戦国時代の剣豪について語るべし
2
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 19:49:11 ID:qCrSc6n2
海音寺の「おどんな日本一」読みな
丸目長恵
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 21:19:35 ID:LrTknajB
北辰一刀流の千葉周作こそが最強の剣豪。
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 12:35:31 ID:xKq/ktN8
age
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 19:02:08 ID:0IwGXACh
チンポ
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 19:04:46 ID:ylsZPZmW
足利左大臣義輝
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 19:05:51 ID:ZeHW72rY
今の剣道の全国レベルの選手なら昔の剣豪なんてくもなく倒せるんじゃないのかな?
剣術が悪く言えば荒削りで技術体型がしっかり確立される前の時代だし。
講道館柔道の出現で古流の柔術がつぶれたように、科学的な事に関して昔の剣豪はムチ過ぎる。
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 19:26:54 ID:9R3y+R87
上泉と塚原が戦ったとしたらどっちが強いのだろう?
この二人は戦国を代表する剣豪だからな。
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 13:55:26 ID:20psUlQa
>>9 剣道ルールならっていう制約つけとかないと
>>11-12 みたいなレスつけられちゃうYO
巻き藁しかきったことのない現代の有段者
対
人きりが本分の戦国時代の剣術家
真剣でやったら結果はいうまでもないだろう
一概には言えないな
幕末にも流行った道場なんかは
竹刀つかった試合で強いからって真剣では駄目だろうと言われたが
やはり道場で名のある人は実戦でも強かった
だが、天然理心流みたいな古流が活躍したのも事実
実際戦ってみなけりゃ分からないと言う事だな
剣道みたいに綺麗に当てたら一本、だと鎧武者同士の戦いにはついていけないと思う
綺麗に入っても防具避けたり切断したりしなけりゃ尚相手は襲ってくるし
そもそも殺し合いだから試合とは又違った胆力が必要だろう
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 19:17:40 ID:B/NXct9G
俺は基本的に
>>9の意見に近い。
まず昔の物は今のものとは比べ物にならないという法則がある。
昔の「伝説の人物」よりも「現代の凡庸な人物の方がはるかに上なわけだ。
例えば将棋なんてのは一昔前の将棋界の巨人大山十五世名人よりも今の三段リーグの方がレベルが高いというのは羽生の弁。
まあ将棋は棋譜の蓄積が大きいから当たり前なんだけどね。
科学者なんかも昔の大天才科学者よりは現代の科学者の方が比べ物にならないほど上。
平賀源内とかエジソンと現代のそこらの工学博士の能力比べてみるとわかる。
第二次大戦の名機、ゼロ戦とかタイガー戦車など現代の兵器と比べ物にならない天と地ほどの差がある。
戦艦大和よりも自衛隊の護衛艦の方が強いのは驚かされる。
スポーツの世界でも「タイムなどの記録が残る競技」は50年前の男子世界記録は現在の女子世界記録にも及ばない。
たぶん「数字で記録の残らない競技」も似たようなもんだろう。
文化とか理論は日々、進化しているもので、
昔の物は今のものに遠く及ばないというのが普通。
そりゃそうだろう。昔の大天才の生み出した理論や発明も現代人は机の上で
簡単に学ぶ事が出来、それにさらに様々な研究を積み重ねるわけだからね。
ただし、殺人剣術は確かに現代剣道とは単純比べられないかもしれない。
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 20:37:51 ID:xI/QHw9Y
漫画ネタでスマソ
『バガボンド』に登場する上泉は最強。
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 01:50:39 ID:CnJRglek
まあ…体格の差で現代人が勝つかもね。
でも合戦や試合でどれだけ人を切れるかとなれば、慣れてる昔の剣豪だろうね。
重い甲冑つけて動きまくってた昔の人のほうが基礎体力はありそうだ
江戸時代の庶民すら今では考えられないくらい健脚だったわけだし
現代の剣道家が勝ってる点といえば、竹刀稽古の量ぐらいで後は駄目なんじゃない?
竹刀だけじゃ真剣の斬り込み方はわからないっていうし
人を斬るのは、いくら木剣で練習しても無駄。
竹刀と刀が違うように、木剣と刀も同様に違う。
それと戦以外で鎧を着てやりあった。
なんて聞いた事無い。
剣豪でも、戦と死合?はまったく違う。
上泉も戦の時は、槍だし。
幕末、最強クラスの剣客、桂小五郎も逃げ回ってるし。
真剣は引いて斬る。剣道は竹刀を当てたら腕を絞り、とめる
しかも現代剣道は面、胴、小手、のど以外に当てるのは反則だし
当てる際の竹刀の軌道にまで制約がある
剣道はあくまで心の修練であって人を斬り伏せたり、叩きのめしたりする技ではない
剣術家に勝てる道理はそもそもない
幕末の剣術家と戦国時代の剣術家なら技の点では前者が上回るだろうが
これとて試合をしたら必ず勝てる保障をするものでもない
昔の剣豪も主に木刀で練習していた。
それも素振り主体でね。(木刀で打ち合いしてたら結構な確率で死ぬから)
幕末の剣豪も基本は竹刀と防具。
だから躊躇無く人を斬る事が出来るし。相手の動きなど実戦に近い。
一般的に現代の剣士方が強いと、剣道の世界では言われている。
五分で試合させるのならいざ知らず、剣の技量自体が実戦ではそもそもさほど問題ではないよ
実戦でも強かった剣豪の名が良く上がるが、実戦で死んだ剣術使いや失敗した剣豪はもっと多い
戦場ではなりふり構わず定法にない度胸任せの剣が、おびただしい練達者を殺す
最後に勝敗を決めるのは所詮運だが、その運を呼ぶのは気迫だ
実戦で強いと言われた天然理心流や示現流のような「根・気組」や「二の太刀無し」の泥臭い心法こそ大事だ
剣道に慣れているヤツと真剣で戦いたくない
やっぱ怖いから
なんで怖いかってゆーと剣道だと刃を当ててくるから
折れるだろやめろ俺の大事な刀を折るな
てかオマエだって折れるぞ
なんでそんな基本がわからん
あと怖いのは突進
ある点以外は有効打にならない剣道だから「胴〜」とかって突進してくる
やめろ
その勢いだと相打ちになる
たのむから刃を怖がれ
剣道の技術で真剣を使った場合にやばいのは「お突き」ぐらいか
あれはマジな意味で効果的だと思ふ
26 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/17(日) 13:10:50 ID:EGRxUekl
現代剣道の技術体系が優れてるのは確かだろうけど・・・
やっぱ真剣で人の命を殺めるとなると経験と胆力が必要とされる
刃物で人殺すのは銃器使うより数段精神的ハードル高いわ
27 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/17(日) 13:41:16 ID:3V0uwndO
塚原卜伝の弟子が馬の後ろに立った際、馬が後ろ脚で弟子を蹴飛ばそうとしたが彼は素早く馬の後ろ蹴りを避けた
しかし卜伝は彼を叱りつけた、馬の後ろに立てば蹴られるのは自明の理なのに
そなたはその愚を犯したと
どんな剣豪でもリスクを知らない人間は早死にするというわけか
優れた剣豪なら、命の危険を感じたらまず逃げるよ。
30 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 12:46:20 ID:/LXYvHxj
昨日NHKで柳生宗矩やっていたけど新陰流についてはほとんど触れられなかった・・
今の80代のジジイとかですら若い頃の話を聞いていると化け物だぞ?
産気付いた嫁をリヤカーに乗せて40キロ走破して病院に行ったとか、20キロの距離を毎日通学で歩いたとか体力ヤバいって昔の人の方が。
餓死寸前まで飢えてりゃ話は別だろうが。
やっぱ戦争を経験してる人間はすごいな。
昔の人のほうが実は体の使い方がうまかった、とか最近の身体研究ブームでよく言われてる
それだけ頑健だから80まで生きられる可能性が出てきたんだよな
俺なんか人生50年で終りそうだ
車社会化が進んだ地方の人間は
200m離れたコンビニに歩いていくのも億劫で車を使う
一番近場の町まで山幾つも徒歩で越えて半日掛けて買出しに行ってた
爺さんの若い頃の話とかもう信じられなーい
36 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/17(水) 23:45:27 ID:41a8AHVv
戦国の時に一番強いって言われてたのは誰なの?
37 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/18(木) 00:43:01 ID:9lyNRez4
上泉秀綱だろうけど、上泉は豪族だったしそのおかげで名を挙げやすかった
(活躍の記録が残りやすかった)てのもあるんじゃないかな?その辺伊藤一刀斎
のようなどこの馬の骨かわからない剣豪は、活躍がはっきりしないし
弟子や風聞に頼わざるを得ない、だから一概にこいつが最強はとは決めづらい
38 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/18(木) 01:25:47 ID:7qP6bIzb
このスレすごくいい
ガチだね!
39 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/18(木) 01:28:31 ID:L/Evl2cg
>>31 確かに老年者は
楽を覚えてしまっている現代人には想像もつかんぐらいのことしているわな。真夏でも冷房無しだもんな。
40 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/18(木) 03:21:47 ID:b6PzyVrI
剣術も上泉の時代に比べて関が原あたりになると進化したりしてんのかな。
41 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/18(木) 03:55:11 ID:7974cqmj
柳生、中条、神道、これが確か戦国時代のメジャー流派じゃないっけ?
俺は個人的には富田流が好きだけどな。
42 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/18(木) 05:01:50 ID:cfV3LOKJ
居合で最強は誰?
43 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/18(木) 14:10:46 ID:vvAl6fcn
塚原卜伝の強さは宮本武蔵など足元にも及ばないのですが、剣の強さは
技術より真剣で向かい合った時の胆の据わり方の違いだろう。
豪胆さは武蔵も及ばないし、問題外でしょう。
格闘家が素人に刺し殺されたりするのも本当の殺し合いに戦慄を覚えて身体が
動かなくなってしますのでしょう。
あの身震いがするような刀で切り合うという事では卜伝は最強でしょう。
あの身震いがするようなってwwwwwwwwっうぇwwwwwww
身震い云々なら、刀対素手で勝つ方法を編み出した柳生石舟斎以外ないじゃないかw
46 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/18(木) 21:29:58 ID:vvAl6fcn
45それも言える(43)柳生連也斎もすごかったらし。
卜伝は126回以上?勝負をしているらし。血に塗られた人生だった人ですね。
47 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/18(木) 22:01:03 ID:cfV3LOKJ
しかしよく刀で戦えたな
俺なら怖くて泣く
居合いを林崎からスタートしたと考えると戦国時代ってのからは微妙に外れるのかねぇ?
柳生流とか馬庭念流の達人が割った岩、とかがそれぞれの発祥の地にあるんだけど
あれマジかね?
>>43 まあ卜伝ちゃんが武蔵から喧嘩を売られても必殺・無手勝流で武蔵を川の中州か池の浮島へ放置プレイじゃな
51 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/19(金) 14:57:52 ID:16OFJthp
ええい〜卜伝で倒せる奴はおらぬか!
52 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/19(金) 15:30:20 ID:1OcaP6GC
戦国時代の剣豪話とは違うが、幕末で言わせてもらえば、
日本は武器の進歩が緩く、幕末ですら日本刀の斬り合いと成る。
詰る所、防具の方は日本刀に合わせた防具(楔帷子)になり、
新撰組等の実戦でも防具の有無が生死を分けてる。
53 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/19(金) 15:33:19 ID:u09zWCuv
卜伝は有名になると諸国を回るときなど100人位弟子が付いて回ったらしい。
又、度々戦にも参戦して功名を上げたそうだ。
身長は低くてどっしりとした蟹股のおっちゃんという感じですが、
人を切ることが好きだったのでしょうね。
あの戦う時の痺れるような興奮がよかったのかな。
人を切ることの職人だったのでしょう。
戦いに全く動じない精神は生まれもってものかも。
何時でもどこでも準備なくして決闘が出来た豪胆な精神力は鍛えてもなかなか
出来ないものでしょう。
其の点、武蔵は遅れたり待ち伏せしたり弱い物を切ったりと豪胆さはないね。
色々な武士がいますが、決闘で人を切った数では卜伝はかなり上位でしょう。
柳生連也斎も江戸柳生に狙われてかなり切ったらしい。しかし強さでは柳生十兵衛
の方が上だったと言われてますな〜。
私も剣道をしていましたが、真剣を振り回すのは非常に難しいですね。
思った以上に重いし、一番は振った勢いで自分の足を切りそうになります。
竹刀のようには触れませんね。
映画見たいに振り回すなんて出来ないですよ。
昔の人は凄いの一言です。
54 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/19(金) 15:36:48 ID:gkdhnOCG
名人越後こそ最強の男
55 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/20(土) 02:34:38 ID:ZpGWkAKg
伊東一刀斎や神子上典膳はどうだろう?
公式サイトの動画見る限り、示現流はガチで強い。
少なくともあの眼鏡は強い。東郷重位も強かったんじゃないかと思う。
あんなのが真剣もって迫ってきたら俺は大小漏らす自信あるね。
戦国じゃないけど警察剣道も強いぞ。
中学の時に近くの警察署に練習に行ってたが
1人アホみたいに強いオッサンがいた。
警察剣道は明治時代にいろんな流派の
いいどこどりして出来たらしいね。
まぁ〜剣道と剣術じゃ全く別物だろうし。
前に後楽園の裏だったか尾州柳生の
道場があって見学に行ったけど、剣道と全然違ってて驚いた思い出がある。
58 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/20(土) 11:05:17 ID:4eMB2kzD
やはり剣道はスポーツ剣道ですからね。
真剣ですと旨く切り降ろさないと切れないし、刀が曲がったりして鞘に
入らなくなったり、相手の刀に当たると簡単に刃こぼれして刃がボロボロになって
しまいます。ですからもっと実戦剣道があっても良いのかもしれませんね。
剣道ですと鍔迫り合いなどで自分の竹刀を相手の身体にあてていると
叩かれても一本になりませんからね。実戦ならそれはないでしょ。
ですから警察も実戦では暴漢には歯が立たないで良く怪我をしますね。
暴漢は剣道をしているように全うに攻めてきませんからね、面、胴、小手みたいにね。
其の点機動隊の特殊は実践に強いですね。
因みに刀で最も効果が有るのは本当は突きなんですよ。
突きは力が有効に使えてスピードが速くて交わすのが難しいです。
浅野匠守も突き刺していたら確実に倒せたのに切ったからダメだった
んですよね。
もっと実戦剣道で相手がどんな武器で掛かって来ても勝てるような武道を
してほしいですね。
面白いと思うよ、其々が好き勝手な武器で戦い合うなんて、思っただけで
ゾクゾクしますね。
59 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/20(土) 12:04:44 ID:4eMB2kzD
神子上典膳は非常に強かったららしい。
>>58 突きが有効ってのはよく聞きますね。
実際突く時は刃を横に寝かして刺して
横に引いて抜き、また刺して・・・
てな感じだったみたいですね。
機動隊は確か何とか夢想流とか言う棒の流派でしたっけ?
突けば槍・払えば長刀・構えば太刀、剣道より実戦的ですな〜。
棒だからめったには死なないしW
前に観た柳生は剣道より実戦ぽかったですよ。
動きなんかもスポーツチャンバラみたいに
結構トリッキーでしたよ。
61 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/20(土) 12:52:01 ID:MUqDiz4F
>>57 反対に自衛隊の剣道はクソ弱だった。私は両方で稽古したが、警察ではゲロを吐き、自衛隊では軽くあしらえた。
62 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/20(土) 12:58:59 ID:MUqDiz4F
>>58 突きが有効なのは斬ることを前提にしてるからですよ。極端に言えば「不意打ち」。どう見ても日本刀は斬る為に進化してきた武器でしょ。突きが一番なら直刃や剣でよかった。
自衛隊だと銃剣のほうが主流だからかな
レスリングは強くてボクシングもそこそこ柔道は聞いたこと無い
剣道はもっと聞いたことないってのが自衛隊スポーツのイメージだ
あと富士登頂駅伝
>>61 自衛隊ってそんなにショボいんですか。
確かに警察はキツイですよね、初めての時
マジで泣きましたもん。
>>63 自衛隊と言うと徒手(でしたっけ?)
銃剣道や短剣道ってイメージですよね。
銃剣術は強力だよ
まともに食らったら刃が無くても内蔵破裂で死にそう
まあ、強さは何流とか職業ではなく個人の問題だな
結局生まれ持った身体能力で決まる事を悟ったよ
66 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/20(土) 15:15:24 ID:MUqDiz4F
>>64 自衛隊もいろいろかもしれませんが…
陸自でしたし。戦車の人たちは、まぁまぁだった。
自衛隊の方たちのためにフォローすると、戦術的に必要ないからだと思われる。あと、根性と気合いは凄かったです。
あと、なぎなたの強い子に冗談で試合を挑み、酷い目にあったことがある。速い。しかも、脛に…
なんか、スレ違いで申し訳ない。別スレたてましょか?でも、戦国版ですらないな。
警察や海自は明治以来の伝統をある程度引き継いでるけど
陸自はあえて旧陸軍の空気を徹底的に廃してしまったからな・・・・
陸自が旧内務省主導じゃなくて旧陸軍主導で創設されてたら今でもかなり
強かったと思う。
68 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/20(土) 15:50:43 ID:p7mz3Y+G
真壁道無最強!!
69 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/20(土) 16:53:19 ID:h/f1wRyH
>>48 新陰流にも居合いがあるらしいけど知ってる?
俺は居合いと言えば夢想の諸派だけだと思っていた・・・
70 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/20(土) 17:42:31 ID:ZDwoDCVd
示現流は喧嘩剣法でゴッツ強いらしい。
71 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/20(土) 19:42:49 ID:lI2D/bFH
今となっては伝説の剣豪・ト伝だけど、同時代人からは正味のところどう
見られていたのだろうか。鉄砲以前でも、戦場の主武器は弓、それから長
柄の槍。刀と言えば、鉄塊を叩いてそのまま造ったような野太刀でもない
と役に立たない。実戦のための技術者というより、何か宗教者の一種とし
て尊敬されていた気がする。
武芸者ってのは「芸」を売ってたと聞いた
73 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/20(土) 20:10:40 ID:ZDwoDCVd
塚原卜伝の小説が出ているので読むと面白いよ。
文庫本です。
74 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/20(土) 21:54:04 ID:ZDwoDCVd
卜伝は非常に尊敬を集めていたらしい。
弟子がわんさか来たらしいよ。
75 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/21(日) 13:29:12 ID:6K0kPCKO
剣聖って呼ばれたのは上泉と塚原の二人だけだったし
武蔵も呼ばれたっけ?
76 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/21(日) 16:17:56 ID:X2yqsf4N
武蔵は孤高の人って感じだけど、仕官をしたくてしょうがなかったが
勝てば良いという感じの無頼の者という感じで世間からあまり相手にして
もらえなかったのでしょ。
吉川英治が創り上げたイメージが強すぎて実像と余りに違いすぎるのでしょ。
実際は自分より弱い相手しなかったなんて親父がいってました、小賢しい手
を使って勝ったって仕官するには見抜かれたのでしょうね。
ですから剣聖とは言えんでしょう。
上泉や塚原が一緒にすなって怒りますよね。
勝てば良い、と執着したということこそ幻想ではないの?
徳川家仕官に執着して柳生に潰されたとかは全て創作
例えば徳川家譜代の水野家で町割りを任されるほど信頼されてたんだから、仕官口には事欠かなかった
細川家でも客分で一生を過ごしている
武術のみならず芸術の世界や行政で力を発揮しているから腕一本で生きる多芸な職人という感じ
>>75 その二人の愛弟子になる足利義輝はスゲー。
松本備前守
>77
1千石や2千石ならなんぼでも仕官できたんだろうけど・・。
柳生並みに万石以上望んだからなぁ。
50年早ければなんとかなった加茂しれんが。
創作をまともに信じている可哀相な人が紛れ込んでるのか、質の悪い燃料投下なのか判断に苦しむ。
82 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/21(日) 22:17:49 ID:X2yqsf4N
嫌味なこと書く人が居るのでもうこのスレには来ない。↑
76の親父さんがどんな人かもちょっと気になる。
吉川英治の武蔵も幻想だけど、
>>76のイメージしてる武蔵も幻想でしかない。
まあしかし、ここまで堂々と「ソースは親父」と言われると清々しさすら感じる。
小笠原長治
87 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/22(月) 11:20:17 ID:VbKBJ9lf
武蔵は子供を切った事は確かですからね〜。
これは武士として遺憾ですよ。
元服もしていない子供ですよ。
それに試合に4時間も遅れちゃいかよ。
それに不意打ちもね〜、仮にも決闘だったんでしょ。
私はフアンにはなれないですね〜。
まあ〜ひとそれぞれですけど。
しかし、吉川英治の武蔵は超面白かったけどね。
その辺が気持の上では微妙ですな〜。
ですから武蔵に対しては地元でも意見が分かれるらしい。
芸術の才能もあったらしが、曹操も大変な詩人だったらしいが人間としては
一般的に評価は低い。此れにも意見はあるでしょうけどね。
ですから武蔵が多少才能が有ってもそれと剣聖とは関係ないです。
創作をマジで信じてる頭が寒い人なのか。悪質な釣りなのかメ欄あたりに明記してほしいなw
89 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/22(月) 12:36:24 ID:obqQ4xwV
俺は吉川晃司の武蔵って読んだことは無いが、もうあっちこっちで語られてるからわかりきってるんだよね
生い立ちとか決闘とかもうほんとワンパターンができあがっていてもう嫌
忠臣蔵もそうだけど、毎年のように何回もやらんでももうわかったってのに
だから何年か前にやった「それからの武蔵」ってのは結構楽しめた
まぁそんなわけで今こそ大河で上泉信綱をやってもらいたいのだよ!
個人的には疋田文吾でやってほしいが無理だろうし
90 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/23(火) 01:05:54 ID:USOe8IVL
吉川晃司の武蔵は斬新そうだな。
>>87 吉岡一門との決闘のことだろうけど、又七郎は少年という説に根拠無し。
決闘内容も同じく、後世に脚色された、史料的裏づけのない代物。
吉岡一門との決闘についての初出の小倉碑文には、又七郎を殺したとは書いていないし、少年だったとも書いていない。
ついでに言っとくと、巌流島についてもそう。
細川藩をあげてのイベントではなかっただろうし、武蔵が遅参したり、「小次郎敗れたり!」なんてものは事実とは言い難い。
92 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/23(火) 12:12:34 ID:LpkKy3xB
歴史的には武蔵の事は殆んど良く分かっていません。
唯一五輪の書が残っていたから分かってきた程度でそれも武蔵が書いた物では
ないんでしょ。
吉川の小説も新聞の連載ですから、読んでいる人に毎日、次を期待させる書きかた
をしているので面白いわけです。
武蔵や他の人に関してもそうですが、現在定着している事柄の中での判断を
すると言うことです。歴史家ではないので例えば架空の人でも良いのですが、
その話の中でどうかという事しか判断できませんから、其の中での其々の
意見を述べたら良いと思うのです。歴史がどうだこうだと言い出したら何も
話はできません。だれもその場に居なかったのですかね。只、このスレが歴史研究
の場でしたらしかたありませんがね。
其れよりも今の武蔵感の中から話した方が面白いと思います。現在は実際の所
殆んど吉川英治の武蔵像が常識的になっています。新聞小説が出るまでは武蔵なんて
全く見向きもされていなかったそうですからね。
ですから私が言ってるのは現在知られている武蔵像での話をしたまでで91さんの言って
おられる事ぐらい常識的に知っています。その様な本も出ていますからね。
歴史的にはあなたのおしゃるとおりかもしれませがそれさえはっきりと
は言い切れません。
ま〜武蔵から言えば私の見方は「大きなお世話」という事にはなりますが。
87より。
武蔵が胡散臭く言われるのは資料がないから
本人も闘った相手については有馬喜兵衛と秋山某の二人しか名をあげてない
後世の創作が大半で実際のところは殆ど分からないのが実状
94 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/23(火) 12:56:49 ID:NChwuRt0
「武蔵は子供を切った事は確かですからね〜。」と言ったのは何処の誰だよ。
そういうのを二枚舌という。
>五輪書
現在残っているのは、武蔵が書いた草稿を弟子の寺尾孫之允がまとめたものの写本。
96 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/23(火) 15:25:30 ID:LpkKy3xB
慶長9(1604)年,剣客宮本武蔵(1584〜1645)が,吉岡又七郎および
その門弟とこの地一乗寺下り松で決闘したと伝える。この石標は
その跡地を示すものである。
--------------------------------------------------------------------------------
所在地 左京区一乗寺花ノ木町
位置座標 北緯35度02分26.0秒/東経135度47分46.9秒(日本測地系)
建立年 大正10年
建立者 堀翁女
寸 法 高188×幅67×奥行15cm
碑 文
[北]
宮本
決闘之地
吉岡
剣道師範堀正平書並刻
[南]
慶長九年宮本武蔵吉岡清十郎ト蓮台野ニ於テ剣術ヲ
試ミテ之ニ勝チ又其弟伝七郎ト洛外ニ出テ雌雄ヲ争
ヒ一撃ニシテ之ヲ斃ス是ニ於テ吉岡ノ門人恨ヲ含ミ
清十郎ノ子又七郎ト謀リ試合ニ名ヲ仮リ数十人兵仗
弓箭ヲ携ヘテ此所ニ会ス武蔵又七郎ヲ斬リ其徒党ノ
者ヲ追退ケ悠然トシテ洛陽ニ帰ルト云
大正十辛酉年 堀 翁女建之
調 査 2002年2月13日
備 考
97 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/23(火) 16:00:49 ID:5DQ9XTkS
>>94 中一から中二までは1でした。
中三では2をとれましたよ。
高校入ってからは7〜10だった気がします。
大学では国語関係は履修しませんでした。
でも、沼田家(細川家家老)文書に書き残された佐々木小次郎との立会いでの武蔵は、余り格好いいとは言えないねぇ。
知らん
100 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/23(火) 23:21:00 ID:atbfnCPy
100ゲットー
by真壁道無
>>96 大正十年に立てられたような代物が三百年前の事柄の史料的な裏づけとして機能するとは知らなんだw
>>98 沼田家の公式な文章らしいけど、あれは沼田延元の記録をもとに子孫がまとめたもので、
真偽不明の伝説が混じったんじゃないか?と思う点も幾つかある。
そりゃ、吉川英治の小説が出る前は日本中誰でも知ってるほどの有名人では
なかったかも知れないが講談ネタになってたぐらいだからそれなりの知名度はあっただろう。
武蔵伝説の大半は二天記によるわけだが成立が18世紀後半で
その執筆動機を見るととりあえずこの少し前あたりに
はなんらかのきっかけで有名人になってたようだ。
ようするに伝記が元で有名になったんじゃなくて有名になったから伝記が
編纂されたという経緯のようだな。
となると当時あまたいた剣豪の中でどうして武蔵だけが死後1世紀近く経ってから
有名人になったのか、その経緯が興味深い。
たまたま当時の影響力ある人物が武蔵の書画や五輪書に感銘を受けて流行になった
とかかとも思ったが、講談に見られる武蔵のイメージは吉川型と違う
ただの暴れん坊筋肉キャラらしいから、その線はちょっと考えにくいしな。
>>102 たしか十八世紀半ばで巌流島を題材とした歌舞伎か何かが出てきたので、それがきっかけではないかと。
あー、申し訳ない、
>>103は記憶違いっぽい。
二天記の成立した頃には巌流島を題材とした歌舞伎、浄瑠璃は既に人気があったらしい。
戦場での主武器は槍だけど
宝蔵院流槍術がそれこそ柳生や武蔵絡みで有名なだけで、槍術諸派ってあんまり知名度ないよね
尾張貫流なんてほとんど知られてないでしょ
ごめん。尾張流は江戸期発祥
佐分利流のほう
107 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/24(水) 14:51:50 ID:FZKRkWEP
武蔵のことで盛り上がってますが、武蔵なんかどうでもいいので、
卜伝の事をもっと教えてください。
武蔵とは時代が違うんでしょ?
武蔵の好きな人は「清酒武蔵」でも飲みながら、偲んで下さい。
上泉信綱好きの俺は何飲めばいい?
109 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/24(水) 15:04:11 ID:Htt8HLXW
信綱さんは酒は飲みません
一の太刀ってどんな技なんだべか?
新陰流の奥義なら勝てるべか?
110 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/24(水) 15:23:26 ID:FZKRkWEP
一の太刀 是非知りたいですね。
お酒がダメなら羊羹でどうでしょうか?
111 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/24(水) 17:19:37 ID:xTlZtVCW
一の太刀ってただ一つの太刀に全身全霊込めるだけちゃうんか?剣術ってだいたい型から始まるもんやろ?
塚原卜伝について同時代の人が書き記したものってあったっけ?
上泉信綱は言継卿記があったよね。
一ノ太刀の正体は諸説ありだけど
当時としては珍しい右足の踏み変えの足捌きで敵より速く太刀を届かせる技術だとか聞いたことがある
だから現代の右足先が当然の剣道の中ではあんまり意味が無い
114 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/25(木) 13:54:10 ID:0H3+INHw
変な方言で暴言いうやつがきました
115 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/25(木) 14:14:24 ID:fQvxmSbe
113さん
説明ありがとう。
確かに映画などで左を出して右足を引いて構えている所などみますね。
現代の剣道は江戸期の「北辰一刀流」千葉周作から来ていると聞いた
事があります。卜伝の頃の構え方とは違ったのかもしれませんね。
右足を踏み込んで相手の切り込んだ腕の下側の腱を切ったのが「一の太刀」
だという人もいますが、どうなんでしょね。どっちにしても確定はないんでしょう?
もっと意見を聞かせて下さい。
116 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/26(金) 13:03:38 ID:0J9i6dF7
今でも新当流の道場ないのかな
右足云々と言うのは剣道家が流行らせたガセ
理由は113が述べたように剣道の剣術に対する優位性の為に
どこからともなく生まれた。
111の言うのは示現流の思想「二の太刀要らず」の事
一ノ太刀と言うのは技術ではなく「勝って然る後戦う」が信条の
卜伝の逸話に端的に示されている戦い方にあり
所謂「奥義」ではなく「極意」だと言われている。
>>118 剣道の優位性も何も、剣道は古流の流れの延長線上にあるものじゃないか
甲冑剣術だったころは踏ん張りを利かせて防具の重量にも耐える必要があったから、現存する流派の多くは左踏ん張りの型を持つ
それを破る方策として右足を生かす方法を当時編み出して、それが画期的だったとしても不思議ではない
コロンブスの卵は誰かが示せばな〜んだ、と思うが当時を基準に考えるべき
120 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/28(日) 00:11:47 ID:UWiwR/mE
卜伝を語る時に「一ノ太刀」を外しては語れませんので、
もっと色々と皆さんの解釈を聞きたいです。
他には何かありませんか。115
>>119 >剣道は古流の流れの延長線上
延長線上にあるなら剣術を「古流」なんて蔑んで呼ばないよ。
どの流派も今に連綿と続いているのだから古くない
北辰ベースに数流派の寄せ集め剣道が剣術の集大成だとでも思ってたのか?
古武術と人口に膾炙されているのは古から続く武術と言うことなんだが?
一例に柔術から柔道になった時も精神性を謳いあげて
戦場往来の心技体を時代遅れと切り離し失った、
同様に剣道も剣術から劣化し
練習用の竹刀を振るうことが精一杯になってしまった。
まかり間違っても竹刀しか使えない剣道は剣術の延長線上にはない
組み打ちは無論いざとなれば鼻紙すらも武器にせんと言う思考の元に
成り立って鑓・長刀から含み針すらも用いるのが剣術だぞ?
>防具の重量にも耐える必要があったから、
>現存する流派の多くは左踏ん張りの型を持つ
防具の重量に耐える必要があると何故左踏ん張りになるのかね(・∀・)ニヤニヤ
右足の話は武板でも散々論破されてるが?
どの流派でも普通に足を入れ替えるのを知らないのか?
甲野さんのなんば歩きの話を信じちゃダメだぞ?
論破といえば具体的なこと何一つ言わず否定できると思ってる奴久しぶりに見たw
剣道は、神道流の根岸新五郎師範や幕末に実際に斬り合いした渡辺昇氏(一刀流及び神道流)らが合議して作り上げたものだぞ。
これを否定するってことは剣術からの流れも否定するということ。
ケレンを廃してシンプルになったら技術劣化とか思ってるかわいそうな人?
124 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/28(日) 12:39:14 ID:1bycqSMr
>>121 あのね・・・言葉に厨房用語を使ったら説得力がなくなるからやめたほうがよい
たぶんわからないだろうから教えるけど・・・
>だぞ?
これどこが変だかわかる?
疑問文になっているよね
2chで子供が書き込むときによく使われるんだけど?ってのは疑問文にするときに使うもの
自分の主張をしているときに?を使うのはありえない
日本語は正しく使えるようにならないと・・・とくにこんなスレでは
>神道流の根岸新五郎師範
もれ根岸新五郎は神道無念流だとおもってたよ
神道流って普通は香取の事だろう?
新当流と書くことも。このあたりややこしいからな、当て字ぐらい当たり前
一刀流なんて〜派とかいちいちつけないとわからないくらい流派が分かれてるし
127 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/28(日) 14:09:36 ID:CDlo0ggu
みなさん、お詳しい方ばかり恐れいります。
しかしながら、自分の意見ばかり主張して、そして意見を押し付けて、
最後は人の意見を批判ばかりです。
読んでいてどちらの意見を信じて良いのやら分かりません。
読んでいて嫌に成ってきます。
自分の意見を正当化せず相手の主張も聞く耳持ちましょうよ。
ここが、喧嘩する場所なら仕方ありませんけど。
一ノ太刀は実在しないと思うよ
当時の型は起こりから終りまでの一連の流れを持っているもの
一ノ太刀というか、一つの技だけ抜き出してどうのというこは後世に出てくる技術のやり方
ト伝は派手な衣装を着て行列を仕立てて世間の耳目を集めるような、情報上手
ありえない必殺技を流布して敵の目をあらかじめ撹乱したり、逆に自己の宣伝としたりしても不思議はない
129 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/28(日) 16:38:10 ID:rBAHI/yq
日本史上最強の剣豪は上泉伊勢守とされていますが
同じように、日本史上最強の弓の使い手、槍の名手は誰になるのでしょうか?
スレ違いかもしれませんが教えて下さい
131 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/30(火) 14:11:55 ID:5nKUDOA2
しらん
ただ昔から弓が強い男は天下一強いってのが常識だったっぽい
源為朝が、もの凄い弓を使えるってので平氏軍が直接戦闘を避けたり
海道一の弓取りって称号があると周りの国ににらみが利いたり
後漢の時代なら弓の名手であった呂布が天下一の豪傑と呼ばれたり
氏真が京で蹴鞠を披露した時に「蹴鞠に使った労力を弓馬の道に使っていた
ら、あんな風にはならんかっただろうね」とか言われたとかなんとか。
氏真君は一応、新当流剣術の使い手なんだけどなぁ
実戦経験の話が残ってないから腕のほどはわからないけど
今川義元も同様。討たれる時に、服部小平太の槍をかわしてその脛を太刀で斬った話が信長公記にも残されている
武器の長さのハンデをものともしない腕はかなりのものだったはず(現代でも剣道と薙刀が戦ったら腕が同等なら後者がまず勝つ)
ってことは新当流ってのは介者(字ちがうかも)剣法なのかねえ
135 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/02(金) 20:00:36 ID:Y7GMbF+m
等々、種切れか
新当流について知りたいなら鹿島の道場見てくればいい
卜伝についても色々教えてもらえるよ
137 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/03(土) 01:05:35 ID:Tl1WNyvd
↑
ありがとう!
138 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/03(土) 03:57:17 ID:2/ELse63
誰そ、新陰タイ捨流を知ってる者はおらんか?
139 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/04(日) 15:38:18 ID:JSgIpZE9
>>138 丸目蔵人か。たしか、丸目蔵人と上泉信綱が将軍義輝から書状を貰ってるよな
140 :
&rlo;!!!き好大ケリタモ:2007/02/05(月) 02:45:28 ID:z0WwbHjv
なぁ
なんで上泉が最強ってことになっての?
伊藤一刀斎を忘れてないか?
お前ら固定観念にとらわれすぎだよ
上泉-柳生が江戸の将軍家師範になったのはなぜだと思う?
平和な時代に相手を殺す剣術なんて必要ないからだよ
つまり上泉-柳生は精神静養の「剣道」を創始したがゆえに将軍家付きになれたわけ
そしてお上の権威の傘の下で神格化されたんだよ
そんなものが最強だ?戦国板のレベルの低さが露呈されてるなw
最初から上泉が最強という頭で議論して楽しいか?
お前ら「美味しんぼ」1巻1話見た?
究極の料理の記事を製作する会議で「一番美味しいのはフォアグラでしょう」
って得意気に専門家たちが言っててさ、あとで山岡にアンキモ食わされてさ
あれと一緒だ 一刀斎はアンキモだ そしてお前らは権威主義者だ
で、なんだこの板は?人居るのか?じゃーな。
141 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/05(月) 03:58:04 ID:eVXicenS
伊藤一刀流も元を正せば上泉に通づる。伊藤は中条流の印牧自斉(字は間違ってるかも)の弟子。
つうか例え話がアホ丸だし…
最強の剣豪を決めるのは難しいが俺は富田勢源を推す。てか単に好きなだけだけど。
142 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/05(月) 18:01:12 ID:LDLWxg0Q
それぞれ好きに思っていれば。
人の書き込み批判は読んでいて、いい気持ちはしない。
剣に例えれば、自分が一番強いと思っているんでしょうね。
>>138 撃剣叢談によると
「この流の使い方は前後縦横に飛びめぐり、切り立て、薙ぎ立てするやりかたなり。甚だ奇なり」
…相当変な流派だったようだ。
が、東郷重位が示現流を興すまでは九州一円で一番普及していた。
重位自身も体捨流をかなりなとこまでやってた可能性が高い。
俺の中で丸目が「オツムがちょっと足りないキャラ」なのは海音寺潮五郎のせいだ。
144 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/05(月) 19:38:54 ID:U+nml34A
145 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/06(火) 17:27:29 ID:UEMG5/Lo
確かに九州は丸目蔵人がいたから新陰流が広まってもよかったのに示現流が有名だよねえ
146 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/06(火) 22:15:15 ID:C1ddaY8u
こういうとこで柳生兵庫助の名前がでてこないのはなんでだろ
新陰流道統三代目だし
尾張柳生の祖でもあり
介者剣法から素肌剣法への過渡期の人物として評価されてもいいと思うんだが。
そういうことと最強とは違うだろうけど、少なくとも十兵衛やらよりは大物だよなぁ
武蔵とも同時代の人物なのに比べるまでもなく知名度では負けてるし。
147 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/07(水) 13:47:18 ID:CwbCyPJ2
兵庫の助だけが石州斎から新陰流の奥義をもらったんだっけ
それを考えると確かに
>>145 ちょっと上に書いてあるでしょ。
広まったよ。新陰タイ捨流が。
その後示現流に駆逐された。
150 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/10(土) 19:22:32 ID:i+QlOrGn
殴る蹴る目潰しアリってのも面白いね。
>>149 漏れは寧ろ甲冑を纏っていても戦える動作と考える
152 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 02:25:49 ID:jjqLa6bD
甲冑を着て
>>149は無理じゃないか?
