1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
映画ロードオブリングなんかに出てくる攻城兵器の破壊力は
大げさなんだろうがあれがあれば日本の城の大部分は簡単に
落とせそうな気がする
大阪城のように堀の深い城はわからないけどな
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 01:56:09 ID:kCPpwT4Q
そういうの、当時、普及してたら
確かに面白かっただろうな
籠城→兵糧攻め
なんて、時間と根気のいる戦いがなくなって
天下統一も10年以上早まったんじゃね?
3
そして普及した後に多重城壁や水堀に石垣高層化と生産性のない防備に労夫があたり国力の低下を招く結果になるな。
経済力がない大名家は淘汰するかな
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 05:34:44 ID:6kBbi+6F
日本の城って山城だらけだし、ああいうのはあんま効果無いのでは?
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 06:04:09 ID:zU+TvJBN
>5
正解者に拍手!
家康は大阪の陣に備えて西洋の大砲と鉛を買い占めてましたが
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 12:47:36 ID:V4+LHy0c
投石機や井楼の類はあったわけだが。
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 13:36:13 ID:kCPpwT4Q
そうか、確かに山城には効果なさそうだな・・
でも、俺、前から思ってたんだけど
山城って下から火をつけたら、籠城してる敵は逃げ場なくて死ぬんじゃないの?
だから燃えない工夫が必要だったのだね。
例を挙げると、今は森に覆われた城跡なんかは、昔は完全な禿山だったり。
城を作るとき、森を徹底的に伐採する。
まあ、落城する場合は大概火災によるものだしね
攻城戦で放火するのは決まりみたいなものだし
城の構造物はほとんど木製だから風向きが悪ければ一気に焼失してしまう
当時の主な攻城戦&野戦を理解してますか?
有名な合戦=例外と思われ。
運用方法と輸送方法…日本に大陸の攻城兵器が広まらなかった訳が透けて見えるかと?
大阪の陣では西洋製の大砲の射程距離で大阪城の天守閣がちゃんと入ったらしい
山城こそが世界中どこの国でも最強であって平城相手の攻城兵器なんて糞の役にも立たないよ。
1はリアル厨房か?
世界中で最強な城は「城塞都市」だよ
日本だとこれに当てはまるのはせいぜい小田原城ぐらいか
大坂・江戸も当てはまると思う。
ヨーロッパの攻城兵器は、湿気や雨に弱い。日本みたいな気候だとすぐ腐る、そうな。
>>16 江戸や大坂は元の大都のように都市全部を高い城壁で囲んでいないので
一般的には「城塞都市」とは呼びません
朝鮮じゃ、その城塞都市がパカパカ落とされてましたねww
>>18 ヨーロッパの攻城兵器は戦術的にはその高い城壁を崩す為にあるもので、日本の様な
土塁に囲まれた城郭には効果は薄いでしょう。
ただし戦略的、心理的な反撃できない距離から一方的に敵の中核を叩くという用兵なら
大きな効果は期待できるという訳です。
>>15 初期の火砲で簡単に崩壊されてましたが何か?
>>20 その通りだと思いますが、それのどこが
>>18へのレスなんでしょうか?
>>21 「日本で城塞都市といえるのは小田原城ぐらいしかない」という話と
君のレスはまったく関連性がないのだが。
外国の戦争は他民族間の戦いなので
為政者や戦闘員だけでなく一般市民も殺される。
だから都市ごと防衛しなければならない。
日本の戦争は同じ民族の内紛だから
市民まで殺さないので城塞都市は必要ない。
戦争そのものが違うから城も兵器も違って当然なわけです。
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 15:27:14 ID:3za9Tjpt
>>22 でも、日本も奴隷狩りとかしてたんでしょ、
>>23 規模が違う。大陸の異民族間の戦争と言うものを少し調べてみ?
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 17:10:05 ID:Qdm5vo4J
そうか、山城は禿山だったのか・・
でも、俺、思うんだけど
山城でも塀や門で敵の侵入を防ぐ訳だろ?
じゃ、下から順番に、その塀や門を投石器かなんかで狙い撃ちにして破壊してく
ってのは効果ないの?
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 17:39:25 ID:FIAlTYZq
破壊するの黙って見ててくれる良心的な城兵ばかりなら可能だろうね
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 18:06:53 ID:Qdm5vo4J
城側の反撃は城内から、弓や鉄砲で狙い撃ちってことだろう?
それを防ぎながら投石できる兵器がありますよ
どうでしょうか? これで攻城がスムーズにならないかな?
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 18:12:47 ID:QaLb/aXV
実際に山城跡見てくればわかるよ。
30 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 18:26:22 ID:Qdm5vo4J
山城見ても、ただの山にしか見えない・・
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 18:40:00 ID:QaLb/aXV
ただの山に兵器は効果的じゃないでしょ。
>>28 籠城戦は本城の周りに幾重も陣地を張り巡らせて
周囲の出城と共に連携して敵を迎え撃つものだよ
みんなで城に篭るのは落城する時だ
日本の山城程度の防御施設じゃ投石しても当たらないんじゃないだろうか。
近世城郭なら投石も当たるだろうけど、ほぼ同時にもっと命中率の高い大筒が出現した。
>>30 ただの山って言っても、山の上から石投げるだけでも十分立派な脅威になるよ。
全員甲冑フル装備じゃないから。石とは言え、ぶつかれば打ち身や打撲になる。運河悪けりゃ失明、死亡もあり得る。
たかが打撲と言えど数日は全力で戦えなくなるし、動きも悪くなる。
怪我人増やしやすい山って守備において結構重要拠点だよ。
例えば日本の都、平安京や平城京なんかは中国の首都の縮小コピーなんだけど
コピーする時に都市を守る城壁は省略してるんだよな
日本には必要ないから
機動性に欠ける大型兵器は山だらけの日本じゃ運用できん
実際運用してるけど
大型攻城兵器
平野が多く迅速な移動が可能な場所なら有力兵器として活躍出来る。
日本のように川が急峻で山林が多い場所だと、運用は敵戦力を駆逐した後。勢力誇示と最後の駄目押し以上の意味は無さそう。
まあ、君の知能だとそういう事になるだろうな
運用できないというよりは、
苦労する割には使えないという点だと思うけど。
城壁をうち破るのに特化した兵器を用いたところで、
日本の城塞はそういうタイプではないからね。
まあ、君の知能だとそういう事になるだろうな
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 22:24:58 ID:zSlRF5O9
門壊したぐらいで落城しないからな。城塞都市となると城壁は頑丈だが城壁が壊されると
一気に崩壊するんだよなー。
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 23:01:47 ID:p3iOl73l
日本の攻城兵器?っていうと門破り用の木と板貼り付けた梯子と焙烙玉ぐらいしか思い浮かばんな…
やっぱ攻城平気っつーのは山城が多い事とか日本の気候とか火薬が発達してた事とかで
実用性が無かったってのがあるのかもね
まぁ素人論なので何かあったら教えてほしす
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 23:05:13 ID:p3iOl73l
後は城の他に砦とかも多かった事の持ち運び易さとかか
でかい平地も限られてるしでかい兵器なんてなかなか動かせないわな
でかい兵器なんぞ作ってたら戦争する気マンマンなのバレバレで集中攻撃受けちまうよ
本当に使える兵器なら、信長辺りが導入してたんじゃねーの
例えば石山攻めとかで
日本は地形の起伏が激しく河川も多いから
それら自然を利用した城塞がほとんど
無論、攻城兵器で川や山が破壊できるわけないから余り有効ではない
城の構造も基本的に掘や土塁、石垣にしても石だけを積み上げた壁ではなく
盛り土をして表面を石で覆ってるわけだから並の打撃では破壊できない
幕末から明治に行われた戦では従来の攻城兵器の何倍もの威力の大砲が仕様されたが
それをもってしても木造建築物以外さほどダメージを受けなかった
炸裂弾をガンガン撃ち込んでも落とせないようなものに
投石機や櫓を手間かけて運んでいくメリットは少ない
>>46 何度も書いてるはずだけど
実際に家康が大阪城攻撃で大砲を使ってるんだよ
日本では大砲は製造できないから全て輸入品だ
家康は冬の陣では大阪城を落としたくなかったから
積極的に使わなかったけどな
49 :
46:2006/10/06(金) 00:28:53 ID:PjI1IgaT
>>48 でかい攻城兵器の事を言ってたんだが・・・・
50 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 00:40:23 ID:H00sBzh7
うん。大砲以前の攻城兵器情報キボンヌ
46が言いたいのは攻城兵器は大砲(火薬兵器)じゃ無くて攻城塔の類だろ。
52 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 02:07:29 ID:0U2HrpXa
戦国後期の平山城にはかなり有効だと思うよ
ヨーロッパの城も断崖絶壁に結構作られているから日本の城に
使えなかったとは思えないよ
だいたいロードオブリング2と3のどちらも篭城戦が見れたけど
ありゃどちらも山城みたいだったぜ
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 02:17:18 ID:jaQ3dXeJ
いや、ちと違うと思う。
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 03:19:30 ID:H00sBzh7
どうなんだよ!?
よくよく考えたら
日本人は偉いから山城にして、ヨーロッパ人はバカだから平城にしたって
何か、おかしいぞ!! 古今東西、平城も山城もあるはずだし
何らかの理由で、そうなったはずだ! で、平城の場合、有効あ武器が
ヨーロッパでは開発されてたんだろう!?
じゃ、どうなんだ!? 日本でも有効なんじゃないのか!?
55 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 03:23:25 ID:H00sBzh7
一部、誤字があるけど 突っ込むなよ!
どうなんだよ!?
何が、問題で国土面積もほぼ同一の、フランスや日本で、こうも違うんだよ!?
山は各国あるぞ! え!?
おしえてください えろい人
いくら山があるといっても欧州と日本じゃ地形がかなり異なる。
大砲の有効性は大坂城や大津城を見れば分かるように
天守や櫓などの構造物にはかなり有効
しかし明治の西郷による熊本城攻撃のように
小型の砲ではある程度対策を施されると決定的とはならない。
重砲の運用だが何度も出ているように山林険しい山運搬の難しい河川などの他に
馬の違いもある、日本の馬は欧州の馬と比べる小型で気性が荒く運搬に向いていない。
そのため重砲の運搬が困難、明治の日清戦争義和団事変の時に問題になったことだが。
ついでにある程度導入されたのも戦国時代も終わる時期だったため使い道がほとんど無かった。
結局導入が遅かったのと迅速な運用が困難だったことに尽きるんじゃ
57 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 05:49:27 ID:NmWagvcw
>48
大阪では、確かに大砲は使われているけど、実害は出ていない、というのが最近の研究で分かっている。
なんせ、射程距離の関係で、届かないんだもん(;_;)
結局、戦慣れしていない淀君等の決定に力を持っていた女房衆を脅した心理戦程度しか役立っていないらしい。
58 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 08:01:19 ID:eVX3QqZ3
>>56 馬が欧州と極端に差が出たのは江戸時代からだろ。
何でもかんでも、適当にでっち上げるな。
どっちにしても、日本の城に攻城兵器はきかんがな。
59 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 08:02:46 ID:eVX3QqZ3
>>57 日本の石垣はなぜか、大砲対策はきっちり出来てたらしいな。
欧州では大砲前後では城壁の作り方は全然違うらしいね。
>>54 誰もヨーロッパを馬鹿になんてしてないでし
海外の城は石積みが多いからな
高く積み上げられるが振動には弱い
大きな地震が起きると木っ端微塵に崩壊してしまう
日本は地震が多いから耐震性を考慮してあまり石積みは多様されてない
建築物も木造だし
火災には弱いが振動には強い
結果、投石機や大砲の類には耐久性が高い
会津若松城を見るとわかるがあれだけ天守に大砲撃ち込まれても倒壊してない
木造建築は案外しぶとい
無論、建物以外はほとんど損傷がない
なにより日本では運用が難しい
城の周囲は大概泥地や河川であり高低差もある
道幅も狭く車輪による運用はかなり困難
破壊鎚などで城門を破壊しようにも必ず掘りがあるし
まずは城までの道程を整地して次に掘りを埋め立てなくてはいけない
それには莫大な労働力と資金、そして時を要する
そこまでして使用する価値があるとは思えない
62 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 18:52:11 ID:UAZiLbla
>>57 大阪の陣の大砲が示威行為的に使われたってのはよく聞くね。
飛距離も命中精度も足りねぇから実害はそれほどでも無いけど、
昼夜問わずの音やら振動やらで心理的に圧迫する目的だったとか。
冬の陣ではそんな感じで精神的に追い詰められてたところに、
たまたま良く飛んだ弾が天守近くにまぐれ当たりして淀殿がびびって
講和を認めたとかいう人もいるらしい。
それで真田幸村だか誰だか(忘れた)がカチギレしたとか。
家康が大砲を大量に持ち込んだのは、城攻めでの効果を期待したってより
参加してる諸大名に徳川の力を誇示する目的の示威行為だろうな。
どっちかっつーと政治目的だ。
当時のカルバリン砲の有効射程距離は1km。大阪城の天守閣に届くわけもない。
64 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 20:17:55 ID:jaQ3dXeJ
でも大阪城なら完全な平城だし、適当にぶっ放しても
それなりの効果はあげそうな気がする。
大阪城クラスの規模の城に幾ら鉄球ぶち込んでも大勢に影響ないっぽい気がするんだが。
西洋の石壁なら根気よくあてれば城壁が崩れそうだが、
日本の石垣は多少壊しても上の城が崩れるわけでもないし。
どうなの?
>>64 大阪城はお前の通っている小学校程度の広さじゃないぞ?
