1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
天下統一したあとはどう考えても朝鮮征伐の前に徳川征伐だろ!!
何もかもすべてを手に入れた後、絶対に勝てる状況になった時に
なんでそのままでほっとくかな?。
殺せるときに殺しとかない、そこが秀吉の敗因だ。
.┌、 r┐ r┐ヾ> (_ / ミ
!. | ヾ> || lニ コ 〈/`ヽ _ ミ
|. ! ノ| | レ! _| |. ,イ,.- 、 |  ̄_ ̄丁 '' ー┬‐- -ミ
ヽ二/ .ヽ/(___メ> /,|.l l ! ( ) ! (´ ) ! r‐
ry'〉 ,、 /イ,! `ー' _L =- --┴-ニ二ト、_'ー'
lニ', r三) (( |'J」-''_二 =-- ‐一 ー‐t‐-ト、 二__
|_| )) レ'/´ィ 、_________ ヾミ| l
_r┐ __ (( V ,、 F≡三r一tァー, | l:.:. .::
└l. レ',.-、ヽ )) |ノ^>、 '^ミ二´ | l:.:.:.::
ノ r' __,! | (( V/イソ .::ヽ、二_
└'!_| (_t_メ.> )) | / ,' _ .:.:.:.::i|,)ノ
r-、 (( |.〈、 、 _〉 `丶、 ;:ィil| ノ
,、二.._ )) | 笊yfミミミミヾ、 '!l|il|li!fj'
ーァ /. (( ヽ |i''r ''_二二ニミ;ヽ、 ,|l||il|l|,「゚|
ん、二フ )) |,l| V´ :::::::::;;/ トi|l|i|i|l|!Ll
,.-─-.、 (( |i! ゞ=-‐''" ,i||i|l|l|l|!|i{
/ /l .i^ヽヽ ` |il! ーォii|「、 ,,.,.ィi||l|i|l|l|i|l|シ'
. | .レ' / l.| ヽ二ニ,ヽ ,/i|l||livil|||l|i|l|l|lil|l|i|l|i|i|i|l|l|l|{'
. ヽ/ ノノ <ノ {l|!|l|i|l|i|l|i|||i|i|l|i|i|i|i|l|l|!|l|l!r'
r┐,.─-、 / 7 ヾ!||i|i||i|i|l||l||i|i|l|l|l|l||l|l!イ
||し'^) ,! ┌‐' 'ー┐ト、 ``,ヘi|l|i|l|i|l|l|i|r''`''"´ i ,
|_| l´r' 7 /_7 / 」__〉 (_~`^~"゙'ヾ ノ / ,
[_] [_] 〈_/ヽ_/ .ト─' ノ / /i
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 06:50:54 ID:vj480Avo
今となれば確かにそうだな・・
見栄も体裁も大義名分も金繰り捨てて全力で潰せば良かったんだよな
相手は関東に移って地盤も固まらず
見方は豊臣恩顧の武将で溢れている・・
確かにそうだ。それしかない
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 06:52:40 ID:vj480Avo
ついでに伊達もだな
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 06:53:46 ID:vj480Avo
では実際に潰すとなれば
どうすればいいのだろうか・・?
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 06:59:34 ID:vj480Avo
まず伊達は
奥州仕置の際に絶対殺す
で、仙台には・・石田か? 加藤か? 黒田か?
う〜ん
誰が適任かな
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 07:24:03 ID:0UDPcOXq
つい最近まで徳川政権だったんだよな。
凄いな!
おれも不思議に思ってたのだが。
唐陣の前ぐらいに殿中に呼び寄せて殺し、同時に関東を征服して子飼いの武将に
分割して統治させれば済むだろうに。秀吉も家康が危険人物なのは百も承知なのに、
なんで殺しておかなかったのか不思議だ。
誰か考えられる理由を教えてくれまいか?
ジェットコースターが安全だと分かっていても乗ると怖いだろ?
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 07:51:23 ID:AL0xJSfH
三成等は、本気で政宗を抹殺したかったのだが、全部家康に横槍を入れられて邪魔をされている。
家康と政宗は常に結託しており、その不気味さを三成等は熟知していたものの、どうすることも
できなかった。
危険人物なのと同じくらい頼れる味方でもあった。
上手く御していかないと、天下なんて治められんよ。
危険と言えば一向宗なんかもまともに潰そうとすると信長の時代に恐ろしさは折り紙つきだった
だから秀吉も家康も正面から潰すんじゃなく、上手く力をそらす方向で片付けてる。
また240万石もある家康を潰そうと考えたら、いくら秀吉といえど
地方大名の総力も結集させないと、とても無理。
しかし地方大名の力も集めるには、いくら天下人といえど大義名分が必要だよ、
家康が従順な上に隙を見せない以上、下手な事は出来ない。
関東に追いやられたことで不満をもって家康が自分から反乱起こしてくれれば、
秀吉としても好都合だったろうけどね。
まあなら徳川も毛利と島津潰しときゃよかったよね
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 07:55:34 ID:S4gA69Pl
>>9 ごめん意味わかんない。
徳川潰しをするなら秀吉が天下統一した後、関ヶ原直前のような家康のように強引に叛意有りとかの情報を捏造して
それを口実に討伐すればいい。
さすがに徳川でも二十万の豊臣軍を相手には潰される他ないんじゃないか?
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 08:05:01 ID:0UDPcOXq
労多くして功少なし
て言葉知ってますか?
徳川潰しにどれくらい参加者が居ますかね?
秀吉は絶対君主じゃあるまい。
>>13 徳川を潰す事はできるだろうが、失敗する可能性もあって怖い(天下を取ったからこそ)
これで良いかな?
殿中で暗殺しちゃえばいいんだよ。
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 09:31:32 ID:/Ii9H2jj
松平歴代当主は皆さん長生きしてないしデブ家康の方が早く死ぬがこのワシは長生きすると思ってた。
よって秀忠なら楽勝で勝てると計算してた。
まさか利家が死んでもさらにさらに生きていると言う事実は想定外。
死後の世界で信長も秀吉も信玄も天下取りの秘訣については最後の最後は長生きが重要だと感じてるだろう。
ライバルが死んだ後に…自立し義元から遠州を奪い信玄死後に駿州を奪うのに始まり信長遺領の甲信を盗み巨大化。北条滅亡で関東独立王国化。
秀吉死んだ後は天下まで盗む。ひたすら待ちに待つ戦略は古今他に例を見ない。
北条早雲もあの世で得意がってる事だろう。
政宗あたりも長生きして待って待って…と思ってたら天下が安定してしまった。
関ヶ原のおりに佐竹が動いてたら面白い展開になってたんだがな。
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 09:32:50 ID:S4gA69Pl
>>14 >労多くして功少なし
最大二百五十万石が褒賞にできると思うが?
徳川家にそれだけの領地をもたせるより多数の大名に分散して持たせたほうが安全だろ。
>>15 国替えをしたばかりの時を狙えば失敗はないと思うが。
なんなら関白になってから口実を作って徳川を潰しにかかれば
多少強引でも成功すると思うな。
朝鮮へ出兵する事に比べれば遥かに抵抗は少ない
小牧長久手の頃とは比較にならないくらい政権も安定していたし
なぜ家康を捨て置いたのか非常に不可解ではあるな
潰そうと言う気配すらない
ひたすらに懐柔しようとしていた
信長時代から家康はとにかく律儀に振る舞い
秀吉の頃も日本一の律儀者と言った感じになっていたから
秀吉ですら完全にそう思い込んで、恩をかければ背くまいと考えていたのかもしれない
それもあるし、秀吉にとって警戒すべき相手は家康だけじゃないからね。
代表的なのが毛利。基本的に西国は全部怪しいし、実際秀吉の
西国への警戒の仕方はかなり厳しいものがあった。
それに比べれば家康の方が信用できると踏んだのは当時の評価からすれば、妥当な選択。
もし信長が天下統一して、信長が死ぬ前に信忠が死んで秀信が後継いだら
家康はどうしたんだろうか
地位的には織田の方面軍司令官と大差無いレベルに落ち着いてるんじゃない?
どうするかはわからんけど。
北条を倒した後すぐに難癖つけて徳川を潰したらいったい誰が関東の土地を治めるのか?
誰も怖くてこの土地を貰おうなどとは思わないだろう
日本国内に250万石の無法地帯が出来上がるわけだ
>>23 やろうと思えばできるのだ。
関東の土地も直轄領にでもしてしまえばいいのだし。
むしろ、北条を倒した後にいきなり徳川潰しにでたら、家康は北条の残党を
そそのかして関東一円で一揆を起こさせるだろうし、上杉・毛利・島津・伊達
といった、家康以上に秀吉に対して敵対した連中を「次のお前だぞ」って脅し
てして、割拠させる方向に持ってゆくだろう。
成功率は、25%くらいはあるんじゃねーかな。たぶん。
それでもやるやつはやるが、秀吉も日和気味だっかから、ビビッたんだろ。
成功すると必要以上に守勢に回るから。
まぁ、家康暗殺しちゃうのがいちばん手っ取り早いけど。
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 12:02:28 ID:Max3gBTJ
家康さえ潰しておけば豊臣政権は安定したのか?
違うだろ?
秀吉のキャラとして、弱い者には居丈高になるが、
強い者にはへいこらするところがあるようだ。
それと、万が一徳川討伐に失敗すれば小牧長久手に続いての失態で、
秀吉にとって修復不能な汚名となる。
>>25 それで完全に安定するとは限らないが、すくなくとも、こういう場合は
頭を潰すのが定石だろ。後は混乱しても、残敵掃討戦みたいなもんだし。
滅ぼす必要がないと思ったんじゃないの。
滅ぼすといってもキリがないな。
家康がいても戦争の起きないような政治力が求められる。
30 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 12:24:55 ID:+9iOJbRD
家康は別に秀吉に背いて無いよ。
当時の器量人ナンバー2ではないですか、無理に殺そうとすればそれだけ
戦国が続く、しかも負ける可能性も有る。
しかも、秀吉は戦争で家康に勝ててない。
だけども秀吉は関白太政大臣だ、関白とは公家の最高位、それに背く大義名分も
家康にも無かっただけの話だよ。
つまり秀吉の天下を助けた家康。
秀吉が死んだ後その後始末をした家康。
天下を受けついで平和な日本を作り上げた家康。
殺していたらどうなっていた事やら・・・・
それを想像出来ないほど1は無知
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 12:38:00 ID:hc3PsgYh
>>30 何故天下統一した後に家康を殺したら戦国時代に逆戻りなんだい?
てか家康が死んでも豊臣家は何にも困らないだろ。
一番の危険人物が居なくなれば秀頼でも豊臣家は守っていけるしな
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 12:38:44 ID:+9iOJbRD
秀頼と淀の馬鹿殿ぶりが豊臣家の滅亡の原因でOK?
家康が豊臣家を滅ぼしたかったなんて漫画の読みすぎです
豊臣家安泰のためには秀次の代わりに家康を滅ぼしとけば良かったんだよな
まあ結果論だが
別に家康つぶさなくても良い。
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 12:53:29 ID:+9iOJbRD
上で書いてある関東討伐に何年かかる?
関東の要所に兵を配置して、粘り強く交戦されたら
何倍の兵力差があっても早々に終わらない物だ。
局地戦に敗れたりしたら討伐したばかりの九州四国東北も
また戦乱に戻る可能性が高い。
実際問題、明朝鮮征伐にとまどった豊臣家は派閥で内乱状態
成功を続けてきた秀吉の失敗はとてもとても大きく響く物だ。
つまりは家康毛利上杉あたりの外様のでかいを潰そうとすれば
次は俺の番かと秀吉から離れるだろう。
何故秀吉が彼らを従わせ協力させてきたか、そこを知らないの
で秀吉の敵は家康なんてトンデモ言い始めるのだ。
つことは秀吉は家康をやすやすと潰せるわけがなく結局は家康に豊臣を託すことしか出来ないのか
駄目じゃん
家康にあそこまであげなきゃいい。
もっと僻地にやるとか。
武蔵、相模、伊豆三カ国にするとか
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 13:58:23 ID:Max3gBTJ
家康がいなくても他の誰かが代わりになるでしょ
まあ秀頼と淀のコンビじゃね
例え秀吉が家康潰しても三成じゃあいずれまとめきれなくなるしな
まあだから秀吉は家康を潰すのではなく、託したんだろう
実際秀吉が家康潰そうと思えば潰せるしな
わざわざ関東まで行かなくてもそれこそ大阪で因縁つければ
秀次を殺して跡継ぎが幼い秀頼の時点で豊臣政権の崩壊は決まってたな
家康が秀吉が期待したような律義者だったら存続の可能性もあったが
家康は律儀でしょう。
豊臣恩顧でもないしな。
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 19:54:00 ID:+pJVGG/p
関ヶ原の時を見る限り、
多少無茶苦茶やっても勝つ可能性が高い方に大名はつくんじゃね?
関東征伐に時間がかかり、西国の大名が騒いで群雄割拠になるかも説はわかる。
だが、関東征伐短くすませる方法もあったんじゃね?
