1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
教えて
実績で言えば信忠の圧勝。
圧倒的に信忠
>>1 自分が何に興味をひかれて、何に疑問をもって、
こういうスレ設けたか、理由くらい書きなよ。
信康事件のさいの原因云々の巷説をちらと聞いたからか、
ただの遊びで立てたのか?
どんな点を比較したいのさ。それくらい示せよな。
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 17:50:43 ID:AolOxGFl
つうか信忠の実績ってパパから譲り受けた大軍で押しまくっただけで
それをもって信忠が優れていたかどうかは不明だと思うが
>>5 河尻も滝川も反対した武田征伐に成功している 20代の若さでな
>>5 信雄や秀忠みたいにパパから大軍与ってもたいした実績得られなかった連中も多いぞ
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 20:23:29 ID:XSE/YOHV
>>6 信忠タンテラツヨスwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
実績では圧倒的に信忠。
信康が優れているという証拠が残念ながらないんだよね。
あるとすれば信康が信忠より優れているのを悲観した信長が信康を
切腹させたなんてのは俗説だし、
武田の武将が信康の戦での勇猛さを褒めたなんてのは怪しい話しなうえ、
事実としてもせいぜい戦闘・戦術レベルの話しだし。
他に信忠が若くから政略を信長にまかされてるのに対して信康は禁じられてたとか。
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 20:41:48 ID:eAcZM34A
信忠、信康、勝頼、景勝、輝元、利常
どれ一番マシ?
信康は父親にとっては扱いづらい存在だったかもな
裏切った旧主家の血を引いているし
年も近すぎる。下手すれば兄弟でもおかしくない
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 20:44:16 ID:eAcZM34A
信忠、信康、勝頼、景勝、輝元、利常、義龍、信親、氏政、氏真、秀頼
どれがマシ?
信忠>勝頼=景勝=氏政>輝元>義龍=信親=利常=信康=秀頼>氏真
義龍>>>利常>景勝=輝元>信忠>氏政>勝頼=信康=信親=秀頼
別枠・氏真
義龍は短命だし。
盛親もまぜてやって
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 22:39:41 ID:9HxC+//u
輝元じゃなくて隆元だと思うのは俺だけ?
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 23:40:09 ID:i8VDTFQZ
盛親じゃなくて交ぜるなら信親だろう。
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 23:43:59 ID:i8VDTFQZ
すまん。もう交ざってた。
義龍>>勝頼>信忠景勝氏政輝元>利常>氏真秀頼信康信親
勝頼じゃなくて義信を入れるべきかと
義信は家督継いでないんじゃないの?
比較するにはちと違うかと
岡崎家という家督があれば、断然信康だという暴論を投げてみたい。
24 :
17:2006/10/29(日) 01:27:04 ID:0pkIdXnI
俺だけっぽいな。スマソ
>>9 信長の家庭パパぶりは有名だからな。
そこらも考慮にいれてほしい。
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 07:14:51 ID:lSu2o3Lc
信康は、ろくに仕事させてもらってないし
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 07:45:14 ID:JkkH4alN
>>25 普通はそうするだろう。
信長は信忠を後継者とみなし、
早いうちから補佐つきながら、
政治・戦争が出来るように育成してたとそれだけ。
>>26 ちょっとだけ信康を弁護すると
それは必ずしも信康の能力は関係なく、
信康の周辺事情や信康と自分の年齢が近すぎることを
警戒してのものと思われる。
ただし信康に「実績がなかった」のも事実だけどね。
豊臣秀頼とて本人の能力というよりは教育が悪かったからなあ。
信康って、安宅信康の事?
>>27 秀頼は教育も悪くなかったと思うけど。
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 08:46:05 ID:JkkH4alN
>>28 家康の長男ね。
秀頼の教育が良かったとは思えんけどね。
具体的にはどう良かったの?
30 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 10:06:36 ID:U6I9kMtv
信忠、信康、勝頼、景勝、輝元、利常、義龍、信親、氏政、氏真、秀頼 孝太郎
どれがマシ?
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 10:14:22 ID:JkkH4alN
結果だけ見れば
100万石を守った利常ね、
次点は輝元と景勝だけど、この二人は家の石高1/3にしてるし。
それ以外は滅びた(次代も含む)か微禄になった奴ばかりだ。
孝太郎ってだれ?
信忠御覧じて、真中に切って入り、頃稽古仕給ふ兵法の古流、当流秘伝の術、
英傑の一太刀の奥義を尽くし、切って廻り、薙ぎ伏す。孫十郎・清次・三右衛門、首丁々と打ち落とす。
(『惟任謀反記』)
信忠は剣豪でもあったらしい
>>12 とりあえず父を倒してる義龍は完全にその中で頭一つ抜けてると思われる。
次点で優秀な弟達のおかげもあるとは言え、優れた統制を取れた氏政、
後継争いに打ち勝った景勝辺りはやっぱり当主として評価されるべきではあると思われる。
その次ぐらいからじゃないかな、信忠が入ってくるのは。
覇気もあったが時勢が読めなかった勝頼と同格ぐらいではあると思われる。
利常は優秀ではあるが、時代が違いすぎるし、合戦も大阪のみではちょっと難しい。
秀頼は論外、輝元は内治の才能はあったかもしれないが、当主の器ではなかったように思えるので
若干評価はしにくいが、ともあれ関ヶ原後の政治は評価すべきではある。
信康は結局、家臣団に疎まれた結果家康に葬られた感が強いので、
その辺はかなり評価として低くなる、家臣からも親からも評価が高く、
期待されていながら主家の名で無謀な合戦に挑む羽目になり見事討ち死にした信親とは
根本的に違うと思われる。
義龍>景勝=氏政>信忠=勝頼=輝元≧利常=信親>信康>秀頼
が俺の評価かな、秀頼は一人の武将として数えるに値しない。
本人のせいではないが。
>>29 二条城で会談した時、秀頼の教養の深さに恐れをなしたって聞いたけど。
ところで、安宅水軍の跡取り息子のこともたまには思い出してあげて下さい。
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 13:40:39 ID:JkkH4alN
>>33 >父を倒してる義龍は完全にその中で頭一つ抜けてると思われる。
その理屈だと
明智>信長になるが
>後継争いに打ち勝った景勝辺りはやっぱり当主として評価されるべきではあると思われる。
どれくらい彼の才覚によるもんだろ?
何の能力もない幼帝が周りの力で相続争いに勝つこともあるのに・・・
>>34 腹に一物の家康の発言だから割り引いて考えないと。
「無能だ」じゃ滅ぼしにくいでしょ。
36 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 14:18:30 ID:FVo3ZjA3
>>35 よく空気読めないとかつまらない人とか言われるでしょ
このスレ的には信忠マンセーなんだろ
くだらん
そんな優秀なら本能寺を生き延びろって
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 14:52:31 ID:prrbNr1U
>30 センス有りすぎ
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 15:01:47 ID:nGE6L89P
>>37 逃げたら逃げたらで何かレッテルが貼られることになる。
本能寺で死んだからこそ、評価がいいんだよ。
40 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 15:45:21 ID:JkkH4alN
>>37 信忠マンセーというか
タイトルのもう片方の信康があまりにショボすぎて・・・
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 15:50:29 ID:dXjAwP/I
2代目ってことなら、秀忠が一番優秀だろ。
秀忠>>>>>>>>>>>>>>>>>>>その他だな
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 15:54:34 ID:dXjAwP/I
>>29 公卿としてみるなら、それなりの人物だろ。
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 15:54:58 ID:qfNmuWIi
逃げたら男じゃないな
45 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 15:58:03 ID:dXjAwP/I
>>44 んなこと言ったら、金ヶ崎から遁走しまくった信長の立場が…
むしろ信長を置いて逃げてこそ信長の跡取りだと思うんだが
逃げれなかったの?それとも有楽にそそのかされたからとか?
光秀が手配りしたのなら逃げられない、と信長は思ってたらしい
信忠も相手が光秀だから逃げるのに失敗して醜態さらす恐れが先に立ったんじゃないかな
48 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 19:48:43 ID:JLgSAb9v
>>40 ショボいってか何もさせてくれなかっただけだろ
未知数なだけ
それいったら、もし家康だって元康時代に病で死んでたらショボいといわれるんだぞ
一応、家康が後年「信康が生きててくれたら」と愚痴ったという話ぐらいはある
>>48 あの段階で死んでたら
ドマイナー武将扱いだったんじゃまいか。
51 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 20:15:11 ID:JkkH4alN
>>49 その逸話はガセっぽい。
講談の創作らしい。
それと結果的に信康ではなく秀忠が跡継ぎだったのが
幸いしたようだが。
秀忠が二代目として上出来だったのは認めるが、
家康の子供たちは、なかなか出来の良いのが多そうなので、
秀忠以外の男児でも、代わりは利いたような気はする。
あそこまでしっかり路線を引き、テクノクラートを揃えた時点で、
家康の勝ちかなと。
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 20:27:14 ID:8/74DFjB
信忠、信康、勝頼、景勝、輝元、利常、義龍、信親、氏政、氏真、秀頼 孝太郎 源太郎
どれがマシ?
