1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 01:04:21 ID:Mcq/7BiC
2&おかわりもGETなw
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 01:05:37 ID:KVIrBY2O
で
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 01:08:24 ID:1Z64KuFO
どーせなら「戦国時代の食事・おかわり」とか二杯目とか二膳目とかにすれば良かったのに
味気ねぇ
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 01:30:06 ID:PibQIxOz
秀吉はアワビや白鳥の肉とか食ってた
そう
sou
前スレの
>>973がちょっと気になる。
「味醂が高級酒」であった当時の記述があればよろしくお願いしたいです。
あとアルコール添加が行われたのは江戸時代からですね。
>>10 ありがとうございます。
リンク先を見て”練貫酒”の存在を知りましたが、焼酎の方を調べると、
記録に残る最古の”焼酎”の文字は、1559年鹿児島県大口市の神社の落書き?になってるんですけど、
1466年の練貫酒の製法に焼酎って書かれてるんでしょうか?
…もし焼酎じゃないのなら、練貫酒と味醂の製法が同じかどうか疑問の余地がありますねぇ…
戦国時代に泡盛は輸入されてたから、それをつかったのかなぁ…
>>11 当時の味醂は今ほど甘くなかったようです。
醸造過程で加えるアルコール分が少ないと、酵母によるアルコール発酵の押さえがあまり利かなくなるので
甘味が減るのかもしれません。
焼酎の最古の記録はザビエルの残した文献で、
日本人が蒸留酒を常飲していたことが記録に残ってます。
焼酎は戦国期には普及していたみたいですね。
1559年の大口市の神社の落書きの内容は
「焼酎もおごってくれないけちな主だ」というもので、この頃には普通に流通していたことを示しております。
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 08:13:52 ID:jXbc+qrH
肉がほとんど食えなかったのは間違えじゃねーよ!!
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 13:00:56 ID:1Z64KuFO
お湯付けに焼き味噌入れて食ったら旨かった
でもこれよく考えたらねこまんまだよね
湯付けレシピに詳しい本とかHP誰か知りませんか?
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 13:29:19 ID:9eUvTt0N
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 16:49:51 ID:K4l8bYmS
そういや漫画『へうげもの』の本能寺の前、家康接待の場面で出てた田螺が異様にデカかったように見えたんだけど、当時の田螺てあんなにデカかったんだろうか…
>>14 誰もそんな事は言ってない。肉食がなかったと言う意見が間違いなだけ。
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 19:36:53 ID:9EiY3oP7
このころは、
豆腐、味噌汁、梅干、魚の塩焼き、のり、ごはん、猪の肉あたりを食っていたのかな
>>19 カビや菌類・蜂の子などの昆虫〜鯨までその土地にあわせて何でも喰ってた
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 21:50:17 ID:UshQzEVu
栃、栗、蕎麦、粟、黍、麦、稗、蕨、薇、桑、犬枇杷、当時からある収穫量の多い作物だけでもこのぐらいはあるな。
栄養面は問題ないんだが、アクが強くて味が悪いといった難点がある。
野草の類も入れたら食べるものは結構多いと思われる。野草の食べる食べない種類は地方にもよるけど。
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 21:51:42 ID:UshQzEVu
21で上げたのは米の代用品として食べるとしたらね。犬枇杷じゃなくて、犬ビユだった、間違い
ssss
sss
ちょい亀レスになるんだが、
「戦国時代の食事」ってスレなんだから、
武士生活にだけ焦点を当てなきゃならん。
ってこともないだろうと思う。
一般民衆の食生活に触れてもスレ違いでもないと思う。
寧ろ、民衆や貴族とか武士以外の食事にも触れていくほうが有意義だと思う。
と、思うのはオラだけか?
戦国時代の庶民の食生活の話も当然桶だと思うが、
ただ戦国時代の庶民の食事の史料などが、少ないと思うんだが。
どうしても庶民文化が華やかだった頃の江戸文化とかの方が風俗史料なんか多いしね
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 23:58:30 ID:UshQzEVu
500年近く前だもんな。庶民の資料となるとキツイんでないの。
でも案外そこらの蔵にあったりするんだよな。探さないだけでさ。
農村の食生活は江戸時代も変わらないんじゃないかな?
江戸時代の食文化と言っても町内だけで農村はたいした物食べてない
むしろ戦国時代の方が規則が少なそうだし、江戸時代よりいい物食ってたかもしれないな
兵士が強いイメージのとこ (サンプル数1 甲斐)
って飯がいまだに
>>21はまず
「五穀豊穣」の「五穀」とは何かを調べるといい
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 04:08:31 ID:bzgxVpUH
戦国大名の多くは米食ではなく麦食なんだよね。
別に米が食べられないわけではなく、公家どもは普通に米食・白米食をしてたが
武士はあえて麦食や玄米食を好んだらしい。老後の秀吉は食が細くなって麦などは食べず
白米をさらに細かくしたものを食べてたらしいけど
そんなのは例外みたい。
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 09:22:32 ID:3Kw94ZRJ
>>19 東北はどんぐりころころが主食だよ!!
よ!!じょうもんじんの末裔ってか!!
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 09:23:27 ID:3Kw94ZRJ
>>21 どんぐりころころをわすれるな!!
東北の主食だぞ!!
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 09:24:53 ID:3Kw94ZRJ
>>32 麦食っつたって、混ぜご飯だろ。
米8麦2くらいか?
36 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 10:18:13 ID:VSvq7E+j
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 12:06:09 ID:HlEDfvYO
そんなもん食えたもんじゃないぞ
家康も余程の物好きだな
消化器が弱かったらしいのに身体によくない事してたんだな
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 12:43:11 ID:hZ66m1Fi
肉食についてはいろいろ意見が出ているが、
現代人みたいに煩雑にというかほとんど毎日食ってたわけじゃなく
たまに食ってたという事でいいと思うんだけどね。
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 13:49:42 ID:zwqbax9D
>>38 食用の肉牛がいたわけじゃない
老齢で働けない牛馬 病気で倒れた牛馬の皮革をはいだ後の
肉だからものすごく硬かったか血が回って臭かったはず
それが肉食が普及しなかった要因だと思う
40 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 14:10:43 ID:VSvq7E+j
問題は
毎日食べてなかった
↓
日常的に食べてなかった
↓
肉食はなかった!!!!!
って、話しを勝手に飛躍して発狂する人が問題なだけ。
38の意見でいいんだけど。
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 14:15:29 ID:VSvq7E+j
>>37 米=財産 だから少しでも蓄財して軍備を高めようと必死だったから。
鷹狩にはおにぎりと味噌を持って行ったけど、食べ残した場合はそれを夕食にしたりした。
余りに節約するから、小姓が気を使って麦の下にこっそり米を多めに持った所、大激怒した逸話もある。
また、信長が冬に贈り物として桃を送った所「信長様と自分では立場が違う」と食べもせずに庭に投げ捨てたりもした。
もし自分が桃を美味しそうに食べれば領民達が米より果物に力を入れるようになり、引いては国力が衰えるのを恐れたんだとか。
無茶してたんじゃなくて、自分に厳しく生きてたんだと思うよ
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 14:57:58 ID:7iEY+urV
徳川将軍の3食には必ず味噌汁を付ける事と言う不文律があったらしい
>>38 「たまに食ってた」じゃなくて「ほとんど食べられていない」が正解
哺乳類の肉を一生食べずに死んだ人がほとんどだろう
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 16:18:15 ID:3Kw94ZRJ
>>43 うんうん、日本みたいな狭くて貧しい国では、たまにでも肉食うなんてほとんどの人には
不可能だったろうな。
まあ、だから、この狭い国土で3000万なんて異常な人口を養えたんだが。
45 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 16:18:34 ID:b/SL42L/
>>42 俺も歴代徳川将軍の朝食で必ずキス(魚)が出されていたと言うのを
聞いた事があるな。当時は刺身だったのかなあ?
>>17 日本在来種のタニシは殻高70mm程度までに大きくなります。それ以上は…
古代中国では米より粟の方が上品なもの、といわれていたそうで、
麦粟雑穀だけ炊いたものや粥、というのはけっこううまいですよ。
消化に良い悪いは調理の仕方次第かと。
とりあえずスーパーで買ってきて炊くなり粥なり作ってみては?
(調理前に一日くらい水に浸しておく手間がありますが…)
ただ戦国時代は秀吉以降ほど税が重くなく、農村に米の蓄えはかなりあったようです。
たとえば戦国時代は米焼酎といわれており、ほかの種類は江戸以降米が使えなくなってから
代替品として種類が増えたと言われています。
農民は武将より日常的にお米を食ってたかもしれませんねぇ。
>>44 そういう事じゃなくてな
日本は明治に入るまで畜産も酪農も経験してないんだよ
せいぜい鶏を飼うくらいなもんだ
48 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 16:25:55 ID:bzgxVpUH
>>47 基本的には正しいと思う。
でも徳川光圀は牧場経営をしてたと聞いた事があるんだけど
ガセなのかな?
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 16:28:27 ID:bzgxVpUH
>>48-49 特殊な例を挙げて常識を否定すんなハゲw
そういう部分からキチガイが発生するんだよ
誰かが試験的に牧場経営してみた=日本は江戸時代から酪農と畜産の経験がある
=江戸時代から酪農と畜産が産業として定着している→キチガイ
51 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 16:40:58 ID:bzgxVpUH
>>47は精神異常だな。
「俺は、徳川光圀が酪農の経験はあるよ」と一言言っただけで
一言も「産業として定着してる」とは言ってない。
妄想狂の上、精神に病を持った人としか思えない。
52 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 16:49:02 ID:3Kw94ZRJ
>>47 そう言う事なんだよ!!はげ!!
生産力に限界があるから、肉食禁忌になったの!!
魚と大豆のほうが効率いいからな。
まあ、両方の要素があったんだろうが。
>>48には
>>47を否定しようという意図が明確にあるのと
さらに
>>49で必死に補足説明している所が笑えるんだけど
それでも狂人曰く「一言書いただけ」だそうなw
なんか書き込みしにくい空気だね。
>>52 文明開化で牛を使った料理の専門店が出来ても
一般人は気持ち悪がって利用しなかったそうだ
つまり、明治に入るまでは
「進んで哺乳類の肉を食べよう」という発想がなかったんだよ
死や血は穢れにつながるって考えでしょ
57 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 17:08:13 ID:3Kw94ZRJ
>>55 だから、支配者に都合がいいから、そういう考えを広めたんだよ。
米は戦略商品、貯蔵が利くから、米があればあるほど、沢山の兵が養えるし、遠征もできるからな。
肉なんて食ってたら、兵力が10分の1になってしまうからな。
58 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 17:37:31 ID:3Kw94ZRJ
国民の平均身長がどんどん縮んでいた江戸時代の食糧事情なんて現代の北朝鮮並み。
東北なんて、どんぐりころころが主食だ。
それにしても、現代の北朝鮮の飢餓の原因も日本の植民地支配にあるわけで、やはり日
本人は罪深いのお。
59 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 17:43:06 ID:bzgxVpUH
>>58 >現代の北朝鮮の飢餓の原因も日本の植民地支配にあるわけで
ないよw
62 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 18:26:06 ID:3Kw94ZRJ
>>59 >>60 >>61 だって、日本の植民地支配のおかげで人口が増えすぎて今の飢餓があるんじゃん。
南の穀倉地帯から切り離されたというのもあるんだろうけど。
もともと、北の大地であれだけの人口を養うのは無理なんだよ。
食料を輸入でまかなえる経済力をつけるか、人口を大幅に間引きしない限り北の飢餓はいつまでも続くよ。
不作とか農業政策とか、そういう問題じゃないんだよ。
だいたい、台湾も、韓国も日本が植民地にしたところは人口密度高くなりすぎなんだよ。
フィリピンとかべトナムとかの米作地帯も山がちな地形の癖に人口多すぎだけど、それと比べても異常に多
いんだよ。
すべての日本のオタク的な米一極偏執農業政策の弊害だよ。
で、ここに来て、肉とか食い始めやがって。
おかげで、日本も、台湾も、韓国も、北朝鮮も少量を輸入に頼らない限り、国民を養えない国家構造になっ
てしまった。
63 :
訂正:2006/11/14(火) 18:28:28 ID:3Kw94ZRJ
>>62 >>すべての日本のオタク的な米一極偏執農業政策の弊害だよ。
すべて日本のオタク的な米一極偏執農業政策の弊害だよ。
>>おかげで、日本も、台湾も、韓国も、北朝鮮も少量を輸入に頼らない限り、国民を養えない国家構造になっ
>>てしまった。
おかげで、日本も、台湾も、韓国も、北朝鮮も食料を輸入に頼らない限り、国民を養えない国家構造になっ
てしまった。
65 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 18:34:44 ID:hZ66m1Fi
「天明の飢饉で飢えた農民どもは犬や猫は言うに及ばず牛や馬まで食べた」という記述があり、
飢饉の時はともかく平時は牛や馬は食べなかったでしょ。
いやもっと酷い肉を売っていたという噂も・・・
67 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 18:43:22 ID:3Kw94ZRJ
やっぱ、人間、動物性たんぱく質、肉、乳、卵、食わないと強くなれんぞ。
肉食え戦国日本。
マサイ族なんて牛乳だけでアフリカ1の戦士だ。
周りの農耕民はびびりまくりだぞ。
ライオンは殺した獲物の腸を真っ先に食らう
何故なら腸の中には消化された草がぎっしり詰まってるからだ。
野菜のほうが重要なんだよね。
何時の間にか精神異常と在日の巣窟になってるな
70 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 19:08:24 ID:VSvq7E+j
>>47 近江も米沢も畜産してたけど????米沢に至っては市まで開かれて庶民達も牛肉食べていたんだけど。
詳しくは米沢牛でぐぐれ
>>62 あんた大間違い。
北の前将軍、金日成が北朝鮮の支配を始めた頃、農業政策として密作だっけ?を始めた。
これは、稲と稲との隙間を限りなく狭くして、できるだけたくさんの稲を植えると言う方法なのだが、
耕地面積を増やさずに、稲の量を増やした為、稲の成長不良により不作→飢餓発生!!
じゃ、今度は耕地面積を増やそうと、山の木を燃やし、傾斜のある土地を耕作した。
が、もともと山の斜面じゃまともに育つ物も育だたつ不作→飢餓発生!!
山の木を切り倒したことにより、山に降った雨が一気に下流に流れるようになり、
土石流や水害により水田が泥にうまり不作→飢餓発生!!
川に多くの土砂が流れ込み、川が汚れ川の生態系が破壊され、
海にも大量の土砂が流れ込み、近海漁業も全滅→飢餓発生!!
と、いう北の将軍様の失策の連続につぐ連続により現在の北の食糧不足が起きているのだから、
日本の支配も南の穀倉地帯も関係ないよ。
72 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 19:19:17 ID:WkdUAORz
>>71を補足すると、
中国の毛さんも似たような事を文化大革命の時期にやって、
中国の人民数千万人を飢餓がおいやってるから、中途半端な共産主義が及ぼす悲劇なんだろうね。
なんでもかんでも、日本の併合政策に原因を求める自虐史観はやめたほうがええよ。
つうか人口増えたのなら統治が良かったんだろw
日本が出て行って維持できなくなったのなら尚更日本の統治が良かった事になる
結論はどうぞ極東板かどこかで頼むわw
スレタイに戻ろう
>>74 ついつい脱線してまった。すまそ。
さっさとスレタイに戻りまっしょい。
八丁味噌って戦国期にもあったんだよな。
これは意外に重要な戦略物資ですぜ。
そういや三国志の頃、曹操は米の備蓄の為に、酒の製造を禁止したらしいんですが、
日本の戦国期には似たようなことした人っていなかったんですか??
普段から質素倹約して備蓄に努めた家康なら、こういう話聞いたらやりそうなんですけね。
>>78 戦国時代のどこかの国の話で
兵士にいっぺんにまとめて米を渡すと
勝手に酒を造るヤツが出てくるから
その日食べる分を毎日支給したとかいう話があった
80 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 20:35:25 ID:bzgxVpUH
というか江戸時代の肉食を否定してる連中ってなんなの?
実際獣肉を料理にする専門店がそれで商売成り立ってんだからそれなりの需要があったのは間違いないだろ。
ももんじ屋は江戸近辺だけでも品川や深川などあちこちにあり、それこそ岡場所よりも数はあった。
夜鷹みたいな特殊な例を除けば、
吉原遊郭などだれでもしってる売春宿が江戸時代にあったにもかかわらず、江戸時代には売春なんぞごく一部の例を除いて無かった
といってるようなもんだよ。
そら、表向きにはタブー視されてたから、おおっぴらに肉食を賛美するような史料が無いだけで、実際には肉食の習慣自体はあった。
そりゃ信心深い連中なんかは肉食を蔑視とかしてたから今に比べりゃたしかに気軽に食えるようなもんじゃないけどな。
というか戦国時代板で必死に江戸時代の話をしようとしてる連中ってなんなの?
84 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 22:33:17 ID:VSvq7E+j
論破されそうになると江戸時代の話をしようとしてる連中ってなんなの? と言う奴なんなの?
前のスレと同じ流れだなw
いい加減肉食否定厨は消えろよ。根拠のない妄想でしかないんだからさ。
>>82〜
>>84 まぁまぁ、落ち着け各々方w
そんな輩は放ったらかしといて漏れと一緒に猪鍋で一杯やらぬか?
麦焼酎もあるでよw
87 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 00:01:40 ID:VSvq7E+j
だろ。苦し紛れの嘘しか付けないんだろ。
88 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 00:01:54 ID:5pYR6FQp
>>83=
>>47は、上で散々論破されてるじゃない。
人間として恥ずかしくないの?
89 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 00:02:30 ID:WZxNI6LV
極論ばっかのくだらねースレ違いな言葉遊びしてんなよ
特に
>>82の詭弁が酷い
Q、日本人はゴキブリを食べるんですか?
A、下手物を料理にする専門店がそれで商売成り立ってんだからそれなりの需要があるは間違いない
よって日本人はゴキブリを食べる
嘘ではないが、極一部等の限定条件すらないのは実に非論理的
〜だから、〜は間違いないの使い方がおかしい
>>82の〜だからの条件下では、潰れない程度の需要はあったのは間違いない。が正しい
>ごく一部の例を除いて無かったといってるようなもんだよ。
吉原遊郭などだれでもしってる売春宿が江戸時代にあったから、江戸時代には売春は「大概のものがしていた」ソース出せ
肉食ってたか食ってなかったか何てどうでもいいし興味ないけど
尤もらしい詭弁があったから俺も言葉遊びしてみた
だすな
91 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 00:09:54 ID:5pYR6FQp
>>89 江戸期にゴキブリの調理をして出してた店のソースプリーズ
一つも出せなければ妄想魔。
明日の朝一で心療内科へGO!
商売人が
潰れない程度しか需要のない飲食店を何店も出すわけがないだろ
94 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 00:22:10 ID:5pYR6FQp
96 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 00:29:28 ID:5pYR6FQp
ID:5pYR6FQpはNG設定で
Yes, ma'am.
マジレスしようか・・・。どうしよう・・・。
どうせ釣りだからスルーでおkだな。
うむ
菜の花っておいしいよね
102 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 01:15:29 ID:5pYR6FQp
妄想のお花畑の中で江戸のゴキブリ料理について語り合うスレはここですか?
102 :ローカルあぼーん :ローカルあぼーん
ローカルあぼーん
…栄養価高いんですよ、ゴキブリも他の昆虫も。
現在でもゴキブリの多くの種が野外で生活しているわけですが、
外で捕まえようとしてもなかなか見つからないはずです。
そんな採集しにくいものを常食するのは難しいですが、
家畜としては”カイコ”とか、日本でも昆虫を食べる習慣はあったかと。
一般的には蛹が有名ですが、幼虫も、とくにウィルスに冒された幼虫はおおきくて甘くて
日本でも近年まで農家の良いおやつなっていたらしいです。
ただ中国では現在でも幼虫は”菜”として市場で売られているので、
食料として”肉”とは扱われていなかったかもしれませんが…
また、室町戦国時代の日本の生糸は中国産主のと比較し劣っていたため、
当時は全国的に養蚕が盛んだったわけではありません。
だから一般的に常食されていた、とは言いがたいかもしれませんけど…
ステレオタイプなQ&Aをやるんだったら
〜〜な人もいた程度で日本人はゴキブリを食べるって言われても困るわけで
どうでもいいけど
>>47のようなレスをニュー速でも見たんだが
かの国の常識を日本の常識として流行させようとしてる人でもいるの?
>>104 カイコやハチの子、イナゴなんかは今でも佃煮にして食べてる所があるな。
スレ違いだけど、昆虫食は人類にとってはごく当たり前の文化なのよ。
小型で変温動物というのは食用蛋白生産源としては大変優秀な要素だし。
哺乳類であれば、10トンの草で200キログラムの蛋白質が生産されるけど
昆虫であれば、10トンの草で2トンの蛋白質が生産できる。
昆虫たちは地上にすむ生物達の貴重な蛋白質源なのよ。
108 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 07:20:17 ID:vxwbK8IU
>>70 ぐくってみたよ。
その結果。
>その興譲館で明治四年から
>八年までの間教鞭を執った
>チャールス・ヘンリー・ダラス氏が
>故郷を懐かしんで四つ足の動物は
>食べないとされた米沢の地で
>牛肉を食べたのが食用としての
>米沢牛のはじまりである。
http://www.yonezawagyu.jp/10.html 何で、そんな明らかな嘘ついてまで、
他人を論破しようとすんの?
109 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 07:22:31 ID:vxwbK8IU
>>82 そりゃ、そういう店はあるだろうね。
別に肉食を完全否定してるなんて誰も言ってない。
ただ現代人みたいに煩雑に食われてたとかいうのを否定してるだけ。
110 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 07:30:15 ID:vxwbK8IU
111 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 08:20:00 ID:PCWpPEBv
みんな無駄に高圧的だな
もちつけ
日本には食用ガエルが野生化して自然界で生きていて
食用ガエルを食べさせる店もあるらしいけど
外国人に「日本人はカエルを食べる国民です」と言われたり
将来の日本史の授業で「この時代の日本ではカエルを食べていました」
と教えられたりするのには抵抗があるだろ?
ついにまともに議論できる人間もいなくなったか・・・
114 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 10:18:34 ID:5pYR6FQp
妄想のお花畑の中で江戸のゴキブリ料理について語り合うスレはここですか?
上がってる時って変なの湧くよね
116 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 11:02:17 ID:86zIkNGg
だから、現代の発展途上国の人間がどれだけ肉食えてるか考えたら、昔の日本の
状況もわかるだろ。
北朝鮮見ろよ。
あそこの人間が肉食えてると思うか?
この貧相な国土に3000万人も人口いて自給自足だったのに、肉なんて食える余
裕あるわけないだろ。
まあ、それを強制じゃなくて、穢れという思想で行った日本の支配者層は巧妙だった
けどな。
強制的に禁止するより、よっぽど効率がいい。
でも、おかげで部落差別が発生したけどな。
牛馬の死肉処理と田畑を荒らす猪鹿の駆除肉だけではたかが知れているからな。
食えるのは、部落プラスアルファぐらいのもんだろ。
「続日本書紀」には一応食用とも書かれているけど、
それが庶民の間で食べられていた物か?と言われると疑問はあるよねぇ。
将軍家に献上されたり大名の重臣が見舞い品として献上しているのは分かってるんだけど。
118 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 11:48:00 ID:5pYR6FQp
肉食禁止令が出たのは天武4年(675)だよ。
当時の人間が限界人口など考えてるわけがないじゃんw
「戦国時代の肉食」ってスレ立てようか?
江戸時代云々言ってる奴は史板へ行け。
北朝鮮云々言ってる奴は極東板へ行け。
>>107 これから起こりうるであろう食糧危機回避の為に
蛋白質の摂取源を昆虫に切り替える事を推してる人もいるね。
現実的には富裕層が現状を維持し
貧困層が昆虫を食べるという構造になっていくのかしら?
>>116 >現代の発展途上国の人間がどれだけ肉食えてるか考えたら
それは考えなくていいよ。
「家畜に食べさせている農作物を人間に食べさせたら飢餓が救える」とかいう話と
戦国時代以前の日本で食べられていた野生動物とは無関係。
農作物を与えられていないのだから。
122 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 14:10:04 ID:KJ9KrNBE
123 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 14:52:10 ID:vxwbK8IU
>>124 はあ?
ちゃんと読んでるよ。あんたこそちゃんと読めよ。
米澤紀伊国屋前にある
英国教師 ダラス氏の像 上杉鷹山は藩校を開校し、
その名を興譲館とした。
その興譲館で明治四年から
八年までの間教鞭を執った
チャールス・ヘンリー・ダラス氏が
故郷を懐かしんで四つ足の動物は
食べないとされた米沢の地で
牛肉を食べたのが食用としての
米沢牛のはじまりである。
その味わいに、いたく感動した
ダラス氏は、任期を終え、
米沢をはなれる際に一頭の
牛を横浜へ連れていった。
彼の友人たちは、その牛肉の
旨さを口々にほめそやし、
それがいつからか
「米沢牛」が全国に広がる
きっかけとなった。
どう見てもそのサイトを
読む限りでは肉牛なんてなかったとしか
思えないのだが。
一人よがりなり靴はやめて欲しいな。
124 :
123:2006/11/15(水) 15:01:45 ID:vxwbK8IU
>>122 まずアンカーミスだ
>>124ではなく
>>122ね。
で、あんたが必死で探したであろうサイトの一群も
一番下の「但馬牛」の記述で「こっそり食べられていた」とかある
以外は維新以前の食牛のことなんて書かれてないね。
しかもそのサイトも牛肉の店が書いたもので食牛にやや肯定的な
立場から書かれたものと思われる。
それと牛の養殖・畜産だけど、そりゃ農業のために牛は必要だから、
ある程度は畜産されてたろう。馬ですらそうなんだしね。
しかも昔は農民が日本人の95%だから
武士の必需品の馬以上に牛は需要があったろう。
あんたは単純に「昔から牛が結構、畜産されてたから、
牛肉もたくさん食べられてたろう」と言いたいようだが、
それは的外れだと思うがなあ。
牛も基本的には草食わせとけば良いだけだし。
ヨーロッパで牛の放牧が盛んだったのは、連作障害で休耕地が多く、その休耕地で牛の放牧が行なわれてたんだ。
牛は草を根っこまで食べないので、土地を荒らすこともなく排泄物が畑の肥料にもなったからね。
牧畜というのは基本的に耕地に適さない土地での食糧生産法だったんだよ。
実際、長い冬をすごすための貴重な食料源だったわけで>牛、豚
今みたいに穀物を与えるようになったのは「美味しい肉を早く育てるため」だからなぁ。
江戸期に食用の畜産が小規模化したのは、宗教的意味合いが大きいんだよ。
狩猟によって手に入れた肉に関しては、食用には特に禁じられていなかったし。
>>106 イナゴも蜂の子も美味しいよね。形はアレだけど。
牛がたくさん飼われていても牛肉喰わない食習慣のインドって国が現在もありますなぁ。
>>125>>126 言いたい内容に反論する気はないですけど、
”そこらの草喰わせてるだけでいい”というのは、畜産とか農業とかなめすぎでは?
(家畜が冬越しの食料とかいうのもちと異説な気がします)
まぁ日本では”四つ足を食べる”ことが避けられてきたわけで、
それを”肉を食べる”ことと同一にあつかうのは、ちとおかしい展開ですわなぁ。
日本人が古来から食べてきた肉には”鯨”ちゅうものもありますしね。
129 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 17:06:58 ID:86zIkNGg
>>125 鶏と豚の餌は人間と競合関係にあります。
そのため残飯でも育ちますが、多く飼いすぎると人間の食料を圧迫します。
だから豚は人間の糞も食べます。
たんぱく質の取得ならやはり大豆と魚の方がはるかに効率がいいですね。
牛は確かに草で育ちますが。
牛一頭育てるのに、一ヘクタールの土地がいります。
江戸時代の日本の耕地面積は300万ヘクタールほどです。
>>126 江戸期に畜産が小規模化したんじゃなくて肉用に牛飼う習慣なんてもとも
となかったんだよ。
牧草に使える土地があったら、水田にするのが日本だろうな。
それでも、地域によっては、農家一軒で牛、3,4頭飼うのは当たり前だった。
畑作地域では、牛や馬の糞はそれだけで貴重な肥料だしな。
駄獣としても、農耕用としても、堆肥ようとしても、牛の需要はいくらでもあり
ました。
皮革もだけど。
130 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 17:08:36 ID:86zIkNGg
>>128 インドは牛乳は飲むんだよね、たしか。
あと、スイギュウは食うらしいw
131 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 17:12:33 ID:86zIkNGg
薩摩藩は豚食ったらしいが、あれはサツマイモのおかげか。
サツマイモなら葉や茎で豚を育てられる。
で、栄養バランスから、サツマイモだけでなく、豚も食わない
といけない。
パプアニューギニアあたりがそうだな。
しかし、薩摩藩てサツマイモが普及するまで、なに食ってた
んだろう。
不思議だ。
132 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 17:14:48 ID:86zIkNGg
>>128 反論したらー
鶏と豚を草食わしとけば育つなんて、無知にもほどがある。
>>128 >畜産とか農業とかなめすぎでは?
現代の視点から見れば確かに舐めすぎだけど(そんなことをしていると売り物にならない)、
中世、近世におけるヨーロッパの畜産という点をかんがみれば
それほど舐めてない。
中世ヨーロッパにおいては家畜が越冬用の貴重な食料だったのも事実。
この時代、食卓に肉が並ぶのは冬の時期くらいだった。
>>129 畜産=肉用に牛飼う
ではないよ
家畜・家禽を飼って、乳・肉・卵・毛皮など生活に必要な物資を得る産業
のことを畜産っていうんだ。
さまざまな資源を得るために家畜を飼うことを畜産って言うんだね。牛だけには限らないわけだ。
>>126は
「食用の畜産が小規模化したのは」とある。
つまり、食用のために家畜を飼うことが小規模化した。ということを言ってるんだと思うよ。
どうもここで問題にしたいのは
どの程度肉を食したか?どの程度畜産が発達していたか?という話のようだけども
そんなもん場合によってまちまちだろ。
全国を一括りに話して空論に陥るくらいだったら
個別の年代や地域について言及した方が建設的じゃないか?
>>129 >牧草に使える土地があったら、水田にするのが日本だろうな。
ちょっと試しに、現在日本にある牧草地を水田に作り変えてみてくださいな。
斜面を水平にして遠くから水をひっぱってきてりっぱな水田を作ってくださいwww
そろそろ「戦国時代の肉食と牧畜について語ろう」って別スレ立て移動してくんない??
137 :
123:2006/11/15(水) 18:21:13 ID:vxwbK8IU
日本で農民が牛を食用に育てていたとか
勝手にどこにもない話し作るな。ソースを示せ。
大体、そんなのが自室なら、天明の飢饉の時の
「百姓たちは犬や猫は言うに及ばず牛や馬まで食った」
という記述をどう説明するんだよ。
確かに維新以前に「肉食は全く無かった」と言っている奴はDQNだが、
あんたみたいにどの史料にも乗ってないような農民が
牛を大量に育ててたみたいな作り話を確信的に話す奴も問題だぞ。
乳や乳製品に至ってはデタラメ。日本では乳は飲まれてない。
チーズにしろ奈良時代にはあったがそれ以降は廃れてほとんどなくなった。
江戸中期以降、江戸近辺に在住してる人間なら誰でも獣肉を食おうと思えば
金を払っていつでも食えた環境だったのは間違いない。
それって江戸に限っては食肉文化形成されていたと言っても過言じゃねーんじゃね?
139 :
123:2006/11/15(水) 18:26:05 ID:vxwbK8IU
>>133 なんのソースも上げずにそんな主張ばかりしててもね。
結局、
>>123 >>124の反論もできないし、
周りになに言われてもさらに突飛で無知な話しばかりするのがあんただ。
「牛は草食わせとけばいい」とかさ。
140 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 18:29:55 ID:Ljxm4aAj
牛育てたことないけど、牧場って
わざわざ水の供給もないような辺鄙なとこに作るものなのか
江戸中期のどこが「戦国時代」なのか
142 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 18:32:41 ID:86zIkNGg
>>135 欧米で連作障害を回避するために牧草地にしていたような土地のことだよ。
日本では、すべて、連作障害のない水田にされるだろ?