小牧長久手で長期の物量戦に持ち込めば勝てた天下人秀吉だが、
石山に10年縛り付けられて天下に辿り着かなかった信長と
同じ轍を踏みたくなかったんだろうな。
自分一代の天下となろう事を承知で家康攻略断念、
関東に大瘤を残したまま、
恩顧の大名達を海外出兵で消耗させながら人生を閉じたせっかち者と。
>>44 九州・四国は未平定な上に紀伊の国人集も不穏な動き
こんな状況で家康相手に長期の物量戦なんて無理だろ
北条を絡めて大同団結されたらそれこそ大変だし
旗色しだいで毛利もどう転ぶかわかんないんだし怖すぎ
天下統一した後に朱元璋ぐらい徹底的にやっておけばよかった。
47 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 01:46:48 ID:iyJEkQdm
豊臣政権そのものが、家康の協力、臣従によって
成り立っていることを知ってた秀吉は、やさしかった
鬼になりきれなった。優しい秀吉も、一度は許した
佐々成政や秀次は自決させたからね。結局、家康は
秀吉存命のうちはすきをみせず、かつ、秀吉には
逆らわない武将だったから、石田としてもどうしようも
なかったのではなかろうか。
48 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 02:42:13 ID:C4Yxfejs
でも伊達だけは何とか潰したかったよな
アイツがいなければ、関ヶ原も全く状況が変わってた
別に
特に大勢に影響は無さそうなw
最上がもう少し大変だったかもしれないぐらい。
まぁ最悪最上がつぶされても、家康にはなんら問題ないな。
51 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 08:34:00 ID:Dgs9TQkK
>>48 ×アイツがいなければ、関ヶ原も全く状況が変わってた
○アイツがいたならば、関ヶ原も全く状況が変わってた
52 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 08:50:00 ID:VGo1AZ+d
上杉は伊達が怖くて南下できなかった。
三成にすれば、上杉はヘタレもいいところだな。
というか、家康が相手なら負けても格好つくけど、
結城秀康相手じゃそれでも勝てる見込みなんかないし、
勝っても利が少ないから、最上相手にコソ泥してた方が得と見たんじゃね?
義が聞いて呆れるけど。しかもその最上相手にもてこずった挙句敗走してりゃ世話無いわ。
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 17:16:03 ID:d0Ol8G3Z
秀吉は基本的に滅ぼさずに主従を求めるタイプでしょう。
宇喜多、毛利なんかにしても。だから、本能寺の変後、
あのスピードで天下統一できたとも言える。
家康滅ぼしたら、次は俺か、という輩でいっぱいになる。
織田から天下をとった秀吉だから、自分の死後、
ずっと豊臣の天下が続くとは本心では思ってなかったと思う。
>織田から天下をとった秀吉だから、自分の死後、
ずっと豊臣の天下が続くとは本心では思ってなかったと思う
そりゃそうだろw
ずっと豊臣の天下が続くと本心で思ってるほど時勢の読めない奴が
天下なんか取れっこないよw
秀吉が「豊臣は俺一代で終わりだ」
と考えてたら遺言にあんまり悲壮感ないなあ。むぅ…
秀吉厨のスレ乱立癖は相変わらずだな
以前は家康罵倒スレで罵倒し返されていたが、
今度は反実仮想スレで史実が妥当という結論
秀吉厨はみんな学生さん。
>>56 そう?逆に豊臣政権自体は自分で終わるだろうとそう考えてるからこそ、
せめて秀頼のことだけでも頼みますと重ね重ね言いながら死んでいったってのがあるんじゃない?
辞世の句も、もしあの後、豊臣政権が長くもつと考えてたら「露と消えにし・・・」なんて使うかな?
61 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/10(火) 00:14:36 ID:HjK8bEqn
秀吉の信長との差は、戦争に勝って負けた相手の器量に応じた分の領地を与える所。
相手も負けた上に領地貰えば、拒否して家族家臣無駄死させる訳にはいかない。
後は器量によって、佐々になるか家康政宗とかになるか・・・・
その辺を調べてみると秀吉は人に物あげるの大好きだ。
器量人がいればすぐ大名にしてやって、喜んでた。
領地やりすぎて、足りなくなって大陸まで欲しくなったんではないか。
徳川の譜代は政治運営はしていたがみんな10万石以下ばかりだ
これは世界的に見ても相当特殊な例だ。
徳川譜代は物土地を貰うから忠誠をつくす訳じゃ無くて、志で忠誠を尽くす
外様は石高多いが政治には関われない。
たとえば有名な三法師こと秀信は岐阜13万石、秀吉は信長の直系の孫に
たった13万石だ、それしか評価していなかった。
だけどもこれは器量に応じてあげたので逆に正しい。
家康が秀頼に器量に応じた土地を与えていれば滅ぼされなかっただろう
器量に有った以上の国が破滅の原因だと思う。
当主の器量には重臣も含まれるから、当主だけの問題じゃ無いけども。
62 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/10(火) 04:04:55 ID:75Bs8iKw
別に国内総動員で攻めなくても、
難癖つけて減封すれば良かったと思う
100万石ぐらいにしとけば簡単には動けないだろうし
応じなければ領土が隣接してる上杉・蒲生・佐竹らを中心とした
東国勢に攻めさせる。んで取った領土には他から加藤福島ら子飼いの大名を
20万石ぐらいで転封させて、彼等の旧領を討伐軍に参加した大名達に
飛び地として与えたらどう。
>>62 その難癖がなかなかつける隙も暇も無かったんでしょ。
それでいて強引にやりすぎれば潰そうとしたのと大した差は無いわけで。
そうなればこのスレの上の方と同じ結果になる。
信長の轍を踏んでどうする
65 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/10(火) 07:09:51 ID:9kJRotVT
秀吉様の深謀の分からぬヤツの多いことよ。
66 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/10(火) 07:39:56 ID:eCTifCAp
>>50 何いってんの。 伊達潰しときゃ、佐竹が完璧に背後つくでしょ、しかも上杉と連合
でくるわけよ。 家康にとって政宗は絶対必須なカードゆえ擁護しまくったわけさ。
伊達の所が空っぽになるわけじゃないっしょ。
68 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/10(火) 09:31:15 ID:8tOB+Nqd
秀吉の人の良さでFAでしょ。常識的に考えて
人が良い奴が身内を虐殺したり
あれこれ土地換えしたりするかっつーの。
政略だよ、政略。人の良さとか関係ない。
70 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/10(火) 12:03:03 ID:HjK8bEqn
俺は秀吉は人の良い人間だと思う。
人間は善良だが、戦争の名人で政略策略大好き!
そんな二面性の持ち主だと思うよ。
秀吉が政宗を殺さなかったのは、政宗の相当買って居たのだと思う。
秀頼が育った時の側近候補でも有るしな。殺して恨み残しすよりは
「奧羽の独眼竜もこの秀吉の前では赤子同然」
みたいな。
71 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/10(火) 12:12:22 ID:HjK8bEqn
徳川を滅ぼすのは実際大変だろうな。
負けても石高減らされたり飛ばされたりする程度ならともかく
家系断絶を狙っての戦いだと、皆殺しにするまで終わらない。
妥協も降伏も認め無い訳だから
秀吉家康の外様の大名の扱いを見るとそれなりに面白い
当主殺しても孫でまた家を興したり。
当主が死んだらそれを理由に石高削って飛ばしたり。
徳川だと婚姻をやりまくって、大名同士みんな親戚にしたりと
秀頼にしても、千姫と結婚しているのだから上手く立ち回れれば
問題なく家名残せたはずだ。
この辺りで史実主義者が乱入したがるんだろうけどな。
宇喜多秀家を結局殺さずにいた例をとっても、
秀頼が無能な母親の呪縛から抜け出して、お家存続のために徹底的な事大外交や
国替えに応じていれば、某天童藩主のように元天下人の家系でも生き残れる。
秀吉が家康を潰すってのは、言うなら人間が素手で虎の子を殺すような
もんだな。多分勝てるだろうけど、相手は子供でも猛獣だし。怖いから
檻の中に入れといたら、おおきくなって門番脅して檻を開けちゃったん
だよね。
表現としてなんか良いなそれ。
小説に出てきそうな例えだw
黒田如水が次の天下人を狙うと考えてた秀吉の読みも甘かったような
主君の信長も、自分を裏切るとしたら羽柴だろうと警戒してたら、
「一番優遇してた」家臣に食われた、この点では二人とも同じ。
76 :
ななしさん:2006/10/11(水) 03:48:19 ID:1FG1zpX5
秀吉がスレヌシ位の器なら家康は反乱を起こして天下を横取りしていたかも
あの秀吉が家康つぶしををやらなかったのは東国は全部家康に付く可能性も
あったのかもしれない
思っているほど簡単じゃなかった可能性も大きい
77 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/11(水) 20:27:01 ID:YYzXVq+o
というか
>>1徳川をつぶす意味がどこにある?
漏れが見る限り
豊臣政権にとって徳川は脅威でもなんでもない。
むしろ必要な存在。
問題点は豊臣の内部にあるのであって
例え難癖つけて徳川をつぶしても
豊臣が安泰どころか逆に寿命を縮める結果にしか思えないわけで
漏れからしたら
>>1の述べた徳川つぶしの言い分は
肺ガンが恐いからまずタバコ屋をつぶそうといってるような
本末転倒な話にしか思えない。
結果論で徳川が天下を取ったが、その過程はほとんど秀吉の失策
が理由で、例え徳川を排除しても逆に豊臣政権は不安定になって
政権運営が立ち行かなくなるとおもう。
78 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/11(水) 20:58:18 ID:7BgS0Wx+
>>77 禿同
黒田を危険と考えたのは無血同然で体良く乗っ取られると思ったからだろ
家康を滅ぼした後の関東は誰が治めるのか?
家康を滅ぼすためにどれほどの犠牲を払わねばならないのだろうか?
短期で攻め滅ぼせなかった場合、離反する勢力が相次ぐだろうがそれらへの対処は?
家康を滅ぼすことに成功した暁に諸将に与える褒賞は?
それにより、豊臣政権下で新たにNo.2になるものをどう抑える?
巨大な勢力を持っていれば、落ち度がなくとも滅ぼされるという不信感が蔓延するのはどうする?
家康を滅ぼしさえすれば細かいことはどうでもいいんでしょ
81 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/11(水) 21:35:12 ID:jzZZS/TN
250万石の欠地が出るから恩賞には困らないし
No.2になるほど飛び抜けた大身の大名はもういない
大身って加増されて成るのかな。
確かに、唐入りよりも
勝算も恩賞も高い軍事キャンペーンなのは言えてる>謀反捏造して徳川始末
西日本の豊臣恩顧を大量投入する点では同じ
明朝皇帝より家康と戦う方が怖い太閤って…
84 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 19:34:06 ID:nD4mQGB3
唐入り実入りあるだろ、成功すればの話だが
朝鮮半島だけで何千万石、中国大陸はそれこそ天文学的数字
秀吉にとっては見果てぬ夢
徳川なんか構っていられない
85 :
ななしさん:2006/10/12(木) 20:44:19 ID:BcUHAVQz
でもスレヌシが言っている様に家康を始末していたら
豊臣家は生き残れたかもしれないからいちがいに否定できない
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 21:50:25 ID:UTGpNRw/
秀吉は家康より蒲生氏郷を脅威に思ってたんだろ
なんつーかここのスレ主はむしろ家康を過大評価しすぎてる気がする。
成り行きによっては普通に豊臣の忠臣で終わる可能性も十二分にあったと思うよ家康は。
88 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 22:26:45 ID:NfCrVMte
>>85 豊臣家滅亡の原因は豊臣家内部にあると思うがいかに。
家康がいなくとも、第2第3の野心家によって天下を乱されるだろう。
家康も三成も天下(豊臣)を守るための関ヶ原だろ?
秀吉の政治力不足だな。
>>1 信長が秀吉をクビにしておけば、
信長の息子達は天下を取れたか?
>>90 むしろクビにするなら明智だろ。
そうすりゃ本能寺が無いだろうし信忠も死なない。
第二の本能寺があるかもしれんが信長・信忠がともに小兵で行動する機会はそうそう無いだろう。
そして家督を継いでいる信忠が天下を取ると
92 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 09:30:12 ID:biFcUZNC
>>84 実は半島も大陸(華北)も土地は広大だが石高で言えば結構少ない。
緯度的に日本より北なので米による収益が期待できない上、特に
半島は農業技術が未熟で人心も不安定。
94 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 14:43:47 ID:aW4basaz
>>92米はどこから伝わったか学んでから書き込め
それに
もし仮にそうだとしても秀吉も含めほとんどの日本人はそんなこと知らん
>>94 寒冷地で安定して米の栽培が出来るようになったのは、歴史的に
見たら最近の事ですよ。
96 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 18:06:32 ID:aW4basaz
華南だけでソースは忘れたが日本の総石高の何倍かある
97 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 19:49:00 ID:Nsi9sPnx
朝鮮半島は日本の関東東北と同緯度
冬は大陸性気候で寒いが、普通に稲作やっていただろう
日本軍を追い払ったということは、日本の農業技術を取り入れ、開発するチャンスを逃したことでもある
98 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 22:34:01 ID:32NdiFrA
>>97 そのころって、日本の農業技術>中国・朝鮮の農業技術だったの??
