上杉謙信とその周辺の国の確執

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1akira!
上杉謙信は関東に何度も出兵し、信玄と戦い、七尾城を攻略し、
手取川で織田信長をも撃破した最強の武将と言われています。
軍神と言われ、義に生きた上杉謙信について、悪いことを聞く
事が余り無いように思います。
上杉謙信に攻められた国の人(特に石川県の人に聞きたい!)
にとって上杉謙信とはどのようなイメージなのでしょうか。
それぞれの立場で意見を聞かせてください!
2名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 18:57:05 ID:XiB3iLUW
僕は2をとるために生きている
3石川県代表:2006/10/07(土) 19:00:38 ID:DzUbIQ7+
そりゃ 仕方ないさ

戦国時代だもん

アチラさんも、したくてしてる戦じゃないんだしさ・・

なんくるないさ^^
4名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 19:02:25 ID:880ooGuI
ウチの近所のあった城に住んでた城主は謙信の威光のお陰で
ここら一帯を統一する事ができた(最上氏の謀略ですぐ奪われるんだが)
謙信の影響力って凄かったんだなってのが素直な感想。
5名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 19:05:16 ID:LfHBEhAZ
新潟の英雄といったら田中角栄
6名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 19:06:47 ID:9IcoMEm0
前田が好きな武将の一人というコテコテ石川県民だが

上杉に攻められてそのままだったら恨んじゃってたかもしれないけど
前田がここまでにしてくれたから別に悪く思ってないよ
いいんじゃないでしょか
7名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 19:34:04 ID:D4l8sDkU
攻められようが悪政でもしてないかぎりは恨まないわな
8名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 19:50:19 ID:DzUbIQ7+
そもそもさ

韓国人じゃないんだから

そんな何百年も前のこと恨んでる奴なんかいねーよな

これだから信玄厨は・・
9akira!:2006/10/07(土) 19:58:36 ID:JvNi4Ael
恨んでいるとかいうのではなく、イメージを教えてください。
10名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 17:56:03 ID:MJPAhnfM
埼玉北部
武田信玄と有名な合戦をした人。
以上
11名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 18:23:18 ID:X2TxAJLZ
>>8
お前に愛国心がないだけ
12名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 18:36:15 ID:DAhk4Lzh
春は上杉
冬は北条。
13名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 22:59:37 ID:m6MLAS8j
芦名、伊達、蒲生、上杉、蒲生、加藤、保科、松平
14名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 11:56:42 ID:qkOU6jEF
>>11
日本人以外書き込まなくていいから
15名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 22:36:09 ID:l7w109u7
そういや、光秀の子孫と信長の子孫がうん百年ぶりに和解って
10年くらい前にTVやってたな
16名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 22:44:07 ID:iBaRSyB6
>>1
突っ込んでほしそうだから一応突っ込むね。
>手取川で織田信長をも撃破した
その戦には信長出陣してません。

>義に生きた上杉謙信について、悪いことを聞く事が余り無いように思います。
人身売買にアル中と、悪いうわさだらけです。
17名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 14:53:48 ID:7tHI4Vf3
人身売買は武田とか九州とかの方が上だし。
18名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 23:40:18 ID:JqlHlrgl
>16

信長出陣してなくたって織田軍の顔ぶれみれば信長いなくてもそんな変わらないんじゃない。
信長怖くって出てこれなかったんだよ。
織田軍、この時は ほんとびびりまくりながら進軍したんだろうなぁ。
秀吉は はなっから勝てないと呼んで柴田と意見がわかれたんだよ。
19名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/29(金) 00:28:03 ID:v09/nYGh
>>6
富山県民は前田家に対していい感情を抱いていないんだけどね。
加賀藩に税を納めて更に富山藩にも納めるといった二重課税を強いられていたから。
そのせいで富山県民は財産を隠し持つようになり更に石川県に対抗心を持つようになっちまったわけで。
高岡市民ぐらいじゃないかな、前田家にいい感情を抱いてるのは。
高岡は利長のおかげで銅器と漆器の街として今でも繁栄してっから。
20名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/29(金) 00:39:19 ID:33riclex
どこツツきゃ「義」なんて言葉が出てくんのかねぇ。

上野も越中も北信も、キッチリ領土化しとるやんけ。
武田と北条と織田に蚕食されて全部喪失したけど。

上杉の「乱取り」は、周辺大名の中でも群を抜いて酷いよ。
出兵時期が、越後の食料が不足する晩春の「端境期」に
集中している。動物並の「蛮族」としか言いようがない。

武田は、収穫前の「青田刈り」が多い。
上杉に比べれば、多少は政治的な意味がある。領主の顔を
潰して調略を容易にするためとかね。
21名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/29(金) 00:45:18 ID:xBJy5UKM
キッチリ領土化してないけど
22名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/29(金) 00:53:41 ID:TAmDNlC1
他の大名の場合は統治している領土。
謙信の場合、ヤクザが食い物にしてるだけ同様のシマ。
23名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/29(金) 01:22:14 ID:4pEHu8i3
まず成田長泰に謝れよバカwww
子々孫々まで謝罪と賠償しるwwwww
24名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/29(金) 03:07:13 ID:CPswGGoW
手取川の戦いも、織田は戦とも思ってないようだぞ。
25名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/30(土) 19:13:33 ID:BpFtiEgp
山形から

最上・伊達・上杉の三つの内の一つというかんじ
26名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/30(土) 19:30:25 ID:JxKrWwni
上杉って中国の北方騎馬民族みたいな感じか。
27名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/30(土) 19:57:31 ID:+mvUEOXS
同族長尾一族のいる群馬県の白井・厩橋・・総社や栃木県の足利あたりでは救世主だろ。
また上総や安房の里見ゆかりの地や常陸佐竹や岩槻太田、宇都宮あたりも悪い気はしないだろう。
なんせ関東管領上杉という名族を引き継いだ謙信の越山を要望し続けたんだから。
28名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/30(土) 20:09:23 ID:i9psqKsa
厩橋付近は風見鶏を続けてた一番顕著な辺りだよ。

里見・佐竹辺りその辺りの反北条からの評価は越相同盟の時点で地に落ちてる。
義もクソもあったもんじゃない。
29名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/30(土) 20:58:32 ID:d7nU+Mz1
義に厚いというのは事実かもしれんが謙信の場合は大名間の義だけで
領民、兵士下々のことは全く考えていない。
これが本当の義といえるのかねw

30名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/30(土) 21:26:28 ID:tPS01mTN
義ってそういう面があるんじゃないの?

大谷吉継の三成に殉じた義とか
真田雪村だか信繁だかの豊臣に捧げる義とかって
平和や民や一兵卒には名誉以外何も与えていないだろ。
義とは何かを与えるんじゃなくて何かに報いる行為だしな。
それに人がついてくるかどうか、じゃないかね。
31名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/30(土) 21:32:02 ID:i9psqKsa
まぁその大名相手にも全然報いてないけどね。

関東は完全に裏切ってるし。
32名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/31(日) 09:12:55 ID:kwTp0CfP
つまり、信玄>>>>>>>>>>>>>謙信
33名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/31(日) 20:26:39 ID:fVgp/t4/
これだから信玄厨は…なんでもかんでも無理やり貶しやがる。
同族長尾一族がいた総社・白井など上州勢は上杉憲政を越後に逃すのを手伝ったりしてたし、その憲政が捨てた上州では長野氏などが死守していた。そういう人たちは謙信の越山を待望していた。
反北条の古河公方配下なども集まり絶頂期を迎え小田原へ進軍。言わば皆さんの期待に答えたわけだ。
ただ過度な期待を謙信に持ち過ぎてた。
謙信と言えども留守の越後は心配だし冬には戻らないとならない。
そういう事情を無視してまで関東勢は謙信に要望してくる。
なんとか越山してきても労多くして利少なしにも関わらず。利根川周辺の者達は冬には北条に靡くのも仕方がない。中国でも超大国晋と楚に挟まれた弱国鄭や宋・陳といった国々は常に裏切りを働いていたが生存する為には仕方がなかった。
これを謙信の責任に押し付けるのは酷だろう。
34名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/31(日) 20:36:25 ID:YdFAFuYt
>>29
当時の日本には下々に対して行う義などない
西洋の思想に感化された現代の感覚で語るのは無意味
35名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/31(日) 20:39:28 ID:kZc0YzZk
別に謙信なんかに義なんてないと思うが
アル中に人身売買、いたずらに戦争ばかり引き起こし、兵や家臣に裏切られまくりの失政三昧じゃん
一方武田信玄は信玄堤やら堤防などの良政を敷き、家臣団の統率も人望も段違い
どう見ても信玄の足元にも及ばんよ、謙信は
人間的に見ても信玄>>>>>>>>>>>>>>>>>>謙信
36石川県人:2006/12/31(日) 20:39:51 ID:h33ofHJ9
石川県の人間は謙信にはいいイメージ持ってるよ。
石川の人間はかってに新潟を同じ北陸に属する近県と思いこんでるわけだし、
北陸の英雄だと誇りに思ってるよ。
ノブヤボをするときも上杉家が多いね。
でも新潟の人からすれば自分たちが北陸なんてつゆほどにも思ってないみたいだけどね。

あと前田家には悪いイメージ持ってる。
所詮は織田家から派遣されたよそもので、
百姓の持ちたる国、加賀に入る時に一向宗大量串刺しなど酷いことして入ってきた。
江戸時代は全国でも屈指の酷い取立て。
維新の攘夷派を虐殺して幕府を支持するも、結局は薩長軍に占領される。
しかも維新以降、前田家は石川県を去り東京の屋敷に移住してしまった。
37石川県人:2006/12/31(日) 20:53:15 ID:h33ofHJ9
あと、あくまで金沢人としての意見で
本当の能登の地元の人はどうか知らんが、
能登畠山氏とその家臣どもの
小物同士のコセコセとした争いをぶっとばしてくれたのは
むしろ胸がすく思いだ。
ああいう小物同士のコセコセとした争いがなんかいかにも石川県人の気質で嫌いだな。
維新の時もコセコセした争いしてるときに薩長の英傑たちにぶっばされたしね。

こういう引っ込み思案で粘着質で身内同士暗く固まったり策謀めぐらせたり
小物ばかりで大物が出にくいのが石川県人の気質。
ついでに自虐的なところも気質だな。

銭屋五兵衛のような英雄が出ても地元の策謀ですぐに潰しちゃうし、
森善朗は小物だ、松井秀喜は地元の英雄だが、やや暗いしね。
38石川県人:2006/12/31(日) 21:01:49 ID:h33ofHJ9
あと富山は石川同様に英雄が出にくい土地だな。
いつも大勢力に翻弄されてるイメージがある。
気質も石川県人に輪をかけて暗くてコセコセしてるように感じる。
富山の英雄と言えば藤子不二雄か。
夢のある藤子不二雄Fはともかく
粘着な藤子不二雄Aがいかにも富山人っぽい。
39名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/31(日) 21:45:01 ID:54Jc4OEv
越相同盟を結ぶ時、上杉は北条に関東を荒すなと念押ししてなかったか?
40名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 02:19:35 ID:2o+AAFdZ
お前に言われたくないわという感じだろなw
41ゲド戦記の英雄:2007/01/01(月) 03:12:55 ID:wwUZ8GDV
相越同盟黙秘録
謙信『この度の同盟誠にめでたきこと!』
氏政と愉快な仲間達『そうですな、これで関東は平和ですな!』
謙信『で、一つ忠告しておきたいんだけど。関東さ、荒らしたらダメだからね』氏政と愉快な仲間達『ちょwwwあんたさんざん荒らしたじゃんwwwしかも後始末もテキトーだしwww』
謙信『だってさ…俺って軍神じゃん?正治とかしたらダメっぽいじゃん?』
氏政と愉快な仲間達『うはwwwこの人マジでバカかもしれないwww』
42名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 03:35:32 ID:TWhRqr7i
新年早々そんな糞レス出来るのが
厨の厨たる由縁か
43名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 06:06:53 ID:oqEXeCu+
手取川の戦は小競り合い程度だし歴史を動かすような戦でもない。
44名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 12:50:21 ID:nKuPtooG
手取り川の戦いに信長も秀吉もいたんじゃないかって勝手に思っています
勝家の責任にして恥を隠した。
45名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 13:33:00 ID:KHqjXZsD
謙信は難癖つけてあちこちに喧嘩売ってるからなぁ
北条や武田相手ならまだ逃げてきた誰かのために、だからマシだけど
越中侵略は「武田と音信してるから」という言い掛かりに等しいもの
信長との同盟だって、別に織田方から信義違反があったわけでもないのにそれまでの共通的だった一向衆と組んで攻撃
さらに北条と後になって仲直りして、謙信を頼っていた豪族達をあっさり見捨てる。そしてその北条相手には土地問題で強欲ぶりを発揮した挙句救援に手を抜いて北条から見捨てられる破目に
軍神というより疫病神でしょ、これって
46名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 13:52:57 ID:7rKdmvse
しょうがないよ、謙信はバカだから
自分で自分のこと軍神軍神言ってるだけでいい加減誰からもまともに相手されてないの気付けよバカw
47名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 14:10:47 ID:KHqjXZsD
いや、自分で軍神といってたわけじゃない。毘沙門天信仰にハマってただけ
そんな恥ずかしい名前をつけたのは後世の厨レベルな奴でしょ
江戸期でさえそこまで酷くなかったはず
48名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 14:15:15 ID:AiS7eeHG
あくまでも否定したいみたいだな・・・ここまでくるとキモイ
49名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 14:04:48 ID:vJ29cju1
>>20
お前は低脳だな
長尾景虎は関東管領の上杉憲政の養子になって
上杉政虎となって関東管領職を譲り受けた史実も無視している
上杉家の養子となり、関東管領に就任した政虎が管領として
関東を治める為に、関東に出兵するのは理の当然だろう
50名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 14:12:35 ID:vJ29cju1
>>45
アホですかw
謙信の越中、能登、加賀への出兵は、北条氏政を叩く際に、加賀まで
進出してきた織田信長を叩く事で、後顧の憂いを取り除いて
北条征討の為の合戦に過ぎません

謙信にとっての第一義とは、関東管領として関東の秩序を回復する
事にあり

それを理解しない限り、上杉謙信の事は理解出来ないであろう
51名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 16:08:57 ID:ST4Hucf7
それで関東諸大名の反対押し切って北条と組んでりゃ世話無い。
52名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 20:39:22 ID:jTKoi9F5
反対してたか?
53名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 23:04:33 ID:ST4Hucf7
代表的なのは里見、このため里見義弘は武田信玄と組んで謙信にも刃向かう姿勢を見せてる。

それ以外でも関東の大名は基本的に北条家に対抗するために
頼りにしてたんだから、和睦なんかされる事を喜ぶはず無い。
54名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 23:52:19 ID:vJ29cju1
>>51
武田信玄に対抗する為のは仕方がなかった
信玄の方が謙信より戦略と治世が上だからな
しかし謙信は佐竹義重の要請を受けて北条氏政
追討の大遠征を行う直前に脳溢血で死亡
55名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 23:57:53 ID:vJ29cju1
常陸の佐竹義重は、最後まで謙信側でした
つーか佐竹氏は関東における反北条の中心
56名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/03(水) 01:21:50 ID:PPiWTtS8
謙信という人は、中央の情勢がどうであろうが、我が道を行くんだよな。
57名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/03(水) 05:35:29 ID:xbVbA3S1
佐竹がねぇ・・・。まぁいいけど。
58名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/03(水) 06:31:07 ID:EHcUEBSo
石川・富山には英雄がいないから、
謙信のような大物武将にあこがれる。
蹂躙されたことなど気にしてません。
むしろ何でもっと早く占領してくれなかったかと思ってます。
59名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/03(水) 06:37:04 ID:xbVbA3S1
そういうのはあるねw

前田利家とかってやっぱりあまり好かれてないのかな。
60名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/03(水) 14:37:25 ID:5Xx+30qX
義、という言葉は「我を美しくする」と字体を解ける
つまり謙信にとっての義とは自己の美意識の事で
民衆や他の大名豪族に対する義ではないんだよ
61名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/03(水) 15:03:42 ID:Ck368e2P
後顧の憂いを、とか〜と戦うためとかの理屈で謙信を弁護した気になってる奴、正気か?
結局、自分の都合での盟約破りじゃんか……
62名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/03(水) 18:48:54 ID:EHcUEBSo
>>59
好かれてないという事もないが、
前田利家も上杉謙信もよそものであるという事で共通してるし、
それだったら謙信の方が魅力的ではあろう。
63名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/03(水) 20:18:21 ID:YXuc3kIY
>>60
大きい羊が 美。
我、羊とならん、が義。
64名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/03(水) 20:40:49 ID:5ZQ6zd6r
>>61
関東管領である上杉謙信の任務は、関東の秩序も維持することだろう
北条氏政が下野出陣して、佐竹義重に属する諸大名を討ち、佐竹側に
属する結城晴朝から、謙信に関東への出陣要請が来ていた事は
井上鋭夫氏の研究によって既に判明している

謙信は氏政を討つ為に、乾坤一擲の大遠征((出陣予定日は3月15日)
直前の3月9日に脳溢血で倒れ、同13日に、49歳でその波瀾の生涯を
閉じたのである
65名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 10:28:37 ID:hoOX73BZ
>>64
だからそれだとその北条と手を組んだり、一向衆という緩衝地帯が未だに存在していた信長を裏切ったりしたりする必要がそもそもないだろ
謙信だって普通の裏切り上等の戦国大名だってことだ
……ってか冷静に並べれば謙信ほど盟約相手に冷淡だった大名ってむしろ少ないんじゃね
66名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 12:26:56 ID:7urTERrl
>>65
武田信玄が強かったからだよ
武田に対抗するには、北条氏康との同盟が必要だった
その後、信玄が病死、勝頼の長篠敗北で、武田家の圧力は
格段に減ったおかげで、謙信が北条討伐を行える情勢へと
天下が動き出した