今の大阪城より豊臣時代の大坂城は広いだろ
焼いた玉を大砲で撃ち込んで、火災起こすってのは無理なの?
今残ってるのは天守閣だけだね。
ちなみに、冬の陣では約5万人の浪人が篭城してる。
これは豊臣方があてにしていた豊臣恩顧の大名が参加してない数字だから、
キャパシティとしてはさらに数倍以上の大軍で篭城可能な規模だったんじゃないかな?
冬の陣の後には徳川側に突貫工事で外堀と内堀を埋められ、城壁まで破壊されたらしい。
夏の陣のときにはほとんど丸裸だったから、豊臣方も篭城せずに積極的に打って出てる。
結局、夏の陣の戦闘は篭城戦じゃないんだよな。
夏の陣で徳川の大砲の火力が成果を挙げたのはそのせいじゃないか?
大阪城が戦場になったのは、豊臣方の軍勢が壊滅した後、落城した時だけのはずだし。
あれ?
今の大阪城は徳川が再建したのがモデルだったかな?
まぁどのみち落城したときに縄張り変わってるから場所も少し違うはずだけど。
よくしらない。スマソ
現在の天守は豊臣時代のをモデルにしている
ちなみに江戸時代の大坂城の規模は豊臣時代の5分の1程度
現在は更に小さい
あれで5分の1より更に小さいのか。
凄かったんだな。
74 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 23:35:29 ID:H00sBzh7
そうだよ
大坂城は、今でさえ大きいけど
当時はもっと大きかったんだ
>>63 備前島からなら余裕のよっちゃん
それに一方的に撃たれる精神的ダメージはかなりのもの
それが篭城ならなおさら
>>69 無理。砲身内の火薬に引火して、暴発する。
77 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 00:48:19 ID:x21wFY+X
砲弾を真っ赤になるまで焼いて撃つ
いわゆる焼き玉は一般的に使われてたよ
戦国時代でも使ったかはしらんが
家康は大阪攻めでそれをやったらしい
それで城内で何件か火災が発生してる
「島原の乱」では、棒火矢が使われているね。
全長70p位の棒に火薬を詰め、それを大筒で発射する。
イメージ的には焼夷弾に近いかな。
>>68 アホか。
江戸城も大阪城も何分の一かに縮小されてんだよ。
都市のど真ん中に巨大な城を残してちゃ開発できないだろ。
81 :
80:2006/10/07(土) 06:02:14 ID:4ylfDUH3
スマソ。
間違えた
>>63 家康が輸入したカルバリン砲は射程6kmくらいあったと思ったが
まぁ有効射程という点ではそのくらいなのかも知れん
83 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 10:25:27 ID:LBMNrlHs
火縄銃も射程は1Kmはあるが有効射程距離は400程度だしな。
その前に数学の発展がまだまだだった当時の日本で(建築分野での発展は凄まじいが)曲射で大砲命中出来たのかな?
大砲に詳しいヤシいない?
種子島流の伝書に、百匁筒における薬方之事が載ってたと思う。
二十町(2180m)までの照尺と、火薬の配合率が出ていたような。
当時の日本の砲術が対応できてたのかもあるよな
カルバリン砲は大阪の役のために輸入された最新式だし、当時の日本の大砲とは飛距離が段違いだし
実際備前島から十数門で淀君の寝所を狙ってて、直撃は1発らしいしな
まぁその1発で奥女中が数人瓦礫の下敷きになって、淀君がガクブルしたらしいが
稲富流の伝書を漁ったけど、照尺と火薬については「大筒」までが限界。
「大砲」の使用法については、世界史系の資料を調べる方が早そうだね。
確か、カルバリン砲の使用法について解説した本があったと思う。
>>84 百匁というと4kgくらいか。直径10cm無いくらい?
芝辻砲とかかな。あれも大阪の役で使われたはずだが。
ちなみに家康のカルバリン砲の砲弾は14kgぐらいと聞いた気がする。
多分、それ以前の日本の砲術の感覚からすると規格外なんじゃないかな。
同じような感覚で撃っても、当てるのは厳しそうだ。
ちなみに
>>86の稲富流の伝書は1610年くらいに成立したものだと思う。
>>87 玉の重さは百匁(375g)で、口径は40mmになります。
曲射の参考に使えそうなのが、大筒のデータしかなかったモノで。
大砲は一貫目(89mm)以上ですから、本当に化け物だわ…。
稲富流伝書は、慶長12年(1607)のモノになります。
大阪の陣の大砲の音が京都まで聞こえたという話は
いくら何でもウソ(誇張)だよね?
>>88 計算ミスったorz
フォロートンクス
大阪城落城時の炎の明りは京都からも見えたらしいけど。
音は届かないんじゃ・・・
余談だが、関ヶ原は地形のせいで音が反響しまくって凄まじかったらしく
前線で戦った人らが1週間以上耳が聞こえなくなったとか聞いたことがある。
91 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 16:57:02 ID:fSRlYn7h
>>18 当時は既に大砲の普及によって、ヨーロッパでも都市全部を高い城壁で囲む
なんてことは時代遅れになっていたんだよ。
その代わりに普及したのは、土塁と縄張りで都市を守る方法。
江戸や大坂は世界基準でも立派に当時最先端の「城塞都市」だ。
参考になるかどうか知らんけど一応。
ディスカバリー・チャンネルの「アルマダの戦い」の中では、1588年当時のスペイン艦の艦載砲を使って射撃実験をしていた。
現代のイギリス軍砲兵隊指導の下、射撃管制コンピュータによる照準で約50m先の約5m四方の板の的に当てようというもの。
結果は、一日がかりで的にかすっただけ。
93 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 21:21:36 ID:NH1e1l0H
コンピューターより職人業のが上だったかもしれない。
うちのじーちゃん、スコープか?なしで肉眼、単発のライフルで飛んでる鴨一発で打ち落としてたぞ。
もう死んだがの。
>コンピューターより職人業のが上だったかもしれない。
ちなみに実戦(アルマダの戦い)では殆ど当たらなかったので、当時の大砲の命中率が如何に低かったのか、の検証実験だったんで・・・。
>>92 集団で乱射すれば命中精度が落ちても関係ないでしょ
届けばいいんだよ
当時スペインやイギリスの艦隊の艦載砲に使われてた新型のカルバリン砲では、
射程距離は長くても結局近寄らないと舟板ぶち抜く威力はなかったって聞いたが。
ちなみに日本の城ってのは、堀と石垣が重要なんだ。
その上の構造物も要らんとは言わんが、無くても城の防衛力は十分残る。
西南戦争の熊本城なんか、完全に燃えおちた状態で援軍到着まで耐え抜いてるしな。
これは、日本の城郭が西洋では大砲の出現以降、大砲の攻撃に耐えるために作られた
要塞に近い思想で作られてるってことらしい。
訂正があるようだが、
日本の城郭、特に江戸期以降の近世城郭は対砲戦を視野に入れて作られています。
98 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 21:43:52 ID:1iTJl7Yi
>>96 天守閣なんてかざりです。偉い人はそれが分らんのです。
重要なのは堀と塀だよね。賛同
現代でも土塁、掘(塹壕、蛸壷)は基本だからね
土は柔いから強いのよ
とゆーかね、同じ日本の城にしても戦国初期から後期にかけていろんなタイプがあるし
地方によっても建て方が違ったり、人によって変わった城を建ててたりするし、
大砲や攻城兵器が有効かとか一概に言いにくいんだが。
とりあえず、大阪城を含む戦国末期の平城の多くは、大砲やらを持ち出したからって
すぐに落ちるようなものではないと思うよ。比較的規模大きいのが多いと思うし。
これは対大砲を視野に入れてなくても、もともと対砲戦に必要な要素は持ってる。
江戸期に入れば、さらにそれを強化した城が増えるけど。
101 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 20:51:47 ID:Vi8pN7ec
思う思うばっかで何が言いたいんだ?
102 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 22:15:31 ID:v1mgaxiE
>>92 揺れる船の上での発射はさらに命中率が低いだろうな。
実戦ではほとんど零距離発射に近い距離で撃ってたようだ
>>102 揺れる船の上でだと、同チャンネルの同じシリーズで「トラファルガーの戦い」の中では、フランス艦のマスト上からネルソン提督を狙撃する事は可能だったのか?の実験もあったよ。
二隻の帆船を使って、一方の船のマスト上からもう一方の船の甲板上に置いたネルソン人形を狙撃するという実験。
これは、イギリス軍とアメリカ軍の射撃の名手(複数)に19世紀初期時のマスケット銃を使ってもらっての実験。
結果は、致命的な命中の確率が約90%というもの。
>>93氏の言うような職人業が発揮しやすいのは、おそらく砲よりも銃器類ではないかと。
104 :
ななしさん:2006/10/20(金) 02:16:57 ID:6bxiktuG
西洋の城は小さいものでも大変な時間とお金が掛けられて
作られてるってわかるね
それができたのはやっぱり日本の戦国時代とは比較にならない
ほど戦争は少なかったんだろう
当然堅固なのでその攻城兵器にもずいぶん手が込んだものがあるようだ
西洋の攻城兵器が日本の城には役に立たないかどうかは
知らないが日本式の攻城法でも西洋の城は攻略は困難のような気がする
105 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 13:22:00 ID:t0xRx1eA
戦国武将の攻城法について、朝鮮出兵を経験した武将たちはちょっと別格って感じ。
関が原の時も、大津・伏見・岐阜といった近世城郭を短期間で攻略しているし、
上田で手間取った徳川や、長谷堂城を攻略できなかった上杉とは歴然とした差がある。
彼らは普通に大筒も使うし、工兵能力は世界的にも最高レベルだろ。
ヨーロッパの城郭もあっさり攻略しそうな気がするぞ。
106 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 13:25:39 ID:WmbeQ74M
107 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 13:38:58 ID:f3jr/1r6
>>105 無茶いうなw
同時代の欧州の要塞はハンパじゃないぞ。
それに城塞都市タイプのは小田原城状態で持久戦も強い。
秀吉あたりならヨーロッパの城にも太刀打ち出来そう
調略で
ヨーロッパの城塞を過大評価し過ぎ。
当時はオランダやポルトガルから来日した連中が、大坂城を見てあまりの巨大さと
堅固さにびっくり仰天して帰っていった時代だぞ。
ヨーロッパが中国周辺に築いた城塞なんか、あっさりと攻略されたじゃん。
中国は朝鮮半島では倭城を攻略できなかったのに。
111 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 01:26:15 ID:4fh2522s
堅固さにびっくりしたとは本当?
大阪城が稜堡式の要塞だったってんならわかるがw
112 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 03:50:24 ID:UZPLZTYW
城砦防御の肝は堀・土塁を組み合わせた縄張りと
それを生かした効率的な兵運用
土を盛り掘っただけの質素な縄張りでも効率的に運用すれば
堅牢な石・レンガ造りの高い城壁よりも守備効果は高い
大阪城は稜堡式の要塞だろ。
特に大坂の陣直前に増設された稜堡は効果的で、「真田丸」と呼ばれていたけどね。
日本では稜堡のことを出丸とか馬出しとか呼んでただけで、築城思想は基本的に共通なんだよ。
大阪城ってそんなすごい城だったんですか。知りませんでした。
当時のヨーロッパの稜堡式要塞は攻城砲に対応する為に、
大砲による武装防衛を前提としたものですから、
対峙した徳川軍も大筒を打ち込まれて難儀したことでしょう。
実際に冬の陣では難儀してるだろ。
大坂城の大砲による武装防衛↓
『惣構三里半廻りを大材木厚板をもって四方の矢倉、それぞれに成程丈夫に普請、
先へは弓・鉄砲の矢間を切、大方一町の内に石火矢を一柄宛仕懸置、其間々に
大筒・小筒、弓矢の脇に揃置、三里半をとり廻し、天王寺の方から掘に刀・鏃を
まき置候』(見聞集)
豊臣方は大筒(40mm)で、徳川は大砲(89mm)ってことじゃないの。
数値だけ見ると、チハとティーガーくらい違うんだが…。
城の性能がそれだけ良かったなら、
豊臣側に欧州にあった強力な砲が配備されてたら、
もっと善戦できたんだろうねぇ。
18世紀以前のヨーロッパは、武器や城はともかく軍制が糞だったからな・・・。
>>117 鉄の玉投げるだけの砲台が何個もあった所で意味無いよ。重要なのは鉄砲の数だよ兄貴!
>>119 大坂城量産の暁には東軍などあっという間に叩いてやるわ!
>>118 略奪軍団だもんなw
フランスやスペインの主力が傭兵だったりしたらしいし(;´Д`)
>>121 首狩ってサッカーだの、レイープ&奴隷狩り満喫ツアーだもんな。そりゃ遺恨残るわな
123 :
ななしさん:2006/10/22(日) 12:31:59 ID:gCOayi7t
>>119 冬の陣で和睦に応じたのは真田丸で鉄砲の弾薬を使いすぎて
火薬がなくなりかけてたとか何かで見たが事実だろうと思う
結局講和は仕方がなかったのかな
124 :
ななしさん:2006/10/22(日) 12:38:58 ID:gCOayi7t
>>105 上田については真田昌幸が篭城の名人だったから誰でも手を焼いたんじゃないかな
日本式の城塞を攻略できなかった中国も、ヨーロッパ式の要塞は余裕で攻略。
中国基準では、日本の城>ヨーロッパの要塞。
126 :
ななしさん:2006/10/22(日) 20:31:33 ID:FfTMRinK
中国式の城はヨーロッパと近かったかな?