中国では明代まで白米を砕いて脱穀していたとか。
炊飯技術が後退してるんだよね。
100 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 01:08:40 ID:JRtC3dEA
室町時代以降は特に米作に関する農業技術で日本を越える国は
ないだろ。
あと、石高=人口だから、明の石高7000万石程度、朝鮮は
500万石程度じゃなーかな。朝鮮はまともな人口統計ないか
らよくわからんが。
101 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 13:17:30 ID:0uOFgrG3
ていうか中国&属国では米<麦なんだよね、土地柄とか歴史的に。
日本式の収益計算が通じない。
日本の農業技術というのは一農家あたりの効率と収益性なら今も
昔も世界一。ただ、その為組織的な大規模栽培というのが未発達
に終わった、という背景がある。まあ乱暴な言い方だが。
秀吉はもう少し長生きするつもりだったんだろう
103 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 14:34:41 ID:JRtC3dEA
>>101 中国は宋あたりで米>麦になっているよ。
中原の印象が強いから北>南の感覚で麦>米なんだと思うけど、
経済でも人口でも南が北を圧倒していっている。
誰を生かそうが潰そうが関係ないわな
>>100 >石高=人口
それは
「全ての国民が同じ主食を食べている」
「全ての国民が過不足なく主食が食える」
「上流階級で余剰な備蓄が発生しない」
という、ちょっと乱暴な前提があっての話な
>>97 緯度が同じだからといって同じ気候とは限らない
日本とヨーロッパを比較すれば分かると思う
大雑把に言うと南朝鮮は暖流の影響で温暖だが北朝鮮は寒流の影響で寒い
106 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 21:25:03 ID:21TdRU15
>>105 石高って、米だけで計算してないぞ。
ほかの生産物も石高に換算している。結局は、当時の計算方法での
GDPに近いものだ。
で、当時はどこの国も人口維持に必要な量≒総生産だから、人口=石高は
別に変ではない。(正確には、余剰生産があると人口が増えるんだが)
107 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/14(木) 14:42:22 ID:vqxcxzVb
淀が豊臣を滅ぼしたんだよ〜
秀吉が朝鮮の役で弱め
秀秋が潰した豊臣体制
座りしままに滅ぼすは淀君
109 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/14(木) 17:03:57 ID:mUDPqZCW
恐怖では人を縛れないって教訓を、
身をもって教えてくれた先生が秀吉にはいるじゃん。
だいたい、家康だけじゃないぞ、警戒しなきゃならん相手は。
利家だって、加賀の大藩。存在自体は家康級にヤバイ。
石高は家康の方が多くても、呼応する勢力は利家の方が上だし。(秀吉死後なら)
結果的に家康は裏切り、利家は律儀だったから、見落としがちだけどな。
警戒するなら、基本的に五大老は全員。
家康一人を的にしても仕方がない。
誰が裏切るなんて、秀吉は判らないし。
繰り返すが、危険性度は五大老は皆同じ。
全員潰すなんて非現実的だし、家康だけを潰しておけば安心なんて話でもない。
老齢で呆けた秀吉は権力欲と猜疑心の虜になり
大藩を持つ家康の存在に恐れ怯え三成に「家康を今滅ぼさないと危険です」とそそのかされ
殿中に来た家康を突然、逮捕拉致監禁し
「謀反の疑いがあるが長年の功績により大名から小名に落とす」と宣言。
近江に5万石を与え寛大な処置を取っておく
家康は対抗上、彼を尊敬する遠国大名を唆し
「遠国で謀反を起こしてくれれば、わしが洛中を一気に押え、天下を二分しようぞ」と
甘く囁き、正宗が謀反を起こすや秀吉自信が討伐に向かい留守中に謀反を起こした家康を
都の警護を任されてた利家が緊急に逮捕、普段から家康を激しく憎悪していた淀大皇は
秀吉の指図も請わないままに家康を処刑、また天下獲りに協力してくれた毛利を殺し
ロースハムを作り大名達を招いた宴で「憎しみを友にせよ」と食べる事を強要。
家康は島津を討伐する際に負った矢傷で闘病生活に入り大阪城で死去した後
「淀大后」は普段から憎んでたネネの四肢を切り落とし目を鋳潰し
トイレに人豚として飾り、それを見た秀頼は気がふれて酒に溺れる。
淀は豊臣と名の付く者を次々と謀殺し、全国の大名はことごとく
淀大后の姉妹が産んだ者に「浅井」の姓を贈って関白、征夷大将軍
各管領は「浅井」でなければなれないという慣習が出来て
「浅井」の天下が始まるのでした。
メデタシメデタシ
訂正
淀大皇→淀大皇
家康は島津を討伐→秀吉は島津を討伐
112 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/14(木) 18:28:25 ID:wTUkc2W1
三戦に帰れ
>>109 大老の中で唯一、秀吉を戦で下した男って意味では別格
114 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/14(木) 21:39:27 ID:Z8jUz6Dc
115 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/14(木) 22:44:42 ID:1GJpzbdz
>>102 つうか秀頼が出来るのが遅すぎたんでしょ、どう考えても。
唐入り前に秀頼が生まれてたらどんな手を使ってでも家康つぶしに
かかってたんじゃないかなあ。実子じゃない秀次の時は内心は天下は
回り物ぐらいの認識だったんじゃない?秀吉
116 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/14(木) 22:46:33 ID:8NpEHzhN
ガチンコでやっても秀吉は家康に勝算が無かったんだろ
>>115 家康「も」警戒してたけど、他の大名の方をより警戒してたとしか思えん。
118 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/14(木) 23:28:06 ID:mUDPqZCW
てか豊臣家内紛が悪いんだろ。
三成が家康、伊達もか警戒しすぎて、自滅に追い込んだんだろ。
正宗にも憎まれ。
120 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 03:56:58 ID:aBqrWRcI
徳川を潰したら勢力が各大老1/4になる
各大老の勢力を分散させて互いに牽制させるつもりだったんジャマイカ
それに家康があんなに長生きするとは想定外でしょ?
121 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 04:03:50 ID:pbXKQ0Oa
122 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 13:59:55 ID:3UzgLjGg
秀長が秀吉よりも長生きしていたら、家康が天下をとることもなかったなぁ
ってたまに思う
123 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 14:14:49 ID:/4oRc9FS
秀頼が生まれたら秀長も粛清されてたんじゃないかなんて思う。
124 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 14:24:04 ID:3UzgLjGg
>>123 それはありえない
秀長を殺す事は、自分の首を絞めるも同じって事を秀吉は自覚してる
それに子供がいない秀長を、なんで粛正する必要がある?
ってゆーか、仲良しなんだよ、あの二人
125 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 17:33:41 ID:VVuyT0Ax
>>124 どうかな?
秀吉は秀長のことを信頼していたが、秀次のこともそれなりに信頼はしていたんだぞ。
訓戒状付とはいえ関白職を譲るくらい。
秀頼が生まれてからの秀吉は明らかにおかしい。
朝鮮(明)征伐だって、文禄の役の頃は、見込み違いはあったが、それを是正出来る位に理性もあった。
それなのに、秀頼が生まれてからは、急にかんしゃく起こしたり、規定の方針以外の事が出来なくなったり、情勢を理解できていなかったり……
淀に薬でも盛られたか?
豊臣滅亡は生前さんざん好き勝手やった秀吉自身に依る所がおおきいだろ
増税、無意味で無計画な海外遠征、道楽のための土木工事をしまくる、
色狂い、老若男女問わず市民を虐殺、考えに沿わない身内や文化人、配下を殺しまくる
これだけやれば叛乱分子に味方する下地は秀吉存命中にすでにできあがっていたとみるほうが自然
戦前の講談や立川文庫、太閤記などによる秀吉賛美のあまり淀や秀頼が必要以上に貶められているように感じる
127 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 18:29:41 ID:bYKYkyTX
家の後継体制がああいういびつな形になったら家康でも同じことしただろうな。
まあ切腹、その妻子の処刑まではしないだろうが。
129 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 19:01:53 ID:u3ljIos/
130 :
名無しさん:2006/12/16(土) 20:20:54 ID:FdTrqTie
家康の事だから豊臣と事が起きれば味方になってくれる
大名は確保してたと思う
秀吉にしても最初は兵力では圧倒していても戦況で寝返るのも
出てくるからリスクは避けたんだろうな
131 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 21:25:45 ID:eUT29pif
>>130 で誰が味方するんだ?
せいぜい黒田、上杉、伊達、島津くらいしか思いつかないんだが
>>131 上杉はないだろ。むしろ家康とは犬猿の仲。
島津も九州征伐で助命されたことで
豊臣に対する忠誠心はかなり高い。
怪しいのは伊達くらいだな。
秀吉は痴呆や老衰のせいで戦場で機敏に指揮を取ることができなくなっていた
国外遠征なら秀吉を本国に残らせて誤魔化すこともできる
だが徳川を倒すとなると秀吉が居残るのは不自然だしそれでは統率も強固にならず勝利も難しい
だが出陣して老醜をさらせば大名から見限られるかもしれないのが怖い
所詮は豊臣に滅ぼされたくないから従っている大名がほとんどであり豊臣に心酔している人間など極わずか
だから家康を政権内に取り込んで今まで見せている律儀が演技ではなく本心であることに賭けるしか方法がなかった
134 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 22:09:24 ID:H5/wfsGo
小牧長久手の戦いでも百姓上がりの秀吉の命令を聞かず勝手に動いた武将がいたぐらいだ。
その秀吉が家臣として忠実に従っている家康を潰そうなんてしたらどうなるか。他大名が全員秀吉に不信感を抱くことになるだろう。よって秀吉が家康に難癖つけて潰すなど現実的に無理
135 :
家康:2006/12/16(土) 22:31:20 ID:qfejAVpZ
猿め儂のコトを潰せるものなら潰してみやがれ!返り討ちにしてくれよう!!凸(`、´X)
こういうバカな問いかけするスレほど、よく伸びるものだな
皮肉なことに
137 :
信長:2006/12/16(土) 22:35:29 ID:NgNDv5cq
うるせえよ、小汚え三河の小伜、尻味噌大名がwwwww
>>131 家康と上杉は関ヶ原までは特に仲悪くないどころか、そこそこ関係良好だぞ。
むしろ所領の関係上、前田との仲の方が気まずい。
なのにいきなり喧嘩吹っかけられたから景勝もびっくりだった訳で。
島津はどっちに対しても忠誠心なんか無い。
139 :
鬼作左:2006/12/16(土) 22:46:56 ID:+Oxow9oj
信長たん、天下布武とスローガン掲げて、周の王にならって稲葉山城を岐阜と名を変えて。
なんで強引なことばっかしてたの?裏切りモン続出するって、誰も付いてこないって思うぞw
天下をどうしたかったのw
四国遠征と佐々攻略の終了後が最後のチャンスだったな。
それ以降は無理ぽい。
>>141 直江状自体あったのかよくわからんけど、あるんだとしてもそれしか無い。
もし家康との仲が最初から悪くて、争いを考えてたなら、神指城の意味がわからん。
あんな中途半端な所に作らず、もっと家康の土地と離れた所で守れるように作ればいいと思うし、
鶴ヶ城を外から守る支城にする城にしてはちょっと大袈裟過ぎる。
政治的に利用する城と考える方が自然。
かと言ってこれから戦争すると言うのに名城鶴ヶ城を捨てて突貫工事の城に移転するとかだったら、
バカすぎてありえんし。結局この城は関ヶ原で工事が中断され、跡地しかない訳だけど、
その前の帰国では家康に許可を得てるし、秀忠と神指城についてのやりとりもある。
敵対国に対する城の事を敵と話すバカがいるわけない。
というかもともと上杉家は秀忠との関係も良好でこれは、江戸時代になっても続いてる。
また神指城が大袈裟とはいえ鶴ヶ城を守る支え城だと考えても、
家康が素直に進んで日光付近を抜けて北進してきたら神指城より先に鶴ヶ城についてしまうので、
戦略的にも意味不明な位置になる。
秀吉は何故徳川を潰さなかったのか?という問いは結果を先取りした無意味な問い
そのことで秀吉の落ち度を責めるのも見当違い
小学生の発想
潰さなかったのではなく、潰そうとしたが潰せなかったのだから
むしろ家康がいたにもかかわらず、
天下人におさまってしまった秀吉の手腕を評価すべき
「家康を滅ぼす」という元々不可能な課題が、
後世から見るとあたかも可能であったかのような錯覚を覚えさせるまでに、
豊臣政権を安定させた秀吉の手腕を
俺が信玄なら三方が原で絶対に家康を潰すが
小牧の戦の時に潰しとけばよかったのに。圧倒的に兵力が上だったんだし。
>>145 信玄では信長はおろか家康も滅ぼせません
小牧で無理してたら徳川は倒せたかもしれないけど、天下が取れなかったかも。
明帝に勝つのと家康に勝つのはどちらが難しいか
明帝の方が簡単だろう。だからこそ徳家討伐でなく海外派兵を最後の戦に選んだ。
151 :
名無しさん:2006/12/22(金) 00:21:55 ID:vpICNrDC
>>146 秀吉軍は寄せ集め部隊なので戦況しだいで家康に寝返り
そうなものもいたのかもしれない
実際兵力では圧倒してたが苦戦していたからな
よくよく考えれば小牧の際に家康が戦術的に圧倒した時
早々に講和話が持ち上がって成功したからいいもののあの状況で
さらに長引けば秀長の方面軍が来たとしても寝返る連中が続出するかもしれない
かなり危ない橋だったんだな
乱暴な仮定だが、未だにパックス・アメリカーナが続いているとして
アメリカ=秀吉 中国=家康 英仏露日=その他四大老 と考えてみる
アメリカが抜けて強いが、単独では世界の均衡は保てず、諸外国の協力体制が必要
アメリカが落ちぶれたとき、次に来るのは中国の可能性が高い
それを取り除くため中国に無理やりガチ戦争をふっかけた場合どうなるか
イギリス・日本あたりは味方してくれる可能性が高いが、ロシアなんて何をするかわからない
アメリカの疲弊は確実。世界のパワーバランスは大きく変わる
以前にはベトナムで間接的にだが中国に勝利できなかった、というトラウマもある
結局、勝つ可能性はどんなに大きくても6割程度の割に、リスクが大きすぎる
そんなリスクを冒すぐらいなら中国とある程度共存して少しでも自分の力を落とさず、相手の力を少しでも削ぐことを考えた方がいい
全く違う物を同列に並べるのはどうか、とか突っ込みどころは満載だけど
自分以外の大半を敵に回しても勝てるという実力を持たないトップが強大で狡猾なナンバー2を潰すことは非常に困難
ということを考えるモデルにはいいかな、と
朝鮮出兵は確実に自分の首を絞めたのは間違いないけどね
154 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 04:54:59 ID:NkI53tYZ
俺が今川義元なら絶対家康殺してたな!
