1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
乙
>>1 結論出てるんだけど理解できる?
970: 結 論 2006/10/10 20:53:14 ZtXb26V6
1.秀吉が義昭に泣きついて将軍職を希望したが断られた
(ソースは林羅山の「後鑑」「豊臣秀吉系譜」)
2.秀吉は最初から将軍職だけを望んでいたわけではない
(ソースは近衛・二条の関白論争の経緯)
結論
「秀吉は将軍職を断られたかもしれないが、実際には将軍・関白どっちでもよかったし
朝廷を牛耳れる分、結果として関白のほうがよかった」
俺も
>>3に概ね同意だけどね
立っちゃったらなんか語ればいいじゃん
>>3-4 1.のソースがやばすぎる。根拠として全然なりたっとらん。
羅山なんか幕府よいしょしかしないし、彼の著書なんか時系列、徳川家家系捏造等
眉唾なものばかり。
しかも秀吉が死の間際に
「秀頼が君主の器でないのなら君が天下を治めてくれ」
と遺言したと堂々と妄想垂れ流してる。
したがって
>結論
>「秀吉は将軍職を断られたかもしれないが、実際には将軍・関白どっちでもよかったし
> 朝廷を牛耳れる分、結果として関白のほうがよかった」
の
>秀吉は将軍職を断られたかもしれないが
秀吉は元々将軍職を望んでないっていうのが俺の持論。
>しかも秀吉が死の間際に
>「秀頼が君主の器でないのなら君が天下を治めてくれ」
>と遺言したと堂々と妄想垂れ流してる。
結局、大阪の陣等で家康が言われもしなかったから当然だが、天下覇者としての
後継の正当性を遺言によって主張した事もなく、秀頼の後顧の秀吉遺言が残ってる
っていう物証でこの羅山の妄想は完全否定されとるが、
>秀吉が足利家名を欲しがったが断られた
という妄想に関しては、現時点では物証が無いだけであって、
羅山の著作の信憑性から言ってもこれをソースとは認められん。
いいねいいね
俺は中華皇帝説でも支持しとこうか、根拠はとくにないけど
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 13:51:52 ID:UTGpNRw/
やっとスレ消化したと思ったのにまだ延々とやるのか
前スレ落ちたら、IE使用者がやってきてイチから同じ議論始めて(ry
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 14:57:09 ID:Pt+KaVZc
古くは大伴弟麿・坂上田村麿・文屋綿麿・大塔宮護良親王など。
鎌倉幕府の時代でさえ、将軍位は源氏三代以降は藤原氏や親王が征夷大将軍。
藤原氏を自称する信長も将軍着任を打診された。
つまり源氏で無かったから、将軍になれなかったという説は成立しない
・義昭に養子を拒まれた
「清和源氏しかなれない」のなら、すなわち「清和源氏ならなれる」のだから
足利以外の養子先を探せばよい。
・現職の義昭がいるからダメ
朝廷は将軍を罷免できる。
10代目の足利義稙は罷免されて、義澄が11代となり、今度は義澄が罷免されて
義稙が将軍位に返り咲いた。
・義昭の工作を受けた朝廷が認めなかった
朝廷が時の権力者の言いなりになるのは、過去の事跡が示すとおり。
それに関白を初めとする朝廷の職を武家に取られると、ただでさえ貧乏な公家は
着任する職までも失うことになり、秀吉が将軍になってくれたほうが、むしろ
都合が良いので、秀吉が将軍位を求めたら拒むはずなどない。
>>9 長文乙。
自分の主張に合う説を都合よく取出して、都合よく解釈してるに
すぎないな。
>>10 じゃあ
・義昭に養子を拒まれた
これの事例が実際にあったとする根拠を提示してください。
だからそういう説ばっか相手にしてることが
ダメだって言われてるんじゃないのかな
>>12 結局秀吉が「将軍になりたかった」論を展開する人って
清和源氏の家柄云々とか羅山の説を引用してるだけじゃないの?
あとは東夷説くらいか。
他にもあればあげてください。
理由を三つも挙げておいて“だけ”って言うのもなあ、当時の状況
や勢力範囲とか考慮に入れている? 家康を抑えていない以上東国
を支配できていないということ、つまり信長の三職推任の時の条件
を満たしていないということになる
もう結論でたのにな。
何故2をたてたのか。
まあ秀吉が将軍になりたかったとする一次資料もないようだしなあ
>>14 三つもとは言うが、羅山の妄想白書や家康の出自なんかは根拠にすらならんでしょ。
議論の余地なんて毛の先程にも無いと思いますが。
東夷説に関しては議論してもいいんじゃないの。
源氏説や足利拒否説に関してはスルーということでいいと思うけど。
信長が三職推任されたとき、武田って滅ぼされていたっけ?
東国がどうこうって、その後家康は政治的に服従し、関東の北条も滅ぼされた。
そもそも歴代の足利将軍だって、東国(=関東)を完全に服従させていた時期は
あったりなかったりする。関東公方が室町足利将軍との敵対姿勢を見せたとき、
あるいは応仁の乱以後後北条氏が台頭して関東が室町幕府の手から完全に離れた
とき、朝廷が「お前に将軍の資格はない」とか言って位を剥奪したり相続を認めない
なんてことがあったのか?
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 20:25:37 ID:/siyyYCy
足利義昭が将軍職譲渡を拒否した説は林羅山の記述しかない
たしかに怪しい説だ。
しかしこのスレの結論は
>>3にもあるように 断られた「かもしれない」というニュアンスなのに
>>5>>6のように「羅山は御用学者だから」という呆れた理由で
秀吉が将軍職断念した説を完全に否定するなんて思考は幼稚すぎるな
源氏説を否定するのに、田村麻呂や頼経を持ち出すのはバカとしかいいようがない
源氏説否定の根拠史料は晴豊公記しかないだろう。
>>19 御用学者の著作にしか論拠がない、というのは立派な否定理由になりうると思うがね。
何しろ儒者といえば、本家本元の孔子さまからして歴史的事実よりも儒教的正義を優先
させてきた連中だからな。
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 01:16:45 ID:Xkvi3kS6
関白より将軍の方がいいだろ
将軍じゃないと幕府を開けないんだから
関白なんか所詮公家だからな
ちゃんと武家を統率できない
幕府を開いて強力な政権を作れず
朝廷を利用した中途半端な支配体制だったのが
豊臣家が滅んだ原因の一つなんだから
>>22 豊臣が滅んだのは子供が少なかったからだよ
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 01:59:18 ID:6/iHPICo
誠意大将軍なら幕府は開けないけど結婚できる
秀吉が征夷大将軍になろうとして何らかのアクションを起こしていたらなら、
羅山以外にも何らかのそれを裏付ける史料があるはず
それが無い以上、やはり秀吉が義昭の猶子になろうとして断られたという話は信憑性に欠けるとしか
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 03:19:23 ID:lsWQKncs
秀吉が自分に都合の悪いことは隠蔽して証拠も消した
東夷説の場合
北条征伐の時点で条件満たしてるだろって話にならないか?
関白と征夷大将軍を兼任してもいいし
自分が関白で秀長、秀次、秀家辺りに征夷大将軍をやらせてもいいのに
ずっと関白一本だったんだから、征夷大将軍自体に興味が無かったんだろうな
>>19 なら、羅山の
>「秀頼が君主の器でないのなら君が天下を治めてくれ」
も秀吉が秀頼に天下を継がせる気が無かったかもしれないとか言っちゃうのか。
史料検証能力の欠如だよそれ。
可能性だけを挙げるなら、秀吉は宇宙人だったかもしれんとか言ってるようなもん。
>>19が言いたいのはそんな問題じゃなくて
「証明の材料にならない」と
「反証の材料になる」を混同するな
ということでしょ
>>29 羅山が色んな捏造ともいえる著作をだしてるが、
信憑性から言っても羅山「しか」足利猶子云々言ってないのだから
事実無根。
秀吉が将軍になりたがったとされる史料が羅山のトンデモ作以外からは
全く出てこないのだから、ハナから将軍職は眼中になかった。
これで十分だろ。
>>30 結局、羅山の史料を否定する根拠はあなたの偏見と思い込みという
主観的なものであって具体的で客観性のあることは言えないわけね。
秀吉が将軍に「なれなかった」を証明するのに彼がなろうとした史
料を出す必要はない、なれなかった理由を挙げればいいだけ。
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 13:23:51 ID:w0Tf1HtG
じぁ、「なろうとしなかった」から「なれなかった」でいいじゃん
>>31 羅山の説
1、徳川家家系
2、秀吉が家康に残した「秀頼に代わって天下を治めてくれ」の遺言
3、秀吉の足利猶子
とりあえずこの件に関する代表的な物を上げた場合、1、2は別史料から
完全に否定されるが、3に関しては史料が出ない。
悪魔の証明を求めるなら否定は出来ないが、見つからないんじゃ将軍職に
興味が無かったと決定付けるのが当然だろ。
>なれなかった理由
これこそ悪魔の証明。
秀吉が将軍職を望んだとする史料が無い以上、それを証明するのは秀吉自身に
聞いてみるしか無いだろ。
同一人物の記述だからといって、事象が全く違う別々の件を、同じ論法で解釈するのは
ちと、おかしくはないか?
秀吉が将軍職を断念した話は、林の書いた「豐臣秀吉系譜」の中にしかない
つまり他の傍証史料を引用してこれを肯定することも逆に否定することも出来ないんだよ
問題はそのようなクソ低レベルのくだらんことじゃない。
学者の朝尾や今谷は、羅山説を鵜呑みにしてさらにそれに小牧長久手の失敗を関連付け
秀吉が将軍職を断念するまでをシミュレートした。
その結果、帰納法的に「足利義昭が将軍職を断った」ことが
なぜか受け入れられてしまったわけだ
もともと否定も肯定も出来ないものなんだから、それ以上追求が出来ないのは仕方ないかもしれんが
「足利義昭が将軍職を秀吉に渡すのを拒否した」ことを前提に論を立脚した朝尾と今谷は
はっきり言って大罪。武功の小和田がかわいいくらいだ
というか話題は前スレで完結してるじゃんよ。
>>34 羅山説が信用おけないのは確か。同意する。
(ついでに、証明がどうとかいう話がレベル低いことも認める。)
しかし俺が読んだ狭い範囲では、今谷氏が
羅山説から演繹を始めたことも、
羅山説に帰納したことも
読んだ憶えがないんだけど。
というか今谷氏が羅山説を紹介しているところすら
見かけたことがない。
どこを読めばいいのか書誌を教えてもらえると助かります。
>もともと否定も肯定も出来ないものなんだから、それ以上追求が出来ないのは仕方ないかもしれんが
>「足利義昭が将軍職を秀吉に渡すのを拒否した」ことを前提に論を立脚した朝尾と今谷は
>はっきり言って大罪。武功の小和田がかわいいくらいだ
完全に同意
小学校のころの「僕も〇〇君と同じ意見です。」を思い出した。
>>37が朝尾氏や今谷氏を読んだ上での同意なのであれば
37さんでもいいから
>>36に答えて欲しい。
970: 結 論 2006/10/10 20:53:14 ZtXb26V6
1.秀吉が義昭に泣きついて将軍職を希望したが断られた
(ソースは林羅山の「後鑑」「豊臣秀吉系譜」)
2.秀吉は最初から将軍職だけを望んでいたわけではない
(ソースは近衛・二条の関白論争の経緯)
結論
「秀吉は将軍職を断られたかもしれないが、実際には将軍・関白どっちでもよかったし
朝廷を牛耳れる分、結果として関白のほうがよかった」
>>36 朝尾の場合は以下が参考になるかな
「近世封建社会の基礎構造 畿内における幕藩体制」
「将軍権力の創出」
今谷の場合、朝尾の京都大学の後輩だし、完全に朝尾に影響を受けたモノしか書かないから
これで十分かと思うが。
>>41 そこで朝尾氏が林羅山の説を無批判に受け入れるか、
または羅山説に収束するような議論をしているわけですね。
もう一度読んでみます。
今谷浅尾の両氏の論も別に林羅山の説を踏まえたものじゃないでしょう。
つか学説レベルでは羅山の足利拒否の話は信憑性がないというのが大勢になってたと
記憶してるんだが、最近新資料か何かが出て覆ったのかな?
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 13:27:19 ID:9BPxzxoY
>>9 簡単に源氏しか将軍になれないなんて根底くつがえせるけどな
源頼朝が幕府開いたけどその後は北条が引き継いでるし
北条はまぎれもない平氏だし
をいをい、北条は将軍にはなってないぞ
日本史ちゃんと勉強したか?
北条が傀儡に立てた宮様将軍と誤解してるんだろう
江戸期だって下馬将軍が
宮将軍擁立企ててるでしょ
結果的に失敗したが
宮将軍でもOKってことだよね
誰も源氏でなければ将軍になれないなんて言っていないのにそのこと
にやたらこだわるんだろう、全肯定か全否定しか出来ないのか?
要は名門かどうかということ、武士の世界では源氏の正統が尊ばれて
いたわけでそれ故頼朝や尊氏の家系が担がれていた。
>誰も源氏でなければ将軍になれないなんて言っていないのに
>誰も源氏でなければ将軍になれないなんて言っていないのに
>誰も源氏でなければ将軍になれないなんて言っていないのに
何このキチガイ
>>48 尊氏も足利もべつに源氏の正統なんぞではないよ。
当然ならが、徳川と家康もね。
51 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 16:53:20 ID:7eyEZGHJ
清和源氏は多田氏の系統が正統?
52 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 16:59:49 ID:MTQOsgD1
あのな・・・清和源氏嫡流が多田系という考え方は、少なくとも平安末にはない。
頼朝に至って現出する。頼朝以降、「血統から見れば土岐源氏が嫡流」といい出すやつがいるが
そいつは嫡流の意味がわからない馬鹿
詳しくは日本史板の議論を見ろ
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 01:31:02 ID:p8xrbWbS
なっていないものをなれたと言い張ってもねえ…なんか虚しいだけ。
「なろうと思えばなれた」ってそんな事言いだしたらきりがないよ。
つうか小学生か、だいたいレス読むとレベルの低い発言をしてるのは
なれた派?だね、結局官職にかこつけた家康叩きか、
>>53のせいでこのスレにおける家康信者のレベルがもの凄く下がった気がする
55 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 02:39:35 ID:Xo+baYXw
>>53 史料の提示もなく検証すらなされてない。結局、感想でしか反論できないのかよ
もうお前帰っていいよ
57 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 11:58:07 ID:cab2JolA
秀吉が征夷大将軍になれなかった理由は
秀吉が源氏でも平氏でもなかったからだよ。
>>57 はい却下
秀吉は平姓として従五位下筑前守に任官している
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 15:30:26 ID:W+6axUhY
平姓をとったからではないのか?確か足利に養子にしてもらおうとして失敗して公家の道をあゆんだような
>>60 残念ながらそれも違う
晴豊公記によると信長は将軍に推任されるだろうと述べている
その信長は平姓つまり源氏でなければ将軍になれないというのは幻想でしかない
>晴豊公記によると信長は将軍に推任されるだろうと述べている
述べてねえよw
64 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 19:36:55 ID:OpaVuKEh
秀吉は将軍職にきょうみがなかった。で済む話を
わざわざ2スレも作成する必要あるのか?
三戦版でもスレはあったし
ここ戦国版でもスレ作成して、さんざん激論しているから必要なかったんジャマイカ?
また同じ内容のスループになるだけのような気がする。
>>62 天正十年夏記の三職推任と誠仁親王消息
文意の解釈は朝廷から信長への推挙とみる
出典は立花と今谷以外の大勢の学者の論文。
もういいよループな人
前スレで語り尽くしたからなぁ
もう新規さんへの反論もめんどくさい
>>65 今谷説にしたって朝廷の側は申し出を受ける気なんだから
どのみち、信長の将軍就任は朝廷的にはOK、という点では
学会で一致を見てるもんな
そのへんを踏まえたうえでの議論なら論点も若干残ってるんだが
いつもすぐに「源氏が」「義昭が」と直近20レスも追ってないレスが入って
ここぞとばかり「珍説」絶叫君が暴れてどっちらけになる
そのパターンも飽きた
Q1、秀吉は足利義昭に将軍を断られたんだよね?
A1、秀吉が将軍を断念したソースは林羅山の「豐臣秀吉譜」のみなので今のところ否定も肯定も出来ない
Q2、秀吉は農民だから将軍になれなかったんじゃないの?
A2、秀吉は平姓として筑前守になり藤原姓として関白になり豊臣姓として太政大臣になってる
どれも立派な姓であり、秀吉の出自が将軍職就任に影響をおよぼしたことはない
Q3、源氏しか政権担当者としての将軍にはなれないんだよ。おまえ馬鹿?
A3、「天正十年夏記」によると勧修寺晴豊は信長が将軍になるだろうと感想を洩らし
誠仁親王も信長をどのような官にでも推挙すべしと言っている
そして信長は平姓。もうわかったね?
Q4、だから何?
A4、つまりこのスレの結論は「将軍を断られたかも知れないが、秀吉はなろうと思えば将軍にも関白にもなれた」
「むしろ朝廷をも支配出来る関白になるほうが都合が良かった」ということ
Q5、秀吉厨キモすぎwwwww必死だなwwwwww
A5、・・・反論に窮してその態度かよ
>>73 A1を
秀吉が義昭に断られたというソースは林羅山の「豐臣秀吉譜」のみなので
今のところ否定も肯定も出来ない
に修正したらA3まではまとめとして同意だな。
というかそこまでは
>>1も主張してないか?
しかしA3までの論点さえおさえればA4に飛躍できることについては
>>1と君が支持、一方(俺も含め)2スレ目でも何度も反対意見が出てる
(収拾つかないまま)ので君と
>>1の考えの違いがわからない。
何をもって
>>1を電波と呼んだんだ?
最初から将軍職を望んでいなかったという
>>1の意見には同意だけどね
>>75 羅山説の成否かー。うーん。事実ならあるはずの傍証がいつまでたっても
出てこないので学会ではかなり疑問視されてるんじゃないのかなあ。
そんなことくらいで電波というのか。
まあそれはさておいてさ、
学会で誰も乗っていない説の真偽云々(A1-A3)だけで問題を片付けるのは
どうして? 出てる学説のほうはどうして無視してすぐA4にいっちゃうの?
そっちのほうがよほどやばくない?
>>77 勉強不足で済まないが、A1〜3に反論するような学説があるならぜひ紹介してほしい
これは煽りではなく知識として教えてくれない?
いや、だから、A1-A3自体はいいんだよ
A4、つまりこのスレの結論は「将軍を断られたかも知れないが、秀吉はなろうと思えば将軍にも関白にもなれた」
「むしろ朝廷をも支配出来る関白になるほうが都合が良かった」ということ
具体的に反論個所があるならどうぞ
>>71 A2の
>秀吉の出自が将軍職就任に影響をおよぼしたことはない
の「将軍職就任」は「官位就任」に変えたほうがよくね?
>>81 それもそうだ
Q2、秀吉は農民だから将軍になれなかったんじゃないの?
A2、秀吉は平姓として筑前守になり藤原姓として関白になり豊臣姓として太政大臣になってる
どれも立派な姓であり、秀吉の出自が官位就任に影響をおよぼしたことはない
しかし関白太政大臣にとんとん拍子に出世した秀吉の力なら
容易に将軍職も狙えたはずでなので、あえて将軍職としたわけです
Q1やQ2のような俗説をわざわざ否定したのもそのため(この手の質問が多いためでもあるが)
間違い訂正
Q1やQ2
↓
Q2やQ3
>>80 このスレでは
>>12,17,34,36,43読んで。
特に34の
> 問題はそのようなクソ低レベルのくだらんことじゃない。
に端的に非難されとる。研究者が誰も支持してない説をめぐって
挙証責任がどうしたこうした言い合ったって仕方ないでしょ。
それをふまえて34,36,43あたりでやっと、
朝尾・今谷説が羅山説に回帰するのかどうかが話題になったけど、
そこでスレが止まった。
前のスレでもここにつながる論点がいくつか出てるから読んだらいい。
でも
>>82 要約作ってくれたのはどうも。その手の突発レスが多いので有益だよ。
(ただし「秀吉の力なら容易に将軍職も狙えたはずでなので」は
論点先取。例えば朝尾・今谷説はそう考えていない。)
(
>>27についてだが、朝尾・今谷説は武家関白の成立過程について
論じてるんだから北条征伐後がどうたら言っても批判にならない。)
>>84 なるほど。長文ありがとう参考になったよ。しかし
>>34の
義昭に将軍職を断られて小牧長久手で将軍を完全に断念したという説は興味深いね
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 23:28:53 ID:JdvBAXtt
源氏系将軍しか幕府開けないと小学のとき習ったが間違いだったのか…
だったら暗殺して覇権握った平氏の北条が幕府引き継いでてたのはどうだと思ってたんだ
>>87 北条が実権を握っていた時でも、幕府のトップはあくまでも将軍。
北条はその補佐官に過ぎない。
要は、建前上のトップは天皇でも
摂政や関白や大臣や将軍が実権を握っているという
当時の日本の政権の形態をそのまま幕府にも取り入れただけ。
>A4、つまりこのスレの結論は「将軍を断られたかも知れないが、秀吉はなろうと思えば将軍にも関白にもなれた」
> 「むしろ朝廷をも支配出来る関白になるほうが都合が良かった」ということ
これのさ、「将軍を断られたかも知れないが」っての
羅山しか言ってない上に、学説で完全否定されてるんだから
正しくは
A4、つまりこのスレの結論は「将軍職に興味を示した資料は無いが、秀吉はなろうと思えば将軍にも関白にもなれた」
「むしろ朝廷をも支配出来る関白になるほうが都合が良かった」ということ
が正解だろ。
秀吉が望んだ将軍職って箔をつけるのはまずかろう。
そもそも、なろうと思えばなれたと言うのが特に根拠のない思い込み
にすぎない。色々理由を並べたところであくまでも後付けの論理にし
かすぎない、仮に秀吉が将軍織を望んだとしても義昭の事を持ち出さ
れて断られるのがおち、実際はそんなもの、学者が小難しく言ってい
るのはあくまで商売だから、
>>90 何度も書かれていると思うが
秀吉が将軍になろうとしたという史実もないし
信長の三職推任の件を見ても秀吉が将軍になれないという根拠が全くない
秀吉が将軍になる必要性も認められない
おそらく君はこのスレに初めて来てログも読まずに書き込んでいるのだろうと思うが
恥をかきたくなければログくらいは読もうぜ
>仮に秀吉が将軍織を望んだとしても義昭の事を持ち出さ
>れて断られるのがおち
これこそ根拠のない思い込み
秀吉に三職推任があったのか?何故関白か将軍かを選べると言うのか、
関白になったのも近衛家の猶子になり強引になったものであって推挙
されたわけでもない、
なろうとした史料がない、ってそんなものが根拠となるならなんとで
も言えてしまう。
過去さんざん語られてるんでそれ見て来い池沼
95 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 03:16:53 ID:6rJ7Mxnv
秀吉は身分低いから貴族になりたかった&同僚の武士を超越したかった
正直、難しい。
朝鮮出兵のためにも関白が必要だったってことはない?ごめん。
>>94 はいはい、自分の意見もなく挙げ足取りぐらいしか出来ないオバカサン、
いかにも秀吉厨らしいね。
はいはい、自分の意見が妄想しかなく過去レスも読めないオバカサン
>>93 史実にない「将軍になろうとした」という珍説を主張したいのであれば
他に資料をかき集めて分析し、誰もが納得出来るようなそれなりの根拠を作る作業が必要だが
史実にない以上、珍説を否定するための根拠は全く必要ない
ちなみに、再三書かれている事だが
朝廷には将軍職を任命する権利もあるが解任する権利もあり
実際に解任されている将軍は複数実在する
足利義昭の存命中に織田信長への将軍を含む三職推任があったので
それらをまとめると「義昭の関係で将軍になれなかった」という珍説は否定できる。
何かこのスレ携帯から馬鹿な書き込みする家康厨が常駐してるな
変な改行と、一人だけ書き込みのレベルが凄く低いからすぐわかる
実際になっていないものをなれたと言ってなんの意味があるのかな。
なれなかったというほうが自然であり、なれたということを証明する
ほうが難しいと思うのだが、
秀吉が将軍になれたと思っている人は、「戦国時代は誰もが天下を狙い
上洛して足利氏に取って代わろうとした」みたいな勘違いをしているの
か、というか当時の人たちは秀吉が将軍になれる、もしくは将軍にふさ
わしいなどと思っていたというのか。
>>101 おそらく君は創価学会に入信していないと思うが
君の発想で行くとそれは「入信出来なかった」と考えるほうが自然なんだね?
「入信出来る事」を証明するのって難しいの?
>>102
どうしたらそういう発想がでてくるのか?マジで言っているとしたらかなり
やばいな、だいたい創価学会に入るのは難しいことなのか、話にならん。
>>103 だろ?
他人のキチガイ発言を読んで
やっと自分の発言が如何にキチガイなのか気がついた?
おそらくちゃんとした歴史論文の一つも読んだことがないんだろうなあ。
もうキチガイ相手にはこれをコピペしときゃいいか
>>101 何度も書かれていると思うが
秀吉が将軍になろうとしたという史実もないし
信長の三職推任の件を見ても秀吉が将軍になれないという根拠が全くない
秀吉が将軍になる必要性も認められない
おそらく君はこのスレに初めて来てログも読まずに書き込んでいるのだろうと思うが
恥をかきたくなければログくらいは読もうぜ
>>104 そのアナロジーが通ると思ってることのほうが
よほど基地外だよ
やはりまたこいつだったか
>>106は以後コテハンつけてくれない?
NGワードで消すから
そもそも、なろうと思えばなれたと言うのが特に根拠のない思い込み
にすぎない。色々理由を並べたところであくまでも後付けの論理にし
かすぎない、仮に秀吉が中納言を望んだとしても(ry
という論理も成り立つんだよな
検非違使になっていないから秀吉は検非違使望んでも断られたに決まってるとか〜
例え検非違使や中納言や征夷大将軍が関白より低い官位役職でも。
じゃあ説明してごらん。どうせこのスレに出てきているようなアホなこと
しか言えないんだろう。実際なっていないものをなれたというからには中
途半端な意見じゃ通らんよ、なれなかったというよりも何倍も知識が必要
になってくるよ。
だいたい将軍より関白の方が上なのに・・・
関白になった以上将軍になる必要が特に無かっただけじゃないか
世界チャンピョンが日本チャンピョンにわざわざならなくてもいいみたいなもの
義昭に断られたのが本当に原因だとしたら
義昭が将軍職を返還した後になればよかっただけだしさ
補足すると、
秀吉は関白に就任するために「摂関家と養子縁組」という、
過去に前例のないアクロバティックな手続きを取って関白に就任する資格を得ているのよね。
しかも秀吉が無理強いして行なわれたのではなく、朝廷も納得ずくでやっているのよね。
関白になるために朝廷と組んでこんな無茶な事をやっているのに
それよりも簡単に就任できるはずの将軍になれないという話はありえないのよね。
将軍になるためには「摂関家と養子縁組」よりも難しい手続きなどありえないのだからね。
>>111 いやいや、朝廷は足利義昭の将軍職なんか解任出来るんだから。
解任しなかったのは、解任する必要がなかったから。
つまり秀吉がはなっから将軍職を望んでいなくて
義昭なんかは将軍のままで放置プレイしとけばいいと考えたから。
珍説絶叫君だろ、ほかのスレでも基地外とか言われてるよね、たしか、
よく思いつきだけで長文が書けるのか、ある意味感心するよ。
もしかして、三戦ころの関が原でも有名だったお方かしら?
>>114 学説でも、小牧長久手の敗戦による東夷の未達成による方針転換の結果としての
「将軍になれなかった」という論が少数意見としてあるぐらいで、大勢は
「なる必要がなかった」という論が主流をしめてるんだけどねえ。
まあ君がそうした学者先生達よりも高等な知識を有してるんなら拝聴するんだけど。
「将軍になれなかった」と主張するためには
1・秀吉が将軍職を望んだという史実
これだけあればOKだが、それがないのなら
2・秀吉が将軍になる必要性
3・秀吉が将軍になれない理由
これをキチンと説明する責任があるのだが
「将軍になれなかった」と主張しているヤツは
この説明責任から逃れ、相手の人格を否定する事だけに奔走し、
ほとぼりが冷めた頃に同じ事を繰り返し主張するという無限ループに陥っている。
前スレからずっとこれ。
珍説とか馬鹿みたいに叫んでいるやつがなにを言ってるんだか、
>小牧長久手の敗戦による東夷の未達成による方針転換の結果としての
付け加えるならこれも本当に将軍職を望んでいたのなら北条降伏後に
なればいいわけで
結局将軍には「なる必要がなかった」になるんだよな
ID:72VkGz7K
必死なのは分かったから
一言でもいいから何か反論してみなさいw
ID:72VkGz7Kは
>>1か???
>>1なんだなwwwww
よく帰って来てくれたwwwwwww
>>119
君を相手するのかったるい。
ここでおこなわれてるような論証のやり方は学論でもよくある型なんだけどねえ。
それが駄目というID:72VkGz7Kはきっとすごい学識を有してるんだろうな。
>>122 つまり羅山を超える新史料を持っているということか
それから
>>34で俺様があげた朝尾と今谷のソースだが
随分前に読んだから正直よくわからん。
今谷のほうは「武家と天皇」、朝尾のほうは「豊臣政権論」だったと思う
今谷のほうはたぶんそう。朝尾の方は記憶が曖昧なので誰か知ってたら教えて呉
>>123 お前さんに言われていくつか見たが
まだ朝尾・今谷が羅山にのっかってる証拠は
見つけてない。
>>115,122
> 大勢は「なる必要がなかった」という論が主流をしめてるんだけどねえ。
それを積極的に述べている論文を1つ2つ挙げてくれ。
参考にしたいから。
それから俺はまったく別分野の研究者だが
「学論」なんて語は使わない。「論」より「説」だ。
詳しいふりで使うとあまりに素人臭くて馬鹿にされるから
以後気をつけるといいぞ。
・・・もしかして
> ここでおこなわれてるような論証のやり方は学論でもよくある型なんだけどねえ。
の「学論」ってのは「学士論文でも」の意味か?
だったらまあどんな論証のやり方があっても驚かんなw
(卒論をいちいちチェックしてる122には驚くが)
要はだ、小牧長久手の敗戦が将軍断念の終点と位置付けることにより
逆に起点を想定した場合、それが義昭から将軍を断られたという例の物凄くあやしい羅山説に
結びついたというのが件のシミュレートだったと記憶している
>>34でその起点に立脚したかのような書き込みをしたが
実際は終点を元にシュミレートした結果、帰納法的に起点が浮かび上がっただけに留めてたと思う
>>34は書き方としてはまずかったな。
とにかく朝尾の論文片っ端から読んで記憶の曖昧さを払拭するしかほかに方法はねえ
なれた、なれなかった、と論じていても所詮水掛け論にすぎないのではないか
それよりも
>>101が書いているように当時の人は秀吉をどのように見ていたの
か、など当時の状況から考察したほうがいいのではないか、結果から推測する
のではなく。
>>128 それなら家わけの島津家文書だったかの島津家の反応が如実に物語ってると思うが
林羅山の時代背景を考えたら
「将軍様は武家の頭領で偉いんだぞ」
「秀吉はその武家の頭領様になれなかっし、なる資格もなかったんだぞ」
「だから徳川家は偉いんだぞ」
という事を言いたかったんじゃないのか?
その結論ありきでいろいろと書いてるんだから、
信憑性という意味ではまず疑ってかかるべき話でしょう。
同じように、明治から終戦までの歴史学者は、まず
「天皇陛下は偉い」
「天皇家は万世一系で今まで一度も途絶えた事がない」
「戦国時代の武将が天皇に逆らうはずがない」
という結論から始まってるから、いろいろと間違ってることがあるのよね。
織田信長と正親町天皇の関係は上手く行っていた事になってるし。
足利義昭が征夷大将軍を正式に降りたのは天正16年だよね
このとき秀吉から1万石も知行もらっている。
この時点で関白と将軍の政治的位置関係は決したんじゃないか。
>>125 日本史の研究者なら、この話題についてのあんたなりの考察も書いてくれれば
いいのに。煽りしか書いてないんじゃ何も説得力ないし。
>>115 あなたが少数派と言っている意見のほうが私は目にする機会が多いのだが、
それは気のせいなのか?NHKなどもその説を採用しているのだが、
NHKの小和田哲男は偉い先生だけど、織豊政権に関しては基本的に専門外の人でしょ
>>133 大河ドラマの前説で、足利義昭に断られたから将軍の就任を諦めたと
言ってるのをみたんだけど、NHKでも歴史番組によって違うんかね。
研究者が下手に専門外のことに顔を突っ込んで、万が一2chの素人に揚げ足取られたら大変だからなw
NHKみたいな大衆番組は流石に役に立たないでしょ。
NHKがそのような説を採るのは単純に面白いからでしょ。
>>137 実名で顔突っ込んでくる研究者なんかいるか?
