【IF】もし山内一豊が西軍についていたら【関ヶ原】
関ヶ原のIFポイントはいくつかありますが、彼の場合はどうでしょうか?
大河では主役補正が入ってもほぼ見せ場はなく、
のぶやぼでは「中途半端すぎて後方の城主くらいにしか使えねーよ」と言われ、
槍一本のみ得意といわれても、無双に出れるほどではない山内一豊。
しかし彼が唯一歴史に絡んだ「掛川城明け渡し」は決定的だと思うのです。
(そりゃ、他のポイントをIFしても当然変わるけれども、彼が着目されるのは今年くらいですし。)
もし彼が西軍についていれば
・三法師の岐阜城陥落前に三成本隊が岐阜到着
→岐阜と清洲で睨み合い
→貴重な戦意の高い立花宗茂の方面軍が決戦に間に合う(+小野木軍も?)
などと妄想するのですが、彼が西軍についていたら、戦況はどうなっていたでしょうか?
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 19:43:46 ID:tgSz11Ea
マルチは市ね
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 19:44:36 ID:oxmR6Jfu
大勢に影響は無いと思う。
東軍の勝敗は決定的。
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 19:46:19 ID:oOBLtJnv
国高は確かに高いかもしれんが、縁もゆかりもない僻地で、兵士も精強な西軍の領地なんか誰も行きたくねぇよな。
家康はあいつなら駄々こねないと思ったんだろ。一豊は最高のイエスマンだよ。NOと言えない一豊様だよ!
掛川だけ西って、たんに落とされる城が一つ増えるだけだな。
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 19:51:38 ID:cYsvxUq1
掛川城明け渡しは、堀尾忠氏の意見のパクリ。
一豊は、いかにも自分の発案のように、家康に提言してる。
ソース『鶴頭夜話』
室鳩巣:(一豊は)「人の分別を取って自分の功に成さる事とて恨み申されけり」
>>5 やっぱり大河のトリオの山内・堀尾・中村で纏まらないと駄目ですかね。
三人纏めて西軍なら、東海道の進軍も遅くなるかな?
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 20:05:53 ID:JLtRWlCh
掛川周辺ではマイナー
福島が家康加担を表明した時点で会議の流れは決まってしまってるじゃないか
その後山内が掛川明け渡しを言わなかったら堀尾が代わりに言っただけ(むしろそれが本来の流れであったが…
山内一人が西軍ついても周囲全部敵でタコ殴りにされて滅亡するだけだし
そんな自殺的発言を一豊が言う事なんてありえない
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 20:19:01 ID:oxmR6Jfu
一豊が裏切り者扱いされているのが理解できない。
豊臣家に恩なんて無いじゃない。
三成は東海道の微妙大名達には熱心に口説かなかったんですかね。
能力だけなら大したことなくても、位置は重要だと思うんですが。
真田には熱心に口説いてるわけですし。
>>10 ただ一人でも家康を阻もうとしたならちったあ評価できたんだけどねえ。
>>11 どう見てもありまくりだろうw
一豊は東海道筋の大名の取り込み工作を、やっていたと聞いた事がある。
土佐一国はその報酬だと。
東海大名で全部話はまとまっていて
年頭の山内が発言しただけだったりしてな
家康のほうにも事前に伝えていて
会議の進行は全て段取り通り、とか
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 15:22:28 ID:NAZsvv8H
西軍に味方してたら、大河ドラマは放映してない。
長期戦になったら大谷らが止めていた前田軍はどうなる?
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 21:47:57 ID:dJ+kVHhH
ちなみに大谷の謀略に引っかかって金沢に帰った前田軍は
本当はあまり戦意がなく積極的に軍事行動をしないために
大谷の謀略に完璧に引っかかったフリをして帰っていったのだという説あり。
納得できる説ではある。
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 21:56:38 ID:pYl/PMD6
( ゚д゚) ポカーン
>>15 ああ、それはありそうだ。
家康を除けば最年長だったっけ山内。
山内一人が西軍についても
掛川がすぐさま落とされてオシマイじゃないのか
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 11:12:46 ID:VoO7CbOB
山内に籠城されると東軍の西進は2日前後の遅れが出たかも、家康は江戸にあって諸将の見極めを行っていただけに、西進中の東軍は混乱、
西軍作戦当初の予定戦場、濃尾国境に各方面に展開していた部隊が集結し、西軍有利に働いた可能性はある。
西軍に貢献できるが、一豊は討死に損かな
その場合、一豊のイメージは鳥居元忠のような感じに早やがわり
西軍が負けたら、ほんとに犬死になってしまうが
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 12:08:10 ID:VoO7CbOB
犬死にケ辻
千代タンが真田昌幸以上の知謀を発揮して家康あぼん
間違いない
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 12:35:42 ID:qrOnSDw4
下手に時間稼ぎが成功すると中山道の秀忠三万余が決戦に間に合うんじゃないか?
あらら・・・それは困りました。
一豊の貴重な掛川での無駄死が、ますます意味不明になってしまう。
27すごいな。目の付け所が違う。
気がつかなかった。
で、このスレは終了。
30 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 21:20:41 ID:yeBvI5/J
秀忠三万<立花四千
立花は大きいよね。
毛利が出馬・・・はありえないかな。
ここまで数が増えると関ヶ原じゃ狭いか?
このスレ読むとやっぱり一豊間違ってなかったんだなあ
間違ってない。
堀尾忠氏がちょっとかわいそうだが。
利を取るという意味では間違ってないが
人間的には軽蔑したい。
36 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 01:07:32 ID:i83HNJhV
で
堀尾から策パクったってのはマジなの?
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 01:47:23 ID:ms4loXgi
まあ、一豊が西軍でも結果は代わらんのやね。
こんな弱小大名じゃなくてもっと他の大名を「IF」にすればよかったのに。
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 02:35:54 ID:ncENNYSg
前田の兵2万余も来ちゃうぞw
>37
評定の後、二人は仲良く帰ったらしいんだ。
一豊が策を横取りしたのって堀尾じゃなくて天野某じゃなかったっけ?
見当違いだったらスマソ
41 :
名無しさん:2006/09/22(金) 23:42:21 ID:vh5ZZkd8
大勢に影響なし。山内一豊は、家康公に掛川城を提供したから、土佐一国を与えられた。関ヶ原では、めざましい戦果はなかったらしい。だが、もし、西軍についていれば、お家は取り潰されて、維新前の坂本龍馬のごとき傑物も現れなかった可能性もある。
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 01:55:02 ID:Pd2mLW63
谷秦山や吉田東洋の間違いじゃないの?
坂本龍馬が傑物か?
陸奥宗光がお世話になった人だから、傑物ということで。
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 20:31:31 ID:NcbcKqTr
高知は司馬遼の恩恵を最大限受けてるから、大阪には足向けて寝られんな
45 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 00:29:28 ID:fKjB9P8m
雑魚はいらん。
47 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 22:46:05 ID:vBrlqLjN
このままではあっさり終わりすぎだから、
一豊が西軍についた他に最低限何があれば西軍を勝たせる事ができるだろうかを
語るスレにしようか。
三成に人望がある
秀吉が子沢山
or
秀吉に全く子がない
ねねと淀が百合状態
52 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 01:37:34 ID:Gtdh4N/3
100万石
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 05:18:17 ID:GyREBwoX
小早川秀秋を関ヶ原に来させない
家康病死
57 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 18:35:23 ID:fDrSEaWL
小早川隆景、前田利家が長生きした
山内関け(ry
58 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 20:03:25 ID:Jc1ba0oO
真田真之のますますの大健闘で家康を背後から攻撃。
加藤清正、福島正則の裏切り。
一豊が主役のスレでも影薄いなぁ一豊
>>11 豊臣家への恩の有無は問題ではない。
石田三成に従うことができなければ東軍に付くしかない。
そもそも豊臣家vs徳川家の戦いではないのだから。
>>61 それが家康の作り出した構図やね
逆に西軍は豊臣家VS徳川家の構図を作れれば対抗できたかもなのに
63 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 01:38:32 ID:CT6gYOar
62さん、関が原では石田は豊臣の黄ほろ隊を
2000名ほど連れてきてたぞ。黄ほろ隊は
秀頼親衛隊で来ざるぞ。ということは秀頼の
許可が出てるということだろう。勝手につれて
くることはありえない。なら、やはり、豊臣対
徳川の戦といえるのではないか?
なんだその妙ちくりんな改行は
65 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 21:08:25 ID:0eXwQeQP
下野まで行って西軍につくなんて言ったら
家康の家臣に斬られてあぼーん
66 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 21:12:33 ID:nFcRPZ+e
君は田丸さんを知らないのか?