中国式のは飢餓に弱い。いらん民間人まで養わないといけない。
人肉食えばいいじゃん!思うだろうけど、そしたら軍律崩壊するしね。
>>114 大阪城も結構な数の大筒、大砲を配備してる
でも、大阪城に有った大砲は大部分青銅製だから、あんまり連射できない
鉄製でも国産のものは鋳造技術のせいで口径が小さくなる(肉厚じゃないと耐えられない)
その他もろもろの理由で、直前に新型カルバリン砲を輸入してきた徳川にはうまく対抗できなかったみたい
飛距離もぜんぜん違うしね
>>128 あの頃の大筒(当時の鉄製大砲)は鍛造、言ってる内容は正しいけど
それに大砲があっても、それに伴う砲弾・火薬の備蓄がなければ全くの無意味。
秀吉の遺産だけでどうにかしようとするのはまぁ・・・なんというか
過去の栄光をみて現実を省みない見事なまでの反面教師だなと・・・
>>123 そういえば、事故で大坂城の火薬庫が爆発したとか何とかがあったような気がしたが・・・。
それがお話しじゃなくて事実なら、火薬不足になったんだろうね。
>>124 数日しか攻めていないから単に強襲で落ちなかっただけという評価しかまだできないんじゃ。
>>127 でも中国じゃ人肉食って普通に篭城してたりするけどね。
>>131 日本でも、秀吉の鳥取城攻めとかでは共食いがあったらしいが
ちなみに
1585年の上田攻めは、徳川家康の8500vs真田昌幸の2000
このときは二之丸まで誘い込んで一斉射撃&追撃で、大被害を受けた家康が引いた。
1600年の上田攻めは、関ヶ原に向かう徳川秀忠の36000vs真田昌幸・信繁の2500
開城すると騙して時間を稼いだり、城に誘い込んで本陣に奇襲をかけたり、
奇策で翻弄して秀忠軍を6日間足止め。
どちらも焦って城内に攻め入ったところを奇襲されて被害を受けてる。
最小の被害で戦略目標を達した真田が上手だったのは分かるが。
腰を据えて攻める気になれば、所詮2000ちょっとの軍勢だしなぁ。
誰でも苦戦したのかはどーなのかね。
>>132追加
上田城は小規模な城だから、攻める側もある程度時間がかかるか被害を受けたら
無理せず引いてしまうって部分もありそうだし。
戦略的な価値と鑑みて、無理に落とす必要があるのかって話だね。
真田はその辺ちゃんと折り込んで戦術立ててそうだ。
一方の秀忠はそこを見誤って大ドジ踏んだから、家康に大目玉食らったわけだし。
>>132 意思の統率が取れた少数の軍隊は大軍の軍勢より強いよ。日清戦争なんかがいい例。
相手のほうが装備も軍の数も優れていても色んな局面で日本は勝ってたりする。大事なのは連携ぷれい
135 :
ななしさん:2006/10/24(火) 20:36:50 ID:2e7Q674D
>>131 中国では人肉で普通に篭城した記録があるのかな?
おれも人肉を兵糧にしてたのは何かで見たがそれは遠征の
場合じゃなかったかな?
篭城でそれをやると敵に寝返るほうが安全になっちまわないか?
それだとすぐ落城してしまうだろう
>>135 饅頭は元々飢餓で共食いを防ぐために考案された食物。もっとも水滸伝に人肉饅頭が登場しまくるのは本末転倒だが。
人肉市場は古来より普通にある市場だよ。戦争で食べる物が無くなると普通に発生する。元々それ目的であるわけじゃないけどね。
義母を救うために娘が身代わりになるなんて美談が普通にある。逆に場合もね。高いのは女で老人は嫌われてたって資料も残ってるよ。
遠征の場合は敵地で略奪が基本(孫子の兵法がそうだからね)だから人肉で賄いはしない。
篭城でそれやり始めると寝返りが増えるから中国の場合、城は調略で城を落とすのが基本なの。
食料なくなればすぐ落ちるのは世界的にどこも同じだよ。ロシアの203高地だっけ?の難攻不落の要塞だって
栄養不足で落ちたしね。穀物は大量にあったけど、ビタミン不足で兵がバタバタと死んだんだとか。
中国の城は基本的に長期戦はあまり想定してないね。ヨーロッパや中東はその辺凄いね。
20年とか持った城あるしw
>>136 聞きたいんだけど、20年間ずっと包囲されてたの?
それ、包囲する側もすげーな
意地になっちゃったのかな?ムキー!落ちるまで囲むザマス的な。
どこのエピソード?
138 :
ななしさん:2006/10/25(水) 02:49:40 ID:xdKx88bP
>>137 篭城側はやっぱり河か海に補給路を確保してたんじゃないかな
包囲側はもう回り全体を支配していたんだろう
遠征じゃ絶対できないし
>>137 アサシン派の要塞ギルドクーとかが有名。
モンゴル軍の包囲に14年間耐えたって奴。
詳細を知りたきゃ世界史板へどうぞ。
>>135 日中戦争当時の目撃談があるそうだ。
あまり宛てにはならんが、小林よしのりの戦争論に引用があった。
資料としての信憑性がないだろうから、あまり信用はできないがな。
その引用では街の真中に人肉市場が自然発生的にでき、
混乱がおきるわけでもなく、整然と取引が行われていた。みたいなことが書いてあった。
戦国時代の斉の話しに
よその家と子供を交換して食料にしてついに燕の遠征軍を撃退したという話しがあったと思う。
あと中国の城も持つ城はかなり長期間持っている
モンゴル軍の包囲に耐え続けた襄陽とか有名
昔の中国では子は親を生まないが親はまた子を産むとかいって、
親を生かすために子供を死なせるって話もある。
漢の劉邦だったかな?ちとあいまいだが逃走中に馬車を軽くするため子供を投げ捨てて
家臣が慌てたって聞いた。
それなんてマンガ
>>143 劉邦だな
大敗して逃げる時馬車を軽くしようと二人の子供投げ捨てたものだから
夏侯嬰が慌てて拾って馬車に戻したらまた投げ捨てて
と何度も繰り返した
まあ、劉邦は特別な人だからなw
両親が人質になって投降しなければ釜茹でにすると脅迫された時も
茹であがったら煮汁を一杯くれ
って言って平気な顔してたらしいしw
そういや劉備の話しでもあるな
劉安だかが劉備をもてなすのに妻を殺して食わせた
劉備はそれを知って感動したとか…
まあ、演儀の話しだから真偽の程は怪しいが
賓客に妻を差し出すのは日本でも昔ありましたな。
さすがに食わせたりはしないが、そのへんは文化の違いだろう。
あっちは人食べる習慣があったらしいんで(;´Д`)
(今でも地方にあるとかなんとか……)
子供を売るとか捨てるとか言う話は、人肉云々とは関係ないな。
あっちは、子供は魂が無い肉塊という考え方だから。
大人を食ったとかそういう事の根拠にはならないよ。
人肉食いという話だけなら、日本でも天明の大飢饉(1783-1787年)の南部藩とかで
人肉市が立って死肉食いがあったらしいが。
篭城中に人肉食った話となると、秀吉に兵糧攻めくらった鳥取城しか知らん。
中国だと出世のために生まれたばかりの自分の子を王に食べさせ出世した宰相なんかもいたな。
李衛公門対かな?本の名前忘れてしまったが読んだ記憶がある。
管子管子
斉桓公の料理人の易牙
.┌、 r┐ r┐ヾ> (_ / ミ
!. | ヾ> || lニ コ 〈/`ヽ _ ミ
|. ! ノ| | レ! _| |. ,イ,.- 、 |  ̄_ ̄丁 '' ー┬‐- -ミ
ヽ二/ .ヽ/(___メ> /,|.l l ! ( ) ! (´ ) ! r‐
ry'〉 ,、 /イ,! `ー' _L =- --┴-ニ二ト、_'ー'
lニ', r三) (( |'J」-''_二 =-- ‐一 ー‐t‐-ト、 二__
|_| )) レ'/´ィ 、_________ ヾミ| l
_r┐ __ (( V ,、 F≡三r一tァー, | l:.:. .::
└l. レ',.-、ヽ )) |ノ^>、 '^ミ二´ | l:.:.:.::
ノ r' __,! | (( V/イソ .::ヽ、二_
└'!_| (_t_メ.> )) | / ,' _ .:.:.:.::i|,)ノ
r-、 (( |.〈、 、 _〉 `丶、 ;:ィil| ノ
,、二.._ )) | 笊yfミミミミヾ、 '!l|il|li!fj'
ーァ /. (( ヽ |i''r ''_二二ニミ;ヽ、 ,|l||il|l|,「゚|
ん、二フ )) |,l| V´ :::::::::;;/ トi|l|i|i|l|!Ll
,.-─-.、 (( |i! ゞ=-‐''" ,i||i|l|l|l|!|i{
/ /l .i^ヽヽ ` |il! ーォii|「、 ,,.,.ィi||l|i|l|l|i|l|シ'
. | .レ' / l.| ヽ二ニ,ヽ ,/i|l||livil|||l|i|l|l|lil|l|i|l|i|i|i|l|l|l|{'
. ヽ/ ノノ <ノ {l|!|l|i|l|i|l|i|||i|i|l|i|i|i|i|l|l|!|l|l!r'
r┐,.─-、 / 7 ヾ!||i|i||i|i|l||l||i|i|l|l|l|l||l|l!イ
||し'^) ,! ┌‐' 'ー┐ト、 ``,ヘi|l|i|l|i|l|l|i|r''`''"´ i ,
|_| l´r' 7 /_7 / 」__〉 (_~`^~"゙'ヾ ノ / ,
[_] [_] 〈_/ヽ_/ .ト─' ノ / /i
153 :
ななしさん:2006/10/26(木) 02:59:49 ID:VKFli8La
難攻不落で水はある城でも食べ物だけは絶対に底は付くからな
食べ物がなくなったからといっても篭城中に共食いをやるのは
指揮の上からも1番まずいんじゃないかな
中国に人食いの歴史が数多いのは事実だが篭城中は禁止していたと思うが
>>153 禁止をしていても絶望的な飢餓状態に追い詰められたら防ぎようがないだろ。
ましてや子食いの風習が日常にあるのに「戦争中は禁止アルよ!」とか言われてもな・・・・・
155 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 01:02:25 ID:UeMQDNoC
ドイツの列車臼砲とかあれば日本の城なんて一撃で粉砕されちゃうよな。
156 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 01:15:19 ID:iE1p1V2u
日本の装甲路面列車なめるな
157 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 01:34:15 ID:UeMQDNoC
ドイツのV2ミサイルしこたま撃たれたら日本の城なんて瞬殺だろうな。
第三帝国厨って頭ゆるいねw
日本の小さい城にV2しこたま撃ち込んでも全く当たらないだろw
火矢でも射ったほうが効果あるよw
そういや、投石機の類は使ってたのかな?
戦場で簡単に組み立てられそうだが…
161 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 02:42:44 ID:UeMQDNoC
北朝鮮のノドン2やらテポドンなら当るっしょ
なんでわざわざ性能悪いノドンやテポドンなんだw
トーポリMやピースキーパーでいいじゃないか
まあ、核弾頭搭載すれば1`や2`外れても関係ないが
でも核と言えども山を消すほどの威力はない
自然の山を利用した城郭を完全破壊するのは不可能だ
城内に深い地下壕を掘って退避していれば瞬時にして戦闘力を失う事はない
て、何の話しだよっ
163 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 05:05:36 ID:UeMQDNoC
じゃあ、ロシアのツァーリボンバでいいじゃまいか
ツァーリボンバ級になると少しばかり穴掘っても衝撃で即死だな
小山程度なら消し飛ぶだろうし
そもそも一次放射線で死ぬ
て、攻城兵器の域越えてるだろ
>>160 投石器は日本の衝撃吸収型の軟らかい城郭には効果が薄そう。
おまいらw
ティガー辺りならどうだろう?小田原単機攻略可能か?
平安時代の百科辞典「倭名類聚鈔」に、石はじきが載ってる。
どこかを狙うというより、バラまくタイプみたいだけど。
169 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 22:58:41 ID:mt6vJUng
日本は大きい石が少ないから投石器を頻繁に使うのは難しいと思う。
信長なんて墓石を石垣にしなきゃならなかったくらいだしな
日本の地形じゃ投石器と玉になる岩を運ぶのにどんだけ苦労することか
まあ地形の話しだすと全部地形が悪いで終わってしまうんだがな
鉄砲や焙烙があれば、カタパルトはいらない気もするな。
>>170 運搬に関しては問題ないと思うよ。
投石機は現地組立が基本で、木造家屋を解体して作るケースも多いから。
ネックになるのは、やはり石の確保かと。デカイのは貴重品だし…。
173 :
名無しさん:2006/10/28(土) 03:28:32 ID:VB+rObzE
今NHKでドイツの古城がどんどん移されていたが地形的には
日本の山城とさして変わらないじゃないか
あちらの攻城兵器は日本でも充分使えたと思うな
日本の戦国時代は城も攻城兵器も遅れてたんじゃないのかな
175 :
名無しさん:2006/10/28(土) 08:03:16 ID:h1IjHSRC
>>174 石に油をまぶして火をつけて飛ばすんだろう?
