【伊達三傑】鬼庭綱元【能吏】

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126人間七七四年
仙台の公式記録で書かれている伊達家臣の業績

茂庭綱元
父の仇を許したので政宗が感嘆して部下に付けた。
文禄の役の時に名古屋に留守してる時に秀吉に寵遇され伏見に屋敷を賜うが断り
愛姫阿種を賜う。秀吉から鬼庭から名前を変更を命じられる。
政宗に幽閉される。江戸へ行くと家康が禄を与えたいというが固辞すると
卿は大国の老だから徒歩はまずいと馬と槍をプレゼント。
このように豊臣徳川から明達にして世事に老練な綱元は豊臣徳川から優遇された。
政宗の寵遇も初めの時に戻り国老となる。

留守政景
秀吉の小田原参陣に遅れたので秀吉が留守の城を攻め取ると激怒したが政宗の叔父だから許された。
直江の最上攻めの時に助けたから家康から褒められた。

片倉景綱の功績
小田原へ行って土下座することを勧めたから伊達が安泰。これ景綱のおかげ
豊臣氏が景綱に三春5万石を断り徳川氏が江戸に邸宅を与えるのも断ったから純忠高義の人だ
大坂の冬の陣で歳を取り過ぎたから息子が代わりに出たが
景綱はこの戦いは必ず和睦になり決戦は明年になると言ったので先見の明があるとみんな服した

伊達成実の生涯唯一の武功が摺上原の戦いでの
金上盛備と佐瀬平八の討ち取りだと大々的に自慢してるが
そもそも金上盛備を成実は討ち取ってないから捏造なのは明白。
それで佐瀬平八とは何者か調べたんだが下記の人物なんだわ。
葦名が敗走中にこのレベルのを討ち取って自慢になるなんて伊達ってショボイね。

葦名修理太夫盛氏旗下之大名
佐原氏葦名五黨ト称ス者
葦名四天老中四人並ニ小頭附ケタリ老中同心八十人 
若年寄四人並小頭四人附同心
用人五人並取次十人
側用人五人並取次五人
奉行四人並用人役祐筆兼諸役兼勤者八人
郡代十七人並小頭十七人附同心百七十人但同心十人宛
下郡代十七人但シ下郡共勘定頭共云フ
侍大将十二人 同組士外様三百六十人
旗頭八人並與力野士八十人小頭八人其組足軽八十人
弓大将四人並與力士四十人小頭四人足軽四十人
鑓大将四人並與力士四人小頭四人足軽四十人
使番十二人
奏者番十二人
大目付四人
寺社奉行四人並小頭4人附同心四十人但一組十人宛
寺社小役十二人
町奉行四人並小頭四人附同心四十人m一組十人宛
足軽大将三十人並小頭六十人m一組二人宛足軽九百人m一組三十人宛


大番組八人並組士七十二人
佐瀬平八組←やっと登場wwwwwwww
下妻市太輔 神原源左エ門 賀ガ見村右エ門 杉田平右エ門 笠尾藤右エ門 
神尾利右エ門 関脇十郎兵衛 金山吉右エ門 岩永太左エ門