144 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 18:35:08 ID:86zIkNGg
しかし、肉食のない過去の日本の食事が現代日本人にとってあまり
魅力的でないのは確か。
江戸幻想にあこがれる、ウヨバカ、左翼逃避主義者には、あまり認め
たくない現実なんだろう。
ファンタジー世界としてはつまらんすぎるからな。
145 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 18:35:12 ID:vxwbK8IU
>>138 そうだよ。結局は
>>38の
>肉食についてはいろいろ意見が出ているが、
>現代人みたいに煩雑にというかほとんど毎日食ってたわけじゃなく
>たまに食ってたという事でいいと思うんだけどね。
が正解なんだろうけど。
「全く肉食は無かった厨」と
>>133みたいな「畜産厨」がいて
話しをややこしくしてる。
検索してみてもほとんどのサイトは
>>123に書かれているような事しか書いてないのに
「農民は大量の牛を飼育し乳、肉、皮をとっていた」
とかいうどこの史料にもない話しにしてる。
少なくとも乳はない。
肉も基本的には飢饉の時以外は食わなかったろう。
死んで皮を剥ぐことはあるがそれは被差別民に依頼してた。
そんなとこだろう。
むしろ被差別民は肉食ってたかもしれないが。
146 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 18:36:13 ID:86zIkNGg
>>143 くそー!!
バカにするな!!
じゃあ、段々畑か棚田にします!!
>>137 >確かに維新以前に「肉食は全く無かった」と言っている奴はDQNだが、
一通りログを確認してみたけど
そういう事を主張しているアホは一人もいませんでした。
あなたのように、ありもしない意見を勝手に作り出して勝手に反論する意図が分かりません。
148 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 18:38:43 ID:86zIkNGg
>>145 この138がどの程度だったかだな。
もともと需要がなくて、極少数の人が食おうと思えば食えたのか。
それとも、結構流通していたのか。
おれは、残念ながら、ゲテモノ食いの物好きがたまに食う類のも
のだと考えてるんだが。
149 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 18:39:04 ID:vxwbK8IU
>>148 そういう事。
一部のケデモノ食いと
農民が飢饉の時に緊急避難に食うのと、
牛の死体を貰った被差別民が食う程度だったろう。
うーんと、北関東でも殆ど畑だよね。
稲にしても陸稲が主流だったんじゃないの?
水稲の方が収穫量が多いのは確かだけど
基本的にそれが収穫されだしたって、
灌漑設備なんていうほど進んでない。
江戸期の新田開発も実質は「陸稲」だったはず。
何で陸稲かと言えば
>>140の言うように水の供給が無いから。
でも、
>>140の言うように水が無いから稲作してないって言うなら
間違いだと思うけど。
いったんまとめ
ID:vxwbK8IUは
「日本は明治期まで本格的な意味での畜産業はなかった」という事実と
「畜産もなく食肉産業がないので食肉の習慣もほとんどなかった」という意見を
「日本人は明治期まで全く動物の肉を食べませんでした」と勘違いして暴れているDQN
153 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 18:42:41 ID:86zIkNGg
江戸の日本の人口は3300万。
同じ時期の朝鮮半島の人口は750万。
江戸時代は北海道は食糧生産できないから、面積に入らない。
朝鮮半島24万キロ平方、日本30万キロ平方。
面積と人口考えたら、日本がどれだけ無理をして大人口を養っていたのかわかる。
朝鮮と比べて同じ面積で4倍の人口を養わないといけない。
庶民が肉食う余裕なんてあるわけない。
日本むちゃくちゃすぎ、米食いすぎ。
米、米、米、米。
>>151 2段目修正
水稲の方が収穫量が多いのは確かだけど
基本的にそれが収穫されだしたって、
灌漑設備が進んでからで、たしか明治以降のはず。
江戸期の新田開発も実質は「陸稲」だったはず。
ID:86zIkNGg
突っ込んだらコイツもDQNな事を書き出したw
156 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 18:45:17 ID:86zIkNGg
米だらけ日本!!
狂牛病もあるし、現代日本人も昔を見習って、肉食うのやめるべきだ!!
>>151 更に修正すまない。
>>140じゃなくて
>>135だったね。
水が無いから水田が作れないって言うの。
陸稲を作るのは畑ってことが言いたかった。すまない。
>>153 そういう事。
加えて日本は平野部が非常に少ない。
で、今の日本の人口は江戸時代の四倍だが食料自給率は40%。
農業従事者や耕地も減ってるが農業技術は最高水準。
ちなみに戦前になんとか食料自給できたのは満州や台湾があったから。
あいにく膨大な陸地を必要とする肉食は無理だろ。
ちなみに鶏は採取できる肉の二倍の穀物。
豚は四倍の穀物。牛は八倍の穀物が必要。
加えて日本では乳や乳製品の文化はない(平安時代までは少しあった)
あまり畜産するのは得策ではない。
牛なんて巨体だからその辺の草は全部食べつくすだろう。
ID:vxwbK8IU
ID:86zIkNGg
この二匹をNG設定してください
ももんじ屋に代表される食肉飲食店のメインの獣肉は
猪、鹿などで、牛馬なども供されてはいましたが、畜産で得たものではなく、
猟師が山で獲って来た獲物をメインに供給されてたんですが。
ちなみにももんじ屋の猪鍋も、4人前でも100g程度しか肉が使われず
残りの具材は野菜等と共に調理され、猪数頭で一ヶ月以上商できた。
一人の猟師からの供給で数店舗分の獣肉が卸されていたので
江戸に限っては畜産の獣肉が必要なほど需要が無かったともいえる。
ID:vxwbK8IUは人口とか供給率とか数字出してきたが
前スレで叩かれてた痛い子かね?
俺は傷ついたぞとか言ってたお馬鹿
ささみを蒸して塩だけの味付けってのが一番近いと思う。
だから日本って親米なんだ
誰が上手いこと言えと
>>159 分りました。
しかしID:vxwbK8IUの暴れっぷりは凄いなw
165 :ローカルあぼーん :ローカルあぼーん
ローカルあぼーん
167 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 20:23:30 ID:86zIkNGg
>>161 いや、鶏も食ってないよ。
戦国時代。
あれ、目覚まし代わりだったらしい、まじで。
鶏肉食うようになったのは明治になってから。
卵は江戸時代後半から。
168 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 20:24:22 ID:86zIkNGg
>>160 四人前で100グラムなんて、一人25グラム???
何じゃそれは???
それで、肉料理といえるのか。
それでも、当時の人には、肉食うの大冒険だったのかもな。
戦国時代の酒の肴は主になんですか?
謙信が塩をつまみにしていたと聞いたけど
実際やってみるとつまらなかったです…。
171 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 20:29:29 ID:Ljxm4aAj
>>161 400年も昔の農民にそんな物食わせたら腹壊すぞwwww
魚(うお)がなぜ「さかな(酒菜)」と呼ばれるようになったのか
>>169 味が濃く臭みもあったんで、大量の野菜と共に供されてた。
無論肉好きは肉を追加注文とかしてた。
といっても現代でも一人前が大人一人腹いっぱい食える量ってわけじゃなく
肉鍋も米のおかずってよりは酒のアテみたいなもん。
江戸初期、庶民に流行してた犬鍋なんかも臭いが凄いので野菜とともに煮込む鍋料理がメイン。
焼肉みたいな調理法はほとんど無かった。
174 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 20:42:47 ID:Ljxm4aAj
内陸は干物?
175 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 20:56:26 ID:KJ9KrNBE
>>123 口の悪い奴。昼間からずっと張り付いてるなんて余程暇なんだね。
で、123の書いてるのを見てそれ以前に肉牛はなかったと言いたいの?発狂するにしては浅はかだよ。
その後の書き込み見てでも釣りにしか思えなくなってきた。
簡単に説明するね。君の書いてるのは「米沢牛としてのブランドが確立したのが明治4年以降」なの。
なんで、それが肉食ってなかったんだ!ってなるの??
まあ、そう誤認して紹介しているサイトもあるのは事実だけどね。
相手を口悪く罵る前にさ
>>152で書かれてるように話しを勝手に飛躍させ過ぎだよ。
>>167 >>161のリンク先の【ニワトリの飼育のはじまり】
には室町時代には食用にしてた記述がありますね。
揚げ物は宣教師とともに入ってきたから、鶏の唐揚げはありそうだと思ったんだけどなぁ…
…とにかくごちそうさまでした。
177 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 21:03:30 ID:86zIkNGg
>>176 そうか、戦国時代にはケンタッキーは食えたのか。
よかった。
味噌汁とご飯だけではあまりにも味気ないからな。
タイムスリップしたくないもん。
>>170 謙信は梅干しや焼き味噌を酒の肴にしていたようですね。
>>170 真の酒飲みは塩だけで飲むよ。まあ、そこまで行くと飲兵衛でしかないけど。
そうね、飲兵衛は塩だけで飲むね。
なんでも、酒を呑みつづけるとだんだんと酒がうまく感じなくなってくるらしいが、
その感覚をクリアするのに塩がいいって、NHKの番組で見たことがある。
だから酒のつまみは塩っけのあるものが多いんだとかないんだとか。
ID:U2gQRKOa もNG設定するとすっきり^^
当時にイカの塩辛やスルメはあったのでしょうか?
くぎ煮や佃煮はありそうな感じですが
エダマメが無いってのは結構驚いた…
謙信のような重度の飲兵衛じゃない人は
普通に塩っけのあるおかず、総菜とか漬け物でしょうか
>>170 だから謙信の死因の1つに「アルコールと塩分の過剰摂取による脳溢血」というのがある。
ついでに「飲んだ後に行った厠がメチャ寒かった」ってのもある。
では、流れを戦国時代に戻してだな。
>>37 「俺はケチだから麦食ってるんじゃない、倹約して軍備に金を回すためにあえて麦食ってるんだ!」
と30代の頃の家康は言ってたそうな(文献あり)
ところでさ「焼き大根」って美味いの?
山内一豊に家臣が「こんな寒い冬は焼き大根を食べて腹を温めてください」と差し出されたのを
「申し出はありがたいが、息が臭くなって秀吉公の御前に出がたいので遠慮しておこう」って言う逸話がある。
今と違って野菜特有の青臭さが相当な感じにも思えるのだが・・・。
>>176 >>177 戦国時代では獣肉(牛馬)については色々と状況によっては、喰ったり喰わなかったりですが鳥肉については、種類が豊富で鶏は地鶏か軍鶏(しゃも)が養鶏されていたようです。
軍鶏は闘鶏(ギャンブル)に使用し、江戸時代には薩摩にて闘鶏で負けた軍鶏をその場で屠殺して鍋にしている事から(水炊きや鶏すきのルーツ)それ以前より食べていた可能性が高いです。
また地鶏や軍鶏だけでなく、狩猟で(鷹狩り含む)鶉、山鳩、雉、鴨類、鶴、鷺等も鳥肉として食べていたようです。
そして、鶴や鷺は有力大名が祝いの場や接待の場などに、ちょうど魚でいうと鯛みたいな感じで出していたと思います。
長文、スマソ
>>183 家康の「麦飯と思って喰ったら白飯ぢゃねーか!」激怒の件は「名将名言録」に記述されてましたね。
連投、スマソ
>>183 >焼き大根
全くの想像なんだけど、田楽の要領で味噌塗ったんじゃないかな?
>>175 少なくともあのサイトの記述はどう読んでもそうは読めません。
貴方のソースを示さない言葉よりあのサイトの記述の方を信用いたします。
>>187 3つもリンク張ってあるのに読まないで、意固地に押し固まるのは頑固を通り越して
ただの馬鹿だよ。
>>186殿、俺がちょっと検索してみたら料理系サイトで焼き大根のレシピがあったぞ。
おそらく、確実に現代風にアレンジ(または完全な創作料理)されているが参考までにレシピをカキコしようかw
しかし、どう考えてもコレは酒の肴としか思えん…。
肉類がのぼらない食卓というのが
既に想像付かない、我慢できない日本人が普通になりつつあるのかな
米、味噌汁、野菜の煮物・漬物
後は少々の魚ぐらいで人間生きていけるし肉体労働できるんだよ
穀物スゲーってことだな
あと、前の方に出てた「飢饉の時に犬猫はもちろん牛馬までも食った」ってのは
「(あまり役に立たない)犬猫はもちろん(労働力として大切な)牛馬までも食った」って意味でもあると思う
ってか、猫は鼠取りの役目があるとして、あの頃って犬飼う意味ってどんなのがあるんだろ?
>>191 単純に考えて番犬、猟犬に愛玩用(ペット)それに薬用(薬食い)だろう?
犬や猫と違って牛や馬は財産だしね
焼き大根のレシピまだー?
気になるじゃねーかwww
「焼き大根」でぐぐるだけで大量に出てきますが
>>194&
>>195 その大量にある「焼き大根」のレシピのひとつ
焼き大根の塩辛あん2006/01/24放送--------------●講師 宮澤政子さん--------------
■材料【材料4人分】ダイコン…1/2本サラダ油…大さじ4ニンジン…1本エリンギ…2本イカ塩辛…200gダイコンの葉と皮…適宜ゴマ油…大さじ2ショウガ…1片豆板醤…小さじ1紹興酒…大さじ3砂糖、醤油…各大さじ1水溶きかたくり粉…適量
■作り方@ダイコンは皮をむき輪切りにし茹でる
Aフライパンにサラダ油をひく
Bダイコンを焼く 焦げ目を付ける→皿に輪になるように盛る
C別のフライパンに、ゴマ油をひく
Dショウガの千切り、豆板醤を入れる
Eイカの塩辛を加え、炒める
F細かく切った、ダイコンの皮、葉を入れる
Gニンジンの千切り、エリンギの斜め切りを加える
H炒めた野菜に、紹興酒、砂糖、しょうゆで味付け
I水溶きかたくり粉で、とろみを付ける
Jダイコンを盛った皿に、アンをかける
K完成
●イカの塩辛を炒めて、あんにして大根と組み合わせました。ご飯にもお酒にも合いますよ
絶対に当時の「焼き大根」ではない筈w
長文、スマソ
197 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 17:32:59 ID:z9xpewVL
江戸時代の食糧事情は最悪、たんぱく質不足でどんどん身長が低くなった。
やっぱ、ある程度肉を食わないと、人間はだめだな。
どんどん、貧弱になる。
やっぱ、米、味噌汁、野菜の煮物・漬物、後は少々の魚ぐらいでは、人間は
どんどん弱弱しくなっていくんだな。
だいたい、稲作文化圏では豚肉がほぼ必須なのにそれがなかった日本は稲
作文化圏としても非常に未熟で無知、辺境だった証拠だな。
情けない。
結局日本という国は、近代以前には完成された食料システム、食料文化を構
築することは出来なかったんだ。
だから、江戸時代になっても、東北で無理やり米作って飢饉招いたり、未熟
きまわりない。
まあ、気候が中途半端で利用できるようなまともな動植物がいなかったから
しょうがないけどな。
基本的に貧しい土地だし。
で、現代ではどうしようもない食料輸入国になって、世界に迷惑かけまくり。
経済力がなくなったら、飢餓地獄間違いなしだからなあ。
怖すぎる。
哺乳類の肉だけでしかたんぱく質が摂取できないと思っている
小学生様のご登場である!
ズラが高い!ひかえおろう!
焼き大根じゃないけど、美味しんぼに大根のステーキが出たことがあったね
たしか牛かなんかの出汁で似て、炭火で表明を炙ったものだったかな
あと田舎だと焚き火に大根突っ込んで食うやり方もあるみたい
俺は焼き大根よりおでんこそが最強の大根料理だと信じてるけどね
200 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 18:09:20 ID:z9xpewVL
>>198 もちろん、魚や大豆、昆虫でもたんぱく質を摂取できる。
でも、江戸時代の人間は明らかに動物性たんぱく質が不足していたと思うな。
だから、どんどんちびっ子になってしまった。
北朝鮮見ろ、ちびっ子だらけだろ。
あれが、江戸時代の日本の姿だ。
肉食してたら、脚気にもかからなかっただろうし。
結局、日本は過去の歴史においては未熟な食文化しかもてなかったんだよな。
まあ、国土の事情を考えたら、しょうがないけどね。
こんな辺境でよくがんばったよ。
>>197 コピペ乙。
返し方もあいかわらずだねw
>>201 えー!!
いつ俺が、どこに、なにを、コピベしたんだよ。
してないよ!!
203 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 18:49:36 ID:z9xpewVL
>>201 すまん、確かにちょっとだけ、利用させてもらった。
でも、事実だろ。
間違ったことは、書いてないよ。
204 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 18:52:15 ID:BQvndn4S
また長文詭弁か
また傷つく前に帰れ
206 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 18:58:08 ID:z9xpewVL
稲作の本場は華南から東南アジアにかけて、日本は本来、稲作の不適各地。
こんなところで、米作ったらいけなかったんだよ。
合わないものを無理やり作るから、飢饉の連続になる。
半年ROMってろって前スレで言っただろうが
また、面白い子が来たね。
そんな事言ったらアジアと違ってヨーロッパなんか
人の住める地域ですら無いだろうw
209 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 20:53:25 ID:BQvndn4S
>>206 何を作ったらよかったんですか?
何で代論を出さないんですか?
210 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 21:56:57 ID:z9xpewVL
>>209 東北地方は縄文時代を経て独自のヒエ、木の実文明というべきものを過去に形作
っていたとも言えるが、結果的に中央に踏みにじられ続けてきたことを考えると確
かに、代案はない。
やはり、この貧弱で矮小な国土と自然と気候を考えると米以外の選択肢はなかっ
たのだろう。
米以外の農耕では、人口矮小な脆弱な国家として他国に踏みにじられるだけの
哀れな辺境国家にしかなれなかっただろう。
ちょうど日本史における東北地方のように。
まして、隣に中国があるわけだから、今頃、われわれは民族浄化され、ここは中
国の自治区になっていたかもしれん、チベットのように。
それを考えると、先祖が米を選んだのは苦肉の策ではある。
しかし、その米農耕文明も今や完全に破綻し、世界最低クラスの食料自給率に
成り下がり、他国からの食料の略奪によって国民を養っている有様だ。
なんと罪深いことだろう。
このつけをいつか、この国はこの国民は悲惨な形で払うことになるんだろう。
というわけで、ODAかNPOか何か知らないが、海外援助かなにかで、いい気になっ
て日本式の稲作を後進国教えるのは、やめんか!!ぼけ日本人が!!
日本型の農業破綻国家をこれ以上作ってどうする!!
そんな国はこの国だけで沢山だ!!
最悪の環境破壊だろうが!!
>>212-1000 なりませぬ!これに触れるは余りにも危険!!
祟られますぞ!呪われますぞ!
この者乱心致す前は民を安んじ職務に精励する一角の武士なれど
今。時、戦国に至っては物狂いも珍しき事にあらず
どうぞそのまま素通りなされよ
212 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 22:13:13 ID:O2FT6+f9
>>210 > しかし、その米農耕文明も今や完全に破綻し、世界最低クラスの食料自給率に成り下がり、他国からの食料の略奪によって国民を養っている有様だ。
いつ略奪した?
> なんと罪深いことだろう。
食糧を自給自足できない罪?
> このつけをいつか、この国はこの国民は悲惨な形で払うことになるんだろう。
大きなお世話だ。お前、米食うなよ。
213 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 22:18:24 ID:JnS75aJn
釜飯、お吸い物、焼き魚、焼いた肉、漬物、梅干し、緑茶
こんなもんか?
>>213 戦国時代なら、焼いた肉はめったに食えない、お茶もめったに飲めない。
庶民はね。
おかゆか雑炊を少々な毎日なんだろうな。
しかし、昔の庶民てすごいよな。
よくそんなんで生きていられたな。
一人で妄想世界に思いを馳せてくれるのは構わんが、迷惑だからよそでやれ
ついでにひとつ。
もし現代の日本人が昔みたいに、米を食いまくる生活をするならば
カロリーベースの食糧自給率はそこまで悪くはない
米を食え、旨いぞ
217 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 23:01:00 ID:z9xpewVL
ID:z9xpewVL の書き込みはツッコミ入れる所が多過ぎて書く気にならない・・・・・・
誰か頼む。
とりあえず一言。世界各国の食文化の成り立ちについて調べてみ。
君の書き込みは見当違いも甚だしいと分かるから。
ID:z9xpewVLは半年ROMれないのならコテつけてくれ。あぼーんするから。
というかいい加減傷つく前に亡命するか回線切って吊れよ。
>>210 縄文時代と戦国時代では気候も平均気温の違うという事くらいは
基礎知識としてもちろん知ってるよね?
何で荒らしをスルーできないのかね
222 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 23:38:58 ID:z9xpewVL
>>220 東北のヒエ、木の実文明というのは縄文時代のことではないですよ。
つい、昭和の最近まで、水田のない東北地方では、ヒエ、麦、大豆による、二年三毛作の畑作
とどんぐりを中心とした木の実採取を軸とした自給自足に近い農耕が行われてましたよ。
奥州藤原氏時代も、主食はヒエだったみたいですね。
223 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 23:39:55 ID:z9xpewVL
>>221 荒らしではありません!!
多少、このスレが盛り上がればいいなとは思っていますが。
まじめに書いてます!!
いつの間にかホロン部臭いスレになっちまったな・・・・・・
本気で言ってるなら、図書館行って本読んだ事あんのか?としか言えない。
225 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 23:46:09 ID:z9xpewVL
個人的にヒエにちょっと興味があるんです。
どうも、縄文時代に日本で栽培可能にされた可能性があるらしいし。
もしかしたら、唯一の日本発の穀物植物かもしれませんし。
粟とかは明確に中国黄河文明発祥だから。
稲作がなかったら、日本はヒエ文農耕文明になったかもね。
そうなったら、生活様式も今とはだいぶ違うだろうし。
肉食とか家畜とかの関係も変わっていただろうしな。
でも、仏教があるからなあ。
あれは、やっかいだ。
>>222 >つい、昭和の最近まで、水田のない東北地方では
おいおい、
江戸時代に南部藩が大飢饉を引き起こした理由と
何が不作で大飢饉になったのかを書いてみ
>>223 まじめに書いているのならsageろ!
これ以上ageるようなら、完全に荒らし認定。
と、いうか、すでにほぼ荒らしかホロン部並の扱いだけどさ。
228 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 00:12:37 ID:mDdaIL3l
>>226 地域によりますよ。水田が昭和の最近まで、作れなかった地域もあるんですよ。
229 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 00:13:40 ID:mDdaIL3l
>>226 ただ、そういう場所はその地方の気候に合った農耕をしてるので、飢饉には強かったみたいです。
>>228-229 そうじゃなくて、このキティさんは
「東北地方には昭和になるまで水田がなかった」と言っているんですよ
>>230 z9xpewVL=mDdaIL3l
日付変更と共にIDが変わっているから気をつけろ
しかし前スレまではこういうキティさんいなかったのになぁ。
新スレ立てて浮上した瞬間に寄生されちゃったんだね。
怖い怖い。
>>225 「稗」なんて孟子や周礼にものってんだから、日本云々は気のせいですよ。
上の方にもあるけど、古代中国は毎日稗粟黍を食ってたわけですが。
えらい人は米など下品すぎて口にしなかった記録がのこってます。
あとヒエ農耕文明なんて勝手につくんないでください。せめて畑作文化くらいで。
…というか、圧倒的にあなたは”ゆとり教育の弊害”うけてますね。
自説を語る前に、できうる限り基礎知識を仕入れることが先決だとおもいますよ。
っ茶
東北地方では昭和になるまで田んぼがなくてどんぐりを作ってたっていうのは
ゆとり教育とかいうレベルの話じゃないと思うんだが
236 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 06:11:48 ID:mDdaIL3l
だから、東北地方の中でも水田が作れたなかった地域の話だって。
わざと、間違えて解釈してるだろ。
そういう地域が、ヒエとかの穀物についで、どんぐりころころを主食扱いしてい
たのはホントのことだよ。
はい釣れたw
気候や利水の関係で水田が作れなかった地域なんて
東北地方に限らず日本中にあるわけで東北地方に限定される話ではないわな。
それに
>つい、昭和の最近まで、水田のない東北地方では、
「昭和になるまで東北地方に水田はありませんでした」と書いてるし。
君はこのスレの主旨を完全に無視して
ただ「日本は国土が矮小でダメな国だ」とわめきたいだけ。
しかもわめくだけの材料もなく、書いてる事は全て妄想。
そろそろこういう迷惑行為はやめてくれませんか?
こんな時間に起きているのなら、登校するまでの間に教科書でも読んだらどうか。
一般論として、大多数に否定された時はまず自分の意見を疑ってみよう。
多くの場合、否定する事は肯定する事よりも難しい。
それにも関わらず大多数に否定されるという事は、
多くの人が否定するに足ると感じる矛盾や間違いがあるという事だ。
個人と集団では、基本的に集団の方が知識量は圧倒的に勝る。
それを踏まえて、反論したいが為だけのあら探しはやめて
まずは自分の論理に説得力を持たせる事から始めよう。
239 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 06:44:38 ID:mDdaIL3l
>>237 じゃあ、おれの書き間違えでいいよ。
俺が言いたかったのは、東北地方の中でも水田じゃなく畑作を主にやっていた地域での話しだよ。
東北地方は水田がなかったと解釈されるように書いてしまったのは俺の書きまちがえだ、すまんな。
場所が東北地方なのは、俺が最近読んだ、その手の本が、東北地方の話だったからだ。
でも、俺の書いたスレをずっと追っていけば、東北地方で無理やり水田を作って、それが飢饉の原
因になったという事も、書いてるはずなんだがな。
240 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 06:57:29 ID:mDdaIL3l
>>237 >>ただ「日本は国土が矮小でダメな国だ」とわめきたいだけ。
たしかに、この部分は少し挑発的だったかな。
でも、基地外扱いしたり、ホロン部扱いするのも少し過剰反応じゃないのか。
最近、江戸幻想というか、江戸時代を自分の思想に都合のいいように美化して語りたがる
思想を持った奴らが歴史関係に流れ込んできていて、そういう奴らが気に食わないのは確
かなんだが。ソ連崩壊以来かな。
あと、日本が四季があって自然が豊だっていう定番の意見もちょっと疑問なんだよなあ。
まあ、砂漠とかよりマシなんだろうけど。
決して、農業向きの土壌でもないし、山地ばかりで農地は狭いし、この国で農業やって食
っていくのは、ほんと大変だと思うんだけど。
後だめな国といってない、むしろ逆、こんな条件で必死で農業やって食ってきたんだから、
根性もあるし戦争できる国になったんだろうなあという話。
前スレでも、しただろ。
まあ、逆説的に俺らの先祖はすごなって話。
ある中国人に言わせると、島国でずっとやってきた日本人は存在自体が蠱毒みたいなも
んだそうだ。
追い詰められたキティちゃんが
ついに持論の全否定に入りましたw
242 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 07:17:18 ID:mDdaIL3l
>>241 おまえ、俺を弄んでるな。
何が目的だ。
お前こそ、あらしになってるぞ、こっちはまじめに書いてるのに。
別に全否定なんてしてないが???
東北地方の水田の話の誤解を解きたいだけだ。
>ただ「日本は国土が矮小でダメな国だ」
分裂した旧ソビエド諸国を除けばヨーロッパで本国が日本より広い国は
スペイン、フランス、スウェーデンだけ。
あと日本は水と緑は豊富だぞ。
特に淡水が豊富なのは降水量が少ない地中海諸国よりまだ有利だ。
244 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 07:33:20 ID:mDdaIL3l
>>243 結局、人口が多すぎるんだよ。
だからもう、自然とか環境とか自給とか農業とか考えるとどうにもにっちもさっちもいかない。
水も、一人当たりだと量が少ないらしいね、しょうがないけど。
後、平地少ないから、国民一人当たりの平地面積をヨーロッパ諸国と比べると、ほんと悲惨
な数字が出るんだよな。
戦国時代あたりまでの生活を考えると、かなり貧しいよやっぱ、全般的に。
食い物もそうだけど、着てる服だって木綿が普及したのは江戸時代。
それ以前は、庶民はかなり悲惨だったはず、毛皮もないから、まともな防寒具もない。
ヨーロッパと日本、今先進国になってるのは、世界の二大貧困地域だな。
こう書くとまたいろいろ反論されそうだ。
たしかに、世界はもっとすごいよ。
ツンドラとか砂漠でも生活してる人がいるからな。
米があっただけで、日本はほんとラッキーだったな。
245 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 08:32:33 ID:mb0LNTX1
悲惨な数字って、興味あるな。出せるの?
人口が多すぎるって、豊かだった証拠だと思うけど…とくに農業的には。
国土の貧しい国のクセに人口多すぎるって、なんかおかしくねぇ?
>>238 ちゃんと分かりやすく説明してあげるなんて優しい人だね。でも2chは自演ってのもあって、大多数が必ず正しいとは限らない
側面もあるけど。もっとも自演の場合は単発スレで中身ないからすぐ分かるけどね。
>>244 ソ連崩壊後に江戸賛美が増えたのではなく、従来の押し固まった洗脳教育が解けたと言ったほうが正しいな。
従来の歴史観では江戸時代について調べれば調べる程、大きな矛盾点が沸いてきて、それ以上進めなかった。
今はその矛盾が解けて発展している状態なんだよ。
まず最初に。日本の自然は人の手によって作られている。山ってのはね、人の手が入ると最後まで管理しないと荒廃してしまう物なんだよ。
日本の森林の6割が人工林って信じられるかな?嘘だと思うなら山林業、製材業の人に聞いてごらんよ。
海も同じく自然の浄化作用だけでは荒廃をしてしまう。そのために昔から漁師は縄張りを持ち管理運営をしてきた。縄張りを守るために明治までは一族での結婚しかしなかったりもしたしね。
あと、毛皮は普通に市に出回っていたよ?戦国時代で既に猟師は鉄砲で狩りをしていて、一般人までが鉄砲を所持する鉄砲装備率が脅威になり、日本は海外からの侵攻を受けなかった側面も持つ。
駄目な国駄目な国言うが、それをここまで発展させた祖先達をありもしない妄想で陥れたりしたらホロン部扱いされて当然でしょ。
日本の平野の大半が埋めたてられて作られた元海、元沼とか分からないでしょ?
で、聞きたいんだけど戦国時代までのどのような物が食べられたか提示できるかな?知っていればそんな事書けないんだけどな。
しかしなあ埋め立ての行きすぎが
琵琶湖、諏訪湖などの貴重な淡水湖が面積を縮小し、
八郎潟はほぼ消滅、諫早湾も消滅。
そして今度は島根の中海まで埋め立てようとしてる。
どう見ても行きすぎ。
>>247 宍道湖と中海の淡水化と干拓の計画はもう随分前に中止になりました。
八郎潟の干拓は当時の地域住民にとって必要不可欠な政策だったので
批判するのは見当違いだと思う。
米が余るようになったのは30年前という日本史から見ればごく最近の話であって
それはまで農地を増やして食料を増産する必要があったんだよ。
現代の価値基準で埋め立てや干拓を批判するのは違うんじゃないの?
>>248 でも秋田の人の書込みで「八郎潟残しておけばよかったのに」という意見は少なからずあったよ。
それに本当に米作が食料増産なのか疑問。
米は輸送技術が未熟な昔は便利だったというだけ。
八郎潟では20cmもあるジャンボアサリなど水産物がとても豊富だったという。
現代の技術なら冷凍してあちこちに運べるな。
あと中海干拓に関しては予算復活したんだけどね。
ここはいつから日本の減反政策を語るスレになったんですか?