67 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 22:02:32 ID:SYyvyQUt
真田3万騎を中山道から関ヶ原へ
68 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 22:17:49 ID:1m2AudPR
真田で三万動員出来るかボケ。
掛川って周り中徳川派だから無理じゃね?
70 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/10(火) 11:03:03 ID:BQ9X8z/N
大勢に影響なし。一豊がアクション起こさずとも
黒田長政がなんとかしてるぜ。
山内が保有する戦力を全て真田に預けて関ヶ原に行かせてみる
一豊の動員兵力でそんなことやろうと焼け石に水だろ。つか真田にそんなことする義理も無いじゃん。
じゃあやっぱり山内じゃどうしようもないってことで
74 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 21:47:06 ID:4H3FLoFO
掛川は家康250万石が傍にあるので西軍に組するのは馬鹿げている。
速攻で捻り潰されるのがオチ。
75 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 22:52:31 ID:n4VTx2F7
三中老と山内一豊が全て西軍につく、というのは駄目ですか?
中村一忠4500+堀尾忠氏5000+山内一豊2000が西軍参戦
→福島正則・池田輝政・浅野幸長ら近隣東軍部隊と家康本軍の行軍が鈍る。
生駒親正2000が西軍参戦
→大津城開城が早まり毛利元康・立花宗茂ら15000が関が原本戦に間に合う。
いささか短絡的思考ですね。
76 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 00:23:17 ID:RJbCWv9X
考え方を変えよう。
一 豊 に 2 5 0 万 石 与 え る
これでどうだ。
>>75 完全に足止め専用の捨石です。
本当にありがとうございましたw
>>76どこから持ってくるんですか?250マソも
78 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 00:58:23 ID:5YQe0THm
そりゃ産廃で埋め立ててに決まってるやろ。
79 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 01:05:29 ID:shZf1C1l
こんな小物じゃ足止めにもならんわ
東海なんてすぐ東軍に蹂躙されるんだから
西軍につくほうが馬鹿だ
東海には孤軍になっても大丈夫っていう城がないから厳しいなあ
領国捨てて岐阜に籠もるくらいか…
真田昌幸は偉かった
82 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 12:42:29 ID:EG/wzyVE
掛川城の防御能力ってどれぐらいなんだ?
簡単に踏み潰されそうな城?
83 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 17:35:59 ID:emPkmAal
勝つか負けるかなんてどうでもいいんだよ
豊臣の恩を思えば命など捨てて当然
勝ち負けがどうとか、そんなことを考えること自体が不忠
命惜しさに徳川についた山内は忘恩の徒
最低最悪の人間の屑として軽蔑すべき存在
掛川は捨て石的な場所だが見方を変えれば、対徳川の先鋒の誉れを与えられたようなもの。
豊臣家から忠臣であると認められないと勤まらない役ではあるな。
しかし山内はあっさり裏切った。その道徳的な罪は深い。
山内ぐらいの輩が忘恩の徒なら、浅野や加藤、福島。前田辺りは何だ?
やはり家康に何食わぬ顔でついて行って、
いざというときに裏切る逆金吾がいちばん現実的か。
そして山内の名は裏切り者の代名詞となるのであった…。
秀吉が生きてる頃に家康を討つことになったら
喜んで先鋒駆けてただろうよ
勝てる戦だからな
勝ち目もないのに家康に逆らってたら馬鹿だよ
豊臣家の武断派がほとんど加わってない時点で、豊臣家の戦いじゃないし
浅野や加藤、福島らが忘恩の徒というより、豊臣対徳川の構図を徹底できなかった三成がヘタレ
89 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/18(水) 23:19:54 ID:zKWO1PKp
というより三成ごときが豊臣の威信を背負わねばどうにもならぬ
政権を築いた秀吉が悪い。
秀家様の出番か??
91 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 13:44:17 ID:MHNUg9el
加藤、福島らも徳川についたからオレもそうするか的な考えだったら許せんな。
というかおそらくその程度の考えだろう。加藤、福島らは三成が権力握ったら自分達に不利
であることは明らかだから選択の余地はなかった。山内はどちらでも
よかったわけだろ?勝つ方に味方できれば。その辺が見劣りするんだよな。
92 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 17:40:30 ID:XiOg1SVe
>>91 阿呆が。清洲の福島(石高的に東海の大将兼秀吉の親類)が家康に
ついたんだ、東海組としては家康につくしかない。
たかだか六万石が後方支援なし、前方数万の大軍迎えて何すんだ。
>>92 だからその程度の考えなんだろ?大義も何もない。
よく読めや
その程度の考えって・・・・
>>95 本当の意味で大義のある大名なんていねぇだろ。というか大義なんていくら
でも考えつくさ。
一方で豊臣家を食い物にしようとする石田治部を叩きのめす、と言えば
他方では豊臣の裏切り者を叩きのめす、と言うしな。
で、山内が家康に組した大義名分って何だったんだろう。
まさかお家存続?!
それ以上の大義名分がどこにあると?
99 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 21:32:44 ID:Lye768vt
>>93 おまwww
たとえ話で恐縮だが、自分が死ぬか生きるかって時に他人を見捨てた
として、さらに見捨てなくてもまずその「他人」の運命は変わらない
として、お前は「その程度の考えで」っていうのか?
もし言うってんならもういいよ。「正義ごっこは小学校のうちに卒業
しとけ」って返すだけだから。
身一つなら好きにすればいいが、社長の身勝手で会社潰されたら社員としてはたまらない品
しかもどう考えても落城で討ち死にだしな。
みなさん、大義名分の意味を取り違えているような・・・
「お家存続」や「より強い権力掌握」を考えて行動するのは当たり前で、
ただそれを露骨に出すのを避けるために大義名分を考えるんだよな。
大義名分
@人として、臣として守らなければならない筋道。
A行為のよりどころとなる正当な理由。
で、大勢の家臣を守る為に徳川につくのは大義名分ではないのですか?それに
「いたずらに乱を起こし天下を騒がす逆賊石田三成とその一党を豊臣の大老たる徳川家康殿を総大将にして討伐する」一応はこれが小山の時の東軍だし。
>>103 >大勢の家臣を守る為に徳川につくのは大義名分ではないのですか?
おいおい。家臣が主君を選べる戦国時代にそんな大義名分あるかよ。
大河ドラマじゃねえんだから。山内は山内の存続しか考えてないだろ。
しかも一豊の時代に一気に成り上がった(これは悪い意味じゃないよ)わけだから、
代々山内家に仕える臣なんて数えるほどだろ?
で、山内は東軍の大義名分に共鳴したってことなの?
留守中に三成らが毛利を入れて大坂を乗っ取った
>103
「大勢の家臣を守る為に徳川につく」みたいな事を考えてくれるような
主君なら、仕え甲斐もあるだろうさ。
主君を自由に選べる時代っていってもな
雇う方にも都合があるわけで
なかなか雇われずに苦労することもあるだろうさ
主家が潰れないにこしたことはない
大坂の陣にもどんだけの関ケ原牢人が駆け付けたことか
現代でも職業選択の自由はあるわけだが
まぁなかなか大変だよな
109 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 07:29:27 ID:6zRgO/FU
このスレ、突っ込みどころ満載だなwww
いや、お前の考え方も突っ込みどころはあるけどな
満載ならまずは一つ二つ適当に突っ込んでみては如何かと
とりあえず戦国末期とか織豊時代から江戸幕府成立期にかけての
大名と家臣、陪臣の関係に関して、妙に夢見がちなレスがちらほらある希ガス
なぜだ?今更ラスト侍効果か?