実名でなければ大変も何もないんでないと思うが
当時の人間が秀吉をどう見ていたかについて補足
>>129で島津家文書と書いたのは間違いで正しくは上井覚兼記。頼朝以来の名門島津が
羽柴などという「非貴」に軽々しくなびくものではないと言ってる
この「非貴」がどの程度の非貴を指しているのかはわからん。秀吉を百姓ととらえていたのか
あるいは頼朝より格下の者をすべて非貴ととらえてたのか。
島津は信長とは修好を通じていたから、少なくとも信長未満の階級を指して非貴と言ってるんだろう
>>中野区
俺は
>>1だが
そもそも俺の考えは
>>5で語ってる通り
「秀吉は元々将軍職を望んでない」っていうのが俺の持論。
将軍に「なれなかった」って記述は羅山の思惑にのっちゃうかららめぇええええ
>>141 ちと待て
>>1よ。すると何か?スレタイに対する答えがわかっていながら
お前はわざわざ新スレを立てたのかよwwwww
>>139 日本史板にはいる
案の定荒らしに粘着されて大変みたいだが
それに例え実名が晒されなくても本人のプライドがズタズタになるんじゃないかw
>>140 信長みたいな守護代の分家の家柄でもOKなのに、秀吉を殊更差別するのもおかしな気がするな
誼を通じるのと実際に臣従するのでは話が違うってだけじゃないの
まあ信長だって最初はいろいろ言われているからねー
だいたい島津だって分家の分際でw
いや島津も庶家だから分家の信長はOKという論理なのか?
>>142 >結論
>「秀吉は将軍職を断られたかもしれないが、実際には将軍・関白どっちでもよかったし
> 朝廷を牛耳れる分、結果として関白のほうがよかった」
前スレの「断られたかもしれないが」が激しく気に食わんかったから立てた。
反省はしてない。
>>143 まあ修好と威圧じゃ島津の対応は違うわな。しかし当時の信長は
明智→惟任日向守
丹羽→惟住
羽柴→筑前守
塙→原田
簗田→別喜
と九州名族の苗字や官位を家臣に与えて暗に九州を牽制してるわけで
島津がこの意味をどの程度認識してたのか。認識した上での交誼なら
上井日記の秀吉の格付け評はやはり信長未満ということになる
>>146 前スレで終わったと思ってた議論を、スレまで立ててまた再開という
>>1の姿勢と
昨日の奴がだぶった。今は反省していない
そりゃ実際に信長以下の家柄なのは間違いないからな>秀吉
信長と秀吉への島津の対応を比較することで秀吉の出自の卑しさを証明しようとしなくても、
それこそ都の落首や榊原康政の檄文、豊鑑の序文など、
当時の人間が秀吉の出自をどう見てたかという状況証拠はいくらでも有るでそ
豊鑑の記述なんて向こう50ばかりの集落出身者だもんな
豊鑑の記述なんて向こう50ばかりの集落出身者だもんな
萩中納言が聞いて呆れるぜ
ここは秀吉厨の巣窟だな。こんなとこで鬱憤晴らしてみっともないことよ。
>>128 当時の状況から考察するって
それは完全になる必要がなかったといってる人達の
採ってる手法じゃ・・・
>当時の人は秀吉をどのように見ていたの
当時の人々は秀吉は将軍になれるはずがないと見ている史料は多分無いし
秀吉を成り上がりと見ている史料があってもそれが何の役に立つの?
秀吉が何の官位役職に就いていなかったりするとか、
せめて将軍職より低い位にしかつけなかったのならまだその論証も可能かもしれないが。
>>152 いきなり核心をついちゃったよ、そう、このスレは家康叩きが目的であり
屁理屈をならべて秀吉が将軍になれたことにしようとする所です。
家康厨が反論にもなってないレスをして程度の低さを露呈しているスレです、ここは
155+1000もの膨大なレスを費やして、俺様たちは秀吉厨の家康叩きを行なってきたのか
そうか
へえ
アンチ秀吉の朝鮮人のレベルの低さにはうんざり
秀吉をどうしても将軍にする方法を考えるスレなのか? 義昭が将軍の座を
あけ渡さなかったから秀吉は将軍になれなかったでいいではないか、これだ
けでも十分理由になってると思うが。
「将軍になれなかった」と主張するためには
1・秀吉が将軍職を望んだという史実
これだけあればOKだが、それがないのなら
2・秀吉が将軍になる必要性
3・秀吉が将軍になれない理由
これをキチンと説明する責任があるのだが
「将軍になれなかった」と主張しているヤツは
この説明責任から逃れ、相手の人格を否定する事だけに奔走し、
ほとぼりが冷めた頃に同じ事を繰り返し主張するという無限ループに陥っている。
前スレからずっとこれ。
1573年に義昭は京都追放とともに将軍職を追われたと思っているのかな。
>>161 京を追われたときに将軍職がなくなったと考えるのなら
義稙以下歴代将軍はどうなるんだよwwwww
>>162 このように思っている人は少なくない、実際1573年に解任されたとする本を
目にすることがあるし、公卿補任に義昭の名がずっと記載されていたことを
意外と述べている人は多い、
公卿補任のことが取り沙汰されるようになったのは比較的新しい話ではないか?
国史大系として一般に活字化されたのが戦後として、まあ新しい部類だわな
将軍辞職後に准三后とは、ここの経歴だけみれば足利義満と同じか
義昭は追放後も公帖の発行権等の将軍権限を有していたし、朝廷もまた義昭になんらかの配慮をしていた
のもうかかがわれるけど、それらの事実と林羅山の書いた猶子拒否の話の信憑性はまったく別問題と考えるほうが
いいと思うんだけど。
あくまで仮説なんだが昔は公卿補任の義昭の記載については知られていなかった
か無視されていたのではないか、それ故、専門家は秀吉が将軍にならなかったこ
とを不思議に感じ関白になったことから逆算して色々な説を生み出したのではな
いか、
そうやって結論ありきで理論を組み立てるやり方は
京子ちゃんだけでお腹いっぱいです
秀吉は公家になりたかったんじゃないの?
家柄コンプレックスだからさ
コンプレックスはあっただろうがその劣等感が公家の官位に向いたのかどうかはわからん
ただ任官時期を改竄して累進を急いだのは確かだ
その任官改竄との関わりでその時期、秀吉が正親町天皇から将軍任官を打診されたが
それを秀吉は断ったという話があるがどうなの?
後代の林羅山のはなしより同時代の多聞院日記のほうがよほど信憑性高いと言えないか?
うむ、英俊の記録の傍証があればいいんだがな。
秀吉に有利な計らいなら、英俊に先んじて権大納言晴豊・右大臣晴季・神祗大副兼見ら秀吉に平身低頭な
彼ら昵近公家衆らが耳にし、或いは記録に残すはずだ
他でもない秀吉の関白任官に関する情報は、まず任官に先だって晴豊が受け、兼見が記録している
(天正十三年七月九日・秀吉の関白就任二日前)
要するに秀吉に近い公家衆より先に情報を得ることはアリエナイ。単なる風聞じゃね?
風聞だとしても、秀吉が「義昭猶子」の行動を実際起こしてたなら
断ったなんて話にはならなかったと思う。英俊だって義昭の動向は気になっているはずだし
秀吉が将軍を断ったという風聞は、秀吉の公家官位取得の時期に連動して発生してるから
この官位運動に対する理由付けを当時の人間が色々と噂していただけかも知れない
目的語を将軍職においた風聞とは言いきれないと思うぞよ?
あと奈良の田舎ぼうずが中央の政局や備前の貧乏公方の情報を正確に受け取れたのかどうかも疑問だな
丹羽長秀が秀吉を恨みながら腹を割いて死んだ、みたいなトンデモ記事もあるからなあ>多聞院日記
確実なのは当時「そういう噂」があったということだけかな
ただしその噂に対して特に疑問を呈することなくそのまま書き記しているということは、
当時の人間は秀吉の血筋やら小牧・長久手の敗戦やらは
将軍就任に対して大して問題だと考えてなかった、と逆説的に言えるかもしれない
晴豊は信長が将軍か何かになるだろうという懐述を洩らしてるが
信長=平姓、秀吉=平姓だし単純に等号でつなげば
「平姓信長が将軍になれるなら、平姓秀吉も将軍になれる」でいんじゃね?
あと
>>173の補足だが、公家の日記に将軍を望んだことも将軍を辞退したことも書いてないから
秀吉は最初から将軍を望んでなかったと考えていいかもね
結論
1.秀吉が将軍になることに障害はなかった
2.秀吉は将軍になるための運動を起こしてないからなる気はなかったと考えられる
>>175 相変わらずキチガイ炸裂ですなw
結論は正しいが
1・晴豊は「信長が将軍になるだろう」とは書いていない。
村井に「信長を関白か大臣か将軍に推任したらどうか」と勧められた事を朝廷に報告しただけ。
2・秀吉は平氏も源氏も関係ないほどの低い身分の出身。
忘れないようになw
>>176 >村井に「信長を関白か大臣か将軍に推任したらどうか」と勧められた事を朝廷に報告しただけ。
それ京子説やん
将軍というのは幕府の象徴であり擬似天皇なわけだろ、だから源氏をはじめ
摂家や皇族など血筋の良い者を選んでトップとして担いでいた、それにより
武士が政治を行なう正当性を主張していた、それなのに他の大名と比べても
出自のわるい秀吉を将軍に担いでどうするの?
釣り人来る。
将軍というのは幕府の象徴であり擬似天皇なわけだろ、だから源氏をはじめ
摂家や皇族など血筋の良い者を選んでトップとして担いでいた、それにより
武士が政治を行なう正当性を主張していた、それなのに他の大名と比べても
出自のわるい偽源氏を将軍に担いでどうするの?
Q1、秀吉は足利義昭に将軍を断られたんだよね?
A1、秀吉が将軍を断念したソースは林羅山の「豐臣秀吉譜」のみなので今のところ否定も肯定も出来ない
Q2、秀吉は農民だから将軍になれなかったんじゃないの?
A2、秀吉は平姓として筑前守になり藤原姓として関白になり豊臣姓として太政大臣になってる
どれも立派な姓であり、秀吉の出自が官位就任に影響をおよぼしたことはない
Q3、源氏しか政権担当者としての将軍にはなれないんだよ。おまえ馬鹿?
A3、「天正十年夏記」によると勧修寺晴豊は信長が将軍になるだろうと感想を洩らし
誠仁親王も信長をどのような官にでも推挙すべしと言っている
そして信長は平姓。もうわかったね?
Q4、はあ?意味不明
A4、だから信長が平姓で将軍になることに問題はないから
平姓秀吉も将軍になることに問題はないと考えられるの
Q5、だったら将軍になればいいじゃん。ならなかったのはやっぱ秀吉じゃ無理なんだよ
A5、小牧・長久手合戦の直後に権大納言や内大臣つまり将軍が兼任した官位を獲得したが
すぐに関白になっているため秀吉は将軍職を望んでなかったようだ
小牧・長久手の敗戦により将軍職を諦めたという論説もあるが
秀吉が将軍職獲得のために運動した形跡はないため憶測にすぎない。
Q6、だから何?
A6、つまりこのスレの結論は「将軍職に興味を示した資料は無いが、秀吉はなろうと思えば将軍にも関白にもなれた」
「むしろ朝廷をも支配出来る関白になるほうが都合が良かった」ということ
Q7、秀吉厨キモすぎwwwww必死だなwwwwww
A7、・・・反論に窮してその態度かよ
征夷大将軍が擬似天皇だという説は初めて見た
Q7A7は何故そういうことを書きたくなるのか理解に苦しむ
そういうのがかえって説得力をなくすんだけど
このスレや前スレを「秀吉厨」で検索してみれば議論に参加できるほどの知識も無く、
ただ単に煽りたいだけの人が常駐してるのがわかる
それに対する牽制のつもりなんでしょ
自分もそんな煽りまがいのことは不要だと思うが
なんかさー佐竹とか伊達とかが源氏の血筋でどうたらとか生意気だったからさ。
豊臣姓つくってギャフンと言わせてやりましたわ。
>>185 お前こそ原文嫁
というか原文の解釈で2通りの説が出てるだけなんだがな
(原文)
村井所へ参り候。安土へ女房衆御下し候て、太政大臣か関白か将軍か、
御推任候て然るべく候よし、申され候、その由、申し入れ候。
(一般的な解釈)
私(晴豊)は村井の所へ参りました。そこで私(晴豊)は村井に
「朝廷は安土へ女房衆を派遣して信長様を太政大臣か関白か将軍に
御推任するのが当然ではないか」と言われた。
私(晴豊)はこの事を朝廷に知らせた。
(キチガイの解釈)
私(晴豊)は信長様が将軍か何かになるだろう。
>>188 立花京子儲とでもいうのか。
信長と十字架読んで納得しちゃうお馬鹿。
>>189 古文の知識があって素直に読んだらそうなるはずだし
「解釈が分かれている」というのは
推任の件を持ち出したのが村井か晴豊かで分かれているのであって
キチガイの解釈は論外なわけです
しかも「晴豊のほうから切り出した説」のほうは
戦前の天皇陛下万歳時代に行なわれた「歴史上の人物は勤皇派かどうか」という意味不明の分別で
「信長は勤皇派」という誤った解釈をしたために生まれた発想
「天皇陛下と信長の関係はうまく行っていたはずだ」という誤解があったために
「村井から切り出すはずがない」とされた
京子ちゃん信者あらわる!!!!!
>>176 >2・秀吉は平氏も源氏も関係ないほどの低い身分の出身。
秀吉の身分のことを言ってるんじゃない。秀吉の身分が彼の官位累進に影響をおよぼしたことがないのは
史実で秀吉が就任した官位を見れば明らかだろ?それとも秀吉は「非貴」だから関白就任は嘘でした
とか言いだすのかw
>>188 それ4/25日の記述だな。それには二通りの解釈が存在し、村井主体説をとってるのは
京子ちゃんと今谷らしかおらんよ。4/25を受けて5/4の勅使派遣につながるが
それまでの朝廷側の準備が左大臣推挙のときと同じく朝廷(というより誠仁親王)主体で行なわれていた
ことに着目し今回のも朝廷から信長側に伝えられたと結論付けている。
「信長権力と朝廷」における京子ちゃんの解釈は、岩沢がご丁寧に原文の訳をして反論してるから
読んでみるといい
>>191 >しかも「晴豊のほうから切り出した説」のほうは
>戦前の天皇陛下万歳時代に行なわれた「歴史上の人物は勤皇派かどうか」という意味不明の分別で
>「信長は勤皇派」という誤った解釈をしたために生まれた発想
日々記が晴豊のものだと証明され、信長への三職推任があったのが報告されたのは戦後なんだが
村井(貞勝 信長の家臣)の所へ参り候。安土へ女房衆御下し候て、太政大臣か関白か将軍か、
御推任候て然るべく候よし、申され候、その由、申し入れ候。
立花京子氏の解釈
私(晴豊)は、村井貞勝から「朝廷は安土へ女官を派遣され、信長様を三職に推任するべきである」という
申し入れを受けた。このことを私はすぐに(朝廷に)報告した。
東大史料編纂所の岩沢としひこ氏の解釈
私(晴豊)が村井貞勝のもとへ行き、正親町天皇が安土へ女官をつかわし、
信長を三職に推任したいと望んでいる、と申し入れした。
ここで立花氏が「申され候」のれ(被)に関して、自分自身を表現する文ではないって根拠なんだが、
岩沢氏が「(正親町天皇)が申され候」と反論しとる。
というか立花説は今谷氏以外支持してる歴史学者なんぞ居らんわけだが。
まぁ三職推任に関しては以下のスレでも話題になってるから見てみ。
ttp://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1160252794/
>>193 全然盛り上がってないな。向こうのスレ
三職を最初に推挙したのが誰か解釈上の違いはあるが、5/4にはそれが朝廷の推挙になり
晴豊自身も、信長が将軍になる儀って言ってんだからいいんじゃね
それより秀吉の将軍に関する件はもう最終結論か?
190ってひょっとして晴豊公記が何かを知らないんじゃ……
何で晴豊の述懐が、村井貞勝との会談の話になるんだよ
>>195 キチガイとか言っちゃうくらいだからなぁ
それに
>古文の知識があって素直に読んだらそうなるはずだし
素直に読んだら岩沢説の読み方になるんだけどな。
然るべく候よし、申され候、
(安土へ〜と(正親町天皇が)申された)
その由、
(事を、)
申し入れ候。
((貞勝に)申し入れた)
このスレでは関東打ハタサレ…のほうが重要だろ、
198 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 10:04:12 ID:Z1i6b+6k
将軍になれんかったのは結局小牧長久手で家康を叩きのめせなかったことも
あるのでは?で、朝廷権威も動員しなきゃならなくなって関白を望んだとか?
>>198 それは関係ないだろう。結果的に家康は秀吉に従ったのだから。
それを言ったら真田や島津を叩きのめせなかった家康は
どうなんだと言うことになる。
つかね
小牧長久手で「家康は秀吉に勝った」あるいはそこまでいかなくても「秀吉は家康に勝てなかった」とか言うのは
「真珠湾で日本が勝ったから太平洋戦争は日本がアメリカに勝った」とか言ってるようなもの。
いや、むしろ日露戦争で「日本が勝った」状況に近いと思う。
緒戦で激しく犠牲をだしながら、最後は政治決着をはかったから
このあと、既成事実を積み重ねながら
日本も秀吉も社会的地位を上げていくことになるw
スレタイも読めない奴がいるね、関白就任後の話をしてどうする。
>>199-200 東夷説の側はそんなスパンで勝った負けたを言ってるんじゃないでしょうよ
小牧長久手の敗戦は1584年
家康の上洛は1586年
秀吉の関白宣下はその間の1585年で
その時点では家康がまだ臣従してないどころか四国征伐すら済んでない
旧織田家内部の後継者争いをほぼ収め終えただけで
まだ対外的な軍事的勝利を収めていない1584-85年の時点では
征夷大将軍になるための「関東打ハタサレ」が欠けていたので
先に関白になってから朝廷の名の下で対外的に優位に立つ戦略を選んだ、
というふうに「何故秀吉は将軍にならずに関白になったのか」の
経緯を説明するのが東夷説+武家関白説なんだから
秀吉がその後天下人になったことをいくら叫んだって反論にはならないよ
>>203 だったら北条征伐後に将軍になればいいじゃんでループ
まあこれは関白就任天下統一後には将軍になる必要が無いことの
証明にはなっても、1584年の時点で秀吉が将軍になれたとか
将軍になる必要が無かったという証明には間接的かもしれんが。
>>203 だから、小牧の役という戦争は秀吉の勝利だって。これは動かしようがない。
その中の、長久手合戦という一局面で土をつけただけ。
というか東夷説を持ち出したのって今谷とかだろ?
秀吉は将軍に成りたかったけど成れなかった、何故だ?
って前提で論説を出してるだけじゃん。
秀吉が将軍位を望めばそれなりの猟官運動の書簡やら
史料に記述が見つかってもおかしくないのにそれが無いんだもん。
>>206 >>203の言っていることを理解していないみたいだね、要は東国を支配下に置い
ていないということ、
徳川や北条は秀吉に臣従してなかったけど、上杉・佐竹・里見なんかはかなり早いうちから豊臣家に恭順してたはず
それではやはり駄目なんだろうか
>>208 そもそも東国支配が将軍の条件というのなら、木曾義仲とか護良親王とかどうするんだ?
足利将軍だって、関東はその支配から離脱していた時期がかなりあるのだが。
信長の三職推任だって、話が出たのはまだ武田征伐がなされていない、東国支配が出来て
いない時期だろ?
征夷大将軍の職掌や性格は時代によって大きく異なるから
義仲や尊氏と比較してもあまり意味はない。
秀吉当時の朝廷や武家自身が「東夷」や「源氏」を条件として
どこまで意識していたかどうかが問題。
>>211 じゃあなんの問題もないね。
朝廷自身が源氏でない、東国支配もしていない信長に将軍就任を認めていたのだから。
そもそも東国がどうこうとは肯定派が言い出したことなんだがな。
>>211 それじゃあ
「慣例として関東の支配がどのこうの」
という妄想と矛盾するのだが
問題にしているのは関東という局所的なことではなく勢力範囲、
また新たな詭弁が誕生したもようw
また新たな珍説が
217 :
211:2006/11/12(日) 20:22:47 ID:0xHD4nKY
そんな「慣例」など当時言った人物などなかったと思うぞ。
すべて後世の創作か思い込みだろう。
関東制覇が条件・・・
じゃ珍説と折衝してやろうか。勝頼父子の首が京都で晒されたのが天正十年三月二十二日
甲信が広義での関東とみるなら関東制覇がその時点で成ったと考えられ
それを受けた朝廷が三職推任を諮問して五月四日の勅使晴豊による信長への三職打診と相成
>>219 >>218はまず第一に、三職推任までの時系列誤認を指摘
第二に、将軍就任のために東国支配が必要条件と仮定した場合に
では東国の示す範囲はどこなのかを信長の将軍推任の事例にあてはめて仮定すると
甲信であることが浮かび上がってくる。すはわち天正十二年の小牧・長久手合戦で
秀吉は家康から甲信を得ることが出来なかったから将軍を断念。そして武家関白になった
もっとも第二に上げた意見は、仮説を立証するために仮説を引用してる点で
半分妄想みたいになってることに留意してくれ。
現実には(上の方でも指摘してたが)上杉・佐竹・結城・蘆名ら東国の有力な大名が
早くから秀吉に恭順しており、信長の時には甲信獲得だけで将軍を推挙してることから
朝廷が将軍推挙の条件に「東国制覇」を掲げていたとは到底考えられないというのが俺様の持論
>
>>218はまず第一に、三職推任までの時系列誤認を指摘
そだね。俺も
>>210,
>>212は変だとは思ったんだが、
俺の思っているのと何か別のことを言っているのかと
怪しんでいた。ただの誤認ということでいいのかな?
> 第二に、将軍就任のために東国支配が必要条件と仮定した場合に
・・・
> 甲信であることが浮かび上がってくる。
まあ東国を無理に甲信に限らずともいいと思うよ。
というかそもそも東国に限らず大戦に勝ちさえすれば
たぶんどこでもよかったと思うけど。
秀吉は賤ヶ岳の戦いで北陸を根拠地にしてる柴田勝家を破ってる
北陸も京からみたら「東国」、条件は一応満たしてると言えるかも
織田家の家臣って時点でダメじゃん。それにわずか2、3年の間に全国の大名
を納得させるのなんて無理に決まっている、短期間て織田家の実権を握ったこ
とだって信じられないほどのスピードだと言うのに。
何故織田家の家臣だから駄目なのか説明してみ?
別に自分は秀吉が賤ヶ岳の戦いで征夷大将軍になる条件を全て満たした、
と言う積もりはないが(あくまで叩き台の積もり)、
根拠も提示されずに否定されるのは納得できないぞ
木下の本名は朴。つまりウリナラの同胞は将軍より上位の関白こそふさわしいニダー。
218 ですが、なるほどたしかにこちらの誤認です。すまん。
しかし恭順でいいのなら、信長には甲信獲得以前から北条や佐竹伊達最上なども
恭順していたといえるから、武田滅亡時点で東国を制覇した、と言えなくも無い。
おや肯定派を証明してしまった(あくまで仮だけど)。
だたそれでも、秀吉の場合になれなかった理由にはならんけど。
北条征伐、奥州遠征で東国制覇した時点で要求すればいいだけの話。
またループさせる気かよ
新規書き込み→これまでの経過説明レス→それを見た別のレス
→既出の源氏説や東夷説、百姓説むしかえされる
→ならなかった派となれなかった派で議論煮詰まる
→結論を誰かがまとめる→新規書き込み
これで1000まですすむスレ
結局どっち側も相手の言ってることにロクに答えないしな
どちらにも証拠がないから仕方ないけど
>>229 ログを全部読んだ上でその感想を述べているのですか?
日本語が苦手なんですか?
読んでるけど?
勝手に勝利宣言する馬鹿が出没してるのは
読んでわかった
罵倒でぎゃあぎゃあ騒ぎ立てて
ぐだぐだになって人がいったん離れてから
「これで結論出たな」って言う馬鹿、
と言ったほうが正確かな
いや・・・
前スレ1000レス分+現スレ232レス読んだら結論出てんじゃん・・・
ということでみなさん一旦おひらきです
新規書き込みが現われたらまたお会いしましょうw
ほとぼりが冷めた頃にまた
今までの事を全部無視して「なれなかった派」が書き込みます
秀吉が将軍になれたというならその主である三法師も当然なれたということだ
と思うが、そういう話聞かないな、
うわちょっと新手じゃね?
>>221 禿散らかす程に同意
>>226 >信長には甲信獲得以前から北条や佐竹伊達最上なども
>恭順していたといえるから、武田滅亡時点で東国を制覇した、と言えなくも無い。
仮に将軍職の必要条件として東国制覇というものがあったのなら、甲信制覇で完了かもな
しかし東国の範囲を探るのはあまり意味がないことだと思う
将軍職の発端を考えれば東国や奥州を支配するという原則的な意味を喚起するかもしれないが
朝廷が厳密に将軍の定義を持っていたわけでもあるまいし。
さて、何度も書くがこのスレの命題について俺様なりの考え
第一に秀吉が将軍になろうとした形跡はない。これ事実
武家昵近公家衆の日記、天皇周辺の記録、秀吉側近の行動(玄以や大村ら)。あるのは羅山の記録のみ
第二に秀吉の官位累進は将軍を狙った任官というわけではない
>天正12年10月3日・従五位下左近衛権少将
>天正12年11月12日・信雄と講和
>天正12年11月22日・従三位権大納言
>天正13年3月10日・正二位内大臣
>天正13年4月・紀伊平定
>天正13年6月・近衛と二条の関白論争
>天正13年7月11日・従一位関白
>天正13年7〜8月・四国、飛騨、越中平定
>天正13年10月27日・家康降伏
>天正13年12月19日・正一位太政大臣
つまり秀吉は将軍になれなかったのではなく
「将軍になる必要がなかった」あるいは「将軍にならなかった」と結論
>>237 1584年11月に秀吉が三法師の官位を越えるから
仮に三法師にその資格があったとしてもその時点で断たれてるな
>>239 最初の頃は将軍追放後の信長時代の
信長信忠の官位任官の方針を単に受け継いでいるようにも見える
「なろうとした」という史料があれば「なれなかった」ことの証明にはなるが
そのような史料がないからといってはたして「なれた」と言えるのだろうか?
なれたと言い続けることに何か意味があるんだろ。
「なろうと思えばなれた」という部分だけをピンポイントで叩いて否定しても
「なろうとした」という史料がない以上「なれなかった」という珍説の後押しにはなりませんが
>>243 では聞くが「なれた」というならばそのなるための手順や方法を具体的に提示し
ていただけないか、たとえばシュミレートしてみるとか、言っておくけど例外を
探してきて都合のよい解釈をしろという意味ではないから。
>>244 何度も書かれているはずなので過去ログを読むといいよ
秀吉が関白に就任するために朝廷と秀吉がやった事の滅茶苦茶さを考えれば
将軍になるなどたやすいもんです
>>245 あなたの説明でよくわかりました、あなたはたいした知識を持ち合わせていない
のに人の意見を珍説呼ばわりする傲慢な人間だということが、
一応目を通したつもりだが具体的な方法は誰も提示していないが。
>>246 秀吉が「将軍になりたい」とさえ言えば
朝廷がごにょごにょと手続きをしてくれて将軍にしてもらえます。
具体的な方法もクソもありません。
「なれた」「なれなかった」どちらも類推で論じているだけさ
被疑者死亡で有力な物証もなく、情況証拠だけを積み重ねる捜査だよ
「なろうとした」決定的な史料が発掘されないかぎりはね
>>246 ほんとにちゃんと目を通したのか?
「珍説絶叫君はスルー」ってのは
このスレではもう常識なんだが。
では秀吉が将軍に「なれた」「なれなかった」から少し離れてみよう
秀吉の官位累進を見ると、その一次的な動機は敵対勢力をいかに飲み込むかを想定した
叙官であったかを知ることが出来る
つまり権少将の叙官は10月に始まった織田信雄との和睦交渉にメドがついた10月中に起こり(翌11月和睦)
これにより織田家で生存する男子のうちもっとも高い官位の者と同等の立場に成り上がった。
それ以後、内大臣獲得までの官位累進は紀伊・四国・飛騨・越中など統一過程で順当に獲得した結果であり
関白職に至っては小牧・長久手の敗戦上講じられた処置、つまり家康という最大の敵対勢力を飲み込むための
手段だったとして理解されている(朝尾・永原)
秀吉が天下統一事業や政権構築のために、受けた官位を運用していくのはその後の話で
官位獲得によって生じる職域や権利の行使は、官位累進の動機としては
あくまでも二次的な側面であるといえる
秀吉が将軍に「なれた」「なれなかった」を語る時には上記に上げた一次要因、
つまり秀吉が他者を圧倒するためには果たして本当に将軍職が必要だったのかどうかを検証することが
重要であると思う。
上にある一次要因を克服するために秀吉は他者より優位に立つための場当たり的な官位獲得を行なっており
>>239で上げた官位足跡を見てもかならずしも将軍職に固執した累進でないことがわかる
与えられた状況証拠から類推するかぎりは、やはり秀吉は将軍職を目指してないと結論付けるしか
他に方法はないだろう。新史料でも出れば別だが
恐らくこれが現在の歴史考察における限界ではないのだろうか?
そして、本当に将軍職が必要なら、
全国を平定して太政大臣になった後にでも
大臣との兼務でも秀次を使うにしても
自分が将軍職に就くか部下に就かせるかして幕府を開いてただろうに。
それをやっていないという事は
「将軍という地位の必要性も感じていないしなろうともしていなかった」
という客観的な証拠でもあるわな。
これ何回このスレで書かれてるんだ?
もうこれが結論じゃんか。
「なれた」「なれなかった」から離れるのは大正解だと思うよ
そもそも東夷説自体がそんな次元の話じゃないんだから
>>251>>252 そういうことだな。原則的な話をすれば、関白も将軍も職に相当する位を持たないのが特徴だ
普通は他の職式と兼帯してその職式に相当する位をもらうのが慣例。統治には必要ではあるが
秀吉がもっとも必要だったのは他者を圧倒するための越官でありそれが秀吉の急務でもあったわけだ
その段階では将軍も関白も差し当たって必要ないわな
やがて自己の政権運営のために関白や将軍が必要になってくるわけで
原則的な解釈を用いてみてもやはり将軍になる必要はなかったといえるんじゃないかな
そしてここで敢えて「なれた」「なれなかった」に話を戻すと
秀吉の素性だけに限定して将軍職の可能性を考えると「なれた」のではないかと言える
将軍は田舎臭い(ダサい)、関白はきらびやかってイメージが
秀吉の中にあったんじゃね?w
なぜ秀吉は右近衛大将になって幕府を開かなかったのか?w
>>256 そんなことは秀吉以外で右大将になった武士全てに言えるんじゃないか?
源氏じゃないから。アッー
Wikipediaで関白相論の記事が充実してるな
トップで新着記事として紹介されてたから読んでみたが、かなり勉強になった
よく読んでみるとわかるがwiki記事の骨子は京子ちゃん説じゃねえかwww
正親町帝はしたたかな人物だったんだな。
京子ちゃん儲はどこにでも沸くな。
「自分で三職要求しておいて、いざ使者が来ると何で断るねん」
という疑問に答えられなくて、最近京子ちゃんトーンダウンしてるらしい
京子ちゃんは、戦国期のイエズス会は戦国一の実力者を排除出来ちゃうと妄想する
くらいハッピーな脳細胞持ってるからわけわからんな。
>何故秀吉は将軍にならずに関白になったのか
そもそも農民出が将軍になろうという発想すらできない(考えられない)時代だったから
ではないでしょうか。
以下、朝廷目線で書いてみます。
朝廷が恐れたのは、信長と家康。
信長を抑えるために将軍職を打診したが失敗→光秀を使って倒した。
家康を抑えるために秀吉を関白職にした。
すなわち、秀吉は朝廷に操られていたにすぎないのではないでしょうか。
>>266 約1カ月ぶりのレス大儀!
さて >そもそも農民出が将軍になろうという発想すらできない(考えられない)時代だったから
そんな時代に農民出を関白にと発想した晴季公は偉大であると思わないかね、きみぃ。
図書館書店で通史や歴史書をいくつか読んできたんだが、足利義昭の養子拒否説に関しては
否定的に書いてるものが多かった。ただ一つそれを基に関白就任の経緯が書かれているものがあった。
その書は井沢元彦著「逆説の日本史」。
269 :
266:2007/01/05(金) 00:04:15 ID:uXv/Fqv9
>そんな時代に農民出を関白にと発想した晴季公は偉大であると思わないかね、きみぃ。
思います。
自分たちにとってのメリットとして、誰も発想しなかった策を考えた朝廷は、
したたかで一枚上手だったのでしょうね。
270 :
267:2007/01/05(金) 21:27:34 ID:eeSR3xoO
>>269 同意してくれるか
ならば聞くが、家康を抑えるだけなら武家の棟梁たる将軍職でも
十分用をなすと思われるがいかがか?
家康に負けた(勝てなかった)秀吉に
武家の棟梁なんてカッコ悪い
「頭領」な
>>272 いくら趣味カテ板だからって、ちょっとは勉強汁
274 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/06(火) 17:56:54 ID:6WPSxryU
やっぱり下賤な身の出身が、将軍になることは無理だったのでは
ループが好きだなおい。
一応このスレは俺様の責任において終了させたはずだが
276 :
人間七七四年:2007/02/26(月) 00:53:51 ID:o2AETMrJ
歴史の知識はあまり無いんだけど、素人的に気になるのは結局関白と将軍って
どっちが偉いの?って部分。ドラマなんかでは徳川将軍が公家関白をザコ扱い
してるシーンがあるけど、関ヶ原前後の関白と太閤、将軍と大御所の関係同様に
結局関白と将軍の上下関係も実質その時の力関係で決まる相対的なものって事?
個人的には望みさえすれば当時あれほど空前絶後の勢力を誇った秀吉が将軍職
をもらえないはずは無いんで、多分出自のコンプレックスも手伝って
「将軍なんて所詮武家の棟梁・・っていうか義昭のザマみてみろや。その点
関白ともなると・・ワシも天子並みの華麗なる一族ってか!?ウシシシww」
みたいな感じで選択したのかもと思ってんだけど、どうなんだろうね?
ちなみに関白とか将軍ってのは成人(元服?)前でも先代が死んだら継承OKなの?
