1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
今ではすっかり女子の教育・教養の一種であって、学校の茶道部も
町中のお茶教室も女性が多い あまり積極的に男がやるものという
イメージはない
何故、このような茶道に戦国武将がハマったのか? 茶器>領土と
いう価値観があったくらい異常にのめりこんだようだが
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 10:31:16 ID:aTKNkTaq
茶道は信長が家臣達に礼儀作法を学ばせるために取り入れたんでしょう。
茶道具には所有していた人物とかで大変な価値がついてた。やがてそれらを集めるのがステータスになった、みたいな感じかな。
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 10:32:30 ID:IwZfi3mE
戦国時代に主君から茶器をもらうということは、
ヨーロッパでいえば王から勲章を授かるようなものじゃないのかな?
領土は有限だが勲章とか茶器は無限に作れるし、
信長なんかは茶会のできる身分を厳しく制限したりして、その価値が否応なく高まるようにしている。
領土が人間の物欲を満たすものとすれば、茶器や勲章は名誉欲を満たすものだったのでは?
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 13:15:14 ID:5pV6fYiz
コーヒーがなかったからだろ
>>1 殺し合いしまくってる男達が日常とかけ離れた教養の世界を極める。
なかなか趣の深い世界だと思わないか?
6 :
え:2006/11/19(日) 13:23:35 ID:44QzxUei
茶道というよりも茶器集めにはまったのではないか
人脈作りの一環としての会席もある
戦国時代に「茶の湯」が流行した理由、その理由はみっつあり、ひとつはあらくれ者のイメージがあった当時の武士達がイメージを払拭し教養を少しでも身につけたかったからです。
戦国時代以前の茶の楽しみ方は「闘茶」と言い、利き茶の様に産地を当てる賭博性の強い物で「闘茶」が禁止される時代もありましたが、「千利休」が茶道といわれる芸術の域にまで洗練させ、礼儀作法や教養を学ぶのにうってつけになりました。
ふたつ目の理由は茶の湯に心身をリフレッシュさせる効果があり、殺伐とした日々を過ごす戦国武将達の癒しでもあり、またひとつの茶碗で茶を回し飲みする事により連帯感を高め、裏切りや寝返りが日常茶飯事の中、茶の湯によって同盟関係や主従関係を確認出来た訳です。
つづく
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 13:53:00 ID:3Tvs60m/
( ´゚ω゚` )
まずは連投&長文、スマソ。
そして、最後のみっつ目の理由は家臣達への褒美として茶器を与える事を始めてある種の価値観を流行させたのが織田信長でした。
戦功のあった家臣(武将)に対し金子や知行アップの褒美は石高の低い国ではおのずと限界があります。
戦国時代の当時、ほとんどのところの経済基盤が農業でしたが、織田信長陣営は経済基盤を商業(交易・貿易)によるところが大きく(織田陣営は楽市楽座にて利益をあげたらしい)農業を経済基盤とはしていませんでした。
故に金子や知行アップに続く第三の褒美として、当時流行していた茶の湯にて使用する茶器、それも逸品とされる「茶器」を褒美の対象とした訳です。
この目論見は大当たりし、以後侵攻してきた相手に大切にしている茶器を渡したくないばっかりに茶器「平蜘蛛の茶釜」と爆死する御仁や、褒美として茶器が貰えると思い、はりきっていたら結果的には貰えず、めっちゃ落胆する御仁などが出てくる位に価値観が広まってゆきました。
>>8>>10に付け加えるとしたら情報収集が挙げられるね。
勝手な茶会を禁止したのも、情報漏洩防止の意味合いがある
だろうし。
なんか信長が知行よりも名物を高価にしたイメージが強いのかもしれんが
信長が欲しがった大名物は、信長以前にもう既に高価だし、当然数は有限
信長は、名物が高価であることを尾張の田舎もん(家臣)に教育して、
それを政治に使っただけ
信長が政治的利用をしなくても、堺博多商人間では高価で換金価値があった
ことは忘れないように
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 15:49:41 ID:a0LEpY69
今で言えば、絵画とかゴルフ会員権みたいなものか?
