1 :
黒澤敏晃:
普通に三好でしょ。
信長がいなくても三好は崩壊してんじゃないの
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 23:12:02 ID:ZyHmiuwZ
伊達政宗だったりして。上杉や島津も有力候補だが。
家康もあり得る。
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 23:15:45 ID:PXUEga73
今川義元じゃない?足利家みたいに有力勢力だらけの弱体政権になるだろうけど。
毛利だな。
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 23:26:54 ID:OITxKX5m
一先ず、秀吉と家康はいなくなるだろうし、明智もないな。
伊達ががんばってくれそうだけど、本能寺みたいなことが起こってる可能性もあるし・・・。
案外いないんじゃないか?
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 23:27:44 ID:DAGcFQpm
秀吉が浅井か今川に仕えたのちに
天下獲り
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 00:23:02 ID:TbueTqHL
誰も取れなそうだな。
その変わり綺麗に地方にそれぞれブロックができそう。
東北伊達
関東北条
東海今川
甲信武田
北陸上杉
近畿三好
四国長宗我部
中国毛利
九州島津
今川も義元の代までは行くとこまでは行きそうだが、氏真の代になるとやばいと思う。
10 :
湯原直彦:2006/10/23(月) 00:45:28 ID:MiIjpBf0
美濃斉藤氏なんて意外といけそうじゃない?
あのまま室町末期的なのが続いて
1600年頃に新たな英雄登場とマジレス
あのまま小国分裂して19世紀に欧州列強に侵略アボン
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 18:50:51 ID:Q9HVPTz3
以外とキリシタン大名が台頭するかもよ。
外国から鉄砲に必要な硝石を、宣教師の影響で流通したから、彼らを味方に
つけた大名が、天下人に最もちかずくでしょう。 <信長方式>
天下をどれだけ意識できるかが、問題。 毛利は断念したし、上杉謙信も
戦略性に欠陥あったし、信玄も優秀だけど変革者になりえないし、
島津、長サカベ、伊達、地政学的に無理ぽいし。そこまでやる気もおきなかったはず。
今川は以外と西に勢力を伸ばし、強大になったかも。
問題は、どこまで変革するやる気と、行動力がもてるかだ。
結論 誰もとれない
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 18:56:47 ID:HbulLAgY
マジレスするとチンギスハン
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 19:14:54 ID:KO+/P/HQ
島津が北九州に進出してくる以前、大友宗麟が毛利と関門海峡あたりで天下分け目
の合戦をして勝利、毛利を滅ぼし、四国を簡単に平定して上洛する。あとは朝廷
から官位のもらい島津ももはや降伏するしかない。ここまでくると東国平定は時間
の問題。その奇抜な発想、先進性、耳川の合戦のおり神社、仏閣を破壊しながら
進軍したことなどからわかるように、この人物は中世的権威など微塵もおそれてい
ない。信長に変わる英雄は大友宗麟をおいて他にない。
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 19:20:46 ID:xCciuY35
今川は義元の代は奮闘するも、義元なき後は失速、武田と上杉は川中島で伝説作りという名のオナニーを続け、毛利は元就の意向を尊重し中国地方統一で足踏み、北条、島津、伊達も同様に地方統一止まり。
結局、統一勢力が現れないまま、1853年にペリーが浦賀にやって来て、米国の傘下に降った北条(浦賀なので)が最新鋭の武器と戦略を駆使し、日本統一。
アメリカ合衆国ジャパン州誕生。その時の北条家当主がジャパン州初代知事となる。
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 20:03:58 ID:cYYl1UhT
マジレスすると、2006年あたりに俺
信長死亡
.
.
.
.
いろいろあって
.
.
.
1590一条幕府成立
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 20:35:13 ID:8aAObZOq
伊達政宗
億の確率でそれ無いと思われ。
>>17 いや、11や12も言っているが、そうなったら列強の英仏も毛利や島津と組んで、
国内代理戦争状態となって列強の草刈場となってしまうだろう・・・清のように
やっぱ信長は偉大だったんだな〜大殺戮者だけどw
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 22:12:29 ID:A0WKPSsC
ルソンがジャポンを制圧に100ペソ
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 22:48:33 ID:2e69L/GH
信長の死後おそらく信勝(だっけ)が織田家を継いで松平状態になると思われる。足利家に代わりうる名家である義元が尾張の国力を手に入れたら、幕府再興は目前なんじゃないだろうか。
列強うんぬんの話は否定できない。
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 23:59:37 ID:5X3nLCxM
果心居士w
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 19:17:44 ID:xLC8mI3o
堺の商人連合
政教分離できずに近代化が100年遅れて帝国主義の波に飲まれて日本は消滅
28 :
名無しさん:2006/10/28(土) 03:56:49 ID:VB+rObzE
北条氏直かな
義元や信玄の代では強敵との小競り合いで終わってしまう
信長のように兵農分離をしないと天下はすぐに取れないだろう
斉藤かな。上杉はいかんせん地理が・・・前田のほうがまだ有利な気ガス
武田はない。信玄が100歳まで生きればあるがw
あと地味に池田家とかか?
30 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 12:40:44 ID:fGXhPKm4
前田?
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 15:15:28 ID:MBAG0cPm
ナカナカ統一には、時間がかかりそーな気がするが。九州、中国、四国と各地方ごとの安定期になりそうやけどな。
>>30 多分慶次が10万人ぐらいぶった切って天下取るって事だよw
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 19:11:00 ID:xEfHFpTP
浅井長政はどうですか?
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 20:12:37 ID:7rehRzgt
>>33 浅井はむしろ信長居た方が良かったと思う
信長を裏切らなければ家康になれた可能性もある
明智光秀を討ち取って信長の後継者に、そしてめぐりめぐって家康と関ヶ原で決戦、そして天下人に
妄想失礼
35 :
名無しさん@お腹いっぱい:2006/10/28(土) 21:27:09 ID:AUR+qJZJ
普通に武田でしょう。
36 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 21:52:09 ID:xEfHFpTP
>>35上杉謙信という障害があるから、そうすんなりいかないと思うよ
となると浅井か、斉藤、大友だと思う
>>36 大友?毛利倒して行けますか?
上杉は領土侵攻しないんじゃなかったっけ
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 22:09:55 ID:xEfHFpTP
>>37上杉の場合武田が野心むき出しの状態だと、他国から救援を求められて武田の侵攻を阻止すると思う(川中島の戦い等)
大友に関しては元就死後なら何とかなると思う
39 :
湯原直彦:2006/10/29(日) 00:46:42 ID:nm7JEHK+
島津じゃないかな?
背後に敵もいないし、九州を統一した国力があればチョウソカベと結んで毛利だって倒せるでしょ
>>38 上洛目指したらもう北には侵攻しないと思ふ
野心剥き出しで京を目指したら上杉が甲斐に向けて進行するってこと?
>>39 それはゲームのやりすぎ、確かにゲームだとかなり有利だけど
それにチョウソカベと結んでって仮定つくるなら
毛利だってチョウソカベと組んだらとか言えるし
そもそもチョウソカベと組んで何故チョウソカベがシマズに
天下を渡すのかなぁ、利用してチョウソカベの天下かも
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 02:30:53 ID:ZOrEKi1x
だな
島津は九州統一したとはいえ財政立て直しに必死でそれどころじゃないだろ
手堅い家柄だし、守りを固めてる間に天下は他家に転がりこんでるはず
しかし、それは長曽我部ではな〜い
毛利と長曽我部は敵対してたから組む可能性は極めて低いかと
というか九州制覇すれば別に長曽我部と組まなくても毛利潰せるでしょ
もっとも普通に考えれば毛利の方が天下に近いが
さらに普通に考えて武田だろうな
44 :
湯原直彦:2006/10/29(日) 03:08:49 ID:nm7JEHK+
おまいら、北条を忘れてませんか?
後北条が天下を取る様は想像できんな
いや、悪い意味ではなく
仮に関東一統下したとして、
そのあとは上洛、ではなく関東の安全保障を考え出しそうな気がする。
とりあえずは周辺地域(甲信越、南東北、駿河)を直接征するか、或いは同盟国で固めるか。
特に越後の上杉は対決以外には無いだろうから。
全国規模で三本の指にはいるくらいの有力諸侯にはなり得るだろうし、
豊臣政権のような有力大名の合議制ならば、主導権を握れる立場にはなれるかもしれない。
しかしそれ以上はちょっと・・・。
46 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 06:25:08 ID:hIMmTxGy
桶狭間で信長が敗れたなら、今川は、4カ国を治める大名になってしまうしなー。後継者がショボいのはあるが・・秀吉出番なしやなー
>>45 それだよ。野心がないというか、やる気がない。致命的。
>>43 北条、上杉以下にしかなれんな。
>>39 地方と中央じゃ装備から何から全然違う時代。島津はない。
彫塑壁なんて、島流しに会った奴らなんかでは何も出来んよ。所詮四国だ。
今川の家臣の誰か。斉藤系あたりか。宇喜多は地理的に無理だろうな。
やっぱ池田かな。家康的に最後おいしいところを頂いてw
今川が勝って家臣に家康や秀吉になったら、
やっぱり秀吉が先に出世するんだろうか?