徳川が豊臣を攻めた名目って「将軍家に頭を下げないから」でしょ。
だったら秀頼が関白だったら攻めきれなかったのか・・又は関係なく滅ぼしてたか・・。
または例えば秀吉が将軍になってて秀頼が2代将軍継いでる状態なら
家康は関白(もしくは関白秀忠で太閤家康)になって「将軍家が関白に頭を下げない」
って名目で豊臣攻めを敢行したのか・・関白になんぞならず普通に将軍家つぶしてたか・・。
「何故秀吉は将軍にならなかったのか」って疑問が湧く背景には自分も含めて
「将軍になって幕府つくってれば滅びなかったかもしれないのに・・」みたいな
感覚があるような気がするが、実際関白と将軍の関係が上記のような相対的な
もんだとしたら、豊臣幕府誕生後の大坂の陣ってどんなもんになってたか
とても興味深い。
秀吉が関白と将軍両方なってたとした場合のシュミレーションも含めてね。
(もちろん家康が史実通りに関ヶ原後に勢力を拡大した前提での話だけど)
277 :
人間七七四年:2007/02/26(月) 06:02:12 ID:0QfdLUAS
どこを立て読みすればいいの?
278 :
人間七七四年:2007/02/26(月) 17:13:38 ID:kFgSHDAw
>>277 もんだとしたら、豊臣幕府誕生後の大坂の陣ってどんなもんになってたか
個人的には望みさえすれば当時あれほど空前絶後の勢力を誇った秀吉が将軍職
みたいな感じで選択したのかもと思ってんだけど、どうなんだろうね?
ちなみに関白とか将軍ってのは成人(元服?)前でも先代が死んだら継承OKなの?
279 :
人間七七四年:2007/03/04(日) 03:12:06 ID:rFG95Iuh
>>276 最初の3行で読むのやめた
このスレ最初から嫁
280 :
人間七七四年:2007/03/04(日) 03:13:52 ID:rFG95Iuh
>>278 まずはいろんな本を読んで勉強して
そうすれば基礎知識的な事を質問して恥をかくようなことはなくなるから
わからんかったら俺様に聞けばいいのに
282 :
人間七七四年:2007/04/05(木) 13:19:37 ID:QPJKQHUJ
283 :
人間七七四年:2007/04/12(木) 07:55:18 ID:P/el3O0/
>>261 参考文献は東大の橋本だが
橋本と立花って学説的に距離あるんじゃなかったっけ?
284 :
人間七七四年:2007/04/12(木) 14:59:20 ID:fOqWQ1sl
しょうがねえなぁ。またageちまったのかよ。
285 :
人間七七四年:2007/04/15(日) 21:41:38 ID:owTGTkz9
>>283 っていうか、アンチ京子タソじゃなかった?
286 :
人間七七四年:2007/05/01(火) 20:42:30 ID:LdO27UIU
将軍になるには全国の大名を従えるのと、もう一つ、関東管領を屈伏させることが条件としてある。
関東の北条は滅ぼしたが、次に関東を与えられた江戸の徳川が豊臣に対して屈伏したとは言えずに
将軍になることができなかった。
また、将軍になるには源平の流れのものでなくてはならない。
朝廷としては秀吉を将軍職に就けるわけにはいかず、源平ではないため、仕方なく豊臣の名を作り
秀吉に与えた。豊臣って名前あげるから我慢してね、という形である。
287 :
人間七七四年:2007/05/01(火) 21:29:43 ID:LNu7pj6P
288 :
人間七七四年:2007/05/01(火) 22:52:38 ID:9vyH6W5a
坂上氏ならOKw
289 :
人間七七四年:2007/05/01(火) 22:53:34 ID:LdO27UIU
別にいいんじゃないですか?
ダメなの?
確か信長は平氏の流れとなってるけど、征夷大将軍にならないかとの誘いを朝廷から受けてたはず。
源氏の流れでないとなれないというのはなんの根拠もない話のはずですよ。
290 :
人間七七四年:2007/05/01(火) 23:21:44 ID:J+3yZSGR
お前らGWにヒマだからって釣りに構ってやるなよ
291 :
人間七七四年:2007/05/01(火) 23:25:22 ID:9vyH6W5a
なら平氏の流れの平朝臣羽柴秀吉だって内大臣だ。
292 :
人間七七四年:2007/05/02(水) 05:48:40 ID:D9WvDUjV
足利義昭が将軍の座にいるわけだから、物理的に無理、
293 :
人間七七四年:2007/05/02(水) 06:14:59 ID:uljoaEd9
秀吉は1586に朝廷がわざわざ新しく作った豊臣姓を下賜されて、羽柴豊臣朝臣秀吉になったからそれ以降は平姓ではないよ
豊臣は名字ではなくて、源・平・藤原・橘・物部と同じ本姓だから。
その面では何ら障害はないかと
294 :
人間七七四年:2007/05/02(水) 06:27:37 ID:MqpvEqFS
またループが始まるわけかw
295 :
人間七七四年:2007/05/02(水) 06:43:20 ID:mbQ86BNX
信長は平だけど、征夷大将軍の誘いがあったのは真実だよ。
296 :
人間七七四年:2007/05/02(水) 10:11:17 ID:R2ovFQwY
いろんなスレで見るけど、最近は秀吉が生前に正一位になった説が流行ってるのか?
297 :
人間七七四年:2007/05/02(水) 12:06:37 ID:MqpvEqFS
公卿補任なんかじゃ生前は従一位止まりで死後に追贈正一位になってるな>秀吉
けど公卿補任ってその時々の権力者に阿って結構改竄されてるからな
秀吉の正室である高台院が天正16年の聚楽第行幸の後に従一位に叙任してるのに、
旦那の秀吉に音沙汰が無いのは不自然だとも言える
本当はこの時秀吉も正一位に昇叙してたけど後に記録を改竄したんじゃないかと妄想してる
298 :
人間七七四年:2007/05/02(水) 12:44:17 ID:Q0kN93O0
秀吉もさ、朝廷になんかへりくだってないで、軍勢で殺してしまえばよかったのに。
橋場秀吉天皇を目指すべきだったな。
下剋上なんだからさ。
299 :
人間七七四年:2007/05/02(水) 16:05:24 ID:R2ovFQwY
>>297 なるほどね。
生前の叙任が行われたのはいずれも武家政権の無い時期だし、
関白として皇室を奉じる政体を採った秀吉なら生前の叙任も有り得るよなぁ。
ただ、公家が猛烈に反対しそうだな。
300 :
人間七七四年:2007/05/02(水) 21:24:18 ID:QNh2Ihty
死人の位が正一位だから縁起が悪いとことわったんじゃないか?
301 :
人間七七四年:2007/05/02(水) 22:04:43 ID:c68O3uTx
武家として、天下を獲ったといえるのが清盛、頼朝、尊氏、秀吉、家康あたりか。
このうち征夷大将軍になって幕府を開いた3者の政権はかなり長続きしているのに対し、平氏と豊臣氏の
政権はほぼ一代限りであっさり滅んでいる。
結果論かもしれないが、やはり幕府を開くというのは武家が恒久的に天下を治めるに当たって
有効なシステムであるのは間違いない。その有効性は秀吉も認めていたはず。
史実からみれば、秀吉が征夷大将軍になろうと積極的に動いた足跡はないが、ならなんで秀吉は
幕府を開こうとしなかったのか。
幕府とは違う、新しい統治システムを構築しようとしたからなのか、そのへんがよくわからないんだな。
だから「なろうとしたのになれなかったんじゃね?」という仮説も出てくると思う。
秀吉が目指していた(実際にやった、とは別に)政権システムってどんなだったんだろうね。最終的な形態は。
302 :
人間七七四年:2007/05/02(水) 22:46:26 ID:igRiM+1h
源のどこが長期政権なのだ
三代アボンなのに
303 :
人間七七四年:2007/05/02(水) 22:49:24 ID:c68O3uTx
源氏の血統は滅びたが、頼朝が作った政権自体はそのまま継承されていってる。
実朝暗殺の時点で、鎌倉幕府がいったん滅びたという解釈は見たことない。
304 :
人間七七四年:2007/05/02(水) 23:27:13 ID:QNh2Ihty
>>301 武家関白のシステムを根本的に変えないと
将軍の場合無位無官の赤ちゃんでも襲うことはできるが
関白の場合大臣まで出世してやっと関白に任ぜられる。時間が掛かりすぎるわけだ
関白の政所で政務をとるのでなく、関白府を置き常設の直轄軍直轄領を持ち
その長たる存在に関白を位置付ける。そうすれば第三代豊臣関白秀頼が誕生したはず(かな?)
305 :
人間七七四年:2007/05/02(水) 23:44:08 ID:igRiM+1h
平家の北条氏主導になってから、鎌倉幕府のシステムも変化してるんですが
306 :
人間七七四年:2007/05/03(木) 00:04:28 ID:JUEynWol
>>303 幕府という政治機構は存続したが、源氏政権としては三代で滅んだ。
清盛の平氏政権と豊臣も二代だな。
307 :
人間七七四年:2007/05/03(木) 01:34:21 ID:IBhV5wpC
>>300 当時までで生前に正一位なった例は現在判明してる限りたったの三人だし、
なれたのを断ったとするよりも、なれなかったか徳川に隠蔽されたと見るのが妥当でそ。
なんといっても人臣最高位だもの。
征夷大将軍も同様に、従一位に叙任した秀吉になれないはずは無いでそ。
征夷大将軍って室町以降は正二位か従二位程度の役職じゃなかったっけ?
それに、朝廷が武士の棟梁を天皇の代理より上に置くとは思えないが。
あくまで名目上だけのものとはいえ。
308 :
人間七七四年:2007/05/03(木) 03:37:02 ID:Tw75wqRE
>>301 秀吉が生まれて生きていた時代の幕府がどういう惨状だったかを考えると
幕府そのものには魅力を感じられないかも知れない
やるとしたら
・幕府とは違う新しい統治システムを構築する(信長型)
・過去の幕府の欠点を完全に払拭してシステムを改良する(家康型)
・新しい組織を作らず旧来の組織を活用する(秀吉型)
309 :
人間七七四年:2007/05/03(木) 06:23:10 ID:1SOAuIwi
信長は幕府のシステムを利用してるんだけどね、
当時の幕府の惨状云々というなら朝廷はどうなの?
310 :
人間七七四年:2007/05/03(木) 06:36:33 ID:6ke+/FPA
利用するだけして、最初から捨てる気満々だったじゃないか。>信長
311 :
人間七七四年:2007/05/03(木) 06:47:15 ID:1SOAuIwi
ごめん言葉が足りなかったかも
幕府の官僚組織をそのままに使っていたという意味、
つまり信長は幕府を滅ぼしたというより、幕府の最高実力者
になった、というほうが正しい、
312 :
人間七七四年:2007/05/03(木) 17:12:59 ID:ZaHgwZWo
>>311 まず「幕府」という物が何か
図書館に行って勉強してくるといいよ
313 :
人間七七四年:2007/05/03(木) 23:27:23 ID:rcW9r6WY
>>304 秀吉的には関白を世襲にするつもりだったんだろ?
だから近衛だって島流しにしてわけだし。
314 :
人間七七四年:2007/05/04(金) 00:38:27 ID:k9rwJym4
>>313 それはそうだろう。でも秀次死後に秀頼を関白につけるでもなく、自分が復職するでもなく
関白職を空白にしてしまったからね。摂関家は近衛だけではないし
豊臣家が関白独占するためのシステムを別に考える必要があったわけだ
315 :
人間七七四年:2007/05/04(金) 00:47:59 ID:8gj+mLi8
秀頼みたいな幼児を関白に就けるなんて前例の無いことだから幾らなんでも不可能だろうが、
自身が関白に復職して天下の采配を取らなかったのは謎だな
面倒臭かったのかもしれないけど
316 :
人間七七四年:2007/05/04(金) 02:38:30 ID:lz8oKdoX
秀吉は摂政にはなれないし
317 :
人間七七四年:2007/05/07(月) 01:06:06 ID:LI+77Q/L
豊臣家が関白独占するためのシステム
近衛の流刑が他の4家を含めた五摂家に対する刑罰を用いた脅しだと思うのだが。
318 :
人間七七四年:2007/05/07(月) 08:02:37 ID:Q++v7YGF
そうなると、別に関白じゃなくてもよいような気がするが。
豊臣という姓を新たに創ったように、関白のさらに上をいく位を新設していた方が秀吉らしい気もする。
319 :
人間七七四年:2007/05/07(月) 20:10:20 ID:ZAvi8V+1
豊臣なんてただの姓のひとつにすぎない、創姓を過大評価しすぎ、
それでいて源氏を低く見る人が多いんだよなあ。
320 :
人間七七四年:2007/05/07(月) 21:52:21 ID:LPr0VMfU
秀吉と正親町天皇はめちゃくちゃ仲が良かったから
秀吉がそれを思いついていたら出来たかも知れないよ
321 :
人間七七四年:2007/05/08(火) 04:12:31 ID:mMhHNfO8
徳川のインチキ源氏なんて低く見られて当然じゃないのw
豊臣賜姓の重要性については歴史上何人の臣下が新しく姓を貰ってるか考えればわかるんじゃね
322 :
人間七七四年:2007/05/08(火) 05:52:27 ID:DM5yl0qR
ばか?
323 :
人間七七四年:2007/05/08(火) 05:55:09 ID:5AAYEJIi
324 :
人間七七四年:2007/05/08(火) 06:13:40 ID:lp2+d8Lq
豊臣なんて安っぽい姓に重要性があるのか?
こんな姓を信長に与えると言ったら激怒するぞ。
大体、天皇の子孫である源平とはあきらかに格が
ちがうだろ
325 :
人間七七四年:2007/05/08(火) 09:57:48 ID:ggZtXwHP
>>321 「歴史上」何人か数えてここで教えてくれ
一応、八色の姓制定以後にしておいてやるから
326 :
人間七七四年:2007/05/08(火) 12:22:54 ID:mMhHNfO8
八色の姓制定以降では県犬養三千代が橘姓を賜ったくらいじゃないかな>臣下に新姓授与
それ以前にも中臣鎌足など数例しかなく、秀吉以降は絶無(皇族の臣籍降下除く)
いずれにせよ日本史上極めて稀な事柄であるのは間違いない
>>324 源氏も平氏もピンキリなんだがそれを全部一緒くたにしてる時点で終わってるなw
327 :
人間七七四年:2007/05/08(火) 12:36:23 ID:ggZtXwHP
>>326 三千代だけ?
爆笑あげ
その程度の知識で日本史板来るなよ
328 :
人間七七四年:2007/05/08(火) 12:39:58 ID:mMhHNfO8
いや、ここは日本史板じゃなくて趣味カテゴリの戦国時代板だしw
秋篠菅野中原令宗も追加
秀吉以前で一番新しいのが惟宗允亮かな
329 :
人間七七四年:2007/05/08(火) 13:17:21 ID:lp2+d8Lq
>>326 歴史上まれだからといってなんで豊臣姓が源平より
上になるわけ?
それにピンキリとかいってるが問題をすりかえてないか?
源氏と豊臣の比較であって、秀吉と誰かの比較じゃない。
ピンキリ言い出したら秀吉は豊臣姓を諸大名にばらまいて
いるのだが、それはどうなの?
330 :
人間七七四年:2007/05/08(火) 14:41:39 ID:qF+HbHzT
>>329 ID:mMhHNfO8がどこで「豊臣姓が源平より上」なんて言ってる?
331 :
人間七七四年:2007/05/08(火) 15:14:26 ID:qF+HbHzT
ピンキリ言い出したら家康は藤原姓から源姓に改姓した上に
系図をそれに合わせる様に改竄しているのだが、
赤の他人に勝手に名乗られちゃうような源氏姓ってのはどうなの?
332 :
人間七七四年:2007/05/08(火) 16:51:35 ID:lp2+d8Lq
源 天皇と祖を同じくするという意味
豊臣 金持ってる馬の骨
これだけでも豊臣姓に重要性がないのがわかるだろ
豊臣と源の話をしてるのになぜわざわざ家康たたきを
してるんだか?
少なくても今は関係ないはなしだろ
333 :
人間七七四年:2007/05/08(火) 17:21:38 ID:qF+HbHzT
ID:mMhHNfO8がどこで「豊臣姓が源平より上」なんて言ってる?
334 :
人間七七四年:2007/05/08(火) 17:33:26 ID:qF+HbHzT
勝手に源姓騙る連中のせいで源姓自体に権威付けとしての意味しかなくなったからな。
>豊臣 金持ってる馬の骨
豊臣と源の話をしてるのになぜわざわざ秀吉たたきを
してるんだか?
少なくても今は関係ないはなしだろ
335 :
人間七七四年:2007/05/08(火) 17:39:15 ID:qF+HbHzT
大体さ、俺は
>>331で家康叩きをしてるんじゃなくて
>>329で
>秀吉は豊臣姓を諸大名にばらまいているのだが、それはどうなの?
に対して、源姓といえども、素性が明らかじゃない家康だって勝手に名乗ってるという意味で
>藤原姓から源姓に改姓した上に系図をそれに合わせる様に改竄しているのだが、
>赤の他人に勝手に名乗られちゃうような源氏姓ってのはどうなの?
って返してるだけ。これのどこが家康叩きなのか。
馬の骨みたいに明らかな叩き文句なんぞ使ってないんだが。
336 :
人間七七四年:2007/05/08(火) 18:29:38 ID:DM5yl0qR
ホント、秀吉厨はアホですね
権威付けしか意味がない?じゃあ豊臣にどんな意味が?ぶっ
家康だって源氏長者にも将軍になっているのになにか問題があるのか
337 :
人間七七四年:2007/05/08(火) 19:12:45 ID:MAYfDCat
五摂家以外で初めての関白家
少なくとも藤原家と同格だろ
鎌足の為に創姓された訳だし
338 :
人間七七四年:2007/05/08(火) 21:24:27 ID:Xc+ANdIa
>>318 秀吉は実務官僚の能力はあったが、政権構想が不十分だったから既存システムを生かしただけだろう。
339 :
人間七七四年:2007/05/12(土) 13:16:37 ID:XcCCdVsE
>>292 前の将軍がまだ生きているうちに、
それを放逐して新たに将軍にった足利将軍も何人かいるわけだが。
>>303 秀吉からしてみれば子孫が滅ぼされて組織だけ残った、
なんてシステムには全然魅力を感じないだろう。
血縁には執着しない、天下が治まればいいって人物だったならともかく、
実際は全く逆なわけだから。
340 :
人間七七四年:2007/05/12(土) 18:24:20 ID:620j85V3
またいかにも誰だかわかるような意見が湧いてきたな、
前者はあくまでも足利家内の首のすげかえであって、他家に取って代わられ
たわけじゃないだろ、それに次期将軍も幕府が指名するわけで朝廷が口出しできることではないだろ
後者については、 将軍とは象徴的存在ということがわかってるのか?と
341 :
人間七七四年:2007/05/12(土) 18:46:41 ID:kHv36h70
>>339はいかにも珍説絶叫君て感じだもんな
源氏三代でわかるな、
342 :
人間七七四年:2007/05/12(土) 19:49:44 ID:jBaD4OtV
義輝の死後、義栄将軍就任にたいして朝廷が難色を示して、結果将軍就任が遅れたって
話を聞いたことがあるけど、それはどうなんでしょう?
343 :
人間七七四年:2007/05/12(土) 22:03:25 ID:XcCCdVsE
>>340 それじゃあなぜ義昭が生きているうちに、信長に三職推任の話が来たの?
そして、血筋は三代くらいで途切れ象徴にしかならないような組織を、
秀吉が望むとでも?
しばらく来ないうちに「これはひどい・・・」な状況になったな
このスレ
345 :
人間七七四年:2007/05/13(日) 00:42:45 ID:tNHiPpAb
>>340 将軍職は朝廷に任命されて初めて就任できるんだよ
346 :
人間七七四年:2007/05/15(火) 11:09:46 ID:5t9Mqth3
>次期将軍も幕府が指名するわけで朝廷が口出しできることではないだろ
こんな知識で征夷大将軍を語るなんてどこの馬鹿ですか?
347 :
人間七七四年:2007/05/15(火) 20:27:04 ID:skSilSEy
まあでも、世襲で平和裏に将軍が代替わりしている時期は
現代の総理大臣を天皇が任命している状態とそう変わらんよね
天皇は総理大臣の選定には関与していないわけで
なので
>>340が言っている事が正しいと言える時代は
幕府の治世が安定している江戸時代の話でしょうな
348 :
人間七七四年:2007/05/15(火) 22:26:11 ID:W1siQ80a
>>342 義栄が名乗りを上げた時に義昭も既に名乗りを上げていたから。
あとは、金を先に出した方を将軍にすると朝廷は言っていたのに両方金を出さなかったから。
349 :
人間七七四年:2007/05/26(土) 15:05:42 ID:2adUrY1u
そもそも秀吉が最終的に考えていた政権構想ってどんなだったんだろう?
関白(太閤)が秀吉の到達した、現実の頂点だったが、唐入りが成功した暁には遷都して天皇を北京かどっかにすえて
自分はアジア全体を治めるみたいな計画練ってたんだっけ。
その途中で、天皇を越える意志があったのかな。それとも関白にせよ征夷大将軍にせよ、天皇の下というポジションのまま?
350 :
人間七七四年:2007/05/26(土) 18:53:17 ID:bME5bDg1
当時、誰だかに宛てた書状で
唐の皇帝に天皇
日本の王に秀頼
天竺に秀吉自身が王として君臨する
ってのがあったはず
携帯からなんでソースが判らんが
351 :
人間七七四年:2007/05/26(土) 21:46:02 ID:qojqnzqQ
ネタをマジにとらえてどうする
352 :
人間七七四年:2007/05/26(土) 23:41:13 ID:bME5bDg1
いやもちろん秀吉はネタで言ってるんだろうが
実際の書状ってなかったっけ
353 :
人間七七四年:2007/05/27(日) 02:37:25 ID:de6i1ldB
義昭が存在してなおかつその座に固執し秀吉に敵対している
秀吉は農民出身といわれており武家の象徴たる将軍にはふさわしくない
これらの事実があればふつうなれないと言うだろ?
屁理屈こねまわして何が言いたいんだ?
354 :
人間七七四年:2007/05/27(日) 02:44:35 ID:0NL/1emW
>>353 そう思うんだったらageるんじゃねーよ
355 :
人間七七四年:2007/05/27(日) 03:15:18 ID:7BOKEQlq
>>353 何度も何度も論破されている事を持ち出してどうする
・義昭の存命中に、天皇から信長に「将軍になれ」という宣下があったので義昭の存在は将軍就任への足枷にはならない
・過去に武家出身どころか武家ですらない将軍が存在しているので武士であるかどうかは関係ない
・秀吉は農民出身ではないし仮に農民出身であったにせよ天下を取った時点ではすでに武士なので農民出身であっても関係ない
これらの矛盾に対してきちんと反論できないのであれば
同じ事を何度も書く必要はない
356 :
人間七七四年:2007/05/27(日) 06:10:31 ID:de6i1ldB
はい妄想乙、全部仮定の話だろ、将軍にたどりつくまでいくつifを重ねる気?
だから例外ばっかあげるのではなく具体的な方法をあげて証明してくれ、
三職推任などは専門家でも意見が分かれるし、秀吉にに話が来る
とはかぎらない
357 :
人間七七四年:2007/05/27(日) 06:29:40 ID:+ufPq+Gq
>>355 >義昭の存命・・
三職推任をまずきちんと説明してくれ、
将軍職に義昭がいることを足枷でないとなぜ言えるんだ?
思いっきり足枷じゃねえか
>過去に武家出身・・
摂家将軍や皇族将軍のことを言ってるのかな?
そんな高貴の血筋の人間と秀吉じゃ比較にならない
>秀吉は農民・・
天下を取ったのは何年だ?スレタイをよく読め
358 :
人間七七四年:2007/05/27(日) 09:26:14 ID:OajMhR+n
>>357 将軍の義昭が存命なのに朝廷から信長に、
三職推任、つまり望むなら将軍に(或いは太政大臣でも関白でも)任命するという打診がきた、
要するに、朝廷側には現将軍がいようとどうしようと、
新たな権力者に将軍位を与えることに何の問題も感じていないということ。
そして、農民出身というのが問題になるなら、関白になる時の方がはるかに問題になる、
現に関白になれているのに、将軍にはなれないなどという話にはならない。
359 :
人間七七四年:2007/05/27(日) 13:36:50 ID:de6i1ldB
だから三職推任のような例外を自分に都合のいいように拡大解釈するなって
だいたいその話はどちらが言いだしたかで意味が変わってくる、だから
例にするのにはむかない、
関白になるほうがはるかに難しいって、勝手な思い込みにすぎない
360 :
人間七七四年:2007/05/27(日) 13:45:29 ID:0NL/1emW
三職推任問題はどちらが言いだしたにせよ、朝廷側の結論は将軍職だったわけで(晴豊公記)
意味自体は変わらないと思うよ
361 :
人間七七四年:2007/05/27(日) 13:53:38 ID:wVQYIfsg
そりゃ関白も征夷大将軍もどちらも簡単には就任できない役職だとは思うが、
どちらが比較的なりやすいかといえばまあ征夷大将軍じゃないかな
官位の高さ、歴史的な経緯からして関白は臣下が成り得る最高の役職と言う位置付けだし
362 :
人間七七四年:2007/05/27(日) 14:22:56 ID:HpVC8gjM
身分卑賤説は通史レベルの本でも否定的に書かれてあるのしかないんだけど
今の研究者でこの説を採用してる人なんているのかな?
363 :
人間七七四年:2007/05/27(日) 16:10:34 ID:OajMhR+n
>>359 例外?そもそも秀吉の関白就任自体が例外中の例外ですが?
だいたい、秀吉という新興の権力者の任官について、
そのすぐ前の同じく新興の権力者である信長の例を参考にするのはむしろ当然。
もしも、それを例外だから参考に出来ないというなら、一体何を参考にすればよいので?
そして三職推任については、既出だが、
それが信長・朝廷のどちらから言い出したものだとしても、結局三職推任が行われた以上、
朝廷の出した結論は、信長が将軍になってもよいというものだったことに変わりはない。
364 :
人間七七四年:2007/05/27(日) 16:29:42 ID:de6i1ldB
織田家の家臣にすぎない秀吉に三職推任の話が来るとでも?
それに実権を握ったといってもわずか二年ぐらい、反信長勢力は息を吹き返し
義昭や家康とも敵対、こういう状況を考慮してるのか?
365 :
人間七七四年:2007/05/27(日) 17:31:25 ID:0NL/1emW
>>364 落ち着け、三職には関白が含まれているw
織田家の家臣が関白に推任されたんだ。文章整理しなおさないと君の論理が矛盾をきたす
366 :
人間七七四年:2007/05/27(日) 17:43:10 ID:HpVC8gjM
多聞院日記には正親町帝が将軍就任を薦めたという記述もあるしなあ。
ついでに任関白を「先代未聞ノ事也」とも書いてある。
367 :
人間七七四年:2007/05/27(日) 18:05:21 ID:0NL/1emW
同時代史料として多聞院日記は、少なくとも林羅山よりは重視すべきだが
英俊の伝聞が噂程度のものとして考える向きもある。
秀吉が将軍任官を断ったとされるのが内大臣就任前の話だから
実際の話ならむしろ秀吉が将軍に飛び付いたと素人的には想像する。
368 :
人間七七四年:2007/05/27(日) 18:53:46 ID:rc8mZomd
ID:de6i1ldBがたった300レスさえ読めないバカだというのは分かった
369 :
人間七七四年:2007/05/27(日) 20:54:07 ID:OajMhR+n
370 :
人間七七四年:2007/05/27(日) 21:07:51 ID:7BOKEQlq
>>364 君は「秀吉が関白になった」という史実を全否定したいの?w
371 :
人間七七四年:2007/05/28(月) 06:51:32 ID:rKTcWGFy
ID:de6i1ldB
372 :
人間七七四年:2007/05/28(月) 09:43:11 ID:o+bAWIfH
>>359 >だいたいその話はどちらが言いだしたかで意味が変わってくる
三職推任は信長の方から働きかけたって説挙げてるのは京子ちゃんしかいないわけだが。
学会の定説は朝廷側から信長に三職推任の話を持ちかけたってのでFA
373 :
人間七七四年:2007/05/28(月) 09:44:22 ID:o+bAWIfH
たまに沸く京子ちゃん信者だろ。
京子ちゃんの著書は読むには面白いから簡単に洗脳される池沼が多いな。
あれは信長と十字架とかあのあたりはフィクションだと思わないと。
374 :
人間七七四年:2007/05/28(月) 12:20:47 ID:EJ5OOR33
372 :人間七七四年 [sage] :2007/05/28(月) 09:43:11 ID:o+bAWIfH
>>359 >だいたいその話はどちらが言いだしたかで意味が変わってくる
三職推任は信長の方から働きかけたって説挙げてるのは京子ちゃんしかいないわけだが。
学会の定説は朝廷側から信長に三職推任の話を持ちかけたってのでFA
373 :人間七七四年 [sage] :2007/05/28(月) 09:44:22 ID:o+bAWIfH
たまに沸く京子ちゃん信者だろ。
京子ちゃんの著書は読むには面白いから簡単に洗脳される池沼が多いな。
あれは信長と十字架とかあのあたりはフィクションだと思わないと。
375 :
人間七七四年:2007/05/28(月) 13:00:26 ID:C0DbhVIO
三職推任は信長から持ちかけた、と言っているのは彼女だけでもないし、
少数派というわけでもない、文の解釈については学会でも論争中というのが
実情なんだがな。 あまりはっきりしない説を無知なくせに振り回して
思い付きで、たとえば京子ちゃんが唱えているからとかいうのもなんだか
頭が弱いとしか、
あと関白就任と三職推任は別ものなんだが混同してる馬鹿がいるね
376 :
人間七七四年:2007/05/28(月) 13:20:44 ID:o+bAWIfH
立花京子と今谷以外で、信長から三職を要求したって言ってる学者は誰?
377 :
人間七七四年:2007/05/28(月) 13:26:08 ID:o+bAWIfH
村井(貞勝 信長の家臣)の所へ参り候。安土へ女房衆御下し候て、太政大臣か関白か将軍か、
御推任候て然るべく候よし、申され候、その由、申し入れ候。
東大史料編纂所の岩沢としひこ氏の解釈
私(晴豊)が村井貞勝のもとへ行き、正親町天皇が安土へ女官をつかわし、
信長を三職に推任したいと望んでいる、と申し入れした。
立花京子の解釈
私(晴豊)は、村井貞勝から「朝廷は安土へ女官を派遣され、信長様を三職に推任するべきである」という
申し入れを受けた。このことを私はすぐに(朝廷に)報告した。
今現在立花説は否定されとるぞ。
岩沢説の方が現時点では学会で支持されとる。
378 :
人間七七四年:2007/05/28(月) 13:27:49 ID:o+bAWIfH
ここで立花氏が「申され候」のれ(被)に関して、自分自身を表現する文ではないって根拠について
岩沢氏が「(正親町天皇)が申され候」と反論しとる。
というか立花説は今谷氏以外支持してる歴史学者なんぞ居らんわけだが。
379 :
人間七七四年:2007/05/28(月) 13:29:11 ID:o+bAWIfH
立花京子は元々数学の研究者。
カルチャー講座で古文書を学び始めて博士号まで取ってしまったという異色の経歴の持ち主。
信長と十字架って著作だが、
仮説をたてて資料をつき合わせながら検証していく論法。
つまりイエズス会ありきで語ってる。
内容はこんな感じ。
イエズス会の宣教師たちは、右手に銃(テクノロジー)を、左手に聖書を持ち、
ポルトガルの世界征服・植民地拡大の出先機関として現れた。
信長は右手だけを上手く利用していたつもりだったが、徐々に自分の力を過信するようになり、
自分を神だとみなし始めた。
これをデウスへの冒涜だと判断したイエズス会は、信長のすげ替えを謀る。
後継者として白羽の矢が立ったのは豊臣秀吉。
ただし、秀吉に信長を討たせたのでは正統性が問われることになる。
そこで狂言回しとして利用されたのが明智光秀。
これこそが本能寺の変の真相である。
380 :
人間七七四年:2007/05/28(月) 13:35:19 ID:o+bAWIfH
ID:C0DbhVIOは
>>375で
1、少数派というわけでもない
2、文の解釈については学会でも論争中
とか言ってるが
>あまりはっきりしない説を無知なくせに振り回して
これはお前だろ。
論争どころか岩沢はじめお歴々の学者に突っ込まれて今谷くらいしか
京子ちゃんの支持者はいないんだが。
ここが変だよ〜で金星人はすでに地球人になりすまして戸籍まで取ってる
と主張する人がいるいが、そんなキワモノ的な人が世間とは異なる説を吐いてる状態
を論争中というのなら2は論争中だろう。
1の京子ちゃん説を支持してる学者の名前を挙げてくれないか?
他人を無知と言うくらいだからさぞかし詳しいんでしょうね。
381 :
人間七七四年:2007/05/28(月) 13:57:19 ID:I0b2d+KB
ID:C0DbhVIOの反論マダー
382 :
人間七七四年:2007/05/28(月) 14:08:47 ID:AYZ6D0HA
三職推任の解釈がどうであろうと秀吉が将軍になれる
ということの証明にならない気がするんだが・・
なのにそれを金科玉条のごとくかかげて自分の都合の良い
ように拡大解釈するのもなあ
ていうか誰か詳しく三職推任について詳しく語ってくれないか、
話はそれからじゃねえの。
383 :
人間七七四年:2007/05/28(月) 14:16:48 ID:I0b2d+KB
ID:C0DbhVIO逃げた?
