『甲陽軍鑑』は信頼できるのか

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1名無しさん@お腹いっぱい。
「『甲陽軍艦』は、信玄に仕えた山本勘助の子で、京都妙心寺の僧が、遺老の話を収録したというが、その多くは信用できない」
とか
「信玄の家臣高坂昌信に仮託して、江戸時代の軍学者小幡勘兵衛景憲が著したもの」
とされ、史料としての信憑性は低いと言われてきた。
「偽書」とまで酷評されたこともある。

ところが、国語学者の酒井憲二氏が、1994年から1998年にかけて『甲陽軍艦大全』全7巻を刊行するにおよび、状況は大きく変わってきた。
それまでにも、高坂昌信が後述し、それを猿楽師の大蔵彦十郎と、高坂の甥春日惣次郎が筆録したといわれたこともあったが、その事がほぼ確定した。

つまり「偽書」とか「虚妄の書」といったこれまでのレッテルが徐々にはがされ、史料として使える部分もあるというように変化してきているのである。
(以上歴史読本より転載)


長年、架空の人物とされていた山本勘助も実在が確定されており(市河文書)
『甲陽軍艦』はある程度の信憑性はあるのではないか。
この板では軽視されすぎでは?
2名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 18:38:15 ID:JL4hOd8v
             _,,..r'''""~~`''ー-.、
            ,,.r,:-‐'''"""~~`ヽ、:;:;:\
           r"r          ゝ、:;:ヽ
   r‐-、   ,...,, |;;;;|       ,,.-‐-:、 ヾ;:;ゝ
   :i!  i!  |: : i! ヾ| r'"~~` :;: ::;",,-‐‐-  `r'^!    
    !  i!.  |  ;| l|  ''"~~   、      i' |     イェ〜イ
     i! ヽ |  | |    ,.:'"   、ヽ、   !,ノ
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   r'"~`ヾ、   i! i!   ,,-ェェI二エフフ : : :::ノ~|`T
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  !、  `ヽ、ー、   ヽ‐''"`ヾ、.....,,,,_,,,,.-‐'",..-'"
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3名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 18:43:41 ID:mzu3MRP3
3好長慶
4名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 19:19:20 ID:O6EQl+bO
一年修行してようやく>4ゲットか…。
2ゲットするまでまだまだ修行が必要だな。
5名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 04:59:27 ID:7Xn23MqT
軍艦巻きはおおいに信頼できる
6名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 06:44:45 ID:mB/kI//t
>>5
本年度で一番つまらん
7名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 06:55:36 ID:bgMXn79v
ああ、昔から甲陽軍艦は実に不思議な書と言われてる。
片方でご祝儀記事と言われてた合戦の実在が証明されたかと思えば、
片方で甲越の国境を相撲合戦で決めたとかバカバカしい記事が載ってたりする。
武田末期の長坂、跡部叩きも漫画的なほどこっけいだ。
8名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 09:39:14 ID:xwr0hBPH
軍艦じゃなくて軍「鑑」な
9名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 23:36:20 ID:sf/G7qcB
甲陽軍艦の「意見」てやつだ。
10名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 20:29:55 ID:Rd0aM6+B
妖怪退治がのってるんでしょ
11名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 21:32:27 ID:ZkOeMzjz
多田三八の?
12名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 22:40:56 ID:Vi8pN7ec
信用できない



終了




13名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 21:19:43 ID:QNB6nu7i
たとえばさ、北朝鮮が自国民に与える情報の中にも、ほんの少しは事実が入ってるだろ?
もちろん、その伝え方はやたら国にとってポジティヴな伝え方だけど。

つまり、スレタイもそういうことではなかろうか
14名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 02:27:54 ID:AnwiR2p0
参考にするのと真に受けるのは違うって事だろうね。
15名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/07(日) 19:36:48 ID:eLGDbCN5
後述じゃなくて口述だよな?
16人間七七四年:2007/02/21(水) 20:51:50 ID:0VhtcZzG
今の大河って甲陽軍艦がソースなんでしょう?
17人間七七四年:2007/02/21(水) 21:07:51 ID:qVd8Uv1V
全然違う。
甲陽軍鑑の素材を探すほうが難しいとまでは言わないが、
この数十年の戦国研究をふんだんに盛り込んだ関東甲信越
群雄伝最新版と思っていい。

