【名門】戦国今川氏を語る【花倉の乱】

このエントリーをはてなブックマークに追加
637人間七七四年:2011/09/25(日) 08:52:28.32 ID:V+aJjgEz
寿桂尼は次男に調停か説得に行ったが、
失敗して抑留されたっての真相だろう。
638人間七七四年:2011/09/27(火) 08:43:18.53 ID:WBab53gt
庵原氏の家紋って何?
「舞鶴に巴、または三つ引両紋」って書いてる所あるけど典拠はどこなの?
639人間七七四年:2011/10/04(火) 08:44:41.26 ID:qDtzv1tZ
今川義元は かなり剣の腕の立つ人であった様です。
その嫡男の今川氏真は 父親以上に運動神経が良く 剣の腕前は父以上であったよ様です。
この為 己の武勇に自信を持ち 武を以って支配しようとする傾向があり
その事を今川義元は 懸念していた様です。
氏真は 武勇においてはむしろ武田家の気風に近く 母方の気質を受け継いだのではないでしょうか。
今川氏真は凝り性で 蹴鞠等と共に剣術にも執着し それが高じて塚原卜伝に弟子入りしています。
今川義元も塚原卜伝と面識があり 剣術の心得について学んだ事がある様ですが 氏真程に没頭する事はありませんでした。
結局 氏真は武を以って配下の国人領主を押さえつけ様とした為 次々と離反し勢力を弱めていったのだと思います。
知恵や策略をも以って人心を掌握する今川義元程の政治手腕 万人を惹きつける今川義元程の魅力は持っていなかったよ様です。
戦国時代個人的な戦闘力 即ち武芸に優れ武芸に頼る人達は 信濃守護の小笠原氏をはじめとして
勢力を拡大する事が出来ず 没落していった様です。
640人間七七四年:2011/10/04(火) 10:18:23.08 ID:p3tuVgTv
寿桂尼お婆ちゃんがしっかりしてれば・・・
641人間七七四年:2011/10/06(木) 19:49:11.79 ID:ByiHl5hu
>>640
でも、武田・徳川が侵攻したのは彼女が死んで半年後だし、一応、影響力はあったんじゃないかな。

>>639
うーん、今川親子だけではなく足利義輝、北畠具教、朝倉義景もそうだが、
そういう当時の剣術家にとって有名人に剣術を教えたというのは非常に宣伝になったんだよね。
だから、優先して剣術教えたり免許皆伝したりした。
現代でいう健康グッズとか健康食品の広告の「私も使ってます」とかいって
有名人のコメント載せるのと同じなんじゃないの?

もしも、彼ら有名人が地位も名誉もないただの男だったら、
塚原卜伝も剣術教えたり免許皆伝したりしたか疑問。
642人間七七四年:2011/10/18(火) 17:19:22.53 ID:+0oSAbNv
富樫倫太郎著  信玄の軍配者 謙信の軍配者を読んだが
義元が馬鹿殿扱いなのが気に入らない
ほんとにそうなら雪斎死亡後武田が黙っちゃいないと思うが
姫の戦国の後に読んだから余計にそう感じるのかも

>>641
姫の戦国では寿桂尼をはばかって
彼女の生前には手をださなかったということになっている
643人間七七四年:2011/10/18(火) 21:21:41.94 ID:B8AZOTq4
晩年は寿桂尼もボケちゃったのか、余計な粛清をして敵を増やしたイメージがある。
644人間七七四年:2011/10/18(火) 22:56:21.48 ID:hoy5A7Nh
>>641
氏真は戦とか家臣の粛清で結構斬ってるから個人的には弱いイメージはないわ

>>642
宮城谷昌光の三河物語も義元を大名っていうより文化人の面を強調してた気が
戦争自体は雪斎がやってることも多かったから仕方ないかもしれないが
定着しちゃったイメージって簡単には払拭できないよね
その点で風林火山とか桶狭間戦記は新しい義元像が描かれて良かったと思う
勿論それが真実とは思わないが今までのイメージが悪すぎなのが多かったから