384 :
人間七七四年:2007/05/28(月) 15:53:21 ID:1sugVCYo
>>382 いつものアホの人が
関白になれたほどの人間を「将軍にはなれなかった」と主張するために作り出した根拠が
「農民出身だから」というネタ話のみというのが情けない
まずその前提条件からして間違ってる
だが、仮にアホの言うとおり農民出身だったとしても
秀吉はすでに何10年も前から武士になっているんだし
戦国大名として日本の大半の武士を束ねているんだから
将軍職に就くくらい何の問題もないわけだ
史実として武士以外の将軍もいたわけだから武家出身にこだわる必要はない
それに史実として信長に将軍職に就くよう天皇から勅旨が下ってるわけだから
足利将軍が将軍職のまま健在でいる事は何の障害にもならなかったと言える
385 :
人間七七四年:2007/05/28(月) 16:08:17 ID:1sugVCYo
>村井(貞勝 信長の家臣)の所へ参り候。安土へ女房衆御下し候て、太政大臣か関白か将軍か、
>御推任候て然るべく候よし、申され候、その由、申し入れ候。
これを素直に現代文に訳すと
私は村井の所へ行きました。
天皇陛下が「安土へ使者を派遣して信長を太政大臣か関白か将軍かに推任したい」
とおっしゃった事を村井に伝えてきました。
386 :
人間七七四年:2007/05/28(月) 16:14:13 ID:1sugVCYo
そういえば立花説を信じてる人がいたよ
「逆説の日本史」の著者、井沢元彦(小説家)
この人の本いくつか読んだけど
小説は面白いけど「逆説の日本史」は初期の頃から全部ダメだ
387 :
人間七七四年:2007/05/28(月) 19:26:04 ID:I0b2d+KB
ID:C0DbhVIOは逃げたか
なんで立花説を学会でも有力な説
だとか勘違いしてる馬鹿おおいね
どっかの漫画日本の歴史とかで紹介でもされてるのかね
また始まったのかwwwwww
俺様のレスを百万遍読み直せ!!!!!!!111
389 :
人間七七四年:2007/05/28(月) 21:15:51 ID:3jFv0aFC
立花説が正しいとすれば、朝廷は信長の要求にびびって将軍推任に動いたことになる
だとすれば、もし秀吉が同様に朝廷に将軍職を要求すれば、朝廷はそれを許したと考えることもできる
390 :
人間七七四年:2007/05/28(月) 22:06:09 ID:3NJetU0y
京子ちゃん説が正しいなんてことは無いからなぁ
391 :
人間七七四年:2007/05/28(月) 23:34:52 ID:bF5pm69o
>>389 でもその推任の使者を信長は何の返答もせずに帰したなよ
立花説が正しければその辺りの説明がまったく出来ないよ
392 :
人間七七四年:2007/05/29(火) 00:14:20 ID:W/DFBMtj
>>391 その反論にはカルチャー京子ちゃん自身も説明できないと持説を後退させているからね。
4月25日記の解釈にかかわらず5月3日記の将軍推任の事実のほうがこのスレ的には重要。
この時点で足利義昭はまだ反信長の旗を降ろしていないし、
信長の覇権は近畿・中部にとどまっている。しかも信長は平氏を称していて源氏でもない。
393 :
人間七七四年:2007/05/29(火) 08:03:46 ID:8/Go1jxL
>>382 信長に対する三職推任は、源氏でなくとも将軍になれるということ、
そして現職将軍が健在でも新たな権力者を将軍にするのに、
朝廷が特に抵抗を持っていないことの証明にはなる。
つまり、秀吉は将軍になれないという説の根拠を明白に否定している。
394 :
人間七七四年:2007/05/29(火) 14:10:52 ID:buLmDqX0
秀吉が将軍になれたなどとほざいている奴はゲームのやりすぎか?
なれなかったものを屁理屈ならべてどうすんだ?
じゃあ聞くけど、なぜ時の権力者は天皇にならなかったんだ?
395 :
人間七七四年:2007/05/29(火) 16:33:58 ID:dVqhmqOy
>>394 たった三行で突っ込みどころ満載でレスするのさえ躊躇うほどの頭の悪い文だが
一応哀れみを感じてレスしてやると
>秀吉が将軍になれたなどとほざいている奴はゲームのやりすぎか?
「将軍になれた可能性がある、希望すれば将軍に就任できただろう」という意見=ゲーム
という意味がわからん。
>なれなかったものを屁理屈ならべてどうすんだ?
朝廷が信長に三職推任したという、極めて時期も近い格好の事象がある
その三職とは、関白、太政大臣、征夷大将軍であり、その時点で信長は
関白、太政大臣、征夷大将軍どれにでもなれた可能性があるわけだ。
信長でさえ勧められた職の中では征夷大将軍が一番格下だから、
関白になれた秀吉が望みさえすれば将軍職に就くのはなんら問題が無い
と推論してもまったく問題はないだろ。
現代に無理やり例えてみると、本社の社長(関白)になったのにわざわざ地方の支社長(征夷大将軍)になる
必要は無い訳で。
*例えば支社長(将軍職)に就くことで、支社内(幕府内)ではある程度思い通りにできるが
(実績さえあれば、本社を脅かす存在にすらなれる可能性もある)
することよりも、社長になって、クセのある支社の社員(武家)をどんどん他の部署に配属し(官位を与え)て
自分の目の届きやすい本社(公家社会)の中で支社の人間(武家社会)を組み込もうとしたわけ。
>じゃあ聞くけど、なぜ時の権力者は天皇にならなかったんだ?
日本史勉強しろ
そういや同じ質問を昔中学の教育実習に行った時に中学生からされたな。
歴史得意な子なら中学生でもわかるぞそれくらい。
396 :
人間七七四年:2007/05/29(火) 17:13:34 ID:buLmDqX0
>395
教師?もしそうなら生徒が不幸だな、
>朝廷が・・
秀吉と信長の身分の差や置かれている状況、など個別の案件はまったく考慮に
入れてないのか? 右大臣を自ら辞した信長、官位が欲しい秀吉というだけ
でも朝廷の態度もずいぶん変わってくると思うのだが
>現代に
相当頭の悪い例えだな、
当時日本は、武士が実効支配する軍事国家だぞ、だとしたら答えはわかるよな?
あと相当歴史に詳しいのだろうから、その中学生でもわかるということを
ご教授していただけませんか。
397 :
人間七七四年:2007/05/29(火) 17:25:42 ID:AzfBdRs+
>>396 まったく違います。
日本が武士によって一元支配されるようになったのは秀吉の天下統一以降。
それを受け継いだ徳川幕府が安定させた。
398 :
人間七七四年:2007/05/29(火) 18:27:25 ID:fRlKrhE5
399 :
人間七七四年:2007/05/29(火) 19:03:46 ID:zqkis7Ao
どっちみち豊臣は将軍とは関係ない家なのだから
家康が将軍になったり秀忠に継がせたことに対して怒る資格はないな
400 :
人間七七四年:2007/05/29(火) 19:05:56 ID:8/Go1jxL
>>394 将軍より上の位である関白になれるのに、将軍にはなれないという根拠が全くないでしょうが、
そもそも関白になれるのに、なぜわざわざ将軍に固執する必要があるの?
>>396 状況や態度が変わった結果関白になっているわけですが?
401 :
人間七七四年:2007/05/29(火) 19:38:01 ID:5NTyLYOw
>当時日本は、武士が実効支配する軍事国家だぞ
これは違いますよ
武士が統治した時代は武士=官僚でしかなく
現代の官僚主導体制の基礎でしかない
軍事国家の「軍事」というのは対外的な軍事力を持つ1つの組織が国を支配している体制であって
武家社会は組織もバラバラだし軍事というよりは治安を維持する機能でしかないので
「軍事国家」はあてはまらない
402 :
人間七七四年:2007/05/29(火) 19:48:55 ID:buLmDqX0
>>400 反論のつもりかな?意味不明
ホントは将軍より関白のほうが上だとは思ってないんじゃないの?
でなきゃこんなスレ立たないもんね、
心理学でいうところの「酸っぱいブドウ」「甘いレモン」だな。
403 :
人間七七四年:2007/05/29(火) 20:21:35 ID:8/Go1jxL
>>402 朝廷のおける関白という位の位置づけを勉強しなさい。
思うとか思わないとか言う話じゃあないから。
404 :
人間七七四年:2007/05/29(火) 20:31:21 ID:buLmDqX0
>>403 日本史における将軍という位の位置づけを勉強しなさい。
だいたい官位うんぬん言いだす奴はセンスがなさすぎ、
405 :
人間七七四年:2007/05/29(火) 20:39:02 ID:8/Go1jxL
>>404 征夷大将軍は辺境派遣軍の司令官。
対して関白は天皇の代理で、
天皇を頂点とする朝廷という組織の中でこれ以上の位はありえない。
つまり、天皇から位を授かるという形式をとる限り、
関白以上の位はありえないんだよ。
天正十二年十月三日 叙従五位下
任左少将 平秀吉
これでわからない奴はバカということだ
407 :
人間七七四年:2007/05/29(火) 21:04:43 ID:kpIo9jUE
>>404 横レスなんだけどあなたはなんでなれなかったと考察してるの?
まさか出自卑賤説なんていう噴飯ものじゃないよね。
結論再掲:
> 254 名前:中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y [sage] 投稿日:2006/11/17(金) 12:40:08 ID:mC749uDL
> そしてここで敢えて「なれた」「なれなかった」に話を戻すと
> 秀吉の素性だけに限定して将軍職の可能性を考えると「なれた」のではないかと言える
もっと言えば秀吉は将軍になれなかったのではなく
「将軍になる必要がなかった」あるいは「将軍にならなかった」
おk?
409 :
人間七七四年:2007/05/29(火) 21:28:58 ID:W/DFBMtj
>>406 三職推任問題はは岩沢VS京子がすべてとおもってる奴に、その意味がわかるわけないだろw
ひとしきりループが続いたら適当なところでおまいさんのまとめをまたコピペしてくれ
410 :
人間七七四年:2007/05/29(火) 21:30:42 ID:W/DFBMtj
もう貼ってたorz
411 :
人間七七四年:2007/05/29(火) 22:34:20 ID:Wrm6sZgL
>>396 >>395 >教師?もしそうなら生徒が不幸だな、
アフォだ
教職課程取ってれば、一応教育実習はあるが、別に教師の資格持ってて
リーマソやら教職とは関係ない職業に就いてる人間は腐るほどいる。
教育実習=教師
と言っちゃう時点で大学にすら到達してない年齢だな。
>>395 > >じゃあ聞くけど、なぜ時の権力者は天皇にならなかったんだ?
> 日本史勉強しろ
> そういや同じ質問を昔中学の教育実習に行った時に中学生からされたな。
> 歴史得意な子なら中学生でもわかるぞそれくらい。
網野善彦も同じような質問されて結構悩んだと書いてたな
413 :
人間七七四年:2007/05/29(火) 22:44:58 ID:MswdVsX+
>>405 >征夷大将軍は辺境派遣軍の司令官
実質的には国家の首長だろ、関白だって昔の勢いはないし
そんな有名無実なことを言ってどうするんだ?
そんなんだからゲーム脳とかバカにされんだよ。
414 :
人間七七四年:2007/05/29(火) 22:54:00 ID:Wrm6sZgL
>>412 結局古代中国では自分が皇帝に取って代わり、皇帝がころころ変わる。
日本では武士が力を持つようになってからは天皇に国家運営の主権を認めさせる
公認機関なようなものへと変遷していった。
これは結局、日本は島国であるゆえの単一民族から成り立つ国家であったってのが
大きいんだろうな。
>>413 ID変わったね
国家の首長に名実ともになったのは徳川将軍から。
それまではあくまでも武家の棟梁。
415 :
人間七七四年:2007/05/29(火) 23:03:35 ID:buLmDqX0
>>411 別に教師だとは断定してないが、だから?やもしそうならと書いている
おまえ人のこと言う前にもっと国語力身につけろよ。
416 :
人間七七四年:2007/05/29(火) 23:05:35 ID:Wrm6sZgL
教職資格もってて教師になってるやつなんて数%しかいねぇよ
というか、京子ちゃん説持ち上げて他のお前だろ?
さっさと学会での今谷以外の京子説の支持者を教えてくれよ
言った本人の京子ちゃんでさえ口を噤んでしまった京子説を持ち出すのは
どういう了見なのか・・・気にはなる
418 :
人間七七四年:2007/05/29(火) 23:16:34 ID:Wrm6sZgL
419 :
人間七七四年:2007/05/29(火) 23:27:12 ID:5NTyLYOw
人格否定合戦はもういいよ
とにかく結論としては
「秀吉が将軍になれなかった」という説は間違いである
という事で一件落着
420 :
人間七七四年:2007/05/29(火) 23:30:47 ID:Wrm6sZgL
何度一件落着したのに荒れたんだろう。
>>418 重要なのは五月四日の勅旨派遣なんだけどね
422 :
人間七七四年:2007/05/30(水) 00:03:01 ID:Ms6uSaLt
つまり「将軍になろうとしたがなれなかった」と主張する奴は
秀吉が将軍になろうと行動(あるいは指向)した一次史料を示さないと
想像の域をいつまでたっても越えられない。
「将軍になれたがならなかった」というのも想像の域を越えないが、
多聞院日記などを同時代史料として多少検討の余地がある。
423 :
人間七七四年:2007/05/30(水) 00:16:41 ID:mRABLowy
>>421 俺が聞きたいのは京子ちゃん説を支持するのは少数ではなく、
今は学会でも論争中
という部分に関してだから
424 :
人間七七四年:2007/05/30(水) 00:26:03 ID:28rea3gX
>>422 史実として関白になれた秀吉が「将軍になれない」という根拠がない
アホ側が提示する「根拠」は、それで将軍になれないのなら関白にもなれないし
史実として三職推任の勅旨が来たはずの信長さえも将軍になれないという事になってしまう
425 :
人間七七四年:2007/05/30(水) 00:32:43 ID:mRABLowy
東夷説ならまだ多少は議論しても盛り上がるかなとおもうけど
出自やら源氏やらを根拠に出されると盛り上がらんな
426 :
人間七七四年:2007/05/30(水) 00:34:43 ID:Ms6uSaLt
427 :
人間七七四年:2007/05/30(水) 01:47:59 ID:EWWQ1OEP
朝廷を脅し、秀吉征夷大将軍に就任
↓
義昭が糾弾、秀吉包囲網発令
↓
諸大名が蜂起、織田家中も分裂
↓
秀吉あぼーん
ていうのも有りなら、なれる。
428 :
人間七七四年:2007/05/30(水) 01:52:38 ID:28rea3gX
>>427 義昭は備後へ逃亡後も全国の諸大名に檄文を送っていたが
誰も相手にしなかった
朝廷が義昭を無視して信長を将軍にしようとしたのも
そういう状態を見てるからだろう
なので「秀吉包囲網」などありえない話
429 :
人間七七四年:2007/05/30(水) 07:26:59 ID:oAZA1dNB
>>413 確かに実際の権力については、室町時代から関白よりも将軍が上だっただろうが、
どの道実権を取り返すなんてほとんど不可能な朝廷にとっては、そんな事は関係ないんだよ。
別に秀吉を将軍にしなかったことで、少しでも実権が朝廷に戻るとかいうようなことはないのだから。
朝廷としてはどうせ実権を取られままなら、格下の征夷大将軍を与えるだけで済ました方がまだいい。
わざわざ、将軍位を与えるのをあえて拒否して、
名目上まで最上位の関白の位を与える意味は全くない。
430 :
人間七七四年:2007/05/30(水) 07:43:18 ID:oAZA1dNB
逆に秀吉の側から見れば、実質的権力では最高のものを持っている自分が、
たかだか辺境派遣軍の司令官程度の位で満足しなければならない必要はない、
むしろ最大の実力者なのだから、可能なら最高の位を手にしたいと考えるのが普通だ。
つまり、位を与える側も授かる側も征夷大将軍にこだわる必要は全くない。
なのになぜ秀吉が将軍に「なりたかったがなれなかった」といえるのか、
またそれが事実なら、朝廷はなぜそこまでした将軍位を与えたくなかったのか、
是非説明していただきたい。
431 :
人間七七四年:2007/05/30(水) 10:25:09 ID:nbNOrJmq
秀吉が征夷大将軍就任の為の猟官運動をしてる決定的な証拠があればなぁ
征夷大将軍云々には羅山の一文しか無いが、関白就任の過程の史料は多い。
432 :
人間七七四年:2007/05/31(木) 01:49:22 ID:AHithgh7
秀吉が将軍になれる、という根拠に三職推任をあげているがピント外れだね。
だったらなぜ近衛家の猶子になったんだ?必要ないだろ、少なくとも関白に
なるために使った手法は血統を利用したもの、三職推任とは次元の違う話。
なんか皆勘違いしているみたいだけど近衛家の猶子になるという手段を割りと
当たり前のことみたいに思っているようだが、これってかなり凄いアイデアであり、秀吉を高く評価
すべきことだと思う。
433 :
人間七七四年:2007/05/31(木) 02:09:45 ID:FHvSGncF
まったくもってその通り。
三職推認は、単に将軍職へのハードルの低さを証明するものでしかない。
関白になるための条件(ハードル)は、征夷大将軍になるよりもはるかに高い。
そのハードルを乗り越えた秀吉が、なんでそれよりも低いハードルを越え
られないと思うのか。
この意味で、秀吉の将軍就任への根拠の一つにはなりえる。
434 :
人間七七四年:2007/05/31(木) 06:07:44 ID:u5KmocW1
>>432 信長が三職推任で関白を選んだとしても
当然ながら秀吉と全く同じ方法が用いられるだろう
なので三職推任と同じ次元の話
あの手この手で毎日ごくろうさん
435 :
人間七七四年:2007/05/31(木) 06:51:44 ID:7evbhScl
>>432 藤原家の猶子となって関白に就任したのは事実だが、
それを言うなら、同じ藤原氏で征夷大将軍になった者もいる。
つまり藤原氏に猶子に入れば、なろうと思えば将軍にもなれるということ。
もちろん、わざわざそこまでして関白よりも位として格が下の将軍に固執する必要は全くないが。
要するに、あなたの言っていることは、
秀吉はなろうと思えば将軍にもなれたことの根拠にはなっても、その逆には全くならない。
436 :
人間七七四年:2007/05/31(木) 11:04:02 ID:7n5uDdQ+
三職推任の意義
・将軍が居ても関係ない
・将軍就任には平氏でもなんら問題無い
・将軍就任には実効的な関東支配も必要ない
*もしくは甲信、上総あたりだけでもおk?
・五摂家以外の、それも公家でもない武家が関白になれる可能性を
朝廷自ら示した
こんなもん?
437 :
人間七七四年:2007/05/31(木) 16:29:20 ID:TJCQT35g
三職推任の意義なんてとくにないって、ただ朝廷が信長に屈しただけ、
それだけの話、それを取り上げて身分にとらわれない社会になった
なんていうのは幻想にすぎない
438 :
人間七七四年:2007/05/31(木) 16:31:24 ID:7n5uDdQ+
?
439 :
人間七七四年:2007/05/31(木) 16:32:02 ID:IApVLAWt
誰もそんなこと逝ってなくね?
440 :
人間七七四年:2007/05/31(木) 17:11:08 ID:S5Ss+WZh
441 :
人間七七四年:2007/05/31(木) 19:58:15 ID:8pAYPL+N
秀吉は将軍になんか絶対なれないという奴は秀吉に対して個人的恨みでもあるんか
色々書きたいがどうせ書いても読まないだろうからそろそろ次の話題にいこうぜ
443 :
人間七七四年:2007/06/01(金) 22:26:46 ID:Uj9yEOTk
少し時間がたつとまた京子ちゃん説を掲げて鼻息フンフンしながら勝ち誇ったレス
する馬鹿がくると思うんだけど。
444 :
人間七七四年:2007/06/02(土) 11:20:49 ID:vOBRtyU3
秀吉は将軍になれなかった。
生まれとかならあれだけ実力があればなれるだろう。
でも、秀吉は義昭の力の無さを見て偏見をもっちゃったから
将軍になるって言う発送をもてなかった。
将軍って言うのはなってそんな損なものじゃないのに
将軍になりたいと思えなかったから秀吉は将軍になれなかった。
極端な話、前例は無いけどあれだけ実力あるなら関白と将軍を兼ねて、
関白将軍でも良いんじゃねえの?とか思うんだけどどうなんだろ。
445 :
人間七七四年:2007/06/02(土) 11:43:41 ID:t3P/AMMo
>将軍になるって言う発送
どこに発送したの?
446 :
444:2007/06/02(土) 11:50:42 ID:vOBRtyU3
すまん、誤字だ。
発送→発想
発送の方ばっかり良く使うからナチュラルに間違えた。
447 :
人間七七四年:2007/06/02(土) 14:00:49 ID:PQowuQDz
天下の政権執行者としての役職は一つ有れば十分じゃね?
448 :
人間七七四年:2007/06/02(土) 14:09:27 ID:IL1O2MJP
秀吉様が関白と将軍の両方になられたら
「関白様」とお呼びしたらいいのか「将軍様」とお呼びしたらいいのか
三成、困ってしまいまするぅ
449 :
人間七七四年:2007/06/02(土) 14:21:25 ID:PQowuQDz
「上様」と呼んでれば無問題w
450 :
人間七七四年:2007/06/02(土) 16:19:03 ID:Q+4ECiRi
今まで関白将軍って誰かいたっけ?
将軍になってれば秀頼も将軍になれたのにね
じゃあ秀頼は関白になれなかったの?
451 :
人間七七四年:2007/06/02(土) 17:15:59 ID:pqAiD/Ef
秀吉が将軍になって秀頼が世襲で将軍職を継げるくらいなら
関白も継げてたと思うんだがどうか
452 :
人間七七四年:2007/06/02(土) 17:30:20 ID:e2MJgF7Y
実際秀次は関白になっているわけだから、世襲に出来たはずだと思うのだが、
確かに秀頼を関白にしなかったのはなぜか分からないなあ。
あまりに幼すぎたのが問題だったのだろうか?
453 :
人間七七四年:2007/06/02(土) 18:06:48 ID:suR4JnQg
そらそうでしょ
天皇の補佐って名目なんだから
454 :
人間七七四年:2007/06/02(土) 18:08:26 ID:pqAiD/Ef
うん、それぐらいしか理由がないですな
455 :
人間七七四年:2007/06/02(土) 18:10:58 ID:suR4JnQg
石田三成も、秀秋に秀頼が成人するまで関白にするって内容で西軍に
誘ってたし、成人したら関白ってプランだったんでしょ
456 :
人間七七四年:2007/06/03(日) 07:25:39 ID:9p36JWCC
しかし関白が幼い者には継げない位だったなら、秀吉の選択は多少失敗だったかもね。
長く政権を維持しようとすれば、幼君を擁立しなければならない場合もありえるし、
そういった際に君主の権威を保障する位に就くことが出来ないとなると、
「権威ある位」の意義が薄くなる。
豊臣政権の場合は二代目で早くもそうなってしまったわけだが。
457 :
人間七七四年:2007/06/03(日) 07:40:09 ID:KJxKq2zx
じゃあ将軍だったら幼児でも継げるのかというとそう言うわけでもないし
秀吉が死んだ後も豊臣政権がそのまま安定すると朝廷が予測するような情勢だったら
幼児でも継げたかも知れないわけで
結果論で「失敗だった」と言われてもね
458 :
人間七七四年:2007/06/03(日) 08:00:37 ID:DDyDJxiK
まあ、将軍は幼児でなった先例があるが政権の安定とは関係ないよね
関白の最大の問題は天皇一代に附属した職ということだろうな
459 :
人間七七四年:2007/06/03(日) 08:10:02 ID:LhlJpexA
秀吉の場合は関白という役職ではなく、
いわば「豊臣氏の氏長者」に政権執行者としての役割を持たせようとしたんじゃないか
秀次粛清以後は関白も空席になるが、秀吉が関白に復職して政務に当たったかというとそうでもない
460 :
人間七七四年:2007/06/03(日) 08:26:52 ID:9p36JWCC
>>457 天皇の補佐だから、という理由で幼児が継げなかったのなら、
政権が安定していようとそうでなかろうと、
幼児は関白になれないって事になってしまうでしょう。
将軍の場合は幼児でも位についた前例はあるが。
461 :
人間七七四年:2007/06/03(日) 08:33:05 ID:9p36JWCC
まあ、元々前例なぞ全くないのに、実力で関白にまでなった秀吉なんだから、
どうしてもと思えば、前例なぞ無視して幼児だろうと何だろうと、
関白にしてしまえば良かったのだろうが。
それをしなかったということは、やはり別の政権構想があったのかね。
462 :
人間七七四年:2007/06/03(日) 10:58:52 ID:LhlJpexA
秀吉も関白になるときは近衛前久の猶子となって
「藤原秀吉」として任官されてるわけで、一応それなりの手続きは踏んでる
太鼓持ちの大村由己に命じて「関白任官記」みたいな怪文書配らせて
せっせと自分の出自を捏造してたのもこの頃
朝廷の権威を後ろ盾に全国統一とその後の政権運営をやってきた豊臣家にとって
あんまり朝廷の先例とやらを蔑ろにするのは賢いやり方じゃない
463 :
人間七七四年:2007/06/04(月) 18:11:12 ID:pyIbY5gm
でも、単純に後のこと考えたら、秀次をやったときにごり押しで良いから
秀頼を関白にしてしまった方が良かった気はする。
確かに無理筋ではあるんだけど、偶には無茶も必要だよ。
464 :
人間七七四年:2007/06/04(月) 19:28:25 ID:CNr7d47V
朝廷が首を縦に振らないんじゃないか?
465 :
人間七七四年:2007/06/04(月) 21:13:33 ID:k3zF2+Yn
そういえば、松殿師家ってある意味12歳で人生が終わった摂政がいたけれど、それより若い摂関任官ってないんじゃないか?
466 :
人間七七四年:2007/06/04(月) 21:20:50 ID:kryo2HfE
>>464 秀吉相手に断固抵抗する気概はなかったと思うが・・・。
しかし、秀次粛清で政権が動揺している直後に、
朝廷に対して無理なごり押しをするのはさすがに躊躇ってもおかしくないか?
どっちみち、秀頼を関白にしようとしたようなことを示す資料もなさそうだし、
推測の域を出ないわなあ。
467 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 05:39:05 ID:gsKslL7v
日本史雑学トリビア200って本に
「秀吉は将軍になろうとしたがなれなかった」と書いてあった
ウソビアじゃねーか
468 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 18:17:48 ID:x5GfRTZ2
この手の本はいい加減な物が多くて
「信玄の死因」を検証するページに「鉄砲傷」が含まれてるのがあった
黒沢明の映画「影武者」で、外国人が見ても分かりやすい映画作りのために
信玄が突然死ななければならなかったから、鉄砲で撃たれて死んだという話を創作しただけなのに
469 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 18:26:59 ID:gIv8gIly
信玄が笛の音に誘い出されて撃たれた、ってのは黒澤映画じゃなくて松平記みたいな徳川方の史料が元ネタだろ
君もいい加減なことを言うなよ
470 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 19:04:37 ID:5B02IoSe
コミック乱だかコミック乱ツインズだか忘れたけど
コラムで普通に秀吉が義昭に養子の申し出をしたが断られたので
仕方なく関白になったみたいな記載もあったなぁ
471 :
人間七七四年:2007/06/07(木) 07:05:47 ID:1ESmyzJQ
>>467 どっちかというと「秀吉は将軍になろうとしたがなれなかった」と言う方が、
一般に流布している俗説だから、
むしろ実は将軍になろうとしたことを示す同時代の証拠は全くない、
という方がトリビアと言えるでしょうね。
472 :
人間七七四年:2007/06/07(木) 07:10:46 ID:JJBla47o
ガセビアの沼向けの話題だな
473 :
人間七七四年:2007/06/07(木) 14:00:20 ID:WjvDMW7Q
>>470 コラム作者にとっては関白は消去法でなれる地位としか思ってないんだろう。
474 :
人間七七四年:2007/06/07(木) 17:00:02 ID:bYAJXOiN
>>471 >どっちかというと「秀吉は将軍になろうとしたがなれなかった」と言う方が、
>一般に流布している俗説
それは初耳だった
いつからそんなデマが広がったんだろうか?
475 :
人間七七四年:2007/06/07(木) 18:22:14 ID:ZFbqHhX6
江戸時代から
御用学者のヨイショだけじゃなく紫衣事件等で
公家の扱いが悪かったからなぁ
京に住む民衆ならともかく幕府が証人喚問で呼び出した
高位の公家なんかを江戸市民は目撃してるし
476 :
人間七七四年:2007/06/07(木) 18:58:20 ID:1ESmyzJQ
>>474 そういう俗説を知らなかったならむしろ幸運だと思うが、
まあ要するに江戸時代の御用学者が徳川家の権威を高める為に流布した説。
「秀吉は将軍になりたかったがなれなかった、
しかし家康はその将軍になれた(だから将軍家の方が尊い)」というような論法。
こういう背景があるからこそ、このスレなどでも、
繰り返し「なりたかったがなれなかった」派が現れる。
私自身、関白という位の意味や、藤原氏も将軍になっているという事実を知るまでは、
この俗説を信じていた。
今にして思えばずい分恥ずかしいことをしていたものだと思う。
こうして一人一人"俗説"という名の呪縛から解放されていくのだよ
ほぼ一次と呼べる史料に基づいて編纂された史料集覧や大日本史料と呼ばれるような
いわゆる「通史」には征夷大将軍における秀吉の猟官運動については一切記されていないし
もちろん当代の朝廷に近かった公家どもの日記にも一切記されていない
これを前提としてもう一度整理してみるが
一般に流布されてきた"俗説"とは何だったのかそれはどのようなものだったのか
1.「秀吉は正親町天皇からの将軍要請を辞退した」(多聞院日記)
この説の信憑性については
>>173および
>>171で否定しておいた
2.「秀吉は足利義昭から将軍職を断られた」(豐臣秀吉系譜)
豐臣秀吉系譜については原本および著者・林羅山が書くにあたって根拠としたソースの記述もない
ただ徳川史観で編纂された「後鑑」の中に綱文があり「林はこう書いている」とあるだけ
実際に秀吉は将軍に任官されなかった。位人臣を極めた「あの秀吉が」である。
あれほどの権力を持った秀吉が何故将軍にならなかったのかあるいはなれなかったのか
(なれなかった、については俺様の上のほうのレスで否定しているが)
このスレでも書かれているが史料がない以上推論に走るほかなく
当時はこのスレ以上に人々は色々と噂し、納得いく答えが欲しかったはずである
ま、その結果として俗説が生まれただろうことは容易に想像できるわな。
こうした俗説は根拠がないから俗説であって、こうして紐解いていけば考えら得る着地点としては
「秀吉は将軍には な ら な か っ た 」という状況証拠と
「秀吉は将軍になる必要がなかった」という比較的妥当な推論を得られるだけ。
史料を読み込む+αの限界がこの辺りだろうな
史学的検証を付け加えるなら
「だからといってこれらの俗説を否定するに足る史料はないわけで俗説を完全に否定することは出来ない」
という補足を付け加えればもう充分だろう
478 :
人間七七四年:2007/06/07(木) 23:34:38 ID:HY3gWJG8
記憶
479 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 02:52:39 ID:XOv8koLQ
さて、あのむきになってた馬鹿もなりをひそめたことだし、再びどこかの馬鹿がスレを上げるまでここは凍結です
ではみなさんよいお年を!
480 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 16:22:36 ID:7qts7ivA
じゃあ今週のキチガイ当番は君に決定!
↓
481 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 16:51:58 ID:tadxIQR6
あ、俺にきちがい当番が当たったよ。
今週のって事は一週間がんばらにゃならんのか。厳しいね。
482 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 16:57:56 ID:tadxIQR6
征夷大将軍ってのは戦国末期でははっきり言えばさびた名刀のようなもの
逆に関白って言うのはでかくて質の良いダイヤみたいなもんだな。
錆びた刀なんて誰が欲しがる?錆びてるんじゃ切れもしないぜ。
ダイヤだったら見せびらかせるし、綺麗だぜ。
ただ、カタナはちゃんと研げば名刀に戻るし名刀に戻れば人を脅せるし、人を殺せる。
秀吉はカタナを研ぐって言う発想がなかったから将軍にはならなかった。
家康は錆びた刀を研ぎなおしてちゃんと武器に戻した。
まあ、ダイヤだってちゃんと工業利用すれば恐ろしい武器にはできるんだけどね。
あと関白も関白の権限を利用すればいろんな事が出来たと思うけど、
秀吉はそれほど、無茶をしてない気はする。勿体無いなあとおもってしまうよ。
by 今週の当番
483 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 23:54:08 ID:McG/t/5K
本当にアホだなオマエラwww
天才のオレ様が正解を教えてやろう
秀吉は信長の家臣だった頃に
将軍の命令を聞かない勢力・将軍の指揮下にない勢力と
死闘を繰り広げていたので将軍になっても価値は低いと考えたんだよ
将軍の言う事を聞かないやつでも天皇の命令は聞いたので
秀吉は天皇になろうと思ったけどなれなくて関白になったんだよ
分かったかクズどもwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
484 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 00:04:24 ID:0YxFTYHP
切れ過ぎ。
485 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 15:23:09 ID:hDw4+IBC
将軍という肩書きは武家の統制にしか役に立たない
当時としては何の役にも立たない役職だった
関白なら朝廷にも寺社にも役に立つ肩書きだし
一揆衆を抑えるのにも重要な役職だよ
だから秀吉は天皇になれなくて関白になったんだよ
486 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 19:50:55 ID:St4IjpWF
関白と将軍を兼任することはできなかったの?