の意見に近い…
徳川も三河において無理な兵員と物資供出のせいで、史料に飢饉と記されてるほどの
困窮状態に陥っているしなあ。
北条攻め以前なら徳川と羽柴が争うってのは他の大諸侯が伸びるチャンス
になるし、北条攻め以降だと、羽柴自ら落ち着いた世の中を戦乱の時代に
戻すことになりかねん。
やるなら関東移封直後に反乱を煽るのが妥当だが、その時期に徳川が潰れ
ると東海道が治まらない。
家康にしか任せられないほど人材層が薄かったっけ?豊家は>東海道が治まらない
158 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/23(土) 03:56:53 ID:ztJw9KwF
>>157 薄い。
本能寺の時点から急成長してきた新興勢力であることや、秀吉の性格や手法の問題で「じっくりと」「地道に」「耐え忍んで」ということの出来る配下が少ない。
尾藤や仙石みたいに秀吉流の「ハッタリ」をきかせて、そして失敗するものも少なくなかった。
譜代の家臣が少ないというのは単純な「忠誠心」だけでなく「御家の為」に「地道」で「地味」で「実りの少ない」いわば泥をかぶるような仕事の出来る配下が少ないということでもあり、そういう人でないと地道に内政を続け治めるというのは難しい。
駿河や遠江は難治の国というイメージはないけどそうなのか。
そういえば山内は掛川だったな。
160 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/23(土) 10:15:08 ID:2swIjf+z
豊臣恩顧なんて言ってるが譜代なんていなくて皆織田家の同僚じゃん。
大阪城の殿中で公然とサルと言われたり庭で大名に小便されてたんだから徳川を潰すことなんかそもそも無理。
だから家康を利用せざるをえなかっただけじゃん。
徳川征伐の動員令下したところで2〜3戦して羽柴方が負けて大名に離反されるだけでしょ。
それを秀吉はわかってただけでしょ。
ここの
>>1が言ってるのは三成が小牧長久手の段階で秀吉が家康をなぜ潰さなかったんだと漏らしたのと一緒。
認識能力がないだけ。
そのわりにざる
長久手の一戦を落としただけで
小牧全体の諸戦闘は秀吉が取っている訳だが
その長久手の一戦がとてつもなく重いんだよ
各所の戦闘は兵力の大きい秀吉が取って当然ではあるが
家康の本隊と当たったら途端に鬼武蔵、織田家同僚の内の最主力池田が討ち取られる状況
三倍近くの兵力、各方面のを合わせれば更に大きな兵力なのに
家康三万にあれだけ苦戦すれば地盤が脆すぎる秀吉は内から崩れる危険性が大きい
徳川方としては兵力差敵に敗北必至だが時間を稼ぎ、本隊と当たればただでは済まない
と言う印象を羽柴方に与えなければならないんだよ。あの状況では秀吉の早期講和が最もいい方法だと思う
>>162 小牧全体の諸戦闘は秀吉が取ってる?
なに言ってんの?
三介の拠点を干上がらせて勝手に講和しただけだろ。
主戦場である尾張伊勢という戦域全体でどうだという見方からすれば
162はまあ間違ってはいない。
本来は羽柴筑前VS織田三介の戦争なのに表面上は同盟のよしみで参戦した家康が馬鹿見た形だよな。
俺が将軍なら鎖国なんかしないが
鎖国したのは家康じゃないけどなw
169 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/31(日) 09:37:50 ID:DE+eOAEF
昔も今も、ある階級に到達すれば、行儀や知性や血筋に無頓着な者は淘汰される。
その現象は、世界ではズーット続いているが、日本人だけが戦後から盲目にされてきているだけ。
平成になりあまりにも酷い奴が居る事に、あからさまに廃除の動きが出て来た。永田議員のように
>>163 先に講和を持ちかけたのは実は家康側。
長久手の勝利に酔いしれて有頂天になって秀吉に
講和を呼びかけたが、秀吉に一蹴されている
(どこかのレスで長久手の戦いを第二次大戦時の
日本軍のハワイ急襲になぞらえている人がいた)。
秀吉自ら出陣すると言う段階になって、その情報を
聞きつけた家康が慌てて、講和(秀吉の臣下になると
言う条件での)に応じた。
長久手の過大評価は江戸時代に作られたものでしょう。
172 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 12:26:09 ID:eQgx2I9n
秀吉が家康を屈服させることが出来なかったから、妹の朝日姫を家康の正室にして、母親の大政所をも人質にだして
そこまでして、ようやく家康を上洛させたのだぞ、そのさい上手く身内として政権に抱き込んだ。
この過程を見ればむしろ秀吉が下手にでて、譲歩をしてる、家康にかなり気を使っていたことが読み取れると思う。
下手に出てるというか、より素早く確実に天下を取るためでしょ。
あれで秀吉が天下人になることは決定的になった。
8:2の状態から戦争が始まって、秀吉は10:0の決着を望んだけど頓挫して8:2の決着になった
家康以外の諸事情に配慮して2
175 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/03(水) 16:33:56 ID:wDECXsJN
この辺りの秀吉の家康に対する譲歩、(妹と母親の人質や以後の関東への倍増の移封)は家康の天下取りの大きな布石になっている。
家康が上杉毛利のようにさっさと降伏していれば、その他大勢の大名でしかない
なんだかんだと豊臣内閣での首相クラスの地位を得たのは、小牧長久手から北条滅亡までの過程による物だよ。
単にあらゆる手を使って、秀吉が家康を屈服させたと見えるが、秀吉も下手に出て結果損してる部分も多い
まあ両方が実を取ったとも言えるね。
忠勝様のお陰ですね
実際のところ家康は政治的に追い詰められて戦場に引っ張り出され、三方ケ原並の小便チビリそうな情勢で九死に一生の屈伏
ようやく大国の主になったというのに臣下の礼なんて飼い犬状態の信長時代だってありえなかった事だ
それでも他の大国と違って本領安堵が許される環境だった理由も信長時代の同僚みたいなもんだからという幸運もあったわけで、運がいいっちゅうか運を手繰り寄せるのがうまいっちゅうか
成果が出始めたのは秀吉死後だし、将来的な結果は後付け
普通に考えて屈伏直後の情勢を考えれば、この時点で家康が天下を取る可能性は1%もなかったと思うよ
まぁ天下を取る者ってのはそんなもんなんだろうけど
小牧長久手の時点では秀吉には実子がいないし自分の死後のことなんか考えていなかった
それに鶴松が夭折してからはもう子供はできないと思ったし秀次を可愛がっていたわけではないから
秀吉は豊臣家存続の基盤整備より海外遠征の夢を選んだ
その途中で秀頼が生まれてから初めて自分の死後の子供への天下継承を考えたわけだ
もう数十万の軍が渡海してしまって家康打倒なんて不可能だし
その前に秀次を処分しなければそもそも家康がいようがいまいが関係ない状況だ
そんな状況では結局家康に懇願するしか方法がなくなるのは当然のことだろう
唐入りの時に総大将を命じて渡海させちゃうのはどうやろか?
成功したら領土を朝鮮に、失敗したらそれを理由に大幅減封で。
家康が総大将になれば家康が日本軍の軍事指揮権を持ち渡海した全ての大名は家康の配下となる
中世になって征夷大将軍が重要になった理由の一つは軍事指揮権を握れるからであり
秀吉が現地の総大将を常に自分の養子にしたのも豊臣の軍事指揮権を守るためだ
はっきりいって関ヶ原すら起きずに家康の天下になるがそれによって淀や秀頼に諦めの気持ちが生じれば
もしかしたら豊臣家という名前自体は存続できたかもね
>>180 権威を公卿の豊臣家が保持し、天皇―豊臣(太政大臣)―徳川(太政大臣家旗下武官)
みたいなラインを構築できれば実権は奪われるだろうが、足利将軍家みたいな形で
存続できたかもね。
やはり、小牧陣で家康を完膚なきまでに潰せなかったのが
後々まで響いてるよなあ。
>>182 まぁその前に長期戦になって旧織田家の同僚達に離反されて天下どころじゃなくなるだろうな。
純粋な家来にまともなのがいないし。
小牧戦の長期化が常に徳川有利となるもんだろうか?
当然徳川方は長続きすれば疲弊するだろうけどそれよりも土台の脆すぎる
羽柴方の方が長続きは深刻だと思う。
でも徳川ってそんなに磐石だったとは思えないんだよね
現実に石川以外に裏切り者が出てないから一枚岩のように見えるけど
甲斐信濃は平定したばっかなわけだし不安要素はあったはず
長引けば家康有利とはあんま思えないんだけどな・・
戦線を膠着させている間に伊勢攻めに使ってた軍勢を美濃から信濃に攻め込ませれば
裏切りが相次いで案外あっけなく瓦解しそうな感じなんだけど・・
現実にはそれができなかったのか
長久手のように秀吉方の攻勢に常に勝利をおさめるができるということもないだろうし。
その長久手戦からして榊原康政が堀秀政に撃退されてるということもあるわけだし。。
188 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/07(日) 03:37:07 ID:L+EBTGuj
家康も長期戦は辛いが、大群率いてる秀吉はその数倍辛い、秀吉は家康の相手だけしてる立場じゃ無いからね。
信雄との和平でも秀吉の勝ちと言う奴もいるが、家康が秀吉の立場を読んでの結末だと思う。
家康にしても、秀吉を屈服させる勝利はあり得ない、粘って信雄に和平させれば、信雄の和平であり、家康は負けずに兵を引ける。
家康も当然終戦の段取りも考えての小牧長久手だ、結果、秀吉に次ぐ器量の持ち主として全国に認知された。
甲斐信濃の不安要素は真田かね、これも、秀吉家康の代理戦争みたいな物だな。
直接対決はリスク高いからな。
自己解釈で得意げに歴史語られてもなぁ。
190 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 08:48:00 ID:A5kmIjqR
何の根拠もない秀吉厨よりはましだろw
偏った歴史観の奴は家康(秀吉もだが)を感情的に嫌いすぎる、傾向があるね
秀吉の事好きでも無いのに、秀頼滅ぼした家康が狡猾だとか言ってる。
よくそんな主観的な事書けるもんだと
>>191 とにかく主観すぎるんだよな
どこで覚えてきたか知らんけど妙に秀吉側に肩入れして家康を過剰に嫌う
別に2ch内に限らず普通のweb上や戦国物の評論を書いたりする作家でも
家康だけは嫌ってあきらかに悪意のある書き方をするものがたまにある
理路整然としている論者でも家康の話題になると主観が先走る人もたまに見る
日本ではソツのない成功者叩き及び政府批判がカッコいいとされる
ワケわかんない文化がありますからね。
そもそも家康潰してても豊臣家滅亡する可能性も高いしなあ。
家康が居なくても三成が武闘派に排除されるだろうし、武闘派の豊臣恩顧連中も即権力争いだろうな。
秀吉が統一する前に戻るだけ。また戦国レースのやり直しだろうなあ。
>>192 日本の近世史教育が徳川史観で塗り固められてる物だから
文化人や歴史ファンがそれに反発するのも有る。
196 :
191:2007/01/09(火) 08:09:28 ID:S2ZGLUD3
家康擁護案外多いなw
叩かれるかと思って書いたが。
家康嫌いの人たちは比較的主観で嫌ってるからな、家康嫌いの理由として、よくあげられる方広寺鐘銘とか秀吉から天下奪ったとかも
家康側から見れば当然の策というか必然的とまで言ってよい事だしね。
関ヶ原にしても大坂の陣にしても家康が無理に起こしたとよく言うが、秀吉の残したツケを家康が天下人として処理してやってる様な物だ。
やらなきゃまた戦国に戻るのだから、当然、天下人として、日本を治める意思での処置でやってるのだ
秀吉死後と生前での家康の責任の度合いを想像してみれば、まさに次は家康しか居ないのがよく分かる。
秀頼にも三成にも責任を果たす力量は無いだからな。家康がやらなきゃ誰がやるんだって言いたい。
あくまで大老として豊家を統括していれば済んだ話。
そこを通り越して自分に天下を手繰り主家を滅ぼす権力欲は醜悪。
>>196 >家康嫌いの理由として、よくあげられる方広寺鐘銘とか秀吉から天下奪ったとかも
>家康側から見れば当然の策というか必然的とまで言ってよい事だしね。
それは違うだろ、家康側からしたら当然の策でも倫理から見てこういう謀略が嫌いな人は当然居る訳で、
家康側からしたら必然だから嫌うのはおかしい、っていう意見自体がおかしい話。
評価と好き嫌いの感情は別者だよ。
つーか
>関ヶ原にしても大坂の陣にしても家康が無理に起こしたとよく言うが、秀吉の残したツケを家康が天下人として処理してやってる様な物だ。
>やらなきゃまた戦国に戻るのだから、当然、天下人として、日本を治める意思での処置でやってるのだ
>秀吉死後と生前での家康の責任の度合いを想像してみれば、まさに次は家康しか居ないのがよく分かる。
>秀頼にも三成にも責任を果たす力量は無いだからな。家康がやらなきゃ誰がやるんだって言いたい。
とまで言っちゃう時点で君も十分に主観的ですが、正直あんま変わらんよ。
他のスレでも主観的な事書いてる癖に自分はそうでないと思い込んでる
痛い奴だから。知識そのものも歴史小説レベルのもんみたいだし。
ほんとしょうがないわ。
200げt
>>197 秀吉も惟任を討った跡に織田家の2番番頭くらいで我慢してればすんだ話。
そこを通り越して自分に天下を手繰り主家を滅ぼすどころか家来にし主筋を妾にする権力欲は醜悪。
と言うのと変わらないぞ。
つーかそれ以前に残念ながらたとえ家康と言えど、豊臣政権を持ち直す事は不可能だと思う・・・、
ぶっ壊して安定政権作る事より、崩れかかった政権を立て直す方がはるかに難しい訳で。
>>201 秀吉の乗っ取りは、筋は通してるし、何よりも家康は秀吉の墓暴きまでしてる。
家康は最低な人間でしょ。
>>203 どう筋を通してるのか知りたい。
あと豊国神社を破却はしたが墓暴きまでしてたか?