>>45 どのみち信長が居ない以上は氏康や氏政の代でどうこうなるもんでも無さそうだし、
氏直以降の北条家がどうなるかだからまるっきり未知数だな。
ただ関東を抑えた徳川家康が結果的に天下を取ったわけで、
それ以上に大きくなる北条家が、どうなるかは見ものではある。
この家は信長の進撃と何の関係もなく大きくなってるので、
やっぱり史実どおり大きくなるだろうし。
逆に上で長宗我部がどうこう言ってるけど、この家は三好の没落なしには語れないので、
信長がいないとなると逆にあそこまで進撃できたかどうかはわからない。
武田も足利義昭の画策があって初めて上洛を目指せたわけで
やはり信長がいなかったら動くのは極めて難しいかと
それに今川が駿河から尾張まで支配してしまっては地理的にも厳しい
51 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 13:22:57 ID:b0KvGW7Q
北条は情勢が変わればわからんですよ
戦力は足りてるうえに後顧の憂いが少ないんだから
北条の東征は結局小競り合いの段階で劣勢で前線を思うように構築できなかったから大規模な作戦ができなかっただけで、歴史が変わって武田が早めに動いて三国同盟が瓦解したりすればね
鎌倉が木曽義仲の先行を見事差し切ってゴール!!
みたいな
関東政権再びはあるよ
義昭、光秀をお忘れじゃありませんか?
信長あっての光秀と思いますが・・・。
信長以外は光秀を評価、重要視してくれなかったでしょうか。
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 13:47:46 ID:bzKtDB9M
義元が尾張を手中に入れ伊勢伊賀近江経由で上洛
三好一党と小競り合いを続けて体力消耗で早死
いよいよ氏真登場で滅亡へのカウントダウン
近畿は混迷の中大乱へと推移
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 16:39:20 ID:y04Hcczi
普通に今川だろう
すぐ崩壊しそうな政権だが
56 :
湯原直彦:2006/10/29(日) 22:08:20 ID:nm7JEHK+
朝倉なんてどうよ?
義景の次代がどうかによると思う
>>56 出る杭は打たれるので無理
中途半端な大名では天下統一までは無理
包囲網作られてもブチ破る力のある大名を考えないと
徳川家康
本願寺
結局は、戦術的に鉄砲の時代になったから・・・・・・・細川w
えーと、あとクロカンとか。
それか、明。
ロクな予想じゃないなw
普通に今川家じゃないだろうか?
氏真の人物像云々をいうが、戦国大名の伸長は人物の優劣以上に
環境がものをいうから。
桶狭間で信長が死んでいたら、尾張が分裂し、
最終的には隣国の今川によって尾張が平定されていたような気がする。
その場合、織田徳川連合の地位に今川があったような気がする。
今川が、駿河・遠江・三河・尾張を平定した時点でおよそ130万石。
その今川が織田が歩んだ道を歩いていたような気がする。
家柄は織田と違って、正当性がある家柄だし、
織田よりもすんなり天下を統一していたような気がする。
その場合、今川家は足利家をどう扱っていたかな?
自分が取って代わるか、それとも足利宗家をたてた秩序の構築を望んでいたか。
63 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 13:03:21 ID:4sm9zCel
当時の戦国武将達は京に旗を立てるのが目的でその後の地方平定はどうでもいいと思ってたんじゃない?だから誰が京に上っても本当の意味での統一は出来ないと思う! ならどうせるかと言うと征夷大将軍に任命されること=天下統一と考えると足利一門の誰かかな?
64 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 14:27:20 ID:tH+Erfeq
普通に今川が得宗家のような立場になり
執権政治をして征夷大将軍は名誉職になってただろうな。
鎌倉時代のように親王を執権が押し戴き
実質的な日本の王家として今川家が駿河(もしくは京)に本拠を置き
幕府政治をするであろう事は想像に難くない。
徳川幕府も、かなり高い確率で4代で途切れて
酒井忠清等が朝廷から征夷大将軍を押し戴き
大老幕府になる公算は強かった。
氏真はボンクラ扱いされてるけど
個人的にはそんなに悪い君主には思えないんだよなぁ
義元がもう少し生き残って教育しっかりしてれば
意外にいいかんじに育ったんじゃないかね
氏真は30歳過ぎてから家督相続していたら評価が変わると思うよ
動揺したまま終わっちゃったからね
若くして家督をついでうまいことやった信長や晴信や政宗らがエライんであって
同じような状況でしくじったからってヘタレ呼ばわりはかわいそうかな
特に氏真や龍興は周囲の状況が状況だし
68 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 20:00:17 ID:tH+Erfeq
上洛するのには斉藤・浅井・六角を手懐けるか屈服させないといけないわけだが
最難関はどう考えても斉藤でしょう。
しかし、政略結婚で斉藤と結ばれて天下を分ける同士として両者が一緒に上洛すれば
京までの道は誰一人遮れないだろう。
また、全く違う天下取りを目指すなら
頼朝を真似して源氏の棟梁の地位を自称し(自称できるだけの家柄の良さはある)
戦国で荒れて土地の所有権がズタボロになった東海・関東付近で
今川家が次々と小領主や地頭等に土地所有権の法的権威を与え
京の政権に対しては武家の自治権を認めるよう(要するに土地の領有権を認めさせ)
パフォーマンスをし、東海から関東以東の領主・地頭・地侍・地主の支持を取り付け
最終的にに駿河幕府の承認を得てしまえば、今川幕府の誕生ですよね。
力の無い足利幕府や朝廷はなし崩し的に認めざるを得ない。
また、今川討伐に足利幕府が来れば足利幕府滅亡への大義名分が得られ
今川が正統な征夷大将軍に任命される絶好な機会になる。
69 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 20:10:08 ID:tH+Erfeq
今川幕府が出来ても実質的な実力者である後北条家が
今川将軍の執権になり権力を乗っ取る可能性も十二分にあると思う。
歴史は繰り返すとも言いますしね。
そしたら実質的な幕府の位置が駿河から小田原に移転し
その状態で200年後、黒船来航があり、北条時宗のような人物が元寇時のように活躍して撃退するか
もしくは占領されて植民地化されてしまうか
新勢力が朝廷を押し立てて北条幕府を討伐・大政奉還させて
明治維新を繰り広げるのか無限に妄想出来る。
70 :
湯原直彦:2006/10/31(火) 23:19:10 ID:hFuWlxjY
松永久秀
今川が勝ったら有利にはかわりないけど、
いくら大群や名将が揃ってもトップがダメだと
それが活きない。戦国時代は下克上、無能な大名が
家臣にその座を奪われるのが日常茶飯事。
ってことで、秀吉が今川配下になったと予想すると
結局は秀吉・家康が出てくる。
今川→家康がしっくりくるパターンだよなあ
今川の天下取りと織田・豊臣が同じパターンになるとは思えない
家康の台頭の可能性とか天文学的確率だろ
74 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 00:07:32 ID:Lnv7bix+
家康の台頭は無いね。
せいぜい三河一郡の領主止まりでしょう。
もちろん酒井や石川と同格程度。
>>69 考えた事もなかった、氏康が早雲のごとく、氏真を保護しつつ、
鎌倉北条家のごとく執権につくのか、面白い妄想だ。
有り得ないとは言い切れないな。
今川のトップが信長ほどに秀吉を取り立てたとは思えんな
今川政権が崩壊したとしても、その後の政権を狙えるほどの立場には居ない気がする
77 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 00:30:40 ID:Lnv7bix+
織田信長の最大の長所は血筋、家柄と関係なく
能力ある者を取り立てて重用する所だからね。
秀吉、一益、光秀は信長の所に居なかったら城主にすらなれなかった。
信長が父親が死んだ時点では寡兵でカリスマもなく有能な家臣も少なかったんだから
やはり偉人だよ。
78 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 01:00:40 ID:smP650vs
光源院様にきまっておろうが。
>>63 天下統一を狙っていたのは一部の地方の大名だと思う。
近畿地方とか濃尾平野とかそのへんでしょう?
東海や中国地方でぎりぎりどうかな?ってぐらいで。
例えば、武田信玄の場合、天下統一なんて考えなかったと思う。
どう考えても、甲斐から天下を狙うのは、かなり無理だから。
甲斐を中心に出来るだけ領国を拡大できればってのが現実的。
北条とかだと、中央から独立性をもった関東共栄圏みたいなのを
目指していたように思う。というか、地政学的に見て
関東は、平将門、源義家、源頼朝、北条義時、足利持氏など
みんなそうでしょう?
