05/31(木) 01:05:41 ID:fZSWAlEw
たしかあずみに殺されたんだっけ?
25 :
人間七七四年:2007/06/03(日) 21:10:55 ID:Y5jzBBWf
あああ
26 :
人間七七四年:2007/06/03(日) 22:47:48 ID:KPHQ5F2/
すでに死んでるのに・・・バカすぎ
27 :
人間七七四年:2007/06/04(月) 05:26:02 ID:S2kCa6zM
28 :
人間七七四年:2007/06/04(月) 21:57:18 ID:fvKaTpZE
誰か、「走 れ よ 徳 川 秀 忠」ってスレ立ててくれ。
真田ごとき田舎大名に手こずってるんじゃねーって。
私のホストからは現在スレが立てられんのだ。
29 :
人間七七四年:2007/06/04(月) 22:42:08 ID:xN9s9/7D
「出 陣 し ろ よ 豊 臣 秀 頼」
引き籠もってんじゃねー!って。
30 :
人間七七四年:2007/06/05(火) 01:31:17 ID:Z5HA7cJt
大坂の陣前に急死した原因は家康の謀略で猫の爪に毒が塗られそれに引っ掻かれた
ために体に毒が回り死亡と言う話は本当?
31 :
人間七七四年:2007/06/05(火) 19:38:02 ID:4i5eS9CA
手が込みすぎだろ。それ。
32 :
人間七七四年:2007/06/05(火) 19:39:54 ID:4i5eS9CA
つうか寿命でしょ。
結構な長生きだよ
33 :
人間七七四年:2007/06/05(火) 23:31:14 ID:ehDqQCkf
考えたんだけど、こんなのどう「長生きしろよ小早川秀秋」
34 :
うんこ麻呂:2007/06/05(火) 23:41:40 ID:suH/9NjF
なんて切ないw
35 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 17:54:02 ID:34KgvK5j
漏らすなよ! 徳川家康
とか
36 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 20:26:46 ID:Zcefdn2z
37 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 21:08:19 ID:ecqD6uap
実際問題、真田昌幸は、関が原の時にどっちが負けても良いようにってことで東軍と
西軍両方に分かれたって言われてるけど本当なのかね?
そこまで遠謀深慮だったら、実際問題、大阪の陣に幸村が参加して、信之の立場を
悪くするなんてありえないし、もしかして、大阪の陣ももしかしたら大阪方が勝つとでも
思ってたのかね?
38 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 21:20:08 ID:LprkA0E4
関が原で二股したのは他に前田、九鬼、鍋島、細川と多かったりする。
まあ真田家は上田と沼田に分裂していたと考えられなくもない。
幸村なんて正室が吉継の娘、側室に秀次の娘、青春時代は豊臣家に出仕。
信之は正室が徳川家に縁深い。
幸村が大坂に入ったのは最後の死に華咲かせる為と信奉している。
39 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 21:27:36 ID:ecqD6uap
>>38 そのあたりが良く分からないんだよね。
最後の死に華咲かせるって言っても、嫡男いたわけだし、
一人身ってわけじゃないんだから、しばらく自重して、信之の奥さんの実家本多家を
介して、許してもらうとか、色々考えようはあったと思う、現に立花宗茂だって許されてる
わけだしなぁ・・・。
まぁ秀忠を苦しめたから、秀忠存命中は許されないだろうなとは思うけど、それでも子供が
いるんだから、家光の治世になって子孫が恩赦もらえる可能性はあるわけだし・・。
よっぽど大阪の陣に勝機が合ったと思ったんだろうというのが本音だった気がするんだよね。
40 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 22:19:12 ID:TzcUQRVT
宗茂と違って次男坊だし、家族ができたから丸くなるって暴走族みたいな発想だなw
41 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 22:51:05 ID:wpxVC1+t
このスレは真田真幸を語るスレです。
42 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 23:00:17 ID:ecqD6uap
>>40 最後の死に華って言うわりに若い自分の息子巻き込んでるから、それは違うだろって
思っただけだ。
それに、次男っていうけど、長男という説もあるわけだし、次男なら次男で、尚更、
信之の家来として帰参してもよし、ってことにすれば、幕府も幕領を与えなくて良
いし、自分の懐痛まないからかまわんだろw
43 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 23:35:15 ID:xsqtZA/w
ぶっちゃけさ、
幕府が関ヶ原での事を許して、1000石の旗本にでもすると言う話があったなら、
大坂城の攻めてだったと思うんだ、幸村は。
誰にとって幸かはわからないが、そういう話がなかったから
窮鼠猫を噛んだだけであって。
44 :
人間七七四年:2007/06/07(木) 00:04:42 ID:yikreNsL
ってか、家康から大名にするって言われても裏切らなかったし
昌幸は俺が生きていたら秀頼公に天下を取らせていたって資料に残ってるよ
はっきり言って、当時の武士の美学は俺らじゃ理解できない。
そこを考えるのがおもしろいじゃねぇの?
