【縁の下の】西海の虎 島津義久6【力持ち】

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919人間七七四年
島津は卑怯なだけで
当時の島津への一般的な印象は弱いって評価だったし
島津自身も自信が無く龍造寺隆信や立花道雪との決戦回避ばかり選んでる。
島津と戦って敗北してる側は増長してたり、指揮が乱れてたり、寝返りでの自爆ばっかなんだよね。
隆信なんて勝つ気満々で負ける気持ち一切なし。
まあ基本的に島津は伊東や相良や阿蘇らにやられまくりだし。
相良を降伏させたのも圧倒的戦力差によるものだし
阿蘇を降伏されたのも圧倒的戦力差の前に講和交渉できた甲斐を拉致して降伏を強要したから。
その後は結局、圧倒的戦力差がありながら攻勢限界点にきた島津の軍は秋月との合流を阻止され岩屋城の紹運の抵抗に士気も下がり瓦解をはじめて、
岩屋城や宝満城で拉致った一族親類縁者を弓弾の盾にして籠城してる宝満城や立花城で降伏を迫った卑怯ぶりの挙げ句に宗茂に敗走させられてるし。