戦国時代の浪人の暮らし方について

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1名無しさん@お腹いっぱい。
戦国時代の浪人はどのようにして暮らしてたのだろうか。
結局はニートみたいなもんだったんのかな?
2名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 23:34:35 ID:5Dsqrb0s
( ´゚ω゚` )
3名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 23:44:31 ID:wtZV6XUC
つーか、ニートのように親のすねをかじる奴は、
浪人とはいわないのでは。。。

ニート=働かないで遊んでいる=うつけ?、かぶき者?、座敷わらし?
浪人=定職を求めてうろつく人=フリーター?、ハローワーカー?
4名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 23:51:45 ID:OgFgWV1y
金は大丈夫だったのか気になる。
主君滅亡後に裸一貫で家を失い浪人になるとした場合で考えると。
5名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 01:07:12 ID:tlcQQ8jr
特殊な技術を持ってれば転職もできそう
6名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 01:10:00 ID:VgG66lfC
長宗我部盛親は改易後京で子供に学問を教えてたというから、
きちんと教養があればそこそこ喰えたんじゃないか
7名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 01:22:05 ID:2ixPqi9v
でも、それは東証一部上場の社長が場末の塾講師になるってことで、喰えると暮らすは別物じゃないかな。それに最後にはあんなに旧臣が集まったのは有形無形の援助があったことも充分に考えられ
8名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 02:01:40 ID:6KujbB04
佐久間の信盛ちゃんの例とかも見ると、それなりの身分の者が浪人で暮らしていくには
やっぱり援助が必要だったんだと思うね。

郎党も何もいない独り身なら何とでもなるだろうけど
9名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/18(月) 20:18:40 ID:WTBaTt4y
戦国時代になると、全国の戦国大名たちが大量の戦闘要員を必要としており、例え主家が滅びて浪人になっても再仕官する機会は多くあった。
また、後の江戸時代と違って主従関係がルーズで、待遇に不満があれば主君を見限って自ら致仕して浪人になり、実力次第でよりよい待遇を求めて別の大名家に仕官する者たちもいた。
この時代は、浪人になって幾つもの大名家を渡り歩く武士が多く、中には大名にまで出世する者もいた。
藤堂高虎はその生涯に10の主家に仕えている。また、この時代は身分が未分化で武士から商人、農民になることも、その逆も容易だった。
10名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/18(月) 21:06:50 ID:OB/EbWio
明智光秀や真田幸隆、前田利家なんかも浪人生活送ってるな。
生活レベルは人それぞれだが、コネや情報、大義名分目当ての他、
戦があれば純粋に戦闘要員として(引き篭もりたくても)狩り出されるんだし、
就職先と死場にはなんら困らないだろう。
11名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/18(月) 21:58:13 ID:uA/OqNdC
仕官する際に面接みたいなものはあったのですか?
12名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/18(月) 22:08:36 ID:o1PceOsb
時期によるが、戦国期、関ケ原後など結構仕官者を募って面接やらしていた大名家はあるよ。

加藤清正が熊本とかで面接やったりしたのは結構有名じゃね?
13人間七七四年:2007/02/17(土) 19:09:18 ID:tz9k1+kv
光秀は長い間浪人してたらしいが
14人間七七四年:2007/02/17(土) 19:17:07 ID:apm1EAbd
細川藤孝は寺に忍び込んで、油を失敬してたw

>>13
嫁さんが髪の毛を売ってお金に……の逸話は創作でも泣ける。
15人間七七四年:2007/02/17(土) 19:40:03 ID:Q3+jyk6t
>>12
その頃、柳川を没収されて加藤家に居候していた立花宗茂が面接官をした事もあったとかなかったとか。
16人間七七四年:2007/03/03(土) 09:38:55 ID:c5Ubg8a3
寺の食客が多い。つまり寺の用心棒。
17人間七七四年:2007/03/03(土) 09:58:05 ID:dOiZ/H1E
>>5
戦国時代じゃないが米沢蕃出身のうちの先祖は侍やめて
鍛冶屋に転職したらしい。
18仙台藩百姓:2007/03/03(土) 12:30:39 ID:PnfWPuYa
お構いありになると悲惨だお
物乞いでもするしかない
野垂れ死にした話しもあるしね
19人間七七四年:2007/03/03(土) 14:32:29 ID:lAGuU3qD
関が原で改易された大名は。。