仮に墓を掘り起こしたと言うなら考えられるのは神号を取り上げたから土葬された遺骸を火葬して仏にしたってことか?
それだと埋葬形式の変更で墓暴きとは言えないよな?
>>203の言ってることは根拠もなく感情にしか見えないので墓暴きのソースと理由を教えてくれないか?
妄想や脳内変換じゃない返答で。
205 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 18:09:59 ID:0uT3f9Bd
>>203 それこそ主観通ってないか、筋が通ってるからとか・・・
まぁこういうと豊臣家はちゃんと主家を大名として残したからマシとか言われそうだが
206 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/12(金) 05:53:56 ID:9hJafBdI
家康が秀吉死後補佐だけしてたら、家康死後また戦国だろな
そしたら政宗あたりにも天下取り行けたか!
三法師を後継ぎに決めたのは清洲会議による重臣会議の結果だし、
信孝への攻撃も信孝の三法師の不当な拘留から始まり、もう一人の後見人である信雄と
丹羽・池田といった重臣と傳役である堀秀政との合同で非難して攻撃の口実を作ってるし、
その後の行動は三法師を奉戴しての行動、権力基盤が固まれば朝廷での任官をもって織田家を超越してるし、
簒奪という道義はともかくとして、名目上の筋目は通ってると思うが。
208 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/12(金) 14:17:21 ID:eJ9kyqm6
秀吉の墓壊したってちょっと調べたが、、壊されたのは豊国社だけだな
豊国神社は神号廃されたけど、神体は移されて、別の形で江戸時代にも続いてるし(明治で復活してる)
高台院は家康に高台寺建てて貰って、秀吉弔ってる。
家康の墓暴きってのは、さすがに妄想だな。
209 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/12(金) 14:59:27 ID:EmCb7vYH
>>207 つまり主筋の協力者のふりをして織田三介をだまして邪魔な織田三七を殺し
三七が死んだら用済みの三介に因縁を付け家康との戦争に踏み切り奪い取った
主君の遺産で勢力基盤を安定させてから主君の遺産の金を使って買官して
朝廷から官位を金で買って、
「俺のほうが三法師なんかより偉いんだぞ!!」
って言って織田家の勢力と財産を簒奪したと言うことだね。
ぜんぜん筋が通ってないじゃん。
210 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/12(金) 18:48:42 ID:ggBHMUPe
>『つまり』主筋の『協力者のふりをして』織田三介を『だまして邪魔な』織田三七を『殺し』
>三七が死んだら『用済みの』三介に『因縁を付け』家康との戦争に『踏み切り奪い取った』
>主君の遺産で勢力基盤を安定させてから『主君の遺産の金』を使って『買官』して
>朝廷から官位を『金で買って』、
>
>『「俺のほうが三法師なんかより偉いんだぞ!!」』
>
>『って言って』織田家の勢力と財産を『簒奪したと言うことだね。』
>ぜんぜん筋が通ってないじゃん。
自分で恣意的にそう書いたんだもん当たり前じゃん
これだから徳川厨は…
>>209 >織田三介をだまして邪魔な織田三七を殺し
騙すも何も三法師を不当に拘束してる信孝を信雄は非難しなければならないし、
>三七が死んだら用済みの三介に因縁を付け家康との戦争に踏み切り奪い取った
信雄が自分付けの家老を勝手に処罰してから秀吉に宣戦布告したのが原因だし
>主君の遺産で勢力基盤を安定させてから主君の遺産の金を使って買官して
清洲会議で配分された領土+秀吉が自分で切り取った土地だし
こういう一連の流れを秀吉はちゃんと名目立ててやってるよ、
だから行動の大義名分はあるんだよ。
家康の領国で、大量破壊兵器が見つかりました。
明までの道を明け渡せと難癖つけて出兵して政権崩壊
難癖つけた側が自分で自分の首を絞める結果になったのは豊臣とブッシュくらいか
216 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/13(土) 07:44:51 ID:Og6gMeh1
>>215 それも豊臣厨式に言えば不忠の小西行長が開戦前に秀吉をだまして朝鮮が日本に帰服してたように国内では報告してたしね。
「じゃあ朝鮮王に命じて明への道案内させい。」
とは唐入りを計画してりゃボケ老人でなくともそう言う判断になるよな。
家臣の分際で主君に嘘の重大な報告をし戦略的判断を誤らせて安易に開戦を即す判断材料を与えかつ主君を騙して屈辱的な
和平交渉を行った小西行長とその党類の石田三成は最低最悪の裏切り者w
チョンしね
>>217 反論できないとすぐチョソかw
これだから豊臣厨は。
そういや最近どっかのスレで唐入りでの小西行長最強みたいなことが書いてあったが
朝鮮以前では紀州攻めでの失敗や最終的に加藤清正に助けてもらった宇土の一揆鎮圧での軍事能力の無能さは
周知のことだけれども朝鮮では一見目覚しい武功を立てたように見えたが
鍋島直茂曰く
「17万の軍勢で1,000程度しか籠もってない城を抜いていくならバカでもできる。」
ってことでw
しかも京城を占領するまでは朝鮮には火力がなかったしさ。
それに宇土の地侍の反乱も鎮圧できず隣の加藤清正に助けてもらってたしな。
肥後半国を太閤に与えてもらった大恩ある主君に
>>216みたいなことしちゃ駄目だろ。
しかも秀吉が禁制にしたキリスト教を一旦は棄教したふりして実際は面従腹背で奉教してたし
まさに最低最悪の裏切り者w
つかなんで秀吉の家来ってこんなんばっかなの?
>>213 やったことは双方さして変わらん(相手が主筋かどうかの違いはあるが)が、手順としては
秀吉の方が周到だったってことだな。
221 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/15(月) 03:31:09 ID:uhedpXtm
>>153 国連の常任理事国って秀吉の五大老に習って
作られたそうですよ!
222 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/16(火) 09:34:51 ID:7PkokE8s
織田家時代=柴田勝家を始めとして有力武将から結構嫌われていた。
本能寺の変後=主君の仇討を果たしたが結局有力武将の派閥間で抗争開始。
派閥抗争終了後=それぞれの派閥に有能な武将が散っており、かつての自分と同様の成り上がりを採用する他なかった。
豊臣政権初期=五大老なんて任命しちゃったもんだから、再び派閥が形成される。信長とは違い、家臣が反目しながらもついてくるタイプではなかった。
豊臣政権末期=秀吉無き後に睨みを利かせていた秀吉の親友にして五大老ナンバー2の前田が死に、徳川やりたい放題
そして崩壊っと
秀吉は下層からの成り上がり。日本史では他に類がないほどの
出世すればするほど嫌われるのは仕方無い
いっそお隣中国の成り上がり皇帝の劉邦や朱元ショウみたいにめぼしい奴は粛清しまくるべきだったよな
秀吉が天下を取れたのは道義や正義じゃなくて、才幹と実力なんだから
墓暴きのソースは司馬だが
この件については分かってないことが多いらしいな。
ということは結局、墓暴きした可能性が高いってことだよな。
司馬より歴史詳しい人いる?少なくとも2chにはいないだろうね。
よって墓暴きはありましたとさ。
227 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/18(木) 07:25:41 ID:p6K5HEjq
>>226 司馬遼太郎にも間違いはあるし小説の流れ上意図的にいくつかの説の中で都合の良い説を取る事もあるだろう。
ましてや太閤びいきの関西人。豊臣方の小説書いてれば個々のキャラを立たせる為に家康を意図的に悪く書くような表現もあるだろ。
間違いの例としては城塞で北条氏直が関が原の時に生きていたことになってるしな。
>>226は大河ドラマ見て歴史に詳しくなったと勘違いしてるレベルのやつと一緒。
228 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/18(木) 08:02:43 ID:76imKLpv
柴は小説家だからな。
そもそも司馬本人がエッセイかなんかで、家康を意図的に悪者に描いていると言ってたはず。
秀吉が家康を重んじたのは、かつての同僚である織田家旧臣達への抑えという目的もあるのかな?
信長の対等な同盟者という立場だった家康が秀吉に頭を下げてる限りは、
織田氏の誰かを担ぎ上げての『秀吉の織田家に対する不義』
を大義名分にした反秀吉の挙兵はしにくくなりそうだし。
231 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/30(火) 01:37:20 ID:3x2nVWMn
秀吉は唐入りが失敗に終わった場合を想定してなかったんだろ。
関東を治めてるだけの家康はすぐ豊臣恩顧の諸大名より小さな勢力になる、と考えて。
家康遺訓の「勝事ばかり知りて、まくる事をしらざれば、害其身にいたる」が皮肉だな。
232 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/30(火) 02:57:24 ID:H7PwUTBf
>>219 追記すると関ヶ原での小西は数で劣る相手にも関わらず開戦早々に敗北色濃厚になり
小西隊はぼろぼろになり途中からは無視されるようになり
小西隊を攻撃していた部隊は優勢に戦いを進めていた
宇喜多勢に攻撃をうつしこれにより宇喜多勢は壊滅寸前になっていた
福島隊をろくに追撃できなくなりうち漏らしている。
小西バーカ
唐入りの本軍の殿って家康の予定じゃなかったけ?
家康が釜山で殿を務めていれば
宇喜多や小西まで家康閥に入ったろうな。
家康を殺していたら日本にも大航海時代があっただろうし
オーストラリアは日本人のものになっとっただろうな。
あの引きこもり大名が国主になって300年もこもっとったから
日本は取り返しのつかない大損をしたよ。
家康を生かしておいた秀吉の罪は重すぎる。
>>235 手つかずの植民可能地が山ほどあったあの時代を無為に過ごしてしまったことが
現代に至るまで日本に領土問題の苦しみを与えてる訳だからな。
その点ではたしかに家康は高評価できない。
というか、何てことしてくれたんだよあんなおいしい時代に!!。
>>237 唐入りみればわかるだろうがみんな疲れてたんだろうよ。
だから豊臣政権の人気が地に堕ちたんだろ。
日本の封建体制は海外侵略に向いていない
戦をしたらしたぶんだけ稲作ができる土地を分け与え続けなければならないから
異民族相手では戦に勝ってもすぐに土地を分配できるわけではないし
米の作れない土地なんて山ほどある
海外侵略を成功させたければ武士を解体して土地から切り離すしかないが
それを17世紀の時点でやったら日本中で反乱が起きて体制が崩壊する
加藤清正は数ヶ月ながら、京畿道の統治に成功してるけどな
>>239
>>239 大航海時代=侵略戦争って発想しかないところがすごいな
日本からただ南下するだけで広大な入植可能地帯に到達できる訳だが
そういうのを見つける可能性を含むから大航海っていうんじゃまいか?
>>237は当時の日本船の構造や航海術のことも知っててそう書いてるんだったらすごいよね。
33 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2006/08/29(火) 18:27:24
全ヨーロッパを上回る鉄砲の数でも分かるように、
家康の時代には日本に侵攻できる外敵など居ない。
家康が自発的に性能の低い船しか建造させたりしなきゃ太平洋は日本のものだった。
>>243 その33が何も知らんのよ。
なんでも家康に罪を着せたがるヤシの言うことを手放しで信じるな。
あ・・・・・・信じたいのかw
245 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/02(金) 00:11:37 ID:cxF0aHV4
>>241 南蛮諸国が先に来ている以上は入植のための南下=戦争だが?
大航海時代をただ船に乗って旅しているだけと思う発想がすごいな
247 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/02(金) 16:37:03 ID:bdZRp1XU
>>1 その瞬間に秀吉の天下は簡単に崩壊したよな。
そっちのほうが我々後世の人間には面白くて良かったのに残念だったよな。
248 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/02(金) 16:43:52 ID:Ql7WAITE
本気で徳川潰すことは無理
北条や佐竹、伊達 西は島津、長宗我部が一斉蜂起
そうなれば毛利も裏切り凄まじい包囲網が組まれて死亡
信長包囲網でさえも満足に連動できてないのに、
そんな大義名分も無い遠距離の包囲網が連動できる訳が無い、
成立さえもあやしい。
天下統一した後なんだから北条もういねーし
一年がかりで北条下したばかりなのに、さらに強大な徳川相手に城攻めしたいとは思わんだろ。
七万、八万の動員力を持つ徳川に、今度はかなりの外様大名たちが再起を賭けて協力するだろうから、また戦国に逆戻り。
どう考えても家康を潰すなんて無理。
小牧長久手で勝ってればどうにでも成ったんだろうけどね。
大名がおとなしくなったのは家康が臣従してからだろw
253 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/02(金) 17:43:19 ID:9kfvB/vk
モレが秀吉ならこっちが家康に臣従するんだがな、
そしたら逆に難癖つけられそう。
家康関東に転封した後、駿・遠・三に真田を入れとけばよかった
>>248 それぞれが勝手に戦闘行動。
統一性のない羽柴方は自己崩壊。
後は戦国に逆戻り。
256 :
255:2007/02/02(金) 19:21:55 ID:d4Ffn/Zx
アンカー間違えた。
>>255は
>>249へのレス。
>>254 当時の真田にそれだけの評価はない。
あと真田の特性は山岳地帯だから発揮できるんじゃないの?