80 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 09:53:13 ID:warr2HfU
義元が信長を討ち、尾張を吸収
今川家は氏真を当主に、義元の娘婿、氏真から見て義弟の家康が宿老となり
次第に実権は家康が掌握、武田と北条とは三国同盟を維持しつつ
近江、山城を抑え、足利本家に万が一の事が有れば今川が後を・・・って
古来よりの不文律を利用しつつ国力を蓄える
その内信玄が死ぬのを待って甲斐、信濃を吸収
その頃には本来の歴史での信長の最大勢力位にはなってそう
それでも、家康が天下統一を掲げるかは不明
信長がやろうとしたのでそういう意識が生まれた
家康なら、信長いなければそんなこと考えもせずに
いたかも。それに武田に勝てるかも疑わしい。
>>80 >今川家は氏真を当主に、義元の娘婿、氏真から見て義弟の家康が宿老となり
姪だよ
それに家康が今川家を傀儡化しようとしたら義兄弟の北条武田に頼るんじゃないか。
それに60年の段階で三河数郡程度の徳川じゃ今川家中で実験握るのは難しいのでは。
83 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 12:07:50 ID:41MS43P0
ふつーに今川。残念ながら秀吉の目は、なくなるな。松平には、目がのこるんじゃないのか
家康は信長に好き勝手使われてた時代に野心が芽生えたんだろうから
名門今川家で結構いいポジション与えられたまま出世していったら
普通に氏真に仕えて大老かなんかになってたかもね
85 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 14:02:58 ID:Lnv7bix+
今川家内で徳川の地位なんか、マジに低いから出世するのは無理。
織田家への盾として家康を使おうとしただけで
御一門に引き立てて重役を担わそうとしたわけではない。
織田家処分が済んだら、家康に対しては警戒して
それ以上の加増はしない。せいぜい三河一国の領主で終わる。
実際に、信長が家康の矢のような催促にも関わらず
高天遠城の救援などをサボタージュしたのは
家康を味方に付けたいが、家康が一方的に武田に勝って領土を増やすのも
好ましくないという、信長の自分勝手な一面が原因の一つにある。
友好的な親藩として家康に三河、遠江の二カ国は与える気であったが
それ以上、石高を増やす気など全くなかった。
結果的に穴山梅雪名義で駿河も徳川領になったが
信長はいざとなったら、梅雪が家康を裏切って信長に付く事は
お見通しだったから、家康の顔を立てて梅雪に駿河安堵を認めてあげただけだしね。
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 14:05:48 ID:Lnv7bix+
まあ、たとえが適してるか分らないが
今川義元が袁術(えんじゅつ)で
徳川家康が孫策(そんさく)だと考えれば
分りやすいと思う。
家康に関して言えば
木曽義昌が武田家を牛耳れるか
畠山や細川や遠山や苗木が織田家を牛耳れるか
太田や足利や千葉や吉良や葛山が北条家を牛耳れるか
みたいなものだな
姫の嫁ぎ先としては大きく分けると対等な大名、一門、
有力な重臣、新規に加わった国人とかいくつか種類あるけど
家康の場合は新規に加わった国人に当て嵌まると思う。
武田で言う所の木曽氏みたいな感じに。
家康の代では武田家における穴山のポジションには立てないでしょ。
88 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 15:33:17 ID:Lnv7bix+
北条は独立した大名になってたけど
今川が天下を獲る過程で北条を客将や賓客待遇で傘下に収めれば
豊臣家における徳川家の立場と全く同じになる。
無理をしなくとも、普通に執権程度にはなれるものね。
徳川は残念だけど、やはり論外かな。
今川家生え抜きの有力家臣というと誰が居る?
90 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 17:50:02 ID:6nLkTgf0
やはり一旦は今川が覇権を握るのが自然な流れだろう。中世的な土地支配であり、
織田ほどの強力さはないものの、三好辺りの脆弱な支配力よりはマシ。
ただし、中世的な支配構造になるだろうから、せいぜい室町中期以降の畿内政権が
いいとこ。武田や上杉、北条、毛利などの列強と危うい外交の上にバランスを
とっているうちに、辺境の大名が地方統一を果たして対立する。
統一ということを命題として考えるならやっぱり最右翼は伊達。島津、大友はまわり
に有力大名があるので難しいのではないか。
91 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 17:58:15 ID:Lnv7bix+
92 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 18:02:15 ID:Lnv7bix+
>>90 今川は分国法や楽市楽座でも分かるように
完全に織田型の戦国大名だよ。
織田と唯一の違いは、家格があるから
今川と縁のある名門を少し重要視したぐらいだと思う。
>>85 義元は家康をかなり重視していたよ。自分の姪を嫁がせたり
雪斎に家康の教育を任せたり。
将来的には今川家の準一門としての抜擢だったように思う。
やはり、三河20万石に強力な根があった松平家の有力な旗頭だし。
家康にとっては、今川家よりも織田家のほうが憎むべき敵だったと思う。
もともと、三河は吉良氏が国主で、松平はそこから急成長した土豪、
家康はその松平家の中の一つの有力分家にすぎず、
駿河の大国・名門の今川家のバックアップを受けることは好待遇だ。
逆に、尾張の織田信秀は、父祖の代から何度も戦って戦死者を出した憎き相手。
家格も松平と似たり寄ったりの成り上がりもの。
94 :
黒澤敏晃:2006/11/01(水) 20:58:40 ID:H6OBAC3c
斉藤道三がもう少し長生きしていれば・・・
95 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 21:48:21 ID:O9FYAT1u
あえて松平と言わせてもらうが、松平は今川が順調に勢力を伸ばせばかなり一門衆に近い譜代衆の扱いで要職を務める忠臣になると思うよ。
何でもかんでも後の歴史からの逆算なんて無理があるよ。
人の身の振り方なんて能力以前に環境と関係だよ。
>>93 精々信長の蒲生に対する扱い程度にしか見えないんだが、
姪と言っても男系の姪では無いし。
それに60年の段階じゃ松平は庶家合わせても西三河の大部分でいいとこ10万石じゃないか
直系の一門じゃないから、対立候補とならないためある程度の力は持てるだろうけど。
97 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 22:38:38 ID:zZmqXSpa
厚遇つってもあくまで外様衆に対する厚遇だからな。
今川家みたいな名門の場合、中枢は族臣で固めるから元康が加わる余地はないだろう。
今の会社で例えるとグループ企業の販売会社の社長は任せてもらえるけど、
本社中枢の総務部や人事部は一族で固められて入れてもらえないって感じかな。
>>96 雪斎に家康の教育をさせた事は相当な重大事だろ。
義元も一流の武将だから、ただの善意や憐憫の情だけでこういった事はすまいよ。
次代の、氏真を支える武将の一人くらいには仕立て上げようとしていたと見るが。
99 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 22:45:42 ID:Lnv7bix+
今川家における元康が
徳川家における井伊家や大久保家程度の扱いは受けられたであろうと?
今川家は名門中の名門だし、御親類集や代々の家臣があれほど多いのに
当主が実力を認めても親類衆が認めないだろう。
新興の織田家や徳川家とは一緒に出来ない。
100 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 22:54:40 ID:Lnv7bix+
まあ、今川家の執権や筆頭家老にはなれないが
仮に今川二十四将とか名付けられれば、その中には松平元康は
きっと入ったはずだろうと思う。
武田家における小山田や穴山のような待遇は無理だが
山縣や馬場くらいの重用はされたのでは。
>>98 >次代の、氏真を支える武将の一人くらいには仕立て上げようとしていたと見るが。
だから結局その程度の武将ってことじゃないの?
ただの外様を譜代クラスにまで引き上げたとかなり優遇されてはいるが
それでも多々の重臣の一人という程度なんじゃ。
所領も西三河をある程度だし、
講談などを信じるなら元康は今川譜代の命を受ける立場にあるから
家中での地位も低いことになるし。
今川は名門意識強いし
織田と戦ってる時期だから隣接する松平に多少気を使っていたが
勢力拡大するごとに譜代が幅を効かせて松平とか隅に追いやられそうだが
103 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 19:05:57 ID:r1f2XGIN
義元は、家康に桶狭間の前の丸根砦攻撃に2千5百の兵を率いさせている。
その時、今川家重臣の朝比奈泰朝に2千率いさせているので、すでに
宿老の1人としての扱いをしている気がする。
104 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 22:30:08 ID:CVcrsckI
2千5百人の内訳が分らないけど
義元が元康を一方の旗頭にすると宣言した事で松平家の旧臣や
三河近郊の地侍や野武士が元康傘下に集まったという事はない?