487 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 20:07:44 ID:5jZdbu7m
そこら辺は微妙なところだけど、
とりあえず、あえて兼任する必要はなかったってところでしょう。
現代から見ると、大成功といってよい徳川家の例があるので、
どうせなら将軍職もあった方が良かっただろうと思えるが、
秀吉の時代では、関白になれた以上あえて将軍に固執する必然性はない。
488 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 22:46:41 ID:zsjdYCHE
489 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 23:48:05 ID:KC9muJNF
将軍がさらなる上の位を求めた例はあるけどね(源実朝、足利義満、足利義政、etc)。
逆は知らないなあ。
490 :
人間七七四年:2007/06/15(金) 20:27:52 ID:PuuWtRhB
関白が天皇を代理する武家政権ってのもしっくりこないんだけど
491 :
人間七七四年:2007/06/16(土) 10:51:48 ID:d8OiOz6s
信長が神を目指していたように、秀吉もさらに上を目指すつもりだったから、
関白だろうが将軍だろうが、通過点だからどっちでもよかったんじゃないかと。
492 :
人間七七四年:2007/06/16(土) 22:43:48 ID:l0b9BP9v
まだやってんのか
493 :
人間七七四年:2007/06/17(日) 11:29:57 ID:nfOjJkgv
>>491 >信長が神を目指していた
何、その俗説
494 :
人間七七四年:2007/06/17(日) 15:10:28 ID:eKPatP3F
京子ちゃん説だろ
信長と十字架でそんなこと言ってる
495 :
人間七七四年:2007/06/20(水) 19:54:57 ID:lpAdTCHf
496 :
人間七七四年:2007/06/20(水) 22:42:38 ID:KJaHkfPx
種無しは将軍にはなれぬのじゃ。(by 家康)
497 :
人間七七四年:2007/06/22(金) 21:01:37 ID:r8lMBCPJ
家康は実際に神として祀られたしな
498 :
人間七七四年:2007/06/22(金) 21:18:08 ID:1acEpLfi
秀吉も神格化されて豊国神社に祀られたけど、家康に遺棄された。
499 :
人間七七四年:2007/06/22(金) 21:27:16 ID:Y+AvN12R
今は信長も秀吉も家康も皆神様だな
500 :
人間七七四年:2007/06/23(土) 10:47:44 ID:XI3ulFIj
信長は神様になっていたか?
501 :
人間七七四年:2007/06/23(土) 11:57:12 ID:12A8MZr4
第六天魔王だな
502 :
人間七七四年:2007/06/23(土) 12:26:23 ID:hA68/0hX
明治時代になって信長の尊皇の志が評価され、明治天皇から正一位の神格が贈られた>信長
別格官幣社建勲神社がそう
503 :
人間七七四年:2007/06/23(土) 18:18:50 ID:XI3ulFIj
>>502 そうだったのか、知らなかった。
情報ありがとうございます。
504 :
人間七七四年:2007/06/23(土) 23:22:44 ID:3urGudOm
ノブも秀吉、家康の仲間になれてよかったな
505 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 16:26:40 ID:+CowluRH
>>490 そりゃ豊臣政権が10年そこらで終わったからだろう。
多分、江戸幕府みたいに250年以上続いたら話が違ってくる。
506 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 22:22:50 ID:rn2RBlJR
「関白が」の部分を「征夷大将軍が」に置き換えても同じことが言える品
507 :
人間七七四年:2007/07/06(金) 14:52:50 ID:yVske4Y7
というわけで
これにて一件落着
508 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 23:09:15 ID:lEshouPl
ありがとうございました
509 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 16:36:39 ID:NDjtAt1y
>>1 近衛家の猶子になったから関白になれたんだろうが、
なんで関白でも将軍でも好きな方を選べたとか言ってるんだ?
羅山の話が事実かどうかは別にして将軍になりたければ足利家の猶子
になるというのは方法論としては妥当だと思うが
考え方じゃないか、
510 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 19:27:36 ID:THZSVviu
なんで?征夷大将軍は関白と違って持ち回りでもなければ、まして世襲でもないのに
足利源氏の血統を必要とする理由なんてどこにもないだろ
511 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 01:47:58 ID:fNQnbivM
>まして世襲でもない
室町幕府は15代に渡り世襲できてるんだが・・・
>足利源氏の血統を・・・
それは関白にもいえる、少なくても室町時代は足利家が独占
していたわけで、関白よりもなれる家が限られていた
512 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 02:32:49 ID:RwE9UqEF
足利家15代を世襲というなら
関白も藤原家代々の世襲と言えてしまうな。
513 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 02:40:11 ID:gKmnvfRn
世襲の意味わかってる?
関白の持ち回りは世襲とは言わないよ
514 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 06:51:45 ID:8Zvp6tUc
明応の政変以降の将軍職が世襲といえるのだろうか?
515 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 07:10:26 ID:r7ag2ErH
傍系や弟が継いでも世襲?
つーか、別に征夷大将軍なりたきゃなればいいのよ
坂上も藤原も皇族もなってんだから今更源氏にこだわる必要ない
それこそ関白みたいに強引に猶子になる必要ナシ
516 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 07:56:16 ID:plLQPTNN
517 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 08:40:31 ID:clqpU5Cn
理由:家康が大嫌いだった。
秀吉様は家康をことのほか嫌っていた。
予知能力の有る秀吉様は家康が将軍となることを見越しておられた。
そのため将軍よりは上位である関白となった。
518 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 08:42:18 ID:WWbPu6gR
百姓や足軽の子が将軍職に就いたという
前例を残したくなかったからだろう
武家の棟梁なんだから
519 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 09:38:13 ID:sxlEWFa6
百姓や足軽の子が関白職に就いたという
前例を残したかったからだろう
人臣の最高職なんだから
520 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 20:28:15 ID:fFxGbn2t
>羅山の話が事実かどうかは別にして将軍になりたければ足利家の猶子
>になるというのは方法論としては妥当だと思うが
足利家の猶子になって将軍になった者など一人もいないのに
どこが妥当なのか説明くわしく
521 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 21:59:14 ID:gKmnvfRn
↑関白になる時に使った手法と同じじゃねえか、
522 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 22:57:23 ID:fFxGbn2t
関白職は代々摂関家が代々世襲しているので
関白になるための手続きとして
摂関家の養子になるという方法を取ったのはいいとして
(これも当時としては物凄い荒技だが)
それと同じ手続きが将軍職に就くためにも必要だという根拠がないわけで
その辺の説明を一切拒否して「とにかく必要だ」という意見はおかしくないですか
523 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 23:07:14 ID:RwE9UqEF
当の足利を追放した信長に征夷大将軍やらんか?と朝廷が言ってるのに
足利の猶子もなにも・・・
524 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 02:43:25 ID:HcJ0urse
家康だって、将軍になるのに足利の猶子になんぞなってない。
525 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 03:37:08 ID:dwm9yD1Y
やっぱり当時の世相として血筋というのは
大きな影響があっただろう
最低でも武家の子なら将軍職になれたと思う
526 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 10:45:36 ID:XDDj+hjt
>>524 家系は平氏から源氏へ捏造済みだったしね。
527 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 13:14:05 ID:BSo5Crtn
528 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 16:52:21 ID:dhu4wwgi
>>526 平氏の信長でもなれたんだから源氏捏造は関東支配の為だろ
529 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 19:45:00 ID:K44Ze+4l
朝廷からすれば
強大な権力者が朝廷のしかるべき地位に就いてくれて
朝廷を保護した上で国内が平穏になってくれればいいんであって
せっかく平和になろうとしてる時にその機会を朝廷が潰したと言われたりとか
強大な権力者の力だけで朝廷と関係なく平和になっちゃったとか
そういういう事態になったらそれこそ朝廷としては立場がない
朝廷は秀吉や家康が欲しがる地位をやればいいんだよ
源氏が平氏が足利がと言ってるヤツは
そういう当時の朝廷の立場とかを考えた事が一度もないだろ
530 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 19:56:11 ID:lOBr6qYV
>>525 血筋が大切なら、天皇の外戚である藤原氏以外は、
かつて一度も就任していない関白になる方がよっぽど大変なことだが。
もちろん、藤原氏の養子になったからこそ可能だったわけだろうが、
それだったら同じ藤原氏は将軍にもなっているのだから、
どうしても将軍になりたかったなら、藤原氏の養子から将軍になっても良かった。
それをしなかったのは、やはり将軍より関白の方が良いと思ったからだろう。
531 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 21:20:13 ID:oXeP09yE
532 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 21:39:13 ID:k438Zw7O
秀吉としては自分らで傀儡として利用し追放した将軍位に大して魅力を感じてない
織田信長の最高位が右大臣でそれを超える官位として関白の方が良いに決まってる
家康は関が原当事は一応豊臣家の家老という建前なので関白にはつけない
となれば征夷大将軍の方を選んだ
と簡単に思ってたんだが違うのかい?
533 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 21:46:47 ID:K44Ze+4l
>>532 それでいいと思うよ
加えて言うと、秀吉が関白になったくらいの時代はまだ治安が安定していなかったんだけど
治安を安定させる力は将軍職にはなかったんだよ
将軍は「武家のトップ」でしかないので武家しか統治できず
一揆や寺社には力が及ばなかった事を信長配下の秀吉は実感している
本願寺は将軍の命令は聞かなかったが天皇の命令を聞いて石山寺から撤退した
534 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 06:11:37 ID:fEkGu5JZ
関白なんかなったから将軍職の家康に滅ぼされた
ようするに秀吉はアホ
535 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 07:37:28 ID:8nnUY8QY
下手糞な釣りだな
いまさらこんなスレ持ち上げてるおまえらドッグスメーン
俺様を完全にディスってるとしか思えないなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
信長横死後に秀吉に必要だったのは何だったのか?
それに対する俺様の推論(
>>250)がすべてを現しているだろうがッ!!!111!!
秀吉が可及的速やかに行わなければならなかったのは信長の継承者としての地位
他社の圧倒であり越官、そして彼を取り巻く公武門跡に対して戦略的優位に立つことに他ならない
つまり自己の政権統制に必要な関白とか将軍という官は秀吉躍進の初期段階にはさしあって必要ないのだよ。
537 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 01:06:54 ID:eBtTSmUB
他社の圧倒
538 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 01:08:06 ID:eBtTSmUB
彼を取り巻く公武門跡
539 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 02:02:11 ID:QeBr1QiR
>>1 単純なこと、将軍職には義昭がおり、関白は空位だったこと
少なくてもまったくの間違いだとは言えないと思うが
今まで関白不在が語られていないのが不思議としか言いようがない、
540 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 03:17:09 ID:pYfTzWGz
秀吉が将軍職が必要だと思えば朝廷は義昭を解任すればいいだけの話
秀吉を摂関家の養子にするよりはずっと簡単な手続きはなず
541 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 06:16:30 ID:V9SEdNSE
>>540 そうか?養子なんて本人がうんと言えばいいだけの話だぞ、
542 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 08:37:44 ID:yEcQYYcJ
前例がないと朝廷も渋るぞ
徳川三河守任官時がそうじゃないか
543 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 14:33:24 ID:AQeyfTPA
朝廷からすれば
強大な権力者が朝廷のしかるべき地位に就いてくれて
朝廷を保護した上で国内が平穏になってくれればいいんであって
せっかく平和になろうとしてる時にその機会を朝廷が潰したと言われたりとか
強大な権力者の力だけで朝廷と関係なく平和になっちゃったとか
そういういう事態になったらそれこそ朝廷としては立場がない
朝廷は秀吉や家康が欲しがる地位をやればいいんだよ
源氏が平氏が足利がと言ってるヤツは
そういう当時の朝廷の立場とかを考えた事が一度もないだろ
544 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 20:52:25 ID:vlYmRpSu
>>541 解任なんて本人がうんと言う必要もないよ。
545 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 20:57:56 ID:YSZnfj2y
>>544 実際の力関係が上の人間から言われれば、どっちも本人がうんと言う必要もないわな
で、秀吉が勤皇よりの人間だったから天皇の権威と別の権威を
はっきり打ち上げることになる将軍職を嫌った可能性は無いのかな?
あくまで天皇の政府を取り締まる関白と
あきらかに天皇とは違う政府を作る将軍との違いね。
546 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 21:33:31 ID:d6SDYOIt
かつての将軍が勝手に武家政権を作っただけの話で
関白になっても同じことが出来るし実際に同じ事をしてるわけだが
547 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 21:54:16 ID:YSZnfj2y
天皇の朝廷と別に開府するのと、
天皇の朝廷の実権握るのは別じゃないのか?
それと、天皇に専制させなかったから勤皇はありえないと言ってるのか?
勤皇論者はみな天皇の専制を望んでいると思うのなら朱子学を学べ
548 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 22:33:02 ID:xEiwhhet
どうして勤皇なんてことが出てくるのかがよくわからない
549 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 22:37:08 ID:YSZnfj2y
天皇を敬う気持ちがあったて言う本来の意味で
幕末の勤皇活動のイメージと一緒にされたら理解できないのは当たり前
550 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 22:59:45 ID:BxCJoqmr
秀吉の場合は自分の権威付けに天皇を利用したんでしょ
それなら将軍は都合悪いかもね。鎌倉にしても室町にしても朝廷と対立して成立してるから
551 :
人間七七四年:2007/09/07(金) 00:09:48 ID:Cq6yagvz
秀吉の政権だって幕府と同じで
朝廷の役職にない奉行だの大老だのを作って運営してたしね
552 :
人間七七四年:2007/09/07(金) 00:10:41 ID:Cq6yagvz
それに関白が朝廷の役職で将軍はそうではないという理屈が分からん
553 :
人間七七四年:2007/09/08(土) 07:33:07 ID:Zfql/o5O
実際に天皇の政庁である朝廷を取り仕切っていたならともかく、
>>551もいうとおり、実際の秀吉は封建制と奉行を用いた統治を行っていて、
実質的には豊臣家の政治機構を作っただけだしね。
関白は人臣の最高位だからそれを目指すのは至極当たり前だし、
そのことだけで勤皇の志があったという根拠とは言えないと思う。
554 :
人間七七四年:2007/09/08(土) 09:05:34 ID:Zfql/o5O
>>539 今まで関白不在が語られていないのが不思議としか言いようがないって、
当時は関白空位ではありませんが?
秀吉が関白になるまでは、二条昭実が関白職に就いていました。
555 :
人間七七四年:2007/09/29(土) 11:36:10 ID:TKx2UVTn
>「秀頼が君主の器でないのなら君が天下を治めてくれ」
これなんかもう劉備が孔明に託した遺言のパクリだろ
羅山がアホ以外の何者でもない裏返しだな
で、義昭に断られたってのも真っ赤なウソだな
556 :
人間七七四年:2007/10/01(月) 15:14:43 ID:hsRvHRMI
そろそろ上げてみる。誰かまた煽ろう
次回開催はどう考えても冬休みだろw
558 :
人間七七四年:2007/10/05(金) 21:06:47 ID:VcD1vkFk
知ってるか?最近のゆとりドモには秋休みってのがあるんだぞ。
559 :
人間七七四年:2007/11/05(月) 23:32:25 ID:WA6z2++q
このスレが沈んでいく間に日本史板に議論が飛び火してるみたいだな
誰か出張してこないかw
560 :
人間七七四年:2007/11/07(水) 19:13:33 ID:BSi4hnSH
このスレで議論なんてやったことないだろ・・・
561 :
人間七七四年:2007/11/07(水) 21:12:23 ID:sShaaCzU
日本史板の該当スレに誘導しろよ
562 :
人間七七四年:2007/11/10(土) 09:04:58 ID:+2ervALy
むしろ家康は関白になりたがってたんじゃないの?
563 :
人間七七四年:2007/11/10(土) 11:18:08 ID:8P38u0uN
「家康はなぜ関白にならずに征夷大将軍になったのか」
すでに内大臣で右大臣以上は欠員、官職ではすでに最高位で
関ケ原以後すぐにでも関白になれる条件にあったのになんで?
564 :
人間七七四年:2007/11/10(土) 17:05:01 ID:zjzuNyaK
ポンコツ政権と同じ構造の政権を作ってどうするよ
565 :
人間七七四年:2007/11/10(土) 17:55:28 ID:f4+DBEWS
>>563 家康が関白になると「秀吉の政権を家康が引き継ぐ」という意味になってしまい
秀頼(右大臣)やその家臣との関係に影響してくるから
566 :
人間七七四年:2007/11/10(土) 18:58:48 ID:+2ervALy
家康が征夷大将軍に就任しても秀頼は家康のことを格下としかみてなかったんだろうけど実際の官位の上では上下関係はどうだったのだろうか。
567 :
人間七七四年:2007/11/10(土) 19:35:24 ID:P0YILm4C
官位も秀頼の方が下
568 :
人間七七四年:2007/11/10(土) 20:22:54 ID:8P38u0uN
つーか、秀頼があの若さで右大臣にのぼりつめたのは
あきらかに家康の後押しがあったからだろ
569 :
人間七七四年:2007/11/10(土) 22:05:24 ID:2sLtwOOu
そうだよ
570 :
人間七七四年:2007/11/10(土) 23:29:58 ID:k4KRhzYY
後押しは確かなんだけど、秀頼の為とか秀吉の恩に応えるためというより、
豊臣家への欺瞞作戦みたいなもんだろ
本気で次代将軍は秀頼に継がされると思ってたようだし。
571 :
人間七七四年:2007/11/10(土) 23:33:40 ID:eLqDZB0h
建前上、家康は豊臣の家臣みたいなもんだしな
572 :
人間七七四年:2007/11/10(土) 23:44:14 ID:JPh2rLVM
573 :
人間七七四年:2007/11/11(日) 00:11:06 ID:cHhp0ec8
>>570 家康は豊臣家を徳川家の親藩として残そうと画策してたんだよ
>>563 朝廷は関ヶ原後家康の将軍就任の後までも秀頼に関白となるための官位周旋を行ってる
いわば家康と秀頼を両天秤に掛けていたつうのは補任でも読めば一発回答だけどな
575 :
人間七七四年:2007/11/12(月) 23:49:05 ID:lN8I8y0a
秀頼が右大臣になれたのは家康の斡旋ではなく朝廷の積極的な働きかけによるものなんですか?
576 :
人間七七四年:2007/11/12(月) 23:59:23 ID:aHhGdzG+
家康の斡旋です
577 :
人間七七四年:2007/12/18(火) 16:21:24 ID:OSLdGqBF
家康厨ホイホイage
578 :
人間七七四年:2007/12/18(火) 18:37:31 ID:Ji78tScM
源氏じゃないから
579 :
人間七七四年:2007/12/18(火) 19:27:11 ID:L9QiqqOo
それ関係ないから
580 :
人間七七四年:2007/12/18(火) 19:43:57 ID:skvuMice
>>574 そういう見方もあるかも知れないけど
秀頼が大人になるまでの間、関白という肩書きを与えてムゲに殺されるのを防いで
なおかつ豊臣家を温存する事によって将軍家の専横も抑えてやろうという高度な判断だと思う
581 :
人間七七四年:2007/12/18(火) 20:27:16 ID:S5GUITze
>>580 両天秤もあるけど、京都は大坂に近いから豊臣家の影響力が強く残っていたんだと思う
公家たちは、よく大坂へ下向している
582 :
人間七七四年:2007/12/18(火) 20:35:21 ID:rI9KUh+2
秀吉は天皇を大事に扱ったからな
一部公家も味方につけてたし。
583 :
足利末裔:2007/12/18(火) 20:57:29 ID:m94yiu0B
定説通りとちゃいますか?将軍にならなかったんじゃなくて、なれなかったが正しい表現やと思いますけど。
584 :
人間七七四年:2007/12/19(水) 00:15:01 ID:10UYR4SB
平氏と源氏みたいなもんだろ。
将軍は、武家の棟梁でしかないから、
朝廷で実権を握るのが一番と考えたんだろうな。
秀吉が健在の頃は、まだ不安定な状態で、
仮に将軍になっても、朝廷次第でどうなるか解らない状態だったから
平家と同じ形で国を納めたかったんだろな。
585 :
人間七七四年:2007/12/19(水) 01:02:23 ID:bsQfLUBV
そうかぁ、もう冬休みだよなぁw
586 :
人間七七四年:2007/12/19(水) 03:15:51 ID:ZXYoKBMd
>584 頭領な?棟梁て。大工かよボケ。
587 :
人間七七四年:2007/12/19(水) 05:20:19 ID:PKimy9mJ
将軍、なろうと思えばなれただろ。ただ秀吉は就かなかっただけ。
関白になれるのに将軍が無理なわけないだろ。
朝鮮に大量の武士を動員できるほどだぞ。何でも意のまま思いのままです。
588 :
人間七七四年:2007/12/19(水) 07:43:26 ID:bsQfLUBV
>>586 はいはい、リアル厨は夜更かししちゃダメよ
図書室で「武家の棟梁」でちゃんと勉強しなさい
589 :
人間七七四年:2007/12/19(水) 09:17:44 ID:s4HwmhSa
>>586 しらなかったのか?
源平は大工から影響力を持ち始めた家柄だから棟梁っていうんだぞ
590 :
人間七七四年:2007/12/19(水) 15:17:28 ID:3kW5vn/D
秀忠が秀頼をアッー!ってやっちゃったんだよ
591 :
人間七七四年:2007/12/19(水) 21:59:35 ID:VFXTuqy+
>>588-589 >>586は釣りなんじゃあないの?
いくらなんでも・・若干なり歴史語る板に出没するなら
「武家の棟梁」の棟梁を頭領
と読み替えるなんて馬鹿なこと普通しないだろ?
592 :
人間七七四年:2007/12/19(水) 22:02:18 ID:VFXTuqy+
・・と思ったがリアルで歴史小説に「武家の頭領」
と書く御大が。
間違えても無理ないかも。
誰とはいわないが
戦国の長島巨人軍の作者とだけいえば・・
593 :
人間七七四年:2007/12/20(木) 01:00:18 ID:pnNGQ/9Q
間違いなく釣り
なぜなら過去レスにも同じような内容があるから
そう思いながらも釣られてしまうこの快感
594 :
人間七七四年:2008/01/10(木) 22:04:59 ID:5ClO2bpH
初めて投稿します。
最初から読ませていただきましたが、みなさん勘違いをなされているようです。
頼朝以降、武士が征夷大将軍になるには清和源氏でないといけないという総意が形成されたことは史実です。
ただし、ただの清和源氏ではなく清和源氏の嫡流の血筋が求められました。
現職の将軍であり、清和源氏の嫡流の足利義昭がいるいじょう秀吉は義昭の養子になるか
義昭に匹敵する源氏の家の養子にならなければ朝廷から将軍には任じられなかっただろうと思われます。
義昭に養子縁組を拒否された秀吉が近衛家の養子という名目で関白に任じられる道を知り
近衛家が養子縁組を許可したので秀吉は関白になりました。
源氏ならば誰でも将軍になれるというのは誤解です。
足利将軍がいるいじょう、その養子になるか足利氏に匹敵する源氏の血筋である
新田氏などの子孫として朝廷に認められない以上
将軍には任命されません。
595 :
人間七七四年:2008/01/10(木) 22:47:33 ID:JtmaumZW
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| ノ _, ,_ ヽ (( | プラプラ
/ ● ● | (=)
| ( _●_) ミ _ (⌒) J ))
彡、 |∪| ノ
⊂⌒ヽ / ヽノ ヽ /⌒つ
\ ヽ / ヽ /
\_,,ノ |、_ノ
596 :
人間七七四年:2008/01/10(木) 23:00:31 ID:GXhpT3XP
>>594 本当に最初から読んだなら、
当然頼朝以降である、鎌倉幕府の4代・5代将軍が、
藤原氏出身だと分かるはずなんだけどね。
597 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 02:10:28 ID:oKW8g+TO
>>596 >>594は、みんなに褒めてもらいたいばっかりに
彼なりに一生懸命努力して書きこんだんだから
あんまりいじめちゃ可哀想だよ。
知的に恵まれない不憫な子は、
社会全体が温かい眼で見守ってあげないとね。
598 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 03:03:22 ID:5Tl3pBm7
どう見ても初めての投稿どころか、いつものヤツ
599 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 07:32:48 ID:GVNuBKol
いまだに摂家将軍のような例外中の例外を得意気にあげるやつがいるとは…
さらに言えば四代将軍に頼経が選ばれたのも頼朝との血縁によるものであって
武士の中で源氏が尊ばれていたのは事実。
600 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 12:15:22 ID:Ul/Bet71
関白は天皇の代わりに政治が出来るからじゃない?
将軍は朝廷から任命されてなるし 官位も低くてもなれる
まぁ公家を抑えるって意味もあって関白になったのかもね
601 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 12:58:54 ID:roFw4BLQ
関東が徳川家のもんなのに将軍になれるの?
602 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 13:20:45 ID:twhmFZog
蝦夷の討伐ができるなら
条件なんか関係ない。
坂上田村麻呂もなったじゃないか
603 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 16:43:40 ID:iambFqE6
>>601 木曾義仲が関東を支配したという話は聞いた事がないぞ
604 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 17:44:31 ID:duwOCYV4
甲信地方も関東の範疇だから、当時信州豪族を押さえた義仲は正統だという学者もいるけどね。
ぶっちゃけ征夷大将軍なんて朝廷の都合で任命してるだけだから資格なんて語っても仕方ないんじゃ?
605 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 21:26:39 ID:o5FcyLBd
>>596 4代5代は源氏として将軍になりました
藤原氏として武士の棟梁になったわけではないです
>>599さんは博識
摂家として迎えられたわけでなく清和源氏宗家の継承者として迎えられました
あれ?冬休み終わったんじゃねえのかヴぉけ
>>605 吾妻鏡嫁
寛元二年甲辰 征夷大將軍從三位行左近衞權中將藤原朝臣頼嗣
607 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 22:26:03 ID:778eTmvG
>>605 とうとう歴史捏造ですか。全くお話にならないですね。
608 :
人間七七四年:2008/01/15(火) 15:27:14 ID:MBh7MvLt
「関東打はたされ珎重間、将軍ニなさるへきよしと申候へハ」
たしかに甲信地方は関東の範疇なわけだ
609 :
人間七七四年:2008/01/15(火) 22:28:01 ID:2P9niP+s
>>601 南関東が徳川の領地になったのは北条家滅亡後
しかも秀吉の配下として南関東に領地替えになった
つまり、南関東が徳川家の領地になった時点で
関東は秀吉が支配している事になる
612 :
人間七七四年:2008/01/21(月) 14:54:55 ID:upE5arVh
これは結果論というか、後に家康が将軍になって開幕して
代々安定した政権を運営したという歴史を知ってるからこそ出てくる疑問。
そもそも信長や秀吉に幕府を開くという意思があったのかどうかすら疑問。
613 :
人間七七四年:2008/01/21(月) 22:47:16 ID:wyRSaD+2
開くもなにも、幕府は存在していたのだが、
614 :
人間七七四年:2008/01/22(火) 04:27:52 ID:aQls1zoq
足利義昭の将軍職を解任していなかった(別段する必要もなかった)だけで
幕府は存在していなかったよハゲ
615 :
人間七七四年:2008/01/22(火) 05:44:18 ID:lxtp24R1
信長が幕府を滅ぼして新しい政治体制を築いたと思っているのか?
義昭が京にいないだけで幕府の官僚機構は存続している。
616 :
人間七七四年:2008/01/22(火) 07:05:50 ID:3DTIdem/
>>615 形骸と化してたがな
例えば越後上杉家の関東管領なんかはすでに自称レベルのもんだろ
617 :
人間七七四年:2008/01/22(火) 11:14:28 ID:1gkkLGgB
官職なんかも自称多かったしな
618 :
人間七七四年:2008/01/22(火) 21:41:50 ID:bYyZkHwP
>>615 いや、確かに名目上幕府は存続していたが、
官僚機構なんて呼べるものはもはや存在しないでしょう。
義昭存命、幕府存続中にもかかわらず、信長に三職推任がいったということは、
朝廷もその頃には、既に室町将軍や幕府の存在など気にしていなかったということ。
619 :
人間七七四年:2008/01/23(水) 02:04:17 ID:Amk1eIRZ
>>615 >義昭が京にいないだけで幕府の官僚機構は存続している。
どこに幕府があったの?w
620 :
人間七七四年:2008/01/24(木) 01:37:22 ID:wQ72//Vy
まぁなんか室町幕府の滅亡時期に関しては色んな説があるらしいが、
官僚機構の存続とまで言えるかどうか。
621 :
人間七七四年:2008/01/25(金) 02:51:11 ID:y44kcUWy
>>615 >義昭が京にいないだけで幕府の官僚機構は存続している。
ねえ、どこに幕府があったの?w
622 :
人間七七四年:2008/01/25(金) 16:26:35 ID:P5Ef+fqh
>>616 >>621 質問するが
・幕府の定義は?
・室町幕府が消滅したというならば、それはいつ?何を根拠として?
623 :
人間七七四年:2008/01/25(金) 16:49:25 ID:P5Ef+fqh
訂正 616×
619〇
「中世に国家はあったか?」
その質問はこの論争に似てるな
つか幕府の定義を質問する時点で何かおかしいことに早く気付くんだ!!!!11!!1!
625 :
人間七七四年:2008/01/25(金) 22:26:35 ID:P5Ef+fqh
中野うるせえよ、自分の意見もないくせにチャチャ入れる
奴が気にくわなかっただげだよ
ID:P5Ef+fqhよ俺様にはおまえの言いたいことはよぉぉぉぉぉぉぉく解ってんだ
奉公衆がどんだけ義昭に付いてったかってことも
義昭がいつ将軍を辞めたかってこともよ
ただ釣り針がでかすぎるわおまえw
627 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 06:26:17 ID:+PsT+X8k
>>622 屁理屈はいいから
幕府という政府機関とその官僚機構がどこに存在していたのか教えてよ
628 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 13:19:22 ID:m0tpmHSz
おまえがバカだということはわかった、
629 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 13:41:24 ID:kfGmQgvv
>>627 >>622の後者の質問は別だが、前者の質問は大事なことでは
詳しくは読んでないから知らないけど、鞆幕府だっけ、毛利に逃れた義昭が組織してたという体制
あれが幕府残存の機構としていけるんじゃないのか
630 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 14:00:07 ID:JJl5Z31B
小和田先生に聞こう。
631 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 18:50:45 ID:kfGmQgvv
前後しちゃったけど
>>625 何でコテ付けてるか、考えてみ
またコテをつけることによって、こちらにも対応する術が発生するということも考えてみ
バカは基本的にスルーしたほうがいいと思うよ
どうせレスしたところで反応は目に見えてるんだから
632 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 20:09:31 ID:Fx0kE4UI
>>629 税収(年貢米)の流れはどうなってる?
直轄領(天領)から直に幕府に年貢米が届いたのか?
633 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 21:41:36 ID:kfGmQgvv
>>632 「詳しくは読んでないから知らないけど」
それ以前に、いわゆる義昭追放以前から献上米は途絶し始めてるんじゃないのか?
各地荘園も渋り始めてるし、朝廷すらも衰微していってる状況で、幕府が安穏と受け取ってるというのは考えにくいが
そりゃ多少はあるだろうが、それは三好らの権力と結びついた結果じゃないの?
634 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 11:43:04 ID:VVI481gq
>>632 毛利からもらえるから別にいいじゃない?
実際輝元が副将軍になってたし。
635 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 12:34:12 ID:AKvmP992
晩年は秀吉からも捨扶持もらってたなそういや
636 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 14:10:47 ID:jROk0z+J
収入も軍事力もほとんどなく、権威の切り売りだけでなりたっていた室町幕府に、
すでに実力で権威を付与する立場にのしあがってきた信長秀吉が
その幕府の後を襲う形にこだわる必要はまったくなかった。
義昭が将軍位にながくとどまっていたのは結果論にすぎない。
637 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 15:38:39 ID:dJiIyK52
あ
638 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 18:15:30 ID:A8YyDqFF
>>636 その権利の切り売りがあったからこそ信長は義昭を将軍のままにしておいた
のではないのか、だから結果論ではないと思う。
639 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 18:41:08 ID:DL/iaobW
>>638 将軍職を解任する権限を持っているのは朝廷なんだけど
朝廷もわざわざ解任する必要もないという判断であえて解任しなかっただけで
実質的には他国に亡命した時点で何の将軍としては終了してる
640 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 19:10:00 ID:+qcodhdK
亡命した足利将軍なんて結構いるだろ
前は追い出した方が新しい将軍立てたり、追い出された将軍を引き取った方が
その亡命将軍推したてて上洛したりしてた。将軍位にまだ権威や利用価値が
あったからね
641 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 21:41:29 ID:jROk0z+J
>>640 そのとおり。信長が室町幕府の権威をまだ必要としていたなら、
足利氏の別の誰かを再び擁立すればよいので、義昭をとどめておく必要はない。
義昭の存在が将軍就任の障害になるなら、そもそも「三職推任」問題はおこらなかった。
642 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 22:39:13 ID:0uoRheSD
>>641 まあ、その通りでしょうね。
室町将軍の権威が未だに必要だったなら、今までどおり新しい将軍を擁立すればいい。
それをしなかったのは、既に信長はそんなものは必要ないと判断していたからといえる。
そして、その後も拡大を続けたことを考えれば、その判断は正しかった。
また、将軍位を与える側の朝廷も、三職推任を行っているということは、
義昭の存在などあまり気にしていなかったということ。
643 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 23:06:20 ID:uq09WYOJ
義昭の子供を確保してるでしょ、義尋さん
必要ないなら、処分するなり、追放するなり手段はあるが、実際はしてない
はてさて、641、642の理解だとどうなるの?
644 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 23:58:47 ID:UUq3K+i0
645 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 02:16:37 ID:n5EHfKtg
>>643 >処分するなり、追放するなり
処分や追放する価値(必要)さえ無いというほど無価値だったという可能性と
何らかの利用価値があったから手元に留めておいたという真逆の可能性があるな
646 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 04:58:43 ID:XDueShc8
647 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 06:24:01 ID:RAT9lT0W
信長にとって義昭の名は必要だったと思うが、
不要だと言う人は彼が畿内を支配するための大義名分は何だったと
いうんだ?
