1 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :
2006/11/04(土) 22:44:08 ID:06Z/Cf8T
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/04(土) 22:56:11 ID:9CF60yil
前スレでも結論出てたけど まず、伊達家取り潰しが前提だよね
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/04(土) 23:03:22 ID:wddlH/wA
( ´゚ω゚` )
朝鮮征伐が奥州征伐になっただけの話
秀吉が家康の家臣を引き抜くなりすればよかったのになぁ。 それか徳川四天王を宇喜多家家老の明石全登みたいに家老でありながら豊臣直系大名みたいな立場にするとかさ。 少なくとも徳川家の鉄の結束力を崩す事ができたんじゃないか?そうすれば家康は秀吉死後でも天下取りは断念したかもしれない。 でも実際秀吉が懐柔に成功したのは石川数正くらいだもんな。本多忠勝にも声はかけたが速攻で断られたもんなぁ。
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/04(土) 23:21:55 ID:aduo6usq
>>1 乙です。
徳川家の関東移封の善悪は微妙だけど、常真を改易して秀次を入れたり、
小早川家に秀秋を送り込んで毛利一門の領土を削ったりと
政権基盤を強固にするための方策は打ってるし、成果も挙げてるよね。
前述の徳川家を初め伊達家、上杉家など地生えの有力諸侯を
父祖伝来の土地から切り離して反逆する余力を一時的に奪ったし、
諸侯の家臣に直接領土を与える嫌がらせも効果的だったと思う。
秀次失脚の一連の出来事が痛かったと思う 秀頼の誕生が結果的に政権の命脈を縮めた
8 :
名無しさん :2006/11/04(土) 23:25:45 ID:94OtWy/R
大和郡山城への、移動を受け入れる事。
七手組を機械化したら駄目かな?
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/04(土) 23:29:54 ID:9CF60yil
他には? 朝鮮出兵は見合わせた方が良いとして 秀次の存在は? 秀吉死後の政権の中枢は誰が担えば良かった? 秀吉存命中に、家康の力をもっと削ぐには何が効果的だった?
>>5 最初家康は忠勝、榊原、井伊には五万石程度のつもりだったが
秀吉の横槍で十万石になったんじゃなかったっけ。
後、豊臣の旗本である七手組に一人徳川からもらってるね。
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/05(日) 00:00:04 ID:aduo6usq
>>7 @後継者に指名した秀次を廃することで政権の継続性が示せなくなった
A秀次家を皆殺しにして、ただでさえ少ない一門衆の男子を失った
B秀次を通して中央とかかわりを持っていた諸侯が潜在的な敵となった
C秀次一家の処刑法が無道とそしられ庶人の反感を買う
悪いこと尽くめだね
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/05(日) 00:36:55 ID:lQ4SjxmT
でもさ、秀次殺さず関白のままにしといて 仮に秀頼が成人するまで豊臣家安泰だったら それが原因で、また争いが起きるんじゃね? どうなの?えろい人?
>>2 なんでも潰せばいいというものじゃないって窘められて終わりだった愚策だよそれは。
前スレよく読め。
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/05(日) 02:17:32 ID:lQ4SjxmT
愚作〜ww オマエは何様だよ? で、他の人の意見を否定する前に、 自分ならどうするか考えを述べてからしろ
>>15 伊達はいっその事会津が欲しいなら会津をくれてやれ
そんで氏郷と上杉で挟む形にして家康と隔離してやればなんもできんだろ。
岩出山じゃ地元だし、怖い相手も遠いし、東北にちょっかい出しやすいし、あんなとこに置く方が悪い。
それが会津となると勝手もきかず、大国に挟まれ、
体よく先祖伝来の地から追いやると言う意味ではまさに秀吉の策な上に、
政宗からすれば会津は自分で奪ってしまった土地なわけで、文句も言えない。
安易に潰すとか言う前に工夫するべき。
もっとも伊達家の動向は豊臣家の未来にさほど関係ないと思うんだがね。
政宗が裏切ったのはその方が得だからだよ、
じゃあ裏切ったら損なようにしてやる事を考えるべき、
政宗のようなタイプが裏切るような状勢だったとしたら
どのみち政宗が居ようが居まいが、豊臣家の先は知れてる。
逆に豊臣家が安泰になる案を考えたとしたら、政宗はまず裏切らんよ、
政宗を過大評価しすぎかと。
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/05(日) 03:23:45 ID:lQ4SjxmT
史実で会津に配置された蒲生が 散々、伊達の一揆の煽動に悩まされたが 仮に伊達を会津に移した場合 仙台に配置された武将は、また蒲生か? で、一揆の勢いは会津と比べようないもんになるんじゃね? そこんとこどうなの? で、地理的に見ても、関東の家康と かなり密接になるけど、そこんとこもどうなの?
>>12 とりあえず前野さんカワイソス
他に連座であぼーんした武将、勢力ってどれくらいおったの?
>>17 いやいや、会津を全部くれてやったら随分大きくなっちまうからそこは当然史実どおりの大きさですよ。
鶴ヶ城以南ぐらいはもう蒲生。猪苗代城辺りまでをあげりゃ十分だろう。
まぁ一揆は画策するかもしれんけど、会津にいたら自分も旧芦名勢の猛威に悩まされる事になるわけで、
しかも史実と違って上杉、蒲生のど真ん中で良く目が届く所なんでなかなか難しいよ。
家康とは近く成るけど、どうせ若干の距離程度じゃ史実でも繋がりまくってんだから
いっそ目の届くところに置いておいた方がマシと言うこと。
とは言え真ん中に氏郷が来るんだからこれもそうそう簡単ではない。
問題は氏郷が死んだ後釜な訳だが。
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/05(日) 10:32:58 ID:YbKzwvXb
>>13 秀次には秀頼より年長な男児が三人もいたことを考えると、
秀吉死亡後に秀次後継を巡った争いの種になりそうではあるね。
三成にしろ家康にしろ争いを誘発していずれかに肩入れすることで、
史実のように自勢力の拡大を図ろうとするだろうし。
秀吉も秀次も自分の子供に天下を継がせたいと考えるのは人情だろうけど、
天下が定まって日が浅い状況で少ない一門同士で争ったのは明らかな失策。
秀次が折れて誕生と同時に秀頼を養嗣子として貰い受けて娘と娶わせるか、
秀吉が折れて関白家とは別に秀頼を御家門筆頭格の大名家にするなり
できていれば、政権維持にも家存続にも史実よりはましだった様に思う。
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/05(日) 14:17:48 ID:hRnLY1vG
伊達潰すなんてまどろっこしいことより 日本人そのものを殲滅すれば 伊達も家康もでてこないしこっちのが早くね?
チョンキター
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/05(日) 15:33:11 ID:lQ4SjxmT
>>19 う〜ん・・
伊達を会津に移すまでの発想は面白いけど、詰めがな〜ぬるいな〜
やっぱ問題点として
地元仙台の近くにいる限り、史実通り一揆画策はするだろうし
何より史実の上杉(越後)と同じ様に故郷の仙台復帰を試みて、
政権崩壊に加担する可能性が逆に増えそう
で、すぐ近くに家康の存在・・
これは、返って逆効果だろ
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/05(日) 15:35:59 ID:lQ4SjxmT
転封すんなら、いっそのこと 佐々失職後の肥後辺りならどう? 民が反抗的で非常に治めにくい国だし 東北からも家康からも、ずーと遠い 問題は如水や島津と親密になりそう。。ということだが
逆に遠すぎて難しいのでは? そこまでぶっとんだ転封例ってある?
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/05(日) 15:40:38 ID:lQ4SjxmT
その佐々。 で、黒田も細川も蒲生も
東北から九州か
>>26 伊達家は地生えの大大名。
幕臣崩れの細川家や元が赤松陪臣の黒田家の加増・栄転とは条件が違う。
蒲生家にしても畿内から追うために大幅加増が必要になっている。
切り取った会津領召し上げの他に父祖伝来の米沢から追うくらいが、
当時の政治情勢を考えても限界なんじゃないかな。
仮に転封が可能だとしても加増が前提になると思うんだけど、
伊達家が大身になってしまっては元も子もないんじゃない?
>>23 それでも無理矢理潰すよりはずっと現実的な改善点、
まずはそこがわからないなら改善点も意味を成さない。
それと家康との距離なんかこの時期に大した意味は成さない。
実際史実ではもっと遠くても、別に困った様子は見られないわけで。
あと、何度も言うけど政宗を過大評価し過ぎだって、
慣れない会津の土地で、大国相手にそんなアレコレやって全部上手く行くほどの
手腕があるとは思えない、そもそも会津の北と成るとそんな便利な場所じゃない。
そりゃ万事上手く行くほど政治は甘くない、だから潰そうって言う強引な考えでは北朝鮮と同じ。
あと、一揆起こすのも、先祖伝来の地を求めるのも 結局史実でも思う存分やってることなんで、だったら慣れない土地に押し込んだ方が 未だマシというもの。 しかも上記の肥後とかと違って、自分で奪った土地なんだから、 慣れない土地に移されたから加増してくれって言う言い訳は通らない。
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/05(日) 16:31:14 ID:lQ4SjxmT
>>28 蒲生の会津配置は、秀吉が蒲生を恐れたから
で、中央から追い出したいけど、蒲生自身には非がない
なので会津120万石という条件をつけたんだよ
家康の関東転封と同じね。
でも、伊達は蒲生と違う。
転封させられても文句の言えない立場であり尚且つ非があった
どこ飛ばされても文句言えないよ
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/05(日) 16:41:01 ID:lQ4SjxmT
>>30 質問の答えになっていないよ
史実でやってる事を防ぐ為に考察するスレなんだから
伊達が一揆起こすの知ってて、仙台近くに配置するのはおかしい
その一揆を防ぐ手立ては? と、問うてる。
で、史実で仙台と関東という距離の家康と、あれだけ結びついたのに
会津なんかに移しても、より結びつくのは目に見えてる
その動機が故郷仙台の奪還。
家康が伊達に働きかける上で、より強い口実ができるわけね
ま、伊達自身の能力を過信するつもりはないが、史実と違った対処をするのが、このスレ
あのさ、伊達の故郷は仙台じゃないんだが。 政宗の生まれは出羽国米沢。 伊達氏は元々陸奥国伊達郡の豪族であったが、 16世紀半ばの天文の乱により米沢に本拠地を移す。ですよ?
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/05(日) 17:26:07 ID:lQ4SjxmT
そうすかw そりゃすいませんw じゃ、その米沢近くに配置するってのも やっぱ避けたいよね
>>31 非を言い立てても処罰を担保する実力が伴わなければ仕方がない。
小田原攻めを諸侯の力を借りてようやく終わらせた状況で、
北条の残党狩りと平行しながら奥州攻めを楽々とこなせるほど
豊臣政権は強固なものではなく、諸侯の連合政権・非全国政権でしかない。
「伊達家が臣従して本領安堵を得る代わりに、政権は会津を召し上げ
奥州平定の先鞭をつけて、無用の乱を未然に防ぐ」というのが
双方にとって落とし所であったからこそ歴史がそう進んだんじゃないかな?
36 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/05(日) 18:43:20 ID:lQ4SjxmT
それが成功して、伊達が豊臣政権に絶対服従したのなら・・ね。 でも取り上げた会津で一揆煽動したり、 秀吉死後は家康に逸早く呼応して兵を挙げてるのも史実なんだよね。 仮に北条滅亡後に攻めるのが、時期尚早だとしても・・ 領地は、もっと削減しなければならないし そして、一揆煽動の関与が発覚後は取り潰して然るべきだったと思うよ
>>32 ではどう対処するの?
潰すのも不可能だし、遠くに飛ばすならそれなりの領土を与えないと無理なのは
上でも言ってるとおり。
>>36 取り潰しといってすぐに取り潰せるほど公儀の力が強ければ確かにそうだろう。
ただ、小田原攻めから奥州平定にかけてはようやく成立した統一政権の基盤を
固めるために時間が必要だったし、それでなくても各地で一揆に手を焼いている。
伊達家が家康に通じたのは公儀の政権運営の杜撰さに由来するものだし、
小田原攻め直後の伊達家を目の敵にするリスクをわざわざ負う必要はないでしょ。
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/05(日) 19:36:29 ID:PnWFsSI9
>>36 家康がいる限り、無理。一揆煽動の件で聚楽第裁判に政宗がかけられた際、
その前日に、家康は政宗に書状を出している。
「上様御前の儀、いささかも御別儀なく候。御心安かるべく候
伊達左京太夫殿 家康」
家康が全面的に支援している以上、豊臣政権は手も足も出なかった。
史実が実証しているように。
40 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/05(日) 19:39:38 ID:lQ4SjxmT
>>37 上で、伊達を遠くに飛ばすならそれなりの領土を与えないと無理
とは、どこも言ってないぞ(だから蒲生と伊達では、置かれた立場が全然違うんだって)
しかし、君の提案した会津に配置は悪くない
しかし、史実通りの行動を伊達が続けるなら、遠くに飛ばさなければならないと言っている
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/05(日) 19:40:55 ID:lQ4SjxmT
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/05(日) 19:45:51 ID:lQ4SjxmT
>>39 だろ?
史実でそうやって、家康と伊達が強く結びつくから
遠くの肥後辺りに飛ばしたらいいと思うんだよ
で、公儀の力って頻繁に言う人がいるけど
何のための公儀か、よく考えてね
天下人は家康じゃなくて秀吉だから。
史実通り、家康や毛利などの顔ばかり窺っても滅びるだけなんだから
それとは違う行動を起こさないとダメなの
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/05(日) 19:55:03 ID:ND0Gupa4
秀吉が家康より長生きするしかないですね。 それ以外は 本能寺後の織田家と同じで細々生き長らえるしか。
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/05(日) 20:01:36 ID:I3A+VLWK
秀信から天下乗っ取った秀吉が 家康に秀頼を頼んでも、、、
>>42 あなたの言うところの「それとは違う行動」の実現可能性の問題だろう。
できることととできないこと、実行とその後の影響について言及しないで
ただ仮定の事実について主張しても説得的とはとてもいえないよ。
>>42 あまり名分が立たない無茶な仕置きをやったら秀吉が排除されるけどな。
日本史上で強権を振るった政治家は大抵排除される。
信長の後を追わせるのかね?
47 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/05(日) 20:08:42 ID:lQ4SjxmT
>>45 そんな一家臣(一応ね)の家康に匿われた伊達すら思うように出来ず
じゃ、一体何が出来たの?
と、逆に問いたい
影響もリスクも、全ての行動に付きまとうもの。
で、その影響やリスクを避けて、どうやって史実とは違う結果を望めるというの?
勿論、朝鮮出兵とかは中止は当たり前よ。
しかし、それ以外に何が? 詳しく教えて! と、言いたいが遊び行ってきます
48 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/05(日) 20:30:14 ID:UiSMY19L
豊臣政権には大大名をつぶす実力がない。 要するに、それだけのこと。 だったら、豊臣政権がちゃんと生き残るためには、その実力を つけないといけないわけだ。 金蔵には金があったんだから、その金で直属軍を10万くらい までに増やせばよかったんだがね。
唐入り取り止めって具体的にどうやるのかなあ。 唐入りは武断派と文治派の確執を決定づけたから止めた方がいい。 それは確かだ。しかし、九州征伐後から(1587頃?)構想があったんじゃまいか。 博多商人、九州諸将の要望もある。そこに加えて秀吉を誰がどう抑えるか。 取り止めといって止めれるものでもないし。 後、伊達を肥後に移すなら誰が交渉役をするんだ? 肥後の小西がいなければ、あの辺りは積極派しかいない気がする。
>>47 政治や戦争と言うのは本来そういうものだよ。
>>49 統一した後の政権維持構想が拡大路線だったからなあ。
秀吉子飼いの猛将共もやる気満々だったろうし。
つか、中堅どころ以下の若手武断派は基本的に賛成が多いだろう。
所領を増やすチャンスなんだから。
52 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/06(月) 12:56:15 ID:t1hvHxn+
>>49 伊達への交渉役〜!?
伊達から会津取り上げる際に交渉した奴調べなよ。そいつで問題あんの?
で、朝鮮出兵取り止めの是非・・これについては馬鹿らしいので、一言
「何でもかんでも盲目的に反論してりゃいいてもんじゃないぜ」
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/06(月) 12:58:30 ID:t1hvHxn+
>>50 政治家でも軍事家でもない、ただの人に
そんな知ったかぶり説かれる筋合いはない
質問には的を得た答えを返しなさい
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/06(月) 13:06:07 ID:t1hvHxn+
>>51 その所領を増やすチャンスも
猛将共のやる気満々の闘志も
政権維持の為の拡大路線の実現も
すべてを満たしてくれる方法・・
それが伊達家取り潰しね OK?
海外進出は史実を見るように、失敗したし実際リスクが大きい。
けど伊達家なんか地方大名なら問題ないでしょ
55 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/06(月) 13:53:53 ID:ZhLQKX1k
大体、政宗を腫れ物に触るように処遇・厚遇してたのは、秀吉本人だよ。 木村吉清を破滅させたにもかかわらず、大崎地方58万石を与え、さらに 京の聚楽第に伊達屋敷まで建てている。屋敷は三千人もの人手がかり出さ れた豪壮なものだった。秀吉は、岩出山に政宗が帰るのを恐れたのか、 ずっと京に滞在させ、監視していた。 武力征伐や僻地への改易を躊躇させる、何者かがあったのだろう。 いうまでもなく家康がからんでいることは間違いない。
56 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/06(月) 14:05:34 ID:t1hvHxn+
そう。 史実ではそういった失敗や配慮が豊臣家滅亡の要因の一つになったんだよね だから、一大名の政宗に臆することなく 家康と政宗の関係を断ち切る意味でも 史実とは違う、強い行動を起こさなきゃならないんだよね
大和への転封に豊臣が素直に従ったとしてもこの先生きのこれる確証はないわけだし やっぱ徳川に対してはを潰すか潰されるかの二択しかなかったんじゃね? 豊臣政権の屋台骨である徳川を潰すことで豊臣は自分の首を絞めるかもしれんけど それはまた別の話として
補償はなくてもとりあえずは生き残れる。 あきらめたら終わりだ。
>>53 「的を射た」な。
的は射るもの、当は得るもの。
>>54 伊達を取りつぶしても拡大路線にはならんよ。
むしろ独立色の強い大名を警戒させるだけ。
史実でも石田などが賛成していた中央集権路線に過ぎない。
実際、蒲生などは減封されてるし。
徳川、前田、浅野などはこの路線に反対。
秀長も過激な処置には基本的に反対派だったから。
>>57 秀頼やその子供に器量がなければ10万石以上の大名として生き残るのは苦しいかもね。
ただ、3万石くらいなら大丈夫だと思う。
織田の血筋も生き残ってるんだし。
この手のIFは結論先にありきか、 史実と変えなければという強迫観念で強硬論が幅を利かせるからなあ 強攻策が裏目に出る可能性は無視するってのが頂けないねえ
元々は秀吉の天下取りの手法、 大大名は領土を温存させて屈服させる、 気前よく領土をばらまいて天下を取る、 こういう手法にその後に続く無理があったから難しいやね。
>>60 伊達を潰すとか、唐入り取り止めで「どうやって?」と聞いたら
何故か「盲目的な反論」らしいから。
読解力が乏しい人間には何を言っても無駄です。
信長が本能寺を避けるには?と言う命題に「直前に明智を追放、処断する」
と解答するのと同じだからね。
それで、謀反するかどうかわからない明智をどうやって処断するのか?」
と聞いたら「盲目的な反論」に該当するらしいからな。
>>59 丹羽も減封されたしね。
その諸大名の分権VS中央主権が譜代派閥VS新興吏僚派閥に繋がって
利休、黒田、蜂須賀が飛ばされる訳で、関ヶ原の遠因ともなる。
結果、黒田は西軍にはつかない。
その後諸大名との取次ぎ役を委ねられた秀次を抹殺すると、東国の取次ぎ役
を家康に依存せざるを得なくなる。
これも、家康を封じれなかった原因ですな。
基本的に豊臣政権の人材不足がある以上、覇権を握ったままと言うのは難しい。
それよりは小大名の方が可能性が有ると思う。
63 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/06(月) 18:29:24 ID:p8NlQb/e
「伊達家を取り潰させれば豊臣が存続するまで」はおk−だから 次はどうやったら秀吉に伊達家を潰す確固たる意志を持たせるかだな
>>63 >「伊達家を取り潰させれば豊臣が存続するまで」
そもそもその俺論理がわからないんだけど。
65 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/06(月) 18:37:45 ID:PFl37ty/
>>59 地方軍閥をつぶすには強力な中央軍が必要。
で、秀吉の旗本は貧弱でそれができんのだが、これを強化する
という議論にはなぜかならないな。
>>65 日本史でそれをやった政治家は大抵殺されてるからでは?
増して直前に信長といういい前例が有るじゃないか。
67 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/06(月) 19:43:03 ID:PFl37ty/
>>66 んなことないだろ。
実際、徳川幕府の大名統制が成功したのには、その背景に旗本を
中心とした強力な中央軍がいたからだし。
たとえ子飼いでも独立させて大名にしてしまえば、独自に動くわ
けであって、それは加藤・福島の行動を見てもわかる。ましてや
豊臣家は譜代の家臣がいないんだからなおさら。
だったら、子飼いの連中に大判振る舞いしないで、直轄地を増や
し、それをベースに旗本を多くして中央軍として持てばいい。
と、ここまで書いて、それってそのまんま家康の政策だと思った。
>>67 だからそれは信長、秀吉の失敗を踏まえた上での政策でしょうが。
秀吉の段階では子飼いや元同僚に大盤振る舞いせざるを得なかったし、
地方の外様を潰せなかった。
69 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/06(月) 19:57:42 ID:PFl37ty/
>>68 臣下に大判振る舞いしないといかん理由がわからんな。
外様にはそれなりに領土与えないと従わないからしょうがないが、
子飼いの連中は別にそうしなくっても叛くことは少ないだろうし、
また、そうなっても秀吉の子飼いなんて、1万石もない連中ばっか
でつぶすのも簡単。
そもそも、直轄地が二百万石程度しかなければ、ある意味危機的
なんであって、それをどうにかするのが第一だろ。
>>69 領国統治を行うためには譜代への領土の分割が必要だったと言うことでは?
太閤検地や刀狩りなどの領国統治は大名化した家臣に行わせてた。
一足飛びに中央集権にはいけないと思うが。
段階を踏まないと。
他の人も言ってるけど、その時その時の政策にはそれなりに理由があるわけで。 今の視点からみて一足飛びに段階をすっ飛ばせというは暴論でしょ。
>>68 豊臣政権の維持に直轄軍の導入は必要でしょう。
豊臣政権の旗本は七手組1万人程度だっけ?
家康の旗本制度による直轄軍は別に信長、秀吉の失敗を見てではないと思うが。
関東入府の際に、旗本の筆頭である榊原、本多、井伊には最初5万石以下しか
家康は与えないつもりであったが、秀吉が横槍を入れて10万石にしたと言う逸話もある。
(更には秀吉は20万石程度は(即ち、加藤、福島と同等)与えるべきだと言ったが、
家康は従わなかったとさえ言われている。)
蒲生がケチ川と評したように譜代への大幅な加増は殆ど無い。
譜代家臣の大半はそのまま旗本として存続させ、高家、有名大名譜代といいた連中の
(旧武田、北条家臣)殆どが旗本になっている。
>>69 臣下に大盤振る舞いしたのはその先も拡大路線を取るつもりだったからと思われ。
直轄地は明を切り取って作ると。
全然危機じゃない、そう思ってたのさ。
>>72 徳川のは拡大路線を取らないという前提での軍の整備からねえ。
あと、家康は家臣統制の重要性と家臣の恐ろしさを骨身に知ってたからね。
秀吉は人たらしが上手かった分、コントロールできると思ってんじゃないかと。
74 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/06(月) 20:34:17 ID:PFl37ty/
>>70 直轄領→大名領はそれほど難しくないが、その逆はすごい抵抗を生むだろ。
だから、そうそう臣下に土地与えちゃいかんのだが。
秀吉は成功したときのことしか考えないようなところがあるからな それが秀吉の魅力なんだろ、豊臣厨の諸君 先々のことを考えてケチってばかりいると家康になってしまうぞ
>>74 いや、そのばらまきで秀吉は天下取ったと思う。
で、足りない部分は海外進出で補うと。
>>55 大きさに応じてどの大名にもそうやってきてるよ秀吉は。
そこらの小大名ならいざ知らず。
秀吉が山崎、賤ヶ岳と乗り越えて、覇権を確立した時に、
100万石を越える大勢力になっていたのは
徳川、島津、毛利、北条、そして奥州の伊達だけ。
次点で長宗我部と言う所。
彼らに対する処遇を見れば自ずと情勢がわかってくるぞ。
毛利・徳川は警戒しながらも、それと同時に破格の待遇を与える事で、
こんなに凄い連中を従えていると言う事を全国に見せた方がより効果的に中小大名を
従えさせる事ができるという事を誰よりも知っていたのが秀吉という人物。
島津や長宗我部なんて直接ぶつかったにもかかわらず、寛大な処遇を受けてるし
北条家なんかは攻める前に何度と無く譲歩案をだし、朝廷を使い世論を動かし
大義を説いたにもかかわらず、歯向かうといってるのに、秀吉は
さらに名胡桃城という大義名分まで回りくどいほどに周到に用意してからやっと攻め始めたわけだ。
この時代に大勢力を攻めるってのはそれだけの準備が必要。
その点で見ると伊達家は迷っただけで逆らったわけではなく戦う前に臣従してる割には、
島津や長宗我部に比べると、会津に加え米沢も没収してる辺りそれなりに厳しい処遇にはなっている。
だがそれ以上の処罰を与える事に一体何の利があるのか。
秀吉のそれまでの天下統一の方策を曲げてまで無理をする価値が政宗にあるとは到底思えない。
×覇権を確立した時 ○覇権を確立した後
唐入り取り止めを真面目に考えてみる。 1.秀吉の認識(兵站、政治情勢)の甘さ。 (この際本人が既に半分誇大妄想気味なのは無視する。) 2.李氏朝鮮の認識の甘さ 3.宗が取り繕って、正確な情勢を秀吉に伝えなかった。 宗の代わりにありのままを伝えれる交渉役がいるか? そもそも朝鮮と拘りの深い大名が他にいるか。 兵站に関しては、それまで外征などしたことが無いから 誰もそれを意見できないか。 寧ろ、兵站、機動力こそ秀吉の真骨頂となると子飼いの石田達では 無理かもしれない。 案外厳しいな。
とはいえ、朝鮮出兵はとりあえず止めさせる方策考えないと多少の小細工を弄したところで意味なしだろうね。 朝鮮出兵してたら例え秀吉が元気だったとしても、余計泥沼化しそうだし・・・。
唐入りの構想は秀吉政権の初期からあったからなあ。取り止めるのは難しいかも名
時代の空気というのもある。 なにせ秀吉自身が拡大路線、立身出世の体現者なんだから。 遅れてきた連中は皆戦で成り上がることを夢見てた。 一回朝鮮出兵で失敗した後ですら、その熱意は続いてたんだから。
83 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/06(月) 22:44:02 ID:xCIam0Ik
ちょっと妙な説を聞いたんだが 石川五右衛門のと秀次の処刑とかが近すぎるとあった。 両者と徹底して一族皆殺し、 泥棒と処刑の理由もあやふやな身内の皆殺し ここから推察してるのが 石川五右衛門は単なる盗賊ではなく忍びの心得のあったあるいは暗殺者 そして依頼したのが秀次だという。 たしかに秀次が秀吉の暗殺を目論んでも不思議じゃないしなーと 納得した。 こうなると秀次が生きてたらという仮定が成り立ちえない。 せいぜい秀次ではなく秀秋を後継者にしたらという仮定からはいるしかなくなる。 秀秋なら底までの度胸も器量も無いと思うし。
五右衛門が伊賀で忍術を習ったとか、秀吉暗殺を狙っていたというのは通説にもあるな。 五右衛門が処刑されたのが1594年10月8日。 秀次が処刑されたのが1595年8月20日。 近いと言えば近いが…
85 :
木村貴光 :2006/11/06(月) 23:09:04 ID:IOIrUhQ3
石川五右衛門は秀吉の友達です。子供のころ秀吉をイジメてました。で仕返しされました。この目でみてきました。
五右衛門自体あんまり知らないけど面白い話だな。 でもそれ、逆に考えてみたらどうよ、このスレはあくまで 「豊臣家の存続」を考えるスレなんだから、それが秀吉だろうが秀次だろうが秀頼だろうがいいわけだ。 いっその事秀次に暗殺させてしまって、病死という事で済ませてしまえばどうなるだろう? 朝鮮出兵は一回で終わって、個人の能力はさておき、 とりあえず穏便に関白家は二代目を迎えるわけで、 秀吉が生きてるよりもむしろひとまず安定はするかもしれない。 そっからどうなるか想像もつかないが。
やっぱりこのスレには変なのが湧くんだな 伊達取り潰し厨は、なぜ自説を支持してくれる人がいないかを考えた方がいい 一般論として、情報の不公平がなければ、圧倒的大多数の意見が正しい事がほとんどなんだよ
>>86 バレたらそれ自体が豊臣家崩壊の最大要因なんだが。
それに秀次の不満派がお拾いを担ぎ出すのは目に見えてるぞ。
秀頼も殺したんじゃどう考えても秀次が疑われる。
89 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/07(火) 12:59:05 ID:bvcWuvFI
伊達家への処遇は史実でもかなり厳しめだよね 徳川家の関東移封、常真の改易、小早川家乗っ取りが連続して行われているし このあたりがギリギリのところだったんだろうね 唐入りがなければ公儀はすぐに外様の大大名をつぶしにいったのかな? それとも、中小大名を少しずつ取り潰して力を蓄えたんだろうか?
90 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/07(火) 15:55:10 ID:2p98vZFI
スレ読んでると、豊臣家と秀吉個人の差がでかすぎる事を思い知る。 正直秀吉だと秀頼の立場でも、それこそ三成の立場でも、天下くらいほいほい取ってしまうだろうが 秀頼が秀忠の立場だと、徳川家つぶれてそうだ。 秀忠よりも徳川忠長に近い気がするけど。
>正直秀吉だと秀頼の立場でも、それこそ三成の立場でも、天下くらいほいほい取ってしまうだろうが まぢで。
>>90 家康はある程度かっちりした制度と統治体制を整備してたからなあ。
もちろん、制度を定着させるためにかなりごり押ししたのは秀忠の時代、
統治機構が整備されて将軍の役割が縮小されたのは家光の時代だが。
秀頼が家康の後を継いだとしても豊臣政権よりは持ちこたえると思うが。
93 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/07(火) 17:43:40 ID:e3TuKHKi
>>90 秀吉が三成の立場なら家康に取り入って武断派を豊臣方として滅ぼす先兵になりそうだよw
94 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/07(火) 18:08:12 ID:eVmFNzkX
>>59 伊達を取りつぶしても拡大路線にはならんよ。
むしろ独立色の強い大名を警戒させるだけ。
↑
伊達家を取り潰して、史実で忠実だった大名の独立心が芽生えるって言うなら問題あるけど
独立色の強い(もともと)大名を警戒させるなら、効果あるじゃんw
>>徳川、前田、浅野などはこの路線に反対。
↑
当たり前ね。家康にしてみれば仲間が減るんだからw
前田や、浅野、秀吉自身にしてみても本当は誰も穏便に済ましたいのは当然ね
でも史実を踏まえての改善を提案するのが、このスレね OK?
95 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/07(火) 18:13:36 ID:eVmFNzkX
>>60 うん。趣旨主題というものに沿って考察するスレだからね
グチグチ文句言う前に、具体案を出そうね
意見はそれから
>>94-95 脳内妄想を垂れ流すのは史実を踏まえてとは言わないんだが。
ついでに言えば、もう具体案は出てる。 秀頼が大阪城を出て、妻子を江戸に送り、3万石程度の小大名、 あるいは高家として存続する。 これが一番可能性が高いだろう。
98 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/07(火) 18:23:20 ID:eVmFNzkX
>>62 うん。君が、海外侵略を止めれないという理由は
・博多商人や、九州の部下に言われたから(逆らえない)というものと
・ずっと前から、秀吉の中で構想があったから(絶対変更できない)というもの
だったからね。
そんな下らない理由を持ち出して、
侵略は中止出来ないって言われてもね・・
盲目的に反論してるとしか言えないよ ( ´,_ゝ`)プッ
99 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/07(火) 18:27:03 ID:eVmFNzkX
>>97 うん。偉いね
君はすごいね。すごい想像力だ。完璧だね
そんな君には、この言葉を送るよ
「日本語を覚えろ! で、意味が分るようになれ! で、その上でスレタイ読め!」
>>99 おいおい、スレタイはきちんと読んでるよ。
>1の無意味なリクエストは無視してるがね。
スレタイと>1の区別も付かない君に日本語を覚えろと言われる筋合いはないよ。
101 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/07(火) 18:32:58 ID:eVmFNzkX
>>64 ま、確かに完璧な案なんかではないし
史実の豊臣家滅亡と伊達の存在が、
そんなに因果関係があるとも思わない
けど、あくまで問題提起の一つと思って欲しい
だって、誰も具体案出さないじゃん。 グチグチ批判するだけで
>>101 思いつきで俺意見を論理無視して展開しても仕方がないでしょ。
秀吉が天皇家滅ぼして自分が日本皇帝になるとか言ってもしょうがないでしょ。
伊達を滅ぼせば豊臣家が存続するというのはそれと同じレベルの与太なんだよ。
>>95 他のスレで「小学生並みの作文読解力の低学歴」と評されています。
コテハンをつけていただけると非常にありがたいが、期待できません。
諦めましょう。
104 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/07(火) 18:37:32 ID:eVmFNzkX
>>100 おいおい、スレタイはきちんと読んでるよ。
>1の無意味なリクエストは無視してるがね
↑
キタキタキタキタ━━━(゚∀゚≡(゚∀゚≡゚∀゚)≡゚∀゚)━━━━!!!!!!!!!!
バカの見苦しい言い訳w
そんな君には、この言葉を送るよ
「テストの問題や人の質問、趣旨の説明は ちゃんと最後まで聞いて理解した上で意見しろ!!」
105 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/07(火) 18:38:27 ID:PBYzwH+S
では伊達取りつぶしの件で、ID:eVmFNzkXに聞くが、秀次事件の連座では、 政宗を葬る最大のチャンスだった。 話の成り行きでは、死罪か遠島、という重大な処分の可能性があったた。 なぜ、実行できなかったのか? 家康が怖かったからだろう。家康はおそらく武力行使してでも伊達を救った だろうから。結局秀吉は政治的に曖昧な形にもちこまれ、無罪放免とした。 伊達と徳川の連合力に負けたということだ。
>>104 自分が見苦しい煽りだという自覚はないのかねえ。
端から見るとお前さんの方が痛いんだが。
スレタイのように豊臣「家」の存続なら結論は
>>97 >>1 のように豊臣「政権」の存続なら西軍勝利の上、諸候による連立政権構想か?
つか、本気で豊臣政権を存続させられるアイディアなんかないのでは? 豊臣家を生き残らせることはできるかもしれないけど。
ID:eVmFNzkXに組するわけではないけど、伊達の存続のために徳川が豊臣に反旗を 翻すなんてとんでもにちかい想像だと思うけど。
110 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/07(火) 18:43:33 ID:eVmFNzkX
>>106 うん。
スレの趣旨も理解出来てなかったバカに
分りやすいように、答えてあげた結果が
>>104 なんだけど・・
痛いと思うなら、そりゃ、君の程度がコレなんだよ
>>107 や、それをやっても豊臣政権自体が制度的に緩い上に軍事力もさほどでもないのでどれくらい持つか。
関ヶ原の論功行賞その他で分裂しそうな気がするよ。
>>109 誰もそんなことは言ってないと思うよ。
史実としては伊達などを潰そうとする圧力に有力諸大名が反対しただけで。
蒲生の存続には、徳川、前田、浅野が動いてたしね。
反旗は翻さないにせよ、政権に距離を置くことは十分考えられる。
前田と徳川にさらに距離をもたれたら秀吉死後の政権は史実より脆くなるだろうね。
>>106 本人は正しいことをしてると思ってるから言うだけ無駄だと思うよ。
気に障るなら専ブラ入れてあぼーんした方が賢明だと思う。
>>111 仮に西が勝っても、豊臣の蔵入り地を使わずに東軍没官領だけで論功行賞が出来たかといえば
それは無理なんだろうな。西が勝っても東が勝っても豊臣は一大名に転落か。
となると淀や秀頼らに豊臣政権を維持することは出来ない。つまり
秀吉一代の間に安定政権を作るよりほかない
・・・無理だろ
>>113 読み飛ばしてたよ、失礼。
そうだね、武力行使まではしないだろうねえ。
ただ、利家は秀吉の処置が気に入らなかったとき所領に引きこもったりしてるから、
強硬手段に出たら分権派は何かアクションを起こしたかもね。
もしくは、秀次事件の時のように影で親伊達大名のフォローをして後日の伏線を張ったか。
いずれにせよ、乱暴な仕置きは豊臣政権から大名を離すだけという気がする、個人的には。
>>115 そもそも関ヶ原が起こった時点で中央政権としての豊臣政権の支配力が地に落ちたということだから。
どちらが勝ってもダメだというのはその通りだと思う。
歴史的に見ると過渡期の政権なんだよね。
鎌倉幕府に対する平家や建武の後醍醐政権みたいなもので。
118 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/07(火) 18:55:43 ID:eVmFNzkX
>>105 じゃさ、君に逆に聞きたいのが
そんな家康と伊達連合力に負けた秀吉が
さらには、その秀吉亡き後の豊臣政権が
どうやって、家康と伊達・・さらに増え続ける連合力に勝つの?
君が言う通り、葬り去る最大のチャンスは活かさなければならないんだよね
だから伊達を潰すの。
で、君の想定での家康が武力蜂起は、実現するかどうかは分らないけど
秀吉存命中に一番取り潰したかった家康が全く隙を見せなかったので
隙(口実)のあった伊達をまず潰そうというのが、この伊達家取り潰し案なのであって
秀吉存命中に家康が蜂起してくれるなら、願ったり叶ったりなんだよ
>>118 その時に伊達を潰し、仮に家康が蜂起したら豊臣はただでは勝てない。単純に
豊臣と徳川の蔵入を比較してみ
>>119 というか、露骨な大名潰しが始まったと思ったら外様が離反する可能性は否定できないからね。
史実ではそのリスクを嫌ったんだろう。
ただ、このスレではどうせ潰されるんならやった方がマシという意見を引かないんだよね。
失う物がないから。
もっといえば、それが否定されたらお話にならないから断固としてそれを主張する。
結論先にありきなんだよ、結局。
>>120 あえて潰してもよかった気はするけどな。やっぱ小牧・長久手の敗戦がトラウマになっていたんだろうか
>>121 政権を持ってしまったからねえ。
あと、主君の信長が家臣の謀反で殺されてるというのもある。
むしろそっちがトラウマなんじゃないかと。
きちんとした名分や外様が納得するような理由が無く大名を潰すのは避けるというのはね。
秀次の時はもうそういう自制心がすり減ったというのと、
秀頼の脅威というのが先に立ったんだろうね。
徳川を潰せなかったのは小牧・長久手の敗戦と、
やはり豊臣政権下での家康の重さに負けたんじゃないかと。
東国の取次や秀吉の不興をかった大名を庇って名を挙げてたからね。
123 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/07(火) 19:14:38 ID:eVmFNzkX
>>120 結論先にありきなんだよ、結局
↑
そのさ〜・・結論ありきって
嬉しそうに連呼してるけど・・
当たり前じゃんw 他に何があんだよ?
お家を滅ぼさせない、天下を取るなんてモンは・・至上命題なんだよ。
その為に史実でも、あらゆる大名がリスクを問わずに無茶してる訳だろ?