自力で稼ぐ
チョン宗我部盛親 京都相国寺ちかくで寺子屋経営
真田       紐工場経営

ニート
立花宗茂    家臣がバイト、雲水、物乞い 
毛利勝信・勝永 旧知の山内に預けられ千石与えれ悠々自適
宇喜多秀家   八丈島で妻の実家の前田家から仕送り  
20仙台藩土百姓:2007/03/03(土) 15:44:50 ID:PnfWPuYa
その連中は浪人というより罪人だお( ^ω^)
21人間七七四年:2007/03/07(水) 06:47:45 ID:tsp9sD7F
感状は履歴書の職歴のようなものだったらしい
22人間七七四年:2007/03/07(水) 16:13:38 ID:DqL8M46w
なんか立花宗茂は浪人のようで浪人じゃないようなきがするべ。
家臣が食い扶持探すんだからおもしろいね
23人間七七四年:2007/03/09(金) 09:05:53 ID:EYVrwtq/
>>22
殿様に職探しは無理じゃね?
頭を下げる生活とかしたこと無さそうだし。
24人間七七四年:2007/03/09(金) 23:27:47 ID:Bj0ea6Wb
伊東家の息子さんは酒造りやってたんだっけ。
25人間七七四年:2007/03/10(土) 13:43:08 ID:YF0IORck
旧大名が仕官口探しw
誰が雇うことやら。
せいぜい客将扱いかな?前田家の高山右近みたいに
26人間七七四年:2007/03/10(土) 15:24:16 ID:k77wnr0y
牢人
27人間七七四年:2007/03/10(土) 15:42:38 ID:DIYd5Dlx
斎藤龍興は雑兵として姉川で朝倉方で戦死したとか。
28人間七七四年:2007/03/10(土) 15:52:31 ID:cVhxCG4T
>>27
姉川ではなく刀根坂。事実上越前朝倉家最後の戦いだったりする。

龍興って、信長-義昭上洛後の三好三人衆による本圀寺襲撃にも加わっていたりするんだよなw
29人間七七四年:2007/03/10(土) 16:07:21 ID:/S88L11Q
>>28
龍興は、一貫して信長の対抗勢力に加わってるんだよな。
執念というか何というか…美濃失陥後の龍興の足跡を描いたら、かなり面白そう。
大河とかマンガとか小説とかでそういう作品ってないかな。
30人間七七四年:2007/03/10(土) 21:28:26 ID:64vtHqQ+
>>29
つセンゴク
31人間七七四年:2007/03/11(日) 11:25:25 ID:o6OR0BkK
ニートは住む家とメシがあるが住所不定でその日の晩飯も
ありつけるかどうかわからなかったんだろう
だいたい借家なんてこの時代にあったのかな?
32人間七七四年:2007/03/11(日) 18:20:26 ID:SL4LFISx
借家がないなら段ボールに住めばいい
33人間七七四年:2007/03/11(日) 22:01:15 ID:Y+btBiws
長宗我部盛親は不遇を耐え忍び
後に1000人を従えて大坂城に入場
藤堂高虎の軍に壊滅的な打撃を与えた

どうも真田ばかり目立つが
この人も凄いと思う

戦国時代がもう少し続いていれば 再起の可能性があった人だ
34人間七七四年:2007/03/19(月) 11:02:30 ID:Sr1mbqLu
戦国時代の浪人か・・・

予備校行ってたんじゃね?
35人間七七四年:2007/03/19(月) 13:26:14 ID:0mnmfcWF
浪人の食い扶持を得る方法
大きな合戦の際、臨時の兵士として雇われる。
そこそこ金はあるが、防衛力の担い手がいない商家や豪農、寺社等の用心棒として雇われる。
強盗をする。

こんな所か
36人間七七四年:2007/03/19(月) 13:58:58 ID:A6hneLrF
戦国時代の浪人ってのは、それなりの身分だった人にしか当てはまらない気がする。
江戸時代と違って専属武士が一杯いてたわけじゃないから
この時代の一匹狼はただの社会不適合者か逃亡者くらいだろう
主+郎党数名ってのが真の浪人で、一人でふらついてるのは単なる歌舞伎者で戦闘でも役に立たん
わ〜わ〜言って大勢が決するまでフラフラしてる賞金稼ぎ 
37人間七七四年:2007/03/19(月) 14:06:39 ID:0mnmfcWF
>>36
歴史をもっと学ぼうな
38人間七七四年:2007/03/19(月) 15:06:57 ID:NERKEDrQ
佐久間信盛
中野宗時