>>256 確かに当時は秀吉自身が真田は表裏の者と言ってるし警戒心もあっただろうから現実的ではないんだけどね
ただ徳川家にとって駿遠三に真田がいる事の脅威は半端ではないだろう
真田が無理なら上杉でもいいと思うけどな
それぞれが勝手に決起という状況が空想としか思えんけど。
つまりは豊臣は徳川打倒のために諸大名に何の根回しを行わず、またはおこなっても
諸家はそれに従わないと。
見方がいかにもあれなんだよなあ。
>>259 長期戦になれば出来上がったばかりの基盤のしっかりしない政権に従うやつなんかいないだろうよ。
豊臣の直轄領と直属の軍事力考えてみな。
261 :
260:2007/02/02(金) 20:14:21 ID:d4Ffn/Zx
ついでに言えば島津には関白なんて称しているがおおかた自称だろうよ。
なんて言われているほど当時の秀吉の貫目は軽かった。
まず長期戦にならん。
徳川が決起を促すっても誰が従うんだよ、政権以前の勢力だぞ。
直轄領200万石+交易による利益+金銀山はあくまで直轄領、
それに+して秀吉に従う子飼い大名と旧織田系、そして外様。
圧倒的に豊臣>>>>>>>>>徳川
>>262 その旧織田系が一番の秀吉の不安材料だったんじゃないのか?
まぁそう思い込みたい気持ちはしょうがないとしても。
>>263 小牧長久手の時点ならともかく、
秀吉存命中の圧倒的勢力である時点の豊臣を裏切って、
徳川に付くような人物なんていないと思うけど?そんな奴いるの?
関東に移って日が浅いというのは徳川のマイナス要因じゃないかなぁ
秀吉の天下公儀の盟主という権威権力が軽いのなら
それに対抗する徳川の何が重いんだろうか?
>>266 徳川が重いのではなくて秀吉が軽すぎるんだろ。
当時の徳川よりは遥かに重いでしょう、
それに秀吉存命中は独裁政権なんで軽すぎるという事も無い。
>>237 だがいわゆる鎖国をしていなければ元禄文化や化政文化の様な素晴らしい独自の文化は
生まれず浮世絵も生まれなかったかもしれないしひいては欧州の印象派の画家も
登場しなかったかもしれないと思うと世界史的な損失。
なんの落ち度もなかった徳川滅ぼして、その後の治世に不安を残さないと思うか?
そもそも徳川が豊臣を滅ぼした大義名分が後世になってあれほど叩かれているのに
当時の大名クラスが誰一人豊臣につかなかったのはなぜだと思う?
徳川が十五年間も統治していた為今更謀反を起こしたり反逆者に荷担できなくなったんだよ
そりゃ精神的には豊臣につきたい大名は居ただろうけど豊臣につくにはあまりに
リスクが大きく勝算が皆無だったからだ。
では豊臣が北条を潰した時点で徳川攻めをろくでもない大義で攻撃したらどうか?
まず徳川には何の落ち度もない。それどころか対北条の為に婚姻を解除してまで北条戦に臨んで
くれた徳川を攻撃する時点で徳川を慕っていた外様が不信感を募らせる。
次に指揮官の問題、秀頼がやられた時と違って相手はあの信長と常に共同戦線をはってきたつわもの
その実力は小牧で三倍の兵力差があるにもかかわらず秀吉と互角の戦いを演じている徳川家康である。
さらに黄金ばら撒いて大名を懐柔していた成り上がりの秀吉と、まじめで厳格で信頼できる家康と
仕えてどっちが楽かは明白。
以上のことを踏まえて徳川征伐をしてしまった場合大規模な外様はいやでも
「次は自分か」と思ってしまう。そして落ち度の無い徳川を攻める暴挙は
信頼をなくしてしまう。秀吉側に徳川を潰す等無理
潰せたとしてもそこで豊臣政権は終わりだな、
家康ですら潰されると言う不信感を考えれば、一度は敵対している外様の信頼は確実に失う。
また東北・関東の勢力は一部を除いて基本的に秀吉に冷遇されてるので、
家康を頼りにしていた、その家康を失った彼らの信頼も失う。
中央の信頼も最早疑わしいな。
言わば桃山幕府は秀吉専制ではなく
西日本に利く豊家+東日本に利く徳家の
連合政体だったというべきなのか
朝鮮の役が成功すれば大領を得る豊家の、失敗すれば力を温存した徳家の勝ち
実際の両家勝敗は関が原より早く朝鮮出兵で決まっていたとか
○桃山政権
統治に不安が残るか残らないかはその後の統治次第。
徳川を滅ぼして不信感を募らせたところで第二の徳川が現れなければ諸大名とて
実際に行動をする気概は無いさ、また家康と秀吉の戦力差は小牧長久手以上で戦略的には
秀吉に敗北していた家康に勝ち目はまず無いし、そこまで徳川を慕う外様なんてまず存在しない、
秀吉には海外進出志向があったのと親族が少ないので大領を任せる家臣が居ないので家康にそのお鉢が廻ってきただけで、
連合体制だったなんてのは妄想に過ぎない、誰が負けると分かってる戦に従うのか・・・。
>>徳川を滅ぼして不信感を募らせたところで第二の徳川が現れなければ諸大名とて 実際に行動をする気概は無い
そう思って家臣に殺された君主が居たよな。
そうならなかった主君もいる、それだけの事。
実際に秀吉死後の家康の行動を見てみろよ、アレだけ好き放題に諸大名に難癖つけといて、
三成の扇動があって初めて半々だ、その半分も毛利・小早川・吉川は内応で転んだ。
あの当時の秀吉に遥か劣る基盤であれなら、徳川を潰すいった所で秀吉に逆らう大名がどれだけいるのか・・・。
家康ですら潰されるなら自分だけは大丈夫なんて寝言ほざける奴がどれだけ居るのよ。
家康が潰されなかったのは、四国九州が平定されてなかったから
信雄は馬鹿だ、と言われるけど戦略的に考えれば逆転は不可能な以上、秀吉の背後に不服従勢力がいるうちに講和するのは最善の手
「秀吉と唯一対等に講和した勢力」を政治的材料に別格的地位を認めさせた結果の産物だ
だから敵手転じて秀吉政権の屋台骨の一人になりおおせた
領国を二ヶ国も削られた島津氏や、大名としては消滅させられた北条氏に比べればその違いは瞭然
天下統一したら、譜代、外様問わず有力者つぶしするのは常道
秀吉は分かってても、出来なかっただけの話では
血縁者も、譜代も少なかったからな
徳川潰しても、関東を与えるやつがいない
結局、西国に監視役の譜代置くのが精一杯で
徳川の押さえに、織田の旧家臣を置かざるをえなかった
豊臣家は短期でしか維持できない政権だったんだよ
秀吉って『才』はあれども『器』にあらずってかんじ
秀吉の計画では、明も征服することになっていたから、そうなると徳川の身代は相対的に低くなる。
遠征に不参加ならむしろ好都合、と思っていたんだろうが見事に裏目に。
283 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/28(水) 14:18:12 ID:Sy95nQW7
(´・∀・`)へぇ〜
284 :
人間七七四年:2007/02/28(水) 20:21:27 ID:QOd12Wv9
過去レス読まずにカキコするけど、石松丸が夭折しなければよかったんじゃね?
285 :
人間七七四年:2007/03/19(月) 00:45:40 ID:nwPXHR2i
実際戦しても潰せなかったじゃん
286 :
人間七七四年:2007/03/22(木) 20:43:26 ID:yNOB/XQZ
287 :
人間七七四年:2007/03/23(金) 16:19:12 ID:GcRYx7fX
まあ当時、猿と狸は争うよりも、仲良くした方が良いという結論に達した訳だ。
この時点での正解だと結論でてます。
その30年後の件は猿の徳が足りなかったのが多分原因だ
288 :
人間七七四年:2007/03/23(金) 16:24:00 ID:IFK78a8S
天下統一間もない頃に家康潰しにかかったところで、果たして諸大名から
協力を得られるか微妙だろ。それこそ反豊臣連合出来かねんぞ。
289 :
人間七七四年:2007/03/23(金) 17:54:15 ID:QJh3UDUg
>>242は知らないのか?
当時の日本は、ヨーロッパまで往復できるだけの船や航海術くらいはある。
江戸期は海外渡航を徳川が禁止してたんで、半ば廃れたけどな。
まあ海戦の歴史の浅い日本じゃ
>>245が言うように瞬殺されてたかもw
290 :
人間七七四年:2007/03/23(金) 19:04:00 ID:6S7TYQN7
>>1 豊臣政権が樹立した最大の功労者が家康だという事実抜きで語るなよ。
徳川家自体が豊臣家を支えていた屋台骨だったので、潰すのは無理だ。
291 :
人間七七四年:2007/03/23(金) 20:06:09 ID:JFeZEAu7
>>289 本当にそう思ってるならたいしたものだw
292 :
人間七七四年:2007/03/23(金) 20:20:32 ID:QJh3UDUg
文章のどこら辺を指して「そう」と言ってるんだよと言いたい。
まあ日本の航海術についてだって前提で書くが、
「羅針盤」や周辺航路の「海図」がなきゃ無理とでも思ってるのかな?
293 :
人間七七四年:2007/03/23(金) 20:36:24 ID:Lrl+/xw4
そもそも豊臣政権は外様で囲まれている政権なので
その外様最強の男を敵に回すとほとんどの外様が敵に回る
朝鮮に攻めたかった秀吉も今更内乱はしたくなかっただろ
294 :
人間七七四年:2007/03/24(土) 00:55:13 ID:cTGdeMqC
秀吉はまじで家康をしんじてた
家康は今でこそ狸親父と立たれているが
それは秀吉死後の話
信長から秀吉まで、やつは律儀に義理を守り抜いて
信長や秀吉の忠実な僕だった
家康の所業が、松永久秀のような油断のならない性格なら俺だって関東に突っ込む
しかし、あの時点で家康を危険因子することはなかなか判断が難しい
ようするに騙されていたって事で
295 :
人間七七四年:2007/03/24(土) 01:14:44 ID:24SM9Jad
>>294 家康自身、人の下でも良かったが、いつの間にか天下取れそうだし
みんなが後押ししてくるし。
みたいな感じだと思う。
296 :
人間七七四年:2007/03/24(土) 01:21:16 ID:v0XovGcv
家康を朝鮮出兵させなかったことが結果的に大失敗だったな。
秀吉としたら失敗することなど考えてなくて家康には手柄(新領土)与えない、
自分の子飼に新領土与えてさらに磐石にって考えてたんだろうが、
結果的には家康は兵力温存、豊臣側は疲弊して仲間割れ、のようになってしまった。
297 :
人間七七四年:2007/04/01(日) 01:12:24 ID:tRTmfZDP
義元が死んだ後の手の平返し方をみれば、家康の変わり身の速さは昔からかと。
298 :
人間七七四年:2007/04/01(日) 08:17:14 ID:R0m738+U
そもそも無理やり頭を押さえつけられてただけだからな。
299 :
上州人:2007/04/08(日) 13:33:26 ID:04dAjQDc
1の方は家康を潰すのがいかに難しいかわかったでしょうか。
潰すとすれば、下のようになるでしょう。
家康を大阪に呼びつけ駿河の国駿府にて家康を殺した秀吉は
「おもったよりうまくいったのう、佐吉(三成)」
などと言っていた。東国に所領をもつ大名に後は命令を下すだけだ。しかし、
里見家は大筒をつんだ水軍により館山を、佐竹家も利根川で負け、水戸を水軍
に襲われ、降伏したという報が・・・。実は駿府で死んだのは影武者だった。
本物は家康1党とともに兵士どもに賄賂をわたして江戸に帰還していた。
300 :
上州人:2007/04/08(日) 14:09:23 ID:04dAjQDc
多分300とりました。
秀吉はすぐに大阪城を出た。京都にて15万の大軍をまとめ、岐阜で如水に5万
をもたせ、中仙道を進ませた。関東を手中にした家康は、高野山にいた北条氏直
をつれてきて、小田原を任せた。とはいうものの、目付けは置いた。北条
の残党を味方に入れた家康は東海の城を次々に落とした。中村一氏も処刑し、
家康びいきの東海の多くの城は5万をゆうに越える大軍に抵抗もせず降伏した
(東海は旧家康の領地)。関東防衛に数万置いたし、恐らく大丈夫。
ほぼ同兵力の秀吉と家康が三方が原で戦ったが、あとから来る毛利らの大軍
を妄想してた秀吉が負けた。
301 :
上州人:2007/04/08(日) 15:16:04 ID:04dAjQDc
すみません、上州人の妄想World。
いよいよおおづめです。家康の恐ろしさが炸裂す。
秀吉の敗戦を聞いた三河は次第に家康領となり、尾張清洲に秀吉は退く。
家康10万余は尾張長久手付近に展開し、毛利、前田、長宗我部、島津ら
の軍が到着した。総勢20万を号する大軍に膨らんだ。絶体絶命の家康
に1通の書状が。その夜、「信じまするか」などと家康陣では何事か
ささやかれてた。次の日、徳川勢が急に退却した。黒田、上杉らに襲わ
れている関東に引き返すのだ・・・島津らはそう思ったが秀吉はとりあ
わない。全軍陸路よりも3万ほどは伏兵に襲われない海路で追撃に移った
秀吉。九鬼のいる豊臣ならできる荒業である。東進は決まった。徳川勢
は長久手の地形を利用して防戦するが、劣勢である。だが、船に乗り始め
た豊臣勢に火が襲った。矢が襲った。徳川勢はいないはずだが・・・
織田信雄らが寝返ったのだ。この男、船を使うよう家臣を利用してけしか
けたのだ。渡船場は赤壁のようになった。また、秀吉本陣のほうの信雄勢
も反逆し、秀吉をおそった。信雄勢は、宇喜多勢に1時間もたたずに崩壊
させられた。だが、その間に徳川勢が豊臣勢を押しだし、豊臣勢は次々
に敗走した。秀吉は討ち死にし、豊臣の威信は地に落ち、日本中に
第2回長久手合戦の結果はたちまちのうちに伝播した。当然、
手紙の主は織田信雄であった。
私の下らぬ妄想に付き合ってくれた読者の皆さんありがとうございます。
1の方は家康を潰す大変さがこれでわかったでしょう。
302 :
人間七七四年:2007/05/14(月) 23:39:14 ID:dkUu55dk
ただ単に関ヶ原が早まるだけの話のような>秀吉vs家康
303 :
人間七七四年:2007/05/15(火) 05:38:56 ID:wWgGz12J
家康を大坂城の天守閣に連れて行って
突き落とせばいいじゃん
事故ってことにしてさ
秀吉「三河殿、天下一の名城を案内いたそうぞ」
家康「関白様自ら御案内して下さるとは、恐悦至極でございまする」
秀吉「どうじゃ天守からの眺めは?ワシはここからの眺めが好きでのう・・・」
家康「関白様の御威光が日の本中に届いておるのが見えまする」
って会話して油断してる家康を三成が突き落とせばいいさ
事故死にすれば、家康の部下も反乱は起こせないっしょw
304 :
人間七七四年:2007/05/15(火) 12:16:55 ID:yKsFicRD
スレ読まずに書き込み
結果論だろ。
毛利も島津も上杉も潰してない。
その中で大きめだった徳川が生き残ったにすぎない。
家康が危険かどうかなんてのはほんとに結果論。
305 :
人間七七四年:2007/05/15(火) 12:21:33 ID:yKsFicRD
そして俺なら
俺が信長なら難癖つけて絶対に光秀を殺すが
だな。
他の将もいろいろ難癖つけられてたし、光秀でもありだろう。
あの時点で「光秀がやばい」って気付ければだけどなぁ。
306 :
人間七七四年:2007/05/15(火) 19:38:45 ID:oox9LgsE
秀吉が天下を狙い出した時は子供がいないので死後のことなんて考えず
早く天下人になるため妥協を繰り返して大大名を残しまくった
秀次なんて可愛くもないが他にいないから仕方なく養子にしただけだし鶴松は早死にしすぎで期待外れ
そんな人間が末長い繁栄など考えるはずがない
朝鮮出兵を始めた時点では自分の死後に家康が天下をとっても秀吉にすればたいした問題ではなかった
307 :
人間七七四年:2007/05/27(日) 01:04:14 ID:AJOje0WB
普通に家康を朝鮮に送りこんで、消耗させればいいんじゃないか?