仮に豊臣家が滅びるかも知れないし、滅びないかも知れない
そんな状態でリスク恐れるなら、まだ分るけど・・
滅びてんのに、リスクってww しかも瑣末な事ばかり、気にして
>>123 だからここでいくらリスクを気にしない案を出しても単なる自己満足だということ。
元々歴史でIFを考えるのは、それによって当時の状況をより理解するためなんだけど、
意味のない解決案をIFで出してもその目的には役に立たない。
そりゃ現在の視点で見れば豊臣家は滅びてるけど、
当時は滅びるかどうかなんてわからなかったんだから、
滅びたという前提のもとでリスクを無視した案を出しても意味がない。
>>123 もっと言ってしまえば、タイムマシンを用意して秀吉を助けるというアイディアだって出せるけど、
意味がないでしょ。
それと同じことだよ。
126 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/07(火) 19:27:54 ID:eVmFNzkX
>>124 いやいやいやいや・・Σ(゜Θ゜)ドキッ!!
滅びたという前提のもとでリスクを無視した案を出さなきゃ意味がないじゃん。
現に滅びてんだから。
で、ここは戦国時代じゃなくて現代なんだから
歴史の経過も結果も踏まえた上のIF議論じゃなきゃ意味がない
そうだろ?
しかし確かに、余りにも当時の時代構成を無視した行動は無理があるのは分る
けど、俺が伊達取り潰し論で反対を受けて思ったのは
この程度で、リスクが大きすぎるのであれば、他に一体、何がリスク少なく出来るのか?
と、いうこと
勿論、それに対する
とりあえず秀次事件自体大義もへったくれもないものだったわけで、諸侯はその時点で相当動揺してた。 最上義光なんて愛娘を殺された上に幽閉されてるし。 こんな状況だからどの大名も連座なんて余程関係の深かった大名だけで 充分と見てたのは当たり前、それでも豊臣の世に大きなしこりを残した。 前田や浅野らもそうだし、史実では忠実だった他の秀吉の養子連中も 内心ゾッとしたのは否定できないんじゃないか? 家康がこの時点で無理に戦争に動くとは思えないが、秀吉がそれでも無理矢理伊達を潰そうと動いて 合戦にでもなったら家康が圧勝しそうな気さえする。 秀吉もそこはさすがに後ろ暗い所があるのではないかと。
>>126 元々秀吉の天下取りの過程に無理があったんだから仕方がない。
IFを持ち込んでもありえたこととありえないことがある。
平家や後醍醐政権や豊臣政権を生き残らせるというのは難しい部類のIFだよ。
それは大前提。
その上で考えるなら、徳川を関東に転封すべきでなかった。
これがそれほどリスク無くできる一手だったと思う。
できれば、九州征伐で島津を潰しておいて加増を餌に九州へ送るか、
加増は伊豆一国に留めて東海におくべきだった。
あんなに加増して関東におく必要はなかったし、それをしなくてもどこからも非難は出ないだろうから。
できれば、敵対した大名は潰すという方針で天下統一を行うべきだったが、
そこまでは求められないと思う。
129 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/07(火) 19:34:54 ID:eVmFNzkX
結果が、豊臣家の存続繁栄に繋がる行動であってだよ。 外部を潰すんじゃなくて、内部を強化するのは一番大切だとは分っている しかし、その為に朝鮮出兵取り止めを言ったときにも、盲目的な反対意見が来る始末 何をやるにもリスクがあるのは当たり前なのに、 文句言う奴は一体どんな、リスクの負わない平和的な案があるのか聞きたい
>>127 最上、伊達、細川、浅野辺りはあれで豊臣に恨みを持ったしさらに徳川に親しんだだろうね。
それ以外にも世間や宮中に悪評を振りまいたのは間違いない。
菊亭晴季もとばっちりをくったし。
>>129 どうやって朝鮮出兵を取りやめるか具体的な過程と代替案を言わないと空論でしょうが。
やめた、はいそれでOKがまかり通るならなんでもありっしょ。
確かに、それがまかり通るならそもそも、朝鮮出兵じゃ無くて 家康に天下取りを止めてもらえばいいw
>>131 別にスレがあるから意見がこのスレで出せないんじゃ話にならないよ。
まあ、細かくやるなら専門のスレでやるべきだろうけどね。
政権ができてから弄るより統一過程を何とかしないとダメだというのが自分の基本的なスタンス。
敵対した大名を攻め潰す信長方式を反面教師にしたんだろうが、秀吉は敵対した地方大名を優遇しすぎた。
もっとも、これは拡大路線をとり続けることを前提にしたんだろうけど。
だから唐入りを諦めるということは、敵対した大名をその時点で潰すという政策とセットでないと
政権を強化するための領土が得られないと言うことでもある。
135 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/07(火) 19:46:19 ID:eVmFNzkX
>>128 家康の関東転封は確かに無駄だったと思うが
当時の秀吉の頭の中には
大坂から遠く飛ばしたい、
で、家康を慣れない土地で苦労させて国力を弱らせたいという思惑があった訳だろ
しかし、思うような結果にはならなかった・・
同じ様に、
伊達家の取り残しも、当然、秀吉の思惑があって行ったことなのだから
その結果が思い通りなってない事を知っている我々が、
史実とは違う処置を考えても良いと思うが
>>135 考えても良いけど、政権存続のためには伊達だけ潰してもリスクの割にメリットが少ない。
政権ができてから難癖付けて有力大名を潰していくのは上策とは思えない。
潰すなら最初に敵対したときに潰すべき。
伊達に関して言えば、伊達は確かに徳川党でもあったが上杉に対するバランサーでもあった。
だから潰さずに上杉の隣に置いたという側面もある。
徳川に関してはどう考えても領土を与えすぎてる。
それだけ遠慮していたんだろうが、異例なほど領土を与えなくても転封は可能だったと思うし、
転封先ももっと考慮の余地があった思う。
まあ、個人的には
>>134 で述べたように、最初から拡大路線を諦めて、
敵対した大名を潰して政権を強化するための領地を確保すべきだったと思うけどね。
137 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/07(火) 19:56:10 ID:eVmFNzkX
>>134 そう!! いい!!( ̄ー ̄)ニヤリ
そういった具体案や基本スタンスをまず表明して、他人の案にも意見するから話が進むのであって
ただ人の意見を否定するだけでは、全然、話が進まない
>>だから唐入りを諦めるということは、敵対した大名をその時点で潰すという政策とセットでないと
政権を強化するための領土が得られないと言うことでもある。
↑
まさにそう。
外様の優遇過剰と、外国に領地を求める事によっての清算。
その秀吉のやり方が、まず大きな間違いだったと思う。
>>137 そういう君は伊達を潰す、朝鮮出兵をやめるという個別の政策を並べるだけだったじゃないか。
だから他の人にも批判されていたんだろうに。
伊達を潰すにしてもどの時点で潰すのか、それによって何を行うのか、
そこまで述べなければ議論にならないよ。
139 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/07(火) 20:14:29 ID:eVmFNzkX
>>132 秀吉の初期からの構想と言っても
是が非でも実行しなければならないとは思わないし
君の言う、博多商人や九州諸将の要望って言っても
やはり、取るに足らないものだろ?
そして俺の考える、その別の矛先がまさに
伊達や徳川といった史実の反抗勢力であり
俺や、
>>134 のように、まず基本スタンスがあるから
次に具体案を・・って、考えになるんでしょ?
だから君も、まず基本的な考えを纏めてから、反論して行きなよ
それが、纏まってない状態で反論や質問するから
俺も盲目的・・なんて悪態ついてしまうんだよ
>>139 だから君は基本的なスタンスなんて述べてないだろうに。
こっちを同類にして引き合いに出すのは止めてくれ。
伊達を潰すのであれば、後からネチネチ潰すよりは、小田原に出てきた時に切腹させるべきであった気がする。 少々強引で反発を招く部分もあるだろうが、いちおう総無事令に反して芦名滅ぼしたという口実はある。 ただ、その後東北勢がペコペコ頭下げに来るか、九戸さんみたいに暴発するかはわからん。 伊達の家臣団は収まらないだろうし。後者かなぁ… これを言ってはおしまいかもしれないが、 そもそも、権六をキッチリ潰せたのに、家康は潰せなかったという時点でコケてる気がする。 あそこで勝利していれば、信雄もあぼーん、家康もあぼーんでかなり弾みがついただろうし。
>>141 別に切腹でなくてもいいが改易は可能であったと思う。
どのみち奥州征伐は行う予定だったから暴発しても後の仕置きが楽になるというメリットはある。
唐入りを諦めれば多少の時間的余裕もあるだろう。
小牧・長久手に関しては考えてみたが弄るのが大変なんだ、あれは。
池田を押さえ込むのは難しい、というかそれができるならもう少し楽に統率できてる。
九州を捨ててでもガチで家康潰すというのもあの当時の状況では考えにくい。
次善の策が家康転封の時の処遇なのさ。
143 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/07(火) 20:23:41 ID:eVmFNzkX
>>138 スレ読み返してみ
俺がその案を散々述べようとしても
全部、一個一個の案出したトコで
すぐに否定論ばっか来て話が進まなかったんじゃない
で、ずっと訴えてきたが
反論してる奴は、自分自身には具体的な構想がないから
その一つ一つの案の本質の行動理由が分らない
で、君にも、散々、質問して やっと具体案が返ってきた
でも思うに、全員に答えてもらえば
結局、全員この案しかないと思うんだよね
その為の、実行として伊達家取り潰しや〜って言ってるのに・・
>>143 当たり前だ。
コンセプトを語らずに個別のアイディアだけ語って他人が理解できるわけがない。
>その為の、実行として伊達家取り潰しや〜って言ってるのに・・
こっちの案を見るまでそんなことは一言も言ってなかったのに後付で都合の良いことを言うな。
途中で暴言を吐くような手合いに同類と見られる覚えはない。
はっきり言って不愉快だね。
大体、
>>42 では
>遠くの肥後辺りに飛ばしたらいいと思うんだよ
とか言ってるじゃないか。
単なる思いつきを羅列してるだけだろう。
もう一つ言っておくが、この案は実現可能性は限りなく低いからな。 何時まで生きるかわからない、何が起こるかわからない状態で、 天下統一を遅らせ、敵を増やしてでも安定した政権を作ろうというんだから。 このプランの途中でヘボって死んだらさぞ酷評されていただろう。 多少大名を温存してでも急いで天下統一すべきだったとね。 過去レスにもあったが、基本的にこういう形での政権の強化は家康がやってるんだ。 で、家康ができたのは秀吉の失敗に学んだ上に彼に関ヶ原後に15年という時間が与えられたから。 それでも最後の豊臣潰しでは悪評を被るような強引なやり方をするしかなかった。 歴史というのはそういうものだ。
147 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/07(火) 20:33:24 ID:eVmFNzkX
>>144 だからスレ読み返してみろって
反論はそれからしろよ
で、俺にスタンス纏めろと言われて、結局は
俺と変わらない意見に落ち着いたんだろ?
で、そこで初めて理解できた
「何で、伊達家の取り潰しが必要なのか?って・・」
でも、俺に質問されるまで、その意味さえも分らずに反論してた
だから、ダメなんだよ。具体案の一つ一つが、それに繋がる意味があるんだから
最初から盲目的に否定するだけじゃダメなんだ
>>147 お前の思いつきとは全然違う。
こっちの意見は統一の過程を弄れ、というものであって、
政権ができてから潰せというのとは根本的に違う。
暴言を吐きまくって後付で他人の意見をパクるのはやめろ。
情けない。
149 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/07(火) 20:37:39 ID:eVmFNzkX
>>145 当たり前だ
伊達家を潰す意味の理解出来てなかった君と話を進める為に散々譲歩して
それでも伊達家と家康の関係を遠ざけ
家康や伊達などを抑える為には、これくらいしかなかったからだ
>>147 言っておくが別に伊達の取り潰しは必ずしも必要ないからな。
伊達だけ潰しても意味がない。
徳川対策などと繋げて初めて意味がある。
お前は
>>135 で徳川の関東転封対策を述べずに伊達取りつぶしだけを取り上げてるじゃないか。
その時点でこっちの考えとは違うんだよ。
いい加減、思いつきを他人の意見で誤魔化すのはやめろ。
腹が立つ。
>>149 散々譲歩?
何寝言ほざいてるんだ?
自分が書き込んだのは今日このIDが初めてだよ。
何時お前がこっちに譲歩したんだ。
馬鹿も休み休み言えよ。
152 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/07(火) 20:44:18 ID:eVmFNzkX
>>148 俺が最初に奥州仕置の際に伊達を潰すべきと言い
意味の分ってない君が否定した(公儀の力が弱いという理由で)
次に、では一揆煽動の際もチャンスがあったと言うと
意味の分ってない君は、家康の肩入れがあるから無理だと言う
なので、では取り潰しじゃなく肥後に転封しようと言ったら
そんな実例はないと言う
分る?目的のある人間と、ない人間のやり取りじゃ
全部、こうなるんだ。
で、俺に問われて初めて、君の中で具体案が纏まった
そこで、初めて気付いたんだよ。何をするべきか! OK?
154 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/07(火) 20:51:14 ID:eVmFNzkX
>>150 >>151 嘘をつけ
今日初めて書いた!? 全部、自分の意見だ!?
全部、今まで俺が言ってた意見じゃないか!
伊達家取り潰しの必要性も、
本来は家康の取り潰しが目的だが、家康は秀吉存命中に、その口実を見せず
まず、外堀を埋めるつもりでも、口実のある政宗を潰すべきだ
そして、朝鮮出兵の矛先を伊達や外様に向けることで領土の増加を見込める
という、もろもろの俺の意見を、否定しながら影響されただけだろ?w
155 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/07(火) 20:52:15 ID:Y9bkL2k0
奥州仕置きの時点が、一番伊達を潰すのが難しい時期だよ。 葦名を滅ぼした政宗への秀吉の評価は、実に軽いものだった。 葦名の領地のみを没収したほかは、本領をまるまる安堵。 のみならず奥州五十四郡へ対する下知権も追認された。 これすべて秀吉の判断。伊達が下ったことにより、この後、秀吉は 奥州仕置きを安んじて実施することができた。 政治的に、伊達の力を必要としたことの証でもある。
>>154 お前のようなクズと違って嘘なんぞつく必要はないんだが。
豊臣政権下で強圧的な大名の取りつぶしなんぞ下策。
統一の過程で弄るべきというのは俺の意見であってお前の意見じゃない。
否定しながら影響された?
違う意見を持っているから否定したんだよ。
本物のクズだな、お前。
157 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/07(火) 20:53:51 ID:eVmFNzkX
>>153 はいはいw
分った分った
具体案の意味が初めて分って、自分の発案にしたいんだろ?
なら、最初から盲目的に否定すんなよ
理解力もないんだから( ´,_ゝ`)プッ
やるなら最初から拡大路線を諦めた統一の方法を選ばなけりゃダメなんだよ。 四国、九州征伐の頃からな。 で、それは後知恵だからこそ考えられるアクロバットなんだ。 伊達だけ槍玉に挙げるようなバカには理解できないだろうが。
>>157 クズがいい加減にしろ。
コンセプトを何一つ語れなかったバカが今更何か言うだけ無駄だ。
160 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/07(火) 20:57:05 ID:eVmFNzkX
>>156 はいはいw
じゃ、オマエのずーと前に、俺が同じ事言ったんだよ
政権が確固なものになる前の、
戦国の気風が残った状態での伊達家取り潰しの方がスムーズだって
ずーーーと後になって、オマエが気付いただけw バカ
161 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/07(火) 21:00:43 ID:eVmFNzkX
>>159 はいはいw
俺に基本指針を散々問われ、初めて必要性を理解して
で、まとまった基本的考えが、俺の意見の丸写しか・・w
多分、前に俺が言ってた考えを深層心理で猿真似したんだろーね
162 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/07(火) 21:04:13 ID:eVmFNzkX
でも、その基本的考えがない時は なんで朝鮮出兵が中止できるわけあるんですか? そんなことしたら博多商人が・・(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル なんて、オマエ言ってたもんなw 感謝しろよ。バカを、物事論理的に考えれるように導いてやったんだから
なんだかひどい流れだね。
小田原攻め当時の公儀の性質と限界について前スレ・現スレで何度か
言及していたのは自分なのでID:R9Q/S+eJさんについての誤解は晴らしてほしい。
個人的に当時の状況については
>>155 さんにほぼ同意なんだけど、
伊達家取り潰しの必要性だけでなく、
実現可能性についても言及・反論がなされないとフェアとはいえないよ。
秀吉が徳川が危険だってことに気付けば良かったのにな。
165 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/07(火) 21:23:29 ID:eVmFNzkX
もういいよ 俺も伊達家取り潰しが絶対だなんて思ってないし 皆が納得行く他の手立てが、具体的にいっぱい発表されるなら問題ないんだよ でも、みんな批判はするけど、誰も具体案も基本的スタンスも述べないだろ? そして、伊達家取り潰し案の是非だけが先走りして まともに話出来なかったんだよ だから皆も、まず自分の具体案やら基本姿勢を見せて発言してくれよ
166 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/07(火) 21:27:07 ID:KvXiTPMg
>>164 それは難しいと思う。秀吉は政権運営の協力者として
認識というか利用していた側面があったから。
徳川の関東移封までは妥当ともいえる流れだが
関東の運営を思惑以上に立派にやりとげた家康の手腕と
付け入る隙を与えなかった家康のほうが上手だったと・・
167 :
48 :2006/11/07(火) 22:18:12 ID:cWS5Gkjt
なんていうか、個別の議論で熱くなるのわかるが、もっと根本的って いうか、現実的・物理的な根拠を元にして議論した方がいいと思うが。 伊達なんて田舎大名にこだわってないでさ。
168 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/07(火) 22:54:17 ID:eVmFNzkX
その直属軍と、豊臣恩顧の加藤とか福島は別扱いなの? で、資金を使って直属軍を10万にして 具体的にどういったアクションを起こすの?
169 :
48 :2006/11/07(火) 23:14:04 ID:cWS5Gkjt
>>16 うーん、その直属軍の増強と加藤・福島みたいに与党大名を育成するのと
ではどっちがよかったのか。
そういう議論をしたいんだけどね。個人的には。
170 :
48 :2006/11/07(火) 23:21:19 ID:cWS5Gkjt
>>168 もうひとつ指摘すると、10万の直属軍がいれば、
家康の行動をどこまで抑えられたかっていうのも
あるわけだ。
というか、中央軍っていうのは、それを使って何を
するというより、その存在によって、何を抑えられる
かを論じる方が有意義だよ。
長浜で早世した長男が生きてるケースなら状況はかわるんかいな?
10万人もの直属軍を常備するとなれば、必要になる延べ人数および経済力は 京、大和を丸々軍事都市にしても足りないぐらいの経済力とが必要になる上に、 これだけの勢力を率いる事ができる人物と言えば限られてくる。 10万人の勢力とはそれ程の力を持つ代わりに、 莫大な費用と労力と技術を必要とすることは疑いない。 大勢力を作るにしても結局ほどほどの土地を配下に任せ、 合戦の時に各々集めさせた方が、遥かに安あがりで済んでしまう。 俺はそういう意味で、家康のように血族と譜代衆を駆使して結束を固める事の なかなかできなかった秀吉が土地を盾に、大名同士を牽制させるやり方は 俺は間違ってないと思う、だから俺のスタンスはあくまでその路線。 そういう意味で言うと政宗みたいな奴は利用しがいがあると思うんだよね俺は。 むしろ潰すなんて勿体無い、家康にとっても信用なんか出来ないって。
173 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/08(水) 00:37:26 ID:udnInjJd
>>169 成る程ね。
つまり、天下統一後に
恩顧の配下武将たちを大名として独立させ、それぞれに国を統治させるより
全て、豊臣家直轄領みたいにして、
その直轄地に各武将を赴任させるという考えかな??
日本には、莫大な領地と権限を持った豊臣家(与党)と、
徳川、毛利など服従する外様大名(野党)
こんな感じに分類して、豊臣家の力を強めようという考えかな?
174 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/08(水) 00:57:24 ID:udnInjJd
>>170 確かに抑止力という意味ではズバ抜けてるね
で、実現したら絶対王政の中央集権国家みたいになって
豊臣家の力は強力になるだろうね
問題は、その思想、制度を家臣団たちが理解できるか?
また秀吉死後は、秀頼成人までの間、誰が中心になって
その強力な政権ををまとめるかだね
>>142 こないだ中公新書の「戦国時代の終焉」って本を」買った。 それによると・・・
天正14年の正月に「富士山一見」と称して東国出兵を意図した準備を行っている様です。
自分は2月10日には出陣するから、上杉にも2月中に信濃へ出兵して欲しいむね書状を送っていたとか。
富士山見物がどんな軍事行動かは不明ですが、関東からの対北条戦要請を踏まえたものであるのは
事実みたいで、当然進路上にあり、当時北条と同盟関係にあった徳川も対象となっていたみたいです。
結局、北畠信雄が工作を進めていた徳川和平交渉が具体化してきたので中止されたみたいですが、
秀吉としては状況如何によっては、ガチで対家康戦をも意図してはいたみたいです。
やっちゃえば良かったのにねぇ。
176 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/08(水) 01:54:15 ID:+e62geKV
豊臣家を存続するならば家康を殺すのではなく、三成を消しちゃえばどうだろう? 関ヶ原での徳川の権威の拡大は、すさまじい。 これが無ければ、秀頼の側で代々の徳川家が豊臣家を補佐する政権ができてたかも。 有る意味万々歳な結果な気が
関ケ原直前でも家康はほぼ専横と言っていい事をしていたからね。 蔵入り地から勝手に恩賞出したり、奉行衆も上杉が潰れれば 120万石が空白になる。その配分も家康が握ってる訳で。 浅野、石田は追放済みだし。 ま、鎌倉幕府の北条ような執権政治で豊臣家が残るかは微妙かな。 徳川に逆らわない限りは存続できそうだし、 言い掛かりで潰される事はないだろうけどね。
秀吉が織田秀信を温存した様な感じになるんじゃないか? 気付けば豊臣家が徳川家の下についていた、みたいなかんじで。 家康は先達の長所を使い回す癖があるから、そうなると思うよ。
>>176 上杉家が虚勢張ってる以上、結局戦いは避けられないと思うよ。
で、史実と違って上杉はなぶり殺し、そうなったらやっぱり徳川がでかくなってしまって
後は史実と大差ないような気がする。
強いて言えば毛利がそのまま残るのが気になるかなぐらい。
家康が危険なのは当然として、三成の存在も豊家にとって十分危険だしな 家中分裂の一因だし、豊家を担がずして乱を起こした点に野心のにおいがする 三成を単なる豊家の代官の地位にとどめ置くか、それこそ肥後辺りに飛ばして 縁者の加藤・福島・金吾・浅野あたりを畿内の要所に配置すれば、 豊家自体の基盤は史実よりも強固なものになっていたように思う 天下の仕置きは史実よりも滞るだろうし、公儀自体の権威や強制力は低下するだろうけど、 軍閥勢力としての豊家は史実より強大になり得るし、家康にしても望むところじゃないような
豊臣は歴史が浅いから何ともね 四代くらいまで以てば何とかなるかな親族も増えるし
>>181 処刑の時点で秀次公には三人の男子があったわけだし、
秀頼公とあわせても次代には少なくとも三人が一門衆になり得る
秀次家と秀頼家を両者存立させる手段は、やはりなかったんだろうか
>>182 豊臣じゃなくて秀頼だからね
秀次の豊臣が残っても意味がないんだよね
>>175 結局戦国中期からの各地の大名がそのまんま豊臣政権下で存続していたからね。
小牧長久手で勝って縮小させるなり、家康さえなんとか出来れば各地の外様も潰せた。
外様を形式上従わせただけではいつ崩壊してもおかしくないよ。
関が原自体豊臣が無関係な戦な訳だし。
せめて尾張〜大阪あたりを直轄&譜代支配にしてある程度の中央軍みたいのを作れていれば抑止になるのだが。
そういった政権の組織固めも家康がいたから自由に出来なかったのか、下手糞だったのか…。
>>184 単純に人材不足では?
政権の組織固めやるには人材と構成メンバーの心理面忠誠度が
まちまちすぎる。
徳川だっていきなりその地位になった訳じゃないし基盤を固めるのにはそれなりに時は掛かってるよ 秀吉は政権をとって10年かそこらで一粒種を残して亡くなっちゃたからね
>>183 そうだったの?スレタイにはそんな事書いてないし、
別に秀次の流れに変わったとしても結果的にそれで政権が維持できたなら
それはそれでこのスレ的にはいんじゃないの?
出来たならばだけど・・・。
188 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/08(水) 19:30:42 ID:udnInjJd
豊臣政権が滅んだ主な理由を考えて見ると ・政権内の内的要因 ・政権外の外的要因 この2つに大別できる まず、内的要因とは・・ ・跡取りの秀頼が幼少で、しっかりした補佐役がいなかった ・秀次の死 ・実力の伴わない三成の台頭 ・その三成文治派と清正などの武等派の確執 ・直属軍の有無 こんなモンかな?
189 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/08(水) 19:36:22 ID:udnInjJd
次に外的要因とは・・ ・多くの外様有力大名の存在 ・それ以上に、家康の大きすぎる国力、影響力 ・それらの外様大名との連立政権的構造 ・その外様大名や家康の存在により、強くなれない公儀力 ・朝鮮出兵による失敗 こんなモンかな?
190 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/08(水) 19:45:10 ID:udnInjJd
まず、これらの中で順に修正して行くとすれば 朝鮮出兵の取りやめだろうか? 史実での失敗を見るように、実行しても成果は得られず それどころか国力を疲弊させ各大名の不満も買い 豊臣政権の影響力を落とした事実。 そして何より、政権内の三成文治派と清正武等派の 軋轢を大きくした最大の原因なのであるから まず朝鮮出兵は史実とは違い、取りやめる必要がある
191 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/08(水) 20:04:41 ID:udnInjJd
次に秀次の死 これは、秀頼の誕生によって 関白に上り詰めた秀次の存在を邪魔に、そして危険に感じた秀吉の思惑が原因なのだから 秀次を最初から関白にせず、特別な身分を与えない。 あくまで政権内の実力者、親族代表程度で抑えておけば良かったのではないだろうか? また、秀吉死後の秀頼は、まだ幼少で、政権内のリーダーシップは取れない しかし秀次自身は名将の聞こえある政治家であった事実から 秀頼成人までの間、政権内の中心として豊臣家を取りまとめる存在になって欲しい
三成に実力が伴わないとは思わないが、 秀次及びその吏僚団を粛清したのは、豊臣家としても相当な人的損耗だと思うな。 質はともかく層が薄くなってしまったのも原因の一つ。 また秀次宿老や、最上などが家康に接近して求心力の低下の一翼を担ったことも挙げておく。 あと秀次関白不要論は、後世の結果論。 高齢の天下人の秀吉がいつまでも後継者を定めないままというのは政権運営上、非常に拙い。 ぶっちゃけ、秀頼が生まれなければ良かったと思う。
>>191 鶴松が死んで秀頼の誕生が担保されていない状況で後継者の選定と
政権継続の意味合いを内外に公表する必要があったのだから、
秀次の関白職就任は避けようがないんじゃないかな。
秀頼の誕生年と秀吉の死亡年を弄れない以上、不安定な政権下で
幼君を戴くしかないしできうれば避けたい。
秀吉死後少なくとも15年間は秀頼は使い物にならないだろうし、
後見人の立場だけでは家政全体を切り回し辛いのは外様への対抗上よろしくない。
豊臣家・豊臣政権双方の維持・発展を望むのなら、一度後継にすえた
秀次を立てて秀頼のほうを棚上げするくらいの英断が必要だった様に思う。
>>192 本当に、秀頼はいないほうがいい位だよね。
ただ、存在する以上秀吉は何らかの方策を打たなければならないのが辛いところ。
史実のような秀次一家皆殺しは論外として、一門で争わない方法はないもんだろうか。
秀次の家を大坂城を居城とする武家の棟梁(将軍家?)にして、
秀頼の家を聚楽第を居館とする公家の頭(関白家)として存続できればいいんだけどね。
もちろん秀頼の扶持は3万石くらいで、担がれないように所司代の監視付で。
195 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/08(水) 20:48:31 ID:2o7PeRVN
大坂の乱勃発前にお上の動座(=挙兵)を仰ぎ、 徳川追討の詔を発してもらう。 そして、お上と羽柴秀頼の連名で 醍醐寺・叡山・法勝寺などに関東調伏祈祷を命じる。
196 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/08(水) 20:57:31 ID:udnInjJd
秀頼はいない方が良かったが 生まれてしまった史実は変えようがない そして、その秀頼を無視して 秀次の力を増大させることは、さすがに 秀頼成人後の家督争いの恐れが強いので やはり、秀次に我慢してもらうしかないと思う しかし、その秀次に政権も、まとめてもらわなければならないのだから 内的強化だけでは、やはり、政権の維持は難しかったと思われる なので、次に外的要因に目を向けるとして
197 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/08(水) 21:01:04 ID:udnInjJd
・多くの外様有力大名の存在 ・それ以上に、家康の大きすぎる国力、影響力 ・それらの外様大名との連立政権的構造 ・その外様大名や家康の存在により、強くなれない公儀力 これらの内、まず家康の存在。 この家康の存在その物が政権維持の為の最大の脅威なのだから なんとしてでも、家康の力を弱める処置を起こしたい
198 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/08(水) 21:05:51 ID:udnInjJd
仮に、最初の行動を起こすとすれば 家康の関東転封だろうか? 本来なら、その前に小牧長久手の戦で討ち取りたいところだが さすがに、九州も四国も制圧してない状況での家康との総力戦は 政権維持以前に政権樹立さえも困難にさせる恐れがあるので やはり、関東転封の是非が議論のところか?
徳川の関東転封がおこなわれなかったら、信雄の取り潰しもなくなるわなあ。 まあ別件で史実と変わらん結果になるのかもしれんが。
200 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/08(水) 21:15:56 ID:mCtkkcdB
全部恭順したとして 徳川を筆頭に 織田・徳川・北条・島津・伊達連合軍 無理だな・・・
201 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/08(水) 21:25:59 ID:udnInjJd
確かに、信雄・・いたな 家康の関東転封に際して、 信雄を家康旧領に配置するという命令を拒否したから取り潰しだもんな なら会津でも越中でも他所の国に転封を命じて、逆らってもらおうか で、史実と同じ様に除封して、佐竹家に預ける。これでいいと思う
>>196 幼君を戴く以上秀吉死後の混乱は避けられないと思うよ。
秀頼の側近くに侍る奉行衆は秀次と政治的スタンスをことにするし、
豊臣家の家政が滞れば、結局得をするのは徳川家。
仮想敵である外様連中に対して迅速な軍事行動をとるためにも
軍配を握れる総領でなければ話にならないよ。
そもそも、内部的崩壊要因の解決を前提にしてこそ外部的崩壊要因の
議論に意味があるのではないだろうか?
家康がその場合、仲介に割って入ってきそうじゃないその構図。 史実だと家康程の人物が素直に従ったのに、信雄が従わないと言うことで 大義が作りやすかったが、何の過程も無く唐突に転封させようとして断られるのは ある意味当然だと思う、何も悪い事してないんだから。
205 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/08(水) 21:41:02 ID:udnInjJd
では邪魔者の信雄が片付いたところで 次に家康の転封前の石高と転封後の石高を比較してみよう 転封前 三河(29)・遠江(26)・駿河(15)・甲斐半国(12)・信濃半国(20) 計=102万石 転封後 伊豆(7)・相模(20)・武蔵(67)・上野(50)・上総(38)・下総(39) 計=221万石 北条征伐の恩賞が加味されたとは言え、およそ2倍以上 これは、いくら何でも多すぎるように思われる
206 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/08(水) 21:44:09 ID:udnInjJd
>>203 信雄の取り潰しには家康の関東転封が絶対条件だった
という訳かな?
207 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/08(水) 21:46:49 ID:3rJGJRRZ
>>196 秀次が太閤である秀吉弐権限とか権威を半分以上奪われた
傀儡二代目というのがある。
これならばあえて関白にしておく必要なし。
まず秀吉は一の座を秀次に譲っていない。
まあ一の座は譲るわけに行かないだろうが、このことだけで
秀次が関白になった意味合いは半分以上なくなってると思う。
これなら
関白ではなく内覧にしておけば言いだけの話
太政大臣と内覧のみを秀次が継承していればわけはない。
関白は空座にしておいてもよいんだからね
内覧なら関白不在でも問題ないと思うし。
秀頼成人に暁には関白の職責と一の座は秀頼に保障されるわけだし
結構妥当な落しどころと思うなこの辺が。
>>207 秀吉死後、秀頼成人まで早くて10年、政務を執るにはまだ暇がいる。
豊臣家(羽柴家)の総領の問題は形式面になく実質面にあるように思う。
幼君を戴きながら、その側近と後見人間に争いが生じてしまえば
外部的崩壊要因とやらを解決することはおろか現状維持もおぼつかないんじゃないだろうか。
209 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/08(水) 22:11:47 ID:udnInjJd
>>208 うん。後継者問題は、古今東西どの政権でも一番重要な事だからね
問題は
正統な跡取りである秀頼は幼少で、秀吉死後実務を執り行う事が出来ない
秀次は優秀で、本来なら豊臣政権の2代目として全権を任せたいところだが
秀吉実子の秀頼を排斥すると、絶対に争いが起きる
やはり、正統の嫡男である秀頼を除く事は不可能だし
では、秀次の変わりに配下武将に政権をまとめてもらうというのは、どうだろうか?
史実の石田三成は政治家としては優秀だが、他の武将を束ねるという点では、やはり実力不足
そこで史実では中央から遠ざけられた
黒田、浅野、蜂須賀。これらの実力者に任せると言うのはどうだろう?
210 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/08(水) 22:20:11 ID:3rJGJRRZ
そういう意味では 政権内で派閥が争って史実と大差ない結果になるのでは? 浅野が最右翼だろうが、これが武将をまとめ秀頼を護持するのはいいが 逆に三成や増田とかが家康に接近するぞ 連中は家康きらいじゃなく派閥抗争の結果で色分けしただけなんだし・・
211 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/08(水) 22:34:39 ID:udnInjJd
>>210 本来、秀頼成人までの間、秀次に政権をまとめてもらいたいのが、俺の考えだが
仮にそうではなく、黒田、浅野、蜂須賀などの古参に任せた場合でも
史実の石田三成よりは、他の豊臣恩顧大名の反感も少ないと思う
三成にしても、もともと先輩の黒田や浅野なのだから
それが不満で家康に接近するとは思えないし
彼等に次ぐポジションを与えて置けば、史実通り、豊臣政権の為に尽力すると思う
それより不安なのは黒田如水に力を持たせて大丈夫か?と言う事だけど・・
>>209 政権運営に実質的に豊臣家の人間が関われないのでは、
豊臣政権の存続はおぼつかないと思うよ。
太平の世ならいざ知らず、総領と一門による家政の運営がなされないのであれば
その家の存続は望むべくもない。仮に外部的要因について家中の実力者を中心に
解決したとして、その時の実質的な天下さまはその実力者でしょう。
まあ、浅野・蜂須賀は器量不足だし、黒田も小身故その役目を果たせないだろうけど。
三成始め奉行衆が集まっても豊臣家の家政を思うに任せなかったわけだし。
213 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/08(水) 22:37:49 ID:3rJGJRRZ
黒田如水は巷間に言われるほど、野心や天下への野望は無いと思うが。 秀吉に必要以上に警戒されたせいで豊臣家へ一線を置く態度ではあったが、 それなりに待遇や重用されれば、そのスタイルも変わるだろう。
214 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/08(水) 22:43:30 ID:udnInjJd
では、やはり 秀頼成人まで、秀次(関白にはせず)を中心に 黒田、浅野、蜂須賀などで脇を固めるというのが 一番、安牌なのではないかな?
215 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/08(水) 22:48:09 ID:udnInjJd
問題は、秀次が、余りにも善政を行い 政権を統制し続けた場合 秀頼成人後に、秀頼派と秀次派に分かれた 跡目争いが起きる可能性があることだな そして上で書いたが、朝鮮出兵を取りやめた場合 秀次の実弟の秀勝も生きていることになる 秀頼VS秀次・秀勝
216 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/08(水) 23:04:46 ID:udnInjJd
その最悪の跡目争い 秀頼VS秀次・秀勝という構図を防ぐ目的でも 秀頼の直轄領を史実よりも大幅に増やし 秀次の領地は史実通りの100万石程度で抑える事が必要だと思う では、その秀頼直轄領の大幅な増大の為に 必要な領地をどこから確保するかという問題は やはり、史実での外様大名への優遇を止めて 逆に積極的な粛清、排斥と繋がると思う
とりあえず並程度にそつなくこなせる程度の才はあったと思うが、 いくらなんだってそこまで秀次が優秀と言うわけじゃないぞ。 失脚の件自体は同情すべきだが、そこまでの秀吉に対する関係の持ち方とか 外交面では特にお世辞にも優秀とはいえない。 今までの殺生関白が捏造で評価よりは全然まともだったと言うものが曲解されてないか?
>>206 家康である必要性は無いけど、なんらかの前置きがなくては
やはり100万石を動かすのは難しいんじゃないかな。
その点で、家康がすんなり関東に引いてくれた事自体は秀吉からすれば
仏のように有難く感じたと思うよ、つい多く加増してしまったのはそこにあるのかもね。
そこまではいんだが・・・よく考えてみるとこの時退かせた
伊勢も尾張も東海もみんな関ヶ原では東軍なんだよね・・・。
問題はそっちの方が深刻な気がした。
1 北条征伐の時に遅参を理由に伊達を改易する。 当然奥州は荒れるだろうが、そこは反発する勢力はごり押しで潰してしまう。 2 会津を中心とした150〜200万石くらいの領地に家康を転封させる。 その後の関東の常陸を除いた7カ国だが、 武蔵、相模、伊豆の三国約100万石を秀次に与えて、関東管領のような扱いにする。 残りの4カ国にもそれぞれ秀吉子飼いの武将を配置して、対家康への供えとする。 問題は、奥州仕置に時間がかかりそうなことと、 家康が素直に奥州への転封に応じるかどうかということ。 一番の問題として、後継者問題は棚上げしっぱなしだぜひゃっほーい。 俺には案が浮かばん。
220 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/09(木) 00:25:32 ID:u2YEk7dr
>>216 の続きですが・・
で、その外様の粛清こそが
>>219 の言う通り
そして今まで散々、物議を醸してきた「伊達家取り潰し案」なのです。
会津、米沢、仙台で政宗の旧領150万石弱か、未だ足りんな。 盛岡の方も少し足すか、それとも常陸を削るか、出羽を削るか、越後を削るか。 いずれにせよとんでもないほど巨大な国が誕生する事に成る。 もともと奥州は仙台と言い出羽と言い太閤検地より随分と実高があるから、 史実どおり家康がせっせと内治に精を出したら関東以上に大きくなる可能性も・・・。 実際領土的には同じ関東の200万石より随分でかくなるし。 んで関東に秀次とそれを補佐する連中か。 で、やっぱり蒲生氏郷辺りが関東に来るのかな・・・なんかそれも怖いな。色んな意味で。
>>216 そんなん始めたら五大老全員敵に回りそうな気がするけど。
223 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/09(木) 00:45:15 ID:u2YEk7dr
>>218 の懸念にお答えすると
家康の領地は旧領そのままで
まず信雄自身を、関東に転封するという形で行います
その時に、関東の抑えをお願いします。という形式をつけてやれば一応の形が付くと思いますし
史実を見るように信雄が拒否するような結果になるのが望ましく
もし、信雄が素直に従えば別の難癖をつけ、結局、信雄は除封するという路線で問題ないと思います
実際、当時の秀吉の思惑にも信雄の去就など取るに足らないもので
家康との話し合いが付きさえすれば、どのようにも扱える存在だったと思います
そして、当の家康自身には北条征伐の恩賞として
甲斐半国と、飛騨、伊豆程度を与えれば良いかと思います
>>223 北条討伐で一番功績があったのは徳川家のはず。
その徳川家が20万石程度の加増で、
信雄が尾張伊勢から関東220万石へ倍増では
順当な論功行賞とは言えないのでは?
