【伊達三傑】鬼庭綱元【能吏】

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129人間七七四年
公称62万石で実高100万石なのに餓死者続出の伊達藩w南部津軽佐竹は小藩で公称と実高に大して差はない
本当に公称と実高で倍近い差があったなら、餓死者続出させた伊達藩主は無能の極みw
政宗存命の時から大借金抱えてて徳川綱吉時代には財政が破綻して仙台藩を潰したいって願い出て却下されたのにwww
この事実から逆恨みして仙台藩が将軍暗殺したって庶民から噂されたくらい周知の貧困藩だったじゃんw
仙台は財政崩壊して金が無く足利さんに顔を合わせたくないから参勤交代もわざわざ遠回りした恥ずかしい記録まであるしw
豊臣秀次が乞食大名政宗に大金を貸したばっかりに秀吉に謀反を疑われて…政宗に関わるとロクなことにならないな。
仙台藩は飢饉で武士まで餓死してるからなww伊達家に仕えた家臣は日本一不幸だし最底辺の負け組だなww
仙台平野という肥沃な大地を持ちながら餓死者20万人(しかも武士階級含む!)出した無能伊達
米しか頭に無かった無能伊達が招いた人災ですがw まあ当初計画だと江戸城よりデカい縄張りで築城開始して
絶対無理で途中放棄し天守まで作れない財政行き詰まりの青葉城のアホらしさを見た幕臣が、
相馬城下と見比べて相馬の士気の方が上だなって発言してたし 米沢城を一切改築したりせずに武士個人の鍛錬に力を入れた直江をみても
いかに伊達の家風がダメダメなのがわかるわ。

馬鹿な伊達厨まだやってんのかw
破綻の話で言えば政宗は秀吉の会津召し上げの時点からもう財政崩壊して秀次から大借金してるわけだがw
自分のメンツを一番大事にして追い詰められるまで小田原に行かなかった馬鹿ぶりを棚に上げて必死だなw
政宗には経済政策の才覚を持つ賢臣も豊臣政権や徳川幕府の有力者と昵懇になって便宜を図ってもらうような
文化芸術と言った広範な知識を持った賢臣もいないからずっと虐めを受け続け財政破綻を維持させられてただろうが。
仙台ってアホだから米を増産すればするほど米価が下がってさらに財政悪化w
藩財政が悪化することが理解できずに他の換金性のある物を作らなかったw
だから凶作になると米価が10倍に跳ね上がり財政崩壊挽回のチャンスとばかりに
米価高騰に目が眩んでガンガン江戸や京に持ち込んで売却w
しかし継続して凶作が続いたもんだから今度は必死になってさらに高値でもいいから購入しようとするともはや誰も売ってくれないw
また金融政策を理解できずに幕府発行の金貨である正金の藩内での流通禁止にして
仙台藩製造の銀札と鋳銭を発行したが銀札と金の交換相場を決めてないから銀札の価値は実質ゼロw
こんな通貨と交換したらやべぇwってことで完全に仙台の物流はストップw 仙台藩は見事に30万人が餓死しますたw
一方、松平定信白河藩も米沢藩も米以外の換金性ある物で金を得て早期に金で米を買って凌いで餓死者ゼロ
完全に仙台藩の藩の失政による人災で藩の役人達は異常気象を嘆くばかりで最後まで無策だったw
浅間山噴火や天変地異で未来を予見する能力より藩の破綻財政を米価の高騰を利用して回復させようなど馬鹿のやること。
やっぱり米のみに依存した石高より経済金融政策が立案できる人材育成だよな〜。
伊達は慶長の飢饉などで苦しんだが特に徳川家光の寛永の大飢饉で早くも大崩壊してるし
米にのみ依存した旧態依然とした武士層による民衆搾取体制で地獄を作り出した愚藩。
飢饉になればなるほど新田開発して生産量を増やそうとする無策藩。
民衆にさらなる負担の労役で米を運ぶ運河を作り運び出し江戸で安い価格で売り仙台で餓死者を作るアホぶり。
130人間七七四年:2011/01/15(土) 04:33:13 ID:EWwo5Iom
南部や津軽や佐竹は仙台平野のような肥沃な土地を治めていたのか?
またこれらの藩も仙台藩の実高について伊達厨が言うように公称の倍近い実高だったのか?
南部や津軽は岩木山噴火の火山灰による被害があったからやむを得ない
3つの大河が流れる肥沃な仙台平野 豊富な海産物のとれる三陸海岸 奥州街道最大の商業都市・仙台
どんな初心者モードだよってくらいこれだけ恵まれてるのに武士を含む20万もの餓死者を出せる伊達ってどうなってるの?