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 15:51:59 ID:PRaqhZSi
カフェでまったり珈琲みたいなものだろ
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 15:54:46 ID:JvJWBYsQ
変なたとえでよけいわからん
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 15:57:24 ID:CiQdkPQs
カフェインの大量摂取で精神をハイにするからじゃない?
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 17:55:07 ID:K7/XhBjS
昔はビックリマンチョコのシールとかキン消し、カードダス集めてただろ?
それと一緒だよ。レアなヤツもってると学校でヒーローになれただろ。
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 18:00:49 ID:1T2nB3Iv
松永久秀
朝倉
三好宗三
もともと名物の陶器は唐物。唐物の陶器を直接、手に入れられるのは一部の権力者のみ。
村田珠光
カフェインの多い抹茶飲みすぎて今宵は寝させん状態になるんだろうか
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 19:23:01 ID:3xb5iOcS
茶は口実で対談の場を作りたかったとかだろ
密室だし
身分関係なく、もてなす側ともてなさわれる側になれる
>>8 その主張は名物と呼ばれる茶器が何千、何万もの失敗作の上でできた作品であり、
それを作るための支える基盤や経済的支援がなかったと考えてるようにしか思えない。
そこらの土でそこらの雑木で2,3日でできたわけじゃないでしょ?
細かな間違いがあったとしても、初心者に対しての文章なんだからいいじゃないの
書くのであれば
>>13 ぐらいのフォローでいいじゃないかと思うけどね
>>27 >その主張は名物と呼ばれる茶器が何千、何万もの失敗作の上でできた作品であり、それを作るための支える基盤や経済的支援がなかったと考えてるようにしか思えない。
当時の茶器(逸品クラス)は唐物が多かった様ですので、唐物はともかくとして戦国時代、茶器(国産茶器)を作る名のある陶芸家に経済的な支援や庇護が出来る財力そして権力のある人物は当時どれほど居たのでしょうか?
おそらく、有力な大名クラスか豪商クラスでないとまず不可能な筈です。
潤沢な財力(財源)があり、尚且つ茶の湯に対して理解のある人物でないと無理な筈ですが?
>そこらの土でそこらの雑木で2,3日でできたわけじゃないでしょ?
全く、そのとおりw
>>28さん、お心遣いありがd。
あと、
>>27さん。
例外中の例ぇ外逸品茶器。
つ【ルソンの壺】
おそらく、そこらの土とそこらの雑木で2,3日でできた代物(ただの雑器w)
ま〜ね 別に反論的なニュアンスで書くんじゃないけど
ルソン壺は生産地ではバンバン大量生産されたけど
それを完品で当時日本に届いたってのは稀だったんかな〜とね
粉引も今じゃ発掘品が恐ろしいほど発掘されて、中にはいいのがあるのよ ホント
当時だったら高かったんだろうな〜てのが
戦国武将ってスレタイに入ってる時点で女性は見てなさそうなのでだらだら書いてみました
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 01:41:10 ID:cJbKB8Kj
西洋のパーティーと同じだろ?
政治の延長として利用してたんだと思う。
今でも一緒に飯食ったりするのと同じなんじゃない?
茶器収集とかでコレクター衝動を満たし消費、散財という快楽に浸れたからだと思う。
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 09:31:28 ID:lAEpZo4s
流行った理由は日本人らしく
仲間外れになりたくなかったから
36 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 14:54:02 ID:lAEpZo4s
>>35 お前のせいで全然関係ない俺が8と29真剣に読んじゃったじゃないかw
はまり過ぎると良くないという見本の一族がいたな。
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 08:30:15 ID:r8K1biQp
最近は文盲が多くなったんだな。
まぁまぁ、皆様方、ここは茶の湯に纏わるスレですので諍いはやめておきましょうw
それが茶の湯の和であり、本質ではないですか?