三河から北条氏の残党が残る関東へ転封されたばかりだから、領国
の管理やなんやらに不備が出てくるからそれにつけこんで土地を削っていく
のも一興だと思う。
じゃなかったら、九州と東北に分けて恩賞おあげればよかったんじゃないか?
308 :
人間七七四年:2007/05/27(日) 04:16:06 ID:BFqZDK7R
秀吉自身が朝鮮出兵をそこまで難しいものだと認識して無いんだから不可能。
嫌がっているのに連れてかれた奴などいない。
309 :
人間七七四年:2007/05/27(日) 08:35:04 ID:yKirh6FT
徳川つぶすようなことしたり政情不安を招かせたらまた日本で内乱だぞ
310 :
人間七七四年:2007/06/04(月) 19:18:22 ID:hWufKukl
オレなら徳川に睨みを効かせるために、
徳川軍に親父を殺された池田輝政を駿府に据える
山内一豊は肥後に飛ばして佐々成政と一緒に肥後一揆に巻き込ませて自害させる
311 :
人間七七四年:2007/06/04(月) 20:59:09 ID:NBVAB0bv
久しぶりに建設的な意見だな、
でも一豊なんざ無理に動かして潰す価値も無い。
こういう害の無いタイプを無理に潰さず、適当に働かしとける器量が無けりゃ天下は収まらんよ。
312 :
人間七七四年:2007/06/05(火) 20:58:24 ID:EHvnobTl
>>308 そうだよな。
秀吉の頭の中では、たぶん家康を戦場に出してしまえば
またもや家康に恩賞を与えなければならない。
これ以上あいつを巨大化させるのは危険じゃ。
たぶん、こんな思いがあったんだろうな。
日本軍が戦に負けることなんて想像していなかったんだろう。
313 :
人間七七四年:2007/06/05(火) 21:07:47 ID:ZLhd5EKJ
戦は大体勝ってたと思うけど、それだけじゃ異民族は統治できんからな
314 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 00:12:11 ID:Kga7p3hv
俺が秀吉なら・・・
養子にしていたと思われる小早川秀秋、宇喜多秀家、結城秀康を正式に豊臣家
一門として遇し、
天皇に八条宮智仁親王を即位させ、
関白に宇喜多改め豊臣秀家を任官させて
豊臣家の基盤を強化させる。
小早川秀秋よりも宇喜多秀家に関白の座を与えるべきだったと思うが。
それと、俺が信長なら・・・
明智光秀は林通勝・佐久間信盛と共に追放。
理由は(料理がまずい!)という事で。
その後、織田信忠を太政大臣・関白・征夷大将軍のどれかに任じさせ、
信長自身は国父として天皇の上に君臨する。
以上、僕の妄想でした。
315 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 01:46:56 ID:IvyA7c+f
>>314 外様の秀家を関白にするほど信用できるなら、そもそも秀次殺したりしないでしょ。
316 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 02:16:42 ID:Kga7p3hv
秀次も一旦三好の家を継いでいるので、純粋に秀吉の後継者として見るべきか
どうか・・・まあ、殺したのは確かに痛い。
ただ、ここは秀吉の死後の話。小早川秀秋に関白職を与えようとしていたわけだしね。
小早川よりは宇喜多の方が後継者の資質があると思うが・・・
親父の宇喜多直家を見てるとやっぱり信用できないと言われるかもしれんが。
317 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 02:59:14 ID:IvyA7c+f
秀次は秀吉の後継者候補とかではなく、関白を継いだ時点で既に豊臣家を正式に継いでるよ、
もちろん実権は秀吉が持ってるとは言え、秀吉の狙いとしてはそうすることで
関白が豊臣家の世襲であるという既成事実を作り上げて、権力の安定化を図っていた。
つーか秀秋に関白?いつの話?
318 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 03:17:25 ID:Kga7p3hv
関ヶ原の際に小早川を西軍に引き込むために、関白と将軍を兼任させようとしたとか。
他のスレ見てると反響があるとケンカしてる所が多いけども、僕はむしろうれしいくらい。
書き込みありがとうございます。
319 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 19:38:14 ID:ml3Tc/5X
>>313 異民族を本格的に統治するには宗教的な権威が不可欠だろう
イスラム教とかキリスト教とか、ある意味で戦前の天皇教とか
320 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 23:30:29 ID:TJLqERRB
>>319 必ずしも必須とまでは言えない気が
大帝国は築いたが、宗教は淡白な国は少なくないでしょ
321 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 23:53:05 ID:IvyA7c+f
むしろ宗教が絡むと単純な利害関係だけでは動いてくれない問題もはらんでくるから
かえって複雑になるような・・・。
現代で戦争続けてるとこなんてほとんど宗教がらみだし。
322 :
人間七七四年:2007/06/07(木) 00:21:18 ID:yikreNsL
秀吉、徳川と信雄を潰そうとしてすでに小牧長久手でやられてるじゃん。
まぁ秀吉がいなけりゃ徳川幕府は天草・ポルトガル連合軍に潰されてたわな。
323 :
人間七七四年:2007/06/07(木) 01:14:00 ID:DnG0JZiR
非常に心苦しいお知らせですが・・・
もしもオレが秀吉なら・・・信長なら・・・の書き込みをした私は・・・
徳川方です!!!
よってこのような企みは全力でたたきつぶす!!!
といって片付けてしまいたい所だが・・・
私は歴史が大好きなので、豊臣の天下・織田の天下についての案を柄にもなく
出してみました。
豊臣家は秀次が死んだ段階で、関白家から摂津大坂藩220萬石の大名家に成り下がってます。
その時点では武蔵江戸藩256萬石に家格の面で負けています。
豊臣家が徳川に対抗するには誰かを関白につけなくてはなりません。
さもないと、例え西軍が勝っても「葵 徳川三代」から引用すると、
「徳川家滅亡のあかつきには、毛利輝元殿を執政の首座に置く事」となり、
天下は毛利にうつり、毛利一門でもある小早川秀秋が関白になっていたでしょう。
いずれにしろ、外様にうつってします。
そうならない為にも、上記の案しかないと考えます。
ただ、私は徳川方なので
上記二案はつぶしますがね。
さあ、豊臣方・織田方の皆様!
ご返答やいかに!
324 :
人間七七四年:2007/06/07(木) 19:11:25 ID:OcRcO+iC
お前が誰なのかはっきりしないから、いかに!とか言われてもなぁ。
武力の無い官位持ちなんて価値ないじゃん。
所詮は大義名分のための官位なんだから、関白に据えておkとか何言ってるんだろう
と思った。
スレの主旨通り、無理やり難癖つけて潰すしかないんじゃないかと。
てことで、どんな子供染みた理由でも構わないから、100万石くらいに減らしてしまえば
いいんじゃね?
お気に入りの庭に足跡つけたとか御前で3ミリくらい前に出すぎてたとか。
325 :
人間七七四年:2007/06/07(木) 20:03:32 ID:ot5u6LLA
広大な北条領を抑える為に配置したのに無理やり改易とか減俸とかありえん
当時の見方でも関東入りはちょっと酷じゃねって見方なのにさらに辛く当るようなことがあればそれこそ豊臣政権の寿命縮める行為だぞ
326 :
平山貴士:2007/06/07(木) 23:27:43 ID:DnG0JZiR
323のつづきです。
これで、満足ですか。
さて、足利義昭の御内書で織田包囲網ができた経緯や、秀吉の養子縁組が破談
になって将軍への道が閉ざされた経緯など見ても、権威というのはあなたが思っている
以上に価値があるのです。名目を侮ってはいけませんよ。
後鳥羽上皇が追討令を出した際、北条義時自身は降伏するつもりだった話など
もありますが。(北条政子に慰留されてから戦うようになるのです。)
327 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 11:04:42 ID:UF95F/xl
つーか、家康に秀吉の妹を結婚させていたしな。
準身内の感覚だったのだろう。家康も秀吉が健在のうちは
全くボロをださなかったしな。
それに、家康以外の大名も油断のならない奴ばっかりだった。
328 :
平山貴士:2007/06/09(土) 02:38:57 ID:FChPgmt6
黒田孝高っていたでしょ?
あのひとホント油断ならない!
小早川秀秋を毛利輝元の養子にしようとしたの。子供いなかったから。
そしたら小早川隆景が「あんなバカ殿を毛利の御曹子にできるか!」てんで
策を講じたの。
まず、小早川家の人間を養子に出し、
次に、毛利元就の四男穂井田元清の子を毛利家の跡継ぎに迎えたと。
そうしておいて秀秋を小早川家に迎えたというわけです。
秀吉が恐れただけあるねえ。
329 :
平山貴士:2007/06/09(土) 02:41:34 ID:FChPgmt6
まあ豊臣恩顧の大名といってもねえ・・・
実質は織田家累代の家臣だしねえ・・・
330 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 14:17:36 ID:vtBcjpto
このスレに対する結論
秀吉は徳川の跡を養子である秀康が継ぐと考えていた。なのであえて危険を押して潰さなくて良かった。
331 :
平山貴士:2007/06/09(土) 14:41:53 ID:FChPgmt6
なるほど。
ところで私の案は
司馬遼太郎さんの「豊臣家のひとびと」をもとにして作られました。
よかったらご一読ください。
332 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 15:39:13 ID:5BO61mFQ
>>330 はて? 家康は秀忠が後を継ぐことを秀吉に認めさせてなかったっけ?
333 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 16:34:53 ID:8w80ZO2w
つーかそれ以前に結城家に出したのが他ならぬ秀吉だし、
徳川継がせるつもりなら実父に引き取らせるだろ。
この時期の秀吉は自分の子供の事しか頭に無い。
334 :
平山貴士:2007/06/10(日) 23:48:00 ID:ZApF70Dl
あーそうだったっけ。(笑)
335 :
仙台藩百姓:2007/06/11(月) 00:03:20 ID:6ofGAFoo
遺言も五大老+秀忠、利長に宛ててるおね( ^ω^)
しかも上杉、毛利よりも上に置いてるお
336 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 03:55:54 ID:5+x/4iKN
そりゃ千姫と秀頼の婚約が決まってたんだから当然。
337 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 15:16:01 ID:3MgvJNn5
338 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 22:49:12 ID:CqjYaVmI
百姓は忙しい時期だろ?