南部や秋田も餓死者は少ないが出てるよ 武士が餓死してる記録は見たことないけど
正確なのはわからないけど秋田も南部も申告してる石高は妥当なものだったはず
そもそも凶作の対策をしたりするのが統治者の役目なんだから石高以外の収入が期待できなきゃ普通はあまり大きく言わない
たしかに津軽富士と言われた岩木山噴火の影響をかぶっていた津軽・南部・秋田の被害はやむを得ないよね。
津軽民の一部が流民化して秋田へ脱走し秋田城下の橋下に食を求めて集まってきたから秋田側が迷惑したって言うね。
凶作対策していた秋田側は粥の配給場所を作ったけど集まり過ぎて間に合わなかったってね。
でも秋田民の困窮逃亡までは無かったんじゃないか?やっぱり仙台の無能が秀でてるな〜。
伊達の公称石高自体がデタラメで諸大名に伊達が見栄を張っただけだし
帳尻あわせで民衆からさらなる収奪に武士階級が勤しんだ結果 仙台藩のどこにも食料がない
大飢餓を発生させただけだしな…飢餓とは財政崩壊した藩の重税に 困窮した武士階級による
さらなる民衆搾取の結果だからね。仙台が地獄藩だったのは間違いない。確かに餓死者の絶対数では南部より伊達のほうが多い。
だけどこれは率で比較すべきでは?伊達62万石に対して南部は10万石程度。規模が全然違う。
南部は1回の飢饉で藩人口の20%が餓死したこともあったし。

率で言ったら総人口80万の仙台藩で20万人の餓死者なんだから25%だな
どっちにしても無能伊達であるという結論は変わらないどんなに言い繕おうが仙台藩が餓死者20万人出した時に米沢藩はゼロだからな
これはもう藩主の有能無能どころの問題ではない藩祖以来の思想や政治構造などの要素も大きいのだろう
藩主自ら率先して乱痴気騒ぎの浪費をしまくった伊達家と質素倹約に努め食糧の備蓄を怠らなかった上杉家の違いと言える
仙台の失政による人災じゃねーかw そもそも仙台がやまさの影響を受けるなら米作にむいてない土地でなんら無策で
米作の生産を続けたこと自体が無謀な暴挙だろw やませの影響をかぶらないように
青森県から三陸海岸の影響範囲は畑作や牧畜が中心
関東地方の太平洋岸の影響範囲も畑作・牧畜中心 仙台はアホでしたw
さすが秀吉が左遷した僻地仙台は米が作れない不毛の地だった。
さすが秀吉が左遷した無能政宗は米が作れない不毛の地で今までの食べ物を作らせず米作りを強要。
そもそもやませの影響を受けるために米作りがむいてないにも関わらず黙殺し、
むちゃくちゃな計画で開墾しまくって広大な田んぼを作って
竿を入れて田の質の階級を引き上げて過大評価田園を大量に打ち出しし民草から搾取し公称百万石
しかし実態は百万石なんてまったく取れない為 現実は鬼のような収奪をしていたわけだ。
南部や津軽の石高が低いのはやませの影響を考慮し田んぼを新たに作らず畑作をしてたから。
つまり伊達はやませの影響で毎年負ける確率が非常に高いギャンブルをしていたのである。
131人間七七四年:2011/01/15(土) 04:35:08 ID:EWwo5Iom
そして予想通りに人災による餓死地獄を繰り返したのは歴史の知るところだ。米作に向かない土地で飢饉の心配をして
畑作で食料確保を図らず米作りに依存し石高を倍にするなどアホの失政以外の何ものでもない。なぜこんな愚行を行うかと言えば
藩創設当時からすでに財政崩壊していた仙台は飢饉になると米価が10倍に跳ね上がることから仙台は飢饉を待ち望むバカだったからだ。
さらに平時は安値の米を増産することで財政崩壊を何とかしようと図る事で余計に安値誘導している事実に気づかないアホで
他藩が物価が比較的安定している物や特産品作りなど飢饉時でも金と交換できる物に努力している間に田んぼ作りを奨励したバカである。
飢饉が進み過ぎて異常高値になった米が買えない仙台の致命的バカは救えない。
西国諸国は飢饉にはなっておらず米が収穫され米価格が異常高値でも米自体は足りない状態では無かったが
仙台には自藩発行の大量の仙台銀札以外には金が無かった。
もちろん紙屑同然なのでそんな信用ゼロの貨幣で仙台藩に米を売るバカはいなかったし
強制使用を命令された仙台藩民も米を買えなかった。いつの時代でも大飢饉ってのは人災で、全体を見渡せば餓死者を十分賄える食料が必ずあるらしい、
まあ何処かで食料を止めてる奴がいて、普通は商人とかが高値を見込んで蓄えるとかなんだろうけど、
飢饉なのに止めるどころか逆に他国に全部出しちゃうってすごいよな、しかも藩みずから。
なるほど地獄の大飢餓の元凶たる貞山堀の大賦役こそ 政宗最大の愚行大土木建築だったんだな。そして餓えの恐怖を想像しながら
仙台の民草は貞山堀から大量に米糧が船で搬出されていく姿を眺めながらいくたびも仙台藩主を呪い続けていたと言うことか。
祖宗歴世の法(祖法)を変ずべけんや
藩祖政宗が立藩した時の政策のせいで 仙台の民草がずっと塗炭の苦しみを味わい
もっともヒドイ年の天保7年には米の生産高は10万石だけだったというし、
幕末では日本一の臆病者の仙台兵と馬鹿にされドンと大砲が鳴ると五里も逃げる兵とされた仙台藩兵を生んだわけか。
仙台藩の統治体制は非常に後進的な封権制度に政宗が戻したことが挙げられる。
そして幕府に城として認められた白石城の他に、藩内20カ所に城館が存在しこの城館を「要害」と呼び
城・要害・所・在所といった拠点を総称して「48館」と号していた。
その実態は封権の昔の地方市町村への領袖の割拠による分権であり 藩士への地方知行によって小さな殿様が領内に散在することを意味し
藩士の仙台城下集住がまったく進まなかった。これは他藩では見られない愚かな統治手法であり政宗の領主としての権力が確立しておらず
逆に家臣団によって制圧されていたことに起因する。
家光の頃になると石高制の崩壊と商人の台頭による貨幣経済の浸透の萌芽が見える。
仙台は買米専売制を施行し百姓に資金を貸付けてやる代わりに藩への年貢米の他の余剰米を
農民から強制的に全て押収し江戸へ廻漕して売却する暴挙に出る。
しかし安く買い叩かれてのこの負け確率が非常に高いあほギャンブルが成功したのは
わずかに享保17年における西国の蝗害・飢饉で江戸の米価が暴騰した時だけであった。
しかし覚せい剤のようにこの成功例は伊達を狂乱化させてしまったのである。
132人間七七四年:2011/01/15(土) 04:43:22 ID:EWwo5Iom
相馬 天明大飢饉の直後の天明8年に幕府巡回使古川古松軒は東遊雑記に
仙台の武風に感ぜず相馬の武風に感ぜしなり。制度正しき故と思われ侍る。
元禄時代に土佐の谷秦山は相馬は国を立て武職を守ること700年 薩摩は500年と言うが真の武職は相馬だけだと賞嘆。
忠胤と幕府から伊達との和解を勧められたが「婿の身で先祖代々の宿敵とたやすく和睦してはかえって先祖に申し訳ない」と拒否
昔は化学肥料が無いから穀物が売れ残って棄てるほどの生産量は無いどころか常に不足気味。
むしろ他藩は米の不作に備えての代替え収入を考えて畑を広げて特産品作りをしていたから大量餓死を避けれた。
南部や津軽は津軽富士と言われた岩木山の噴火被害を受けて天明の大飢饉になると秋田佐竹が大した被害にならなかったのに
仙台が大量餓死で壊滅したりとアホっぷり。政宗やその後の仙台藩だけが次々に田んぼを拡大させていくのも
政宗が知行地方制と言う中世支配構造のまま放置したために一致した協調歩調ができず
米価が商人によって操作されて下落しまくるから収入激減に対応してさらに田んぼ面積を増やし、さらに米価が下がってた悪循環を繰り返した。
財政崩壊してる仙台は飢饉でも悪魔の賦役で作られた貞山堤から米が江戸に出荷されていくのを民衆は恨みながら眺めていた。
ついには仙台領から食べる物すら無くなり果てた時にあまりに高騰した米価格に買うことすらできず、
経済が理解できない仙台は内外で信用ゼロの破綻財政仙台独自紙幣の使用を強制するから食べ物を誰も売ってくれないアホぶりまで晒す。
10万石しか取れなかったって津軽並みじゃんwww そりゃあ明らかに仙台は米作に向いてねーな。
墓を暴いて死者を鞭打つような文化は日本にはありません。そういうことしてきたのは中国ですね
無知から来る傲慢さ 日本人はそんなことしないという根拠のない自惚れ
あるよ。幕末の仙台藩。 世羅を斬首して糞壺に投げ込んだ。しかも家老公認。今でも佐幕派の連中はあの行為を武士の美徳として崇拝しているし。
あそこの文化は日本じゃないだろ仙台は仙台だけで独立国家なのだろう。
通りすがりの巡礼女を拉致して人柱にした伝説もあり、 政宗が治めただけのことはある。

結論 
たしかに百万石取れる広さの田園はあった。しかしそもそも仙台は稲を育てる環境ではなかった。
よって百万石などという大きな収穫など最初から期待できなかった。
天保7年には米の生産高は10万石のようにミジメなものであり
ただ単に伊達の大名としての格付けというメンツのために田を広げたに過ぎなかった。
そしてその三見栄がバレないように農民の過大な困窮の労役で作った貞山堀より江戸へ米が輸送され続けた。