甲冑つけて戦うのはもっと重心を低くしないと
ちょっとあれだろ
こういうすらすらした動きになったのは素肌での
斬り合いが普通になってからの工夫だと思う。
153 :
151:2007/02/11(日) 03:22:06 ID:m7avsNlw
そうそう、そのまま「重心を低くしたら」と言う意味でね
介者の趣が色濃い感じを受けたんだ。
>素肌での斬り合いが普通になってからの工夫だと思う
だね、有名なところでは香取神道流等も
素肌の趣を多少取り入れているが根本は介者
塚原卜伝の鹿島新当流なんかはもっと露骨に重心低くて
今でも完全に介者のままなんだよねw
154 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 13:17:10 ID:CtrTexUt
>>149 バチーンバチーンって刀で打ち合ってるんだけどあれでい、いいのか・・・
あと納刀の時にくるくる刀回しているんだな・・・ハリウッド映画で刀をくるくる回しているのをよく見かけるがここが原点だったのか?
新陰流はだいたいこんな感じなのかなあ
俺は未熟なれど夢想流しか知らないから衝撃的だ
ここまで複雑なことやるんだねえ
合気道みたいな部分もありそうだ
>>140 こんな馬鹿はじめて見た。
現実に検証出来る料理と文献などを参照に比較するしかない
剣豪対決じゃ話の性質が全く違う。
それなのに唯一の材料である資料を「権威主義だから」って理由で
切り捨てたらどうなるわけ?
>>154 伊勢守の墓で奉納演武見た時はしてなかったし、これが原点てわけでもないだろう>クルクル納刀
居合いや抜刀術じゃないしな。
残心はあまり意識してないっぽいし、柔術に近い感覚かもしれん。
実戦用の型と人に見せる時の型を変えるのはこの手の武術の常識でしょ
派手に演出したやつじゃない?
158 :
人間七七四年:2007/02/15(木) 17:56:18 ID:vnZixwI9
ドキドキわくわくする話題提供してくれ
新陰流ってさあ10年ぐらい前に読んだ本に
「気合は気迫からだ!大声だせ!」って指導しているって書いてあったんだけど本当かしら?
159 :
人間七七四年:2007/02/17(土) 01:49:27 ID:aUdFR0yo
斎藤伝鬼坊、田宮平兵衛とかはマニアックかな。
160 :
人間七七四年:2007/02/17(土) 11:29:14 ID:dwDTuvGk
前々から疑問だったんだけど
介者剣法って相手が槍持ってた場合はどうするんだ?
なんか突付かれ放題な気がするんだけど。
161 :
人間七七四年:2007/02/17(土) 14:17:38 ID:RvE+4qnn
槍が長いと言っても柄の部分は刃物ではない
刃の部分を小太刀のようなものと考えれば以外と刀で戦えるらしい
って卜伝だか誰かが言ってたような気がする
162 :
人間七七四年:2007/02/18(日) 16:22:11 ID:IUEKijrC
言われて見ると槍と対峙した時どうすればいいか全然知らないや
163 :
人間七七四年:2007/02/18(日) 21:40:46 ID:FvR2hVia
たとえば疋田文五郎は後には剣術じゃなくて槍術で名を残したし、槍と対峙した時は素直に槍を持ったんじゃないのかと。
164 :
人間七七四年:2007/02/18(日) 22:07:57 ID:A4YwT74Y
戦場じゃ役に立たないとかどこぞの武将が言ったらしいが。
165 :
人間七七四年:2007/02/18(日) 22:58:14 ID:EKOMxPDr
昔から劍槍の上手名人と稱せられるものが、戰場でその割合に功を成せしもの
はなく、鳥銃の達人稻富一夢の如きは、茅屋の中にて屋根の上の鳥の啼き聲で
その集る處を察し、あやまたず打ち落したといふ位の名人であるけれども、朝
鮮陣の時に敵に向つては一丸も當らなかつたといはれてゐる。
北條氏康の家老北條左右衛門太郎は、下野の小山で敵の侍百人ばかりの中へ只
一騎で乘込みよき敵二十人ほどを悉く馬で乘り倒し、その勢で雜兵共百四五十
の首を、續いて來た自分の臣共に取らせたことがある。
166 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 00:28:12 ID:4vS7HjXN
167 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 13:20:00 ID:Y6eP/aCc
とても早い前から剣の銃の名手の名手とされるものを量って、戦場がその割合にになる中に(上)仕事をす
るseもの ないので、鳥撃ち銃のは達人〓富一夢のように、あばら家の中屋根の上の鳥のがないてきて回がお
してこまかに調べるのです その集中した所、打ち落としたことを誤解しないでfuに1人の名手を聞いて、でも
、朝鮮の陣容の時に導火線1つとにraの中でツタもwiruにになる時に公然と敵です。
北条先生の康の召し使い頭の長い北条は左右して太郎を守って、下野する小山はすべてku馬でriが無料を打倒して騎乗して
と敵の武士の百人が左右する中の敵20人に向って込み合いやすいですに乗って、その勢いの様々な兵でいっしょに1百40、50
にになります の頭、継続してta自分の臣に来ていっしょに手配したことを譲ります。
168 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 13:25:31 ID:j5jdlrU6
どこの言葉やねん
169 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 18:55:24 ID:y2LvUXU/
けったいな奴が入ってきたな〜。
170 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 20:08:49 ID:GGBdl+FV
171 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 21:00:25 ID:IBPltE0E
>昔から劍槍の上手名人と稱せられるものが、
>戰場でその割合に功を成せしものはなく
戦場で功を成した者なら
松本備前守政信・上泉武蔵守信綱とか結構いるだろう?
>下野の小山で敵の侍百人ばかりの中へ只一騎で乘込み
>よき敵二十人ほどを悉く馬で乘り倒し、その勢で雜兵共百四五十の首を、
>續いて來た自分の臣共に取らせたことがある。
記述が曖昧でよく判らないんだが
侍(ちゃんとした武士)約100人と
雑兵有象無象の所に一騎駆して侍20人程を倒し
その勢いで雑兵を140〜150人討ち取り
続いてきた自分の家臣に雑兵の首を取らせてやったって事?
172 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 21:20:21 ID:DCrWzf2o
戦場で功を立てた剣豪といえば、富田重政か。
たしか最終的には加賀前田家で一万石もらったらしい・・・って言っても超マイナーだな。加賀だし。
柳生とか小野とか、なんか功績って言って恥ずかしくないような戦功ないのかな。
173 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 21:21:17 ID:oE2o5AVG
要は、個人の武勇を誇る者では大勢に影響を与えることはできないと言いたいのではないかな。
174 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 21:37:41 ID:UnvTpE8N
>>171 戦場で手柄を立てたって言っても槍もってたはず。
数千石となれば個人的な武勇だけでは無理。指揮官(+経営者)としての能力が必要。
175 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 22:05:23 ID:j5jdlrU6
日本は指揮官先頭の伝統があり、采配の頭脳だけではなく、武術の心得が必須の項目であった。
176 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 22:19:13 ID:EGYrikpT
倭冠の盛んなりし頃、明將の記文のうちに曰く、
「倭奴刀を揮ふこと~の若し、人之を望めば輙ち懼れて走る、其長ずる所の
者は刀法のみ、其鳥嘴銃の類これ猶ほ我兵の如きなり、弓矢の習猶ほこれ我
兵の如く、此外殊に稱するに足るものなし、唯だ倭性殺を好む一家一刀を蓄
へざるものなく、童にして之を習ひ壯にして之に精し。」
177 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 22:43:33 ID:oE2o5AVG
178 :
人間七七四年:2007/02/20(火) 03:53:56 ID:0rdudPQV
ココは「極道の世界では拳銃持った半端者より日本刀持った鉄砲玉の方が怖い」という安倍ジョージの説を採りたいと思う
つまり勝負で人を殺す事に戸惑いの少なかろう昔の剣士の方が強いという事だ
179 :
人間七七四年:2007/02/20(火) 08:49:22 ID:Eal6Geo9
>>176 倭寇の時代ってそんなに剣術が盛んだったのか?
180 :
人間七七四年:2007/02/20(火) 11:04:06 ID:fb9sr2Qf
倭寇のほとんどは中国人・朝鮮人なりすましの偽倭寇だからなぁ……
初期なら北九州の武士団が貿易で喰えなくなってやってた奴だからその可能性はあるが
181 :
人間七七四年:2007/02/20(火) 21:32:55 ID:uGDXpmBC
>>175 それはもっと下級指揮官だろ。
数千石ってことはそれだけの領地と相応の軍役の義務があるわけで。
宮本武蔵が仕官を果たせなかったのも単なる武芸者としては無理な石高希望だったから。
182 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 00:07:42 ID:tYhLwXU7
宮本武蔵は剣術家としてより兵法家というか軍学家としての方が評価高かったんじゃないかと思うんだ、うん。
183 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 09:18:05 ID:oqr1bDjc
実際の武蔵の仕官希望は「知行なんて少なくていい、気軽な身分でいさせてくれ」だからな
仕官亡者の武蔵ってイメージはあきらかにおかしい
184 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 14:16:56 ID:X1OYBUjJ
>>182 「ひょうほう」・・・剣術その他の武術
「へいほう」・・・孫子などで知られる軍略
だと思ってたけど・・・。
そりゃ思い込み
186 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 15:28:04 ID:NWfaRuHD
千石以下だと仕官しないって武芸者もいたよな
あだなが千石さん
187 :
人間七七四年:2007/02/24(土) 16:13:41 ID:/I82SLbx
一千石っつーと、数万石の大名にとっては家老クラスの待遇になる場合もあるよね?
前田とか伊達みたいな大大名に仕官したがってたのかな。
188 :
人間七七四年:2007/02/24(土) 20:21:13 ID:DVjNh3KH
>>187 三匹が斬る、という時代劇の登場人物のこと(しかも舞台は江戸期)
ネタだよw
189 :
人間七七四年:2007/02/24(土) 21:13:39 ID:DY1JN6p4
殿様ってなんで殿様って呼ばれてたんだろう?
190 :
人間七七四年:2007/02/24(土) 22:17:37 ID:T40sxX/u
調べて見たところ殿様:矢坂平四郎は
素行と言うか品の良さから仲間達に何処かの殿様なのではないか?
と思われた事かららしい。
ちなみにたこは最初に登場した時に蛸を扱った商売をしていたからだって
戦国は薩摩出身の元公儀隠密
腕が立つ事から宮本武蔵の子孫を騙って仕官しようとしたが
掛け声で示現流だとばれてしまった事もあるw
191 :
人間七七四年:2007/02/24(土) 22:54:50 ID:DY1JN6p4
>>190 ワザワザ調べてくれたのかいw
本当に感謝感謝
ありがとうございました
192 :
人間七七四年:2007/02/24(土) 23:16:22 ID:Hs0sUOvc
千両も調べてくれw
あの枠で時代劇やらなくなるんだよなぁ
193 :
人間七七四年:2007/02/24(土) 23:19:11 ID:DY1JN6p4
同じ時間枠だっけか「盤岳の一生」ってヤツも面白かった記憶があるよ
まあ、内容は殆ど覚えてないんだけどw
194 :
人間七七四年:2007/02/24(土) 23:49:47 ID:T40sxX/u
吉良右近こと千両(後に若殿)は
吉良上野介の子孫で元風烈廻り昼夜廻り同心だが
将軍御用始末係として参勤交代の大名の借金を取り立てる仕事をしており
番組でも千石との入れ替わりなのでそのため千両を名乗った
千石が復帰して替わりに殿様が「メリケン」と言う所に旅立つと
千石に間違えて名前の右近(うこん)を「こ」と「ん」を
逆に呼ばれることが度々あってあだ名を若大将・青大将・若殿から
選べと言われて若殿を選んだ
殿様は小野派一刀流 千石は示現流 若殿は様々な流儀を弊習
195 :
人間七七四年:2007/02/25(日) 01:14:33 ID:/E8bSvhZ
>>194 thx
>若大将・青大将・若殿から選べ
ってひどいよなw
殿様いなくなったシリーズ海外いて見れてないんだけど面白そうだね
196 :
人間七七四年:2007/02/25(日) 04:11:25 ID:5d2a/LPf
風烈廻り昼夜廻り同心てなんぞや?
字面はえらく強そうだけど
197 :
人間七七四年:2007/02/25(日) 09:53:18 ID:b4LGCwEn
風が強い日の火災予防や不穏分子暗躍の取締りと、昼夜非常
取り締まりをおこなった。常時巡回していた。
だって
198 :
人間七七四年:2007/02/25(日) 12:59:31 ID:9gom5a4C
千石さんは胴太貫使っていたんだよ。
たしか。
199 :
人間七七四年:2007/02/27(火) 09:56:04 ID:ntQ+1sJJ
実戦で剣で成果を挙げた剣豪って実は少ないね。戦場では槍や弓を使っている人物がほとんど
せいぜい柳生但馬守が、大坂の陣の時に本陣を奇襲してきた木村勢七人を剣で倒したぐらいか
200 :
人間七七四年:2007/02/27(火) 17:09:54 ID:vHJ95N9a
成果を上げたつっても記録に残ってるところだけだからね
実際はもっと刀で斬ってたかもしれんし
実戦というか戦のときは刀をまったく使わないことが常識だったのかもしれん
201 :
人間七七四年:2007/02/27(火) 17:38:11 ID:U1kTvwYL
剣なんかあまり使われなかったから
剣豪連中は強くないだろと言うような勘違いしてる人がいるようだが
戦国時代の頃は剣術家ではなく武芸家なんだよ
別に剣術のみをやっていたわけではない
どの流派も様々な武器や兵法、築城術など戦に必要な技術はなんでもやった
でも、太刀のみを持った部隊も存在していたのだから刀も全く使わなかった事はない
着込みが薄い場合は刀の方が使い勝手がいいのではないかと思う
幕末〜西南戦争あたりまでは槍より刀の方が使用された
銃との併用にも便利と言う点もある
槍が銃に変わった感じだな
202 :
人間七七四年:2007/02/27(火) 21:58:40 ID:vQQHFCyG
>>141 上泉って鹿島系統の剣の使い手だよね?
中条流って鞍馬八流系じゃなかったっけ?
つか、一刀流って鹿島の剣も取り入れているとか聞くけど、
一刀斎はどこで習ったんだ?
203 :
人間七七四年:2007/02/28(水) 00:26:34 ID:KR3hrcC8
204 :
人間七七四年:2007/02/28(水) 09:26:46 ID:bp0IQYER
戦国時代に使われた語彙でも、一番槍とか槍働きとか
「槍」がついたものばっかりなんだよね。
205 :
人間七七四年:2007/02/28(水) 15:25:14 ID:t7LPo0GI
槍は突くもんじゃなくて叩くもんなんだぞ!
と小学生の時優秀なやつが言っていた
206 :
人間七七四年:2007/02/28(水) 15:53:17 ID:F6safDCk
なんか話がループしてるな
戦場のカタナなんかスレ的にどうでも良いですから
207 :
人間七七四年:2007/02/28(水) 20:06:16 ID:BmVQomXu
>>204 一番槍に対して刀での功名を「一の太刀」または「一番太刀打ち」と言う
太刀についての語彙は「太刀風」や「太刀生れ」などと言った言葉もある
また、室町時代までは介錯人の事を「太刀取」と言っていた。
208 :
人間七七四年:2007/03/02(金) 08:56:55 ID:2qnwKgkm
上泉が凄いと言っても情報無さ過ぎて全体像が思い浮かばないんだけど。
209 :
人間七七四年:2007/03/02(金) 09:07:16 ID:fYIatuLl
210 :
人間七七四年:2007/03/02(金) 10:56:21 ID:wlR9M7jO
ランスアタァァァック!!!
211 :
人間七七四年:2007/03/02(金) 13:24:38 ID:6IQZN/t2
212 :
人間七七四年:2007/03/02(金) 15:13:44 ID:jd/Ja8tH
前田家剣術師範役名人越後と将軍家剣術師範役柳生宗矩の一騎打ちが計画されたんだが
前田家は越後が勝って徳川家にいちゃもんをつけられたらかなわんと、その戦いを拒否した。
213 :
人間七七四年:2007/03/02(金) 16:02:58 ID:tXkoV8xx
そんな噂を出されてもな
富田流は介者剣法であり殺人刀の域を出ず、
活人剣を胸とする新陰流には歯が立たなかったって噂もあるわけで。
正直逸話の類が多すぎて比較は難しいね
214 :
人間七七四年:2007/03/02(金) 18:59:26 ID:mxj23tQc
215 :
人間七七四年:2007/03/02(金) 19:01:18 ID:VN33qjYz
俺の拳法は活人拳だぜwwwwww
人を活かす拳法だ!!!!
216 :
人間七七四年:2007/03/02(金) 21:10:12 ID:csHXRHpx
ていうか、富田流なら小野忠常と試合ったら勝っても負けても遺恨は残らなかったんじゃないのかと。
もとは中条流の名人越後が小野じゃなく柳生と試合うって言ってる時点で信憑性はなぁ。
217 :
人間七七四年:2007/03/03(土) 01:03:02 ID:37LBoomC
信綱さんについて勉強したいのですが、
おすすめの本とかありますでしょうか?
218 :
人間七七四年:2007/03/03(土) 06:00:05 ID:WUJ1QJ7D
>>212 >>216 お互いが名人で門弟も数千人単位いる流派なわけだし、勝負の当人同士に遺恨が残らなくても門人達が遺恨に思うでしょ。
天流の斎藤伝鬼房は霞流の桜井霞之助に勝ったけど霞の門弟達に殺された。
同様に岩間小熊は根岸兎角に勝ったけど、根岸の門弟達に暗殺された。
流派同士にいらぬ波風を立てるよりも、お互いを認め合ったほうが堅実。
>>217 概観だけなら『武術叢書』『日本剣道史』『大日本剣道史』『日本武芸流派大事典』
それ以上は群馬県の郷土史を当たったほうがいい。向こうには上泉町もあるし。
219 :
人間七七四年:2007/03/04(日) 23:39:12 ID:5keLGWaz
たまには北畠の殿様についても語ってやってください
220 :
人間七七四年:2007/03/05(月) 13:14:06 ID:wL8ZiFc6
当時世界最強と謳われた一の太刀を伝授された最強の男達の一人である
221 :
人間七七四年:2007/03/05(月) 14:30:46 ID:Dnst5yBY
あれって寄付したり官位あげたりすると簡単にくれるらしいじゃない
222 :
人間七七四年:2007/03/06(火) 01:10:33 ID:t45vmuIC
機銃掃射とかだめかな?
223 :
人間七七四年:2007/03/06(火) 01:23:34 ID:/G/BXoaQ
いいよ
いい
224 :
人間七七四年:2007/03/07(水) 17:46:06 ID:HLups/GR
(=゚ω゚) たしか一ノ太刀は将軍や源氏長者クラスでないと伝授されてないと思う。
北畠は紀州源氏の長で影流愛洲家もここに属していたはず。 たぶん。
最後に一ノ太刀を伝授された権力者はたしか徳川家康(有馬神道流師範)だったと思う。
鹿島神人松岡兵庫よりの伝授だった希ガス。
225 :
人間七七四年:2007/03/11(日) 19:22:18 ID:5sP9Pvqy
家康の頃は卜伝・伊勢守・義輝・具教から10〜20年ばかりも隔たっているから、
2大剣聖礼賛、新当流新陰流ブランドを重視する時期ではないと思う。一刀流や柳生流など新流勃興の時期でもあったし。
実際家康は松岡以外にも奥山休賀を師として仰いだし、柳生宗厳や伊藤一刀斎を招いた(仕官したのは宗矩・典膳)。
家康が一ノ太刀を伝授されているのであれば、その見返りに神道流系の剣術指南役を設置するのが当然というもの。
ちなみに、俗説だが杖術神道夢想流の夢想権之助勝吉は桜井大隈守吉勝あたりから一ノ太刀を伝授されたとか……。
226 :
人間七七四年:2007/03/11(日) 23:24:45 ID:Hahg60dO
>その見返りに神道流系の剣術指南役を設置するのが当然というもの
(=゚ω゚) んー それはたぶん違う希ガス
家康が松岡に近づいた真の目的は鹿島神人勢力の懐柔と消滅だったと思う。
江戸の近所で全国の武芸者が集まるような場所が有っては迷惑だろうしね。
だから一刀流や柳生流のような西国の当たり障りのない流派を選んだのだろう。
疋田は豊臣だし、達人だから採用されるというものではないと思う。
それに柳生家は関ヶ原でも旧筒井家家臣を束ねるという重役を見事にやってのけた。
そして江戸柳生家が鹿島神人の代役となって行ったのだろう。
将軍家指南のブランドで人材を吸収し各大名に門人を派遣する。
一刀流は・・・家康とはあまり関わりが無かったと思う。
227 :
人間七七四年:2007/03/12(月) 00:38:23 ID:azv70VzQ
神道流系の連中は血の気が多い奴が沢山いる気がする
根岸兎角と岩間小熊、桜井霞之助と斎藤伝鬼房とか内紛も有名だし、
中条流富田勢源に挑んだ梅津某、念流樋口定次に挑んだ村上権左衛門といった例もあるし
宮本武蔵に対する有馬喜兵衛、荒木又右衛門に対する桜井半兵衛、等々まで考えるとやられ役っぽいイメージ
ところで家康が一ノ太刀を、って記述のソースは?
『武芸小伝』? 『撃剣叢談』?
それとも『実紀』とか家康関連の年譜?
228 :
人間七七四年:2007/03/12(月) 13:42:41 ID:6p1KKe02
>>227 上泉が有名になる以前は新当流の天下で誰もが「新当流だぜぇ?剣聖の流派だぜぇぇえ?こええぜぇえ?(日本語になってないが)」って言っていたらしい
勿論新当流の教えを受けたわけではなく自分で勝手に名乗っていたのが全国にいっぱいいたらしい
今で言えば「漏れわやくざだぜぇぇええ」「漏れわスーパーハッカーだぜぇえっぇえ」ってのが数年前2chにいっぱいいたじゃんか
そんな感じで自分を偽ってびびらせる手段だったっぽい
だからやられ役に新当流が多くても実際に新当流を学んでいたとは思えない
と思う
229 :
人間七七四年:2007/03/12(月) 22:42:47 ID:YOhcYxZV
(=゚ω゚) 柳生も元は神取伝の新当流だったし足利義輝や今川氏真、細川幽斎も新当流だから
当時はふつうに神道流が1つのステイタスだったのだろう。
というか新陰の九箇は新当流だった希ガス。
宮本武蔵もそうだけど新当流や同じ将軍指南家の吉川流を倒した事で名を上げる事になる。
めぐりめぐって夢想権之助が武蔵を倒して?名を上げる事になるから面白いw
>ところで家康が一ノ太刀を、って記述のソースは?
(=゚ω゚) う・・・ 出典は忘れてしもうたわい。orz
たしか「一ノ太刀相伝感涙至極・・・」みたいな事が書いてあった希ガス。 うろおぼえスマソ
武道大系の「天真正伝新当流兵法伝脉」ちゅう伝書にも
「松岡則方・兵庫助時備、東照宮に謁し奉り、当流兵法残処無く唯授一人、秘術授奉りて御褒賞あり」
と、有るので伝授されとると思う。 たぶん。
ついでに一ノ太刀は居合の林崎流にも伝授されているそうな。
230 :
人間七七四年:2007/03/12(月) 23:21:26 ID:YOhcYxZV
(=゚ω゚) ついでだが家康はかなりの武芸通だった。
弓は竹林派の石堂藤右衛門の免許。 馬術は大坪流、八条流共に印可皆伝。鉄砲は稲富流免許
剣、薙刀は有馬大膳時貞から新当流(有馬流)の奥義皆伝、ちなみに有馬流は家康が宗家代理だった。
後に大膳死して嫡流絶えければ、庶孫豊前秋重をもて家を継がしめ、紀伊家に附属せられしなり。
(東照宮御実記附録、奥平譜、貞享書等)
地元三河では奥山急加斎(休賀斎)に神蔭流剣法(奥山流)を七カ年学んだ
「奥山流に御誓書をなし下され、御家人に召し加えらるべしとの御書をも給いしなり」とある。
奥山は天正二年御朱印を賜り御臺所御守役仰せつかり、此間、家康に皆伝免許を与え公の一字を賜り
公重と改める・・・(御実記附録、急賀斎由緒書)
231 :
人間七七四年:2007/03/13(火) 05:52:47 ID:9S5A/Btc
世良田二郎三郎が武芸者だっただけでわぁ??w
232 :
人間七七四年:2007/03/13(火) 20:14:20 ID:YBuZWO3S
確かに夢想流の開祖林崎さんは新当流の免許を持っているぽい
でも俺の知る限り夢想流には一の太刀らしき必殺技は見当たらない
可能性としては一子相伝
正当伝承者にのみ一の太刀(改変している可能性もあるが)を伝授しているのかもしれない
どう_?
233 :
人間七七四年:2007/03/14(水) 01:01:03 ID:0TYeiNva
(=゚ω゚) ん〜どうなんだろうね?権之助の弟子は一ノ太刀を知っていたとは思うが・・・
ただ権之助は霞流なので既に傍系だし、新当流と言っても鹿島の神人は流名はあまり名乗らなかったらしい。
自流は主に「当流」とか「神流」と言った。 あ、そういや神流にも一ノ太刀残ってたな
現在の夢想流杖では実際どれほどの口伝が残っているのかはわからないが鹿島の太刀の特徴はよく出ている。
一ノ太刀は無いが、けっこうスゴ技も隠されているなあ。権之助がそれなりのレベルだったのは間違いない。
ただ、この流派は隠し技がかなり多い希ガス、真の口伝を受けないと実用は難しい鴨。
本来、4尺2寸の鹿島の杖は剣の様に打ち、槍の様に突き、薙刀の様に払うものだ罠。
全剣連の杖使いに「突いてみろ」と言ったら、いきなりエイホーと返し突きをやっていたw
もっと素直に突けンのかいっ!
>231世良田二郎三郎が武芸者だっただけでわぁ??w
(=゚ω゚) おおっ! なるほど
234 :
人間七七四年:2007/03/14(水) 01:48:53 ID:5z9FUU5G
新当流ってのは単に神道のゴロに合わせて名付けただけだったりして
それか使い手が「当流派は云々」みたいに言っていたのが「当流」って流派名になって「新・当流」の元型になったとかだったりして
235 :
人間七七四年:2007/03/14(水) 23:57:54 ID:0TYeiNva
(=゚ω゚) そうだったりしてw
236 :
人間七七四年:2007/03/15(木) 01:27:05 ID:1KathK4i
巷に溢れてる大衆小説では、ほとんど定説になってるよね、それ。
237 :
人間七七四年:2007/03/15(木) 02:31:06 ID:eqEy/f+c
案外そんなたわいもない理由が真相だったりするからな
238 :
人間七七四年:2007/03/15(木) 19:09:23 ID:aS4h+4iT
>232
(=゚ω゚) あ、ゴメン「夢想流の一子相伝」って林崎夢想流の事だったのね。 夢想流杖術と間違えとったわw
山県の奥山観禅宗家の一ノ太刀は一子相伝らすい。
ただし林崎流の一ノ太刀は小太刀だわな。
幕末江戸の林崎流(田宮流)窪田道場塾頭、北条勘平は大石進をひっくり返したそうな。
239 :
人間七七四年:2007/03/16(金) 13:30:50 ID:sfCBrglq
林崎さんは杖も使っていたとは知らなかった
田宮さんは林崎さんの2代目正当伝承者だね
幕末の北条と大石は知らないなあ。剣豪?
幕末あたりの夢想流伝承者は谷村さんか五藤さんのはず
理由はわからないけど9代目伝承者から江戸時代ずっと土佐山内家に仕えたらしい
240 :
人間七七四年:2007/03/16(金) 18:12:41 ID:sB3sxSvD
>>239 ごっちゃにしてないか。
林崎甚助重信の神夢想林崎流居合と、夢想権之助の神道夢想流杖は別物だぞ?
241 :
人間七七四年:2007/03/16(金) 21:53:24 ID:hWE2Lab1
(=゚ω゚) んーまとめるとこんな感じ?
『神夢想林崎流居合(林崎夢想流)』 :山形県発祥の居合、抜刀術の流派。
『神道夢想流杖』 :つくばの霞流剣術(神道流)を基に作られた杖の術。
まあ、林崎流はもともと長巻の流派で奥山宗家もTV取材で短棒のような物を使っていたから
杖ぐらいは使ったかもしれないが・・・
9代目以降伝承者が土佐にいた谷村さんと言うのは林崎流居合の末流、夢想神伝流(無双直伝英信流)と思われ。
蛇足だけど土佐英信流には戸田流棒術が併伝されていたらしい、現在は居合のみ。
大石影流の大石進はすごく有名。長竹刀で江戸の大道場を軒並み撃破した伝説の剣士っす。
田宮神刀の窪田清音は著作が多く専門家にはすごく有名。北条はドマイナー
五藤さんは・・・知らない??
242 :
人間七七四年:2007/03/16(金) 22:22:26 ID:B82rTxD/
山内一豊の家臣に五藤(土佐山内家の家老)って人がいたから、その縁者かな?
243 :
人間七七四年:2007/03/17(土) 00:34:14 ID:buwNFOZa
5尺3寸の長竹刀は反則だろ、真剣なら持てねえよ
244 :
人間七七四年:2007/03/17(土) 04:11:03 ID:4ZrNLj0t
ところがどっこい大石進は身長七尺と言われる大男(ジャイアント馬場並)
大石にとってはちょうど良いサイズなんだよねw
幼少から藩主に上覧するほど槍術に親しんでいたが
剣術はなぜか冴えなかった
その為得意の槍術の突き技にヒントを得て長竹刀での片手突きを編み出した
つうか長身(当時の平均より50cm以上大きい)で
長物持って(実質片手槍w)たら強い罠w
170cmの大人が120cmの消防相手にしてたらな〜
245 :
人間七七四年:2007/03/17(土) 11:44:39 ID:Re2I0tJW
剣術は体重別じゃないからね
246 :
人間七七四年:2007/03/17(土) 12:12:10 ID:39AnznJb
(=゚ω゚) まあ、上泉武蔵守、宮本武蔵、千葉周作、山岡鉄、高野佐三郎、、、、当然大男は有利だわな。
小兵と言うと白井亨は大石進に全勝してるし現代剣道でも栄花直樹は世界一になっている。
柔術では小兵の名人は多いね。
本多忠勝もふつうの体格だったと言うが・・・
247 :
人間七七四年:2007/03/18(日) 18:15:43 ID:WchMp0c5
いくら身長が2m以上あったって5尺3寸の真剣は無理だろ。
248 :
人間七七四年:2007/03/20(火) 21:06:06 ID:dD//5EpL
少しは体を鍛えろ。
話はそれからだ。
249 :
人間七七四年:2007/03/20(火) 21:52:42 ID:k33czGhR
そもそも欧米のクレイモアは刀身2メートルとかなんだからそれに比べたら軽いもんだろ。
250 :
人間七七四年:2007/03/20(火) 23:32:24 ID:+sDj/k5i
(=゚ω゚) まあ、4尺ちょいなら戦場で普通に使ってた罠。
大石影流は土州でも広まり土佐の志士達は長めの直刀「勤王刀」を好んで差してたそうな、
竹刀突きの多用をイメージして作られた直刀は大石影流にぴったりの打刀だった。
ただ、この刀は重いうえに使いづらく幕末動乱で消えてしまったようだ。
竜馬の肖像画にもぶっとい刀が描かれているがオイラには直刀っぽく見えるな。
もっとも竜馬は小栗流と北辰薙刀だが・・・
ちなみに幕末の奇人平山行蔵は他流試合のさいには5尺くらいの野太刀の木刀で立ち合った。
当然相手は逃げたそうなw
251 :
人間七七四年:2007/03/21(水) 13:20:20 ID:pQpTsztQ
(=゚ω゚) 念のため補足っ!
ふつうの刀剣の定寸は2尺1〜3寸くらい。(各法律や流派によってやや違うが)
勤王刀は長いと言っても2尺7寸くらい、それでも素人には長すぎ、とっさには抜く事すら難しい。
ちなみに居合の林崎甚助は・・・たしか3尺2寸ぐらい。平山行蔵の差料が3尺8寸。
福沢諭吉っさんは座興で4尺の刀を抜いてみせたら驚かれたと言う。
3〜4尺前後が普段持ち歩いて抜き差しする限界か。
里見家の正木大膳亮は戦場では4尺6寸のハマグリ刃、松本備前が4尺刃の長刀。
戦場だと体力、技量の限界まで法外にでかくなる。
逆にト伝のように「戦場では片手で自在に使える2尺3寸ぐらいがイイ」と言う人も居る。
252 :
人間七七四年:2007/03/21(水) 13:48:42 ID:fkEL2WKc
ト伝なら、平素は2尺5寸で事ある時だけ3尺以上の太刀を佩いたってどこかで見かけたが。
253 :
人間七七四年:2007/03/21(水) 18:49:20 ID:qDxcq+Ky
4尺の大刀なんて残ってるの?
室町から江戸にかけての打刀なんて2尺1寸から2尺3寸くらいのがほとんどでしょ?
余程反りがきつくなくちゃ抜く事だって出来ないし、
反りがきつすぎれば実践で役に立たない。
254 :
人間七七四年:2007/03/22(木) 00:40:00 ID:Nuhpzs/j
(=゚ω゚) 記録には残っているが・・・じっさいの所はわからないw
まあ、3尺前後なら全く問題なく抜き差しできる。4尺超はさすがにオイラも抜いた事は無い。つーかそんなモンふつうに売ってないw
立見流の福沢諭吉っさんは4尺抜いたらしいのだが・・・
4尺超だと抜くだけでも太刀の様にヒモでぶら下げるかバックの様に肩へぶら下げるか(七人の侍の菊千代みたいに)しないと
キツそうだ。 まあ、インチキして鍔やハバキを使う手も有るが、良い子はマネしちゃあーだめだ。
陣太刀は戦場で槍みたいに鞘を払って抜き身で持ち歩く例が多かった様だ。
つーか4尺の鞘なんて差してるだけで十分邪魔だわなw
有名な「伝、足利尊氏像」では腰刀の他に大太刀を担いでいる。たぶん歴史教科書に載っているから確認してみれ。
(=゚ω゚) うー 長くてスマソ
>252
それはたぶん試合相手が長物だったからだろう。槍、長物相手の時は3尺以上の刀を使うと家康も言っている。
ト伝が2尺2.3寸を定寸とするのは片手操作を意識しての事も有る。 その辺は臨機応変か。
新当流兵法自観照では「実柄(全長)三尺。 柄八寸に理有り。 三尺の太刀を2つに分け小太刀は一尺五寸。
小太刀は三尺の刀と相合す。三尺の刀は九尺の槍と相合す・・・・略」と有る。
つまり(30−8=22)で刃渡り2尺2寸となる。
これは直心影流心得の「刃渡り2尺3寸、柄8寸。 脇差し1尺6寸」となんとなーく一致する希ガス。←適当。
ちなみに武芸のバイブル「ト伝遺訓抄(ト伝百首)」にはこうある。
「太刀の寸 臍に比べて差しぬべし 我が身の丈に合わぬ嫌えり」
「勝ち負けは 長き短き変わらねど さのみ短き太刀な好みそ」
まあ、このくらいのレベルになると長短一味と言う事か。
255 :
人間七七四年:2007/03/25(日) 14:07:16 ID:+f6HB+nw
>4尺超はさすがにオイラも抜いた事は無い。
オイラなにもの?
256 :
人間七七四年:2007/03/26(月) 12:10:50 ID:6pKSJeH1
確かにコレ→(=゚ω゚)が何者かは気になるなぁ
どこかの武芸者さん?それとも研究者さんとかですか?
まぁ一言だけ言わせてもらうと、書き込み楽しく拝見させて頂いております。
257 :
人間七七四年:2007/03/26(月) 22:24:49 ID:MmJCXGeY
>>249クレイモアの柄頭には穴が開いていて紐を通して直に背中に担いだ
時には紐を持ち振り回したりもした。
クレイモアは打撃系の武器で刀と言うにはちょっと、、、
258 :
人間七七四年:2007/03/26(月) 22:32:22 ID:MmJCXGeY
長竹刀て?
刀に柄を付けて長巻きのように使う事もあったらしいが?それの事か?
259 :
人間七七四年:2007/03/28(水) 22:31:16 ID:8bN557LK
(=゚ω゚) 刀に木製の柄を付けて長巻きのように使うのは堀部安ベエだったか?
長竹刀っつーのは長ーい竹刀の事だっぺ。 現代剣道だと規格外なので試合では使えン罠。
だが個人的研究で使用している剣道家は居た。たしか桜井氏という選手だ。
20年ほど前NHKの歴史番組で「再現巌流島」とか言って長竹刀の桜井氏と二刀剣道の馬場欽先生が砂浜で剣道バトルする
愉快な企画が有った・・・ うーむNHKあなどりがたしっ!
もちろん江戸時代に竹刀の規定なんぞ有る訳もない。
九州柳川藩の剣、槍術師範「大石進」は7尺(212cm)超の巨体に6尺(180cm)の長竹刀を使い江戸の名だたる町道場を
軒並み撃破した・・・もっとも手の内を覚えられてからはワリと負けてるが。
大石は『槍』の名手で片手で梅干しの種を突けたという。
一説によると大石の長竹刀は細身のため補強に樫の心材を入れ、先革に鉛を入れ撓る構造だったという。
うーむ、こりゃ反則だろw でもまあ中国武道には撓る槍とか普通に使ってるからアリと言えばアリか・・・?
だが古来、日本のの戦場では、あくまで槍で始まり間が詰まって剣に至る物。
長竹刀の稽古は槍でも剣でも無い稽古と言う事になる。
これではイカンと、幕府講武所のドン男谷精一は竹刀の規定を3尺8寸と定めた。現代剣道もこれにほぼ準じているそうな。
>255 オイラなにもの?
(=゚ω゚) 秘密じゃっ!
260 :
人間七七四年:2007/03/29(木) 02:33:36 ID:789HsXQr
>>259 馬場欽先生って国士舘の?
あの人そんなにすごい人だったのか…
体育で一緒にテニスやってたよ…。
261 :
人間七七四年:2007/03/30(金) 01:33:55 ID:y8PgNW/0
(=゚ω゚) 馬場キン次氏は剣道界では有名だべ、剣道書コーナーに行けば馬場さんの本がふつうに置いてあるし。
さらにTVでは探偵ナイトスクープにも出演なさっておられる!
もっとも武道とは何の関係もない番組であることは言うまでもない。
桜井氏(?)は・・・名前忘れてしもうたから間違っているかもしれんがワシゃ知らん。にんにん。
262 :
人間七七四年:2007/03/31(土) 15:35:39 ID:XMNuzrMW
現代の剣豪と言えば杉良太郎と思う。
時代劇と言えばたいていチャンバラで刀の打ち合いだけどこの人のある作品は違った。
夢想流じゃないかもしれないけど居合いで戦う。
一人斬るごとに血振り納刀がとてもリアルで感動した。
263 :
人間七七四年:2007/03/31(土) 16:04:05 ID:MsSpbG9l
N O T H A N K Y O U !