この時代、各家の重臣なんかは「下克上上等。低脳は害」ってな時代を
当然の如く生きてきた人々なんだが・・・
山内一豊が天下を取るしみゅれーしょん
勝ち負けなど度外視、命を捨てて当然、なら
西軍の連中も生き残ってはいけないな
内通、寝返り、日和見などもってのほか
関ヶ原で負けたくらいで諦めてはいけない
大坂城に立て籠って徹底抗戦しろ
領国に帰ってそこを焦土としながら全滅するまで戦え
降伏するな、謝罪するな、全員死ね
そもそも、それなら秀吉が統一出来たのかと。
115 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 20:28:16 ID:A6uP5627
この人が西軍についてもなにもかわらない。
家臣が路頭に迷うだけ。
なんとなく流れで西軍についてしまい
華々しく戦うわけでもなく日和見
そのくせ戦後の外交に失敗して改易される
長宗我部盛親みたいなのが戦国大名として一番無能で
サイアクのケースだ
117 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 05:14:54 ID:NkAj95Hj
さすが山内厨は
アンチ長宗我部活動に熱心だなw
いや、長宗我部は下手うってるだろ。
島津のようにうまい外交で70万石を安堵されてる西軍もいるんだしさ。
119 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 09:28:11 ID:VbY4Xewp
盛親は大坂の陣で豊臣のために奮戦して刑死した忠臣
山内のような恩知らずのクズとは違う
でも、関ヶ原で西軍ついたり大阪で奮戦したらしたで「時勢読めないバカ」呼ばわりされそう
もう答えは出てるようだが、土佐貰えたのはいわば逆見せしめだな。
とりあえず一番乗りは評価してやらないと必死で城壁に取り付く奴がいなくなるというのと同じ。
この場合は媚び一番乗り。これからの時代は戦功より媚びだよという家康のメッセージ。
つーか、ちょいと上のほうで山内を批判してるヤシ
「戦国時代は家臣が主君を選べる」という事を肯定しながら
「山内一豊が徳川家康を選ぶ」ことを否定する理屈が分からん。
戦国時代は主家に仕えるというより主人個人に仕えるほうが一般的だし。
個人ではなく家に仕えるって発想が定着するのは江戸時代だ。
超実力主義の戦国時代に、主人(秀吉)が死んで妾とガキンチョしか居ない家を見限るなんて極々普通だろうに。
何にそんなに目くじらを立てているのか。
123 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 06:55:08 ID:sd1rwXX2
知ったか乙
見てるこっちが恥ずかしい
124 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 08:11:53 ID:+UPqJcOu
山内・中村・堀尾の三人が関ケ原までになんとか反徳川で動けばよくない?
>>122 確かに戦国期は当主が変われば多かれ少なかれ一部の家臣が離散してる
そうでなくても当主が死ぬと隠居したり追腹を切る家臣も居るな
これは見方によっては次の当主に従うのを拒否するともいえるか
江戸初期に家臣の追腹を禁じたのも主従関係を個人間の関係から
家同士の関係に改めるためっていうからなー
秀吉が死んだあと豊臣に従うのをやめるのもそう不自然ではないのかもな
考えてみりゃ恩に報いろってのも支配者側の理屈だし
まぁかといって幼い遺児を見捨てるってのも、ちょっとアレだがw
藤堂高虎に至っては秀吉どころか秀長が死んだ時点で豊臣家を見限ってた感が
あるからな(それでも形式的には秀長継嗣の秀保に仕えて、その死後出家しても
連れ戻されたけど)
徳川家の大名になっても秀長の菩提弔うことはやめなかったくらい報恩の情を持って
いたけど、秀吉の「恩」なんて喪も明けんうちから忘れた(というよりは最初から恩義を
感じてなかったんだろう)
>>125 ヒステリックな妾が居なかったら他の大名も豊臣に残ったかもなw
ふーん。東軍についた大名は豊臣を見限ってたんだwww
どうみても藤堂高虎は確定です。本(ry
>>127 淀君が権勢ふるってたってのも確実性のない話だからなぁ
豊臣見限った大名の口実に使われてるような気がしないでもない
>>129 あの状況で本気で「信義に篤い内府殿が君側の奸である冶部少を討つ」なんて
信じてるような頭の温かい奴が大名になれるほど戦国の世は甘くはないw
>>128 同意
ついでに
>>109にも聞きたいところ
ところで、金曜くらいから連日AM5時から9時台にageてる奴は同一人物だろうか
134 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 00:43:17 ID:GGgtRlgy
>戦国時代は主家に仕えるというより主人個人に仕えるほうが一般的だし。
捏造晒しage
>>134 まて、もう少し詳しく指摘してくれ
どのあたりがどう捏造なんだ?
守護大名ならともかく戦国大名なら端から代々家に仕える家臣団なんて居ないこともザラだ
立身した頃の斎藤家や羽柴家に代々の家臣はいないだろ
(だからこそ秀吉は福島や加藤らの子飼いを育てたわけだし)
織田信秀にしたって代々仕える家臣団だけでやってたわけじゃない
当時の家臣は道三や秀吉、信秀ら個人の手腕に従ってるだけだ
さらに初期の毛利のように大名自体が単なる有力な国人で、主従関係というより
近隣の勢力(尼子とか)に対抗するための同盟に近い関係というケースもある
それに戦国時代は大名の代替わりの時に先代の家臣を糾合できずに弱体化するケースも多い
新人大名の最初の仕事は家臣の支持を取りまとめることとも言える
これは、主君の子が無能なら仕える必要は無いって考えがあるってことだろ?
大体が戦国時代に無能な主君を盛り立てようなんて青春やってる余裕は無いってことでも有る
戦国大名の抱える武将には領国内の国人領主や地侍なんかも多いし、こいつらは自分の勢力を
守るために大名を利用してるだけで、大名にその力が無いと分かれば結構アッサリ乗り換える
>戦国時代は主家に仕えるというより主人個人に仕えるほうが一般的だし。
ってのもあながち間違っちゃいないと思うが
136 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 12:39:35 ID:MXiRwePC
>>135は根本的におかしいよな。
秀吉に仕える=秀吉自身に仕える
、だと思ってるんだろ?もう笑うしかないなw
事例も我田引水的だし。自分の都合のいい所を抜き出して、都合のいいように解釈してるから
捏造と言われるんだぜ。
で、スレの流れを読んでると、ここではある一派のレスを否定すると
山内否定派にされるんだよな。まじウケるw
137 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 16:26:19 ID:LB0Al4xC
山内厨の巣だからなw
擁護不可の極悪非道のクズを弁護しようと必死なんだよ
山内が存続した意味は幕末にこそある。
いいこといったね
>>132 同意だけど、何人か頭の温かいのに大名になっちゃった奴がいる気がしないでもないw
141 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/25(水) 01:23:54 ID:9n0p1rnt
戦国時代には他の時代よりも自己中で恩知らずなクズ野郎が多かったかもしれないが
それが当たり前だとか普通だなんてことはない
裏切りや寝返りは当時でも非難されたこと
「戦国時代だからこれが当たり前」みたいな捏造までして無理矢理擁護すんなよ
治安悪化が叫ばれる近年の日本でも
犯罪は相変わらず犯罪だろうが
「最近治安が悪いし俺もこれくらいやっても構わないよね」とか許されるわけがない
142 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/25(水) 01:54:22 ID:Hy2vQSU/
>>141 徳川内府は秀吉から天下と豊臣を委託されていたから
彼の言葉に従うのに問題は無い。
現実に政権のトップだし。
そして、戦後は豊臣ではなく「豊臣の看板を担いだ徳川」が
主人になった。
これまた裏切りでも恩知らずでもない。
そして豊臣が主君である名文である朝廷が関白を公家に戻し
徳川を将軍にして幕府を開くのを認めた。
この段階で公的立場で「朝廷から委託された徳川」
が主君となった。
ここでも裏切り行為など生じていない。
最期は「大阪の陣」だが
この段階で豊臣恩顧の大名は世代交代している大名がほとんどで
最初から「朝廷から委託された徳川」こそ主君になってる。
で外様にとっては「朝廷から関白として天下を委託された」豊臣に
従っていたのであり、主君に対する裏切りではなく
没落したかつての盟主の息子へ今の主君の命令での戦をするという
名文だから直接裏切ったといいがたい。
てわけで一応当時の諸侯の感覚としては
豊臣を見限っても上記のような理屈から裏切りや寝返りになっていないって
解釈になるんだろ。
屁理屈はいつの時代も非難される。
ま、結果論ですな。
戦国時代の武将って、名文と名の付くものであれば何でもいいってぐらい、
現代の感覚からすると無茶な理屈で動いてる奴が結構いるが。
現代の倫理観とか武士のイメージって大概江戸時代以降に作られてるから、
戦国時代の感覚は正確には掴みにくい。
他人の不義理な行動を非難するのも、非難することでメリットがあるときだし。
それを名文にして相手の力を削ごうとしてるって感じなんだよな。
関ヶ原にいたるまで、豊臣政権下で、山内一豊が50万石ぐらいを手にするとしたら、
どんな手柄を立てればよいか?
