1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
かかれ柴田に木綿藤吉 金冠十兵衛 米五郎左
地味だけど過小評価されすぎか
>>1 だって実績が安土城作ったことしかないんだぜ
にわにわにわにわながひで
( ´゚ω゚` )
地味な男だが死に様はド派手なんだよなぁw
秀吉もまさか臓物を送りつけられるとは思わんかっただろうて
>>5 ヒント:内臓を送りつけた「かもしれない」
単に俗説かも・・うわなにするやめr
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 23:54:51 ID:48pRIgVJ
たんばながひでって読んだやつは出てけ!!
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 00:10:14 ID:Oon6Ybvw
丹羽長秀って、秀吉政権樹立直後は若狭周辺に100万石領してたんだろ?
で、秀吉との関係が上下したことに我慢できず発狂、切腹だろ?
歳も秀吉より若いし、織田家中にいた時も上位なんだから
大人しく我慢してれば、利家よりもずっと発言力も権力もあったんじゃないか?
で、秀吉死後、翌年、利家も死んで
家康に匹敵する力を持てたと思うんだけど・・
どうなの? えろいひと?
100万石は嘘じゃなかったっけ?
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 00:25:03 ID:Oon6Ybvw
何万石くらいなの?
>>8 秀吉(1537生)より年上だよ長秀(1535生)は
あと、死んだのは何かの病気(末期癌?)と言われてて、死の間際に切腹して病巣を腹から引き摺り出して絶命。
その死後、その病巣を秀吉に送りつけた「かもしれない」ということ。
多分、寿命だったんだと思う・・・「多分」ね
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 00:34:31 ID:QDdNJUjJ
秀吉に「自分が死んだら息子は一万石にしてくれ」って言ったんだっけか
!!!
発狂〜切腹って・・・奈良の坊主が書いた噂だってばよ・・・
誠仁親王の死去だって切腹したことになってるしだぜ?
この人は好きなんだけどなぁ。
何が好きかって聞かれると困るがw
子孫の二本松藩の大名屋敷の遺構がきれいな形で発掘されたらしいね。
週刊ポストに載っていた。
>>10 確認される限り越前一国と加賀半極のみ。
せいぜい60万石。
大封ではあるが。
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 10:11:09 ID:IUpYfzU4
ビワハヤヒデ
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 10:13:47 ID:+rnayOqg
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 10:59:08 ID:GRb83Rl1
安土〜京の高速船の建造もこのひとらしい。
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 11:14:28 ID:gFA3w4/j
丹羽家二代目はなぜか前田家二代目に異様な敵対心を持ち暴走してるよね
前田家は別に丹羽家になんのアレもないのに
父親同士も仲が良かったのに・・・・
嫁も信長の娘同士の仲なのに・・・・
脳みそ筋肉の柴田や陰険秀吉、鬱病光秀よりも
この人の下の付く方が居心地はよさそうだな。
治世ならいいけど乱世なら頼りないって一面もあるけどな
あくまで部下として引き立つ人だから
独立部隊を持たないという理由で勝家、秀吉、光秀より格下扱いされているが、
それは信長の近くで働くためかと思われる
石田三成と似たタイプか
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 16:26:54 ID:GzSedCEv
配下には優秀な人が多いよね
長秀の頃は前田より格上だったのに、長重は領地を激減させられ
前田の組下くらいになったのが、面白くなかったのでは?
家督を継いだとき若輩だったからね
実績のない奴に大封は任せられないよ
減封は当然だろ
なんだかんだ言われてるが長重は築城の名手。
棚倉城、白河小峰城は長重が築城した(ちなみに白河小峰城は東北三名城の一つに数えられている)
まぁ、Wikipediaで見て初めて知った事だがなw
確かに・・存在感薄いよなこの人・・
散々持ち上げられたあと、気づいてみたらそいつと自分の身分がどうしようもないほど開いてたら発狂もするよな
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 14:46:17 ID:PbJzXt31
長秀の孫の丹羽光重は名君。
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 16:30:33 ID:zc1Mvfib
長重の曾孫の浅野長矩は暗君。
丹羽家は戦国有数の建築家集団。
長秀、長重だけでは無く家臣にも築城のスキルも持った人間が多かった。
もしかして築城の勉強会でも開いてたんだろうか?
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 21:19:06 ID:lnRzmcjL
老中稲葉正邦の祖先でもある
稲中が何だって?
やっぱり薄いかな?
俺は好きだけどw
確かに天下を取るタイプでは無いわなw
光秀謀反の際に行動が遅れたのは、天下取りにあまり興味無かったからだろうな。
「今こそ天下取りの好機!」と鼻息荒くしてる感じではなくて「誰も来ないなら位置的に俺がやらんといかんのだろうな・・・」「柴田とか来ねぇかなぁ」ってぐらい消極的な印象を受ける。
まぁ、いずれ筒井や細川の出方を見てから動くつもりだったんだろうが・・・
あと、信長が殺されたことよりも最高傑作の安土城を燃やされた事を怒ってるような気がする。なんとなく。
>>38 兵が集まらなかっただけです
国持ちじゃない丹羽さんと他との絶対的な差です
丹羽はリーマンタイプだからどうしていいのかわからずにオロオロしてたんだろう
秀吉は狂喜したと思うけどな
本能寺の変の知らせを聞いて
秀吉「よっしゃぁっ!」
家康「よっしゃぁっ! ・・い、いや大変おいたわしいことで・・ ってそれどころじゃねー死んでしまう!」
勝家「なんだと! 信長様が・・(泣く)」
滝川「あばばばばば(その後北条に突撃してボロボロに負けました)」
信忠「(自害)」
長秀「拙者の安土城・・・(´・ω・`)ショボーン」
>>41 ワロス。
足利義昭「よっしゃあっ!」
上杉景勝「よっしゃあっ!」
雑賀孫市「よっしゃあっ!」
織田信雄「兄上も死んだと?よっしゃぁっ!」
織田信孝「兄上も死んだと?よっしゃぁっ!」
>>38 何か勘違いしてるみたいだが、安土城が燃やされたのは光秀が死んだ後の事。
一応、四国討伐の軍勢と大坂に詰めてたので兵力はある程度あったと思うが、編成して間もない事もあってか、兵士の動揺のせいで光秀と戦う余裕が無かったみたい。
あと、山崎の合戦の際に総大将に長秀は秀吉を推している(秀吉は辞退)のでこの時はまだ両者の仲はそう悪く無かったと思う。
長宗我部元親「うひひひ!」
切腹して病巣を引き摺り出した時に発した言葉は「これもまた仇なり!」
相当憎かったたんだろうな秀吉が
>>44 孫一は逆だろ。この頃のは信長について雑賀の支配をもくろんでいる。
で本能寺でバックがなくなったんで反対派の反撃を受けて亡命している。
リアルに丹羽姓の漏れがおはようございますm(u_u)m
その奈良の坊主って誰よ
奈良興福寺多聞院塔頭英俊
チベットの僧侶は、ムーの伝承が書かれた石版を持ってる。
坊主最強!
猿よ驕るなかれ
庭には 丹羽 長秀がいる。
長秀「今宵はやけに寒いのう・・・」
60 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 11:38:13 ID:Qer7QxI9
小説では織田信長の幼馴染になっているが、
張州雑志抄などによると斯波氏の家来であったらしい。
庭には二羽、裏庭には二羽、丹羽長秀がいる
丹羽長秀は先輩やく。
63 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 20:48:19 ID:UECDiqNO
たしかこいつの子孫に幕末に藩を捨てて逃亡した奴いなかったか?
64 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 22:31:44 ID:q4usUui1
晩年、本当に秀吉を憎んでたの?
>>63 丹羽長国は落城の前日に米沢に逃亡した
でも、どこもそうだからね
佐幕側の数十藩が敗戦の浮き目にあったが大名は一人も死んでない
一族とトンズラしたか、さっさと降伏したか
討ち死にや腹切るような人は一人もでなかった
二本松藩もゲーベル銃60梃と言う笑うしかないような武装で
7千以上の新政府軍に囲まれて300人以上の戦死者を出して落城(篭城兵は他藩兵含めて約千人)
丹羽長国は攻撃の前日に米沢に逃亡
二本松は近辺の緒藩が相次いで降伏した為集中攻撃を受けた
磐城平藩も藩主安藤正信は逃亡
援軍の仙台・米沢・棚倉藩兵も逃亡
置き去りにされた僅かな磐城平藩兵は防戦虚しく壊滅
三春藩は土壇場で寝返り新政府軍の道案内を買って出た(戦後恩賞を受けた
棚倉藩も落城、藩主阿部正静は逃亡(後降伏
相馬藩も攻撃を受けて降伏
一万両を軍資金に差し出して謝罪した
福島藩も藩主板倉勝静は攻撃を受ける前に米沢に逃亡
家臣達も慌てて逃げ散って城下には誰もいなくなった
空になった城下で仙台藩兵が略奪を始めて民兵などと戦闘に及ぶ
同盟国同士で略奪やら戦闘やらもう支離滅裂
安藤・阿部・板倉…閣老達が揃いも揃って逃走劇とは…
小倉藩の小笠原も数万人を捨てて遥々江戸まで逃走したし
そもそも慶喜や容保みたいな最高責任者が家臣見捨ててトンズラする有様だからな
逃げるが勝ちだなw
藤堂家「発砲するが勝ちだなw」
容保が、俺らを鳥羽に置き去りにするからだよ!
置き去りにされたので、やる気なくして降伏した。
長秀「明智秀満死ね。氏ねじゃなくて死ね」
安土城が現代まで残ってたら世界遺産は間違いないだろうし
長秀の名前ももう少し知名度高かっただろうな
視力は落ちたらしい
73 :
バロン曽志崎:2006/12/07(木) 23:24:55 ID:2YU+/XXx
確か「信長公記」にある逸話だよね。
74 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 17:47:09 ID:JkHHYLvS
症状から察するにこの人は胆のう癌で死んだのかな?
俺は大阪城のがみたかった
美しい巨大な欧州の城を凌駕する城塞最高だ・・・
姫路の美しさと小田原の堅固さがあわさって倍したのが大阪城だな
丹羽長秀って戦才の方はどうだった?
個人的には、これといった失態も無くうまい事こなしてたイメージだけど・・・
俺もそういうイメージがなぜかありますわ。
家臣に一人は欲しいタイプだよな。
なぜか信長に怒られた事は無さそうなイメージもある。
家臣唯一の親子二代の織田家との縁戚だからな。
織田幕府でもできれば、柴田、明智、羽柴なんかが粛清されても、江戸幕府の井伊家
みたいな立場になれたかも
81 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/13(水) 18:57:57 ID:bqaCjUxG
この男も信長の小姓だったらしいね
>>81 それは小説・・・
実際のとこはよくわかってないらしい 斯波氏に仕えていたようだしいつの間にか信長に仕えていたようだ
>>76 もともとは戦の中で抜擢された人物だよ
特に東美濃攻略では抜群の働きを見せている
小口・黒田城を誘降させ、猿啄城攻めなどで活躍している
84 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/13(水) 21:28:02 ID:a2quGd6i
地味だよね・・
可もなく不可もなくといったタイプだな
今で言うと、小さい頃からエスカレーター式の有名私立学校に入学して
一流大学入って一流企業入社して、エリートコース進んで
ソツなく仕事をこなして出世して管理職になり、定年間近で会社が倒産
路頭に迷う・・癌も発覚。ヤケになり自暴自棄・・
おいおい、晩年の領土を「路頭に迷う」って例えは無かろうよ。
どうしても発狂したということにしたがってる奴がいるな。
清洲会議でこの人が信孝側に付いてれば歴史も変わっただろうな
信長に温泉にいくように薦められたりしている。大事にされていたようだ
89 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/13(水) 22:27:16 ID:qdMWRdSM
今で言うと厨の特徴
現実に疲れ切ったリーマン
誤爆か?
むしろ、この人に信長は色々してやってる。
・京都の馬揃えで一番手で登場させる
・安土城の普請奉行に任命する(さらに、工事をスムーズに済ませたので名器「珠光の茶碗」をプレゼント)
・異母兄の信広の娘をわざわざ自分の養女にしてから長秀に嫁がせる
・「長秀は友であり、兄弟である」「米のように欠かせぬ存在」などベタ褒め
最後の行は信長本人が言ったのかどうかは知らないが、信頼の厚さが分かる。
長秀は友であり、兄弟であり、穴でもある。と言ったとか言わないとか・・・
領地なんかより茶器がほしかったのに・・・貰えなかった・・orz
の滝川一益とえらい違いだ
94 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/14(木) 10:59:53 ID:6qD/7g5o
丹羽は秀吉の織田家乗っ取りを後押しした裏切り者
こいつのせいで織田家の重臣たちが潰されたんだ>柴田滝川など
織田家を潰したA級戦犯丹羽長秀恥を知れ
95 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/14(木) 11:07:13 ID:KbIYCC1k
柴田も滝川も外様
だいたい柴田が忠臣とかただの思い込みだよな
元々勝家は先代の後継ぎとして弟の方を支持してたからな。
丹羽家、池田家あたりは信長を支持してたんだっけ?
98 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/14(木) 16:50:24 ID:ua6mBpHC
新参者の秀吉にいい様に利用されポイ捨てされた丹羽の馬鹿さはガチw
信長があれだけ長秀を取り立ててやったのに・・・恩を感じないのかこいつは・・・
信長の妹の市が勝家についているのになぜ丹羽は秀吉についたのか
天国で信長様が泣いているぜ、長秀よぉ
>>98 もし清洲会議で柴田についたら家中が真っ二つに割れるだろーが
大体秀吉が天下取ったのは結果論だしな そもそも柴田につく道理が無い
信長、信忠以外に織田家中をまとめられる奴はいないし丹羽は秀吉ならどうにか戦乱の世を終わらせれると考えたのかもしれない(可能性は低いが)
どちらにしろ丹羽が羽柴と争ってもいいことは何一つない 信忠死んだ時点で織田家はお終いなんだよ
あの領土をポイ捨てと申すか。
織田信忠には息子がいたような。
そもそも三法師がいるのに信孝支持する勝家のほうがおかしいわけだが
丹羽は本能寺の変の時に信孝と一緒に行動していたが、信長の死を聞いて軍をまとめて戦う姿勢を見せず、
ドサクサに紛れて家督争いのライバルになるであろう津田信澄を言いがかりで殺したりしてた信孝に見切りをつけたのかもしれん。
織田家の譜代二番家老でありながら、一番家老の忠臣勝家を見捨て
逆賊秀吉に組したことは許しがたい悪行である。
四国遠征する予定の信孝に従軍するように信長に言われてる現実を思い出して欲しい
これは信長の「五郎左よ、お前は信孝の下につけ、そして信孝を助けよ」という意思表示だろう
現に長秀と信孝は信長死後、一緒になり、津田信澄を大阪城で討ち取っているではないか
それなのに途中から信長の命を無視して私利私欲のために秀吉に組し
信孝と忠臣勝家&市を敵に回す非道ぶり、裏切り不忠者丹羽長秀許しがたし!
だが秀吉の暴走に耐えられんくなって切腹したとかしてないとか。聞くけど。
賤ヶ岳の後に秀吉から「羽柴」の姓を与えられてる
これは相当に屈辱的な事
107 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/14(木) 22:15:36 ID:cbxX6hSK
勝家が三法師ではなく信孝を推したのには理由がある
勝家は幼い三法師では織田家の将来が心配だと思っていたのだ
当然であろう、まだ周りには毛利上杉などの有力大名が残っているのだ
三法師ではこの難局を乗り切れないとの判断は実に正しいのである
三法師は論外、信雄は器量なし、ここで信孝を盛り立てて織田家の安泰を図るのは
実に理にかなった案なのである。信雄が文句を言っても誰もこいつをよいしょする
奴などいないので織田家分裂などは現実的にありえないのである。
清洲会議で丹羽が信孝を支持してれば、秀吉などに乗っ取られず織田家は安泰だったのだ!!!!!!
勝家が秀吉になるだけ。
信孝が跡を継ぐなんて発想はどこからきたんだろう。
110 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/14(木) 22:52:24 ID:cbxX6hSK
大恩ある織田家を秀吉に売って得た加賀越中数十万石嬉しいか!
織田家の事よりも自分の家の安泰を考えてたんだろ!
秀吉の織田家乗っ取りを阻止しようとしてた譜代の盟友勝家と主君信長公の妹君市と
ご子息信孝を殺した丹羽長秀、お前には本当に失望した!
二度と忠義者などと言うんじゃないぞ。反吐が出るわ!
信長公は丹羽家に二代に渡り嫁を出し、安土城の普請奉行も勤めさせ
京都御馬揃えにおいても、一番に入場するという厚遇を与え
信長から長の字の偏諱を受けさせ、信長四天王の一人に指名し、
さらに信長は「長秀は友であり、兄弟である」と言いとても信用していたのに!
なんか痛い奴がいるな
>>107 清洲会議の時点では長秀だけではなく、池田等の発言力を持った奴に根回しが行き渡ってたのでもう手遅れ。
そもそも、秀吉が仕掛けたのは既に長秀を味方に付ける事に成功していて、確実に柴田をやり込める事ができる公算があったから。
考えが単純過ぎる。
まぁ信長が死んだ途端ぶっ壊れた滝川よりかはマシ
114 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/14(木) 23:31:17 ID:X9p581Cx
>>110 長秀の「長」は丹羽家の通字だろ。
長秀の父の名は長政だし。
それに「四天王」なんて指名してない。
羽柴小一郎長秀
諱なんぞどうでもよかろ。
諱で思い出したが、信雄の入道名常真の「常」は織田家の通字
法号のな。
法号と院号と入道名はどうちがうのだ
天盟院教外祖真居士というご先祖がいる。
諱が12もある。
院号か。誰それ?
だからオレのご先祖さんだっての。
書き忘れた。原長頼の子だ。
俺様のご先祖は「大」居士号を持ってるよ。本家筋の方だけれど
はらって千葉介の原?
織田家臣の方じゃないか?
ビワハヤヒデ
大居士って江戸時代に後付けしてる例が多いって和尚さんが教えてくれた。
琵琶逸秀・成田無頼庵
長秀も清秀も秀を下に置いてたから秀吉に殺されたんだな
成るほど。弟が秀長に改名したのはそのためか
上手い事言うね。忠三郎様が毒殺で済んだ証拠になりそうだ。
賦秀ってか。
あ、あいつ賦秀だったね
即答さんくす。
秀吉は清秀を盛政に消させたんですね!全軍の士気を犠牲に(^o^)
清秀は秀吉に面と向かって「サルめ!」と言い放った男だからなぁ
根に持ってたのか・・・
139 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 02:32:46 ID:JUDJt7Nx
丹羽長秀ってお人好しっぽい。
140 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 07:48:27 ID:rwPH0uQD
心配性の芋ざむらい
141 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 08:00:18 ID:lg90jXzm
>>137-138 だから、秀吉は盛政を寛大に扱おうとしたのか。
望んで切腹してしまったが。
142 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 22:55:46 ID:lg90jXzm
今更だが丹羽が秀吉についたのは「織田家のため」という事らしいね。
秀吉を守り立てて織田家を存続させようと考えてたらしい。
信忠の息子、つまり信長の正等な嫡孫の三法師を擁したのもそのためだし、
秀吉がのちに自らの天下取りの野望をあらわすにしたがって、
腐ってひきこもるようになり、最後には腹をえぐって取り出した胆石を「秀吉に送れ」と
命じたのもその当てつけといわれる。
まあ皆、織田家のため。
っふ。
嫡孫って、あの時代そんなにこだわりあったっけ?
145 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 23:26:29 ID:lg90jXzm
>>144 あったんじゃないの?
ましてや織田信孝の母親は生まれが怪しい。
信忠・信雄の母親は正妻ではないもののそれに近い存在だし。
長秀、戦場では華々しくは戦うことは無いが決して引かない、というイメージがある
あくまでイメージだけど
なんかかわいいイメージがある。
実際のところ織田家での序列は何番目ぐらいなんだろ?
柴田が筆頭家老で丹羽が次席
でも実際の実力は光秀秀吉のほうが高い気がする
>>148 何故かサンタクロースのイメージと、この丹羽長秀のイメージがかぶります。
あと、賤ヶ岳に舟で駆けつけているのもなんかかわいい。
息子の長重の幼名である鍋丸だが、
名付け親はそのセンスからいっても信長だろう。
次席家老とか2番家老というほど序列は高くないという説もあるな
本能寺の変時点では光秀がNO.2だったから丹羽は羽柴とどっちが上か程度だろう
なるほど光秀がNO.2だったのか。
一部隊与えても問題無いぐらいの指揮能力は持っていたはずなんだけどね・・・
生粋の武官なんだけど、文官の適性も高かったおかげでかえってどっちつかずになってしまった感がある。
戦、行政、要人の接待など何でも任せられる使い勝手の良さが魅力だったんだろうと思う。
本職でない事も色々やってるけど、失敗して信長の怒りを買ったとかいう記録も特に無いみたいだしな。
>>157 信長の近くで仕事をしながらそこまで怒られて無いっていうのはなかなか居ないよな
なんとなく頼りない印象があったけど気も利くし、戦闘指揮もなかなか巧い、行政なんかもおk
かなりの人物だったのではないだろうか
だが自力で攻める才には欠けるな
160 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/17(日) 21:00:59 ID:ABHuV8rh
>>159 だから遊撃軍筆頭なんだろ?。
このポジション、結構重責だぞ!
>>160 筆頭といえば聞こえがいいが、各遊撃軍への実質的指揮権はなかっただろう。
あくまでも遊撃軍は信長直属の軍団であったはずだ。
162 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/17(日) 21:47:04 ID:ABHuV8rh
>>161 それが信長の余裕のはずだったのだが、光秀が・・・
163 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/17(日) 22:11:08 ID:xFIIcFyV
>>158 て言うか長秀は信長の若い頃の悪友で飲み友達みたいなもんだが、
池田と前田もそうだが。
>>144 毛利輝元
164 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/17(日) 23:08:21 ID:rNZWAePk
溝口秀勝・村上義明・長束正家・青山宗勝・太田一吉ら大名クラスの優秀な人材が多いし。
戸田勝成や上田宗箇みたいな猛将もいるし。政戦に優秀だったと思う丹羽軍団。
米五郎左だけあって仕えやすい主君だったのかね。
太田牛一も本能寺の変後、身をよせてるし。
>>164 少々頼り無いかもしれないが有能だし働き甲斐はあっただろうな。
請け負ってる仕事も幅広いので、
部下も天下無双の算術の使い手から猛将まで色んなタイプの奴がいて面白そうではある。
166 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/18(月) 13:59:53 ID:Cq/HXgzX
佐和山を領したのもでかいな。近江人は割合優秀なのが多かったらしいし。
俺が大名なら、
丹羽長秀は絶対に登用する。
しきし出奔されそうになったら即斬りだな。
敵になると怖いからなw
>>167 味方になれば役に立つが敵になれば恐ろしくない
それが丹羽さん
微妙なキャラだなあ・・・
まぁアレだ、働いた場所が悪かったんだ
武田とかならもっと上位にいれたんだろうけど実質国持ちの河尻以下だからな(多分信忠の時代が来たらこの辺ぐらいまで落とされていた)
秀吉とか光秀みたいな政治戦争謀略なんでもお任せ超一流大名がいるような職場だからまずかったんだ
丹羽も政治戦争なんでもお任せ武将だけどな
っていうか信長はそういう使い勝手のいい奴が好みみたいで、手元に置いてる
息子の信忠は小気味良い戦上手が多い。実は信長以上に独裁者か、分担制を好んでいたか
そうなると信忠の時代には長秀は……
嫡子の傅役とかで生き残れるかもね。
河尻家との争い。
家中一の何でも屋武将だと思うんだがな。
あと、秀吉や光秀より織田家の武将としての政治面の功績は上だと思う。
明智光秀の劣化版=丹羽
丹羽長重は信忠の義理の弟なわけで普通に重んじられるだろ。
信忠の時代は明智や柴田の方がやばいんだが。
羽柴は秀吉と血のつながらない信忠の弟がついで、滝川は信忠の烏帽子親。
丹羽長秀の行政面での功績を列挙すると
・東大寺の蘭著待切取りの奉行
・公家衆の本領還付の奉行
・安土城普請の総奉行
・誠仁親王の二条新邸行啓の時、奉行を務める。
・荒木の重臣の妻子の徴収を命じられる
・安土城下に家臣やキリスト教宣教師の宅地の造営を命じられる。
丹羽は本来なら吏僚一筋の人間の管轄である重職もかなりの数をこなしている。
「人が居ないからとりあえず・・・」なんていう事は、
人材が充実してる織田家においてはまず有り得ないので能力を見込んでの起用なんだろう。
それに加えて、織田家の主要な戦には(直接の指揮権は無いにしろ)ほぼ皆勤。相当こき使われてる。
>>168 丹羽長秀は敵にすると怖ぇよw
戦は戦闘だけじゃねぇからな。
戦は前段階の政が成ってこそだよ。
大人のケンカはやる前に決まってるよw
丹羽長秀とビワハヤヒデって何か関係あるの?