>>221 東北地方は土地は広いけど、戦国時代はまだ人口が少ないイメージがあるが
どうなんだろう。
ただ、家康を200万石程度に加増して東北に移すとなると、
陸奥:167万石
出羽:32万石(いずれも太閤検地の石高)
であり、現在の東北地方をすべて与えないといけなくなります。
江戸時代の仙台伊達藩の実高が100万石であったことを考えると、
東北全土を領有した徳川家は(開発に相当の労力を要するだろうが)、
実高300万石にも達し、ますます手が付けられなくなる恐れがありますね。
227 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/09(木) 01:01:53 ID:u2YEk7dr
>>224 当然、信雄には関東100万石程度の領地への転封です
信雄にして見れば
史実の東海地方への移動でさえも納得出来ないのに
畿内からより遠い関東への領地替えなど納得行かないのは目に見えていますね
228 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/09(木) 01:04:12 ID:u2YEk7dr
>>226 これに関しては全く理由なしですw
ただ、家康旧領に接しているというだけです
ああでも、上杉家は現在の福島県全域(?)と山形県置賜・庄内地方を合わせて 120万石だからな……。 どうも東北地方の石高はよくわからん……。
>>229 いや、仙台藩と宮城県は違うから、福島の一部は仙台の方に入ってたと思う。
宮城県だけじゃ62万石もないよ。
231 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/09(木) 01:11:13 ID:u2YEk7dr
そして、本題として 政宗討伐後の、伊達家旧領と関東一帯 これらの領地には、 会津には史実通り蒲生氏郷を配置して 残りは、全て豊臣家直轄領として統治します 史実通り、蒲生氏郷死後は会津も豊臣家直轄領として召し上げ 秀吉死後は全て秀頼の直轄領として管理します これにより、秀頼の力は強大になり 秀次は史実の尾張、伊勢の100万石のまま据え置きとして配置し
232 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/09(木) 01:14:14 ID:u2YEk7dr
三河、遠江、駿河、甲斐、伊豆、飛騨、信濃半国を領地する徳川家康を 関東、尾張、伊勢、北陸と完全に包囲する形が出来上がります
直轄領って誰が統治するの?
234 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/09(木) 01:20:46 ID:u2YEk7dr
また五大老についても、史実では 徳川家康、前田利家、毛利輝元、宇喜多秀家、小早川隆景(死後、上杉景勝) の、勢力関係も 史実とは異なり 毛利輝元が一番の勢力となり、次いで前田利家となります そして、史実で会津の抑えとして転封された上杉家は越後にそのまま据え置きとなるので 小早川隆景死後は他に、豊臣恩顧の配下を選出すれば良いと思います
235 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/09(木) 01:26:59 ID:u2YEk7dr
>>233 そこには史実では領地の少なかった五奉行に統治させます
なんで?家康は結局それでも150万石ぐらいの大名になるわけで一番でかいでしょ。 しかも東海道も信濃から飛騨に間延びして抑えてるなら、 西と東の交通と情報は完全に家康の元で分断される形に成るね。 包囲してるつもりが豊臣の主要大名と見事に真ん中でつながりを持ってる唯一の大名家に早変わり。 しかも家康はこの時期の家康は信頼も実績も評判もすこぶる良いわけで。
237 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/09(木) 01:35:59 ID:u2YEk7dr
では、その家康が実際にアクションを起こすとしたら 具体的にどんな事をするの?
238 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/09(木) 01:47:47 ID:u2YEk7dr
私の今までの想定での豊臣政権では まず秀吉死後から、秀頼成人までの間 政権の中心には尾張、伊勢を統治する秀次がいます その脇に黒田、浅野、蜂須賀など古参が固めます 蜂須賀小六はすでに死んでいるので 知恵者の黒田、豊臣最右翼の浅野が恩顧武将の取りまとめ役になります そして史実と異なり、朝鮮出兵も行わないので 三成文治派と清正武等派の強烈な確執は史実ほどありません その状態で、史実の通り 秀吉死後すぐに家康が各大名との婚姻関係を結ぶのか? もし結べば、それこそ豊臣政権の思う壺だと思うのです
>>237 さぁ、史実でも家康は起こった事を利用するタイプだから傍観するだろう。
ただ位置的に全ての情報が入る最高の位置に構えてるなと言う印象。
あと三成らは体よく関東に追いやられてないか?
240 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/09(木) 02:15:53 ID:u2YEk7dr
>>239 これは一つのエピソードなんですが・・
秀吉が生前、三成や長束正家にそれぞれ100万石を与えようと言いました
それに対し二人は、身に余る厚遇という事で硬く固辞し、
後に関ヶ原合戦時に、その時のことを酷く悔やんだという・・
これは作り話かも知れませんが、例え作り話でも事実でも
当時の三成などの力や姿勢は、その程度だったと思います。
なので、体よく追いやられるという感情を三成達が持つとは思えません
241 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/09(木) 02:26:50 ID:VUbAQ6AX
五大老中、最も豊臣家に忠実だった宇喜多秀家に、東海道沿いで100万石を与えて、秀頼を後見させるってのは、いかがでしょうか?
>>241 伊勢・尾張・三河辺りに封じて、西には秀秋って感じで藩屏にするとか?
243 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/09(木) 02:46:05 ID:u2YEk7dr
秀家は確かに史実でも、大老一の豊臣最右翼です しかし、秀家を東海に配置すると、 必然、家康も関東に転封しなければならなくなるので 秀家を家康旧領の東海に転封するのは逆効果だと思います それよりも史実通り備前一帯に据え置きか(毛利と豊臣の緩衝役に必要) もしくは畿内に配置し、政権内で秀次の独走を抑える牽制役を務めて欲しいです
244 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/09(木) 02:47:10 ID:VUbAQ6AX
秀秋は、素材が悪すぎですが、東の抑えって意味で、宇喜多秀家は宜しいかと… 西の抑えは、秀康が旧宇喜多領に入れてみるのは…?
家康には駿河・相模・甲斐を残して三河取り上げて、九州・四国・東北・北関東に 飛び地で加増分を与えるとか…、無理だろうケド。
>>240 そのエピソードが全てを物語ってるじゃん。
九州をあげるって言っても大坂から離れる事を嫌った三成に、
関東の畑耕して来いと追いやって承知する理由がよくわからん。
江戸幕府で権力握った香具師らの石高考えれ。 水野が最も良い例。 本田サドも息子に加増を断るように遺言を残しとる。
248 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/09(木) 08:14:57 ID:hpb5q5Gr
秀吉は、小牧長久手での敗戦が心理的に尾をひき、ダメージを受けてたんだろうな。 家康に反対されると、それ以上強くはでれない。
>>ID:u2YEk7dr 長々と書いてる割には杜撰な絵図だな 実現可能性についての考察が皆無だし 仮に都合よく運んだにしても秀頼成人時に豊臣政権である必要がないし 天下を握るのは豊家でも徳川家でもない第三者か、誰でもないかのいずれかだろう
250 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/09(木) 13:42:37 ID:VUbAQ6AX
秀頼成人時に、豊臣政権である必要性のための方策を長々と述べたスレだと思うが… しかし、実現可能性というよりも、その効果のほどに、かなり問題が有りすぎ。 @ 徳川が豊臣政権のすぐ東側に大大名として、残っている。 A 保身に汲々として、小心者でしかない浅野長政や、 実際には、中国地方での活躍がほとんどでしかない(中央政権向きでは無かった)老策士の黒田如水の善意に政権運営と将来を頼っていること B 秀頼成人時の政権委譲を秀次本人(とその側近)の善意に頼っていること。 本人同士が仲がよくても、その取り巻きが、対立を煽ることは、古今東西の後継者争いには、よくある話 この3点を、如何にクリアするかが問題。 但し、秀頼成人時に豊臣政権が存在するための、タイムスケジュールというべきか、基本的な枠組みを提案されたことでは、中身の是非はともかく、評価できる。
>>250 秀頼後継が前提のスレとは認識していなかった
勘違い申し訳ない
ただ、それならば秀頼後継をより強固にする方策が議論の前提になるんじゃない?
Bについての考察が杜撰なのは致命的だと思うけれど・・・
252 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/09(木) 14:20:47 ID:VUbAQ6AX
>>251 豊臣政権を、秀頼に無事渡す為の、最大の障害は、やはり家康。
家康の当時の経歴を箇条書きにしてみると
@
当時、ほとんどの大名の主君だった信長とは、家臣ではなく、親類扱いの同盟者
A
秀吉にも、負けなかった武将
B
三河の小大名から関東250万石にまで、一代で育て上げた創業者
C
250万石の実力は、豊臣家自体よりも大きく、その他の有力諸侯の2倍以上
思いつくままに書いてみたけど、関ヶ原があろうが、無かろうが、家康は、十分、天下を取る実力と声望があったと思われます。
家康さえ、なんとかできれば、後はどうにかできそうな…
253 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/09(木) 14:25:18 ID:Smyn7vWs
吉と出るか分からんけど真田信繁を秀吉の養子にするなんてどう?
小田原の論功で家康への報償を伊豆一国にする。 これ以外に豊臣が生き残る術はない
あと
>>1 よ。スレタイと
>>1 の文章がつながってない。スレの議論が混乱してるのはこのため。
スレタイの議論なら秀頼が大和へ転封だけで済むし
>>1 の文章なら秀吉生前から議論しなくちゃならない。次スレからどっちにするか決めてからスレ立てろ
秀吉には意見出来ないとして 秀吉が亡くなった時点の状況で 何が出来たかっていう考察の方が面白いかな
>>252 命題の設定に問題があるんじゃないの?
徳川家の勢力を削ぐことは豊臣政権存続の手段の一つにはなり得ても
両者はそのまま重なるものではないことが重要
豊臣家・豊臣家中の結束が政権維持の骨子となるわけだし、
散々主張されている徳川家対策実行の前提として必要なんじゃない?
「家康さえ、なんとかできれば」じゃ段階を踏んだ議論にならないよ
258 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/09(木) 15:14:31 ID:Zk+yWMnp
結束がイマイチでも小牧長久手で勝っていれば結束なんて後から固めても十分だと思う。 つか小牧長久手での負けを前提にその後を考えるなら結束することは前提条件だろうね。
259 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/09(木) 15:37:13 ID:s+CxYDz2
関ケ原の際、大垣に留まらずに、東軍側に攻め入ってれば撃破出来た可 能性が高いらしい。 そうすれば家康の権威も落ち、減封もできたろう。
260 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/09(木) 19:32:16 ID:u2YEk7dr
>>246 本当の三成像を勉強すれば
エピソードをそんな風に斜に構え、解釈しなくなると思います
三成は私利私欲ない超豊臣右翼の有能な政治家です
そして一面湿地帯の関東平野を
江戸の100万都市にまで開発できるのは、また、その礎を築けるのは
家康を除いて、三成一人です。
三成こそが関東を任せるのに、まさに適材です
261 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/09(木) 19:35:05 ID:bV04y90j
秀秋を小早川でなく毛利にごり押しすればよかった。それで秀秋の立場が大きくなり三成の関白の話が現実的になる。関ヶ原で裏切らない。西軍勝つ。
262 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/09(木) 19:43:41 ID:u2YEk7dr
>>250 家康が東海地方にいるのは確かですが
その東の関東東北一帯は豊臣直轄領として、三成が睨みを利かせていますし
家康の、西には豊臣恩顧の武等派武将、福島正則を史実通り尾張に配置し
武等派最右翼の清正も美濃辺りに配置すればいいと思います
そして、その尾張の奥には豊臣秀次の領地があり
史実で三成領だった佐和山には如水を持って来たりすれば
家康がすぐに大坂に攻め込むなど不可能になると思います
それと、家康領の中心に位置する信濃の半国は真田父子がいますので
家康が、逆に包囲された形になります
263 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/09(木) 19:57:21 ID:u2YEk7dr
>>250 A
保身に汲々として、小心者でしかない浅野長政や、
実際には、中国地方での活躍がほとんどでしかない(中央政権向きでは無かった)老策士の黒田如水の善意に政権運営と将来を頼っていること
↑
まず、政権の中心は秀頼成人までは秀次です。
そして、浅野や黒田の抜擢は、
彼等に辣腕を振るって貰いたい、善政を布いて欲しい。 と、いう理由ではなく
あくまで、豊臣恩顧の武将達の不満が出ないキャリアの持ち主という理由だからです
浅野は、史実で三成の讒言を真に受けた秀吉の怒りを避ける為に隠居しましたが
それが即、小心者と繋がるとは思いませんし
何より、秀吉の創成期から付き従った忠臣です。
如水も、物語ほど優秀じゃないかも知れませんが
実際、国政の中心を任せても支障が出るような無能ではありませんし
この老臣二人(だけではないが)に任せて問題ないと思います
264 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/09(木) 20:09:49 ID:u2YEk7dr
>>250 Bが指摘の中で、確かに一番難しい問題ですね。
その秀頼と秀次の権力闘争を避ける為に
まず、秀次の関白就任は取り止め、
あくまで親族の一人として大名になってもらいます
なので領地も史実の通り、伊勢、尾張半国の100万石で抑えたままです。
変わりに秀頼自身の直轄領は、関東東北と史実の倍以上ある訳ですから
これで何とか秀次の暴走を牽制できないだろうかと思います
それと宇喜多秀家や小早川秀秋という、他の親族衆にも
中央の政治を干渉させ、複数の権力者達のバランスで保てばいいと思います
265 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/09(木) 23:17:52 ID:u2YEk7dr
九州征伐の際、大変でも島津家取り潰し 奥州仕置の際、大変でも伊達家取り潰し 家康の関東転封はなし 秀次の関白就任はなし 征服した領地はほとんど、豊臣家直轄地 直轄地の開拓統治は石田三成など奉行衆 朝鮮出兵はなし(これにより三成と武等派・秀秋などの強い確執がなくなる) 浪人、失業者対策として東南アジア各国に輸出(王宮警護や戦争など、勇猛な日本兵は需要が高かった) キリスト教全面禁止 政権内の中心補佐役は黒田、浅野などの老臣 家康領と接した地域には加藤等、恩顧武将を配置 小早川隆景死後は小早川秀秋が大老入り 豊臣秀康を徳川家に戻す。その際、徳川領を一部、秀康に割愛させ、その後、秀康転封 秀吉死後は、秀次、秀家、秀秋、秀勝など親族衆が中心に秀頼成人まで盛り立てる 前田利家死後は佐竹義宣(義重ではない)が大老入り 徳川家康死後は上杉景勝が大老入り アジア諸国はじめ海外進出、交易を積極的に行う 清の独立、建国に乗じ、朝鮮出兵、金正日の祖先を根絶やしにする 朝鮮王として豊臣秀次を配置。徳川家も朝鮮転封
秀吉が死んだら政権を家康に禅譲して秀頼&淀は海外移住する これがベストな選択だろう
267 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/10(金) 00:05:13 ID:eSNe1l/J
簡単。家康は義理の弟だから、豊臣性を名乗らす。 で、家督を家康に譲る。 万事OK
268 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/10(金) 02:00:14 ID:H+uVQ4jn
誰も、反論する気も失せるくらい、キッツイ妄想が…、また長々と
結論 秀長が生きていたら・・・という条件 秀次を殺さなければ・・・という条件 でおk?
270 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/10(金) 02:06:38 ID:H+uVQ4jn
秀長、すぐ死んでもうた 秀次、サディストじゃないやろ〜けど、有能な政治家でも、名将でもあれへん。 秀次一人で、家康に対抗でけへんがな〜…
271 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/10(金) 04:38:10 ID:D7B3jZFQ
信長が黒田孝高の子で人質に出していた松寿丸を殺してくれてたらよかったのに
272 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/10(金) 06:47:51 ID:tHRVDnFU
結論!! 豊臣家を存続させるのは・・・ 無理だっ!!!( ̄□ ̄;)!!ガーン
成り上がり者なんだから、どうあがこうと一代で終り。
274 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/10(金) 09:29:32 ID:Nghg4AYu
┏━━━━━━━━━━━━━┓ ┌──┐ ┃ 中川翔子 特設 おっぱい ┃ │検索│← ┗━━━━━━━━━━━━━┛ └──┘ _ ∩ ( ゚∀゚)彡 おっぱい!おっぱい! ⊂彡
275 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/10(金) 10:06:45 ID:H+uVQ4jn
>>257 おっしゃる通りです。言葉足らずでした。
私が言いたかったのは、最大の脅威である家康を、念頭においた人材配置、組織作り、後継者選定を優先させるべきであったというものです。
どうも、晩年の秀吉を見ていると、
唐入りもしたいし、家康も気になるし、秀頼は産まれたしで、一貫性に欠けていたと…
276 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/10(金) 11:43:04 ID:mnXxV7Jx
>>275 まぁ、絶頂感がありすぎたんだろ。
信長に頭下げ続けた反動が出たのかもしれんが。
とにかく、成功を前提としてしか考えてないような政策が続くからな。
リスク管理ができてないというか。もっとも、信長の配下の頃は、リス
クは信長が計算して手当てしているから、ある意味成功だけ見とけばよ
かったんだろうが。
この話で難しいのはどこまでの巻き戻しを許すかとかその辺があるよね。 だってどんなトンデモでも思考実験では仮定できるんだし。 秀吉が不老不死の神だったらとか仮定したら豊臣政権なんて簡単に磐石になる。 もっともこんな仮定誰も納得できないけどね。
278 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/10(金) 18:54:58 ID:mnXxV7Jx
>>277 ポイントは2つしかない。
秀吉が豊臣家が存続できるだけの体制を整えるかが一つ。
もう一つは、秀吉の作り上げた体制の上でどう巻き返すか。
簡単に言えば、関が原の家康勝利は動かないってことだな。
関が原を起こさないか、もしくは、関が原後に徳川家を圧倒するか、
もしくは、徳川傘下として生き残るにはどうするか。
スレとしちゃ、二つに分かれても変じゃないが、一つでもいいと思う
がね。
279 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/10(金) 20:22:14 ID:X10zCYa8
外様大名には大きな封土を与える その代わり、領地を分割して数家に分家させる 領地は日本各地に分ける(本願寺などの例) 徳川家康家 → 秀忠系徳川家・秀康系徳川家・忠輝系徳川家などに分割 互いに競わせる 拡大方針を何とかして食い止め改める 朝鮮出兵を避け得ないにしても、その前に国内体制を固める 秀次は殺さない 豊臣家の「家臣」というより「大家族」という認識の加藤・福島を教育する
281 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/11(土) 03:35:20 ID:mJs6LWN8
徳川対策を焦点にすれば、 @討伐する A対抗馬、対抗軸を育成する B包囲する の3点になるが、 @の最大のチャンスは、やはり小牧長久手につきる。 中入り策を強行するのを、秀長が来るまで、待っていれば、事態は変わっていたはず。 Aについては、やはり、秀長亡き後の軸は、秀次だより… 秀次の補佐に、三成以外の4奉行を付けて補佐させ、天下の政治を委任する。 三成は、秀吉との繋ぎとして、遠隔操作を行えば、良かったのでは… 秀頼生誕の後は、秀頼の補佐役に、秀家、秀康の二人の猶子をあて、 守り役に清正、正則、幸長、嘉明ら、子飼いの武将を付ける。 秀次とその側近達に、秀頼成人の後は、政権を変換する旨の誓詞を取れば、ひとまずは安心かと… Bの包囲網は、やはり東海道に、小粒の大名を置いたのが失敗。 彼らでは、縁組み事件の時も、関ヶ原でも、徳川の行動を抑えることが出来なかった。唯一、機能したのが真田だけでは、話にならない。 ここは、宇喜多秀家に100万石で、頑張ってもらう。 秀康には、旧宇喜多領を与えて、西の抑えとする。 …と、妄想してみた。長レススンマセン
家康と比べたら秀長だろうが秀次だろうが誰が補佐しようが根本的に人としての器が違うから家康が絶対に勝つぅぅぅぅぅぅぅぅ!凸(`、´X) 信長vs家康でも戦力が同じなら絶対に家康が勝ぅぅぅぅぅぅぅぅ!v(^ー^)v
283 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/11(土) 13:29:59 ID:Q79wIwpK
実際戦国の世は器量しだいなあ。豊臣家に秀吉以外に人材いないのか・・・ 三成が関ヶ原起こすよりも、頭下げて家康に政権を預けてから 時間かけて(家康死ぬまで)豊臣家内部しっかり政権運用できるまで人材集めて 秀吉残した金でしっかり国作りして、それでようやく家康に追いついて、豊臣家の 三成首相政権に持って行ける。と想像した・・・ 三成の暴発はかっこいいが、身の程知らず過ぎる。 後15年我慢できる堪忍強さがあれば・・・・
284 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/11(土) 13:34:59 ID:Q79wIwpK
秀次秀頼で家康に対抗するのは、時間をかけても困難だと思われる。 でも、40で死んだ三成が、55才まで辛抱すれば一皮剥けた三成にもチャンスあるはず。 家康に一時政権預けるくらい気長な。(家康と同じに)政略も必要だと思う。
15年のあいだに西軍になるべき大名達を健在にしておく家康ではないだろう・・・
286 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/11(土) 14:12:34 ID:Q79wIwpK
そうかな?豊臣家と徳川家が入れ替わっただけの事じゃん? 後から見れば家康の政策の隙の無さが、豊臣側の絶望的な面になるが 当時の人間からみれば、家康もなにか失政をして、又政権移動のきっかけを期待しても良いんではないかな? 関ヶ原の成果は相当大きい、無くて三成生きていれば、徳川政権になっても、豊臣家にかなり有利な状況だと思う。
秀吉死後の家康は諸大名の加増・減封権を行使し得た様だし、 豊臣家の蔵入地すら恩賞の対象にすることが可能だった。 前田家・上杉家への難癖を豊臣家が庇えなかったこととあわせて 関ヶ原直前で既にジリ貧だし、史実より迅速でなくても結果は変わらないような。 5・6歳の幼児を主君として仰ぐ以上家中の結束は何より重要となるけれど、 秀吉の旗本出身であり縁者でもある福島・加藤や、秀吉創業の頃からの家臣である 蜂須賀・黒田と秀吉生前から争い、政権中枢から追ったような人物では とてもじゃないが家宰は勤まらないように思う。 秀吉政権の末期には豊臣家の孕む潜在的危機について予見なしえたであろうに 史実のような行動を選択したわけだから、三成自身に野心があったんだろうね。 そんな人物を重用したのが秀吉の失策であり、豊臣家の不幸だったと思う。
>>283 三成が身を屈して徳川に仕えても15年も経たないうちに取り潰しにあうでしょ。
ここぞとばかりに加藤福島黒田細川ら反石田党が、ある事無い事を家康に讒言して改易に追い込む筈。
289 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/11(土) 18:27:01 ID:or/MIWcG
家康はよっぽどのコトがないと三成を潰せないよ!何故なら三成がいなくなれば今度は家康じしんが福島たちの標的になるからね!! それと関ヶ原がなかったならばせいぜい上杉領の120万石程度しか恩賞地が出来なかったはずだから家康の天下取りは史実より遅れていたんじゃない?
290 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/11(土) 18:32:32 ID:11yc+lB7
291 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/11(土) 18:34:12 ID:11yc+lB7
守る側は多少、劣ってても大丈夫たじね。 ある程度の人物がいれば豊臣は安泰だ。
292 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/11(土) 18:53:26 ID:yv5TQi26
家康暗殺しとけばよかったのに
293 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/11(土) 19:22:13 ID:mJs6LWN8
もしも、関ヶ原がなかっても、っていうより、家康にとって都合が良かったんじゃない。 関ヶ原がなかっても、上杉は取り潰し。 残る宇喜多、毛利も、一つづつ潰せばいいんだから。 時間がかかっても、こっちの方が、リスクは少ない。 三成は、それが分かっていたから、立ち上がったんだろ〜。
294 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/11(土) 19:26:12 ID:dkL7UQNr
それは違うな〜 関ヶ原は家康にとっては待ち望んだ戦だよ
295 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/11(土) 19:40:41 ID:mJs6LWN8
そうかなぁ…? 司馬小説なんかじゃ、家康が関ヶ原を企んだみたいなかかれ方だけど、関ヶ原以前でも、家康の権力は、実質天下人。 前田から人質は取るは、三成懇意の大名を取り潰そうとするはで…。 そこで、自分の直属軍の倍近く、率いる兵よりも大きい敵と、決戦に持ち込みたいと思うかなー? リスクデカすぎでしょう? 実際、謀臣の正信なんか、慌てて、箱根を要塞化して、籠城しようって、進言してるし。 これは、家康サイドが、予想していなかった証拠でしょう。
>>295 小山や江戸の時点で慌てて多数派工作しても史実のような効果は望めそうもないし
事前に事あるを予想(期待)して手配りはしていたんじゃない?
上杉討伐軍の進軍速度が極端に遅いこととあわせて、三成の叛乱が
まったくの予想外だったとは思えないんだけどなあ。
ただ、関ヶ原がなくても豊臣家の未来が暗いだろうというのにはとても同意。
家康暗殺
家康が婚姻政策を咎められ「ついうっかり忘れてた」と弁明した際に 「そんな大事なことを忘れてしまうくらい耄碌してしまったのなら家督を秀忠殿にお譲りなされ」 という方向に話を持って行き、家康を隠居させてしまう。 しかし、三成程度の貫目ではこんな交渉は無理。 てなわけで五奉行の筆頭に黒田官兵衛を据える(次席は三成) もっとも、この人が豊家の然るべき地位にいたら家康も迂闊には動けなかったはず。 豊家はこの人を警戒ばかりせずにもっと活用すべきだった。 豊家滅亡の10〜12%はそれが出来なかったことにあると思う。 ※これは個人の感想であり、実際の効果とは異なります。
299 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/11(土) 22:11:18 ID:9dTrMhy2
>>292 暗殺なんてしなくても、大坂城内で上意討ちすればよい。
主君が家臣を誅殺するのは正当なる行為だ。
筑前は全ての大名・公家を好き勝手に成敗できる立場にあったのだから。
うむ。
>>298 っていうか忘れてたなんて白々しい嘘を実際咎めようとしたら、
「そもそも秀頼を輔弼する自分を疑うとは何事か、受けて立つから名を名乗れ」とか言う感じの事を言って
開き直ったんじゃなかったっけ?
ここで凛然と立ち向かえる人物はあまり望めそうに無い、
利家がせいぜい良いところだがこの人物も事を荒立てる事を好む人じゃないし。
秀吉は権力者のままで畳の上で死んでんだから良いだろ
303 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/11(土) 22:54:42 ID:dkL7UQNr
>>301 秀次が生きていれば、そうは言えないだろ
>>301 家康が秀頼を輔弼していること、開き直りに豊家が抗えないことは痛いね。
ただでさえ少ない血縁・譜代の扱いに問題があったということだろうか。
>>302 秀頼の将来を案じずに逝けたらその通りなんだろうけども・・・。
史学的なことはあまり詳しくないんだが 徳川家康は本当に天下を望んでいたのか・・・ ? 秀吉死後、別人の如く悪役化するけれど あのころは トップに立とうとする二代目 VS 頭を抑えられたくない創業の功臣 という諍いが各地で起こっていたと聞いたことがあるけれど・・・・
307 :
306 :2006/11/11(土) 23:44:33 ID:IqoUxGfq
豊家絶対の連中 (石田に限らず) に対抗するため 多数派工作をし、関ヶ原を戦った末 豊臣家を上回る力を持ってしまった・・・ 非情に割り切らなければこちらが潰されるというところまで行ってしまったから 徳川は豊臣を潰した ということはないのかな
>>305 まさか。
権力の移譲と政権存続の可能性が明白であれば嫡子幼弱は問題ではないよ。
政権基盤の脆弱さを自覚していたからこそ秀吉は取り乱していたんだろうに。
309 :
306 :2006/11/11(土) 23:53:48 ID:IqoUxGfq
ドラマや小説などで関ヶ原以降が扱われるとき 豊臣の恩・信義を口にする 前田利家は織田信長の家臣、徳川家康は織田信長の同盟者 もとは秀吉と同輩・それより格上なんだよな 秀吉個人の陽気さ・気風のよさなどで配下に取り込んでいたんだよな だから秀吉個人の部下であっても、豊臣家の臣下ではないよな とふと思った
まあそれは信長や秀吉の関係も同じだけどね、譜代の家臣でない以上引き立ててくれた 当主が死ねば、その子供に従う義理は無い。 逆にその意思を継ぎ、天下統一や外征の終結させ泰平へもってった。 三成の事だが、ただでさえ人材の少ない豊臣家では、三成も使わないと。 三成は関ヶ原起こして処刑が彼の限界ではあるが、関ヶ原無ければ、成長も望めると思う。 上へ話してる秀次だって、生きていればそれなりに豊臣家の為になったと言ってる人いるんだし それと同じだ。 確かに三成は秀吉死んだ後に、性急に野望燃やして燃え尽きたが、素材も思想も良い人材です 長生きすれば伊達政宗クラスくらいにはなれそう 外征回避か、秀次死亡回避か、三成暴発回避あたりまでが生き残るギリギリのラインか。
>>308 豊臣が心配ってつっても、じゃその豊臣っていうのは誰のため
秀頼様だろ
単に豊臣政権存続だったら関白秀次を盛り上げていけば良いだろ 秀次亡き後に家康が内大臣になって太閤の次席になっちゃたろ
313 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/12(日) 03:27:12 ID:jOAr508P
>>310 三成の暴発とおっしゃるが。
関ヶ原がなかったら、上杉は滅亡、おそらくは佐竹も同様の仕置きを受ける。
これは、徳川を背後から牽制する勢力がなくなることを意味する。
上杉を見殺しにした後、同じことを家康が、毛利や宇喜多にやった場合、もう打つ手はなくなってるのでは…?
三成はこのことが、分かっていたから、関ヶ原を企図したのでは…?
314 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/12(日) 03:38:34 ID:ipUgfkP0
そりゃそうだ。最初の味方を見す見す見殺しにしたら 後は苦しくなるばかり それに、何より 三成の中では家康は、やはり豊臣政権の外の人間と映ってたんだろうな 実際、勝手に他大名と婚姻関係結んでる時点で、もう謀反の兆しアリアリだからな ただ、どう見ても謀反人の家康なのに 同じ豊臣恩顧の武将が媚びへつらう様を、三成は我慢出来なかったんだろうな
>>394 賤ヶ岳の時の謀反人秀吉に我慢ならない信孝、勝家みたいなものかね。
316 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/12(日) 10:38:39 ID:jOAr508P
そう、それそれ
317 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/12(日) 23:07:40 ID:jOAr508P
豊臣家にとって、致命的なのは、未来を左右する最大の分岐点と言える、関ヶ原で、豊臣家に幼君秀頼と寡婦淀君だけで、意思決定機能と執行能力がなかったこと。 この時、有能無能は別にして、秀次存命か、せめて秀秋が豊臣家に残っていれば、成否は別にして、運命を賭けることが出来たのに…
318 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/13(月) 00:09:09 ID:4dnl1xGm
秀吉の恩に報いようと豊臣を守ろうとした三成を逆恨みして襲撃しようとした黒田長政、加藤清正らの武断派こそが一番の悪
そうだよな
清正はともかく長政はもともとそれほど秀吉に忠誠誓ってるタイプでもないし、何を今更と言う感じ。
豊臣政権維持にとって最大の悪は秀吉、次点は秀頼。 半譜代の黒田を政権から地方へ追い出している。この為、 黒田家は豊臣恩顧から独立大名へ。 もともと不仲の加藤、小西に同一戦場で競わせ対立を煽った上に 収めることは一際せず。 秀頼が生まれたら、只でさえ少ない血族を更に抹殺、養子へ追放。 この為、秀吉死亡時に政権内に成人男子一門はいない。 長政にしてみりゃ秀頼への義理なんてないだろ。
豊家慰守述の儀を御願い奉れば良かった 豊家位は不欠だよ
夢のない話だがそもそも百姓出身の武将が天下を永続的に掌握するなんて 無理な話だったんでは?日本人は結局血統や筋目を重視するからね。 豊臣政権が弱体なのは既出のように血縁・譜代の人材不足が主な原因と思われるが その少ない「譜代並」の武将のほとんどが、以前別の主君を持っていたいわば 「裏切り者」だけだからね。黒田しかり浅野しかり。そんな奴らに「忠義」 期待する方が無理ってもんだろ。血縁に至っては教養ないから馬鹿ばっか。 秀長、秀吉兄弟が特殊なんで、普通教育受けてなければそんなもんだろ? 加藤・福島なんて筋肉馬鹿だし、五奉行も先の「裏切り者」グループだし。 そう考えると政権維持ていう命題はあり得ないって感じする。 徳川大名としての生き残りは可能性あるかもだけど、家康はそんなに甘くないかな・・・
>>323 増田と石田の元の主君って誰?誰を裏切ったの?
>>323 秀吉の出自は諸説あるが徳川も家康の数代前まで百姓だしなあ。
数代もてばどうでもいいことだったんでは。
326 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/13(月) 22:59:08 ID:ZaFAg3Id
如水厨の方々には、申し訳ないが、如水の活躍場所って、中国地方だけなんじゃないの? 人脈を辿ったり、争いの種を煽ったりするのが、如水の寝業の種で、とても、全国政権向きじゃなかったんじゃない。 小説や教養書程度の知識しかないが、山崎の合戦以後、急に出番がなくなったって感じ。 秀吉が、その才能を恐れたっていうのも、逸話の域を出てないんじゃないかなぁ…?
>>326 同意だけど、何故如水の話をいきなり…?
中国征伐の時の軍監と朝鮮の時も行ってるんだっけ?
どちらもそこまで活躍したというような話はあまり聞かない気がする。
328 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/14(火) 00:25:47 ID:Ua+OPCvy
>>325 >徳川も家康の数代前まで百姓だしなあ。
マジで?
松平家は在原氏だというのに・・・
>>329 百姓って・・・w地主生産者である松平と借地耕作人の倅を同一視しちゃ
いかんだろwそんなこといったら当事の国人全てが百姓ってくくりになっちゃう
>>329 在原氏ってのは信憑性あるのかな?
確か徳阿見とかいう乞食坊主が三河に流れてきたのが起こりじゃなかった?
まあ、
>>330 の言うとおり家康の代には落ちぶれてるとはいえ三河の在地地主層だから秀吉とは比べるべくも無い罠
鴨氏説もあったんじゃ 家康
333 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/14(火) 17:29:47 ID:hIPITYQf
333(σ・∀・)σゲッツ!!
井伊家のほうが出自が立派なくらい。
家康の出自そのものについての考察はスレ違いだな。 諸説の比較・検証と豊家存続との関連性は薄いし。 秀吉の出自が武士でないことについて被った 不利益に関しての議論にも発展してないようだし。
>>326 元々赤松家の陪臣筋が織田家に帰順して、毛利家攻略に当たっていた
秀吉の下についたわけだから、豊家の譜代というのもはばかられる。
中国取次役を三成に奪われており、子飼連中に比べて加増も薄いんじゃ
例え能力的に際立っていたとしても豊家御為に働くとは思えないな。
能力についての疑問は全く同意。政権内に留まれない器量で家康と
争えると思えない上、軍功が特に目覚しいわけでもないよね。
倅はともかく、豊家存続にそれほど重要な人物じゃないように思う。
確かに官兵衛は伝説的な部分はともかく、もっと生々しい政争的な面で言えば 息子の方が実績あるといえるな。 だが長政は豊臣のために命かけるようなタマじゃないし。
338 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/15(水) 13:00:53 ID:YWv0aoVo
>>長政は豊臣のために命かけるようなタマじゃないし 秀吉は従属大名の跡継ぎを官位の面などで厚遇したにもかかわらず、 死後にほとんど報われることがなかったのはなんとも致命的だな。 特殊な条件の宇喜多秀家はともかく、他は鍋島勝茂・立花宗茂くらいで、 前田・池田等の織田の旧臣系はあっさり離れてしまってる。 彼らを豊臣家にひきつけておく手段は他になかったんだろうか。
339 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/15(水) 13:14:27 ID:i3Xyqa+N
前田は加賀征伐で豊臣家が助けてくれなかったことを根に持ってる あのまま行ったら前田家は潰されてたのに淀たちはスルー これにブチ切れたらしいね なんとか人質を出すことで助かったが これで前田家と豊臣家は絶縁状態になったらしい
340 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/15(水) 13:33:44 ID:XKOCyy1A
>>338 >>339 前レスでも、あったが、秀吉死後、豊臣家に成人男子が一人もいなかったのが致命的。
このことによって、豊臣政権の意思決定は五大老、
執行機関は五奉行に移されたが、
豊臣家自体の意思決定と意思表示、執行能力が喪失してしまった。
能力に疑問があるにしても、秀次存命か、せめて秀秋が豊臣家に残っていれば、成否は別にして、豊臣家の影響力と軍事力、賞罰権が行使できたのに…。
341 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/15(水) 14:17:48 ID:YWv0aoVo
>>340 言われてみると、秀吉死後の意思決定機関・執行機関の中に
豊臣家の血縁は北政所所縁の浅野以外いないんだな。
福島・加藤は秀吉に残された数少ない血縁なのに政権構造の外なのか。
せめて豊臣家の軍事力行使の可能性を保つためにも、
直轄地の管理や旗本の統制についての裁量を与えてればまた違っただろうに。
342 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/15(水) 14:45:37 ID:92iQL+wI
秀吉が決めた事だからだな、福島加藤にゃ政治は無理だと思われてたんだろね。 秀吉になった気分で考えると、秀頼以外の親類を排除する事によって逆に豊臣家を 安泰に持って行きたかったのかも。 どー考えても、後を託す人間は限られてる、三成加藤福島浅野辺りは格が低いし若すぎる。 政権運営向きではない。 やはり家康利家辺り中心で毛利上杉がおまけが無難なのか・・・・
343 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/15(水) 14:52:31 ID:Uhzp3Ti0
無難って・・滅ぼされてますが? 秀吉の一番の失敗は、死後、大大名達の善意に頼りすぎて しかも前田利家が、もっと長生きして家康とバランスを取り続けると思ったこと その間に秀頼が成人するとでも考えたんだろうか? やっぱり、恩顧の子飼い大名に力を与えなきゃ無理だね
344 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/15(水) 15:18:39 ID:92iQL+wI
秀吉の目線での話、15年後に大阪城に浪人集めて立てこもるなんて想像出来なかっただろうね そんな無駄な抵抗するなら、さっさと和睦せーやと怒るよ。 まあ散々言われてる事ですな。
345 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/15(水) 15:40:59 ID:MupwRO9O
和睦して一大名になっても徳川政権の下でお取り潰しは確実
346 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/15(水) 15:52:15 ID:92iQL+wI
数代続けば十分ではないかな? 反乱起こして皆殺しになるのと、取りつぶされるのと同列に扱ってないか? なんだかんだと三成だとか加藤だとか福島は取りつぶされても家も残ってるし子孫はおるのだよ
347 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/15(水) 16:15:29 ID:Uhzp3Ti0
でも、そんなの種の保存の観点から見たら、意義あっても 戦国大名の観点から見たら死と同類だろ? やるかやられるか それが戦国クオリティー
348 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/15(水) 16:18:02 ID:TzWI6Ia7
とにかく、徳川に従うしか道はなかったんだ。家康は用心深いから人質やなにかいろいろやらなきゃいけないだろうけど
349 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/15(水) 16:26:15 ID:Uhzp3Ti0
家康に従って、お家残すくらいなら 小牧長久手の時に、最初から家康に屈服した方が 待遇も良く、お家残せたんじゃね? どうせ、信雄なんて遅かれ早かれ自滅するんだし・・ 最初から、徳川幕府に貢献して 秀吉が五大老筆頭勤めたらいいじゃん
350 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/15(水) 16:30:06 ID:TzWI6Ia7
秀吉も家康もかなりの野望の持ち主だよ
351 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/15(水) 18:30:15 ID:pDtMpSo0
ここらでスレタイに沿ってマジレスしてみる。 豊臣家が存続する可能性。政権の脆弱さは血縁関係の弱さ、譜代の不在、 政権奪取までの妥協、血筋の限界など複数の要因がからんでいるので、「こう すれば」みたいなポイントは見つからない。よって天下維持という方向は× 徳川政権下での一大名としても、既出だが加藤・福島の例を見るまでもなく× 家康&幕閣はそんなに甘くない。 で、考えたんだが天皇家みたいになればあるいは、と。領地や兵力もほとんど 放棄し、名目だけで、将軍就任時のセレモニーだけやる、みたいな。 関が原戦後の時点でその方向を選ぶ余地はあったんじゃないかと思ってみたりする。
ぶっちゃけ豊臣は家康の言うとおりに従っても断絶させられる気がするな
353 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/15(水) 18:59:18 ID:FA68ynCJ
>>351 前のスレにもあったが、領地を返上して(今川や吉良みたく)高家になる、ということでいいのかな?