>>250 ま、いいじゃないか。中身のない話しよりもずっと面白いと思うけど。
日本の基幹産業といえばそれはもうトマトなわけですが、
やっぱりキュウリも美味しいので冷やし中華にはキュウリをたっぷりと
入れてもらいたいわけですよ〜
>つい、昭和の最近まで、水田のない東北地方では、ヒエ、麦、大豆による、
>二年三毛作の畑作とどんぐりを中心とした木の実採取を軸とした
>自給自足に近い農耕が行われてましたよ。
…ここがダウト扱いされてると思うんだけど…
昭和の時代は日本中どこの地方でも木の実採集で維持できる人口じゃなかった点は別にして、
ヒエは世界的に一般的な作物で、東北だけではなくアジア中で生産されていたよ。
日本全国に粟ヒエを常作していた地方はあるし、水田あっても雑穀作りを止めたとこもないし、
これは東北が特別なわけじゃない。どこの地方の農家も”自給自足に近い農耕”だったかと。
税を銭で納める時代(室町戦国以降)には何らかの換金作物を作らなくてはならない、
わけでソレの一つが”米”だった、というだけのこと、東北地方だって同じ話で、
平安時代以降いろいろな余剰生産物を京大阪に輸出(?)してました。
それだけの生産余力があって下々が悲惨なのは、当時世界中で同じ状況だったから、
特に東北だからそうだ、と政治的な主張にからめてる点が微妙なんですよ。
ちなみに中海干拓は非常に政治的なもので、そこでの農業従事希望者がいないのは、
現地で口にしちゃいけないことになっています…
現地で口にしてる人もいるしちゃんと報道されてるよ
宍道湖と中海の淡水化と中海の干拓計画は別の話じゃなくて
中海を干拓して作った農地の淡水化して得た農業用水を流して水田を作るという
一体の計画なのよね
中海の一部を干拓しても淡水化しない限りは農業用水が得られない
だから中海の干拓地では水田が作られなかった
しかも干拓地は農業用地としては農地が高すぎで採算が合わない
だから一部干拓された土地も農地として本格的に稼動していない
というのが真相
八郎潟の干拓計画では
むかし秋田平野には「湿田」と言われる腰まで埋まるような泥沼の田んぼがあった
湿田は通常の「乾田」と比較して、非常に厳しい重労働を強いられる上に収穫量も少なかった
だから秋田平野の農民にとって乾田を得る事が悲願だったわけで
当時としては必要に迫られたために膨大な予算をつぎ込んで干拓したわけです
256 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 16:43:05 ID:+kPHG1bf
ただ、当時の農民は乾田より湿田のほうがいい、と思っていた節もあるんだよね。
日照りの心配がないから。
>>254 >業用地としては農地が高すぎで採算が合わない
”国策”で干拓した土地を値段から評価するのはいかがなものでしょう。
ちょっとちがうのでは?
まぁ入植希望者を募集したら定員数割にも満たなかったのが禁句なだけで。
「塩分含んだ土地でもの作れるかよ」…という評価が農業j関係者では一般的。
現地では反対はしませんが、誰も貧乏くじは引きたくない、って風潮ですねぇ。
予算はまた別(政治)の問題ですね。
>まぁ入植希望者を募集したら定員数割にも満たなかったのが禁句なだけで。
それは禁句じゃなくて地元では常識、普通に報道されてるよ
定員割れした原因が地代の高さからくる農地としての採算性なわけですよ
塩分の件は干拓した上から土を入れるから問題ないよ
汽水湖だから海の干拓ほどの影響は出ないし
>>258 >塩分の件は干拓した上から土を入れるから問題ないよ
そのぐらいで済むならメソポタミア文明滅びないって
260 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 18:23:13 ID:IlbWKhBi
暇だったから調べた
5分位で適当に調べた数字だからおーざっぱな上、かったるいから端数は適当だ
その程度で見ろよ?飽くまで参考な
>>243 日本約38万kuドイツ約36万ku
国土−森林+農地=両国共国土面積の約20%
日本:国土の約65%が山間に広がる森林、約13%が農地(約500万ha)
ドイツ:国土の約30%が森林、国土の約50%の約1700万haが農地で耕作地が約1200万ha、緑地が約500万ha(牧草地、特に何も作ってない土地も含む)
ドイツの農地は日本の平地の約2倍、ドイツの耕作地>日本の平地、日本の農地≒ドイツの放置も含む牧草地とか話になんねぇよ
>>245 フランス:約55万ku平地約2/3人口約6000万人
約36万ku÷約6000万
日本:約38万ku平地約1/4%人口約12000万
約9万ku÷約12000万人
8:1じゃ話になんねぇよ
>>259 実際に日本の多くの干拓地で稲作が行なわれていますが
現実は全て無視して「メソポタミア」ですか?
湿田は軍勢の移動が困難なので防衛上も大事だったみたいだね。
冬に藁を敷いておくとドジョウが集まって大量捕獲できたらしい。
>>261 土を入れる、って、全然根本的塩害対策じゃないですよ…
たぶん「水と土地さえあれば農業はできる」とお考えのようですが、
実際の現場はそう単純でもありません。
「農地の価値」とはいかなるものか、維持されるのか、にご注意していただけると、
今までの日本農業”政策”と現実の農業とのスレ違い、とくに中海干拓地について
わかっていただけるかと。
264 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 19:17:26 ID:BhEY4Knw
実を言うと八郎潟にしたって減反政策の対象外になるなど随分と優遇されてるんだかな。
国家的事業であった八郎潟干拓にほころびを見せるわけにいかないんでね。
無論、国のそういう特別優遇措置も含めて大潟村の農民は嬉しいんだろうけど、
そういうのと実質的価値は別だろう。
あとこういうのは八郎潟に限らずどこの干拓地でもそうだな。
膨大な資金を使っての国家事業だから、特別優遇措置が取られる。
そんで、その皺寄せは既成の優良農地に来て農業撤退に追い込まれるという矛盾・・・・
>>252 トマトに入ってる栄養素の吸収を
キュウリに入ってる栄養素が阻害するから
実は一緒に食べない方がいい食物って
こないだテレビか何かで見たけど
減反政策は各農協にノルマが課せられてたりするんだけど
それでも都市化や宅地化したほうが良いと思われる場所や
水田には効率の悪く別の作物を作ったほうが良さげな中山間地域を
率先して潰して行こうよっていう考え方でやってるね
岡山県の児島湾干拓地では水の便がいいので
減反した所で蓮根や井草を作ってる
それと、一律に干拓地が農地として適していなくて
それ以外が優良農地であるかのような嘘や
干拓地ばかりが守られているかのような嘘はやめたほうがいい
ここで嘘を書いてもすぐにバレますよ
ていうかどっちもスレ違い
このスレにはスレ違いに悩まされる呪いでもかかってるのかな
268 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 20:13:27 ID:BhEY4Knw
>>266 辛らつだな。別に意図的ウソなど書いてないぞ。
でも、八郎潟干拓地をはじめとした干拓地が優遇されているという話しは良く聞くぞ。
あれは単に干拓地が優良農地だからかな。
ところで荒木村重のほおばってる饅頭は・・
饅頭は室町時代の初期に中国から伝来したものらしい。
奈良の林神社に日本の饅頭の始祖が祀られてるみたいだよ。
伝えたのが僧侶だと言う事、当時既に善哉が誕生していた事から、
中の餡も肉などではなく、日本風の甘い餡子だったと思われる。
とここまで書いたが、
>>269は何が訊きたかったんだろうか。
>>270 なぬ、甘いあんこが入ってたかもしれないのか( ・`д・´)
その甘味は輸入の砂糖かなんか?
とするとほおばり饅頭はかなりの高級品だったのか
夏草の賦で元親も饅頭食ってた。
もう減反とか干潟とか、そんなスレ違いな話はいいから、食い物の話しようぜ!!
想像しただけでもお腹が減りそうないい話題を一つ頼む。
>>272 砂糖の生産は江戸時代に入った直後からだから、当然輸入物。
かなりの贅沢品だろうね。
少なくとも信長が家臣の前で食ってるぐらいには。
>>276 甘葛とか蜂蜜、ひょっとしたら黒蜜までは使ってそうだけど?
干し柿も餡代わりになるよね
>陣中ではそれを水に入れて煮ればそのまま味噌汁になる,即席味噌汁の
>ようなものも考え出されました。
この手のは、散々話題に出てきたが、今の保存食(即席味噌汁とか即席ラーメンとか)
水を入れて、お湯を入れて3分みたいなやつのルーツはこの頃からなんだね。
そういやフランスにある偽日本食店で味噌汁飲んだ人が、
出しの入ってない味噌汁はノンだ。って言ってたけど、
この戦国時代の即席味噌汁だと、味噌をお湯で溶いた物あから、
きっとダシ入ってないよね。そもそもこの頃の味噌汁にダシを入れるって概念はあったのかな?
279 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 01:05:28 ID:Ro3Jv0xC
秀吉の太閤検地に寄れば、北海道と南西諸島を除いた全国の石高は、1850万石とのこと。
対して同時期の朝鮮八道の石高は、800万石とのことでした。
ルイス・フロイスの著書にて
「ヨーロッパ人は焼いた魚、煮た魚を好む。日本人は生で食べることを一層よろこぶ。」
とあり、また
「ヨーロッパでは猪の肉を煮て食べる。日本人はそれを薄く切って生で食べる。」
とある、ちなみに鳥や魚の肉を生で食べることは古くからおこなわれ、戦国時代にも生物(なまもの)と称して普通におこなわれ、また刺身もすでにあった。
…、というのはこのスレの方々ならば周知の事実だろうと思いますが、『日葡辞書』には
「サシミ ある種のソースをつけて食べる生の魚の食品」とある。
確かに醤油は当時の日本で量産化されてなかったかも知れないが、輸入物の中国製醤油や醤油の前身である「たまり」を使っていたのかも…?
282 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 02:14:00 ID:ac3CkzTP
中国製の醤油が多くにいきわたるほど輸入されていたとは思えない。
やはり溜まりを使っていたと見るのが妥当であろう。
岩手の山間部では戦前のころになっても醤油はハレの日にしか使わず、
日ごろは豆味噌か「たまり」で味付けをしていた。
>>266は辛辣なのはいいのだけど、おいらは中海干拓地のことしか言及してないのに、
勝手に全国の話にもってかれてもなぁ…反論しようがないですよ。
>>281 1535年には和歌山県湯浅から大阪に向けて醤油が出荷された記録があります。
戦国時代の関西では醤油はもう一般的だったかと。
む、ちょっと気になりましたが、
豆から作る”たまり醤油”は日本が発祥の地では?
中国のは魚醤だと思います。
>>281だが、やはり戦国時代にも刺身には醤油(或いはたまり)だったか。
いや、味噌にはかなりこのスレで議論がなされていたがイマイチ醤油については些かおなざりな扱いだったように感じだったからね。
すると、煮貝(アワビの煮付け)等は醤油で煮しめていた可能性が大だな。
あと、刺身につける調味料ですが、
「煎り酒」(日本酒に梅干しを入れ煮詰めたもの)
というものが戦国時代ごろに考案され、江戸時代にかけて使われてたようです。
>>281の記述だと、こっちのほうが醤油よりソースっぽく本命かも?
つか、ワザビ醤油っていつ頃から使われるようになったんだろう…
>>287 わさび醤油は昭和だね。寿司は保存の理由で使われていたけど、庶民はカラシを使っていた。
意外とこれが刺身に合う。今でも河岸だとカラシ醤油で食べる通もいるよ。
>>286 確かに煮貝というのは戦国時代にはなかったかも知れないが、当時の合戦前の出陣式にて「三献の儀」を行なう際、酒肴として、一杯目には勝栗、二杯目には打鮑(うちアワビ)、三杯目には昆布を用いて「打ち勝って喜ぶ」と縁起をかついだと資料にある。
(参考資料:青春出版社・刊 「戦国時代の舞台裏」 より)
まさか、打ち鮑を干物の状態でかじっていた訳ではないだろうし、やはり水で戻して煮付けてから使ったのだろうか?
>>289 そうそう
対中国輸出で干し鮑や干したフカのヒレ等の干した海産物ってのは
室町からずっと輸出しつづけてるものだからね。
国内でも干した海産物を戻して食べる方法があったはず。
水で戻して刺身にするとかなのかね?
煮込むとなるとしょうゆは貴重だから味噌煮込み?
しょっつるでは煮込まなかったのかな?俺それ自体を食べた事無いから分からないんだが。
>>290 さすがに、水で戻したら刺身って言うのはw
>>290 >>292 水で戻した打ち鮑を塩茹でにし、適当な厚さに切って醤油(たまり)や味噌ダレで食べた可能性は有り得るかも?
あと、打ち鮑の煮付けは醤油(たまり)だけでなく、塩や味醂も使用したとは考えられないだろうか?
醤油だけで煮付けた場合、味がくどくまた醤油臭くなってしまうが、基本的には塩で味付けし、醤油は風味及び色付け程度に使用していたとするならばどうか?
うちの御袋が言うには、
子供の頃、山葵なんて無かった。
だそうだ。
>>295の母親が住んでた土地には無くとも、日本各地で栽培・出荷・利用されてるしな。
歴史的には奈良時代から主に薬用として利用されていたが、
1600年頃になってからようやく静岡で山葵の栽培が始まったようだ。
三献の儀で使われた鮑は干した物を伸ばした物らしいから
スルメみたいにかむかむして食べたんじゃなかろーか。
>>297 おぉ、そのテがあったかw
しかし、鮑のスルメ・バージョンとはなんとも豪勢な話だなwww
そういや熨斗って鮑干したものだったっけ
中華料理ではあわびは基本的に干した物をもどして使うよ
他スレより天才
【郷土食が支えた最強の島津軍団】
戦国時代、勇猛で強い軍団といえば、武田信玄の甲州軍団、上杉謙信の越後軍団、三河武士(徳川軍団)があげられるが
忘れてはならないのは命知らずの島津軍団である。秀吉、家康でさえ島津と戦う事を避けたほどだった。
島津一族を強力な戦闘軍団につくりあげたのが、島津中興の祖、島津日新斎忠良である。
日新斎は、古代国家の頃、その荒々しさで都人に恐れられた熊襲の子孫、隼人族(猛人ともいう)
を家臣としてとり立てて、軍団の核としていた。
この島津軍団の兵糧のひとつに「ちまき」がある。ちまきは本来保存食で、兵糧などの携帯食料として使用されていたが
薩摩のちまきは一風変わっていた。
(中略)
薩摩のちまきは、灰汁でつくることから「あくまき」呼ばれる。ゆうに二,三ヶ月はもち、しかも高カロリーなのだから、理想的な食料だったのだ。
また鹿児島の特産品「かつお節」も高タンパク、ビタミンB郡を多く含み、保存性の高さはピカ一。「武教全書詳解」にも
「かつお節は、薬にあらずといえども、時にして飢えに及ぶときには、これを噛めば性気を助け、気力を増し、飢えをしのぐのみならず、役に立つものなれば
必ず用意すべき事なり」とある。
鹿児島県では、豚や鶏は、歩く野菜といって食べてきた。これら古代以来の野趣に富んだ郷土食が、薩摩武士の体力を強靭にし、最強の島津軍団を支えたのだ。
302 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 08:07:25 ID:nWO/qJB9
>>301 薩摩って米あまり取れないらしいからねえ。
やっぱ、異質だよね。
>>301 ここで挙げてる、かつお節って江戸初期頃に太平洋のどこだかの島から伝来したものなんだよね。
それを戦国の島津君の強さの秘密みたいに言われても・・・・コピペにイチャモンつけるのもなんだけどw
黴付けまでした現代の鰹節にいたっては、土佐の発祥だしな。
305 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 11:56:09 ID:a4J6ZM3x
あくまきかあ
きな粉をまぶして食うとうまいよな
306 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 14:02:16 ID:nWO/qJB9
>>303 なんだ、そうなのか。
やっぱ、やっぱ、現代に多少でも通じそうなものって、せいぜい江戸からだよなあ。
江戸以前にはなに食ってたんだ、薩摩。
サツマイモもないぞ!!
・・・大根・・・?
戦国時代当時の芋は里芋か山芋(自然薯)くらいしかないよ。
薩摩芋どころかジャガ芋もないぞ!!
309 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 14:29:20 ID:5pV6fYiz
薩摩は焼酎でいいじゃん
さつま揚げも江戸時代だし
>>303 現在の燻製されている鰹節ではないだろうな。
正確には干し鰹だったんじゃないか?
室町時代には削り節が存在していたようだし
薩摩で米があまり取れないって
気候より、むしろ桜島の影響で土が悪いせいだろうか?
そもそも米があまり取れないという前提は確かなのか?
桜島の火山灰が積もってる地域は
火山灰の粘度が低くて濡れると簡単に崩れるから
水田にはあまり適していないんだよね
毎年ほぼ必ず台風の被害にさらされるしな
あくまきの原料はもち米だぞ。コメが採れないわけじゃない。
もしくは重税だったとか
重税になったのは江戸時代以降
急膨張で拡大しすぎた家臣団を支えるため悶絶の8公2民だったといわれているが・・・
で、サツマイモ伝来以前に何を主食として食ってたのか分かる史料はあるのか?
隣国の肥後が麦だから、薩摩・大隅も麦のような希ガス
1600年付近は当時統治下にあった奄美で
米と黒糖を交換してたようだから
(米を作る代わりに黒糖を作らせた)
その20年前後においては、そこそこ米も取れてたと思われ。
主に農民は麦・大豆・アワ・ソバ等の雑穀等に加え
足りない栄養素を海産物で補っていたようだ。
裕福なものの間では焼酎も浸透していたそうな。
薩摩藩がさつまいもを導入したのは
薩摩藩が人口に対して米の収穫量が低く慢性的な食糧不足だった事と
さつまいもが薩摩のような栄養分の少ない荒れた火山灰の大地でもよく育つから
と記憶してるけど
米が必要な分だけ収穫出来てりゃさつまいもを大々的に取り入れたりしないでしょ
同じように現代の北朝鮮では米を作る事を半ばあきらめた地域で最初はじゃがいもを作らせていたけど
色々と問題があって今ではさつまいもに切り替えて作らせてるよ
黒豚は江戸時代に島津家久が琉球から輸入繁殖させたのが始まり、といわれています。
(現在の黒豚は英国バークシャー種との混血のようですが…)
戦国時代には豚肉は食べていなかったでしょうねぇ…
>>312 米には水田で作られる水稲、畑で作る陸稲があり、それぞれうるち米もち米用の品種があります。
だから”水田が作れない”=”米がない”ではありませんが、連作障害の出る畑作では
二毛作も広まっていた毎年作れる水田の米生産力とは比較になりません。
(太閤検地でも畑は水田の下に分類されていたようです)
ですから畑が多い薩摩では米は標準的な作物ではなく、
あくまで換金軍事物資扱いだったのではないでしょうか?
戦国期は水田の多い地域の住民は米を常食と出来たのであろうか?
ふと、思った疑問です。
愛知から三重にかけて木曽三川に囲まれた地域では
水害に苦しむ一方、豊かな田園地帯が広がってたように思うのですが
米しか作らない農民はやはり米を食べてたのかどうか気にかかります。
322 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 08:45:38 ID:4mcwN6DA
へー、熊本って麦が主食だったのか。
知らんかった。
>>321 純粋に米だけとなると江戸時代から。赤飯(赤米飯)がその名残
>>322 つか米作より麦作の方が主力だったんよ>肥後国
加藤清正はこの麦をばんばんマカオとかマニラに輸出して蓄財し
その結果税が軽くなった
いまだに地元では名君として神様扱いされている理由の一つ
>>324 そういえば、加藤清正の事を「清正公(きよまさこう)」と呼ばず「せいしょこさん」と今でも地元の人々(とくに年輩の方)は呼んでるらしいね。
>>325 年配の人に聞くと地元の豪族がどんな政治してたかよく分かるね。
ちなみに長野じゃ武田勝頼は諏訪様と親しまれてた。信玄は・・・・・・まあ、武田厨が発狂するからやめとく。
オレは大河ドラマで武田信玄ブームになってる時に
登山の帰りに長野(大町から松本)に立ち寄った事があるけど
その時は長野でも信玄ブームに乗って神様扱いだった
328 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 18:02:38 ID:lAEpZo4s
信玄餅の前フリ乙
って言われてもよく分からんのだけど
330 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 20:16:34 ID:f8lpSLl4
北海道帯広市の老舗菓子屋「柳月」では、「きなごろも」という信玄餅そっくりの菓子を出している。
信玄餅をきなこをこぼさないで食べるのは、難しい
そういえばきなこは戦国時代にはなかったの?
信玄餅のライバル、出陣餅を忘れるな!!
334 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 22:17:46 ID:IkMyNsJt
鳥取城では人肉を食べていたらしい。
336 :
298=309:2006/11/20(月) 22:57:15 ID:UFgHqs8g
甲州といえば、ほうとうでしょ。
元々、ほうとうは野戦食だし。
食べたこと無い人に説明すると、
味噌煮込みうどんですよ。>ほうとう
長野では信玄野菜だの居酒屋風林火山だのと武田人気に便乗した
ものがたくさんあるし、別にイメージが悪いというわけではない。
>>332 安倍川餅のようなきな粉をまぶした餅が記録に残るのは江戸時代のようですが、
きな粉を水飴に混ぜた”すはま(豆餅)”は鎌倉時代から作られていた、といわれています。
京都に創業1657年のすはま専門店がありますから、
戦国時代に”すはま”は関西では一般的だった、
つまりきな粉は一般的食材だったとと考えて良いかと思われます。
ついでに現在でも喰ってる当時の食材などを…
素麺 …もともと禅宗とともに中国からやってきたものですが、
室町時代には酒のつまみとして一般化しました(職人歌合に素麺売有り)。
食べ方は煮込むにゅうめんと冷ソーメン、現在と変わらなかったようですね。
蒲鉾 …1522年の献立にのっているのは竹輪か笹蒲鉾らしいですが、
秀吉の時代には板蒲鉾も一般に広まっていました。
納豆 …御伽草子の中に擬人化された納豆太郎糸重なるものがあるので、
糸引き納豆は普通に食べられていたようです。
豆腐 …田楽豆腐の調理法は室町時代に記述があり、そのころ油揚げも一般に食されるように。
ただ、冷や奴、湯豆腐の記述は江戸時代までないようです。
戦国時代には豆腐は加工して食べるものだったのかもしれません…
う、しまった。
湯豆腐は「日葡辞書」にのってますね。訂正を…
>>339 確か、素麺の薬味は芥子(カラシ)や唐辛子を使ってたんだよね。
それで湯豆腐の薬味とつけ汁は?
やはり、つけ汁は生醤油のみだったのか?
342 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 21:21:15 ID:7uvL2DvU
江戸時代初期は、胡椒を薬味にして饂飩を食っていたというよ。
当時はまだ唐辛子が普及していなかったから。
唐辛子は南方ルートから日本に入ってきて、秀吉のお茶目の時に朝鮮に伝わったんじゃなかったかな。
>>342 ルイス・フロイスの著書「ヨーロッパの文化と日本の文化」で素麺を「彼らは芥子や唐辛を使って食べる。」とある。
おそらく、唐辛とは唐辛子の事だと思うのだが、どうだろう?
あと、朝鮮出兵の折、目潰しとして豊臣軍陣営が唐辛子の粉末を使用し、この粉末を口に入れた現地の朝鮮人が、様々な料理に唐辛子を用いる様になったと昔見たテレビでやっていたなぁ…。
うぬぅ…、
>>344だが前回のレスの内容が一部
>>343殿とカブってもうたワイ…。orz
しかし、言うに事欠いて「秀吉のお茶目」とはwww
正直、参りましたwwwwww
m(_ _)m
なんだ、秀吉の朝鮮出兵って良い事もあるんじゃん。
唐辛子はニダだんのファビョリの原因とされているんだぞ
そのせいでかのミンジョクは今でも些細なことで国旗は焼くし大使館の前で焼身自殺ショーはするし
F5攻撃もするし(ry
これのどこがいいことあったんだ
>>346はよく説明汁!
>>347 この際、善し悪しの問題はさておき、秀吉の壮大なおイタによって、現在の韓国料理(韓国の食生活)には欠かせない各種キムチ、そしてコチュジャンを始めとする唐辛子が原料の調味料、それらを使用した韓国料理の数々が生まれた事は間違いなく事実である。
>>346殿に成り代わり
>>345が答えさせて貰った。
どこの民族のおかげでキムチが出来たと思ってやがんだ!
少しは感謝しやがれ朝鮮人w
349 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 03:57:37 ID:4GrY7Qu7
てゆうか唐辛子が伝わるまでの朝鮮料理ってなんだったの?
まともな調味料はなかったのか。
漬物(泡菜)は早くから食べてたらしいよ。
中国から既に伝来してた。
基本調味料は明から下賜される塩だった。
朝鮮国内で塩を作る事は宗主国から固く禁じられていて
宗主国の言い値で塩を買う事を義務付けられた。
そのため朝鮮人参や銀や女や虎の毛皮・睾丸などの漢方薬材料など
ありとあらゆる物を代金として徴収されていた。
五穀は一応あったと推定され雑穀の粥や漬物などを主食としてたようだ。
>>349 現在の韓国でも「韓定食(ハン・ジョンシク)」と言う料理があるが、ほとんど唐辛子が使用されていない事から、おそらく唐辛子が日本から伝わる前の上流階級はこういった料理を食べいたのかも知れない。
昔ながらの朝鮮料理といえば世界的にも有名な犬肉料理だけど、
他の家畜も食べてたのかな。
李氏朝鮮時代には焼き鳥なんかが宮廷料理として食べられていたようだが。
朝鮮(戦国時代)の焼き鳥か…、すげぇ興味あるなぁ。
とにかく、旨そうだw
354 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 11:18:15 ID:4GrY7Qu7
すげえ、塩の製造が宗主国ににぎられていたのか。
それで、庶民は唐辛子ってことか。
中国、えげつなすぎる。
>>352 日本がそうだったように、犬以外も勿論食っただろう。
ちょっと前に朝鮮使節団が
庶民の鳥を盗んでる絵が流行したでしょ?
356 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 17:19:19 ID:Farjp/ac
どんな流行だよwwww
>>355 そんな絵、流行ってたっけ?
>>350の記述だとかなり搾り取られてたようだし、
餌代不要(人糞で育ててる)で飼いやすく繁殖も容易な犬中心で、
働き者の牛なんかは食えなかったんじゃないかと思ったのよ。
+ + + , ./
+ Π Π /
. ∧_∧ +. ⊂二⊃ ウェーハハハ . ∧_∧∩ ⊂=⊃ ∧_∧∩
ニワトリカエセヨー ( ´Д`) <`∀´ヽ> rァ ( ´Д`)ノ゙<`∀´‖> ⊂(´Д` )/
(つ つ (つ つ' { ... ( ゝ⊃ ノ⊂i ⊂i )x \ )
. + ( ヽノ ( ヽノ <彡} + ノ γヽ ノ____ノi/ ( ( 〈
し(_) レ(_フ,i,i,' (__丿\__ノ <_<__〉 し(_)
∧_∧
と⌒^つ´Д`)つ
360 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 22:01:38 ID:VWqebCAp
お前らは朝鮮名物参鶏湯や牛の焼肉を知らんのか。
牛を食べるようになったのはごく最近の話でしょ
>>362 ワロタ。
牛肉についてだが、すき焼きは朝鮮通信使の接待料理がルーツだと聞いたこと
がある。で、これを気に入った通信使が母国でプルコギはじめたらしい。
かの国の連中が聞いたら「すき焼きはウリ達が宗主国ニダ!」ってファビョりそうだがw。
>>363 ちょwwwおまwwwww
迂闊な事言うなよwwww
嘘八百大好きなチョンちゃん達が剣道や桜に続いて「すき焼きもウリナラ(我が国)が発祥ニダ。」なんて言いだしかねないだろーがwwwwwwww
365 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 01:41:09 ID:ZivzjF1q
>>362 鶏が禁忌に関係なく躊躇なく食べられるようになったのは明治になってから。
江戸時代は、もっぱら卵だよ、それも後期だけど。
純粋に畜産学的に考えると、人糞には消化しきれてないたんぱく質など多く含まれるので、
人糞飼育は廃棄物から栄養素を回収する優秀な方法であります。
バイオスフィアなんて結局はそれの進化系ですしなぁ。
>>344 唐辛子は日本伝来当初は観賞用だったので、すぐ食用として使われたわけではありませんから、
もしかすると山椒などと勘違いした可能性もあるかもしれません。
つかヨーロッパには”薬味”なんて概念ないですしねぇ…ちゃんとわかってtたかどうか…
ちなみに湯豆腐も「ソースをつけて食べる、薄く切った豆腐料理のひとつ」としか
記述がありません… >日葡辞書
>>365 室町時代くらいから、鶏肉は”雉”と称して食べられていたようですよ。
兎も同様ですね。 鯨は室町時代から”魚”扱いだったようです。
>>354 朝鮮は属国扱いだったからね。
塩は人間の製造に不可欠だから、権力の象徴とされていた。だから作っていいのは皇帝直属の塩田のみ。
腐らないしね。
日本でも塩は専売制をつい最近まで敷いていたしね。
水滸伝の梁山泊の連中も「塩賊」上がりの連中とか居るね。
宋代以降、反乱を起こす連中はだいたい塩で銀資金を得てるし。
>>363-364 ほれw
http://www.j-cast.com/2006/11/21003931.html 「お笑い!韓国人が漢字を発明しただって?」こんなタイトルの記事が中国・人民日報社のウェブサイトに掲載
された。この記事では「漢字を韓国人の発明として世界遺産に申請すべし」という進言がある、という話などを
紹介。極めつけは「孔子は韓国人」説。この荒唐無稽ともいえる主張に、中韓のネット上では激論が繰り広げ
られている。この「ゴーマン主張」が日本の週刊誌やテレビでも報じられ、日本でも失笑の声が上がっている。
この記事が掲載されたのは、2006年10月25日。それによると、騒動の発端は漢字を研究するウェブサイト
に、韓国人が投稿した英語の文章だ。この文章はまず、囲碁、サッカー、サムスン電子の製品などで韓国が
優れていると述べた上で、「13億人口を持つ民族が8千万人の人口に負けたのは、韓国人はあらゆる分野に
おいて中国人より優れているからだ」としている。
えー?「孔子は韓国人」
人民日報、「漢字発明は韓国人」説に憤激 さらに、「漢字も韓国人が作ったもの」と主張。例えば、伝説に
よれば、音楽と文字を発明した「伏羲」は優れた弓術で有名な「東夷国」(現在の中国山東省)の出身だが、
韓国はアーチェリーが強いから漢字を作ったのも韓国人だ、など4つを根拠として挙げている。加えて、「未確
認」と断りながらも、ソウル大学の教授が「堂々と漢字を復活させ、国連に漢字を世界文化遺産にするよう申請
せよと政府に提言した」という話も伝えている。
(以下略)
面白いネタだし、貼りたくなる気持ちは分かるんだが
流石にそこまでいくとスレ違いだな
変なのわいてくるから、三国人の話はやめようぜ
>>当時の基本野菜はゴマ、大豆、昆布の3種。
…ほんとに??
むしろ設定としては減らしていった方が面白いのに
1年経った辺りから松の皮とか食べ始める
376 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 07:47:17 ID:vFjiMPg3
>>374 大根は?
しかし、まともな野菜はないみたいだな。
小松菜とかもないのか。
新しい野菜の進出で現代ほとんど見かけなくなった野菜とかもありそうだ
オレが小さかった頃「たまき菜」と呼ばれる野菜があって婆さんがよく食べてたけど
今はどこにもないしぐぐっても出てこない
どんな野菜?玉菜…じゃないよね、まさか
それじゃただのキャベツだしな
380 :
377:2006/11/24(金) 13:36:42 ID:ZT8cSXli
見た目はほうれん草に丸みと厚みを与えたような感じで
形的には
>>379氏が挙げてくれた畑菜は近いかも?
とにかく苦くて子供のオレには食べられなかった
何しろ3〜5歳児の頃の記憶だから「たまき菜」という名前と
「ほうれん草に似た野菜でほうれん草のような食べ方をされる」という事と
とにかく苦くて食べられなかったという苦い思い出だけです
381 :
377:2006/11/24(金) 13:39:17 ID:ZT8cSXli
っていうか婆さんに聞いたほうが早いかw
京野菜ってほとんど品種改良されてないから、昔のままの味に近いとか聞いたことあるけど。
383 :
377:2006/11/24(金) 15:48:15 ID:7LDl3kSN
確認を取ろうと婆さんに電話したのですが
「全く覚えてない」と言われました。
ボケがまた進行したようです。
あと「いま相撲を観てるから忙しい」と言われました。
あんまり関係ないけど元々、人参ってのは紫色してたんだよね。
それをオランダの国の宣伝用にオレンジにして大航海時代に世界で広まったそうな。
こんな感じで古来の野菜達って他にも人間によって駆逐されてきたんでないの?
もしかして
>>377ってキャベツじゃないか?