>>178 前哨戦で一番怖いのは光秀と秀吉だよ
謀略で国内ぐちゃぐちゃにしてとどめの戦争を信長が仕掛けるというのは織田軍がよくやる手だからな
人に使われて実力を発揮するタイプですか?
Wikiに「その武者振りから鬼五郎左と称される」とか書いてある
なんとなく羽柴や明智と違って、上司の能力に左右されそう。
勝頼とかはうまく扱えなさそう。
なんとなく。
数多くの有能な武将を信長に推挙し、
内治に才を発揮したことから嫁五郎左の異名を持つ。
>>184 勝頼が上手く使える人材を探す方が早くないか?
>>186 暑苦しいガチムチ体育会系武将しか集まらなさそう・・・
188 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/20(水) 12:50:07 ID:Bvpl5If5
ビワハヤヒデ
馬名の由来は「ビワ」は馬主の冠名で「ハヤヒデ」は「速」さに「秀」でるようにとの願いからつけられた。
ビワハヤヒデと丹羽長秀は全くの無関係でございます。
おれの同級生の家は丹羽長秀の菩提寺。
丹羽さんポジは結構有利
このスレも地味に伸びている。
さすが丹羽長秀スレ。
本願寺跡地に建てる城の奉行も務める予定だった・・・らしい。
>>194 要するに大坂城もこの人が建てる予定だったと・・・そういう事?
信長が無事だったらの話だけど。
小牧山築城の奉行って長秀だったのって本当?
まるでゼネコンだな。
親子二代で一体いくつ城建てたんだ?
長秀
・小牧山城
・安土城
長重
・白河小峰城
・棚倉城
あとは知らない。
小牧山築城の時は長秀いくつ?
結構若かったんじゃないの?
それで築城奉行ってかなり有能だったってことだよね
しかしホントに能力が微妙すぎるよなこの人
一軍団はギリギリ任せられない・・
小牧っちゃああの城最近まで個人の所有だったんだよな
昔NHKアーカイブでやってたが東京に住んでた成瀬隼人の旧殿様が
祭りだかなんかの時に戻ってきた時の出迎えの映像をやってた
昭和40年代のころだったと思う
成瀬は万石取りの家老だがそういや今やってる北の零年の稲田もそれだったな
同じ万石取りの付家老でも維新を挟んで雲泥の差やのう
犬山城と間違えてないか。
犬山やった。ちなみに俺様の持つ平成11年発行の城ハンドブックには個人所有と書いてある
成瀬は犬山城だな。
ちなみに虚空蔵ヶ峯城は板垣氏。
稲田氏は家老として扱うには格が変則だし。
同じ岩倉織田家出身の馬鹿嫁のダンナんとこと比べても地味
ああ稲田家
>>200 永禄5年(1562年)から工事が始まったみたいだから、27歳だな。
若いといえば若いかもしれん。
秀吉が割奉行をやったときに
上に担いだのが長秀とされてるね。
割奉行自体の信憑性すら怪しいけどさ。
とりあえず、土木工事といえば長秀だったのかな?
>>209 信長的には「とりあえず長秀にやらせりゃいいか」って感じ
安土城の工事を早く済ませた事の褒美は茶器だけでは無いみたいだよ。
さらに、しばらくしてから市絵も信長からもらったらしい。
一益の立場が・・・無いです・・・
なんで一益には与えなかったの。
茶器の餌でコキつかおうとしたの。
一益のって、野心は無いというポーズじゃないの?
違う。手紙が残っているが、関東に行くのが地獄だと書いたり(あやふやだが)、
茶器を貰えなかったのを心底嘆き悲しんでいる。
流行に流され易いタイプだったんだな。
「領地より茶器をくれ!!!」と懇願する一益を「関東管領は名誉な事だ。」と軽くいなす信長。
別に茶器が欲しいとは言ってないのに丹羽に茶器をあげる信長。
ビワハヤヒデ
まぁそりゃ
「信忠様は何でも欲しい物をくれる」
といった臣下に対し
「んじゃ欲しくない物をくれてやるようにせよ」
といった男だからな
ま さ に 悪 女
長秀=ヤクルトスワローズ.
>>219 欲しいものが手に入れば満足する
という人の欲の働きをよく理解してる言葉だな
いや
ほしいもの見抜いて与える人間は敵からみてもわかりやすい
敵が「援軍がくるな」と思う時には援軍を出さず
敵が「援軍が無いな」と思う時に援軍を出せ
という教訓じゃなかったか?
ほうほう、興味深いね
藤堂家に養子に出した三男の高吉が江戸城の普請奉行に名を連ねている点もお忘れ無く・・・
だから越前は公共事業が多いのか!
関が原で改易食らった後の丹羽家の様子
いろいろあって棚倉五万石→築城→城下町整備→加増転封→白河十万石→また築城→また城下町整備→また転封(今度は加増無し)→そして二本松へ・・・
藩の財政の基盤がある程度固まってきたら締め出されて、その後釜には決まって譜代大名が・・・
長秀死すとも便利屋魂は子々孫々まで受け継がれている模様。
228 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 18:38:15 ID:VqLR5npj
長重は立花宗重と交流があったらしいね。
似たような境遇を経験してるから。
× 宗重
○ 宗茂
間違えた・・・
よくあることよ
231 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 04:31:40 ID:fMpSwgch
歴史あんまり詳しくないんだけどスレの1にある、かかれ柴田〜
って意味詳しく教えて?あだ名とか特徴を表現したものなのかな?
確か正しくは「木綿籐吉 米五郎左 かかれ柴田に引き佐久間」
木下籐吉朗は木綿のように何にでも使える便利な存在。
丹羽五郎左衛門長秀は米のように目立たないがなくてはならない。
柴田権六勝家は常に勇猛果敢に攻めかかる勇ましい武将で、
佐久間右衛門尉信盛は難しいとされる、兵を引かせることが上手い。
当時こんな歌が流行ったとかなんとか。その辺は詳しくない。
金冠十兵衛は、初めて聞くが、明智十兵衛光秀の頭がは金柑頭(禿頭)であることと、
金冠(黄金の冠)のように価値が高い頭脳を持っていたことをかけている、だと思う。
「かかれ柴田に退き佐久間、米五郎左に木綿藤吉、先陣も一益、殿軍も一益」
か何かこんな感じだっけ?
俺は「木綿藤吉 米五郎左 掛かれ柴田 退き佐久間」と記憶している
意味は
>>232で概ねあっている
俺も金冠十兵衛は初めて聞く。滝川は「進むも退くも滝川」だったと思うので
特に上の並びに繋げることも無かったはず
丹羽と木下(羽柴でなく)が柴田、佐久間の両翼と同じく入れられ
尚且つ明智、滝川等が入っていないから元亀年間くらいに言われだした言葉じゃないかと推測する
ざっと読むと江戸時代の講談ぽい謳い文句だなあ。
お茶目な逸話が残っていないかな?
>>236 呪われた剣を手に入れて視力が落ちたという逸話があるじゃないか
デベロッパーだけでも笑える。
ユーティリティ武将 丹羽長秀
>>237 その妖刀ってどういう経緯で手に入れたのかが気になるな。
信長から褒美で貰ったとは思えないし……
X ←丹羽家の家紋
回回
回回 ←尼子家の家紋
何やらせてもこなせるってのも凄い才能だよな。
245 :
人間七七四年:2007/02/14(水) 12:49:45 ID:TLZSJ829
あ
246 :
人間七七四年:2007/02/14(水) 13:44:00 ID:o6w0xcfj
>>244 どっちもどっち
よく言うと万能
悪く言うと器用貧乏
247 :
人間七七四年:2007/02/14(水) 14:17:11 ID:D+d3PUQi
万能っぷりなら明智光秀という化け物みたいなのがいたからなぁ
政治戦争謀略・・何をやらせても万能
正直丹羽さんは城作りぐらいしかいいところが(ry
248 :
人間七七四年:2007/02/14(水) 15:03:04 ID:zalR5xv9
でも光秀は何か性格悪そうなイメージがあるんだよな。
249 :
人間七七四年:2007/02/14(水) 15:15:52 ID:ClwUHgoe
>>248 それは太閤史観ですな。
家臣、領民に慕われた名将ですぞ。
250 :
人間七七四年:2007/02/14(水) 16:58:31 ID:yGpHHiF8
もし自分が織田家足軽ならダントツで上司にしたい武将1
251 :
人間七七四年:2007/02/14(水) 20:05:14 ID:D+d3PUQi
>>249 それも反動という説あり
佐久間追放容疑がもし本当ならホントに太閤史観並の超悪人
というか主君殺したような奴がまともな奴なわけじゃない(ry
252 :
人間七七四年:2007/02/14(水) 21:53:44 ID:6BzmFvBL
光秀の暗いイメージは秀吉と関係ないっつーの
253 :
人間七七四年:2007/02/15(木) 00:06:24 ID:NTjbXCBt
>>246 そういう人もいないと、組織にならないから
必要な凡才なんだと思うよ。
254 :
人間七七四年:2007/02/15(木) 17:18:14 ID:1oCydzjx
この人がいないと柴田勝家の存在が大きくなり過ぎる。うたぐり深い信長は、勝家がいなくても代わりがいる事を見せつける必要があったのだろう。
255 :
人間七七四年:2007/02/26(月) 00:55:59 ID:G9MrrPoC
名古屋市西区児玉
256 :
人間七七四年:2007/03/06(火) 08:51:09 ID:t6VUIyEg
城作り武将
257 :
人間七七四年:2007/03/06(火) 21:22:13 ID:xjCjCnAe
>>246>>253 丹羽長秀くらいに高水準でのバランス型はかなり重要だと思うけど・・・
劣化明智光秀とか劣化秀吉と考えてしまうと、どうにも見劣りがするが、
比較対象が光秀や秀吉じゃ厳しすぎる。
が、いまいち丹羽長秀ってわかりにくいんだよなぁ・・・
後期酒井忠次みたいなもんか?
258 :
人間七七四年:2007/03/06(火) 22:06:49 ID:0x+0SBCd
長秀の死って織田家をないがしろにする秀吉への抗議としての
一種の自害ってのは史実なのか?
同じく信長の側近だった池田恒興も長久手で死んでるし
2人して信長の後を間もなく追ってるんだな。
259 :
人間七七四年:2007/03/06(火) 23:12:42 ID:4bn4yqgO
長秀は秀吉と結構仲が良かったようだしなー
ある意味自分の限界を悟ったのかも 秀吉には勝てはしねぇ みたいな
260 :
人間七七四年:2007/03/07(水) 00:23:19 ID:TXDN6KUj
そういえば昔三戦にあったバトルロワイヤルでも
地味に格好良かったな、丹羽長秀。
261 :
人間七七四年:2007/03/07(水) 23:22:36 ID:v8BdFhzo
>>257 ゲーム?
高水準のバランス型って・・・
美濃攻めで活躍したがそれ以後は安土築城くらいしか見せ場ないし
織田家将校の中でも中堅どころにすぎないよ
262 :
人間七七四年:2007/03/10(土) 16:11:36 ID:ex+zvraJ
森可成のようなもの
263 :
人間七七四年:2007/03/10(土) 19:40:02 ID:0vk+zOCM
桶狭間で一番槍を譲ったりおくゆかしいとこが萌える。
264 :
人間七七四年:2007/03/11(日) 04:31:58 ID:f+7BLken
地味様みたいなものだな。
265 :
人間七七四年:2007/03/16(金) 20:31:28 ID:vC6krKZT
二番 セカンド 丹羽長秀 背番号8 31歳 13年目
.298 12本 71打点 22盗塁 63犠打
獲得タイトル ゴールデングラブ
一番を打つ球界一のヒットメーカー・羽柴との一・二番は他球団に大きな
プレッシャーを与える。右打ちとバントの上手さ、守備の堅実さは
史上最高クラス。また内野のポジションはすべて守れるということもあり、
プレイングマネージャー・織田投手からも非常に信頼されている。
四番・柴田との不仲説が囁かれている。
266 :
人間七七四年:2007/03/18(日) 13:15:45 ID:J5qUR+PY
信長の野望では政治に築城に大活躍
267 :
人間七七四年:2007/03/22(木) 00:43:35 ID:LidplVtL
,、‐ ミ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`ヽ、
/ミ;;;;;;;;;;;;;;、Vイ;;;;;!、;;;;;;;ハ
. ノッ;;;;;;;;;;;;;;ミ``````^'`'ヘv′
/ミ;;;;;;;;;;;;;;;テ '" ゙ ー ',
!シ;;;;;;;;;;三 〉 zー- 、 , ,__,',
ハシ;;;;;;;;;;;;彡 ,.rテz `,´〈rュ、ソ
V/;;ナヽ;;三 ー ‐ '´,. k'' {
. Vハ′{ ミシ、 '′, '´{_,.ィ,ィ!, ,!
xシイヽ、ィ''r" ′ !' j ,′ 地獄に堕ちるといい……
ィシ;シ ', , '´  ̄`^ ',′
レハ! r 、_ iノ
/ ^'''‐、 ヽ ` ー,- '′
./ `''ー、 ∧ヽ
268 :
人間七七四年:2007/03/23(金) 08:24:57 ID:1/XvwAe3
あげ
269 :
人間七七四年:2007/03/23(金) 08:53:53 ID:E/gMhCPn
朝鮮征伐まで居たらどれくらい役に立った?
270 :
人間七七四年:2007/03/23(金) 09:09:00 ID:VAjUGDgL
271 :
人間七七四年:2007/03/23(金) 12:42:09 ID:p5H4Yb3Y
ヽ´_J`)<……
272 :
人間七七四年:2007/03/23(金) 19:52:37 ID:EXHBJbOx
273 :
人間七七四年:2007/03/31(土) 16:25:58 ID:3gqV0m4m
「頼れるスーパーサブ」とか「チームの精神的支柱」とか言われるタイプの人間だな。
シュアなバッティングとか。
275 :
人間七七四年:2007/04/05(木) 12:59:21 ID:ZrFyZz/m
土橋になりそこねた男
276 :
人間七七四年:2007/04/12(木) 00:50:25 ID:Gr54yyUW
ながひでかわいいよながひで
277 :
人間七七四年:2007/05/08(火) 18:54:17 ID:vkVy5rMX
本能寺の時は、若狭一国の主か。案外、小身なんだな。
278 :
人間七七四年:2007/05/11(金) 08:51:21 ID:VyQlQcC6
それと佐和山周辺
279 :
人間七七四年:2007/05/12(土) 01:39:13 ID:WEhvfSF5
>>277 その方が長秀公らしいじゃないか。
それに、越前蟹食い放題だぞ。
280 :
人間七七四年:2007/05/14(月) 02:12:07 ID:BHFaTGaT
織田家の藤堂高虎っぽい。
いや、藤堂高虎が徳川の丹羽長秀かw
281 :
人間七七四年:2007/05/15(火) 19:33:48 ID:W0oB84ke
丹羽長秀と柴田勝家が仲悪かったと聞いたことがあるが本当か?
282 :
人間七七四年:2007/05/15(火) 21:00:17 ID:8m8biSoq
木綿藤吉 米五郎左
かかれ柴田に 退き佐久間
283 :
人間七七四年:2007/05/15(火) 23:25:50 ID:piOowDF3
284 :
人間七七四年:2007/05/15(火) 23:52:18 ID:c/B8MMOZ
越前守さまに逆らうと御手打ちになるぞ
285 :
人間七七四年:2007/05/16(水) 00:00:38 ID:S6Dl47fw
息子の長重も生涯の浮き沈みが大きくてなかなか面白い。
改易から最終的に10万石の大名になったんだからもっと評価されるべき。
某ゲームでは評価が低すぎる。
286 :
人間七七四年:2007/05/16(水) 00:23:40 ID:5yHRUbkY
もの凄い便利屋だよな。
287 :
人間七七四年:2007/05/16(水) 00:45:59 ID:Vc3UBCe2
自分が中坊の時、丹羽長秀の子孫だと言っていた奴がいた。
そいつは完全に信じこんでいて常に自慢していたが歴史に疎かった自分達には全く凄さが分からなかった。
288 :
人間七七四年:2007/05/16(水) 00:54:01 ID:heeVPrSV
ふーふーふーふーー わしが五郎左の子孫である。
289 :
人間七七四年:2007/05/16(水) 16:34:00 ID:PoxGfMBH
政治戦争謀略 全てが一流
だが、身内に明智光秀と羽柴秀吉というオール超一流の奴が2人もいたのが問題だった・・
290 :
人間七七四年:2007/06/01(金) 07:29:22 ID:nYXHug/x
保守
291 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 20:41:19 ID:SNAETAWf
保守
292 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 02:19:15 ID:enJairP2
中日の森野のイメージ
293 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 03:29:14 ID:H4cpz1II
俺は本西かな?
294 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 20:45:35 ID:PQVx8anm
本西よりは福良って感じだな。
295 :
人間七七四年:2007/06/22(金) 21:46:55 ID:zVufaajG
本西は内外野両方出来るからね。
政戦両方利く長秀のイメージに近いかもしれん。
296 :
人間七七四年:2007/06/23(土) 02:31:23 ID:OrtUDtCG
とりあえず、マイナーなのね。
297 :
人間七七四年:2007/06/23(土) 14:25:23 ID:TkfOMpxw
最後に部隊を直接指揮したのは賎ヶ岳の戦いが最後かな?
その時も好判断で賎ヶ岳砦が落ちるのを防いでるから戦才もやっぱりあったと思う。
298 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 23:01:33 ID:AJ/S1tx/
官位は不要にて、五郎左で結構。
299 :
人間七七四年:2007/07/22(日) 20:28:18 ID:yCj7K2Nj
保守
300 :
人間七七四年:2007/07/24(火) 20:38:06 ID:VBYUn2Et
>>145 信忠・信雄も信孝も母親は正室でないのだから、
庶子扱い。
信忠は正室の養子になったんで、嫡男となった。
三法師を押したのは信忠の子供だったから。
それに信孝の母親は別にあやしい出目ではない。
はっきりいって生駒よりも家柄はいい。
しかも生駒が正室に近かった事実はないがな。
最近の考察では信忠の生母は生駒ではないという可能性大。
301 :
人間七七四年:2007/07/30(月) 07:09:57 ID:cGWEWXjo
>>298 それって、本当に言ったことなのかな?
信長の評価が高くなかったから、惟住の名字だけになったんじゃないか?
302 :
人間七七四年:2007/08/02(木) 22:09:22 ID:3iwN5+R3
信長の評価が高くなかったら、馬揃えで一番隊にはならないと思うが。
303 :
人間七七四年:2007/08/03(金) 19:30:07 ID:FfieGuAU
>>302 評価なんて時期と状況で上下するだろ。特に信長みたいなタイプは。
304 :
人間七七四年:2007/09/01(土) 04:09:32 ID:x1hDn15+
文官じゃなくて「学の有る武官」なんだよねぇ
305 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 12:47:27 ID:tv+Ikwxu
>>304 御意。
三成とかは文官で武に疎いとかよく書かれるが、武将が武に疎いとかナンセンス。
306 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 13:05:01 ID:pla3f3mT
三国志じゃないんだから文官も武官も無いっしょ
307 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 01:17:41 ID:3lTNkgnI
三国志ってあーたw
光栄の三國志って書かないと。
308 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 07:52:22 ID:HTqPdh27
志國三
309 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 20:13:39 ID:KVJJ2MNc
秀長が信長より秀吉が好きだった、信長に暴力を振るわれていた秀吉に同情していた
しかし最後には秀長も秀吉に裏切られる
310 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 20:20:38 ID:xmwwzBjY
羽柴長秀の名前は丹羽からもらったのかな
311 :
人間七七四年:2007/09/07(金) 13:52:00 ID:odsUHAUx
最盛期は越前、美濃、若狹120万石だったのにね
312 :
人間七七四年:2007/09/07(金) 14:20:22 ID:bVSRXOts
>>311 長秀死後一気に15万石まで引き下げられたな。ほぼ10分の1。
313 :
人間七七四年:2007/09/08(土) 00:04:39 ID:IfvbfX/B
秀吉はそういう人事するよね
家に禄をやるんじゃなくて人にやる
314 :
人間七七四年:2007/09/08(土) 00:20:08 ID:yv/aQfwe
しかしそれは体制を不安定にする要因だった。
このころ既に「家=法人」と言う観念は出来始めていたのに、秀吉はそれについて行けなかった。
315 :
人間七七四年:2007/09/08(土) 00:33:26 ID:H2YKwAG8
徳川も似たようなことやってなかったっけ?
316 :
人間七七四年:2007/09/08(土) 22:45:18 ID:1d4x2lC9
本格的に考慮されはじめたのは、慶安事件のあとからか。
317 :
人間七七四年:2007/09/12(水) 12:44:56 ID:1kKJ+uoI
蒲生も氏郷の会津93万石から秀行の宇都宮18万石に落とされたりとか上がり下がりが極端だよな
318 :
人間七七四年:2007/09/14(金) 03:44:07 ID:d880ek06
丹羽秀長も信長の息子何人か殺しているんだけど
319 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 09:35:19 ID:Y448H3yx
著名な人物で直接手にかけたのは(戦は除く)、
織田信澄と、朝倉義景の息子ぐらいじゃなかったけ?
320 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 04:17:02 ID:CrHg+POx
>312
長秀遺言で自分の死後跡取りが不甲斐なかったら減地してくれって秀吉に
いったんじゃなかったっけ?
まあ裏を返せば息子をぞんざいに扱うなっていう意味の裏返しにも取れる。
家康が甲州打入り後に信長に「駿河いらない」っていった謙退というか
媚態に近いものかも。
321 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 06:20:52 ID:bvprhdst
斯波長秀
322 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 20:26:06 ID:ZC8aJNFe
個人的には好きな部将です。
323 :
人間七七四年:2007/10/08(月) 20:14:49 ID:1JyP2kSH
324 :
人間七七四年:2007/10/09(火) 14:23:12 ID:cvbnAevJ
オリックスにドラフト1位指名された
丹羽将弥選手は子孫なんですか?
325 :
人間七七四年:2007/10/09(火) 14:58:26 ID:+iYklpiF
尾張には丹羽郡があるから珍しい苗字でもない
ただ長秀の家は本家じゃないよな
326 :
人間七七四年:2007/10/09(火) 20:09:15 ID:OWNNkm0K
米五郎佐
327 :
人間七七四年:2007/10/09(火) 21:01:09 ID:M/7V/W9r
鬼五郎左
328 :
関連スレ:2007/10/17(水) 23:16:57 ID:BCrPQdLz
329 :
人間七七四年:2007/10/28(日) 02:35:44 ID:i4/pKDKs
丹羽さんは、三国志の趙雲みたいな人だな。
一軍を率いる器はないが、小回りが利く忠義者という辺りとか。
330 :
人間七七四年:2007/10/29(月) 11:09:44 ID:kG5+NUmE
俺は孫乾っぽいと思うが、どう?
331 :
人間七七四年:2007/10/29(月) 11:12:51 ID:fGrIXv6K
三国オタうぜえ
332 :
人間七七四年:2007/10/29(月) 12:21:32 ID:/rf0Ky06
何でも三国志に例える連中マジいらつく
アホですか?
333 :
名無しさん:2007/10/29(月) 16:23:07 ID:OVpfANYv
ニワナガヒデとパシィフイカスの息子がビワハヤヒデで
半弟がナリタブラリアンだよ
豆知識な
334 :
人間七七四年:2007/10/29(月) 21:54:00 ID:KSpFcBW4
秀吉にいい様に利用された人間という印象しかないんだけどこの人
335 :
人間七七四年:2007/10/30(火) 07:31:08 ID:Y/r3SzLz
お腹の中に何がいたの?