多分それが一番無難。
その過程のどこかで淀の方には居なくなってもらわにゃならんが。
秀頼の誕生さえなければなあ。天は豊臣家を見放したんだな。
355 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/15(水) 19:12:16 ID:FA68ynCJ
>>352 家康は高台院の手前、豊臣そのものを滅ぼす気は薄かったように思う。
関が原以降、何かにつけて(秀頼の臣従を求めての事ではあるが)和解を呼びかけていたのは家康で、拒絶し続けていたのは豊臣方。
冬の陣前の状況でも、素直に家康の言うとうりに人質出して、国替えして、参勤交代していれば、60万石を保つのは無理だが、高家(徳川家の元主家)、あるいは越前松平家(将軍家からすると兄の家)位の待遇は受けれた公算は高い。
家康は「危険な敵」には容赦しないが、「敵にもなれない物」を潰したりはしない。
それよか、秀忠や家光の時代を乗り切るほうが難しいだろう。
356 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/15(水) 20:01:32 ID:/z2IERnF
>>345 そこのところは、他の大名家でも変わらないよ。
むしろ、政権を素直に受け渡すことで、「権現様のお墨付き」でも
貰えば、幕末までもった可能性も高いだろう。
結局は、秀吉の死とともに豊臣家は、政権担当能力どころか家政の
維持力すらなくなったって状態なわけだわな。
357 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/15(水) 20:52:43 ID:KjTqxrxJ
豊臣って名前だけで危険だろ 源氏の例もあるし確実に潰すだろうよ。
信長が共に天下を取ろうと語ったのは家康だけ、家康こそ天下人に相応しい。 秀吉は身の程知らずにも織田家を簒奪しまくり犯しまくり殺しまくりと最低の種無し猿。 存続なんてできるわけねえ
359 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/15(水) 21:21:38 ID:g7U+oFxl
360 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/15(水) 21:28:56 ID:MupwRO9O
思うに高家といえども大名、やっぱり武家。 だけど、藤原朝臣豊臣○○、なんだしお公家さんになったら存続できたかも。
今川 → 品川になったのは幕府に遠慮したから ?
>>359 木下なら ?
362 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/15(水) 21:59:55 ID:XKOCyy1A
第一の分岐点は、やはり、小牧長久手の戦いかなぁ…。 この時、性急な中入り策を採用せず、伊勢を席巻した秀長の到着を待って、決戦に持ち込めば、徳川滅亡も、その後の天下統一での妥協策放棄も、夢では無かったはず。
>>356 家政の維持がかなわなくなったのは大問題だよね。
家康が実質的な天下さまになった後も豊家が一大勢力なのは変わりないし、
蔵入地・遺産の金銀に支えらた軍事力は、徳川家を除けば突出してるはず。
関ヶ原後の恩賞として蔵入地を削られるまで有効な手段を打てずに
一大名に転落してしまった経緯を考えると、やはり家中に人がいなかったのか、
それとも、幼君を握った淀の専横の前になすすべがなかったのか。
つまり豊臣滅亡の原因は池田恒興、森長可だったんだな!
365 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/15(水) 22:18:26 ID:XKOCyy1A
連レススンマセン 流れが、政権放棄論に傾いているので…。 第二の分岐点は、やはり唐入り。 これによって、武断派、文吏派の対立が決定的になり、多くの諸侯の恨みを買い、豊臣家の権威を失墜させた。 第三の分岐点は、秀次切腹。 有能とはいえないが、秀次がいれば、関ヶ原前後で、豊臣家の意思決定と意思表示、その執行が可能だった。勿論、その成否は別だが…。 第四の分岐点は、秀吉の最晩年。 もう少し、徳川対策を徹底的に行うべきだった。 せめて、宇喜多秀家を東海道100万石で、加増転封していれば、その後の徳川との対立での、効果は計り知れない。
>>357 「豊臣」は本姓だから、そんなのは関係ないよ。
NHK大河などのドラマではやたら「豊臣家」というけど、
ありゃ本当は「羽柴家」というべきだろう。
羽柴家を豊臣家と呼ぶなら、毛利家も大江家と呼ぶべきだし
前田家も菅原家、長宗我部家も秦家と呼ばなきゃ一貫性がないよ。
367 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/16(木) 01:13:58 ID:i8VPzOeT
しかし、このスレ立てた人は、豊臣政権を残したいのか、豊臣家を残したいのか? 今の所、どの意見が良いと思っているのか? どの意見をたたき台にして、このスレを伸ばしていきたいのか? と、ふと、考えてしまった。
368 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/16(木) 01:53:55 ID:oQIlMxRb
関が原がなかったとして 上杉はそんな簡単にやられるの? 4万近い軍勢がいたそうだが 負けるにしても滅亡するほどの完敗する?
北条家の最後を知ってる人なら想像できるんじゃないか
370 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/16(木) 02:38:34 ID:oQIlMxRb
やはりそうか でも会津征伐は小田原と違って6万位の軍勢だったらしいけど
後ろには伊達と最上が控えてる 上杉の主力を白河方面で拘束できれば 後ろで暴れられる
372 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/16(木) 03:04:31 ID:DEBVe3TL
>>366 本姓で言うなら「豊臣」は「藤原」じゃなかった?
「藤原朝臣豊臣秀吉」だから。
373 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/16(木) 03:07:39 ID:oQIlMxRb
>>372 大昔の関が原スレでは
フジワラノトヨトミアソンハシバヒデヨシ
じゃないか?となっていた。 でも違ったらゴメソ。
>>370 ぶっちゃけ北条の方が動員できる。
小田原本城だけで五万云千。
そのほか各支城を含めれば七万は軽く越える。
北条攻めや九州攻めでもいえることだが、
防御側は何処か一点でも突破されれば全体の戦線を維持できないし、
六万と言っても、そのうちのどれだけが上杉に命を懸けるかというのも問題。
領国経営の年数も浅いし、形勢不利になれば一気に瓦解する危険性もあると思うが。
>>370 徳川家単独でも8万いるからねえ。
予備兵力を考えたら北条征伐より状況は悪いんじゃないかな。
>>375 あのね日本には古来から 源 平 藤原 橘 という由緒ある「家」があってね
秀吉が関白になったときに近衛(藤原)家の養子になったのね!
んで天皇家から上の四家に続く五番目の家として 豊臣 という姓をもらったんだよ!!
だから 藤原朝臣 じゃなくて 豊臣朝臣 なの(o^ー’)b
379 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/16(木) 08:58:17 ID:i8VPzOeT
名前なんか、どうでもいいって、 どうしたら、 そして、どうしてたら、豊臣政権は維持出来てたの?
豊臣政権の維持なんて秀吉がいたから出来てたのであって 秀吉が死んでしまったなら無理です! なら豊臣家なら大丈夫かというと これもまた無理です!! 何故なら秀忠が豊臣家の存続を認めないからです!! てコトで秀忠を暗殺し(将軍は家光)ついでに淀殿も暗殺すれば豊臣家は生き残れると思います(o^ー’)b
関白家なんだし公家になって関白の座が空くの待つ
5番目は高階だけどな。 秀吉が死ななきゃいいんだよたぶん。
>>378 いわゆるげんぺーとーきつは「家」ではなくて「氏」だよ。
それから、豊臣も「姓」ではなく「氏」だよ。
「姓」ってのは豊臣朝臣、藤原朝臣の「朝臣」の部分。
あんまし厳密にやってもしょうがないと思うけど、一応。
氏姓制度でぐぐれば色々出てくると思いまつ。
385 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/16(木) 12:12:37 ID:i8VPzOeT
なんで、秀吉は、三成や増田に、100万石やるって言ったのに、宇喜多秀家には、言わなかったんだ。 かなりの確率で、豊臣政権が維持出来てたのに…。
386 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/16(木) 12:36:45 ID:7cVTGJoF
>>376 当時の上杉家は国替え後間がないし、景勝の大坂詰めが長かったんだよね。
急な戦備えで牢人衆を集めたとしても、四方の敵と東下軍を支えるのは厳しいか。
やはり、豊臣家自体が積極的な軍事行動を起こしづらい状況なのに、合法的な戦を
けしかけられる人物がいる時点で詰みなんだろうかね。
>>384 氏姓制度自体については是非他スレでお願い。
あんまり厳密にいってもしょうがないと思うけど、一応。
豊臣家存続の障害と捉えれば語り方も色々出てくると思います。
>>386 氏姓制度については他スレでお願い……って、ただ単に間違いを指摘しただけでしょ。
388 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/16(木) 20:47:44 ID:9+1Ctdp1
>>385 宇喜多さんは秀家自身はともかく家臣団が秀吉派かというと…。
ついでに言えば秀家が100万石持ってたところで焼け石に水としか・・・。
>>388 家臣団は元々豊臣家に対して含むところがあったのか、
秀家の器量を種に家康が離間策を仕掛けていたのかどちらなんだろう。
前者なら宇喜多家の力が大きくなっても、豊臣家のメリットにはならないような。
>>389 関ヶ原で宇喜多秀家の率いる軍勢は多くなるだろうけど、やはりそれだけかなあ。
一万くらいの兵力増は見込めるけれど、根っこの問題は解決してないわけだし。
宇喜多秀家は家臣団を分裂させているから 大領があっても・・・ ?
392 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/17(金) 00:48:54 ID:DMNfSndi
仮に、宇喜多秀家が、東海道100万石に移封された場合、宇喜多騒動で反秀家派になった宇喜多左京亮らは、備前美作に残る可能性は高い。 完全に兵農分離がされてなかったこの時代、大名の移封に、独立性の強い家臣がついて行かなかった例は多い。ましてや、主君との合戦沙汰にも及ぼうとした連中なら、なおさら… 上杉も、越後には、多くの家臣を残している。 これで、家臣の分裂は問題ない。 付け加えれば、宇喜多騒動の直接の引き金は、唐入りなどでの財政悪化で、秀家が、家臣の知行を減らそうとしたのが原因。 100万石に加増されれば、この面からも、問題は解消される。
393 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/17(金) 01:16:58 ID:DMNfSndi
連レス申し訳ない 更に、宇喜多が東海道百万石に加増された場合の効果だが…。 仮に、家康が史実通り動いた場合を検証してみる。 @まず、縁組み事件で、伏見大阪が対立した時、最初大阪方が圧倒的に有利であった。 伏見の背後の近江から北陸は、石田と前田の領地。 横っ腹に当たる大和は増田の領地。 瀬戸内海は宇喜多と毛利の領地で、大阪方は、動員も武器兵糧の運搬に絶対的に有利な地の利があったが、 それを覆したのが、榊原率いる8000が伏見に到着したことが大きい。 もしも、宇喜多が東海道を抑えていたら、榊原は東海道で撃破されていたはず。 A次に上杉討伐自体が難しくなる。 家康は、江戸にたどり着けるか? 家康の後を追う東軍諸侯は無事、家康と合流出来るのか? B関ヶ原の合戦では、家康率いる東軍が、東海道で足止めされている間に、 西軍は近江伊勢北陸を平定し、 史実では、動かなかった佐竹が、関東に乱入する可能性は… 以上のことを考えて、焼け石に水とは言えないのでは… 勿論、家康は史実とは違う行動を取ると思うが…
>>392 >完全に兵農分離がされてなかったこの時代、大名の移封に、独立性の強い家臣がついて行かなかった例は多い
熊谷や宍戸などの外様家臣がこぞってついていった毛利はむしろ例外的?
っていうか、国をまとめるのはそういう家臣であって、大名じゃない。 大名はそれらの家臣をまとめるからこそ、ひいては国をまとめていると言う大前提を忘れてないか? お国許ですらまとめ切れなかったのに、縁もゆかりも無い土地で急に100万石なんて 大領土をまとめきれるとは到底思えない、100万石もの土地には当然旧地主もいれば、 旧領主に縁の深い連中も大勢いるわけだし、しかも東海道は大変な土地だぞ。 木村吉清のようになるのがオチ。
396 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/17(金) 03:04:03 ID:6o9vZsy5
ていうか
>>265 あたりで答え出てるじゃん
政権として存続しなきゃ意味ないし(スレ主題がそうだしね)
政権維持の為の具体的な行動
諸問題に対する対策も全て答えが出されてる
もう、悪戯に策を練っても仕方ないような気がする
>>265 が答えだとしたら
要するに「無理」って感じだな。
一つの答があったとしても、それ以外の答を探して検討してはいけないということはないと思うが
399 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/17(金) 03:41:05 ID:6o9vZsy5
自分が創造できない 思慮が届かないと言って 無理と判断するのはよくないですね その為にも戦国期に軍師や参謀と言った 暗愚な大名を支える人材がいた訳ですから そういった名将に力は及ばずとも、 知恵だけは素直に受け入れる姿勢は必要ですよ
400 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/17(金) 03:42:10 ID:6o9vZsy5
>>398 例えば、どういった策や方針をお持ちで?
よっぽど自信があるレスだったんだろうけど、 周りからスルーされた原因ぐらい考えてみるべきかと。
402 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/17(金) 08:17:20 ID:6o9vZsy5
そんな泣き言ばっかだね、君はw で、具体的には問題点も何も指摘できないんだよね バカの荒らしなだけだよ、君はw
豊臣が旗本クラスな部下まで大名に取り立てすぎたのも問題かな みんな国の経営に忙しくなって中央と距離ができるし 中央に人も兵も全然残ってなかった印象が
404 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/17(金) 12:52:22 ID:jVHK4eTA
>>396 265のどこが答えになっているのか全然わからんが。
結局、豊臣政権は大名を統制できるだけの確固たる実力がなかった
というだけのことであって。で、なんで、その実力を得られなかっ
た、どうすれば得られたかという点については、ろくに議論も出て
ないわな。
枝葉末節の「危ない大名はつぶせ、いや、つぶせない」「誰誰が生
きていれば云々」って議論続けてループしているだけでね。
405 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/17(金) 13:20:13 ID:ddHpsRxo
豊臣家崩壊はすべて三成の責任 秀吉は家康を警戒し、利家を秀次の遺領+尾張美濃に置こうとした 利家も尾張出身なので大満足だった それを「前田家は家族主義なので信用が置けない」といい三成たち奉行が大反対 そのまま押し切りこの話はなかった事に もしこの話が上手くいってれば東海道に前田家200万石が誕生 家康も万事休すだった
406 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/17(金) 14:59:49 ID:DMNfSndi
宇喜多秀家が内治向きではないのは確かだが、全くの無能であった訳ではない。 親父の直家が、華々しい合戦で、領地拡大したのではなく。 陰謀と暗殺と裏切りと贈賄で拡大したから、秀家が幼くして、当主になった時には、たかが50万石の領地には、万石以上の家臣がウジャウジャいる異常な事態だった。 いわば、豊臣家の小型版である。 そこで、二回の唐入りに前線司令官として渡海するは、 上方で派手な社交外交を、秀吉の側近くで行わねばならないはで、 極端な財政悪化になるは、 家政を見る暇はないはの状態が続いた。秀家は不安定な二代目を継いだにしては、良くやったと思えるが…。 しかも、宇喜多の家政や領地経営に問題があれば、豊臣政権の全面的な支援を得られたはず。 遠い奥州の木村家とは、比較にもならない。
>>403 小粒な側近しかいないのでは幼児にできることはないよね。
奉行連中も自家>豊臣家っぽいことを考えると特に。
秀吉の身内である福島・加藤だけでも手元に残せていれば、
豊臣家の軍事力行使の可能性が残り、なし崩し的に一大名になることはなかったかも。
>>406 政敵に対抗する目的で政敵の旧領をうまく治めるのはどんな人物でも難しいんじゃない?
平時ならともかく、戦の可能性があるのならなおさらのこと。
408 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/17(金) 16:54:54 ID:DMNfSndi
>>407 まさに、おっしゃる通り。
史実では、中村、堀尾、山内、池田、福島…と、太閤恩顧の大名を数珠つなぎで並べたわけだが、徳川の軍事力に怯えたか、一揆誘発を恐れたか、小粒の大名を幾ら並べても、効果は無かった。
これは、東山道でも同じこと。
10万石に満たない真田一人でも、徳川を足止め出来たことを考えれば、
ここは、豊臣家に忠誠心篤く、徳川を恐れない大物を置く必要があったのでは…。
宇喜多の素質は別にしても、その効果はかなりあったはず。
また、宇喜多以外に人材が見当たらないのも、豊臣家の弱点と言えば、弱点なのだが…。
409 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/17(金) 21:11:02 ID:RXziJQbd
>>408 結果を知っている身だから俺たちは色々言えちゃうけど、
秀吉的には採算があってのことだったのだろうかねえ。
苦肉の策だったのか、改心の策だったのか・・・。
秀家個人の政治姿勢は結果的に豊臣家側でぶれなかったけど、
秀吉は他の大名にも同様の効果を計算していたのだろうか。
三成が余計なことをしなければ東海道に前田家200万石誕生 これだけで豊臣家は安泰だった 徳川250万石vs前田100万石のときですら前田に組する大名が多かったのに これが200万石になれば全大名前田につくね、家康何もできず終了
>>405 ついでに言うと、秀吉は、関東八州も石田三成と堀秀政を
中心に分割統治させるつもりだったが、
三成が駄々をこねて、あんな辺境に行きたくない、
かわりに内府に与えたらどうかと秀吉に進言。
秀吉は、一瞬考え込み、なるほどと頷いて徳川の関東移封が決まった。
もし三成が関東に100万石を領有し、徳川を背後から
牽制していたなら、家康はまったく動くことができなかったはず。
412 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/18(土) 01:11:13 ID:tXRx5Y+s
>>404 ちゃんと、その結論になるまでの件を読めよ
お前みたいに、ろくに話も聞かないくせに文句言う奴がいるから
延々ループになるんだろ
>>410 つーかお膝元に200万石もあったら利家に天下掠め取られる可能性も否定できないと思うんだが。
手放しで信用しすぎ。あくまで秀吉死後の関係で利家は擁護に回ったが、
あくまで自分の立場の主張に過ぎない点も否定できない、だからわざわざ家康に詰問までして
何も出来ずに終わってるし。
賤ヶ岳で裏切った事に比べれば、秀吉を裏切る事ぐらい造作でもない。
>>411 三成に100万石も与えたら市松らがヘソ曲げそう。
414 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/18(土) 01:18:04 ID:bs4dCFVx
・秀頼が10年早く生まれていれば・・ if小説にすら無いレスしてスマソ。(秀吉が生返ったのは有るが)
領民想いの知恵者求む。
>>414 それが万全だと思うよ。
秀頼が十年前に生まれていれば秀次事件は無かったろうし、
家康の専横に対して豊臣家として抵抗する事が出来た(この場合専横しない可能性の方が高いけど)
そうなれば徳川家の勝機なんてゼロに等しくなる。
まあ秀頼が最低限、ごくマトモな常識有る君主である、という条件はいるけど。
417 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/18(土) 02:15:56 ID:9KbxW5hU
>>411 堀秀政って、小田原陣中で、死んでなかったッスか?
記憶違いならスンマセン
秀吉死去後の豊臣政権は、秀頼を神輿とした連立政権にすぎない。 ならば、家康が連立政権の政権争いに勝ち党首になったに過ぎなく、その後家康の徳川党が単独政権になったに過ぎない。
420 :
A :2006/11/18(土) 02:42:17 ID:bPOUptcj
よって野党に転落した豊臣家は一大名として存続する道を探るべきだった。 大坂城明け渡し、国替えに応じれば豊臣の名を残せた可能性は残せた。 潰されたとしても公家もしくは高家として名を残せたはず。
>>408 あれは真田の地域限定守備力と
秀忠のスルー力の無さが重なった珍事だからなぁ
真田って最後まで豪族なまま戦国大名に進化しなかったってイメージが
あとケチな家康のイメージから妄想すれば
徳川の武士が他国より安い禄で動員できた結果
徳川旧領では石高同じなのに豊家レートで動員できる武士の数が激減してたりw
家康以外の大名に石高を与えると言うのは、誰がどちらに着くか解ってる物にしか言えない論理だな 直轄地増やしても、室町と同じように中央の権威が落ちた瞬間から、離反し始めるしな やっぱ秀吉長生きしないと無理無理。
423 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/18(土) 03:36:29 ID:tXRx5Y+s
でも、それを現代の俺たちは分ってるんだから それを踏まえての改善策を練るのが、このスレ・・
>>408 立花もいるぞ
こいつを山内の変わりにしただけでも
面白い妄想が浮かぶ。
425 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/18(土) 07:44:42 ID:R8l3XeK0
>>423 状況が変われば人は豹変する。秀吉だってそうだったし。
家康がいなければ前田利家が天下への野望をむき出しにしたかもしれない。
宇喜多しかり、三成ですら、しかりである。
427 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/18(土) 11:23:36 ID:+1ncjQ+7
豊臣系武将の大大名を増やすよりも、逆に近畿周辺を豊臣直轄領にして 太閤恩顧の人材中心に、大豊臣家を形成した方が良いと思う。地方には 旧織田系の連中を配置して。 足元を定めずに火急普請で政体を構築しちゃった事が後の脆さに繋がる わけだし。
やっぱ一番簡単なのは家康の言うことを聞いて大阪を出て人質を出し地方の一大名になることだろう 素直に言うことを聞けば高家だかの扱いで生き延びれたと思う。
>>406 なんか全部直家のせいみたいな言い分だな、
だが最上義光みたいに、似た拡大方法でもしっかりまとめた人物もいるんだから、
それは言い訳にならない。斎藤道三みたいに自身は抑えられなくても
義龍は抑えてたりするような例もあるし、それはやはり実力次第。
また後半は100万石になったらなったで相応の兵力を出さなければならない結果に成るだけで、
同じだと思うんだが。豊臣政権の支援がしてもらえるなら何故史実でして貰わなかったの?って感じだし、
希望的観測が多すぎる。
そもそも木村吉清の例ってのは領国経営で中央の手をいちいち借りなきゃ
出来ないような奴の事を言ってるので。そのとおりになっちゃうじゃないか。
そんなヤツにいつまでも100万石も与えてられんよ、秀吉だって。
家臣団あっての大名、これは大原則。それを切り捨てて土地だけなんてありえん。
つーか一門衆が存在する宇喜多家は他家に比べて恵まれてないわけじゃないぞ。
既に土地だって57万石、これで足りんとか言ってるならどこ行っても一緒、
どうせ足りなくなって収拾つかなく成るのがオチ、100万石を抑えるには
100万石に相当する家臣が必要なんだから、それを構築する暇がありませんでしたじゃ済まされない。
東海道に前田100万石になっても結局は変わらないだろう。 利長がなびいて、東海道の諸侯が家康に道明ける。三成は美濃尾張にすら出陣できず。 関東に堀石田でも逆に石田征伐かけられる。家康がどこにいるのかわからんが。
東海道に前田200万石なら細川や浅野長政が家康の恫喝にびびらず 利長も大阪城から出なかったはず、家康との戦になっても 大阪城に3万、東海道に3万の軍勢を置き、さらに宇喜多石田チョウソ壁などの近隣の大名がゴウリキし 時間がたてば毛利の大軍が大挙してやってくる、家康もうだめぽ。
432 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/18(土) 15:27:09 ID:iwCTm1F5
対家康対策をどうこう言ってる人は、家康以外が政権取りに動いてきたらどうすんだろね?
>>431 政権の権威が落ちたら、もう地方は言うこと聞かないし、対家康の軍勢とやらも、負けるかもと保身を考えたら
関ヶ原のように、動かない軍勢がでてきてしまうよね。
433 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/18(土) 15:29:33 ID:hDUK/O2F
ふと、思ったんだけど大阪の陣で家康を討ち取ってたら存続してたんじゃないの?
434 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/18(土) 15:49:40 ID:mHxlbbFo
>>433 関が原以降なら皆同じ。
天下第一の器量もちといわれた家康がいなければ、安定した政権が作れず、戦国時代が再来。
その過程で秀頼は「野心家にとって都合のいい道具」となりそのうち殺される。
ま、案外諸侯は秀忠を押して終わりかもしれない。徳川家だけで動員できる兵力は20万近くあるわけだし。
あの時期に、戦争を引き起こす才能はありふれていたが、戦争を収集できる才能をまがいなりにでも持っていたのは
徳川家康、伊達政宗、真田信之、島津義久、藤堂高虎くらいか?
そのうちに天下の仕置きが出来そうなのは家康以外では政宗くらい。
確実に戦国フラグが立って、秀頼はいいとこ「足利義昭」の二の舞。
政宗は天下の仕置きができるのか?
「政宗は帝国の最も巨大なる領主の一人たり。その家甚だ旧(ふる)く、 皇帝に次ぐ人物なり」 (スペイン大使ビスカイノ) 「伊達政宗は領土も広く、兵力も強く、諸大名には尊敬畏怖せられており、 家康自身も己が死後、将軍にでもなり得る者は、政宗以外にはいないと 思っていた」 (フランシスコ派管区長ディエゴ・デ・サン・フランシスコ) 当時の西欧人の目から見ても、伊達政宗は巨大な実力者と認識され、評価されて いたことが伺える。
437 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/18(土) 19:07:15 ID:tXRx5Y+s
それは伊達が密かに画策した西欧諸国による援助のもとでの 幕府転覆の目的を携えた支倉使節団による陰謀の影響を受けた スペイン人とかの書簡であって 結局は、日本でそれほど実力ないとバレてたんだな・・
438 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/18(土) 19:31:00 ID:9KbxW5hU
>>429 >>406 のどこをどう読めば、直家の責任なのか、わからん?
直家と義光の差は、同じような、権謀術数を使った後、なおも寿命があったかの差が大きい。
まさか、8歳の幼児を残して、死ぬとは、思っていなかったろうし、なおも寿命があれば、重すぎる家臣を粛清して、安定を図ったはずだ。
成人してから家督を奪った義龍と8歳で家督を継いだ秀家を比べるのも、いかがなものか?
ましてや、戦国時代、叔父や従兄が家督相続の最大のライバルだったことを考えれば、秀家の立場がいかに惰弱だったか、分かると思うが?
ちなみに、秀家の場合、秀家を支えるべき叔父の息子、つまり従兄が宇喜多騒動の中心人物。
左京亮には、秀家よりも、自分こそ、宇喜多の家督を継ぐべきだったと言う意識が強かったのだろう。
439 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/18(土) 19:40:22 ID:9KbxW5hU
>>432 じゃあ、具体的に家康以外に、天下取りの野心を持っていて、それを行動に映せる実力者って、誰?
その実力者は、豊臣、徳川をはじめ、大大名を、どうやって屈伏させるの?
豊臣家が圧倒的実力者の家康を抑えられるってことは、あなたが考えている実力者にも、同じく有効なのでは…?
440 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/18(土) 19:52:21 ID:9KbxW5hU
>>431 その200万石を利長ではなく、利政が継いでいたら…。
もしくは、200万石のうち、80万石ぐらいは、利政の裁量に委ねられていたら…。
徳川に打ち勝っていたはずだ。
どうも、利長では頼りない。
もしも、利長ではなく、利政が家督を継いでいたら、北陸だけでも、家康に屈伏してなかった気がする。
豊臣家は木下系統がちゃんと存続してるわけだが。
>>439 徳川家への対策はあくまで手段であって目的ではないからなあ。
実力者である家康に対抗するために新たな実力者を作り出したからといって、
必ずしも豊臣政権の安定と継続に繋がるわけではないし。
例にだしてる
>>440 にしても、利家死後の段階で200万石の前田家が
幼君を前にして独自の野心を持たないとはいえないのが辛いところ。
家康以外の人物なら大封を持っていても恐れるに足らないのだから
家康打倒後に彼らに備えればいいという考えはあるのかもしれないけど…。
>>414 なぜ秀頼を十年前に誕生させる以前に
鶴松を無事に成長させたという設定を思いつかないのかと小一時間
鶴松であれば高台院が養育していたので、少なくとも史実の秀頼の様な
お公家にはならないとおもうし・・・
鶴松が無事なら秀次が関白にならないので
秀次一族を藩屏として活用できたと思う。
444 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/18(土) 22:20:55 ID:WXCLoTfk
それと豊臣家の存続方法だが・・ 政権の根幹にある弱点を考えないと駄目と思う。 @豊臣政権は利益で人を誘導し従えて急成長した組織で、成立以前から 人脈や利権、そして忠誠度がまちまちな寄せ集めでしかない Aそれゆえ幕府政治を行なうのではなく朝廷という最高権威を推戴し 朝廷への忠誠と王朝官位序列で武家を組織してくほかなかった。 @における利益は全国統一によって補填不可能になったのだから そこから大明征伐による海外侵略という発想になるわけだが 、この利益は土地に依拠した米石高だけじゃなく交易による利を 国内経済の流通とリンクさせ全国経済市場の育成と各地の殖産興業に活用する って手法もあるとおもう。 まずは秀吉が低姿勢に明への朝貢を願い出て朝貢貿易を行なう諸条件と 努力をすべき。出兵を前提とせずに朝鮮国王に仲介を依頼して 明との交易を願い工作していく。 そしてその際に明から「日本国王」の号を賜ればよい。 この日本国王は朝貢交易の独占権の保証であり(つまり利) @における利による武家の組織化ともなる。 @の弱点に対して明との朝貢交易(その延長線上に海外交易の独占) を握る【日本国王】としての権威と Aにおける朝廷の代理としての権威を 併用兼帯することで豊臣家は武家の頂点たる立場は磐石になると思う。 あとはこの利益と権威による吸引力を上手く活用できる 人材スタッフがいればいいんだが、 この人材は三成とかの豊臣官僚陣を朝鮮出兵しないで 交易と組織造りを重視する時間を持つことで早く育成することで補う。
445 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/18(土) 23:08:11 ID:g3fuV++Z
明に朝貢とは何事か 日本は中国なんぞに屈しなかった偉大なる国 半万年属国の朝鮮なんかとは違う 秀吉はチャンコロやチョンを殺しまくった英雄だ
>>414 清水義範氏作 『金鯱の夢』
秀吉に実子がいたら・・・ (←秀頼の兄)
という設定の小説があります
>>444 「利によって人を従えた」という場合の「利」がやや抽象的だからかも知れないけど、
諸侯・諸将が望み、秀吉が与えた「利」はあくまで人と土地に対する支配権であり
米穀・金銭そのものではない以上、諸侯・諸将の意識が封建制を乗り越えるか、
諸侯・諸将を土地から切り離す強権を政権が持っていないと@対策案は現実的でないかな。
政権基盤の脆弱さが一番の崩壊要因であるというのにはとても同意。
ただ、崩壊に至るまでに発生したいくつかの結果を仮に一つずつ潰せたならば、
大きな崩壊要因を抱えながらも政権自体は存続して秀頼成人に間に合うのかもしれない。
希望的に過ぎてはいるけど、その手段については前スレでもよく議論されていたしね。
448 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/18(土) 23:44:41 ID:AvAuliqW
秀長に子がいればよかった 秀長こそ真の天下人
>>438 それを抑え切れなかったという事実は変わらん。
一体何をもって評価しろと言うのか?
あと
>>成人してから家督を奪った義龍と8歳で家督を継いだ秀家を比べるのも、いかがなものか?
秀家は8歳でいきなり統治を任されたのか?
秀吉に助けられたんじゃないのか?その後も背後に秀吉が控えた中での統治じゃないのか?
それでも内乱の種を鎮められなかったのは史実じゃなかったのか?
あと、直家の頃の宇喜多家なんて30万石あるかないかだよ、
それが57万石になっても、焼け石に水だった。
100万石も扱いきれるとは思えない、領民、地主が困るだけ。
その責任が秀家にあるとは言わないが、同時に実力があるとも思えない。
戦国時代における100万石の太守と言う責務を甘く見すぎかと。
450 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/19(日) 03:35:44 ID:K1p12Q3D
>>439 何、意地になってんだ。
それだったら、秀吉のせいだろ!
それに宇喜多は直家の代で50万石だろ。
それを、たかだか20万石余の最上と比べたりしたのんはあんただよ!
あんたの言う通り、30万石だったら、家産を倍近くまで増やした秀家は、有能な二代目ってことになるんだろ。
唐入りの主力メンバーは、帰国後、島津にしろ、毛利にしろ、お家騒動が起こっているのは、あんたも、知ってんだろ。
それだけ、家臣や財政への負担が大きいってことだろ。
宇喜多騒動一つで、秀家が無能だったって言うのは、おかしな話だ。
宇喜多が東海道に移封されたら、豊臣政権の全面的支援を期待出来るのは、間違いナシなのは、あんたも想像出来るだろ。
増田、石田、大谷、長束ら、有能な行政官が、遺漏のない政治基盤を、豊臣政権の将来を賭けて行うから、あんたは心配せんでもええんよ。
451 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/19(日) 03:40:34 ID:IqNKfwHA
>>448 秀保の存在は無視ですか?
実子じゃないが大和郡山半の立派な跡継ぎで、秀長の娘婿ですよ。
病死、ということになってますが、英次事件の影響で暗殺されたという説もある。
もしそれが本当なら、秀長の実の息子がいても、同じ結末をたどったと考えられる。
秀長は秀吉の実弟でもあり、秀吉の信頼が厚かったというが、秀次も秀吉の実妹の子で、多少実績に不安はあるが、秀吉も秀頼が生まれるまでは深く信頼していたぞ。
訓戒状とセットで関白職を譲るくらいには。+
>>450 別に責任を秀家に求めてないよ、その分実力も認められないだけ。
当たり前でしょ、それしか結果が無いんだから。
無能とも言わないが、凡庸。100万石と言う数字はそんなに軽くない。
直家は明禅寺合戦の辺りでは一時勢力を伸ばしたけど、
毛利に攻められて領土は備中を越えて備前のかなり深い所まで攻められてるから
50万石なんてあるわけない。
ただその後・・・まぁ説明いらんだろ、秀吉から貰ったんだよ要するに。
その領土をしっかりまとめた治績があるならそれ以上の領土を与えたらどうなるだろう?
と言う妄想も楽しいが、それすらまとめられなかった人物にさらに巨大な土地を与えた所で、
意味なんか無い。この時代の三河や尾張の人間の扱いにくさも半端無いし。
これが利家なら話も変わるが。
それに五奉行がそんなに優秀なら五奉行置けば良いじゃん。
453 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/19(日) 05:38:27 ID:hXSkBI7h
>>450 >家産を倍近くまで増やした秀家は、有能な二代目
母親のマンコが優秀だったんだろ。
>>437 >それは伊達が密かに画策した西欧諸国による援助のもとでの
幕府転覆の目的を携えた支倉使節団による陰謀の影響を受けた
スペイン人とかの書簡であって
おまえの言っているのは宣教師ルイス・ソテロがマドリッド政庁で呈した書簡のことだろ。
家康、秀忠、政宗と交流したビスカイノやディエゴ等の証言はほぼ実像を伝えている。
まあ、「幕府転覆」だの「陰謀」など、読書の範囲も、if小説か学研のムック本程度であまり
歴史詳しくなさそうなので、これ以上は虐めないが。以上スレ違い。
物語的な
>>437 の内容を擁護はしないが、亀レスで煽ったりしてどうするのよ。
最後に但書があればスレ違いでも問題ないわけじゃないでしょう。
内容的にも、支倉使節団・五郎八姫授洗の事実から政宗と在日旧教勢力が
親密だったことは推量できるし、目的を持って滞日している彼らが庇護者
について好意的な記述を残しても不思議ではないでしょう。
同時期に滞日していたアダムス・ヨーステンの書簡に同様の記述が存在すれば
客観性が担保されてより説得的になるかもしれないけどね。
仮に、ビスカイノ・ディエゴの書簡の内容が現実に近いものであったとしても、
少なくとも南蛮人における認識に留まり、西欧人のそれと認定できはしないよ。
そもそも東北の田舎大名に天下の仕置きは無理
新参者のイダテさんの言うことなんか誰も聞かんよ
458 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/19(日) 13:36:37 ID:+ve9abEL
>>454 バカか? 伊達厨が。
>>436 で
当時の西欧人の目から見ても、伊達政宗は巨大な実力者と認識され、評価されていたことが伺える。
こんな誤解を招く結論でしめるからバカにされるんだろ
あくまで、その西欧人とは一個人の見解であって
国王はもとより、西欧諸国に認知されたものじゃないと補正しろよ
こんな、指摘の意味も分らないバカが偉そうに薀蓄垂れるなよ
前田を尾張に入れたら加賀は誰だ?石田を入れようにも断りそうだけど 加賀の距離ならどうかなぁ。尾張の代わりに福島?いの一番に大阪に攻めあがるかもな
史実より早く成るけど、結城秀康を入れて、家康と分断してみるとか。 コイツの方がよっぽど家康と戦ってくれそう。史実の位置では何も出来ないけど。
461 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/19(日) 21:48:44 ID:7qZ9xsic
秀康は幕末で言う公武合体派であって、決して強行佐幕派ではないはずだが。 この場合の「幕」は豊臣政権ね。
幕末に例えてかえって判りづらくなってると思うんだが。
豊臣家中の争いごとについて秀吉が生前に取れる対策はなかったのかな。 強大な外様の存在・幼君推戴という逆境を前にしてもいがみ合うほどの 対立に発展させてしまったのは政権運営上の失敗なわけだし。 対立を決定付けたとされる唐入りの中止以外に、政治的対立の発生要因 そのものについての手配りは可能だったのだろうか。 それとも、秀吉は当初からいずれかに肩入れする心づもりであったため、 政治的対立の発生自体についてはさほど問題視していなかったのだろうか。
とりあえず伊達に蒲生を置く感覚で加藤に小西ってのは違うよな。 疑心暗鬼はわかるけど譜代は譜代でもっと頼ってみるしか道はない。もちろん秀次も含め。 発生に関しては信長がやった赤組ガンバレ黒組ガンバレの感覚。でも結局は渡海・兵站の 管理を三成に任せるハメになって、(三成が正しかったにしても加藤らからみれば)三成が小西に 肩入れしたような形になって余計に悪化したんだろ。逆に不満もったほうに近付いたのが家康。 唐入り前提で考えると加藤小西を先陣、他にも宇喜多や小早川に大将やらせて譜代に功を取らせたかったの だろうけど、そうなると外様に功を与えるわけにもいかなくなり対立は避けられない・・・。
465 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/20(月) 11:43:00 ID:E7oQS1xw
前田を東海道に移封するとして、どの線までなら、三成も納得し、太閤も裁可するかだなぁ…。 徳川の旧領駿遠三甲信五カ国130万石ぐらいなら、OKかなぁ…。 うち、駿遠40万石ぐらいは、利政に分家させて、真田は、本領安堵のうえ、前田に与力させる。 旧前田領及び、濃尾は、太閤恩顧の大名や秀家、秀康ら太閤の猶子らに、与えてたら、なおさら、効果的かなぁ。 秀家の57万石は、五大老の中で、断然低すぎる。 濃尾100万石ぐらいがちょうどいいかも? また、秀家嫌いがごちゃごちゃ言いそうだが…
北条を潰さなければよかったのに
まぁ実際五大老といっても輝元、秀家の扱いはオマケみたいなもんだ。 隆景が死んだ後の景勝も似たようなもの。
468 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/20(月) 18:44:54 ID:MeyhVX75
>>465 秀家嫌いがごちゃごちゃっていうか、近畿圏周辺に百万石大名置き
まくったら秀吉・利家・秀家の代はともかくその後がやばいでしょ。
一人野心持ちが出た瞬間戦国再びですよ。
濃尾は織田家が膨張した元になった強国だから一大名に与えるのは
相当ヤバイ。秀吉が信雄を移動させたがったのもそのため。
秀次の三兄弟が亡くなったのは仕方が無いにしても 大和大納言家なんていうのは、誰かを入れて継がせても良かったのにね
秀家は西国の監視だから意味があるのだろう、そうはすなわち宇喜多家だから意味がある。 同じ養子格といっても自由に操れるわけではないし、秀家自身の忠誠は信じてもそれ以後が心配。 前田ですら納得しないのに宇喜多なんて三成がそうそう大封を見とめるとは思えない。
471 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/20(月) 21:16:52 ID:RtYDXSkb
どのあたりまでが「豊臣恩顧」の大名といえるのかな? @秀吉子飼で大名に引き立てられた者 A秀吉の元同僚で豊臣政権下で加増のあったもの B秀吉の元同僚で豊臣政権下で本領安堵された者 C外様で豊臣政権下で加増のあったもの D外様で豊臣政権下で本領安堵されたもの 加えて、豊臣家の恩というのは譜代重恩と同様に次代にも適用されるのかな?