そこで加賀ま進出して来た織田信長を叩いて、後顧の憂いを断ってから
北条討伐大遠征を決行しようした直前に、脳溢血で死亡

「能・越・加之儘に申し付け、越前も過半属手候条、此上者、至関左
山越為可成之」


能登、越中、越後、加賀を支配し、越前の半分も手に入れた
これらの山越えは、関東に出陣する為に行ったモノである
67名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 12:43:00 ID:+Tq0Bskt
>>65
つまり信玄に勝てなかったために長年の同盟者信長を裏切った身勝手じゃんか
しかも再度侵略する相手は一度は盟約を結んだ北条。弁護の余地、あんの?
68バナナマン:2007/01/04(木) 13:09:52 ID:APWlaba+
よって謙信は加藤清正以下である
69名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 15:06:59 ID:QGzsA2Um
だって氏康が死後に謙信との盟約を破れって遺言してるんだからしょうがないだろ。
駿河侵攻した信玄に憤った氏康が謙信に許しを請ってきたから氏康を許してやって越相同盟してやったんでしょ。
三国同盟を踏みにじった暴虐な晴信を最優先で討つための同盟なのに氏康死んだら破談なのは北条側にこそ不義がある。
70名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 15:25:31 ID:oc3F05k1
>>69
その遺言は俗説だよ。
71名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 15:25:59 ID:7urTERrl
>>68
おいおい、加藤清正のような雑魚と一緒にすんなよ
関東管領上杉謙信の第一義は、関東の治安維持だろう
72名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 15:30:42 ID:7urTERrl
上杉家全体に反北条の機運が高かったのは、謙信死後に
上杉家の当主になったのが上杉景勝であった事で明白
氏康の子で謙信の養子になった景虎は、同じく謙信の
養子になっていた景勝に滅ぼされた
73名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 15:37:37 ID:+IXy+iTk
景虎を立てようという連中も多かったのだから、
その説には納得しかねる。
むしろどうしてあれたけの連中が景虎を推したのかが疑問。
越後がほとんど半分に割れてるし。
74名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 15:59:08 ID:7urTERrl
>>73
結局景虎は滅亡して、景勝が上杉家の家督を継承した
75名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 16:45:11 ID:Z1e6FAfv
そりゃ景虎が関東管令、後北条総領に就くことを期待しちゃうだろ。
関東動乱の収拾、越後食糧不足の解消、越相同盟による対織田武田体制確立。が濡れ手だしな。

ついでに越後守護になれれば磐石だろ、反上田長尾とあいまってな。
専ら国内的要因。









しかも美形(*^_^*)だし。
76名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 19:15:32 ID:Rc8afQkb
>>69
中風の末期で遺言が残せたとはとても思えない
77名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 19:32:06 ID:7urTERrl
>>75
いくら屁理屈を述べ様とも上杉家の家督を継承したのは
上杉景勝です
そして上杉景勝は一貫として反北条氏を貫き、会津120万石の
大大名になり、豊臣政権において五大老の一人となりました
関が原の戦いにおいても、上杉勢は伊達や最上を圧倒する強さを
見せたモノの肝心の関が原で西軍が大敗した為に、30万石に減封
されて米沢藩が成立したました

また関が原の戦いの時、謙信&義重以来の盟友関係を重んじた
佐竹義宣は、徳川家康の上杉討伐に加わらず、側面から上杉家を
支援致しました
78名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 21:55:00 ID:+IXy+iTk
>>77
そりゃどうでもいい話。
勝ったのは確かに景勝だが、
勝負がついたのは景勝に人望があったからとか、
反北条が高かったとかいうのは違うと思う。
単に景勝のやり口が景虎より優れていたからじゃないのか。
景勝は腹の座ったやり方で勝利者になったんであって、
景虎は景虎で支持派もいたってこと。
79名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 23:16:01 ID:oc3F05k1
いやあ若い景勝にそんな技量があったとも思えん。
周囲が守り立てたんだろ。
80名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 03:15:01 ID:+uxRooVE
上杉厨大暴れw
これ以上恥晒すなよクズw
81名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 09:53:12 ID:IMuK0afw
北条の子が跡を継いだら、普通に家が北条に乗っ取られると思ったんじゃないの?
北条氏は中間搾取を抑えて軽税路線敷いてたから、中小領主の利権が侵害されるとかで嫌がりそうだ
82名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 23:47:10 ID:F6Daplwm
あれ?長尾には国人から収税なかったんじゃなかったっけか。
国人一揆で功労があっただけの存在で。
83名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 08:50:26 ID:a1TLg8Fz
手取川の戦いは行われていない
84名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 09:24:07 ID:n2hJ+SlP
なんで北条は景虎を支援しなかったの?
85名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 11:32:07 ID:sh474gS5
支援する気はあったんだろうけど
楽観視しすぎたんでしょ
景虎にも支持者がいるから大丈夫だ
とかなんとか
86名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 13:40:52 ID:LWL/XAZp
支援はしたけど同盟の武田に妨害されて越後に兵を進められなかったんだよー勝頼のせいだなー
87名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 16:11:25 ID:sh474gS5
>>85
いや武田は妨害はしていないでしょう
88名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 16:33:52 ID:n2hJ+SlP
北条の救援を受けて兵を出したのに
肝心の北条が出動しないんだもんな。
89名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 18:02:52 ID:JhQm4xLf
景虎は氏康の子ではなかったとか、あるいは妾腹の子だったという説もあり、
あんまり氏政には支援する意欲がなかったんだろうね。
季節が悪くなると武田にまかせて撤退している。
90名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 18:44:08 ID:n2hJ+SlP
でも身内の人間が上杉の当主となれば北条にとっても
悪くないように思えるんだが、やっぱりそう単純なものでも
ないのかな。
91名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 19:03:20 ID:JhQm4xLf
>>90
同族の争いとか所詮は上杉家臣に支えられた政権というのもあるが、
基本的には北条にとって悪くないと思うよ。

でも、とにかく北条にやる気がなかったんだよね。
何でかと聞かれてもよくはわからないんだが。
ひょっとすると当時の北条の能力では雪深い越後に遠征するのは難しかったんだろうね。
北条軍は温暖な関東での戦に適応してたのではないだろうか?
いや関東も寒いんだが雪はあまり降らないから。
92名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 19:05:26 ID:JhQm4xLf
北条は案外、遠征が苦手なのかもしれない。
安房の里見氏すら滅ぼせないんだし。
93名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 21:50:45 ID:513SHC6c
>>89
だから状況を楽観しすぎていたんでしょ
94名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 23:40:37 ID:fsJEEzPU
越相同盟の頃って謙信かなり追い込まれてた

越中の門徒、信濃には武田、関東は後北条、越後国内では本庄が反乱
まぁ信玄にまんまと動き止められたって感じだが
信玄はちなみに駿河に進出するために謙信の動きを止めた
ただその駿河侵攻が後北条を敵に回した

まぁ確かにそれまでの後北条との確執考えれば義に反するのかもしれないけど
謙信もそんなこといってられない状況だったんじゃないかな
そんなときに後北条と利害が一致したってだけの話

まぁ同盟持ちかけたのは後北条であり、交渉をまとめて
ちゃんと成功させたのは後北条の外交能力の高さを褒めるべき

義、義といってもそれにこだわって滅んでしまってはしゃあない
95名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 00:12:25 ID:xWn9hLjz
それはそうだな、小田原侵攻の失敗の後は第二次国府台合戦もあって、
一気に関東での勢力を失ってたからな。

それしかないといえばそうだったかも。
そもそも義ってどこから出た話なんだろうな。
96名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/13(土) 13:31:03 ID:zlp16JWf
>>95
甲陽軍艦だと思われ。
97名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/28(日) 16:27:57 ID:BoDiN/rG
謙信の戦争目的は略奪、とプロの研究者達が真顔で出すレベルだからな。義って何?w
98名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/28(日) 18:23:51 ID:C6xFa45C
武田信玄と北条氏康を両方いっぺんに相手してたからな
片方だけなら関東進出で関東一円のほとんどを支配下に置いたように、
どっちかを簡単に滅ぼせた

謙信は戦の天才
99名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/28(日) 22:17:50 ID:bMBsnIw7
wikiの上杉謙信項目の
「武田信玄と戦国最強の双璧をなし、
 自ら毘沙門天の転生であると信じ、(以下略)」
「(前略)電撃的かつ正確無比の速攻という軍略からか、軍神とも称される。」
の厨臭い部分に関して。
 自ら毘沙門天の転生であるとか信じていた確かな形跡なんてないだろ。
「(信仰厚い)俺がいればこそ毘沙門天も我が軍を勝利にお導き下さる。
 俺がいなければ毘沙門天(のご加護)もないぞ。
 わさわざ毘沙門堂にいかずともここで我を毘沙門天と思って、神文すればよい」
などと言っただけ。童門とかは神文させろというところを信長の総見院と勘違いしてるのか、
謙信が毘沙門天ではなく俺を拝めばいいと言ったように書き散らしているので、
それが流布されて、謙信は自分が毘沙門天だと思っていたかのような誤解を生んだだけ。

軍神の部分も、生前呼ばれたこともなければ、江戸期にもそんな呼び方をされてないんじゃないか。
武神の階なんかを読むと越後の国人たちが景虎をやたら「軍神じゃ。毘沙門天の生まれ変わりじゃ」
と崇敬して手弁当でどこまでも従軍していくようになったような描かれ方だが。
100名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/29(月) 00:20:20 ID:6lc5DYPm
>>98
小田原征伐ならもともと反北条だったけど屈服してた豪族が寝返っただけで、
謙信がどこか支配下に置いたなどという話は聞いた事が無いが。

その謙信が全く歯が立たないことが判ったので、さっさと寝返り直してるけど。
101名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/29(月) 00:41:19 ID:sx5Lafdx
>>100
上野沼田城・上野厩橋城・武蔵羽生城・下野唐沢山城・・。
越後軍が常駐していた主な城↑
102名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/29(月) 00:59:31 ID:UD1oAuPj
謙信は、武田が邪魔しなければ一両年で北条を滅ぼせたよ
103名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/29(月) 02:08:52 ID:6lc5DYPm
>>101
俺のレスと何の関係があるんだ?
104名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/29(月) 02:12:55 ID:6lc5DYPm
>>102
主要な支城を一つも落とさずに主城だけ落とせる道理はない。
実際信玄と違って、ちゃんと攻めれても居ない。
大磯付近に陣取った以上の記録は残ってない。

そして関東の兵力はゲリラ戦に自滅して瓦解、寝返り。
この状況で北条が何をされれば滅ぶのか
105名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/29(月) 04:24:46 ID:Pedj9UEF
ほうじょう→きたじょう
これで滅びる
106名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/29(月) 10:26:05 ID:Rh7PQ1g8
107名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/29(月) 11:58:20 ID:usEZgM36
謙信の小田原城攻めでは激しい戦闘があったが、実際に戦ってたのは太田勢などの関東諸衆
謙信と子飼いの兵は進んで戦った形跡が無い。せいぜい敵前での弁当喰いとかの度胸試しエピソードがあるだけ
退却の直接の理由も佐竹や太田が「陣中に寝返りの動きがあるから」だし
北条氏の反撃と追撃戦をほとんど支えられず、再寝返りは続出するし
ちょっと崩れ方が異常
関東諸侯が謙信への「善意と期待」で参陣したのを被官化したと勘違いして酷使したのが悪かったんだろう
108107:2007/01/29(月) 12:00:18 ID:usEZgM36
×「陣中に寝返りの動きがあるから」だし
○「陣中に寝返りの動きがあるから」という進言だし

なんか佐竹や太田が寝返りしそうになったように書いてしまった
どちらも謙信が後北条と組んで関東諸侯を見捨てるまでは謙信に協力した勢力
109名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/29(月) 12:36:56 ID:sx5Lafdx
>>107
大坂の陣でも豊臣秀吉の小田原攻めでも、総大将の本隊は後方にいるもんだが。


110名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/29(月) 12:41:09 ID:usEZgM36
>>109
だけど豊臣本隊は戦ったじゃん
箱根攻めでは一柳直末などの大身の直臣が戦死しているほど
豊臣家ですらそれなのに、俄か管領が豪族を酷使したらそりゃ見放されるって
111名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/29(月) 14:21:31 ID:XKIWlL1D
>豊臣家ですら

どこの馬の骨でつか?
俄か関白ではないと?
112名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/29(月) 14:32:57 ID:noYJiRvP
>>111俄かだから、主君とその直轄軍が苦労をしてみせないといけないということだ
11万も集めて北条氏を倒せなかった上、他人に戦争やらせてばかり
おまけに成田氏が源氏の棟梁に対しても馬上礼を許された名家であることを知らず、勝手に怒って無礼を働いた
実力的にも成果を示せず、諸侯の面子を軽視する姿勢を見せればそりゃ離散しないほうがおかしい
113名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/29(月) 17:33:02 ID:sx5Lafdx
>>112
成田は失敗だと思うが、上野平井城・武蔵松山城を攻め落として小田原城に達したので戦果はあると思うよ。
越後軍8千で烏合の衆11万人を統率するから、越後軍が打撃を蒙ると味方が勝手に総崩れする場合がある。
または裏切りで、前面の北条軍と挟み撃ちに遭う

114名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/29(月) 17:34:07 ID:sx5Lafdx
だから最前線には立ちにくいかと
115名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/29(月) 19:58:25 ID:FAfjfdrH
成田って…そんなの信じてるの?
116名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/29(月) 20:27:33 ID:6lc5DYPm
>>113
>>越後軍8千で烏合の衆11万人を統率するから、越後軍が打撃を蒙ると味方が勝手に総崩れする場合がある。
または裏切りで、前面の北条軍と挟み撃ちに遭う

損害をこうむったからまさにその通りになったんじゃないの?

後10万以上の兵力で謙信自身が廃城にしてしまった捨て城の平井城と、
松山城主はもともと扇谷上杉家の上田家の城、それを取って喜ばれても・・・、
その辺は上野の緩衝地で初めからまだ北条領とは言えない場所。
117名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/29(月) 21:12:44 ID:sx5Lafdx
>>116
>上野の緩衝地

謙信が関東へ出陣する前は、三国峠まで北条領でしたよ。
118名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/29(月) 21:15:33 ID:6lc5DYPm
>>117
勢力優勢だった北条家に上野の豪族がなびいてただけ。
まだまだ安定には程遠い。直接支配なんて無論まだまだ。
119名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/29(月) 21:20:44 ID:sx5Lafdx
>>117
だったら緩衝地帯という表現は変だろ
120名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/29(月) 21:43:51 ID:6lc5DYPm
>>119
北条家がこの辺りに入って来たの自体1550年代からだし、
長尾家も当然、その後も行動を示している。
とは言えどちらも主力が来るには至ってない時期なので、
結局その地の豪族が日和見決め込んでる状況=緩衝地帯ということ。
121名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/29(月) 23:08:48 ID:sx5Lafdx
>>120
つまり謙信が関東へ出兵したから、上野国が緩衝地帯になったと
北条に一定の歯止めをかけたという意味では、謙信の成果になるのでは
122名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/29(月) 23:30:40 ID:Bo2b5CV6
どうでもいいが
11万5000なんて集まるとは思えない
実際は5、6万ぐらいだろ
123名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/29(月) 23:40:44 ID:gI5j5yh6
>>122
関東幕注文(上杉文書記載の250将)をもとに、各大名小名家の史料を検証するといいよ。
永禄7〜8年の「関東味方衆」(上杉輝虎文書)で、関東25将・概算4千騎(兵は2万〜3万)らしい。

124名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/30(火) 01:17:37 ID:QiCLSa7h
>>121
そうじゃない、小田原城攻めの前から既にそういう状況だったので小田原攻めの成果とするにはちょっと微妙すぎる。
しかも小田原攻めが終われば普通に北条にいってるだけにますます微妙。

結局この辺は、武田も混ざってくるので、落ち着いてた試しなんかないし、
要所である厩橋城でさえあっちいったりこっち行ったりしてる。
125名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/30(火) 08:10:22 ID:+ofapNwT
篭城戦は攻撃側が3倍の兵がいるといわれている
北条軍が最大で3万だったわけだから、9万あれば落とせる計算
百歩譲ってそれは無理だったとしても、北条軍の反撃を阻止できず占領地ほとんど奪い返されてるって言うのはちょっとなぁ……
126名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/30(火) 12:40:07 ID:OQ2ebVSx
謙信の目的は略奪・人攫いを領民にやらせて食わせること
味方からは略奪できないから、この意味では敵は多ければ多いほうが良い
だから戦略目的の一貫性もなくあちこちに喧嘩吹っかけてまわったんだろうW
127名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/31(水) 14:23:01 ID:49NrW9z7
>>126
略奪のための遠征説はここ一年ぐらいネットでよく聞く説だけれど、
一般の兵卒はそれでいいかも知れないが、
(それにしても略奪は、「出来たら役得」ぐらいなもので、
 実際には略奪を目的にした侵攻なんて難しそう)
それを率いる国人衆は何の利益にもならないのでは。
128名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/01(木) 13:28:58 ID:o6HK/e9e
>>127
だから国人層から反乱や離反が多発したんじゃないの?
川中島合戦の恩賞不足を愚痴った武将が殺されたり、その愚痴相手だった本庄が謀反したり
逆に謙信の戦略が安定して、北陸制圧一本槍に絞られる傾向が見えてからはこういった問題は目に見えて減少してるでしょ
129名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/02(金) 02:32:30 ID:yExKsNzd
神奈川県民的には上杉謙信(笑)って感じ。
小田原なめんな!!
130名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/02(金) 07:54:16 ID:/xBBN9LW
新潟出身神奈川在住の俺
131名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/02(金) 09:34:52 ID:M/4RXW43
上杉家はもともと神奈川出身だし、謙信の祖先の長尾家も
神奈川の長尾台が拠点だったんだろ?
132名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/02(金) 11:14:36 ID:FTIoVzuO
謙信軍が「相州亡国」といわれるほど略奪したからなぁ
地元出身なら尚更腹立つだろ
一応、弁護すると謙信も略奪を統制しようと制札を出してるが
11万の軍勢、しかも寄せ集めじゃあ明らかに謙信の能力を超えてる罠
133名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/02(金) 11:19:44 ID:yQuE41+E
え、謙信自ら奴隷市場を切り盛りしていたと文献にあるが
身代金は他に比べ格安だったとか
134名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/02(金) 11:37:20 ID:FTIoVzuO
>>133
それは小田城攻略の時の話
>>132は小田原包囲陣の時の事
135名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/03(土) 00:09:35 ID:2yuHyG+m
新潟(長尾)、茨城(佐竹)、千葉(里美)、群馬(長野)VS神奈川(北条)
136名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/03(土) 07:50:45 ID:XgrXlBkW
里『見』だ。二度と間違えんなよ
137名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/03(土) 19:04:59 ID:2yuHyG+m
北条「すまんね里三君」
138名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/03(土) 22:38:39 ID:IcaoudeY
藤木久志『雑兵たちの戦場』(朝日新聞社、1995年)を要約すると、

上杉謙信は関東に12回出兵していて、その内の10回は、
晩秋に出かけて年を超し、春か夏に帰る冬春型(長期越冬型)が多い。

明らかに戦いには季節性がある。

冬場の働き口などどこにもなく、まして飢饉・凶作の続いた戦国の村々に
とって、農閑期・端境期の戦場はたった一つの「口減らし」の場。

農閑期になると、謙信は戦争を正当化し、越後の人々を率いて雪の国境を
超えた。収穫を終えたばかりの雪もない関東では、かりに補給が絶えても
何とか食いつなぎ、乱取りもそこそこの稼ぎになった。