45 :
人間七七四年:2007/06/07(木) 00:35:33 ID:Mw/4OIua
一見して物凄い違和感があったんで
スレタイ逆から読むのかと思ったら
ただの誤字かよ
46 :
人間七七四年:2007/06/07(木) 01:40:05 ID:KH+T/Lpr
誰だよこれ。
最初から面白くないネタの上、名前間違った
>>1は死ぬほど反省しろ
47 :
人間七七四年:2007/06/07(木) 04:43:11 ID:j4gdNG/I
48 :
人間七七四年:2007/06/07(木) 04:44:07 ID:faXox/sF
49 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 00:18:08 ID:nE7ATBQH
島津島久みたいなもん
50 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 15:09:01 ID:UrOsSGcb
埋もれていた新武将が発見された!と思ったら・・・・
太閤立志伝の次ソフト出たらこの名前にしよう。
51 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 21:36:45 ID:B5ncR/Oq
で結局
さ な だ さ な ゆ き
って誰よ
52 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 21:53:14 ID:AweAwugh
ちなみに幸村も間違いなんだわさ
53 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 22:08:20 ID:CqjYaVmI
52
間違いなのか?逆説の日本史で見たが信繁は武田時代の名前で後に幸村と改名したんじゃないかという説も・・
54 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 22:29:01 ID:AweAwugh
実は幸村って名前は江戸時代の講談でしかでてこない
資料は無いので信繁だけとのこと
55 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 22:42:54 ID:NnIcxEtS
10近く名前あったんじゃないの?
56 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 23:00:06 ID:/86lt/mw
真田ちんちん丸とかだったらここまで人気ないだろう
57 :
人間七七四年:2007/06/12(火) 00:36:16 ID:O95oU3pJ
信繁の崩し字を読み間違った、っていうのもあるらしいよ。
58 :
人間七七四年:2007/06/12(火) 02:26:36 ID:xD2X2NT2
>>51 誰だっていいだろ真田一族には間違いないんだし
それよりこの真幸って奴は今どこを歩いてるんだ!?
59 :
人間七七四年:2007/06/13(水) 12:18:21 ID:g4kk1SCE
で
真幸って誰?
60 :
人間七七四年:2007/06/13(水) 12:38:52 ID:Sqo7gjFm
歩けよ立花道雪
61 :
人間七七四年:2007/06/13(水) 12:39:30 ID:htEleYs4
>>59 眞田幸隆の嫡男。
武田家に使え、主家滅亡の後は上田に本拠を構え、徳川家康、秀忠親子を上田城にて苦しめた知将。
晩年は高野山に幽閉され、没した。
息子にはかの有名な真田幸村(信繁)。
62 :
人間七七四年:2007/06/29(金) 21:01:55 ID:SwHCxQ9D
>>44 当時の大坂で本音を言えるか、ってのと
いきなり石高を増やしてなめんじゃねえ、ってのと
まあいろいろ
63 :
人間七七四年:2007/08/02(木) 08:20:58 ID:qYkveGfI
真幸って昌幸の間違いだろ
64 :
人間七七四年:2007/08/05(日) 11:51:29 ID:Ma6NgUh4
真田真幸[さなださねゆき](1604〜1615)
真田幸村の子。真田大助の弟。
父親の幸村、兄の大助と共に大坂の陣で戦うはずだったが、九度山を下りる時に
ウン○がしたくなり、幸村と大助に置いてかれてしまう。遅れて大坂に着いた時
にはもう大坂城は燃えていた。真幸はバカだから何が起きてるのかわからなかっ
た。そもそも大坂に来た意味もわすれている。真幸は辺りをウロウロしてると、
徳川方の将に捕まり斬首された。
65 :
人間七七四年:2007/08/08(水) 22:12:09 ID:pNoToVKu
かわいそうに
66 :
人間七七四年:2007/08/08(水) 22:41:05 ID:ooYsA7aI
幸村って信玄につけられた名前やなかった?