私は争いや他者との衝突を踏まえた茶道など聞いた事はないですよw
44 :
41:2006/11/21(火) 11:31:42 ID:kDF5ndGX
>>44 一言レスじゃなく、ちゃんとご高説を聞かせてくださいよ。
チャンバラごっこも剣道ですと言ってるようなもんなんだから
ちゃんと説明してくれないとこっちも理解できませんよ。
46 :
41:2006/11/21(火) 12:04:39 ID:kDF5ndGX
>>45 茶の湯の創始者は?
茶道の創始者は?
書院茶は茶道に含まれる?
煎茶道は?
単にあなたと私の茶道の範囲が違うだけだと思う
>>46 質問に対して質問で答えるのはおかしいんじゃないでしょうか?
茶道の範囲が違うとか、貴方の脳内ルールで誤魔化そうとしてるようにしか思えないんですが・・・
48 :
41:2006/11/21(火) 12:11:23 ID:kDF5ndGX
>>47 だからあなたの解釈を押し付けないでと柔らかく言った積もりなんだが
>>48 世間一般的に闘茶をお茶の楽しみ方の一つとするのは普通としても
闘茶が茶道の一種とする話は聞かない。
「茶道=お茶を楽しむこと全般」でないことは常識レベルの話。
考え方を押し付けてるのでなく、
闘茶が茶道の一種ってことが、あなただけの勝手な解釈だと言ってるだけ。
自分の解釈が世間一般でも正しいんだと人に押し付けてるのはあなた自身だと思うが・・・
50 :
41:2006/11/21(火) 12:29:30 ID:kDF5ndGX
>>49 自分は自分の解釈を押し付けてないという考証をお願いしたい
49五月蝿い
>>51 戦国時代から現代に至るまで闘茶を茶道の一種とした人はいないと思うが
闘茶の歴史を調べてみれば分かるが、闘茶とは茶を用いた賭博遊戯であり、
客人に作法、礼法をもって茶を振舞う茶道とはまったくの別物だとわかる。
茶道関係の人間で闘茶は茶道の一種であると公言してる人物がいるなら
ソースをお願いしたいものだ。
54 :
41:2006/11/21(火) 14:51:23 ID:kDF5ndGX
>>53 四頭茶会は今でも行われますが、茶道具の論評&位付けはやってるでしょ
私個人は四頭茶会は好まないけど、そういう行事は現存します
56 :
41:2006/11/21(火) 15:09:14 ID:kDF5ndGX
>>56 四頭茶会が闘茶会だと?
本当に貴方は独特な情報網をお持ちのようだ。感嘆致しますよ。
というわけで、
>>41からの通説を外れたレスについていい加減に説明をしていただけませんかね?
どういうソースを元にどういう理屈でもって通説から外れた解釈を貴方が持ちえたのかを。
58 :
41:2006/11/21(火) 15:24:27 ID:kDF5ndGX
>>57 あなたの流派は知らないけれど七事式の第三って習わなかった?
59 :
41:2006/11/21(火) 17:44:50 ID:kDF5ndGX
ついでに質問いいかな?
戦国時代なら茶道じゃなくて茶の湯だと思うのだが
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 18:34:22 ID:zFAGQVFt
日本語としては間違ってない
>戦国武将が
→戦国時代の武将が
戦国時代の茶道=茶の湯
茶の湯シタス
和むダロナ
>>61に禿しく同意。
こんな殺伐とした御時世だからこそ「茶の湯」だ!