472 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/20(月) 21:21:48 ID:VMSalofp
厳密には@だけ 広範的には@ACだろ 加えて@の子孫も、また豊臣恩顧 Aの子孫も、やや恩顧
473 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/20(月) 21:28:31 ID:IoRquEhY
秀頼が生まれる前に淀と三成を殺しとけば問題ないと思う
474 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/20(月) 21:36:27 ID:VMSalofp
なら家康も
>>465 秀家が嫌いなわけじゃないよ、嫌いなのは現実感のない考察。
とりあえず備前周辺57万石自体は決して軽い数字じゃないぞ。
それを上手く動かせなかった以上どこ行ったって同じ。
考察としてはそれ以上の意義は無い。
>>466 どっちにしても氏政と氏照は殺されるとして
氏直と氏規ってこの上なく、家康よりの人物じゃん。
下手に残したらそれこそヤバ過ぎ。
いっその事、タカ派の氏邦と氏照を生かしておいて、
家康もあまり安心できない状況にして残すとかならわからんけど。
100万石弱くらいなら暴発もせんだろうし、充分かも。
476 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/20(月) 21:40:46 ID:iAjl99Vv
>>472 そうだね。
譜代重恩を期待できるとしたら@のみ。
それだって、歴史が浅いからなあ。
@だって、相応の実力を持って取り立てられたという意識があるし、徳川や毛利、島津みたいに「代が変わっても取り立てられた」という安全保障がなく、豊臣の末期には三成が暴れまわって「大名自身の安全」も怪しくなってたから。
477 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/20(月) 21:55:23 ID:RtYDXSkb
>>472 >>476 やや恩顧とはまた悩ましいところ・・・。
ACまで含まれるとすると蒲生家・徳川家まで豊臣恩顧になりかねないから、
幼君を盛り立てるべき恩というと@になるのかなあ。
彼らは政策決定機関である五大老に含まれないばかりか身上もそこそこで、
その上派閥をこさえて相争っているんじゃあ豊臣政権はもたないはずだよ。
秀頼の代官も守役もいわば他人に任せなきゃいけないんじゃつらいね。
478 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/20(月) 22:13:25 ID:E7oQS1xw
濃尾って、スペイン、ポルトガルと一緒で、信長、秀吉がええ人材を根こそぎ持って行ったから、人材は残ってないんじゃないの!? 信雄は、徳川が豊臣を廃したかっんと一緒で、旧主家をより遠くにやりたかったんじゃないかなぁ…? 豊臣政権は、前時代の足利政権に比べて惰弱じゃない。 何カ国守護なんかざらにいたんだから。 ただ、決定的な違いは、徳川と言う、豊臣家自体よりも大きく、他の外様よりも倍以上も強力な大大名がいた事と、 秀吉が死んだ時、跡継ぎが幼児だったことじゃない。 豊臣政権を永続させんのは、いろんな要素が絡んで難しいけど、秀頼成人まで保たせれば、後は成人した秀頼しだいやと思うのやけど。 それまでは、諸侯のバランスを保つ配置を心掛ければ、良かったんやない。 徳川の周りを、上杉、佐竹、前田と300万石以上の大名が包囲して、 それら、外様の強国との間を、太閤恩顧の大名が緩衝地帯を作る。 これしか、残ってないんじゃないかなぁ…?
479 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/21(火) 00:48:32 ID:NMZEoVuM
>>478 重箱の隅をつつくようでもうしわけないが、文中の「じゃない」が
否定の意味なのか語りかけの意味なのか文脈から判断しかねます。
480 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/21(火) 11:39:46 ID:o3bV7r/L
三成が本当の意味で豊家の忠臣であるならば、単なる行政官僚に甘んじて 家中の派閥争いが拡大・深刻化しないよう努めればよかったのにな。 秀次事件以降、秀吉死亡後に豊家の置かれる状況は十分に予見可能だったろうに。 「自分が権勢を振るえる豊臣政権」でなければ意味がないのは解らんでもないが、 家中を割って利敵行為を誘発せしめた三成の行動は秀頼公にとって不幸そのもの。
481 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/21(火) 14:41:26 ID:TogENAD8
>>480 >単なる行政官僚
この概念そのものがない時代にそれを求めるのは酷じゃね?
俺の認識が甘いのかも知れんが徳川中期以前にそれに当たる人物は思い当たらん
のだが。
行政官僚などというのはそもそも中央政府の基盤がしっかりあるところで
その効能を発揮するものであって、地盤そのものが脆弱では立脚点すらないもの
にしかならんのじゃなかろうか。
単なる行政官僚って無理あるだろう、検地奉行もそうだけど秀吉が頼ったのは 兵站奉行の部分が大きく、それゆえに軍事にも通じる。第一、正則らと横並びに戦場で育ったわけだし。 影響力のない一官僚に収まってても、それこそ家康に思うようにされる。
いわゆる豊臣恩顧の大名達が家康の下に走ったことについて 三成にどれほどの帰責性が認められるかだろうね。 政権自体の脆弱性は容易に改善を図ることは難しかったにしても、 豊臣家自体の仕置きについては工夫の余地があったんじゃないかな。 君側にあり、同僚にとっての不都合な指令や報告をなす立場にある以上 加増や序列について控えめであることが家中統一のために望ましいけど、 子飼の中では大身で一派閥の重要人物じゃ不満と怨嗟の的になるよ。 三成がいなければ豊臣家中に政争が起きなかったとは思わないけれど、 三成は政争を収めるよりも政争に勝利することを特に選択したようには思う。 三成本人にとっては当然の選択だろうけど、豊臣家にとっての善悪はどうだろう。
秀吉に子種がなかった以上豊臣家の存続は無理だろ
485 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/22(水) 18:02:22 ID:+Z+alz1K
秀吉が死んだ当時、豊臣家の直轄地はどの辺でどのくらいあったの?
秀長が死んじゃった時点でもうアウトですわ
北政所 福島・加藤は母親のように慕っていたようだけど 彼女を味方にできたら ? 秀吉死後は世を捨てたような感を受けるが
どうなんだろ木下、秀秋だって小早川だから大俸
信長・信忠が臣下の光秀に討たれたっていう身近な体験が 秀吉の思考に影響してるかな
490 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/23(木) 10:59:06 ID:4QH+sWHC
>>485 近畿北陸南海道あたりで200万石くらいだったかな?
詳しくは覚えておらんが。
メインはそっちよりも、堺や博多などの貿易から上がる運上金や各地の金銀鉱山からの上がりの方。
徳川家が幕府時代に直轄領400〜800万石、鉱山経営も6倍近い上がりを出し、貿易に関しては幕府の完全独占でそれも戦争にかまけて疎かになっていた秀吉時代より盛んにしていたから、徳川と豊臣とでは実力に格段の差がある。
それでも足利政権のときより格段にマシなんだが。
491 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/23(木) 11:01:26 ID:KOPqve1C
>>479 一般的には尾張閥で親家康派みたいに説明されるけど、
三成と親しくて西軍シンパだったていう話もあるんだよね?
彼女の持っていた政治力はいかほどのものだったんだろう。
>>487 っていうか北政所は別に家康の味方と言うわけでもないと思われる。
秀吉死後の彼女は既に誰の味方と言うのでも無く、
彼女自身が思うように豊臣のためになるよう動いただけに過ぎない。
秀吉の傍で何度も時代の変転を見てきた戦国の女性からすれば、
自分の夫の終焉も冷静に見届ける事が出来たに過ぎない。
その中でせめて豊臣の末期を悪くないようにと、家康を頼った、
それは水の流れのごとく自然な事。
その豊臣家を勝手に絶対的なものに崇拝して右往左往してるガキども(福島・加藤・淀)
の道具になどさらさらなる気は無いだろう。
493 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/24(金) 03:45:25 ID:sFHzsB/g
>>490 もう少し勉強してから書き込めよ
ぜんぜん間違っているじゃんw
豊臣家はどれくらい直轄地あったんだろうね。 見方によっては石田三成や大谷を豊臣陪臣の代官も兼務してたわけだし。 関ケ原直前なら徳川領内には本多や榊原とかの陪臣領も含まれてるわけだし。 もっとたくさんの松平一門もいたわけだしね、代官も兼てる奴もいただろうし。
全国津々浦々の蔵入り地を合計して220万という話を歴史群像でよんだが・・・・ 歴史群像だからな・・・・
大日本租税志によると慶長三年の豊臣家の代官地は200万5719石とある。 国別では(万石単位に四捨五入)↓ 山城8大和10摂津21河内16近江23和泉10播磨11甲斐1美濃4淡路3 紀伊6伊勢10丹波6讃岐1尾張14信濃6但馬1常陸1越前13遠江4 三河1陸奥1加賀1伊予7肥前1豊後17
やっぱり信雄に東海道五カ国与える
498 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/25(土) 17:19:38 ID:ETy6Escm
家康に関東を与えたのが失敗。関東は気候温暖、土地は肥沃、武士の質も良い。 東は海、北は東北の雑魚で西に攻め上がるのにこれほど適した地はない。 さらに東海旧国の領民は家康に特に恨みもないだろうから(むしろ恩があったのでは) 西上するとき家康側につくことも容易に想像できたはずなのに。 家康に関東を与えたということは家康の領土を倍増させたに等しい。 過去頼朝、尊氏と関東に地盤を置くものが幕府を開いていたというのに やはり統一後の秀吉はもうボケ始めてたとしか思えない。
499 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/25(土) 17:31:07 ID:1YIVZU12
なら、家康をとうほぐに追いやってればよかったのか?w
500 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/25(土) 17:34:32 ID:ETy6Escm
いや、家康はそのまま。関東に豊臣恩顧の有力武将(清正あたりか?)を配置して挟み撃ち できるようにしとけばよかった。ただ本気で大陸制覇に目がいってて そのための清正九州配置だったのだろうかねえ…
>>498 だから家康は関東移封を承諾したんだろう。
リスクもあったが上手く関東を経営できる自信もあったので
上記のような条件と、仮想敵国豊臣から遠ざかれるという観点から
引き受けたんだろう。
>>499 だからソコまでになった場合
特に処罰理由もないわけで
東北全土を徳川に与えてしまうわけで・・徳川の脅威に大差はないかと
>>500 関東に豊臣恩顧の有力武将を配置しても彼らが上手く関東を経営できるか?
という最大の難問が。
関東を実高300万石近い独自の超大国に仕立てられたのは家康の手腕も
大きかったが
他の連中に、ソコまで関東を上手に運営できる香具師がどれほどいるか・・
502 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/25(土) 17:52:05 ID:ETy6Escm
別に関東全部を誰か一人でなくても良かっただろ。関東が豊臣恩顧なら 家康も動けずそのうち死んだように思う。まあすべてifだが。
503 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/25(土) 18:02:19 ID:xG9Vb5x6
>>501 三成がいるじゃん
で、近畿と関東で東海の家康を挟み撃ちも出来るし・・
504 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/25(土) 19:34:39 ID:fJ5MMSDS
秀吉は、より遠く、より安全と思われる関東に家康を追いやって、安心感を得たかったんじゃない。 その意味では、家康の関東移封は失敗ではなかったんでは…? 実際、北条滅亡後すぐに、家康が、あれほど、見事に、関東経営を行えるとは、想わなかっただろうし…。 最大の失敗は、家康の旧領に配した、中堅大名達の不甲斐なさだろう。 実際、家康牽制に役立ったのは、真田一人だった。 家康の旧領には、信雄に断られた後は、利家に頼んだら良かったのに。 真田は組下与力にして、東海道の入り口に当たる駿河遠江40万石は、よりイケイケだった利政に任せていたら、その後の、大坂伏見の対立時や、関ヶ原では、違った結果になっていたかも知れない。
>>504 前田家の善意に期待しすぎじゃない?
家康に敵対する立場で家康の旧領を治めるのは骨が折れることだし、
万が一戦になった時矢面に立つのは自分の家なんだから。
真田家に関しては、関ヶ原において結果的に秀忠を足止めできたとはいっても
従来から真田家が家康の政治行動に影響を与えうる存在ではありえないから、
豊臣政権の存続についてそれほど重要な存在だとは思えない。
外様の小物の去就よりも、福島・加藤等子飼の統率の方が重要かつ切実。
>>357 遠江に改名して家康の警戒感を解くとか。
遠江秀頼、蓮葉秀頼
真田は結果論では役にたったがあれは秀忠がスルーすればよかったわけだし 抑止力とか抑えとかいう意味ではなんの役にもたたないよ。
508 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/25(土) 20:50:05 ID:qUMt7zXs
西軍の大将が豊臣秀頼だったら本当に西軍の圧勝だったかもしれんな
509 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/25(土) 20:55:31 ID:fJ5MMSDS
>>507 真田の抑止力に期待して、与力するのではなく、従前からの大名は、国替えせずに与力させるって意味。
下手に、国替えさせると、真田のようなタイプは恨みをかいそうなので。
ある意味、真田は、領地争いから、家康嫌いになったとも言えるので。
>>508 それを言い出したら、五大老五奉行体制自体が、無意味になるのでは…?
>>509 真田昌幸の能力に期待してのことなんだろうけど、父祖伝来の領地を
空にして与力先の大名の城に篭って地元を落とされちゃ世話ないし、
篭城足止めができないようじゃあ彼の能力の発揮しようがない。
五大老五奉行体制とそれに基づく家康の立法権承認は豊臣家にとって厳しい。
秀次が亡い以上、福島・加藤等秀吉血縁の大名を引き立てて
要衝に大身で配置できたなら家康に対する抑止力になりえたように思う。
勿論、豊臣家中の結束が大前提となるんだけれども。
511 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/26(日) 02:30:35 ID:gaGp76nr
家康に、立法権なんかないだろう。 あるのは、行政権では。 そのために、太閤と五奉行は、膨大な遺命を残したんでは。 大まかに言えば、五大老は、審議機関で、五奉行は執行機関だった。 勿論、利家生前の五大老五奉行体制が、機能している間だったが。 裁判も五奉行が行っていた。
浅野は秀次の後に外されてるよ 奉行の実態を見なきゃダメだよ
513 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/26(日) 08:03:19 ID:DMEGFbCi
五奉行はいいとしても五大老制つくらなければよくないか? なかったとしてもかわらんかね
>>511 近代的意味での立法・行政と重ねることは難しいけど、
五大老が合議によって政策決定をすることは立法に当たるんじゃないかな?
秀吉の遺命が細部にわたり未来を予測できるものではない以上、
政策決定に五大老(特に家康)の意思が反映されるので、単なる行政機関ではない。
むしろ、政策の執行機関たる五奉行の方が役割上は行政機関なんじゃない?
>>513 それもありだったんじゃないかと思う。
公儀は事実上消滅して豊臣家は畿内を中心とした軍閥になってしまうけれど、
家康にしても少なくとも天下さまの代官の名目で戦を起こすことはできないし、
天下をうかがうには実力のみを背景に諸侯を引き込むか滅ぼさねばならない。
幼児に天下の求心力となることは期待できないんだし、元亀・天正のむかしに
戻りそうな情勢だったら、保身のためにも家中はまとまるんじゃないかな。
>>513 いや、一応家康の足枷の一つにはなってたと思うよ、
前田利家からの一件を見ても、要はどういう風に扱うかであって、
五大老制自体は意味はあったと思う。
それを逆手に使われてるようじゃ何やっても無駄とも言えるが。
五大老がなくて五奉行があるのはあり得ないだろ。それなら内政だけの奉行とかわらん。 問題は揉め事は十人の合議というところがあって意味があるので足枷は五奉行のほうだろう。
517 :
名無し迷彩 :2006/11/27(月) 23:56:52 ID:xOkgThd7
いやそもそも豊臣家が握っている政権を運営するのに、他家との合議制にしたのが間違いじゃないか? そりゃ当然じぶんの家の利益を優先するだろうし、あわよくば取って代わろうと思っちゃうよ。
>>517 その為の加増の禁止、婚姻の届出制だよ。
本来なら厳しく戒める筆頭大老の家康自ら破って
自家の勢力扶植に邁進しているんだから・・・、
太閤死亡〜関ヶ原の流れって、
1:家康の遺命破り(武断派もこれに乗ってるし)
2:武断派の擾乱(というか裁判結果に不服で奉行追い回すのって政権に対する反乱といっていいんだけど)
3:前田・上杉の反乱容疑(他の大老の勢力削ぎたいのばればれ)
といった流れなわけだけど、家康は露骨過ぎですな。
その露骨な動きを誰も止められない時点で あの時期の豊臣家の力の底が知れるという気がする。
本来なら、武断派が他の大老に味方して、 家康の動きを、掣肘すべきなんだが、 福島・加藤・蜂須賀あたりは、家康の分断策に嵌った感じなんだよ〜。 つーか、秀吉に忠誠誓ったのであって、豊臣政権も秀頼も そんな忠誠の対象じゃなかったのかもな。 北政所も実は武断派も成人後は、加藤位しか積極的な交際が なかったというし、最近の研究じゃ逆に三成とかの近江系の人材 との繋がりが大きかったとかもあるし。 当時の視点で語ると、家康と三成という焦点ばかりで、図るべきじゃないかもな。 世情からみれば、上杉も毛利も不気味だったろうし。 三成も、太閤薨去の直後は、家康に好意的当たろうとした形跡がある。 関ヶ原で三成が立ち上がるまでは、家康が2歩も3歩も抜け出ているが バトルロイヤル(戦国(w)状態とみるべきかもしれん。
>>518 何処へ届けて誰が裁可するだ?そのシステム
522 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/28(火) 16:05:46 ID:dqNx40eR
秀吉子飼いの独立大名化は不可避だったんだろうか。 200万石は直轄領としては少なすぎるし、中央の人的資源が乏しくなるのも 豊臣政権維持にとってはマイナスになるような気がする。 江戸初期の譜代大名は数は多くても彼らより石高は少なめだし、 江戸・駿府に人材が豊富だったのと比べて差があるように思う。
524 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/28(火) 21:48:42 ID:NQFY1Vwi
加藤・福島が家康の上杉征伐に参加拒否したなら上杉征伐が加藤征伐、 福島征伐になっただけだと思います>< 真田みたく家康軍から脱退、西軍に、って形なら福島が清洲城主なので 戦場は関が原になってないと思います><
>>524 加藤って清正?それとも嘉明?
2人とも上杉征伐への参加義務は無かったと思うけど
>>520 そうなると北政所は清正とも三成とも付き合いがあるって事になるよね。
彼女があの2人を仲直りさせる事はできなかったんだろうか。
527 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/28(火) 23:55:32 ID:tfvc8/PR
>>523 豊臣家筆頭大老より元秘書室長に従うのが忠義?
三成のそれまでの言動から考えて、後々スポイルされるのがわかっているのに?
さらにいうと、現代から結果だけ見て「三成は忠臣で西軍は正義の軍団」みたいな見方するけど、諸侯に勝手な恩賞の約束をして秀吉の遺命を破っていたのは三成らも一緒なんだが。
おまけに単純な戦力比較だけをすれば、東軍西軍共にほぼ互角(西軍やや優勢)だが、モチベーションや結束の高さ、統率の面まで行くと東軍が圧倒的に有利。
清正正則両将の軍勢がなくとも、西軍に五月蝿くて内部分裂の後押しをしそうな要因が増えるだけで、余裕にはならない。
大体、戦場で裏切り行為をしたのは小早川や脇坂らだけかもしれんが、吉川広家のような消極的裏切りや長曾我部や島津のようなやる気のないもの、前田玄以や増田のように中央にいながら通敵行為をするもの……
これでどうやって勝つ?いや、よしんば勝ったとして、どうやって戦後の混乱を収拾する。
東軍が勝利を収め、短期の内に戦争終結できたのは、日本で最大の戦力を家康が保持し、それを背景に東軍を取りまとめていたから。
528 :
名無しさん :2006/11/29(水) 01:15:49 ID:GYntV8Ge
今にして思うと加藤や福島が家康側についたのは秀頼が間男の種でできた 子だと思っていたんじゃないのかな そうじゃなくても家康ならそのくらいの作り話はこしらえて流すだろう
529 :
名無しさん :2006/11/29(水) 01:17:39 ID:GYntV8Ge
まあ肖像画を見たら誰が見ても秀吉の遺伝子は受け継いでいそうにないよ 俺でも秀吉の子じゃなさそうなのはわかるくらいだもんな
>>517 豊臣の運営と言うか、他家の合議にしたのは大老同士をそれぞれ牽制させあって
均衡をとらせようとおもったが為の合議だろう。豊臣自体でも東海道固めたり防衛はしてる。
というか問題は、均衡を取らせるために家康の対抗馬にしてた利家の死に尽きる。
>>524 征伐って征伐理由は大老としての職務の問題だろ。福島あたりはなんとでもできる。
ようは征伐の決定権を誰にゆだねるかの問題。
武将の間にはみんな秀頼は誰の子だよと思ってただろうな。それに秀吉も本能寺後に
信長の側室・子・孫殺してるから同じく秀吉の側室・子・孫が死んでも報いだと思っただろうな。
豊臣がなくなると自分の家があぶないなと思ったりしたのはあっても
信孝に 「主家の者を殺すようなやつは自分も同じ目にあうぞ、筑前!」 と言われてそのとおりになっちまったな・・・・・
532 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/29(水) 13:23:30 ID:KKzMExY4
五大老制度までは、良かったとして、最大の問題は? 利家の早死に? 利長の不甲斐なさ? 利家に代わる中心人物がいなかったこと? だとしたら、誰が候補になったのかなぁ…? 秀吉から信頼、豊臣家中での信望も厚く、 実際、関ヶ原敗戦までは、ぶれなかった秀家しかいないかなぁ…? でも、57万石の20代では、軽すぎるか? せめて、100万石の40代だったら、良かったのに。 後は、思い浮かばねー!
利家に頼っても後継に譲る年齢だろ、息子だっていい年だし だいたい五大老って集って会議とか決裁とかしてたの?
五大老・五奉行体制は諸侯の善意に過分に期待したものなのがどうもね。 利家が少し長生きしたとしても、期待する効果が生まれるかは疑問だな。 家をかけてまで頑是無い幼児へ義理立てするのは難しいだろうし。
535 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/29(水) 14:44:32 ID:KKzMExY4
史実では、少なくとも、その幼児の為に、義理立てして、大坂伏見の対立時に、家康に刃向かっているんだけどね。
利家は十分長生きした
537 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/29(水) 15:12:03 ID:lJ8Q2ZSN
もし利家があと10年ぐらい長生きしていたとしたら家康はおとなしくしていたのか?
538 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/29(水) 15:22:33 ID:KKzMExY4
関ヶ原に至る史実とは、違うやり方を取ったのは、確かだろな。 大坂伏見の対立時では、6:4で、家康の負け何だから。 少なくとも、利家が生きている間は、五大老五奉行体制は、家康も好き勝手出来ないほどには、機能していたのは史実では。
もっともあまりに他力本願な気がするがなぁ
540 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/29(水) 20:41:49 ID:KKzMExY4
他力本願は、前提条件の一つ。 6歳の幼児と寡婦では、豊臣家自体の意思決定とその執行が出来ない。 だからこそ、五大老五奉行体制という、日本では、はじめてと言っていい、寡頭体制を敷いて、諸侯の秩序と相互牽制を狙ったのでは…。
>>540 そんなのは遠の昔から朝廷だってやってるよ
五大老とか五奉行とかの言葉じゃなくて、 実際の機能を検証しなきゃ、具体的に収入とか支出の管理はどうなってたとかね
>>540 抑制・均衡が機能するにはそれぞれの力が近いのが望ましいけど、
家康が飛びぬけていた状況ではそれ以外の勢力の結束が求められるし、
結束を持続させる強制力がないのが一番の問題。
利家はすぐに死んだけど、果たして長期に渡ってまとめ続けられたものだろうか。
史実でも、秀吉子飼の争いごとすら調停し切れなかったわけだけど。
544 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/29(水) 22:18:20 ID:KKzMExY4
>>542 収支の出納、財政に関しては、太閤生前から引き続き、長束が担当していたと思われる。
>>543 寡頭体制は、ローマの三頭政治にしろ、旧ソ連のトロイカ体制にしろ、次の権力者を決める実力者達の予備戦のようなもので、実際、長続きはしていない。
恐らく秀吉は、秀頼が成人し、判断力が備わり、豊臣臣家自体の意思決定と、軍事力の行使ができるまでの時間稼ぎがしたかったのではないかと…。
545 :
片桐東市正且元 :2006/11/29(水) 22:24:16 ID:lnRzmcjL
豊臣秀頼は大和郡山5万石への減封転封、ならびに隠居、蟄居のうえ謹慎すべきであった
>>544 秀吉の期待・希望と実現可能性は別だからなあ。
政権基盤の脆弱さと家康の存在を考えると少なくとも10年間
何事もなくすごすのは難しいんじゃないかな。
豊臣家中が割れはじめているし、秀頼が「次の権力者を決める実力者」に
含まれていないわけだし。
547 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/30(木) 00:23:28 ID:ulk6f82F
確かに、おっしゃる通り、10年間、無事に過ごすの困難です。 ただ、政権基盤は、15代続いた足利幕府よりは、はるかに強固なわけで、 違うところは、後継者が幼児であること。 外様の中に、徳川という、豊臣家自体よりも強力で、他の外様の2倍以上の領地を持つ存在があったってことですかね。 例えば、あなたが、秀吉の側近か奉行で、晩年の秀吉に涙ながらに、秀頼の天下を頼むと言われたとする。 あなたが、無能でも、不忠でもなかったら、何らかの手だてを講じるのが、このスレの意味では…。
秀次を殺した すべてはこれ
寡頭体制なるものは・・・っていうか政治参加者というものは少なくともその運営する国家の 国民であることが大前提。 たとえていうなら五奉行は少なくとも豊臣政権が無いとその地位にはいられない。 だから秀頼はただの傀儡とするかもだが、彼らには豊臣政治体制の維持が必要なのです。 ところが、五大老は全員が豊臣政権にたいしてはよそもので、別に豊臣政権が無くともそれに 取って代わるだけの力がある。 それに気が付いていて、一番近い存在で実行に移したのが徳川だっただけ。 そして本来であれば豊臣をまもる軍事力であるはずの加藤・福島をはじめとする子飼い武将は 政権からはずされ、大領を与えられた時点で豊臣政権が無くても良い存在になってしまった。 政治とは人材がどうこう、誰が長生きしたとか言う前にシステムが大事なのです。
550 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/30(木) 00:52:06 ID:DqjITGnN
ちょっと遅レスだが
>>520 高台院(北政所)は東西両軍に縁故が股裂きになっている。
一説には伏見城にいた木下なにがしが徳川留守居の鳥居の圧力に屈して
退城せず秀秋と島津が入城できていれば
和睦斡旋に乗り出す腹であったと聞いた。
その和睦で家康は関東に蟄居させ自分の都合のよいように豊臣家を再編し
ようとしてたとか・・だから西軍色をださなかったのだが
それがうまくいかず呆然としている間に天下は徳川にって・・
>>526 清正は西軍参加は承諾していた。輝元にも打診していた話は有名だしさ・・
この点からも清正と三成が犬猿だったという話が眉唾なんだよな。
問題なのは小西だよな、こいつとの因縁で清正の西軍参加はお流れになってる。
>>550 清正は大和を恩賞として貰えれればといっている。
増田が納得するのかという点がある。
朝鮮の役の関係で清正と三成は一応敵対関係にある。
というか、7将に追いかけまくられた理由はそれなんだが。
ちなみに、石田は朝鮮の役で軍監やっててそれで武断派
うらまれたようなもんで、福島と池田は朝鮮の役でほとんど関係
ないのに何故か7将の中に入っているのはなぞだ。
552 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/30(木) 01:16:51 ID:DqjITGnN
>>548 秀次存命で秀吉が死去していても
秀頼が生きている点を考えれば問題は解決していないわけで
京都の秀次
大阪の秀頼を担ぐ連中とに別れて
関が原のような天下分け目の大乱になった可能性は否定できない。
この場合人脈や力の図式的にいって
徳川と上杉と三成、増田、長束が秀頼側に立つとおもう。
逆に
前田、毛利、細川、伊達、最上は秀次側かな。
こういう図式での関が原も面白そうなきはするが・・
>>552 毛利は秀頼側じゃない?
逆に徳川は秀次につきそうな。
上杉はどっちともいえない。
554 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/30(木) 01:36:22 ID:DqjITGnN
>>553 毛利は細川とともに秀次事件で名の上がってる大名だから
微妙だが、こっちに加担しそうな気がする。
秀頼に加担する理由も薄い。
政権担当してる関白が秀次なわけだし・・
徳川は淀の妹を迎えてて史実では千姫を嫁に出す関係だ。
秀次存命でどうなったかは分からんが
少なくとも秀頼の後ろ盾は依頼されたろう。
555 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/30(木) 13:38:20 ID:ulk6f82F
>>549 あの〜、五大老五奉行体制が、
と言うより、豊臣政権自体が、
システムとして、不完全なのは、
結果的に、家康の野望を止められなかった以上、衆知なんですけど。
だから、人材をテコ入れするとか、配置をどうするかとか、それとも、システム自体を変えた方がいいのかを考えるスレじゃないの?
システムに問題があるんだったら、どういうシステムだったら良かったの?
教えてください。
子飼いが地方の大名になったのも、全国を視野に入れた政権である以上、ある程度は仕方ないのでは…。
>>555 秀吉死後の豊臣家に全国規模の政権を運営する能力がないのなら、
子飼を地方にやらず畿内を中心にした地方政権として秀頼成人を待つのはだめかな。
どんなシステムも不完全だよ。 4大老と5奉行は家康の独走を止めようとしたし、 地方勢力も、基本的に豊臣政権を是とした。 これで、家康と家康派の大名だけなら押さえ込む事も 可能だったと思うだけど。基本的な構想はまちがっちゃいない。 ただ、問題は福島・加藤・蜂須賀といった身内同然 の連中が家康にいきなり媚うったんではどうしようもないと いうあたり前のことだな。
>>554 まぁ毛利と一言で言っても、どれを指すのやらってのもあるが・・・。
しかしその図式だとやはり上杉が秀頼につく理由が無い気がする。
宇喜多秀家や佐竹義宣らは豊臣に対する義理はあるが淀や秀頼にあるわけじゃない、
その図式ならどっちでもありうるかな。
そして整理してみると・・・
家康がついてくれなかったら淀君勝ち目無さ過ぎじゃ・・・。
逆についてくれてもいくら家康でもこの勢力は・・・、しかもそれを家康が
蹴散らしたとしたら、いよいよ家康を止める奴がいなくなる・・・。
結局秀頼が生き残る道ってなんだろう
>>557 家康と家康派を押さえ込むのが実質的に豊臣秀頼ではなく、
豊臣家の名を冠した外様大名の集合なのがどうもね。
豊臣政権の指導者が秀頼ではなく外様の誰かなら史実と大差ないような。
>>558 秀吉死去の時点でよほどうまく泳いだ上に僥倖に恵まれないと苦しそう。
泳ぎ方について議論の余地は十分にあるとは思うけどね。
560 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/12/01(金) 00:52:56 ID:bhQ0CbBd
今、思いついたんだが、秀秋じゃなくて、秀康が、小早川を継いでたら、関ヶ原は、違う形になったんじゃない? 西軍につく可能性も皆無じゃないし、 東軍についても、途中裏切りするタマじゃなし。
>>560 それだと秀康がはじめから東軍につく可能性も捨てきれない気がする。
確かに仲の良いとはいえない親子ではあるし、秀吉に対する恩はあるだろうが、
かといって親子同士の諍い殺し合いも珍しくないこの時代で、この親子は内心どうあれ、
目立って争ったほどでもないわけで。
家康から親子の情を持ってこられたら断る理由も少ないような気はする、
そのぐらいの狸芝居はいくらでもやってのけるだろうし。
逆に三成の方につく理由というのが秀吉に対する恩以外に何も無い以上、
関ヶ原の時点では三成を豊臣正規軍とみなせない以上は三成に加担する義理も無い。
家康と利家の役割が逆だとどうでしょう。 家康が大坂で秀頼の養育役をやっていたら情が移って滅ぼすまでしないかもしれませんよ。
563 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/12/01(金) 01:33:11 ID:bhQ0CbBd
>>561 だから、良くレスを読んでね。
東軍についても、(秀秋みたいに)途中裏切りするタマじゃなし。って書いてんじゃん。
>>563 ああそうか、なるほど。
ただ俺には西軍につく理由が秀秋以上に無い気がするよ。
>>555 システム的に考えてみた。
とりあず最低条件が豊臣政権構成員に外様大名の名前を乗せない。
徳川や伊達はいうにおよばず、上杉・前田・宇喜多もだめ。
俗に言う豊臣子飼いのみで構成する。
たとえば、五大老に代表されるような石田とか文官5名と加藤・福島らの武官5名で構成するってのは
どうだろう?
そしてこれら文・武官からなる老中職には大領を与えない。せいぜい10万石とまりかな?
領地も東海道に並べたり九州に置いたりせずに、尾張・美濃・近江・摂津・越前と近畿に集中させて、
日本の中央に巨大な豊臣領を築く。
その上で、各国の大名を縛るための、法律 勝手に大名間で結婚するなとか、戦争するなとかをきめてしまう。
平和になれば各国で蓄財が始まるので、適当なインフラ整備に借り出して浪費させるのも忘れちゃいけないかな?
自国の交通網を整備させたりしとくと、なにかあって攻め込むときなんんかにも便利かも??
あとは外様のなかで、親豊臣派と反豊臣派を見極めた外交と。
そして一番大事なのは、この政治体系を秀吉存命中に起動に乗せること。
まぁざるなところばっかだけど、スケルトンとしてはこんな感じ。
とにかく、外様には口をださせない事が肝心。
まぁ10中10外様連合に集中砲火喰らって自滅が関の山だな。
567 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/12/01(金) 10:27:03 ID:7xIR/Xmf
>>558 「秀頼が生き残る」ことに的を絞れば、前々から上がっているように徳川体制化で「高家」として生きるのが一番リスクが少なく、幸せな生き方だと思う。
政治的権威も実力も無くなれば、徳川が無理して潰す理由が無くなる。
ところが政権維持しようとすると、色々と無理が出てくる。
秀頼を九条家に養子に出す
>>566 やはり外様大名は一枚岩になっちゃうんだろうか。
家康が東国における実質的な独立政権となった場合、
毛利家などの西国の大名が地理的に離れていても
家康と同心するようじゃ、秀吉存命でも無理だよね。
秀次を潰してから2、3年しかないから この短期間で安定にもっていうくのは難しいだろな
571 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/12/01(金) 14:48:49 ID:bhQ0CbBd
秀次が生きてるってことは、少なくとも、秀吉に、秀頼に後を継がせることを確約したってことじゃない。 後は、その言質を担保するシステムを講じられるか、どうかにかかってくるんじゃないかなぁ…?
572 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/12/01(金) 14:50:26 ID:AHKbF5bc
>>565 それ江戸幕府の政策そのまま・・・・
それでもいいけど、そのやり方はあくまで
「幕府」という戦時の独立臨時政府だからできた政策。
豊臣政権はあくまで、律令制度における官位に元ずいた政権。
秀次が関白だとしても独裁などできず、
内大臣の家康や大納言の利家が政治に口をだすのはむしろ当然。
>>573 可能であるなら秀吉も幕府のような統治政策を採用したんじゃないかな。
律令制度における官位に基づいた政権であることに固執はしていないでしょう
秀吉存命中に、大阪城にやって来たときに家康を暗殺する これが一番
秀忠と忠勝も一緒に呼んで3人まとめて殺せば完璧
577 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/01(金) 21:40:21 ID:pfWldGOd
まあ間違いなく大老一位の座と徳川領を巡って諸侯同士が泥沼戦争 するだろうな。
秀吉の家康包囲網ともいえる、領地替え布陣。 こぞって徳川方、家康潰すのは無理じゃなかろうか。
天下を獲らずに織田家随一の大大名になってればよかった。 秀吉もNO.2でありつづければよかった。
580 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/01(金) 22:05:52 ID:SzMD4POB
>>573 いや、同じ幕府でも鎌倉や室町は有力家臣がガンガン政治に口出して、
ズタボロになっていますから。
幕府だから出来る、律令体制では無理って分けじゃあない。
あえていうなら、徳川政権だけが構築に成功した体制。
まあ、どっち道豊臣には無理だったと思うけどね。
>>580 正確には
織田が強引な力で天下を搗き
羽柴(豊臣)が類稀な智謀で天下を捏ねて
いないとできない天下餅ではあった。
類稀な知謀ってのは大袈裟では あとからどんどんボロがでたし
583 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/02(土) 07:19:22 ID:6VD9nkjD
千姫とセクロスしまくくって子供産ましておけば生き残ることはできたんじゃない? 池田や浅野のように
智謀と政治力は違うわな。
>>582 むしろ、稀な智謀で体制しっかり固めたら、徳川の出る幕はなかったわけで、
ぼろが出たからこその徳川体制成立ってものだわな。
信長秀吉コンビは揃って内治という部分でかけてるところがあるのが似てるなあ
587 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/02(土) 10:55:06 ID:JVmm0m3b
で、どうすりゃ。 豊臣政権は守れるのん? 結局、人の批判はできても、策の一つも出んのかいな?
>>587 すでにスレ1で出た結論を蒸し返しつつ画期的なアイデアがでるまで
既存の意見のまとめとオナニーを繰り返すスレだから。
あと、句読点の使い方がへんだぞ、オマエ。
>>579 仮に信長が天下取って、秀吉が織田政権随一の大大名になっても嗣子がいなくて断絶じゃね?
信長が生きてれば淀を妻にすることなどできなかたっし。養子の秀勝も早世したしさ。
その時は秀次が二代目だろ
>>587 結論は守れません。
「豊臣家」ならひたすら家康の言うこときいて、
というか、むしろこっちからへりくだって、必死になって徳川の下につけば、
或いは残せたかもしれないけど、「豊臣政権」はまず無理。
>>589 信長からもらっていた養子が後継いだでしょう。
足利義満や義教の有力守護潰しの時は、守護間で連携結束なんて動きはなかったのね
>>592 何でその話題が出るのかよく分からないけど、
そもそも、それほどは潰せていないでしょう、
義満が潰したはずの山名や大内はその後も大きな力を持っていたし、
義教はその途中で暗殺されてしまった。
>>591 まあ、そう結論を急がずに落ち着いてw
「政権」の解釈の問題だけど、秀吉在世中より規模・範囲が縮小しても、
豊臣家が主体的に政治に携われるような体制を採用する余地はあったんじゃない?