336 :
人間七七四年:2007/10/30(火) 13:14:42 ID:tA7hEmIk
俺はボオルチュが同じタイプだと思う
337 :
人間七七四年:2007/10/31(水) 21:46:43 ID:B2YzVlak
びわはやひで
338 :
人間七七四年:2007/11/02(金) 21:29:02 ID:E2oyDxps
臓物を取り出す勇気はすごい
339 :
人間七七四年:2007/11/03(土) 00:43:30 ID:1m+uR0wG
譜代の家臣で丹羽家のお坊ちゃまだから、欲がない。
織田家に対する忠誠心が高い上に、どんな命令でもそつなくこなしたので、信長の信頼は絶大。
信長は、軍団長には怪しい動きをしないように必ず目付けを数人つけてる。
例えば柴田には、前田ほか3人の目付けをつけて、何かあったら報告するように
命令してる。
長秀の目付けには、特に報告することはないだろうから、報告しなくていいと
まで言っている。
明智や秀吉みたいに成果をアピールしないのと、汚れ仕事を嫌ったので、
世間に評価されないだけで、実力はかなり高かった。
本能寺の変の後、織田家の為になると思い、秀吉を信頼したが、
秀吉に裏切られて、悔しさのあまり早死した武将。
340 :
人間七七四年:2007/11/03(土) 00:44:46 ID:NyRWo8Np
>>339 まあ小説にするとそんなキャラになるだろうな。
341 :
人間七七四年:2007/11/03(土) 01:11:42 ID:qPG4mCDW
この間酒のんだけど、普通のおっさんだった。
342 :
人間七七四年:2007/11/03(土) 21:49:25 ID:0+iMRrU2
丹羽姓の親が子どのもの頃に仏壇で見つけたという家系図を、20年ぐらい前に見せてもらった事がある。
全体としては戦国時代以前の名前ばかりが書いてあったのだけれど、
欄外に丹羽長秀の名前が書いてあった。
親の実家は、寺にある資料によれば江戸初期にはすでに百姓だったようで武家ではなかったみたいですから、
家系図は嘘っぽいですけど。
その家系図、自分が知っている名前としては中臣鎌足が大職官鎌足という名で載っていたので
当時通っていた高校で調べたら中臣鎌足の前後3世代ぐらいは資料と一致していた。
343 :
人間七七四年:2007/11/21(水) 14:56:43 ID:BW4HCin5
>>342 鎌足の前三代に興味あります 真面目に。
344 :
342:2007/11/24(土) 18:53:21 ID:5Jri1U0Q
>>343 すんません…家系図の写しが行方不明なんです。
345 :
人間七七四年:2007/11/25(日) 00:00:25 ID:+DwoYZe/
裏庭には二羽丹羽長秀がいる。
346 :
人間七七四年:2007/11/27(火) 13:06:42 ID:A9M780cI
長秀の「長」は信長の偏諱かと思ったが、丹羽家代々の通字なんだな。
347 :
人間七七四年:2007/11/28(水) 01:25:37 ID:boN83aSP
「センゴク」でもやっぱりどうということのない描かれ方されてるね。
作者かなり織田軍好きっぽいのに。
348 :
人間七七四年:2007/11/29(木) 15:56:48 ID:MdWMyEPe
秀吉物で織田家の面子が目立つようになるのは本能寺後じゃないかね
349 :
人間七七四年:2007/12/01(土) 12:34:49 ID:tlqyiyu4
>>347 好きつっても漫画書いてる奴じゃ程度が知れてるだろ。
350 :
人間七七四年:2007/12/19(水) 07:26:17 ID:2WDJT7G1
程度もなにも好きだから何なんだw
351 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 00:18:56 ID:OmeZoxDA
次男なのになぜ五郎左衛門という名前なんでしょうか?
352 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 01:23:09 ID:ppLHJJ/w
丹羽長秀は渋すぎる!
野球で例えるなら
秀吉=イチロー
長秀=バントの名手川相
353 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 01:28:22 ID:s/QnJaE/
こういう人が一人でもいたら助かるだろうね。
354 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 01:29:18 ID:ppLHJJ/w
丹羽は地味だけど凄いと思うな。
当たり障りなく着実に仕事をこなす感じがするね。
派手な活躍もなければ大きな失敗もないみたいな。
やっぱポジション的に川相タイプな気が。関係ないけど川相は犠牲バント世界一だからねww
355 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 01:52:29 ID:ppLHJJ/w
織田家臣を勝手に現代の会社組織に例えると(私的)
信長=ワンマンカリマスベンチャー社長
信忠=二代目坊っちゃん・海外留学中
秀吉=やり手の営業マン・独立思考が高い
光秀=企画担当、語学堪能、移籍組
勝家=パソコン使わず、感頼り
蘭丸=社長秘書
林=窓際
佐久間=窓際
そして長秀=クレーム処理班&雑務全般&年末は超重要なポジション宴会部長に就任ww
356 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 01:58:02 ID:ZxPGhUQu
一番ライト 羽柴秀吉
二番セカンド 丹羽長秀
三番ファースト 柴田勝家
四番ピッチャー 織田信長
五番センター 明智光秀
六番ショート 滝川一益
七番レフト 前田利家
八番サード 佐々成政
九番キャッチャー 村井貞勝
357 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 02:09:00 ID:xUkebBrp
358 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 02:12:15 ID:ppLHJJ/w
>>357 ちなみに信長は三男らしいぞ
長男信広、次男、病死
359 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 02:16:14 ID:xUkebBrp
360 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 02:22:40 ID:ppLHJJ/w
>>359 あえていれんかった。弟として扱われてるからな。
信時も兄としたら四男か?
361 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 03:10:01 ID:SiqUrmxQ
秀吉とか光秀も多少は織田家の「吏」の仕事に就く事があるけどあくまで本職は戦闘。
長秀みたいに織田家の主な戦に(直接の指揮権無いけど)ほぼ皆勤しながら村井とかの「吏」を
専門としてる連中と一緒に組んで朝廷の接待とかの「吏」の重職に度々駆り出される事は流石に無かった。
とにかく色々と便利な人だよね、なんか地味だけど。
362 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 14:42:37 ID:qpB6/LKe
派手な五郎左なんて五郎左じゃないやい
363 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 21:54:36 ID:01DtAICK
>>357 三男だから三郎じゃなくて織田嫡男の名乗り。
信定も信秀も秀信も三郎。
364 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 23:58:24 ID:OCWFeyFu
はじめて読んだ学習まんがの長秀の顔がテキトーすぎてワラタ
365 :
人間七七四年:2007/12/23(日) 06:55:52 ID:1waoeCeB
安土城建築はただでさえ過去に類をみないぐらいの「日本一立派な城」を作る一大事業なのに
信長がデザインにまで注文をつけてくるという結構な無理難題だった。
それでも期限内に立派な城を建て、デザインの要望も信長が唸る出来に仕上げてくるあたり流石にソツがない。
さらにその後、「期限より大幅に早く仕上げたから茶器プリーズ」と信長に要求して茶器も貰うあたり抜け目無い。
366 :
人間七七四年:2007/12/23(日) 12:18:45 ID:aSsGSqWO
>>365 滝川や佐久間なみに茶道楽だったんだな。
367 :
人間七七四年:2007/12/24(月) 19:58:08 ID:odhHEsKR
なんだかんだで要領いいよねこの人。
1573年にも今まで誰も挑戦しなかったぐらいの大きさの巨大軍船建造の奉行を任せられてるけど
工事期間に余裕を残すぐらい短期間で手早く仕上げてる。
368 :
人間七七四年:2007/12/24(月) 21:13:33 ID:uoKq0tJL
信長も、無理に長秀を指揮官にして戦死させてしまうリスクを負わせるよりは、
奉行職で成果をあげさせる方が効果的なのかもしれないね。
369 :
人間七七四年:2007/12/25(火) 01:14:13 ID:1NcBsGPb
城建ての才能と土木工事とか城下町整備の際の要領の良さだけはしっかり長重にも受け継がれてる。
この才能のお陰で改易された後に貰った1万石から10万石まで領地を増やせた。
一芸って大事だな。
370 :
人間七七四年:2007/12/25(火) 05:18:59 ID:3sP62fxk
一芸と言うか、ポスト戦国時代を見通した次世代大名としての能力をいち早く身につけていたと言った方がいいな。
本能寺が起こらず信長政権が成立したら、普通に羽柴や明智は没落しただろうけど、この人は100万石くらいの大大名に
なったでしょ。
371 :
人間七七四年:2007/12/27(木) 00:29:31 ID:UdeGXKgf
>>369 長重個人の才能というよりは長秀時代に付き従って働いてた
古参の部下達の経験が生きたんじゃないかなぁ。
とりあえず色々な場所に駆り出されてた長秀について働いてただけで建築関係の知識には
相当明るくなるはずだ。
372 :
人間七七四年:2007/12/27(木) 00:55:01 ID:F/bA2P8W
もともと、長秀個人の能力ってわけでもないでしょ。
373 :
人間七七四年:2007/12/27(木) 05:35:09 ID:gSNpiqwm
>>372 トータルに管理監督できる、ってのは長秀の個人能力だろ。
374 :
人間七七四年:2007/12/28(金) 00:42:53 ID:Pq4qPkAu
あー
375 :
人間七七四年:2007/12/28(金) 02:14:40 ID:q0wz+Bs5
逆にね
376 :
人間七七四年:2007/12/28(金) 13:31:35 ID:8MPtDvH7
小少将、愛王丸(義景の子)、光徳院(義景の母)を始末したのはこの人
377 :
人間七七四年:2007/12/29(土) 23:11:16 ID:EQ7F48aw
>>371 江戸時代になってから城3つ建てた(白河城は「大」改築だが)のは長重だけ。
築城家としての評価は当時、結構高かったんじゃないかと。
あと、棚倉城と白河城は丹羽家が出て行った後は明治維新まで代々、譜代大名しか配属されてない。
いい城が建てれる腕がある事を見込んでの幕府の策だったと思う。
378 :
人間七七四年:2008/01/05(土) 01:49:34 ID:S9oXuuqW
戦国時代の一線級の武将達が消えた後の世代ならNO1だったのかもしれんね。
某社の某ゲームでは全く反映されてないが
379 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 00:01:37 ID:FdeXHanL
家紋が・・・ダサいです
380 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 02:23:59 ID:N2mZwBLM
X
381 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 09:55:02 ID:xnM1sjiD
><
382 :
人間七七四年:2008/01/13(日) 16:42:53 ID:k4/tFJZT
>>379 家の家紋が直違紋な俺涙目
どうでもいいけど家紋研究家の丹羽基二先生もこの家紋なんだそうな。
丹羽家と関係有るの?
383 :
人間七七四年:2008/01/21(月) 00:38:28 ID:/ajTUavu
知らないです><
384 :
人間七七四年:2008/01/21(月) 01:01:24 ID:zyf+CrEm
385 :
人間七七四年:2008/01/21(月) 01:06:11 ID:/ajTUavu
実は丹羽先生はもう故人だったりする
386 :
人間七七四年:2008/01/25(金) 22:08:28 ID:pCeyuhX/
滝川「茶器ウラヤマシス」
387 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 12:59:26 ID:wD3sjtSk
もう、小倉女は権力者の肉便器でその程度の女だったってことでいいじゃんW
388 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 15:21:30 ID:ASkxBpex
佐久間スレで、佐久間と同格扱いしてた人がいたけど、過大評価も良いところだろ?
389 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 17:50:27 ID:oXgfupA9
森可成と同格
390 :
人間七七四年:2008/02/26(火) 03:07:49 ID:7BX5zhJt
ニワナガヒデ
って書くと競走馬みたいだよね
391 :
×:2008/03/01(土) 12:20:57 ID:73oQ/XCk
380.382
戦にて敵方の主の首を刎ね、刀の血を拭った跡→×
まさにブラッティクロス。「血の十字架」家紋・・・
ちなみに私も×
392 :
×:2008/03/01(土) 12:24:29 ID:73oQ/XCk
織田軍の双璧 丹羽&柴田
丹羽長秀=ミッターマイヤー?ロイエンタール?
393 :
×:2008/03/01(土) 13:07:18 ID:73oQ/XCk
丹羽長秀=キルヒアイス
394 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 17:40:56 ID:gbgpJ1zb
以前の勤務先に「駿秀」と書いて「はやひで」と詠む子が近所にいた。
396 :
394:2008/03/02(日) 13:34:56 ID:wgM6gdvU
ビワハヤヒデの間違いでした
スイマセン
397 :
人間七七四年:2008/03/03(月) 07:13:17 ID:rJ86M55x
春日局に騙されている男
398 :
人間七七四年:2008/03/04(火) 23:07:46 ID:ozhl4Z3x
地味
399 :
人間七七四年:2008/03/05(水) 20:24:07 ID:0qdNHcqw
400 :
人間七七四年:2008/03/21(金) 13:39:37 ID:JGMIq0Jg
もしクラスに丹羽長秀がいたら
全教科オール85点
スポーツテストの結果は40人中7位
リレーの選手にギリギリで選ばれる
男女の友達がそれなりにいる
背の順で真ん中よりちょっと後ろ
ハンドボール部の部長
バイトもしてる
クラスの女の子全員から義理チョコを貰う
ルックスは水準以上
合コンの誘いに三番目くらいに声をかけられる
特に嫌われてる人はいない
学級委員の立候補者がいなかったら何となく皆から推される
401 :
人間七七四年:2008/03/21(金) 18:21:49 ID:iD9LSf5s
>>400 東美濃攻めでの猿啄城、堂洞城攻略、南伊勢の雲林院城、長野城攻略を評価して
あげなさい
403 :
人間七七四年:2008/03/23(日) 11:14:45 ID:zjstsUs9
>>400 授業中に一緒に無駄話してたはずなのにいつの間にかしっかりノートがとってある。
404 :
丹羽雄哉元厚生大臣、総務会長:2008/03/30(日) 17:33:00 ID:KGP1MIgp
なんとなくわかるねえ。クラスの中の上。
クラスの上の上のやつの横暴に堪えかねて、臓物をえぐり出して抗議するであろう
405 :
人間七七四年:2008/03/30(日) 18:43:47 ID:FdaXTnuE
彼女はかわいいタイプだな
406 :
人間七七四年:2008/03/30(日) 22:47:40 ID:R+5HCs27
地方のトップクラス公立進学校二年生
父親は県庁職員もしくは銀行員
母親は現在専業主婦
住宅街の一戸建て住まい
高二の春同級生の彼女が初めてできた(告白された事は中学時代にも一度ある)
キスまでいって童貞卒業まであと一歩
酒煙草は悪友に勧められ少々 シンナーやドラッグは強固な意志でこれを断る
文系クラスだが最近建築に興味があり、数学の成績も文系では比較的よい事から理転も考えている
大手予備校でなく近所の塾通い、その塾内ではかなり期待されている
教師からは地元国立への進学を奨められているが東京の有名私大にもちょっと興味がある
407 :
人間七七四年:2008/03/31(月) 05:09:20 ID:dONow8pY
安土城を一生懸命築城してなさい
408 :
人間七七四年:2008/03/31(月) 11:35:28 ID:0BVNpyqj
一番ショート 秀吉
二番セカンド 長秀
三番センター 光秀
四番サード 勝家
こんなイメージ。ポジション違うけど雰囲気はヤクルト宮本みたいな。
409 :
人間七七四年:2008/03/31(月) 15:09:58 ID:dONow8pY
5番キャッチャー家康
6番ライト一益
7番レフト信盛
8番センター??
9番ピッチャー信長
410 :
人間七七四年:2008/04/01(火) 02:45:35 ID:hm3F2suq
センターダブってファーストが無人だ。
長秀に任せとけばいいか。
こんな感じだな。
411 :
人間七七四年:2008/04/17(木) 15:17:02 ID:gGd03Ms2
人柄は好感がもてそうだ
412 :
人間七七四年:2008/04/20(日) 02:28:44 ID:JcwVtDYq
8番センターは利家だろ
413 :
人間七七四年:2008/04/20(日) 06:01:58 ID:BqRlQaUa
いや原田直政だな
414 :
人間七七四年:2008/04/25(金) 00:39:32 ID:Jxn/B0OO
>>410 長秀=内外野どこでも守れるユーテリティープレイヤー
415 :
人間七七四年:2008/05/10(土) 16:26:08 ID:oxmIGnwL
木綿藤吉、米五郎左
416 :
人間七七四年:2008/05/26(月) 15:08:32 ID:ipzUBT03
何故羽柴を支持したんだっけ、この方
417 :
人間七七四年:2008/05/27(火) 21:39:36 ID:OeWbcPMJ
418 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 16:18:52 ID:oW+kO0/G
419 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 21:00:11 ID:8rAo7buG
長秀
420 :
人間七七四年:2008/06/11(水) 02:36:00 ID:3ift60qf
丹羽いじり
421 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 17:22:26 ID:mZL8OWHH
丹羽長重は梨を剥いてくれたYO
庭には二羽、丹羽長秀がいる
422 :
人間七七四年:2008/06/17(火) 01:25:55 ID:Q5x+pDFz
丹羽家は江戸の世では福島県中通りを支配して
国持大名に類する扱いだったんだっけ?
前田には劣るにしても、織田や豊臣の重臣や多くの戦国大名が
徳川の世で改易の憂き目に遭っている事から考えるに
その繁栄の祖となった長秀と長重は評価されるべき
423 :
人間七七四年:2008/06/17(火) 09:20:30 ID:25QhWzE2
長重って前田勢に浅井畷で少人数で襲い掛かったり、大阪の陣でも少人数で戦功
をあげたり意外と勇猛な人物
424 :
人間七七四年:2008/06/17(火) 10:55:48 ID:GNdCW9bF
世が世なら、長秀は名将・丹羽長重の親父みたいな扱いになったかも。
今は逆だけど。
425 :
人間七七四年:2008/06/20(金) 22:31:48 ID:ifI6f9D6
「ダメ息子」みたいなイメージ付いちゃってるなぁ、長重。
426 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 15:52:42 ID:lKsn8Lo/
白河10万石まで復活したんだから大したもんだよ 長重。
427 :
人間七七四年:2008/07/09(水) 00:30:56 ID:Z2fTBm8F
丹羽長秀の子孫っているのかな?
428 :
人間七七四年:2008/07/22(火) 14:45:01 ID:/FYPjRzb
明治まで生きた長国は長秀の子孫だから 分かれは結構いそうだ。
429 :
人間七七四年:2008/07/22(火) 22:12:58 ID:jq59qew2
庭には二羽丹羽長秀ビワハヤヒデ
にわにはにわにわながひでびわはやひで
430 :
人間七七四年:2008/07/27(日) 18:17:47 ID:3p1AouxZ
丹羽長秀の子孫です。
どこかの城の縄張図面が家宝として代々伝わっています。
今はしがないサラリーマンやってます。
431 :
人間七七四年:2008/07/28(月) 10:09:04 ID:pyEELTdZ
じゃあおめえのあだ名明日から五郎左な!
432 :
人間七七四年:2008/07/28(月) 11:32:37 ID:XFl974ww
433 :
人間七七四年:2008/07/28(月) 18:55:58 ID:ThJeteSc
丹羽家は明治に上杉から養子を迎えたはず。
434 :
人間七七四年:2008/07/28(月) 23:20:48 ID:K+rGSBiO
435 :
人間七七四年:2008/08/07(木) 13:22:34 ID:RGf2Sl87
信長にとってはかけがえの部下。
自分の姪を養女にして長秀に嫁がせ長秀の息子には自分の娘をあたえた。
信長は娘を戦略の道具に使わず家臣に嫁がせたが(これも家臣を引き止める
戦略?)親子二代で信長と堅く結ばれてるのは長秀くらい。
長秀も前田も秀吉が信長の遺児をこうも無残に扱うと思って味方したんじゃないのに
って思いがしただろうね。
436 :
人間七七四年:2008/08/07(木) 13:30:04 ID:hWZmnnHa
437 :
人間七七四年:2008/08/10(日) 15:18:05 ID:pknMCE2d
戦績は十分なんだがなまじ内政とか何でも出来るのが仇になって
軍団持たせてもらえんなかった感が有る。
これぞ器用貧乏。
438 :
人間七七四年:2008/08/10(日) 15:28:48 ID:dTWQDaxu
信長が死なず、織田家が天下を平定していたら、「信長の懐刀」だったとして、
後年には家康に対する本多正信的な扱いを受けていたはず。
439 :
人間七七四年:2008/08/10(日) 23:18:10 ID:1CiiS/bm
扱いは準一門だよね。
織田政権が続いていたら、孫の代には織田姓が与えられていたような気がする。
440 :
人間七七四年:2008/08/11(月) 04:59:44 ID:pZsYpMcx
武田が滅んだ時にに甲斐行ったついでに信長に草津で湯治するよう言われてるんだよな。
日頃の激務を労うって意図も見えるがもう既にこの時点で持病持ちだったんだろうかね。
441 :
人間七七四年:2008/08/12(火) 15:21:37 ID:uxnuT1zV
三男の藤堂高吉の名張藤堂の家系が明治ぐらいまで代々「長」の字を入れてるのは
「丹羽長秀の息子なんだ俺は!」ってアピールしてる気がするなぁ。
442 :
たられば君:2008/08/13(水) 06:48:38 ID:b78rX89J
443 :
人間七七四年:2008/08/13(水) 07:04:31 ID:iFwbgy2U
そういや、長秀の「長」は信長の偏諱なのか?
444 :
人間七七四年:2008/08/13(水) 07:13:01 ID:TZeMyBa2
>>441 独立藩を認めなかった藤堂本家と仲が悪いから、当てつけじゃないの?
445 :
人間七七四年:2008/08/13(水) 08:44:38 ID:9UKUIN4t
>>442 藤堂高吉は信長の血は入ってない。側室の子
446 :
人間七七四年:2008/08/13(水) 10:08:32 ID:3HKSZ3Ip
>>443 長秀の父親は丹羽長政。
だから代々「長」の字を入れてるだけみたい。
447 :
人間七七四年:2008/08/15(金) 14:28:10 ID:t5nM+EgV
安土城建て始めて3年4ヶ月で天守完成、城下町整備完了とか異常なまでに早いな。
448 :
人間七七四年:2008/08/16(土) 01:07:35 ID:+r64Hf9L
Googleで「丹羽さん」で検索すると…w
これも人柄の成せる技。
450 :
人間七七四年:2008/08/17(日) 19:50:58 ID:iQc21UDO
「織田さん」「徳川さん」「羽柴さん」では戦国武将ヒットしないのな。
「豊臣さん」ですら秀吉にヒットしない。
451 :
人間七七四年:2008/08/18(月) 05:50:37 ID:ZuXhCln/
ウィキペディアが先頭に来るのなw
しかしウィキペディア内を「丹羽さん」で文字検索しても無いという不思議!
452 :
人間七七四年:2008/08/21(木) 02:07:41 ID:0E1N5pZQ
さん付けしたくなる気持ちは分からんでもない。そんな武将。
453 :
人間七七四年:2008/08/27(水) 00:19:14 ID:6LOFohoq
工事は早いけど造った城の数自体は少ない丹羽さん。
達人の称号を贈りたい。
455 :
人間七七四年:2008/09/02(火) 00:22:40 ID:zYqHl1Hz
職人だな
456 :
人間七七四年:2008/09/02(火) 19:20:47 ID:WxYi7Vuo
某ゲームで水軍補正が無いのはおかしいですよ、シブサワさん。
457 :
人間七七四年:2008/09/06(土) 17:30:05 ID:Ad08y/9y
ビワハヤヒデ
458 :
人間七七四年:2008/09/11(木) 13:38:23 ID:0+YAjd7X
井端
459 :
人間七七四年:2008/09/14(日) 21:29:42 ID:byDRU5SR
俺は十種競技の選手だと思う。
460 :
人間七七四年:2008/09/24(水) 23:27:40 ID:LpJ1l2ya
あんま舐めてると丹羽さんが茶器狩りしに来るぞ、ゴルァ!
461 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 15:07:39 ID:luehQA5t
丹羽では他に有名人がいないってことか。
462 :
人間七七四年:2008/10/20(月) 15:28:10 ID:JXsw+hj+
丹羽兵助
463 :
人間七七四年:2008/10/20(月) 15:50:11 ID:atgcrood
この人、昔は信長の方面軍司令官の一人のように考えられてたけど、
今では遊撃隊長くらいだったって認識なのね。
代わりに織田信孝が方面軍司令官に入ってる。
464 :
人間七七四年:2008/10/20(月) 16:24:07 ID:7/KgAX02
息子に箔をつけるっつー感じじゃん
465 :
人間七七四年:2008/10/20(月) 21:27:46 ID:yO8NK8dR
信長のいい意味での小間遣いでしょ。
方面軍なんかに入れたら、気軽に用事を命令できない。
466 :
人間七七四年:2008/10/25(土) 19:44:12 ID:UtflOHrI
信長直下の遊撃師団長と考えると方面軍の応援に派遣されたら
信長の名代や目付として行く訳だからやっぱ重用されてたんだろうね。
467 :
人間七七四年:2008/10/25(土) 23:02:16 ID:yBccx8AI
武田攻めの後、堀秀政と草津温泉へ行くというエピソードは面白い。
468 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 15:15:30 ID:NsNqy6hH
どんなエピソード?
469 :
人間七七四年:2008/11/19(水) 14:38:33 ID:Jqv8qxfs
多賀新左衛門もか。
470 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 19:53:00 ID:DMRSwPSK
信長は、酒に酔えば自ら膝をたたいて、「不動国行、つくも髪、人には五郎左ござ候」
と歌ったそうです。この3つが信長の自慢だったらしい。
ところでこの歌は何処に載ってるんだろう?