建物の壊れ方はそれほどじゃなくても火災の効果はすごいと思うが
>>172 守備側にとっても、つうか守備側にこそ石は必要だもんな
177 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 08:26:13 ID:M8QoAK2y
漆喰も知らねえ馬鹿は出てくんなよ。
火矢だってあるんだから、防火対策しているにきまってる。
>>173 あちらは城壁で城を作るが、此方は郭で作る。
で前者は城壁という線を破壊するために投石器が発達した。
日本の郭という空間を制圧するには弓や鉄砲といった射線兵器が必要だった。
日本も昔は城壁による防御だったんだよ。
水城みたいな高さが10メートル以上で長さが1キロ以上の巨大な防壁も造ってるし。
でも、武士が台頭してからはそういう技術は廃れ、代わりに郭で防衛する技術が発達した。
一方、海外で発達した城壁による防御は、大砲の出現で時代遅れになる。
石の城壁は砲弾が当たると破片を周囲に撒き散らして、かえって損害が増すからね。
それで、日本の郭で防衛する思想が、一気に世界最先端になってしまったという訳だ。
石やレンガの城壁は、よほど上手く作らないと地震で簡単に崩れるってのもあるんじゃね?
鉄筋コンクリだとか免震構造とかがあった訳じゃないし。
181 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 14:51:47 ID:HYvDCD/T
日本で、最長の篭城って何年くらいなんだろう。
外国だと、十数年とかあるみたいだけど。
大阪城も、小田原城もすぐ落ちたしなあ。
戦国時代だと若狭武田氏の家臣栗屋勝久の国吉城が朝倉氏の攻撃から永禄6〜12年の6年間耐え切ったって話があるね
これが最長かな?
戦国期では、石山本願寺の4年4ヶ月が最長かと
断続的に包囲しているケースなら、割とあるんだけどね
砦や出城で完全包囲すると、矢上城や三木城みたいに2年が限界かなぁ
民族同士の戦争じゃないから長期間引き篭もってたら見放されるっしょ
最近の例だと10年ぐらいは余裕であるよね。
何年も引きこもろうにも、兵士の大半が農民だしなぁ。
奴らは戦争に賛同して参加してるわけでもないし、戦争の勝敗よりも農作業のほうが重要だろう。
負けたって生き残りさえすれば支配者の名前が変わるだけだし。
日本と海外の城郭の防衛能力の差よりも、戦争の構造の違いで長期の篭城は無理ジャマイカ。
>>170 投石器に限らず、中世ヨーロッパの攻城兵器の大半は現地で作るんじゃなかったか?
>>187 兵士だけが籠もる訳じゃない。
何故か、戦争被害から逃れるためだろ。
戦争の勝敗は、自分たちに関わることだ。
日本でも領主が戦に負けると、途端に領民は暴行、略奪、強姦、焼き討ち・・・等、
とてつもない被害を食らうからね。
武田は一度帰属した後に裏切った地方には、そりゃもう物凄い暴れっぷりだったらしいしな。
男は金山へ労働者として送り、女は鉱山労働者の楽しみのため遊女に落とされ・・・。
そりゃ、一緒に城に篭るわさ。
>>189 志賀城は一緒に篭ったら一人残さず皆殺し&奴隷化されたけどな。
東北とかだと、毎年予定調和のような妙に長閑な戦争やってたりするけどな
攻められても被害は田畑が刈り取られるだけとか
いや、東北なら死活問題ではあるが
192 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 22:17:30 ID:H8U/2iKI
やませを舐めちゃいけない
>>190 開城交渉で、城主が城兵の助命嘆願をするときには、
兵士だけでなく民衆の安全確保という意味も含まれている。
攻城側か、籠城側が開城交渉を拒否すれば当然そうなる。
194 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 19:13:28 ID:sW1XTJQ+
>>193 拒否せず約束通り抵抗せずに城を明け渡したのに、皆殺しにされたわけなんだが・・・・・・・・・・・・
ヒデー話だ。
城一つ取っても次からは交渉すら出来なくなるんじゃないの?
196 :
名無しさん:2006/11/02(木) 01:14:26 ID:TrsD9+3/
>>195 攻城側が定めた降伏期限をはるかにこえて降伏したんじゃないのか?
それだと見せしめにされるかもしれないが普通は戦略的にまずいので
やらないと思うぜ
城を明け渡したのに皆殺しってどこの城の話してるの?
志賀城なら最後まで抵抗して城主以下討ち死にしてるけど。
199 :
名無しさん:2006/11/04(土) 01:25:03 ID:sH9mKl9v
200 :
名無しさん:2006/11/04(土) 01:36:14 ID:sH9mKl9v
昔だとろくに作物の取れなかった寒村でも結構落とされた古城は存在するな
ろくな耕地もなく食うので精一杯だっただろうに城があるって事は
そこの戦国領主が収穫を搾取して労役までさせてたって事になるから
当時の農民がかわいそうになるよ
201 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 15:21:01 ID:UiF1O/Kz
で、ヨーロッパの攻城兵器って、代表的なところでどんなのがあるの?
あと、マイナーなものはどのようなものがあったの?
そこらへんから行こうじゃない
代表的なのは破城槌、投石機、攻城塔、バリスタ、雲梯あたりじゃないかな
あとは大抵その派生だと思うが
これらも日本の似たようなものに比べると妙に凝ってるっつかデカイものが多い希ガス
雲梯は台車付きの折りたたみ式梯子ね。攻城塔の前身かもしれん
あとは、移動小舎とか
屋根と側面の壁付きの小屋に車輪をつけて、つなげて長い廊下状にするヤツで
兵士とか物資を安全に運んだりするために使うらしい
俺が知ってるのはこんなもんだが、補則やら付け足しやらは頼む
一口に中世たって時期や場所によって、同種の攻城兵器でも全然違うし
203 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 17:47:01 ID:lhMP6Nd9
外人は不器用だから道具に頼らないといけないんだよ
204 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 19:19:14 ID:CdS8tVWy
そもそも山城に攻城平気は不向きだよ
山一つまるまる要塞化なんて当たり前だしな。
この間八王子城を散策したが、
御主殿あたりですら、攻城兵器を持ち込むのは至難だと思うぞ。
結局は大砲だけか。>使える兵器
207 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 23:57:20 ID:rI2rBhKC
そりゃ今でも一番使える陸上兵器だしな大砲は
208 :
名無しさん:2006/11/07(火) 00:47:55 ID:xXOfpfQf
どんな山城でもいきなり頂上を攻めるんじゃなくて
門をやぶって行くんだろう
それなら202で紹介された攻城兵器は大体使えそうだ
投石器は300mくらい飛ばせたらしいな
城砦の中で疫病を流行らせるために投石器で死体を投げ込んだりもしたらしい
原始的な生物兵器だ
山じゃなくても堀が有るだけで攻城塔は使えないんじゃないかと思う
西欧風のでっかい破城槌は有効な気がする
攻城塔に該当するのが、勢桜だろう。
人力で引いて動かせるものもあったし。
逆に破壊鎚の方が使えないような気がする。
馬出しが有るだけでアウトだろ。
>>208 つ【稲葉山】【春日山】
搦め手から落とされた例はよくある事。
212 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 13:32:44 ID:3ZJHDVMW
平城でも山城でも門があって、そこで敵兵を防いでいたことには変わりないのだから、
門をぶちやぶる兵器があれば、城攻めも結構楽になると思うんだがどうだろう?
まー山城の場合、どうしても兵器を運搬するまでに問題が発生するのはわかるが・・・。
運搬の問題というが、攻城兵器は運搬できるところで作るもんじゃないのか?
遠征にあんなものを幾つも運んでいくわけにいかんだろう
それこそ山道通ったりもするんだし
あと、西洋の破壊鎚は振り子式でデカイだけでなく、
板に生革を貼った屋根や壁で兵士が守られるようになってるぞ
馬出しってのがどの城のタイプを想定してるかわからんが、使える場所は多い気もする
鉄砲対策に補強しなきゃならんかもしれんが
>>212 門は燃やして、ハイお終い。戦国の合戦はそんなもん。
山城は取り付くまでが困難なだけ。攻城兵器なんてイラネ
攻城兵器がのろのろ近寄れるぐらいなら普通に取り着いたほうが早いしな
そもそも堀があるのにどうやって門まで近寄るのかと
門の前に道があるのは現代に埋め立てたものだぞ
平地面は全面堀や土塁で囲って橋をかけて使っており
合戦の時は橋を落とすから完全に隔絶されている
216 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 18:11:46 ID:3ZJHDVMW
攻城兵器を使うより、火矢で燃やすってのはたしかにそっちのほうが楽だww
しかし、堀があって門までそうそう近づけないということは、
は門を火で燃やそうとしても、門が矢の射程外ってことのほうが多いのかな?
って、ことはでっけぇ射程距離の長い努(これで漢字あってる?)とか、
バリスタとかの火矢を使えばいいってことか?
いやいや、そういや戦国時代に努ってあったのかい?
中国にはかなり古くからあるけど、戦国時代にあったなんて話は聞かないなぁ・・・。
なんでだろ?
>>216ワロタw
それじゃツトム君じゃねーかwww
弩(いしゆみ)が正解ね
>>216 そこで忍者の出番ですよ!!・・・・・って、空想っぽいけど火薬による破壊工作は実際に行われていたからね。
工兵=忍者 みたいなもん。
夜中に爆薬セットしてドカン!っての。一度秀吉が忍者に任せたけど敵に見つかり失敗した事あったと思った。
弩
日本での使用は、むしろ古代。
大陸からの輸入品だったらしく、その後廃れる。
シナでは実際に必要な部品よりも余分な部品を加えるなど、わざと複雑に作成されていた。
(部品一個で済む箇所に、三個とか四個の部品にしていた。)
これは、北方の騎馬遊牧民など異民族に武器を奪われた場合、故障しても修理できないようにする為だったとされる。
これらと同様、元々は輸入品の武器として使用されていた弩は廃れていったのだとされる。
・・・のだが、据え置き型のワナとして猟師が使っていたりするのはいつ頃から?
>>216 弓が届かないほど広大な城も限られているだろうけど
外から城内に届くと言うことは城内から外にも届くと言う事だよ
しかも城の方が高い位置から撃ち降ろすから有利
だから結局あまり意味ないかと
>>216 >って、ことはでっけぇ射程距離の長い努(これで漢字あってる?)とか、
>バリスタとかの火矢を使えばいいってことか?
棒火矢を使えばいいじゃない
と思ったら棒火矢の開発は寛永年間か。
222 :
名無しさん:2006/11/07(火) 20:57:49 ID:QsAuxjhV
>>218 忍者は情報収集が本職で暗殺や敵城内に入るような危ない事は
それほどやらなかったんじゃないかな
長年修行してたとしてもそれほど強くはないし危ない事をしてたら
職業として成り立たない
223 :
名無しさん:2006/11/07(火) 21:03:51 ID:QsAuxjhV
小田原篭城戦の時に北条方は寺の灯篭まで軍事用にかき集めたそうだが
実際鉄砲はどのくらい持っていたんだろうな?
兵農分離が行われていない軍団なので数は知れていたと思うが
弩ね。いしゆみで変換できなかったのよ。
中国には紀元前ぐらいからあったはずなのに、
なんで戦国時代の日本にはないのかと思ったら、
それよりずっと前に廃れてたのね・・・。残念。
連弩とかなら篭城戦のときにかなりの威力を発揮するはずなのにね。
昔も自軍の兵器を利用されたり、コピーされないような工夫でしていたんだね。納得。
>>219 古代の日本に弩を製造する技術が無かったなんてことはありえないぞ。
894年に新羅軍が攻めて来た時、日本で独自開発した大型の弩を投入して撃退してる。
日本で弩が廃れたのは弓術を得意とする武士が台頭したからだろ。
弩はそれ程訓練せずに誰でも使えるようになるから、大量動員した農民上がりの
兵士とかに持たせる分には便利なんだけど、弓兵と戦うとクレーシーみたいに
連射の差で負けてしまう。
連弩は連射できるけど、今度は逆に殺傷力で弓に見劣りするし。
226 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 22:19:11 ID:3ZJHDVMW
弩が廃れて、弓術が生き残るってのもなんか日本らしいなぁ〜。
職人のように自己の技を突き詰めていくから、弩なんて幼稚なもんはつかわねぇぜ!!
ってところなのかしらん??
全員が名人なら命中率といい殺傷能力といい弓のほうが高そうだもんな。
ヨーロッパでも弩は禁止されたしな
農民に騎士様が簡単にやられるのが嫌で教皇様に頼んで禁止してもらったらしい
>>222 暗殺はやらないよ。そこまで求めるとなると、腕のいい忍者が必要となるから値段も高くなるから。
情報収集がまず第一。でも敵城内に潜り込ませるのはよくあったみたいだよ。
それと今も残る実際に使われていた忍者道具からも闇夜に紛れた破壊工作は確実に行われていた事が推測できる。
つか、一回日光江戸村行って実物見る事をお勧めする!忍者すげえ!とか思える。
予想以上に忍者の実態って地味なんだけ、ちゃんと全ての道具に無駄がなく理にかなっていて凄いから。
つか、スレ違いの長文スマソ
229 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 23:14:14 ID:3ZJHDVMW
忍者・・・というか、らっぱ、細作、かまり、だっけ?
この手の人たちは武器として扱われていたんじゃないっけ?
そういう意味からすると攻城兵器とも言えなくない気もするけど、
ヨーロッパに忍者とか、いわいるスパイのたぐいっていなかったの?
スパイは白人国家が最も得意とするところじゃないか
日本の稚拙な情報戦とはレベルが違うよ
231 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 13:09:23 ID:BcfFLiE0
>>226 >全員が名人なら命中率といい殺傷能力といい弓のほうが高そうだもんな。
弩のほうが弓よりはるかに強力で「最大」射程も長いよ。
つか城門、簡単に燃えるのか
それなりの規模の城なら城壁とかは一応の火矢対策はしてるのに城門は手付かずなのか
日本の城の落城時は焼失と相場は決まってるが、逆に言えば落城するまでは
小規模な火災でおさまってることが多いのに
よく知らんが随分片手落ちな設計だな
あとね、千年くらい前の古代に近い時代の日本で廃れた弩と、
数百年前の中世ヨーロッパの弩を同列に語っても良いものなのかよく分からんのだが
違いは無いのか?