でも、素人にはなんか敷居が高い様に感じるのな…、「茶の湯」って…。orz
有楽流煎茶道は楽しいぞ
茶の湯の知識の欠片もない貧乏人のオレに
茶道って何するものか教えてよ
>>64 茶を楽しむ
雰囲気を楽しむ(道具・茶室・借景)
礼儀作法を学ぶ
市町村の集会場とかに茶室があれば実費で講習会やってると思う
茶道とは何か的なことは利休も確か残してる
御呼ばれした人が楽しい様に気を使った上で、みんなで楽しくお茶のもうよ
って事だったような
信長がたてたお茶を飲みたい。
そういうと高校の茶道部が魅力的にに感じる。
優しい家庭の先生が顧問だから入ろうかなw
家庭科の先生って30過ぎの俺にはいい響きだなと
>>69 家庭科の先生か……。
定年直前で、年齢に関係なく不細工そうで、ヒステリーで、偏狭で、色眼鏡でものを見、すぐに切れて、こちらの言うことを何も聞かない。
それが俺の「家庭科の先生」で思い浮かべる人物。
高校の茶道部には、かわいい娘がいた記憶もあるけどね。
学校の女の先生ってたいがいヒステリーだったような気がする。
ウーマンリブだからな。
優しく振舞ってたらお前らが全然言うこと聞かなかったからだろ?
74 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/07(木) 21:34:22 ID:krejlCG6
武道は禅であり茶道は禅の修行の一つであるからだ。堺の南宗寺は茶道の中心地でもある。
75 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/07(木) 23:46:34 ID:VjK5DxX3
>>11 >>13 どうもそれらの「信長が政治的に使っただけ」とか「与える領地のかわりに茶器を利用した」は
事実ではないらしい。
単に信長という男が茶の湯という道楽にハマりすぎたというだけで、
遠大な計算だの政治利用だの発想はなかったと思われ。
本願寺退去の時に高級茶器を「これが石山城と所領の代わりだ」みたいに
渡されて本願寺の連中が当惑したという話しもあり、
単に信長が趣味に没頭するあまり
自分の価値観と世間の価値観とずれてしまってたらしいね。
もっとも信長−秀吉の権威があまりに大きかったので、
実際に茶クはそれだけの価値を持つようになっていくんだけど。
76 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/08(金) 01:21:17 ID:F1oWlg30
堺の南宗寺を知らないで、茶道を論ずることはできない(°∀°)
77 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/08(金) 01:30:21 ID:aDULUjRl
茶筅があったので久々に点てて見た。 やっぱ美味いもんだね。
ちなみに秀吉の重宝したルソン壺ってもともと痰壺だったって話だぞ。
78 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/08(金) 01:34:56 ID:SmkS6FV+
一枚のスーパーレアカードに何万も注ぎ込む心理と似ておるのぅ
79 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/08(金) 02:38:35 ID:78a5f87L
啖壺?あれは確かし瓶だったとか…
80 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/08(金) 07:02:16 ID:n3z0cCDd
そういう事、信長はマジで茶の湯や道具収集にハマっただけで、政治利用だの恩賞代わりは後付けの根拠のない説。
「これが石山城と所領の代わりだ」=「与える領地のかわりに茶器を利用した」
が事実でないらしいってのが私にはちょっと純粋に解からないですね。
やっぱり信長はお茶が好きだったとは思うけど、基本的には総て計算尽くだった様に
感じます。
結局私的見解の羅列なんだけど、晩年信長は石を拝ませたりしてるのもそうなんだけど、
自分の価値観と世間の価値観とずれってよりも、知ってて無理やり、って臭いがします。
私は本願寺の逸話は知りませんでした。ですが、本願寺が当惑するのも分かった上での、
価値観の定着を図ったもののように思います。
政治的利用が後付けってのは言い過ぎに感じました。 なんてね、今日暇なもんで
82 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/08(金) 10:48:06 ID:F1oWlg30