471 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 20:23:25 ID:nNGfOt6P
信長が酒に酔ったとな
472 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 20:51:15 ID:x7dmK22K
地味だが自民支持者じゃない長秀
473 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 21:07:42 ID:J0pKUu0B
地味だが自民党離党した自見荘三郎
474 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 08:47:33 ID:2Q8+qU/L
>>471 470です。まぁたった一杯の酒に酔ってということで・・・
でも名刀不動国行 名物茶器つくも髪(つくも茄子)そして人では五郎左
なんてうれしいな。
でも出典が分からない。どなたか教えて
475 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 16:38:59 ID:e5cH8jQQ
もし長秀が変心して清須会議で柴田・信孝側に加担したら・・・
476 :
人間七七四年:2008/11/28(金) 00:58:52 ID:6fZFkfHm
蒲生ら近江衆、稲葉ら美濃衆、細川ら丹後衆、信雄を除く伊勢衆、尾張衆が柴田側につくのでは
長秀が柴田側についたら
秀吉が幼い三法師担いで主家を乗っ取ろうとするのが見え見えになり織田家中で完全に浮いてしまうだろう
477 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 19:53:25 ID:56rRGGsu
丹羽さんが敵に回ったなら相当面倒だな。
交通の要所、近江が領土だから伊勢の滝川や信孝とも連絡路がガッチリ繋がって
更にそれより東側の織田領とも秀吉は完全に分断される事になる。
分断されたとなれば東側の織田領全部が柴田側になびいてもおかしくない。
傍観決め込んでた長宗我部までも動き出したらいよいよただでは済まない…
478 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 11:16:08 ID:x2DLr24u
長秀は吏僚としての経験深いから体勢を動かせる影響力は少ないが京都の公家や堺の商人たちも動かせるだろう
479 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 13:13:23 ID:xlnAOdzZ
長秀の調整力で信雄も納得させられたらおもしろいね。
ところで、信長の娘と長秀の息子は本能寺の翌月に結婚してる。
ほんとうなら盛大に行われたんだろうけどかわいそう。
きっと蒲生のところに避難してたんだろうけど、翌月に
ちゃんと引き取るなんて律儀な長秀らしい。
「信長様この姫のことはご安心ください。」ってな気持ちか?
織田家本体はどうなるかわかんないけど、婚約していた姫の面倒くらい
きっちり見ますって感じでいいなぁ。
480 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 18:35:22 ID:Jga+rlpQ
築城なんかは信長が興味ある間は信長自身が直接指揮して
飽きたり忙しくなって丸投げすることを見込んで長秀に任せてるイメージだなぁ
それをやって全く問題無い以上の能力と信頼性があったんだと思える
481 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 00:18:33 ID:hNySQYn9
>>479 信雄はちょうど愛妻の雪姫が病死して滅入ってる時だから長秀に娘がいれば後妻にという案もあるが
信孝の心証を悪くするけど
ただ秀吉も孤立を恐れ信雄に急接近するのは間違いないだろう
482 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 01:27:01 ID:SjFwPJR1
清洲までに長秀としっかり連携取ってなかった柴田の考えが甘かったかな。
長秀が秀吉に味方した時点で戦う前から勝負はついてたと思う。
483 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 09:58:14 ID:5EnU8nSn
せっかくキーパーソンになれたのに、やはり選択ミスか。
官位もない、軍団も率いてない、でも織田家中では柴田・丹羽の双璧。
清洲で秀吉じゃなくて長秀が嫡孫擁立してたら、柴田も納得したかな。
長秀が後ろ盾ならちゃんと織田政権でみんなついて来た・・・かな?
484 :
関連スレ:2008/12/01(月) 10:25:49 ID:SfUz80Qk
485 :
人間七七四年:2008/12/02(火) 00:21:22 ID:ywyHF3iw
>>483 山崎の戦いで、秀吉に恩を売られたのが負い目になっているんだろうね。
486 :
人間七七四年:2008/12/02(火) 08:54:03 ID:205gffvQ
>>485 あの時、堺にいてた長秀は何故直行しなかった?信孝が足をひっぱた?
信長の仇を討ちたい気持ちは一番と思うが、信長の死で一瞬全ての機能が
止まった? 信長あっての五郎左だもんね。
487 :
人間七七四年:2008/12/02(火) 19:40:47 ID:YAdLzyqh
>>486 逆じゃないかな
神吉城攻めで足軽どもと争って城に乗り込むぐらい性急な信孝の性格からして
百姓や浪人中心で四散してしまった軍で準備も整わず攻めようとしたのでは?
それを秀吉や池田らの同心を待った方が良いと長秀が諌めたような気がするな
488 :
人間七七四年:2008/12/02(火) 22:09:03 ID:i6wPPTym
四国討伐の軍で光秀に当たれば勝てそうと思いがちだが
信孝が岸和田に居て本隊が住吉に駐軍。
その住吉の隊は信孝不在で信長の死が伝わって混乱の内に四散してるから戦力になりゃしない有り様だったらしい。
信孝が動かせた兵なんて2000人行くかも怪しい。勝ち目無し。
489 :
人間七七四年:2008/12/07(日) 01:27:15 ID:66Crd9Y3
信長=アニマル・レスリー、勝家=ブーマー、秀吉=イチロー、長秀=田口壮 阪急、オリックスで例えてみました
490 :
人間七七四年:2008/12/07(日) 01:38:30 ID:l9ZKxpuO
利家=蓑田
491 :
人間七七四年:2008/12/07(日) 08:28:02 ID:6T8xiNGO
長秀は田口よりも福良って感じだな。
492 :
人間七七四年:2008/12/07(日) 12:38:19 ID:U/H1FwlJ
戦国のいぶし銀
493 :
人間七七四年:2008/12/08(月) 13:50:53 ID:AWlRoCUm
丹羽建設株式会社
494 :
人間七七四年:2008/12/13(土) 11:03:10 ID:uUxvWZUl
この人、築城の実績って安土城以外にあったっけ?
意外と情報が見つからない。
495 :
人間七七四年:2008/12/13(土) 12:43:17 ID:apsteINJ
信孝は可哀相だよな。秀吉軍に負けて自害したんだから。まだ30にもなってなかったんだぜ。次男信雄が一人長生きしやがって 信雄と仲良ければ長生きしてたかもな。変わらず勝家に担がれたとしても。
496 :
人間七七四年:2008/12/13(土) 12:44:31 ID:3ZfpIKjI
武田元明を謀殺して武田の嫡流若狭本家を滅亡に追いやった張本人。
497 :
人間七七四年:2008/12/13(土) 14:14:09 ID:uUxvWZUl
朝倉義景の息子、愛王丸にも直々に引導を渡した
498 :
人間七七四年:2008/12/13(土) 16:29:43 ID:5gIcNDCN
>>494 息子の長重は縄張りの名人と言われたらしいので、
丹羽家秘伝の築城術でも伝わっていたのかも?
499 :
人間七七四年:2008/12/14(日) 04:25:36 ID:zBTHen9H
安土以前に城建ててる?
流石に未経験で安土城の総奉行は務まらんだろうとは思うんだが…
500 :
人間七七四年:2008/12/14(日) 22:17:59 ID:F1iIVdqq
>>488 その割にはちゃっかり津田信澄を討っちゃってるんだよな。
501 :
人間七七四年:2008/12/14(日) 22:54:23 ID:A5WbfhfK
息子も関が原の負け組みなのに元に近い石高までカムバックしたんだから有能だよな。
立花宗茂並だ。
502 :
人間七七四年:2008/12/14(日) 23:58:56 ID:Awlux+Wa
503 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 19:30:15 ID:lzNuapD5
小牧山城はそうだな
504 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 03:53:34 ID:I6CapkEp
信長の「ワシのかんがえたすごい城」を建てるほど築城の経験があった訳でもない。
だが、やれと言われりゃサクッと出来てしまうんです。
505 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 15:48:35 ID:uHUJbZb6
>>504 > 信長の「ワシのかんがえたすごい城」
確かに安土城は良くも悪くもそう言う城だw
506 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 01:40:01 ID:W5L7u4EU
九鬼の大将が仲間になる前は「ワシのかんがえたでっかい船」作りもやらされてた丹羽さん。
507 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 12:51:44 ID:DF0tbRBU
ノブ「長秀はワシが育てた」
508 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 22:55:56 ID:NcNA9azy
あながち間違ってはいない
509 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 10:43:26 ID:erMeJPTS
織田家の庭師長秀
510 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 23:19:54 ID:IH3nyGGc
谷口克広に過小評価されてる
511 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 23:45:28 ID:MaFMAs0s
確かに器が無かったからと言うよりは単に順番とか役割の問題のような気もするな
512 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 00:29:52 ID:Qj1DsIJE
方面軍の大将は信孝で補佐に長秀や蜂屋の出世遅れ組が付いてるから
四国が収まったら関東の滝川や川尻と同じような感じで現地に加増されるんじゃないかなと。
513 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 01:04:43 ID:ZBxfl1KR
四国となると場所によっては畿内のすぐ傍で
四国征伐後に国持ちにしても今までと同様に手元で使いたい信長の意志を感じるな
514 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 01:21:13 ID:Qj1DsIJE
讃岐は信孝、阿波は三好康長で決定済み。
なら伊予辺りか?
515 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 03:59:34 ID:FBK9tDHN
でもそれらは妄想の域を出なくないか?
四国に限らず中国、九州、関東、東北も誰が来るか不明
今分かってる情報で解釈するしかないんだし
谷口氏みたいな見方は自然な気がするがね
516 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 09:48:06 ID:t7YyES47
>>515 谷口氏は領土と兵力だけでしか評価していないのが。
517 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 12:42:47 ID:ADFoPRdi
取締役でいうと、末席を汚して満足してしまうタイプだろ
518 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 19:07:13 ID:FBK9tDHN
>>516 ??何がいいたいのかわからないけど
『一軍の大将としての器量』を判断するなら
領土、兵力で比較するのが自然じゃないの?
城の普請とか造船とかの実績が劣るとは言わないけど
519 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 22:41:46 ID:t7YyES47
例えば武藤舜秀のような人物もいる。稲葉一徹なども、軍事的には信長に認められているが、
大領土は与えられずに終わった。
520 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 00:17:02 ID:PbbngATF
逆に塙(原田)直政みたいに戦功の面では今一つでも吏僚働きで抜粋されたり
明らかに戦向きの人物じゃ無かったので軍勢預けたらあっさり戦死したが。
521 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 02:56:16 ID:qBmsp3+d
>>519 やっぱ信長の野望に出る出ないって大きいな。武藤舜秀って一瞬誰だか分からなかったわw
そういえば小説でも基本端折られてるな。
522 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 03:01:39 ID:EphzFyPT
谷口氏は別に丹羽の軍事面での実力が『ない』とまでは言ってないだろ?
ただ相対的な話で、司令官クラスには至らなかったわけで
実力はあるが他四人に比べ一軍の大将としての器量は劣ってるという評価なわけで
妥当というか普通な見解な気がするがね。
まあ大将に抜擢されるかどうかはキャラクター的要素も含まれるかもしれないが
523 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 04:29:33 ID:8UsStIR1
じゃあ武田征服までは滝川一益には一軍の大将としての器量はなかったのに急に備わったのかって話になるわな
その頃には他に国持が何人も誕生してたのにそいつらよりも司令官として下だったのかと
524 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 04:39:37 ID:EphzFyPT
信長が途中で死んでしまった以上その後の諸将の領地など不明
今わかってる情報で判断するしかないんだから自ずと谷口氏のような見解が出てくるんだろ
中途の時点で考えても仕方ないだろ 滝川はもともとかなり低い身分で出発して
ようやく実力が認められたって事かもしれんし
1565年時点で秀吉がさほど高くない身分だからって秀吉の実力がない事にはならん
525 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 08:10:19 ID:VlRhvUNV
>>523 ん?
長秀って若狭国主じゃなかったけ?
526 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 10:15:35 ID:OIscuKbt
若狭も蜂屋の和泉も狭い
527 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 10:28:51 ID:QHcJyYwb
しかし、若狭という国は京畿内と日本海貿易航路を繋ぐ重要な土地だったりもする。
丹羽が若狭に入国した頃は、東には越前の一揆が、西にも丹波の国人たちと敵勢力に
挟まれた重要拠点。そこを任せたのだから、やはり相応の信任はあったのだと思う。
本能寺の頃までには、越前も丹波も征服されて、軍事的な意味での重要性が下がった
ことが、結果として丹羽の評価が下げられていることに繋がっている気がする。
528 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 13:25:15 ID:VlRhvUNV
>>526 しかし海港収入もあるし
石高も8万石
上野国主になる前の一益の北伊勢二郡や四国遠征軍の長である信孝の北伊勢二郡よりは動員兵力はあると思う
家臣団も信孝のよりは能力あると思うけど
529 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 16:00:11 ID:8UsStIR1
>>525 武田攻めの前は一益さんが他の国持よりも評価が低かったのか?ってことです
実際に若狭を任された時点での丹羽さんは家中屈指の大任だったと思う
>>524 だからこそ本能寺の時点を切り取って丹羽さんの将としての評価をしてる谷口氏の見解はどうなの?って流れだと思います
530 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 18:03:49 ID:PY0pZ9dn
>>523 滝川は蟹江城主時代に北伊勢攻めを任されている
揚げ足取る前に知識の幅を拡げたほうがよいぞ
531 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 18:35:47 ID:8UsStIR1
>>530 知ってるよ。
滝川だって早い時期に伊勢北部まかされて、そこから上野任されるまで時間空いてる
だから丹羽の話と絡めて将としての器云々ではなく順番としてたまたまそうなっただけではと言う話
532 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 18:52:16 ID:PbbngATF
器云々で指揮権預けるか決まるなら塙や梁田が秀吉や光秀をすっ飛ばして
いきなり大役を任せられた事は説明付かんな。
戦功という点じゃ佐々や前田にも及ばない。
大体、「器」って定義がなんか抽象的過ぎてぼやけてるんだよね谷口先生。
無理に丹羽や蜂屋を無能扱いしてる気がする。
533 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 20:11:18 ID:EphzFyPT
>>529 じゃあ一体何を元に織田家家臣を評価しようというのかね?
本能寺起きなかった場合の織田家人事なんていくらでも妄想できるぞ?
分かってる情報で分かってる最終的段階で評価するのが普通だと思うんだが
>>531-532 出世の早さが皆一定であるとも限らないし光秀秀吉って
その頃さほど高い身分じゃなかったんじゃ?
いくら能力人事とはいえ秀吉がいきなり上の連中飛ばしてトップクラスになる
なんてないだろ。
なんか無理やり丹羽を強くしたくて谷口氏にいちゃもんつけてるようにしかみえないんだが…
過小と言えるほど派手な功績ってあった?
534 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 20:31:55 ID:pa3ZO+MX
信長がいつも傍に居て欲しがった。長秀もそれで満足。
なにしろ信長の宝だから。
死ぬ時秀吉に領土は10万石くらいでいいって言ったって聞いたことある。
これって信長に貰ったくらい?
ようするに丹羽家の領土は信長様に貰った分でいい。秀吉から貰うつもりは無いと
最後に言いたかったような気がする。
535 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 21:20:49 ID:PbbngATF
>>533 >いくら能力人事とはいえ〜
いやあ、お気に入りに対する昇進は異常に早いよ。
光秀も仕官して4年で城持ちになってるし梁田なんて馬廻りからたったの3年で
柴田を差し置いて加賀攻めの奉行までいってしまった。
ま、それは置いといて有岡城攻めや伊賀攻めで功は有るが
ご存知のように常に単独では無くて滝川や蜂屋あたりと名前が並ぶ感じか。
536 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 21:29:19 ID:EphzFyPT
>>535 梁田は信長が抜擢に失敗した例って事じゃないの?
滝川や丹羽の評価うんぬんまで一緒くたにできるの?
537 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 21:53:23 ID:p9j6wvc7
>>533 俺には、あんたこそが谷口を持ち上げているようにしか見えないんだが。
谷口って、そんなに戦国時代の研究で評価すべき人物なの?
538 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 21:59:06 ID:EphzFyPT
>>537 しらんよそんな事
ただ中公の書籍で本出すくらいだからある程度の専門知識や客観性とかに
基づいて書かれてるんじゃないの?そら百パー正しいとはいわんけど
素人がぐだぐだいちゃもんつけるならそれ相応の説得力ある見解が必要だと思うがね
539 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 22:03:21 ID:PbbngATF
置いといてって前置きしたじゃない。出世の話だけへのお返事。
個人的に谷口センセの「器」理論はどうも気に食わない。
丹羽だけじゃ無くて蜂屋にも言えるが浅井攻め以前はしっかり武功を積んでるし
浅井攻め以降は数千の遊撃軍率いての各地への応援が仕事で武功が積めないのは役割上仕方ない。
森長可じゃあるまいし出過ぎた真似はそもそも軍律違反だし。
そこを「器が足りない」という事で強引に結論付けしてるだけとしか思えない訳よ。
ただ結局、四国征伐以降どうする気だったのか何て信長以外知る由も無いのである程度は仕方無いけど。
540 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 22:12:33 ID:EphzFyPT
そういう立場の役割を与えたってのが信長の評価なんじゃ?
そもそもそれ言い出すなら丹羽や蜂屋に限らなくないか?
まあ器うんぬんは確かに断言できる話ではないと思うが
織田家家臣団の評価材料として使える要素って限られてるし仕方ない気がするけど…
541 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 22:33:13 ID:PbbngATF
>>540 池田も荒木が消えた辺りでやっと尾張から解放されて摂津が与えられたが動員出来る兵力たるや
数千だったらしいし同じような扱いだったかな。
器論は強引だと思うが評価材料は確かに少ないな。
信長が死んだお陰で本能寺以降どうなるかは完全に妄想の世界になってしまった。
542 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 23:31:33 ID:8UsStIR1
実際に実績(というか万を越える兵を率いる機会)がない以上はそもそも評価できないし
ゲームの能力値じゃあるまいし、他の武将と明確な差があるのかどうかはわからない
何も丹羽長秀が実は大軍率いる能力が凄かった、とか四国攻めの真の総大将だ、とか言うつもりはなく
丹羽が若狭に封じられて以降動きが無いからそこまでの武将だったと言う論の展開には違和感がある
543 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 23:39:05 ID:Fcb9yZuX
>>537 >>539 に同意
谷口氏は塙直政を「発掘」したためか過大評価し過ぎ
京都馬揃を見る限り丹羽や蜂屋の評価が低かったとは思えない
544 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 23:56:32 ID:PbbngATF
賎ヶ岳の用兵は大体10年ぶりぐらいの直接指揮だったはずだがなかなか見事。
数千単位の用兵では特に問題点は見えてこないな。
手取川(湊川)で散々に叩かれたのが浅井攻め以降唯一のミスだが
これは柴田も含めた織田軍の負けだし。
545 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 23:57:47 ID:Fcb9yZuX
546 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 00:18:54 ID:x+g4Pdnd
>>545 山崎では丹羽、信孝隊は池田隊と一緒に迂回路からの奇襲攻撃に参加してるな。
池田が他とぶつかってる間に後ろから出てきて光秀本体の横っ腹にブスリと。
これで明智軍は混乱してるので成果は上々って所だろう。
まぁ、ここでも功績が池田と被ってるけど。
伊賀攻めはちょっと分からない。
547 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 10:40:13 ID:xOhQh7Mc
>>544 手取川に関しては織田側の文書には一切の記述はない
状況がかなり不自然でほんとに戦いがあったかどうか極めて疑わしい
行軍中の前哨部隊が渡河したときに奇襲ならまだわからなくないが
合戦の時のように部隊主力が展開して渡河したなんて全く有り得ない
もし先遣隊が橋頭堡確保したら主力が暫時橋頭堡内に増援されるのに従い
橋頭堡を拡大し、偵察のために既に先遣隊を前方へ送るはず
上杉軍が街道沿いに南下するなら先遣隊と交戦するはずで
先遣隊が敗れたとしても本隊に伝令をすぐに飛ばし、本隊は迎撃体制を整えたはずだろう
548 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 00:44:07 ID:EhQ7Ma4m
長秀の妹婿なのに今の今までスレで名前が出て来ない蜂屋こそ真にカワイソスな武将。
賎ヶ岳の時も岐阜城攻めに参加したのに戦後5万石しか貰えてなくてよりカワイソス。
549 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 00:57:36 ID:lREQlK9D
蜂屋頼隆、丹羽長秀が方面軍司令官を任されなかったのは、
・任せるには器量が少し足りなかった
・信長にとって役に立ち過ぎるので身辺に置いておきたかった
のどっちだったんだろうか、
という答えの出ない問題を俺は死ぬまであと50年ぐらい想像するんだろうな。
550 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 01:06:15 ID:kfukbVX7
秀吉なんかは役に立ちすぎるけど身辺には置けなくね?
才ある者をみこんで出し惜しみするような性格じゃないでしょ
成り行き上抜擢が遅れたか器量が少し不足かどっちかでしょ
551 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 02:27:12 ID:yKREv03x
秀吉が役立つのって戦関係だから適材適所でしょ
552 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 12:05:35 ID:chtzp9LV
>>549 悩まないで下さい。
>・信長にとって役に立ち過ぎるので身辺に置いておきたかった
に決定です。
553 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 12:28:50 ID:d+ypE0Ku
>>551 そうかな?
秀吉は謀反誘発による三木城攻めに信忠、一益、長秀、光秀らの増援のみならず
北陸方面軍から前田や佐々らの部隊を割いてもらったり失態も多い
一益、長秀、光秀は吏僚や交渉役の実績が買われていると同時に
まだ本願寺と支援勢力により安定していない畿内の状況下では即戦力になりうる機動予備軍として重宝がられたと思うが
だから三人は安土や京からさほど遠くない地(北伊勢、若狭、坂本)に所領持たせたのではないの?
554 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 18:41:32 ID:EhQ7Ma4m
池田や中川清秀、高山右近も畿内遊撃軍団のメンツか。
555 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 18:38:03 ID:0ItkL0TT
桶狭間には従軍はしてるけど出撃はしてない?
556 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 17:02:35 ID:CcADsXsa
工事中だったので出遅れました。
557 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 23:33:39 ID:wb5MTOG7
兄と弟が実は居るが存在感が空気というレベルではない。無。
特に弟は大坂の陣まで生きてるのに。
558 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 00:20:55 ID:qkr2KB/w
長重と高吉の間の長正の影の薄さも同じく。
559 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 01:03:39 ID:Qoev2pa3
蜂屋に養子に出したら早死にしてしまった直政は全てを凌駕する。
560 :
人間七七四年:2008/12/29(月) 12:25:41 ID:nXESr98R
561 :
人間七七四年:2009/01/01(木) 17:28:08 ID:T1rJgfHG
長正は大坂の陣前に大坂城を退去してその後は越前(すでに松平領)で過ごす。
子孫は長重の元に仕官。
これだけ聞くと兄弟仲は微妙な感じ。
562 :
人間七七四年:2009/01/06(火) 20:36:21 ID:mxet0GAv
長秀の妻はロリ嫁age
563 :
人間七七四年:2009/01/06(火) 20:51:14 ID:fnyP+TnR
俺の友達に岩永 秀夫(いわながひでお)ってやつがいた。
あだ名はニワナガヒデ。
564 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 15:17:43 ID:X0Vtsjp6
長正に子がいた?
565 :
人間七七四年:2009/01/22(木) 13:32:51 ID:/qwhZ+if
長秀って長束、村上、溝口、上田、戸田というふうに家臣団はやけに充実してるね
566 :
人間七七四年:2009/01/25(日) 19:08:35 ID:iSep2L+c
>>565 大身でもないのに、そこは不思議。
秀吉に引き抜かれてたり、他家に移籍してる面々も多いけどね。
567 :
人間七七四年:2009/01/25(日) 19:37:53 ID:SwNU5wOB
長重の代でごっそり抜けちゃったんだよな。
568 :
人間七七四年:2009/01/26(月) 15:35:46 ID:Tm0lX7Fj
合戦にそこそこでかけて、内政面でもそこそこ仕事があって、
て考えると、長秀の所に人材置けば、そこそこ仕事を覚えさせられるんじゃね?