648 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 07:55:20 ID:7ZpY3YIr
>>645 前者に関してきっぱりと否定する
信長の近畿平定の障害になって、今後も騒乱の旗印になりかねない将軍の遺児を無価値って
北条でも義氏を飼い殺していたぐらいで
649 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 19:30:43 ID:3y9tbX8M
>>647 天下布武
つーか朝廷を握ってるんだから、あの時点では大義名分はいらんだろ
650 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 21:59:05 ID:cpmCfntJ
本当に大々的な大義名分になるなら、明智が本能寺で担ぎ上げるだろ?
まぁ、これで義昭黒幕説は否定出来るけどな。
651 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 23:01:46 ID:MEqRFkPs
>>648 「騒乱の旗印になりかねない」というのなら、何故そもそも現役の将軍を放置したのか?
将軍の息子よりも、現将軍の方がはるかに名分としては上だろう?
信長の名分については、朝廷を握り足利に変わる武家政権の執行者と認定されている。
652 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 23:16:57 ID:RAT9lT0W
質問の仕方が悪かったのかな、信長といえども支配するには正当性、つまり
権威の裏付けが必要になるということ、
最高位は右大臣しかもすぐに辞しているということをお忘れか?
653 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 00:24:59 ID:05Q3eNOx
>>643 何も問題にもなりませんよ。
もし、信長にとって室町将軍の権威がまだ必要だったなら、
その子供なり他の足利氏一族なりを新たに将軍にすればいい。
ところが、信長は確保しておいただけで、新たな将軍を擁立しようとはしなかった。
それは、むしろもはや室町将軍という権威を必要としていなかったという根拠といえる。
>>652 必要も何も信長は普通にその立場で勢力を拡大しているわけですが?
もちろん、将来についてはいろいろ考えていたでしょうがね、
朝廷からも三職推任なんてのが来ていた訳だし。
どっちみち、少なくとも義昭が京を出た時点では、
もはや信長は室町将軍という権威は必要としていなかった。
権威が必要なら直接朝廷を使えばいいのだから。
654 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 01:00:43 ID:GS+zNRUf
室町幕府の権威が必要ないというなら、なぜ滝川一益は関東管領を名乗った
んだろう? 朝廷の役職だったっけ?
655 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 01:04:13 ID:TRy/30G6
本当に名乗ったの?
就任してない(幕府もないし)のに?
656 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 02:55:20 ID:05Q3eNOx
>>654 その話がどこまで本当か知らないが、もし本当にそう名乗ったなら、
単純に相応しい官職名が特になかったからというだけなのでは?
何しろ室町幕府の正式な任命ではないのは明らかなのだし。
もしも、室町幕府の権威を必要としていたのなら、勝手に自称するのではなく、
新たな将軍を擁立して、その下で正式に関東管領でも何でも就任すればよいのだから。
657 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 05:38:45 ID:ULesrGrb
オウム真理教の中に文部省とか建設省とかがあったけど
それは国家の省庁とは全然別物でオウム真理教の内部の組織名
ってのと同じで
「関東管領」というのも幕府の役職とは全く別物の
織田軍団の中の「関東管領」って事なんじゃない?
658 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 09:48:37 ID:Aq99d8Jp
羽柴筑前守
国司も名乗り放題
659 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 11:10:57 ID:h9HEo7rc
660 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 13:39:55 ID:GS+zNRUf
>>656 ふさわしい役職名がなかったからといって幕府のそれを名乗るというのか?
あなたが言うには信長は朝廷の人間なんだろ?おかしくないか?
それに幕府はもうないんだろ?
661 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 13:59:54 ID:kU2aRNU8
いや、そもそも滝川が関東管領だと名乗ったのは事実なの?
その様に署名された文書なりが残っているの?
信長が彼を正式に管領に任ずるなんて言った文書なりの記録があるの?
彼が上野に派遣されたのを見て、「彼は室町における関東管領みたいなもの」と
言われたようなものなのでは?
そもそも正式な室町幕府の管領職なら上杉が保持しているのだし。
662 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 14:01:20 ID:GLp/awg4
というか、関東管領なんて室町幕府の中で殆ど独立していたようなもんじゃ
他の地方で幕府職を名乗るのは意味ないけど、関東で関東管領名乗るのは
結構影響力あるので関東管領名乗らせただけでしょ
>>659 天正十年十月三日従五位下左少将が位記の初見
ただし吉田兼見などは早くから秀吉に対して「羽筑」の語を使っている
自称官としては通じていたようだが追認された形跡はない
>>660 「信長公記」には関八州の御警固
「伊達治家記録」には東国奉行
「信長記」には関東管領
同時代史料には管領の「か」の字もねえよ
「信長公記巻十五滝川左近上野国拝領ノ事」これな
つか何で鞆幕府や滝川に話が行くのだwwwwwwwww
このスレも末期よのうwwwwwwwwwwwwwww
665 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 16:24:05 ID:My07F9Um
ろくに本を読まずにwiki知識だけで書いてる阿呆に何を言ってもむだ
666 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 17:55:46 ID:Aq99d8Jp
>>664 中野おまい間違ってるよ、このスレは最初から末期だww
667 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 21:36:43 ID:U8xT394b
>>652 >>656 長文乙 で?
長いだけで特に何も言ってないのな、それに話が矛盾してて何が何だか?
おまえが言いたいのは信長政権?というのは軍事クーデターみたいな
ものってことか?
668 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 00:08:05 ID:HuVCq7xb
いや、おまえといわれても、
>>652と
>>656は別人だってことはレスの内容から分かると思うんだが?
>>653>>656で言いたいことなら、
少なくとも義昭が京を出た時点では、
もはや信長は室町将軍という権威は必要としていなかった。ってこと。
むしろそれだけ基盤を確立していたということだから、
クーデターみたいなものだということとは、まるで逆の主張なんですが。
669 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 00:18:53 ID:7kF5LckW
信長がというのもそうなんだが、「周囲が」というのもあると思う。
信長個人だけでなく、畿内の豪族や京都町衆さらに公家や朝廷までもが、
足利将軍はもう必要ない、なくてもどうにでもなる、というコンセンサスが
あったということでしょう。
670 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 00:23:21 ID:HuVCq7xb
で、スレタイとの関連で言えば、信長の頃ですら室町将軍の権威なんてその程度のもので、
現に信長のもとに三職推任なんてのも来ているのに、
秀吉の時代に、足利義昭の存在が将軍職に就くための障害になるなんてことは、
ほとんどありえないだろうと。
671 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 00:55:34 ID:iqbWvHcs
最近では信長は幕府を滅ぼしたのではなく細川氏や三好氏のように最高実力者
として幕政の実権を握ったとする意見が目立つね、ただ彼らとちがうところ
は信長が足利家に取って代わろうとしたところ。
672 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 18:55:29 ID:7kF5LckW
>>671 上洛した時点で、取って代わる気満々だったと思える。副将軍位も管領職も蹴って、
将軍権力を否定・拘束するような条約を突きつけて、さらに朝廷とも深く結びついて。
673 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 01:02:12 ID:HEHcSsUX
>>651 北条も義氏残してる
養子を捩じ込んで、支配するなんて良くやってるのに、公方に対してはしてない
結局なんのために大義名分を求めるかといえば、色んな協力を得るためで、度が過ぎた方法で大義名分を求めたら、そりゃ協力は得られないだろう
なので、手元に子供を残して、傀儡にしようとしたと
>>653 だから、時期将軍のために義尋を囲ってたんだろうと
あと時系列無視しすぎてない?
本能寺とかあのあたりになれば、もう朝廷のほうを重視して、幕府は軽視してるが、少なくとも義昭追放の頃なら重視してるでしょ
>>672 そりゃ幕臣になれば、義昭の統制を受けなければならないからじゃないか
また取って代わるつもりなら、傀儡化する必要は無いんじゃないか?
義昭将軍任官→圧力→信長任官
でやったほうがいいじゃん
674 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 06:46:06 ID:dPSw3GPl
>>673 信長が本当に幕府や将軍が必要だと思っていたとしたら
義昭を追放した時点ですぐに次の将軍を指名してるでしょうに
頭おかしくないか?
675 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 09:00:48 ID:9ZXwuqd7
わざわざ新しい将軍をたてる必要ないだろ、人質もとっているわけだし、
676 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 09:25:45 ID:HEHcSsUX
>>674 当時義尋は何歳でしょう
そして例えば関東公方の文書発行において、正式なものと認められるのは何歳からだったでしょう
677 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 13:27:46 ID:VOfShVba
>>676 >>674は義尋を将軍にするなんて言っていないわけだが?
もし、将軍が必要なら細川や三好がやったように、
他の足利一門つれてきて代わりの将軍にすれば良いだけ。
678 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 14:01:02 ID:ArHNQTO2
>>673 >時期将軍のために義尋を囲ってたんだろうと
で、実際に信長は義尋を将軍に就任させたんですか?
>>676 七代義勝は九歳
八代義政は八歳で将軍に選出(正式な就任は十四歳だが)
九代義尚は九歳
十三代義輝は十一歳
679 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 15:31:05 ID:HEHcSsUX
>>677 ほかにいたのか?
>>678 >>673 >本能寺とかあのあたりになれば、もう朝廷のほうを重視して、幕府は軽視してるが、少なくとも義昭追放の頃なら重視してるでしょ
就任時期は聞いてない
関東公方にも幼くして就任したのはいる
が、その発行文書は管領の名前で発行されてる
つまり、ある程度の年齢にならねば公方としての実質が伴わないということ
680 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 16:06:54 ID:VOfShVba
>>679 足利市の一門がもう誰もいないなんて事はないと思うけどね。
そして何を根拠に「義昭追放の頃なら重視してる」といえるの?
その時に重視していたなら、まさにその時に代わりの将軍を立てるのが当然だろうに。
それから、権威を利用する為なら、公方としての実質など伴わない方がむしろ好都合でしょう。
あなたの言っていることはいろいろと破綻していますよ。
681 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 16:28:22 ID:36G1xf9b
信長が将軍職や幕府を重要視していたなら
足利義昭を解任も殺害もしないで追放するような事は考えられない。
解任した上で追放し、すぐに次の将軍を擁立しなければならない。
そうしないで放逐したのは、天下統一を主目的とした織田家の外交に
足利将軍はもはや必要ないと判断したから。
実際に足利義昭追放後に「将軍がいなくて不都合が起きた」という話はない。
682 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 16:42:11 ID:9ZXwuqd7
>>680 嫡流である義昭の息子に勝る候補っているのか?
実質をともなわない将軍が理想的というならば義昭などうってつけなのでは?
人質はとっているし、京にいない、下手に新しい将軍をたてたら厄介、
それなりに敬意を表さなけるばならないし、第二の義昭になりかねない。
683 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 19:45:48 ID:ArHNQTO2
>>682 だからその理想的な義昭を、どうして信長は追放したんだ?
帰洛交渉だって蹴ったしな。もし信長がどうしても義昭の身柄が欲しかったのなら、
義昭の人質要求だって呑んだだろうよ。
684 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 19:49:32 ID:HEHcSsUX
>>680 一門が誰もいないとは思わないぞ
そんな屁理屈もとめてるんじゃない
将軍に据えるにふさわしい血筋の人間が果たしているのかどうかってことだろ
関東公方はおそらく一番の良血だろうが、将軍としてふさわしいかとなると別だろ
義昭が織田と袂をわかって毛利に行こうとしてるときに「帰って濃いよ」と、織田から言ってる
何よりの証
それから文章読んでる?
将軍に据えるにふさわしい人間が見当たらないから嫡子を後生大事に確保してるんだろう
公方をどういう意味で用いるのか→支持を得るため→支持を得るために強引な手法は取れない→実質の伴わない、明らかに傀儡とわかるような存在を無理やりに将軍に据えたら反発が予想される、しかも該当する血筋のものがいない
>>681 重視してるから将軍を殺せないんだろう
北条が関東公方に養子すら送り込めなかったように
685 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 20:46:21 ID:3deeLh43
>>684 足利義昭を殺さなかった理由も知らないのかw
686 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 20:55:06 ID:Rf65IK+N
将軍が追放されても、信長に頭下げていた斯波義銀とか細川昭元とか
室町幕府の権威を利用できるタマは握っていたろう。幕府なんか義昭なしでも
いつでも再興できる地位にいたんじゃないの、信長は。
687 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 21:09:06 ID:9ZXwuqd7
688 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 22:22:07 ID:HEHcSsUX
689 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 22:45:04 ID:ArHNQTO2
>>684 現実に、義昭追放後に成立した織田政権は足利の権威をまったく使わずに運営され、
それでまったく障害もなかった。
信長の諸大名の統制、また地方の大名への介入はすべて信長自身の名前で行われている。
足利やら幕府やらの権威はまったく出てこない。そして人質の嫡子はまったく放置。
後北条氏のように政略に名前を使うというような利用もしていない。
これで、信長はまだ足利将軍の権威を必要としたとか、嫡子を大事に抱えていたとか
妄想としか言えないんだが。
690 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 23:10:48 ID:VOfShVba
>>682 だから、実際義昭をそのままにして新たな将軍なんて立てていないでしょう。
つまり、その時点で信長は、自身と対立した義昭に対抗する権威としての、
新たな将軍の必要性なんて感じてはいなかったということ。
>>684 あのさ、そもそも足利将軍の存在が支持を得るのにそんなに必要なものだったなら、
現将軍と真っ向から対立し戦火を交えた段階で、
信長は多くの支持を失い、もっと大変なことになっていたと思わないかい?
691 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 23:13:47 ID:HEHcSsUX
>>689 だから、使いたくても使えない状況だったでしょ
義昭は手元に無い、嫡子はまだ幼くて将軍には据えられない
これでどうやって幕府の名前を持ち出すのかと
そこで朝廷に切り替えた
しかし、将軍の重要性は認識していたので、人質兼将来の将軍候補は手元においておく
本当に必要としていないなら、追放なりなんなりするよね
>>686で思い出したけど、斯波を尾張統一の過程では利用して、終了したら追放してるように
何回もいってるけど、大義名分を持ち出す最大の理由は、支持を得るため
強引な手法でやったら反感を煽ることはあっても、支持を得ることは無い
別枠で質問なんだけど
1、将軍の権威は残存してた?残存して無いならどの時点で消失した?
2、朝廷の権威は残存してた?残存してないならどの時点で消失した?
692 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 23:23:06 ID:HEHcSsUX
>>690 こっちの質問にも答えてもらいたいものだが
次は答えてね
結論から言うと、思わない
武田は信濃から小笠原を放逐し、今川も遠江から守護を追い、北条は武蔵、上野から守護・管領を追い、長尾は守護と戦い無力化し
と、全国で権威保持者を実力で排除してる
しかし、いずれも(北条は関東公方だけど)守護職を求め、就任し、或いは統治にその権威を利用してる
当時の戦国大名は守護公権を吸収して、統治をしていったというのは普通の理解
翻って織田の場合
きわめて長尾の例と似ているから、暇があれば長尾為影の時代から影虎の越後の領国支配と変遷について調べてみるといい
693 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 23:24:42 ID:HEHcSsUX
もう寝るわ
お休み
eoが規制されてなけりゃレスするよ
694 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 23:26:51 ID:97WsSrTY
同時代で足利一門で生き残っていて信長に使えそうなのは
平島公方家くらいじゃないかな
関東の足利一門を擁するのは無理ではなかったにしても
現実的ではない品
695 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 23:27:30 ID:ArHNQTO2
>>691 だから、将軍権威が必要なら義昭をどうして追放したのか?帰洛交渉を打ち切ったのか?
>これでどうやって幕府の名前を持ち出すのかと
そう、すでに言っているが、幕府の名前を持ち出さずに織田政権は運営されている。
>将軍の重要性は認識していたので、人質兼将来の将軍候補は手元においておく
本当に必要としていないなら、追放なりなんなりするよね
だから、現将軍の義昭は追放しているだろう。自分で自分の主張を否定することを
言っているって自覚してます?
人質というのは、預かった以上はそれなりに保護する義務があります。自分に逆らったり
しない限りはね。斯波氏の息子も、反乱を企んだという理由で追放している。そして
追放したのは企んだ当人だけで、他の兄弟はそのまま家中にとどめている。
あるいは反乱云々は口実かもしれないが、人質なり客なりを追放するにはそれなりの
正統な理由が必要とされたということだ。
>そこで朝廷に切り替えた
信長が朝廷と結びついたのは、実は義昭を奉じて上洛する以前から。
696 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 23:30:14 ID:VOfShVba
>>691 本当に使いたくても使えない状況だったなら、その状況でも義昭と対立した段階で、
使えなくなっても良いと判断していたってことになると思うが?
もしも、足利将軍の権威がどうしても必要である、
そしてその点で義昭に代わりになるような存在は他にはいない。
ということが前提だったなら、
では、今の段階で義昭と対立することは出来ない。という結論になるのだから。
将軍の権威が必要なかったっておまえ・・・
義昭の権威を利用して波多野や若狭武田を呼びつけた件は何だったんだ?
志賀・堅田の戦いで義昭の調停を仰いだのは何だったんだ?
義昭の御内書の副状に信長の署名を付けたのは何だったんだ?
冗談も休み休み言え
698 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 23:45:54 ID:ArHNQTO2
>>692 地方大名は、敵対者に対して正当性を保持するために、将軍権威を利用した。
信長は、その将軍権威を否定、乗り越える為に早い時期から朝廷と結びついて、
その権威を利用して(公的政権としての)足利幕府を消滅させた。
>>691 >1、将軍の権威は残存してた?残存して無いならどの時点で消失した?
個人的な見解だが、長慶以前と以後で大きな変化があったと考える。
それまでは、足利将軍が公権力の担い手と認知されていた。どれほど足利家自体が
没落し弱体化しても、実質政権運営を担った実力者たちは自己の正当性を証明する
手段として足利将軍の権威を必要とした。応仁後の細川政権にしろ、大内にしろ、
あくまで将軍の代行として自分が権力を振るうという立場をとった。
ところが長慶の三好政権は、将軍権威を使わずに成立し運営された。それは時期は
短く、最終的には和解して、かつての将軍の下での執行者という体制に戻ったが、
この政権がとにもかくにも現実に誕生したために、
・公権力となるのに足利将軍は必ずしも必要ではなく、なくても当人に実力があれば
なんとかなってしまう。
という事実が確立され、さらに周囲に認識されてしまった。
砕いて言うと、「なくてはならない」から「あれば便利だけどなくてもそれなりに」という
程度に落とされてしまった。これが決定的な契機だったと思う。
その後、義輝が殺されると、義栄が就任するまで三年以上将軍は不在。
699 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 23:46:34 ID:VOfShVba
>>697 義昭が信長と対立して京を離れた時点ではって話。
>>692 一番肝心の、「何を根拠に義昭追放の頃なら足利将軍の権威を重視してるといえるのか」
には全く答えて貰っていないわけだが?
とりあえず、将軍と朝廷の権威なら、どちらも存在していた、
しかし、将軍の権威は追放されたり暗殺されたりで下がり、義昭が京を離れた段階では、
信長にとってもはやどうしても必要なものではなくなっていたってところでしょう。
700 :
人間七七四年:2008/02/04(月) 00:09:57 ID:d3PsvH3K
>長慶の三好政権は、将軍権威を使わずに成立し運営された。それは時期は
短く、最終的には和解して、かつての将軍の下での執行者という体制に戻ったが、
>この政権がとにもかくにも現実に誕生したために、
>・公権力となるのに足利将軍は必ずしも必要ではなく、なくても当人に実力があれば
なんとかなってしまう。
>という事実が確立され、さらに周囲に認識されてしまった。
これなんて今谷明!
701 :
人間七七四年:2008/02/04(月) 17:00:56 ID:Jvt2dnkR
>>695 将軍追放したのは対立したからでしょ
同じ文章の中で矛盾起こしてない?
将軍権威が必要じゃないなら、帰って来いという交渉すら必要ないでしょ?
織田政権が幕府の名前持ち出さずに運営されてるから何?
反論してるつもりになってるのかしらないけど、それ以外に方法が無いといってるのよ、こっちは
それ以上の意味を見出そうとしてるのがあんたなの
つまり、織田信長が「意図的」に将軍の名前を持ち出さなかったということを説明しなきゃ反論として不満足じゃないかな?
だから、将軍とは何度も対立してるからさ…
自分の意志に沿わない、しかも統治の障害になるような存在を囲っとくわけ無いでしょ
だから、子供を確保して、次期将軍を傀儡にしようとしたということ
それでも義昭に未練があっての帰って来いよという交渉
ところでさ、斯波は反乱を企てたとして追放したんだよね
将軍もさ、反乱を(こっちは実際に、でも将軍が反乱ってものヘンだが)起こしてるわけで、追放せざるを得ないよね
逆に言えばさ、追放するにたる正統な理由があるのに、追放しなければそれは織田が軽んじられるってことよね
朝廷に切り替えたってのは、権威の保証者としての存在をって事ね
>>696 戦国大名の本質は領土拡大
それを遂行する過程で、権威者と対立するのはよくある話
例に挙げたけど、長尾なんかは守護と対立したけど、その後の統治には守護の名前持ち出してるでしょ
義昭と対立しなけりゃ、そりゃ織田が衰退するだけ
どこの大名もそうだけど、守護公権を吸収して統治に利用してるって書かなかったかな、覚えてないけど
北条も関東公方と対立したけど、結局取り込んでいったでしょ
702 :
人間七七四年:2008/02/04(月) 17:02:08 ID:Jvt2dnkR
>>698 早い時期っていつよ?
お、こりゃどうも
できれば2についても答え貰いたいんだけど
それからさ、新たに質問追加
3、権威と権力の違いとは
>>699 いや、ちゃんと答えてるでしょ
答えてるというか、反論してるでしょ
不安になって確認しちゃったよ
あんたは将軍を重視してたなら、代わりの公方を立てたとしてる
でも、こっちはその代わりの公方たるべき人間がいないといってる
立てる公方がいなくて、代わりの公方を立てられないのに、公方を擁立しなかったから重視してなかったという論理はズレてるでしょ?
でさ、今度こそ答えてね
まともな議論を望む姿勢とは思えないよ
あえて質問明示しとくと
将軍に据えるにふさわしい血統の人間が存在したのか
これはでも、あんたの質問に対する回答にもなっちゃうのよね
703 :
人間七七四年:2008/02/04(月) 17:03:24 ID:7Fv6f/eP
なにもかもが餃子のせいだ
704 :
人間七七四年:2008/02/04(月) 17:08:12 ID:mFqWtZjL
>>689 その信長自身の名前で出された書状は幕府の形式にそったものじゃなかった?
秀吉も関白に就任するまではその形式をとっていたんじゃなかったっけ?
705 :
人間七七四年:2008/02/04(月) 18:43:15 ID:wx7GECBm
>>701 >子供を確保して、次期将軍を傀儡
これの証明は?信長には、彼を時期将軍にしようという動きがいっさいないのだが。
例えば足利義政のように、幼少であっても「時期将軍に選出」という形で時期将軍だと
確定するやり方もある。義政は正式に将軍に任官するまでの数年間を、この身分で
すごし、幕府は正式には将軍ではないが時期将軍の義政を奉戴して運営された。
しかし信長はまったくそんな行動をとっていない。
現将軍を追放し、帰洛交渉でも条件が合わなければ帰ってこなくてかまわんと放置。
時期将軍最右翼候補はそのまま人質として扱い将軍に奉戴する形跡は全くなし。
そして将軍不在のまま信長政権は運営されている。
これで、何で信長が将軍権威を必要としているなんてことになるんだ?
706 :
人間七七四年:2008/02/04(月) 20:48:47 ID:Jvt2dnkR
>>705 お前の言うとおりだ
だから後は
>>697のクソコテを相手にしてくれ
よくみたらクソコテと同じ方向じゃん
707 :
人間七七四年:2008/02/04(月) 22:09:23 ID:CxkcaWxo
中野区は別段変なことを言ってないと思うが…。ID:Jvt2dnkRはただのコテ粘着か。
708 :
人間七七四年:2008/02/04(月) 22:22:23 ID:Jvt2dnkR
>>707 いいや、コテという存在そのものが嫌いなだけ
特定のコテがどうこうってことじゃなくな
で、そのコテと同じ方向の議論(いやみじゃなくて、理解できる?)はしたくない
それだけだ
別にコテと議論の方向が異なれば、スルーして続けるがな
冷めたといってもいい
んなことどうでもいいから秀吉語れよ・・・ってもう語ることないかw
710 :
人間七七四年:2008/02/05(火) 00:18:05 ID:uHYsrkCd
武力でなく平和で天下を治める為さ
711 :
人間七七四年:2008/02/05(火) 00:27:59 ID:mpAknYw0
えっと…将軍が解任されずに存在してたこと自体が
秀吉がなれなかった理由…が議論のはじまりだったっけ?
もうわすれちゃったよw
712 :
人間七七四年:2008/02/22(金) 09:03:41 ID:AJRM/fVJ
なんで秀吉は将軍ではなく関白に目をつけたんだろうね?
当時の武家の目から見ればとりあえず将軍を目指すのが自然な感じがするんだけどね。
前後(足利、徳川)の印象が強いせいかな?
713 :
人間七七四年:2008/02/22(金) 21:59:50 ID:776tQjfF
散々既出だけど、
まず第一に秀吉の時代に参考に出来る二つの幕府は、ろくな結果になっていない。
鎌倉幕府は3代で創始者一族は断絶、家臣に実権を奪われるし、
室町幕府も、南北朝に戦国時代と戦乱続きで、将軍も暗殺されたり追放されたりしている。
よって将軍・幕府という形式に特に固執しないのは当然。
第二に関白は人臣中最高の位なのだから、
もしも実現の可能性があるならそれを目指すのもやはり当然。
714 :
人間七七四年:2008/02/23(土) 00:33:18 ID:P1CyKkO4
>>712 当時の人間からみれば関白が将軍よりも格が上だからじゃない?
715 :
人間七七四年:2008/02/24(日) 11:35:01 ID:8655UYqG
しかし関白になるのもかなり実現可能性の低いポストだぞ。
特定の血統でないとなれない(はず)という意味じゃ天皇に近い。
716 :
人間七七四年:2008/02/24(日) 11:39:37 ID:kIjeGy2Z
卑賤な出自だから逆にそう思ったとかないかな?
朝廷に近づいたのがきっかけで「よしこれを貰ったれ!」てな感じで。
717 :
人間七七四年:2008/02/24(日) 20:49:00 ID:QVJyi3WZ
>>715 最高の実力を持つ自分が最高の位をって発想は、別に不自然じゃあないと思うけどね。
いくら藤原氏しかなったことのない位でも、臣下の位であるのは間違いないわけだし。
もちろん、最初から関白だけを目指していたというわけではなく、
関白職をめぐるごたごたや、一部公家の秀吉へのおもねりとかもあったからこそなんだろうが。
718 :
人間七七四年:2008/02/24(日) 22:24:14 ID:jM+9Jgrw
だから最高の位をとことん望むなら、その上に天皇というポストがあるじゃん、て話。
御落胤説を流したこともあるし、最終的に関白で本当に満足してたのかと。
719 :
人間七七四年:2008/02/24(日) 23:40:48 ID:9kSUgWE8
720 :
人間七七四年:2008/02/25(月) 22:33:07 ID:I9hfC5cK
>>718 幾ら最高の官職であっても、臣下の位を望むのと君主の座を求めるのとではかなり違うでしょう。
最高位の家臣が禅譲を受けて皇帝になるってのは、中国ではよくあることでも、
日本では全く前例がないしかなり難しいかと。
無論断言は出来ないが、秀吉はそこまでは望んでいなかったのではないかと思う。
721 :
人間七七四年:2008/02/25(月) 22:42:49 ID:g476qN2N
義満の二番煎じを狙ってたのでは?
722 :
人間七七四年:2008/02/26(火) 01:01:24 ID:eFw1C5tN
>>721 義満が天皇家に対してとったような行動が秀吉にはほとんど見られない。
723 :
人間七七四年:2008/02/27(水) 06:08:45 ID:Lxoxgv9R
>臣下の位を望むのと君主の座を求めるのとではかなり違うでしょう。
しかし秀吉は一度その壁を乗り越えているんだよな。
織田家重臣筆頭で満足せず、自分の天下にしてしまっている。政治的に実に巧みに。
信長の後ろ姿をみていた秀吉が、天皇だけ神聖視していたとも思えないが、そのへんは秀吉にしかわからないか。
724 :
人間七七四年:2008/02/29(金) 01:56:00 ID:9h5i5BIw
大臣になれば武士も寺社も従うだろうけど
天皇に取って変わっちゃったらみんなが敵にまわるでしょうに
もうアホかと
725 :
人間七七四年:2008/02/29(金) 12:21:26 ID:Zii/1LHV
なんで大臣になれば武士も寺社も従うんだ?
726 :
人間七七四年:2008/02/29(金) 18:40:19 ID:m/Z39Gzl
何で「従わない」と思うんだ?
727 :
人間七七四年:2008/02/29(金) 18:50:53 ID:Y2aimpWD
時の関白や将軍に誰もが従っていたら戦国時代にはならなかったろうなあ……
728 :
人間七七四年:2008/02/29(金) 18:52:58 ID:m/Z39Gzl
でも実際に秀吉が大臣になってみんな従ったじゃんかボケ
729 :
人間七七四年:2008/02/29(金) 18:57:45 ID:Y2aimpWD
>>728 力があったからだろ?
二条だれだったか忘れたが関白相論で揉めてた秀吉の一代前の関白に武士も寺社も従ったのかねえ?
名分の問題で「従いやすい」「従いにくい」はあったろうがな。
730 :
人間七七四年:2008/02/29(金) 19:37:28 ID:m/Z39Gzl
誰も前関白の話なんかしてないじゃんか
秀吉が大臣になって武家も寺社もみんな従ったが
秀吉が天皇になったら武家も寺社も従うわけがない
という話だろ
731 :
人間七七四年:2008/02/29(金) 20:42:19 ID:Y2aimpWD
>>730 そうか。流れ読めなくてスマン。
で、秀吉が関白にならなかったら武家や寺社は従わなかったの?
732 :
人間七七四年:2008/02/29(金) 20:49:24 ID:XeQbcO2j
従わなかっただろうね
だから関白になった
733 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 07:16:16 ID:86sciOxt
従わないって事はないと思う、何せ最高実力者なのだし。
しかし正当性や権威の裏づけがあったほうが、より統治しやすいのは間違いないでしょう。
で、臣下の位なら天皇がその位につけたということで、正当性と権利を獲得できるが、
天皇そのものに成り代わろうとしたら、
それは現行の天皇を中心とした正当性と権威の建前を全否定することになる。
この点で臣下の最高位である関白になるのと、天皇になるのでは全く意味合いが違う。
ちなみに、中国の場合には皇帝の上に「天」という概念があって、
天命が変わることで皇帝家が代わるという解釈がかなり伝統的に存在するので、
この理屈で「天」を中心とした正当性と権威の建前を否定することなく、
皇帝に成り代わることが可能だが(いわゆる易姓革命)
日本にはそういう伝統が全くなかったので極めて難しい。
734 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 13:31:00 ID:jap/Yxyw
正統性は重要だが、そこは織田家に成り代わった時も同様の問題が起きているわけで。
735 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 14:35:10 ID:LqbhMfWd
秀吉が織田家になり変ったり、織田本家を乗っ取ったわけじゃないよ
736 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 15:25:43 ID:Dw/8g+i8
>>734 秀吉は織田家を乗っ取ったわけではない
織田から独立しただけ
737 :
人間七七四年:2008/03/02(日) 00:36:02 ID:zCtChm7+
>>734 既に指摘の通り別のお家を乗っ取ったわけでもないし。
まあ立場が逆転したのは事実だが、そういうことを認めるためにこそ、正当性や権威が必要になる。
天皇を中心にした旧来の秩序内にいれば、天皇が織田家より高い位を秀吉に授けることで、
建前の上でも合理的に織田家の立場を超えることが可能だけど、
天皇の位そのものを狙うとなると、そういう正当性の確保がほぼ不可能になる。
既述のように、中国なら天命が変わったから皇帝家が替わるという方便も使えるが、
日本ではそういう伝統は皆無だし。
738 :
人間七七四年:2008/03/02(日) 10:34:04 ID:/fjFHvQf
天皇を頂点とした従来の枠組みってのは、あくまで日本国内でのものだよね。
結果的に失敗したが、もし唐入りが成功していたら秀吉は自分と天皇のポジションをどうするつもりだったのかな?
739 :
人間七七四年:2008/03/02(日) 11:27:04 ID:zCtChm7+
一応天皇は中国に呼び、
自分はさらにインド侵攻を考えるとかいう構想だったそうだけど、なんとも言えないかと。
本気で練った構想なのかどうか、そもそも正気だったのかどうかも分からないし。
740 :
人間七七四年:2008/03/02(日) 13:13:54 ID:mYV2ND4U
それ、誰かに宛てた手紙に書いてたヤツだよね
一応ギャグのつもりだったんじゃね?