玉菜→たまきな
でぇぐさぬはな で言うところの「ぬ」のように
「き」が現在の「の」の役割だったなら、二通りの考え方が出来る
・所謂中央部分以外の部分を"たまきな"とした → 玉は玉菜とし、どの部分を指すかは使い分けた
・単なる訛りで「き」が入った → 玉も含めて"たまきな"
>>377 あーそれは、今の言葉で雑草と言われるやつだ。わざわざ食う程のもんでは無い。
>>376 大根は平安期に刺身の薬味として使われている。
389 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 00:59:23 ID:t+8A4pSZ
>>349 昔、唐辛子が伝わる以前は富裕層においては
胡椒が多く使われていたと韓国の料理専門家が言っていたTVを見たことがある
本当かどうかは分からんがまるっきり嘘でもなさそう
にしても山椒は半島にはなかったんだろうか?
どっちにしても貧乏人が我慢するんはどこも一緒なんだろう。
>>389 あの国の「専門家」は普通に嘘を言うから信用できない。
原産地がインドだから、中国経由で唐末ぐらいには入ってきてたかも知れないけど、庶民の手の届くモン
じゃなかったんじゃないか?
悪名高き両班もいたことだし。
韓国の胡椒料理って何かあるのかな?
そのTVで紹介されてたろうけど。
392 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 06:27:26 ID:lNIBW90o
信長の気まぐれ炒め
394 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 07:59:42 ID:9SkrKRux
昔は胡椒は超高級品でしょ。
貴族でも、そんな、使えなかったろう。
395 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 08:08:48 ID:A/6+RYRV
韓国人の話は90%信じないほうがいい。
後の10%は疑ってかかるべき。
「チャングムの誓い」をNHKを通して
史実である事を強調して宣伝していたが
史書には「チャングムという医官が居た」と一行書いてあるだけであった。
そこから、
チャングムという医官が居た→
当時の宮廷女性医官は食事も作ったのは想像に難くない。→
きっと宮廷料理を作っただろう→
宮廷料理のメニューも用意しなければ!
と、たった一行を100万倍に広げて
「史実です」「歴史家と料理専門家が検証しました」
と堂々と宣伝してしまう国だからなw
397 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 08:55:09 ID:GnqTuukO
なにかの番組だったかで
武田信玄と
上杉謙信の戦いで
武田家臣軍団が
上杉側の人間は普段白米を食べてる事に
驚いてたシーンがあった。
漫画本だったかな
朝鮮の昔の調味料は分らないが
普通に考えたら、塩や酢(世界最古の調味料)
そして仏僧が中国から持ち込んだ味噌あたりは
あったんじゃないかと思う。
胡椒は中世ヨーロッパでは同じ重さの金と取引されるほどの
高級品で、基本的には「肉の保存」をするために使われるものなので
保存するほど大量の肉を消費する国ではない朝鮮では使うはずがない。
そして、そんな贅沢品を宗主国の中国を通して買えるわけがなかった。
仮に、その代金があったら無条件で没収される。
朝鮮の歴代の王朝は、いかに自分達の資産が無くて貧しいかを
必死に宗主国に大袈裟にアピールして収奪を防ぐ事に腐心してたので
どう考えても、胡椒など買うわけがない。
もしあったとするならば唯一の可能性だが
朝貢貿易で明や清から下賜品として宮廷服や絹を与えられてたので
その類の贅沢な下賜品の中に装飾品や胡椒も含まれてた可能性までは
否定できないだろうと思われる。
>>397 それは胡散臭いな。
当時の越後は現代の新潟と違って米所ではないから。
>>389 山椒は渡り鳥が種を運んできたりするから山に普通にあったと思うよ。
ちなみにうちの庭に来た鳥の糞に種が混ざってたらしく、勝手に生えていた。鉢に植え替えたけどね。
当時の朝鮮で採取していたとなると?だけど。
>>396 水滸後伝なんかは、実際に一行をめちゃくちゃ広げた話しなわけだが……
ちゃんと、フィクションって断ってる分"昔の"中国人は偉いなw
>>399 だから驚いたんじゃないか?
別に、買うことは出来るわけだし、そういうデモンストレーションだったのかも。
「越後はこんなに豊かだぞ」
と
402 :
377:2006/11/25(土) 13:39:43 ID:pKuaSJur
>>384 今オレ山口に住んでますが
スーパーで生の高菜を見かけるしよく炒めて食べます
下茹でしたあとにダシと油揚げといっしょに炒めます
漬物の高菜と違って辛味はありません
「たまき菜」には高菜にあるような赤い色素はなかったように記憶してます
>>386 キャベツじゃないです
403 :
377:2006/11/25(土) 13:44:06 ID:pKuaSJur
話を元に戻すと、戦後以降にも消えた野菜があるくらいだから
戦国時代にも各地で今はもうない野菜なんかも食べられていたんではないかと
広島には広島菜という野菜があるけど、近くの河川敷に生えてる雑草との交配が進んで
本来の広島菜とは違うものになりつつあるとか
ししとうを栽培している農家は近所で栽培されてるピーマンとの自然交配が進んで
ししとう本来の辛味が年々減少していると嘆いています
まあ、ピーマン農家はししとうや唐辛子のお蔭で、当たりが増えて困っているらしいが。
>>397 きびだんご侍/新田次郎でもそんな記述があった。
>>400 山椒って日本だけじゃなかった?
渡り鳥が運ぶって言っても、よほど便秘な鳥じゃないと無理だろ。
406 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 23:51:59 ID:UzRJKsOx
少なくとも山椒は、大陸にはあった。四川料理には唐辛子とともに山椒が使われている。
あと、朝鮮では胡椒輸入品として存在したよ。
東南アジア産の胡椒が琉球にわたり、そして日本、朝鮮へと渡っていった。
戦国時代にも鰹節はあったんだよな。
今みたいな鰹節は江戸時代に偶然発見された「自然にカビを付ける事によって」味を旨くしているわけなんだが、
それまではあの「カチカチしている鰹節」なわけだ。
ちなみに鰹節には戦国時代には「勝男武士(かつおぶし)」と戦勝の縁起物として、
また結婚、結納の引き出物として使われていた。
・・・・っておもいっきりテレビでやってた。
自然にカビを生やしてるんじゃなくて胞子を塗ってます
カビをつける理由はカツオの内部まで水分を出し切るため
つまりカビ付けしたかつおぶし(本枯れ節)はカチカチに硬いわけです
410 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 02:27:28 ID:k/kALDwU
>>408 病人を何人も出してる番組鵜呑みにしてもw
>>397さいとうたかおの「武田信玄」でそんな場面があった
>>397 それは新田次郎の武田信玄で出てくる。小説では逆に武田方に囚われた挙句
越後勢に逃げ戻った足軽が上杉の家臣に尋問されるシーンもある。
「米がなくて何を食っているというのか」と上杉家臣が驚くと、足軽が
「そば粉を水で練ったものを食べていました」と答えてた。新田次郎も
史料の詰めが甘かったのだろうか?
そのころは、まだ資料が揃っていなかったのと違う?
関が原後、三成が生米食って、下痢ピー逃走した件について。
>そば粉を水で練ったもの
…そばがきのことじゃぁ…
こがし だろ?
そば粉を水で練ったもの=そばがきです
>>415 でも、干柿は食わないんだよな。
変なの。
そりゃ刑場にさらされるときに縄で縛られてる状態で干し柿なんか食ってる姿見られたらみっともないと
思われるからじゃないかな?三成なりに意地を通したつもりだったのでは?
長曾可部盛親も大阪夏の陣の後捕らえられたとき足軽が出した。強飯と赤鰯を出されて
「戦に負けて捕らえられるのは恥では無いが、かのような物を出すとは無礼なやつめ、早く首をはねよ」
って言ったというから、捕まって殺されるにしても自分の惨めな姿は出来るだけ見せたくなかったんだろうな
421 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 03:17:54 ID:Bc0l4EsW
干し柿ってそんなに体に悪い食い物か?
ま、湯を所望されて干物を出すほうが間違いだが。
石田三成曰く、「柿は腹を冷やすからいらん。」と断ったそうだ。
ちなみに最後の食事に腹を壊しているのでニラ雑炊を所望したとか。
423 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 07:03:32 ID:Z8b+Ltnr
とらわれの三成は確かのどが渇いたので湯をくれと言ったら、
湯はここでは得がたいから干し柿で乾きをいやせと言われたそうだな。
なんか変な話しだなあ。
干し柿で喉の乾きがいやせるとは思えんが。
>423
ヒント
乾パンには氷砂糖がいっしょに入っています
日々の兵糧は多目に持たせなかったという資料を見たことがある
米を余分に持たせると酒を作ってしまうからそうな
なかなか興味深い話だ。しかし今の御時世、同人誌は合法でも同人酒は違法というのがどうも
工業用アルコールとの分別が無くなっちゃうからなぁ。
飲酒用なら、人に販売しなければ明るみに出る事なんてないし
勝手に作ればいいじゃん?とも思うけども。
>>426 それは、戦時中の話しじゃなかったかな
>>427 それで失明するヤツもそれなりにいたらしい
工業用アルコールには、”燃料用アルコール”というメチルもありますが、
引用可能(?)なエチルアルコールもありますよ。
某化学工場から某種類製造大企業にタンクローリーで週3回出荷されてます…
スレ違いだけど、ニトログリセリンも甘いので、酒のつまみに食われて量が減る、
ってことが煩雑にあったようです。
食(酒?)欲はこわいですなか…
>>425 ちゃうわボケw
>>427 兵糧を酒にされてしまうと
食料としての意味がなくなってしまうから
>>426 同人誌には同人税なんてかけられてないが、
酒には酒税がかけられてるからな。
みんなして自家生産しちゃったら税収が減るべ。
>>429 工業用というとだいたいメチルを指す。
エチルは飲めるだけに工業用とは限らないから。
Migの計器冷却用不凍液はエチルだったそうだけど。
まあ実際は、下痢腹で干し柿なんて食おうものなら盛大に噴出しそうなぐらいだったんだろう
関ヶ原の時点で体調崩してて、それから山野を敗走したんだからかなり悪化してたはず
あの世で家康を糞漏らし将軍と馬鹿にしたいが為に必死に便意を堪える三成けなげ
しかも季節が季節だからな
ただでさえ腹が冷えて大変だっただろう
435 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 19:13:25 ID:g3xyvy83
征露丸所望すりゃよかったのに
>>435 そこまで時間軸をいじっちゃうのはどうかと
正露丸はともかく食事とは微妙に違うけど薬とか丸薬なんかもこのスレでおk?
>>437 話し振って、食いついてくればOKでしょ。
了解、前から興味あったんだよね
意外と当時の日本の丸薬って効能があったと何かでみたし
図書館で資料漁ってからまたくるわ
>>431 明治中期までは同人酒は誰でも酒税さえ納めれば認められた。
だが、日清日露の両戦争で臨時増税やった時に増税の見返りに酒税の規則を厳しくして同人酒を禁止した。
まあ、当時はまともに税金がとれるのがまだ酒税しかなかったからな。
>>440 塩の専売と、日露の時は煙草の専売も初めて戦費を稼いでたぐらいだし。
公務員の一割給与カットもやったな。
今なら5割カットでも良いと思う。
役所に手続きにいくたびに思うけど奴ら能無し過ぎ。
443 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 09:29:51 ID:ibQMBfIG
やはり、貧しい食生活だったんだな。
なんか、みじめだな、昔の日本、ざんねんだけど。
だから、平均身長がどんどん縮むんだろうけど。
614 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2006/11/30(木) 20:30:06 0
>>617 沿岸部以外では、ロクに魚も食べてなかったのが本当らしい。
保存の問題を考えれば当然かもしれないけど、
多くの農民は、たまにやって来る行商人の干し魚を口にするのがせいぜいだったとか。
つまり、明治までの日本人は、米と大豆(味噌、豆腐、醤油)と野菜で
食いつないでおり、これは世界で最も貧しい栄養状態なんだそうだ(by 美味しんぼ)
美味しんぼは矛盾と偏見と差別の塊だからなぁ。
そもそも米と大豆(味噌、豆腐、醤油)と野菜って、
ジャガイモやトウモロコシで飢えを凌いでた欧州よりマシな食生活だろ。
445 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 09:58:41 ID:ibQMBfIG
>>444 欧州は、肉と牛乳があったらからね。
その分、人口密度は日本より少ないけど。
ジャガイモも、トウモロコシも、新大陸の農作物だしな。
欧州と日本、かつての世界二大貧困地域かもな。
>>445 南部の小麦がローマ帝国やアレクサンダー帝国を作ったわけで、最貧国って事はない罠。
ドイツのイメージが強すぎるんじゃないかなぁ。
447 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 11:59:51 ID:hOegLLVC
日本の食生活が貧しいとかいう話になったのは
アホ学者どもが食糧を単純にエネルギーに換算するようになってからでしょうに
肉類取らなかったから食文化が貧しい、なんて、今じゃちょっと恥ずかしい主張かも?
古代文明に限って言えば、タンパク補給を肉に頼った例はありませんね。
ちなみにガリア戦記の中で、奥地で小麦がなくて仕方なく肉を補給したから軍団の志気が上がらない、
って記があります。おいしんぼの見方だと、タマネギと小麦粥とチーズと水割り葡萄酒が主だった
古代ローマ帝国は貧弱な文明ですなぁ。蛮人のゲルマン民族の方が食生活は豊かだったわけですな。
逆に、肉が貴重な食物と考えられた例もあって、、
南米文化の生け贄に付随して、犠牲者の肉が各家庭に配られたそうで、
これは地域に良い家畜が無かったために動物性タンパクを人間で補給した仮説が立てられています。
これはおいしんぼ的見方だと豊かな食生活をめざすために行われたことになるのかな?
ちなみに日本では明治中期まで農村での主食は雑穀(稗粟黍)が主流でした。
ただ都市部では白米が主食でしたから”米は金”であったため喰わなかっただけかも。
アイルランドなんて、ジャガイモしか食ってなかったので、病気でそれが全滅したら、
大飢饉がおきて、全人口の何割かが米国へ移民したりしているわけで、
そういう目にあったことがない日本の食文化はけっこう強靱で豊かだったと思いますね。
449 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 12:46:31 ID:7zyZmoqX
>>449 それはあまりにも視野が狭い。
食事にはエネルギー補給以外にも、身体の構築素材やビタミンなどの
カロリーでは計れない意味がある。
ついでに言っとくが、美味しんぼで鵜呑みにしていいのは
「目玉焼き丼うめー」ってことだけだぞ。
452 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 17:14:29 ID:ibQMBfIG
>>447 エネルギー換算しなくても、十分貧しいよ。
料理の内容見ればわかるだろ。
大体、現在の国単位でヒエラルヒーを仮想する事自体がナンセンスだ。
454 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 18:41:38 ID:SXg/+vxw
>>448 天明・天保の飢饉で百万人も死んでますかがな。
>>454 天明の飢饉では同じ東北圏でも藩(天領)によって
死人の程度が大きく違うこともおわすれなく。
被害の程度に差があるのは、国内の食料が足りなくて飢餓がおきたわけではなく、
当時の制度政治的原因が大きかったのでは?
単純に商人が米の値段吊り上げたのが原因だよ。
>>443 美味しんぼを間に受けてる時点でアウト。あの原作者は発狂的な共産マンセーの左漫画で有名なんだけど。
美味しんぼスレ行ってみww
あと肉食は日本も古代からずっとあるよ。
458 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/01(金) 21:31:37 ID:7zyZmoqX
>>450 広げる意味がないし、それも広義のエネルギー補給だろ
側面的に娯楽の意味合いもあるが、娯楽なんてのは余裕がある人間限定
あと、カロリーベースが糞とか言ってる馬鹿は、カロリーベースに変わる数字に出来る基準を代案に出すべき
無根拠な否定だけなら小学生でも出来る
数字にしないといけないのか?
460 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/01(金) 21:53:10 ID:SXg/+vxw
>>455-456 あんたらは日本では食料不足が起こることが絶対ありえないとでも言いたいわけ?
確かに政治・経済的要因はあったろう。
アフリカの飢餓にも食料商人は絡んでいる。
しかし天候不順や旱魃、冷害によって根本的に食料が不足することは確かにある。
現在でも平成五年米不足は主に日誌量不足が原因で東北の米は是殲滅状態だった。
このときはタイから米を輸入したりしたよね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/1993%E5%B9%B4%E7%B1%B3%E9%A8%92%E5%8B%95 あと飢饉の時に天領や米沢藩であまり餓死者が出なかったのは
天領は備蓄した米倉を開いたからだし、
米沢藩は藩主の上杉鷹山からして米を全部売り払い、
代わりに安く買い上げた稗粥をすするような生活をしたからで、
全ての藩でそんなことはできないし、仮にしたとしても今度は粟や稗が不足しそうだ。
461 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/01(金) 22:05:32 ID:SXg/+vxw
>>457 >あと肉食は日本も古代からずっとあるよ。
また肉食論争かよ。
肉食はあったが量にすれば現在から見れば
比べ物にならないほど少なかったという事ね。
つまり肉食が日本人の食生活を支える基本メニューとまではいえなかった。
この辺が論争になっちゃうんだよね。
462 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/01(金) 22:09:35 ID:7zyZmoqX
>>459 数字使わないでどうやって比較するわけ?
>>460 その平成五年度の場合、本当に米不足かどうかは疑問があるんだけどね…。
464 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 00:01:53 ID:s9Iz+81U
>>463 根拠も示さず適当な事言うなよ。
そんな曖昧な言い方で上段から言えば誰もがひるんで
言い逃れる事ができると思ってたら大間違いだそ。
少なくとも平成五年の北東北での米作は日射量不足で全滅状態だったんだがな。
つーか「日本では食料不足や飢饉は政治・経済以外の理由で起こらない」
とでも言うような非科学的思考に凝り固まってるようじゃ話にならん。
465 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 00:11:33 ID:s9Iz+81U
ウィキの記事のコピペね。
>1993年は梅雨前線が長期間日本にとどまり、九州地方でもついに梅雨明け宣言がなされないという事態になった。日照不足と長雨による影響で、米の作柄が心配されるようになった。
>全国の作況指数が74。東北地方ではそれを更に下回った。
>日本全体で1993年当時1000万トンの需要に対して、
>収穫量が800万トンを下回る事態となった。
>米価は、秋口から少しずつ上昇を始めた。
>細川政権はその年の9月、260万トンをタイ王国、中国、アメリカから緊急輸入を行うと発表した。
これのどこが米不足かどうか疑問なのかわからん。
>しかし国産米の人気は高く、売り惜しみなどが発生し、
>米屋の店頭から米が消える事態にまで発展する。
>年の明けた1994年には米屋の前に行列ができるなどの社会現象が発生した。
確かに売り惜しみのような経済的・政治的理由が
米不足を増徴させていたのは否定せんが、それは全てではない。
食料輸送や管理の難しい江戸時代以前ならなおさらだろう。
もう少し頭やわらかくしろよ。
466 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 00:39:43 ID:s9Iz+81U
>>455-456 >>463 ってのはようするに
「日本では実質的な意味の飢饉は存在しない。ただ政治的・経済的理由で飢餓が発生する」という
仮説を自分の中で立ててしまうと
それに反する事象は全く受け付けないなくなってしまうわけね。
「(少なくとも日本では)自然現象で飢饉が起こりえない」とはあまりにもお気楽かつ無知蒙昧な考え方だ。
農業とかも全く理解してないようだ。
しかも平成五年米不足は現在の農業技術を持ってしても最も御しがたい
「日射量不足」が原因で起こったかなりマレな現象なんだが、
昔の低い農業技術では
旱魃や冷害や水害などもっと簡単かつ煩雑に起きる現象が原因で簡単に飢饉が発生するんだけどな。
>>464 いや、俺は別に日本に飢饉がないなんて事は言わないし、言うつもりもないよ。
お前の言う意見にも別にそこまで批判があるわけでもない。
ただ、細川内閣のコメ自由化は政治的問題が過分に絡んでいるということ。
政府見解の資料ではないものを見てみ。もしくは農家に聞いてみ。
少なくともウチの親戚の家ではコメは過分にあったよ。
468 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 01:08:19 ID:s9Iz+81U
>>467 はあ?
今度は政府発表は信用できないとかいう陰謀論か?
あんたの親戚の農家には米はたくさんあった?
政府発表を信用せずに匿名掲示板の名無し書き込みを信用しろというのは無理あるというのはおいとくとして
そんな個人的証言には意味ないだろう。
農家によってはいろんな状況や偶然からたくさん米取れたとこもあるだろうけど、
それが政府発表がウソという根拠にはほとんどならない。
それにいろいろ検索してみても
政府発表ではなく農協や個人の証言として米不足だった。
という証言がたくさんあるわな。
http://www.akitakomachi.co.jp/communication/0309.html あと逆に1993年米不足の時の作況指数が74なんて冗談じゃない!?
と憤慨する人も多いぞ。
当時の青森や岩手では全く実をつけない稲が繁る田んぼはかりで、
作況指数74どころがゼロだったというとこも多かったんだし。
469 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 01:11:16 ID:s9Iz+81U
≫466
>昔の低い農業技術では 旱魃や冷害や水害などもっと簡単かつ煩雑に起きる現象が原因で簡単に飢饉が発生するんだけどな。
俺としてはこの意見に賛成だな。
現代ならば不作程度で済ませられるレベルであっても、それが主食であり現金収入源である米や麦そして粟や稗等の雑穀類が気象異常や天災によって壊滅的打撃を被った場合どうなったか?
戦乱が続く戦国時代ならば、現代の行政機関がする様な措置なんて、まず期待出来ないだろう。
それに、確かに治水潅漑工事を行い平時より災害に備えていた戦国武将はいただろうが、災害による不作(凶作)につき年貢の大幅な減免措置や飢餓に苦しむ領民達の為、城の兵糧庫を一部開放し無償で炊き出しを行う等という事はあまりしなかったのではないだろうか?
まぁ、そんな慈悲深い戦国大名は間違いなく名君として有名な筈だろうがw
>>466 まず最初に平成不作の原因は、1)国策として減反政策を進めたこと。
2)冷害に弱い商品価値のある単一品種栽培であったこと
3)農業従事者高齢化による水田の管理不足
という人的要因があっての冷害だ、という認識は持っていただきたいかと。
これらは”農村労働力の過疎化”という状況だからこそ起きた問題では?
つか「俺の知り合いはこういってるぞ!」っていわれても返答に困ります…
江戸時代の飢饉ですが、天明の飢饉でみると、
当時の記録によると同じ年四国九州の一部で豊作だったようです。
江戸幕府という統一国家全体でみれば江戸大阪では豊富に米はあったわけですね。
天保の大飢饉について、なぜ大塩平八郎が大阪で乱を起こしたのか、
そこらの事情をお調べになると、当時の政治流通体制の問題点がおわかりいただけるかと。
…つか、戦国板でなにを力説されているのか、いまいちつかみがたいのですが…
472 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 06:53:38 ID:kuNxOGjy
>>471 うーん、平成米不足には確かに人為的要因はあったろうけど、
主因は悪天候による日射量不足なんだが。
植物は光合成して育つのにその光が不足してるんじゃどうしようもない。
それに日本全体で米不足になる事は理論的にはいくらでもありえるんだけどね。
それに四国九州の一部とやらで豊作だからといってそれが
結構な人口がいた北日本の米不足を本当にまかなえたか疑問。
なんせ維新の時、新潟県の人口が日本一だったという統計すらあるんだしね。
つーか俺の言いたいのは何度も繰り返してるとおり
「日本が政治・経済以外の原因で食料不足が起きることはありえない」
というようなお気楽な理屈を批判してるだけなんだけどな。
何でそんなことに固執するのかわからない。まるで宗教のような主張だ。
とりあえずスレ違いだから出て行け
平成の米不況では輸入タイ米は国産米の米価を下げるのに大きく貢献したが
結局多くは売れなかったり捨てられたりしちゃったんだよね。
その時期に日本人が消費した米の量を再検討したら国産米だけで
十分に間に合ってたというオマケまでついてたし。
現在の日本人は米が不作の年でもパスタやパンや、その他の食材で
特に不都合もなくまかなえるという事が実証された形でした。
江戸時代の飢饉で餓死者を出した藩というのは藩内が飢餓状態の陥ってるのに
平気で米が豊富な大阪蔵屋敷に米を搬送して藩の経済だけを考えてた藩ばかりだったんだよね。
また徳川家直轄地と各大名の百姓の間には大きな年貢格差があって
江戸中期には直轄地では年貢が30%前後まで下がる地域が出没した一方
各藩では年貢は比較的高かったし商人に対しての締め付けも厳しかったそうだ。
このスレでも度々出てくる「雑兵物語」などの記述が以下のサイトで要約されてて分りやすいと思う。
http://homepage1.nifty.com/SEISYO/hyourou.htm 米は一日に茶碗10杯程提供されたそうだ。
普段の食事は麦・粟・稗・里芋・雑炊・菜飯だったが
戦場では雑兵に至るまで白米であり、魚や貝や鳥肉などの豪華食材も
肴に加えられたので、それを目当てに戦に参加した雑兵も居たかもしれないという事だ。
実は日露戦争の時に、森鴎外が栄養指導してた日本陸軍は
白米が脚気になる原因であると薄々疑ってたにもかかわらず
当時の兵隊は「侍は白米を食う者」とされてたために
兵卒(当時の兵卒は圧倒的に農家の次男・三男が多かった)の
プライドや士気を考えて絶対に麦飯や玄米に振り替えず
バタバタ脚気にして兵隊を殺した。
その人数は一説には日露戦争で銃弾に当って死んだ兵士よりも多いとも言われる。
多くの兵が脚気で行動が鈍くなり、ヘロヘロになりながら戦場を歩いてたので
ロシア兵の良い射撃訓練用の的になってたらしい。
一方、海軍はイギリス式の食事を摂る事が伝統であり誇りだったので
普通に麦飯やパンやカレーライスが提供されて脚気で死ぬ者は
ほとんど居なかったそうである。
長州藩が伝統を作った日本陸軍と薩摩藩が伝統を作った日本海軍では
合理性という観点から考えると日本海軍の方が後々の第二次世界大戦終了まで
合理的な伝統を持っていただろうと思われる。
476 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 07:41:46 ID:kuNxOGjy
>>474 >その時期に日本人が消費した米の量を再検討したら国産米だけで
>十分に間に合ってたというオマケまでついてたし。
そりゃ違うだろう。
現代人はパンやパスタやソバやウドンなど
米以外でもいくらでも食うことが可能なわけだし、
口では米にこだわってはいてもタイ米なんてものを出されると
結局は米以外の料理に流れただけだ。
>江戸時代の飢饉で餓死者を出した藩というのは藩内が飢餓状態の陥ってるのに
平気で米が豊富な大阪蔵屋敷に米を搬送して藩の経済だけを考えてた藩ばかりだったんだよね。
でも江戸や大阪でも米が余って捨てられてたわけでもないんだが、
確かに食料不足なら人為的原因はつきまとうが、
天候などの原因で食料が不足するのも原因の一つなのは事実。
何で原因を一つに絞らないと気が済まないの?
人為的原因と凶作の二つを原因してもいいじゃん。
不作・不況・輸入ストップを日本人は恐れすぎてるのかもしれない。
米産牛が輸入中止されたら牛肉の値段が高騰し金持ちしか牛肉を買えなくなると心配されたが
全然オージービーフと国産牛で間に合いまくってたし
日本に流通するネギの多くを占める中国産ネギもセーフガードで制限して
ネギの流通価格を上げようとしたが、結局はそんなにネギの価格も上がらず
流通量も大差なく、しばらくして解除された。
>>476 >人為的原因と凶作の二つを原因してもいいじゃん。
原因は両方ですね。
479 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 07:49:27 ID:kuNxOGjy
>>477 それは一部同意する。
現代の日本は食糧自給率40%だが、
その分、あちこちから食料輸入するノウハウがあるし、
経済大国で金は潤滑にあるので、どこからでも食料の輸入はできるよ。
国内が不作だろうと、どこかの国の輸入が止まろうと飢えることはあるまい。
でも少なくとも維新以前はそうじやなかった。
480 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 07:56:15 ID:kuNxOGjy
徳川吉宗の善政の一つに米行政があるけど
不作の藩があると分るやいなや、廻船問屋に命じて
豊作の藩から米を買出し不作の藩へ至急送ったり
逆に豊作の時は品川沖に大量に米を運んで廃棄処分にしたりしてた。
明暦の大火が起きた時も幕府は江戸での米の値上がりを最も憂慮し
大阪から大量に米が送られると大規模なデマを流して米商人の米買占めを牽制して
米価を安定させた。当時の流通事情や商法が現在ほど整備されてない時代だったから
一地方で飢饉が起きると容易に餓死者が出てしまう状態だったのは情けない。
でも、廻船問屋は日本海航路・太平洋航路を開発し一応輸送手段自体は
なくはなかったから一番問題だったのは各藩の為政者の意識が問題だったと思われる。
482 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 08:00:57 ID:QUl1mvb8
>>475 長州藩が伝統を作った日本陸軍と薩摩藩が伝統を作った日本海軍では
合理性という観点から考えると日本海軍の方が後々の第二次世界大戦終了まで
合理的な伝統を持っていただろうと思われる。
ありえない、どう考えても、第二次大戦においては海軍のほうがむちゃくちゃだろ。
483 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 08:03:01 ID:QUl1mvb8
今、世界で近代文明の恩恵を一番受けてるのが日本だな。
なにせ、食料自給率40パーセントだからな。
近代文明さまさまさ。
でも「雑兵物語」による、一日分の一人に与えられる食糧は現代人の感覚から考えると多すぎるよね。
水一升(1.8リットル)、米六合(茶碗12杯)、塩が一勺(0.02リットル)
味噌が二勺(0.036リットル)だから現代人の感覚では腹がはちきれそうなほど
満腹になると思う。だって4人家族の家庭だったら米を六合も炊いたら
家族全員分の一日の食事がまかなえちゃうよね?
戦陣で、武田信玄が兵士に酒を振舞った逸話(温めた酒を出し全員兵士に
飲むよう命じたが下戸の兵が飲まないのを見つけて、酒は酔うために飲むんじゃない
体を温めるために飲むのだと諭した話)があるけど
普段から酒なんて振舞ってたんだろうか?
486 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 08:13:59 ID:kuNxOGjy
>>482 陸軍はインパール作戦みたいな
補給なしで攻略作戦を行えみたいな
メチャクチャな例も多いんだが。
日独伊三国同盟に反対して、対米協調路線を主張してたのって
海軍の米内光政、山本五十六、井上成美の三人トリオだったよね。
488 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 08:20:50 ID:kuNxOGjy
>>487 三人トリオ?
トリオとは三人組のことだから
少しヘンだぞ。
489 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 08:29:52 ID:QUl1mvb8
736 :名無しの歩き方@お腹いっぱい。:2006/01/09(月) 06:13:57 ID:tprHBl/j0
日本を滅ぼしたのは東北人。
長州閥を打倒した政党内閣の初代宰相であり
腐敗と失政で国民のファシズム傾倒に先鞭をつけた原敬、
バーデンバーデンで長州閥打倒を密約し、目的達成後
日本の首相となって真珠湾奇襲を決行した東條英機。
いずれも、長州への復讐心を前面に押し出しすことで
アンチ長州勢力を味方につけてのし上がっただけの、
現代の民主党歴代党首のような無能連中である。
WW2では、長州人岸信介がサイパン陥落を機に講和すべきと主張したが、
東北人特有の、手段がいつのまにか目的となるという視野の狭さと、
長州人憎しの感情が絡み合って、これを拒絶した。
戦況が切迫詰まると、東北人の大好きな
白虎隊の逸話を教材に利用して全国の子供たちを洗脳。
神風特攻隊は、会津武士道を国民に押し付けた結果である。
東北人が引き際を誤ったことにより、昭和20年には本土空襲が本格化。
東京、大阪、沖縄、広島、長崎で十万単位の市民が犠牲となった。
東北人の無知無能により、明治維新以後第一次世界大戦までに
築きあげられた有形の財産はすべて失われた。
「雑兵物語」で気になったのは供給される水の量の少なさだよな。
現代の全然汗をかかないホワイトカラーやニートだって
平均して一日に一升の水を消費してると言われている
(尿路結石予防のためには食事とは別個に水一升以上を飲むよう推奨されてる)
猛烈な重労働をして行軍をする兵士は二升くらいは普通に消費したのではなかろうか?