339 :
人間七七四年:2007/06/12(火) 21:06:43 ID:E1iV1wBW
>>1 結果を知ってる人間だからこそ言えることだしな〜
340 :
人間七七四年:2007/06/14(木) 10:57:42 ID:cciUjC74
豊臣秀吉=徳川家康
341 :
人間七七四年:2007/06/15(金) 20:03:20 ID:PuuWtRhB
342 :
平山貴士:2007/06/16(土) 02:58:13 ID:esY9JMXC
341番様へ。
ありがとうございます。
343 :
平山貴士:2007/06/16(土) 03:24:05 ID:esY9JMXC
豊臣家を守るために必要な事、それは・・・
伏見城を絶対に敵に渡さない事です。
別冊宝島「徳川将軍家の謎」より
「伏見城は秀吉の隠居城だといわれてきましたが、とんでもない話で、
じつによく考えられた、
攻めの姿勢が現れている秀吉の最後の本拠地なんです。
(中略)
ここ(伏見)で全部絞りあげたら、
京には余分な富も、あるいは物資も届かなくなってしまう。
京にいた甥の秀次が、
秀吉に疎まれて自暴自棄の生活をするようになり、
首を切られる口実を作ったという逸話がありますが、
もしかしたら秀吉は、
伏見にあって京に富が流れないよう締めていたのかもしれません。
ここはそういうものすごい場所なんです。」
344 :
平山貴士:2007/06/16(土) 03:27:21 ID:esY9JMXC
とりあえず秀吉の死後
誰かを伏見城に置かなくてはならんでしょう。
さて、どうしますか?
345 :
人間七七四年:2007/06/16(土) 03:44:11 ID:v5qgb5IP
>>344 そこは戦国一の義理人情に厚い男、天然鉄壁持ちの大谷警部を置くべきだろ
346 :
人間七七四年:2007/06/16(土) 09:32:54 ID:gO6oemfT
347 :
平山貴士:2007/06/17(日) 00:51:01 ID:39qE2spW
伏見城は公務執政の場です。
秀吉の遺言では
家康は伏見(城ではない)にて政務を執り行い、
前田利家は大坂にて秀頼の後見につとめる。
と、なっています。
誰に政務を行わせますか?
私の答えは314すなわち
関白宇喜多(豊臣)秀家です。
348 :
人間七七四年:2007/06/17(日) 06:35:54 ID:4U+3oIyi
秀家ごときでは誰も従ってはくれんだろうな。
349 :
人間七七四年:2007/06/17(日) 17:01:53 ID:nMxVEKaw
泳いで参ればあるいは・・・
350 :
平山貴士:2007/06/18(月) 00:43:17 ID:78jT3dTx
関白不在では・・・
豊臣が天下に号令する大義名分がなくなる。
豊臣は一大名でしかなくなる。
本当に関白不在でいいの?
351 :
人間七七四年:2007/06/18(月) 04:05:20 ID:pH3sBacv
俺竜信長のやり方。
開始早々逆桶狭間。
→信長で尾張捨てて義元に全軍突撃。
秀吉は討死したが、家康も戦死させた。この時点で徳川幕府滅亡だぜ。
遠江・駿河と苦戦するも、義元・氏真を捕らえ斬首。
しかし被害も甚大で、柴田も死んだ。
しかし最後の気力で武田に攻め込むことにした。
俺竜信長手勢3000。対する信玄本隊8500・山県率いる別働隊3000。
鉄砲隊にも関わらず、雨の中突撃開始。もろくも崩れ去り、士気も0となり潰走。
信長は善戦むなしく首が飛び、仕方ないので跡目は平手にした。
その翌月に氏康と武田が連合して攻めてきた。
俺竜平手軍には兵は数百しかおらず、あえなく尾張まで敗走。
最後は信頼していた斉藤が同盟を破棄して攻めてきやがった。
しかし俺竜平手もただでは死なん。脳姫を切って壮絶な最後を華々しく飾ったぜ。
352 :
平山貴士:2007/06/19(火) 01:03:04 ID:LYV/NPXd
破滅的やの・・・松永久秀みたいだ。
平手政秀なら桶狭間の前に死んでるはずだが・・・
353 :
人間七七四年:2007/06/20(水) 00:03:44 ID:1mm6vmY3
>>351 俺が信長だったら今川と斎藤で三国同盟締結
354 :
人間七七四年:2007/06/20(水) 13:55:17 ID:AX65yjYI
そもそも北政所のボケが女の務め(男子出産)をしてないのが原因
生んでれば家康と言えども手が出せない
それに家康は秀吉じゃなく信長なら利用されたあと南斗水鳥券で切るみたいに焼きそばにされてるだろうな
355 :
人間七七四年:2007/06/20(水) 15:28:54 ID:MxL4Wc02
秀吉は半島に目が逝った時点で終了だろ。なにをやっても思考がダメ。
小牧長久手で勝てなかった時点で終了だったのかもしれない。
356 :
人間七七四年:2007/06/20(水) 15:57:00 ID:1Axmt3v2
俺が家康なら黒船に対抗するために自然科学の研究に力を入れて
近代兵器の開発に乗り出していた。
357 :
人間七七四年:2007/06/27(水) 10:55:04 ID:FU6hk02e
わたしが秀吉なら家康に寺社造営を申し付ける
そして家康は梵鐘に「国豊安臣君康家楽」を刻んだと何癖つけて
江戸城冬の陣で外堀埋め城内の浪人どもを排除、
江戸城夏の陣で内堀も埋めて江戸城を焦土と化し家康を憤死、
秀忠を六条河原で斬首する
358 :
人間七七四年:2007/06/28(木) 01:00:57 ID:pOI2D8dv
俺が秀吉なら一生農民で終わる。
359 :
人間七七四年:2007/06/28(木) 01:44:38 ID:UCEsC1A3
>>355 小牧長久手って局地的戦術では敗北したけど全体的な戦略で見れば圧倒的秀吉の勝利なんじゃ・・・?
家康を潰せなかった理由としては徳川と戦って万が一劣勢に陥った際、信頼できない毛利・上杉の
離反を招いて信長が食らったような包囲網を形成されるのを嫌ったんだろ。
しかも徳川を相手にすると北条まで巻き込んで大乱になる恐れがあるわけで。
むしろここで論すべきはどのようにして徳川を早期的に確実に倒せるかだ。
この時期の秀吉の状況は悪い方向からみると
四国・・・・長宗我部に勢いがある。
九州・・・・島津が九州を統一する勢い。家康が屈してなくても助けを求めてくると考えられる。
中国・・・・小早川はいざ知れず、毛利全体が完全に屈してるかは不明。
北陸・・・・佐々・上杉が居て油断なら無い状況だが上杉はこの時期いまだに内乱を鎮められていない。
奥州・・・・伊達が活動開始。
関東・・・・北条の力が強大になっている。
家康からみると
織田・・・・役に立たない
北条・・・・信用できない
上杉・真田・・・・敵であろう
ってくらいか。
360 :
平山貴士:2007/06/28(木) 03:01:54 ID:p5FkkM6x
358番様へ。
あまりにも潔くて笑った。
361 :
人間七七四年:2007/06/28(木) 03:11:35 ID:iUZO8gZB
もし信長が九州〜東北まで統一したら家康の領地のほとんどを削るよ。
三河、駿河なんて要地を預け続ける事は絶対にない。
北関東か東北あたりに飛ばされたろうな。
秀吉や光秀は九州あたりに一国、勝家は北陸に一国、一益は関東に一国
そんな感じになっただろうな。
秀吉の奥州仕置きが済んだ時点で家康に難癖を付けてでも領地替えや減封を断行すべきだった。
362 :
人間七七四年:2007/06/28(木) 06:32:26 ID:Ri/MO6RI
秀吉の命で造られた凡庸人型決戦屁息・ゴエモンインパクト
363 :
人間七七四年:2007/06/28(木) 07:52:10 ID:Rhm5w9XB
猿と狸の化かしあい。
狸は化けるが猿はおナニしかできませんもの…。
364 :
人間七七四年:2007/06/28(木) 08:00:20 ID:xoc4EP2n
365 :
人間七七四年:2007/06/28(木) 09:43:36 ID:mR9ue8CM
秀吉が本気で徳川を潰す気なら、半島へ渡らせたであろう。
家康にとっては百害あって一利なし。
366 :
人間七七四年:2007/06/28(木) 10:04:52 ID:7lhqxtK7
徳川に狸汁を所望すればよい。
367 :
人間七七四年:2007/06/28(木) 11:39:12 ID:iUZO8gZB
家康を豊臣家の代官の位置から外すだけで全然違う
既に官位もなく代官から外されてれば秀頼の領地を他の大名に分け与える権利も失する。
それでも家康は謀反を起こしたかもしれないが豊臣恩顧の大名は誰一人家康になびかず
家康旗本八万旗VS秀頼になっていたであろう。
もちろん完全に敵にまわすというわけではなく中老職あたりで秀忠や秀康を使っておき
場合によっては徳川家分裂含みでかかえておく。
368 :
人間七七四年:2007/06/28(木) 11:47:16 ID:7lhqxtK7
>>367 これは大人の事情だね。
秀頼が自分の子で無いと世間に公表するのは秀吉のプライドが許さない。
ならば家康に後始末は託そうとしたのが史実だろう。
この事情が分かっていたから子飼いの正則・清正を始め多くの豊臣恩顧が
家康に加担した。
三成はこの機に乗じて天下を取ろうとしたが毛利一族の優柔不断さゆえ
勝てる戦を落としてしまった。
369 :
人間七七四年:2007/06/28(木) 13:31:48 ID:xDBY9+Kj
ガキばっかりだな。今の日本が二大政党制を謳い、例え有名無実でも民主党
を存続させているように(あんまり適切な例えじゃないが)、家康という要素
は当時の豊臣型秩序存続に必要な存在だった。
邪魔だから潰しちゃえー、ってのは後世の行動から見た「神の視点」だし、
何より他の大大名が黙ってないだろ。100万石越えの大名を複数置いた時点
で小早川にやったような地味な取り込み工作しか出来んよ。
370 :
人間七七四年:2007/06/28(木) 19:01:44 ID:uPSd3XGl
実際潰そうとして潰せなかったんだろ。
家康潰しに出たら伊達と連携して壮大な反乱起こされてただろ。
伊達なんて小田原・一揆事件・秀次連座で三回も死にそうになってるが、その度に
家康と連携して凌いでる。難癖付けて潰せるほど脆弱じゃないというのがほんとの
とこでしょう。
371 :
人間七七四年:2007/06/28(木) 19:43:26 ID:zVdKM8qV
でも政宗は虎の威を借る狐のような存在。
関ヶ原で家康が負けたら真っ先に寝返って江戸城を攻めたと思う。
372 :
人間七七四年:2007/06/28(木) 19:55:13 ID:jtT98zy2
政宗最上は秀次に擦り寄ってたしなあ。家康に与えられていた東国惣無事令の委任などの東国での優位性も
崩されつつあったというところかな。
373 :
人間七七四年:2007/06/28(木) 20:22:24 ID:wHCSfi4F
>>371 まあ至極当然だわな
家康が上杉征伐をやめ、小山から反転して西国進行始めたら
政宗は景勝との戦いを避け、関ヶ原の結果を傍観するフシあったからな
374 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 15:42:56 ID:yK8H1FzA
日本は全てうまくいったとして世界を征服する事はできたのか?
375 :
人間七七四年:2007/07/07(土) 16:09:48 ID:EDZUpByo
>>374 そりゃあ「全て」上手くいくなら世界どころか宇宙進出も不可能じゃあ
ないだろうよw
376 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 20:40:46 ID:ybRc1kpE
377 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 23:08:18 ID:lEshouPl
政宗は世渡り上手
378 :
人間七七四年:2007/09/12(水) 21:05:32 ID:X6PnSWS2
sage
379 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 14:33:57 ID:42iODFwa
>>171 >江戸時代に作られたものでしょう。
妄想乙
380 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 21:57:16 ID:HO6EGK4E
>>171 >江戸時代に作られたものでしょう。
同意
381 :
人間七七四年:2007/10/10(水) 15:51:42 ID:oGz26LwK
蝦夷一国、五百万石っていってたひといたから、蝦夷にうまく回せばよかったのでは?
382 :
人間七七四年:2007/10/10(水) 15:58:15 ID:4TJLB80T
>>370 江戸征伐ならそうなる
でも大坂城内で、家康を幽閉すればどうなる?
伊達なんて、秀吉に所領の半分以上を没収されているじゃん。
383 :
人間七七四年:2007/10/10(水) 16:28:36 ID:C4Y8hXdl
秀吉の子種が弱く、数少ない親類をことごとく滅ぼしたのが原因
遊びまくった割りにたった3人しか子供を作れず、そのうち2人は早死
譜代の家臣が居ないと言う不利を克服する為に
数少ない親類をなんとか高い官職につけて土台を固めたはいいが
トチ狂って根絶やしにして、せっかく築き上げた土台がパー。
秀頼が運よく生き残れても、傀儡にされて邪魔になったら抹殺されるだけ
史実でもまんま傀儡→抹殺の流れだし
家康に良い様にされるよりは、豊臣一族の娘を秀頼の正室として娶らせて
外戚になった一族に操られてた方がまだ良かったね
384 :
人間七七四年:2007/10/10(水) 17:18:39 ID:oGz26LwK
まぁ成り上がりはいつの時代も厳しいってことかな
385 :
人間七七四年: