▼殺生関白▼羽柴秀次▼

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720人間七七四年
大ざっぱに分けると奥羽は
外征に集中する秀吉側近官僚の三成・大谷・上杉側が津軽や小野寺
織田以来の武断派の前田・蒲生側が南部や安東
内政委任された秀次側が伊達・最上
結局は政権内の権力闘争なんじゃないか?
秀次や蒲生らが死亡後に
子の烏帽子親に三成を選んでいることもあり安東は三成に近づいたような気がする。
蒲生や秀次無きのちに前田の権威が陰り、その空白を埋める形で権威を拡大させた家康に伊達最上が近づいたか。
相変わらず南部は前田かな。
そして関ヶ原へ突入。