139名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/03(土) 22:45:50 ID:tWbOCgGo
>>137
北条w
140名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/03(土) 22:48:46 ID:MiZrmQGF
寒いところは大変だね
141名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/04(日) 09:32:53 ID:hl4iNRwR
なんで11万(笑)の軍勢が本当に集まったみたいな論調の奴が多いんだ?
142名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/05(月) 02:54:18 ID:ePcYffh2
手取川でも戦い起こってないし
143名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/05(月) 14:01:14 ID:f+aYbP4j
鎌倉九代記・関八州古戦録で11万3000と書いてあるからじゃないの?
他に7万とか9万とか諸説はあるけど
いずれにしても雑役夫とかの一時雇いの非戦闘員を入れたと仮定したとしても途方も無い数
せいぜい1万程度しか本隊兵力がいない謙信じゃあ統制不能なのも当然
144名無し議論スレにて投票方法審議中 :2007/02/06(火) 19:18:37 ID:o7nznIQv
>>133
そういう文献ってどこにあるんですかね?
謙信のことを調べようとすればするほど謙信マンセーのものばかり出てくるので
教えて頂ければ幸いです
145名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/19(月) 02:16:39 ID:mk6oH8sU
謙信の戦いには季節性があるっていうけど、それは昔から言われている
ことだ。川中島の戦いもそうだよ。

手取り川の戦いは、信長、秀吉ではなく柴田勝家と戦闘があったと思われる。
秀吉が勝手に戦線離脱したから、柴田軍は混乱して謙信との戦闘どころ
ではなかったのでは。
146人間七七四年:2007/02/19(月) 08:49:52 ID://xZLte6
>>144
「別本和光院和漢合運」(「越佐史料」収録)
藤木久志「雑兵たちの戦場」にも解説が載っている。
武田信玄(「勝山記」「軍鑑」に高値で奴隷売買した例が満載)よりマシだと思うがね。
147人間七七四年:2007/02/19(月) 10:30:28 ID:F6+CLbt1
>>145
信長公記に記述がない
北陸の寺社にもまったく記録がない
手取川では戦闘がなかったんだろ
148人間七七四年:2007/03/03(土) 03:05:27 ID:1o5rbpm0
そうそう、兎ぶ長公記を見ないとwww
149人間七七四年:2007/03/03(土) 15:03:06 ID:VYpHoDh2
手取川合戦じたいの存在は怪しくても、
織田勢が撤退したのは事実だろ
150人間七七四年:2007/03/03(土) 18:18:14 ID:lej04zKJ
いずれにせよスレ違いだから、「手取川合戦」のスレへ移って論争したら。
151人間七七四年:2007/03/03(土) 20:13:52 ID:wTSEVXae
なんで奴隷の値段の高下でマシとかマシじゃないとかいえるんだ
やってることは同じなのに
これが贔屓を通り越した厨というものかw
152人間七七四年:2007/03/03(土) 20:20:26 ID:mcf419ec
五十歩百歩ほどの違いはある
153人間七七四年:2007/03/04(日) 15:17:44 ID:YnkHweJU
藤木久志氏は黒田基樹氏と「定本・北条氏康」を著している人だよね。
ところで後北条氏は関東管領上杉氏、里見氏、佐竹氏・・・の支配地域に
侵攻しおびただしい死傷者を出していることは不問なの。

時は400年以上も前の戦国時代、虐殺あり、謀略あり、寺院の焼き討ち
あり、何でもありだよ。
154人間七七四年:2007/03/04(日) 15:46:02 ID:qxuoaOST
藤木久志氏は略奪があったと言っているだけで
略奪を非難しているわけではない
もしかして現在の価値観で人狩りや侵略は
悪いことだと思っている?
昔はそれが普通なんだよ
朝起きたらご飯食べる
これと同じぐらいありふれた事だった
155人間七七四年:2007/03/04(日) 15:57:21 ID:knx6oqya
>>153
ナイーブな人だねって言われない?
それとも上杉や武田だけが悪く言われるのが我慢ならない?
156人間七七四年:2007/03/04(日) 15:58:11 ID:4PSstL7y
んなわけねーだろw
どこの土地の話しだよ
国に帰れ
157人間七七四年:2007/03/04(日) 16:50:31 ID:6pgAs2YS
>>91
一応氏照が越後に出兵している
追い返されたが
そして武田も金塊を納めてお引取り願った
あれは景勝の作戦がちだろう
158人間七七四年:2007/03/04(日) 18:41:52 ID:D7MrSMDk
信長が初上洛した時、礼銭とか無しで京洛から略奪しなかっただけで評判になるような御時世だからなぁ(それ以外では結構好き勝手やってたが)
略奪と無縁だった大名っていないんじゃない?
当時の価値観を考えると、やらなかったら清廉を通り越して異常
159人間七七四年:2007/03/04(日) 19:22:50 ID:hh8GjlM0
いや京の場合はちょっと特殊すぎるんで同列で考えるべきじゃないと思う。
160人間七七四年:2007/03/04(日) 19:31:38 ID:D7MrSMDk
>>159
何で?
まぁ織田軍の場合礼銭突っ返して町を焼いたこともあるから、そういう方向でも特殊っちゃあ特殊だが……
161人間七七四年:2007/03/05(月) 13:39:22 ID:NP4JQFqN
第四次川中島でも謙信は当初禁じてた略奪を途中から解禁している
兵士の士気を維持するためにも敵地でのご褒美は必須だった
162人間七七四年:2007/03/05(月) 21:01:25 ID:B+f7iMOY
上杉謙信は関東地方に略奪が目的でやって来る。義で行動しているわけではない。

藤木久志『雑兵たちの戦場』(朝日新聞社、1995年)を要約すると、

上杉謙信は関東に12回出兵していて、その内の10回は、
晩秋に出かけて年を超し、春か夏に帰る冬春型(長期越冬型)が多い。

明らかに戦いには季節性がある。

冬場の働き口などどこにもなく、まして飢饉・凶作の続いた戦国の村々に
とって、農閑期・端境期の戦場はたった一つの「口減らし」の場。

農閑期になると、謙信は戦争を正当化し、越後の人々を率いて雪の国境を
超えた。収穫を終えたばかりの雪もない関東では、かりに補給が絶えても
何とか食いつなぎ、乱取りもそこそこの稼ぎになった。
163人間七七四年:2007/03/05(月) 21:36:02 ID:opIsQPXm
なによくあることだ
164人間七七四年:2007/03/05(月) 23:34:23 ID:G44Nt1X/
ここも>>1の趣旨とズレ、つまらないスレになっちまったな。
信長、秀吉のスレへ遊びにいって来ようか。
165人間七七四年:2007/03/06(火) 00:29:11 ID:O0EHJMjp
>>157
なんかいろいろ誤認してるな
兵を出したのは氏邦(上州方面担当は氏照ではない)、
越後から追い返されたのは、武田が上杉に靡いて、景虎を滅ぼされた後
166人間七七四年:2007/03/06(火) 00:42:20 ID:2Ob9BpYO
>165
氏邦も出陣してるけど氏照はそんな一部分に限った存在じゃなく、
伊豆方面の合戦以外ではかなりの広範囲で行動していてかつ水軍も統括していて
重要な外交もたびたび担当していたところを見る限り、総合司令官的な存在だった節があるので、
上州でも普通に行動が記録されてるよ、このときもそう。
特に上杉に関係する事だと多く動いている様子もある。

で確かに景虎が討ち取られる数ヶ月前に行動してたはず、それは>>157に聞いて欲しいところだが。
167人間七七四年:2007/03/06(火) 02:42:27 ID:Eq5/jFMS
>>166
氏照が司令官的存在だったことは否定しないし、
外交では織田・上杉・伊達と方々の窓口になってるのも認める
しかし御館の時、氏照が具体的に何してるかわからないんだが

上野の景虎派諸将を北条に引き込んで、彼らを率いて越後に攻め入ったのは氏邦であって氏照ではない
そもそも、この頃は氏政と共に絹川在陣中だし
俺が知らないだけかも知れないので、氏照が動いているという根拠を教えて欲しい
168人間七七四年:2007/03/06(火) 21:10:17 ID:ppTEY8gw
まあ謙信とは無関係なわけだが
169人間七七四年:2007/03/08(木) 21:23:21 ID:ZMXK4VwP
170人間七七四年:2007/03/08(木) 22:53:03 ID:KnR03LxA
>>167
越後樺沢城や坂戸城で調べれば色々出てくるよ、
ちなみに佐竹を攻めてたのはその年の夏、越後への出兵は9月〜10月
忙しい人ではあるが・・・。ちなみに春ごろは常陸を攻めてる、本当に忙しい人だw

上杉年譜にもあった気がしたし、北条方の記録でも残ってた気がする。
171人間七七四年:2007/03/09(金) 20:52:54 ID:KlciBV79
>>156
あれっ、小学生?  
織田信長、豊臣秀吉、毛利元就って名前くらいは聞いたことがあるだろ。
この人たちがどうやって勢力を拡大したか、ちょっと調べてみ。
172人間七七四年:2007/03/10(土) 15:22:07 ID:RNuhvvDm
氏政は何をする人なんだろう?
173人間七七四年:2007/03/10(土) 17:35:16 ID:DIYd5Dlx
湯漬けを食べる係。
174人間七七四年:2007/04/06(金) 05:48:13 ID:VMbDBYde
こらこら君達、戦国時代なんだから悪さの一つや二つあるだろう。
良い事も悪い事も当然、偽造は少なからずあるさ。
175人間七七四年:2007/04/06(金) 06:57:32 ID:VWvWrHtt
謙信の凄さを最も端的に語るなら、

当代屈指の名将であった武田信玄と北条氏康の2人を同時に相手して、
負けなかった(なお余裕があった)という点に尽きる

こんなことは謙信以外では不可能だ
176人間七七四年:2007/04/06(金) 16:17:46 ID:dXJfv4CL
そんなことより俺のチンコしゃぶってくれよ
177人間七七四年:2007/04/07(土) 08:37:37 ID:T/GVmoTV
その屈指の名将二人にいずれも自分から喧嘩売りにいったわけだからな
間抜けといえば間抜け
しかもその名将二人ならともかく、一向宗にすら勝てずに裏切り連発だし
178人間七七四年:2007/04/07(土) 09:07:48 ID:ctafUhYb
謙信は自分の領地で戦うことはほとんど無かった
敵に有利な相手の領内に遠征して、殺しまくり
179人間七七四年:2007/04/07(土) 14:32:20 ID:rVn2tMuB
>>178
関東にも元々勢力圏はあったわけだが。
謙信が領土を拡げないなんて与太話信じてるアホはもういないだろうけど。
180人間七七四年:2007/04/07(土) 21:52:47 ID:orK5dsaW
>>177
名将信玄・氏康と戦い、一向宗とも戦い、さらに裏切り連発。雪国で米も獲れない。(佐渡金山は景勝の時代)
越後をよく守りきったなと思う。
181人間七七四年:2007/04/07(土) 22:37:32 ID:6BBXTIMg
>>169
三郎景虎ステッカーまだあんのか
ミラヲタつえー
182人間七七四年:2007/04/10(火) 10:45:24 ID:HCVCUiUP
>>1
静岡

おにゃのこ♥ 萌え〜
183人間七七四年:2007/05/20(日) 23:35:32 ID:Egm9ISYh
そんな頃、隣の「信濃(長野県の辺り)」から 「村上義清」 という人が尋ねてきます。
話を聞くと、「信濃を治めてたんですが、武田信玄 に攻められて国を取られました。 たすけて〜」 と言います。
信義に厚かった景虎は、「それなら助けてあげましょう」と返答し、こうして甲斐・信濃を制圧していた武田家と、「川中島」という場所で何度も戦いを繰り広げる事となります。
有名な 「川中島の合戦」 ですね。

しかしその一方で、これだけ戦いながらも上杉家の領土はぜんぜん増えていませんでした。
上杉家は軍を進攻させて一時的に周囲を制圧しても、兵を引いた後にまた取り戻される、というのを繰り返していたからです。
これは、謙信の領土戦略の欠如と同時に、領土支配欲の無さもあったと言われています。
彼の戦争は信義や大義名分に沿ったものであり、領土を広げるためのものではなかったからだ、と伝えられています。


上杉 謙信は「義」に生きた武将として後世に知られています。
今川家が武田家に対し、「塩止め(塩の輸出禁止)」 を行いそれを周辺諸国に要請したときも、
「それで一番困るのは甲斐の国の民である。そんな事は出来ない」と言い、逆に甲斐への塩の輸出を推奨したと言います。
敵を援助する事を 「敵に塩を送る」 と言うのは、これが元になっています。
武田信玄 は死の床で、跡継ぎの勝頼に、「あんな勇猛な男と戦ってはならん。 謙信は、頼むと言えば嫌とは言わぬ。 謙信を頼み、甲斐の国を存続させよ」と遺言し、また北条氏康 も、
「謙信は請け負えば、骨になっても義理を通す。 若い大将の手本にさせたいものだ」と語っていたといいます

http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugi.htm


184人間七七四年:2007/05/21(月) 15:33:26 ID:FMgK6Aj/
ID:Egm9ISYh
キミ色んな上杉関連のスレageまくって頑張ってるねw
185人間七七四年:2007/05/25(金) 04:06:39 ID:AYzVyTVn
>>177
今さらだが、謙信から先に北条にしかけたわけじゃないだろ
186人間七七四年:2007/05/25(金) 05:00:07 ID:cqvcyNiP
北条から先に上杉に仕掛けたのは間違いないが、
謙信から先に北条に手を出してないか?
187人間七七四年:2007/05/25(金) 06:49:45 ID:RQXn7HCK
まだこのクソスレあったのか
188人間七七四年:2007/05/25(金) 10:41:43 ID:oyIbsPSz
>>186
具体的にいつよ
189人間七七四年:2007/05/25(金) 11:20:53 ID:s/rM6FXO
>>188
安土桃山時代
190人間七七四年:2007/05/27(日) 00:35:59 ID:BFqZDK7R
>>186
北条と上杉は対立していて、先に仕掛けたのは北条だが
その前から長尾と上杉も対立していた、いわば北条と長尾は共通の敵を持っていた関係に過ぎない。

それを自分から上杉を取り込んで敵に回したのは長尾だし、以後北条が長尾に敵対した訳でも無いのに
関東のもめごとに首突っ込んできたのも長尾。
191人間七七四年:2007/05/27(日) 02:29:32 ID:n61bDKUo
どっちから仕掛けたとか無意味だよ。
米軍と日本軍、どっちが先に手出ししたと言うのと一緒。答えは各自で違ってる。
192人間七七四年:2007/05/27(日) 03:30:36 ID:C3D5keu/
関東が結局北条になびいていったのは謙信の人格の問題ではなく
単純に距離と時間の問題。
謙信との直接対決は武田北条ともなるべく避けていたから
上杉軍の戦闘能力は相当なものだったんだろう。
193人間七七四年:2007/05/27(日) 04:35:21 ID:BFqZDK7R
北条方になびいていったのは小田原攻め失敗の後とか国府台合戦の後とかに
目に見えてなびいていってるので別に距離の問題とかではなく、単純に北条の勢力が優勢になったからだろう。

そもそも距離と時間の問題に20年以上経ってから気付くって関東勢は揃ってどんなアホの子ですかw
194人間七七四年:2007/05/27(日) 06:05:04 ID:pfV6+vip
>>190
まるで一方的に長尾が北条を敵に回したみたいなこと書いてるがそうとは言い切れないだろ。
天正11年に北条氏政の弟氏邦が元上野国衆の赤見山城守について
『先年越国へ越し候時分、御忠信申し上げ候、大聖院殿(北条氏康)御証文以下にも所持致し』と述べている。
つまり上野一国を勢力下に収めた北条氏が越後にも侵入していたことがうかがえる。
となれば謙信の関東侵攻は上杉憲政を関東に復帰させることを目的に行われたというのではなく、迫り来る北条氏の脅威に対抗するためのものであったと考えることができる。
195人間七七四年:2007/05/27(日) 06:27:34 ID:BFqZDK7R
>>194
なんかいまいち言いたいことがわからんのだが、
天正11年?謙信が小田原に来た20年以上後の話って事?
196人間七七四年:2007/05/27(日) 06:34:55 ID:WEUm1UFW
日曜の朝っぱらからよくそんな話できるよなw
197人間七七四年:2007/05/27(日) 06:35:39 ID:BFqZDK7R
平日の朝っぱらからやってるよりはマシだろw
198人間七七四年:2007/05/27(日) 11:47:48 ID:pfV6+vip
>>195
『先年越国へ越し候時分、…』は「小室開弘氏所蔵赤見文書」。文中に氏康のことを指す名前があり、氏康の代で越後へ侵攻が行われる状況は天文末〜永禄初頭における上野経略の過程だと思われる。
上野国内では最北の国衆沼田氏などのように各国衆で北条氏派と上杉氏派の対立があったようであり、上杉氏派は自然と憲政を庇護する越後の長尾氏と結び付いたのだろう。
そしてその延長から北条氏の越後への侵入があったと考えられる。
199人間七七四年:2007/05/27(日) 18:33:08 ID:BFqZDK7R
>>198
前半は別に文句ないが最後の一行に対する返答が結局
「だからそれは謙信が憲政をかくまったから」
としか言いようが無いのだが。>>190の反論に全くなってない。

謙信が上杉を取り込んだのは1552年、その話は1550年代末でしょ。
もう敵対してて当たり前の時期。
憲政を取り込まなかった場合にどうなるかはこれはなってみないとわからない部分もあるが、
少なくとも取り込んだ史実の後は既に敵対国である以上攻められても文句は言えない。
その敵対した原因はそもそも憲政を取り込んだことにある
というのが>>190のレスの意図。その後の話をいくら書こうと少なくとも俺のレスの反証にはならんでしょうに。
1540年代くらいから越後に攻めようと言う話があったのなら別だけど。