外様を締め出すことにはなるけど、現実的に天下をうかがえる外様は家康くらいだし、
他の外様の大諸侯たちにしてみても、軍役・お手伝い普請の義務がなくなって
改易・転封の不安がなくなれば唐入り直後なんだし領国経営を重視したいでしょう。
畿内周辺のみの政権になったとしても豊臣家が200万石以上の大大名であることに
変わりはないのだし、有力外様の利害がうまく一致するとも思えないから、
大坂にまとめた子飼が機能すれば豊臣家がいっぺんに滅ぼされる心配もないように思う。
統一政権を持たないことは日本史にとっては不幸かもしれないけれど、
秀頼成人までの雌伏の期間としてどうだろうか。
政権って意味をそこまで縮小すればね。
>>595 初期の足利将軍家にしても南朝方に降伏したり京を追われたりと、
足利義満が一応の権力体制を確保するまでに紆余曲折があった。
秀吉死亡時に統一政権の受け皿が豊臣家にないのならば、地方政権に甘んじて
時を稼ぎその後に秀頼が統一政権を取り戻したら、政権継続といえないかな。
まあ、肝心の秀頼の器量についてが一番心もとないんだが('A`)
秀吉実子でなかったとしても母方の血統は抜群なのにね・・・。
政権確立の過程での紆余曲折ならともかく、秀吉が一応は統一政権築いた後だし、 その後地方政権に転落して「政権維持」というのはちょっと厳しいと思うけど。 まあ確かに豊臣政権は無理と言ったのは、統一政権としてのものを念頭にしていたし、 地方政権なら目はあるでしょう。 一大名だって小さな一つの地方政権なんだから、ひたすらへりくだって生き残るのだって、 地方政権として生き残る策のひとつみたいなものだし。
>>597 「地方政権」という言葉を使って誤解を招いたしまったけれど、
大名として対内的に自己完結するものではなく、あくまで従来の政権の
規模・範囲を削り落とした体制を念頭においてもらえるといいかな。
例えば、畿内を押さえていた三好家はなるほど地方政権に過ぎないけれども、
畿内における豊臣政権は隠然たる力と半従属の諸侯があるだろうように。
「政権維持」という言葉を用いることが厳しいのはまったくもっともだけど、
秀吉政権自体が統一政権でありながらその統一性が強固でなかったわけだし、
畿内における豊臣政権(仮)が存続して日本に統一政権が現れなかったら、
後世において政権の継続と評価されうる余地はあるんじゃないかな。
「豊臣政権の最盛期は初代秀吉の頃・・・」という感じで。
三好家だって勢いが良かった頃は隠然たる力と、半従属の諸侯があったと思うが? どっちにしろ、秀吉時代の政権を維持するのは無理、 「家」としてなら望みありって処でしょう。
>>599 三好家における「隠然たる力と、半従属の諸侯」は自家の勢力圏である
四国東部・畿内周辺に限られてしまうけれど、畿内における豊臣政権(仮)は
秀吉死後数年の間は全国規模でそれをもてるという点で異なるんじゃないかな。
おっしゃるように秀吉が一応は統一政権築いたおかげでね。
高家としての存続を考えるのは後世において豊臣家滅亡を前提にしているからこそ
発想が可能なのであって、秀吉死亡時・関ヶ原直後に当事者に発想を求めるのは酷。
個人的には幕府の政権基盤が整う仮定で国替え・参勤・人質提出を受け入れる
方が現実的ではあると思うけど、それだって他力本願だし確実性は担保されない。
秀吉晩年に既に家康が豊臣家をしのぐ存在であったのならともかく、豊臣家の
アドバンテージを生かしながらの自力救済が先に検討されるのは自然じゃないかな。
もちろん、現実的な徳川政権内でのうまい泳ぎ方があればそれに越したことはないけどね。
豊臣秀次死後に、関白に結城秀康を豊臣姓で就任させていれば或いは・・
下策だろうとなんだろうと徳川家康を殺すのが最善策 秀忠に天下人の器量はない 家康さえ殺せば万事解決
603 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/02(土) 19:37:37 ID:JVmm0m3b
>>600 ご意見をたたき台にして、考えるに
確かに、唐入りで疲弊した西国諸侯は、安定した秩序を求めるかと思われるが…
東国は群雄割拠の乱世に、そのまま突入しそうな気が…。
その時、豊臣政権は、静観するのか?それとも介入するのか?
東国の勢力図は、かなり変更しそう?
上杉佐竹同盟対徳川を軸とした大連合。
残る大勢力、前田の動きが、東国にどう影響を及ぼすのか?
なかなか、面白い妄想が…、楽しめそう。
>>602 それは徳川家に豊臣家を簒奪されない方法だ
家康を殺す=豊臣政権内の柱を殺すことになり政権の弱体化しか意味がない。
しかも家康殺したことによって第二第三の家康がでる可能性が高い。
どこが万事解決だ
>>600 結局それを三好家規模の政権くらいに縮小するんでしょう?
全国規模の権力を保持しようとすれば史実の通りだから、
それはとどのつまりは何も変わらないってことだと思うが。
それはそうとして具体的にどうやって政権の規模を縮小する?
惣無事令の撤廃でもするのかな。
それで毛利や上杉や前田が黙っててくれるという保証は?
殺した後で考えればいい 差し迫って一番大事なことは徳川家を弱くすること 黙って言うこと聞けば毛利上杉前田の所領を増やして官位も上げてやればいい どうせ後で取り上げてお家取りつぶそうとするのは徳川秀忠家光といっしょ
秀忠・家光並の強権政治を出来るだけの基盤を秀吉が残してくれていたなら、 心配しなくとも最初から滅びやしないよ。 そんなものがなかったからこそ豊臣は滅びわけで・・・ それ以前に後から考えるって・・・・正気?
北条や足利の事例を考えればなあ。
>>605 土地・人民に対して直接支配が及ぶ範囲は畿内周辺に限られるかもしれないけれど、
宇喜多家・小早川家のような特殊な性質を持った大諸侯が存在することだけでも
三好家と異なるし、蔵入地が少ないのは秀吉政権にしても同じこと。
秀吉政権における改易・転封権のような全国規模の権力が必要なのではなく、
畿内における豊臣政権(仮)に対して急に不為を働かない程度の関係性があればよい。
政権規模の縮小についてはそれ自体が必要なわけではないのでことさらに宣言する必要はなく、
関ヶ原のような豊臣家が関与せざるを得ないような一大決戦の発生を抑えることが重要であり、
上方において争いごとを起こさない限り地方での争いに関与しないスタンスでよいと思う。
長く続けば政権の持っていたアドバンテージが失われることになるけれど、
秀頼成人まで時を稼がねばならない関係上そのあたりが外交上の勝負になると思う。
>>611 地方の争いに関与しないって事は自分の身は自分で守らないといけないわけでしょう?
そんな情勢で小早川や宇喜多が特別な性質の大諸侯のままでいてくれるとは思えないが。
というか、それじゃあ唯の五大老制がなかったとした豊臣政権になってしまう。
少なくとも利家が生きている間は、家康を掣肘できた五大老制がなくては、
なおさら家康の好き勝手を許すだけ。
唯でさえ黒田や藤堂のような目端の利くものは次の天下人は家康と踏んで接近しているのに、
家康の動きを押しとどめる制度がなくては、より自由に家康の多数派工作を許し、
情勢は寄り一層家康有利になっていくばかりかと。
>>612 宇喜多家に関しては豊臣家と国境を接しているし、秀家の生育環境と
史実における彼の行動を鑑みて、毛利家と諍いを起こさない限り
豊臣家不為を働くことはないだろうし、豊臣家が毛利家と争ったとしても
特殊な性質の諸侯として豊臣家に与力することは考えられるんじゃないかな。
小早川家に関しても、毛利家と争わない限り問題は無いように思う。
五大老筆頭の地位がない家康が史実同様に多数派工作が可能なんだろうか。
豊臣家御為の名分が立て辛い状況で福島・両加藤が懐柔されるとも思えないし、
彼らが付かないならば史実のような雪崩現象も起き辛いんじゃないかな。
力ずくで豊臣家を討ち果たす力を家康が既に持っているのなら手の打ちようもないけどね。
>>601 なんかそれってある意味、下手すりゃ家康が史実以上の完全勝利になるな。
家康は史実のように汚名を着る事も無く労せずして綺麗に関白も豊臣姓も、
長男に与えることに成功して、次男はのほほんと江戸で外様最高の勢力として居座るわけだ
んでほっとけば梅毒で死んで、史実では越前松平の孫達があら不思議、
いつのまにやら豊臣姓で関白になって大阪城で受け継いでいくわけだ。
彼らと秀忠の仲も良いし、そうなったら秀頼をどうするかはかなり疑問。
結局、家康に冷遇されて秀頼を大事にしたという秀康本人の性格にしか期待しえない辺りが苦しいね。
それにしたってあの狸のこと、秀康に利用価値があればすぐさま手のひらを返すことぐらい、
造作もなさそうな・・・。家康はとことん冷遇したが、秀康はそれでも家康から離れるような事はないし、
関ヶ原で秀忠の役を嘆願したりと、別に秀康が家康を嫌いだったわけでもなさそうで可愛げがあるだけに、
家康から「お前をこういう形で関白にするために今日まで冷遇してきたんだ、許せ」なんて
白々しい事を言われても秀康としてはかなり動揺する事は疑いないだろう。
秀次死後ってことは21歳だし、危なすぎ・・・。
615 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/03(日) 03:29:33 ID:BtHwfFTE
>>614 徳川側から見ればそうなるが、
豊臣側から見れば、実父に冷遇された秀康が、関白にまで引き上げてくれたことに感激し、
亡き太閤の為、見事に秀頼成人まで後見し、
秀頼成人後は、関白の座を、秀頼に譲るってのも、妄想できるが…
秀康が生きてればその妄想も悪くないけど 結局病気で早死にしてるしね・・・。 やはり無事なのも大切な要素だな。
秀康の息子はあれだぞ・・・? 返してくれるの?
結局、制外の家...
619 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/03(日) 13:53:58 ID:wuRB4R7T
織田家のように。。1万石くらいの小大名で生き残る術もあったのでは。 上杉家も15万石でありながら国主格だったし。。
>>619 高家として存続するだけなら可能。
ここは豊臣政権の維持がテーマ。
譜代と親藩が少なすぎる豊臣政権が続くのは難しい。
織田も豊臣も没落消滅してしまったからどうしても評価は低くなるよな
622 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/03(日) 17:51:21 ID:8pd8iT+3
豊臣家としては存続する可能性はあったかかもしれないが どっちみち秀吉の子孫ではないからどうでもいい。
小早川家を秀包が継いでたらどうなっただろうか。 まあ、そうなると毛利秀秋が誕生しただろうけど・・ 即出だったらスマン
「豊臣政権」として存続させるなら家康に政権を禅譲する代わりに 家康の姓を豊臣に変えてもらうしかない
豊臣政権持続は無理だろ。 よしんば家康を排除しても無理。
武士をやめて公家になってしまうのも有りだな 源氏ではないから征夷大将軍にはなれないし、もともと百姓の出身
ウルトラCの方法がある。 それは、宇喜多秀家を正式な養子として豊臣を継がせて関白にする。 で、秀頼が成人後に関白を譲る誓詞をとる。 こうすれば、少なくとも秀頼成人まで豊臣政権が続く。 誓詞を五大老五奉行連名にしていれば、さすがに秀家も約束を違えることはないだろう。 実権は徳川が握るが、征夷大将軍に就任することはできないだろう。 ただ、一つだけ心配なことがある。 宇喜多秀家は暗殺大名で有名な「宇喜多直家」の嫡男であるということだ。
妙なところで直家の血が目覚めないという保証はどこにもないな、確かにw 結局史実では早々にリタイアしてるだけに、壮年になって成熟した後権力を持ったら、 どういう性格になるかなど、誰も想像できん。 直家だって暗躍し始めるのは30ぐらいからだったはずだし。
629 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/04(月) 06:07:29 ID:2InlwqRB
正直、ココを見ていると 豊臣政権=大日本帝国 徳川家=アメリカ という図式が思い浮かぶ。 徳川の立場からすれば、秀吉死後の婚姻政策や利家との対立、上杉征伐に小山会議、関が原の本戦、どこでミスがあっても挽回できるし、 最悪の事態になっても滅亡を避ける方法はいくらでもあるし、あの時点で天下が取れなくても戦国に逆戻りして関東に割拠すればいくらでもやりようがあるけど、 「豊臣政権の維持」をしようとすると、どの方策をとっても綱渡りで、むちゃくちゃリスクが高くてやり直しが利かない。 つくづく秀吉の天才と度胸の良さが分かる……あと家康の用意周到さも。
630 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/04(月) 06:14:44 ID:qANZ3liK
関が原の本戦だけは別だろ 金吾が徳川に攻めかかれば、確実に徳川は負けていたんじゃないか?
631 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/04(月) 08:04:10 ID:ZFUqCi1U
秀吉が呆けてなければ秀頼を秀次の養子にして 朝廷に奏請し、征夷大将軍の宣下をしてもらってただろうね。 幼少の将軍は歴史上他にも居るから別に無理な話でもない。 補佐役に信用のおける者を数名、老中として付けておけば良い。 京都朝廷のドンが秀次で大阪幕府の象徴が秀頼で十分じゃないか。
632 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/04(月) 08:11:35 ID:ZFUqCi1U
征夷大将軍が源氏じゃなくてもなれるから、その点は心配ない。 平氏の子孫を私称してた織田信長にも三職推任の事例があるし 大伴弟麻呂から成良親王まで非源氏の征夷大将軍などいくらでも居る。 源氏がなるというルールを創った足利家の実権が雲霧消散したのだから 公家の豊臣家がなれないわけがない。
633 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/04(月) 10:58:20 ID:a2rGD4Hj
>>630 難しいと思うよ。
司馬遼の小説とかだと、いかにもギリギリで戦っていたように描写されるけど、西軍で優勢だったのは石田大谷の両隊くらいで、小西隊は押されていたし、西軍で(戦っている連中の中で)最大兵力の宇喜多はその約半数の福島隊と膠着状態。
南宮山の毛利らは吉川に抑えられていたし、万が一にも吉川が抑え切れなかったとしても、南宮山を降りて攻撃態勢を作る前に抑えの池田浅野らが迎撃体制を作る。
何より家康には直属の3万が手付かずで残っている。
小早川が松尾山から下りる前に迎撃体制を整えられるだろうし、地形的には家康のほうが不利(盆地の底)だが兵力的には倍あるし、兵士も指揮官も強い。
さらに万が一それで負けても、家康が落ち延びれば、中山道を遡って秀忠と合流し、その3万5千を使って関東防衛に専念すれば何とか生き延びれる。
その後、じっくりと西軍の切り崩しを進めながら持久戦を続ければ、金銭米国を消費しつくしていた三成では無理に関東責めはできないだろうし、
勝利軍のはずの西軍の中で主導権争いや内部分裂が生まれるだろうし、そうこうしているうちにも九州勢が中国に上陸する。
日本は戦国時代に逆戻りするが、滅亡の際になったら家康はそんなことに頓着しないだろうし、その混乱の中で再度天下統一をやり直せばいい。
多分それまでには、「豊臣政権」なるものは、西軍諸将の勢力争いや、統率者のいない状況での「恩賞分け」で所領を強奪されるだろうし……
多分に妄想じみているかもしれんが、ありえる展開だぞ。
秀秋が亡くなってしまったのが大きいかな
>>633 俺も数年前までは小早川の動向にかぎらず徳川必勝と思っていた。
その意見にはほとんど同意だが以下の視点が欠けている。
後世の創作である軍記物を引っ張り出してどちらが勝っていたなんて議論しても
所詮水掛け論となるのでシンプルに行こう。
関ヶ原の両者の布陣図をみたメッケルは「西軍必勝」と叫んだという。
しかし、小早川の裏切りを聞いたのち、東軍の勝利に納得した。
事実、大谷が崩れたのち、西軍は一方的に敗北した。
ではメッケルは間違っていたのか?
それとも小早川の動向が決定的に戦局を左右したのかということで結論は異なる。
ここで小早川参戦前の状況が東軍有利、西軍有利、ほぼ互角とみることで大きく異なるが、
東軍有利あるいは西軍有利を決定付ける資料が無い限り、ほぼ互角と見るほうが妥当だろう。
ではなぜ、戦力差があっても互角の戦いとなったのか
福島と宇喜多はほぼ1対1で戦っている。
戦力差を考えると6000対15000なので宇喜多が大勝するはずである。
しかし、両者はほぼ互角の戦いをしている。
これに対して、宇喜多は弱かったなどの解釈があるがもう少し簡単に考えると納得する理由がわかる。
関ヶ原の地形を思いだしてみよう。極めて狭い場所に大軍がひしめいている。
宇喜多と福島の先鋒はそれぞれ銃撃戦をしている。
しかし先鋒以外は・・・・そう、ろくに戦っていなかったのである。
6000対15000の戦いでなく、基本は1000対1000の戦いだと考えれば互角であってもおかしいことはなにもない。
そこで、小早川が側面をつけばどうなるか。
先鋒の1000は前からの1000と横からの1000の射線を浴びる。
マンチェスター第二法則が発動され、先鋒の1000はあっというまに壊滅する。
つまり、西軍であれ、東軍であれ、横から攻められ、数的劣後の局面となれば壊滅したということ。
しかし徳川に精鋭3万がいるからそれを投入すれば巻き返せるという意見もある。
これに対して「徳川本隊には万石以上の大名がいない。攻撃隊を編成するには指揮能力がないのでは」
「大坂夏陣で徳川の旗本はボロ負けしたではないか」などの反論がある。
こういうことを議論すると所詮水掛け論になるのでここではやめよう。
徳川では慶長10年に関ヶ原を参考に軍役規定を定めた。
したがって関ヶ原出兵時の軍役も下記数字と大差なかったと思われる。
それによると石高5000石の旗本は鉄炮10挺、弓5張、鑓50本、騎馬7騎、旗3本となっている。
この軍役規定から推測した徳川直属軍の鉄砲の総数は約3000挺となる。
当時の常識からすれば驚くべき低い数字だ。
では家康が迎撃軍1万人を編成して戦線に投入し、崩れた東軍を巻きかえせたのであろうか。
関ヶ原の鉄砲使用率は約40%と推測されている。
仮に4将+金吾と戦ったとしよう。金吾軍の鉄砲5000挺に対し、わずか1000挺の鉄砲隊で歯向えば瞬殺されると思うのだが。
なお、地形等を熟慮すると徳川軍が逃げ遅れる可能性は極めて高い。
小早川が西軍についた時点で逃げ出せば話は別だが・・・・
636 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/04(月) 20:22:26 ID:HfaxgSEL
関が原で家康が負ける、もしくは決着がつかなかった場合、 豊臣家は応仁の乱後の足利家のような立場になっていたんじゃないか?
>>635 長文でがんばってくれたけど、ちょっと都合よい解釈が多いかな。
東軍有利あるいは西軍有利を決定付ける資料が無いのなら結論は「不明」
であって、ことさらに両軍互角と主張するには弱い。
先鋒以外ろくに戦わず基本は1000対1000の戦いというのも便利な理屈で、
1000人で20000人でも支えられる戦場で先鋒1000以外の14000を遊ばせてた
なら宇喜多・明石は愚将のそしりを免れないし、そんな布陣は敷かないよ。
先鋒以外は戦えなかったという資料があるのなら別だけど。
徳川家の慶長10年の軍制にしても関ヶ原後の一人勝ちで旗本の総数が
増えていることへの指摘が欠けてるんじゃないかな。
大戦の後に更なる軍拡に走る必要性が薄いことを鑑みて、関ヶ原時の
総数を基準にした結果、個人の軍役割り当てが減少したとは考えられないかな。
鉄砲保有数の極端な低さが事実なら家康の軍事力に対する定説を覆しうるけど、
なにかそれについて言及した資料があったりするのかな。
>>636 関ヶ原発生の時点で豊臣政権の命運は尽きていると思う。
豊臣家が主体的に関わっていない以上、
関ヶ原勝利の方策よりも関ヶ原発生阻止の方策のほうが豊臣家には重要かな。
>>637 都合のいい解釈はそっちにしか見えないけど
大坂冬の陣の戦いをみればわかるけどまともに大兵力がぶつかり合えば1〜2割の損傷率は
当たり前であって、そうすると序盤戦だけで両軍で万単位の死傷者がでているはずだろ?
でも、実際は敗走時(つうか合戦時の死者はほとんどこれだけど)を中心に数千
もしまともに半日ぶつかってたら兵の損傷がこんなに少ないわけないだろう。
>先鋒以外ろくに戦わず基本は1000対1000の戦いというのも便利な理屈で、
>1000人で20000人でも支えられる戦場で先鋒1000以外の14000を遊ばせてた
>なら宇喜多・明石は愚将のそしりを免れないし、そんな布陣は敷かないよ。
実際に関ヶ原いったことあるの?あんなところに何万もが布陣しているのだから大渋滞だよ。
明石全登は鉄砲隊を五段に構えて並べて撃たせたんだろう。つまり両軍が仮設塹壕で銃撃戦。
まさか、ドラマでは槍で戦っているから両者乱戦していると思った?
で南北に両軍とも動けないから横槍をいれたほうが勝った。
むしろ横槍をいれられても徳川が勝つというほうが珍説だよな。
そういう説を書いている論文でもあったらみせて欲しいな。
>徳川家の慶長10年の軍制にしても関ヶ原後の一人勝ちで旗本の総数が
>増えていることへの指摘が欠けてるんじゃないかな。
旗本の総数が変わったから鉄砲の保有比率が減ったという資料があればそうなるね。
なければ保有比率は一定というほうがむしろ自然だが。
それに豊臣家の七手組の鉄砲装備率も1割前後だろ。おかしな数字じゃないよ。
>大戦の後に更なる軍拡に走る必要性が薄いことを鑑みて、関ヶ原時の
>総数を基準にした結果、個人の軍役割り当てが減少したとは考えられないかな。
その説によると関ヶ原時点で鉄砲装備率の高かった旗本は鉄砲を捨てて他の武器をかわなければならなくなるな。
軍役ってのは君も知っているだろうが、定数より少なければ罰せられるという性質。
鉄砲が余っているから槍の代わりに鉄砲を持ってきましたなど通用しないよ。
元和2年の軍役では槍の割合を減らしているね。つか鉄砲の割合を減らすってどういう徳川家康だよw
>鉄砲保有数の極端な低さが事実なら家康の軍事力に対する定説を覆しうるけど、
>なにかそれについて言及した資料があったりするのかな。
軍事力については言及しないよ。あくまで、旗本・蔵米取り衆のお話。
>>635 >6000対15000の戦いでなく、基本は1000対1000の戦いだと考えれば互角であってもおかしいことはなにもない。
ではなぜ、遊兵を前線に投入しなかったんだ?
あなたの論理ならば、宇喜多隊は福島は破れたはず。
そうすれば、徳川本隊をつくなり、左右どちらかに加勢して勝敗を一気に決めることが出来たはずだ。
宇喜多秀家を愚将に貶めるのが目的ならば納得できるが、
擁護する目的ならば、全く擁護になってないよ。
>>640 そりゃ横槍つこうと両軍が小競り合いしたんがろうが
軍を展開させる場所がないんじゃ仕方ないんじゃない
つうか地形と布陣を考えて投稿したら?
>宇喜多秀家を愚将に貶めるのが目的ならば納得
バイアスはかけていないよ
>>639 別に煽っているわけではないのだから少し落ち着いたらどうかな。
関ヶ原における宇喜多隊・福島隊の布陣について克明な資料をお持ちで
十分な把握の元に大軍を以って1000対1000の戦いを根拠付けられるのなら
主張の前提は確保されるのかもしれないけれど、関ヶ原に赴いた感想を
発展させたものでしかないのならやはり都合の良い解釈としかいえないよ。
貴方の主張に基づいて横槍をいれられても徳川が勝つと主張していないことは
読み返してもらえば理解してもらえるだろうし、論文云々は申し訳ないが意味不明だな。
関ヶ原に関する資料は軍記物を含めてまちまちであるから多くを把握することは
難しいけれど、仮設塹壕の銃撃戦と明石全登の五段鉄砲隊については詳しく教えてほしいかな。
鉄砲保有比率は一定というほうがむしろ自然というのも本当なんだろうか。
旗本の総数が増加した点については争いがないようだけど、慶長10年の軍制について
「関ヶ原を参考」という点について率に言及した記述があるのかな?
関ヶ原時点において徳川家の軍事力については一定の評価がなされているようだけど、
大勝利後に従来の比率を踏襲してより軍事力を強化する必要があるとは思えないんだけど。
徳川家の鉄砲保有数が関ヶ原における他家に劣るものならば、鉄砲装備率が高い旗本でも
鉄砲保有数は高が知れているし家康の動員兵力を考えればそれも例外的な存在だろうに。
新規に旗本に取り立てられる者の存在と鉄砲の兌換可能性を付け加えるのならば、
貴方の指摘は特に問題がないように思われるのだけれどいかがだろうか。
>>641 軍を展開させるに不適切な場所を15000の大軍の陣所に決めたのならば
宇喜多も明石もやはり愚将だよ。指示ならば指示者もね。
合戦の専門家同士の戦闘で横槍が第一目的ではありえないし、
不意打ち・奇襲・駄目押しの産物なんじゃないのかな。
そもそも、相対する両軍がお互いに横槍を狙いあう状況ってどんなもの?
側面を狙ってぐるぐる回ったりするの?
>別に煽っているわけではないのだから少し落ち着いたらどうかな。 こういう一言が余計だと思うけどw >十分な把握の元に大軍を以って1000対1000の戦いを根拠付けられるのなら えらく1000対1000に拘っているようだけど、マンチェスター第二法則を言い出すための仮の数字だから 数字自体は記号だと考えてくれ。 >関ヶ原に赴いた感想を発展させたものでしかないのならやはり都合の良い解釈としかいえないよ。 それはきみの主張も一緒だろう↓ >司馬遼の小説とかだと、いかにもギリギリで戦っていたように描写されるけど、西軍で優勢だったのは石田大谷の両隊くらいで、小西隊は押されていたし、西軍で(戦っている連中の中で)最大兵力の宇喜多はその約半数の福島隊と膠着状態。 たとえば上記文章は君の書いたものだが、これは君が軍記物を読んだ主観に基づいているのじゃないの? よく2CHではこの手の資料を都合よく引っ張り出して叩きあいになっているので。あえてモデルを提示してその妥当性を検証しようというものだよ、 >貴方の主張に基づいて横槍をいれられても徳川が勝つと主張していないことは >読み返してもらえば理解してもらえるだろうし、論文云々は申し訳ないが意味不明だな。 いや、別に横槍が有効か無効かという話なので、ここで議論する気はないね。 >鉄砲保有比率は一定というほうがむしろ自然というのも本当なんだろうか。 理由はすでに書いたのでそれをよく読んで欲しい。 >大勝利後に従来の比率を踏襲してより軍事力を強化する必要があるとは思えないんだけど。 全然意味不明だな。どうしても鉄砲装備率が高かったとこじつけたいのかな。 >徳川家の鉄砲保有数が関ヶ原における他家に劣るものならば、鉄砲装備率が高い旗本でも >鉄砲保有数は高が知れているし家康の動員兵力を考えればそれも例外的な存在だろうに。 七手組とか調べ直してから書いたほうがいいよ。 徳川家の軍隊と「関ヶ原における徳川本陣の部隊」 とがごっちゃになっているよ。 備を形成しているのがあくまでも本隊。直属軍は警護部隊だから軍制は異なるだろ。 秀忠の軍や譜代大名軍を加えて初めて徳川家の部隊といえる。 これは徳川に限らない。石田三成だって、主に戦っていたのは島、蒲生2000人とされているだろ。
>643 推定、憶測ばっかりだなあ 水掛け論になるので、君はそう思う。 俺はこう思うでいいよ。
宇喜多って軍の中枢の立場の達安、詮家、家利、職則が抜けて 相当弱体化したんじゃないの?
松尾山は状況が見えるところだから 西軍には勝ち目が無いと見たんだろうな
しかし、その日の夜に両方が大移動してさらに霧で遠望が利かない どこにどれくらいが布陣してるのかなんて解らないよね?
関ヶ原の勝敗よりも、何故起きたかが重要だ。 三成と武闘派の対立、秀頼派、秀次派とか堺派閥としての千利休小西とかの、派閥争いを秀吉が収められなかったのが原因 三成としては頑張ってて、武闘派朝鮮送り。秀次利休は切腹してるし、外部勢力糾合して、家康黙らせれば三成執政政権が成功してたはず。 でもそれは豊臣政権と言えないような・・・・ もはや秀吉不死化しか無い気がする・・・・
650 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/05(火) 13:19:49 ID:tPnZwsCs
豊臣氏はどう考えても関係ないやつを粛清、攻撃しすぎ。 何もしてないのに取り潰されたやつとかもいるわけだしね。 それなのに大大名は残しているからバランスが悪い。 長く持つわけがない。
結果だけ見ると、ゆるゆると徳川に天下が移って行ってたのを 奉行のトップでもない豊家原理主義者の三成の暴走で 豊家崩壊に猛加速つけちゃっただけだからな。 三成がいなければもうちょっとなんとかなったかも。
一気に滅ぶがゆるやかに滅ぶか。可能性があったのは前者、後者はゆるやかな自殺。
653 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/05(火) 18:13:10 ID:xAV/Z1g5
家康って後漢末に宮廷に巣くった董卓や曹操みたいなもんだもんな 三成が世の中に存在してなかったと仮定しても。どう考えても天下は奪われてた。 しかし秀頼は献帝のように天寿だけは全うできた可能性はある。 小笠原諸島あたりに飛ばされて貴種として食い扶持だけあてがわれたりしてね。 しかし子供を作る事を禁じられたり、できても強制的に寺の坊主や養子に出され 家督を継ぐ事は絶対に認めなかっただろうね。家康はそういう人間だ。
>>653 徳川にしても家康っていう名前が大きかったんだろ
家康がそろそろヤバイかなっていう所で動いたんだろうな
御三家を見れば解るけどやっぱ秀忠じゃ弱いかな
家康が曹操なら、伊達政宗が司馬懿になってたかもしれんな
>>644 石田隊は先鋒の島左近が重傷を負い戦線離脱、不利な情勢でした。
また仮に宇喜多隊の多くが戦闘に参加していなかったとしても、
その総数が東軍の予備戦力である家康本隊3万に及ぶことはありえない。
要するに結局は東軍のほうが有利だったのであって、だからこそ小早川は東軍についた。
よって小早川があえて不利なほうに味方するような性格でない限り、
小早川が西軍につく可能性はないし、
仮に西軍についてもそれだけで西軍勝利確実とも言えない。
12時の時点で西軍有利でさらに小早川参戦なら毛利が動くだろ 家康は挟み撃ちであぼーん確定w
>>657 有利だったの?、東軍で名の有る戦死者って誰だろ
>>657 有利だったら島津隊へ何も三成本人が救援要請に行ったりしないでしょうが。
左近が早々に負傷して引っ込んだのも事実だし。
さらに言えば毛利が動く保証はなにもない。
660 :
642 :2006/12/05(火) 22:13:59 ID:lkyXNnO4
>>644 スレ違いだし真摯な議論は望めないようだからこれ以上はしないけれど、
自分は司馬遼云々の書き込みをしたものではないよ。加えていえば、
東軍が有利だったという趣旨の主張もしていないんだよ。
小早川の寝返りの果たした役割についての考察があまりに都合よいもの
だから、客観性を付与する資料・説明はいくつか求めているけどね。
一日たったしそのあたりには気がつけるよね?
自分のことは棚に上げ水掛け論という語を多用する割には主観性を
薄める努力の懈怠が著しい貴方の主張は、考察とも検証ともとてもいえないよ。
>>649 豊臣政権において秀吉個人の存在はとても重要だったと思うんだけど、
最悪のタイミングで死んじゃってるよね。
このスレでも政権構造の脆弱さについて何度も指摘されているけれど、
奥州征伐以降死ぬまでの間大きな争いごともなく収まっていたわけだし。
>>660 もう少し相手の文章をよく読んで真意を探ろうとしないとキミはここに何時間張り付いても何にもえられないと思うよ。
あと、挑発的な言葉(まあこれはお互いさまだけど開始1行目からってのは心証悪くするよ)も考えたほうがいいな。
横レスはそう明記したほうがいいな。トリップつけていないんだから、長文の時は特にね。
俺もスレ違いと思うのでこの話はこれで終わり
663 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/05(火) 23:42:41 ID:UomJo4rM
最近の説だと「小早川に怠戦を持ちかける書状」はあっても「裏切りを進める書状」が無い事から、小早川の「裏切り」はいわゆる「家康に鉄砲を撃ちかけられて決断した」というものでなく、秀秋らの自発的行動という事になってたと思う。 それが「西軍優位で東軍を救おう」としたものなのか「東軍優位で勝ち馬に乗ろう」としたものなのかまでは知らない。
>>662 内容についての議論はもうしないけど、
真意を探る努力を読み手に課さずに真意を伝える努力をしてみたら?
665 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/06(水) 00:03:26 ID:iP5gDmZF
>>664 いいかげんにしたら?
横レスのような礼儀しらずな真似をしてるくせに
相手の文章を批判する資格はないということ。
もうレスはやめたら?見苦しい
>>665 >>635 の内容について特定の人間からのレスのみを期待していたのかな?
>>635 について複数のレスが付いている以上確認をとることはできたはずだし、
横レスについて過敏な反応は前スレを含めてなされていなかったように思うけど。
提案については尊重しうるけど、勘違いを指摘されての居直りは見苦しいよ。
主張の方法と書き手の人格がよく似ることを学べたのは有益だったけどね。
667 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/06(水) 00:53:55 ID:9y7btcYx
何を目的でかきこんでいるの?
>>635 は
>>633 氏につけたレスね
それに対するキミのレス
>>637 >長文でがんばってくれたけど、ちょっと都合よい解釈が多いかな
>>642 >別に煽っているわけではないのだから少し落ち着いたらどうかな。
>>660 自分のことは棚に上げ水掛け論という語を多用する割には主観性を
薄める努力の懈怠が著しい貴方の主張は、考察とも検証ともとてもいえないよ。
↑637の一行目の書き出し(何か挑発的だね)は635の成りすましとみられても仕方のない書き出しじゃないの
少なくとも635に成りすます意図が感じられる
まあそういえば、ああがこうだと言い訳するんだけど、全体的に人格攻撃なんだよな。
>提案については尊重しうるけど、勘違いを指摘されての居直りは見苦しいよ。
>主張の方法と書き手の人格がよく似ることを学べたのは有益だったけどね。
なんだかね
えらい人にひっかっかっちゃったな
どうもこの人にとっての目的は他の人と違うみたい。
まそれが「自分のことは棚に上げ」←本人曰く
訳のわからん文章かいてその回答が気に入らないと逆切れするんだろうが
スレ汚しすみませんでした
ID:uthephIn はNG登録します
>>667 横レスなんて2chのようなオープンなBBSでは当たり前の行為でしょう。
礼儀知らずでもなんでもない。2ch初心者か?
って、このレスも横レスか。どうも失礼しました。
>9y7btcYx=iP5gDmZF おまえさんの物言いには、多少どころか相当問題が有る。 人を貶めて自分を持ち上げるやり方は感心されない。 それと謝るくらいなら書き込むな。 まあ、本当は自分が悪いと思ってないんだろうがな。 あとイフを語りある時点で、水掛け論になるのは必至。 そう言うのも含めて語り合ってるんだから、 水掛け論になるとか言って一方的に話を遮断するのは無粋極まりない。
>>663 余り関係ないけど山にいる小早川隊に鉄砲など撃ち込めるわけ無いっていう
意見が結構有名になってきたので、今年の大河はどうするのかなと思ってみてたら、大砲ぶち込んだw
いくらなんでも威嚇じゃ済まないだろw
実際はなにがあったんだろうな。
>>669 人を貶めて自分を持ち上げるやり方って何?
つうかあんた見えすぎw
>>668 すまん横レス全部を否定している表現になったな
さもレスを返したようにみせかけた横レスがフェアでないといったまでだ
673 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/06(水) 04:44:41 ID:/9u/Oxps
>>670 そうなの?威嚇射撃だったら三間(390m)離れてても効果はあるし
二間だったら、なんとか球が届く距離だよ。
別に当てる事が目的じゃなかったら鉄砲は一人で良いわけだし
簡単にできるもんじゃないの?
徳川家と違って、豊臣家は家自体が細いし、織田家は結束が弱いからな 長い目で見れば徳川家が一番強いわけだ
675 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/06(水) 14:12:34 ID:wHbVYeX4
怠戦から寝返りに切り替えたなら名将金吾の果敢な決断だよな 戦況がどうあれ一番自分を高く売れる瞬間を逃さなかったんだから
676 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/06(水) 14:57:51 ID:s/i0Tps7
>>674 ,675
君達は本当に馬鹿だな
674は自分のイメージだけでものを考えてしまう妄想癖がある。
周りの人は迷惑しているぞ。早く精神病院で診てもらえ。現実を直視できる大人になれよ。
675は木を見て森を見失うような偏ったものの見方をする。
しかし経験を積んで視野を広げ勉強して見識を深めれば救われるかもしれないな。
678 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/06(水) 15:25:55 ID:s/i0Tps7
段落ごとの上段がそのまま自分に当て嵌まっちゃう愉快な文章ですね
679 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/06(水) 15:30:05 ID:l7zgYO0Q
あーあ、人に難癖つけるしか脳がないばかばっか
680 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/06(水) 20:09:12 ID:HIUHiBnJ
秀吉存命中に幕府を開けば良かった 秀頼を足利義昭の養子にするとかして。 織田信長と浅井長政の血を引いているから、さすがの義昭もいやとは言えないはず 秀頼を征夷大将軍、秀次を関白にしておけば完璧
義昭が養子を拒否したという話はあれなんだけど。
>>681 関白就任に際しては一応近衛前久の猶子になってたよね。
征夷大将軍には源氏以外の先例もあるようだけど、
関白は摂関家以外の先例はなかったのかな。
秀吉が幕府政治を望んでいなかったのか望んでいたがかなわなかったどちらなんだろう。
仮に幕府政治を採用できていたとしたら、豊臣政権にどんな影響を与えていたんだろうか。
義昭も養子にしちゃえよ。そうするとどうなるんだ?ん?
684 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/07(木) 16:27:05 ID:rwug8stk
幕府ならではの特典ってあるの?
685 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/07(木) 16:43:18 ID:NYu1UXrf
>>673 戦中だから一人で撃っても何も聞こえんよ
だいたい秀秋の陣所って200M以上の高度があって城構えもあって木も繁ってるだろし 下から撃って何処へ届くんだろう
687 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/07(木) 22:32:47 ID:L6R3G75Y
幕府の場合は朝廷とは独立した政府機構として運営でき場所的にも 京都から遠い場所に配置できる。 ただ欠点として 幕府の場合逆に朝廷や寺社など武家以外に統制が及ばない、 というか及ぼしにくい。 また諸外国との外交も単独では行ないにくい。 寺社や外交は征夷大将軍の専任事項じゃないしな。 宗教政策とか外交に幕府が口出しできたのは よほどしっかりしたトップがいて強引なリーダーシップが必要な 場合であったんじゃないか。 そのうえ朝廷の権威とかを克服するのが絶望的。 戦国で幕府のだらしなさが明らかになった直後に 幕府開いても朝廷の権威を克服して国政を行なえるとは思えない。 むしろ朝廷における人臣第一等にして万機を総攬し総括する 関白として国政全般をみたやり方のほうが 戦国直後にはふさわしかったと思う。
将軍は勅命の停戦命令だせるだろ?信長もこれがほしかった時期あったような
689 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/08(金) 18:16:27 ID:rbQ1tUs1
家康親子を大坂城中で上意討ちすりゃ簡単じゃねーかw 主君が家臣を成敗するのは合法的かつありふれたことだ
690 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/08(金) 18:17:38 ID:lXm+XpwY
かめはめ波〜〜〜〜〜
691 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/08(金) 18:40:30 ID:MM//tzUy
>>689 だから家康だけが問題なのではないと……
大体誰を討手にするんだよ。あいつデブでチビのくせして奥山新陰流の免許皆伝で弓や鉄砲の名手なんだぞ。
おまけに命知らずの配下が8万人(出征できる人数のみ)。
どうやって殺す?
