1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
信親のスレしかなかったので。
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/25(水) 17:59:08 ID:kpFmIpjB
長宗我部雄親
長宗我部兼序
長宗我部国親
吉良親貞
吉良親実
香宗我部親泰
長宗我部元親
長宗我部信親
香川親和
津野親忠
長宗我部盛親
長宗我部盛恒
長宗我部盛高
長宗我部盛信
長宗我部盛定
長宗我部盛澄
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/25(水) 18:07:04 ID:ViF8v6V2
↑康豊だけ無視かよ
悪意を感じるレスだなw
元親スレは、立つんだけど1000には到達しないだよなぁ・・・
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 08:30:12 ID:qRnsvJAt
で、仙石への恨み節がレスの大半(w
歴史群像シリーズで元親のが出た時はついに出たかと喜んで買ったけどつまんなくてすぐ捨てた
魅力的なライバルが不足なのか読んでてわくわくしなかった
安芸国虎とか本山親子、三好の残党・・・
描き方にもよるとは思うけど。
十河とか?
もしも四国が豊かなら、毛利や島津と肩を並べると
妄想だけは沢山しました。
ゲド戦記ってアニメ映画に、クモって悪役が出てくるんだが、
そいつが俺の中の長宗我部元親のイメージに結構近かった。
普通の冷静なとき→若いころの元親
魔法解けてしわくちゃ→晩年の元親
最期のひどい狂態→信親死後の元親
>>7 あれって絶版なんよね
買わなかった俺は何年も後になって中古書屋で見つけた時は嬉しかったな
しかも同じく絶版になってた「文禄・慶長の役」もあって小躍りしそうになったし
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 23:48:52 ID:HOb3z77I
歴史に興味を持ち始めた小5の時、「長宗我部」というものものしい名字にすごく魅かれたなあ(^^)
そして小6になって、一族の最期が長宗我部盛親の「斬首・晒し首」という悲惨な結末だったことを知り、さらに無情を感じたよ。。。。。。
ところで自分は鳥取県の出身だが、県西部の米子市に「長宗我部」という名字が2軒ほどあるよ。子孫なのかね・・・?
検索どうぞ「長宗我部容子」
長宗我部はまこもどうぞ
廃業したらしいが・・・
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 12:17:31 ID:0YG5IoLc
長宗我部はまこは間違いなく長宗我部一族。
もう20年以上前だが、某全国紙が各都道府県の著名人を特集した連載があり、高知県の所で「殿様の子孫たち」というタイトルで山内家当主とともに、彼女が載っていた。
「関ヶ原の戦いでは盛親は豊臣家への恩義から西軍に味方した。長宗我部が小さくなったからと言って山内家を恨んではいけない、と父に常々言われた」ことや、
「この年(50代)になっても新しい仕事への意欲が湧いてくる。義に生きた先祖の血なんやわ」と語っていた。
顔も細面、細眉で、元親の肖像画の面影がどこかしら残っているように見えた。
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 02:24:16 ID:inIj8603
大河で一領具足が出たっていうのにお前らと来たら
そろそろ虐殺がきますか。
次こそ、大河は「夏草の賦」「戦雲の夢」を!
大河じゃなくてもドラマをやってくれ。
山内なんかより全然イイぞ。
ぷらっとが居ついたので無理。
なんだそれ。
で、虐殺はあったの?
鉄砲で、いごっそうを全員殺しまくりましたとさ。
で、元凶の六平太は、都合よく毒を飲んで死亡で退場w
遺された山内は、千代にさんざん詰られ、逃げられる。
で、次回、山内は怒涛の過労死。
思えば、辛い中間管理職人生だったなあ。
家康も、そんな性格を知り抜いて、底意地の悪い転封しやがったし。
六平太って、まだいたのか!?
24 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/06(水) 21:30:40 ID:gtzcS5Ue
長曽我部はイスラエル系だったらしいよ
先祖が始皇帝だからか?
にしても長曽我部元親って、一回もドラマに出たことがないね。
26 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/08(金) 20:15:35 ID:5Jb4IXN4
大河で夏草の賦やってくんないかなぁ
鳥無き島のコウモリだろ
コーエーの能力値は過大と言えるだろう
28 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/08(金) 21:44:55 ID:DdTysl37
>>25 秦氏はイスラエルから移住して来た部族の可能性があるそうだ
今年のキャストで充分出来そうなものではある。
主人公ももっと魅力的に引き立つけど、最期が暗いから・・・
31 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/08(金) 23:16:34 ID:FQfxE4MG
信親が生きてりゃ元親は最強じゃぁぁぁぁぁヽ(*`Д´)ノ
確かに信親が死なずにすんだら長曾我部家どうなってたかわからんね
だけど盛親も何だかんだ言って優秀じゃない?
34 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 08:58:18 ID:JW3s57Rr
以前朝のニュース番組で高知の神社からの中継があって、その神主が長宗我部さんだった。
関係あるかな?
35 :
ー:2006/12/09(土) 11:20:49 ID:YYcYsaMc
夏草の賦→戦雲の夢
でやってほしい
夏草は大河っぽい話だけど、戦雲てなんか木曜時代劇っぽくない?まぁ、脚本でどうとでもなるんだろうけどさ。
前半が夏草で後半を戦雲
エピローグで信九郎物語にすればいい
そういや盛親亡き後はやはり康豊が宗家を継いだ事になるのかな?
他にも一族の生き残りは多数いたようだが
庶子とは言え元親の子は康豊しか残ってないよね?
盛親の子は全員処刑されたようだし
38 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 12:47:40 ID:T1X0koKL
結局大河ドラマにするにはその主人公がいた地域に観光資源が残っていない
人物はやりにくいジャマイカ?
高知は三菱の発祥や日本でも片手に入る流通業の旭食品があるよ
観光にははりまや橋とか室戸岬とか・・・(-.-;)
岡豊城跡がある。
41 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 20:28:45 ID:trnmvUEN
漏れ地元民だがはりまや橋を上げてどうする??
あれを他県民に見せてはいけない
でも義経とか赤穂浪士とか勝海舟とか
イマイチどこが観光地になるのか分からんようなのもある
義経→鎌倉、平泉、源平古戦場、義経伝説の旧跡
赤穂浪士→本拠地の赤穂、泉岳寺、旧吉良邸の本所警察署、外伝など
勝海舟→品川の会見場、長崎、江戸下町風情の残っている深川、清澄白河、八丁堀近辺
長曽我部だけ岡豊、白地、坂戸、土佐中村、元山、大坂城
少々範囲が狭いな。
45 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 15:36:04 ID:4vrxcdhp
あとは、元親の正室の故郷美濃、上手くこじつければ斎藤利三とか光秀も
ヨイショ出来る
46 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 17:44:22 ID:9z3PSw1/
夏休みに岡豊城へ参拝してきました。誰もいなかったなあ…
高知城は一豊厨であふれてたのに
47 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 17:55:05 ID:jMFXRfBW
鬼ヶ島に鬼てえのは、この俺よ!長曾我部元親よ!!
この要塞、富岳を見て帰った者はいねぇ
うどんブームが最後のチャンスだったのかもな。
BASARAオタ混じってるぞ
信親が優秀って、実績何かある?
52 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 16:22:28 ID:v5QWsglQ
後藤又兵衛、真田幸村、長宗我部盛親、毛利勝久、明石掃部
こいつらのエピにすれば大河いけるかも。
キャスト?かつーんでいいよもう。
元親の子では康豊が一番できがいいような気がしないでもない。
信親だろ。
会ったことないけど。
55 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/14(木) 19:24:16 ID:aBmw4jgR
カツオのたたきage
56 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 16:45:34 ID:wiFl1CDH
夏草で大河作ってくれ、っていうのはどこに言えばいいのかね
NHKエンタープライズ?
あそこ、結構渋い戦争ドラマや時代劇作ってたから。
大河ってメジャー路線を外す時は受信料未払いの多い地区を狙って地元意識に訴えて製作するらしいね。
「伊達政宗」とか「琉球の風」なんてのはまさにそれらしい。
ほう。鹿児島は未払いが少ないのかな。
再来年がちょっとだけターゲットになってるのかもしれんけど。
つまり、都民が支払い拒否すれば大田道灌を・・・無理かw
岐阜県の北部一帯が、一斉に受信料支払い拒否を断行して、
姉小路頼綱の放送への圧力を(ry
63 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 23:30:03 ID:8CW4jY91
センゴクが大河ドラマ化になりますように☆
まぁ、それは無いな。
長曾我部家のクリスマスケーキは カツオのたたきケーキ
まじれすされても
当時のクリスチャンはケーキ食うのか?
つか、今のクリスチャンも
日本でいうクリスマスとは別世界だろ。
>>68 手のひらサイズのクッキーみたいなケーキだものね。
そういや高知のどっかにかつおのタタキを仕込んだパフェ出す
喫茶店あるんだっけ
71 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/26(火) 16:57:37 ID:rVAnBzA4
「功名が辻」のような一領具足だと長宗我部軍はかなりユニークな軍団になりそう。
数百メートル沖の船に乗って揺れている人間に対して火縄銃で狙撃を成功させるスーパースナイパーもいるしな。
女優の長宗我部陽子さん
容子さんじゃなくて?
75 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/12(金) 00:32:07 ID:MEfFAAJd
本山氏も揉めた割には後に過信になってるんだな。
77 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/17(水) 23:26:57 ID:lrDSZKyl
家をつぶしたボンボンの話は受けないと思うが。
>>70 元親パフェと名付けろよ。
ちなみに、お冷やのことは、山内とでも言っておけ。
長宗我部ヲタは仙石という単語を見るだけで鬱になるってほんと?
80 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/18(木) 00:01:15 ID:E1/cTLwI
>>80 欝にはならんがバカだとは思う。
サルも譜代がいなかったから苦労したね。
まあ、その代わりに妻の縁者が譜代みたいな役割。浅野長政とか
浅井長政じゃなくて?
そうだ、優秀な弟・秀長を忘れてはいかんな
土佐の出来人・・
漏れは優秀だったと思うよ、元親・・
家臣は猛将・知将と一通り揃ってるね。粒は小さいかもしれんけど。
>>87 まぁメジャーになりきれなかった地域だからね。
逆に畿内まで出いればってことか。
そういう意味では秀吉が憎い・・・
信親の信は織田信長の信なんだぜ。
長宗我部の家臣で有名所だと、谷忠澄?
と、久武親信
隼人は?
ほしゅ
福留儀重を激しく推薦したい。
が、単に「有名」って話だと、久武親直だろうね。
家を滅ぼした家臣でも、有名にゃ違いない。
96 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 20:38:00 ID:WaE+hLi+
吉田孝頼なんか地味だけど、良い働きしてるよな。
97 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 21:21:40 ID:4fdBw4Ro
ていうか、吉田孝頼いなかったら、国親は生き残れてない。
98 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 22:03:18 ID:a0b30a/I
土佐吉田氏なら吉田重俊とか吉田政重もいる。
ちなみに幕末には吉田東洋なんかも有名。
99 :
人間七七四年:2007/02/20(火) 11:58:18 ID:T1KVEqQs
大備後と小備後…だっけ?
わたしゃこの話聞いてある意味凄いなってオモタ。
そんな私は九州人。
100 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 16:14:01 ID:LdC3vhjW
福留儀重というと
頭の上にちんちん乗っけた人という印象しかない
101 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 00:42:39 ID:yhMulWPT
リア・ディゾンは現代の長曽我部元親だと思う
102 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 20:15:38 ID:ESbV/qe3
高知県の長宗我部関連の史跡で「ここに注目!」と言う物ありますか?
初陣像とか
103 :
人間七七四年:2007/03/03(土) 16:06:31 ID:nhwfs9cH
>>102 残念ながら現在の地元・高知県は山内一色です…。
地元人ながら何故あそこまで盛り上がるのか分からん。観光客による経済効果かね。
というか頼むから余所者の山内家なんかより、土佐生え抜きの長宗我部家の大河ドラマやってくれよ…orz
104 :
人間七七四年:2007/03/03(土) 16:59:12 ID:8QzRwwJl
105 :
人間七七四年:2007/03/03(土) 21:34:53 ID:7MQFgj6H
桂浜行った帰りに上りのバス乗ったらバス停「元親公史跡前」ってのがあったから
途中下車してお墓参りに行ってきましたよ。
花粉たっぷりの杉の木があってイヤン。
高知と言うと坂本竜馬ってイメージだなー。
106 :
人間七七四年:2007/03/04(日) 10:21:44 ID:LVU3eyTN
リア・ディゾンが主演すればたしかに斬新だよな
107 :
人間七七四年:2007/03/04(日) 14:51:47 ID:t94za6GT
>>102 岡豊城址が高知県の歴史博物館になってるから行きなはれ
108 :
人間七七四年:2007/03/04(日) 15:45:56 ID:hRo2TCI+
109 :
人間七七四年:2007/03/04(日) 18:09:08 ID:Hw0wXHy6
>>108 豊臣厨もここまでいくと救いようがないな。
110 :
人間七七四年:2007/03/04(日) 18:18:31 ID:qr8F1G/r
ちょうそかべって実際強かったの?
島津とどっちが強かったの?
111 :
人間七七四年:2007/03/04(日) 18:23:32 ID:VzLHzLVD
>>106 こうなったら高知にリア・ディゾンを呼ぶんだよ。
んでもってあの手この手で、サムライ長曽我部マニアにしてしまう。
あとは彼女がブログで勝手に宣伝してくれる。
菜々さん役じゃダメなのか。
113 :
人間七七四年:2007/03/05(月) 18:29:24 ID:pJtlQAGr
高知出身の広末涼子を活用すべし
114 :
人間七七四年:2007/03/05(月) 18:44:40 ID:L4XAtO1Y
>>109 仙石の知略にしてやられたのは紛れも無い事実。
115 :
人間七七四年:2007/03/05(月) 19:10:03 ID:rTbAsSDp
山内一豊公バンザイ
116 :
人間七七四年:2007/03/05(月) 19:21:49 ID:hfpJ0ZN+
音楽は岡本真夜が担当な
117 :
人間七七四年:2007/03/05(月) 19:38:02 ID:wWGhZUaZ
「姫若子」だからなリアディゾンははまり役だよ
嫁は広末で
118 :
人間七七四年:2007/03/05(月) 20:54:52 ID:ZcTNzXm3
仙石の知略だってw
ただの阿呆だろうよ。
119 :
人間七七四年:2007/03/05(月) 21:11:28 ID:L4XAtO1Y
>>118 戸次川は失敗ではなく策略が定説。阿呆に信親殺されりゃ世話無いな。
120 :
人間七七四年:2007/03/05(月) 21:24:06 ID:ZcTNzXm3
>>119 定説は無謀なことやって泡食って逃げただけだろ。
漫画やゲームじゃそう言うことになってるのか?
121 :
120:2007/03/05(月) 21:31:33 ID:ZcTNzXm3
>>119 そう言えば家来も捨てて九州から淡路島まで一気に逃げて秀吉に所領を没収され高野山に追いやられたとはみごとな策略だよな。
122 :
人間七七四年:2007/03/06(火) 00:09:46 ID:4Mt8LZ6o
123 :
人間七七四年:2007/03/06(火) 00:21:49 ID:L7+UMAJ4
じゃ元親が広末で
よめが玉木宏とかはどうよ
124 :
人間七七四年:2007/03/06(火) 18:47:17 ID:VaGY6n1J
いっそのこと
宝塚で長曽我部を演ってもらおう
方向性が・・・
126 :
人間七七四年:2007/03/09(金) 00:50:10 ID:bmCmeA+I
結局元親と信親って どういう評価なの?
127 :
人間七七四年:2007/03/09(金) 23:49:24 ID:XpU17n0t
128 :
人間七七四年:2007/03/10(土) 14:54:38 ID:QnBJb1tz
いくら自慢の長男を失ったとはいえ、その後はヘタレにもほどがあるよ元親。
元親て四国内だけの名将て感じだな。
本土だったらてんでダメそう。
129 :
人間七七四年:2007/03/10(土) 15:04:34 ID:ZmNZz5IW
あれは長男失ったことが問題じゃなくて、長男を失うような切羽詰った
戦況(上位家臣団壊滅)になったのが問題だろう。
元々一両具足のように兵農分離が遅く分権的な所が大きかったから、
そのせいで国内がぐだぐだになっちゃった。
130 :
人間七七四年:2007/03/10(土) 15:20:03 ID:jdAnuOGb
131 :
人間七七四年:2007/03/10(土) 21:00:49 ID:QnBJb1tz
>>129 それはわかるが、そこから持ち直すことができないのが元親の限界。
突発的な危機を如何に回避できるか指導者の手腕が問われるのに、その後の元親の行動は完全な丸投げ状態になっている。
あれでは指導者としての力量に疑問もたれてもしかたあるまい。
132 :
人間七七四年:2007/03/10(土) 21:14:07 ID:ZmNZz5IW
地検帳も百ヶ条も信親死後だし、為政者としてやるべき事はやったと思うぞ。
力及ばなかったのは事実だが。
133 :
人間七七四年:2007/03/10(土) 23:49:31 ID:dogV0kKr
中央でも、そこそこいけたかと思うよ。漏れは。
仙石って策士なん?
134 :
120:2007/03/11(日) 12:07:29 ID:Dms4wqE7
135 :
人間七七四年:2007/03/12(月) 22:25:34 ID:jbZqHwjG
>>133 己の進退全てをかけて戦国史上最高の策略を実行した策士
136 :
人間七七四年:2007/03/12(月) 23:01:43 ID:9k5ATwd+
137 :
人間七七四年:2007/03/19(月) 23:11:39 ID:n6bTNe0a
谷干城って忠澄の子孫だっけ?
138 :
人間七七四年:2007/03/30(金) 15:25:21 ID:EK8QufWS
>>133 それなら小牧・長久手のとき討って出なかったのはなぜ?
139 :
人間七七四年:2007/04/05(木) 11:37:06 ID:IGYPjEfv
だから、仙石の事はよくしらんからさ。
140 :
人間七七四年:2007/04/05(木) 17:06:40 ID:ZnxfjySH
いつになったら元親公を大河でするんですか?
141 :
人間七七四年:2007/04/07(土) 00:29:58 ID:YIiX7E94
永遠にないと思うよ。
中朝大事のサヨクが支配する糞HKだし。
142 :
101:2007/04/13(金) 20:19:27 ID:Bzg3KZdJ
誰も「なぜ?」と訊いてくれない……
143 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 20:36:06 ID:RqanmcEz
144 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 22:04:40 ID:ORyPvmll
長宗我部は、高知以外の四国内では、破壊の象徴として評判悪いよ。
だいたいの古い大きな寺院は、「長宗我部に燃やされた」歴史を持っている。
実際には、全部が全部そうじゃあ無いとは思うけどね。
145 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 22:35:10 ID:RqanmcEz
>>144 なんか朝鮮みたいだな。
朝鮮の古い寺や文化遺産は全部加藤清正に焼かれたことになってるらしいから。
146 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 23:13:37 ID:Bzg3KZdJ
>>143 えっへっへ……そんなに知りたいの?仕方ないなぁこいつぅプニプニ
テレビでラス・ベガスで客に薦められて有名になるために日本に来た
とか言ってたの観たもんでさ、ああこいつは本国では芽が出ないと
踏んで“鳥無き島”へやって来た“蝙蝠”みたいなもんだなと
そう思ったわけ
どう?わかった?
147 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 23:24:53 ID:elcQpmzK
>>41 あれ、何年か前に改装しなかったっけ?
確かに昔はただのガードレールだったけど……
長曽我部がイマイチメジャーになれないのは戦国時代では山内ワイフに名声を取られ
地域としては幕末スター軍団に名声を取られ
日記オカマのおっさんに名声を取られ
おまけにかんざし買ったどっかの坊さんにまで名声を取られ
全然観光資源にならんせいだと思う
おまけにユニークな名前から超スケベ元痴漢なんて馬鹿にされる始末(;´Д⊂)
148 :
人間七七四年:2007/04/14(土) 00:27:11 ID:47EC29GM
>>144 どうだろうね。
「元親はずるがしこいところもあるが、人に寛大であったために四国の覇者
になることができた」と、江戸期に成立した伊予だかの地誌に書いてあるそうだし。
149 :
人間七七四年:2007/04/14(土) 02:44:19 ID:UIfeumGd
>>147 山内は饅頭の箱絵にでもなってればいい。
奴は本来その程度の存在価値しかない。
150 :
人間七七四年:2007/04/14(土) 14:10:22 ID:Qft8FdSh
>>146 …お前なんかに期待した俺がバカでした。
151 :
人間七七四年:2007/04/15(日) 01:32:18 ID:lSwcnBQt
山内は司馬+戦前の教育のおかげ。
まぁ戦前の教育の方が良かった面も多々あるけどね。
152 :
人間七七四年:2007/04/15(日) 07:37:24 ID:L+yMqtXL
阿波の武将は、合戦で滅ぼされただけでなく、
長宗我部に謀殺されたと思われる者が少なからずいる。
丈六寺の血天井伝説をはじめ、最後の阿波守護細川真之まで・・・。
そんな時代だったといえばそれまでだが、
やっぱり、だまし討ちは評価が下がるのはしかたないよ。
153 :
人間七七四年:2007/04/19(木) 10:31:34 ID:Fok5r9EG
>>148 下った者には寛大だが、逃げ帰って来た者には容赦ないようなw
154 :
人間七七四年:2007/04/26(木) 11:47:53 ID:2pqEKrCk
長宗我部氏(長曾我部氏)の先祖については、蘇我氏説や秦始皇帝説があるが、
私は、鎌倉時代に土佐国の地頭として赴任してきた、曾我祐綱が祖とみている。
●曾我氏
曾我氏(そがし)は、相模国を発祥とする武家。
桓武平氏千葉氏の支流平常信の子祐家が、相模国曾我荘
(現在の神奈川県小田原市周辺)を本拠として曾我大夫を
称したのに始まるという。祐家の子祐信は、仇討ちで有名な
曾我兄弟の養父で、鎌倉幕府の御家人として活躍した。
実子の祐綱も功を立てて土佐国に地頭職を得た。
155 :
人間七七四年:2007/05/03(木) 11:16:18 ID:sJbUfl+f
浦戸城跡が廃水まみれで汚れまくってたのには泣いた
156 :
人間七七四年:2007/05/03(木) 16:57:35 ID:vzXLZvs4
岡豊城は今どうなってるの?
157 :
人間七七四年:2007/05/03(木) 22:22:33 ID:NvFQ/JxR
岡豊城というレストランがあります
158 :
人間七七四年:2007/05/04(金) 00:04:40 ID:PlbNfD4d
白地城は切ないね。
郵便局員は切腹汁!
159 :
人間七七四年:2007/05/04(金) 01:43:19 ID:Dxpv5FKR
>>105 元親公史跡前で降りて墓に行くまでの途中にうちの田舎がある
さびれててうらぶれてるけど逆に盛り上げたりせずにあのままにしておいてほしいとも思う
160 :
人間七七四年:2007/05/04(金) 02:16:48 ID:eOAwTlAj
信親、親和、親忠、盛親、このなかで誰がいちばん優秀?
161 :
人間七七四年:2007/05/04(金) 08:47:47 ID:gv9qV5ub
親忠に決まってるだろ
162 :
人間七七四年:2007/05/04(金) 20:18:19 ID:+Gibe13v
討死、病死、殺害、打首
163 :
人間七七四年:2007/05/12(土) 16:44:20 ID:+B9uSejP
秀吉に勝てた方法を考えようぜ
164 :
人間七七四年:2007/05/12(土) 17:51:52 ID:cweGW3Sc
渡海出来たかどうかだろう
引き篭もっていては勝てん
165 :
人間七七四年:2007/05/12(土) 22:13:12 ID:dagccWqv
おとなしく討伐前に土佐・阿波の二国ぐらいで臣従していれば秀吉死後に
家康と組んで「結果的に」勝てる可能性はゼロじゃないと思う。
166 :
人間七七四年:2007/05/12(土) 22:38:35 ID:niEq2ZlQ
どうだろうね、土佐はともかく阿波は大坂からしたら目と鼻の先、
そんな場所に、野心ありありの家を置いておくほどお人好しじゃあ無いだろう。四国に生まれたのこと自体、長宗我部には不幸の始まりだったんじゃあ無いのかな?
167 :
人間七七四年:2007/05/13(日) 01:08:12 ID:bPWKEnvh
>>163 ・寄生虫入りの鰹を献上
・機動部隊をマンシュタインに指揮させ上洛
・制海権を奪取し聯合艦隊に死守させる。
・第二時海馬作戦決行
・菜々におまお任せ
・逆回りで死国
まぁさぁ無理だよな。
10年早ければ歴史は変わったかもな。
168 :
宇喜多直家信者:2007/06/24(日) 22:11:19 ID:FgrnJ3d0
地味な島弥九郎についても語ろうぜ、
養子に出されたことと病弱だったのと海部に殺されたのしか知らんが
169 :
人間七七四年:2007/07/16(月) 21:49:17 ID:m5Gy9ckG
大坂落城後の長宗我部盛親兄弟のしぶとさっぷりは凄いな
170 :
人間七七四年:2007/07/18(水) 04:06:13 ID:oYQfJVas
たしか、長宗我部元親は一時期ガキの頃の春日局を匿っていた
っていうけど、そんなに深いつながりが有るのか?
171 :
人間七七四年:2007/07/18(水) 04:17:43 ID:CuS1j3xO
少なくとも春日局の叔父(元親の正室とは実or義理の兄妹)が土佐に居たのは確実。
兄弟の一人が一時期匿われてたのも史実とされる程度の史料はある。
来てたとしてもおかしくないが、まぁ京都の方に居たんだろうね、というのが定説。
172 :
人間七七四年:2007/07/31(火) 12:42:17 ID:Z0ksUT9k
長宗我部氏は、国親も美濃斉藤氏から嫁取りしているけど、なんでだろう?
長宗我部氏で国親、元親の他に美濃斉藤氏から嫁もらってる当主はいるんかな?
その辺のこと詳しい人、ここにいないんかな?
173 :
人間七七四年:2007/07/31(火) 13:32:03 ID:eq5O5+Qp
>長宗我部氏は、国親も美濃斉藤氏から嫁取りしている
そもそもこれのソースは何だ。聞いたこともないが。
174 :
人間七七四年:2007/08/05(日) 05:18:12 ID:G9vH7XiT
大名の評価を所領の拡大率で評価する、最大二代までで計算すると、
国親の代でゼロ、幼稚園児飛び降り自殺未遂事件で一郡ゲッツ、
以後元親で四国と、かなりの高評価になる。
>>173 国親の妻に、元親を生んだ美濃斎藤氏出身の女祥鳳がいる。
ソースは詳しくは知らないが、「土佐物語」じゃないか?
176 :
人間七七四年:2007/08/06(月) 08:04:12 ID:OSY4ocU1
違うのか…
178 :
人間七七四年:2007/08/06(月) 20:19:43 ID:6tIwT/eZ
179 :
人間七七四年:2007/08/09(木) 14:55:22 ID:LmXEIH3B
>>175 違うなら違うで、本当のこと教えてくれよ!
180 :
176:2007/08/09(木) 15:11:40 ID:lTGOZ6nP
何か俺に言われてる気がするから答えとくと、知らん。
少なくとも土佐物語にはないから「違う」と言っただけ。
むしろこっちが175や172がどこでそのネタ仕入れたのか聞きたいんだが。
181 :
人間七七四年:2007/08/14(火) 21:44:57 ID:MRz6lu0X
>>180 自分の無学を省みず開き直っているお前の態度が哀れだから教えてやろう。
新人物往来社の戦国人名事典に載っている。
182 :
人間七七四年:2007/08/14(火) 21:59:29 ID:gFE9rzM2
冗談なのか本気なのか微妙に分からないな、夏だし。
183 :
人間七七四年:2007/08/15(水) 20:34:38 ID:+/cjcin3
>新人物往来社の戦国人名事典
誤記・誤謬が多いことで有名な粗悪事典がどうしたって?
184 :
人間七七四年:2007/09/07(金) 13:50:00 ID:pdAkyRZz
長宗我部の個性的な家臣団を紹介してよ。
185 :
人間七七四年:2007/09/07(金) 17:48:24 ID:jPZuEdNJ
谷忠澄、久武兄弟、 福留、吉田兄弟とかしか浮かばないが
186 :
人間七七四年:2007/09/07(金) 18:28:05 ID:3ARjEtt9
実在したかは知らんが中島可之助とか
>>184 主な家臣の名前だけ挙げると、
吉田政重
佐竹親直
中島親吉
中島重房
石谷頼辰
江村親家(小備後)
江村親俊
小島政章
公文重忠
近沢越後守
久万俊政
久万俊朝
片岡光綱
中山田泰吉
このほかにも外交僧の非有などがいる。
瀧本寺は谷の舎弟じゃなかったっけ。
189 :
人間七七四年:2007/09/08(土) 16:15:27 ID:O2Vqot9h
>>185-187 逸話とか書かないと記号だな。
>石谷頼辰
この人って、将軍家や斉藤利三の縁者では?
190 :
人間七七四年:2007/09/08(土) 19:05:22 ID:uxv1h5vU
そう、そんで信親の岳父。
191 :
人間七七四年:2007/09/08(土) 19:42:13 ID:5GnITbgn
>>189 山崎の合戦以後長宗我部氏に仕えてるよ
あの戸次川で敗死してるが
逸話なら、当時「五畿内に手にたる者なかり」という大力の
相撲取りに勝った久万兵庫(俊政)。
元親を諌めるために酒樽を砕いた福留隼人(儀重)とか。
193 :
人間七七四年:2007/09/08(土) 21:48:11 ID:wwyoBaCr
長曽我部国康って国親の弟だろ?子供はいなかったの?牧田小十郎は元親の傅役だったの?