景勝が本能寺の信忠の状況に置かれてもやっぱり信忠と同じコトをすると思うぞ
ついでに三好が居ないのはなんで?
>>51 同意、それ程の器量だったならば義信の時みたいに殉死してる者が皆無というのはどうにもひっかかる。
>>52 いや、どうだろう。
信康、秀康、忠輝と見る限り、覇気はあったと思うが、逆に世を治めていくタイプではなかったように思える。
その辺を上手く間引いて牙を抜いて、安定成長に向いた二代目をしっかり選出してる辺りは
凄いと思う。偶然かもしれんけど、秀忠って関ヶ原での失態も逆にプラスに働いてる気がする、
決して出過ぎない二代目として。
こう言ってはなんだけど、間引くっていうか普通に消去法だと思うよ、
ぶっちゃけるとあの時期に秀忠以外に後継ぎはいない。
信康は秀忠が生まれた時期位に死んでるんで論外。
秀康も赤子の頃から家康に嫌われるし、豊臣・結城と養子でたらい回しにされるなど、
もともと後継者候補にない。
忠輝は関ヶ原の時点で僅か8歳で1605年でも13歳、同じく論外。
こうなると秀忠の競争相手といえば忠吉だけだけども、関ヶ原の怪我で病気がち、
オマケに秀忠の同母兄弟の弟となれば後継者にするには不適。
>>49 それ、関が原の合戦直前に「ここに倅がいれば」と言った話だろ?
その場合の「倅」は大軍を持ってまだ戦場に来ない秀忠の事だろハゲ
ウソついて何がしたいの?
>>55 俺のレスは
>>52の「秀忠でなくても誰でも平気だったんではないか」
と言うレスに対してのものなので、別に偶然かどうかは特に関係ないよ。
というか俺、それに関しては偶然かもしれんけどって書いた気がする。
忠輝は若いから論外とかそういう話じゃなくて、これも
>>52の誰でも〜に対して
候補として名を上げただけの話、後はその通り病弱なのも多いし。
62 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 03:23:38 ID:tnibKoJm
あんなことになるなら、信康は今川で引き取ったほうがよかったかもな
武田信長に一票
64 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 04:51:03 ID:72V2VuiW
65 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 05:02:02 ID:bjabOERd
>>54 影が薄いからじゃない?
正直、三好ヲタは肩身が狭い・・・
67 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 08:19:41 ID:72V2VuiW
>>52 単なる二代目なら代わりは誰でもいいだろう。
でも徳川三百年の太平という視点でならは秀忠の功績は大きいぞ。
実は秀忠が一番多く大名を取り潰してるし。
68 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 09:20:54 ID:GsOcJmex
>>53 カツヨリが抜けてるだろ
独立勢力が他国に行軍するだけで大したもんだぜ
カツノリ?
一茂より下だな
秀康の方が家中では評判よかったって言われるがどうだろうね
本多忠勝や榊原康政ら重臣も皆秀康を推したと言うのは史実なのだろうか?
外様からも信望を集めていたようだし
71 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 10:36:20 ID:72V2VuiW
秀康を押す家臣が多かったのは
元秀吉の養子だった秀康を徳川の後継者とする事で
豊臣や豊臣恩顧大名への懐柔策になると思ったんだろうね。
信忠vs信康vs義興vs信親
早死に対決
73 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 11:33:57 ID:To0Qb7h4
秀忠を推したのは大久保一人だけ
正純は?
信忠はアレだろ野球でいえば、規定打席には届かなかったが打率0.330打ったみたいな。
信長「打席数は多少少ないが数字は残したな。あいつは来季楽しみだ」
信康はアレだ、まだ試合に出ず結果は残してないが
家康「信康のスイングは感じる。使っていこうと思う。楽しみ」
信康はドラフト期待の星だったけど、不祥事を起こして消されてしまった
つまり信康=TDNだったんだよアッーーー!!!!!!!!!!!!!!!!11!!
な、なんだアッてーー!!!
>>73 秀忠を押したのは大久保一族じゃなかったっけ?
信忠=93年の伊藤智。
80 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 14:32:59 ID:72V2VuiW
榊原は秀忠押したよ。
信忠、あんなに早くに引退しちゃうなんて
誰も突っ込まないけど時代的に言ったら
利常より利長じゃないのか
(・3・) アルェー
85 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 19:35:41 ID:Xotb87bF
>>75 秀忠の場合、生涯打率3.10、コンスタントに毎年30HR打ってたが、
巨人の4番でしかも前が王貞治だったために、小物に見られるって
感じかね。
>>80 榊原は秀忠なんか推してないよ
榊原が推したのは忠吉だよ
秀忠はどっちかっていうとゴールデングラブの常連だろうな
榊原っていっても誰だよ。
忠吉押したのは井伊だよ(o^ー’)b
秀忠を推薦したのは大久保だけ
忠吉を推薦したのは井伊と榊原
それ以外は秀康を推薦
なんとなく
秀忠→野村の息子
信忠→長島の息子
秀頼→落合の息子
長幼の序で秀忠でしょ。兄貴は死亡か他家養子行きだから
93 :
名無しさん:2006/10/31(火) 21:20:30 ID:z4fGbLo6
信雄が長生きしたので1番利口です
94 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 21:50:57 ID:c502kfhr
>>91 あんまりどころか全然あってないなあ。
信忠は優秀で実績もあり長嶋の息子とは違いすぎるし、
秀忠も政治的には優秀で容姿もカツノリのようなデブとはイメージ会わないし。
落合の息子ってそもそもどんな奴だったかな?
伊藤智は斎藤雅をも凌駕する10年に1人の逸材だと思ったなあ
福嗣と秀頼の共通点・・・・デカい。横も縦も。そんくらい。
一茂は優秀。
ほとんど天下の覇王として君臨してた信長から子供のなかで一番寵愛を受けてたんだから
親父大好き好き好きーってなるだろ
親父を助けたかったんだよ泣かせるぜ
でもほとんど兵もいなくて奇襲だったわけだししかも嫌ってても光秀の能力は評価してた
その光秀相手に勝てというのはさすがに無理だろ
光秀嫌いだったの?あんまり接点無いような気がするんだが。
あと、信忠が襲われたのは本能寺炎上からもうちょっと経ってからなので
二条城に入った頃には既に信長の死は確信していたと思われる。
公家衆や女性達を逃がしてから、せめて潔くと、寡兵で合戦に及び、
光秀の一族に怪我を負わせるまでに抗戦したが多勢に無勢と言う所だったんだろう。
100 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 22:51:12 ID:KS7lfBhN
>>94 落合の息子ってかなりクソらしい・・・まぁ母親がアレじゃなぁ。。。
利常って三代目で嫡子ではないだろ・・利長の弟だろ・・
しかも庶子だったな。
104 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 05:25:23 ID:dQT/BgTm
>>56 家康って我が子に対する扱い酷いよね。
本人がDQNだったならまだしも赤子まで。
なんかトラウマでもあったのかな。
105 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 10:42:09 ID:bb70uni/
106 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 10:54:23 ID:peHdLFDX
素直に信長の野望のデータどおりで(゚з゚)イインデネーノ?
107 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 13:15:59 ID:fHBROcrZ
戦国時代って自分の子供を養子や人質に出さなきゃならないコト(特に弱小大名は)があるんであえて子供に愛情を持たないようにしてたんだよ!
その証拠に天下を取ってからの家康は子供をめちゃめちゃ溺愛してるし(九男以降)ね(o^ー’)b
信康は家康が会うのを嫌がっていた妾の子の弟を家康を欺き対面させて親子として認めさせたりしている
戦に関しては未知数だが関が原の時に信康が居てくれたらと家康が嘆いたとかもあるから何とも言えない
信康が家督相続してたら徳川の天下は無かったとは思うけどね。
家を存続させるなら二代目は父親のYESマンの方が良さそうだし
輝元って毛利輝元の事か?
氏真よりはましだろうがもっと評価は低いだろう吉川居なかったら断絶されてたかも知れないし
景勝=義龍>氏政=信忠=勝頼=信康>利常>輝元
やけにここは信忠の評価が高いな
そりゃあ織田家の子孫の信成君はスケートで頑張っているが
景勝も氏政・勝頼と同じとこ、信康は輝元のはるか下。
110 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 20:34:18 ID:C/xW6QMO
>>108 >戦に関しては未知数だが関が原の時に信康が居てくれたらと家康が嘆いたとかもあるから何とも言えない
それは講談の類。それに家康の見立てがあてになるか疑問。
秀頼を賢い人物であるというような家康の見立てが。
>>97 微妙だが、
プロ野球選手になるという事自体、凄いことだからなあ。
大学野球でも活躍してるし、
背筋力など数値的な身体能力は球界でもトップクラスだったしね。
一茂は凡人ではなかったと思われ。
一茂は引退前に広島と日ハムが獲得を表明してたね
12球団で1番練習が厳しいとこと2番目に厳しいとこ(当時)
まぁ広島はな・・・何人の選手が潰れていったことか・・・、
もっともそれを耐え抜いた選手は並じゃなくなるし、
黒田みたいな鉄人が生まれてくる要因にもなるんだろうけど。
って板違いw
113 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/03(水) 03:09:10 ID:aThkj516
史実の信康に関する資料や情報が何もないから、何ともいえん
いや、何も無い訳じゃないよ。
武田攻めでそこそこの武功あげてる。
だからむしろ合戦能力こそあれ、政治は何も無いどころか、
本気で暴君だったという逸話もある。
結城秀康や松平忠輝の兄だと思うと正直そっちの方がしっくり来る。
何人か理由もなく手打ちにしてた筈>信康
福島正則や細川忠興のようなDQNタイプじゃない?やっぱ
家康と秀康の面会に一役買ったのもこの手のタイプに共通する義侠心だろ
庶民や家臣は自分に仕えて当たり前、目上・親族・同等・自分が認めた存在には人並み以上に情が激しい偏執型
秀忠以外の家康の息子って大体そんな感じだよな。
息子どころか家光もそんな感じだろ
118 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 19:16:20 ID:vE4nKGY5
信康は実績ないし、家康に葬られてるんだから信忠じゃね?