/\___/\
/ / ヽ ::: \
| (●), 、(●)、 |
| ,,ノ(、_, )ヽ、,, |
| ,;‐=‐ヽ .:::::|
\ `ニニ´ .:::/
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nf||| | | |^!n
f|.| | ∩ ∩|..| |.|
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ヽ ,イ ヽ :イ
264 :
人間七七四年:2007/03/31(土) 16:23:16 ID:tGPhcwn+
市川雷蔵にかなう奴はいない
265 :
人間七七四年:2007/03/31(土) 19:40:17 ID:THrYsBrW
266 :
人間七七四年:2007/03/31(土) 23:33:50 ID:VGhLKYdN
(=゚ω゚) 神社や博物館に行けばたまに大太刀が置いてあるな、靖国神社ならタダで見れた希ガス。制作年はわからんが。
>264
(=゚ω゚) いーや、勝新なら勝てる!名前が「勝」だから・・・
個人的には作、三島由紀夫。主演、雷蔵の「剣」という映画がおすすめ。観ていて気が狂いそうになる迷作映画だった。
267 :
人間七七四年:2007/04/03(火) 12:30:12 ID:rd/loNei
>>265 いやいや、太刀が残ってるのは知ってるよ。
俺が言ってるのは大刀ね。打刀。
268 :
人間七七四年:2007/04/05(木) 14:48:28 ID:xYT7oqhD
市川雷蔵は最強の剣豪
269 :
人間七七四年:2007/04/07(土) 01:31:00 ID:TYcVLjPC
(=゚ω゚) 打刀は帯に差すからあんまり長いと戦場では邪魔だべ。
特に乗馬だと抜刀のさい馬の尻をコジリが叩いて危険だし抜きづらい。
また、刀身が長くなるとバランスをとるため柄も長くなる場合が多い。これは長物を使うのに邪魔だわな。
ついでに抜刀後の鞘も邪魔。
だからと言って鞘を捨てたりすると「小次郎破れたり!」とか言われるおそれがあるので非常に危険!
まあ、武器としてはふつうの陣太刀、背負い太刀が無難でしょう。たぶん。
>>262 (=゚ω゚) ケンカ屋右近かな?長谷川流っぽい血振りだった希ガス。 江ッ戸の黒ッ豹〜は養神館。
>268
(=゚ω゚) いーや、冨三郎なら勝てる!親父殿萌え〜
270 :
人間七七四年:2007/04/08(日) 00:36:04 ID:5EacqMyg
(=゚ω゚) ついでに剣○日本に大石神影流の記事が有ったからカキコんどいちゃるばい
【大石進 (大石神影流)】
長竹刀で有名だが基本的に身の丈に合わせて長さを決める。よって身長7尺超の場合、竹刀は5尺3寸となるそうな(笑)
形の定寸は総尺=3尺8寸(刀身2尺8寸5分+柄9寸5分)。小太刀総尺=1尺8寸(刀身1尺3寸2分+柄4寸5分)。
だが昭和初期頃には四尺2,3寸ぐらいの長竹刀を使ってるヤツもいたらしい。
<大石神影流内訳>
陽の巻:三学圓之太刀(10本)、試合口(5本)、表(10本)、裏(10本)、槍合わせ(2本)、長刀合わせ(2本)、
棒合わせ(3本)居合鞘之内(5本)、二刀(5本)
陰の巻:天狗抄(10本)、小太刀(5本)、神伝載相(13本) −以上80本。
(=゚ω゚) おお、三学円や天狗抄も有るな。疋田伝かな??
特徴としては柄が長いため構えると左肘が曲がる。握りは小指を一本余す。
晴眼の手元を上げて寝かせ剣先を喉元に付け水平に構える、これを「附け」と言いい片手突きに特化した構えと言われる。
「ホー」で追いつめ「ハー」で受け「エイ」で斬る。
柳川では「ホーハーエイば、やる」と言えば「大石神影流を、やる」と言う意味だったそうな。
大石の子孫もやはり強靱な人材が多く、三代目大石進は学生時代に突きで相手を絶息させてしまった事も有ったらしい。
ちなみに三代目大石進は植木屋だった。「久留米ツツジ」は東京でも有名で五代目師範真鍋多米蔵もやはり
造園業であり多くの植木職人を育てた。
真鍋多米蔵は植木造りのコツを「このやり方は大石神影流て言うとぞ!」と弟子達に教えた、
そのため「大石神影流という造園技法が有る」とマジで思われていたそうな(笑)
271 :
人間七七四年:2007/04/09(月) 09:37:24 ID:zhl/UIdf
>>269 じゃあ、
>>250の戦場で普通に使ってたってのは馬上で使う「太刀」の事?
それだと、そういう事はここではあんまり意味は無いよね。
幕末にしても戦国期にしても「剣豪」というからには徒歩での剣術に関してでしょ?
だったら4尺や5尺の竹刀で勝ったからっていっても意味が無いと思うけど。
272 :
人間七七四年:2007/04/09(月) 22:24:15 ID:aXX2964N
(=゚ω゚) それは人によるねィ。剣豪と言っても刀術に限った武芸者でも無し。
戦場で名を上げた人、試合で名を上げた人、演武、伝説のみの人、弟子が有名にしちゃった人、いろいろだわな。
刀槍の種類や騎馬、歩行なんぞは状況によって使い分けたと考えるべきだろう。
まあ大石は短槍と考えるべきだろう。たとえどんな武器であれお互い神前に誓って「太刀合った」からには勝負の世界。
勝ちは勝ちだ。
4尺や5尺の木刀なら平山子龍の門人は試合用に使っていた。
平山は心貫流ちゅうてタイ捨新陰流系統だわな、ここから男谷信友が出る。
273 :
人間七七四年:2007/04/14(土) 12:23:38 ID:KjZt6UFD
上泉の時代はみんな太刀使っていたんじゃなかったっけ
それとも太刀は戦場で使うだけで普段は刀を使っていたのだろうか
刀っていつから出てきたっけ
274 :
人間七七四年:2007/04/20(金) 23:18:01 ID:r1CkhiFa
(=゚ω゚) ト伝の肖像画では帯に差してる様に見えるが・・・?小袖モードが出た頃でないべか?
と、適当な事を言ってみる。両刃は剣、片刃はカタナ、断ちはタチだったかな?
書き忘れたが朝倉の武将真柄十郎左衛門の大太刀が5尺3寸、柄2尺。薙刀並みの長さだな。
長尺刀ばかりでもツマランから短い流派といえば中条流。北陸の富田流。
ここから巖流コジローや一刀流が出る。もっともコジローは長尺刀だが。
江戸初期に小野忠明は2尺3寸の刀で大太刀の鬼眼の両手を斬り飛ばしてるな。
もっとも忠明も鬢のあたりを少し斬られたようだが。
275 :
人間七七四年:2007/04/21(土) 07:44:59 ID:Vx1jTmG3
巌流はマジでよくわからんね津田小次郎だの何だの
本当に中条流系だったんかね
276 :
人間七七四年:2007/04/21(土) 21:59:59 ID:GXmBu2QS
中条流と京八流は祖が同じとかいう話を聞いたけど、だとしたら吉岡家と富田家も何らかのつながりとかあったのかな。
277 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 00:30:06 ID:DnP2QWWG
(=゚ω゚) コジローの出自は知らんが中条流は念流系統だった希ガス。
念大和尚は全国の十数流派を学んでるから京流もやってるかもしれない、鞍馬山にも行ってた希ガス。
ただ、中条家ではそれ以前から家伝の兵法を伝えていて、鎌倉において
同じ八田氏族の小田孝朝に刀術の指導をしている。(←記憶書きなので適当)
本来の中条家伝平法は合戦の総合武術だったようだ。
現在の京流は剣連の新宿道場で鞍馬流が残ってる。
吉岡建法の子息は京都で大立ち回りをやって所司代の捕り方が捕まえきれず
最後は薙刀で打ち倒されたんだったかな?
278 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 09:56:36 ID:xoAAlO/f
>>277 さんくす。
やっぱり、小説で描かれてることを真に受けたらいかんな、俺orz
279 :
人間七七四年:2007/04/28(土) 04:15:00 ID:mdDaIhnY
憲法の京都道場は武蔵にやられた吉岡兄弟の代で閉じた、って話を綿谷雪の本で読んだ気がする。
でも吉岡加兵衛とかいう人が名古屋に伝えたとか何とか
280 :
人間七七四年:2007/04/28(土) 23:45:23 ID:Nwuuagyj
(=゚ω゚) あーそうそう、コジローの中条流伝書目録って綿谷雪氏の出典だた希ガス。
たしかバカボンドに出てくる見たいに、日付も伝系も無く、そのまんま佐々木小次郎殿とのみ書いてあるとか。
綿谷先生もこの目録の正否は保留じゃと言ってたらすい(←記憶書きなので適当)
巌流事佐々木小次郎は越前国宇坂の庄浄教寺村の生れ、
同、一乗浄教寺村の中条流の名家である富田勢源の門人。
勢源は一尺五寸の小太刀を持ち、小次郎に三尺余の太刀をもたせて稽古した。
小次郎、勢源が弟治部左衛門と勝負し、打勝ち、自ら一流をたて巌流と云った。と言う。
281 :
人間七七四年:2007/04/29(日) 00:08:12 ID:SBVEI49s
(=゚ω゚) つづきっ!
吉岡拳法又三郎が慶長19年の朝廷の猿楽興行を見物に行った時、雑色があやまって
杖を吉岡に当てたため吉岡が怒って脇差を抜き、雑色を斬り殺した。
他の雑色が大勢で吉岡を殺すべく群り来るが、舞台の高低を利用して
飛び回りながら、取り囲んだ多数の雑色を斬り殺しす。
吉岡流のあまりの手利きに近づけるものは居なかったと言う。
御所の御前での騒動に所司代|板倉勝重が自ら出向き、その配下、
太田忠兵衛によって拳法は討ち取られた (本朝武芸小伝、常山紀談、だそうな)
282 :
人間七七四年:2007/05/06(日) 09:27:04 ID:Hz5fF9+c
こりゃ、お取り潰しです罠。
朝廷の雑色斬り殺し御所の門前を血で汚し。
283 :
人間七七四年:2007/05/13(日) 12:55:29 ID:jkHuvi7i
>>281 いつも面白い話をありがとう。
ふと気になったんだが、雑色が誤って杖を当てたっていきなり切り殺すくらいぶちギレる事だったの?
何処がぶちギレポイントだったんだろう?
雑色(今でいう所の警察みたいなもん?)っていう役職の人に当てられたのが悪かったのかな?
それとも杖を当てられたのってのが、鞘をぶつけるみたいに侮辱?に当たる行為だったとか?
それとも、本人の思考回路に問題があったとか?
284 :
人間七七四年:2007/05/14(月) 00:30:02 ID:EOV4p9kG
(=゚ω゚) 古老茶話では吉岡建法が染物屋の町人剣士だったので雑色がバカにして「頭が高い」と
わざと金棒で小突いたためケンカになったと書いてあるねぃ
雑色側の言い分と吉岡側の言い分では食い違うようだ。真実はどっちだ?
・・・つーか吉岡流は足利将軍家兵法指南役だった気がするが身分は町人だったのだろうか?
染物屋の剣士と言うと由井正雪がいるねぃ。
ちなみに元ネタはコレだす→ 中里介山
ttp://www.ikedakai.com/nihonbujutu3.html 文庫本も出てます。
まあ吉岡家没落に関しては諸説有るし武蔵伝記だと武蔵一門との乱闘事件になって吉岡断絶ですなあ。
だが尾張藩主4代目吉通が吉岡加兵衛から吉岡流伝書を取り寄せたと有り、吉岡家自体は続いていたようだ。
結城で戸田流の小太刀と吉岡流の大太刀が私闘した話しも載っているし、全国的に広まった流派だったみたい。
285 :
人間七七四年:2007/05/15(火) 08:08:35 ID:kUg/D4kp
なるほどね。
まぁ現在の話ですら、争い事を起こした双方の言い分が食い違うってのはよくある話だし、
400年前の話じゃ双方の言い分が違って当然か。
まぁ話自体の信憑性の問題はあるけれど、高低差を活かしてバッサバッサ切り倒したとか
最終的には躓いたとか引っ掛かったとか、体勢を崩した為にやられてしまったっていう辺りから
相当強かった、若しくは強いという風評だったんだろうね。
286 :
人間七七四年:2007/05/15(火) 14:39:34 ID:17c14zyj
287 :
人間七七四年:2007/05/19(土) 00:32:26 ID:cCTTFczc
>286
(=゚ω゚) おおー由井正雪も出とるねー、どもサンクスです面白いっす。面白くなければ2ちゃんで無い。
由井正雪は本朝武芸百人一首に出てくる遊女宮城野、雛乙女信夫姉妹の師匠だね。
ttp://www2s.biglobe.ne.jp/~jyohou/komonjyo4.htm 信夫の武器が薙刀で姉の宮城野の得物が分銅鎖陣鎌と手裏剣か・・・ 恐るべし張孔堂!
ちなみに正雪は堤宝三(法讃)流の師範で現在でも一心流鎖鎌術が神道夢想流杖の付録として残っている。
ある意味日本一広まってる鎖鎌ではなかろうか・・・?
吉岡流については文久年間の天真正伝新当流伝ミャクにも京流白川鬼一伝の代表として挙げられているようだ。
288 :
人間七七四年:2007/06/03(日) 23:20:12 ID:fOEzWLlf
(=゚ω゚) ヒマだからカネの話しでも一席。
神影流8寸の延べカネは有名だけどカネにまつわる話は多い。
一刀流八方のカネ。田宮流ミノカネとかね。
陰流書、半開半向にも「これは上段向にこれ有構え也。新當流かねのつもりの構に少しすぐ也」
と、有る。
『新當流かねのつもりの構え』とは『規矩の積りの構』とも読める気がするがどうなんだろうか?
289 :
人間七七四年:2007/06/20(水) 23:31:40 ID:QI4mtEyq
柳生心眼流が家伝です
290 :
人間七七四年:2007/06/20(水) 23:58:27 ID:1v+uA9T0
既出かもしれんが上泉秀綱について
義輝が永禄8年に三好と松永に殺されて
同9年に箕輪陥落、秀綱降伏
でもってそれ以前の永禄6、7年の国府台合戦で秀胤討死
なんか不自然じゃね?
長野業盛の自刃後に打って出ようとした話は結構聞くけど
実際は業政が死んだ頃には家督譲って旅に出たんじゃないかって思えてくる
違和感は俺の浅学のせいかもしれん。誰か教えてくれ
291 :
人間七七四年:2007/06/25(月) 02:52:47 ID:MWZu7A4M
(=゚ω゚) 秀胤はたしか第1回上洛の時から北条家師範だったので
長野家とは関係ない思います。(たぶん・・・?)
箕輪攻めについては諸説あるようですな。
永禄4年・長野業政没。属城国峰城が信玄により落城。
永禄6年・信玄の長野家倉賀野城攻め開始
永禄9年・箕輪陥落?
確実なのが永禄8年の義輝殺害。
大胡氏の主家は、長野-北条-上杉の流れだったかな?
んーもう少し調べてみます。
292 :
人間七七四年:2007/06/27(水) 16:22:27 ID:WuG3J1o3
大胡城主は確かなのか?
293 :
人間七七四年:2007/06/29(金) 00:47:04 ID:T8vh42kp
(=゚ω゚) 信綱生誕の頃の大胡城主は本家の大胡重行で上泉氏は大胡城支城の上泉城主だったはず。
詳しくは知らないけど。
(=゚ω゚) 箕輪城落城はこういう資料も有るなぁ・・・ どっちがホントなんだろ?
さて、大河には出るかな?
永禄 4年 1561 長野業正没。(この頃川中島合戦)
永禄 6年 1563 箕輪城落城、長野業盛討死(永禄9年説有り)信綱浪人となる。
武田信玄より仕官の要請有るが信綱兵法弘流のためと称して辞退する。
永禄 7年 1564 秀胤、総州鴻之台に於いて戦死。
294 :
人間七七四年:2007/06/29(金) 03:10:00 ID:1Hb9IELV
父の上泉(大胡)憲綱(?)の代に本家の大胡氏が武蔵へ移住したので、信綱(秀綱)がそれを継ぎ大胡城主になった。
1555年に大胡城が北条氏康に落とされるが、同年、長野氏について北条攻めに参加したらしい。
箕輪城が落ちる前にも一度上洛したらしく、この時に丸目長恵を弟子にしたようだ。
上のほうで槍や弓の話が出ているけど、柔術家の渋川伴五郎は当時の武芸者が刀、
あるいは槍しか使えないことを批判して、昔はそうではなかった、上泉は何でも使えたと書いている。
塚原も弓にたけていた。
上泉は軍配術という戦に関する占いのようなことも学んでいて、
上洛したとき公家衆にはこっちのほうがうけたらしい。
295 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 01:34:49 ID:l/dvlh5s
296 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 09:55:24 ID:SfW/84hT
軍配に関する具体的な内容は易学っぽくてよくわからんけど、足利学校でこれを教えていたらしい。
上泉氏も足利学校に行ってたんですかね?
297 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 22:17:05 ID:l/dvlh5s
(=゚ω゚) おおっそれは初耳ッス。そのネタは、ちょっと萌えますね。
上泉流軍敗(軍配)は軍気により「いくさ配り」すると有りますね。師は小笠原氏隆だとか。
直心の小笠原と関わりが有れば面白いんだけどw
易学はやはり軍学の基本でしょうね。
たしか渋川伴五郎も「お前の流儀には伝書は無いのか?」とたずねられ「孫呉の兵書を読めば事足ります」と
答えたとか。
香取流も築城のさいに風水のような事をやるみたいです。
鞍馬の陰陽師鬼一法眼とか、武芸にオカルトは隠し味としてはナイスなしろものだす。
298 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 20:28:18 ID:kJ1qH9W+
魏武注孫子は易学的な要素をほぼ排除しちゃってますが、1972年に漢代の墓
所から発掘された孫臏(月賓)兵法は、五行とかそういったものに基づいたも
のが書かれていて、現代人の眼からだとけっこうオカルトちっくに見えてし
まいます。
299 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 00:14:54 ID:RQMW1n9R
(=゚ω゚) おお、さすがにお詳しい。
占術は例えば色で占うやりかたが有り、武家は敵との会合の時などその時々の
椀の種類、色、形状で占ったらしいです。いわゆる陰陽道ですな。
仏教、禅学にも筮竹を用いずに易をたてる心易なる用法があり、高島嘉右衛門は風景を見ただけで
卦をたてる事も有ったそうです。それに近いかな?
坂口安吾の「馬庭念流訪問記」って言う10pぐらいのエッセイが有りますがそこには
「樋口家には十数巻の奥義書が有り、虎の巻、獅子の巻、象、竜、犬、・・・と、一子相伝で伝えられてきた
実用一点張りの剣術らしく技術書としてはゴルフ教本のように非常にコクメイに術が説かれているが
虎の巻は剣法とは何の関係も無く、『傷を治す呪文・戦場で武器を手に入れる呪文・矢に当たらない呪文』など
○○ソワカで終わるダラニ風の呪文が書かれているだけだった」と、有りますな。
300 :
人間七七四年:2007/07/06(金) 10:48:39 ID:+Sm20z0C
一刀流と新影流はどっちが強いですか
301 :
人間七七四年:2007/07/06(金) 20:26:37 ID:ULWGc1lI
一刀斎は強いのは確かだが大嘘つき
302 :
人間七七四年:2007/07/06(金) 20:51:22 ID:DNdDaqQ0
結局は「誰が強いか?」であって、「どの流派が強いか?」にはならないと思うw
303 :
人間七七四年:2007/07/07(土) 04:14:00 ID:3Ct2f2cW
>301
(=゚ω゚) 小野忠明もけっこう極悪だったな。将軍家指南になってからもケンカや
道場破りまがいの事をやって謹慎とかされていた気がする。
ただ、じっさい強かった。ある意味ストリートファイター的な強さか?
新陰流は当時既に数派に分かれているので比較は難しい。
柳生兄弟は戦場でも強かったみたいだ。
304 :
人間七七四年:2007/07/28(土) 15:18:49 ID:4+z1YAew
305 :
人間七七四年:2007/07/30(月) 00:01:21 ID:+eksmQlR0
>>304 なかなか面白かったです。
「孫臏兵法」は最初に受けたインパクトが強すぎたのか、冷静に読み直してみると思いこんでいたほどでもないような・・・。
オカルトちっくなのは「月戦」と「地葆」の二篇くらいでした。
「月戦」では太陽、月、星の運行に従って戦えば云々と。
「地葆」は五行説に基づいて、「青勝黄、黄勝黒、黒勝赤、赤勝白、白勝青」という記述ですね。
306 :
人間七七四年:2007/07/30(月) 23:20:22 ID:VRJkPPS3
(=゚ω゚) ああ、六韜三略にも似たような表現がありまつね。
武王、大公に問いて曰く「天陣、地陣、人陣とはいかに?」大公「日月星辰斗、一は左に一は右に」・・・とか。
軍気を読む事についても語られちょりますがこんな具合っす。
『城の気色死灰の如くなるは城屠るべし。城の気出て北するは城克つべし。
城の気出て西するは城降すべし。城の気出て東するは城攻めるべからず・・・(竜韜29兵徴 敵情観察)』
(=゚ω゚) おお、面白い。さすが鬼一法眼の秘書でござる。これをマスターすれば世界征服も可能でしょうか?
307 :
人間七七四年:2007/08/21(火) 14:58:56 ID:J7BZ14Qi
>>290 上泉秀綱が大胡城で北条に降伏した後に秀胤はそのまま北条に仕えた模様。
すぐ近くの厩橋城主、長野方業も北条に敗北した後逃亡するが息子の長野道安は北条に仕えているので
珍しいことではなかったのだろう。
前橋の寺に1577年に信綱が秀胤の十三回忌を行った記録があるので、秀胤の死に関しては確実なようだ。
話によっては、秀胤は剣を学ばなかった代わりに軍配を学んだともされていて、
井伊家の軍師、岡本半助は秀胤から信綱の軍配を学んで上泉流軍学を大成したと言う。
しかし、これでは秀胤の死からいって年代がうまく合わないんだよね。
半助は小幡景憲に軍学を教えたそうだが、信綱の軍配が甲州流軍学に影響を与えていたとすれば皮肉だね。
308 :
人間七七四年:2007/08/21(火) 16:16:04 ID:gRJcVrCu
なんかあんまり関係ない話だけど、前に流鏑馬を見に行ったとき
「流鏑馬は現代の方が難しいんです、昔に比べて馬が速いから」
という話を聞いて笑っちゃった事を思い出したな。
309 :
人間七七四年:2007/08/21(火) 20:56:23 ID:d+gOJWdk
(=゚ω゚) 北条は上泉信綱の嫁さんの実家だったかな?←うろ覚え
長野、上泉の伝系で現在残っているのは居合ですな。
孫の上泉権右衛門は柳生のコネで尾張藩に仕えています。
師匠は長野無楽斎で、こちらはたしか伊井家臣だった気がします。
剣の新陰(神影)が、門人たちによって全国へ広まったのとは対照的ですな。
310 :
人間七七四年:2007/08/21(火) 21:13:35 ID:J7BZ14Qi
後妻が北条綱成の娘だそうですよ。でもホントか?と思ってしまう。
そうだとすれば、上泉って人脈が凄い。
愛洲移香とか。
312 :
人間七七四年:2007/08/22(水) 20:12:35 ID:9N9zrKQq
(=゚ω゚) そういや愛洲とは上泉(一色)は源氏つながりかな?
上泉信綱は藤原系一色氏族だし?関係ない?
愛洲移香斎の息子の仕官先は常陸源氏の佐竹ですな。
だが言継卿は藤原か。
まあ時代が時代なのであらゆるコネを使ったのだろうか
そういや愛洲移香も一度勝負に負けた事が有るそうな。
当時の愛洲移香の流儀は何だろ。鵜戸神宮つながりで念流猿御前系?
313 :
人間七七四年:2007/08/23(木) 18:27:28 ID:3WtcshMJ BE:1067422076-2BP(0)
神後宗治が好き〜
314 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 11:59:17 ID:8KKEMTYn
ちょっと上げさせてください。
この人の苗字の由来は?
読み方は、かみいずみ? こういずみ? こうずみ?
新陰流は陰流に対し、具体的には何が「新」なの?
よろしくご教授をお願いします。
315 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 12:05:48 ID:t6V3LT4x
簡単に言えば
姓の由来は地名
かみいずみ、がメジャーな呼び方でこういずみはマイナー。
陰流というのは師匠の愛洲移香斎の流派の名前。
信綱は他に様々な流派の武術を習得しており、陰流を継承しコレをメインに
アレンジして新陰流となずけた。
316 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 12:18:47 ID:8KKEMTYn
早速のお答え、どうもありがとう。
「地名」とは具体的にはどこでしょうか?
「かみいずみ」としても間違いではない、
ということでしょうか?
アレンジとは具体的には? ふたつみっつ
「陰流とはこう違う」と、ご紹介ください。
自分で調べるべきなんですが、どんな史料
にあたればいいのかすら解りません。
317 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 12:23:17 ID:8KKEMTYn
>>316 以下に訂正します。
× 「かみいずみ」としても間違いではない
○ 「こういずみ」としても間違いではない
318 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 13:18:13 ID:UtfxcyfW
うわいずみ
319 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 14:25:48 ID:84c99Xsu
(=゚ω゚) 影流は現在本流が残ってないので比較は難しいでしょうね。
新陰流には大きくわけて柳生派、疋田影流、直心影流、タイ捨流が現存してますね。
いわゆる一国一人の印可(允可)という方式で全国に分派を増やしますた。
詳しくは知らないけど燕飛(猿飛)が特徴だと言われちょります。
ちなみに直心影流では長短一味や右転左転とういう法定は
松本・・・いや杉本備前が造った事になっており
鹿島の神の御陰という意味で神陰流を名乗ったと言います。
なので、この流派にはなぜか愛洲移香斎の名は出てこない??
320 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 15:11:57 ID:8KKEMTYn
>>319 興味深いお話、ありがとうございます。
>影流は現在本流が残ってないので比較は難しい
やはりそうなんですか。
一国一任の印可というのは、各分派でも遵守され
たかとか、将軍家指南役の柳生流では、継承権は
柳生家に生まれた者にしか認められなかったか、
などというのを調べるのに手頃な概説書をご存じ
でしたら、ご教授いただけるとさらにありがたく、
よろしくお願いいたします。
321 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 15:16:58 ID:8KKEMTYn
またやってしまった。orz
>>320「一国一任」は「一国一人」の間違いです。
322 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 15:54:39 ID:84c99Xsu
柳生派の解説ならわりと出てますね、図書館の武道書を漁るのも良し。
現代はネットでキーワードを検索すればイロイロ出てきますよ。
ただ、自流派の都合のいい事しか書いてない場合も有るけどw
323 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 16:26:32 ID:8KKEMTYn
そうですね。とりあえず史料の充実している
柳生から調べて、本命の上泉に当たれば幸い
という感じで調べてみます。お世話様でした。
324 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 19:06:38 ID:RPB9tkPv
325 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 23:27:14 ID:84c99Xsu
(=゚ω゚) 武備志ならここも詳しいッス (クドイけどw)
ttp://d.hatena.ne.jp/QueSera/20051223 ややこしくなるけど燕飛は宝山流にも燕飛、燕廻、浮舟、浦波、山陰、とか名称が有るんですわ。
松岡派新当流の目録にも猿飛の技が一本有りますね。だが香取流には無い(・・・たぶん)
それがどの経路を通って伝わったのか、はたまた逆の流れなのか?
その辺はオイラにもわかりませんが。
326 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 16:54:28 ID:jVvS85OD
(=゚ω゚) 追加。
富田流目録
猿回前
一、猿飛語 一、虎走 一、月影 一、草摺流
327 :
人間七七四年:2007/09/09(日) 11:16:09 ID:hZmLZpRV
刀の天敵は十手だと聞いた事があるが
328 :
人間七七四年:2007/09/13(木) 10:02:57 ID:l1OZlTIk
梅華集が読みたいんだがどこにあるのか・・
329 :
人間七七四年:2007/09/13(木) 16:49:57 ID:VEahCyvV
今日上泉師匠の最後の地に行ってきた
ナムナムしてきた
330 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 00:32:08 ID:kyxYgh57
どこ?小田原?
331 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 12:54:15 ID:OSZYfZGv
ムラムラしてきた
332 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 17:43:47 ID:X42oYBjG
333 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 21:47:38 ID:kyxYgh57
上泉伊勢守は先祖代々たくさんいるな。
334 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 00:33:07 ID:Xyuh//n2
>327 >刀の天敵は十手だと聞いた事があるが
(=゚ω゚) んー?名和理論かな?
たぶん捕方の道具としてと言う意味では無かろうか?
片手で使えるので逆の方の手でいろいろ悪さができるし二つの武器を併用できるし
柔使いなら室内戦では有効な兵器だった事だろう。たぶん。
ただ真正面からの対決では正直大刀に勝てるとはちょっと思えないが・・・??
まぁ実手(十手)と言ってもいろいろ有って有名なのはバガボンド父の当理流新免無二介。
この頃の実手は十字槍の穂先のような形状だったようだ。
その無二介のせがれは手裏剣や隠し武器の名手で知られる。
ちなみに道具の長短に関しては五輪書にはこうある。
「短き太刀ばかりにて勝たんと思うは実(まこと)の道にあらず。
短き太刀をもって敵のスキを斬らん、飛び入らん、掴まんなど思う心悪しし」
・・・まあ、短いのは敵の攻撃をさばきつつ懐へ入り込まなければならず後手に回って不利だと言う事らしい。
さらにこう有る。「大きな太刀を好む流派は弱き流派であると見立てるなり
もし、敵が相近く組み合うほどの時は小脇差し、手振りの人にも劣るなり」
・・・まあ、長いのは懐へ入り込まれ組み合うと後手に回って不利だと言う事らしい。
どっちやねん?
335 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 01:02:47 ID:GJE5i9ou
336 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 02:06:17 ID:Xyuh//n2
(=゚ω゚) 屋外だと、たぶん目つぶしとか投擲と併用したんじゃないかと思うです。
丸橋忠也とかね。
ナエシ、鉄扇は剛法(骨法=柔)と共に使って好く、始めより剣槍の敵に向かうは危うしと
言われます。
無二の当理流実手の全長は2尺以上。重さ1,5kg有ったらしく、真剣よりでかい鉄棒ですなw
棒に縛りつければ簡易槍になったとか
337 :
人間七七四年:2007/10/28(日) 03:03:26 ID:i4/pKDKs
上泉信綱は武将としても凄い人だったようだが、他にも似たような人いる?
338 :
人間七七四年:2007/10/28(日) 09:35:17 ID:jXlaL522
=゚ω゚) もともと武芸は武将の使う物だすから剣豪城主は多かったですよ。
家康なんか有馬流の代理宗家みたいなもんだし(笑
古くは一条堀川鬼一法眼から始まり東は鹿島神人松本備前・松岡兵庫・塚原ト伝
まだ柳生は土豪レベルですな。
上泉の主家筋の長野家も長野武道家也と言われる上杉の猛将ですなあ。
現在の居合流派は長野系が多いです。信綱の孫は新陰の剣と長野の居合を伝えますた。
339 :
人間七七四年:2007/10/28(日) 11:48:26 ID:9Vjf4kvb
>>330 超亀レスだが山形県。
討死したといわれた長谷堂にある主水塚
340 :
人間七七四年:2007/10/30(火) 21:11:56 ID:ZZCsNMZq
俺さ、新当流関係のHP検索したんだけど、みーんな改組が塚原卜伝になっとる。
開祖の有馬時貞なんか、名前すらどこにも無えんでやんの。
まあ、解釈の仕方は色々だけんどもさ、いくらなんでも有馬の名前すらないのはヒドすぎるんでないか?
一刀流でいえば小野次郎衛門の立場に在る重要人物なのにさ、ここまで無視する理由は何?
何か、有馬の存在を隠蔽したい理由でも有る訳?
341 :
人間七七四年:2007/10/30(火) 22:19:07 ID:63J1vaMy
=゚ω゚) まぁ有馬大膳時貞は徳川実記に出てくるので隠蔽のしようが無いッス
ふつうにマイナー杉たんでがんしょう。
武芸辞典では松本備前−有馬大和守幹信−有馬大炊頭満盛ー徳川家康−有馬豊前満秋
となっています。
ちなみに今川氏真も新当流だぎゃあ。
(東照宮御実記附録、奥平譜、貞享書等)
『後に大膳死して嫡流絶えければ、庶孫豊前秋重をもて家を継がしめ紀伊家に附属せられしなり』
ただ伝書によっては新当流伝系は
天真正−飯篠長威入道−松本備前−有馬大和守幹信・・・・
天真正−飯篠長威入道−塚原前土佐−塚原ト伝−塚原掃部丞・・・
と言う具合に松本備前前後で分かれた事になるようだす。
342 :
人間七七四年:2007/10/30(火) 22:25:57 ID:ZZCsNMZq
とは言え、新当流関係でここまで無視するとは。作為的としか思えないんだよねえ。
卜伝は自分の流儀なんて名乗らなかったと言うし、当流とだけ言ってたらしいし。
自分の所、という程度の意味で。
343 :
人間七七四年:2007/10/30(火) 22:43:43 ID:2/9IV66j
可児才蔵の関ヶ原大暴れは史実?
344 :
人間七七四年:2007/10/30(火) 23:04:24 ID:ZZCsNMZq
しかし、この板は落ち着くな。
他ではアタマのおかしい引きこもりのスレ荒らし板荒らしで滅茶苦茶だし。
やっぱり学問教養の板は違うよね。
345 :
人間七七四年:2007/10/31(水) 03:04:08 ID:Fm0ZC0ka
>>343 山崎の合戦では明智方で働いたというが、その方が気になる。
346 :
人間七七四年:2007/10/31(水) 22:47:47 ID:HT2APyZE
347 :
人間七七四年:2007/11/01(木) 01:21:41 ID:brP7v/lv
348 :
人間七七四年:2007/11/01(木) 20:41:36 ID:xZuh4j6s
>>346 武道板、およびプロレス板。
ハングルとか格闘板から引きこもりが入って来るんでね。
追い立ててもすぐにたかって来るからホトホト手を焼いてんだよ。
349 :
人間七七四年:2007/11/01(木) 20:49:33 ID:muQp303O
350 :
人間七七四年:2007/11/02(金) 02:46:35 ID:CxfWnENU
>>348っておてぃむてぃむだったのか!
なつかし〜、何年も武道板に逝ってないから忘れてたけど
今2○歳になってるんだ?
351 :
人間七七四年:2008/01/18(金) 00:23:43 ID:Mt/bQYf7
格で言ったら富田流(中条流を再興させた流派)だろうな
富田→鐘撒、川崎、佐々木→一刀斎→小野→千葉
と凄い系列である
352 :
人間七七四年:2008/01/20(日) 02:25:40 ID:cUBo5JWD
いや、格を謳うならば天真正伝香取神道流でしょう
富田流は分家亜流に俊傑を生み出したとは言えども
何れも香取のように連綿と続いてはいない
血を絶やさず、家を傾かせず、名を貶めず六百年余
名人巧手は流祖から数えて綺羅星のごとくにして挙げきれず
卜伝然り、上泉然り、剣聖もこの流儀に親しみ取り入れた
353 :
人間七七四年:2008/01/22(火) 00:30:53 ID:s1RphDwD
神道流、新陰流、一刀流(中条流)は現代の日本でも剣術三大流派でしょ
たぶん
354 :
人間七七四年:2008/01/22(火) 02:30:22 ID:YWdT4YZL
念流もっとがんばっとけや!
355 :
人間七七四年:2008/01/25(金) 15:10:10 ID:s40wsSIF
箕輪十六槍って上泉信綱、疋田景兼の二人が有名だけど他も達人レベルだったのかな?
356 :
人間七七四年:2008/01/26(土) 10:57:15 ID:vEN+UPwl
357 :
人間七七四年:2008/01/26(土) 18:08:07 ID:YythLn69
一般知名度だと示現流と柳生新陰流あたりが双璧だろうな。
358 :
人間七七四年:2008/01/26(土) 20:23:59 ID:ZZLU3lKV
今でも時代劇で柳生十兵衛とかやっているからね
示現流と言えば世間一般的なイメージは野太刀示現流の方なんだよね
東郷さんちの本元のは位の高い者しか学べなかったとか聞いた事がある
359 :
人間七七四年:2008/01/26(土) 22:44:52 ID:/Qqo5zmX
単純な内容に思われがちだが、一般に思われているより複雑に体系化されており、
技の数も多く習得は容易ではない。
そのため、下級武士は示現流より比較的単純な小示現流、太刀流や薬丸自顕流の方を
学ぶ傾向があったというが教授が上級武士に限られていたというのは誤解で、示現流の高弟の系譜を記した
「示現流聞書喫緊録」には陪臣や足軽の名もあり、藩内に多くの流派があった幕末期には上級武士が学ぶ傾向があった、
ということである
wikiより
360 :
人間七七四年:2008/01/26(土) 22:46:58 ID:YLVy2Tyh
263 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2007/03/31(土) 16:04:05 ID:MsSpbG9l
N O T H A N K Y O U !
/\___/\
/ / ヽ ::: \
| (●), 、(●)、 |
| ,,ノ(、_, )ヽ、,, |
| ,;‐=‐ヽ .:::::|
\ `ニニ´ .:::/
/`ー‐--‐‐―´´\
.n:n nn
nf||| | | |^!n
f|.| | ∩ ∩|..| |.|
|: :: ! } {! ::: :|
ヽ ,イ ヽ :イ
361 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 06:14:45 ID:CAa3BkRd
アイス最強説
362 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 11:26:50 ID:DBr57w5w
>>356 上泉信綱、疋田景兼、藤井友忠、白川満勝、大道寺信方、岸信保
他はわからないけど一騎当千らしい
363 :
◆TpifAK1n8E :2008/02/02(土) 16:30:45 ID:lUs7TWDH
やっぱ御子神典膳
364 :
人間七七四年:2008/02/05(火) 00:31:53 ID:0nilefIE
>>362疋田以外では藤井友忠しか識らないや
小説なんかではヨク血気に逸った武田勝頼と一騎打ちになって
勝頼を討ち取る寸前までいくが原大隅守虎吉が助けにはいって
横合いから槍で突かれて死んだりするよね
あと後閑信純なんかは16槍には入らないのかねぇ???
365 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 11:25:34 ID:ZGmSoAL4
一騎打ちって・・・
三国志じゃないんだから
366 :
人間七七四年:2008/03/04(火) 14:58:18 ID:7y9KMkge
真壁暗夜軒みたいに棒使う武将で有名なのっている?
367 :
人間七七四年:2008/03/04(火) 19:28:09 ID:abNfcB5s
坂東武者は樫棒使いが多いってことになってる
368 :
人間七七四年:2008/03/05(水) 02:04:33 ID:7IxnJt7t
マジすか!原始的ってことなんですかね…
いいなぁ
369 :
人間七七四年:2008/03/05(水) 02:18:12 ID:7ZK3GA/S
いいのか?w
370 :
人間七七四年:2008/04/24(木) 11:59:31 ID:moVFhO0P
上泉四天王という言葉を時折見かけるのだが、
誰々のことなのだろう?
・羽田源太郎
・疋田豊五郎(文五郎・景兼・小伯・虎伯・栖雲斎)
・神後藤三郎(宗治・伊豆守・鈴木移柏・意伯)
・奥平孫次郎(定国・奥山公重・休賀斎)
・丸目蔵人佐(長恵・鉄斎)
・穴沢浄賢
四天王に数えられるとして挙げられた弟子が、
五人どころか六人も出てきた。
とりえず疋田、神後、奥平は確定だろうと思うが、あと一席は?