692 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/08(金) 22:28:14 ID:/7Heok6A
>>691 嘉吉の変を参考にすればよかったんだよ。
カルガモ酒宴を開いて家康一行を酒に酔わせて、
酔いが回りきったところで一斉に襲い掛かり斬り殺す。
あるいは平禅門の乱を参考にするのもよい。
京か伏見で何らかの口実を設けて大混乱を引き起こし、
その混乱に乗じて徳川屋敷を奇襲して殲滅する。
まあ、筑前の残忍さと武力を持ってすれば簡単なことだな。
理由もなく最有力大名を殺害なんてしたら、 統一政権としてまとまるはずの物もまとまらなくなるぞ。
>>693 ええと、家康はなんか暗殺計画らしきものがあってその計画の首班っぽいので家取り潰しね〜とか、
ほら、城をつくっちゃだめじゃないかお家取り潰すよ〜とか、
しましたが、理由になりますか?
まあ権威を蹂躙するためのほうだったのですが(w。
>>694 それは法度を破ったことによる公然たる取り潰し、暗殺とは全然違う。
公然と徳川を取り潰せるならやっても良かっただろうが、
それで抵抗されたら大乱になる、最終的には勝っても被害は甚大。
秀吉存命中から全く隙がなかったし、叛乱の多い関東を任せて 荒地を回復させるのに家康は欠かせない人材。 家康を斬ってしまうと豊臣政権が逆に崩壊しそう
なんだ、氏政のせいか。
ちなみに、徳川を取り潰す場合、その「理由」がある程度多くの者に納得できるもの、 つまり、あれじゃあ徳川が滅ぼされても仕方が無いなと思えるものならさほど問題ではない。 しかし、そうでない場合、例えば他の大名が、 あんなことで滅ぼされるなら自分もヤバイと思ってしまうようなものなら、 徳川が必死で抵抗しているうちに、明日は我が身と思った他の大名が謀反を起こす可能性も出てくる。 そうなれば天下統一なんて全てご破算になってしまう。 つまり、徳川を滅ぼすには、 それなりに説得力のある「理由」を見つけないとならない。 しかし、実際の家康は秀吉存命の内はそういう隙を全く見せなかった。
北条貞時は平頼綱一家を(預けていた自分の娘もろとも)殲滅して 一気に得宗家の全盛期を築き上げたんだが・・・ 足利義満は叩き潰したくて仕方なかった大内義弘を挑発して 挙兵するように仕向け、討伐の口実を作り上げたんだが・・・ 足利義教は上杉憲実からの救援要請を拡大解釈(?)して 鎌倉府を一気に叩き潰し、持氏を地獄へ送ったんだが・・・ 鎌倉・室町期には非常にうまくコトが運んだのだから 天正期だってそれなりにうまくいったのでは?
朝鮮征伐という大規模外征を実施してるということを忘れてはいかんだろ。 しかもそれに派遣されてるのは政権に近い大名が多いというのもさ。
>>699 平頼綱は自身も安達泰盛を討ち果たしているでしょうが、
そんな武力衝突が頻発するような政権ならそういう手もありでしょう。
何せ元からそういうものなのだから。
義教の鎌倉公方潰しも同様。
元から関東管領との武力衝突を伴う対立があってそこに介入した。
徳川の場合だってそういう状況があれば滅ぼすことは可能だったと思うよ。
そしてもちろん、義満がやったように向こうから口実を与えてくれるように仕向けてもね、
しかし、家康はそんな口実を与える隙は作らなかった。
このスレの最初の方で言っているような徳川家臣の懐柔・引き抜き・独立大名化による徳川家中を内部崩壊させるという手はどうなの? 実際秀吉はかれこれと理由を付けて徳川家臣を召し出したりして懐柔しようとしていたが。 しかし、家康も家臣に「太閤のやり方に染まるな」と厳命していたようだし、十分に予防線は張っていたかもね。
それは試みたが失敗したのでは?
>>695 法度って何を破ったか言ってみて?
あんまりその点明確じゃなかった機がするんだが。
705 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/09(土) 19:25:50 ID:kd178wlx
>>704 縁組みの届け出違反と
「朋輩中、徒党を組まず」に違反しています。
年頃の娘息子がいるなら致し方ないが…
わざわざ、家臣の娘を養女にしてまで、一度三家と縁組みするのは、どう見ても、派閥形成と思われる。
大坂方に法的な強みがあったからこそ、徳川も、一度は縁組みを解消せざるをえなかった。
>>704 >>694 の例のこと?
それぞれ何のことを言っているのかはっきり分からないので正確には言い切れないが、
暗殺計画なんてものがあるなら、法度云々以前に謀反だし、
城を作ったから取り潰しと言うのが、
福島家に対するもののことを言っているなら、あれは正しく武家諸法度違反。
家康暗殺以外に手はなし 家康をヨイショして家臣として振る舞い、領地を大幅割譲したとしても、 家康を豊臣家の存続を望まないだろう
福島家の改易を正しく武家諸法度違反と言い切るのはどうなのかな。 まあ経緯は知ってて書いてるんだろうけど。
まぁ徳川政権における福島家と豊臣政権における徳川家じゃ 規模が違いすぎて比較の対象としては無理がありすぎるしね。 福島正則は横のつながりも余りないし、 家康は東国・西国のかなりの国と繋がってるだけに始末が悪い。
徳川だって島津を滅ぼせなかったしねえ。 地理的な違いを考慮に入れても、徳川政権下の島津より、 豊臣政権下の徳川の方がさらに手強い相手だっただろうし、滅ぼせなくても無理はない。 徳川が豊臣にやったように、 15年もかけてじっくり潰すだけの根気と寿命が秀吉にあれば、 或いは何とかなったかもしれないが。
史実を見る限り、そこまでやるほど秀吉は家康を疑ってないよなぁ・・・明らかに。
秀吉在世時の家康は 超現実家 自己の勢力圏が犯されない限りは歯向かってこない・であろう という印象をうけるからな
713 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/10(日) 01:04:44 ID:1gukqiM5
やはり貞時公と義教公はネ申だ。 武家政権史上最強の名君としか言いようが無い。
>>713 いや、彼らは所詮配下の者を粛清し統制しただけ。
元主君の家を容赦なく滅ぼした家康には到底及びませんよ。
いや、実際豊臣が徳川を滅ぼす方法を考えるなら、参考に出来るのは徳川による豊臣潰しでしょう。
豊臣政権下の徳川家に匹敵するものは、徳川政権下では豊臣家しかないかと。
正確には、
徳川政権下の豊臣−子飼の大名たち+50万石+百戦錬磨の老練な当主、
くらいで豊臣政権下の徳川の存在感に近くなるかと。
徳川政権下に子飼や恩顧の大名たちはいないが、
石高は250万石で老練な当主に率いられた大名家がいたとして、
果たして徳川政権にそいつを潰すことが出来たかどうか・・・?
「国秀安吉」「君川徳楽」を捏造して、 言いがかりを付けて徳川を滅ぼしてしまえばよかった。
ケチな家康があの時期に、そんな阿呆なもん作るとは思えん。
信孝の呪い
718 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/11(月) 15:56:04 ID:0EJ2+1lp
信長没後も有力勢力の一つだったろう旧主の織田家や 関東の大勢力だった北条家に対しては容赦なくあたっていけたわけだから、 やはり、家康が強力かつ隙がなかったということなんだろうな。
信雄も北条も、強いて言えば佐々なども隙があり非があり、 そこを秀吉に一気につけ込まれたからな。 それを考えれば家康の面従腹背ぶりには感心する。 あのしたたかさを余人は学ぶべき。
じゃあアレだ。 「三方ヶ原で家康が死んでればよかった」ということから始めるか?
徳川が存続したのはある意味必然的だろう。 信雄や佐々(更には北条も含めるか)と違って豊臣政権の主軸は家康。 秀吉政権は乱暴に言えば家康無しには存在し得なかったのでは? 少なくとも小牧長久手後も抗戦されたら統一のペースは落ちただろうし 臣従した家康ははっきりいって「強力すぎる」一方で「秀吉の最大の支持勢力」。 これを秀吉生前はもちろん没後の混乱期でどうにかできるわけがない。 まあ隙がなかったのは事実だが隙があっても取り潰したかなあ、秀吉は。 親族も旗本も大したことない政権に徳川は必要でありかつ代替がきかない存在だった。
722 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/12(火) 21:49:17 ID:KQB/WZ9b
そもそも織田の手下にすぎなかった徳川(松平)が いつの間に大勢力にのし上がったんだか・・・ 元々の勢力では毛利や甲斐武田などの比ではなかったのに
>>722 織田時代にすでに旧今川を超える「大勢力」に到達してますが何か?
吉法師を立てた時点で、徳川にぶん取られた甲信を織田に返還させるという名目が成りたたなかったか 小田原征伐時の徳川の加増を伊豆一国に抑えられなかったか 弱いな・・・
小牧長久手の翌年か翌々年にとっとと攻め滅ぼせばよかったんだよ。 理由なんてどうにでもなる。
秀吉も最初はさっさと家康なんぞ、滅ぼしてやれると思ってたんだろうな。 小牧長久手の戦いで家康の戦の駆け引きを見て、これは容易ならざる敵と見た。 小牧長久手こそ、両英雄の唯一の戦いだから、面白いよね。
学校教育の日本史での小牧長久手の扱いって小さすぎないか? あれこそ豊臣政権の限界を規定し、後の徳川政権へと繋がる重要な合戦なのだが
>>725 その場合西は敵のままで、徳川・北条・伊達連合軍と戦う事になる訳だが。
小牧・長久手の戦いは。 秀吉が負けたんだけど、結局飛躍した天下に近づいた戦い。 信雄がアホすぎる。秀吉の逆転勝利ってとこかな。家康悔しかったと思うよ。 勝って家康は名を高く売った戦いだっただけに。ま、秀吉に家康潰すのは無理だね。
>>728 伊達はさすがに戦力外だろう。
たしかに九州は手付かずだが、紀州の雑賀・根来、四国の長宗我部、北陸の佐々といった、
小牧当時、対秀吉同盟を結成していた勢力はすでに秀吉が取り込み済み。
織田信雄もしかり。逆に秀吉側戦力として転用できる。
さらには当時、ただ停戦状態だった毛利はすでに指揮下の軍として運用できるし、
上杉や佐竹、里見も同じ。
対する徳川はほとんど勢力拡張はなし。せいぜいが北条との軍事同盟を強化したていど
でしかも、一体感では秀吉勢力に劣る。
小牧当時なんか目じゃないくらい、秀吉有利じゃないか。
たしかに開戦した場合の徳川軍の抵抗は激しいかもだが、負ける戦ではない。
>>730 秀吉旗下の将兵が将棋の駒なら負ける戦ではないが、秀吉政権が安定しないと
内側からの切り崩しが出てくる可能性がある。基本的に秀吉の元同僚が羽柴軍
の主力だから。
今の俺達からみれば「いや、あの時点ではそんな奴はいないだろう」といえる
かもしれんが、当時の秀吉からすればそれはなんとしても避けたいことなので
大事をとるしかなかったんだろう。
それで事実上、家康をNo2として扱う羽目になって しまったことが結果的に禍根を残したわけだ。
733 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/13(水) 13:40:39 ID:6+H6/Uf7
小牧長久手まで、さかのぼってイフを語れるなら、既レスかもしれないが…。 中入りの策を実行する時、秀長率いる伊勢方面軍の到着を待っていれば良かったのに…と、妄想してみる。 秀長が留守居役で、秀吉が中入りするにしても、その逆になるにしても、秀次のように、時間を空費したり、警戒態勢を疎かにしたりすることは、無かったはず。 少なくとも、あれほどの惨敗は回避できたのでは…。
惨敗は無くなっても結果はまったく変わらない予感
>>730 それで仮に徳川を潰したとしてそれに何年かかるかが問題。
仮に3・4年かかったとすれば、史実で秀吉の介入時点で九州統一寸前だった島津は、
順当にいって統一を成し遂げているだろうから、史実以上の手ごわくなっていた可能性が高い。
そうすれば負けることはなくとも、又ここで数年間のロスをすることになる。
北条・伊達に関しても同様、下手をすると10年近く統一が遅れる可能性もある。
小牧長久手の戦い時点で秀吉は47歳、人生50年といわれた時代で、
けっしてゆっくり時間をかける余裕はなかったでしょう。
736 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/13(水) 18:47:43 ID:ZFA1z6hU
淀を徳川に人質に出して臣下の礼をつくせば滅ぼすことは 少なくとも家康の時代はしなかったと思う。 遺言で家康の死後、25万石ほどの徳川の親族的な大名として 生き延びることはできたと思う。 ただ大阪で65万石のまま居ることは不可能。
1586年7月島津は約5万の軍勢で筑前を攻めるが高橋紹運、立花宗茂親子の 頑張りにより失敗 同年10月義弘率いる3万5千が肥後から、家久率いる1万〜2万の軍が日向から 豊後を攻めるが、義弘軍は岡城の志賀親次等に阻まれる。 一方の家久は佐伯、臼杵の攻略に失敗するものの12月に戸次川で四国勢と大友 義統を破る。義統は豊前まで逃げ島津は府内を占拠する。しかし87年3月に豊臣 軍が豊前に到着するまで木付城、栂牟礼城、岡城、臼杵城等は抵抗を止めず、 結局島津軍は3月15日に府内から撤退、それに乗じた大友の反撃を各地で受ける。 特に志賀親次と佐伯惟定は瞬く間に多くの城を奪還し、さらに撤退時に合流した義弘 、家久を19日に三国峠で親次が、20日に梓山で惟定がそれぞれ襲撃している。 4月17日の根白坂の戦いで島津があっさり負けたのは、筑前攻めから約10ケ月に およぶ連戦の疲れと、5万以上いた島津軍が筑前・豊後攻めの失敗の影響で外様 連中が離反して2万程度になってたのが大きかろうと思う。
>>736 そうかねえ
普通に騙し討ちして家康は秀頼を殺害したと思うがねえ。
そういえば真田繁信や後藤又兵衛にも50万石やるとか言ってたけど
家康が本気で約束を守る遺志があったと思いますか?
>>738 50万石やるって何処で言ったの?どの記録
>>738 @大坂城退去
A早々と千姫腹の男児に家督を継がせて秀頼隠居+幕閣から付け家老
を実現できれば浪人どもの神輿にもなりづらいから可能性はあるんじゃない?
男児複数で所領を分割できて長子以外非豊臣姓ならなおよし。
>>739 「城塞」でそんな記述を見た記憶があるけど、司馬遼は講談ソースがちょっとね。
大坂の陣がらみの軍記物で記述があったりするのかな。
741 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/13(水) 23:25:57 ID:tCHVfrUQ
>>738 冬の陣の前、真田家を通じて信繁(幸村)を一万石で誘ってはいる。
実際、信繁が寝返ったところで、一万石もやるかどうか怪しいもんだが、信之の真田本家との関係も考慮に入れると微妙にリアルな数字ではある。
信繁ですらその程度なのに、又兵衛はもっと評価が低い。50万石なんて信じるほうがおかしい。
>>740 >@大坂城退去
>A早々と千姫腹の男児に家督を継がせて秀頼隠居+幕閣から付け家老
>を実現できれば浪人どもの神輿にもなりづらいから可能性はあるんじゃない?
>男児複数で所領を分割できて長子以外非豊臣姓ならなおよし。
結局、一番無難に「豊臣家」を残すならそうなるでしょう。
そもそも秀吉の死亡と共に死亡フラグが立ってるんだから。豊臣家。
家康一代なら何とかなりそうだな……豊国神社壊したのも秀吉の骨ばら撒いたのも家光だしな。あの時期をどう耐えるかが課題にはなるが。
生き残ることはできただろうな和議いれてたら 家康も豊臣を滅ぼしたら西日本の住民に汚名背負わされるのは目にみえてるし 公家からも嫌われてるし家康
でも、なんで家康が裏切ったてイメージがあんまないんだろうな… 明智光秀並の扱いでもいいと思うけど…
関ヶ原は三成の挙兵に対する正当防衛 大阪の陣は豊臣自身に臣従か戦かを選択させている 寝床を夜襲してきた光秀とは違い家康は相手の意思で自分に挑ませている
三成は釣った結果だからともかく、 豊臣に関しては途中まで懐柔しようと動いているしな。 懐柔路線を捨てたのは、 外様の世代交代が進んだ事、 予想以上に幕府の威光が高まった事など自信があったことと共に、 あまりにも豊臣方が話にならない事が大きいしな。 戦わなくちゃ、現実と。
>>728 四国征伐も終わった後なら、政宗も人取橋合戦から1年以上経ってるし、
家康との合戦なんか始まったら政宗も摺上原合戦の邪魔がなくなるし、
史実どおり会津を接収すれば全部合わせて150万石、家康を楽々超えるよ。
里見も佐竹も風前の灯火、孤立した上杉もこの段階では、北条の半分も無い訳で。
んで毛利はともかく、そういう情勢になったら100%成政と元親は裏切るでしょ。
無理に攻められた直後なのになんの義理があって
家康とぶつかって戻ってこれない秀吉に義理立てする必要があるのか。
ちょっと無理があるんじゃないかと。
>>743 既に成立しつつあった政権を一夜でぶっ壊し、しかもあっけなく滅びて
争いの種を撒き散らした男と、崩壊寸前の危機にあった政権をぶっ壊し、
鮮やかに纏め上げた男、同じにする方がおかしい。
一人の「家臣」として見た場合褒められたことではない(儒教的には)が、
一人の政治家としては完璧な正解を演出したのが家康、一家臣としても、
政治家としても、軍人としても詰めが甘いのが光秀。
>>747 結局、結果論としては「家康が天下を取ってくれて良かった」ってことなんだよな
>>745 >あまりにも豊臣方が話にならない事が大きいしな。
というか、これが大きい気がする。
豊臣家の現実感覚の損失がひでぇな。
というか、秀頼の意思が最後までわからなかったのが
最悪だな。
助作吊るし上げに絡んだ騒動に一応の介入を試みて失敗して以降、 秀頼は落城までほとんど表舞台に出てこないんだよな。 大坂城外に出たのも二条城会見と貝拾いだけというのも異常だし。 千姫との関係を含めて秀頼の意思が尊重・実行されている形跡がないのが不憫すぎ。 現状を認識・打破する資質に欠けた秀頼に生き残る資格はないと言われたらそのとおりなんだけど。
751 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/14(木) 12:55:15 ID:vqxcxzVb
淀が家康と寝れば良かったのだ!!
>>751 あー、家康は太閤殿下と穴兄弟になるほど悪趣味じゃないよ。
それにしても、天下取ったこの二人はアッチの趣味が無い稀有な
武将だよな。
淀君が父親と義父の仇をとるために敢えてわややったと思えばすべて合点が行く
754 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/14(木) 22:10:53 ID:XJQSka+y
秀吉がパイプカットしない。これに尽きる。 秀吉ほどの女好きなら子孫は100人こえただろう。
危険と承知しながら結局徳川に手を下せなかった秀吉と、 北朝鮮の核の脅威にさらされながら何もできない今の日本が ダブって見えるね。 豊臣が滅ぼされたのと同様に、日本にも遠くない将来 核ミサイルが打ち込まれるのだろうか?
無い無い、あの国は戦争できる精神的な強さは無い。 宗教的なものも無い。コソドロ的知恵だけ昔っからまわる国だから。 朝鮮国がたかだか50年やそこらで国民性が変わるわけない。
世界から愛される日本に攻撃しようもんなら北チョンは完全に世界から潰される 跡形もなく
759 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/15(金) 03:51:33 ID:xRqdEs8n
アメリカには利用され、世界大戦では黄渦思想のドイツに利用された日本。。。
760 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/15(金) 06:26:24 ID:Dm15Ugyq
あまり意味のないスレだな。 豊臣家は秀吉自身の愚行が自滅の要因を 作ったんだから、秀吉が政治家として もっと賢かったら、もう少しもったかも 知れんね。
761 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/15(金) 12:20:29 ID:O+QAjmkP
>>746 秀吉の天下取りもそれなりに綱渡りなんだよなあ
外様の大大名を残す禍根の懸念よりも拙速を選択するわな
唐入りで西国の外様を疲弊させ、小早川家乗っ取りや大身外様の転封・減封・改易と
効果を挙げて、天下取り後に過去のツケは返しつつあった様には思うけど
政権構造そのものよりも、政権の頭である豊臣家に問題が多いのがなんとも・・・
家康を隠居させて秀忠1人に相続させるんじゃなく息子たちに 分割して相続させて独立した家として扱うとか? まあ家康を隠居させるのは難題だが。
763 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/15(金) 17:53:09 ID:VVuyT0Ax
>>761 >秀吉の天下取りもそれなりに綱渡りなんだよなあ
それが秀吉の最大の魅力でもある。
戦国の最下層階級からのし上がってきただけに、失うものが何もなく、その覚悟が彼に実力以上の仕事をさせた。
だが、その方式は彼の後継者にも大きな負担を強いる。
いや、彼にその覚悟が消えた瞬間から、豊臣政権の崩壊は始まったんだろう。
>>762 その方式で家康を納得させるには
・信吉に20万石
・忠吉に30万石
・秀康に50万石
・そして秀忠には200万石
足りない分は秀吉に加増してもらう。
そして家康自身は各家に付家老を派遣して事実上の統制を取りつつも、隠居という立場を利用して自由に大名と交際し、勢力を拡大していく。
家康なら本当にやりかねない。
秀吉が善政を敷くのが一番まっとうで近道 そうすれば家康が付け入る隙はなかった
765 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/15(金) 21:41:14 ID:Dm15Ugyq
ヒットラーやスターリンと同様、 自らを返り見ない独裁者は滅びる運命。
766 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/15(金) 21:46:55 ID:NhhYLk01
ナポレオンも否定するわけですか
否定もクソも、彼を時代が必要としなくなったとき、歴史が彼を舞台から 引き摺り下ろしたじゃないか。
768 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/15(金) 22:14:42 ID:NhhYLk01
じゃ新しい民法作らないとな
769 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/15(金) 22:14:56 ID:XWCIM82Q
ノムピョンやブッシュたんも否定するの?
徳川の民政が整うのは寛永期なんだけどなあ。徳川に代替わりしたら一変したということは ないんだけど。
ブッシュは最後にトチ狂って、北チョン皆殺しにでもしてくれれば、 アメリカでの評価がどうなるか知らんが、日本では喝采されそう。
>>770 そりゃ戦争が無くなってから民政が整うのは当たり前だろう。
何言ってんだ?
秀頼誰の子
>>770 民政を整えるのは後継者の仕事だろ
創設者は正しい政治が行われるよう道筋をつけるのが役目だが、
秀吉の場合、最初から曲がった政治をしすぎ
秀吉の内政政策は悪政といえるものなのかな?朝鮮出兵は駄目なのはわかるけど。 そのイメージだけで曲解されてるきらいはあるような。
ついでに秀次の件もあるかな。
いや、必要のない外征を行い、 しかも得るものがなかったというのは、かなり酷い悪政だからね。 他の面で多少良い政治があったとしても帳消しだよ、 曲解ではなく、むしろ正しく理解されているってとこでは?
スレ目的の解答の一つはでたな 朝鮮出兵をおこなわない
朝鮮出兵によって秀吉の武人の魂が奮い立ち、それが男性機能の回復につながり 淀とのお勤めの回数も増える。その結果が秀頼の誕生。 もし出兵がなくなれば、秀吉の男性機能は回復しない。それにより秀次の後継がすんなり決まることになる。
780 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/16(土) 14:06:31 ID:XgSawPlZ
前田家みたいに徹底的な臣従政策を採ってたら豊臣家は生き残れた? 生き残れてたら、カタチは徳川家の家門扱いで、家のタイプは高家み たいなやつ。石高は10万石で国持大名格、官職は右大臣クラスで江戸城 では最低「溜之間」クラスを想定してるけど。でも、格式ばかりが高く なって財政は常に窮乏してそうだがw
大谷吉継に武田の旧領
782 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/16(土) 14:32:38 ID:XgSawPlZ
北条降伏の際に徳川でなく上杉家を関東に転封させればよかった。関東管 領の家だからこの際関東に移ってくれないかということで。代わりに家康に越前・加 賀・能登、越中をやって雪国に封じ込める。そして、越後へは石高を倍増して 真田を移す。美濃と飛騨、尾張は利家にくれてやる。そして近江・山城は豊臣の 直轄として直属軍を長浜に展開させる。さらに若狭・但馬・播磨を宇喜田に 任せて、毛利の監視は備前に大友に任せると。
>>782 散々争ってきた上に景虎まで殺してる上杉家に北条の旧領を治められるかな。
あら捜しして潰すならありだけど、奥州仕置きが滞りそうで心配。
東海道から北陸道への移封なら、気候条件の関係から大幅な加増が必要だし、
越前では上方からの距離が近すぎて家康移封の本旨に反するような気もする。
豪族上がりの小大名でしかない真田家を秀吉が頼って異例の加増は考えづらいし、
べつに、秀吉は特に真田家を信頼していたわけでもないんじゃない?
前田・宇喜多への大盤振る舞いもそうなんだけど、そもそも、奥州仕置き直前に
要地の大大名を一編に鉢植えで切るほどの余裕はあったんだろうかね。
個人的に、家康の関東移封は両者の妥協の産物だと考えているのだけど。
784 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/16(土) 15:58:41 ID:4iIWdhr5
>>782 確かに面白い案だと思う。思うけど
じゃあ福島とか池田とかどこいくんだろね。
当時秀吉が一番信頼していたのは福島でそれに準ずるのが
東海道に配置された諸侯なんだよ。
この豊臣恩顧を語らないのはいかにも不自然。
785 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/16(土) 16:09:56 ID:XgSawPlZ
だからこそ、小田原征伐の時に家康に先鋒を秀吉は命じたんでないの? 北条と同盟してる徳川に先鋒を命じて少しでも行動に瑕疵があれば、それを 理由に移封か減封に追い込む。徳川幕府が初期によくやった手法で。仮に 家康が北条と組んで逆らおうにも九州といった後顧の憂いなく大阪方面に加え て北陸方面からも軍が進んでくるという二正面作戦になり小牧長久手の時とは かなり違ってくる。北条は小田原評定で行動までに時間がかかるし、軍隊も弱い のであまり頼りにならない。まして三河武士といった昔ながらの組織なので、 秀吉が繰り出してくる物量作戦には敵わない。実際、秀吉に臣従したのも対豊臣の 総動員体制を続けていたのが、経済を疲弊させ家中にも動揺が出ており、継戦が限界に きていたのが原因。
786 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/16(土) 16:10:59 ID:XgSawPlZ
787 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/16(土) 16:28:04 ID:XgSawPlZ
>>784 福島は畿内に駆けつけてこれるように清洲か畿内のいずれかに封じれ
ばいいかと。どのみち清正ほど行政手腕はなさそうなので家康の本貫地を
治めるのは難しそう。清正は九州の押さえに必須。如水は東海は小早川隆景
に池田とその他秀吉の子飼いを前田と小早川の与力大名として封じる。
そして伊達のあんちゃん対策は佐竹をまず、会津に移して監視させる。背後の
次に岩出山あたりに滅ぼされた芦名家を再興させてそれを赴任。それらと
最上を合わせて三方から牽制させる。相馬は常陸へ引越し。半分は会津を取る
代償として伊達に割譲し、半分はこれまた伊達に滅ぼされた二階堂家を再興。
石高を相当に加増することになる移封よりも、東海という要地を占められていても 現状維持のほうがましなようにも思えるなあ。
>>785 追い込まれた徳川家が止む無く臣従したというだけなら人質を送るセレモニーは
必要ないし、より高圧的な姿勢を徳川家に対して採ることができたんじゃないかな。
移封についても加増を抑えること、家臣や息子に独自で飛び地の知行地を与えること
は手段として採りうるだろうし、仮にも秀吉が過失によって行わなかったとは思えない。
四国・九州征伐からまだ日も浅いし、関東征伐時の秀吉にはそれほどの強権がなかったか、
もしくは、強権を振るうにはリスクが感じられる状況だったというのが自然じゃないかな。
当時の秀吉と一人勝ち後の初期幕府は勢力として後者に分があるし、
当時の家康と幕府初期の一有力外様とでは勢力として比較にならないのだから、
移封・減封を狙いながら秀吉が家康を顎で使う余裕はなかったんじゃないかな。
北条攻め参加と本領五カ国を手放す代償に大幅な加増を家康は手に入れ、
秀吉は家康の勢力拡大と引き換えに東国攻めのリスクを回避して家康を上方から遠ざける
という意味合いの「妥協の産物」という表現。
790 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/16(土) 17:55:21 ID:XgSawPlZ
>>789 あの時すでに九州討伐の計画が浮上して背後に敵(徳川)を受けるわけ
にはいかない状況だったからだろう?だから家康が振り上げたこぶしを下ろ
しやすくするために秀吉が人質送ったという2人の「ヤラセ」と見えなくも
ない。
本音では織田信雄の様に拒否してくれることを期待してたんじゃ。
792 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/16(土) 19:53:37 ID:YahMUaMs
大名の配置は、重要だったなぁ…と、 東海道で、秀吉が期待したように、誰も働かないんだもんね。 史実での奮闘を参考にすれば、大谷か、立花あたりを、三河か、遠江で10万石与えていたら、関ヶ原の結果も変わっていたはず。
>>792 旧家康領は統治が難しい土地柄で、
家康の協力がなければ統治は難しい。
だから東海道に封じられた大名は
ことごとく家康の元に協力を要請する挨拶にいったとか。
794 :
名無しさん :2006/12/16(土) 20:27:29 ID:FdTrqTie
大阪城と膨大な黄金を家康に寄付するしかなかったんじゃないかな そうでもしなきゃあ家康に絶対狙われるね
>>789 「ヤラセ」であったとしても家康が得たものの方が大きすぎる。
関白から人質をとった事実は家康の器量を天下に示し他の外様との違いを明確にした。
小牧の戦の不首尾もあるし、少なくとも矢尽き刀折れた相手に対して採るべき措置ではない。
>>790 少し上にあったけど島津家の九州統一を捨て置いて徳川家(に北条家が加わるかも)と争い続け、
平行して帰順したばかりの外様を統制し続けることができる位政権基盤が強固なら拒否を望むだろうし、
むしろ、北条家と同様に上洛拒否を理由にすぐさま攻め上っただろうね。
政権樹立から間がないことを考えると結構ギリギリだったと思うよ。
>>792 というか、あんな細切れに配置したら大兵力の元には各個撃破されるのは
明白。秀吉は総大将がいない(自分が不在)状態での東海道防衛は全く考え
ていなかったのではないかと。
まだ秀次が居たからね、問題はその後やっぱ尾張に協力なのが欲しかったね
>>793 同意、家康自身だって三河一向一揆から始まってどんだけ苦労した事か、
さらには武田の残党の抵抗も混ざるし、北条家の残党は今川の残党ともつながりがあるから、
東海道と関東自体も密接に関係ある。
家康はこれらの北条家の基盤を無理に壊すことなく取り込んでるだけに、
結局東海道への影響力も引き継いでいる。なるべくしてああなったと言う気はするな。
800 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/17(日) 09:02:27 ID:hs2HXrC7
秀吉は家康を信頼していたんだろ。 小牧の戦以降の家康の働きの凄さと存在感がなければ全国統一は 10年遅れていたと思う。 まして家康の徹底したスキの無い服従は超一流だね。 秀頼を補佐して完全な豊臣政権を築くのに尽力したなら 誰にも後ろ指指されない名将として日本の歴史に名を残せたと思うよ。 彼の苦難につぐ苦難の人生と運のよさと戦国武将としての能力の高さは 秀逸だからね。関が原以降のたぬき親父と呼ばれるあの愚劣な行いさえなければ。 本当に残念だ。
家康がその生涯を豊臣家に尽くして終えたならば、 彼への現在の評価は史実よりもはるかに低かっただろうがな。 まあせいぜい、歴史の教科書に太字で名前が書かれる程度だろう。 汚点のない天下人なんていないよ。
802 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/17(日) 11:34:35 ID:jw/bHdlw
>>792 立花宗茂に東海に20万石でもやってたら面白かったかも。「鎮西一の武将」
と賞賛されるくらいの武勇や武功があるのと、親父の壮烈な犠牲に報いたいという
ので加増移封すれば誰も文句は言わなかっただろう。
>>800 前田利家が早死にしてしまったからな。秀吉はこいつとタヌキが牽制しあう
ので大丈夫だろうと思ってたんだろうが自分が死んだ後すぐに死んだのは想定
外。長生きしてればすぐには関が原は発生せず、三成などの官僚軍団と秀吉子飼
いの武将、あと上杉と親戚の宇喜多も前田派に。秀吉とは元同僚の大名や藤堂高虎
は家康党になったかもだが。
803 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/17(日) 11:42:08 ID:jw/bHdlw
>>797 「出先の城」という感じだったんだろう。いざというときは福島を核に
あの3家老組や仇持ちの池田を与力させて大坂か本隊が着くまで持ちこた
える時間稼ぎのために。いかに家康でも抵抗されれば木曽川に着くまで
時間がかかり秀吉が来てしまう。
上杉と宇喜多って親戚なの ? 秀吉政権って 織田家出身・秀吉の元同輩 OR 元上司 織田家出身・秀吉の元与力 秀吉子飼い・・・加藤・福島など 取り込んだ外様 が入り混じっていて難しいものを内包していそうな感じも受ける 秀吉個人には伏していても 家格・出身・実力に関しては、皆不満を持っていそうだ (史実は知らないが)
家康が長生きしなかったら・・・ 豊臣家の運命も変わっていただろうに 豊臣を滅ぼした時って、孫の世代を率いて戦う爺さんだし 戦国を生き抜いた同世代、子供の世代が次々と亡くなっているのに 現役 (?) で活躍しているんだからな
>>802 その場合小山評定で東軍側につくのではあるまいか。
別に何が何でも家康が嫌いってわけでもあるまいし、
三成が善玉で家康が悪玉なんて固定観念に囚われていたとも思えないので、
どちらの陣営についても全力で戦ったのではないかと思う。
807 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/17(日) 12:08:37 ID:jw/bHdlw
>>804 宇喜多秀家の嫁は利家の娘。上杉は利家との付き合いや、あそこの当主の
気質からしても前田支持は確実。越後の後始末で揉めた堀は家康党なので
なおさら。
>家格・出身・実力に関しては、皆不満を持っていそうだ (史実は知ら
>ないが)
小早川は自分の家を犠牲にして、秀吉の毛利家への養子を回避。蒲生氏郷は
「サル」とずっとバカにしてた。島津や佐竹、細川といった名門などは言うま
でもない。逆に秀吉同様、成りあがった連中は上記の連中よりも信服してた
かと。長宗我部や伊達が秀吉に誑しこまれたのなんかその典型。
808 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/17(日) 12:13:07 ID:lVomiYTE
>>807 >長宗我部や伊達が秀吉に誑しこまれたのなんかその典型。
政宗に限ってそれはない。
809 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/17(日) 12:16:51 ID:jw/bHdlw
>>805 利家には三成さえも心服させていたし、足軽上がりの子飼いの武将たちか
らも信長時代以来の武辺の持ち主として尊敬されていた。まして、前田派に
は秀頼という切り札もあり秀頼の名で家康討伐なんてことになってしま
えば東軍には動揺が走り寝返り続出だったと思う。西軍の大将(事実上)が三
成だったこそ東軍についたようなもので、大将が名実ともに前田利家なら
どうなったか分からない。
そういえば、真田太平記かなんかの小説で、 真田昌幸が「わしなら東海3カ国に上杉景勝を置いて家康の牽制にする」、 ってなことを言っていた憶えがあるが、それも所詮両方外様だしねえ。 まあ両者が結託することはなさそうだし、互いに足の引っ張り合いはしそうな気もするが。
811 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/17(日) 12:20:27 ID:jw/bHdlw
>>808 政宗は死ぬまで豊臣に妙な愛着を持ってたぞ。秀吉からもらった刀を
幕府から寄越せと言われても持ってたり、豊臣の紋も使っていた。
812 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/17(日) 12:27:54 ID:jw/bHdlw
>>810 東海3つに信濃をやらないと納得せんだろう。甲斐は上田と沼田を放棄させ
た真田にくれてやれば良い。
>>809 自らの意思により家の存亡を賭けてまで戦をすることは大名にとって恐ろしいこと
だから家を守るため様子見をしたり二股賭けをやる連中が横行したわけだ
100万石という守るべき巨大な家を持ち、しかも自らそれを切り開いたわけではない利家に
家の存亡を賭けてまで家康と本気の殺し合いをするかどうかは疑問だ
三成には政権復帰するためには家康打倒しかないという事情があるが
前田家はそこまで切羽詰ってないし、そこまでするほどの権力欲もない
無断婚姻を巡る対立の時に合戦になってたらどういうことになっただろう。
利家は秀頼守役、家康は秀吉から豊臣政権を任されたわけで。 仮に前田徳川と戦になったとしても、徳川は潰すこと出来ないと思えるんだが。 それと文治派と武断派の調停役を務めて豊臣方に恩うった形だし、 もう散々言われてることですが朝鮮出兵その他もろもろ等の秀吉の悪政に問題あり。
つか利家に指揮とれるの? 死にかけじゃなかった?
817 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/17(日) 14:36:18 ID:ebJ5PXP8
>>815 太閤にも負けなかった徳川に、四大老が結束すれば、勝てるという実績だけでも充分効果があったのでは…。
>>817 どーだろ?効果はそれほどないんじゃなかろうか?
その無断婚姻を巡る大老5奉行と家康の争いを豊臣恩顧大名が仲介、調停したように・・・。
家康がその詰問を逆に五大老から外す言いがかりといったように、
家康も戦ってもいいと覚悟してたんじゃなかろうか。
五大老って大大名並べただけで、豊臣政権の制度としては弱かったな そのへんのことは家康が一番よく分かっていた
820 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/17(日) 17:43:47 ID:jw/bHdlw
>>814 伏見城か大津城に徳川方は篭城してたかと。豊臣家の直属軍と前田家の
兵隊、三成や五奉行を集めれば3万ぐらいはあった。宇喜多はお家騒動で
動けないかもなのでとりあえず除外。そのうち西日本や九州の大名を三
成が動員し始める。徳川方は東日本の大名が参戦してくるが佐竹や上杉
の牽制の必要から、大坂へ進出するのには時間が掛かる。
821 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/17(日) 17:58:07 ID:jw/bHdlw
>それと文治派と武断派の調停役を務めて豊臣方に恩うった形だし、 正確には家康は武断派の肩を持ったというべきかと。利家のほうは文治・武断の 双方から人望があった。あのじいさんが死んでから三成が襲われるという事件が 起こってるわけで、家康よりも利家のほうが恩は上だろう。
だいたい五大老って言われるのもは晩年に秀頼を頼むってヤツだろ? 制度とか権限とかの以前の問題でしょ むしろ豊臣だったら正則あたりを筆頭家老とかの名目で秀頼補佐官に任命すればって感じかな
823 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/17(日) 18:27:15 ID:ebJ5PXP8
伏見大坂の対立時が、豊臣政権に取って、最大のチャンスだったのは間違いナシでは…。
>>820 でも言っているが、地理的有利は、関ヶ原の局地的有利さを凌駕している。
大坂方は、北陸と大坂正面から、伏見の腹背を抑え、脇腹に当たる大和からも、伏見を狙える位置を抑えていた。
対する伏見方は、動員競争するにも、関東の背後を上杉佐竹に窺われ、東海道は近江佐和山を中心に、前田らが近江を抑えたら、東からの援軍は期待出来ない。西大動脈瀬戸内海は毛利宇喜多の領分ではじめから、期待出来ない。
徳川が大老から外すという言質をとって言いがかりをつけたのは、無断婚姻で引いても、その分で詫びを入れさせれば、徳川のメンツが保てるという計算からでは…。
島津や鍋島辺りは流れ的に西軍になっただけで、 家康の息がかかってるだけに、ちゃんと動員できるか謎。 九州は黒田もいるし。
黒田はどうなんだろな?黒田だって単独じゃどう仕様も無いでしょ
島津は義久は中立派、義弘は親豊臣派という色分けだったのかな。 いずれにしても、関が原時とは状況が違うから、大名の色分けも関が原時と同一視は いかんのかもねえ。
827 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/17(日) 18:44:02 ID:ebJ5PXP8
>>824 その黒田、加藤、島津、鍋島が、全部徳川に着いても、大坂正面まで、届くまい。
流れ的に味方するのが多い≠当時の雰囲気でなんとなく勝ちそうっていうのを忘れてないか?