南宗寺で参禅し得度した利休が大成した「わび茶」は徹底的に無駄を省いた質素を重んじた。茶室に入る入り口は小さく作りどんなに偉い身分の者も頭を下げて体を縮めて入らなければならない。
そーいや、秀吉は全て黄金で出来た茶室作ってたな。
関東管領より茶道具なやつもいるし。
85 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/08(金) 16:05:25 ID:XOQNg19r
カフェインのせいだな
>>84 部長職と姪(8歳)の超高画質炉利自画撮りDVDどちらがいいと
言われたら
87 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/08(金) 18:16:09 ID:n3z0cCDd
>>81 うーん所詮の信長の頭の中の問題だが、
俺はその説はとらないね。
戦国武将が常に深謀遠慮で常に動いてるという説は
ちと違うと思うんだよね。
88 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/08(金) 18:18:52 ID:n3z0cCDd
あと晩年の信長は50程度にして少々ボケてきたと思うよ。
軍事化のリデル・ハートだったかが
「名称が名将たりえるのは20年程度」と言ったが、
信長も家督を継いだあたりから激戦と難局の連続で
かなりの金属疲労を起こしてたと思う。
仏敵、魔王に茶坊主ときて遂には無機物扱いかよw
梅雨に軍を動かしていれば死ななかったのに。
91 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 02:05:30 ID:yfax7MHD
君たちはぜひ熊井啓監督、奥田瑛二主演の「利休〜本覺坊遺文」を観るべきだ。
そこに戦国時代の人々が何ゆえ茶道を極めようとしたか、そして何を
護ろうとして死地に赴いたかがわかる。トシロー・ミフネの利休、
ヨロキンの織田有楽斎が特にいいぞ。
間違っても勅使河原宏版を借りたり買ったりしないように。
きんきらしすぎてわけわからん。「真夜中の弥次さん喜多さん」
の阿部サダヲ演じるキンキンが百人くらいでてるような映画だ。
茶は外国からやってきた新しい飲み物で、純粋に旨くて、それでいて高価でステータス
ある者でなければ飲めないのでそれでハマってしまったのではないだろうか
平成に入って、スターバックスコーヒーとかドトールコーヒーとかが乱立しだして、どこの
カフェ・喫茶店が旨い、まずい、こういうオーダーの仕方が通、こういうオーダーの仕方が
ドシロウトなんて真剣に議論してるのと同じように
>>91 井上靖の原作小説も読むべきだ。
井上氏も史料を参考にされただろうとは思うけれど、やはり後世の創作なのだから、
「戦国時代の考えそのまま」ではないことをわきまえなければならないと思うんだ。
井上靖は、架空の弟子が師匠を語る、というスタイルの小説『孔子』でもやっているが、
「孔子の思想そのまま」というよりも「孔子の思想の井上氏なりの解釈」を描いた小説だ。
でも、「彼らはこう考えていたのだろう」ということを原作者も掘り下げただろうし、
映像化に当たっては映画監督や役者たちが真剣に解釈した作品だと思う。
「彼らはこのように生き、このように死んだのだ」といわれると、非常に説得力がある作品だし、
そういう生き様は簡単に真似できないだけに強く惹かれるのだ。
「無」をめぐる禅問答のシーンとか、すごく印象に残る。
いい映画だよね。地味だけど。
スタバなんて所詮ファーストフードチェーン店
そんなとこでオーダーの仕方にこだわるやつってw
その前にもっとこだわらなきゃならんもんあるだろ
95 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/26(金) 16:55:50 ID:jSqfDmOx
茶がステータスなのじゃゃ〜
>>77 ルソン壺?
明国からルソンへ輸出された酒の容器ですね、元は。
中身の酒を消費した後は、手洗い水瓶にしようが痰壺に使おうが
日本人買取業者に売ろうが自由なので、いろいろな行く末があったのでしょうね。
>1
茶の湯興隆の最大の理由は「ぶっちゃけトーク」をする為。
一度にじりグチをくぐってしまえば茶室の中では「亭主と客」の関係しか
無くなり、身分関係による煩瑣な礼式を行わずに「ぶっちゃけどうよ?」
と互いの思うところを直に確認できる。
殿中で公式対面では主君と家臣、大名と大名等いずれにしても身分相応の
礼式が必要で、直接相手の顔色の変化を伺うような真似ができなくなって
しまうからな。
98 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/28(日) 18:38:56 ID:Iml3wsyX
投機的な要素もあったのでは?