67 :
人間七七四年:2007/08/08(水) 22:52:33 ID:jVqBOCg3
68 :
人間七七四年:2007/08/09(木) 00:57:43 ID:WPjdP1y7
夏だなぁ
69 :
松平忠吉:2007/08/09(木) 02:41:10 ID:GPD6k4HD
>>66お前にわかるように説明してやる、信繁(幸村)が元服するまえに信玄は死んでる
はい糸冬了
これって今気づいたんだが泳げよ宇喜多秀家にかけてたんだな
71 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 14:14:56 ID:CdlnM86e
age
72 :
人間七七四年:2007/10/22(月) 20:43:10 ID:pbjem155
73 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 15:21:12 ID:nFp8xa08
しかも2往復目では関連スレになってるしwwww
74 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 19:11:19 ID:xC+9eCbF
関連スレage
75 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 22:54:07 ID:KFXxt4GK
www
76 :
人間七七四年:2007/10/27(土) 00:36:31 ID:swxxxHFw
さっさと歩けよクララ
77 :
人間七七四年:2007/10/28(日) 05:56:52 ID:K69yqIsT
78 :
人間七七四年:2007/10/31(水) 21:18:28 ID:zVTeS/Tf
79 :
人間七七四年:2008/01/09(水) 14:45:21 ID:iyk/nwHt
保守
80 :
人間七七四年:2008/01/09(水) 18:03:57 ID:rrNVkKCx
さなださなゆき
81 :
人間七七四年:2008/01/10(木) 19:19:33 ID:T1nEiSN1
○真田幸村 × ●徳川諸大名連合軍
脳みそが筋肉の後藤基次は無謀にも敵陣に突っ込み討死。他の浪人たちも幸村の作戦を聞かずに倒れていく。
智勇兼備の幸村は、まず伊達政宗の騎馬鉄砲攻撃を伏せ交わし、槍突撃で撃退、松平忠直も一蹴。
ついに徳川本陣に突入し、逃げ惑う家康は切腹を試みるも間一髪旗本に止められた。ついに幸村は日本一兵へと化した。
82 :
人間七七四年:2008/03/06(木) 20:45:09 ID:zfTYhX6h
良スレ
83 :
人間七七四年:2008/04/05(土) 11:12:41 ID:uKRt+IIR
保守
84 :
人間七七四年:2008/04/06(日) 01:30:47 ID:kXYJB1zt
補修
85 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/07(土) 13:51:10 ID:r8AO8nUo
突っ込むところはそこか?
87 :
人間七七四年:2008/07/17(木) 18:54:25 ID:dgelkdH/
真田昌幸て、関が原で徳川が勝つと読めなかったのかな?
260万石の圧倒的な経済力、兵力、婚姻などの政治力。
戦術はすごいけど、先が読めない人なのかな?