浪人になった後に飢死
生活は厳しいのだろうな
39人間七七四年:2007/03/19(月) 15:14:03 ID:VvCwEltF
>>28
龍興は稲葉山城が落城してから信長に追放されて朝倉を頼って
信長包囲網にも参加してけっこう抵抗した。
>>38
佐久間信盛は高野山で病没では?
40人間七七四年:2007/03/19(月) 21:18:49 ID:cT4Oras0
慶長14年、関ヶ原の勝者家康は天下統一の仕上げとして豊臣に戦を仕掛ける
太閤秀吉がその力を全て込めた居城大坂城
そこにはかっての栄光を取り戻すため、豊臣のため多くの浪人、武将が集まっていた
かっては土佐22万石の主 長曾我部盛親
秀忠3万を足止めした昌幸の子 真田信繁
宇喜多家57万石の筆頭家老であった 明石全登
黒田家では1万6千石を拝領した男 後藤基次
豊臣へ為、1千石をなげうち馳せんじた 毛利勝永
豊臣家臣筆頭大野治長の弟 大野治房
秀頼の乳兄弟、弱冠22の美男子 木村重成
かれら七将の他、薄田兼相、塙直之等の歴戦の強者達
しかし、大坂城の最高権力者は秀頼の母淀とその取り巻き達であり、七将らの発言力は弱かった
又、この七将達も思惑はそれぞれ。真に豊臣の為に戦うは毛利、木村、大野くらいか…
その時、浪人で溢れかえる大坂城の人だかりを掻き分けて本丸に向かう男が一人
全身に水を滴らせ、息も絶え絶えだが、眼光鋭く人々は気押され、彼のために自然と道が出来ていた
しかし、一介の城兵を城内に入れるわけにはいかぬと彼を遮る門番。しかし、そのずぶ濡れの男は一喝した
その頃、殿中では真田、後藤らの野戦出兵策は退けられ、籠城と戦いの方針は決まっていた
「真田殿、後藤殿の策を取れば勝てようものを……」
歴戦の武将達はこの大坂城の首脳陣を嘆くと共に、彼等を押さえ、七将すら束ねる強い指導力と実績を持つ男が居れば…と思わずにはいられない
初めはそれを、秀吉の遺児、秀頼に期待したものだが、もはや望むべくもない…そんな時だった
――バタン!!
ふすまを開き、ずんずんと上座に進む男。それはさっき、大坂城に現れたずぶ濡れの男だった
「何者ぞ!!」
叫んだのは若き秀頼の忠臣、木村重成
しかし、彼の後ろの淀殿や治長、いや、彼らだけでなく後藤や真田ですらその顔に驚きを浮かべ、ただ呆然とその闖入者の顔を見ていた
「殿……」
明石全登がようやくといった感じで放った言葉に、重成を初め、その場に居た武将達は皆、驚きの声をあげた
「宇喜多備前中納言八郎秀家、豊臣家の御危機を聞き、八丈島より  泳  い  で  参  っ  た  !!!」
秀吉に実の子、いやそれ以上の愛情を受け育ち、豊臣政権の五大老であった男が再び豊臣の為に戦うため帰った来た…  
41人間七七四年:2007/03/19(月) 22:39:21 ID:dMD0iB5h
>>40
宇喜多秀家は座敷牢だからスレ違い。
42人間七七四年:2007/03/20(火) 22:01:18 ID:eWGgwLvj
>>41
な〜に番兵を斬って逃げてきたのよ。
43人間七七四年:2007/03/21(水) 06:01:06 ID:rML3u9je
なにコピペに(ry
44人間七七四年:2007/04/06(金) 00:22:02 ID:vNNhBOwu
いま就職活動してて、内定来ないし自殺するかって感じだから、
戦国時代の浪人がどうして食っていけてたのか非常に気になる。
45人間七七四年:2007/05/06(日) 18:44:09 ID:ASY6ZRTh
 