義弘ってもともと伏見での鳥居元忠の件が無ければ東軍だったはずだし、 別に親豊臣というわけではないのでは。
関が原の時には義弘は明確な西軍派で、それを裏付ける義弘の書状もあるらしいけどねえ。 鳥居に断られて入城できなかったというのは、島津家の資料しか記述がないことから 偽造エピソードらしいと。これわりと有名な話じゃなかったのかな?
>>830 それでも会津征伐のために東上してたのは徳川方の記録にもあるよ、
会津を征伐してしまったら事実上関ヶ原で勝つより家康は有利になるし、
親豊臣とするには無理を感じる。
伏見大坂の対立時に家康が苦杯を喫しても豊臣家政権の実質的な存続が 担保されそうにないのが苦しいところだな。 反家康派の結束が当然の前提となる上、戦後処理も困難を極めそうな 博打に自家の運命を賭けてまで利家はのっただろうかは疑わしいと思う。 本当に徳川家と事を構える気があれば、小平太が上洛前に手配り可能だし、 後の緊迫状況も軍事的意味よりも政治的意味のほうが大きいような。
833 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/17(日) 20:30:21 ID:jw/bHdlw
>>827 加藤は利家がいたらあっさり利家につくだろう。秀頼を敵に回して
徳川に付くとは思えないし「槍の又左」利家を武将として慕ってる。
あと黒田は如水がいるから前田派濃厚ならあっさり、息子を見捨てる。
実際、九鬼は息子を捨てる覚悟で西軍についてる。無論、真田みたい
に生き残りろうという意図もあるかもだが。
>>830 島津は、三成から随分世話になってるからな。西軍なのは必然的な流れ
でないか?
秀吉子飼いで利家に付かないのは福島さんだけw 福島さんの家康愛はガチw
835 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/17(日) 20:40:16 ID:jw/bHdlw
>>831 簡単に征伐いかなかっただろう。相手は三河武士以上の上杉軍。そういう
連中相手に勝っても大損害は必至。いかに東軍の豊臣系を酷使してもまったく
徳川方に損害がないと言う訳にもいかない。旧武田家系武将は興奮して戦わ
せろと井伊部隊は騒ぎ出す。どれだけ損害を出さず解決できるかが家康に
とっては問題だったわけで、それを考えたら関が原がはるかにラクだった。
ここにおられる博識さんたちにとって 「影武者徳川家康」 はどう読み取れるだろうか 自分が生き延びるためにも、豊臣を潰したくない影武者が主役だが
>>835 伊達・最上(+秋田など東北勢)・前田から攻められるだけでも上杉方が何か出来るとは思えん。
家康の出る幕が無い方が問題。
838 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/17(日) 22:05:38 ID:jw/bHdlw
>>837 前田は越後で上杉旧臣に妨害されて後方が不安定で足腰が定まらず。伊達最上は
和解したとはいえ、長年の対立や政宗がドサクサで最上領攻撃を考えるかもなので
連携攻撃はできずいずれも各個撃破されるのがオチ。
後ろから家康率いる大軍が迫ってるのに、最上を攻める? 政宗はそんなにアホじゃない、上杉攻めた方が得、実際史実でも攻めてるし。 秀康の結城軍もいる。 で、東北勢の事が抜け落ちてるが、まぁそれらも何らかの天変地異でどうにかしのげても、 まだ会津征伐軍の半分にも満たない。数がちがいすぎるっつーの、 別に景勝が弱いと言う訳じゃない、あの情勢で勝てるんなら、どこにも誰にも負けねーよ。
840 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/17(日) 22:33:50 ID:ebJ5PXP8
三成は、関ヶ原の際、毛利の西軍総大将が確定した時点で、愛知川に関所を設けて、会津討伐に参加する軍勢を大坂に引き返している。 数百人程度の関所の警備兵に、何万の軍勢が足止めを喰い、西軍参加を決めたのは、やはり、この時点でも、西軍有利な雰囲気はあったのでは…。
>>839 国替え後間がない上に国入り後間がない状況で景勝にできることは少ないよな。
この条件で劣勢を跳ね返せる程の力があれば家康と競って単独で天下を窺える。
>>840 足止めされたとされるのは鍋島・長曾我部などの軍勢だけど、7月2日の時点で
あの辺ぶらついていたのは東西両軍を天秤に架けていた表れじゃない?
「行軍中に追撃を受けたらたまらない」というのは東軍勝利後の弁明材料になりうるし。
根っからの西軍が少な目なのは致命的だし、戦である以上大将の器量が影響するんだろうな。
戦後の両家の明暗は分かれたけど、戦場の地理的な違いや外交力の違いだろうかね。
842 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/19(火) 14:30:22 ID:J/mvmR08
>>840 大名の規模の差でないの?小さい大名なら五大老・五奉行とかいった大物
連中や一部官僚との付き合いは家格の釣り合いからも薄いので、そういう政
情には自然と疎くなる。だから単純に西軍は秀頼の命で動員された・西軍のほう
が集める兵力が多ければ単純に西軍有利かと思うやつも出てくるだろう。最近
の大河ドラマで、小大名でありながら豊臣家の上層にいて政情を他のヤツよりも詳
しく得られるようなYさんだって天下分け目の合戦とは嫁に指摘されるまで分からなか
ったくらいだから。
>>836 「影武者徳川家康」はあくまで小説だが、
家康になにがなんでも豊臣家を潰そうという意思はなく
高家として徳川家の傘下に入れば存続出来たという見方は
普通に多い。
淀君があくまで「主筋」という態度を崩さなかったので
どうしようも無くなったが。
秀頼も空気を読んで、千姫ともっと励んで子を為せば良かったのに。 千姫が石女ならしかたないけど、確か娘を産んでたよね。
影武者は一応表の出来事とかは史実どおりにやってるからなかなか面白い 家康の裏腹はともかく秀頼は何度も降伏と存続の機会を与えられていると思われる
秀頼は前田利常のように鼻毛を伸ばして痴呆を装っていれば良かったんだよ
>846 利常は痴呆を装っていたんではなくて、徳川なんぞに出掛けるのにいちいち鼻毛など切ってられるか っていう反抗だっただけ。鼻毛を伸ばした位じゃ誤魔化せないくらい睨まれてたから。
848 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/19(火) 22:18:51 ID:JzHOLaY9
>>833 黒田長政は一人っ子なんで、如水が長政を見捨てるなんてありえない。
>>844 母系を辿ると従兄妹同士になるから近親相姦で子供ができにくいんじゃないか
850 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/19(火) 22:29:35 ID:YwA9cfQr
役立たずの淀殿を殺せば 大阪の陣は勝てるはず
如水には長政と年のはなれた男子がいて、朝鮮出兵の時に亡くなったらしいね
852 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/19(火) 22:58:10 ID:SZ7WvnX8
>>844 池田光政に嫁いだ姫だな。たしか千姫は死ぬときに証文燃やして、この婿の
ために全財産をつぎ込んだはず。
>>847 やはりタマの件が効いてるのかな?あと家老本多の必死の奔走だな。
>>848 長政にはたしか娘がいたはずだから、それに婿を連れてきて終わり。そ
れか、如水の兄弟の子供かその孫で見所のあるやつに黒田家を継がせる。あ
の時代は自分の血統云々よりも家名存続ほうが大事だった。断絶すれば
浪人が続出するわけだし。
っていうかいくら如水と言えど、隠居してんのに そこまでできるほど長政はアホじゃないと思うぞ。 アホじゃないどころか、明白な政治実績でいえば如水より上な気もする。
片桐がもっとしかりしていれば、城落ちまでして・・・(^-^;
855 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/20(水) 05:30:29 ID:1jjQuQhI
>>852 黒田家って家は如水一代でつくった家。長政が死んで他人にくれてやるくらいなら、
華々しく散っていったような気がする。
または、長宗我部元親状態になってしまって、しょうもない土豪にアボンされたかも?
で、折角の黒田家も血筋では江戸中期に断絶なんだな。
856 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/20(水) 10:21:24 ID:X9eoN0ln
>>854 元々、教育係みたいなもんだから仕方が無い。それに政治手腕まで求めようと
いうのがおかしいわけで。しかも懸命に本人はしたのに最後は裏切り者扱いされるの
だから大坂の自業自得。大坂方も本多とか徳川家の有力家臣の次男坊を家老に
迎えて交渉させればよかったかと。
単純に家を残す、ということを考えれば 前田家のように当主の母親を人質に差し出すとか、相手の予想を上回る服従を見せて「これで攻めたらいくらなんでも鬼だ」と周りが思うように仕向けるしかない でも実質当主の淀殿が自分を出すとは到底……
人質・付家老・将軍家女縁組をすべて受け入れて大封を守った前田家は流石だね。 一番いい時期に自家を売りつけられたのも、家中に人がいてこそなんだろうけど。
859 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/20(水) 13:40:12 ID:RhTQPO8W
でも実際、冬の陣っていうのは、どうなるか分からなかったんじゃない? 弾薬は未知だが、兵数兵糧は、充分だったみたいだし、1年以上持ちこたえたら、攻める側の本領なんて、一揆続出なんて、ならないかなー? その辺、詳しいこと分かる人、教えて下さい。
860 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/20(水) 14:05:55 ID:X9eoN0ln
>>857 秀頼の決断次第だな。片桐に相談して福島にでも協力してもらって
クーデターで江戸の妹の家に遊びに行くというカタチで放逐するしか
ない。大野治長と局は別先に幽閉してまう。そしてあとはひたすら
臣従。土井・酒井家・連枝の松平の次男を付家老にして交渉させる。
861 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/20(水) 14:07:23 ID:X9eoN0ln
>>859 家康の限界ということを世間に示すことになったかと。江戸幕府の基盤が
揺らいだかもしれん。
>>860 正直、秀頼という人物にそこまで求めるのも酷。
素質は優れてたかもしれないが、あまりにもボンボンすぎるよ。
863 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/20(水) 17:50:04 ID:fy9uc1kM
>>862 母ちゃんよりは現実を知ってたと思うよ。家康に跪きに行ってる
んだからそこでの昔の家来大名の態度とか肌身で知ることはできたは
ず。そのまま大坂へ帰らず秀忠の所へ挨拶に行けば家康の機嫌もよ
かっただろう。
伊勢に国替えしてイスパニアと連合して太平洋周りに江戸に奇襲
865 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/20(水) 18:25:41 ID:8hkFmd7J
>>856 >しかも懸命に本人はしたのに最後は裏切り者扱いされる
ちょwww文章で1番重要なとこがwwww
>>859 浪人組と主戦派以外ほとんどが徳川に通じてる状況でどうしろと。
家康が成長した秀頼と対面したら我が子秀忠より優秀そうなんで 豊臣家を滅ぼしたって話をよく聞くけど(今年の大河もそうだった) もし本当なら立小便したり鼻毛のばしたり飯に汁を3杯かけたりして 無能を装っていれば滅ぼされずにすんだんじゃね? で家康死んだ後に真豊臣秀頼として姿を現すと
868 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/20(水) 21:02:09 ID:8hkFmd7J
ヒント:判官びいき
容姿は優れていたが、 大阪の陣で自分で出撃しなかった辺りに底が見えるだろ。 真田らが奮戦してるところに 瓢箪の馬印をかかげて出陣してれば。
870 :
名無しさん :2006/12/20(水) 21:19:39 ID:oBcn3Euy
>>867 肖像画の感じじゃお坊ちゃまみたいでとても利口にはに見えないけど
秀忠がそれ以上に頼りなかったんだろうな
871 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/20(水) 21:28:30 ID:fy9uc1kM
>>870 秀忠はウィキでは馬鹿者でなく、むしろ大馬鹿者とされてるな。軍事セン
スだけはどうもダメみたい。土井利勝のおかげでなんとかやってたみたいな
もんだ。
872 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/20(水) 21:37:33 ID:TOBWydhq
秀頼を家康が「優れた人物である」とか言ってたそうだが、 聡明な家康とてスーパーマンでも神様でもなく単なる人間なんだから、 間違いの一つもあるだろう。 単に豊臣家に恐怖を抱いていた家康の妄想とも受け取れる。
つーか創作だろう、家康がそんなに秀忠の事を気に入らないなら、 いくらでも覇気のある息子がいるし、そっちにすれば良いだけのこと、 秀康みたいな次男もいるのにわざわざ避けて通ってるんだから。
秀忠の軍事能力はなんとも言わないが、 統治能力は高い事は史実を見れば明らか。 家光が好き放題散財できたのも、 家康と秀忠が体制を整え、危険の芽は摘み、節制して財産を残したおかげなんだしな。
秀頼の聡明さではなくて 若さ・可能性が恐かったんではないの ?
二条城会見を終えても自発的に一大名になりきれない豊臣家だしね。 聡明どころか暗愚とさえいえる親子を野放しにするのは危険すぎ。 余命と相談して討伐を図るのは適切な判断で、むしろ秀頼の落ち度。 エピソード自体が少ない秀頼が優秀だったかは疑わしいけれど、 秀忠が幕府権力の拡大に成功したことは史実の通り。 和子入内〜明正帝即位、後水尾帝の二条城行幸と戦以外での業績が大きいし、 戦を起こさずに幕府の勢威を高めたことに大きな意味がある。 家康の後継者選びは理にかなっているし、治世の後継者に恵まれていたといえる。
長男は死んでるし、次男は側室以下の女性が生んだわけだからな。 三男が後継ぐのはしょうがないでしょ。
吉良でさえ同情されて、地元ではこんな業績を残してよい治世をしていたという話があるのに 秀頼はあれだけ同情されてるにもかかわらず二条城の会見の話のみでそういう類の話がない 内政として残っているのは皮肉にも家康が命じた寺社建立だけだし どう考えても秀忠の方が優秀だろ
お上の面汚し・後水尾が恥知らずの腰抜けだったことも幸いだったな 後鳥羽院や後醍醐院とは対照的に挙兵どころか倒幕の姿勢すら見せず 徳川ごとき成り上がり者に媚びへつらいやがって こいつが徳川追討の綸旨を発すれば徳川はたちまち逆賊と化し、 羽柴軍は朝廷のために戦う官軍となったのに・・・
880 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/21(木) 01:03:09 ID:oECKvTua
どこが出典だか忘れたが、外様大名の取り潰しが続いていた頃に、側近が家康に「何故伊達を潰さないのか?」「伊達は領地も広く、また天下に野心を持っていることが明白である。今のうちに理由をつけて潰すべき」と進言をしたときの逸話があって、 その時家康は 「政宗は天下に野心を持ち、領地も広く、器量も並外れているが、器量が優れているだけに目端が利き、よもや我が家との力を見誤るような事はすまい」 と答えたという。 秀頼の器量が、家康が認めるようなものであったら、あのような最期は迎えていまい。
881 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/21(木) 01:05:25 ID:r10e7ImN
>>879 幕府と手切れにならない範囲で、朝廷の立場を主張しえたのは御聡明さの表れ。
皇統に徳川の血を交えず、武家社会との同化を阻んだことも特筆すべき御叡慮。
近衛家・一条家に養子に出た同腹の皇弟を関白とし、譲位後も50年近くにわたり
院政を敷かれた後水尾帝は、後鳥羽帝はともかく皇統を分かちその存続を危うくした
後醍醐帝とは賢愚について比較の対象にすらならない。
そもそも、羽柴家と縁があるのは後陽成帝と弟宮たる八条宮だし、
御二方にしても聚楽第行幸や秀吉猶子を飲まされたいきさつがある。
後水尾帝に危ない橋をわたってまで羽柴家に肩入れする義理なんてない。
逆にぶぁかだから警戒したんだろう。馬鹿が金と権力を握っていること ほど邪魔なものはない。本当に秀吉や信長に届くほどの英雄の資質なら 徳川が隙を見せない限り、変なことはしない。家康自身がそうであった ように。 公卿として残すのも馬鹿だと他の海千山千の化け物ども相手にしたら 簡単に失脚して血族(徳川、木下、羽柴、宇喜田など)の名を汚しそう でできなかったのかも。
884 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/21(木) 12:01:52 ID:RM4uO/qR
>>874 家康の貧乏性が息子にも身に染み付いてたからでないの?3代目はちょうど
ワーキングプア的な徳川家からセレブ的な徳川家への移行期でセレブになっても
昔のクセと、親父がヘタな贅沢をして頓死してるのを見て秀忠はあんまし贅
沢できんかったんだろう。
あと統治能力は土井の貢献がでかいんでないか?
秀忠は和子入内・後水尾帝二条城行幸の際に大盤振る舞いしているし、 折に触れ女院や宮家・摂家に金子銀子を進呈して皇室御料も増やしている。 政治的影響を見越している点贅沢ではないが、貧乏症の吝嗇家とはいえない。 秀忠は、土井利勝をはじめ小姓上がりの井上・板倉を腹心として重用した一方で、 本田正純を切って家康色を薄めながらも譜代の統制に成功している。 土井利勝の功績大なりといえども土井家が特別な立場に置かれたわけではないし、 彼らを御しながら幕府の職制を固めて成果を上げられたのはそれなりの器量あってこそ。 親の残した諸々の遺産が影響してはいるけれど、無為に食いつぶした人もあることだし。
軍事的な功績が無かったからといって秀忠が無能とは程遠い むしろ家康より秀忠を暗殺するなりして、それぞれが大名になっている家康の息子達や縁者による後継争いを起こさせるほうが家康狙いよりも良かったかも
家康と秀忠の二人を同時に殺さないといけないな。 そのための二元政治体制だし。 織田家は信長と信忠が同時にやられたため、 秀吉の独走を許した。
888 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/21(木) 15:52:45 ID:oECKvTua
>>887 そのために「江戸」と「駿府」に分けていたんでしょうね。
なにしろ大坂の陣じゃ、本陣が二つあったくらいだし……
信長も通常は「岐阜」と「安土」で分けていたのに、たまたま京都にそろったその時を狙われた。
秀吉はバックアップのない一発勝負を得意とした政体であり人物だが、徳川家はバックアップのしっかりした逆境に強い政体であり集団であったように思う。
一応、秀吉もバックアップを試みて居るんだが、その全てが破綻している。 そして、その破綻させた人物が他ならぬ秀吉自身というのが秀吉の限界を表していると思う。
890 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/21(木) 18:09:32 ID:8enmVbmt
>>878 >吉良でさえ同情されて、地元ではこんな業績を残してよい治世をしていたという話があるのに
意味がわからんなあ・・・・
吉良は高齢まで生きてそれなりの業績を残した人間だが、
秀頼は若くして死に本当になんの業績の残してないんだから、
しかたないだろう。
あんた、もしかして直江スレの吉良アンチか?
家康23歳→今川から独立を果たし、三河一向一揆を鎮定 秀頼23歳→為すところ無く滅亡 仮に家康が23歳で死んでも、清康のようにひとかどの武将として語られていたろうが、 秀頼は・・・。
わかりやすい比較だな 逆境自慢ならむしろ家康に分がありそうな点も含めて
893 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/22(金) 00:16:30 ID:Q2mI0LzO
戦国のワーキングプア徳川家康。 だな。
894 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/22(金) 00:19:40 ID:Q2mI0LzO
>>889 数少ない一族を殺したりしてるからねぇ。秀次がバカでも生きてれば多少
はマシだったんでないの?何より秀長が早死にしたことと、秀吉に子供がで
きるのが遅すぎたのが悔やまれるな。
895 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/22(金) 14:46:48 ID:I++exbEq
秀忠の功績スレみたいになっちゃった… 戦国末期から幕初にかけての二代目、三代目の生存率って、かなり低いですよね。 寛永年間までに、10万石以上の有力外様の約半数が、この時期に除封、御家断絶の憂き目にあっている。これ以降、10万石以上の大名で取り潰されたのは、元禄年間の森家だけだ。 秀頼が膝を屈しても、秀頼、もしくは秀頼の子の代での取り潰しの可能性はかなり大きい。
国松に継がせたらまず助かりそうもない 徳川家の血を引く男子がいれば秀頼がしくじっても 大幅減封だけで血筋を繋げる可能性はあるかもしれない 羽柴や豊臣の名乗りはできなくなるかもしれないけれど・・・
897 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/22(金) 16:18:32 ID:XP7oCL9W
大坂城を敵軍に占拠される前に兵を引き連れて脱出し 畿内一帯の山地でゲリラ戦を展開して抵抗する。 楠木軍や南朝軍・後南朝軍のように。
>>897 旗頭が前の太政大臣の孫ってだけだと平家の落ち武者の二の舞。
ていうか間違いなく城を捨てた時点で大坂組は瓦解する。
秀頼が前線で味方を鼓舞していたら 包囲陣は動揺しただろうか
>>899 動揺どころか、よってたかって討ち取られた可能性もあるな。
徳川方の先鋒は前田以外は親藩&譜代大名ばかりだから豊臣家に何の感傷もないだろう。
外様大名はほとんど後方部隊だったし。
生駒山か六甲山に立てこもるのはどうだろう? 徳川軍は山地戦は苦手なはずだし 楠木正成のような戦術で抗戦できないかな?
天正壬午の乱もそうだし、武田攻めはずっと山岳戦をやってるから、そこらの武将より余程巧そうだが。
>>901 楠木戦法は彼が土着の土豪で且つ悪党(半山賊)だから出来たこと。
ついでに敵が寄せ集めで武器の性能も高くない。
豊臣家は新興の成り上がりで譜代がいない上に大半が一発大逆転
狙いの浪人組。そんなのにはゲリラなんて出来ない。
ここの皆さんには感心させられるが 家康が普通に死んでいれば・・・ 豊臣家は安泰だったのか ? 滅亡するにしても史実どおりあっけなくはなかったのか
905 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/23(土) 14:33:37 ID:bRl4xW97
>>904 豊臣家を滅ぼしたから幕府権力が安定したというよりは
安定し始めた幕府権力が豊臣家を滅ぼしたという方が妥当だから、
大坂の陣の直近に家康が死んでいたとしても大坂方の態度が改まらなければ
いずれは戦が起きただろうし、時期が延びれば太閤恩顧もより色あせてしまう。
大坂の陣前後の幕府は既にその存続の基盤が家康個人の存在にはなく、
それが豊臣政権との大きな相違点。夏の陣の陣立てで家康の軍勢は秀忠の半数だし。
豊臣家の安泰を勝ち取るには外部的要因よりも内部的要因の改善がより重要で、
結局のところ秀頼の器量と家中の建設的な結束が試されることになる。
家康は「豊臣はなるべく滅ぼしたくないが」と言ってたとか無いとかで 武装解除して臣下の礼を取ってれば豊臣家は存続を許されたかも知れない。 家康がもし関ヶ原〜大阪攻めの間に死んでても、 もうその時には秀忠が2代将軍になってるわけで「反抗するなら潰しちゃおうか、豊臣を潰そう」と 秀忠が大阪攻めを決意すればもうそれまでになっちゃうわけで。
家康の本心で殺したかったかどうかは知らんけど、 臣従してたら家康も逆に無碍な扱いはしづらかったろうなさすがに。 勝手に逆らってくれたから殺しやすかったってのはあると思う。
908 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/24(日) 05:18:58 ID:TE11oiQ5
秀吉が不妊治療を受ければよかった。
普通に淀と治長を追放して秀頼が総大将で幸村が指揮すれば勝てるだろ。そのうち徳川からの寝返りも相次ぐだろうし。
>>909 大野氏を追放した時点で豊臣家の武家としての人事が壊滅、主力部隊が
いなくなることを知っての妄言か?
ゲームじゃないんだ、人一人挿げ替えるぐらいで勝てるか馬鹿。
>>897 秀頼自身がゲリラをする事はありえないが
大阪方にはゲリラに向いた武将は多かったと思うよ。
茶臼山の背後(退路)を脅かす意味で紀伊山中に置いておくゲリラ部隊
堺方面にラッパ・スッパを主としたゲリラ部隊
京都方面の攪乱・放火・流言を主とする部隊
徳川軍の兵站と兵糧庫を脅かし火をつけるゲリラ部隊(海賊が欲しいが)など
秀頼のためなら死んでもよいとか、自己の名を天下に知らしめるためなら
どんな危地にも臆さないという特殊な指揮官が必要になるが
幸い、その手の武将は大阪方には多かったんじゃないかと思う。
大坂夏の陣では毛利と真田・大野勢の奮戦で家康と秀忠本陣双方が壊乱の危機に陥るというチャンスを作ったんだが 最終予備となるべき七手組が動かず結局力負けした 統一的な指揮系統ができてなかったのが一番駄目だろ 「一人の愚将は二人の名将に勝る」
913 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/24(日) 11:55:25 ID:IE2OLfPi
秀頼殺す気がないなら殺さないだろw 大坂落城後に追放すればいいだけ 逃亡した国松も捕まえて殺してるぐらいだし 豊臣の直系は根絶やしにする気満々だろ
914 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/24(日) 11:59:27 ID:5JjeUGoQ
信長みたいに子供がたくさんいればねぇ。 フィギアスケートの織田みたいに子孫が生き残ることもできたろうに…。
秀頼生存説って聞くけど 淀や国松を見捨てて 薩摩でのうのうと暮すって どうゆう人達の願望なのかね なぜか信繁も付いてったことになってるし
家康は豊臣を存続させようと尽力した しかし、秀忠が父亡き後の徳川の天下を危惧してムリクリ「国家安康」事件 やらキリシタン逢阪入城を裏からすすめて逢阪の陣を引き起こした。。。 ごめん、隆慶の読み過ぎで。。
>>912 正直その危機というの自体、眉唾なんだが、
いずれにせよ大阪方がもう少しまともなら家康ももっと気を引き締めた形で合戦するだけの事。
結果は変わらん。
はっきり言って史実の大阪の陣なんて家康からすれば、
その後の江戸時代300年のための通過点としか見てないし、
布陣も全部そういう先を考えた形にしてる、
それでも勝とうとしなければ勝てないような合戦じゃなかっただけ。
その相手がもう少しまともに攻めてくるようなら、考え直すだけ。
言ってることは変わらんのに何を・・・。
>>917 何その贔屓の引き倒し
日本語としてわかりずらいし
>>915 たしか茶々さんにも脱出・生存説がなかったっけ?
国松に関しては、本人とちゃんと確認しないままぶっ殺したというが。
確かに家康・秀忠生命の危機や大坂方の勝機到来は疑わしい気がする。 関ヶ原にも散見される、物語や軍記の作者が好む敗者のハイライトのような。 ところで、豊臣家は大坂の陣の落とし所をどこに想定していたのだろう。 勝手読みが外れて後詰のない篭城を余儀なくされたけど、 幕府打倒から豊臣家による天下の再統一までを視野に入れていたのかな?
>その後の江戸時代300年のための通過点としか見てないし、 >布陣も全部そういう先を考えた形にしてる、 江戸300年ってどこらへんから判るのか教えてほしいものです。 譜代と外様の関係考えた布陣っていうのは理解できますが。
いや300年ってのは単なる結果だよ。 要するに長く続く自分の時代を作るための布陣って事。
夏の陣本戦では、徳川方は前日までの戦闘で本来の陣立てで主力を担当する大名の交代を余儀なくされた そのために隙ができたのかね? だとしても兵力差から考えれば大坂方の奮戦は善戦というレベルを越えてるな 七手組以下の秀頼親衛隊がしっかり働いていればもしや……は十分あったが やっぱり浪人衆と大坂譜代との確執と、主将秀頼のリーダーシップの無さが響いたね
大坂方が奮戦するのは当然だろう? 滅亡がかかってるんだから。 逆に徳川方は「もうこうなったら徳川が勝つだろ」とやる気的にはかなり低かったと思われ?
どうだろうね。 武功をたてられる機会はこれが最後! と張り切った中小名たちは結構いそうだが。
927 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/25(月) 22:32:07 ID:Au0NzLMM
恩賞の元手が摂河泉65万石相当だから、参加大名数をかんがみて それなりの大名はたいした期待はしていなかったんじゃないだろうか。 手続き的な戦の性質上、損害と粗相の発生を秤に架けた諸侯が多かったんじゃない? 中小名や陣借りしている連中は奮戦する理由があるかもしれないけれど、 あれだけ大規模な戦闘になってしまうとさしたる影響はないような気がする。
>>926 いるいる、ともかく目立って活躍しようと思って、
馬鹿でかい位牌背負って戦おうとしたら重すぎて馬が動かなくて何もできなかった奴とか。
>>927 上杉とか佐竹とか関が原で減封された連中は、
徳川への忠誠を示し徳川政権内での名誉を回復すべく奮戦したと聞いたが。
まあ、毛利あたりはこの期に及んで二股狙ったらしいけど。
930 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2007/01/04(木) 10:23:45 ID:AsNJdAr7
>>896 浅野長晟作戦ですか?
そういや領地を返上したはずの会津の加藤も一応大名で残ったよね。
931 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2007/01/06(土) 23:59:11 ID:AKBB510V
浅野家はうまくやったと思うし加藤家も確かにしぶとい。 ただ、家康旧主の立場上千姫腹の男児がいても大大名での存続は よほどうまく泳がないと厳しいのかもね。
秀吉がキリスト教を弾圧した理由ってなんだろうね ググると人身売買がとか出てくるけど、治世者にとって弾圧する理由になるかな
イエズス会宣教師との対立。 キリスト教徒による寺社仏閣の破壊、あと朝鮮出兵のことだっけかな?(軍艦をどーのこーの?曖昧ですまん) 日本は東南アジア同様植民地になると危惧、で、キリシタン追放令をだしたと。
家康もカトリック国との交易は切り捨ててプロテスタント国家の英・蘭とだけ交易しているしな
935 :
OPS :2007/01/12(金) 13:34:15 ID:gnXa8wFe
南蛮宗教が日本を食い潰すと考えたんだろ。 徳川幕府は・・
936 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2007/01/12(金) 14:51:15 ID:eJ9kyqm6
>>932 そりゃ貧民を奴隷にして海外に売ったりしてたら、キリスト教禁止弾圧してもおかしくないだろ。
たしか、秀吉のキリスト教禁止は民向けの政策じゃ無くて、武将達向けの政策だったと思う
高山右近はそれで武将を辞めてしまったが、黒田官兵衛とかはさっさと退教した。
なんばんとこうもうだっけ?宗派争いもわかってただろうし。 一向一揆、後には島原の乱のような宗教一揆を警戒すべきってのは信長の概念から引き継いでるはずだし。
信者が教会へ土地を寄進 → 外国の領地が発生するという危機感
当時のキリスト教の侵略性は常識だろ。 大航海時代から白人どもが有色人種何億人殺したとおもってんだ。 秀吉辺りからきちっと禁止してくれて無かったらどーなってたか。
940 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2007/01/15(月) 18:04:29 ID:RPowzAXk
旗本になりゃあ助かっただろなぁ。 そして大阪の陣で死ぬはずだった奴らが生きていて、家康死後に挙兵。
>>940 一度降ったらもう大坂の陣規模の挙兵なんてできないだろ
そもそも大阪城が無けりゃ無理だろう。
援軍をあてにしての篭城戦なのに孤立してるんだからどうしようもないだろ
家の存続だけを目標にするのなら、家康の覇権を認めて高家のような扱いを望むとか 少なくとも50万石以上の大封を持ったままじゃ警戒されていずれ潰される
945 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2007/01/22(月) 22:47:09 ID:Uav5AyDM
ハリケーン猛って知ってる?
946 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2007/02/02(金) 21:21:09 ID:8qzuzZK1
急に止まったなー
>>944 >50万石以上の大封を持ったままじゃ警戒されていずれ潰される
そのとおりだと思うけど、
なぜ前田・島津・伊達は潰さなかったのか。
3家とも徳川に反逆もしくは反逆しようとした実績がある。
応永の乱のように、強引にでも叩き潰すべきだったのでは?
脅威除去にも見せしめにもなるし、軍需産業の活性化にもつながる。
3家の所領は徳川・松平一門で独占して万々歳だ。
>>947 一度天下が安定ししかもその後、潰すべき要因も特に作らなかったなら、
無理やり難癖つけて潰すようなことをすると逆に天下が乱れる。
豊臣家を無理やりにでも潰したのは、
江戸幕府が豊臣家がある限り天下は安定しないと考えていたから。
実際に、豊臣家が徳川政権を認めなかったからだろ。 そこが前田や島津との違い。
しかし、大内義弘や山名氏清は潰されたよなぁ 彼らは足利政権をはっきり認めていたのに 時代こそ全く違うが
いや、大内家も山名家も残っているでしょう。 面と向かって反逆したのだから、 相手が徳川政権ならほとんど確実にお家断絶になっていたと思うが、 むしろそこら辺のほうが時代の違いってものかと。
そういう意味では義満も、そして息子の義教も度量が大きいねぇ。 いわゆる戦国三傑はどれもケツの穴が小さいもんだぜ。 大内家も山名家がその後勢力を完全回復したように 義満は一定の家勢を両家に残しておいたわけだし、 義教にしても持氏のカミさんたちまでは惨殺しなかったし 末っ子の永寿王は助命して後に鎌倉公方家を再興させた。 秀吉がやった秀次事件のようなキチガイは一度も行っていない。
>>952 その辺ならまだしも戦国時代の後だからわずかな危険分子も取り除いた方が
いいとは思うけどね。あまりにも裏切りが当たり前になってた時代だしね
家康が動かなかったら豊臣政権はどうなってたんだろ?
それはどの程度動かないかによる、家康が全くな〜んもしない隠居でもしてしまうサボタージュの意味なら 政治的に成り立たなくなるので、自滅する。そのぐらい家康が豊臣政権内で果たしていた役割は大きい。 そうではなく家康が忠臣のまま豊臣政権を支え続けてくれるという意味なら正直よくわからない。 それでも三成らと清正らの衝突はあったと思うし、また毛利・小早川・宇喜多辺りは 次第に増長して来る気がしないでもない。 前田家と上杉家もなんか微妙、もともと敵同士だし、家康が居なくとも火種はありそう。 結局全国に問題は多くあるので誰かがコレをまとめないうちは泰平の世は来ない、 家康がやらないなら誰かがやらないと。
あと、東北の連中と上杉の軋轢も。
958 :
人間七七四年 :2007/02/12(月) 22:29:08 ID:5Y2Kt6rS
結局隣国とは付き合いづらいと。
959 :
名無し :2007/02/22(木) 20:57:08 ID:drSSI2/2
50万石では動因能力はがんばっても2万人くらいのもんだろう よくわからんが警戒するほど怖い石高なのかな?
960 :
人間七七四年 :2007/02/22(木) 21:15:41 ID:Vw0gM4d6
関が原で秀頼が出陣すること そうすれば西軍勝利 大坂の陣でもそうだがこれだけこの人が出陣していれば・・・ というそういない
961 :
人間七七四年 :2007/02/22(木) 21:37:47 ID:EB9xvsF3
秀頼が北政所に育てられてたら皆仲好かったんじゃない
962 :
人間七七四年 :2007/02/22(木) 22:07:40 ID:WSumj0q/
>>955 家康が臣従しないって意味なら、総力あげて潰しにかかったんじゃないかな
秀吉
963 :
人間七七四年 :2007/02/22(木) 22:16:39 ID:RO76Y7EU
秀吉が長生きする
964 :
人間七七四年 :2007/02/22(木) 22:21:22 ID:jQ7kCUWF
>>961 育ての母と実母の熾烈なるいがみ合いが起こりそうだ・・・
実母には朝廷をはじめとする公的な後ろ盾がないんだよな。
966 :
人間七七四年 :2007/02/22(木) 23:09:34 ID:lHu/6DcR
降伏
967 :
仙台藩百姓 :2007/02/22(木) 23:43:17 ID:Mf5u3xp1
政宗公に政権を譲渡し臣下の礼をとる 豊臣は公家として存続すればよろしい あと秀頼の世継ぎとして政宗公の子を養子として迎えれば豊臣家も安泰でございましょう
968 :
人間七七四年 :2007/02/24(土) 02:52:16 ID:GrxFBygx
余計信用できない奴、信用してどうするw
969 :
人間七七四年 :2007/02/26(月) 12:52:17 ID:mhTCaLVR
豊臣政権じゃなくて織田政権内の一大名になってれば良かったんじゃね?
970 :
人間七七四年 :2007/03/08(木) 23:43:51 ID:I+IlBCkh
969 それだと、豊臣姓は下賜されずじまいで、羽柴家存続になっちゃわない?
971 :
人間七七四年 :2007/03/08(木) 23:49:40 ID:C9Y/fYq7
>>965 そう考えると、秀頼が生まれた時に秀吉も朝廷に奏上して淀に官位与えておけば良かったよなぁ。
北政所に遠慮したんだろうけど。
972 :
人間七七四年 :2007/03/09(金) 00:13:54 ID:MjtVbAU2
>>971 官位が与えられていたら「淀殿」なんて奇妙な呼ばれ方をされなかっただろうな
ひょっとしたら「春日局」と呼ばれていたかもしれない?
973 :
人間七七四年 :2007/03/09(金) 19:58:49 ID:pLg7s3D2
小牧・長久手の戦いで徳川に対して戦術的に勝てなかった事
974 :
人間七七四年 :2007/03/10(土) 18:28:23 ID:ebKCXeMz
豊臣秀次を殺さずに豊臣家の2代目にして5大老や秀次、秀吉達の家臣団達による集団指導。秀次が武断派、文治派の対立を止められるか、淀&秀頼の立場を秀次の息子達と比べて秀頼を秀康みたいに大名に落とせるか。
975 :
人間七七四年 :2007/03/10(土) 19:29:50 ID:ZWBrVlEp
秀吉が家康を引き連れて朝鮮に出陣
976 :
人間七七四年 :2007/04/05(木) 07:57:23 ID:x58RwGQt
まだあったのか? 結論はやはりどうやっても滅亡または大名としての存続は無理でFA。
977 :
人間七七四年 :2007/04/28(土) 23:50:45 ID:1Bhgj3zb
>>973 あそこでボコってたら誰が秀吉後の天下とってたんだろ
978 :
人間七七四年 :2007/04/29(日) 07:56:20 ID:00hVPR+m
その段階で家康が再起不能級のダメージなら、 後に豊臣政権に逆らう奴はいなくて、黒船来るまで豊臣じゃん? もしも誰か逆らって、権力かっさらうならば、伊達あたりかも。
979 :
人間七七四年 :2007/04/29(日) 10:51:12 ID:pQRC/5oY
「若い頃に不妊治療を受ける」でFA。
980 :
人間七七四年 :
2007/04/29(日) 22:21:36 ID:ij+hvmAI >>978 >もしも誰か逆らって、権力かっさらうならば、伊達あたりかも。
上杉が会津120万石で健在なら、伊達じゃあ手も足も出ないだろ