それにしても何で神君家康の息子どもには暴君が多いんだ?
やっぱり家康が冷たくしたからかね。
利長 輝元 勝頼 景勝
どれがマシ?
その中なら戦国武将としては勝頼じゃない?
禄高を増やしたのは利長だけじゃん
当主としては家を無事に守り抜いた利長だろうね
次点でなんとか生き残った輝元と景勝
滅びてしまった勝頼は評価が低くなるのはしょうがない
武将として見たらまた違うだろうけど
暴君というよりは気性が激しいといった方が正しいと思うけどね。
別に目立つ失政したわけでもないし。どうも親父と比べて権力中の
遊泳術が下手な印象があるが、これは親父が上手すぎてくらべちゃ
いけないし。
家康自身、世間の波に揉まれてない若い頃は、直情型の熱血漢だった
ようだし、三河流の子育てだとそうなるのかもね。
123 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 20:42:33 ID:HSm7ZQ2x
輝元や景勝は本能寺の変がなかったら、間違いなく滅んでたよ。
あと実績も何もないでしょ。
滅亡抜きで考えたら勝頼のほうが実績はあるし。
当主としてマシだったはず。
カツヨリ
125 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 02:28:57 ID:vkUoHEEs
>>123 実績で語るなら滅亡ぬいちゃ駄目だろうw
武将としての才能、大名としての能力で語るならその結末は
ある程度目をつぶってもいいけどさ。
蜂須賀家政もしくは至鎮
長生きした
のぶお
128 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 07:27:15 ID:njglpYDK
>>122 彼の残虐話しのうちいくつかは史実みたいなんだよね。
確かに踊りの下手な奴を射殺したとか、
狩りで獲物がなかったので鬱憤晴らしに出家を馬に引きずらせて殺した
とかは事実ではないだろうけど、
信康の浮気を告げ口した侍女を刺殺して口に手を入れて引き裂いたとかは事実らしい。
>>121 どこまでが利長の能力か疑問。
徳川から前田家に難癖を付けられたときに
最初は利長は激怒して戦うつもりだったが
母親や家臣に諌められて方針転換したという。
母親が人質に行ったのも母親の提案と意志ね。
口に手入れて引き裂くってすごいな。
人間の手でそんなことできるんだな。
家康もとてつもないバカ力の持ち主だったという話を聞いた事があるので、
息子もそうなのかも・・・。
131 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 22:19:52 ID:CVxDWKvK
あげ
132 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 00:26:24 ID:QBhnOVWk
>>128 そりゃどんな戦でも賛成・反対に家臣の意見は割れると思うが。
そこで反対意見を採用したのが利長の立派なところでさ。
133 :
人間七七四年:2007/03/12(月) 00:23:09 ID:1s/Ayuy0
>>125 実績だけなら後の明治維新の主役の一角を担った輝元だろ
途中で養子とか来てたらしらんがw
134 :
人間七七四年:2007/03/17(土) 20:40:00 ID:DkLO02Dx
>>123 輝元は内治の才能はかなりあったと思うよ。
関ヶ原以降見れ。実績凄いから。
大名としての輝元はリーダーシップに欠けるといえば確かにその通り。
しかし輝元は自分の分限を弁え、両川の言うことをよく聞き、よく立てた。
また過度の野望をもたなかった。そして毛利の血を残した。
そもそも何のためのリーダーシップかということを考えれば
リーダーシップそのものはたいして重要でないと気づく。
135 :
人間七七四年:2007/03/25(日) 23:41:11 ID:y+yIeKwB
両者とも親とは別の居城を与えられてるが
信康の悲劇は母築山殿には仇筋の嫁をもらったことだな。
信康の処分は家康が決めたことのようだが原因は浜松衆と
岡崎衆の対立、父家康との余りに少ない年齢差もあったんだろうな。
136 :
人間七七四年:2007/03/26(月) 02:13:45 ID:2xPJrSea
築山殿が徳姫をどう遇したか信憑性がある資料があるなら、信長の娘を嫁に貰ったのが悪かったと言えるが
岡崎に来ているかどうかすら、信憑性の高い資料では確認できない、・・・・・・と、不勉強ながらそう聞いている。
(徳川にはさほど興味ないので、違っているかもしれない。違ってたら訂正たのんます)
信康の部下は、信長の命で徳川内の反織田勢力を葬ったりしているみたいなので、
昨日の敵は今日の友・寄らば大樹の影的な、いかにも戦国時代らしい関係だったのではないかと
勝手にそう考えている。
137 :
人間七七四年:2007/04/01(日) 10:42:11 ID:RybTMiYO
信康の家臣団ってどんな面子?
平岩親吉ぐらいしか思い浮かばない…
138 :
人間七七四年:2007/04/01(日) 13:54:00 ID:spoQnlPp
石川数正もいる。
後年彼が秀吉の元へ出奔したのはこの事件が
原因だろうとの見方もある。
ある本では妻子殺しを信長のせいにして恥じない
家康に愛想を尽かしたとあるのだが、その筋書を
作ったのは家康自身でなく家康が神君とされてからの
徳川家の関係者だろうと思うが。
139 :
人間七七四年:2007/04/01(日) 23:08:48 ID:hB7sROKG
当代記など当時の一次史料によれば
信長が信康を殺させたというのは間違いなのは
明らかと思うが、未だにそう書いた本などが多数横行している。
困ったことだ。
140 :
人間七七四年:2007/04/14(土) 22:27:59 ID:bopZ5h9O
信康の名が信長の一字拝領であることを見ても、
いくら娘五徳からの訴えがあったとしても
信長が信康を殺そうなどと考えるのはおかしい。
下手をすれば家康を敵に追いやる可能性すらある。
141 :
人間七七四年:2007/04/15(日) 01:51:42 ID:bO0G3bnj
事はそれだけにとどまらないよ、当時の家の感覚からして嫡男に死ねっていうことは
その家そのものに断絶しろと言ってるようなもん、こんなのよっぽどの事が無い限り
家臣にだって言えることじゃない。
また逆に本当に武田に内通していたというのであれば、
今度は嫡男が死ねば良いなんていう問題じゃない、家康にだって大きく責任を取ってもらう必要が出てくる。
どちらにしろ徳川内部にもっと大混乱がおきる、なのにそれが全く無い、不自然すぎる。
142 :
人間七七四年:2007/04/15(日) 09:07:59 ID:IBxiearh
そうなると、
・信長の命で信康切腹
・信康母子が武田に内通
はいずれもありえないということになるな。
近年有力とされてる徳川家のお家騒動、岡崎派と浜松派の
対立が原因なのだろう。
143 :
人間七七四年:2007/04/17(火) 22:26:37 ID:uT8LI14L
二人とも織田、徳川の嫡男として生まれながら
最期は切腹というところまで共通している。
父の命で自害と、家臣の謀反で自害。
どちらがよりマシだったろうか?
144 :
人間七七四年:2007/04/26(木) 22:07:01 ID:BGIt5naa
無為に死ぬ前者と、武田討伐成功した絶頂期に反逆者と一戦交えて死亡の後者なら後者がいいな
145 :
人間七七四年:2007/04/29(日) 18:06:10 ID:W9twloHg
武田信玄の長男義信の死は現在に至るまで謀反とされてるが
同じ謀反(但し信長ではなく家康に対して)の疑いの濃い
信康の死は徳川史観のおかげで信長のせいに。
信長こそいい面の皮だ。
146 :
人間七七四年:2007/05/06(日) 15:23:15 ID:56TbfRlE
あげ。
147 :
人間七七四年:2007/05/08(火) 01:12:13 ID:LZrmm/Iw
>>145 その上、「信長が信忠と信康の器量を比べて、凡庸な信忠に対して信康を怖れた
ので切腹を命じた」なんて風説を流布されちゃあ信忠もいい迷惑だ罠。
148 :
人間七七四年:2007/05/08(火) 21:40:45 ID:TTO7kxqd
親父への反乱失敗しただけの信康と
若くして武田侵攻で功を立てている信忠じゃねぇ。
後年になって、信忠の有能っぷりを羨ましがった家康が
「切腹させたウチの信康も、信忠様のような英傑であったなら」
と信長にボヤいてみせるくらいの方が、ありえそうだ。
149 :
人間七七四年:2007/05/08(火) 22:06:11 ID:7jGu6S5S
後年と言ってもわずか3年しかないわけだが・・・
こう考えると信忠の死は織田政権の瓦解という意味以外にも
本当に惜しまれる。
本能寺で信長が死んでも信忠が生き延びれば歴史が大きく
変わったことは間違いない。
150 :
人間七七四年:2007/05/08(火) 23:01:32 ID:Fhb1WMtd
しかし信長信忠が鴨ネギ状態で目前に居なければ光秀も謀反起こさないわけで
151 :
人間七七四年:2007/05/09(水) 21:14:52 ID:+E+g7atF
あいや、本能寺が襲われてから信忠が二条御所に移動するまで
結構時間があったのが信忠は逃げる途中で雑兵に討たれたりしては
無念だからと逃亡を諦めている。
だが当代記によれば光秀は逃げ道は塞いでいなかった、安土へ逃亡
すれば無事だったろう。運が尽きていたとしか思えないとその筆者は
嘆いている。
だから信忠だけが難を逃れることは出来たはずというわけ。
152 :
人間七七四年:2007/05/10(木) 20:17:11 ID:q7HO6pCw
>>151 後世に全部知ってるからそういうことが言えるんであって
実際混乱の真っ只中にあって情報も錯綜していたであろう信忠に
その判断をしろというのは酷じゃないか?
仮に逃げ出したとしても有楽や玄以みたいなのと違って
光秀も猛追するだろうから結局逃げ切れないんじゃない
153 :
人間七七四年:2007/05/11(金) 21:56:59 ID:wbmtQOzo
後世の我々ではなく当時の「当代記」がそう
記しているんだが。
当代記は割合信憑性が高い史料として
認められている。
154 :
人間七七四年:2007/05/12(土) 01:45:11 ID:s6izuu1X
当代記の著者はその場にいたの?
情報が錯綜していた中で光秀は国境を封鎖していないって的確に判断して
京都を見事脱出するって判断を下せるとでも?
信憑性が高い資料とはいえ、乱の真っ只中にあった信忠が知りえなかった情報を前提とした
「運が悪かった」とかいう著者の感想的記述には何の意味もないし、
それを持って信忠が逃げられたはずとか言うのは何の意味もないよ
155 :
人間七七四年:2007/05/12(土) 10:10:06 ID:5vb7x5KD
>>154 横槍で申し訳ないが、著者は信忠が逃げ切れなかったことを
もって、彼に評価を下している訳ではないのに、この反応は
おかしいのでは??
156 :
人間七七四年:2007/05/16(水) 02:47:38 ID:mr5qE6E6
>>151 ちょっと論点がずれてすまんが、本当に「安土に」逃げればって書いてあった?
単に逃げてれば助かったかも〜というのであればその通りだとは思うけど、
安土となるとこれは大変そうだったので。
それに信忠ならば戻るのは岐阜であって安土じゃない、にもかかわらず安土に限定するのであれば
何か妙だなと思って。
157 :
人間七七四年:2007/05/29(火) 13:19:54 ID:NR6xIEne
松平信忠のことかとおもった
158 :
人間七七四年:2007/05/29(火) 17:33:47 ID:5R+9FWU4
フロイスは光秀を「陰謀を多く好む」と評してたな
信忠的には「そんな光秀が謀反を起こしたんだから
逃げられるような隙があるはずがない」と思ったんじゃね?
159 :
人間七七四年:2007/05/30(水) 02:49:16 ID:6KYj0sFZ
光秀もたいした距離もないのに刈られちゃったからな
160 :
人間七七四年:2007/06/03(日) 17:27:46 ID:i16vgjjL
光秀だけじゃなくて、野武士や盗賊の荒稼ぎも警戒しなきゃならん。
そいつら対策として多数の家臣を連れて脱出すれば光秀に補足される。
かといって少数だと討たれる可能性が高まる。
結構なジレンマに陥りそう。ただ、一か八かの賭けに出る価値がある
瞬間を逃したことは事実かもね。価値観が違うのでなんとも言えんが。
161 :
人間七七四年:2007/06/07(木) 14:41:08 ID:Rf6OL0MR
岡崎信康、結城秀康、徳川秀忠、武田信吉、松平忠輝、松平松千代、松平仙千代、
徳川義直、徳川頼宣、徳川頼房、
この中で一番優秀なのは結城秀康だよな?
162 :
人間七七四年:2007/06/07(木) 14:44:46 ID:Rf6OL0MR
163 :
人間七七四年:2007/06/07(木) 14:59:24 ID:v72/Cgqm
家康も伊賀越えのときは死を覚悟してたというし
当時の感覚だとそういうことなんだろうな
164 :
人間七七四年:2007/06/07(木) 16:37:34 ID:HY3gWJG8
165 :
人間七七四年:2007/06/07(木) 20:40:55 ID:gEeLqoP4
なんだかんだで秀忠が一番優秀だったんじゃないかって希ガス
「乱世の凡将、治世の能吏となりて主家に貢献せん」ってね。
166 :
人間七七四年:2007/06/07(木) 21:59:37 ID:h1gBf8C/
きっちり徳川の土台固めをしたのだから優秀なのには同意なんだが
やっぱり家康が隅々までお膳立てしたイメージが強いんだよな。
167 :
人間七七四年:2007/06/07(木) 22:58:36 ID:/1dGazcV
しかし家康息子の中じゃ一番優秀なのは揺るぎない
つか
岡崎信康、結城秀康、松平忠輝、徳川頼宣
この辺り纏めてDQN
168 :
人間七七四年:2007/06/07(木) 23:05:42 ID:HY3gWJG8
もう土井利勝でいいよ。
169 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 22:43:37 ID:xlht08ZN
秀康をDQN扱いするのはさすがにあんまりだろ。
信康にしても母親の悪女っぷりのように
かなり誇張されてる気もするしな。
170 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 01:33:35 ID:w0n8QVti
キレて刀を抜くのはDQNだよ、例え戦国時代でも
まして次男の方は家康に敵対した家の家臣ばっか集めたり……
171 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 03:26:14 ID:Pqpc1GPI
あれだけ幼少時から冷遇されてたらグレる罠。
よくしてくれた兄貴は死ぬし跡継ぎは弟だし。
172 :
人間七七四年:2007/06/13(水) 21:04:09 ID:CDy/uuqG
先日浜松に行った時に、信康最期の地・二俣城と信康が眠る清瀧寺に行った。
アクセス方法などをちょっと書いてみる。
浜松市街から電車で行く場合は遠州鉄道で新浜松(浜松駅前)から
終点の西鹿島駅へ。そこで天竜浜名湖鉄道(1時間に1本ぐらいしかない)に
乗り換えて1駅目の二俣本町駅で下車。隣の天竜二俣駅とまぎらわしいが
そこまで行かないように気をつけたい。駅を背中にしてやや左へ歩いて
大通りを渡ると二俣城入口の山道へ。看板が出ていた筈なのですぐわかるだろう。
10分ほど登るともう本丸に着く。天守台の上にも登れる。車で行く場合も
本丸入口付近に数台止められるスペースがあるので行きやすいだろう。
173 :
続き:2007/06/13(水) 21:09:49 ID:CDy/uuqG
そこから清瀧寺まで徒歩で移動。竹藪の多い山道を10分弱登り下りする。
看板が出ているが少しわかりにくい。二俣城からだと寺の裏手に出る感じになる。
本堂は人気がなく静かだった。信康廟は残念ながら外門に施錠されていて
内部の様子は窺えず。外から手を合わせてきた。道に迷わなければ
両方見て一時間前後で駅まで戻れるだろう。上にも書いたが
天竜浜名湖鉄道は昼間でも1本逃すと1時間は次の電車が来ないので
帰りの時刻表はチェックしておこう。長文失礼。
>>167 ってか家康が秀康や忠輝を遠ざけた理由の背景に覇気がありすぎるので、
信康の二の舞を恐れたのではないだろうか?
信康が有能かどうかはともかくとして、信康のように覇気がありすぎてイケイケな性格であれば
お家のしがらみや二元政治の対立から謀叛を起こそうとする。
家康が後継者に秀康ではなく秀忠を推したのも、こんな背景がありそうな気がするんだが・・・どうだろ?
175 :
人間七七四年:2007/08/05(日) 20:00:25 ID:qmHjzgoS
結局信康の武田内通はでっちあげなの?
176 :
人間七七四年:2007/08/10(金) 18:46:26 ID:q3i4CFR/
177 :
人間七七四年:2007/08/12(日) 23:09:07 ID:FUoq6+O4
あんだけ武田勢ぶっ殺しといて今更内通って、武田勢がまず信用しなさそうw
178 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 11:16:54 ID:VaWe3IRL
信康を奉じる三河派と、家康がいる浜松派の抗争の結果が切腹劇。
酒井は信長にその報告に行っただけ。
酒井がミスって信康が切腹なら、普通酒井家は冷遇されてるよw
179 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 22:22:20 ID:xvcaulkz
>178
それは織田家みたいな絶対君主の考え方を他の大名家にも敷衍させてい過ぎだ
と思う。信長の家臣団みたいに絶対君主的なものなら気に染まない家臣を誅す
ることが(他家に比べれば比較的簡単に)できるけど徳川家はあくまで三河な
どの地侍の「党」を纏める「盟主」に過ぎないから酒井を切腹させるなんて無
理でしょう。酒井は三河で徳川家と勢力を二分する酒井家の当主だから江戸幕
府後の徳川家ならいざ知らず、その当時にはとてもそんな処断はできない。
極論言えば家康が命令を聞かず信長に逆らえば忠次は自分の処断を恐れ、酒井
家が信長と結んで徳川を潰す恐れもある。それだけ酒井家の三河での名声は大
きい。
180 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 22:58:00 ID:bDsQoeEi
自分で
>江戸幕府後の徳川家ならいざ知らず
と言っちゃってる矛盾に気づいてる?
181 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 00:48:08 ID:fKb31coq
>180
だから当時の徳川家の盟主としての力量で無理だったってこと。
三河遠江時代は酒井家という家を大いに憚っていた。
幕府成立後は徳川家と酒井家の力の懸隔ができすぎた。
小豪族の盟主時代から江戸将軍家への変遷に気づいてくれw
182 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 00:59:48 ID:2QVFb1BX
>幕府成立後は徳川家と酒井家の力の懸隔ができすぎた。
こんな自分の考えに過ぎないことを前提にされても困る
183 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 01:07:49 ID:2+/scD9c
信康の守り役は平岩だったから、酒井の責任云々は筋違い。
飽くまで酒井は、事の報告を信長に伝えただけ。
184 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 01:30:15 ID:FvUDn9vC
たしかに、岡崎で信康の傍にいたわけでもない酒井に責任を撮らすのは無理がある、
というか、そもそもそんな酒井に信康の行状を確認するというのが無理がないか?
185 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 18:08:35 ID:L0oM4tDW
どちらにせよ、信康には信長が怖れたという英邁説と、
暴虐説(五徳が12ヶ条の手紙で不行状を信長に訴えて
結果切腹)の2つがある。
本来両立しないはずのこの2つが同居してること自体、
徳川家の史料が語ってること(信長の命令で信康切腹)
があやふやで怪しいことを物語っているのではないか。
186 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 19:30:53 ID:ptHtcLhw
やっぱり、御家騒動を隠すために「英邁説」や「暴虐説」を喧伝されたのかな。
187 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 20:35:38 ID:kNR39/oY
推測だが、そのどちらでもなかったのでは。
侍女の口に手を入れて引き裂いたとかの話は
作り話っぽいし、英邁説は徳川のお抱え学者が
徳川家の嫡男は織田家の嫡男より優れていたと言いたい
ための話だと思う。
家康に認知されなかった後の秀康を父と対面させてやった
という話は本当のようだから、心優しい若者ではあったの
だろうが。
188 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 21:01:27 ID:kNR39/oY
連投になるが、まだ異論はあるものの、
谷口克広も新刊で述べているように、真相は
徳川家のお家騒動だったのではないか。
特に徳川家のフィルターのかかっていない
「当代記」に、信長は家康の存分次第だと言った
とあるのが重要だと思う。つまり信康を殺せなどとは
言っていない。
徳川関係史料である「三河物語」などよりも
「当代記」の方がよぼど信頼できる。
189 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 23:04:58 ID:konh4Z42
典厩五郎著「家康、封印された過去」という本がある。
通説を疑い、信康と築山殿は家康が自分の意思で殺させたというのが
その主旨。
現在品切れなので、図書館などで探すしかないがお勧め。
是非読んでみてほしい。
この本では通説の信長が命令したという説は数々の疑問があり、
それでこの事件を詳述しようとすると矛盾だらけの支離滅裂な
ものになることを指摘している。
また他スレでも言われてることだが徳川幕府が自ら作った史料で
歴史の偽造をやっていることも強調している。
死後、神となった家康は尚の事。家康に誤りや罪があっては
ならないからだ。
190 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 18:23:36 ID:B8qr/M/i
信康切腹の原因となったとされる信長と酒井忠次の会見だが、
よく考えるとおかしなことだらけ。
忠次は「一々覚えがございます」と言ったというが、
すると築山殿が武田と通じてたことを知ってたことになる。
何故彼はそれを家康には告げなかったのか。
普通なら徳川家内部で処理しようとするのではないか。
これではわざと信長に介入させたようなものだ。
191 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 21:10:59 ID:GuEnKhlQ
新説でも信康は岡崎衆を率いて謀反を起こそうとした
と考えられてるから自業自得ではあるが、
彼は死んだ時は「徳川信康」だったはずが、
その後「松平信康」に格下げ。
なんか哀れだ。
192 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 21:16:56 ID:DgqLVhVF
>>191 はぁ?
信康が死んだ時は、家康だって徳川じゃなかったぞ。
193 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 21:21:54 ID:GuEnKhlQ
>>192 家康が松平から徳川に改姓したのは永禄9年(1566)。
信康の死は天正7年(1579)。
194 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 21:45:03 ID:GJXUH2oa
>>192は家康の徳川改姓を一体いつと思ってたのやら。
姉川・三方ヶ原・長篠、これらはどれも「徳川」家康の
戦なのだが。
ここらの前後関係もまるで分かってないのか。
岡崎三郎。
196 :
人間七七四年:2007/09/01(土) 01:22:54 ID:A7DlVNkP
常識的に考えて、信長が殺せと命じるのはリスクに対して利が無さ過ぎる・・・。
お家を保つ事が何より重要視されてるこの時代に、嫡男を殺せと命じる事は
本人に死ねというよりヤバイ事だってありうる。
こんな事、織田家の家臣相手ですらさすがの信長も余程の事が無い限り言えないよ、
まして徳川は無二の盟友、力関係こそ差がついたものの同盟国の嫡男に
事の真偽もはっきりして無いことで死ねなどと言えるわけない。
それとそれまでの信長の半生を見る限り、有能な人材を見つけたら重宝する事はあっても
恐れて排除にかかるようなタマじゃない、むしろそれぐらいの慎重さがあったら本能寺など起こらなかったかも。
197 :
人間七七四年:2007/09/01(土) 06:06:50 ID:Q3dhurCD
やはり、徳川家のお家騒動なのだろう。
あの神君が息子に謀反を起こされたり、妻子を殺したとあっては
まずいから、本当の理由を出すわけには行かず、すべて信長に
かぶせたというのが真相だと思う。
信長はとっくに死んでいて死人に口なしだし、織田家も衰えていて
信長のせいにしても反撃される心配もない。
198 :
人間七七四年:2007/09/01(土) 06:22:52 ID:Q3dhurCD
>>192に教えておくが、信康が徳川から松平になってしまったのは
江戸時代になって、徳川家が「徳川」姓は将軍家と御三家に限ると
いう方針を打ち出したから。
199 :
人間七七四年:2007/09/01(土) 18:16:40 ID:8PpluHWX
>>179 何も酒井を切腹なんて言ってない。
通説の通りなら、信康を庇わず死に至らしめた忠次が、
その後も重臣として用いられてるのはおかしいのではないか
ということ。特に信濃制圧の時はその最高責任者にされている。
「三河物語」では、家中の皆が忠次を憎んだとして彼を悪者に
しているのに何故・・・
通説の通りならこのように重用されるどころか冷遇されてるはず。
この見方では「おまえでも息子は可愛いか」の話は徳川お抱え
学者の創作ということになる。
200 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 03:45:50 ID:S2fOeiBT
>>198 故に遡って徳川信康が松平信康になるのは、可哀想だよな。
201 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 13:57:54 ID:Miued8wE
「当代記」の謎
この時期のことを書いた数少ない本のひとつで、貴重とされているけれど、
「当代記」は現代語訳など販売されていますか?
以下、いづれも未確認なので、間違ってたらゴメン。
著者が松平忠明かも?と言われているけど、実のところ
>当代記という資料は、当代というのは家康の代という意味で、
>はっきりはしないが家康の家臣が克明に記録を取っておいたものを
>集めて家康の代の記録としてまとめたもの。
・・・by小和田哲男(静岡大教授)
国立公文書館に保存されている『当代記』は写本4種類らしいけど、
寸分違わず模写されているか?
中には明治に華族会がスポンサーの「史学会」が
戦国末期から江戸初期に関する文書を集めて書いた本で非売品等等。
・・・分からないことだらけ。
ところで、家康の時代の書なら (又はその時代の書をまとめたものなら)
家康が非のない息子に切腹させたのでは、聞こえが(都合が)悪いので
信康に非があると捏造された可能性は高いのではなかろうか?
202 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 16:22:08 ID:LbDdckrU
逆にいえば信長が家康を排除して信康を助ける変わりに
徳川を同盟国から家臣化しようとしてたとかはないのか・?
だから逆に信長のせいだとか主張して、かってに徳川の内政干渉を
再発することへの予防線としたとか。
203 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 18:00:14 ID:Kweh4jld
>>201 >家康の時代の書なら
家康が健在の頃、つまり神君になってない段階なら、
信康切腹を信長のせいにしようという動きはまだなかった
と思う。
だから「当代記」が徳川方史料でも「三河物語」など
他とは異なるのではないか。
204 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 19:58:54 ID:kphV08jE
信康が徳川を名乗った史料なんかあったかなあ?
205 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 06:01:14 ID:hOi4qky/
永禄9年に家康は姓を「松平」から「徳川」に改めているから、
その嫡子である信康は、その後、死ぬまで「徳川信康」だった
はずである。
(谷口克広著「信長と消えた家臣たち」中公新書より)
その通りだと思うが?
信康は家康の嫡男なのだから「徳川」姓で当たり前。
206 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 08:33:59 ID:R3FWFzhO
>>204 史料には「岡崎三郎」とある場合が多いようだ。
だがそれを言うなら名前も信康ではなく三郎ということに
なってしまう。
正式な名乗りは徳川信康、通称が岡崎三郎ということで
いいのではないか。
極端な例だが北条早雲だって本人はそう名乗ったことはないのに
現在それで通ってるし。
18しか違わない息子、それも嫡子。にも関わらず「徳川信康」の史料はない、と。
徳川という姓が家督を意味していた時期があると考えれば
>>205の谷口説は消えるよな。
208 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 07:35:27 ID:jI+JmGr3
じゃあ聞くが、現在人名事典などに彼は「松平信康」で
載っている。
「松平」になったのは
>>198のような事情のためだが、
それがなかったら何だったの?
教えてくれ。
209 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 08:20:50 ID:bniKCJ/w
信康って、古い史料見ても岡崎姓か松平姓なんだよな。
徳川姓で載っているもの見たことないんだが、
>>198以前の史料でも、徳川姓のものがないんじゃないの?
それとも、ほんとうはあるの?
210 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 23:24:15 ID:bCJNJGTg
>>206 早雲は紛れも無く氏綱の代から北条姓を名乗ったという記録が残っているので、
早雲が北条姓を名乗っていない事は明白。極端とかいう問題じゃなく例が悪いと思う。
211 :
人間七七四年:2007/09/08(土) 16:02:52 ID:O2Vqot9h
重複スレが立ってるので、age
212 :
人間七七四年:2007/09/08(土) 21:19:08 ID:hdS9GFgM
>>209 岡崎は姓じゃなくて、岡崎信康=岡崎にいる信康程度の意味だろ。
「徳川」の持つ意味が変わって行くのでややこしい話ではある。
214 :
人間七七四年:2007/09/09(日) 12:02:30 ID:7eoGzZ99
いくつもの呼称が同時に存在する時代、記述された名前以外は不確定であり推測に過ぎない。
215 :
人間七七四年:2007/09/09(日) 21:51:53 ID:X04gfHJT
いずれにせよ、言えることは江戸時代になって
徳川将軍家が「徳川姓は将軍家と御三家に限る」なんて
方針を出さなければ、信康も忠吉も忠輝も現在、徳川姓で
呼ばれていただろうということだ。
216 :
人間七七四年:2007/09/12(水) 18:14:24 ID:FMhneLNi
>>212 そうだよな。
信康が「岡崎家」ってのを興したわけじゃあるまいし。
217 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 17:16:49 ID:ZQXNDrhH
俺あんまり詳しくないから笑って流してくれていいけど、
他国の謀略に織田徳川がまんまと嵌ったって可能性はないの?
例えば武田あたりが、徳川の力を殺ぐ(ついでに織田との関係に楔を入れる)って感じの。
>>207 スレ読んでると18しか違わないってたびたび出てくるけど、人生50年な感じの時代に18歳の時の子供って
そんなに変なの?
218 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 19:33:54 ID:++aaPGXy
まったく変じゃない。
元服14だし、元服したら大体は結婚も近いウチにするし。
そう言う意味では18歳差云々は特に関係ない。
それじゃ二十歳前後でまつに子供生ませた利家はどうなる?
そうじゃなくて、18の時に生まれたなら切腹までの数年間分の長い時間の間に、何らかの資料が残っててもおかしくない筈なのに、それが無い、変じゃね?ってこと。
(将来徳川を背負って立つ嫡男なら資料なら相当あってもおかしくないのにそれが無い、変じゃね?)
219 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 21:17:13 ID:pnNviKQJ
現在残されてる史料はいわば徳川幕府の検閲を通ったもの。
そんなものに真の信康の姿が書かれてると思う方が
どうかしてる。
一例を挙げると信康は英邁か暴虐か、一体どっちだったのか?
名前にしても同じ。徳川家康の嫡男なのだから「徳川信康」が
正式な名で何もおかしくない。史料が残ってないのは江戸時代に
なって松平姓に格下げされた上、死に追いやられて徳川家を継ぐ
ことがなかったためだけのことでは。
あの権威ある「国史大事典」にも、父の家康が徳川に改姓したから、
以降は徳川信康ということになる、と書いてある。
220 :
人間七七四年:2007/09/28(金) 21:49:56 ID:F0+YCFe4
天正7年8月に家康は信長近習の堀秀政に宛てた書状の中で、
「今度左衛門尉(酒井忠次)をもって申し上げ候処・・・」と
書いている。その後には信康を岡崎城から追い出し・・・とある。
これは酒井が信長に問われて12ヶ条を肯定してしまったというのとは
明らかに反し、家康の方から信康について信長に相談したことを
示している。
通説では信長と酒井のやり取りなど家康の予期せぬことになっている
はずだ。
よってこれで「当代記」の記事の信憑性が裏付けられる。
221 :
人間七七四年:2007/10/28(日) 02:28:23 ID:i4/pKDKs
信康の件については、江戸時代の資料はアテにならんな。
222 :
人間七七四年:2007/11/04(日) 15:12:45 ID:MC326NKe
信長が信康の将来をおそれて〜
ってのも明治時代のネタだからな
そもそも
実質家臣の子供なんて恐れるかな?
223 :
人間七七四年:2007/11/14(水) 23:02:46 ID:7zwKmxya
>>221 そもそも信康の死が信長の命令とする同時代史料が
存在していないわけで。
そう書いてるのは徳川家の正史。
そんな何が目的で編まれたか明白な史料(?)を真実としてきた
これまでがどうかしてる。
224 :
人間七七四年:2007/11/15(木) 00:48:29 ID:194AdeDB
築山のガバマンコに飽きた家康が、息子ごと処分したんだろう。
225 :
人間七七四年:2007/11/19(月) 10:23:57 ID:jcJBJSa3
信長は42歳の若さで信忠に家督を譲っている。
あの信長が長男という理由だけでその若さで家督を譲る
はずがない。
事実信忠はその後数々の戦いを指揮し、最後には武田氏を
ほとんど独力で滅ぼしている。
そんな信忠より信康の方が優れてると信長が怖れるって
一体・・・
このネタは徳川幕府の御用学者が「織田家の嫡男より
徳川家の嫡男の方が優れていたぞよ」と、自慢したく
なって作った話なのであろう。
226 :
人間七七四年:2007/11/19(月) 12:34:17 ID:jkghDIHH
家督を譲る歳は関係ないと思うが。別に珍しくもなんとも
227 :
人間七七四年:2007/11/20(火) 20:00:06 ID:3ykclcom
優れていたのをアピールしたかったんじゃなくて、
家康が自分の息子を殺害したのを信長に押し付けただけ。
妻子殺しの汚名を避けるためだけに、不義密通とか色々デッチあげた。
228 :
人間七七四年:2007/11/21(水) 04:53:23 ID:FLII65LE
武田と通じた云々は、信康の側室に元武田家家臣の娘をあてがったことから出来た説か。
>>227 家康が築山殿とは不仲だったから、悪女とか貶めてもおkだな。
229 :
人間七七四年:2007/11/26(月) 21:22:20 ID:lm1uDbTp
今日見た小学館の歴史漫画で信忠が無能扱いされてた。信長が信康が我が
嫡男であれば・・・とかぼやいてた。俺よりも遥かに知識ある人が監修しとる
はずだがなんだこれは
230 :
人間七七四年:2007/11/27(火) 12:47:01 ID:A9M780cI
231 :
人間七七四年:2007/11/27(火) 14:25:37 ID:nYaccE4T
結城秀はどうかな?少なくとも信康よりかは良かったと思うけど。
家臣の中でも有望株だったみたいだし。信忠と比べるならこっちだろ
232 :
人間七七四年:2007/11/28(水) 09:45:57 ID:5x5CHwvu
信康よか実績がない
233 :
人間七七四年:2007/11/28(水) 10:29:59 ID:ebul1upe
信康より実績あるし、徳川家臣からの信望も秀忠よりあったし
なにより後継者として後押しする家臣も多かった。
まぁ豊臣家との友好関係を続けるなら信康はうってつけだけど。
234 :
人間七七四年:2007/11/29(木) 06:11:31 ID:8nCJYouT
信康が切腹させられた的な本すごい多いな。子供漫画だけじゃなくそれなりの
歴史本にもそう書いてある。個人的には秀康の方が魅力あるのに。一番かわいそうなのは
引き合いに出されてる信忠だけど。
235 :
人間七七四年:2007/11/30(金) 07:01:07 ID:+7S3EyqP
人質時代に宛がわれた妻とその間に出来た息子ってことで
家康の男のプライドが許さなかったのだろう
その時には今川が滅んでいようと、結婚した時には
嫁の家系>>>>>>>>家康の家系な力関係だし
過去の汚点を抹消したかったのさ
その為に信長・信忠には犠牲になってもらった
236 :
人間七七四年:2007/12/03(月) 18:16:30 ID:44r9W5Cf
>>234 通説を単に鵜呑みにした典型例だな。
信頼できる史料にも「家康が信康の処分を信長に相談した」
とあるのに。
237 :
人間七七四年:2007/12/03(月) 20:02:54 ID:NmEPtoSE
信忠無能説を言ってる奴って、
信長が死のはるか前にすでに家督を譲ってるとか、
武田氏は信忠が信長の手を借りずに滅ぼした
なんてことも知らないんだろうな。
238 :
人間七七四年:2007/12/04(火) 01:31:06 ID:M7AdMjeo
世間に定着してる説を、すんなりと受け入れちゃってると
何が何でも意見を変えず、その説を押し通そうとしちゃうんだよ
そっちの方が議論するより楽だし、上辺だけでしったか気分に浸れるしね
239 :
人間七七四年:2007/12/10(月) 15:47:25 ID:Ukrdl098
信康付きの家臣もいたはずなのに
誰も殉死してないってのが悲しすぎる。
本当に信長に濡れ衣着せられたのなら殉死者の一人はいそうなもんだが。
240 :
人間七七四年:2007/12/10(月) 20:58:09 ID:3+ki2eA5
出奔・左遷された者はいたようだが。
>本当に信長に濡れ衣着せられたなら
殉死者がいないのは、真相は徳川家のお家騒動だから。
信長は「家康の思う通りにせよ」と言っただけ。
241 :
人間七七四年:2007/12/10(月) 21:03:00 ID:o0MUQ0Gi
>>240 殉死はともかく、義信みたいに
連座して成敗されたお付きの者はいないの?
242 :
人間七七四年:2007/12/12(水) 10:06:58 ID:tR9ttrQ6
>>241 義信事件の飯部兵部のように成敗された重臣クラスはいませんな。
少なくとも信康のお目付け役だった酒井あたりは
何らかの処分は食らってもおかしくないが、お咎めなし。
お家騒動というよりは家康が信康を廃嫡したってのが真相だろう。
243 :
人間七七四年:2007/12/12(水) 23:42:40 ID:fYAnwEry
信康の守り役は平岩親吉じゃなかったっけ?
244 :
人間七七四年:2007/12/20(木) 01:03:05 ID:jSLjM2np
>>237 それ以前に総大将として雑賀、松永を滅ぼし、秀吉の援軍として全盛期の毛利と戦ったのにね。
偉大な父の陰で目立ってないけど武将として能力は問題ないだろう。
天正4年で織田家の家督を継いでるし、無能ならあの信長が譲るわけないよ。
245 :
人間七七四年:2007/12/20(木) 12:27:04 ID:RN3yzwsJ
>>243 責任取らされてないね。平岩親吉も。
普通もり役って親代わりみたいなもんだから、
義信と飯部兵部みたいな一心同体の関係だと思うんだが。
家臣に人望がなかったんかね、信康は。
246 :
人間七七四年:2007/12/20(木) 21:32:32 ID:wCINk1p8
某スレで信忠無能論を言ってるヤシがいるので
連中が気付いてない大事なことを指摘しておく。
それは明智が信長だけでなく信忠の命も狙って現に
殺してることだ。
信忠が無能なら殺すことはなかろう。
現に信雄は勿論、それよりも資質があると思われてた
信孝ですら、兵の多くに逃げられて討とうと思えば
簡単そうなのに明智は無視してるし。
本能寺の変で信忠も殺されたことが彼が有能だった
何よりの証拠。
247 :
人間七七四年:2007/12/21(金) 01:00:49 ID:bQsewFHd
よくわからんが、既に後継者として認められてた信忠と他家を乗っ取るために養子にしちゃった2,3男だと
重要度は全然違うのでは?
248 :
人間七七四年:2007/12/21(金) 20:40:18 ID:F5xEGPIg
>>246 能力というより、信忠は織田の家督を継いでるので当然狙うだろう。
明智軍からみたら本能寺も妙覚寺も距離は変わらないのに、二人が襲撃された時間にはかなり差がある
信長は瞬く間に包囲され、身の回りには本能寺に宿泊していた者だけ。
かたや信忠は信長包囲を京都守護代の村井に知らされ、異常を察知した家臣
(明智軍に遮られ本能寺に行けなかった者も含まれている)が集結している。
それから妙覚寺を出て二条城に立て籠もっている。
信長になかった時間的余裕が信忠にはある。
これは明智光秀が信忠を織田家総領以上にみていなかった為ではないか?
249 :
人間七七四年:2007/12/21(金) 20:43:36 ID:rlbWHjOx
>>248 いや、信忠の居場所を把握してなかっただけっぽい。
250 :
人間七七四年:2007/12/21(金) 21:01:22 ID:F5xEGPIg
>>248 なるほど、それが事実なら尚更信忠は重要視されてなかったと考えるな俺は。
とはいえ、明智光秀の目的が信長への怨恨か、天下への野望か、又はそれ以外か、
それによって判断は若干変わってくるので、はっきりしていない以上何ともいえないか。
251 :
人間七七四年:2007/12/21(金) 22:19:12 ID:7H3QMHy4
>249も言っているが、光秀は信忠の所在を知らなかったと思う。信長を討ち取ってから、
信忠が在京していたことをしって行動したのだろう。
もともと、信忠があの日に京に宿泊したのは予定外の行動だったという説もあるしね。
当時の信忠は尾張美濃の支配者である織田家の総領というだけでなく、信長代理として
織田政権の軍を指揮統括する身。それは昨日今日のことでなく、もう何年も前からの事。
いわば政権のナンバー2。こんな存在を軽視していたのなら光秀の正気を疑う。
252 :
人間七七四年:2007/12/21(金) 22:49:04 ID:HQdNV3aW
光秀は武田攻めに信長と同行して、信忠の活躍ぶりを耳に聞いている筈だしね。
253 :
人間七七四年:2007/12/21(金) 23:32:12 ID:UquHO/o9
信忠は当主の座にいたとはいえ織田家全体の戦略・政策を決定するのは信長。
信忠に出来たことは親父が決めた戦略どおりに行動すること+自身の領土経営くらいで他の武将とやれる事はほとんど同じ。
信忠は自身の立場でやれる範囲の事・親父に与えられた責務(侵攻軍の総大将等)を十二分にこなしている。
武田家征伐では信長は長期戦を覚悟していたが信忠は短期間でで征伐した。
以上の事で信忠は十分優秀な武将だと分かるのに無能論者はこれ以上の事を求めている。
だけどこれ以上の事をやるのは信忠の立場・権限では無理であり、やってしまったら越権行為になってしまう事が分からないのかな?
越権行為を繰り返してたらそれこそ親父との仲がこじれて内部崩壊する危険性だってあるというのに無能論者はそこが分かっていないようだ。
信康は信忠以上に早死にしすぎたから評価しようが無い。
254 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 00:34:28 ID:ppLHJJ/w
信忠はたまたま京都に居たから巻き添え?で殺されただけじゃないのか?狙ったわけじゃなく京都に居たからついでに殺された感が強い
255 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 01:57:02 ID:BBGHO49M
今日このスレを見つけて全部読んだ、で一年以上前のレスにレスするのも何だけどw
>>55 殉死云々は秀忠の事かな?
秀忠は死ぬ間際に遺言で「殉死は固くこれを禁ずる」と言っているから、殉死をしなかったんじゃないかと。
もし信康の事ならスルーしてくれw
まぁ一年以上前のレスだから、どうでもいいかもしれないがw
256 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 08:57:12 ID:YITkN7xo
>>248 名前: 人間七七四年 投稿日: 2007/12/21(金) 20:40:18 ID:F5xEGPIg
>>250 名前: 人間七七四年 [sage] 投稿日: 2007/12/21(金) 21:01:22 ID:F5xEGPIg
257 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 20:03:34 ID:ppLHJJ/w
>>256 地味にウケタww
自作自演ってやつだなww
258 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 20:22:42 ID:F/JFhMbx
sageでID隠れると思ってたのか
259 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 20:28:24 ID:WUY94D5o
260 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 21:27:30 ID:anKz8U7F
>>254 研究者には信長・信忠ともほとんど無防備で在京している
千載一遇のチャンスを狙ったとする意見が多いが。
信忠が当初の予定通り家康と共に堺へ行っていたら
謀反は起こさなかったという見方もあるくらいだ。
つまり信忠も重要視していたということ。
261 :
人間七七四年:2007/12/23(日) 01:06:09 ID:aSsGSqWO
262 :
250:2007/12/23(日) 02:27:04 ID:XFMyWMaK
あ、俺ID:F5xEGPIg
文章見たら察しは付くと思うが、安価ミス。
>>249へのレス。
263 :
人間七七四年:2007/12/23(日) 02:36:04 ID:CpDfcMxa
>>1からざっと読んで見たけどよ・・・
信忠の資質がうんぬんとか
もうそんな事以前に
三河の家中をうまいこと纏めらんなくて
シレっと妻子を粛清したりする
偽善者クソ狸に
いいかげん吐き気がするんだけどよ・・・・
264 :
250:2007/12/23(日) 04:54:18 ID:XFMyWMaK
俺は
>>246の信忠有能論は無理があると言いたかった。
本能寺の変に関しては
>>260の言うとおり、実際それが一番無難な考えだとは思う。
あの時以上に信長・信忠を同時に討つチャンスなどそうそう来ないし。
そこにあえて疑問と呈すると、
>>248でも言ったが
信忠を討ち洩らす可能性があったと思われる、あのタイムラグは何だったのだろうと?