その辺の時代までは完全に実力だけでのし上がらないといけない
織田政権下で軍団長を務めるくらいの実力が必要
豊臣政権下では吸収合併が中心になるので血縁でも子飼いでもない一豊では50万石に届かない
「手柄」だけでは無理と思はれる
掛川城を焼き払って岐阜城に入る
西の援軍が加わり木曽川ラインを確保できれば
関ケ原にならず西が勝つ可能性も無きにしもあらず
この賭けに勝てば大恩賞間違い無し
山内もそうだが、西軍から東軍に寝返る大名が続出したのって
東軍に参戦する大名が意外と多くて東軍が勝ちそうだったからだよな。
関ヶ原で戦闘始まってからも迷ってるようなヘタレが居るくらいだし。
だったら、山内が掛川明け渡ししくて、東海まるごと態度保留すれば、
合戦前から多少流れが変わって様子見の大名がもっと増えてた可能性は有るか?
東海地方が丸ごと東軍に加わったって情報は、その時点で迷ってた大名の意思決定に
少しは影響したんじゃないかと思うんだが。
まぁどのみち堀尾を黙らせる必要があるし、東海の大名は東軍に参加しなきゃ
踏み潰されるから山内が言い出さなくても東軍に参加した気もするが。
徳川厨や東軍厨はいつも
「戦国だから裏切るのか当然」みたいな捏造に必死だよな
関ヶ原が天下分け目と思ってた武将はそんなにいないんじゃないかという気がする。
せいぜい東西対抗ラウンド1、負けてもかたや関八州、かたや大阪城、そうそうカタは付かない。
とりあえず近場に付いて2戦目以降で勝ち馬に乗ればいいやという考えの奴も多かったのでは?
武断派と三成一派が特殊なだけで。
家康抜きで岐阜が突破されて美濃が東に付いて、そこに家康軍が加わって
一気に関ケ原まで行っちゃったからね、あそこを突破されたら三成の佐和山は終りだし
大垣を囲まれてしまった時点で判断は厳しいな、ここに至るまで西は全く前進できなかったっていう事だから
中山道じゃなくて東海道だしな
小山から急いで掛川に帰ってきてもすぐ福島たちが来る
掛川がどれくらいの要害なのかは知らないが
その後の戦局に影響があるほどの期間の足止めができるのかね
一日持たない気がする。
154 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 19:09:03 ID:SZzJni33
掛川城は今川氏真が立てこもり徳川の攻撃に耐えた城だぞ。
かなりの堅城じゃないのか。
朝比奈泰朝を忘れないでくれ。
あっさり岐阜が落ちたからそう考えてみたがやっぱ同じとは考えにくいか・・
156 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 22:12:55 ID:7XvUuSft
山内氏は織田氏や豊臣氏と同じで新興の家だし、家臣団のほとんどが
非譜代組でしょ? 加えて、一豊自身には律儀という定評はあっても
家臣を大切にしたとか言う話は聞かない。
劣勢条件でそういう大名が篭城したら、いくら堅城に篭ってもすぐに
瓦解するような気がする。
陥とされるとわかりきってる城に籠城し
後の主力決戦のための捨て石になるのを
家来や兵に納得させるのは大変なことだ
スパースター千代が密かに大阪を脱出し掛川城に入れば味方の士気は上がる筈。
徳川軍を掛川城に引きつけている間に、西軍が濃尾平野まで押し出せば福島、池田
など東海筋の大名は浮き足出すはず。西軍の勝利は見えてくる。
どんな堅城も義がなくば守れんのだ
>>158 徳川軍全部は残らないだろ。一部だけ割いて残しておいてそのまま侵攻したと思うが…。
でも中山道の方は・・・
言葉だけじゃなくて本当に城を渡して徳川方が城番で入ってるんだよね
山内たちは城を捨てて総動員で出撃していった訳だから決意は固いよ〜
これを西に覆すの難儀だね
163 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 00:33:01 ID:mNIlPJpZ
口先だけではなく固い決意で
ためらいも後ろめたさもなしに
本気で豊臣を見限り徳川に擦り寄ったわけだ
正真正銘のクズだな
ほんの少しの良心の欠片もない
もはや人間ではないな
164 :
↑:2006/10/28(土) 00:40:43 ID:mR28lqgk
こいつ、いつも同じ事言ってねーか?
家康は秀吉から直々に指名された豊臣の代表者
三成はなんの根拠も無い自称豊臣代表ただし輝元が究極のバカなので体裁だけは何とか整えた
西軍に付く方が豊臣に対する裏切り
日本の戦国史を二元論でぶった斬るとは、あなた方どんだけ若いんですか?
朝廷はあっさり家康に征夷大将軍を与えてるところをみると
徳川厨だったのかな。豊臣政権に辟易してたとか。
豊臣を見限って徳川についた土佐家中の者が
250年後に徳川幕府を大きく揺るがしたってのも因縁めいてるなあ。
169 :
名無しさん:2006/10/28(土) 04:15:14 ID:VB+rObzE
戦況の変化は相当出ていたと思うが西軍で頼りになりそうなのは
宇喜田と上杉くらいだったんだろう
他のは烏合の衆に近い感じだったから長期戦で光成が家康に勝てるかな
170 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 16:06:11 ID:mNIlPJpZ
勝てる勝てないの問題ではない
豊臣家の為に死ね
それが当然だ
172 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 18:32:46 ID:xEfHFpTP
173 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 18:34:08 ID:xEfHFpTP
175 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 19:57:11 ID:xEfHFpTP
>>174どういう意味ですか,詳しく教えてください
177 :
名無しさん@お腹いっぱい:2006/10/28(土) 20:47:22 ID:AUR+qJZJ
大谷吉継もかなり活躍したらしいぞ
吉継は輿に乗って軍を指揮し、東軍の藤堂高虎、京極高知両隊を相手に戦い、奮戦した。
しかし松尾山に布陣していた味方であるはずの小早川秀秋が裏切り、小早川隊1万5000人が
突如として大谷隊に突撃を開始してくる。吉継は小早川秀秋の裏切りを予見しており
そのための陣備えをしていた。戸田勝成や平塚為広らと共にただちに迎撃体制を整えると、
猛然と小早川隊に逆襲を浴びせ、数に勝る小早川隊を一時は500メートルも押し返し、
2,3回小早川軍を山へ追い返したとも云う。
しかし、吉継が小早川秀秋の裏切りに備えた予備隊である脇坂安治ら4隊までが東軍に寝返り、
大谷隊の側面に総攻撃をしかけてくる。さすがの大谷軍も瓦解し、ついに吉継は自害して果てた。
享年42。
>>167 朝廷というのは権威はあっても武力はない。基本的に時の有力者の言いなり。
ただ前例だけは守らないといけない。なぜならそれだけが朝廷権威の裏づけだからだ。
徳川家は源氏(という建前)だから家康は征夷大将軍になれた。
秀吉は氏素性がないというのが完全にバレバレなのでいまさら源氏だ平氏だとは言えない。
そこで藤原氏の養子になることで征夷大将軍よりはるかに位の高い関白になった。
(源氏の養子になると星の数ほどある源氏系武家の末席に連なることになって具合が悪いと思われる)
秀吉は朝廷にはかなりの大盤振る舞いをしており、戦乱期の困窮を極めた後だけに、
感情的には豊臣政権に対してはかなり好意を持ってはいただろう。だからと言って家康に逆らうような力は無い。
たとえ公家諸法度等で小うるさく縛り付けられても、文句は言えない。
>>168 幕末に世間を揺るがしたのは山内家の家臣の上士というより
旧長宗我部系の下士だが。
徳川の恩にこだわる容堂のおかげで土佐の志士は散々な目にあったわけだし
それだけではなく上士の者は禄が多く、今の身分に満足していた者が多かったからなんだけどね。
それに対して郷士(下士)は差別もされ禄も少なく不満だらけだったしな。
そういうわけで藩主の容堂や上士は郷士たちの作った土佐勤皇党を弾圧し壊滅させた。
坂本竜馬という人物がどれほどのものだったか、正確に測るのは難しいが、
少なくとも上下に分断されていた土佐の上士の幾人かを勤皇派に引き入れ、
それによって最終的に容堂をも動かした功は後の大政奉還・薩長同盟の仕事に勝るとも劣らない。
後々の事を考えるとだんだん一豊が嫌いになってきたなぁw
183 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 23:40:56 ID:mNIlPJpZ
山内一豊は主家を裏切った反逆者、謀反人
幕末の土佐の郷士たちも主家に逆らい
幕府に逆らった反逆者、謀反人
どっちもカス
武士ならただひたすら忠義を尽くして死ね
こいつは以後スルーで。
>>183 だから勝てば官軍でしょ
今のアメリカだってそうじゃん
歴史が物語ってる
ただ、俺は好きではないが・・
187 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 07:10:12 ID:hIMmTxGy
183
あほ
188 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 11:49:56 ID:rYLQUKz2
>>182 一応言っておくとそういう実務系は中岡慎太郎の功績だ。坂本竜馬は
アイディアマン且つ交渉人ではあるが実務能力が可哀相なほどない。
武市一派が刑死しなかったら維新はどうなっていただろうな?