憲政と北条氏の争いなんざ1530年代からずっと続いてる事だよ、
謙信なんか生まれてもいない。その憲政を取り込んだら北条氏が敵になるのは当たり前だ。
200人間七七四年:2007/05/28(月) 01:49:21 ID:KLapbleR
戦国の三強、信玄・氏康・信長をよくもまああそこまで苦しめたよ。
領土は取れなかったけど管領お疲れさん!
201人間七七四年:2007/05/28(月) 16:37:22 ID:NP5GF6PC
長尾が上杉を取り込んで北条を敵に回した?
もともと長尾と北条の関係ってどうだったの?
202人間七七四年:2007/05/28(月) 22:59:59 ID:ImOeLulU
謙信パパと宗瑞は共闘した仲
203人間七七四年:2007/05/29(火) 00:29:16 ID:qg8B6U3J
新潟の米うめえwwwwwwwwww
204人間七七四年:2007/05/29(火) 22:11:22 ID:6D5kY3V6
>>201
敵になったり味方になったり。
河越夜戦で越後長尾家も兵を出しているから、
憲正取り込み以前から北条と謙信が敵対していたとも言える。
205人間七七四年:2007/05/29(火) 22:15:34 ID:eW7yhz1r
マジっすか?それは知らなかった
上杉憲政亡命までは長尾と上杉は仲悪かったとばかり。
206人間七七四年:2007/05/30(水) 02:58:21 ID:suWCLsNX
>>204
そうなんだ。じゃあ別に長尾は上杉憲政を「取り込んだ」からそこで初めて北条を敵に回したとは言えないのかな
207人間七七四年:2007/05/30(水) 07:12:00 ID:JeuVHEMS
長尾と上杉の関係で言うなら為景の代では間違いなく敵。
だけど上田長尾氏などはその頃から管領よりだったので、為景とはぶつかり続けていた。

そのため為景が死に病弱な晴景が継いで以降は管領よりの勢力に押されているため
この時期は管領の影響を受けている時期になる、河越夜戦の時期もそう、謙信はまだ子供。

しかし為景の頃の勢力によって謙信が祭り上げられた以上、謙信はどちらを選ぶ事もできたと言える。
208たこ:2007/06/02(土) 20:22:29 ID:CqrLEuu+
>彼の戦争は信義や大義名分に沿ったものであり、領土を広げるためのものではなかった

禿げちげえよ!晩年は越中・能登・加賀を属国化したし
(魚津・七尾・石動山・松任の城には城代や目付け役を置いた。)
かつての不倶戴天の敵とことごとく手を結んで頼ってきた信濃や関東大名から呆れられた。
(北条、武田、一向宗など)
209人間七七四年:2007/06/02(土) 22:19:17 ID:/bUac4JE
計画性の無さは計画的だよな
210人間七七四年:2007/06/02(土) 22:29:25 ID:KrRdKcwT
純粋な戦術戦闘マニアだったから
あまり戦略には興味がなかったんじゃないの?
何にせよ、奇異な武将だ
211人間七七四年:2007/06/03(日) 07:03:51 ID:jmOCg9tg
>>208
越相同盟が締結されたのは関東諸候の大半が謙信から離反した後。呆れたのは謙信の方なんじゃね?
212人間七七四年:2007/06/03(日) 10:17:31 ID:Oh2sDo5b
どっちかというと越相同盟は、謙信の降伏宣言だからな。
だからこそ、北条の一族を後継者として認めたほど。
このまま負けるぐらいなら北条・武田の後ろ盾を得て
関東管領職の名を優先した。
213人間七七四年:2007/06/03(日) 11:21:38 ID:k01Oa65l
謙信のために何度も北条と戦ってきた里見に、越相同盟結んだら「北条と仲良くしてね」と書き送るぐらいだからな
そして里見は北条のために徳川と信濃まで出張って戦わされる属国同然に……
自主防衛をなんとかできた佐竹や結城はマシな部類
214人間七七四年:2007/06/03(日) 17:31:16 ID:BW/bZt42
結局どんな人間も年取ると我欲に勝てなくなるんだよ
215人間七七四年:2007/06/03(日) 17:58:25 ID:xCgk90/H
>>211
成田の離反は他の誰でもない謙信の所為だろ。
あと、効果的な援軍が全く出来なかったのも痛い。
そら、見切り付けられても仕方ない。
216人間七七四年:2007/06/03(日) 22:43:23 ID:oMAoZvMe
地理や当時の農業事情、領国周辺勢力との外交関係を考えると
効果的な援軍なんて無理だろ・・常識的に考えて
217人間七七四年:2007/06/04(月) 00:41:24 ID:4UtyW2ZD
>>215
成田って鶴岡八幡宮での一件のあれか?あれで謙信が短気な性格だってのがわかるな。

小金、臼井両城攻略に従属するほぼすべての関東の国衆を動員しておきながら攻略できなかったのが痛かったな。
その後、北条高広の北条方への寝返り、
佐竹氏も北条・武田両氏と和睦、
さらに謙信方の古河公方勢力だった簗田氏、野田氏、相馬氏も北条氏に従属…
この時点で謙信の関東支配は頓挫したな。
その後永禄11年には佐竹氏、宇都宮氏、小山氏、簗田氏が再び謙信に従属してきたものの謙信は関東に出陣せず。自身も関東は自分の手に負えないと思い始めてたんじゃないかね。
218人間七七四年:2007/06/04(月) 01:17:41 ID:5C/cP5Cv
つか、あれ作り話じゃないの?
あのあとすぐ普通に成田と手紙交わしていたはず。
219人間七七四年:2007/06/04(月) 13:44:15 ID:hbwzQ1VT
11万も持っていて3万程度の相手に勝てないなら、頼りがいが無いと見捨てられても不思議じゃない
支戦じゃ負けっぱなしだし、肝心の小田原攻めも進捗しない
もっとも謙信に忠実に働いた佐竹や太田さえ「このままでは兵站不足と裏切りで負ける」と撤退を進言したぐらいだ
220人間七七四年:2007/06/04(月) 13:53:23 ID:v4L/HKDa
海音寺潮五郎も成田の頭殴打事件は創作だとしてたな
実際に成田が離反したのはもっと後の話
故実に詳しい軍記作者が面白おかしく作った可能性が高い
221人間七七四年:2007/06/06(水) 02:10:47 ID:JSiudBUZ
>>219
小田原城をそこら辺の城と一緒にしてもらっては困る。
222人間七七四年:2007/06/06(水) 03:03:15 ID:IvyA7c+f
>>221
謙信が来た頃はまだ大した規模の城じゃない。
しかも謙信はまともに包囲できずに途中で瓦解してるから城あんま関係ない。
223人間七七四年:2007/06/06(水) 08:35:44 ID:Hcv0rbX5
逆に11万も集まったせいで兵站に過度の負担がかかって負けた、という意見もある
小田原攻めといっても食糧調達とかのために広く分散しないといけないから、封鎖とかができなかったんだとさ
それに支城群を殆ど落とせなかったから、後方は常に不安
224人間七七四年:2007/06/06(水) 11:03:10 ID:SA8yFSUQ
包囲したというより押し込んだみたいな感じかな?
225仙台藩百姓:2007/06/06(水) 13:21:46 ID:VcnDk5bo
そもそも11万と言うのが有り得ない数字だお( ^ω^)
226人間七七四年:2007/06/06(水) 19:01:00 ID:LBq33ltv
河越野戦の8万と言う数もおかしいしな。
227人間七七四年:2007/06/06(水) 20:30:52 ID:xsqtZA/w
五、六万位ならば居ても不思議ではないけどな、小田原攻めの時なら

まあその手の数字は誇張されていると考えて然るべき
228人間七七四年:2007/06/07(木) 13:07:54 ID:mo+mujt9
>>225
武蔵八王子城の攻城軍は前田利家、上杉景勝、真田昌幸と豪華メンバー。
伊達政宗も秀吉の要請でこの中にはいってないといけないのでは。
何か知らないけどもたもたしてたんだよね。
229人間七七四年:2007/06/07(木) 19:40:32 ID:7P5URcUr
>>228
何を言ってるんだ、お前は?
230人間七七四年:2007/06/08(金) 04:34:47 ID:U/zAlVRt
>>228
ワロスw
231人間七七四年:2007/06/10(日) 17:13:09 ID:NrcvvWLC
>>212
北条が大幅譲歩しているじゃん。北条軍が上野国から撤収し、里見氏にも領土割譲を約している。
もちろん関東での足場を失いつつあった謙信も助かっただろうが。
>>199
越後に隣接する上野沼田まで、北条の大軍が進出している。
「次は越後だ」と思って警戒するのが普通。武田の北信濃進出と同じだな。
「北条は関東以外には領土的野心はない」という奴もいるが、越後・甲斐は関東管領の指揮下であり関東に含まれる。


232人間七七四年:2007/06/10(日) 17:56:01 ID:QbFIA1ka
>>231
武田に対しても北条に対してもそれなりの外交努力をした上でそれなら
話もわかるし、武田や北条が旧来の敵だと言うならそれもわかるが、
勝手に警戒して疑心暗鬼になって、全部敵に回すのは普通ではない。

隣接した国で戦争あったら勝った国は全部敵ですか。
233人間七七四年:2007/06/10(日) 19:58:27 ID:9Tu+2tHu
武田や北条に対する外交努力って具体的に何よ?
もっと内容の有る書き込みしようぜ
234人間七七四年:2007/06/11(月) 03:16:29 ID:UMK7N8X4
>>233
状況で見てもあの時期では北条家は上杉が予想以上に大敗北をしたので、
上野の方まで一気に勢力は伸びたものの、武蔵東部・上総にかけてまるで安定して無い状況
その不安定な状況から越後に伸びるなんてまともな戦略眼を持ってたら犯すはずが無い愚策。
ひとまず越後長尾にまで喧嘩を売る理由など無い。

そこを考えれば長尾は越後への危機感を考えるならば不可侵を求める程度は大した問題ではない。
にもかかわらず、あっさり力を失った憲政をかくまい自分から敵対した。

そんで結局、関東の勢力を失って、外交をはじめて周り無視して越相同盟ときたもんだ、
でもその時でも北条はだいぶ譲歩してるのは上のレスでも言われてるとおり、
ここから考えても北条が戦略面で北に向かう事をさほど重要視してたようには思えない。

ならばもっと北条が安定して無い時期に外交で動いていれば無駄な戦いもなくすんだのではと思われても仕方ない。
235人間七七四年:2007/06/12(火) 20:29:18 ID:/VFEzdW6
北条は長尾を敵視していなかったと言うのなら、越後に侵入したのは何故?
236人間七七四年:2007/06/12(火) 20:31:33 ID:FRKV+N/m
二百程度のレスぐらい嫁
237人間七七四年:2007/06/12(火) 20:38:05 ID:/VFEzdW6
>>236は俺>>235に言ってんのか?
238人間七七四年:2007/06/12(火) 21:36:20 ID:FRKV+N/m
>>1に言ってるとでも思ったのか?
239人間七七四年:2007/06/12(火) 22:20:27 ID:mxLYf7tD
他の歴史板での愚痴を漏らすスレ
http://etc6.2ch.net/test/read.cgi/nanminhis/1172045056/
240人間七七四年:2007/06/12(火) 23:36:21 ID:Je1DpwK6
>>234
甘いな。
仮に謙信が憲政をかくまわずに、北条と手を組んだとしよう
そしたら北条は佐竹・里見を潰して、大軍勢で越後に迫るよw
三国同盟で甲斐・信濃には攻めれないから、残りの「関東」は越後だけになる。
241人間七七四年:2007/06/12(火) 23:46:05 ID:SLAkUKa5
>>240
なんで武田との同盟は尊重するのに長尾は無視すんの?

また長尾もムダに関東や信濃に関わっている時間が省かれるので北陸方面に
一気に伸びている可能性が高い。そこまでして越後を取る価値も無い。
242人間七七四年:2007/06/12(火) 23:50:26 ID:Je1DpwK6
>>241
北条が武田に宣戦したら、今川がどうする?
今川義元が北条に攻め込むよ
あと信濃を攻め落とした信玄にとっては、次の獲物は越後か越中だろ。
他にどこを攻めるんだ? 
243人間七七四年:2007/06/12(火) 23:59:41 ID:SLAkUKa5
>>241
長尾が上杉取り込もうが取り込まなかろうが
1560年代前に信濃を押さえきるなんてよほど巧くやらないと不可能
まだ上杉関係ない頃だってかなり苦戦してんのに。
244人間七七四年:2007/06/13(水) 00:00:25 ID:SLAkUKa5
間違えた>>242
245人間七七四年:2007/06/13(水) 21:06:04 ID:CPxjwU0X
>>242
美濃
246人間七七四年:2007/07/10(火) 01:24:14 ID:3Ii1/AkS
>>218>>220
遅レスですが、勉強になりました。
247人間七七四年:2007/08/07(火) 03:25:10 ID:Po21PwtQ
ほしゅ
248人間七七四年:2007/08/07(火) 10:22:27 ID:Y8ctkBxT
謙信の関東出兵への流れを見てると、謙信て意外にしたたかだなって思えたりするね。
まぁ結局氏康の方が一枚も二枚も上手だったけど。
249人間七七四年:2007/08/07(火) 10:38:19 ID:jUU4ATRJ
いや、関東の無能大名共がバカ過ぎ、もしくは節操無さ過ぎただけだって。
特に謙信の戦略に問題があったわけじゃないよ。
250人間七七四年:2007/08/07(火) 10:42:07 ID:JH/N11RZ
謙信は越後から略奪ツアーに出かけただけだならな
負けても戦略は達成している
251人間七七四年:2007/08/07(火) 12:30:02 ID:Y8ctkBxT
>>249
まぁ関東諸候は北条と戦う為に謙信を利用したみたいな感じだもんね。
252人間七七四年:2007/08/07(火) 13:23:51 ID:G7cPQyTR
謙信はバカだもんな
253人間七七四年:2007/08/07(火) 13:37:10 ID:/1dvjSif
>>250
>謙信は越後から略奪ツアーに出かけただけだならな

証拠史料は?
藤木久志が小遣い稼ぎに書いた新書は評価に値せんぞw
254人間七七四年:2007/08/07(火) 13:38:41 ID:rKb4mBT3
略奪ツアーってのは弁護だろう
真面目に制圧しにいって11万対3万でも勝てませんでした、諸侯を裏切りまた裏切られつづけました、じゃあちょっとw
255人間七七四年:2007/08/07(火) 13:50:59 ID:/1dvjSif
>>254
北条信者は自スレでオナってろ
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152400527/
256人間七七四年:2007/08/07(火) 13:55:35 ID:Zk4VPPXq
小田原どころか、支城群すらロクに落とせなかったからな謙信軍は
越後から難所を越えて兵站を維持するのは困難だろうし
そもそも関東に手を出したのが間違い
257人間七七四年:2007/08/07(火) 14:55:18 ID:Y8ctkBxT
北条があわや越後にも…みたいな状態だから北条との対決も避けられないわな
258人間七七四年:2007/08/08(水) 01:05:15 ID:I/eB+qSa
氏康と謙信ごときじゃさすがに器が違いすぎる
簡単にあしらわれて腹いせに略奪三昧じゃな
なにが軍神なんだかな
259人間七七四年:2007/08/08(水) 02:18:26 ID:kK6uZNby
>>258
ふ〜ん、略奪ねぇ…
今は北条が墓荒ししてたって話が出てるけど?
260人間七七四年:2007/08/08(水) 05:42:34 ID:UgtpijHR
平井城とか厩橋城とか氏康が長年掛けて攻略した城を速攻で奪い返した謙信
小田原に引き篭もってた氏康は正直泣きたい気持ちだったんじゃないの
261人間七七四年:2007/08/08(水) 10:30:33 ID:o5xCiOxa
11万対3万というのは、正確な兵数はともかく勢力差からすればだいたいそんなものだったようだから
氏康ピンチには違いないな
それでも耐えて勝っちゃうのが氏康のしぶとさ
謙信は最初から北陸一本槍で経略すべきだったんだよ
北条といい武田といい、越後一国よりは豊かで当主がかなり有能なところばかりとやりあってるから時間浪費
262人間七七四年:2007/08/08(水) 11:45:55 ID:AXq6B1IE
有名なのは関東で大量の人間を拉致して
謙信が自ら差配して奴隷として売りさばいた話しだが。
263人間七七四年:2007/08/08(水) 12:57:42 ID:kK6uZNby
>>262
> 有名なのは関東で大量の人間を拉致して
> 謙信が自ら差配して奴隷として売りさばいた話しだが。


どこで売りさばいてたの?誰が言ってたの?
264Y ◆nzdGjBH722 :2007/08/08(水) 13:33:57 ID:nwLY7vr+

上杉謙信が小田城を落とした後、城はただちに奴隷市場に早変わりし、
謙信自らがその市場を取り締まるなどしていた。このときの奴隷は一人当たり20銭
まあ武田よりかは建設的だな。
265人間七七四年:2007/08/08(水) 13:55:46 ID:qvffCPFP
何が義理堅い聖将なんだかw聞いてあきれるなww
さすが歴史捏造がお得意の上杉様ですねw
266人間七七四年:2007/08/08(水) 13:59:01 ID:kK6uZNby
一人当たり20銭なら儲けなんかないやん。
267人間七七四年:2007/08/08(水) 13:59:50 ID:qvffCPFP
大量に売り捌けば・・・・、なw
268人間七七四年:2007/08/08(水) 14:14:36 ID:kK6uZNby
ふーん、でその儲けのない人身売買を何故してたの?他所みたいに値を吊り上げればいいのに。
269人間七七四年:2007/08/08(水) 14:21:04 ID:qvffCPFP
上杉厨ってマジでしつこいのなw
270人間七七四年:2007/08/08(水) 14:27:12 ID:kK6uZNby
>>269
悪い、俺別に上杉厨じゃないからw第一お前は回答なんか出来ないだろw
271人間七七四年:2007/08/08(水) 14:37:24 ID:HAWShxLx
馬鹿がアンチ上杉のコピペ見て調子に乗っちゃったって感じだな
どうせコピペ以上のこと知らないんだから問い詰めても無駄だろう
272人間七七四年:2007/08/08(水) 15:18:15 ID:kK6uZNby
そうだね。俺も略奪スレで勉強してくるわ。
273人間七七四年:2007/08/08(水) 16:10:27 ID:7fAt7CQU
謙信のやっていたのは奴隷売買と言うより、奴隷解放に近いんじゃないかね。
そんな値段じゃ管理費や食事代やらで大赤字やん。
この議論はすでに謙信批判スレッドでやってるから、そこ見てくれよ。
274仙台藩百姓:2007/08/08(水) 16:17:01 ID:QKH5hXhO
小田城の話しは藤木久志の著書が元ネタだろうけど
その中で藤木氏は一次資料は未読であると注釈を付けているお
記述は一部分だけで状況はさっぱり分からないし
信頼性に欠けるお
アンチも知ってて書いてるんだろうけど( ^ω^)
275宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c :2007/08/08(水) 16:24:43 ID:g77PJmrt
この本か?
「雑兵達の戦場 中世の傭兵と奴隷狩り」
276人間七七四年:2007/08/08(水) 17:35:15 ID:WsJvkghM
>>261
はじめは大勢力の上田衆を臣従させる目的だったんだよね
関東管領・上杉憲政が助けを求めてきたのを好機として
反抗していた上田衆に「管領を助けろ」と命じた
この命に従ったら春日山の配下に転落
逆らったら逆賊扱い
景虎を擁立した中越と上杉定実の頚城勢力を完全掌握して魚沼を叩き潰せる