信忠を把握していたと仮定すると、
>>261の言うとおり、同時に狙わない理由は?
明智の手勢は1万以上有るんだから、京を封鎖しながら奇襲に兵を割く事ぐらい何の問題も無い。
把握してなかったと仮定すると、信忠は討ち洩らすかもしれない。
それでもその危険を犯してまで、明智光秀が謀反を起こした理由は何故か?
まあ何が言いたいかつーと、本能寺の変で信忠が殺されたのは、
信忠の能力云々が問題なのでは無く、信忠の織田家総領としての立場が、重要だった事。
そして何より、変を起こした明智光秀の動機を解明しない事には何とも言えないと。
265 :
人間七七四年:2007/12/23(日) 06:29:53 ID:S+I05m1V
もし手を抜いて信長に逃げられたら本末転倒だからじゃね?>全力で信長に
信長は少数の手勢で陣頭指揮したり、かと思えば信じられない速さで撤退したり
その上狙撃が外れるぐらいの強運とか、兎に角規格外なのは光秀は肌で知ってるんだし
266 :
人間七七四年:2007/12/23(日) 10:42:23 ID:YUzIzgqW
>>264 つまり立場いいだけの馬鹿とのだったと言いたいわけか?
267 :
人間七七四年:2007/12/23(日) 22:49:23 ID:ic1SYluR
勘違いってセンは無しなのかな?
本能寺で信長が炎に消え、死亡が確認されず。
本能寺を見た信忠は二条御所に篭る。
明智としては「死体が見つかっていない以上、信長が逃げたかもしれない」
そこで二条御所に篭ってる勢力がいると情報が入れば・・・。
殆どが「おそらくそれは信長が逃げて二条御所に篭ってるに違いない」
そう考えてもおかしくはない・・・と思う。
逆に「信長以外のやつはもう逃げてるだろう」とも思ったのかもしれない。
268 :
人間七七四年:2007/12/23(日) 23:00:47 ID:IB52klIQ
じゃあ信忠は自爆って事だな。
269 :
人間七七四年:2007/12/24(月) 00:56:34 ID:fZI8BkzD
270 :
人間七七四年:2007/12/24(月) 10:43:24 ID:9nT8822H
ほとんどの兵は何しに京へ行くか知らないし、梅雨時、夜道、狭い道。別部隊がいたとしても遅れるのは最初から分かってたんじゃないか?
271 :
人間七七四年:2008/01/23(水) 22:00:10 ID:Mg/dCi+8
272 :
人間七七四年:2008/02/11(月) 14:01:33 ID:r3Zea4Gf
本能寺は信忠もグル
当然生き延びて家康に匿われ後に天海になったんだよ
273 :
人間七七四年:2008/02/11(月) 14:03:25 ID:r3Zea4Gf
信康自刃は偽装
当然生き延びて後に天海になったんだよ
274 :
人間七七四年:2008/02/11(月) 17:23:54 ID:t35khnJg
天海は源義経だろう
275 :
人間七七四年:2008/02/11(月) 17:53:30 ID:aLMw2e8C
天海、何歳だよwww
276 :
人間七七四年:2008/02/23(土) 15:27:36 ID:EuJmd3Lq
最強は信雄だよ
277 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 13:33:16 ID:jYVbfQIO
どちらも並以下
278 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 23:53:47 ID:D1VZFS/7
信忠は有楽みたいに京から逃げれば良かったって言われるが、
逃げのびても「父を見捨てて逃げた御曹司」と世間に指差される気がする。
有楽だって当時は世間からは馬鹿にされたし。
まぁ信忠も岐阜に逃げてすぐ体勢立て直して、
とって返して光秀を殲滅してしまえば、そんな評価もあっという間に吹っ飛ばせるだろうけど。
279 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 23:57:42 ID:2yxB6MzA
有楽が馬鹿にされたのは、信忠に腹を切らせておいて自分は逃げ出した事についてだろ。
280 :
人間七七四年:2008/03/14(金) 16:31:56 ID:e5asZJLf
今度のドラマでは信康殺しの犯人は信長にされそうだな。
281 :
人間七七四年:2008/03/15(土) 21:17:17 ID:+0+U4d0u
>280
見事的中WW
信康優秀>信忠凡庸扱いだな。
282 :
人間七七四年:2008/03/21(金) 03:11:20 ID:x0XWf0xd
そういや不思議なことに、両方優秀とか両方凡庸って説はあまり見ないよな。
いずれも、あっておかしくないと思うんだが。
283 :
人間七七四年:2008/03/21(金) 23:46:11 ID:VLJ5nowf
両方優秀、といってもいいと思うけど
それだと結局は「じゃあどっちが優秀だったの?」って話になる
そうすっと俺としては「そりゃあ信忠のが優秀。つか、こんだけ優秀なの珍しい」とか答えちゃうw
284 :
人間七七四年:2008/03/21(金) 23:48:52 ID:VLJ5nowf
あ、誤字ね。↑は「じゃあどっちの方が優秀だったの?」って流れになった場合の話
まぁスレタイからして「どっちが優れてるの?」だしなー
平均的に考えればどちらも優秀の部類、ってのは規定事項っぽい(信康の暴君説がネックだが
285 :
人間七七四年:2008/03/23(日) 13:33:26 ID:RLq9rzOX
にしとも信忠は実績を若くして残しまくってるのに評価低いな。某ゲームだと、長宗我部信親や佐竹義宣、上杉景勝などの二代目より大きく劣る能力だしな。ついでに武田勝頼も能力低すぎだがWW信忠と勝頼が大嫌いな人物がディレクターとかにいるんだろうな
286 :
人間七七四年:2008/03/23(日) 13:56:57 ID:zFWgi3Pc
信康は家康が考えていることをすばりと読んでいた。
たがら家康は嫡男として徳川家安泰と信じていた。
信長は信康の優秀さに嫉妬した・・・
早く始末せねば信忠が負かされると考えた。
287 :
人間七七四年:2008/03/23(日) 21:48:08 ID:UNnmNidi
最新の学説は信康を殺そうとしたのは信長でなく、家康の方であったというのが
有力
どう贔屓目に見ても信康が信忠より優れているとは思えない
実戦経験や実務経験の文献での証明は信忠の方にはかなりあるが
信康の方の文献は徳川贔屓のなかば神話的なものしかない
288 :
人間七七四年:2008/03/28(金) 20:25:16 ID:InxUmRvJ
夭折した人間は高い評価与えられがちだよね
289 :
人間七七四年:2008/03/29(土) 01:07:03 ID:qKsxbj6B
290 :
人間七七四年:2008/04/02(水) 22:10:13 ID:YTz7EzMi
今徳川四天王で信康のことやってるな
291 :
人間七七四年:2008/07/23(水) 23:59:42 ID:No8DrJb8
292 :
人間七七四年:2008/12/08(月) 07:10:25 ID:mieCl5N4
>>287 信康存命中の大掛かりな戦いというのは長篠くらいのもの。
それ以外は武田との国境紛争がメインだし。
293 :
人間七七四年:2008/12/19(金) 17:52:14 ID:yUW9AFmf
偉大な権力者の没落の原因を「2代目が愚鈍だったから」なんて
馬鹿でも分かる理由にして流布してるだけな気がするなぁ
優秀な親の築いたものを阿呆な2代目が潰しちゃいました〜ってのも
偉人を貶めずに済む上に、よそに原因を押し付けずに最終的にはお家の問題で片付けられるし
白黒ついてて庶民にも分かりやすい。
確かに2代目は見劣りするかもしれんが、よく調べれば優秀な部類だったりするのにさ
信玄お得意の同盟破りで既に周囲は反武田だらけな状態を
一気に背負った勝頼も不憫だ。親の負の遺産を丸ごと引き継がされたんだから
しかも重臣は主君扱いしてくれないという内でも外でもアウェー状態。
信忠は上にも書いてあるように、既に家督を譲られて
織田家当主として大軍を指揮して成果を出してるから充分に優秀な2代目。
信康は実績を残す前に殺されたので、優秀とも愚鈍とも言えない。
ただ総合的に見ると、信忠の方が頭2つ3つは抜き出てる。
それは信長が信忠を織田家の跡取りとするお膳立てをキッチリしたからでもある。
信長の中で織田政権のプランがかなり固まってたんだと思う。
まぁ、最後にその2代目も共に死んだことで全てパァになっちゃうけど。
294 :
人間七七四年:
高柳のアホが信忠無能論を訳の分からん超理論で広めたのがそもそもの始まり。
実績の殆ど無い信康と信忠を同列に語る時点で研究家失格。