素性がはっきりしている丸目かしら?
羽田源太郎て、よく判らんな。
どうやら長野の縁者で、伊勢守が長野に仕えていた頃から指導を受けていた古株らしいのだが。
疋田や神後と同じく、伊勢守が武士を辞した時に一緒に野に下って、剣術家としての進路を採ったのかどうか
情報を掴めなかった。ていうか、没年も判らないから、もしかしたら長野氏の武将として戦死していたかもしれん。
穴沢浄賢に関しては、何も判明してない。誰か知っている人がいたら、教えて
371 :
人間七七四年:2008/04/24(木) 19:16:18 ID:hSUel3KD
=゚ω゚) 新当流の穴沢浄見?
372 :
人間七七四年:2008/04/25(金) 20:16:58 ID:PIwQkWy7
ぐぐってみたら、
該当時代に新当流長太刀・薙刀の使い手としていたんだね。
穴沢じょうけん。
上泉に師事したことがあるのかまでは判らんけど。
果たして同一人物か・・・
つか、なんで穴沢を上泉四天王の一角に据えたブログがあったのか謎w
373 :
人間七七四年:2008/04/27(日) 01:49:55 ID:3RxtlzA+
>>370 メジャーな線で引くと
疋田・神後・柳生・丸目が四傑になるんじゃないか?
374 :
人間七七四年:2008/04/27(日) 11:20:15 ID:t91J+LRS
奥山は神後・疋田と同時期の古株弟子だし、
江戸時代に発展した新陰流系流派は、奥山休賀斎からの系譜だしな。
剣聖・男谷精一郎も、この系譜。
後世への影響力からしても、奥山を外すことはあまり無いだろうな。
柳生は、上泉が旅をするようになってから抱えた、旅先の現地弟子のOne of them。
江戸徳川家と尾張徳川家の指南役を出したことで有名になったけど、
それはまた四天王の選出とは別の要素に過ぎないかもしれない。
上泉の存命中に、「上泉先生には、こんなにも凄い高弟がいらっしゃる」と
世間に認識されないとね。
他の高弟とは、注目された時期が違いすぎるのではなかろうか。
375 :
人間七七四年:2008/04/27(日) 12:02:46 ID:3RxtlzA+
>上泉の存命中に、「上泉先生には、こんなにも凄い高弟がいらっしゃる」と
世間に認識されないとね。
上泉の存命中となると奥山は尚更認知度も影響も少ないような気がするんだ
旅先の現地弟子であっても柳生は一国一人の免状は貰ってるし
(上泉は旅先の弟子に適当に免状を出す人ではないと思う
逆に言うと奥山は疋田・神後と並ぶ古株であってもそれだけで
回国修行にもつきあっていないし、逸話もない
後世への影響力を考えると明治時代になっても
柳生は皇室に武術指南みたいな形で関わってたはず
それに古株と言う面から見れば丸目はまずアウトじゃないかな?
376 :
人間七七四年:2008/04/27(日) 13:22:35 ID:NVsv+jQt
>>柳生は皇室に武術指南みたいな形で関わってたはず
こういうの実は石舟斎が一番嫌がりそうだよな
377 :
人間七七四年:2008/04/27(日) 14:36:16 ID:z9BUBnly
=゚ω゚) 明治帝の聖勅にて厳周師範が近衛を指南ですな。天皇じきじきの指示です。
現代、関東にある柳生流会派が、この系統です。
疋田は豊臣、細川に居たため九州、西国に大きな影響が残っている感じです。
たしか大石影流もこの系統だったかも。
奥山は戦場談話で家康に見出され師範へと迎えられ、生涯裏方の
一師範で終わったはずなのですが(まあ、これだけでも十分スゴイ事なんだけど。)
そして突如、小笠原源信の師匠として脚光が当たった感じですな。
378 :
人間七七四年:2008/04/30(水) 11:56:07 ID:39MM3P9Z
諸岡一羽の晩年の病とは?
高弟の一人が介護放棄するほどのものだったらしいが
379 :
人間七七四年:2008/04/30(水) 20:02:19 ID:GL8mLT8s
癩病だったと言われているが
当時の癩病と言う範囲が広くて一概にはハンセン病と言いきれない
380 :
人間七七四年:2008/05/02(金) 14:24:36 ID:X9qBuw1I
>柳生は、上泉が旅をするようになってから抱えた、旅先の現地弟子のOne of them。
小笠原源信斎が流名を「真新陰流」としたのはそういう意識からなんだろう。
ところで、剣豪ランキングなんかでは大抵トップにいる上泉先生だけど、
『八寸の延金』を会得してから上泉の直接の弟子から「上泉先生より強い」と
言わしめた源信斎が本当の最強なのではなかろうか?
381 :
人間七七四年:2008/05/02(金) 15:20:23 ID:14PMcn9B
兎角
決闘に負けて後ろ指をさされながら逃げ出しても、他所の土地で再出発。
人生の勝ち組。
ただし病身の師匠を見捨てたことから、共感は得られにくい。
小熊
決闘に勝っても恨みを買い、結局は暗殺される。
人生の負け組。
道場を強引に乗っ取ったような遣り口は、やはり共感を得られにくい。
382 :
人間七七四年:2008/05/02(金) 15:33:59 ID:X9qBuw1I
一人無視されてるな。
津軽の卜伝流とか天然理心流なんかは一羽→土子泥之助の流れだから
剣術史の観点から見れば泥之助が一番重要な人物。
383 :
人間七七四年:2008/05/02(金) 15:46:10 ID:14PMcn9B
一羽の弟子のうち、誰が一番重要かという話じゃないよw
決闘を行った二人のその後が対照的な印象があったんで、
この二人に触れただけ
384 :
人間七七四年:2008/05/02(金) 17:35:49 ID:iT6WyvBU
>>380 上泉の直接の弟子って誰?いつどのように言われた逸話か教えてくれ
柳生の方は上泉本人からもはや自分の及ぶべきところではないと言われ
免状を受けたと言われているから
直弟子よりも本人の弁が優先されるんじゃないか?
むしろ柳生の逸話を元に小笠原が
自己の優位性を高めようと逸話をパクッてちょっと変えた可能性もありえる
385 :
人間七七四年:2008/05/02(金) 18:08:30 ID:hNrzq9eD
386 :
人間七七四年:2008/05/03(土) 02:03:17 ID:9MNWa0PD
流祖が作り上げた技術を更に進化させて行くんだから、後の世の
弟子の方が流祖を凌ぐというのは当たり前のこととして
起こりえると思うけど。
そんなに伊勢守が強くなくちゃいけないの?
>むしろ柳生の逸話を元に小笠原が
>自己の優位性を高めようと逸話をパクッて
>ちょっと変えた可能性もありえる
逆に
>>384の玄信斎に対するこの妙な悪意は何?
387 :
人間七七四年:2008/05/03(土) 03:08:14 ID:YOdPtOXL
戦国期の実戦経験と以降の実戦経験は比較にならないし
用法が正しく伝承されているかも解らないと思うよ、様はレベルダウン
388 :
人間七七四年:2008/05/03(土) 10:18:29 ID:q4mbVGVd
>>386 小笠原は流祖が作り上げた技術を更に進化させたと言う確証がない、
合戦場で矢玉を潜りぬけ幾多の功名を上げた剣聖上泉を
後の世のどのような功名を上げたかはおろか満足な事跡も伝わっていない
弟子の方が流祖を凌ぐというのは当たり前のこととして
起こりえると思えるのはおかしい。
そんなに玄信斎が強くなくちゃいけないの?
>>385さんみたいにソースを調べてくれるわけでも無しに
逆に
>>386の伊勢守に対するこの妙な悪意は何?
389 :
人間七七四年:2008/05/03(土) 18:37:26 ID:6zY3Gyy1
390 :
人間七七四年:2008/05/03(土) 20:03:52 ID:5023mHkM
「お師様、宮本武蔵なる剣客が、夢想権之助とやらを破ったとか」
「うむ、丈左衛門(後の神谷伝心斎)よ、聞き及んでおる。
なんでも武蔵は、ときに二刀を用いることがあって、相手の打ち込みを防ぐそうじゃな」
「しかしそれがしならば、二刀を構えた武蔵にだって打ち込めます」
「・・・丈左衛門よ、慢心は禁物じゃぞ。武蔵の名は東国にも轟いておる。凡庸な剣客の成すところではない」
「それがしには武蔵の二刀を破る手立てがあります。慢心から豪語しているわけではございませぬ」
「ううむ、そこまで言うか。ならばわしが立ち合ってみよう」
小笠原源信斎は大小二振りの木刀を手に取り、伝え聞く武蔵が研究を重ねているという構えをとる。
打太刀の源信斎に対し、仕太刀の神谷丈左衛門はどう構えたのか伝わっていない。
しかし宣言通り、この模擬試合において、丈左衛門は二刀を破った。
「ふむ、丈左衛門のその技ならば、武蔵を破るかもしれぬな。
武蔵と試合うて、名を揚げたいか?」
「いえ、それがしは名を揚げたくて修行しているわけではございませぬ。
剣の道にはまだ奥があります。ただひたすら研鑚するのみでございます」
果たして、小笠原源信斎が構えた二刀は武蔵と同等と言えるかどうか、謎である。
源信斎が剣の天才とはいえども、長年に渡って二刀の使い方を試行錯誤してきた武蔵の技を
そうそう簡単にコピーできるものだろうか。
391 :
人間七七四年:2008/05/03(土) 22:43:28 ID:j3C7oEmo
たしか小笠原源信斎も弟子の夕雲に負けたんじゃなかったけ?
まぁ『八寸の延金』も実際のとこどんな物だったか不明みたいだし、
どっちが強かったなんて決めようが無いんじゃねーか。
392 :
人間七七四年:2008/05/04(日) 23:49:21 ID:2nV/raMC
史実を元にすれば八寸の延金を持った小笠原源信斎が最強だな。
槍を持った上泉も同じくらい強い
393 :
人間七七四年:2008/05/05(月) 00:06:19 ID:2nV/raMC
ステータスでみれば竜神王だが、やっぱドレアムが最強にふさわしいかな。破壊と殺戮の神だしな。
ドレアムが他のボスにやられるところが想像できん
394 :
人間七七四年:2008/05/05(月) 00:12:58 ID:KNDW6WzV
うおゲーム強さスレと間違えて誤爆った
すまん
395 :
人間七七四年:2008/05/05(月) 00:36:47 ID:vezFhpmw
>>388 小笠原も合戦場で矢玉を潜りぬけていますよ。
396 :
人間七七四年:2008/05/05(月) 00:48:32 ID:enutrpoj
>>395 で、どの戦で功名を上げたの?感状は?
当時で戦に出た者なんて老若男女貴賎を問わず有象無象にいるわけだが
上野国の一番槍と謳われた上泉みたいな武名を上げた証拠は?
武蔵ですら包み隠さず自分が戦で怪我したとか語ってるんだから
小笠原さんはさぞかし凄い逸話をお持ちなんだろう?
なければ雑兵並のOne of them(w
397 :
人間七七四年:2008/05/05(月) 01:25:15 ID:F7jhbsUt
>>395 主家の滅亡で辛酸も舐めているし、決して泰平の世の人間ではないですよね。
戦さ働きと一対一の力量はやはり別物だし、後になるほど剣術として純化されて行く分、
単純に剣のみの一対一を取った場合、玄信斎の方が上回る可能性も無いわけではない。
言うまでもなく偉大さでは伊勢守>玄信斎ですが。
>>391 柄八寸とも言うし、もしかすると柄を用いた技術かな?と前々から思っていたのですが
玄信斎の裔流である直心影流の石垣安造『直心影流極意伝開』によると、八寸の延金は鍔元の右手を
柄尻を持つ左手のすぐ上までスライドする形にすることで瞬間的にリーチを
長くする技術だそうです。これで確定だとすると、正直あまりに夢が
無さ過ぎますが…。
398 :
人間七七四年:2008/05/05(月) 02:05:42 ID:vezFhpmw
>>396 この場合、戦の功名はあまり関係ないと思いますよ。
慈音や愛州に武功が有るわけじゃないでしょ。
時代や立場もも違うし手柄なんて時の運もありますしね。
戦で言ったら丸目蔵人など酷いもんですが丸目の流儀からは東郷や立花ら
名のある人が出ています。技術は確かだったと言う事でしょう。
小笠原も合戦経験も有るし、良い弟子にも恵まれていますね。
>>397 柄などの操作で瞬間的にリーチを長くする技術なら旧来の神道流分派や新陰流にも有るので
たぶんもう少し違う技術だと思います。
399 :
人間七七四年:2008/05/05(月) 11:42:26 ID:enutrpoj
>>398 今比べられているのは上泉と小笠原の強さ
愛洲も慈恩も関係ない。
>>380辺りから読んでくれ
400 :
人間七七四年:2008/05/05(月) 12:47:04 ID:vezFhpmw
でも
>>396では
「上泉みたいな武名を上げた証拠は?」とか「武蔵は戦場で怪我した」とか
軍功の話ばかり聞いていますね。
それに対して軍功の記録は目安になるとは思いますけど
「軍功で勝負の強さは測れないのではないか?」と言っただけです。
それで愛洲、慈恩、丸目らを出しました。
柳生流でも宗矩や宗章は戦場での活躍が記録に残っていますが
石舟斎や厳勝は戦場で負傷しています。
このへんは芸の強弱と言うより運もあるでしょう。
401 :
人間七七四年:2008/05/05(月) 17:03:45 ID:enutrpoj
>柳生流でも宗矩や宗章は戦場での活躍が記録に残っていますが
>石舟斎や厳勝は戦場で負傷しています。
そういう話(逸話)を聞きたいわけ、例えば
>「武蔵は戦場で怪我した」とか
これなんか明らかに武芸者としては恥だけど武蔵は自分の体験談として
戦に出たことがある(実戦経験がある)をアピールする為にしているわけだ。
だから小笠原にもそのような逸話を求めているだけ
例えば小田原征伐の際に北条方にいたとかだけでは
繰り返すが
当時で戦に出た者なんて老若男女貴賎を問わず有象無象にいる
話をはぐらかそうとしている様だが
例えば
>>397の言うように
>単純に剣のみの一対一を取った場合、
>玄信斎の方が上回る可能性も無いわけではない
んだが、しかし確証の持てる物を集めて以下ないと議論にならないから
どんな逸話でもいいから出してくれといっているんだ
402 :
人間七七四年:2008/05/05(月) 20:04:41 ID:vezFhpmw
源信斎の逸話や体験談で議論ですか。面白いですね了解しました。
でもあまり記録が無いですけど(笑
小笠原源信斎長治
箱根の軍が敗れ支那へ渡り、彼の地の武人より更に曲尺の妙術(八寸延金?)を得
帰朝して後、上泉の古き相弟子など立合に一人も手に障る者は無く、
師上泉に勝るとも言われた道理を発明し海内無双と呼ばれる。
江戸小網町に道場、門弟3000人に及べり。うち2,3の上手あり
針ヶ谷夕雲
夕雲、13,4の頃より兵法を習い後、小笠原の弟子になり八寸延金まで残らず相伝され後に参禅、大悟する。
夕雲は他流と立合てこれを試すも終に障る者無し。
幸い先師源信いまだ在世なる故に自己の所得を談じ聞かせ立合いを試み八寸延金をも打ち破ると言う。
神谷丈左衛門伝心斎
若年より15流に渉って修行するも源信斎の弟に破れ、それを縁に42歳の時随身して入門する。
ある日、丈左衛門が武蔵打倒の工夫を詮議しているのを師源信が聞き、僭越であると嗜めるが
丈左衛門自ら勝算あると広言し試合する。
源信斎は二刀の木刀で武蔵を模して立合い木剣を挟押える瞬間神谷はこれを撥ね、額口打つ
源信斎は参ったと言い丈左衛門が空気炎で無い事が証明されたと言う。
まあ、おおざっぱに抜粋するとこんなもんでしょうか?
高名な弟子が多いので、これでも比較的わかりやすい方ですが、
老いても弟子の成長に合わせて立合ってくれる良い師匠だったと個人的には思います。
これほどの人でなければこれだけの達人は輩出できなかったでしょう。
403 :
人間七七四年:2008/05/05(月) 21:39:24 ID:V8/xk/zW
源信斎は大坂の陣で大坂方に入ったと聞いたけど、
そのとき斬り合いとかあったんかな
404 :
人間七七四年:2008/05/06(火) 21:03:28 ID:yx570KQe
うろ覚えですまないが、徳川光圀の伝記に竹刀だか木刀だかを持って
兄と馬上試合をしたと書かれてたんだけど、こういう技術を
伝える流派って今でもあるのかな?
405 :
人間七七四年:2008/05/06(火) 22:17:32 ID:JiDcM5+i
うーん。武田流弓馬術かなあ・・・?
軍記もの読んだ感じでは我流でやってたみたいだけどね。
406 :
人間七七四年:2008/05/07(水) 18:59:20 ID:E0GIkSbZ
刀は首取りのための道具だし、騎馬武者が戦うときは
馬から降りるものなのに、馬上剣術があるなんておかしくね?
407 :
人間七七四年:2008/05/07(水) 19:26:56 ID:IDkMObWn
馬上からの斬撃は世界中に有ったよ。最近でも満州で騎馬隊が刀使ってた。
源平記とか古戦録だとふつうに騎馬武者が斬り合いしてるよ。
408 :
人間七七四年:2008/05/07(水) 19:45:03 ID:3oXmNJsN
あれ腕疲れそうだよねぇ
まぁ、休んだら死ぬだけだが
409 :
人間七七四年:2008/05/07(水) 20:21:39 ID:IWtbQ5n/
騎馬武者が降りて戦うようになったのは戦国時代、足軽が戦力の中心になってから。
それでも馬上技術の伝統は武芸として残ったのだろう。
410 :
人間七七四年:2008/05/07(水) 21:36:59 ID:022cnQzT
>>406 剣は本来「太刀」という、馬上で使うもの。
「打刀」と言われる徒武者が使う物は鎌倉後期から。
2chなんかで歴史を覚えるとこういう事になるんだよな。
411 :
人間七七四年:2008/05/07(水) 21:45:43 ID:qxpy/N4v
え?何が起きたの?
412 :
人間七七四年:2008/05/07(水) 22:03:31 ID:E0GIkSbZ
鈴木何とかさんの説を皮肉ったつもりでしたが、
わかりにくかったようでご迷惑をおかけしました。
今は反省している。
「日本人は遠戦志向」とかも入れればよかったかな?
413 :
人間七七四年:2008/05/07(水) 22:35:34 ID:R7TxXyZa
まあ大日本史の編纂もしたくらいの古史古伝マニアな肛門様だから
大昔の戦の作法を堪能してみたかったんだろうなw
414 :
人間七七四年:2008/05/07(水) 22:43:21 ID:KibjnT4e
全然皮肉になってない。
415 :
人間七七四年:2008/05/08(木) 00:15:28 ID:5RWIDro/
津軽藩に伝わる卜伝流の馬上剣術に関する口伝は
「敵が多勢なれば、強いて切ろうとせず、駆け散らし、
乗りころばすが第一である。互いに馬上であれば敵を左に
うけること、右にうけては落馬すること多く、また手綱を
切られることがある。片手技であるから軽い刀を用いること
が肝要」
となかなか具体的です。
『卜伝流剣術目録』に「我分量ヨリ少シ軽キヲ用ル伝来ナリ。
変化ニヨリ片手打ノワザアル故ナリ」とあり、
卜伝流やその元である鹿島新当流には片手技が多く残されて
いることを考えると、日頃から馬上剣術を意識して片手技を
鍛錬した剣術者もいたと想像できます。
また、『卜伝百首』には
「武士の、坂と馬上にさす刀、反りをうたぬは、不覚なるべし」
とありますが、わざわざ「馬上にさす刀」と断っているからには
馬上で刀を振るうことを意識しているのは確実でしょう。
『卜伝百首』が本当に塚原卜伝本人の手によるものかはわかりませんが
鉄砲に関する歌がないことから、鉄砲が一般化する以前の作ではあるようです。
416 :
人間七七四年:2008/05/08(木) 21:06:14 ID:5RWIDro/
黄門様の件、気になったので調べてきました。
鈴木暎一『徳川光圀』(吉川弘文館)によると光圀の侍医
井上玄桐による『玄桐筆記』が出典ですね。
「兄(頼重)弟で馬を馳せ合わせながら剣術の稽古をしていたとき、
光圀はとつぜん竹刀をうち捨てて馬上の兄にとびつくと、
両者もろともに転落」し、兄の上に馬乗りになって「首かくぞ」と
脅すなどということがあり、頼重は光圀との稽古をしなくなったそうです。
巻末の略年譜によると
寛永十二年(1635)光圀八歳のときに「このころ、小石川藩邸の
桜の馬場で馬術の稽古に励む」とあり
寛永十六年(1639)「頼重、下館五万石に封じられる」とあるので
その間の出来事なのでしょう。
417 :
人間七七四年:2008/05/08(木) 22:01:46 ID:oC89Gpum
平安末期の源平合戦では馬上の討ち合いが頻繁にあったのになぁ
戦のシステムが変わると、昔は普通だった武芸でも、珍しいものになってしまうのか
418 :
人間七七四年:2008/05/08(木) 22:45:55 ID:5RWIDro/
片手剣術ということで宮本武蔵も当たってみましたが、
『五輪書』や『兵法三十五箇条』の中で
片手で刀を扱うことの効用として、やはり「馬上」を上げています。
『五輪の書・地の巻』では「太刀を両手にて持てあしき事。
馬上にてあしし。かけ走るときあしし、沼、ふけ、石原(中略)
皆片手にて太刀をつかふものなれば、両手にて太刀をかまゆる事、
実の道にあらず』と走る時や不正地にいる時、片手に物を持つ時
と並ぶ中、まず一番初めに挙げられるのが「馬上」です。
どの程度の働きがあったかは不明ですが、机上の軍学や想像で
描かれた合戦絵巻ではなく、実際に合戦に参加した人間の
言葉だけに重みはあると思います。
419 :
人間七七四年:2008/05/08(木) 23:35:54 ID:EQwufZmX
=゚ω゚) 馬上での抜刀はむつかしいと雑兵物語に有りますな。
関八州古戦録には正木大膳亮という三浦党の馬術の達者が居て
太刀は長さ4尺6寸、幅2寸の蛤刃の大太刀で片手綱で荒馬を乗り回したらすい。
国府台の合戦では馬上左右から挟まれ組付かれそうになる所を
馬を駆け退かせ。右がわの敵の甲の真ん中を打って逆さまに斬り落とし、
返す刀で左の敵の腰刀を薙ぎ払って落馬させたとか。
ホーキ流の片山久安も疾走する馬上で三尺三寸の長刀を
片手手綱で抜き頭上で振り回してから音もなく鞘に納めた
義兄弟の達人竹内久盛もまねてみたができなかったとか。
420 :
人間七七四年:2008/05/09(金) 00:46:38 ID:NHbc9ZnO
柔術の人か
421 :
人間七七四年:2008/05/10(土) 17:40:43 ID:Uam/Ahwo
小笠原源信斎の
師匠・奥山休賀斎・・・瞑想して神影流を興起
弟子1・神谷伝心斎・・・瞑想して直心流を興起
弟子2・針ヶ谷夕雲・・・瞑想して相抜けに開眼
周りの剣術家には瞑想で境地に至った人物が多いだけに、
小笠原自身も瞑想を重視したのだろうかと想像してしまう。
なんだか求道者ぽいよなあ。
422 :
人間七七四年:2008/05/10(土) 23:27:38 ID:u/ABrXC9
>>421 下世話な考え方をすると神仏への祈願や参籠は自流に神秘性を
与える目的もあると思いますが(夕雲の参禅は多分に哲学的、求道的な
面が強いですが)、玄信斎の場合は入唐して張良の子孫云々が
それに相当するので、今更瞑想等を必要としなかったのでは?
当時の人々にとって、異国の秘術という言葉は神仏に参籠して
授けられた奥義と同等か、それ以上の神秘を感じさせたでしょうし。
>>403 『夕雲流剣術書前集』に「夕雲新陰流の師は小笠原玄信、俗名小笠原上総という人にて、
秀吉公の御旗本の衆にてありし。大阪落城の後は、関東へ
はばかりて唐へわたり」とありますが活躍については記されてないですね。
423 :
人間七七四年:2008/05/11(日) 12:44:09 ID:SW26bf9W
兵法覚書と言う書には武田と徳川の間を行き来していた小笠原一族は
最後は武田方に属していた為、武田滅亡によって
家康の不興を買い唐へ亡命したと書いてあるらしい
また一説には武田滅亡後は後北条に仕え小田原征伐によって主を失い
唐へ逃れたとも言われている
小田切一雲(玄信斎の孫弟子に当たる)が書いた夕雲流剣術書前集では
>>422のレスの様に言われている
どれも時期は違うが唐へ渡った事は同じだね。
それと武田VS徳川と徳川VS豊臣には家康が関わっている共通点があるし
秀吉没後?の大阪城に疋田も入っていると言う話がどこかにあった
唐から帰国した玄信斎が立ち合ったのが疋田だったり
疋田繋がりも微妙にある
疋田といい小笠原といい家康に不興を買っている繋がりか?
疋田・小笠原を恐れた柳生の陰謀か?小説の主人公にするには打ってつけ
424 :
人間七七四年:2008/05/12(月) 22:14:21 ID:2rHPF5/y
疋田景兼は生没年が正確ではないが
大永七年(1527年)生まれで慶長十年(1605年)に
大阪城で客死したといわれる(享年78歳頃とか
少なくとも八寸の延金を身に付け疋田を唸らせたとするには
大阪落城(慶長二十年)の十年以上前に唐へ渡っていなければならない
「夕雲流剣術書前集」はここに矛盾をみる
425 :
人間七七四年:2008/05/14(水) 12:12:35 ID:8bFZs+Un
剣聖上泉より強いとされた小笠原。その小笠原に勝った夕雲。
もう夕雲が最強でいいんじゃないか
426 :
人間七七四年:2008/05/14(水) 16:14:20 ID:A+FCiFCB
夕雲と引き分けた一雲はどうなるんだw
427 :
人間七七四年:2008/05/14(水) 19:09:49 ID:QAttTbJT
一雲に二度も勝った真理谷円四郎が最強って事でひとつ
小笠原は上泉より強いと言う結論には至っていないって言うか、
上のレス見る限りじゃただの大法螺だったっぽいしなw
師匠の師匠を自分の箔付けに悪い意味で利用したのはちょっと感じ悪いな
少なくとも自分の師である奥山より強いって程度にしておくべきだろ
それで海内無双とか呼ばれてもうれしくないし
騙して3000人も集めればそりゃ優れた弟子も出てくるだろうよ
428 :
人間七七四年:2008/05/14(水) 21:13:18 ID:EKEzYohM
は
429 :
人間七七四年:2008/05/15(木) 01:03:41 ID:3/fN4IT2
=゚ω゚) まあ、源信が兄弟弟子に「オマエもう師匠より強くね?」と誉められた自慢話ていどの事でしょう。
禅とは「仏に逢えば仏を殺し、祖に会えば祖を殺して始めて解脱することを得る」ものですから
夕雲流的には流祖を捨てて、創めて自分の道統を成したと言う事でしょうね。
ちなみに神谷の直心には上泉の三学にあたる法定や西江水、丸橋、などの用語が残っており
源信自身は「真新陰流」を名乗っていたので上泉武蔵を下にはしていなかったと思います。
ちなみに夕雲流剣術書では夕雲が大悟した後、他流試合負けなし状態になり
「幸に先師の源信いまだ在世なる故に立向うて試るに八寸のかねまで打ち破り・・・」
・・・って、いったい源信は何歳だったんじゃ?
さらに一雲vs夕雲のガチバトルでは
「余(一雲)二十八歳の時初めて謁し、夕雲六十余歳。
三十三歳の時、夕雲と真実の試合を3度して3度相ぬけをし、印可となる。
その年、夕雲逝去せらる」
=゚ω゚) んー、なんつーか、師匠のみなさんかなり御高齢のようで・・・
430 :
人間七七四年:2008/05/15(木) 01:23:30 ID:zBBBoY79
じゃあ年老いて当に全盛期過ぎてても無敗だった上泉がやはり最強か
431 :
人間七七四年:2008/05/15(木) 16:19:04 ID:E1ZKMbbx
太閤立志伝における上泉の強さは詐欺
432 :
人間七七四年:2008/05/17(土) 09:58:04 ID:hoMN/Lh9
家康が、部下だかだれかから疋田豊五郎を指南役に抱えるよう推薦され、
実際に引見したところ、匹夫の剣だか雑兵の剣だかと言って却下したという話。
既に奥山休賀斎の指南は受けたことがあったのに、
奥山ならよくて疋田はアカンとは、どういうことだろう?
雑兵の剣呼ばわりしたとは、何が気に入らなかったのだろう?
433 :
人間七七四年:2008/05/17(土) 10:33:36 ID:2OjTrmqw
まず一つ目は、実力はあるものの、奥山とは同じ上泉の古参弟子
技術的には大体同じだから二人も要らないだろう。
二つ目は地元人優先、地縁血縁ガチガチの時代に上泉の推薦ならともかく
部下の推薦であっても奥山の面子が丸潰れの危険性があり、家中不和の基
自分の身辺警護も兼ねてそんな人物を傍に置きたくはない
(もし疋田に暴れられたら誰も止められないぜw
三つ目、奥山はボディーガード兼剣術師範だったが
疋田は部下が家康の武芸好きを知っているから
剣術を教えるためだけに推薦されたのでは?
家康くらいになると大将が刀を振るって戦うのはいよいよヤバイと言う時の
下策の下、逃げるには多少の腕前さえあれば十分だった。
四つ目、本人の実力は折り紙付だが偉い人を甘やかして手取り足取り
教えられるほどぬるい性格ではなかったw
駄文になったけど四つ目が当たりだと思う
434 :
人間七七四年:2008/05/17(土) 11:15:27 ID:DPXrtt/O
「家康個人の指南役」か「徳川将軍家の指南役」かでも変ってくるかもね。
家康個人は石舟斎や新当流の松岡兵庫にも起請文を書いていると思ったが。
435 :
人間七七四年:2008/05/17(土) 15:17:57 ID:2OjTrmqw
伝説の「一の太刀」を教えてもらえるなら
起請文の一枚や二枚容易いことだからねw「
436 :
人間七七四年:2008/05/17(土) 23:36:14 ID:DPXrtt/O
そりゃ家康は有馬新当流の宗家代理だしね。
437 :
人間七七四年:2008/05/23(金) 09:23:29 ID:xIdeXa5G
真剣勝負が一次史料に記述してある剣豪なんていないんじゃないか
438 :
人間七七四年:2008/05/29(木) 10:21:53 ID:A1JXF+rc
じゃあ、上泉伊勢守が試合した記録も残ってないの?
439 :
人間七七四年:2008/05/29(木) 11:26:05 ID:jpjGQkgr
戦国時代に真剣試合を記録するなんてどういう部活だよ
お前が小学2年の時に3組のヤマちゃんと喧嘩して泣かされたこともどっかに記録されてんのかよ
440 :
人間七七四年:2008/05/29(木) 18:10:12 ID:rLUrx+vU
御前試合や公開の神前試合の場合は当時の記録が有ったと思います。
あとは当時の知識階級の日記など。
オーソドックスなのはト伝ばりに表札を立て「対戦者求む!」
根岸兎角の試合ように家康まで城から見物したという記録が有るとか。
441 :
人間七七四年:2008/05/30(金) 08:34:43 ID:gOOaLcu/
天覧の誉れを受けた斉藤伝鬼坊のは、「真剣勝負」ってのとは違うんだろうね。
442 :
人間七七四年:2008/05/30(金) 18:33:20 ID:8Q6Gcvy+
真剣勝負ではなくただの御前演武でしょうな。
443 :
人間七七四年:2008/05/30(金) 20:18:35 ID:gOOaLcu/
天覧で殺し合いするわけにもいかないもんねw
御所を血で汚したら名誉どころか悪名になるか。
444 :
人間七七四年:2008/05/30(金) 22:01:55 ID:gIWU1RA2
小笠原源信斎の若い頃の足取りについては、
全く異なる記述があって、食い違うな。
まあ、俺が一次資料を読んだわけじゃないけど。
A.武田家滅亡後、北条家の客分となって小田原で過ごす。
小田原の役による北条家滅亡後、修行の旅に出る。
B.武田家滅亡後、秀吉(→豊臣氏)に属す。
小田原の役にも秀吉軍として参陣した。
大阪の陣で豊臣氏滅亡後、修行の旅に出る。
フリーになった時期に25年からの違いがあるが、
A.なら発つのが20歳前後だったわけで、
こっちの方が有り得そう・・・?
445 :
人間七七四年:2008/05/30(金) 23:15:28 ID:8Q6Gcvy+
>443
それって吉岡やん。
でも捕方を5,6人斬ったらしいけど。
446 :
人間七七四年:2008/05/31(土) 01:14:55 ID:B5Pt0JAG
そう言えば玄信斎って生没年っていつなんだ?
小笠原信興の弟とも甥とも言われているが
信興自身の生没年も良く判っていない
「北条記」には武田家滅亡後、一族は北条を頼ったとされているらしい
447 :
人間七七四年:2008/05/31(土) 02:06:49 ID:XmDwFK1l
>>446 ソースは書いてないが、『日本剣道史』の年表には寛永年間没とあるね
448 :
人間七七四年:2008/05/31(土) 13:57:37 ID:B5Pt0JAG
1624〜1643までの約20年か
針ケ谷夕雲が1662年に70余歳で没と言われていて
玄信斎没後に40歳位で(何年経ったか判らないけど)
自分の道場を構えたとあるから
1662から少なくとも30を引くと確かに丁度その頃だ
寛永元年側(1624年)に近い没年て事だろうね
>>442 紫宸殿で『三礼の太刀』を献覧した、というから演武でしょうね。
伝鬼房の天(道)流は現在は長刀で有名だけど、剣術の三礼の太刀は
伝わってるのかな?
伊藤(伊東)一刀斎て、弟子がやけに少ないな
戸田流として教えてたんかな?
まあ、本拠地の小田原が潰れたので弟子も散り散りになったんだろうね。
そのへんは小笠原や長野流(上泉流)と同じ。
小田原伝で残ったのは唯心ぐらいか?
戸田流て表記あったっけ?
鐘撒流か、富田流、あるいは鐘撒師匠が名乗ったことがある外田流かと思うけど。
本人が一刀流を名乗ったことはないという記述があって、
じゃあ誰がいつ、遡って命名したんだ、という謎がある。
外他流かもよ。
流派を広めること自体には興味がなかったとか?
ひたすら自己の強さを求めた印象がある
ひょっとしたら乱暴狼藉が過ぎて、弟子が少なかった可能性も
無きにしもあらず。
乱暴者の兄弟子に勝って印可を得たはずの小野次郎右衛門すら
性狷介という感じの人物だから、それもあるかもしれない。
もっとも夢想権之助が主役の『捨剣』という小説では、伝承とは真逆で一刀斎が本当に
二代目を継がせたかった善鬼に、乱暴者の神子上典膳が勝ってしまったから
姿を消したのだという解釈がされていて、それはそれで面白かった。
歴史なんて所詮生き残った側が作るものだからな。
小野は乱暴狼藉そのものだったな。
徒党を組んで道場破りはあたりまえだしw
458 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 20:49:48 ID:6IGPUddr
杉本備前守
いいかげんそろそろ史上最強の剣豪を決めてくれ
最強の剣豪を決めるスレじゃないぞw
小野忠明が幕府指南役に就いた経緯について拾ったら、
大雑把に三種類の話が出てきた。
1.伊藤一刀斎を招いたところ、一刀斎は辞退した。
代わりに弟子の小野忠明を推薦した。
2.小野忠明自身の武名が注目され、お声がかかった。
3.柳生宗矩が木刀で立ち合ったところ、小野忠明は薪で相手をした。
しかし宗矩は忠明にいいようにあしらわれ、力量を思い知った。
その強さに感心した宗矩が、忠明を指南役として推挙した。
1.は柳生家が幕府指南役に迎えられる経緯を置き換えた話のように見えるし、
3.は若かりし頃の忠明が一刀斎に弟子入りする経緯の逸話を置き換えたように見える。
実際のところはどうだったんだろうな。
門人の小幡の推薦が有ったからですな。
小幡は軍学者としても一流だったし、実戦派の旗本として発言力があったと思います。
時代的にも戦国風の大太刀より短い打刀の一刀流が時代にマッチすると
いち早く感じたのではないでしょうか?
463 :
人間七七四年:2008/06/14(土) 17:46:16 ID:FnYETvCu
疋田景兼が羽柴秀次の武術指導にあたっていた頃、
富田流の高手である長谷川宗喜が訪れた。
秀次が、疋田と長谷川との試合を所望したけど、
疋田は頑として断ったという話がありますね。
達人同士が戦ったら片方は負傷しそうだし、下手すれば両者とも
武芸者として再起不能になりかねない重傷を負う危険があるからと。
なんていうか、秀次は本当にそんな無思慮なことを言い出したのかな。
伝えられる秀次像って、かなり貶められたものだと疑ってたけど、
この話が本当なら、それだけで馬鹿殿認定してもいいや。
464 :
人間七七四年:2008/06/14(土) 23:59:11 ID:MZcVWgTN
ぶっちゃけ権力者にとって武芸者なんて保護するべき対象でも無いからな。
飼っておくのは見せびらかすためだから、対戦拒否られちゃ価値半減だろう。
465 :
人間七七四年:2008/06/15(日) 23:50:43 ID:Vk78nPaq
いつもの袋竹刀は使わなかったの?
466 :
人間七七四年:2008/06/16(月) 12:59:42 ID:g62I/bKX
袋竹刀じゃないから逃げたのかもな
467 :
人間七七四年:2008/06/17(火) 15:52:47 ID:VjptirCw
誰か、富田流の高門・山崎将監のいみなを知りませんか?
468 :
人間七七四年:2008/06/17(火) 16:21:27 ID:VjptirCw
すみません、自己解決(?)しました。
自分が以前に書いたメモを見つけました。
「景成」だったようです。
469 :
人間七七四年:2008/06/17(火) 18:17:53 ID:3LWm7yrf
疋田の木刀や真剣での試合って記録にはないの?
470 :
人間七七四年:2008/06/17(火) 18:40:47 ID:EOI2Nx1p
たしか細川以降の廻国時代の記録に有ったような・・・
471 :
人間七七四年:2008/06/17(火) 19:37:11 ID:VjptirCw
疋田って、細川にも関わってたの?
あの、武芸者の墓場という細川?
472 :
人間七七四年:2008/06/19(木) 15:59:16 ID:y2NKMXJq
あの細川家に逗留したことがあったが、生きて出ている。
松山大吉は・・・
473 :
人間七七四年:2008/06/29(日) 01:46:55 ID:Hvjugttr
疋田が家康に指南断られたのと秀次に剣術指南してたのってどっちが先なんだろ?
秀次が先なら「匹夫(秀次)に教えた剣なんぞ学べるか!」って解釈もできると思うんだが
474 :
人間七七四年:2008/07/11(金) 05:36:17 ID:OpqNSg73
上泉と塚原が対決したらどうかな?1対1なら塚原が勝ちそうなきがするけど。
475 :
人間七七四年:2008/07/11(金) 07:18:49 ID:HKIb3AdF
剣道の試合見に行ってもどっちが勝つか予想出来ないレベルの奴が
400年以上前の人間の勝ち負けの予想なんて出来るわけねーだろ
476 :
人間七七四年:2008/07/13(日) 14:12:26 ID:g+IL8CsY
>>473 本当の話なのかも疑わしいからね
疋田って大阪城で客死してるらしいから
徳川で断られて恨み殺生関白がいた豊臣へって感じ?