あと景虎の親父が「主殺し」と蔑まれていた様子も有るので
関東出兵は上杉派と長尾派を纏める良い口実だったと思う
越後毛利氏や揚北衆といい、
越後における豪族の多くは鎌倉(関東)に拘りを持ってたし

収拾のつかない大乱が続いた為、春日山から逃げ去った商人達の逃亡先が
主に関東だったとか
景虎時代から隣国から商人を呼び戻し
租税免除、治安強化、道路整備、上洛後の交渉などで城下を復興>発展させている
277仙台藩百姓:2007/08/08(水) 18:25:47 ID:QKH5hXhO
>>275
うむ、それだ

ちなみに九州では一、二文で奴隷達が売買されていたとあるが
もはや商売とは言えないお(;^ω^)
飢饉で奴隷に食わす飯も惜しくて二束三文で売り払ったそうだが
足元見られすぎだお
と言っても関東にしろ九州にしろ
いくらなんでも誇張じゃないかと思えぬ事もない
278人間七七四年:2007/08/08(水) 18:44:39 ID:6nE5g0Ac
九州では奴隷をつれてきたはいいが持て余して
外国に売り払ったとかいう話が…
ただし謙信の小田城攻めの場合、小田城での捕虜を
小田城で二束三文で売り払っているので
実際売った相手は捕虜の親類縁者だろうな。
高値を取らなかった分十分に良心的だ。
279仙台藩百姓:2007/08/08(水) 19:22:35 ID:QKH5hXhO
どう言った人達が売買の対象になったのか
どの程度の人数なのかも記述がないから謎だお
280人間七七四年:2007/08/09(木) 01:57:23 ID:+lQ8aAGt
>>279
謙信の奴隷云々が話題だが、謙信は信長・信玄のような虐殺はしてない。
だからいい方だと思う。
281Y ◆nzdGjBH722 :2007/08/09(木) 02:22:57 ID:Y+Iz3Ql2
>>280
自分はアンチ上杉ではないが、おまえそれマジで言ってんの?
282Y ◆nzdGjBH722 :2007/08/09(木) 02:36:42 ID:Y+Iz3Ql2
>>277
大友宗麟あたりはバテレンと奴隷売買して兵器購入してたらしいが、
このときはどのくらいの値段なんだろ?
283人間七七四年:2007/08/09(木) 02:40:51 ID:Y8dCB0lg
上杉の人身売買だが、自分はちゃんと自分の目で読んだわけではないので
間違いはあるかもしれん。
史料には「御意にて人身売買をニ十銭で行なった」としか
書かれていないそうだ。
で、人身売買をなされた時の状況は常陸小田城が和議によって開城された時、らしい。
攻め落としたわけではない。
それでもって開城前に上杉が小田城を落とす→小田勢が取り返す→上杉が落とす…を
数か月でニ、三回くらいやっているw

状況的には奴隷市というより安値で双方の捕虜を交換したんじゃないかと
予想するわけだが、どうだろうか。
284Y ◆nzdGjBH722 :2007/08/09(木) 02:48:14 ID:Y+Iz3Ql2
捕虜交換というと確かにあの安さでも納得するわ。手間賃とか養い賃程度なわけか。
しかしそうなると気になるのが上で挙げた大友と、武田のありえないほどの奴隷に対する身代金だな。
武田はそんなに人手足りないのか?


285人間七七四年:2007/08/09(木) 05:44:51 ID:CQ25HDZ3
>>280
謙信の民衆虐殺って堺で暴れたくらいか
でもこれは虐殺ってほどでもないし

黒田一族、長一族らを族滅したり
騎西城での勘違いも有ったようだが
これは武家の妻子だしな
286人間七七四年:2007/08/09(木) 10:59:22 ID:/Kfp3hmh
謙信は聖将ではない
裏切りも略奪も粛清も普通にやった、普通の戦国大名
変に持ち上げる連中が結局おかしくしている
287Y ◆nzdGjBH722 :2007/08/09(木) 13:32:50 ID:wPbmjhtM
むしろそんな普通の謙信がいいんだがね。
288人間七七四年:2007/08/11(土) 01:30:09 ID:qd33Ojjo
>>274
へえ、藤木氏は一次史料未読なのか…。
確かに信頼性にかけるわな
289人間七七四年:2007/08/11(土) 11:43:27 ID:7h1OQ/WM
釣られるなよ
一次史料の写しが幾つも載って引用されているんだから
未読なんてありえない
実際に読めばこんな馬鹿なアンチの言い訳に引っかかるわけないのに
290人間七七四年:2007/08/11(土) 11:52:53 ID:Bxgbao1l
???
でも未読という注釈を本人がつけてたのも本当なんだろ?
どっちが正しいんだ?
291人間七七四年:2007/08/11(土) 12:40:39 ID:TXtg0+df
んーと。例えば重要文化財指定で実物が中々拝めないからどっかの写しを史料として使った
そういうことを素直に説明した箇所をアンチが全体であるかのように印象操作したとか?
292人間七七四年:2007/08/11(土) 13:03:31 ID:neKWniCJ
確認してみたので引用

>『越佐史料』四、五五三頁、なお原本の所在は不祥。検討の余地がある。
293人間七七四年:2007/08/11(土) 13:14:47 ID:TXtg0+df
>>292
ありがとう
かなりニュアンスが違うな
原本不詳の写しだから、原本は違うかもしれないよってことか
これを未読って……w
294人間七七四年:2007/08/11(土) 14:20:35 ID:HJKkzL7d
でも実際越佐史料の記述を奴隷市と解釈するのは
無理があるけどな。
背景を調べずに「人身売買」の一言で脊髄反射で
奴隷市だの書いたとしか思えん。
295人間七七四年:2007/08/11(土) 16:44:42 ID:XshqG38f
能登の何とか村で庄屋の首を刎ね、
村を焼き討ちにしたのも謙信じゃなく畠山義総だったし
変な言いがかりが多いね
衆道説も嘘臭い
296人間七七四年:2007/08/12(日) 17:14:10 ID:337f7ZrU
衆道に関しては、近衛前久書状でさえ言及されているからガチ
297人間七七四年:2007/08/12(日) 17:42:13 ID:9ylqkvr/
関白近衛が「謙信は若衆がお気に入りのようだ」と書いたといっても
関白と将軍に招待された宴会で、用意された若衆接待で
立場が遥かに下の謙信が嫌な顔するわけ無いじゃん、というツッコミもある。
298人間七七四年:2007/08/12(日) 20:39:00 ID:4rcpu5BZ
謙信義将説は、信玄を持ち上げた甲州流軍学跋扈が気に食わない徳川の若様が対抗してやったもの
味方の城を攻撃して皆殺しにしましたとか、気に食わないってだけで町に火をつけたりとか
同時代の謙信観って逸話から見るに田舎の乱暴モノ以上ではなさげだ
299人間七七四年:2007/08/12(日) 20:56:21 ID:qcLHq36A
>味方の城を攻撃して皆殺しにしましたとか、気に食わないってだけで町に火をつけたりとか

これの同時代の史料は何?
300人間七七四年:2007/08/12(日) 21:20:11 ID:me39zqJF
謙信は父親の葬儀にすら謀反を警戒して鎧を着けて出なければならないような環境で育った。
必然的に信義に薄く猜疑心が強い人間となった。
史実の裏切りや粛清は、まさに狼のような戦国武将そのもの。
一方で切れると一切を放り捨てて出奔するとか浮き沈みが激しい。
近づきたくないお人だったんだろう。
301人間七七四年:2007/08/12(日) 21:52:10 ID:aL/xjlF+
>>296
衆道に関しては、近衛前久書状で「しか」言及されていないから怪しい

この酒宴で若衆を呼んだのは将軍・義輝
義輝は寵童が判明してるガチホモ
権威の後ろ盾が欲しい謙信は義輝にゴマを擦る立場

父・為景や兄・晴景が国内で軽視された分、
それを継がされた謙信は苦労が絶えない
302人間七七四年:2007/08/12(日) 22:10:16 ID:kmyI9wmx
当時の嗜みの一つをなぜにそこまで必死に否定するのやら
江戸時代に陰間茶屋だっけか、普通に存在してただろ?
303人間七七四年:2007/08/12(日) 22:23:14 ID:wnF9xlqX
当時の嗜みの一つと言ってもみんなやってるみたいに言うのはどうかと。
衆道やってた証拠が残ってる奴なんて少ないのに。
304人間七七四年:2007/08/12(日) 22:35:08 ID:kmyI9wmx
いや、だから別にマイナスでもなんでもないことを否定する必要ないだろ?
305人間七七四年:2007/08/12(日) 22:41:08 ID:aL/xjlF+
>>302
謙信が衆道を嗜んだとする証拠が少ないから

呼ばれて酌させたくらいしか記録が残ってないのに
何故か謙信はホモ狂い扱い
これって変じゃない?

信玄、信長、家康、政宗、義輝の寵童はウジャウジャ分かってるし
養子・景勝どころか父・為景の寵童でさえ分かってるのに
謙信だけは一人も居ない
306上杉贔屓:2007/08/12(日) 23:48:43 ID:iNU9N4bJ
ようするに「妻帯しなかった=ホモに違いない」ってに勝手に判断してしまうんじゃない?
307人間七七四年:2007/08/12(日) 23:53:57 ID:kmyI9wmx
>>305
いや、当時一般に広まってた風習なんだから
それに建前不犯を信条としてたんじゃないのか?
なら隠しに隠すだろ
308人間七七四年:2007/08/12(日) 23:56:06 ID:l4vHrGeJ
>>292
”別本”和光院和漢合運か。
本当に存在するのかな?

>>294
確かにお粗末だね。
309人間七七四年:2007/08/13(月) 00:01:43 ID:FUoq6+O4
坊さんの間でも衆道は一般的だったので、信心深いだけにそっちに抵抗はなさそうと言うのもある。
310人間七七四年:2007/08/13(月) 01:25:48 ID:SuBw9YXv
坊主の正式な風習では男でも稚児灌浄を受けてから坊主になるまでの子しか
観音さまの化身じゃないから抱いちゃダメだったんだろ?
正式な手順をガチガチに守ってたら男にも手を出さなかったかもしれんよ。

個人的には単に性的不能だったんじゃないかと思ってるが。
311人間七七四年:2007/08/13(月) 02:07:59 ID:ZVwn6CbF
>>307
妻を持たないから男狂いだ「と思われる」
当時は常識だから謙信もやっていた「と思われる」

要するに、この程度のレベルなんだよな
何とかして謙信はホモ狂いだと設定したい連中は
312人間七七四年:2007/08/13(月) 03:59:40 ID:GN1EA8eF
信玄みたいに書状でも残ってたら黒なんだけどな
この人高坂だけじゃなくて他にも何通も寵童に宛てた手紙残されてるし
313人間七七四年:2007/08/13(月) 11:48:42 ID:C6ECyNCn
謙信なら異常でも仕方無い
そう思わせるのは「謙信は戦国期に稀な義将」という<ノ丶`Д´>ノ マンセーの裏返しだからな
どっちみち変人扱いされる謙信可哀想
314人間七七四年:2007/08/14(火) 01:29:52 ID:qGAJ8tH0
天才が変人なのは常識。
315Y ◆nzdGjBH722 :2007/08/16(木) 02:56:16 ID:ElGeGKgC
>>313
秀吉が戦後になってやたら嫌われだしたのと同じだな。
ただ証拠となるものが残ってない以上謙信のが可哀想だが。
316人間七七四年:2007/09/17(月) 09:18:39 ID:UWJ8uXl8
謙信タンは女の子だからホモなんかじゃありませんっ!
317人間七七四年:2007/09/17(月) 18:48:27 ID:suHTUQ3v
実は仙桃院が変身すると謙信になる件
318人間七七四年:2007/09/17(月) 22:49:44 ID:eo15+WUx
長尾政景との政争は実は単なる痴話喧嘩だったのかw
319人間七七四年:2007/09/18(火) 23:11:51 ID:2DJAB+N0
謙信(仙桃院)が家出したときには まだ幼い乳飲み子をかかえた政影大慌て・・・ こんなときは全速力で追っかけて頭下げるのが世の男の常。
320人間七七四年:2007/09/18(火) 23:19:49 ID:2DJAB+N0
注  

実は景勝には病気で亡くなった兄がいたんです。
321人間七七四年:2007/09/18(火) 23:30:02 ID:2DJAB+N0
新説 

上杉謙信とは・・・・・・・・・・・・・・・仙桃院に神が降りてきて変身!

これですべての 謎がとけた・・・

学会に発表しなきゃ。

おい、俺が 何も考えてないときにパッと閃いた学説 出し抜いて先に発表すんじゃねぇぞ!
322人間七七四年:2007/09/28(金) 00:18:38 ID:BsOXUSzv
仙桃院で思いついたけど、景勝と景虎が争った際に北条が本気で援軍を出さなかったのかが気になる。
うまく景虎が上杉家当主になれば、越後・越中・能登・飛騨・加賀の一部まで北条の手に入るんだぞ。
すごいもったいないと思わないか?

そして武田勝頼と手を結び、北陸道から上洛を企図することも可能だ(成功・失敗は別として)

323人間七七四年:2007/09/28(金) 03:29:58 ID:VWDA6moR
それはおれも思った。


息子のクーデター止めさすために敵方に身をよせた喜平次ママ
人妻献身、仙人桃尻。
324人間七七四年:2007/09/28(金) 12:19:51 ID:cforPDn7
桃尻!!!
325人間七七四年:2007/09/28(金) 12:43:20 ID:0C23kCKa
>>280
仁田山城で虐殺している。

このスレではちょくちょく謙信が越山での上野攻略の話が出ているが
上野でも結構な勢力が謙信と戦って没落しているよ。
謙信越山の時にすぐ参陣したのは白井・総社・箕輪だけで、後は大抵北条方だった。
まず綱成の次男、北条康元が入っていた沼田倉内城を攻略し、岩櫃城以前の吾妻の拠点、岩下城に
明間城を攻略、厩橋城の厩橋長野氏は戦わずに開城、那波氏は早い時期に北条についていて
管領家と対立していたが謙信の攻撃によって開城、没落し、館林城の赤井氏も滅ぼされている。
すぐ降伏した厩橋長野も那波攻めの最中に暴れ馬が出たことで謀反を疑われ殺され滅亡。
結果、沼田、厩橋(那波領、大胡領含む)は謙信が支配下においている。
一方、小豪族が点在する西上野では倉賀野城を北条から取り戻して倉賀野直行に返し、
1558年頃に武田に味方した安中氏庶流を攻めて安中氏の嫡流に城を返している。
(ただしこれらは別働隊がやったのかもしれないが)
326人間七七四年:2007/09/29(土) 21:53:15 ID:LnP7Fe3K
>>325
詳しく乙
謙信の猛攻はすごいなw
327人間七七四年:2007/09/30(日) 06:23:37 ID:/lfR1gNs
>>322
ゲームじゃないんだから
そんな長細い補給線切られたらアボンぬ
328人間七七四年:2007/09/30(日) 06:35:03 ID:devskvjq
能登畠山の救援とかウケルw
329人間七七四年:2007/10/05(金) 02:30:29 ID:brbQuAfu
童貞野郎共よ押忍、押忍、
全く上杉厨共の書き込みを見てると情けなくって涙が出てくる。
30代になったいい無職がまだ「デカマラの六尺謙信公」とか言ってデカマラの六尺謙信公を求めてひた走る
この健気さにうっとりだ。
アホかこの童貞が!
いずれ謙信公が女狐と結婚したら後悔するぜ
男ならもっとビシッ!とズリ道を極めろってんだ!
俺はその為に毎日1000回のゼンズリを欠かさない。
「オッス!!オッス!!」と気合を入れながらデカマラを振り下ろす度に菊門にギュッ、と力を込める。 
こうして鍛え抜かれた俺の性根は「衆道」なんて立派なシロモンとは対極を成す、まさに「男の極み」だ。
そのあまりのデカマラっぷりにご近所じゃあ“デカマラの毘沙門天”って呼ばれてる。

そんな俺だが、俺でさえ家を出たくなるほどの形のいいデカマラの六尺謙信公の出現を心待ちにしている。
勿論、最悪のアウェイを味わいたい命知らずの衆道彼も受付中だ!
毎週金曜14時頃はだいたい衆道の結婚相談所&出会い系の衆道サイトにいる。178*74*48角刈りにねじり鉢巻がユニフォームだ。

俺のほぼ不可能な衆道&糞尿離れ!離せるもんならハナしてみやがれ!!
この書き込みに勃起した包茎ミニマラ上杉厨房もオレと一緒に
ズリ道極めようぜ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
330人間七七四年:2007/10/19(金) 09:08:38 ID:lVrcE1Q3
長野出身 30代 男
八幡原近辺の出身としては上杉謙信、敵に塩を送った。毘沙門天の化身。
武田信玄は風林火山でしょう。

どちらも素晴らしい戦国武将というイメージですね。
最近は知らないが、私が子供のころはカブトムシのオスをシンゲン
メスをマンジュウと呼んでました。

地元の人で昔からいる人は、川中島古戦場ってあまり呼ばないですよ、八幡原です。
331人間七七四年:2007/12/09(日) 16:54:55 ID:7zg/2nnY
興味深い話が前半続いていたのに、ホモの荒らしとか低脳連中が
割り込んできて、終わっちゃたんだね。
332人間七七四年:2007/12/09(日) 18:30:19 ID:PJbFHBpq
>>322
一応2万ぐらいの軍隊出したけど雪が振って退路絶たれそうになったから撤収
333人間七七四年:2007/12/11(火) 13:12:46 ID:7cjHmrtg
>>332
謙信がなくなったのって2月くらいじゃなかった?
なんにしても援軍寄こすのが遅すぎじゃて
334人間七七四年:2007/12/11(火) 17:35:01 ID:hvCLT2ov
北条が自分で動かないくせして
勝頼に信越国境に出兵してくれとか要請出すから
勝頼が不信感増して景勝に寝返った