それとも水はもっと供給してたが手元の竹筒や瓢箪に入れてもらう水の量が一升だったのか
もう少し細かく知りたい。
>>460 経済音痴が歴史を語ると
タイ米輸入は米不足が原因になっちゃうのか
492 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 08:40:23 ID:kuNxOGjy
>>491 おいおい、一応は決着したのに
まだその話しすんの?
少なくとも平成五年米不足の時の
タイ米輸入は米不足が原因だろ。
確かに米の国際価格高等に日本の米輸入があったが
それを材料にして怪しげな陰謀論、語られてもね。
493 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 08:54:09 ID:QUl1mvb8
人間はすごいよ、相当酷い劣悪な環境でもなんとか食いものを見つけて生き抜いている。
アメリカ大陸先住民も、あの不利な条件でジャガイモ、トウモロコシという偉大な作物を育て
上げたのはすごいよ。
人類の宝だ。
エスキモーとかブッシュマンとかのすさまじい生き様には言葉も出ないよ。
しかし、前近代で一番食べ物か食文化が豊かなのってどころだろう。
やっぱ、食い物が手に入れやすいのは、インドや東南アジアのモンスーン地域なんだろうか。
でも、理想的な食物が手に入る場所ってないよな。
どこでも、いろいろ工夫して、やっとこさ、食物が手に入るようになってる。
367 名前:名無シネマ@上映中[] 投稿日:2006/12/02(土) 03:26:23 ID:8u2irOHJ
元々硫黄島は海軍の飛行基地。だから高射砲は比較的沢山ある。で栗林はこの
露出した高射砲を敵の砲撃で破壊される前に穴に入れて照準を地上に向けて活
用しようと‥‥でも海軍部隊は反対。海軍は『飛行場の拡張とそれを守る水際
陣地構築を主張』と栗林の『主陣地の拠点的施設の徹底』との防衛基本構想で
対立に‥‥。結局海軍中央部の意向をもって来た浦辺参謀と次の様な妥協に。
《飛行場拡張と水際コンクリート製トーチカ構築に配員することを条件に、陣
地構築用資材、ダイナマイト、陸戦隊向け25ミリ機銃の半分150丁を陸軍に回
す》栗林は徹底持久の基本戦略を妥協せざる得なかった。
摺鉢山の海軍平射砲台が、「撃つな」という栗林の指示に反して、偵察に来
た敵舟艇を射撃してしまった。その為位置がバレて鑑砲射撃され、肝心の敵上
陸の時役立たなかった。水際トーチカは半年かかって百個以上造ったが、敵の
上陸前の鑑砲射撃で粉砕され、拡張した飛行機にはただの一機も飛来して来な
かった。つまり無駄だったと…
317 名前:名無シネマ@上映中[] 投稿日:2006/12/01(金) 04:19:13 ID:q2zN+qF5
>>316 日本が海洋大国なのは事実。世界最強級の海軍部隊を有していたのも事実。で
もどんなに立派な兵器・武器を有していてもそれを有効に運用活用出来なけれ
ば、それはただの宝の持ち腐れ。
例えばミッドウェイ作戦の時、通常なら大きな作戦を執る場合はその直前に
暗号コードを変えるのが海軍の習わしだったのに、この頃はまだ米軍劣勢・日
本軍優勢だった為か、或いは敵を見くびり過ぎた為か、何故か暗号コードを全
く変えなかった。闘う前から勝ち戦と決め込んで勝つ筈のミッドウェイ作戦を
落とした。これなんかは作戦以前の問題だよ。海軍は大戦の大半に渡って敵に
暗号を解読されていたが、一方の陸軍は終戦まで暗号は解読されなかった。
海軍の失態ならまだ他にも沢山あるよ。
319 名前:名無シネマ@上映中[] 投稿日:2006/12/01(金) 04:55:01 ID:q2zN+qF5
海軍が足を引っ張った。
海軍は事前にインド洋作戦を執る事になっていたのに、突然ガダルカナル方面に作
戦を切り換える。んで珊瑚海海戦。結果は日本海軍の優勢勝ちだが、ここから誤算が
始まる。んで無駄なラバウルでの無駄な消耗(この間ミッドで完敗)そして米軍体力
回復。
資源の無い日本は時間も敵なんだよ。本気で勝ちたいのなら。
戦術面の過失より同盟をどこと結ぶべきか
防衛ラインをどこに引くか
どうやって勝てない戦を回避するか
負け戦のおいて、どの時点で幕引きをはかるべきか
そういう政略面、戦略面が最重要であって
あの地点で、このミスがどうだったなんて無数にある戦術面を
いくら議論しても仕方ない。
上の方が仰るミスが海軍に無かったと仮定しても
日本がアメリカに勝ったとは、どうしても思えない。
というよりスレ違いだから、この話はこれで終了。
まだ続ける人は荒らしとみなします。
>>491 普通に、外圧から一部なりとも米の輸入実績が欲しかった時の政府が飛びつき、族議員を黙らせる武器に使った
わけで口実となったって意味では確かに「米不足が原因」だわなw
>>496 開戦時点では有利なうちに講話を図る予定だったが、軍人が閣内にいたためにそのプランが崩壊。
タイミング悪くミッドウェーで負けちゃったモンだからそのままずるずる。
まぁ、負けるべくして負けたってところだと思うが。
499 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 17:13:15 ID:xBUNDoc3
雑兵たちに支給する米が多すぎる、という意見があるが、
兵士とはとんでもなくハードな肉体労働だし、肉や魚は手に入らず、米や味噌からタンパク質を摂取していたから
それくらいの米は必要だった。
なお、雑兵を雇う側は、一度に大量の食糧を支給したりはしなかった。
大量の米を手にした雑兵はそれを飯として食わず、自分で麹を作って酒にして飲んでしまうからだ。
500 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 18:06:27 ID:kuNxOGjy
>>497 米不足+そういう事情でしょ。
別に米が豊作であれば少なくとも輸入なんてしないんだよ。
いいかげんこの話しやめたいとこだな。
>>499 兵隊なんてリスクの高い職業で働かすにはなにか必要なんだよ。
日本の場合それが米食である事が多いな。
他に第二次大戦の時のソビエト兵は「セックス」で釣ってた要素が多かった。
占領地の女とやりまくり。指揮官は黙認どころか奨励していた。
江戸時代に東北地方で飢饉が発生して大量の餓死者が出たのは
冷夏で米があまり収穫出来なかったのも理由のひとつだが
最大の理由は、当時の東北地方は稲作に適していなかったにも関わらず
藩が貨幣価値のある米を積極的に作り、その他の雑穀の栽培を怠ったから。
特にそういう傾向の強かった南部藩は他の地域よりも被害が酷くて壊滅的なダメージを受けた。
その地域に適した農産物を作っていれば多少の天候不良にも耐えられたはず。
このスレの内容まとめて本にしないか
あと、バカ学者が食糧をエネルギーに換算する際に
資料の乏しい漁業や穀物以外の農産物などはカウントしていないだろうな。
日本は米とせいぜい数種類の雑穀、
西洋は麦などの穀物と酪農をカウントしているんだと思うよ。
ひろゆき
欧州の食料事情は、平民や農民(農奴)のそれと都市の富裕層や貴族のものが全くの別次元別世界だった事は説明した方が良いか?
極端な話し、ペスト流行時以外の欧州での死因の第一位が「餓死」だったと思っても問題は無い。
>>498 講和を図るっても、希望でしかないからな。
江戸時代の食事やってるな
日テレで
>>500 平成の米不足も江戸の話も直接日本の農村生産力が貧しかったという事には無関係、
っていわれてるだけですよ。そこにこだわりたいみたいですが。
ちなみに第二次大戦時に朝鮮半島に駐留した露憲兵隊は、
現地で強姦強奪報告があればその場で銃殺したそうで、国策で推奨というのは…
>>490 雑兵物語には現地では川の水飲め、という記述も有るので、
その水の量は調理用の(お粥にしたりetc..)量ではないでしょうか。
当時の”白米”は、現在もインドで行われるバーボイル加工の可能性もあります。
(収穫した籾を半煮して日光乾燥して保存。必要な分だけ杵で脱穀精米する)
また昭和初期まで九州にはヤキゴメ(モチ米を早刈りして蒸し、杵でつぶして扁平にしたアルファ化米)
も作られていて、これも当時の米の加工の仕方だと考えていいと思います。
この場合、調理に使う水の量も現在のものよりは減りそうですね。
510 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 20:53:29 ID:kuNxOGjy
>>509 ああ、ソビエトは侵攻した地域によって強姦を推奨したり禁止したりした。
推奨したのはドイツや満州ね。
そうやって住民を追い出したりした。
対してドイツ以外のヨーロッパや朝鮮では固く禁止した。
ちなみにソビエト占領化のケーニヒスベルクは地獄だったそうな。
伯仲、女性がソビエト兵士に堂々と強姦され
事後に戦車にくくりつけられて潰されたりした。
それに耐えられずドイツ住民は数年で脱出したそうなる
511 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 20:55:28 ID:kuNxOGjy
512 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 21:05:36 ID:kuNxOGjy
>>510 しかも、国土が広すぎて言葉が通じない連中がごろごろ居いるから、やめさせるときには機関銃掃射で
見せしめに撃ち殺したとか。
514 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 21:06:21 ID:h1nZ5ek6
>>500 あとプラスして当時の政権が日本新党の細川に代わった事も大きい。
当時細川の人気が最高潮でかつ同党の幹部には米開放論者もいた。
つまりしかも日本新党は新人政治家ばかりだったから国会決議なんぞ知ったこっちゃない。
今までの輸入開放反対の経緯をスルーするのに好都合な条件が揃っていた。
515 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 21:07:06 ID:h1nZ5ek6
文面がおかしくなった。
3行目の最初の三文字は削除ね。
>>508 文武両道とは正にあの事だな。
論理を遂行した上に行動すると
おかしい点が浮かんでくる。
517 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 21:59:49 ID:eVPNnCuz
セックスを餌にって馬鹿かこいつwwww
逆らって粛正されるか、粛正されたくなければ死ぬ気で戦って、
運よく生き残る可能性に賭けるかの2択だろ。
雪があるから大丈夫だろうっつってパラシュートなしの降下作戦で全員墜落死、戦車歩兵の平均寿命が2週間、小銃は2人に1つ(相方が死んだらそれ使え)
みたいな軍隊に入れられて、戦争に勝ったらヤリ放題!ウヒョーなんて思うか?
米不足は河野洋平が辞める時の最後の銭稼ぎにマスゴミ操作して作り上げたって説もあるけどね。
つか政治版だとそれが定説になってるけど。
ちなみに新潟の農家はかなり米が余っていた。同級生の中には儲けすぎてポルシェ買った家とか立て替えた家とかもあったよ。
不作で苦しんだ家は知らないなー
519 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 22:12:20 ID:kuNxOGjy
>>517 戦争終盤になると戦争というか戦闘に勝てば
セックスと略奪が楽しめるよ。
それ目当てに頑張る奴がいてもいいだろ。
スレ違いもなんなので
日本の合戦にあてはめると
松永久秀なんかが戦場強姦を奨励したと聞いてる。
520 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 22:21:58 ID:kuNxOGjy
まあ戦国時代においても時の生活ではなかなか食えないような特別食で釣る他に
勝利のあとは女とやりまくりという楽しみがある事もあったわけ。
戦国時代より古い時代の話しだが、
ある有力大名の姫君が占い師に「将来は千人の男とやる女になる」と
占われてその時点ではそんなバカなと誰も信じなかったが、
のちにその大名の城が落城し姫君は哀れにも攻め手の兵士に犯されまくったという。
>>520 「水鏡」だっけ?
姫の人相観たのが鑑真さんねw
↓「あれ?鑑真って目が・・・」ドゾー
522 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 23:39:37 ID:h1nZ5ek6
大名じゃなくて太政大臣の藤原仲麻呂
米不足米不足と騒いでいる人がいるが、平成5年の米不足のときは、
それまで余り過ぎて困り果てていた古米、古古米が市場投入されなかったことに気付いてないのか?
本当にどうしようもなく本当に新米がないのなら、古米が市場投入される。
それすらなく、なぜか米不足が起き米屋から米が消え、輸入が行われた。
倉庫に溢れるぐらいある古米をあの機会に売らずに、米の輸入をおこなったのは、
米を無理やり輸入させ、国民に消費させるため。
524 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 04:56:41 ID:asRN+bCg
備蓄米というのは日本にもあるからね。
食糧危機に敏感なスイスは食糧備蓄の量が凄く
基本的に今年取れた穀物は倉庫に入れて
昨年取れた穀物を消費するそうだ。
国民皆兵制といい、食料国家備蓄といい
戦争が起きた瞬間に対応できるように徹底して準備されている。
日本は危機意識が薄いね。食糧備蓄量の正確な量は知らないけど
一年分などの量は無いし、石油備蓄も目標量は一年分だけど
実際は三ヶ月程度の量しかないそうだ。
それでも隣国の韓国に比べたら食糧備蓄も石油備蓄も相当恵まれてるらしい。
韓国では石油備蓄量は一か月分しか無いので
もし、日本と戦争になったら日本側が専守防衛し、なおかつシーレーンを抑えるだけで
一ヶ月程度で破綻する。
>>523 君が何でその話しにこだわるのかわからんなあ。
ここの書き込みでは何故か平成五年当時、
米の備蓄はほとんどなかったと書いてある。
それと古米、古古米は防腐剤を噴霧しなくてはいけない決まりで
それが毒性を持ってるので危険視されてる。
ちなみにそれを飢餓国の援助などに送っているので、
「日本は自国では食べられない危険な米を送っている」と評判になってる。
それで、古米は一年ごとに防腐剤を噴霧する規定なので
三年くらいで毒性が危険なまでに高くなるので放棄される事になってる。
放棄する前に来た朝鮮とかアフリカに送ってはいるんだけどね。
タイ米輸入されたときに危険とか言われたけど、
国産米の古米のほうがよっぽど危険なんだが。
ソースは宝島社の「地球環境読本」ね。
日本は古米をただ、倉庫の中に入れているわけではなく
そういう薬剤噴霧のような小細工をしてかえって危険なものにしてるんだよね。
バカらしい。
あと
>>469のリンク先に平成五年の米の備蓄はなかったと書いてある。
>>524 必要なのはバランス感覚だと思うけどな
自給率は40%だが、それは農家の収入確保から来る
生産の制限によるものが色濃く
作ろうと思えば100%に引き上げる事が出来る。
日本は石油備蓄で約半年分
石油製品を牛乳から製造したり
間伐材や農作物から燃焼・発酵エネルギーを捻出する事で
完全に移行することも可能だから
ここで最大の問題となるのは金属で
こればっかりはリサイクルくらいしか手段が存在しない。
石油よりも金属の備蓄に本腰を入れるべきだな。
目標2ヶ月程度で、現在1ヶ月分程度しか確保出来ていない。
政府もこれは懸念しているらしく、豪相手に
FTAを積極的に行っている理由はそこ。
交渉内容見てると、石油に関してはあまり
対日本のカードになってないでしょ?
石油に関しちゃ大麻草で代用できる技術が確立してるしね。欧州なんかだと既に移行が始まっているし。
鉱物ばかりはどうにもならんけど。昔のように砂鉄使って刀や釘作るわけにもいかんしね。質は鉄より遥かにいいが量産できないし。
>>528 >作ろうと思えば100%に引き上げる事が出来る。
無理。ちなみに戦前は台湾や満州があったから自給できた。
>>529 >石油に関しちゃ大麻草で代用できる技術が確立してるしね。欧州なんかだと既に移行が始まっているし。
それも無理。採算的に非常に高くなる。
それに欧州でも移行してない。
あと食料自給率を引き上げるとしても
一年や二年で出来るわけではない。
それに農地喪失や農業従事者の激減という問題もあるしね。
533 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 09:57:07 ID:phoVu2tC
戦国時代の食文化を知るための良い本ない?
>>525 学校給食にはそんな危険な米を使っているのか?
>>533 安い石油と大量の水。
最近では水の方が問題になりつつあるけどね。
>>530 何故日本の農家は作物を制限するか?
採算の高い技術を企業は敬遠するか?
金にならないからだよ。
現在の日本を根拠に
有事の日本を語ることはナンセンス。
例えば自給率の低さを懸念する声というのも
危機感を煽るために現在の生産を基準に
学校給食はこうなる!?っとかやってるでしょ?
そんなもん、80の婆ちゃんが小さい小さい田んぼ耕してるだけで
2〜3世帯分の食料が生産出来るくらいに生産効率がよくなってるのに
産業体系が変わらない事を前提に食糧危機を煽っても整合性がない訳。
電波本に神経刺激されないで
もうちょっと現場を見たほうがいいよ。
>>530 否定している根拠は?面白いから聞きたいな
むしろ、現代日本で食料自給率100%が可能だとか、畑で石油を生産するから無問題とか
いってる連中の根拠を聞きたいものだが。
自分も一言だけ言わさせてもらったが、
そろそろスレの本題に戻らないか?
食事と関連が切り離せない項目として料理。
つまり調理法があるわけだが、当時生まれた調理法とかどうなんだ?
たとえば江戸の頃には鷹匠の料理ほうの・・・なんだっけ??
手で食材を一切触らず箸を刺し、血が出ないように鳥を調理する方法があったらしいが、
なんかそういう、戦国発な調理法によって新たに出現したメニューとかどんなものがあったの?
茶道の出現は室町時代以降会席料理としても影響を与え
食事に道の追求を取り込むことになる。
(食べる事以外で楽しむ要素が発展していった)
また、南蛮貿易によって洋酒や"揚げもの"も齎され
照明技術の発達から、労働時間が長くなり
朝夕の食生活が三食主体に変化していったのもこの頃(16世紀頃)から。
>>540 ヨーロッパで大麻草がバイオマス燃料として普及しているというのは本当か?
経済産業省や環境省の資料を見てみたが、大麻なんて一言も書かれてなかったぞ。
ちなみに↓は環境省によるバイオマス燃料の海外状況の調査資料。
ttp://www.env.go.jp/earth/ondanka/renewable/01/mat_04.pdf フランスでは小麦などを原料としたエタノールからETBEを作り出し、
ガソリンに添加(15%)して自動車の燃料としている。
また、バイオマス燃料といえばなんといってもブラジルだが、
ブラジルにおける原料は世界一の生産量を誇るサトウキビである。
ガソリン中の含有率は25%。
大麻草がバイオマス燃料の原料として移行が始まっているというからには、
現在どの程度普及しているのか示してもらわないと、にわかには信じがたい。
>>544 メリケンがトウモロコシからアルコールを造るってーんでトウモロコシの価格が暴騰してるって話は聞いたことあるが。
研究・実験段階の話を「普及している」と妄想されてもなぁ
実際に普及してたら現実に起きている原油価格の高騰などありえんし
スレタイに沿った話になんとか誘導・・・・
石油・石炭の利用は当時の日本ではまだ殆ど無いよね?
支那では宋代にはコークスの強力火力を用いた炒め料理が生まれた
日本は豊富な森林資源から薪、木炭でじっくり火を通す煮物料理が発達した
549 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 14:57:05 ID:asRN+bCg
七輪っていつごろ生まれたの?焼き物もあったんじゃないかな。だって魚は焼いて食べてるし。
>>546 悪いけど、トウモロコシやらサトウキビやらを原料とするエタノールの話なんざ
今さら書いてもらわなくても知ってるよ。
俺が求めているのは大麻を原料とする燃料が普及しはじめているというソースなんだよ。
しかもそれらのソース、全部2chじゃないか(外部リンクがあるものもあるが)
2chのスレ貼られてソースって言われても困るんだが……。
大麻関連のサイトを見ると、「大麻はこんなにも有用です!」って盛んにPRしてるけど、
具体的なデータを示してるサイトってほとんどないんだよね……。
まあ実際有用なんだろうけどさ。
551 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 15:07:43 ID:asRN+bCg
酢の物、焼き物、煮物、香の物、膾と典型的な日本料理の基礎は戦国時代頃には既に存在したのではなかろうか?
552 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 15:12:17 ID:asRN+bCg
しかし江戸時代に寿司、天婦羅、蒲焼、上菓子など発明されてなかったら
日本料理は随分、質素なイメージをまぬがれなかったでしょうね。
更に明治維新以降にすき焼き、カツ丼、肉ジャガなども生まれてこなかったら
なんか物足りない料理というイメージが定着してしまってただろうと思う。
553 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 16:12:50 ID:pktNUJHC
食料自給率はどうしようもないよ。
あげようにも農地がない。
土地がない悲しさだな。
日本人が今の食生活を維持するのに必要な農地面積は1700万ヘクタール。
日本の農地面積は500万ヘクタール。
限界まで広げても、、600万ヘクタールがやっと。
話にならない。
554 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 16:14:46 ID:pktNUJHC
>>541 どう考えても電波だな。
戦前のアメリカに戦争勝てる電波たちも、こういう与太話を自信たっぷりに
語ったんだろうな。
庶民は騙されないようにしないと。
555 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 16:16:34 ID:pktNUJHC
>>550 しかし、植物燃料なんて、面積の狭い日本にとっては、ますます不利になる話でしかないだろうにな。
既に室町時代には中国から油(胡麻油)で食材を揚げる調理法が伝わっていたとの事。
ただ、現在の様に魚や肉類を揚げるのではなく、昆布等を油で揚げ「炒り昆布」または「揚げ昆布」として武士をはじめとして戦国時代の日本人は珍重したとの事。
本格的に天麩羅が庶民に普及するのは江戸期中頃だが、最初はさつま揚げみたいなのから素揚げ、唐揚げ、そして天麩羅となっていったらしい。
衣を付けて揚げると油の痛みが遅くなるので関西圏(特に大阪の堺)から広まっていったとの事で、江戸時代中頃には人口が多く豊富な魚介類が捕れる江戸の街で人気が出て次第に定着していったとの事だよ。
>>553 実際には後継者がいなくて使われなくなった農地とかがたくさんあるんだけど
農業に従事する人が年々減ってるんだから農地があってもどうしようもないわな
職にあぶれてる人たちが気軽に農業関係に就職出来るようなシステムが
構築されればいいんだけど
>>553 >>555 減反や後継者不足の結果使われていない休耕田は、かなりある。
>>553そういうわけで、単に農作地をひろげりゃあ良いという問題ではない。
食生活の変化(昔へ戻す)があれば、いくらかは自給率も改善されるはず。
ってか、学校の給食でパンなんか出す必要ないんだよ。腹持ちも悪いし。
559 :
558:2006/12/03(日) 16:40:06 ID:ttTytib+
かぶった。
>>552 一回、ちゃんとした寺に行って精進料理食ってみるといい。
561 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 17:08:37 ID:asRN+bCg
まだ、食料自給率の話をしてたのか?
いい加減スレ違いなのにしつこいよね。
簡単に食料自給率を60%に上げる方法も知ってるが
そんなのスレ違いだから話す気もないや。よそでやってよ。
戦国時代は自給してたんだから、確かに関係ない罠
563 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 17:22:29 ID:asRN+bCg
昔読んだ本に載ってたんだが
戦場で飯食う時
布を水に浸して米を巻き
地面に埋めてその上で火を焚いて調理した
と書いてあったのだが本当だろうか
南方の原住民なんかがやってる蒸し焼き調理と同じだな
確かに鍋釜持ち歩かないでいいから楽といえば楽だが
>>552 精進料理の他にも京懐石料理があるジャマイカw
確かにビフテキやグラタン、シチューや各種パスタに比べたらダイナミックな派手さはないが華やかさでは全然ひけはとらないぞ!
その証拠に日本(特に京都)へ旅行に訪れた外人さん達なんか大喜びしてるぞォwwwww
ただ、れっきとした京懐石料理はそれなりの料金はきっちりとられるし、「一見さんお断り」なんてところも珍しくないけどな…。
orz
>>564 陣笠を鍋代わりにするみたいに、道具が無い時はそうやって炊いた場合も
あったんじゃないかな?
567 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 17:36:35 ID:asRN+bCg
>>560さんや
>>565さんは勘違いしてるけど
俺が精進料理や懐石料理を食べた事が無いと思い込んでるわけ?
法事の度に食べさせられるからうんざりしてるんだよ。
たしかに手の込んだ料理で日本人にしか作れない料理だと思うが
肉を美味しく感じなくなった中年以降の人間には嬉しい料理だが
まだ油気が抜けない若者には物足りないと感じるのは当然だよ。
実際に世界中に日本料理は普及してるが精進料理や懐石料理が世界各地で
受け入れられてると思ってるのでしょうか?
>>567 天麩羅、ステーキ、グラタンが豪華で彩り豊かと思うのも
自分が幼少期からそれらが周囲に存在して食べ慣れているからだろ。
初めからそんなモノは無い環境に居ればまた感覚が変わるだろう
京懐石なんかがそれらに変わって豪華、彩り豊かな料理という感覚になる
>>567 手の込んだ料理になってるのは現代風のヤツ。
ホントの精進料理は、今の料理に慣れ足したには辛すぎた。
570 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 18:56:07 ID:asRN+bCg
>>568 言わんとしたい事は分かりますが
ブッシュマンが「牛肉と牛乳以外は料理じゃない」
と主張してるのとあまり変わらない気がします。
571 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 19:11:37 ID:6cAc4Yja
コンバットマガジンの糒の話がおもしろかった。
572 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 19:25:41 ID:phoVu2tC
573 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 19:27:11 ID:phoVu2tC
高知は耕地ね。
574 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 19:30:09 ID:pktNUJHC
>>558 かなりってどのくらいだよ。
実際には、1200万ヘクタールも農地が足りないんだよ。
いくらなんでも、休耕田がそんなにあるわけないだろ。
でたらめにもほどがあるな。
ちなみに、江戸時代の農地は当時の技術でで限界まで開拓して300万ヘクタール
それで、米中心のおかげで3000万以上の人口を養っていた。
山がちな日本の国土で利用可能な平地面積は1200万ヘクタール、どうあがいて
も国土の三分の一以下しかない。
>>567 ある事は証明出来るけど、ない事は証明出来ないんだよね。
576 :
558:2006/12/03(日) 19:40:43 ID:ttTytib+
すまん、たしかに数値までは考えていない。いくばくかのに改善、に過ぎないね。
1haあたりの収穫量は多めに見て200キロぐらいだから、あんまり変わらないか。
とことん米飯主義に徹して、生存すれすれだとしても、1000ヘクタールほどは必要。
どれくらいの農地が今あるのか知らないけれど。 まあ、この話題はもういいか。
話は変えるが、江戸時代初期、紅鮭が珍しかったそうだね。
江戸城で誰かの弁当の塩鮭を分け合ってたべたとか。
577 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 19:46:37 ID:phoVu2tC
ちなみに一昔前までは「棚田」ってあったよね。
「千枚田」とか言われたりした。
山地のような地帯に田んぼを作るために
小さい田んぼを無数に作るしろものだが、
近年では機械も使えずほとんど全て人為的作業しなくてはならない
手間から消失していった。昔はそこまでして田んぼを造ってた。
それと日本で楽に自給率100%できるとか言ってる奴は水の問題はどうする気なんだろう?
水の利用率の7割は農業に使うほどに農業は水を使う。
「日本が水が豊富」というのは正しいんだが、人口で見ると中東諸国なみなのだが・・・
どんな材料を使うかにもよるけれど、
わらびの煮付けは、動物性のものを一切使っていないけれど、すこぶる美味だった。
手のかかる素材の代表みたいなものだけど。
>>576 上の方でも出てたけど、毛利秀元じゃなかったかな。
580 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 19:52:17 ID:phoVu2tC
そもそも棚田がその典型だが「休耕田」=「すぐに復活利用可能な優良農地」とでも思ってないか?
休耕田になるような田はそもそもあまり良くない田が多い。
農民だって採算や作業の簡易さを考えるわけで、休耕田になるような田んぼは
もともと切り捨てられるような良くない田が多いんだが。
それで利用しやすい優秀な田んぼが残っていく。
581 :
>>576:2006/12/03(日) 19:54:25 ID:ttTytib+
すまん、見てなかった。
>>574 農地(特に水田)は余ってるんだよ
余っていても耕作者がいないからどうしようもないだろ?
お前の言う「農地が足りない」は
食料自給率100%を達成するためには農地が足りないといっているだけで
現実には農地が足りても生産者がいないだろ
今度こそ理解出来た?
>休耕田になるような田はそもそもあまり良くない田が多い。
そんな事はない
各地の農協が自分の所に割り当てられたノルマを達成する上で
いい水田とか悪い水田とかは考えられていないのが現状
精進料理から懐石料理まで和食の代表食材、豆腐(トゥーフ)は?
湯葉を使ったのとかなかったのかなぁ・・・
>>583 もちろん全てが全てとは言ってない。
あくまで傾向としてだな。
自分がもし農家なら割と都合のいい有用な田んぼを残そうするだろうが。
>>586 減反政策のシステムを分かってないヤツが
さも知ってるふうに書くと君のようなただのウソつきになってしまう
とりあえず食事や食べ物以外のわけ分からん政治云々の話はすれ違いだから消えな。
>>584 昔の豆腐は硬いぞ(何せ縦に刺した箸がそのまま立つほどに)
で、本題だが豆腐を用いた料理はまさに戦国時代から一般に普及し始めたのよ。
「あん豆腐(葛をかけた豆腐料理・俺は食べた事無い)」とかか。
あとは山椒をかけて食べたとかあるので、この頃にはもう調味料として山椒は有ったらしい。
ついでに戦国時代の『煮物』と呼ばれた料理は全て『茹でた物の総称』か『味噌煮込み』のどっちか。
(例えばしょうゆ煮とかは戦国時代では『煮物』とはカウントされない)
・・・なんで味噌だけ?
589 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 23:01:36 ID:hA0UOM1r
【日朝】どんぶりの起源は…日本と朝鮮半島 食文化の交流史学ぶ 神戸★2 [12/03]
1 :死にかけ自営業φ ★ :2006/12/03(日) 20:57:14 ID:???
日本と朝鮮半島の文化交流をテーマにした講演会と音楽会が二日、
神戸市中央区下山手通二の中華会館であった。
滋賀県立大名誉教授の鄭(チョン)大(デ)聲(ソン)・韓国食文化研究所長が
食文化の深いつながりについて話し、市民ら約九十人が聞き入った。
県朝鮮人国際交流センターの主催。鄭所長は、朝鮮半島がルーツのキムチが、
二十年間で日本での消費量が十倍になり、最も食べられる漬物になったと報告。
「朝鮮半島の食文化が日本に根を下ろした」と指摘した。
また、古代に酒やニンニクが朝鮮半島から伝わったことや、
豊臣秀吉の朝鮮半島出兵で日本に連れて来られた技術者が豆腐や陶磁器を伝え、
「どんぶり」は朝鮮語の「タンバル」が変化したなどと紹介。
「不幸な歴史もあるが、日本と朝鮮は生きるために大切な食べ物で交流していた身近な存在。
友好を深める参考にしてほしい」と話した。
日本のコーラスグループや朝鮮学校卒業生でつくる兵庫朝鮮歌舞団の踊りもあった。(森 信弘)
ソース 神戸新聞
http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sg/0000183027.shtml * ソース元消えました ただし 韓国 食文化 でニュース検索(グーグル)すれば存在した事は確認できます
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1165147034/
>>563 長芋自然薯などのヤムイモ温帯種の原産地は雲南省、
里芋などのタローイモの原産地はマレー半島、どちらも栽培品種です。
伝播時期は日本に人が住むと同時くらいではないでしょうか…
戦国時代の頃、醤油はまだまだ高級食材だった。
調味料は塩か味噌ぐらい。
って書き込みが上のほうか前スレであったけど、
名古屋近辺で味噌系の料理が多いのはその名残なのかな?