あいつら志は高くてもやってることは単純テロだし。
191 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 17:35:50 ID:rYLQUKz2
>>190 さすがにそこまでいくとスレ違いだ。あと、武市は本人の能力はともかく
思想としては「藩主体過激尊皇攘夷主義」なので、別に抜きん出て優秀と
か新鮮な思想は持ってない。行動力と実行力が恐ろしくあったので効果的
に時勢を動かしえたのが彼の凄いとこ。
これ以上は日本史スレで。
おまえらいいかげんにせんと
一年でもおぼつかぬのに、二百・三百年後なんてワしゃ知らぬわ
君たちは百年くらいは生きるつもりかも知れぬが
>>178 まぁ武士の時代になってからの朝廷は権力のパワーバランスの間で生き残ってるからな。
後白河法皇とか支離滅裂だし。頼朝が嫌いなのは一貫してたような気もするが。
ただ、当時の公家とかに豊臣が人気だったのは確かということは聞いた気がする。
秀吉は長い間おもくそないがしろにされてきた朝廷を敬って、いろいろやってたから。
自分の生まれが悪いから高貴な血統に純粋な敬意を持ってたとか、自分の不安定な権威の
裏づけを欲して仲良くしてたとか色々理由に関して意見はあるけど。
信長同様、自分の意に染まぬ今上の天皇に圧力加えて派閥に取り込んだ
親王を位につけようとしてたから敬意はないと思う
秀吉は自分に利があればへりくだる事に躊躇無いからな
山内厨は話をそらすなよ
山内一豊の関ヶ原における卑劣な裏切りを揉み消すな
金吾とか子飼いの武断派なら分かるけどねー
一豊は信長が死ぬまでは信長直属の与力であって
まあいいや
>>197 話を逸らしているのはそちらだろ
西軍についていたらっていうスレだろ
考えれば考えるほどありえない話なんだよな。
西軍につくと掛川で一党玉砕の覚悟で篭城しないといけないが、
元々主君でもない男のために、しかもそいつが死んでからそこまでやる義理がどこにあるか。
配下にしても一豊は裸一貫に近いところからの出世で父祖代々の家臣なんてほとんどいない。
家康は生涯で家臣にずいぶん犬死仕事をやらせているが、一豊はそこまでできる立場ではない。
要は己のことだけ考えていればいい人間が自分に全額賭けてくれたことを家康は評価したわけでな。
三河侍の忠勤振りは異常だから
戦国時代は忠誠を誓うっていう考え方は江戸時代に比べて薄いが
御恩と奉公の考え方をベースにした忠義を重んじる考え方はあるから
結果論として豊臣を潰した家康に味方した一豊の行動を
豊臣に対する裏切りと考えることはできるが・・・
まず関ヶ原で西軍が勝ったとして、本当にそれが豊臣の世につながったのかな?
それが問題なんだな。三成一派があそこで散ったのは惜しいと思うが、じゃあ勝ってたらどうなのか。
三成個人に野望が少なそうなのが問題だ。豊家の御為、豊家の御為であのバカ母子に忠誠を誓えるか。
覇者に野望がなければついていっても見返りがない。さらに家康を滅ぼすところまで持っていけるか。
結局時代は徳川だったのを三成が八方手をつくして互角まで持っていったということで、
時代の空気読まない無理押しではあってもそれはやっぱり凄いことだと思う。
だからこそ掛川明け渡しは(戦功がなくても)土佐一国の価値があったわけで。
(むしろ下手に戦場に出して死んだりしょぼいことやられると徳川体制を固めるための示しの論功行賞ができなくなる。
まあ戦場に出しても別にたいしたことはできないという判断はあったろうが。)
大前提として、西軍は別に豊臣正規軍ではない件
どっちかっつーと家康が実権を握った豊臣政権に対する反乱とかクーデターだろ
淀殿や秀頼は表立って認めてないし
五大老が参加したから正規軍ってもんでもないだろう
204 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 18:36:18 ID:g+76L/nu
言い訳乙
実際家康に政権を奪われたわけだが
>>178 源氏じゃないと征夷大将軍に成れないというのは嘘だよな。
源氏じゃなくても将軍になったのはいる。鎌倉期の藤原将軍とか。
また武家の最高位は近衛大将。征夷大将軍は便利だから使用されただけ。
近衛大将は武家の最高位だが、天皇を守護するにすぎず,独自の軍隊を派遣する権限がないが、
臨時の職の征夷大将軍は天皇から全権を委任された軍隊の総指揮官で,
いったん軍事行動に入ると絶対的な権限をふるうことのできる。
よって、この二つの職を兼任することが多かった。
家康が源氏に拘ったのは、源氏長者になることだと思う。
これになれれば、全国にいる源氏を自称・公認される大名たちの
官位の推薦・管理権を握れるはず。
藤原氏長者の場合、五摂家がいるからハードルが高い。
でも、秀吉は養子になることで実現させたなw
カッコワル
カッコワルさを気にせず突っ走れるところが秀吉の秀吉たるところであってな
208 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 08:34:29 ID://skzkJy
生き残るためには手段を選ばない
栄達のためには手段を選ばない
そういう山内のような人間を大河の主役にして英雄視するのは如何なものか
ホリエモンをもてはやしてきた愚行と同じである
このような風潮は嘆かわしいことだ
子供たちへの悪影響が心配される
次の大河は立花宗茂にでもしますか?
>>208 手段を選ばないって言うのは、松永や宇喜多直家クラスの人間に使う言葉だ
松永久秀は手段を選ばないというより
天上天下唯我独尊なだけで、自分の美学に反する事には
むしろ手段を選んでる印象。
やはり宇喜多直家だな、殺しすぎw
掛川城で東軍を迎え撃つべく籠城して包囲される。
「かぁちゃん助けて!」とか言って千代に泣きつく一豊w。
>>208 「功名が辻」てのは山内一豊を英雄に仕立て上げる物語じゃないぞ。
なにもかも嫁ハンの手の上で踊らされて良い目を見て、
そこから外れたとたんドツボに堕ちる情けない男の話だぞ。
さては貴様大河見てないな?
もちろん俺も見ていない。
小山まで行ってから西軍に加わるのはほぼ不可能
(篭城に自信があった真田や、東西勢力入り乱れる美濃に所領持ってた田丸とは状況が違う)
ならば仮病でも使って上杉征伐に参加せず、征伐軍が関東に至った時点で掛川に行き、兵力
と兵糧を根こそぎ大阪なり大垣なり佐和山なりに持ち去る
掛川城は捨てることになるが、これなら西軍に参加できるだろう
そんなことして何のメリットあるのとかいう突っ込みはなしな
あくまで西軍に加わるとしたら、という話なんだから
山内程度の小物に「栄達のためには手段を選ばない」って形容もなぁ
どうもしっくり来ない
逆に東海筋の山内すら事前に押さえられないとなると厄介だよ
それなりの待遇はあったんだろう
長宗我部は10石だったとか言う人もいるけど、一国だから
一豊さんは開幕で加藤清正、黒田長政とか同じく従4位下の国主さま
最近では山内一豊の妻の兄と言われている遠藤だって小さいけど
郡上八幡奪還に東軍で動く、そういう細々した小さな積み重も見逃せない
実際に、美濃が突破されて関ケ原まで追い詰められてるだから
長宗我部って東軍に参加し損ねて仕方ないから西軍についたただけじゃないの?
関ヶ原で命令無視して毛利勢に攻撃仕掛けたらどうなるかな?
東軍である山内に攻撃されたら毛利勢も積極参加せざるを得なくなる
まあ、山内隊はあっという間に全滅だろうけど西軍の勝率は格段に上がりそう
ゲームじゃないんだからw
自己犠牲で西軍を盛り上げるってありえん
>>220 君が持ち物を全て処分して全財産を今すぐ寄付するより難しいぞ、それは
223 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 02:37:22 ID:8PxCIMel
>>215 メリットだと?
豊臣の忠臣なら西軍につくのが当然だろうが
利害計算をすること自体が不忠
あなた本当に面白いね。素晴らしい。
喧々諤々になりがちな歴史論争の中では一服の清涼剤だよ。マジでw
また不忠君か
誰も一豊が忠臣だなんて言ってないって
秀吉の家臣になったのが済し崩しみたいなもんなんだし
秀吉からして信長死後の織田家にとっては不忠ものと言えるくらいなんだから
いい加減「不忠、捏造、当然」だけで書き込むのはウザイからやめてくれ
せめてちゃんとした反証をもって主張してくれれば多少は有益な話も出来るんだが・・・
すまん。吊ってくる
229 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 19:12:21 ID:s6IGLSAQ
忘恩の徒、裏切り者のスレッドはここですか?