比江山親興。
196 :
人間七七四年:2007/09/09(日) 10:51:21 ID:piPYDdoo
なにげに国親は凄いな
従臣しながら自領を拡張したし。
197 :
人間七七四年:2007/10/09(火) 14:11:25 ID:SA42yQ/u
国親の宿敵は本山氏、元親の当初の敵も本山氏だね
国親の代では一条と敵対するまで至らないね
198 :
人間七七四年:2007/10/09(火) 20:43:10 ID:6kREuM1i
国親が一条氏と敵対したら人非人扱いでみんな離反してしまうだろ。
199 :
人間七七四年:2007/10/10(水) 16:40:05 ID:oGz26LwK
でもゲームだとCOMがしてるのみるとまっさきに一条つぶすよな。
一条も本山も折角檻の中に閉じ込めてた虎を野に放すとは無謀。
201 :
人間七七四年:2007/11/01(木) 14:17:30 ID:j1E7J5mS
元親は一条内政を保護したんだね。
結局内政の謀が露見し伊予に追放はされたけれど。
202 :
人間七七四年:2007/11/03(土) 17:54:56 ID:YI+D0r8C
>>201 元親は内政を
A.傀儡として利用し、使い道が無くなった所で難癖付けて追放した。
B.保護したがのちに敵対活動をしてきたためそれを理由に追放した。
AもBも言い方は全然違うが過程と結末は同じw
203 :
人間七七四年:2007/11/04(日) 03:59:42 ID:WkBYT9yG
>>201 追放してから、信長と不仲になり始めた。
204 :
人間七七四年:2007/11/04(日) 04:32:44 ID:fpD70y5F
信長は撃退できた
205 :
人間七七四年:2007/11/04(日) 18:25:49 ID:sQzJpvOh
最初微妙に勝って怒りを買い、後でフルボッコにされそうだな
206 :
人間七七四年:2007/11/19(月) 16:20:24 ID:7azeyh38
信長は信親の烏帽子親を受けたぐらいだから
結構関係は良好だったのじゃない?
207 :
人間七七四年:2007/11/19(月) 21:03:31 ID:a940b+hA
>>206 初めは良好だった。
が、信長の晩年は敵対関係。
208 :
人間七七四年:2007/11/20(火) 13:25:58 ID:hUo8CT5l
>>207 そうなんだ、ありがとうございます
ところで敵対の直接的原因はなんだったんですか?
209 :
人間七七四年:2007/11/21(水) 00:55:14 ID:3TMx4w/v
四国は切り取り次第→やっぱやーめた
210 :
人間七七四年:2007/11/21(水) 01:06:50 ID:mCdvCirD
それはおおざっぱすぎだがw
まあ、四国政策の転換が原因だわな
211 :
人間七七四年:2007/11/21(水) 01:22:32 ID:+GSWcD1L
>>208 三好氏及び三好領の取り扱いと思われ。
初めは長曽我部にとっても織田にとっても三好は敵だったが、
足利義昭に味方した三人衆や、三人衆から離脱した義継も謀反の理由で1573年に滅亡。
1575年以降三好康長は信長に属した。
三人衆・義継亡き後の三好党の長老であった康長が織田氏に服属したことで、
三好氏は当然織田氏との結びつきを強めることとなる。
となると三好氏を敵とする長曽我部にとって面白いはずもなく……という展開。
山陽方面での織田―浦上ラインと浦上―三好ラインの絡みもあるかな。
212 :
人間七七四年:2007/11/21(水) 16:19:24 ID:ynMHCPsh
なるほどなるほど
ちょっと調べてみましたが、三好長治(天正五、1577年自害)の死も関係ありそうですね
残った十河存保は信長に属したようですし
213 :
人間七七四年:2007/11/25(日) 23:51:34 ID:24AyS5Fj
>>203 一条内政は、織田政権(足利義昭の頃からか?)から公認された土佐守護だったからね。
追放すれば、当然宣戦布告したも同然。
214 :
人間七七四年:2007/11/26(月) 02:16:16 ID:3kmuCmGN
>>213 対外的な認識では、一条の被官長宗我部だったらしいしな
215 :
人間七七四年:2007/11/26(月) 02:28:40 ID:a2d1qhGO
216 :
人間七七四年:2007/11/26(月) 04:22:22 ID:3kmuCmGN
>>215 なんかの資料に「土佐には一条の家人に、長宗我部とかいう
珍しい名字の奴がいる」みたいな記述があったという話をどっかで
よんだ気がする
217 :
人間七七四年:2007/11/26(月) 14:50:48 ID:QbQHqfNn
これは受け売りなので深く突っ込まないように
長宗我部元親は一条兼定を追放して幡多郡などを接収したとあるが、朝倉慶景氏の論文「天正時代初期の土佐一条家」によると、
この追放劇も京一条家の一条内基と交渉し、土佐一条家重臣の承認を得て行っている
この中で、元親は中村城代と認められた(城主ではなく、あくまで城代)が、権限がかなり限られており、
有岡真静寺の寺領没収を行おうとした際、同寺の本山である妙顕寺が元親正室実家の石谷氏・その縁戚の稲葉氏らに働きかけ、
撤回の圧力をかけてるのが所蔵文書にあるらしい
元親はその勧告を受け入れ、同じく中村城代の桑名蔵人に命じて寺領を返還してるらしい
これは幡多郡などの一条家所領はあくまで一条家のものであり、長宗我部氏に仕置きの権限がないという認識が、
中央にあったのを示してるものということ
兼追放後に内政が跡を継いで御所体制を成立させる、国内統制はこれで良かったのだが、
国外、とくに朝廷や織田氏などの中央へは逆に悪影響を及ぼす
信長公記にもあるが「土佐国補佐せしめ候長宗我部土佐守 惟任日向守執奏にて・・・」と、一条家陪臣という認識が広まったのである
しかしこの体制も波川玄蕃の謀反により、内政を伊予へ放逐(逃亡?)してしまう事により崩壊
これでは国内統制にも支障をきたし、中央を牛耳る政権へ口実を与えてしまう懸念がある為(信長の四国征伐も、
これが要因の一つだと考えられてる)、子の政親(この名前は定かではない)を久礼田土居に入れ御所体制を復活させる
『多聞院日記』
「土佐大将ハ長曾我部ト云人也 チヤウスカメト云ト思ヒシ面白キ名字也 土佐ノ一条殿ノ内一段武者也ト云々」 (天正13年6月21日条)
『四国御発向並北国御動座事』
「抑四国守護長曽我部宮内少輔元親 根本一條家大納言家侍 而無知其名者 近年元親長成 才知強勇・・・」
そして『お湯殿の上日記』にある
「とさの一てう殿しょ大夫しゆ四い せっつのかみ申 なかの御かと なかはしゝて申さるゝ ちよつきよあり・・・」(天正14年12月22日条)
と諸大夫成の勅許を得ている
これは戸次川合戦直後である事から、一条家陪臣という扱いから敗戦の責任は問わず、御所体制の継続を秀吉が認めた
(秀吉が継続させた?)と考えられてるらしい
これは朝廷権威を利用したい秀吉の意向と、朝廷との、京一条家との妥協の結果という考え
いくら仙石秀久の失態とはいえ、同じ立場の十河氏に比べ処罰がなさ過ぎるのがおかしいとの事
これと付随すると自分が思ってるのが、九州征伐中に秀吉から出された大隈一国を与えるという書状
元親は辞退しているが、これは元親を一条家から独立させる為ではなかったのだろうか?
そう考えると面白いかな
218 :
人間七七四年:2007/11/26(月) 19:10:26 ID:idmdDhqm
>>217 元親に大隅一国ってのは、土佐とは別にくれるってことかな?
219 :
人間七七四年:2007/11/26(月) 19:44:42 ID:a2d1qhGO
>>218 そんなわけない。土佐から大隈に移し変えだろ。
220 :
人間七七四年:2007/11/26(月) 19:56:57 ID:3kmuCmGN
>>219 大友宗麟の日向、長宗我部に大隅だっけ?
221 :
人間七七四年:2007/11/26(月) 19:57:11 ID:ez5oZD9g
それだと一条家どうすんの、て話じゃね?
独立のために大隅くれるんだとしたらさ。
222 :
人間七七四年:2007/12/15(土) 17:05:50 ID:PFIifTvU
そこまで秀吉が気を使うかな?
223 :
人間七七四年:2008/01/12(土) 15:38:32 ID:/FF6k8+C
戸次川の段階では内政も兼定も没してるね。
224 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 15:22:10 ID:uQm8kwIw
どの道もう伸びようはなかったのだろうね。
225 :
人間七七四年:2008/02/07(木) 03:17:30 ID:r7Zr2xXG
土佐一条家に忠義だった加久見氏ら幡多郡の豪族たちも
もう長宗我部氏に滅ぼされてるか、家臣団に組み入れられてるからなぁ。
226 :
人間七七四年:2008/02/23(土) 13:34:59 ID:Cq5D9G/0
加久見といえば房家の母(教房の正妻)の実家だね、結びつきは深かったんでしょうね
227 :
人間七七四年:2008/02/24(日) 04:01:28 ID:BnwSJIvq
加久見氏ら幡多郡西南部の豪族はほとんど一条家のシンパだったみたいよ。
228 :
人間七七四年:2008/02/29(金) 19:15:51 ID:fDFilX5T
内記黒って何て読んだらいいんでしょう…ないきぐろ?
229 :
人間七七四年:2008/03/02(日) 01:22:15 ID:LuYZp2Ac
だいき
230 :
人間七七四年:2008/03/02(日) 07:08:27 ID:zemyLZWN
超スケベ元痴漢わろた
231 :
人間七七四年:2008/03/03(月) 15:48:44 ID:qQ5At3RH
高知にいる友達はマジで超スケベって呼んでたらしいorz
232 :
人間七七四年:2008/03/07(金) 08:45:37 ID:TeM248Zy
平井上総「関ヶ原合戦と土佐長宗我部氏の改易」(『日本歴史』718号、2008年)
233 :
人間七七四年:2008/03/08(土) 12:27:58 ID:FJpwmE8Q
長宗我部家滅亡の理由は、
もちろん、後半生の元親の変貌が大きいけど、
もともとの元親の性格もあったきがする。
よく比較される伊達政宗ほど粘っこくなかった。性格が。
一部の小説(『見知らぬ海』とかね)とかには、
「猛将」
タイプの人にかかれているけど、
どう考えても、本来は内政家であって、奉行タイプ。
差しだしではあるけど、秀吉以前に検地をしたり、
それをもとに一領具足の制度をつくったりしているし。
のちに「百箇条」の細かさをみても、そうだよね。
あと、
元親自身が兵を率いた戦さでは、彼は一応、不敗だけど、
べつに戦さが特別、上手かったとは思わない。
下手ではないけど、むしろ戦いをする準備にたけていた気がする。
元親が秀政権下で一番仲良かったのが、五奉行のうちでも地味な、
増田っていうのも、泣かせる。
かなり気があったらしく、烏帽子親になってもらっているしな。
234 :
人間七七四年:2008/03/08(土) 13:34:51 ID:5YkPWQKJ
235 :
人間七七四年:2008/03/08(土) 14:51:53 ID:Wk2lRMSm
>>233秀政政権下の秀政って誰?堀秀政は既に亡くなってる。秀吉だよね?
236 :
人間七七四年:2008/03/08(土) 14:56:12 ID:a/qYwIwX
>233 が秀政権下と間違っているのを >235 が更に秀政政権下と読み違えてる件。
皮肉を言う時はもうちょっと落ち着いて画面を見ようよ。
237 :
人間七七四年:2008/03/08(土) 16:26:55 ID:Wk2lRMSm
236へ 読み間違いスマソ。長男が戦死してから元親は狂った。次男を自害に追い込み、四男を後継ぎに決め… ま、四国統一してからすぐに四国討伐軍が来たから話にならんよな。親の国親が1560年以降も生き続けてたらどうなってたか…
238 :
人間七七四年:2008/03/08(土) 21:23:54 ID:ln6LN9RR
>>235 237
脳味噌無いなら、コメントしなきゃいいのに・・・痛すぎる
239 :
人間七七四年:2008/03/08(土) 22:22:53 ID:Wk2lRMSm
↑お前よりは脳味噌有るぞ。ちーとは元親関連語れやオツムがいたいぜW
240 :
人間七七四年:2008/03/14(金) 18:27:09 ID:WRAlHR/M
長宗我部は増田長盛ラインだったのか
石田三成や増田通してた大名は大体悲惨なことになってるな
津軽なんかはうまくやったなという印象だが
241 :
人間七七四年:2008/03/15(土) 01:48:58 ID:xmQlrnva
>>237 元親は四国を統一していないよ。寸前まではいったけど。
242 :
人間七七四年:2008/03/20(木) 02:38:18 ID:GS4yPj56
なんか春になったからか、239みたいなガキが増えたな板全体に・・・
元親の話だけどさ。
外向的な感覚と先読みの才能はたしかに鋭い。辺境の小土豪としては、
ちょっと例がない。
そもそも、元親が斉藤=石谷氏ラインでの嫁取りをしたのは、
当時の足利幕府将軍の義輝との外交ラインを作ろう賭したからだと思っている。
もともと土佐には、応仁の乱のゴタゴタで細川に従って、逃げてきた石谷氏があった。
(土佐神社いったいを領有)
土佐物語などでは、
「美濃の斉藤は武勇が・・・うんぬん」
という話があるが、
そうではなくて、この土佐の石谷氏の親戚が、幕府の要職にあったことに目をつけて、
最初から外交目的で石谷氏を妻とした。
このとき、司馬遼太郎の小説なんかでは、美濃に元親の使者がいっているが、
実際には、石谷氏は美濃には在住せず、京都にあり、足利義輝のそばにいた。
『土佐国編年記紀事略』は戦国土佐を語る上では一級資料とされるが、
ここには、
「(元親の妻の父、石谷)兵部大輔は光源院義輝公の長男」
と書かれている。
義輝の年齢からして、これは明らかに錯誤であるが、それほど将軍と親密だったのだろう。
元親は石谷氏の娘を妻にしたのは永禄三年。
同年、石谷兵部大輔は、義輝の御小袖御番衆になっている。
御番衆は江戸幕府でいう直参旗本にあたるが、権力はそれより上で、
幕府直轄軍の指揮をとることが可能な役職だ。要職である。
ところが、この二年後の、永禄五年、義輝は三好によって殺される。
元親はせっかく作った中央とのパイプを失ってしまう。
ただ、幸いにも石谷兵部とその子の頼辰(斉藤利三の異母兄)は、
この戦さを逃げ延びた。
山科言継の日記に拠れば、義輝の死の翌年の永禄九年(1566)の八月。
石谷頼辰があらわれ、
「土佐国の長宗我部」
を言継に紹介している。
これはおさらく元親本人で、ひそかに上洛していたものと思える。
義輝が死亡したため、新たな中央とのパイプを作りたかったのだろう。
永禄九年(1566)といえば、本山との戦いが膠着しつつも、一段落むかえたところで、
対安芸戦を意識したところである。
まだ土佐の三分の一も押さえてない状態であるが、
元親の目ははやくも中央をみていたこととなる。
ちなみにこのとき、石谷兵部の同僚の細川藤孝は、
ひそかに義輝の弟で、のちの義昭をかついで、北陸へ逃走している。
若狭武田、朝倉とたより、ここで明智光秀と細川藤孝が意気投合したという。
もっとも、明智光秀の家柄は、もともと幕府とつながりがあり、
細川藤孝とも面識があった。
さらにいうと、石谷氏、斉藤氏、明智氏はともに美濃土岐氏であり、
何代にもわたって、複雑に婚姻を重ねて、半ば同族となってた。
243 :
人間七七四年:2008/03/20(木) 07:20:28 ID:c+2daQdB
>元親は石谷氏の娘を妻にしたのは永禄三年。
のソースは何?
上げてる編年記紀事略には永禄六年に「頃年」という
記載があるだけなのでそれ以外だと思うけど。
244 :
242:2008/03/20(木) 09:25:32 ID:GS4yPj56
すんません数字の錯誤があった。
元親の婚姻は永禄六年の「頃年」が正解。
義輝横死が永禄八年、西暦の末年をあたまのなかで移植してしまいました。
もうしわけない。恥じてます。
ちなみに1575年までの元親の外交履歴をまとめると(西暦で)
1563 足利義輝側近の石谷大輔の娘を娶る
1565 義輝横死
1566 上洛し、石谷大輔の息子頼辰のつてをもって山科言継らに接近。
のちに京都一条氏が土佐へ下向するつてをつくる。
1567 細川藤孝、越前にて明智光秀と出会う。光秀、義昭に仕える
(光秀のそれ以前の履歴は不明)
1568 信長、義昭を補佐して上洛。
1568 元親 本山氏を降ろし、家臣団に組み入れ、土佐中央部の平定成る
1569 元親 安芸国虎を破り、土佐の三分の二を手中にする。
同年 土佐一条兼定、姻戚で同盟関係の津野氏とともに伊予に攻め入る
伊予西園寺と河野は連合、毛利がこれを助けて、両軍激突。
(鳥坂峠の戦い)
一条兼定敗走す。
1570 元親、弟の吉良親貞に一条領の城を奪わせ、以後、一条と交戦状態になる
1571 元親の動きと呼応したのかは不明だが、西園寺氏が河野と結び、
土佐侵入をはかる。
一条兼定は大友宗鱗に助けを乞い、大友軍、大挙して伊予へ押し寄せ、
西園寺氏の黒瀬城落城。一条家は大友氏の力を背景に、
土佐と伊予での勢力拡大をはかる。
1572 元親の謀略により、一条家重臣、津野定勝が家督を弟の勝興に譲る。
直後、勝興は元親に降伏。元親の三男を養子に迎える。
正確な時は不明ながら、一条家老臣、土井宗珊が、兼定に斬られる。
一条家内部で当主に対する不信感が強まり、元親がこれを利用する。
1573 この年、元親、兼定の子に自分の娘を娶らせる。
京都の権大納言従二位一条内基、基親に求めに応じて土佐下向。
兼定の子は、この歳、元服し、内基の一時をもらって内政と名乗る。
ただし、中村には居城せず、長宗我部領の大津に館を与えられ、
元親の監視下に入る。
と同時に、兼定は内基を通じて、朝廷より権中納言に昇進。
しかし、その直後に出家し、自得宗性と名のる。
(おそらくは元親、一条内基による強制)
1574年 兼定は元親の監視をくぐり、土佐脱出。
豊後大友氏を頼る。
(一説には、元親からの圧迫をうれえて京都一条家が進めともいう)
結果として、元親の幡多郡支配成る
1575年 兼定 大友家および伊予土豪の援助をえて、土佐復帰を狙うも、
元親の前に大敗(渡川、四万十川の戦い)
元親、明智光秀を介して信長に使者をだす。
また、宇喜多、毛利にも使者をだして、誼を通じる
245 :
人間七七四年:2008/03/20(木) 18:19:10 ID:UzXsvd00
意味ない年表を書き込まれても
246 :
人間七七四年:2008/03/20(木) 19:49:29 ID:c+2daQdB
話のネタを振るわけでもなければ目新しい事を書いてるわけでもなし、
他人がネタにも肥やしにもできない長レスは一行煽りと変わらないよね。
247 :
人間七七四年:2008/03/20(木) 22:43:10 ID:QbrRIAqy
まあまあ、元親について彼なりの勉強の成果を発表したかったんだろうし、
いいんじゃないかい?
248 :
人間七七四年:2008/03/21(金) 02:49:37 ID:roJD346k
まあ、元親の婚姻が、都とのパイプを重視したということでしょう。
蜷川・斎藤・石谷の三氏は婚姻関係があって、密接な間柄だったみたいだし。
あと、意外だったのが、元親正室が天正11年の七月に亡くなってたらしいことだな。
元親を扱った小説とかだと、大体の場合信親戦死の前後で描かれていることが多かったしね。
249 :
人間七七四年:2008/03/21(金) 10:55:43 ID:+2z8rNMR
まぁ小説なんかソースにならんからな
250 :
人間七七四年:2008/04/10(木) 15:22:39 ID:K0EOtMvy
石谷大輔って何者?
251 :
泉 こなた:2008/04/13(日) 09:48:05 ID:WoMdbLql
黒崎恵に頼むべし
252 :
人間七七四年:2008/04/17(木) 23:42:31 ID:iqUQZA9l
石谷兵部大輔光政 号空然。
足利義輝のご相伴衆を務め、「山科言継卿記」に義輝側近として記述アリ。
一説には義輝の庶子といわれるが、そうなると元親の妻の年齢がおかしくなる。
石谷氏には娘ばかりで男子がなく、同族の土岐一族の斉藤氏の子を養子とする。
斉藤氏と明智氏、石谷氏は美濃土岐家として複雑に婚姻を重ね、
互いの家に男子がない場合には養子を入れるなど、同族として行動していた。
ちなみに斉藤利三の妻は斉藤道三の娘。
信長とは妻を通じて義兄弟となる。
また、道三の死後、その娘のひとりを稲葉一鉄が保護し、嫡子の貞通に娶らせた。
利三が稲葉一鉄および貞通と親しかったのはこのため。
光政の娘で、元親の妻となった女子の名は不明。
法名は水心。
墓所は不明。
しかしながら、近年まで、
南国市岡豊城付近に「お水さま」とよばれる塚があり、
土地のもののあいだでは、
「えらい女性の墓」
だと伝えられていた。
ちなみに小説を史実だと信じて、wikiに元親の妻の名を「菜々」
などと堂々と書き込んだ、恥知らずの大馬鹿ものがあるが、どうにかしてほしい。
253 :
人間七七四年:2008/04/18(金) 00:06:59 ID:PtcH2X7S
そのだれかさんの論考を丸写しした長レス、どうにかならんのか。
専門書やら論文を読み始めたばっかりで嬉しいのは分かるが、
ネタ元が丸分かりでいい加減にしてほしいのだが。
254 :
人間七七四年:2008/04/18(金) 14:29:10 ID:t7xjgHS+
んだな。少しは自分の言葉で書く練習をしてみては?
255 :
人間七七四年:2008/04/18(金) 23:44:59 ID:YyoPREIu
でもまあその論考や専門書すら読まん連中よりはだいぶマシだろう。
(もちろん適度な自重は大切だけど)
まあ、この程度ならスレが活性化するしいいんでないか?
256 :
人間七七四年:2008/04/19(土) 00:03:10 ID:OGPMCYUB
てか『「お水さま」とよばれる塚が〜』と書いておいて法名水心とか
やっちゃう時点でもうその恥知らずの大馬鹿者と五十歩百歩だろw
257 :
人間七七四年:2008/05/02(金) 23:20:24 ID:ltb1+M5H
258 :
人間七七四年:2008/05/19(月) 15:01:51 ID:uTIO6RaA
確かに元親は面白いな、盛親まで広げるともっと
259 :
人間七七四年:2008/05/20(火) 17:04:59 ID:idunzVZ4
ちょうそかべじゃ変換されない件
ちょうそがべなら長宗我部に変換できる。
260 :
人間七七四年:2008/05/21(水) 00:36:43 ID:tYxkY220
そうだけど・・・知らなかったの?
261 :
人間七七四年:2008/05/21(水) 13:02:24 ID:PE8EnorZ
知らなかったよ。
四国の人間でもないし、興味持ち始めたばっかりだから。でもやめた。
262 :
人間七七四年:2008/05/22(木) 16:11:04 ID:4wHpL5wI
なんかここ感じ悪いな
263 :
人間七七四年:2008/05/22(木) 17:45:25 ID:r+Oa0tAz
んだな。だから俺もあんまり見ないようになった・・・。
264 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 17:18:21 ID:cMBhUCCi
人気のないのかね
そういうお前らも252の間違いには突っ込んでやらないんだな・・・
大馬鹿者に苦言を呈するはずが晒し者の252哀れ
266 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 23:54:30 ID:1gZ5/uWn
もし元親で大河するならライバルは十河存保になるのか
十河ごときが?ちゃんちゃら可笑しいぜよwww
いやそこは仙石で
269 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/03(火) 01:23:00 ID:yZwHr0C+
十河はさんざん敵対したが戸川の戦いの回で初めて共に戦い戦死するという渋い役。
>>269 ならば賛成するぜよ。
仙石の馬鹿は誰が演じる?
271 :
人間七七四年:2008/06/09(月) 06:14:02 ID:i9PB7/qY
【吉田東洋】
幕末の土佐藩士。山内容堂の元で参政となる。文武ともに非常にすぐれた傑物だが
元来気が短く人を馬鹿にする癖があり反感を買った。門閥家老を放逐し甥の後藤象二郎たちを登用、下横目岩崎弥太郎をつかう
幼少時に不遜な中間を斬り元服後も己をからかった容堂の客旗本松下嘉兵衛(秀吉の主君の子孫
いろいろあって江戸期に改易くらい旗本になった。山内家とは縁戚に当たる)を
酒宴の席でふるぼっこにする。松下は泣き叫び容堂も止めるが聞き入れず執拗にぼこぼこにし
結局容堂自身が席を立ち東洋をはがいじめにして止めるまで攻撃の手を緩めなかった
このような人物だったが一応やりすぎた後は悔い反省していたようでもある
文久2年本能寺の変の講義をした帰り路、基地外テロリスト武市の手下兼狂信者那須、大石らの兇刃に斃れる享年47
その首は大石の締めていた臭く黄ばんだ古ふんどしにくるまれ持ち去られた
ところでこの男、藩の重職にありながら長曾我部旧臣吉田大備後重俊の子孫である
つまり土佐では蔑視されてきた長曾我部侍なのである
よってテロリスト武市も最初は吉田なら腹を割って話あえば最後は分かり合えるとおもっていたという
272 :
人間七七四年:2008/06/13(金) 17:13:01 ID:X6BbrmOw
一条兼定の大河化希望
273 :
人間七七四年:2008/06/20(金) 20:20:38 ID:d5/BU/LN
上木鉢
274 :
人間七七四年:2008/06/22(日) 17:34:08 ID:gLJg+Jnm
275 :
人間七七四年:2008/06/22(日) 19:00:50 ID:x4ZwFsWX
>>274 Wikiが誤り。
つか、個人サイトとWikiの記述が違っていたら、まずWikiが間違ってると思ったほうがよい。
典拠史料名が書いてある場合は別だが。
「福留覚書」によると井伊隊に属して冬の陣に参加した。
和平後に政親が大坂城に戦死した家臣の引き取りに入ったとき、盛親と出会う。
政親が事情を話すと、盛親は戦死した家臣の旗指物を持ってきて政親に渡す。
そして政親の父祖が長宗我部家に尽くしてくれたことを話し、政親は感動した。
但し「福留覚書」は直接見たことがないので、又聞きだ。
276 :
人間七七四年:2008/06/22(日) 20:42:42 ID:gLJg+Jnm
277 :
人間七七四年:2008/06/29(日) 01:14:23 ID:3zzUCTwH
278 :
人間七七四年:2008/06/29(日) 03:22:28 ID:XZC0jOp8
>>277 1.豊後追放後、大友宗麟の庇護下で洗礼を受けドン・パウロとなった一条兼定は、宗麟の援助を得て伊予
に渡り、法華津氏・御荘氏・津島氏ら伊予の豪族と共に宿毛に侵入しました。幡多地域の諸将にも兼定に
加担する者が現われ、宿毛地域の回復には成功しました。なおも故地の中村を奪還せんとする兼定は
中村の栗本城に入るも、渡川の合戦で長宗我部軍に敗れます。
ひとまず伊予の法華津氏の城に逃げた兼定は、宇和島の沖の戸島に20余名の家臣と共に隠棲します。
元親は兼定の元家臣の入江左近を買収して戸島に仕向け、兼定を討たせようとします。これにより兼定は
重傷を負いますが、晩年はキリシタンとしての信仰生活を送り、天正13年に同地で没したようです。
天真院殿と号された墓が今も戸島には残っています。
2.窪川城は当地付近を領有していた仁井田五人衆の一人、窪川氏の居城で、初め津野氏、のち一条氏に
仕えた後、長宗我部氏の支配下に入っています。別名を茂串山城ともいいます。
合戦の拠点となった伝承は今のところありません。
城主の窪川氏は文禄の役に出陣して戦死、跡継なく断絶。長宗我部元親は当地を同じ仁井田五人衆の
志和氏に負託しました。その後、志和氏は元親に攻められ滅亡し、当城は元親の家臣・八木正久のもと
一領具足20人と共に守りました。長宗我部氏滅亡後は土佐藩の家老・山内一吉(林氏)が当地に赴任、
当城の向かい側に窪川土居を築いて統治し、当城は廃されたようです。
史料としては「南路志」所収の「仁井田郷談」が詳しいものの一つです。
3.浦戸城はもともと南北朝期に交戦の記録が見られますので、鎌倉期〜室町初期に当地の土豪が
築いていたというのが一般的な見方のようですね。
その後の天文年間に本山梅慶が利用、永禄3年に長宗我部国親が攻め落とし元親に引き継がれます。
縄張りからみて、海上からの敵の上陸を阻もうとする山城式で、豊臣氏に降伏後に初めて水軍を務めた
長宗我部氏が水陸両用の作戦に適した城として築き直したのが大きな特徴の城です。
浦戸湾口近くには、長浜城や横浜城、それに池城などの城もありましたが、いずれも内陸部の山城です。
4.高知で「ひろおか」と言えば一般的には吾川郡の「弘岡」を指す事が多いですね。
しかもゲームにも登場するような城で「ひろおか」にあるとすれば、土佐七雄(土佐七守護)の一人だった
吉良氏の「吉良城」ではないでしょうか。もっとも「弘岡城」という別称はあまり用いられませんが・・・。
吉良氏は対峙していた本山氏によって滅ぼされ、その後、長宗我部氏により当城も落とされ、長宗我部
元親の弟・親貞が入城して名跡を継いで吉良親貞と名乗りました。親貞の子・親実は元親の跡継問題で
自刃させられ、当城も廃されたということです。
些か簡略ながら、以上のような事情です。
279 :
人間七七四年:2008/06/29(日) 08:27:25 ID:3zzUCTwH
>>278 迅速・詳細な回答ありがとうございました。
非常にわかりやすく、参考になりました。
どう御礼を言っていいのやら。
本当にありがとうございました。感謝感激です。
280 :
人間七七四年:2008/06/29(日) 08:42:57 ID:UMMzBDoo
281 :
人間七七四年:2008/06/29(日) 16:11:18 ID:YlIe7J9v
>>279 いえいえ、どういたしましてw
また何かございましたら、ご遠慮なくw
282 :
人間七七四年:2008/06/29(日) 16:30:43 ID:NpPF2yEm
成りすまし乙
283 :
278:2008/06/30(月) 00:14:08 ID:UiVHftm5
またまたお戯れをおっしゃりますね。
>>281も私ですがw
284 :
278:2008/06/30(月) 00:41:11 ID:UiVHftm5
>>279 ご質問1.について、あと少し言及いたしますね。
渡川の合戦は天正3年でしたね。一条兼定に大友宗麟の援助があることを懸念した
長宗我部元親が刺客を送ったのは天正10年です。刺客の入江左近は兼定の元の
小姓で、夜半に兼定の熟睡中を襲います。一命を取り留めたものの兼定は片腕を
失ったとの事です。その3年後、兼定は熱病にて没し、享年42歳と伝えます。
念の為、補遺まで。
285 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 07:32:11 ID:tiLggtmb
そんなこと誰でも知ってるからググカスでおk
286 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 09:26:10 ID:SdXiki6S
一条兼定って海に流された時はマジで流されたの?
大ともに流れついたのは偶然で奴の天運がなかったら
そのまま漂流死してたというの?
287 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 09:28:32 ID:tiLggtmb
スレ違い
288 :
人間七七四年:2008/07/01(火) 00:10:33 ID:/96Kcluk
>そんなこと誰でも知ってるからググカスでおk
誰でもは知らないだろうけど、下調べできることもあるからね。
一応、長宗我部家に関わる事項も含まれているからおおめに見てあげようよ。
289 :
人間七七四年:2008/07/01(火) 21:15:14 ID:IDgAdFn4
質問者が何度も教えろ教えろと騒いだ場合とかはともかく
スレ違いだとか、ググレカスと思うならスルーすればいいのになあ
何で回答できない奴に限って文句ばっか言うんだろう
290 :
人間七七四年:2008/07/01(火) 22:04:26 ID:hrsWzA2D
291 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 00:54:56 ID:rOWcK1Dr
それさえなければ良スレなのにね・・・・。
292 :
人間七七四年:2008/07/04(金) 02:58:13 ID:l1l7yOCH
最初から知っている人はいない。
誰しも学習したから知ったわけだしね。
目くじら立てずに教えてあげたらいいじゃないのよ。
293 :
人間七七四年:2008/07/04(金) 22:55:38 ID:Kp4L5rzP
自分は努力して(図書館行くとか本買うとかご当地を訪問するとか)知識を得たのに、
それと同等の知識をネットでホイホイと得ようとするからムカツク!
ってことだろう。
ネットで知識を得た人間は同じくネットで情報を得ようとする人間に対し寛容であるが、
出費や労苦を伴う行動で知識を得た人間はそういった人間に寛容になれないってこと。
古城研究家や合戦研究家で城址・戦場跡を実際に歩いて研究に活かす人が、
直接城址・戦場跡に赴かずに卓上でのみ研究する人を嫌うのと似てるな。
前者が後者を特に嫌うのは、前者が実地に赴いて思考した自分の結果(本や論文)を
後者が自分の知識に取り入れる、所謂「他人の褌で相撲を取る」ってのがある。
2ch的にはどーでもいーんじゃね? って感じだがw
294 :
人間七七四年:2008/07/05(土) 13:54:02 ID:iLjgWzOV
城址や戦場跡は実際に行かんとわからんこと多いよなぁ
いくら改変が進んでいても現地で初めて発見することや納得することがある
295 :
人間七七四年:2008/07/08(火) 12:29:55 ID:COCtWxkf
>>293 それを仕事にして商売している人が
そういう想いを感じるのは損得勘定もあるし理解できるのだが
世の中には遠くの遺構までわざわざ出向いたり
資料を実際に垣間見る余裕もない人もいるんだから
わかる人が教えてあげてもいいような気するけどな。
どうしても自分から教えたくないならスルーしてればいいだけで
「(他者からでも)知られる事が気に食わない」って人は何なんだろ。
296 :
人間七七四年:2008/07/08(火) 14:21:04 ID:iF2xuY9a
こっちは自分で模索して苦労してしったことを楽に結果だけ知ろうって根性が気に食わん
料理作って食おうと思ったらそこにやってきた奴に食われたように気分
自分で努力しろ
勉強ってのは努力を鍛え苦労に耐えるようになるのが本文
知識や学力はなくても生きていけるがその訓練のためにみな勉強をさせられるわけだし
なんのスレなんだここは。
長宗我部と打つのがそんなに面倒くさいのかな?
本筋に戻れよみんな。
298 :
人間七七四年:2008/07/09(水) 17:09:28 ID:fGANvmLU
長曽我部さんとアントニオ猪木はどっちが強い?
299 :
人間七七四年:2008/07/10(木) 02:25:43 ID:fpZMJAQm
>>296 ちょろっと検索すれば出てくるような事と
現地人だったり現場の人間じゃないとわからない事では
まったく別だと思うが。
みんながみんなあちこちの遺構や博物館に行けるわけじゃないだろ。
300 :
人間七七四年:2008/07/23(水) 20:07:27 ID:AUZ/S/KD
福留儀重の父・福留飛騨守親政ついて
301 :
人間七七四年:2008/07/27(日) 21:44:37 ID:3zXfrOMJ
親政は荒切りしたのが思ってたより歳いってからで驚いた
302 :
人間七七四年:2008/07/28(月) 05:01:04 ID:Da3ikmdP
面白い長宗我部の本はありますか?
司馬遼太郎の小説は良かったですが他に良いのがなくて・・。
303 :
人間七七四年:2008/07/28(月) 12:51:05 ID:BkV79JBI
本当に歴史が好きな人は司馬なんか読まない
あの男の作品は歴史好きにとって無双やバサラ並に害悪
304 :
人間七七四年:2008/07/28(月) 13:03:11 ID:dj+OPuTm
感じ悪…
305 :
人間七七四年:2008/07/28(月) 13:18:41 ID:eMyUUJ81
>>303 司馬の本は、小説として読む分には害は無いだろ。
アレを歴史として読んじゃう馬鹿には、害があるのだろうが。
306 :
人間七七四年:2008/07/28(月) 13:19:23 ID:LpokS9Uz
何でも否定すりゃいいってもんじゃ無かろうに
小説指して害悪とか言ってる連中は史書と文献だけ読んでりゃいい
>>302 呼んだのは「夏草の賦」ですか?
司馬先生の本ですと盛親を扱った「戦雲の夢」もありますので、どちらかまだ読まれてないのでしたらどうぞ
光文社からは徳永信一郎先生著の、学陽書房からは宮地佐一郎先生著の「長宗我部元親」が刊行されています
またPHPから荒川法勝氏の作品が刊行されていますので、この辺りを読むとよろしいかと
307 :
人間七七四年:2008/07/28(月) 14:55:48 ID:5vZ5q7P3
歴史好きを増やしているという点で見れば司馬の功績はすさまじい。
が、司馬を読まずして歴史を語れるか!なんて真顔で言い切る奴を量産している害悪もまたすさまじい。
司馬個人は勉強家で、小説と割り切って作ってるのは知ってるのでとやかくは言わないが、
それを変に解釈するやつが問題。
308 :
人間七七四年:2008/07/28(月) 22:18:51 ID:rJ/e721d
正直大学生が「司馬遼太郎から興味を持ちました」とかいうのは嘆かわしいけどね
そういう連中って歴史を玩具と思っているからいざ論文とかかかせると
すぐ資料がよめないとかつまらないとか言い出すし大河みて騒いでる愚民と一緒で
歴史好きだからどうなんだって感じ
歴史界に人材は入らないからいてもいなくてもよい
卒論審査とかもそういう奴は重点的に減点して落第させてるよ
小説ってなぁwってかんじ。教授とかも蔭ではそういう連中はせせら笑ってる
まぁ学生来なくなるとおまんまの食いあげですから表面では言いませんけどね
309 :
人間七七四年:2008/07/29(火) 00:03:12 ID:JepSAdzt
302です。アドバイスありがとうございます。
そして司馬氏のことで悪い雰囲気になってしまい申し訳ないです。
私が読んだのは夏草の賦と戦雲の夢です。
歴史の知識を得たり語るのであれば、歴史の書物や論文を読めば良いですが、史実を壊さずに小説(物語)として読める、面白い作品を知りたいと思いました。
研究した知識を文にした論文や伝記ではない物が好みですが、元親記は面白かったです。
史実を無視したゲームの内容は酷いので、歴史ではなく武将コメディストーリーだと思って割り切っています。
司馬氏は歴史を題材にして多くの人を楽しませる作家。
歴史の先生や研究者は学者。
シェフと料理研究家みたいなジャンルの違いがあるので比較はできないと思っております。
310 :
人間七七四年:2008/07/29(火) 00:08:29 ID:Y+s8T4jC
>>309 謝らなくてもいいと思うよ。
君にせいじゃないしさ。
これからも様々な角度から歴史を楽しもうよね!w
311 :
人間七七四年:2008/07/29(火) 00:57:59 ID:wfwDyRcy
長曾我部康豊の短編もあった気がする>司馬遼
312 :
人間七七四年:2008/07/30(水) 02:38:13 ID:tttmKepD
>>308 何年かまえの「日本歴史」の新年の特集記事で、学者の先生方に
おすすめの小説や、好きな作品を聞くという企画があったが、愛読書として
司馬遼太郎などは普通に挙げられていたんだがね。
また、「小説から歴史に興味持ったやつ=馬鹿」といいたげだが、史学科の
学生の水準はそんなに低く無いぞ。
もちろん、小説は小説、史学は史学ってのは当たり前。例えば坂本竜馬の
研究をする際に、先行研究や史料を用いても、「竜馬がゆく」を用いたりはしないがね。
313 :
人間七七四年:2008/07/30(水) 04:09:42 ID:eh7+9lCJ
まあ、なんだ
>>308の視野が狭いってのはわかった。
きっかけは何であれ、そこから深く知識を広める奴もいれば
ミーハーなだけで終わる人もいる。
個人の資質の問題であって
小説やゲームで興味持ったから、必ずしもそういうフィクションを現実だと思ってる
馬鹿ばっかり、みたいな決め付けをするのもどうかと思うね。
まあ、大半はそうなんだろうけどもさ。
あえて得意気に言うこともでもない。
314 :
人間七七四年:2008/08/02(土) 05:40:03 ID:jxcpmRTd
宮地さんの小説は良かったなあ。
放鶴絵図は凄く好きだ。
315 :
人間七七四年:2008/08/03(日) 05:21:38 ID:uZx4WuNt
長宗我部が土佐藩主だったら明治維新はなかった。
316 :
人間七七四年:2008/08/04(月) 23:55:37 ID:DIKLfJo9
さすがに維新はあっただろ
317 :
人間七七四年:2008/08/05(火) 23:27:23 ID:+kXvmFOf
渡来人で異骨相で蝙蝠で有名な長宗我部
318 :
人間七七四年:2008/08/06(水) 02:20:14 ID:9KO3py5y
あの時代には「渡来人」も何も関係ないだろ。
319 :
人間七七四年:2008/08/23(土) 15:34:02 ID:bJeazht/
秦氏ならうんと昔の話だね
320 :
人間七七四年:2008/08/30(土) 10:24:44 ID:GvehSQtu
明応の政変で土佐守護代家が京都に帰ったので下向していた一条家が土佐国主
のような立場に立ったから長曽我部は乗り換えたという形?
321 :
人間七七四年:2008/08/30(土) 11:00:12 ID:l7oBNNTi
皆さんは、久武弟についてどう思います?
小説だとかなりイメージが悪いし
主家が滅亡した後は他家に仕えてるし。
322 :
人間七七四年:2008/08/30(土) 11:11:30 ID:l7oBNNTi
ちと、聞きたいのやが元親に官位ってあったの?
323 :
人間七七四年:2008/08/30(土) 15:37:22 ID:igbtLWlB
宮内少輔
侍従
土佐守
久武弟は世渡り上手って感じかな
半分くらいスケープゴート的に扱われてそう
324 :
人間七七四年:2008/08/31(日) 03:41:35 ID:ewBR+AS2
兄が弟の才能に嫉妬してたんだろうな
325 :
人間七七四年:2008/08/31(日) 13:57:25 ID:VP4H/5Pd
兄が?
326 :
人間七七四年:2008/09/04(木) 10:38:12 ID:uW2LRVxG
盛親ってせっかくの藤堂の後ろ盾と井伊の口ぞえを親忠斬っておじゃんにしたDQNでしょ?
高虎が領土を割譲してくれるとまで言ってたのに、メンツ丸つぶれだな
夏の陣では高虎に召抱えられていた自分の遺臣を躊躇なく殺しまくる外道ぶり
327 :
人間七七四年:2008/09/04(木) 19:22:58 ID:WUmJkSWf
蝙蝠って名がこれほどしっくりくる人物はいない。
328 :
人間七七四年:2008/09/07(日) 02:25:20 ID:SkQXjI6d
肝心なところでは蝙蝠にすらなれなかったがな
小少将ってすげえ。
330 :
人間七七四年:2008/09/14(日) 01:45:39 ID:LOs93M6n
久武弟の家系は裏切り者として
滅茶苦茶恨まれてるよ
331 :
人間七七四年:2008/09/20(土) 06:43:50 ID:gf4k+eVv
>>308みたいなのが日本の歴史学界に跋扈してんのかと思うとぞっとするけどな
332 :
人間七七四年:2008/09/21(日) 21:57:22 ID:IX6mj0EG
愚民どもとか使う時点で釣りだと思いたいです
333 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 15:26:02 ID:Bw/zrYbk
蝙蝠って感じじゃないよな。
334 :
人間七七四年:2008/10/12(日) 15:19:07 ID:LjcTxaYy
いわゆる蝙蝠野郎という意味で、元親を蝙蝠呼ばわりしたわけじゃないじゃん
335 :
人間七七四年:2008/10/13(月) 13:33:13 ID:GCafl1uK
高知県民ですが、最近母方の出が、長宗我部家(とくに元親)の遺臣のなかで長的存在だった野中三郎左衛門親孝をはじめとした野中家だったことがわかりました。
私は野中姓ではありませんが、小学生のころ、野中姓(この姓は少ない)の同級生から「俺と○●は遠い親戚なんやで」といわれたり、
中学生のときもある女の子から先祖はいっしょなんやでと言われたことがありました。
それから長宗我部家の末裔(直系はいない)という曽我部姓のひとが何人か小学校のころにいました。
家臣の一人が記した『南海治乱記』には、長宗我部軍の擁する土佐兵は小型馬(土佐駒)に乗り、鐙は木製で、
鎧は切れて麻糸で補修するといった具合でこれでは戦に勝てないと書かれているようです。
親孝という名は父親の野中肥後守貞吉の代から長宗我部国親に仕えるようになり、彼の一字「親」をもらって
名づけたようです。
秀吉による朝鮮侵攻にも参加したようです。親孝をはじめとして土佐兵はこの海外遠征に乗り気じゃなかったようですが、
元親は自分達だけでも行くといったので結局参加したようです。戦功は結構あったようです。
336 :
人間七七四年:2008/10/13(月) 15:05:12 ID:2sZvvljQ
蝙蝠うんこ
337 :
人間七七四年:2008/10/14(火) 14:06:30 ID:RTwOuX1T
若い女性に「戦国武将ブーム」 「写真撮らせて」「甲冑着たい」
伊達政宗や真田幸村、長宗我部元親といった戦国武将が若い女性のあいだでブームになっている。
戦国時代を扱ったゲームソフトや大河ドラマの影響のせいか、武将ゆかりの地や博物館などで女性の姿が目立ち始めたのだ。
ここ1〜2年で「長宗我部元親ファン」が増える
「ゲームの影響なんでしょうか、最近若い女性が増えてきているのは確かで、(参拝客の)90パーセント以上は若い女性です。
昔にはなかったことで、ビックリしてます」と話すのは、高知市の若宮八幡宮の大久保千尭宮司(65)。
戦国武将の長宗我部元親が戦勝祈願したとされる同神社に若い女性の参拝客が増え始めたのはここ1〜2年のことで、
女性客はどうやら「長宗我部元親ファン」らしい。大久保さんは「(坂本)竜馬さんは全国区だけど、まさか元親がそういう対象になるとは」と驚きを隠さない。
突然の「元親人気」を受けて、神社では元親にちなんだミニチュアののぼりや絵馬を製作したところ、売れ行きは好調という。
境内には長宗我部元親の銅像があり、こちらも「かっこいい」と評判に。神社周辺にも元親ゆかりの史跡もあり、人気スポットになっているようだ。
「(長宗我部元親について)びっくりするほど知っていて、こちらも勉強しているんですが、逆に質問されたりして。刺激になりますね」
と大久保さんは話す。
http://www.j-cast.com/2008/10/12028334.html 土佐の蝙蝠スイーツきめええええええええええwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
338 :
人間七七四年:2008/10/14(火) 14:11:51 ID:XXgNrcrH
確かにそそりませんね・・・・。
339 :
人間七七四年:2008/10/25(土) 13:05:33 ID:dL7vw3E0
長宗我部氏の祖先ってもしかしてコーカソイド系だったのかな
340 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 15:05:16 ID:5jh+S0Ow
長宗我部は秦氏ではないのか?
341 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 15:26:43 ID:RYYZqBY3
342 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 02:24:39 ID:Lzd2vEGR
長過疎部
343 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 12:35:16 ID:Lzd2vEGR
長宗我部最高〜! 県外ファン集い子孫たまげる
2008年11月24日09時00分
東京や大阪などの長宗我部ファンの若者らがインターネット上でつくっている
「長曾我部最高委員会」の会員二十人が二十三日、高知市の長宗我部一族ゆかりの地を巡った。
テレビゲームや小説の影響で全国的に戦国武将ブームが起きており、土佐の長宗我部氏も、
伊達政宗や真田幸村らとともに高い人気を誇っている。
同会は長宗我部の大河ドラマ化などを目指し、昨年結成。
会員は現在約百七十人で、ネット上で情報交換したり、イベントなどを開いている。
今回は高知市長浜の秦神社での一族の供養祭に合わせて来高。地元住民らの案内で元親の居城、浦戸城跡なども巡った。
同市長浜の雪蹊寺で元親の長男、信親の甲冑(かっちゅう)を見学した千葉県の女性は「身長一八〇センチ以上と
伝えられているように大きな鎧(よろい)。実在していたことを強く感じる」。
同会「総大将」で千葉県の会社員、林太一さん(28)も「顕彰会や地元の方と史跡を巡れて本当にうれしい」と満足げだった。
若者らに囲まれた長宗我部氏の子孫、清藤英子さん(84)=高知市梅ノ辻=は
「(多くの若者から注目されていることに)なんで?って、たまげちゅう。ご先祖さまも喜んじゅうと思います」と話していた。
http://203.139.202.230/?&nwSrl=235619&nwIW=1&nwVt=knd 高知の売り込みきんもー☆
344 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 23:01:52 ID:p+/MFqgy
会の名前がきんもーだわ
345 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 23:47:24 ID:OhAYeNhI
長宗我部氏の子孫だったら、せめて曽我部姓であってほしいもんだ
>>335 >戦功は結構あったようです
鏡川の畔には今だって「唐人町」という地名があるぐらいじゃないか(月の瀬橋から少し下流の左岸一帯)。
捕虜にした朴好仁以下、実に300名ほども土佐に連れ帰って住まわせた地名だからこそ唐人町。
ここ、当時は一等地だったと思う。
捕虜であったとしても、きっと丁重にもてなしていたに違いない。
長宗我部家の菩提寺、「瑞応寺」の住職だった薫的(くんてき)さんは気の毒としか言いようがないよね?
山内が入国して築城間もない高知城(河内山城)を睨みながら自害してしまったと聞く。
それが「薫的神社」の始まりではないか
>>335
348 :
人間七七四年:2008/12/03(水) 08:20:43 ID:XAY7dP83
diligent@otemba p.e.w.u
おーっと。
「唐人町」は月の瀬橋よりもより下流の天神橋付近にあるんじゃったぁorz
350 :
人間七七四年:2008/12/05(金) 22:40:15 ID:m1nemBZR
四国に旅行して、高知で長宗我部の史跡などを見たあと、松山までJRで移動した。
県境から、宇和島→卯之町(西園寺公広の黒瀬城)→大洲(宇都宮豊綱、大野直之)→松山
という今の線路は当時の街道や進軍路とは違うかもしれないが、
何度も峠を越え、リアス式海岸が見えてもすぐに山に入り見通しの悪い地形を見て、
このルートを通り攻め込もうとした久武親信たちは苦労したんだろうと実感した。
土居氏などの地元勢には、地の利を生かして守りやすい土地かも。
伊予を攻略するには、瀬戸内から松山平野の主要部に侵入できた毛利に比べてハンデがありそうに思えた。
351 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 15:53:39 ID:QgHBP6md
伊予の中にも文化の差があるのは地形のせいね
352 :
人間七七四年:2009/01/04(日) 20:58:07 ID:883hmWZN
>>302 長宗我部の事績なら、『土佐物語』をどうぞ。
土佐統一のエピソード、家老や若年寄級の活躍、朝鮮出兵時の面白いエピソードなどがてんこ盛りです。
絶版だけど。。。
353 :
人間七七四年:2009/01/05(月) 12:02:30 ID:LazuKY4R
長過疎部age
354 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 22:47:04 ID:vpPelYQU
「土佐物語」って結構高値ついているから図書館で借りたほうがいいかも。
355 :
人間七七四年:2009/02/03(火) 14:51:28 ID:4X7KIJKh
45000円ですか。
356 :
人間七七四年:2009/02/06(金) 05:15:07 ID:yJQrbG2a
偽ブームの長過疎部age
357 :
人間七七四年:2009/02/06(金) 05:51:50 ID:3LRR+qZG
358 :
人間七七四年:2009/02/06(金) 22:27:11 ID:9PqMrJ98
土佐物語は買ったほうがいいよ。高いカネに見合う価値がある。
359 :
人間七七四年:2009/02/08(日) 00:26:17 ID:Q8Z4kk+H
そっかなぁ・・・岩原さんが儲けるだけかもw
360 :
人間七七四年:2009/02/08(日) 01:06:41 ID:zF/2lcjP
1000円でもイラン
361 :
人間七七四年:2009/02/17(火) 22:06:51 ID:wfQdAYGl
ご先祖が数人でてるんで2万円なら、買いたいんやけど。。。
362 :
人間七七四年:2009/02/17(火) 22:35:13 ID:5nFjl2Ek
じゃあ買えよ
363 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 04:49:22 ID:qBexJ7/n
俺は長宗我部の人気向上を図るグループにゃ入れねぇなぁ。
先祖が山内氏に仕えて270年間その禄をはんできたから、山内氏には恩顧がある。
おまけに、長宗我部の家来じゃなくて香宗我部氏と津野氏の家来だったしw
長宗我部ファンなのはいんだけど、山内氏を悪くいう人が少なからずいてどうも、ね。
しかも、土佐の縁のない者がしゃしゃり出て来るのも気にいらん。
364 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 04:50:53 ID:qBexJ7/n
○>土佐と
×>土佐の
365 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 22:53:41 ID:0n4q/Zud
363の気持ちも何となく理解できるな〜。
うちもそもそも津野→一条→長宗我部の配下で
その後は山内に仕えたからな〜。
366 :
人間七七四年:2009/02/19(木) 00:58:37 ID:VAEsB0NQ
山内に恩を感じてる土佐人をはじめて見た
367 :
人間七七四年:2009/02/19(木) 21:26:47 ID:XW1obkZx
そもそも安芸や中村の人間は長宗我部に恩義を感じる必要性が無いだろ
長宗我部時代なんて40年もねーんだし
368 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 10:53:17 ID:H/+3o7YC
母方のご先祖は国親・元親親子に使えた若年寄で、そのなかから山内家にとりたてられた親族もいるので一概に山内家を嫌うわけにもいかない立場です。
369 :
人間七七四年:2009/03/01(日) 03:43:46 ID:Bv1NOyKL
昔、卒論で元親やったとき
土佐物語注文したら、別の土佐物語来たわ
土佐の人はいっこくだって書いてあった
370 :
人間七七四年:2009/03/07(土) 20:32:41 ID:AnC0AKI0
>>363 貴公の先祖の時代、同郷の郷士たちを鉄砲で卑怯に撃ち殺した山内にそんなに恩義があるのか。
長曽我部は、確かに盛親はヘタこいたが、
簡単に近江者になびく調子のいい土佐モンには幻滅する。
土佐が幕末に主導権を握れなかった理由もよく分かるw
371 :
人間七七四年:2009/03/09(月) 11:49:13 ID:nJTzn6uE
たまに本気で
>>370みたいなこと言っている人間がいるのが恐ろしい。
色々大丈夫かと思う。
372 :
人間七七四年:2009/03/15(日) 19:53:58 ID:dymPvvbO
本当は、日本の役に立たない片田舎ごときどうでもいいと思ってるw
373 :
人間七七四年:2009/03/15(日) 20:43:00 ID:8K55dJjI
いや、高知は変なところで役にたってるよ。
早明浦ダムの用地提供とか。
374 :
人間七七四年:2009/03/15(日) 23:56:03 ID:dtPynBAW
あと歴史上の人物に関しては政治・経済・軍部・学問において逸材を輩出している。
これが謎なんだな。なんでそんなえら〜いお方が高知なんぞのど田舎からでたのか???
日本国のミステリーにしてもえいがやない?
ファッション界の山本寛斎、音楽界のつんく(なんとかかんとか)は高知関係者だし。
ミスコンテストでも世界一とか日本代表とか出してるし。。。
もっとも高知出身者が高知を好きだとは限らないが。
375 :
人間七七四年:2009/03/16(月) 18:23:36 ID:k2Q+j0t/
やなせたかしはガチ
376 :
人間七七四年:2009/03/16(月) 19:59:12 ID:LtgtWR2r
土佐と言えば流刑地な上に隔絶された地形なので、それなりに貴人の血が残っているからかもしれない。
377 :
人間七七四年:2009/03/16(月) 23:19:45 ID:uUc1HeiO
貴人の血がそうさせたのかは判らないが
特異な地域性がそうさせたのは一理あるとおも。
378 :
人間七七四年:2009/03/20(金) 15:03:17 ID:TAA5U+TV
西原理恵子はガチ
379 :
人間七七四年:2009/03/25(水) 03:37:59 ID:dle5nFAJ
>>374 その程度の人材は、どの県でも何頭のジャンルで輩出しているだろう。
「近畿で適当に三角形やら四角形とか描くと、どっかしらの霊山神社に当たって、
なにやらいわくありげに思える」のといっしょで、特に突出しているとは思えないな。
ところで、長宗我部盛親が、関ヶ原の陣で、
土佐を出立し、上坂した時期って何か資料あるのかな。
長束に止められて西軍入り、というところから「あ、いたんだ」って感じで始まるw
380 :
人間七七四年:2009/03/25(水) 17:03:51 ID:7f3wy0RD
高知はちょっとしたことでも自慢する県民気質。
やなせ西原ごときで高知は漫画大国だ漫画甲子園だのと朝鮮臭いからみんなに嫌われる。
381 :
人間七七四年:2009/03/26(木) 10:01:29 ID:XbtOnAKo
たまにははらたいらや黒鉄ヒロシのことも思い出してあげてください。
382 :
人間七七四年:2009/03/26(木) 11:56:28 ID:weYyZbyO
えびす>>>はらたいら
383 :
人間七七四年:2009/04/11(土) 17:16:58 ID:y18nycFl
高知県は世界に通用する人材が皆無
384 :
人間七七四年:2009/04/20(月) 22:08:09 ID:O2iCzRJL
385 :
人間七七四年:2009/04/20(月) 23:36:16 ID:QxCmluVX
ふるっ
386 :
人間七七四年:2009/04/23(木) 15:55:30 ID:zgCf/lSP
つ 紀貫之
387 :
人間七七四年:2009/04/23(木) 16:39:34 ID:vJJl6vog
土佐日記(とさにっき)は、紀貫之が土佐の国から京まで帰京する最中に起きた出来事や思いなどを書いた日記。
388 :
人間七七四年:2009/04/24(金) 01:04:33 ID:BPOGjdbG
あのう・・・貫之さんは土佐人じゃないんですけど・・・
>>386さん
389 :
人間七七四年:2009/04/24(金) 03:56:33 ID:+TGQYqyd
虚勢と誇大宣伝は長宗我部が育てた高知の県民気質
390 :
人間七七四年:2009/04/24(金) 13:15:33 ID:BPOGjdbG
いや長宗我部以前に培われた県民性かと。
批判する前にもっと研究しなはれw
391 :
人間七七四年:2009/05/01(金) 23:28:54 ID:Vxbn7FAp
どうせなら 長曽我部三代記とか大河でやらんかな
392 :
人間七七四年:2009/05/02(土) 00:34:38 ID:CQaulv8y
最終回は切なさ乱れ撃ちだろうな
393 :
人間七七四年:2009/05/02(土) 01:08:58 ID:Px52swE3
となれば、うちの先祖も出演するなぁ(ワクワクw
394 :
人間七七四年:2009/05/02(土) 02:04:32 ID:SCHixyT7
前半は延々と四国の土豪の暮らしが見られるわけだな。
395 :
人間七七四年:2009/05/02(土) 03:05:45 ID:jBMbTWhI
久武さんなんか大河に出せませんよ(所行的な意味で)
396 :
人間七七四年:2009/05/02(土) 18:58:43 ID:Zxw2BV8j
>>395 傍証も何もない説で親直一人悪役にするわけですね。
さすが高知の民度はすばらしく●いね。
397 :
人間七七四年:2009/05/04(月) 00:00:54 ID:+lyGEvLu
>>391 安芸氏攻めの毒入れ井戸は視聴者から猛抗議w
398 :
人間七七四年:2009/05/04(月) 00:15:54 ID:Tmzax4Za
>>397 しかし逆に黒岩越前の逸話は涙を誘うだろうね。
399 :
人間七七四年:2009/05/04(月) 10:56:08 ID:2vjh+EGe
やはり、初回のタイトルは「お家再興」になるのかな。
んで次か次が「野の虎」の回
400 :
人間七七四年:2009/05/04(月) 11:08:33 ID:dYsgDnWD
本当にチョースガメと読むの?
401 :
人間七七四年:2009/05/04(月) 17:04:53 ID:2vjh+EGe
ちょうそかべだろ
402 :
人間七七四年:2009/05/04(月) 19:11:37 ID:AbvPAoSU
ネタにマジry
403 :
人間七七四年:2009/05/04(月) 23:54:38 ID:DMbYLa7u
三河人か
404 :
人間七七四年:2009/05/08(金) 00:20:50 ID:A9L3OR7w
超素壁元痴漢
405 :
人間七七四年:2009/05/13(水) 15:50:28 ID:UMO/cg8O
蝙蝠野郎人気皆無
406 :
人間七七四年:2009/05/13(水) 17:54:38 ID:JoJQGr68
仙石一臆病者
407 :
人間七七四年:2009/05/14(木) 00:40:19 ID:sV51rjNF
↑
賛同する!
408 :
人間七七四年:2009/05/26(火) 15:22:19 ID:xA2XVwDe
土佐は温暖。
409 :
人間七七四年:2009/05/26(火) 21:47:10 ID:/ThARNHn
410 :
人間七七四年:2009/05/27(水) 15:17:29 ID:mAyRd8Gh
キミは高知スレにもコピってたな。
411 :
人間七七四年:2009/06/02(火) 05:39:35 ID:+GI4mKn/
蝙蝠は嫌われ者
412 :
人間七七四年:2009/06/03(水) 01:52:21 ID:QuGG+HxW
地元ではそんなこたあない!
413 :
人間七七四年:2009/06/04(木) 18:04:11 ID:P4QfkND4
山内とどっちが人気
414 :
人間七七四年:2009/06/06(土) 00:54:24 ID:hszyo0M4
天下獲りそうなのにコメントは控えめで笑った。
416 :
人間七七四年:2009/06/06(土) 22:50:37 ID:hszyo0M4
関ヶ原の後、長宗我部盛親が頭を丸めて丁寧に家康に詫びて
津野親忠に家督を譲っていたら・・・
石高は削られても土佐藩主として長宗我部家は存続できた?
仙石秀久以上に、久武親直が嫌い。
417 :
人間七七四年:2009/06/07(日) 03:20:56 ID:JtbX4mG2
If話になってしまうのも何だけど
関ヶ原で本心ではなくても西軍側に起った事で
既に徳川にしてみれば潰す口実ができたようなものでは?
万一、家として存続できたとしても国替えになったのでは、と。
また久武弟の件、単なる私欲からの行動だけとはいえないのかも。
現存する文献では徹底的に悪役扱いだけど
それまで一企業の社長だった長宗我部が豊臣という大企業に呑み込まれ
その一員として機能しなければならず、更には引き続いてそれが
徳川に取って代わろうとしていたんだよ。
その時代の流れに合わせて長宗我部自体の内部改革も必要だった訳で
変革を望まなかった者たちが国政を左右できる立場にいたのでは
到底その流れにはついていけず土佐の将来も危ぶまれた。
そういう意味ではあながち不要な人物でもなかったのでは、と思う。
もちろん「好き嫌い」で言えば「大っ嫌い」だけどねw
仙石? 問題外!w
IFアリアリなら・・・
長宗我部家は四国から出ずに四国を切り取りまくって
関ヶ原まで日和見を決め込めばよかった。
・・・無茶なのはわかってるけどさ。
419 :
人間七七四年:2009/06/07(日) 18:29:03 ID:Tr/u3E9x
隣の阿波、蜂須賀家は、領地を大坂方に返上、
大坂に大坂城守備兵を派遣、家政自身は高野山へ入っている、
一方息子至鎮は、上杉攻めに従軍中で、そのまま家康に従い東軍として行動、
関ヶ原後に息子至鎮があらためて阿波を賜っている。
父家政も家督を息子に譲りはしたが、特に咎めを受けた訳でもない。
明らかに両天秤にかけていながら、うまく乗り切っている。
420 :
人間七七四年:2009/06/07(日) 22:45:07 ID:Bs2aDeBq
想像だけどね。
長宗我部、島津、伊達とかさ。
リーマン大名じゃなくて自ら切り取りたる大名の家系。
東西両天秤の他に、第3の選択肢もあったんじゃないかな。
関ヶ原が長引きさえすれば。
如水だけじゃないと思うんだよな。
その辺りが両天秤のみの大名とは違って、中途半端になったんじゃないかなぁ。
421 :
人間七七四年:2009/06/08(月) 10:07:19 ID:t6E+Kwli
地生えの大名と、恩賞で国持ちになった大名では、
温度差が有ったであろうことは想像に難くない。
422 :
人間七七四年:2009/06/08(月) 10:10:37 ID:t6E+Kwli
途中で送信してしまった・・・。
つづき
んがしかし、もう少しうまく立ち回れなかったのか。
長宗我部の場合は、断絶してしまったからこそ、
想像が広がる余地があって面白い。
423 :
人間七七四年:2009/06/08(月) 17:06:25 ID:hGdnCW06
元親は、政権内の派閥・権力闘争とか、アホらしかったんじゃない?
そもそも、秀吉・家康とかと同じラインだったわけだから。
他家との交流エピソードがほとんどないもんな。
まぁ、盛親はその犠牲者と言えるかもしらんな。
424 :
人間七七四年:2009/06/08(月) 21:20:43 ID:qaPxB4b9
>>422 どっちにせよ、大坂か京都あたりに政権を作ろうと思ったら、
近場の四国には相当に信頼できる大名じゃないと大きな領地は与えられないでしょう
天下取れないなら100万石もらったとしても四国からは叩き出されているんじゃないかな
425 :
人間七七四年:2009/06/08(月) 21:31:13 ID:cMUeSuzg
IFの話になってしまうけど、小牧・長久手の役で家康と長宗我部が
上手に呼吸を合わせられたら・・・
長宗我部元親率いる四国勢と紀州雑賀の鉄砲隊が連合して機内に攻め込み、
東の徳川・北条家と共に挟み撃ちにして羽柴秀吉を粉砕する。
北条氏政は評価が低いけど、実際はかなり優秀な人物だったみたいだし。
北条氏の最大版図(250万石)は氏政の代だったのでしょう?
または中国や帝政ロシアみたいに女性でも家が継げれる風習があれば、
>>414みたいな優秀な娘が(ゲーム上の架空の娘ですが)、
家督を継ぐ、という選択肢もあったかもしれません?
帝政ロシアだと、皇帝の娘が即位したりしている。
426 :
人間七七四年:2009/06/09(火) 00:36:41 ID:OJqZ1jHA
>>425 首尾よく秀吉軍を粉砕でき畿内に拠点を築けたらラッキーだよね。
ただ、後の説はいくら何でもw
むしろ本能寺で明智に同調すれば良かったのではないか
とはいえ、優秀な水軍がいないから11日間のあいだにできることは少ないな
428 :
人間七七四年:2009/06/09(火) 04:05:58 ID:2UtwnSCw
明智に同調した場合、
四国の統一安定化後の出口は、中国地方にならないか?
小早川とガチはシンドイと思う。
429 :
人間七七四年:2009/06/12(金) 17:31:36 ID:GXlaIS8m
本能寺の変の三ヵ月後にやっと勝瑞落城だからな。
それ以前に光秀支援に動こうとすると、どうしても海路を大きく迂回して
侵攻しなきゃいけないし、どうにもできそうにないな。
長宗我部ってなんか二、三のIFを重ねないと生き残れたように思えない。
430 :
人間七七四年:2009/06/12(金) 20:33:29 ID:CA1Gymrt
そもそも、土佐の人たちの間では未だに四国統一がなされたことになってるのでしょうか?
そうだとしたらちょっと能天気で楽しいですね。
431 :
人間七七四年:2009/06/12(金) 20:38:14 ID:F1fhs4vb
皿にこびり付いてる米粒やルーが残ってても完食扱いだし統一でええんじゃね?
432 :
人間七七四年:2009/06/13(土) 00:32:23 ID:s/CHp7ro
伊予の道前道後の10郡(20万石くらいか?)を食べ残せるなんて
土佐は豊かだったんですね!
433 :
人間七七四年:2009/06/13(土) 01:36:57 ID:H/n11ihB
そういや長宗我部の四国統一に最後まで抵抗したのって誰だっけ?
434 :
人間七七四年:2009/06/13(土) 19:34:04 ID:cjooLJMt
十河じゃねーの?
435 :
人間七七四年:2009/06/13(土) 21:10:21 ID:X4BaLaim
河野通直でよかった?
確か長宗我部元親に降伏。そこで四国統一が達成。
しかし、すぐに秀吉の四国征伐がはじまった、でいいですよね。
436 :
人間七七四年:2009/06/13(土) 21:12:45 ID:WUcFEGYA
元親は四国統一できてない
八月九日の本多正信書状で大智表に長曾我部が侵攻している記述が見られ、
十河城落城後でもそこで抗戦してた勢力が存在する事が確認できる。
7月19日長曾我部の家臣久武親直の書いた伊予金子氏宛て書状で十河勢による攻撃に
対応して出兵している上、その攻撃は予断を許さぬものである事も伺える。さらに元親は
伊予金子氏に対しても自身の出馬を要請しており十河勢は守勢一辺倒ではなく
攻勢を取りさえしたことがわかる阿波でも秀吉が土佐泊城に
天正12年十月時点でも支援している旨の書状が存在し、翌年の四国侵攻でも秀長がまず土佐泊に上陸し、
緒戦が木津城包囲戦であった事から、まだ落城していない事がわかる
河野氏の降伏も藤田達生氏の『日本近世国家成立史の研究』によって史実ではなく伊予を統合していない事が明らかにされている。最近では長曾我部の四国平定に関して定説は以上のような理由で否定されてる
437 :
人間七七四年:2009/06/13(土) 22:56:07 ID:s/CHp7ro
>>436さん解説どうも
伊予側の事情を追加すると、毛利が明確に羽柴陣営となるまでは金子氏を介在して伊予(毛利陣営)とは停戦状態。
毛利が羽柴陣営に与したことがはっきりしてから伊予侵攻を再開して南部の喜多郡あたりでの戦闘が続いているが、
河野氏が支配した伊予中央部での戦闘の記録はない。
従来『大日本史料』の記述で天正12年に風早郡で長宗我部と毛利が戦闘していたと言われていたが、
毛利・河野氏の戦闘相手は長宗我部ではなく織田陣営に走った来島氏の残党である得居通幸。
東の道前側からの侵攻が行われた様子はないものの、新居郡に隣接する周布郡の黒川氏(河野氏の縁戚でもある)は
長宗我部よりの態度も見せていたようで河野ー長宗我部間の和睦工作も行っていたらしい。
ただし、小早川傘下の井上春忠など毛利家臣が湯築に在城していてこれらの工作は効を奏していない。
438 :
人間七七四年:2009/06/14(日) 19:15:30 ID:b4klHOFp
ながそうがべもとちか?
439 :
人間七七四年:2009/06/17(水) 19:55:10 ID:es80fi8h
長宗我部家の本でオススメのものを教えて頂けますでしょうか?
司馬遼太郎のだけ持っているのですが
人物蔵書や人物文庫のがいいのかな。
440 :
人間七七四年:2009/06/18(木) 02:24:36 ID:wJfRXuwo
所詮、小説は小説。
441 :
人間七七四年:2009/06/19(金) 20:37:05 ID:bS8sH8N0
>>439 人物叢書は出ていた筈。あと、『長宗我部元親のすべて』なんて本もあったな。
442 :
人間七七四年:2009/06/20(土) 00:37:45 ID:RuHDPVBd
山本大さんの著書がいいよ。
443 :
人間七七四年:2009/07/04(土) 14:33:56 ID:5Tq4iELs
高知大の方ですね
444 :
人間七七四年:2009/07/05(日) 15:19:52 ID:jcKd8fex
祖父から福留隼人が先祖だと聞きました
直系かどうかは聞いてないのでわかりませんが
祖父の話によると祖父の曽祖父は薩英戦争にも参加したそうです
何か福留隼人に関する本、事を教えてもらいませんか?
445 :
人間七七四年:2009/07/05(日) 23:00:59 ID:7RoKWRuB
446 :
人間七七四年:2009/07/06(月) 22:52:42 ID:atnJKccs
>>445 そうです!隼人神社は田辺島にあります
僕はおととい祖父に初めて連れて行ってもらいました
祖父は「はいとうさん」と呼んでいました
僕は「はやとさんの間違いじゃない?」と聞くと「わしらははいとうさんと呼びよったがなあ」と言ってました
調べてみるといろいろな呼び方があるようですね
家紋は祖父によるとあまり覚えてないけど梅の花みたいだったと言っています
447 :
445:2009/07/07(火) 00:55:33 ID:XD+UdRoe
>>446 何だ、高知在住の御仁だったのかあw
それならば、歴民や市立・県立図書館の学芸員さんに訊ねてみるとか
方法は贅沢すぎる程あると思うよ。
あとは、貴方のおじいさんや他のご親類からの聞き取りをもっと詳しく
して記録に残しておくことかな。今しかできない作業はお早めに。
私の場合もそれを進めている最中なんだけどねw
ちなみに福留氏は「福富」とも称し、平家の家人が祖と聞いているよ。
田辺島を干拓して作地にし、「はいとさん」「はいとうさん」の隼人神社が
その城跡。「長宗我部地検帳」にも出ていたよ。
祖先調べはかなり根気の必要な作業だけど、やればやるだけ面白くて
のめり込んでいくこと受け合いw
頑張って下さりませ!
家紋までは分からなかったので申し訳ない!
448 :
人間七七四年:2009/07/08(水) 22:20:13 ID:150bma7v
>>447 曽祖父の代は大津に住んでおり家系図などあったそうですが
今はなくしてないそうです
現在受験勉強で忙しいので、それが落ち着き次第調べてみたいと思います
いろいろ情報ありがとうございます!
449 :
人間七七四年:2009/07/09(木) 00:52:03 ID:wexiOFXI
>>448 いえいえ、あまりお役に立てなかったかも知れないけど・・・w
落ち着かれたら是非とも調べてみて、またレポして下さいね!
これからもご先祖様の事を大切になさって下さいな。
それから、受験での良い結果をお祈りいたしておりますね!
450 :
人間七七四年:2009/07/16(木) 03:36:42 ID:XjF4aG6g
秀吉の四国攻めで伊予が小早川に与えられたとなると、
伊予の大名は長宗我部勢といて秀吉軍に抵抗したということでは?
長宗我部に降伏していない伊予の有力大名がいたなら、秀吉軍に味方して領地は安泰にならないだろうか。
秀吉の四国攻めの時には、長宗我部が伊予を支配下においていたと思う。
河野氏が降伏した時点で伊予を統一したようなもの。
それでは四国統一とはいえないのかな。
451 :
人間七七四年:2009/07/17(金) 20:51:56 ID:eOna58Or
この人の美談とか知らないけどなんかある?
452 :
人間七七四年:2009/07/18(土) 01:00:52 ID:ctiBUSuG
美談はあまりないけど、間違いなく日本人の琴線に触れる人。
国力の乏しい僻地から身を起こし、
土佐、阿波、讃岐となんとか力を付けた所で、最強の相手登場。
負けると分かっていながらも、既に後には引けない状況。
苦労して手に入れた領土も、その一敗でもとのサイズに。
明治維新から昭和戦後の日本が歩んだ道と被る人物。
変に脚色、誇大化されたエピソードがないだけに、寂寥感が引き立つ。
453 :
人間七七四年:2009/07/31(金) 15:24:19 ID:nJoE0c+g
でも滅びの美学ではない。
454 :
人間七七四年:2009/07/31(金) 23:08:32 ID:3cbgwtDy
毛利も中国地方統一していないな。
岡山に宇喜多がいるし、鳥取は山名がいるし。
瀬戸内も村上水軍とか独立勢力だし。
455 :
人間七七四年:2009/08/02(日) 11:27:18 ID:Ab08u+Y2
山名は毛利に降伏してる
一応、宇喜多も毛利の傘下ではあったがな
裏切られちゃったけどね
456 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 13:21:11 ID:vKa2b+d+
豊国は毛利に降伏してないね。て長宗我部スレだね。
457 :
人間七七四年:2009/08/15(土) 10:49:13 ID:08SshVdk
帰省中に偶々、大分の戸次で信親と十河一族の墓を発見。
目立たないとこに、ひっそりあるね。
458 :
人間七七四年:2009/08/15(土) 17:00:51 ID:8h6ESKGW
>>451 祖父の代で一度、お家断絶して、父の代で再興して土佐中央に勢力を拡大、それから、数年で土佐平定してさらに十年以上かかって四国制覇をした、まさに出来人に相応しいと思う。
因みに武田信玄もよく似た境遇です
459 :
人間七七四年:2009/08/15(土) 20:38:43 ID:nBXK6Aed
>>458 所領を失っただけなのは”断絶”って言わない気がするけどな。
江戸幕府が大名を統制してるのと違ってあくまで、私的な勢力争いの過程なんだから。
あと、土佐統一数年とかどんだけ脚色?元親が跡を継いでから数えても10年以上かかってるでしょ?
それすら国親の代でも長い時間かけて本山氏らを押し込んでる状況があってこそなのに。
長宗我部を推す人ほどイメージで語ってるんじゃない?
460 :
人間七七四年:2009/08/15(土) 21:37:18 ID:c/Rwg6BQ
戦国も初期状態では、みな同じような勢力だからなかなか頭ひとつ出るのが難しいんだよ
461 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 06:04:52 ID:mPqSYsGC
卑怯者蝙蝠の長宗我部氏ね
462 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 16:39:00 ID:+XJXj2n5
>>459 土佐の辺境性を考えれば、10年超が長いとは言えない。
太閣検地の際で石高は約9万8千石。三河の3分の1程度。
対して、面積は三河の4倍。単純計算ながら、どんだけ非効率か。
分国法を100カ条も整えなければならないほど、開明的とは言えない地域。
他地域の覇者のように、特段優れた家臣がいるわけでもない。
三傑とまでは言わないが、優れた人物である事は間違いない。
463 :
人間七七四年:2009/08/17(月) 12:58:40 ID:dgnsGWVi
仮に同一人物が、同じ様に統一しようとしたら、土佐統一は
三河統一の12倍のエネルギーがいるということかね。
あの山がちな地形なら、納得出来なくもないな。
464 :
人間七七四年:2009/08/17(月) 14:28:46 ID:1clqWMef
真田がいた辺りとかもそうだよな
465 :
人間七七四年:2009/08/17(月) 14:30:48 ID:vAxVDjDC
少なくとも土佐は平野部を押さえれば後はどうとでもなるんだがな
466 :
人間七七四年:2009/08/18(火) 13:15:38 ID:h4VDvYRj
領域が広過ぎるから、高知平野だけ抑えても何ともならんだろ。
幡多地域なんか、今でも中央部から隔離されてるわけで。
467 :
人間七七四年:2009/08/20(木) 00:10:00 ID:Xw+GB6To
太閤検地での土佐の表高は9万石だが、関ヶ原後に山内氏が長宗我部地検帳を元に再計算したら20万石にいきなり跳ね上がったとか。
468 :
人間七七四年:2009/08/20(木) 00:21:36 ID:Xw+GB6To
長宗我部三千貫から20年で四国席巻したのだからたいしたモンだろ。
>>465 土佐は東西に長く、各々の平野をつなぐ街道も山と海が接近した道しかない。
今でこそ高速道路ができてマジになったが数年前までは車でも移動に難儀するような土地柄だ。
軍勢の移動や兵站の確保に苦労するだろうし、何より攻め難い。
安芸氏攻めでは狭い街道を本隊が進んで、元親直卒の別働隊が山地の間道を伝って安芸城の後背をつく奇襲作戦だった。
469 :
人間七七四年:2009/08/20(木) 01:53:59 ID:y1eMHg0D
確かにそれを考えると元親公は室戸どころか野根くんだりまで
よく攻めていったものよねえ。
470 :
人間七七四年:2009/08/20(木) 20:29:35 ID:Av0qjr1F
うん、なんもない所だしな
四国制覇の為の土佐統一した足がかりはかなり大きい
まあ大したライバルもいなかったし
471 :
人間七七四年:2009/08/22(土) 01:37:23 ID:x1WYOZE9
>>456 豊国は降伏してるよ
織田に通じた為、追放されたでしょうが
472 :
人間七七四年:2009/08/22(土) 16:42:04 ID:PwPjVxFV
>>471 追放=降伏じゃないだろ。
織田に通じている疑いを持たれて追放されただけ。
鳥取城主に迎えられた吉川経家に降伏したとでも言うのか?
これ以上は山名スレでw
473 :
人間七七四年:2009/08/22(土) 17:14:37 ID:mWodhHjL
>>468 三千貫ってマジか?
元親の祖父の代で一度滅亡してるやん 親父が再興してからやしね 武田と似てる
474 :
人間七七四年:2009/08/22(土) 19:30:02 ID:Vi+y6r9Q
伊達、毛利、北条、長宗我部、竜造寺、佐竹は養子送り込み戦略で拡大の家だからイマイチな印象だなあ。
475 :
人間七七四年:2009/08/22(土) 22:13:15 ID:x1WYOZE9
>>472 なにいってんの?
秀吉くるかなり前から吉川元春の進攻で無血開城して降伏してるの知らないのか?
あの辺は吉川元春の進攻にほとんど無血開城降伏してるぞ
毛利の支配体制は地元国人による地方自治を認める体制
あの辺は今まで同様山名に任せたにすぎん
毛利方なのに織田につこうとしたから豊国は家臣達に反対され追放されたんだ
貴方が的外れなレスをしなければすぐ終わった話だ
豊国は山中を支援していて吉川元春が進攻した途端、ブルッて山中を裏切り毛利に
今度は秀吉が来た途端、ブルッて織田へ、そして追放
くだらん男だ
476 :
人間七七四年:2009/08/23(日) 21:43:30 ID:Dy4CTaKS
>>472 元レスは毛利の中国統一云々で、山名は降伏した、いやしてないという話だが、
この場合の降伏についての考え方が違うっぽい。
一時の降伏をもって因幡山名氏全体の降伏と採るか否かだ。
自分は因幡山名氏そのものは当主の豊国が織田方に健在のままだから、毛利に降伏したとは見なさない。
475は豊国本人はどうでもいい、山名の家臣と領地が毛利の支配下になったから降伏だ、としているんだろ?
そりゃ話が合わんわ。
ちなみに456はオレじゃないし、豊国をくだらん男とする意見には同意だw
だが豊国は元々毛利方じゃないから、毛利を裏切って織田についたとする考えには賛同しない。
親の仇の味方だった毛利になんで盲従せねばならんのだ?
というわけで終わる。これ以上はレスしねーからなw
477 :
人間七七四年:2009/08/24(月) 03:52:20 ID:70m0W69V
>>476 >自分は因幡山名氏そのものは当主の豊国が織田方に健在のままだから
だからなにいってんの?
1573年に豊国自身、吉川元春に降伏してんだよ
家臣を吉川元春の元に派遣してるし
秀吉進攻時、豊国自身は織田と誼みを通じてはいたが一旦篭城してんだよ
織田方ならなんで篭城すんだよw
そして徹底抗戦の家臣と折り合いがつかず(豊国自身一人で降伏、追放などな諸説ある)が山名はれっきとした毛利方
何度も言ってんのに頭悪いのか?
もういい加減スレ違いな事言わせんなよ
さ、皆さん長宗我部の話に戻りましょう
478 :
人間七七四年:2009/08/24(月) 23:10:53 ID:/fl3F0M1
つまり元親公は秀吉に降伏してないという事か
479 :
人間七七四年:2009/08/25(火) 02:40:10 ID:h/8+ROCh
んだんだ、マブダチになっただけさw
480 :
人間七七四年:2009/08/25(火) 21:18:29 ID:LfEp0a3Q
おれ、元親公の慰霊の為に八十八カ所巡り逝ってくるわ バイクで
481 :
人間七七四年:2009/08/26(水) 02:41:08 ID:dk9zg2rq
↑
気をつけて巡礼しろよな
482 :
人間七七四年:2009/09/10(木) 15:24:12 ID:QpPSqde5
どんな感じだったか後で教えてね。
483 :
人間七七四年:2009/09/10(木) 22:14:12 ID:qdt63uxi
長宗我部元親は、島津家久に大敗しているし。弱い。
豊臣にもなすすべもなく、降伏しているし。
どう考えても弱い。
四国のフタ、鳥なき島のコウモリ、・・・・・
土佐物語の指摘は当たってるな。
政治力、経済力、軍事力。どれを取っても、全国で通用せず。
同じ四国の三好とかが、信長上洛軍にあっさり負けてるから、四国弱い確定で、
弁護しようがない。
一向一揆のほうが強いは。
484 :
人間七七四年:2009/09/10(木) 22:16:43 ID:TBU3FfWa
なんか一行歴史解説を読んだだけの知ったかがいるw
485 :
人間七七四年:2009/09/10(木) 22:25:59 ID:Ky+r91fg
文末も何だかヘンだしなw
それに長宗我部軍が島津軍に負けたのは
阿呆の仙石の責任だしね、これ常識なw
486 :
人間七七四年:2009/09/10(木) 22:26:17 ID:MKxQQGDR
信親が生きていたら没落もなかった?
487 :
人間七七四年:2009/09/11(金) 00:15:12 ID:ZSwzemck
>>486 信親が生きていても、関ヶ原のとき状況として一緒なのなら、西軍に参加せざるを得なくなるのは
避けられないと思うが、
長宗我部の改易は、関ヶ原での行動よりむしろ、その後の家中のゴタゴタなので。
信親が、少なくとも盛親よりも強力に家中を統率していた事は容易に想像できるので、
減封はあっても、あのような没落は無かったと思う。
488 :
人間七七四年:2009/09/11(金) 09:43:25 ID:W/ldolMT
「 韓国で行方不明になった日本人女性6500人 」 被害者家族が訴え
http://bl★og.liv★edoor.jp/new★s2chplus/archives/5★066★322★4.html
☆☆☆☆☆☆
李鵬が言ってた、20年後に日本なんてなくなるって、こういう事か。
1000 :名無しさん@十周年:2009/09/10(木) 21:55:04 ID:IsvYN1LJ0
1000なら
鳩山:「譲歩を引き出しました。ソースコード開示しなくてもいいそうです。やったー!」
でもEAL3並みの要求を飲まされる。日本の適合性評価機関は承認されない。
結局技術はばっちり漏洩する。終わり
↑ ↑ ↑
中国 「IT製品、ソースコード開示せよ。情報漏洩はないから」…日本側が撤回求めるも、予定通り実施へ
http://s03.megalodon.jp/2009-0911-0412-34/pc11.2ch.net/test/read.cgi/prog/1204019152/34-35 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
鳩山首相の夫人、鳩山幸さんの旧姓や出自が不明だそうですよ。
鳩山幸さんはサイエントロジーというカルトと関係があるという噂があります。
http://an★tikimchi.see★saa.net/art★icle/127578850.html (日本アンチキムチ団)
764 名前:可愛い奥様[] 投稿日:2009/09/06(日) 01:04:07 ID:/WrcABwtO
幸夫人のごお父様は中国人ではなく、キム・ジョンウォン(漢字不明)という朝鮮北部出身の貿易商だったようです。
戦後は日本に渡り、幸さんが渡米するまでは神戸の商社に勤めていたようです。 キムさんは幸さんが渡米した直後、
北海道室蘭に引っ越し、貿易商を営みながら総連支部の設立に尽力されたと話しておりました。
【ファーストレディー】鳩山幸をウォッチするスレ 2
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1252279762/
489 :
人間七七四年:2009/09/13(日) 04:40:46 ID:2wfg+5U5
信親が存命ならば家督相続でのゴタゴタもなく、吉良親実や比江山親興など一門の粛清もなかっただろう。
>>487の言うように謹慎中の親忠切腹も当然起こらなかった。
ってか関ヶ原直後に盛親隠居して家康に詫びて、藤堂高虎と親しい親忠が家督相続してれば、とか思ったり。盛親には悪いが。
490 :
人間七七四年:2009/09/13(日) 11:20:11 ID:7kN7ZLuT
元親が相手だったらともかく誰が家督を継ごうが
恩賞確保の為に長宗我部は改易すんだろ
491 :
人間七七四年:2009/09/14(月) 00:22:19 ID:oBfKGa8A
姫若の忠臣達が、山内家に代々虐げられ最後は・・・・
492 :
人間七七四年:2009/09/24(木) 15:16:05 ID:S6JbVDhM
改易されてないところも結構あるからね。何が分かれ道なのか。
493 :
人間七七四年:2009/09/25(金) 00:20:52 ID:T489/zDC
高知県の人には悪いが土佐なんて遠国、改易しようがしまいがぶっちゃけあまり意味は…。
494 :
人間七七四年:2009/09/25(金) 21:00:02 ID:GbW84MTp
495 :
人間七七四年:2009/09/27(日) 11:22:32 ID:GyeKkhY5
本来の一豪族に格下げして山内家臣にするとか
496 :
人間七七四年:2009/09/27(日) 20:08:36 ID:zu1bfL53
一豊「長宗我部お断り」
497 :
人間七七四年:2009/09/28(月) 12:37:57 ID:ShQ8HRVD
そういえば大阪の陣の、所謂「真田丸」で活躍したのは、実は長宗我部隊だったそうで。
498 :
人間七七四年:2009/09/28(月) 15:52:23 ID:AHhfgwoW
別に真田が活躍してないってわけじゃないだろ
499 :
人間七七四年:2009/09/29(火) 05:23:48 ID:bnfzHTFP
姫若→鬼若へ
500 :
人間七七四年:2009/09/29(火) 08:58:11 ID:qNvBHKlX
501 :
人間七七四年:2009/09/29(火) 12:07:50 ID:/3ov0qWL
他の隊だって激戦区で活躍してたよ・・真田だけがクローズアップされるだけで。
演出が上手だったのが真田や木村、その為にはDQNになれるのが真田w
軍事以前に演出も外交も下手だったのが長宗我部って気がする
というか盛親って後世に名を残したい真田、木村とは違う感覚?
502 :
人間七七四年:2009/09/29(火) 14:35:23 ID:EBfWhuWk
お家再興だろ。
ほとんど唯一の大名出身者だし、元親以来の旧臣たちのために何とかしたい、と思うのは当然だよなぁ。
大坂城から落ちた事を云々言えるわけがない。他の浪人とは動機が違う。
503 :
人間七七四年:2009/09/29(火) 22:23:40 ID:9H7VtgzN
大阪の時、長宗我部に寝返りすすめる使者はいなかったの?
504 :
人間七七四年:2009/10/08(木) 08:58:36 ID:LqvpbeK2
長宗我部元親の最大の味方は、三好長治だろ。
彼がいなければ、三好の衰退はあそこまで酷くない。
元親の功績の半分は彼のおかげ。
505 :
人間七七四年:2009/10/09(金) 02:40:51 ID:XnJpoDfP
その理屈で行くと織田信長の功績の何割かは斎藤龍興とか朝倉義景とか六角義賢・義治なのかwww斬新な発想だなw
三好長治はアレだが、元親と主に戦ったのは十河存保の印象しかない。
まあその存保も織田信長の後ろ盾がないと阿波を維持できなかったんだがな。
506 :
人間七七四年:2009/10/10(土) 14:21:18 ID:oRBnid/o
>>501 演出というか、戦後の境遇の違いだろ。
真田は中央に近しい土地にいたんだし、有力大名の元をを転々として知り合いも多かった。
何より徳川幕府以降も宗家は続いて、兄貴は大名として存続したんだから
語り部になってくれる人なんていくらでもいた。
真田家の名誉のために流布した面も多かったろう。
長宗我部は断絶した上、中央とろくに交流がなく誼を通じた大名、有力者が全くいなかった。
盛親の武勇譚を語ろうにも、そもそも盛親自体の人と為り、来歴なんか
知ってる人がいないし、知ってても一族郎党処刑され家をつぶされた罪人のことなど
持ち上げて語り伝えようなんて人物はいなかったろう。
土佐には徳川肝煎りの山内が来て、元家臣は徹底的な弾圧を受け
元主家の武勇譚をまともに語り継げる環境などなかった。
507 :
人間七七四年:2009/10/10(土) 16:54:21 ID:/SMRCPMS
真田は目立つ演出あっての戦後の宣伝塔的扱いだろ
長宗我部は引きこもりっつーか、友達いないんじゃない的な・・
508 :
人間七七四年:2009/10/11(日) 01:29:22 ID:Fs9WtBaU
友達はいなかったかも知れないがw
京から大坂城へ入るまでの道中での逸話から家臣達には・・・。
509 :
人間七七四年:2009/10/11(日) 17:05:49 ID:YweEDtf+
いくら憎いとはいえ、なんで徳川方につかなかったん?
大阪の陣で功を上げれば土佐は無理だろうし、間違いなく小大名だろうが、
お家再興はできたかもしれんぞ。
510 :
人間七七四年:2009/10/11(日) 19:13:43 ID:Tf2guOt4
>>509 単純に豊臣のほうが自分を高く買ってくれたからでしょ。
あと、大阪の陣の段階になっても、豊臣家の実力を過大評価、
逆に幕府の実力を過小評価していたと思われる。
511 :
人間七七四年:2009/10/11(日) 20:25:19 ID:YweEDtf+
>>510 いくらなんでもそこまで情弱じゃないだろ。
都から遠く離れた土佐に引きこもっていた頃ならともかく
曲がりなりにも京都にいた訳で
全国の大名が誰一人として豊臣方に付かない事は知っていただろうに。
あと、長宗我部が大阪の陣で活躍話が残らなかったのは
戦場で最期を遂げなかったのが一番の理由だろうね。
他の武将と違って名を挙げるためでなく
お家再興のために大阪城へ入ったから、なんとしても生き残ろうと考えたからだろうが。
512 :
人間七七四年:2009/10/11(日) 20:37:06 ID:0g47+bQ/
tes
513 :
人間七七四年:2009/10/11(日) 20:37:59 ID:KESK4QTU
>>511 いや、逆に京都に居たから徳川政権の強大さが見えなかったんじゃないか、と思うんだけどね。
大阪陣以前は幕府は、西日本には殆ど勢力を持ってなかったし。
立花宗茂なんかは江戸にまで出て徳川政権の力と言うものを直接に見ていたけど、盛親は
京都と言う政権の外縁で、情報としてのみそれを知っていたわけで、
そういう皮膚感覚の部分での違いはあると思う。
514 :
人間七七四年:2009/10/11(日) 20:42:23 ID:n45A/2mE
引き篭もりってかほとんど盛親は大坂育ちじゃねーのか?
関ヶ原の際には東西両陣営見比べて東軍有利と一度は判断したんだからな。
盛親は戦死じゃないので、講談的に真田信繁や木村重成・後藤基次みたく絵にならんのだろ。
515 :
人間七七四年:2009/10/11(日) 21:36:30 ID:fIHFhddb
扱い悪い扱い悪いって言うけど
江戸時代の昔はともかく
現代の一般人的には、大阪の陣での活躍話が知られてるのは真田だけだろう。
木村や後藤、明石らの武勇伝を知ってる人は盛親の活躍も知ってるし
盛親を知らない人は彼らのことも知らんだろ。
516 :
人間七七四年:2009/10/11(日) 21:46:19 ID:Fs9WtBaU
「長宗我部が大阪の陣で活躍話が残らなかった・・・・」とは不勉強ですね。
517 :
人間七七四年:2009/10/12(月) 00:37:40 ID:lnCzE9cr
長宗我部元親も三好長慶も、四国出身の英雄は老いてから衰えたなあ・・・。
518 :
人間七七四年:2009/10/12(月) 00:43:54 ID:gJjFYMvB
流石に長慶が老いってのはないわ。
519 :
人間七七四年:2009/10/12(月) 01:37:34 ID:JPEzkgYp
三好長慶も長宗我部元親も好きだけど、三好長慶は畿内の人に感じるね。
ともに人間味があっていいし、現代人は共感出来ると思う。
ゲームとかは置いといて二人とももう少し評価されてもよいのではと思う。まあ、俺が摂津人、土佐人の間に生まれたから贔屓目かな。
520 :
人間七七四年:2009/10/12(月) 03:56:25 ID:cKqpy5b4
秀吉もだけど、晩節を汚すと家を滅ぼすのな。
521 :
人間七七四年:2009/10/12(月) 23:29:07 ID:HGK/17T7
元親死後の長宗我部って政治戦略とかあったの?
522 :
人間七七四年:2009/10/13(火) 00:56:06 ID:YR4zQCpX
無い。つーか統一政権にコテンパンにされた地方政権には、その力の懸絶を目の当たりにした以上
国内の他地域に手を出して秩序を乱すなんて冒険はもう出来ないから、あたえられた領土を守って
汲々としているより他無い。
薩摩の場合はそれでも、琉球と言う「日本域外」の手を出せる場所があったが、土佐の場合
どこまで行っても太平洋。
523 :
人間七七四年:2009/10/18(日) 19:56:02 ID:cJL0HVmD
そもそも、長宗我部の躍進は国親が当主になってから。
元親の爺さんが、増長しなけりゃ、国親の代で土佐統一して〜元親ってラインなら なんとかなったかも
524 :
人間七七四年:2009/10/23(金) 17:57:14 ID:fXCuBoQi
情報弱者だったのか。
525 :
人間七七四年:2009/10/26(月) 00:24:55 ID:ae1CgAvk
>>509 盛親は大坂の陣直前、京都所司代板倉勝重に「徳川方に従軍して戦功立てたい」とか言って、
油断させて京を脱出して大坂入城したんだっけ。
家名復活させたいなら本当に徳川方に従軍して戦った方が良かったのに。
旧臣率いて戦功立てれば旧領復帰は無理でも、数万石の大名か高家旗本にはなれたかも。
526 :
人間七七四年:2009/10/26(月) 21:54:32 ID:ZvdXJ+Ds
別に徳川方に従軍しなくても、大坂の陣が終わるまでおとなしく京にいれば、家名復活できただろうよ。
徳川と長宗我部はかつては同盟したりと縁がある関係だし。
527 :
人間七七四年:2009/10/26(月) 22:12:29 ID:mpUr/cPi
大体長宗我部は豊臣恩顧でもなんでもないわけだしねえ。
盛親がどういう算段でいたのかは知らんが、それに付き合わされた旧家臣団が哀れすぎる。
528 :
人間七七四年:2009/10/26(月) 23:28:32 ID:JHe8fDU4
99%の確率で\1もらうより、1%の確率でも\101もらう方がいい
529 :
人間七七四年:2009/10/27(火) 00:00:36 ID:DzUT9l5k
同じ西軍の島津氏は領地を全く削られなかったばかりか、
後に琉球(沖縄)も支配下に置くことが出来た。
島津家久(忠恒)は煮ても焼いても食えぬ、狸親父みたいな人物だった?
530 :
人間七七四年:2009/10/27(火) 00:35:48 ID:khcWuOvo
ギリギリながら、家中を統一できてた島津と、家中がばらばらだった長宗我部との違い。
531 :
人間七七四年:2009/10/27(火) 00:51:31 ID:RVEZIq9z
>>527 徳川に付いて数千石の旗本あたりに収まるくらいは比較的容易だったかもしれんが、
やっぱり土佐領主復帰への拘りが強かったんだろうね。
だから大坂の陣では人生最後の大博打で豊臣に付いたのかな。
532 :
人間七七四年:2009/10/27(火) 13:11:57 ID:TkVh6JkS
>>530 それもあるけど、島津は豊臣、毛利の2段壁に守られて、
徳川が直接手を出せる位置じゃないし。
533 :
人間七七四年:2009/10/27(火) 13:47:08 ID:khcWuOvo
>>532 いや毛利は家康の命令で島津征伐に出陣しようとしていたんですが。
534 :
人間七七四年:2009/10/27(火) 17:18:22 ID:cMxVH6Va
いや、家康の島津征伐は威嚇であって本気でヤル気はなかったと思う。
535 :
人間七七四年:2009/10/27(火) 17:57:20 ID:khcWuOvo
推測でいいならどんな事でもいえるわ。
現実に毛利家は動員かけてたわけだし。
536 :
人間七七四年:2009/10/27(火) 23:33:43 ID:WXzxwB37
推測でいいならどんな事でもいえるわ。
動員かけてヤル気だけ見せればよかったわけだし。
537 :
人間七七四年:2009/10/28(水) 13:05:18 ID:7Y6WsWBR
「直接」家康が来なければ、誰も真面目に戦わんよ。
538 :
人間七七四年:2009/10/28(水) 14:40:41 ID:IlX4Tek6
そう思いたいのね〜
539 :
人間七七四年:2009/11/02(月) 23:12:21 ID:fba7Tp7H
>>527 純粋に豊臣恩顧で参加した浪人衆は毛利勝永くらいじゃね。
あとの人間は一発逆転に賭けてるだけ。
540 :
人間七七四年:2009/11/16(月) 15:50:29 ID:/b1gU9du
関ヶ原が不運だったからね
541 :
人間七七四年:2009/11/19(木) 01:34:37 ID:c4ucFjYu
盛親の場合は関ヶ原戦後の対応さえ間違えなければ所領没収は無かったのにな。家康と懇意だった兄の親忠殺したのが致命的。
盛親も井伊直政と懇意だったから、兄さえ殺さなければ減封くらいで済んだのに。
542 :
人間七七四年:2009/11/19(木) 14:53:44 ID:1C4vJlZR
盛親が親忠殺したのって確定事実?
543 :
人間七七四年:2009/11/23(月) 09:03:16 ID:hQCEvYa3
久武親直主導で親忠を切腹に追い込んで、盛親は事後承諾しただけの可能性もあるけど、
外から見たら盛親が親忠殺した事になるわな。
544 :
人間七七四年:2009/11/23(月) 18:02:35 ID:fEQfWI7d
関ヶ原まで元親が生きていたらどうなったのかねえ?
545 :
人間七七四年:2009/11/23(月) 18:13:44 ID:jgdlniVm
どういう状況で生きているかにも…
史実の晩年ように殆どボケ老人として、それこそ生きているだけの状況じゃ、
何にも出来ないし。
546 :
人間七七四年:2009/11/23(月) 22:41:34 ID:9QJDp756
かえって秀吉の四国征伐のときに滅亡していれば、
後北条氏みたいに小大名若しくは大身旗本として家を残せた?
547 :
人間七七四年:2009/11/23(月) 22:58:09 ID:jgdlniVm
関ヶ原の後でも充分にその可能性は…
つーか、大阪の陣で、どこかの大名に陣借りして、徳川について戦えば、
普通に大名復帰の目はあったでしょ。
盛親は大逆転に目がくらんで、大勢を見ることが出来なくなっていたとしか言いようが無い。
548 :
人間七七四年:2009/11/23(月) 23:14:04 ID:PqSCAxCe
盛親って陣借り出来るようなトモダチいたのか?
549 :
人間七七四年:2009/11/26(木) 23:30:34 ID:vPZOtNJc
実際陣借りするなら板倉勝重を通して便宜を図ってもらうしかないだろうな。
京で監視されている時、盛親が会う事の出来る徳川家臣は勝重くらいだろうし。
550 :
人間七七四年:2009/11/27(金) 01:04:44 ID:IiICFUvM
逆に言えば板倉とは接触できてた以上、陣借り程度ならどうとでもなりそうなものだが。
551 :
人間七七四年:2009/11/29(日) 11:59:44 ID:do+danFR
>>547 旧西軍の子孫で大阪入城した連中にもそれが言えるな。
秦から見てりゃ勝ち目なんてないのに、大阪の使者から
「勝利の暁にはどこそこを領地に差し上げる」
とか言われると、勝てるかもって思うんだろうか。
人生上手く行かない人の選択肢に例えると
こつこつと生きる→東軍参加して、徳川体制で旗本。
一発逆転でマルチ商法→大阪入城。
552 :
人間七七四年:2009/11/29(日) 17:59:21 ID:2Z8X5KLJ
皆が皆、それ目当てで入城したわけでもないだろう
553 :
人間七七四年:2009/11/30(月) 04:46:31 ID:/0e82ymr
>>545 生きているだけにしちゃ、朝鮮まで行って戦ってたがな
554 :
人間七七四年:2009/11/30(月) 10:56:43 ID:wFPgWKMp
>>551 筑紫茂成のように、関ヶ原改易組が大坂の陣で徳川方に参陣して、のちに
大身旗本に取り立てられた例があるからなあ。
盛親の場合、捕らえられたのエピソードを考えると、多分に心情的なものも
ありそうだよね
555 :
人間七七四年:2009/12/01(火) 12:02:03 ID:V5XnK7UL
556 :
人間七七四年:2009/12/01(火) 22:17:53 ID:4q/pDRIJ
>>555 どの程度信憑性があるかは知らんが、有名なものでは命乞いしときながら、「命と
この右手さえあれば」などと嘯くあたり、盛親が大坂方に与したのには、心情的な要素もあるのかなと感じた。
557 :
人間七七四年:2009/12/01(火) 22:33:00 ID:utM4WvRM
盛親の捕縛された前後の逸話はけっこう存在するが、どうもそれぞれの逸話によって
やたら強気だったりやたらしおらしかったりと、どうも精神的に不安定だったんじゃないか、
って感じも伝わってくる。
だいたい大阪陣でも、勇敢に戦ったかと思えば、陣変えの話がこじれて
ピーピー泣きはじめたといったような話まであるし。
どうも盛親ってのは、精神状態のふり幅が大きい人だったんじゃないかね?
558 :
人間七七四年:2009/12/01(火) 22:36:13 ID:AfnkolOO
伝えられる逸話の信憑性もあるからなぁ。
負けた方だし。
559 :
人間七七四年:2009/12/02(水) 03:58:24 ID:z5oJRIU1
勝てば官軍、負ければ・・・・・だしね。
560 :
人間七七四年:2009/12/02(水) 17:57:44 ID:j0NsLqu6
長曾亀
561 :
人間七七四年:2009/12/03(木) 12:49:55 ID:mztEk3WV
三十代の大半から四十代半ばくらいか。
人生で一番脂がのる時期に、軟禁さながらの寺子屋先生。しかも、地方覇者である元親の後継大名がだ。
そこから手堅い人生なんか、現代でも選択肢としてないだろ。
562 :
人間七七四年:2009/12/03(木) 14:40:32 ID:V3mksWFu
チョンソカベファビョチカ
控訴カベファビョヤス
キムチカサダ
563 :
人間七七四年:2009/12/03(木) 19:50:17 ID:J0mdqV5a
なんかイラッとする
564 :
人間七七四年:2009/12/03(木) 22:59:17 ID:Yp7btIOU
↑で書き込みましたが、長宗我部は島津と違いすぎる。
島津忠恒(家久)はネットで検索するとDQNの家久とか散々な言われよう
ですが、長宗我部みたいに潰されたり、毛利みたいに削られる事なく
薩摩藩を成立させ、明治維新まで力を蓄えていったのだから。
また、確か忠恒の代で初めて官位も参議・中納言と公家の位まで昇れた
のですよね?
565 :
人間七七四年:2009/12/04(金) 00:52:45 ID:go4JswTG
だが日本人の琴線に触れるのは、長宗我部。
566 :
人間七七四年:2009/12/04(金) 08:42:20 ID:OgEFbTiu
長宗我部も盛親じゃなく元親だったら島津みたいになってたかも
567 :
人間七七四年:2009/12/06(日) 15:23:52 ID:2SQxUA63
>>564 人格低劣なのと能力に欠けるのは別物だし
よく言われるDQN四天王は、あれだけ無体なことをやらかしておいて
なおそれを上回る実績叩き出してるから困る(隣人にいたら的な意味で)
運がよかったとしか言えん
逆に長曽我部は徹頭徹尾、運がなかったんだろうね
元親は遅すぎたとよく言われるが、
じゃあ二十年早けりゃどうだって言うと、一条細川三好の全盛期で余計にどうにもならん……
568 :
人間七七四年:2009/12/07(月) 03:42:09 ID:jIBefXr/
>>567 まあ、長可はともかく、ほか三人は実績もすごいし運も強い気がする。
三好氏もそうだけど、四国の戦国大名って、徹底的に運に見放されてる感があるな。
569 :
人間七七四年:2009/12/10(木) 00:29:33 ID:C9F/6zUV
三好長慶も嫡男を暗殺?されてから心身が故障してしまったのでしょう?
弟も謀殺してしまったし。松永久秀が裏で何かやったのでしょうね。
「久秀」、あの仙石秀久と名前が似ている。
が、松永久秀は徹底した悪人であり、かえって憎めない面もあると
いったら怒られるでしょうか?仙石久秀のほうが虫唾が走って嫌いなの
ですが、同じ意見の方はいますか?
570 :
人間七七四年:2009/12/10(木) 00:37:35 ID:tNKMZQ0M
仙石はねぇ適材適所を見抜けなかった秀吉のせい、って気がしなくも無い
武将としてイマイチでも、その後見ると能吏ではあったんだろうし
571 :
人間七七四年:2009/12/10(木) 03:04:52 ID:p5MYn9AH
>>569 個人的には、義興は多分病死だと思う。
永禄六年の六月の終わりに、義興側近の奈良長高の文書から
八坂神社で病気平癒の祈願が行われていて、結局義興が死ぬのが
八月とのこと。義興が松永に討たれたと言う話の初出は『足利季世記』で
やや後のものになるし、ちょっと俄には信じ難いな
572 :
人間七七四年:2009/12/10(木) 19:23:46 ID:PjqGR2+N
>>570 そんなセンゴクを借り出す羽目になったのは人材不足じゃないのか?
立場上頼れる子飼いが少ない
手柄稼がせたかったという見方もできるさ。東北の木村でもそうだし。
まぁやれると思ったんだろうけどさ
575 :
人間七七四年:2010/01/02(土) 09:02:52 ID:0wQqVnOc
>>571 > 個人的には、義興は多分病死だと思う。
同意する。
576 :
人間七七四年:2010/01/04(月) 07:24:57 ID:nL1k+SGt
今、大河ドラマやってる龍馬で下士って長宗我部氏の家臣の末裔でおK?
577 :
人間七七四年:2010/01/04(月) 07:35:26 ID:UD/PaMLH
一概にはそうと言えない。
商人や農民身分の者が郷士株を買った者も多い(龍馬の家もそうだ)
そしてなにより、上士の中にも多くの元長曾我部家臣の家がある。
578 :
人間七七四年:2010/01/04(月) 07:38:44 ID:UD/PaMLH
あとついでに言うと上士が郷士を差別的にあつかうと言うのは、別に土佐に限った話ではなく
全国どこでも見られたこと。
その「差別」が、土佐において特にひどかったわけでもない。
大河のアレはあくまで演出にしか過ぎないことはきちんと把握しておくべき。
579 :
人間七七四年:2010/01/04(月) 12:40:35 ID:Vj+9Mwlv
そうかねぇ
580 :
人間七七四年:2010/01/04(月) 14:31:31 ID:vHdWldPX
>その「差別」が、土佐において特にひどかったわけでもない。
加賀藩なんかと比べると相当ひどかったらしいが。
581 :
人間七七四年:2010/01/04(月) 22:29:00 ID:f1KFPFNK
山ノ内に土佐を引き渡す際に
長宗我部旧臣がプチ反乱起こしたからな
それで厳しい差別されるハメに(・ω・)
582 :
人間七七四年:2010/01/04(月) 22:34:21 ID:CRoSyb1M
加賀藩は3人の家老のうち1人が地元の名門武家だからな。
現地民との軋轢を回避した人事。
583 :
人間七七四年:2010/01/05(火) 14:59:57 ID:CEbQnN6G
んなこと言ったら幕末の吉田東洋は土佐吉田氏だぞ。
戦国時代には吉田孝頼、重俊、政重等を排出して長宗我部国親、元親、盛親に仕えた名門。
山内氏と祖先が同じ縁で政重の弟正義が山内氏に出仕した。
584 :
人間七七四年:2010/01/05(火) 16:02:29 ID:IYCq0tlX
■ 明応の政変 ■
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1157454306/539 539 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/12/29(火) 14:53:52 ID:QOnJiNVq
1386年に土佐守護代として細川頼益が入部し、国人らは細川氏の被官に組込
まれ守護支配が浸透し始めた。その後、細川頼益血統は、土佐守護代家とし
て細川京兆家の土佐支配を在国しながら補佐する。当然、土佐の守護の京兆
家よりも在国する守護代家の方が、土佐の諸国人への支配を実質的に掌握す
ることに成り、土佐は京兆家の分国でありながら、実際には細川土佐守護代
家が支配する分国となってしまう。
土佐守護代家は。頼益以降、満益、持益、勝益、最後に政益・国益兄弟となる
が、勝益の代に応仁の乱が勃発し、土佐国人の長宗我部氏・安芸氏・大平氏ら
を引き連れて東軍に参加し京で戦闘を行っている。
また、細川政元時代は、政益・国益兄弟が、土佐守護代を務めるが、この頃から
細川京兆家の土佐支配は、弱体化し始める。政益・国益兄弟は在国と在京を繰り
返しているものの、長曽我部兼序が、細川政元の信任を得て守護代家の了解の
下に土佐国内で力を伸ばし始め、土佐群雄のなかで一頭抜きん出る存在となった。
京兆家はともかく、守護代家の土佐支配は、まだ堅固であり、細川一門の軍勢
が土佐国内に駐留している間は、守護代家に反旗を翻す国人は存在せず、長曽
我部兼序の立場も堅固であった。
しかし、細川政元は家臣によって暗殺され、細川氏は内紛状態となり、同族同
士の抗争となった。各地の細川一門は次々と帰京し、土佐守護代家も例外ではな
く上京し、細川一門の軍勢は、土佐から撤退してしまう。
土佐守護代家分国支配体制は一気に崩壊してしまった。
ここに兼序は後楯を失うことになり、いままで兼序の横柄な態度に憎しみを増
幅させていた本山梅慶を中心として、反長宗我部連合が結成されたのである。
兼序は初戦は勝利したとはいえ多勢に無勢であり、岡豊城で自刃し落城した。
585 :
人間七七四年:2010/01/19(火) 21:12:34 ID:Qm5iph2j
今、仕事休んで実家の高知に療養にきてるんだ。
明日、元親公墓にお参りしてくるノシ
駅前とかどこもかしこも龍馬ばかりでウンザリなんだぜ。
586 :
人間七七四年:2010/01/19(火) 21:46:41 ID:oGtuwkmk
おいらどちらも好きだから
うらやましいぜ。
587 :
人間七七四年:2010/01/19(火) 21:51:12 ID:wbdTaqxc
長宗我部三代記あたりを大河化して欲しいもんだね・・・・ないか・・・・
588 :
人間七七四年:2010/01/20(水) 01:16:46 ID:85OgJdaz
あるんじゃない?
信長、秀吉、家康と絡んでるし。
589 :
人間七七四年:2010/01/20(水) 05:56:45 ID:GvfLDqod
大河ドラマ「長宗我部三代記」
戦争がらみの話題はすべてカット。ついでに政治がらみもカット。
テーマは女性が果たした歴史的役割、そしてイケメン。
すべてが女性の視点から描かれた現代的純愛ドラマ。請うご期待。
590 :
人間七七四年:2010/01/20(水) 22:38:13 ID:N/eA7wll
長宗我部って家はなくなったけど血筋も全部途絶えたの?
591 :
人間七七四年:2010/01/20(水) 23:54:49 ID:Al3S1n+g
元親の末の息子の康豊が大坂の陣のあと足立七左衛門と名をかえて酒井忠利に仕えた。
んで、子孫は小浜藩の重臣として栄えたらしい。
592 :
人間七七四年:2010/01/21(木) 00:13:33 ID:4KEE6LIo
あと大坂の陣で元親の娘と息子が伊達家に保護されて、
その息子(元親の外孫)が仙台藩家臣の家に養子にいった。
伊達騒動で有名な柴田外記がそれ。
その子孫は船岡城代を世襲したとかいうけど、血筋がずっと続いているのかまでは判らない。
593 :
人間七七四年:2010/01/21(木) 02:30:38 ID:yrTCLI96
元親の娘と佐竹親直との間にできた子ですね。盛親の実子だったとの説もありますよね。
以前、柴田外記の子孫と原田甲斐の子孫が仲直り(?)をしたというニュースをやってましたっけ。
外記と敵対陣営の伊達兵部が流されたのも土佐・・・因縁ですね。
由比正雪の右腕だった丸橋忠弥も盛親の子と称していたけど、盛親の京都浪人時代には
他にも子がいたといいますよね。現代まで続いているのかは分かりませんが。
元親の弟の島弥九郎親益(親房)の直系という方が長宗我部友親と名乗っておられるようです。
↓
http://www.soratobuniwa.com/top2_sengoku.shtml 高知の秦神社での長宗我部慰霊祭も仕切られているみたいでして、長宗我部一族の末裔の
方々も集まられるようですよ。
そう言えば、天誅組にも長宗我部四郎と名乗った島義親がいましたが、一族でしょうか。
594 :
人間七七四年:2010/02/08(月) 06:29:04 ID:+HLpQ6ga
名乗りだけじゃないのかねぇ
595 :
人間七七四年:2010/02/08(月) 23:15:09 ID:mI71h7HC
ソースは?
596 :
人間七七四年:2010/02/17(水) 19:18:51 ID:xEC9RWrt
逆に島義親が本当に長宗我部だっていうソースがないとなぁ
597 :
人間七七四年:2010/02/17(水) 23:40:56 ID:OxPsj9+5
堂々巡り・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
598 :
人間七七四年:2010/03/05(金) 08:36:12 ID:6zU1TLJ9
599 :
人間七七四年:2010/03/06(土) 22:21:33 ID:bmAnSyI2
この康豊って大阪の陣で敗走した後
生き残るために機転を利かしてある村で占い師(と言っても
適当なことを言う詐欺師みたいな感じ)をやったり
その村で、盗難事件が発生すると機転を利かせて、犯人を見つける
探偵みたいな事をやったりとその生涯は面白いよ。
600 :
人間七七四年:2010/03/07(日) 00:47:09 ID:JaAfrwCv
>>590 長宗我部氏の御子孫と思われる人なら
7、8年ぐらい前まで共同通信で高い役職について働いていて定年退職されたよ
自分はその後間もなく辞めてその方とも面識ないが、社内連絡の定年退職者リストに
長宗我部と載っていて名前の最後にやはり親とついていたので
長宗我部氏の子孫だろうと自分は推測したけどね
601 :
人間七七四年:2010/03/07(日) 01:32:25 ID:JY7J6UAe
602 :
人間七七四年:2010/03/09(火) 10:41:47 ID:5Ef4iOEX
小説と歴史の区別が付かない・・
603 :
人間七七四年:2010/04/18(日) 07:20:01 ID:SD22qkXJ
川越藩に仕えたんでしょ
604 :
人間七七四年:2010/05/01(土) 22:22:12 ID:qDue2MF7
605 :
人間七七四年:2010/05/05(水) 08:22:37 ID:PuQrmR3J
改めて、ここの人に仙石と山内の評価聞きたい。
まわりへの調子が良いってだけで、どっちも
最前線で陣頭指揮するくらいが適任な人?
606 :
人間七七四年:2010/05/05(水) 13:50:55 ID:+KYPagxX
>>605 仙石は能吏ではあったんじゃないか?
そもそも逸話にあるような軍監が作戦指揮取れるのかも疑問
607 :
人間七七四年:2010/05/11(火) 23:14:13 ID:ve0jb6Ma
戸次川の戦いは元親暗殺も兼ねていた,って説見た事有るな…。
長宗我部の甚大な被害に対し,仙石に秀吉は甘い処置で終わらしたらしいし。
側室の小少将は明智光秀の妹の娘とwikiの元親のページに書いてあって、そこをクリックすれば細川真之のページへ行く。
…細川真之の生まれた年と光秀の生まれた年はたった10年の差しかないけど。
光秀が本当は1515年生まれだとして、妹が1年だけ離れていたとしたら、有り得なくはない話…でもないよなぁ。
岡本牧西の妻が光秀の妹なの?歳の離れた姉ではないのか?
まぁ、光秀に姉妹がいたって話は史料的にないらしいが…。
でもwikiに堂々と有る辺りは、元親正室が光秀の姪という説よりも真実性高いのかね。
単に名前が同じだから同一人物じゃないかと見ているだけ?
そう言ってしまうと、朝倉義景の側室だった小少将の可能性だって…。
実は生き延びたんじゃないかって説も有るらしいし。
取り敢えず、細川真之の母、三好義賢の妻、元親の側室は、名前が同じなだけの別人の可能性があるって事でいい?
608 :
人間七七四年:2010/05/12(水) 04:53:51 ID:mOiSEaE/
戦国期には他でもみる名だしね。
609 :
人間七七四年:2010/05/12(水) 07:02:50 ID:E27K4CUs
>607
>取り敢えず、細川真之の母、三好義賢の妻、元親の側室は、名前が同じなだけの別人の可能性があるって事でいい?
細川真之:1538年生
長宗我部右近大夫:盛親の弟であれば1575年以降生
元親が婆専でもない限り、小少将が同一人物というのはありえないだろうね。
610 :
人間七七四年:2010/05/12(水) 08:49:10 ID:YeyMYTRw
他の小少将と言えば朝倉義景の愛妾が有名だな
611 :
人間七七四年:2010/05/20(木) 19:09:11 ID:Czc+iNAZ
>>606 仙石の他は十河と降ったばっかの長宗我部しかいないから仙石しか指揮する人いないんじゃね?
明確な総大将かはともかく秀吉腹心なのだから発言権が一番強いだろ。
>>607 改易は甘い処置なのか?
仙石家譜に「絶対に進んで戦ってはならない」と秀吉から指示をうけていた記録があると聞いたが、まあ仙石家譜見たことないから知らんけど。
十河→改易 仙石→改易 長宗我部→お咎めなしだから一番長宗我部が甘い。
612 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 23:29:32 ID:bmE0QDLr
讃岐阿波の織田勢力なんかいたの?
【武田】2万5千で上洛【信玄】その63
768 :人間七七四年:2010/05/27(木) 09:38:43 ID:/3cZdWVD
>723
というより
織田が畿内で本願寺に足止めされていた1570年代後半に
長宗我部が讃岐阿波の織田勢力を自分の下に組み込んでいったのが問題
織田は本願寺毛利のせいもあって四国に兵を動かすことは出来ずにその長宗我部の動きを黙認
長宗我部の方もあくまで織田に代わって讃岐阿波の治安を請け負っているだけだよー
讃岐阿波の豪族が織田から離反したり離反しようとしたりしているから動けない織田の代わりに
動いているだけあとでちゃんと返しますよー
と言言い訳しつつ着々と自分の勢力下に組み込んでいく
この辺の外交は狐と狸の化かし合いみたいで面白い
で本願寺が片付いて情勢が変化し織田も四国へ動けるようになると織田は長宗我部との約束を履行しようと
どさくさに紛れて長宗我部が組み込んだ領土を返還すれば許すと言っているのに
長宗我部はそれを拒否
別に本来の長宗我部の領土を献上しろといったわけではない
また讃岐阿波の諸勢力も長宗我部の影響下にあったわけだが一応は独立の勢力
彼らが長宗我部から織田に鞍替えしてもそれを止めることは出来ない
613 :
人間七七四年:2010/05/31(月) 09:00:22 ID:0pjtQnFH
>>612 後に長宗我部から養子を迎える香川信景を忘れるなよ…。
614 :
人間七七四年:2010/06/15(火) 02:51:37 ID:A3iu/Ysb
615 :
人間七七四年:2010/06/15(火) 16:09:07 ID:LcpO1JsW
大いなる秦の始皇帝の末裔とか 名門一族とか 自画自賛しすぎ
友親とかいう人胡散臭い
616 :
人間七七四年:2010/06/15(火) 21:13:49 ID:PgHvI8dK
あげ
617 :
人間七七四年:2010/06/15(火) 21:22:50 ID:T0fkS8pM
元親じゃなくて国親の子孫だし、それだったら香宗我部氏もいるから、
大々的に取り上げるほどでもないよなぁ。
しかも香宗我部氏と違って二代目ですでに胡散臭いし。
618 :
人間七七四年:2010/06/15(火) 21:45:04 ID:s3s+k11D
別にそこまで積極的に否定しにかかることも無いと思うがなあ。
島弥九郎の子孫と伝わる家が江戸時代土佐藩に存在し、伝わっている
史料が今回寄託されるっていう話だろ。
そういう古い家の出の人が自分の家に伝わる資料とか家伝なんかを
まとめたりして本を出したり寄託したりって時々あるじゃん。
まあ、以前「自称」織田宗家(柏原藩主家とは別物)が高家武田家の末裔や
光秀の末裔(これは祖と伝わる光秀の子からして伝承レベルのものだけど)と
「和解」してたのがニュースになってたりしたから、疑ってかかりたくも
なるんだろうけど。
619 :
人間七七四年:2010/06/15(火) 21:56:36 ID:T0fkS8pM
別に否定はしないよ。
自称織田宗家や光秀子孫と違って、こっちは国親からの系図も分かってるし、
どういう史料が残っているかは興味がある。
長宗我部ブームのおかげで、こうやって史料が出てくるのはありがたいね。
620 :
人間七七四年:2010/06/27(日) 12:07:50 ID:u4qnTlPm
621 :
人間七七四年:2010/06/28(月) 08:21:57 ID:seb3G/TV
622 :
人間七七四年:2010/06/28(月) 08:47:41 ID:aVkNWVWo
いらないだろ
623 :
人間七七四年:2010/06/28(月) 13:32:47 ID:seb3G/TV
>>622 欲しいよ〜
じゃあ、ココでやっていいの?
624 :
人間七七四年:2010/06/28(月) 15:30:43 ID:/17Rz++b
625 :
人間七七四年:2010/06/28(月) 17:18:00 ID:t7Pn+G1N
ゲーム厨の糞コテが荒らすためのスレはいらない
626 :
人間七七四年:2010/06/29(火) 13:14:54 ID:PUybID8a
627 :
人間七七四年:2010/07/01(木) 23:27:38 ID:Zgn7FV2+
「長宗我部」 著者:長宗我部友親
発行年月:2010年6月 価格:1,890円
出版社:バジリコ
【目次】
序 大陸より─一族の遠祖、秦の始皇帝
第1章 土佐─秦一族から長宗我部家へ
第2章 興隆─土佐内乱と勢力拡張
第3章 中興─長宗我部元親伝
第4章 暗転─長宗我部の滅亡
第5章 血脈連綿─忍従の徳川時代
跋 家名復活─幕末以降の長宗我部
長宗我部友親(チョウソガベトモチカ)
長宗我部元親の末弟、親房から十七代目の当主。
盛親亡き後本流が絶えたため、祖父親(ちかし)(秦霊華)が
長宗我部家の末裔として昭和天皇の勅使から元親の正三位への
贈位記を受け取る。早稲田大学卒。共同通信社に入り、経済部長
などを経て、02年常務監事、04年退任。42年高知県高知市生まれ
628 :
人間七七四年:2010/07/12(月) 01:12:08 ID:YElwHDal
高知県って、未だに長宗我部派士族と、山内派士族で内乱してるんでしょ。
高知県は、銃や刀などで武装した侍がたくさん居て、
いつもいつも殺し合いをしてるんでしょ。
長宗我部と山内の内戦はいつ決着が付くの?
この前もニュースで、長宗我部派の軽装甲機動車が、射場からMINIMIを発射し、
山内派の邸宅を銃撃してるシーンが放送されたよ。
629 :
人間七七四年:2010/07/31(土) 13:10:02 ID:tmKB7t2n
>>627 これは申し訳ないがひどい本だった。基礎資料が「土佐物語」w
少なくとも大阪の陣までのことで、子孫ならではの情報、なんてものは一個もなかったし。
典型的な素人による俗説中心の歴史書風エッセイ。
630 :
人間七七四年:2010/08/09(月) 13:01:08 ID:MLKdDRWS
昔の史料とか伝わってんのかな。
631 :
人間七七四年:2010/08/11(水) 08:20:51 ID:G9yuI0At
傍流が細々と続いてきたんでしょ?
接収したであろう山内が残してなきゃ史料なんてろくにないんじゃないの
632 :
人間七七四年:2010/08/12(木) 11:46:12 ID:j+UGvruV
読んでみたけど結局は家系の正統化の臭いがしましたな〜・・・
代々伝わる古文書を山内に宝物館に献納したというのも気に入りませんな〜
633 :
人間七七四年:2010/08/15(日) 06:04:30 ID:73XyF1Io
>>632 歴史民族資料館に新しく長宗我部氏の展示コーナーができたんだし、そっちに寄贈したらいいのにね
634 :
人間七七四年:2010/08/15(日) 15:41:11 ID:Lgk5Hspz
ですよね・・・
何故に山内ごときに媚びを売るのでしょうね
635 :
人間七七四年:2010/09/03(金) 11:58:50 ID:x3raOT+H
なんか盛り上がってないな。ブームだって煽られてるのに。
しょせん、ゲームのイメージで語る奴らだけがワイワイやってるだけか?
636 :
人間七七四年:2010/09/04(土) 01:38:24 ID:NFVKn23D
國親時代の一条家との関係はどうだったんだろ
637 :
人間七七四年:2010/09/05(日) 08:06:24 ID:/EQn9skb
悪くなかったはずだが。
638 :
人間七七四年:2010/09/05(日) 09:41:26 ID:CqKTKl55
てか岡豊に復帰するまで匿ってもらっていたでしょ
まあ、復帰できたのも一条氏が根回ししてくれたからでしょ
639 :
人間七七四年:2010/09/06(月) 23:11:04 ID:iqaeAb4E
>>629 これ買おうかどうか迷ってたんだが
価値としては末裔の方が書いたっていうだけの本って認識でよろしいか?
640 :
人間七七四年:2010/09/07(火) 02:37:13 ID:bL+S9xHm
うん、残念ながらそうだよね。
でも財布に余裕があるのなら買っておいても、という感じかな?
もちろん、一家に一冊ではありませんがw
641 :
人間七七四年:2010/09/08(水) 10:23:04 ID:6eyVD4hP
ほんと人気ないね
それとも別スレでやってんの?
個人ブログとかでは大人気っぽく見えるのに
642 :
人間七七四年:2010/09/08(水) 12:19:55 ID:tCZ8KuC+
謙信スレでさえ、本スレは数日に一レスくらいの板だぞ、ここは
643 :
人間七七四年:2010/09/08(水) 23:15:00 ID:SeKlTdnI
PHP文庫で出た元親の紹介本読んだ人いる?
644 :
人間七七四年:2010/09/09(木) 00:10:10 ID:0pSnr2gn
このスレと関係ないし
中身も見てないんだけど、過去に1回だけ開いてログが残ってる
肥後・阿蘇のスレがグングン伸びてるのが気になるな
645 :
人間七七四年:2010/09/09(木) 08:17:00 ID:2mmdXXhA
>>643 立ち読みしようと思ったけど本屋に置いてねえよ。
あの作者の文体嫌いだけど。
646 :
人間七七四年:2010/09/09(木) 19:17:21 ID:MJs9f6fZ
近藤龍春の方はどう?
647 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 16:40:54 ID:I4UOsV9i
夏草の賦
648 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 22:40:33 ID:bZt8Z+IZ
↑タイトルの意味がわからん。
「賦役」の賦なの?
649 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 01:50:02 ID:Lve28aXb
詩や歌って意味の方だろ。
夏にワッと勢いよく生い茂げるけど、
華やかな花を着けずに一季節だけでアッサリと枯れていく夏草と
元親と長曾我部って家をかけて、その軌跡を歌ったっていうようなことじゃない?
650 :
人間七七四年:2010/10/04(月) 04:30:06 ID:1htGPDhJ
田舎の蝙蝠スレがまだ残ってるのか
かつお嫌いよさこい嫌い土佐便嫌い
651 :
人間七七四年:2010/10/04(月) 07:05:42 ID:6vixKDPB
保守レスご苦労
652 :
人間七七四年:2010/10/06(水) 08:28:28 ID:s2cNL0TS
超過疎部
653 :
人間七七四年:2010/10/06(水) 09:51:14 ID:2kFGu8Ju
ゲームでしか人気がない
654 :
人間七七四年:2010/10/11(月) 09:54:47 ID:3lhBZK0M
四国では嫌われてるほうなんでしょ
655 :
人間七七四年:2010/10/11(月) 09:55:44 ID:ae11A3Zs
高知では好かれるんじゃないのかね
656 :
人間七七四年:2010/10/11(月) 11:12:42 ID:TSu4UR+z
四国でも高知以外では特に気にされてないよ
高知では山内派と長宗我部派がいるみたいだけどね
657 :
人間七七四年:2010/10/11(月) 20:54:44 ID:dQVawwpD
土佐人氏ね
658 :
人間七七四年:2010/10/31(日) 03:51:09 ID:BhFdWb49
なんでじゃ!
659 :
人間七七四年:2010/10/31(日) 10:47:06 ID:d1WZoohX
地元には曽我部(宗我部?)って人が割と多いのだが長宗我部との関係はあるのかな?
660 :
人間七七四年:2010/10/31(日) 19:45:04 ID:Z37GK4GE
土佐の部落に多い
661 :
人間七七四年:2010/11/17(水) 00:09:16 ID:Kd0+PHAb
昔阪神にいた曽我部ってのも長宗我部の縁と聞いたが。
662 :
人間七七四年:2010/11/17(水) 21:25:53 ID:9zuwp9ke
野蛮な渡来人らしいよ
663 :
人間七七四年:2010/11/17(水) 21:38:53 ID:SWn6ydPm
subいね
664 :
人間七七四年:2010/11/20(土) 10:34:44 ID:Ms5qkbZ8
土佐人氏ね
665 :
人間七七四年:2010/11/28(日) 12:02:08 ID:gvTg23Zc
末裔の人が書いた本いまさらだけど読んだ
これは。。
666 :
人間七七四年:2010/11/30(火) 17:07:26 ID:7TGiYcBc
>450
河野は、末期はほとんど、小早川氏伊予支店状態なので、
戦後、伊予が小早川に与えられたのも、末期の河野氏政権が小早川伊代支店状態だったことを考えると、
現状維持みたいなものだと思われる。
667 :
人間七七四年:2010/12/27(月) 13:26:13 ID:U+ZnqaVR
668 :
人間七七四年:2010/12/27(月) 14:24:22 ID:K6ZicA5k
秦の子孫というのは、嘘だよな
669 :
人間七七四年:2010/12/28(火) 20:58:08 ID:CObiP7Qp
罪人の子孫か
670 :
人間七七四年:2010/12/30(木) 03:38:32 ID:hTcwkD82
秦の始皇帝の子孫だと当時の日本ではかなり泊がついたんだろうか?
だって海外の没落貴族ってことになるんでしょ
671 :
人間七七四年:2010/12/30(木) 11:15:36 ID:yNJIlVof
んなこと言ってりゃ新田氏名乗りもそうだけどね>没落
672 :
人間七七四年:2011/01/10(月) 17:06:54 ID:HfnaplL5
>>636-637 元親時代も中央では「一条家の家来に、変な名のがいる」って認識で、
泡沫扱いだった気がする……。
673 :
人間七七四年:2011/01/10(月) 18:32:40 ID:CSvVreNS
その割りに官位はちゃんともらっているな
674 :
人間七七四年:2011/01/10(月) 19:44:54 ID:yIpRnDDj
信長とは仲良くやってたんじゃないの
信親の烏帽子親って信長でしょ?
675 :
人間七七四年:2011/01/10(月) 22:26:53 ID:/MnE+w4Z
烏帽子親と言っていいものかどうか
会ったことはなかったはずだし
676 :
人間七七四年:2011/01/12(水) 00:51:08 ID:QQgHp7kL
だよね。
中島可之介がお使いに行ったんだよね。
あの「鳥なき島の蝙蝠」とか言われた話。
677 :
人間七七四年:2011/01/12(水) 01:18:49 ID:AnxQ9j2I
偏諱いただいているのは確かだけどな
678 :
人間七七四年:2011/01/19(水) 22:35:02 ID:fWCsTuwJ
四国の良いもの
讃岐男に阿波女、伊予の学者に土佐の鬼
679 :
人間七七四年:2011/01/19(水) 23:13:57 ID:W6KS0yvZ
勢力範囲を認めあっていたって感じかな?
680 :
人間七七四年:2011/01/19(水) 23:33:38 ID:+dgpcxH3
秀吉は信親をどう思ってのかな?
「亡き上様(信長)の偏諱をいただいた憂い奴」とか?
681 :
人間七七四年:2011/02/06(日) 14:42:46 ID:jl7eD4ar
この前テレビに長宗我部の現当主さんが出てましたね。
高知城と山内家に対する憎悪または恨みの気持ちは300年経っても
けして消えることはないと。300年でも消えない恨みの気持ち。
たかだか戦後60年で消えない恨みの気持ち。重なり合いました。
そして納得いたしました。
682 :
人間七七四年:2011/02/06(日) 14:57:10 ID:0dJnmti0
>>676 中島可之助の話が出たので
中島可之助は主君元親の使いとして、岐阜の織田信長を訪れ、以下のようなエピソードだけで知られるようになった。
信長「元親はムチョウトウノヘンプクじゃな」
可之助「ホウライキュウノカンテンにそうろう」
信長にはちょっともってまわった言い方をするくせがあった。
「ムチョウトウノヘンプク」と音読みした言葉は「無鳥島之蝙蝠」である。すなわち、「鳥なき島のコウモリ」というわけだ。
コウモリは鳥のところへ行ったり、ネズミのところへ行ったりして態度をコロコロ変えるので節操がないと人に思われてきた。
元親は鳥が一羽もいない島(四国)のうちだけで「自分は鳥だ」と言い張っているコウモリのような男に過ぎない、というのだ。
いきなり「ムチョウトウノヘンプク」とやられては面食らわないほうがおかしい。しかし、可之助は「ホウライキュウノカンテン」だと言い返したのである。
「ホウライキュウノカンテン」は、通常「蓬莱宮の寛典」にあてられる。神仙思想の蓬莱山にある宮殿。寛典とはゆとりのある扱い・処置ということであろうが、これだけでは何が何だかわからない。
元親が蓬莱宮の主で、寛大な心を持った人物だといいたいのだろうか。
「カンテン」は寒天のことだという説もある。寒天はテングサを煮た液を乾燥させたものだ。「(信長よ、あんたは)蓬莱宮の天狗さ」とシャレたのだという。
しかし、寒天の考案は江戸初期のことであるというから、その通りの意味であったとしても、可之助のエピソードは後世の創作、ということになる。
いやいや、可之助の言った言葉には意味はないのだ、という説もある。
ただ面食らわせた信長へのお返しに煙に巻いたのだという。実際、信長も可之助の言葉の意味がわからなかったらしい。
ともあれ、自分の言葉に素早く反応した可之助を褒めたという。
使いに出す人物にはそれなりの機知が働く者を、という好例でもある。
683 :
人間七七四年:2011/02/06(日) 16:42:12 ID:+CypoHqm
>>681 消えることはないというより、近代になって復活したんじゃねーの、とも思う。
684 :
人間七七四年:2011/02/06(日) 18:07:28 ID:75hRiTv7
山内を恨むっていうのはなんか筋違いな話ですよね。
山内氏が直接長宗我部を倒した訳じゃないし、
長宗我部侍への扱いは、ほめられたものじゃないけど、
四国の他の地域では長宗我部への恨みはいろんな逸話になって残ってますし、
なんかお互い様だろう、さっさと水に流せよ〜って思います。
685 :
人間七七四年:2011/02/06(日) 18:10:44 ID:K+FK8oq8
龍造寺と鍋島との関係とはまた違う?
686 :
人間七七四年:2011/02/06(日) 18:37:08 ID:etKgD4+U
鍋島は龍造寺に気使ってたと思うけど
山内の長宗我部に対する冷遇は半端ないからなあ…
相撲を餌にして鉄砲で皆殺しとかさ
687 :
人間七七四年:2011/02/06(日) 19:48:29 ID:jl7eD4ar
>>684 絶対に赦さないとおっしゃってました。先祖代々受け継がれてきたそうです。
日本国内でさえ300年経っても消えない恨み。ましてや他国からの戦後60年の恨み。
そう簡単に消えるもんじゃないと理解できました。良い悪いではありません。
688 :
人間七七四年:2011/02/06(日) 21:08:57 ID:rYLWjxEJ
>>686 長宗我部さんも同じ穴のムジナでしょ
一条氏にどんな仕打ちをしたか胸に手を当てて思い出してみたら?
大内滅ぼした陶みたいなことやっといてまあ w
689 :
人間七七四年:2011/02/06(日) 21:54:35 ID:fjucPFXN
その当主ってのは最近、本を書いてた人なの?
それともその人の兄弟なのかな?
690 :
人間七七四年:2011/02/06(日) 22:07:41 ID:+CypoHqm
戦国大名家人気投票 其四
421 :人間七七四年[sage]:2011/02/06(日) 09:12:42 ID:rYLWjxEJ
家康公が一豊様に土佐全土を任せたのに、盛親に土佐半国寄越せと難癖つけて、
浦戸一揆起こした長宗我部一派を断罪して”天下の政(まつりごと)”の意味を”丁寧に”教えてやった「山内家」に一票。
691 :
人間七七四年:2011/02/06(日) 23:58:23 ID:75hRiTv7
今日の「お前が言うなスレ」はここに認定されました。
692 :
人間七七四年:2011/02/08(火) 04:06:01 ID:xD42pO4H
そういやあの本、最近なぜか目にする小少将同一人物説をとってたけど
この二人が混同され始めたのっていつ頃だったんだろうな。
693 :
人間七七四年:2011/02/08(火) 21:32:00 ID:ZAa/7Z7r
小少将は別人だろうね 年代が違いすぎる
仮に年寄り女を愛したとしても、とてもじゃないけど子供は産めないだろうしね
俺もあの本は読んだけどそれほど価値はないと思った
単に現在の末裔の人が綴っただけの本だね
694 :
人間七七四年:2011/02/09(水) 00:28:49 ID:A95gSdU/
あの時代に「小少将」と呼ばれた女性は全国的にも結構いるよね。
ま、あの本は「エッセイ」と思ってくださいなw
695 :
人間七七四年:2011/02/11(金) 22:41:09 ID:2JtzGM5+
母は美濃斎藤氏の娘。
元親の母親が斉藤氏。正妻も斉藤氏。
近親婚じゃん
696 :
人間七七四年:2011/02/12(土) 11:35:35 ID:Z9SBtHE5
それも聞くけど、元ネタ結局何なんだろうな。司馬遼以上に遡れない。
嫁はまだしも母親って戒名以外の情報ないよね?
697 :
人間七七四年:2011/02/12(土) 19:50:39 ID:Zwv+XcOm
698 :
人間七七四年:2011/02/12(土) 20:32:56 ID:zqw5ptnw
悪いがwikipediaはソースにならん
誰でも責任もなく出典もまんざら明らかにされることなく
好き勝手に編集できるんだからなぁ
699 :
人間七七四年:2011/02/13(日) 00:21:09 ID:5XuYnBFa
話は変わるけど、浦戸城古城之図に書いてある数字ってどんな意味なのか分かる人います?
曲輪にしては離れた場所に同じ数字が複数あるから何か変だなと不思議だったんだけど。
700 :
人間七七四年:2011/02/13(日) 01:25:41 ID:53rR/VRw
>>696 出典脚注がロクにないし、
むしろ司馬遼が出典だろ、こりゃ
701 :
人間七七四年:2011/02/13(日) 09:22:42 ID:PmzqBTST
420 名前:人間七七四年 投稿日:2011/02/05(土) 00:50:09 ID:fsd+g0qk
質問:山内一豊のどこがすごい武将なのでしょうか。
回答No9
すごいのは山内一豊ではなくて司馬遼太郎です。
これに尽きると思うのですが・・・
結局、利家もそうですけどメディア系の主役は、武将が格好よく見えたらそれは作家の手柄です。
司馬は断定が多いなど、歴史書としてはあまりよいとはいえませんが、歴史小説としての質は評価されてしかるべきでしょう。
というより、山内の場合、運ですからね・・・あそこまでなったのは。
主君を選んだ運、戦場で生き残れた運、器量のある妻に恵まれた運・・・まあ、運も実力のうち、といいますが・・・
また、分かりやすい例として、ゲームでの評価もありとは思いますね・・・信長の野望(蒼天録)での能力(最低1~最高100)。
山内一豊:政治61、統率45、知略46
こんな程度です。このくらいばごろごろいます。
ちなみに土佐の出来人は
長宗我部元親:政治79、統率86、知略83
こんな感じです。まあ、山内とではやっていることも格が違うのですが・・・結局、山内というのはこの程度の人物、ということです。
長宗我部はテレビゲーム >>>>>>> 司馬遼だからなあ w 流石ゲーム脳(爆笑
702 :
人間七七四年:2011/02/27(日) 23:46:37.91 ID:buPWfL54
長曽我部すげー良いじゃん
関ヶ原とか良いとこなしで幕末まで生き残ってる毛利より何倍もいいよ
703 :
人間七七四年:2011/02/28(月) 19:28:35.28 ID:Eq1oT528
長宗我部っていうか元親だけは好き
それ以外は大した人いないし
704 :
人間七七四年:2011/02/28(月) 20:12:23.28 ID:rRpSNukP
信親とか盛親は?
705 :
人間七七四年:2011/02/28(月) 20:31:46.76 ID:Eq1oT528
信親は元親が期待してたからアレだけど実際は継ぐ前に死んでしまったからなぁ
盛親は冗談にもならないよ
以後の没落はこいつのせいだしね
706 :
人間七七四年:2011/02/28(月) 21:05:27.88 ID:Ch4hDelP
いや没落したのは晩年の元親のせいだろ…
707 :
人間七七四年:2011/02/28(月) 23:52:31.10 ID:rRpSNukP
信親も盛親最後格好よく戦っている
それで十分
708 :
人間七七四年:2011/03/01(火) 00:48:47.88 ID:9VVsL/o9
妄想乙
709 :
人間七七四年:2011/03/01(火) 01:57:02.47 ID:paJZ2ieY
>>706 とも言えない。
戦国大名が近世化する際の家内統制を早めにしていたともみえるし。
710 :
人間七七四年:2011/03/01(火) 13:48:03.23 ID:5rPLXR5q
死んだのが1599年だからなあ。
一年ちょいで新体制に移行できるわけもないし、良し悪しは別にして
「盛親の体勢」になる前に関ヶ原になってしまった印象はある。
あと、ちょっと確かめたいんだけど、島親益の母親が寝取りだったって
ネタの大本の資料って何なのか分かる人いる?
711 :
人間七七四年:2011/03/04(金) 07:08:54.43 ID:ZQKuUvgR
信長に抗い秀吉に抗い家康に抗った 先見性のカケラもない家は潰れるのが当然
712 :
人間七七四年:2011/03/04(金) 23:16:52.73 ID:spN8OATt
腰巾着も嫌だけどな
713 :
人間七七四年:2011/03/04(金) 23:37:04.73 ID:YpIed5o2
>>711 信長に抗い秀吉に抗い家康に抗っても一応は残った毛利や上杉や島津って家もあるけどな。
714 :
人間七七四年:2011/03/05(土) 00:43:56.86 ID:NneSHg3b
毛利や上杉や島津は山崎合戦で明智光秀に加担するような先見性のない無様なことはしなかった
715 :
人間七七四年:2011/03/05(土) 02:19:10.71 ID:zjCwI7w/
長宗我部も加担していないな
716 :
人間七七四年:2011/03/05(土) 02:32:05.95 ID:zjCwI7w/
あ逆ってこと?
ここは総出で加担していた方が後々良かったかも知れん
717 :
人間七七四年:2011/03/05(土) 17:01:28.08 ID:PWCljJTe
長宗我部軍は夏の陣で活躍してたみたいだけど、上杉、島津、毛利ってどうだったんだ?
718 :
人間七七四年:2011/03/05(土) 23:32:17.02 ID:NneSHg3b
夏の陣でとどめ射され絶滅したのが活躍ですか 新説ですね www
719 :
人間七七四年:2011/03/06(日) 03:01:02.37 ID:xkTFjHH4
活躍して滅亡ってことだろ。新説でもなんでもないわ。
>>717 毛利の輝ちゃんが大坂に、形としては毛利から出奔したってことでスパイ送り込んだのが家康バレて、
その家臣は毛利のこと知らぬ存ぜぬで通して散ったわけだが、
送り込む際に、残していく一族郎党はまかせろ、と約束していたにも関わらず、
家康にバレたことにビビッて一族郎党処刑してた。
720 :
人間七七四年:2011/03/06(日) 08:37:46.38 ID:tiLKKbz6
全滅するまでに活躍したって事だろw
>>717 島津は遅刻してたような
721 :
人間七七四年:2011/03/06(日) 09:40:16.68 ID:+NPDK2cx
大河でもドラマでも良いから取り上げてくれないかな
知名度上がってもう少し人気も出ると思うがなあ
722 :
人間七七四年:2011/03/07(月) 08:23:09.55 ID:qNUSBNGV
九州朝鮮出兵でも関ヶ原でも大阪の陣でも見せどころない蝙蝠家じゃ大河の最低視聴率を記録するでしょ
723 :
人間七七四年:2011/03/07(月) 10:25:15.65 ID:rO2Ufc5M
subうぜえ
724 :
人間七七四年:2011/04/06(水) 00:22:00.91 ID:FuAu4roA
若くて華々しく散った人って過大評価されやすいと思うけど信親はどうだったんだろうなあ
本当に気になる人物だ
725 :
人間七七四年:2011/04/06(水) 19:40:09.16 ID:vwlVfdXX
詳しくは分からないけど元親がショックで引きこもり状態になったことを考えると
少なくとも元親はもんのすごく期待してたことは分かる
死んだとき、遺品に凄まじい刀傷などの損傷があったことを考えると
死に際は奮戦したんだろうなぁ
726 :
人間七七四年:2011/04/06(水) 19:59:34.14 ID:xh/l3Cc7
秀吉がその死に責任を感じ加増を申し出る程だからな。
727 :
人間七七四年:2011/04/06(水) 20:07:46.17 ID:eITkek1W
引きこもりっていうけど、元親が何か具体的なアクション起こしてる
史料ってあったっけ?