335人間七七四年:2007/12/19(水) 07:37:17 ID:XbzEKxMR
んだ、んだ
336人間七七四年:2008/01/02(水) 00:42:01 ID:6UPAPqvV
古河(鎌倉)公方と関東管領、階級が上なのはどっちなの?
337人間七七四年:2008/01/02(水) 09:03:15 ID:h0CyPnam
階級というか、格上なのはもちろん古河公方
338人間七七四年:2008/01/16(水) 08:46:27 ID:5YgZri5g
「管領」って役職自体が「将軍(公方)」の補佐役だからね。
339人間七七四年:2008/02/15(金) 18:20:46 ID:bkok2sXC
だが関東管領は将軍家の管轄にある
つまり付け家老的存在
将軍の意向によっては関東公方に代わって采配を振るったり関東公方を滅ぼす事もある
340人間七七四年:2008/02/15(金) 18:27:43 ID:cT1lZ6lt
公方の監視役の側面があるからね。
鎌倉公方滅亡後にはふつうに関東管領だけで関東政治やってたし。
越後上杉が鎌倉公方復活運動しやがって足を引っ張ったが。
まっその越後上杉が守護代長尾家を滅亡させて、代わりに守護代にした長尾能景・長尾為景・長尾景虎の最強3代を生んでしまうワケだがw
341人間七七四年:2008/03/08(土) 11:21:22 ID:sbavAW4O
最凶の間違いだろw
342人間七七四年:2008/03/08(土) 20:06:02 ID:XFz1l38y
関東管領なんて見捨てとけばよかったのに。
北条と20年の泥沼なんて正気じゃないよ。
343人間七七四年:2008/04/22(火) 15:02:20 ID:F7ADc40x
関東支配できる力もないくせにいい気になって馬鹿だよな
344人間七七四年:2008/05/04(日) 15:37:31 ID:OCQ1ag6X
 /:::::: ::. : :. .. . :.. ..::::::::::::: .:::ヽ
/::. :. :. .:::::...::::::.:::::.::::::::::::::::::::::::::::::::\   ,、_,ノー-、__,ハ.ィ
:::::.:::.:::::::::i、:::::::::ト、ヽ 、::::::::::::::::::::::::::、_ヽ-'
:::::::::::::i|::::|.ヽ:::::::l \\ヽ\:::::::::::::く  だ ll_o こ 上
:::::::::i|:| l:::|u ヽト、l /_,≧、ヽ. t::::,r-、}  ろ || ̄   l  杉
::::l!::|'l| l::| 、 ヽイ/〃'_ リ u ヽ`tフ   !!!! ヾ=  ゆ ヲ
:::ハ::「l_≧:いヽ^ヽ! ヾ=彳// 八 ∠、     ‖  う  タ
小 il{i´{{¨_/////////// ⌒ /i:|ヽ.     ‖   の は
l!|ハ ヽ ヾ=''///////,. -‐‐ 、 u l:レ }      ‖   見
/! ぃヾ/////////     ヽ /l:|/     っ   て
  tヘ////rー‐'         }/ ∠_     て
   ` ト、  ヽ         / /|!ハ    る
    l:| ` ー;'⌒ヽ _   ,∠.._ i: /: /:}   ん
     l!  ,⊥   Y二.「: : \ |/: :/: :|          /
     _,.」  ヽr‐}  ノ:ヽ: : : ヽ: :/: : :レ'⌒ヘ ,. 、   _z':
  r'フ入.  ヽ  ゙t '.∠ ---―――¬/;.イ∨l! ト、/ : : :
  }_,、_,ノヽ. 、 ヘ r‐{           |´l| ! li| | l: : : : :
 ̄     `ーヘ.フ.           | ll   | l |:/: : :::
  ,. '" _,,. -…;   ヽ             |タ    l l.|: : :::::::
  (i'"((´  __ 〈    }             |    |  j: :::/:
  |__ r=_ニニ`ヽfハ  } 腹ン中が   |     |  |: /: : :
  ヾ|!   ┴’  }|トi  } パンパンだぜ|   j | !: : :/
    |! ,,_      {'  }          |    l |:/ ::::
   「´r__ァ   ./ 彡ハ、         |    !| : : : : :
    ヽ ‐'  /   "'ヽ           |    |: : /::
     ヽ__,.. ' /     ヽ.        |    |/::::_;.
     /⌒`  ̄ `    ヽ\_      |   |:ー'´: :
    /           i ヽ \       |   |: : : : : :
345人間七七四年:2008/05/04(日) 15:41:16 ID:DshEx+TA
謙信てスポーツ感覚の戦いぶりって感じだよな
346人間七七四年:2008/05/04(日) 18:28:07 ID:0LYTJHM/
お助けマン越山は8000を連れてのピクニックや運動会気分だから。
あれやって越後武士の結束をはかってた。
347人間七七四年:2008/05/04(日) 19:40:39 ID:9rfM7nfi
越後って二毛作できないから、春から作物がとれる夏までの間は、農村は深刻な食糧不足に陥ってた。
謙信の関東出兵は晩秋に出てって年を越す長期にわたるものが多いけど、農兵の割合が多い軍隊を豊かな関東に連れてって農民に略奪させるのが目的だったらしいよ。
348人間七七四年:2008/05/04(日) 19:52:08 ID:4xkPPJco
またその根拠なしの略奪遠征説かよ
ログ見ておけ
349人間七七四年:2008/05/04(日) 20:29:58 ID:9rfM7nfi
>>348
絶対そうだとは言わないけどさ(そもそも根拠ってどんなだ。上杉方の誰かが「略奪のために戦してました」って残した資料が欲しいのかな)、十分そう考えれるでしょ。
領地全然とらなかったのも説明つくしさ、領土欲なくて義のために戦ってたってのよりも。
戦国大名が何を目的に戦ってたかなんて推測するしかないし。
350人間七七四年:2008/05/04(日) 20:44:58 ID:192xr2l7
いちいち説明するのも面倒くさいが略奪が目的は無い。
そんな目的で遠征してたなら
国を運営する能力も全く無いバカというほかしかない。
そんな経済感覚無いトップだったらとっくに越後が破綻してる。
351人間七七四年:2008/05/04(日) 20:46:24 ID:4xkPPJco
経済後進国で五穀不毛の関東に略奪するものは何もない。
略奪があったとされる被害者たる北条側の資料を探ると
出てくるのは永録四年の初遠征だけ
しかも謙信が統制できない関東軍がその主体。

それなのに国費を費やしてたった数千人ばかしを食いぶち減らしに連れていく等ありえない。

そのうち二度も行った五千人の上洛も略奪のためだと主張する猛者が出るんじゃないかとw
352人間七七四年:2008/05/04(日) 20:52:57 ID:9rfM7nfi
収穫後で雪もない関東なら、越後で飢えてたはずの農兵も食いつないでいけてたんじゃないの。その分本国では食糧があまるわけだし。
領土もとれない戦をただ毎年繰り返してたとするよりはよほど経済感覚あると思いますが。
353人間七七四年:2008/05/04(日) 20:53:38 ID:4xkPPJco
ついでに言うと、何度も略奪目当ての鬼畜が攻めてくるのに、
迎撃の真似すら出来ない北条は阿呆かと。

上杉の遠征は全てが義のためではないが、安易に面白説にひっかからないでくれ。

強いていうなら国内で取れぬ国衆の統制を
外征でなし崩しに取ろうとしていたのと、
単なる国防のための遠征ですよ。
354人間七七四年:2008/05/04(日) 20:56:08 ID:nXgkquxi
この手の議論見てて毎回思うんだが、なんで米に限定するんだろうかね?
もっと換金性の高い布とか掻っ攫っていけば、それを売って米買ってくればいいじゃない
北条なんか米買ってるし
355人間七七四年:2008/05/04(日) 21:09:05 ID:0LYTJHM/
アカピの捏造本の略奪説をまた持ち出すか…ほんとくだらねーな。
何回論破されたネタだと思ってんだ。少しはROMれよ。
356人間七七四年:2008/05/04(日) 21:15:01 ID:9rfM7nfi
確かに、略奪のために戦っていうのもあんま効果無いような気がしてきた…。
上杉家は港があったから交易して金はあったらしいしね。
領土欲のない戦国大名説は臭いなって思ってたけど、国衆の統制が目的というのもありそうだなと思えました。
357人間七七四年:2008/05/04(日) 21:27:54 ID:D9fH/E4W
>>356よ、あまちゃんだな。
358人間七七四年:2008/05/04(日) 21:51:36 ID:0BQ4226+
>>354
越後は青苧の産地だから
それで麻布作ったり、青苧をそのまま都に送って
巨利を得ていたんだよ

謙信が二度も上洛したのは青苧座を握っていた三条西家との相談
より越後青苧座が力を持つよう、協力を取り付けてきた
あと事件が頻発していた日本海ルートの安全に尽力してる

これだけで年4万貫の船頭前が越後に入るようになった
他にも塩、蝋、木材、紙などの交易で大儲け
為景時代に越後から逃げた商人を呼び戻し、優遇政策も実施

謙信と北条の奴隷は一人20文
信玄の奴隷は一人2貫〜10貫(10000文)
謙信にとって奴隷売買は10円チョコにも値しない商売
謙信は里見、太田らに兵糧の買付けを依頼している
359人間七七四年:2008/05/04(日) 22:32:32 ID:vK+rS6Qy
上杉信者がキモ過ぎるスレがあると聞いて飛んで来ました
360人間七七四年:2008/05/05(月) 08:56:18 ID:kq8H838o
>>358
お前に知識があるのは分かったけど、もうちょっと要点ついて批判してほしいね

経済的に余裕があるというのと、金儲けの事業を起こさないというのは同義ではない
現代日本で金持ちが金儲けしないのか?
361人間七七四年:2008/05/05(月) 09:18:32 ID:uMi3Jl4f
食わせるために関東に兵を連れて行くなんぞ
大赤字になるだけ。
経済活動できる国主だからこそ、んなことはせん。
362人間七七四年:2008/05/05(月) 10:09:10 ID:l+9C4n+8
>>360
代わって説明すると、当時の年貢システムはエドジダイと違って、
百姓から米じゃなくて銭を納めさせていた。
石高じゃなくて貫高制度。
つまり大名の出兵に伴う兵糧は領地から得た現物をそのまま使うんじゃなくて
国費で米を買い求めていたわけです。

で、謙信は晩年の大内みたいな海上貿易で儲けた富裕大名。
もし越後が不作でも商人は自分から争うように米を売りに来る。
だからわざわざ、莫大な国費を用いて人的消耗(しかも貴重な労働力である農民兵主体)
の危険が伴う関東に略奪目当てに出兵するなんてありえないってことかと。
363人間七七四年:2008/05/05(月) 15:34:59 ID:kq8H838o
>>362
上の段落は蛇足と考えるが如何?

要するに労働力の損失が痛いから、略奪のための遠征はないということでしょ?
江戸時代の話だったと思うが、飢饉難民を救済するのに、土木事業を行わせて、米を渡していたそうだ
貧民でも働かせて、食い物を与えるという構図だな

貴重な労働力というが、永原慶二によれば当時の地方都市でも随一の人口抱えている
具体的に言うならば、原田伴彦の試算によれば、春日山3万、山口、駿府、岐阜一万、清洲八千人
かなりの余剰労働力がありそうだが?

この余剰労働力を農家で生産に従事させるのと、貧民救済を兼ねて略奪させてくるのとどちらを選択するかという事だが
貧民救済にはもうひとつ、治安維持という側面もあるな
364人間七七四年:2008/05/05(月) 18:35:08 ID:Qu6NUS/V
それでなぜ略奪しに遠征したって結論になるんだよw
戦争だろうが公共工事だろうが働かせて給金払うのは当たり前だろうが。
謙信は遠征で出した兵に糧食を与えず
自力で略奪させて賄わせていたと言いたいのか。
365人間七七四年:2008/05/05(月) 20:04:52 ID:kq8H838o
>>364
発端は米しか奪うものがないという事に対する批判だったんだが、偉くそれたな
まあ、他のものも可能性があるって事
366人間七七四年:2008/05/05(月) 20:11:47 ID:K0VBDltt
>>363
春日山の人口=越後農民の人口
ではないぞ。
367人間七七四年:2008/05/05(月) 21:26:12 ID:uMi3Jl4f
捕虜の身代金は赤字確実な値段に設定、
越後は布・蝋・木材・紙などの輸出で豊かであり
貧しく無かったし米は金で買えたし
関東遠征中は食料調達は関東勢が行っていた。

ここまで分かっていてなんで「遠征は略奪目的」に
しがみ付いてるのか分からんな。
略奪を頻繁に行っていた史料も出せないし
何を略奪したって事にしたいんだよw
368人間七七四年:2008/05/05(月) 21:42:01 ID:kq8H838o
>>366
それがこの話に何か影響を与えるものとも思えないが?

>>367
米以外のものでも略奪の可能性はあるということ
問題意識は>>365に書いたとおり
論理として、「米雑穀が欠乏する関東では略奪するものがない」という事に対して、いや他にもあるだろうという事なんだが
同時に略奪をしていた事に関してまで少し話がそれてたな
後者に関してはまた別の話だ
誤解を招いてすまんね
369本当はどれだ:2008/05/05(月) 22:01:52 ID:+mvMI+Ue
くるまかがりの陣

 ↓
来る馬ばっかりの陣
 ↓
狂う馬ばかりの陣
 ↓
狂う魔が駆りの陣

来る魔かがりの陣

つかりた・・
370人間七七四年:2008/05/06(火) 11:01:51 ID:p7RbHsVF
略奪なんて、当時どの大名もさせてたか黙認してたんじゃない?
たとえそれが目的じゃなくても上杉軍も人並みに略奪してたろうし、遠征の目的としてもそれほどおかしくないと思う。
371人間七七四年:2008/05/06(火) 11:28:32 ID:kmFWRC0a
裕福な関東管領がわざわざ略奪して進軍するかよw
補給だって厩橋から利根川を利用して簡単に送り出せるのに。
だいたい上杉軍は年中のようにひっきりなしに出兵しまくってるのに
この手の話をするやつはみんな何も採れない冬だけ口減らしに出兵すると歪曲してんだよなw
たかが8000の越兵の口減らし?そんなら労役免除なってるヤツらは口減らしに参加できなくて不満だろがw
保存食や冬期の脂ののった魚貝類もあるのに…そもそも秋に収穫して冬に早くも口減らしかよw
372人間七七四年:2008/05/06(火) 11:48:26 ID:p7RbHsVF
>>371
特に略奪遠征説を支持したわけではないよ。最後の「目的としてもそれほどおかしくない」は蛇足だった気がするけど。
用は略奪はどこもやってたから、たとえ関東で略奪してても実は謙信は悪人だということにはならんと言いたかった。
373人間七七四年:2008/05/06(火) 12:15:33 ID:6Fym8lNy
まあね。上杉軍も戦術的放火は頻繁にやっている。
川中島でも一度乱取りした記録がある。

だから我々も上杉軍を乱暴狼藉のない綺麗な軍隊と言う気はないよ。
でもこういう謂れのない強盗目当ての出兵だとかいう
くだらない汚名を有名な学者につけられて迷惑しており、
その話題になるたび、ナーバスになってしまう。

そこは察してやっとくれ。
374人間七七四年:2008/05/06(火) 14:20:20 ID:R74hu2aH
上杉家がありもしない「義」を掲げて捏造し過ぎたのが叩かれる原因だから自業自得ですね^^
375人間七七四年:2008/05/06(火) 14:30:48 ID:kmFWRC0a
>>374
お前が基地外なのはよくわかったよ
376人間七七四年:2008/05/06(火) 14:43:21 ID:R74hu2aH
いやいや、「自分は神だ」なんて連続殺傷事件の犯人と同レベルの気違い信奉してる人達には敵いませんよぉ^^
377人間七七四年:2008/05/06(火) 15:28:15 ID:6Fym8lNy
実際には上杉謙信が神を自称したことは一度もないんだがね。
初心者向けの上杉本でよく書かれる毘沙門ではなく俺を拝めと告げたのも江戸期の創作。
378人間七七四年:2008/05/06(火) 15:36:32 ID:R74hu2aH
おやおやまた上杉の捏造ですか^^
米沢はさながら嘘つき村ですねぇ(呆
379人間七七四年:2008/05/06(火) 15:49:53 ID:GJ8hz3wc
DAIGO「平成」の名付け親を暴露★2

竹下登元首相の孫であるロックミュージシャンのDAIGO(28)
が、「行列のできる法律相談所」の番組内で、元号「平成」の選定
者が、故宇田川精二東京大学名誉教授であることを暴露し、話題を
呼んでいる。
宇田川氏と竹下登元首相とは、生前より親交があり、DAIGOが
幼少期に宇田川氏に漢字のドリルを解いてもらったというエピソー
ドが紹介された。
(5月4日9時18分配信 デイリースポーツ)

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/kobun/1209369247/l50
380人間七七四年:2008/05/06(火) 16:38:45 ID:kfXTBD0N
>>377
史実だったとしても「俺が神だ」って内容じゃないしね
至急、間者を放つ必要に迫られて毘沙門堂へと戻る暇は無い
間者を放つ前に神へ誓わせるしきたりに拘泥できない状況
だから「今は毘沙門堂へ戻ってられない。俺を神だと思って、この場所で誓え。」と言っただけ
しきたりや神に左右されない普通の判断
381人間七七四年:2008/05/06(火) 18:47:54 ID:R74hu2aH
え?いちいち毘沙門堂まで行ってたのですか?
よほどお互い信用できなかったのですねぇ
ヒステリックで疑い深く小動物のように周囲を警戒する姿が目に浮かぶようですね^^
382人間七七四年:2008/05/06(火) 19:37:47 ID:p7RbHsVF
>>381
またこいつか^^
いろんな上杉スレ荒らしてるやつだ^^
383人間七七四年:2008/05/06(火) 20:01:05 ID:qrF0gcBQ
大抵どこの大名家でも間者は雇われ者で、外部の人間では
伊賀人同士が敵味方に分かれて、互いに情報を交換し合ったり
どちらかが土壇場で裏切るケースも
諜報を任される忍や山伏連中は密教と深く関わっていたのではないかなぁ
まぁ今の価値観は当て嵌まらないよね

どっちにせよ作り話っぽいし
384人間七七四年:2008/05/08(木) 19:57:20 ID:xwUMvdS4
>>301
こんな大昔の文にレスしても仕方ないが、
史学ってのは司法などの世界と違って、
「誰の目にも明らかな証拠がなければ無罪」ってもんじゃないんだよ。
たとえ、明らかな証拠がなくても当時の慣習からいって
謙信や景勝も男色していた事は有力だ。
あと謙信は当時の男色のメッカたる寺院に幼少の時から
すごしていたわけで、さらに可能性は高い。
勿論、明らかな証拠がない限り絶対に100%まではならないんだが、
史学の世界は「疑わしきは罰せず」じゃないからな。
385人間七七四年:2008/05/08(木) 20:00:08 ID:xwUMvdS4
>>377 >>380
あんたはもしかして他のスレでも
「戦国大名が甘味や宗教を信じていたわけがない」と主張している人物か?