230 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 00:09:44 ID:QljuwrZF
231 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 03:45:22 ID:+qbDmYPK
正則スレだけでなくここにもいたのか、裏切り者厨
>>230 越後屋がどうしたって?
三菱の話だとすると岩崎弥太郎か。たしかに海援隊が生み出した偉人とは言えるが、
日本の発展に貢献した功績と後に残る弊害を比べればどうだろうな。
まあ三菱が存在しなかったら三井住友がでかくなっただけの話ではあるが。
233 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 03:09:38 ID:ptErl2Xx
カスはカスを好きになる
カス武将を擁護する奴もカス
>>233 じゃあお前が好きな武将もカス武将って事か
このスレ一豊ファンの集まりじゃないだけどなーw
そもそも「豊臣恩顧」ってなぁに?
237 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 03:21:49 ID:HVIiF46J
それくらい自分で調べろ
出直してこい小僧
本当に何も知らず想像すらつかない日本人離れした知識と感性をお持ちなら
日本の伝統的な恩義の互酬性やら封建制下での恩顧主義についてもあわせて調べるとよい、かも
明治以降や戦後との比較を念頭にして書かれたものが多いからいろいろ注意は必要だが
239 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 14:02:14 ID:/+jLWno+
240 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 19:58:20 ID:5tgM7XQv
放送が始まるよ〜是非観てね
241 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 20:27:41 ID:drmJJYpV
こんな小物では強者に媚びへつらうしか生きる道がない
242 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 21:31:08 ID:5tgM7XQv
土佐20万石!おめでとうござる
境遇としては佐々成政に近いんだよね。
まあそれでも幕末まで持ったからなあ
封ぜられたのが山陽路あたりなら頻繁な転封にさらされたかもしれんが
土佐なんて天下に影響ない僻地だからね
水軍でも持ってれば南海航路を掌握して影響与えられるかもしれんが
江戸時代に大名が自前の水軍持つことを許可されるわけもないし
まあ土佐に限らず四国は転封が少ないが
阿波もずっと蜂須賀だし、讃岐も生駒騒動が起こらなければ幕末まで
生駒家が治めてたかもしれん
伊予の諸藩も領主交代は多くて二回までだし
246 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 02:47:11 ID:SXQystVj
松平忠吉 10万石 → 52万石 (42万石増) 小西勢攻撃
池田輝政 15万石 → 52万石 (37万石増) 毛利勢牽制
黒田長政 18万石 → 52万石 (34万石増) 石田勢攻撃
福島正則 20万石 → 50万石 (30万石増) 宇喜多攻撃
田中吉政 10万石 → 33万石 (23万石増) 島津勢牽制
細川忠興 18万石 → 40万石 (22万石増) 石田勢攻撃
小早川秀 35万石 → 51万石 (16万石増) 大谷勢攻撃
浅野幸長 22万石 → 37万石 (15万石増) 毛利勢牽制
山内一豊 6万石 → 20万石 (14万石増) な ん に も し て い な い
藤堂高虎 8万石 → 20万石 (12万石増) 宇喜多攻撃
加藤嘉明 10万石 → 20万石 (10万石増) 石田勢攻撃
井伊直政 12万石 → 18万石 (6万石増) 小西勢攻撃
寺沢広高 8万石 → 12万石 (4万石増) 中央備え
有馬豊氏 3万石 → 6万石 (3万石増) な ん に も し て い な い
生駒一正 15万石 → 17万石 (2万石増) 右翼備え
京極高知 10万石 → 12万石 (2万石増) 左翼備え
金森長近 4万石 → 6万石 (2万石増) 左翼備え
織田有楽 2万石 → 3万石 (1万石増) 左翼備え
筒井定次 20万石 → 20万石 (0万石増) 石田勢攻撃
槍働きだけで、全てが語れるほど、合戦は単純ではないが、
山内一豊の褒美は多すぎる。恐らく、山内一豊は日本一の遠慮知らず君。
遠慮してどうするよw
>>246 関が原の戦いの恩賞として土佐を与えられた頃は土佐は9万8千石だったから
家康としては4万石増させたつもりだったんじゃね?
一豊としても治安の悪い土佐8万だか9万より掛川5万石のほうがよかったんじゃないだろうか
ラッキーで生きてやがるw
251 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 06:35:59 ID:6pV9cPIf
運も実力のうち。
あれっ?山内の配置は毛利(秀元)の押さえじゃなかったっけ?
それと掛川城譲り渡しの功績もあるんじゃね?
>>248 石高に関していえば山内だけじゃなくて、新に調査して確定してく訳だろ
一国っていうのが割り当て
>>253 同じだろ
土地の痩せた貧しい国を割り当てたつもりが思いの外石高があったということ
>>246 池田は内応がほぼ確実だった毛利勢の牽制程度にしては過分だよな
まあ関が原本戦はともかく前哨戦ではそれなりに働いてるけど
やっぱり家康の娘の婿なのは大きいか
他の大名は大抵本人や息子の嫁にもらったのは家康の養女だからな
細川だって中津の石高は幾つだ
土佐は難治の地でヘタな奴を置くわけにはいかないが、
一豊はベテランだし堅実だし嫁さん賢いからなんとかなるんじゃね?
というノリではなかろうか。
岡山に金吾ってのは佐々成政の再来を期待したんだろうか・・
普通に考えて西軍福大将宇喜多の本領に金吾はねーよな
>>256 何が言いたいかわからんが、もしかして旧領主時代より石高が増えてるといいたいのか?
筑後も豊前も複数の大名に分割されてたところだから、立花や黒田の旧領よりそれらを統合した
田中や細川の新領が増えてるのは当然だろう
262 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 00:10:04 ID:+E1sJS1m
>>259 怪我の功名で徳川家臣団の精鋭(秀忠隊)がほぼ無傷で残ったので、山内
に土佐で失敗してもらって一代軍事行動を行い、徳川将軍家の声望を高
めようとした、とか。
大坂の陣で幕府に逆らう勢力を一掃したように、どこかで徳川家の武力
と統制力を天下に示す必要があったわけだし。
言われてる程の激しい抵抗はあったのかね
むしろ伊代との国境紛争の方が大きいよ
まさか相撲にかこつけて不平土豪を皆殺しにするという強硬策を取るとは
幕府も想定外だったろうなw
265 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 15:07:48 ID:BIWBaAcl
主家を裏切った忘恩の徒であり
他人の策を盗んで自分の手柄にした卑怯者であり
史上空前の圧政・悪政をしいて罪もない領民を大量虐殺した悪魔であり
本当に最低最悪の人間のクズだな
クズ野郎を擁護する奴もクズ
691 名前:日曜8時の名無しさん[sage] 投稿日:2006/11/16(木) 15:41:20.39 ID:KM4XZvv3
山内家は主家を裏切った忘恩の徒であり
他人の策を盗んで自分の手柄にした卑怯者であり
史上空前の圧政・悪政をしいて罪もない領民を大量虐殺した悪魔であり
本当に最低最悪の人間のクズだな
クズ野郎を擁護する奴もクズ
大河板の巧妙スレに張ってあげたよw
>>264 大河で嫁がニコニコしながら
相撲で釣って殺しましょうなんていったら名作決定
トリックの声色で「うてー」って言ってくれたら神作決定
ソレめっちゃ見たい
270 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 04:29:07 ID:KMrrsN1D
残酷、残虐、冷血
もうね、一豊も阿部寛にやらせればよかったのにな。
それマジ見たい
>>268,271
あの掛け合いのままだったらマジ見てみたいw
274 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 16:52:32 ID:xAhEnbFA
大河を記念して、山内一豊記念相撲大会とかをやってもらえないかな。
どさくさに紛れて朝青龍を銃殺する角界。
ここは山内一豊様を崇拝し、その妻、千代様を敬愛し、山内家が慈愛に満ちた家ながらも戦国最強で
戦国期のみならず日本の歴史に及ぼした影響は計りしれないことを讃え、後世に語り継ぐスレです!
山内厨以外は書き込みを遠慮してください!!
277 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 17:18:10 ID:KZ6Mj0Jj
(^m^)アラマ
>>276 葵三代の一豊でもいいの?