46人間七七四年:2007/05/06(日) 23:22:22 ID:EajfWbM+
浪人から出世した奴もいるんだから頑張れ
47人間七七四年:2007/05/17(木) 11:59:57 ID:jIvPtUxh
佐久間信盛みたいに大身から浪人になると、失意のまま亡くなるってことも多そうだな。
48人間七七四年:2007/06/04(月) 20:28:10 ID:iq4+XRr6
田舎侍なら帰農するのも良いかと。
49人間七七四年:2007/06/19(火) 23:18:37 ID:dxE3+FRU
>>48
千葉氏の傍系の末裔らしいのですが、実家は地主です。
ちなみに小田原の役で主家が改易されたので帰農したそうですが。
50人間七七四年:2007/06/20(水) 00:03:13 ID:FAQa+hrT
都の京大めざして勉強
51人間七七四年:2007/06/22(金) 21:49:25 ID:zVufaajG
怪しげな文書を記したエセ軍学者とか多そうだな。
52人間七七四年:2007/06/23(土) 22:44:19 ID:lq9VmcvY
小幡景憲のことかー!
53人間七七四年:2007/08/07(火) 21:52:06 ID:BTA1e32k
光秀は浪人時代に諸国を回ったと聞くが、お金はどうしたんだろ?
54人間七七四年:2007/08/07(火) 22:19:38 ID:AZWLlMW3
嫁が髪の毛を売って(チガウ
55人間七七四年:2007/08/07(火) 22:41:52 ID:BTA1e32k
>>54


そのネタって、初出は何処だろう?多分創作で元ネタがあると思うのだけど。
56☆ちゃん:2007/08/11(土) 02:12:49 ID:lsukq4fl
山中鹿介、浪人で上洛w(^o^)w
57宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c :2007/08/11(土) 02:14:35 ID:yH70LRze
放浪の戦国武将水野勝成。
58人間七七四年:2007/08/11(土) 02:35:19 ID:lsukq4fl
浪人生活中は何処で寝るんだろうか…?
59Y ◆nzdGjBH722 :2007/08/11(土) 02:40:14 ID:YFhn2ZPV
>>6
つ桑名吉成の援助

毛利勝永や宇喜多秀家は四国や八丈島で強制ニート状態だったが、
意外と厚遇されてんだな。宇喜多は現地人と再婚したっけ?


60宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c :2007/08/11(土) 02:58:44 ID:yH70LRze
>>59
秀家長男の秀高は八丈島代官奥山縫殿助の娘、次男の秀継は磯織り女と結婚したな。
ただ、秀家に関しては八丈島の女を娶ったと言う証拠は無い。
流された際、阿いという女を従えていることから、この女性が秀家の後妻になったと思われる。
61一応評価職人?:2007/08/11(土) 04:46:02 ID:6nDnm3aR
>>60
くわしいですね〜
さて浪人といえば後藤又兵衛でしょう
62人間七七四年:2007/09/08(土) 16:09:06 ID:O2Vqot9h
>>47
信盛に従った従者は、僅か二人だったらしいよ・・・。
63人間七七四年:2007/09/08(土) 16:16:21 ID:/0biCgnB
他の女娶って、元妻(?)の豪姫の実家からの仕送りで生活か…
64人間七七四年:2007/10/09(火) 22:17:24 ID:TtmNCgL/
あげ
65人間七七四年:2007/10/28(日) 02:37:56 ID:i4/pKDKs
立花宗茂はニート同様で、家臣が生活費工面で苦労したとか。
御曹司で育ってきたから、生活力とかは皆無だから仕方ないか?
66人間七七四年:2007/10/28(日) 11:31:03 ID:gFdWrl92
>>55
若草物語とか羅生門とか。
67人間七七四年:2007/11/12(月) 21:08:55 ID:gOr8iHCU
寝てるだけ
68人間七七四年:2008/01/03(木) 01:56:56 ID:3vNd7LT+
炊事洗濯
69人間七七四年:2008/01/20(日) 00:07:25 ID:eB5fl0iz
野良仕事
70人間七七四年:2008/03/02(日) 04:58:29 ID:gyM9mSpl
相互リンク