同じ関東なら、徳川家の存在はインパクトあるはずなのに。
88 :
人間七七四年:2008/07/17(木) 19:55:09 ID:YOmV6sfa
>>87 毛利や宇喜多が参加する西軍と東軍の戦があっさり終わるとは考えなかっただけだろ
というか、当時の状況じゃどっちが勝つかなんてワカラン。見かけ上の兵力なら西軍の方が上回ってるくらいだしな
だから別家を立てさせた息子を東軍に、自分を西軍において家名を保とうとしたんでしょ
89 :
人間七七四年:2008/07/17(木) 20:06:37 ID:dgelkdH/
>>88 毛利、宇喜田て合計してじゃん。烏合の衆だろ。結局トップの力量で決まるのに。
鍋島直茂、吉川、藤堂、黒田、細川とかは西日本にいても、家康の実力を評価してる。
西軍は大将の毛利は留守で、三成は嫌われ者で経験、実力不足。
戦略眼があれば家康だろ。
90 :
人間七七四年:2008/07/17(木) 20:24:11 ID:M6iRupQM
家康についたところで、大活躍したってせいぜい倍増して20万石になる程度でそ。
もし西軍が勝ったら、それよりずっと加増する可能性が高いし、どうせ西軍内で
内紛が起こるだろうから、その後の身の振り方次第で大大名に成長することだって
不可能ではない。
91 :
人間七七四年:2008/07/17(木) 20:44:14 ID:YOmV6sfa
>>89 合計して烏合の衆って、お前意味間違ってるだろ
烏合の衆というなら毛利家単独でいい。宇喜多、小西、毛利秀元あたりは十分意思疎通できてたように見えるがな
石田が嫌われ者だってのはある程度確かだが、実力不足ってのは不当評価だぞ
そこにあげた奴らは三成嫌いで有名じゃないか。吉川にしたって石田側の安国寺との政争だろ
で、徳川は背後に上杉と佐竹という敵を抱えていて
真田の領地は関東上野と信濃の一部分、戦略的には西軍についた方が重要視される地域だろ
戦乱が長引けば長引くほど重要性が増す位置だ。これ以上ないほど美味しい条件じゃないか
時流を見る目は無いかも知れんが戦略的には有効な選択だと思うがな
先にも言ったように家名存続の手は打ってあるわけだし。九鬼と共に相当賢い手だぞ
92 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 14:23:17 ID:7n/MYZbi
>>91 旧織田軍団内の派閥争いは、秀吉の死ぬ前から始まってるんだよ。第一派閥は家康派、二番目は利家派(昔からの人脈、血縁、五大老の一人で秀頼の後見人)。
利家に五奉行が加わり、家康には武断派が加わり互角の勝負だった。このままでは、家康は大きな動きは出来なかったけど秀長、蒲生氏郷に続き利家まで亡くなって
前田家は人質まで出すようになって、家康の暴走を止める勢力、リーダーはいなくなった。
豊臣政権は旧織田軍団中心に組み立てられてるのに、外様の毛利を引っ張りだして烏合の衆なら毛利単独でいいてアフォか?
ボンボンの輝元に、他国の大名を引き付ける政治工作もしてないし、リーダーシップもない。
飾りだけの総大将で実際は留守番役で、吉川、小早川の裏切りで一族すらまとめてない。
三成が実力不足なのは、20万石程度では単独でも連合組んでもとても勝てる見込みはない。島津なんて命令聞かないし最後に脱走する。
秀吉が三成に100万石与えると言って断ったのがまずかった。100万石の兵に島左近が訓練施せば、本当の実力を備えることが出来た。
山内一豊の妻でさえ、次の天下は家康と判断して関が原前に夫婦揃って、演出をしてる。本来、東海大名は家康の監視役なのに。
真田の戦術は認めるけど、関が原が長引けば徳川260万石の隣に小さな真田家がいつまでも独立を維持できるか限界がある。
リーダー不在の西軍に信濃を与えるとか空手形貰っても意味がないだろ。
93 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 16:00:21 ID:qo0Q7dtJ
(上杉)ヽ( ゚д゚ )ノ ぅぉぉぉぉぉぉぉー <俺のことも思い出してくれ〜
94 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 16:28:42 ID:IVj9yNaS
夜は短し、歩けよ昌幸
95 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 16:32:35 ID:w1YobhRo
>>92 関ヶ原が長引いた場合は
東北は最上・伊達が上杉に圧倒されることは確実で上杉の天下。
越後の堀は一揆鎮圧と上杉へのけん制で動けず。
関東に残っている結城秀康は佐竹、上杉へのけん制で動けず。
甲信の東軍諸将はみんな関ヶ原に出張っている状態で国許は
動けない。
東軍諸将が関ヶ原から関東に引き返してこない限り、真田は安泰。
96 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 17:29:35 ID:cMVXHtC5
信之が家康側についてるのでどう転ぼうが真田家は安泰と思う
97 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 18:47:26 ID:7n/MYZbi
>>96 昌幸の晩年は悲惨な生活送ってる。長男を東軍に付けたけど、自分はやりすぎた。
98 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 19:10:44 ID:M1/b6Bi4
空気読まずに幽閉先で子作りに励んどいて、金がねえよと手紙を送ってきた上に、
最後は大阪入りしちゃった弟を信之はどう思ったんだろうか。
99 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 19:50:27 ID:x+rthdZd
>>92 だから、烏合の衆って言ってる西軍でまともに統率取れてないのは毛利家だけだろ
毛利内部は吉川やら秀秋やらの寝返り組と秀包や秀元の主戦派にわかれてる
こいつらを指して烏合の衆と呼ぶんだろ。西軍十把一絡げにする必要あるのか
旧織田軍中心ってお前、上杉も毛利も(小早川隆景も)織田家じゃ無かろう
宇喜多だって織田家というよりは豊臣子飼いの方がよほど近い
純粋に元織田軍の大名は前田と蒲生に掘それに佐々くらいで徳川だって織田軍じゃない
大大名には豊臣子飼いや親秀吉の大名が多かろ。全く関係ないのは島津と伊達くらいだ
島津維新入道に決戦当日言うことを聞かせられなかった点をもって実力不足というならわかるが、
石高で実力不足ってのは変じゃね?関ヶ原では宇喜多が総大将だったんだろ
山内をはじめとした東海地方の大名が家康につくのは仕方ないだろ
西軍についたら大群で攻め寄せられてどうにもならないのは目に見えてる
そんな中で西軍につくからこそ、真田や田丸には価値があるんだろ
上杉は越後に返り咲こうと一揆扇動して暴れてるし、ちょうど真田と対になる位置に佐竹もいる
戦乱が長引けば東軍は戦線を後退させるかなんとかして決戦を挑むか、あるいは戦力を抽出して後方の真田佐竹上杉を潰さないといけない
対峙中の戦力から兵力抽出なんてしたらどうなるかはわかるだろ
昌幸自身の晩年は不遇かも知れんが、家の存続が第一な時代だ。沼田真田家が無事ならどーでもよかろう
100 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 19:57:49 ID:x+rthdZd
つーか今更だが
毛利のも真田も、家単位で考えるのと武将個人で考えるので全然違ってくるのな
101 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 20:11:19 ID:7n/MYZbi
>>99 >だから、烏合の衆って言ってる西軍でまともに統率取れてないのは毛利家だけだろ
島津、長曾我部、鍋島も元々東軍につくはずが、いつの間にか西軍になってるだけ。
上杉も石田と東西で挟み撃ちするみたいな感じだったのが、家康が西に向かっても追わずに中央と関係ない最上と戦ってる。
やる気満々なのは、宇喜田、石田、立花、大谷、真田と少ない。
>関ヶ原では宇喜多が総大将だったんだろ
結局誰が大将かはっきりしてない。これで長期戦が出来るか。すぐにバラバラになるだろ。
東軍なんか、東海の武将達は領土と兵糧を徳川に差し出して、外様でも求心力はある。
旧織田軍団て言うのは、信長が作り出した組織、集団てこと。徳川は織田家ではないけど東海方面軍として初期段階から機能してる。
>石高で実力不足ってのは変じゃね
10万人の軍勢を指導するには力不足。実際三成は秀吉の補佐官、行政官で軍勢を率いる経験、実績はいまいち。
それを補うために島左近など武将の登用に金を使ってる。
102 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 20:53:34 ID:x+rthdZd
>>101 いや三成は賤ヶ岳でも手柄上げてるし朝鮮の役では手腕発揮してるから
家康の人使いが巧い点や芝居の巧さは認めるし否定もしないが石田を過小に評価しすぎだって
島・蒲生・舞らの奮戦も事実だけどさ
挟撃説って怪しいんじゃなかったか?
どう考えても上杉だけで最上伊達を相手にしつつ家康を追うようなマネが出来るわけ無いだろう
まして抑えに越前宰相残してあるのに、そう簡単に南下追撃出来ないだろ
長曽我部盛親は西軍に属してからは腹を括ったのか主力部隊になってるし、
島津は東軍に追い返されたのを根に持って関ヶ原前日まで主戦派
そもそもが家康が上杉に喧嘩をふっかけてそれを豊臣家に対する謀反とでっち上げた事から始まってるわけで、
足止めされたからといってあっさり西軍に参加して積極的に戦ってる以上、戦意は十分だろ
大体かなりの数の大名が西軍に参加してる事実から見ても、西軍に勝ちの目が無いはずはないだろ
あとやる気満々な小西と戸田を忘れないであげて欲しい
103 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 22:18:57 ID:w1YobhRo
>>101 > 島津、長曾我部、鍋島も元々東軍につくはずが、いつの間にか西軍になってるだけ。
これは大谷刑部の政治力によって、わけのわからないうちに
西軍に組み込まれたと考えるべき。
というわけで、もともと家康が絶対有利だったのを、なんだかんだいって
対抗できるぐらいに仕立て上げた手腕は大したもの。
ただ、長期戦になると、せっかく上田で足止めしていた秀忠軍が
合流しちゃうから、昌幸の功績は薄くなっちゃうけどね。
104 :
人間七七四年:2008/07/19(土) 10:53:28 ID:/yJohISS
昌幸は先が読める代表的な軍師みたいに言われてるけど、
大谷は負けると分かってて義理で付き合った。
直江兼続は、上杉家の家風から卑屈になれなかった。
黒田如水はさすがに、織田、羽柴、徳川とうまく流れを読んでる。
小早川隆景は、生きてたら家訓から無茶な挙兵をして輝元みたいなアホなことはさせてないはず。
藤堂高虎は、何度も主君を代えてるので次代の権力者が誰なのか見極める能力がある。
昌幸は武田二代に仕えて、信玄時代に発展して勝頼がぶち壊したというトップの力量で家が栄えるか滅びるかを体験したはずなのに
どちらが勝つか分からないから、東西両建てではこの程度かと思ってしまう。
しかも家康ほどの実力者相手に、2度も面子を潰す事をやってるので、政略的にどうかと思う。
昌幸と伊達政宗の2人は、実力を認めながらも身の程知らずな印象がある。
105 :
人間七七四年:2008/07/19(土) 11:21:02 ID:hGGeRfOD
実は最上義光は奥羽慶長合戦で上田合戦並の戦果を残してるんだよな。
部将討ち取ったり別働隊追い返したりしてるから真田以上かも。
一概に比較はできんが。
106 :
人間七七四年:2008/08/11(月) 23:35:14 ID:sDZLiaUs
>>102 伊達は一時的に東軍裏切って上杉についてたんじゃないか
直江が「政宗は信用できるのだろうか。本人も同陣させるか家臣を人質にとって
備えておいたほうがいいでしょう(意訳)」って手紙に書き残してるし
107 :
人間七七四年:2008/08/12(火) 01:41:30 ID:4UjUttBO
どっちつかずの態度で勝ち馬に乗ろうとし、裏で一揆を起こしたりするのが
伊達政宗の得意技だからねぇ。でも、稚拙なので後で全部見破られて
お目玉食らって苦しい言い訳しまくるんだけど。
108 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 12:43:39 ID:I/2k8V4y
あげ
109 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 20:24:55 ID:VtIIxkVX
このスレ初めて見たんだけど、さなださねゆきって誰?
百歩譲って昌幸だとしても大坂の陣の前に死んでるし。
110 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 20:39:14 ID:ta9ZZj4S
111 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 21:00:34 ID:VtIIxkVX
>>110 なるほど。その今川家臣の真田も九度山に蟄居させられたんですね。
112 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 22:43:38 ID:ta9ZZj4S
>>111 そうです
今川家再興のために氏真公を大将に関ヶ原へ東軍方として参戦を画策したのですが、
中東遠で今川旧臣や縁故ある百姓を募っていたところを山内一豊に捕らえられ、
讒言を信じた家康により幽閉されたのです。
本当は佐田真幸といったのですが、幽閉中に意気投合した真田昌幸から「さなだもさだも似たようなもの」と真田の名字を貰ったそうです。
113 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 23:02:48 ID:Hx1J0lq/
そして、大阪から迎えは駕籠でないと大阪入城しないと言い、結局大阪入城を果たさず76歳の天命を九度山で終えた。
114 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 17:21:13 ID:u2ftjrtc
眞田
115 :
人間七七四年:
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