741 :
人間七七四年:2008/03/02(日) 17:55:11 ID:7ibaGZdU
占領後の統治体制を考えずに遠征始める奴はいないだろうから、大風呂敷にみえても秀吉は本気だったはず。
元や清のような成功例からみるに、仮に成功していたら秀吉自身が皇帝の地位になっていただろうな。
その時に天皇がどういう位置づけになるのかは謎だが。
742 :
人間七七四年:2008/03/02(日) 18:54:59 ID:vIijkSnD
矛盾してるね。
本気だったと言うのなら
>>739で合ってるんだから謎もクソもないがな。
743 :
人間七七四年:2008/03/03(月) 01:01:19 ID:KwcHm+0K
皇帝秀吉と天皇を、どう位置づけるかって話だろ。
天皇は王ではないから、皇帝の臣下ではないが、主君でもない。
744 :
人間七七四年:2008/03/03(月) 04:32:01 ID:DFEDc6ur
もう少し頭を使って考える練習をしような
それでもダメなら過去ログを読むとか努力しような
745 :
人間七七四年:2008/03/03(月) 13:11:53 ID:1QDhLkWT
天皇は王ですよw
中華思想の世界を日本の小さな地域で模倣して皇帝のふりをしてるけど
実際には日本という一地方の王にすぎない
そもそも中華思想では皇帝は2人もいたらいけない
746 :
人間七七四年:2008/03/03(月) 23:26:41 ID:hEG6v0SB
>>745 頼むから、せめて中学の日本史の教科書くらい読んでから来いよ。
747 :
人間七七四年:2008/03/04(火) 00:50:59 ID:fAL/GVUT
アホが「中学の日本史の教科書」とか低レベルな事を言ってるぞw
748 :
人間七七四年:2008/03/05(水) 00:01:15 ID:Od4gCyEC
天皇が王なら、誰に任命されたんだろうね?
749 :
人間七七四年:2008/03/05(水) 00:15:43 ID:U9qLf7Xm
天皇は誰にも任命されていないから皇帝です
なんて最近のゆとり中学のゆとり教科書に掲載されてるんですかw
750 :
人間七七四年:2008/03/05(水) 00:19:46 ID:U9qLf7Xm
ちなみに魏志倭人伝ぐらいの時代に
日本という国家が中国に認められていて
日本の国王(天皇)も中国に認められているので
中国との国交が成立していたんだけど
その辺の関係は最近のゆとり教科書には掲載されていないの?
751 :
人間七七四年:2008/03/05(水) 06:22:11 ID:MoLbOPEY
その天皇の名を具体的にどうぞ。
752 :
人間七七四年:2008/03/05(水) 19:05:05 ID:zJviNf0P
何か変な流れになってるな。
戦国時代の頃はもう中華の冊封に入ってないんだから、意味ねえだろ。
753 :
人間七七四年:2008/03/05(水) 19:24:01 ID:chr/9InR
でも天皇は皇帝じゃないだろ
日本で「国」と呼んでいたのは国家じゃなくて一地域にすぎないんだし
天皇は一国の王じゃん
754 :
人間七七四年:2008/03/05(水) 19:34:57 ID:zJviNf0P
755 :
人間七七四年:2008/03/08(土) 17:54:13 ID:+pvpiNq8
>>1 天皇に連なる系図を作れない時点できついと思わないか。
756 :
人間七七四年:2008/03/17(月) 13:13:25 ID:3Idl4kGX
Wikiの小牧の戦いに関連する記述に「秀吉が負けたから将軍宣下は無理だった」と堂々と書かれてる・・・
このスレにある「東国条件説」のバカが書いたのか、それを見て「東国条件説」を言い出したのかわからんが、
そんなもん真に受けてたらアホが増殖するだけじゃないか。
757 :
人間七七四年:2008/03/17(月) 14:37:07 ID:UrvwYmrG
>>756 > この戦いで、秀吉は家康を完全に屈服させることに失敗し、征夷大将軍補任、すなわち幕府開設への道が閉ざされ、後の政治史へ大きな影響を及ぼすこととなったという説がある。
「説」があること自体は嘘ではないはずなので別に良いんじゃない?
気になるんなら注かなんかでその「説」に対する評価を出典付きで示せばよいのでは?
758 :
人間七七四年:2008/03/17(月) 16:44:52 ID:dI1ZQxlB
でもその説の根本的な間違いは
家康が秀吉に服従していない時点ではまだ関東も東北も秀吉に服従していないんだから
時系列を考えると「家康を屈服させる事に失敗したから」という主張自体が間違いだし
将軍よりも上の位である関白になる事によって家康が服従したのだから
関白になった者がわざわざ下位の将軍職にまで就く必要性は皆無なわけですよ。
そういう流れを考えると、その珍説(ちゃんとした人がそんな珍説を
披露してるの見たことないけど)は
「秀吉は将軍になれなかった」という結論にしたいがために
時系列を捻じ曲げて屁理屈をこねてるに過ぎないと思うよ。
759 :
人間七七四年:2008/03/17(月) 19:33:30 ID:3Idl4kGX
百歩譲って東国条件説は説としてアリだとしても、義仲が将軍になれたのに秀吉はダメという矛盾を解決しない限りただの屁理屈。
ちなみに上杉景勝(越後と信濃、上野の一部)が秀吉に臣従したとき、秀吉はまだ関白じゃなかった。
もし東国条件は本当に存在し、秀吉も将軍職に興味があるならこの時点で条件はクリアしたはず。
760 :
人間七七四年:2008/03/17(月) 19:46:48 ID:3qAcmDTA
将軍になるには東国の支配が必要なんてかかれてる史書がないんだけど
なんでそんな説がまかりとおってんの?
761 :
人間七七四年:2008/03/17(月) 20:07:51 ID:FBB7o3EV
でもWikiは訂正しても向こうは向こうで自分は間違ってないと思ってるんだから
どうせ改訂合戦になるに決まってる。不毛
762 :
人間七七四年:2008/03/17(月) 21:21:44 ID:wPonTgBf
>>760 征夷大将軍の建前上の職務が東日本方面軍の総司令官だから
それを曲解すればそうなるんじゃね?
763 :
人間七七四年:2008/03/17(月) 22:03:57 ID:26UtK51m
小牧の戦いは関係ないって、出自の問題。
小牧も出自も関係ない。秀吉の気分の問題
765 :
人間七七四年:2008/03/17(月) 22:37:18 ID:ptstT8QR
>>763 関白にさえなれたのだから出自は関係ない
766 :
人間七七四年:2008/03/17(月) 23:02:18 ID:26UtK51m
>>765 形式上近衛家の人間としてな、
それも秀吉一代かぎりという条件だった、
767 :
人間七七四年:2008/03/17(月) 23:04:43 ID:bB8OCTdQ
出自は関係ない
関白になったのだからそれより下位の将軍職を兼任する必要が全くなかった
ただそれだけ
768 :
人間七七四年:2008/03/17(月) 23:15:06 ID:ptstT8QR
>>766 秀吉の一代限りって言っても新たに豊臣を賜ってるからそうなっただけで、
やろうと思えば秀吉流近衛家は作れた。
出自は関係ない、権力さえ握れれば名跡はいくらでも手に入る。
769 :
人間七七四年:2008/03/17(月) 23:18:14 ID:26UtK51m
ふーん、いかにもゲーム的な考え方ですね、じゃあ家康や信長はまるっきり意味
がないのに系図の偽装を行なってたわけだ。
770 :
人間七七四年:2008/03/17(月) 23:22:57 ID:ptstT8QR
>>769 信長は系図の偽装をやった?
家康が系図を変えたのは今川から独立して徳川に名乗ったときじゃなかった?
それに、家康が系図を変えられたのも独立して朝廷に献金した結果だろう。
771 :
人間七七四年:2008/03/17(月) 23:36:27 ID:bB8OCTdQ
>>ID:26UtK51m
でも秀次が継いだよ
772 :
人間七七四年:2008/03/17(月) 23:44:52 ID:ptstT8QR
たぶん関白豊臣秀次の存在を知らなく、家康は将軍になるために系図を変えて源氏になったと思い込んでる人だろう
773 :
人間七七四年:2008/03/17(月) 23:46:35 ID:bB8OCTdQ
要するに「いつもの人」だよねw
774 :
人間七七四年:2008/03/17(月) 23:53:53 ID:26UtK51m
関白相論にけりをつけるべく秀吉が関白になったときの話だよ、
いちいちそこまで書かなきゃならんのか?
775 :
人間七七四年:2008/03/17(月) 23:55:35 ID:bB8OCTdQ
>>ID:26UtK51m
でも秀次が継いだんだから何でもありだよ
豊臣姓をもらった人もたくさんいるし
776 :
人間七七四年:2008/03/17(月) 23:58:36 ID:26UtK51m
だから回り持ちの関白と将軍を一緒にするなっつうの。
777 :
人間七七四年:2008/03/18(火) 00:16:32 ID:rkrC3iyg
>>776 何が言いたい?
まさか将軍が関白より格が上だと思ってんのか。
778 :
人間七七四年:2008/03/18(火) 00:58:13 ID:4ZTQELf9
えっ!違うのか? 脳が平安時代で止まってるのか?
779 :
人間七七四年:2008/03/18(火) 01:08:12 ID:sf8PWvPv
官位制度そのものが平安時代から江戸初期まで定着して止まってると思うが
780 :
人間七七四年:2008/03/18(火) 01:10:47 ID:NpRFx4hQ
>>778 いや驚いた、君の頭は江戸時代の庶民レベルで止まっているらしい。
781 :
人間七七四年:2008/03/18(火) 01:28:20 ID:rkrC3iyg
>>778 織豊政権の時代までは朝廷>幕府、関白>将軍だったんだろう
朝廷、関白が低く見られたのは江戸期幕府の朝廷抑制策によるもの。
それすらわからないじゃここに来る資格はないな。
782 :
人間七七四年:2008/03/18(火) 03:21:00 ID:4ZTQELf9
へえ知らなかった、鎌倉、室町時代政治の実権は朝廷が握っていて関白が権勢を
ふるってたんだあ、それはそれは無知ですまなかった、教科書にはその頃の将軍
は載ってても関白は載ってないのはなぜなんだろう?きっと作った人がバカ
だったんだね。
783 :
人間七七四年:2008/03/18(火) 03:41:58 ID:Z+qpmnNy
>>782 なぜ「実権」とか「権限」という話に固執するんだ?
さんざん前述されているが、秀吉は当代一の実力者だったんだから、実権とか権限よりは「格上」か「格下」の問題なんだよ。
784 :
人間七七四年:2008/03/18(火) 03:50:39 ID:NpRFx4hQ
官職の身分上下の話をするのなら、征夷大将軍より関白の方が上。なる為の資格その他も、関白の方が難しい。
しかしそれと実権やらなんやらとは別の話。
そもそもそんな話をしたら、一番は天皇になるわな。
現実に統治をするにはパワーが必要で、それは自前でどうにかしなければならない。
しかしそのパワーを公的に正統性のあるものにするには様々な手段がある。
秀吉はその手段として関白をつかった。家康は征夷大将軍だった。ただそれだけの違いだ。
785 :
人間七七四年:2008/03/18(火) 03:56:39 ID:4ZTQELf9
権限の話など一度もしてないが… まあそのことはいいや
当代一の実力者だから望めば何にでもなれるってことか?
それってもろゲームじゃんww、豊臣姓は万能ってか、それどこで出してるの?
コーエー?セガ?タイトー?
786 :
人間七七四年:2008/03/18(火) 09:35:47 ID:rkrC3iyg
>>785 >権限の話など一度もしてないが…
>>782をもう一度読み直せ。
言ったこと5分も経たないうちに忘れるタイプなのか?
>当代一の実力者だから望めば何にでもなれるってことか?
天皇以外はほぼ可能。
平清盛が武家で初めて太政大臣になれた、鎌倉幕府は実力で上皇を流刑にして朝廷の権限を制限した。
足利義満は武家ではじめて源氏長者になって太上天皇の称号を贈られ、秀吉は平民の出にもかかわらず豊臣を姓を賜り関白になった。
デカイ面をした無知が恥をさらす前に謙虚に聞くか調べるのが先だろうがこのゲーム脳。
787 :
人間七七四年:2008/03/18(火) 10:10:46 ID:EBs3/jT8
>>776 関白はもちろん将軍も世襲じゃないよ
官位である以上代替りのたび朝廷からもらわなければいけない。
そもそも将軍職自体は臨時職
788 :
人間七七四年:2008/03/18(火) 12:51:08 ID:4ZTQELf9
>>786 ん〜どうでもいいがやっぱり権限にふれることは書いてないな、
>ほぼなれるって… 清盛や義満は天皇の末裔、秀吉は形式的には五摂家の人間
として関白になったということがまだわからんのか、これだからゲーム脳は…
789 :
人間七七四年:2008/03/18(火) 13:10:08 ID:rATjsR6N
>>788 >鎌倉、室町時代政治の実権は朝廷が握っていて関白が権勢をふるってたんだあ
これは権限ではないならなんだろうね。
秀吉は近衛家の人間としてなっただけ、その後関白豊臣秀吉になってる。
秀次に至っては摂関家ではなく藤原秀吉でもなく豊臣秀吉の養子として関白になった。
あと清盛は天皇の末裔とか的外れにもほどがある。
いくら平安時代末期とはいえ、公家の僕である侍でしかない武家が殿上人になれただけで大出世の時代。
公家の中でも道長につながる家系がほぼ独占してた太政大臣に公家の僕である武家がなれたのに、
天皇の末裔だとか意味不明な事言い出してる。
「ボクの考え」に拘りすぎたため事実をもねじ曲げたり無視するタイプか。
790 :
人間七七四年:2008/03/18(火) 16:53:34 ID:FPjAc4Bk
791 :
人間七七四年:2008/03/18(火) 17:22:48 ID:GVo9Uvcg
まさかとは思うが・・・
本気で 将軍>関白 なんて
考えているヤツはいないよな
792 :
人間七七四年:2008/03/18(火) 17:53:02 ID:rATjsR6N
>>790 引用先がノブヤボじゃまずいだろう。
律令制の官位一覧はこっち
http://www109.sakura.ne.jp/~kuge/kani.htm 関白は令外官だから律令制の官に当たらないが、天皇の代理人として百官の最高位にあるから正一位に準ずる。
で、征夷大将軍も令外官。元々は東国征伐の臨時司令官だが、自らの司令部を持てるから朝廷に干渉されない武家政権作りに使われた。
律令制の正式将軍職の最高位は近衛大将。この職を大臣、大納言が兼任することが多いからそのクラスだろう。
臨時司令官である征夷大将軍と天皇の代理人である関白はどっちが格上なのか比べるまでもない。
ちなみに臨時職じゃまずいと思ったのか徳川幕府の将軍が代々近衛大将を任官されてる。
793 :
人間七七四年:2008/03/18(火) 17:53:59 ID:4ZTQELf9
>>790 で? だったらこのスレ立てるまでもないわな、
そう単純じゃないと思ってる人がいるからこのスレがあるわけだろ?
794 :
人間七七四年:2008/03/18(火) 18:20:34 ID:rATjsR6N
>>793 このスレでもすでに「関白になれたのだからあえて下位である将軍になる必要は無い」という結論が出てたんだろう。
そう思わず秀吉の出自に問題があるから将軍になれないと主張するのは今の所アンタだけだけど。
795 :
人間七七四年:2008/03/18(火) 18:24:47 ID:2/Cbbbkq
征夷大将軍って、室町幕府までは従四位相当じゃないの?
江戸幕府になって、慣例的に従二位が贈られるようになった(在位期間にもよるが)んで、
従二位程度まで地位向上してるけども。
796 :
人間七七四年:2008/03/20(木) 08:15:30 ID:OPocN0QK
関白と将軍を兼任することはできなかったわけ?
位は上でも役職はまた別の話だろうし。
797 :
人間七七四年:2008/03/20(木) 11:41:52 ID:9gBCOpGD
天皇の代理人になれるなら別に臨時方面軍司令官にこだわる必要はないだけだろう。
今でいうと首相が方面隊の総監兼務してるようなおかしいもんだし。
798 :
人間七七四年:2008/03/20(木) 14:27:31 ID:kOSlERra
>>792 ? 関白や太政大臣も常設というわけではないし、関白だって令外官な
んだが…、
臨時職、つまり緊急時に置かれるわけだから権限を集中させる必要があるのでは
ないのかな?
799 :
人間七七四年:2008/03/20(木) 15:06:26 ID:9gBCOpGD
>>798 関白は令外官だけど太政大臣は大宝律令の以前からある最高の官位だぞ。
あと、臨時職つーかもともと東夷討伐のための臨時ポストだから、
第二次大戦のヨーロッパ方面司令官、湾岸戦争の時の多国籍軍総司令官みたいなもの。
あくまでも軍の司令官だから、京ではない場所で自前の司令部を設置できる点として武家政権作りにうってつけだけど、
臨時職ゆえの弱さもあるから、江戸幕府はもちろん、室町幕府から頼朝の幕府まで保険として律令制の官位を持ってる。
ちなみに令外官の意味は律令制の不足を補うために作られた官職であって非常勤の意味じゃない。
800 :
人間七七四年:2008/03/20(木) 20:03:31 ID:lxxxwFIz
秀吉の場合は関白兼太政大臣なわけだから
あえて征夷大将軍になる必要性が皆無ですな
801 :
人間七七四年:2008/03/20(木) 21:49:26 ID:D39z5zc5
まぁ、秀吉は関白でも征夷大将軍でも、号令できる名目があればそれで十分だったわけだからなぁ。
豊家との関係を断ち切る必要性がある徳川家は、将軍を取る必要性があったといえるし。
802 :
人間七七四年:2008/03/20(木) 22:18:26 ID:9gBCOpGD
事実はともかく幕府は「秀吉は将軍になれないから仕方なく関白」という説を流す必要はあったんだろう。
出自、家柄、主君への忠義を重視する幕府が主家を滅ぼした家康に正当性を与えるために
「豊臣家は出自も家柄も徳川家の下だから滅ぼされて当然」を唱えるしかない。
803 :
人間七七四年:2008/03/20(木) 22:36:05 ID:lQiv0nxx
さらに
将軍>関白
の図式を定着させようとしてたし
804 :
人間七七四年:2008/03/21(金) 00:21:49 ID:GLRrrgJ5
805 :
人間七七四年:2008/03/21(金) 02:50:56 ID:K4eAUIYq
徳川家は豊臣家との縁を断ち切ろうとしていたわけではなく
少なくとも家康は豊臣家を一大名として残そうとしていた。
豊臣家も大名として残ろうとしていた節があって
秀頼は右大臣とかの官職を朝廷に返上したりもしている。
806 :
人間七七四年:2008/03/21(金) 07:57:35 ID:GLRrrgJ5
807 :
人間七七四年:2008/03/21(金) 09:35:53 ID:6Rl1aige
808 :
人間七七四年:2008/03/21(金) 10:07:27 ID:Tq9UIey2
関係を断ち切る必要性というのは、
「関白」という任についた場合、
秀頼に位を返上しなければならない
という論理が成立しかねないため。
諸大名を有無を言わさず従わすには、豊家からの独立性が必要で。
その意味で関係を断ち切る必要性がある。
言わば、豊家との連続性の否定。
809 :
人間七七四年:2008/03/21(金) 10:14:30 ID:lvXC4ug5
そんなん言い出したら、豊臣家滅亡後関白就任でもよかったじゃんと。
810 :
人間七七四年:2008/03/21(金) 12:00:35 ID:t9z1z3GB
それでは下剋上をみずから宣言したことになるじゃん。
縁起悪いし。
811 :
人間七七四年:2008/03/21(金) 12:56:45 ID:Tq9UIey2
>>810もその通りだしと思う。
また、政権確立のためにその戦略上で 五摂家に摂関家の地位を戻しておいて
「じゃ、豊家潰れたから」ってまた取り上げるのはどうか、って問題が・・・。
そもそも、将軍就任によって目的自体は達せられてるから
関白になる必要性があるのか?
というか、
>>809の意見だと、関白にならなきゃいけないと聞こえるが、
ならなきゃいけないのか?
812 :
人間七七四年:2008/03/21(金) 19:02:21 ID:6eRyb4Nv
ならなくてもいいように
法律が一番偉い、天皇も朝廷も将軍家も幕府も大名も法律の下
という倫理を構築した
813 :
人間七七四年:2008/03/21(金) 19:58:37 ID:2ym6Yhgv
その法律朝廷も寺社も武家も従ったのは幕府の絶対的な力があってのことだろう
814 :
人間七七四年:2008/03/21(金) 20:44:07 ID:Tq9UIey2
>>812 「ならなくてもいいように」ってどういうことだ?
関白・将軍に関わらず、秀吉や家康がその任についた時に、
結果的に得たものは、諸大名に号令する名目的立場でしょ。
武家組織と公家組織はあくまで別の団体であって、それは秀吉の時にだって言える話では?
関白になった結果、公家が武家の統制下に入ったような話は聞いた事が無いぞ。
秀吉は公家から官位を横取りした。代わりに経済を保障した。
家康は公家内部の問題に介入した。
ってのが多分事実だと思うんだけど、どうよ?
815 :
人間七七四年:2008/03/21(金) 22:34:15 ID:Xd4T1+F8
紫衣事件の頃の幕府の絶頂期と、堀田が使いまわされてた幕末とじゃ
朝廷と幕府の力の差があるしな
816 :
人間七七四年:2008/03/22(土) 00:06:51 ID:hqnS/xnK
817 :
人間七七四年:2008/03/22(土) 00:33:39 ID:38SwS6gg
>>814 秀吉の時と家康の時とでは時代が違う
徳川幕府が唯一の超大国として全国の大名を統制できた背景には
「せっかく平和になろうとしてるのに、
個人のわがままでこれ以上戦争を起こすのはダサい、戦争やめようぜ」
という空気があったから(作った)から
818 :
人間七七四年:2008/03/22(土) 00:34:50 ID:Ix1KBvfY
秀吉は朝鮮で残虐な行為をした人殺し
拉致レイプ人殺し最悪殺人鬼
819 :
人間七七四年:2008/03/22(土) 20:01:25 ID:JN+hsz0a
>>817 すまん、文章が理解し辛いんだが・・・、
まず、「せっかく平和になろうとしているのに」って何?
そうなの? 武家諸法度で武芸に励めって書いてあるのは何故?
次に「個人の我儘で戦争を起こすのはダサい」って何?
そもそも「個人」という言葉は、江戸時代にはないぞ。江戸時代にあるのは「公」だけだろ。
結城秀康も将軍職に野望があった事は有名だし、慶安事件は何だったの?
あと、仮に文章に筋が通っていたとしても、その結論から導き出されるのは、
武家諸法度だけであって、禁中並公家諸法度を作る必要性はないだろ。
公家には最初から武力が無いんだから。
820 :
人間七七四年:2008/03/22(土) 21:29:06 ID:7dBWfycz
この人何言ってるの
821 :
人間七七四年:2008/03/22(土) 21:53:30 ID:6XTF9hFN
ネタにマジレスってやつだ
放っておけ
822 :
人間七七四年:2008/03/27(木) 22:40:18 ID:fgBNrprI
823 :
人間七七四年:2008/05/01(木) 02:18:41 ID:QpPULuId
へえ
824 :
人間七七四年:2008/05/22(木) 00:23:47 ID:201yXfgE
ズバリ
足利義昭将軍が健在であったからです!
家康が将軍になれたのは健在でなかったからです。
825 :
人間七七四年:2008/05/22(木) 00:38:24 ID:S3MQiAiU
秀吉自身の気持ちはどうだったんだろう
それっぽい資料とか無いのか?
826 :
人間七七四年:2008/05/24(土) 08:16:10 ID:O8xiZx3f
>>824 義昭が生きているうちに、信長には三職推任が来ているし、ほぼ関係ないがね。
これも散々既出だけど。
827 :
人間七七四年:2008/05/27(火) 17:08:17 ID:VTCLfxZR
秀吉と信長を同格に考えるべきではない、と思うが。
828 :
人間七七四年:2008/05/27(火) 19:59:12 ID:g0d+fbuM
だな
所詮、信長は右大臣止まり
829 :
人間七七四年:2008/05/28(水) 00:35:04 ID:HP74U252
でも右大臣って響きかっこいいよね。
左大臣よりも。
830 :
人間七七四年:2008/05/28(水) 14:55:50 ID:8KeC/lKX
左近衛中将とかの方がカッコいいだろ
大分下がるけど
831 :
人間七七四年:2008/05/29(木) 01:58:34 ID:A1N9r9qc
>>827 同格に考えるべきでないならどう考えるべきか
832 :
人間七七四年:2008/05/30(金) 18:49:35 ID:pVXAj9G5
833 :
人間七七四年:2008/05/30(金) 20:02:09 ID:bbGf3/hx
もともと関白を希望していたに一票
秀吉は朝廷の官位制度を活用した統治形態をとっており、独自の幕府を築くちもりがなかったんだと思われ
五大老は病床についてからの晩年だからね
834 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 15:33:20 ID:ONITAO9S
>>827 秀吉のおかげなのか
信長のおかげなのか
さあどちらなのか本当に気になるところだ
秀吉が将軍になるということは豊臣家が代々天下を治めるということを宣言する
ということ、はたしてこれが認められるのか?
天皇家と縁もゆかりもない人間が頂点に立つということは革命であり、天皇家
存続の危機でもある。
頂点といっても、あくまで臣下、それも武家限定ですから
武家限定、ぷっ。
838 :
人間七七四年:2008/06/29(日) 20:04:30 ID:+zoqRxur
839 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 00:20:41 ID:eVwVR/jo
豊臣創姓の発案者て特定されているんでしょうか?
近衛氏かな?
840 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 20:40:56 ID:jGDAR4DX
秀吉→「関白になりたい!」とおねだり
家康→「将軍になりたい!」とおねだり
信長→「神様になりたい!」といって民に賽銭を投げさせる
朝廷「仕方ないか・・」としぶしぶ→秀吉
朝廷「無難なところか・・」と普通に→家康
朝廷「頼むから人間の職で我慢してくれ」と頼むが断られる→信長
841 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 21:22:59 ID:mp/AS3jG
死後とはいえ、実際に神様になったのは家康
842 :
人間七七四年:2008/07/06(日) 00:41:26 ID:YQWdn2jZ
>信長→「神様になりたい!」といって民に賽銭を投げさせる
↓
信長→「神様ですから!」といって民に賽銭を投げさせる
843 :
人間七七四年:2008/08/02(土) 14:38:16 ID:T9B5UE//
秀吉も神になってるぞ。
844 :
人間七七四年:2008/08/04(月) 19:23:22 ID:eeqUwACI
家康も神になってるぞ。
845 :
人間七七四年:2008/08/09(土) 21:00:25 ID:lF80HRnv
ID:eeqUwACI
846 :
人間七七四年:2008/08/10(日) 06:36:52 ID:PuE9Z2py
神というのはそう言う意味じゃないだろ。現人神。
信長 → 急進改革派 「ええい、右大臣もなどいらん!おじゃるども辛気くさい、滅ぼしてしまえ!」
秀吉 → 修正派 「あーあ、殿何でも過激すぎw おりゃちょっとおとなしくするなも」
家康 → 保守派 「猿め、耄碌してわがままぶりがひどいわい。じゃあワシが天下取るには、人の
和じゃな。宮家にも、とりあえずは手を付けんで置くか。」
家康を神にして、礼幣使を毎年来させ、一方禁中並公家書法度で制限はしたが、最終的に天皇制
廃止までに至らなかったのは、幕府というスタイルではやりにくかったんだろう。その点一代限りの
関白なら後に残らない。
847 :
人間七七四年:2008/08/11(月) 19:13:37 ID:f4yf1MJQ
>>846 記憶違いでなければ家康が遺言で神号申請を幕府に出させたような気がしたが。
848 :
人間七七四年:2008/08/11(月) 22:51:35 ID:SUDUxoY+
そそ、信長が神格化を目指したのは事実だろうが、秀吉はたぶん真似なんだろね。
信長の場合はキリスト教からの発想だっただろうし。
でも、家康ははっきり、「アマテラス」に対する「アズマテラス」を意識してた
形跡がある。
つまり鎖国で国内だけならば、自らを神格化すれば、かなり平和を築ける、というね。
それで260年持ったのだからすごいものなんだけど。
家康が天皇制に手をつけなかったのは、シンプルに、「一族の繁栄」が
最重要だったからでしょう。
今だってねぇ、竜馬と隆盛さえいなければ、政府には「徳川」がいっぱいいたかもしれないぞ。
849 :
人間七七四年:2008/08/12(火) 10:15:40 ID:oOMAKsS9
まあ企業城下町とかいうしなw
会社なんて藩と対してかわらんもん。
>>848 そうかもね。お家大事。
多分、情勢認識としては依然「徳川だけで武力再統一は相当無理」って認識が
あったんだと思うよ。天皇制を廃止すれば、自分が国家制度から何から全部
一元化する必要がある。そんなことは信長以外無理だろう。江戸時代は所詮
封建時代なんだよ。
850 :
人間七七四年:2008/08/12(火) 10:26:06 ID:OfOtI8Cm
ざっと、天皇制の危機というと、壬申、義満、信長、太平洋戦争、なんだろうが
家康の場合は、完全に支配化におくことに成功したのが良かった。
もちろん朝廷側も長い戦国の世で、存続さえ認めさせればあえてことはかまえ
たくなかったのだろうし。
ただ、ゴダイゴみたいな戦闘的な天皇があの時いたら
家康はどうしてたか。
ま、うまくやっただろうけどね。
851 :
人間七七四年:2008/08/12(火) 20:46:49 ID:efwPeqqa
壬申の乱は天皇制の危機じゃないだろ。
どっが勝ってても、古代王制の確立はある程度同じ路線を取ったはず。
古代史については非常に丁寧に見ていく必要がある。
欠史八代はともかく、祟神朝も、応神朝も、継体朝もそれぞれ別のもの
と考えないといけない。現行天皇制は、大嘗祭などの古いスタイルは残
しているが、政治的には大宝律令からが現行天皇制権力と見るべき。
852 :
人間七七四年:2008/08/18(月) 00:02:27 ID:yKzyEtvY
信長の時と同じで、家柄に関係なく朝廷から内々の任官伺いはあったと思うよ。
俺が思うに、ただ単に幕府とか形式張った組織が面倒臭かったんじゃね?(笑)
関白・太政大臣つっても秀吉が朝廷の議事や祭祀になんかまともに出仕してないだろ。茶会やったり花見やったりしたくらいで(笑)
会社にも居るよね。派手なスタンドプレーや人付き合いは達人級なのに形式張った場所になると変に目立とうとして空回りしちゃう人。
853 :
人間七七四年:2008/08/22(金) 22:04:28 ID:ty0WMJiJ
マジレスもなんだが、単に出自の問題とかじゃないのかな。
藤原家ってのは金で買えるような氏だからそっちのほうが簡単。
しかも将軍より格上だし。
854 :
人間七七四年:2008/08/22(金) 22:32:17 ID:011dBCGc
征夷大将軍よりも、関白の方が偉い。
足利将軍は在命中だし。
秀頼が関白を継いだが、ここで家康としては、身分は下でも征夷大将軍
となって実権を握る方が、適切だったのだろう。
855 :
人間七七四年:2008/08/23(土) 18:18:57 ID:e0u7mQwP
源氏も吉良から買えますぜ旦那、へっへっへ
856 :
人間七七四年:2008/08/23(土) 21:01:39 ID:PI4hdl4L
家康は武家の棟梁というある意味古い価値観を看板にしたわけだ。
結構しっくりいったんだが、保守的なのも確か。
その点、信長や秀吉の場合は三河の田舎者より遥かに近代的だから、
より上位の価値観を政治的に創造する必要性を感じていた。
ただ、秀吉は信長ほど革新的でなく、また朝廷権力さえ無碍には出来な
い諸勢力の糾合による天下だから、結果中途半端になってしまった。
まあ、ボケるのが早すぎたんだろうね。
857 :
人間七七四年:2008/08/23(土) 23:47:30 ID:SjHqWvLF
家康は吾妻鏡ヲタだったからだろ
858 :
人間七七四年:2008/08/23(土) 23:56:40 ID:/u8mBvC8
関白の席を空けておくことで豊臣家との衝突を避けたんだろ
1603年時点では実に現実的な判断だと思うが
859 :
人間七七四年:2008/08/24(日) 20:04:08 ID:xevbcsz/
860 :
人間七七四年:2008/08/25(月) 23:37:42 ID:xCZSzTYT
>>855 買えたかなー、一応向こうはきっちり正統で系図残ってるし、難しかったと思うが。
861 :
人間七七四年:2008/08/25(月) 23:42:08 ID:57A4j0Cm
経基や満仲の子供あたりの系譜じゃダメかい
さすがに胡散臭いかな
862 :
人間七七四年:2008/08/25(月) 23:45:53 ID:pVFsrCwO
秀吉はなりたかったんだけど、なれなかったんじゃないの?
863 :
人間七七四年:2008/08/26(火) 02:18:05 ID:Nj/Mdsoh
系譜なんてのはそれ自体が胡散臭いんだけど、源氏だけはしっかりしてる。
だもんで、源氏を名乗る、というのはそれなりに意味があることなんだよね。
だから、秀吉なんかは名乗りようがない、というところ。
家康が、足利の兄貴を祖としたことはそれなりにすごいことで、普通は
名乗りたくても出来ない。
さすがとしかいいようがない。
これをおかしな解釈してる人も多いようだが。
858に賛成なんだが、もっと積極的に「秀吉路線とは別方式にした」と
いうのを強調すべきだろうな。
864 :
人間七七四年:2008/08/26(火) 05:21:20 ID:SMLM+c49
藤原家がどこの馬の骨ともしらない人間に藤原家を名乗ってほしくないから天皇と組んで豊臣を新設したんだよ。
865 :
人間七七四年:2008/08/26(火) 06:58:25 ID:APOD8xtE
時々負け惜しみのように湧いてくるな
866 :
人間七七四年:2008/08/27(水) 01:54:53 ID:WxjRIwdj
マジレスもなんだが、源平藤橘、以来何百年ぶりかの新姓下賜なんて、ものすごいことなんだよ。
二代で消滅させた家康はさすがとしか言いようがない。
秀吉が藤原を名乗ってくれるなら、一族の中の下っ端、なんだから藤原からみたら
ありがたいぐらいなんだ。
867 :
人間七七四年:2008/08/27(水) 07:06:02 ID:XI13VxQX
家康が、源氏の家系だといいはじめたのは、征夷大将軍就任のときではなくて、
もっとはるか以前で、桶狭間の戦いが終わったころ。
「三河守」という位をもらおうとしたが、源氏や平氏の家柄出身でなくては
就くことができない決まりになっていた。
当時、松平姓だった家康は、家系図を「購入」して、もともとは松平でなくて
得川で、新田源氏の末裔なのだと、でっちあげた。
でもこれでOK!、と朝廷から三河守の称号を得た。
868 :
人間七七四年:2008/08/27(水) 09:56:31 ID:Gxkwa+nU
織田信秀は朝廷から三河守うけてるけど、織田家は平氏も源氏もなのっていないが
869 :
人間七七四年:2008/08/27(水) 13:39:03 ID:WxjRIwdj
信秀はどえりゃぁ寄付したもんで、そのおかげでもらったようなもんだからね。
つまり、家柄うんぬんというのは朝廷側の気分一つだったちゅうわけか、当時は。
870 :
人間七七四年:2008/08/27(水) 19:37:25 ID:MqljxpXn
そうなんか
織田は平氏だと思ってた
871 :
人間七七四年:2008/08/27(水) 20:23:38 ID:Gxkwa+nU
もとは忌部氏だったのか?