ただの太ったおっさんだけど・・・
279 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 19:20:03 ID:a4J6ZM3x
掛川城を献上することで諸将を徳川方へ引き込んだところに大功ありだろ
280 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 20:04:34 ID:miX5Eq18
一領具足
281 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 20:18:49 ID:zuzep/NE
大勢に影響なし。
282 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 20:21:58 ID:zuzep/NE
一領具足って、当時の平侍は半農だったのは普通じゃん。
283 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 20:32:22 ID:eczQ84vd
>>282 屯田制とかわかる?
農民を戦時に徴発するのと
組織だった軍隊として平時には農業に勤しむのとは
まったく違うの理解できる?
284 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 20:48:42 ID:zuzep/NE
わかりますよ。
だから、当時は完全な兵農分離はなされていないし、
常備軍が軍事専門を生業とできるほどの戦も多くないし、
それを養う税収も無かった。
兵農分離ではなく、将農分離なんでよね、織豊時代って。
だから、半農の軍隊は珍しくないと。
半農の兵隊は別に珍しくも無いけど、
その立場を制度的に認めて、特権も与えた所に意義がある。
だからこそあの土地で元親は隣国が驚くほどの動員力を引き出す事が出来た。
それは土佐の国民性とかも手伝っての事なので、なかなか他所で出来る事じゃないけどね。
だけどそういう存在のゲリラ戦ほどこの世に恐ろしいものは無いよ。
ベトナム戦争の縮小版みたいなもん。
286 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 20:57:18 ID:zuzep/NE
千代、撃たれちゃったね。
来週の予告で走ってるけど。
いよいよ、相撲大会ですな。
来週は目が離せないお。
ゲリラ戦に関して同意
民を殺し尽くす訳にはいかんし
現代のテロにも通じる
ところで半農の民にそこまで長曽我部に忠誠誓ってたのか?
どうも当時の気風から納得しずらいんだが
いごっそうの権利保証してたからな。
289 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 21:10:03 ID:zuzep/NE
忠誠というより、既得権の維持のためにというのが本音じゃないかな。
山内は徳川から派遣されたのだから、徳川に自分達が冷遇されるのを
恐れてたと思われ。
長宗我部が出した掟も、結構キツイよね
291 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 21:11:58 ID:zuzep/NE
千代が撃たれた事で一豊の目の色が変り、相撲大会での
虐殺に視聴者の同意と共感がつのりましたな。
や〜、ドラマみたい。。
まぁ両方だろうね。
単なる上司関係はともかく、代々のつながりがある主従はさすがに忠誠の概念もあるよ。
三河衆もその一種。
それを知ってるからこそ家康はそういう存在を恐れたわけで。
毛利や島津や上杉もそういう意味では似てる。
逆に秀吉さえいなくなれば土地だけ広くなった奴なぞ歯牙にもかけてない。
長宗我部も兵農分離は進めてたけどね
土佐一国に押し込められて朝鮮とかいっても何も出ないもの
294 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 21:50:29 ID:ElEVzpav
四国征伐後の太閤検地で土佐は9万8千石となるが
その後の再調査で20万2千600石に改める
それにしても正規武士と一領具足あわせ2万も兵が動員できるのは凄すぎる
(1582年中富川の戦いの際)
>>287 他所モンの小者山内より、先祖から土佐土着の国主様の方いいに決まってんだろ。
しかも元親は、史上初四国を征服した傑物だしな。
296 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 22:55:23 ID:zuzep/NE
信玄だって、甲信三万騎だしね。
297 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 00:27:23 ID:OF+gSImC
>>287 認められた気分というのが大きいだろうね。タダ働きだけど一応お目見えだし。
国主の館で直接会えるので単なる「お上」とは違う存在になるんだろう。
なんていうか、給料全然変わらないんだけど「ここはお前に任せるから」とか言われちゃったバイト君の気分?
298 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 00:38:30 ID:UFgHqs8g
千代が撃たれた事で一豊の目の色が変り、相撲大会での
虐殺に視聴者の同意と共感がつのりましたな。
や〜、ドラマみたい。。
まぁそういう多少のオブラートは必要なんじゃね?さすがに。
俺は全国ネットであれをやろうと言うだけで充分だと思うよ。
どうやったって同意と共感は無理だしw
300 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 02:16:07 ID:00O8O1tZ
戦国好きには別にそれもそーいう謀略も
ありなんだけどな。
流石に旧領の家臣をここまで謀殺するのは
珍しいけど
301 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 08:34:36 ID:OF+gSImC
ていうか土佐拝領でハッピーエンド!で終わるんだろうと勝手に思ってた。
見てないけど。
302 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 12:48:41 ID:OObvDGng
一豊たまには、自分の頭で考えてくれ〜見るたびアカンタレや。
上川がアフォーにみえてきたぜ
>>301 太閤記の類も位人臣を極めた時点で終わり
利休や秀次の粛清、朝鮮出兵などを描かない場合が多いからな
まあ原作にある以上、表現自体は変えるだろうけどスルーは難しいんだろう
司馬の「新史・太閤記」も家康上洛で終わってたな
「義経」も京脱出で
305 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 18:02:05 ID:OF+gSImC
義経は原作もそこで終わってる
306 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 18:02:55 ID:OF+gSImC
ああすまんそういう話か。
307 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 18:06:09 ID:OF+gSImC
どうせ原作にない話を入れまくってるんだからラストなんか豪快に変えちまえばいいのにw
308 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 19:02:29 ID:A6j1X8SL
長曽我部一族とその家臣団の方が最後まで見せ場が多いと思うのはオレだけ?
309 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 22:43:31 ID:UFgHqs8g
千代が長曽我部の旧臣に撃たれた事で、一豊の重臣が、
「殿、このまま長曽我部の旧臣を放置しては、
第二、第三の犠牲者が増えまする。」
「奥方様の仇を討つべきです」
「殿は土佐を、いや天下を再度戦乱に戻すおつもりですか!」
とかなんとか言って、一豊が止むを得ず重臣に押し切られた様に
して相撲大会で虐殺するんだろうな。
視聴者は一番人気の千代が撃たれた事で、長曽我部の旧臣に敵愾心
を持ったろうから、同旧臣虐殺への同意や共感も得れるだろうし。
「NHK、お主も悪よのう」@一豊
「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ。
一豊様こそ、土壇場で豊臣を裏切りにおなりで」@NHK
310 :
298=309:2006/11/20(月) 22:48:10 ID:UFgHqs8g
だから、NHKの大河ドラマって安易で嫌いさ。
演出がベタだし。
だったら見るなとかの、突っ込みは無しね。
312 :
298=309:2006/11/20(月) 22:52:58 ID:UFgHqs8g
ところで、江戸時代に小早川浪人は不忠者と軽蔑されて
いたのに、山内家の武士達は非難されなかったのかな。
313 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 01:23:31 ID:jR57aNPn
小早川は合戦中に旗色変えて、味方に襲いかかった。しかも秀秋は豊臣の親類格の家だからねぇ。
小早川への「不忠者」という言葉には嘲りの意味も含まれてるんだと思うよ。
ここで言われている山内へのそれとは少し意味合いが違うと思うな
>>309 甘い
一領具足の背後には地元住民だけで無く、坂本竜馬や幕末ファンの過激な後押しがある事を考えれば、
むしろ最後にちゃんと悪者にするためにこの話を持ってきたと考える方が妥当。
千代が撃たれたりしたのを入れたのはせめて何も知らない一般視聴者に対する緩衝材なんだろう、
じゃなかったら、一領具足を同士討ちさせる今週のくだりとか最初から必要ないし。
長宗我部盛親が京で人質同然になってるとか同情すべき点をわざわざ明かす必要も無い。
相撲大会の話もわざわざ原作どおりにする必要ない、ただ戦って殺したって事にすれば良いだけの事。
あえて相撲大会の騙し討ちをやってしまう以上もはや反感は免れられんよ。
わかってて山内家を英雄化しすぎないように反感を抑えるためにやってんだ。
視聴者舐めすぎ、俺みたいな一般視聴者だってこのぐらいは読める。
浦戸一揆には山内はタッチしてないに徳川の計略を実行したのは山内にしたし
六平太が被って死ぬは誰だって解るし、どんどん一豊が下がるよ
一豊「六平太は怖い男よの〜、しかし一領具足の首領共が相撲ごときで集るかの〜」
六平太「心配には及びませぬ、ヤツらはばかですから」
317 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 20:37:00 ID:zwVEZgDu
六平太は「北の零年」の姦雄商人を思い出してしまって駄目だ。
千代をレイプしているところを想像してしまう。
>>310 今日の回を見て一豊に同意と共感をもった視聴者がどれだけいると言うのか。
わざわざ一領具足に可愛い女の子まで持ってきて悪役にしてくれましたよ。
力士殺すだけでもアレなのに、娘庇った親を磔の刑な上に、
必要ないのにその映像までサブリミナルのごとくご丁寧に用意してきた。
千代の物語だから、千代の部分さえ盛り上がれば、地元に嫌われてる
一豊なんざ、帳尻合わせて悪役にしてぶっ殺すぐらい屁でもない。
あなたの考えてるようなドラマに成るならむしろ一般視聴者は救われるんだがね。
んなこたどーでもいいわけさ。
世の中戦国時代に詳しくなくて見てる人も多いから「一領具足ってコワい!でもあんなコワい人たちにも千代は優しく接しようとして
なんて素晴らしいんだろう」って思うオバハンは結構いると思うよ。
しかし黒田如水が原因みたいな展開は、しゃくにさわった。
いるわけねーだろ、そんなアホ。
あの描写で一領具足が可哀想に見えない奴がいるとしたら精神病んでるとしか思えん。
その精神病んでるやつらが集まってるのがこのスレなんだろ?