なんかそういう育成機関みたいに見えた
569 :
人間七七四年:2009/01/28(水) 02:53:33 ID:Rq9/Bkhu
しょっぱい連中だが若狭衆も一応、本能寺前までは好き勝手に使ってた
570 :
人間七七四年:2009/01/28(水) 07:35:55 ID:L3FDVcAB
育成機関といえば見栄えはいいけど
しょぼい奴押し付けられていっぱしになったらとられるってのはつらいわ
広島カープファンの俺にはその気持ちがよくわかる
571 :
人間七七四年:2009/01/28(水) 11:30:07 ID:Uvn/wruA
カープよりは落ち着いた労働環境だと思うが・・・
572 :
人間七七四年:2009/01/29(木) 16:01:54 ID:ItRZZjka
>>568 内政面でそこそこ。。
どころではないぞ
上洛後、京都の政務を担わされた長秀、光秀、秀吉、中川重政の内長秀以外は四人一緒の時にしか書状等を発行しないが
長秀の場合は単独で政務を任せられる場合が多い
それだけでなく、京都のみならず堺や近江の政務も単独で任せられる仕事も多分にある
佐和山城主となってからも京都出張が多い
その一方で政務以外でも遊撃軍団としての軍務もまめにこなしている
それだけ信長にとっては使い勝手の良い家臣なのだろう
若狭国主になっても佐和山城の支配は継続されたから
国主以後の長秀の所領は若狭八万石+佐和山五万石というところか
573 :
人間七七四年:2009/01/29(木) 16:07:27 ID:M2uzyMM4
若狭は古来京都の裏庭だしね
若狭を任せたのには石高以上の意味はあったろうね
574 :
人間七七四年:2009/01/29(木) 18:55:43 ID:3aGIzaGQ
方面軍に入れさえすれば若造の森ですら川中島20万石にジャンプアップしたりしてるだけに
ちと少なく感じるな。
575 :
人間七七四年:2009/01/29(木) 19:15:37 ID:ItRZZjka
>>574 欲がないのかも知れないね
秀吉が筑前守、光秀が日向守、一益が伊予守に任官したとき
長秀も任官されることになっていたのだが、長秀は惟住の姓は貰ったが、任官は辞退している
もしかすと信長から加増をもちかけられたが、辞退するということもあったかも知れない
576 :
人間七七四年:2009/01/29(木) 19:39:53 ID:6KkbQzdL
信長の組織の中での「所領」ってのは、軍役に特化した代官職に過ぎない上、
その「領内」も、信長に属した国人領主の既得権を丸ごと認めているので、
管理範囲が大きいからと言って、実入りやら何やらでそんなに得があったとは、どうも思えない。
577 :
人間七七四年:2009/01/29(木) 20:23:43 ID:j+vQPT7Z
一門なのに四国征伐後所領与える約束がなされた信長の朱印状すらないけどな
信孝は阿波だったかどこだったか与えられる予定だったのに
578 :
人間七七四年:2009/01/29(木) 20:34:18 ID:ItRZZjka
>>577 讃岐じゃなかったかな
阿波は三好康長に与えられる予定だったが
信孝はその康長の養子だからゆくゆくは阿波も信孝のものに
579 :
人間七七四年:2009/01/29(木) 23:52:08 ID:3aGIzaGQ
丹羽、蜂屋、信澄がどうなっていく予定だったか全てはもはや闇の中・・・
580 :
人間七七四年:2009/01/30(金) 11:20:10 ID://6w+iGK
>>572 でも軍団を率いる大将の器じゃ無いっぽい。
>>573 当時まだ不安定な北越方面に備えたかと。
581 :
人間七七四年:2009/01/30(金) 12:43:56 ID:5ypnN2Vs
>>577 これよく聞くが、例えば滝川は武田討伐後に上野貰える朱印状とか貰ってたの?
582 :
人間七七四年:2009/01/30(金) 18:41:46 ID:A53KyA+N
また器厨か
583 :
人間七七四年:2009/01/30(金) 18:47:37 ID:CIxMQOy1
>>581 知りません。
でも事実としてあるのは関東に派遣され関八州の御警固、東国への取次ぎ
という重大任命背負って関東方面軍司令官クラスになったのは事実。
丹羽は信孝とも違い現時点でそんな約束なされた資料もなく
最終的に近江と若狭の領主として終わったという事実があるだけ。
これからどうなるかなんて妄想としかいいようがないし
他の織田家の武将全てにも言える事なんだから考慮すべきじゃないと思う。
584 :
人間七七四年:2009/01/30(金) 20:02:12 ID:+rjsi320
>>583 滝川の例が示すものは、戦争開始前に朱印状などで約束がなくとも、功績
たてれば一国以上と方面軍司令官クラスに抜擢されるってことだろ?
四国遠征後に丹羽がそうならないという理由はないぞ。
武田征伐後、旧武田領である甲斐信濃には信忠配下から抜擢されて郡持ち
国持ちにされた例をみれば、四国遠征後に信孝に配された丹羽や蜂屋らが
抜擢される可能性は十分にあるだろう。
585 :
人間七七四年:2009/01/31(土) 08:11:42 ID:TnAyXqRv
まぁ滝川は方面軍司令官といっても軍団?規模も中国攻めや北国攻めとは比べ物に
ならないし、上杉への助攻、東国での地盤固めが主任務で、実際に北条や伊達を討伐
する段階になった場合、老齢の滝川が指揮をとれたか疑問だけどな。その前に北条達
が降参するかもしれんけど
586 :
人間七七四年:2009/01/31(土) 08:20:56 ID:TnAyXqRv
>>583 なんだ。じゃあ>信長の朱印状すらないけどな って朱印状の常習化をにおわすなよ
587 :
人間七七四年:2009/01/31(土) 08:22:41 ID:TnAyXqRv
588 :
人間七七四年:2009/01/31(土) 12:35:57 ID:95yX/e9X
関東方面軍は上野に加え東信濃、北武蔵や下野の領主が人質連れて出仕してる
この先東北遠征や関東攻めがあるなら軍団規模も他の方面軍と同様広がっていくだろうな
589 :
人間七七四年:2009/01/31(土) 14:22:54 ID:A/L39LRa
四国遠征軍は長宗我部討伐のためだろ
讃岐は信孝、阿波は三好康長は確定している
では肝心の長宗我部を滅ぼした後の土佐国主は誰に?
となると長秀が最有力候補と取れるのだが
590 :
人間七七四年:2009/01/31(土) 16:39:27 ID:snXY89Z2
信長は家臣を畿内以外の国主にした後の配置換え実績が無いような
591 :
人間七七四年:2009/01/31(土) 18:21:13 ID:2BkgI8gs
配置換えをやる前に死んでしまったので何とも言えないな
592 :
人間七七四年:2009/01/31(土) 18:31:12 ID:D3aOIGLH
息子は秀吉に難癖つけられて国を取り上げられたのに
関ヶ原ではなぜか西軍についてる不思議
593 :
人間七七四年:2009/01/31(土) 18:33:52 ID:2BkgI8gs
大谷の書状に釣られたって言われるけどどうなんかな。
594 :
人間七七四年:2009/02/01(日) 10:51:47 ID:msAIbNW2
前田利長を浅井畷で討ち取ってたら多分、大名復帰出来なかっただろうな長重。
待ち伏せしてたがおり悪く雨が降り出して鉄砲隊で一網打尽にする作戦がパアになって
白兵戦に切り替えたけど数が8倍以上だったので利長に逃げ切られたがそれが幸いだった。
595 :
人間七七四年:2009/02/03(火) 19:02:06 ID:kIziAUmr
丹羽家と前田家は江戸期仲が悪く、両家を同席させないのが慣例だったらしい。
幕府にまで気を使わせる険悪さ半端無いですな。
596 :
人間七七四年:2009/02/03(火) 19:34:57 ID:nEXaRece
丹羽家が一方的に嫌ってる感じだけどな
しかし嫁は同じ信長の娘なんだから
仲良くすればいいのに。
597 :
人間七七四年:2009/02/04(水) 00:38:54 ID:tfWp4tOk
>>596 逆に嫁が同じ信長の娘だからこそ、仲が悪いんだろうな。
598 :
人間七七四年:2009/02/04(水) 01:19:05 ID:dinGHCZU
今でも和解してないらしいぞ
599 :
人間七七四年:2009/02/05(木) 13:11:52 ID:3/kIJ9M5
そういえば子供の学校に前田という名前の生徒がいたという理由で引っ越していった丹羽さんが昔いた。
600 :
人間七七四年:2009/02/05(木) 18:54:41 ID:uU3HzoIf
ネタなんだろ?
601 :
人間七七四年:2009/02/10(火) 09:43:29 ID:v/ERqktt
丹羽氏vs庭師
602 :
人間七七四年:2009/02/13(金) 09:19:45 ID:eW4lEXcB
でもなんで丹羽家が前田家を嫌う必要があるんだろうか
そもそも丹羽長重の方から戦仕掛けたんだろ
当の長重も本来東軍に参画したかったらしいが
603 :
人間七七四年:2009/02/15(日) 01:56:26 ID:mkIq+V1U
記録に残らないところで何かあったりするのかも
604 :
人間七七四年:2009/02/24(火) 15:02:38 ID:sir94nuc
かもね。でもそれだとさっぱりわからない。
605 :
人間七七四年:2009/03/05(木) 14:59:17 ID:+/IGTlbD
丹羽と前田か。
606 :
人間七七四年:2009/03/06(金) 03:48:25 ID:Q6F5VMCJ
丹羽は前田からいぱーい酷いことされたね(´・ω・`)
607 :
人間七七四年:2009/03/06(金) 10:40:39 ID:QOnDwTDU
大名裏掲示板で悪口書かれたらしい。
608 :
人間七七四年:2009/03/06(金) 22:20:14 ID:JtUe+/mK
心配性の芋ざむらい
609 :
人間七七四年:2009/03/17(火) 14:47:43 ID:nmL2qUNg
本人は思ってないんだろうが 何か哀れ。
610 :
人間七七四年:2009/03/26(木) 14:06:26 ID:3Iw+LR8I
生き残り方がな。
611 :
人間七七四年:2009/03/27(金) 09:22:30 ID:rLWEn3SH
>>602 大名に復帰した丹羽長重と前田利常は仲は良かったと思ったが
612 :
人間七七四年:2009/03/30(月) 16:26:42 ID:FraRI1O1
丹羽長秀は暗黒界の魔王だな
613 :
人間七七四年:2009/04/02(木) 11:19:22 ID:eu1BjqC9
織田厨の大好きな丹羽は信長一門で優遇されるべき立場にいながら若狭の小領主どまりだった
所詮は小物。
清洲会議の時点で丹羽や池田と秀吉では歴然と力の差が読み取れる。丹羽は若狭の城主となって後出世が頭打ちになり支配領域
もそれ以上広がらずさして大きくもない遊撃軍の一人の地位から抜け出せなかった。本能寺直前の四国征伐でも信孝の
補佐として蜂谷、津田信澄と並ぶ副将にすぎず本能寺の変当時も京都から近い大阪近辺にいたものの軍勢が少なくて動けなかった。清洲会議の1か月半後の8月11日付けで
秀吉が長秀に宛てた5か条からなる長文の手紙(専光寺所蔵文書)で次のことがわかる。
執政官の一人であるだけに滝川や信孝から長秀に訴えがあった。
しかしとても彼の力では裁定できない。それで秀吉にお伺いを立てて裁定を仰いでいる
安土城普請が遅れているので三法師が安土城に移る事ができず、これは長秀の責任であると秀吉は詰っている。
秀吉自身も直接普請のため安土に行く覚悟である。
安土の普請の遅れについて言葉は柔らかいものの『(長秀の)御油断と存じ候』
という明らかな叱責な言葉が使われており二人の間が同格であるとは言えない。
信長生前にして秀吉とは身上面で大きな差が生じ、
光秀謀反に際しても秀吉の東上を待つしか手立てがなく弔い合戦に際し秀吉の指揮下に属する事により
秀吉との間にはっきりと縦の関係が生じたのではなかろうか。
秀吉は執政官を実質上配下にしたが表面上は合意の形をとり
己の野望を隠す事ができた(『尾張織田一族』谷口克弘
614 :
人間七七四年:2009/04/02(木) 11:36:34 ID:H53WKkww
丹羽は自分で何かを切り開くエネルギーはないだろうな
小粒な優等生止まり
615 :
人間七七四年:2009/04/02(木) 11:38:51 ID:yP/TF2ur
織田厨が噛み付いてくるぞw
616 :
人間七七四年:2009/04/02(木) 12:14:32 ID:1pvNVXZD
噛み付きはしないが秀吉のが立場上だからな
信盛追放時で重臣6番目に名前が出る程度だし
617 :
人間七七四年:2009/04/02(木) 15:14:46 ID:B5jdVv/o
若狭の小領主って、一国拝領だぞ?
あと若狭は日本海交易路と京を結ぶ重要拠点。現代の価値で過去を計るな。
618 :
人間七七四年:2009/04/02(木) 15:49:37 ID:YCKQVbch
石高は8〜9万石程度だろ。川尻や森クラスでももっと高い石高なのにヘボ過ぎだな
重要拠点というなら他にいくらでもあがるし
そもそも重要度が高くない拠点任されたから評価低いなんて妄想でしかない。
信長が敵の戦前線に能力高い奴置かないほど馬鹿じゃあるまい
石高で評価できんというなら秀吉も柴田も雑魚って事だ
明智も左遷されそうになってたくらいだしな
619 :
人間七七四年:2009/04/02(木) 16:11:32 ID:QDXvWw74
徳川幕府で若狭とか重要拠点に派遣されたのって誰だっけ?
秀吉政権の時丹羽の後釜って?
620 :
人間七七四年:2009/04/02(木) 18:04:27 ID:1pvNVXZD
丹羽長秀ー浅野長政ー木下勝俊ー京極高次ー酒井忠勝
先と後では状況違いすぎるけどWIKIではこんな感じ
621 :
人間七七四年:2009/04/03(金) 00:43:54 ID:N7tvMZBy
>>618 丹羽が配属されたときに若狭は、東に越前の一向一揆、西に丹波と挟まれた最前線なんだが。
越前や丹波の征服によって、後年は前線でなくなり軍事的な重要度が下がったのであって、
状況の変化も見ずにただ漫然と語るのでは何も判らなくなる。
そもそも最前線ではない、とか言い出したら、中国に派遣されるまでの北近江の羽柴や長島
壊滅以後も北伊勢を領した滝川などはどうなる?
622 :
人間七七四年:2009/04/03(金) 23:20:01 ID:gA58cPjk
若狭一国て2000くらいしか兵出せなくね?
しょぼw
623 :
人間七七四年:2009/04/03(金) 23:29:10 ID:Fo06XLsI
所詮その程度の男
624 :
人間七七四年:2009/04/03(金) 23:35:11 ID:goaduIpX
愛知県のあるところに営業にいったら、まわりの家がすべて丹羽姓でこまった
住所もよくわからないのでまじ遅刻すると思った。名がひでーよ
625 :
人間七七四年:2009/04/04(土) 00:02:39 ID:DLBgEgFn
どう突っ込んであげれば良いか困るような事言うなよ
626 :
人間七七四年:2009/04/04(土) 00:18:31 ID:IxpoV6nI
627 :
人間七七四年:2009/04/04(土) 02:15:47 ID:h37Vh4ZC
628 :
人間七七四年:2009/04/04(土) 02:25:32 ID:bxHOkIK0
所領に関しては権力中枢に近かったから軍団長に比べて低めなのでは?
石高的にはそこそこだが交通の要衝任せられてる位だし
しかもそこそこの石高で序列六位って結構すごくね?
629 :
人間七七四年:2009/04/04(土) 05:44:27 ID:smHxW6JA
なんとでもいいようはあるな
権力中枢に近いから石高が低いとか意味不明
630 :
人間七七四年:2009/04/04(土) 06:16:37 ID:5asENzYL
丹羽厨はアホだからな
631 :
人間七七四年:2009/04/04(土) 07:42:00 ID:FTtsS5ky
中枢に近かったのにそんなに石高貰えなかった如水、正信涙目www
632 :
人間七七四年:2009/04/04(土) 10:47:18 ID:GbV9s50v
政権中枢にあるものは石高を抑える、というのは信長からの伝統か?
633 :
人間七七四年:2009/04/04(土) 10:54:21 ID:YBwo9r6N
四国遠征軍14000の内丹羽はいくら?
634 :
人間七七四年:2009/04/04(土) 12:33:49 ID:GbV9s50v
一万四千で潰せると思われたチョン祖壁w
635 :
人間七七四年:2009/04/04(土) 20:02:25 ID:DAgUFKdc
神戸信孝が伊勢二郡?
津田信澄が近江高島郡
蜂屋頼隆が和泉一国で十四万石(太閤検地)
身代の大きさ、直轄軍の多さでは丹羽が一番じゃないか?
636 :
人間七七四年:2009/04/04(土) 20:02:44 ID:8YuIHErR
領国よりも何よりも、長秀は信長の傍が良い
信長も一軍団を任せて遠くに派遣するより自分の傍におきたい。
最後は四国にやることになったのが悔やまれる・・・
二人の仲はこんなもんです。
637 :
人間七七四年:2009/04/04(土) 20:18:17 ID:YssIzaWf
丹羽厨の妄想が激しいスレだな
638 :
人間七七四年:2009/04/04(土) 21:20:46 ID:+nI9ImHf
戦国版全体で暴れまわってる一人の馬鹿織田厨の特徴
・基地外。資料もろくに示さず自分の妄想を一方的に語る
・低脳無知なくせにすぐ揚げ足をとる上に自分は平気で知ってる内容でも嘘をつく
・論破されてもまた日にちがたつと同じ内容繰り返す
・自演ファンネル総動員して基地外論理を展開する
・好きな武将;信長、秀吉、前田、丹羽、毛利、信忠、立花
・嫌いな武将:武田、上杉、伊達、直江、柴田、滝川、石田三成
639 :
人間七七四年:2009/04/04(土) 21:30:25 ID:2bprnHBX
「信長が近くに置きたがった」
「軍団長を任せられる程の能力は無かった」
どっちの意見にも納得できてしまう。さすが丹羽さん
640 :
人間七七四年:2009/04/04(土) 21:33:05 ID:IgJQ9OYg
丹羽厨は馬鹿
641 :
人間七七四年:2009/04/04(土) 21:38:44 ID:IxpoV6nI
チューチューうるさい
642 :
人間七七四年:2009/04/05(日) 05:44:10 ID:9WYNAB0G
丹羽長秀は美濃攻略に極めて貢献し、浅井が敵対したとき、信長が南近江に配置した近江七城将の一人
少なくともこの時点までは柴田勝家や佐久間信盛と肩を並べていたわけだが
佐久間が対本願寺方面軍の旗頭として七ケ国から徴集された兵の士気を任せられ
天正三年に柴田勝家が越前国主として北陸方面軍の旗頭を勤める時点で
長秀と他将の格差が生じてくるわけだが
643 :
人間七七四年:2009/04/05(日) 08:59:30 ID:vEwvbZgr
ひたすら谷口の本の丸写しかよ
644 :
人間七七四年:2009/04/05(日) 10:00:36 ID:qaCIQQXA
本当の事だろ
谷口は織田研究の第一人者だし
丹羽厨は馬鹿だから認めたがらんだろうがな
645 :
人間七七四年:2009/04/05(日) 10:05:49 ID:vEwvbZgr
谷口の意見を自分の考えの如く語るのがみっともないと言ってるんだよ。
バカか?
646 :
人間七七四年:2009/04/05(日) 12:01:36 ID:Cvx93QQk
647 :
人間七七四年:2009/04/05(日) 12:02:53 ID:/cc5uzf+
第一人者は高柳だろ。
648 :
人間七七四年:2009/04/05(日) 12:08:18 ID:E5Ff5wqO
低知識の癖に自分の大好きな武将贔屓するだけの馬鹿織田厨よりは遥かに谷口の方が優れてるだろうがな
649 :
人間七七四年:2009/04/05(日) 12:13:45 ID:7g1WUEbC
>>645 僕は丹羽が大好きなだから学者の言う事なんて信じませんもんw
僕の妄想の方が正しいんだもんw
ってか?
650 :
人間七七四年:2009/04/05(日) 12:28:46 ID:0fkplSiK
織田厨死ね
651 :
人間七七四年:2009/04/05(日) 12:31:32 ID:/cc5uzf+
子供みたいな煽りするなよ。
652 :
人間七七四年:2009/04/05(日) 12:32:12 ID:vEwvbZgr
>>649 お前が文盲のおこちゃまだということはわかったw
マジレスすると俺は特に丹羽が好きなわけではないしここに来たのも久しぶりだ。
それで読んでたら谷口本の丸写しレスが多いことに気づいた。気持ち悪いよw
653 :
人間七七四年:2009/04/05(日) 12:36:30 ID:0fkplSiK
>>652 まー何のソース出さずに自分の妄想でスレを埋めつくすイカレ脳ミソの織田厨よりはマシだがな
654 :
人間七七四年:2009/04/05(日) 12:50:07 ID:xSJz2WrW
織田厨はキメエんだよ
二度とくんな てか死ね
655 :
人間七七四年:2009/04/05(日) 13:45:18 ID:1CnOzs0B
谷口を読んだだけでわかった気になられても困るけどね
656 :
人間七七四年:2009/04/05(日) 13:54:35 ID:qc2jPeji
織田厨はろくにまともな本すら読めず妄想で好きな武将持ち上げるしかできん馬鹿
657 :
人間七七四年:2009/04/05(日) 14:06:07 ID:3Rv3cl7Y
織田厨は馬鹿
658 :
人間七七四年:2009/04/06(月) 00:08:01 ID:Tdjk3Aqq
信長公記と、武功夜話だけよんでおれ
それすら、読んだこともない、素人がきはレスるんな。ぼけどもが
659 :
人間七七四年:2009/04/06(月) 00:15:51 ID:mZo7OgO8
>>658 そんなに偏ってゆがんだ戦国感を持たせたいのかw
つーか武功なんて今時大笑いされるだけの本を。
660 :
人間七七四年:2009/04/06(月) 10:33:25 ID:X50aql/p
公記と武功と太閤記程度読んでおけば大体の小説は
出典わかるって意味だろ
661 :
人間七七四年:2009/04/14(火) 20:50:06 ID:Kfsxm/80
ビワハヤヒデ
662 :
人間七七四年:2009/04/18(土) 15:42:44 ID:ZRhX9DCB
サイコロの数も増えるよなw
663 :
人間七七四年:2009/04/27(月) 15:07:56 ID:ghMzrNZc
賽の目?
664 :
ナポレオン三世陛下万歳 ◆h176FY1dLs :2009/04/29(水) 00:02:31 ID:JysEI8kC
惟住長秀が長寿だったら
越中は長秀の所領になっていて、年寄(奉行)にもなっていたんですかね?
665 :
人間七七四年:2009/05/12(火) 14:10:00 ID:RZX3FFD4
年寄はあるかもね。
666 :
人間七七四年:2009/05/22(金) 15:48:38 ID:9C2cYmzS
大老は無理?
667 :
人間七七四年:2009/05/22(金) 20:48:22 ID:1M/qbpsf
秀吉との関係を考えると、早晩対立したんじゃないかねえ。
668 :
人間七七四年:2009/05/23(土) 07:30:15 ID:z0Xydz0Q
「信雄様では…駄目だ」
かくして小牧の時に全配下動員して秀吉側についた長秀
物量で信雄家康連合を圧倒
旧家康領へ国替え
秀吉の天下統一スケジュールが2年繰上がり
最後は武蔵相模伊豆上野で200万石
織田秀信 豊臣秀頼両者から「爺」と言われて
669 :
人間七七四年:2009/06/02(火) 14:52:47 ID:3SLbjkNd
家康いなけりゃ楽だね。
670 :
人間七七四年:2009/06/02(火) 23:37:28 ID:lgi5mKTB
織田政権末期ぐらいから体調悪かったらしいからどの道長生きはあまり出来なかったと思う
671 :
人間七七四年:2009/06/07(日) 10:16:25 ID:BXqSboNF
そして長秀は庭師の道を歩んだ
672 :
人間七七四年:2009/06/16(火) 14:44:18 ID:psNVWonO
丹羽氏てか。
673 :
人間七七四年:2009/06/22(月) 20:24:38 ID:jTTxYTcG
名古屋市西区児玉が彼の出身地?
674 :
人間七七四年:2009/06/24(水) 10:22:13 ID:AYdJ/EDG
甲斐攻めの後だったかな?
信長に温泉でも行ってこいって言われてたよね。
あの辺りではもう体調悪かったのかな
675 :
人間七七四年:2009/06/25(木) 20:52:17 ID:JIUnnIyp
>>674 堀さん達と3人で行ってるからそうとも限んないね
676 :
人間七七四年:2009/06/26(金) 07:59:32 ID:yjZMJ9zM
疲れてるとは思われたんだよ
677 :
人間七七四年:2009/07/02(木) 17:35:33 ID:Dob7vfUe
ビワハヤヒデ
678 :
人間七七四年:2009/07/02(木) 17:38:15 ID:JfTYWFql
≫674単純に臭かっただけじゃね?