少なくとも信長が革命児だったなんていう大衆読み物の
世界よりよっぽどリアルで新しい。
18人間七七四年:2007/03/22(木) 00:55:46 ID:tEs4rdsk
どこがw
19人間七七四年:2007/04/04(水) 08:26:09 ID:Af4COHWt
甲陽軍鑑は小説もどきの読み物であり、史書ではない。
20人間七七四年:2007/04/05(木) 12:35:48 ID:QPJKQHUJ
一昨日の朝日新聞に甲陽軍艦の記事が載ってたよ
なんかここ10年で評価が逆転しているとか
21人間七七四年:2007/04/05(木) 13:35:59 ID:+QOVvCsR
ソースが赤非wwww
22人間七七四年:2007/04/05(木) 13:53:19 ID:TDXxu161
そもそも軍記物だから多少の脚色があるのは当たり前。信長公記とかと一緒だよ。
それを一級資料みたいに扱うバカがいるから、偽書扱いするバカもあらわれる

演義厨がバカなために演義そのものをバカにする正史厨と一緒
三国志演義それ自体は娯楽小説だよ。史実をもとにしてるからって100%歴史に忠実なわけじゃないだろ?
甲陽軍鑑だって同じだよ。歴史書じゃないから。そこを武田ヲタもアンチも弁えろよ
23人間七七四年:2007/04/05(木) 14:10:04 ID:KX39WcY5
信長公記も軍鑑も、少なくとも軍記物ではないぞ(汗
24人間七七四年:2007/04/05(木) 15:03:19 ID:qsyArW8/
甲陽軍鑑はともかく、信長公記は一級資料だぞ・・・
25人間七七四年:2007/04/05(木) 18:29:22 ID:A/7RwNSC
過去を証明する方法はないらしいよ
26人間七七四年:2007/04/06(金) 14:05:47 ID:1tkmZ1rm
信長公記は軍記だぞ
分類上は将門記とかと同じ
軍記であることと一級資料であることは別に矛盾しない
著者である太田牛一が信長の側近だったから信頼されてるだけ
27人間七七四年:2007/04/07(土) 23:06:33 ID:8cJqQWap
>そもそも軍記物だから多少の脚色があるのは当たり前。信長公記とかと一緒だよ。
それを一級資料みたいに扱うバカがいるから、偽書扱いするバカもあらわれる

これって信長公記も一級資料じゃ無いと言ってるようにしか見えんけど。
28人間七七四年:2007/04/28(土) 08:37:16 ID:Jf5DIz6R
側近だからって信頼されるものではないぞ(三河物語参照)
まず、信頼のおける人物が客観的事実を元に客観的に書いたモノであることが必須で
それが他の書簡等で確認しても誤りのないことが確認し、正しいものの占める割合が相当高くないと一級資料にはならんぞ・・・

ちなみに信長記は一級資料じゃないから注意が必要だ。
29人間七七四年:2007/04/29(日) 23:22:29 ID:fl2acLlB
立正大学教授・黒田日出男氏によると

「最近、戦国の合戦を描いた屏風を研究する中で、当時の様子を知る
最も良質な史料として、『軍艦』にたどりついた。」

ちなみにこの人は
「甲陽軍艦をめぐる研究史」
「桶狭間の戦いと甲陽軍艦」
という論文を発表している。
読んでいないから、内容は知らない。
30人間七七四年:2007/04/29(日) 23:45:25 ID:5ZNp4K4M
そりゃ合戦の模様なんかは甲陽軍鑑かなり詳しいからな
31人間七七四年:2007/05/26(土) 06:33:27 ID:OeoSTuNR
甲陽軍鑑は20巻からなる軍学書だが、江戸初期に作られたもので武田信玄の家臣である
高坂昌信の原作にその甥春日惣二郎が補筆したもので、徳川家に差し障り無い内容にな
っている。武田家滅亡後、家康は織田信長に内緒で武田の遺臣達を大量に召抱えており
戦力強化を推し進めた。井伊の赤備えなどは有名である。
32人間七七四年:2007/05/26(土) 11:54:33 ID:iDucg7P6
しかし三方ヶ原直後の馬場の美濃侵攻は創作
33人間七七四年:2007/05/26(土) 14:17:15 ID:eNnWojiF
一番信玄の時代をよく知っていた人間が語った部分は
基本的に「世をすねた老人の昔語り」。
本人が「年代なんて覚えていないし、事件の前後なんて入れ替わってるぞ」
と断り書き付きで語った話の記録なんだから、年代が相違しているっていう
理由で「偽書」と決め付けた帝国大学教授はバカとしかいいようがない。