義元死後の寿桂尼の影響力って実際の所どれだけあったか資料がないからわかんないよね
645人間七七四年:2011/11/09(水) 22:25:05.25 ID:TE2ZK6at
先月の臨済寺の一般公開に行った人いない?
正恵院の位牌に別人の名前を書いた説明書き貼ってあったり
義元の位牌は隅に無造作に置かれていたと思うんだが・・・
俺の知識不足か、はたまた寺の勉強不足か?
646人間七七四年:2011/11/21(月) 02:21:54.08 ID:GtvTFvH9
今川氏豊って北条一族なの?
647人間七七四年:2011/11/21(月) 03:55:39.46 ID:rQ65mqGu
>>646
「太平記」-「灘太平記」-「勝田氏物語」-「掛川誌稿」-「静岡県史資料編」とか
相模→駿河→三河→尾張のラインで順に辿ってみると尾張今川氏自体は
名越流北条氏だろうけど竹王丸は今川氏からの養子じゃね?

小夜中山合戦で今川頼国が3万の軍勢を率いた敵軍大将の名越式部大輔高邦(名越高邦)を討つ
高邦は名越高家の長男で頼国の従兄弟でもあり頼国は、名越高邦の武勇を称えて手厚く葬る
「勝田氏物語」 (今でも掛川市にその高邦を葬った鎧塚がある)

その後、名越高家の次男で高邦の弟高範を名児耶(那古屋)氏に改姓させ
今川氏として引き取るも今川頼国も戦死。 「灘太平記」

名児耶高範の子、名児耶三郎は足利(斯波)尾張守家氏の正室が直系の名越朝時の娘で
斯波家と名越家は親しい間柄で名児耶三郎は那古野荘の守護を任され
将軍家奉公衆一番衆へ、名児耶氏から那古屋氏に改姓、尾張今川(那古屋)氏を名乗る。

那古屋三郎の後当主は今川下野入道、今川兵部大輔、今川大夫判官と記録がある。
「文安年中御番帳」「永享以来御番帳」「東山殿時代大名外様附」

その後今川義忠の家臣那古屋蔵人高信(名越高範の玄孫)が那古屋当主なり竹王丸(氏豊)を養子に迎える。

"織田信秀"に那古屋城乗っ取られ、氏豊は女系の親族を頼って京へ亡命。
城内に取り残された家臣達は蔵人の実子"那古屋隼人"の交渉の末
"那古屋蔵人"の娘を信秀の室に入れ、城を明け渡す事を条件に
古橋七郎右衛門重次・中村弥右衛門元親・大屋右京亮穐重・中野又左衛門重次、
大穐十郎左衛門・山田兵庫助信益・戸部新左衛門・城戸内蔵助 以下二番衆などの家臣が助命。
「塩尻」「尾張人物志略」

那古屋家は隼人の嫡男"那古屋因幡守敦順"が継ぎ、氏豊の家系も京で生き伸びて
氏豊の実孫"今川氏秋"は信長の小姓として本能寺の変で戦って亡くなった。 「塩尻」
648人間七七四年:2011/11/21(月) 04:35:52.00 ID:rQ65mqGu
江戸時代旗本になった岩佐氏(元名児耶氏)もこの当時の名越氏の縁戚
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E4%BD%90%E6%B0%8F
>かつての主君である高家今川氏家中にも名児耶氏がおり、これと通婚関係があった
649人間七七四年:2011/11/23(水) 17:21:16.69 ID:zEkfQJ9a
今川貞世が足利氏や今川氏の記述内に
今川流那古野氏の記録残してくれてるから親子関係や家は辿れるらしいね

氏豊「女方の縁を便にし京へ上られける」って駿河じゃなくて京に
逃亡したのが今川氏親の子じゃない説の一つなってるんだっけ?
650人間七七四年:2011/11/26(土) 01:59:34.06 ID:0CRvChRG
今川氏親
651人間七七四年:2011/11/26(土) 11:42:18.37 ID:vtHvU6TG
「氏親」という名前を見て思ったが今川氏って案外通字しっかりしてないな
652人間七七四年:2011/11/28(月) 01:18:30.21 ID:3VSCpikq
「範」系 範国 範忠 範氏
「忠」系 義忠 範忠
「氏」系 国氏 基氏 範氏