もし、今川領の兵士を2千5百人分け与えて家康に差配させたとしたら
物凄い期待の仕方だし、また不自然に感じる。
あえて義元が元康を一方の将に立てたのは三河武士への懐柔と
一人でも多くの浪人を参集させる目的だったと思えてならない。
木下藤吉郎も足軽大将という役目を信長から仰せつかったが
兵のほとんどは自前で集めた蜂須賀小六などの兵だったというし
明智光秀も最初に手兵に出来たのは朝倉家で五百貫文の捨扶持を与えられた時に
彼の親戚筋や明智家の旧臣等が集まったもので、朝倉家や、その後に仕えた織田家から
即座に大きな兵を貸し与えられたわけではない。
105 :
。:2006/11/02(木) 22:44:14 ID:IfqSLpOX
史実を考えると、今川を武田が滅ぼして1580年頃には武田を中心に、
東北…史実通り小競り合い
関東…北条が若干押されて武田が進出
東海信州…今川を武田が滅ぼし、完全平定
中部琵琶湖…武田が破竹の進撃、北でわずかに上杉
北陸…全部上杉の『横長領地』
近畿…大和などの東側は武田だが京都・堺などの主要都市と大阪湾は毛利が独占
四国…ほぼ史実通りだが毛利が讃岐へ
中国…毛利が完全平定。敵無し
九州…史実通りだが大友は危機的
だろうなぁ(・ω・)
106 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 22:47:32 ID:CVcrsckI
>>105 義元の寿命によると思う。
義元って信虎や晴信に勝るとも劣らない大名だったらしいじゃない。
少なくとも義元が元康をそれなりに大事に思っていたのは間違いないと思うな、
自分にとっても師にあたる太原雪斎に教育させた事もそうだし、
天下を取った後、家康は先祖伝来の地であり、一族も居るであろう三河ではなく、
何故か駿府で晩年を過ごしている。最早誰の気兼ねも必要ないのに、
なぜわざわざ人質時代の苦い思い出のはずの駿府へ?
ここに家康の本音があると思う。
家康死後の徳川政権にとっては家康は東照大権現様であってもらわねばならず、
人質として暮らしていた時代など権現様不遇の時代として見なければならず
えてしてあってはならない事として伝えていかねばならないが、
当の家康は義元から大事にされ、雪斎に教えられた、幼年期として
とても良い思い出だったのではないかと思う。
現在の静岡県駿府城跡にさりげなく晩年の家康の資料などがあって、それらを見てふと思った。
108 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 23:14:48 ID:O5BOOyEH
>>105 その仮定なら、天下は毛利と武田で二分されるのか。
毛利は九州や四国に目を向けて。
武田は北陸と東北に目を向ける。
武田も信玄の寿命次第でどれだけ勢いづけられるか。
109 :
。:2006/11/03(金) 00:07:59 ID:YqtU038v
西国は毛利家中心で間違いないと思う。大友と三好は史実からして天下争いに関しては論外、長宗我部は毛利水軍に叩かれるはず、島津は…もったいないよなぁ地理的に。東の伊達と同じだ…
やっぱ輝元をギリギリまで補佐し続けた元就を軸とした吉川小早川の毛利両川体制が東国代表と激突するんぢゃないかと。
でも少なくとも天下狙いの野心が小さい元就と隆景がいる限り京都は確保しても琵琶湖以東までは進出しないかな。
三好家は信長が来ないなら論外と言うほどでもないような気がする。
111 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 03:59:43 ID:312o9W1w
三好家が天下獲りの一候補である事は確実なんだろうけど
なんで久秀程度にいいようにされてたんだろう?
また、せっかく畿内に居るのに堺への莫大な矢銭支払命令や鉄砲の差し押さえ
官位の積極利用、幕府・朝廷の外交利用、大規模な築城、貨幣の鋳造
傭兵部隊の増強、領土の拡大など、しなければならない事が山積みなのに
あまり有効に自分の立場を使ってたように見えない。
長慶が早く死にすぎたな
113 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 05:49:32 ID:HAcfNhrO
ムサカ義元
114 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 08:52:11 ID:LtqXpocM
強いものが現れれば対抗するために、対抗勢力が結集しようとするだろう。
織田方は生き残るために、将軍家・斉藤・北畠・朝倉・上杉・里見と外交
攻勢を展開するかもしれない。
翌年、憲政・謙信は関東に侵入し関東諸将が呼応。一方の義氏・氏康に
義元・信玄の援軍が到着し、場所は厩橋か河越か、両軍合わせて20万余
の大軍が対峙する。
東国はどちらの陣営につくか決めなくてはならなくなり、戦後、勝者を
中心に東国は運営され、いずれ京へ向かうこととなる。
勝っても京に向うとは限らない
あの時代、天下を取るという発想がそもそも希薄になった
だから地方騒乱が他の時代とは全く違うほど激しいレベルで戦われた
むしろ自己の本拠地から近いところを順番に取っていく非効率的な勢力拡大を繰り返して誰も天下取れませんってオチになるだろうな
116 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 11:24:15 ID:LtqXpocM
そのとおり。そして勢力を拡大した結果、他より頭1つ抜け出したとき
我も我もと支配下に入ろうとする勢いが加速する。
謙信が関東を手に入れれば、その目は越前・甲斐・駿河と西に向けられる。
氏康らが関東を手に入れ謙信を滅ぼせば、次の邪魔な存在は三好となる。
117 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 12:05:29 ID:iSIUpW5k
関東越後南東北ぐらい抑えたら氏康は満足してそこで終了して領国経営に集中しそうだな
118 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 12:38:13 ID:312o9W1w
>>117 まさに、それが関東管領の仕事そのものですからね。
朝廷・幕府も氏康懐柔のために後追いで関東管領を贈るでしょう。
一時的に、関東公方の養子に入って足利姓を名乗ったりするかもしれんし。
権威の象徴、精神的支柱の皇室とか無ければ
関ヶ原あたりで日本が二分されて二つの国家になってたかもしれん。
119 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 13:08:22 ID:6kw2W7+F
普通に徳川家康だろ
120 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 18:46:26 ID:oifAJYM9
>>118 上杉家の家督相続を景虎に相続させるのに成功
伊達家と共闘して佐竹を攻め潰し、
あとは政宗が芦名潰してから奥羽に向うのは放置し奥羽統一してしまえば
縁戚関係で取り込み
今川とは緊密な臣籍関係を継続。
で日本の東3分の1は統一できたろうな。
そこまでいくと足利将軍家あたりが擦り寄ってくるだろうな
そうすると天下って言う視野も意識の中に芽生えて見えてくるのかもしれない
そこで将軍家に協力してあげるのか、自ら天下に号令を下すために京に上るのか
シカトして放り出すのか
122 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 20:48:13 ID:oifAJYM9
シカトするのでは。
西に興味など無いと思う。そこまで遠征する経済的兵站的な
能力も問題だしさ。
>>121 他家と違って北条家は、足利義輝にとって仇敵とも言えるので、
その辺どうなるだろ?
まぁ義昭はその辺細かい事気にするとは思えんけど。
124 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 01:07:13 ID:Y6wG+ChY
当時の近畿地方は本願寺などの一向門徒が幅をきかせていたので
本願寺が天下をとって農民主体の国家になったのではないか?
ああいうのは共通の敵が居てこそ成り立つもので、
それが曖昧になってくると途端にバラバラになってしまう。
人が集まる以上誰かがまとめなければならないという事と、
神の前には皆平等と言う事が完全に矛盾するので、
信長が来る前から既に加賀では滅茶苦茶になってたし。
そこへ信長が来て、防衛本能からまとまってただけ。
その分、頭を潰せばいいというものではないので
正面から撃滅しようとすると厄介だが、自分自身で統制しきれるものでもないと言うだけの事。
近畿を席巻できるほどの勢力になる前にまず自滅する。
秀吉はその辺、上手く手なずけてるし、家康なんかは若い頃にその怖さを知ってるだけに
もっと上手い手を打ってる。
126 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 01:39:24 ID:zGzYi7+N
ヨーロッパのキリスト教のように
一向宗も最終的には国教化を目指し、法皇としての地位を確立させれば
一向宗の完全勝利でしたね。神仏混合の新解釈で天皇と法皇の並立という
器用な存在の仕方もありえたと思える。
国教化させようとしてもぐだぐだになるのが日本の宗教勢力じゃまいか?
天皇にならぶ権威とかは不可能だしな。
128 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 06:58:59 ID:OGiywnTc
信長が桶狭間で死んでたら家康は今川の家臣で終わるんじゃね?