679 :
人間七七四年:2009/07/13(月) 17:43:18 ID:VRyygLOk
川で行水はしてたろうがね。
680 :
人間七七四年:2009/07/18(土) 20:06:48 ID:KsX5BZBN
丹羽長秀は四国平定軍内において信孝と喧嘩したんじゃ無いだろうか。
であれば秀吉を支持した事に納得がいく。
681 :
人間七七四年:2009/07/28(火) 10:02:11 ID:MPGPfvX6
晩年、羽柴姓を名乗らされたけど、
どう考えてもイジメだよね。
哀れな米五郎左。
682 :
人間七七四年:2009/07/28(火) 10:31:50 ID:s/fEN0pR
柴田と一緒に苗字を一字づつあげたら、その合成苗字が帰ってきたでござる
の巻
683 :
人間七七四年:2009/07/28(火) 10:57:39 ID:MPGPfvX6
調べたら、当時、羽柴長秀が二人。
弟と同じ名前にして馬鹿にしてたとしか思えない。
本当に哀れすぎる。
684 :
人間七七四年:2009/07/28(火) 12:46:25 ID:qdPkU+Fb
秀吉は誰彼かまわず羽柴姓やってたからな
そこまで深く考えてなかったんじゃね
685 :
人間七七四年:2009/07/29(水) 01:21:29 ID:yrGL7+/m
俺の仲間!
686 :
人間七七四年:2009/07/29(水) 21:05:02 ID:Wx/C7+sC
秀長が長秀について語ったエピソードはないのかな。
687 :
五百石:2009/07/30(木) 01:31:05 ID:yz5N6+qj
何故みんな歴史を語らないで小説を語るのでしょうか?
清洲会議の直前、勝家は長秀に対して秀吉に対抗する心情を手紙にしたためています。
その段階で全員が秀吉の意見にしたがっていたのを勝家が秀吉の腹黒さゆえに、それを認めることを
よしとしなかったのでしょう。勝家は助けてくれとは一言もいってませんし、裏切り行為でもありません。
四国平定軍で信孝に長秀をつけたのは、秀吉をつけると病死、事故死させられる可能性があるから、
腹心である長秀をつけたまでです。なお、織田軍団で縁戚家臣、長秀の縁戚家臣は、まともな褒賞は受けられていません。
688 :
人間七七四年:2009/07/30(木) 01:57:16 ID:fQRc9GJe
日本語で
689 :
人間七七四年:2009/07/30(木) 18:55:37 ID://JPMA3Y
なるほど・・・・・・・全然分からん
690 :
人間七七四年:2009/07/31(金) 07:40:09 ID:KuEi8JXK
まずは日本語のお勉強からで
691 :
人間七七四年:2009/07/31(金) 12:08:20 ID:8eBxZ0XU
>>683 下の名前(諱)は殆ど使わないから、「羽柴五郎左」「羽柴小一郎」で識別できたと思われ。
692 :
人間七七四年:2009/07/31(金) 12:40:49 ID:Fwv/LUz0
姓+官途・受領でねーの?
693 :
人間七七四年:2009/07/31(金) 18:30:55 ID:rLSvBLPf
羽柴越前守だろ。
信長死んだ後にきっちり官位貰ってる
694 :
人間七七四年:2009/08/02(日) 06:06:16 ID:s5YhE2DK
上司にしたい人間だな
695 :
人間七七四年:2009/08/06(木) 09:49:37 ID:mVVc0rWH
>>693 信長には官位なんかいらない、五郎座のままで仕える。
秀吉にはそんな気持ちで仕えられない、せめて官位くらいは貰わないと。
一応秀吉から貰うんじゃないしね。
696 :
人間七七四年:2009/08/06(木) 10:30:47 ID:sfP9Tmfe
惟任はもらってたよな
697 :
人間七七四年:2009/08/06(木) 12:32:13 ID:1RHptNvX
惟住。
698 :
人間七七四年:2009/08/06(木) 15:37:45 ID:C0cVnyIi
>>696 惟住は官位じゃないよ。九州の有力な姓。
将来の九州攻めに向けてのため。これも信長の九州攻めのためです。
官位が無かったのは実力が無かったためで長秀が辞退したのではないという
説も有りますがどうなんでしょう。
あの信長が実力無いけど昔からの部下だしって傍に置いておきますか?
最後の馬揃えでも一番だったのでしょう?
699 :
人間七七四年:2009/08/06(木) 16:17:46 ID:TQwczHUE
一軍の将としては明智・羽柴・柴田・滝川どころか、佐久間以下の実績。
でも信長は小器用な長秀を買ってったし、娘もくれてやってけどね。
700 :
人間七七四年:2009/08/06(木) 18:12:24 ID:gp7ipyVl
>>699 軍団長じゃ無かったのだから、実績が見劣るのは仕方がないんじゃないの?
そもそも信長の人材配置と能力が比例しているかどうかは疑問あり。
701 :
人間七七四年:2009/08/06(木) 18:37:35 ID:rMBEX8Ty
家臣でありながら真っ先に国持大名になった丹羽さんはある意味使いづらい存在だったのかもな
これ以上武勲の山を築かれたら恩賞に困る
逆説的には出世が早過ぎたことがその後の停滞に繋がったとも言える
702 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 01:36:36 ID:v9HcOi1R
主の立場から考えると足元を固める連中には有能かつ信任の置ける者を配置する
また能力は認めていても煙たい奴は外へ外へと配置する
歴史が証明している
703 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 02:22:22 ID:5+0m/6HZ
>>702 最終的に畿内は堀や長谷川、菅屋等の近習で固める構想だったとか。
その時は丹羽も配置換えでしょ。
704 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 02:35:47 ID:5+0m/6HZ
天正3年時の任官
武井夕庵(二位法印)
松井友閑(宮内卿法印)
村井貞勝(長門守)
柴秀吉(筑前守)
智光秀(惟任日向守)
原直政(原田備中守)
簗田広正(別喜右近大夫)
滝川一益(伊予守)
柴田勝家(修理亮)
佐久間信盛(右衛門尉)
これが初期の信長の評価だよな。
なぜ微妙に一字を削るのか。
706 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 12:07:52 ID:9XpgdGWU
天正三年っつーと、初期と言うより信長の最盛期のようにも。
707 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 20:43:03 ID:kBLQ7dfp
信長が岐阜と京を往復するときは、必ず佐和山で一泊していたんだろうな。
708 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 23:50:44 ID:lUGWGA5U
尾張の土豪ですよね?
佐和山時代は尾張の兵を連れて行って城を守っていたのでしょうか?
709 :
人間七七四年:2009/08/17(月) 10:48:16 ID:vAxVDjDC
指揮官クラスはともかく兵卒は現地採用が多かったでしょ。
710 :
人間七七四年:2009/08/17(月) 16:44:15 ID:9WlferjZ
つまり、信長の本隊は美濃尾張の兵で、
それ以外の部隊は現地人ですわね。
尾張の兵じゃないのに何でも弱兵っておかしい話だなぁ。
本当に兵の強弱なんてあったのかいな?
711 :
人間七七四年:2009/08/18(火) 03:21:03 ID:CUsksDR7
家臣も近江出身の武将多めかなぁ
712 :
人間七七四年:2009/08/18(火) 03:52:57 ID:sW6KCjbh
まあ佐和山を与えられてるしね
713 :
人間七七四年:2009/08/18(火) 14:27:53 ID:JHioaATM
佐和山の人材(近江の?)は内政向きの有能な官吏多いっすな
714 :
人間七七四年:2009/08/18(火) 14:42:21 ID:rczTMb9I
近江は室町幕府の官吏である奉公衆、奉行衆の領地がやたら多いからな。
行政実務ってものを身近に感じられる土地だったんでしょうね。
715 :
人間七七四年:2009/08/18(火) 19:00:28 ID:LoBtHbwM
ついで移る若狭はどういう国柄だったんですかね?
716 :
人間七七四年:2009/08/18(火) 19:24:53 ID:CUsksDR7
移っては居ないよ。近江の所領保持のまま若狭一国も加増扱い。
若狭は若狭武田家の連中が多いが正直大したの居ないし織田家に対して反抗的だしイマイチ使い勝手が・・・
717 :
人間七七四年:2009/08/18(火) 19:42:10 ID:LoBtHbwM
惟住を貰ったけど、四国信孝サル軍団は九州まで行く気だったかな。
本能寺の噂で離散する程度の軍団で、四国で渡海作戦は難しいと思うわ。
滝川みたいな戦争屋ではないから丹羽ちゃん軍団は四国の戦後統治や復興だけにつかいたいな。
あの時期はそんなにアタマ数足らなかったんかな。
718 :
人間七七四年:2009/08/18(火) 19:43:30 ID:LoBtHbwM
若狭ダメですか、越前を一揆で失った時期には防波堤代わり?
719 :
人間七七四年:2009/08/18(火) 19:47:05 ID:CUsksDR7
>>717 あれは畿内からかき集めた足軽であって丹羽や信孝の正規の軍隊ではないよw
720 :
人間七七四年:2009/08/18(火) 19:55:43 ID:LoBtHbwM
719さん
であればこそ、四国で頑張れた気もしないし、九州まで行けなかったでしょうね。
721 :
人間七七四年:2009/08/18(火) 23:39:40 ID:W8t/5irl
傭兵足軽が働くかどうかなんて、恩賞しだいだよ。
本能寺のときは恩賞供給の母体である織田家があんな滅裂なことになったから、
給金の支払いがあるかどうかわからない合戦に命を懸けるのが嫌で逃げ出しただけの話で。
722 :
人間七七四年:2009/08/19(水) 00:19:07 ID:UjvGH+mU
あとは信孝が暴走して信澄殺しちゃったからなあ
そら下っ端が先行きに不安を感じてもしょうがないわ
723 :
人間七七四年:2009/08/27(木) 15:00:14 ID:Rvsw0Ypt
行けたとはいえないが 行けなかったともいえない。
724 :
人間七七四年:2009/09/01(火) 00:05:47 ID:8DzLma/C
明智秀光って、安土城の城代まかされた時、兵はどのくらいもってたの?
二桁ってことないよね?
725 :
人間七七四年:2009/09/01(火) 00:34:43 ID:Rb3Rt2Kn
秀満
726 :
人間七七四年:2009/09/06(日) 14:40:26 ID:eb0e1MO4
丹羽長秀の自画像が見れる施設はありますか?
コピーされてる画でもいいです。
727 :
人間七七四年:2009/09/06(日) 21:22:28 ID:/z/lvNdB
「自画像」なんてものは存在しない
728 :
人間七七四年:2009/09/06(日) 21:35:21 ID:pvim8IEz
今週末に公開される映画「火天の城」に長秀が出るようだが、
扱いは他のドラマ同様空気なのかな。
729 :
人間七七四年:2009/09/11(金) 19:36:46 ID:t1zGVzuV
一度で良いからNHK大河で主人公として出してくれないかな……
「昔、丹波哲郎って俳優さん居ましたよね?
あの丹に、一羽二羽の羽です…」
っていちいち説明すんの面倒くさいんだよ
730 :
人間七七四年:2009/09/14(月) 22:09:48 ID:DumsgRev
>>729 「丹羽雄哉」の「丹羽」でおk
火天の城ってまだ観てないけど、長秀さんはいっぱい活躍してくれてそう
731 :
人間七七四年:2009/09/15(火) 00:08:24 ID:8qdyM6bS
俺なぜか昔から丹羽と松永弾正好きなんだけども、、、
秀つながりなのかね。
またはノブに愛された自害コンビ
732 :
人間七七四年:2009/09/16(水) 12:07:07 ID:kKgW+brw
禿だと…?
733 :
人間七七四年:2009/09/22(火) 16:09:28 ID:fUZu9Bqk
親父以上に息子の長重をもっと再評価するべき
734 :
人間七七四年:2009/09/24(木) 09:19:36 ID:93u6L2P+
>>733 江戸時代の人からすれば、長重の親父という扱いかも?
立花宗茂に対する道雪みたいな感じで。
735 :
人間七七四年:2009/09/25(金) 08:57:37 ID:TyVpkKGk
五郎佐ファンは「火天の城」見るべし。
原作以上にいい感じ。
信長にお茶点ててもらったり、最後は二人で語り合ってる。
「長秀」と呼ばないで「五郎佐」ならなお良かったが。
736 :
人間七七四年:2009/09/25(金) 15:29:26 ID:0XFS0Fpj
そりゃ火天の城は長秀もある意味主役みたいなもんだし
737 :
人間七七四年:2009/09/25(金) 19:30:45 ID:hfKXY+9d
安土城関連の小説だと「天下城」も良かったよ。
長秀の出番も多い。
738 :
人間七七四年:2009/09/26(土) 08:01:01 ID:+24zPE9i
歴ヲタや長秀ファン以外からは『安土城建てた人』くらいにしか思われてないのが悲しいねぇ
739 :
人間七七四年:2009/09/28(月) 10:31:29 ID:ACWr2ORv
『安土城建てた人』の認識も薄いです。
総奉行ってプロデューサーみたいなもんで大変だと思うけど
その上に信長がいるし、実際に作った職人も目立つし
結局いつも損な役回り??辛いなぁ
740 :
人間七七四年:2009/09/28(月) 18:53:17 ID:6Mtk4Pyq
×安土城の人
○羽柴の羽
741 :
人間七七四年:2009/09/28(月) 19:37:46 ID:GSjGy4a0
>>740 悲しいけど子供の頃、そう思ってた。
その羽柴の姓を秀吉から貰ったときの長秀の気持ちを思うと・・
まさか、天下人の姓は我丹羽家から取っているんだって
うれしがったりしないよね。
742 :
人間七七四年:2009/09/28(月) 19:38:33 ID:ShQ8HRVD
>>741 秀吉の「羽柴」は、柴田とも丹羽とも関係ない。
743 :
人間七七四年:2009/09/29(火) 11:48:44 ID:Vl+NUz7G
>>742 じゃあ「羽柴」の謂れは?
秀吉の本心は柴田・丹羽の二人分の働き出来ますよ〜って信長にアピール
してたと思うんだけど?
744 :
人間七七四年:2009/09/29(火) 17:21:21 ID:u2jqX8m6
明治時代じゃあるまいし取ってつけた様な名字を付けたりしないんだ
といって言われてる色んな説は全部妄想だけどね
745 :
人間七七四年:2009/09/29(火) 18:59:50 ID:oJz6llJE
>>743 羽柴に丹羽も柴田もまったく関係ない。丹羽柴田にあやかったと言うのは後世の軍談で作られたお話。
おそらく木下以前の、秀吉の家に伝わる苗字が「ハシバ」だったのだろう。
746 :
人間七七四年:2009/10/01(木) 09:25:17 ID:UUrGsNhk
747 :
人間七七四年:2009/10/01(木) 09:49:53 ID:HFrOGc6O
>>745 私も始めて聞いた。
もっと詳しく教えて
748 :
人間七七四年:2009/10/01(木) 10:06:09 ID:HqDKjD66
羽柴がどういうところから来たのかは知らんが、少なくとも柴田、丹羽に関係ないのは
確かだろうな。
同時代資料にそう言うことを指摘したものはまったく無いし。
たまたま字が重なった事からの、後世の創作だろう。
749 :
人間七七四年:2009/10/02(金) 12:31:34 ID:oS1qGsCw
格的に丹羽さんを上にして、柴田を下にする意味も無いしな。
750 :
人間七七四年:2009/10/02(金) 13:26:57 ID:g2horc4w
・・・・という事は
丹羽さんのもっとも有名なエピソードが後世の創作だったって事?
なんと!
でも丹羽長秀らしいって言えるかも。
そんな長秀が大好きです。
751 :
人間七七四年:2009/10/02(金) 21:25:16 ID:yI7wxNu5
思ったんだがなぜに火天の城の主役
丹羽さんじゃないんだ?
岡部って船も作ってなかったっけ?
しかし、信長の野望の丹羽さんのパラは微妙だないつもw
752 :
人間七七四年:2009/10/03(土) 12:24:18 ID:t7DxSQjO
野心がないよね、この人
753 :
人間七七四年:2009/10/03(土) 12:32:40 ID:aM5pDjoz
野心無いなら織田を見限り秀吉に付いたりしない
754 :
人間七七四年:2009/10/03(土) 13:24:45 ID:vq9age0I
秀吉についたのは野心じゃない。
あの時勝家・信孝につくか秀吉・三法師につくかの悩み処。
信長が嫡男と決めた信忠の息子に跡をとらせたかったからだと思うけど。
その後は秀吉の態度見て失望の日々だった。あそこで死んでよかったよ。
あれ以上生きても辛いだけ。
755 :
人間七七四年:2009/10/03(土) 14:16:02 ID:aM5pDjoz
秀吉と長秀以外の重臣が全員信孝側なのに三法師押すとな
756 :
人間七七四年:2009/10/03(土) 15:10:17 ID:bP33ujXc
織田家家督は信忠がもう継いでたんだから
信忠の息子である三法師押しが筋なんじゃなかろうか。
757 :
人間七七四年:2009/10/03(土) 15:31:51 ID:4yNdikws
まあ理屈としてはそうだな
三法師も正室の腹ではないが、それは信孝も一緒だし
信長から数えるか、織田家で数えるかで
ある意味、信長から数えた人間が多かったって事実は信長個人に仕えてた意識の現れともとれなくもない
758 :
人間七七四年:2009/10/03(土) 15:50:19 ID:TmOiL+4O
三法師は信忠から嫡男認定はされていないので、正統性はあまりない。
ちなみに織田家の「家督」には、三法師の補佐と言う意味ながら、信孝が就任している。
賤ヶ岳のあとは信雄が織田家家督に就任している。
759 :
人間七七四年:2009/10/03(土) 21:11:47 ID:4yNdikws
嫡男認定されてないのは信孝も一緒だからどっちみちないんだよ
どちらがあるかってレベルなら既に家督を継いでいる信忠の一世代後の方が有利ってだけで
760 :
人間七七四年:2009/10/03(土) 22:02:21 ID:Ndy+My38
>>748 >少なくとも柴田、丹羽に関係ないのは確かだろうな。
確かっていうのは羽柴の本当の由来がはっきりして初めて言えることであって、
現段階で羽柴の由来が分からない以上はまだなんとも言えないとしか言えないんじゃないか?
同時代資料にそう言うことを指摘したものがまったくないから、では根拠として薄い。
761 :
人間七七四年:2009/10/03(土) 23:55:05 ID:TmOiL+4O
762 :
人間七七四年:2009/10/04(日) 01:24:36 ID:ydCmk+sR
>>761 どっちにせよ「関係無いのは確か」とは言えんよねって話。
現状、あるかもしれないし、ないかもしれない。
に留めるべき。
763 :
人間七七四年:2009/10/05(月) 10:07:17 ID:BMJOSj95
しかし天下人の姓がこんなにあやふやとは??
昔から主人から一字貰って名前を変えるって良く聞くけど
秀吉の苗字変えは変だと思っていた。木下って姓があるのに。
まぁ使えて間無しならお得意の媚びへつらいもあって丹羽柴田からっていうのも
考えられるがあの時点ではもう媚びなくても立派な武将だしね。
まぁ「・・・そういう説もあります」が落とし処でしょう。
764 :
人間七七四年:2009/10/05(月) 10:44:15 ID:NYduEGeO
>>763 木下は嫁さんの実家の名字だし。
なので、「羽柴」は、秀吉の実家の元々の名字なのではないか?と言う説がある。
765 :
人間七七四年:2009/10/05(月) 11:07:44 ID:Fc/JKY2r
>>764 嫁も秀吉も同じ木下姓説もあったな。
じゃあ杉原姓はどうなるんだと。
766 :
人間七七四年:2009/10/05(月) 11:43:23 ID:SIAGHuoS
>>762 「羽柴姓、丹羽・柴田由来説」の根拠がないのに、どうして「あるかもしれない」が成立するんだ
767 :
人間七七四年:2009/10/05(月) 12:04:48 ID:5XV1Cs6D
・「端柴」という姓が藤吉郎の縁者にあった。
・信長から「羽柴」を名乗れと言われた。
という説がある。
羽が前にあるのは丹羽長秀はすでに信長の身内として処遇されていたから。
柴田より前にあっても自然。
768 :
人間七七四年:2009/10/05(月) 12:12:19 ID:NYduEGeO
>>767 何で丹羽の下のほうの「羽」を取るのか、ってのが不自然。
769 :
人間七七四年:2009/10/05(月) 14:25:05 ID:/5DZLeBq
>>766 俗説として既に浸透してる説だから仮説として「あるかもしれない」と言ってもいいだろ。
仮説として、「あるかもしれない」し、「ないかもしれない」程度の話ってだけ。
少なくとも「確か」とは言えない。
770 :
人間七七四年:2009/10/05(月) 16:54:31 ID:EyoZDREc
>>769 仮説として成立するだけの根拠がないのなら、「あるかもしれない」とすら言えない。
771 :
人間七七四年:2009/10/05(月) 17:39:06 ID:/f+G+INc
頑固やなあ
772 :
人間七七四年:2009/10/05(月) 17:51:48 ID:/5DZLeBq
>>770 で、「確かとは言えない」ってのには同意してくれるの?
そこだけ同意してくれるんだったらあとはどうでも良いんだけど。
>>771 正直なんか怖いわ。ただの粘着じゃないか。
773 :
人間七七四年:2009/10/06(火) 00:57:57 ID:YCQ7ef3c
>>772 粘着しているのはキミだろ。こんな、それぞれの考え方次第の結論の出ない議論に。
774 :
人間七七四年:2009/10/06(火) 01:42:52 ID:OcxtGLAZ
それにしても最近勢い付いたな
775 :
人間七七四年:2009/10/06(火) 09:04:18 ID:5OLTLETe
まぁハシバはどうでもエエとして、
長秀が自害の時 秀吉に「こんな大領いらない。もとのままでいい」
っていうような手紙を書いたってほんとう?
これって「お前から知行貰う気なんかない。信長様から
貰った分でいい」っていう凄い嫌味に思うんだけど。
776 :
人間七七四年:2009/10/07(水) 00:35:10 ID:Ngu5TPV7
>>767 なら尾張周辺にでも他の羽柴姓が存在して無いとおかしくなるな
羽柴姓が秀吉の家ぐらいしかないなら
それはその代に初めて作られた物だってことだ
777 :
人間七七四年:2009/10/07(水) 00:53:10 ID:0rz/zIRF
googlマップで見たけど
安土と佐和山って目と鼻の先なんだな
それだけで十分、五郎佐が信長から
信頼されてたってのがわかるから
俺は満足
778 :
人間七七四年:2009/10/07(水) 01:09:18 ID:6y4S17wS
>>776 秀吉は天下を取った後、その過去を知るものを殺しまくったってフロイスとかが記録しているから、
秀吉の家族以外の羽柴、もしくは別の字の「ハシバ」姓は、皆殺しに近い状況になったのかもな。
779 :
人間七七四年:2009/10/07(水) 02:09:56 ID:osgV8WWa
木下姓の親戚もいるし木下弥右衛門という名前も史料で確認出来るのに
何で元は羽柴姓だったとかいう話になるん?
780 :
人間七七四年:2009/10/07(水) 15:57:36 ID:tnPAguiC
ビヤハヤヒデに乗ったニワナガヒデ
781 :
人間七七四年:2009/10/07(水) 19:46:19 ID:+IIntELH
秀吉のハシバ姓についてはもういいじゃん。
それより信長の養女(姪)を妻に迎えるまで一度も
結婚しなかったの?
782 :
人間七七四年:2009/10/09(金) 13:47:43 ID:q4GyqNfP
織田信広の娘を妻にしたのが34才・・・異常に遅い結婚
36才で長男誕生
その前に子が生まれたこともわからない。
当時なら二十歳前に結婚するから、最初の妻は死亡して
側室はいたが正室がいなかったのではないかと、考えるしかないでしょ。
なんせ何を探しても記録がない。
信長の譜代の尾張からの家臣はわからない人が多いよ。
783 :
人間七七四年:2009/10/09(金) 15:46:34 ID:WN0eMudG
それだけ急拡大したって事だな。
秀吉も草々の頃からの家臣はなにやってたかさっぱりわからん、秀吉自身についてもそうだが。
784 :
人間七七四年:2009/10/09(金) 19:39:30 ID:Yb/vnWTF
長秀はもともと斯波家の家臣の子供だから家格的には信長より上だろうね。
信長の姪を貰うまで未婚はないでしょうね。
子供はどうなんだろう?先妻や側室に息子は居ても
信長と自分の血が流れてる子を嫡男にしたいから養子に出したり・・
想像の域をでませんが・・
785 :
人間七七四年:2009/10/10(土) 00:15:05 ID:25xovxFj
>>784 丹羽家自体はそうでも、長秀個人は分家の出なんで、そうとも言えない。
それ言ったら、織田家自体は斯波家の次、守護代の家系だから信長も〜となってしまう。
786 :
人間七七四年:2009/10/10(土) 00:50:14 ID:7eSXqnHG
尾張は信長の弾正忠家を含む例の尾張三奉行家が、守護又代と呼ばれる
実際の現地行政の責任者だったようで。
787 :
人間七七四年:2009/10/10(土) 23:15:13 ID:nWbcTpWX
あの当時はまだ信長は家臣たちに娘を嫁がせてなかった。
長秀をよっぽど信頼してた証拠ですね。
788 :
人間七七四年:2009/10/11(日) 12:30:21 ID:94wrovOs
「不動國行、九十九髪、人には五郎左御座候」
信長が上洛戦の後手に入れた宝物
機嫌が良い時酒を飲むとたびたびこれを歌った。
789 :
人間七七四年:2009/10/11(日) 13:07:24 ID:Tf2guOt4
>>788 晩年になると、「五郎左」の所が「森蘭丸」になるな。
790 :
人間七七四年:2009/10/12(月) 15:47:20 ID:3SvbVxC8
>>789 蘭丸になることは無い
五郎佐と御座の韻をふんでるから
「不動國行、九十九髪、人には五郎左御座候」
これ好きなんだけどどこに載ってるのか全然分からなかった。
791 :
人間七七四年:2009/10/12(月) 16:24:10 ID:jxN/K/5n
丹羽さんは勝家とか佐久間とか嫌いだったの?