おおまかにこんな感じけ?
653人間七七四年:2011/11/28(月) 02:32:04.60 ID:0Fc9KTxo
>>652
かなあ

義元は何故義氏とか義範と名乗らなかったのか
654人間七七四年:2011/11/28(月) 13:36:39.81 ID:3OrtQZit
氏親の氏は、堀越公方足利政知が関東に入ってから名乗った「氏満」の氏だとか。
堀越府との強いつながりを表明したものだろう。

>>653
義元は義元の名乗りの前に「氏元」と名乗っていたという説がある。
655人間七七四年:2011/12/11(日) 14:52:27.64 ID:IcPJHtAY
将軍の偏諱を貰ったのは義元だけなのか
656人間七七四年:2011/12/11(日) 21:24:01.65 ID:d5zFfg7X
言われてみれば氏輝まで編諱らしい偏諱は見ないな
657人間七七四年:2011/12/11(日) 21:45:44.48 ID:MtCDVXbZ
上杉や武田もだな
境界の大名はどちらかと濃くなるの嫌がった?
義元輝虎晴信
658人間七七四年:2011/12/11(日) 22:04:16.00 ID:2AkCNLlq
義晴、義輝
659人間七七四年:2011/12/12(月) 01:03:23.90 ID:WccinQ+F
義忠ががっつり将軍偏諱やがな。
660人間七七四年:2011/12/27(火) 02:14:13.51 ID:EGEO6zje
那児谷今川氏は名越北条氏末裔なの?肥前今川氏系の?鎌倉期分家なの?
661人間七七四年:2011/12/30(金) 01:09:46.85 ID:yhPDMGLl
義元はただただただただただただただただただただただただ不運だっただけで能力は歴史上最高だったってことでいいの?
662人間七七四年:2012/01/03(火) 09:44:22.82 ID:SGusIHMB
能力が最高ワロタ
663人間七七四年:2012/01/08(日) 01:53:47.46 ID:DYo/Koi2
今は違う地域に住んでいるんですけど、俺ん家んの家系図の始まりが、今川義元家臣駿河
国出身、氏真「黄母衣衆」ってなっているんですけど、今川家の「黄母衣衆」
ってどんな感じなんですか?
664人間七七四年:2012/01/09(月) 09:02:14.12 ID:PsW+U6LO
というと
黄色のホロをつけた伝令係
という以上のことが知りたいのですねもちろん

であれば
存じません
665人間七七四年:2012/01/09(月) 23:15:15.81 ID:+6w73CKQ
黄母衣衆といえば豊臣家のことだと思う。
ご先祖さんは青木一重のように、はじめ氏真に仕え、後に豊臣の家臣となって
黄母衣衆に選抜された。こんな感じだったんじゃないだろうか。
666人間七七四年:2012/01/11(水) 11:14:20.72 ID:IIMQaiRK
>>660
↑の方にあるのとたいして変わらんけど
那古野氏の初期を知りたいなら今川貞世の記録(灘太平記)がオススメ
中期を知りたいなら醍醐寺中興の祖で有名な満済の記録(法身院准后記)がオススメ

北条高家と今川国氏の娘の子から始まった家だから名越嫡流の流れを組む今川国氏の外孫の家
斯波の外戚だから今川家の尾張国領地拡大や斯波との兼ね合いに一役買ってる

久我畷の合戦で北条高家が戦死した後、中先代の乱で北条高家の長男
名越高邦が北条時行軍として従軍 今川頼国と対決した結果 名越高邦戦死
名越高邦の死を憐れんだ頼国が残された高邦の母(頼国の伯母)と弟高範(頼国の従弟)を引き取って
名越高範に起こさせたのが今川那古野氏と貞世の記録にある。