【黒田】後藤又兵衛(基次)を語る【大坂の陣】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1204401402/
71人間七七四年:2008/03/02(日) 11:07:07 ID:DuAFmy1/
門地も故地も無ければ兵法者にでもなるしかない。
十三の歳からほぼ四十年、浪人やってた宮本武蔵の例もあるし。
72人間七七四年:2008/03/25(火) 11:20:45 ID:cjjrNiyq
普段は徒党を組んで悪さをしてた。
合戦があるとフラフラ参加して小銭を稼いでた。
73人間七七四年:2008/03/25(火) 11:32:29 ID:y1QZ1PGe
長宗我部盛親は、浪人中は『塾の講師』。
74人間七七四年:2008/03/25(火) 12:34:27 ID:wRs6RfuU
ちゃんと仕事してるなら浪人とは言えないな
75人間七七四年:2008/03/26(水) 06:43:00 ID:/aEqWh3h
旧家臣や親族の大名ににたかって生きる奴が多い中、
元殿様なのに自力で生活費稼いでいた盛親は立派
76人間七七四年:2008/03/26(水) 06:52:16 ID:l8leDX+c
何を期待してこのスレ立てたのか知らんけど
現代のニートが史上最も無価値ってのは変わらない。エタヒニン
77人間七七四年:2008/03/26(水) 07:20:03 ID:1cX0ELWX
ニートは価値が0だが、プロ市民はマイナス価値だから
プロ市民の勝ち
78人間七七四年:2008/03/27(木) 17:49:59 ID:oRf7TYD4
士分だと陣借りで仕官を果たそうとするから合戦が始まりそうな所に居を構えて
一族郎党からの援助を貰いつつ機を待つって感じか?
79人間七七四年:2008/03/28(金) 16:07:26 ID:QmtWM2qL
陣借りって一人でも出来たのかな?
放浪してる浪人の場合郎党連れてるとも思えないのだが
名も無き浪人が陣借りできたの?
関ヶ原時の武蔵みたいな奴は足軽としてですか?
それじゃ立身は見込めないと思うのだが・・・
でも松倉みたいに同じ陣借りでも手柄立てて大名化した奴もいるんだよね。謎

あと寺子屋の学費って江戸期で月200文ぐらいだったらしい
20人学級として月収4000文
銭4000文で1両だから月収1両
蕎麦が16文で大福が4文ぐらいだったから換算すると1両が大体10万円ぐらい
米だけ食っても年間4両ぐらいかかるので
そう考えると殿様稼業から転落した長曾我部盛親は結構困窮してたんだな
家賃とかはなさそうだけど・・・
80人間七七四年:2008/03/28(金) 17:07:47 ID:h5way/YA
青木大膳みたいな暮らししてたんじゃね?
81人間七七四年:2008/03/29(土) 15:54:12 ID:qGsn2BHW
塙(団右衛門)直之とか
82人間七七四年:2008/03/30(日) 20:56:46 ID:unSXTwNb
>>79
まともな士分が一人はありえないような……。
観戦武官みたいな客分なら、いざ知らず。
83人間七七四年:2008/03/31(月) 16:03:24 ID:JyT5XZOZ
>>82
でも浪人だったら給料払えないから
よほどカリスマがあるとか元大名とかじゃない限り
手下なんて雇えないじゃない?
「給料でないし生活費は自分で稼いで欲しいけど面倒は見て欲しいし合戦になったら郎党になって」って・・・
少なくとも俺はいやだぞ・・
84人間七七四年:2008/03/31(月) 18:50:18 ID:FaO/M/59
食いつめた流浪の民あたりを合戦時に仕官がかなったら家人として雇うって約束して
それまでは飯食わせるくらいってのでかき集めてたんじゃね?

士分は息子とか甥っ子とかをそれらしく仕立てて。
85人間七七四年:2008/03/31(月) 19:22:04 ID:DD2PhKma
>>79
5kgで2000円だから40万円分だと1年で米100kg食う計算になるな
どこの相撲取りだ?
86人間七七四年:2008/03/31(月) 19:55:07 ID:cSMVS+Bb
>>85
米は一合でおよそ150グラム
一日2合食べるとして、一日当り米300グラム食べることになる
300グラム×365=109500グラム
一年で米100キロは妥当だな。
87人間七七四年:2008/04/01(火) 09:59:11 ID:Hlp4GKuN
昭和30年ですら平均120kg消費

