【伊達三傑】鬼庭綱元【能吏】

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128人間七七四年
葛西大崎一揆
同時に転封に伴う伊達家中の知行再編が行われたが、
減封の影響によって知行高は軒並み削減された上、
転地の際にはそのままでは収穫を見込めない荒蕪地・野谷地を多く宛われたため、
困窮した家臣団の不満が高まった。
転封を拒んだ北目城主・粟野重国が居城を攻め落とされたほか、
伊達成実・国分盛重・鬼庭綱元・遠藤宗信ら重臣の出奔が相次いだ。
また、広大な知行地を与えた重臣達に領地復興を丸投げする格好になったため、
仙台藩において地方知行制が幕末に至るまで残存する原因となり、
集権化は大幅な後退を余儀なくされた。