満済の記録なんか呼んでると駿河国と尾張国である程度距離が離れてるお陰かどうか判らないけど
歴代当主同士交流が盛んで仲が良いなぁって思うわ
667人間七七四年:2012/01/25(水) 10:12:58.78 ID:cGkmX1Ok
今川義元は今川家9代当主なのか11代当主なのかどっち?
ウィキには両方とも書いてあるし本もバラバラだし何で?
今川家11代当主で、駿河今川家9代当主とかなの?
668人間七七四年:2012/01/25(水) 16:34:29.62 ID:GvPk9EPE
>>667
そう。守護大名今川家当主としては今川範国から9代目
669人間七七四年:2012/02/15(水) 05:04:29.15 ID:V2VnNnyp
今川氏親と斯波義達の戦いは結構面白いと思うけど誰も取り上げてくれないのが悲しい。
670人間七七四年:2012/02/24(金) 17:44:40.23 ID:0fXjd1ox
元亀元年6月28日;織田信長感状、徳川殿。是より、家康の武名
いよいよ高く、今や世に海道一の弓取と、歌わる。姉川合戦での
大勝における徳川家康の抜群の武功を賞賛する。
高祖(劉邦)、張良、武門之棟梁など賞賛の言葉が並ぶ。
新井白石の『藩翰譜』に「海道第一と聞えさせ玉ひし弓取の、
御母にてましませば」と記述されている。
成島司直の『改正三河後風土記』に、「海道一の徳川殿」、
と記載されている。小牧・長久手戦役の項目で。
幕府編纂の東照宮御実紀(徳川実紀)巻三天正十二年の項で
「徳川を海道一の弓取とはいひしぞ」と記述されている、
豊臣秀吉との小牧・長久手戦役でのことである。秀吉の三河先入れ軍
が家康に大敗した報告を受けて、豊臣秀吉が「家康を名大将、
軍略妙謀まろの及ぶところにあらず」と言ったことになってる。
671人間七七四年:2012/03/02(金) 21:31:03.70 ID:Em6rm1qt
『今川時代とその文化』読んだことある人いますか?
内容とかどんな感じなのか知りたいです。
672人間七七四年:2012/03/28(水) 21:26:22.02 ID:dRi5qtSD
今川氏
673人間七七四年:2012/04/18(水) 21:56:09.57 ID:yy4aTklq
孔明先生
674人間七七四年:2012/04/29(日) 13:17:44.81 ID:RXWwJ76f
今川家
675人間七七四年:2012/04/29(日) 13:20:58.75 ID:RXWwJ76f
今川幕府
676人間七七四年:2012/05/02(水) 21:50:31.47 ID:vTar57cK
  !
  |
  .!
   |                _,,...,,,,,,,、,..,、_
   |            _,. ‐''´/;;;;;;;;;;;;;;;ミミミ~゙ミ==-=-‐-、.,_
    !          /   .i;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;) `-、;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;、`~゙`ーー--、,,_
    |        /   . , ,;!;;;;;;;;;;;;;;;;;人  ヾ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\       ̄`‐、,_
     !,      /    , ':',,:;;ヾミ;;;;;ド;';`´ヽ  ヾ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ         `ー、_
     ヽ ;ー-、,_ /   . ,        `゙:; ; ;:ヽ  ヾ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ           ヽ、
      ヽ!ミ;;;;;;;;く   :;;'           . . ;ヽ l;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;!            `ヽ
       ヾミ;;;;;;;;!ミ,.. . , ,             ヽ |;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;|              ゙ヽ
        ヾミ;;|' ;;, '  、;          . . , , V;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;|          .;    ヽ
、          {,;,;;    `  、   i'~`ミ‐、 , , , , !;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;|          ,;;     ヽ
ー-'(つ)`\     !' '         ヾミミ;;;;;!_ _ _ _ |;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;|          .;;;,     ヽ
  '\'^ 、 `ー-、_ i ,'    ,;‐-、_   ,.  `ー'´、、、、、 i;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;|       ;'   ;;;:,     .,; ヽ
          `'‐-、,_,.,ノ;;;ノ;;;! ,,.:;''     、、、 ノ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;|       !   ミ;;:,    ,: ! ,ヽ
              ``ー-、ノ        .i ,/;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;|    ..  l   ミミ;;:,   .,;;: | 、|
ミミヾミミ             ヽ   __,./)  ノ /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;!   、`  i   ミミ;;;::,   ,:;:: : l ト;;;|
 ```ー-=ミ_           `‐、_'ー-、ィ_,/イ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;|  、  /  ミミ:;;:,ミ、 ,:;;;,, . ,.,,;;;;::.!