いや、茶なんていつでも飲める現代人にはわからないだろうけど、
茶ってのは確かに圧倒的に美味いと思う。
昔なら、あの美味さにハマりこむ人物がたくさん居ても多かったろう。
現代人にはバカバカしくても当時としては圧倒的に魅力的だったんだろうね。
>>98 投機的なんだろうが、むしろ価値の創造だな
恩賞足り得る価値を与えるため利久好みという価値観を創り、信長が与信して
価値を担保する。
当面の知行や現金が無くてもおk
>>99 あの時代の食生活ならカフェインラリラリパーティーぐらい刺激的だったかもしれん。
101 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/28(日) 21:20:45 ID:Iml3wsyX
横山三国志の第1巻読んだ後にお茶飲むと美味く感じる
そういう事、現代人だから茶会なんて
「茶の部分以外が大切で戦国時代の人物もそうだった」と発想するが
実際は茶そのものが非常に魅力的だったんだろう。
当時としては大変に中毒性のある嗜好品だったと思われ。
その茶というものをさらに楽しみ美味しくするために
様々な作法や儀礼、高価な茶道具が必要されたという部分が多い。
あと、あんま関係ない話だが、江戸時代の商人、
銭屋五兵衛が公益でコーヒーを入手出来ると評判がたち、
コーヒー目当てに遠来から多くの高い身分の人物が来訪したという。
当時のミルクもクリープも砂糖もいれない
ブラックコーヒーがそんなに魅力的だったわけだ。
103 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/28(日) 23:43:24 ID:32toK5nS
茶室での会話って2ちゃんねるの会話に通じる面白さがあったんじゃね?
それからヤクザの親玉が茶器にはまるのと同じだろ 略奪と殺戮と人さらいの日々だからさ
104 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/29(月) 00:01:46 ID:ZE2V9caB
しかし今現在 お茶って本当に美味しいか? 水の方が美味い時ないか?
本物の茶は現代人にとってそんなに旨くないかもしれないが
例えば抹茶アイスや抹茶味のお菓子がたくさんある事を考えれば
日本人が好きな味の系統である事は確かなんじゃなかろうか。
ちょと高めのお茶って甘みがあって美味い
当時はまだ茶が高級品だったっていう所にもステータス性があるよね
初めて「九十九髪茄子」を見たとき、その美しさに感動したのを覚えている。
ただの土くれにあそこまで心を動かされるとは思っても見なかった。
あれ以来、茶入と茶碗の蒐集に執心してる。
もちろん茶も好きだが、形式作法にこだわる茶道など習いたくもない。
111 :
人間七七四年:2007/03/15(木) 14:24:51 ID:k3eA8DHI
>>70 俺が覚えてる高校の家庭科の先生は20代前半の気さくな美人で放課後勝手に
プールで泳いだあと、「ちょっと髪乾かさせて」と、うちの部室(演劇部なので
鏡台とドライヤーがあった)にやってきて寛いでいく人だった。あと、おっぱいが
でかかった。
112 :
人間七七四年:2007/03/21(水) 20:54:32 ID:RGPB2T81
浮上
113 :
人間七七四年:2007/03/21(水) 21:25:56 ID:3OqN0z/Z
ただのかっこつけでしょ。
「はっはっはっ、趣味はゴルフなんだよ」
と言ってる成金おっさんみたいなものと見ただぜ。
114 :
人間七七四年:2007/03/21(水) 21:26:28 ID:rML3u9je
115 :
人間七七四年:2007/03/21(水) 23:28:14 ID:fJqRLIeM
>>113 それと接待ゴルフみたいな感じなのかねぇ
116 :
人間七七四年:2007/03/21(水) 23:43:14 ID:Stru4u/D
さーどうでしょうねえ
117 :
人間七七四年:2007/03/22(木) 01:57:57 ID:odL1WquK
118 :
人間七七四年:2007/03/22(木) 05:27:07 ID:zOqK8kQ3
今でも重役と仲良くなるにはゴルフは必須だしな
最近では昔ほどうるさくはないがゴルフ場はマナーにもうるさいし
茶会もそんなもんだったんだろうな
119 :
人間七七四年:2007/03/28(水) 02:45:56 ID:OCtsrFmD
とはいえ、徳川時代には一気に廃れたね
家康はあんまり茶の湯に理解が無かったのか
秀吉が茶器収集に奔走して
家康に、コレクションの茶器を自慢した後日談で
「あんなものに金をかけるくらいなら、兵卒一人召し抱える方がよほどましだ」
と吐き捨てた話があるが
どこまで事実なんだろうか。
120 :
人間七七四年:2007/03/28(水) 03:46:27 ID:aKdsD+AC
ステータス?