そんなことはないだろう?
当時としては神や宗教を信じるのは非合理なことではない。
特に謙信は宗教に関しては毎日すざまじい数の写経や真言をしてた逸話があり信じきってたからな。
まあ「我を毘沙門天だと思って」の逸話が事実ではないかもしれんが。
386人間七七四年:2008/05/08(木) 20:07:41 ID:Rj60FzC5
>>384
コピペ乙
387人間七七四年:2008/05/08(木) 20:55:12 ID:7uHZSH47
>>384
いい加減な断定すんなよw
だいたい出家って言ったって幼少時にいただけで思春期の青年期にはすでに衆道のメッカには謙信は居なかったんだから、そんなもん仏門で教わってないだろ。
388人間七七四年:2008/05/08(木) 21:01:14 ID:2brGudBm
>>385
377だが、私は謙信の信仰心は一切否定しておらず、むしろ比較的神仏を軽視した信長や信玄と違って、
自らを神様だなんて自称するほど傲慢ではないと言いたいだけ。
小説とかだと俺は毘沙門天の化身だなんて描かれる事が多いが、
これは根拠がないイメージなんだよ。
389人間七七四年:2008/05/08(木) 21:43:27 ID:2brGudBm
>>387
まま、熱くならず。
史学を疑わしきを罰せずの世界と言い切ってしまったら、
何の研究も発見も意味を成さなくなるよな。
逆に言うと384みたいな思考が女性説な温床になる。

むしろ男色をしていたなら尚更、女色をしていないとおかしいと思うんだが、
それはどうなるのかねえ。
390人間七七四年:2008/05/08(木) 21:44:50 ID:2brGudBm
疑わしきを罰せず

疑わしきを罰せずではない
に訂正
391人間七七四年:2008/05/08(木) 23:34:12 ID:xwUMvdS4
だからさ、謙信は衆道相手への手紙が現存している信玄や政宗と違って
絶対的証拠が残ってない、だから謙信は衆道を全くやっていない

とかいう断定がおかしいと言ってるんだけどね。

>>387
年代から言って掘られてたかもね。

>>389
男色専門のゲイという人種もいるよ。
戦国期はほとんどバイだが細川政元みたいなゲイもいる。
謙信は信仰や武運長久のために女性を絶ったのかもしれない。
元々、男色は女色が戒律で禁じられている僧侶が中国の影響ではじめたものだし。
392人間七七四年:2008/05/08(木) 23:42:59 ID:xwUMvdS4
>>388
ああ、そういう事だったか。
でも少なくとも信玄は信仰心は厚く神仏を軽視したなんて事はないし、
信長が無神論者、無宗教者なんて話しはウソで彼も神社の参拝は欠かさなかったんだけどね。
あと禅宗にも帰依してた。

もっとも謙信の信仰心は彼らよりさらに上だったろう。
そのために少なくとも仏教で禁じられている女色は絶ったんだろう。
女色はダメだが男色はいいなんてのは現代人の理解を超えてるが
そういう事だったわけで。
393人間七七四年:2008/05/08(木) 23:57:40 ID:2brGudBm
神仏の軽視は先に記したとおり「比較的」ね。
信玄は願文で神仏と対等かのような取引じみた事を記し、
不動明王と一体化を考えていたのか、甲府の不動像に自らの毛髪を塗り込んでいる。
信長は宣教師の言葉を信じるなら禅宗への帰依は形ばかり。
心から帰依していたら男色を否定する宣教師など手打ちでしょう。
でも信長や細川政元が本当に男色していた証拠ってあったっけ。
394人間七七四年:2008/05/09(金) 00:16:33 ID:8g3TH3fQ
細川政元は詳しくないから知らん。
信長は加賀藩の飼料に前田利家の逸話があるしな。

ただ信長の衆道で疑問時されてるのは森蘭丸との関係だな。
他のもう一人、衆道相手として有名な小姓ともっぱらやってたらしいが忘れた。
395人間七七四年:2008/05/09(金) 00:40:46 ID:g0jtJfuW
そんなんじゃ戦国武将に男色が蔓延していた証拠にもならんね。

宣教師も僧の間で流行ってるとは書いていたが、武家で流行ってたとは書いてないはず。

景虎も寺に入ったと言っても、坊主になるため住み込みしたんじゃなくて、
武将になるために通っていたとしたら、ご説は全く成り立たなくなる。
396人間七七四年:2008/05/09(金) 03:15:10 ID:KljAyNxO
西国は怪力乱神を信じて宗教に盲信していた。
畿内東国はそれほどズブズブなシャーマニズムな宗教観はすでになかった。
オマエらが奈良や京都の仏閣めぐりしたり、受験の為にお守り買ったり、
正月に御参りしてるからって宗教心が篤いわけでないのと一緒。
397人間七七四年:2008/05/09(金) 03:55:41 ID:8g3TH3fQ
>>395
大内義隆にもそんな話しがあれば
武田信玄や伊達政宗、芦名の内紛とかいった話がある。
てか男色否定者は多分に「戦国武将が男色などしてたわけがない」
という願望が激しいのだが。

>>396
それも「戦国武将が宗教や神を信じるわけがない」とかいう願望。
少なくともその例えは適当ではない。現代人とは比べようがない。
てか貴方の頭の中には「現代人のような信仰」か「ズブズブのシャーマニズム」かの
二者択一しかないのかね?
398人間七七四年:2008/05/09(金) 04:22:38 ID:KljAyNxO
>>397
「戦国武将が男色などしてたわけがない」
「戦国武将が宗教や神を信じるわけがない」

はっ?誰もそんなこと言ってないが?独善的に断じてるが頭大丈夫か?
だいたいそんなの地域差や各武将ごとにみんな個性もあって違うだろ。
いろんなヤツがいるって言ってる。
オマエは断言しちゃってるが逆説的に言って
みんな男色で、みんな宗教も神も信じていたと主張したいのか?
399人間七七四年:2008/05/09(金) 06:03:10 ID:8g3TH3fQ
>>395
謙信は僧侶になるために寺に入ったんだよ。

>宣教師も僧の間で流行ってるとは書いていたが、武家で流行ってたとは書いてないはず。

ウラが取れないな。

>>398
ああ、そうかスマン。
別の場所に居る論敵をこのスレに当てはめてしまった。
400人間七七四年:2008/05/09(金) 06:21:48 ID:snNfU1ad
>>384
全ての寺が男色のメッカだったのだろうか
特に謙信が幼少時過ごした曹洞宗なんか只管打坐「ただ座禅を組め」だよね
「目を閉じるな、下らない妄想をするな、法力なんて有り得ない」
「密教なんて嘘だ、公案なんて馬鹿げてる、禅問答なんて止めろ、ただ黙々と座れ〜!」っていう
要するに達磨が行った面壁三年を目指した宗派でしょ
果たしてそんな連中と、稚児を抱いて救済を得るとかいう「稚児灌頂」が相容れるのか
抱かれる稚児は「お前は菩薩様じゃ〜!」と名前の最後に「丸」を付けられたそうだが
謙信は付けられてないね

んで、これは多分に密教っぽい考え方だけど、それと道元はどうにも結び付かない
もっとも永平寺はじめ全ての曹洞宗の寺が、道元の教えを守ってる訳でもないだろう
実際永平寺では稚児行列をやってるという話も聞いた

それでも男色からは最も遠い宗派だと思うし
曹洞宗及び林泉寺の実態が分からない限り
「寺は男色を教える所」などと十把一絡げにするのは強引ではないか
401人間七七四年:2008/05/09(金) 07:31:20 ID:DCph//Kv
いくら寺でも男の子は何でもかんでも犯ってたわけじゃない。
性的対象にする男子は10代中盤〜後半になる頃であって
謙信はその年頃になる前に寺から戻されてる。
402人間七七四年:2008/05/09(金) 08:15:54 ID:g0jtJfuW
>>399
謙信が僧侶になるためにと言うのは江戸時代以前にそれを示唆する資料がない。
林泉寺じゃなくて常安寺で修業していたと言う説もあるよ。
403人間七七四年:2008/05/09(金) 11:51:14 ID:8g3TH3fQ
「確証がない」=「そんな事実はなかった」ではないのが史学の面白いところ。
刑事裁判なら心象的には真っ黒でも立証しきれなければ無罪になるが史学ではそうではない。

逆に言えば歴史はどんな奇説でも入り込む余地があるという事。
影武者徳川家康の愛蔵本の後書きで小和田教授もそう言ってた。
404人間七七四年:2008/05/09(金) 13:21:43 ID:KljAyNxO
確証がない時点で数ある諸説の一つに転落しちまうがな。
そんなこと言ったら謙信は女性w
405人間七七四年:2008/05/09(金) 13:49:22 ID:atvsTsf3
だから歴史って面白いよねぇ〜w
406人間七七四年:2008/05/09(金) 17:59:20 ID:/SwwudoE
上杉家中だけで某ゲーム大会ができるな
島津、毛利、武田、畠山、北条…
読みが違うのは置いとけば
407人間七七四年:2008/05/10(土) 06:28:56 ID:hX0RGdLA
>>403
謙信の場合「確証がない」というより
具体的な相手との「逸話すらない」状態
例えば、信長のように前田利家と同衾した際、「手を握って離しませんでした」
なんて暴露されたり
政宗のように片倉重長の頬を舐め回したとか
只野勝吉へ釈明する内容の恋文を送っているとか
信玄も高坂へ釈明する恋文が伝わってる

武将の特徴を其々把握する為には
まず互いを比較してみよう、という人は実際多いんじゃないだろうか?
そこで得られた差異から、対象とする武将の輪郭が掴める

このケースから得られた差異は何かというと、
謙信は(同時代の武将と違って)相手が分からない
謙信には(同性愛を示す)相手とのエピソードがない

よって謙信は信玄、信長、政宗と違い、
この時代の武将としては比較的、衆道に執着してなかったのではないか・・・
という推測が成り立つと思う
408人間七七四年:2008/05/10(土) 09:18:02 ID:z4iPEL5/
村上との関係は?
年が違うか?
409人間七七四年:2008/05/10(土) 12:11:10 ID:vmoFRg4h
謙信が男を好んだとしても、若いのが好きらしいから村上はないなw

でも近衛の手紙って、別に男を示してない気もするが。
男女どちらにしても、噂話を聞いただけに過ぎないし、
古河時も下らない噂にガクブルして謙信の政策を狂わせるし、
この人の言うことはあてにならんね。
410人間七七四年:2008/05/10(土) 12:37:11 ID:4s2/jgDA
近衛の手紙は京で将軍と近衛と謙信で宴会して
将軍様が若衆呼んで一緒に酒飲まさせてもらって
「謙信も若衆を気に入ったようです」って感じの書簡だから
なんの判断材料にもならんだろw
その状況じゃ誰だって「お酌していただけて嬉しい!」って反応するわw
411人間七七四年:2008/05/10(土) 13:54:03 ID:D30k6R7l
>>404
謙信は男と言い張るのも、女と言い張るのも、男色だったと言い張るのも結局確証はないわけだが。
高野山に登ったってのも、幼い頃寺に入ったってのも一次には見られない。

現時点で確実なのは上杉謙信という大名が日本の戦国時代に生きていたという事だけ。
ただ、遺骸が残っているはずだから、墓の中を見ればそれではじめて確証がとれる。
でも徳川家重のように遺骨を調査後女性説が浮上した人物もいるけどね。
412人間七七四年:2008/05/10(土) 21:30:27 ID:dM7kA8P7
謙信が越後で若造集めて酒宴したって逸話はあるのか?
むしろ梅干や味噌を肴に、一人だけで黙々と呑んでたイメージがあるんだが。
413人間七七四年:2008/05/11(日) 22:14:45 ID:O3BTpYX8
八重垣姫は養女?
架空の娘?
414人間七七四年:2008/05/11(日) 23:30:40 ID:OR1Kmbgq
もちろん歌舞伎の創作人物です
実在しません
415人間七七四年:2008/05/12(月) 20:54:30 ID:kdflSofr
花札トランプの13月は
八重垣姫、タネが竹に雀
0月(joker)が蓮に虎
416人間七七四年:2008/07/12(土) 12:35:18 ID:J0EjpQ6/
        ,,,--─===─ヽ/へ
      /iiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡|≡ヾ ヽ
     iiiiiiiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡≡|≡ミミヾ丶   北条を倒せないのはお前らの協力が足りないからだ
    iiiiiiiiiiiiiiiiiiii/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ミiiiiiヽ
   iiiiiiiiiiiiiiiiii/             \iiiiiiiゞ     お前の苦痛は俺が救済してやる
   iiiiiiiiiiii/                \iiヽ  
  iiiiiiiiiiiiiii《    ━━━'/  ヽ━━━ ヽミヽ      俺   は   神   だ
 ...iiiiiiiiii彡/      __,.::  :: __  ヽiiiii|
 ..iiiiiiiiiiiii》|             :::      |iiiii|         学会員もいい加減目を覚ませ
 iiiiiiiiiiiiiiii|,                     |iii|       布施しろ 
..iiiiiiiiiiiiiiiiii,         ( ● ● )      .|iiii|
iiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii       》━━━━《       |iiiii         そして軍神に帰依しろ
iiiiiiiiiiiiiii《《《ヽ     》 / ̄ ̄\ 《     |iiiiiiii|
iiiiiiiii《《《《《《《《    《《 \ ̄ ̄/ 》》   |iiiiiiiiiii|
iiiiiiiiiiii《《《《《《《《《《《 》》   ̄ ̄  《《 》》》》》iiiii|
iiiiiiiiii《《《《《《《《《《《《《《《《《《《《》》》》》》》》》》》》》》iii|
417人間七七四年:2008/08/24(日) 09:11:55 ID:MeYrCvlX
      \∧_ヘ     / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ,,、,、,,, / \〇ノゝ∩ < 略奪に行くぞ!!          ,,、,、,,,
    /三√ ゚Д゚) /   \__________    ,,、,、,,,
     /三/| ゚U゚|\      ,,、,、,,,                       ,,、,、,,,
 ,,、,、,,, U (:::::::::::)  ,,、,、,,,         \オーーーーーーーッ!!/
      //三/|三|\     ∧_∧∧_∧ ∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧
      ∪  ∪       (    )    (     )   (    )    )
 ,,、,、,,,       ,,、,、,,,  ∧_∧∧_∧∧_∧ ∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧
      ,,、,、,,,       (    )    (    )    (    )    (    )
418人間七七四年:2008/11/10(月) 08:19:06 ID:GJ3tALsB
8000のホモ軍団が襲って来たらそら逃げるわな
419人間七七四年:2008/11/10(月) 11:05:55 ID:npeyMxLj
男色確定なのは
政宗と信長だけ
謙信にそれを裏付ける一次資料は存在しない。
420人間七七四年:2008/11/10(月) 11:08:15 ID:npeyMxLj
信玄も男色好きだったな。
まぁ吉川もそうなんだが。
421人間七七四年:2008/11/10(月) 12:05:49 ID:tc1N5Hvc
九州・四国・中国系は0?
422人間七七四年:2008/11/10(月) 12:45:58 ID:npeyMxLj
毛利隆元と大内義隆・陶晴賢と吉川元春

小早川秀秋もそうだな。あと家康も。
政宗と片倉の息子もそうだな。
423人間七七四年:2008/11/30(日) 03:26:07 ID:ebuo82pg
スレ違いage
424人間七七四年:2008/12/01(月) 23:17:41 ID:1YlLM32C
「謙信」と聞いたら、「ウホ」を連想する香具師がこんなに多いのかwwww.
425人間七七四年:2009/01/25(日) 12:33:52 ID:ZoDQyN7B
むしろホモや童貞の代名詞だろw>謙信
426人間七七四年:2009/01/25(日) 13:07:15 ID:TzKx6Bjj
処女大名とお呼びなさい!
427人間七七四年:2009/02/14(土) 19:28:00 ID:bqtvfIgu
久々に来ればなんだこの流れw
しかし、本当に女色も男色もやらない真実の童貞だったら、ある意味尊敬してしまう
すげーよ謙信公
428人間七七四年:2009/03/19(木) 03:24:03 ID:9xxnK9r0
sage
429人間七七四年:2009/05/02(土) 08:44:31 ID:q86Stxjb
関東のクズ共が足引っ張らなきゃ北条など容易に滅ぼせたものを馬鹿な奴らだ
430人間七七四年:2009/05/02(土) 12:46:17 ID:nXxlfPHu
>>429
そいつ等をうまくまとめられないなら、北条滅ぼしても関東が佐竹武田、流れによっては徳川の狩場になるだけでは?
431人間七七四年:2009/05/02(土) 14:32:36 ID:y5kfoX2a
もともと関東衆が分裂する要因を作った両上杉の対立に問題があるわけだろう。
彼らがしっかりしていれば北条の拡大もなかったんだし、
上杉謙信なんて不思議な存在も生まれなかった。
432人間七七四年:2009/06/08(月) 08:46:29 ID:61NgT17a
三郎がケツを掘られる事もなかったナッ!
433人間七七四年:2009/08/03(月) 17:00:35 ID:g1rhCcGv
 
  「関東管領」・「義」・「北条征伐」を前面に打ち出せば、

  関東人から持っている物をいくらでも手に入れる事が出来る。

  , -―-、、 ∧∧       , -―-、、         , -―-、、
 /::領;:土::/ 中\     /::食;:糧::∧_∧     /::奴;:隷::∧_∧
 l:: :  :(  `ハ´)    l:: :: ::<丶`∀´>     l:: :: :<=(´∀`)
  ヽ:_:;:ェ::フづ:とノ' クックック ヽ::_::ェ;::フづ:とノ' クックック ヽ:_;:ェ:::フづ:とノ'  ソコクノタメニ
   〜(_⌒ヽ         〜(_⌒ヽ        〜(_⌒ヽ   ドウホウノ
       )ノ `J            )ノ `J            )ノ `J   テダスゲ
゙゙´```´゙`゙゙´´ ~~``゙`゙゙´゙゙´```´゙`゙゙´´ ~~``゙`゙゙´゙゙´´゙゙´```´゙`゙゙´´ ~~``゙`゙゙´゙゙´

434人間七七四年:2009/08/04(火) 12:32:40 ID:zhZ+5I0H
>>433
それで上杉がどれほど領土、食料、奴隷を略奪したの?
妄想じゃないんなら実証してくださいよw
435人間七七四年:2009/09/12(土) 08:50:09 ID:Gn5n5V3G
上杉が略奪しなかった事を実証してください
日常的な事だったら書かないでしょう
436人間七七四年:2009/09/12(土) 09:18:28 ID:QnepepxM
>>455
「日常的な事だったら書かない」が、「まったくなくても書かない」だろう。
謙信は敵方の寺社であっても戦災に遭って打撃を受けたらその復興に援助を惜しんでいないことは一次史料で確認できるし、
公権力を志向している建前、周辺領主の統率を成功させるためにも、自ら規範を示す必要があった。
437人間七七四年:2009/09/12(土) 11:23:22 ID:PWg/hoEj
そもそもあった事を実証するのが筋だと思うが。
無かった事を証明するのは悪魔の証明だろ。
438人間七七四年:2009/10/12(月) 11:00:39 ID:S/eF7Y1K
どの国でも都合の悪い事は公文書に載せないのが常識だからね
ほぼ全ての国が正義のみを主張している
闇の部分まで詳細に記録している国があればむしろその国のほうが道義的と言える
439人間七七四年:2009/11/06(金) 09:55:52 ID:/0DR2ctx
東日本で「越後者」が嫌われるのは謙信の影響?
440人間七七四年:2009/11/24(火) 18:13:35 ID:47OgZyWT
あなたの妄想です
441人間七七四年:2009/11/27(金) 04:37:55 ID:hrcae1kE
七尾城を攻略し、
手取川で織田信長をも撃破した最強の武将と言われています。
>>>>>
デタラメ。