どこかの人みたいに突然寺にこもるなんてのは分かり易い例だけど。
息子死んでんだからショックは受けたろうが、創作物で書かれるような
耄碌とか乱心の様子は特にないよね。
728 :
人間七七四年:2011/04/06(水) 21:26:38.30 ID:vwlVfdXX
息子が死んでやる気なくして秀吉の加増を土佐から離れた場所だからと断ってるのを引きこもったと表現した
盛親を跡取りにするのに反対した家臣を殺したり耄碌や乱心とまでは言わないけど
やっぱかなり若い頃のキレがなくなった印象を受けるんだけどな
729 :
人間七七四年:2011/04/06(水) 21:50:36.08 ID:eITkek1W
>秀吉の加増を土佐から離れた場所だからと断ってる
いや、だからそれって史料ないよね、という。
>>724 からの流れだと、「史実の信親は」どういう人物だったのか
という話だから、伝承を混ぜてしまうと話が変わってしまわないか?
730 :
人間七七四年:2011/04/07(木) 00:23:35.05 ID:CtmQSdJb
豊臣配下の武将が出世して栄転ならともかく
土佐一国に押しやられたとはいえその地で生まれ育った大名ともなれば
息子が死んでいようがいまいが離れたくなんてないだろ
731 :
人間七七四年:2011/04/20(水) 17:19:06.22 ID:Kz2wMV8L
>>729 横レスだが
1587年5月13日〜16日に秀吉が秀長、島津義久、北郷時久へ
大隅国を長宗我部元親の領国とする予定だとの旨を伝えたとある。
(ソースは「大友家文書録」「旧記雑録後編」)
その理由として「信親の戦死を悼んで」などが加えられてあったり、
次男親和を跡継ぎにする旨の朱印状を早急に発行したりと、
家督相続を円滑に進めるよう、かなり気をくばっているフシがある。
元親はいずれも退けているが、
秀吉は自分の心遣いを退けたことについては触れていない。
実際の信親についてだが、
多くの発給文書や神社の棟礼などから、
元親は信親を小さい頃(千雄丸時代)から政務に付き添わせ
じっくりその内政手腕を教え育ててきたということが伺える。
ただ戦績についてはなにぶん若くして死んだので資料が少ない。
中富川や戸次川からの印象だと血気盛んといったところか。
しかしそれはつまり、自分の武芸に自信があったということではないだろうか。
また、武芸に関して百箇条には「第一鉄砲、弓馬を専ら心がけること」とあり、
長宗我部家には近沢越後のような砲術弓術に長けた兵法者もいたわけだから
それなりの教育は受けてきたと見ていいんじゃないだろうか。
732 :
人間七七四年:2011/04/21(木) 02:00:10.34 ID:6AFrPauo
俺の友人で長宗我部の末裔って言ってる奴がいた
そいつの苗字はは宗我部だった
733 :
人間七七四年:2011/04/21(木) 03:29:11.05 ID:iA8Z8map
↑
土佐にはわりといる名字らしいよ。
本当かどうかはともかく(笑)
734 :
729:2011/04/22(金) 20:55:21.32 ID:rh4mabHW
>>731 こちらの書き方が悪かったかな。
あくまで「元親が何か具体的なアクション起こしてる」史料がない話。
秀吉の動きはある程度裏付けされてるけど、最終的に沙汰止みになった
理由自体は、元親が気落ちしてたからか、トップとして転封をマイナスに
捉えたか、家内の反対にあったか、第三者的な横槍が入ったか……
考えられる原因は、複合的にしてもいろいろあるわけだし。
735 :
人間七七四年:2011/04/22(金) 21:35:53.40 ID:0zObPnoK
転封ではなくて加増だよね。
意味が全然違うから、ちょっと気になって。
秀長に対する指示だったわけだけど、
内容が公になっているにも関わらず、
10日程度で義弘への安堵に切り替わってる。
元親の辞退とみて間違いないでしょ。
736 :
人間七七四年:2011/04/24(日) 18:34:36.77 ID:GKk4rqZu
こういう場合もまんま加増でいいのか。
地理的に身内や家臣を一部割って送り込む形になるんだろうから、
独立性の高い支藩のようなものを作るイメージしてた。
入封? 一部転封? とか言い回し思いつかなかった。
737 :
人間七七四年:2011/04/27(水) 12:42:13.32 ID:flLt03GC
飛び地領地っていうとどこの家になるかな
738 :
人間七七四年:2011/04/27(水) 17:44:50.85 ID:sT2L1acB
ヤンジャンで長宗我部漫画
739 :
人間七七四年:2011/04/27(水) 21:16:30.72 ID:HoJ0IPQL
絵柄といいキングダムの二番煎じだな
740 :
人間七七四年:2011/04/28(木) 01:25:18.51 ID:gLKQHk1u
741 :
人間七七四年:2011/04/28(木) 22:23:14.62 ID:7/Htvn/v
では。
最終的に盛親助命を決定したのがトップの家康である以上、
(これを失策とするならば)失策は家康。
大坂城入城にのみ個別に話を絞るならば、責任は板倉勝重。
井伊に責任等は一切ない。
742 :
人間七七四年:2011/04/29(金) 13:43:43.17 ID:ZicXv6Zu
>>737 仙台藩が龍ヶ崎に飛び地持っていた。
対馬の宗氏も佐賀県に飛び地もっていた。
743 :
人間七七四年:2011/04/29(金) 14:07:24.83 ID:q4A7x0Lv
ヤンジャンの漫画全然面白くなさそうなんだが。
そもそも長宗我部主役で面白くするのが無理なのかもしれないが。
744 :
人間七七四年:2011/04/29(金) 18:45:21.68 ID:B7R6A/EQ
745 :
人間七七四年:2011/04/30(土) 10:30:52.68 ID:nyRlVY+c
土佐国なのに安芸氏とはこれいかに。
746 :
人間七七四年:2011/04/30(土) 15:49:03.24 ID:mY+L3zOI
>>742 それと、肥後天草は肥前唐津藩の飛び地
カトキヨがキリシタンを毛嫌いしてて
弾圧どころか関わりたくもなかった(寺沢に押し付けた)ことが原因とも
747 :
人間七七四年:2011/04/30(土) 19:26:50.65 ID:GJ6zUD/p
>>745 土佐にも安芸って地名があるんだよとか無粋なマジレスしとくわ
748 :
人間七七四年:2011/05/01(日) 14:38:10.86 ID:6Gw9gWNt
平井上総「関ケ原合戦と土佐長宗我部氏の改易」(『日本歴史』718号、2008年3月1日発行)
749 :
人間七七四年:2011/05/01(日) 22:16:27.30 ID:6MawXGuX
750 :
人間七七四年:2011/05/02(月) 17:41:44.35 ID:xqfYYxIS
ヤングジャンプのオキザリス、これほど話題になってないとは…。
長宗我部ファンが見向きもしなかったら、普通の戦国ファンではなおさら反応無し?
751 :
人間七七四年:2011/05/02(月) 19:40:28.73 ID:O7iatNxI
読者からもオキザリにされてしまったか…
752 :
人間七七四年:2011/05/02(月) 22:10:10.47 ID:wOKtZyfb
長宗我部がメインの戦国ものは大衆受けしないんだろうな。
隠岐氏か宗氏か松前氏をメインにすべきだった。
753 :
人間七七四年:2011/05/03(火) 13:50:37.94 ID:XNY2nNr7
何で大衆受けしないんだ?
滅びの美学ではないかもしれんが息子の散り方とか日本人好みだと思うがな
後はしらん
754 :
人間七七四年:2011/05/03(火) 14:17:41.93 ID:9iR+h3OI
長曽我部は中央にあまり絡んでないからなぁ。そりゃ人気出ないだろ。
それこそ因縁のセンゴクなんかは信長・秀吉・家康とも絡んでるし、ド派手な挽回劇してるから、
あの慢画の成功次第では他のメディア展開もされて、似たような経歴の山内一豊並の知名度にはなるかも知れない。
山内一豊=内助の功
仙谷秀久=挽回・逆転人生
みたいな代名詞になるかもな。
長曽我部家はそういう代名詞的なモノがない。滅びの美学とも言えない尻すぼみな感じだし。
755 :
人間七七四年:2011/05/03(火) 14:34:40.82 ID:XNY2nNr7
島津とか北条とか毛利とか人気がいまいちな理由も同じか…
しょうがないだろ地方なんだからよ
司馬みたいに取り上げてくれる人がいれば…
756 :
人間七七四年:2011/05/03(火) 15:21:20.14 ID:BO4gHPeK
司馬が取り上げたのは、明治維新後〜大平洋戦争敗北の日本と被らせるのが目的。
・超僻地の未文化弱小勢力からスタート
・中央文化をニワカ取込み。
・コツコツ勝利し、地方覇権を握る。
・勝てるわけのない強大な勢力と、戦わざるを得ない状況に追い込まれる。
・負けて、それまで築いた全てを失い元のサイズに。
歴史に学ばず、いかに太平洋戦争が馬鹿げた戦争であったか、と言いたかったんだろ。
757 :
人間七七四年:2011/05/03(火) 15:27:05.59 ID:zq/DM1GV
元サイズじゃねえよ。スタートは土佐一国でさえなかったろうが。
758 :
人間七七四年:2011/05/03(火) 15:32:47.57 ID:BO4gHPeK
そんな事知らん奴はいないって。
そこに噛みつく方が、どうかしてると思うぞ。
意思解釈して欲しいんだけどなぁ。
759 :
人間七七四年:2011/05/03(火) 16:17:24.76 ID:zq/DM1GV
やなこった
760 :
人間七七四年:2011/05/03(火) 21:12:03.87 ID:GiUWgUGo
四国は弱小しかいなかったから盛り上がらないんだよな…
三好とか堺方面に興味あっても西四国にあんまり興味なかったって感じだし
761 :
人間七七四年:2011/05/03(火) 23:09:46.14 ID:XNY2nNr7
でも盛親は大阪の陣で豊臣方として高虎と戦ってるし人気の真田とも絡んでるから美味しいと思うけどな
信親も島津関係だし
762 :
人間七七四年:2011/05/04(水) 10:15:11.61 ID:sJLDPFuj
親子二代で三傑に盾突いたのは長宗我部だけだぞ。
結果はともあれ。
763 :
人間七七四年:2011/05/04(水) 14:55:57.63 ID:tH3vVRxa
晩年犬になった政宗もあんだけ受けたんだし大河やれるだろ
764 :
人間七七四年:2011/05/04(水) 16:33:02.33 ID:oUOD0Ct5
前半はローカル戦。後半は尻すぼみ。
よっぽど上手い人が書かなきゃ大河ドラマは厳しい。
765 :
人間七七四年:2011/05/04(水) 16:39:59.17 ID:lArBd81K
政宗もこれと言った功績ないし、キャラでもったようなものだし
正に上手い人が描いて何とかなった部類だろう
766 :
人間七七四年:2011/05/04(水) 16:48:21.50 ID:TamDG9zr
三傑以外で功績残した地方武将なんているのかよ
地味な毛利だって大河にもなったじゃないか
767 :
人間七七四年:2011/05/04(水) 17:04:10.91 ID:sJLDPFuj
まぁでも、信親隊全員討死のシーンは、大河じゃイヤかも。
適当な人数で、迫力のない殺陣ではちょっとなぁ。
768 :
人間七七四年:2011/05/04(水) 17:13:11.30 ID:q4pe6jZw
>>766 毛利元就は3本矢のエピソードがあったり、桶狭間並の大勝利ありで派手だろ。
一代記だけでなんとかなる逸材だよ。島津や長曽我部とは違う。あきらめろ。
一般人は数十人規模のローカル合戦や、中央政権に絡まないローカル大将や、伝説的な勝利のない奴らに興味なんか持たないよ。
しかも結果は尻すぼみだぞ?マニア以外に面白味なんて見つかりやしない。
769 :
人間七七四年:2011/05/04(水) 17:18:45.53 ID:oUOD0Ct5
結局は作家による。上手い書き手ならキャラ立ちせるから逸話や戦績が地味でもいける。
ただ今はろくな作家がいない。NHKも天地人のやつみたいな御用聞きしか採用しない。
770 :
人間七七四年:2011/05/04(水) 18:38:52.08 ID:TamDG9zr
司馬の原作があるんでねーか。でも若干盛親を美化しすぎな気がしなくもなかった
771 :
人間七七四年:2011/05/04(水) 21:56:45.44 ID:3ubKT8OI
>>768 そのいずれにも該当しない約二名が、ここ数年内で大河化されてたけど。
奥さんが有名な人と、陪臣の人ね。
また、全く該当しないのに、大河化されてメジャーになったのもいるよね。
東北の人だけど。
尻すぼみで言えば、戦国大名屈指の方がメチャメチャ映像化されてますな。
三傑の一人ね。もちろん、後半生は全てカットされてるわけだが。
やっぱり、脚本次第だと思うぞ。
まぁ、大河化しにくい最大のネックは、同郷の競合相手だと思うけど。
772 :
人間七七四年:2011/05/05(木) 00:42:10.75 ID:BdWGGTFM
正宗も大河やるまでは地味な扱いだったよ
773 :
人間七七四年:2011/05/05(木) 00:58:46.02 ID:btO43r+5
毛利は一代でなんとかなる逸材なんじゃなくて
その後の息子、孫はたいした活躍もなくむしろ孫に至っては悪評しかないじゃないか
物語のしようがないわ
774 :
人間七七四年:2011/05/05(木) 08:30:33.59 ID:BSGPaV8Y
>>756 『夏草の賦』は朝鮮の役の活躍を書かないのでクソ。
775 :
人間七七四年:2011/05/05(木) 09:24:56.58 ID:O5ODz9zp
夏草は基本戸次川以外の戦争描写は薄いだろ
776 :
人間七七四年:2011/05/05(木) 09:45:15.55 ID:hQ7jlZiA
政宗のショボい戦と何ら変わらない規模だろ
誰かと違って秀吉と戦わないで降伏したわけじゃないし書き様はいくらでも有る
777 :
人間七七四年:2011/05/05(木) 13:42:42.09 ID:btO43r+5
同じ国を破滅させてるにしても盛親と輝元じゃ同情の余地が違うと言うか
輝元はいらない子
778 :
人間七七四年:2011/05/05(木) 18:15:01.27 ID:Bru6OfWI
長宗我部元親の漫画、オキザリスの旗がヤングジャンプで連載!
面白かった!元親かっこいい!これから楽しみ!
…っていう長宗我部のファンはいないのか!?
779 :
人間七七四年:2011/05/05(木) 18:51:33.86 ID:hQ7jlZiA
こんな元親誰も求めてないでしょ
まさに誰得
キングダムに倣い杉
780 :
人間七七四年:2011/05/05(木) 22:01:40.46 ID:fZvfpmr7
もうそっとしといてくれよ長宗我部は…
無理やり美化しなくて結構。
四国の戦国時代はドロドロしてるくらいが丁度いい。
781 :
人間七七四年:2011/05/06(金) 03:06:14.63 ID:I2xgpaPU
長宗我部元親が好きだけど大河では見たくない。
原作は夏草の賦があっても、脚本家が面白いドラマを書けるとは思えないから。
長宗我部をつまらなく書くなら漫画もいらない。
長宗我部を盛り上げたい一部人達の集まりがあるが、それでさえ冷めた目で見てる。
ゲームで名前は広まっても、史実に興味がある人が少なすぎ。
まだ時期ではない気がする。
あくまでも個人的な意見です。
782 :
人間七七四年:2011/05/06(金) 03:21:40.32 ID:pEUR5TBG
ヤンジャンの漫画は高知県民が読んでも面白くないわ
783 :
人間七七四年:2011/05/06(金) 18:06:34.77 ID:wsiad3q2
まあ代表的な作品として挙げられる夏草の賦や戦雲の夢にしろ
どっちの作品も最後はバッドエンドだからなw
武将の良い所を隅から隅までむしゃぶる美味しいとこ取りの司馬でさえ長宗我部はBADEND
並大抵の作家が扱えるほど簡単な題材じゃあないわな。
784 :
人間七七四年:2011/05/06(金) 20:48:12.76 ID:/HQmqh4J
でも高杉にしろ大村にしろ三成にしろみんな円満で終わるとはいえんと思うが
785 :
人間七七四年:2011/05/06(金) 21:38:43.35 ID:TeVMt8eN
でも長曽我部なら、なんとなく明治維新につながるような感じで無理矢理希望がつながるようなエンディングが出来るように思うけどね
786 :
人間七七四年:2011/05/06(金) 22:12:43.71 ID:Zd91IunM
今までハッピーエンドの題材ばかりでもねえし
787 :
人間七七四年:2011/05/06(金) 22:31:35.40 ID:wsiad3q2
>>785 幾ら郷氏とはいえ無理やり龍馬と長宗我部を繋げるのも無理あるだろ。
どう頑張っても長宗我部は由井正雪の乱までしか絡められん。
しかも丸橋だって本当に長宗我部の子孫かどうか解らん。
元親の末子の康豊だって司馬が短編で出しちゃってるしな。
788 :
人間七七四年:2011/05/06(金) 22:51:17.81 ID:/HQmqh4J
長宗我部って司馬に愛されてんだな いいな
789 :
人間七七四年:2011/05/07(土) 00:09:48.43 ID:jHKsymZr
>>787 長宗我部旧臣の末裔で一番著名っていうとやっぱり吉田東洋だろうしな。
790 :
人間七七四年:2011/05/07(土) 22:05:24.06 ID:SqIgZ1cV
791 :
人間七七四年:2011/05/07(土) 23:19:45.28 ID:EbOriiT+
司馬は鬱エンドが好きなんだろ。
国敗れてどうのこうのみたいなのが。
792 :
人間七七四年:2011/05/09(月) 08:41:53.77 ID:7E5dqyqh
まあ大河は微妙だよ
俺を含めここのスレにいるような史実厨からは叩かれるだろうし
ゲームから入った腐女子からもイメージが違うと叩かれる
793 :
人間七七四年:2011/05/12(木) 20:27:39.72 ID:AkjSrjjc
>>784 > でも高杉にしろ大村にしろ三成にしろみんな円満で終わるとはいえんと思うが
高杉の場合はタタミの上で死んだからなあ。
794 :
人間七七四年:2011/05/14(土) 20:54:50.28 ID:LzyFhXR1
795 :
人間七七四年:2011/05/16(月) 07:29:36.14 ID:KA4jQlJ0
ヤングジャンプでやってるオキザリスを喜んでる長宗我部ファンはいるの?
あの漫画を読んだ多くの人に、長宗我部があんな内容だと思われたらマイナスじゃないか?
全国的に「長宗我部つまんねー」と判断される。
796 :
人間七七四年:2011/05/18(水) 15:43:42.77 ID:NuWk8Ntr
置き去りすはやはり初めはナヨナヨした虚弱元親から始めて欲しかったな・・・
皆に嘲笑われながらも泣きながら陰で努力した少年元親が初陣で大暴れして、
返り血に染まりながら敵の城を落としてへたり込む元親、陰の特訓に付き合った弟親貞が泣きながら抱きついて来て、
後から来た親父が感涙にむせび泣き、その後ろで涙を堪えながらうんうんうなずく後見役っていう激熱黄金パターンが・・・
797 :
人間七七四年:2011/05/18(水) 15:49:41.45 ID:V114vfGe
つまんない漫画だし
戦国らしさとか出せそうにない画力の作者で
すぐ打ち切られそうだな
798 :
人間七七四年:2011/05/20(金) 17:03:08.95 ID:IKhYfTe+
件の慢画だが、
元親の初陣って、1000(長曽我部)対2000(本山)の正面衝突だっけか?
その中の局地戦で50(元親)対100(本山)じゃなかったか?
799 :
人間七七四年:2011/05/20(金) 20:15:30.85 ID:1XCCT0C8
正面激突でOK。何度も激突しては退いての繰り返しで、戦いが停滞した所で見せ場がある長宗我部家臣がいる。
後々にも活躍する凄い武将なんだけど、オキザリスの漫画には登場したかな?
連載をするために土佐物語を読んでれば絶対に外せない場面のはずだがな。
本山が浦戸城に退いた後に元親の部隊が単独で支城うしのえ城を占領してる。
800 :
人間七七四年:2011/05/20(金) 20:21:20.82 ID:AFeR0SIT
久武親信?谷忠澄?福留親政?
801 :
人間七七四年:2011/05/20(金) 20:38:24.51 ID:1XCCT0C8
その三人ではないけど、誰なのかは書かないことにするよ。ごめん。
オキザリスの関係者が答えを見たら、知識を与えることになるから。
連載するからには自分で勉強するべきことだし。
ヒント、名前に「親」が入ってます。
802 :
人間七七四年:2011/05/20(金) 23:34:39.50 ID:AzDzQJ12
柱の男だろ。
あの漫画は主人公マンセーっぽいから出さないだろな。
803 :
人間七七四年:2011/05/21(土) 20:33:03.15 ID:Zm++fiai
>>799 「うしのえ」じゃなくて「うしおえ(潮江)」だった。ごめんなさい。
元親は本山を倒すのに10年以上かかってるけど、漫画ではどうするんだろう。
初陣が終わると同時に連載も終わりで良いよ。
804 :
人間七七四年:2011/05/27(金) 10:57:36.35 ID:lDAFHgq+
長宗我部フェスも開催されたくらいなのに、まったく話題が無いな。
ヤングジャンプの連載漫画オキザリスの旗が酷すぎるショックで、長宗我部ファンは気を失っているようだ。
805 :
人間七七四年:2011/05/27(金) 13:43:30.66 ID:9zAyOm9B
フェスは基本バサラファン向けだし
漫画は激つまらん
史実の長宗我部好きには特にいいことない
806 :
人間七七四年:2011/06/05(日) 01:35:41.14 ID:vhrTXleG
マンガはモトチーナでえぇやん
夏草の賦は好きです。
でも戦雲の夢は「城塞」ともパラレルなので、もっと好きです。
当時、息子が死んだとて、自分も死ぬ!と考える当主はいないだろう?
元親は極めて現代人の発想と似ている。
如水は長政を捨てごろしにしても天下をとろうと考えた、とも言われる。
しかし、それが元親の愛すべき部分と言えるかもしれない。
809 :
人間七七四年:2011/06/22(水) 01:12:12.77 ID:QauUwt//
ヤングジャンプでやってる長宗我部元親の漫画は絵もキャラクターも話も歴史考証も酷い…。抗議するレベル。
810 :
人間七七四年:2011/07/02(土) 10:10:23.03 ID:m3f4JD32
ヤングジャンプの漫画オキザリスの旗を読んでる人はいませんか?
長宗我部ファンからは評価されてるの?
811 :
人間七七四年:2011/07/03(日) 01:19:44.65 ID:K6Ed8o/G
むしろ批判の嵐だろ?
812 :
人間七七四年:2011/07/03(日) 16:37:40.29 ID:ypCp99dX
戦国モノばっかり描いてる作者みたいだけど年齢的にバサラみたいなのが好きなんでしょ
だいたいなんでオキザリスなの?
ラテン語知ってて俺カッコイイ?
家紋の図案も計算して描いてないように見えるし、考証なんか関係ないってことじゃないのかな
てか、絵柄的には集英社よりも講談社にいるような作家にも思えるけどなあ
813 :
人間七七四年:2011/07/05(火) 09:33:24.23 ID:fI+53HkA
司馬遼太郎の小説で長宗我部元親を知りました。
高知で元親と信親の墓参りもしました。
長宗我部が好きだからオキザリスの旗には絶望してる。
あの漫画を喜んでる長宗我部ファンはいるのか?
814 :
人間七七四年:2011/07/05(火) 09:51:42.67 ID:3FhYUtZx
それでも読んじゃうのがファン心理だな。
815 :
人間七七四年:2011/07/05(火) 10:16:25.83 ID:fI+53HkA
何回か読んで吐き気がしたから最近は無視。
長宗我部を侮辱してる漫画だから早く終わってほしい。
816 :
人間七七四年:2011/07/05(火) 12:58:18.87 ID:gs+JNpMD
ここまで酷評される歴史漫画、珍しいなw
817 :
人間七七四年:2011/07/06(水) 00:53:03.78 ID:Pk4g7BU7
そんなにひどいのかw
絵だけみると、少年誌っぽい感じだったけど。
818 :
人間七七四年:2011/07/06(水) 06:50:24.09 ID:qEb700wL
歴史漫画というより単なるファンタジーだからでしょ
819 :
人間七七四年:2011/07/06(水) 09:12:44.37 ID:3NrIE39J
あのキャラクター達と内容で長宗我部を語るから酷い。
歴史を知らない人が、あの漫画を史実だと認識したら大変だ。
最初から長宗我部の名を出さずファンタジーだったら、単なる下手な漫画で済むのだが…。
820 :
人間七七四年:2011/07/06(水) 16:33:47.07 ID:zCteengv
フィクションと書いてあるじゃないか
三國志演義だと思えば
821 :
人間七七四年:2011/07/07(木) 11:40:27.91 ID:2aZaF5z3
オキザリスの旗って漫画の元親、いくら漫画だからって酷すぎる描かれ方…。
長宗我部好きにとっては、どうなの!?
もう悲しいし腹立つしで泣けてくるよ…。
あんな長宗我部元親は見たくないから早く連載終了してほしい。
822 :
人間七七四年:2011/07/07(木) 12:50:07.14 ID:75Zx58qZ
じゃあ岡村賢二の漫画の方はこのスレ的にどうなの?
823 :
人間七七四年:2011/07/07(木) 16:15:25.51 ID:rHcH2NP3
ググったらあのコミック乱の戦国武将列伝に連載してるやつか…
絵柄がちょっと…あとキャラクターの描き分けが微妙
824 :
人間七七四年:2011/07/07(木) 16:25:53.64 ID:aO1L71O8
上杉謙信はひどかった
置き去りはここの酷評で悪いイメージが膨らみすぎたか
思ったより普通だった
825 :
人間七七四年:2011/07/08(金) 13:57:30.31 ID:xLhSdLN4
ここの酷評なんて優しいもの。
オキザリスの旗のスレを見るといい。
あの漫画を見たら、長宗我部元親が嫌いになりそうだよ。
つまらない人物だし、土佐の戦国がヤンキーの喧嘩レベルみたい。
まともに甲冑すら描けてないから土佐には装備が無いように見える。
こんなにつまらないのか。長宗我部元親は?
826 :
人間七七四年:2011/07/08(金) 19:39:45.76 ID:gY9UxHUu
装備は確かに立派ではなかった。
827 :
人間七七四年:2011/07/08(金) 19:50:18.55 ID:5fwntULK
いち兵卒はまともに武具とかなかったよ 別に土佐だからって訳じゃないけどさ
828 :
人間七七四年:2011/07/09(土) 02:11:40.99 ID:fvJwJUkn
まぁ確かにひどいがBASARAみたいなもんだと思えば腹も立たん
もう読まんけど
829 :
人間七七四年:2011/07/09(土) 07:52:19.21 ID:RdASvRiH
いっそ登場人物みんな女の子にすれば潔かったのにね
830 :
人間七七四年:2011/07/09(土) 08:44:07.35 ID:xiIxbWtk
バサラは元から戦国ファンタジーとして売ってるから良い。
オキザリスはサブタイトルに「長宗我部元親伝」とか堂々とつけてるし、本格戦国物として世に出てる漫画なんだよ。
元親ですら、まともな装備してないし、初陣前だって姫若子らしい描写は皆無。
全員ヤンキー言葉。
長宗我部が汚されてる漫画だ。
831 :
人間七七四年:2011/07/09(土) 09:45:39.55 ID:jrwzE3EF
オキザリスの作者は四面楚歌か。自業自得だけど
832 :
人間七七四年:2011/07/09(土) 09:46:56.59 ID:6Skf7aUe
子供が描いてるんだからしょうがねえべさ
833 :
人間七七四年:2011/07/09(土) 11:02:53.31 ID:Iq5sN6gU
構想一年以上と言ってるけど歴史物やるのに一年は短いよな普通に
隆慶みたいに史料を読み潰してから書いてくれればよっかたんだが
元親記をモチーフにしたファンタジーです。と最初から開き直ってれば好感が持てた
834 :
人間七七四年:2011/07/09(土) 11:05:38.65 ID:RdASvRiH
構想一年吹いた 確かにww
835 :
人間七七四年:2011/07/09(土) 12:15:04.82 ID:J84E88+r
836 :
人間七七四年:2011/07/09(土) 14:46:51.68 ID:mWt1BKQ/
センゴクがリアルとかwww
837 :
人間七七四年:2011/07/09(土) 14:50:02.08 ID:J84E88+r
>>836 他のマンガと比較してだよ。w
民衆の怨恨をなだめる戦後処理とか他に有る?
838 :
人間七七四年:2011/07/12(火) 22:21:48.25 ID:G0dMdteE
リアルな漫画なんかある?
どうせどれも変な性格づけしてあったりするじゃないか
そういう点では横山シリーズが一番リアル
839 :
人間七七四年:2011/07/14(木) 19:22:33.66 ID:w61ZRSXA
面白ければ
面白くさえあればいいんだよ
・・・置き去り酢は全く面白いところがないから
どうしようもないが
840 :
人間七七四年:2011/07/14(木) 21:30:29.83 ID:fnws8bZs
なんつーか、別にあれまったくのフィクションでよかったのにね
単に長宗我部の名前使いたかっただけじゃないのかっていう
841 :
人間七七四年:2011/07/18(月) 16:15:33.80 ID:DbI1kgaU
架空世界の戦国時代なら許せたのだが…。
打ち切りは近い
842 :
人間七七四年:2011/07/18(月) 21:50:01.51 ID:f2zfAvoJ
オキザリスの旗を喜んでる長宗我部ファンはいないのでは?
ヤンキー漫画みたいな口調に、戦国時代とは思えない手抜きのような下手な絵。
キャラクターの性格も魅力ないし、あんな元親は有り得ない。
絶望してる長宗我部ファンは大勢いるんじゃない?