592 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 01:43:34 ID:viikbnYr
>>582 なにその詭弁
生産者が何千万人いたとしても日本の農地可能な面積じゃ一億三千万人は養えないわけだが
593 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 01:46:03 ID:viikbnYr
つーかドイツの何倍も農業人口あるのに何言ってんだか
>名古屋近辺で味噌系の料理が多い
1337年創業まるや八丁味噌、なんて言うのが岡崎にありますから、
それの影響を受けているのかも。
595 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 04:20:08 ID:ZFUqCi1U
まだ、自給率の事を言ってる人が居るなぁ・・・
とりあえずスレ違いだから、あっちでやって欲しいが一言だけ。
日本の食料自給率は40%程度だとするが、生産過程や流通過程で
日本の全食料の30%を廃棄処分にしてる。輸入ストップになれば
食料価格が上がって廃棄食料が減るので仮に廃棄食料が0になると大胆な仮定をすれば
食料自給率は一気に56%になる。また耕地面積云々を言ってるが
西日本より南では米の二毛作が可能な地域が多い。
コシヒカリなんて贅沢言わず長粒種や二毛作可能な米を植え
さらに全ての農地を輪作で一年中耕作地として使い
葉物野菜はプランターの家庭菜園でも出来るのだから
日本中の人間が狭い空き地でもベランダでも作ればいい。
あらゆる空き地に根菜類の種を蒔いておき、出てきた雑草は学校などで飼育してるウサギや鶏の飼料にして
肉類を確保する。また日本中の淡水魚や近海・遠洋の漁業は徹底してやる。
食糧自給率100%が無理とかほざいてる人が居るけど通産省や外務省の御用学者の意見を丸呑みしすぎ。
結論から言えば、可能だと断言しておきます。
とりあえずスレ違いだから、反論は一切受け付けません。
反論するなら上で書かれたULRの所へどうぞ。
596 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 06:13:49 ID:viikbnYr
すげー電波wwww耕作面積だけでも3倍足りないのに二毛作とかwwww
597 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 06:19:44 ID:ZFUqCi1U
>>596 おまえが電波なんだよ。
というかアッチの掲示板に行け。
耕地面積の算定は通産省や外務省の御用学者がデタラメな算出方法を取ってるだけで
おまえは算定してないんだろ?寝言は寝て言えよ。
598 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 06:52:15 ID:EMLm4w6N
>>597 デンパはお前だろう。
学者の言うことを信じずに
2chの一匿名投稿者ごときの言うことを
何でいちいち信じなきゃいけないんだ?
お前がそう信じてるなら、
2chごときで威張り散らしてないで、
学会で発表するなり、
本を書いて世間にお前の学説を発表すればいいだろう。
599 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 06:57:27 ID:ZFUqCi1U
>>598 低脳なオマエが妄信してる大好きな学者たちでさえ
日本が今年から食料輸入を完全ストップをしても国民全体に2050kcalの食料が行き渡ると算定してるぜ。
それは、およそ1950年の日本人の一人当たりの消費カロリーとほぼ同じだ。
昨日「関口宏のサンデーモーニング」で放送してた内容だ。
600 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 07:01:17 ID:EMLm4w6N
だから何で学者を信じずにお前を信じなきゃいけないの?
お前、どうせ適当な一般書を読んでたいして良くもない頭で夢想してるだけの素人だろ?
そうじゃないなら、名前くらい名乗れよ。
メールアドレスかフシアナ使った接続情報でもいいぞw
601 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 07:03:36 ID:ZFUqCi1U
>>600 低脳なオマエが妄信してる大好きな学者たちでさえ
日本が今年から食料輸入を完全ストップをしても国民全体に2050kcalの食料が行き渡ると算定してるぜ。
それは、およそ1950年の日本人の一人当たりの消費カロリーとほぼ同じだ。
昨日「関口宏のサンデーモーニング」で放送してた内容だ。
602 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 07:06:24 ID:EMLm4w6N
>>601 同じ書き込み書くなよ。
どんな学者かねえ?
まあ論理的なら今の飽食日本なら段準にカローリー計算で40ぇになったとしてもやってはいけるだろうけどね。
もっとも食料輸入が止まる事態になれば
石油とかの輸入も止まってどうしようもならなくなるだろうけど。
日本の農作物なんて石油で出来るようなもんだし。
>>600-601 スレ違いと言う声があるのにどうしても譲れないと
言うなら派生議論スレででもじっくり話し合ったらどうか?
604 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 07:10:34 ID:ZFUqCi1U
>>602 逆にオマエが妄信してる学者の名前も聞きたいくらいだよ。
昨日の放送内容は献立メニューも並べられ
卵や肉は週に一回、味噌汁は二日に一度
三食には必ず芋が入る内容だった。
日本が食料増産しないという大胆な仮定をしてですら
人間がギリギリ飢えない程度の量は現在の日本の食料だけで
既に間に合ってるんだよ。
耕作地3倍3倍!っておまえはジェシー高見山かよw
605 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 07:13:58 ID:EMLm4w6N
>>604 まず自分から名乗れ。
ていうか散々に偉そうなこと言って
そんなテレビ番組の内容をひけらかして
威張っているところを見ると
何だかお前のお里が取れてきたよ。
あと俺は
>>597と別人。
606 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 07:22:40 ID:EMLm4w6N
大体、
>>595の内容は仮に最大限に認めるとしても
単に「食料のみの輸入が止まったら」とかいう
机上の計算としか思えない。
食料の輸入が止まるような状況になったら、
石油とかの輸入も全部止まると思うんだがな。
日本の農作物は石油でできているようなもんだし。
漁業なんてなおさらだ。
石油がないのに今時どうやって船を動かす?
あと食料輸送のための車や電車や船の動力は?
607 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 07:26:10 ID:ZFUqCi1U
>>606 「大体、
>>595の内容は仮に最大限に認める」
それなら結構。既に結論に達してるではないか。
食糧自給率の話は俺が正しいという結論でフィニッシュだろ?
なんで、さらにスレ違いな石油輸入の話まで話を広げて逃亡をはかるわけ?
もう、おまえらの妄想には、これ以上付き合えません。
608 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 07:47:33 ID:EMLm4w6N
>>607 何がフィニッシュなんだか・・・
俺は「仮に」とつけてるぞ。
だいたい単に「食料の輸入のみが止まる」という
ありえない前提で推論しても仕方ないだろう。
そんな事言ってたら食料自給率40%でも
全日本人の食料を40%にして配給制にすれば
済むことなんだし。
>>608 現代の食糧自給率をここで話し合ってどうするんだ?
「あり得ない前提」じゃなくて、話しをわかりやすくするための一例に延々かみついて。
ちょっと頭を冷やしてこい。
ええーい!!スレ違いな上にsageずに迷惑なやつらやな〜!!!!
ID:ZFUqCi1U
ID:EMLm4w6N
こいつら同一人物でこのスレを荒らしたいだけと違うか…
輸入相手国が軒並み食糧危機になれば食糧だけの輸入が止まることもありえるわけだが
実際には中国や東南アジアの貧乏な国では
自国の国民が飢えても外貨を稼ぐために食糧を輸出する「飢餓輸出」という状態になるので
日本が政治的に孤立するような状態に陥らなければ食糧の輸入が完全に停止する事はない
それに食糧自給率40%というのは数字のマジックで、タコだのエビだのと
必ずしも輸入してまで食べないといけないような物ではない物の輸入量をカウントしているので
米だけなら完全に自給できるんだからそんなに声高に危機感を煽る事ではないんだよ
十年くらい前、ネパールに行った。そこは平野部だったんだけど、一日2食。
毎日毎日あきもせずダル・バート(野菜入り豆スープ/カレーみたいなの)と
パサパサのインディカ米。たまに食べるチョーメン(ヤキソバ)がごちそうだった。
日本も昔はこうだったのか・・・と思った次第。
614 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 15:08:06 ID:EMLm4w6N
>>611 俺は光回線一つだけでどうやったらID変わるかわからん。
つーか、親前こそ自作自演だろう。
ID:HTk/Ssg1
自作自演をとがめてんじゃなくて、
”スレ違いネタで滔々と語る”痛いところを指摘されてんですよ…
616 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 17:38:50 ID:EMLm4w6N
みんなーおちついて
みんな、ネタを・・・ネタを出すんだ。
とにかく「食い物」「食事」のネタを・・・!!
>パサパサのインディカ米
インディカ米をバカにするなよ
620 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 19:20:31 ID:8jT3WLCO
米が唯一にした最大のご馳走だった昔の日本人。
米しかない・・・
>>ID:ZFUqCi1U
>>ID:EMLm4w6N
態度の悪い罵りあいは見てて痛い。モラルの低い輩は戦国板には来て欲しくないな。
とりあえずお互い謝れ。そして落ち着いて話し合え。お互いに尊重しあってな。
つか、スレ違いなんであまり居座れるのは・・・・・だがw
とりあえず
>>613は飽食のゆとり教育世代なんだな、可愛そうに。
今みたいに何でも食べれる方がむしろ異常、と俺としては思っているのだが。
>今みたいに何でも食べれる方がむしろ異常、と俺としては思っているのだが。
この意見には俺も同感。
少なくとも、60年位前の日本はまともに食い物がなかった。
嘘ではない、実際に大東亜戦争を経験した爺さん婆さんに聞いてみると良い。
戦国時代の庶民なんか、やれ合戦だの不作で飢饉だのと食い物であれやこれやと贅沢が言える状況ではなかったのではないかな?
特に百姓なんかは酷かったらしいではないか。
異常だと俺も思う。
思うだけで、ありがたく享受し、これが続くことを望んでいますが。
戦争が終わって5,6年たっても、農家でない人は、大根めし、芋めしがけっこう普通だったらしいね。
(21年生まれで農家に育った父はその話を友人に聞いて「驚いた」と言っていたけれど。)
戦国期なら、当然それより悪い、戦時下の食生活に近かったか、それ以下かもしれない。
戦国時代に、支配者による貧民に対する福祉って、あったのかな?
江戸時代に入ると、藩によっては高齢者は無税、飯米給付とかあるけど。
「湯漬けってどうやって作んの?」とか「焼き味噌旨そ」
で盛り上がってたあの頃が懐かしい
当時の湯漬けってどんなんだったの。
中部地方の(東日本の?)味噌で焼き味噌すると、実際うまいね。
628 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 21:16:49 ID:ktP5lRCt
>>623 おまえんちが貧乏だっただけ。
戦争論2みてみなよ。小林よしのりが日本人は普通に銀シャリくっていたといってる。
>>628 当時は地域、階層での差が大きかったんだろ
同時代でも年中米が食える地域、新鮮な魚介類が食える地域
外食屋、菓子屋が身近に存在する地域で思い出話も全く異なってくる
630 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 21:29:37 ID:DlmlKNnU
戦国時代ではないが、池波正太郎の食べ物の描写は神がかってるとは思わないかね?
>>628,631
その名前はトラブルにしかならないからもうやめときなさい。
このスレが戦国
戦国時代板らしくていいわ。
636 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 22:37:06 ID:JYvSNRuN
なにこの殺伐としたスレ
現在の戦国板の主力スレの一つですw
まさかタイ米輸入がここまで尾を引くとはなぁ・・・
間引きって大切ね。
オレはタイ米好きだったんだけどなぁ
また輸入してくれないかなぁ
タイ米を日本の米と同じ食べ方をすればそりゃうまくないと思うんだが、
スレ違いなんで、別にいいや。
つーーーか、ちゃんとスレの趣旨にそった話しようぜ。
味噌と言えば当時と今じゃ味噌の原材料である大豆も製法もだいぶ違うと思うが、
それで焼き味噌とか再現しても当時の味にゃならんと思うが、
今でも、当時の味を守りつづけてるお店ってあるんかどうか知りません?
641 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 23:58:22 ID:AjpRiCoO
しばらく見ないうちに、殺伐としてしまいまいたね。
ところで、戦国ではなく江戸時代のことですが、牛肉の味噌漬け(味噌煮?)が薬として流通していたらしいのですが、もちろん食べる側は食事として食べていたのですよね?
戦国にも牛肉を食べるコトがあったのでしょうか?
味噌が味付けの基本だったことは事実みたいだけど。この時代大豆は馬の飼料としても貴重とされていて
馬小屋の世話係とかの小物がこっそり大豆をネコババしたりして味噌を作ったりしていたという話を聞いたことがあるな
場合によっては糠みそで汁を作ったとか・・・・・・
糠みそで汁なんか作ったら臭くて飲めたもんじゃないと思うのだが・・・・・
ちゃんとしたタイ米は、炊飯器で炊いても美味いよ。
いつぞやのは、緊急輸出の安物だったんだよ。
>>630 握り飯や粥であっても
本当に美味そうに書くよね。
真田太平記で清正が肴にしていた
刻んだ葱を混ぜた焼き味噌を味醂で練ったもの
ってのを作ってみたいけど、
本物の味噌+味醂でないと駄目だろうなぁ。
今売ってる味醂は味醂風調味料って扱いだから昔ながらの製法で作ってる物を買わないと
本当の味はでないかもね。
現代の牛肉はほとんど焼く用だよ。
>>644 味噌もなんだよね。
いい味噌買うと、やっぱ味が違うもん。
>>640 つ
>>549 こんなけ流されたら、だれも気づかないよなぁ…
室町戦国という時代は、今の日本料理の基本が広まった時期なので、
調理法の種類は少ないけれど、戦前や戦後すぐの日本の食事とは
状況というか食材の質が違うんじゃないかなぁ。
あと室町時代になって”都会人vs田舎者”という概念が出てくるので、
食事なんかも京都と地方とはあきらかに違ったでしょうね。
649 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/05(火) 03:53:49 ID:XQL2Pd86
武士は食わねど高楊枝みたいな諺あるから、武士はグルメにならず、食の前で毅然とするのが美学。篭城しても飢えで降伏するより粗食で耐え抜くみたいなのが美学にあるから、案外 庶民より武士にグルメはいないと思う
650 :
648:2006/12/05(火) 04:47:50 ID:WCo3trwC
651 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/05(火) 08:03:01 ID:KmY3bN6s
これからの季節はおせち料理、あれがせいいっぱいの昔の日本の豪華料理なんだろうね。
正統派おせち料理はやはり、肉料理はないだすよ。
おれもそろそろ、御節の味がわかるとしになってきたかな。
昆布締めは未だにニガテだ。
あと豆も喰えないんだよな。俺、昔の日本じゃ生きていけねぇ
653 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/05(火) 10:57:37 ID:KmY3bN6s
>>652 このスレで肉にこだわるのは、やっぱ、そういう感想を、皆が持つからだな。
洋食になれた人間には昔の日本の料理って知れば知るほど、魅力を感じないんだな。
で、素直に昔の日本には行きたくないよーと言う人と、いや、昔も肉食ったんだよ、この
ホロン部と怒り出す人に分かれるわけだ。
ここは、戦国オタの集まりで、戦国幻想を持ちたい人が多いから、余計そうなるな。
654 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/05(火) 10:58:35 ID:KmY3bN6s
つーか、数の子ってどこがおいしいんだ?
655 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/05(火) 11:19:17 ID:tCx3S5KS
細木数子
>>652 豆って、甘く味付けした奴?
ありゃある程度の年齢の男には食えないね。
塩味にしたやつなら、すくなくとも不味くは無いとおもうけれど。
数の子は全くうまくない。
>>656 いまでもお節の栗金団や黒豆を楽しみにしてるオサーンが来ましたよ
お節料理といえば雑煮もつきモノだろうがw
このスレの住人でお節料理は苦手でも雑煮は好物な御仁も多分いるだろう。
ちなみに俺の家では(和歌山)白味噌にダシは昆布にスルメ、鰹節を使い、具は金時人参、青首大根、真菜に餅でボリュームもありすこぶる旨いぞwwwww
ちなみに他府県の元カノ(静岡県出身)にも好評だったよ。
659 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/05(火) 12:33:30 ID:oB6EZ/3n
おせち料理には「ごちそう」という側面もあるけど
正月中は使用人が帰省したり休暇を取ったりして料理をする人がいなくなるので
その間の保存食という意味合いもあるよ
だからおせちの重箱の中に痛みやすい物が入ってないでしょ
>>656 大豆全部なんだ・・・。納豆ももちろん無理。
味噌と豆腐は食える。
661 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/05(火) 15:56:12 ID:xAV/Z1g5
おせち料理は豪華料理ではなかったという説もあるよ。
地方によってばらばらで統一したおせち料理というものは存在しないんだが
各地方で普遍的に取れる食材がおせちの材料になったとされる。
縁起を担ぐ食材が多いが当時として超高級食材なんかは使ってなかったとされる。
>>653 いい加減肉の話しはよせや。それとホロン部と怒り出す人なんかいたか?
その前にさ、『肉食存在しねーよ!』言ってる連中はこじつけと発狂してただけじゃん。
肉の量が少なかった!(と思われる)→日常的じゃなかったんだ!→なかったんだ!→肉食存在しない!!
って、話しを飛躍させて発狂してたの忘れたの?(苦笑)
証拠も何も提示しないでただ否定だけして。あったとする証拠は『いや!俺は信じない!!』と、狂信的に信じていたし。
以前荒れたのは馬鹿で頑固な禁肉厨のせいだったのに歪曲したいわけ?
663 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/05(火) 18:05:50 ID:xAV/Z1g5
雑煮って関西は関東と随分違うらしいね。
俺の家の雑煮は関東のスタンダードから外れてるかしらないけど
澄まし汁みたいなのに里芋や人参やゴボウや餅を入れて食ってる。
里芋を入れる地域は近畿・関東・九州らしい
餅の代わりに里芋を入れる地域もある
東西での違いは東日本は角餅、西日本は丸餅
あと東日本と九州の半数では焼いてから煮る、西日本は生のまま煮る
味付けに関しては塩、醤油、赤味噌、白味噌、小豆汁などと全国バラバラで
同県内でも多種あり特に統一性はないようだ
665 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/05(火) 19:48:26 ID:mqbkpmf+
>>655 甘い黒豆は俺の好物だけどね。
自分の嗜好を大人の男全体に押し付けるなよ。
黒豆といえば丹波
>>666 その丹波の黒豆食べてみて驚いた。地域による違いなんて、味音痴の俺には分からない物だと思っていた。
うちの地方の雑煮はぜんざいだぞ
死ぬぞ
雑煮に餅の代わりに里芋を入れるのは、かつて米が伝来する以前、里芋を主食としていた名残だと申します。
さて質問。話を戻してしまって悪いが。
あの天明の大飢饉のさなか、紀行家の菅江真澄が出羽の国から陸奥の国を旅し、
飢饉の惨状を書き残している。
ここで気になるのは、よそ者である菅江真澄自身は食糧をどうしていたのか、ということ。
何万も餓死者が出る状況で、よそ者が食事にありつけるとは思えない。
真澄が食糧を用意して旅をした、とも思えない。
あるいは、餓死者は低層民のみで、路銀さえ出せば食糧を買うことが出来たのだろうか。
ちゃんと煮た黒豆は美味いじゃん。
674 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/06(水) 02:12:56 ID:ZJCmYSR6
>>656 ただの偏食だろ。そりゃ
黒豆も数の子も美味いご馳走だよ
>>653 献立に肉類が無いと貧相、物足らないという刷り込みがなされてるんだろな
逆に牛肉なんて牛丼、ハンバーガー、焼肉と日常に食べ慣れすぎて
俺にとっちゃ魚介料理の方がよほど贅沢に思える
>>671 黒豆の品種は…青山早生トカチグロ中生光黒晩生光黒イワイクロ鳳鳴丹波黒…
丹波黒は管理して余所に出さないようにしてんじゃなかったっけかな?
>>654 しこしこと美味いじゃん
オナニーが巧いのと違うぞ
677 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/06(水) 05:18:36 ID:/9u/Oxps
その時、歴史が動いたでは
江戸時代初期の江戸の食生活って、かなり貧相だったようだよ。
魚行商もさほど普及しておらず、京料理を最高の贅沢として食べてたが
質素で粗末な食べ物に大金をかけて食べさせられるという内容だった。
オナニーが巧いのと違うぞ
オナニーが巧いのと違うぞ
オナニーが巧いのと違うぞ
>>677 NHK(日本で放送する韓国国営放送の略)をソースに出すなキムチハゲ
>>677 現在の京懐石も「質素で粗末な食べ物に大金をかけて食べさせられる」
現状かもしれませんね。
江戸時代初期は、一般の食べ物に大きな幅がひろがった時代でもあります。
調味料では醤油に濃口、薄口が発明され、関東に醤油生産地ができ、
甘味では安倍川餅が名物になりました。
…その番組の”贅沢”の基準が気になりますね…
…まさか食卓に”肉”がなかったとか、そういう話だけでは無いと思いますが…
682 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/06(水) 16:35:23 ID:LEfcR6lo
:::::::;;;;;. ;;;;;::::::
:::::::;;;;;;. ..;;;;;;::::::
:::::::;;;;,,,,,,,,,,,,,,,,,;;;;;::::::
::::::::::::::::::::::::::::::::
、i⌒i,
.l¨l. /\_/\ .( ).
∩ /(_:_)`l ー-、-一 l´ `, ∧
o (´ `l |  ̄ == ̄| l ヽ .u.
i´: :`| | | || | ノ |´ `i
....:::::::::::::::::.......i......... | ll | .....i........::::::::::::::::.....
...:::::::::::::::::::::::::::::::::::::':::::::::::::::::::::::;;ii;;:::::::::::::::::::::'::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::...
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
七英雄が巡回に来ましたよ、叩かないでくださいね!
>>681 現代から見たら、じゃないかねぇ。
食材や調味料、料理法、酒などの種類は比較にならんし。
勿論、それは洋の東西を問わずに言える事だが。
もっとも、カップラーメンやコンビニのパンなんかで済ます人の多い現代の東京の庶民が、
所得税も消費税も払わない当時の江戸の庶民より贅沢だとは思えないんだが。
やーある(流通)のに食べない人と
食べられない人というのは決定的に違う。
去年か2年前のNHKの朝の連続テレビ小説でこんなセリフがあったよ
孫娘がお爺さん(農家)の家に行って
孫娘「今日のご飯は何?」
爺さん「ご飯と味噌汁と漬物だ」
孫娘「お肉は食べないの?」
爺さん「ああ」
孫娘「お金ないの?」
爺さん「・・・・・」
孫娘「ああそうか、野菜が美味しいからいらないんだね」
そんなオレは医者から言われて今日から菜食主義者です
油物もダメです
今日の夕食はご飯と味噌汁と漬物です
今上陛下がしばしば仰る台詞に「腹八分目」という言葉があるそうだ。
広い意味で使ってるのかもしれないが、おそらく額面通りに
あまり贅沢な物を腹一杯食うなという意味だろうと思う。
また昭和天皇はうなぎの蒲焼が大好物で、わざわざ出前を取って食べる事が多かったそうだが
絶対に特上(松)は頼まず、常に上(竹)を頼んでたそうだ。
理由は良く分らない。
>>683 調味料はほぼ現在と同じものが揃っていたかと。
”さしすせそ”はもちろん味醂胡椒山椒唐辛子も。
だし汁、という概念も室町からありました。
山葵栽培も一七世紀ごろOから始まりましたね。
ないのは、カレー粉とか味の素とかマヨネーズ…
マヨがないのは寂しいかもしれない…
>>685 …塩分にはお気をつけて…
天皇家の食事って中国の皇帝の食事と比べたら質素に見えるかもな
戦国時代の天皇家はごく一部の大名から時々金や米が献上されても全部生活費に消えるって状態だったらしいからな
マジで横山光輝の織田信長のワンシーンみたいに「おおっこれは珍しい干魚・・・美味じゃのう・・・・」
ってな会話があったかもしれない。
昭和天皇がうなぎの蒲焼を竹しか頼まなかったのは単に脂っ気の問題かも?
あと昭和天皇はイチゴのババロアも好きだったらしい。なんか庶民じみてるな・・・
外人は天皇=ジャパニーズエンペラーってのりですごい豪華な生活してると思ってるんだろうな
(もちろん俺たち庶民よりははるかにいい生活してるのは事実だが)
庶民じみた天皇こそがおらが国の天皇さ。
>イチゴのババロア
裕仁萌え
昭和天皇はまともな納豆を、食べさせてもらえなかったらしい。
糸を引くと下品だからと、洗ったものを出されて
もうこれは出さないで欲しいと嘆いたそうだ。
本人は庶民的カモ知れないけど、
環境がそれを許さなかったようだ。
目黒の秋刀魚みたいな話だな
693 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/07(木) 01:14:21 ID:kNfgBW77
>>689 そうだよな。そうじゃなけりゃ、おらだちの陛下でね
糸を引くものが下品・・・
それでは先帝陛下は、トロロ飯をズルズルかき込む快感をご存じなかったのか・・・
ありがてぇ ありがてぇ
>>688 人肉をご馳走だと言う国の皇帝と一緒にすんなw
697 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/07(木) 08:00:03 ID:WqVUUiOp
肉・・・ 肉・・・ 肉くいてえ・・・
くいてえー
肉、肉、肉!!!
698 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/07(木) 11:50:10 ID:cP5ODlRq
キーワード「海草」
で1件もヒットしないスレはここですか?
肉とかどーでも良い事ばっかで盛り上がってて楽しそうですねw
>>698 仕方ないだろう、ここのスレの住人達は現代っ子が多いので野菜嫌いの海藻嫌いが多いみたいだから。
揚げ昆布やワカメの味噌汁も充分過ぎる程旨いのになぁ…。 orz
わけわかめ
>>699 黒豆と数の子をうまくないといった俺だが、海藻は好きだよん。
和歌にもあるね。
藻塩焚く…
って、海藻じゃなくて塩の話か。
>>702 確か海藻であるホンダワラを使用して作るんだったよね。
偉そうな事を言っておきながら何だが、はっきり言って俺も甘い煮豆や昆布巻きは大量には食えないw
しかし塩昆布や佃煮(特に椎茸昆布)や酢昆布、それに揚げ昆布は大好物だwwwww
あと海藻といえば海苔もあるが、今の薄い紙状の海苔(浅草海苔等)はやはり江戸時代からなのかな?
江戸の食材は野菜以外は大阪からの下りものが多いからね。
とくに初期の江戸では関西からの下りもの以外のものは質が悪いということで
「下らねぇ」といって見向きもしない人もいたらしい。
船で運んだりするわけだからどうしても価格が上がるので幕府はなんとか醤油など日用品とかを
近郊で作れないか思案したとのこと。
ひじきとかは奈良時代から食べられていたらしいけどね
>>694 山芋と納豆を比べると、
糸の引きかたがかなり違うと思うぞ。
>>687 それを庶民が簡単に入手できるかどうかが問題なんだけどね。
存在はするけど一部の権力者しか口にできないんじゃ、スレの流れから外れてるよ。
>>706 砂糖は世界的には16世紀には重要な交易品ですし、
1610年薩摩国大島郡(奄美大島)の直川智が黒砂糖の製造に成功、
18世紀には薩摩藩が本格栽培始特産物として出荷したようです。
塩酢はもちろん醤油
>>283、味噌
>>594、味醂
>>8で、
山椒は縄文遺跡から見つかってる日本古来の香辛料。唐辛子も↑のほうに。
胡椒は元の時代から杭州ジャワで本格量産されていてるので、かなりの量が日本に来ていたかと。
以上のものは、江戸時代初期にはかなり一般的ではないですかねぇ...
このスレは「戦国時代の食事」であって、「戦国時代の庶民の食事」ではないから、
たとえ一部の権力者(武士や貴族)しか口にできなかったとしても、スレの流れから外れてないと思うが・・・。
ただ、行き過ぎた極論はその限りじゃないと思うけど。
で、ついでにネタ振りだけど、
もうすぐ正月が来るが戦国時代のお雑煮についての記述って何かありますか?
もちろん現在でも地方色豊かなお雑煮がありますが、今ある形ってのはある程度形成されていたんでしょうか?
>>708 言継卿記(1534)に「雑煮祝例年のごとし」という記述があるのが、
正月のお祝いに餅雑煮を食べた最初の記述かも。
ただ、山内料理書(1492)には、酒の肴としての雑煮の図があります。
(白ウリ、餅、なまこ、アワビ入りで味噌味)
だから、正月を餅入り雑煮で祝う、という習慣は、戦国時代から一般に広まったと考えて良いかと。
710 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 08:27:44 ID:zKSLSxMp
日本人は欧州人と比べてはるかに糖尿病になりやすい体質である。
これは逆に言えば日本人は非常に燃費がいいといえる。
しかし、それだけ、日本の栄養環境が苛酷だったといえるだろう。
江戸時代、日本人は栄養不足でどんどんチビになっていったが、おそらく、その時点で非常に
大きな淘汰が働いて、まともな栄養がないと生きていけないような人は栄養失調で病気になっ
て死んでいったんだろう、そして、燃費のいいチビばかり生き残ったと。
日本人のこの体質を見る限り、欧州と比べても比べても非常に貧しい栄養環境に日本人がお
かれていたのは間違いない。
上のレスで出ていた、おいしんぼのはなし、日本がかつて世界最悪で貧しい栄養環境だったと
いうのは、あながち、間違いではなさそうだ。
胡椒なんてあっても当時の日本にはあまり需要がなさそうだが。
胡椒が欧米で金銀なみの価値があった時代があったというのは
単なる入手難度だけではなく、需要の問題でしょ。
日本じゃ胡椒なんてなけりゃなくていいようなものだし。
茨城県出身の井川投手 茨城県知事に「納豆は嫌い」
交渉中の阪神・井川が、故郷の茨城県の橋本昌知事を表敬訪問。
橋本知事から「(水戸名物の)納豆は好き?」と聞かれると井川は「嫌いです」と苦笑い。
「茨城県大洗町から大リーガーが生まれるとは。
“生まれ故郷は?”と聞かれたときに答えてくれればうれしい」と知事からPR大使を任命され
「アピールできるように頑張りたい。米国の野球がどういうものなのか楽しみ」と健闘を誓った。
(スポーツニッポン) - 12月9日6時3分更新
714 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 08:35:15 ID:GVySPzHT
肉食わないから?
715 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 08:57:15 ID:zKSLSxMp
>>710 「おいしんぼ」をソースにするなよ。
著者の山岡というヤツは在日チョソじゃないかwww
ジャパニーズペッパー=山椒
胡椒に類するモノが元々ちゃんとあったということかも
718 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 10:31:30 ID:zKSLSxMp
>>716 世界一の粗食に耐えてきた日本人は偉大です!!
>>710 改変コピペ乙!日本史スレにあったやつだなwwww
「おいしんぼ」は最初は楽しく読ませてもらってたけど
「韓国料理編」からおかしくなってきた。
日本料理の起源は全て韓国起源だとか言い張るし、歴史や政治ネタまで持ってきて
日本人は文化を伝えてくれた韓国人に感謝しろとか、過去の歴史を反省しろとか
しつこく著者が言い張ってるのに呆れかえってしまった。
ただし、海苔巻き編では自分が在日じゃないとカモフラージュするために
韓国人が主張してる海苔巻き韓国起源説は、どうやら日本起源のようです。と
わざとらしいフォローをしてたけどね。
ぶっちゃけ多くの日本人も韓国人も起源なんてどちらでもいいが
相手が喜ぶのが癪に触るんだが
でも文献でも何でもいいから真実を知りたいんだよな
あやふやな物や明らかに間違った資料の物まで起源は韓国!とか言いだすから
何もかも信用できな……
しまった!釣られてもた!
結論
出典を記載していない時代考証の怪しい書籍や漫画を根拠にした話しは荒れる上に意味のある議論が出来ないのでやめましょう。
まあ、原作者の雁屋が精神異常者なのは美味しんぼスレじゃ常識だよ。
それをソースにする事自体がおかしかったんだよ。
子供の友人を暴力で脅したり、子供に『セリーグは巨人と巨人が各球団に派遣している2軍選手でできているんだよ』とか本気で信じ込ませたり、
オーストラリアに差別のない地上の楽園を求めて移住したら本物の差別の洗礼を受けて日本に逃げ帰ってきたり、
そんな人なんだけどね。
美味しんぼなんて、過去のものだしどうでもいいだろ。
赤米を食ってみたいなぁ。
赤米は自然食品売り場とかでも最近は扱ってるのでデパートとか大型スーパーで手に入るよ
粘り気はやや少ないが結構おいしい。(炊き上がりはマジで赤飯^^)
江戸時代になる前までは農家でも赤米とかなら食えたみたいだね
赤米はオレの生活圏内の道の駅で売ってる
当時は物流に時間がかかったからな
丹波で魚を水揚げして、一昼夜走って京にまで届けてた丹波の飛脚がいるよな
でもこれはごく一部で、ほとんどの人は鮮度の悪い干物や塩漬け粕漬けの魚を食べてた
平安時代はもっと顕著
まぁ、それは丹後から丹波だったとして
刺身を食べる事は可能だったの?