七尾城は、遊佐美作が、下克上で奪取したもので、謙信は攻略していない。

また、手取川の合戦なるものは存在しない。

信長が、加賀一向一揆を討伐した話しをすりかえたもの。

442人間七七四年:2009/11/27(金) 05:59:10 ID:jwIVWHhl
sabはん、なにしてはりますのん
443人間七七四年:2010/01/20(水) 00:14:19 ID:Ei1Jqr6n
負けてないなら領地を放棄して逃走する意味が分からない
444人間七七四年:2010/03/12(金) 09:53:25 ID:IvhUQzr0
結局織田敗北を認めざるを得ない
445人間七七四年:2010/03/12(金) 23:41:52 ID:mDuiEyuF
〜謙信の野戦〜

広瀬郷の戦い【上杉謙信○−●長尾政景】(宿命の従兄弟対決!越後の覇権争い勇将・政景と火花。謙信方が政景方の発智長芳を攻撃。因みに政景は景勝のパパ)
八幡の戦い【上杉謙信○−●武田信玄】(武田軍の先鋒、謙信にボロ負け。信玄は塩田城内でブルブル。京都旅行の予定あった謙信さっさと引き上げる)
犀川の戦い【上杉謙信○−●武田信玄】(引き分けとは名ばかり! 旭山城は破却、川中島は没収! 今川義元兄ちゃんの助け船なければ信玄死んでた)
駒帰の戦い【上杉謙信○−●大熊朝秀】(謙信方の上野家成、信玄に内通して一揆軍を味方につけた裏切り者・朝秀を撃破。朝秀は信玄のパシリに)
上野原の戦い【上杉謙信△−△武田信玄】(謙信の猛攻に信玄、深志城内でブルブル、戦場に現れず。謙信呆れる。但し武田別働隊が白馬・栂池でスキーを楽しむ)
八幡原の戦い【上杉謙信○−●武田信玄】(信玄、身の程知らずにも海津城から飛び出し謙信と野戦!案の定フルボッコ、信繁討ち取られ号泣、火病。自業自得)
生野山の戦い【上杉謙信△−△北条氏康】(八幡原の戦いでダメージ受けた上杉軍は連戦の疲れで苦戦するも松山城の防衛に成功。謙信先生が引率してたか不明)
塩崎の対陣【上杉謙信△−△武田信玄】(信玄、怖くて塩崎城内でブルブル、兵の一部のみ城外に待機。謙信呆れる。信玄、信濃守護のクセ信濃北辺の制圧諦める)
放生津の対陣【上杉謙信△−△越中一向一揆】(強敵・越中一向一揆との初戦。しかし部下の揚北衆・本庄繁長がゲーム買ってくれた信玄オジさんと肉体関係に)
利根川の対陣【上杉謙信△−△武田信玄&北条氏政】(信玄・氏政の大軍と利根川挟んで睨みあい。その後意気投合して水上の格闘技・競艇などを楽しむ)
五福山の戦い【上杉謙信●−○越中一向一揆】(上杉軍の指揮官は河田長親。謙信は利根川で信玄・氏政・プーチンと水上バイクで競走中)
神通川の戦い【上杉謙信●−○越中一向一揆】(上杉軍の指揮官は山本寺定長。謙信は上越新幹線で越後に帰国中。定長、早く戻れバカと謙信にメール)
尻垂坂の戦い【上杉謙信○−●越中一向一揆】(謙信圧勝。軍神に野戦を挑んだ一揆はマヌケ。でも「ゴキブリみたく湧いてくる一揆軍は永遠に不滅です」と一揆復活)
利根川の対陣【上杉謙信△−△北条氏政】(再び利根川で睨みあい。謙信、巨大河川の濁流に邪魔され渡河できず。鉄橋あれば氏政即死)
手取川の戦い【上杉謙信○−●織田信長】(織田軍の指揮官・柴田勝家は敗走途中に馬上で脱糞、滝川一益は失禁、前田利家は放屁、佐々成政は射精)
446人間七七四年:2010/03/24(水) 05:29:38 ID:Jm2A0SXz
上杉謙信を正義の味方と思っている奴は知障
447月孔雀:2010/03/24(水) 06:00:15 ID:Z+zynRBS
上杉謙信に対する悪口は、逆に謙信の名声が高まっていることの裏返し。
448人間七七四年:2010/04/29(木) 23:44:31 ID:eEWl39Ks
弱者は強者に嫉妬するからね
449人間七七四年:2010/05/31(月) 12:58:35 ID:mPW8kPYV
略奪はともかく大飢饉のあとの関東になだれ込んできたんだから、
そら民は恨むは兵站は続かないわの状態で
悠長に一ヶ月囲んで落せないなら参戦諸将の離脱も当たり前だで

関東管領はあくまで公方の執事なのに、北条側だからって公方追い出して
公方の歴代にも数えられない藤氏なんぞ担ぎあげたのに、
おっぽりだして国帰るから、その玉すら北条にブン取られて大儀立たなくなるわ、
その名分与えてくれる公方より上の将軍はそのころ
「関東なんていいから、コッチ助けにきて!」状態になっているわでもう

軍略と経営能力はあるんだろうけど、いかんせん政略眼がなさすぎ
在地統治せずにあの状態の関東が収まるとでも思ってたならアホ過ぎ
てか本気で関東どうこうするつもり無かったんだろうな
管領になっちゃったから仕方ないくらいの片手間の仕事に見えるわ
450人間七七四年:2010/06/03(木) 12:44:10 ID:zZvwoKrw
 持氏を追い出して藤氏を古河御所に入れたのは、
藤氏が正当な世継ぎだったのと、義輝に頼まれたからでは。それも関東菅領の務めでは。
 信濃衆の為に信玄と戦わなきゃいけないし、越中でも椎名を助けて神保と戦わなきゃならないし、関東では前領主の為に北条と戦わなきゃいけないし、古河御所の藤氏は何度も北条に追い出されるから、また何度も戻さなきゃいけないし、体がいくつあっても足らないよ。
 弱った幕府や旧家の為に、公僕として 忠実によく働いたと思うよ。
451人間七七四年:2010/06/03(木) 13:15:33 ID:4z+0aMl6
結局、北条の担ぎ上げた公方、認めているじゃん。
無理な要請迂闊に受けるからだよ。
452人間七七四年:2010/06/04(金) 05:03:06 ID:RbwG6a6e
 結局、藤氏は北条に捕縛されて、あちこちに引き回された挙げ句に行方不明。
仕方がないから持氏を追認した。
 関東菅領を引き受けたのだって安易になんかじゃないと思う。
落ち目の幕府側に立って、忠節に役務をこなす損な役回りなんて、謙信の他に誰もやりたがらないかったのでは。
453人間七七四年:2010/06/04(金) 05:28:58 ID:1Wbh3ZXs
やらなきゃ良かったのに
関東混ぜっ返して果たせずに終りなんて
謙信の人生的にももったいなさ過ぎる
454人間七七四年:2010/06/04(金) 06:03:11 ID:aK9vFzQ4
しかし、新興勢力に幕府や旧家が駆逐されて行くのを、
指をくわえて見ているというのも辛い。
455人間七七四年:2010/06/04(金) 12:08:25 ID:sckj6QP+
神格化しすぎ
456人間七七四年:2010/06/04(金) 12:43:18 ID:wHaTZjp+
藤氏も近衛も劉禅並みにヘタレ過ぎ
城を枕に討ち死に覚悟しろ
城を捨てて逃げんなよと。
せめて武名をあげりゃあ求心力も出てきて利根川以東で体勢を立て直せるのによ。
うまくやりゃあ謙信を景春みたいに使って足利成氏くらいにはなれたよな。

きたじょうにしても由良にしても
演義の孔明北伐の足を引っ張ってる輩と同じ匂いがするタイプ
457人間七七四年:2010/06/25(金) 15:08:48 ID:qbcUweIi
そのヘタレを何人も担ぎ上げたんだから
人を見る目がなかったんだろ
458人間七七四年:2010/06/26(土) 14:30:20 ID:BcS+VTze
公家って弱いイメージしかないなぁ。

だけど幕末みたいに、殉じて死んでも本望だと、謙信は思ってた気がする。
459人間七七四年:2010/07/29(木) 09:44:51 ID:fBYoEUMJ
謙信公も関東にここまでカスしかいないとは予想外だったんだよ。
460人間七七四年:2010/07/29(木) 12:23:17 ID:P8HYJ5aE
公家も引っ張っていている。
大体関東に腰据えるつもりないのに
あの状態の関東で関東管領職受けること自体電波。
461人間七七四年:2010/08/01(日) 22:06:33 ID:swMQmMYc
武田と北条が自国との国境線にせまってきたから
侵食してくる前に自分から叩きにいってもいい名目が欲しかっただけだろうな
>関東管領職
462人間七七四年:2010/09/14(火) 18:07:46 ID:T1m+kILr
てか信玄に負けっぱなしだろ桶狭間で一番得したの謙信じゃん
463人間七七四年:2010/09/15(水) 04:58:02 ID:DicbFDCP
>>462
主語と句読点を頼む・・・
464人間七七四年:2010/09/15(水) 21:06:49 ID:9W1mYfnw
んn
465人間七七四年:2010/12/20(月) 12:36:13 ID:S0ogyM6+
要するに神サマ
466人間七七四年:2010/12/23(木) 12:50:48 ID:SWGpbMHe
>>437
悪魔の証明が厳格に採用されるのはあくまで司法の世界の話だよ。
司法の世界ってのは「疑わしきは罰せず」「例え百人の罪ある者を逃そうとも一人の罪なきものを罰してはならない」
だから、たとえ状況証拠的には限りなくクロに近くても決定的証拠が無ければ無罪にせざるおえないわけ。

しかし、史学の世界は必ずしもその理論が絶対なわけではない。
「絶対的な100%の証拠がない限り認められない」というわけじゃないんだよね。
男色に関して状況的、間接的な証拠がある程度あれば「多分、やってただろう」と看做されるわけ。

ついでに言うと、一次史料=絶対正しいとも断言出来んわな。
勘違い、間違いや意図的に嘘を記録する例もあるだろうし。
467人間七七四年:2010/12/24(金) 08:19:38 ID:3fwmkIEB
>>466
既に過去の事で、誰も当事者がいなければ、推定しかないのが歴史の世界。
その推定要因が多く記録として残っているのを、「正」としているのも歴史。
それを実証しろと言っている時点で、相手にしちゃいけない事くらいわかる
だろ。

468人間七七四年:2011/04/18(月) 22:23:54.93 ID:/KDbrktR
近衛がヘタレ過ぎ
京に帰るとかダメすぎ
469人間七七四年:2011/04/19(火) 05:05:07.99 ID:akYskJm5
「北条が来るよ〜怖いよ〜助けてよ、虎〜」って手紙が残っているくらいだから
北条からの圧迫が相当に強かったんじゃないのか?
自分に都合の悪い書状の類は始末している近衛さんだからよくは判っていないが、
北条は縁付いた相手の裏切り相反敵対行為には容赦なしって印象あるし
直接じゃないけど氏綱の継室は近衛家から来てたから
470人間七七四年:2011/04/19(火) 06:43:45.12 ID:3/BUIa9W
そもそも近衛さんは輝虎と意気投合して独断で下向しようとして関白職を放置して出発するところを
天皇と義輝から止められたくらい無責任
大東亜戦争突入トリガー引いたり
細川護煕の政権投げ捨てといい
ことごとく使えない
471人間七七四年:2011/04/23(土) 23:30:39.74 ID:Bi+oVtIz
福島からの避難児童に対して鬼畜のような新潟県民=新潟・長岡
時事通信 [4/23 20:27]
東日本大震災で、福島県から新潟県長岡市に避難している小学6年の男子児童(11)が転入先の小学校で同級生に蹴られ、入院していることが23日、同市教育委員会への取材で分かった。学校側はいじめがあったことを認め、保護者に謝罪した。
 市教委によると、男子児童は父親の実家がある長岡市に避難し、今月7日の始業式から新しい学校に通学。19日午前の休み時間、同級生の女子児童に腹を蹴られた。20日に腹部打撲と診断され、様子を見るために入院しているという。
 男子児童は15日にも「女子から悪口を言われている」と担任教諭に相談。学校側は21日、PTA総会で事実関係を説明し、同級生の児童からも話を聞いている。
 市教委の山田修管理指導主事は「福島県への差別的な発言があった。つらい思いをさせて申し訳ない」と話している
472人間七七四年:2011/04/25(月) 01:31:14.53 ID:5sjbbNNY
>>471
連呼だけど正気?

・・・大丈夫?
473人間七七四年:2012/01/15(日) 14:25:28.42 ID:u2+mRcgO
謙信は義で行動していた。
が、多くの人は利とか欲で動く。
そりゃ、勝てませんわ  by謙信
474人間七七四年:2012/01/16(月) 19:38:58.33 ID:119zsxOi

謙信 乙(笑)

正義感振りかざしてんなよ
475人間七七四年:2012/05/12(土) 19:30:43.52 ID:RCUO9sKM
北条軍は扇谷上杉軍の籠る深大寺城をパスして河越城を直接攻撃したとか。
http://saikatsutramway.sakura.ne.jp/saikatsu_tramway/furumaki.html
476人間七七四年:2012/07/08(日) 16:31:44.30 ID:VgEmTU0A
手取川w
未だにそんな寝言言ってる奴がいんのか
捏造だらけの戦国最強www
477人間七七四年:2013/12/02(月) 23:47:11.72 ID:Ck78lcZb
手取り川の戦いか
478人間七七四年:2014/01/25(土) 21:56:38.59 ID:yWIWNhfc
捏造も何も、織田家の大軍が謙信の威光の前に蹴散らされたのは事実だし。
479人間七七四年:2014/01/26(日) 12:48:32.81 ID:g3aCSNky
ほんの短期間制服されただけの石川になんかイメージ聞くなよ。
長年越後に蹂躙されて植民地にされてきた
富山県民にこそ聞くべきだろう。
480人間七七四年:2014/02/01(土) 02:24:29.70 ID:az4wvYAw
蹂躙もなにも越中東部は元々長尾家の半国守護での支配だったから爺さん世代に神保や一揆共が騒いで喧嘩売ったのが悪い。
怒り爆発の戦鬼さんにボコられた時点で富山以東は危険だから進むべきでないと悟っていたら後年謙信にもリンチされずに済んだ

結局は越中の方々自らが選んだ抗戦なので鎮圧蹂躙されるも仕方なし。
481人間七七四年:2014/02/05(水) 00:04:19.75 ID:7eDnYcwf
越中東部は椎名じゃねえの?
482人間七七四年:2014/02/05(水) 09:32:28.41 ID:kCMkkz2M
違うよ。畠山から東半国の守護代を貰って越中の治安維持に責任がある立場になってる。
483人間七七四年:2014/02/07(金) 12:30:47.25 ID:uGrVI0GW
畠山?
484人間七七四年:2014/02/08(土) 00:23:45.00 ID:tpQ/4XI3
え?なにか問題でも?
485人間七七四年:2014/02/08(土) 00:57:25.67 ID:tpQ/4XI3
>>481>>483
まとめて教えてやるが越中守護は畠山氏。こんなのは中学生でも知ってる常識。

神保は畠山氏より賜った越中の半国守護代にすぎない存在であり、
椎名も新川郡の守護代ではあったが慶胤の代に神保慶宗の乱に荷担した罪から長尾家に守護代を奪われ、新たな守護代の長尾家のそのまた代理みたいな服属的地位として越中にいさせてもらってたのさ
486人間七七四年:2014/02/08(土) 01:20:08.22 ID:xrrukpQD
越中民には長尾なんてよそ者としか思ってないだろ。
植民地として蹂躙された。
それ以上でも以下でもない。
神保が越中統一してれば、
加越能制覇も夢ではない。
そうすれば100万石以上の大大名になり
戦国史も変わっていただろう。
487人間七七四年:2014/08/31(日) 19:45:30.38 ID:ykDHZIml
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488人間七七四年:2014/09/29(月) 16:19:04.08 ID:eo0IeJnl
桓武平氏鎌倉氏流越後長尾氏歴代当主とその正室

守護代家当主名      正室出自
長尾平内左衛門尉景茂   葛西新左衛門尉時清の娘
長尾四郎景忠        長尾三郎兵衛尉光景の娘
長尾四郎景能        長尾四郎太夫景煕の娘
長尾弾正左衛門尉景為   佐原七郎左衛門明連の娘
長尾弾正左衛門尉景忠   長尾左衛門尉基景の娘
長尾新五郎定時       山吉伊予守長久の娘
長尾弾正左衛門尉景恒    長尾新五郎景直の娘
長尾豊前守景晴       山吉伊予守長久の娘
長尾筑前守高景       長尾平三左衛門景行の娘
長尾弾正左衛門尉景房    長尾豊前守景晴の娘
長尾信濃守頼景       山吉伊予守行盛の娘
長尾信濃守重景        長尾越前守景良の娘
長尾信濃守能景       高梨摂津守政高の娘
長尾信濃守為景       高梨摂津守政盛の娘
長尾弾正左衛門尉晴景   上杉兵庫頭定実の娘
長尾弾正少弼景虎      なし
489人間七七四年:2014/10/17(金) 13:40:22.94 ID:gJ2jg699
>>486
足利に従った畠山氏の被官だった神保氏も
群馬県が出自の余所者なんだがwwwアホ乙ww
490人間七七四年:2014/10/17(金) 19:42:27.72 ID:XrxkdYnM
奴隷商人の親玉 略奪虐殺の賊の頭
491人間七七四年:2014/10/17(金) 23:03:35.09 ID:J/QaMrya
居城を夏は関東に拠点構え戦略立てれたら、さらに版図拡大できた
492人間七七四年
>>490
北条厨乙w
秀吉が小田原征伐して
北条を降伏させた時に
今後は奴隷売買禁止を通達していますがwww
まあ皆殺ししてしまいそもそも奴隷として助命してさえくれない信長よりマシだけど。
何と言っても黒人奴隷を初めて使役した信長の価値基準だと
日本人は黒人奴隷より下に位置してしたので虫ケラ扱いで殺していたんだろう。w