普通に考えたら史実でだって、信長の家臣同然か、秀吉の家臣のまま終わりそうなところで、
天下取ってるだけに何があるかわからんということだろう。
一向宗が天下統一なんて目指したら
信長どころか多くの大名も連携して阻止しようとする。
そんな発想は信長と同等かそれ以上に許されない。
確かに、信長に対抗するために利用したら一番頑張ったって感じだが、
本来、上杉や今川(徳川)、朝倉は一向宗と一族を挙げて戦い続けてるし、
北条家も領内は禁止してるし、仏教勢力も元はと言えば信長並に一向宗を弾圧してたわけで、
その系統の近畿大名もそうだし、武田も一向宗の味方をする必要は無い。
全国で阻止されるな。
一向宗は1宗教の1派にすぎない。
唯一の天皇の代わりにはなりえない。
朝敵だけじゃなく、他の仏教からも
異端と見放され仏敵にさえなるやも
家康が今川の家臣のままで終わるって、それも悪くはないだろうよ。
義元は家康を人質ではなく今川の旗本に取りたてるくらいの扱い見せて気に入ってるし
義元があのあと美濃は無理にしても尾張まで勢力伸ばしても、継ぐのが氏真ならば
家臣団が権力握るのは間違い無いし、そうすれば家康にもチャンスはあるだろう。
仮に信玄に侵食されて今川滅んでも家康が信玄に属するのは間違い無いし、まだまだチャンスある。
本願寺は朝廷に多額の献金を行い、准問跡の称号を貰っているほど貴族化していた
門跡は本来皇族出の僧侶にしか与えられない称号
祭政一致の本願寺一向衆国家って意外と洒落にならんかも
135 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 14:29:14 ID:zGzYi7+N
現在も創価学会が過去7〜8年?くらい日本の政治の一翼を担ってるのだから
本願寺が日本の権力機構に潜り込む可能性は0だったとは言えない。
このスレと信長が居なかったらスレが丁度並んでるけど、
この二つにスレの違いについて。
>>134 一向衆の勢力拡大は仏教の教義からしてどんなに拡大解釈をしても侵略戦争には限界がある
指導者が野心を持って主体的に領土拡大を始めたら内部から崩壊するよ
戦争は信者の利益を守る為の聖戦なんだから
一向衆の勢力拡大は信者獲得と表裏一体
もし圧倒的な信者数に達したらさすがに国家を乗っ取るかもしれんが
でも各大名からしたら一向衆は乱世、悪政のツケって認識で一致しているだろうから、やはり最終的には室町幕府の寺社政策のような温い対応は一向衆に限れば望めないのではないだろうか
政治さえ安定すれば拡大が止まるのも大名はわかっているだろうし
大名とすれば逆に一向衆をうまく利用できれば天下にかなり近くなる
歴史的には逆であり逆流でもあるが
俺も多数の意見と同じく今川優勢と考えているが、もし今川が順当に勢力を伸ばしたとして、勢力下に置くであろう畿内、東海はのちに一向一揆が多発する地帯
対今川勢力で諸大名を挙げられているが、俺は今川の最大のキーは一向勢力の扱いだと思う
それによって敵味方の大名の組み合わせも変わってくるしね
138 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 19:42:09 ID:zGzYi7+N
>>137 曹操も青洲黄巾党(黄巾党の残存勢力)20万人を加えて
一気に天下の大半を手に入れる礎を築きましたしね。
もし、一向宗を味方に付ければ間違いなく強い。
でも足利義昭や武田家(縁戚)は一向宗を味方に付けて利用したけど
信長にはやはり敵わなかった。
勝頼は長島一向宗を裏切って全滅させてしまったが
もし、武田水軍を差し向けて兵糧さえ長島に送り届けてたら
信長の天下取りや武田殺しは、数年〜10年遅れた可能性があると思う。
義元が上洛していれば普通に足利幕府が存続していたろう。
仮にも足利一門である義元が義輝を追い落とすことは無い。
当然、足利幕府の最大後見人となり三好や松永の影響力は減衰し義輝暗殺は発生しない。
これらにより甲相駿三国同盟の破棄は無くなり武田義信が武田家の家督を継ぐ。
駿河侵攻を諦めた信玄は海を求めて越後へ本格的に侵攻するだろう。
信玄と謙信の戦いは長期戦に陥るが家臣団の切り崩しに成功する武田側の勝利になるはず。
これらにより武田家の勢力は甲斐・信濃・越後及び越中・上野・美濃の一部となる。
関東・東北は概ね事実通り推移するか。
斎藤・浅井・朝倉・六角は足利-今川体制に恭順するだろう。
山陰・山陽は概ね史実通り。四国は長宗我部が統一、九州は島津が統一するか?
一向宗以前に、天台宗が朝廷に食い込んでたじゃん。
京都では大名同士もさることながら、宗教組織の武装集団の激突も激しかったからな…
江戸時代の学者が信長をベタ誉めしてる理由は、そういう宗教の世俗介入を徹底的に断ったから
143 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 16:34:04 ID:sZwJ56xl
>>142 江戸時代の学者って話になると、その連中がでかい顔してられたのは徳川家より信長のおかげだからな
別格で讃えられて当然だ
>>140 ガチ勝負だと上杉が強いよ。
武田は今川の配下になってた可能性大。
普通に姉小路頼綱が
魔道に墜ち、魔闘気を発して群雄を次々と虐殺して上洛、
御所の中心で飛騨マンセーを叫び、天下を統一。
146 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 00:03:02 ID:yrrvKR1B
信玄と義元のいくさになってたであろう。
いずれにしても、動乱が続き、勝敗はつかなかった
であろう。信長勝つ運命。今川が足利氏の本流、
将軍家に近いものなれば、織田は『宮さんの神主」
の出だからな。神と将軍との争いよ。
争いよ、って言われましても
148 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 17:40:19 ID:DFofXCaX
元就がつき、元春がこねし天下餅、座りしままに食うは隆景
隆景に子供が・・・
今川元康
やはりそうかなあ。
>>148 座りしままどころか、最後に一花咲かせた元就や
自分の意志のままに貫いた元春に比べると、
一番苦労してる気がするんだけどね・・・隆景
153 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 23:50:38 ID:/IQJGxGW
元就がつき、元春がこねし天下餅、喉に詰まらせ苦しむは隆景
154 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 01:04:14 ID:KPP+Xj5D
天草四郎時貞の乱が拡大して天下を獲り
日本はキリスト教国家になっただろうね。
155 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 01:08:03 ID:lao1S32r
素直に考えると今川幕府か足利幕府存続だろうけど、どちらにしても
不安定政権で長続きしないだろうなぁ。
義元が長生きして地歩をある程度固め、それでいて3代目が優秀なら
長続きするかもね。
氏真は武将向きではないけど文化人としてはそれなりだから、平和な
時代に生まれていれば名君だったかもしれないのが惜しい。
今川幕府の4代目以降で出てきて欲しかった。
>>125 >神の前には皆平等
一向宗ってそんなこと言ってたっけ?
てゆーか神って何?
本来の浄土真宗は、念仏を唱えれば誰でも成仏できるという教え
でも本願寺の法主に従わないと成仏できないと何時の間にかなってしまい、僧侶への服従という本来の教義と矛盾するシステムになった
しかも加賀の場合は土着の信徒と本願寺から派遣されてきた坊官との間の争いが起こってたから
158 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 22:43:57 ID:jl0wsozW
「CAPCOM」画面で↑↑↓↓←→+AB同時押しで出現する真・信長に決まってんだろ
159 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 15:03:02 ID:a6wK+UoU
>>154 天草の乱が何故かローマ教皇庁から殉教者扱いされない件について・・・
160 :
d:2006/11/22(水) 18:44:42 ID:09uhY5D6
島津義弘
結局は時代の変革者たる信長がいなければ、中世の勢力が残り続けていたということ?
秀吉は芽が出ず、家康も今川かその辺に埋もれていたとして
島津・伊達なんかはどうよ?
政宗なんかにしてもやっぱり信長や秀吉の天下統一の思想に引っ張られていたんかねぇ。
162 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 14:47:48 ID:h7BS1w5O
>>161 そそ、秀吉は大手では相手にされず弱小ベンチャーにもぐりこんで
たまたまそこが急成長したから一緒になり上がれただけ
そしてそのベンチャー企業が無ければ今川は安泰だったので
家康も芽が出ないで終了
当然島津や伊達は九州探題や奥州探題位は目指しても
新しい価値の創造って状態には程遠い
よってあのまま戦国時代がのらくらと続いて
その内南蛮人が占領して、他のアジア諸国みたいな感じに
属国になってたかもね
逆に信長が本能寺後も生き残ってれば今頃カルフォルニア辺りは
日本の一部だったかも?
ネイティブアメリカン差別とかもしなさそうだし普通に向こうに移住・・・
163 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 14:52:35 ID:YnwMjFMk
別に新しい価値なんか創造しなくても力さえあれば天下が取れるよ。
新しい価値を創造できたから天下が取れのではない
力があるから新しい価値を作り具体化させることができただけ。
中二病史観から卒業しような。
164 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 15:08:43 ID:q9WrBD+X
(●ω・`)
儂が、イSPA!ニアと同盟
法王と仲良くなって、日の本統一!南蛮異国文化を取り入れ、信長が目指したチャンバラドンパチ期から近代文化へ!平和が訪れ、メデタシじゃ!