問題はそのジジイの昔話以上にリアリティのある史料が皆無に近いという
現実だ。寺社の願文で時代を読むなんて言うのは、公民館の壁に飾ってある
表彰状だけを手がかりに、2000年代という時代のトップアーティストや
ネットでの人気者を推測するくらい難しいことだろ。
34人間七七四年:2007/06/28(木) 23:55:29 ID:SGlKxviZ
 
35人間七七四年:2007/08/09(木) 19:55:52 ID:/U34khx+
保守
36人間七七四年:2007/09/05(水) 01:07:16 ID:P6EhWec8
奥が深いな
虚しくもこういう議論を永遠と続けるんだろうな
37人間七七四年:2007/09/08(土) 16:08:02 ID:O2Vqot9h
武功夜話と並ぶインチキ本。
38人間七七四年:2007/09/08(土) 17:16:49 ID:MgHSfZDW
年代を言い出すと信長公記も桶狭間を天文二十一年とか書いてるわけで、編集時点から
遠い話は年代の間違いが起こりやすいものだ。
ただ確かに軍鑑の天文年間の年代はちょっと出鱈目すぎる気もする。

甲陽軍鑑の言葉は戦国に近い感じはするが、戦国の書状の表現と比べてどうだろう。
「行」と書いてテダテと読むのは書状にも軍鑑にもよく出てくるが、これぐらいは近世になっても
使ったかもしれんし、よくわからん。

ただ自分が軍鑑で面白いのはあの表現のくどさというか、老いの繰り言みたいに同じ話が
何度も出てきたり、簡潔に言えばいいところを「子細は」と言って細かい事件を書いてみたり
するところだな。ああいうのは軍学の実例ともちょっと違うようだし、軍学などを人に教える
ためにしては記述がまわりくどい。
ああいうところはいかにも老いた高坂弾正が昔を思い出してくどくど書きつけた雰囲気はある。

あと「高坂弾正」という名乗りは正しい文書に見えないと柴辻俊六氏が書いているが、
実は上杉方の文書に出てくる。天正6年の御館の乱のときに勝頼が景勝と和睦するが、
それを書いた六月八日の上杉景勝書状に

「扨亦、甲州之儀、武田典厩并高坂弾正以取成、勝頼此方入魂」

とある(大嶋道子氏所蔵文書、『上越市史 別編2』1528号)。
高坂弾正はこのあとまもなく死ぬと思うので最晩年だが「高坂」姓の証拠になるかと。
39人間七七四年:2007/09/09(日) 00:55:12 ID:wCZW3u6p
>>38
「香」坂じゃなくて? つか、「春日→高(香)坂→春日」って感じだと思ってたよ。
4038:2007/09/09(日) 07:20:46 ID:KtmxqmKd
>>39
文字は「高坂」。活字本しか見てないが『上越市史』も『新潟県史』も同じなので、
多分間違いないと思う。
上杉側の史料だから文字をいい加減に使ったとも考えられるが、人名の文字は
気をつけて書くものだし、対上杉前線の海津城将だから馴染みのある人物。
「高坂」の字も実際に使っていたのではないか。
ただ軍鑑の巻末ごとに「高坂弾正」と書いてあるのまで本物だとは考えにくいので、
単にこの字もウソではないというぐらいのことだけどね。
41人間七七四年:2007/10/10(水) 16:40:57 ID:oGz26LwK
信頼したいなあ
42人間七七四年:2007/10/12(金) 05:47:44 ID:VuS7GzQu
信頼しないと、風林火山博で一儲けしてる山梨県の立場ないよ。大河で武田しんげん、した時以上に観光利益がでてるみたいなんで。
43人間七七四年:2007/10/13(土) 01:00:21 ID:JBkjM7Hf
北条氏康と福島正成兄弟は本当に同性愛関係にあったの?
44人間七七四年
こういうスレタイの時点で無理やりな逆説や珍説ホイホイになるのは
わかりきったことだろ。

「地球は本当に回っているのか?」とかと同じだ