信秀のころは藤原氏を名乗っていた模様。信長が途中から平氏を名乗り始める。
872 :
人間七七四年:2008/08/27(水) 22:54:34 ID:S5eilfAv
元は忌部氏という説があるだけで、詳しいことは依然分かっていない
分かっているのは、どうやら越前時代から藤原姓を名乗っていたらしいこと
873 :
人間七七四年:2008/08/28(木) 21:36:24 ID:ynOpnTRn
>>867が間違いだらけなのに誰もつっこまないのが笑えた
874 :
人間七七四年:2008/08/29(金) 16:11:34 ID:pqWE5ZOS
スルーもできないなんて…
875 :
人間七七四年:2008/08/29(金) 17:22:55 ID:bhFSpqX3
文体からしてアレだから突っ込まなかったが
876 :
人間七七四年:2008/08/29(金) 18:48:06 ID:Ch1B1tQc
>>873-875←ばかどもが!。
歴史雑誌の徳川家康特集号で、
その中に書いてあったことをパクっただけだよ。
877 :
人間七七四年:2008/08/29(金) 19:20:58 ID:bhFSpqX3
歴史雑誌がアレなのかパクり方がアレだったのか
878 :
人間七七四年:2008/08/29(金) 19:31:07 ID:Ch1B1tQc
「もともとは松平でなくて 得川」は、
徳川の間違いだろバーカ。
とでも思っているのだろうか。
879 :
人間七七四年:2008/08/29(金) 19:34:29 ID:bhFSpqX3
すまん、真性だった。スルーするわw
880 :
人間七七四年:2008/08/29(金) 19:37:01 ID:NyKvyZ/D
もっとやってくれ。
881 :
人間七七四年:2008/08/29(金) 19:49:57 ID:Ch1B1tQc
正解は得川。
上野国新田郡得川郷の出身でのちに徳川になった、と
系図では一応説明されている。
>>879は真性のようだから、永遠にスルーしてろ!。w
882 :
人間七七四年:2008/08/29(金) 19:54:50 ID:NyKvyZ/D
>>881 どういう雑誌か知らないけど、新田源氏の末裔と言ったのは
さすがに桶狭間の後じゃないよね、そういうようにも取れる引用だし。
ちなみに桶狭間の時、家康は10代後半、まだまだ家系図なんていう時期でもないし。
・・つられたか・・
883 :
人間七七四年:2008/08/29(金) 20:01:01 ID:Ch1B1tQc
>>882は礼節をわきまえた学問熱心な人物だから(好評価!)、
雑誌の記述を調べとくわ。
884 :
人間七七四年:2008/08/29(金) 20:03:19 ID:bhFSpqX3
885 :
人間七七四年:2008/08/29(金) 20:10:48 ID:Ch1B1tQc
>>884のbhFSpqX3 は、
>>879で言ってたように
スルーするんじゃなかったのかよ。もうでてきたw
886 :
人間七七四年:2008/08/29(金) 20:14:45 ID:bhFSpqX3
>>885 お前みたいな真性ともっと遊びたいなと思って
我慢できずに出てきちゃったさww
887 :
人間七七四年:2008/08/29(金) 20:26:12 ID:NyKvyZ/D
>>883 歴史雑誌と言ってムーだとこわいから調べなくてもいい。
888 :
883:2008/08/29(金) 20:39:53 ID:Ch1B1tQc
新・歴史群像シリーズ(12) 徳川家康
1566年(桶狭間合戦の6年後)、家康は松平から徳川に改める勅許を得て、徳川家康となった。
家康は、近衛前久らに賄賂を贈り、前久は万里小路家から系図を探し出し、このような偽系図をでっちあげた。
この系図では、新田義重の子で、上野国の得川郷を与えられ、得川を名乗ったが
のちに徳川という字を使うようになり、その子孫が諸国をまわる僧となって、
三河国の加茂郡松平郷に至って、そこで松平を名乗った。つまり、本当は松平でなく、徳川である、
という主張をしている。メリットは、清和源氏新田氏の末裔であるとアピールすることにあった。
なぜ、この時期に改姓しなければならなかったか?。
松平家康は、三河を統一した時点で「松平蔵人佐」という官位であった。三河の支配者として
「三河守」がほしくなったが、三河守の官職は源氏か平氏か藤原氏か橘氏でなければならず、
松平氏のままではだめだった。
祖父清康が、一時期、源氏新田の世良田氏を名乗ったこともあり、新田流に系図をつなげることを思いついたのであろう。
改姓の効果はすぐあらわれ、翌年(1567年)には、三河守に任官している。
以上、p44〜45の要点引用
889 :
人間七七四年:2008/08/29(金) 20:49:09 ID:bhFSpqX3
>>888 君の元レスと色々違う件
まぁそれは置いておいて、
>>888に「万里小路家から〜」と書かれている通り
一気に源姓を名乗ったわけじゃなく、まず藤姓を名乗っている
家康が源姓を名乗り始めるのは、うろ覚えだが1588年頃じゃなかったっけ
890 :
人間七七四年:2008/08/29(金) 20:57:29 ID:NyKvyZ/D
>>888 やっぱり引用がおかしくないかな。
1566なんてまだ三河のあんちゃんで、上野国と結びつけるのは
後に江戸に本拠を置いたのと混同してないかな。
これだと、前久が見つけ出してくれたようだけど、実際は家康がさがしてきた
「得川」だろうし。
ほんで、新田源氏を名乗る、ということがどういう意味を持つかに
全く触れてないから、家康の偉大さに触れられない。
・・つられたか・・
891 :
人間七七四年:2008/08/29(金) 21:03:12 ID:iuaDpBsC
>>867を見るかぎり、リア厨臭いな
得川の本当の読みとか知らないんだろうな
892 :
人間七七四年:2008/08/29(金) 23:10:20 ID:IFTbwt+5
信長にとっては姓などどうでも良かったんだよ。
でも、遥かに脆弱な基盤しかない秀吉にとっては、どうでもいいものでも
ありがたがるポーズを取らざるを得なかった。おじゃるどもへのご機嫌取
りは、信長の非じゃないw
893 :
人間七七四年:2008/08/30(土) 01:45:35 ID:UEjITdSF
>>890 そもそも「松平蔵人佐という官位」の部分だけで
ツッコミどころ満載だろww
894 :
人間七七四年:2008/08/31(日) 01:11:20 ID:rTvR5Zct
歴史群像シリーズという時点で突っ込みどころ満載。同門冬時あたりが寄稿したんだろ
895 :
人間七七四年:2008/08/31(日) 01:19:53 ID:vgn8GgQ/
童門、懐かしい
896 :
人間七七四年:2008/09/01(月) 04:06:13 ID:yOru+fhb
897 :
人間七七四年:2008/09/01(月) 20:59:34 ID:rx0dWHZH
どうもんの文章は名前が書いてなくても読んだら
雰囲気だけでわかりますね
898 :
人間七七四年:2008/09/02(火) 07:52:11 ID:gYxMzwUC
どうでもいいもん
899 :
人間七七四年:2008/09/03(水) 00:33:52 ID:fbsTgF1H
さらしあげ
900 :
人間七七四年:2008/10/27(月) 18:39:06 ID:1DMv3eC+
901 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 23:41:00 ID:aoUpjy4r
第125回 その時歴史が動いた 夢は征夷大将軍〜徳川家康・逆転の策略
を見たけど酷いな・・・。
「関白は公家の頂点、征夷大将軍は武家の頂点」
「秀吉は生前征夷大将軍地位を望んだが、かなわなかった」
「過去将軍になれたのは源氏の系統に属する武士だけ」
「将軍になるため、源氏の身分になるため足利義昭に養子にしてくれるように頼んだが断られて失敗している」
みたいな事を堂々と言ってるんだが。
ちなみにゲストは小和田哲男
902 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 00:39:24 ID:8qonI8T1
まあ通説ではそういうことになってるんだし、
NHKの娯楽番組でついつい無批判に通説を採用しちゃうのは仕方が無い
本能寺の変黒幕説とか家康が信玄の息子だったとか
噴飯ものの珍説を公共の電波に乗せられるよりは遥かにマシだと思うしか
903 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 07:22:42 ID:wbheYD0D
通説だけで十分じゃん。
904 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 21:18:57 ID:3gDQzIjW
小牧・長久手の戦い→家康と講和。この時点で東国支配できないと朝廷に判断されたから99%ムリ
小田原の役→後北条を滅亡まではいいが、家康に改封させて東国支配を任せた→100%捨ててる
もともとなる気がなかったか、将軍職は初めから可能性はなかったと考えるのが妥当。武功・政策レベルでムリ
905 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 21:21:29 ID:WElimWwt
バーカ
906 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 15:17:22 ID:mChs/OOu
いっその事、徳川家康や北条氏等を屈服させて天下統一を達成した時点で
改めて、朝廷に征夷大将軍任官の工作をすれば、
すんなりと将軍就任を許されて、
関白兼征夷大将軍という過去に例のない権力を掌握出来そうだが…。
将軍就任で、幕府も開府出来て、
源氏や足利将軍家のように、
豊臣家の世襲制(ただし、血縁者が居ればの話だが…。)も確保出来そう。
907 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 15:31:47 ID:/HHeI23s
>>906 関白が征夷大将軍に「成り下がって」どうする。
908 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 15:46:14 ID:rYrfpMF6
将軍にはなれんだろw
909 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 16:34:52 ID:/7K8bcqP
なぜなれないの?
910 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 16:37:44 ID:/HHeI23s
関白になったから。
関白のほうが偉いから。
911 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 16:40:23 ID:lW/KTWyp
戦国時代はみな足利家に取って代わり天下をおさめる
ことをねがい、血統、家柄に関係なく望む位につけた。
ってか?そんなリベラルな時代じゃねえってば。
912 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 19:53:33 ID:X7Big3fa
首相が外相や蔵相の兼任やるようなもんと思えば、関白兼征夷大将軍でも
別にいいんじゃないの。
そもそも秀吉の関白就任自体が前代未聞の特例なんだし。
913 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 21:06:18 ID:WcPpQLaB
小学生の時みた歴史漫画だと源氏の子孫じゃないからなれないとあったけど
914 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 23:41:49 ID:MsAddT9p
征夷大将軍は源氏じゃなきゃダメって、ホントだろうか?
確かに、それ以前に幕府開いた2人とも源氏だったし、
”先例”ってことだと、そうなんだろうけど、関白になるより
難しかったとも思えない
徳川幕府後の人間からすれば、武家政権なら征夷大将軍で
幕府だろうって思うけど、あの当時としては、どうだったんだろう?
915 :
人間七七四年:2009/01/21(水) 01:36:35 ID:JZ7AVBR7
平家だって関白とかやってなかったっけ
源氏うんぬんは幕府を作らせたくない公家の言い訳になったのかも
武士の大半は源氏の流れをくむ家系なんだし朝廷がいえば無理に幕府を作ろうとすれば反発されるし
916 :
人間七七四年:2009/01/21(水) 06:36:33 ID:WOD9mjWI
っていうかさ、「幕府」っていう特別な政体は無いよ。
単に後の時代からそう名付けられただけでさ。
917 :
人間七七四年:2009/01/21(水) 10:15:23 ID:pnNIiwZc
関白太政大臣は工作で藤原氏の血統になんとか入れたからなれた
将軍は工作しても血統に入れなかった、つまり、農民出身の
信長の1家臣のまま
だから将軍になれなかった
藤原氏の血統に入れない場合は1戦国武将で終わりの可能性大
まわりの有力大名は関白の肩書きに従ってただけだからな
918 :
人間七七四年:2009/01/21(水) 10:26:00 ID:pnNIiwZc
919 :
人間七七四年:2009/01/21(水) 14:59:07 ID:364lY1bM
時代は飛ぶが、
幕末の徳川慶喜は、朝廷と幕府の一元化を図る為か、
将軍が摂政を兼ねる構想を持ち出して、
側近達に朝廷工作等を命じていたそうだが…。
920 :
人間七七四年:2009/01/21(水) 17:19:24 ID:R1ay+Smk
秀吉は養子工作の前に内大臣になってるわけだがww
921 :
人間七七四年:2009/01/21(水) 17:48:04 ID:FPO8fAcL
922 :
人間七七四年:2009/01/21(水) 19:27:41 ID:eEx5wq66
はいはい三職推任
923 :
人間七七四年:2009/01/23(金) 03:23:06 ID:Ee4aB94Y
>>917 肩書きだけで従えられるなら、足利昌山だって近衛前久だって天下人になれたわけだが。
家康なんか血統工作しなくても源氏長者を久我家からうばってしまったしな。
924 :
人間七七四年:2009/01/23(金) 03:40:28 ID:rfpuU4lC
>>923 源氏の長者は征夷大将軍に付属するものではない。
まあ、源氏で武家の場合、征夷大将軍で、なおかつ公家を被官化したものが名乗れる
称号だと考えるといい。
925 :
人間七七四年:2009/01/23(金) 09:28:41 ID:BGfJku6J
>>917 任官要請を奏上するのは誰かわかってる?
わかってたらそんなこと言えないよね。
自分達の官位をやる前に自分達が任官しない高官(征夷大将軍)をやるよね。
926 :
人間七七四年:2009/01/23(金) 12:43:12 ID:zdMDD3Gc
やるもなにも征夷大将軍を朝廷が指名してたっけ?
五摂家が口出しできる話じゃないだろ?
927 :
人間七七四年:2009/01/23(金) 18:03:18 ID:rfpuU4lC
だいたい秀吉は武家に関しては豊臣姓をどんどん下げ渡して、
朝廷権威と共に、「豊臣ノ長者」としての家父長権威で統制しておる。
秀吉の政権は、官位序列と豊臣家と言う家内序列の二本立てで形成されている。
928 :
人間七七四年:2009/02/09(月) 01:47:27 ID:ZVqHeJDj
>>926 何を言っておるのか。
権限上は、五摂家は普通に口出しできる立場だが。
徳川時代は将軍家の権力が強すぎて、実質的に口出し出来なかっただけ。
鎌倉時代とか普通に五摂家が関わってる。
929 :
人間七七四年:2009/02/10(火) 21:08:15 ID:DOcHy6sj
>>928 朝廷内部に対しては江戸時代が一番権力を持っていた>摂関家
摂関家に独占的権力を与えて、その摂関家5家のみを江戸幕府が飼いならせば他の公家を無視しても幕府の権力が朝廷内部に浸透させられたから。
930 :
人間七七四年:2009/02/10(火) 21:21:18 ID:npUo87EJ
>>928 紫衣事件とか知らんのか
幕末は幕府の権威失墜して朝廷の力が大きくなったけど
931 :
人間七七四年:2009/02/10(火) 21:26:34 ID:b4oQJ3gG
932 :
人間七七四年:2009/02/10(火) 21:26:35 ID:npUo87EJ
933 :
人間七七四年:2009/03/29(日) 10:25:02 ID:d/z2dyhk
天下統一後、秀吉は独裁者ですよ。必要なら関白でも将軍でも近衛大将でも何でもなれるでしょう。
独裁者に血筋もなにも関係ありません。(天皇は無理でしょうがね)
当時だれも文句言えませんって。
家康だって逆らえば殺されます。公家も同様。
ただ必要なかっただけ。
934 :
人間七七四年:2009/03/29(日) 13:21:07 ID:9s9RPVHZ
血筋に関係ない?関白だって近衛家の猶子になる
ことでなれたんだぞ。
将軍職を足利家から奪えば諸大名を敵にまわすことになる、
少なくても毛利や上杉は抵抗しないわけにはいかなくなる。
935 :
人間七七四年:2009/03/29(日) 13:59:00 ID:5MbgMgvg
文字が左右対称に近い方が有利だから
936 :
人間七七四年:2009/03/29(日) 17:28:08 ID:ToBVpv96
普通に関白の方が偉いからだろう。
征夷大将軍より武家関白制のほうがより上位にあった。
むしろなぜ家康は関白にならなかったのかの方が問題。
937 :
人間七七四年:2009/03/29(日) 20:57:49 ID:BPl92SAJ
>>934 なんで毛利や上杉が抵抗しなきゃなんねーんだよw
足利ブランドに夢持ちすぎだろw
938 :
人間七七四年:2009/03/29(日) 22:36:13 ID:fKACxG8j
>>936 武家関白制は秀吉末期には朝儀が機能停止状態になるという矛盾が生じていたから
939 :
人間七七四年:2009/03/31(火) 20:35:52 ID:c3kdr99g
>>936 中世以後、公家社会は散位・非参議など官職に就けない公家がごまんといた。
そこに秀吉の元で武家が官職を占めるようになった。だが、武家出身者に複雑な宮中儀式なんて行える訳がない。
しかも、左右の両大臣が秀吉によって失脚させられて宮中儀式も満足に行えなくなって朝廷の権威が低下。
そうなると、秀吉自身の天下人としての権威は健在だったが関白自体の権威は低下。
秀吉が死んだ頃には朝廷の組織は完全に機能麻痺に陥った。
徳川家康が「武家官位」を定めたのは、武家が官職を占めて公家が排除される自体を防ぐ側面もあった。
940 :
人間七七四年:2009/04/01(水) 17:23:20 ID:+RFPLSk3
>>939 武家関白制でも幕府でも、朝廷が日本統治の実権をほぼ握らない(外交は別みたいだったけど)のは変わらない。
朝廷の機能なんて式典ばかりなんだら、なにも官職に公家が付いていないとやっていけない〜なんてこともないのでは?
新たに役職を設けることもできる。
どうもしっくりこないんだが。
941 :
人間七七四年:2009/04/01(水) 17:24:40 ID:+RFPLSk3
言い方がおかしかった。
武家関白制は形式上朝廷による直接統治だから、「朝廷が日本統治の実権を〜」のくだりは当てはまらないよね。
942 :
人間七七四年:2009/04/01(水) 18:24:58 ID:v9qptW2E
官位と征位大将軍は違うんじゃないだろか。
官位は、帝に変わり政をするための役職
将軍は、朝廷に変わり武力で異敵を討つ為に作られた役であり官位は低くてもなれる
943 :
人間七七四年:2009/04/01(水) 18:26:43 ID:0JP8hmse
権威と権力の違い。
944 :
人間七七四年:2009/04/01(水) 18:30:41 ID:VAGr1yOw
>>939 武家が云々って言う以前に、すでに大葬、即位礼すら満足に
行えてなかったんだから、朝廷の権威もすでに低下していただろ。
むしろ、卑賤の関白を一方ではさげすみながら、一方では財力、軍事力に
感謝していたのが公家たちの実態じゃないのか?
945 :
人間七七四年:2009/04/01(水) 18:35:34 ID:v9qptW2E
なんで家康って徳川を名乗ったのや?
松平のままならスムーズに将軍になれたやんか
946 :
人間七七四年:2009/04/01(水) 18:55:38 ID:MaYuoPgA
めんどくせぇ公家連中を排除して武家で政治を行うには幕府体制がよかんじゃろ
今は衰退しててもいつ何時復活するかわからんに、制度としてきちんと定めとくがよかったじゃに
947 :
人間七七四年:2009/04/02(木) 00:55:23 ID:B5jdVv/o
>>940 その式典ですら満足に行えなくなったんだよ。
もう一つ、朝廷公家は全国統治組織としてはとっくに消滅していたが、
荘園や製造運輸販売の商業経済方面は武家政権が成立した室町鎌倉の頃でも
まだ強く握っていた。彼らがそんな力も完全に失うのは江戸以降。
逆に言うと、そういった旧勢力が握っていた特権も武士に奪われていくのが
戦国時代であり、奪って力をつけていったのが戦国大名。
948 :
人間七七四年:2009/04/02(木) 05:52:19 ID:/IIHMSmB
書くのが面倒臭いから短い関白にしたでいいや
949 :
人間七七四年:2009/04/02(木) 17:59:56 ID:LPg9mqHy
>>939 >しかも、左右の両大臣が秀吉によって失脚させられて宮中儀式も満足に行えなくなって朝廷の権威が低下。
>そうなると、秀吉自身の天下人としての権威は健在だったが関白自体の権威は低下。
>秀吉が死んだ頃には朝廷の組織は完全に機能麻痺に陥った。
秀吉の権威と、関白そのものの権威との乖離はナニによって確かめられる?
また秀吉が朝廷の権威を貶める意図とは何?
徳川家が朝廷から官位の実質的な任命権を奪取したことはしたが、それでもなお、自己権力による権威の付与を行わなかったのは何故?
つまりは、最終的には朝廷の官位に頼っているのは何故?
950 :
人間七七四年:2009/04/02(木) 22:58:57 ID:i6G4Ju+t
秀吉は本来織田家の一家臣として生涯を終えるつもりが、
本能寺の変をきっかけに天下とったから、
政権構想がなかったんじゃなかろうか。
だから幕府をひらいて天下を経営するプランがなかったのではなかろうか。
と妄想してみる。
951 :
人間七七四年:2009/04/03(金) 10:13:39 ID:f5bhIlJ0
>>945 松平緒家の上位に立つため、と俺の妄想。
952 :
人間七七四年:2009/04/03(金) 16:55:12 ID:au11I55s
秀吉が将軍になれなかったのは、将軍の価値に気付けなかったから。
実際に秀吉が将軍になる意味は薄いけど、秀吉自身がならなくても
秀長に将軍にならせて、豊臣のNO2が将軍につくとかって言う慣例を
作っておけば徳川につけこまれる隙がひとつ減った。
当時ボロボロだった将軍と言う地位もちゃんと実力の裏づけをもって
メンテナンスすれば恐ろしい威力を発揮するということに気付かなかったから
秀吉は豊臣家から将軍を出すことができなかった。
なろうとさえ思えば将軍になるのも、誰かを将軍にするのも
出来たと思うけどね。
極論としては秀吉が家康を将軍にして、豊臣と徳川の関係を決定しても良かったとすら思う。
自分でとった将軍じゃなく、豊臣からもらった徳川将軍じゃあ、豊臣をつぶしにくくなるだろうからね。
953 :
人間七七四年:2009/04/03(金) 20:42:01 ID:1wpm1XgT
それは面白そうだなw(ほめ言葉
954 :
人間七七四年:2009/04/04(土) 00:15:32 ID:gXYHtqIT
別に将軍は征夷大将軍だけじゃないからにんともかんとも
北畠顕家や懐良親王も大将軍として巨大な権力を持って、中央とは独立して政権を作っていた存在な訳で
あんまり「大将軍」の位を(っていうか幕府を作れる位を)乱立することは
地方分権を認めてしまうことで、中央集権志向から脱却してしまうから
百官の上に立つ関白を選んだ秀吉の選択肢ではないだろう
955 :
人間七七四年:2009/04/04(土) 01:24:04 ID:FL3W5C2P
農民出身じゃなかったからじゃないの?
征夷大将軍は源氏でないとなれないって聞いたんだが
956 :
人間七七四年:2009/04/04(土) 01:27:32 ID:YDtGxNOF
│
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│
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│ /  ̄  ̄ \
│ /、 ヽ
J |・ |―-、 |
q -´ 二 ヽ |
ノ_ ー | |
\. ̄` | /
O===== |
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/ / |
957 :
人間七七四年:2009/04/04(土) 02:49:12 ID:8fXAnCLq
年齢的に、手っ取り早く政権構築して安定化させるのに公家、官位ってもんを利用して
武家を組み込んで一本化しただけじゃないの?
秀頼があと10年早く生まれるか秀勝か鶴松もしくは秀長が生存してれば盤石だったと思うけど。
958 :
人間七七四年:2009/04/04(土) 03:20:57 ID:gcGX6yxa
>>949 そもそも武家政権と言っても大政奉還の瞬間まで朝廷機構の一部にしか過ぎない
959 :
人間七七四年:2009/04/04(土) 13:06:17 ID:d5y6Pnlx
>>955 それだとなぜ秀吉が将軍よりも高貴な関白になれたか説明できないんだよ(´・ω・`)
960 :
人間七七四年:2009/04/04(土) 13:58:59 ID:9Jyh0qsx
いまだにそんなこと言ってんのか・・・
近衛家の猶子になったことも知らんのか?
961 :
人間七七四年:2009/04/04(土) 14:32:25 ID:26b+qS4o
それならどこぞの源氏の養子なりにもなれただろということだろうが
反論としてもなりたってない
962 :
人間七七四年:2009/04/04(土) 14:54:58 ID:d5y6Pnlx
でも秀吉は藤原氏を称するまえは平氏を称してる。
家康だって藤原氏(だっけ?)から源氏に血統をくら替えしてるぐらいだから、
この時代、血統を詐称するぐらいあたりまえのことでしょ。
いまさら秀吉が源氏を名乗ることになんの問題があるの?
963 :
人間七七四年:2009/04/04(土) 15:09:54 ID:sDnq5HV+
地盤が弱い秀吉は天皇の威光をもって支配しようとしたんじゃないの?
家康は子供もいっぱいいたし、有力大名と縁組みしまくりで地盤がしっかりしてたので朝廷とは距離を置けた
964 :
人間七七四年:2009/04/04(土) 17:59:32 ID:9Jyh0qsx
>>962 >それならどこぞの源氏・・
じゃあなぜ家康は吉良から系図を貰い受けたんだ?
そのへんのことをよく考えろ。
965 :
人間七七四年:2009/04/04(土) 19:37:29 ID:/CtVftN1
>>964 吉良からの系図というのが「どこぞの源氏」程度のものだったから。
三河守任官の為の箔作りで、たいして由緒のないその分捏造が容易な田舎源氏の
家系を買い取って念願の三河守になれた。それだけの話。
秀吉が将軍になりたくて、将軍になるには源氏の系図が必要だというのなら、
家康と同じく「どこぞの源氏」の系図買い取って源氏を名乗ればよかっただけ。
足利に拘る必要もない。前身が農民だったなんて関係ない。家康はどこの馬の骨
ともしれぬ三河松平とかいう田舎豪族の出身で、源氏の家系を買い取って名乗った
ことなんて周知だった。それでも将軍任官になんの障害にもならなかった。
なんで秀吉の場合はダメだと考えるんだ?
どうしても源氏になりたいのなら、足利義昭なんぞではなく当時の源氏長者
にでもお願いしたほうがよほどてっとり早い。
966 :
人間七七四年:2009/04/04(土) 19:38:03 ID:JiC1bLKN
>>964 そりゃ吉良家に世良田氏の系譜が残ってたからに決まってんだろ。
家康は思いつきで藤原氏を名乗ったが、源氏は思いつきで名乗ったわけじゃない。
967 :
人間七七四年:2009/04/05(日) 01:18:31 ID:6dcK0oAY
少なくとも家康や信長は大名の息子だからな。
968 :
人間七七四年:2009/04/05(日) 01:58:18 ID:rtkm76qW
大名の息子?
969 :
人間七七四年:2009/04/06(月) 02:52:13 ID:SzRoirzh
関白と将軍なら関白のほうが上。
将軍+源氏長者で関白より上になる。
秀吉は源氏長者の存在知らなかったんだろ。
970 :
人間七七四年:2009/04/06(月) 03:05:05 ID:SzRoirzh
>>969 ちなみに足利将軍は源氏長者じゃなかったみたい。
将軍だけでは豊臣家の上ではないと考えた家康が、幕府を開く時に古い文献を調べ鎌倉幕府で源氏長者を見つけた。
971 :
人間七七四年:2009/04/06(月) 07:10:56 ID:5Mmkg2yU
>>970 鎌倉幕府の将軍で源氏長者になった者はいない
源氏長者を兼任した将軍は足利義満が最初
972 :
人間七七四年:2009/04/06(月) 08:19:26 ID:AeIvV8/C
秀吉存命中は将軍+源氏長者より豊氏長者のほうが上だな
973 :
人間七七四年:2009/04/06(月) 13:35:03 ID:X+CnK3mk
>>969 >将軍+源氏長者で関白より上になる。
majide?
974 :
人間七七四年:2009/04/06(月) 13:44:18 ID:AeIvV8/C
それは、将軍+源氏長者+日本国王じゃなかったかなw
(ネタか無知に決まってんだろ)
975 :
人間七七四年:2009/04/07(火) 22:41:45 ID:SO/PMQa5
ところで、秀吉が死んだ後豊臣家はどうやって秀頼を関白にする積りだったの?
976 :
人間七七四年:2009/04/07(火) 22:49:40 ID:S22iwssq
>>969 >将軍+源氏長者で関白より上になる。
ならないよ
源氏長者はその名の通りただの氏長者だから源氏に対してのみ有効
将軍は武家の棟梁だから本来なら朝廷の一武官にすぎない
それに対して関白は百官の長、天皇に代わって政治を司る地位と権威が
あるから、どう考えても関白の方が上
将軍が関白より上という概念は江戸期に作られたもの
977 :
人間七七四年:2009/04/07(火) 23:20:13 ID:IIinSt4s
平安時代 関白>将軍
鎌倉初期 将軍>関白
鎌倉中期以降 どちらも権力なし
建武の新政 関白は廃止されているので将軍のほうが上?
室町前半 将軍>関白
室町後半 どちらも権力なし
桃山時代 関白>将軍
江戸時代 将軍>関白
権力比較をすればこんなものか
978 :
人間七七四年:2009/04/08(水) 00:02:43 ID:linMLvaX
∧_∧
<丶`◇´>すぅ〜
⊂ ⊃
( ) ウソ ウソ
〈_フ__フ ウソ ウソ ウソ ウソ
ウソ ウソ ウソ ウソ
∧_∧ ウソ ウソ ウソ ウソ ウソ ウソ
<丶`○´>はぁ〜ウソ ウソ ウソ ウソ ウソ ウソ ウソ
人 Y / ウソ ウソ ウソ ウソ ウソ ウソ ウ
( ヽ し ウソ ウソ ウソ ウソ ウソ ウソ
〈_フ__フ ウソ ウソウソ ウソ ウソ ウソ
ウソ ウソ ウソ ウソ
979 :
人間七七四年:2009/04/08(水) 00:24:41 ID:lmv4mNiI
>>977 鎌倉時代ってのは幕府による一元支配ではなくて朝廷と幕府の並列支配だけどね
ただ朝廷は摂関期じゃなくて院政期だから将軍>関白でいいけど
それでも鎌倉中期以降で将軍に権力が無いわけではないよ
もなんで執権北条氏がポンポン将軍を差し替えたかっていうと
そのまま放っておくと将軍と御家人が結びつく流れがあったから
(ここでも別に将軍が源氏である必要がないのが分かる)
ホントに両方とも権力が無くなったのって得宗専制時代だけだろ
980 :
人間七七四年:2009/04/08(水) 01:03:52 ID:JUnuXqF+
そりゃあ親王持ち出されりゃな、
だからって言って源氏が関係ないってことはないな。
981 :
人間七七四年:2009/04/08(水) 01:06:17 ID:I+yCJa+r
実際将軍に任命されるのに源氏であるかどうかなんて関係ないだろ
源氏であれば好ましい程度じゃね
982 :
人間七七四年:2009/04/08(水) 05:08:53 ID:fYM1CiyP
>>981 江戸時代にも宮将軍を迎える話が合ったよな。
983 :
人間七七四年:2009/04/08(水) 05:48:41 ID:D/hZ6sMp
藤原将軍も忘れないでくれ>鎌倉将軍
南北朝時代の藤氏一揆で大将軍にかつぎ上げる予定だったのは小田治久だっけ?
984 :
人間七七四年:2009/04/08(水) 20:04:24 ID:sxLErq61
>>977 平安時代はともかく、鎌倉時代以降は朝廷の政治機構そのものが形骸化してるから、
関白にはそれほど権力がないんじゃない?
秀吉があれほど絶大な権力を持ち得たのはあくまで圧倒的な軍事力を持っていたからじゃないの?
985 :
人間七七四年:2009/04/08(水) 20:24:46 ID:sIDHjGAN
>>984 検断権は幕府に奪われたけど、他の部分においては依然として王権のもとで朝廷が一定の役割を果たしていたというのが中世日本史の近年の通説だが。
だからこそ後醍醐による倒幕も最終的に成功した。
むしろ、正平の一統によって武家による権威のみにしか正統性を主張できなかった新北朝(後光厳天皇系)の成立によって幕府権力が朝廷権力を凌駕した結果が大きい。
986 :
人間七七四年:2009/04/08(水) 21:39:04 ID:lmv4mNiI
藤氏一揆で小田氏に約束されたポジションは関東管領だったかと
何故に関東管領なのかは分からないが
しょせん夢想の産物だからツッコミだすとキリがないが
そういや近衛経忠は関白だったな
987 :
人間七七四年:
権力がない言うなら将軍だって似たようなものだしな