なんで秀吉と組んだの?
792 :
人間七七四年:2009/10/12(月) 18:14:29 ID:8c5h/0Kq
秀吉と組んだんじゃなく
秀吉がいち早く三法師を擁立したから。
信長の嫡男信忠の孫をたてていきたかったんだろう。
三法師を擁立したのが勝家だったら勝家と組んだだろう。
その時期に佐久間はもう居ないよ。
793 :
人間七七四年:2009/10/13(火) 22:32:14 ID:rYkuLaUy
また短パンか
794 :
人間七七四年:2009/10/13(火) 22:34:23 ID:rYkuLaUy
短パン
795 :
人間七七四年:2009/10/14(水) 00:32:30 ID:eW+I9zEm
柴田と鬼佐久間だろ
796 :
人間七七四年:2009/10/14(水) 09:25:51 ID:k/X+9QLy
「長秀は友であり兄弟である」
「不動國行、九十九髪、人には五郎左御座候」
信長の言葉だけで命かけられる貴重な人です。
797 :
人間七七四年:2009/10/14(水) 11:47:26 ID:taTUJdQ6
>>791 織田信孝と仲違いしてたから。
四国遠征軍はみんな信孝を見限って秀吉側についてる。
798 :
人間七七四年:2009/10/14(水) 14:01:17 ID:HTPp2C8S
>>797 四国遠征軍が信孝を見限った?
蜂屋が秀吉側になるのは秀吉が山崎の戦い以降畿内を制圧してから
長秀はあくまで当初は三法師擁立に賛同しただけで信孝と対立しようとは考えていない
岸和田城代の織田信張は山崎の戦いに参加していない
水軍として四国遠征軍に参加する予定の鈴木重秀は反鈴木派の土橋に本能寺以降攻められ織田信張の岸和田城に逃げ込んでいる
三好は四国で長宗我部に攻められ身動き取れず
四国遠征軍に参加する予定の武将たちは本能寺の変時に秀吉側についたわけでない
秀吉側として姿勢を鮮明にするのは清須会議前頃
その時は既に遠征軍は解体されており、秀吉側であることは信孝を直接見限ったとは言えない
なお雑賀庄を再制圧した鈴木重秀は柴田勝家と通じた
799 :
人間七七四年:2009/10/14(水) 19:36:37 ID:t+slgwgz
秀吉が信孝を自害に追い込まれ
信孝の母である信長の側室や妹で信長の娘が秀吉に殺された時は
ショックだったろうな。
800 :
人間七七四年:2009/10/14(水) 19:37:33 ID:t+slgwgz
↑訂正
信孝を自害に追い込み です。
801 :
人間七七四年:2009/10/14(水) 20:22:11 ID:JUwvJhX3
信長の娘を側室にしたんなら、さもありなんて感じだがな。
802 :
人間七七四年:2009/10/15(木) 01:03:36 ID:a9acnLiC
>>798 そう。清洲会議の時、旧四国遠征軍の諸将は、
なぜか、戦友かつ後見すべき信孝を推挙していない。
本来、長秀や蜂屋の立場であれば、三法師政権より信孝政権の方が、
待遇はよくなるはず。
津田信澄殺害時に何かあったとみるのが自然かと。
803 :
人間七七四年:2009/10/15(木) 01:05:08 ID:a9acnLiC
ちなみに山崎の戦いの名目的な総大将は織田信孝。
804 :
人間七七四年:2009/10/16(金) 14:38:56 ID:KPVS2Z0r
>>802 津田信澄を殺るかどうかで信孝と長秀の間で対立があったから、
四国遠征軍の行動がもたもたしていたんだな。
秀吉は大義名分を掴んだ。
仇討ちとしては「親の仇を子が討つ」の形が最高。
805 :
人間七七四年:2009/10/16(金) 18:12:52 ID:l57ncbRU
信澄は運が悪かったね
養父だった勝家のそばにくっついてれば殺されなかったかもしれんのに
806 :
人間七七四年:2009/10/17(土) 17:01:09 ID:6ePfAfv8
807 :
人間七七四年:2009/10/18(日) 12:05:31 ID:p1Pl6Gzh
信孝と長秀の仲ってどうだったんだろう?
四国攻め以前に長秀が補佐したことってある?
808 :
人間七七四年:2009/10/18(日) 15:24:43 ID:PDmTp4KT
四国遠征軍といっても実態は15歳の少年から60歳までの老人の農民を御朱印によって強制的に徴集した人々と
伊勢の牢人衆を召集したのが大部分を占める
そのため信孝の領内は根こそぎ動員され寺院関係者ぐらいしか残っていないということが史料から判別されている
→『神宮文庫所蔵文書』
伊勢二郡しか所領のない信孝や小国若狭国主に過ぎない丹羽長秀の配下兵だけでは
14000〜15000の四国遠征軍を絶対構成できない
変後3000〜4000しか残らず、後は四散したのは信孝の統率力云々よりは派遣部隊自体の構成に問題があったのは明らか
残ったのは両人の配下兵だけだろうことは容易に予測がつく
信孝は神吉城攻めの際に足軽衆に混じって敵城内に乗り込むなど勇猛さはあるものの
信忠と違い大部隊の指揮官の経験が全くない
かといって長秀や蜂屋も同様で自主的に信孝を立てて指導するまでの資質がなかったのだろう
長秀でなく、一益なら信孝をうまくサポートして対処できたと思える
一益の北伊勢所領時代にお互いに知った仲だかと思うしね
809 :
人間七七四年:2009/10/18(日) 16:45:35 ID:6sWu8X1J
>>808 若狭は日本海交易路と京を繋ぐ通商圏を持つ。石高は低いが国力は高い。
参加者はこの二人だけではない。
一益ならとういのも根拠は?彼も長秀と同じで、大軍勢の補佐や指導の経験は無い。
810 :
人間七七四年:2009/10/18(日) 19:31:22 ID:qJ8bat5+
>>809 大軍の指揮をとった事がある一益すなら、って事でしょ?
811 :
人間七七四年:2009/10/18(日) 20:19:12 ID:6sWu8X1J
>>810 大軍ってのがどの程度の規模なのかという定義の問題もあるだろうが、無いよ。
少なくとも上州に入る以前には。武田攻めの信忠の補佐役は川尻だしな。
812 :
人間七七四年:2009/10/19(月) 02:01:32 ID:4vKUh9yA
>>810 一益ならあるよ
もともと北伊勢攻略は一益一人に任せられていたし
信雄の尻拭いのための第二次伊賀攻めなどわりと大兵力の遊撃独立部隊を指揮している
北条との戦いや柴田、信孝に呼応して長島で挙兵したときもそうだな
秀吉軍は結局一益の軍を敗ることが出来なかった
長秀は美濃攻めや近江六角攻めでは武功や調略での功が目立つが
それ以降は武将より吏僚としての功績が大きい
813 :
人間七七四年:2009/10/19(月) 09:52:33 ID:YLQcglCw
>>812 先に定義します。大軍というのは「自家だけではなく、複数の武将級を与騎に付けられて編成された」軍と考えます。
すると、滝川にはないんですね。
北伊勢攻略は、最初の員弁・桑名二郡は滝川によって地侍を降伏させたとあり、それも織田家のちからを背景に
弱小の豪族たちを威圧して降伏・調略させて服属させた手腕による。それ以降は基本信長が直接大軍を率いて攻略している。
第二次伊賀攻めは、滝川は丹羽と共同で甲賀口から侵攻。
その他も同じで、一武将としての参加ならたくさんありますが、一つの軍団の司令官ないしナンバー2くらいの重要な地位で
参加した経験というのはほとんどない。少なくとも、本能寺以前に丹羽と比較して経験豊富と言えるほどのものはない。
814 :
人間七七四年:2009/10/23(金) 14:02:44 ID:Rc5FM/hd
十分大軍だと思うがなぁ
滝川一益家臣・与力
(織田直参)
津田秀政(娘婿)
牧長勝
加藤順盛
九鬼嘉隆(関東には下向せず)
(伊勢衆)
滝川益重(一門)
木全忠澄(家老)
滝川忠征(養子)
本多正重
牧野成里
滝川益氏(一門)
前田利益(一門)
滝川安吉(側近)
本多正晴
佐治新助 ・・・・ここまでが武田滅亡まで
(信濃衆)
真田昌幸(上田城主、旧沼田城主)
(上野衆 )
小幡信貞(小幡城主) ・・・ここから関東方面司令官時に配下となる
安中久繁(安中城主)
由良国繁(金山城主)
白倉宗任(白倉城主)
山上道友(鷹巣城主)
倉賀野秀景(倉賀野城主)
内藤昌月(箕輪城主)
長尾憲景(白井城主)
北条高広(旧厩橋城主)
和田信業(和田城主)
那波宗元(那波城主)
高山重成(高山城主)
木部真利(木部城主)
(下野衆)
長尾顕長(足利城主)
皆川広照(長沼城主)
( 武蔵衆)
成田氏長(忍城主)
上田朝直(松山城主)
深谷忠秀(深谷城主)
815 :
人間七七四年:2009/10/23(金) 16:37:21 ID:QsZF3S8R
与力を比べればいいんじゃない?
丹羽長秀の与力は誰が居たのだろう?
816 :
人間七七四年:2009/10/24(土) 00:40:28 ID:lhBwPuhE
817 :
人間七七四年:2009/10/24(土) 21:37:28 ID:9iXgF3w5
丹羽長秀ってしずが岳や小牧でなんの活躍も無いのはどうちて???
818 :
人間七七四年:2009/10/24(土) 21:40:09 ID:VE4b07xf
賤ヶ岳=働いてるからググれ
小牧・長久手=病欠
819 :
人間七七四年:2009/10/26(月) 20:12:57 ID:R3PL2Iai
いつの間にか、丹羽と滝川どっちが上かスレになっていたが、
小牧長久手のころは、丹羽は死の直前だし、滝川一益は蟹江城合戦で負け戦だし、
どちらも往年(信長生存時)の面影は薄いね。晩年の悲哀度数までライバルだ。
820 :
人間七七四年:2009/10/27(火) 13:27:52 ID:TkVh6JkS
明治維新の時の滝川、丹羽は、両方駄目駄目だねw
821 :
人間七七四年:2009/11/04(水) 22:22:56 ID:pxo/NLoi
丹羽なんて加藤清正親子そっくりじゃん 利用だけして先代死んだらゴミ箱行きwww
822 :
人間七七四年:2009/11/05(木) 01:09:15 ID:il3+PU4I
いや、丹羽は息子がまだましだったのが救い
加藤の息子はいかれぽんちのボンクラ
823 :
人間七七四年:2009/11/05(木) 01:44:37 ID:pSZEZd0O
長重は幾つもの城を手掛けた築城名人だが、
城作っては転封させられるの繰り返しでえらい貧乏だったようだな
824 :
人間七七四年:2009/11/05(木) 02:09:16 ID:nXkgOpyE
丹羽家の財力を削りたかったんだな
825 :
人間七七四年:2009/11/05(木) 02:12:52 ID:fWn75EPU
清正の息子はちょっとどうしようも無かったな。
826 :
人間七七四年:2009/11/05(木) 02:16:31 ID:54niXANn
なんとなくボランチだね
827 :
人間七七四年:2009/11/05(木) 02:30:31 ID:pENdoNF3
丹羽長秀が好きで、軍司令官を与えられなかったのも信長が手元に置きたがったからだ。
と思ってる人は丹羽長秀=ボランチというイメージで、
今一つパンチが無かったからずるずると後進に抜かれるんだ、
と思ってる人は丹羽長秀=サイドバックっていうイメージを持ってると思う。
828 :
人間七七四年:2009/11/06(金) 07:58:13 ID:jf8wVeWO
丹羽家は何といっても明治まで続いた大名家だよ。
加藤家とは違う!
829 :
人間七七四年:2009/11/08(日) 02:14:17 ID:WoDzLfn7
加藤氏は当時の大名からして「改易されても仕方ない」って考えてたようだしね。
忠広の不行跡もそうだけど、嗣子の光広のやったことは流石にシャレにならん。
830 :
人間七七四年:2009/11/08(日) 15:26:44 ID:C+OFqUnK
>長重は幾つもの城を手掛けた築城名人だが
芸は身を助ける、失業後の再就職はスキルがものを言うの良い見本だな
831 :
人間七七四年:2009/11/14(土) 11:51:02 ID:mBQxxyG/
大河ドラマで何人かが丹羽長秀を演じているが、
「秀吉」の篠田三郎がベストだな。
見た目だけなら、「利家とまつ」の梅沢もありだが。
832 :
人間七七四年:2009/11/21(土) 15:20:41 ID:t6oZsyvU
篠田はいいね
833 :
人間七七四年:2009/11/29(日) 07:04:35 ID:6E6WaQfU
五郎左より格好いいような。
834 :
人間七七四年:2009/12/11(金) 23:04:09 ID:DYlr/8te
地味に朝倉家と若狭武田家を歴史から消した
835 :
人間七七四年:2009/12/21(月) 03:37:57 ID:WZBI7SsV
質問です
>第003回 天下分け目の天王山〜秀吉・必勝の人心掌握術〜
>放映日:2000年04月12日
>その時:天正10年(1582年)6月13日・山崎の合戦
では、山崎の戦いで13日の午後2時になってから織田信孝と丹羽長秀が秀吉軍に合流して
それを待って合戦を始めたってなってたけど、本当にそんなに合流が遅かったのですか?
最近出た学研の本では摂津富田で12日に丹羽ら秀吉軍に合流ってなってるけど・・・
どっちが正しいのでしょうか?
836 :
人間七七四年:2009/12/21(月) 04:34:08 ID:3QHMS5cS
>>835 バラエティ番組を信用されても困ります。
837 :
人間七七四年:2009/12/21(月) 09:18:55 ID:dc7Jt2gw
た・・・丹羽長秀
838 :
人間七七四年:2009/12/21(月) 20:05:15 ID:+m+ynRpq
軍功もないな
主将としても戦ってないし
安土築城くらいだろ
839 :
人間七七四年:2009/12/21(月) 20:44:17 ID:ytkcrYrz
>>838 東美濃攻め、六角攻めなどで戦功あるだろう
840 :
人間七七四年:2009/12/21(月) 20:59:15 ID:GFuA8lao
よっぽど軍事的にも信用してなきゃ安土の膝元の
佐和山を任せないんじゃないか
841 :
人間七七四年:2009/12/21(月) 23:30:32 ID:m47R06vy
ただ信頼されてただけだろ
842 :
人間七七四年:2009/12/22(火) 01:50:48 ID:yXk9BDdG
>>841 なんじゃそりゃw
そんな奴いるわけないやろwwwww
843 :
人間七七四年:2009/12/22(火) 02:07:53 ID:9g5hpzzj
たしか佐和山任せられたのが安土以前だし
交通の要所を任せるってのはかなり信頼されてたあかしだとオモう
米五郎佐って呼ばれる位万能だっったんだろう
844 :
人間七七四年:2010/01/02(土) 11:43:36 ID:pyx+zGrj
有能だからはどうでも 信頼はされてそう。
845 :
人間七七四年:2010/02/03(水) 23:22:29 ID:O50r+ZHB
藤堂家の養子になった高吉は少々不憫
846 :
人間七七四年:2010/02/08(月) 10:28:26 ID:hDBbrhIb
何か本に書いてかったんだけど
岐阜城と大阪城の普請奉行も長秀だったの?
小牧山と安土しか知らなかったぞ
847 :
人間七七四年:2010/03/07(日) 03:32:27 ID:uFHouZep
848 :
人間七七四年:2010/03/07(日) 13:30:52 ID:JaAfrwCv
長秀は若狭を領有した後
若狭国内に本拠あったっけ?
本拠は若狭領有後も佐和山で変わらず?
849 :
人間七七四年:2010/03/08(月) 14:45:20 ID:9VlwUMmE
ビワハヤヒデ
850 :
人間七七四年:2010/03/09(火) 20:30:17 ID:FssUTVW0
アッーはあったの?
851 :
人間七七四年:2010/03/24(水) 21:10:57 ID:oRxi4tmj
>>840 長秀さんが佐和山城主になったのは、安土城造るかなり前じゃね?
852 :
人間七七四年:2010/03/24(水) 21:15:02 ID:oRxi4tmj
>>848 そう。
佐和山を甲斐武田氏の末裔、武田元明が攻め落としたのは有名な話。
853 :
人間七七四年:2010/04/14(水) 15:48:52 ID:tAbiBmzV
,. -‐'''''""¨¨¨ヽ
(.___,,,... -ァァフ| あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!
|i i| }! }} //|
|l、{ j} /,,ィ//| 『清洲での会談で、羽柴筑前と同意見だった』
i|:!ヾ、_ノ/ u {:}//ヘ
|リ u' } ,ノ _,!V,ハ | それがいつの間にか羽柴の盟友呼ばわりされ
/´fト、_{ル{,ィ'eラ , タ人 気付いたら羽柴の臣下扱いになっていた
/' ヾ|宀| {´,)⌒`/ |<ヽトiゝ
,゙ / )ヽ iLレ u' | | ヾlトハ〉 な… 何を言ってるのか わからねーと思うが
|/_/ ハ !ニ⊇ '/:} V:::::ヽ おれも何をされたのかわからなかった…
// 二二二7'T'' /u' __ /:::::::/`ヽ
/'´r -―一ァ‐゙T´ '"´ /::::/-‐ \ 成り行きだとか時流だとか
/ // 广¨´ /' /:::::/´ ̄`ヽ ⌒ヽ そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ
ノ ' / ノ:::::`ー-、___/:::::// ヽ }
_/`丶 /:::::::::::::::::::::::::: ̄`ー-{:::... イ もっと恐ろしい策謀の片鱗を味わったぜ…
854 :
人間七七四年:2010/04/25(日) 05:58:32 ID:yhY4dG6F
臣下扱いも何も、自分から大阪の秀吉のところに出向いて挨拶するようなことしたんだから、
明確な臣従行為ですがな。
855 :
人間七七四年:2010/05/02(日) 00:15:24 ID:WOSG/dgk
もっと評価をしてあげてください
856 :
人間七七四年:2010/05/05(水) 15:54:18 ID:lSUlK69+
そういや長重が1571年生まれってことは長秀が35、36?
初婚が30過ぎてたってことでいいのか
てか一番下って長次?長紹?は相当晩年だよね
857 :
人間七七四年:2010/05/05(水) 19:33:49 ID:I29PO/b6
時流にうまく乗ったのか、失敗したのか、いまひとつ判断がつかない
敢えて逆らったとする解釈もありそうだけど
858 :
人間七七四年:2010/05/23(日) 20:03:09 ID:9suGltsQ
1600年まで生存していたら…
859 :
人間七七四年:2010/06/05(土) 07:38:19 ID:I69n+wlj
長生きしていたら旧徳川領に転封して5大老筆頭
860 :
人間七七四年:2010/06/22(火) 22:53:53 ID:5U0IxjYt
丹羽さんは、堀秀政や森兄弟など次世代の武将とはうまくいっていたのかな。
861 :
人間七七四年:2010/06/24(木) 05:53:59 ID:qHuYyFEk
柴田と組まずに秀吉と組んだのは正解
まあ柴田のこと嫌いだったんだろうね。
862 :
人間七七四年:2010/06/26(土) 14:54:32 ID:122WZVKP
長秀の場合、特筆すべきは
京都で光秀や秀吉らと施政に携わったときに
光秀や秀吉と違い長秀単独で署名された文書が数多く発見されてること
安土の縄張り命じられたときも若狭国主を任じられたあとも京都で単独で政務に携わることが多かった
吏僚としては長秀の方が光秀、秀吉より優れていたと見ていいだろう
863 :
人間七七四年:2010/06/27(日) 19:48:07 ID:skh+eogS
羽柴の陰謀に気づけなかったのは失敗
勝家と組めば良かったと後悔してるだろうね
864 :
人間七七四年:2010/06/27(日) 22:02:39 ID:PmJvsIg0
全く後悔してないと思いますが?
日本人の官僚主義の走り、機会主義者。
仕事を愛したオトコ。
それが丹羽の本質
信長個人への畏敬や愛着はあっても、
傾いた織田家への想いはなかったかと…
865 :
人間七七四年:2010/06/28(月) 01:10:43 ID:7Pjdqv6j
丹羽家が一貫して秀吉支持だったおかげで秀吉はかなり助かってるよな
まあ丹羽家も勝家と組んでも未来はないと思ってたからこその選択だろうが
そういうとこを秀吉に見透かされ領地を減らされたのかもね
しかし関ヶ原では西軍についてるし、よくわからんとこもある
866 :
人間七七四年:2010/06/28(月) 21:48:03 ID:HFq2OmRz
長秀と長重は生き方が違うから一緒くたにはできないな。
867 :
人間七七四年:2010/07/04(日) 01:59:56 ID:FTNQRl2A
丹羽十分評価されてるだろう
軍事的評価美濃だけでものすごい武将だと評価しろとでも?
868 :
人間七七四年:2010/07/15(木) 14:37:05 ID:YmPgNv4v
秀吉は自分の基盤固める為にやったことがことごとく裏目に出てるよね
869 :
人間七七四年:2010/08/02(月) 00:09:40 ID:DmNIcyES
保守
870 :
人間七七四年:2010/08/05(木) 07:20:13 ID:Fvd35n68
今週の週刊戦国武将に載っていたね
871 :
人間七七四年:2010/08/05(木) 21:14:07 ID:uX6oZ9uN
所領の石高低くても気にしてなかったんだろう。常に信長の傍にいて、あれこれ貰っていたはず。
872 :
人間七七四年:2010/08/05(木) 21:34:29 ID:4oDkLHaF
はず
873 :
人間七七四年:2010/08/05(木) 21:46:16 ID:q95IVAj/
石高は低くても若狭と言う今日に近い場所をもらったと言うことですな
874 :
人間七七四年:2010/08/06(金) 19:32:02 ID:ElJmQhKa
いやいや、そうじゃなくて実質的には他の武将よりもずっとリッチだったんじゃないかと。
他の武将は領地からの収入でやりくりして、戦で手柄を立てた部下には恩賞を与える。
長秀はそういう苦労はあまりなかったように思うんだ。
875 :
人間七七四年:2010/08/09(月) 10:48:04 ID:sdersNAB
876 :
人間七七四年:2010/09/01(水) 19:16:27 ID:4pCKd8zW
家臣が良質
877 :
人間七七四年:2010/09/03(金) 15:57:08 ID:WpCPKsjF
仕事も人生もそつなくこなす地味なタイプのところが好きだな。
878 :
人間七七四年:2010/09/03(金) 20:59:45 ID:5Mo5nJIM
創業者社長が死んだあと野心家の専務と組んで常務やってた息子排除したけどね
879 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 22:16:16 ID:cgW6hOw0
ほ
880 :
人間七七四年:2010/10/02(土) 02:35:11 ID:NwPcXYCL
>>866 領地は一割に減ったのに
長秀=越前守
長重=参議
と官位は息子のがなぜか上なんだよねw
881 :
人間七七四年:2010/10/05(火) 13:51:47 ID:tqj3m1Ru
丹羽長重の家臣ってどんなのいるんだ?
