【縁の下の】西海の虎 島津義久6【力持ち】

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405人間七七四年
じゃあ、御屋形様が関が原に兵をおくらなかったのは、沈なんとかを通じて中国と一緒に徳川を攻めるつもりだったという説は?
406人間七七四年:2008/07/02(水) 01:15:08 ID:SdFXpHSL
それはどうかなあ。
話としては、その方が面白いが。

黒田如水に限らず、石田側対徳川側の戦いが長引くというのが一般的見方
だったんじゃないの。当時の人間が、応仁の乱のように長引くと考え、当
然の策として温存を図ったとする方が、自然だ。
もちろん、費用の問題とかもあったと思うが。

407人間七七四年:2008/07/02(水) 01:17:32 ID:G6sRyO3A
つか>>405の話自体いろんな話が時系列を無視してごちゃごちゃになっている件
408405:2008/07/02(水) 17:46:48 ID:bh0V1xbn
なにかの本に載ってたんだよね。
元ネタは島津の秀吉討伐計画かな?
ttp://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/rekishikou/003/re_003_040319.htm
どっちかというと、対豊臣の工作に思える
409人間七七四年:2008/07/03(木) 18:21:00 ID:BPEUlg5E
対豊臣の工作に思える
じゃなくて、まんま対豊臣工作である。

但し、この話に関する史料は一つしかないこと、しかもそれは半島側の後世の史料であること
同時代の史料がないので、確実な話と断定できない点がある。
こういう工作があってもおかしくはない状況ではあるが、明・島津双方ともどれほどホンキだったのか・・・