昔荒れ地で栽培した(あと冷害に強い)赤米は
「大唐米」というインディカ系だったので今のとちょっと味は違うかも。
現在の赤米は、1980年代に神社でつくられていた品種と近代白米品種を
掛け合わせて育種したもので普通においしいですよ。
>>729 現在の国道27号から9号線は元は舞鶴から魚を都に輸送していた道。
由良川は狭いし流れが急だから海運はあんまり発達しなかったみたい。
鯖を生のまま都に運んだ逸話なんかが近辺の街に残っていたりする。
ちなみに、途中の綾部藩の藩主は九鬼家だったりするわけだが。。。
>>727 鮮度の悪い干物や塩漬け粕漬けって(w
干物の方が美味は多いんだけどね。
冷凍保存技術、流通環境が進歩するまで
魚料理といえば刺身はおろか焼き魚、煮魚も食べられず
干物、酢漬け、粕漬けなどが一般的だった地域が多かった
おかげで各地でこういった魚の保存食が発達して
今ではそれぞれの土地で伝統的土産品として定着している
しかし日常の食卓にのぼる機会はメッキリ減ってしまったが・・・・
刺身が普通に食われるようになったのなんて、ほんの30年前ぐらいからだからね。
江戸とか海が近い所でさえ酢で締めてたしね。
鯨とかはどうなんかなぁ
飛脚の運賃や品質保持がどの程度だったのかが興味の対象だな。
結果的にそれが庶民にとって合理的でなかったから
生食文化が発達しなかったのであろうし。
武田信玄の漫画(横山版)だと幕府からの使者が来たときに見事な大鯛を食膳に出して
さらに「ご要望とあらば好きな魚を朝までに届けさせますが?」と言うシーンがあったな
それだけの早馬をもっている。つまり騎馬武者たちの質も高い。さらに鯛とかをすぐに用意できる。=財力もあるって事をしめす
今考えて見たら武田の実力を誇示するシーンだと10年ぶりに読み返してようやく気づいた俺。
山国で刺身が食えるってのはまず当時では普通考えられないんだよな。
親父の実家は地図で見たら海に近い地域だが
生魚なんて滅多に食わなかったし食卓にのぼるのは干物や酢漬けが中心だったらしい
そういや野菜にしても漬物が多かったし冷蔵庫の無い昔の和食は保存食ばかりだな
冷蔵庫が有り新鮮な素材が何時でも手に入る
現代日本人は漬物も干物も酢の物も食わなさ杉
体に悪いからね
膾と刺身を区別するかどうか、で話は混乱しそうな。
(どっちも生食ではあります)
室町時代には、夢枕で親の生まれ変わりと言われた大鯰を
膾にして喰っちゃって死んじゃった息子の話、
なんてのも残ってるんで、生食に関しては、海にこだわらなくて良いかも?
>>741 ん??何のこっちゃ良く分からんが
当時でも日本人は誰でも刺身を食ってたましたよ
全国一律で新鮮な魚が手に入ってみんな普通に食ってましたよと
主張したいならそう言って欲しいのだが
>>743 君は狂ってるとしか言いようがないな
刺身以外は干物、酢漬け、粕漬け
どの時代のどこの国の話?
しかも現代では魚を生ばかりで食べて
干物などの加工食品を食べなくなったとは
どういう病気にかかったらそういう妄言を言い出すようになるんだろうか
ああお前が正しいです。狂っていないです。妄言でもないです。
だからもうしゃべるな。うざい
>>746 ちなみにオレの母親の実家は島根県の山奥で、そこの名物は「塩サバ」な
干物、酢漬け、粕漬けではなく塩をまぶしたサバが名物なんだよ
京都でも塩サバがよく食べられていたので
これは漁港からの交通事情で言えば京都とほぼ同じという事になる
それ以上山奥に行って広島県の山奥になるとサメが名物になる
普段は生の鮭を買ってきて焼いて食べてる人でも
正月になるとどこの地方でも新巻鮭を食べるだろう
どんなに交通や冷蔵技術が発達しても基本的に青魚は生では食べないし
干物にして初めて旨味が出たり生だと柔らかすぎて食べられない魚もあるから
「生魚=マンセー」という君の価値観はあまりにも面白すぎる
などなど、君の妄言には突っ込む要素が多すぎて、
いちいち相手にしれられないから「狂ってるの?」というしかないわけだ
('A')
昔は鮮魚と言えば川魚が中心だったからね
京料理の中心は川魚(モロコ、アユ、フナとか)だよ
>どんなに交通や冷蔵技術が発達しても基本的に青魚は生では食べないし
刺身といったらアジだろうが
>京料理の中心は川魚(モロコ、アユ、フナとか)だよ
バカ丸出しw
京都でも魚料理といえば海の魚だ
行商人が敦賀などから京都へ塩サバやアジの開きなどを運んで売ったんだよ
コイも付け加えておく
いまが旬だからな
>>752 40点
どこが鮮魚やねんw
うちの実家は双方とも漁師町出身。
魚はうまいけど、それだけなんだよね。
そのまま食えば美味いから、
刺身かみそ汁の具にするしかないん。
少し離れた方が料理が発展する。
>>737 江戸の運賃だと物や求める輸送速度にもよるけど、江戸、京都間で最速1日半で50万だったかな。ただし手紙での値段
>>755 資源の無い国で加工が発達するのは万国共通だな
>>744 そんな底の浅い理屈で今まであんな対応してたのか……
お前さん、大丈夫か? 疲れすぎてるんじゃないか?
>>754 敦賀まで行かなくても舞鶴がある。
老ノ坂や観音峠を水を入れた樽を大八車に乗せて運んだとか。
そういう江戸時代の書き付けが残ってるらしいけど。
生はお公家さんの食い物だな。
あと、琵琶湖の鮒なんかもある。
>>758 えーと744だが、このスレに書き込んだのは744がはじめてですぜ。
前スレではよく書き込んでいたが。
敦賀と言えば蒲鉾(かまぼこ)が美味いよな
友達に毎月送ってもらってるよ
763 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 19:30:31 ID:N6gfab0X
かまぼこってレパートリー少ないじゃん
戦国期と言えば、明智光秀が徳川家康の接待に「鮒ずし」を出して
信長に「腐った魚を出すとは何事だ!」と殴る蹴るの暴行を受けたとか
前田利久が手ずから獲った牡蠣だか鮑だかを上杉景勝に接待で出して喜ばれたとか
北条早雲が大森氏頼に雪で敷き詰めた海産物を贈って歓心を得たとか
その類の話はたくさん残ってますね。
やはり、当時の海産物は接待や贈り物にしても恥ずかしくない高級品だったのでは?
無意味な逸話を取り出して
海産物を一律に「高級品」と妄想するのは如何なものか
>>765 室町の料理書には、1)海の幸 2)川の幸 3)山の幸、とランクが決められてるんですよ。
もちろん京都での順位付けですが、都の価値観が地方でも同じだった時代ですから、
海の幸=高級品、だった可能性は大きいですね。
つか、否定するだけじゃなく、なんか一つでもネタ出してくださいよ…
>>765 高級品つーか、輸送コストとか考えたら普通に割高になるってだけの話し。
768 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 00:42:32 ID:JQja2XFp
それを高級品って言うんだがw
鯖とか鰯とか腐るほど獲れるものまで一律に「高級品だ」と主張するアホw
たとえば北陸の鯖の行商人が京都に鯖を売りに行っても
なかなか買い手がつかずに最後は二束三文で買い叩かれるという話があるぞ
鯖は高級品ではなく庶民の食べ物だよ
鰯は平成年間には高級魚だったというのは定説
戦国時代には鯖とか鰯とか高級品だった、
…ってどのレスにかいてあるの??
でも
>>769の 買いたたかれた鯖商人の話は興味あります。
引用もとを教えていただけませんか?
>>771 日付が変わるとIDも変わるっていうシステムは便利ですねw
さんざん「海産物は高級品」と主張した挙句に「そんなレスありません」と来たかw
>引用もとを教えていただけませんか?
いちいち覚えてねえよw
あと、このスレの住人のレベルだと誤解や勘違いをしている人が多いと思うが
魚屋が店舗を構えるようになったのはごく最近の事で
漁師の妻や何らかの事情で働かないと生活出来なくなったオバチャンが
激しく重い荷車を一日中引いてお得意さんの家に魚を売りに通うのが
昭和初期までのスタンダードなスタイルで
オレが昔住んでいた地方ではつい最近までババアがうちに魚を売りに来てた
それらのババア達にはそれぞれ縄張りがあって
地元の縄張りをGET出来なかったババアは遠方に売りに行くしかないわけだ
そんな負け組ババアが京都に魚を売りに行くとしたら
日持ちする干物か塩鯖ぐらいしかないわけで、京都人は昔から
「間に合ってるからいらない」とか「活きが悪い」などとさんざん文句をつけた挙句に
「仕方ないから買ってあげるよ」と安く買い叩くスタイルなので
京都の鯖売りほど割りに合わない仕事はなかったわけだ
>>773 とりあえず
>>764には鯖なんてのってませんし、岩牡蠣も鮑も現在でも高級品ですよ。
そして京料理では膾など鮮魚を使う料理は白身の魚、鯰鯉、鯛などだけが対象でした。
当時、青魚を生で食べる、という食習慣の記述は無いんですよ。
ですから、生食に関して鰯鯖をあげられても、”戦国時代の食事”スレではちょっと…
もし”行商のおばさん”以外に、当時鰯鯖を生で食べた記述等残っておれば是非ご教授を。
さて、あなたの言われる青魚、たとえば鯖は当時は塩蔵されて流通しておりました。
↓の滋賀県の蚊帳問屋の歴史の1596年に、能登に蚊帳を売りに行って帰りに塩鯖干物類を買ってもどる、
という記述もあり、重要な国内交易品として扱われていたことが伺えます。
ttp://www.ex.biwa.ne.jp/~nbz/html/pdf/rekisi.pdf また四国霊場札所の一つに鯖大師がありますが、この鯖の由来も塩鯖です。
つまり塩鯖は昔から日本各地で工業的に生産され出荷されていたんですよ。
そして商人が交易品として各地に運んだわけで、けっして”漁師のアルバイト”なんかで
流通していたわけではないことにご留意くださいな。
京都に塩鯖が送られたのも”儲かるから”という理由ただ一点だけなんですよ。
>>774 話を必死ですり替えようとしてるみたいだけど
自分で読み返してみて恥ずかしくならないの?
>>775 いえいえ、相手していただいてもううれしいかぎり。
戦国時代の魚料理が云々、なんてあなたしか読んでくれませんよ。
とりあえず 1)海産物に高級贈答品がある、
2)冷凍技術が発達する以前から、日本には生で魚を食べる習慣があった。
ことは確かなようです。
ただ京都での海の幸は、乾物が多いので、その影響を地方も広く受けた戦国時代に、
どんな魚料理が食べられていたのか、それは謎ですよねぇ。
777 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 03:47:17 ID:4Na8aUJv
なんか口の悪いスレだねえ。
歴史なんてものはいろんな説があるんだから、
もうちょっとお互いを尊重しあっては?
まあ長く生きてるだけの経験談を「レベルが高い」と匂わせるような方がいる限り
無理なのでは。
>>776 あなたの言っている事は正しいんだけど
あなたが書き込む以前の発言を読んでみましょう
「海産物は一律に高級品」「輸送コストがかかるので京都では高級品」と
妄想劇場が繰り広げられていますよね
オレはそれらの妄想に対して「違いますよ」というレスをしているのに
あなたは私に見当違いなレスをして迷惑をかけているのです
>>778 うわぁ、ハイレベルな皮肉だなー(棒読み)
ちなみに
>>764は、信長や家康が東海道の人間が
鮒寿司のような物を知らなかった可能性を考慮してないのと、当時は鮒寿司は高級品であり、
現代の江戸前寿司は鮒寿司の味を模倣するために酢飯を使用したという事実も知りません
無知の上から妄想を展開してるから突っ込むのも面倒なタイプ
780 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 06:57:44 ID:JQja2XFp
ID:vbpv9b5Jが文盲って事しかわからないんだがw
>ちなみに
>>764は、信長や家康が東海道の人間が
>鮒寿司のような物を知らなかった可能性を考慮してない
信長が鮒寿司のような物を知らなかったから何で腐った魚なんて出すんだって文面だろ
>当時は鮒寿司は高級品であり、
ならいいじゃん
>現代の江戸前寿司は鮒寿司の味を模倣するために酢飯を使用したという事実も知りません
関係ない話な上、知らないと断定した根拠すらない
>無知の上から妄想を展開してるから突っ込むのも面倒なタイプ
>>現代の江戸前寿司は鮒寿司の味を模倣するために酢飯を使用したという事実も知りません
>関係ない話な上、知らないと断定した根拠すらない
から蘊蓄語りたがり病な池沼が自己紹介をしている以外に読み取れない
781 :
764:2006/12/11(月) 07:19:03 ID:OY26Pd9T
上で「当時の海産物は接待や贈り物にしても恥ずかしくない高級品だったのでは?」
と書いた張本人です。書き方が悪かったのですが「全ての」海産物を高級品だと主張したつもりはありません。
常識で考えて大名が鰯や鯖を贈答品や接待で使うわけないでしょ。
そういう常識を念頭に置いて書いたのですが誤解を生んだのであればすみませんでした。
ちなみに北条早雲の逸話は鯛とか、その類の高級魚ですが
相手の大森氏も海浜地区の大名なので珍しくも嬉しくもなんともなかったが
わざわざ富士から取り寄せた雪を敷き詰めてた事で早雲の真心を感じた云々の話でした。
ID:JQja2XFpは1文字でもいいからもともな事書こうぜ
783 :
764:2006/12/11(月) 07:57:10 ID:OY26Pd9T
>>773や
>>774のレスに興味を惹かれたのですが
江戸期までは行商スタイルが一般的だったらしいですね。
「富山の薬売り」のような行商人が旅をして行商して売ってまわったり
江戸の呉服屋や魚屋は御得意先の武家屋敷を回り
「今日は、こんなお召し物を持ってきました。試着はいかがですか?」とか
「今日は、こんな魚が取れました一匹いかがですか?」と俎板と包丁も持って歩き
頼まれれば、その場で裁いてお渡ししたと聞いてます。
髪結い屋も基本的には出張が常識で女性の就業率をあげるのに貢献したようですね。
また、江戸中期までには武家ではなく町民を相手にした大きな商店も誕生し
三井の越後屋みたいに客が自由に店に出入りして商品を見て、その場で買ったり
オーダーメードの服が誕生したりしたそうですね。
784 :
764:2006/12/11(月) 08:02:45 ID:OY26Pd9T
あ、あとついでに言い忘れましたが
私は名古屋市に住んでますが年に数回は行商の人が自宅に行商に来ますよ。
一月ほど前にも東北の農家の人が我が家にリンゴを売りに来ました。
でも、スーパーやコンビニでも買えるのにわざわざ行商に来るなんておかしいですよね。
以前、東京に住んでた時は一度も行商の人が家に訪ねて来た事なんてなかったのに
こちらに移り住んでから何度も行商の人が来て驚きました。
だって、東北だったら名古屋来るより東京の方が近いでしょうにw
行商人かぁ。時々来るよ、珍味売りが(怒
786 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 11:42:51 ID:JQja2XFp
>>782 煽りたいだけなら他でやってくれんかね?良スレを潰さんでくれ。
788 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 12:00:55 ID:z7mN8rz1
アフォが正論とか言い出したぞw
大名に関しては北国の大名には冷凍技術はあったからな。
氷で囲んで生もの保存して他国に送るとかできるわけだ。
と言ってもそんなに期間が持つわけじゃないので東北→関東くらいなら送れるとふんでみたり。
792 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 14:37:47 ID:/SeayVcH
飯を食う時は必ず二杯以上食べる。一膳飯は囚人と死者が食うものとされた
酒を飲む時は二杯酒は厳禁、二杯飲んだら三杯目も飲む
二杯酒は首実験の際の作法だからそうな
明治村(確か、明治村だったような・・合掌村だったらごめんね)で
昔の農家と農村の食事を見て腹が立った。
俺ん家の食事より遥かに豪華じゃねえかw
しかし意外だったのが、当時は一人ずつ膳が出されてるのは知ってたけど
食器は各個人専用の物とされ、家族でも基本的に他人の食器は使わず
食器は三食ごとに洗うわけじゃなく、一日に一回しか洗わないという説明だった。
食事の最後には全員の茶碗にお茶を入れられ、それで食器をそそぐようにお茶を飲み干して
また、次の食事は、その食器にご飯とオカズをそのまま盛るというのは意外だった。
飯は玄米と麦飯の混合飯で7割くらい麦が入ってるという説明だった。
というかそれは今の年齢70〜80over世代はどうもそうしているフシがあるが?>茶碗にお茶
>>779 鮒鮨のようななれ鮨は、むしろ海から遠い土地で発達したの。
海に近いところは、そこまでして保存する必要ないしね。
>>793 補足するとそれは【箱膳】といってな、お膳サイズの箱に飯碗、汁椀、箸
その他一式がセットになって格納されているのだ。食べるときは箱の上蓋
を開けて椀を取り出し、その蓋をひっくり返して箱に置くとそのままお膳
として使えるという仕組みだ。当然各人毎に用意されていて、明治頃まで
狭い家に住む庶民の殆どの家庭ではこれを使っていた。ちゃぶ台で家族で
食卓を囲むようになったのは大正期以降。つまりいわゆる一家団欒の食卓
のイメージは意外に新しいものなのだ。
ちなみに今でも禅寺等に修行に泊まるとこの箱膳が与えられて一汁一菜
(麦飯)を食うことになる。もしかするとこれが現在では一番戦国以降
の普段のメニューに近いかもな。
この前しばわんこで見たわ
峠の釜飯食え。
>>795 熟寿司はもともと中国の食文化と一緒に日本に来たものだから、
海魚つかって作ったりしてます。和歌山とか。
まぁ信長って、味のことで「首切れ!」(前スレの>761)なんて言いだすから、
自分が鮒寿司きらいだから出した光秀をボコにした、って可能性もありますね。
ただ「現代の江戸前寿司は鮒寿司の味を模倣するために酢飯を使用した」
というのは初見なので、是非
>>779には元ネタをご教授いただきたいです。
箱(押し)寿司の勘違いでは???
そのホンタクを元に日本の寿司が生まれたんだよ!
>>801 君の言ってるホンタクと、朝鮮のホンタクが違ってると思われw
うまいタクアンと白菜の漬けたやつが食いたい。
>>803 言っておくが白菜は明治(日清戦争)以後に大陸から輸入された作物。
意外かも知れんがちゃぶ台での食事風景同様この野菜が一般化したの
は大正期以降だ。
何かの昔話で「漬け菜かみかみ粟を食う」みたいなのを読んだ記憶があるけど
その当時の「漬け菜」つまり、菜っ葉の漬物って何だったんだろう?
807 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/14(木) 07:49:16 ID:zv/fthnX
大根葉の漬物でも、十分おいしいよ。
808 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/14(木) 11:10:07 ID:wTUkc2W1
>白菜は明治(日清戦争)以後に大陸から輸入された作物。
>この野菜が一般化したのは大正期以降だ。
なんで上と下で大正と明治に分けたわけ?
つ”一般化”
種が日本にきたのは明治、栽培が広まり市場で扱われるようになったのが大正。
>>806 > 16 世界@名無史さん sage New! 2006/12/14(木) 03:24:01 0
>
>>10 > 意外に知られていないけれども、菜種油は毒なんだよ。
知らなんだ
>>811 ちょっと補足。多量に摂取する状況ではナタネ油に含まれていたエルシン酸が
動脈硬化を促す危険がある、ってことですね。
現在では遺伝的にエルシン酸を作らない品種が栽培主流(指導されてる)になりました。
そのため”現在の市販の食用ナタネ油”ではエルシン酸の問題はなくなってます。
(そいや「ロレンツォのオイル/命の詩」という映画ではエルシン酸は特効薬です)
>野沢菜漬けか高菜漬けだろ。
そんなマニアックな漬け菜なわけがないだろw
タカナは平安時代に太加奈という記述があるくらい古い野菜で、
野沢菜は、京野菜の蕪菜の信州栽培品だから、蕪菜漬と考えれば、
かなり古くからi一般に食されていたかと。
傘地蔵は日本全国で語り継がれている民話なので、
まぁ語り手の地方での一般的な漬物だとは思いますが…
野沢菜が一般家庭に広まったのは昭和の頃で
TOTOという洋楽アーティストが来日した時に
持ち歌の「ロザーナ」にひっかけて野沢菜普及のために宣伝させられてた
野沢菜漬けの真空パックを持たされて「ノザーワナ」と言わされてた
高菜が一般家庭に広まったのはもっと後の平成になってから
長野では普通に普及してたみたいだけどね。食べるものなかったから
この場合の漬物って塩漬け?ぬか漬け?みそ漬け?
それともなんか別のやつ??
>>815 ”めはりずし”なんて、高菜漬があってのものなんですが…
”野沢菜”というのは健命寺住職が京野菜の天王寺蕪を1756年
信州に持ち込んだのが始まり、とされています。
ですから”今の品種”はありませんが、元々の品種も漬物用野菜ですね。
違う、と言えばそうなんですが、それを言ったら、今のお米も昔のとはだいぶ…
>>818 傘地蔵が信州の野沢温泉のある地方の話だったら
昔話に出てきた「漬け菜」は野沢菜でもいいだろうよ
お話の舞台も真冬だし野沢菜のシーズンだから整合性も取れるよ
ただ、野沢菜という野菜は信州のような高地の寒冷地の野菜だし
野沢菜漬けが全国的に普及したのは真空パックや冷蔵庫が普及してからの話なのよね
それに、農家の貧乏さを表現するための「漬け菜かみかみ」なんだから
その地方特有の特殊な食材ではあんまり説得力がないのよね
もうひとつ、高菜というのは九州、四国、和歌山のような
温暖な地方で栽培される野菜で
豪雪地帯の「傘地蔵」の話には合わないと思う
収穫期は冬だけど雪が積もる地域の野菜ではないね
>野沢菜という野菜は信州のような高地の寒冷地の野菜
野沢菜の名前ができたのは18世紀以降ですが、
もともと昔から京都で作られていた天王寺蕪なんだ、といいたいわけで、
その土地の気功で栽培も調理方法も変わるのは普通のことかと。
まぁ”野沢菜漬”という名称はなかった事は確かですが。
タカナは中国では蜀の国で盛んに作られてひろまった、と伝来元の中国ではいわれてますね。
現在の高菜は、古来からのタカナと明治に入ってきた品種を交雑しているので、
現在の性質だけで判断するのはいかがなものかと。
ちなみに今ではタカナは東北地方でも栽培されています。
傘地蔵については、東北から九州まで日本全国様々なパターンがあり、
どこが元かわからない状態ですねぇ。
とりあえず京都中心に考えていけば、良さそうな気はしますが…
高菜や野沢菜があったかどうかという話ではなく
傘地蔵の時代の農民が食べる(一般的に普及している)「漬け菜」と言ったら何の野菜なのか
という元の話に軌道修正してもらいたいんですが・・・
現代だとごくありふれた菜っ葉の漬物といえば
誰でもまず最初に白菜を思い浮かべると思いますが、
傘地蔵の時代、要は中世の日本で、
現代の白菜のようにして庶民が普通に食べる葉モノの漬物は何だったのでしょう?
>庶民が普通に食べる葉モノの漬物
それが高菜であり、天王寺蕪の若いのも漬物にされていたと…(室町戦国時代)
↑で問題になっているのは、
どっちも豪雪地帯ではできないんじゃねぇか?
いやできますよ。…って話かと。
ルイス・フロイスの著述に『我々、ヨーロッパ人は蕪の根の方を食べ葉は捨てるか家畜の餌にするが、日本人は葉を食べ、その根を残す。』とある。
戦国時代は勿論、昔の貧しい農家の人々は大根や蕪の根はもとより、大根菜や蕪菜も塩漬けにして葉から根まで副食にしてたのだろう。
他にもその地方独特の菜物も漬け物にしていた可能性は充分ありえると思うが。
>>823 そんなわけないでしょうが
スレを荒らすのはやめてもらえませんか?
826 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 06:57:12 ID:iRszkJHu
なら、蕪の漬物でいいじゃん
蕪、大根の根はもちろん葉っぱ、さらには水菜やセリ、ミツバといったもの
が一般的だったのかな・・・。あとは小茄子や瓜なども今以上に漬物として
食されていたと考えるがどうであろう?これらは全国的に栽培可能だろうし。
なんでも漬けてたって出発点から言えば
「当時は漬物と言えばこれ!」というのは
地方を限定しないと意味が無いのでは
昔と違って南方でも寒冷地の木の実や野菜が育つようになってきたよな
反対に、北の方でも南方の木の実野菜が育つようになった
830 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 13:51:03 ID:B1b1hvC6
>>829 ほんとか、サゴヤシとかパンノキが日本で育つのか。
だったら、ラクチンだったろうな。
時代によって平均気温には波があるんだけど
戦国時代は今よりもかなり寒かったんだよな
食べ物じゃないけど瓢箪なんてのは今より栽培量が多かったんだろうね。
ひさごのような食器を作るのに重宝しただろうから。
食べ物は果実(ざくろ、銀杏、干瓢など)なんかは結構多かったんじゃないの?
あと、七草なんかに代表するように現在食されてない多くの野草を
食べてたと思う。
833 :
名無しさん:2006/12/16(土) 19:36:54 ID:FdTrqTie
山肉を食わせば美味い上に精力がついて厳しい戦いにも
耐えられたろうに4足獣をあまり食わなかったのは意外だな
猪や鹿なんか取り放題にいたろうから
>>833 日本は昔も今も人口過密だよ。
戦国期にも二千万ほどいたから、
北海道や沖縄がなかったことを考慮すれば
日本の人口密度は現在のヨーロッパよりも多い。
そういう環境で山肉をコンスタントに食うのは無理だろう。
うまい戦国時代の漬物の作り方教えて下さい。
>>833 取り放題ってことはないだろ。
それなら、イナゴやカイコ、カマキリ、
ザザムシ、蜂の子なんて食わないし。
東北地方でも「温海カブ」という有名なカブがある。
このカブの漬物だろうさ。
ウサギはわざわざ寺なんかで育てて食ってたらしいね。
雉や鴨は普通に食われてたのでは?
鹿は伊豆辺りにも生息してて、しばしば鹿狩りなど催されて食われてたね。
猪は狩猟専門の人が獲ってたんじゃないかな。
でも、アメリカ大陸のバイソンとかみたいに数十万とか数百万匹という単位で
居たわけじゃないだろうから皆が常食にするのは無理だと思う。
数百万人、数千万人が常食にしようよ思ったら牧畜するしかないでしょ。
スレ違いだが、大和で鹿殺すと大罪
>>839 スレ違いを承知の上で聞きたいが、大和で鹿を殺すとやはり死罪か?
そして、それは戦国時代での事なのか?
よかったら教えてくれないかな?
戦国時代よりも前から
奈良では(大和ではない)鹿を殺したら死罪、
自宅の玄関先で鹿が勝手に死んでても死罪、
だから奈良市民は昔から早起きで、
自宅の前を掃除する習慣があるんだとか。
>>842 それは知らなかった。
いやはや、毎度の事ながら勉強になるスレだなぁ。
844 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/17(日) 07:46:59 ID:iCGZuu44
>>841 お前のほうがウザイ!!
日本の自然環境では、狩猟で肉を常食するなんて不可能なの!!
縄文時代26万の人口でも、養うのは大変だったんだよ。
もちろん、大型獣の肉なんてめったに食えない。
845 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/17(日) 07:48:54 ID:iCGZuu44
>>833 食いたくても、食えねえんだよ。
日本の環境では。
牧畜は米作に比べたら、人口扶養力が低すぎるので、選択されなかったんだろうな。
悲しいかな、昔のに日本人は肉なんてほとんど食ってません。
食べたくても、食べられません。
はいはいクマクマ
↓厨はスルーで再開
>>847 ID:iCGZuu44も別に日本人は肉を「まったく」食わなかったとは書いていないだろ
当時の日本でも確実に肉食は存在した・・・・が
現代日本や西欧とは比べられないほどの頻度であったという点で
両者の意見に大差は無いのに何でこんなに荒れるのかな
朝鮮人のID:iCGZuu44は本当にウザイよね。
ヤツの事はスルーしとけよ
所詮、わからずやのチョンなんだから。
なんでいつも肉食の話がループすんだよ。いい加減にしてくれよ
851 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/17(日) 17:54:56 ID:iCGZuu44
より多くの人口を養うという意味では、肉食ではなく、魚、大豆を蛋白源にしたのは
正しい選択。
昔は、人口イコール国力だったからな。
日本人が肉をほとんど食わなかったのは、この貧しい土地で生き延びていくための
日本人の知恵の産物。
人間の食料獲得への執念こそが文明を生んだ、昔は世界中どこでもすごいが。
852 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/17(日) 17:56:55 ID:iCGZuu44
>>849 朝鮮人じゃありません。なんで、朝鮮人扱いするんですか。
>>850 昔の日本人は肉なんてほとんど食わなかったから、肉食の話なんか、話題にする余地もあまりないのに、
変ですね。
ID:iCGZuu44は再登場したにも関わらず
相変わらず不勉強で相手をする価値もないな
854 :
名無しさん:2006/12/17(日) 18:11:09 ID:5lPKUQvy
第2次世界大戦直後俺の親父とおじさんが鳥目になりまったく
夜見えなくなった
爺さんがまずいと思い町に出かけて闇屋から進駐軍から流れてきた
2個の牛缶を買って野菜と煮て食べた
その缶は触るとぼこぼこ音がなりくさってたらしいが親父らは
腹を壊すどころかいっぺんに鳥目は治りすごく元気になったらしい
親父は今でも肉の信者で体調を崩すとすぐ焼肉を食べる
855 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/17(日) 18:13:20 ID:+uNQwhRD
急に単発IDが叩きはじめたなwwww
856 :
名無しさん:2006/12/17(日) 18:14:27 ID:5lPKUQvy
われわれは当たり前に食べているから感じなくなっているが
肉食は体力をつけるのには抜群らしい
857 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/17(日) 18:20:36 ID:iCGZuu44
>>856 だから昔の日本人はチビだったんですね。
とくに、江戸時代は悲惨な食糧事情だったみたいだな。
今の北朝鮮もひどいらしいが。
ついに自演まで始めたかw
>>854 司馬の小説「花神」では大村益次郎が目が良くなく
目に良いと言われる泥鰌を食べて食ってたんだっけな。
その類の話はよく聞くよね。
現在は目に良いと言えばブルーベリー(アセロラも良い気がした)なんで
ブルベリー&レモンキャンディなんかをよく舐めるよ。
60年代な
30年代じゃ満州事変の頃
で?鴨を調べてどうしたの?
863 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/17(日) 21:23:05 ID:+uNQwhRD
>>854 何で
このままじゃまずい→牛缶購入
の流れなんだ?
■眼によい食べ物リスト
ビタミンA−薄暗いところでの眼の働きをよくする。
卵・にんじん・ブロッコリー・牛乳・ほうれん草・ブルーベリー・うなぎ
ビタミンB1、B6−眼の疲れを癒す、視神経の働きを強化する
豚肉・豆腐・そば・ハム・いわし・黒豆・煮豆・ライ麦パン
ビタミンB2,B12−眼の成長を促進する、視力低下を防止する
さば・さんま・チーズ・のり・納豆・椎茸・レバー
ビタミンC−血管を強化する、白内障を予防する
イチゴ・キーウィ・ジャガイモ・さつまいも・オレンジ・大根
ビタミンD−眼の機能を整える
さば・まぐろ・きのこ・カツオ・椎茸・うなぎ
ビタミンE−眼の老化を防ぐ
きな粉・アーモンド・たらこ・いか・かぼちゃ・あじ
たんぱく質―眼の組織のもとになる
牛肉・豚肉・鶏肉の腿肉・ヒレ・アジ・いわし・さんま・チーズ
ミネラル―眼の働きを良くする
ししゃも・わかめ・じゃこ・プルーン・ブルーベリー・ナッツ類
炭水化物―眼のエネルギーとなる
パン・ご飯・ごま油・ジャガイモ・さつまいも・オリーブオイル
とにかく、なんか食えって事か
炭水化物まで入れたんじゃ、体に悪いもの以外は眼にいい、と言う結論になるな。
実際にそうなんだろう
バランスよくなんでも体に悪いものを食わないと眼に悪いってことか
869 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/18(月) 09:09:59 ID:HQqY1Cg2
野菜は色で食べる
>868
それは目以外にも言えるような気ガス。
つ「池田の猪買い」&「獣店」
872 :
名無しさん:2006/12/18(月) 19:05:17 ID:0at/CO4u
猪肉今は100グラムいくらするんだ?