      \`-ニミ;_         ~`<ニ-''´ |;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;| 、  /   ミミ、;;:,,ミミ;;;;;;;;i ,;;::;:;:;:;:!|
        `ヾ、  `゙`‐、、_            |;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;| 、 /  ミミゞ::::::;;;;;;;;;;;;i ,:::;:;:;:;:;i |
          `ヽ    ´``ー--==、_    |;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ミy'´  、ミミツ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;彡:::;;;;;;;::l |
           \、、          `‐-、,|;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ミ   ミシ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;l |
             ヾ、            ; |;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ミ   ミ”;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;!ノ
               `ミ_           |;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ト  、ミ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;レ
                ``-、.        |;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;Kヾ `;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;〈
                   `=ミ     l;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;/ `‐= ミ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;/ ヽ、
                     `;‐、   /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;/     ゙`‐、_;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ノ   `ミ=
                      !;;`ヽy';;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ノ         ``‐、;;;;;;;;;;;;;;/
                       |;;;;/;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;/             ``‐<_
                       `/;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;/ /⌒ヾ、              ̄``=-、_

677人間七七四年:2012/05/15(火) 01:11:46.83 ID:gsc4Hgcj
今川パンだ
678人間七七四年:2012/12/10(月) 01:03:36.65 ID:7j3LNdFo
河東の乱はどうみても北条氏綱が難癖つけて、
今川領を攻めているように見えるのになぜ北条厨は否定するのか?
679人間七七四年:2013/08/24(土) NY:AN:NY.AN ID:CzAivzM/
戦国時代だから攻められる方が悪い。

ってことでしょ。
680濱名正光:2013/08/25(日) NY:AN:NY.AN ID:3g6EJ26M
今川の戦国武将・源姓浜名氏は太田氏と同じ様に源頼政の子孫なんだが
浜名氏初代の浜名頼氏は伊豆韮山多田氏の支流なんだが
つまり系図的にはこういうことだろうか?

源三位頼政─源兼綱─源頼兼─多田頼貞─多田政国─多田政義─浜名頼氏─浜名清政
681人間七七四年:2014/09/08(月) 23:28:39.77 ID:lD1n2r46
彦五郎は氏輝の息子
682二俣城:2014/09/19(金) 10:50:48.44 ID:c2u3CixM
二俣城跡の曲輪に石垣 21日に現地説明会
市が調査で新たに確認した石垣=浜松市天竜区二俣町で

 浜松市は十八日、戦国時代に築かれた二俣城跡(浜松市天竜区二俣町)西側の曲輪(くるわ)群に、
石垣が使われていたことが分かったと発表した。文化財課によると、
当時の曲輪は土壁で囲むのが主流で石垣は珍しい。
二俣川や天竜川を行き交う舟からよく見える場所に、権勢の象徴として築いた可能性があるという。
二十一日に現地で説明会がある。

 曲輪は壁に囲まれた兵の待機所で、確認した石垣は高さ六メートル、長さ十三メートル。
石は地元産の緑色片岩や石灰岩とみられる。

 市が昨年、五百メートルほど離れた鳥羽山城(同)を調べた際、川からよく見える本丸周りに
百七十メートルにわたり石垣を設けていたことが判明し、
二俣城跡でもあらためて今月三日から調べていた。

 豊臣秀吉は一五九〇年、徳川家康を関東に移封するとともに、浜松城主に重臣堀尾吉晴を任命。
吉晴の弟宗光を二俣、鳥羽山の両城主にした。宗光は十年ほど住んだ。

 市文化財課の担当者は「石垣は、堀尾一族が城を大改修した際、経済の要衝であった
二俣の領民を心服させることを意識して、石垣を築いた可能性がある」としている。

 説明会は申し込み不要で、二十一日午前十時と、午後一時半から現地で。小雨決行。
       中日新聞
683人間七七四年:2014/09/20(土) 22:30:28.68 ID:+4D5MAaq
>>678
伊勢氏(北条)を芽のうちに潰して伊豆、相模を攻める選択肢は無理だったのかね?
684人間七七四年:2014/10/13(月) 16:10:23.24 ID:Fsr7slq2
今川のよっちゃんは内気な子♪
腕白大将に負けちゃった♪
685人間七七四年:2014/11/13(木) 00:16:45.14 ID:BePk11Uq
安祥城から桶狭間までの間って義元は戦してたの?
686人間七七四年
戎光祥出版から「駿河今川氏十代」って本が出たみたいだけど、
出来はどんな感じ?