ま悪しゅうござると言われた柳生さんが流した風説だと思うけど
477 :
人間七七四年:2008/07/14(月) 19:25:39 ID:NrsqUAfg
疋田が研究を重ねていた武術というのは、
合戦の矢面に立たされる、文字通りの足軽が生き残るための戦闘手段だということです。
家康が求めたのは剣客同士の決闘にあるような、
布服での剣術における強さと格好良さを重視したものであり、
疋田流の個性は必要なかったということでしょう。
478 :
人間七七四年:2008/07/15(火) 00:04:28 ID:Sw54Fc4B
家康は海道一の弓取りと言われ武芸、射撃、馬術の達者だったけど
危険な場所では馬を降りて家臣に背負われて渡河した。
それを観て多くの諸将や兵は笑ったと言うけど一部の名将は「さすが家康」と感心したと言う。
これが匹夫と大将の格の違いだね。
479 :
人間七七四年:2008/07/15(火) 12:38:34 ID:Za0MF8IO
その種の逸話は、いらざる危険に挑むことなく慎重に身を慎むことの教訓として引かれるが、
身を委ねるべき家臣の選定の誤りによっては無用の共倒れを招くことを考慮すれば、
むしろ人材の目利きにこそ重要な点があるといえよう。
480 :
人間七七四年:2008/07/15(火) 18:15:31 ID:Sw54Fc4B
>人材の目利き
居合の祖といわれる田宮も、似たような事を言ってるな。
人を使う様に刀を選べ。使いづらき人を使いにくい刀を使うように使いこなせ。だったかな?
481 :
人間七七四年:2008/07/15(火) 22:39:08 ID:o0fFaEs6
柳生十兵衛が小野次郎右衛門に刃が立たず弟子入りしたみたいな
話があるけど、何かしらの史実の裏付けってあるのかな?
482 :
人間七七四年:2008/07/15(火) 23:59:38 ID:Sw54Fc4B
弟子入りしたのなら門人の記録に有るはずだ。
それが無いなら無かったと言う事だろうね。
ただ、武道の後輩として個人指導や武道談義ぐらいの薫陶は受けたかもね。
それに尾張柳生家と小野家って縁者ではなかったか?
483 :
人間七七四年:2008/07/16(水) 02:02:52 ID:Tad8ssOO
名声の柳生・実力の小野といった類の風説は他にもあったな。
出典は忘れたが、ひどいのになると但馬守親子と門弟が集団で小野に
かかったのに返り討ちにあったとかあったはず。さすがに史実ではないだろうが
こうした風説を許す世評はあったのかも。
484 :
人間七七四年:2008/07/16(水) 12:44:47 ID:EdLabgfH
>>481 柳生十兵衛が負けたという話は「一刀流三祖伝」の記述が広まったり、脚色されたもので元の内容はこんな感じ
小野が但馬守に腕前を見せろといわれて柳生屋敷にいったら十兵衛と戦うことになったが
十兵衛は小野の隙のなさに打ち込むことすらできなかった。
次に木村助九郎、村田与三、出淵平兵衛が3人でかかったがあっけなく返り討ちにあった。
その場に兵庫助も居合わせたが但馬守に制止されて立会わなかった。
小野と40歳以上年が離れている十兵衛が真剣に立会ったとも考えにくいし、但馬の屋敷に兵庫が居たってのも微妙
そもそも但馬が小野に喧嘩売るとは思えないw
485 :
人間七七四年:2008/07/17(木) 17:29:27 ID:5UAKRIQe
『一刀流極意』には小野が火のついた薪で但馬守を一方的に打ちまくって
身体中を火傷させたなんて話もある。まあ、この『一刀流極意』は
開祖一刀斎先生が塚原卜伝や上泉伊勢守に勝った話も載せているので
信憑性は各々の判断にゆだねます。
486 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 00:12:34 ID:e9zn+g3D
流派としては間違いなく古い部類に属する香取神道流だけど、
あの二刀流は武蔵の二天一流系以前からあったのだろうか?
487 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 00:45:29 ID:eAORxhsW
個人的な見解だが香取流の両刀は両手小太刀的な遣い方に思えるねぃ。
攻めの強い二天一流とは根本的に異質に見える。
二刀自体は鹿島新当の伝書にも有るから、たぶんそれ以前から有ったと思う。
488 :
人間七七四年:2008/07/22(火) 22:48:50 ID:viz9OwX/
天真正伝香取神道流は日本剣術三大源流の一つ……
とはいうけれど、今行われている組太刀はかなり後の時代のものだよね
489 :
人間七七四年:2008/07/24(木) 00:33:46 ID:ebUp369G
香取は伝書内容と形が一致しているし他の鹿島系剣術にも同様の技法が有るから
あれはあれでOKだと思うが?
後の時代のものというソースは何でしょ?
490 :
人間七七四年:2008/07/24(木) 01:49:21 ID:JB2Jev9P
同系の鹿島新当流の古臭い(失礼)型と見比べれば一目瞭然では?
491 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 00:39:40 ID:mmSIaxMt
新当流と見た目で比較しても意味は無いですよ。
柳生と直心とタイ捨を見比べて新旧を空想するようなものです。
技を盗まれないために形を速く使ってるだけかもしれませんよ。
492 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 02:51:52 ID:4xIK1jpv
伝書内容と言ったって、単に型の名称と一致してるくらいじゃ
中身の詳細な動きまでは判らないからね。
新しく創作されたものというよりは、元の型を改変して現在の形になった
という事は十分にあり得るのではないだろうか。
まあ、500年以上の歴史があるんだから、何も手が入ってない訳ないって。
493 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 09:55:54 ID:tIstRQyO
技の内容も書いて有るでしょ。
表之太刀
一、五津之太刀
敵、陰構。此方清眼にて二振巴に斬り左足より二足出して突き、真甲へ斬り付くる。
敵払へ除け打つを小霞に受け・・・長いので略
陰ノ構や大霞の突き出し、小霞の受け、鳥居からの変化とか
後の流派に取り入れられてる技も多いと思うけど?
新当流や新陰流の体捌きや裏の砕きを含めた詳細な動きと比較してみればわかると思うよ。
494 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 14:10:04 ID:4xIK1jpv
その伝書は、上泉伊勢守やト伝の時代に書かれたものなの?
495 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 19:52:16 ID:VIcz3QQM
介者剣術の膝を曲げ身を沈めた姿勢でなく自然に直立した姿勢を取っていること、
兜が邪魔で振りかぶれないために使われる『巻き打ちの上段』(剣道の担ぎ面)
以外にも真っ向に振りかぶった面打ちもある点で明らかに後の時代の
手直しが入っているな。
496 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 19:58:58 ID:VIcz3QQM
まあ、それを進化とするか改変とするかは部外者がどうこういう
問題じゃないのだろうな。個人的には古い時代のものがそのまま受け継がれずに
途中の時代に大きく変えられているのは悲しいが、時代のニーズが
変わることや剣術が伝統芸能ではなく実用性を求められるものだから
仕方がないのだろう。
497 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 23:49:46 ID:tIstRQyO
>>495 頭上から真向って居合の事?
巻き打ちは兜じゃなくて前建ね。兜をかぶっても雷刀はとれるよ。
いかにも介者剣術な新当流にも頭上に取って流す形が有るけど
あのていどのかぶりはできる。
素肌剣術の場合、香取は身は沈めないと学研の本にも有る。
ト伝流もつっ立ってるし不思議ではないと思うけど。
498 :
人間七七四年:2008/07/27(日) 16:50:27 ID:DSUqBOAR
技術とかよくわかんない俺が専門家の受け売りで結論
今村嘉雄・編『日本武道全集』より
『どの流派にも時代に応じた発展があるのであって、新当流、神道流も
例外ではない。(中略)歴史的な目でみれば、源流、中流、末流そのすべてが
その流派の姿である。
前掲の道流でも明らかなように、飯篠長威斎家直の神道流は、有馬流、新当流
として発展するのであって、神道流の原形は江戸時代中期以後になっては
そのあとをとどめないまでに変わったといってよいだろう』
499 :
人間七七四年:2008/07/27(日) 21:46:54 ID:O1AypYNT
・・・そうすると
今村嘉雄・編『日本武道大系』より
『夫れ神刀流は儒者道の根源・・・と神儒習合とうたっていることでも理解できよう。
しかし(神道流の)構えや刀法、その他武器の操法についてはおおむね伝統によっている。』
↑技術が伝統にのっとってるという専門家のお墨付きということになっちゃいますけどね。
500 :
人間七七四年:2008/07/27(日) 22:47:56 ID:DSUqBOAR
それでいいんじゃないの?伝統的なエッセンスを活かしつつ
時代に合わせた正統進化ってことでしょ。
逆に何か問題があるのかな?
501 :
人間七七四年:2008/07/30(水) 10:54:59 ID:ayt6JxYS
柳生宗冬って弱かったの?
502 :
人間七七四年:2008/07/30(水) 15:31:02 ID:SpPYRI/x
連也斎と比べれば
503 :
人間七七四年:2008/07/31(木) 04:07:00 ID:DmGSpGL5
>>501 大器晩成型と言われてますが、父の但馬守はおろか沢庵にまであしらわれたという話があるくらいなので
才能に恵まれていたとはいい難いのではないでしょうか
504 :
人間七七四年:2008/07/31(木) 22:40:20 ID:4eLAi2LL
逆に沢庵和尚の腕前が気になるな。
505 :
人間七七四年:2008/08/03(日) 21:50:02 ID:VW81c9Y9
沢庵強すぎだろ
506 :
人間七七四年:2008/08/04(月) 01:18:16 ID:qyoxV9Ou
沢庵は息子の十兵衛の素行の悪さを嘆く宗矩を、父親のお前の素行が悪いせいだと手紙でたしなめたって話もあるね
剣の腕前はともかく、漢っぷりというか人間としての器のでかさは相当なもんだったんだろうね
507 :
人間七七四年:2008/08/15(金) 09:40:57 ID:NTTUIg1l
南北朝時代に頻発した、街中や家屋で起きたゲリラ戦のために
携帯しやすく小回りの利く「剣」が重宝されるようになり
流派の誕生に繋がったのではないか……と山田風太郎の『忍法創成記』にありましたが
この辺りどうなんでしょうか
理屈としては「なるほどなぁ」という感じなんですが
508 :
人間七七四年:2008/08/25(月) 11:54:05 ID:dzm7bEvI
愛州移香斎が明の御林軍に陰流を指南したとウィキペディアにありますがどうなんでしょう
旧来の解釈を覆す資料が見つかったのでしょうか?
509 :
人間七七四年:2008/08/27(水) 19:20:36 ID:fdWAifqO
それどころか愛洲氏は倭冦とは関係ないなんて話もあったような。
510 :
人間七七四年:2008/08/28(木) 00:13:40 ID:XATk0/j4
そもそも移香斎倭冦説ってのも、愛洲氏が海賊・倭冦を多く生んだ伊勢国が
本拠であることと、武備誌に陰流の伝書が載っていることから
推定されているだけで、それ以上の根拠ってないでしょ?
なのにそんな話や果ては移香斎が明から持ち帰った槍なんてものまで
存在する不思議w
511 :
人間七七四年:2008/08/29(金) 05:29:03 ID:kivwdFXp
512 :
人間七七四年:2008/08/29(金) 19:51:55 ID:kivwdFXp
ツッコミどころは多々あるけど、もう少し詳しく調べてみないとなんとも言えないなー。
そういえば、刀の鞘が上下逆になったのっていつ頃だったんでしょうかね?とか。
513 :
人間七七四年:2008/08/31(日) 22:38:09 ID:5ddntN5O
>>510 >移香斎倭冦説
強い奴と言えば倭寇、という当時の通念が痛快じゃないか。
容赦なく侵掠し、バッタバッタと斬り倒して回るのが強さ、と正直に捉えてた訳だ。
514 :
人間七七四年:2008/09/01(月) 18:53:45 ID:y43DpQoK
>>513 当時?説が出されたのはかなり新しいと思うが。
515 :
人間七七四年:2008/09/04(木) 04:39:50 ID:8d/OONsi
何であの構え方をハッソウというのだろう?
516 :
人間七七四年:2008/09/05(金) 18:18:06 ID:FDgwwY5d
で、結局の所、愛洲移香斎が明まで行ったかどうかよくわからないw
遣明使節の坊主の日記とか明朝の実録(大明憲宗純皇帝実録)とか明の士大夫の日記をソースとしているのなら話しは簡単なんだけど・・・。
ちなみに、明の正使が伊勢の辺りをうろつくのは至極当然の事。
これは「徐福伝説」に由来する。
徐福が日本に到来したのは秦の焚書坑儒の前で、日本には焚書坑儒で失われた尚書(儒教の古典)が残されているという伝説が支那に残っていたから。
(欧楊修「日本刀歌」や明の洪武帝と絶海中津の詩のやりとりからもそれは伺える。
江戸時代の朝鮮通信使節も熊野や伊勢の近辺を探索しているのが確認されている。)
つまり、明の使節があの辺りに来たとしてもなんら不思議は無いって事。
Wikipediaの記述は、話しとしては面白いが決定打は無いと思われる。
(明確なソースを求む。)
517 :
人間七七四年:2008/09/27(土) 19:17:12 ID:qhqIrF4e
最強剣豪の流れ
【塚原卜伝】真剣勝負は十九回
↓
【上泉伊勢守信綱】☆歴代最高剣豪
↓
【丸目蔵人】上泉伊勢守信綱の最強高弟
↓
小野忠明・東郷重位
518 :
人間七七四年:2008/09/27(土) 19:35:12 ID:UHjXd7CY
どうして丸目を持ち上げたいのか判らんがsageろよ・・・
519 :
人間七七四年:2008/09/27(土) 21:05:14 ID:qhqIrF4e
>>518 歴代の系譜よ。
剣聖上泉亡き後は四天王で傑出して強かったといわれる丸目にバトンで順当。
520 :
人間七七四年:2008/09/27(土) 21:17:38 ID:q2E7kNJ6
幕末の千葉さんよりつおいの?
521 :
人間七七四年:2008/09/28(日) 01:33:22 ID:/KG2t/ew
>517
現代人だと甲野さんみたいに真剣勝負の回数で判断しがちだけど
順番から言えば戦場で手柄をたてた回数>真剣勝負だろうね。
これは宮本武蔵も戦場での働きを第一にしているので、真剣勝負はその下だね。
大胡武蔵はあの時代に剣の法統という思想を持ってきた部分がト伝より一歩進んでるかな。
武技も僧に化けて篭り者を手捕りにしたり石舟斎をやわらかな太刀遣いで圧勝してしまう
ところが新しい無刀の境地だ。
522 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 20:43:44 ID:agxBeraX
剣聖上泉伊勢守 生誕500年!おめでとう☆
523 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 21:03:09 ID:/bTr/PRt
500歳おめ!
524 :
人間七七四年:2008/10/02(木) 22:18:20 ID:NwWF2VZF
伊東一刀斎の実力ははなはだ疑問。
弟子も少ないうえ当時のメジャー団体の新陰流には喧嘩は売れなかったのか?
33勝の中身はどんなの?
525 :
人間七七四年:2008/10/02(木) 22:33:36 ID:Rlpc3Agv
実在も疑われているからな
>>517 丸目が最強高弟とかありえんわw
526 :
人間七七四年:2008/10/02(木) 22:49:20 ID:rwsEgWbc
>>525 丸目じゃなけりゃ誰?
石舟斎とか言ったら笑うよ
527 :
人間七七四年:2008/10/02(木) 23:03:09 ID:9SBuyl2T
やりようによっては武芸十八般別番付とか、武芸十八般総合番付とか
いろいろやれたかも知れん。平和な世なら。
鎖鎌術関脇とか。
528 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 02:31:54 ID:+NpeQ2Rw
525ではないが、丸目じゃなけりゃ疋田かなぁ。
真剣や棒の相手に撓1本で勝利しちゃうのはやっぱすごい。
石舟斎も疋田に3年ぐらいしごかれたくちだし弱いとは思えない。
529 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 07:56:24 ID:mhYv+bP6
弟子の最強は四天王の丸目だったというのが定説。(つまり疋田より強い)
「天下一兵法者」の高札を京の清水寺など三ヶ所に立てて堂々と挑戦者を募ったり、
その後のタイ捨流の繁栄ぶり(薩摩までタイ捨流)をみるとわかる。
530 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 20:13:07 ID:IGn0SRT/
定説って勝手に作れるものだったんだ
531 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 20:16:59 ID:pFcz+0GQ
上泉信綱の子孫が明治に海軍中尉になってて、無礼な海軍大臣の息子をぶん殴って小便ぶっかけたって話は
ちょっと面白いw
532 :
人間七七四年:2008/10/04(土) 04:07:13 ID:qNk8nw9E
>薩摩までタイ捨流
そのお強い丸目さんの流派があっさり示現流にとって代わられる訳ですが。
533 :
人間七七四年:2008/10/04(土) 13:53:18 ID:DxGiP4mk
さらに優れてただけでは
534 :
人間七七四年:2008/10/04(土) 15:56:57 ID:7ofce2vx
脳筋の薩摩っぽには示現流の方が分かりやすかったんだろうww
535 :
人間七七四年:2008/10/04(土) 17:41:22 ID:AO50Sq10
武将としては有能ではなかったようだな、丸目。
536 :
人間七七四年:2008/10/04(土) 21:14:37 ID:ISxkZKhn
示現流にとってタイ捨流も含めて他流派は、左肘の使い方を知らず剣速の遅いダメ流派だしなあ。
537 :
人間七七四年:2008/10/04(土) 23:10:20 ID:UY0BOvP2
>>532 そのタイ捨流から示現流に変わるきっかけになった御前試合だが東郷の相手はタイ捨流師範の東権右衛門正直ではなくて指南役で息子の東新之丞。
東新之丞がタイ捨流のランキング的には何位ぐらいの実力だったかは知らないが、この二人の勝負はなかなか決着がつかず、四十七回も立合ったとも、どちらも構えて2時間動かなかったともいわれている。
東郷としては自らも修得して知り尽くしているタイ捨流、策は完璧に練っていた筈、勝っても不思議じゃない。
538 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 02:05:41 ID:MFwrHLid
ひき田景兼はどう?信綱の弟子やったし
539 :
人間七七四年:2008/10/07(火) 09:55:53 ID:2G18pDjd
東郷重位に試合に来た柳生の高弟2人ってどの程度の門徒?負けて試合後の入門願いもシナリオ通りのスパイ活動か?…
540 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 05:33:29 ID:I+yYNI+E
入門願いをしたが間も無く死んだとかじゃなかった?
541 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 20:54:24 ID:gkzYZbev
東郷重位は藩内ローカル剣豪?実力がはっきりしない…示現流信者はいつも東郷最強!とか言いきるだけじゃなくて説得力のある話を載せてくれ
542 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 21:37:56 ID:UT4iOuiN
薩摩島津が勝てなかった武将が立花。
立花といえばタイ捨流だな。
543 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 21:49:58 ID:gkzYZbev
そう!【立花宗茂】タイ捨流免許皆伝!!
544 :
人間七七四年:2008/10/17(金) 06:41:30 ID:RyosYl70
コロッセウムでも生き残れそうな剣豪っているの?まぁ軟弱な日本人じゃ無理か
545 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 13:55:16 ID:tbphVkI3
剣豪が強いに決まってるだろ!コロシアムは罪人同士だぜ、レベルが違う。
546 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 14:09:58 ID:N3gN1A6h
グレーシーや山本キッドだってそんなに大きいわけじゃないから
体格差はあまり関係ないよ。たぶん。
本多忠勝だってふつうの体格だし。永倉新八は小男だったとかいううわさ。
547 :
人間七七四年:2008/10/23(木) 09:46:59 ID:eNSHfyDF
薙刀の剣豪って言ったら穴沢盛秀以外にいる?
548 :
人間七七四年:2008/10/25(土) 20:32:28 ID:fNKEkwoD
549 :
人間七七四年:2008/10/25(土) 22:39:06 ID:EhpGkU4B
生涯成績2敗全勝のひでをちゃん。
中山博道すら二刀使っても勝てなかったという噂。
550 :
人間七七四年:2008/10/26(日) 06:35:41 ID:OTli2gVH
ヤッターマン82話に「塚原ボケ伝」っていうふざけたキャラが出てくる…。
551 :
人間七七四年:2008/10/26(日) 11:36:26 ID:7HcPx4Sh
でもまあ、じっさいト伝の逸話は無手勝流とかとぼけた味が有る。
552 :
人間七七四年:2008/10/27(月) 18:11:18 ID:KQECeLqd
>>549 中山博道すらっていうが、中山ってそんな強かったか?
単なる重鎮だろ
553 :
人間七七四年:2008/10/27(月) 18:37:01 ID:s1z8lSfb
いや、強かっただろ。
じっさい稽古つけてもらった爺さんたちに聞くと
打ち込んだ時にはもうその場に居なかった、見えなかったって言ってたよ。
ウチの師匠も有信館内弟子の中島五郎蔵と稽古した時も同じ事を言ってた。
むちゃくちゃ足使いが上手いらしい。
昔は居たんだねそんな剣道家が。
554 :
人間七七四年:2008/10/27(月) 21:13:55 ID:eMRRaHni
お兄さん
555 :
人間七七四年:2008/10/27(月) 21:18:04 ID:RdhqK2Ln
なぁに
556 :
人間七七四年:2008/10/27(月) 21:37:57 ID:KQECeLqd
>>553 そりゃ剣道界の重鎮ていえば強くて当然だが、そのくらいの達人なら現代でもざらにいるだろ
聞いているのは上泉信綱や男谷信友のような剣聖と呼ばれる程のものだったかという事
557 :
人間七七四年:2008/10/27(月) 22:10:57 ID:cR79XhVG
上野一番槍の上泉伊勢守に比べれば、男谷も竹刀試合の名人という程度だが。
558 :
人間七七四年:2008/10/27(月) 23:22:46 ID:s1z8lSfb
BJJとK-1ではどっちが強いか?みたいなもんだな。
べつに中山博道と大胡武蔵を比べる必要も無いだろ。
現代でもざらにいる他流試合OKの剣道界の重鎮で達人って誰のことさ?
559 :
人間七七四年:2008/10/28(火) 01:58:38 ID:DbO9dnsu
お隣のクムドにすら負けてる現代剣道に達人なんていないだろ
>>558 フランス外人部隊と自衛隊を比べるようなもんだからな
560 :
人間七七四年:2008/10/28(火) 08:56:56 ID:bm4HzsDN
薙刀は江戸時代主に女がやってたからね。でも男がやってたらやはりもっと強い達人がいたのだろう
戦国時代〜江戸初期なら薙刀も女の武芸って訳ではなさそうだし、
剣術の上泉、塚原、柳生、槍の宝蔵院みたいな薙刀における剣聖ってのもいたのでは
561 :
人間七七四年:2008/10/28(火) 12:18:31 ID:w/Yr4whB
薙刀なんてどの流派にも数手ぐらい有るよ。坂本竜馬とかも長刀だな。
上泉、塚原、は香取、鹿島の、柳生は棒庵、穴沢の長刀をやっていたと思う。
長尾俊久が警視庁に乗り込んだときは川崎に面をとられ負けている。
園部ほどではなかった。
562 :
人間七七四年:2008/10/29(水) 21:27:43 ID:qR/LLkiP
穴沢盛秀や梶原長門は園部秀雄より強いだろ
563 :
人間七七四年:2008/10/30(木) 18:12:16 ID:qjzvOoXC
「長門が長刀、鍔もとより一尺ばかりおいて二つ切り落とされ」
というに長刀の刃を切り落として勝ったようだが、実際こんな勝ち方は
できるものなんだろうか?
564 :
人間七七四年:2008/10/30(木) 19:48:35 ID:u6Dm/1Qf
刀で槍や薙刀などの長物と戦うのは不利と言われているけど
柄の部分まで鋼で出来てる訳じゃないもんね
刃の分部を無くしてしまえばちょっと長い棒だもんねw
まあ普通は頭で判っていてもできる事じゃないよね
さすが剣聖!それを熟知した上で平然とやってのける
そこにしびれる憧れるぅ〜
565 :
人間七七四年:2008/10/31(金) 00:37:07 ID:W7Q+Wwzz
塚原卜伝と上泉伊勢守という二人の剣聖の師である松本備前守こそ最強の剣聖ですね
566 :
人間七七四年:2008/10/31(金) 00:52:42 ID:b7S7S4EN
実在は確かなんだろうけど、実像のよくわからない人だよなあ。
名前も政信だったり尚勝だったり政元だったり。
567 :
人間七七四年:2008/10/31(金) 06:40:07 ID:ryPsdaLy
苗字が杉本だったりとかねw
568 :
人間七七四年:2008/10/31(金) 10:37:30 ID:tMpUUHuD
関東八流って、新当流、香取流、鹿島神流が今に伝わってるけれども、他の
流派はどうなの?
ひょっとして失伝しちゃった?
569 :
人間七七四年:2008/10/31(金) 17:01:37 ID:b7S7S4EN
失伝どころか『神力流』だの『日本流』だのの流派が実際にあったのかがまず問題だが。
570 :
人間七七四年:2008/10/31(金) 18:39:02 ID:1dcsu3Gf
鹿島七流は流派というより鹿島の神人の事だな。時代もバラバラだし後づけかもね。
香取神力流ならたしか伝書が有る。中身はふつうに香取神道流だったな。
鹿島神流は直心影流の別名でもある。(神流では直心を師範家としている)
571 :
人間七七四年:2008/10/31(金) 23:44:21 ID:W7Q+Wwzz
直心影流って
初代・松本備前守
二代・上泉伊勢守
十三代・男谷精一郎
と剣聖のオンパレードだね
(松本と上泉は後世の後付けだが)
572 :
人間七七四年:2008/11/03(月) 00:06:56 ID:SX1wceZZ
小笠原、奥山、疋田、神後で序列を付けるなら?
573 :
人間七七四年:2008/11/03(月) 01:34:23 ID:JEP0o+iE
ま〜た奥山とその弟子の小笠原を持ち出すアホが帰ってきたw
574 :
人間七七四年:2008/11/03(月) 01:42:44 ID:zvtbvnVH
格付けするには資料が少なすぎるな。
・奥山→小笠原の師。戦場で野戦の達人家康に見出され即入門。
・小笠原→上泉一門最強の声も有る。神谷伝心も元は弟に負けて入門。
・疋田→撓1本で棒や木刀相手に他流試合をこなす。石舟斎を手取り。たぶん無敗。
・神後→わからん。
575 :
人間七七四年:2008/11/04(火) 01:12:45 ID:gELDmnoh
戦国時代の剣豪十傑
松本備前守
塚原卜伝
上泉伊勢守
疋田豊後
柳生石舟斎
丸目蔵人
東郷重位
富田重政
伊東一刀斎
小野忠明
異論、訂正のある方はどうぞ
576 :
人間七七四年:2008/11/04(火) 01:18:42 ID:0ChNNwhz
アハハ〜うちの先祖入ってる!
577 :
人間七七四年:2008/11/04(火) 13:27:28 ID:Sl0UPMwY
小野とか東郷って戦国時代か?
578 :
人間七七四年:2008/11/04(火) 13:49:15 ID:+QYdGzY3
戦国時代の定義は?
大坂の陣終結まで?
579 :
人間七七四年:2008/11/04(火) 21:47:19 ID:pnWjwYq/
神子上は関ヶ原遅参の上田合戦で槍で戦って一応目立ってはいたようだ。
もっとも敵に攻め押されて逃げ帰ってたような気がする。
戦国剣士としては大阪陣7人斬りの宗矩の方がまだましだな。
580 :
人間七七四年:2008/11/05(水) 19:49:07 ID:QXyZDRro
応仁の乱から大阪夏の陣までが戦国でしょう
でその間の実力で戦国の剣豪十傑を決めるべき。戦国生まれでも江戸時代(1615年以降)になってから剣豪になったってのは無し
581 :
人間七七四年:2008/11/05(水) 19:58:38 ID:POC5dteM
582 :
人間七七四年:2008/11/05(水) 20:51:02 ID:DPleShCh
斎藤伝鬼坊
強かったかどうかはともかく、
武芸で身を立てていた上、知名度があって目立っていた。
まさにプロ。
583 :
人間七七四年:2008/11/05(水) 21:50:43 ID:QXyZDRro
>>581 異議なし
勢源より重政の方が強いと思うが、名人越後は戦国というより江戸の剣豪だろうね
584 :
人間七七四年:2008/11/05(水) 23:20:51 ID:USgDupXT
本来は信長上洛までが戦国時代でそれ以降は織豊時代。
信長上洛以降も群雄が割拠していた事を鑑みても精々秀吉の天下統一までだろう。
とは言え、それじゃあ面白くないんで大坂の陣までって事で。
585 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 14:14:27 ID:YAQ42RwJ
織豊時代というのは、室町時代とか江戸時代といった、
代行政権の所在がどこ(誰)にあるかの区分の便宜の一つだと思ったが
586 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 18:13:51 ID:3m6rjyO3
剣聖は四人だけ
松本備前守
塚原卜伝
上泉伊勢守
冨田勢源
587 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 18:42:57 ID:oFveNHWE
足利義輝はどう?
588 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 22:25:09 ID:3m6rjyO3
足利義輝は「剣豪」将軍
北畠具教は剣豪大名
589 :
人間七七四年:2008/11/07(金) 01:23:01 ID:eQDcB6mV
>>585 戦国時代がそれらから全く独立した時代区分だとでも?
590 :
人間七七四年:2008/11/07(金) 11:57:26 ID:enKFuWCC
「ウェイトレスさん、このメニュー表にあるカルネクルダとかいう料理なんだが、これは肉料理ですかね?」
「いえ、それはイタリア料理です!」
「…」
591 :
人間七七四年:2008/11/07(金) 21:56:57 ID:v5Gg7nlA
剣聖剣聖しつこい人がいるな。そんなにその言葉が好きなのか?
592 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 12:54:09 ID:u/GPWyiY
ファイブスターが好きなんだろ
593 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 13:15:28 ID:Xtj6Swj8
剣聖というか松本備前守にこだわってるみたいだな
594 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 13:55:57 ID:iv9f9Jwh
以前、偶然目にしたテレビ番組のこと、
レポーターが柳生の郷を訪れて古流を伝える老人に話をうかがった。
「剣豪・柳生宗矩から伝わる〜」と切り出したところ、老人が口出し。
「剣豪ではありません。剣聖です」
誰が誰を剣聖として認知しようとも、別にいいんじゃね?
そんなものは任意で。
595 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 14:08:55 ID:5L1NRbr8
>柳生の郷で古流を伝える老人
誰?・・・ 尾張の柳生厳周さんが当地を訪れ演武したさいには
まともな新陰流は伝わってなかったし、教えてくれと言われたけど
そのまま帰ったとか厳長さんの本に書いてあった気がする。
まあ、宗矩は記録を読む限りでは当時トップクラスの剣豪だったとは思うが。
596 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 14:21:05 ID:iv9f9Jwh
柳生新陰流の宗家じゃなかったと思うが。
単に古流(中身不明)の稽古を続けていて、若い連中に指導しているという様子で。
番組の狙いは、柳生の郷は住民レベルで古流剣術に熱心だと紹介することであって、
江戸剣術指南の祖も当地出身だと伝えたかったのだろうけど。
取材相手の老人がまた、熱烈な宗矩ファンだったらしい。
597 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 15:24:40 ID:ox8ob0qa
ハンターチャンス
598 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 16:42:25 ID:5L1NRbr8
ゴールデンハンマーは村田柳生だったかな?
「剣は難しくてとても継げなかった」とTVで語ってた気がする。
599 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 13:49:56 ID:wNU6mZsG
富田流の勢いがあった時代、特に傑出した三名の門人、
山崎左近将監景成、長谷川六左衛門宗喜、鐘捲自斎をもって、
「富田三家」と呼ぶとのことです。
彼らと同世代にあたる富田重政は入りません。
なぜなら、重政は富田流の正統後継者になったからです。
上泉四天王に柳生石舟斎が入らない理由も同じでしょう。
新陰流の道統は石舟斎に継がれ、柳生新陰流が同系流派の幹と見なされたからでしょうね。
特に太い枝を四本数え上げる際には、幹を勘定に入れないわけです。
というわけで、上泉四天王は大体のところ、
疋田・神後・奥山・丸目の四名でいいのではないでしょうか。
場合によって、疋田以外の三名のいずれかが他者と入れ替わることもあるでしょう。
そこはケースバイケースで。
600 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 21:32:19 ID:X4qTvFTr
石舟斎が新陰流の正統というのは柳生以外の系統も認めていたの?
601 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 22:34:52 ID:SrCf6elc
一国一人の充可をどう解釈するかで変わってくるな。
目録技数が一番多いのが柳生。特殊なのが丸目。
目録、印可者は上泉秀胤、宝蔵院、神後らに始まり坂田、鈴木、西、駒川、蒔田・・・
表太刀燕飛、三学、殺人刀、活人剣などは共通だが
時期や人物によって内容はそれぞれ違っている。
602 :
人間七七四年:2008/11/10(月) 18:46:00 ID:hONtSIZ7
友松偽庵の事跡って、謎ですね。
馬庭念流を通してでしか、記録が残ってないのかな。
樋口家に念流を伝授するきっかけができた時には医師として身を立てていたようで、
樋口又七郎のような熱心な弟子ができなかったら、念流は失伝していたかもしれない。
偽庵自身は折角身につけた念流を広めることには興味なかったのかな。
603 :
人間七七四年:2008/11/10(月) 18:57:58 ID:DypLapS3
無名で終わった剣豪なんてざらに居たと思うよ。
たまたま事件や戦闘で名を上げた人も居るし落とした人も居る。
604 :
人間七七四年:2008/11/10(月) 23:20:24 ID:sRysEovW
要するに上泉から「印可」を受けたと言うことは
同等かそれ以上と上泉が認めたと言うことであるはず
つまり上泉新陰流専門学校を卒業して新陰流講師の資格を得たと言うこと
卒業生は何歳から始めても何時入学しても何年掛かって卒業しようとも
上泉校長から認められた卒業生
変わって柳生さんがもし道統を譲られたとすれば柳生を冠することなく
ただ新陰流で良いわけでしかも上泉門下の門弟はその時点で
柳生さんの門弟にならなければならない
でも実際はそれぞれが一流一派を立ち上げている
ということは、新陰流を会社に例えると
社長が交替したからと言って(創業者上泉→二代目石舟斎)
会社の重役(上泉の高弟達)が
みな独立して自社(自流派)を立ち上げる訳ではない
と言う事ではないだろうか?
605 :
人間七七四年:2008/11/11(火) 12:36:10 ID:yiWGhGU4
石舟斎は新陰流としか名乗っていなかったと思うが
606 :
人間七七四年:2008/11/11(火) 18:39:51 ID:ClPHXxAK
疋田も新陰流としか名乗っていなかったような・・・
607 :
人間七七四年:2008/11/11(火) 21:48:10 ID:bzDstNxB
って言うことはどっちかが正統って事?
608 :
人間七七四年:2008/11/11(火) 21:54:18 ID:9TeRjA6y
『疋田陰流』ってのは後代の人間(山田浮月斎?)がつけた名前なんだっけ?
609 :
人間七七四年:2008/11/11(火) 23:01:59 ID:ClPHXxAK
目録名が「新陰流」「神影流」で、通称が疋田流、神後流、柳生流だったんじゃまいか?
たぶんどれもシンカゲ流。
直心影流の場合は、もともと鹿島神流で、伊勢守は鹿島神伝神陰流だと言うね。
610 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 13:03:58 ID:kbJGtjM1
上泉信綱の息子・秀胤は新陰流を習得したけど、
秀胤は何故か、自分の息子に新陰流を伝えなかった。
だから上泉の家系では、すぐに新陰流宗家として機能しなくなった。
秀胤の息子・義胤の生年から推測するに、
上泉家における新陰流は絶やすとする意思を表明したのは1610年前後かな。
じゃあ新陰流宗家は誰の門にしようかということになると、
当時既に柳生宗矩が将軍家指南役という重鎮な上、実際栄えてるし、
柳生門が宗家ということでよくね?
って、俺が当事者だったら思うだろうな。
611 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 17:37:28 ID:snF3Tknj
尾張藩に柳生のコネで就職した上泉家の人間がいたはずだが、
その辺が案外キーかも。
612 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 19:13:33 ID:3oQ1P1Mz
上泉孫四郎な。
尾張夢想流居合の宗家だけどちゃんと剣術も柳生家に伝えているよ。
柳生連也は子供の頃この人から新陰の指導を受けた。
613 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 18:31:44 ID:Ys4I+79F
柳生但馬守も剣聖でいいと思うよ。
こと強さという点では、同年代の伊藤一刀斎や小笠原源信斎に
及ばなかったとは思うけど、単純な強さの面以外の要素を考えるとね。
幕府公認の指南役という地位に就任したということもあるけど、
剣術を武士の嗜みとする方向性を決定付けた意味で、
文化史的側面から剣術を見た場合、但馬守の重要度は計り知れない。
614 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 18:50:33 ID:u6E4ITvK
宗矩は道場試合をやらなかったというだけで
戦えば強かったとは思うよ。
大阪の陣などの戦場で活躍してるから間違いないだろう。
615 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 00:59:09 ID:EEb/vENH
飯笹長威斎 愛洲移香斎 新免無二斎 疋田栖雲斎 奥山休賀斎
柳生石舟斎 鐘撒自斎→(同一人物説あり)伊東一刀斎
小笠原源信斎 丸目微斎
俺もあやかって○○斎名乗ろーっと
616 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 02:01:27 ID:+3001Orm
はじめは○○軒からはじめて○○庵で、最後に○○斎だな。
617 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 02:52:12 ID:vNSNtVSe
一度でいいから真剣で俵とか斬ってみたいなぁ
グアムやハワイではガンシューティングがあるんだから日本刀を振らせてくれる施設があってもいいのに
618 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 17:29:03 ID:8F9ILCB0
〜斎て名乗ると、もはや現役で試合とかやらずに、
すっかり指導者に回ったというような印象を受けてしまう
619 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 18:32:45 ID:KjZvgh28
>>617 戦争で日本刀つかって自分の足切る兵士続出したって記録もあるぐらいだから
素人に日本刀持たせるのは危険
620 :
人間七七四年:2008/12/03(水) 18:38:03 ID:4raLZabu
柳生十兵衛を隻眼にしたのは、どのフィクションが初出?
ここまで十兵衛=隻眼という人物像が定着した今となっては、
隻眼じゃない十兵衛を登場させた時代小説が出ても、
かえって見向きもされないかもしれん。
621 :
人間七七四年:2008/12/03(水) 22:19:55 ID:B1hM/3V0
風太郎かなあ?
十兵衛は知らないが柳生家の剣士に隻眼の人は居た。
たぶんその人がモデルかも。
622 :
人間七七四年:2008/12/04(木) 07:53:49 ID:QIz7e0W6
江戸か明治以降かは知らんけど、講談で十兵衛の隻眼は定着したと聞いたよ。
623 :
人間七七四年:2008/12/07(日) 10:03:31 ID:J/FErgZp
昔の講談や小説、映画なんかは「異形の剣士」ってのが、ある種ひとつの定番だったんかな?
丹下左膳、座頭市、眠狂四郎、机竜之助…
624 :
人間七七四年:2008/12/07(日) 11:40:09 ID:DSbsVFjg
まあ、あの当時はさすがに身体に障害があると軍務につけないから小説世界の話だろう。
富田勢源も昼間だから少し見えたわけだし。
ただ十兵衛と戦った手裏剣の名手とか居たな。
あと伊庭八郎とか黒河内伝五郎。山本勘介。意外と居るなw
625 :
人間七七四年:2009/01/04(日) 22:38:10 ID:aJv+s6nK
愛洲宗通
626 :
人間七七四年:2009/01/18(日) 18:34:12 ID:NSPBPgOF
>>617 剣道の試合前の余興にやったりするよ
なかなか難しいらしい
627 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 01:04:10 ID:5r02iZrd
松本でいいじゃん
628 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 07:18:34 ID:FAR+PHIy
何がだよ?
629 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 15:07:47 ID:f/ZRI5ZO
ところで刀を使うのになぜ剣法、剣術、剣聖、剣豪と剣なんだろう。
630 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 15:37:01 ID:FAR+PHIy
松本がなんなのか気になってやるべきことに身が入らない。
631 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 20:27:03 ID:rAJVNg2a
>>629 日本では剣と刀の区別が厳密じゃないから
632 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 20:42:53 ID:5fRL6fEX
633 :
人間七七四年:2009/01/24(土) 18:33:51 ID:4+uAiTc7
杉本でいいじゃん
634 :
人間七七四年:2009/01/24(土) 23:54:53 ID:Upg2vH7g
知り合いの直心影の先生は「流祖は松本です」と言ってた。
635 :
人間七七四年:2009/01/26(月) 10:32:19 ID:fasCGwJA
その人はおそらく山田次朗吉さんの系統ですね。
636 :
人間七七四年:2009/01/28(水) 12:37:38 ID:Hw0YHoah
「塚原朴伝十二番勝負」を読んだら、
塚原朴伝と上泉信綱が決闘をして朴伝が勝ったと書いてある。
本当だろうか?
637 :
人間七七四年:2009/01/28(水) 15:36:41 ID:o4UcOdwt
どこにもないよそんな話。
638 :
人間七七四年:2009/01/28(水) 15:58:00 ID:o4UcOdwt
まあ、山田風太郎なんかもこの二人の格の扱いには苦労しているのか
『忍法剣士伝』では卜伝を伊勢守の目上としている(「老師」と呼ばせている)けど
『室町御伽草紙』では伊勢守の方が微妙に格上に描いている感じだった。
個人的には雌雄をつけてしまうのはもったいない二人だとは思う。
639 :
人間七七四年:2009/01/28(水) 19:03:40 ID:ItnEy7Fv
640 :
人間七七四年:2009/01/28(水) 20:16:34 ID:RVEsGffY
「刀道」なんていう日本武道あるよな
剣道、居合、古流剣術とは違うらしい
641 :
人間七七四年:2009/01/28(水) 22:35:10 ID:qabi+I++
そりゃ〜殺陣と古流剣術はちがうよw
642 :
人間七七四年:2009/01/29(木) 16:09:57 ID:7XnwqrUB
643 :
人間七七四年:2009/01/29(木) 21:05:57 ID:RpGWqiTP
胡散臭さがなんとも
644 :
人間七七四年:2009/01/29(木) 22:14:50 ID:7XnwqrUB
まあ、正直スレ違いだわなw
645 :
人間七七四年:2009/01/30(金) 18:14:01 ID:Zz0SEi1O
日本の賊の攻撃は日本刀で二回か三回打ち付けられるだけだが、
往々にして防ぎきれない。
彼らの日本刀の刀法の巧妙さを推して知るべきである。
"陣記" 何良臣
646 :
人間七七四年:2009/01/30(金) 19:14:16 ID:lEtS3Pfa
素人考えだと盾持ち片手剣の方が両手持ちの日本刀より有利そうな気がするんだが
不思議だよね。まあ、俺のイメージする倭寇って平服で日本刀振り回すイメージだけど
実は結構鎧とか着込んでいったのかな?
647 :
人間七七四年:2009/01/30(金) 20:09:17 ID:4i/V1TI6
片手じゃ安定しないだろ
安定させるために削ると今度は威力が無くなるだろ
648 :
人間七七四年:2009/01/30(金) 23:25:57 ID:jJk8o53K
>>646 剣対剣ならじっさいその方が有利だよ。
ただ体力の消耗や道具の運搬を考えるとキツイね。
ロングソードも盾も重いしね。ダガーとかならいいかも。
ただ、じっさい日本の戦場で騎馬や薙刀相手にした場合や
あるいは夜襲、室内戦では不利になる可能性も大だね。
649 :
人間七七四年:2009/01/31(土) 16:15:54 ID:ovpIv3tC
650 :
人間七七四年:2009/01/31(土) 16:27:36 ID:aJPIhEZh
打ち込む際の安定性と打撃力でいえば両手。
リーチと取り回しでは片手。
結論、一長一短
651 :
人間七七四年:2009/01/31(土) 16:41:49 ID:A3aDDsX1
長短一味
652 :
人間七七四年:2009/02/02(月) 13:22:07 ID:LIqSMhYy
653 :
人間七七四年:2009/02/03(火) 15:23:47 ID:Nq1GDv/A
>652
んーまあ、個人的な意見だが。
愛州と鹿島の神人を繋げたのは良い着眼だと思う。
北畠とト伝、上泉の繋がりはオイラも以前から気になっていた。
でもまだ研究不足だね。平沢文書は満州引き揚げ時に
多くが紛失されているので仕方ないが陰流私のような短文だけでは・・・ね。
飯篠長威に関しては電波かな。これは資料の説得力が乏しいね。
墳墓が無いのは従四位下の上泉公も同じだし。
長威=長吏や神船の非人、河童=鹿伏兔刑部に関しても中途半端。
京の犬神人のように穢多階層の神人や鹿島藤原家が悪党を
使って紛争をしてた事などはスルーだし。
もう少し資料を煮詰めれば読み物としては面白いかも。
しかし参考資料が関八州古戦録ではこのサイトの
筆者自身が指摘している武芸小伝とどっこいどっこいだねw
てかこの人、武道家らしいけど何流なのか結局わからん?
654 :
人間七七四年:2009/02/03(火) 16:19:59 ID:JoAy+32G
655 :
人間七七四年:2009/02/04(水) 12:36:04 ID:Mf4CT8ed
橋本菊月斎著 『剣祖影流 愛洲移香斎久忠の系譜と伊勢大神宮神領奉行職 伊勢愛洲氏の考察』
この本読んだ人いますか?
656 :
人間七七四年:2009/02/04(水) 13:45:39 ID:PKgJE2Sh
○○斎ってかっこいいな。おれも名乗ろう。
雲を刻むほどの剣豪、雲刻斎にしよう!
657 :
人間七七四年:2009/02/04(水) 17:08:31 ID:Mf4CT8ed
では、わが剣名万世にまで刻まれんことを祈願して
万刻斎にします。
658 :
人間七七四年:2009/02/04(水) 17:38:48 ID:1Sk9LQDk
お前らにだけカッコイイ思いはさせんぞ
俺は珍刻斎な
659 :
人間七七四年:2009/02/04(水) 18:35:12 ID:Z+s7Hil+
なんと嘆かわしい。
660 :
湧楽斎:2009/02/04(水) 23:37:56 ID:qSvqLTAb
エレベーターに乗ると周りの人がヒソヒソ話をします。
661 :
人間七七四年:2009/02/05(木) 18:42:18 ID:pWUeVcE9
クレヨンしんちゃんのなんらかの映画の出演キャラだと、雲黒斎だったか
662 :
人間七七四年:2009/02/06(金) 16:35:07 ID:US/K8Gg4
雄奈落斎
字面だけならなんかつよそうだべ
663 :
人間七七四年:2009/02/06(金) 17:37:30 ID:IcJXsni8
戚継光 「紀効新書・長刀解」
此自倭犯中國始有之。
彼以此跳舞、光閃而前、我兵已奪氣矣。
倭善躍、一迸足則丈餘、刀長五尺、則丈五尺矣。
我兵短器難接、長器不捷、遭之者身多兩斷、縁器利而雙手使、用力重故也。
(此は日本の武士が支那に攻めてきた時初めてわかったことである。
彼らは舞うように動き回り、前方への突進力は光が閃くようで我ら明の兵は気を奪われるのみだった。
日本人はよく躍動し、一度動き出せば丈あまり、刀の長さは五尺なので一丈五尺の間合でも攻撃される。
我が兵の剣では近づき難く、槍では遅すぎ、遭遇すればみな両断されて殺される。
これは彼らの武器が鋭利であり、両手で振れる強力で重い刀を自在に用いているためである。)
664 :
人間七七四年:2009/02/06(金) 23:01:01 ID:mCCRpe62
>>663 何かの言い訳っぽいよなそれ。
五尺の大太刀を振りかぶる動作に槍では遅すぎってのが意味不明。
665 :
人間七七四年:2009/02/07(土) 00:04:55 ID:+zu6U7Pu
振りまわしてはいるようだが振りかぶってるかどうかはわからんのでは?
666 :
人間七七四年:2009/02/07(土) 01:45:16 ID:+0gXOcBv
>>664 その一行だけを抜き出して考えちゃダメだ
残り三行になぜ槍を持ってしても明の兵士が勝てないのかって
ちゃんと書いてあるじゃないかw
塚原卜伝が長刀の梶原長門と戦った逸話プラス武士と明兵の質の差
つまり言い訳と言うより敗北宣言に近い。
667 :
人間七七四年:2009/02/07(土) 09:03:44 ID:R+O9P0vl
兵士の質や士気の違いでの敗北を武器の違いでの敗北とすりかえて
中国での日本刀の過大評価が生まれたか?
668 :
人間七七四年:2009/02/07(土) 12:48:50 ID:RnGW4hrM
>>667 それはあるかもしれない。
武器の性能差以前に士気ががたがただったようだ。
もちろん武士が強すぎて心が折れたのか、もともとヘタレ集団だから武士が強く感じたのかはわからないしそれを追求してもあまり意味もないだろう
ニワトリが先か卵が先かというものだ
「揮刀如~」
「日本の武士の刀術はまるで神の如しだ。
我々の明兵は武士を見れば皆身がすくみ逃げ腰になる。
刀術に優れた武士だが刀術だけではなく飛び道具の扱いも我が銃兵と互角である。
弓の扱いも我が弓兵と互角、そのほかあらゆる兵科と比べて不足が見つからない。
本当に日本人は殺戮者だ。その家には刀を持たぬものは無く、
子供の頃から剣術を鍛えられ始め、壮年にいたれば手に負えなくなる。
それゆえ接近戦は日本の武士に一方的に有利で明兵では相手にならない。
日本人を有効的に殺せるのは火器のみである。
であるにも拘らず、多くの鳥銃手を擁している場合でも勝てないのは外でもない。
日本人は戦いに臨んで命を忘れるが、我が明兵は戦いに臨んで恐れて逃げるため、
その鉛子は地に堕ち、あるいは薬線が法なく、手震え、目眩み、天を仰いで空しく発射する為である。」
669 :
人間七七四年:2009/02/07(土) 13:41:10 ID:skSPdhJD
>>666 日本国内で大太刀が廃れた理由、槍が流行った理由を考えるとどうも言い訳に聞こえるんだよね。
我が軍が倭寇を取り締まれないのは奴らが非常識に強すぎるからだってことにして。
ま、事実上の敗北宣言なのは確かだろうけどw
670 :
人間七七四年:2009/02/07(土) 14:38:41 ID:+zu6U7Pu
大太刀は廃れてないよ。
江戸時代に法令で規制されて廃れた。
特に槍や騎馬には有効だし大石以降幕末にも少し見直されている。
671 :
人間七七四年:2009/02/07(土) 15:12:38 ID:R+O9P0vl
>槍や騎馬には有効だし
槍に有効というのはヨーロッパでパイクに対してツヴァイハンダーを
持ち出してきたのと同じような理由かな?
672 :
人間七七四年:2009/02/07(土) 15:19:59 ID:skSPdhJD
673 :
人間七七四年:2009/02/07(土) 17:37:02 ID:HNK18IMn
>>670 平山行蔵が使ってたな
かえってピンチになったらしいが…
674 :
人間七七四年:2009/02/07(土) 18:45:19 ID:skSPdhJD
>>673 なんだそういうことか。
話が噛み合わなくなるとアレなんで断っておきますが、大太刀の定義は四尺以上だと思ってました。
ついでに三尺から四尺は野太刀、三尺以下が太刀。
それはいいとして、三尺数寸程の太刀が槍や騎馬に有効というのは何が根拠ですか?
太刀よりもリーチのある槍や、攻撃にはリーチを必要とする騎兵に対して何処が有効であったのか
御教示して頂けたら幸いです。
御存知とは思いますが、漫画や小説やゲームなどでよく知られる斬馬刀(馬ごとぶった斬る長大な刀)なる
ものが、戦国期に意識的に使われていた形跡はありません。
675 :
人間七七四年:2009/02/07(土) 19:04:03 ID:c4rxU4BA
馬の足を切るのに使うんだよ。
中巻き野太刀や長巻は下手糞でも扱えるようにした物。
676 :
人間七七四年:2009/02/07(土) 19:17:25 ID:skSPdhJD
>>675 馬の脚を狙うそうした武器は薙刀が兼ねていたと記憶しておりました。
話の混乱を避けるために定義とした四尺以上の大太刀が馬の脚を狙う
ために作られ、更に不慣れな者でも馬の脚を斬りやすくするために中巻
きに改良されたというのは初耳です。
槍についての有効性はどうなのでしょうか?
続けて御教示お願いします。
677 :
人間七七四年:2009/02/07(土) 19:36:43 ID:R+O9P0vl
678 :
人間七七四年:2009/02/07(土) 20:02:46 ID:skSPdhJD
>>677 馬の足払いとして使うこともあったということと、有効性を考慮して予め揃えていたと
いうのは違う気がするけどそういう意味か。
>卜伝の逸話のように柄を切り落とすというやり方で対抗できる。
対抗できることと、有効であるというのは意味が違うけどそういう意味か。
679 :
人間七七四年:2009/02/07(土) 22:32:32 ID:B667LIPI
明側の記録だと槍の穂先が(日本刀で)切り落とされて使い物にならなくなったとかあった筈だけど。
680 :
人間七七四年:2009/02/08(日) 00:18:59 ID:C6d7iY7+
>>673 記憶だがそれは三尺ぐらいの刀だな。
試合では五尺ぐらいの木刀だったらしい。相手は戦わずに逃げたとか。
>>674 当時の有馬流師範もそう言ってるよ。
文献だと田宮流に長柄刀で騎馬と対戦する1文があるね。
681 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 17:26:27 ID:rho6uB/Z
>>680 その長柄刀というのはおそらく薙刀や長巻に近い形状の物であったと思われます。
どちらにせよ、長柄によってある程度のリーチを確保していないと有効性を発揮でき
なかったのでしょう。
682 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 17:37:57 ID:yT7bQEHI
リーチが欲しいのなら長巻程度の長さにする必要はない。だったら長刀でいい。
長巻は柄を長くして野太刀を扱いやすくしたんだよ。
683 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 18:01:07 ID:rho6uB/Z
三尺数寸程度の太刀よりは長巻にはリーチがあって重量で切断しやすいのだろう。
敢えて長柄にしたのもリーチを確保する為。
>長巻は柄を長くして野太刀を扱いやすくしたんだよ。
それは誤り。
四尺以上の大太刀が中巻き野太刀として戦場で加工され、それを元に改良され作られ
たのが長巻。リーチに重点を置くだけなら最初から薙刀がある。
684 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 18:10:17 ID:yT7bQEHI
>リーチに重点を置くだけなら最初から薙刀がある。
これは俺の言っていることと同じだと思うけど。
685 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 18:13:35 ID:GQIi4efE
>>681 >その長柄刀というのはおそらく薙刀や長巻に近い形状の物であったと思われます。
いや、ふつうに長柄刀だよ。
通常の柄より2寸〜5寸、長くて1尺ぐらい。
素人の農夫などに使わせた。(武芸用の定格とは別だが)
686 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 18:17:00 ID:rho6uB/Z
そうだね。
三尺数寸程度の太刀ではなく、長柄の刀で馬に対したというのは
つまり薙刀や長巻に似た形状の物の方が使いやすかったということなのだろう。
>>674の主張から何もグラついていないわけだが。
687 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 18:19:11 ID:rho6uB/Z
>>685 そう記されているの?
というか、通常の大太刀や野太刀でも太刀よりは柄が長いけど。
688 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 22:34:00 ID:GQIi4efE
>>687 そう記されていますけど?
それに林崎流は家伝の長巻術を剣術に応用したものだから
この場合長柄刀(剣術)と長巻術は別物として記載されるはずですな。
自論に執着せずご自分で調べてみたら?
689 :
人間七七四年:2009/02/12(木) 00:07:22 ID:r4ntFlo0
主張がグラついたのなんだの誰も気にしてないから。
よくわからん人だな。
690 :
人間七七四年:2009/02/12(木) 15:24:24 ID:OxJygrbI
『宣祖修正実録』
「天兵(明兵)短剣騎馬にして火器なく、道険しく、泥深くして馳テイする能はず。
賊(日本軍)長刀を奮ひて左右に突闘し鋭鋒敵なし。」
『懲録』『懲秘録』
賊(日本軍)は歩兵で、打ち振る刀は、三、四尺におよび、鋭利無比のものであった。
賊はその鋭い刀を左右にはげしく打ちふるい、人馬の区別なく斬り伏せた。
全くその勢いには抗すべき道がなかった。
691 :
人間七七四年:2009/02/12(木) 21:07:13 ID:EFTa7dz+
>>676 遅レスだが、
>>675は
> 三尺数寸程の太刀が槍や騎馬に有効というのは何が根拠ですか?
に対するレスであって、大太刀が生まれた事自体を言ってるんじゃない。
長巻なども飽く迄「扱いやすくする為」と言ってるんであって
必ずしも馬の足を切る事のみに使用されたなどと言ってる訳じゃない。
態と間違えてるのか?
あと、大太刀や野太刀の定義に拘ってるようだけど、
「和翰集要」には
「太刀之寸法之事野太刀ハ三尺九寸、大太刀ハ三尺三寸」となっている。
とは言っても長さに対する呼称は区々で、厳密に定義されていた訳じゃない。
692 :
人間七七四年:2009/02/13(金) 03:28:51 ID:iAPXElF3
むかし「馬を斬るのは斬馬刀というのだ!ほかの呼び方で言ってはいかんのだ」
みたいな偏執的な人がいて苦笑いしたことが…
ゲームの影響か、やたら細かい呼称にこだわる人が増えたな
「でかい太刀」を野太刀と呼ぼうが大太刀と呼ぼうが、ただ日本刀とだけ言おうが
結局どれも間違ってないわけで…
693 :
人間七七四年:2009/02/14(土) 13:52:36 ID:xRdkOwEg
>>691 そもそもは
>>670の
>大太刀は廃れてないよ
>特に槍や騎馬には有効だし
から始まり、
>>673では平山行蔵を例に挙げていることから
>>670のいう大太刀とは
三尺数寸ほどの太刀を指していると理解しました。戦国期に三尺数寸の太刀が廃れ
ていないことについて異論はありません。
で、
>>674で以後お互いの大太刀の定義で話が噛み合わなくなることを避けるため
に一応の大まかな定義として認識しているものを挙げただけで、これが世間一般の
共通認識というつもりはありませんし、流派や時代や人物によって呼び方が異なる
のも知っております。その証拠に
>>676で
>話の混乱を避けるために定義とした
と断ってます。
誠に勝手ながら、こちらが示した大まかな定義を認識して頂いた上で
>>675の
>馬の足を切るのに使うんだよ。
というのはつまり、江戸時代に法令で規制されるまで、四尺以上の大太刀は馬の脚を
切る有効性が認められ廃れていないという主張と捉えレスした次第であります。
大太刀が生まれた経緯について得心したかの様な言い回しは皮肉っただけのもので
すので、気にしないで下さい。
694 :
人間七七四年:2009/02/14(土) 14:16:39 ID:ns5NRzdq
>>693 > 大太刀の定義は四尺以上だと思ってました。
> ついでに三尺から四尺は野太刀、三尺以下が太刀。
これのどこが大まかな定義だよ。
どう考えても平山行蔵の使った太刀は三尺八寸だから大太刀じゃないって語り口だろ。
お前が
>>674で聞いてきた騎兵に対する有効性という事で答えたのであって
それが何故大太刀の生まれた経緯の話になるのか理解不能だ。
皮肉るのは結構だが、あまりにも的外れ。
695 :
人間七七四年:2009/02/14(土) 15:31:09 ID:xRdkOwEg
>>694 >これのどこが大まかな定義だよ。
だから、話が噛み合わなくなることを避けるために誠に勝手ながら定義としたと述べています。
こちらはきちんと説明しているのですから、定義についての言及はただの言い掛かりでしょう。
不都合があるのなら、そちらの示す定義に合わせても一向に構いません。
>>673は大太刀は廃れていない、平山行蔵も使っていたと
>>670に同意してる様にしか見えんが・・・
>>675の
>中巻き野太刀や長巻は下手糞でも扱えるようにした物。
つまり、下手糞でも扱えるようにした物の元は四尺以上の大太刀を指し、一行目の
>馬の足を切るのに使うんだよ。
で、騎兵に対する有効性を説いているのは分かります。
それについてのこちらのレスは
>>678。
>それが何故大太刀の生まれた経緯の話になるのか理解不能だ。
中巻き野太刀や長巻は下手糞でも馬の足を切るのに扱いやすくした物と述べておられるので、元の
四尺以上の大太刀は「主に」馬の脚を狙う物だと主張しておられるのかと思い、そんな訳はないという
意味を込めて皮肉らせて頂きました。お気になさらずに。
696 :
人間七七四年:2009/02/14(土) 15:54:42 ID:ns5NRzdq
>>695 だったら、お前が
>>673に対して
>>674で言った大太刀の定義の意味が全く無くなるな。
>>673のレスは
>>670への同意だろ。それをいつ否定したんだよw
俺が言ってるのはそのレスに対する
>>674のお前のレスだ。
そもそも中巻き野太刀や長巻が下手糞でも扱えるようにしたものって話と
馬の足を切るのに使うって話は別の事だ。
勝手に勘違いして関連付けて皮肉とか間抜けにもほどがある。
697 :
人間七七四年:2009/02/14(土) 16:47:13 ID:AjsSjroY
足切られたお馬さん可哀想だお(´;ω;`)
698 :
人間七七四年:2009/02/14(土) 16:51:25 ID:xRdkOwEg
>>696 >大太刀の定義の意味が全く無くなるな。
???
>>674で
>>670がいう大太刀は三尺数寸ほどのものであると理解しているが?
>>674の、なんだそういうことか、と得心しているのはそれに当たる。
こちらの
>三尺数寸程の太刀が槍や騎馬に有効というのは何が根拠ですか?
のレスからもきちんと三尺数寸ほどのと認識していることが分かって頂けると思います。
で、
こちらの認識では南北朝期に流行った四尺以上の大太刀は使い勝手が悪いため戦場で中巻
きに加工され、その後は長巻へと進化したと記憶しております。以上のことを踏まえ、
>>675の
>馬の足を切るのに使うんだよ。
と、前置きして
>中巻き野太刀や長巻は下手糞でも扱えるようにした物。
と、大太刀の扱いに不慣れな者でも馬の足を切るのに使いやすいよう変化したと説き、今度は
>馬の足を切るのに使うって話は別の事だ。
では何を主張したいのか意味が分かりません。
仮に
>馬の足を切るのに使うんだよ。
のレスが、三尺数寸ほどの太刀を指しているのでしたら、尚のこと二行目の
>中巻き野太刀や長巻は下手糞でも扱えるようにした物。
は誤解を招く不必要な一文であったと思います。根拠は大太刀から長巻に進化した経緯。
終わりに、太刀でも大太刀でも長巻でも、馬の足を切る以外の使い方をすることがあるなんて
ことは分かってますし、太刀しか手元になければ、それで騎兵だろうが槍兵だろうが戦うのは当
たり前のこと。戦うからには可能な限り有効な手段を使うのも道理。それは否定していない。
言いたいのは、真柄兄弟などの少ない例を除き、南北朝期後半から使い勝手の悪さが理由で
大太刀が廃れ始めたこと。ほぼ同時期に槍が普及し始めたこと。これだけ。
699 :
人間七七四年:2009/02/14(土) 19:37:57 ID:G630eUdq
真柄兄弟以外にも真柄家では力士隊を飼ってたろ
700 :
人間七七四年:2009/02/14(土) 19:41:14 ID:G630eUdq
>>690 は文禄慶長の役の話だから
戦国時代でも普通に野太刀クラスが使われてるらしいな
701 :
人間七七四年:2009/02/14(土) 20:15:59 ID:ns5NRzdq
>>698 だったら敢て
>>673に対して大太刀の定義を示す必要性は何だ?
馬の足を切るのに使うんだよ、っていうのが何故前置きなんだよ。
その文はそこで終わってるだろ。
不必要かどうかは知らんが、何で勝手に前後の文をくっ付ける必要があるんだよw
槍の普及は、大兵力による集団戦の発達によるもの。
個人戦が主だった頃には長柄の武器でも主力は薙刀だった。
大太刀は使い勝手が悪いから廃れて、代わりに槍が普及しただなんて聞いた事無いぞ。
702 :
人間七七四年:2009/02/14(土) 22:13:45 ID:xRdkOwEg
>>701 >だったら敢て
>>673に対して大太刀の定義を示す必要性は何だ?
定義を示したのは後になって解釈論で逃げられるのを避けるためです。
>馬の足を切るのに使うんだよ、っていうのが何故前置きなんだよ。
三尺数寸の太刀は馬の足を切るのに使われた、だから大太刀は廃れていないと
いいたい様ですので、前置きというかそちらの主張の焦点として取り上げさせて頂
きました。
>不必要かどうかは知らんが、何で勝手に前後の文をくっ付ける必要があるんだよw
では馬の足を切るのに三尺数寸の太刀を使うことと、中巻き野太刀や長巻についての
説明は関係ないということですか。こちらの指摘通り、やはり不必要な二行目でした。
>槍の普及は、大兵力による集団戦の発達によるもの。
長柄組の足軽と違い、戦国期でも騎乗身分の士は郎党を率いて個々で手柄を競い戦っ
ています。集団戦といっても多くは最小単位の家子郎党足軽を合わせたチーム戦。
もちろん薙刀も廃れてはいません。槍の普及は陣地戦の増加や経済的なものや他の理
由も考えられますが、今の話の流れから普及の原因を戦術レベルで言及するのは必要
ないでしょう。なぜなら馬の足を切るのは戦闘の範疇なので。
>大太刀は使い勝手が悪いから廃れて、代わりに槍が普及しただなんて聞いた事無いぞ。
大太刀が中巻きに加工され始めたのは使い勝手の悪さからで、使いやすいのなら誰も好
き好んで加工なんかしないでしょう。更に長巻に進化したというのも周知。
大太刀の「代わりに」槍が普及したとはどこにも書いていません。レスを返すための無理な
穿った解釈はいい加減時間の無駄です。こちらとしては大太刀と槍がほぼ同時代に逆転し
始めたということを述べたまで。
703 :
人間七七四年:2009/02/14(土) 23:33:35 ID:ns5NRzdq
>>702 > 定義を示した
平山行蔵が使ってた
っていうのをどう解釈論で逃げると言うのか。完全に意味不明。
> 三尺数寸の
お前が
>>674で
> 三尺数寸程の太刀が槍や騎馬に有効というのは何が根拠ですか?
っていうレスに対して答えてるんだろうが。
それが何で大太刀が廃れない理由として挙げてる事になるんだよ。
> では馬の足を
お前が
>>672で中巻野太刀云々言ってるからついでに書いただけだ。
不必要だというなら構わんが、勝手にお前が勘違いしてるのには変わりない。
> 長柄組の足軽
へ?じゃあ槍が集団戦に有利なのを否定するわけ?
図屏風なんかにある槍の集団が争ってるのも否定するんだ。
経済的理由ってのも徒武者の増加=コストダウンの必要性って事なんだけどね。
で、馬の足云々って言ってるのはお得意の皮肉?
大太刀の発祥理由とは関係無いって散々言ってるのに、またまた的外れな事で。
> 大太刀が中巻きに
長巻が発生したのは練度の低い者でも扱いやすくしたもので、
単純に大太刀の使い勝手が悪かったから改良されたって訳じゃないぞ。
大太刀は状況に応じて前手を鍔の前に送ったり刀身を握る事もあった。
刀術に優れた武者が状況によって柄にあたる部分を変えて使えるのであれば使い勝手は良かったと言えるだろうな。
太刀と槍がほぼ同時代に逆転していると言ってるのにその両者の関連性に関しては
全く述べてないと?正しく不必要な文だな。
704 :
人間七七四年:2009/02/15(日) 11:43:55 ID:pNUtcOmE
其名をば定めて聞及ぬらん、東塔の南谷善智坊の同宿に、豪鑒豪仙とて一山に名を知られたる者共也。
我と思はん武士共、よれや、打物して、自余の輩に見物せさせん
と云侭に、四尺余の大長刀水車に廻して、跳懸々々火を散してぞ切たりける。
是を打取らんと相近付ける武士共、多く馬の足を被薙、冑の鉢を被破て被討にけり。
705 :
人間七七四年:2009/02/15(日) 19:25:52 ID:Sg0uiudx
>>703 >平山行蔵が使ってたっていうのをどう解釈論で逃げると言うのか。
>>670が都合が悪くなった際に三尺数寸ほどか四尺以上のものかで大太刀の解釈を
ボカして逃げ回られると面倒なんで先手を打ったまで。
>それが何で大太刀が廃れない理由として挙げてる事になるんだよ。
>>670の
>大太刀は廃れてないよ。
この発言。
>お前が
>>672で中巻野太刀云々言ってるからついでに書いただけだ。
それだと益々辻褄が合いません。
誠に勝手ながら、中巻きは四尺以上の大太刀を加工したものと
>>674で設定しています。
三尺数寸程度の太刀を中巻きに加工して使う人(太刀に長柄を取り付けるのとは別で)は
そうはいない。
>>670がいう大太刀は三尺数寸ほどであるというのなら尚更、中巻きについ
て、「ついでに」語るのは蛇足というもの。或いは不必要な知識披露だったのか。
>へ?じゃあ槍が集団戦に有利なのを否定するわけ?
有利か不利かの話はどこに書かれているのでしょうか?
>>702で戦術レベルの話にまで広げるのは流れからいって必要ないと断っている。
これについてレスを返して頂かなくて結構ですが、参考までに説明すると、上泉伊勢守も
松本備前も塚原卜全も戦場では槍を振るっている。足軽や徒歩以外の騎乗の士でも槍を
持って戦闘に参加することは珍しくない。それどころかポピュラーですらある。郎党率いた
騎乗の武者たちが槍先揃えて集団戦というのは状況による場合のみ。
>長巻が発生したのは練度の低い者でも扱いやすくしたもので
これは事実誤認。南北朝期に合戦に参加した者の多くは専業武士か、その家の郎党がほ
とんど。これらの者を武器の扱いに不慣れ、連度が低いというのはおかしい。仮に掻き集め
の者が多かったとして、連度の低い素人が重く扱い辛い大太刀を最初から選んで参戦する
とは思えない。
>刀身を握る事もあった。
それが中巻きです。
>刀術に優れた武者が状況によって柄にあたる部分を変えて使えるのであれば使い勝手は良かったと言えるだろうな。
言えません。中巻きは新たに柄にする部分の刃を潰して皮や縄を巻いて加工したもの。
そもそも柄にあたる部分(握り部分)を意識的に変えた時点でより使いやすく加工したという訳
ですから、大太刀という形状の武器の使い勝手の悪さと非多様性を認めたと同義。
>太刀と槍がほぼ同時代に逆転していると言ってるのにその両者の関連性に関しては全く述べてないと?
???関連性を述べる必要があるのだろうか?
大太刀は廃れ、槍はその後大きく普及した。南北朝期というほぼ同時代に下降と上昇をした武
器の名を挙げたまで。
>>698の最後を分かりやすくいうと、使い勝手の悪い武器は自然に淘汰
されていったということ。
>>704 水車に廻しての表現からみて、刃渡り四尺余の大薙刀ですな。
706 :
人間七七四年:2009/02/15(日) 19:53:14 ID:r2359Gr+
卜全とか書いている人が何を言おうが説得力皆無ですよ。
文章が無駄に長いくせに知識の浅薄さが目立つんだよ。
707 :
人間七七四年:2009/02/15(日) 19:57:28 ID:Sg0uiudx
>>706 すいません、素で間違えましたw
知識が浅薄い点は何処でしょうか?
指摘してくださって結構ですよ。
708 :
人間七七四年:2009/02/15(日) 19:58:51 ID:r2359Gr+
「浅薄い」なんて言い方も日本語にはないよ。
709 :
人間七七四年:2009/02/15(日) 20:03:05 ID:xbhfJ7eu
こだわりの大太刀、野太刀の定義はズバリwikiと見たw
710 :
人間七七四年:2009/02/15(日) 20:05:30 ID:Sg0uiudx
>>708 そうですね、失礼しました。
で、どこが誤っているのか指摘してくださって結構ですよ。
711 :
人間七七四年:2009/02/15(日) 20:06:09 ID:/lxyRcSC
あ、あさうすいとでも思ったんだろうかw
712 :
人間七七四年:2009/02/15(日) 20:07:26 ID:Sg0uiudx
>>709 便宜上のものですので、大まかなものです。
たしか2chのスレで見かけたもの。
713 :
人間七七四年:2009/02/15(日) 20:08:04 ID:Sg0uiudx
714 :
人間七七四年:2009/02/15(日) 21:15:34 ID:Rllw6Ao9
ここは何のスレだよおい
715 :
人間七七四年:2009/02/15(日) 21:22:04 ID:qVl6l0Hk
仲のいい男の子同士がじゃれ合ってるのを見て(*´Д`)/ヽァ/ヽァするスレだお
716 :
人間七七四年:2009/02/15(日) 21:26:09 ID:Sg0uiudx
>>714 申し訳ありません。
スレを荒らす気はございません。
717 :
670:2009/02/15(日) 23:10:51 ID:EIb4j39s
>>705 呼んだかい?
大太刀、長尺刀は槍の時代以降もふつうに使われているよ。
片山伯耆守は3尺3寸、松本備前守4尺2寸、
現代でも示現流、林崎流は3尺以上の刀を使うし
タイ捨流には大太刀の形がある。
それに騎馬相手に通常の刀で戦うのは良くある話だし
大きければ便利だったと言うだけのことだろう。
調べれば簡単にわかると思うけどな。
718 :
人間七七四年:2009/02/16(月) 02:52:54 ID:ExyZul4H
人の問題が物の問題にすり替わってる感じだな
719 :
人間七七四年:2009/02/16(月) 15:38:03 ID:gQSVdq0z
>水車に廻しての表現からみて、刃渡り四尺余の大薙刀ですな。
ちがうよ
720 :
人間七七四年:2009/02/16(月) 15:54:11 ID:gQSVdq0z
「揮刀如~」
「日本の武士の刀術はまるで神の如しだ。
我々の明兵は武士を見れば皆身がすくみ逃げ腰になる。
刀術に優れた武士だが刀術だけではなく飛び道具の扱いも我が銃兵と互角である。
弓の扱いも我が弓兵と互角、そのほかあらゆる兵科と比べて不足が見つからない。
本当に日本人は殺戮者だ。その家には刀を持たぬものは無く、
子供の頃から剣術を鍛えられ始め、壮年にいたれば手に負えなくなる。
それゆえ接近戦は日本の武士に一方的に有利で明兵では相手にならない。
日本人を有効的に殺せるのは火器のみである。
であるにも拘らず、多くの鳥銃手を擁している場合でも勝てないのは外でもない。
日本人は戦いに臨んで命を忘れるが、我が明兵は戦いに臨んで恐れて逃げるため、
その鉛子は地に堕ち、あるいは薬線が法なく、手震え、目眩み、天を仰いで空しく発射する為である。」
721 :
人間七七四年:2009/02/16(月) 16:40:24 ID:S4xMyPnE
日本人は掃討戦では、首を獲る為刀を使うので、朝鮮役で明軍は、恐怖のあまりそれがよほど
目にこびりついたようだ。
722 :
人間七七四年:2009/02/16(月) 17:20:12 ID:LOYREklG
しかしスレタイにもなっているのに卜全はねえだろw
浅薄いとかも普通思いつかないし、もしかして日本人じゃないのか?
723 :
人間七七四年:2009/02/17(火) 01:56:53 ID:Z2ZD4Hlj
>>721 一方的すぎて掃討戦ばっかりだったってことか?
724 :
人間七七四年:2009/02/17(火) 20:29:05 ID:EDVQ2kWl
刀は首取り用の道具とか言いたい人?
725 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 08:24:22 ID:zo61vpyC
屈大均「広東新語」
日本人が全力で動くとき風のように漂って動く。
常に寡兵で陣に入って、たくさんの兵も抵抗できない。
その刀の使い方は、長い方で構え守り、短いほうで止めを刺す。
しゃがんでいるかのごとく低く移動し、決して退がらない。
こちらが何人いようと対応される。
日本列島の者だけの絶技である。
まあ常識的に考えて首を取るのに使うのは短刀や脇差の仕事だよね
726 :
人間七七四年:2009/02/19(木) 20:00:43 ID:RAmW4BFX
727 :
人間七七四年:2009/02/19(木) 20:10:33 ID:vpIe7lrN
戦意も低そうだが、まるで中国には武器はあっても武器を扱う技術はなかったような
書きぶりなのがすごい。
728 :
人間七七四年:2009/02/19(木) 21:28:12 ID:omQU4nhO
受け止める事もできないほどものっそい鋭利な刀を振り回しながら
命を惜しまず突っ込んでくる
そりゃ生半可な技術じゃ対抗できんさ
明の一般兵士たちに武士と同じもの求めちゃあかんよ
729 :
人間七七四年:2009/02/19(木) 22:17:03 ID:vpIe7lrN
ただ、100万人いなかったと言われる満州人に億単位の国民を有していた明が侵略された事実を
鑑みるに、やはり兵士の質や戦意の方に相当問題があったんじゃないのかな?