>>163 どの状態を天下統一とみなすかだと思うが。
そりゃ信長が死んで武田信玄が長生きしてれば天下に覇を唱えたかもしらんが
それが中世と変わらない体制であったならばどうせ群雄割拠の時代に遠からず戻っていたって事だろ。
ベンチャー大名とは言い得て妙、だな。
改革者w信長
生前から謀反が絶えず、謀反で死亡。
死んだ後は家臣団が分裂して群雄割拠に。
政権がまとまるかどうかは体制の新旧の問題ではないということだな。
>>166 こんなところでそんな台詞を見るとは思わなかったなw
でも、まぁそういうことなんだろうが。
ベンチャーかどうかはしらないが、譜代一門偏重の戦国時代……というより日本的社会で
他国者の浪人や農民を複数最高幹部にまで取り立てたのは信長ぐらいだよな
謀反した松永や荒木なんかも、信長直参より領国や権力を宛がわれていた
だからこそ爆発的に勢力を拡大する活力があったともいえる
譜代や一門だけでガチガチに固めても謀反起こる時はおこるしね
170 :
161:2006/11/25(土) 15:56:17 ID:wa17eM9d
大手だと既に家臣団が出来上がってて新参者は下積み経験してからじゃないと
活躍の活躍の機会すら与えられない
それに対してベンチャーはスタッフの層が薄いので風通しが良く
正攻法では消えて行くだけの運命なので何でもやっていこうって
チャレンジ精神にあふれている
そして拡大するにつれて生じるスタッフの層の薄さを解消する為に
新規雇用が盛んなのは共通してると思ったんだよね
信長はまったくゼロからスタートしたわけじゃないが、反目する弟に父の本拠地くれてやったりしたからせいぜい一城の主から拡大をはじめた
本能寺直前までに信長の威令が届く国はざっと三十ヶ国に達するほどに
規模からするととんでもない躍進だよな
地方の小工場を受け継いだ企業家が、全国トップシェアをあっさり奪ったようなもの
>>171 そこに30年超の営々とした努力があったわけだがな
173 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 22:08:41 ID:dLzEIOni
そこに信長の限界があった。巷間よくいわれる信長が本能寺で殺されなければ
第2のチンギス・ハーンになったとか、西欧を支配していたとかいうのは絵空事
174 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 22:09:42 ID:dLzEIOni
というより、国内平定すら不可能だったのが現実か…
そんな話を聞いた事が無いが…
176 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 00:22:23 ID:O03VgZTc
多分、親日な朝鮮人
177 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 00:32:39 ID:UsgVd3oL
戦国自衛隊
みんな尾張、美濃平定までの長い道のりを忘れてるぞ。それこそ地道な努力と忍耐が必要だった。
本来役立たずでマイナスでしかない傭兵をあれだけうまく使った事には平伏せざるを得ない。
>>163 その天下をとるという新しい価値を思いつけなかったのが信長以外なんだが・・・。
永原慶二が天下の定義について書いている。古い論文だが畿内政権に成り下がった室町の唱える天下
細川や三好政権下の天下、織豊徳それぞれの天下を論じてるから読むがいい
>>163 新しい価値って抽象的な表現にしてるけど、どうせ楽市楽座だとか思ってるんだろう
>>174 信長一代での平定は無理かも知れん(80歳ぐらいまで生きてたら知らんが)が
信忠もそこそこできる子だったようだし、織田家の日本統一(どんな形か知らんが)はまず間違いなかっただろ
>>184 本能寺がなかったら、あと数年で天下統一完成だよ。
毛利・上杉・長宗我部を滅ぼすか降伏させた織田に、
抵抗できる勢力は残ってない。
数年で統一できるんだろうか。
対長宗我部みたいに外交方針がぶれまくってて結局全部武力で倒していくことになるとかなり時間を要するんじゃなかろうか。
長宗我部と交渉してたのは7年だっけか、そのころは武田もありで
またまだ四国出兵どころではない。むしろ外交方針ぶれてるとは思えないけどな。
一貫して織田が領地再編に乗り出す方針、毛利征伐と時を同じくしたのも
西国平定の時期にきたからで何か判断が変わったわけではないと思うけど。
それより、信長が平定する場合のIFなら光秀・秀吉・勝家が一丸となるほうが大きい。
それに丹羽や滝川も勢力失わず信忠信孝もいるし。たしかに毛利が服属したのと
武力で制圧するのは大きな違いだけど、それを差し引いてもこの武将立ちがいるわけだし。
188 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 13:43:10 ID:9vLLoous
まあ最後の難関は島津なんだが
秀吉みたいに本領安堵してたら将来に禍根を残す結果になったと思う
事実秀吉が動かさず、家康も動かせず
幕末にはえらい強大な力を持つに至ってた
とは言え島津の処置をどうするかを除けば俺も数年
おそらく1590年頃には統一は成ってたと思うな
189 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 19:41:16 ID:EGLDaKWD
>>地方の小工場を受け継いだ企業家が、全国トップシェアをあっさり奪ったようなもの
じゃあ信長は松下幸之助や本田宗一郎みたいなモンか
まあ、
毛利・上杉を滅ぼして1000万石、
北条他の降伏を許して1500万石になってるであろう
信長がその気になれば、
九州の南半分の島津など瞬殺なわけだが。
191 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/20(水) 20:06:10 ID:OQQiR5EL
あげ
ZINNBO
193 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/20(水) 20:32:46 ID:1R9DGaA0
普通に考えて武田だろうな
先に京に着くのは今川義元だろうが息子がな
毛利・北条・上杉は天下に意欲なし
島津と長宗我部は毛利が邪魔
伊達政宗も時既に遅しといった感じか
194 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/20(水) 20:57:58 ID:8hkFmd7J
勝頼よかマシ>氏真
195 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/21(木) 00:32:03 ID:vFarEK5X
>>193 武田信玄も、足利義昭が「反信長包囲網」の構成員として引っ張り出すまでは、
天下に意欲なんかなし。
ただ、周辺に領土を拡張することしか考えてない。
そのまま戦国時代が続いて黒船のペリーが天下を取ったと思うよ。
浦賀、伊東に来航して神奈川県を手始めに全国を侵食して植民地化だよね。
アメリカ植民地ならよかったじゃないか。
ずっと戦争してたら
武器の開発や輸入で劣ることは無いな
それでも水軍はしょぼそうだがw
199 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/16(火) 11:23:30 ID:ByUcCDKt
江戸幕府のような対ロシア政策を伊達はとれそうにないから、ロシアが蝦夷から南下して奥州平定、関東の北条はペリー来航で米の傘下に、英仏西蘭が島津や毛利、諸大名を取り込んで東進、と動くだろう。
そうすると、露は関東で米とにらみ合い、米は甲信・駿府を平定した武田か今川かその連合隊とやりあう。そうなれば露あるいは伊達が武田・今川の支援にまわり、膠着状態。
一方、西日本は英仏西蘭による東進競争となり、日本で地盤が磐石な蘭と最先端の英が抜きん出て、英蘭戦争になる。瀬戸内を英が、九州を蘭が拠点とするが、交戦のさなかに英の一部隊が密かに東進、上洛を果たす。
かくして、英が全国を統一。オーストラリア、ニュージーランドと同じように英を宗主国とする動きが生じる。
しかし、英王を君主とすることは尊皇派による強固な反対で頓挫、英王室と皇室が積極的に交流することで同意、対等な関係を結ぶ。
その後は米が登場しないだけで現実の世界史の流れと同じ。
その流れの中でうまく英に取り入った大名が実権を持つだろう。
200 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/16(火) 16:48:10 ID:d71SsJx6
兵農分離を考えつくヤツが現れない限り、群雄割拠状態のままだろうな
201 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/16(火) 18:32:29 ID:0XauTj1R
多分三好 毛利 上杉 武田 北条 伊達 島津 長宗我部が内紛を繰り返すんだろうけど
多分西国では毛利 東国では・・・わからん
>>200 織田家も教科書でいうような兵農分離は出来ていなかったわけだが・・・
203 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/16(火) 23:50:40 ID:NJQBTPjf
今川が京都制圧して、すぐボロが出る気する。
その後は、武田が上洛するでしょう。
信玄死後、分裂して家康台等期待かな。
九州の島津と東北の伊達が伸びたら面白そうだ。
204 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/17(水) 05:20:16 ID:RkQ10vYl
六角義治に決まってんだろ
もしくは、河野通宣
>>203 武田だったら、上洛する前にボロが出るだろ(笑
足利復興
207 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/19(金) 03:03:41 ID:ZQ69Q2lZ
仮にこの時信長が討たれても
誰かが上洛するだろうが将軍義輝には変わりない。
そのまま足利時代が続くだけ。
208 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/19(金) 23:41:42 ID:++D6+E3S
>>205 今川が上洛すれば、悪政しくと思うんだ。だから、誰かしらが
乗っ取りにかかると考える。
有望なのは武田かなと。1570年前には上洛出来るんじゃない?
209 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/19(金) 23:48:53 ID:Vs/e+73Z
上洛だけを考えると間違いなく朝倉だろ!
浅井、足利、六角とも通じてたし連立政権樹立出来たはずだ。
しかも本願寺系列とは仲が悪いが国分寺系とは仲もよかった。
比叡山にも通じてたので上洛だけで考えると連立政権で決まり。
天下取って長続きさせるとなると疑問だが・・・。
武田、島津、上杉、毛利、伊達、北条、長曾我部はありえんな。
まず遠すぎる。 三好はかなり有望だが関西圏に味方がおらん。
三好が天下取るには四面楚歌すぎるので自分の背後を守りつつ上洛出来るのは朝倉のみ。
210 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/20(土) 00:36:01 ID:B6bYYHMh
今川家の善政は早雲公の教えを受けて育った氏親の頃から有名なはず。
松平信康ってキシュツ?
>>212 どうせ家康に殺される。
口実が変わるだけ。
明智左馬介秀満だね
フォーティンブラスを倒せるのは左馬介しかいない
結局、史実同様にいくつかの「天下人」の段階を経て日本国が統一されるんじゃないか?
信長・秀吉・家康ってのは、あれこれ仮想したとしても結局は、
最短ルートと言えるような戦国の終焉過程に思える。
「信長が桶狭間で死んでたら結局誰が天下を獲った?」かはわからん。
最終的な天下人は、名前も知られてないようなマイナーなやつになってそう。
217 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/20(土) 19:47:13 ID:xzqpNEDz
信長の生誕地は勝幡城だろ。
218 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/20(土) 21:45:56 ID:tOPafLjF
真田信者はいないな
さすがに、、、
219 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/24(水) 13:32:54 ID:2YVQU5t+
信長が上洛する前の段階で、一番畿内に近かったのは、毛利のような気がする。
瀬戸内海を船で押し出せば、2日で万の軍勢を上洛させることも可能だった。
後は、元就が、信長と言う魔王がいない状況で、子孫に天下を望なと、遺言するかどうかにかかってくる。
220 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/24(水) 15:26:01 ID:zKJ1QOiv
今川家では、関所撤廃・楽市楽座を始めとする商業的政策というか
貨幣経済を確立出来ないと思う。さらに、軍制改革を考えれば兵農分離
の思想も持てないだろう。そうなれば、無理にでも徴兵や増税を繰り返さなく
てはならない。
嫌でも騒乱は絶えないだろうって予想します。
今川家の善政ってどんなの?法整備?どんな善政敷くのか想像出来ないです。
221 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/24(水) 16:52:43 ID:cq4t3nKy
楽市楽座なんて信長が加納での認可する前からいろいろな地で行っていただろ!
もちろん今川領でも。
222 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/24(水) 17:26:56 ID:zKJ1QOiv
221
楽市楽座はその通りだね。まさか、それで反論になるのかな?
223 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/24(水) 17:28:43 ID:C5IGllRo
>>220 兄弟スレの方でも同じこと言ってるよね。
なんかテレビやゲームのイメージで今川家を語ってないか?
生半可な知識で偉そうに語る坊やはもうスルーしようや。
アホすぎて議論にならん。
>>222 なら例に出すなよ
今川は商業政策や法の制定なんかでは進んでる部類だろ?
226 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/24(水) 17:48:59 ID:zKJ1QOiv
↑
小説などのイメージはあるなあ。
今川の善政ってどんなの?知識の足しになるかしら。
まったく知識が無い時は、2chでちょろちょろ聞くより
纏まった物を1つ読んでおいた方が早いかも
228 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/24(水) 19:02:59 ID:mIYqmmRx
今川は急進的な改革は出来ないだろうけど、従来の法を上手く改良するだろな
229 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/24(水) 21:46:57 ID:qtF3p4Zj
兵農分離厨もそろそろいい加減にしてほしいよな。
元々、兵農分離が当たり前で
むしろ農兵を動員した事の方がよほど画期的だったのに。
そもそも一円知行化という戦国大名一般の性質を信長固有のものとする通俗本が多いのが問題。
こういう本だと「戦国大名」は信長だけであとは全部実質守護大名のままということになる。
歴史用語としての戦国大名と守護大名の違いを幕府に正式に任官されたかそうでないかだけだと
思いこんでる奴が結構多いんじゃないか?
231 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/24(水) 23:56:36 ID:mIYqmmRx
まっ確かに戦乱の世で兵が足りなくなる時世なら兵農未分離の方が利に叶っている
232 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/25(木) 08:23:45 ID:wiCHU4ic
229だが自分で書いておいて、誤解を生みそうなので補足するが
画期的ってのは言い過ぎかもしれない。
太田道灌が始めたってのは有名なだけで必ずしも正しいかどうかはよくわからんし
記録にないだけでどこかでやっていた可能性はある。
それこそ、兵農分離状態しかないとされる源平合戦の時代でもどうかはわからない。
しかし、封建制における日本の兵力は、世界的に突出してる
世界的には、職業軍人しか兵力としておらず
その兵力は極めて少なかった。確か5倍か10倍ぐらいの差がなかったか?
世界的に傭兵と言われてる奴らも決して常時雇っている人間ではなく
雑賀衆のように、ちゃんとした土豪だった。
そもそも、傭兵ってのは維持するにはとんでもない人件費がかかる上に、
士気が低いのは、日本でも欧州でも問題だった。
兵農分離を軍事力の改革として崇めてしまう人間は
まず、根本的に「傭兵」という者を過大評価しすぎているんじゃないかと思う。
他にも、兵農分離すると兵士が増えると思っている人間までいるようで
こうなると想像力の欠如としか言いようが無い。
今川が上洛し勢力を広げる。
秀吉、徳川らは今川家臣として力を蓄える。
また明智も今川家臣となるが謀反をおこし・・・
結局徳川が江戸幕府を開く。
234 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/25(木) 17:17:25 ID:vQzh+ZRj
尾張を手中に収めた今川は駿河へ帰還。
今川が滅亡しないなら武田・北条の天下もない。
上杉は天下に興味はない。景勝はわかんないけれど。
毛利も天下には興味なし。浅井・朝倉・六角は弱小過ぎる。
235 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/25(木) 21:51:21 ID:oJc69JRT
京にも近いとこだろうな
今川が滅亡(弱体化)しないとしたら、北条は信玄と共に謙信を封じ込めつつ関東制覇を目指すだろうが、
その信玄はどうでるだろう?
東・南は進出不可(同盟を破れば別だが)、北は謙信との全面戦争が待っている。
今川と共闘しつつ美濃進出もあるか。
ちょっときついような。
237 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/25(木) 22:14:36 ID:1zacGL07
国民皆兵制度を布いた長宗我部元親が天下をとっただろう。
厳密にはその子供の長宗我部信親の世代で天下統一だと、俺は思う。
238 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/25(木) 22:21:38 ID:X128MP6t
信長がいなかったら四国統一すら難しかったと思う。
元親は不完全燃焼のままで終わってるからなあ
三好との戦いで桶狭間ばりの
「英雄的」な活躍を見せるかもしれんし、
こればっかりはやって見ないとわからん>四国統一
信長が居なければ三好も衰退する可能性が低く、
四国統一の見込みが低いことには同意するが。
三好だろう…
信長と関わらなくなった=松永が危険じゃなくなった。
長慶が天下を完全に統一しないまま征夷大将軍に。
各国が反発。その鎮圧に勤しむことになりそう。
>>240 待った
長慶の死期は信長とは関係ないはずだ
242 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/26(金) 10:14:45 ID:UWJ5OM+q
>>241 あっれ
松永が危険じゃなけりゃ
一家謀殺されずに
心病まないんじゃ?