233 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 17:01:07 ID:QYeFl02k
欧州や中国の場合は城塞で城とられたら終わり、日本の場合木造でいくつも城や砦あったから一つの城争奪する技術は不要だったんじゃない
>>231 速射性が話にならないよ
弓は弩の10倍近い速さで撃てる
単純に考えれば弩で一人倒す間に弓は十人倒せるという事だ
弩は威力が強ければ強いだけ装填に時間がかかる
命中精度と威力は抜群だから一撃必殺の狙撃なんかには向いてるが
多数対多数の射撃戦になると弓で数射った方が強い
弩は騎乗射撃が事実上不可能だしね。
一発は撃てるかも知れんが、その後が大変。
これは当時の鉄砲もそうだったんだろうけれど。
ただし、弓が熟練者以外お断りな世界でも、弩は初心者でも扱いが簡単。
戦に兵の数を揃える必要があった時代なら・・・、弩が復活する前に鉄砲になっちゃったのかな?
>>232 弩もクロスボウも基本的には同じものだよ
>>235 伝わった当初は小規模での騎射の戦闘が主だったからね
言うとおりに大軍団での歩兵戦が行われるようになったころには鉄砲が伝来してたんだよ
>>232 だから取り付くまでが大変なの。堀だらけで進めない、急勾配の坂道でまともに戦えない、雨でも降られた日には滑って登るのも無理。
実際雨の日に城巡りした事あるけど、ズルズル滑って見学所じゃなかったなw
さらに矢飛んでくる、鉄砲撃たれる、うんこ飛んでくる、岩飛んでくる、
少数しか通れない道を抜けたら四方八方から弓や鉄砲で蜂の巣にされる。
こんなんばっか。
門は手付かずってより、城自体が時間稼ぎでしかないんだから門ぐらいでどうなるもんじゃない。
こりゃ世界共通。
門自体消耗品として考えられていた節があるよな、縄張り見ると。
門の直後に門があって、そこがキルゾーンとか。
そう言ったことも想定に入れて築城されている以上、
城という構造物を攻撃する攻城兵器は大陸ほど役には立たないだろうな。
大多数の支城、砦なんてそれ自体が消耗品だしな
つまり攻撃側が築いた支城、砦が攻城兵器ということか
正解!
付城だな
>>234 それはわかってるよ。
威力は弩のほうが上と言いたかったわけで
野戦でどちらが有効かはクレシーを引き合いにするまでも無くはっきりしてる。
付け加えると攻城戦や防衛戦では弩のほうが有効である場合もあるようだ。
野戦でも待ち伏せとかには弩も有効なんだろうけど
やっぱ戦術上の汎用性が低いんだろうな
245 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 01:06:43 ID:45VKDYw1
弩にもいろいろあるだろうけど、一般的なのは、
据え置き型?それともクロスボウみたいなタイプとどっちになるの?
攻城兵器として語るならバリスタとかの大型の弩砲じゃないか?
クロスボウを語るなら、弓兵より狙撃兵用の武器としての効果じゃなかろうか
飛距離が長くて金属鎧を突き破る威力を活かすならね
ちなみに、クロスボウは別に銃器に駆逐されてはいない
第一次世界大戦くらいまではそこそこ使われてた
小型爆発物用のグレネードランチャーみたいな使い方だけど
グレネードランチャーがでてくるのは第二次だからね
70年代までは銃器にまともな消音装置なかったから特殊作戦では使われてたみたいだが
バリスタは中世には既に消えてたみたいだね
理由はよくわからんけど
>>224 連弩が威力発揮するのはゲームと演義の中だけだろう。
実在するものでは、有効射程はせいぜ数mで鎧などを着けていない相手ぐらいにしか通用せず、
威力不足の点から毒でも塗っておかなければ使い道が無かったようだ。
蜀の連弩は従来品の改良型で諸葛弩なんて言われてるようだが、
上のように当時の技術でどう改良したって護身用か暗殺用にしかならない。
籠城戦ならカタパルトの方がよほど効果的だろうな。
今でも特殊部隊はクロスボウ使ってるよ。日本はそこまで隠密性求めるミッション自体
ないから使わないけど
確かに弓は音も小さく光りも出ないし煙もない
遮蔽物の多い所や夜間に狙われたら脅威だよ
まあ、狙撃銃で数千メートル先から狙われるのは更に始末に悪いが
狭い室内で銃となると、外したら兆弾で恐ろしい事になるしね。
252 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 22:10:53 ID:mtXINTn+
矢を雨の様に降らす!
これが戦国の戦い方。やっぱ連射性能と戦い方の違いでしょ
弩が廃れるわけだ…。
矢が雨の様に降ってくるのを想像するとああ恐。
楯だけが頼りだ…
戦国の弓隊って、皆で同じ方向向いて上に向かって高く射るんだよね?
狙うんじゃなく、方向と距離をあわせて皆の矢を密集させて落とす感じで
重力落下で加速して、矢板くらいぶち抜いてしまうとか
最大で300m飛ばせる(弓隊の入隊基準)らしいし、一人毎分6〜10本射るとか
ほとんど運で当たらないことを祈るしかないらしい
戦国の合戦は矢傷の死者が凄く多い
矢板ってなんじゃろか>俺orz
矢による負傷者の割合は多いが、死者に関しては某鈴木氏も言及してなかったような。
そうだっけ?
鈴木さんは矢傷(42.0%)槍傷(20.4%)とか言うから、矢で死んでるのが多いのかと思ったよ
数えたことは無いが、頭部貫通で死亡とか二十数本の矢を受けて討ち死にとかって記録も見るからさ
死亡率でいえば鉄砲なんかは亜鉛毒が回って結果的に致命傷になる率とか高そう
鈴木氏のは戦傷の原因の割合じゃなかったっけ?
258 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 13:43:17 ID:KJ9KrNBE
>>253 その入隊基準と毎分6〜10本射るのは何て資料に載っていたの?
拙者も厨房の頃より弓道やっいたが
慣れてくれば5〜6秒に一回ぐらいのペースだよ
どっちも鈴木氏の著作にも載っていたような気がするが・・・
とりあえず鈴木氏の本は手元に無いのでネットで見ると
旧飫肥藩奨励古流弓術「四半的弓道」のHPに師範が書いている
引用すると
「戦国期における弓足軽の採用基準は、半弓で軽く一町(300M)超えができ、矢数をかける事が出来ることが必須条件でした」
とのこと
連射に関しては結構あちこち書いてあるが、数字はバラバラ
毎分6〜10本と言うのは少な目のところを引っ張ってきた
>>259 そこまで正確に狙いを定めなくて良いならもっとイケルんじゃね?
>>257 鈴木氏の数字は戦傷の原因でした
戦傷が多ければ死者も多いだろうと単純に考えてしまってましたorz
鎌倉時代から戦国時代までの合戦の資料みると、
>>256に書いたような
壮絶な矢傷による死に方が結構目に付くので印象に残ってたせいだと思います
面目ない
263 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 14:49:54 ID:SXQystVj
小学生の頃、暇さえあれば笹の木で、シンプルな弓矢作って遊んだな……
子供でも、20M〜30M先の的を狙えるような、弓は作れる。(自然は子供達のおもちゃ箱)
でも? はて? 何を狙って矢を放っていたのか、思い出せない。
264 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 14:54:28 ID:Uhzp3Ti0
お、おまえ・・(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
最低だな・・
てか通報してやる
>>263 俺の時代だと弓矢は禁止されてたな。チャンバラも近所のおばんがうるさくてできなかった。
水鉄砲ぐらいか、自由にやれたの。
267 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 21:07:47 ID:Yy1+Xv5D
江戸時代の達人は9秒に1本のペースで24時間射続け、水平射撃で120メートルを射通すとかいうことができたんだよな。
>>259 最近の学生競技弓道でそんな射をやるのか?
古流の弓術とか、奉納、祭祀用にやったりするところはあるが。
>>260 あちこちに引用されるが、おそらく日置流かなにかに伝わるものが出所と思われ。>半弓で軽く一町
269 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 18:59:26 ID:z9xpewVL
半端ねえよ外国は。
こわいよー。
こんな篭城したくないです。
350 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/11/15(水) 13:58:09 0
>>237 ちと亀レスだが、篭城戦の悲劇コピペ。
明の末期の崇禎15(1642)年四月、かつて北宋の都として栄えた開封の街が、李自成率いる
反乱軍に包囲された、以後城内の百万もの人間は、貴賎問わず飢餓地獄に叩き落されていくのである。
包囲されて数ヶ月のちの八月下旬にはついに穀物の備蓄が尽き、人々はドブの糸ミミズを掬い上げ、
葱とともに炒めて食った。味は魚に似ていたという。一斤800銭で売られ、のちには三千銭に高騰した。
屋根の上のれんげ草も食料として売られ、最初200銭、後に1100銭。溝の水草も食った。
肥やし用の人糞に湧いた蛆も食い、それが尽きると粘土や馬糞を炒め、無理やり水で飲み下した。
これらが尽きるとついに人間に手を出す。大人数で哀れな一人を追い込んで捕まえて喰らう。
敵の捕虜を切り刻んで城壁からばら撒くと、兵士も民も競って肉片を拾った。
九月はじめになると、身内同士でも喰らいあった。父は子を、夫は妻を、兄は弟を喰らう畜生道。
金持ちは守備兵に財産をすべて没収された挙句、皆殺しにされていた。このころには人肉以外の食料は
完全に尽き、肉をそぎ落とされた白骨が城内に散乱している。ボロをまとい垢まみれ、幽鬼の如く瘠せた
生き残りが、白骨を打ち割り、骨髄までもすすって生きながらえていた。
9月18日、ついに開封の街は陥落した。かつての人口は100万人。戦が始まると新たに城外から2万人逃げ込んできて、
やがて城壁の内部のほとんどが餓死戦死、そして食われた。生きて城外に出られたのは1万人のみだった。
街の中心には明王室の宗室の宮殿があり、兵士や女官が1万人いたが、このうち生き残れたのは200人のみだった。
数ヶ月の篭城戦で、100万人が死に絶えたのである。
>>269 いくらなんでも100万は創作だと思う。実際のとこは10万ぐらいじゃないのかな。
近代国家でもないのに100万も平時でさえ賄えきれないよ。都市としての限界は20万とされてるんだから
江戸時代の江戸は100万人超える前から当時の世界最大の都市だったはず
しかも結構飛びぬけた人口だったような気がするが
272 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 02:28:23 ID:mDdaIL3l
>>270 この手の前近代の都市の限界は20万なのか、勉強になった、どういう文献にのってるの。
ただ、明の時代じゃないけど、北宋、南宋時代の中国の経済力ってすごかったらしいね。
>>272 文献は忘れた。大学で歴史を専攻している友人にでも聞いてみたら?
中国の場合、首都の人口が百万以上と言うのはさほど珍しくは無いけど、それ以外の都市の人口はそれ程でも無かったはず。
明代の開封なら、主要都市から外れているので、多くても十万かそれ以下だったかと。
明末の混乱期なら、更に人口が少なかったのでは。
気になって調べてみたけど、明代の開封の人口の正確な数値はよく分からない。
「河決開封」って四字熟語があるのかってくらい「明史」には黄河の決壊による被害が数多く記録されている。
その中に、ある年の洪水による被害戸数が一万数千ともあったので、やはり多く見積もっても十万程度だったのではないかと思われ。
276 :
名無しさん:2006/11/18(土) 05:23:22 ID:0aMqTPLx
弓隊は秀吉の天下統一以降にもあったのかな?
NHKの戦国物なんか鉄砲隊が出る時はほとんどでないもんな
弓は負傷率は高くても鉄使用の鎧ならなかなか殺すまでは
いかなかったんだろうな
だから鉄砲重視に変わっていったような気がするんだが
277 :
名無しさん:2006/11/18(土) 05:32:05 ID:0aMqTPLx
>>269 死者の人口よりもなんでそんなひどい状況になるまで篭城したのかね
命の保障を条件に開城は難しかったのかな?
篭城婦女への乱暴略奪は避けようがないのはわかるけどまだましだよな
278 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 08:10:32 ID:L8Ye3wc3
>>277 開城しても皆殺しが大陸の常識ですから。日本じゃ織田、武田以外はそんな事しないけど。
>>277 ヨーロッパでも城塞都市丸々一つが虐殺や肉奴隷で消滅した事例がある。
281 :
名無しさん:2006/11/18(土) 18:50:50 ID:44yP4oZ9
>>280 ヨーロッパでも肉奴隷なんていたのか
日本の戦国時代は平和だったなんてスレをどこかで
見たけど中国や欧州の歴史と比べたらほんとうに平和だね
282 :
名無しさん:2006/11/18(土) 18:54:42 ID:44yP4oZ9
日本の戦争は殺されるのはプロである侍だけで農兵なんて
うまく投降すればそのまま雇ってもらえるもんな
283 :
名無しさん:2006/11/18(土) 19:00:28 ID:44yP4oZ9
欧米じゃ侍に興味深々だけど負けた側の農兵は日本全国どこでも
再就職ができる制度がわかれば大笑いするんじゃないかな
何が面白いのかサッパリ分からないんだが…
それに農兵が何を指してるのか分からない
軍夫として動員された百姓の事か?