20年以上前は800円で買えたけど
しし肉は戦国時代なんかご馳走だったんだろうか?
873 :
名無しさん:2006/12/18(月) 19:24:46 ID:0at/CO4u
今風邪を引いてるんだが薬を飲んで栄養物をたくさん食べても
なかなか直らない
戦国時代ならろくな食べ物も薬もないから風邪程度でもずいぶん
死んでいたんだろうな
● 北海道民は人肉を食べることを楽しんできた
北海道民は違う。あきらかに人肉を食べることを楽しんできた。人肉食、人相食、夫食婦、婦食夫、
こういう記録が北海道の歴史の随所に見いだされる。あの松前藩は子供の丸蒸しを料理として賞味した。
江戸時代には人肉料理のメニューさえある。そのころ食肉用の人間は「両脚羊」と呼ばれていた。
1960年、北海道で炭鉱事故がおこり、ただ一人生き残った炭坑夫は生き残るために人肉を食べた。
そして「息の切れた人間の肉はおいしくない。やはり生きている人間の肉はうまかった」と発言して大きなニュースになった。
人を食べたからではない。どれが美味しかったという点でだ。それについて北海道大学の教授が人肉と牛肉と豚肉のいずれが、
より栄養価が高くうまいかを新聞紙上でコメントした。このことは如実に北海道の社会常識として現在でも人肉は食用たりうることを物語っている。
つまり北海道にとって人間を食べるという行為は飢餓をしのぐのためではなく、食文化の一つなのだ。
>>873 現代人でもそうだよ。
俺の勤めてた工場の50くらいのオジさんが、
風邪なのに無理に会社に来てて、
それでつらくなって休んだら数日後に死んだことがある。
無理すれば風邪で死ねるなんて常識だと思うが。
876 :
866:2006/12/18(月) 20:01:21 ID:bSyPTcYt
877 :
名無しさん:2006/12/18(月) 20:30:04 ID:DFcygLP0
>>874 ほんとの話とすればすごい
襟裳岬なんか行くと今でも食われそうだ
>>873 風邪は薬飲んでも治らないぞ。
あれはわざと人間の抵抗力弱めて熱など(自然治癒の副作用)を下げる為のもんなんだから、
咳や熱がひどすぎて死にそうな時以外は逆効果。
薬なんて飲まずに一般的な栄養摂って暖かくして寝てればすぐ治る。
>>874 両脚羊は支那の話だろ?
炭鉱の落盤事故は台湾の話。
分断工作おつかれさん。
>>873 一応付け加えておくと、当然「抗生剤」「抗生物質」といって渡されたものは、
殺菌効果があるから飲んだほうが良い。
でも大概の風邪はウイルス性なので、そんな薬を処方されることは少ないけれど。
>>879 まあそう言うな。ネタとしては面白いじゃないか
882 :
名無しさん:2006/12/19(火) 21:10:15 ID:wl5vhV1V
>>878 そんなものなのか いい事聞いた ありがとう
883 :
名無しさん:2006/12/19(火) 21:12:33 ID:wl5vhV1V
戦国時代最強の栄養物はやっぱり猪だろうな
醤油のなかった当時はウナギもそれほど食べられ
なかったろうから
>>879 >>874に書いてある話はネタ100%だと思っていたので、むしろあんたの書き込みに驚いた。
炭鉱はともかく、両脚羊なんて…。
>>883 鰻は万葉集にも書かれてるし、食べられたんじゃないの?
(もちろん武士等の階級のある人間や、取れる地元人専用だろうけどさ)
蒲焼は室町時代には出来ていたので、十分食べられていた。
万葉集によると当時から夏痩せ(夏バテの事ね)に有用ってあるし。
分かりやすく言うと「薬」って扱いだったらしい。
で、醤油についてだが、「室町時代にはもう[醤油]というのはあった」ことはご存知か?
室町時代の文献に初めて「醤油」って出てくる。
(その後の文献から考えると「淡口(うすくち)醤油」の事じゃないかと推測されるのだが、そこまでは分かってない)
その後元禄から享保にかけて現在の醤油である「濃口醤油」が出来るのだが・・・。
と思ったのだが、室町時代のはどう考えても「たまり醤油」だったな。
スマン、切腹してくる。
ココで腹を切るのは2度目か・・・・・・・。
>>884 安禄山は、戦場を両脚羊のミンチ作る石臼引いていたらしいぞ。
かの国では良くあることだ。
1988年頃には1500ccで1500馬力を発生する自動車用のエンジンが存在したが
だからと行って一般人の乗用車どころか一部のお金持ちの車でさえも
1500馬力の自動車など存在しない
文化を語る上で「存在した」だけでは何の意味もない
889 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/20(水) 00:47:44 ID:XbWT0KQb
84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 01:45:20 ID:RU/DPKTX0
北宋の末期、女真族の侵入で飢饉に陥った人々は官民問わず人肉を食べ始めた。
范温は義軍を組織して戦ったものの破れ、舟で臨安に逃れた。彼に付き従う兵士達は
人肉の乾し肉を携帯していた。彼らはそれを両脚羊(二本足の羊)と隠語で呼び、
そのうちで若い女の肉は「不羨羊」(羊より美味い)、子供の肉は「和骨爛」
(煮れば骨まで食べられる)と呼ばれた。
元王朝の末期、各地で叛乱が勃発し、食糧難に陥った官軍は人肉食に走った。
最上品は子供の肉、次に女。男の肉は最下層だった。
料理法は様々にあり、大瓶に放り込んで炙り焼きにしたり、網で焼いたり、
さらに趣向を凝らして熱湯をかけてから竹箒で皮をこそげ落とし、肉を切り取って
油炒めにして食べたりなどもした。
特に男の両腿と女の乳房は「想肉」(懐かしの肉)と呼ばれて珍重されていた。
あまりの旨さにまた食べたくなるからである。
室町時代には鰻の蒲焼きが存在したとの事だが、タレはたまり醤油がベースだったのか。
現在では甘味をザラメや味醂等を使用しているらしいが(店によってまちまち)砂糖が高価な輸入品だった当時は水飴や蜂蜜が砂糖代わりだったのかな?
はっきり言って、たまり醤油だけで作った蒲焼きは食えたモンじゃない筈だ。
wikiってみたが、蒲焼以外にも調理法があるらしく
・白焼き
たれをつけずに炭火で焼く。ワサビ、卸大根またはショウガ醤油などをつけて食べる。
・う巻き
鰻巻き。ウナギの白焼きまたは蒲焼を芯にして巻いた卵焼きのこと。
とある。
白焼きならその当時ありそうだし。
あとは兵庫・岡山近辺の人間なら何か知ってないかな?
あそこら辺が鰻の有名なところらしいし。
>>885 薄口醤油は1670年くらいに上方で作られ始めたそうですよ。
今でも自分でつった鰻を食うときは白焼きでは。、
開いて串さして七輪でやいて醤油漬けて喰ってるんで、
昔もそんな喰い方じゃなかったんでしょうか?
うなぎ屋さんって江戸時代から代々守ってる秘伝のつけダレとか持ってなかったっけ?
旧日本軍人の人が書いた本によれば『人肉は鯨肉のような味がした』そうだ。
流石に味方を食うのはできないのか敵さん頃して食ったんだとか。仕方ないよな、戦争だもん
>>895 海外の遭難事故でもあったよね、生き延びる為にやむを得ず人肉食べた話
習慣的に食べてる支那とは大違いだよな
習慣的な人肉食なら中国なんかより
1595年頃に年間2万人もの生け贄を出してたと記述される
アステカ文明の方が時代的にあうと思うけど。
まぁ日本の戦国時代だと白土三平の漫画でしか見たことないな…
>>835 奈良時代の延喜式に現在の漬け方ほとんどでてますので、
当時あった野菜(瓜蕪大根etc..)なら現在のものと変わらないかと。
確実なものなら、大阪夏の陣で徳川家康が食べた奈良漬なんてどうでしょうかね?
>>895 前に読んだカニバリズムの本には酸味があると書いてあった。
知り合いの祖父も人間の肉は酸っぱくて旨くないと言ってたそうだ。
それが事実であれば、日本の捕鯨は廃れてたんじゃなかろうか。
899 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/20(水) 14:51:05 ID:8hkFmd7J
>>898 古来日本では「鯨は魚」と見なされていました。
平安時代でも”海の幸”の極上の一品扱いです。
ただ本格的な商業的捕鯨は17世紀に入ってから始まったので
戦国時代以前は廃れる廃れないの前に絶対量が少なかったかと。
日本人は首狩り族
朝鮮人は食犬族
中国人は食人族
火葬場では人間を焼くと干しカレイを焼いた時のにおいがするよね
>>900 いや。
人肉みたいに不味いんなら鯨なんて誰も食わないだろ、と書いたつもりなのよ。
戦国時代の捕鯨が盛んだったかどうかなんて書いた覚えはない。
904 :
名無しさん:2006/12/20(水) 21:01:57 ID:oBcn3Euy
猪が山鯨と言われだしたのはいつからだろうな?
905 :
名無しさん:2006/12/20(水) 21:07:18 ID:oBcn3Euy
それと人肉食いは誰か別スレたててやって欲しいが
日本の戦国時代はそれほどはなかったようだし
906 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/20(水) 22:47:54 ID:TOBWydhq
でも、昔は現代人みたいに人肉職に忌避感はあったのかねえ?
907 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/20(水) 22:50:43 ID:TOBWydhq
人肉食
鮮魚は京を中心にした都市圏では結構な量が流通してたね
琵琶湖沿岸部や越後、瀬戸内他近隣沿岸部で水揚げされたものに限るけど
公家がその流通経路、権利に課税して
荘園からの収入がわりにして群がってたくらいだし
そんなものより、丹波産松茸食い放題ウラヤマシス
あ、俺空気読めてないね
ごめん
>>894 それは江戸時代から継ぎ足し継ぎ足し使ってるから、って事だな。
「江戸時代から継ぎ足し使って当時に近い味を守ってます」って意味だよ、それ。
ググって調べてみたんだが、江戸時代のタレの成分が残ってる可能性は00.1%以下だそうだ。
ドラム缶ぐらいの大きさだったら底5mm位になら残ってる可能性はある。ってのもあった。
>>897 アステカって食っていたか?
生贄の後食ったなんて話を聞いたこと無いなぁ。
アステカは人肉食っていたぞ。人肉はもとより、アステカの生贄の風習は調べれば調べるほどゲロが出そうになる。
日本は仏教に神道でよかったよ。
江戸の天保の飢饉のころ、人肉を食った人の証言では、人肉は確かに鯨に似た味がする、とのこと。
>>910 >00.1%以下
0.1%以下なのか、0.01%以下なのかどっちだ?
>>903 ごめん。あまりに話題がスレ違いなんで、無理矢理戦国時代の話にしました。。
>>908 あんたが一番このスレ向きの話かいてるよ。
…このままスレ違いの話題続くなら次スレはいらないよねぇ。
915 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/21(木) 06:57:03 ID:VvYMjEp5
>>912 昔はあまり他の獣肉食わなかったから、唯一知ってた獣肉が鯨だったから、鯨にたとえた可能性があるよ。
だから、牛肉や豚肉より鯨肉に味が似てるかどうかはわからんよ。
916 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/21(木) 07:00:58 ID:8enmVbmt
人肉食は必ずしもスレ違いではないと思うが?
確かに危ない方向に行きやすいのは事実だが。
917 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/21(木) 09:41:22 ID:jKYtJ+AT
中国ではよくあること
918 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/21(木) 11:40:36 ID:PQJB8C+x
>>906 どれだけ昔かによるな
遺伝子的に言うと、現代人の多くに人間の脳を食べることによってのみ感染する
プリオン病の免疫があるから、確実に人肉食による脳疾病からの淘汰を生き残ったやつらの子孫らしい。
よって、
奴隷として食料を生産させる>人間を食料にする
になるまでは普通に食料って認識だろう
>>918 類人猿の時代は、よく食べたのではと言われるよね。
絶滅したギガントピテクスとかの類は近縁種と抗争をしてたようだ。
多くの類人猿は環境の変化だけでなく、近縁のピテクスによって
絶滅に追い込まれたという説がある。もちろん抗争して負けたら食われるというのが前提。
どうも人肉に対する意見はバラバラで統一性がないな
食ってみるのが一番手っ取り早いが…
自分の体なら法的には問題ないのだろうか?w
つうか黙ってれば分からんか
スレ違いのついでに、ギガントピテクスという類人猿は
最大身長3m、体重550kg程度。50万年前まで中国などに生息していたとされ
ゴリラと似ていたと言われている。
私達の先祖は彼等との抗争にも勝ったはずだ。
また、体長1m前後の小さい類人猿も生き残れなかった。
どうやら身長120〜150cmくらいのサイズが人類が生き残るのには
最適なサイズだったのかもしれない。
922 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/21(木) 15:11:52 ID:8enmVbmt
でかいと必ずしも有利ではなく不利な事もたくさんあるからね。
1mのゴキブリとかトンボとか巨大昆虫が絶滅したのもデカさゆえらしいし。
特に二足歩行の人類では足腰に負担がかかり不利だったろう。
現代人でも度の過ぎた巨人は病人みたいなもんだ。
ギネスに記載されてる「最もでかい男」は
膝に慢性的な炎症を起こし二十代で寝たきりになってしまってたし。
チェホンマンはリングの中で素手で戦うのなら強いが
10人のチェホンマンと10人の平均的身長のスポーツマンが
お互いに武器を持って戦ったら機動性の高いスポーツマンが圧倒するかもね。
というか頭の良い方のグループが勝つだろうと予想できる。
ムツゴロウさんもビックリだよね。
こんなデカカッタラ、ペットとして飼うのは難しいと思う。
927 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/21(木) 19:03:07 ID:dwNRxGOP
古くは出雲風土記に人肉食の記録が残ってるね。
万葉集にも夫が食べられた悲しいよって歌が2首ある。
戦国時代は食べたという記録は見たことはないが(鳥取城、三木城除く)
首を刎ねた後、髄液をすする習慣があった地方はある。
>>927 その万葉集の歌に凄く興味がある。
どこか、その夫が食べられた歌が書いてあるサイトか
もしくは歌自体を書き込んでもらえませんか?
俺の知る人肉食の記録と言えば今昔物語や芥川龍之介の書いた羅生門の記述くらいしか知らない。
>>922 つまりガンダムよりジオング最強と?私の脳は腐ってますが気にしないで下さい。
>>929 実際(?)にMSは巨大化を続けて、
コストパフォーマンスやらなにやらがえらいことになったから、
小型化されただろ。
大きいことが良いこととは限らない。
白人のチ○ポもデカイばかりで固さが足りないとかいう話もチラホラ聞くしね。
万葉集で思い出したが
醤酢(ひしほす)に 蒜(ひる)搗(つ)きかてて 鯛願ふ 我れにな見えそ 水葱(みずなぎ)の羹(あつもの)
醤(ひしほ)ってのがあるから醤油らしき物ははるか昔からあったと思われ。
ちなみに蒜はネギ、ニンニク類のこと
オ梶の方曰く
最強の食材は 塩
人肉の焼けるにおいは鶏肉を焼いたときのにおいに似ているという意見もあるようです。
親知らずの治療で、生えてきた親知らずの上にかぶさった歯茎の肉を
レーザーで焼き切ってもらったんだけど、その焼かれた肉のにおいはとても食欲をそそるにおいではありませんでした。
焼き方によって肉の焼けるにおいも違うもんなのでしょうか。
肉の脂肪含有量などの構成要素による違いも影響しそうだが(´・ω・`)
火葬場では人間を焼くと干しカレイを焼いた時のにおいがするよね
江戸時代も雑穀生産の中心地は東北だったかもしれませんね。
ヒエ、完全な「モチ」化に成功 岩手大
12月22日7時2分配信 河北新報
岩手大農学部の星野次汪(つぐひろ)教授(作物育成)は21日、完全にもち化したヒエの開発に成功した、と発表した。
粘りが強く単独でもちにすることが可能。つぶつぶ感もほとんどないという。年明けにも農水省に品種登録する。
ヒエの中で粘りの強い品種のノゲヒエにガンマ線を照射したところ、突然変異で誕生したという。
外見はノゲヒエと変わらないが、でんぷん成分がもち性を示すアミロペクチンだけで構成されている。
昨年秋に開発し、栽培を通じて遺伝的な継承も確認された。
キビやアワなどはもち化されているが、ヒエは遺伝子が多いため難しかった。
「もち」をうたったヒエは数種類あったが、いずれもうるち性を示すでんぷん成分のアミロースが含まれており、完全なもちではなかった。
雑穀生産が盛んな岩手県は、ヒエ生産はシェア8割で国内トップ。星野教授は「米とのブレンドや和菓子などへ需要が期待される。
穂の長さが2メートル近くあって倒れやすいので、栽培しやすいように改良を進めたい」と話している。
1995年に小麦のもち化に成功した東北農研の中村俊樹サブチーム長は「学会では『ヒエにもちはない』という通説が定着していた。
完全にもち化したヒエの開発は世界初ではないか」と評価している。最終更新:12月22日7時2分
「雑穀生産が盛んな岩手県は、ヒエ生産はシェア8割で国内トップ。」
940 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 13:23:20 ID:/+EBZyD/
>>939 これって、何の意味があるの?
もちってそんなにすごいの?
従来ヒエ餅を作る際にモチ米を混ぜて加工していたわけですが、
今回ヒエだけでモチ米と同じ加工法ができるようになったわけで。
まぁ新しい味、食感が増えると言うだけでもすごいことかと。
蕎麦でも十割とか二八とかあるわけですし…
ヒエ含め雑穀は明治以前は日本全国で普通に作られていましたよ(主食)。
今じゃ市場が小さくなって東北でしか作られてないだけでは?
それだけ岩手県は米が作れる土地が少なかったので、
稗みたいな雑穀が一番作られていると聞いた事あるな。
今でもそれは変わらないんだろうね。
たとえば山奥の椎葉村(宮崎県)なんかでは戦争中ぐらいまで雑穀が中心だったみたいだね。
たしか五年サイクルの焼畑農法をやっていたと思う。
極端な例だけど。
944 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 19:13:11 ID:/+EBZyD/
昭和三十年代ぐらいまで、東北の山奥では雑穀と木の実が主食でした。
どんぐりころころ。
945 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 19:42:39 ID:lrJR8Qn9
また前スレのキチガイ登場
946 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 20:05:07 ID:f8j51ubj
米、粟、キビ、トウモロコシにはすべてモチ種がある。麦にもある。
しかし稗にはモチ種がないので、その分だけ加工の幅が狭まるんだよ。
まぁあれ。
食ってみると、雑穀ってうまいと思う。
薫りと食感では米の圧勝だけど。
>>948 たまに食うと美味いが一週間食ったら飽きてしまったな
米にブレンドしてわずかずつ量を減らした苦い思い出がある
そろそろ新スレの季節だね。
荒れやすいスレなわけですし、ちょっとテンプレについて話してみませんか?
>>949 米は主張が少ないから毎日食えるけど
雑穀は味がありすぎるかもしれないね。
個人的な事であれだが、かやくご飯が好きなんだな。
分量を増やすために昔からやっていたのかな?
家では大豆・ひじき・昆布・雑穀で炊いた飯を食ってる。
作るの楽だし良いよ〜
火薬ご飯なんか食ったら、大爆発してミンチになっちゃうぞ。
ドリフのギャグみたい…w
昭和の頃にコロコロとかボンボンとかの子供用漫画誌の
人気のないギャグマンがによく出たギャグ
侍女が書いた「おあむ物語」とかで戦国時代の武士は下級武士だと毎日雑炊。
家の人間が鉄砲打ち(訓練)に行くときは弁当を作るために「菜飯」を炊いた
という記述があるらしい。江戸に入るまでは武士も白い飯が食えたら今日はラッキーって感じ
だったのだろうか?
鎌倉時代での武士の生活も年に数回菜っ葉飯を食うの贅沢みたいな感じだったそうな
室町ぐらいで日本は二毛作などで食糧事情は多少はよくなったみたいだから
農民でも赤米とかなら米は食えたのかも
米は通貨としての側面も持っていたから、どうだろうなあ。
957 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/24(日) 23:30:36 ID:+ucGU9XN
両国の「ももんじや」という店に行ってきた。
猪鍋、熊肉、鹿肉、狸なんかの獣肉屋。享保年間創業だとさ。
だから江戸時代には獣肉屋があったという事だけど、江戸時代になって
急に獣肉食い始めた訳じゃないから、やっぱ戦国時代も獣肉をたまには喰って
たんじゃないだろうか?
とループする話題に戻ってスマン
>>957 「一口も食べてない」などと誰が書いたのか教えて
今あなたが初めてじゃない?
960 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/25(月) 07:58:32 ID:5+dSaVdN
>>957 当時の日本人が”たまに”食えるほどの獣肉の供給は日本の自然環境では不可能。
一生に一度、一口食えればいいほう。
桜肉(馬肉)は食してたかもな
獣肉を食うチャンスは、山間部か否かでも、かなり違うだろうな。
マタギ、って職業が連綿と続いているから、極一部には肉を食う機会の多い人もいたんだろうから。
戦争中までの話では、事故・怪我で死んだ馬や牛の肉は自分たちで解体して食っていたらしいし、
戦国時代にも同様のケースでは食べていたんだろうね。
関ヶ原撤退時に、空腹の義弘に馬肉を上げようとした家臣と、それを奪って食った中馬大蔵?もいることだし。
獣肉はたまにしか食わなくとも
鶏肉やウサギの肉は普通に食ってたんだろ
現代人だって猪や鹿なんて一生に数回しか食わない人がほとんどだわさ。
964 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/25(月) 16:55:10 ID:5+dSaVdN
>>963 だから、日本の自然環境では、供給自体に限界があるから、そんなに食えないって何度も言ってるジャン。
ウサギも鶏肉もね。
>>963 >>鶏肉やウサギの肉は普通に食ってたんだろ
その「普通に」の扱いで今まで散々荒れてきたんだよ
鶏にしろ兎にしろ計画的に大量養殖しないととても「普通に」供給はできないよ
・・・こう書くとまた極端に解釈して俺が
「肉食は無かった」論者にされてしまうんかな
ウサギだって獣だよ…。以上揚げ足取り。
964氏の「そんなに食えない」の程度がどのくらいかはわからないけれど、
鶏は特別な日には食えたんじゃないかな。
多くても年に数回だろうけれど。
問題は、雛の入手がどれくらい困難なのか。
それによってどの程度の富裕層が食えるかは決まるだろう。
畜産・養鶏をなめるな、というような発現をした人が上にいるけれど、
鶏は(一部の品種に限るかもしれないけれど)放し飼い状態が可能ならば、
自分で餌をついばんで、どうにか生きていけるね。
また天敵がいない環境だとかなり野生化するようで、
鹿児島県十島村悪石島のルポタージュでは野生化した鶏を獲って食う話があるし、
私の住居地の近くでも完全放し飼いの鶏がいた。
また、鶏にかぎらず、雉etc.の野鳥も食うだろうね。
ウサギを頻繁に食うのは無理そう…。
967 :
966:2006/12/25(月) 17:45:25 ID:JuNjsy4h
年に数回、を「普通」とは言い難いね。
>>964 鶏にこだわる理由も分からんし、現代の感覚で語るなよ
トキが全国乱れ飛んでんだぞ。自然環境で言えばむしろ豊富。
利家の鶴の吸い物話とかあるだろ
武士は鷹狩りするから鶏より山鳩、鴨の方が身近だろう
日本で畜産が発達しなかったのは「必要ないから」
降雨量が多く耕作のみで必要カロリーを充分賄え、海に囲まれ河川が多いので魚貝類が豊富で
動物タンパクにも困らない。
供給以前に食おうとすらあまり思わなかっただろうな。
つまり
∧_∧
<ヽ`∀´> <肉食はウリナラ起源ニダ
/ \
/ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/
__(__ニつ/ ウリナラマンセー/
\/_____/
に、したいんだろうw
まあ、「極たま」位には食してたんだろ?>獣類
戦国時代には狩猟といっても銃はまだまだ安い物じゃないし、そうすると罠を張るか弓矢で取るしかない。
奈良みたいに「鹿は神」みたいな信仰あるところでは食べれないし。
魚のイイのが取れた場合、大名等に献上品として納めた可能性もあるし、
獣を獲って、内臓を薬として献上し、肉は家臣や獲った者に振舞う、とかってのは
考えてはいかんのかなぁ・・・。
そんなに豊富だったら飢饉で死ぬ馬鹿いないだろ
自然動植物が豊富なら面倒な農作なんてやらずに狩猟民族になってる
古代に農作が始まっていたのは既に安定した食の供給ができなくなっていた証拠
国中耕してもひと度不作になれば飢えて餓死者が出る状態から見ても
いかに食糧に余裕がなかったかが分かる
肉類を食った話しは結構残っている
だから一般的ではなかったと言える
わざわざ書き記すぐらいだからね
〇〇が米を食べた
とか普段食べるようなものはいちいち書き残さない
973 :
970:2006/12/25(月) 20:59:20 ID:HRLSrCAw
>>971 ああ、言い方が悪かったか?
農業もやるが場合によっては狩もする、って考えたんだ。
もちろん今の熊騒動のごとく、守りの狩りな訳だが。
>古代に農作が始まっていたのは既に安定した食の供給ができなくなっていた証拠
冬休み?
>>974 俺は結構納得したけれどね。
必要は発明の母、のような発想で。
既に、というより最初っから安定してなかったんだろうけれど。
昔の軍隊って本当に農繁期は出陣しなかったの?
平均すれば、魚だって稀れにしか食えんだろ。
つーか、米だって普通には食えてないだろうし。
もう、チンカス野郎はウゼェ!って事でいい加減に汁!
名古屋コーチンなど、江戸時代に「人工的」に品種改良された鶏や
大昔からある軍鶏をどう解釈するかだね。
またウサギを飼ってた寺が多く
彼等はウサギは鳥だと言い張りウサギを食ってたからね。
少しスレ違いになるけど、当時の寺というの現在と違って
コミュニティーのかなり主要な部分を占めてた。
江戸時代以前は布施湯(いわゆる銭湯です)を村民に提供したし
僧侶が村民の悩み事や世間話の相手にもなったし
会議場として寺を貸すこともあった。
また、戦時には防衛拠点としての役割も果たし
家庭内暴力から逃げる女性や、その他特殊な理由で逃げる人の「駆け込み寺」ともなった。
ツアー旅行の代理店の役割も負った。いわゆる「講」というヤツだよね。
江戸期には寺が現金収入を得るために博徒に夜間、寺を貸し「テラ銭」も得ていた。
ウサギを飼うのも彼等自身が食べる以外に現金収入を得るための手立てだったのではないでしょうか。
以前、例に出てきたけど
合鴨農法の鴨も成長は必ず毎年食べなければならなかった。
幼鳥は雑草だけ食べて稲を食わないが、成鳥は稲を好んで食べるので
毎年、春先には幼鳥を放して、秋に成鳥になるので子供を産む鴨以外は
美味しく戴いたわけだ。西日本では古くから合鴨農法は普及してたんだよね。
980 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/26(火) 00:37:34 ID:jVIQq2Ve
>>968 それだったら、飢饉で何であんなに人か死ぬか説明がつかん。
だって不作の年は山も不作だし。
日本の植生はカロリー低いんで、米軍のサバイバル教本では自給不可地域だそうだ。
(探すカロリー>得られるカロリー)
現代は杉山ばっかだし。
ただ人力では禿げ山に出来ないくらい多雨で耕作に向いてるんで人口/国土比は大きい。
この収穫が途絶えると、たちまち余剰人口が多すぎる状況が生まれるわけだな。
それと江戸期のは米本位制による歪んだ作付け構成ていう半分人災の面もある。
>>975 縄文時代の日本の人口は推定20万。
この時点で農業が行われてたんで、
「食えないから農業が…」
…というのは気のせい。
984 :
名無しさん:2006/12/26(火) 02:22:48 ID:V35S/0l/
俺は健康上の理由で3ヶ月肉を病めて魚で行ったが体調は
いい感じなのだがすぐ風邪を引くので参った
やっぱり肉は食わないと体が弱くなってしまうよ
985 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/26(火) 02:27:38 ID:oLs/o//k
それが養える限界なんだろ
>>984 豚肉はビタミン(特にB系の)の宝庫だからな。
また、最近風邪に良いと言われ始めたアミノ酸も多量に含んでる。
適度に肉も食べた方が寿命も延びると言われている。
>>975 狩猟民族が狩猟で食えなくなって農業を始めた
という珍説は初耳w
>>985 縄文人の骨格は現代人とかわらないよ。
それだけ栄養が行き渡ってた証拠。
…つか、狩猟で食えなくなったから農業が…って、根拠だしてよ。
989 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/26(火) 13:02:11 ID:VOyYsNJK
中国・東南アジア奥地の自然豊富、気候温暖な地域なんかは
ほぼ村内で自給自足し放し飼いにした豚・鶏を食べるけど
基本的に冠婚葬祭、来客へのおもてなし用であってとても毎日常食出来る物ではない
広大な平原での牧畜、集約化された畜産産業が無い当時の日本もこれぐらいか
もっと頻度は低いぐらいだろう
祭祀においてこれらの村は豚・鶏を生贄にするが
日本だと米・酒・魚を納める事が多い事からも文化としての定着度に差が見える
>>989 もっと少ない、日本以外では稲作文化には豚と鶏が付き物なんだけど、日本では、なぜか基本的に
この稲作には鶏と豚という、当たり前の文化が欠けている。
世界の稲作地域でもかなり特殊な場所。
豚も、鶏も育つための食物が人間と競合するので貧しい地域ほど豚も鶏も飼うことを放棄しないとい
けない。
日本人の粗食に対する耐性は異常なくらいだな。
991 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/26(火) 13:18:35 ID:jbQHp2Z6
>>982 そうか、やっぱりな。
よく日本の山は豊かだと言うけど、これって、どう考えても幼稚なお国自慢レベルなんだよな。
たまにしか食えないのは前提だけど獣肉に関する諺や昔話が日本にも多いからなあ
「鴨が葱を背負ってやって来た」「雉も鳴かずば撃たれまい」「ぶんぶく茶釜」等々
でも、圧倒的に動物の恩返し系の説話が多いから
動物に対しての殺生は良くないよ、動物にも慈悲の心を持とうねと
教えてたというか小さい頃から洗脳されてた部分もある気がする。
仏教的な教えを庶民に根付かせるには、その手の説話やむかし話にして
庶民に説いた方が浸透しやすいですしね。
993 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/26(火) 13:32:17 ID:jbQHp2Z6
>>992 もともと、仏教の殺生禁止的な思想自体が当時のインドの日常的な飢餓状態を
緩和するために出来た思想らしい。
肉って、エネルギー効率わるいからな。
貧乏人の敵だ。
994 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/26(火) 13:35:01 ID:jbQHp2Z6
>>982 日本の山の産物で使い物になるのは東北地方ではつい最近まで主食だった
どんぐりころころ、くらいしかないからなあ。
後は、書いてあるように、探すカロリーが得られるカロリーより低いものばかり。
山に頼ったら、最後は飢え死にしかない。
次スレ、どうしましょ。
>>994 縄文時代はどんぐりころころや栗が主食だったらしいっすよ。
人口密度が低ければ土地の生産性が低くても問題ないっす。
あと、サバンナ式とか照葉樹林農法とかわかると、
家禽類を主食に含まない農法の生産性とかわかると思うんで、
書き込む前に調べるといいっすよ。東北にこだわる前に。
>>994 つい最近まで…?
東北じゃ平成になってもどんぐりが主食だったのか。
東北の郷土料理ってきりたんぽとか味噌を使った刺身とかあるけど
どんぐりの郷土料理って、あんまり聞いた事が無いな。
本当に最近まで食べてたんなら、どんぐりを使った郷土料理とか
食べ方も説明してもらえなければ朝鮮人の妄想としか思えないな。
銀杏とか、イナゴなんてたいして美味くない食材すら郷土料理やら調理法が
全国に知れ渡ってるもんなぁ。
坂道コロコロ
1000 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/26(火) 17:06:53 ID:gdy8lbD2
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。