信長がいなくても、
今川義元が足利義昭を奉じて上洛すれば、義栄を担いでいた三好は近畿から追放されるだろう。
>>242 時系列が変。
長慶存命時はむしろ松永久秀の全盛期、
他でもない長慶自身が久秀を信頼し重用していた。
久秀の勢力が微妙になるのは長慶が死んで、
三人衆との対立が表立ってきてからの事であって、
ここまでの経緯に信長の影響は一切無い。
信長がいなければ島津の九州統一が早まったな。
大友は、島津に降伏、毛利攻めの先鋒やらされてたかもな。
246 :
人間七七四年:2007/02/15(木) 22:43:28 ID:uLMrHEDq
やっぱ義昭だろう
247 :
人間七七四年:2007/02/16(金) 10:28:10 ID:gVfUWdaU
三好が擁する義栄の目もある
248 :
人間七七四年:2007/02/16(金) 22:22:05 ID:axCVqVly
紛れがあって真田昌幸が信濃一国を掌握できれば、彼の能力と寿命からして
天下統一は十分可能。
249 :
人間七七四年:2007/02/20(火) 17:27:14 ID:3mqR8mu0
真田は良くも悪くも田舎大名って感じで
天下を治めるとかそういうのとは違う気がするんだ
250 :
人間七七四年:2007/03/05(月) 20:44:35 ID:rTbAsSDp
伊達政宗公
251 :
人間七七四年:2007/03/05(月) 21:15:17 ID:YoQFh5Tn
日本列島が第二のフェリピン
252 :
人間七七四年:2007/03/05(月) 23:17:07 ID:S0fC2EDq
フェリペ2世
253 :
人間七七四年:2007/03/05(月) 23:59:24 ID:WhaRdTuP
冷静に考えても単なる兵隊さんだと普段は仕事量とか少なくて割とヒマそう
逆に農民兵は普段から農作業で体が鍛えられてるから、いざって時に動きも機敏そうだし腕力もある
あくまでも想像だが、合戦の経験さえ積めば農民兵も相当の戦力になる筈
逆に傭兵は人格による。
>>254みたいに日々の鍛錬をおこたる様な輩も結構いそうw で当たり外れがあると思う。
254 :
人間七七四年:2007/03/06(火) 17:03:13 ID:ZYH1WoU6
>>233 松平信康はともかく、今川家は秀吉のような卑賤の者は雇わないか出世
できません。よって秀吉は堺に流れて大商人になりますw
255 :
人間七七四年:2007/03/06(火) 20:53:44 ID:dzYXs24H
256 :
人間七七四年:2007/03/07(水) 14:19:09 ID:Lv3tJu4l
>>254 そして三成は中村屋藤吉郎の大番頭石田佐吉として大活躍するわけか…
257 :
人間七七四年:2007/03/07(水) 21:40:21 ID:qPMPVHrT
そっちの方が幸せだったかもな佐吉は・・・。
間違いなく成功できそうだしw
258 :
人間七七四年:2007/03/08(木) 00:40:29 ID:IDDdwqy+
ホリエモンとあの専務みたいな関係になってたんだろうな
259 :
人間七七四年:2007/03/08(木) 04:06:01 ID:oRNIQ+mO
湯川専務か
260 :
人間七七四年:2007/03/08(木) 14:47:18 ID:5b4emRlq
ポンっと革命児として現れてそいつが天下をとるか、
それに至る流れを作るんじゃまいか?
>>256 すげーしっくりくるw
商業国家として現在より発展していたかもしれないな>大番頭佐吉
262 :
人間七七四年:2007/03/10(土) 13:00:12 ID:O9uC5uQ2
マジレスすると、
商人藤吉と小坊主佐吉の出会いがありそうにない。
佐吉は、武士になりたいなら、誰か別の武将にお茶を出すしかない。
近江商人つながりで出会うのは無理じゃないと思うよ。
264 :
人間七七四年:2007/03/11(日) 01:03:12 ID:DmH9/U5P
>>262 権六にだそうとしたら瓶に水でいいといわれる佐吉
五郎左に出して初めからおかわりを持ってこない不手際を怒られる佐吉、
一益に出したら毒を警戒されて飲んでももらえない佐吉、
光秀に出して茶がぬるいと叱られる佐吉、
佐久間に出そうとしたら、既に飲んでて出る幕無い佐吉。
↓
途方にくれて堺へ流れる。
↓
サル似の変わった商人発見、気まぐれで茶を出す。
265 :
人間七七四年:2007/03/11(日) 17:37:52 ID:YSYBG8RN
今川の天下を松平が簒奪するんじゃねーの
266 :
人間七七四年:2007/03/13(火) 09:10:16 ID:12qdb1VY
どっちにしろ商人藤吉は、異常な出世欲と性欲を秘めてるから、富裕商人
に飽き足らず、武家と武家の女に執着するだろう。大名に金貸したりして
財を武器にどっかの大名家に食い込むはずだw あとは官吏としても武将
としてもそこそこ使えるから、いっぱしの城持ちにはなれるのではないか。
天下はムリかもしらんが。
267 :
人間七七四年:2007/03/13(火) 11:00:54 ID:fRYRXNad
>>266 そうすると小西隆佐/行長的なポジションにくるのかな?
いや、むしろ堺を要塞化して周辺大名に徹底抗戦、京、近江、大阪、瀬戸内、博多、琉球、
台湾、南蛮まで広がる一大商売人国家を作り上げたりするほうがお話としては面白いなw
268 :
人間七七四年:2007/03/13(火) 11:54:08 ID:N/zjFGaj
確かに家康は良くも悪くも常識人、才能的に突き抜けたものが無さそうだから、
幸運に恵まれなければ天下取りになれなかった気がするな。
人たらしの天才秀吉や黒田官兵衛あたりは、
本能寺以後のドサクサで台頭してきたところを見る限り、
幸運を自分の力で引き寄せるだけの力があり、
どんな状況でも何かしらの形で台頭してそうだ。
商人武将秀吉が、やっぱり黒田官兵衛と出会って、策をめぐらして天下取りをするのかな。
269 :
人間七七四年:2007/03/13(火) 13:15:53 ID:N75PGuJe
信長って義元討ち取った後外圧かけられまくり?
270 :
人間七七四年:2007/03/16(金) 15:15:55 ID:4otowP7N
今川家・・・尾張統一に5年、美濃統一にさらに5年、濃尾三遠駿五ヶ国の大主になったあと
義元の寿命が1574年頃やってきて崩壊
三好家・・・松永討伐後に将軍義栄死去、子の義助を将軍に立てやっと上洛
しかし義継と三好三人衆の対立おさまらず京で合戦して泥沼化、衰退
271 :
人間七七四年:2007/03/16(金) 17:42:37 ID:xGGZdCZC
義継と対立って所領もなしでどうやって義継が三人衆に立ち向かうんだよw
居城である飯盛山城は松永討伐前に攻略されていて四国の分家は全て三人衆側なのだが
272 :
旅の僧・定栄:2007/03/16(金) 18:29:51 ID:mLydPtr9
まぁ 家康は今川にこき使われて畿内で戦死したかもな。そして、家康の縁戚だから今川家から松平に養子入れられて、じ・遠藤。
今川は幕府に執着し過ぎて畿内統一が遅れてしまい、強大化した毛利。東北の誰か。北条。に苦戦させられるでしょう。
もしくは今川は畿内に進撃しても武田・斎藤あたりに横っ腹突かれてやられてる。
273 :
人間七七四年:2007/03/24(土) 13:29:17 ID:+G8QgtAD
永禄4年義元の斡旋で、長慶と義輝が和平し帰洛。
義元と長慶の話し合いで、義輝政権下は、長慶・義元・元就・氏康・信玄に
よる5大老制となる。
永禄7年権力第1位に長慶死去。安宅冬康が継ぐが、地位は義元が第1位となる。
翌年、氏康が関東で反義元として挙兵。
義元、庵原元政を伏見城に置き(武者震いがするのおと語ったと言う)
北条討伐に向かう。松永久秀が関西で挙兵。
家康を北条対策に置き、氏真は甲州街道を進み、信玄に阻止される。
戦後、信玄・勝頼は高野山に蟄居。
義元は、元就が中立を保った為、関が原戦いにおいて勝利。
274 :
人間七七四年:2007/03/24(土) 16:28:24 ID:qmKn+bfP
上杉武田の戦いがどうなるかによると思う。どちらかが相手を滅ぼしたとして
そこにくるまでの間に川中島のような消耗戦を繰り返して軍勢は弱体しているはず。
そこで氏政か氏直かは知らないが北条が動けば滅ぼされた家臣の離反、疲弊している
軍勢では関東軍を押さえる事は出来ないと思う。
領国経営のノウハウは北条は長けているから地歩を固めつつ東北を懐柔し、畿内を
制圧していけば50年くらいは遅れるかもしれないが天下統一の基礎はできると思う。
一方南方に目を向けた場合、イエズス会が日本攻略を進言しているようにスペインは
日本征服の野望を持っている。大友、有馬などの有力大名はいざとなればスペイン軍に
領地を提供するから、九州に基地を置かれ、海上封鎖、各個撃破されればいずれ日本は
スペイン領になり、天皇家も断絶してキリスト教主体の国となる。
最もその間に日本人の誰かが鉄砲の利用方法に気づいて大量生産すれば勝機はあるかもしれない。
いずれにせよ鎖国はないし、日本人の手によって統一された場合、日本攻略に失敗して弱体化している
ルソン、マニラ占領もありえなくはない。どっちにしても鉄砲、船の運用方法に気づいた者が天下を制する事ができると思うよ。
まあそうなったら江戸時代のような文化の熟成はないから日本・南方・西洋が混じり合った
複雑な文化になると思うよ。
275 :
人間七七四年:2007/03/24(土) 17:54:38 ID:PMdEczUj
信長→今川義元
秀吉→松平元康 秀頼→秀忠 秀次→信康
家康→北条氏康・氏政 秀忠→氏直
光秀→松永久秀 秀満→久通
信雄→今川氏真
勝家→朝比奈泰朝 長秀→鵜殿長持
道糞→武田勝頼
276 :
人間七七四年:2007/03/25(日) 10:24:10 ID:Yl7s8AfL
>>274 北条に都合よすぎる。毛利・伊達等他大名を無視しすぎ。今川どこ行った?w
それから後半はもう荒唐無稽。そんな簡単に占領されないし、占領できない。
277 :
人間七七四年:
>>275 秀吉の役まわりが家康ならそこで天下泰平になるんじゃないの
そうなると前田利家=北条だな