121 :
人間七七四年:2007/03/28(水) 07:01:01 ID:EMPQT0Zz
>>120 ホリエモンじゃないけど利休を切腹したから急に熱が冷めたんだろ。
まあ、質素倹約とか言ってる徳川政権には、贅沢物すぎたんだろうけど。
122 :
人間七七四年:2007/03/28(水) 11:44:20 ID:iO7nN7Yc
茶道は逆に礼儀作法の嗜みと化した時点で衰退していったような気がするな。
必須学習項目ほどつまらないものはないからな。
123 :
人間七七四年:2007/03/29(木) 01:34:32 ID:y/AS7LME
北野大茶会ってすごいよな
今なら天皇陛下がホームレスに茶を作ってあげるような物か
124 :
人間七七四年:2007/03/29(木) 02:10:03 ID:3ulumPFh
>>122 良い事言った。特権階級だけのもので無くなった時点で
衰退したんだろうな。元々差別化したいが為に習ってただろうから。
125 :
人間七七四年:2007/03/29(木) 02:19:53 ID:wCT1CkNI
126 :
人間七七四年:2007/03/29(木) 02:22:15 ID:W7JXx5Ay
出の問題だろ。
織田なんて平氏の騙り。
まぁ徳川も源氏の騙りだが。
127 :
人間七七四年:2007/03/29(木) 02:31:11 ID:F8ozaRch
俺は加藤茶が好きだ
128 :
人間七七四年:2007/03/29(木) 02:54:35 ID:nE7ubpjD
密談するには格好の理由だから茶会の開催は許可制になったんかね?
129 :
人間七七四年:2007/03/30(金) 21:05:35 ID:cZn+N1Um
銀座の高級クラブの遊びと一緒じゃまいか。
利休はさしずめ銀座の名物ママといったところかな
130 :
人間七七四年:2007/04/05(木) 20:01:29 ID:vKMd/opW
信長が茶道を利用し、茶器の価値を高め、領地分配の代わりとしたと聞いた事があるが…。
131 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 19:45:34 ID:J5C9HDwD
金に価値があるのは金が希少だから。
茶道具なら希少価値そのものを操作できた。って事か。
132 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 23:42:15 ID:EC9G3oOT
お前は馬と鹿に似てるってよく人から言われないか?
希少価値なものを上手く操作したってことよりも
いくらでも作れる物をなんだかんだと理由をつけて(名物とかね)、
希少にしたってとこに凄さがあるんだよ
133 :
人間七七四年:2007/05/11(金) 22:32:22 ID:b3PBOybZ
>>131の言ってることとどこが違うというのか。
それに日本語も変だ。
お前は鏡見て来い。
134 :
人間七七四年:2007/05/12(土) 10:39:59 ID:O2xoyMh6
135 :
人間七七四年:2007/05/22(火) 11:30:13 ID:N+T40P9Y
なんという甘噛みwww
136 :
人間七七四年:2007/05/23(水) 13:25:19 ID:DIt1NDTl
>>119 その話は初耳だが、朝倉家家法の名刀収集禁止に通じるものがあるな。
137 :
人間七七四年:
その家康は大枚はたいて香木蒐集に奔走する訳だがな