ググっても出て来ないんだが。
882 :
人間七七四年:2010/10/07(木) 17:28:26 ID:4W8808Za
883 :
人間七七四年:2010/10/08(金) 05:20:20 ID:Zhm/vHGw
藤堂高吉が可哀想やね
884 :
人間七七四年:2010/10/17(日) 10:50:52 ID:agjl0kiv
地味なのに過小評価って
丹羽なんて軍功たいしてないんだから政治的評価のほうが大きいだろう
885 :
人間七七四年:2010/10/17(日) 11:15:49 ID:xn2ERgpw
信長公記読んでから家
886 :
人間七七四年:2010/10/17(日) 16:51:30 ID:dL01cGaW
馬鹿が来た
887 :
人間七七四年:2010/10/17(日) 17:23:53 ID:9tsj+Ash
一家に一台丹羽長秀
888 :
人間七七四年:2010/10/18(月) 01:57:47 ID:VcE/w1oN
889 :
人間七七四年:2010/10/18(月) 10:00:11 ID:97wlBPo/
890 :
人間七七四年:2010/10/18(月) 12:08:55 ID:Fg8rTc/R
>>889 それもわからないほど頭いっちゃってるんだよw察してやれよ
891 :
人間七七四年:2010/10/18(月) 12:56:26 ID:Tb8VrdO5
>>882のリストに載っていない長秀の家臣で思いつくところは
青木一重
青山宗勝
粟屋勝久
大島光義
太田一吉
奥山盛昭
戸田勝成
長束正家
溝口秀勝
村上頼勝
ってとこか
892 :
人間七七四年:2010/10/18(月) 17:47:11 ID:S9T8XpwN
>882は長秀じゃなくて、長重の家臣団ですよ。俺の宗箇さんが抜けてるし
893 :
人間七七四年:2010/10/26(火) 12:58:13 ID:avrh3Lnc
894 :
人間七七四年:2010/10/29(金) 03:19:55 ID:kt5loJl0
↑ああこいつのことね
確かに屑だなw
895 :
人間七七四年:2010/11/04(木) 20:23:31 ID:NN8K23E+
896 :
人間七七四年:2010/11/05(金) 00:39:01 ID:k95o1/A/
実際読んでみればあちこちで戦ってるしな。
897 :
人間七七四年:2010/11/05(金) 07:55:07 ID:CXDl6KkK
>>881 青山宗勝(長秀死後は秀吉に仕官、関ヶ原で西軍に属して没落)
上田重安(へうげものに出てくる)
太田牛一(本能寺の変後仕官)
建部秀栄(旧六角家臣。長秀死後は秀吉に仕えて若狭小浜・摂津尼崎などの郡代を歴任)
大島光義(弓の名手。美濃斉藤→信長と仕え、本能寺後は丹羽家に仕える。長秀死後は秀吉家臣)
太田一吉(長秀死後は秀吉に仕えて豊後臼杵6万5000石。)
戸田勝成(長秀死後は秀吉に属す。関ヶ原で大谷吉継隊に属し奮戦するも戦死)
長束正家(豊臣五奉行の1人。長秀死後は秀吉の直臣)
溝口定勝(丹羽家中では古参。はじめ信長の直臣として取り立てられ本能寺後に丹羽家へ戻る。後、秀吉に鞍替え)
山内康豊(山内一豊の実弟。織田信安→浪人→織田信忠→丹羽長秀→山内氏。)
奥山重定(桶狭間緒戦で戦死した佐久間盛重の子とされる。佐久間一族。)
などなど。他にもたくさんいるけど
ほとんどが長秀死後の内紛・減封で丹羽家を出奔し、秀吉の家臣となっている。
898 :
人間七七四年:2010/11/05(金) 07:56:00 ID:CXDl6KkK
899 :
人間七七四年:2010/11/08(月) 22:36:39 ID:KRBKIbAI
120万石ぐらいの割りにはパッとしない家臣団
900 :
人間七七四年:2010/11/09(火) 11:09:33 ID://K73v04
信長から見りゃ陪臣みたいなもんだし
こんなもんでしょ
901 :
人間七七四年:2010/11/09(火) 17:34:27 ID:RQkbFyQW
前田利家の家臣団の名前並べても同じようなもんだと思うよ
むしろ前田の方が層が薄いか
902 :
人間七七四年:2010/11/10(水) 13:56:26 ID:GWBLxCYU
この家臣団を統制できなくて秀吉に領地減らされたんだろ?
関ヶ原のときもなぜか西軍についたり
イマイチな感じ
903 :
人間七七四年:2010/11/10(水) 19:16:43 ID:3yTtYMiJ
>>902 長秀の死後を狙って、ほとんど秀吉の言い掛かりで領地や家臣を召し上げられたんだけどね。
関ヶ原で西軍に付いたのも、別に秀吉に恩義があったからじゃなく
隣国の東軍についた前田との軋轢から、行きがかり上、西軍となっただけだし。
904 :
人間七七四年:2010/12/30(木) 12:27:58 ID:av9nQnFD
小説を中古で買って読み始めた。
905 :
人間七七四年:2010/12/30(木) 18:33:39 ID:19NAHQeH
長重も結構苦労してるよな
906 :
人間七七四年:2011/02/02(水) 22:58:54 ID:fexeiq43
保守
907 :
人間七七四年:2011/02/12(土) 10:18:19 ID:ckGHMDhP
人物業書みたいな研究本とかないのかね?
908 :
人間七七四年:2011/02/18(金) 00:29:42 ID:R8DCqenZ
前田も利家が早死にしてたら禄高一割ぐらいにまで減らされとるかも
909 :
人間七七四年:2011/02/18(金) 00:37:11 ID:4EBgD3Jk
丹羽とか滝川とか小牧長久手あたりに死んだ織田家功労者は秀吉に冷遇されてるな
910 :
人間七七四年:2011/02/20(日) 01:50:47.34 ID:e5Lmsjvv
おまえら戦國ストレイズって漫画を読んでみろ。
丹羽長秀が超かわいいから。。。
911 :
人間七七四年:2011/02/20(日) 10:13:46.22 ID:HEh5PRAH
小牧の戦で配下の全軍を投入していたらどうなっただろうなあ
家康敗北、長生きしたら五大老筆頭
律儀な丹羽内府と呼ばれ…
912 :
人間七七四年:2011/02/20(日) 11:18:57.03 ID:F7azcbze
>>910 あれは俺も驚いたw
丹羽さんかなり出てるから嬉しいけどな
913 :
人間七七四年:2011/02/20(日) 19:31:05.86 ID:e5Lmsjvv
>>912 丹羽長秀に萌えれる時代がくるとはな。
長生きしてみるものだ。
914 :
人間七七四年:2011/02/20(日) 23:40:01.13 ID:Uk9/cDyX
なんか丹羽さんっていうとあのスレ思い出すな
915 :
人間七七四年:2011/02/22(火) 19:22:38.02 ID:lkwC0EU1
子孫は陸奥二本松の準国主大名
916 :
人間七七四年:2011/02/22(火) 19:38:55.95 ID:8t5NSVaZ
長秀って領民らにはどう思われてたのかね?
917 :
人間七七四年:2011/02/23(水) 06:21:37.57 ID:CR/nE1mo
特に聞かないな
918 :
916:2011/03/04(金) 00:16:40.17 ID:uk6ZbdxQ
本当に何も無いのかw
流石は丹羽さんというべきか
919 :
人間七七四年:2011/03/04(金) 09:11:39.74 ID:4ZWqzVIq
空気みたいな領主だったのかなw
920 :
人間七七四年:2011/03/04(金) 19:53:30.17 ID:uk6ZbdxQ
空気かかわいそすぎるw
921 :
人間七七四年:2011/03/16(水) 11:50:10.36 ID:L/bX2dGp
五郎左「米だっつってんだろ」
領民「わしらぁ米なんて贅沢なモンとは普段縁がないんで」
922 :
人間七七四年:2011/04/25(月) 00:36:01.56 ID:zhL3uj2R
愛知で丹羽って人が当選したね
丹羽長秀の生まれ変わりに違いない
923 :
人間七七四年:2011/04/25(月) 00:53:03.23 ID:nboThkJo
違うよ
なんてね
924 :
人間七七四年:2011/04/25(月) 00:54:24.02 ID:tYpyMkn6
そこで一色の丹羽でしたというオチ
925 :
人間七七四年:2011/07/25(月) 00:34:15.08 ID:BMs+0I8N
兄と弟が居たらしいがどんな人だったのか。
926 :
人間七七四年:2011/07/29(金) 01:27:48.83 ID:kOaw8BG2
>>916 嫌われていたよ。
武田元明やら京極高次に反乱されてる。
927 :
人間七七四年:2011/07/29(金) 01:48:53.00 ID:uTik07+G
つーか織田政権は超重税だったからどこでも嫌われてた。
928 :
人間七七四年:2011/07/29(金) 02:25:16.45 ID:cyHr1YqD
丹羽には二羽鶏がいる
929 :
人間七七四年:2011/07/29(金) 07:58:51.66 ID:TuDaoMTU
いや、居ない
930 :
人間七七四年:2011/07/29(金) 13:56:21.11 ID:xGEZpEEC
にわにわにわにわにわにわとりがいる
931 :
人間七七四年:2011/07/29(金) 14:54:40.38 ID:kOaw8BG2
ほとんど領地に居なかったらしい。
932 :
人間七七四年:2011/07/29(金) 19:33:27.90 ID:VgojjtwQ
庭には二羽長秀がいる
933 :
人間七七四年:2011/07/30(土) 03:15:26.68 ID:e3xMQ/Pe
政治経済や土木建築とかすっごく大事だけど、戦国時代ではやはり命を掛けて戦う仕事が
一番大きな褒美がもらえるようになってるよね まあたしかに命の危険がない仕事で
大きな所領がもらえるなら、誰も命を捨てて戦うやつがいなくなる・・・
934 :
人間七七四年:2011/07/30(土) 03:23:05.05 ID:RGgnt6yn
本来、光秀のような輩から信長を守る仕事をしていたのかも。
あと信長の戦闘スタイルは、各方面で守備をさせて、本隊で順次止めを刺すイメージ。
方面軍なんて壁にすぎなく、信忠や丹羽こそ華だったのかも。
935 :
人間七七四年:2011/07/30(土) 15:23:07.45 ID:blbnFcjV
と言うかスウィング戦略ってイメージ
方面軍を各戦線に貼りつけてあるけど抽出できる分を集めて
信忠たちの中央軍と合わせて戦争
936 :
人間七七四年:2011/07/31(日) 19:12:11.74 ID:SJiYqzQu
丹羽家って織田家臣の中では秀吉の天下取りに一番貢献したと思うけど
長秀死後の丹羽家に対する秀吉の仕打ちは酷くないか?
ある程度の減封は致し方ないけど難癖つけて極端に減らし過ぎだし、家臣は引っこ抜くわ。
同様に貢献した池田家は恒興が亡くなっても息子の輝政は厚遇されている。
何が違うんだろう?
937 :
人間七七四年:2011/07/31(日) 21:32:39.85 ID:ex+wX3yO
恒興親子が死ぬとき森勝蔵もいっしょに道連れにしてくれたからじゃない?
938 :
人間七七四年:2011/07/31(日) 21:53:05.05 ID:27QM8Dgn
>>936 輝政も父と兄の戦死の後は所領を大方没収されて13万石だぞ?丹羽長重の15万石と変わらん。
939 :
人間七七四年:2011/07/31(日) 22:16:57.63 ID:2wMzceCU
長秀の正妻(信長の姪)って、全くエピソードが出てこないな。
940 :
人間七七四年:2011/07/31(日) 22:38:45.55 ID:SJiYqzQu
941 :
人間七七四年:2011/07/31(日) 22:55:07.65 ID:bFZfJwoE
若輩者に大領を与えないってのは長尾上杉の半分没収とか制度としてあるところもある
秀吉との違いはそれを大規模にやれる権力があったということと
秀吉は親族でも簡単に領地没収して後で返すとか普通にやるし
武士の領地に対する執着心を軽く考えているように思える、
あるいは豊臣の分裂の一因のかなとも
942 :
人間七七四年:2011/08/01(月) 17:26:14.28 ID:W16N0oQ/
でも長重は秀吉を恨むよりも前田家に敵愾心を燃やして
関ヶ原の時には前田利長と戦ってしまうというのがお茶目な所
943 :
人間七七四年:2011/08/02(火) 02:04:27.91 ID:8xj+SCvV
すんごいライバル心だよな
同じ北陸で、信長公側近の跡継ぎで、信長公の娘を嫁にしている・・・
たしかに共通点が多すぎる
944 :
人間七七四年:2011/08/02(火) 02:12:36.35 ID:lr5r6NgA
関ヶ原の丹羽長重が前田と戦ったって、額面通りに受け取るのはどうも…。
前田と同調していた感じがプンプンするのだが、
945 :
人間七七四年:2011/08/02(火) 02:21:14.91 ID:8xj+SCvV
ん?北陸での戦いの話ですな 浅井畷の戦いが有名で、前田利長は丹羽軍に大損害を受けてますな
946 :
人間七七四年:2011/08/02(火) 02:26:39.20 ID:HmrB7HgA
殿の長連竜の部隊30人ぐらいしか死んでないぞ、あれ。とんだ茶番。
947 :
人間七七四年:2011/08/02(火) 02:27:56.24 ID:8xj+SCvV
なんと ヤラセという説があるんですか 知らなかった・・・
948 :
人間七七四年:2011/08/02(火) 07:20:58.83 ID:mGIwCIpr
>>942 でも長重は前田から預かった後の利常となる犬千代を可愛がった
長重自身が幼い犬千代のために自ら梨をむいてやるエピソードとか有名じゃん
後に復権した長重と前田家当主になった利常の関係はすこぶる良好だったらしいけど
949 :
人間七七四年:2011/08/02(火) 07:53:54.53 ID:nkOgN8jh
自分の所にきた人質に優しくするのは基本じゃね?
もしその人質が本国を嗣ぐようなことになったら、外交上有利だし
人質だから冷遇されるってのは字面からくる思いこみだと思う
950 :
人間七七四年:2011/08/03(水) 01:23:05.48 ID:zGGyt4t2
前田と丹羽は江戸時代に同席させずという特例が出来るほど仲悪い
951 :
人間七七四年:2011/08/03(水) 01:30:50.73 ID:9SS54Q1l
関ヶ原の戦後処理で明暗別れたからな、あれ以降はずっと不仲だ
952 :
人間七七四年:2011/08/03(水) 02:48:52.11 ID:CDdx6qi+
四国の長宗我部元親を攻めるべく摂津に兵を集結させていた三七信孝、惟住長秀であるが、本能寺の変が起きると、兵は大半が逃げてしまい、惟住軍は流浪の兵団に過ぎなかった
953 :
人間七七四年:2011/08/03(水) 10:52:51.87 ID:RZ+TQGw5
ノブの若いころからの臣の中では池田何とかさんよりマシ
954 :
人間七七四年:2011/08/03(水) 22:00:09.52 ID:aYHNvArK
>>952 丹羽長秀の本能寺の変時の所領は若狭八万石、佐和山の一郡五万石
若狭の全てが長秀の所領というわけではないので総計十万石と見て動員兵力2500ぐらい
留守部隊を除くと2000ぐらい
信孝の所領は北伊勢二郡約五万石だと動員兵力は1250ぐらい
留守部隊除くと1000ぐらい
だから長秀、信孝合わせても専業武士は3000ぐらい
遠征軍の他の12000は15歳〜60歳の名主・農民の根こそぎ動員と牢人衆
遠征軍は四国にいる三好軍と合流して意味のあるデモンストレーション用の部隊が実態
しかも変後、信孝と不和だった信孝の寄騎国府市左衛門と井田新右衛門が
明智軍が襲ってくるとしきりに軍勢を扇動動揺させ自らも河内に兵を連れて逃げてしまったから
烏合の衆の遠征軍は簡単に瓦解した
955 :
人間七七四年:2011/08/03(水) 22:13:27.04 ID:aYHNvArK
付け加えると
よく信孝が長秀に語って信澄を討ったとする話が多いが
信孝の家臣に津田信兼という人物がいるが
信兼は信澄の実弟で
本能寺の変後の信澄を討つ場面でも信孝に近侍し
信孝が秀吉に対し反旗を翻したときも共に岐阜城に篭城し信孝と運命を共にした
もし信澄追討が信孝の発案なら実弟である信兼を討つか追放しただろうが
信孝はしなかったどころか最後まで近侍させた
これを見る限り信澄を討つように発案したのは長秀でではないかと推測できるのでは?
956 :
人間七七四年:2011/08/03(水) 23:18:08.93 ID:py58YOkU
>>954 前から疑問なんだが、その寄せ集めの四国遠征軍+三好勢で
長宗我部相手に戦えたんだろうか?
信長からのさらなる援軍なしには、成功しそうにないみたいだけど。
957 :
人間七七四年:2011/08/04(木) 01:09:15.97 ID:jq0M4j53
>>956 占領軍はどこもそうだけど長宗我部が阿波取ったといっても無理やり抑えてるだけだから
織田軍が来たら解放軍よろしく表面上従ってる地元領主達が寝返るように三好が先乗りしていろいろ根回ししてた
あと、変が起こる前までは織田軍は勝ち組だから寄せ集めの浪人衆も手柄立てたら取立てとか期待できるから頑張るだろうし
特に信孝は四国攻めが成功したら大幅加増確定だろうから人手不足になるのは火を見るよりも明らかだからね
958 :
人間七七四年:2011/08/04(木) 02:20:24.24 ID:FKuFDjkf
>>955 信澄と信兼の仲が悪い可能性もあるのでは。
あと信澄の所領が信兼のものになるとか。
でもそこは本当に疑問だよね。
その後、池田恒興も丹羽長秀も三法師派になっているし。蜂屋も?
何かあったんだろうね。
959 :
人間七七四年:2011/08/04(木) 07:55:38.50 ID:iR8BquRI
>>958 本能寺の変の報がもたらされたとき
信孝は蜂屋に呼ばれて朝メシ食ってたとこ
信孝は直ぐに自軍の掌握と長秀との合流目指し動いたと思うが
その後の蜂屋の動向不明
なぜなら蜂屋が城主の岸和田は織田信張が掌握し
長宗我部に送りまれた反織田派の土橋一族により
雑賀庄から駆逐された親織田派で水軍衆として遠征軍に参加しようとしていた鈴木重秀を岸和田に迎入れてるから
摂津国主の池田恒興は遊軍的位置付けだから変がなかったならば
外様で寄騎の高山、中川ら率いて四国遠征軍の後詰めに行くような気がする
960 :
人間七七四年:2011/08/04(木) 19:40:44.77 ID:1YYSYTbN
>>954 >丹羽長秀の本能寺の変時の所領は若狭八万石、佐和山の一郡五万石若狭の全てが長秀の所領というわけではないので総計十万石と見て
ということ自体が証明されていないのに、さも事実のように語られても・・・
961 :
人間七七四年:2011/08/04(木) 20:02:49.96 ID:iR8BquRI
>>956 書き忘れたが
名主・農民や牢人衆以外に信長の命により山城国の国人木津甚五郎、庄村久三が信孝に従い四国に出陣する予定だった
また四国遠征軍とは別に信長が淡路まで出陣する予定で
事前に牢人衆を集め淡路を平定するよう矢部家定に命じている
962 :
人間七七四年:2011/08/06(土) 08:01:20.03 ID:ZLx+b021
庭には二羽長秀がいる
963 :
人間七七四年:2011/08/06(土) 22:40:59.51 ID:mW5r8/lQ
明智スレでは丹羽と明智は同格という結論がでそう。
964 :
人間七七四年:2011/08/06(土) 22:52:46.04 ID:nnxk/gJA
そんなどうでもいいことを言われても
965 :
人間七七四年:2011/08/07(日) 13:33:41.81 ID:ft9rXAwM
吏僚としての能力は明智や秀吉より上だろう
京都の施政を共に担ったときも
明智や秀吉は共同署名の文書が多いが
長秀は二人より単独署名の文書が圧倒的に多い
奉行にも割りと任命されてるし
使い勝手がいいから安土、京、畿内に近い若狭に置いたのかも知れない
966 :
人間七七四年:2011/09/16(金) 08:14:16.16 ID:atFUnX96
この板を見てるとときどきスクリプトに遭遇する
967 :
人間七七四年:2011/09/22(木) 01:10:02.06 ID:62vusP4z
丹羽さんはあれだけ信長に信頼されて恩を受けたのに秀吉の織田家簒奪
に手を貸してるんだよな。
丹羽さんだけでなく同様に幼馴染でまだ尾張統一から苦楽を共にした
前田利家や池田恒興もそうだけど。
信長は人の才能を見るのは抜群だったけど人を見る目は無かったのか。。。。
968 :
人間七七四年:2011/09/22(木) 02:19:53.33 ID:jYngVGSo
というより所詮信長あっての織田政権だったということでしょう
969 :
人間七七四年:2011/09/22(木) 03:03:32.09 ID:62vusP4z
まあそうだけどさ。
ただ織田家崩壊の呆気なさは信長に人望が無かったのかなとも思う。
970 :
人間七七四年:2011/09/22(木) 04:29:38.78 ID:3NNhbi2l
信長も信忠も死んだ状況で、織田家の為に100点満点の行動をしろというのは無理ゲーだと思う
何が100点なのかもハッキリしない
971 :
人間七七四年:2011/09/22(木) 21:19:41.00 ID:62vusP4z
100点満点でなくてもいいんだけどさ、佐々以外でもう少し織田家の為に
何かしらの行動をする人間がいなかったのかなあと思って。
972 :
人間七七四年:2011/09/22(木) 23:52:02.49 ID:3NNhbi2l
秀吉政権じゃ織田家はちゃんと残ってるのに何が不満なんだ?
信雄や信孝に嗣げってのは無理があるだろ
973 :
人間七七四年:2011/09/23(金) 00:09:15.56 ID:ZAxMlNoT
いや、だから織田家の為に何かしらの行動をする家臣はいなかったのかよ
という疑問だよ。佐々位だろう、織田家簒奪時に秀吉に対抗したのは。
しかも信孝切腹、信雄と信包改易時も旧家臣スルー。
織田家って他の武家よりも家臣の主家に対する忠誠心が薄い印象。
だから信長は人望無かったんだろうなあと思った。
正直柴田勝家は織田家の為というより単なる秀吉との主導権争いに敗れた
印象。秀吉と戦ったから忠臣に見えるけどね。
974 :
人間七七四年:2011/09/23(金) 01:30:55.47 ID:56zA0etw
秀信を支えた連中は織田家のために頑張ったじゃんよ
そういうのガン無視で佐々以外いないとか言われても
975 :
人間七七四年:2011/09/23(金) 01:49:03.48 ID:E3rQswTF
信孝は生前の格からして大名になれたのすら御の字なのに
バカやって切腹しただけだろ。アレを守るのが織田家の為に繋がるとか到底思えない
織田の家を信孝に簒奪させるならそれでいいだろうけど。そりゃ不忠な行為じゃねーか
976 :
人間七七四年:2011/09/23(金) 14:41:25.55 ID:91tojxSq
忠臣は佐々だけとか前田玄以まじ涙目w
977 :
人間七七四年:2011/09/23(金) 21:32:42.60 ID:kfsFLG3z
社長が変わろうが社名が変わろうが株式会社織田を残そうと必死だったんだよ
職場無くなったら困るだろ。
978 :
人間七七四年:2011/09/24(土) 03:48:38.35 ID:bsrabYbw
なまじ織田秀信の前例があったから
加藤清正とかは豊臣家を徳川家の中でソフトランディングさせようと思ったわけだしな
979 :
人間七七四年:2011/09/24(土) 11:47:38.21 ID:/rLuv8DD
>>976 なんで前田玄以が涙目?彼は何かしたっけ?
980 :
人間七七四年:2011/09/25(日) 12:15:39.33 ID:qapORlPu
調べる気もなくいきなり聞くとか前田玄以まじ涙目w
981 :
人間七七四年:2011/09/25(日) 18:54:53.13 ID:pdH+nfwZ
>>979 本能寺の変が起きた京都から三法師を無事に脱出させているんだが、徳善院マジ泣き。
982 :
人間七七四年:2011/09/25(日) 21:56:53.83 ID:czOv7bqM
それだけ?それにそれって本能寺の変の時でしょう?
秀吉の野心があらわになった時期ではないわな。
983 :
人間七七四年:2011/09/26(月) 02:17:27.79 ID:Rs4V/lqZ
だから?
984 :
人間七七四年:2011/09/26(月) 13:28:16.65 ID:EszYxn6N
>>975 何か勘違いしているようだが、賤ヶ岳の段階で織田家家督として三法師を擁しているのは
織田信孝・柴田勝家。秀吉、丹羽長秀、池田輝政は談合して、三法師の家督を廃し
あらたに織田信雄を織田家家督とした。
清洲体制を自分たちの利益のため一方的にぶち壊したのが秀吉や長秀だ。
985 :
人間七七四年:
まあ長秀は良い意味でも悪い意味でもサラリーマンタイプの人なんでしょう。
長秀はその後亡くなって丹波家はいじめの如くの仕打ちを受け領地は減らされる
は家臣は引き抜かれるわしてるからまあ報いは受けてる。