お?不忠君いらっしゃい。
ところで山内厨は来年から何して生きてくの?
325 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 03:14:43 ID:Fy/oEn+d
∧_∧
( ・∀・ ) < 不忠君来いよ、抱いてやる
パンパン / _ノ⌒⌒⌒`〜、_
ε( ̄⊂人 //⌒ ノ ヽ)
⊂ニニニニニニニニニニニニニニ⊃
不忠君がただの釣りなのか
本当にこのスレのレス見て山内擁護に見える頭の可哀相な子なのか
見分けがつきません
一豊西軍につく
→掛川城で籠城、周囲を東軍に取り囲まれる
→東軍が太田川を決壊させ掛川城水浸し
→酒に溺れる一豊
→千代に諫められて禁酒令を出す
→部下が猪をとってきて酒と共に献上。激怒する一豊、部下をむち打つ
→内部崩壊、部下が東軍への内応
→ウトウトしている隙に縛り上げられる一豊、掛川城墜ちる
→家康の前に引き出される一豊「俺を使ってみる気はないか!」
→「いらん」といわれてあっさり打ち首
328 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 14:43:03 ID:PpG5suMe
関ヶ原以後入国した他の大名は地元の武士を召し抱えたんでしょ?
なんで一豊はそうしないで殺したの?
それが一豊クオリティ
>>327 あやまれ、呂布にあやまれ!
>>328 まあ土地柄によって地侍が反抗的な国とそうじゃない国あるから(兵農分離進んで地侍なんてほとんどいない
国もあったし)一概に比較は出来んな
それを上手く取り立てたりして有効的に傘下に組み入れることが出来ず、弾圧しか出来ない時点で器量不足
なのは確かだが、他の新領地をすんなり掌握できた大名の全てが山内より有能というわけではない
一国丸々与えられた領主の中では最低ランクだと思うけどw
実際はそんなに大きな混乱は無かったんだろう
一領具足がどのくらいいたか知らないけど
それが大半反乱してたら治まらないよ
333 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 19:43:55 ID:Ixh9s0cl
新領地の統治はマジで難しい。
佐竹家も国替えの際新領地で反乱起こされ首謀者を処刑してるし
河尻秀隆に至ってはその反乱で命落としちまってるし。
で、外様を難癖つけて取り潰したい徳川にプレッシャーかけられるし
凡才な一豊には精一杯のやり方だったんだろうね。
関ケ原後間もなくだろ、外様とか取り潰しの圧力なんてまだ無いよ
336 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 02:03:45 ID:7ms98y10
一豊ってみんなに愛されてるんだなぁ。
一豊が西軍に付いていたら歴史は変わっただろうな
338 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/06(水) 18:53:21 ID:ebz3N1BD
土佐に一豊が入らなければ龍馬が誕生しないからな
やっぱり一豊は偉大な武将だな
341 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/06(水) 23:25:06 ID:zP9+Ypqb
saikinの大河は利家、一豊みたいに裏切りするシーンが美化され過ぎ。
松永久秀を主人公にすれば好きなだけ美化できるのに
>>342 今回の大河では久秀に「馬鹿か、お前は」て言われてたな、一豊
>>341 利家の寝返りは元々太閤記系統の話では美化されてるだろ
利家は生存中は家康の暴走を止める働きをしている。
利長も家康に対抗する気勢は見せている。結局お家のために屈したが。
これを寝返りというのは厳しすぎる。
>>344のいう「利家の裏切り」って対柴田戦での話では?
太閤記を例にしてるとこからして。
だろうね、まぁもっとも関ヶ原前の家康に対する弾劾もむしろ
政治的な存在感を示すためのもの以上とは思えんけど。
生涯通じて誰からも悪く言われないポジションではあったな。
それだけに本人的には大変だったかもしれないが。
自分の実力と世間の情勢を客観的につかむ事に長けてる人物だと思った。
350 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 04:57:42 ID:9senzoM+
まったくの無能だったら生き延びてないもんな
凡人が英傑から学ぼうにもマネできないからこその英傑なのであって、
山内一豊のような凡人大将からこそ学ぶべきだ
つまり賢い嫁を持てと
嘘でも創作でも、為になるエピソードや逸話ってのを感じることが価値。
6万石だろうと大名なのにね
当時の日本のTOP数百に入る人だ
後世の凡人に「無能だ」「小身だ」と言われるのが
なんか悲しくもあり笑える
354 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/13(水) 11:40:36 ID:ja7RKu3q
毛利が二つに割れたのが痛いね・・
地理的に見れば西軍だろ
輝元が西の大将として戦場で三成の代役を努めれば
小早川は絶対服従だったハズ・・
355 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/14(木) 01:57:21 ID:W4QA4OGt
>>350銀英伝のセリフのようだ
一豊が西軍に付くにしても、掛川でいきなり西軍宣言をしたらひとひねりだろう。
ここは一旦掛川を明け渡して信頼を得ておき、
備えとして陣をはったところで徳川本体の裏からいきなり攻め立てる。
たとえ寡兵とはいえ、城を明け渡すほどの忠義を示した奴が後背から
せめてきたら家康ピンチでは?
>>355 まず、んなことしたら家康を討ち取れるかどうかはともかく、ほぼ全滅。
仮に生き残っても「アレは男ではない」みたいなこと言われて信用されず、
大して評価されない。
仮に評価されて大封を得ても確実に目を付けられておとりつぶし。
まあ、そんなこと言った瞬間家臣か一族に討ち取られて戦死扱いに
なるだろうね。
357 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 20:53:02 ID:a4NMnieO
細木数子先生が一豊の妻はは悪女だとおっしゃってました
主君を裏切った、そのせいで土佐でたくさんの人を死なせた、と
豊臣家が滅んだのは北政所や一豊の妻の裏切りのせいだと
, イ: : /: : : : : : :ヽ:⌒ヽ
_ ― 、_ {: :l: : !: : イ.::::::::ヽ:l\: :|
/ヽ i / ̄/ヽ _, ∠二'二'.¬-、::::::::リ }:ノ
∠, == ゝ-― '-{花} ヽヽ , イ:_, -―- ―- 、 ̄ヽ.`Yノ ー'
// _, - 、 \/ ヘ ヽ /:/: : : ,: ;イ: : : : : :\: : lヽ〕
/ / /二」 └‐' ̄ U V  ̄ /: :/: : : // lト、: l: : : : :V: : :ハ
l l| /´ , ―- 、ハ 、 ヽ l: :/: /:/ /_ l l: !ヽ: :l: :V: :/:l
l/ |!U , − 、U ,ャ、 } l: :\l/: l:/|/ ̄l |ーリ-、|:N: :|: : /!
. / l :| / ,ャ、 ゞツ ノ !:l7 l: /レ _ U リ l|: :l: :.:::l
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ヽ |ヘ:l〈ヘU V ノ イ| l:| | ,,, `¨ 、 ゞツ ノ !:/⌒ !
\ヘ|ーヽ \___ /イ: : .ゝ l:トl U U ''' // ) /
ト- ' >┬ / N: 「 ̄|:l/\ ト-┐ U //┬イ__
/ ̄レ|丿l / レ゙  ̄ハ! ヽ. ー' イ:/ / \
/ l | / / | l| | T ´ //' / / ̄ |
/ l / l / / | l ! l l./ / / l
/ |l /゙ / | | l / / / l
何も変わらないだろ
360 :
人間七七四年:
>>357 主君と上司は違うと思う。
主君=織田 上司=秀吉 だったんだじゃないか?