843 :
人間七七四年:2011/07/18(月) 23:36:48.97 ID:rHf5k4TA
もう打ち切りになるだろうね いつも後ろの方に載ってるし
844 :
人間七七四年:2011/07/19(火) 23:44:39.67 ID:gXEs0/cs
センゴク普通におもろいじゃん。
仙石嫌いだけど普通に読める。
長宗我部がどんな風に書かれるか楽しみだ。
845 :
人間七七四年:2011/07/24(日) 06:01:28.95 ID:2yMgwFcJ
>>841 そうそう。君はそうやって人の言うことを聞いとくべきだよ。
中学生とは思えないほど稚拙な文章だったけど、面白かったよ。
846 :
人間七七四年:2011/07/31(日) 02:28:22.72 ID:m60rZuMY
オキザリスの旗のせいで「過大評価されてる元親は、この程度のヤンキー描写で充分」とか言われてる。
あの漫画が酷いから史実の長宗我部元親まで変な目で見られてる。
絵が描けてないから、戦国の土佐には館や甲冑が無いと思ってる人までいるし…。
かなり迷惑じゃない?
847 :
人間七七四年:2011/07/31(日) 04:06:15.18 ID:OTxcCoRr
>>846 それは勘違いするヤツがアホ
AVばかり観ているヤツが顔射はデフォと思い込むくらいにアホ
848 :
人間七七四年:2011/08/01(月) 20:24:52.82 ID:AOSoMw0U
歴史に詳しくないと漫画の内容が本当だと勘違いする人はいる。
酷い内容だからフィクションだと分かってもらえれば良いが、オキザリスの旗は「長宗我部元親伝」とかタイトルが付いてるのが嫌悪感。
あれが元親を伝える漫画かよ!
849 :
人間七七四年:2011/08/12(金) 04:05:07.64 ID:GonQ/GCT
そんなにひどいのか…
850 :
人間七七四年:2011/08/12(金) 04:13:04.35 ID:GonQ/GCT
単行本は出るのかね
851 :
人間七七四年:2011/08/12(金) 04:15:44.38 ID:S9ad4s0b
9月に出るよ
852 :
人間七七四年:2011/08/12(金) 04:39:20.17 ID:GonQ/GCT
出てしまうのか
853 :
人間七七四年:2011/08/22(月) 20:03:41.68 ID:tXBlYLD1
流れぶった切ってスマンが、長宗我部家臣の片岡氏ってのは何者なんだ?
調べるものによっちゃ長宗我部家臣として一万石越える石高持ってたとか、長宗我部以前には土佐七雄に次ぐ豪族とか出てくるんだが、土佐物語とか元親記読んでも具体的な話としては秀吉の四国攻めの時の頭首が討ち死にくらいしか出てこない
名前が残らんほどの弱小家臣にしては城跡とか史料とか、そこそこの規模だった形跡残ってるみたいだし・・・
854 :
人間七七四年:2011/08/23(火) 23:33:37.02 ID:vyOtQDVa
敵への鎮魂歌を奏でよう…凄絶にな!
855 :
人間七七四年:2011/08/24(水) 19:49:54.39 ID:OTpvp+Cc
片岡より谷のほうが気にならないか
856 :
人間七七四年:2011/08/24(水) 23:48:28.70 ID:2CR58Dom
>>855 谷忠澄?
秀吉の四国攻めの和議のところで色々出てくるよな
外交役だからあまり表に出てこないんでないの?でもそっちも興味あるな
片岡氏は存在もよく解らんし、秀吉の四国攻め以外も戦いに行ってるはずなのに討死しか出てこないない
いつの間にか部下になってて名前が出てきた瞬間に討死って意味分からん
かと思えば末裔?が幕末から明治にかけて活躍したらしいし
857 :
人間七七四年:2011/08/25(木) 01:22:56.18 ID:jR+baeDU
>>848 そんなことねえだろwww
…と思ってたんだが、
一時、「長宗我部」で検索したら
「長宗我部元親 左目」ってのが予測されてて
うわあ…って思ったことがある。
858 :
人間七七四年:2011/08/27(土) 10:57:59.44 ID:t5rnUv/f
まぁ巻末だし、そんなに気にしなくていいんじゃないかな、アレ。
かなり昔仕事で早明浦に行ったんだが、本山の本拠が本当に山の中で
笑った記憶がある。
ほんとよくあそこから高知市や四国に出て行ったわ、本山も長宗我部も
859 :
人間七七四年:2011/08/29(月) 11:42:39.11 ID:msHMfA3n
860 :
人間七七四年:2011/08/29(月) 18:05:29.04 ID:nNH3AHOc
>>859 みたいだね
残ってる史料が少ない(少なくとも俺は知らない)から
全体像としてどういう人か詳しくはわからないけど
なかなか武骨な印象を与える人だ
自分の命をかけて羽柴に下るよう元親を説得したり
「そのまま持って帰ってこい」って言われた信親の遺体を
自分の判断で勝手に火葬したり(あまりにも痛々しい姿だったので)とかね
>>822 十河存保登場したけどめちゃくちゃオッサンでワロタ、老けすぎだろw
このオッサンが戸次川で信親と一緒に戦死するのか…なんか信親かばって死にそうで、そんな展開になったら思わず胸が熱くなるな
862 :
人間七七四年:2011/09/07(水) 17:49:13.81 ID:kDJk3pSo
秦氏って朝鮮民族の子孫なんだろ?
てことは長宗我部も朝鮮民族の子孫てことなのか
863 :
人間七七四年:2011/09/07(水) 18:16:08.82 ID:h7dXex/5
長宗我部は「秦の始皇帝の子孫」を称していたから中国人でしょ。
864 :
人間七七四年:2011/09/07(水) 19:14:05.26 ID:aHOPq/f5
秦の始皇帝の子孫かどうかも怪しいけどね 相当な時間が経ってから渡ってきてる
少なくとも大陸に住めなくなったから逃げてきた中国人の子孫であることは確かだよ
865 :
人間七七四年:2011/09/08(木) 15:41:35.10 ID:JLFXPMQJ
大内は朝鮮発祥ニダ
だから滅亡したんだよ
867 :
人間七七四年:2011/09/23(金) 11:31:56.14 ID:IQfylyaE
渡来人ってことは間違いないのかい?
一条家みたいに京都から逃れてきたのとか、平家の落武者が落ち延びてきたとかは聞くけども、渡来人までとは・・・
868 :
人間七七四年:2011/09/23(金) 12:02:46.69 ID:rJRy+Qwm
今週のヤングジャンプでオキザリスの旗の作者が
元親公の墓参りに行くとコメントしてあった。
869 :
人間七七四年:2011/09/23(金) 15:12:09.78 ID:NCupvuAp
>>867 秦氏が渡来系であるというのは
日本書紀にも記述があるのでまぁ間違いない。
秦氏の末裔かどうかは微妙(蘇我氏の後裔など諸説ある)。
870 :
人間七七四年:2011/09/23(金) 15:27:14.12 ID:ZMzWoBXn
>>867 > 渡来人ってことは間違いないのかい?
渡来人と「称していることは」間違いない、とまでしか言えない。
871 :
人間七七四年:2011/09/23(金) 15:36:03.78 ID:IQfylyaE
872 :
人間七七四年:2011/09/23(金) 17:51:23.89 ID:nCGXXiFD
自称した奴の時代は渡来人の血統はレアだったのかね
873 :
人間七七四年:2011/09/23(金) 18:01:39.94 ID:EjbyRQlf
秦の始皇帝の子孫は間違いなくレアだったろう
ま、他になにも付加価値がないから一応名乗っとくか、みたいな感じでしょ
日本的には昔の外国の王室の子孫だとかって、ぶっちゃけどうでもいいはず
しかも戦国時代じゃもう既に二千年ぐらい経ってしまってるし
874 :
人間七七四年:2011/09/24(土) 04:37:22.39 ID:L/cQE3If
中央を視野に入れているが源氏、平家、藤原氏などの有力な姓(かばね)ではない
守護大名のような正当性もない
秦氏や蘇我氏の部民なら律令制以前からの朝臣というステイタスもあるし
正確な家系図がなくても名乗りやすい
秀吉が藤原長者なる手続きを踏んでから豊臣姓を賜ってるくらいだから
政治的ポジションとして必要な従五位下を賜るには重要なことなんでそ
875 :
人間七七四年:2011/09/25(日) 09:52:11.71 ID:7l3/axae
秦氏って、始皇帝の末裔で朝鮮半島に落ち延びてさらに日本へ
って認識でいいのかな?
876 :
人間七七四年:2011/09/25(日) 09:56:30.68 ID:MAsVfcZH
そうらしいね
ただ、その渡来人が本当に始皇帝の子孫であるかどうかさえ疑わしいけど
そうであるとされてる
少なくとも大陸から難を逃れて日本に渡ってきた中華の人ではあるらしい
877 :
人間七七四年:2011/09/25(日) 12:43:59.86 ID:bagXjkoS
落ち延び先で、その教養や技能を重宝がられていたのだから
中国の庶民ではなく、やはりそれなりの階層だったと思われる。
878 :
人間七七四年:2011/09/25(日) 12:44:36.56 ID:VmWWMM0e
>>868 打ち切りなのに、ここじゃ反応がない
オキザリスの旗は全く相手にされていないんじゃ
879 :
人間七七四年:2011/09/25(日) 12:47:04.74 ID:5CHPhDjq
880 :
人間七七四年:2011/10/13(木) 20:16:52.99 ID:DcDgwHyh
ちなみに
伊達騒動で原田甲斐斬った柴田朝意は
元親の孫な
881 :
人間七七四年:2011/10/14(金) 15:05:42.42 ID:021jL+uW
882 :
人間七七四年:2011/10/15(土) 02:13:24.18 ID:z7/kDjYy
長宗我部水軍はどこから来て どこに消えたんだろ
883 :
人間七七四年:2011/10/15(土) 02:17:50.06 ID:X1BCkiC1
水軍て行っても目立つ働きは、小田原役で大型輸送船を運用したにすぎないからなあ…。
普通に山内に吸収されただけだよ。
884 :
人間七七四年:2011/10/15(土) 06:03:18.79 ID:R9utnDhJ
秀吉に鯨献上したのは土佐物語?
885 :
人間七七四年:2011/10/15(土) 12:11:47.73 ID:MFv7M0Z8
そういや長宗我部にも海賊衆が付いてたんだっけね
戸次川から逃げ帰るときにも確か海賊衆が頑張ってたね
886 :
人間七七四年:2011/10/16(日) 10:28:24.88 ID:eHsjS6wb
池氏は違うの?
887 :
人間七七四年:2011/10/16(日) 21:31:21.85 ID:A52EXOH9
小田原や朝鮮では
長宗我部家はどちらかというと水軍メインなんだよね
888 :
人間七七四年:2011/10/16(日) 23:25:51.05 ID:P/XqyUsb
期待の嫡男が死んで全くやる気なかったっぽいしな。
889 :
人間七七四年:2011/10/17(月) 00:20:46.84 ID:+gZuYONt
盛親売り込むチャンスなのに
890 :
人間七七四年:2011/11/05(土) 01:51:36.97 ID:mRKpCngc
盛親 関ヶ原でフルに近い兵 動員してんだよな
島津義弘が国許に送った増援要請の手紙にもあるように
上杉征伐にしては やる気出し過ぎだろ
891 :
人間七七四年:2011/11/05(土) 01:56:46.21 ID:U4oi5nsU
何かしら活躍をし実力を見せて長宗我部の当主は俺なんだと
家中にはっきりと示そうと思ってたんじゃね
兄達を差し置いての家督相続でだいぶ揉めたそうだし
892 :
人間七七四年:2011/11/05(土) 08:54:23.42 ID:LBUHmVu3
>>890 あれはフル動員ですか?家督相続で揉めてたから少ないかと思ってました。
893 :
人間七七四年:2011/11/05(土) 11:33:50.68 ID:3mUEhYjC
うん。だからフル稼働でも無理はできなかったみたいだね。
統制しきれてないから。
それもあって関ヶ原じゃああだったという。
894 :
人間七七四年:2011/11/05(土) 17:38:32.99 ID:VDRLJ5gu
なんで盛親が家督継いだの?
親和の方が合戦経験もあって家臣も従ったろ
895 :
人間七七四年:2011/11/06(日) 01:59:21.29 ID:nY9y5NJF
>>894 信親の娘と結婚させて、信親の血筋に継がせたかったんでしょ
しかし、盛親の鳥帽子 増田長盛以外はなかったのかね
信親が信長の一字貰ってるのと比べるて格が落ちすぎる気が
896 :
人間七七四年:2011/11/06(日) 02:42:48.60 ID:Sm4xRrXL
嫡出が信親と盛親しかいなかったから
897 :
人間七七四年:2011/11/06(日) 14:30:30.30 ID:Q1ryFLJG
そもそも、親和と親忠は他家の養子になってたからなあ
香川氏は讃岐の守護代で細川の重臣だったし、津野にしても土佐国内でかなりの力を持ってた名族
898 :
人間七七四年:2011/11/07(月) 10:53:28.09 ID:diKLUiP6
他家に入った人間が戻ってくるのがなぜ難しいかというと、帰る時その家で作った家臣団引き連れてきちゃうこと。
家中秩序が大混乱するので余程の場合でないと家中から賛成されない。
899 :
人間七七四年:2011/11/07(月) 14:24:57.73 ID:ah3+zwjj
>>898 それでも実例はあるけどね。まあ少ないが。
900 :
人間七七四年:2011/11/07(月) 18:43:04.33 ID:M5Db82El
>>899 武田さんちの諏訪君ですな
織田さんちの北畠君はどうだったんだろ
901 :
人間七七四年:2011/11/08(火) 00:05:12.72 ID:9ALPlT3t
逆に親和推しの家臣は何がしたかったんだか
902 :
人間七七四年:2011/11/08(火) 00:58:28.89 ID:A12B+gG2
普通に権力争いだろ
903 :
人間七七四年:2011/11/08(火) 01:00:04.17 ID:p5bYQBiE
ふと思ったが元親の正室が逆臣明智光秀の重臣斎藤利三の妹って事を気にして
秀吉との関係を考えるなら正室の子の盛親より
次期当主は親和のほうが秀吉の心象が良いんじゃないかと考える者がいたとかどう?
904 :
人間七七四年:2011/11/08(火) 02:40:13.50 ID:KWLQPXu9
>>903 その理由で盛親の方が正室腹でなかったっていう説もあるよな。
他が庶子なら普通は正室腹が跡継ぎとして問題ないのに
そこで問題が起ったって事と、跡継ぎにしては盛親の偏諱元がショボすぎるってことで。
905 :
人間七七四年:2011/11/08(火) 20:21:03.94 ID:p5bYQBiE
香川親和や津野親忠の生母はっきりしないみたいだしな
906 :
人間七七四年:2011/11/12(土) 00:25:30.37 ID:q6t7V/m/
信長から信の字をもらった人ってみんな不幸になってるね
907 :
人間七七四年:2011/11/13(日) 16:52:46.85 ID:1S2s1492
奥平信昌<そうでもないよ
908 :
人間七七四年:2011/11/13(日) 20:36:51.90 ID:5V3Pt1FH
春日局の全盛期まで 盛親が生きてたら
大名に復帰してたかな
909 :
人間七七四年:2011/11/13(日) 20:45:59.90 ID:3nR3DUd2
大阪の陣で豊臣側につかず
徳川側についてれば可能性大
910 :
人間七七四年:2011/11/13(日) 20:55:03.69 ID:zmxz93ic
でも土佐復帰は無理だったろうな
911 :
人間七七四年:2011/11/13(日) 22:13:25.61 ID:1S2s1492
土佐に戻るより土佐以外で10万石のほうがはるかに良いだろ。
912 :
人間七七四年:2011/11/13(日) 22:15:12.78 ID:JV+cyfz1
独立自存の精神も分からんから幕府は滅んだ
913 :
人間七七四年:2011/11/13(日) 23:08:36.44 ID:Uzpu1LTJ
>>912 そんなもんお前以外の誰にもわからんよ
独立自尊の精神なら誰もが知っているがな
914 :
人間七七四年:2011/11/14(月) 07:14:09.04 ID:20uJRZ99
915 :
人間七七四年:2011/11/15(火) 00:25:48.18 ID:vt97rb4Z
>>909 徳川方として参戦して、大阪の陣だけでは大名復帰は難しいかな
いいとこ交替寄合ぐらいか
916 :
人間七七四年:2011/11/15(火) 02:53:52.21 ID:YAGnxBSk
そもそも盛親は何で江戸まで就職活動に行かなかったんだ?
立花宗茂だって江戸で苦労してるのに。
京で引きこもってちゃ、そりゃチャンスもないわな。
917 :
人間七七四年:2011/11/15(火) 14:42:31.89 ID:SLvpW4+L
>>916 > 京で引きこもってちゃ、そりゃチャンスもないわな。
法的には流人なので
京都から出るには幕府の許可が必要だったはず。
918 :
人間七七四年:2011/11/15(火) 20:09:53.08 ID:BpciN+jH
大坂の陣で盛親が土佐一国を条件に入城してるけど、なんかみみっちくない?
ほぼ大勢の定まった時世に天下を相手に戦うんだから、土佐と伊予もしくは阿波とか、
それくらいはっちゃけててもいい気がするんだが
919 :
人間七七四年:2011/11/16(水) 10:25:16.68 ID:9+scNtHn
豊臣家では長曾我部は一条家の家臣、つまり豊臣家にとっては陪臣という認識だった
920 :
人間七七四年:2011/11/16(水) 23:56:33.16 ID:BOyelTxC
基本的なことなんだろうけど、なんで一条家の陪臣扱いされているの?
921 :
人間七七四年:2011/11/17(木) 07:05:05.96 ID:FLLchfo6
そりゃー元々は長曾我部の独立を一条が支援したからでしょ
922 :
人間七七四年:2011/11/17(木) 07:16:38.25 ID:Fz4PaiSw
でも元親が土佐一条をほろぼしてるのになあ
それとも京都一条のほう?
923 :
人間七七四年:2011/11/17(木) 14:22:55.43 ID:Rby+wEqr
豊臣時代の長宗我部は実力の割に官位が低かったが、これは秀吉が京都の公家に配慮したからか?
924 :
人間七七四年:2011/11/17(木) 14:42:53.36 ID:QnwZ4TOU
925 :
人間七七四年:2011/11/17(木) 14:45:12.35 ID:eJ9GH13w
豊臣だけでなく徳川の扱い見ても重んじられていないからね
926 :
人間七七四年:2011/11/17(木) 18:12:54.55 ID:+HAiG0aj
>>924 長宗我部はその滅亡まで、久礼田御所こと一条政親が土佐で顕在で、長宗我部も一応それを立てた形にしているんだよ。
例えば戸次川合戦で長宗我部が敗戦の責任を問われなかったのも、「陪臣だから」一義的な責任を追求されなかった、
と言われている。
龍造寺に対する鍋島みたいなものと認識されていた、という話だな。
927 :
人間七七四年:2011/11/17(木) 19:05:39.28 ID:RRtgxLfP
一条政親は関ヶ原の後で歴史から消えているのだが。
928 :
人間七七四年:2011/11/17(木) 19:09:44.40 ID:+HAiG0aj
そりゃあ持ち上げてた長宗我部がいなくなったからなあ。
929 :
人間七七四年:2011/11/17(木) 19:13:20.66 ID:G6y8FUWw
一条政親が上国である摂津守で、長宗我部元親は中国である土佐守なんだな。
あくまで名目上とはいえ格的には一条家を上に置いていたわけだ。
930 :
人間七七四年:2011/11/17(木) 19:43:40.35 ID:QnwZ4TOU
>>925 家康の秀吉死後の外様大名詣では
最初に長宗我部家じゃなかったっけ
931 :
人間七七四年:2011/11/18(金) 00:09:32.36 ID:IN7/IDzv
一条家は公家くくりじゃねぇの?
932 :
人間七七四年:2011/11/18(金) 00:48:22.50 ID:yp4LAcLV
公家なら京で朝廷に仕えないと
933 :
人間七七四年:2011/11/25(金) 13:31:33.32 ID:1WUSyaqZ
んなーこたない
934 :
人間七七四年:2011/11/25(金) 13:38:09.97 ID:/90dCj26
935 :
人間七七四年:2011/12/01(木) 03:24:50.91 ID:j3tfLd8v
長宗我部元親〜信親〜盛親で仲良い親子しつつ大河化して欲しいんだけど
終盤で
戸次川→えっそんな不条理な
関が原→えっそんな不条理な
大阪の陣→えっそんなry
で終盤フラストレーション溜まることうけ合い
戸次川の後に老いた元親が色々それっぽい事言って、盛親はダイジェストが無難か
まんま夏草の賦ですね
936 :
人間七七四年:2011/12/03(土) 10:35:04.35 ID:WVUO/9GT
>>935 長宗我部3代と後北条5代は大河ドラマ化してほしいよなあ。
937 :
人間七七四年:2011/12/17(土) 11:19:47.34 ID:3IpVYzM5
>>915 岩城貞隆が関ヶ原で改易の後に大坂の陣で東軍について信濃川中島で大名に復帰してるから
盛親も東軍につけば数万石とはいえ大名に返り咲けただろうな
939 :
人間七七四年:2012/01/17(火) 19:15:48.14 ID:2HDPRxkO
土佐に復帰できないと意味無い
940 :
人間七七四年:2012/01/24(火) 22:29:03.05 ID:yr8Ie6iu
>>970 本編もあと少しで終わるし需要あるかどうか・・・
>>971 生きていたならイーズ・ギルに(´・ω・`)
941 :
人間七七四年:2012/02/18(土) 11:34:18.51 ID:C8MlbevI
>>934 官位も何も土佐一条と京一条は同格だよ?
942 :
人間七七四年:2012/02/18(土) 19:42:09.41 ID:gmGYK7uI
なあなあ
なんでやまのうちごときは長宗我部の元家臣と子孫を徹底的に差別してしもたん?
943 :
人間七七四年:2012/02/19(日) 10:15:00.52 ID:q+L1gSPw
怖かったから
944 :
人間七七四年:2012/02/19(日) 17:45:21.66 ID:dJcL5vCM
才能で出世したわけじゃない上司ってのは
部下をいびるイヤな上司になりやすいんだよな。
無意識に自覚があるからだろうな。
945 :
人間七七四年:2012/02/20(月) 20:36:02.06 ID:jevNIgZe
ああいう政策をしたのは別に徳川からの指図があった訳じゃないよね?
946 :
人間七七四年:2012/02/23(木) 20:07:07.53 ID:WFICJAEl
>>942 > なんでやまのうちごときは長宗我部の元家臣と子孫を徹底的に差別してしもたん?
それは後世の捏造な。明治後の自由民権運動のころの。
幕末の土佐藩の執政者だった吉田東洋も長宗我部系だぞ。
947 :
人間七七四年:2012/02/23(木) 21:17:45.45 ID:Fj0icrLY
はあ?
上士と下士に分けた次点で徹底的に差別してるだろうが
948 :
人間七七四年:2012/02/23(木) 22:02:33.80 ID:WFICJAEl
そもそも土佐で幕末に上士と対立した「下士」というのは、そのほとんどが
商工業や農業での経済的な成功から新たに「郷士株」を購入した新興ブルジョア層だ。長宗我部侍とは
かなり違う。彼らが「長宗我部侍」とされたのは、維新後の後付の設定だ。
949 :
人間七七四年:2012/02/23(木) 22:45:09.65 ID:gd1XxK/8
真の長宗我部侍のほとんどは大坂の陣で盛親と共に戦い
死んでいるとかなんですかね?
950 :
人間七七四年:2012/02/23(木) 23:56:08.03 ID:/T7jLLw6
800人しか居ないのかよw
951 :
人間七七四年:2012/02/24(金) 20:57:01.89 ID:Bm5nr5Ws
>>948 弥九郎の子孫は下士なのも君がいう後付設定とやらなのか?
952 :
人間七七四年:2012/02/26(日) 17:20:34.96 ID:R+dD4BtP
土居清良って、誰だよ。。。。。。。。。。。。
土佐物語読んだけど、出てこないよ。
長宗我部の伊予方面軍を鉄砲のつるべ打ちで全滅させた?は?
953 :
人間七七四年:2012/02/26(日) 22:19:38.66 ID:R+dD4BtP
土居義清って、なってる。同一人物か?????????
954 :
人間七七四年:2012/02/27(月) 09:04:20.94 ID:vVNtbA/Q
955 :
人間七七四年:2012/02/27(月) 21:16:17.94 ID:duJIn7Nf
最大限の処遇というのは、下士だけど有能だから上士の仕事をさせたことを言ってるのかな?
けど身分制度では下士のまま
956 :
人間七七四年:2012/02/28(火) 04:06:26.04 ID:sHQiH5Zr
>>951 弥九郎の子孫の中に、下士もいる。ってだけだろ。
957 :
人間七七四年:2012/03/06(火) 17:16:22.22 ID:G8dGGwSp
元親がカツオのタタキの発明者ってホンマでっか?
958 :
人間七七四年:2012/03/09(金) 16:01:04.50 ID:GwXyxxLI
山内一豊が生のカツオを食べるのを禁じたため、表面を焼いて、焼き魚ですってごまかしたのが発祥という説は見たこと有るが、
ちょうすけべもとちかんさんとの関連は、見たことも聞いたこともありません。
959 :
人間七七四年:2012/03/09(金) 18:57:19.00 ID:rJ3MZDqj
実際には明治後だろ、かつおのたたきの発生は。
960 :
人間七七四年:2012/04/23(月) 00:09:20.66 ID:J5nl1GWg
5/16に歴史秘話ヒストリアで長宗我部一族やるみたい
楽しみ楽しみ
961 :
人間七七四年:2012/04/23(月) 01:07:32.86 ID:s6mMyROl
>>959 どうして土豪は平気で嘘をつくかな? 山内が土佐に食文化を広めたわけだが。
962 :
人間七七四年:2012/05/16(水) 02:58:32.83 ID:fsDmeT4T
オキザリスとかいう変な漫画が始まってから長宗我部には興味がなくなった
963 :
人間七七四年:2012/05/16(水) 11:57:46.45 ID:atAQCCgL
964 :
人間七七四年:2012/05/16(水) 19:59:44.19 ID:MAcCntDg
元親アニキッ!!
965 :
人間七七四年:2012/05/16(水) 22:09:14.37 ID:oXKy+zrS
誉めすぎ。まあ主役だからいいか。
966 :
人間七七四年:2012/05/16(水) 22:52:51.28 ID:hIHUugwV
大坂夏の陣
長宗我部隊大活躍!
藤堂隊を殲滅
967 :
人間七七四年:2012/05/23(水) 18:40:54.62 ID:uOFjeZwl
968 :
人間七七四年:2012/05/23(水) 22:54:21.50 ID:vkAGIboj
969 :
人間七七四年:2012/05/24(木) 18:37:35.95 ID:daozgt1G
>>967 テロリスト集団を屠った行為は褒め称えられるべき。
オタクはアルカイダの慰霊祭も是とするのか?
970 :
人間七七四年:2012/05/24(木) 20:03:14.39 ID:RUfx5DI1
>>969 バカですか?
いや、キチガイですね? 分かります。
971 :
人間七七四年:2012/05/24(木) 20:06:55.02 ID:HOo9O5x2
どうせならタリバンにたとえろよ
馬鹿か
972 :
人間七七四年:2012/05/25(金) 18:22:18.35 ID:WvnfMwu5
長宗我部って四国統一したら、近畿と中国どっちに進出すんの?
973 :
人間七七四年:2012/05/25(金) 20:08:18.16 ID:NAn9S6UM
長宗我部は四国を統一してませんが何か。
長宗我部が中国近畿九州いずれに侵攻しても即一手詰み。
974 :
人間七七四年:2012/05/25(金) 21:31:06.42 ID:WvnfMwu5
まあ、質問文が簡易すぎたのは悪かったけど、それにしても「したら、」と言うとろうが。
1580年頃の諸情勢を勘案して、どういう流れになったのかということです。
975 :
人間七七四年:2012/05/26(土) 02:21:31.41 ID:celnBJGK
天下取りを狙っていたわけだから、都に近い方面へ進軍するのは当然として、同時に
背後の憂いを消しておくことも必要だから、中国・九州平定が先かもしれないけれど
そこは放っておいて、急いで上洛というのが現実的だろうね。
976 :
人間七七四年:2012/05/26(土) 02:45:45.49 ID:Dyf5BrsT
水軍がないから四国から出られない
977 :
人間七七四年:2012/05/26(土) 23:51:22.90 ID:celnBJGK
四国を平定すれば、忽那・来島・塩飽などなどの水軍を配下に出来るわけだが↑は何言ってるんだ?
978 :
人間七七四年:2012/05/27(日) 01:10:40.20 ID:D3heVzrE
IFなんて答えは出ないよ
979 :
人間七七四年:2012/05/27(日) 04:57:56.21 ID:3I+K9aR6
投票すれでID変えてしつこく「長宗我部」と書き込んでる基地外どうにかならんかな
スレ住人に嫌われてるからなあいつ
自演ばれてないと思ってるみたい
980 :
人間七七四年:2012/05/27(日) 05:02:45.58 ID:3I+K9aR6
>>967 参加者たった200人かよW
まぁテロリストに賛同する人はあまりいないか
981 :
人間七七四年:2012/05/27(日) 09:23:06.91 ID:g2774pK7
ID変えて連投は「山内家」と「蜂須賀家」の奴で「長宗我部家」じゃなかったぞ
982 :
人間七七四年:2012/05/27(日) 10:51:29.84 ID:f+UBXRvo
通りすがりにお祭りボーイと命名されてしまった奴のことか
983 :
人間七七四年:2012/05/27(日) 11:12:52.60 ID:g2774pK7
あ、わかっちゃった。
>>982=「自称『通りすがり』くん」=「『山内家』&『蜂須賀家』連投くん」
=荒らし【我是正牌的 ◆9jqT62Xq22(=岡山嘘吐気違蛆虫)】だね。
きみ、いろんなところで自己主張してて嫌われてるんだね。
984 :
人間七七四年:2012/05/27(日) 11:14:19.12 ID:g2774pK7
985 :
人間七七四年:
誰アナタ?他スレの争いをこっちにもってくるなよ
投票スレ云々が書いてあったから見に行っただけなのに