明滅亡の件については、漢民族としてのまとまりが薄かったということももちろんだけど。
730 :
人間七七四年:2009/02/20(金) 01:11:37 ID:z1axwB/b
清・満洲の主力は明から寝返った軍ですよ。
李自成の順によって明が滅ぼされた為、孤立していた北方の明軍を吸収。
その吸収された軍が支那を征服。
731 :
人間七七四年:2009/02/20(金) 10:27:36 ID:CT0BMZ3z
>>728 おまえは戦で死ね、戦で死ぬことが栄誉だと子供のころから教育され軍学を叩き込まれ、武芸を磨く武士と
一所懸命勉強し、賄賂をばらまき、えらい文官になることこそ誉れな明ではたしかにまったくスタートラインが違う罠
732 :
人間七七四年:2009/02/20(金) 11:11:20 ID:EobRxS6L
死ぬだけ損だ、という風潮が蔓延してるような軍隊ならまさしく武器以前の問題だね
733 :
人間七七四年:2009/02/20(金) 14:28:05 ID:CT0BMZ3z
まあもちろん
負けた言い訳にはならないが同情の余地はあるな
734 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 19:30:40 ID:OOQCfIzv
恥かしながら、その昔、新宿辺りで機動隊とガチンコやり合ってた人間の一人としては、こういう気持ちの問題は多分にあるんだろうなあと思いますよ。
最初に「今日俺はここで死ぬ。今日が人生最後の日だ。」と、そう思い込んでやったもんです。
我ながら若かったなあと思います。
しかし、そう思い込むと不思議なもので、視界が広くなるんです。
全体がよく見渡せるようになるんですね。
そして、他人の動きがスローモーションのように、ゆっくりとしたものに見えるようになるんです。
だから、攻撃も回避も何故か簡単にできてしまうんですね。
相手の方には申し訳ない事をしたなあと、今更ながらに後悔の念に囚われております。
上杉謙信の「死なんと欲すれば必ず生き、生きんと欲すれば必ず死ぬ」云々の行はこういう事だったのかと後に思いました。
死神や疫病神といったものはへそ曲がりで、死にたがりの阿呆には近寄って来ないものなんですかね。
むしろ、臆病風に吹かれた者が捕まったりしていたものです。
そんな私でも、初陣と言ったらいいのか、最初は酷かったものです。
膝が震えて足が動かない。
震えが全身にきて、奥歯がガチガチいっていたのを思い出します。
小便漏らさなかったのが唯一の救いですかね。
こうなると、相手どころか味方も見えない。
自分の足元しか見えないんですね。
先輩にしっかりしろよと背中を叩かれてからは、不思議と収まりましたが、結局は何もできませんでしたね。
まあ、実戦というものは、場数を踏む事が一番なんでしょうかね。
幼少から道場で習っていた剣道は、自分の身を守る程度には役に立っていたとは思います。
年寄りの思い出話で申し訳ありません。
735 :
人間七七四年:2009/02/22(日) 11:12:11 ID:EfPwGcaU
南蛮人と10人の侍が上海見物に行った。
何故か分からないが、侍と大勢の中国人が喧嘩になった。
侍は中国人を斬って斬って斬りまくって全員無傷で南蛮船に帰ってきた。
それを見た南蛮人は驚き、本国に「日本侵略は無理である」と手紙を送ったそうな。
736 :
人間七七四年:2009/02/23(月) 01:49:15 ID:LYZbtCFP
>>735 これか?
同行したわけではなく宣教師のほうはもともと支那にいたらしいと読めるが
「先年僅か十三人の日本人の搭乗した小舟が一艘渡来し、
ニ、三千人以上のシナ人に包囲され、洞窟に閉じ込められたが、
彼らはその堅い壁に出口を作り、そこから脱出するや、
直ちに多数のシナ人を殺してしまった。
シナ人は彼らを一昼夜に渡り包囲しながらも攻撃を加えることができず、
脱出した日本人は近くの海岸に行って舟を奪い、
それに乗って逃げてしまった」
宣教師フロンソ・サンチェス
737 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 12:16:06 ID:3vP6RVRs
南蛮人絡みのところは全然違うじゃないかw
シナ畜のチキンぶりだけが事実www
当時の中国の武人と倭寇が戦った話とかはないの?
738 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 14:35:51 ID:qjjRurFo
上の方で出てきた戚継光は一応武人
739 :
人間七七四年:2009/02/27(金) 16:57:54 ID:+TZErX7q
アクシデントならともかく狙って槍の柄を断ち切るなんて難しそうだが、
熟練すれば結構できるものなんだろうか?
740 :
人間七七四年:2009/02/27(金) 23:53:22 ID:1elYD7YM
いがいとできたみたいだよ。慣れの問題だろ。
ただ、必ずしも断ち切る必要は無い。
入り身できれば十分だし。
741 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 08:43:32 ID:1R/lpp9b
戚さんは水陸両用な上に日本の武器に対して解説本まで書いて
時の宰相とは昵懇で、オマケに恐妻家という明では稀に見る名将だったな
742 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 14:38:29 ID:D9i2jVbc
倭寇関連の記述読んでると当時の中国人ってすごいヘタレだよな
内陸部まで無双されてもろくに反撃できなかったりするし
なんでこんなに弱かったんだろう
743 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 20:04:16 ID:mEU0UDbV
>>739 のちに倭刀(中国製の日本刀レプリカの方)が作られると
中国人同士の抗争とかでも槍をぶった切ってるから
少なくとも中国のびょんびょんする例の槍は斬れるみたいだな
明代多訪日本刀式,作雙手握柄砕殺的長刀,可以削斷或破損對手的長兵之柄.
744 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 20:36:57 ID:wgl3CwLu
日本の槍が茎式で穂先が装着されているのは折られにくくするためだというが
チャンコロさんたちの槍は日本の矛と同じ袋式のようだ。
これでは折られても仕方ないね。
逆に言うと日本では袋式で装着する長柄武器が下火になったのは、両手刀の発展と
関係あるか?
745 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 21:37:11 ID:CdMNzVCS
対戦相手の防具の強度だろう、軽装異民族相手なら武器自体の強度は
それほどいらない
746 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 22:22:18 ID:SYvokTkF
日本で袋式だったのは弓に着けるハズ槍が有るな。
まあ、着脱用だね。
中心式は加工がめんどいだろうしね。
747 :
人間七七四年:2009/03/01(日) 11:06:55 ID:AAmY5bc1
>>745 戦い方が違うから単純な比較はできないが、日本より重武装のヨーロッパで
使われたパイクは袋式なんだよな。
748 :
人間七七四年:2009/03/01(日) 13:44:14 ID:5rV3kN5/
袋式でもやりようによって強度出せるし、その辺は発展時のアレだと思う
749 :
人間七七四年:2009/03/01(日) 14:12:12 ID:hTKIXFam
>>747 パイクも実はさほど強度はないよ
あれは突っ込んでくる馬をとめるために生まれた
最初の一回の突撃を止めれば役目は果たせるので止めた結果折れても別にいい
パイクで必ず殺せる必要はさほどなかったんだよ
後年ランツクネヒトなど両手剣を使う連中がでてくるとやっぱりぶった斬られてる
750 :
人間七七四年:2009/03/02(月) 09:50:16 ID:MVqWBJC2
振ることを前提として強度を求めると中茎式になるだろ。
製造、手入れ、携行性でそれぞれに一長一短があるけどね。
中茎式は柄が折れると急場での替えが難しくなる。
751 :
人間七七四年:2009/03/06(金) 05:41:03 ID:Z8xNBsw3
長刀解
此自倭犯中國始有之。
彼以此跳舞、光閃而前、我兵已奪氣矣。
倭善躍、一迸足則丈餘、刀長五尺、則丈五尺矣。
我兵短器難接、長器不捷、遭之者身多兩斷、縁器利而雙手使、用力重故也。
今如獨用則無衛、惟鳥銃手賊遠發銃、賊至近身再無他器可以攻刺、
如兼殺器則銃重藥子又多、勢所不能、惟此刀輕而且長、以備臨身棄銃用此。
況有殺手當鋒、故用長刀備之耳。
此は日本の武士が中国に攻めてきた時初めてわかったことである。
彼らは舞うような歩法を用い、前方への突進力は光が閃くようで我ら明の兵は気を奪われるのみだった。
日本人はよく躍動し、一度動き出せば丈あまり、刀の長さは五尺なので一丈五尺の間合でも攻撃される。
我が兵の剣では近づき難く、槍では遅すぎ、遭遇すればみな両断されて殺される。
これは彼らの武器が鋭利であり、さらに両手で振れるため強力で重い刀を自在に用いているためである。
こちらもただやられてばかりではない。
武士には遠くからの鳥銃が有効である。
だが武士は全く臆せず攻めたり刺したりできる至近まで突っ込んでくる
兼ねてよりこの銃手が弾を込める間に時間を取られて接近を許すことが多い
その勢いを止められない
武士の刀捌きは軽くて長く
接近を許した後の我が軍の銃手の動きは鈍重すぎる。
われわれの剣は銃を捨てて即座に対応するための有効な武器ではないのだ。
それゆえ我々も日本式の長い刀を備えるべきだ。
戚継光 「紀効新書・長刀解」
752 :
人間七七四年:2009/03/14(土) 17:28:32 ID:4LEemwGw
>兼ねてよりこの銃手が弾を込める間に時間を取られて接近を許すことが多い
>その勢いを止められない
>武士の刀捌きは軽くて長く
>接近を許した後の我が軍の銃手の動きは鈍重すぎる。
>われわれの剣は銃を捨てて即座に対応するための有効な武器ではないのだ。
槍ブスマで刀の接近を許さず銃撃するとかの発想はなかったのか?
日本刀が優れているというのはわかるが、ここまで恐れるのは異常だろ。
つか、槍では遅すぎって、あの中国武術の華麗な槍さばきはなんなんですか?
753 :
人間七七四年:2009/03/14(土) 17:46:13 ID:dcUZiu9M
一般兵に武術的動きを求めるのもなんだし
武術的動きだと密集隊形でこその槍衾は厳しいし
中華って数は多いが少数の異民族にチンチンにされたりで
野戦は駄目で壁作って守るってイメージがあるな
754 :
人間七七四年:2009/03/14(土) 17:48:38 ID:hFcbYTyA
ちんちん?
755 :
人間七七四年:2009/03/14(土) 22:32:43 ID:8AOOEaQ+
あのなぁ
756 :
人間七七四年:2009/03/14(土) 23:27:45 ID:hFcbYTyA
マジで「ちんちんにされる」の意味が分からん
757 :
人間七七四年:2009/03/14(土) 23:28:55 ID:xLdiGNxh
ちんちんシュッシュのAAしか思い浮かばんなw
758 :
人間七七四年:2009/03/14(土) 23:30:42 ID:mCNEQTyv
ねとうよ
759 :
人間七七四年:2009/03/15(日) 12:33:53 ID:kx7D4JKE
ねとさよ
760 :
人間七七四年:2009/03/18(水) 02:16:12 ID:AjTOqbAP
761 :
人間七七四年:2009/03/18(水) 07:24:51 ID:jR8umG5M
762 :
人間七七四年:2009/03/18(水) 23:14:20 ID:FdB+hBrc
>槍では遅すぎって、あの中国武術の華麗な槍さばきはなんなんですか?
華麗な槍襖ってーのは無いな。密集隊形では使えない。
朝鮮の役では明の重装騎馬に手こずったらしいが。
763 :
人間七七四年:2009/03/19(木) 11:24:35 ID:lf/y4yvX
神子上典膳こと小野次郎右衛門忠明について
正当な評価が残っている史料が欲しいんだが誰か知らないか。
そもそも当時最強の剣豪である小野忠明が
柳生に比べて評価が低いのはおかしいのだが。
764 :
人間七七四年:2009/03/19(木) 13:17:46 ID:nUZd92lE
マルチポストうざいよ。
今の評価が正当な評価。
765 :
人間七七四年:2009/03/19(木) 14:49:23 ID:lf/y4yvX
>>764 小野忠明が柳生より強いという事実が
あまり知られていないというのは到底正当と思えないのだが。
事実、当時から実力は小野が上であると言われていたのだから、
その事を記した史料があるはずだ。
それを探しているのだ。
766 :
人間七七四年:2009/03/19(木) 16:16:57 ID:pUZIJh5/
「小野忠明という者あり。(柳生と比較してみたところ)碁にたとえれば、井目も忠明さん強し」
あと、小野忠明の正体は善鬼。俺が発見した。
767 :
人間七七四年:2009/03/19(木) 17:45:49 ID:pUZIJh5/
「小野忠明という者あり。(柳生と比較してみたところ)碁にたとえれば、井目も忠明さん強し」
768 :
人間七七四年:2009/03/19(木) 18:27:54 ID:E9jYd1V2
剣士個人の強さの比較なんて大した問題じゃない。
武道としての確立、普及、浸透という面において、
柳生一門の影響力が絶大だった。
769 :
人間七七四年:2009/03/19(木) 18:31:09 ID:W49Zg7pa
人としての欠陥が多かったから評価が低いんじゃね
770 :
人間七七四年:2009/03/19(木) 18:36:07 ID:lf/y4yvX
強くない剣士にはそれこそ意味はない。
剣は命のやり取りをしてこそ。
大体、剣は人を切る為のものなのだから、
剣術も、やはり人を切れる技こそが真実。
その意味では今の剣道も話にならんのだがな。
人一人切れない剣に意味なんかない。
活人剣とか口先にも程がある。
771 :
人間七七四年:2009/03/19(木) 18:52:08 ID:pUZIJh5/
忠明さんは善鬼。これは俺が発見した。
772 :
人間七七四年:2009/03/20(金) 00:50:01 ID:VyLJEhal
「碁にたとえれば、柳生宗矩より井目も宮本武蔵強し」だな。
大坂陣七人斬りの柳生宗矩が弱いはずはないのだが
武蔵が怪物だったと言うことか。
ちなみに忠明さんは上田城戦で・・・だったり、
町のケンカで謹慎させられたりして忙しかったようだ。
>忠明さんは善鬼。
そのネタ昔から有るw
773 :
人間七七四年:2009/03/20(金) 16:16:13 ID:7QvjW6Az
もう忠明さんはいいよ。
774 :
人間七七四年:2009/03/21(土) 07:17:04 ID:aiuC0oOL
最強の剣豪は柳生宗三郎
くぐれドカス
775 :
人間七七四年:2009/03/22(日) 02:35:28 ID:HlnHEI6L
首級の数では飯富虎昌は一回の合戦で97もの首とったらしいけど
無双か笑っ
まぁ柳生とかと一対一は厳しいでしょうがm(__)m
776 :
人間七七四年:2009/03/22(日) 03:00:53 ID:ahWhL4JC
島原とか役立たずだった武蔵の実力は、
天下無双とか怪物とか言われても信じられないな
777 :
人間七七四年:2009/03/22(日) 09:11:43 ID:SH5ZdtQF
幕末に有名剣術家がバタバタ斬り殺されてるから
試合と合戦と暗殺はちょっと違うね。運もあるし。
武蔵は他藩でもむちゃくちゃ強かったと記載されてるから
トップクラスなのは間違いない。
778 :
人間七七四年:2009/03/23(月) 13:30:28 ID:aDoh3T+7
合戦では刀は大して使わないわけだしな。
その意味では、実戦で役立つ有云々っていう場合の「実戦」は合戦ではなく、
平時の突発的な立ち合いのことを指すと考えた方がいいんだろうな。
武芸者は武士じゃなくて芸者なんだから、合戦で役に立たなくても、
「そういう武芸者もいる」くらいでいいんじゃないの?
芸者と武士を混同するからおかしくなるんじゃね?
上泉伊勢守みたく、武士・武芸者の両方で強いのもいるし、
なんだかんだで武芸者は武士の比率が高いだろうから、
混じって見えるのも仕方ないと思うけどさ。
779 :
人間七七四年:2009/03/23(月) 16:45:56 ID:z9L9I6L/
思いっきり味方の足を引っ張って城を落城させた丸目長恵に比べれば
戦の役に立たないならまだマシじゃね?
780 :
人間七七四年:2009/03/23(月) 17:03:59 ID:aDoh3T+7
そう思うと、丸目蔵人も芸者としては優秀だけど、武将としては無能な類か。
そういや、丸目蔵人忍者説(というかタイ捨流が忍術も含んでいるって説)ってあるけど
あれ何が論拠なんだろ。
781 :
人間七七四年:2009/03/23(月) 18:57:11 ID:mqHqrrgN
>>778 いや、刀剣はふつうに使ってた。
軍忠状などには弓や槍の記載が多いから
「刀は使われなかった」と電波を飛ばす歴史作家がいるだけ。
782 :
人間七七四年:2009/03/23(月) 19:22:40 ID:aDoh3T+7
>>781 あ、そうか。すまん。
「弓鉄砲や槍と比べて使われる優先度が低め」ってことで。
そういえば野口一成の逸話とかもあったしな。
783 :
人間七七四年:2009/03/23(月) 23:10:01 ID:UsH0rD5S
>>780 丸目は薩摩との合戦経験が多いので敗戦のリスクも高いよね。
あの釣り野伏せ事件の事だろうけど、他の剣豪ならこんな状況に置かれる事もないだろうけど、武将兼剣豪で有数の戦線に居た分で損だよね!
武功はそれまでにきっちりたててたけどね。
忍者の話は、上泉信綱から【裏太刀】を伝授され、それが忍術の事です。【相良忍軍】を組織して隠密狩りと、公儀隠密として密貿易の取り締まりをしていたという話もあり、伊賀とは2戦2勝らしいです。
784 :
人間七七四年:2009/03/24(火) 00:53:28 ID:RsXsYltx
相良の下で島津と戦ってたんなら、まあ仕方ないというか、生き延びただけでも・・・。
785 :
人間七七四年:2009/03/24(火) 01:36:10 ID:lRs3CDJU
>>782 いいねぇ野口一成。
ウソかホントか知らんが今川義元、足利義輝、川中島の謙信とか
大将クラスでも最後は刀だな。
もっとも敵に陣内になだれ込まれたら槍や弓は使えないが。
学術資料的価値は無いが軍記や古戦録では
大田や清水などふつうに刀を使ってる。
786 :
人間七七四年:2009/03/24(火) 09:27:44 ID:t8wcD6L4
刀は首取りの道具だよ。
787 :
人間七七四年:2009/03/24(火) 11:39:36 ID:CZQWJDIs
>>783 あー、そういやそうか。
確かに状況無視したら不公平だなこりゃ。すまん言い過ぎた。
あの頃の剣豪で戦場で武将としても活躍してたのといえば、
松本備前守、ト伝、伊勢守、石舟斎、丸目蔵人、名人越後あたりか?
あとは真壁暗夜軒とか。
788 :
人間七七四年:2009/03/24(火) 19:07:27 ID:lRs3CDJU
本人が戦ったわけではないが
奥山休賀とか林崎は実戦インストラクターとして
採用された口だな。
>>786 そりゃ脇差なのだが・・・
789 :
人間七七四年:2009/03/24(火) 23:46:27 ID:t8wcD6L4
戦場では松本・塚原・上泉は槍で、真壁は棒で戦っている。
剣豪と呼ばれていた人間たちは刀がまったく役に立たない武器だと
よく知っていたんだな。
790 :
人間七七四年:2009/03/25(水) 00:16:49 ID:T45FBewG
兜割りして刃こぼれ無し、を連発できる超人クラスじゃないと戦場ではきついっしょ
791 :
人間七七四年:2009/03/25(水) 00:47:25 ID:SEEQRQL1
柳生兄弟は刀で甲冑武者斬り倒してるが?
ま、合戦図見ればふつうに刀を使ってるしね。
792 :
人間七七四年:2009/03/25(水) 10:55:58 ID:LuffybI8
>>789 まったく役に立たないってのも極論じゃね?
むしろ、弓矢・鉄砲・槍なんかのメインウェポンに対する
予備・護身用のサブウェポンとしての位置づけってのがあると思う。
槍持ちの武士でも刀は腰に差してたわけだし。
>>790-791 戦場での剣術は介者剣術だな。
鎧ごと斬るんじゃなくて、鎧の隙間(目や喉、手首足首、股の間)を斬るやつ。
あと、柳生のあれは逸話だから微妙。
793 :
人間七七四年:2009/03/27(金) 12:06:28 ID:kNJvITkT
戦国当時だと、流派の継承ってどんな感じだったのかなあ。
流派の正統とか宗家が重要視されるようになったのは江戸時代に入ってからで、
当時は腕が立てば何人でも印可なり免許なりやってる印象なんだけど。
それとも、当時から「正統」は重要だったのかな?
794 :
人間七七四年:2009/03/27(金) 18:55:02 ID:ev0UHaG7
正統が重要だったのなら伝説の剣豪シリーズのあてになる記録が
まちっと残っててもよさげ
795 :
人間七七四年:2009/03/27(金) 20:42:23 ID:kNJvITkT
逸話は色々あるんだけどねえ。
新陰流でも一刀流でも。
あのあたりは江戸期以降の後付なのか、やっぱ。
796 :
人間七七四年:2009/03/27(金) 21:16:16 ID:vkM6TvKh
小野忠明の立て籠りを上意によって成敗しにいく逸話はいくつか種類があるけど
病気でフラフラ→それでも現地に急行→成敗
という流れは共通だから
この話の元になった事件は実際にあったんじゃないかな?
797 :
人間七七四年:2009/03/27(金) 21:30:27 ID:kNJvITkT
>>796 あれは結構確度高そうだよねえ。
その後、家康が褒めて召抱えたのも含めて徳川実紀にも載ってるし。
そういえば、小野派一刀流って秀忠とか家光からの誓紙ってあるのかね?
798 :
人間七七四年:2009/03/27(金) 21:48:46 ID:ev0UHaG7
>>796 まったくのフィクションでも受けがよければそっから派生しちゃうし
パターンが豊富ってのが元ネタありとは簡単には繋がらないだろう
799 :
人間七七四年:2009/03/27(金) 23:00:31 ID:7ycQSLbw
7人の侍やキン肉マンソルジャーにパクられた上泉の人質救出は
実話かな?
800 :
人間七七四年:2009/03/30(月) 05:06:55 ID:OKCWl1hH
何かに化けて油断したところを、ってのも黄金パターンだからなぁ
若いいい男の場合は女に、おっさん以降は坊主に
801 :
人間七七四年:2009/03/30(月) 11:21:03 ID:y3f406HS
今のところ史料的裏づけがないし、実話と言い切るには確証がないな。
その時、僧侶から貰った袈裟を弟子の神後伊豆守に与えてるけど、
神後伊豆守自身も最後が不明だからな。
802 :
人間七七四年:2009/03/30(月) 21:46:45 ID:yZeXgQVM
803 :
人間七七四年:2009/03/30(月) 21:56:26 ID:RNwjCdjm
ええ!?じゃあその鮮やかな救出劇を見ていた神後・疋田・丸目たちが
「なんという冷静で的確な判断力なんだ!!」と感動して弟子になったというのも
実話かどうかわからないの?
804 :
人間七七四年:2009/03/30(月) 22:44:45 ID:V4tUgARL
iーj;二二;,__r‐、
{~タ-―=二、`ヾ、~l
,-r'"_,,........,__ ` -、 `i) /|
彡;:;:;:;:;/~_Z_ ̄`ー、_ `l、 ,.-=-.、. ,..ィ"~~~~~:::::ヽ
7:;:;:;:;:/. `ー-ヲ t‐-、!`ヽi::r ,:、 ,..ム.゚.,..゚..,.、l ,r'"::;;;_;;::::::::::__:::::::\
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:;,;-〈 / Fニニヽ | .|:::l:::ヽ ラ-{ `"・ ・ ・ 。。 llL_/! /-v" `丶、 i" ,.-。-ュ-.ヽ:::::::::;!
' fヽ ヾ--" l,/::/r'" /`ー!: |~r-。、~`-、゚_ lソ / l ` 、 i ,r・')、 |:`''''' " ヽヽ:::::::ヽ
| ` 、___,..- '"|::::ゝ / l ノ i/`"'" ´゚-y' ./メ, / (・・)`丶、 '''ヽ l :~ ヽ! ,..-、 ヾ;:::::::::|
ヽ / レ"`‐.、_./ .レ /:; r-ニ、 K ./ 「 r'' //~~`''ーヾ'ー、 ノ l f'" '"~ノ l |::::::::L
ヽ _,.-‐−―`ー"ヽ_l ヾ `ー'",.! | |_/ | /、,,..-i'''t=ニ;ラ",l|`ゝr' ヽ ヽ-‐" //'"二
`,.-―'''''''''''<.,_ i" l ヽ....,,-" く__/ `ヽy:|`T"~、.,,__ `,i|ヾ | ヽ、 ,.:-‐-'',/,.r‐''"
'' " l i. ` / |,~`-、 | :i| F‐'''"| ! |ヽイ、_ ,..-‐f彡ゝ--‐"
| `: 、_ ノ ヽ ヽ'、 l!;;;;;;;/ / /:::::::`t''''丶、
l ~ '' ー― '' " /"`'' -、 r|ヽ ,......,,..;:"/:::r:、:::::::ノ
805 :
人間七七四年:2009/03/30(月) 22:56:12 ID:RXgkzlJs
>>803 な?!・・・何か根本的に間違ってる気がしないかい?
806 :
人間七七四年:2009/03/30(月) 23:21:42 ID:OKCWl1hH
神後・・・長野配下の同僚?
疋田・・・親戚
丸目・・・修学旅行で上京してた生意気なガキ
な感じじゃなかったっけ
807 :
人間七七四年:2009/03/30(月) 23:29:47 ID:39LiHynU
逸話は疑いはじめたらきりがないだろ
808 :
人間七七四年:2009/03/30(月) 23:37:44 ID:39LiHynU
809 :
人間七七四年:2009/03/31(火) 00:23:02 ID:36+rHoRJ
その神後伊豆の手に渡ったという袈裟がコールタールまみれならば
上泉伊勢守の判断力は冷静で的確。
810 :
人間七七四年:2009/03/31(火) 11:22:57 ID:NegBKJNz
つまり真実の上泉伊勢守はこれ↓ということでFA?
∧
, ー ヽ
γ :「 | ヽ 「わしは僧侶じゃ。
| 凹:凹 | 殺傷などせぬ。
キ :L__ ./レl ただ、腹を減らしたその子に
ヽ _: /] ノ この握り飯をやりたいだけじゃ。
「 V ヽ ほれ、おぬしもどうじゃ」
ゞー- -
/ ̄ ̄ヽ ヽ ←秀綱
/ ̄ヲ ■ | |
811 :
人間七七四年:2009/03/31(火) 12:44:10 ID:uG726DvX
>>762 ぴゅんぴゅんしならせるのが早くても
長大な太刀の一閃で断ち切られたらただのしなる棒
812 :
人間七七四年:2009/03/31(火) 14:39:17 ID:WgVnYoTE
>大坂陣七人斬りの柳生宗矩
これは実話なのかな?
関が原合戦では、柳生は働きは裏方程度でも加増されているのに、
大阪の陣では褒賞をほとんど受けてない。
将軍の命を刀で救った、という話が本当なら恩賞は莫大になりそうなものだが。
813 :
人間七七四年:2009/03/31(火) 15:18:06 ID:NegBKJNz
814 :
人間七七四年:2009/03/31(火) 18:04:00 ID:JtUJHvki
関ヶ原での活動は島左近との関係からしても
畿内旧筒井家臣団のとりまとめを
みごとにやってのけた事の褒美だろう。
戦争のキーマンだったと言っていいほどの働きだった。
仮に本当に七人斬りをしたとしても個人の働きなので
加増とかは無いかもね。
太刀とか名馬を貰うとかぐらいじぁね?
まあ徳川実紀に名を残しただけでも
一介の剣士レベルではたいへんな名誉だと思うが。
815 :
人間七七四年:2009/03/31(火) 19:27:13 ID:NegBKJNz
実際、すぐ後の坂崎事件の解決で得られた報酬が、
坂崎家の家具一式と伏見の屋敷、あと例の二蓋笠の紋で、加増は無しだからな。
七人切りくらいならともかく、多少働いても加増があるとは限らんか。
というか、徳川実紀に載ってる剣士って柳生と小野以外で誰かいたっけ。
紀州家の田宮長勝くらい?
816 :
人間七七四年:2009/03/31(火) 22:18:41 ID:36+rHoRJ
有馬大善は載ってなかった?
まあ、その有馬流を有馬豊前守に伝えた人物なら徳川実紀に出ていたと思うけど。
817 :
人間七七四年:2009/03/31(火) 22:20:00 ID:36+rHoRJ
大膳でした。
818 :
人間七七四年:2009/04/01(水) 05:00:19 ID:kKFn/iqT
柳生五郎右衛門
但馬入道の第四男-即ち宗矩の兄-に五郎右衛門と称する勇士があったが、
後伯書の国飯山城に客となっている頃、
上州横田内膳を助けて中村伯書守の多勢を引受けて勇戦し武名を響かしたが、
慶長八年十一月十五日城陥るに及び五郎右衛門は城より打って出て、
新陰流の古勢「逆風の太刀」をもって甲冑武者十八人を斬り伏せ遂に戦死したが、
伯州の民五郎右衛門の武勇に感じ社に祀ったということである。
819 :
人間七七四年:2009/04/01(水) 12:35:59 ID:EXIYmMkg
>>816 おお、有馬大膳も載ってたのか。
大膳が死んで、有馬系の新当流を継げるのが家康だけになったから、
孫が育つまで家康がその流派の宗家になってたってやつだっけ。
その辺があるなら奥山休賀斎も載ってるかもなあ。
手元に徳川実紀がないと、ちゃんとチェックできんなあ。
流石に剣豪ネタ調べるためだけに買うのもなんだし。
820 :
人間七七四年:2009/04/01(水) 16:56:29 ID:9Ht2dB+a
有名な剣士でも、戦場では槍や長刀を振るっているが。
じゃあその槍術等の使い手ではどんな著名人がいたんだろう?
宝蔵院とか高田又兵衛とか、可児才蔵ぐらいしか思い浮かばん。
まぁ大抵の剣士は槍も使えたんだろうけども。
821 :
人間七七四年:2009/04/01(水) 18:40:00 ID:z470WAKZ
武芸者として身を立てていたわけでも著名な流派に属していたわけでもないが、
実戦を重ねた武将で、槍の評判が高い人物ならいくらか挙がるだろう。
保科正俊(異名が槍弾正)
渡辺守綱(異名が槍半蔵)
服部正成(渡辺守綱とセットで語られる槍の名手)
本多忠勝(名槍”蜻蛉切”を自在に操ったことで有名)
前田利家(異名が槍又佐)
武芸者の代表格・上泉信綱も武将だった当時、
戦場では槍を使い、
その槍術が達人だったわけだし。
822 :
人間七七四年:2009/04/01(水) 19:03:30 ID:MaYuoPgA
賤ヶ岳七本槍とか上田七本槍とか長野十六槍とか
823 :
人間七七四年:2009/04/01(水) 19:46:11 ID:kG0uJXac
“鎗の鈴”国司元相も
ところで、鎗の鈴って何?
824 :
人間七七四年:2009/04/01(水) 22:56:40 ID:Ls4zPEt4
江戸以前の武術そのものが槍、薙刀、太刀、棒、杖、馬術
手裏剣までも包括していたりする。
825 :
人間七七四年:2009/04/01(水) 23:00:22 ID:E1gffabT
>>230の人のカキコによると有馬大膳は附録に出ているらしい。
ところで素槍以外にも鍵槍、鎌槍、十文字槍、管槍と槍の種類は多いが
一対一の決闘に一番向いているのはどれだろうか?
826 :
人間七七四年:2009/04/01(水) 23:09:35 ID:MaYuoPgA
使い慣れてるやつじゃね?
827 :
人間七七四年:2009/04/01(水) 23:21:27 ID:9Ht2dB+a
十文字槍じゃないかね。突きがかわされても、横にでた刃で相手を殺傷できる。
薙ぎ払いとかにも使えるし。
828 :
人間七七四年:2009/04/02(木) 00:53:49 ID:PP+kgXpc
太い棒で戦う真壁暗夜軒さんが好きです
でもどうかと思う
829 :
人間七七四年:2009/04/02(木) 01:37:06 ID:XkTQbMQ1
太い棒って、刃物より壊れにくいから、打撃力だけで敵を倒せる自信があるのなら最適じゃない?
確か江戸期の剣豪の誰かも、多人数相手にすると普通の刀じゃ折れるし切れ味落ちるからいかん、と刃引きの刀をわざと携帯していたそうだし。
830 :
人間七七四年:2009/04/02(木) 10:40:18 ID:4itevC7s
>>829 無住真剣流の針ヶ谷夕雲か。
大名行列に喧嘩売っても、これ(刃引きの刀)ならはじめから刃こぼれを気にしなくていいから
護衛を全員叩き殺して、大名をブチ殺せる、とか言ってた奴だな。
元は真新陰流で、師匠の小笠原源信斎を倒したこともあったらしい。
こんなのが「相抜け」とか言い出すのも面白いところではあるわな。
831 :
人間七七四年:2009/04/02(木) 10:45:50 ID:4itevC7s
間違えた。
×無住真剣流
○無住心剣流
832 :
人間七七四年:2009/04/02(木) 17:35:31 ID:N+P30ZaG
刀だと刃が食い込んで動きが鈍ること考えれば多人数相手はノックバック重視の
棍棒の方が安定するんじゃないかに
833 :
人間七七四年:2009/04/02(木) 18:45:52 ID:4AsEKeqL
清水太郎左衛門とか
834 :
人間七七四年:2009/04/03(金) 11:53:14 ID:+N5Gl878
まあ、「槍は切るもの刀は突くもの」とか言われたりして、
刺突よりも振り下ろして叩く方がメインと言われてるしなあ。
敵味方とも鎧を着てたらそんなもんだわな。
それ以外だと槍衾くらいか。
ところで話変わるんだが、伊藤一刀斎って戦場には出たことあったっけ?
小説とかだと北条家に加勢してたみたいな話はあるけど
実際はどうだったのかね?
835 :
人間七七四年:2009/04/03(金) 14:34:25 ID:kjU70y8s
侍の手槍と足軽の長槍は似て非なる物だが…
836 :
人間七七四年:2009/04/03(金) 14:39:56 ID:WgyzSV97
ていうか、全くの別物だわな。
他スレでも混同して語る者がいて困ることがある。
「武将槍」と「足軽槍」と使い分けることを提言したい。
837 :
人間七七四年:2009/04/03(金) 16:59:49 ID:+N5Gl878
>侍の手槍と足軽の長槍は似て非なる物だが…
ごっちゃになってた。すまん。
基本的に武芸者の槍は手槍の印象があるけど、
長槍使う武芸者っていたっけ?
838 :
人間七七四年:2009/04/03(金) 18:30:43 ID:DbchYbbF
管系は長いんじゃね?馬上じゃ無理だろうけど。
香取とか宝蔵院は7尺ちょいぐらいだったかな?
佐分利とか半蔵のは刃渡りが長いから
突くより斬りだね。
839 :
人間七七四年:2009/04/03(金) 20:57:45 ID:h+fAj4gB
あそこは宗家がちゃんと稽古してたらなぁ…
それでも最近はちょっと変わったよな
絶対回りに言われたんだぜw
840 :
人間七七四年:2009/04/04(土) 00:03:04 ID:0v/J2VYK
どこの宗家の話じゃ?
841 :
人間七七四年:2009/04/05(日) 19:21:05 ID:VEYnihGy
武道板の誤爆じゃないの?
842 :
人間七七四年:2009/04/05(日) 20:08:08 ID:NQ4Qh5Tq
↑の流派のことよ
相当有名。まぁ、どこも色々アレなんだが
843 :
人間七七四年:2009/04/06(月) 00:50:29 ID:3qNOBVTK
まあ、現代は環境が違いすぎるからなあ。
モロ実用技術だった戦国時代とか、
名目上だけでも武芸をやっておく必要があった江戸時代と比べて、
実用も名目も関係ないわけだし。
まあ、例外もあるだろうけど。
844 :
人間七七四年:2009/04/06(月) 00:59:05 ID:xQ1BxIz8
普段携帯できるものじゃないとな、
今だと携帯電話術とかエコバック術とか
845 :
人間七七四年:2009/04/06(月) 01:09:40 ID:EyC9Jb33
初見さんあたりが作りそうだな。
846 :
人間七七四年:2009/04/06(月) 04:39:44 ID:c0u61rIB
明治初期にまだ武田惣角が諸国武者修行の旅をしていた頃に旅先で
戯れに銭を投げて戸板にめり込ませて遊んでいる人を見て
手裏剣の修行が馬鹿らしくなって辞めたと言う話しがある
847 :
人間七七四年:2009/04/06(月) 10:26:16 ID:7EGBdZjQ
いや、その遊びでやってた人ってのは日本一級の達人だったんじゃねーの?w
848 :
人間七七四年:2009/04/06(月) 17:52:08 ID:EyC9Jb33
ああ、その人名前が残ってたはずだよ。
ただ惣角が止めたのは手裏剣じゃなくて銭投げだったのでは?
惣角にとって手裏剣は収入源+食料調達の道具だし。
849 :
人間七七四年:2009/04/06(月) 20:31:32 ID:a3KP0vbl
戦国時代だと手裏剣術だけでなく
印字打ちも自流派に組み込んでるところがあったっぽいけど、
銭投げだと、もう殆ど見世物なんじゃね?
戦国当時で、手裏剣術か印字打ちで有名な武芸者っていたっけ?
850 :
人間七七四年:2009/04/06(月) 23:10:10 ID:EyC9Jb33
無二介なんかやってたんじゃない?息子も手裏剣の流祖だし。
形に手裏剣が含まれるのがタイ捨流。
あと鉛の打玉を使う流派とか有る。
名前はわからんけど太平記に投げ矢の達人が出てくる。
今でも印西派あたりで打根やってたと思う。
851 :
人間七七四年:2009/04/08(水) 12:00:31 ID:9J7Vb6h/
リーチの長い武器(飛び道具含む)と戦った逸話のある武芸者って誰がいたっけ?
武蔵(奥蔵院:槍、梅軒:鎖鎌)、胤栄(弓:菊岡宗政)、丸目蔵人(名前不明:鎖鎌)くらい?
852 :
人間七七四年:2009/04/08(水) 12:26:20 ID:wROvponI
>>851 丸目蔵人長恵は槍で一派を立ち上げた大滝って奴とも闘ってるよ。
853 :
人間七七四年:2009/04/08(水) 12:57:12 ID:WaRD0V79
塚原ト伝が長巻の相手と戦って勝ったりしているな。
ちょっと質問。そのト伝と、刀と槍双方で試合して、どっちかでは勝ったけどもう片方では負けた武芸者って誰だっけ?
854 :
人間七七四年:2009/04/08(水) 13:42:13 ID:8LU9AD/G
>>853 草深甚四郎時信じゃなかったかな?
ネットで調べても、イマイチよくわからん人だけど。
855 :
人間七七四年:2009/04/08(水) 17:32:33 ID:jzNtDN7F
856 :
人間七七四年:2009/04/08(水) 19:04:46 ID:A6AdOlx5
>853
そう、草甚だね。
857 :
人間七七四年:2009/04/08(水) 20:18:19 ID:9J7Vb6h/
斉藤伝鬼坊入れるの忘れてた>対飛び道具
そりゃ最終的には死んだけど、数十人から集中狙い撃ちされても、
しばらくは切り払ったり防いだりしてるからな。すげえ。
858 :
人間七七四年:2009/04/09(木) 12:39:51 ID:vFRSmDCE
ちょっと質問。
伊藤一刀斎って東国の武芸者と西国の武芸者、
どっちに分類する方がらしいと思う?
859 :
人間七七四年:2009/04/09(木) 17:23:14 ID:pCWe6lQv
>>858 生国が定かじゃないから
分類不能が正しい。
個人的には伊豆大島説を信じてるけど
860 :
人間七七四年:2009/04/09(木) 20:33:23 ID:w8cZwbAG
一刀斎自体が複数存在するからな。
わかっているのは小田原に一刀斎という武芸者がきていた事。
オイラは北陸の鐘巻自斎=一刀斎説だな。
861 :
人間七七四年:2009/04/10(金) 03:30:43 ID:S9BhIJRq
それおもしろいね
鐘巻自斎自身が伊藤景久こと一刀斎の師匠、ではなく一刀斎本人ってこと?
でも自然に考えたら
一刀斎っていう号が師から弟子に移行したんじゃないの?
862 :
人間七七四年:2009/04/10(金) 04:03:07 ID:dvU6iyJM
でも小野忠明は、一刀斎を名乗ってないよ。
あるいは小野忠明自身が一刀斎を作り上げたんだったりして。
オレの剣はこんなすごい人から学んだんだ、という流派箔付け。
863 :
人間七七四年:2009/04/10(金) 09:30:23 ID:iHCvScsA
忠也は伊藤を継いでなかったかな?
864 :
人間七七四年:2009/04/10(金) 11:56:20 ID:KZDe1LQx
俺の見解
鐘撒自斎が現役だった当時(で、自斎を名乗る前)、
流派の屋号として一刀斎と称してみたことがあった。
後に撤回、というか改名というか…。
さらに後、弟子の一人がまた一刀斎を名乗った。
こうして、二人の事跡は混同されていくことになる。
865 :
人間七七四年:2009/04/10(金) 12:01:39 ID:iHCvScsA
あと唯心は外他流じゃなかったかな?
つまり富田流名乗ってた。
866 :
人間七七四年:2009/04/10(金) 12:48:58 ID:fwo499Kr
一刀斎の来歴で大体共通してるのって、
「一刀流(と後に呼ばれる流派)を創始した」
「典膳、善鬼、古藤田俊直を弟子にした」
くらいか?
出身は複数説あるし、自斎に弟子入りしたかどうかも確定じゃないし、
どこをどう巡ったかもわかりづらいし、
後継者は典膳だか実は善鬼だかでややこしいし、
どこでどう死んだかも不明ってのもなあ。
現代剣道の祖流にもなった流派の流祖がこれってのはなあ。
記録がないのは、やっぱり牢人だったからか?
小野家の記録(将軍家からの誓紙とか)も火事で燃えたっていうし、
残念というかなんというか。
867 :
人間七七四年:2009/04/11(土) 01:46:51 ID:fpE1xCZz
>>866 一刀流と現代剣道じゃ間が結構挟まってる上に、
他の流派の要素も色々入ってるから、単純に祖流扱いするのは無理があるんじゃね?
868 :
人間七七四年:2009/04/11(土) 13:19:30 ID:mjb30EZE
どっちかと言うと現代剣道の祖流は神蔭だろ。
竹刀稽古も防具も新陰、直心の発明。
竹刀を38に規定したのも男谷。
下層階級が台等してきて広まったのが北辰等の中西系。
むしろ鉄舟が瓶割り伝承から一刀流の伝を正すまで
小野本家は埋もれた存在だったと思う。
869 :
人間七七四年:2009/04/11(土) 13:23:49 ID:8H3m9GcF
将軍家流儀で、基本的に敷居も高かっただろうしね。
870 :
人間七七四年:2009/04/11(土) 15:33:06 ID:p7LYlgSO
一刀流が広まったのは、弟子にも免許状を出すことを許したのが大きいんだろうな。
江戸柳生はいちいち江戸の宗家に行く必要があったし、尾張柳生は御留流だし。
当時の世間で「強さは一刀流の方が上」と評判されたらしいのは、その辺りもあったんじゃないかな。
もっとも、この話はよく聞くけど、そう書いてある当時の史料ってわかんないんだけどさ。
871 :
人間七七四年:2009/04/11(土) 23:20:43 ID:mjb30EZE
柳生は技が難しいからな。
天狗抄レベルとかは眼の前で遣われると
動きも読めないほどだから強いと思うけど
そこまで行けたのは一握りの門弟だし。
同じ修行年数なら一刀流の方が強かったかもな。
872 :
人間七七四年:2009/04/12(日) 16:53:08 ID:gEUGWQvm
幕末の江戸三大道場のうちの二つが新陰流系なわけだから
別段一刀流系に比べて普及していないということもないのでは?
873 :
人間七七四年:2009/04/13(月) 05:24:39 ID:pRp65dy/
一刀流系と呼ばれるものは、小野派も中西も北辰も兄弟流儀で親等が近いけど、
新陰流系と呼ばれるものは、柳生とその他では親等が離れまくって
名前が似てても中身は全く別物といってよいくらい違うからな。
874 :
人間七七四年:2009/04/13(月) 14:29:48 ID:70/XUhgB
そういえば
薩摩示現流だって新陰流系統だもんな
弟子オリジナリティ発揮しすぎだろ
875 :
人間七七四年:2009/04/13(月) 14:51:05 ID:pRp65dy/
示現流はタイ捨よりも善吉の天真正自顕流の影響が強いみたいだし、
天真正系の元は香取鹿島の剣だから、やっぱ神道系らしい気合の剣術と
善吉和尚の仏教の簡素さが融合して、シンプルかつ気合鋭い剣を突き詰める
方向に向ったんじゃなかろうか・・
876 :
人間七七四年:2009/04/13(月) 16:15:54 ID:jQ/JqoMr
戦国当時の大名も、一応剣の稽古くらいはしていたと思うんだけど、
特定の流派の弟子になったのってあんまり聞かないね。
流派とまでは行かないけど、家ごとに通り一遍的な剣の使い方みたいなのはあったのかな?
877 :
人間七七四年:2009/04/13(月) 18:06:15 ID:70/XUhgB
上泉伊勢の守なんかどうなんよ
剣術に入れ込むあまり、大名やめちゃったひとじゃん
愛洲陰流のいこうさいに弟子入りしてたっしょ。
あと一応大名ぐらいになると弟子入りというよりは食客という形をとることが多いんじゃないの
武田信玄も新当流納めてるでしょたしか。
878 :
人間七七四年:2009/04/13(月) 19:05:37 ID:q2l1uvJr
成田長泰は塚原の弟子
879 :
人間七七四年:2009/04/13(月) 19:46:43 ID:51NQYOSL
今川義元:新当流。
徳川家康:有馬流、神蔭流、柳生流。
立花宗茂:タイ捨流。
長野無楽斎:田宮流。
剣ではないが竹内久盛は太閤の師匠だとか。
880 :
人間七七四年:2009/04/13(月) 23:42:20 ID:oULGRgPn
信長の兵法の師匠である平田三位って何者?
881 :
人間七七四年:2009/04/15(水) 11:58:11 ID:V9MVoP7f
鎌倉期には弓の訓練は流鏑馬・犬追物など、組み討ちの訓練は相撲が
行われていたようだけど、刀や薙刀はどうしていたんだろう?
882 :
人間七七四年:2009/04/15(水) 18:26:15 ID:d5+B9hj6
中条と小田がやってなかったか?
まあ後世の中条流とは違うけど。
念和尚も数流派学んでたらしいから当時から
剣技流派は有ったとは思う。
883 :
人間七七四年:2009/04/16(木) 02:38:29 ID:tE0d5ND5
元寇のとき活躍した松浦党とかそういう武士たちも倭寇に参加してるけど
後年戦った明の武将が
やつらの剣術すげーっていってるしわりと普及してるんじゃないかな
884 :
人間七七四年:2009/04/17(金) 09:46:44 ID:kvgfZs4e
それこそ流派でなく各々の家にシンプルな家伝の刀法があったのだろうね。
885 :
人間七七四年:2009/04/17(金) 14:34:43 ID:ab/g08Zc
>>883 そういえば陰流が明に伝わってたけど、
あれってその後発展したのかな?
あと、下がってたからageとく
886 :
人間七七四年:2009/04/17(金) 14:36:16 ID:hZMvEwwR
武備志、という本に、日本の本場でさえ失われた伝書が記載された、という話はあるけど。使い手のことは聞かないな。>明にわたった陰流
887 :
人間七七四年:2009/04/17(金) 14:50:17 ID:5cONG7Mi
愛州移香斎ってロマンを掻き立てる男だよな・・・・
伊勢の海賊一族出身で、海を渡り歩き、倭寇の海賊達を相手に剣術を伝えて
歩いた男だろ?
きっと日に焼けてガングロで、海賊達にも一目置かれる、ジョークの解る
自由を愛するシブい爺さん(ちょっとスケベ)だったんだろうな・・・・
888 :
人間七七四年:2009/04/17(金) 15:51:03 ID:y9ZRJLpf
なにそのジジイ萌えのハートをくすぐる設定
889 :
人間七七四年:2009/04/17(金) 16:12:49 ID:ysc2kkAT
もちろん素肌に一枚羽織ってふんどしですよね
890 :
人間七七四年:2009/04/17(金) 18:56:13 ID:ab/g08Zc
山風の柳生十兵衛死すだと虎眼先生扱いだったな
基本ボケ老人で、戦う時だけシャッキリする
891 :
人間七七四年:2009/04/17(金) 21:43:05 ID:Oz5ulT6a
892 :
人間七七四年:2009/04/18(土) 00:46:26 ID:MiFT6/AJ
>主人を補助する「中間や小者、あらしこ」に仕立てる速成術である。
そうだったの!!?
まぁ、神社で介者剣術もねーとは思っていたが
893 :
人間七七四年:2009/04/18(土) 01:06:27 ID:rSojHIz8
60歳過ぎてから子供作ってるとこみても、ちょっと所かド・スケベ爺さん
だった可能性もあるんだよね・・
894 :
人間七七四年:2009/04/18(土) 08:01:58 ID:hrhKYmxL
>>892 http://kageryuu.web.fc2.com/sub11.html >新當の武術は「武士」を対象とした「介者刀法」では無く、
少なくとも今残っている鹿島新当流はどう見ても介者剣術。というか戦場に出たらみんな鎧着てるんだし
主人を補助する中間や小物だろうが介者剣術じゃなきゃ使い物にならないよ。何か介者剣術を特別なものとか
お思いなんだろうか?
http://kageryuu.web.fc2.com/sub1.html >「刀が戦いにおける主要武器として使われた」のは明治維新後の「西南
>の役」の際で、鎧・兜を着用した時代では「槍、鉄砲、弓矢」が主力武器で
>あった事実は「手負い注文」や「軍忠状」等の研究で明らかです。更に、
>「武士道」についても「時代」や「地域」に依って全く考え方が違います。
>「剣道の厳しい稽古を通じて剣の技を学んだ」のは、明治以降で日本の
>歴史の流れからみれば、つい最近からです。
まあ、こんなこと書いてるサイトの意見だし、話半分に受け取るほうがいいよ。
895 :
人間七七四年:2009/04/18(土) 17:13:31 ID:6w68+mpt
あ〜なるほどなるへそ
まったく読まんで先走った。
ありがとう。
ちゅうか新当流も名門なのに今はさびしいよねぇ。
896 :
人間七七四年:2009/04/18(土) 17:17:56 ID:BB+W1WIi
神道流系を仮想敵というか商売仇みたいに思っている人なのかな?新当流が下賎の者の技なら、
それを習って喜んでいた大名たちは一体…?
その新当流だって富田流の技を「外の物」として取り込んでいる歴史もあるんだから、陰流の愛洲の一族が
新当流の技を学んでいたって不思議はないわな。むしろそういう流儀間の交流を示すいい資料ではないかな?
897 :
人間七七四年:2009/04/18(土) 17:32:24 ID:ZCEH9XNl
むしろ一流にこだわった人のほうが少数派の気がするが。
門外不出、とかになるのは幕藩体制成立で武芸自体が囲い込まれてからでしょ。
898 :
人間七七四年:2009/04/18(土) 17:56:04 ID:BB+W1WIi
>>895 大部分が新陰流に移行したらしい。技術や稽古法が進歩的だった上、新当流修行者にも
乗り換えやすかったんだろう。
>>897 上泉伊勢守なんて三流学んでいるしね。
899 :
人間七七四年:2009/04/18(土) 19:03:13 ID:U4o/VZhA
>>830 甚だ亀だが、夕雲のあとをついだ小井出一雲も、
その弟子の真里谷円四郎に敗れてる。
曰く「相抜けなどと大業に言い過ぎ」と。
この辺の言動が災いしてか円四郎は門下から離れてしまい
ほどなく無住心剣流自体消えるのだが。
900 :
人間七七四年:2009/04/18(土) 22:13:33 ID:aW2vW37U
>「関八州古戦録」に登場する「鹿伏兎刑部少輔」を「河童」と称している例がある。
たしか古戦録のカッパは鹿伏兎刑部の師匠(天真正)の事だったとおもうが。
901 :
人間七七四年:2009/04/18(土) 22:37:01 ID:KAWmN/yI
>>891のサイトが飯篠長威斎を目の敵にしているのは「武芸小伝」で長威斎が
本朝剣術の祖とされていることが気に入らないからみたいだな。しかし他所を
執拗に攻撃するより、まずは実像がほとんどあきらかでない自分のところのご本尊の
移香斎についてが先決じゃないのかな?移香斎海賊説なんて、何の証拠もない
推論にすぎないんだから。
http://ja.wikipedia.org/wiki/塚原卜伝 それにしてもここの外部リンクが三つともそこのサイトなのはどうかと思うw
しかしウヨっぽい雰囲気のサイトなのに剣道韓国起源説を軽く流していたり、よくわからんな。
902 :
人間七七四年:2009/04/18(土) 22:39:49 ID:KAWmN/yI
903 :
人間七七四年:2009/04/18(土) 23:06:00 ID:GKbcSKly
>>902 御林軍が日本刀を通常装備していたのは史実だけど、影流云々は書いた人の脳内お花畑ソースですよw
904 :
人間七七四年:2009/04/19(日) 11:45:00 ID:RqziWi6C
愛洲元香斎が佐竹に仕えた理由は何なのだろう?愛洲氏が武田の裔というならば
先祖が同じ新羅三郎義光になるけど、つながりとしては弱いよな。
905 :
人間七七四年:2009/04/19(日) 11:58:15 ID:RqziWi6C
906 :
人間七七四年:2009/04/19(日) 13:02:19 ID:Un0BoYE/
そこが元香斎の知行地なら国道50号沿いの街道だから
水戸、那珂港に抜ける要所だったと思う
他は水戸街道で筑波をぐるりと迂回するしか無いね。
愛州には修験者としての情報力と国境警備の意味もあったのかもしれない。
佐竹は熊野の僧兵も情報源に使ってたからね。
まあ、想像だけどね。
907 :
人間七七四年:2009/04/19(日) 13:50:08 ID:T35RNlvL
>>905 東京本社勤務を希望したのになぜか山口県行きを命ぜられたおれには
「まあそういうこともあるだろうな」としかおもわんが
908 :
人間七七四年:2009/04/19(日) 20:00:44 ID:y5vLGgi/
ワラタ
909 :
人間七七四年:2009/04/19(日) 21:21:36 ID:WK7GheAP
移香斎が陰流を創始した宮崎の鵜戸神宮は、念流とゆかりがある事でも
名が知れていて、念流の伝書に出てくる猿御前と移香斎との関わりも
指摘されている。
相馬と常陸は比較的近い事から、何らかの交流があったのだろうと思うのだが・・
910 :
人間七七四年:2009/04/19(日) 22:47:21 ID:tkICxqSJ
911 :
人間七七四年:2009/04/20(月) 02:06:28 ID:gWo2UQtK
刀剣自体は、それこそ鎌倉以前から輸出されてなかったっけ?
装備があったから使い方も、という考えはたしかにあるかもしれんが…
912 :
人間七七四年:2009/04/20(月) 08:59:55 ID:j9SKn+NL
日本刀歌を読む限りではまだまだその頃は美術品扱いのようだな。
913 :
人間七七四年:2009/04/20(月) 09:47:45 ID:qm+Nyw3n
少なくとも倭寇が発生したころまでには海外に流出するほどには末端の雑兵にも剣術が普及しとったということだろう
914 :
人間七七四年:2009/04/20(月) 13:23:43 ID:S+Mn6/qv
倭寇といっても、陰流が明に伝わったと言われてるのは
室町時代の前期倭寇じゃなくて、後期倭寇の頃の話ね。
前期倭寇は勘合貿易が始まる以前だから、移香斎の時代よりはずっと前。
915 :
人間七七四年:2009/04/20(月) 13:38:17 ID:j9SKn+NL
伝わったというか倭寇が伝書を分捕られたのでは?
916 :
人間七七四年:2009/04/20(月) 18:30:26 ID:xqy3A1Bt
917 :
人間七七四年:2009/04/20(月) 21:24:04 ID:HB/8I30t
何で痛いニュースなんだ・・・?
918 :
人間七七四年:2009/04/20(月) 21:36:17 ID:fQ/e3Gih
誰か素人受けする逸話を捏造してゴッドハンドでどこぞの古資料に埋めてこいや
919 :
人間七七四年:2009/04/20(月) 21:37:16 ID:xqy3A1Bt
乳切木や鎖鎌はマイナーゆえに有効だったということもあるかもしれん。
920 :
人間七七四年:2009/04/20(月) 21:38:23 ID:xqy3A1Bt
スレ間違えた。
921 :
人間七七四年:2009/04/20(月) 22:26:30 ID:MJZRmCdZ
卜伝の逸話は無手勝流とかの渋すぎるのもあるし、卑怯すぎるのもあるし、
あんまり現代受けしないのかな?
922 :
人間七七四年:2009/04/20(月) 22:45:54 ID:S+Mn6/qv
俺はト伝みたいなとんちの利いた兵法家って大好きだけどね・・・
確かに現代人は、一対一の勝負で強いか弱いかを決めて、序列をつける
事に価値観を置いてるから、ト伝みたいな人物はウケが悪いかも。
923 :
人間七七四年:2009/04/21(火) 01:07:10 ID:G1mEznV9
まあ、将軍指南で七人の侍のモデルの一人だからな。
後世の武芸者はどうやってト伝を模倣するか、
どうやってト伝を超えるかで必死だった感じだな。
武蔵も五輪書でさんざん鹿島神人をこきおろしながら
「我、戦場で戦うこと○度、真剣の立合い○度」とか
ちゃっかりト伝のフレーズをパクってる。
当時あまりにもメジャーになりすぎてスタンダードになってしまったんだろうな。
924 :
人間七七四年:2009/04/21(火) 11:28:15 ID:jov0xtxm
>>922 策も兵法のうちの筈なんだが、どうもそういうのは好かれないよね。
フィクションとかで「武芸者らしく正々堂々と」とか言ってるのを見ると、
凄く微妙な気分になる。
まあ、現代の剣道/剣術も、そのイメージに乗っかってるから
過去の武芸者も遡及して評価されてしまうってことなんだろうけどさ。
当時の価値観で評価してほしいな。
925 :
人間七七四年:2009/04/21(火) 13:01:12 ID:BOFgiwcO
十九度の真剣勝負というのは多すぎず少なすぎずのリアリティのある数字なのだが、
三十九度の出陣はどこで?鹿島近辺でそれだけの合戦があったとは少し考えにくいが
武者修行中に陣借りでもしたのだろうか?
926 :
人間七七四年:2009/04/21(火) 19:01:23 ID:jov0xtxm
当時の価値観で思い出したんだが、
当時の流派の権威ってどのくらいのものだったんだろうか?
柳生新陰流や一刀流の正統相伝の話を見る限りでは、
それなりの権威や重みがあったものと思うんだが。
927 :
人間七七四年:2009/04/21(火) 19:18:11 ID:dsLVgCZ2
一ツ太刀の唯授一人は乱発気味だがw
928 :
人間七七四年:2009/04/21(火) 19:34:23 ID:aIjA6mFw
卜伝は北畠さんにしか教えてないんだよな
臨終の際息子に、お前が息子で家を継ぐとは言っても一の太刀は
北畠さんにしか教えてないから自分で考えて教えて貰えって言ってるし
それで頓知を利かせて北畠さんを騙して
一の太刀を教えてらうのも養子とはいえ流石は卜伝の息子w
929 :
人間七七四年:2009/04/21(火) 19:36:46 ID:KL5W4WrA
そういや、念流宗家の樋口家は、
今年の大河ドラマ主役・兼次の出自である樋口家と関係あるみたいだね。
どちらの家系も先祖が木曽義仲重臣・樋口兼光ということになってるそうだ。
930 :
人間七七四年:2009/04/21(火) 19:44:34 ID:KL5W4WrA
誤字失礼、
大河ドラマ主役・兼続…
931 :
人間七七四年:2009/04/21(火) 19:50:17 ID:jov0xtxm
そういえば一之太刀はそうだったな。
唯一伝授の割には足利義輝にも教えてたけど・・・。
やはりそれなりに武芸者にも権威があったってことだな。
そう考えると当時の武芸者というか武術流派の弟子からすれば、
権威的に、自流派の師匠>将軍ということも有り得たんだろうか?
というのは、どうも当時の武芸者視点で考えると、
柳生宗矩をどう評価したのか見えづらくてな。
もしかして、新陰流正統の兵庫助がいたからこその将軍家指南役、
という見方も出来るんじゃないかと思ってるんだが。
932 :
人間七七四年:2009/04/21(火) 22:19:03 ID:G1mEznV9
>>925 17歳からの武者修行の13年間の数字だな。
年に1、2回は真剣で勝負して無傷で勝ち残った事になる。
化け物並の強さだ。
それでいながら各地に門弟を残し全国の国力や合戦の仕方まで
調査しているはずだから、たかが一介の武道芸者とはいえ
足利将軍や山本勘介も一目置くだろうな。
933 :
人間七七四年:2009/04/22(水) 00:04:42 ID:SgJmHasn
一之太刀って心得?
934 :
人間七七四年:2009/04/22(水) 00:14:55 ID:Kk5gFxmt
その説もある。けど下手をすれば単に大物パトロンに対する修了証の可能性もあるな。
まあ、こうやって一ツ太刀ってなんだろうって悩むこと自体卜伝の術中に
嵌っていると言えなくもないw
935 :
人間七七四年:2009/04/22(水) 00:38:09 ID:C2ETI5wD
天の時、地の利、人の尽力
それが一致する時に一つの太刀となる
卜伝はそう言うけどその域まで実際に達した者たちはいたのだろうか
936 :
人間七七四年:2009/04/22(水) 00:40:51 ID:ChX8LjZM
新陰流には新当流伝来の一之太刀が伝わっているよ。
技法として連也斎の書いた伝書の中にも出てくる所を見ると
少なくとも江戸時代初期には、一技法としてト伝一之太刀が認識されて
いたという事は言える。
937 :
人間七七四年:2009/04/22(水) 02:06:46 ID:FYc7b2So
何百年も前の釣りに今でも掛かってるとしたらくやしすぐる・・・
938 :
人間七七四年:2009/04/22(水) 10:40:01 ID:60KtimPq
シンプルに示現流の初太刀みたいなものかも。示現流も神道流からの分かれだしね。
939 :
人間七七四年:2009/04/22(水) 14:39:12 ID:ChX8LjZM
それは俺も考えた事ある。
元々、善吉和尚の天真正自顕流は神道流から分かれたものだしね。
一之太刀こそ究極と認めた使い手がそれを突き詰めて、示現流の雲耀の太刀
へと昇華させたという可能性もあるかもね。
940 :
人間七七四年:2009/04/22(水) 18:49:12 ID:60KtimPq
あの叫び声は善吉和尚に教わったのだろうか?
941 :
人間七七四年:2009/04/22(水) 19:02:57 ID:sb4weoR8
ふつうに、あれが本来の神道流スタイルだったのではなかろうか?
十瀬与三左衛門は心影流三祖の飯笹若狭の弟子だしね。
もともと眼の前の敵を全力でぶっ倒すのが新当流。
『よく敵に向かうのが「新」、よく敵を塵(みなごろし)にするが「当」』、で
これが「新当流」の意味。
942 :
人間七七四年:2009/04/22(水) 19:56:55 ID:IhlFaItM
それって江戸時代の後付けでは?
943 :
人間七七四年:2009/04/22(水) 20:37:50 ID:vaUemw8l
戦国時代じゃだらだら稽古してる暇なんてなかったろうから
オシャレな技じゃなかったことだけは確かだろう
944 :
人間七七四年:2009/04/23(木) 13:33:30 ID:ttMYhPlH
足軽ならまだしも
武功狙いの武士なら少なくとも現代での緊張地帯の兵士が訓練に費やす時間とさほど変わらないぐらいの
時間は軍事か戦闘にかかわる訓練をしてたんじゃないか
945 :
人間七七四年:2009/04/23(木) 16:27:15 ID:gavlc9tR
武士の武芸の代表は、弓や馬術といったものだったからね。
剣術はさして重要視されず、芸能扱いだったぐらいだから。
斬り覚えるもの、みたいな発言残した武将もいなかったっけ?
946 :
人間七七四年:2009/04/23(木) 17:34:16 ID:6m5c2efI
たぶん塚原や上泉の半径2メートル以内に近づくと
相手だけ、時の流れが半分の速度になると思うよ。スロウの呪文みたいに。
だから塚原や上泉は簡単に切れたわけ。
947 :
人間七七四年:2009/04/23(木) 18:01:07 ID:dn9tsMJo
↑ゲーム脳
948 :
仙台藩百姓:2009/04/23(木) 18:34:13 ID:DP0DtqbP
いやいや本当だお( ^ω^)
剣聖や剣豪は巨大化したり相手の動きを鈍くしたり
刀から光りや炎だしたりするスキルを持っていたのだお( ^ω^)
949 :
人間七七四年:2009/04/23(木) 18:36:53 ID:vyLXYP5d
塚原卜伝は「朴伝」とも表記されるが、→
http://ja.wikipedia.org/wiki/塚原卜伝 これは朝鮮語で「朴(パク)さんから伝わった」を意味する言葉であり、
したがって「パクでん」と読むのが正しいという。
この塚原卜伝の師には松本備前守政信という人物がいるのだが、その備前守の松本は通名であり
本名は朴政信であったと考えれば朴伝の名の謎が氷解する。
また備前守の弟子には新陰流を開いた上泉伊勢守信綱がおり、剣聖と呼ばれた二人の師が
在日であったという史実は日本の剣術の起源を考えるにあたって大きな手がかりとなるだろう。
950 :
人間七七四年:2009/04/23(木) 19:47:20 ID:6uoECv9+
>>946 その感覚って、
まさに松山大吉の「心の一方」じゃないか?
951 :
人間七七四年:2009/04/23(木) 19:49:32 ID:nuKzxOIW
体臭がきついだけなんじゃないかに
952 :
人間七七四年:2009/04/23(木) 19:49:45 ID:85XHQfbf
>>949 |
|
∩___∩ |
| ノ _, ,_ ヽ (( | プラプラ
/ ● ● | (=)
| ( _●_) ミ _ (⌒) J ))
彡、 |∪| ノ
⊂⌒ヽ / ヽノ ヽ /⌒つ
\ ヽ / ヽ /
\_,,ノ |、_ノ
953 :
人間七七四年:2009/04/24(金) 10:32:46 ID:WoffxC/t
塚原や上泉の頭上には、常に可愛い天使がグルグル回っており、
「敵が右から踏み込んで袈裟斬りして来るから、左に飛んで、体をねじって斬り上げるんだよ。いいね。」などと事前にアドバイスしてくれる。
上泉「お、おい、右から来なかったらどーすんだよ?」
天使「いいから黙ってやれよ」
と、まあこんな調子で勝ってきたのだ。
954 :
人間七七四年:2009/04/24(金) 13:14:12 ID:SbeuRRvz
955 :
人間七七四年:2009/04/24(金) 14:51:36 ID:BIIheCqm
956 :
人間七七四年:2009/04/24(金) 14:59:06 ID:vjWQZUEy
>>953 つまりこうか
⊂ニニ⊃
____ノ L
/\ / ⌒
/(○) (○) \ 右だお!
/ (__人__). \ とにかく右から来るお!
| |::::::| |
\ l;;;;;;l /l!| !
γ⌒⌒/ `ー' \⌒⌒ヽ
(_ノノ/ ヽ !l ヽしし_)
( 丶- 、 しE |
`ー、_ノ 煤@l、E ノ (
::::::;; ::::::: ::::: :::::;; ⌒
:::::;;; ::::::::::::::: :::;
/ ̄ ̄ ̄ ̄\
/ u ノ \ ほ、本当に大丈夫なのお!?
/ u (●) \
| (__人__)|
\ u .` ⌒/
ノ \
/´ ヽ
957 :
人間七七四年:2009/04/24(金) 15:23:28 ID:oIkJWAP+
>>955 上井草だかの神社で某流派主催の演武会がよくあるんだが
そこに“陰流系”の剣術が出てて面白かったよ。
(新陰ではない。陰流直系、八王子千人同心が云々)
極意が峰打ちとかで、さすがの俺もイキかけた。
958 :
人間七七四年:2009/04/24(金) 21:12:18 ID:FjrUkr7w
井草八幡かな?ちかくに色々言われてる某一刀流系の道場があるんだよな。
しかし陰流がもし現存したとして、上泉による改良がない分イマイチなんじゃないのかな?
959 :
人間七七四年:2009/04/25(土) 00:29:43 ID:g4Y/n4QZ
960 :
人間七七四年:2009/04/25(土) 10:32:39 ID:TNjSOZw6
961 :
人間七七四年:2009/04/25(土) 10:35:41 ID:TNjSOZw6
まあ、まず大河はありえねえし(三重の陰流を称している人たちといいなんで大河にこだわるかね?)天地人ばりに
偽善臭たっぷりの卜伝なんて半分の魅力もないわな。
知名度上げたかったら漫画の方が手っ取りはやいし費用対効果も高いと思う。
962 :
人間七七四年:2009/04/25(土) 15:13:44 ID:/EbSONud
史実に沿った形でDQNっぷりを発揮した卜伝、一刀斎でNHK金曜時代劇が吉
orテレ東
963 :
人間七七四年:2009/04/25(土) 15:50:15 ID:TNjSOZw6
http://city.kashima.ibaraki.jp/info/detail.php?no=3391 >それは、「単なる剣の達人としてではなく、剣を通して人がなすべき道を極めた人物」だったからです。
>現在、国においては、教育再生論議が叫ばれ注目を浴びておりますが、日本人の真の心が失われつつある
>現代において、塚原ト伝という人物を知ることで日本人の誇りと尊厳を再認識できるものと考えています。
教育再生ですか。日本の子供たちにまずは勝って生き残ること、そのためには現在の価値観では卑怯と思えるようなことも
やらなければならないと教えるのですね、わかります。
964 :
人間七七四年:2009/04/25(土) 15:58:46 ID:TNjSOZw6
965 :
人間七七四年:2009/04/25(土) 17:20:38 ID:w3o3JyG5
単純に「第1回廻国修行に出発」の誤植だな。
まだ17歳なのに無敗伝説の始まりだからな。
966 :
人間七七四年:2009/04/26(日) 11:15:24 ID:Pu5R7xHK
武蔵が講談の世界を超えたヒーローになれたのは血気盛んで青年的なイメージだったからだろうけど
卜伝のイメージは慎重居士のじいさんだもんな。いい味が出てる脇役にはなりそうだが、主役はちょっとね。
967 :
人間七七四年:2009/04/26(日) 12:12:34 ID:up4rhEyI
鍋蓋ガードは欠かせないシーンだな
968 :
人間七七四年:2009/04/26(日) 12:30:30 ID:95fADQrR
ト伝は微妙にエロジジイっぽさを匂わせてる所がいいな
969 :
人間七七四年:2009/04/26(日) 13:50:28 ID:euPthsxz
少し前なら難しいだろうけど、現代だったら
おちゃらけキャラかダークヒーローっぽい感じで結構いけると思う。
970 :
人間七七四年:2009/04/26(日) 14:04:43 ID:i9ussngl
いっそのこと金曜時代劇で剣豪将軍義輝でもやればいいのに
971 :
人間七七四年:2009/04/26(日) 15:47:37 ID:eAsTj1i4
義輝なら絵になるよね。乱世に立ち向かった将軍、みたいな感じで。
972 :
人間七七四年:2009/04/27(月) 01:53:50 ID:s/rKF/Qk
最期もかっこいいしな。
ただ演じられる俳優が・・・
973 :
人間七七四年:2009/04/27(月) 07:19:38 ID:MdNHN3H6
>>954 小説の元ネタになった発言があるんだよ。
高坂昌信や伊藤一刀斎のな。
小野忠明なんか、将軍家指南役になるほどなのに、腰の物抜かないで意味あんのか、とかいってるし。
974 :
人間七七四年:2009/04/27(月) 07:22:17 ID:gk8uhLcI
義輝って剣の実力は実際はどうだったんだろうね
975 :
人間七七四年:2009/04/27(月) 11:40:47 ID:AsexerMU
>>973 小野忠明のその話って、
「自分の流派は理屈ではなく、実戦で作り上げたものです」とか
「剣は理屈ではなく、実際に切ってナンボでしょ?」とか秀忠に言ったっていうやつかな?
考え方としてはわかるんだが、時代が悪かったよなあ。
というか、相手が悪過ぎ。
相手が柳生兵庫助か宮本武蔵ならなんとかなったんだろうけど。
976 :
人間七七四年:2009/04/27(月) 12:16:21 ID:j3pDo5AZ
>>973 小野忠明から皆伝を受けている小幡景憲
その小幡は甲州流軍学の祖
そして彼が教本として広めた甲陽軍鑑の原作者と小幡が言う春日虎綱
なんか作為あるよね
977 :
人間七七四年:2009/04/27(月) 13:23:01 ID:AsexerMU
>>976 あの手の本に身びいきが入るのは仕方ないだろ。
真に受けなきゃいいんだし。
あと武田で思い出したけど、馬場信春の逸話で
ある武芸者を「戦場では役立たず」っていって仕官を止めさせて、
その後、敵に回ったその武芸者を戦場で倒して、
「まあ、武芸者とか戦場じゃこんなもんだろ」とか言ったやつがあったけど、
この辺の話を読むと、たまに最強の剣豪とは、みたいなのが虚しくなる。
1対1の決闘なら強いから、とか、剣と剣なら負けないとか、
どんだけお膳立てしてもらうつもりなんだよお前ら、みたいに。
実戦と芸能じゃ前提が違うから比べても意味ないんだけどさ、
実戦の剣、っていうのを聞くたびに、そういうのを少し考える。
何で実戦重視ってなら剣なんか使ってんだ?みたく。
978 :
人間七七四年:2009/04/27(月) 13:41:00 ID:ycKL3QrH
まったくだ。石礫一発で戦闘不能の宮本武蔵とか、お話にならないくらい格好悪いよな。
それで一度も負けなかったとか言われてもねえw
979 :
人間七七四年:2009/04/27(月) 13:47:23 ID:j3pDo5AZ
卜伝は正直に合戦場で刀槍の傷はないが矢傷は受けたって言ってるしな
980 :
人間七七四年:2009/04/27(月) 13:53:15 ID:nQj39kiw
飛び道具はやっぱり兵法家にとってもっとも警戒すべきものだったろうね・・
実際、投石最強説もあるくらいだし。
どんな剣の達人だって、素人が殺意持って至近距離から石投げ付けて
来ようとしてたら、やっぱり焦るだろう・・
981 :
人間七七四年:2009/04/27(月) 13:56:27 ID:s/rKF/Qk
太平の世ならいざ知らず
戦国時代の武芸者、しかも剣とか確かにしょうもないわな
ちゅうか戦経験者の武芸者叩きはいいなw
戦国時代に2chがあったら
武芸者イラネ138スレ目とかできそうなレベル
982 :
人間七七四年:2009/04/27(月) 14:03:31 ID:ycKL3QrH
>戦国時代の武芸者、しかも剣とか確かにしょうもないわな
戦国時代には剣術専門は例外的じゃない?
983 :
人間七七四年:2009/04/27(月) 15:37:53 ID:AsexerMU
というか、武芸者に変なイメージが付き過ぎなんだよな。
無論、後に創り出された部分も大きいから
武芸者本人に全部の責任かぶせるのは酷なんだけど、
それでもそのイメージ前提で話をされると、なんだかなあと思う。
「天下一」って言葉も割と曖昧だしね。
武芸者全員が参加できるトーナメントみたいなのがあったわけでもないんだから、
そんなので「最強」とか「天下一」って意味あるのかね。
実績含めて自称なんじゃ、額面通りに受け取れって方が無理だわ。
まあ、その辺を割り切って、
お遊びとしてシミュレートする分には楽しいんだけど。
984 :
人間七七四年:2009/04/27(月) 18:13:08 ID:j3pDo5AZ
ところで次スレ立てる?
985 :
人間七七四年:2009/04/27(月) 18:56:10 ID:v/ppSULI
もちろん立てて!
剣豪スレはこれだけみたいだし
986 :
人間七七四年:2009/04/27(月) 19:01:20 ID:x0O1JqXN
スレ立てお願いする。確かに流派にこだわらず語れるのはここだけだし。
987 :
984:2009/04/27(月) 20:40:34 ID:j3pDo5AZ
埋めついでに立ててきます
988 :
人間七七四年:2009/04/27(月) 20:47:42 ID:8jnLpL1T
よろろ
989 :
人間七七四年:2009/04/27(月) 21:09:21 ID:AsexerMU
990 :
人間七七四年:2009/04/27(月) 21:11:35 ID:AsexerMU
991 :
人間七七四年:2009/04/27(月) 21:19:04 ID:x0O1JqXN
2分早いし、先にスレ立て宣言しているので
>>990で問題なしでは?
>>989は残っていたら3スレ目かな?まあ、このスレのペースだと
使い切るのに何年かかかるようだけど。
992 :
人間七七四年:2009/04/27(月) 21:28:10 ID:j3pDo5AZ
うわあ一分チョイの差で被っちまってスマンですw
993 :
人間七七四年:2009/04/27(月) 21:30:29 ID:AsexerMU
994 :
人間七七四年:2009/04/27(月) 21:39:51 ID:j3pDo5AZ
じゃ、気を取り直して
\∧_ヘ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
,,、,、,,, / \〇ノゝ∩ < 1000取り合戦、いくぞゴルァ!! ,,、,、,,,
/三√ ゚Д゚) / \____________ ,,、,、,,,
/三/| ゚U゚|\ ,,、,、,,, ,,、,、,,,
,,、,、,,, U (:::::::::::) ,,、,、,,, \オーーーーーーーッ!!/
//三/|三|\ ∧_∧∧_∧ ∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧
∪ ∪ ( ) ( ) ( ) )
,,、,、,,, ,,、,、,,, ∧_∧∧_∧∧_∧ ∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧
,,、,、,,, ( ) ( ) ( ) ( )
995 :
人間七七四年:2009/04/28(火) 00:49:56 ID:ygJP8WxV
む
996 :
人間七七四年:2009/04/28(火) 02:08:19 ID:/71GKzPs
>>976 甲陽軍鑑で天下一の兵法家と大絶賛されてるのが
塚原ト伝だな。
997 :
人間七七四年:2009/04/28(火) 15:53:38 ID:yi030KH7
998 :
人間七七四年:2009/04/28(火) 16:03:49 ID:htyd3OPP
言いたいことがあるならもうすぐ落ちるスレに書いたってしょうがないだろ。
999 :
人間七七四年:2009/04/28(火) 17:27:26 ID:gDqNYMTN
うめ
1001 :
1001:
/ `ヽ、
ー┬――─‐ァ
/ ̄ ̄ ̄ ̄,l,
_/ ,、r'" _」
. | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
/`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
/ 秀家 ゙ヽ:::::::::', ごくろう。このスレはみごと統一された。
゙|゙゙゙''' ‐‐''""' ';:::;r==,、 さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
. |エi> ,' イiエ> レ'゙,r .,l }
i. / Y./ノ さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
l { .、 /
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