当時の物価を現代価値へ換算してる時点で検討外れだが
88人間七七四年:2008/04/02(水) 19:51:13 ID:KP9f0qQ3
元大名はどっかから援助受けられるでしょ
九度山の昌幸とか堂々と無心してるぞ
89人間七七四年:2008/04/03(木) 20:26:08 ID:+HMvUkkd
伊東義祐みたいに行方不明になって行き倒れた奴もいるけどな
こいつの場合は援助断ったらしいけど
90人間七七四年:2008/05/10(土) 08:20:33 ID:hPCNnrdQ
wikiで見たけど、伊東義祐は悲惨すぎるな……
でも息子が御家再興できてるから救われてるか。
91人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/03(火) 22:53:35 ID:PJV/Wl0l
>>79
江戸時代の1両は平均的な4人家族が借家住まいで普通に1月暮らせたらしいよ
いつ頃の江戸時代か知らんけどね  明治になって1両=一円になったけどね

戦国時代の豪商や豪農は有名な武将を食客にするのを好んだとなんかで読んだな
自慢になるらしい
1人で浪人はあんまり無いんで無いかな?主家が滅んでも親類を頼って仕官したらしいし
元の上役についていったりしたと思う

近くに住んでる家は、小田原の役で主家が滅亡後仕官を求めてこの地に着たが
仕官かなわず帰農したって聞いた
92人間七七四年:2008/07/04(金) 21:26:24 ID:ViOQMo9Q
ローニンローニン♪君の朝だよ♪
93人間七七四年:2008/07/05(土) 14:12:09 ID:MSxhTdI6
>>88
昌幸と信繁は浪人とは生活が別格。
正室・側室・娘全員+元家臣約20人、総勢数十人で2つの屋敷に住んでいた。
信幸からは常に金と食い物は送られて来るし、大坂の豊臣家臣もよく訪れては差し入れを持ってきた。

>>91
侍大将以上ならこの時代仕官口はたくさんある。
苦しかったのは、推薦状や口添えの無い足軽や小者達、
元主が仕官した時さそってもらえればラッキー、だめなら帰農か職人、商人へ。
94人間七七四年:2008/07/06(日) 13:34:41 ID:H9NvTI43
長曾我部盛親も2人従者がいた。
彼らもどこかで働いてるから、一家3人手取り月収30万ってとこかな。
ぜいたくをしなければ普通に暮らせる金額だ。

凄いのは、浪人14年たって大坂から戦の知らせが入ってから。
甲冑を身に着け馬に乗り3人で夜こっそりと京を立ったが、どこからとも無く長曾我部残党が加わり、
大坂に着いた時には1000人になっていた。
赤穂浪士なんか問題にならない14年間の浪人暮らし。
95人間七七四年:2008/08/24(日) 09:37:54 ID:fgzNE/mG
勉強になります
96人間七七四年:2008/09/14(日) 12:50:55 ID:kcDMkAcB
今さらだと思うが

浪人は、浮浪者の事。

奉公を離れた武士は「牢人」
97人間七七四年:2008/11/26(水) 23:07:37 ID:9nlFoi3C
聾人
98人間七七四年:2008/11/27(木) 11:19:27 ID:f0GEFwRm
お前も浪人業にしてやろうか!
99人間七七四年:2008/11/27(木) 19:22:18 ID:2e6eV8xz
そういえば山名豊国もかつて対立した家臣の子(多分元服済み)を召抱えたらしいね。
親父が死んでから30年ぐらいするからだいぶ長かっただろうな>牢人生活

あと信玄の遠縁に当たるらしいが
100人間七七四年:2008/11/27(木) 21:00:35 ID:ZpEsb4SV
平安末期に佐々木兄弟の父ちゃん
渋谷の豪族平重国に20年くらい匿われて
娘もらって子ができてたよな
101人間七七四年:2008/11/28(金) 07:37:41 ID:1RonkckD
建設ラッシュの時代だから肉体労働を苦にしなけりゃ仕事はあるな
102人間七七四年:2009/01/21(水) 22:04:33 ID:T4lrG/25
浪人は美しい
103人間七七四年:2009/01/24(土) 02:16:52 ID:PgR0Ow4N
昔の人は米を一日五合は食ったって言うし、楽な暮らしって訳じゃなさそうね。
104人間七七四年:2009/01/27(火) 07:15:59 ID:hcrqltlP
原田直政の子、塙安友はお医者さんになりました
105人間七七四年:2009/04/04(土) 10:02:40 ID:bupB3RsL
農作業
106人間七七四年
盗賊に落ちぶれる