欧米人の笑いどころはわからん
286 :
名無しさん:2006/11/18(土) 22:34:08 ID:B0jJTQk7
兵農分離ができていない国は信長時代でもほとんどは百姓兵だろう
287 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 22:34:44 ID:B0jJTQk7
足軽の事だが
288 :
名無しさん:2006/11/18(土) 22:37:24 ID:B0jJTQk7
日本人の俺でも戦争のけりがつけば下っ端兵は勝った方の君主に
仕える日本の戦国時代は面白いけどな
兵農分離って単なる時代の逆行なんだが…
ルネサンスと言いたまえよ
291 :
名無しさん:2006/11/19(日) 02:43:06 ID:E6nsN5qK
>>289 そうなるのかな?
武士は出現した頃は上級武士でも田んぼやってたんじゃないのかな?
武田軍なんてそうだろう
292 :
名無しさん:2006/11/19(日) 02:53:14 ID:E6nsN5qK
見た事がないが高天神城跡見たいな
断崖のある低い山なのに水場があるのはすごい
食料さえあれば徳川軍に落とされなかったかもな
>>292 むしろそれをあっさり落とされた武田軍にシビレル
294 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 14:39:39 ID:nWO/qJB9
でも、日本でも戦国時代は奴隷狩りもあったんだろ。
付け城で囲み、5倍の兵で半年近く攻め立てて兵糧が尽きて城兵が玉砕し
ようやく落城することを「あっさり落とされた」と表現する
>>293は作戦の神様・辻政信。
高天神城ってたしか、信玄がさんざん攻めても落せなかったんじゃなかったけ?
勝頼の頃になってやと落とした城だったような希ガス・・・。
おらの勘違いか?
298 :
名無しさん:2006/11/19(日) 20:38:59 ID:kNMSOTWI
勝頼は力攻めで落としたんだよな
たぶん城兵側に油断があったんだろう
あんな攻めにくそうな城が力攻めで落ちるとは考えにくいよ
>>戦国期における弓足軽の採用基準は、半弓で軽く一町(300M)超えができ、矢数をかける事が出来ることが必須条件でした
これは元ネタは何なんだ?
確かの四半的弓道のサイトにはこんな記述はあったが
>>299 >>168 日置流関係なのかな
なんにしても長槍の長さが大名によって違ったように
連射性と飛距離を考えて弓の規格とかも違ったんじゃないかね
よくわからんけど日置流っつーと九州か?
あのあたりでは強い弓が主流だったとか?
弓術の流派としては有名だからそれが一般の認識として広まった可能性はあるかもね
弓が300メートルってのはよく見るけど確かに元ネタは見たことが無いな
302 :
名無しさん:2006/11/21(火) 00:32:20 ID:FdhA9qbL
>>299 採用基準なんか本当にあったのか?
下手な鉄砲と一緒で数さえいれば役に立つイメージだけどな
鉄砲と違って下手だと飛ばないからな。
そろそろ攻城兵器の話しようぜ
結局使われてたのは雲梯くらいなのかな
井桜も忘れるな。
本格的な攻城戦となれば、仕寄って組み上げるのは基本らしい。
306 :
名無しさん:2006/11/22(水) 01:58:57 ID:9ntqZp4P
攻城側の一番槍は死亡率100%に近いんじゃないかな
よくやってたよな
>>305 井桜ってなに?ググってもでてこなかった。
攻城櫓みたいなもん?
恐らくは、井楼の間違いだと思ふ。
>>307 因みに井楼はあくまで射撃拠点&覗き見施設
長篠城の攻城戦で武田方が井楼を組んだが大鉄砲で打ち崩されていたりする。
311 :
名無しさん:2006/11/24(金) 01:35:24 ID:BCsxJp7q
雑兵の立場で考えると篭城側も攻城側もいやだな
篭城側は水や兵糧の心配があるし攻城側も狙撃される
所から攻めないといけない
城攻め名人の秀吉の配下で攻城するのならいいけど
勝頼なんかが総大将で攻城させられたら雑兵はたまらんぞ
312 :
名無しさん:2006/11/26(日) 04:37:20 ID:h6eSSc0f
うちの会社の上司は勝頼タイプばかりなので現場の人間は無謀な
突撃を強要されよく窮地に陥る
現場が戦争でなくてよかったと本当に思うよ
学歴以外とりえのないあんな奴らが上官だと命がいくつあっても足りんわ
313 :
名無しさん:2006/11/26(日) 22:13:43 ID:KQRKhXGA
大河では鎧武者が日本刀で切られても死んでいるように見えるのだが
実際はあれは無理だろう
鉄砲でやられると駄目なのはわかるけど刀や弓であんなに簡単に
殺されたら重い甲冑をつける意味がない
大体高度な技術をもっていたと推測される日本の甲冑職人が
あんなに簡単に殺されるちゃちな物を作るとは思えないんだが
洋画でも重く頑丈な鎧をつけた騎士が腰の入ってない剣の一撃で簡単に切り殺されてるから。
あくまで迫力重視って事だな。
快刀乱麻を切るというしな、
麻でさえ、良い刀でないとスパッとは切れない。
リアル斬鉄剣でも当時に持っていけば別だけど。
そりゃ、映画やドラマじゃ鎧の隙間を突き突きしてるのは絵にならんから・・・
西洋の方なら長剣で思いっきりぶん殴ったら切れないだろうがぶっ倒れると思う
もともと切るよりぶん殴る使い方する剣だし
>>312 「日本軍の下士官兵は頑強で勇敢であり、青年将校は狂信的な頑強さで戦うが、高級将校は無能である。」(ゲオルギー・ジューコフ)
マッカーサーも「日本の兵はとても優秀だが位が上がれば上がるほどに無能になっていく」
とも評していたな
ただ勝頼が無能で無謀な突撃をさせたってのはいただけないけどな
勝頼は悪くない大名だったと思うぞ
長篠は純粋に兵力差で負けだだけ
もし長篠の戦いで武田勝頼軍にヨーロッパの攻城兵器があれば
燃やされる
322 :
名無しさん:2006/11/29(水) 00:39:20 ID:GYntV8Ge
投石機は野戦に充分使えそうだよな
323 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 01:10:11 ID:SgHuBb8r
普通に大鉄砲の方が使えるだろ。
324 :
名無しさん:2006/11/29(水) 01:22:28 ID:GYntV8Ge
>>319 その兵力差がすごすぎないか?
倍以上居たんだからどう考えても戦うのは大博打だ
武将としては勇敢で純粋でも政治家のやる事じゃないよな
大名は政治家だからな
325 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 08:22:46 ID:eMbUo9jn
投石機みたいな旧型使うより実際家康が使ったカルバリン砲の方が高性能だわいな
>>324 鳶の巣強襲されて退路脅かされちゃったんだもん・・・
あそこで退却しても今度は大軍で攻め込まれるのは自明だし、
政治が云々というならあそこで引いても次は長篠よりも絶望的な戦力差になるのも明らか
(勝頼の代には浅井・朝倉・長島一向衆等の外線勢力はあぼーん済みだから兵を集中させられる)
ここで信長、家康を討ち取って戦略的大逆転勝利を収めない限り手詰まりだと考えたんだと思うよ
あんまり勝頼ちゃんいじめないであげて
で、攻城兵器だけど、カタパルトに焙烙玉のっけて敵陣にブン投げるとか使えないかな?
327 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 05:02:26 ID:WUarxK7Y
新型爆弾一発あれば城なんて木端微塵さ。
広島城のことかー!!!!
329 :
名無しさん:2006/12/01(金) 05:58:07 ID:0CYOVRok
>>327 軍オタは時代遅れの戦国なんて見に来るな
331 :
名無しさん:2006/12/02(土) 21:21:09 ID:e1sPSvc9
>>330 ミサイルぶち込まれたら姫路城でもたまらんぞ
>>331 焼夷弾ならターゲットになりながらも踏ん張った実績がある。
そういや江戸城は自ら出した火で自爆したっけ。やっぱ、攻城兵器としては火が最強なんちゃうん??
>>327 石垣を崩すのは現在の爆弾でもけっこう大変だと思うが
>>335 TNT・・・・・
徳川信長豊臣か、天下人クラスじゃないか
>>335 全壊させるのに何トンくらい?
ターゲットはとりあえず熊本城として。
338 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 15:39:11 ID:5/LKNmPp
TNTってたしか1Kgもあればビルを吹っ飛ばせるじゃなかったっけ?
石垣をすべてとなるとなぁ〜、範囲が広いからどうしても量が必要になるだろうなぁ。
石垣まで残さず吹き飛ばすっていうのなら、やっぱデイジーカッターか核爆弾クラスの破壊力が
いるんじゃまいか?
石垣が吹っ飛んでも土台となった丘陵が露出するだけだな。
340 :
名無しさん:2006/12/03(日) 21:02:04 ID:8lsP+Rdf
大阪冬の陣の時和睦したのは弾薬がなくなったかららしいが
ほんとうかね?
大阪城で思い出したが、故太閤の大阪城攻略戦術使えば、
日本の城だろうが、ヨーロッパの城だろうが関係なくないか?
>>317 無能じゃなくて「上は鈍重で、消極的であり、訓練が足りない」だよ
>>341 実は大坂城攻略法を家康に教えたのは秀吉本人だったそうな
家康曰く『このような城はさすがの太閤殿下でも攻略出来ないでしょう』と煽られて
蛇足だが例の作戦とは講和してから外堀、内堀を埋めてまた攻める方法
秀吉本人はそんなベタな作戦に誰が引っかかるかと思っていたがry
>>338 別に発破はビルを粉々に吹き飛ばす量の火薬は必要なくて
支柱をうまい具合に吹き飛ばして自重で内側に崩れ落ちるようにやるから
それほど大量の火薬はいらないのよ
しっかりした作りの石垣だったらデイジーカッター一撃では足りないとおもう
さすがに無傷ではすまないだろうが
何ぼ頑張っても上からじゃ無理だろう
坑道掘って下から吹っ飛ばすようにせにゃ。
そうなるともう攻城の段階じゃなくなってしまう
軍オタがキモくなってきたな
まだキモイまではいってないがせめて戦国板って事を考慮して専門用語に説明位いれてくれる配慮は欲しいよね
まあ住民が被ってる部分もあるんだろうが
348 :
名無しさん:2006/12/06(水) 20:45:41 ID:IzSWvmg8
戦国オタも一種の軍オタには違いないけど
航空機、ミサイル、装甲車系統がなけりゃ現代軍でもそこそこ苦労するんじゃねえか
石垣に火薬ったってそう簡単に取り付かせてはくれんだろうよ
>>349 火炎放射器で強度を0に下げ放水車で土ごと削り落として崩壊させればおけ
石垣を火炎放射器で暖めた後隙間にイモでもはさめばうまそうじゃね?
重力と摩擦
場所によっては漆喰みたいな物が使われたんじゃないのか?
今ある石垣はそういう感じの物も見かけるが、あれは現代の改修によるもの?
石が膨張したりとかしてかえって丈夫になったりしてな
360 :
名無しさん:2006/12/09(土) 21:09:26 ID:bb9l5GmR
絶対落ちないといわれていた山中城が半日で落ちたのはなぜなのか
秀吉軍みたいに大量の銃を持っている大軍に攻められたら
畝掘りは付け入られやすそうに見えるのだが
それと山中城は断崖絶壁に囲まれていない感じなのでいろんな場所から
攻撃されそうに見えてしまうが
まあ俺は城の復元画でかってに推測してるだけだが
>>359 石を積んでいるのはわかっているが、どこの石垣だったかな??
曖昧な記憶で申し訳ないのだが、石垣の石と石との隙間を何か白い物で埋めてあったの。
近代改修でてっきりコンクリかなんかを流し込んだのか、漆喰か何かなんだと勝手に思い込んでいたんだが、
単なる記憶違いか?
>>360 北条は舌状台地に、街道を取り込むように築城する傾向がある。
まあ、そんなことはどうでもいいか。
私見として、その圧倒的な兵力差が短期落城の原因だと思う。
十倍前後の兵力差は、流石にな。
363 :
名無しさん:2006/12/13(水) 20:51:12 ID:VdlIxGyU
>>362 水掘りなら粘れそうな気がするが
韮山なんて水掘りだし
365 :
名無しさん:2006/12/22(金) 00:06:31 ID:vpICNrDC
日本の歴史上篭城が一番うまいのは真田昌幸だろうな
川の水まで利用した徳川軍の撃退はすばらしい
上田城なんて元々それほど堅固な城でもなさそうなのに
城の機能は何を求めるために機能させるかが重要であって、真田昌幸の場合は
時間を稼ぐ事が勝ちに繋がる事であり、そのための戦略から城を機能させた。
戦術ばかり語られるけど戦略面、外交面のが篭城時には重要なファクター
367 :
名無しさん:2007/01/01(月) 20:38:30 ID:2vE6nS9/
戦国時代には第2次大戦の名将クラスはごろごろ
いたんだろうな
当時の日本は戦術面では世界トップクラスだったかも
368 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/16(火) 01:47:29 ID:h8cAXmLO
月山富田城は毛利に落とされはしたけど名城だな
頑強な城はあっても補給路のしっかりした城は
少ないもんな
高天神城みたいに強固でも補給がない城はそれほど粘れない
だいたい城内備蓄の兵糧だけで半年粘れた城なんて
あったかな?
もし戦国時代にブルドーザーがあれば
370 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/19(金) 23:14:48 ID:8rkAAzLC
ブルドーザーは火縄銃でドライバー殺されるよ
戦車じゃないと役に立たないよ
ブルとショベルがあれば天下取れるな
>>370 鉄板で運転席周りの防御を固めればいい
また戦車に歩兵がつくように、ブルドーザーに護衛の兵卒を付随させておけば尚良い。
問題は二つ、燃料とメンテナンス
374 :
にゃんこ:2007/01/20(土) 23:14:56 ID:obL1whKH
内戦の場合、落城は物理的破壊よりも、内部の裏切りが決めてだろ。
日本は、ほとんど内戦ばかりだから、頭のいい奴ほど、多数派工作に
熱中して、純軍事的進歩なんか二の次。
「日本鉄砲大国説」なんてのもなあ、マックスウェーバーの「戦争を変えたのは
(マスケット銃の貧相な)火力ではなく、規律である。」を知れば、大した事
無いことに気づく。鉄砲は弓に変わる、お手軽武装強化に過ぎないんだよな。
結局、土地改革から、規律の高い本格的な常備軍を作り出す前に、戦乱は終わった。
結局、明治以前の日本の武士の戦史は、ヤクザの出入りレベルからは、かなり
進歩したが、近代的な常備軍を作り出すには至らなかった。
規律の高い集団戦は徹底できなかったから、信長も秀吉もカエサルには勝てないよ。
原書も読まずにマックスウェーバーマックスウェーバー言ってるタイプだな
376 :
にゃんこ:2007/01/20(土) 23:36:10 ID:obL1whKH
読んだよ。半分。プロ倫。(笑)
ちゃんと反論してくれよ。375君よ。君の素晴らしいウェーバー論を披露
してくれ。笑ったりしないから。
自動車一台あれば野戦は負けない
クレヨンしんちゃん見ればわかる
381 :
にゃんこ:2007/01/21(日) 09:58:23 ID:RCh4eaFX
内戦だよな。源平合戦も、南北朝も、戦国時代も。
>>374 規律と言うのは何を指すのか?
略奪をしないという事か?抜け駆けの禁止か?
対象が曖昧でコメントできん
383 :
にゃんこ:2007/01/21(日) 10:58:35 ID:RCh4eaFX
まずは、整列。整列できない集団は、命令も徹底できないし、陣形なんて不可能。
地形や、人数によるけれども、せめて、小隊単位や大隊単位で、「構え」「撃て」程度の
命令を徹底できなければ、集団戦足り得ない。まして、勝手な行軍なんてもっての外。
ちなみに、関ヶ原の戦いは、黒田・福島等の勝手な進軍で、家康の事後承諾の形で
戦端が開かれた。規律もへったくれも無い。
もちろん、抜け駆けの禁止や略奪禁止等の命令の徹底も必要だ。
>>383 その手の整列・号令・上からの指示絶対は一見すれば見事なトップダウンですが
その実、現場の状況に対して柔軟に対処できない硬直した軍隊へとなってしまいます。
通信手段が伝令や鳴物に限られた時代は上記の様な方法かもしくはある程度は
現場の暴走を許容するという例が考えられ、日本の戦国期軍隊は後者になります。
後者において必要なのは現場の下級指揮官・兵士がどれだけの自発的行動(つまり
自身から敵に向かえるか)であり、その点において「戦功を上げれれば恩賞や出世が
かなう」という戦国時代のスタイルは有効ではないかと
個人的感想をいうなら、密集方陣やだらだらとした横隊を組んで見合いの様に撃ち合う
西欧の戦闘方法は、アホ以外の評価を下しようがないんですが・・・
385 :
にゃんこ:2007/01/21(日) 11:52:08 ID:RCh4eaFX
戦国時代って、本気の兵士なんか、いくらいたか・・・。大部分は、惣村からの
イヤイヤ徴兵で、訓練も戦うための思想も無い。
勝敗は、事前の多数派工作で決まっており、戦闘はその再確認に過ぎない。
信長も秀吉も、カエサルや黒太子よりも純軍事的には弱いと思うよ。
>>385 ケースバイケースで一概に言えない。
例えば、越後の山間部の農村は、上がりだけでは絶対に食いつなげない。
冬を越すには臨時収入或いは冬期の口減らしが必要だったわけで。
その越後兵は乱取でも有名だが、徹底した軍規を持つことでも有名。
乱取するために戦わなければならない、戦うからには勝たなければならない。
あと訓練と言うが、
イエスズ会や蘭・英によれば、当時東アジアで最も戦慣れした民族は日本人。
傭兵として彼らの尖兵になったものは実は、多い。
多数派工作については、四方を敵に囲まれながらも内戦防御を強いられても勝ち残った武将も少なからずいるからな。
もっとも世界史で見ても、多数派工作を疎かにする奴は負ける。
カエサルはともかく、ローマは多数派工作は決して軽視していない。
あと人物比較はしても意味がない。
時代と地域性が違いすぎる。
>>381 異国から見れば内戦でも、戦ってる当事者には関係無い。
関ヶ原なんて事前の交渉によって東軍の後背に陣取る毛利が動かず、
逆に西軍の後背に陣取った小早川が動いた事によって勝敗が決してる。
つまりは戦端を開く前から勝敗は決しており、友軍の抜け駆けなんて些細な事だろ。
反石田三成という名目で手を組んでいるだけで徳川の配下ではなく(直属部隊は上田で足止め)、
その抜け駆けした隊自体は規律によってきれいに制御されてるしな。
多数派工作て改めて言ってるけどそんなの誰だってやってるよ。
手紙書くだけ、使者を送るだけ、恩賞を約束するだけ、金つかませるだけ
で味方になってくれたら一番安上がりで勝つ確率も高くなる。
そんなの誰だってわかるでしょ。
あとはそれがうまく行くように工夫するかどうか、説得できる人材がいるかどうかの違い
>>385 いいえ、戦国時代の足軽は徴募による志願兵ですからある程度のやる気はあります。
農村からの動員は普通は夫役というものでこれは小荷駄などの後方任務であり、前線には出ません。
例外として地下人の動員として一般大衆の軍役としての動員を求める事もありますが、これは余程の事
(滅亡の瀬戸際)がないと出せない上、期限(20日)も決められ、その間の食糧は支給。更には恩賞も提示
しました。またその任務は通常の軍が出動した後の城の警備といった留守部隊としての役割が基本でした。
>>385 武田は口減らしの人員である、次男や三男等を中心に軍を構成していた。
生きるためには手柄を上げなければならず、嫌々でもないんだな。
戦国時の軍隊の階級や出身の構成みたいなものはどこかにないのかな?
着到状でも調べれば?
>1
当時の日本の道路事情を考慮しましょう。
あってもほぼ間違いなく運搬できません。運搬可能なのは水運で搬送
可能な戦場だけで、実際攻城兵器が使われた実例(上月城及び大阪城
くらいか)の少なさがそれを裏書している。
>>394 当時の日本の水運事情を考慮しましょう。
396 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/01(木) 20:14:33 ID:I1cJid9O
日本は荷馬車すら発達しなかったからな。
石川賢の漫画では、木をなぎ倒しながら船が山道を移動したりするけど
397 :
にゃんこ:2007/02/01(木) 20:57:51 ID:hyhvAfNr
1,まず、規律について
例えば行軍。規律の高い軍は行軍速度も速く、そして瓦解しない。日本の戦国
時代の行軍は非常に遅い。例外は、秀吉の「大返し」だが、主力は瓦解し、
山崎での中核は畿内・摂津衆となった。戦国時代の規律は、ローマ軍のそれとは
レベルが違うと思う。
2,士気について、
本当に士気が高い軍の戦いは、独ソ戦のようにしつこく陰惨なものになる。
おそらく、それを支えたのは、ドイツ軍は訓練と教育。ソ連軍は、部下を
いくら死なせても勝てば良いとする信念。
日本の戦国時代の戦いの多くは、形勢が不利だと、数%の死者数で部隊が
瓦解する。これで高い士気とは言えまい。惣村からのイヤイヤ徴兵が主力
だから、白兵戦で死ぬ者は極少。弓・鉄砲での離れての撃ち合いがメイン。
398 :
にゃんこ:2007/02/01(木) 21:05:32 ID:hyhvAfNr
391>
口減らし説(人余り)は、奴隷狩り説(土地余り)と矛盾するよね。
当時は、戦争で捕獲した人間を奴隷として売り捌いたらしいから、
口減らし説は、小説家の想像ではないかな。
さらに、戦国時代は、平地の開拓時代の黎明だから、人余りという事は
あまり無いと思う。
☆古代遺跡が丘陵地や山麓に多いのは、日本では、耕地が、高地から低地
へ降りていったから。戦国時代にやっと、平地での水田が多くなった。
399 :
にゃんこ:2007/02/01(木) 21:12:23 ID:hyhvAfNr
390>
小牧・長久手での徳川の発給文書や、対秀吉戦の北条の発給文書は?
太閤検地までは、農民兵が主力、ってのが定説だよね。それとも、この
定説は覆されたのかな?
>>399 北条が御国論理振りかざして農民を兵として徴兵することは確かにあったが、
・武田信玄との抗争
・豊臣政権との対決
のたった二度だけ、百年でな。
それ以外には(確認されて)無い。
この時、前述の御国論理を振りかざして徴用するわけだけど、
それでも前線には送らず守備兵としての在城勤務で十日〜二十日徴用するに留めるとしている。
また、ここら辺の出来事をを調べればわかるが、
北条は正規兵−非正規兵はかなり明確に区別していたようで、
民衆を戦闘の場にかりだすことは積極的にはしておらず、止むを得ない場合でも前線投入は避けている。
いわゆる百姓を戦力として徴収するのはにするのは異常事態。
日本の軍の行軍速度が世界的に見て「遅い」と断言したヤツは初めて見たなw
まあ確かに全軍騎馬のモンゴルよりは遅いのかも知れんがw
>>1 むしろロードオブザリング見て
「日本の城みたいに堀作れよ、投石機が来ちまうだろ」って思った。
空飛ぶドラゴンが責めてくるのや魔法は防ぎようがないけど。
ロードオブザリングの篭城戦は守るほうが難しそうだな。
405 :
1:2007/02/06(火) 00:07:36 ID:Jd+lrtMz
映画墨攻はすさまじかったぞ
中国の篭城戦がリアルに再現されていてロードオブの中国版って感じだ
日本映画は時代劇は相当あるが篭城物はほとんどない
梯子位しか攻城兵器が出せなければ映画にしてもつまらないから今後も
出来ないだろうが
墨攻について言わせてもらうと死人を埋めていたが当時の中国では
死体は全部普通に兵糧だったんだろう?
406 :
1:2007/02/06(火) 00:14:10 ID:Jd+lrtMz
>>403
火のついた石で攻められたら日本の城はもっと
弱そうに見えるけど
ただ投石機が火をつけた石を発射してたかどうかは
不明だけど
>>405 >日本映画は時代劇は相当あるが篭城物
つ[クレヨンしんちゃん]
>>407 アレは神アニメ
大河ドラマなんかゴミに見えるリアルさ
正直今の風林火山とかいうリアリティ零の屑ドラマ作ってる
馬鹿監督に見せてやりたい
410 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 02:08:45 ID:1NTAsNzx
「あー合戦ってこういうふうにやるんだー」
って思った。敵方もいいところに陣取ってたね。
411 :
人間七七四年:2007/02/17(土) 19:02:30 ID:05E3TBXv
このスレでクレヨンしんちゃんの事、知って見たが・・・・神アニメだなこりゃw
リアル過ぎて驚いたwww
412 :
人間七七四年:2007/02/18(日) 23:57:33 ID:Cgd1f6VN
>>405 嫌韓中が沸きそうだが、さすがに食料が不足してからだろ。
413 :
人間七七四年:2007/03/17(土) 09:12:53 ID:PAkCrZo3
>>405 墨攻の攻城兵器は、実際にはあの時代には存在しないが。
あの話自体が後世に書き換えられた創作。
414 :
人間七七四年:2007/04/28(土) 23:18:25 ID:ww47kjLE
小山田の投石部隊って攻城兵器使ったもんだと思ったけど
単に石を投げるだけなのね
415 :
人間七七四年:2007/04/28(土) 23:39:16 ID:DVoYIMnM
アームストロング砲喰らっても落ちなかった熊本城
明・朝鮮の砲撃に耐え抜いた数々の倭城
416 :
人間七七四年:2007/04/29(日) 05:23:09 ID:0S4/c2Wf
黒田・福島が関が原で勝手に戦端を開いたから、戦国の軍隊はまともに整列も出来ない規律の無い
軍隊だったとかウンポコな人がいますね。家康が黒田の兵卒に命令するわけが無く、黒田の命令に
従って兵卒は戦闘をはじめたに決まってるのにw
>>416 というより日本の戦国期軍隊は、現場判断を重視するという事なんだが
それに家康から状況に応じて、戦闘することを許可されているに決まっているだろうに
418 :
人間七七四年:2007/04/29(日) 13:41:06 ID:xHOZ+Oa4
419 :
人間七七四年:2007/04/29(日) 20:58:08 ID:vLSFIGoO
>415
木製の建物だと砲弾はただ貫通して地面にめり込むだけだからかな?
石積みだと命中した場所が崩れると支えを失ってガラガラ崩れるだろうが
420 :
人間七七四年:2007/04/29(日) 21:20:39 ID:xHOZ+Oa4
石弾や鉄弾は榴弾のように炸裂しないしね
421 :
人間七七四年:2007/04/29(日) 21:42:28 ID:5VP/1aXL
422 :
人間七七四年:2007/05/01(火) 17:05:29 ID:BX7FJcA2
423 :
人間七七四年:2007/06/14(木) 04:28:10 ID:/vouEihD
にゃんこのレス読んでると頭痛くなる
424 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 22:53:25 ID:xIqCSaed
知らんわ。
425 :
人間七七四年:2007/08/14(火) 07:23:03 ID:Enedx69b
戦国時代の日本の城は縄張り等の点で、
同時代の世界の城郭と比較してレベルが高かったのはガチです・・・
江戸時代の日本の城は城下町そのものが防御の点で考えられた構造で、
これもまたレベルが高かったのはガチです・・・
城下町だった町に住んでいる人は、地図を見てみると面白いかもですよ。
寺院等の配置とかすごく考えられてますからホントwww
426 :
人間七七四年:2007/08/16(木) 00:36:23 ID:kwxT6d1R
>403
板違いだが、映画では省かれてるがロードオブザリングの三作目に出た城には
本来城の周囲数キロにわたって防壁が作られていて、中に耕地が広がっている。
巨大な壁→数キロに渡る耕地→門と壁に守られ何層にも別れた城下町→王の住む塔という形で
一番外に敵が侵入しようとした時点で耕地に軍が展開して迎撃する仕様。
2作目に出てきた砦は城の塀→切り立った崖→崖の下は渓流で天然の堀となっていて
映画版だとえっらい無防備…。
427 :
人間七七四年:2007/10/02(火) 01:10:46 ID:Jl7RLngl
>1
>攻城兵器
あっても意味なし。
道路網の貧弱さは近世以前の西洋も日本も似たようなもんだが、西洋
は羅馬街道の遺産等、一部は運搬に耐えられるのでどうにか使えたが
日本では運搬の仕様が無い。よって置物として存在するだけになる。
水運で射点に進入できる場合のみかろうじて使用可だが。
終戦以前の日本の道路網の貧弱さを舐めてはいかん。戦後に土建屋が
はびこったのにはちゃんと故がある(軍事上の運搬、輸送は鉄道輸送
が基本。火砲、鋼材等重量物運搬は船舶輸送が昭和に入ってからさえ
基本で、この道路事情の貧弱さはモータリゼーションというモノ自体
の理解を遅らせ、WW2では戦車に肉弾で挑む時代錯誤の遠因の一つ
になっている)。
428 :
人間七七四年:2007/11/12(月) 15:16:32 ID:qRPfS75N
429 :
人間七七四年:2007/11/25(日) 00:16:52 ID:9rZsmhOy
430 :
人間七七四年:2008/04/11(金) 23:28:19 ID:zb19Ou+3
平城京や初期の平安京の幅の広い道と江戸の町のを比べたら解るんだけど
貧弱な道路や、ややこしいっ道てのは防衛優先の発想だろう
古代に近畿、中国の山岳地帯に延々と石垣を積んで朝鮮式山城を
造れたんだからやろうと思えばいい道路なんて出来たんはずなんだよな
それと大量に輸送するには海の方がコストが安いからというのも
道路が発展しなかった理由だろう
431 :
人間七七四年:2008/04/12(土) 01:07:01 ID:f+eXhzzK
>>427 クレーンがしょぼくてチハ以上の戦車は積めない=運べない→主力戦車はブリキの棺桶→仕方ないからシャーマンに肉弾戦
意識の問題じゃなくて貧乏な国だったっていう根本的な問題
432 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 01:43:13 ID:Ku5a9k9r
>>427 はぁ、攻城兵器たって出来てるものを自領から運ぶのは稀なんですが
最も嵩張って重い台座や骨組みなんかは、現地の木を切り出してその場で作る訳で
運搬よりも城の構造と城のある地形の問題だと思いますが
433 :
人間七七四年:2008/09/03(水) 01:17:59 ID:MaXyO3iH
自分は一番の原因は「伝来しなかった」からだと思います。
ある程度複雑な物は外国から教わらない限りなかなか作れないものです。
たとえば日本では明治期になるまで竜骨船という便利な船を作りませんでした。おそらく伝来しなかったからでしょう。
極端な例では新大陸の文明ではヨーロッパ人が来るまで車輪を利用しませんでした。
だから攻城兵器の様な複雑な物が独自に作られなくてもそれは不思議でもなんでもない事です。
434 :
人間七七四年:2008/09/03(水) 01:57:59 ID:MaXyO3iH
では何故攻城兵器が伝来しなかったについて考えますが、理由は大別して3つ有ると思います。
1.伝播しにくい性質の物だから
2.日本が平和だから
3.隣人がショボいから
1.についてですが、コンパクトで運搬しやすく常時持ち歩くような性質の物だった鉄砲に比べ、
攻城兵器は嵩張り、運びにくく、攻城が終われば分解され無くなってしまうような性質の物です。
日本人の目に触れなくても仕方有りません。
435 :
人間七七四年:2008/09/03(水) 03:04:04 ID:MaXyO3iH
2.は絶対に平和という意味ではなく他国と相対して平和だったという意味です。
3.は主に中国の事なんですが、連中はアラブやペルシャヨーロッパ等に比べてあんまり
攻城兵器の使用に熱心じゃなかったように思うんですよ。
たとえば投石器は中国では未発達で元が襄陽攻略の時に回教徒に作らせた回回砲というのを見て
大いに驚いたそうです。
じゃあそれまでどんな物使っていたのかというと、トレビュシェットの重りの部分にロープが下がっててそこに何人もの人がえいやっとぶら下がって
反対側の石を投げるというものだったらしいです。
中国がこんなざまだから日本に攻城兵器が伝わらんのです。
436 :
人間七七四年:2008/09/18(木) 12:49:24 ID:nk2RSfOU
日本の山城について少しは勉強しましょう
大型攻城兵器は元から無用の長物です、使う意味がありません
437 :
人間七七四年:2008/10/04(土) 20:27:34 ID:vT69PK5O
埼玉三名城
川越城
岩槻城
忍城
438 :
人間七七四年:2008/10/04(土) 21:17:49 ID:uEVBItm0
>>433 竜骨船は江戸初期の安宅丸で作られてる。作れないじゃなくて規制してただけ。
それと日本の山城について勉強しろ。
あとな、城ってのは守って敵を追い払うものではなくてな、引き付けておいて他の
城と連携して挟み討ちにするためのもの。多い所じゃ1km毎に城があった地方もある。
身動きし難くなる攻城兵器など無用の長物。
439 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 22:57:33 ID:zw0RShHH
>>433 インカ文明は車輪を発明していながら放棄した。山岳という風土に合っていなかったため。
日本の攻城兵器も似たようなもんだよ。
その国の風土的な特性に合っていない物は、輸入されたり発明されたりしても放棄されるのさ。
440 :
戦国博士:2008/10/06(月) 21:17:28 ID:MT2xMinv
木で出来てるんだから壊しちゃえばいいんだけどね
当時は物資>人命だから門とか取替えが利くものにしか攻撃しなかった
441 :
人間七七四年:2008/10/07(火) 19:29:20 ID:WsEcYZEB
>>440 >当時は物資>人命だから門とか取替えが利くものにしか攻撃しなかった
牢人についてはそうだが、怪我や死亡した場合保証していた事ぐらい知ってるよな?
442 :
人間七七四年:2009/03/14(土) 18:08:13 ID:4LEemwGw
>>433 新大陸に車輪はあったよ。玩具用だけど。
443 :
人間七七四年:2009/03/14(土) 23:36:33 ID:xLdiGNxh
>1.についてですが、コンパクトで運搬しやすく常時持ち歩くような性質の物だった鉄砲に比べ、
>攻城兵器は嵩張り、運びにくく、攻城が終われば分解され無くなってしまうような性質の物です。
>日本人の目に触れなくても仕方有りません。
斬新過ぎwwww
444 :
人間七七四年:2009/03/15(日) 18:12:36 ID:Y6VcCXc6
弩を「いしゆみ」と訓じるくらいだから、カタパルト式投石機の概念くらいは伝わってたんじゃないの?
445 :
人間七七四年:2009/03/19(木) 13:50:29 ID:nUZd92lE
火矢を射れば炎上し、集団に掛矢を持たせれば破壊できる程度の館を相手にヘレポリスや投石機を用意する
馬鹿は日本にはいなかったんだろう。
土方の使う道具とかせいぜいでかい丸太(言ってみれば原始的な破城槌)があれば十分。
446 :
人間七七四年:2009/03/29(日) 03:16:20 ID:mQfph0wf
>>444 防城戦で城壁に近付いた敵を落石攻撃する「石弓」ってのがあったらしい
447 :
人間七七四年:2009/03/31(火) 09:35:04 ID:tCc2G+We
石弓は弓じゃなくてトラップなんだよな
何で弓なんて紛らわしく呼ぶんだろうかね
448 :
人間七七四年:2009/04/01(水) 22:21:15 ID:C1Yg3M3Q
449 :
人間七七四年:2009/04/18(土) 18:03:44 ID:BB+W1WIi
ローマのバリスタかな?あの辺の定義は入り組んでて正直よくわからん。
450 :
人間七七四年:2009/04/20(月) 13:01:55 ID:zwEqKdCM
バリスタは6世紀ころ、百済だかシラギだかの使節がスイコ天皇に献上してる
蘇我馬子が試し撃ちで狂喜乱舞したと日本書記に書いてある
451 :
人間七七四年:2009/04/20(月) 18:32:44 ID:xqy3A1Bt
大宰府とか多賀城とかにはバリスタのような大型の弩も配備されていたんじゃなかったっけ?
452 :
人間七七四年:2009/04/21(火) 17:43:26 ID:Af/obLAI
多賀城にはバリスタやボウガン部隊があった
でも敵の蝦夷の戦法が騎馬戦であまり役に立たなかったとかなんとか
453 :
人間七七四年:2009/04/21(火) 17:48:14 ID:Af/obLAI
ついでに書くとロードオブザリングス並の攻城兵器は蘇我物部戦争の時には使われてる
投石機でボーリングの玉みたいな石をバカスカ飛ばして物部のたてこもる渋川城(寺?)を攻撃してる
454 :
人間七七四年:2009/04/22(水) 10:47:23 ID:60KtimPq
渡来人の技術スゴスってのを見せつけられたろうな。
455 :
人間七七四年:2009/04/22(水) 12:49:29 ID:95vr473O
当時の中国は超のつく先進国だもんね
456 :
人間七七四年:2009/04/22(水) 12:55:34 ID:9NNAgcEf
その超先進国から渡来した技術であるバリスタや投石器が定着しないで消えちゃったのはなんでなんだろう
技術的には1000年後の戦国時代より進んでるわけだよね
鉄砲や大砲が登場したので無くなったわけじゃないと思うんだけど
やはり400年続いた平安時代がガンだったのかね
457 :
人間七七四年:2009/04/22(水) 18:42:37 ID:60KtimPq
あんまり野戦向きじゃないことと、日本の砦はそういうものがなくても攻略できるから
いらなかったんじゃない?費用対効果がよくないんだよ。
458 :
人間七七四年:2009/04/23(木) 09:13:57 ID:17TWuvC3
使う機会がなかったから消えちゃったんだな
技術は間違いなく日本には入ってきてる
古代には百済から、さらに随滅亡時に大量の亡命者受け入れ
百済や高句麗滅亡時に大量の亡命者受け入れ
唐滅亡時にに大量の亡命者受け入れ
さらに宋滅亡時に大量の亡命者受け入れ
元のときにはなかったようだが明滅亡時に大量の亡命者受け入れ
この明滅亡時の亡命者は高級官僚や家族が2万人くらい亡命してきてる
ついでに清滅亡時にも亡命者イパーイ
これらの時に技術も入ってきてる
(なんか日本は古代から中国で戦争、政争、抗争に負けた人の逃げ場所だったんだな)
459 :
人間七七四年:2009/04/23(木) 09:20:23 ID:R5D9gJ/u
数年後に中国共産党が崩壊するときにも大量に亡命してきそうだな
朝鮮へ亡命した人たちは地続きなので刺客が追いかけてきて殺されたり
中国新政権から朝鮮へ追捕指令がでて亡命者を逮捕して送り返したりしているようで
日本は海を隔ててるので亡命するのも大変だけど刺客が追いかけてきたり
朝鮮みたいに日本で捕らえて送り返すみたいなことはなかったそうな
ちなみに今、日本で犯罪を犯した中国人が中国へ逃げてしまい
日本警察から中国の警察に逮捕要請しても無視されるのは
このときのお返しなんだと北京大学の教授が明言したらしい
460 :
人間七七四年:2009/04/23(木) 21:20:01 ID:P7YQPytd
戦国時代の大砲も実際あんまり役には立ってないんだよな。
北朝鮮の亡命者は韓国に送っちゃうけどね
462 :
人間七七四年:2009/04/29(水) 18:23:33 ID:aSBmpigt
甘い!
北朝鮮が崩壊したときは同時に韓国も崩壊してるw
463 :
人間七七四年:2009/05/02(土) 11:09:38 ID:owKP/CcU
笹間良彦『時代考証・日本合戦図典』には「石弓という語源から推定した」兵器としてバリスタ様の
投石機が紹介されているよ。まあ、推定という意味ではこのスレで言われていることと大差ないがね。
『倭名類聚抄』にある「いしはじき(漢字一字)」から推定した、垂直に立てた竹か木の先にカップ状の石受けを
付けた投石装置もある(竹などの弾力を利用して飛ばす)。まあ、軍船にはこれで焙烙火矢を飛ばす装置なんかも
付けられていたようだね。
464 :
人間七七四年:2009/05/09(土) 23:28:49 ID:N3l7j6Zk
てs
465 :
人間七七四年:2009/05/18(月) 10:55:52 ID:pber8BnD
ヨーロッパの攻城兵器より装甲ブルドーザーが欲しいべ
堀がうざすぎる
466 :
人間七七四年:2009/06/01(月) 12:56:29 ID:6h0hL/Hj
戦国時代に装甲ブルドーザーが許されるなら俺はB29がいいな
467 :
人間七七四年:
保守上げ