136 :
人間七七四年:
慶長9年には兼続は農政に力を入れて郡中百姓相定覚を定めたり
近江国住友村や堺から呼んだ技術者を使って鉄砲密造したり、鉄や薬の研究したりしてる。
慶長11年金鉱採掘政策を発布。
慶長12年京都の要法寺で文選三十冊発行。
慶長13年には9年発布の十五箇法度を修正し農村救済
慶長14年織絹業を興し、桑・青芋・綿・紅花などの強化を打ち出し、
6月4日には信夫地方が干魃気味になりそうだと予想して米の輸出禁止処置をしてる。
兼続の対応は早く6月下旬には幕府から10万石の軍役免除を貰い財政負担の1/3を減少を農村救済に当てた。
12/8には米や大豆高騰に備えて餅や酒や豆腐製造を禁止、米輸出禁止・米殻輸出制限と穀物節約通達。
政宗家臣ってこういうことをちゃんとやっていたの?
箇条書きにして具体的なことを教えて。